2017年10月31日

孫娘が茶道具を手に拝見のまねをして

 生後6ヶ月の孫娘が遊びに来ました。
 私がお茶を点てた後で茶道具を拝見に出したところ、一人前に拝見のまねをしていました。
 これは、頼もしいことだと、家中が大騒ぎです。
 この子のお点前でお茶をいただく日が来ることを、今から楽しみにしています。

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posted by genjiito at 21:00| Comment(0) | *美味礼賛

2017年10月30日

京洛逍遥(472)百人一首をテーマとする京菓子展(その2-下鴨別邸)

 『百人一首』に関する京菓子展について、昨日にひき続き記します。
 本会場である有斐斎弘道館とは別に、特別会場である旧三井家下鴨別邸には、『百人一首』をテーマにした創作和菓子17点が展示されていました。
 この下鴨別邸については、「京洛逍遥(431)重要文化財「旧三井家下鴨別邸」でのお茶会」(2017年03月05日)で詳しく書いていますので、ご参照いただければと思います。

 ここでも、重要文化財の建物内部以外は写真撮影を許可されました。以下に入選した和菓子をご紹介します。

171030_かささぎの.jpgかささぎの

171030_このたびは.jpgこのたびは

171030_ちぎりきな.jpgちぎりきな

171030_ちはやぶる1.jpgちはやぶる1

171030_ちはやぶる2.jpgちはやぶる2

171030_ひさかたの.jpgひさかたの

171030_玉の緒よ.jpg玉の緒よ

171030_君がため・純雪.jpg君がため・純雪

171030_秋風に.jpg秋風に

171030_春すぎて.jpg春すぎて

171030_滝の音.jpg滝の音

171030_朝ぼらけ・静寂.jpg朝ぼらけ・静寂

171030_天つ風・余韻.jpg天つ風・余韻

171030_天つ風.jpg天つ風

171030_来ぬ人.jpg来ぬ人

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 なお、すばらしい庭を拝見しながら、呈茶のために選ばれた和菓子3種類とともに、抹茶をいただきました。

(1)朝ぼらけ・静寂
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(2)君がため・純雪
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(3)天つ風・余韻
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 仕事に追われる日々の中で、一息つく贅沢な時間を持つことができました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | ◎国際交流

2017年10月29日

京洛逍遥(471)百人一首をテーマとする京菓子展(その1-有斐斎弘道館)

 昨日、[町家 de 源氏物語の写本を読む]の集まりでハーバード大学本『源氏物語 須磨』を読んだ後は、雨が小降りだったので、歩いて御所西の蛤御門の方に向かいました。現在、〈「手のひらの自然 百人一首」京菓子展 2017〉が、有斐斎弘道館で開催されていたからです。ここは、江戸中期の儒者である皆川淇園の学問所に由来する場所です。

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 今年の創作和菓子のテーマは「百人一首」。
 一般公募の350点あまりから選ばれた、48点の和菓子の作品展なのです。
 展示会場は2カ所あり、この有斐斎弘道館には、入選作31点が並びます。

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 特別会場である旧三井家下鴨別邸には、17点が展示されています。下鴨別邸については明日にします。

 今年の入選作の一覧は、「デザイン部門16作品、実作部門32作品が選ばれました」をご覧ください。
 そこに記されている審査基準に、私は注視しました。

【審査のポイント】
・百人一首をどのように捉えるか、京菓子の特性をどのように活かすかについて応募者なりの視点があること。
・京菓子は耳で食べる、と言われるほど銘(お菓子の名前)が重要な要素です。菓子のデザインと銘が互いに引き立てあうような作品を期待します。
・菓子のデザインは特に「食べる」ことを考えた作品であること。


 選考を終えての、審査員のコメントを聞きたくなります。どこを評価なさったのでしょうか。
 また、和菓子の製作者が和歌をどう解釈して苦労したか、ということと共に、見てもらいたいポイントが作品に添えてあれば、我々はもっと楽しめたはずです。勝手に見てください、に留まらない、「おもてなしの気持ち」が伝わる展覧会にしていただけると、さらに充実感が増し、参観者も増えると思いました。ごめんなさい。これは学芸員の視点からの私感です。
 実際に何点かの和菓子は、お茶と一緒にいただけます。これは、なかなかいい趣向です。

 この会場で見た作品の中で、私は笹井真実さんの「恋話」(しのぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで」)が一番気にいりました。鎌倉時代に書写された『源氏物語』の写本を読んだ後ということと、平仮名がうまく配されていた、ということからでもあります。勝手なことを言わせていただけるなら、変体仮名を交えて、例えば「しのふ(改行)連登」と連綿で書いてあると、さらに品格が増したと思います。

171029_しのぶれど1.jpgしのぶれど1

 写真撮影は自由に許されていたので、薄暗い中でのぼんやりした画像ながら、以下にこの本会場に並んでいた入選作の和菓子を体験していただけるようにしてみます(順不同)。お茶でも飲みながら、ごゆっくりとご覧ください。
 
 
171029_かささぎ1.jpgかささぎ1

171029_かささぎ2.jpgかささぎ2

171029_かささぎ3.jpgかささぎ3

171029_しのぶれど2.jpgしのぶれど2

171029_ちはやぶる.jpgちはやぶる

171029_みかきもり.jpgみかきもり

171029_わたの原.jpgわたの原

171029_奥山に.jpg奥山に

171029_花の色.jpg花の色

171029_君がため1.jpg君がため1

171029_君がため2.jpg君がため2

171029_言霊.jpg言霊

171029_高砂の.jpg高砂の

171029_今来むと.jpg今来むと

171029_山川に.jpg山川に

171029_思ひわび.jpg思ひわび

171029_秋風に1.jpg秋風に1

171029_秋風に2.jpg秋風に2

171029_秋風に3.jpg秋風に3

171029_心あてに1.jpg心あてに1

171029_心あてに2.jpg心あてに2

171029_瀬をはやみ.jpg瀬をはやみ

171029_滝の音は.jpg滝の音は

171029_嘆きつつ.jpg嘆きつつ

171029_筑波嶺の.jpg筑波嶺の

171029_天つ風.jpg天つ風

171029_来ぬ人1.jpg来ぬ人1

171029_来ぬ人2.jpg来ぬ人2
 
 
 
posted by genjiito at 19:23| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年10月28日

[町家 de 源氏物語の写本を読む](第2回)の報告

 9月に予定していた[町家 de 源氏物語の写本を読む]の第2回目は、颱風のために休会となりました。そのため、今日は8月以来の第2回目となります。

 小雨の一日、 be京都で『源氏物語』「須磨」巻を読み進めました。

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 今日は、いつものみなさまは多忙な秋ということもあり、参会者3人で丁寧に文字を追いかけました。
 初めての参加者もあり、いつもよりも一文字ずつ丁寧に確認しました。

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 今日は、第2丁裏から第3丁表まで、ちょうど見開き分を見たことになります。
 そんな中で、一行に「れ」が崩し方を変えて3例もあったので、ここに例示して確認しておきます。

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 写真の1行目上から4文字目の「れ」と、最終行の頭の「れ」は、今でもよく見かける「れ」です。
 後ろから3行目を見ると、この一行に3例の「れ」が確認できます。いずれも、今の「れ」で字母は「礼」です。
 この行の上から2つ目の「れ」が、今もよく見かける「れ」です。
 上から1つ目の「れ」は、漢字の「礼」の姿を見せ、下から3文字目の「れ」は旧漢字の「禮」の姿が明瞭に見て取れます。
 この一行において、平仮名の「れ」が3パターンの字形で書かれていることについて、今日は一緒に考えました。
 一般的には、書写者が同じ形の平仮名を避けて、あえて別々の字形で書いたと説明されそうです。しかし、鎌倉時代の古写本をいろいろと見ていると、書写者が美的センスを筆写の際に見せることはあまりないと言えます。あくまでも書写にあたっての原本に対して、字母レベルまで忠実に書き写すことが鉄則であったようです。そのため、まったく同じ字形の平仮名や漢字を隣の行と並んで書かれていたり、同じ字形の文字を続けて書写したりしている例は枚挙に暇がありません。
 写本の書写者は、書き写しながら本文を適当に書き換えていた、などと間抜けな思いつきを言う方がいらっしゃいます。写本を読んだことのない方に限って、書きながら書き換えている、などおっしゃるようです。書写されている状況や、書き写された文字のつながりを仔細に見ると、自分の首を絞めるような勝手気ままな書き換えなど、とてもできるものではありません。
 同じように、筆者が自分の美的感覚で文字の形を変えたり、果ては字母まで変えて写していた、ということも、私の経験からは言えないと思っています。字母を間違えて写した時には、気付いた時点で、その文字を小刀で削ってから、なぞるようにして重ねて親本通りの字母で書いています。
 古写本の書写にあたって、書写者の美意識を持ち込んで判断することは、あまりにも情感を交えた恣意的な解釈です。
 そういう視点でこの一行に見られる3例の「れ」を見ると、まずは親本にこのように書かれていたものを写し取った結果だ、と考えるのが普通です。そして次に、その親本の書写者がこの3例の「れ」について、そのさらに元となった親本の文字を、書写者として変更の手を加えたかどうか、ということを調べることになります。
 ただし、このハーバード大学本「須磨」の親本がどのような本だったのかは、まだ確認できていません。おそらく、平安時代の『源氏物語』の本文を色濃く伝える写本だったことでしょう。このことは、今後の調査と研究に委ねるしかありません。今は、こうした例がある、ということの確認に留めておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎NPO活動

2017年10月27日

5年前の iPhone 5 がこんな姿に

 iPhone 5 は、第6世代目の携帯端末です。今私は iPhone 7 を使っています。2世代前というと、ITの分野では大昔です。しかし、5年前がそんなに古いことには感じられません。先進の技術が詰め込まれた、完成度の高い製品だからでしょう。

 その iPhone5 を処分せずに、もっぱら音楽を聴くツールとして使っていました。まさに、iPodです。これとは別に、60ギガのハードディスクを内蔵したiPodも、現役で使っています。

 その iPhone5 に、突然の異変が起きました。液晶パネルが浮き上がり、次第に盛り上がってきたのです。

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 こんな状態でもパネルは使えるので驚きです。スマホの機能は、十分に保っています。液晶の表示には濃淡があるものの、立派に音楽を奏でます。ウェブにもつながり、検索もできます。
 ただし、この損傷が後にどのような事態を招くかはわかりません。破裂したり燃え上がったりしたら大変です。不気味なので、使うのは止めることにします。

 見捨てられた iPhone5 は、知ってか知らでか、スリープ状態になるまでは、ずっと残光をその隙間から周囲に放っています。

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 物を捨てられない私は、ソニーのクリエに始まり、パームやガラケーやスマホなどなど、多くの携帯端末を保管しています。個人情報が入っているので、なおさら捨てる踏ん切りがつきません。
 内部の貴金属などを取って有効活用する動きがあることは知っています。しかし、やはり手離すことに躊躇いがあります。

この iPhone5 も、処分に困っています。
 
 
 
posted by genjiito at 19:51| Comment(0) | ◎情報社会

2017年10月26日

翻訳本のミニ展示・第五弾は《平安文学》

 5回目となる翻訳本の展示替えをしました。
 大阪観光大学の図書館3階の一角を借りて、日本文学作品の翻訳本を展示しています。
 今回から、『源氏物語』以外の作品をご覧いただきます。まずは、平安文学の特集です。
 欲張って、28冊もの翻訳本を並べました。しかし、あくまでも個人的に持っている本ということもあり、『源氏物語』以外は極端に少なくなります。お手元に余っている翻訳本がありましたら、ご恵与いただけると幸です。
 午後6時ともなると館内も暗くなり、デジタルカメラの写真にも靄がかかります。今は雑務に忙殺されていますので、いつか時間ができたらきれいな写真と差し替えます。しばらくは、これでその場凌ぎといたします。

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 この展示で見ていただくのは表紙だけです。しかし、それでも多彩な各国の顔がうかがえます。

