2016年05月31日

読書雑記(165)三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海 第三巻』

 三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海 第三巻』(昭和45年7月、新潮社)を読みました。
 昭和15年に国号をシャムからタイに改めた、その翌年のバンコクから始まります。


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 47歳になった弁護士の本多。前巻で勲が亡くなって8年。勲の生まれ変わりである7歳の月光姫に薔薇宮で会うのです。

 本多がインドへ行った時の行程を書き留めておきます。
 タイから海路で→カルカッタ→ベナレス→モグール・セライ→マンマード→アジャンタへと旅をします。
 それは、76頁から83頁までと、熱の入った旅の記となっています。三島にとって、非常に印象的な旅行だったようです。

 その中で、私はいくつかの詞章をチェックしました。とくに、バラナシに関しては詳細です。余程心に染み入ったのでしょう。これは、巻末の火事の場面で想い出されます。

 インド人に関して、こんな文章があります。


地球の自轉といふ事實が、決して五感ではそれと知られず、科學的理性を媒介として辛うじて認識されるやうに、輪廻轉生も亦、日常の感覺や知性だけではつかまへられず、何かたしかな、きはめて正確で軆系的でもあり直觀的でもあるやうな、さういふ超理性を以てして、はじめて認識されるのではなからうか。それを知つてゐることが、インドの人々をかくも怠惰に見せ、かくも進歩に抗はせ、かつ、その表情から、われわれがふつう人の感情を占ふ目安にする共通の符號、あの人間的な喜怒哀樂をことごとく削ぎ落してしまつてゐるのではなからうか。(72頁)


 インドへの旅を経てタイに戻った本多は、勲の生まれ変わりだと自認する一人の女性、身体はタイにあっても心は日本人だと固く信じる月光姫と別れて日本に帰国します。

 昭和15年12月に真珠湾攻撃があります。そのころ本多は、輪廻転生の研究に没頭していました。ギリシャやイタリアの輪廻説を理解して、思索の世界を彷徨します。

 しかし、作中でタイやインドの輪廻を説く件は事象の羅列ばかりで、私はしだいに飽きてしまいました。中盤から後半にかけても話題が雑多なものとなり、読み進むのに集中力を欠くようになりました。
 月光姫も中休みで、焦点がぼけてきたのです。

 そんな中で、夜の公園で恋人同士を覗く場面や、隣の部屋の月光姫を覗くところは、三島らしい場面選択であり語り口だと思いました。

 次第に、登場人物の思念が、文章としての言葉から伝わってこなくなっていることを感じるようになりました。表現が核心から外れた、空回りした言葉で語られているように思われ出したのです。実感を伴わない日本語が無為に並んでいるとしか思えません。
 哲学を語っていると思えばいいのでしょうか。思想を背景に持つ語りの書とも言えます。物語性は姿を潜めています。

 これはどうしてなのか、この『豊饒の海 全4巻』の全体像がまだ見えない私にとって、よくわかりません。特にこの第3巻では、語られる言葉が生きていないと言わざるをえません。

 それが突然、最後の最後に、緊張感が漂い盛り上がります。昭和27年のことです。
 慶子とジン・ジャンのレズビアンの行為を覗き見するうちに、ジン・ジャンの左の乳首の左に、3つの小さな黒子が浮き出ていることを、本多は見つけたのです。松枝の日記にあったように、その黒子は元々は松枝にあったものなのです。

 それまでは部品が何となくちぐはぐに並んでいたところへ、突如それらが寄り集まり、形を成し出したのです。

 覗き見をした直後に、その御殿場の自邸が炎上する場面で、本多はインドのガンジス川で見たガードでの焔の浄化を思います。

 そして、後に双子の妹だったというジン・ジャンが、コブラに噛まれて亡くなったことが性急に記されます。

 もっと丁寧な閉じ方をしてほしかった、という想いが残るほどに、そっけない終わり方でした。それまでが、さまざまな言葉を駆使して、冗長とも思える語り口だっただけに、そんな想いを強く持ったのです。インモラルやエロチックという趣向が、どうやら不完全燃焼したようです。【2】

■初出誌:『新潮』昭和43年9月号〜45年5月号
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2016年05月30日

京洛逍遥(410)京大病院で運動不足を指摘される

 定期検診で京大病院に通っています。今日は、糖尿病栄養内科です。

 まず、診察の1時間前に採血をします。
 採血室で、左腕から採血。この時の血糖値は、この1時間後に診察時に教えてもらい、「115」でした。
 その採血時の血液を、持参したテルモの測定器に吸引し、機器の性能をチェックしました。その場での数値は「118」。その直後に、いつものように自分でテルモの針で、採血室の時とは反対の右手中指を使ってパチンと打って測ると、「138」でした。

 いつも使っているテルモの血糖値測定器は、京大病院の正式な測定値と20ポイント程の誤差がありました。

 このことを主治医の長嶋先生に伺うと、家庭用などの簡易測定器はそれくらいの誤差はあって普通でしょう、とのことでした。
 あまり一喜一憂しないことです、とのアドバイスをいただきました。

 診察時に上がって来ていた測定値によると、ヘモグロビン A1cは前回の「7.0」から「7.4」に上昇していました。しかし、まだ許容範囲内なので薬は変えないけれど、これ以上は上げないように、との注意をいただきました。

 血糖値が上がったのは、運動不足ではないか、とおっしゃいます。私の生活ぶりをよくご存知の先生なので、まさにズバリです。
 忙しさにかまけて、確かに今は日常的には運動をしていません。先日の「【復元】フィットネスクラブに通う日々」(2016年5月26日)の冒頭に書いた通りです。座っての事務作業ばかりの生活です。これは何とか改善しなければなりません。

 いつも不足していた鉄分は、足りないながらも、少しはよくなっているようです。常に貧血気味の状態は、改善の兆しが認められるようです。
 妻が日々の食事を通して気遣ってくれていることが、次第に実を結んで来ているようです。このままの食事でいいようなので、ほっと一安心です。

 体重も、50キロをどうにか維持出来ています。
 とにかく運動を意識した生活を、今まで以上に心掛けることによって、ヘモグロビン A1cの値を下げるようにします。
 
 帰りは、近衛通りから荒神橋を渡って、京都法務局に立ち寄ってから上京することにしました。


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 荒神橋の袂には、「くわう志ん者し」と刻まれていました。


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 橋の中程から賀茂大橋を望むと、出町柳の彼方に北山が霞んでいます。


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 これから、日々緑色を微妙に変えながら、夏山の姿になっていきます。
 山と川が織りなす千年の見晴らしが、今もこうして楽しめる豊かな広がりの中に身を置けることに感謝しています。先人の叡智と、守り伝えようとする人々の不断の努力によって、この風景を今も共有できているのですから。続きを読む
posted by genjiito at 22:23| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年05月29日

京洛逍遥(409)京都のバスの運転手さん(2016年-その2)

 新年早々、京都市内を走るバスの運転手さんについて書きました。
 「京洛逍遥(391)京都のバスの運転手さんもいろいろです」(2016年01月27日)

 あれから半年ほど経ったので、その後の様子をまとめておきます。

 ここで取り上げているのは、京都駅前から出ている北大路バスターミナル行きに乗った時と、府立大学前から京都駅行きに乗った時の、バスの運転手さんの様子です。

 この205系統の路線バスは、紛らわしいことに同じ番号ながら、河原町通り回りと西大路通り回りの2系統があります。山手線や環状線の内回りと外回りをイメージしてください。
 私が乗るのは、京都駅前を出ると河原町通り沿いを走り、七条・五条・四条・三条や、京都市役所前・府立医大病院前・糺ノ森・下鴨神社前に停車するバスです。幹線を走っているということもあり、乗降客の多いバス路線だといえます。

 地下鉄烏丸線が京都市内のど真ん中を南から北へ走っているのにくらべて、この河原町を通るバスは賀茂川沿いを走る、2大路線の一つとなっています。

 手元にバスのいい写真がなかったので、「快速きらら205号のブログ」から「205系統 九条車庫前〜京都駅前〜河原町通〜北大路バスターミナル〜西大路通〜京都駅前〜九条車庫前」を走るバスの写真を一枚転載させていただきます。これには、「2818号車…現在の205系統にハイブリッド車が充当されるのは非常に珍しいケースです。撮影場所は東寺道〜下京区総合庁舎前です。」というコメントが付いています。


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 さて、初夏を迎えたこの半年間の印象は、以前のように乗客への対応が酷い運転手さんは激減した、と言っていいかと思います。悪名高かった京都市バスの運転手さんは、205系統のバスに限っていえば、今では少数派です。運転手さんの世代交代がうまくいったのでしょう。これはいい傾向です。

 中でも、博多直矢さんは気持ちのいい方でした。乗客には観光客と地元住民がいます。そのどちらにも配慮した、きめ細かなアナウンスがいいのです。何か客室の様子がおかしいと、乗客に声をかけて確認するところなどは、安心して乗っていられます。
 市川善生さんは、とにかく丁寧です。新幹線などでよくある、「運転手は市川です。安全運転に努めます。」と最初におっしゃるのはいいことだと思います。これまでに、乗客を小ばかにした運転手さんが多くて辟易していたこともあり、こうした若々しい流れは大歓迎です。
 櫻本暁士さんは、車椅子で乗る方を丁寧に介助して、乗り降りの手伝いをしておられました。気持ちのいい対応です。以前も、櫻本さんのバスに乗りました。前回のブログでも取り上げたように、好印象の運転手さんです。
 上殿慶人さん、中村豪志さん、瓜生真崇さん、野口学さん、小谷剛幸さん、隅田健太さんは、みなさん節度のある思いやりを感じさせる対応です。優しさや細やかな気配りがマイクから伝わってきます。
 車内アナウンスは、しつこいのも煩わしくて嫌味ともなりがちです。節度のあるアナウンスで優しい思いやりを感じる運転手さんが一番です。

 ちょうどゴールデンウィークの時でした。
 京都駅前からバスに乗ろうとしているのに、運転手さんが勝手にドアを閉めて発車されました。乗ろうとしていた3人で唖然とするばかりです。
 停留所には、何種類かの行き先が異なるバスが留まります。前に並んでいる方が別のバスを待っているために乗らない、ということはよくあります。すると、その後ろにいた人は慌ててバスに乗るので、乗るタイミングがズレます。運転手さんは、そうした事情をよくご存知のはずです。それなのに、乗車口の横のインターホンで「乗ります!!」と女性が叫んでおられるのに、です。しかも、バックミラーにも乗ろうとする我々3人の姿は映っているはずです。しかし、痺れを切らしたのか、見切り発車です。困ったことです。

 それ以外では、SOさんは車内放送の言葉がぞんざいでした。「入口に留まらずに後ろに行って!」という言い方は、馴れ馴れしさは感じられるものの、一見優しい人のようです。しかし、みんなが入口に立ち止まるので腹立ち紛れのやけっぱちのようにも聞こえます。降りた客をクラクションで呼び戻すのも、あるまじき酷い行為でした。

