2016年07月31日

江戸漫歩(136)古書目録の講演会に参加した後は隅田川の花火大会

 骨折した左足を引きずりながら、妻の介助を得て千代田区役所へ行きました。
 楽しみにしていた講演会に出席するためです。
 このイベントに関する案内は、「古書販売目録に関する講演会のお知らせ」(2016年05月18日)に記した通りです。

 この講演会の翌日(31日・日曜日)が都知事選挙の投票会場になってしまった関係で、急遽会場が4階から8階に変更になっていました。いつもお世話になっているみなさまの企画開催ということもあり、その思いがけない変更に対処なさったご苦労がわかります。準備中に飛び込んだ選挙という珍事とはいえ、本当にお疲れさまでした。

 さて、最初は尾上陽介氏(東京大学史料編纂所准教授 古文書・古記録部門)の「古書販売目録の学問的な意味 −『明月記』研究をめぐって−」でした。
 お話は、幅広く目配りして収集し整理した資料をもとにして、散在する定家の『明月記』のありよう興味深く語ってくださいました。その研究に、古書販売目録が役立つのです。レジメは写真が多く、わかりやすい内容でした。
 私も、この古書販売目録を、遅々として進まないながらも、コツコツと調査しています。『源氏物語』の情報をピックアップしていることから、さまざまな調査手法と資料収集そして整理をする上で参考となりました。

 続いて、八木壮一氏(八木書店会長)のミニ講演「反町茂雄と弘文荘」がありました。八木会長には、ちょうど2週間前に八木書店本社ビルで長時間にわたって池田本に関するご相談をしたり、多くの貴重なお話を伺ったので、そのことの延長として楽しく聞くことができました。反町氏の人柄や、よく本を読む人で努力家であったことを、さまざまなエピソードを交えながら語られました。

 イベントが始まる前に、会長とお話ができました。今日の講演が終わるとすぐに京都へ向かわれるとのことです。私が骨折さえしていなければ、ご一緒に新幹線のお伴ができたのに、と思うと残念でした。

 最後は、恋塚嘉氏が「Web版 弘文荘待買古書目」の活用方法などの案内を、わかりやすくしてくださいました。ウエブでデータを見る方法は、実際に体験するとさらにその意義がわかるものです。

 以上、お三方の話が流れるようにつながっており、充実したいい講演会でした。

 受け付けにいらっしゃった八木書店の出版部の方とは、先日お目にかかって会長と一緒にお話をしたことや、その後のメールのやりとりを踏まえて、今後の池田本の校訂本文について詰めの相談ができました。
 この池田本の校訂本文については、近日中にこれからの対処と編集方針について報告する予定です。いましばらくお待ちください。

 帰りは、京都からわざわざ上京して出席しておられた立命館大学の須藤圭氏と、見送りがてら東京駅で池田本の校訂本文や《仮名文字検定》のことなどを具体的に打ち合わせました。今後の展望が開ける、充実した時間を持つことができました。

 この夏を境にして、いくつかのプロジェクトが大きく回転を始めます。
 10年以上も前から温めていた企画が動くのです。足の骨折など、何の問題もありません。若い方々と一緒に、その力を借りながら、とにかく一歩でもプランを前に進めていくつもりです。
 ご協力いただける方々には、いろいろと助力をお願いすると思います。
 多方面からのご支援を、どうぞよろしくお願いします。

 宿舎に帰る途中で、大勢の人々が中央大橋の方に向かって行かれます。やがて、夜空に打ち上げ花火の音が響き出しました。今日は、隅田川の花火大会の日だったのです。

 お祭りが大好きな私は、不自由な足を妻に支えられてかばいながら、隅田川のリバーサイドエリアの突端まで行きました。永代橋越しのビルの上に、みごとな花が咲き出しました。その右横では、スカイツリーも見下ろしています。


160730_hanabi1




160730_hanabi2




160730_hanabi3




 今夜京都へ帰っていたら、もう今後とも見られなかった隅田川の花火大会です。骨折のおかげで、初めて見る機会を得ることとなりました。しかも、東京最後の年に。
 いいことが転がり込んでくる、幸運のアクシデントに感謝しましょう。
posted by genjiito at 00:16| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年07月30日

左足首捻挫は骨折だとわかりギプス生活に

 今、左足をギブスで覆い、ゴロゴロしながらiPhone でブログを書いています。

 3日前に中野駅で痛めた左足首の痛みは、レントゲン検査の結果、なんと骨折であることが昨日わかったのです。あの日、中野駅前のブロードウェーを散策したのは、無謀なことだったのです。
「突然の左足首の捻挫で1日が止まる」(2016年07月27日)

 昨日、妻と一緒に九段坂病院の最上階で食事をしました。右足の疣の治療で病院へ行くにあたり、捻挫した左足首が尋常ではなかったので、妻に付いて来てもらっていました。
 一人で移動することが不安だった、と言うほどに、捻挫と思い込んでいた左足は大きな問題を抱えていたのです。

 すでに、右手の人差し指と左手の中指に痛みと痺れを感じていたので、いつか整形外科で診てもらおうと思っていました。今月初めに九段坂病院に来た折にも、このことを相談しました。しかし、この病院の先生のご専門は指ではないとのことで、別の病院を紹介してくださいました。

 その後、紹介していただいた病院へは忙しさにかまけて行かないまま、飛び回る日々を過ごしていました。今日はもう限界とばかりに、九段坂病院の治療が終わってからすぐに、宿舎に近い個人病院へ行きました。ネットの評判を参考にして決めた病院です。

 手と足のレントゲン画像を見ながら、すぐに「左足関節外果骨折」と診断されました。


160730_kossetuzu



 

病名 左足関節外果骨折

図の様に腓骨の下端
の剥離骨折です。
足関節が内反強制
され靭帯が強靭で
切れずにその反動で
骨が剥離した骨折です。
ギプス シーネ固定 2−3W(週)
骨癒合まで 2−4M(月)
かかります。
又 骨片が遊離して
骨癒合しない時があります。


 歩きにくいギプス装着のまま、商店街で大きめのマジックテープで止めるサンダルを買い、その他いろいろな小物を調達しました。
 昨日は一日中、妻が介護をしてくれたため、大事に至らずにすみました。そして、適切な処置を受けることができました。
 明日から秋田の実家に帰省する予定だった妻も、この要介護状態の私を残して行くことが心配だと、旅立ちを先延ばしにしてくれました。
 私も、今日はこれから千代田図書館で開催される「古書販売目録の学術的な意味」という講演会にだけは参加して、明日から予定していた帰洛は諦めます。
 東京最後の夏は、東京の宿舎で過ごすことになりました。

 抱え込んだ多くの仕事が、またまた遅くなります。
 関係者のみなさま、申し訳ありません。
 少しずつ進めますので、いましばらく猶予の程をよろしくお願いします。
posted by genjiito at 09:58| Comment(0) | 健康雑記

2016年07月29日

江戸漫歩(135)九段坂病院から望む皇居北の丸公園

 右足裏の疣が完治していないので、九段下にある九段坂病院へ行きました。
 牛ヶ淵の蓮は、日増しに開花が早まっています。


160729_hasu




 最近の蓮の様子は、「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)の写真をご覧ください。

 九段坂病院の皮膚科では、丁寧な治療をしていただいています。
 しかし、完治まではまだ時間がかかるようです。

 一昨日の捻挫の腫れが一旦引いたので、昨夜は一安心していました。しかし、今朝は踝から足の甲へと腫れが広がっています。一人で出かけるのが心もとなかったので、妻に付き添ってもらって九段坂病院に来ました。

 治療はお昼前に終わったので、最上階13階にある「オークラカフェ&レストラン 九段坂メディコ」で食事をしました。おいしいビーフシチューをいただきながら、眼下に拡がる皇居北の丸公園とその向こうに見える国会議事堂や日比谷あたりを見霽かすことができました。昨夜は、この日比谷にいたのです。前方左手に、小さな黄色い尖り帽子の国会議事堂が見えます。


160729_kitanomaru




 右に目を転ずると、武道館の向こうに新宿の町が望めます。贅沢な光景です。


160729_budokan





 病院のレストランというと馴染みのない方が多いことでしょう。しかし、京都府立医大病院の中にもレストランオリゾンテが入っているように、意外なところにいいレストランがあるものです。病院の中、ということで避ける方もいらっしゃるようです。しかし、病院好きの私は、混まないこともあって気に入っています。

 また一つ、気分転換ができるところを見つけました。
posted by genjiito at 22:15| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年07月28日

江戸漫歩(134)日比谷図書文化館前の人だかり

 日比谷図書文化館で歴博本「鈴虫」を読み続けています。
 日比谷公園に入ると、和風庭園の中に鶴が天を仰いでいる噴水があります。
 過日撮影した写真があったので、抜き出しておきます。


160728_hibiya0




 この日比谷図書文化館の前に、今日は大勢の方が集まっておられました。
 今日から梅雨明け、ということとは関係なさそうです。
 コンサートの待ち合わせをしておられるのかと思いました。しかし、手元を見ると、みなさんスマートフォンをお持ちです。「Pokémon GO」で盛り上がっているのです。


160728_hibiya1




 私も取り出してみました。確かに、モンスターがいっぱいいます。その賑やかなこと。1匹だけ記念に捕獲しました。

 帰りにも、日比谷図書文化館の前はものすごい人だかりでした。
 さらに増えているようです。仕事帰りの若者たちです。


160728_hibiya2




 このブームは、これからどうなるのか興味をもって見ています。評論家に脱しないように、自分でも体験しつつあります。

 いろいろな所へ移動して、行く先々でモンスターを捕まえるのは楽しいものです。しかし、捕まえて手元に並べて数を増やして、そしてどうするのか。
 自問しても、今の私には何も見えていません。
 何か仕掛けが用意されているのでしょう。それが何なのか、今はわかりません。

 それにしても、これは今後とも続くだけの、継続する楽しみを抱えた魅力があるのでしょうか。遊びは理屈抜きなので、しばらく付き合ってみようと思います。

 これまでに、私はゲームにはまったく興味がありませんでした。
 コンピュータが登場した初期、今から35年前に、いくつかゲームらしきものを作ったことがあります。インベーダーゲームが流行りかけていた頃です。
 しかし、自分がゲームで遊ぶことはありませんでした。

 今の「Pokémon GO」は、現実の映像を取り込んでの遊びなので、さまざまな可能性があるように思えます。
 私は、この仮想現実の境界を彷徨うゲームを通して、『源氏物語』を再生させることができないか、ということを意識して、この「Pokémon GO」を触っています。

 これまでにも、仮想空間に平安時代を構築し、王朝人が動き回るソフトウェアが開発されていました。『HybridCD-ROM ローム君の「京都博物日記」サウンドスケープリポート編』(1995.3、ローム株式会社)では、二条城の「鴬張り廊下」が歩けました。『源氏物語 上・下巻』(総監修/秋山虔・監修/小山利彦、1996.8、富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ)では、六条院が探訪できました。これを体験した方やご存知の方は、もう数少ないことでしょう。
 そういえば、立命館大学のプロジェクトの一員として、このバーチャルな世界を構築するお手伝いをしたことがありました。

 この20年前の擬似体験版とでも言うべきマルチメディアについては、「転居(8)「源氏物語余情」1996年8月分」(2014年08月07日)をご覧いただければ、当時の熱気も伝わるかと思います。

 しかし、いずれもやがて忘れ去られ、消えていきました。今回の「Pokémon GO」には、そうした失敗続きの中で結実しなかった、生き抜く種子を抱え込んでいるように見えます。ただし、まだ文学関係者からの試みはないようです。

 現代は、古典文学とバーチャルリアリティを結びつける楽しみや魅力に共感できない、というよりも感じられない時代なのかもしれません。それでも、きっと興味を示す人は出てくるはずです。その出現を待ち望んでいます。私も、一人静かに実現の可能性を探っていくつもりです。

 今、これといったものはイメージできていません。しかし、「Pokémon GO」で遊んでいる内に、現実と結びついた『源氏物語』の世界を築き上げられないだろうかと、ささやかな閃きがあることを楽しみにしてスマートフォンを片手に歩いています。

 息子から、「Pokémon GO」に関するレクチャを受けました。たしかにすごいことが実現したようです。グーグルの日本人を含む10人が5年がかりで製作したのだとか。
 しかし、これはあくまでも今現在を見据えたものです。千年前を今に蘇らせる物語が、手軽に掌の中で楽しめたら、それは新しい文学の創生になります。歴史物語のフィクション版でいいのです。架空の世界に入り込み、王朝人と一緒に物語世界を共に体験できるとしたら、なんと楽しいことでしょう。
 歴史の時間軸をいじくりまわさないのであれば、物語のストーリーは自分でどのようにでも変更できる、というルールを原則としたいものです。

 私にも何かできそうです。しかし、まだうまく形にして、ことばによる設計図が描けません。しばらく、こんな愚にもつかないことを夢想する日々を楽しませてもらいます。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年07月27日