 今回も、展示ケースの上に置いたプリントの内容を、参考までにここに引用します。

《世界中の言語に翻訳された平安文学》

   平成29(2017)年10月26日(木)〜11月30日(木)
             於:大阪観光大学 図書館3階

 今回の特設コーナーでは、翻訳された平安文学の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるような選書をしました。各国で平安文学作品がどのように受容されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。

【平安文学が翻訳されている29種類の言語】

アラビア語・イタリア語・ウクライナ語・英語・オランダ語・カタルーニャ語・韓国語・ギリシャ語・スペイン語・スロヴァキア語・セルビア語・チェコ語・チベット語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・デンマーク語・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・ヒンディー語(インド)・フランス語・ブルガリア語・ベトナム語・ベンガル語(インド)・ポーランド語・ポルトガル語・ラトビア語・ルーマニア語・ロシア語


☆イタリア語
◯イタリア語訳『土佐日記』(2004年)
シモーナ・ヴィニャーリによる訳。
表紙は白地に黒字のタイトル、上に玄武のイラスト。

◯イタリア語訳『和泉式部日記』(2008年)
カロリーナ・ネグリによる訳。
表紙は鈴木其一『青桐・紅楓図』(ロサンゼルス・カウンティ美術館/心遠館コレクション)の紅楓の部分。

◯イタリア語訳『更級日記』(2005年)
カロリーナ・ネグリによる訳。
表紙は山口素絢『女官図』(奈良県立美術館蔵)。

◯イタリア語訳『枕草子』(2002年)
リーディア・オリグリーアによる古典からの訳。
表紙は葛飾北斎『させもが露 蚊帳の中で』。

◯イタリア語訳『竹取物語』(1994年)
アドリアーナ・ボスカロによる古典からの訳。
表紙は墨の字で「竹」の一文字。

◯イタリア語訳『堤中納言物語』(1989年)
久保田洋子による古典からの訳。
表紙は鳥文斎栄之『錦摺女三十六歌仙 嘉陽門院越前』。

◯イタリア語訳『落窪物語』(1992年)
アンドレア・マウリッティによる古典からの訳。
表紙は俵屋宗達『伊勢物語芥川図』の人物部分。

◯イタリア語訳『浜松中納言物語』(2008年)
アンドレア・マウリッティによる訳。
表紙は富岡鉄斎『掃蕩俗塵図』。

☆英語
◯英訳『蜻蛉日記』(1994年)
エドワード・G・サイデンスティッカーによる訳。
表紙は土佐派の『源氏物語絵巻』「真木柱」巻かと思われる。

◯英訳『紫式部日記』(1996年)
リチャード・ボーリングによる訳。
表紙は『紫式部日記絵詞』藤田家本第5段の絵(藤田美術館蔵)。一条天皇の土御門邸行幸に備えて、
新しく造られた竜頭鷁首の船。

◯英訳『紫式部日記』・『紫式部集』(1999年)
マーティーン・ベレンによる訳。
表紙は土佐光起『源氏物語画帖』「若紫」巻。

◯英訳『更級日記』(2000年)
原順子による古典からの訳。
表紙は左半分が赤紫色で右半分が白色であり、左上に縦書きで「更級日記」、中央に横書きで「Sarashina Nikki」。

☆韓国語
◯韓国語訳『蜻蛉日記』(2009年)
鄭順粉による訳。
表紙は白色と藍色の地に白色でタイトル。

◯韓国語訳『蜻蛉日記』(2011年)
李美淑による古典からの訳。
表紙は鎌倉時代に書写された『古筆手鑑』の断簡。『蜻蛉日記』967年3月の段で、「三月つこもりかたに〜一つむすひては結ひ」の部分。

☆スペイン語
◯スペイン語訳『竹取物語』(1998年)
高木香世子による古典からの訳。
表紙は『佐竹本三十六歌仙 小大君』(大和文華館蔵)。

◯スペイン語訳『竹取物語』(2001年)
高木香世子による古典からの訳で、1998年版の修正版。
表紙は『春日権現験記絵巻』に登場する藤原吉兼の庭にある竹林の上に、春日神社の第四殿に祀られている「比盗_(ひめがみ)」が出現した場面。

◯スペイン語訳『古今和歌集』(2005年)
トゥークル・ダシ-―による訳。
タイトル:Poesía clásica japonesa : Kokinwakashū
表紙は藤原定家筆『古今和歌集』巻第一(冷泉家時雨亭文庫蔵)。

◯スペイン語訳『更級日記』(2008年)
井本晶子とカルロス・ルビオによる訳。
表紙は『北野天神絵巻(弘安本断簡乙巻)』の女房狂乱の場面(東京国立博物館蔵)。裏表紙は土佐光吉『源氏物語絵色紙帖』「野分」巻(京都国立博物館蔵・重要文化財)。

☆チベット語
◯チベット語訳『竹取物語』(2002年)
ツェワン・ギャルポ・アリヤによる訳。
表紙はソナム・ドゥントップによる、かぐや姫が月を恋しがり涙を流す絵。
前書きによるとトヨタ財団の補助で作成された。また、英訳されたバージョンもある。絵本形式で
文章には挿絵がついているものの、月からの使者や兵士の一部がモンゴル風の装束をまとう絵となっている。訳者は、伊藤がインド・デリー大学で客員教授をしていた時の教え子。

☆中国語
◯中国語訳『枕草子』(2000年)
林文月による古典からの訳。
表紙は郭豫倫による草花の絵。

◯中国語訳『蜻蛉日記』・『和泉式部日記』・『紫式部日記』・『更級日記』(2002年)
林岚,鄭民欽による訳。
表紙は藍色の表紙で、表紙の3分の1から裏表紙にかけて和紙が貼り付けられている。

◯中国語訳『枕草子』(2003年)
周作人による古典からの訳。
表紙には尾形光琳『燕子花図』(根津美術館蔵)の「燕子花」の模様で、「心の感動を記録したいだけです」とある。

☆フランス語
◯フランス語訳『紫式部日記』(1978年)
ルネ・シフェールによる訳。
表紙には文机の前に座り、明かりを見つめる女房の絵。

◯フランス語訳『紫式部集』(1986年)
ルネ・シフェールによる訳。
表紙には橙色で「歌」の一文字。

◯フランス語訳『成尋阿闍梨母集』(2003年)
バーナードフランクによる訳。
表紙は五島美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「御法」巻の紫の上。

◯フランス語訳『春記』(2001年/2004年)
フランシーヌ・エライユによる訳。
橙色の表紙にタイトル。

☆ロシア語
◯ロシア語訳『狭衣物語』・『篁物語』(2007年)
V. I.シソーリによる訳。
表紙は、橋の下に屋形船がとまり、周囲に雪が積もっている情景が。

◯ロシア語訳『浜松中納言物語』・『松浦宮物語』(2010年)
V. I.シソーリによる訳。
表紙は、柳の木の下に閉じた傘を持った遊女と思われる女性がたたずんでいる絵。

 
 
 
posted by genjiito at 22:15| Comment(0) | ◎国際交流

2017年10月25日

読書雑記(213)佐藤栄作『見えない文字と見える文字』

 『見えない文字と見える文字 文字のかたちを考える』(佐藤栄作、2013年5月、三省堂)を読みました。

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 丸文字に注目し、丸文字は平仮名字体内での「再調整」とみているという、今野真二氏の『日本語の考古学』(岩波新書、67頁)に触発されて読み出した本です。具体例がわかりやすいので、納得しながら楽しく読みました。
 夏目漱石の自筆原稿に書いてある俗字は、字体が時とともに変化するということを知り、表記の揺れのおもしろさを実感しました。
 また、こんなことも。
 夏目漱石の『坊ちゃん』の自筆原稿に書かれている漢字は、次の右側のようになっています。

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 そして、次の説明になります。うーん、と考え込んでしまいます。漢字の書き取りテストって何なんだろう、と。

漱石が書き取り試験を受けたら0点だというのは、現代では、俗字・異体字が認められなくなっていることを示しているのです。わかりやすく言うなら、現代は採点が厳しいのです。(122頁)


 草書体については、以下の説明が一般的になっていることを確認できました。

中国から漢字が日本に入ってきたとき、すでに草書は成立していました。ひらがなは、この草書から生まれたと思われます。ですから、日本に入ってき楷書の漢字が、日本で崩されてひらがなになったのではありません。
(中略)
もともと、草書という書体は、楷書が崩れて生まれたものではありません。草書は、楷書より古い隷書(一部は篆書)から生まれたとされ、楷書とはいわば兄弟に当たります。(40頁)


 後半では、ひらがなを含めた、草書体について考え直す必要性を痛感させられました。

 漢字や平仮名という文字の形について、肩肘張らずに楽しく読める本でした。欲を言えば、現代社会で使われている文字について、鋭いツッコミや批判や皮肉があってもいいと思いました。
 著者は、香川県に生まれて東京で学ばれた方です。もし、大阪生まれの方だったら、吉本流のさらにおもしろおかしい読み物になさったはずです。この手の本には、まじめさと軽さに、もう一味ほしいと思いました。
 
 
 
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | ■読書雑記

2017年10月24日

京洛逍遥(470)このゴミ袋は何とかならないものでしょうか

 京都の中心街となっている四条通りの中でも、四条河原町は阪急で梅田へ向かう始発駅でもあり、一日中賑わっています。
 その四条河原町でもっとも人が往き来する交差点の西北角に、私が通りかかる午後8時から9時以降になると、ゴミ袋が詰まれています。今日は4つと雑誌の束なので、少ない方です。10個くらい積まれると、ここを通るのが嫌になります。見た目にも、不潔で恥ずかしい光景です。

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 このゴミ袋は、この前のお店が閉店と共に出しておられるのでしょうか。いや、それはないのでは、と思いたくなります。ここは、深夜まで人通りの多い商店街です。いつも決まってこの場所にゴミが積まれているので、ゴミを避けながらこの角を曲がる私は、鼻を摘まむまではいかないまでも、本当に嫌な思いをさせられます。

 この向かいの東側の通りの商店街でも、似たようなゴミ袋が並びます。交差点の角ではないにしても、狭い歩道なので歩いていると身体に触れることもあります。

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 国際的にも観光都市として、京都はナンバーワンとして知られています。その繁華街の午後8時のこの不潔で不愉快さを感じさせる状態は、どう考えてもよくないことです。人間の生活感が感じられていいものだ、などと言っている状態ではありません。
 ゴミを店の前に出すのは違法ではないのでしょう。しかし、場所と時間をわきまえてほしいものです。
 そして、市もこのことについて、市民や観光客が不愉快な思いをすることのないように、何か対処を検討してほしいと思っています。
 住宅街で、自宅の前にゴミを出すのとは違う、と思うからです。

 なお、近所の歯医者さんの玄関口には、診察終了後にいつも透明のゴミ袋が出ています。今日も出ていました。この中に医療用器具や血液の付いたものは入っていないと思います。しかし、気持ちが悪いので、じっとは見ないようにしています。

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 これも、ゴミを出す方は当たり前のことなのでしょう。しかし、近隣住民としては、気持ちが悪いので、中がみえないような工夫をするなど、考えてほしいものです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:15| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年10月23日

NPO法人GEMの「払込取扱票(加入者負担)」を作りました

 特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉では、これまで会費等による支援に関する振り込みについては、「ゆうちょ銀行(四四八)」、「京都銀行(下鴨支店)」、「三井住友銀行(京都支店)」を窓口として支援金をお願いしていました。
 「当法人のホームページ「会員」の項目」を参照願います。

 会員の募集にあたり、このことは「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の新会員募集のご案内」(2013年03月02日)に記した通りです。

