2017年11月19日

読書雑記(214)中村久司『サフラジェット』

 『サフラジェット:英国女性参政権運動の肖像とシルビア・パンクハースト』(中村久司、大月書店、2017.10.16)を読みました。

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 本書は、著者が正義感と使命感のもとに、英国での闘う女性の姿を日本人に向けて語るものです。英国における女性の社会進出を、篤い思いで書き綴っています。女性参政権獲得闘争が中心であり、以下の通り、本書の切り口は明快なのです。

 参政権獲得をめざした多彩な組織の中でも、一九〇三年に設立され、後年になって「サフラジェット」と呼ばれるようになった戦闘的な女性集団「女性社会政治同盟」(WSPU=Women’s Social and Political Union)に焦点を当てる。
 「サフラジェット」に注目したのは、彼女たちの運動には破壊活動が含まれ、その運動の特異性が歴史に残るからではない。「言葉ではなく行動を」(Deeds not Words)をモットーとしたWSPUの運動が、それまで何十年間も継続しながら国会開会前の議員への陳情・請願の域を超えなかった当時の女性参政権運動を活性化させ、参政権獲得に大きく貢献したからである。(14〜15頁)


 本書で筆者が読者に訴える根幹には、次の4点があります。膨大な情報が底流にある物語ということもあり、この点を踏まえて読み進めると理解が深くなると思います。


(1)日本の識者や婦人参政権運動家は、英国を含む海外のフェミニズム・女性参政権運動を学び、影響も受けて、早くからそれらを日本へ紹介している。しかし、日本で「サフラジェット」の全体像を詳しく紹介したものは、今日まできわめて稀である。(中略)
 WSPUの「全体像の紹介」は、一部の学術論文を除いて稀有であり、シルビアの詳細にわたる紹介に至っては、皆無に近い。(18〜19頁)

(2)近年、英国では多様な組織と機関がデジタル・アーカイブを構築して公開するようになった。また政府機関の情報公開も活発で、M15もシルビアの監視・調査ファイルの一部を公開し、ホロウェイ刑務所も、囚人名を含めて、WSPUなどの活動家収容記録を公開した。(19頁)

(3)英国の女性参政権獲得闘争は、欧米各国の同様の運動に直接的・間接的に影響を与えた。一九一一年前後に、パンクハースト夫人は米国で三回、シルビアは米国・北欧・中欧で三回、盛大な講演を行っている。日本へも英国から直接、あるいは米国経由で影響を与えた。
 女性参政権獲得一〇〇周年にあたる二〇一八年を前にして、英国ではこの運動の大きな歴史的意義を再評価する多彩な催しが企画されている。(20頁)

(4)シルビアは、差別、権利の侵害、不正行為、搾取、抑圧などを目にすると、常に犠牲者・弱者の側に立って、いかなる権威・権力をも恐れることなく、人道のために戦闘的に闘った女性である。彼女が恐れなかったのは、政府・要人・警察・軍隊・暴漢のみではなかった。「参政権運動でもっとも多く投獄され拷問された」シルビアは、己の死さえも恐れることなく、繰り返して死線を彷徨いながら、社会的弱者のために闘い続けた。
 シルビアは、二一世紀の今日、世界各地の職場・地域・社会で、女性差別を含む多様な差別の撤廃、人権擁護、社会正義の実現、貧困の救済、搾取反対、労働条件の改善、経済的不公正の是正、反戦などのために真摯に闘っている老若男女の心に「私たちのシルビア」として蘇り、多くの人々に闘争の指針と勇気を与えている。
 筆者も彼女に支えられた一人である。筆者は、勤務していた英国の大学が、英国最大手の兵器製造会社と国防省と一体となって、NATO(北大西洋条約機構)拡大と、NATO新加盟国への英国の武器輸出促進に加担している事実を発見した。それを告発すれば、リストラの名目で解雇になることは明らかであった。予見通り解雇されたが、武器輸出を中止させた。この在職中最後の孤独な闘争の中で、常に心に抱いていたのがシルビアであった。
 日本で何らかの闘いを真摯になさっている方々にとって、WSPUとシルビアの闘争は精神的な支えとなるであろうと確信している。日本へ紹介する大きな理由の一つである。(21頁)


 本書で初めて知ったことは数え切れません。その中で、私の興味と関心に結びついたいくつかを引いておきます。

■ 女性差別は、一般社会に存在するだけではなかった。オックスフォード大学もケンブリッジ大学も、一九世紀後半をすぎると次第に女性の大学入学を認めるようになったが、どんなに良い成績で課程を修了しても、女性は、男性が取得する学位と同等価値の学位を取得することができなかった。両大学は、女性参政権運動の期間中を通してこの差別を継続していた。学位授与についての女性差別を廃止したのは、オックスフォード大学が一九二〇年、ケンブリッジ大学が一九四八年のことであった。(23頁)