 AIさんは、声が不明朗で気だるそうにしゃべっておられます。乗っていて早く降りたくなります。何が嫌でその仕事をしているのですか、と聞きたくなります。

 KNさんは、面倒くさそうにやる気のない車内放送です。乗客を見下した言い方で、乗っていて厭になるYSさん、KKさんにつぐ、ベスト3というべき運転手さんです。

 HNさんは、年配者にありがちな、無愛想で投げやりな対応でした。これならば、いっそのことマイクでの車内アナウンスはしない方がいいと思います。乗っていて不愉快になり、気持ちが落ち込みますので。

 若いTHさんは、丁寧な運転で言葉遣いも好感が持てました。スペイン人に親切な対応をしておられました。ただし、あわただしく一方的に話す中国人の不明瞭な日本語には「わからない」で一蹴されました。おっと、と思うと共に、これまでに余程こうした人の対応に困らされたのでしょうか。切って捨てられた態度に、なぜか共感を覚えました。意味不明なことを言う態度の悪い乗客の対応は、難しいものだと思いました。この方も、一つの対処法だと思います。酷い乗客もいるのですから。
posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年05月28日

京洛逍遥(408)初夏の賀茂川散策

 お昼に、雨がポツリポツリと落ちてきました。
 しかし、すぐにやみました。
 曇り空の賀茂川を散歩です。

 飛び石のトントンの中程から、北山大橋越しに北山を見やると、雲に覆われてどんよりとしています。


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 川下の北大路橋越しに東山方面を望むと、少し明かりが差しています。


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 トントンの岸には、黄菖蒲(?)が咲いていました。ただし、もう時期的には終わりです。


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 この菖蒲については、「京洛逍遥(319)「いずれがあやめかきつばた」」(2014年05月18日)で詳しく紹介していますので、ご笑覧を。

 次の写真の右端には、今月中旬の葵祭の巡行で賑わった、賀茂街道が川に平行して通っています。この散策路は緑に包まれていて、これからは欅や桜などの木々が夏の日差しを遮ってくれます。気持ちよく朝夕の散歩ができる遊歩道です。


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 川岸では、管楽器の練習をしている学生さんがいました。
 鷺にも、この音色が届いているのでしょうか。


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 別の所では、カラスが鷺に近寄って行きます。


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 そして、鷺を驚かせるようにして飛び立ちました。
 ブスッとした鷺の表情が印象的でした。


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posted by genjiito at 22:59| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年05月27日

【復元】10年という区切り目

 今回復元した記事を書いたのが2006年です。
 東京品川の戸越にあった職場に通い出して7年目でした。
 この2年後の2008年、『源氏物語』の千年紀の年に、職場は品川から立川に移転しました。
 上京して9年目だったのです。
 そして今、立川に来て8年目となり、来年の9年目に定年退職となります。
 大学を卒業してから、2つの高校に、それぞれ9年と4年半。
 転職した短期大学に8年半いて上京しました。
 偶然とはいえ、嘘のように辻褄が合う勤務年数の積み重ねに、あらためて一人で感心しています。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月4日公開分
 
副題「同じ所に10年以上いてはいけない」
 
 過日記したフィットネスクラブの続きです。
 またまた、その男性インストラクターのプログラムに参加しました。相変わらず軽快なアクアビクスでした。

 最初のトークによると、インストラクターをして丁度10年目の記念日だ、とのことでした。要領よくエクササイズを組んであることや、その進め方がうまいのは、この年季のせいなのでしょう。チョッとアルバイトで、ということではなさそうです。その業界のことは知りませんが、やり続けて来られたことに最大の価値があると思われました。

 10年一区切り、という信条を持つ私は、この方の今後が楽しみです。

 私が初めて高校の教員になった時、「同じとこに10年以上おったらあかんで」、と尊敬するN先生から言われました。
 確かに同じ職場に10年もいると、後から来た同僚や、自分を取り巻く周辺の環境などに不平不満が出ます。日々変化する新しい状況に、柔軟に対応しにくくなることも要因でしょう。自分がしてきたことに自信があればあるほど、10年間に生じたギャップに違和感を持つのは当然です。それを埋めることは容易ではありません。適当に周りに合わせてきたのでないならば、それはなおさらです。もっとも、これは教育分野での特殊な事情からのことかもしれませんが。

 私は、9年で別の職場に移りました。これまでで、そこが一番長くいたところです。新設高校の初年度からだったこともあり、毎日、日暮れまでテニス部の指導をしました。大阪湾に沈む夕日を見ながら、自転車を押して、渡し舟に乗って、問題を起こした生徒の家庭訪問に明け暮れていました。1年間に100人以上もの生徒が退学する学校でした。

 以来、今は4つ目の職場にいます。この単身赴任も今年で7年目。現役で仕事ができる終盤です。定年まで、あと10年。そろそろ最後の転身をはかる時期にさしかかって来たようです。

********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 07:25| Comment(0) | 回想追憶

2016年05月26日

【復元】フィットネスクラブに通う日々

 最近は忙しさにかまけて、スポーツクラブに行っていません。
 先日、伊井春樹先生は今もスイミングにいらっしゃっていることを聞き、私もさぼっていてはいけないと、あらためて思い直しました。
 かつて、元気に踊り泳いでいた時期の記事を復元しました。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年6月14日公開分
 
副題「アクアビクスで気力と体力の充実を」
 
 フィットネスクラブに通い続けて十数年になります。教員を辞めてから、気力と体力が勝負と一念発起し、毎週2、3回は通っています。
 奈良にいたときには、それこそ空いた時間に、好きなときに行っていました。エアロビクスとスカッシュを、特に熱心にやっていました。もちろん、ジムでマシーンを使ったり、プールで泳いだり、果てはパラグライダーなどのイベントにまで参加していました。

 下の写真は、小学生だった娘がお菓子の空き箱を利用して、私にプレゼントとして作ってくれたものです。パラグライダーを楽しむ私を想像して作った置物です。
 私は高所恐怖症なのですが、兵庫県の丹波山中の空中飛行は爽快でした。

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 単身赴任として上京してからは、横浜の宿舎近くのスポーツクラブに通っています。ただし、仕事の関係で遅く帰ることが多いので、ミッドナイト会員といって、午後8時から午前0時までの利用時間限定の会員となっています。

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 毎週、上京時の日課は、仕事後の21時頃に食事をし、22時から0時まで体を動かし、そしてサウナとジャグジーとお風呂に入って帰宅します。規則正しい健康的な生活です。宿舎ではお風呂を使わなくていいために、水やガスやシャンプーや石鹸が節約できます。私の横浜での生活は、電気・ガス・水道をほとんど使わない、基本料金の日々です。

 エアロビクスを楽しみにしてやっていました。しかし、徐々に振り付けを覚えるのが大変になり、昨年あたりから、ついに断念しました。右や左、前や後ろへの動きが、順番通りに覚えられないのです。
 そこで今は、水の中で躍るアクアビクスというものに参加しています。これは、水中なので負荷を自由に変えられ、何よりも動作を間違えても、水の中なのでインストラクターの先生以外の方には見えないので、非常に気が楽なのです。間違えたらどうしよう、という不安感がないのがいいですね。

 昨日、初めて男性のインストラクターに出会いました。これまでは、すべて女性でした。女性のインストラクターは、声は通るし動きがわかりやすいのでいいと思っていました。しかし、昨日は別の意味でよかったのです。
 まず、テノールのいい声をした男性でした。おしゃべりもなかなか気が利いていました。さらには、振り付けがこれまでの女性のインストラクターとまったく違い、私にはピッタリの構成でした。これまでの女性のインストラクターでは、少し動きに物足りないものがあり、時々退屈でした。それが、昨日はあっという間に時間が経っていました。構成がよく練られたものだったからかもしれません。

 まず、一つ一つの動きが丁寧です。じっくりと筋肉を伸び縮みさせ、ギュッとひねる、という動作を基本にした、ゆったりとした組み合わせでした。手にはカスタネット。これは、のりやすい小道具です。いままでこれを使った人がいなかったのが不思議です。
 また、曲がいつものビート音楽ではなくて、キンキキッズなどの親しみのあるものでした。「ガラスの少年時代を〜」といった曲で踊るのです。かつて奈良では、スタジオの演歌ビクスというものに参加していました。それに近い感じでした。ユーロビートなどでは他所ものと感じてしまう年代の者にとって、日本の曲は動きやすいように思いました。気持ちの問題でしょうが。

 それにしても、こんなに違うのですね。
 そして今日は、女性のインストラクターのコースでした。飛んだり跳ねたりが多く、せわしなく体を動かしていたように思います。体の動かし方にも、いろいろなやり方があるものですね。
 年齢差と男女差などを考慮して、たくさんのパターンで体を鍛えたいものです。

********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | 健康雑記

2016年05月25日

【復元】イラクの文学者との面談

 10年ほど前に、情報を発信していたプロバイダのサーバがクラッシュしました。
 そのたために、読めない状態になっていた記事の復元を試みています。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月23日公開分
 
副題「可能なことを身近なところから」
 
 イラク人ニュースキャスターと、親しくお話をする機会を得ました。
 昼食を入れて、たっぷりと4時間も面談しました。夕刻からはテレビ神奈川に生出演するとのことで、タクシーで飛んで行かれました。

 そのH氏は、イラクのムサンナ県唯一のTV局であるムサンナTV局で、ニュース・プロデューサー兼キャスターを努めておられる方です。
 昨年までは、地元紙である「サマーワ」の編集部長であったと聞くと、私にも自衛隊派遣の地との関連から、少しイメージがわいてきました。
 H氏は、現在も日本の共同通信を始めとする外国の通信社・新聞社の現地特派員を務めるなど、ジャーナリストとしても定評があります。

 そんな人と、一体なぜ私が会うことになったのかと言うと、文学とのつながりからでした。
 H氏は、詩作を中心に長年文学活動に携わってこられ、ムサンナ県文学者・作家連盟の創設者の一人で、現在はその会長でもあります。今回は、日本文学の歴史や現状について知りたいということで、国際交流基金がその間に入ってくださったものです。私からの質問にも、たくさん答えていただきました。

 お話は、間に同時通訳の方を入れて進みました。私が、昨年エジプトに、一昨年はトルコへ行っており、インドとの交流も深いということが、お互いの距離を縮めたように思います。

 「詩」ということばがよく出ました。日本で言えば「歌」に近い意味で使われていると理解しました。文学の中の宗教については、インド、エジプト、トルコでの現地体験があったので、違和感なく聞くことができました。この壁は、日本だけの基準で文学を考えていると、どうしても立ちはだかるものです。

 それにしても、階級と地域による文字の使い分けには、文化の普及の障害となりかねないことを痛感しました。同じアラビア語でも、地域によって違うとのことでした。インドにおいても、多くの方言とでもいうべき各種言語が今も使われていることに思い及びました。言語芸術が享受される範囲というものに、改めて目がいきました。

 詩人であるH氏は、コーランなどを例にして、ことばの美しさを大事にしておられることが、よく伝わってきました。また、イラクの文化のすばらしさに自信を持っておられました。ただ、それが世界中の人々に正しく理解してもらえないことに対して、何とかしたいという熱意も感じられました。