(1)取引銀行:京都銀行 下鴨支店
取引店番:142
口座番号:3359090
口座名義:トクヒ)ケ゛ンシ゛モノカ゛タリテ゛ンシシリヨウカン
   特定非営利活動法人源氏物語電子資料館
   (山カッコがないことにご注意ください)
---------------------------------------------------------------------
(2)取引銀行:ゆうちょ銀行
記 号 :14460
番 号 :45621781
・他金融機関から振り込む場合
店 名 :四四八(読み ヨンヨンハチ)
取引店番:448
口座番号:4562178
口座名義:トクヒ)ケ゛ンシ゛モノカ゛タリテ゛ンシシリヨウカン
   特定非営利活動法人源氏物語電子資料館
   (山カッコがないことにご注意ください)
---------------------------------------------------------------------
(3)取引銀行:三井住友銀行 京都支店
取引店番:496
口座番号:8925177
口座名義:トクテイヒエイリカツト゛ウホウシ゛ンケ゛ンシ゛モノカ゛タリテ゛ンシシリヨウカン
   特定非営利活動法人源氏物語電子資料館
   (山カッコがないことにご注意ください)


 今回、当法人の「払込取扱票(加入者負担)」を作りましたので、今後はこちらへの振り込みが便利かと思います。これは、振込料金を加入者である当法人が負担するものです。

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 予想外に口座開設と加入者負担の振り込み用紙の作成に手間取り、やっとご案内できるようになりました。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉は、会費による運営が主体となっている組織です。
 まだ、20数名の会員(支援者)による、本当に小さな団体です。
 しかし、90年先を見据えた、大きな夢を実現しようとする団体です。
 今後とも、引き続き温かいご支援のほどを、よろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 20:12| Comment(0) | ◎NPO活動

2017年10月22日

来週10月28日(土)に[町家 de 源氏物語の写本を読む]があります

 昨日の京都新聞「まちかど」欄に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する勉強会「町家 de 源氏物語の写本を読む」(第2回)の開催案内が掲載されました。

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 この勉強会に関する詳細は、次の記事をご覧ください。

「[町家 de 源氏物語の写本を読む]を再開します」(2017年06月22日)

 読んでみたいと思っていた『源氏物語』の写本を少し読んでみよう、とか、旅の途中で気分転換に立ち寄って等々、いろいろな方の参加をお待ちしています。
 牛歩の歩みのように、のんびりと読み進めています。丁寧に読んでいるので、どこからでも読めるように説明しています。
 初めての方は、初回限りの体験参加として 1,000円、それ以降に途中でスポット参加の場合は1回 2,000円という参加費・資料代をいただいています。

 この[町家 de 源氏物語の写本を読む]集まりは、勉強会であることはもとより、いろいろな意見交換の場でもあります。
 資料の準備がありますので、前日までに、本ブログのコメント欄か〔npo.gem.info@icloud.com〕に連絡をお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 09:00| Comment(0) | ◎NPO活動

2017年10月21日

第6回日本盲教育史研究会は京都府立盲学校で開催

 日本盲教育史研究会は、設立6年目となった現在、186名の会員で構成されています。盲学校等の教員及び関係者が多数を占めているそうです。今日の参会者は60名にもなっています。この研究会への期待と、情報交換の場としての質の高さが評価されてきています。

 その第6回目となる日本盲教育史研究会が、京都府立盲学校高等部(花ノ坊校地)で開催されました。颱風がやってくる中、幸いにも小雨だったので安堵しました。

 今回も、普通文字、拡大文字、点字の資料が準備してあり、手話通訳も配置されています。きめ細かな配慮が、随所に感じられます。これも、事務局長である岸博実先生とお手伝いのみなさまの、心優しい気遣いが結実したものです。

 午前中は、新装なった資料室見学がありました。これまでの点字印刷室を第2資料室として改装されていました。
 京都府の文化財になっているものなど、スチールのスライド式書架にきれいに収納してあります。古文書を中性紙の袋に入れ、箱に詰めてありました。これらは、デジタル化も終わっており、今後は普通の閲覧はパソコンで、さらに詳細な調査にはこの書架の原本を、ということになります。ただし、防災に関してはまだまだ手が届いていないとのことでした。

 新装なった資料室も拝見しました。

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 6メートル、8メートルの部屋です。これまでの資料室は、雑然と貴重な資料が押し込まれた部屋、という印象でした。それが、明るくてゆったりと資料が展示されており、手に取って見ることも容易になっていました。展示品に添えてある説明板も見やすく整理されています。部屋の一画では、パソコンでデジタル化された資料を閲覧することもできます。多くの方々が、こうした資料を直接見て、日本盲教育の現場とその歴史の一端を知ることで、幅広い知識と関心を深めて行かれる場所になればいいと思いました。ただし、まだ、音声対応にはなっていないとのことです。まだまだ、この資料室の整備は続くようです。

 展示品の中では、「盲生遊戯図」に注意が向きました。これは、杭と竹で作った迷路の「直行練習場」、カタツムリの迷路の「方向感覚渦線場」、太鼓・ドラ・琴に向かって球を投げる「打毬聴音場」の絵が描かれています。遊びの中から距離感や方向感覚を学ぶために、いろいろなことが盲学校で行われていたことを知り、私が知らなかった教育の役割などについて考えるいい機会となりました。

 とにかく、さまざまな工夫を凝らした教具から、先人の創意工夫が実感を伴って伝わってきました。

 私が展示の中で特に注意が向いたのは、展示ケースの中の「投票用紙展示板」でした。これには、次の説明文が添えてあります。
投票用紙展示板
大正14年4月、選挙法改正により点字投票の有効が確認された。木製点字板は全国投票所に常時備えてある。

 折しも明日は、衆議院選挙の投票日です。点字投票が大正14年から今に至るまで実施されていることは知っていました。しかし、点字で投票する時の道具を見るのは初めてです。以前、岸先生からは、この資料室の説明を一通り伺いました。しかし、問題意識が希薄だったこともあり、この道具については目が向いていませんでした。いい機会に見られて幸でした。

 総会では、さまざまな報告がありました。着実に活動が進展していることがわかります。
 来年は東京で開催するとのこと。
 その後、盲教育と点字資料の発掘と収集に関する討議がなされました。
 その中で、資料の保存方法について話題となりました。私も、前の職場である国文学研究資料館が資料保存を専門とする機関であることを紹介しました。可能であれば、全国の支援・盲学校などに眠ったままの明治大正期の資料や、どんどん処分されているという日本盲教育関係の文献などの保存について、調査の手を着ける時期かと思います。まずは手持ち資料のリストを作成することでしょう。そして、貴重なものの保存へと進みます。このことについては、私も何かお手伝いすることができるかもしれません。昔の仲間に連絡をしてみようと思います。

 午後は、講演と研究発表会です。
 事前に公開されているプログラムは以下の通りです。
日本盲教育史研究会第6回総会・研究会

 日本盲教育史研究会は創立から6年目を迎え、お陰様で会員数およそ190名の研究会へと育ちました。フィールドワーク中心の小規模なものに改善した春のミニ研修会は、金沢で5月21日に開催し、多くのご参加もあり、内容も好評でした。
 秋の第6回研究会は京都府立盲学校のご好意により同校を会場に開催させていただきます。現在、資料室の増改修を行い、展示や閲覧の方式を充実させる事業が進んでいると伺っております。研究会は協議の時間の確保など研究交流が深まるよう運営の改善も進めています。新しい資料室の見学も含め、日本の盲教育発祥の地での研究会に多くの皆様の参加をお待ちしています。
       日本盲教育史研究会会長 引田秋生
 
日時 2017(平成29)年10月21日(土)10時〜16時30分
会場 京都府立盲学校高等部(花ノ坊校地)2階・多目的教室、1階・資料室 
主催 日本盲教育史研究会 
後援 全国盲学校長会(予定)・日本盲人福祉委員会・毎日新聞社点字毎日
 
開場・受付:9時30分〜 資料室見学(10時〜12時 2交代) 
第6回総会:11時〜12時(会員のみ)
第6回研究会:13時〜16時30分


 以下、私のメモを備忘録として引きます。拙いものながら、思い起こしたり確認する時には、何かの役にたつと思ってまとめたものです。

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■記念講演
「石川県の盲教育史研究
 −「人」にスポットを当てた石川県立盲学校の史実に関する一考察」
    金沢星稜大学・元石川県立盲学校 松井繁 氏

 石川県立盲学校 の歴史的背景について、キーパーソンに注目しながら、詳細な研究成果を語ってくださいました。多くの方々が心血を注いで叡智を提供された歴史とその成果を知り、充実した時間をいただきました。

 最後に、以下のようにまとめられました。

ア、改革・刷新される時は、必ずそれをリードする情熱的パワフルなキーパーソンがいた。
イ、該当者が転退職するや改革は、一見止まって元の状態に戻ってしまうかのように見える。
ウ、しかし、キーパーソンは、多かれ少なかれ後ずっと影響を与え、確実に足跡を残している。


また、盲教育を継承発展させるための今日的課題を、以下のようにまとめて、締め括られました。

ア、大学の教員養成課程に、盲教育史を必須科目として位置づける。また、盲学校においても視覚障害者の歴史を必須として教える。イ、ー人のキーパーソンの働きだけでは限界がある。教員集団の底上げの方策が望まれる。各学校における断片的な講習会や、見よう見まね的な伝承では不十分で、文部科学省による本格的系統的な視覚障害教育の講習会が望まれる。


 なお、松井先生とは、今春のミニ研修会 in 金沢でお目にかかり、親しくいろいろなお話をしていただきました。今日は、ご著書『道を開拓した21人〜不滅の足跡を残した石川の視覚障害者達、関係者達〜』(橋本確文堂、2015年3月)を頂戴しました。ありがとうございます。

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■研究発表
「1951年に知ったルイ・ブライユ点字とコンピュータ時代以後の点字の展開」
 (点字情報処理の経緯)   長谷川貞夫(ルイ・ブライユSYSTEMプロジェクト代表)

 これまでの体験談を通して、情報処理の視点から展示のこれまでと今後について語ってくださいました。
 ただし、今日は時間がなかったために、会場のみなさんが知りたかったことにまでは及びませんでした。今回語られなかったことで、配布された資料から「全人類が体表で読む"第3の文字"」に関する箇所を、長文ながら引用しておきます。
 詳細は、以下の報告書に記されています。
 「光る点字(体表点字)開発の現状と未来
  −音声言語、視覚文字言語と並ぶ第3の文字言語”体表点字”」
 (『情報処理学会研究報告』Vol.2017-AAC-4 No.10 2017/8/27)

5.体表点字
 いまは、コンピューター時代である。ルイ・ブライユから178年を経た2003年1月に、点字の1点を振動体で表現し、全身で点字を読める6点式体表点字を共同研究者と開発した。
 点字の6点の形と6bitの情報交換用符号と比較すると、点字における「1の点」・=「あ」と、情報交換用符号の最初の信号とが同じ位置である。また、点が6点ある「め」は、全部が点の信号である。つまり、dotとbitが完全に一致している。言い替えると、点字を文字として見た場合、最も簡略化された文字なのである。ルイ・ブライユが、指先の触覚で6点を読み分けたように、体表点字の振動を強くすれば、触覚が最も鈍い足の裏でも点字が読める。それは簡略化された文字だからである。
 6点の体表点字を、頭部の周囲、背部の6点、両上肢の三角筋部・肘関節部・手関節部など、全身で読めることを確認した。
 このように、最初の体表点字は、指先で読む点字と同じように6点であった。しかし、これを・上段、中段、下段とほぼ0.3〜0.5秒の時間差で順に振動を送ることにより6点として読める2点式体表点字を開発した。
 この段間時間は、今後の研究で、より短縮されるであろう。つまり、読み速度が、一般の人が通常の文字を読むぐらいに、速くなる可能性があるということである。