■ バーミンガムの刑務所で、彼女たちは、ハンガーストライキに入っていた。その彼女たちが、WSPUの運動史上初の強制摂食を体験することになる。
 獄中の強制摂食は、三人前後の女性看守と医師二人からなるグループで通常行われた。
 リーは女性看守によってベッドの上に全身を押さえ込まれた。一人の医師は、リーの鼻腔からゴム管を無理やり胃の中まで挿し通した。ゴム管の反対側をもう一人の医師が椅子の上に立って高く掲げ、その先に漏斗をとりつけて流動食を流し込んだ。流動食は生卵とミルクが一般だった。
 リーの鼻腔と胸と胃に激痛が走る。両耳の鼓膜が破れたように痛みだした。激しい頭痛に襲われ精神が錯乱した。
 リーとマーシュが最初に体験した激痛を伴う屈辱的な強制摂食を、その後、多くのサフラジェットが、繰り返し強いられることになる。
 シルビア・パンクハーストの最初の強制摂食では、四人の女性がシルビアをベッドに押しつけて動けなくしている。医師の一人は、リーの場合と同様に、流動食を流し込む役割で、もう一人は、鼻腔ではなく口からゴム管を通している。シルビアが口を固く結んで拒否し続けると、無理やり唇を広げて、歯のかすかな隙間から金属製の特殊な器具を挿し込んで、機械的に顎を開かせている。
 口から出血し、嘔吐をもよおし、ときには失神するのを無視して、シルビアの場合は一日に二回強制された(ほかには一日三回のケースもあった)。一カ月以上続くと、肉体の苦痛に加えて、精神状態が異常になりつつあるのを実感したという。(104頁)

■ コンスタンス・ジョージーナ・リットンは、ビクトリア時代にインドの総督を務めた初代リットン伯爵の娘だ。コンスタンスは典型的な貴族階級出身の女性だった。ウィーンで生まれ、父の勤務地インドで一一年間幼少期を送っている。母親は、ビクトリア女王の侍女であった。
 彼女の弟には、後述の国会の「調停委員会」委員長を、一九一○年から務めることになる第二代リットン伯爵がいた。後年、伯爵は、国際連盟から「満州事変」(一九三一年九月)の調査に派遣された調査団の団長を務め、「リットン報告書」を作成して近代史に残ることになる大物である。
 彼女は、社会的には「レディ・コンスタンス」と呼ばれる身分で、リットン家は、英国の貴族・統治階級に属する典型的な一家であった。
 コンスタンスは、当初WSPUの戦術に懐疑的であったが、次第にWSPUへの理解と共感を深め、一九〇八年末にメンバーになった。その翌年の二月二四日には、国会へのデモ行進に参加して逮捕され、ホロウェイ刑務所に投獄された。
 彼女は、投獄中に自分の心臓の真上にあたる胸の肌に、自分のヘアピンの装飾の欠片を使って「V」の字を切り刻んだ。「VOTES FOR WOMEN」の「V」である。
 彼女が入獄して間もなくすると、刑務所側が、囚人の身分が元インド総督の娘で、貴族の一員である事実に気がついた。その結果、彼女を直ちに釈放した。釈放の理由には、彼女が心臓病を患っていた事実もあって、ハンガー・ストライキに入って命を落とした場合、大事件になるとの政治的配慮があったというのが定説だ。
 コンスタンスは、自分が貴族階級出身であるために特別扱いを受けた事実に怒りを感じ、政府の囚人に対するダブルスタンダードを暴露するため、一九一一年に典型的な労働者階級の女性を装ってリバプールへ出かけた。
 リバプールでは刑務所の前でデモを行って逮捕されたが、その際に警察署で偽名「ジェーン・ウォートン」を使い、職業を裁縫婦と偽った。身にはみすぼらしい労働者の衣服をまとっていた。
 彼女は二週間の投獄刑を言い渡されたが、投獄された直後からハンガー・ストライキに入り、強制摂食を八回受けた。その直後、刑務所側が彼女の身分に気がつき、彼女はすぐに釈放された。
 後日、刑務所側は彼女の心臓病を釈放の理由として使ったが、彼女の著書によれば、彼女はリバプールの刑務所で健康チエックをいっさい受けていない。
 彼女が受けた強制摂食の回数は限られていたが、獄中体験以降、心臓病が悪化し、翌年には脳溢血で半身不随となった。しかし、一九一四年には、「刑務所と囚人たち−コンスタンス・リットンとジェーン・ウォートンのいくつかの個人的体験」を著し、刑務所内で労働者階級出身の女性が、労働者階級出身であるがゆえに不当に差別されている実態を告発している。(108頁)