 イラクでは、外国語を勉強する学校はあります。しかし、日本語・日本文学は設けられていないそうです。なんとかしたいとのこと。大学の中に、日本語学科を開設するところからスタートすべきでしょう。街の日本語会話学校でもいいのです。しかし、やはり大学を舞台にして展開しないと、根付かないように思われます。日本の文化について興味を持っておられる方がいらっしゃるというのなら、日本としても何か提言をすべきではないでしょうか。私にできることもあるようなので、少しずつ動いてみようかと思います。
 まずは、理解者や協力者を得ないと、どうしようもありませんが。

 イラクの方々は、ことばに込められた美に敏感なようです。日本も、言霊(ことだま)というものを大事にしてきました。この、ことばに対する感覚を共有するところから、文化交流のスタートが切れるように思いました。

 国際的な交流は、経済や科学技術が特段に注目されています。しかし、このように、文化レベルでの交流ならば、私にも可能なのです。目に見えての成果は確認しにくいと思います。しかし、根気強く続ければ、幅広い交流につながっていくはずです。

 国際文化交流には、もっともっと国が援助の手を差し伸べるべきです。今こそ、人文科学分野への補助金を増やすべきです。大幅に削減するのではなくて、とにかく再検討すべき時期だと思います。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◆国際交流

2016年05月24日

【復元】チベットの伝統舞台芸術公演を観て

 『竹取物語』に関してクラッシュした記事を復元する過程で、『竹取物語』のチベット語訳をした教え子のことを書いた文章と写真も出てきたので、ここに復元します。

 最後に紹介しているDVDが手元にあるので、その表紙と解説書の写真を追加します。


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(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月11日公開分
 
副題「仏教王国の軽快なリズムを堪能」
 
 今夜は、チベット舞台芸術団東京公演を観に行きました。
 仏教音楽かと思っていたのです。ところが、非常に軽快な明るい舞踊を楽しんで来ました。居眠りをする暇もないほど、舞台に見入ってしまいました。
 写真は、最後の挨拶のところです。

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 この催しは、ダライ・ラマ法王14世71歳の誕生祭の一環として行われたものです。

 ダライ・ラマは、1949年に中国のチベット侵略によりインドへ亡命し、デリーの北にあるダラムサラにチベット亡命政権を樹立した人です。ガンジーと同じく非暴力を説き、1989年にノーベル平和賞を受賞しています。

 私はインドへ行くと、定宿の近くにあるチベットハウスと、デリー大学の近くにあるチベタンコロニーとニュー・チベタンコロニーへ必ず行きます。宿舎の方々がチベットから逃れてきた人たちであるだけでなく、私がデリー大学で教えた大学院生の1人が、チベット出身で亡命政権の仕事をしている人だったからでもあります。

 彼は、『竹取物語』のチベット語訳の絵本を刊行したりしています。英語バージョンもあるので、両方を並べてみました。刊行前に、絵などについて質問を受けました。装束などについて少しコメントをしたのですが、結果は原本を見てのお楽しみです。なかなか楽しい絵本に仕上がっています。

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 その彼が、今は東京にあるダライ・ラマ法王日本代表事務所に勤務しています。そして、今回の公演に招待してくれたのです。

 今回の公演では、12の演目がありました。前半が終わった休憩時間に、彼と話すことができました。オープニングセレモニーの通訳などで忙しい合間に、久しぶりに話をしました。昨年から電話では何度か話をしていました。直接会うと、立派になった姿に圧倒されました。

 チベットの舞踊は、日本の民謡や演歌や盆踊りや雅楽や能楽や狂言や歌舞伎などの要素が、随所に見受けられました。あくまでも、日本人の目から見てですが。
 そして、その明るさに驚きました。仏教臭さを先入観として持っていたからでもありましょう。在りし日の日本につながる、親しみのある旋律と身のこなし方に、非常に親近感を持ちました。
 リズミカルな男性の踊り、透きとおった女性の歌声に、チベットの自然を感得しました。中国の弾圧にもめげずにチベット文化を伝えようとする使命感を肌で感じて、今の日本にはこのような情熱があるのだろうか、との想いを強く持ちました。

 私が大好きな井上靖の『星と祭』という小説に、主人公がエベレスト山麓で満月を見るため、カトマンズからタンボチェへと向かう場面があります。舞台を見ながら、その姿を彷彿とさせるシーンに出くわしました。インドの定宿の方の出身地であるラダックの自然をも思い起こしました。
 ダラムサラには、何度も行こうと思っていました。それが果たせないままの自分に、今度こそはとの思いを強くしました。

 休憩時間に、ロビーの出店で『ヒマラヤを越える子供たち』というDVDを買いました。デリーで定宿にしているお寺の人たちが、命からがら、ヒマラヤを越えてデリーに来たことを知っていたからです。命がけでチベットを脱出した彼らを、少しでも理解しようと思い、DVDをいただきました。裸足で極寒のヒマラヤを越えたことを、彼らから直接聞いていたからです。

 人間の不屈の精神とおおらかな生き様に、学ぶべきことが多いように思うイベントでした。

********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | 古典文学

2016年05月23日

古都散策(56)【復元】古都散策(14)かぐや姫ホールと竹取公園/竹取その3

 奈良にある『竹取物語』に関連した場所に案内する、第3回目です。
 これで一先ず終わりとなります。
 復元した拙文とそこに添えた写真は、ちょうど10年前のものです。
 今はどのような景観になっているのでしょうか。
 変わらないものと変わるものを見つめることも楽しいことです。
 そんな視点で採訪して、今後とも記録し続けていきたいと思います。

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月16日公開分
 
副題「古代を感じながら、みんなで楽しみ遊ぶ所」

 讃岐神社から東南東に一キロほど下ると、田んぼの真ん中に「かぐや姫ホール」が見えてきます。何となく場違いな雰囲気で建っています。町おこしとして見ましょう。
 ホール正面の感じは、なかなかいいものでした。しかし、この施設と周りとの違和感は、どうもいただけません。


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 古代の香りを、無理やり現代の感覚で蘇らせようとしているのです。こうした施設のデザインは、歴史や景観との調和を考えなければならないので、難しいものだと、改めて思いました。
 ここ数年は、IT(インフォメーション・テクノロジー)ということばが氾濫した時代でした。それが、これからはCT(カルチャー・テクノロジー)の時代だと言われています。
 文化をみんなでどのように共有して継承・発展させるか。こうした箱物を見ながら、考えてしまいました。このままではもったいない、と。

 このホールは400人ほどが収容でき、利用料金も公共施設なので比較的安いと思いました。古典文学に関するシンポジウムや講演会に最適です。いつか、〈NPO法人〉のイベントを、ここでやってみましょう。

 もと来た道を引き返し、讃岐神社の北側に広がる、竹取公園へ脚を向けましょう。

 入口に建つ大きな竹の切り口には、かぐや姫が描かれています。


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 すでに紹介した、回転寿司屋の横に建つランドマーク「かぐや姫」と同じく、里中満智子さんの絵です。

 ここからブラブラと遊歩道を行くと、里中さんの絵をプレートに印刷したものが左右に見られます。


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 この絵は、これまた過日紹介した広陵町発行の絵本の絵と同じものです。入口に売店があるので、そこでこの絵本を配ったら、もっとこの絵の意味が訪れた人に伝わることでしょう。普通の人は、文章を細かくは読まないのですから、何だろうな、位にしか思わずに通り過ぎます。私も、最初はそうでした。見せる工夫と仕掛けが必要です。

 この広大な公園は、子どもたちの遊び場でもあります。
 遊具のエリアを抜けると、古代の家屋を復元したものが点在しています。
 眼を上げると、遥かに二上山や金剛葛城の山々が望まれます。
 自然と古代が融合した一帯となっています。


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 我が家の子どもたちを連れて遊び回っていた頃には、まだこの公園はありませんでした。これは、いい公園です。
 小さな池には、龍が頭と尻尾を覗かせています。背後には、入口にあった大きな竹の切り口のモニュメントが見えます。


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 なお、毎年中秋の名月の日に、この公園の芝生広場で月を眺めながら、かぐや姫をしのんでの「かぐや姫まつり」が開催されているそうです。機会を見つけて、ぜひ参加したいと思っています。

 この竹取公園は、すぐ北が馬見丘陵公園です。古墳もたくさん点在する地域です。子どもたちや、文学・歴史愛好家にとっては、かっこうの散策エリアです。

 整備が終わったばかりのようで、今はまだ認知度が低いと思います。しかし、ここはすばらしい場所として意義を持つことでしょう。これまた、行政の腕の見せ所です。楽しい仕掛けを、みんなで考えてほしいと思いました。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************?
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2016年05月22日

江戸漫歩(128)早稲田で見かけた漱石の碑

 中古文学会の2日目に出席するため、早稲田大学へ行きました。
 久しぶりに多くの方と挨拶をし、話をすることができました。

 大学時代の同級生である渋谷君、岡部君とも一緒に話ができました。
 お互い、元気にこうして会えることは楽しいものです。

 渋谷君と淺川さん共々、地下鉄東西線の早稲田駅へ向かう帰り道でのこと。夏目漱石の誕生の地を示す石碑があるとのことなので、行ってみることになりました。

 石碑の前の通りを「夏目坂通り」と言うそうです。


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 そして、横断歩道を渡ってすぐのファミリーレストラン「やよい軒」の前に、ひっそりと「夏目漱石誕生之地」の碑が建っていました。生誕100年を記念して建立されたものだそうです。


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 碑文の左下には、「遺弟子安倍能成書」とあります。
 側面には、「昭和41年2月9日 夏目漱石生誕百年記念 新宿区建立」と刻まれています。
 来年の平成29年は生誕150年。

 とにかく、この碑は目立ちません。
 漱石に関連した石碑や標識は、もっとあるようです。
 通りかかったら、またここに取り上げます。
posted by genjiito at 21:30| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年05月21日

埼玉県本庄市で『群書類従』の話をする

 今日と明日は、中古文学会春季大会が早稲田大学である日です。
 しかし、頼まれ事があったために、都心を離れて埼玉県本庄市へ行きました。

 目的地である本庄駅と岡部駅との間で車輛トラブルがありました。行きたい本庄駅の一つ手前の岡部駅で、しばらく安全確認のために電車が止まっていました。私にはよくあることなので、これくらいでは動じません。今日お話しする内容の確認をして、復旧を待ちました。

 駅では、「金鑽神社」の宮司である金鑚(かなさな)俊樹さんの出迎えを受けました。金鑚さんとは、初期のパソコン通信が縁で20年来の仲間です。大学の後輩でもあり、衣紋道に精通している関係から、奈良の春日大社で祭礼があった時に、神官への着装場所に入れてもらい間近で金鑚さんの装束の着付けを拝見しました。東京の大井町であった雅楽にも一緒に行ったりと、貴重な勉強をさせていただいている間柄です。
 今日は、私が行く会場が金鑽神社の近くということもあり、送迎を兼ねて周辺の案内もしていただきました。

 今日の打ち合わせを、総検校塙保己一先生遺徳顕彰会事務局の方とすることになっていました。
 本庄市教育委員会生涯学習課がある市庁舎に、金鑽さんの車で連れて行ってもらいました。しかし、私がよく確認しないままだったために、本日の会場である本庄市児玉文化会館(セルディ)に移動することになりました。

