2016年06月30日

日比谷図書文化館で読む歴博本「鈴虫」

 今日は、というか今日も、私がお話をし過ぎたことと、新幹線で京都へ帰る最終時間が迫っていたために、質問と翻字の確認にいらっしゃった方には大変失礼な対応となり、本当に申し訳ありませんでした。
 慌てて日比谷公会堂の裏からタクシーを飛ばし、ギリギリで新幹線に間に合いました。

 さて、歴博本「鈴虫」はきれいに書写された本とはいえ、読み難い箇所はたくさんあります。
 その中から2箇所を引きます。


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 これは、6丁裏の6行目から8行目の中ほどです。
 右側の行の中ほどから「けれ八三那」とあります。この「れ」と「那」をよく見つめながら、次の行の上から2文字目にある「古れ八」の「れ」と見比べてください。
 「れ」と「那」は、字形だけでは判別が難しく、意味を考えないと正確には翻字ができません。

 左端の行の「者し免八可りと」も、文字の続き具合にばかり注意を惹かれていると、文字がうまく読めません。特に「免八可り」は、落ち着かないと読めません。
 字形だけでなく、文章の流れと意味を理解しながら読んでいくと、すんなりと翻字できる箇所だと言えます。

 次の例はどうでしょう。


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 まず、右側の2文字目からは、「【本】い」と私は翻字をします。
 ここでは、「本」を漢字で翻字しておくことをお勧めしています。これは、漢字の「本意」の「本」が意味として残っていると思われることばなので、今は漢字を残しておく例です。
 「身つから」などと同じように、当座は漢字の意味が残っているものとしています。
 近い将来、「変体仮名翻字版」のデータが出揃ったところで、こうした語句を漢字の意味が残っているものかどうかを判断し、それから次にどうすればいいのかを判断すればいいと思っています。
 後で一々、漢字で表記されたものとして区別するのは大変です。まずは漢字の可能性を明示しておくのです。この隅付き括弧(隅付きパーレン)は、いつでも外せるのですから。

 そして、「本い」に続く「多可日」の「日」が「る」に見えることに注意しましょう。見た感じでは「る」であっても、意味から「日」となるものです。
 左側の行の「こ那多」では、「那」の懐深くに「多」が潜り込んでいます。一文字ずつを見分けながら丁寧に文字を追っていくと、こうした文字もしだいに見えてくるはずです。

 ここまで綴ってきて、新幹線「のぞみ」は結構揺れることを、あらためて実感しました。これでは、読書もままなりません。
 特に今日は、やけに揺れています。本が読めないのでパソコンを開きました。しかし、これでも目が前後左右に揺れるので、すぐに疲れます。
いつもはiPhone で文字の入力をしています。新幹線の中でノートパソコンを使うことはあまりないので、液晶モニタの揺れが不気味です。

 新幹線がこんなに揺れるとは、いままであまり感じませんでした。スピードアップしたためなのか、車体が古くなったせいなのでしょうか。
 加齢に伴い疲れやすくなっている、と言われるとそれまでです。
 パソコンも読書もダメとなると、音楽を聴くしかないのでしょうか。
 移動時の楽しみが減っていきそうです。
posted by genjiito at 23:26| Comment(0) | 変体仮名

2016年06月29日

谷崎全集読過(26)「ハツサン・カンの妖術」

 本作は、すでに発表した「玄奘三蔵」の副産物とでも言うべきものです。

 「谷崎全集読過(18)「魔術師」「玄奘三蔵」「詩人のわかれ」」(2013年04月18日)

 この小品「玄奘三蔵」等の3作は、大正5年12月から6年3月にかけて書かれたものです。本作の「ハツサン・カンの妖術」がそれを受けてのものであることは、本作中に「玄奘三蔵」を発表したことに言い及んでいることからもわかります。

 ハツサン・カンは、インドのカルカッタに住んでいた、有名な魔法使いです。
 出だしから英語の長文が引用されています。「玄奘三蔵」でもそうでした。初期の谷崎に見られる特徴でもあります。

 ここでは、「予がこの小説の中で、特に諸君に語りたいと思ふのは、〜」(谷崎潤一郎全集第六巻、73頁)と、読者に語りかけるスタイルをとっています。
 最後にも、「こゝまで書いて来れば、読者は恐らく、それから以後に起こった其の晩の出来事を、既に想像したであらう。」(110頁)と言います。

 作者自身が登場するところで、インドのことは次のように語られ、インドへの興味も、素直に述べています。


「あゝ、さうですか、あなたが谷崎さんですか。私はあなたの小説を讀んだ事があります。」
と、彼は云つた。聞けば宮森麻太郎氏のリプレゼンタテイヴ・テエルズ・オヴ・ジヤパンを繙いた時、巻頭に載つて居た英譯の「刺⾭」を非常に面白く讀んだので、それ以來「タニザキ」と云ふ名を覺えて居たのださうである。
「−−それで分りました。あなたは今度、何か印度の物語を書かうとして居るのでせう。此の間から印度の事を大變委しく調べて居るから、私は妙だと思つて居ました。失禮ですが、あなたは印度へいらしつた事があるのですか。」
予が「いゝえ」と答へると、彼は眼を圓くして、詰るやうな口調で云つた。「なぜ行かないのです? 此の頃は宗教家や書家が盛んに日本から出かけて行くのに、あなたはどうして行かないのです。印度を見ないで印度の物語を書く? 少し大膽過ぎますね。」
予は彼に攻撃されて、耳の附け根まで眞赤にしながら、慌てゝ苦しい辨解をした。
「私が印度の物語を書くのは、印度へ行かれない爲めなんです。かう云ふとあなたに笑はれるかも知れないが、實は印度に憧れて居ながら、いまだに漫遊の機會がないので、せめて空想の力を頼つて、印度と云ふ國を描いて見たくなつたのです。あなたの國では二十世紀の今日でも、依然として奇蹟が行はれたり、ヱダの~々が暴威を振つたりして居ると云ふぢやありませんか。さう云ふ怪しい熱帯國の、豊饒な色彩に包まれた自然の光景や人間の生活が、私には戀しくて/\堪らなくなつたのです。それで私は、あの有名な玄奘三藏を主人公にして、千年以前の時代を借りて、印度の不思議を幾分なりとも描いて見ようと思つたのです。」
「成る程、玄奘三藏はいゝ思ひ附きですね。いかにもあなたが云ふやうに、印度の不思議は二十世紀の今日でも、玄奘三藏が歩いた時代と餘り違つては居ないでせう。私の生れたパンジヤブの地方へ行けば、科學の力で道破することの出來ないやうな神秘な出來事が、未だに殆ど毎日のやうに起つて居ます。……。」(76〜77頁)


 また、次のようにインドを批判的にも語ります。


彼は口を極めて租國の人民の無氣力を罵倒し、迷信を呪咀し、社會制度を非難した。印度に立派な宗教や、文學や、藝術などが存在したのは、遠い昔の夢であつて、今ではたゝ懶惰なる邪教と蒙昧なる妖法との榮えて居る、「あなたの小読の材料にしかならない國土」だと云つたりした。(90頁)


 谷崎が語るインドは、非常に興味深いものがあるのです。これらの情報は、どのような経路で得たものなのでしょうか。調べてみるつもりです。

 なお、「此の頃神経衰弱に罹つて居る予の感覚」(79頁)とも言っています。当時の谷崎の状況がうかがわれます。

 本作は、上野の図書館で出会ったインド人との話が中心となっています。彼から受け取った名刺には、つぎのように記されていました。


府下荏原郡大森山王一二三番地、
印度人 マティラム・ミスラ(Matiram Misra )


 ミスラによるハッサン・カンの話を通して語られる宇宙論は、私には茫漠としていてよくわかりませんでした。

 この作品を書いていた時期は、谷崎が古代インドを通して須彌山思想などに並々ならぬ興味と関心を抱いていたようです。それを、ハッサン・カンという魔術師を引き合いに出して語っているのです。
 谷崎の思考には、科学的な要素が根強いことがわかります。論理的な思考回路を持っているのです。

 最後に作者は、ここでの魔法を実験したことを語ります。五感が消滅し、清浄な恍惚感だけの世界、涅槃界に入った感覚的世界を語るのです。そこは、奈良の東大寺戒壇院を想起させるものだったと言います。ついには、亡き母へと想いが至ります。
 谷崎の今後の作品の傾向を予想させる筆遣いを感じ取りました。【3】

初出誌︰『中央公論』大正6年11月
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2016年06月28日

古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の再確認(その5)

 今回も、「変体仮名翻字版」を作成する際に翻字作業で使う、付加情報としての記号の説明をまとめておきます。以下にあげたものは、従来の使い方と大きく異なるものではありません。

 これは、阿部江美子さんが作ったマニュアルを元にして、再編集したものです。
 これまでのものは、以下の通り本ブログにアップしています。
 参考までに、もう一度列記します。
 
「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その1)」(2015年09月25日)
 
「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その2)」(2016年03月19日)
 
「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その3)−改丁(改頁)に関する新方針」(2016年05月06日)
 
「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加と補訂(その4)」(2016年06月27日)
 
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【補入】記号(「+」(「○」「・」等)
例一 おかた/お+ほ・・・本行「おかた」の「お」の次に「ほ」の補入
例二 ほかた/+お・・・文節の第一字目が補入となっている場合
例三 /+おほかた・・・文節全体が補入となっている場合
例四 おかたおかしき/前お+ほ・・・前の「おかた」の「お」の次に「ほ」を補入
   おかたおかしき/後お+ほ・・・後の「おかしき」の「お」の次に「ほ」を補入
   おかたおかたおかしき/前2お+〈朱〉ほ〈朱〉・・・前から二番目の「お」の次に「ほ」を補入(補入記号、書き入れともに朱筆)
例五 くりて/く±た・・・「○(補入記号)」がなくて「た」を補入
例六 行末の右下に書き添えられた補入文字(ハーバード本「蜻蛉」520196)
    本とて/と±二
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【ミセケチ】記号「$」(「ヒ」「\」等)
例一 おほむかた/む$・・・本行「おほむかた」の「む」がミセケチ
例二 おほむかた/む$ん・・・本行「おほむかた」の「む」がミセケチで「ん」書き入れ(ミセケチ、書き入れともに墨書)
例三 けしき/$・・・「けしき」という文節全体がミセケチ
例四 けしき/$けはひ・・・「けしき」という文節全体がミセケチで「けはひ」と傍記
例五 しはしにも/後し$す・・・後ろの「し」をミセケチして「す」と書き入れ
例六 給へり/給へ$〈朱〉まい〈朱〉・・・ミセケチ記号と傍書が共に朱書き
例七 かほ/ほ$〈朱〉け歟〈墨〉・・・「ほ」を朱書きでミセケチ、「け歟」と墨書で傍記
例八 さしあたりて/あ$〈墨〉シア〈朱〉・・・「あ」を墨でミセケチ、朱書のカタカナで「シア」と傍記
例九 たくひなき/たくひ$〈墨朱〉ひま〈朱〉・・・墨と朱でミセケチ。朱筆で「ひま」と傍記
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【なぞり】記号「&」
例一 かけを/に&を・・・本行「を」の下に「に」と書かれている
例二 きこえむを/△&を・・・本行「を」の下に何の字か不明だが、その字の上に「を」と書かれている
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【合点】記号(朱書の場合は/〈朱合点〉)
例一 つなかぬふねの/〈合点〉・・・文節の第一字目「つ」のところが合点「\」がついている場合
例二 そのつなかぬふねの/つ〈合点〉・・・「つ」のところに合点「\」がついている
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【濁点】記号〈濁〉
例一 いみしう/し〈濁〉・・・「し」に濁点が付されている
例二 きはきは/後き〈濁〉・・・後ろの「き」に濁点が付されている
例三 さま/\//\〈朱濁〉・・・「/\」に朱筆で濁点が付されている
例四 御てうとゝも/て〈濁〉、とゝ〈濁〉・・・「て」「と」「ゝ」に濁点が付されている
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【その他の注意事項】
※書写状態を付加情報として記述する際、記入方法がわからない箇所には「?」を付ける。
※翻字や書写状態の記述で迷ったら、個人で判断せずに申し送り事項とする。
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posted by genjiito at 21:21| Comment(0) | 変体仮名

2016年06月27日

古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加と補訂(その4)

 日比谷図書文化館で翻字講座に参加なさっているOさんから、『源氏物語』の写本を「変体仮名翻字版」に作り替える作業中に疑問に思われた、踊り字に関する質問を受けました。

 忙しさにかまけて、「変体仮名翻字版」の凡例の見直しが不十分なままになっています。こうして問い合わせを受けた機会に、少しずつ凡例を整備しています。

 これまでに、以下の通り3回に分けて凡例の追加や補訂をして、簡単な説明をしてきました。
 これらは、あくまでも「変体仮名翻字版」としての翻字データを作成する、作業上の共通理解となる凡例です。翻字データの利用者向けのものではないことを、あらかじめお断わりしておきます。

「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その1)」(2015年09月25日)

「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その2)」(2016年03月19日)

「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その3)−改丁(改頁)に関する新方針」(2016年05月06日)

 今回これらに続き、【漢字・仮名・記号・その他】に関する凡例の補訂版「その4」としてアップして確認しておきます。

 現在、『源氏物語』の「変体仮名翻字版」のデータ更新をしてくださっている方々や、今後このNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の翻字活動に協力してくださる方は、この一連の凡例を折々に確認していただけると、よりよい翻字データが受け継がれていくことになると思います。
 今後とも、ご理解とご協力のほどを、よろしくお願いします。


【漢字・仮名・記号・その他】



1 基本的に、書写されているそのままを翻字。以下の場合は要注意。
 漢字表記は【 】で括る。
 例 「【女御】」(「め【御】」とはしない)、
   「【更衣】」(「【更】え」とはしない)、
   「【左近】」(「さ【近】」とはしない)、
   「【御衣】」(「【御】え」とはしない)、
   「【上達部】」(「【上達】へ」とはしない)、
   「ひめ【君】」(「ひ【女君】」とはしない)、
   「【侍】(6ウ)」【覧】」(改丁箇所で泣き別れとなる場合は別個に処置)
   「ゐ【中人】」(平仮名と漢字が混在するものは、漢字の部分のみを亀甲括弧で括る)
  熟語の漢字部分の表記。
 例 【雲】井(「井」は当て字として漢字にはしない。「【雲居】は熟語とする」
  二種類の語意が共存している場合は、それぞれを漢字として【 】で明示。
 例 「【御事】」(「【御】【事】」としない)
   「【物思】ひ」(「【物】【思】ひ」としない)
 例 「【給】【京】へ」(「【給京】へ」としない)
 例 「【入道】の【宮】」(「【入道の宮】」「【入道乃宮】」としない)
2 旧漢字はすべて新漢字にする。
   萬→万、哥→歌、佛→仏、條→条
3 「【見】る」などで「【見】」を活かす場合は、そのまま「【見】る」とする。
   「【形見】」「【見】くるし」などの場合も同様。
   「【身】つから」「【世】けん」「すく【世】」も漢字の意味が活きているものとする。
4 「けしき」「けはひ」の「け」が「気」の場合はそのまま(「気」を残す)とする。
   「をかしけなり」などの「け」は、そのまま仮名にしておく。
5 踊り字は、基本的に書写されているままの記号・符号で翻字。
 例 「【人】/\」
  従来は「人々」としていた。
  ただし「々」が用いられている場合は「【人】々」)。
  これは「/\」や「々」を記号として扱うことによるもの。
  従来は、翻字記号を統一して、電子データ固有の検索の手間を一元化する処置をしていた。
  文節が、「ゝ」または「/\」ではじまる場合。
   ( )内に踊り字を開いた形を付して、当該文節が踊り字で始まらない形を明示。
 例 おほしゝを・ゝしからぬ(をしからぬ)
6 虫損などにより、文字の一部がわからなくても、残っている部分から類推できる場合。
 例 ・・・/□〈判読〉
7 虫損、汚れなどにより、文字がまったくわからない場合は、その字の部分を△とする。
8 明らかに誤字脱字の場合。
  入力ミス等、見落としではないことをはっきりさせる場合には〈ママ〉を付す。
 例 たてまつつるに/つつ〈ママ〉
9 「ハ」「ミ」「ニ」はひらがな表記で統一。
  ただし、明らかにカタカナである場合はそのまま記す。
10 本文注の朱句点「・(赤字)」、墨句点または句点のない場合は、その旨を巻名の最初に記す。
  「朱点」「墨点」「句点なし」は、本文中には入れない。
11 注記が複数の時。
 例 色にも/△&に〈判読〉、も&も、も$〈朱〉・・・読点で区切る
  その注記内にさらに注記がある時。
 例 そしりをも/も+え、傍え=へ〈朱〉
  補入文字の「え」の右横に「へ」と朱書きの文字が傍記されている。
12 削除された文字(塗り消しや擦り消しされた文字)。
 例 なりぬるか/か〈削〉
13 紙面の一部がくり抜かれたような穴となり、文字が欠落している場合。
 例 お△かた人の/△〈破損〉
14 和歌の始発部と末尾には、カギカッコ(「 」)を付す。
15 底本の語句に対応する本文(文節箇所)が対校本文に存在しない時は「ナシ」と表記。
16 落丁の該当箇所には、「ナシ/落丁」と明示。
17 「も」と「ん」について。
   当然「も」と読むべき「ん」でも、表記された字形を優先して書かれているままの文字で翻字。
18 写本に記入された倒置記号について。
   ○印と引き込み線やレ点などを用いて、字句の転倒を正す符号が付された本文箇所
 例 とやまも/記号ニヨリ「とまやも」
19 付箋に異文などの記載がある場合。
  「あしき/=かなしき〈付箋〉」として傍記扱いとする。
20 異本異文注記が上部余白部分に記されている場合。
  「人や/人$我イ〈上空白部〉」として対処。
21 注記混入かと思われるものが本行に書写されている場合。
  「/本行書写」として対処。
22 本行本文に割り注がある場合。
  「よ/(割注)常陸守取婿(改行)少将たかへす」として、本文に関わる付加情報として注記。
23 底本の和歌に関して、一首全体が補入となっている場合。
  「いせ人の/コノ歌ハ補入」とする。
24 ミセケチ記号(「ヒ」「\」等)や補入記号(「○」「・」等)。
   また書き入れ等が朱筆で書かれている場合は、「〈朱〉」「〈朱合点〉」「〈朱濁〉」等の記号を用いる。
   墨筆であることを強調する場合は、「〈墨〉」等の記号を用いる。
 例 いみしう/し〈朱濁〉・・・「し」に朱筆で濁点が施されている。
 例 はねを/〈墨朱合点〉・・・「は」に墨筆と朱筆で合点が施されている。
25 文字に清音で読む事を示す記号がついている場合。
 例 あつしく/つ〈清〉・・・「つ」に清音で読む事を示す記号が施されている。
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2016年06月26日