6.光る点字(ピカブル)
 2017年の今年、2点式体表点字に同期して発光する振動体を「ピカブル」と名づけ、開発を進めている。(共同研究者は、本発表者6名)
 ピカブルの1点を表わす振動体の大きさは、現在のプロトタイプではワイシャツのボタンほどの大きさであり、両耳たぶにつけて、2点式体表点字の点字の振動を確認できるようにしている。このとき同時にピカブルを装着している当事者以外の人もLEDの発光によって、それが動作していることを確認できる。光の色は、点宇の左列1・2・3の点を赤色のLED・右列4・5・6の点を青色のLEDとし分けることによるわかりやすさの検証を行っている。
 体表点字データは、専用のスマートフォンアプリケーション(現在はこのアプリケーションの名称も「ピカブル」としている)から B1uetoothで送信されるため、ピカブルを装着した盲ろう者に対して、支援者がスマートフォンで点字データを送信し、少し離れた揚所から体表点字によるコミュニケーションをするような使い方も想定している。
 例えばiPhoneでピカブルを起動し、通常の文字で「こんにちは」と入力して送信すると、ピカブルは2点式体表点字でコンニチハと振動し、振動と同期してLEDも光る。
 開発中の専用アプリケーションは、現在はピカブルの使いやすさを検証するため、振動時間を数値で調整したり、それを複数のプリセットデータとして保存したり、練習用の定型文を保存し、ワンタッチで呼び出せる機能をもつプロトタイプであるが、複数の当事者による実証実験を通して、より最適な振動時間の初期値の設定や、必要とされる操作系ユーザインタフェース(「一時停止」や「1マスもどる」などの操作ボタンの必要性は実証実験により確認された)の検討を進めた上でリリースする予定である。
 ピカブルは点字を読むための出力装置だが、点字の形を利用した入力装置としては「イッピツ」を開発しており、次にこれを説明する。

7.イッピツ
 イッピツ(一筆)は、スマートフォンの画面上で点字の6点を一筆書きの要領でなぞることにより、点字を入力できるアプリケーションである。これについては第2回研究会で「音声言語、文字言語に並ぶ誰もが全身で使えるルイ・ブライユ点字」として既に発表しているが、ここで改めてその概要と、その後の経過を含めたこれまでの経緯を紹介する。
 イッピツは2013年に「点字一筆式入力 IPPITSU IME」というAndroidスマートフォン用のアプリケーションとして既に公開している。
 スマートフォン画面の四隅の位置を点字の4点、1(左上)、3(左下)、4(右上)、6(右下)の点に見立て、1と3、4と6の辺の中間に2の点および5の点を置いて、これら6つの点全体を点字の1マスと見立て、入力したい点字の点をなぞることで文字を入力できるという基本仕様は、当時から現在まで変わっていない。
 たとえば、左上1の点は点字の「あ」である。この点に指が触れるとブルッと振動し、そこで指を画面から離すと「あ」が入力される。点字の「い」は1の点と2の点である。1の点の振動を感じてから、そのまま指をずらして2の点まで移動し、振動を感じてから指を離すと「い」が入力される。6点すべてをなぞってから指を離すと点字の「め」が入力される。画面に触れてから離すまでに通過した点情報を文字に変換する。通る経路は自由で、何回同じ点を通ってもかまわない。これがイッピツの基本原理である。
 画面の点に指が触れると振動するため、視覚障害者、盲ろう者も入力することができる。つまり、健常者、視覚障害者、ヘレンケラーのような盲ろう者が相互に通信を行えるのである。
 2015年、AppleWatchの登場を受けて、このイッピツの仕組みを腕時計型端末の上で動作させれば、最も小さいウェアラブルな点字入力端末になるのではないかと考え、2016年に発表されたWatchOS3を使い、イッピツの仕様に基づくプロトタイプを開発した。しかしながら限られた画面サイズ上での文字入力以外の機能を組み込む負荷や、iPhoneとの通信時のタイムラグの課題などにより、AppleWatch上での開発は現在一旦保留している。
 現在は、iPhoneで稼働するiOSアプリケーションとしての「イッピツ」の開発を行っており、AppleWatchとの連携は、今後のハードウェア性能の向上やWatchOSのバージョンアップの動向を見ながら、再開する計画である。AppleWatch版にこだわる理由は、単に小型の点字入力端末としての期待ではなく、スマートフォンの画面サイズを使ったイッピツよりも使い勝手がよくなることが期待されるからである。端末の画面の四隅を使うことで、視覚に頼らない入力ができるというコンセプトは共通でも、画面が大型化しているスマートフォンでは、点から点になぞる移動は必ずしも思い通りにならないことが多い。しかし端末が小さければ、四隅の位置の把握がしやすく、安定した入力ができる上、移動距離が短くなるため、入力にかかる時間も節約でき、結果的により速くかつ正確に文字を入力できると考えているからである。
 iPhoneアプリケーションとしてのイッピツには、画面上の点の位置を利用者が任意に変更できる機能を実装している。これを使って6つの点の位置は自由に決められるが、一方で視覚障害者にとって重要な情報である画面上の点の位置についての手がかりがなくなってしまう。そこでイッピツの開発に使用しているiPhoneの画面には、変更した点の位置を触覚で知覚できるようにシールを貼っている。これにより端末の四隅に縛られずに画面上の点を把握しやすくしている。そして入力エリアを小さくすることにより、簡単に点字が入力できるようになることを検証できた。
 入力した文字が意図したものであるかを把握するための方法として、現在のイッピツでは1文字入力する度に音声と振動で入力した文字を確認できるようにしている。また、ある程度まとまった文章を入力した後、それをまとめて読み上げたり、振動で連続した文章を確認する機能も実装している。このときに使っている振動データは、点字の6点を1から6(または1-4-2-5-3-6)の点の順で振動させるもので、これを1点式体表点字という。1点式体表点字は振動する端末が1つしかなくても、つまりスマートフォン本体のみで利用できるのがメリットだが、1っの文字を確認するためにそれなりの時間がかかるという問題がある。そこで、イッピツの中にピカブルの2点式体表点字システムを導入することで、より高速な確認が行えるようになる。ピカブルはBluetoothを使った外部装置なので、これを別途導入してもらう必要があるが、このような形でこれらの装置が将来的に統合システムになることで、健常者、視覚障害者、盲ろう者を問わず同じアプリケーションを使ってコミュニケーションができるようになると考えている。

8.2020年東京オリンピック・パラリンピックを盲ろう者にヘレンケラー放送で中継放送
 ちょうど、この学会発表日から2年11か月後の、2020年7月24日から東京オリンピック・パラリンピックが開催される。この開催に間に合うように、開発の目標を決めた。ここでいうヘレンケラー放送だけで、オリンピック・パラリンピックの実況放送を楽しめるようになるのは、完全に視覚・聴覚がない最重度の情報障害者である「重度盲ろう者」だ。
 現在、「重度盲ろう者」に対する放送に相当するものは、まったくない。つまり、メールも情報検索もまったくできない環境である。このコンピューター時代における「通信の真空スポット」なのである。これを、何とか解消してさしあげる必要がある。それで、イッピツ入力による送信と、ピカブル受信で、競技の実況放送を行うことを目標としている。ここで大事なことは、放送が可能ということは、個人のメールや情報検索も可能になるということだ。
 たとえば、一般の人でYouTubeを送信と受信で利用している人は、もちろん、メールや情報検索を行っている。つまり、盲ろう者が、これと同じ通信環境に初めて住めるということなのである。現在、日本に、盲ろう者が約1万3000人いると言われている。もし、このうち、10%の盲ろう者が重度情報障害者であれば、1300人の盲ろう者が通信可能になるということなのである。

9.体表点字が人類の新しい文字言語として加わる
 体表点字を、幼小児期から学習した事例はまだないので、一般の人が言語を習得するのと同様に、幼小児期から20歳ぐらいまで学習すれば、音声や通常の文字のように理解できるようになるであろう。
 言語に、話し言葉の音声言語、視覚で読み書きする文字言語がある。また、1825年にルイ・ブライユが発明した指先で読む点字は、触覚文字言語と言える。
 この三種類の言語について述べる。
 音声言語は、数万年以前と言われる人類の誕生とともにあると考える。言葉を使えるようになっての人間である。その起源を確定することはできない。
 文字言語の起源については、約6千年前のメソポタミアの粘土板などに書かれた楔形文字とも言われる。文字の起源については、別の説もある。
 音声言語や文字言語を構成する要素は、あまりにも複雑である。ところが、点字は、6点でマスアケを含めての64パターンである。
 また、世界の多くの言語に対応した点字体系がある。そして、各言語の点字について、幼児期からの学習者は、言語を問わず、20歳ぐらいまでに指での触読が、相当に熟練しているものと考える。
 ところが、体表点字については、その発明と普及の日が浅いので、幼児期から成人期までの学習の経験がない。今後、幼児期から計画的に学習すれば、音声の言葉や視覚の文字を反射的に理解できるように、頭部、体幹部、四肢に与えられた体表点字を、反射的に理解できるようになるかもしれない。
 ルイ・ブライユ点字の真価は、人間の言語能力の新しい開発である。

10.おわりに
 障害者である私が、ボランティア、あるいはボランティア的な立場の方々に、これまでいろいろとご協力をいただきました。本稿でご紹介できなかった方々におわびいたします。
 体表点字の未来の姿は、少なくとも、今後、幼児の頃から学習を始めるとして、成人して社会活動をするまでの年数がかかります。人の誰もが用いる第三の言語になることを願ってやみません。(後注番号は省略)



■研究発表
「鳥居篤治郎先生と京都ライトハウス」
    田尻彰(京都府視覚障害者協会会長)

 師に対する篤い敬愛の情に溢れた語り口でした。京都ライトハウスに、私は何度も足を運んでいます。しかし、鳥居先生について、今日まで何も知りませんでした。溢れんばかりに豊かな発案と企画を実現させようとする姿を、熱っぽく語っていただき、啓発されることの多い時間を持つことができました。
 今日の内容は、以下の項目の通りです。

■京郁の視覚障害児の歴史に流れる鳥居スピリット
1鳥居スピリットの原点
2「ライトハウスビジョン検討会」(上村元館長の思いと私達への語りかけから)
3京都の鳥居→日本の鳥居→世界の鳥居の存在感と広い見識
4『「盲目は不自由なれど、盲目は不幸にあらず」としみじみ思ふ』の言葉に突き動かされた中途視覚障害者の声
5白杖安全デーの産みの親
6鳥居寮力涼都ライトハウスに占める存在感

■鳥居先生の生き方から問いかけられる現代的な課題
1幼小児期の恵まれた家族関係の中で芽生えた豊かな情操
2三療以外の進学に対する強い思い?
3東京での文化人との出会いと世界観の広がり
4伊都夫人との出会い
5京都府立盲学校副校長としての誇りある校風作り
6京都ライトハウス創設とその後の発展に向けた鳥居構想7日本点字の発展に貢献された実績



 研究発表の後は、質疑応答や討議となりました。これは、これまで短時間に終わっていたものです。今回から、たっぷりと時間が設定されました。この会の運営メンバーの英断だったと思います。
 とにかく、質問したい方々の挙手が続き、非常に盛り上がりました。その中でも、弘田会長と日本点字図書館の田中徹二理事長のエスペラントに関するやりとりを、私はもっと伺いたいと思いました。
 なお、質問を受けた発表者から、発表の意図が伝わらなかったことや誤解に対する補足説明がありました。この、コミュニケーションの行き違いについては、今後の質疑応答のあり方への貴重な事例かと思いました。専門用語や漢語が飛び交うと、その言葉の理解に一般聴衆としては困難が伴うからです。やはり、平易な言葉で発表や報告をしてもらうことを、発表者に重ねてお願いするしかないようです。聴衆が専門家ではないことが前提だからです。内容が濃い発表ほど、聞く側としては理解に至らないままに話が展開していき、追いつけないことから内容が正しく受け取れない、ということはえてしてあります。どうしようもないことではありますが。

 閉会挨拶の後は、会場の後片付けをしてから、京都駅近くの懇親会会場へ急ぎました。依然として小雨が降っています。4、5人のグループに別れて、タクシーを使って移動しました。私は、兵庫県の盲学校の先生方と同乗し、懇親会場でも四人で同じ席を占めました。お話をするうちに、札幌のミニ研修会でご一緒していたことや、宇治でのイベントで一緒だったりと、不思議な縁を感じました。
 お集まりのみなさんは、とにかくお元気です。私の疑問についても、いろいろな情報で答えてくださいました。
 現在抱えている、観光とユニバーサルやアクセシブルの問題については、事務局長の岸博実先生から、貴重な情報を教えていただきました。大至急確認します。ありがとうございました。