 時間の余裕があったので、金鑽さんの案内で本庄宿にある方の金鑽神社に案内してもらいました。そして、詳しく本庄市の歴史などの説明を聞きました。
 私はただでは帰りません。境内に、変体仮名を刻んだ石を見つけました。「割烹 根起志」とあります。


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 また、琴平神社の御垣の石に刻まれた名前に、江戸時代の女性の名前が変体仮名で刻まれていました。「古登女」「み徒」と読めます。


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 おしゃれなレストランで食事をしてから、本日の会場へ打ち合わせに行きました。

 本日使われる舞台上で、パソコンか iPhone のどちらを使うかをテストしました。
 私は、スクリーンに映像を写してお話をすることはあまりありません。あくまでも、プリントでお話をします。これは、機器のトラブルを何度も経験しているからです。

 今日の場合は、パソコンからスクリーンに映像が出ませんでした。しかし、iPhone からは写し出せたので、パソコンは使わずに、iPhone でプレゼンテーションを行うことにしました。

 また、私はプレゼン用のソフトウェアであるパワーポイントは、使ったことがありません。パワポと言われているこのアプリを使った発表は、あくまでも自己満足のための発表だと思っているので、聞く必要がない、という立場を何十年も取っています。

 私が人前で話す時、スクリーンに画像を写す必要がある場合は、写真やPDFを表示する専用のプレビューソフトか、エバーノートのスライドショーを使います。

 今日は、パソコンが使えない環境であることがテスト段階でわかったので、iPhone のエバーノートでスライドショーとして写真を写しながら、話を展開することに即決しました。

 まだ時間があったので、塙保己一の生家に案内してもらいました。藁葺きのしっかりした家でした。


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 その裏手に、保己一のお墓があります。
 町の偉人として定着しています。

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 金鑚さんが宮司をしておられる金鑚神社にも行きました。


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 ご神体は、拝殿の奥に聳える御室山です。三輪山と同じく、お山がご神体なのです。古代の神奈備山の祭祀を伝え、『延喜式』の「神名帳」には「金佐奈神社」と記されている官幣中社です。
 ここの拝殿で、神職の方が正式で厳かなご祈祷をしてくださいました。久しぶりに榊を捧げ、お神酒までもいただき、身を浄めていただきました。


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 今日の私の出番は3時からだったので、ゆっくりと会場に入ることができました。

 今日のお話のタイトルは「世界中だれでも読める『群書類従』」です。
 すでに『温故叢誌』という冊子に報告した内容に加えて、現在取り組んでいる目の不自由な方々と一緒に変体仮名を読む取り組みを話しました。
 手話通訳の方が横についていてくださいました。


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 あらかじめ、8頁のレジメと、『群書類従』に収録されている「竹取翁物語」の版本の立体コピー、そして、三つ折りチラシ2種「古写本『源氏物語』の触読研究」と「海外源氏情報」を配布して進めました。


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 お話した内容については、いつか印刷することになるはずです。今ここでは、その小見出しだけを揚げて、内容は省略します。


一、『群書類従』が英国ケンブリッジ大学に収蔵された経緯
二、米国バージニア大学から『群書類従』のDBを公開
三、電子化された『群書類従』の利用環境
四、国文学研究資料館の平成の大事業は『(新)群書類従』
五、『群書類従』の版本(変体仮名)を触読する


 終わってから、保己一記念館に立ち寄りました。閉館時間間際だったにも関わらず、質問を含めて丁寧に説明してくださいました。ありがとうございます。
 入口前広場は『群書類従』にならい、400字詰め原稿用紙をイメージしたデザインだそうです。

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 ここの展示で参考になる点を、記録として残しておきます。

 ガラスケースの前に、説明文を板に刻んだものがありました。平仮名を浮き出させて彫ったものです。文字の角が処理されていないので、指を滑らせるとチクチクします。触読には向いていません。しかし、これは今後の触読テストの参考になります。音声でも説明してもらえます。


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 外には、保己一の大きなった座像がありました。
 ヘレン・ケラーも尊敬する保己一像を感動的に触ったという、塙保己一史料館・温故学会にある首を傾げた姿とは違います。


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 自動販売機のイラストも気に入りました。


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 新幹線の本庄早稲田駅前の広場には、今年の3月12日に建ったばかりの、江戸へ旅立つ保己一の像がありました。

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 江戸に向かって歩み出すところです。
 新しい世界を切り開こうとする強い意志が伝わってきます。

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 今日は、長時間にわたり、送迎やら案内やらと、金鑚さんには本当にお世話になりました。お陰さまで充実した一日となりました。
 金鑚神社の拝殿で厳粛なご祈祷を受けたことが一番印象に残っています。
 また、いつかご一緒できる日を楽しみにしています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年05月20日

古都散策(55)【復元】古都散策(13)竹取物語の舞台/竹取その2

 昨日の続きです。
 『群書類従』所収の「竹と里能翁物語」では、巻頭部分の文章に「名をはさぬきの宮津ことなむ/ぬ=るイ」とあります。このことから、「名をば讃岐の造となむ」と理解されています。異文として「さるき」が傍記されているということも注目すべきです。

 ここに関して、諸本を見ると、これは『群書類従』の独自異文のようなのです。
 参考までに、『竹取物語本文集成』(王朝物語史研究会編、勉誠出版、2008年)に掲載されている15本を見ると、次のようになっています。略号で示した諸本名は、今は省略します。


さぬき(「ぬ」に「るイ」と傍記)−群

さるき−活・新・山・乙・尊・内・正・紹

さかき−武・國・甲・高・蓬

さかき(「か」をミセケチにして「る」と傍記)−霊


 流布本の注などを見比べると、いろいろな説があることがわかります。
 『群書類従』の巻末に記された底本に関する記事は今は省略するとして、塙保己一がよしとした本の本文が独自な異文となっていることから、この本の素性をさらに知りたくなります。
 ただし、すべては後日、としておきます。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月16日公開分
 
副題「讃岐神社と三十六歌仙絵」
 
 子供たちのためのお話「かぐや姫」では、その主人公はかぐや姫です。しかし、『竹取物語』というネーミングを見ると、「かぐや姫の物語」ではなくて、「竹取の翁の物語」というところに主眼があることがわかります。

 また、『竹取物語』の舞台が古都奈良だということは、かぐや姫に求婚する5人の貴公子たちが、持統天皇の末期から文武天皇の初期にかけての実在の人物が想定されていることからも言えます。飛鳥にある大内陵は、文武天皇と持統天皇を合葬しています。竹取の翁が竹を取っていたのは、京都ではなくて奈良の竹薮なのです。

 さて、その竹取の翁、もう少し正確にいうと讃岐造麻呂(さぬきのみやつこまろ)が、竹を取りながら生活していたのは、奈良のどこでしょうか。それは、現在の北葛城郡広陵町ということになります。そして、その広陵町に、讃岐神社があります。


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 上の写真は、神社の真横から参拝するところにある標識で、ここはバス停から数歩のところです。
 正面の参道にある案内板は、すでに傷みだしています。


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 早く手を打たないと、寂しさを感じさせる場所になってしまいます。ここは、行政のがんばりどころです。竹取の翁に熱中していた、一町長の思いつきの観光スポットに終わらせてはいけません。
 この讃岐神社は、平安時代初期にできた『延喜式』の「神名帳」にも見える、由緒ある神社です。ひっそりと鎮座しているので、知らないと見過ごします。


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『竹取物語』というキーワードで、この地域の点を線につなげると、訪れる人の脚を引きつけるはずです。着眼点はよかったのです。しかし、その関連付けがイマイチだと思います。

 この讃岐神社の拝殿には、三十六歌仙の額が掲げられていました。


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 参道にあった説明板には、「三十六歌仙扁額六面(別保管)は、元禄十六年九月(1688)海北友賢筆の貼絵を付した貴重な歌仙絵である。」と書かれています。いつか、それを見たいと思います。

 ついでに、現在私が彩色復元中の「架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』」もご笑覧を。

 さて、讃岐神社の裏は、もちろん竹林です。
 そして、道を隔てたすぐ横には、「カーウォッシュ竹取」という車を洗う所があります。『竹取物語』とは何の関係もありませんが……。
 いやいや、かぐや姫が月の世界へ帰る時に、その乗り物を洗った所、ということにしておきましょう。


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 それでは、次回は「かぐや姫ホール」と「竹取公園」をご案内することにします。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 12:45| Comment(0) | 古都散策

2016年05月19日

古都散策(54)【復元】古都散策(12)かぐや姫の町/竹取その1

 明後日、埼玉県本庄市で『群書類従』の話をします。その時、『竹取物語』のことを例に出す関係で、過去に書いた記事でクラッシュしたままのものを、この時点で3回に分けて復元しておきます。
 あくまでも、今から10年前の旅の記です。
 写真の場所が今はどうなっているのか、気になるところです。
 いつか再訪したいと思っています。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月10日公開分
 
副題「『竹取物語』の舞台としての広陵町」
 
 「かぐや姫」のお話は、みんなが知っている物語です。
 『源氏物語』の第15巻「蓬生」に、「かぐや姫の物語」が絵になっていたことが語られています。また第17巻「絵合」では、「物語の出で来はじめの親なる竹取の翁」として物語絵が紹介されます。さらに第53巻「手習」では、「かぐや姫を見つけたりけむ竹取の翁」と書かれています。すでに平安時代に、『竹取物語』は最古の物語として認識されていたのです。それが「かぐや姫の物語」だったのか「竹取の翁の物語」と命名されていたのかは不明ですが。

 有名な『竹取物語』の書き出しを記しておきます。

今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事につかひけり。名をば、讃岐の造となむいひける。(親しくご指導いただいている室伏信助先生の訳注『新版竹取物語』角川ソフィア文庫より)

 ここに記した「讃岐の造」ということばは、「さかきの造」とか「さるきの造」などで覚えた方もいらっしゃるかと思います。いわゆる異文が伝わっていて、難しく言えばいろんな問題があります。しかし、ここは「さぬき」がいいと思われます。この後で「御室戸斎部の秋田」ということばがあるからです。そのことから考えると、大和国広瀬郡さぬき郷で竹を採ることを生業としていた氏族「讃岐氏」が注目されます。

 話がかた苦しくなりそうなので、なにはともあれ、そんなことから、ようやく広陵町の出番です。

 竹取の翁が住んでいたのは、何と奈良県北葛城郡広陵町だというのです。私が住む町の近くなのです。そこで、早速現地へ行ってみました。
 場所は以前から知っていました。三輪神社や長谷寺そして飛鳥へ行く途中に、異様にド派手なランドマークが道端から見え、ずっと気になっていたからです。気恥ずかしくて、わざわざ立ち寄ることを避けていたというのが正直なところです。しかし、古都を見つめ直すという使命感を盾に、思い切ってそばに立ってみました。


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 近寄るとと、こんなふうに見えます。何とそれは、回転寿司屋の広告塔と見紛うばかりです。