江戸漫歩(129)隅田川に架かる永代橋と中央大橋

 最近の隅田川に架かる橋を記し留めておきます。

 永代橋は現在補強工事が行われています。
 中央大橋からスカイツリーを望んだ景色です。


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 春先のスナップ写真から、隅田川の中でもトップクラスだと言われている優雅な姿を抜き出しておきます。


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 この永代橋から中央大橋、佃島、石川島、豊洲方面を見渡しました。


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 中央大橋は、遠くから見霽かすよりも、真下から見上げた方が力強さを感じます。


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 夕方、宿舎の前の清澄通りに架かる相生橋から、豊洲運河の先に拡がるリバーシティのツインビルや日本橋方面を望みました。右側にスカイツリーの尖頭部分が見えます。


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 運河沿いのマンション群となっている隅田川の河口一帯は、都心とは違う東京のもう一つの姿です。
posted by genjiito at 22:40| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年06月25日

第13回出版法制史研究会で貴重な情報をいただく

 浅岡邦雄先生のお誘いをいただき、「出版法制史研究会 第13回例会」に参加しました。
 私は、一般に流布するテキストを読んで、そこからの思いつきを読書感想文のように話す、自己陶酔の域を出ない研究会が嫌いです。その点ではこの会は、広汎な手堅い資料で発表が展開する、気持ちのいい集まりです。

 会場は國學院大學です。キャンパスには、「浴衣で授業を受けよう」というスローガンが掲げられていました。おもしろい企画です。


160625_yukata




 まず、本日のプログラムから。


日時:2016年6月25日(土)
   午後1時30分〜6時
会場:國學院大學 渋谷キャンパス
発表題目
○真辺美佐(宮内庁書稜部)
「帝国議会における新聞紙条例改正論議の意義 ―議会開設後から明治30年まで―」
○安野一之(早稲田大学現代政治経済研究所研究協力者)
「内閲再び―「内閲綴」に見る戦時下の出版検閲―」


 専門外の私にも問題意識を共有できるテーマの発表なので、興味深く聞きました。

 真辺さんには初めてお目にかかりました。
 A4版で24枚の資料には圧倒されます。
 第一議会期(明治23〜24年)から第十議会期(明治29〜30年)の間に、発行停止権の廃止が何度も議会に提出されたとのことです。明治から昭和初期が好きな私には、資料を追うだけで、興味津々です。

 提示された膨大な資料の中で、第四議会期(明治25〜26年)の『帝国議会貴族院議事速記録』以降、政府委員として末松謙澄が発言していることが記録されていました。

 第四議会期には、次のような発言があります。(1月10日、新聞紙条例改正(衆議院提出)、「第四回帝国議会貴族院議事速記録第十四号」明治26年1月10日)


○政府委員(末松謙澄)出版の自由で知られる英国でも仏国でも発行停止処分はある。またヨーロッパでは事前に検閲することもあり、ベルギーで行われている。


 これは、司法処分のことであり、行政処分のことではないそうです。私の理解が正しくないのであれば、お許しください。

 第九議会期には、次の発言もあります。(1月17日、「第九回帝国議会貴族院議事速記録第十号」明治29年1月17日)


政府委員(末松謙澄)発行停止を全廃出来ないのは、「今日我文学ノ状況、其他人心ノ有様ガ未ダ其程度ニ達シテ居ナイノデアル」

 ここで言う「文学」が意味することを、しばし考えてしまいました。

 発表後の質問の中に、末松謙澄の肩書きがほしいということがありました。確かに、どのような立場での発言なのかで、その意図が変わります、政治の世界では発言が変わるなど、いろいろとある人のようです。
 この末松謙澄の発言に関する資料については、後の懇親会で詳しく教えていただきました。

 出版条例や版権条例が同時進行で議論され、法となったようです。新聞紙条例が通らなかった中で、明治30年の時に新聞紙法とならなかったのはなぜか。さまざまなことが問題となる、興味深い内容の発表でした。
 
 
 続く安野さんは、これまでにも何度か本ブログで紹介しました。池田亀鑑が昭和7年に編集した『源氏物語展観書目録』の奥付と検閲の問題では、『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』に寄稿してもらいました。

 今日は、「内閲再び―「内閲綴」に見る戦時下の出版検閲―」と題する発表です。

 「内閲」とは事前検閲のことで、大正6、7年頃からのことだそうです。後で、池田亀鑑が書いた小説「美しく悲しい安養尼のお話」が大正8年(1919) の「少女の友 12巻」に掲載されたことに関連して、内閲があったかどうか尋ねました。雑誌社が見てもらっていた可能性はある、とのことでした。

 池田亀鑑は、大正6年まで鳥取県日野郡溝口尋常高等小学校で訓導をした後、22歳の大正7年に東京高等師範学校に入学しています。そして大正8年に小説を書いているのですから、出版検閲が何であるかはよくわからないままに執筆をすすめていたことでしょう。

 内閲や検閲で、原稿が変更されたり削除されている実態が多数報告されました。印刷されて公刊される前に、原稿、ゲラ、刊行物の流れの中で、筆者と出版社と検閲者の闘いが垣間見えました。

 例示された山本有三の『路傍の石』に関する断筆の話は、非常に興味深いものでした。
 山本は、次のように言っています。


ここを切れ、あすこをけずれと、内務省の検閲官は事前検閲にあたって、むずかしいことを言いだしたのである。(中略)…涙をのんで、命ぜられた点をけずり、そのために意味の通じなくなった点は、一応通じるようにして、校正ずりを雑誌社に返したのであった。


 この山本の原稿が残っていないのが惜しまれます。

 他には、「涙」が出てくる場面は削除や書き換えの対象となっている、との指摘がなされました。戦線将兵の士気が下がらないように、という配慮からではないか、とのことでした。

 レジメの最後に、本日の発表内容が要領よくまとめてあったので、その文章を引きます。


 今回新たに見つけた「内務省官制改正参考資料(出版検閲機構整備関係)」により、昭和16年以降、事前検閲が図書課の通常業務に組み込まれていたことが明らかになった。「内閲綴」はその先駆と言うことが出来るだろう。
 戦時期に様々な角度からの「事実上の事前検閲」があったことは知られていたが、「内閲綴」とそれに続く内務省による事前検閲が具体的にどのように行われていたかが見えてきた。今後は「内閲綴」の精査を進めると共に、この時期の出版検閲制度全体を整理しなおす必要があるだろう。


 貴重な資料と示唆に富む発言が交わされ、収穫の多い研究会でした。

 終了後は、渋谷の並木橋近くで懇親会がありました。
 ここでも、多くの情報をいただきました。特に、大家重夫先生からは、末松謙澄について貴重なお話を伺いました。森洋介さんからは、『井上靖全集』の書誌的解題などですばらしい仕事をなさった、曾根博義氏の話を聞きました。曾根氏は、今週6月19日に76歳でお亡くなりになったばかりです。本ブログで井上靖卒読を連載していた時には、曾根氏の書誌情報のお世話になりました。伊藤整の実証的伝記研究がご専門だったことを教えてもらいました。

 出版法制史研究会のテーマとは守備範囲を異にする門外漢にもかかわらず、懇切丁寧にご教示いただいたみなさまに、あらためて篤くお礼申し上げます。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年06月24日

古都散策(58)【復元】移転5・古都散策(16)夏の薬師寺

 夏の夜、古都奈良を散策した時の記事を、クラッシュした資料群の中からとり出して復元しました。
 写真が粗っぽいのは、夜ということに加えて、撮影に使っているデジタルカメラの性能によるものです。オリジナルのデータが見つかり次第、現在の技術で再生させるつもりです。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年9月9日公開分
 
副題「薬師寺のライトアップを見る場所を探す(8月6日)」
 
 薬師寺の東塔と西塔がライトアップされているのを、夕刻より見に行きました。
 奈良は盆地なので、夏の午後6時はまだ明るい時間帯です。7時前ころになると、ようやく陽が生駒山に隠れるようにして、薄暗くなっていきます。
 薬師寺は西の京にあり、唐招提寺の南に位置しています。飛火野の南、志賀直哉の旧宅がある高畑のさらに南にある新薬師寺と、よく間違えられます……。かつて薬師寺は、高田好胤さんのお寺として有名でした。私も影響を受けて、『父母恩重経』を読んだりしたものです。平山郁夫画伯の玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」のある所、と言ってもいいでしょう。

 奈良市の中心地にある、東大寺・春日大社・興福寺グループに対して、この西の京は、第2の観光地です。第3が、法隆寺・法輪寺・法起寺グルーブ、そして第4が飛鳥グルーブでしょうか。我が町の信貴山と長屋王墓は、第5としておきましょう。

 拙宅から車で矢田丘陵を越えて、真っ直ぐに薬師寺を目指しました。30分もかかりません。しかし、薬師寺の三重塔の真横に着いてみて、肝心のライトアップを見る位置に困りました。車を止める所もなければ、見ている人もいません。
 ここではないと思い、見る場所を探してうろうろしました。仕方がないので、薬師寺の南側の大駐車場に行きました。しかし、そこも木々に遮られて、よく見えません。

 車を置いて、ブラブラと散策することにしました。先ほどの塔の真横まで行ったところ、僧坊のおばちゃん(まさに関西で言うところの人)が外に出て来ました。その人を捕まえて、一番綺麗に見える所を教えてもらいました。それは、まずここだと。自分の家の前だからなおさらです。
 ここからは、こんなふうに見えます。

 まずは西塔です。昭和56年(1981)に再建された、高さ34mの塔です。


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 普段の姿は、次の画像一覧の通りです。

https://www.google.co.jp/search?q=%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA+%E8%A5%BF%E5%A1%94&espv=2&biw=1440&bih=930&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwiBu42xnYPNAhUGtJQKHW_AAbkQsAQIKQ&dpr=1

 薬師寺には二つの三重塔があります。カメラを右に振ると、天平の香りを漂わせる国宝の東塔が、こんなふうに見えます。日本で三番目に古い塔で、「凍れる音楽」と呼ばれているものです。

160531_yakusiji2




 この東塔については、次の画像一覧をどうぞ。いろんなことがわかって、本当におもしろいものになっています。

https://www.google.co.jp/search?q=%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA+%E6%9D%B1%E5%A1%94&espv=2&biw=1440&bih=930&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&sqi=2&ved=0ahUKEwiSn_iCnoPNAhXEjJQKHRdzBk4QsAQIJw

 光を受けた三重塔を堪能して道を引き返し、車に戻ると、すぐ横では盆踊りをしていました。
 薬師寺前での盆踊りも、また一興でした。夜店のたこ焼きと焼き鳥が、いずれも一舟百円でした。


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 僧坊のおばさんの教えでは、大池(勝間田池)からの眺めもいいとか。帰り道でもあったので、立ち寄りました。


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 帰り道で、西大寺の方での大規模な打ち上げ花火を、走る車の中から見ました。おまけを貰った気になりました
 自宅に帰り着いた頃に、我が町平群グラウンドでは、まだ盆踊りをしていました。
 江州音頭ではイマイチ盛り上がりません。それが、河内音頭になると、急に踊り手も増えて賑やかになります。

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 まさに、日本の夏を体験しました。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 21:55| Comment(0) | 古都散策

2016年06月23日

読書雑記(170)船戸与一『群狼の舞 満州国演義3』

 『群狼の舞 満州国演義3』(船戸与一、新潮社、2007年12月)を読みました。
 全9巻の大河小説なので、まだ前半です。


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 昭和7年、奉天で満州国の建国宣言がなされたことから始まります。国都は長春を改名した新京です。

 新京については、私の両親が戦時中ここにいたため、折々によく聞いた地名です。自分との接点があることもあり、物語の背景がよく見えました。
 本ブログの「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010/4/29)で、長春のことを記しています。
 本作でも舞台となっているハルビンでの戦闘場面や夕陽が沈む景色は、両親から何度も聞いた話を思い出させます。ハルビン、チチハル、ハイラル、そして満州里などなど、耳に馴染んだ地名です。当時のことを、もっと聞いておくんだった、と思いながら読み進めています。

 過酷な歴史の中に、一人一人の人間が克明に描き出されていきます。
 満州の地における敷島4兄弟の動きが、巻を追う毎に慌ただしくなります。歴史が激しく動く中を、それぞれの役割を背負って前を向いて歩んでいく姿が活写されます。

 5・15事件のことは、満州や中国を舞台とする物語であるためか、その意義が今後の日本にどう影響するかに留まり、語り口は客観的に冷めた目であることが印象的でした。
 「国家の創造は男の最高の浪漫」という思いが、満州の男たちを突き動かしているというのです。

 登場人物たちは、時勢の中でさまざまな立場に身を置き、それぞれの思いから考え方を変転させます。これを、人間としての成長と言うべきか、おもねると見るべきか。
 激動の時代に生きる男たちの姿が、4兄弟の動向と心中を語ることで、多角的な視点から躍動する筆致で語られています。

 満州を舞台にした組織と個人の力関係が、敷島4兄弟を介して巧みに物語られているのです。満州の地での実情や実態が、克明に描き出されており、一つの歴史に身を置いた臨場感が、肌身に直に伝わってきます。

 そうした中で、関東軍はしだいに満州における影響力を獲得し、満州帝国を構築する段階へと突入していきます。新都としての新京(長春)の建設も、着実に槌音を響かせて進んでいるのでした。

 敷島太郎の4歳だった長男明満が亡くなり、満州事変が勃発した記念の花火が奉天神社で打ち上げられているところで、この巻は綴じられます。一気に読ませてくれました。
 船戸作品は、ダイナミックな描写とドラマチックな物語展開で、読む者の心を摑みます。これからどうなるのか。続きを読みたくさせます。【4】
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 読書雑記

2016年06月22日

読書雑記(169)山口謠司『日本語を作った男 上田万年とその時代』

 『日本語を作った男 上田万年とその時代』(山口謠司、集英社インターナショナル、2016年2月)を読みました。
 上田万年については、作家円地文子の父と言った方が通りがいいかもしれません。


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 気難しそうな森鷗外と、それを仮名遣調査委員会の司会として迎え撃つ上田万年の姿から語り出されます。
 旧仮名遣い派の森鷗外と、新仮名遣い派の夏目漱石の対立も、興味深く紹介されます。
 次の言葉が印象的です。


万年なしに「漱石」は生まれてこなかった。(25頁)


 本書は、明治から大正にかけての日本語の歴史を語っています。
 井上ひさしの『國語元年』が導入に使われているゆえんです。

 明治十年代後期から明治四十年頃までの日本語論争は、まさに今私が一番知りたいことであり、興味がある時代です。じっくりと読みました。

 チェンバレン、物集高見、アストン、サトウ等々、私も知っている人々が出てきて、楽しく読み進められました。

 ただし、しばしば脱線して明治時代の文学史や文化史に流れます。上田万年は、著者にとっては語りのきっかけにしているに過ぎない、と言うのが当たっているのです。
 とにかく、登場する人物の多さには圧倒されます。それだけ、明治時代から昭和時代にかけての日本語のありように関しては、さまざまな変転があった、ということなのです。

 私が本書を手にしたのは、明治33年に平仮名が現行の字体の1文字だけに統制された背景を知りたかったからです。しかし、このことに関しては、あまり新しい情報を得るものがありませんでした。無い物ねだりだったこととはいえ、残念でした。

 なお、巻末の「本書俯瞰のための国政および国語問題、文学関係年表・附 上田万年年譜」は、通覧していて楽しいものでした。歴史と事実を時間軸から切り取ることに、著者らしい視点で整理がなされたものです。【3】

