2017年04月30日

京洛逍遥(442)下鴨神社で孫娘の誕生の報告と祈願をする

 3月までで東京を引き払ったことに関連して、まだ行っていなかった氏神さまへ、その報告と無事の成長を祈願しに行ってきました。下鴨神社の楼門は、いつも温かく迎えてくださいます。

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 本殿前に、次の掲示があることに気づきました。関西ならではの、機知に富んだ文面です。

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 御手洗川の光琳の梅は、今は若葉に覆われています。

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 「水みくじ」があることを、今回初めて知りました。

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 御手洗の池に浸けると、文字が浮かび上がりました。
 幸いなことに「大吉」です。孫を見守ってくださる神意に感謝しています。

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 糺ノ森の馬場では、5月3日の流鏑馬神事の準備が進んでいます。

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 また、新たに殿舎の移設工事も進んでいました。これは、ラグビーの第一蹴があった聖地としての復興事業のようです。

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 このことは、後日報告します。
 
 
 
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2017年04月29日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第5回総会を東京で開催

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉も、今年で5年目の活動となります。
 今日は、東京にある京橋プラザ区民館で、第5回総会を開催しました。

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 朝9時からだったので、京都駅から一番列車の新幹線で上京です。
 昨夜はいろいろな仕事があったために、寝る時間がありませんでした。新幹線の中では、ひたすら寝ることに専念できました。

 総会では、昨年度の「事業報告」「活動決算」、今年度の「事業計画案」「活動予算案」、そして「役員交代」などについての報告と説明をもとにした討議を経て、すべての議案が承認されました。
 今後の運営に関しても、自由に討論をしました。今回も積年の課題である、NPOとしての収益をどのようにして産み出し、それを活動にどう有効に使用するか、ということが中心となりました。
 今日も、いろいろなお茶菓子をいただきながらの会議です。

 正午に散会してからは、有志と銀座で食事をしながら、今後の活動について話し合いました。
 京都での活動としては、京洛を散策するイベントの第2回目を初夏に企画することと、ワックジャパン(WAK JAPAN)で写本を読んで来た経緯を踏まえた、新たな取り組みについて語り合いました。これまでの京都での活動は、すべてボランティアでした。これを見直し、さらに幅広い活動がでように収益のあがる仕掛けを考えてから動き出そう、ということの確認がなされました。
 後は、イベントを企画して、いかに活動資金を得るかを考えなくてはいけません。

 まだまだ、課題山積のNPO法人です。今日の総会での建設的な意見や提案を取り入れた、楽しい企画を立案し、活動を活発にしたいと思います。
 どうぞこれからも、ご理解とご協力に加えて、変わらぬご支持をよろしくお願いします。

 帰りの車中も意識を失ったように熟睡しました。

 夕方に賀茂川を散歩しました。
 今日も、通りかかった方に野点でお茶を楽しんでもらい、よもやま話(?)をなさっているお茶人がいらっしゃいました。
 いつか私もお相伴を、と思いつつ、まだ果たしていません。

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 上の写真の左上には、土砂が中洲を作った所の堆積物をショベルカーで取り除いている様子が写っています。
 北山は春霞のようです。「春霞たなびく山の桜花うつろはむとや色かはりゆく」(読人不明 古今和歌集)という歌の季節となりました。

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 私にとっては、骨休めとなるゴールデンウィークのスタートです。
 
 
 

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2017年04月28日

読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』

 『残夢の骸 満州国演義 9』(船戸与一、新潮社、単行本―2015年2月、文庫本―2016年8月)を読みました。この第9巻が完結編です。そして、船戸与一の最後の作品です。

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 昭和19年6月から始まります。
 南方でのサイパンやインパールでの戦況は、欺瞞に満ちた大本営の誇らしげな発表とは裏腹に、惨憺たる敗走による墓場となっていたのです。そのサイパン島玉砕から語り出されます。
 その背景に、日本国内では東条英機首相暗殺計画や倒閣工作があることも。その後、東条は総辞職し、小磯内閣が組まれます。
 特攻隊について具体的なので、まず引いておきます。

 四郎はまず先月二十七日にレイテ島に向かって出撃した八紘飛行隊について書きはじめた。八紘飛行隊は学徒兵によって構成された特攻隊で、日本大学や専修大学、国学院や小樽高商から動員された陸軍士官がレイテ湾にはいって来る輸送船への体当たり攻撃のためにマニラを飛び立った。四郎は口を利いてはいなかったが、その学徒兵たちの表情がやけに青白く、寡黙な印象を与えていたことを憶いだす。大本営は八紘飛行隊の赫々たる戦果を発表したが、実際にはどうだったのかは確かめようもなかった。(120頁)


 続いて、新聞記者や小説家を批判的に記した箇所があります。

「新聞記者や新聞社から派遣された従軍作家は特攻隊を讃美しつづける。あの連中の眼は節穴か、さもなきゃじぶんの文飾の才能をひけらかすためにマニラに来ただけだ。お読みになったことがあるでしょう、空疎で無内容な美文調のそういう記事を?」
 四郎は黙って頷いた。一番印象に残っているのは帰満した五日後に眼を通したものだ。それは読売新聞に掲載された論評で、『人生劇場』で人気絶頂になった小説家・尾崎士郎によって記されていた。(138頁)


 インパール作戦に参加していた次郎の遺髪が、満州にいる太郎のもとに届けられました。3兄弟が揃って山上に埋めます。
 日本にはまったく勝ち目のない戦いを、作者は冷静な語り口で、豊富な資料を駆使して展開させます。負け戦の中にあっても、必死に前を見て生きようとする人々が描かれます。その描写は精密です。多くの資料や情報を駆使して語られているかがわかります。次のようなことも、随所に語られて行きます。

「ソ連軍が満州に侵攻して来た場合、気をつけなきゃならないのは日本人の女です。わたしはロシア人兵士たちが笑いながら喋りあってるのをこの耳で聞いた。ソ連軍がベルリン占領に向かう途中、兵士たちは無数のドイツ人の女を輪姦した。事実かどうかは確かめようもないけど、ベルリン近郊の農村で十四、五歳の少女を一日に百二十人のロシア人兵士が強姦した。対独戦で長いあいだ緊張を強いられた若い連中の獣欲が爆発したんです。満州に侵入して来たら、日本人の女に同じことが起こらないとはかぎらない」(210頁)


 次のヤルタ会談の場面を読むと、話が具体的であるだけに、日本は情報に踊らされて客観的な判断が狂い、戦争にも負けるべくして負けたことを感じさせられます。日ソ中立条約は、いったい何だったのでしょうか。さまよう為政者像が浮き彫りにされています。

「ヤルタ会談でスターリンがドイツ降伏後三カ月で対日参戦すると死んだルーズベルトに話したという情報は知ってるかね?」
「事実ですか、その情報は?」
「ストックホルムの駐在武官・小野寺信少将が大本営宛に電文を打ったらしい。それが握り潰されたという噂がある」
「だれに?」
「今月一日に大本営から関東軍作戦課参謀として新京に転任して来た瀬島龍三中佐に。それが事実かどうかは判明してないが、そういう噂が流れてる。しかし、ソ連が対日参戦することは確かだろう。その情報は他からもはいってるしね」(222頁)


 それにしても、このことを語る間垣徳蔵という男の素姓がさらに知りたくなります。これは、第1巻の冒頭の場面につながり、敷島家との関係がわかってくる仕掛けとなっています。
 ポツダム宣言に関しては、毎日新聞と朝日新聞が引かれています。

この宣言に関して内地の報道各紙の扱いは一面冒頭ではなく、中段に宣言文を掲載しただけだった。ただ翌日にはいつもどおりの感情的な論評が紙面に躍る。『毎日新聞』はこう書いた。

 笑止! 米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦あくまで完遂!

