2016年03月31日

支えられての日々に感謝して

 今日3月31日で、長いようで短かかった平成27年度が終わります。
 明日から、東京での生活が最後となる、平成28年度が始まります。

 心なしか、身の引き締まる思いがします。
 肩の力を抜いて、見つめすぎない日々にしたいと思っています。

 今日は、退職に伴う挨拶をいただきました。
 あらためて、自分が多くの方々に支えられていたことを思いかえすこととなりました。

 そうかと思えば、明日から新たな人生が始まる方もいます。
 拍手で幸先のよいスタートをお祝いします。

 今日でこれまでの仕事を終えられた方も、明日からは新たな旅立ちです。
 稔り豊かな日々の訪れを楽しみにして、お互いに前を向いてそれぞれの目標を目指しましょう。

 折々に、嬉しい、楽しい、心和む話を交わしましょう。
 さて、いよいよ平成28年度の始まりです。続きを読む
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | 身辺雑記

2016年03月30日

京洛逍遥(396)植物園のチューリップ桜杏桃梅

 先週3月下旬の京都府立植物園では、さまざまな花たちが春に向けて色を競っていました。

 この植物園は、大正13年(1924)に開園した、公立の植物園としては日本最古だと言われています。広さは甲子園球場が6個も入り、春先の桜だけでも450本が咲きます。
 それよりも何よりも、技術職員の方やガイドボランティアの方々の説明が聞けるので、学びの場ともなっています。

 さて、春を迎える園内の花たちです。


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 欅並木を通って正門(上掲地図の中央左下部)を入ると、すぐ目の前の花壇でチューリップが出迎えてくれます。


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 真っ直ぐに北へ進むと桜林です。奥には半木神社が見えます。


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 ただし、ちらほらと杏の花が咲いているのを見かけると、桜との違いが見分けられなくて戸惑います。


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 桃もこれからです。


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 半木神社の裏手のなからぎの森では、水車がカラカラと回っています。


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 近くの石橋は、苔の付き具合が絶妙です。


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 森のカフェのそばには、利休梅が控えめに咲いています。


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 これから初夏にかけて、さらに多くの草花が楽しめます。
 これからの展示会と花暦をあげます。


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posted by genjiito at 22:18| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年03月29日

京洛逍遥(395)賀茂川散策をして花冷えの河内へ墓参

 少し肌寒い朝。
 賀茂川散策を兼ねて、鷺たちの様子を見ながら京阪三条駅まで歩きました。


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 出町柳の河原では、大勢の方がウォーキングの順番待ちをしておられます。
 ここから北山を目指して歩かれるようです。
 こうしたグループが10組はあったので、この賀茂川縁の散策路も長蛇の列で渋滞ぎみです。


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 京阪三条から京橋、鶴橋、河内山本経由で、信貴山口駅の先の高安山の麓にあるお墓へ行きました。お彼岸に行けなかったので、今年は遅めの墓参です。

 信貴山口の駅は、50年前とあまり変わっていません。単線の終着駅で、信貴山へ上るケーブルカーの始発駅でもあります。


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 来月4日から1ヶ月半にわたり、奈良国立博物館で『信貴山縁起絵巻』の展覧会があります。今回は、3巻の全長35メートルに及ぶ絵巻の、全場面を全期間公開されるようです。


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 『信貴山縁起絵巻』は、京都に来るまで住んでいた奈良の平群町が持つ国宝です。平群町にいた20年間に、この絵巻は一度も町民に見せることのないままに、京都国立博物館に寄託されたままでした。
 平群中学の先生に9年間にわたって何度も町民に見せる機会を作るべきだと訴えてきました。しかし、まったく無視されたことを、今でも残念に思っています。町民が見ることも出来ない町の国宝とは、一体何なのでしょうか。足元の文化行政が未成熟だったことは、返す返すももったいないことでした。

 さて、河内八尾の桜も、京都と同じようにまだです。早咲きの桜が一本だけ咲いていました。


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 この「自然廟」の「廟」に目が留まりました。「朝」の崩し字を知らないと、まったく読めない漢字です。現代日本の漢字偏重の文化は、あらためて見直していいと思っています。大和ことばの復権を考えたいものです。

 先日、八尾空港で軽飛行機が墜落するという痛ましい事故がありました。この空港は、私が中学生の頃に自転車でよく遊びに行き、滑走路脇を走り回ったものです。

 墓地のある高安山から見下ろすと、空港は家々の中に紛れています。手前の、私が通っていた南高安小学校と南高安中学校のグランドは、はっきりと見定められます。その左上、直線距離にして4キロもないところに八尾空港があります。


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 この墓地は、いつもきれいにしていただいています。大阪湾から淡路島のみならず、晴れ渡った日には四国徳島まで見通せます。
 両親も、島根県の出雲からお墓をこの高安の地に移し、今は激動の時代を生き抜いたことを懐かしみながら、2人で想い出話に花を咲かせていることでしょう。饒舌だった父と、無口だった母の姿が、この墓地に来ると思い出されます。あなたたちの子供も孫達も、みんな元気にしていますよ、と伝えました。
posted by genjiito at 23:38| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年03月28日

京洛逍遥(394)白川での書道展と吉井勇の歌碑

 書道の吉田佳石先生は、毎年残暑の頃には東京銀座で「慶山會書道展」を、桜の頃になると京都白川で「弥生展」をなさいます。

 昨夏の「慶山會書道展」のことは、「銀座探訪(31)書道展で左から右への横書きを見る」(2015年08月26日)に書きました。

 昨年の「弥生展」には行けなかったので、京都での展覧会の様子はその前の「京洛逍遥(311)祇園白川の書道展で長唄三味線を聴く」(2014年03月31日)をご覧ください。

 今回は、スイスからお越しのお客さまにお茶を点てて差し上げてから出かけたので、会場が閉まる直前に駆け込むこととなりました。
 毎年展覧会場となる「ギャラリー 門前」は、狭い階段を上がったところにある畳の部屋です。


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 今年の先生の作品は、「那裏去」という言葉でした。禅のことばから採ったとのことで、その意味を説明してくださいました。

 その横に掛けられていた、吉田先生の師である続木湖山先生の作品の前には、2000年にここで開催された展覧会の折の写真が飾られていました。続木先生は、2006年に95歳でお亡くなりになりました。
 私は、一度だけ続木先生のご自宅にうかがい、作品を見ていただいたことがあります。たどたどしく擦れさせて書いた「蘭亭序」は、幸運にも毎日展で入選したことを思い出します。

 京都での展覧会は、帰りに白川沿いの桜が楽しめます。ただし、今年は3月26日(土)と27日(日)の2日間で、私が妻と連れ立って行ったのは27日でした。このところの寒の戻りのせいもあって、咲いている桜をさがすのが大変です。


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 祇園の花見小路に向かうと、白川南通りに歌人吉井勇の「かにかくに 碑」があります。ここは、磯田多佳の茶屋「大友」があったところです。


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 碑文や看板などに記された変体仮名を正確に翻字しているところなので、このかな文字も「変体仮名翻字版」で記しておきます。


可に可くに
  祇園は
   こひし
   寝るときも
  枕のしたを
   水のな可るゝ


 四条大橋に出る途中で、おしゃれな京都祇園郵便局を見つけました。
 これはこれで、京都らしいデザインです。
 こんな発見があるので、街歩きはいつも楽しいものとなっています。


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posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年03月27日

京洛逍遥(393)半木の道沿いの桜はまだまだです

 北大路橋から、桜が開花している木越しに、大文字の如意ヶ岳を望みました。
 雪柳が川面を明るくしています。


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 半木の道の桜はまだ蕾です。先週の暖かさで開花したものの、すぐに花冷えとなり、少しお休みをしているようです。


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 小路に咲き掛かっているのは、隣の府立植物園から枝を延ばして顔をのぞかせている早咲きの桜です。


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 桜が小休止している間に、ということでしょうか。半木の道の木々を守ってきた金閣寺垣の補修が、一つ一つ丁寧になされていました。


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 新しく付け替えられた竹の緑が鮮やかです。

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 我が家でトントンと言っている飛び石から植物園を見やった一帯の枝垂れ桜が、毎年一番みごとな咲きぶりを見せてくれます。4月に入ってから開花するのでしょうか。


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 棚の下を見ると、右側の金閣寺垣が新しく緑に縁取られた一角をなし、真ん中と左側の垣がこれから装いを新たにするのです。
 数日もすると、木々や花々の色模様の移り変わりが楽しめそうです。
posted by genjiito at 20:03| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年03月26日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の打ち合わせ会 -2016-

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の運営メンバーが集まり、今年度の活動の確認と、4月に開催する総会及び来年度のことについて、3時間にわたって入念な打ち合わせをしました。
 会場は京橋区民館です。東京駅から銀座に向かって歩いてすぐの、非常に便利な場所にあります。中央区は使い勝手の良い公共施設が多いので、NPO関係の会合にはこの一帯の施設をよく使っています。

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 今日の主な議題は、以下の通りです。
 (1)定款変更についての確認
 (2)来年度の活動について

 この内、来年度の活動に関して話題としたことを、記録として列記しておきます。


■イベント
・平成28年4月1日よりスタートする「障害者差別解消法」に対応した活動
  (古写本『源氏物語』の触読研究の支援)
・第2回 源氏物語散策
  (京都御所周辺)
・第5回池田亀鑑賞の後援
  (鳥取県日野郡日南町で開催)
・〈第8回 インド国際日本文学研究集会〉の支援
  (ニューデリーにおける集会の運営と研究発表)
■学習会
・日南町で古写本『源氏物語』を読む会
  (町民のみなさまと池田亀鑑を追体験する)
・日比谷図書文化館「古文書塾てらこや」本科コース
  (翻字者育成講座で歴博本「鈴虫」を読む)
■データベース構築
・古写本『源氏物語』の変体仮名翻字版を推進
・池田本(翻字・校訂本文)
・『十帖源氏』(翻字、校訂本文、現代語訳)
■その他
・総会の議題と報告事項の確認
・理事の交代と新任理事の増員
・ニューズレター第3号の発行
・NPOのパンフレットとロゴの作成
・入会金と会費の扱いを弾力的に運用
・会費徴収の時期は総会前に
・ホームページの充実
・文化庁の京都市移転に伴う対応


 計画と予定は盛りだくさんです。
 みなさまのご支援をいただきながら、着実に進めていくつもりです。
 4月からの新年度も、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 22:56| Comment(0) | ◆NPO活動

2016年03月25日

谷崎全集読過(25)『異端者の悲しみ』

 この時期、谷崎がよく取り上げていた夢の話から始まります。
 舞台は日本橋八丁堀の裏長屋です。

 主人公章三郎は、逆境に沈む身でありながらも、非凡なる天才としての素質を持て余す自分と戦っています。妄想の世界をさまようのです。

 その章三郎は、根っから狡賢くて、奸計に長けた男でした。いやらしさを前面に押し出して、怖いもの知らずの学生生活を送ります。読者の誰もが好きになれない人物です。とにかく、自分勝手、身勝手な、青春真っただ中の男として振る舞っています。
 章三郎自身も、自分を「卑しい品性」(44頁)と言っているほどです。

 荒れすさんだ息子章三郎を中において、両親と妹、そして友達が冷静に立ち回ります。
 最後の妹の姿は、それまで放蕩三昧だった章三郎から、哀れな一少女に目を転ずるものとなっています。読者のやるせない思いを、いや増しに掻き立てます。

 このような人間の姿が描けるのも、谷崎の筆の力なのでしょう。

 なお、「はしがき」によると、本作は前年の大正5年8月に脱稿していたそうです。しかし、発売禁止になることを惧れて、掲載が見送られていたものであったとのことです。

 また、家族4人についてだけは、ありのままに描写したものだそうです。谷崎自身が「此の一篇は予が唯一の告白書である。」と、明言しています。

 作者が32歳の時に発表したものなので、どうしても語っておきたかった自らの青春時代の記録なのでしょう。青年期の素直でない利己的な面を取り立てて描き出した点では、文筆家の手になる作品としては出色の出来だと思います。
 もっとも、私は再読しようとは思わないので、好んで人には薦めないことにしています。人間としては見たくない姿が、これでもかと、あからさまに描かれているからです。若さゆえの傲慢さが押し付けられるのは御免だからです。

 読んでいて不愉快なままで放置される本作は、私が求める文学を楽しむ領域を逸脱しています。
 ただし、谷崎潤一郎という作家を論ずる際には、読む必要があるものだと思われます。【2】
 
 
初出誌:『中央公論』大正6年(1917)7月号
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | 谷崎全集読過

2016年03月24日

読書雑記(162)中島岳志・島薗進『愛国と信仰の構造 ―全体主義はよみがえるのか』

 中島岳志氏と島薗進氏の討論を収録した『愛国と信仰の構造 ―全体主義はよみがえるのか』(2016.2.22、集英社新書)を読みました。
 今現在の日本が直面している社会的な問題を、わかりやすく語り合っているので、問題意識が乏しかった私にも理解できるところが多い本でした。


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 今を生きる中で、さまざまな問題が身の回りにあることに気付かされました。
 しかも、日頃はこうした問題を語り合ったり耳を傾けたり、じっくりと考える余裕がないままに過ごしています。

 2人が問いかけ合う形で、問題提起とその回答や示唆が語られていきます。
 島薗氏が具体的な事例をあげ、中島氏が鋭く分析した結果を述べる、という局面が多いように思いました。

 2人の論争を聴く立場で読み進んでいると、社会的な事象を鮮やかに切り分けて解釈を施していく過程に参加できます。知っていることが、新たな視点でつながっていく快感が得られます。

 それでも、結論は読者に委ねられています。2人のやりとりに身を委ねながら、自分の中では自分なりの解決策を模索します。考えてもみなかった問題提起に、自分の立場からの解答を出そうとします。しかし、判断材料が討論者よりも圧倒的に少ない私には、また議論に耳を傾けることとなります。

 本書を読みながら、そんな体験の繰り返しの中で、さまざまな点と線をつなげては消していました。

 そのような中で、中東の戦争や宗教対立、さらには難民や移民の問題からテロが多発する社会と現代という時空をどう見るか、ということにも思いが飛んでいきます。
 しかし、こうしたテーマは、今回は俎上にあげられていません。それは、2人がアジアに目が向いていることに起因するようです。
 そのようなやりとりがなされている箇所を抜き出しておきます。


中島 ここまでの議論から、日本もこうした「単一論的宗教復興」の動きが強まっていると言っていいでしょう。
 「単一論」は、国内においては全体主義に結びついていきますが、同時に、異なる宗教や文明との衝突をももたらします。
 こうした二重の危機を乗り越えるためには、今こそ「バラバラでいっしょ」の「多一論」を基礎とした思想的なアジア主義の可能性を追求する必要があります。
島薗 戦前においてアジア主義は、帝国主義へと転化してしまいました。それを繰り返さないために、中島さんは何が必要だとお考えですか。
中島 私は、柳宗悦の思想に、アジア的な「多一論」の可能性を見出したいのです。柳は「民芸」という概念を作り出したことで知られていますが、それは柳の一面にすぎません。彼は同時に、偉大な宗教哲学者でもありました。
(中略)
 だから、柳宗悦の中では世界を統一したいというような願望、ある極端な理想主義的な政治イデオロギーは出てこなくて、多元的なものは多元的なままで一元的であるという発想が非常に強い。
 近代日本の中で一番希望がある人は誰かと問われると、この柳宗悦ではないかと思うのです。彼はアジアとの連帯を考えながら、アジアの独立というものをしっかりと支持し、日本の全体主義にも与しなかった。ですから、日本のアジア主義のあり得たかもしれない道を柳宗悦が示しているように感じます。(224〜226頁)
 
 
島薗 私も中島さんの考え方に共感します。
 EUを支えるキリスト教、あるいはカトリック教会というような一元的で強固な共通の基盤がアジアにはない。しかし、一方で、東アジアは多様な思想が多様なまま共存するという経験をずっとしている。ここに独自の可能性があるはずです。
 明治維新から一五〇年。この間、日本は、東アジアの宗教や精神文化を遠ざけ、西洋的な近代化に邁進したつもりでいた。しかし、いまや近代的な枠組みを作ってきた国民国家や世俗主義という理念が、問いなおされるようになっています。
 だとすれば、現在の危機を奇貨として、私たちは東アジアという枠組みから宗教や精神文化の重要性を考え、それが立憲主義や民主主義とどう関わり合うのかを考えてみるべきでしょう。
 そのためには、日本の問題を東アジアの課題として受け取る。そういう視野が必要とされていると思います。(261〜262頁)


 ここでは、時間と紙数の関係もあって、語られなかったことが多いのです。それらは、機会をあらためて、こうした問題に対する2人の考え方をぶつける場面に立ち会いたいと思いました。

 現在、今を生きる者として、その背景を成す社会が抱える問題を、日本人と宗教という視点から意見を闘わせています。
 明治維新から今までの政治と宗教の流れを、特に意識して読ませる本です。
 今、自分がおかれている現代を見つめ直す、いい機会を得ることができました。【5】