 最近の、この研究会の活動報告については、私の個人的なものながら、本ブログでは以下の記事にまとめています。おついでの折にでもご笑覧いただければと思い、列記しておきます。

「日本盲教育史研究会の第5回ミニ研修会 in 金沢に参加して」(2017年05月22日)

「第5回・日本盲教育史研究会に参加して」(2016年10月22日)

「日本盲教育史研究会第4回ミニ研修会 in 九州」(2016年06月04日)

「日本盲教育史研究会第4回研究会に関する報告」(2015年10月24日)

「日本点字図書館創設者・本間一夫生誕の地へ」(2015年06月01日)

「盲教育史研究会で多くの方々と歓談」(2015年05月31日)

「日本盲教育史研究会 第3回ミニ研修会(in札幌)」(2015年05月30日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)」(2014年10月13日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その2/3)」(2014年10月12日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その1/3)」(2014年10月11日)
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■視覚障害

2017年10月20日

マイクロソフトの心寂しくやがて笑える電話サポート

 新しく導入したパソコンで、マイクロソフトのワードとエクセルが使えないことが判明しました。今夏以来の悪戦苦闘が、結局は徒労だったのです。

 この夏、職場の研究室で使うパソコンを、Mac miniからiMacに変えました。
 タイムマシンで、これまでのデータを引越しした後のことです。マイクロソフトのワードとエクセルの認証手続きが、どうしても終わらないのです。この Office というソフトでできるのは、文書や表を見ることだけに限定されます。それも、時々できないことがあるので困っていました。編集はまったくできません。印刷は、できたりできなかったり。
 そもそも、私はワープロはほとんど使いません。エディタがあればいいのです。ただし、他の方からワードやエクセルのデータが届くことがあるので、それを見たり、手を入れることに使う程度です。

 コンピュータのトラブルに遭遇した経験は、語り尽くせぬほどあります。今回も私としては、あらゆる手を尽くして対処しました。職場のシステムエンジニアも巻き込んで、何とかしようとしました。お手上げです。そして、今日の電話によるマイクロソフトのY氏のサポートで、このパソコンではこのソフトOfficeが使えないことが明らかになりました。
 手元には、4台分の「Office Academic 2016 for Mac」があります。それ以外に、1台分の「Office 365 solo」と4台分の「Office Home & student 2016 for Mac」もあります。8台分の「Office:Mac 2011」も。
 いずれも、新しいiMacで使おうとしても、認証が受けられないものたちです。それぞれがどのような来歴で購入したものかは、今は措いておきます。

 そんな中で、「Office Academic 2016 for Mac」について限定しても、手元のiMacでは使えないことが、今日のネットを介してのリモートサポートの終盤で宣告されました。
 細かな経緯はさておき、最新のiMacでOfficeの最新版が使えないことの理由は、タイムマシンでこれまでのマックからお引越しをした際に、まるごと移行したからだ、ということになったのです。

 いくつか提案を受けました。しかし、それはOfficeを使うためだけのものであり、それ以外の多くのアプリケーションを使っていることは度外視しての提案です。他のソフトなどの設定をすべてやり直すなど、マイクロソフトの製品のためだけに、そこまで時間を浪費してはいられません。自分の会社の製品しか見えていない、貧困なサポートでした。

 また、「Office:Mac 2011」については、今月の11日にサポートを終了したので、それを使うことの案内は一切できない、と冷たく切り捨てられました。八方塞がりです。
 これに関しても、不毛なやりとりの再現は、アホらしいのでしません。日本には、こんな冷徹な文化はなかったな、との思いを強く持ちました。

 一昨日に電話口で対応してくださったのは日本語がたどたどしい方、昨日と今日は日本語は流暢な方でした。
 長々とバカげたやりとりに退屈したこともあり、iMacを導入する前に使っていたMac miniを取り出して起動させてみました。すると、「Office:Mac 2011」が元気に動くのです。このことを踏まえてのY氏からの対処法は、ワードとエクセルを使う時だけにはMac miniを使い、それ以外の時にはiMacを使う、ということに落ち着きました。これでサポートの打ち切りを急がれるYさんのことを思い、私も間抜けなサポートに飽き飽きしたこともあり、電話を切りました。
 延々、今日の仕事の合間に6時間もこの件で携帯電話越しのサポートを受け、その結果が失望以外の何物も残りませんでした。漫才のようなこのやりとりは、先方では「サービス品質の向上のため」に録音していたはずなので、いつか聞いてみたい気がします。
 なお、iMacのハード的な欠陥ではないと思われるので、アップルに持ち込んでも解決にはいたらないだろう、とのことでした。その上で、マイクロソフトの責任でもない、ということです。

 マイクロソフトとは1983年からなので、もうかれこれ30年以上のお付き合いです。実質的には、「MS DOS 3.3B」(1989年)まででしょうか。ウィンドウズが発表されてからは、あまりにも酷いOSだったのでアップルのマッキントッシュに鞍替えしました。マイクロソフトとはその後、マックのために開発されたと言われるエクセル以外とは縁を切りました。
 今回の件で、またマイクロソフトとは遠ざかっていきそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 22:09| Comment(0) | ◎情報社会

2017年10月19日

熊取ゆうゆう大学︰「若紫」を読む(その5)

 今日も、熊取ゆうゆう大学の講座では、8人で橋本本「若紫」の写本を読みました。
 テキストは、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10)です。
 今回は、変体仮名に慣れた学生さんに読み進めてもらい、私がその合間合間に話をつなげました。
 前回は巻頭部の最初の一行だけで終わっていたので、今日は少しペースを上げ、第一丁の裏まで進みました。
 しばらく間が開くと忘れがちな変体仮名は、以下の通りでした。
「堂」「新」「累」「多」「気」「万」「春」「登」「古」「者」

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 また、「を」「遣」「世」のくずし字の字形が紛らわしいことも、要注意です。

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 さらには、踊り字の「ゝ」や「/\」がなかなか識別できないことに対して、ぼやきながらの勉強会です。
 なお、「登」の説明で、箸袋に書かれている「御手茂登」(おてもと)や、「者」の説明で「楚者”」(そば)の例をあげても、若者たちにはまったく通じません。普通の平仮名で書かれたものしか見たことがない、とのことです。
 学校の周辺で、変体仮名を使った言葉の表記を、これから探してみることにします。そうでないと、信じてもらえないのです。次回は、この実例報告からとなります。
 社会人のお二人は、関西の学生特有のツッコミで私を困らせる、その軽妙さとおもしろさに、終始笑い転げておられました。
 次回は、11月2日(木)午後4時半から6時まで、大阪観光大学図書館で気ままに読み進んでいきます。
 以前7月にお知らせした日時と異なりますので、参加希望の方はお気をつけください。
 
 
 
posted by genjiito at 23:27| Comment(0) | ■講座学習

2017年10月18日

エラー続きのエバーノートのこと

 先月、パソコン版のエバーノートを使っていたときの出来事です。
 エバーノートを起動すると、毎回、次の表示がモニタの中央に出ます。

前回の使用時 Evernote が強制終了した記録が残されています。記録を Evernote へ送信しますか?


 正直に毎日、何度も、エラーの報告を送信していました。

 そして、エバーノートの終了時には、毎回、次の表示が出た後、問題点のリストが表示されます。

Evernote が予期しない理由で終了しました。


 この原因となるのは、その前の週に「以前のバージョンからノートを移行中」という表示が出て、2日ほど エバーノート が使えない状態が続いたことが考えられます。

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 毎日使うアプリなので、とにかく強制終了しました。そして、再起動すると、上記のような症状が出るようになったのです。

 サポート担当者にヘルプメールを送り、どのように対処すればいいのか相談しました。いろいろと対処法を教えていただきました。何通りかを試しているうちに、いつしかエバーノートが使えるようになっていました。詳しい理由はよくわかりません。
このエラーについて、iPhone と iPad の エバーノート では、こうした問題はまったくありません。パソコンだけの症状だったのです。

 その後、今月に入ってからは、今度は iPhone 版のエバーノートの方がまったく起動しなくなりました。また、サポート窓口に連絡をして、指示を待ちました。

 iPhone 版のエバーノートのアイコンをタップすると、まったく起動することもなく、すぐに終了して元のホーム画面に戻ります。これは、例外なく毎日毎回そうなります。エラー表示をスクリーンショットで保存しようにも、瞬間に消えるものなので確認できません。

 サポート担当者からは、すぐに、いくつかの対処が提案されました。返信に記されていた指示の通りにやっても、依然として起動すらできません。外出時にエバーノートを使うことが多いので、またエバーノートなしで不自由な日々となりました。

 リセットしてもダメなので、いろいろと試しているうちに、1週間ほどしてから、突然使えるようになりました。特に何かをしたわけでもないと思います。何が原因で復旧できたのか、今回もわかりません。

 とにかく、無事に iPhone 版のエバーノートが使えるようになったのです。
 いつエバーノートが使えなくなってもいいように、以前は「AtokPad」を併用していました。しかし、今はそれが「iOS 11」へのバージョンアップに伴って使えないアプリとなったために、今はアップル純正の「メモ」アプリを使っています。エバーノートの代用機能を持つアプリを、早急に見つける必要があると思い、物色中です。
 
 
 
posted by genjiito at 22:24| Comment(0) | ◎情報社会

2017年10月17日

活字文書のデータ変換アプリは「e.Typist WorldOCR」に移行

 先週、活字文書をテキストデータに変換するときに使っていたOCRソフトの「e.Typist」が、iPhone のOSがバージョンアップされたことによって使えなくなった件を書きました(「アップルの携帯端末で「iOS11」に更新して失ったもの」(2017年10月12日))。
 文字読み取りのOCRアプリについては、いろいろと他の製品を探してみました。しかし、長年使い慣れたアプリに勝るものはありません。
 メディアドライブブランドの「e.Typist」を取り扱っているエヌジェーケーに、このことを確認しました。あらかじめ「e.Typist WorldOCR」というアプリを検討していたので、知りたかったのは、それが「iOS11」に対応するのかどうか、ということです。
 担当者の話では、「iOS11」についての検証はまだ終わっていないとのことでした。問題が確認できたら、アップデートの形で対応するそうです。
 とにかく、OCRのアプリがなくて困っているので、何もないよりも試しにと思い、すぐにダウンロードをして使ってみました。
 「e.Typist WorldOCR」は、これまで使っていた「e.Typist Mobile」と同じような使い心地です。操作が慣れているので、しばらく試してみます。これで一安心です。

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 なお、この「e.Typist WorldOCR」は、次のような多くの言語を認識できるようです。多言語に翻訳された日本文学作品を扱うことが多いので、今後はこの機能も活用できそうです。
日本語/英語/ドイツ語/フランス語/スペイン語/イタリア語/オランダ語/ポルトガル語/中国語(簡体字)/中国語(繁体字)/韓国語/タイ語/ベトナム語/マレー語

 
 
 
posted by genjiito at 19:38| Comment(0) | ◎情報社会

2017年10月16日

病院での検診後は天王寺にある高校へ

 雨の中を、聖護院にある京大病院で検査と診察を受けてきました。月曜ということもあり、8時に行っても受付は大行列です。今日は、皮膚科と糖尿病・内分泌・栄養内科です。
 血液検査の結果を見て、皮膚科に関しては前回同様に完治となりました。蕁麻疹も疣も、これで忘れていいようです。原因は、東京から京都への慌ただしさと、生活の激変によるストレスだと断言されました。頭がおかしくならず、よくここまで生きてこられたものだと、いま思い返しても、この2月から5月の壮絶な日々が蘇ります。

 糖尿病については、これも血液検査の結果を踏まえて、前回2ヶ月前の結果よりも少し良くなっていました。

 この1年間のヘモグロビンA1cの推移は次の通りです。

2016年8月〈6.9〉
2016年11月〈7.2〉
2017年2月〈6.8〉
2017年4月〈7.1〉
2017年6月〈7.6〉
2017年8月〈7.4〉
2017年10月〈7.2〉