 朝日新聞の論評はこうだった。

 帝国政府としては米、英、重慶三国の共同声明に関しては、何ら重大な価値あるものに非ずとしてこれを黙殺するとともに、断乎戦争完遂に逼進するのみとの決意をさらに固めている。この声明によって敵の意図するところはたぶんに国内外にたいする謀略的意図を含むものと見られる。

 内地の報道各紙の論評は当然ながら英訳されて連合国側に伝わったと考えなきゃならない。『毎日新聞』や『讀賣報知新聞』の煽情的な表現はいつもどおりだと受け止められるだろうが、『朝日新聞』の帝国政府は声明を黙殺という言葉は問題になるはずだ。英語ではおそらく黙殺は無視と訳され、戦争継続が政府意思だと連合軍側は解するにちがいない。和平工作のために誕生した鈴木貫太郎内閣は頭を抱えるだろう。逆に、帝国陸軍内の徹底抗戦派は本土決戦論を一段と強化することが考えられる。(226〜227頁)


 マスコミは、平和なときは正義感ぶって戦争反対をお経のように唱えます。しかし、時世におもねるマスコミの常として、今はすましている新聞各社も、このような過去があったのです。こうした姿勢は繰り返されるので、今の新聞社もいつまでも脳天気な平和論を唱えられなくなる時がくるはずです。その時の本来の姿を見極める必要があります。特に、朝日新聞にはその危惧が払拭できないのです。私は今、日本で一番危険な新聞社だと思っています。その新聞を、疑いもせずに、若いときに正義の味方の新聞だと思い込み、毎朝毎夕配っていたのです。若気のいたりでした。
 ソ連は日ソ中立条約を破棄して、満州に侵攻して来ました。アメリカは、広島に続いて長崎に原子爆弾を投下しました。満州に居留していた人々は、新京駅に逃げ惑って殺到します。
 私は、母親のことを思いました。満州にいた母も、この時に逃げまどったはずです。どれだけの喧騒の中を彷徨ったのか。しかし、私には何も話してはくれませんでした。多くの人がそうであったように、想像を絶する光景や人間の惨さを見てきたのでしょう。麗羅の小説『桜子は帰ってきたか』を、今思いだしています。
 そんな満州の地での大混乱を、船戸は丹念に克明に語り継ごうとしています。
 戦後の満州での惨状を、ロシア人による略奪や強姦の場面を、船戸は淡々と語ります。異常が異常と思えない世界が、みごとに描き出されています。
 チャンドラ・ボースのことも語られます(278頁)。巻末に収録されている参考文献にも入っている、中島岳志氏の『中村屋のボース』なども参照されているようです。
 シベリアへの強制連行について、次のようにあります。

 要するに、帝国陸軍はソ連に強制連行された六十万余の関東軍将兵を俘虜と認めてないのだ。シベリアでどんな扱いを受けようと、ハーグ陸戦法規を持ちだして抗議することはできない。
「関東軍六十万余はこのシベリアでは?」
「抑留者だよ。国際法に抑留者に関する規定はない。スターリンのやりたい放題ということになる」(386頁)


 戦後、父はシベリアに抑留され、強制労働に従事しました。昭和23年6月に復員しています。こうした背景を、知っていたのでしょうか。
 父も母と同じように、満州でのことやシベリアのことは、何も私と姉には語らずに、昭和58年5月に68歳で亡くなりました。生きていたら、父から満州とシベリアの話を聞きたいと思っています。父の生前に、そのような気持ちにならなかったことが悔やまれます。

 終盤は、ロシアの社会主義に同化して生き延びようとする満州からの抑留者たちや、本土で進むアメリカ主導のお仕着せの民主主義に戸惑いながらも、それを受け入れていく日本が語られます。ここにも、作者の冷静な目が冴えています。
 そういえば、父が生前、社会主義教育を受けたことを語ったことを、微かに覚えています。社会主義に同調し、収容所でもそうした言動や行動を率先してしないと生きて行けなかったことを、自戒の念を込めてつぶやいていたように思います。引き揚げて来てから、シベリアでどのような思想教育を受けたかを港湾で尋問された、とも言っていたように思います。返す返すも、もっと根掘り葉掘り聞いておくべきでした。父の生きざまを、息子としてしっかりと聴くべきでした。そのことを、今、悔やんでいます。

 この第9巻を含めて、400字原稿用紙で7,500枚を超える、一大長編物語が終わりました。作者は「あとがき」で、「歴史」と「小説」の違いについて、次のように記しています。

 歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の想像力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになってはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリィのために事実関係を強引に拗じ曲げるような真似はすべきでない。認定された客観的事実と小説家の想像力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである。
 こうじぶんに言い聞かせつつ稿を進めていったのだが、資料を読んでいるうちに客観的と認定された事実にも疑義を挟まざるをえないものがあちこちに出て来るようになった。小説家は歴史家のように何が事実かを突き止める能力を有してないし、そういう場にいるわけでもない。こんなとき、百九十年ばかりまえにナポレオン・ボナパルトが看破した箴言が脳裏に突き刺さって来るのだ−歴史とは暗黙の諒解のうえにできあがった嘘の集積である。(660頁)


 巻末の参考文献を見ると、次のように膨大な書名が並んでいます。

  【満州国関係】121点
  【関東軍関係】17点
  【帝国陸海軍関係】73点
  【国内外情勢】135点
  【中国大陸関係】48点
  【図説・資料集・事典類】45点

 すでに自らの余命を察知していた作者船戸与一は、渾身の気力を振り絞って書き進めたと思われます。この9冊から、さまざまな人間の生きざまを堪能することができました。
 2015年4月22日、船戸与一逝去。

 とにかく長大な物語です。本文は単行本で読みました。しかし、文庫本の解説がよくまとまっているので、そこから井家上隆幸氏が要領よくまとめておられる敷島4兄弟の生きざまを引き、読後の整理としておきます。【5】

満州を舞台とする壮大な叙事詩の軸となるのは、かの奇兵隊間諜を祖父とする敷島四兄弟だ。
 関東軍の満州国領有に反対する有能な外務官僚だったが、現実の推移とともに、「国家を創りあげるのは男の最高の浪漫」といったゲーテの箴言にならうように、満州国創設という最高の浪漫と添い寝し、敗戦でソ連軍に囚われて昭和二一年スクの軍事捕虜強制収容所で自殺する長兄・太郎。
 一八歳で日本を棄てて満州に渡り緑林の徒、馬賊の攬把となって柳絮のように風まかせ、何も頼らず何も信ぜず、その日その日をただ生きて、満州から上海へ、はては東南アジアへと流亡しインド入、ビルマ人の反英独立運動に加担したあげく、インパール戦線の"白骨街道"を敗走、赤痢とマラリアで死する次兄・次郎。
 陸士出、関東軍特殊情報将校として満州全域の抗日武装ゲリラ−国民党系の東北抗日義勇軍、揚靖宇率いる共産党系の東北人民革命軍、金日成の朝鮮人民義勇軍など−を追尾し、ときに軍規を犯した"皇軍兵士"を射殺する剛直な帝国軍人として生き、昭和二一年通化の日本人の反中国蜂起に加わって横死する三男・三郎。
 二〇歳にして大杉栄の思想に惹かれ左翼劇団に入るが、義母と関係し、おのれを密告者に仕立て上げた特高刑事を殺して満州からハルビンと流れ、上海東亜同文書院に学んで以後阿片窟、売春宿の主となり、さらに天津の親日派新聞記者、武装移民村の監視役、甘粕正彦の満映脚本班、関東軍参謀部の特殊情報課嘱託と、間垣徳蔵につきまとわれ地獄を彷徨う末弟・四郎。「四人兄弟のうちもっともひ弱に見えた四郎がいまは一番逞しく生きているように思える」と三郎が述懐したように彼は生き延び、三郎があの地獄から救った少年を広島にまで送りとどける。
 祖父が凌辱した武家の妻が身ごもった子を母とし、謀略あってこそ〈生命線〉満州は不滅と暗躍する関東軍特務将校間垣徳蔵は、四兄弟の目であり耳であり、あたかもダンテ『神曲』の地獄・煉獄の案内役ウェルギリウスのごとき存在である。(679〜681頁)

 
 
 

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2017年04月27日

「ニューツーリズム地域活性化研究会」に参加して

 大阪観光大学の観光学研究所が主催する「第1回 ニューツーリズム地域活性化研究会」が、明浄3号館2階国際交流サロンで開催されました。初めて参加しました。

 「健康・スポーツツーリズムによる地域活性化を考える ―ニューツーリズムの観光推進―」というテーマで、地域活性化につながる情報を共有することを念頭に実施するものだ、とのことです。
 以下、案内状の文章を引用します。