 最後に、私がチェックをした箇所を列記しておきます。

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・新島嚢に大きな影響を受けてアメリカで教育を受けた内村鑑三は明治二十七(一八九四)年に箱根で行われたキリスト教徒第六夏期学校での講演『後世への最大遺物』でおおよそ次のように述べている。

 日本人が文学者という者の生涯はどういう生涯であるだろうと思うているかというに、それは絵艸紙屋へ行ってみるとわかる。どういう絵があるかというと、赤く塗ってある御堂のなかに美しい女が机の前に座っておって、向こうから月の上ってくるのを筆を翳して眺めている。これは何であ
るかというと紫式部の源氏の間である。これが日本流の文学者である。しかし文学というものはコンナものであるならば、文学は後世への遺物でなくしてかえって後世への害物である。なるほど『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかも知れませぬ。しかし『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。何もしないばかりでなくわれわれを女らしく意気地なしになした。あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい(拍手)。
……文学はソンナものではない。文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。

 日本語を捨て去って、母国語を英語にするということを、もし、彼らが決めていたとしたら……ということも、必ずしも不可能ではなかったのである。(51〜52頁)
 
・日本語を棄てて英語にしようという急進的な考えは別にしても、日本語ローマ字化と同時に、前年の明治六(一八七三)年には、以前から漢字廃止を唱えていた前島密が『まいにちひらがなしんぶんし』を発行していた(翌年廃刊)。(53頁)
 
・明治三十三(一九〇〇)年、文部省は、それまであった「読書」「作文」「習字」の三つをまとめて「国語」という科目を作るのである。これはまさに「朝廷ー幕府ー藩」という旧体制を脱して、「大日本帝国」という国家の体制が「国家」「国民」「国語」という新しい次元に変化したことを意味するものでもあった。
 明治三十三年の段階では、いまだ、「標準語」は整備されていない。しかし、「国語」を科目として全国の小学校の科目に置くことで、次第に「新しい思想」が「新しい国語」で書かれる道が生まれてくるのである。(57頁)
 
・当時イギリス・ケンブリッジ大学に留学していた末松謙澄は、『日本文章論』(明治十九年刊)のなかで「羅馬字書方」を記し、羅馬字会が作ったローマ字の書き方を改良し、さらに日本語の発音と一体化する綴り法が必要だということを説明する。(81頁)
 
・促音の符号の如き、或人はッの字をかき、或人はフツクチキの字の右側に●点を施し、或人は−又はツを以て之を区別す。これらも予輩の希望よりすれば、一定の符号仮令ばפֿ字の如きを作り、これを以て総ての場合を総括したきものなり。たとえば
国家 コפֿカ  立法 リפֿポー  一切 イפֿサイ
合羽 カפֿパ  達者 タפֿシヤ
等の如し。これらも亦−と同じく、五十音図中んの下に入るべきは論なかるぺし。(288頁)
 
・明治三十三年は、万年にとって「仮名遣いの革新」という意味では非常に実りある年でもあった。
 帝国教育会国字改良部仮名調査部の会議などを経て、八月、文部省は小学校令において、「読書作文習宇を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべき漢字を千二百字に制限」し「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定したのである。(296頁)
 
・「国語調査会」は明治三十五(一九〇二)年三月「国語調査委員官制発布」とともに「国語調査委員会」となる。その構成委員は「国語調査会」とはやや異なるが、正式に「国語調査委員会」を発足させる明治三十五年四月十一日から九月二十五日までの官報を見ると、国語調査委員会の委嘱として、辞令が次の人々に下されている。
 加藤弘之(文学博士、男爵)
 嘉納治五郎(東京高等師範学校長)
 井上哲次郎(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 澤柳政太郎(文部省普通学務局長)
 上田万年(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 三上参次(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 渡部董之助(文部書記官)
 高楠順次郎(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 重野安繹(文学博士)
 徳富藍花
 木村正辞(文学博士)
 大槻文彦(文学博士)
 前島密
  うち、委員長は加藤弘之、主事は上田万年
 また、補助委員に芳賀矢一、保科孝一、新村出、岡田正美、林泰輔、大矢透、山田孝雄の六名が任命された。(390頁)
 
・明治三十七(一九〇四)年四月一日に「文部省内国語調査委員会」が発行した『国字国語改良論説年表』という書物がある。慶応二(一八六六)年から明治三十六(一九〇三)年十二月末までに起こった国語問題が詳細に記録される。
 つまり、国字国語改良は、この時までにほぼ完了していたということであろう。
 出版の時、すでに日露戦争が勃発して二ヶ月が過ぎようとしていた。(430頁)
 
・万年がドイツの言語学を輸入して日本語の音韻の変遷を明らかにし、芳賀矢一がドイツ文献学の研究を輸入して我が国の文献の歴史を説き、漱石が英語学の専門家としてイギリスに留学させられたのも、もちろん、我が国を近代化して列強と肩を並べることが目的であったが、同時にそれは我が国の教育の根幹となる国字と国語を江戸時代のものから改良し、近代的なものにするためであった。
 しかし、前島の上奏から三十年経っても、結局国の政策としては何も決まらなかった。再び、国語問題が動きはじめるのは明治三十一(一八九八)年五月八日、井上哲次郎が東京学士会院で「新国語確定の時期」と題して演説を行い「現今こそ新しい国語を確定するに其好時期である」と述べた頃からだった。
 ここから、明治三十八(一九〇五)年に言文一致を目指す仮名遣いの改正が諮問されるまでのこと
を、『国字国語改良論説年表』を利用しながら改めて順を追って見てみたい。

〈明治三十一(一八九八)年〉
 五月、万年、フローレンツ、小川尚義、金澤庄三郎、藤岡勝二、猪狩幸之助、新村出らが「言語学会」を設立する。
 九月及び十月、井上哲次郎は『国字改良論』を雑誌『太陽』(第四巻第十九号・二十号)に発表する。

 井上は言う。電信では、欧文の一単語と仮名で書かれる七音節を等価として計算する。日清戦争時の和文電信は、欧文のものに比して安価で簡便である。ただ、国字を改良するというのであれば、速記の記号を新しく仮名のようなものに制定するという案もある。ローマ字が絶対いいという理由も分からないし、新しい国字を作ると言いながらできない。一度ここで、実際のことを十分に考えてみる必要があるのではないか。

 七月、万年、「国語改良会」結成。
 十一月、万年は文部省専門学務局長兼参与官に任命される。

 これに伴い、文部省専門学務局長兼参与官であった澤柳政太郎(一八六五〜一九二七)が普通学務局長に昇格した。
 澤柳は、万年とは東京府第一中学変則科で同級だった頃からの親しい友人である。また、澤柳は、狩野亨吉とも親友であった。
 狩野は、この年、漱石の招きで熊本の第五高等学校にいたのを退職して、東京の第一高等学校に校長として赴任した。漱石は、狩野が住んでいた家に越した。澤柳と狩野は、三十三歳、万年と漱石は三十一歳になっていた。

〈明治三十二(一八九九)年〉
 五月、漢字廃止論に反対する重野安繹が、『東京学士会院雑誌』に「常用漢字文」を発表。五千六百十字を選んで使用することを提案した。
 五月末、漱石に長女・筆子が生まれる。
 六月、鴎外は小倉に左遷される。

〈明治三十三(一九〇〇)年〉
 二月十五日、『言語学雑誌』第一号発刊。
 二月二十二日、帝国教育会国字改良部漢字部では、
  (一)漢字節減に関する材料を蒐集すること
  (二)固有名詞は凡て漢字を用いること
  (三)形容詞及び動詞はなるべく漢字を用いざること
  (四)簡易にして普通定用的なる漢字は之を保存し置くこと(例えば、郡市町村月日数字円銭等)
を議定する。
 四月十六日、第一回国語調査会が開会される。
 五月二十四日、帝国教育会国字改良部新字部は、速記文字を以て新字とすることに決し、かつ新字大体の標準を発表する。
  (一)日本の発音を写し得ること
  (二)早く書き得ること
  (三)読み易きこと
  (四)覚え易きこと
  (五)大小自在に書き得ること
  (六)印刷に便なること
  (七)タイプライタアに適すること
  (八)字体の美なること
  (九)短縮を記し得ること
  (十)字体は一種なるべきこと(赤文字は引用者による)
 五月二十五日、帝国教育会国字改良部仮名調査部は、以下の諸項を決議する。
  (一)文字を縦行に記す
  (二)片仮名平仮名を併用す
 六月十三日、漱石、芳賀矢一、高山樗牛らに留学の辞令が下りる。「同年九月から満二年」という期限である。
 六月三十日、箱根で芳賀を囲んだどんちゃん騒ぎの宴会が開かれた。
 八月、文部省は、小学校令において、「読書作文習字を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべき漢字を千二百字に制限」した。
 また、「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定する。
 九月、漱石と芳賀矢一はヨーロッパ留学のために横浜を発つ。(463〜467頁)

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 以下に、発売元である集英社インターナショナルのホームページから、本書の概要と目次を引いておきます。


概要

夏目漱石、森鷗外、斎藤緑雨、坪内逍遥…そして上田万年。
言葉で国を作ろうと明治を駆けた男たちがいた。

「日本語(標準語)」を作ることこそが、
国(国家という意識)を作ることである――。

近代言語学を初めて日本に導入すると同時に、標準語の制定や仮名遣いの統一などを通じて「近代日本語」の成立にきわめて大きな役割を果たした国語学者・上田万年とその時代を描く。

明治維新を迎え「江戸」が「東京」となった後も、
それを「とうきやう」とか「とうけい」と様々に呼ぶ人がいた。

――明治にはまだ「日本語」はなかったのである。
 
 
目次

第1章 明治初期の日本語事情
第2章 万年の同世代人と教育制度
第3章 日本語をどう書くか
第4章 万年、学びのとき
第5章 本を、あまねく全国へ
第6章 言語が国を作る
第7章 落語と言文一致
第8章 日本語改良への第一歩
第9章 国語会議
第10章 文人たちの大論争
第11章 言文一致への道
第12章 教科書国定の困難
第13章 徴兵と日本語
第14章  緑雨の死と漱石の新しい文学
第15章 万年万歳 万年消沈
第16章 唱歌の誕生
第17章 万年のその後
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2016年06月21日

エレベータの開閉ボタンは今のままでいいのか?

 エレベータでのことです。

 後から急いで乗り込んで来られる方がいらっしゃった時、とっさにドアの開閉ボタン【開く】を押したつもりが、うっかり【閉まる】を押したことが何度もあります。これは、私はもとより、妻もよくやるので、少なくとも我々2人に関しては、あのボタンに付いている開閉マークは視認性が低く、混乱するだけのものだと思っています。瞬時に意味がわかるアイコンになっていないという点では、問題があるのではないでしょうか。再検討すべきです。

 ユニバーサルデザインである以前に、記号として不適当なデザイン画だと思っています。あの絵の意味するものが、すぐに共有できないのですから。
 ただし、今も全国で使われているので、それなりの役にはたっているのでしょう。
 いまさら変えられない、ということもあるのでしょう。
 そもそも、平仮名を添えないといけない状態にある、ということからして不完全なアイコンなのです。平仮名は、海外からお越しの方々への配慮なのでしょうか。日本人にもアイコンが視認され難いことが明らかになったことから、平仮名を添えることになったと思われます。
 以下に列挙する開閉ボタンの写真が、そうした実体を物語っています。

 あのボタンに付いている絵文字は、人間の感覚を錯乱させるものではないのか、との思いから、これまで折々に写真に収めてきました。
 そこで、撮り溜めて来た数百枚の写真から、ここにそのいくつかを例として揚げて、別の絵文字のアイコンに変更すべきであることを問題提起したいと思います。
 併せて、表記や表示場所の統一に関しても、判断材料を提供していきます。

 まず、手元に集まっているエレベータの開閉ボタンの写真を、いくつかに仕分けをして整理してみました。
 これは、あくまでも私が歩いた範囲で集めた開閉ボタンです。
 また、エレベータの中は狭い空間なので、写真が取り難いことが多いのです。ピンボケとなっているものが何枚もあります。点字などは、1つの点が2つに見える例がありますので、ご注意願います。

 以下の走り書きのコメントも、時間があれば丁寧に記したいと思っています。
 取り急ぎの中間報告であり、当座のメモとして記したものです。
 ご意見や情報、そして写真の提供などをいただけると幸いです。


   【現時点での、エレベータの開閉ボタンに関するまとめ】
(1)「漢字」か「平仮名」か「絵文字」かの統一が必要
(2)「漢字」の「開 閉」は共に門構えの文字なので、とっさの視認性が悪い
(3)「平仮名」の表記は、「ひらく とじる」か「ひらく しまる」のどちらかに統一を
(4)「絵文字」のデザインは、統一か刷新が必要
(5)「点字」を開閉ボタンの上下左右のどこに添えるかは、早急に統一を
(6)「点字」表記は、「ひらく とじる」「ひらく しまる」「あけ しめ」のいずれかに統一を
(7)応急処置である「アルミ印字プレート」や「ラミネート印字テープ」は剥がれやすい
(8)ボタンの背景の色分けは、「ひらく」は緑色、「とじる(しまる)」は黒色が一般的

 
 

(1)絵文字だけ(日本語も点字もない)


 

160621_1dsc01082



 古いエレベータによくある押し間違えやすいタイプです。
 
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160621_1dsc01393



 この絵柄が圧倒的に多かった旧タイプです。
 
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160621_dsc09964



 人物を加えて視認性の悪さを軽減させようとした少数派の絵柄です。
 
 
 

(2)漢字だけ


 

160621_1dsc08306



 丸型ボタン
 
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160621_1dsc01212



 角型ボタン
 
 
 

(3)平仮名だけ



 未確認
 
 
 

(4)絵文字と平仮名



 未確認
 
 
 

(5)絵文字と点字


 

160621_2dsc00670



 点字(「あけ」「しめ」)が上にあります。
 
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160621_2dsc02274



 点字(「あけ」「しめ」)が絵文字の左右にあります。
 
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160621_2dsc08300



 点字(「あけ」「しめ」)が絵文字の左側にあります。
 
 
 

(6)絵文字・平仮名・点字の3種類


 

160621_3dsc02268



 点字(「あけ」「しめ」)がボタンの左右にあり、平仮名(「ひらく」「とじる」)が絵文字ボタンの上にあります。
 
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160621_3dsc08305



 点字(「あけ」「しめ」)がボタンの左側にあり、平仮名(「ひらく」「とじる」)が絵文字ボタンの下にあります。
 
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160621_entyoubuton_2



 点字(「あけ」「しめ」)が絵文字ボタンの左側にあり、平仮名(「ひらく」「しまる」)が絵文字ボタンの上にあります。「開延長」(点字は「ひらき つづく」)というボタンは役立つものだと思います。
 
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 この2枚の写真は、同じエレベータ内のものです。点字(「あけ」「しめ」)が絵文字ボタンの上か左にあります。点字を貼る位置は統一してほしいところでした。平仮名で「ひらく」だけが絵文字ボタンの下に貼られています。閉まるボタンにシールが貼られていないのは、前例の開くだけの使用を意識したものでしょう。
 
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160621_3dsc02252



 点字(「あけ」「しめ」)が絵文字ボタンの左側にあり、平仮名(「ひらく」「とじる」)が絵文字ボタンの下にあります。
 
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160621_3dsc00770



 点字(「あけ」「しめ」)が上に貼り付けてあり、平仮名(「ひらく」「しまる」)が絵文字ボタンの中の下にあります。
 
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160621_3dsc02209



 点字(「あけ」「しめ」)が絵文字ボタンの上にあり、平仮名(「ひらく」「しまる」)が絵文字ボタンの下にあります。
 
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160621_3dsc00672



 点字(「あけ」「しめ」)が絵文字ボタンの左横下にあり、平仮名(「ひらく」「しまる」)が絵文字ボタンの左横上にあります。
 
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 点字(「あけ」「しめ」)が上に貼り付けてあり、平仮名(「ひらく」「とじる」)が絵文字ボタンの中の下にあります。このエレベータには、さまざまな工夫が施されていました。
 ボタンを押しやすくするために手を支えるアルミの小さなプレートがあり、さらには聴覚障害者のためのボタン「耳マーク」もあります。本年4月より施行された障害者差別解消法を強く意識したものかと思われます。
 
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160621_4dsc02245



 点字(「あけ」「しめ」)が上にあり、平仮名(「ひらく」「とじる」)が絵文字ボタンの中の下にあり、さらに浮き出た絵文字がボタンの左上に付いています。
 
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 点字(「ひらく」「しまる」)が絵文字ボタンの上にあり、平仮名(「ひらく」「しまる」)が絵文字ボタンの中の下にあります。点字と平仮名が同一語となっているのです。これが一番自然な表現ではないでしょうか。

 
 
 

(7)漢字とひらがな



 未確認
 
 
 

(8)漢字と点字


 

160621_2dsc01081



 点字(「ひらく」「とじる」)が下にあります。
 
 
 

(9)漢字とひらがなと点字



 未確認
 
 
 

(10)たまたま海外で見かけたもの


 