突然の左足首の捻挫で1日が止まる

 捻挫で安静中です。
 本日は開店休業です。
 約束をしていたみなさま、ご迷惑をおかけしています。
 明日は大丈夫のはずです。

 昨日の午後6時過ぎ、職場での会議が終わった後に、霧雨の中をモノレール高松駅に向かいました。立川駅で中央線に乗り継ぎ、空いていたシートに座って本を読み、中野駅で降りる時でした。
 午後7時過ぎだったので、電車は満員ではありません。

 ちょうど中野駅に着く直前に、船戸与一の『満州国演義 第4巻 炎の回廊』の650頁を読み終えたのです。ほっと一息ついて本を閉じ、iPhone にメモを記してから、さっと立ち上がりました。

 右足から立ち、左足を一歩踏み出した瞬間でした。踵が床に着いた感触がないままに、つま先が床に引っかかったショックがあり、そのすぐ後に身体が右に傾きました。電車内の吊り革と中吊り広告が見えました。

 幸い、近くにおられた男性が手を差し出してくださったおかげで、転倒する直前に身体が起き上がりました。親切に「大丈夫ですか?」と声を掛けてくださいました。「大丈夫です。」と応え、左足が痺れているままに我慢しながら、なんとかホームに降り立ちました。しかし、白線の内側の点字ブロックの上で両手を太ももに置き、前屈みの状態でじっとするしかありません。足が一歩も前に動かないのです。動くと、よろけてホームから線路に落ちそうだったので、じっとしていました。ホームが混雑していなかったことも幸いしました。

 しばらく蹲るようにして呼吸を調え、近くにあったベンチに腰掛けて左足の足首を軽く回したり伸ばしたりしてから、フィットネスクラブで覚えたストレッチをしました。

 少し左足が軽くなったので、ウォーミングアップと気分転換を兼ねて、中野駅前から北に延びる商店街とブロードウェーを散策しました。

 やや違和感があるものの、大事には至っていないことを実感したので、中野駅から東西線で門前仲町駅まで帰り、宿舎に着きました。8時半過ぎだったでしょうか。
 靴下を脱ぐと、左足の踝が、テニスボールの大きさに腫れ上がっていました。

 ブログをアップしてから、筋肉痛を緩和する薬を塗り、先日来身体が火照るので使っているアイスノンを頭と足に置いて、早々に休みました。

 夜中の2時頃だったでしょうか。足元が痛くて目覚めたので、水を飲もうと思いました。しかし、思うように立ち上がれません。強張った身体をほぐすためにも、妻の手を借りて冷蔵庫へ行き、アイスノンを取り換えてもらい、左足のつま先が立つようにリクライニングする座イスで工夫をして、また寝ました。

 今朝、少しは痛みが取れたとはいえ、妻の指示にしたがって安静の1日を送ることにしました。

 明日は、早朝より立川で会議があり、午後も打ち合わせの後、夜は日比谷公園で変体仮名を読む会に行きます。
 昨日から今日の出来事は、梅雨明けを控えた季節の変わり目でもあり、少し休めというサインなのでしょう。

 ということで、今日は久し振りに何もしない、何もできない1日でした。
 定年までのカウントダウンは、後8ヶ月となりました。
 突然のアクシデントもあることを心に、明日はまた活動を開始します。
 今日、ご迷惑をおかけした方々には、後日なんとかしますのでご寛恕のほどを。
posted by genjiito at 21:14| Comment(0) | 健康雑記

2016年07月26日

国冬本「鈴虫」の長文異同(その4-【人】と【見】)

 『源氏物語』の長文異文に関するこの一連の記事では、拙著『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』で提起した仮説、長文の独自異文が廃棄された後に、二千円札の図様に採択された国宝源氏物語絵巻詞書にある「十五夜の夕暮に〜」が書き継がれたのではないか、ということを再確認しています。

 国冬本「鈴虫」巻には、諸本にはない539文字もの長文の異文があります。その箇所(後掲表中の「長文異同(539字)」)の前後に、どのような文字列が使われているのかを確認することで、外観上からの物理的な切れ続きの一端が確認できないか、と思って見ています。
 もちろん、文字遣いは語られる内容に規制されるので、あくまでも現象の確認にすぎないことを、あらかじめ意識しての検証であることをお断わりしておきます。

 今回は、「人」と「見」という漢字の使われ方を確認します。
 この漢字を平仮名で「ひと」「み」等と表記したものは、今回対照とする範囲内にはありませんでした。


160724_hito




 この2種類の例からも、「異同後(537字)」がそれまでの文字使いの傾向とは異なることが容易に確認できます。
 特に、長文異同(539字)に「人」が多く使われているのは、そこに登場する人物に関係すると思われます。拙著『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』で、次のように記したことに関連する事象かもしれません。


 この異文の特徴は、文字数において長いばかりでなく、また話題転換部分である以外に、この異文の中に七人もの人物が登場することです。そこには、女三宮・薫・光源氏・小侍従君・柏木・夕霧・一条御息所の動静が語られるのです。
(中略)
 第二十一巻「少女」や第三十三巻「藤裏葉」において、登場人物の多くが呼び出されていたことに思いを致すからです。(157〜158頁)


 「見」について、今は説明できません。
 「異同後(537字)」で、「人」と同じように「見」も使われていないことについては、ここで検討対象としている部分の内容を解釈していくと明らかになることでしょう。

 この検討はさらに続きます。
posted by genjiito at 22:07| Comment(0) | 変体仮名

2016年07月25日

江戸漫歩(133)人間ドックで身体検査の後は目黒川散策

 中目黒にある東京共済病院で、人間ドックと脳ドックに入りました。
 恒例となっている、夏の身体検査です。

 6年前の7月には、皇居お堀端の九段坂病院の人間ドックで、幸運にも胃ガンを見つけていただきました。
 祇園祭の日に、電話で健診結果としてガンの宣告を受け、早期だったこともありすぐに胃の全摘出手術を受けました。あれは、絶妙のタイミングで見つかったのです。早すぎても、遅すぎても、今の生活はありませんでした。

 今年は、頭が重いことが多いので、九段坂病院ではなくて脳ドックのある東京共済病院にしました。初めて行く病院です。


160725_kyousai




 血圧の自動測定で、上が88、下が64でした。上の数値は、私にはありえないものです。2週間前に京大病院で測ってもらった時には、上が140で高すぎると言われたばかりでした。いつもは120前後で普通のはずです。

 看護士さんが聴診器を使った手動の測定器で、再度計ってくださいました。しかし、今度も上が90で低いのです。朝ご飯を食べていないので身体がまだ眠っているのでしょう、とのことです。こんなに低いのは初めてです。しかし、特に問題はないので次々と検査を受けました。

 胃のバリウム検査は中止となりました。
 6年前に胃ガンで消化管を全部摘出してから、バリウムを飲む時に口にする発泡剤に、強く反応するようになったのです。ゲップが酷いので、何度か胃の透視検査を中止していただきました。消化器がないのですから、当然といえば当然です。

 今回はどうした経緯でか、検査項目に入れてしまっていました。検査技師の方との相談の結果、私の場合は胃の透視をすることに意味がないとのことで、バリウムを飲んでの検査はやめました。
 来月末に、京大病院でMRIを含めた術後の精密検査をするので、今回はパスとしました。

 お昼ご飯は、本館の10階で鰻丼をいただきました。昨夜8時から絶食だったので、腹ぺこです。
 そういえば、いつもは50キロすれすれの体重が、今日は49キロでした。1日だけなのに、絶食がすぐに影響しています。こんなひ弱な身体ではあっても、粘り強さはあるようなので、最後の東京での夏を気力だけであっても、何とかやり過ごすしかありません。

 午後の脳ドックは、MRIの検査です。円筒形の中に頭を突っ込み、頭のまわりをドラムが回転します。
 耳にはヘッドホーンをしました。しかし、腑抜けの音楽だったので、ドラムのカンカン、ゴーゴーという音にかき消されていました。こんな時には、手持ちのiPhone で自分が好きな音楽を好きな音量で聴くことができたらいいですね。密閉状態に置かれていることも忘れ、気分も紛れていいのにと思いました。

 帰りの道々、スマートフォンを出したところ、ポケモンがあたりにウヨウヨといることがわかりました。
 目黒川入船場(ふれあい広場)のエリアから地下鉄日比谷線の中目黒駅までで、3匹をゲットしました。
 次の写真の左奥に、今回お世話になった10階建ての東京共済病院があります。右側のレンガ色の時計台は、平成24年3月まで開館していた川の資料館です。


160725_irifuneba




 目黒川は、川沿いを整備して、居心地のよい地域にしようという意気込みが感じられます。
 私は川が好きです。しかし、匂いとゴミでがっかりすることが多い中で、この目黒川はイベントも多いようなので、これからもっといい川になっていくことでしょう。川に人が集まると、自ずとそのそばの川もきれいになっていくと思います。
 若い人たちには、さまざまな企画とイベントを、川沿いで起こしてほしいものです。
posted by genjiito at 21:50| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年07月24日

江戸漫歩(132)富岡八幡と Pokémon GO と深川不動

 深川の富岡八幡宮では、鳥居前の改装工事が進んでいました。その様子は、「江戸漫歩(126)深川の骨董市と門仲のスリランカ料理屋」(2016年05月08日)の最初に写真を掲載した通りです。

 その工事が終わり、鳥居前はすっきりしました。


160724_tomioka




 今日は骨董市の日です。
 今朝から「Pokémon GO」に参加し出した私は、早速この富岡八幡の鳥居横の伊能忠敬像の前で、1匹捕まえました。次の写真の左上に、忠敬が歩く姿の銅像が見えます。その前では、多くの人がスマホをかざして捕獲中でした。


160724_pokemon




 ここの境内にも、さまざまなモンスターがいるようです。
 社会現象となっているポケモンのおもしろさを、遅ればせながら体験中です。

 かつて大和平群にいた頃に、子どもたちにピカチュウなどの玩具をいっぱい買ったので、モンスターの名前はいろいろと知っています。このアウトドアタイプのゲームは、新しい文化の仲間入りをしそうなので、注目しているところです。

 富岡八幡宮に来ると、帰りには必ず深川不動へも立ち寄ります。神様と仏様を均等にお参りしているのです。

 今日は、不動堂本堂の中のトイレの表示に目が留まりました。この男女の識別をおもしろく思ったからです。
 女性はともかく、男性の姿絵は、よく見ないと若旦那であることがわかりません。男女が微妙に違うだけなので、日本の服飾文化を知らないと瞬時に見分けられないのではないでしょうか。
 このアイコンは、再検討が必要かな、と思いました。少なくとも、「女」という漢字を書いた文字の背景を赤色か桃色にすると、海外の方にも優しいアイコンになることでしょう。
 お不動様、ごめんなさい。


160724_otoko




160724_onna




 なお、トイレなどの男女の識別については、これまでに以下の記事で書いています。よろしかったらご笑覧を。

「トイレ表示 なぜ男は青、女は赤?」(2007/10/23)

「心身(11)トイレを間違える」(2008/3/14)

「ヘレンという男」(2008/6/18)
posted by genjiito at 22:28| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年07月23日

江戸漫歩(131)赤坂迎賓館を見学

 東京の地下鉄は複雑です。今日も乗り換えで、一瞬パニックになりました。

 東京メトロ銀座線(下図オレンジ色)で赤坂見附駅まで行き、そこで丸ノ内線(下図赤色)に乗り換えて四ツ谷駅へ行こうとしていた時のことです。


160723_metoro





 事前に調べた路線情報によると、銀座線で赤坂見附駅の1番線に着き、そこから丸ノ内線の2番線に乗り換えて四ツ谷駅に行く経路が示されました。
 赤坂見附駅に着いてから、丸ノ内線に乗り換えるために、赤い表示があった丸ノ内線への階段を下りました。ところが、それは四ツ谷とは反対方向へ行く丸ノ内線なのです。
 慌てて構内図を見ると、何と先ほど到着した銀座線の1番線の真向かいの2番線が、丸の内線の四ツ谷駅へ行くホームだったのです。
 知っていると乗り換えが早くて便利です。しかし、まさか違う路線が向かい合うようにして並んでいるとは思いませんでした。
 親切なのか、何か事情があるのか、よくわからないままに一駅先の四ツ谷駅へ行きました。

 今回は、縁あってHさんの高配により、赤坂迎賓館の元館長だった小林秀明先生の解説を伺いながら、赤坂迎賓館の中と庭を拝見しました。小林元館長は国賓や皇族方の案内等をなさっていただけに、楽しいエピソードをたくさん聞くことができました。一般庶民には窺い知れぬ、いろいろなことがあるものです。

 まずは、正面の外観から。
 門はフランスから輸入したもので、中央上部には当初あった王冠が今はありません。その逸話も興味深いものでした。


160723_gate





 西門から入った受け付けのセキュリティーチェックで、持参している飲み物を自分で一口飲むように、という指示がありました。

 私はペットボトルのお茶を持っていたので、係官の目の前でゴクリと飲みました。
 空港では、機械で容器を調べます。人の目の前で口付けでドリンクを飲まされるのは、一口とはいえ気持ちのいいものではありません。テロなどのことを考えると、仕方のないことかもしれません。しかし、これはお行儀のいいものではありません。何か別の方法がないのだろうかと思ってしまいます。かといって、紙コップを用意するわけにもいかないでしょうし。これから夏の暑さの中で、目の前で一口というのは、抵抗のある方が多いことでしょう。