 観光学研究所では、いろいろなセミナー・シンポジウムを実施してまいりましたが、少し掘り下げて地域活性化につながる情報を共有させていただくことを念頭に実施いたします。

 この研究会は、観光、特にニューツーリズムによる地域活性化やまちづくりの推進に研究や事例を通して貢献することを目的としています。

 1回目として、「健康・スポーツツーリズムによる地域活性化」を取り上げます。泉州地域においても多くの市町がウォーキングやマラソンをはじめいろいろなイベントを開催しております。

 マラソン大会は年間1000を超えており、全国各地で行われています。なぜ、それだけ数が多いのでしょうか。まさに、「ニューツーリズムは競争相手にもなるが共存も出来る」ということになります。同じ志を持った人が集まる可能性が高いニューツーリズムはコミュニティーを形成しやすく、ネットワークも広がりやすいといわれています。健康志向、オリンピックに向けての運動需要の高まりも背景にあると思います。

 今回は、健康・スポーツのイベントの成功事例を旅行会社の視点からお話いただきます。また、九州で外国人誘客に力を発揮している「九州オルレ」の事例も紹介させていただき、マーケットが広がっている事例をお話させていただきます。


 今回は、次の2つの事例報告がありました。

事例1.
「阪南市の事例ー旅行会社を活用した新たな地域の魅力の掘り起こし」
 近畿日本ツーリスト株式会社
  和歌山支店次長 佐々木康敏氏


 移住の勧めを意図しているイベントだったようです。
 ネットで200名、電話FAXが100名の申し込みがあり、60代が多かったとか。みなさん元気です。満足度が高いイベントとなっているようです。食に関しては、参加者から好評だったようです。
 成功事例には学ぶことが多い、という考えでの発表会でした。
 若者の参加率が高くて3割以上だったので、今後とも継続が期待できる、とおっしゃっていました。今後の課題も聞きたいところでした。

事例2.
「九州オルレの成功事例紹介とニューツーリズムの特徴について」
 大阪観光大学教授 辻本千春


 韓国で始まったオルレの日本版(九州)の事例報告でした。オルレとは、地図を片手にリボンや標識を頼りに経巡り歩く旅です。自分のペースで楽しむウォーキングなのです。自然を肌身に感じて、地図を片手にではないウォーキングとして、最近人気があるようです。今後とも、広がるのでしょうか。日本では、何々トレイルとして実施されているものにイメージが近いと思いました。
 初めて話を聞いた者としては、なぜ韓国由来の「オルレ」なのかな、という感想を持ちました。巡礼やお遍路のバリエーションだと思うと、日本の文化と結びついたイベントとしてお色直しをして育ちそうな気がします。

 この後、質疑応答と自由討論が行われました。この意見の交歓も楽しいものでした。
 午後6時から8時まで、たっぷりとお話を伺いました。私にとっては、まさに異文化体験です。新しい学問に、いい刺激を受けています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:09| Comment(0) | ◎国際交流

2017年04月26日

2つのホームページの不具合に関するお詫び

 私が研究成果の一部として公開している科研のホームページ「海外源氏情報」において、現在いくつかの不具合が確認されています。
 特に、オンラインジャーナルとして好評だった『海外平安文学研究ジャーナル』に関しては、やむをえずダウンロードを一時的に停止せざるを得ない事態となっています。楽しみにお待ちいただいていた方々には、この場をお借りしてお詫びいたします。

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 その他、いくつか不具合のご教示もいただいています。

 この不具合は、先月の3月30日に『海外平安文学研究ジャーナル インド編2016』と『海外平安文学研究ジャーナルvol.6.0』を公開し、ダウンロードを開始できるようにした直後に発生したものと思われます。このダウンロードの仕掛けに問題があることがわかったのは、公開翌日の3月31日でした。

 昨秋開催した、インドでの「第8回 国際日本文学研究集会」に関する報告書『海外平安文学研究ジャーナル インド編2016』をお待ちいただいていたみなさまには、あらためてお詫びいたします。また、『海外平安文学研究ジャーナルvol.6.0』に寄稿していただいた皆さまにも、心よりお詫びいたします。

 誠心誠意編集した報告書を、どなたにも読んでいただけないままになっていることについては、担当者一同、忸怩たる思いでいます。4年間取り組んで来た科研が終了する直前に、このような不手際が発生したことに対しては、その対処に今も窮しているのが現状です。

 また、同じサーバーを使った「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページ」にも、エラーが発生しています。

 これらの不具合の原因は、現在調査中です。しかし、原状復帰にはいくつかの困難が伴い、今はその修復を断念せざるをえない状況にあると思っています。

 現在、本年度より採択された科研がスタートする時でもあります。これまでのホームページ「海外源氏情報」は新しい科研のホームページに吸収合併することで、こうした事態を解決したいと、その方策を検討しているところです。そのため、『海外平安文学研究ジャーナル』(オンラインジャーナル)のダウンロードについては、今しばらくお待ちいただきたいと思っています。暫定的に、新しいホームページが公開できるまでの間は、このブログで『海外平安文学研究ジャーナル』(オンラインジャーナル)がダウンロード出来るようにすることも検討中です。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページに関しては、「従来のイオネットからのサイト」を復活させることで、緊急避難としての対処を考えています。

 いずれにしても、5月の連休明けまでには何らかの対処をいたしますので、いま少しの時間をいただきたく、ご寛恕のほどをお願いいたします。とりいそぎ、現状の不具合の報告と、今後の対応についての報告といたします。
 
 
 

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2017年04月25日

空を飛ぶ4輪のキャリーバッグ

 バスの中で、大きな4輪のキャリーバッグが飛んでいくところを見ました。

 私の隣に座っておられた観光客の方のキャリーバッグが、突然バスの中ほどから前に向かって動き出し、少し助走してから浮き上がったまま真っ直ぐに宙を飛び、運転席と前の降車ドアにぶつかりました。ちょうど停留所に留まろうとした時でした。その大きなバッグの持ち主は海外からお越しの方で、京都の観光案内図を広げておられたので、バッグを握っていた手が離れたのでしょう。
 幸い、乗客もバッグも車内も、大事には至りませんでした。前に誰かいたらどうなったことかと、怖いことを想像しました。バスの中では、これまでにもこうした場面に出くわしています。

 以前、地下鉄のホームから線路に、キャリーバッグがコロコロと転がって落ちるのも見ました。電車のホームは、線路側に緩く傾いているようです。
 新幹線の中でも、あの狭い通路を巧みに自走するキャリーバッグを見ました。居眠りしておられた持ち主は、他の乗客の方にバッグを渡されるまで、まったく気づいておられませんでした。

 何度か目の前を飛んでいったり、勝手に走って行くキャリーバッグを見ました。しかし、それが大きな事故につながった場面は知りません。しかし、間一髪の危険なシーンは、たくさんあります。

 今回のバスの場合、運転手さんは会社にこのことを報告なさるのでしょうか。
 全国では、キャリーバッグの暴走により、いろいろな事故も起こっているかと思われます。この4輪のキャリーバッグが、手を放すと自走していくことに対する対策なり注意の喚起は、観光立国を目指す日本が抱える問題として、意識してもいいのではないでしょうか。
 すでに、動きがあるに違いありません。しかし、私の生活圏ではその兆候は見られません。

 私は、2輪車のキャリーバッグは長く引きずるので、人混みの中では迷惑になることから使わないようになりました。しかし、4輪のキャリーバッグは、迷惑以上に大きな事故に直結します。4輪の場合、キャスターのロックができる製品は、少し大きめのバッグでないと付いていません。また、付いていても、急ブレーキには対応できていません。
 これから新緑の季節となり、ゴールデンウイークが始まります。何かいい対策はないものでしょうか。

 キャリーバッグに関しては、最近のものでは以下の2つの記事を書いています。
 参考までに、関連情報のメモとして残しておきます。

「キャリーバッグのキャスターが壊れる」(2017年03月11日)