160621_dsc00923_spein



・スペイン:マドリッドのホテルで見かけました。【開】の意味の絵文字ボタンだけで、【閉】のボタンはありません。これは、近年日本でもよく見かけます。下部のシンドラー社名の両側に、ネジの頭が潰れたものが写っています。プラスとマイナスのネジなので、おもしろいと思いました。同じネジがなかったのでしょうか。
 
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160621_dsc00235indiastation



・インド:ニューデリーの地下鉄で見かけました。【開・閉】の絵文字が浮き出ていて点字付きです。点字がぼやけていて、二重に見えます。点字は英語で「close」「op?」。開閉ボタンが日本とは左右逆です。インドの自動車は、イギリスや日本と同じ右ハンドルです。どなたか、イギリスのエレベータの開閉ボタンの写真をお持ちではないでしょうか。)
posted by genjiito at 20:52| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年06月20日

古都散策(57)【復元】古都散策(15)興福寺と猿沢池

 古都奈良の夜の様子と写真です。
 当時よりも私の写真編集技術はあがっているはずなので、元の写真を探し出したら、さらに鮮明に浮き上がらせることが可能かと思います。
 しかし、今は10年前に公開したそのままで復元しておきます。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月17日公開分
 
副題「ライトアップされた塔と池のシルエット」
 
 古都奈良も京都に負けじと、夏になると市の中心部の社寺がライトアップされます。
 日ごろは見られない姿が、新鮮な気分にさせてくれます。
 まずは、玄関口となる近鉄奈良駅前の行基の銅像から。
 噴水の中に立つ行基さまは、自らが大勧進に尽くした東大寺をシッカリと見つめておられます。

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 このすぐ前を南北に走る東向商店街は、観光客のお土産屋さんで賑わっています。
 夜の8時頃にもかかわらず、多くの人が散策していました。
 お店も、最近は遅くまで開けています。

 和食屋さんの前で、ウインドー越しにメニューを睨んでいた外国人の若者が、しばらく思案したあげくに意を決したかのようにして、そばにいた私に、ジェスチャーで尋ねて来ました。
 このうどん屋は、このビルの上にあるのか、というのです。「アップ」とか言っていたので、英語も覚束ないようです。
 私もしゃべれませんので、とにかく「このまま真っ直ぐ歩いて奥へ行けばいいですよ」と、これもジェスチャーで伝えました。手紙や電話ではなくて、直接目の前にいる人とは、何とかコミュニケーションが図れるものです。

 私は、海外でも日本でも、よく道を聞かれます。
 インドのデリーでは、軍服を着た兵士に道を聞かれたことがあります。
 過日も京都の国立近代美術館へ行く途中、東南アジアから来たと思われる女性に、平安神宮へ行く道を聞かれました。この時は、簡単な英語だったので対応できました。
 「ターン ツー ザ レフト。アバウト ファイブ ミニッツ」と。
 「サンキュー」というお礼のことばも、しっかりと聞けました。

 相手が言っている英語の意味は何とかわかるのに、どうしてもしゃべることができません。私は、日本の英語教育の失敗例を、身をもって体現している生き証人と化しています。
 とにかく、道を聞いたり買い物をしたりする時の英会話はいくつか暗記しているので、いつもそれで何とかなっています。

 商店街を南下して抜けて左折すると、猿沢池に出ます。
 池の周りの柳だけがライトアップされているのです。池全体が明るくなっているのかと思っていたので、少し肩透かしです。それも、池の興福寺側(北側)だけが明るいのです。
 この池の回りは、子どもたちをつれて来た時に、よく車を止めたところでした。しかし、駐車違反の取り締まりが厳しくなったせいでしょうか。この日は1台いただけです。それも、運転手付きで。

 南円堂への石段を上ると、右に西国三十三ヶ所の第九番札所の南円堂が明かりの中にありました。すでに西国巡りを3周以上している私は、ここは馴染のお寺です。
 右を見ると、その視線の向こうに、興福寺の五重塔が光を浴びて立っていました。これは、京都の東寺に次ぐ高さの国宝です。

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 頂上部分の相輪にまで光が当てられており、幻想的な塔になっていました。贅沢な鑑賞です。
 浴衣姿の人がたくさんいました。旅館やホテルから散歩に来た方々のようです。
 さらに、塔の横の車道から見ると、複雑な木組みのおもしろさが間近に見られます。

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 周りの風景が遮断されているために、かえって塔が浮き上がって迫ってきます。

 石段を下りて猿沢池に戻ると、柳のそばで、モデルさんとおぼしき浴衣姿の女性が撮影中でした。カメラマンが道の中央から照らすライトのやや左側に、白っぽい浴衣の立ち姿が見えるかと思います。

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 柳の横に佇む美女という構図はいいものです。しかし、サーチライトは池の下からなので、カメラマンのスポットよりも強く下から照らしています。私は、昔物語の一シーンを思い出しました。

 猿沢池は、『大和物語』(150段)にある采女伝説の池として有名です。ここは、帝の愛を失った采女が身を投げた池なのです。
 原文の一部を引いておきます。


なほ世に経まじき心地しければ、夜、みそかに出でて、猿沢の池に身を投げてけり。


帝からのお召しがなくなった采女は、情けなくもあり、これ以上生きていけそうもなくて、夜こっそりと家を抜け出して、猿沢池に入水したというのです。そしてすぐ後に、柿本人麿が詠んだ歌が紹介されています。


わぎもこが ねくたれ髮を 猿沢の池の玉藻と 見るぞかなしき


『枕草子』の「池は」の段や、謡曲の「采女」、さらには芥川竜之介の「竜」も、ここと関係があります。

 愛されなくなった女性の情念が封印された猿沢池です。あの浴衣姿の女性の写真は、どんな雑誌(まさかホラー?)に、どのような形で載るのでしょうか。写す男も写される女も、そんなことが語られてきた場所だとは与り知らないことでしょうが。

 対岸のベンチに人が何組かいたので、そちらへ行ってみました。タクシーも、対岸に一時止まってから、走り去ります。そこへ行って納得しました。ライトを浴びた柳の列の上方に、五重塔の上の三層が視界に入るのです。

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 対岸から見た時の塔を引き立てるために、この柳はライトアップされていたのです。柳のそばを通っただけでは、その光の演出がまったく意味をなさないのです。大発見です。

 古代の人々が、こうした光による演出を楽しんだとは思われません。電気がなかったのですから。しかし、篝火や松明などで照らし出される社寺のシルエットは、当時の人々も美しく感じていたことでしょう。

 いかにも夏らしい、古都の再発見となりました。

********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 古都散策

2016年06月19日

熱く語り合った「第8回 海外平安文学研究会」

 午後は、4時間という長時間の討論の後、場所を東京駅の地下街に移して、さらに2時間も語り合いました。なんと6時間。よく喋り合ったものです。


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 午前中もそうですが、午後も有史以来はじめてというテーマを掲げて、それぞれの立場での思いをぶつけ合ったのですから、頭の中はフル回転です。
 今、心地よい疲労を感じています。

 今日は、スペイン語訳『伊勢物語』と、ウルドゥ語訳『源氏物語』に関する発表を聞いてから、自由に意見を闘わせました。興味深い問題が次から次へと繰り出されるので、気の休まる暇もありません。それでいて疲れが溜まらないので、こんなに楽しくて有意義な時間はありません。


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 プログラムは以下の通りです。


・挨拶(伊藤鉄也)
・2016年4月・5月の研究報告(淺川槙子)
・科研のサイト利用について(加々良惠子)
・2016年度の研究計画(伊藤鉄也)
・発表「スペイン語版『伊勢物語』における官職名の訳語について
  ―「大臣」「中将」「馬の頭」を中心に」(雨野弥生)
・発表「ウルドゥー語版『源氏物語』の特徴と問題点─「桐壺」を中心に」(村上明香)
・発表「十帖源氏 桐壺の巻のウルドゥー語翻訳に関する所感」(麻田豊)
・諸連絡(淺川槙子)


 これについても、後日ホームページ(「海外源氏情報」)で、詳細を議事録として報告します。

 スペイン語訳の特色や、ウルドゥ語訳の特徴、そして翻訳の意義などについて、興味深い研究の成果が報告されました。
 特に、インド語の一つであるウルドゥ語訳『源氏物語』については、今秋インドのデリーで開催される「第8回 インド国際日本文学研究集会」で、『十帖源氏』のインド語10言語による翻訳の問題点で扱う言語の一つでもあります。秋の研究集会が、ますます楽しみになりました。

 そのインドでの研究集会に参加を予定している者が、今日は5人も出席しているので、なおさら話し合いにも熱がこもります。

 日本の文化の特質とその伝播を、翻訳を通して鮮明に浮かび上がらせることは、非常に新鮮な驚きと共に知的刺激を与えてくれます。
 さらには、翻訳とは何か、という問題も炙り出されるのです。

 多言語翻訳という視点で日本の文学や文化を見つめ直すと、我々の精神世界から風俗習慣までが浮かび上がります。異文化交流という時空の中に自分を置いてみると、これまでに知り得た知識が少しずつ繋がることに気付かされます。知的快感とでもいうものなのでしょうか。得難い体験の中で、知的好奇心と異文化理解が浮遊する世界に、時を忘れて彷徨う楽しみが味わえました。

 貴重な場を展開してくださった参加者のみなさま、お疲れさまでした、そしてありがとうございました。
 次は、今秋インド・デリーでお目にかかりましょう。
posted by genjiito at 09:00| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年06月18日

刺激的だった「第3回 古写本『源氏物語』の触読研究会」

 今日は、私が主宰する2つの研究会を、同じ会場で午前と午後に分けて開催しました。


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 プログラムは、予告したように以下の通りです。


(1)挨拶(伊藤鉄也)
(2)2015年度の研究報告(伊藤鉄也)
(3)2015年11月から2016年6月までの活動報告(関口祐未)
(4)研究発表「視覚障碍者による絵巻研究の方法」(尾崎栞)
(5)研究発表「日本語漢字不可欠論再検討
    〜漢字がないと同音異義語でこまるのか?〜」(中野真樹)
(6)研究発表「触文化研究の課題と展望
    ―「無視覚流」の極意を求めて」(広瀬浩二郎)
(7)共同討議(質疑応答、用語確認と実験方法など、参加者全員)
(8)連絡事項(関口祐未)


 全体の内容等については、後日ホームページ(「古写本『源氏物語』の触読研究」の「研究会報告」でお知らせします。今少しお待ちください。

 さて、本日の研究会も、刺激的な内容に満ちた2時間となりました。昼食を兼ねた懇親会を含めると4時間もの長きにわたり、みんなで語り合いました。

 研究会が始まる前から、触読の話で盛り上がっていました。

 右利きと左利きで、点字を読む効率に差があるのか、とか、人間の人差し指は脳の神経支配と関連していること。
 変体仮名が読めているかどうかを判断するのには、資料を模写してもらうとよい、ということでした。この指摘は、現在進行している調査と実験実証において、さっそく実際に取り入れたいと思います。

 4人の全盲の方が参加されていたこともあり、ご自身の実体験を踏まえた具体的な事例を元にした情報交換会となったので、貴重な勉強の場となりました。


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 私は、点字を読むことと墨字を読むことの意義について、あらためて考えさせられました。
 また、文章を解釈する上で、目が見える人と見えない人で違いがあるとしたら、どのような解釈の違いが認められるか、というテーマにも挑戦すべきです。
 作者が言いたいこと、伝えたいことの核心を、見えない人がより的確に読み取ることもあるように思われます。この、思われます、という点を検証する必要がある、と思いました。

 触読に関する調査研究は、まだまだ可能性があります。
 今後の成果を楽しみにしてください。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 変体仮名

2016年06月17日

読書雑記(168)山本兼一『いっしん虎徹』

 山本兼一『いっしん虎徹』(文春文庫、2009.10.10発行、2011.3.15第4刷)を読みました。
 刀剣を拵えること一徹の男と、夫思いの妻が織り成す、心温まる夫婦の物語です。


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 越前で甲冑を作っていた長曽袮興里(後の虎徹)は、刀鍛冶への転職を心に抱いて出雲へ行きます。たたらを踏んで鋼を造る過程を身をもって学びます。
 その出雲での話は、作り事めいていてやや興醒めでした。特に、仇討ちのドタバタは。
 ただし、越前で殺されて盗まれた刀「行光」の探索は、物語の最後まで伏流していきます。

 なお、現地の人が使う出雲弁が、語尾だけを似せたものなので、出雲出身の私としては気になってしかたがありません。しかるべき人の目が入っていることでしょう。しかし、方言を語らせることは難しいものだ、ということを実感しました。

 興里は、江戸に出て刀鍛冶を目指します。全編、物造りの男の物語です。

 肺結核と眼病を患う妻ゆきも、夫興里と共に上京します。病身を押して、鍛冶場の手伝いをします。単調になりがちな物語の展開を、このゆきが和ませ、彩りを添えます。作者も、このゆきの存在を随所にちりばめてアピールしながら、物語に夫婦の情の世界を取り込んでいきます。

 自分が打った刀が折れた後、ゆきにつらく当たる興里と、それに対するゆきが感動的に描かれています。

 一命を拾い、突然の入道となった興里に与えられた法名は「一心日躰居士 入道虎徹」でした。

 本作一番の読み所は「第四十八節」の、小塚原での仕置き場での処刑場面でしょう。心も目も、釘付けになりました。

 虎徹が自問自答します。
「人はなぜ生き、なぜ死ぬのか。」
「生きる値打ちとはなにか。」

 夫婦の思いやりと励まし合いが、1本の線として貫いています。
 波乱万丈の生きざまが、巧みな筆致で語られ、読者を楽しませてくれます。
 山本兼一ならではの表現で築きあげられた、静かな中にも熱気が伝わる作品となっています。【4】
posted by genjiito at 08:00| Comment(0) | 読書雑記

2016年06月16日

歴博本「鈴虫」巻だけにある変体仮名「遅」

 変体仮名を意識して『源氏物語』の古写本を読んでいると、いろいろとおもしろいことに出会います。

 歴博本「鈴虫」に、変体仮名の「遅」が3例出てきます。
 しかもそれは、非常に近接した場所にだけ見られます。


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能遅のよ尓 (4ウL9)
(のちのよに)

う遅那可 (5オL1)
(うちなか)

者遅春者越 (5オL2)
(はちすはを)


 カッコ内に示したのは、明治33年に1字に統制された、現今のひらがなを用いて翻字したものです。この統制後のひらがなで翻字をしている限りは、今回のようなおもしろさには気付きません。

 この「遅」は、歴博本「鈴虫」のツレとされるハーバード本「須磨」と「蜻蛉」には、まったく出てこない文字なのです。

 上の画像でもわかるように、折の真ん中に綴じ糸があるので、折の一番内側の見開きの丁にあたる、そのまた真ん中に3例が集まっています。

 今、私には、この書写状態における「遅」の使われ方が意味するところを、うまく説明できません。
 この点について、ご教示をいただけると幸いです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 変体仮名

2016年06月15日

【復元】私はマグロだそうです

 現在、メモ類は何でもエバーノートに記録・保存しています。
 今回、クラッシュした12年前の文章を復元しながら、当時の身の回りの小道具が変化していることを、楽しく思い返しています。

 情報の記録やメモの管理には、「ファイルメーカーPro」を使っていたのです。それが、今は「Evernote」に。
 ソニーのPDAである「クリエ」にメモを入力していたことは、今では「iPhone」に変わりました。


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 ソニーのクリエ『PEG-UX50』は、毎日肌身離さず持ち歩き、テキストを入力したり写真を撮っていました。

 ソフトウェアもハードウェアも変わりました。しかし、こまめにメモを取って整理するために情報文具を活用していることには、今もまったく変わりません。
 進歩していないのではなくて、相変わらずマイペースで続けている、ということにしておきます。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2004年12月25日公開分
 
副題「我が生き様における回遊魚の習性について」
 
 最近、私はマグロだと聞かされました。
 そして、私は回遊魚の仲間だとのこと。
 私の前世がマグロで、現世はその生まれ変わりなのでしょうか。
 かつては、カエルだと言われていましたが。
 回遊魚には、マグロを始めとして、カツオやウナギや鮎がいます。
 しかし、私はマグロだそうです。


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(この画像は手元にあったものです。出所がわかれば、その旨を明記します。)

 回遊魚は、常に泳いでいないといけません。動きを止めると、そこで死んでしまいます。何かし続けていないとすまない所が、私の生き様をあらわしているのでしょう。何となく、納得。

 私は手帳を5冊持ち、それぞれにメモを書き分けています。これからすべきことを書き、終わったら傍線で消します。必要に応じて、メモをパソコンにテキストとして入力します。
 メモの管理には、「ファイルメーカーPro」を使っています。昨年の夏までは、ソニーのPDAである「クリエ」にメモを入力していました。キーボード付きの、超小型パソコンです。そのメモを、随時マッキントッシュに転送して整理していました。しかし、クリエが昨春より製造中止となっていたので、昨秋よりアナログの代表である紙製のメモ帳を使うようになりました。
 大好きなソニーには、電話とクリエが一体となった製品を、一日も早く販売してほしいものです。すでにヨーロッパには、そうした製品が出回っています。ロンドンの地下鉄の中で使っているビジネスマンを見かけました。先月行っていたボストンでも、新製品として5万円ほどで発売されていました。