 本館の中では、小林元館長の興味深いお話を伺いながら、豪華絢爛たる部屋を拝見しました。
 内部の様子や説明は、「迎賓館赤坂離宮」をご覧ください。

 昭和10年と15年の2度、満州国皇帝の溥儀がここに宿泊したそうです。
 現在、船戸与一の『満州国演義(全9巻)』の内、第4巻を読み終わるところなので、その様子が思い浮かび上がりました。

 天井画のだまし絵を堪能した後は、南の主庭を散策しました。


160723_niwa1




 噴水の向こうには、ホテルニューオータニが見えます。


160723_niwa2




 正面に回りました。


160723_syoumen1




 内部といい外観といい、フランスのベルサイユ宮殿に似通うところがあります。
 そんな中で、屋根の上に1対の甲冑が置かれているところだけは、日本的なものとなっています。口元は、仁王像や狛犬よろしく、阿吽の形です。


160723_syoumen2





 ネオバロック様式の壮麗な洋風建築だと言われています。しかし、日本的なものも、わずかながらも取り入れているところに、明治時代の設計らしさを感じました。

 国際交流の窓口である迎賓館です。今日は、念願の赤坂迎賓館を拝見できたので、次は「京都迎賓館の一般公開」に参加したいと思っています。
posted by genjiito at 22:14| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年07月22日

《仮名文字検定》2018年夏より実施のお知らせ

 一昨年より検討を重ねていた《仮名文字検定》について、検定試験の準備が整いましたのでその実施概要を公表します。

 今から2年後(2018年)の夏に第1回を実施します。
 近日中に公開するホームページを、おりおりにご確認ください。
 
--------------------------------------
 

■《仮名文字検定》実施概要■



         (2016.7.22 公表)

◎主催
 仮名文字検定委員会

◎協力
 株式会社 新典社
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉

◎仮名文字検定 事務局
 〒101-0051東京都千代田区神田神保町 1-44-11 新典社ビル
 Tel 03-3233-8054(10:00〜12:00 および 13:00~17:00、土・日・祝日を除く)
 ・問い合わせ用メールアドレス:
    info@kanakentei.com
 ・公式ホームページ(近日公開):
    http://www.kanakentei.com/

◎検定趣旨
 《仮名文字検定》は、平安時代から伝わる平仮名を幅広く学び、その運用能力を高め、日本の古典文化を継承する中で、日本語の読解と表現世界を豊かにすることを目的として実施するものです。
 日本古典文学における中古・中世の時代に普及していた数多くの仮名文字が、広く一般的にその習得の意義を再評価されるようになりました。日本文化の理解を深め、文化資源としてさらに身近なものにするためにも、《仮名文字検定》の必要性が求められる時代が来たといえるでしょう。
 現在私たちが使っている平仮名「あいうえお〜」は、明治33年に1書体に制限され統制されてからのものです。それまでは、多くの仮名文字が使われていました。現行の「平仮名」以外を「変体仮名」と呼び、昭和初期までは普通に流通していたものです。
 日本の古典籍や古い印刷物には、さまざまな書体の仮名文字を用いた文章が記されています。今でも、博物館や資料館のみならず、街中の書道展や看板などでも、変体仮名をよく見かけます。
 明治時代後半から使わなくなってきた変体仮名が、日本文化の見直しと再発見の中で、新たに注目を集めるようになりました。「国際文字コード規格」(ユニコード化)に登録するために「学術情報交換用変体仮名」が提案され、国際的な場で承認に向けて審議が進んでいることは、変体仮名の再認識を促し新たな活用が期待できるものだといえます。
 多彩な文字をちりばめて表現された、見た目にも美しい仮名文を読んで理解する能力を高めませんか。変体仮名を使った楽しい遊びの空間に身を置くこともできます。時代を超えて情報と気持ちを交わす技術を習得する上で、この《仮名文字検定》を豊かな日本文化の理解と継承の鍛錬道場として活用していただくことを望んでいます。
 なお、《仮名文字検定》では、点字と立体文字が触読できる視覚障害者も受験できる体制を用意しています。

◎検定内容
 仮名文字に関する知識と読解力を問う

◎検定開催年月日
 年1回8月末開催
 第1回は2018年8月末
 (第8回 日本文学検定と同時開催)

◎開催場所
 東京・京都

◎受験料(個人受験・団体受験・学割・再受験)
 4,900円(学割・再受験 4,600円)(税込)

◎受験資格
 学歴・年齢その他制限なく、どなたでも受験できます。
 ※ 視覚障害者は、点字と仮名文字の触読による受験ができます。

◎受験時間
 60分

◎合格基準
 新人級:60%以上の正解
 玄人級:70%以上の正解
 達人級:90%以上の正解
 ※ 試験で獲得した点数により、各級が決定される方式。

◎問題形式
 全50問筆記

◎公式テキスト
 『仮名文字の達人』
  (A5判・192頁・本体1500円・新典社発行・2017年12月末)
 〈目次〉(案)
   1 仮名の歴史と書道史(高城弘一)
   2 仮名の字母の基礎知識(伊藤鉄也)
   3 読み・書き・連綿の知識(田代圭一)
   4 未来の仮名文字活用法(高田智和)
   5 視覚障害者の触読実践(渡邊寛子)

◎申込み方法
 クレジット(公式ホ一ムページ)
 郵便振替(リーフレット付載)

◎関係者(敬称略、50音順)
・監修者:高城弘一(大東文化大学)
     高田智和(国立国語研究所)
     田代圭ー(宮内庁)
     渡邊寛子(福島県立盲学校)
・協力者:淺川槙子(国文学研究資料館)
     須藤圭(立命館大学)
     畠山大二郎(愛知文教大学)
・企画運営総括:伊藤鉄也(国文学研究資料館)
 
--------------------------------------
posted by genjiito at 20:32| Comment(0) | 古典文学

2016年07月21日

国冬本「鈴虫」の長文異同(その3-【給】と【侍】)

 国冬本「鈴虫」巻において、諸本にはない539文字もの長文の異文がある箇所の前後に、どのような文字が使われているのかを確認しています。
 特に、二千円札で有名になった「十五夜の夕暮に〜」の直前にある長文の異文は、どのような意味を持つのかを考えようとするものです。

 なお、昨日書き忘れたことを補っておきます。
 ここで抜き出した3箇所の文章は、「長文異同(539字)」とほぼ同じ分量でその前後にあり、意味の上からも切れのいい箇所を取り出したものです。そして、「異同前(539字)」の文字数が539文字なのは、偶然に「長文異同(539字)」と一致したものです。

 今日は、【給】について見ます。併せて【侍】についても触れます。


160721_tamafu




 ここで検討対象とする3箇所で語られている内容については、今は吟味をしていません。物語の内容と用字は密接に関連するものなので、当然それを語る用字に話の内容が強く関係します。また、語学的な視点での解明も必要です。しかし、ここでは書写された文字の違いという現象にだけ注目し、その外形的な違いを確認しているところです。

 ここで【給】については、「異同前(539字)」で15例、それに続く「長文異同(539字)」で7例、「異同後(537字)」で6例見られます。「15−7−」です。
 さらに細かく見ると、「【給】て」が「異同前(539字)」で4例、それに続く「長文異同(539字)」で0例、「異同後(537字)」で2例見られます。「4−0−」です。
 その他でも、「給」に続く文字を見ていくと、さまざまなことを考えさせてくれます。「長文異同(539字)」にある「【給】えり个り」の「え」という語尾の表記も気になります。
 なお、この「給」を平仮名で表記した例は、今回切り出した3箇所には1例もありませんでした。
 さらには、今回抜き出した中で「異同後(537字)」に1例だけ見られる「【侍】へ連と」も、「給」と一緒にその使われ方を考える際に参考となるものです。

 国冬本「鈴虫」におけるこうした文字使いを見ていると、私が仮説として提示したことが、外形的な様態からも可能性が高いのではないかと思われます。
 昨日記した私見を、ここに再度引きます。


物語が、上記表の真ん中に位置する「長文異同(539字)」を破棄した後に、それを挟むようにして存在する旧「異同前(539字)」と新「異同後(537字)」をつなげることで、現行の「鈴虫」が構築されているという拙著『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』で述べた仮説は、ここでの用語例の出現傾向から見て、決して的外れなものではありません。


 この検討は、さらに続きます。続きを読む
posted by genjiito at 21:14| Comment(0) | 変体仮名

2016年07月20日

国冬本「鈴虫」の長文異同(その2-【御】と【心】)

 昨日の記事で提示した、国冬本「鈴虫」における539文字もの長い異文は、中秋十五夜の遊宴の場面の直前にある独自異文です。
 これは、二千円札に印刷されたことで広く知られるようになった、国宝源氏物語絵巻詞書の「十五夜の夕暮に〜」という文言の場面に当たります。

 なお、この二千円札の詞書は、二種類伝わる「鈴虫」の絵と詞の内の第一場面のものであり、二千円札の左上の絵とセットのものではありません。二千円札に採択された絵は第二場面です。第一場面の絵巻詞書の冒頭にある、タイトルとしての「すゝむし」という文字列がほしかったがための選択かと思われます。(拙著『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』29頁に詳説)

 さて、国冬本に長文異同がある箇所の前後に関して、その字数に近い分量の500文字程を切り出して、使われている語句を字母レベルで較べてみましょう。

 これは、私の仮説である、「十五夜の夕暮に〜」の直前でこの「鈴虫」巻は当初は終わっており、その長文を破棄した後に「十五夜の夕暮に〜」を書き足したのではないか、という提言の可能性を考えるヒントを得るためにも有益な検討となるものです。

 ここでは、「御」と「心」に関する用例を見ます。

 次の表で、左端の「異同前(539字)」は539文字もの長い異文の前にある文章の一群から抜き出したものです。
 右端の「異同後(537字)」とある列は、539文字もの長い異文の後の「十五夜の夕暮に〜」以降の文章の部分からの抜き出しです。


160720_onkokoro




 漢字「御」で始まる語句については、「異同前(539字)」に7例、「長文異同(539字)」に2例、「異同後(537字)」に3例見られます。「7−2−」です。
 さらに、「御心」については、「3−0−」です。

 このことは、「心」という漢字の出現数からも似た傾向がうかがえます。
 「異同前(539字)」では3例、「長文異同(539字)」では8例、「異同後(537字)」では3例なので、「3−8−」となります。

 この「御」と「心」の出現傾向から、「異同後(537字)」の「十五夜の夕暮に〜」は、その前とは異なった本文の様態を見せているといえます。

 この事例から、「鈴虫」の物語は、「異同前(539字)」と「長文異同(539字)」で一旦は終わっていたと想定する私見の妥当性は否定されないと言えるでしょう。
 物語が、上記表の真ん中に位置する「長文異同(539字)」を破棄した後に、それを挟むようにして存在する旧「異同前(539字)」と新「異同後(537字)」をつなげることで、現行の「鈴虫」が構築されているという拙著『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』で述べた仮説は、ここでの用語例の出現傾向から見て、決して的外れなものではありません。

 また、「異同後(537字)」には「へ多て【心】」という、その前にはない形の使用例もあります。

 今、ここではそれぞれの文章の意味は考慮せずに、あくまでも切り出した範囲内で使われている語句の様態と用例数からの分析に留めています。

 こうした検討は、さらに用例を広げて見ていくことで、より説得力を持った結論へ導かれるものだと考えています。

 以下、「その3」に続きます。
posted by genjiito at 23:18| Comment(0) | 変体仮名

2016年07月19日

『源氏物語』国冬本「鈴虫」の長文異同(その1-問題点)

 天理大学付属天理図書館が所蔵する国冬本『源氏物語』の「鈴虫」巻は、鎌倉時代末期の写本です。それは、長大な異文が散在する貴重な写本です。

 藤原定家が書写した〈いわゆる青表紙本〉などと較べると、377文字もの異文が挿入されていたり、これまでの写本にはない539文字もの長い本文があったりします。539文字のものは、源氏物語絵巻詞書の直前にあるものです。この絵巻詞書の冒頭の文章は、二千円札の裏面に印刷されています。

 池田亀鑑はこの国冬本「鈴虫」巻の本文を、『源氏物語大成』に収録しませんでした。他の巻は校合に用いているのに、この国冬本「鈴虫」は外されたのです。
 そこで、私は『源氏物語別本集成』の第十巻に、この国冬本「鈴虫」の正確な翻字を収載しました。

 その後、二千円札が出回り始めた頃に、『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』(臨川書店、2001年)を刊行しました。


160719_suzumusi




 そこでは、次のような仮説を提示しました。
 特に、二千円札に印刷された絵巻詞書の直前にある539文字もの文章に関する私見には、まだどなたからも反論や評価をいただいていません。ここに一部を再掲して、問題点の所在を確認しておきます。
 