「最適な4輪式キャリーバッグとの出会いと点字ブロックの今後」(2016年10月16日)
 
 
 

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2017年04月24日

京洛逍遥(441)病院大好き人間だと言われています

 京洛では、まだ少し肌寒いと感じる朝夕です。しかし、日中は日々温かくなっています。
 通院のために行った京大病院から、大好きな如意ヶ岳の大文字を見上げました。この「大」の字は、見るたびに違う雰囲気なので、そこここから見て楽しんでいます。

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 先週、皮下腫瘍を摘出する手術を受けました。病理組織の検査結果は、良性の腫瘍であったことがわかりました。また、無事に抜糸も終えました。これで一安心です。
 一週間、病院からは何も連絡がなかったので、特に問題はないだろうと思っていました。胃ガンの時は、人間ドックで検査を受けて直ぐに、告知と至急再検査をとの電話があったからです。
 残る課題は、今年になってから発症した発疹です。これまでは、まったくなかった症状です。今年になってからの異常ということで、思い当たることがあります。昨年末から今月まで、よく精神が壊れなかったものだと感心するほどに、転退職に伴う尋常ではない激務と多忙さの中にいました。精神的に潰れなかったのが不思議なほどに、寝るヒマがありませんでした。冗談ではなく、気が狂わないように、と自分に言い聞かせる日々でした。その影響が、2月を過ぎたあたりから、肌に出だしたようです。睡眠不足と過剰なストレスによるものであることは明らかでした。今から思えば、このひ弱な身体が、よくもこの重圧に耐えたものだと驚いています。この4ヶ月を、生きて乗り切れたことは、私の感覚では奇跡だと思っています。人間の身体の不可思議さを痛感しています。これしきのことでは、人間の身体も心も崩れ落ちないことを知りました。
 4月を挟んでの、激変した環境にも、最近は身体が付いて来るようになりました。薬で対処できるところまで持ち直して来たようです。しばらくは、薬を飲み続けます。
 保険証が新しくなり、少し自制していた病院通いを再開しだしました。歯科と眼科はこれからです。
 今回もそうであるように、私は身体に何か変調を感じると、直ぐに病院へ駆け込みます。病院には、というよりもお医者さんには、明らかに当たり外れがあります。これは、厳然たる事実です。しかし、私は病院の対応が何かおかしいと、直ぐにまた別の病院へ行きます。これが、いつも早めに病気に対処でき、最善の処置をしていただいている秘訣だと思っています。家族から、病院大好き人間だと言われている由縁です。
 もっとも、高齢者の病院通いは何かと社会問題となっている折でもあり、自粛を心がけながらも適材適所に診てもらう、という対応にします。

 帰りがけに、賀茂川右岸から病院越しの大文字を望みました。
 賀茂川畔では、八重桜が今は一番の見ごろです。

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2017年04月23日

抽選会で学生が商品開発した発泡酒が当たる幸運

 くじ引きに無縁のはずの私にも、くじに当たることがあったのです。これは春から縁起のいいことです。
 今日の午後は、大阪天王寺のホテルで大阪観光大学と明浄高校の会合がありました。

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 天王寺駅周辺も、昨日の梅田ほどではないにしても、3年前にできた「あべのハルカス」に象徴されるように、私が知っている街ではありません。おしゃれな街になっています。
 この近くにある高校に生徒として通学し、その後は教員としてこの駅から通勤し、さらには、この駅で乗り換えて大阪明浄女子短期大学(現・大阪観光大学)に通勤していました。今また縁あって、この天王寺駅で乗り降りするようになりました。かえすがえすも、おもしろい縁のあることだと思っています。
 さて、今日の会合では、堅苦しい話が続いた後で、息抜きのイベントとして抽選会がありました。くじ引きなどとは無縁の私は、のんびりとウーロン茶を飲んでいました。ところが、私が持っていたカードに記されていた「226」という番号が連呼されたのです。かつての同僚である学部長から、ありがたく景品を受け取りました。

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 用意された10本の内の1本です。このお酒は、ベトナムから来ている大阪観光大学の学生たちが、地元の温泉旅館の女将さんから聞いた話が機縁となって開発した発泡酒です。着任早々の4月1日の入学式では、ロビーで販売されていたので一本買いました。

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 そのお酒を、今日は参会の皆様の前でいただけたのです。久しぶりに大学の教壇に立ち、ごくろうさまという励ましをいただいたと思っています。
 あまりの忙しさで、このお酒の紹介をしていませんでした。
 お酒に添えてあった説明書の文章を引きます。

大阪観光大学・ベトナムチームの学生は、3年生になり百武ゼミに所属。ゼミ活動の一環として泉佐野市観光協会の依頼で犬鳴山納涼カーニバルのお手伝いに行き、体憩場所に使わせてもらった不動口館で河原女将から、「ヨーロッパ旅行中にシャンパンに似たスバークリング Sake を呑みとても印象深かった」とお話を聞き、ベトナムチームの学生達2人(ボーバントウ、グェンティジムフォン)はベトナム人がよく呑むビールやシャンパンのような日本のお酒があれば、絶対に売れると夢を膨らませたのです。そしてベトナムチームの皆んなは、「大学生観光まちづくりコンテスト」で、このお酒を中心とした企画をと考えました。先生も含めお酒の素入ばかり。そこで地元酒蔵に協力を仰ぎ、自分達が考案したスパークリング Sake が商品化できるか、試作品に向け何度も指導を受けました。さらにコンテストに向け天王寺駅近くの公園に何度も集まり夜遅くまで発表する練習を繰り返しました。本選での発表当日試行錯誤が実を結びクリエイティブ賞を受賞。ひとつの出会いと想いが国境を越え、人と人が繋がり、スパークリング Sake 「旅遊」が誕生いたしました。「私たちの夢」が皆さまに届きますことに感謝します!!


 学生たちの取り組みが成果となって結実したのです。
 大学では、いろいろな学生たちが、楽しく勉強をしています。
 若者たちのユニークな発想は、ますます夢の実現に向かって育って行くことでしょう。
 
 
 

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2017年04月22日

大阪梅田で食事をして

 梅田で食事をしてきました。
 大阪駅周辺は、私が知っている街ではなくなり、大きく変わっています。
 地上はもとより、地下街が延び、若者たちの移動空間となっていました。
 地下通路の花壇は、気分を和らげるように点在しています。

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 食事をしたレストランへ行くエレベータは、私が小さい頃に梅田の阪急百貨店で見かけた、少しレトロな感じでした。東京にもありました。しかし、私にとっては阪急百貨店を連想させるものです。

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 エントランスも、すっきりとしていていい雰囲気でした。
 もちろん食事も。

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posted by genjiito at 22:19| Comment(0) | ・ブラリと

2017年04月21日

京洛逍遥(440)売茶翁の詩碑と散り初めた桜

 先日、売茶翁の詩碑の前で赤ちゃんの写真を撮りました。
 その売茶翁の詩碑について、このブログではまだ紹介していなかったことに気づきました。

 北大路橋東詰の半木の道の入口に、みごとな紅枝垂れ桜があります。満開のころの紅色から、しだいにピンクになり、これからは白くなって散って行きます。

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 その後ろ、京都府立大学グランド側に、「売茶翁没後二百五十年記念碑」(2013年建立)があります。

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 売茶翁は江戸時代の僧で、煎茶の中興の祖、本朝煎茶の茶神と呼ばれた人です。
 この碑には、次の漢詩と説明が刻まれています。

(正面)
遊鴨河煮茶
担茶具出蝸舎
択檻泉遊鴨河
鼎裏非人間味
神仙何覓瑶池
 売茶翁高遊外
  黄檗亘令書 [黄檗山主][亘令]

(背面)
売茶翁没後二百五十年記念
 一般社団法人全日本煎茶道連盟寄贈
 売茶翁没後二五〇年記念事業実行委員会
  平成二十五年七月十六日建立


 石碑の左側に、小さな石碑に説明文が刻まれています。
  鴨河に遊び 茶を煮る
茶具(ちゃぐ)を担(にな)い 蝸舎(かしゃ)を出(い)で
檻泉(かんせん)を択(えら)んで 鴨河(かもがわ)に遊(あそ)ぶ
鼎裏(ていり) 人間(じんかん)の味(あじ)に非(あら)ず
神仙(しんせん) 何(なん)ぞ 瑶池(ようち)を覓(もと)めん
    売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)
 