 だいたい、毎年こうした動きを繰り返しています。今日もこの変化を見て、数値が6台になるといいので、もう少し様子を見ましょう、ということになりました。
 今、あまり糖質制限にこだわらない食事をしています。そもそもが、小鳥の餌をついばむような、毎食が少量で、季節のものを中心にしたメニューを妻がいろいろと考えてくれています。浅めの六つに区切られたプレートに、おかずを少しずつ付け合わせてもらっています。

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 これは、まさに息子が毎夏のお盆に作る、お供えのお膳に似通う分量を盛るものです。その豪華バージョンではありますが。

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 この白い六分割のプレートの効果があって、東京を引き上げた初夏からの血糖値の順調な降下があるのです。また、主治医からは拘らなくても良いとおっしゃる体重50キロ以上をという目標値も、最近は達する日が出てきました。消化管がないという、この貧弱で危なっかしい身体で、よくも何事もないかのように日々を送れるものだと、我ながら驚いています。その背後には、いろいろなトラブルがあるにしても……
 毎度書くように、主治医は私の身体について、よくわからないことが多い、とおっしゃっていたのです。あるがままに、その日その日を生きていればいいようです。

 この夏以降は、特に頭痛や肩凝りを緩和させるため、私としては異例の、睡眠時間の確保を最優先にしています。眠らないことで仕事を支えていた日々を、ゆったりとしたスローライフに少しずつ移してきているのです。極力、根を詰めない生活を心掛けています。
 病院が大好きな私なので、何かあるとすぐにお医者さんのお世話になります。こんなダメ男が、意外と長生きするものだと、皆さんから言われています。自分でもそうかもしれない、と思う時があります。

 何でも引き受けてきたことを見直し、自覚的に大幅に制限するように意識しています。そのためにご迷惑をおかけしているので、心苦しさはあります。しかし、元気に長生きすることを最優先にして、日々を送っています。
 とにかく、このままのペースで、行けるところまでいきます。

 小雨の中を、病院を出てからは京阪電車と大阪の地下鉄を乗り継いで、明浄高校へ行きました。今日が、二学期の中間試験開始日なのです。
 高校の国語科の試験問題は、30年ぶりに作りました。研究とはまったく異なる教育の世界に立ち戻り、いい勉強をさせてもらっています。以前の高校での教員生活が自分に合っていたこともあってか、新しい楽しさと風を感じ取っています。今は、研究者ではないという意識を自覚できるようになったせいもあり、気分も楽になりました。いい生徒たちとの出会いがあったことも幸いしています。

 先日課題として出した、与謝野晶子の歌に関する作文も、丹念に読んでいるところです。女子校ということと、堺市が通学圏内の学校なので、晶子を身近に感じてもらえたようです。短歌の指導が全校的に行き渡っているためか、過去にも宮中での歌会始に選ばれる生徒が何人かいます。この与謝野晶子と短歌というテーマは、彼女たちに波長が合っているのでしょう。良いところは、さらに興味を持って伸びるように手助けをしようと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:30| Comment(0) | *健康雑記

2017年10月15日

雨の日のお稽古と温泉と回転寿司

 朝から雨でした。京都は小降りになったのに、午後の奈良は土砂降りでした。
 今日のお茶のお稽古は、中置きの薄茶点前です。10月だけのもので、風炉をお客様寄りに置きます。暖かさを少しでもご一緒に、という心遣いが込められたものです。まさに、冬に向かう10月ならではの趣向なのです。
 水指は、いつもと反対の左側の勝手付きに、少し手前に引いて正面がこちらを向くように置きました。蓋置もいつもと違って、水指の正面手前に置きます。柄杓の柄が膝の間まで入ってきます。
 その柄杓を真ん中にある釜に預けると、自分の身体の真っ正面になるので、柄の先端の切止が胸に向かって伸びて来ます。初心者ながらも、何となく勝手が違うのです。茶筅の上げ下ろしは、その柄の下で行ないます。これは、高さが決まって限定された範囲での所作なので、やりやすいと思いました。
 それにしても、いろいろなお点前があるものです。季節季節に、四季折々に、さまざまな創意工夫がなされているので、一つずつ覚えて行くのを楽しんでいます。
 今日は、お正客の心得やお茶室のことなど、お稽古以外にもたくさんのことを教わりました。お点前はまだまだにしても、少しはお作法の流れがわかってきたせいか、いろいろな物が見え出したことにつれて、疑問を聞くゆとりもできました。

 帰り道、近鉄奈良線の大和西大寺駅で京都線に乗り換えた後、京都へ向かう途中の大久保駅で降りました。過日行った温泉「源氏の湯」に立ち寄ったのです。首と肩の痛みをほぐすために、中休みなのです。

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 今日は鉄道記念の日ということで、待合室にいつもは広いスペースを取って置いてある鉄道模型のケースの中を、ミニチュアの列車が軽快に走っていました。「源氏の湯」との接点はないものの、鉄道マニアの方がいらっしゃるのでしょう。

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 お腹が空いたこともあり、すぐ隣の回転寿司「くら」に行きました。ガラポンが一つ当たったので、孫のお土産にいただいて帰りました。
 とにかく今は、頭痛、肩凝り、腰痛の違和感や不快感を取り除くことに専念し、養生を心掛けているところです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | ・ブラリと

2017年10月14日

枕を新調してから頭痛緩和のためのスイミング

 依然、頭痛と腰痛に苦しめられています。
 不自然な歩き方をしているのか、数日前から、完治したはずの両足に違和感があります。身体は、微妙なバランスで動いていることを実感しています。

 そんな中、家族の勧めで枕を作りました。頭を基本形の枕に乗せ、頭の周囲7箇所にさまざまな詰め物を加減しながら、根気強く調整をしてもらいました。30分以上、丁寧に診てくださいました。さて、これで頭部神経痛と肩凝りが少しでも軽くなることを祈ります。

 その足で、下の階にあるスポーツクラブへ行きました。ユックリと、軽く千メートルほど流しました。スチームサウナやジャグジーにも身体を任せます。特にジャグジーはジェット噴流の泡ブクが効果的で、ホクホクして身体の至る所の痛みが和らぎます。

 休むことのない後頭部右側の鈍痛と、こめかみへの急激な刺すような痛みのために、仕事が手につきません。授業や講座でお話をする時には、鎮痛剤で痛みを散らしています。しかし、薬に頼らないためにも、日常生活では薬は控えるようにしています。これでも、少しずつ良くなっているようなので、気長にこの痛みと仲良くしていきます。
 いろいろな方々に、お詫びします。本復まで、今少しお待ちください。
 
 
 
posted by genjiito at 20:33| Comment(0) | *健康雑記

2017年10月13日

読書雑記(213)竹山道雄『ビルマの竪琴』

 『ビルマの竪琴』(竹山道雄、新潮文庫、平成29年6月25日、百六刷改版)を読みました。今これを、というのは、必要に駆られてという側面があります。しかし、いい読後感を持ったので、近い内に、もう一度読み直すことがありそうな気がしています。

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 この作品は読んだ記憶がないのに、お話の内容のおおよそは知っていました。いろいろな機会に聞いた小さな話が、記憶のどこかに堆積していたのではないか、と思っています。安井昌二の僧侶姿を覚えているので、映画で安井昌二が水島上等兵を演じたものを見たのかも知れません。映画の公開は私が5歳頃のことなので、学校で観に行ったのでしょうか。

■第一話 うたう部隊
 過酷な戦争の中で、ビルマの山中を惨めな退却を余儀なくされた日本人たちは、水島上等兵の竪琴に勇気付けられながら行軍します。情に流されず、ユーモア交じりに明るく語られているので、気を張り詰めることなく読み進められます。

■第二話 青い鸚哥(インコ)
 文章が丁寧な上に、よく練られているせいもあって、ゆったりと読み進められます。語られ、描かれている内容は非情な世界にもかかわらず、耳を傾けて聴き入ることのできる口調です。この作品が広く読まれて来たことがよくわかりました。
 なお、風俗習慣が克明に記されているようでいて、その実よくイメージできませんでした。ビルマという国がよくわからないままに読み進みます。
 この章の最後に歌われる「あおげばとうとし」には、感極まるものがあります。きれいなまとめとなっています。

■第三話 僧の手紙
 溢れんばかりの人間への想いが、水島からの最期の別れの手紙の形を借りて語られています。抑制した語り口で、水島の想いを淡々と伝えようとしています。情に流されない、理性的な考え方に共鳴します。ただし、あまりにも物分かりの良い水島の態度に、人間はもっと激情を宿しているはずなのに、との思いも抱きました。そこに、戦争の悲惨さを露骨に描くことを避けた印象を持ちました。船戸与一の『満州国演義』のような、あの煮えたぎるまでの筆の力を感じなかったのは、作者が伝えたかったのが死者の魂を鎮めることにあるからでしょう。これがかえって、子供たちにも伝わる戦争文学になったと思います。【4】

 今回読んだ文庫本の巻末には、著者による「ビルマの竪琴ができるまで」と「あとがき」、そして中村光夫「解説」と平川祐弘「『ビルマの竪琴』余聞」が収録されています。さらには、「注解」と「この作品に出てくる歌の歌詞と楽譜」も、読後の理解を深めるのに有益でした。これらによって、作者のことはもとより、執筆の経緯やこの作品の背景がさらに鮮明になりました。ただし、「『ビルマの竪琴』関係図」は残念な出来でした。これは、作図をし直した方がいいと思います。


初出誌:童話雑誌「赤とんぼ」(1947年3月〜1948年2月掲載)
※1956年(主演:安井昌二)と1985年(主演:中井貴一)の2回、市川崑監督が映画化しました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:47| Comment(0) | ◎国際交流

2017年10月12日

アップルの携帯端末で「iOS11」に更新して失ったもの

 iPhone とiPad Pro を動作させている基幹システムである「iOS」が、先月アップデートされました。ここは、迷惑の受け身で書いています。
 今回の更新で「iOS11」となり、いろいろと便利になったようです。もっとも、それがあまりにも多いので、恩恵を実感するのは数える程だと思われます。
 少しは助かっていると言えるのは、毎日使う日本語入力です。私は、日本語の入力において、フリックによる仮名入力で使います。「あ・か・さ・た・な・・・」の文字を、上下左右に指を滑らせて仮名を入力することで、仮名漢字交じりの文字列にしています。
 これまでは、液晶パネルの下三分の一に入力領域が広がっていたので、しょっちゅう間違った文字が表示されました。正直な感想は、使い物にならない、の一言でした。我慢しながら使っていました。

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 ところが、今回から片手用のキーボードにできるようになったのです。キーボードを右側に寄せることで、幾分は入力ミスは減りました。しかし、まだまだ入力ミスが多発しているので、改良してほしいと思っています。

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 そんな中で、新しいシステムになったことで、使えなくなったアプリがあります。私の場合は、便利に使っていた数十のアプリの内、次の2つはまったくの痛手でした。


(1)ATOK Pad
 これは、日本語の文章を書くときに重宝していました。まったく使えなくなったので、諦めるしかありません。ジャストシステムのソフトは、かれこれ23年も使って来ました。技術力が Macに追いつかなくなったのでしょうか。
 
(2)eTypist
 印刷物から文字列をテキストデータにするときに使っていました。これも、諦めざるをえません。OCRソフトのいいものが、Mac用としてはこれ以外にはないので困っています。


 この2つのアプリが使えなくなったことにより、携帯端末を使う意味が相当薄れてきました。そのうちに何か見つかるだろうと、期待半分で、iPhone もiPadも気持ちを込めずに、惰性で使っています。
 私がこのパターンに入ると、だいたい手放すことになります。かといって、持ち歩き用の端末で、アップル以外に実用に耐えるものはありません。困ったことだと思っています。
 ソニーの復活を心の底では乞い願っています。あの、名機「クリエ」を使えたことが、今となっては夢物語です。
「【復元】私はマグロだそうです」(2016年06月15日)
 今のソニーには、昔日の面影も勢いも能力もないようです。
 こうなると、ベンチャーの出現に微かな望みを託すしかありません。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎情報社会