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 日本では、通信機能に制限があるのでしょう。何とか、クリアしてほしいものです。

 私は、まだまだ泳ぎ続けるつもりです。毎週2回、横浜のスポーツクラブで泳いでいるのは、まさに私の本性を体現しているものなのかもしれません。
 お寿司好きも、ここに起因するものなのでしょうか。
 回遊魚とのこと。どうやら、私の原点のようです。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 21:59| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年06月14日

藤田宜永通読(28)藤田宜永『呪いの鈴殺人事件』

 藤田宜永の『呪いの鈴殺人事件』(光文社文庫、2001年8月)は、1988年に刊行された『怨霊症候群』(中央公論社Cノベルス)を、13年後に改題して再刊したものです。


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 著者自身が「文庫版に際して」で、「ハードボイルドから出発し、今は恋愛小説ばかり書いている僕の、唯一のナンセンス・ホラーです。」(306頁)と言う作品です。

 奇想天外な話が展開します。著者が真剣に取り組んだと言う通り、おもしろおかしく楽しみながら物語っていることがわかります。

 妖術師と称する大方総八郎(別名おおかたそうやろう)が、惚けたいい味を出しています。

 病院で起こる、怨霊や呪いにまつわる殺人事件が、この物語を突き動かしていきます。主人公である横島誠は、そこの院長なのです。頼りないことこの上ないのですが……

 ナンセンス物であり、ユーモア物なので、無粋なコメントを書くことは控えましょう。

 本作は、ノリのいい軽妙な作品です。陰陽師をはじめとして、日本の歴史を取り込むのも、味付けとしていいと思いました。

 藤田宜永の恋愛物は、読むに堪えないものの勢ぞろいなのでいただけません。得意のハードボイルド物に加えて、ぜひとも今後は、このようなナンセンス物にもっと挑戦してほしい、と思うようになりました。【3】
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 藤田宜永通読

2016年06月13日

今週末の触読研究会での尾崎さんの報告内容を公開

 今週18日(土)に開催される第3回「古写本『源氏物語』の触読研究会」(2016年06月10日)に関連するお知らせです。

 発表者の一人である尾崎栞さんの発表原稿である「視覚障碍者による絵巻研究の方法」を、当該科研のホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」の「研究報告」からPDFで公開しました。

 尾崎さんが報告する内容は、目が見えない方や関係する方々に、一日も早くお知らせする価値があると思ったことからの対処です。障害をお持ちの方々と一緒に、元気や希望や夢を共有する上で、意義深いものだと思います。
 さらには、私が推進する【古写本の触読研究】に広く興味を持っていただきたい、との思いを後押しするものとなっています。

 尾崎さんは共立女子大学の学生さんなので、発表することから報告内容の公開までは、指導に当たっておられる先生のご理解をいただいています。多くの視覚障害者に刺激を与えることができる報告だとの思いを共有する中で、この内容を公開することに至りました。

 なお、インターネットに接続する環境はさまざまです。
 上記科研のホームページからはPDFで公開しました。
 しかし、それはA4版2段組みなので、スマートフォンはもとより携帯電話では読み難いかと思われます。そのことを考慮して、以下、ここではテキストで引用しています。
 PDFでご覧いただける方は、まったく同じ内容なので、以下はパスしていただいて結構です。
 


視覚障碍者による絵巻の学習方法



  共立女子大学文芸学部 文芸学科       
  日本語・日本文学コース(四年生) 尾崎 栞


    はじめに


 現在、視覚障碍者が日本美術史や古典文学を研究しようとした時、その方法は確立されているとは言い難い。視覚的な情報を一切得る事ができない中で、美術史や古典文学をどのように学び、研究していくべきなのか。私は大学入学直後から常に考えてきた。視覚的な部分を補う方法を模索し続けた結果、触察が有効であるという事が徐々に分かってきた。というのも、ふだん点字を使っている私は指先で何かを触る行為に非常に慣れており、何より点字は指で読んでいるから、それを応用する形で文字や絵を触察する事も可能だと考えたのである。

 触察と言う方法を用い、大学の先生や助手さんのご協力の元、一年次から目標としていた絵巻研究に、四年生になった今本格的に取り組んでいる。その方法を確立してきた過程を、当事者の視点から記録として記しておきたい。

 なお、絵巻の詞書や絵を立体化するまでの記録は、『平成26年度総合文化研究所助成「変体仮名教材作成の研究︱文学作品を中心に︱」に関する報告』(共立女子大学・共立女子短期大学 総合文化研究所紀要 第22号2016年、代表者 岡田ひろみ)を参考とした。

    一 絵巻研究をしようと思った経緯

 まず、私がなぜ絵巻に興味を持ったのか、そのきっかけを簡単に記しておきたい。

 私は大学に入学して初めて、日本美術史と言う学問領域がある事を知った。仏像や寺院、絵巻や曼荼羅など、制作された時代背景、作者、作品の特徴に至るまで、まだ分かっていないものはあるとはいえ詳細に研究されており、初めて知る事ばかりだった。そのような中で、どうしたら作品の形を覚える事ができるのか、という問題が生じた。美術史を勉強しようとするとき、作品の名前を覚える事は必須であり、作品を見て作品名と一致しなければ話にならない。もちろん作品名だけでなく制作年代も覚える。しかし私の場合、作品名や制作年代を覚える事はできても、肝心の作品の姿形が把握できないので、なかなか学習方法を?めずにいた。

 そんな時、授業中に先生がパワーポイントに映し出した作品を、スクリーンを引き出す棒でなぞってくださった。私はその音を聞いて、持っていた紙に作品の形を書き写した。授業後に先生に見ていただくと、ほぼ正確に作品の形を書き取れている事が分かり、この方法で作品の形を把握していく事にした。自分なりの勉強方法が分かった事で、日本美術史に対する興味は徐々に高まって行った。

 そして絵巻と出会ったのである。元々私は、日本の古典文学が好きだった。そこに絵が付属する絵巻物を初めて見た時の衝撃は、すさまじいものがあった。その時は「源氏物語絵巻」の画像とレプリカを見たのだけれども、文字だけでは表せないような世界観が絵によって一気に広がったように感じたのである。実際は見えていないにもかかわらず、絵巻の持つ強大な世界観に魅了されたのである。卒業論文では絵巻を取り上げたいと考えるきっかけとなった出来事だった。今となって思えば、自分が実際に目で見る事ができないからこそ、中身が気になり、いったい何がどのように描かれているのか明らかにしたいと考えたのであろう。

 とにかく、この出来事がきっかけとなり、絵巻研究がしたいという思いが生まれ、実現に向けて研究方法を模索する事になったのである。

    二 変体仮名の触読

 二年次の授業で、私は変体仮名の触読に取り組むこととなった。『首書源氏物語 夕顔巻』(和泉書院)をテキストとし、変体仮名を読めるようになるべく晴眼者の学生と共に、触読に挑戦したのである。この授業は私が所属する日本語・日本文学コースの必修科目であり、当時は絵巻研究をやりたい気持ちはあったものの、具体的なイメージが?めなかった。そのため、絵巻研究がしたいから変体仮名の触読に挑戦したというより、所属コースの必修科目に変体仮名を読む授業があったから挑戦したという方が正しい。私は変体仮名について知らなかった。つまりまったくの初心者だったのである。

 そのことを考慮した上での変体仮名の触読教材が、日本語・日本文学研究室で制作されていた。以下に教材制作に関して詳細に記した咲本英恵先生の「視覚障碍者向け変体仮名学習テキストの作成について」を引用する。

 テキスト作りの第一の問題は、文字の大きさであった。授業では、和泉書院が出版しているA5版の『首書源氏物語』を用いたが、この作品は、前述のように上下を半分に分け、上半分に古注釈本文、下半分に『源氏物語』本文が載る。本文部分には12行×18文字、およそ216文字の変体仮名が詰め込まれていて、頭注はさらに文字が細かい。そのまま立体印刷しても、文字が小さすぎて指が文字を判断できないから、拡大コピーをする必要がある。どれだけ拡大すればよいのかも見当がつかなかったから、ともかくまずは本文の半分の分量にあたる6行を、A3版に収まるくらいに拡大した。また、テキストの膨大化を避けて、授業で最低限必要な本文部分のみを立体化することにした。

 作業は試行錯誤である。本文の半分の分量にあたる6行をきりとり、倍率を変えて何パターンか拡大コピーする。採用したのは、6行を倍率400%、A4サイズに拡大コピーし、そのA4サイズの本文を、さらにA3サイズに拡大したものである。また、本文の翻刻は10.5ポイントで作り、同じく6行を倍率200%でB4サイズにし、それをさらに倍率150%に拡大、さらにA3版に拡大した。

 次の問題は、文字の触読のしやすさにあった。小さい文字を拡大すれば、文字の輪郭はがたがたになり、直線はぼやけてしまう。それが「あ」や「ま」「め」など、交差する箇所の多い文字の触読を特に困難にさせた。また、コピー台が汚れていたために紙に無駄な点や線や影がカプセルペーパーに印刷され、立体印刷機によって浮かび上がったそれらが触読の邪魔をした。そこでカプセルペーパーに印刷する以前の拡大版テキストの文字を、輪郭を太ペンでなぞりあるいは修正液でけずることでなめらかな直線や曲線を持つ字に変え、文字のほかに余計な黒点や線がついていれば、それも修正液で消した。コピー機の印刷台の汚れもふき取った。(90〜91頁)

 このような手順で制作された教材を用い触読をした。授業中はTAの方がつきサポートをしていただいた。例えば、書き順は指を持って文字をなぞり教えていただいた。仮名字典を引く際もサポートをしていただいた。だが、そう簡単には読めるようにはならなかった。私は一五歳の時に失明したいわゆる中途失明者なので、もともと平仮名や漢字を読み書きしていた素養がある。そのため、平仮名に形が似ている「ひ」や「し」「の」などはなんとか読むことができた。しかし、その他の文字についてはなかなか触読することができなかった。また、仮名字典から該当する文字を探す事も困難であった。その問題は字母である漢字の下に「阿部のア」などと書いた点字シールを貼り、瞬時にその漢字が何であるかを分かるようにした。また、文字ごとにテープを貼り簡易的な枠組みを作り、文字を探しやすいようにする工夫をした。この工夫はとても効果的で、仮名字典から該当する文字が探しやすくなったので、触読の効率が飛躍的に上がった。

 しかし、やはり授業を一人で受ける事は最後までできなかった。他の受講生は読みながら、その場で翻刻をしていく。しかし私の場合、触読する事に精一杯でその場で翻刻して書き取ることはできなかったため、授業後にTAの方にメールで送ってもらっていた。その際は漢字の部分は「 」で囲い、点字で書いた時に分かりやすいようにしてもらっていた。このような工夫をしながら、私は半年間講義を受講した。

 授業の回を重ねる毎に触読に慣れ、読める文字が増えてきた。私の場合、一つの文字を空書きできるようになるまで繰り返し触る事で、文字の形を覚えていった。もちろん多くの時間を費やすことにはなった。しかし、読めたときの喜びは大きかった。その喜びは単に変体仮名が読めたことだけではなく、目の見える晴眼者の学生と同じ文字が読めたことに対するものだった。

 点字は視覚障碍者にとって大変画期的で便利な文字である。しかし、一般に普及しているとは言えず、盲学校を卒業すると読める人に出会う事は少ないのが現状であろう。もちろん私の通う大学には点字を読める人は一人もいない。そのため、私は孤独を感じていた。自分が書いた文字も誰にも読んでもらえないことはもちろん、配付される資料もその場では読む事ができない。そんな状況下で、変体仮名を立体印刷することで、晴眼者と同じ文字を読むことが可能になった。咲本先生も先のレポートで述べておられるように、立体化した変体仮名はそういった観点から見ると、ある意味で〔平等〕な教材なのではないだろうか。

    三 視覚障碍者による絵巻の学習方法

 以上のように、私は江戸時代に使われていた変体仮名をほぼ触読できるようになった。これを応用する形で、三年次には共立女子大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」を取り上げた授業を履修し、共立女子大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」の学習を始めた。

 絵巻の詞書は咲本先生が行っておられた方法で立体化し、触読できていた。しかし、絵をどうするかという問題があった。そこで、授業を担当していただいていた山本聡美先生の提案で、東京藝術大学大学院の五十嵐有紀先生を中心に協力を依頼し、絵巻の書き起こしを制作していただき、それを立体印刷する方法を用いることとなった。書き起こしの詳細については、五十嵐有紀先生の「共立女子大学大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」トレース図制作に関する報告」(『総合文化研究所紀要 第22号』二〇一六年二月)を参照していただきたい。

 絵巻の絵の触察に際しては、線が多すぎると内容を把握できないということがわかった。絵巻の絵を模写して立体印刷機にかけても、線が多すぎて建物と人物の区別がつかなかったり、絵の全体像をつかむことができなかった。そこで、絵の内容を把握するのには不要だと思われる線を削除して、絵を単純なものにしていただいた。そうして触察しやすいように改良を重ね、絵巻の絵を把握していった。

 また、かなりのレアケースとして、実物を触らせていただいたことも、絵の内容を理解する上で、大きな助けとなった。実際に絵に触れ、絵の具の感触を感じる事で、翁や嫗の位置、かぐや姫の顔や着物の色、屋敷の様子まで、詳細に知る事ができた。また、二月の初旬に参加させていただいた日本画の色彩に関するワークショップで、絵の具の色と感触について学ぶ機会があり、緑青は緑色であることを知り、色に関しても触察することで把握できるようになった。

 ただし、私には立体化された教材や実物を触る前の段階として、絵巻の内容、例えば第一段の絵は、翁と媼に挟まれてかぐや姫が入った箱が置いてあるというように、絵の内容に関する知識があったことを書き添えておきたい。なおこの知識は授業中の先生の解説によってついたものである。内容を把握していることで、絵巻の絵を触察した際瞬時にその内容を把握できた。ただやみくもに絵巻を触察して内容を把握するより、あらかじめ内容を把握した上で触察した方が効率的だと考えられる。

    おわりに

 視覚障碍者が絵巻の内容を学習する場合、触読、触察が有効であった。絵巻の内容を立体化する際には、触読、あるいは触察のしやすさを重視する必要がある。それにより、変体仮名の場合は書き順など、把握できる情報が限られる問題点もあった。しかし、詞書を読む、あるいは絵を見る際には、今回の場合大きな問題となることはなかった。ただし、変体仮名や絵を立体化したものは、大変かさばり持ち運びに不便であった。実際私は、長期休み中に自宅で勉強したいと思った時、あまりの量の多さに持ち帰る事を躊躇したことがあった。この点に関しては、現在教材の軽量化を図るための方法を検討している。

 また、私は中途失明者ということで、ひらがなや漢字の素養があった。これが点字以外の文字を全く知らない人の場合、変体仮名の触読はより困難であろう。変体仮名の触読に関しては、文字を知っているかどうかが大きな焦点になることが推測される。

 絵巻の学習を通して、私は触読、触察の可能性について考えるようになった。目で見るはずの絵巻を、その内容を立体化するという方法を用い、全盲である私でも学習できるようになった。視覚障碍者が敬遠しがちな日本文学や日本美術史の分野に、文字や絵の立体化という方法が確立しつつあることで、視覚障碍者の可能性は大いに広がるであろう。

 さらに文字の立体化によって、視力の有無に関わらず同じ文字空間にいられることは、点字という固有の文字を使用している視覚障碍者にとって、大きな喜びに繋がるだろう。変体仮名のように点字では書き表せない文字を視覚障碍者が学習しようとする時、立体プリンターを用いた教材の立体化は有効である。今後他の分野にも応用していきたい。


[参考文献]
『平成26年度総合文化研究所助成「変体仮名教材作成の研究︱文学作品を中心に︱」に関する報告』(共立女子大学・共立女子短期大学 総合文化研究所紀要 第22号2016年)に所収の左記三論文
・咲本英恵「視覚障碍者向け変体仮名学習テキストの作成について」
・五十嵐有紀「共立女子大学大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」トレース図制作に関する報告」
・山本聡美「共立女子大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」を用いた変体仮名教材制作」
posted by genjiito at 19:51| Comment(0) | 変体仮名

2016年06月12日

エスペラント訳『源氏物語』は33種類目の言語による翻訳

 やましたとしひろ氏より、エスペラント訳『源氏物語』を進めている旨の連絡をいただきました。

 これは、「源氏千年(76)エスペラント訳『源氏物語』」(2008年11月30日)の記事に対するコメントとしてご教示いただいたものです。

 やましたとしひろ氏は、対訳形式でブログに掲載し、帖はとびとびながらも、現在は「夕霧」の半ばまで訳しておられます。
 底本は、小学館「日本古典文学全集」(S49、初版)とのことです。


160612_esperantg




 今月2日までに公開しておられる巻は、以下の通りです。


160612_eapelantglist




 今後の進捗が楽しみです。

 これまでに私は、『源氏物語』は32種類の言語によって翻訳がなされている、としてきました。
 上記「源氏千年(76)エスペラント訳『源氏物語』」で紹介した藤本達生氏のエスペラント訳は、中井和子さんの『現代京ことば訳 源氏物語』を参考にしての、「桐壺」巻のみだったために、言語の数にはカウントしていませんでした。
 しかし、今回のやましたとしひろ氏のエスペラント訳が全巻翻訳を目指して着実に進行していることから、これを33番目の言語による『源氏物語』の翻訳にしたいと思います。