 
 売茶翁高遊外(一六七五〜一七六三)
名は高遊外、人は売茶翁と呼んだ
江戸時代、佐賀県蓮池に生まれ、
十一歳で出家。黄檗宗僧侶から
五十七歳で還俗、京に上る。鴨川
畔など風光明媚なところで往来に
茶を振舞う。翁を慕い池大雅や伊藤
若冲などの文人が集い文化サロン
を形成。お茶を急須で淹れる方式が
評判となり、その後煎茶が全国に
普及した。その精神世界は後に煎茶
道の世界に受け継がれている。


 半木の道の桜も、葉桜になった木々をところどころで見かけます。

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 鷺も鴨も、花見気分が抜けたようで、のんびりしています。

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 中洲に堆積していた土砂も、きれいに取り払われました。

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 北大路橋越しに見霽かす東山も、これから新緑に衣替えします。
 
 
 

posted by genjiito at 20:36| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年04月20日

新規科研の開始にあたって5(平成29年度の研究計画)

 新規採択(内定)となった科研A「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」の、平成29年度に実施を予定している研究計画は以下の通りです。

 初年度は、今後4年間の準備と展望の確認を行ないます。最初に手がけるのは、翻訳文献資料の調査収集と各国語訳を日本語に訳し戻すことです。

 まず、海外で刊行された文献資料を再確認することから。これは、これまでの成果としてウエブに公開している『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』と『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』を基本情報として、さらに調査を進めることになるものです。訳し戻しについては、すでに着手済みの『源氏物語』に加えて、『古今和歌集』『伊勢物語』『宇津保物語』『蜻蛉日記』『枕草子』等の諸作品を対象とします。日本人研究者と、翻訳された現地の研究者との双方での共同作業です。

 『十帖源氏』の多言語翻訳については、すでに着手している第1巻「桐壺」と第5巻「若紫」に続き、第12巻「須磨」と第13巻「明石」を開始します。『源氏物語』は54巻あり、これはほんの一部にしかすぎません。しかし、ここで作成される多言語翻訳の成果は、今後の全巻翻訳のための基盤構築となるものです。

 「第1回 国際日本文学研究交流集会」は大阪で開催します。テーマは「海外で翻訳された平安文学の諸相」。これは、これまでの成果を踏まえて、今後の展開を見据えたものです。

 本科研に関わるメンバー内では、年間数回の情報と意見を交換する会合を持ち、研究と成果を討議していきます。その内の1回は、外部の研究者に向けての公開研究会とし、海外からゲストを招いて実施する予定です。

 たとえ思うような成果がまとまらない事態が生じたとしても、ここで構築をめざしている各種情報の総整理に対する視点と、そこから生み出されたデータは生き続けます。これまでに蓄積し、データベースとして公開している成果が、今回の申請課題を下支えしてくれることでしょう。日本古典文学を世界に広め、相互理解を深める上において、貴重な研究情報の公開となり成果となるはずです。

 こうした内容についても、興味と関心をお持ちの方からの連絡をお待ちしています。
 
 
 

posted by genjiito at 21:25| Comment(0) | ◎国際交流

2017年04月19日

新規科研の開始にあたって4(おおよその研究計画とその方法)

 新規採択(内定)となった科研A「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」の、研究計画とその方法をまとめておきます。

 まず、研究目的を達成するための研究計画と方法についてです。

 本課題では、世界各国における日本古典文学に関する実態調査(研究機関・研究者・研究成果・翻訳書等)に基づき、受容と研究の歴史を総合的に整理します。それと共に、『十帖源氏』の多言語翻訳と研究を踏まえて、日本文化の海外における変容を共同研究のテーマとして取り組みます。これらは、インターネットを活用したコラボレーションと、毎年実施する国際日本文学研究交流集会で確認して推進していくことになります。
 具体的には、調査・研究・翻訳・公開に関する活動を通して、情報交換をする中で研究成果を集約していきます。

 本応募課題による調査研究は、次の3群で構成しました。

1.翻訳から見た日本文化の変容
 各国の平安文学に関する翻訳書を整理し、それを日本語に訳し戻して基礎資料とする。
 翻訳を通して、日本文化が変容して伝えられていく諸相と実態を確認する。

2.『十帖源氏』の翻訳と研究
 日本側で作成した平易な現代語訳を活用して各国語で翻訳を進める。
 各国語の翻訳の訳し戻しを基礎資料として共同討議を行なう。

3.共同研究基盤の整備
 ホームページ「海外源氏情報」や電子版『海外平安文学研究ジャーナル』等のメディアを活用して、情報公開と共同研究を推進する。


 この3群を4年間にわたって推進する過程で、海外の研究者との情報交換を密にし、恒常的な人的ネットワークを構築するのです。これは、今後につながる人的な資源の継承であり、ここに集まる情報は貴重な資産になるはずです。
 また、スペインとインドで開催する国際日本文学研究交流集会における講演・シンポジウム・研究発表の成果は、ウェブを通して情報を公開し共有します。
 この計画を着実に実現するために、次の細目を4年間で実施する予定です。

(1)【調査活動】
 研究論文と翻訳書を調査し収集整理
 コラボレーションを通して基礎資料を作成
 海外における受容と研究の諸相をまとめる

(2)【研究活動】
 翻訳における日本文化の変容
  1.海外で翻訳された平安文学を日本語に訳し戻す
   『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』と『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(平成28年12月刊行予定)で確認済みの、各種言語で翻訳されているものを対象とする
  2.翻訳の訳し戻しから日本文化の各国における移し替えの実態を研究する

(3)【翻訳活動】
 各国語への翻訳を通して日本文学への理解と若手研究者の育成
  1.『十帖源氏』の多言語翻訳は各国の翻訳技術の向上が期待できる
  2.翻訳対象言語:英語・中国語・タイ語・インド諸言語(8言語)・イタリア語・スペイン語等
  (すでに完成させた現代語訳を、各国の研究者・翻訳家の支援のもとに翻訳)

(4)【情報交換】
 研究者ネットワークの形成
  1.研究者間のネットワークを形成するために調査と情報整理
  2.海外での新世代である学生たちとの情報交換

(5)【成果発表】
 研究発表および講演・シンポジウムの開催とウェブ公開
  1.国際日本文学研究交流集会で研究発表の場所と課題を提供し若手を育成
  2.研究情報や成果はホームページを活用して発信し共同研究態勢を構築
  3.研究成果は電子ジャーナル(毎年度発行)で公開発表


 以上の3群5項目を展開することで、昨年度まで取り組んできた「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(科研番号︰25244012)をさらに発展的に拡大した、調査研究及び成果の公開を目指していきます。

 こうした研究テーマに興味と関心をお持ちの方の参加を待ち望んでいます。
 このブログのコメント欄等を通して連絡をいただければ、折り返しお知らせなどをお届けします。
 さまざまな角度からのご意見をいただけることを、前年度までと同様に楽しみにしています。
 
 
 

posted by genjiito at 21:14| Comment(0) | ◎国際交流

2017年04月18日

身体を切り刻んで生きています

 昨年末から、緊張を強いられる日々にずっと身を置いていました。案の定、身体は悲鳴を上げていたのです。なんとか乗り切ったと思う間もなく、身体が軋み出しました。
 昨日は、定期検診でした。
 今日は、ここ数ヶ月の無理がたたったと思われる、がたついた部品の修繕です。

 今日、お医者さんから「切ってしまいましょう」と突然言われ、あれよあれよという間に切除手術をしました。局所麻酔なので、大手術を何度も経験している私にとっては、動ずることはありません。命の心配もなく、大丈夫です。ただ、あまりにも突然で、心の準備もしていなかったので、とにかく無事に終わって安堵しています。何事も、早期の対処に勝るものはありません。
 今回も、「生体試料の保管と将来の研究利用についての同意書」と「手術・検査・特殊療法同意書」に署名しました。こんな私の身体がお役に立つのであれば、との思いから、いろいろな治療で協力するようにしています。