2017年10月11日

鉄道会社の「鉃」の字に関する疑問

 昨日に続き、先週末の東京でのことです。
 日比谷公園では、さまざまなイベントがあります。ちょうど「第24回 鉄道フェスティバル」というイベントをしていました。大噴水広場の周辺です。10月14日は、明治5年に新橋と横浜の間を始めて鉄道が開通したことを記念する鉄道の日です。平成6年に制定されたのだそうです。

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 この会場の一画で、私の名前と縁のある「鉃」の字を見かけました。

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 隣の看板には、普通の「鉄」が書いてあります。

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 もちろん、近くには旧漢字で「鐵道」と染め抜いた幟もはためいています。
 この「鉃」は、今でこそ、ごく普通にモニタに表示でき、印刷もできます。しかし、今から20年以上も前に、JISやシフトJISで日本語の文字コードを操っていた頃には、どうしても表示できない文字でした。当然のことながら、「鉃」は外字扱いです。自分の名前を正しく書く必要があるときは、作字をして嵌め込んでいました。文字のポイントが変わると、ギザギザ文字のみっともない名前になります。懐かしい時代のことです。
 日比谷公園で見かけた「鉃」は、日本全国のどの鉄道会社が使っているのでしょうか。大阪の天王寺周辺では、よく見かけます。
 ネットで見ると、「鉃」とするのはロゴであって、正式には「鉄」だとされています。しかし、その元は「鐵」なので、そこから考えるとどうなるか、ということになります。
 なお、大阪の私鉄である近鉄は、1967年に「鉃」から「金へんに失うの[鉄]」に変更した、と言われています。しかし、私が大阪上本町駅の近くにある高校に通っていた時には、違う話を聞いていました。上本町の「近鉃百貨店」の看板を見て、PTAが嘘の漢字を使うのは教育上良くない、という抗議をしたため、以来「近鉄百貨店」にした、ということです。
 お金を失う、ということでは、鉄道部門よりもデパートのイメージダウンを避けた、という方が的を射たこじつけ話のようで微笑ましく思います。実際には、どうだったのでしょうか。
 また、今でもJ Rで「鉃」が残っているのは、国鉄時代の組合の余香では、と私は勝手に思っています。
 そういえば、と思って私の写真ライブラリーを調べてみたら、こんな写真が出てきました。これは、2009年8月9日に、東京のJR車内での中吊り広告です。ここでは、明らかに「鉄」と「鉃」が使い分けられています。これは、どこかで問題になったのでしょうか?

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 この文字の変遷は、どなたかがすでに調べておられることでしょう。ご教示いただけると幸です。
 
 
 
posted by genjiito at 21:46| Comment(0) | *身辺雑記

2017年10月10日

江戸漫歩(157)銀座シックスの屋上から高齢者への思いやりに及ぶ

 先週末に東京へ行った時、少し時間があったので、銀座6丁目に出来た銀座シックスに立ち寄りました。

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 開業して半年。なかなか足を延ばせなかった所です。
 私に関係がありそうな5階のステーショナリーと、6階の蔦屋書店をサッと見ました。
 全体的にフロアーが暗めだったので、最近はとみに見えにくくなって来たこともあってか、目が疲れました。
 屋上に上りました。
 皇居を望んでも、無粋なビルに視界が遮られています。

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 銀座四丁目の時計塔や交差点も、その迫り来る壁面に押し潰されています。

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 半年前まで住んでいた豊洲方面も無機質です。屋上に置かれたエアコンの室外機が、陳列されているように見えます。

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 南の方にレインボーブリッジが、微かにビルの隙間から見えました。

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 西の方に東京タワーが見えたのは救いでした。

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 夜は、電気の力を借りて、光の渦がきれいでしょう。
 ただし、もうブラリと来ることはない場所だと思われます。

 この建物が出来る前の施設は、中国語とハングルに出迎えられる雑居ビルと化していました。その跡地がどうなるのか、宿舎から近かったこともあり、よく銀座に来ていたので気になっていました。これでは、老いを感じるようになった世代にとっては、立ち入る気にならない空間です。もったいないと思います。
 ここには、若者と海外からの観光客のため、というポリシーがあります。これでは、長い目で見た時に、また建て直しになるのでは、と余計な心配をしました。慎重な検討がなされたことでしょう。しかし、私には無縁なのです。
 今の日本は、若者と観光客だけを見ていると、いずれ失速すると思っています。国内に生活の基盤を持つ高齢者への思いやりが、大都会の中心部にも必要だという思いを強く抱きました。すべてがそうとは言わないまでも、「アクセシブル・ツーリズム」や「ユニバーサル・ツーリズム」に注意が向くようになったため、この施設にもそうした視点を求めてしまいました。若者受けや女性主導の開発がなされた実態に直面し、残念な思いをしています。そして、自分がその弱者と言われる世代に位置することと、こうした発想に至る経緯も含めて、あらためて自覚することとなりました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:00| Comment(0) | ・江戸漫歩

2017年10月09日

慌しく六甲山を登ってお見舞いに行く

 抱え込んでいる仕事の一部を午前中に何とか終え、慌しく六甲山中の有馬温泉方面に向かいました。義兄の家にお見舞いです。定年で東京を離れる前に、義兄から有馬温泉に招かれて以来の訪問です。

「六甲から見た海や山と町の風景」(2017年02月01日)

 阪急芦屋川駅から、バスで山道をクネクネと登ること十数分。かつては遊園地だった奥池は、私が高校生の時に遠足などで何度も来た所です。あの頃は、駅からハイキングしながら山道を歩いて登ったものです。テニス部の練習で来たこともありました。

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 六甲連山は、色付き出しています。バスを降りると、肌寒さを感じました。

 義兄は思いのほか元気だったので安心しました。それでも、山の中に籠っているせいもあって、出不精になっているとのことです。

 山向こうから、姪が息子を連れてやって来ました。久しぶりということもあり、みんなでお山を降りて食事をしようということになりました。小さい頃から知っている間柄は、何気ない話題でも垣根がないこともあってか、楽しく話が弾みます。不思議なことです。気心が知れているからというよりも、共有するものが多いからではないでしょうか。

 行ったお店は、それなりに名の通ったレストランだとのことです。しかし、最後に出て来た料理が、私と姪の子の皿だけに塩の塊が入っていたために、とにかく塩辛かったのです。抑え気味の、上品な薄味で美味しくいただいていたのに、最後がこれではお店の印象も台無しです。それまでの気に入っていた味が一気に曇り、もったいないことでした。
 それでも、みんなで楽しい話ができたので、それが何よりのごちそうとなりました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:06| Comment(0) | ・ブラリと

2017年10月08日

京洛逍遥(469)家族でお茶の後は下鴨神社へ帽額幕の奉納に行く

 北山はまだ色づいていません。しかし、朝夕はめっきりと寒くなり、暖房を使っています。

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 賀茂川の鴨たちも元気です。

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 鷺ものんびりと魚がやって来るのを待っています。

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 連休ということもあり、孫たちが来ました。しかし、昨夜私は最終の新幹線で東京から帰って来たので、今朝方みんなと会いました。
 早速、娘の指導の下、お茶のお稽古です。
 お茶菓子は鶴屋長生。秋らしさを感じます。

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 最近、近くの古美術「茶木」の茶木さんのところから、定年退職の記念にと楽焼きの一碗を求めました。上品な朱の一掃けが気に入っています。まずはお正客の婿殿に、この碗で一服を点てました。

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 孫娘は何事かと、大いに興味をもったようで、身を乗り出して来ました。
 赤い色には、特に反応するようです。しっかりと見えているのです。
 茶筅が茶碗の中で震える音が聞こえるからかもしれません。
 この光景は、記憶に残るのでしょうか。いつか思い出すことがあるのでしょうか。生まれてまだ半年なので、曖昧模糊としたものであり、記憶とは言えない幻像に留まるものなのでしょう。
 今日見たものがどうなっていくのか、知りたくなります。いつか、この赤い楽茶碗を見せて、折々にその反応を試してみましょう。

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 話で寛いだ後は、下鴨神社へお参りです。今年は酉年なので、神社に酉の祈願幕を奉納するのだとか。婿殿からの入れ知恵によると、「帽額幕(もこうまく)」というものだそうです。下鴨神社で今年いっぱいの祈願が終わったら、帽額幕に祈願者の名前が記されて奉納されるのです。それが本殿に懸けらるのですから、ありがたいことです。
 娘たちは、自分たちが結婚式をあげた我が家の氏神様であることから、折々にこの神社にお参りして行きます。今回は、孫が初めてのお参りとなりました。太古の糺ノ森を散策して爽やかな空気を浴びたので、元気に大きくなっていくことでしょう。
 本殿の前に、干支のお社(言社)があります。なんと、私の卯歳と孫の酉歳は同じお社に組み合わされていたのです。今日初めて気付きました。私の母と妻が同じお社だったことは知っていました。何かとご縁がある家族です。

 南口鳥居の近くにある「さるや宝泉」の前から、糺の森遊覧馬車が出ていました。初めてみました。瀬見の小川沿いの馬場を、河合神社まで歩いてくれます。いつか乗ってみましょう。

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posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年10月07日

有楽町で世にも不思議な同窓会が勉強会に変身

 今日は、日比谷図書文化館で、古文書塾「てらこや」の体験講座がありました。
 常に新しい風が舞い込むように、受講希望者に私がやっている今の講座を体験してもらおう、という機会が用意されているのです。初めてお目にかかる方々に、鎌倉時代に書き写された『源氏物語』の写本の文字だけを追いかける講座であることを、いろいろな例を示しながら説明しました。興味を持っていただけたようで、何人かの方が来月からの講座においでになるようです。仲間が増えることは良いことです。

 終了後は、これまで『源氏物語』の講座を受講なさっている方々が会場前にお集まりになっており、ご一緒に有楽町のビヤホールに移動しました。そこでは、現在講座で読んでいる橋本本「若紫」を、みんなで現代語訳をしようという無謀な計画を実現しようという密談(?)がなされたのです。しかも途中からは、この日比谷の講座で第1期の頃に参加なさっていた方も、日頃の向学心をさらに磨く機会だとばかりに、駆けつけてくださいました。久闊を叙する間も無く、少しお酒を口にしながら、侃侃諤諤ならぬ思い思いの意見を出し合いました。
 手元には、私が一夜漬けで作成した、橋本本「若紫」を現代語訳するための試案のプリントがあるだけです。さて、来月からどう進めようか、ということです。
 今日の話し合いの中で一番盛り上がったのは、「若紫」冒頭の「わらはやみ」をどう訳すか、ということでした。これは難題です。

 現在は大島本が唯一のテキストとして読まれています。しかし、その大島本の本行の本文が

しゝこらうしつる時はうたて侍るを(「うし」ママ)


としているところを、橋本本は、

しゝこらかし侍りぬるはあやにくに侍るを


という本文を書き記しているのです。ここでの橋本本は、どう訳し、その違いをどう理解したら良いのか。現代語訳を超えた、本文の解釈に及ぶことになります。
 光源氏が若紫を誘拐する場面や、藤壺との密通場面などなど、早々とどんな訳にしようかと、ワクワクなさっていました。
 そんなこんなで、話はどんどん膨らみます。
 今日のみなさまとの話で得られた合意としては、『源氏物語』を何かで読んだことがある人を対象にした現代語訳をしよう、というところに落ち着きました。これから作る現代語訳の対象は、高校生でもなく、大学生でもない、ということです。そして、来月4日の講座の後には、この集まりを企画立案してくださった、世話人でもある星野さんが、今日配布した第一丁の資料の範囲だけでも、現在流布する大島本と、講座で読んでいる橋本本が違う箇所をどう訳すか、などの問題点を提示してくださることになりました。
 これは、思いがけない展開で、素人集団の華麗なる遊び心が蠢き出したことになります。
 さて、今後はどのような展開になるのか、楽しみにして推移をごらんください。そして、参加してみようという方の加入を心待ちにしています。

 有楽町にはゴジラがいます。

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 それに負けず劣らず、得体の知れない10人が、密かに雄叫びをあげました。
 10月7日を「日比谷源氏の記念日」としましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◎源氏物語

2017年10月06日

読書雑記(212)山本兼一『信長死すべし』

 『信長死すべし』(山本兼一、角川文庫、平成26年12月)を読みました。

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 正親町天皇と信長の確執が語られていきます。正親町天皇が発した信長粛清の命令は、まずは誰が、そしていつ、どのようにして実行するのかで話は展開していくのです。
 折しも、先月9月12日に、明智光秀の密書の原本が見つかったことがニュースになっていました。足利義昭を奉じて室町幕府再興を光秀が画策していたということが、本能寺の変の3日後に書かれた書状から読み解けるとのことです。

 本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはし・しげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。【松本宣良】
(中略)
藤田教授は「義昭との関係を復活させた光秀が、まず信長を倒し、長宗我部や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」と話す。

 光秀は書状の日付の翌日、備中高松城(岡山市)から引き返した羽柴(豊臣)秀吉に山崎の戦いで敗れ、逃げる際に命を落とした。(毎日新聞、2017.9.12)


 本作『信長死すべし』の最終章「無明 明智光秀 天正十年六月五日 近江 安土」が、まさにこの手紙がやりとりされた時期にあたります。
 真相はどうだったのでしょうか?