 現在、以下の言語で『源氏物語』が翻訳されていることを、あらためて報告し確認しておきます。


【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
    (2016年06月12日 現在)

アッサム語(印度)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(印度)・英語・エスペラント・オランダ語・オリヤー語(印度)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(印度)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(印度)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャビ語(印度)・ヒンディー語(印度)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤラム語(印度)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年06月11日

第8回「海外における平安文学」研究会のご案内

 来週6月18日(土)午後に、以下の通り科研A「海外における平安文学」研究会を開催します。
 これは、昨年度から取り組んでいる科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」の成果と、今後の課題を考え話し合う会です。

 今回は、ウルドゥー語訳『源氏物語』とスペイン語訳『伊勢物語』を取り上げます。

 小さな研究会ながら、最新の情報が行き交う集まりです。

 本科研の活動内容については、ホームページ「海外源氏情報」をご覧ください。膨大な分量の海外における平安文学に関する情報を確認していただけます。きっと、新しい発見があるはずです。また、これに関連した情報をお持ちの方は、ぜひお寄せください。

 こうしたテーマに興味と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、本ブログ下部にあるコメント欄から参加希望の旨を2日前の16日(木)までに連絡していただければ、資料を用意してご来場をお待ちいたします。

 また、昨日の記事「第3回「古写本『源氏物語』の触読研究会」のご案内」にも記しました通り、当日の午前中は目が見えない方々と一緒に古写本『源氏物語』の変体仮名を読むことをテーマとした研究会が、同じ会場であります。よろしかったら、これへの参加も検討していただけると幸いです。
 
======

日時:2016年6月18日(土) 午前3時開始。
研究会:午後3時〜7時。
場所:京橋区民館 3号室
・住所:東京都中央区京橋2丁目6番7号
・アクセス
(1)東京メトロ銀座線京橋駅下車6番出口 徒歩2分
(2)都営地下鉄浅草線宝町駅A5・A6番出口 徒歩2分
(3)中央区コミュニティバス(江戸バス)
  [北循環]八重洲通り西5番 10分程
「会場周辺地図」
「京橋区民館のホームページ」
 
〈プログラム〉
 第8回「海外における平安文学」研究会
 
・挨拶(伊藤鉄也) 15:00〜15:05
・2016年4月・5月の研究報告(淺川槙子)15:05〜15:15
・科研のサイト利用について(加々良惠子) 15:15〜15:25
・2016年度の研究計画(伊藤鉄也) 15:25〜15:40
・発表「スペイン語版『伊勢物語』における官職名の訳語について
  ―「大臣」「中将」「馬の頭」を中心に」(雨野弥生) 15:40〜16:00
 休憩(20分)
・発表「ウルドゥー語版『源氏物語』の特徴と問題点─「桐壺」を中心に」(村上明香)16:20〜16:40
・発表「十帖源氏 桐壺の巻のウルドゥー語翻訳に関する所感」(麻田豊)16:40〜17:00
・休憩(20分)
・共同討議 17:20〜18:50
・諸連絡(淺川槙子) 18:50〜19:00
 
 なお、研究会終了後に懇親会を予定しています。
 日時:2016年6月18日(土) 午後7時から2時間ほど
 会場:東京駅周辺
posted by genjiito at 21:15| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年06月10日

第3回「古写本『源氏物語』の触読研究会」のご案内

 来週6月18日(土)午前に、以下の通り科研「挑戦的萌芽研究」の研究会を開催します。
 これは、昨年度から取り組んでいる科研「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」の成果と、今後の課題を考え話し合う会です。
 小さな研究会ながら、最新の情報が行き交う集まりです。

 本科研の活動内容については、本科研のホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」をご覧ください。

 こうしたテーマに興味と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、本ブログ下部にあるコメント欄から参加希望の旨を2日前の16日(木)までに連絡していただければ、資料を用意してご来場をお待ちいたします。

 なお、今回も4名の視覚障害者が参加なさいます。
 研究会当日は、地下鉄銀座線京橋駅の6番出口に近い改札口で【9時30分に集合】し、みなさんと一緒に会場に向かいます。
 目が不自由な方および付き添いの方も、安心して参加していただけます。
 
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日時:2016年6月18日(土) 午前9時30分集合。
研究会:10時から12時。
場所:京橋区民館 3号室
・住所:東京都中央区 京橋2丁目6番7号
・アクセス
(1)東京メトロ銀座線京橋駅下車6番出口 徒歩2分
(2)都営地下鉄浅草線宝町駅A5・A6番出口 徒歩2分
(3)中央区コミュニティバス(江戸バス)
  [北循環]八重洲通り西5番 10分程
「会場周辺地図」
「京橋区民館のホームページ」

 
〈内容〉
第3回「古写本『源氏物語』の触読研究会」
(1)挨拶(伊藤鉄也)
(2)2015年度の研究報告(伊藤鉄也)
(3)2015年11月から2016年6月までの活動報告(関口祐未)
(4)研究発表「視覚障碍者による絵巻研究の方法」(尾崎栞)
(5)研究発表「日本語漢字不可欠論再検討
    〜漢字がないと同音異義語でこまるのか?〜」(中野真樹)
(6)研究発表「触文化研究の課題と展望
    ―「無視覚流」の極意を求めて」(広瀬浩二郎)
(7)共同討議(質疑応答、用語確認と実験方法など、参加者全員)
(8)連絡事項(関口祐未)

 なお、研究会終了後に懇親会を予定しています。
 日時:2016年6月18日(土) 午後12時から13時30分
 会場:東京駅周辺を予定。
posted by genjiito at 20:47| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年06月09日

吉行淳之介濫読(17)未発表原稿が見つかったこと

 今日(2016年6月9日)の毎日新聞(東京夕刊)に、次のタイトルで吉行淳之介の自筆原稿が見つかったというニュースが報じられていました。


吉行淳之介 未発表の原稿発見
 散文移行期、貴重な資料
 作家・中井英夫の遺品に


 この記事では、次のような紹介がなされています。


 吉行は10代の頃から詩作を始め、『新思潮』の当時は<詩から散文に移ろうとして>(『私の文学放浪』)いる時期だった。「挽歌」は46年、吉行が22歳の年に作った詩で、『吉行淳之介初期作品集』(67年)『吉行淳之介の本』(69年)などに収録された。お金持ちの貴婦人が、貧しい子供たちにバナナを投げ与えている場面の悲しさや、元兵士の腕のない袖が揺れている様子など、混乱した時代を戦争後の心象風景と重ねて詠んでいる。


 新聞記事の後半では、「改稿された未発表の詩「ポンポン蒸気船」」と「既に発表されている詩「挽歌」」の2つについて、次のような翻字と引用がなされています。


改稿された未発表の詩「ポンポン蒸気船」



支那人街(まち)の児どもたちは 運河沿いに舟を追いかけ/(狂喚また狂喚)/とめどもなくわらいわらいバナナを投げる未亡人の/象牙の腕輪が カチッカチッ 鳴りひびくと……/あたりいちめん 溝泥(どぶどろ)の臭いだった

ゆうがた 海ははたして大時化(おおしけ)で/日はひがしにうららかに蒸気の音もかろやかな……おもかげなく/(ぼくは未亡人の膝に載るほどちいさくなり 彼女は/そのままであるほど母親めいておらなかった)おもかげもなく/舵を握った退役伍長<ごちょう>の ぷらんぷらん 片袖だけが/疾風(はやて)のなかで さも頼もしげにはねていた

はるかな沖合の沈没船は もうもう赤錆<さ>びた鉄板だった
 
 

既に発表されている詩「挽歌」



南京街の子供たちは/運河沿いに小さな蒸気船を追いかけ/(狂喚また狂喚)/とめどもなくわらいわらい/バナナを投げあたえる未亡人の/腕の脂肪が 舟の上できらめくと/あたり一面 溝泥の臭いだった

ゆうがた 海ははたして大時化(おおしけ)で/(陽はひがしにうららかに/蒸気の音もかろやかな−−おもかげなく/ぼくは未亡人の膝に載るほど矮(ちいさ)くなり/彼女は そのままであるほど/母親めいておらなかった−−おもかげもなく)/舵を握った戦傷兵曹の/ぷらんぷらん 片腕の袖が/疾風のなかで さも頼もしげに揺れていた

遥かな沖合の 沈没船は/もうもう 赤錆びた鉄板だった

 ※字の横のルビは詩にもともとあるもので、< >の中のルビは本紙がつけた。


 ここで「改稿された未発表の詩「ポンポン蒸気船」」として毎日新聞に翻字されたものは、実際の原稿を正確に翻字したものではありません。新字新仮名に直して翻字したものです。

 吉行は『吉行淳之介初期作品集』(冬樹社、昭和42年5月)の「あとがき」(230頁)で、自身の仮名遣いについて次のように言っています。


 私は、昭和二十四年以後は、新仮名づかいを使っている。したがって、二十三年以前の作品(「詩」および「遁走」から「藁婚式」まで)は旧仮名だが、この本では新仮名に改めておいた。漢字制限には反対なので、漢字については原のままになっている。現在の送り仮名は納得できないのだが、新聞雑誌で見馴れているし、私自身混乱し曖昧になっている。この本の送り仮名は、そのときどきの原稿どおりにしておいた。
昭和四十二年早春
         著者


 『吉行淳之介初期作品集』に収められた「挽歌」は、昭和21年の作品です。そこでここでは、今回見つかった原稿は自筆のままに、旧漢字旧仮名で翻字しておくことにしました。
 毎日新聞の電子版には原稿の写真がないので、印刷された新聞紙面の写真をもとにして、私に翻字すると以下のようになりました。


160609_





   ポンポン蒸氣船
             吉行淳之介
 
支那人街《まち》の兒どもたちは 運河沿ひに舟を追ひかけ
(狂喚また狂喚)
とめど[も]なくわらひわらひバナナを投げる未亡人の
象牙の腕輪が カチツカチツ 鳴りひびくと……
あたりいちめん 溝泥《どぶどろ》の臭ひだつた
 
ゆうがた 海ははたして大時化《おほしけ》で
日はひがしにうららかに蒸氣の音もかろやかな……おもかげなく
(ぼくは未亡人の膝に載るほどちひさくなり 彼女は
そのままであるほど母親めいてをらなかつた)おもかげもなく
舵を握つた退役伍長の ぷらんぷらん 片袖だけが
疾風《はやて》のなかで さも頼もしげにはねてゐた
 
はるかな沖合ひの沈没船は もうもう赤錆びた鐡板だつた

《 》ふりがな
[も]補入文字1文字


 新聞の翻字も、へたに現行の漢字仮名遣いに置き換えるのではなくて、原稿用紙に書かれたままに翻字するのが正しい対処ではないでしょうか。なんでもかんでも現行のルールに統一して書き換える、というのはどうかと思います。こうした資料を紹介する時には、資料を改変した表記で紹介すべきではないと考えます。

 『吉行淳之介初期作品集』に発表された詩と、今回見つかった改稿版の違いは、おおよそ以下のような表現の箇所となります。
 数字の 01〜 51 の番号は、吉行の詩を文節に区切って比較しやすくした際に、私が振った通番号です。
 改稿版では、簡潔でわかりやすい表現になっています。


番号─改稿原稿「ポンポン蒸氣船」─単行本「挽歌」
01:支那人街《まち》の─南京街の
04:舟を─小さな蒸気船を
07:とめど[も]なく─とめどもなく
10:投げる─投げあたえる
12:象牙の─腕の
13:腕輪が─脂肪が
14:カチツカチツ─舟の上で
15:鳴りひびくと……─きらめくと
44:退役伍長の─戦傷兵曹の
46:片袖だけが─片腕の袖が
51:はねてゐた─揺れていた


 もっとも、「バナナを投げあたえる未亡人の(改行)腕の脂肪が 舟の上できらめくと」が「バナナを投げる未亡人の(改行)象牙の腕輪が カチツカチツ 鳴りひびくと……」というように大きく書き換えられると、その意図を知りたくなります。

 ただし、吉行は作品を再度公開する時などに、大きく手を入れることが多いのです。
 例えば、『星と月は天の穴』を例にとると、こんなに違っているのです。
 これは、講談社文庫本(昭和46年7月)に、初出誌である『群像』(昭和41年1月)に発表された本文を、私が手書きの赤字で校合したものです。


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 こうした吉行の改変の傾向は、いつか明らかにしたいと思っているところです。
 吉行は私の好きな作家なので、作品本文の異同を個人的に調べては、その書き換えのおもしろさも楽しんでいます。

 なお、今回話題になっている「挽歌」が収録された『吉行淳之介初期作品集』については、「吉行淳之介濫読(6)「ある脱出」「詩編」」(2010/12/15)で少しだけ触れていますので、おついでの折にでもご笑覧ください。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 吉行淳之介濫読

2016年06月08日

読書雑記(167)三島由紀夫『天人五衰 豊饒の海 第四巻』

 妻梨枝を亡くし、一人旅を楽しむ76歳になった本多繁邦。
 自分は人間ではない、と思っている16歳の安永透。

 豊饒の海の最終巻は、清水港を舞台にして始まります。


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 書名である『天人五衰』は、謡曲の「羽衣」で、「かざしの花もしをしをと、天人の五衰も目の前に見えてあさましや」から来ていることがわかりました(55頁)。
 その意味もあって、三保の松原が舞台となることが頷けます。慶子と共に訪れたそこの信号所で、本多は働いている少年の左脇腹に三つの黒子があるのを発見したのです。この時に一緒にいた慶子が、本書の後半で大事な役割を果たします。

 清顯、勳、ジン・ジャン(月光姫)に連なる生まれ変わりとして透は登場します。
 この透が本当に生まれ変わりであるならば、二十歳までしか生きられません。

 本多はこの透を養子にしたいと言い出すのでした。生まれ変わりであるかどうかを確かめるためです。

 養子縁組みをしてから東京に出た透は、高校入試のために勉強します。その日々が昭和46年ということもあり、私と同じ時空を動き回る透を、我がことのように追うことになりました。

 透は、養父の本多に対して心の中で企みを持っていました。養父も、透に密やかな期待を抱いていました。このせめぎ合いがおもしろいのです。
 養父本多と養子透の、互いに相手を見越しての演技は見ものです。特に、お見合いに関しては。

 人間の心の中が丹念に描かれています。心の中の表と裏が、みごとに炙り出されているのです。

 また、「元裁判官の八十歳の覗き屋」という一事も、人間の尊厳を描き出すことに成功しています。

 清顯の夢日記を透が本多から借りて読んだところから、話は急展開します。

 服毒 失明
 透の行動に、私は今も無理があると感じています。
 その後、透は点字を学び、点訳本を読み、レコードの音楽を聴くようになります。

 狂女 結婚
 ここで、開巻以来脇役だった絹江の存在が重みを増します。目が見えなくなったこととの連関が、もっと語られてもよかったのではないでしょうか。また、絹江への透の気持ちも、詳細に語るべきです。それが、筆を急いだとしか思えないほどに、物足りなさをもたらしています。
 
 全体的に、語られるパーツがうまく関係づけられていません。この前の3巻に支えられているにしても、もっと語るべきです。本多の次の感慨を盛り立てるためにも。


 透が自殺未遂のあげくに失明し、二十一歳に達してなほ生きつづけてゐるのを見ながら、本多はもはや自分の知らぬところで、二十歳で死んだ本當の轉身の若者の證跡を、探し當てようとする氣力をも失くしてゐた。さういふ者がゐたならばそれでもよい。今更自分がその生に立ち會ふ暇もなければ、又今更立ち會ふにも及ぶまい。星辰の運行は自分を離れ、或るきはめてわづかな誤差が生じて、ジン・ジャンの轉身のゆくへと本多とを、廣大な宇宙の別々な方角へ導いたのかもしれない。本多の生涯を費して、三つの世代にわたる轉身が、本多の生の運行に添うてきらめいたのち、(それさへありえやうもなかつた筈の偶然だつたが)、今は忽ち光芒を曳いて、本多の知らぬ天空の一角へ飛び去つた。あるひは又、その何百番目、何萬番目、何億番目かの轉身に、本多はどこかで再會するかもしれない。(243頁)


 明らかに、作者は物語を語り終えることを急いでいます。輪廻転生というテーマが、読者の中で結実しないままに終わります。
 三島の編集を担当していた方が、三島が決起する日の朝、渡された原稿を見て、その末尾に「完」とあったことを意外に思ったとされていることは、こうした事情を推察する上で参考になります。

 さて、癌の宣告を受けた後の本多は、奈良の帯解から月修寺の山門を目指します。あの、清顯を振りきって出家した聡子がいる寺です。
 その参道の描写が長々と続くところで、私はこの場面を描きながら三島の心に躊躇いがあると感じました。書きたいのに書き続けられない極限の状態の中で、自分のこれからの行動が思索と執筆を思うに任せられないことに思いあぐねつつ、時間稼ぎとでも言える語り延ばしをしているのではないかと。