 東京から持ち越して来た疣も、丁寧に診ていただきました。もう少しで治るのではないかとのことです。途中で手放すことになった九段坂病院の先生は、あと一息だったようです。お互いの転出で中断したことが、今から思えば惜しまれます。
 その他にも、いくつかの科を回りました。
 今日も、京大病院で一日を過ごすことになりました。
 極めつけは最後の薬局で、さらに1時間半も待つことになりました。もっとも、臆することなく病院内の一角で、有効な時間を過ごしましたが。
 今日は早朝8時にこの病院に来ました。昨日よりも長い6時間も、この院内にいたことになります。

 帰り道で川端通の散策路は、葉桜の並木となっていました。

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 出町橋を臨む桜も葉桜です。

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 これから京洛は、鮮やかな新緑の季節に入ります。刻々と移りゆくグラデーションの景色が楽しめるようになります。そして、葵祭を迎えるのです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | *健康雑記

2017年04月17日

京大病院での隔月の検診は何も問題なし

 京都大学病院で、隔月に糖尿病の診察を受けています。
 診察前に、待合室で血圧を測ります。意外なことに気づきました。2台ある測定器の数値が大きく違うのです。専門的には、これは誤差の内なのでしょうか。30ほども違うと、これでいいのかな、と思います。
 なお、写真下段の機器は、時間が3分ほど遅れているので、矢印の順番で交互に数値が出ました。

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 別の方が、240以上になっていると言って、受け付けに走って行かれました。近くで聞いていた限りでは、人さまざまな反応がありました。一喜一憂しないことだと思うものの、あまりにもいつもと数値が違うと、誰しも不安になるものです。

 さて、今月から担当の先生が変わりました。
 これまでと同様に、丁寧に話を聞いてくださるタイプの先生なので、時間がかかります。私は、100分遅れで診察をしていただくことになりました。
 血糖値は、前回の6.8よりも高くて7.1でした。しかし、その前が7.2だったので、おおむね7.0前後を推移しています。合併症が危ぶまれるギリギリのところです。大きな変化がないので、これまでも、これからも様子見という状況が続いています。

 その他の件では、すべて問題なしということでした。腎臓も肝臓も鉄分も良好です。特に鉄分は、小さい時からずっと貧血を注意されていたので、前回からめでたく安全圏に入ってからも、妻の食事の按配がうまくいっていることになります。感謝しながら、ホッと一安心です。

 唯一の心配事は、2ヶ月前から体重が3キロも減っていることです。年度末の多忙さと、定年退職に伴う残務整理、そして東京を引き揚げるために引っ越しを含めたさまざまなことなどで、いろいろな心労が重なっていることが関係しているようです。2ヶ月後の様子を見て、それでも回復しなければ対処を考えてくださることになりました。

 こうした多忙を極める日々を送った身体のチェックをするために、明日も検査が続きます。いろいろと細かい検査をしていただけることに、非力な身体を鼓舞して生活をする者としては、ありがたいことだと思っています。

 今日も、朝の9時から午後2時まで、病院内で充実した時間を過ごしました。待ち時間にできる、読書や資料確認や文書作成は、誰にもじゃまをされない、実に効率のいい至福の時です。勝手知ったるこの病院内には、私にとっての隠れ家的な空間があります。待ち時間が苦にならないというのは、幸いなことです。
 
 
 

posted by genjiito at 21:31| Comment(0) | *健康雑記

2017年04月16日

京洛逍遥(439)あかちゃんがきました

 生まれて9日目に、あかちゃんが我が家に来ました。

 御所側から乗ったタクシーに植物園前で停まってもらい、半木の道に咲くベニシダレを背景に、初めての外出を祝して記念撮影です。

 賀茂の川沿いは日曜ということもあり、たくさんの人がそぞろ歩きを楽しんでおられます。

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 そこで、その反対側の京都府立大学のグラウンドに面した、売茶翁の詩碑のところで記念の写真を撮りました。

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 しばらくはかわいい泣き声を聞きながら、にぎやかにゴールデンウィークを迎えることになります。
 
 
 

posted by genjiito at 20:36| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年04月15日

京洛逍遥(438)半木の道を抜けて北山の喫茶店「たなか」へ

 お昼までの雨が、午後にはすっきりと晴れました。
 賀茂川の花見も、週末ということで多くの方が集まって来られます。
 今日は、東南アジアからの方が多かったようです。三条大橋止まりの観光客も、最近は北上して北山まで足を延ばしておられます。大歓迎です。

 植物園の西側を通る半木の道は、賀茂川に沿って3本あります。その中でも、植物園側に一番近い、細く小暗い道が、人も少なくてお薦めです。

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 この半木の道から賀茂川を見ると、景色を独占した気持ちになります。

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 この半木の道を抜けた北山大橋の袂に、カフェマイスター「たなか」があります。

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 このお店から北山通り越しに半木の道を見やると、こんな風景です。

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 「カフェマイスターたなか」のコーヒーは、少し酸味がありました。我が家ではマイルドな豆を使っているので、かえって新鮮でした。
 白いワイシャツに黒い蝶ネクタイ姿のマスターが、目の前でサイフォンを使ってコーヒーを一杯ずつ淹れてくださいます。
 店の片隅には、たくさんの麻袋に詰められたコーヒー豆が積まれています。
 
 
 

posted by genjiito at 23:10| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年04月14日

京洛逍遥(437)半木の道の桜と賀茂川の鷺たち

 今朝の賀茂川散歩では、半木の道の桜は八分咲きでした。

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 鳥たちの説明板が新しくなりました。

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 土砂が中洲となって川を堰き止めてきたので、それを取り除く作業が続いています。

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 そんな中で、鷺や鵜や鴨たちの活動が活発になってきました。
 思いつくままに撮った写真をあげます。

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 我が家でトントンと言っている飛び石で、犬を連れて渡る方がいらっしゃいました。

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 そろそろ水も温んできたようです。
 さまざまな鳥たちがやってくる季節となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年04月13日

京都と大阪の花模様から今の想いまで

 早朝の賀茂川散歩は、お花見気分です。

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 ソメイヨシノもユキヤナギも、朝から華やかな姿を見せています。

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 待ち遠しいベニシダレは、やや焦らし気味に時間稼ぎをしているように見えます。満開は、今週末でしょうか。

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 大阪の南端に位置する大阪観光大学の桜を観るのは、実に20年ぶりです。
 あの頃と同じように、関西空港を背景にして、静かに咲いています。前方奥に、リンクウタウンのタワービルが見えています。

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 研究室がある管理棟は、現在は外壁の補修中です。かつては10階、今は8階にいます。

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 研究室からは、関西空港越しに大阪湾へと沈む夕陽がきれいです。息をのむほどの夕景は、またいつか写真に撮って掲載します。今は、ベランダに出るガラス戸一面に防塵フィルムが貼られていて、外の景色が曇って見えるのです。

 コリドールと言われる回廊は、私が好きなシルエットを見せています。

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 学内の紹介は、また落ち着いたら記します。久しぶりに若者たちに語りかけることとなり、今は毎日がバタンキューの日々となっています。

 日本において、観光立国の重要性が注目される時代となりました。東京五輪に大阪万博、文化庁の京都移転。若者たちは、予想外の願ってもない風向きを感じ出しているようです。さまざまな後押しを好機と自覚して、さらなる一歩を踏み出してほしいと願っています。
 一人一人に、日本の文化資源の世界的な価値とその継承の意義を、丁寧に語りかけていくつもりです。

 私は、これまで所属していた学会のすべてを退会しました。研究者のみなさまとお目にかかる機会は、これからはあまりないかと思います。それでも、どこかでお目にかかることがありましたら、志を同じくしたことのある仲間として、お声掛けいただけると幸いです。
 
 
 

posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | *身辺雑記

2017年04月12日

新規科研の開始にあたって3(学術的な特色・独創性・成果・意義)

 今年度から新規採択(内定)となった科研A「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」の、学術的な特色・独創的な点及び予想される結果と意義についてまとめておきます。