《その1》

 この異文の特徴は、文字数において長いばかりでなく、また話題転換部分である以外に、この異文の中に七人もの人物が登場することです。そこには、女三宮・薫・光源氏・小侍従君・柏木・夕霧・一条御息所の動静が語られるのです。特に、柏木の乳母の姪で、柏木を女三宮のもとに手引きした小侍従君は、流布本本文では、第三十四巻「若菜上」・第三十五巻「若菜下」・第三十六巻「柏木」の後、第四十五巻「橋姫」に登場する人物です。また一条御息所は、朱雀院の更衣で落葉の宮の母親です。婿柏木の早逝に娘の薄幸を嘆き、さらには夕霧と娘の仲を苦慮し、夕霧の誠意を確かめるために消息を送るのですが返事がない中で、夕霧の冷淡さを恨みながら死去するのです。流布本によれば、第三十四巻「若菜上」・第三十五巻「若菜下」・第三十六巻「柏木」・第三十七巻「横笛」の後、第三十八巻「鈴虫」を飛び越して第三十九巻「夕霧」、そして第五十三巻「手習」に登場します。こうした人物の「鈴虫」のこの場面での登場は、どのような意味を持つのでしょうか。私は、物語作者が、ここでひとまず筆を擱いた時の本文の姿を伝える異文ではないか、と思っています。第二十一巻「少女」や第三十三巻「藤裏葉」において、登場人物の多くが呼び出されていたことに思いを致すからです。この国冬本の長文異文が、「鈴虫」の後半から次巻「夕霧」が執筆される以前に存在したと思われる本文の断片と見るのは、空想に過ぎないのでしょうか。(157〜158頁)

 
《その2》

破棄された本文の再活用という事例の確証は、いまのところは得られていません。しかし、今後とも注目したいパターンの異文であることに変わりはありません。
 こうした異文の例は、「輝く日の宮」巻を廃棄した後の再利用の可能性などと関連する問題として、いろいろと想像を掻き立ててくれるものです。今後とも、さまざまな視点で読み解いていきたいものです。(161頁)

 
《その3》

言経本が、国冬本の異文の冒頭と末尾だけを伝えていることの意味は何なのか。私は、これも先にお話したように、貼紙形式で貼付されていた異文表記があまりに長文であるがために、その首尾だけ残して伝えられたために生じたものと考えています。いわゆる、「〜」「……」という省略記号による手法の一つではなかろうかと。いずれにしても、言経本が伝えようとした本文は国冬本と同種のものであることは明らかです。(162頁)

 
 今回、この国冬本「鈴虫」巻を「変体仮名翻字版」で翻字したものを確認しながら、これまでの翻字方法ではわからなかったことを何回かに分けて整理して報告します。
 不定期ながらも続きますので、気長にお付き合いください。
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | 変体仮名

2016年07月18日

古都散策(59)【復元】移転6・古都散策(17)夏の東大寺

 奈良の夜は、ライトアップで魅力が増しています。
 今年の夏は、古都奈良に足を運ぶ予定でいます。
 いつもは、お茶のお稽古のために、西大寺から生駒方面に向かっています。なかなか、西大寺から東に折れることがありません。
 京都と同じように、変わらない寺社の佇まいと再会できることが楽しみです。それでいて、町並みが微妙に変わっていくのも、新たな街の発見につながるようです。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年9月10日公開分
 
副題「ライトアップに映える天平の鴟尾(8月7日)」
 
 東大寺のライトアップも、世界遺産の一つと言えます。まさに、光の芸術です。

 大仏殿に向かって南大門に歩みを進めると、夜店や露店の間に、春日の神の使いである鹿に出会います。というより、多くの鹿の間を縫って、南大門を目指すことになります。角の生えた鹿もいて、結構緊張します。


160601_toudaiji1




 南大門から望む大仏殿の鴟尾は、天平の甍を実感できます。唐招提寺の鴟尾も素晴らしいものです。それに負けず劣らず、この東大寺の鴟尾も見事な光を反射しています。


160601_toudaiji2




 南大門の左側には、阿形像がデンと立っています。
 この仁王像はわが国最大の木彫像で、像高は8.4メートルもあります。光の中に立つ仁王様は、いつもよりも親しみを感じました。ライトアップにより、私を見守ってくれているように見えるのです。
 小さな提灯を持った若い2人は、この仁王様には興味がないらしくて、楽しそうに話をしながら過ぎゆきました。


160601_toudaiji3




 頭を巡らして右側には、吽形像がデンと仁王立ちです。私は、こちらの方に迫力を感じました。


160601_toudaiji4




 最新の研究成果によると、阿形像は大仏師運慶と快慶が、吽形像は大仏師定覚と湛慶が関わったとされています。鎌倉時代の彫刻に込められた気迫を、存分に感じさせてくれます。ことばでは説明し尽くせないので、ここに書けるのはこれだけです。

 南大門から大仏殿に向かうと、池に照り映えるその姿を己が眼で見て、まさに息を飲むという喩えが実感できます。素人の私ですら、夜なのにこんな写真がデジカメで撮れるのです。私の腕ではなくて、ソニーのサイバーショットというカメラがいいからでしょうが……。


160601_toudaiji5




 この灯火会という催しのすばらしさは、人工的な光を当てるということに留まらない、計算された以上の効果を我々の心の中に残してくれることにあると思います。これまでに体験したこともないものを見ることにより、そこに自然の中の神秘さを感得することは必定です。

 奈良も、なかなかやるのです。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 古都散策

2016年07月17日

「点字付百人一首〜百星の会」に初参加の感想など

 昨日の、「点字付百人一首 〜百星の会」による「香りのワークショップ&かるた会」に関する続きです。

 初参加の田中圭子さんと尾崎栞さんから、今回のイベントの感想をいただきました。
 多くの方に「点字付百人一首〜百星の会」の活動を知っていただき、また目が見えない、あるいは弱視の方々へ参加のお誘いの意味も込めて、ここに紹介します。
 
 田中さんから。

百星の会では、百人一首を通じて多くの方が古典文学の世界や古代史に関心をお寄せになっていらして、素敵だなあと感じました。
年齢や性別に関わらず、誰もが夢中になれる道具とルールを考案なさったのは本当にすごい。
お互いに一枚の札を争うような段階になれば、相当白熱するでしょうね。
ルールやテクニックが今後ますます洗練されて、高度かつ白熱した対戦が可能になる頃には、皆さん、空手などの試合で使用する防具(マスクや手指のサポーター等)を使用なさっていらっしゃるかしれません。
それは美的によろしくなさそうですが、一層の御精進をお祈り致しております。


160717_tihaya




 尾崎さんから。

田中先生のお話、大変興味深く、印象に残っております。
お香をこねるという大変貴重な体験をさせていただき、大感激です。
機会がありましたら、もっと詳しいお話を伺いたいです。
百人一首かるたも人生初体験でした。
点字のかるたがあるなんて、すてきだと思います。
かるたを触ってみると、会員のみなさまが一丸となって試行錯誤しながら作られたご様子が伺えました。


160717_karuta




 田中さん、尾崎さん、ありがとうございました。
 かるた会にお誘いした甲斐がありました。

 「点字付百人一首」の札を取り合っておられる場に身を置くと、日本の伝統的な文化が思いがけないところで、意外なかたちで共有されていることに気付かされます。
 『百人一首』を通して、これまでつながりのなかった方々とお話もできるのです。
 文化の共有というと、何やら難しく思われることでしょう。
 目が見えない方々と一緒に、和歌のことや、古代の人々のことや、競技の歴史のことを話すことは、日本社会の背景にある物や文化を実感することにつながります。
 もっと楽しさを分かち合える集まりにしようと奮闘努力なさっている関場理華さんたちの、ますますの創意工夫と活躍が楽しみです。

 社会に対して、あまりお役に立たっていないと言われる日本文学の中でも、古典文学はさらに魅力を訴える必要性があることを感じています。
 「百星の会」の活動を知り、渡邊寛子さんや尾崎栞さんと一緒に立体文字の変体仮名を読み進める中で、お役に立つ国文学があることに遅ればせながら気付きだしました。
 自分の問題としては、科研やNPO活動を通して、日本の古典文学を触読する環境作りを進めていきたいと思います。具体的には、指と耳で『源氏物語』の古写本を読むことへのチャレンジです。
 さまざまな困難な状況に身を置いておられる方々と、古人が書き記した文字を一緒に楽しもうという活動を、牛歩ながらも続けていくつもりです。
posted by genjiito at 21:04| Comment(0) | 古典文学

2016年07月16日

お香体験の後にカルタが飛ぶ「点字付百人一首 〜百星の会」

 先日お知らせした通り新宿区社会福祉協議会で、「点字付百人一首 〜百星の会」が主催する「香りのワークショップ&かるた会」が盛会の内に開催されました。60名が集う、賑やかで和やかな中にも熱気溢れる会でした。


160716_baba




 会場に入るなり、運営しておられる関場さんから新しい道具を見せていただきました。「視覚障害者用(音声ペン i-Pen)」というものです。


160716_ipen




 これは、まず音声を録音してドットシールというものを作成します。そして、それをカルタに貼って、そのシールを i-Pen でなぞると、録音した音声がスピーカーから流れる、というものです。これは、『百人一首』を覚えたり、どのカルタがどこに並んでいるかを知るのに重宝します。

160716_ipen_2




 私はすぐに、『源氏物語』の写本を立体コピーで触読する時に、手助けしてくれる道具として活用できることに思い至りました。障害者でなくても1万円ほどで入手できるそうなので、後日手に入れ次第に実験してみます。

 さて、お香のワークショップの前に、百星の会の有志によって、本日のテーマであるお香の名手藤原公任の理解を深める寸劇が披露されました。点字の台本やブレイルメモなどを手にしての熱演でした。
 完成度が高いものだったので、これは全国公演ができます。関係者のみなさま、実現に向けて検討してください。

 田中圭子さんの薫物のワークショップは、その語りの当意即妙と言うべき軽妙さもあって、みなさんも興味を深めておられました。質問も多く、関心を抱かれたことがよくわかりました。
 事前に公開した難しい説明は、以下の記事にゆずります。

「「点字付き百人一首」とお香のワークショップのご案内」(2016年07月14日)

 また、田中さんの研究内容は、ご著書『薫集類抄の研究』(三弥井書店)をお目通しいただければさらに理解が深まると思います。


160717_tqnakabook




 福島県立盲学校の渡邊寛子さんが、田中さんのアシスタントをしてくださいました。
 田中さんは広島県から、渡邊さんは福島県からと、北と西から遠来のお客人も集っての、これ以上にないすばらしいパフォーマンスが展開したのです。

 各テーブルに配られた「紅梅」「黒方」「梅花」の粉末を嗅ぎ、それぞれの香りの違いを体験しました。


160717_kou1




 私は、妻と共立女子大学の尾崎さんと一緒に参加しました。今日はお客人として大いに楽しませていただきました。
 また、日比谷図書文化館で翻字者育成講座に参加なさっている方も参加なさっていました。以前、デージー教材の仕事をしていたとのことで、意外なつながりに嬉しくなりました。

 実際にお香に蜜を混ぜたものを練って、正露丸のような玉を各自が作りました。自分の手で黒い玉を丸めたことの感動が忘れられない、と後でみなさんがおっしゃっていました。目が見えないからこそ、なおさらのことだったようです。

160717_marogasi




 そして、丸めた練り香を実際に焚くことで、また違う香りの世界に誘われました。


160717_taku




 すばらしい感動的な時間を、みなさんと共有できたことは、参加者全員がすばらしい思い出となったようです。田中さん、すばらしいパフォーマンスをありがとうございました。

 引き続き、「点字付百人一首」によるカルタ取りとなりました。
 今回は、本邦初となる新開発の「決まり字相対台」と「ちはやふる台」という、まだ仮称ながらも画期的なカルタ取りの手法が試行されました。

 次の写真は、左上がこれまでの点字付きのカルタです。そして右下が「決まり字相対台」と呼ぼうとなさっているものです。これは、弱視の方や前出の「視覚障害者用(音声ペン iPen)」を活用した対戦を想定してのものです。
 カルタには、大きな文字で『百人一首』の決まり字までの数文字が書かれており、それに対応する点字が貼り付けられています。


160717_kimariji




 さらに「ちはやふる台」というのは、上級者がカルタを飛ばすことを想定してのものです。映画「ちはやふる」が大いに影響しています。
 今日は、2人の達人が対戦し、みごとにカルタを左右に飛ばして取っておられました。その迫力たるや、本当に目が見えないのかと不思議に思うほどの早業でした。

 次の写真は順に、(1)男性が手前の札を取るところ、(2)女性が瞬きをする間もなくカルタを飛ばすところ、(3)同時に手を飛ばしたところです。

160717_tobasu1




160717_tobasu2




160717_tobasu3




 (3)の同時に手が飛んでいる勝負は、女性の方の勝ちでした。早さから言えば男性の方が早かったのです。しかし、距離を勘違いされ、1段下の札を飛ばされたのです。女性は正確に正しい札を飛ばしておられます。
 目にもとまらぬ早業とは、まさにこのことをいうのです。しかも、全盲の方が……