 面会を謝絶されるかと思ったのに、聡子は会ってくれました。清顯と聡子のこと以来、一足飛びに60年の隔たりがあったことが一気に縮まります。
 しかし、予想外の聡子の返答に本多は狼狽えます。聡子は、清顯のことを知らないと言うのです。さらに、本多のことも。
 すべてが無となり、物語は夏の盛りに「庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんしんとしてゐる。……」(271頁)と閉じられます。

 この原稿を書き終えた日、昭和四十五年十一月二十五日に、三島は市ケ谷駐屯地でクーデターによる決起を口説した後、割腹自殺を遂げます。
 本書の巻末には次のように記されています。


「豊饒の海」完
昭和四十五年十一月二十五日


 三島が決起したことを匂わせる、思想の片鱗が本作中で吐露されていないか気になりました。
 それは、作中で次のような言葉があったからです。


大軆僕は自殺する人間の衰へや弱さがきらひだ。でも一つだけ許せる種類の自殺がある。それは自己正當化の自殺だよ(130頁)


 しかし、直接的な表現や描写は、まだ見つけ出せていません。

 私が朝日新聞に投書をしたのは、この三島事件の直後でした。
 このことは、すでに「読書雑記(151)三島由紀夫『春の雪 豊饒の海 第一巻』」(2015年12月24日)の冒頭に記したので繰り返しません。【3】
 
 
初出誌:『新潮』昭和45年7月号〜昭和46年1月号に連載
今回は、単行本『天人五衰 豊饒の海 第四巻』(昭和46年2月25日、新潮社)で読みました。

[参照]
(1)「読書雑記(151)三島由紀夫『春の雪 豊饒の海 第一巻』」(2015年12月24日)

(2)「読書雑記(161)三島由紀夫『奔馬 豊饒の海 第二巻』」(2016年03月21日)

(3)「読書雑記(165)三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海 第三巻』」(2016年05月31日)
posted by genjiito at 23:08| Comment(0) | 読書雑記

2016年06月07日

立体コピーによる触読の問題点と平仮名文字の説明文

 北九州で実施した、『変体仮名触読字典』のための触読シート「あ」(立体コピー試作2版)による調査と意見交換については、一昨日の「触読調査の後は小倉の松本清張記念館へ」(2016年06月05日)の冒頭で簡単に報告した通りです。
 そして、以下の2点を今後の課題としておきました。


(1)シートの角に切り欠きをつけることで、文字の上下を判別
(2)紙面に配置されている文字の説明注記を点字で添える


160605_syokudokua




 この触読シートに関しては、科研の研究協力者である福島県立盲学校の渡邊さんと共立女子大学の尾崎さんから、お手元にお送りした立体コピーを触読しての感想を寄せていただきました。
 お2人のコメントを整理して、以下にまとめます。


・文字は大きい方が線がはっきりしていて触読しやすい
・文字が小さいと字母の漢字が把握できない
・文字が小さいと全体的に線がごちゃごちゃして触りにくい
・個々人の指の大きさが異なるので適切な文字の大きさは難しい
・導線となる枠と文字との距離が近すぎるのでかなり窮屈
・空白が少ないので一つの文字をイメージしにくい
・どういう向きで触読するのか迷う
・右上に何らかの指示があるとよい
・ただし点字の「あ」は点が1個なのでわかりにくい
・点字の数字なら前に数符がつくのでわかる
・点字のアルファベットも前に外字符がつくのでわかる
・変体仮名による連綿の例は最初の一文字が読めないと先へ進めない
・すっきりと読み下せないと気になる


 こうした感想や指摘を踏まえて、今は次のような対処と方針で取り組みたいと思っています。


・サイズの大きい方で検討を進める
・字母などを細い線で囲うのはやめる
・文字を囲う枠は文字と離す
・空白をもっと活かした文字の割り振りを心がける
・新しく認定される国際標準のためのユニコードの番号を付加情報として添える
・「愛」と「惡」の変体仮名を採択するかどうか再検討
 (これは、変体仮名としては使用例も少なく、『変体仮名触読字典』に取り上げる必要はないと思います。ただし、ユニコード化にあたって候補として入っているので、一応新ユニコードに対応した字典ということで取り上げています。近世の文書には出てくるので、外すことをためらっています。ただし、仮名を中心として書かれた文学作品を読むという用途に限定した字典を目指すのであるならば、使用頻度の低いこうした「愛」や「惡」という変体仮名は取り上げない、ということも検討すべきかも知れません。)
・付すインデックスとしてのは、点字とアルファベットに関して、さらに検討中
・上部にインデックスとして付す指示文字も検討中
 (点字で「あ」を、その横にアルファベットの「A」と「a」を添えることを考えています。ここで、「あ(字母は「安」)」という、明治33年に一つに統制された文字をインデックスにしなかったのは、4種類の平仮名「安・阿・愛・惡」はいずれも対等の関係であり、現在使われている「あ」だけが唯一のひらがなではなくなる次世代を意識したものです。)
・変体仮名の連綿例に、活字で「平仮名」と「字母」を併記した理由
 (目が見える方にも、そして介助者にもこの字典を使っていただけるようにとの配慮から、変体仮名の連綿例には、活字で「平仮名」と「字母」を併記しました。この列がそうした意図を持ったものであることを、何かの記号を使って明示して、触読のための情報ではないことを明示する必要があります。この振り仮名(読み仮名)の部分だけは立体コピーにしない、という対処もあります。しかし、そうすると立体コピーと混在して印刷が面倒なことになるので、まだ思案中です。)

※2段目の、国語研が公開しているフリーの変体仮名フォント以外は、すべて新典社版の『実用変体がな』から採字したものです。


 なお、一連の触読をサポートするものとして、音声による説明や解説を併用できる環境作りにも取り組んでいます。
 以下に、科研運用補助員の関口祐未さんが作成を進めている、立体平仮名文字「あ」の部の説明文を紹介します。


【平仮名文字の説明文について】
・平仮名文字の説明文は、凸字を触りながら、平仮名の形がより明確にイメージできるように作成しました。
・平仮名文字の説明文は、平仮名を書くときの筆順に従って考えました。短く簡潔で、平易な表現を心がけました。
・曲線の形については、線の形がイメージしやすいように、次のような工夫をしました。
 例1 「弓形」といった場合→半円の曲線を表す。
 例2 「上へ向かって9時から3時までの曲線」といった場合→アナログ時計の文字盤をイメージし、時計回りに9時の位置から12時を回って3時の位置に至る半円の曲線を表す。
 例3 「下へ向かって9時から3時までの曲線」といった場合→アナログ時計の文字盤をイメージし、反時計回りに9時の位置から6時を回って3時の位置に至る半円の曲線を表す。
・説明文は、より分かりやすい文章に仕上げていくために、皆様のご意見を反映しながら更新していく予定です。

■「あ」の説明■

1画目。中央・上の位置。左から右へ横線。
2画目。1画目横線の真ん中を通って、縦に下がる長い線。
3画目。1画目横線の終わり・下の位置。左へななめに、2画目縦線の終わりを通って下がり、上へ向かって8時から5時までの曲線。
 このとき2画目縦線の真ん中と3画目線の始めを通る。
 説明文終わり。


 この他の平仮名については、科研のホームページである「古写本『源氏物語』の触読研究」に掲載している『立体〈ひらがな〉字典』の項目をご覧ください。

 また、この説明文が読み上げられるような仕掛けを、触読の対象となる文字に設定することによって、学習が効果的におこなわれるようにできないか、ということも検討中です。
 これには、タッチパネルの導入が考えられます。
 この「タッチパネルによる古写本触読システム」については、「宇治の街歩きと〈運読〉のワークショップ開催」(2015年12月05日)の後半で、2枚の写真を交えて紹介していますので、参照していただけると実際の触読のための道具をイメージしていただけるかと思います。

 まだまだ、試行錯誤を繰り返している段階です。
 ご教示をいただく中で、よりよい触読環境を作り上げて行きたいと思います。
 また、そのためにも『変体仮名触読字典』を早急に形にして、実際に使っていただく中で改訂をしていく予定です。

 思いつきで結構です。
 ご意見やご提案をお待ちしています。
posted by genjiito at 22:10| Comment(0) | 変体仮名

2016年06月06日

味わい深い古書店と紛らわしい案内図のこと

 泊まっているホテルの真向かいに、何とも珍妙な「珍竹林」という古本屋さんがありました。


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 店内は、所狭しと本や冊子が山積みです。版本やら謄写刷りの冊子等々。
 おまけに、懐かしい玩具や写真に古道具と、見ていて飽きません。
 優しいお母さん、という感じのご主人が、店内を物色している私に「コーヒーを淹れたので飲みませんか」と声をかけてくださいました。
 今年の秋に閉店するそうです。そのため、すべて8割引になっています。

 専門書が多く、昔ながらの古書店ということもあり、来る人は限られていることでしょう。うずたかく雑然と本が積まれていたり、通路狭しと本棚やその前にぎっしり並んでいるので、お目当ての本との出会いはまったくの偶然に頼るだけです。いちおう分野別に分けられています。しかし、今はもう収拾がつかない状態となっています。とにかく、店内は意外と広いのです。

 私は、初めてみる大型本を一冊いただきました。1万円の定価の本が千円にしてくださいました。
 この秋までに北九州市にお出での予定がある方は、この黒崎駅前の古本屋さんに一度立ち寄っても損はありません。古き良き時代の古本屋さんがなくなる前に。

 もう一つ、こぼれ話を。

 昨日、松本清張記念館から小倉城を散策した後、森鷗外の碑を探した時のことです。
 紫川に架かる鷗外橋の袂に、「森鷗外・生誕百五十周年記念植樹/樹種 ”舞姫”」という標柱がありました。

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 その真後ろに、森鷗外の作品などを各面に彫った六角柱がありました。

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 あらためて、その周りを見回して鷗外の碑を探しました。しかし、それらしきものが見当たりません。

 近くにあった付近の案内図でその場所を確認すると、ますますわからなくなりました。
 問題です。次の4つの地図で、鷗外の碑はどこにあるでしょうか。

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 鷗外橋を遠ざかると、鷗外の碑の表示がなくなります。


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 時間ばかりが過ぎゆくので、鷗外橋の近くにあったレンタサイクル屋さんの案内所で聞いたところ、何とすぐ横の六角柱がそれだったのです。そして、地図を見せてくださいました。鷗外橋の手前右横(写真では下)に位置します。この地図で矢印が向いているところではなく、「文学碑」の「学」の辺りなのです。

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 鷗外の碑は、四角の棒柱だとばかり思っていました。そう思い込んでいたので、不確かな案内図の指示に惑わされ、しばし迷走しました。
 それにしても、この周辺の案内図では、この六角柱の場所がそうであることはわかりません。
 また、この六角柱に、これが鷗外の碑だという説明も表示もなかったように思います。
 そうしたことがわかってから、問題の周辺図があったところや、帰りがけに、碑の周りの様子を撮影しました。

 この場所の指示がバラバラだということは、こうした案内図を作成されたのは、それぞれ違う業者なのでしょう。
 また、この図面のチェックをした人も、それぞれ違う人で、みなさん現地をよく知らない方たちなのではないか、と思われます。

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 このことで予想外に時間を取られたので、トピックとして記し留めておきます。
posted by genjiito at 22:17| Comment(0) | ブラリと

2016年06月05日

触読調査の後は小倉の松本清張記念館へ

 昨日から福岡では小雨が降り続いています。
 九州は梅雨に入ったようです。

 今朝は、触読研究に関して5人の研究協力者の参加を得て、『変体仮名触読字典』のための触読シート「あ」(立体コピー試作2版)へのチャレンジをしていただきました。


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(1)【文字の上下がわからないとのこと】
  これは、シートの角に切り欠きをつけることで解決します。

(2)【何がどのような順番で紙面に配置されているか】
  上から、次の4種類の仮名が掲出されています。
   A.字母の活字体
   B.ユニコード登録予定の字体
   C.古写本に出現する代表的な2つの字体
  左枠外には、各字母を使用した語句2例を掲出
  その右側には、介助者用の読み仮名として、現行の活字体の平仮名と字母を併記
 こうした説明注記を、点字で添えるといいようです。


 まだまだ改良の余地があります。
 この試行錯誤を今後とも繰り返すことで、実用に耐え得る『変体仮名触読字典』を目指したいと思います。明日も、触読シートによる調査と意見交換を予定しています。
 
 昨日の懇親会で、この黒崎からは小倉が近いので「松本清張記念館」へ行くことを勧められましたし、すでに行って来たということでした。かねてより、私は清張に強い問題意識を持っていました。それに加えて、鳥取の日南町に文学碑があることや、松本清張の家系の謎を綴った『白い系譜』のこともあり、私も行ってみることにしました。

 清張の父と母については、次のブログの記事に詳細に書いています。

「松本清張の家系の謎『白い系譜』(1)」(2014年08月08日)

「松本清張の家系の謎『白い系譜』(2)」(2014年08月09日)

「松本清張の家系の謎『白い系譜』(3)」(2014年08月10日)

 黒崎駅から15分で西小倉駅です。そこから松本清張記念館へは歩いて5分。


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 清張の生涯が、実物と映像を駆使して展示されています。
 別室で『日本の黒い霧─遙かな照射』というドキュメンタリー映画を見ました。
 その中で、『黒地の絵』に関連する話として、小倉聾学校に脱走した黒人米兵が侵入したことが取り上げられていたのです。昨日来、さまざまな障害に関する研究発表などを聞いた後ということもあり、このことに強く反応しました。

 さらに、特別企画展「世界文学と清張文学」が開催されていました。
 清張の作品が世界中で読まれていることがわかりました。
 海外における『源氏物語』について問題意識を持っているので、清張の海外での情報には大いに興味があります。
 展示図録(2016.1.16)は、貴重な情報が満載です。清張は意外と英語がうまかったようです。


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 黒崎駅に戻り、また黒崎神社のおみくじロボットで占いを、と思ったところ、今日は「調整中」とのことでお休みでした。


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posted by genjiito at 22:12| Comment(0) | 清張全集復読

2016年06月04日

日本盲教育史研究会第4回ミニ研修会 in 九州

 昨年、北海道の札幌で「日本盲教育史研究会 第3回ミニ研修会」がありました。

「日本盲教育史研究会 第3回ミニ研修会(in札幌)」(2015年05月30日)

 今年は、一気に南下して九州です。

 会場は、博多から電車で小倉に向かって1時間ほどの、黒崎というところにある北九州市立西部障害者福祉会館です。私は、この施設の一角にあるホテルに滞在し、情報収集と打ち合わせ等を続けています。

 今日の研究会は、長崎大学の平田勝政教授による、「日本盲教育史研究の成果と課題」と題する講演から始まりました。この題目は壮大なものです。副題の「1920年代における川本宇之介と希望社運動の検討」が今回の内容でした。
 川本という先人のことや、希望社という存在を知り、いろいろと刺激を受けました。これまでまったく知らなかった世界が、社会運動や政治活動を背景にして炙り出されました。時間が足りなくなり、盲教育と癩病根絶運動との接点までは話が及ばなかったのが残念でした。
 配布された資料は貴重なものが多いので、後で読み通すことを楽しみにします。

 続いて研究報告となりました。
 
1 明治期盲唖学校と支援組織―九州地方を中心に―
 〔長崎県立諫早特別支援学校・菅達也氏〕
 九州における盲学校を支援した組織の実態が、数字を示しながらわかりやすく語られました。
 
2 九州と盲唖教育
 〔日本社会事業大学・木下知威氏〕
 手話による発表なので、通訳の方の説明とスライドで聞きました。明治・大正期の開化を目指す熊本を取りあげたものです。手話通訳を交えた質疑応答の難しさも体験できました。目が見えない、耳が聞こえないという方がいらっしゃる集まりなので、意志の疎通をはかるのは大変です。手話通訳の方々のお力に負うところが多いのです。なお、配布された「九州と盲唖教育・年譜」は、丹念に資料を相互検討した貴重な意義深いものとなっています。
 
3 地方盲学校、聾学校の専門的教員の養成と補充 ―昭和初期から昭和30年代の熊本県―
 〔九州ルーテル学院大学・佐々木順二氏〕
 熊本の盲・聾学校の教職員の教育歴と保有免許状を、丹念に分析したものでした。

4 史料紹介
・「福岡県の盲教育の歴史」〔福岡点字図書館・吉松政春氏〕
 柳河盲学校の校歌は北原白秋と山田耕筰が作ったものです。ウィキペディアには、このペアで50校ほど掲載されているそうです。しかし、柳河盲学校は取り上げていない、とのことでした。

・「九州と京都盲唖院」〔京都府立盲学校・岸博実氏〕
 今後の研究に資するところ大の、貴重な資料15点を提供してくださいました。いずれも、京都府立盲学校が所蔵するものです。歴史を確認し掘り下げる上で、大いに活用されることでしょう。

◆意見交換での主な発言
・障害がある当事者が自分たちの仲間のために、という思いを大切にしたい。
・歴史研究と現状を踏まえた研究をお願いしたい。
・お互いがわかり合える社会にしよう。
・盲教育史は調査研究されていない課題が多い。