 この研究課題は、海外における日本文学研究に関して、英語のみならず、各種言語で公表されたものに対応するのが特徴です。そして、外国語訳等を日本語に置き換え、その訳し戻した情報や資料を活用して研究を推進するものです。多言語情報を日本語で一元化し、多角的に考察する環境を提供しようと思います。
 このことにより、外国語という障壁が軽減され、日本語を母語とする研究者が多言語翻訳された環境を共有し、海外の方々と一緒に考える場に参加できるようになるのです。

 基礎情報であるはずの日本文学研究関連の情報の整備が、現状では海外の部分が大きく欠落しています。本課題は、平安文学を中心とする海外の日本文学研究の情報を再構築し、さらに発展させて文化を共有する資源とする意義を持っています。
 また、これまでに構築した情報をデータベース化して公開しているホームページ「海外源氏情報」と、研究成果の発信母体となる電子版『海外平安文学研究ジャーナル』が、さらに発展して広く平安文学を対象として有機的な活用がなされることが期待できます。

 ここでは、新たな気持ちでスタートを切ろうとしている時点での、その意義を確認しておくしだいです。
 (つづく)
 
 
 

posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | ◎国際交流

2017年04月11日

京洛逍遥(436)浄土寺のフレンチレストラン「聖宙庵」

 銀閣寺・法然院・真如堂に近い白川通りのバス停「浄土寺」から西に1本入ったところに、「フレンチレストラン「聖宙庵」」があります。
 住宅街の奥まったところにあるので、知らないと行き着けません。

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 中はお茶室で、和の雰囲気に包まれています。

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 料理はフランス料理というよりも、私には和食に近い感覚でした。
 前菜から新鮮な食材が並び、小食の私にも楽しくすべていただけました。

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 石のスピーカーから流れる音楽が、柔らかいボサノバです。ゆったりとした、豊かな時間に浸れます。

 食後、白川通に出ると、昭和22年創業の「ヤマダベーカリー」がありました。

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 パンはもちろんのこと、私はピロシキが気に入りました。

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 「聖宙庵」と「ヤマダベーカリー」へ行くには、「フレスコ白川店」が目印です。
 
 
 
posted by genjiito at 21:08| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年04月10日

新しい命との対面

 孫の様子を見に、病院に立ち寄りました。

 家の玄関の横に咲いている花で、部屋を飾っています。

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 生まれた日と2日目の姿を写し留めました。
 成長が早いので、表情の変化に驚いています。

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posted by genjiito at 20:21| Comment(0) | *身辺雑記

2017年04月09日

京洛逍遥(435)京都御苑と第43回鴨川茶店の桜

 昨夜生まれた孫娘の様子を見に、御所西へ行きました。
 一晩で目鼻立ちがくっきりとしています。すらりと伸びた指は、まさに白魚のようです。
 清らかな姿を見て安心しました。

 窓からは京都御苑の木々越しに、右に送り火の大文字が、左に比叡山の姿が望めます。

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 この地には、かつて北大路魯山人などが通った「梅屋尋常小学校」がありました。しかし、平成9年(1997)に御所南小学校と新町小学校に分割統合され、廃校となりました。それを記念して、敷地の一角に碑文が置かれています。

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「梅屋小学校の碑」
梅屋小学校は明治二年十一月二十一日
上京第二十番組小学校として
小川通竹屋町角の地に創設
明治六年にこの地に移転される
開校以来百二十六年のその歩みは
学区民の物心両面の支えと教育
関係者の努力によって一万有余名の
有為ある卒業生を輩出した
平成七年三月 子どもたちの教育
充実を願い地域の人々の熱意と
支援のもと新しい統合校である
御所南小学校に後を託して伝統ある
輝かしい歴史の幕を閉じた


 帰りに、京都御苑の間ノ町口から入り、左手の椹木口を桜越しに見ました。門の向こうが烏丸通りです。

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 苑内では、御所の南にある建礼門の左手に桜が咲いています。

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 賀茂川に架かる北大路橋から北山大橋にかけて、植物園沿いの半木の道では、昨日と今日の2日間にわたって「第43回鴨川茶店」が催されていました。ただし、お目当ての紅枝垂れ桜は来週が満開のようです。

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 目を南に転じ、北大路橋から下流の出雲路橋越しの出町方面を望むと、ソメイヨシノとユキヤナギが満開です。

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 琵琶湖から流れ来る疏水通りも満開です。正面に、比叡山が見えます。

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 突き当たりが賀茂川の桜並木です。このあたりは花見客も来ないので、ゆったりと花見をしながら散策ができます。

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 今年は格別のお花見ができました。
 毎年この頃になると、孫の誕生日には一緒にお花見ができるのです。
 楽しみがまた一つ増えました。
 
 
 

posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年04月08日

こんや、おじいちゃんになりました。

 本日、4月8日19時25分に、3,232グラムの元気な女の子が生まれました。
 平成29年度は、たくさんのことが身の回りで動きだしたのです。
 賀茂川の桜も、祝福してくれています。

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posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | *身辺雑記

2017年04月07日

新規科研の開始にあたって2(翻訳文献と関係論文の点数と到達目標)

 新規に採択された科研に着手する前に、これまでに「海外源氏情報」(科研HP)で公開している翻訳文献と翻訳関係論文の点数や到達目標をまとめておきます。

 ホームページで公開している翻訳文献は『源氏物語』が290点・平安文学が581点、翻訳関係論文は『源氏物語』を含む平安文学が514点、翻訳以外の関係論文は716点です(2017年4月7日現在)。

 こうした状況を基礎的な情報として、新科研の研究期間である4年間に取り組み解明する目標は、次の3点を考えています。

1. 世界各国で翻訳されている平安文学の総合的調査を実施し、各国の受容史と研究史を整理
(ホームページ「海外源氏情報」で情報の収集と公開)

2. 江戸時代の簡約版『十帖源氏』を多国語翻訳し、日本文化の変容と理解について共同研究
(電子版『海外平安文学研究ジャーナル Vol7』以降で成果を掲載)

3. ホームページや電子ジャーナル等のメディアを活用して、研究者が情報交換をする場所を提供
(上記メディアに加えて、スペインとインドで国際日本文学研究交流集会を開催予定)


 いずれも、海外の研究者と共同研究を進め情報を共有することで、具体的な成果物としての刊行及びウェブ公開に結実させることとなります。そして、これらをまとめる過程で、研究者のネットワークの形成も果たしていきたいと思っています。

 多くの方々が、このコラボレーションに参加されることを心待ちにしています。
 
 
 

posted by genjiito at 18:45| Comment(0) | ◎国際交流

2017年04月06日

新規科研の開始にあたって1(翻訳された『源氏物語』の言語数)

 先月で終了した科研(基盤研究A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」は、平成25年度から28年度までの4年間にわたって取り組んで来たものです。新たに平成29年度から始まる4年間は、『源氏物語』を中心としてきたことから平安文学へと対象を拡げます。テーマは「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」です。
 今月から新課題でスタートするにあたり、これまでの基本的な事項を、あらためて確認しておきます。

 まず、『源氏物語』が何種類の言語で翻訳されているか、ということです。
 現在、私の手元に集まっている情報によると、以下の33種類が確認できています。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
アッサム語・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語・英語・エスペラント・オランダ語・オディア語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語


 このことを踏まえて、海外における平安文学の研究状況の情報を収集し、これまでわかっていることと共に整理をし、分析を加えることになります。

 また、平安文学の多言語翻訳についても、『源氏物語』を参考にしながら取り組んでいきます。

 上記33言語に関連して、以下の言語に関する情報が集まっていないので、この言語について調査を始めたいと思います。
 具体的には、東南アジアだけで見ても、次の言語の『源氏物語』の翻訳がありません。これらの言語の翻訳状況の調査から始めたいと思っています。例えば、『あさきゆめみし』のタイ語訳版は手元にあります。しかし、物語本文の翻訳はまだないのです。
 こうしたことに関して、情報提供や資料の所在などのご協力をお待ちしています。