■ 女性の国家貢献説を裏打ちするかのように、国会議事堂敷地に隣接する「ビクトリア・タワー・ガーデンズ」内に、パンクハースト夫人のブロンズ像が建っている。そこには、長女のクリスタベルのレリーフ(顔の浮き彫り)もあるが、シルビアの名前はない。
 しかし、女性参政権付与の理由としての国家貢献説は、権力者が体制を正当化するために描いた歴史から生まれるものだと、筆者には思われてならない。(250頁)

■ 国家貢献説を主因と考える根拠は薄く、女性参政権付与決定は、女性の貢献が大戦中に顕著になる以前に、ロイド=ジョージが決意していたと筆者には考えられる。その理由は二つある。
 まず第一に、既述のように、ロイド=ジョージは、英国がドイツに宣戦布告を行う一ヵ月半前に、シルビアと議会内で朝食をとり、破壊行為が中止されれば参政権を与える努力をする意思表示を行い、彼が女性参政権付与に失敗したら辞職するとまで述べている。(中略)
 第二の傍証は、ロイド=ジョージがお抱え運転手(chauffeur)として、サフラジェットを採用した事実である。(252〜253頁)

■ 英国史上で最初に女性が立候補し、女性も投票した一九一八年一二月の総選挙には、パンクハースト夫人を中心とする女性党は、クリスタベルを候補者にして戦った。
 女性党は、保守党支持勢力と協議して、クリスタベルの選挙区では保守党系の立候補を見送らせた。しかし、労働党にわずかに七七五票の差で敗北した。
 一七人の女性候補者で当選したのは、当時英国に併合されていたアイルランドのダブリン市内の一選挙区から立候補した、伯爵夫人のコンスタンス・マルキエビッチ(一八六八〜一九二七年。五〇歳)一人であった。彼女が英国で最初に女性国会議員として選出された人物だが、彼女はウェストミンスターの議会へ登院しなかった。
 登院するには、英国国王への忠誠宣言を行う必要があった。しかし、彼女はアイルランドのシン・フェイン党のメンバーだった。英国のアイルランド併合・統治政策に抵抗して闘っている人物の一人で、国王への忠誠を誓う意思はなかった。彼女は、選挙前の一九一六年イースターには、前述のアイルランド独立をめざした武装蜂起で政府軍と戦闘を交えて検挙され、死刑を宣告された。しかし、処刑を執行されることなく後日の恩赦で出獄していた。(259頁)


 引用が長くなるだけなので、あと2つの記事について触れておきます。

・チャーチルが女性参政権を認めなかったことを本書で知り、流布する情報の限界を知りました。物事を判断する時には、多様な情報が必要なのです。(47頁)

・シルビアがデザインしたティーセットを用いて、上流階級出身の女性が伝統的な作法でお茶を出した、とあります(96頁)。これは、どのような作法だったのか知りたくなりました。

 最後に、著者は次のように言います。

 サフラジエットの壮絶な闘いの詳細を知るようになるにつけ、いつの日にかその全体像を日本へ伝えるのが、日英を往来して生きてきた自分の使命と思うようになっていた。その思いを抱きながら、久しく時がすぎた。今その日を近くして、自分で自分に課した使命を、ある程度果たせたのではないかと安堵している。(284頁)


 通読し、著者の情熱をぶつけた語り口に圧倒されます。イギリスにおける女性参政権をめぐる女性の生き様を、あたかも目の前に展開するかのように語っています。いつの時代の話なのか、と錯覚するほどです。
 圧倒的な迫力をもって語られる内容と、その巧みな弁士としての語りに、食い入るように読みふけりました。

 第2章では、シルビア・パンクハーストを取り上げています。シルビアは、母と姉とは少し考え方の異なる、平和主義者でした。平和学博士である著者がシルビアを最後に語るのは、まさに面目躍如たるものがあります。

 本書の構成は、「プロローグ」が22頁、第1章「サフラジット」が158頁、第2章「私たちのシルビア」が82頁、「エピローグ」が10頁、「あとがき」が3頁です。
 第1章が本書の基盤となるものです。それだけに、私は、第2章「私たちのシルビア」のことをもっと知りたいと思いました。【5】

[追記]
 「あとがき」は次のように結ばれています。

 本書が手元に届いたら、ノーサンバーランドへ行ってエミリーに草花でも捧げようと思っている。

 二〇一七年夏 ヨーク市の自宅の庭の吾亦紅が風に揺れるのを見ながら


 本書の刊行を受けて、エミリーの墓石に草花の献花は済まされたのでしょうか。
 私の手元にある写真を検索していたら、2004年2月にヨーク市にある著者のご自宅を訪問した折の写真が出てきました。しかも、ご自宅の庭の草花を写していたのです。今もこの花たちは元気でしょうか。

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 ますますのご活躍をお祈りしています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:19| Comment(0) | ■読書雑記