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 本書の目次をあげておきます。


【目次】
1.戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか
2.親鸞主義の愛国と言論弾圧
3.なぜ日蓮主義者が世界統一を目指したのか
4.国家神道に呑み込まれた戦前の諸宗教
5.ユートピア主義がもたらす近代科学と社会の暴走
6.現代日本の政治空間と宗教ナショナリズム
7.愛国と信仰の暴走を回避するために
8.全体主義はよみがえるのか


 以下、私がチェックした箇所を抜き出すことで、読書の記録とします。


中島 社会学者の大澤真幸さんはおよそ二五年という長さで日本の社会のパラダイムが変わってきたという非常に優れた分析をなさっています。
 そして、この二五年ごとの時代区分三つを、戦前と戦後で並べてみると、何が見えてくるのか。実はそれぞれの時代区分ごとに(年表・二七頁)、どこか似たところが浮かんでくるのです。大澤真幸さんは、この三つの時代が、並行するように繰り返しているのではないか、と指摘しています。(24頁)
 
 
中島 彼(引用者注:司馬遼太郎)の小説『坂の上の雲』は、タイトルが核心を見事についている。ポイントは「坂」と「雲」です。
(中略)
 おおよそ日清・日露戦争の勝利によって不平等条約は改正されることになりました。日清戦争によって治外法権が撤廃され、日露戦争後の一九一一年になると関税自主権も回復され、日本は名実ともに欧米に肩を並べることになった。しかし、重要なのは、「坂」を登りきった明治の後半の人々が見たものは「雲」にすぎなかったということです。雲は遠くから眺めていれば、実体があるかのように見えますが、その中に入ると、つかむことができない。
 つまり日本は、坂道を登っている間は、あの雲をつかんでみたいという目標があったのに、坂の上に行ってしまったら雲の中に突入してしまい、何をすればいいのかと迷うようになってしまった。しかも雲の中に入ると、見通しがきかない。先が見えない。
 その象徴が一六歳で華厳の滝に身を投じた藤村操でした。雲の中に入ってしまった青年たちは、国家の物語と個人の物語を一致させることができなくなり、自己喪失するのです。
 煩悶青年の前の世代のエリート青年たちは、「末は博士か大臣か」ともてはやされ、その言葉を額面通りに受け取り、明治という近代国家建設に邁進できた。しかし、一八八〇年代以降に生まれた青年たちは、日本が欧米と肩を並べ始めた頃から、「立身出世をしたところで、何になるのか?」と考えてしまうようになった。それが、明治後半以降のエリー青年たちの特徴でした。(54〜55頁)
 
 
中島 私には、石原莞爾の満州国と宮沢賢治が『グスコープドリの伝記』で描いた理想郷イーハトーブが重なって見えます。唐突に聞こえるかもしれませんが、石原莞爾とほぼ同じ時期に、国柱会に入会したのが宮沢賢治で、この作品は満州事変の頃に執筆されました。
島薗 どちらも時代の閉塞感を超える理想郷を想像していたという点ではそうかもしれませんね。
中島 あるいは、こうも言えるかもしれません。宮沢賢治の『グスコープドリの伝記』の物語の構造は、同時代の血盟団事件のような昭和維新テロと同じだと。(92頁)
 
 
島薗 ナショナリズムも宗教も、国家の暴走にブレーキをかける批判的役割を持ち得る存在です。しかし戦前の経験を振り返ると、その両者が結合して国粋主義や超国家主義を生み出す土壌となってしまった。この歴史を反復しないためにも、私たちは過去を見つめる必要があります。
 
 
島薗 中島さんの『「リベラル保守」宣言』というご本も興味深く拝読しました。もちろんおおよそ理解はしているつもりですが、あらためて、中島さんの言葉でお話しいただきたいのは、ここまで語ってきた右翼思想と中島さんが信奉する保守思想との違いです。
中島 右翼を定義する前に、左翼との比較を考えてみましょう。左翼は人間が理性を存分に使って正しく設計をすれば、未来はよい方向に変革できるはずだと考える。つまり、未来にユートピアをつくることができると考える。
 一方、右翼や保守はそうした「理性万能主義」には懐疑的です。人間の理性だけでは、未来に理想社会が実現できるとは考えない。長年の歴史の中で蓄積されてきた経験知や良識、伝統といった「人智を超えたもの」を重視するべきだ、と考えます。
 この点については右翼も保守も重なり合うのです。しかし、右翼は、歴史を遡り、過去の社会にユートピアを描いてしまう傾向があります。過去のよき社会を復古させることさえできれば、世の中はユートピアになると。
 けれども、保守は、未来にも過去にも、ユートピアを求めないのです。絶対に人間は誤るものである。だから、少しだけでもよりよい社会にするためには漸進的な改革を進めていくしかないのだという立場です。(137〜138頁)
 
 
島薗 業績や結果を求めて目先の因果関係の世界に固執するという傾向が今、広まっています。科学技術はその代表ですが、それを進めていくと、どんなことでも手っ取り早く利益を生むものが肯定されてしまうということになる。(155頁)
 
 
中島 実は、インドも同様の発想が強くて、ヒンディー語に与格構文という不思議な構文があるのです。たとえば、「私はヒンディー語ができます」ならば「私にヒンディー語がやってきてとどまっている」、「私はあなたを愛している」ならば「私にあなたへの愛がやってきてとどまっている」という構文になる。つまり、私という主体が何か合理的に相手を分析し、それによってあなたへの愛を私の中から生じさせたのではなくて、どうしようもない不可抗力によって、どこかからそれはやってきて宿っているものだと考えるわけです。こういう「器としての人間」という観念は、アジア的というか、東洋的な思想において非常に重要な底流としてあると思います。(160頁)
 
 
島薗 一九四五年以降、「GHQが国家神道を解体した」ということになっていますが、ここで解体されたのは国家と神社組織との結びつきです。
 しかし、皇室祭祀はおおかた維持されました。なぜそうなったかと言うと、GHQによる「国家神道」の定義から皇室祭祀がすっぽり抜けていたからです。
中島 つまりGHQは、国家神道と神社組織とを同一視していたということですね。
島薗 そういうことです。GHQが国家神道を神社組織と同一視したのは、西洋流の教団中心的な宗教観による判断です。そして、「国家と教会の分離」というアメリカ流の理念から国家と神社組織の結びつきを解体しました。けれども、第四章で見たように、国家神道の主要な構成要素は神社組織ではなかった。むしろ重要なのは、皇室祭祀と不可分の天皇崇敬でした。(170頁)
 
 
中島 無差別殺人は「誰かを殺せない殺人」というふうに読みかえたほうがいい。「誰でもよかった」というのは、裏を返せば誰が敵なのかよく分からないわけです。昭和維新の時代は「君側の好」という明確な敵が見えていたけれど、今はそれすら見えない。
 おそらく、「誰だってよかった」というのは、誰だっていいという扱いを彼らが日常受けているからであり、非正規労働とか派遣労働の問題が背景にあると思います。
 こうした実存の危機がもたらす極端な暴力を食い止めるようなトポスを、私たちは、どのように作ればいいのか、かつ、そこに宗教の果たす役割があるのではないか。これは、先生と私の共通認識としてもあると思います。(176頁)
 
 

中島 インドは、日本とは違って政治が多元的な宗教を平等に扱ってきました。マハートマー・ガンディーの命日である一月三〇日には、デリーにあるガンディーのモニュメントの前で国家行事としての式典が行われます。その日は、ガンディーの遺体を荼毘に付した場所にみんなが集まって、さまざまな宗教団体の代表者が五分ずつ慰霊をしていきます。アルファベット順なので、最初がブッディストのBで、仏教徒、しかもその仏教徒は日本山妙法寺なものですから、日本人が最初にガンディーの命日はお祈りしているのです。
 そこにインドの首相や与野党のトップも集まります。国家が宗教を除外するのではなく、宗教の多元性を認めてフェアに扱う。どちらかというと本来はこういった感覚のほうが、日本人が長らく持っていたものに近いのではないかと思います。
島薗 その逆の事例が、ダイアナ妃が亡くなった時の礼拝ですね。イギリスはイギリス国教会のウェストミンスター寺院で葬儀をしたのですが、「ヒンドゥー教徒やイスラーム教徒にとっては居心地の悪い追悼の仕方になったのではないか」と欧米の学者から異論が出ていました。
 異なる宗教間の共生や中島さんのいう「多一論」に関して、私は「黙禱とは何か」ということをよく考えてみる必要があると思うのです。
 東日本大震災があってからもその機会が多かったですが、大学の教授会でもよく黙禱します。八月一五日の式典でも黙禱しますし、甲子園でも高校生が黙禱しますが、それらは宗教的な行為だと思います。しかしその礼拝対象は何かというと、よく分からない。(219〜221頁)
 
 
島薗 中島さんの議論では、戦前の煩悶青年が国体論的なユートピア主義に向かう媒介として、親鸞主義や日蓮主義が大きな役割を果たしたという構図だったと思います。
 一方、私は、教育勅語や軍人勅諭などを通じて、民衆が自発的に国家神道の価値観を身につけていくプロセスを指摘しました。
中島 はい、この対談はそうした形で議論を重ねてきました。(233頁)
 
 
島薗 戦前とパラレルに進んでいる戦後において、全体主義がやはりよみがえるのか、と問われれば、答えはイエスです。もうすでに現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びていると考えてもいいでしょう。
 もちろん、戦前とは大衆の熱の帯び方が違います。「下からの」というより「上から」静かに統制を強めるような、冷めた全体主義です。(253頁)
(中略)
中島 全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないかと考えています。つまり、アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。(254頁)


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2016年03月23日

オンライン版『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル vol.1』を創刊

 昨春より来春までの2年間、日本学術振興会 科学研究費補助金 「挑戦的萌芽研究」による研究として、「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」(課題番号:15K13257、研究代表者:伊藤鉄也)に取り組むことになりました。

 その成果の一部を、ホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」の中の「研究会報告」→「ジャーナル」からダウンロードできるようにしました。
 今回創刊した『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル』(ISSN:2189−597X)という電子ジャーナルは、どなたにでも自由に読んでいただける形で公開しています。
 また、記事の音声読み上げも、パソコンではマッキントッシュとウインドウズで確認しています。目の不自由な方にも読んでいただけるようにしました。何か不具合がありましたら、コメント欄を通してご教示をお願いします。

 このジャーナルの紹介を兼ねて、創刊号の「表紙」と「はじめに」および「目次」を引用します。


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 近年、コンピュータに端を発した情報文具が、世界中の人々の生活スタイルを変えています。インターネットが、国と国や人と人の関わり方を変えました。スマートフォンも、情報の取り扱い方を一変させました。情報をアウトプットする道具も、ドットからレーザー、そして3Dとめまぐるしく進歩しています。
 そのような中で、視覚に障害がある触常者の読書や書記活動は、情報文具の活用により多様化しています。目の見えない方からの電子メールの返信がリアルタイムに届くのは、そのことを如実に示しています。
 しかし、情報を受容して発信する環境が豊かになったとしても、やはり受動的な待つ姿勢が日常的にあるのではないでしょうか。点字と音声だけでは、先人が残した日本の文化資産を受容するのに限界があります。
 古代から書き継がれてきた墨書きの文字を手掛かりにした、温故知新の知的刺激を実感し実践することには困難が伴うからです。

 一つのことがきっかけとなり、日本の古典文化を目が見えなくても体感できる環境に思いをいたすようになりました。古写本『源氏物語』を素材とした実験に、素人ながらも挑戦することにしたのです。
 一つのこととは、『群書類従』を編纂した塙保己一との出合いです。
 思いがけないことから、目が見えなくても手書きの文字が識別できる世界をイメージできるようになりました。
 墨字の中でもひらがな(変体仮名)で書かれた紙面を、触常者が能動的に読み取れるかどうか。
 その可能性にアタックすることは、私自身にとっても手探りの中でのチャレンジです。

 その方策を、実践的に調査研究し実現することを目指すことにしました。触常者と視覚に障害がない見常者とのコミュニケーションをはかる意義の再認識です。
 日本学術振興会の科学研究費補助金の中に「挑戦的萌芽研究」があることがわかり、早速プロジェクトを組み立てて申請しました。幸運にも、平成26年4月に、申請課題「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」が採択されました。

 多くの方々のご理解とご協力が得られ、予想外の成果が実感できるようになりました。
 こうした成果を広く公開して共有するために、「古写本『源氏物語』の触読研究」(http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/)というホームページを立ち上げました。
 さらにオンライン版の「古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル」(ISSN番号:2189−597X)を発刊することにしました。
 これは、産声を上げたばかりのジャーナルです。大切に育てていきたいと思います。

 本課題では、新たな理念と現実的な方策の獲得に挑戦します。その舞台の一つとして、この電子ジャーナルが有効に働けば幸いです。ご教示や投稿などでの積極的な参加をお待ちしています。

 なお、ホームページと電子ジャーナルにおける情報収集、整理、発信、更新、編集等は、本科研の運用補助員である関口祐未が主体となり、研究協力者である国文学研究資料館プロジェクト研究員の淺川槙子と技術補佐員の加々良恵子が支援を担当しています。
 このメンバーで、さらなる展開と成果の結実を目指していきます。
 ご理解とご協力のほどを、どうかよろしくお願いいたします。 (2016年3月30日)



『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル vol.1』


【目次】
●はじめに
●原稿執筆要綱
●研究論文
 日本語点字による写本翻刻作成のための表記論 中野真樹
   付属資料:『日本点字表記法 2001 年版』より抜粋
 音声触図学習システムの開発と古写本「源氏物語」の触読への利用 森川慧一、細川陽一
●小論文
 明治33 年式棒引きかなづかいの今  淺川槙子
●ディスカッション
 点字による変体仮名版翻字の検討 伊藤鉄也、中野真樹、渡邊寛子、関口祐未
●研究の最前線
 手書き文字についてミッタル先生との討議(インド報告) 伊藤鉄也
●レポート
 2015 年度「古写本『源氏物語』の触読研究会」活動報告 関口祐未
●巻末付録
 基本的な言葉の説明
●執筆者一覧
●編集後記
●研究組織



 無事に創刊号の発行ができたことを受けて、早速第2号の原稿を募集します。
 詳細は、本科研のホームページに掲載している、「『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル』応募執筆要綱」か、創刊号の巻頭に置いた「原稿執筆要綱」をご覧ください。

・原稿の締め切り 2016年9月30日(金)
・刊行予定    2016年10月31日(月)
・注意 原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることができます。
posted by genjiito at 15:00| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年03月22日

『海外平安文学研究ジャーナル vol. 4.0』を発行

 現在、日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(A) による研究として、「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(課題番号:25244012、研究代表者:伊藤鉄也)に取り組んでいます。

 その成果の一部を、ホームページ「海外源氏情報」の中の「ジャーナル」から、閲覧およびダウンロードできるようにしています。
 この『海外平安文学研究ジャーナル』という電子ジャーナルは、今号『海外平安文学研究ジャーナル vol. 4.0』を含めて4冊分を、どなたにでも自由に読んでいただける形で公開しています。昨秋より、ダウンロード時のパスワードはなくしました。

 その紹介を兼ねて、今号の「表紙」と「あいさつ」および「目次」を引用します。


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 平成26年秋に創刊したオンライン版『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN:2188ー8035)は、お陰さまで好評のうちに号を重ね、今号で4冊目となりました。さまざまな分野の方々から、温かく迎えていただきましたことに、篤くお礼申し上げます。
 年2冊の刊行も順調に進捗し、その内容も多彩な論稿を並べる異色の電子ジャーナルとして話題にしていただいています。ありがたいことです。
 今号も、科研のメンバーに留まることなく、広く国内外の研究者に投稿を呼びかけたこともあり、さまざまな切り口で海外の平安文学が取り上げられています。日本の文学をこのような角度から見ると、また違った姿が見えてきます。
 本課題では、国際的な視野で日本文学および日本文化を見つめることを意識して、さまざまな問題に取り組んでいます。多角的な視点で平安文学を論じた、みなさまからの意欲的な投稿を歓迎します。
 これまでに、多くの方々のご理解とご協力をいただきました。改めて、お礼申し上げます。
 そして、これからも変わらぬご支援のほどを、どうかよろしくお願いいたします (2016年3月30日)                   


『海外平安文学研究ジャーナル4.0』


【目次】
●あいさつ
●執筆要綱
●研究論文
 ロシア語訳『源氏物語』とウォッシュバーンによる新英訳の比較研究
   〜<語り>・和歌・「もののあはれ」の観点から 土田 久美子
 スペイン語版『伊勢物語』について 雨野 弥生
●研究会拾遺
 ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見 伊藤 鉄也
●翻訳の現場から
 「十帖源氏」ヒンディー語訳の問題点 菊池 智子
 ウルドゥー語版『源氏物語』の色の世界 村上 明香
 『十帖源氏』の多言語翻訳と系図について
   〜「母の堅子」と「祖父の惟正」はどこから来てどこへ行ったのか 淺川 槙子
●付録
 各国語訳『源氏物語』・『十帖源氏』「桐壺」翻訳データ
   (モンゴル語・英語・ロシア語・ヒンディー語・ウルドゥー語)
●執筆者一覧
●編集後記
●研究組織