 後で上級者は、本当に札が飛んでいるのか不安で、何回も机を叩いたとおっしゃっていました。しかし、実際には特別な布が敷かれているので、強く叩くと逆に飛ばないのです。優しく飛ばす、という高度な技術が求められる上級者の試合でした。

 今回は、全日本かるた協会の松川英夫会長(永世名人)が会場にお越しになっていて、最後にあいさつをなさいました。

 さまざまな方々のご理解とご協力の中で、この「点字付百人一首」が続いています。百星の会の運営をなさっている関場さん、ますますの盛会となることをお祈りしています。私も、今後ともお手伝いをさせていただきます。
 参加される人数が増えると、さらに楽しいことができるのでうれしくなります。
 大いに盛り上げていきましょう。
 8月末の栃木県での夏季合宿も、多くの方に声掛けをしてみます。
posted by genjiito at 23:56| Comment(2) | 古典文学

2016年07月15日

歴博本「鈴虫」巻の気になる変体仮名の表記

 日比谷図書文化館で読み進んでいる歴博本「鈴虫」で、気になる変体仮名の例をあげます。

(1)「遊くれ」(7丁裏3行目)


160714_yuukure




 現在私が確認を終えた「鈴虫」巻34本の写本の中では、この箇所は東大本が「夕に」としているだけで、それ以外のすべては「夕暮」か「ゆふくれ」「夕くれ」となっています。国宝の『源氏物語絵巻詞書』の「鈴虫」で、ここは「遊ふくれ」しています。二千円札にも印刷されているところなので、お手元にあれば確認してみてください。
 ここで歴博本が「遊くれ」としているのは、「遊」を漢字と認識して「ゆふ」と読んでのものではなく、あくまでも「ふ」の脱落とすべきものかと思います。
 他本での「遊」の用例を点検したいところです。しかし、これまでの『源氏物語』の翻字がすべて明治33年のひらがなを1つに統制した後の表記でなされている不完全な翻字しかないので、私のもとで進めている「変体仮名翻字版」のデータが集積するのを待つしか、確認の方途はありません。
 『源氏物語』の本文を考えていく上で、『源氏物語』の翻字ですら不正確なものしかないというインフラの整備がなされていない現実を、こんな時に痛感します。ここでは、問題点の1つとして提示しておきます。

(2)「あ弥陀」(8丁表2行目)


160714_amida





 現在私が確認している「鈴虫」の34本の写本の中では、日大本が「阿みた」であり、それ以外のすべては「阿弥陀」か「あみた」となっています。
 ここで語頭を「あ」とするか「阿」とするかは、何か背景があってのものなのか、今はよくわかりません。この歴博本「鈴虫」が伝称筆者を「伝慈鎮筆」としているように、私もお坊さんかその周辺の文化圏で書写されたものだと思います。とすれば、仏教用語の扱いが漢字に統一されていない表記に、いささか戸惑います。日大本が「阿みた」としているので、この「あ」「阿」の使い分けが、何かあったのかもしれません。
 表記の問題として、しかも仏教語に関するものとして、その一例をここに提示しておきます。

(3)「野へ」(8丁表7行目)


160714_nobe




 現在私が確認している「鈴虫」の34本の写本の中では、陽明本・国文研正徹本・伏見天皇本・国冬本・東大本・国文研俊成本・LC本の7本が「野辺」であり、絵入源氏・湖月抄・尾州家本・高松宮本、為家本、河内大島本、鳳来寺本、明融本の8本が「野へ」で、それ以外の9本は「のへ」となっています。
 ただし、国文研俊成本だけは「野辺」の「辺」に「へ」と傍記があります。
 私が「へ」の字母を問題とするのは、この歴博本「鈴虫」の箇所の翻字を「野部」としたほうがいいのではないか、との思いがあるからです。
 一般的に、「へ」の字母は「部」の旁のオオザトの省略形だとされています。しかし、私はこの見解に違和感を覚えます。私は「辺」の「刀」が「へ」となったのではないか、と思うからです。
 これに関しても、「変体仮名翻字版」による翻字を1本でも多くやり遂げることで、用例を多数集積してから、あらためて考えたいと思います。
 なお、歴博本「鈴虫」に「野」は、もう一例「古野/$【此】」(ミセケチの例)があるだけです。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 変体仮名

2016年07月14日

「点字付き百人一首」とお香のワークショップのご案内

 開催直前の案内となりました。
 以下の通り、「点字付百人一首 〜百星の会」が主催する「香りのワークショップ&かるた会」が開催されます。

 会員ではない方で参加を希望される場合は、「点字付き百人一首 〜百星の会」の事務局を運営なさっている関場理華さん(r-sekiba@tenpitsu.com)に連絡をとってください。

 また、目が不自由な方やお知り合いの方でこのことに興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、こんなイベントがあることをお知らせいただけると幸いです。
 貴重な体験の場を共有できると思います。

 なお、あらかじめ連絡がとれないままにお越しいただいた場合には、会場にいる私にお声掛けいただければ、人数によってはご覧いただけることも可能かと思います。
 

日時:7月16日(土)午後1時より
場所:新宿区社会福祉協議会 交流コーナー
ワークショップ:「香り名人の百人一首の歌人・藤原公任の香りを再現する」
講師:田中圭子(広島女学院大学総合研究所・客員研究員)
内容:以下に引用する文章を参照願います。
   読みにくい固有名詞などには、読みがなが付いています。
   パソコンの読み上げ機能でお聞きいただけます。


160714_takimono




--------------------------------------

「点字付き(てんじつき)百人一首 〜百星の会(ひゃくぼしのかい)」でのイベントにおける薫物(たきもの)のワークショップについて


 
    田中(たなか) 圭子(けいこ)
   (広島女学院大学総合研究所・客員研究員)
 
■ 概 要 ■

 平安中期に活躍した公卿(くぎょう)・藤原公任(ふじわらのきんとう)は、清慎公(せいしんこう)実頼(さねより)二男廉義公(れんぎこう)関白太政大臣頼忠(よりただ)と中務卿代明親王(よあきらしんのう)女(じょ)厳子(げんし)女王の一男として誕生。
 同母姉妹に円融院太皇太后四条宮遵子(しじょうのみやじゅんし)と花山院女御ィ子(しし)があります。名家の嫡子として将来を嘱望されながら、人臣の位を極めることは叶いませんでしたが、学問芸道の分野において幅広く活躍して優れた成果を残し、高く評価され続けています。

 公任集(きんとうしゅう)の和歌や詞書によれば、公任父(きんとうちち)頼忠(よりただ)は薫物(たきもの)梅花(ばいか)を調合しており、知友との私的な交わりの中で珍重されたようです。公任(きんとう)自身も薫物(たきもの)を調合し、それにちなんだ和歌とともに贈答に及んだとされるほか、姉妹とともに調合や賞翫を楽しんだり、姉妹に献上したりすることもあったとされます。
 事実であるとすれば、頼忠家(よりただけ)では、薫物(たきもの)に関する父の嗜好と手法が子息子女にも受け継がれ、趣味として共有された可能性が伺えます。

 公任(きんとう)ゆかりと伝わる薫物(たきもの)の伝承は、平安後期以降の類纂と伝わる薫集類抄(くんしゅうるいしょう)を始めとして、鎌倉時代の初期から後期にかけて増補加筆の行われたとされる源氏物語古注釈書原中最秘抄(げんちゅうさいひしょう)、南北朝期の年号による跋文をとどめて鷹司家や壬生家に伝来した薫物(たきもの)秘伝書の薫物方(たきもののほう)に散見します。
 また、近年の調査において、京都大学附属図書館菊亭(きくてい)文庫の薫物(たきもの)秘伝書の薫物秘蔵抄(たきものひぞうしょう)一巻に、後徳大寺左府書(のちのとくだいじさふしょ)逸文として公任(きんとう)卿方こと公任(きんとう)ゆかりの薫物(たきもの)の処方七点の載録されることも確認しています。

 後徳大寺左府書(のちのとくだいじさふしょ)逸文の内、一部の薫物(たきもの)方は薫集類抄(くんしゅうるいしょう)載録の公任(きんとう)方と同じ種類であり、処方の内容もおおむね一致します。後徳大寺左府(のちのとくだいじさふしょ)こと藤原実定の所持した文書であったとすれば、既存の資料に確認できる公任(きんとう)方の中で最も古いと目される薫集類抄(くんしゅうるいしょう)載録方と、同時代に読まれていた可能性があります。

 今回は、新出資料である後徳大寺左府書(のちのとくだいじさふしょ)逸文に公任(きんとう)ゆかりの品として伝わる6種類・7点の薫物方(たきもののほう)の内、公任(きんとう)と小野宮家(おののみやけ)の薫物(たきもの)の真髄をくみ取るにはふさわしい種類と考えられます黒方(くろぼう)及び梅花(ばいか)の2種類・2点の薫物方(たきもののほう)を、この分野の専門家であられる鳩居堂製造株式会社社長(きゅうきょどうせいぞうかぶしきかいしゃしゃちょう)熊谷直久(くまがいなおひさ)氏と同社の皆さまのお力により調合、復元してお持ちしました。

 また、この逸文の冒頭脚欄の余白において記載されている、室町時代以降に隆盛した新作薫物(しんさくたきもの)の一種であります紅梅(こうばい)の処方も復元いただきました。

 会場では、粉末にした香料を和合した中に蜜を混ぜて練り合わせ、少量を手にとって丸がして(まろがして)いただいた後に、香炉に入れてたき匂わせる(たきにおわせる)予定です。

 公任(きんとう)が自ら工夫した可能性のある薫物(たきもの)と、後世の人々が公任(きんとう)という稀代の才人に寄せて継承、賞玩したかもしれない新作薫物(しんさくたきもの)それぞれの香りや手ざわりをご鑑賞いただきながら、公任(きんとう)その人の歌と心に思いをはせるひと時を共有できましたら、何よりありがたく存じております。

■薫物のレシピ■

 ワークショップで使用する薫物(たきもの)の処方(レシピ)をグラムに換算してご紹介します。
 
1 黒方(くろぼう)
薫陸(くんろく) 3.1
麝香(じゃこう) 6.2
白檀(びゃくだん) 3.1
甲香(かいこう) 12.5
丁子(ちょうじ) 25
沈香(じんこう) 50
 
2 梅花(ばいか)
沈香(じんこう) 53.1
甲香(かいこう) 18.7
甘松(かんしょう) 1.0
白檀(びゃくだん) 4.35
丁子(ちょうじ) 21.6
薫陸(くんろく) 1.5
 
3 紅梅
沈香(じんこう) 37.5
丁子(ちょうじ) 15.6
白檀(びゃくだん) 19.7
甘松(かんしょう) 7.2
霍香 3.1
甲香(かいこう) 12.5
龍脳(りゅうのう) 0.5
麝香(じゃこう) 9.3

--------------------------------------
posted by genjiito at 12:08| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年07月13日

京洛逍遥(417)丸太町橋の「鴨川ギャラリー・時代祭」と鷺の連写

 一昨日の「京洛逍遥(414)6番目となる「鴨川ギャラリー・鞍馬口」」(2016年7月10日)で取り上げた「鴨川ギャラリー」に関する続きです。

 祇園祭の帰り道で、「鴨川ギャラリー」の2つ目に出会えました。しかも2枚も。
 京大病院から賀茂川縁に出て少し下ったところに、丸太町橋があります。この橋の下に、「丸太町橋左岸(時代祭)」とされる説明版が建っていました。

 右側が「丸太町橋の歴史」、左側が「時代祭」です。


160711_jidaimatsuri1




160711_jidaimatsuri2




160711_jidaimatsuri3




 丸太町橋の北には、荒神橋が架かっています。荒神橋については、次の記事をご笑覧ください。

「京洛逍遥(410)京大病院で運動不足を指摘される」(2016年05月30日)

 この荒神橋の京大病院よりの岸に、こんなプレートが設置されていました。
 これは、今後何かにつながっていく説明版なのでしょうか。


160711_koujin_panel




 いろいろと賀茂川に架かる橋の名前が出てきているので、荒神橋の下に掲示されている石碑の写真をあげます。


160711_kawanonamae




 賀茂大橋の北側に、亀の飛び石があります。これは、上の「京洛逍遥(410)京大病院で運動不足を指摘される」で紹介しました。
 さらに川を上ると、出町のデルタ地帯にも亀の飛び石があります。


160711_tobiishi




 上の写真の左側が賀茂大橋、右側が出町橋です。

 次の写真は、出町から北山を望んだものです。
 正面に出町橋、右端に河合橋が架かっています。
 正面の川が賀茂川、右から入ってくるのが高野川です。
 出町で、この2つの川が出会うのです。


160711_dematidelta




 このあたりで、鷺が舞い降りて来て仲間と親交を深めた後、きれいに飛び立つ姿を連写することができました。
 2羽がどういう関係なのか、鳥の生態に詳しくないのでわかりません。
 なかなかこんなにうまく撮れないので、記念に掲載しておきます。