 今回の参加者は70名でした。予想外の多さに、運営側のみなさまも嬉しい悲鳴をあげておられました。
 多彩な意見がやりとりされ、充実した研究会でした。
 その後の懇親会では、今回も貴重な情報をいただきました。
 熊本からお出での方から、先般の地震で益城町におられた視覚障害の知人の家が全壊した折の話を伺いました。たまたま目が見える娘さんが来ておられたので、なんとか夜中に避難所までたどり着けたそうです。一般の方々と一緒に体育館での避難生活は大変で、まもなく開設された福祉避難所に移られたそうです。こうした障害をお持ちの方々も、被災されているのです。マスコミは、どの程度こうした情報を収集しているのでしょうか。今後のためにも、実態を掌握しておく必要があるように思いました。
posted by genjiito at 22:24| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年06月03日

慌ただしく羽田-福岡-博多-黒崎へ

 JALで羽田から福岡に飛んで来ました。
 飛行機の国内線を使うことは滅多にないので、エコノミークラスも機内の環境がよくなっていることに感激です。

 無線のインターネットが、15分なら無料で使えるようになっていました。私は iPhone やパソコンでメールのチェックをするのが中心なので、これだけで満足です。有料のオプションに切り替えても500円なので、ヨーロッパへ行く時などは重宝しそうです。

 座席の目の前にモニタがなかったので、国内線はそうだったのかな、と思っていました。すると、前のポケットに、機内Wi-Fiサービスとしてドラマ等が手持ちの電子機器で観られる説明書が入っているのを見かけました。ドラマやバラエティー番組などが、自分が使い慣れた電子文具で観られるようになっていたのです。

 手持ちの電子デバイス(パソコンやスマートフォン)がないと、こうしたサービスを受けられないので、まだ差別的で不便だとも言えます。しかし、持っていると、国内線に乗っている時間は短いので、15分でもこれはこれでありがたいことです。

 30年近くコンピュータや通信に関わって来た者の一人として、こうしたサービスを目の当たりにし、隔世の感を堪能しています。
 これまでは、飛行機というと富裕層だけへの差別的サービスを展開していた航空機業界でした。ファーストクラスやビジネスクラスとは無縁の者にとっては、自分のシートに居ながらにしてインターネットにつながるとは、思いの外に業界の対処が速かったことに驚いています。

 福岡空港に降り立ってからは、地下鉄空港線で博多駅に出、JR鹿児島本線に乗り換えて1時間弱の黒崎駅まで移動しました。
 改札口前に、「黒崎神社 おみくじロボット」がありました。安川電機が、去年の8月からサービスをしているものです。


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 これは、7軸垂直多関節ロボットが小さなボールをレーンに転がし、「おみくじ」を上手に運んでくれるものです。今日の運勢を占ってくれるのです。
 私は「中吉」でした。一番中途半端な運勢です。まあまあ、そこそこ、ということにしておきましょう。


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 明日のイベント会場がある施設にチェックインし、目が見えない方々にお目にかかり、科研の「挑戦的萌芽研究」の説明と実験実証に関する打ち合わせをしました。
 黒崎という町が予想外に賑やかなので、これまた驚いています。きれいで、便利な町です。

 今回の旅の主目的については、明日詳しく書きます。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年06月02日

変体仮名の字母─「天」と「弖」は見分けられるか

 立川駅の構内に、「北天の炎 阿弖流為」という「ねぶた」(青森県立青森工業高等学校 制作)が飾られています。これは、昨年もこの時期にありました。昨年の写真と見比べたところ、まったく同じものでした。
 この「ねぶた」は立川駅に保管してあるのでしょうか、それとも、毎年東北から持ち込まれているのでしょうか。


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 「阿弖流為」については、「ウィキペディア」に次の説明がありました。


アテルイ(? - 延暦21年8月13日(802年9月17日))は、平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。789年(延暦8年)に胆沢(現在の岩手県奥州市)に侵攻した朝廷軍を撃退したが、坂上田村麻呂に敗れて処刑された。


 京都清水寺の境内に「アテルイ・モレ顕彰碑」があります。平安遷都1200年を記念した平成6年に建立されたものだとか。「阿弖流為」という名前は、この碑で知っていました。

 さて、アテルイの「弖」という変体仮名についてです。この「弖」と、一般的に使われる「て(天)」の崩し字は、実に紛らわしい形なのです。
 『古典かなの知識と読みかた』(駒井鵞静、東京美術選書39、昭和59年10月)から〈「て」の字母は「弖」か「天」か〉という項目にある例示を引きます(120〜121頁)。
 これを通覧して、第一図の一と三は「て」だと言えます。しかし、それ以外は「弖」としたいところです。第三図の三と四は、「天」でもいいし「弖」でもいいという、このあたりが線引きの分かれ目のようです。また、この字体が非常によく出てくるのです。


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 このことを、今日の日比谷図書文化館での翻字講座で話題にしました。

 夏を迎える日比谷公園は、陽の落ちるのも遅くなり、鶴の噴水も緑に包まれてきれいです。とても18時を過ぎているとは思えない明るさです。


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 日比谷公会堂は、老朽化と耐久化のために、本年4月1日より改修工事となっています。しばらくは休館です。


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 そんな公園の中で、熱心に変体仮名の勉強をなさるみなさまと一緒に、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)をテキストとして、仮名文字の字母を確認しながら読み進めています。

 今日話題にした「天」と「弖」に関しては、第4丁オモテの8行目と9行目の行末部分にみられる2つの「て」を切り出しておきます。


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 右下の仮名の字母は「弖」でもよさそうです。しかし、これを「弖」として認めると、これに類する膨大な文字の字母の修正が発生します。
 左上の「て」の字母は「天」でいいと思います。

 上記の『古典かなの知識と読みかた』で駒井氏は、次のような見解を示しておられます。


 ひらがな(女手)の「て」は、古くから使用してきた「弖」を母体とし、「天」の草書と合流させて、生み出したものではないでしょうか。
 「て」の字母は「弖」としても「天」としても、妨げないと思うのですが、本書では通説に従い、「天」といたしました。(121〜122頁)


 私も、歴博本「鈴虫」、ハーバード大学本「須磨」、同「蜻蛉」で、「弖」を字母とするものは一例も採りませんでした。「弖」にしてもいいかと思うものが多いのは確かです。しかし、「天」との線引きが難しいので、「天」にしておいたにすぎません。今後とも、鎌倉時代の古写本をさらに精査して、この見極めができるような指針を見つけられないかと思っています。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 変体仮名

2016年06月01日

読書雑記(166)『ある書誌学者の犯罪 トマス・J・ワイズの生涯』

 学芸員の資格を取得するために勉強した科目の中に、博物館実習がありました。今から40年以上も前のことです。
 展示用のレプリカを作成する実習があり、仏頭の模造品を石膏や塗料などを駆使して作成しました。そのために、歯医者さんの所へ行って歯形を取る素材を入手し、大学にあった実習用の仏像に塗りたくって鋳型を作ったのです。

 この実習作品は、今も京都の仏間にそっと置いてあります。見た人はみなさん、本物の仏像の金箔が剥げ落ちたものだと思っておられます。裏を見てもらい、それが石膏で作ったものであることがやっと理解される、という、私が手を染めたささやかな偽造品です。
 また、和歌を書いた紙を古く見せるための技術も教わりました。ただし、古写本の偽物作りはしていません。
 松本清張の作品に、贋作を扱ったものがいくつかあります。この話題は、どのようにして偽物であることが暴かれるのか、わくわくして読んでしまいます。
 そんなことを思いながら、本書を読み進めました。

 本書『ある書誌学者の犯罪 トマス・J・ワイズの生涯』(高橋俊哉著、河出書房新社、1983年)は、書誌学者ワイズの生涯をたどるものです。


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 この本の帯には、次のように書かれています。


ある愛書狂の驚くべき全貌
トマス・ジェームズ・ワイズ(1859─1937)
今世紀初頭の35年間、英米の学界に君臨し、二期にわたり英国書誌学会々長を務めた書誌学者。しかし、ワイズは偽造本製作者でもあった。ブラウニング、スウィンバーン等を捲き込み、最晩年に暴れたその驚くべき絶妙な手口は……


 さらにこの帯の後ろに「各氏絶賛!?」とあり、本書に登場する人物のおもしろおかしいコメントの最後に、本書の主人公となっているワイズが次のように言っている、という洒落た仕掛けがなされています。


トマス・ワイズ氏─なかなかよく書けていますね。ところで、あなたがお求めの『ある書誌学者の犯罪』は、本物ですか? 初版ですか?


 思わず、手にしていた本の奥付けを確認しました。
  一九八三年五月一五日 初版印刷
  一九八三年五月二五日 初版発行
 そして、思わずにやりとしてしまいました。
 本書の著者と編集者の遊び心に、盛大な拍手を贈りましょう。

 手にした本の行間には、何ヶ所も棒線が引いてあったのです。ずっと前に、新本で買ったはずです。すでに一度読み終わったもののようです。しかし、その内容をまったく覚えていないので、この帯の当意即妙の機智に気づいたこともあり、あらためて読み直すことにしました。
 問題意識の違いからか、特に後半はおもしろく読みました。

 膨大な量の人名や書名が飛び交います。読者は、右へ左へと、その引用に振り回されます。「書誌学者の犯罪」という文字に惹かれて読み始めた私にとって、なかなか「犯罪」が見えてこないので痺れが切れるほどでした。著者にとっては、ワイズの「生涯」を資料を駆使して語ることが中心であり、「犯罪」は呼び込みの言葉のようでした。

 この話の主人公であるワイズは、コナンドイルと同年にイギリスで生まれました。16歳の時、古本屋でシェリーの詩集『アドネイス』の初版を見つけたのです。それから、古書に深くのめり込むことになります。

 ワイズは、18世紀以降のすべての作品の異版と異文を集めました。22歳の時から、たゆまず続けたのです。ワイズの蒐書の特徴は、初版本への愛着だったのです。


 一冊の本の出生が問題になるとき、それが初版であるか、再版であるかを問うことはごく当り前のことである。しかしそれがある版の第何刷であるかというところまで追究することはワイズが書誌学を志した頃には─シェクスピアの版本研究の場合などは別にして─めったになかった。ワイズは多くの場合ここまで仔細に解明しなけれぽ気が済まなかった。このような書誌的記述にたいする飽くなき厳密さへの要求からいって、第一に槍玉に挙げられたのが儲け本位の古書販売店の販売目録であったことは当然であった。ワイズにいわせれば、その不正確さと販売価格についての臆面のなさは殆ど論外というべきであった。蒐書 Collection と書誌学Bibliography とは彼の場合いつも大文字で書かれなければならない、ある絶対的なものを意味するのであった。それが古書販売店の貪欲さと無知によって絶え間なく侵し尽くされているとワイズは常々断言して憚らなかった。
 ワイズはアメリカでの彼の崇拝者であったシカゴの銀行家J・H・レーン氏に二十年ほどの間に一千二百通の手紙を書き送っているが、その書簡の殆どすべてにそういう憤りの感情が繰り返し述べられている。そしてこうした販売目録の不正確さを論難した後のワイズの決まり文句はいつもこうだ。
〈書誌学はこうして偽られる!〉(15頁)
 
 
 その時代の著名な詩人、作家のすべての作品、単にすべての作品というだけでなく、可能な限りのすべての異版と異文とを包括したものとしてのすべての作品を飽くことなく蒐集しつづけること。そしてもちろん関連文献も可能な限りすべてを。
 それには単行本だけを追っていたのでは不可能であろう。雑誌の端本であろうと新聞の断片であろうと、関連のありそうなものはすべて拾い蒐めなければならぬ。今後は紙と印刷インクのあるところ必ず潜む紙魚のように本に棲みついて生きる覚悟がなければならない。一度こう決めた以上、この方針は彼の生涯を律するものになる。以後はただ一貫してその方針のもとに進むのみである。未来のアシュリー文庫の蒐書方針はこうして早くから定められ、以後彼は迷うことなくこの方針を貫いていった。(29頁)


 ワイズのアシュリー文庫には、7000冊の本が集められています。

 印刷された本で欠陥や欠落本を補足したりする〈メーキャップ〉は、日本の写本に通ずる手法を思わせます。


 十九世紀までの出版物には製作過程の不注意のため、いわゆる落丁、乱丁といわれるものがかなり多かった。ワイズは本の価格に大いに拘る方だし、業者に負けないくらいの知識は持っていた。エリザベス朝戯由を買い集める過程でこうした種類の落丁・乱丁本をかなり入手したようである。こうしたものの中から相当数が主としてワイズ=レーン協商(一〇三頁)を果すべく、遠くアメリカのレーン氏のもとに送られた。落丁・乱丁のままでか? そうではなく大部分はメーキャップされて、完全な形に仕上げられてである。〈メーキャップ〉とは落丁・乱丁などの欠陥本を頁付の順を正したり、他から欠落の部分を補うなどして正常なものに作り上げることを意味する古書籍業界の特殊用語である。メーキャップを済ませた書物たちは豪華な衣装を身にまとえばいい。それでワイズが入手した時の価格より一挙に数十倍、数百倍に上昇したとしても、それはエリザベス朝の稀覯書である限り少しもおかしくはないのである。(195〜196頁)


 この手法が、ワイズの死後に解明されました。それは何と、「大英図書館の蔵本の頁を巧妙に引き抜くことによって補っていた」(268頁)というのです。

 盛りだくさんの情報でいささか食傷気味だった私は、第11章の「偽造版を追う」以降の展開は大いに楽しめました。
 「f」と「j」の活字に関して、カーンレスという特殊な活字から出版年の矛盾を解明する箇所は、興味深い事例です(223〜228頁)。


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 印刷用紙に細工をする偽造版の例があります。日本の古典籍は和紙に書写されています。紙質や墨と共に、書写された文字の字形などから、その時代性が読み取れることが多いのです。その点では、ヨーロッパでのパルプに印刷したプリント本の場合は、制作年代をごまかしやすいのでしょうか。


エリザベス・プラウニングの『レディング版・ソネット』は一八四七年を出版年としながら亜硫酸法による木質パルプを主原料とする紙を使用している。従ってこれは使用された紙に関する限り出版年を三十年から四十年近く早めた偽造版である。(232頁)


 また、次の例もあります。これは、日本の古典籍で言えば、巻子本などで和歌を切り張りすることで、いとも簡単に可能な偽造方法になると言えます。


 何度か繰り返してきたように『レディング版』は四十三篇のソネットからなっていた。一八五〇年の『詩集』に載った「ソネット」は四十四篇である。ワイズは一八五〇年版の「ソネット」から『レディング版』をでっち上げたのだが、この時一篇だけ落として四十三篇とした。落としたのはワイズが何かの機会にその原稿を入手していた例の「未来と過去」と題されたソネットであった。エリザベス自身このソネットをどこに配すべきか迷ったらしい。一八五〇年版の『詩集』(第二版)の『ポルトガル語より移されたソネット』と後の版本では、この「未来と過去」という一篇は置かれる場所が変えられていた。ワイズはこの事実をもちろん知っていた。後年この作品の『レディング版』という偽造本の最高傑作を作る際、彼はこの事実に着目し、「未来と過去」を落として、四十三篇の『レディング版』をでっち上げた。五〇年版をそっくり真似るより、一捻りすることによってかえって真実らしさが加わるという計算によってである。ワイズ演出の巧妙さをここに見ることができる。(240頁)


 次の実態を知ると、テレビでお馴染みの『開運!なんでも鑑定団』がますますおもしろく見られること請け合いです。


パーチントンによれば偽造本の製作費は一冊当り半クラウン(二・五シリング。因みにカーターとポラードの『調査』(四百頁)のイギリスでの売値は十五シリングである)ほどだというから、『フォールコン』の場合だと、ワイズは元値の二千八百倍の値段でアメリカの大金持に売りつけていたのである。これは現在の我々の価値感覚でいうと五百円原価のパンフレットを百四十万円で売ったということだ。稀覯書という幻惑的なもののつくり出すマジックであり、ワイズはこうしたからくりを美事に最大限に利用したのである。(245頁)


 古書や古美術品の価格が絡んでくるとなると、楽しい舞台裏があることでしょう。

 それにしても、ワイズは言葉巧みに、しかも巧妙に偽造した本を売っていたようです。


ワイズは生涯にわたって約二百三十点の私家版を出版している。その全てでないにしても、相当数のものがこのような不法な遣り方で世に送られたものであった。(264頁)


 その実態が死後に判明したことは、当のワイズにとってどうだったのでしょうか。
 亡くなる直前に数多くの偽造が明らかになり、その1つ1つをワイズが種明かしをして見せる、という展開があれば、読者としては推理小説を読むように一人の人間の生きざまを確認できます。初版本と格闘した物語として、ワイズの生涯はもっと注目されたことでしょう。しかし、現実には謎が残されたまま、ワイズは亡くなったのです。

 こうした偽造行為の解明は、今も進行形で世界各地で取り組まれているようです。
 次には、電子本の偽作や偽造が話題になる時代が予想されます。
 コピー&ペーストに留まらない、思いもしないことがネット社会で起きていることでしょう。
 どのような偽物作りの物語が潜行しているのか、その実態が明らかにされる日は近いと思っています。
posted by genjiito at 22:45| Comment(0) | 読書雑記