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 第4号の発行を受けて、現在は第5号の原稿を募集しています。
 詳細は、本科研のホームページに掲載している、「『海外平安文学研究ジャーナル』応募執筆要綱」か、今号の巻頭に置いた「執筆要綱」をご覧ください。

・原稿の締め切り 2016年5月31日(火)
・刊行予定    2016年6月29日(水)
・注意 原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることができます。
posted by genjiito at 19:00| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年03月21日

読書雑記(161)三島由紀夫『奔馬 豊饒の海 第二巻』

 三島由紀夫の『奔馬 豊饒の海 第二巻』(昭和44年2月25日、新潮社)を読みました。


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 全四巻からなる『豊饒の海』の第一巻『春の雪』(2015年12月24日)を受けた第二巻『奔馬』は、昭和7年に38歳になった本多重邦が、裁判官として大阪で妻と2人で暮らしているところから語り出されます。

 本多は、18年前の出来事、親友だった松枝清顕の死と共に青春は終わった、と思っています。今も、清顕が残した「夢日記」を時折見ることがあるのです。
 清顕の書生をしていた飯沼茂之の息子である勲の黒子を見て、本多は清顕の生まれ変わりに出会った思いがしました。これがしだいに確信となり、本巻の支柱となっていくのです。

 物語が始まって早々に、『神風連史話 山尾綱紀著』が引かれます。
 59頁から103頁まで、45頁にわたっての長大な引用です。
 その内容が、最後まで勲の行動の背景をなします。
 勲はいつも死のことを思っていたのです。それも、自死自刃を(117頁、123頁、222頁)。

 親子の感情的な対立が、理性をコントロールできない状況に陥っていく場面は、その意図は理解できるものの、やや冗漫に感じました。三島らしくない、歯切れの悪さはどうしてなのか、と思いながら読み進みました。

 勲は、国を憂うる同士を集めます。


會つた學生はさまざまで、國學院大學ばかりでなく、日大もゐれば一高もをり、慶應からも一人紹介されたが、慶應の學生は辮は立つても見るから輕薄で適しなかつた。中には、『神風連史話』に感激したと主張しながら、ゆつくり話してみると、その感激が作り物で、言葉のはしばしから、探りを入れてきた左翼學生だとわかる場合もあつた。(184頁)


 勲が20人ほどの塾生と大学の神社に結集したとき、鬼頭中将の出戻り娘の槇子が父の意向を受けて軍資金などで手を貸します。本巻では、この槇子が唯一女性として勲のそばにいます。

 本多は、能楽「松風」を見ながら、19年前の清顕を思い出し、形見の「夢日記」を読むことにします。輪廻転生のことから思い至ったのです。
 勲が清顕の生まれ変わりであることは、本多にとっては確実となっていると確信するのです。

 シャム、タイのバンコクでの立憲革命の話も展開します。
 これは、『暁の寺 豊饒の海 第三巻』が「バンコックは雨期だった。」と始まることへと連接していくものです。
 用意周到に、輪廻転生の物語として『春の雪』から『奔馬』そして『暁の寺』へと語り継がれる形をとっています。

 勲の決起は12月3日となり、その計画も具体的に煮詰まっていました。
 勲が同志たちに示した決起の計画書は、次のような書き出しとなっています。


一、決行日時   月  日  時
一、計畫要綱
 本計畫の目的は、帝都の治安を攪亂し、戒嚴令を施行せしめて、以て維新政府の樹立を扶くるにあり。われらはもとより維新の捨石にして、最小限の人員を以て最大限の效果を發揮し、これに呼應して全國一せいに起つ同志あるを信じ、激文を飛行機より撒布して、洞院宮殿下への大命降下の事實ありたるを宣傳し、宣傳をしてやがて事實たらしめんとするものなり。戒嚴令施行を以てわれらの任務は終り、成否に不拘、翌拂曉にいたるまでにいさぎよく一同割腹自決するを本旨とす。
−下略−(240頁)


 その計画が、あまりにも詳細であることに驚かされます。作者の中では、このことは虚構の作品でも現実の世界においても、周到に模擬演習をしていたと思われます。

 しかも、最後の己の姿も思い描いています。これが、実際には市ヶ谷駐屯地で三島自身が決起自刃した姿とイメージが被さります。

 決起三日前の勲と槇子の抱擁は、この物語で唯一の官能的な場面となっています。
 『春の雪』で、雪の日の朝、人力車中での清顕と聡子の逢い引きシーンに匹敵するものとして、本作でも映像美を意識した描写となっています。

 その決起2日前に、右翼急進分子として、12名が警察に逮捕されます。急展開の流れです。新聞には、「昭和神風連」事件として報じられました。

 この報道を目にした本多は、法律の正義に収まりきらない、法を超える真理を思います。


 ゆくりなくも本多はかつて少年時代に、月修寺門跡の法話を聴いたときから、ヨーロッパの自然法思想にあきたりぬものを感じ、輪廻轉生をすら法の條文に引き入れてゐる古代印度の、「マヌの法典」に心を動かされたことを思ひ出した。あのときすでに自分の心には、何ものかが芽生えてゐたのだ。形としての法がただ混沌を整理するのではなく、混沌の奥底に理法を見出し、その月の映像を盥の水にとらへるやうに、法軆系を編み出してゆく上に、自然法のもとをなすヨーロッパの理性信仰よりも、さらに深い源泉がありはしないかと、直観的に感じたことは、多分正しかつたのだ。しかしそのやうな正しさと、實定法の守り手としての裁判官の正しさとは、おのづから別である。(290頁)


 そして、本多は即座に裁判官を辞め、意を決して上京するのでした。純粋な精神を守るために。清顕にしてやれなかったことを、その生まれ変わりである勲に、法律家として守ってやるために。

 勲の決起を密告したのは父でした。死に行く息子のことを思ってのことでした。
 憂国の情に勝る親の思いなのです。このあたりの父と子のやりとりは、どうもうまく語られていないように思います。作者自身、理と情が峻別できないままに書き綴っているようです。

 物語は次第に盛り上がっていきます。人間の多様な思惑が絡み合うからです。純真な思いのぶつかり合いが、読者を物語世界に引き込みます。

 勲は、市ヶ谷刑務所に収容されます。三島が決起した場所とイメージがだぶります。

 裁判に入ってからの腹の探り合いはおもしろく読みました。特に弁護士となって勲を守る本多は、検察側の動きを読み解こうとします。そこが、この小説の新しい味付けとなっています。

 また、生まれ変わりを唆す発言を被告に有利に導いたり、槇子が偽証を法廷でする展開など、巧みな法廷戦術が背景に散りばめられていて、終盤におもしろさが倍加していきます。そこには、勲の密告者探しも伏流しているので、なおさら人間関係とその発言が輻輳していく仕組みとなっています。

 最後の場面まで、特に後半は一気に読ませます。ただし、力任せかと思われる行文には、作者の思いが殴り書きされたかのように読めます。もう少し時間があれば、という思いを強く持ちました。そして、槇子が描ききれなかったようにも思われました。【4】
posted by genjiito at 21:24| Comment(0) | 読書雑記

2016年03月20日

読書雑記(160)水上勉『櫻守』

 桜の開花が待ち遠しい頃となっています。
 今日20日の桜開花予想によると、東京の開花は明日21日、京都は23日頃だそうです。

 よく見かけるソメイヨシノは、明治以降に彼岸桜と大島桜を交配させて作られたものなので、いわばクローン桜ということになります。そのソメイヨシノの寿命は約100年だとか。そろそろ全国のほとんどの桜は、代替わりを迎える時期となっています。

 ソメイヨシノをながめていても平安時代の雰囲気は感じられないので、おのずと山桜を探すことが多くなりました。今年も、その山桜を求めて、京洛を逍遥しようと思っています。

 さて、水上勉の『櫻守』(新潮文庫、平成23年3月25刷)を読みました。


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 人間と自然との関わりを終始冷静に見つめる作者の姿に、感情移入して読み進めることとなりました。環境問題を、過激にならずに抑制した口調で語っています。

 開巻早々、山桜が見事に印象的に語られます。満開の桜の下では、祖父と母が笑っているのが印象的です。

 話は、昭和5年に弥吉が京都の植木屋「小野甚」に奉公に上がった時から始まり、昭和18年に、竹部庸太郎のもとへ勤め変えします。
 そして、武田尾温泉がある地で桜を守る仕事につくのです。
 以来、昭和39年10月に京大病院の外科病棟3階で亡くなるまで、桜に魅せられた一生を描いた物語です。

 桜を守り伝える人の、自然の中で生きる姿が克明に語られています。人間社会への批判的な目も、しっかりと描き込まれています。
 弥吉が師と仰ぐ竹部の言葉を引きます。


「だいたい、日本の役人さんは、年とった桜をみて、保存しようと考えはするが、勉強をちっともしとらんから、免状をくれるぐらいでまあお茶をにごしてはる。天然記念物にされた木はめいわくで、かりに自動車でやってきた観光さんが、そこで花をいくら眺めてくれても、木イは排気ガスで泣いてます。石戸の蒲桜は、周囲をみかげ石で囲まれ、せっかくのばそと思う根エも張れんぐあいにしばられてます。保存ということが、お役所では机の上でのことどっしゃろ、木イ自体と何の関係もおへん。関係のないどころか、かえって枯らしてしもてるのが実情ですわ」(86頁)
 
「学者はんは、つまり分類屋さんだす。自分の名を売りたい、そのためには新種を見つけたい……それが第一義です。こんなことは桜を育て守るのとちっとも関係がおへん。学者ばっかりやおへんで。わたしらも小学校の頃から、桜を切った人のことばかり習てきました」(87頁)
 
「だいいち、あれは、花ばっかりで気品に欠けますわ。ま、山桜が正絹やとすると、染井はスフいうとこですな。土手に植えて、早うに咲かせて花見酒いうだけのものでしたら、都合のええ木イどす。全国の九割を占めるあの染井をみて、これが日本の桜やと思われるとわたしは心外ですねや」(89頁)


 この小説を読みながら、ふっと自分の両親のことを思う場面が、いくつかありました。大自然の中で人間が生きてきた、その証しのようなものを感じさせてくれた作品です。

 「群盲桜狩りの絵」のことが記されています。この絵巻が何なのか、調べてみてもよくわかりませんでした。
 備忘録を兼ねて、抜き出しておきます。


「群盲桜狩りの絵。巻物で、モリカゲとかいう絵描きさんの描いたものの由である。はじめに盲人の群れ杖ついて行列をつくり歩く。中程にくるや枝垂れ桜の大樹あり、盲人ら花を掌にのせ、あるいは鼻につけ匂いをかぎ、頬にあて、耳にあてして観桜する。桜を聴くに夢中なり。中に酒を呑み、高歌放吟する盲人、やがて、千鳥足にて、桜の枝を手折りたるものもまじえ、帰路につく。蜂にさされ泣きわめく座頭あり。絵は、なかなか面白し。盲人桜狩りせしかと感深し。竹部先生が秘蔵の巻物なり」(189頁)


 物語は静かな語り口の中で、霧雨が晴れる中で明日への生きる力を感じさせながら終わります。
 人間が持つ「徳」というものが、読後に心の中に残りました。【5】

初出誌︰「毎日新聞」昭和43年8月〜12月「現代日本の作家」
単行本︰昭和44年5月、新潮社より刊行
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | 読書雑記

2016年03月19日

古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その2)

 昨年、2015年(平成27年)1月15日に、これまで構築してきた『源氏物語』の本文データベースを「変体仮名翻字版」として再作成することにしました。翻字方針の一大変更を決断したのです。
 それにともない、データベースの総称も、〈源氏物語翻字文庫〉(略称は「GHB」)と呼ぶことにしました。

「作成中の翻字データベースを〈源氏物語翻字文庫〉と総称する」(2015年01月25日)

 また、翻字するにあたっての凡例も、3回にわたって本ブログに改訂版を公開しました。上記記事の中で、それらを整理して確認できるようにしています。

 その後、2015年9月25日に、書写状態を再現する上で基本となる〈行末〉や〈丁末〉の様態を記述する追補案を提示しました。

「古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その1)」(2015年09月25日)

 これは、行末や丁末に傍記および補入されている文字の状態を正確に記述するためのものでした。

 これに関連して、従来から要望されていたことを、今回追補することにします。
 それは、丁変わりの情報が〈改頁〉とあるだけでは、第何丁目(頁)かがわからない、というご意見があったことに対処するために、丁番号を示す数字を追記するものです。

 「須磨」の巻頭を例にして、従来と新しい翻字の場合を例示します。

(1)1丁表から1丁裏にかけて(文節番号 120041)
  〜おほつ(1オ)」
  るへき越〜
 とある箇所で、1丁裏に「可那可るへき越」が書かれている場合は、次のようにデータベースとして記述します。


おほつ可那可るへき越/前可〈改頁2ウ〉


 これは、1文節の中程から改丁がおこなわれていて、表丁から裏丁に移った最初の文字の「可」が2丁裏の冒頭に書かれていることを示します。
 ただし、この文節内には「可」が2つあるので、その内の前の「可」であることを「前可」とします。この前の方の「可」は〈2ウ〉という付加情報だけでも十分です。しかし、検索の効率を高める意味から、〈改頁〉という付加情報としての文字もこれまで通りに残すことにしました。

 この補訂では、これまで〈改頁〉箇所の明示が紛らわしいと言われていたことの解消も果たしています。
 これまでの方式(「変体仮名翻字版」以前)は、次のようになっていました。


おほつかなかるへきを/前か〈改頁〉


 ここでは、前の方にある「か」が〈改頁〉された裏丁の冒頭にあることを示す方式でした。「〈改頁〉された」文字を明示していたことが、表丁か裏丁かの判断で混乱させていたのです。
 今回の凡例の追加補訂により、この問題点はなくなるはずです。

 現在、10人ほどの方々が、「変体仮名翻字版」に取り組んでくださっています。
 今回の新しい〈改頁〉箇所の記述について、可能でしたら今から対処していただけると助かります。
 もちろん、この記述をパスしていただいても大丈夫です。
 再確認する時点で一括して補訂すればいいので、可能であれば今から、というご理解で対処してください。

 凡例にしたがったデータベース化の統一表記については、最終段階でも十分に手を入れられます。
 現段階では、これまでの曖昧だった翻字を、「変体仮名翻字版」に書き換える点に特に力点を置いた翻字版を作成する、ということで、引き続きよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 22:20| Comment(0) | 変体仮名

2016年03月18日

意を決して受けた「セカンドオピニオン」の衝撃

 現在受けている歯科治療に関して、どうしても疑問が払拭しきれないので、生まれて始めて「セカンドオピニオン」を受けて来ました。

 どの歯医者さんへ行って、この現在進行形の治療の適不適を判断する情報をもらうべきか、いろいろと思案しました。
 結局は、同じ宿舎にいる同僚に聞き、今家族で行っているという歯医者さんへ足を運びました。

 現在私は、京都で治療を受けているお医者さんへの不信感を強く抱いています。そうは言っても、病院を変えることには強い抵抗感があるものです。なかなか、治療中のお医者さんは代えられないものです。
 しかし、自分には無縁だと思っていたセカンドオピニオンが、急遽浮上するほどに、現在の治療に強い疑念が生まれたのです。

 思いきって、別のお医者さんに参考となる診断をしてもらいました。しかも、それが正解だったようです。疑問はすっかり晴れました。そして、180度異なる診断に説得力を感じたので、セカンドオピニオンにしたがっての治療に変更することにしました。
 というよりも、今回の発端となった歯は、実際には折れていなかったのです。今は何もせずに外れる直前のものを付け直し、このまましばらく様子を見る、ということに落ち着きました。

 そして得心しました。
 お医者さんとは「相性」がある、ということを。


 先週末に、上前面の差し歯がグラグラするので、2年半前から診てもらっている京都の烏丸御池の歯医者さんへ行きました。
 昨秋作り直していただいた歯が、年末には揺れ出したので、様子見をしていたところでした。次第に動きと揺れが大きくなり、喋るたびにくすぐったさが増幅してきたので、もう限界だとの思いから診てもらったのです。

 その治療をしてくださった歯医者さんが、レントゲンを見ての診断結果は、1本の支柱が歯肉の中で折れている、ということでした。抜け落ちるのは時間の問題なので、次の治療に迅速に移れるように、歯形を取って仮歯の準備をしてくださることになりました。
 そして、前の差し歯が抜け落ちたら、どこか近場の歯科医院に飛び込んで付けてもらうこと、という指示を受けました。
 再来週に、あらかじめ作っておいた仮歯を入れ、その間に次の治療に移るという説明を受けました。
 そこで提示された今後の治療は二つの方法でした。共に保険は効かないので全額負担となる、という説明も受けました。

 それにしても、この前歯は昨秋作り直してもらったものであり、それが2ヶ月足らずで揺れ出したのです。おまけに、支柱が折れているとも。
 そして先生が強調されたのは、「ご自身がご自身の歯を壊しておられるので、どうしてあげることもできない。」ということでした。言葉を変えると「自業自得」ということをおっしゃいます。これは、毎度耳がタコができるほど聞かされる、患者から言えば先生の逃げの一手です。