160711_sagi1




160711_sagi2




160711_sagi3




160711_sagi4




 高野川を遡って帰る途中で、来月お盆の送り火で賑わう、松ヶ崎の「妙」と「法」の内の「法」が見えてきました。


160711_hou




 「妙」は民家の中にあるので、通りがかりにしか見られません。

「京洛逍遥(99)大文字の送り火2009」(2009/8/17)

「京洛逍遥(196)京都五山の送り火を考える-2011」(2011/8/16)

 さて、今年はどこでどのようにして見るのか、今から楽しみです。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年07月12日

京洛逍遥(416)祇園祭の山鉾建てを見る

 7月10日から祇園祭の山鉾を組み立てる「山鉾建て」が始まるということなので、上京前に四条通りから新町・室町通りをのぞいてみました。

 祇園祭は、平安時代初期(869年)に始まります。神泉苑に、当時の国の数である66本の鉾を建て、八坂神社から神輿を引き出して怨霊退散を祈願したことに始まると言われています。応仁の乱の頃には、58基の山鉾が記されています。現在は、33基の山鉾が出ます。現在の鉾が文献上で確認できるのは、南北朝時代(14世紀後半)だそうです。

 2014年から、17日の前祭(神幸祭)と24日の後祭(還幸祭)の2つとなって定着しました。まずは、今年も前祭の準備が始まったのです。

 今年もお祭りを盛り上げようと、みなさん鉾の建ち上げに汗を流しておられました。長年の蓄積があるだけに、手際よく分業で作業は進んでいきます。これには釘を一切使わず、「縄がらみ」と言って縄だけで木材を固定する伝統技法で組み上げられます。3日かけて完成するものもあるそうです。

 まず、新町通り南端の「放下鉾」から。
 図面を見ながら確認をしておられました。千年以上の歴史があるお祭りとはいえ、現場は手違いや事故のないように真剣です。


160711_houka1




160711_houka2




 次は、四条通りの南北に面して建つ「月鉾」と「函谷鉾」です。

 南側の「月鉾」は、重量と高さが共に山鉾の中では一番です。
 ちょうど世話役さんが鉾の確認と祭の無事を願っておられるところでした。


160711_tsukihoko1




160711_tsukihoko2




 「函谷鉾」は、函谷関の故事で有名です。


160711_kankokuboko




 新町通りの一本東側、室町通りに建つ菊慈童の故事で有名な「菊水鉾」は、力仕事が進んでいました。


160711_kikusuiboko1




160711_kikusuiboko2




 炎天下、35度を越したということだったので、早々に引き上げました。

 上京するとびっしりと予定が詰まっているので、月末までは帰ってこられません。今年の祇園祭は、この「山鉾建て」を見て終わりとなりそうです。

 一昨年に150年ぶりに復興した「大船鉾」に次いで、「鷹山」が200年ぶりの復興を目指して2012年に活動を始めたそうです。2026年の復興を目指しています。
 そもそもが、66もの山鉾が建っていたということなので、今の33基をさらに増やし、かっての賑わいを取り戻すべくさらに盛り上げてほしいものです。

 復興予算や維持費の問題は、若者たちが英知を振り絞って妙案を捻り出すことでしょう。今の若者たちは信頼できるし、頼りがいがあるということを、いろいろな活動を通して最近とみに実感するようになりました。
 伝統や文化を声高に叫ばなくても、一緒に先人の思いを守り伝える気持ちで取り組めば、思いは叶うはずです。大船鉾の時の話を思い出しました。みんなで願えば、必ず叶うことを信じたいと思います。
posted by genjiito at 21:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年07月11日

京洛逍遥(415)新装なった京大病院の南病棟

 京大病院で、今日もひたすら待つという修行をしてきました。
 受付時間の10分前に行っても、150人以上の方が待っておられます。
 やっと、受付をしても、採血室でまた順番を待ちます。
 多くの方が待たされているので、自分の都合ばかりは言えません。

 まさに、置き場のない気持ちを持て余しながら、最先端の検査や診察が受けられることを幸運と思うことにして待っていました。

 病院では待つのも診察の一部だと思っています。それでも、さすがに一カ所で20分以上もじっとしていると、気持ちはソワソワしてきます。そして、また次の場所で待ちます。苦痛ではないものの、気分のいいものではありません。

 これから先も元気に生き続けるために、じっと耐えることと、待ち時間に頭の中を空っぽにすることを自分に言い聞かせながら、イスに腰掛けて本を読んでいました。
 パソコンと iPhone さえあると、仕事も読書も自在にこなせるので、没頭するだけのまとまった時間をこれ幸いと有効活用しています。

 血糖値は高目安定です。今月末と来月末に、大きな検査を受けます。夏は身体の総点検をする季節となっています。

 病院の西にあるガン病棟である積貞棟の南側に、新しく同じ高さで南病棟が完成しています。


160711_kyoudai1




 この南病棟の西側に、iPS細胞でノーベル賞を受賞なさった山中伸弥先生の研究室があります。この一帯では、最先端医療の活気が感じられます。

 積貞棟ができた夏に、私は胃ガンの手術でこの棟に入院しました。
 その南側の駐車場だった所が、こんな姿に変わったのです。
 次の写真の東側(右端)には、山の中腹に如意ヶ岳の大文字がかすかに見えます。


160711_kyoudaibyouin2





 帰りは、病院がある聖護院のすぐ近く、荒神橋にある京都法務局に立ち寄り、いくつかの申請書類を提出してきました。これも、手続きが完了するまで、何度も忍耐強く通っている所です。
 今日は一応、受理はしてもらえました。しかし、また呼び出しがあり、修正を強いられることでしょう。ここでも、待たされています。それでも、一歩ずつ手続きは進んでいます。

 この荒神橋の下でみつけた案内板のことは、後日祇園祭のことを書いた後に記します。

 上京前に、祇園祭の山鉾建ての様子ものぞいてきました。
 写真が多いので、このことは明日にします。
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年07月10日

京洛逍遥(414)6番目となる「鴨川ギャラリー・鞍馬口」

 参議院選挙の投票で下鴨小学校へ行った帰りに、すぐそばの出雲路橋から賀茂川沿いに歩いて帰りました。

 出雲路橋の下をくぐると、いつもは見かけない案内板に気付きました。この橋を東に直進すると下鴨神社に行き当たります。


160710_izumojibasi1




160710_izumojibasi2




 この図は、吉田初三郎の『洛北交通名所図会』(1928、京都府立総合資料館蔵)を拡大したもので、キャプションには次のように記されていました。


大正から昭和にかけて活躍した京都出身の鳥瞰図絵師 吉田初三郎による交通名所図会

中央を流れる鴨川、洛北を囲う山々のほか、鞍馬口を出発点とする鞍馬街道の姿も見ることができます。


 画面中央よりやや右寄りに、白い縦長の枠があります。そこに「鞍馬口」と書かれています。そのすぐ左が「植物園」、右が「下鴨神社」です。

 絵図の下には、「出雲路橋と鞍馬口」と「鞍馬街道」の2種類の説明文が、英文を併記して記されています。

 この説明板には、設置した組織名や日時が記されていません。
 帰ってからネットで調べると、市民の憩いの場として府が整備している中で、この「鞍馬口」は6カ所目の「鴨川ギャラリー」なのだそうです。それならそうと、説明版の裏にでも書いてあれば、この活動の理解を広く得られるのに、と思いました。

 この枠のデザインは、源氏物語千年紀の説明版を思い出します。

「源氏のゆかり(7)説明板9-淑景舎(桐壺)跡」(2008/5/10)


 目立たないながらも、こうして着々と、京洛の理解を深める仕掛けがなされているのです。

 毎日新聞電子版(2016.6.7、地方版)には、この除幕式が2ヶ月前の5月27日にあったことと、次の説明がありました。本当に最近のものだったのです。


「京都と諸国とを結ぶ主要な街道の出入り口である『京の七口』の一つとして知られ、鞍馬口には室町時代に関所が設けられ、通行人から関銭を徴収していた」などと出雲路橋や鞍馬口の歴史を日本語と英語で説明している。


 この他の「鴨川ギャラリー」は、次の場所にあるそうです。あったような、なかったような。「出町橋右岸(葵祭)」は見たことがあるように思います。しかし、それがこの一連のものだったのかどうか。
 どうもあやふやなので、また確認に行ってきます。


二条大橋右岸(洛中洛外図)/出町橋右岸(葵祭)/四条大橋右岸(祇園祭)/丸太町橋左岸(時代祭)/御池大橋右岸(鴨川遊楽図)


 ついでに、北大路橋の説明プレートも撮影しました。
 写真中央奥は、来月の送り火で主役となる、如意ヶ岳の大文字です。


160710_kitaoojibasi1





160710_kitaoojibasi2




 この北大路橋にも、いずれは出雲路橋のような立派な「鴨川ギャラリー」の説明版が設置されるのでしょうか。今から楽しみにしておきます。
 ただし、出町以北は「賀茂川ギャラリー」にしてほしいものです。

 振り返って北山の西には、これまた来月の送り火で観光客を呼ぶ、京都五山の船形が見えました。


160710_funagata




 祇園祭の後に続く送り火などなど、これから京洛はさまざまな夏のイベントが目白押しです。
posted by genjiito at 21:08| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年07月09日

京洛逍遥(413)鯉に打たれた鴨と出会う

 今日は曇り空ながらも、少し肌寒い風を受けて賀茂川を散策しました。
 先週よりも鴨が増えていました。

 家族3羽の姿から。


160709_kamo3wa





 列をなす鴨たちは、琵琶湖から遠出してきた大家族の小旅行でしょうか。


160709_kamoretu




160709_kamoretu2




 大きな鯉と鴨とのニアミスがあり、鯉が尾ビレで鴨を打ち倒す場面に出くわしました。


160709_koi1




160709_koi2




160709_koi3




 気持ちがいいのか、多くの鷺が賀茂川の水面を飛び回っていました。

160709_sagifly1




160709_sagifly2




160709_sagifly3




160709_sagifly4




160709_sagifly5




 出町柳の枡形商店街に立ち寄ったところ、ものすごい人出で歩けません。


160709_masugata




 アーケードの上には、七夕夜市と書いてあります。
 子供たちはほとんどが浴衣姿です。男の子の浴衣もいいものです。この地域には、こんなに子供がいたのかと驚きました。
 周辺の河原町通りまで出店がびっしりです。
 夏祭りの季節となりました。
 近所のスーパーマーケットの店内では、コンチキチンの祇園囃子が流れています。

 昨夜、京都駅に降り立った時、駅のコンコースには祇園祭のコーナーがありました。


160708_gion1




160708_gion2




 私が好きな祇園祭が始まりました。
 今年は、どこの粽を買おうか、今から思案しています。
 たくましい鯉と出会ったので、鯉山を第一候補としましょう。
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年07月08日

読書雑記(173)幸田真音『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』

 『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債 上・下』(幸田真音、角川文庫、平成27年7月)を読みました。


160708_tenyuu




 高橋是清は、自らの身をもって国際交流を体現し、指し示した人だと思います。現在、グローバル化が云々される時勢に、学ぶべきことの多い先人だといえるでしょう。
 そこには、英語というものが道具として有効に機能しています。明治時代に英語の意義は、今とは格段に重いものがあったと思われます。是清と共に英語を学んだ末松謙澄もその中にいます。

 しかし、管見ながらも、英語至上の世は終わった、と思っています。こぞって英語を国際的な公用語としてありがたがる時代は終わった、と。国際交流のための《選択肢の1つとしての英語》という考え方がいいのではないでしょうか。スペイン語もあるし、フランス語もあるのですから。多言語社会になったと思います。

 それはさておき、

 本書は、昭和11年2月26日の雪の朝、高橋家に反乱兵がやって来るところから始まります。ただし、すぐに序章は終わり、時間が巻き戻され、第一章では是清が生まれてからの話となります。
 序章の2・26事件のことは、終章でそのまま引き取られて語り納められます。

 少年の頃、横浜からアメリカへと渡り、苦労を苦労とも思わずに、是清は波乱万丈の人生を歩みます。大変な時代にもかかわらず、幸運が幸運を呼び、常人には成し得ない大きな仕事をやり遂げたのです。

 明治、大正、昭和と、一人の男を中心に据え、国の財政問題とその背景を、さまざまの資料を駆使して語ります。人間が描けていることに加えて、社会的な背景が経済と連動して時間軸に乗って展開していきます。
 経済や政治は専門外の私です。しかし、是清の大胆な生き様に惹かれて、楽しく読むことができました。

 私が本書を手にしたのは、末松謙澄のことが是清との関係でどう描かれているのか知りたくて、それだけの理由で読みました。作者が意図したことではない視点で読んだのです。情報収集としての読書です。