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 隣接する「サン・ワーク広陵」という町役場の出張所のような施設の職員の方に、このモニュメントの由来を尋ねました。前町長が町おこしの一環として、里中満智子さんに依頼してデザインをして建てたものだそうです。しかし、先般の役場の火事で、詳細な資料もないのでは、とのことでした。そして、かぐや姫に関する2種類の冊子と地域の案内図をもらいました。里中さんの絵が目を引きます。


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 里中さんの作品には『長屋王残照記』があります。しかし、これは我が町〈へぐり〉の陵墓を紹介する時のためにに残しておきましょう。

 この度肝を抜くかぐや姫の敷地を出たところで、道路標識が目に留まりました。


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 次回は、『竹取物語』の舞台である讃岐神社について書きましょう。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 古都散策

2016年05月18日

古書販売目録に関する講演会のお知らせ

 千代田区立千代田図書館で、古書販売目録に関する講演会が開催されます。

 いつもお世話になっている、千代田図書館で企画等を担当なさっている河合さんの広報のお手伝いを、ここで少しだけさせてください。

 この「古書販売目録コレクション」については、私も『源氏物語』に関する記事を調査して収集するという作業を進めています。しかし、何かと諸事に手と時間を取られて、なかなか調査に行けないのです。

 一人でも多くの方に、このような資料が眠っていることを知っていただきたいと思っています。興味と関心を持って、目録を見てみようと思っていただけたら幸いです。

 私に連絡をいただければ、最初のうちはご一緒に調査のお世話をいたします。連絡には、このブログのコメント欄を使ってください。

 河合さんからいただいた情報を、以下に引用します。


 このたび、八木書店さんと連携して古書目録に関する講演会を開催することになりましたので、とりあえず概要をお知らせします。

 文学、書誌学、歴史等をテーマとする研究者の皆様、そして、大学図書館・研究所図書室の職員の皆様向けの講演会です。

 事前申込制ですが、受付方法などは調整中です。

 もしご興味がございましたら、ご予定いただけますと幸いです。

1. 開催概要
 日時:2016年7月30日(土)14:00〜16:30
 会場:千代田区役所4階 401&402会議室
 演題:古書目録の学問的な意味
 講師:尾上陽介氏(おのえ・ようすけ、東京大学史料編纂所准教授 古文書・古記録部門)
 定員:60〜70名(事前申込制)
 尾上氏の講演(約60分)終了後に、下記のプログラム設ける
 ミニ講演「反町茂雄と弘文荘」(約20分、八木壮一氏)
 「Web版 弘文荘待買古書目」の活用方法案内(約20分、恋塚嘉氏)
 代表的な古書販売目録の自由閲覧(約20分)

2. 講演内容
 古書目録から具体的にどのような学問的成果が得られるのか、『明月記』(藤原定家の日記、鎌倉時代)の研究事例を紹介。
 さらに、国内外の研究者から高く評価されている「弘文荘待賈古書目」について、その学問的な意義をお話しいただく。

 詳細が決まったら、またご連絡します。
 よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 23:36| Comment(0) | 連絡事項

2016年05月17日

江戸漫歩(127)地震が気になり通勤経路を変える

 昨夜9時半頃、関東で地震がありました。携帯電話が緊急地震速報をけたたましく伝えてくれます。揺れだしたのとほぼ同時でした。

 東京は震度3。久しぶりに大きなものだったので、慌てて玄関のドアを開けて逃げ道を確保しました。

 予想外に大きな揺れだったので、熊本でこうした揺れが続く日々の中におられる方々のことが、おのずと思い出されました。いつ終わるとも知れぬ不安の中での心労は、想像を絶するものがあることでしょう。

 今朝も、7時頃に2度の揺れがありました。これは震度1だったので、携帯電話ではなくテレビのテロップで知りました。

 立川に行こうとしていた時だったので、すぐに今日の通勤経路を考えました。いつものように、地下鉄で中野駅まで出て、それからJR中央線に乗り換えるか、JRで東京駅に行ってから立川まで一本の中央線にするか。

 首都直下型地震と言われているものが起きた時に、自分が地下にいるか地上にいるか、という選択です。地中に埋まるか、高架から落ちるか。
 地下だと、救助を待つしかありません。それが、地上だと運がよければ自力で移動できます。

 結論としては、京葉線で東京駅に出て、JR中央線で高架を走ることにしました。これだと、東京駅までの2駅だけが地下です。埋まるよりも落ちる方を選びました。

 ただし、東京駅経由のルートにすると、ディズニーランドへ向かう魂を抜かれに行く群衆との鉢合わせを覚悟しなくてはなりません。あの呆けた顔や夢遊病者のような姿を見たくないので、東京駅を経由する通勤を避けているのです。
 しかし、今日は何か嫌な予感がするので、心ならずも東京駅からの通勤を選択しました。

 駅の構内では、5機のエスカレータと3本の動く歩道を使って、地下深くから地上の高層階へと移動します。
 この駅のことは、「東京駅でダイビング」(2008/3/21)で書きました。

 電車を待つホームの目の前に、ゼロキロポストがありました。


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 このことは、以前、「江戸漫歩(11)東京駅〈1〉」(2009/4/14)と、「江戸漫歩(13)東京駅〈2〉0キロポスト」(2009/6/9)に書きました。

 すっかり忘れていたものを見たので、今日は災害には遭わないだろうという根拠のない確信を持って、西へ向かうことになりました。

 何事もなかったので、帰りは中野駅から地下鉄東西線にしました。
posted by genjiito at 21:36| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年05月16日

第5回 池田亀鑑賞の授賞作発表

 先週14日(土)に、逸翁美術館に隣接する池田文庫で、第5回池田亀鑑賞の選考委員会が開催されました。

 その決定を受け、本日「池田亀鑑賞のホームページ」を通して、第5回の授賞作が発表されました。

 第5回授賞作は畠山大二郎著『平安朝の文学と装束』(新典社)です。


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 選考過程や授賞理由などは、本年10月に日南町で開催される授賞式で公開されます。
 また、後日『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」』に、その詳細と授賞者の記念講演の内容が掲載されることになっています。

 もっとも、現在その『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」』の第3集の編集を進めているところです。これは、本年10月の第5回授賞式までに刊行する予定です。
 この第3集には、第2回の授賞者である岡嶌偉久子氏の記念講演が掲載される予定なので、今秋の授賞者の内容は、来年以降になりそうです。
 そうした遅れは、本ブログで授賞式の報告として記し、フォローしていますので、しばらくはこうした対処でお許しください。

 これまでの第1回から第4回までの池田亀鑑賞授賞式の様子は、以下の記事で確認できます。

第1回「盛会だった池田亀鑑賞の授賞式」(2012年03月10日)

第2回「第2回池田亀鑑賞授賞式と記念講演会」(2013年06月22日)

第3回「第3回池田亀鑑賞授賞式」(2014年06月29日)

第4回「第4回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2015年06月27日)

 今回も、従来と同じ選考基準と手順で授賞作品を選定しました。
 よく聞かれることなので、あらためてここに記しておきます。

 選考委員は応募作のすべてを読み、各委員からは選評と評価表が提出されます。
 それを基礎資料として持ち寄り、全員が集まって応募作一点ずつについて討議をします。
 さまざまな観点から応募作を見ていく中で、全員の合意が得られたところで、授賞作の決定となります。毎回、委員の全員一致により授賞者決定に至っています。

 すでに、点数化する選考項目は公開しています。あらためて、再掲しておきます。


(1)地道な努力の成果
(2)研究の基礎を構築
(3)研究の発展に寄与
(4)成果が顕著な功績


 これは、あくまでも評価の一部を共通の視点で数値化することにより、より客観的な参考資料を手元に置いて選考会を進めるためのものです。
 特色は、地道な努力の成果を評価するところにあります。
 次回以降、本賞の第6回に応募なさる方の参考になればと思っています。
posted by genjiito at 23:38| Comment(0) | 池田亀鑑

2016年05月15日

京洛逍遥(407)5年ぶりに日曜日の葵祭

 今年の葵祭は5年ぶりに日曜日となりました。
 娘夫婦が葵祭の見物に来ていたので、早速お茶菓子を近所で買って来ました。周りに小さいながらも和菓子屋さんが数軒あるので、気が向いた時においしいお菓子で一服いただけます。
 そんなこんなで、午前中はお点前の特訓となりました。

 炉を閉じたので風炉の準備からです。しばらく使わなかった釜にしたところ、久しぶりに出したということもあり、赤い錆が釜の底に出ていました。この釜の手入れに小一時間ほどかかりました。仕舞い方がよくなかったようです。

 いつもよりも大きめの釜は、どっしりと座っているので、ゆったりとした気持ちになります。
 娘のダメ出しを耳にしながら、涼しそうなガラスの茶碗に薄茶を点て、婿殿に出しました。

 葵祭が自宅付近を通過するのは、午後2時40分頃です。それまで、昨年と同じように、ご近所の法乗院で琵琶の演奏を聴きながら、先頭通過までの時間待ちをすることにしました。ちょうど、この法乗院の前の北大路通りを巡行するのです。


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 昨年、次の記事に詳しく書いたので、琵琶のことはそれに譲ります。

「京洛逍遥(354)葵祭の直前に法乗院で琵琶の演奏会」(2015年05月15日)

 今日は昨年と違い、住職である岡田旭洋院主さんのお弟子さんの中でも、比較的稽古年数の若い4名の方の演奏からでした。「文覚発心」は語りと共に熱演でした。

 先生である岡田院主の「粟津ケ原」は、端切れのいい音と伸びやかな声で、じっと聴き入る演奏でした。

 終わってから娘が琵琶に興味を示すと、にこやかに撥を持って弾く手ほどきをしてくださいました。


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 琵琶を買って欲しいと言い出しかねないので、早々にお礼を言って、一階で緑茶をいただきました。お心遣い、ありがとうございました。

 2時過ぎに法乗院を辞し、北大路橋を右折して賀茂川を上り、植物園横にある飛び石のトントン(我が家の言い方です)の近くに見物場所を確保しました。賀茂街道を上って上賀茂神社へ向かう行列は、この桜並木の木陰で見るのが一番いいのです。

 先頭を行くのは、平成6年に創設された京都府警察平安騎馬隊です。
 その帽子(冠)に取り付けられた徽章がお洒落だと思っています。


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 行列の写真は例年とあまり変わらないので、今年らしいものを抜き出しておきます。


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 報道によると、500人の行列で、京都御所から下鴨神社を中宿りにして上賀茂神社までの8キロを歩いたそうです。
 葵祭は『源氏物語』に出てくるお祭りでもあり、平安時代の雰囲気を感じるようにしています。続きを読む
posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年05月14日

小林一三記念館を伊井館長に案内していただく

 逸翁美術館の少し先に、創業者である小林一三の旧邸「雅俗山荘」を中心とした「小林一三記念館」があります。
 そこで現在開催中の展示を、伊井春樹館長の案内で見せていただきました。
 入口には、立派な長屋門があります。

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 今秋予定している池田亀鑑賞の授賞式は、日南町の美術館で池田亀鑑の特別展が開催されている期間に設定されました。そのため、特別展のための参考になれば、との計らいで見物することになりました。
 この記念館は、逸翁美術館から少し歩いた所にあります。しかし、たくさんの方が見学にいらっしゃっていました。