 その先生の口から出る表現はともかく、今後の治療方法と方針に対して、今回ばかりはどうも納得できません。というよりも、不審の念が消え去らないのです。

 今週上京してすぐに、宿舎の近くにある歯科医院にセカンドオピニオンをお願いしに行き、今日を予約しました。
 受け付けでは、京都の病院から治療経過に関する報告とレントゲン画像がもらえたら、非常に参考になる、と言われました。それは可能であると答えました。ただし、そのためにはいろいろと費用と手間がかかるので、こちらでレントゲンを撮って診察した方が現実的だと思います、とのことにしたがいました。

 まず問診表を書きました。詳しく、上記のようなことを記入しました。
 そして、今回意見をうかがいたいことは、次の2点であることを伝えました。

(1)前歯が歯茎の中で折れている原因は、私が強く歯を食いしばるためとしても、治療して作り直したものが2ヶ月足らずで折れるのは、また別の理由があるからではないか。
(2)提案された2つの治療方法は妥当なものか。

 早速撮影した、口の周り半周分のレントゲンを見て、セカンドオピニオンをお願いすることになった先生は、何も折れていないとの診断を下されました。そして、ぐらぐらする歯を引き抜き、確かに中で折れていないことを確認されたのです。結果としては、上記(1)に関しては、再度付け直すことで解決しました。
 なぜ2ヶ月ほどで揺れ出したのかについては、次に記すように、杭打ちの手抜きをしたマンションの事例が参考になるようです。

 これにより、(2)の治療は発生せず、昨秋の治療をした時点にもどったことになります。
 ただし、前歯の歯肉の中は過去に処置した支柱を利用した治療であり、もし手を入れるならばこの柱から作り直した方がいい、とおっしゃいます。なぜ古いものをそのまま利用した治療がなされたのか、自分としては理解できないとのことでした。

 また、昨秋の付け直しの修理は、半分の深さまでしか対処されていないことも指摘されました。昨年問題になったマンションの支柱問題と同じで、この倍の長さのものを埋め込む処置が必要だとおっしゃいます。杭打ちが浅いので、こうしてすぐに不安定になって揺れ出すのだ、とも。これが、2ヶ月で歯が揺れ出した原因だと思われます。

 なるほど、と納得しました。

 これまで治療してもらってきている医者に対して、同業者ということもあってか、慎重な口ぶりで説明してくださいました。
 私が多忙であることもあって、しっかりした治療では手間と時間がかかるので、おそらく対処療法的な処置がなされたのではないか、というふうに聞こえる遠回しの説明をしておられました。
 それよりも何よりも、「相性がありますから」ということばは、よく理解できることでした。

 そんなこんなで、グラグラする歯は接着剤で解決するものだったのです。
 当分は、これで一安心です。

 さらに衝撃が。
 これまで、寝る時と自宅にいる時にマウスピースを嵌めていました。これは、強く噛む癖を緩和させる習慣づけのための小道具でした。
 しかし、今日の先生の話では、私にはこれは不要なので使わなくても大丈夫ですよ、とのことでした。
 海外に行く時にも、ずっと持ち歩いて嵌めていたマウスピースは、一体何だったのか、狐につままれた思いです。

 お医者さんとの出会いは、本当に微妙なものがあります。
 私は、胃潰瘍、糖尿病、胃ガンと、いいお医者さんに恵まれて命を何度も助けていただきました。
 しかし、歯医者さんに関しては、やっと出会えた先生は早死になさいました。今も放浪の旅にあります。奈良、京都、東京と、いつも歯を強く食いしばりすぎだ、という一点で責め続けられてきました。その対処方法は、どなたからも提案してもらえません。私は特別強く噛む癖がある、とおっしゃいます。しかし、それならば、どうすればいいのか、最適なアドバイスがいまだにもらえていません。奈良の先生が、朝方の太陽を見る生活をしたらいい、とおっしゃったことが、唯一のアドバイスでした。
 歯を食いしばり過ぎる生き方をしているのは、本当に私だけだとは思えません。
 みなさんは、どうしておられるのでしょうか。

 今回が、私との相性のいい歯医者さんとの出会いであることを願っています。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 健康雑記

2016年03月17日

銀座探訪(35)イェール大学のケイメンズ先生と「銀座のすずめ」を飲む

 イェール大学のエドワード・ケイメンズ先生が国文学研究資料館にお出でになりましたので、書庫などをご案内しました。

 国文学研究資料館が品川にあった頃には、何度か利用されたようです。しかし、立川に移転してからは初めてだとのことでした。

 ケイメンズ先生と最初にお目にかかったのは、2003年9月に伊井春樹先生とご一緒にアメリカへ行ったときでした。ニューヨークのコロンビア大学での仕事を終えて、手配してくださった車でイェール大学へ行きました。
 2008年11月のハーバード大学での研究集会では、私の研究発表のコメンテーターを務めてくださいました。
 そして昨年、2015年2月に英国ケンブリッジ大学において、ジョン・コーツ先生の研究室で偶然にお目にかかりました。
 いろいろとご縁があり、いつも楽しい話をうかがっています。

 今日はお昼に一旦お別れをし、夜、日比谷図書文化館で『源氏物語』の写本を読む勉強会でまたお目にかかりました。おもしろそうな勉強会だ、とのことで興味をもってくださり、ゲストとして参加してくださったのです。


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 最初に自己紹介をお願いした中で、昨年アメリカで刊行されたデニス・ウオッシュバーン氏の英訳『源氏物語』のことに触れてくださいました。


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 ケイメンズ先生は、ウォッシュバーン氏がイェール大学の大学院生だった頃に教えておられたのです。教え子が英訳『源氏物語』を刊行したということもあり、イェール大学の授業でこの新英訳を読んでいる、とのことでした。
 いつか詳しく、この新英訳のことをうかがうつもりです。

 今日はケイメンズ先生に、「変体仮名翻字版」を実際に体験していただきました。これまでの翻字方式とは違い、字母を正確に翻字していくので、その意義を納得してくださったようです。また、変体仮名の使われ方についても、今後の大きな検討課題であることをご理解いただけたようで安心しました。

 終わってから2人で有楽町へ出て、駅前の店でご一緒に食事をしました。
 先生は、若かった時に有楽町前の帝国ホテルの中の会社で仕事をなさっていたことがあるそうです。
 有楽町は懐かしいところだ、とお誘いした所を喜んでくださいました。
 もちろん、当時とは駅前の雰囲気は一新しています。しかし、青春時代の想い出は、楽しく美しく変質しているようです。

 1時間半以上もの長時間、盛りだくさんの話題で楽しく食事をしました。
 私が「銀座のすずめ」という麦焼酎のお湯割りを注文したところ、先生は同じ「銀座のすずめ」を生で召し上がっておられました。おいしいお酒でした。

 5月の葵祭の頃には、京都にお出でになるそうです。
 次は、京都でお目にかかれるかと思います。
 若い時に、表千家のお茶をお稽古なさっていたそうです。
 それでは私は裏千家のお点前でお茶を差し上げましょう、と申し上げたところ、喜んでくださいました。
 京都で私が先生にお茶を点てて、またご一緒にお話ができる日を楽しみにしています。

 地下鉄日比谷線の改札口でお別れする時に、ご丁寧なお言葉をいただきました。
 こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年03月16日

宮川保子さんの宇治十帖と継色紙の個展

 書家の宮川保子さんが、2回目の個展を開催されます。
 1回目は『伊勢物語』でした。
 御自身で料紙加工・表具・装丁をなさっています。
 私も平安の雅を追体験するために、足を運ぼうと思っています。

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 宮川さんとお弟子さんたちが書いてくださった『百人一首』は、立体コピーとして目の見えない方々に触っていただいています。
 本ブログの「書道家にお願いした触読用の『百人一首』」(2015年12月01日)で、宮川さんとの出会いからこれまでを書いています。おついでの折にでも、ご参照いただければ幸いです。
posted by genjiito at 22:30| Comment(0) | 変体仮名

2016年03月15日

『源氏物語』における「変体仮名翻字版」の進捗状況

 昨年1月に、古写本『源氏物語』を翻字する方針を変更しました。
 従来の、明治33年に制定されたひらがな1文字ずつを使って翻字することをやめ、変体仮名の字母を混在させた、より正確で原本に戻れる翻字方針に方向転換しました。

 実作業に入り、翻字データの確認と修正に手間取っています。
 しかし、着実に「変体仮名翻字版」による『源氏物語』の本文データベースは構築されています。

 ここに進捗状況を報告し、このプロジェクトに協力していただく方を、さらに募りたいと思います。

 私自身は、このプロジェクトに90年というメドで取り組み出しました。しかし、どうもこの調子では100年は超えそうです。
 幸い、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の次世代のメンバーがいるので、たすきリレーで着実に翻字を進めていけば、目的を達成できるはずです。
 また、日比谷図書文化館の講座に参加してくださっているみなさまの応援を得て、さらに前に進んで行けるようになりました。

 少数の正会員の会費だけで運営しています。翻字をしていただいた方々には、本当に些少で申し訳ないと思いながらも、わずかばかりの謝金をお渡しすることを心がけています。
 気持ちだけは、ボランティアは無償では続かない、ということを肝に銘じて、今は気持ちとしてお渡ししているものです。
 雀の涙で恐縮しています。しかし、翻字してくださった方々のお名前だけは、長く継承していくものです。
 今後とも、幅広いご支援のほどを、よろしくお願いいたします。

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posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 変体仮名

2016年03月14日

京大病院で「Web 電子カルテシステム」と「マイナンバー」について素人なりに考える

 京大病院で糖尿病の定期検診を受けてきました。
 過日、2月末日の消化管外科での検査と診察結果を受けて、飲み薬の調整をしていただきました。

 ヘモグロビンA1c は、前回1月の7.1から7.0へと、わずかながら良くなりました。

 過去3年間のヘモグロビン A1c値の変動をグラフにすると、こんな折れ線となります。


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 6.8から7.5の間を上下しています。平均は7.1です。
 一般的な推奨値は4.6から6.2の間なので、私の場合は高い値です。
 しかし、高いながらも比較的安定した推移なので、うまく管理されている方です、とのことでした。
 私は消化管を持っていないので、血糖値が高留まりするのは仕方がない、との判断からのようです。

 いつも気になる鉄分については、検査結果が診察までに出なかったので、このまま様子を見ましょう、ということになりました。

 病院は多くの患者さんで大混雑しています。検査結果が出るのに時間がかかるのは仕方のないことです。
 いつも、診察の1時間前に採血をするようにしています。診察前の患者の血液検査は、至急で処理してもらえることになっています。それでも間に合わないほどに検査が渋滞しているということのようです。
 いずこも同じ状況でしょうか。

 京都大学附属病院では「iDolphin MML Web 電子カルテシステム」(まいこネット)を導入しているので、私は検査や診察に関する情報が自宅で確認できます。


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 前回2月29日の消化管外科での診察も、当日は間に合わなかった検査項目の結果について、「経過記録情報」や「検歴情報」等が3月3日に作成されたカルテを見ることで、居ながらにして確認できました。

 今日の血液検査で間に合わなかった項目も、数日後に自分のパソコンや iPhone から、この「Web 電子カルテシステム」を通して確認できます。
 これは、出てきた数値の意味がよくわからなくても、心理的な安心感があります。
 健康に関する本を読んでいて、自分の数値の変移を知りたくなった時などに、このシステムで確認しています。

 マイナンバー制度の有効活用の中に、病院カルテの情報とのリンクがあるようです。私は、自分の病歴や検査結果や投薬情報が、お役所主導で他人に操作されることに、何となく不愉快さを感じます。

 この京大病院が導入している「まいこネット」なら、自分のIDとパスワードで、いつでも自分の意思で確認できるので、同じ他人に管理されるにしても、病院関係者の元でデータベースが運営されていることからの安心感があります。
 マイナンバーと連携すれば、「まいこネット」も同じことなのかもしれません。あるいは、「まいこネット」は、このマイナンバー制度との接続実験なのかもしれません。
 しかし、信頼して通院する病院が管理運営に関わっている現在のデータベースの方が、ジャジャ洩れ状態ではないはずだ、と思う素人なりの安心感があるのです。
 当然、病院内では、私の情報はどのパソコンからでも確認できます。京大病院に入院中に、看護師の方がパスワードを入れて、毎日私の情報を確認し、追記しておられたのを知っています。医師と看護師のみなさんで、情報の共有がなされていたのです。これは、私の病気をチームとして対応するためのものだと思われます。

 今後の病歴管理を公的機関が掌握することの是非は、今私にはよくわかりません。しかし、こうした京大病院から受け取る「Web 電子カルテシステム」の個人情報は、自分の体調やどのような薬を飲んでいるのかを確認する時に、非常に重宝しています。

 マイナンバー制度下での病歴情報は、どのような形態で管理され、本人が確認できるのでしょうか。

 それよりも、全国的にはどのような対処がなされているのでしょうか。
 「まいこネット」は、京都だけの試験的なシステムかもしれません。
 私は、このシステムから、安心という恩恵を受けていると思います。
 このシステムと、マイナンバー制度へのリンクについて、私にはまったくわかりません。
 マイナンバー制度の活用事例としての病歴管理については、その展開を見定めたいと思っています。
posted by genjiito at 21:58| Comment(0) | 健康雑記

2016年03月13日

第5回 池田亀鑑賞授賞式の開催日時の変更

 「第5回 池田亀鑑賞授賞式と記念講演会」の開催期日が変更となりましたので、取り急ぎお知らせいたします。

 当初の日程では、今月3月末に池田亀鑑賞の応募を締め切り、5月の選考委員会を経て、6月25日(土)に鳥取県日野郡日南町で「第5回 池田亀鑑賞授賞式と記念講演会」を予定していました。

「第5回池田亀鑑賞 募集・選定概要」

 しかし、今秋(9月23日〜10月16日)日南町美術館で「ふるさとにゆかりの文学者」という企画展が開催されます。昨年は「井上靖」、一昨年は「松本清張」でした。
 今年は、池田亀鑑の企画展が開催されます。
 その展示内容がこれから計画されることもあり、「第5回池田亀鑑賞の授賞式と記念講演会」を10月1日(土)に変更し、池田亀鑑賞を幅広く知っていただく機会にすることとなりました。

 企画に合わせて、選考委員のメンバーがギャラリートークを美術館で行うことなど、今からいろいろと計画を立案中です。

 突然の授賞式延期のお知らせで恐縮です。
 6月の授賞式に参加を予定されていたみなさまには、ご理解とご協力のほどをよろしくお願いいたします。

 なお、「第5回池田亀鑑賞」の募集の締め切り日である月末まで、あと残すところ2週間となりました。上記ホームページにも記載されているように、以下の内容に該当するものが応募対象となっています。


一般公募。
あるいは、学術機関、各種法人、出版社など推薦人から推薦を受けたもの(平成27年4月1日〜平成28年3月末日刊行奥付および発表分)の中から、同賞選考委員会により選ばれます。


 コツコツと、倦まず弛まず、地道に調査研究をなさった成果を評価するのが「池田亀鑑賞」です。
 自薦・他薦を問いません。奮ってご応募いただければ幸いです。

 過去4回の受賞作については、以下の通りです。

「池田亀鑑賞 受賞作4点」
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | 池田亀鑑

2016年03月12日

京洛逍遥(392)京洛の三日月と東都の白鷺

 高田郁の『あきない正傳 金と銀 源流篇』を一昨日一気に読んだせいか、今朝もまだ目をしょぼつかせながら新幹線に乗り込みました。

 車中では、昭和と戦争シリーズのビデオの内、昭和17年までの記録映像を見ました。満州を中心として編集した巻なので、ちょうど両親が渡満していた頃です。
 今、昭和初期のことを、文字や映像による記録で確認しています。近代史は勉強する機会がなかったので、遅ればせながらいろいろと情報収集をしています。人間が辿ってきた道をじっくりと確認していると、さまざまな疑問が湧いてきます。

 烏丸御池の歯医者さんへ行きました。
 最近前歯がぐらつくので、それを診てもらいました。
 何と、一本の歯が歯肉の中で折れていたのです。
 いつも言われます。
 そんなにいつも歯を噛みしめて生きてどうするのだ、と。

 身体の各部分で、持病と加齢による変化が出てきています。
 すぐに命に直結するものではないものの、自分ではどうしようもないことなので、言われるがままに注意します、と答えるしかありません。

 夕方、賀茂川散歩に出かけました。
 夕陽が沈む西の空高く、一羽の鳥がゆったりと大きく旋回しています。


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 空を飛んでいるのは一羽だけです。
 寒さが少し緩んだ一日だったこともあり、気持ちがよさそうです。

 西南の空には、雲間から顔を見せた三日月が、天に貼り付けたように置かれています。


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 先日、永井和子先生から、御自宅の小池を訪れてきた白鷺の写真を送ってくださいました。上品な鷺です。


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 今週ちょうど、東京の宿舎の近くの隅田川で、飛沫に打たれる鷺を見かけました。たくましい鷺です。