インドネシア語、カンボジア語、シンガポール語、タイ語、フィリピン語、ブルネイ語、マレーシア語、ミャンマー語、ラオス語

 
 
 
posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | ◎国際交流

2017年04月05日

今年度の科研で「海外の平安文学」が採択(内定)となりました

 昨秋、定年退職間際に申請した、平成29年度の科学研究費補助金の審査結果が、幸運にも採択(内定)となりました。
 国文学研究資料館を所属機関とする申請でした。しかし、今月から所属が大阪観光大学に異動となったので、これから転出と転入の手続きをします。

 申請分野は基盤研究(A)なので、個人研究としては大きな種目です。次の「申請課題」で、4年間の調査研究に挑みます。
「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」

 「研究目的」は、以下の通りです。
 本申請課題は、日本で平安時代の文学を研究する者が中心となり、海外の研究者と協力して実現するものである。海外での平安文学における研究情報の総合的な調査を踏まえ、その日本古典文学の受容と研究の歴史を総整理することをめざす。
 また、江戸時代のダイジェスト版『源氏物語』である『十帖源氏』の多国語翻訳をとおして、日本文化が変容して海外に伝えられていく様子と文化理解についての共同研究も展開する。
 こうした活動と成果は、情報交換を目的とするホームページ「海外源氏情報」(http://genjiito.org)と電子版『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN:2188-8035)を媒介として、研究者間の交流の場へと展開していくものに育て上げる。

 先月末まで、がむしゃらに取り組んでいた基盤研究(A)の「海外源氏情報」を、さらに拡大して「海外の平安文学」に展開することとなります。
 海外の『源氏物語』に関する研究課題は、予想をはるかに超える成果が得られました。そのことを踏まえて、これまでに培った情報収集の手法と分析、さらには多言語翻訳にも多角的に取り組むことになります。

 これまで通り、コラボレーションを展開する中で研究を深めていきます。幸い、今月から勤務している大阪観光大学には、観光学部と国際交流学部があります。私が所属することになった国際交流学部のみならず、観光学部共々、学際的な視野のもとで多彩な研究をなさっている先生方と一緒に、今回の申請課題に取り組めるのです。
 これまでは、国文学を中心とした環境にありました。しかし、これからはさらに海外に拓いた多方面からのお力添えが得られます。全世界を見据えた研究環境に身を置くありがたさを、赴任したばかりの大学で、日々実感しているところです。

 みなさまのご理解とご協力を推進力として、さらにギアを一段上げての研究遂行となります。これまでに変わらぬご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。

 科研費研究の道がさらに大きく開けたことを受けて、この研究に協力してくださる方を募っています。ネット社会なので、参加のしかたはいろいろとあるかと思います。
 海外の平安文学、及び多言語翻訳に興味と関心をお持ちの方で、一緒に夢を追いかけようとお思いの方からの連絡を、心よりお待ちしています。
 
 
 

posted by genjiito at 20:18| Comment(0) | ◎国際交流

2017年04月04日

オイオイ!! と思うこと(1)


(1)長々と待っていたバスが、2台連れ立って来たとき。さらには、観光地で同じ行き先のバスが、3台もつながって来ると、乗る気が失せます。

(2)処方箋を持って薬局へ行ったのに、処方されているほしい薬が在庫切れで、翌日取りに行くことになったとき。

(3)ATMで千円札を入れ、おつりが100円玉と10円玉でジャラジャラと出てきたとき。500円玉と50円玉が混じると予想していたのに、あてが外れてがっかり。

(4)業者に荷造りをしてもらって送ったのに、届いたパソコンのモニタ画面のガラスが欠けていたとき。

(5)飛び乗った電車が女性専用車両だったとき。関東は先頭車両、関西は中央あたりの車両に気をつけましょう。終日、女性専用車両の鉄道会社もあります。

 
 
posted by genjiito at 00:45| Comment(0) | *身辺雑記

2017年04月03日

京洛逍遥(434)鞍馬の霊気を浴びて温泉で英気を養う

 昨日は賀茂川散歩の後、出町柳駅から叡山電車鞍馬線で、天然硫黄温泉が湧くくらま温泉に行きました。
 叡電の「きらら」号は、窓側に向いた座席がある電車です。季節毎に窓外の景色の移り変わりが楽しめます。

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 ただし、いつもこの電車に乗れるのではないので、次のような姿の普通の電車が来たら、パスするかどうか思案のしどころです。

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 昨日は、行きは「きらら」号に、帰りは普通車輌でした。

 終点の鞍馬駅は、2両の列車が入るだけの小さな駅です。

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 駅前では桃の花と天狗が出迎えてくれました。
 
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写真

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 この鞍馬の地は、次のように説明されています。
風水学を元に平安京が築かれ、御所を中心とした四方・四神の内、貴船・鞍馬は北の神「玄武」にあたり、「エネルギーが湧き出る所」=「パワースポット」であると言われています。

 駅前から無料送迎バスで、仁王門よりもさらに奥まったところにある秘湯の湯とされる「くらま温泉 峰麓湯(露天風呂)」に向かいます。ここは、腰痛や糖尿病にいいとのことなので、今の私にはぴったりです。

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 このくらま温泉には、一昨年の5月に来ていました。
 これまでにこの温泉に来たことは、「京洛逍遥(352)新緑の鞍馬温泉でお山の霊気を浴びる」(2015年05月03日)に記しています。桜や紅葉の季節となる春か秋に来ているのは、見ごろを意識してのようです。鞍馬寺には行っている、夏と冬にもこの温泉に来てみたくなりました。
 
 
 

posted by genjiito at 00:32| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年04月02日

京洛逍遥(433)半木の道の桜はまだまだ蕾です

 新しい年度を迎え、早朝の散歩を始めました。
 賀茂川に沿う植物園の横を南北に通る半木の道は、毎年みごとな桜並木を楽しめます。
 次の写真の右手正面に、京都五山の送り火で知られる船形が微かに見えます。

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 賀茂川沿いの桜は、まだ蕾です。

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 あと二三日で開花するかもしれません。

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 鴨たちもその日を楽しみにして泳ぎ回っています。

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posted by genjiito at 20:22| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2017年04月01日

大阪観光大学国際交流学部に着任しました

 昨日3月31日は、東京の立川で国文学研究資料館の今西祐一郎館長から、研究部教授を定年退職する辞令をいただきました。
 今日4月1日は、大阪の日根野で大阪観光大学の明野欣一理事長から、国際交流学部特命教授として採用の辞令をいただきました。

 昨年末からの激動の日々を経て、先月は想像を絶する怒涛の時間の流れの中にいました。
 そのことが嘘であったかのように、昨夜は東京から辿り着いた京都の家で、日付が31から1にカシャッと変わりました。

 今朝は、街中で新入社員らしいフレッシュな若者たちに紛れて、私も晴れて初出勤となりました。これからは、京都駅と大阪駅で乗り換えての、片道2時間半の小旅行の日々が始まります。18年間にわたって、奈良や京都から東京へと、4時間半をかけて通っていたので、長時間の移動はさほど苦ではありません。本を読む時間が確保できるので大歓迎です。

 今日は、大阪観光大学の辞令交付式と入学式がありました。会場は泉佐野市立文化会館で、愛称は「エブノ泉の森ホール」と呼ばれているところです。
 入学式の後、ガルーダ・インドネシア航空との調印式があり、関空のお膝元で仕事をすることに実感を強めました。

 その後のアトラクションは、和太鼓、ダンス、吹奏楽と、新入生を楽しませるイベント。さらに、ダンサーの洋平さんがプロデュースした、7人のアイドルグループ「Chu-Z(チューズ)」のパフォーマンスです。これは、学生のみならず、教職員も一緒になって盛り上がりました。
 いい入学式でした。
 来週から始まるオリエンテーションが、実質的な私の仕事始めとなります。

 1999年に、この大学の前身である大阪明浄女子短期大学から、籍を東京の品川にあった国文学研究資料館に移しました。このたび、18年ぶりに古巣に帰ったことになります。
 研究室をはじめ、職員の方々や建物が懐かしく、遠い思い出が一気に蘇ります。玉手箱をひっくり返したような、言葉にし難い感慨に耽っています。
 
 
 
posted by genjiito at 19:32| Comment(1) | ◎国際交流