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 展示は、伊井館長の発案が至る所で生かされており、阪急電車はもとより、宝塚や東宝の歴史などなど、昭和初期にタイムスリップして楽しめる構成となっています。
 私も学芸員の目で、興味深く拝見しました。

 小林一三は茶人逸翁でもあります。庭の茶室を、じっくりと拝見しました。

 「人我亭」は、小林一三の命日に、ここで逸翁白梅茶会が催されます。


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 「費隠」は、小林一三が商工大臣を務めた時の内閣総理大臣、近衛文麿の命名です。
 窓の多い茶室です。


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 壁の腰張りには、郷民の連判状らしい古文書が貼られています。


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 「即庵」は、椅子席の茶室で、昭和の名席と言われています。


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 いつかこれらのお茶室を借りて、伊井先生にお茶を召し上がっていただきたいものです。
 まだまだ私の点前は力不足で未熟ではあっても、目標の一つにしておきたいと思っています。

 今日は、逸翁美術館に隣接する池田文庫の会議室で、第5回池田亀鑑賞の選考委員会がありました。これまでずっと、ここを利用させていただいています。


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 1ヶ月以上にわたる審査の結果、無事に本年度の受賞作1点が決まりしました。


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 来週末の中古文学会までに、「池田亀鑑賞のホームページ」に、この第5回目の受賞作が発表されます。
 楽しみにお待ちください。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 古典文学

2016年05月13日

日比谷図書文化館のみなさまと鎌倉期源氏写本を見る(第2回)

 日比谷図書文化館で歴博本「鈴虫」の翻字を勉強なさっている方々10名が、国文学研究資料館においでになりました。
 国文学研究資料館が所蔵している、鎌倉期に書写された『源氏物語』を閲覧するためです。

 前回のことは、「日比谷図書文化館のみなさまと鎌倉期源氏写本を見る」(2016年2月 6日)に書いています。

 古写本の翻字をやっていて、実際にその時代の写本を見るといい勉強になります。
 書写された料紙の色艶、文字の大きさ、墨の濃淡、虫食い、墨汚れ、等々。
 時には、700年以上も前の墨の匂いも、かすかに残っている写本もあります。

 表紙絵に馬がきれいに描かれていることに気付かれました。
 筆箱を落としたのか、四角い墨跡がくっきりと残っていました。
 ここで書写していた人が変わっている、という発見もありました。
 虫食いの箇所では、そのねじ曲がった穴をじっと見つめていらっしゃいます。

 みなさんと一緒に、楽しい一時となりました。
 得難い体験となり、記憶に残る学習会となったことでしょう。

 帰りには、国文学論文目録データベースの作業室に案内し、簡単な説明を聞いていただきました。
 ここで作成している目録データベースは、たんに論文のタイトルや筆者などの情報に留まらず、大学院生などのアルバイトさんが直接受け持った論文を読み、データを取って入力しているのです。そのために、要求したキーワードに的確な検索結果を返してきます。このことがまだ理解されていない実情を、近年は外部に訴えています。
 とにかく、手間がかかっているところを、今日は見ていただきました。

 前回同様、地下の書庫も学術情報課の担当者の説明を聞きながら見ていただきました。
 日本にこうした機関があることと、古写本を翻字する上でスキルアップの機会となれば幸いです。
posted by genjiito at 21:20| Comment(0) | 変体仮名

2016年05月12日

迷惑メールだと知らずにクリックした痛恨の失態

 今年になってからのことです。いつのことだったのかは、覚えていません。
 確かインドから帰った後のはずなので、2月下旬から3月にかけての頃だったかと思います。

 ある日、一通のメールが海外から届きました。
 発信元は知らないながらも、よく知っている先生の名前が下段にあったので、何の連絡だろうと思って開きました。
 その先生は、日本語はまったくご存知ないので、いつも英語でメールが届きます。
 込み入った内容の時には、娘に間に入ってもらい、メールのやりとりをしています。
 世界的に著名な先生なので、失礼があってはいけないとの思いから、米語ではなくて英語で正式な返信を差し上げるようにしているのです。

 以前も、たくさんの画像を送ってくださった時に、外部サーバーからダウンロードしました。
 今回も、先生からの預かり物のファイルがある、ということを知らせるものだったと思います。
 そこで、英語が苦手の私なのに、いつものように適当に英語を読んでそのサイトからの連絡メールらしきものを開封したのです。

 すると、私の住所録から誰かを紹介するようにという誘導になりました。
 これはおかしいと思い、すぐにそれから先には進まずにメールの画面を閉じました。

 それ以降というもの、「Zorpia」というところから毎日2、3通のメールが届きます。
 だいたい「Hey」とか「Hi」と、馴れ馴れしく呼びかけるものです。
 以来、一度もその「Zorpia」からのメールは開かずに、すべて削除しています。

 私が何をしたためにそうなったのか、とにかくわからない状況から今に至っています。
 ネットで調べると、この「Zorpia」からの、この手の迷惑メールを撃退できる方法がありました。
 しかし、それを実行しても、いまだに毎日メールは来ています。

 自動的に迷惑メールのボックスに入る設定にしているので、間違って読むことはありません。
 しかし、自分が不用意にクリックした痛恨の失態によるものでもあり、気分がいいはずはありません。

 嵐が収まるのを待っています。
 これを排除する、何かいい方法はないものでしょうか。
 どなたか、回避策のご教示をいただけると助かります。
posted by genjiito at 23:38| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年05月11日

来週末に埼玉県本庄市で『群書類従』のお話をします

 以下の通り、『群書類従』に関するお話を、塙保己一ゆかりの地でいたします。
 これは、「古写本の触読研究に取り組むきっかけとなった講演録」(2015年11月16日)に記した『温故叢誌』という冊子から派生したものです。
 総検校塙保己一先生遺徳顕彰会事務局と、本庄市教育委員会生涯学習課の方々のお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。

 今回の話は、上記冊子にまとめたことに加えて、古写本や『群書類従』を目の不自由な方々と一緒に読める環境作りに取り組んでいることを、具体的な事例を交えてお話をする予定でいます。塙検校が当日の会場にいらっしゃることを想定して、検校に語りかけるような内容に組み立てているところです。

 また、目が不自由な方々にも聞いていただきたいと思っています。
 『群書類従』の版本の一部を立体コピーしたものを、当日の会場でお一人ずつに配布する予定です。実際に触読体験をしていただきますので、後で感想をお聞かせいただけると幸いです。

 『広報ほんじょう5 2016 No.124』(編集/本庄市役所企画財政部秘書広報課)には、次の予告がなされていますので、併せて紹介しておきます。


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総検校塙保己一先生遺徳顕彰会総会の記念講演

         記

1.開催日時 平成28年5月21日(土)
   受 付 午後1時30分から
   開 式 午後2時から
      ※記念講演は午後3時からの予定
2.会  場 本庄市児玉文化会館(セルディ)ホール
       所在地:本庄市児玉町金屋782−2
       電 話:0495−72−8851
3.演  題 「世界中だれでも読める『群書類従』」
   講 師   総合研究大学院大学
         国文学研究資料館 伊藤鉄也
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 古典文学

2016年05月10日

焼け焦げて飛んできたドライヤーの電気コード

 ドライヤーで髪を乾かしていた妻が、突然悲鳴を上げました。何と、突然ドライヤーの電気コードが顔を目がけて飛んできた、とのことです。

 洗面台の前面にあるコンセントには、ドライヤーの差し込みプラグだけが残っていました。電線が出ている所の付け根が焦げています。


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 飛んできたコードの先も、先端の被膜が融けており、電線は焦げています。


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 顔などにケガがなかったから良かったとはいうものの、突然のことなので怖さがしばらくは後を引きそうです。

 2005年の製造とあるので、11年前の製品です。一般的にお店で売られている、ごく普通のドライヤーです。

 我が家は、京都と東京にほぼ同じものが両方にある生活なので、この製品も一般家庭より利用する率は半分の回数だといえるでしょう。
 本体内部に、埃や綿屑が詰まっているわけでもありません。
 ドライヤーの寿命が何年なのか知りません。
 おおよその目安は10年でしょうか。

 それにしても、これが寿命ならば静かに天寿をまっとうしてほしいものです。
 まったく、人騒がせなしろものです。
 これまで大切に利用してきた者を怖がらせての、突然の成仏だったのです。

 この製品は、社名がパナソニックになる前のナショナル製で、「EH5212」というイオンチャージ付きのドライヤーです。
 タイで製造されたとの刻印があります。
 まったく異常が感じられなかったので、買い替えのタイミングが難しいものだと言えます。
 電化製品なので、賞味期限も消費期限も表示はないのです。

 同じ商品をお持ちの方は、くれぐれもお気をつけを。
posted by genjiito at 21:28| Comment(0) | 身辺雑記

2016年05月09日

鎌倉期写本の改頁箇所では語句の泣き別れが少ないこと

 今年の連休は、古写本の「変体仮名混合版」を作ることに明け暮れていました。
 そんな日々の中で、書写されている丁(頁)が変わる箇所の文字について、これまで思い描いていた傾向が鮮明に再確認できました。

 3年前に「ハーバード大学本『源氏物語』の改行意識」(豊島秀範編『源氏物語本文のデータ化と新提言U』所収、平成25年(2013年)3月)という考察を、研究成果の一部として掲載していただきました。
 そこでは、ハーバード大学所蔵の『源氏物語』(須磨・蜻蛉)の2帖を中心として、鎌倉時代中期の書写にかかる貴重な古写本の改行意識を調査した結果を報告しました。
 確認したのは、ハーバード本2帖に加えて、歴博本「鈴虫」、国冬本「鈴虫」、源氏物語絵巻詞書」の「鈴虫」、室町時代の大島本「鈴虫」でした。

 その紙面に記されている物語本文の各行末の文字列を見ていくと、どのような状態で書写されているか非常に興味深い傾向が見て取れます。
  (1)文節で切れているか
  (2)単語で切れているか
  (3)語中で切れているか
 この3つの視点で各写本を見ると、鎌倉期の写本では、語彙レベルで改行される傾向にあることがわかります。語彙が泣き別れで書写されることは少ないのです。
 これは、書写ミスを避けるために、自己防衛的な心理が働いての結果ではないか、と思われます。

 具体的に言うと、書写者の文節意識は5割の例に見られ、単語意識は2割で、合わせて7割の箇所に、語彙レベルでの改行意識が確認できました。語中で改行や改頁がなされるのは3割以下である、ということがわかったのです。
 古写本における書写者の心理を反映するものとして、貴重な調査結果となっていると言えるでしょう。

 さて、今回ハーバード本「須磨」「蜻蛉」に加えて歴博本「鈴虫」(落丁あり)における改丁(頁)箇所に限定して詳しく追跡しました。この3本は、かつては一揃いのセットとして組まれていたと思われる、「ツレ」と言われる写本です。
 鎌倉時代中期に、同じ文化圏にいた書写者によって書き写されたものだと思われます。したがって、書写傾向も似たものがあると思っています。

 改頁(丁)箇所の切れ続きがわかりやすいように、その傾向をグラフ化しておきます。


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 それぞれの写本の墨付き丁数は、次の通りです。

「須磨」(63丁・126頁)
「鈴虫」(18丁・36頁)
「蜻蛉」(67丁・134頁)