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 先月、賀茂川で鴨と一緒の鷺を撮りました。仲良し同士の鷺です。


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 東都と京洛の鷺たちが期せずして揃いました。
posted by genjiito at 23:23| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年03月11日

読書雑記(159)高田郁『あきない正傳 金と銀 源流篇』

 高田郁の新しいシリーズが始まりました。

 「みをつくし料理帖」(全10巻)という、江戸を舞台にした料理話は、次の刊行が待ち遠しいほどにおもしろい物語でした。
 その一巻ずつの読書雑記は、「読書雑記(105)高田郁『天の梯 みをつくし料理帖』」(2014年08月24日)の末尾に、リンク先を一覧できるようにしてあります。ご笑覧を。

 その後、『蓮花の契り』(『出世花』の続編)(2015年06月24日)が書かれ、以来、高田郁の作品は新たな胎動の期間に入っていたのです。

 それから一年も待たずして、一転して大坂を舞台にした商売人の話『あきない正傳 金と銀 源流篇』(時代小説文庫、角川春樹事務所、2016年2月)がお披露目となったのです。
 またしばらく、このシリーズが楽しめます。


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 時は享保16年(1731)。
 今の兵庫県西宮に近い津門村から幕が上がります。
 主人公は幸(さち)。
 父は、凌雲堂という私塾で朱子学と漢詩を教える、学者の重辰(しげたつ)です。

 冒頭で文字を覚えようとする7歳の幸の姿から、勉学熱心な女の子であることがわかります。これは、多分に父と兄の影響でもあります。


「何遍言うたらええの。七歳にもなってからに」
 土間に正座させた娘に、水で濡れた板敷を示して、房は声を荒らげる。
「指に水つけて板敷で字の練習をするんは止めなさい、て言うてますやろ。見てみ、びしょびしょやないの。妹のお守もせん、言いつけておいた庭掃除もせんと」
「堪忍して下さい、母さん。どうしても覚えたい字があったんです」
 娘の返事を聞いて、房はその腕を引っ張り無理にも立たせて、お尻をばんばん、と叩いた。容赦のない叩き方だった。(11頁)


 その幸が、妹に文字を教える場面もあります。


 幸は自分が兄にしてもらったように、妹に読み書きの手ほどきをしようと決めていた。そこでまず、手本を地面に書いたのだ。土の上に書いた文字なら、幾度でも消せるし、書き直せる。墨も筆も紙も要らない。板敷を水で濡らして怒られることもない。
「『か』は、もとは、こんな漢字だったの」
先の尖った石を手に取ると、「加」と書いた。そして少し考えて、「之」を書き加え、
「これで『しかのみならず』と読むの」
と、小さな声で言い添えた。
 姉の解説が耳に入らない様子で、結は懸命に「か」「わ」を地面に書き写している。
 ふと、ひとの気配を感じて顔を上げれば、広縁に立って重辰がこちらをじっと見ていた。あ、父さん、と幸は思わず立ち上がった。
 地面の漢字を見つめる父の双眸に、哀しみと苛立ちとが宿るのを認めて、幸は狼狽える。小石を握り締めて立ち竦んでいる娘に目をやって、重辰は溜息交じりに言った。
「お前が男ならば」
 父の口調に籠る無念が、幸を打ちのめした。
 父さんは、娘は要らないのか。息子の方が良かったのか―そんな思いが黒々とした濁流となって、幸を呑み込んでいく。(61〜62頁)


 この後半の父のことば「お前が男ならば」は、『紫式部日記』の一場面を思い起こさせます。

 大坂天満の呉服屋「五鈴屋」で奉公することになる幸は、その聡明さと知恵という才を多くの人に認められ、人間として、さらには商いの道に邁進する一人の女性として成長していきます。
 幸を取り巻く人々が、その姿形から考え方に至るまで、一人ずつ丁寧に描かれます。作者の登場人物に対する思いやりに溢れた情愛が、静かに読者に伝わってきます。

 主人公である幸が虐められる話がないので、安心して楽しく読み進められました。

 突然、紫式部が話題になったりします。本作では、当時の草子ものや歌舞伎などが話題となり、背景に上方の文芸が見え隠れします。


「読みたい本がないなら、智蔵さんが読みたい、と思わはるようなものを書かはったらええんだす。紫式部かて井原西鶴かて、そない思うて書くようにならはったんやないかて、私、思いますで」(216頁)


 この智蔵が、今後は何を生業にするのか、おもしろさが次巻に持ち越されていきます。

 物語はテンポよく展開します。本作も、一気呵成に読みました。

 幸がこれからどのような境遇で生きていくのか、最後の場面から見えて来ました。
 この続きが、ますます楽しみです。

 巻末に添えられたら「治兵衛のあきない講座」は、次の三講です。

一時限目 題名の意味
二時限目 舞台となる時代
三時限目 幸および五鈴屋のモデル

 まだ始まったばかりなので、この講説は作品の背景に留まっています。
 今後は、読者からの質問を取り上げながら、「みをつくし料理帖」がそうであったように、さらにおもしろいコラムとなっていくことでしょう。【5】

※本作は、時代小説文庫(ハルキ文庫)のための書き下ろしです。
posted by genjiito at 21:46| Comment(0) | 読書雑記

2016年03月10日

再録(19-4)どうしようもないMV社のこと(1999.12.28)

 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報群の一部です。

 このテーマでの再録は、ひとまずこの第4回までとします。
 私は1999年4月より、東京の品川にある国文学研究資料館に勤務するようになりました。
 ここで取り上げている話は、その年の3月の奈良にいた時のことと、4月からの東京での出来事が錯綜していますので、適宜読み分けてください。
 2000年以降も、この件はさらにややこしいことになりました。しかし、残りのファイルは未整理のままなので、いつかまた取りまとめることにします。
 あくまでも記録の掘り起こしなので、適当に読み飛ばしてください。
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 
〔どうしようもないMV社のこと(1999.12.28)〕
 
 アップルのマッキントッシュ用のG3対応ボード「MAXpower G3 PDS 7100/8100 240/1M/160」が使えないものであったことと、それに対するMV社の対応については、すでに「不可解なMVという会社(1997.3.28)」、「またMV社のこと(1998.10.01)」、「またまたMV社のこと(1999.03.09)」で報告した通りです。

 さらに、その後の珍妙な展開をまとめておきます。

 本年3月9日に本コーナーに「またまたMV社のこと」を掲載した1週間後のことでした。MV社のYさんという方から突然自宅に電話がありました。用件は、G3ボードに関してお詫びをかねて会いたいとのことでした。わざわざ東京から奈良まで出向くとのことでした。

 先の記事の中で、以下のように書いたことが、この反応の直接の原因だと思い当たりました。


 今回MV社社には、本書面とともに、ボードとG3/300の「見積書」「納品書」「請求書」「領収書」を同封しました。
 私の出費を弁償していただくためのものです。


 しかし、私はYさんから電話をいただいた翌日には、湘南葉山の総合研究大学院大学に行く予定がありました。鎌倉か横浜でならとも思いましたが、とにかく話は4月以降に、ということにしました。

(注:以下は、大阪から東京に職場が変わり、横浜の金沢文庫にある宿舎で生活するようになってからのことです。)

 4月6日にYさんから打診の電話があり、9日に来訪されました。1時間ほどでしたか、私から、いろいろと不具合の説明をしました。Yさんからいただいた名刺には「第2営業部 副部長 (兼)営業課課長」とありました。

 4月14日早朝、Yさんが自家用車で、拙宅の「PPC-8100/80AV」を引き取りに来られました。

 それから1ヶ月ほどした5月13日に、YさんとKさんがお出でになりました。Kさんの名刺には、「研究開発本部開発部テクニカルサポート課マネージャ」とありました。

 いろいろと技術的な問題点の説明を受けました。要するに、このままでは使えないとのこと。そんなカードをよく調べもしないで販売するものだとは思いましたが、とにかく対案を聞きました。その対応策として、現在装着しているAVカードを取り外し、新たにアメリカで販売されているビデオカードを輸入して装着すると、動かない「PPC-8100/80AV」が使えるようになるとのことでした。

 大変なことになったと思いましたが、私の費用負担はないとのことなので、そのような手配による対処を了解しました。
 それにしても、私のような被害にあったユーザーは他にいないのでしょうか。いろいろな話の中で、私が最近購入したMV社の「ばり2バックアップ」は、商品にする前の段階のベータバージョンという代物であり、商品として販売するのは問題だと言うと、おふたりとも少し口ごもっておられました。
 また、MV社の製品もいろいろと試用してほしいとのことだったので、これが迷惑をかけたお詫びの対応なのかと思い、私が被った損害の弁償の代わりとして受けようと思いました。
 さらに、K氏に報告書を求めましたところ、K氏より以下のメールが5月21日に届きました。


大変ご迷惑おかけしております。
ご依頼頂きました内容を簡単ですがご報告させていただきます。
弊社でお預かりいたしましたI様の下記の環境における、確認いたしました現象をご報告いたします。

PowerMac8100/80AV
MAXpowrG3 7100/8100 240/1M/160
モニタ接続は標準搭載のAVカード経由

<現象>

G3カード装着後、MicrosftPowerPoint、PageMaker等のアプリケーションを使用中にフリーズが発生。
同じ操作での再現性は無いが、かなりの頻度で動作不安定となる。
G3カードを外すと、上記問題は発生せず、動作が安定する。
Newer社より、一部のAVカードとの相性に問題がありとの報告があり、G3カードを装着した状態でAVカードを外し、オンボードの内蔵ビデオポート経由でモニタに接続し、動作検証した結果、問題は解消。

<結果>

上記の結果、動作不安定を引き起こす原因は、G3カードとAVカードの組み合わせと判断。

<対処>

AVカードを使用すると問題が発生いたしますので、使用しない方法といたしましては、次の二通りがあります。

1.オンボードの内蔵ビデオポート経由
2.Nubusのビデオカード経由

1.の場合は、モニタモード切替アダプタ(ダイヤテック株式会社製店頭価格1,500円前後)のみあればモニタに接続できますが、ただ、対応しているモニタ解像度が低く、13インチモード(640*480)までの対応です。

2.の場合は、別途Nubus対応のビデオカードをお持ちで無い場合、別途購入しなければいけません。ただ、費用はかかりますが、モニタ解像度は最大1152*870で24bit(フルカラー)までサポートしています。現時点で入手可能なNubus対応のビデオカードは次の商品となります。

商品名:sonnetSonata24Pro(PowerMac7100/8100用ビデオカード)

店頭販売価格(99/5/20現在):28,000円税別
取り扱い店:株式会社イケショップ Tel03-3251-4722
Web上(http://www.ikeshop.co.jp)での通信販売も行っております。

以上ご報告いたします。


 そして、5月24日の早朝、Yさんが自家用車で私の「PPC-8100/80AV」を拙宅に持ってきて下さいました。車から受け取り、自分で自室に運びました。今から考えると、あの時にYさんに私の部屋で動作確認をしてもらえば、以降もややこしくならなかったのではと思います。

 さて、無事に修理が終わったはずの「PPC-8100/80AV」も、数日後に起動しなくなりました。またMV社に電話です。

 6月3日に、今度はKさんが拙宅に自家用車で受け取りに来られました。
 またまた、「PPC-8100/80AV」は旅に出ました。

 6月15日にK氏から以下のメールがあり、OSを8.6にしていいかと確認されました。


ご連絡が遅くなり大変申し訳ございません。
お預かりしております8100ですが、原因と思われる点が見つかりました。
下記内容にて回避ができております。

現象

モニタを2台接続した際に、アイコンパレード時にNewerの機能拡張を読み込む途中にフリーズ。
モニタを1台で接続しているときには、この現象は起こらない。

回避方法

AppleVision機能拡張書類のアップデートにて正常動作。
コントロールパネルのモニタ&サウンドにて起動画面の切り替えを幾度か繰り返し、問題なく動作することを確認。

ここで一点ご相談なのですが、お預かりしておりますマシンのOSを8.6にアップデートすることは可能でしょうか。

OS8.5.1のAppleVisionのバージョンではモニタを2台接続していると、Newerの機能拡張書類読み込み時にコンフリクトを起こしてしまいます。おそらく2台のモニタをマシンが認識し信号を送るタイミングとMaxPowerを認識するタイミングが非常に近い事が問題になっているかと思われますが、AppleVisionのバージョンを1.7.1にあげることにより回避ができております。

いかがでしょうか、ご検討いただきたくお願い申し上げます。 


 これに対して、即座に以下のようなOKのメールを出しました。


連絡をありがとうございます。
8100は初期のボードなしの状態で余生を共にしようかと決め、そろそろ連絡をしようと思っていたところでした。
OSを8.6にアップすることで、また使えるようになるのなら、8100も喜ぶことでしょう。
私も、とにかく安定して動くならば、それで結構です。
最近とみに自宅での仕事量が増え、もう一台ノートタイプでも購入せざるを得ないかと思案していた所でした。とにかくマシンがもう一台手元にあり、一日も早く使える状態を最優先にしたいと思います。
研究活動は自宅が中心となる私の仕事柄と、マシン不足の窮状をご理解の上、ご高配をお願いします。


 6月23日に、Kさんが自家用車で完動する「PPC-8100/80AV」を運んでこられました。そして、今度は私の部屋に設置した後、Kさんは自分で動作確認をされました。
 過日のYさんは、私の部屋に入り込むのを遠慮されたのでしょう。その気持ちは分かります。ただし、このような場合は、目の前で確認することは大切なことのようです。私はK氏の帰り際に、また報告書を送ってほしいことと、ソフトウェアの試用について確認すると、後日メールとカタログを送るとのことでした。

 そして、7月7日に、約束通りK氏より以下のメールでの報告書が届きました。


ご連絡が遅くなりたい変申し訳ございません。
その後マシンの調子はいかがでしょうか。
さて先日納品にお伺いした際にお約束しておりましたレポートを、簡易的ではありますがお送りいたします。
何かご不明な点などございましたらご連絡下さい。

株式会社 MV社  K

障害内容

前回の納品の際に、本体付属のAVボードの替わりにサードパーティー製のグラフィックボードを装着し納品。
はじめは問題なく起動したが、2台接続されているモニタのメイン画面を切り替え、再起動を行うとアイコンパレード時にMaxPowerのアイコンを読み込んだ時点にフリーズが発生。
ご自宅で現象を確認後、社に戻り再度現象を確認。

回避策

Appleのホームページより機能拡張書類でモニタを管理している「AppleVision」がバージョンアップされていることを確認、OSを8.6にすると伴にこの書類も更新する。

結果

2台のモニタを接続することにより、モニタドライバとMaxPowerのドライバがコンフリクトを起こしていた模様。OSのバージョンとAppleVisionのバージョンを新たなバージョンに更新したことにより障害を回避できた。
また、コントロールパネルの「モニタ&サウンド」にてメインモニタの切り替えを数回行いテストしたが障害は再現しないことを確認。

納品後、ご自宅にて動作確認を行い問題なく動作することもか確認。


 さらに、7月7日にMV社社のカタログが2冊送られてきました。

 早速、試用したいソフトウェアをリストアップして、以下のようなメールをK氏に出しました。


御社の総合カタログを受け取りました。
楽しく拝見しながら、手元で眠っているものがいくつかあるのに驚きました。
「Premiere」や「Kai's Power Tools」 は Ver.5 になっていたんですね。
「SpeesDubler8」「RAMDoubler8」はフルに活用していましたが、PowerPCになってからは眠っています。
現在も常時使っているソフトウェアをカタログで見つけると、なんだかうれしいですね。
さて、以下に、私が使用してコメントを付けられそうなものをリストアップしました。
少し多いかな、と思いましたが、興味をもったものです。
遠慮せずにあげましたので、ご寛恕のほどを (=^_^=)
使ってみたい順に列記します。

・Vertual PC Ver.2.1 (日常的に使用するSoftWINDOWSとの比較)
・Dr.SURF V2.0 (NOVAの製品にがっかりしたので)
・Surf Express Ver.1.5 (スピード比べに)
・マジック館OFFICE全集 (宝箱への興味から)
・マジック館クラリス全集 (宝箱への興味から)
・マジック館ファイルメーカーPro全集 (宝箱への興味から)
・TOEFLテスト完全攻略模試 (今夏留学する娘をテスターに)
・TOEICテスト完全攻略模試 (今夏留学する娘をテスターに)
・アイデアストーム Ver.2.0 (よく使うインスピレーションとの比較)
・Adobe Acrobat 4.0 (職場にはWINDOWS版しかないので)

下記二点は、過去にバージョンアップの手続きでゴタゴタしたので、そのままになっているものです。

・Adobe Premiere 5.1
・Kai's Power Tools5

なお、「Adobe FrameMaker+SGML 5.5J」は、職場にあるのでしょうが、それを使うと仕事が増えそうなので、一人で使ってみたいと思っていたものです。ただし、価格が価格なので、そっと紛れ込ませておきます。一応、テスト使用が可能ならば、ということです。
以上、ご高配の程を、よろしくお願いします。