 末松謙澄のことは2カ所に少しだけ顔を出します。取り立ててメモするものではありませんでした。一応、当該箇所を引いておきます。


(明治5年)
 末松謙澄と知り合いになったのは、ちょうどそんなころのことだった。
 屋敷の縁側に腰をかけ、人待ち顔で時間潰しをしている同年代らしい青年をたびたび見かけ、是清のほうから声をかけたのが最初である。自分の部屋に招き入れ、あれこれと話し込むうちに、二人はすっかり親しくなった。
 聞くと、佐々木高行の家で書生をしているという。フルベッキの長女のところに、英語を習うため佐々木家の令嬢、静衛が定期的に通ってきているのは知っていたが、末松は彼女のお供で送り迎えについてきているらしい。
 実際には是清より一歳年下で、豊前から上京し、東京師範学校が募集した官費生の試験に合格したばかりだとのこと。
(中略)
 これを機に、末松は佐々木家を出て下宿暮らしを始め、翻訳の仕事に没頭していく。新聞社のほうから持ち込まれる横浜の三大英字紙、ガゼットやヘラルドなど、扱う範囲も広げ、一人で辞書を使って訳せるようにもなっていった。
(上、201〜213頁)

 参考までに、併読していた『高橋是清自伝 (上下巻)』(中公文庫、1976年7・8月)の記述を引いておきます。

160708_korekiyojiden





幸田氏は、この是清の自伝をなぞるようにして小説を構成しておられるからです。少なくとも、末松謙澄に関しては。


 末松謙澄君と知合いになったのは、そのころのことだ。私は依然としてフルベッキ先生の所におったが、そこに佐々木高行侯の令嬢静衛さんが、フルベッキ先生のお嬢さんに英語を習いに来ておられた。そして、いつも静衛さんのお供をして来る一人の青年があった。ある日この青年がいつもの通り長屋の縁側に腰掛けているのを見て、私はその青年を呼び入れて話をした。それから二人は大変に懇意になったが、それが即ち末松謙澄君であったのだ。(自伝上・126頁〜)
(中略)
末松は、師範学校事件以来、何となく居辛くなって、間もなく佐々木邸を出て下宿してしまった。
 末松はそのころ最早や私の手を借らず、一人で辞書を引張って、翻訳が出来るようになった。日日新聞の方からは、西洋新聞ばかりでなく、横浜のガゼットやヘラルド等の英字新聞をも翻訳してもらいたいとてそれらの新聞を送って来た。多くは社説であったが、それも、末松が辞書を引張りながら、一人で翻訳した。私は、その時脚気にかかって佐々木邸で療養をしておった。(自伝上132頁)


--------------------------------------

(明治37年4月)
 是清は、倫敦に着いてすぐ、一月からこちらに来ているという末松謙澄と会った。久し振りの再会だ。英字新聞を和訳して、一緒に新聞社に売り込みに回ったころが懐かしい。末松はあのあとケンブリッジ大学を卒業し、伊藤博文の次女と結婚した。
 今回は、義父であるその伊藤に進言し、いまこそ「英米両国の世論喚起」が必要だと訴えて、特使として欧州に派遣されて来たという。
 フルベッキの屋敷で出会い、その優秀さを見込んだ是清の提案で、互いに英語と漢文を教え合い研鎖を積んだ二人だった。
 翻訳作業の傍らに、夜を徹してよく酒を飲んだ。英字新聞の記事を前にして、西欧の社会を、そして日本の将来を語りあった。あのころの思い出は、話し始めると尽きることがない。
 そんな末松と是清が、いまは同じ倫敦に居て、日本のために力の限りを尽している。一人は資金調達に、もう一人は日本を正しく理解してもらうための広報活動にと、互いに必死になっている。是清はあらためて巡り合わせの不思議を、しみじみと思うのだった。(『天佑なり』下、141〜142頁)


 ここで、末松謙澄の英国行きが「日本を正しく理解してもらうための広報活動」だ、としています。これは、末松謙澄がかつて『源氏物語』を英訳したのが、日本への理解を英国人に深めてもらいたいという思いからのものだったことに通じる行動だといえるでしょう。もっとも、作者である幸田氏は、末松謙澄と『源氏物語』については、調査した資料に見当たらなかったから触れていない、と理解していいようです。
 末松謙澄が『源氏物語』を英訳したことは、資料がないので、著者もイメージが膨らまなかったのでしょう。これ以上は何も語りません。
 私は、語られる内容から、末松謙澄の実像を探ろうとしました。しかし、それは無理でした。

 これに懲りず、ほんの少しであっても描かれる人間の背景から、末松謙澄の実像を知る手掛かりを求めて、こうした読書も続けて行きたいと思っています。【3】
 
※本書は、2013年6月に、角川書店より単行本として刊行されました。
posted by genjiito at 22:54| Comment(0) | 読書雑記

2016年07月07日

江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮

 先月中旬から、千代田区にある九段坂病院に通っています。
 些細なことながら、足の指に出来た疣を処置してもらっているのです。

 今から5年前のちょうど今ごろ、本ブログに「「鼻糞」みたいな「疣」が消える」(2011/7/30)という記事を書きました。

 あの時は顔だったので慌てました。しかし、今回は足の指だったので、しばらく放置していたため、少し酷くなったのです。

 先月、久し振りに九段坂病院へ行って驚きました。何と、インド大使館の裏、二松学舎大学の前にあった病院がなくなっていたのです。
 上記のブログに書いた5年前から、ここには来ていなかったのです。

 移転のお知らせを見ると、昨秋より、千鳥ケ淵から日本武道舘を挟んで反対側の、牛ケ淵にある九段会館の南に引っ越しをしたとのことです。
 走って皇居の北の丸公園をグルリと回りました。

 途中の九段下交番の前の案内図には、ガムテープに書いたこんな移転の表示がありました。交番のお巡りさんが、よく聞かれるので親切心から手書きで貼られたのでしょうか。


160705_kudanzaka




 九段会館の向こうに、新しい九段坂病院が見えます。


160707_kudankaikan_2




160705_kudankaikan




 この九段坂病院の道を隔てた向かいに、古書目録の調査で行っている千代田区役所があります。

 先月は、液体窒素を2回に分けて塗ってもらいました。しかし、思うように消えてくれません。今回の診断では、「尋常性疣贅化膿性肉芽腫」ということでした。

 このままでは時間がかかるので、少し強い薬を使うとのことです。同意書を書いて、モノクロロ酢酸溶液というものを塗られました。10日後にまた様子を見るそうです。

 何となく違和感があって歩きにくいので困っています。

 終わってから、牛ケ淵の蓮をみながら、一息入れました。


160707_hasu1




160707_hasu2




 歳と共に、身体にはいろいろなことが起こるものです。
 早め早めの対処に限ります。
posted by genjiito at 23:10| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年07月06日

読書雑記(172)【復元】『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、読書雑記を再現しました。

 先日、本屋大賞の発表を聞いて、過去の受賞作のことを思い出したのです。
 この本のことを書いた記憶がかすかにあったので、パソコンの中や外付けハードディスクを引っかき回しました。
 そして、第3回受賞作である本書に関する拙文の断片を見つけ出し、復元することができました。
 たしか、息子が読み終わったこの本が放置されていたので、私が引き続き読んだものだと思います。
 その後、映画も観ました。ただし、そのことを記したファイルは、まだ見つけ出していません。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年6月12日公開分

副題「キーワードは「ぐるぐるぐるぐる」」

 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(リリー・フランキー、2005年、扶桑社)のキーワードは、「ぐるぐるぐるぐる」です。何度も出てくることばなので、読まれた方は納得の一語でしょう。

 この本は大ベストセラーとなった、作者の自伝小説です。

 映画化されることが一昨日(6月9日)発表になりました。主人公のボク役がオダギリジョー、オカン役が樹木希林、オトン役が小林薫だそうです。オトンには、私ならガッツ石松を起用するのですが。武田鉄矢も考えましたが、パワー不足を感じたので変更です。公開は来年GWの予定だそうです。
 また、今年の7月29日から、フジテレビ系でドラマ版が放送されます。ボクを大泉洋が、オカンを田中裕子が、オトンを蟹江敬三が演じます。このオカンは、なかなかいい配役だと思います。ボクについては、私もいまだに誰がいいのか迷っています。

 この作品は、「2006年本屋大賞」を受賞したもので、家族がみごとに描かれています。感情移入しやすい物語展開で、いい仕上がりです。
 冒頭でボクが腸閉塞になるくだりは、息子が同じように腸重積で命拾いをした体験を2度もしているので、他人事とは思えずに読み進めました。
 テンポよく進行するので、深刻な問題も、読んでいて負担になりません。巧いな、と思いながら読み終わりました。

 この物語でなかなか巧い表現だと思ったのは、次の2ヶ所でした。
 (1)「「親子」は足し算だが「家族」は足すだけではなく、引き算もある。」(30頁)

 これは、うまい喩えだと思います。

 (2)「女には言うてやらんといけんぞ。言葉にしてちゃんと言うてやらんと、女はわからんのやから。好いとるにしても、つまらんにしても。お父さんもずっと思いよったけど、おまえもそうやろう。1+1が2なんちゅうことを、なんでわざわざ口にせんといかんのか、わかりきっとるやろうと思いよった。そやけど、女はわからんのや。ちゃんと口で2になっとるぞっちゅうことを言うてやらんといけんのやな。お父さんは、お母さんにも最後までそれができんかった……。取り返しがつかんことたい。やけど、まだおまえは若いんやから、これからは言うてやれよ……」(437頁)

 これは、ウーンと唸って、しばらくしてから文字を再度確認しながら読み直しました。含蓄のあることばだと思います。

********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:58| Comment(0) | 読書雑記

2016年07月05日

読書雑記(171)山本兼一『弾正の鷹』

 『弾正の鷹』(山本兼一、祥伝社文庫、平成21年7月)は、完成度の高い短編が集まった一書となっています。いづれも、織田信長暗殺が底流にあり、女性を巧みに配した5編の作品が楽しめます。


151022_danjyou




■「下針」
 紀州雑賀党の鈴木源八郎は、通り名を「下針」と言い、鉄砲の名人でした。遊び女の綺羅と懇ろになったと思いきや、源八郎は信長襲撃に失敗して亡くなります。最後に綺羅の思いが印象深く描かれています。「読書雑記(163)山本兼一『雷神の筒』」(2016年04月05日)に繋がります。【5】


初出誌:『小説NON』平成12年11月号
 
 
■「ふたつ玉」
 甲賀一の鉄砲名人の善住坊は、白拍子だった菖蒲が好きでたまりません。信長を殺すことに失敗したまま、菖蒲と逃げました。逃避行の果てに信長に捕まります。その後の話は山本兼一らしくないと思いました。【1】


初出誌:『小説NON』平成10年2月号(初題「信長を撃つ」を改題)
 
 
■「弾正の鷹」
 信長への復讐を果たそうとしない松永弾正に対し、父を信長に殺された桔梗は落胆します。そして、韃靼人の鷹匠に信長を襲わせることを思いつくのです。自ら鷹を御して信長に挑んだ桔梗は、信長の眼光に圧されて捕らえられました。その後の桔梗が中途半端だと思います。信貴山や平蜘蛛の茶釜も説明がほしいところです。テーマや趣向が短編には向かないものだったのではないでしょうか。話題を絞りきれなかったか、とも言えます。
 「読書雑記(146)山本兼一『白鷹伝 戦国秘録』」(2015年11月18日)に繋がります。【2】


初出誌:『小説NON』平成11年10月号(初題「信長を撃つ」を改題)
    『小説NON』の創刊150号記念短編時代小説賞で佳作受賞(平成11年)
 
■「安土の草」
 庄九郎は甲斐武田から放たれた、草と呼ばれる忍の仲間。信長を狙うスパイという立場の乱波です。大和奈良、そして岐阜で大工の仕事をし、安土城を手掛けました。棟梁は岡部又右衛門。同じ甲斐の女乱波である楓が、いい役を果たしています。
 「読書雑記(154)山本兼一『火天の城』」(2016年02月04日)に繋がる作品です。【3】


初出誌:『小説NON』平成12年3月号(初題「安土城の草」を改題)
 
 
■「倶尸羅」
 打倒信長の決意を持つ足利義昭は、江口の遊び女である倶尸羅に信長暗殺を唆します。閨では演技派の遊女である倶尸羅は、興味本位で信長に接近しました。そして、次第に情が深まります。懐に隠し持った毒をどうするのか。余韻たっぷりのままに幕が下ります。女からの視点で語る、これまでの作風とは一線を画す、山本兼一を見直す完成度の高い小説となっています。【5】


初出誌:『小説NON』平成13年11月号
 
 
※本書『弾正の鷹』は、平成19年7月に祥伝社より単行本として刊行されたものです。
posted by genjiito at 21:33| Comment(0) | 読書雑記

2016年07月04日

京洛逍遥(412)7月の賀茂川で - 2016

 先週末の賀茂川は、厳しい暑さを迎える前の一休み、とでもいうべき生温い風が吹いていました。

 お盆の送り火まであと1カ月半となった如意ヶ岳の大文字は、草木を刈るなどの準備が始まっているようです。


160702_daimonji




 今年は、鴨たちの姿が減ったように思います。
 たまたま見かけなかったのか、何か自然の変化を感じ取ってどこかへ出かけているのか。
 生態をよく知らないので、よくわかりません。