 さて、山本兼一は、正親町天皇が信長を殺して、旧来の国家体制を維持しようとしたという立場で本作を書いています。その間を近衛前久が奔走し、光秀が実現した、というのです。
 今回見つかった光秀の書状を、もし山本兼一が生きていたらどのように説明したでしょうか。そんなことを考えるのも、楽しい歴史推理だと思います。
 正親町帝は、信長を誅する者を亀卜よって決めます。その経緯が、当時の勢力地図と大名の人柄をうまく評しています。また、その密勅を伝える人選でも、近衛前久、細川幽斎、筒井順慶、山科言継、今井宗久、里村紹巴等々、多彩な人々が候補に挙がり、紹巴が適任者となるくだりは、目の前で話が展開しているように語られていきます。山本氏の筆の力です。そして、近衛前久が前面に出ます。「夢幻のごとくなり 近衛前久 天正十年五月十九日 近江 安土城」の章が秀逸でした。
 終章に近い「点前天下一 近衛前久 天正十年六月一日 京 本能寺」での信長のお点前の場面(358〜361頁)は、お茶人でもある山本兼一の筆の力が伝わって来ました。
 最後まで、一気に読ませる作品です。公家のずる賢さも、存分に楽しめました。【4】

※本書は、2012年六月に角川書店より単行本として刊行されたものです。
 
 
 
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2017年10月05日

熊取ゆうゆう大学︰「若紫」を読む(その4)

今日の熊取ゆうゆう大学の講座は、11人で橋本本「若紫」の写本を読みました。今年度の4回目です。大阪観光大学の図書館の一角を借り、午後4時半から6時まで、じっくりと変体仮名で書かれた文字を追いかけました。
社会人の方お2人と、大阪観光大学の1回生8人が参加しての、自由に取り組んでいる課外の勉強会です。今日は、3人の留学生が参加しました。マレーシア、中国、韓国と、なかなか得難い若い仲間です。
新しい仲間が増えたこともあり、自己紹介や鎌倉時代に書写された『源氏物語』の話など、これまでのことを繰り返し振り返りながら進みました。
中国から参加してもらうと、変体仮名の読み方で中国語の発音が参考になるので大助かりです。今日も、「王」「堂」「徒」の読みを説明するときに、中国語で発音してもらうことでみんなが納得です。さらには、「蝶」「今日」「母」「父」などの発音へと発展し、興味深い話題へと際限もなく広がりました。
結局は、今日も一行しか進めませんでした。
とにかく初心者の集まりなので、何を急ぐこともなく、牛の歩みで進めています。
学外の方を含めて、参加は自由です。こうした取り組みに興味のある方は、大学に足を運んでみてください。



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2017年10月04日

世の中すべてが修行なのです

 「修行体験」が人気だそうです(朝日新聞 2017.10.4)。20代が一番多いとか。心や身体の病を抱えた人たちが非日常を求めて、自然の中での癒やしや充足感を、一時的とはいえ修行者の身になって体験するのです。しかも、新興宗教ではなくて、仏教が受け皿となっているところが、現代的な意味をもつものだとされています。
 私は、観音霊場巡りを趣味の一つとしています。これは、今流行りの「修行体験」とは違うものだと思いながらも、何か通底するものがあるのかもしれない、と思うようになりました。ただし、私の観音巡礼は、悩みがあってのものではないし、深刻さもありません。私の場合は、動機の時点で、スタンプラリーの要素が多分にあります。この楽しみや遊び心が、何か「修行体験」とは違うように思うのです。自分のこの趣味は何なのか、まだよくわかりません。何も意味はないので、考える意味もないのかもしれませんが。新聞で、今日のような記事を見かけると、すぐに自分の身に引き写して考えてしまうのも、おもしろいものです。
 今日も一日、いろいろな仕事を終えて、さあ帰ろうとしてエレベーターに向かうと、ボタンの上に「点検中のため使用できません」というパネルが掲示されていました。私の研究室は8階にあります。狭い階段を歩いて降りるしかありません。そんな時に限って、頭痛が酷くなっていたのです。これも修行なのでしょう。
 帰りの電車は、3時間半もシートに蹲るのです。頭痛に加えて先日から腰痛も抱える身では、長時間じっとシートに座っているのも苦行です。
 世の中すべてが修行なのだ、と、にわか行者の気分で帰路につきました。
 
 
 
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2017年10月03日

読書雑記(211)宮尾登美子『一絃の琴』

 『一絃の琴』(宮尾登美子、講談社文庫、新装版、2008.4)を読みました。

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 苗は、琴の師匠である全盲の有伯とのことが生涯忘れられません。ただし、この有伯のイメージは鮮明に語られていません。
 苗の夫は、鳥羽伏見の戦いで戦死します。苦難の人生の中で、さらに先行きが見通せない境遇に身を置くことになりました。
 苗26歳の明治8年に、亡妹愛子の夫の後添えとして、新しい生活を始めます。ここまでが第一部。
 第二部では、苗が夫の理解を得て一絃琴の教室を開きます。ここから、苗の人生が拓けます。
 第三部は、明治16年生まれの蘭子の登場となり、新たな展開が語られます。この蘭子のくだりを読みながら、今6ヶ月の孫娘のことを重ね合わせました。
 明治から大正という時代背景を覗かせながら、物語は着実に社会の中で蠢く人間模様を描き出していくのです。
 後半、苗の回想場面が読む者の気持ちを揺さぶります。情に訴えながらも、しっかりと物語が展開していくのです。
 塾生の一人が芸妓となり、酒席でお金を取って弾くことを禁じられていることが問題になります。その時、蘭子と二番弟子の雅美が対立します。緊張感の走る、本作の中でも印象的な場面です。その裁定を経て、物語は跡目相続を背景にした意外な結末が見られます。技芸の伝承が特殊であり、その難しさが描かれていきます。
 そして第四部。私は、この部の座り具合が落ち着かないと思いながら読み終えました。本書の構成として、これが最善なのでしょうか? 別人の手ではないかと思えるほどに、それまで著者が言葉を刻み込んで来たものとは異なる印象を持ちました。
 また、この第四部を読みながら、蘭子と対峙した雅美がどうなったのか、大いに気になりました。苗が育て上げた稲子も、中途半端なままです。書き継ぐ内に、少しずつ刃こぼれがしたのでしょうか。
 苗と蘭子の生涯が、感動的に語られます。その間で生きる者の後先を、もっと語ってほしいと思います。そしてなによりも、男が描けていません。師である有伯や紋之助はもとより、苗と蘭子の夫もお人形のようで精気が伝わってきません。本を閉じた時に、歯の欠けた櫛が思い浮かびました。【2】

書誌︰1978年、講談社より単行本として刊行。直木賞受賞。1982年、講談社文庫。2008年、大活字改訂版。
 
 
 
posted by genjiito at 20:10| Comment(0) | ■読書雑記

2017年10月02日

府立医大病院で検査結果を元にした診察を受けました

 先週受けたMRI検査の結果が出ました。それを元にして、主治医の先生から説明を受けてきました。
 断層写真や3D化した画像をモニタに映写しながら、いろいろなことを話してくださいました。
 一番記憶に残っているのは、糖尿病患者にしては頭部の血管が予想外にきれいだ、ということです。また、脳腫瘍や脳梗塞の心配もないとのことです。つまり、脳に関しては、今のところは何も心配しなくていいようです。頸椎の狭窄も、心配するほどではありませんでした。いろいろと、一安心です。
 現在、頭が痛いのは後頭神経痛であり、ストレスが原因である可能性が高いと考えられます。そのため、仕事中でも適度なストレッチや筋力トレーニングを根気強く続けることで、少しずつ改善させるように、というアドバイスをいただきました。スポーツクラブに通っていることを伝えると、マシンジムでの筋力アップのメニューなどを勧められました。
 服薬としては、筋肉の緊張をほぐすための「テルネリン」と、痛みを緩和させる「ロキソニン」を2週間分いただきました。これは、前回投薬していただいた薬の継続分です。
 お医者さんの見立てでは、これで症状はよくなるだろう、とのことです。もしそれでも痛みがとれないようであれば、予約なしでもいいので診察に来るように言われました。
 今回の頭痛は、こうした経過により、当分は様子見ということになりました。
 そうこうするうちに、昨日から腰痛になり、立ったり座ったりで難儀するようになりました。
 加齢のため、と言われれば、もうどうしようもありません。
 思うに任せられないこの自分の身体に、とにかく気長に付き合っていくしかありません。無理をしないことを心掛けて、これからの日々を過ごします。
 また、いろいろな方にご迷惑をおかけすることになります。お約束している仕事も、当初の予定通りには進みません。すみません。生き存えることを最優先で、これからの日々に対処していきます。見限らないで、末永くお付き合いのほどを、よろしくお願いします。
 
 
 
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2017年10月01日

井上靖卒読(210)井上靖が四高時代に住んでいた下宿を訪問

 今回の金沢の旅では、井上靖が四高時代に住んでいた下宿先の「櫻畠楼」(さくらばたけろう)にも立ち寄りました。
 ここには、本ブログの「金沢の井上靖を訪ねて」(2017年05月23日)に書いたように、今年5月に金沢に来たときには行けなかったのです。今回お電話をすると、手の空いた時ならということで、時間を約束してお邪魔することになりました。

 井上靖は、昭和2年(1927)年に旧制四高に入学しています。そして、卒業までの3年間を金沢で過ごしました。自伝小説である『北の海』に、学生時代のことが語られています。
 下宿先は、現在の寺町3丁目(旧・桜畠6番丁)にある木造2階建ての建物でした。今回は寺町3丁目のバス停で降りて、「寿司割烹 小林」に向かって行きました。辺りはお寺だらけです。
 お寿司屋さんのご主人である松田さんは、カウンターで待っていて下さいました。井上靖の下宿先が空き家となっていたため、松田さんが「櫻畠楼」と名付け、後世に残すために維持管理をなさっているのです。

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 井上靖の下宿は2階にあると聞いていたので、お寿司屋さんの2階かと思っていました。ところが、お店は立派な6階建てのビルで、下宿屋だった「櫻畠楼」は道を隔てた少し先にあることがわかりました。

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 2階の各部屋を丁寧に説明してくださいました。
 1階の居間では、わざわざお茶を出してくださった上で、長時間にわたって楽しいお話を伺うことができました。
 お忙しい中を、本当にありがとうございました。
 
 
 
posted by genjiito at 19:37| Comment(0) | □井上卒読