 返信を待つ内に、またまた「PPC-8100/80AV」が不調になりました。夏の暑さのせいでしょうか。起動できないことが時たま発生しだしたのです。とにかくとてつもなく多忙な日々でもあり、「PPC-8100/80AV」が身近にあると、ついつい調子を見ようとして時間を浪費し、それもまたもやテスターとなりかねない日々を避けるために、愛機を別の場所に移動しました。しばらく休憩していた「PPC-7600/200」の出番となりました。これは、いつも元気で快調なパソコンです。

 そしてついに11月になると、愛機はウンともスンとも言わなくなり、またお手上げの状態になりました。
 MV社のソフトウェアの試用に関する返事もあることだしと思い、K氏からの連絡があったらこの不具合を伝えようと思っている内に、どうしようもなく忙しい仕事に振り回され、とうとう今日になった次第です。

 それにしても、MV社からは、7月7日以来、何の連絡も問い合わせもありません。これだけトラブル続きのマシンなのに、修理後、引き渡してすぐの様子伺いだけで、それ以来音沙汰なしなのです。
 ソフトウェア試用の件も、こちらの希望を無視されたままです。一体、どういうつもりなのでしょうか。
 MV社に電話をしても、また場当たり的な対応をされるだけなので、この〈ハイテク問はず語り〉に、これまでの経過を掲載することにしました。
 今日まで引きずったのは、どこかの東芝というメーカーのトラブルではないですが、苦情を言うのを趣味にしていると思われるのも嫌なので、クレームの連絡は自粛していたこともあります。

 トカゲのシッポ切りのような対応をするMV社のことです。手に負えなくなるとバトンタッチがあるようです。Sさん->Yさん->Kさんと来ましたから、今度はどなたが私にコンタクトを取ってこられるのでしょうか。優秀な方々なのでしょうが、ユーザーの立場から言えば、もっと最後まで責任をもって対処してほしいものです。

 それにしても、まだまだ未成熟のコンピュータ業界です。これからのさらなるコンピュータの普及を考えると、MV社のような会社はこの日本に必要なのでしょうか。この程度のサポートしかできないのなら、かえって発展の邪魔ではないでしょうか。
 アメリカのソフトウェアを輸入して日本語化するだけなら、他にいい会社があります。また、自社で開発するソフトウェアが「ばり2バックアップ」のような開発版レベルならば、それを臆面もなく店頭に並べて平気ならば、早々に撤退してほしいものです。

 MV社は、もうこりごりです。
かわいそうな「PPC-8100/80AV」ですが、どこか立派に再生してくれる会社を探すことにします。どなたか、技術力のある人か誠意のある会社をご存じないですか。

 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
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2016年03月09日

再録(19-3)またまたMV社のこと(1999.03.09)

 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報群の一部です。

 ここでは、再録(19-1〜4)として、MV社に関連する悪戦苦闘の記事を集めています。
 あくまでも記録の掘り起こしなので、適当に読み飛ばしてください。
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 
〔またまたMV社のこと(1999.03.09)〕
 〈8100用G3ボードの顛末に関する覚え書き〉
 
 昨年記した「またMV社のこと〈1998.10.01〉」のその後の顛末をまとめてアップします。


商品名「MAXpower G3 PDS 7100/8100 240/1M/160」
発売元 MV社
購入日 1998.9.24
店名 (株)オー・エー・システムプラザ大阪店
金額  \125,790(税込)


問い合わせのためにかけた電話は以下のとおりです。


1998.9.25電話(女性の方)
1998.9.28電話(Sさんへ)
1998.10.1電話(Sさんへ)
1998.10.1ボード返送


 ボード返送にあたっての詳細は、「またMV社のこと〈1998.10.01〉」に記した通りです。

 返送後、いつまで待ってもMV社から何の連絡もないので、98.10.26に電話(Sさんへ)をしました。不在のため、夜に担当者が連絡するということでしたが、その日は何の連絡もありませんでした。

 98.10.28に、こちらから再度電話を入れました(Sさんへ)。
 交換用のボードをアメリカのニューワーテクノロジー社に発注中とのこと。月に一回の生産のため、11月第二週くらいには届くはずであるとのこと。
 連絡はもらえるかと聞くと、特にそのようなことはしない、との返答でした。とにかく、ひたすら待つしかないようです。
 何とも、こちらが購入者であることが欠落したクールな対応でした。

 このボードの修理が完了したものを受け取ったのは、98.11.17でした。というより、何のことはない製品交換でした。ボードの製造番号が、「A522309」から「A528531」に変わっていました。同封の「修理結果報告書」には、受付日として「98/10/7」とあります。

 そして、またもやフリーズの連続です。どのような状況でなるのかは、98.11.25の電話で詳細に報告しました。

 それから一月ほどは、まさにMV社のテスターよろしく、連日フリーズとの格闘をしました。ボードが変わったので、当然動くであろうということを前提にしていたのです。今から思えば、膨大な時間をドブに捨てたことを悔いています。

 十数年前、まだ8ビットマシンで色々なことにチャレンジしていた時を思い出させる日々でした。何とか自分で動かしたい、という使命感もあったかと思います。今にして思えば、愚かなことでした。この時間を、何とか返してもらいたいと熱望しています。

 そして98.12.17or18に、ついにギブアップの電話をしました(Sさんへ)。
 本体ごと返送してくれとのことでしたが、もう年末でニューワーテクノロジー社は休暇に入るので、今送ってもらっても保管するだけとのことでした。
 仕方がないので、年明けの99.01.06に、パソコン本体にボードを装着したままで宅配便で送りました。

 その時に添付した手紙は、以下のものです。


*****G3ボードと本体送付.990106******

 昨年9月以来、「MAXpower G3 PDS 7100/8100 240/1M/160」のボードの不具合について、いろいろと問い合わせをしているIです。
 ボードを本体に装着したままでお送りします。
 よろしくお願いします。

 私がこのボードを設置しようとしている機器は、次のようなものです。

*CPU:PPC-8100/80AV(但しQuadra840AVよりのロジックボードアップグレード版)
*8100/80AV内蔵のビデオカードは、御社製品添付のマニュアル通り、ブラケットが半田付けされている部分から切り離しました。
 ただし、9.25の電話により、添付マニュアルが間違っているとのことなので、ご指示により、絶縁テープでカードを絶縁することによって、起動さえしなかった不具合は解消しています。

 4ヶ月もの長期にわたるテストでした。
 結論としては、2時間以上フリーズを起こさずに使用することは不可能でした。
 試みたテストの詳細は省略します。
 なお、内蔵のハードディスクは、今回のテストのために新たに昨秋購入したものです。それに、OS8.5をインストールしています。
 今回の件は、御社とニューワー社の依頼を受けての実験ではないために、製品に代価を支払ったユーザーに戻ることにして、改めて確認をお願いすることにします。

 ご確認の上、ご処置の程を、よろしくお願いします。


 動作確認を終えたMac8100/80AVが届いたのは、99.01.21でした。ただし、佐川急便で届けられた愛機は、なんと損傷したものだったのです。また、パソコンもうまく動作しません。またまたフリーズの連続です。

 99.01.28に、フロッピーディスクドライブが出し入れできない状態に変形していることに気づき、すぐに佐川急便の千代田店に電話をしました。何とも脳天気な対応で、すぐにそちらの営業所から引き取りに行かせる、とのことでした。そこで、大急ぎで以下の報告書を認めました。



*****8100の損傷返送-990128*******

・1999.1.21 佐川急便で8100到着
・すぐに気づいた本体の損傷

  ●本体背面の前から見て右上のネジが曲がっている。
  ●本体左側面下部が、内側に食い込み、本体内部底面が少し見える状態。
  ●本体前面のフレーム上部が割れている。
  ●フロントパネルの最上段のCD-ROMのベゼルの左側爪が折れているために、蓋がすぐに外れる。

・曲がったネジを含む本体背面のネジをゆるめて、カバーを外す。

  ●本体左側面下部が内側に食い込んでいた箇所では、本体側の爪が折れ、引っかからなくなっている。左側も同じ。
  ●本体内部に、プラスチックのパーツ一点と、割れたプラスチックの破片が、五〜六個見つかる。細かな破片はいくつもあった。

・すぐに行なったこと

  ●内部のプラスチックの破片を拾い集める。
  ●本体前面のフレーム上部が割れている所を、瞬間接着剤(ゼリー状タイプ)で接着する。
  ●CD-ROMのベゼルの左側を、ビニールテープで留める。

・まずは、電源を入れてスタートする。

  1-四回に一回は、ニューワー社のG3ボード用の機能拡張書類を読み込む内に、アイコンに文字が表示されないままでフリーズする。
  2-無事にスタートした場合でも、フォルダを開いて、まだハードディスクにアクセス中にウインドウの右下を摘んで引くと、確実にフリーズする。
  3-上記二点の場合、キーボードからのリスタートはできない。
  4-フロントのリセットボタンでは、確実に上記 1 の状態でフリーズする。
   本体背面のボタンで電源を落としてからスタートすると、起動することが多い。
  5-Excel-98のファイルを7〜8回ほど開け閉めするとフリーズする。
  6-セレクタでイーサー接続中の相手マシンを選択してから、すぐにキャンセルすると、画面が乱れてフリーズする。マウスは動くが、反応はない。

・MV社からの報告書を見てやったこと

  ●MacOS8.5に対応していない「FormatterOnePro」を削除。
  ●インターネットから「Drive7 v4.4.2」を入手して、システムに組み込む。
  ●システムを、Mac OS 8.5.1 にアップデートする。
  ●上記 1〜6 の症状は、多少減ったように思われる。
   ただし、依然としてファインダーのエラーは頻発し、画面にエラーメッセージだけが残る現象がよく見られる。
   また、上記1の状態になることが、十回に一回ほどの割合で発生する。
  ●しばらく実際に使うために、フリーソフトの「CopyPaste」をインストールする。
   このソフトが原因のフリーズはないようである。
  ●ノートンユーティリティを削除する。

・1999.1.28 フロッピーディスクが、きつくて入らないことがわかる。
  前面の蓋を外すと、挿入でき、読み込みが出来る。
  フロッピードライブ自体の左側が持ち上がった状態のために、蓋をするとその蓋に当たって出し入れができないことがわかる。
  このフロッピーを抜き差ししたときに、接着した本体前面のフレーム上部が剥がれた。
・本体が運送中に相当の衝撃を受けたようなので、このままマシンのテストをすることを断念。
・佐川急便千代田店に電話。
 すぐに引き取りに来るとのこと。

 データのバックアップを取り、消去した後に引き渡す。


 荷物を受け取りに来た佐川急便の方は、何かと急き立てるのです。回収を急いでおられました。
 こちらは、大切にあつかってもらえると思っていたのに、佐川急便は梱包材料も何も持ってこず、そちらで早く荷造りをしろというのです。
 大急ぎでやると、まだ一方をテープで止めていないのに、さっとテープを一カ所だけ貼って担いで持って行かれました。上記のメモを印字したプリントも、隙間に入れただけでした。何となく不安になる引き取り方でした。おまけに、「預り書」もくれません。
 佐川急便というのは、こんなにいい加減な宅配業者だったのですね。唖然としました。その時以来、いまだに何のお詫びもありません。ということは、今回のパソコンの損傷の全責任は、MV社にあったということなのでしょう。

 その後、二日経っても荷物を届けた、とか届いたという連絡がないので、私ももうMV社に愛想をつかし、99.01.30の夕刻に新たにパソコンを買いに出かけました。そして、Power Mac G3/300を購入しました。
 私は、パソコンで遊んでいるのではなく、仕事に使用しています。それもデータベース作成に従事しているために、年度末を控え、一台でもパソコンが使えないというのは決定的に痛手です。色々な状況の中で、新機種G3購入を思い切りました。

 さて、またしてもMV社からは音信不通です。99.02.16にMV社へ電話をしました。いつものSさんは不在で、Tさんが対応してくださいました。Tさんは8100の動作検証をした担当者の所に名前があった方なので、電話の内容はすぐに理解してくださいました。アップルに見積・修理・外損交換手続中とのこと。動作点検の後に送り返すとおっしゃいました。
 また、前回の点検済みのパソコンが届いた際、同封のチップは何かを聞くと、マザーボードの二次キャッシュで「L2キャッシュSIMM」というものだったのだそうです。不要のために取り外したとのこと。
 それならそれで、何かメモでも入れてくれたらいいのに、まったく不親切なやり方だと思いました。

 そして、ついに8100が届いたのは、99.02.23だったと思います。私も多忙を極める時期だったので、数日後に梱包を開け、様子を見ました。最初は起動したのですが、ファイルをコピーすると、とたんにウンともスンともいいません。早々とフリーズです。
 リセットボタンが飛び出しており、押しにくいのを我慢しながら、またまたリセットを押す日々が続きました。
 この不細工なリセットボタンは、間に合わせの部品で適当にはめ込まれたもののようです。

 今回の8100では、以下のような症状が頻発します。


・シャーロックで検索後、機能拡張を開くとフリーズ。キーでもボタンでもリセットできず、背面でパワーを切る。
・一度フリーズすると、次からはデスクトップ画面になると、ハードディスクなどのアイコンを表示したところでフリーズを繰り返す。
・「エラータイプ10」のシステムエラーが頻発。
・数日後に無事起動できても、機能拡張マネージャを開いたところでフリーズ。
・機能拡張をはずしての起動も、CD―ROMからの起動もできない。
・外付けのSCSIハードディスクをつけると、そこから起動できるが内蔵ハードディスクを認識しない。
・フロッピーディスクが読めない。マウントできずにフリーズする。


 以上の症状は、どう見てもまじめに「修理完了」したものとは程遠いと思わざるを得ません。とてもプロの仕事ではありません。技術力はあっても、それを真剣に注いではもらえなかったようです。
 そして、これまでの経緯を通覧しても、MV社が私を適当に誤魔化そうとしておられるのが明らかです。私がおかしい点を妥協しないので、このように長引いているのです。適当にあしらっている内に諦めると思っておられたのでしょう。

 今回MV社には、本書面とともに、ボードとG3/300の「見積書」「納品書」「請求書」「領収書」を同封しました。私の出費を弁償していただくためのものです。

 またこれから、長い月日が費やされることでしょう。
 パソコンを購入すると、このようなトラブルがあり得るのです。私は、このようなことに巻き込まれることの多い方だと思います。というより、製品の不備・不満を苦情として明確に言えるので、このような形をとっています。
 大多数の方々は、何がおかしいのかわからないままに、自分の扱い方のせいにして諦めておられるのではないかとも思います。

 パソコン業界は、まだまだ未成熟です。ごまかしが横行しています。一日も早く、健全なパソコンライフが送れるようになってほしいものです。

 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
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2016年03月08日

僧侶のネット派遣と人生最後の儀式の簡素化

 仏教に関する記事が、先週の毎日新聞(2016年3月5日)に2本も掲載されていました。朝日新聞は翌日だったので、2本同時だったかは確認していません。

 一つは、「お坊さんのネット派遣やめて」というもの。

 これは、全日本仏教会が2月4日に、法事への僧侶派遣サービスをしているアマゾンに対して、その中止を求める文書を発送したというものです。
 「お坊さん便」という定額手配サービスは、ユニークな角度から仏教を商品化したものです。宗教が持つ特異性が、商品としての価値を伴って売り買いされるのです。
 ただし、その定額制とお布施が持つ意味が、しだいにわからなくなってきました。

 もう一つは、「昔の葬儀にはもう戻らない?」という記事です。

 日本葬送文化学会の2月例会において、松岡泰正氏は講演で「業界」の実態を明らかにされたのです。
 現在の葬儀は、次の4種類だそうです。

 (1)一般葬
 (2)家族葬
 (3)直葬
 (4)ゼロ葬

 1990年代後半から取り組んだ「(2)家族葬」は、今は急速に増えているということです。しかも、(3)や(4)が「加速度的に進んでいる」ということなのです。

 我が家で言えば、1983(昭和58)年に亡くなった父は「(1)一般葬」でした。2004(平成16)年に亡くなった母の場合は「(2)家族葬」でした。
 私の場合は、「(3)直葬」もありか、と思っています。

 記事には、次のように記されています。


日本人の葬儀はいま、都市部でも地方でも、ワタシ(個人)の手の中にある。あとは自分が「あの世」を信じるかどうか。信じなければお坊さんも必要ないか……。


 家や自分の宗教と葬祭が切り離されている現在、ますますそのありようは変化していくことでしょう。

 2008年に公開された映画『おくりびと』(Departures)は、第81回アカデミー賞外国語映画賞と第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞しています。いい映画でした。
 この映画の世界は、近い将来には、懐かしい日本文化となってしまうようです。

 最近は、遺書や終活のことが話題になっています。
 この人生最後の儀式については、さらに変移していくことでしょう。
 私も他人事と思っていました。しかし、私も近々行くかもしれないあの世について、いろいろと考えさせてくれる記事でした。【4】
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2016年03月07日

藤田宜永通読(27)『探偵・竹花 帰り来ぬ青春』

 『探偵・竹花 帰り来ぬ青春』(双葉社、2015.1.25)を読み出してから、これはもう読んだ作品ではないかと思いました。冒頭部における別荘地の雪道でタイヤが空回りする話です。しかし、しだいに初めての話であることがわかり、別の作品で読んだものを思い起こしたようだと気づきました。
 藤田宜永の作品では、よくあることです。