 数値をあげた表の左側で「35 13 43〜」とある行は、丁末が文節で切れる回数です。右側の表に「47 15 52〜」とある行は、単語で切れる回数です。
 最下段の「55.56 72.22 64.18〜」とある行は、その写本で改頁箇所が文節で切れる比率(%)であり、「74.6 83.33 77.61〜」とある行は単語で切れる比率(%)です。
 上のグラフは、この変化(%)を折れ線で示したものです。

 書写にあたって、親本の影響が強いことは当然として、明らかに文節意識と単語に対する切れ続きの意識が見て取れます。

 さらに今回、表丁と裏丁での違いが確認できました。
 その前に、「列帖装」という写本のことを確認しておきます。
 『源氏物語 千年のかがやき』(104頁、国文学研究資料館編、思文閣出版、平成20年10月)に掲載されている「『源氏物語』列帖装未完成本」(陽明文庫蔵、江戸時代前期写)の写真は、「列帖装」という写本の形態を知るのに最適です。


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 参考までに、その解説文(伊藤執筆)も引きます。


 これは、本として完成しなかった『源氏物語』の写本である。冊子本がどのようにしてできているかを知る好例である。近衛家一九代尚嗣(一六二二〜一六五三)が書写したもの。(中略)

 列帖装(綴葉装と同義)の本を作る過程は、次のようになる。

 (1)数枚の料紙を束ねて真ん中から折り、括を作る。

 (2)二つ折りの括をいくつか重ねる。

 (3)表と裏に表紙を当てる。
 
 (4)各折り目に四つの綴じ穴をあける。

 (5)両端に針を付けた二本の糸を通して綴じる。

一括を開くと、見開きの綴じ目に綴糸が見える。

 例えば、池田本(天理大学付属天理図書館蔵)の桐壺巻は三折(三二丁)だが、若菜下巻は六折(一二三丁)である。巻によって、一括の枚数や折の数が異なる。


 表丁の丁末に文節や単語の切れ続きに関する意識が高いのは、頁をめくって書写していく行為の中で、単語が泣き別れした状態で書写を中断したくない、という気持ちが生まれるからだと思います。
 親本と書写本を共にめくるという動作が入る時には、筆を一先ず机に置くこともあるでしょう。書写の流れが乱されるので、書き間違いを防ぐ意味からも、必要最小限の動作で書き続けるためにも、語彙の切れのいいところで中断することになるかと思われます。
 このことは、すでに親本の段階で発生していた傾向でもあるはずです。

 列帖装の写本では、親本と同じ折数で書写します。
 あらかじめ数枚の紙を半分に折って、それを糸で仮綴じした数折に書写していくことが多いようです。すると、裏丁(見開き右側)の丁末での改頁については、次の表丁(見開き左側)の紙面が目の前に開かれているので、書き始める位置がすでに視野に入っています。書写するための用紙をめくる必要がないので、表丁よりも書写文字の切れ続きに乱されることは少ないと言えるでしょう。
 この裏丁から表丁への書写であるなら、改丁箇所で単語が語中で泣き別れしても、写し間違いは最小限に留められていると言えます。

 私は上のグラフを見ながら、そんなことを考えています。続きを読む
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | 変体仮名

2016年05月08日

江戸漫歩(126)深川の骨董市と門仲のスリランカ料理屋

 朝9時から、宿舎一斉の大掃除がありました。
 毎月初めの日曜日は、宿舎の敷地内で草取りや自転車置き場の整理整頓等の大掃除をしています。
 今月は私の部屋が月当番なので、自治会費や共益費を集め、回覧板や諸連絡を回しています。大掃除の差配も。
 伊井春樹先生は40年ほど前、隣の階段の横並びにいらっしゃったそうです。その頃も、同じことをなさっていたことでしょう。

 大掃除が終わると、深川の富岡八幡宮へ骨董市を冷やかしに行きました。
 今はちょうど、鳥居の周辺が工事中です。


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 境内は工事のせいもあってか、いつもよりも出店が少ないようでした。


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 値段は総体的に、東寺の「こうぼうさん(弘法市)」、北野天満宮の「てんじんさん(天神市)」、知恩寺の「ひゃくまんべんさん(知恩寺手作り市)」などよりも高目です。
 いつも私は、高そうな茶碗などを見て楽しんでいます。

 お昼は、門前仲町の交差点裏にあるインド料理屋さんへ行きました。永代通りと清澄通りが交わる所です。
 この前は昨秋、インドのハイデラバード外国語大学のタリクさんと行った所です。「ディーパック」という、デリー出身のおじさんがなさっている、2ヶ月前に出来たばかりのお店でした。

「インド料理屋さんでインドに関する情報収集」(2015年11月19日)

 商売っ気のないお店でした。ところが、入口が賑やかになっています。


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 2階に上がってお店に入ると、従業員の方が若くなり、何度かお話をしたおじさんがいらっしゃいません。お店の内装はまったく変わっていません。壁の絵がスリランカの海岸の写真に変わっていました。

 壁際のテーブルだけが空いていたので、そこに座り注文をしました。
 メニューを見ると、きれいなビニール装のファミリーレストラン風になっています。それよりも何よりも、お客さんでいっぱいです。この前までは、せいぜい1組か2組でした。それが、今日は6組で満席状態なのです。

 お店の名前が、スパイシービストロ「タップロボーン」と変わっていました。本店は、南青山一丁目のあるそうです。「タップロボーン」とは、セイロン(現スリランカ)の前の国名だそうです。インド料理屋さんがスリランカ料理屋さんになっていたのです。

 私が大好きなチーズのような豆腐のパニール料理はないかと聞くと、スリランカ料理ではパニールはないのだそうです。
 カレーを妻とシェアするために、ビーフ、チキン、フィッシュ、ベジタブルの4品を選びました。

 運ばれてきたカレーは、予想をはるかに超えて私には辛過ぎるものでした。私にはベジタブルカレーがどうにか半分ほど食べられるものでした。それでも、口がヒリヒリします。

 辛いものが大好きな妻は、目尻から涙をこぼしながらご機嫌です。私の分のほとんどを食べてもらいました。
 インドでは、あまり辛いカレーは出ない所で食事をしているので、久しぶりに辛いカレーを体験しました。

 このスリランカ料理は、鰹節を使って身体を整える、アーユルヴェーダに基づいた料理になっているそうです。確かに、和風の味がします。
 ただし、すぐに口の中が焼けるようになるので、ほんの一口カレーを掬っては水を飲んでいました。

 この周辺には、ネパール料理屋さんが2軒あります。ただし、あまり口に合わないと感じていた中で、やっとデリー出身の方のインド料理屋さんができて楽しみにして行っていたのに、それが今度はスリランカ料理屋さんに衣替えです。
 聞くところによると、今年の正月中旬に開店したのだそうです。
 感じのいい店員さんでした。しかし、その辛さが、刺激物に弱い内蔵を持つ私には堪えます。

 今度行ったら、辛くないものを作ってもらえないか、お願いしてみようと思っています。
 お店の雰囲気はいいので、次回はマイルドなカレーとの出会いを楽しみにします。
 スリランカ料理というと、奈良にいた頃、生駒山の中腹にあったラッキー・ガーデンへよく行ったことを思い出します。非常にマイルドな味でした。
 ここでも、期待できそうです。
posted by genjiito at 21:28| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年05月07日

珍しく欠陥品ではなかったiPhone 6 Plus

 よく欠陥品を手にすることで知られている私です。
 特に、電子機器は、いつも欠陥という大当たりのくじを引いています。

 ところが、珍しくというか、私が持っている物が正常な商品だったのです。
 この普通であることが、私にとっては稀有なネタになるのです。

 先日の仲間のブログに、


 私のiPhoneは、「ごく一部の iPhone 6 Plus で、iSight カメラのコンポーネントの一部が故障し、撮影した写真がぼやけて見える場合があることが判明」(apple.com)した、リコール該当機種です。


とありました。

 何事にも冷静沈着な仲間の話なので、当然私の iPhone もそうだろうと思い、アップルのサポートサイトで調べました。

 手元にある iPhone のシリアル番号を入力したところ、何とリコールの対象外である、という思いがけない(?)メッセージが表示されました。
 そういえば、この iPhone は購入してから不具合続きで、4ヶ月で2度も本体を無償で交換していました。現在使っているのは、iPhone 6 Plus の3台目なのです。
 詳しくは、「4ヶ月で3台目の本体交換となったiPhone6 Plus」(2015年02月25日)をご笑覧ください。

 iPhone 本体の交換を繰り返している内に、欠陥が解消された頃に製造された iPhone が、今私の手元にあるようです。

 複雑な思いではあるものの、まずは一安心です。

 試しに、妻の iPhone のシリアル番号を聞いて、同じようにチェックしました。すると、これは大当たり。リコール対象商品だったのです。

 私と同じ日に同じ店で、「iPhone 5」から「6 Plus 」へ一緒に買い換えたものです。妻の iPhone がリコール対象商品ということは、あの時、店頭で私に渡された iPhone 6 Plus も、日本語入力機能以外に、カメラにも欠陥があったということのようです。

 妻のカメラのピンボケは、そんなに酷くはないようなので、しばらくはこのままで使うそうです。というよりも、欠陥品を交換修理することに慣れていないので、煩わしさと面倒なことを避ける意味もあって、当分はこれで様子をみるという判断のようです。

 いずれにしても、2人共に大した被害がなくて幸いでした。
posted by genjiito at 22:15| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年05月06日

古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その3)−改丁(改頁)に関する新方針

 「変体仮名翻字版」の新しい凡例については、昨年正月に公開した以下の3回の記事で報告したことで確認をしているところです。
 この記事の中で「変体仮名混合版」とあるのは、今は「変体仮名翻字版」と呼んでいるものです。わかりやすい名称に変更していますので、読み替えてください。
 また、「その3」の「E-Q」では漢字で書写された文字については「/〈漢字〉」という記号を付すとしています。しかし、これはその後の再検討の結果、【 】(隅付き括弧)で漢字を囲うことにしています。

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その1)」(2015年01月18日)

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その2)」(2015年01月19日)

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その3)」(2015年01月21日)

 もちろん、これだけでは凡例として不十分です。
 次の記事では、その欠を補うものとして、〈左傍記〉〈行末右〉〈行末左〉〈丁末右〉〈丁末左〉を、付加情報を記述する符号として増補したことを報告しています。

「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その1)」(2015年09月25日)

 その後も、さまざまな問題点に対処するために、付加情報の追加を検討してきました。しかし、まとまりきらないままに日時が経過していました。

「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その2)」(2016年03月19日)

 以下に報告する【改頁(改丁)】の新方針は、翻字以外で諸写本全体にかかわるものです。
 書写状態を記述するための符号である【改頁(改丁)】の方針は、従来とは大きく方針の転換となるものであり喫緊の課題でした。今の時点で確定として、前進していきたいと思います。

 NPO活動の一環として翻字のお手伝いをしてくださっているOさんから、改頁に関する質問と確認をいただきました。
 これをきっかけとして、次のように「変体仮名翻字版」の新しい作業用の凡例を整理しました。