160702_kamo




 先週は中ごろから大雨が降ったようで、トントンの飛び石まで水嵩が上がっていました。


160701_tonton1





160701_tonton2




 夕闇近い頃の鷺たちは、みんな北山の方をながめています。


160701_sag2





160701_sag3




 昼間も、なぜか川上を見つめている鷺が多いのはなぜでしょうか。

160701_sagi1




160702_sagi3




160702_sagi1




160702_sagi2




 水や風の流れに立ち向かおうとする習性があるのか。
 山の端の稜線が見せる光の明暗が好きなのか。
 それとも、あの嘴は磁石のように北を指す機能を持っているのか。
 いつか鳥と一心同体になれたら聴いてみたいものです。
posted by genjiito at 21:54| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年07月03日

池田本『源氏物語』が高精細カラー印刷で刊行開始

 待ち望んでいた『源氏物語』の池田本(第3期第1回配本)が、八木書店より刊行開始となりました。
 この池田本は「新天理図書館善本叢書」の中において、全10巻セットとして今後2年で完結するものです。


160702_ikedabon1




160702_ikedabon2




 本巻には、「桐壺・帚木・空蟬・夕顔・若紫」の5帖を収録しています。
 岡嶌偉久子さんによる詳細な解題は、次の2編と付編で構成されています。


『源氏物語 池田本』解題 −書誌的概要

各巻の書誌的事項 −桐壺・帚木・空蟬・夕顔・若紫−

〔付〕池田本と伝明融筆臨模本 −書写様式・合点その他の様相から− 桐壺・帚木巻


 本書のカラー印刷については、かねてより八木書店の会長より伺っていました。
 池田本については、次の記事に述べたことにそのすべてを譲ります。

「千代田図書館の調査中に八木書店の会長と池田本談義」(2014年12月04日)

 この記事の末尾で、「翻字確認と字母翻字および校訂本文と各巻の小見出しを作成する仕事をお手伝いしてくださる方を募ります。」と記しました。
 しかし、この作業は遅々として進展していません。すべて私の段取りの悪さからであり、バタバタするばかりの日々の中で停滞しています。お待ちの方々には、本当に申し訳ないことです。

 今回、池田本の精彩な影印版が刊行されたことを契機に、「翻字確認・字母翻字・校訂本文・小見出し」の作成をさらに推進させることにします。
 影印本が全国どこでも見られる環境ができたので、この翻字などの仕事がやりやすくなりました。そのためにも、全国の公共図書館や大学などで、本叢書を配架してくださることを希望します。次の世代が『源氏物語』を読む上で、この池田本は基本資料となるものだと確信しています。
 また、活字本による『源氏物語』の研究だけに終始せず、少しでも多くの方が古写本に接しながら、日本の文化としての変体仮名を読むスキルを次世代に継承するためにも、この本は意義のあるものだと思います。

 そこで、池田本の「翻字確認・字母翻字・校訂本文・小見出し」のお手伝いをしてくださる方を、あらためて募ります。
 本ブログのコメント欄を通して連絡をください。
 新しい『源氏物語』の受容環境を構築するためにも、意欲的な協力者と参加者をお待ちしています。

 この池田本に関するプロジェクトは、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の主要な事業でもあります。一過性のものではありません。私が作業に関われなくなっても、NPO法人として末長く継承し更新されますので、安心して翻字および校訂の仕事に協力してください。
posted by genjiito at 16:00| Comment(0) | 変体仮名

2016年07月02日

東西を迷走した佐川急便の荷物

 先週土曜日に1本の電話がありました。
 しかし、私は iPhone を電話として使うことがめったにないために、呼び出しに対応できませんでした。
 翌日の日曜日に同じ番号から電話があり、佐川急便の配達の方が荷物を届けに来たとのことです。京都の家の前からでした。
 あいにく先週は東京にいました。次に京都へ帰るのは翌週の金曜日なので、東京に転送していただくようにお願いしました。

 京都市内から都区内なので、中1日を置いた火曜日には届くかと思いきや、4日たった木曜日になっても届きません。資料調査や展示物の確認のために、日比谷図書文化館での講座が終わり次第に、そのまま最終便で京都へ移動する日となりました。
 発送元の方に荷物の追跡をお願いしたところ、私が東京で受け取ることが不可能な状況になっていることがわかりました。そこで、荷物を再度東京から京都へ転送する手続きを、発送元の方にしていただきました。その対処が終わった旨のメールを受け取ったのは、京都へ向かう新幹線の中でした。

 ところが、金曜日になってもまだ荷物は東京にあることがわかりました。
 発送元の方から金曜日にいただいた連絡によると、佐川急便の対応があまりにも酷いので呆れておられました。一部を引きます。


いまになって佐川急便(昨日とは違う担当者)から連絡があり、品物が東京にあるので、これから京都に再転送するとのことでした。
あまりに昨日と話が違うため、「昨夕、7/1午前に配達する旨、受けておいて、いまさらこっちにありましたというのは、対応としてあまりに酷いのではないか」とクレームを付けました。
電話をしてきた佐川の担当者は昨日と今日で異なり、どうも他人事のような、あまりに当事者意識がない様子なので、「対応としてどうなのか」指摘しましたが、表面的に謝られるだけで、あきれました。


 結局、私が荷物を受け取ったのは今日土曜日のお昼です。
 こんなことになった原因は、私が京都と東京を往き来する生活にあるとはいえ、この1週間、私にとって大切な荷物は、東京と京都をのんびりと1往復半したことになります。
 その間、私は佐川急便のお2人から、ちょうど10回の電話をいただいたことが iPhone に記録されています。その内容も、お1人ずつは丁寧なものいいであり対応でした。しかし、お互いが連絡をとりあってのことではない上に、東京の営業所も独自にというか勝手気儘に動いているので、荷物を配送する方々のおっしゃることは結果的に総合的に判断すると支離滅裂です。
 荷物が今どこにあるのかすら、掌握できていないのですから、途方に暮れるのは、発送元の方と受け取り人である私です。

 佐川急便から私がいただいた電話は、配送センターの方と配達員の方のお2人でした。このお2人は、この荷物の件で情報を共有しておられません。また、東京の方でも、配送センターと配達の方の動きがバラバラです。それは、京都に戻すことになっていた荷物を、東京で配達することになった方が持ち出しておられたことに起因します。

 さらに疑問なのは、私が先週日曜日に東京へ転送してもらいたいことを依頼した時に電話口で教えた東京の住所が、発送元の方に伝えられていたことです。
 荷物の転送は佐川急便の内部の処置であり、転送先の住所をわざわざ発送元の方に報告する必要はないはずです。転送先の住所は、人によっては隠さざるを得ない方がいらっしゃるのも事実ですから。
 今回の私の場合はさておき、転送先を他人に知られると困る方もいらっしゃるはずです。これなどは、個人情報の管理に関する問題だと思います。専門的なことは知りません。しかし、不愉快に思われる方は、きっといらっしゃることでしょう。

 佐川急便については、私がすでに何度かその杜撰さを記録として残してきました。その後もなんら改善されずに、今も同じように荷物を不用意に持ち歩いておられます。特に、佐川急便の転送業務は、まったく機能していません。

 以下、これまでに本ブログに書いた佐川急便関連の記事です。
 
【2000年12月】
「再録(13)佐川急便の受け取りを拒否」(2012年11月13日)
 この記事の末尾にあるコメント欄もご笑覧を。その一部を、後で引きます。
 
【2007年6月】
「相変わらずでたらめな佐川急便」(2007/6/29)
 この記事の末尾にあるコメント欄もご笑覧を。
 
【2011年1月】
「今でもデタラメな佐川急便」(2011/1/18)
 
 もう一つ思い出しました。あまりに昔のことなので、すっかり忘れていました。
 
【1999年3月】
「再録(19-3)またまたMV社のこと(1999.03.09)」(2016年03月09日)
 
 こんな調子で、佐川急便と私との相性はよくないのです。

 配送担当の方も配達担当の方も一生懸命に仕事をなさっていると思われます。
 しかし、佐川急便には、配送システムの中でも、特に転送業務に重大な欠陥があるのでしょう。そのために、荷物の送り手と受け手が迷惑を強いられています。

 上記「再録(13)佐川急便の受け取りを拒否」の記事に寄せてくださったコメントに、以下の内容が記されています。


転送の件ですが なぜ配達先の変更が荷受人の方の思うがままに出来ると考えられるのか不思議です そのような 無料のずうずうしいサービスのようなものは もともと 郵便局ノサービスです 各々会社は独自に良心的に行っているだけで 当たり前と考えているひとがいる事がびっくりです 私の一般常識からもはずれていますこの作業はものすごくマンパワーが必要です 日々の業務の中で ドライバーが 配達送り状の転送処理 新たな送り状の手書き 業務課の情報入力(システム化されていません)そのような事が可能というだけです善意です 輸送費はだれが支払うのでしょか 送り状も無料ではありません 輸送費が無料と思っているかもしれませんが 社内的には店舗間での輸送費処理きちんとされています 発送店側は赤字です


 この転送に関する関係者だったという方が寄せられたコメントにある考え方は、一般的なものなのでしょうか。物流の世界では、これが常識なのでしょうか。この考え方では、宅配業務は破綻すると思います。
 今回、京都から東京への転送料金が発生することは、しっかりと明言なさいました。私も、負担しますと承諾して、京都から東京への転送をお願いしました。したがって、寄せられたコメントは相当古い時代の感覚でおっしゃっているのかもしれません。

 もっとも、今日受け取った荷物には、着払いのラベルの上にさらにラベルが貼られていて、受け取りの際には見えませんでした。下に隠れるように貼ってあったからです。
 それにもかかわらず、今日の受け取りの際には、着払い料金は請求されませんでした。京都→東京→京都の転送配送料金は、結局どうなったのでしょうか。何となく気持ちが悪いので、後日この件は確認してみます。原則的には、京都→東京→京都の配送料金は、私が支払うことになるのでしょうか。よくわかりません。

 荷物が1日も早く私の元に届くようにと、発送元の方は細やかな心配りで対応してくださいました。お手数をお掛けしました。ありがとうございました。
 しかし、それにもかかわらず荷物を手にするまでに、何かとゴタゴタしました。

 再度のお願いとなります。
 私への荷物の配送は、佐川急便を使わないでください。
 業務上どうしても佐川急便で、ということであれば、着払い扱いで結構ですので、他の宅配業者を使って送ってください。大和運輸はこうしたトラブルは皆無です。ゆうパックは、下記の理由で信頼できません。
 この宅配便に関しては、少なくとも、京都に引き上げてくる来春4月までは。

 京都と東京で、荷物の受け取り方法を区別しているのが現状です。
 どうしても仕方なく東京で受け取ることにした荷物は、週末に京都へ帰る時にキャリーバックに入れて新幹線で持ち帰っています。来春、東京を引き上げる時の荷物を、一つでも減らすためです。
 こんなおかしなことも、もうしばらくの辛抱だと思ってやっています。

 以下、おまけの記事も記しておきます。

「迷走する「ゆうパック」で届いたハンガリー語訳源氏」(2010/8/2)

 こうした宅配便に関するトラブルは、私だけが特別なのか、それともよくあることなのか、とにかく記録として残しておきます。
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | 身辺雑記

2016年07月01日

京洛逍遥(411)工作道具を見てから京都府立図書館で調べ物

 京大病院へ向かう賀茂川沿いの木洩れ日の道は、私が大好きな自転車道の一つです。


160701_namikimiti




 京大病院にはお昼までいました。
 夜のニュースによると、夕方、京大病院で火事があったとのことでした。
 火事は、自分が若い時に体験したことなので、火の手を見ると身が竦みます。やはり、あの時を思い出してしまうのです。その場にいなくてよかったと思っています。

 「みやこめっせ」の地下にある京都伝統産業ふれあい館では、開館20周年記念特別展として「手しごとを支える道具たち」という展覧会をしていました。


160702_tesigoto




 いつもは、完成したものを見ています。しかし、その物ができるにあたっては、職人さんが道具を使って作られたものなのです。その製作道具を見ると、完成品の背景が見えてきます。マニアックと言われる道具が並んでいるだけです。しかし、なかなか見られない道具を拝見し、いいイメージトレーニングをさせていただきました。象嵌の実演も見ることができました。

 岡崎公園の朱塗りの大鳥居は、いつ見ても元気をもらえます。


160701_oototy




 その横には、府立図書館があります。


160701_liblary




 壁に嵌め込まれた文字のスタイルが気に入っています。


160702_font




 図書館では、大型本を出していただいて資料調査をしました。

 1階で開催中の小展示「外国人から見た日本」は、60冊ほどの本を直接手に取って見られます。やはり、本は自分の手でページをめくり、自分で目次や図版を見た上で「はじめに」と「あとがき」を読まないと、確認した手応えがありません。
 その意味でも、なかなか接することのない本との出会いは、貴重なものとなりました。


160702_booklist


posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