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 開巻早々、懐メロのスタンダードとしてシャーリー・バッシーの『帰り来ぬ青春』が出てきます。これには、「若かりし頃の、無謀な生活を述懐する内容の歌である。」(22頁)と説明されます。
 この曲名が、本作の題名ともなっているので、あまりのネタバレに拍子抜けしました。そうでないことを祈りつつ、読み進みました。

 手記や日記に関して、おもしろいことが書かれています。


 書かれたものが真実を伝えているとは言えない。そんなことを或る哲学者がどこかに書いていた。それは遺書の場合にも当てはまる。手記や日記に、事実は書けても、真実は認められないものだ。野球選手が難しい球をホームランできた時、「自然にバットが出た」と言うことが多い。後でそのビデオを見た時にはどうしてホームランになったか説明できるだろうが。手記や日記は、後になって見たビデオを見た時の説明に似ている。そういう意味で書かれたものは嘘なのだ。遺書も手記の一種である。(67頁)


 首吊り自殺と拳銃の暴発という事故死が、話を複雑にしていきます。さらに、そこに化石が絡んできます。わからないことだらけの展開に、読者は引きずり回されることになります。

 話が八丁堀や明石町を、舞台にするようになると、私の生活圏であることもあって俄然のめり込みます。

 最後まで犯人の見当がつかないのがいいと思います。
 探偵竹花に、楽しい時間を付き合わされました。

 相変わらず、女性が描けていません。しかし、男たちの友情はしっかりと伝わってきました。

 話の構成と展開がおもしろかったので、また藤田宜永の作品を読もう、と思わせます。【4】

※初出誌︰『小説推理』2013年6月号〜2014年6月号
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2016年03月06日

大津科研の谷崎源氏研究会をさらに活性化させる提言

 谷崎源氏研究会のシンポジウムが、「谷崎源氏を考える」と題して國學院大學学術メディアセンター1F(常磐松ホール)で開催されました。


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 これは、科学研究費補助金【若手研究(B)】「〈旧訳〉を中心とした谷崎源氏テクストに関する基礎的研究 ―翻訳文学としての再検討― 」(研究代表者 大津 直子)で企画・立案されたものです。
 事前に広報された開催趣旨を引用しておきます。


 没後50年という記念すべき年に当たる本年度は、新全集も刊行され、谷崎潤一郎に関する研究一般は、従来以上に活発化していたと言えます。しかしながら、谷崎源氏に限定すれば、新全集からも漏れてしまい、創作による作品群に比べて、研究者の関心の高まりが目に見えづらかったような観があります。
 一方で、谷崎自身は近代文学研究の対象ではあるものの、谷崎源氏となると、平安文学研究の立場からも扱われてしかるべき領域であり、相互補完的な学術交流が不可欠な分野ではないかとも思われます。
 そこで今般、下記の要領でシンポジウムを企画し、谷崎が『源氏物語』を訳した意義について考えようとするものです。


 私は、「翻訳文学」ということばを使う大津さんを後方支援する立場から、この記事の末尾で私案を記すことにしました。

 その前に、研究会における発表をうかがいながらメモしたことの一部を、以下に残しておきます。
 
[報告1]「戦時下版「谷崎源氏」成立の背景 ―編集者宛て新出書簡にふれながら― 」京都精華大学 西野厚志

・谷崎源氏ができあがる上での、歴史的背景がよくわかりました。
・新資料である谷崎書簡を通して、編集者の役割に興味を持ちました。
・谷崎が自主的に削除していた、ということについては、さらにその実態や用例を知りたくなりました。
 
[報告2]「削除という方法―『潤一郎訳源氏物語』考」静岡大学 中村ともえ

・削除の実態をさらに知りたくなりました。
・配布されたレジメの最後に、谷崎訳の推移が簡潔にまとめてあるので、当該部分を引きます。

▽谷崎は『潤一郎訳源氏物語』で削除した一部分を、「藤壺」の題をつけて発表し(「藤壼−「賢木」の巻補遺−」(「中央公論文芸特集」昭24・10))、その後、削除部分を補った『潤一郎新訳源氏物語』を刊行した(全十二巻、昭26・5〜昭29・12、中央公論社)。『潤一郎新訳源氏物語』は、愛蔵本(昭30)・普及版(昭31)を経て、新書版(昭34)の段階で「今更「新」でもあるまい」として表題から「新」の一字を取り除かれた。「新訳」は決定版として扱われ、さらにその後の「新々訳」は文庫化され、また全集に収録されて、流通している。

 また、レジメの末尾に記された、「谷崎源氏を、作家谷崎潤一郎の個人の仕事としてではなく、複数の関係者が関与した事業として捉える」というコメントは、谷崎源氏を考える上での共通認識としての視点だといえます。さらに丹念な事実の掘り起こしを報告していただきたいと思いました。
 
[報告3]「〈旧訳〉と〈新訳〉との間―新紹介資料「藤壺―賢木の巻補遺」改稿版から考える―」國學院大學 大津直子

・賢木補遺は旧訳を補完するものであり、新訳の構想は、昭和20年10月にはあった。
・祇園のタイプライター屋さんで新訳を打った。
・新訳は岡崎義恵の批判を意識したもの。
・谷崎の自筆草稿には、活字からは伝わらない関係者のドラマをみる思いがする、という最後のことばが印象に残りました。
 
◆討論、質疑応答

・山田孝雄を戦後も校閲者として残した理由とその山田が果たした役割について、興味深い問題が俎上に載りました。ただし、パネラーの意見がうまく噛み合わなかったのは残念でした。
 また、このセッションは、取り上げられた話題があまりにも些細なことだったこともあり、私は退屈でした。これでは、若者たちが日本の文学研究に魅力を感じないでしょう。登壇者のみなさま、ごめんなさい。
 
 学術メディアセンター2階の図書館内で、國學院大學の所蔵となった『谷崎源氏新訳草稿』の一部が展示されていました。


谷崎潤一郎 創造の内幕 ―『谷崎源氏新訳草稿』を中心に
 
1)『谷崎源氏新訳草稿』「桐壺」「帚木」の部分
2)「藤壺―「賢木」の巻補遺―」改稿版
3) 谷崎潤一郎旧蔵「物語音読論序説」抜刷
4)「懺悔話」原稿
5)「兄弟」原稿


 この展示資料の中の「玉上書き入れ旧訳本」に気になるメモがありました。
 「桐壺」四頁6行目の訳文「人々からは上臈として重く〜」とある箇所の下部に「p5-l4」とある部分です。
 その行頭に鉛筆書きで、次のように記されています。

池田「世間の信望も重く、貴人らしく見えるが、むやみに……」の方が原文脈に忠実。

 この「池田」とあるのが池田亀鑑のことかと思われたので、大津さんに確認しました。『朝日古典全書 源氏物語』(池田亀鑑編著)を指すとのことでした。

 今、『全書』(昭和21年12月発行)の「桐壺」で確認すると、一六〇頁15行目の「おぼえいとやむごとなく」の頭註(七)に同文が記されています。
 玉上は、昭和25年6月から谷崎源氏の訳文を改訂する仕事に携わっています。池田亀鑑の『全書』によって原文との照合をしたこととは矛盾しません。

 機会があれば、この『全書』を参照しながら谷崎の訳文を検討した、若き玉上琢彌の研究者としての姿勢を、草稿から抜き出して確認したいものです(どなたか、よろしくお願いします)。

 今回この研究会に参加して、谷崎源氏の成立過程と改訂事情に関する研究が緻密になされていくことを確信しました。ただし、それが問題点を多くの人々と共有しながら展開しないかもしれない、という心配も抱きました。一部の研究者が袋小路に突き進んでいくのではないか、ということです。

 この谷崎潤一郎とその関係者が書き込んだ、谷崎源氏訳文の自筆草稿をベースにした研究を、さらに多くの人々を巻き込んで展開するためには、次の2つの視点を導入したらいいのではないか、と思うようになりました。

 人さまの研究に口出しするのは僭越かと思います。しかし、大津さんは彼女が大学院生のころから知っており、一緒に室伏信助先生の授業を受けた仲間でもあります。さらなる展開を期待する意味でも、勝手なことながら個人的な展望私案を大津さんに伝え残しておきます。

 まず、与謝野晶子の『源氏物語』と『蜻蛉日記』の2作品に関して、自筆原稿が残されていることです。しかも、それは画像として国文学研究資料館より公開されています。

「与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影」(2010/10/26)

 この原稿とその周縁に関する研究成果は、次の2冊が必読の書です。

「与謝野晶子に関する刺激的な2冊」(2011/3/29)

 つまり、谷崎源氏と与謝野源氏に関しては、その自筆原稿を元にした研究が共同研究として組めるのです。
 これが実現すると、大津さんの科研のテーマはさらに大きな展開となっていきます。
 大津さんのテーマが、今後とも尻すぼみにはなりません。
 また、古典文学と近代文学のコラボレーションともなります。
 そのためにも、谷崎源氏と与謝野源氏の共同研究を立ち上げる必要があります。

 私は上記の与謝野源氏と『蜻蛉日記』の画像データベースを構築する中で、科研への申請を考えていました。しかし、それに優先するテーマがあったので見送ったのです。
 もう私は科研を申請できないので、どなたかが申請なさるのであれば、お手伝いはいたします。

 大津さんの科研のさらなる展開の第2段としては、谷崎源氏を参照した外国語訳の『源氏物語』に着目することです。
 手元の資料を確認したところ、次の4種類の外国語訳『源氏物語』が谷崎源氏を参照して翻訳していることがわかりました。特に、モンゴル語訳は、谷崎源氏を底本として翻訳されています。詳しくは、「モンゴル語訳『源氏物語』の話」(2010/1/13)をご覧ください。

◎モンゴル(ジャルガルサイハン・オチルフー)2009年
○中国(豊子ト)1961年
○ハングル(柳呈)1975年
○ロシア(タチアナ・ソコロワ・デリューシナ)1981年

 谷崎源氏の現代語訳が、海外で翻訳されている『源氏物語』にどのような影響を与えているか、というテーマは、研究の国際的なコラボレーションに展開します。
 ここに提示した4種類の翻訳は、いずれも日本に隣接する国々です。これは、何を意味しているのでしょうか。

 さらには、多数の谷崎潤一郎の小説等の外国語訳に関するテーマも呼び込めます。
 またこれは、異分野間のコミュニケーションにも発展し、日本文学という殻に閉じこもることのない、開放された議論が呼び込めるものに変質します。
 貢献度の低い日本文学研究と言われ続けている現状において、こうした視点でプロジェクトを組んで進むことは、特に若い方々には必要なことだと思います。

 科研(若手研究B)が、科研(基盤研究B)を経て科研(基盤研究A)へと、さらにはもっと多くのブランチを抱え込んだ一大プロジェクトへと成長していくことでしょう。

 研究代表者を務める大津さんは、科研のテーマとして「〈旧訳〉を中心とした谷崎源氏テクストに関する基礎的研究 ―翻訳文学としての再検討― 」を掲げています。この「翻訳文学」という定義が、今後とも萎縮していかないように願っています。

 そこで、上記のような、「与謝野晶子の現代語訳の自筆原稿」と、海外における翻訳への影響を両睨みした、さらなる進展を楽しみにしたいのです。
 日本文学の研究が先細りしないためにも、大津さんのますますの活躍を期待しているところです。

 学生時代からの先輩として、偉そうに勝手なことを書きました。
 妄言多謝
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年03月05日

渋谷で麻田豊先生と翻訳を話題にしての会食

 インドで私がお世話になった、アラハバード大学大学院に留学中の村上明香さんは、東京外国語大学では麻田豊先生の教えを受けておられました。そして今も。
 麻田先生のご専門は、もちろんウルドゥー語です。

 ウルドゥ語訳『源氏物語』のことで、2010年5月にお二人お揃いで、国文学研究資料館の私の研究室にお出でになったことがありました。インドの話で大いに盛り上がったことを覚えています。
 その後、村上さんには、マラヤラム語訳『源氏物語』とアッサム語訳『源氏物語』を見つけて私の手元に届けてもらいました。

 今日は、午後から國學院大學で研究会があるため、麻田先生とは渋谷でお昼をご一緒してお話をすることになりました。

 待ち合わせ場所は、渋谷と言えばハチ公前となります。
 ハチ公を見ていたら、みなさんが写真を撮っておられます。さすがは有名な犬だな、と思っていたら、何とハチ公の前足とお腹の隙間に、一匹のウサギがいるのです。しかも、タオルが敷かれています。誰が連れてきて置いていったのやら。ハチ公と一緒に、みなさんから可愛がられているようです。


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 ハチ公前で麻田先生とお目にかかってから、近くの天麩羅屋さんに向かいました。

 麻田先生からは、インドでの演劇活動をまとめたご本をいただきました。
 『特色ある大学教育支援プログラム「生きた言語修得のための26言語・語劇支援」活動報告 ウルドゥー語劇団 2005〜07「はだしのゲン」インド・パキスタン公演の記録』(麻田豊編、2008年10月刊)という長いタイトルの、170頁の報告書です。


160305_hadasinogen




 目次を揚げます。


0 はじめに
1 ウルドゥー語劇団始動
2 「ヒロシマ」追体験
3 稽古、そして出発まで
4 インド公演2005 全記録
5 インドから帰国して
6 インドからパキスタンへ
7 稽古再開
8 パキスタン公演2006 全記録
9 帰国、再びインド公演へ
10 日印交流年企画としての再インド公演(二〇〇七年二月〜三月)
11 帰国後
あとがき


 最終章で、麻田先生は次のように言っておられます。


 こうして、二〇〇五年一月一日に始まったウルドゥー語劇「はだしのゲン(ヒロシマの物語)」プロジェクトは、インド・パキスタンの二十一会場で合計二十八公演を行なって幕を閉じた。(159頁)


 また、あとがきでは、次のようにも言われます。


 ウルドゥー語での情熱あふれる演技。その演技と声が観客の心を打つ。終わったあとの拍手喝采。共感し合えた実感。ここまで来るのに、僕はインドとパキスタンと三十年以上も付き合わなければならなかった。(168頁)


 デリー在住の菊池智子さんと同じように、麻田先生は早くから、平和活動に積極的に取り組んでおられます。今日も、楽しい話をたくさんうかがいました。
 インド歴15年の私の2倍もの、30年以上にもわたる土固めという土台作りを、麻田先生は根気強くなさってきたのです。信念を持って行動しておられる方とは、お話をお聞きしていて飽きません。理念を語られるだけの方のお話とは、ことばの重みが違います。

 翻訳についても、村上さんと一緒に出版なさった本などを例にして、ありがたいアドバイスをいただきました。特に、翻訳の質については、得難い勉強をさせていただきました。多言語翻訳に取り組んでいる私にとって、この翻訳の質という問題からは、厳しい現実を突きつけられています。失敗の連続です。
 しかし、その失敗から得られたことを、次の糧にしてひたすら前に進んでいこうと思います。

 私は、母語話者と非母語話者の翻訳を並べることで、その質の問題を均そうとしていました。しかし、どうやらそれは心得違いをしているところがあるようです。
 麻田先生のお話をうかがいながら、自分の力では十分に理解しづらい外国語による翻訳を、しかも評価できないことに直面する中でどう対処すべきか、という点からの心構えを教えていただいたように思います。

 最終的には、『源氏物語』の多言語翻訳は30言語以上の外国語で取り組みます。
 焦らず、慌てず、一巻ずつ、一言語ずつ、丁寧に良質の翻訳を意識して、このプロジェクトを推進していく覚悟です。
 多くの方々にご理解とご協力をお願いしながら、私は進行管理に徹して、多言語翻訳『源氏物語』の編纂をしていくつもりです。今後とも、みなさまの変わらぬご支援を、よろしくお願いします。

 最後に、麻田先生には、村上さんが取り組んでいるウルドゥー語訳『十帖源氏』を、今イギリスにおられるマララ・ユフスザイさんに読んでもらえるように手助けをお願いしました。私らしい頼みごとだと大笑いしながら、多くのお知り合いを通して可能性を探ってくださることになりました。マララさんには、英語ではなくて母語であるウルドゥー語で『源氏物語』に語られている日本の物語を読んでもらいたいのです。
 この私の想いが、麻田先生には通じたようです。
 また、楽しみが一つ増えました。
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2016年03月04日

読書雑記(158)澤田ふじ子『霧の罠 真贋控帳(二)』

 『これからの松』(朝日新聞/1994年12月22日〜1995年2月10日連載、1995年12月、朝日新聞社刊)を受けて執筆された『霧の罠』を、光文社文庫(2007年2月)で読みました。


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 松平定信の時代の話です。
 天明の大火により、京中が塵芥に帰したさまが克明に描かれています。

 丹波篠山藩主の青山忠裕は、まだ21歳にも関わらず、京の大火で非難し行幸中の光格天皇の聖護院仮御所の警固となりました。帝は、一旦は禁裏から下鴨神社に移られ、その後に聖護院に行幸されたのです。