 まだまだ、再検討すべき凡例はあります。特に、翻字作業用のマニュアルとしての凡例は、いまだに確定していないので、大急ぎでまとめているところです。多くの方々に翻字をお願いしながら、この付加情報に関しては後追いで、泥縄式に確定しているのが現状です。
 『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』という作業と成果を経て、翻字に関してはほぼ凡例は出来上がっていました。しかし、「変体仮名翻字版」となり、翻字作業もNPO法人を母体とする研究者ではない方々のお力添えをいただく、ということで展開しています。そのこともあり、一人で方針を決めていると、どうしても翻字方針が揺れてしまいます。
 実際に「変体仮名翻字版」の翻字をなさっている方々からの意見が、今は一番心強いアドバイスとなります。
 今後とも、みなさまからお寄せいただく疑問点を中心にして、よりわかりやすいデータベース作成用マニュアルに育てていきたいと思っています。


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【凡例(案)】(2016/05/05)


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■【改頁(改丁)】の新方針
※ 各丁ごとに、最終文節が書写されている箇所の丁数と表裏を、丸カッコ内に明記する。
   例1 みちひき可葉志/(2オ)   ・・・380117-000(歴博本「鈴虫」)
   (従来は、続く次頁冒頭の字句に付加情報を付していた。「たまふへき/〈改頁〉」)
  丁末で文字が泣き別れしている場合は、次頁冒頭の一文字に〈次頁〉と付して掲示する。
   例2 きはや可尓/(1ウ)や〈次頁〉   ・・・380082-000(歴博本「鈴虫」)
   (従来は、「きはやかに/や〈改頁〉」としていた。)
 なお、使用する文字・記号・数字は、原則として全角文字とし、2桁以上の数字の場合のみ半角数字とする。
 これらは、すべてテキスト・データベースで検索する際の便宜を考慮しての処置である。
posted by genjiito at 22:29| Comment(0) | 変体仮名

2016年05月05日

京洛逍遥(406)今年の競馬は途中で帰りました -2016-

 晴天の下で開催された上賀茂神社の競馬会は、あまりの人の多さで観られなかったため、途中で家に引き返しました。

 ゴール地点である社務所の近くでは、馬たちが出走の準備をしています。
 前方正面の鳥居の右からこちらに向かって、2頭の馬が疾駆します。その迫力は、実際にそばで見て、地響きを感じると、もう忘れられません。


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 予定の午後2時を大分過ぎた頃に、ようやく騎手(乗尻)の姿が見えました。


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 日差しのきついこともあり、残念ながら今年はここで帰ることにしました。

 これではあまりにも味気ないので、過去一番の記事を引きます。

「京洛逍遥(229)上賀茂神社の競馬会-2012-」(2012年05月05日)

 この翌日、家族の姿が新聞写真の片隅に写り込んでいました。
 これも引いておきます。

「新聞に写真が載ったこと」(2012年05月06日)

 一年中、洛中洛外のどこかで、いろいろな行事があります。
 その中でも、自分が一緒になって興奮するのは、一昨日の下鴨神社の流鏑馬と、この上賀茂神社の競馬会でしょう。

 来年はどこで誰とどのようにして観るのか、またのお楽しみに、ということにしておきます。
posted by genjiito at 21:25| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年05月04日

京洛逍遥(405)さがの温泉「天山の湯」

 気分転換に温泉を探し、まだ行ったことのないお湯を見つけました。
 さがの温泉「天山の湯」といい、嵐電の嵐山本線にある有栖川駅から徒歩3分です。

 賀茂川の飛び石近くで、よく行く植物園沿いのお休み処に弁当を持参してお昼としました。晴天の下、少し風を肌に感じるくらいでちょうどいい気候です。

 食後はぶらぶらとビブレの地下にある北大路バスターミナルまで行き、金閣寺経由のバスで北野白梅町まで出ます。
 嵐電北野線の始発駅である北野白梅町駅の改札口には、こんな自動改札機がありました。キャスター付きの手押し車にセットされているのが目を惹いたので、思わずシャッターを切ってしまいました。


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 北野白梅町駅から終点の帷子ノ辻駅まで行き、そこで嵐電嵐山本線の嵐山行きに乗り換えて一駅目が有栖川駅です。
 電車から降りる時に、ドアの手前にある改札機で「ピタパ」(関東で言うと「パスモ」)をタッチします。「パスモ」も持っています。しかし、私は関西では「ピタパ」を使っています。


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 有栖川駅の出口に改札ゲートはありませんでした。


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 駅から歩いて本当に3分で「天山の湯」に着きます。
 この温泉の前の道は、あの三条通の西の端に当たります。


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 入口はおしゃれです。この男女は誰を想定したものなのか、楽しく想像を逞しくしてみました。

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 トイレの男女の絵も、同じ図様です。
 その横には、子どもたちが大好きな当て物やお菓子などがずらりと並んでいます。楽しいロビーです。


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 「ホームページ 天山の湯」に、この温泉の効能などが詳しく紹介されています。
 私は、有馬の金泉・銀泉よろしく京都らしく命名された「金閣の湯」という赤茶けた金泉が気に入りました。鉄分が貧血に効能があるそうです。これは、今後とも通う価値がありそうです。
 全体的に肌がつるつるとして、湯上がり感は最上の温泉です。

 帰りは、帷子ノ辻駅が近いことがわかったので、三条通りを歩いてみました。道々、楽しい家が多かったので、次回にでも紹介しましょう。

 帷子ノ辻駅では、右手に四条大宮から来た電車が、左手に北野白梅町から来た電車が同時に入線してきました。


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 北野白梅町に向かう帰り道では、運転手さんの横から単線の進行方向の新緑を写真に収めました。


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 宇多野駅の上り線ホームの屋根はおしゃれです。


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 予想外の景色と温泉を堪能できた連休の半日となりました。
posted by genjiito at 21:22| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年05月03日

京洛逍遥(404)流鏑馬神事とお白石持神事

 下鴨神社の流鏑馬神事に久しぶりに行きました。
 糺ノ森の馬場は、万全の準備が整っています。


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 ブログを見返したところ、前回観たのは4年前のようです。

「京洛逍遥(227)下鴨神社の流鏑馬神事」(2012/5/3)

 娘夫婦共々、ざわめきの中で古式を楽しんで来ました。
 今回は、21年に一度のお白石持神事にも参加しました。


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 始まる前の緊張感には格別のものがあります。


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 射手が目の前を疾駆する姿は一瞬です。
 今回は、デジカメの連写機能を使ったせいか、馬の速さにシャッターが追いついていません。

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 的に矢が当たった後は、的の取り換えも大変です。


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 スタート地点に戻る姿は、3本共に当たった射手がことのほか得意そうです。


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 当たって割れた的を回収した後は、記念の墨書きがなされます。


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 私がこれまでに手にした中でも、2010年のものが一番です。今も床の間に飾ってあります。

「京洛逍遥(137)糺の森の流鏑馬神事」(2010/5/3)

 終わってから休憩所の「さるや」で、復元されたお餅とお茶をいただきました。


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 境内では、お白石持神事が行われていました。


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 下鴨神社のホームページには、以下の説明があります。


【第34回式年遷宮奉祝事業 お白石持神事 】
 お白石持神事は、21年に一度の正遷宮の時に合わせて御本殿御垣内に御祓いをすませた白石を元に戻す神事です。これは古代の磐座の再現で、かつては、鴨川のお石の場から崇敬者が寄ってお運びになりました。
今回は、このお白石を実際に本殿御垣内にお進みいただきまして、お納めいただきます。
皆さまに御垣内にお入りいただける機会は、この時しかございませんので、是非ご参加下さいますようお願い申し上げます。


 下鴨神社の本殿の裏に回ったのは初めてです。
 21年に一度の神事なので、貴重な体験となりました。


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 心を込めて2個の石を置きました。
 20年後にも、また石を置きに来られますようにと祈りながら。
posted by genjiito at 21:30| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年05月02日

京洛逍遥(403)北山通りに移転した古田織部美術館

 府立植物園の北を東西に走る北山通りで、古田織部美術館を見つけました。
 以前は鷹峯にあったものが、この北山に移転したのです。
 今年の2月20日に、ここ北山にリニューアルオープンしたのだそうです。
 植物園にはよく行きます。しかし、その北側の北山通りはあまり通らないので、これまでここに移ってきていることを知りませんでした。


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 今回は、移転記念とでもいうべく第1回目として、「平成28年 春季展 茶の湯三宗匠−利休・織部・遠州−」が企画されました。
 「古田織部美術館のホームページ」には、つぎの案内文と共に、展示品目録などが掲載されています。


このたび、古田織部美術館は鷹峯から北山に移転し、リニューアルオープンいたします。その最初の展覧会を飾るのは「茶の湯三宗匠」と呼ばれた、天下一の茶人たちです。それぞれ師弟関係にあった三者ですが、その好みは三様です。普遍的な美を現出した千利休、「へうげもの」といわれた歪んだ茶碗や細長い花入など、強烈な個性を放った古田織部、瀟洒な「綺麗さび」を好んだ小堀遠州?。今回はそれぞれの好みの茶道具や、自筆書状など約50点を展示、なかでも利休や織部は自筆の書状が少ないため、三者の書が一堂に会するのは貴重な機会です。道具や書に表れた個性の違いを楽しみながら、ご覧になってはいかがでしょうか。



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 展示室は地下にあって、手狭に感じます。
 しかし、並んでいる50点を拝見し、その充実した内容に満足しました。
 物の性質上、説明文がくどくなるのは仕方のないことでしょう。
 もう少し文字が大きくてもいいかな、と思いました。

 展示室の奥の一角では、織部に関する20分ほどのビデオが映写されていました。
 テレビで放映されたものです。私は見なかった番組だったので、一人静かに薄暗いコーナーでじっくりと拝見しました。

 なお、古田織部美術館の館長さんのお茶席にうかがった時のことは、【4.1-京洛逍遥】「京洛逍遥(321)古田織部400年遠忌追善茶会で大徳寺へ」(2014年06月11日)に記した通りです。
 筒井先生が濃茶を、宮下さんが薄茶の席を設けられた時、お点前を拝見し、お話もうかがいました。

 この美術館の経営は茶道具屋さんなので、1階には茶器が並んでいます。
 私などが買えるものではないものの、自由に見て触っていいとのことなので、勉強のつもりでしばらく拝見しました。
 いつか、こんないい道具で、お茶をいただき、点てたいものです。
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年05月01日

京洛逍遥(402)今秋開館予定の新総合資料館の外観

 建設工事が進んでいる「新総合資料館(仮称)」の姿を確認しました。

 北山通りに面した現総合資料館の南側にある、京都コンサートホールの南から見た、今日の姿です。


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 建設現場の南にある京都府立大学側から見ると、こんな姿です。


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 この新総合資料館は、今年の秋にオープンする予定です。
 建設と共に、資料の搬入や整理が終わる今秋の開館が楽しみです。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の書庫(ふみくら)ともなる新総合資料館です。
 来訪とその活用を、大いに宣伝していきたいと思います。
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | ◆京洛逍遥