 古筆家九代の了意は、四代藩主のお道具の世話をしました。そして、お納戸役小頭の土井市郎兵衛が家中第一の道具目利として登場します。特に、茶湯道具と床の画幅などの調度品の購入に当たります。
 その土井市郎兵衛の息子の修蔵が創る俳句が、当時の社会と文化的な背景に上質な薫りを添えています。

 南宋の張即之の真筆とされる茶道具の『杜詩断簡』という一幅の紛失をめぐって、話が核心に向かいます。修蔵に疑いがかけられたのです。
 脱藩遁走して己に降りかかった免罪を晴らそうとする修蔵の姿が、物語の背後に揺曳します。
 その後は、息もつかせぬ展開となり、本から手が離せなくなりました。

 復讐や仇討ちが取り沙汰され、物語はいや増しに盛り上がります。

 しかし、その結末があまりにも冷静な語り納めとなっていて、急に話が萎んだ感じで拍子抜けしてしまいました。人間の情念が、理性に押し切られたようです。作品としては、惜しいことです。

 悪役の山村彦十郎も、その人間性をもっと抉ってほしかったところです。社会の悪と心中の闇が描き切れていません。

 作者の人間に対する思いやりと優しさが、残念ながら裏目に出てしまいました。

 本作の前に、『真贋控帳 これからの松』があります。それも、濡れ衣を晴らすことが語られるものでした。どちらも、扱うネタに興味深いものがあるものの、その料理の仕方や包丁さばきに不満が残りました。

 なお、本作に登場する宗鷗は、前作『これからの松』で古筆家七代目了延の門人の平蔵だった人物です。本作で宗鷗は、長老としてその位置を与えられています(42頁)。
 また、
「宗鷗は俗名を平蔵といい、先々代の七代了延に見いだされ、門人衆にくわえられたときいている。了意が古筆家九代として迎えられたとき、宗鷗の号をかれからあたえられたのであった。」(57頁)
とか、「杜詩断簡」の書を張即之の真筆だと鑑定しています(174頁)。

 〈真贋控帳〉シリーズの第3作目である『地獄の始末 ―真贋控帳』(2014年10月06日)では、この宗鷗は特段の役割は負わせていなかったように思います。再読することがあれば、そのことを確認したいと思います。【4】
 
 澤田ふじ子の作品としては、『宗旦狐 −茶湯にかかわる十二の短編』(2014年11月02日)も取り上げていますので、おついでの折にでもご笑覧を。
  
〔メモ〕
・書き下ろし、2000年11月、徳間書店
・文庫版、2003年7月、徳間文庫
・文庫版、2007年2月、光文社文庫続きを読む
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2016年03月03日

読書雑記(157)澤田ふじ子『これからの松』

 江戸時代の1700年代。古筆家七代目了延の門人たちの物語です。


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 平蔵は、高瀬舟を引く仁助の息子で、炭屋に奉公しています。
 ある日、真如堂の虫干しで見初められ、了延のもとで古筆見として修行をすることになりました。
 そこには先輩格の空穂助がおり、目利きの腕を上げる平蔵への妬みから、何かと嫌がらせを仕掛けられます。

 古筆の鑑定をめぐる、お宝鑑定団のような世界で巻き起こる話が、興味深く展開してきいます。

 貧しい平蔵の家族と、門跡の育ちで裕福な空穂助の違いが、その対照的な生き様に反映しているのです。
 この二人を軸にして、家族というものが、鮮やかに描かれています。

 平蔵にかけられたら濡れ衣は、無事に晴らされました。しかし、その顛末は非常に生彩を欠く描かれ方です。この作者は、どうも話の最後が締まりません。

 なお、この作品は、朝日新聞に連載中から読んでいました。
 ちょうど前年に私は、パリで『探幽筆 三拾六哥仙』を見つけて輸入したばかりだったので、古物に関心があったこともあります。
 しかし、まったく物語の内容を覚えていませんでした。
 ネタが興味深かっためだけで読んでいたようです。【3】
 
 
初出紙:朝日新聞(1994年12月22日〜1995年2月10日、朝刊)
単行本:1995年12月1日、朝日新聞社刊(書き下ろし「天路の枕」併載)
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2016年03月02日

読書雑記(156)マララ+クリスティーナ著『わたしはマララ』

 マララ・ユスフザイとクリスティーナ・ラムの共著である『わたしはマララ −教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』(金原瑞人+西田佳子訳、学研パブリッシング、2013年12月)を読みました。


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 インドを旅しながら読み始め、帰りの飛行機の中でも読み続け、日本に帰ってから読み終えました。こんな形での読書は初めてです。

 マララが生まれ育ったのはパキスタンです。1997年に、パシュトゥン人の村に生まれました。北部山岳地帯の、森と緑の中のスワート渓谷で育ったマララの目は、物事を素直に見つめます。貧しい生活の中で、苦労を重ねる父母を敬愛の目で見つめています。
 矛盾に満ちたパキスタンの社会の中で、現実と事実を冷静に見つめて語ります。
 どんな時にも、女の子に教育が必要であることを信念として持ち、教育の大切さを訴え続けています。
 本書の最後は、次の文章で閉じられます。


 言葉には力があります。わたしたちの言葉で世界を変えることができます。みんなが団結して教育を求めれば、世界は変えられます。でもそのためには、強くならなければなりません。知識という武器を持ちましょう。連帯と絆という盾を持ちましょう。
 親愛なる兄弟姉妹のみなさん、忘れてはなりません。何百万もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいます。何百万もの子どもたちが学校に通えずにいます。わたしたちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいます。
 そのために、世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。本とペンを持って闘いましょう。それこそが、わたしたちのもっとも強力な武器なのです。ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです。
 教育こそ、唯一の解決策です。まず、教育を。(424頁)


 この主張は、どのような恐ろしい状況においてもブレずに、この物語の芯として通っています。

 パキスタンの人々はウルドゥ語を使っています。
 今回私はインドへ行き、ウルドゥー語の祭典に参加し、アラハバードではウルドゥー語の文学を研究する村上明香さんのお世話になりました。これまでは、ヒンディー語のことしか知りませんでした。それに加えて、ウルドゥー語への興味も湧いてきました。もっとも、ヒンディー語もウルドゥー語も私には皆目わかりません。しかし、この興味を抱いたということは、私にとっては大きな進歩です。

 ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本が見つかったことも、ウルドゥー語に対する私の関心を掻き立てました。
 ヒンディー語とウルドゥ語は文字が違います。サヒタヤアカデミーが刊行したインド語訳『源氏物語』の中から、ヒンディー語訳(上段)とウルドゥー語訳(下段)の「桐壺」の巻頭部分を引きます。


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 文字は一見して違うことがわかります。インド諸言語の中でも、ウルドゥー語だけは右から左に向かって書くことも大きな違いです。

 しかし、話すと、口頭ではお互いの言語は通じるのです。
 実際に、村上さんがウルドゥー語で話していても、ヒンディー語を使う人にはヒンディー語として伝わるのです。発音と文字がこんなにも異なることを知り、不思議な言語だと思いました。

 ウルドゥー語でとヒンディー語は姉妹言語なのです。文語になると、ヒンディー語にはサンスクリット系の単語が入るそうです。アラビア語とペルシャ語が合体した言語だと説明されると、もう私にはパニックです。

 日記に関するくだりにも注意が向きました。これが、情報発信としてのブログとして展開していくからです。『アンネの日記』が引き合いに出されるのも、ごく自然の流れからです。


 日記を書いたことはそれまでに一度もなかった。どうやって書きはじめたらいいのかもわからない。パソコンはあるけど、停電がしょっちゅうあるし、インターネットにつなげる場所は限られている。でも、母の携帯電話にハイ・カカルから電話をかけてもらうことならできる。ただし安全のために、奥さんの電話からかけることになるだろう。ハイ・カカル自身の電話は、諜報機関によって盗聴されているから。
 電話を使って日記を書く手伝いをしてもらうことになった。ハイ・カカルが、その日の出来事についてわたしに質問する。わたしはそれに答えるとともに、ちょっとしたエピソードとか、将来の夢について語る。一回三〇分とか四五分の電話インタビューになるだろう。言葉はすべてウルドゥー語。ふたりともパシュトゥン人だからパシュトー語が母語だけど、ウルドウー語のブログなので、本人がウルドゥー語でしゃべったものをそのまま使ったほうがいいということになった。それからハイ・カカルが会話を文字に起こして、BBCウルドゥーのウェブサイトに週一回のペースで連載する。
 ハイ・カカルは、アンネ・フランクの話をしてくれた。戦争中のアムステルダムで、家族といっしょにナチスの迫害を逃れて生きていた、十三歳の女の子。アンネも、つらい日々の暮らしや自分の思いを日記に書いていたという。(207〜208頁)
 
 学校が閉鎖されてからも、わたしのブログは続いた。女子校閉鎖の日から四日後、さらに五つの学校が爆破された。(219頁)
 
 そういうことは、ブログにはいっさい書かなかった。このことがタリバンにばれたら、鞭打ちの刑が待っている。いや、もしかしたらシャバナのように処刑されるかもしれない。世の中にはいろんなものを怖がる人がいる。幽霊が怖いとか、クモが怖いとか、ヘビが怖いとか。あの頃のわたしたちは、人間が怖かった。(224頁)
 
 三月になると、わたしはブログをやめた。もう書くことはあまりなかだろうとハイ・カカルが判断したからだ。でも、恐ろしいことに、事態は前とほとんど変わっていなかった。変わったとしたら、タリバンが前にも増して凶暴になったということくらいだ。タリバンはいまや、国家公認のテロリストになってしまった。すっかりだまされた気分だった。和平協定なんて、形だけのもの。(227〜228頁)


 本書でマララは、女性の社会的な地位の低さと、男性社会では認知されていない存在であることを、さまざまな角度から語りかけます。
 同じ人間でありながら、その差別のありようは非常に具体的です。ただし、例があまりにも私が属する日本の社会とはかけ離れた話であるためもあってか、遠くの話として聞こえてくるのは何なのでしょうか。違いすぎるがために、かえって別世界の、遠い過去の話のように聞こえます。しかし、読み進むにしたがって、しだいに実感として実状が伝わってきます。説得力のある文章でつづられています。

 欲を言わせてもらえるならば、語り手と読者の距離を縮める仕掛けがあれば、もっと肌に突き刺すように伝わったのではないか、と思いました。
 さらには、写真の多用も効果があったことでしょう。巻頭にまとめて置くだけではなくて。

 9・11のこと、アルカイダのこと、地震のこと、宗教のこと、家族のこと等々、自分を中心にして広汎な視点で身の回りを見ています。世界を、社会を、自分が見たままに、思うがままに綴っています。私が新聞やテレビから知っていることとは違う、マララの視点からの報道は新鮮でした。

 タリバンがマララや周りの人々に行った行為も、冷静に綴られています。
 憎しみが言葉の背後に覆い隠されているようで、その点だけは作為を感じました。読者から共感を得ようとしたがために、赤裸々さが薄められているように思いました。おそらく、著者たちはそのような意識はなかったと思われますが……。

 マララが撃たれ、幸運にも命だけは助かったくだりも、淡々と綴られています。
 マララは物理という科目が大好きでした。理系の素養が、こうした語りを支えているのかもしれません。さらには、共同の著者がいたからでもあるのでしょう。マララ本人だけでは、これだけ自分を客観的には語れないと思うからです。

 その銃弾を撃たれた時のことに関して、世間の反応が本人でしか語れない視点で書かれています。


 ヤセームが新聞を持ってきてくれたので、父ははじめて世界の反応を知った。わたしが撃たれたことで、世界じゅうが激怒しているようだった。襲撃を、国連事務総長のパン・ギムンは「憎むべき卑怯な行為」と評し、オバマ大統領は「非難されるべき最悪の行為であり、これほどの悲劇はない」といった。
 ところが、パキスタン国内の反応は、そういうものばかりではなかった。わたしのことを、”平和の象徴”と表現する新聞もあれば、例によって、陰謀説を唱える新聞もあった。わたしが本当に撃たれたのかどうか怪しい、とブログに書く人もいたほどだ。書いてあることはデマばかり。とくに、ウルドゥー語の新聞はひどかった。男性があごひげを伸ばすのはよくないと、わたしがいったことになっていたりする。(345頁)


 入院先のイギリス・バーミンガムでは、周囲の配慮が語られています。


 そのときそばにいたジャヴィド先生は、不安ととまどいに満ちたわたしの表情が忘れられないという。先生はわたしにウルドゥー語で話しかけてくれた。そしてわたしがわかったことはただひとつ。神様がわたしに新しい命をくれたということ。頭にスカーフを巻いたやさしそうな女の人が、わたしの手を取って「汝に平穏あれ」といった。イスラムの挨拶の言葉だ。それからウルドゥー語でお祈りをして、コーランを唱えてくれた。ナースの名前はリハンナ。イスラム教の聖職者だという。そのやさしい声をきいているうちに気持ちが落ち着いてきた。わたしはまた眠りに落ちた。(356〜357頁)


 マララを撃った銃弾は、マララの左目の脇から飛び込み、左肩で止まったのです。父はマララが意識を取り戻したことに安堵しながらも、失明するかもしれないことに狼狽えます。このくだりは、マララではなくて共著者であるクリスティーナ・ラムが書いた箇所ではないかと個人的には思われるので、参考までに引いておきます。
 なお、クリスティーナ・ラムは巻末の謝辞の末尾で「マララの物語をいっしょに書かせてくれて、本当にありがとう。」(413頁)と言っています。


 マララは目がみえなくなってしまうのか? 愛する美しい娘が、一生光のない世界を生きることになるのか? 「お父さん、ここはどこ?」とききながら歩きまわるのか? むごい。そう思った父は、そのことだけは母にはいえなかった。いつもなら隠しごとはできない人なのに。そのかわり、父は神様に祈った。「神様、ひどすぎます。娘にわたしの目を片方やってください」でも、父はもう四十三歳で、目はあまりよくない。その夜、父は眠れなかった。次の朝、父は護衛の軍人に電話を借りて、ジュナイド先生にかけた。「マララの目がみえなくなったときいたんですが」沈んだ声できいた。
 「まさか、そんなことはありませんよ」ジュナイド先生は答えた。「読んだり書いたりできています。目がみえないわけがないでしょう? マララのようすは、フィオーナ先生からこまめに連絡をもらってきいています。マララがはじめに書いたメッセージは、お父さんのことだったそうですよ」

 目はみえていた。遠く離れたバーミンガムで、わたしは鏡をみたがっていた。「鏡」とピンクのノートに書いた。自分の顔や髪がどうなっているのか、みたかった。ナースが小さな白い鏡を持ってきてくれた。その鏡はいまも持っている。自分の顔をみたときはショックだった。(363頁)


 いろいろな意味で、マスコミを通してしか知らなかったマララ・ユスフザイという一人の女性を、私は誤解していました。マスコミなどが英雄視して取り上げすぎたことが、その原因だと思われます。
 よくありがちな、情に流され、情に訴えることによって構成される、テロと悲劇の生い立ちを語るものだと思っていました。しかし、それは違っていました。また、父親の存在があらためて大きいことにも気づきました。
 記憶に残る、いい物語を読みました。

 そして今、私はマララ(呼び捨てですみません)に、ウルドゥー語訳『源氏物語』を読んでもらいたいと思っています。この物語をどう思いますか? と尋ねたいのです。日本をどう思っていますか? と聞きたいのです。どなたか、この思いをマララに伝えていただけたら幸いです。【5】
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2016年03月01日

江戸漫歩(123)新宿「思い出横丁」のうなぎ専門店「カブト」

 新宿の「思い出横丁」には、海外から帰った時や、大きな仕事が終わると行きたくなります。
 いつもは線路際の「岐阜屋」へ直行です。
 しかし、「カブト」がうなぎ専門店として話題になっていたので、かねてより気になっていたこともあり、中通りのお店に初めて行きました。
 昭和23年の創業だとのことで、私よりも先輩です。


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 コの字のカウンターには、10人ほどしか座れません。
 天井を見上げると、レトロな傘と電球が煙で真っ黒にタレ漬け状態になっています。
 よく漏電しないものだと、まず感心しました。

 「一通り」というコースを注文することから始まります。
 7本の串に5種類のうなぎが突き刺さって出てきます。
 うなぎのいろろいな部位を楽しめます。


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 うなぎの頭のえり焼きは、口の中で骨が気になり、いただくのが大変でした。
 肝焼きを追加で注文しました。

 飲み物は焼酎をいただきました。
 かつて「岐阜屋」がそうであったように、グラスから受け皿に溢れ出るほどに、なみなみと注がれます。しかもストレートで。

 目の前の醤油注しに、中華のお店にあるラー油のような液体が入っていました。帰り際に聞くと、焼酎に垂らす梅エキスだとのことです。
 隣にいたおじさんが、飲み終わった私に、その梅エキスを垂らした焼酎を少し分けてくださいました。ご親切に感謝。血糖値を気にしている私には、やや甘すぎるようです。

 楽しいお店が、また一つ増えました。
posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | 江戸漫歩