2016年02月29日

京大病院での検診後に薬の調剤が変化する

 賀茂川で、仲睦まじい鴨を見かけました。
 その表情がいいのです。


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 「カモ類の識別」というサイトに、雌雄の見分け方が掲載されています。


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 これによると、雄が雌に声をかけている場面、ということになります。
 この後どうなったのか気になるところです。

 「カモ類の識別」に例示されている鴨たちがいる馬見丘陵公園は、大和平群にいた頃、子どもとお弁当を持ってよく遊びに行った、北葛城郡河合町にある公園です。
 そこの花菖蒲園には、「紫式部」「紫の上」「夕霧」「清少納言」などなど、雅な名前の菖蒲が咲き誇っていたことを思い出します。

 この馬見丘陵公園のすぐ南には、『竹取物語』の舞台とされる竹取公園と讃岐神社があります。スペインにいらっしゃる高木香世子先生を、この『竹取物語』の地に娘と一緒にご案内したことがあります。しかし、その時の記事はサーバーがクラッシュしたために、今では読めない話となっています。写真はあるので、またいつか復元します。

 さて、今回の京都大学病院での検査は、いつもの糖尿病栄養内科ではなくて、消化管外科の定期検診でした。ガンに関しては、一応卒業との宣言を昨夏受けました。しかし、念のために春と夏の年2回は様子見の検査を受けて、不測の事態を回避するようにしてくださっています。

 1日がかりで、検査と診察と投薬を受けました。
 血液検査は、受検者があまりにも多すぎたため、結果は午後までかかるとのことです。先に診察でいろいろなアドバイスをいただきました。
 結果的には、特に問題はありませんでした。

 今、特に体調で困っていることはありません。主治医の先生も、インド帰りにしては顔色がいいですね、とおっしゃっていました。
 そうなのです。インドへ行くと、毎日薬膳料理をいただくせいか、体調がよくなります。

 気になることを強いてあげれば、鉄分の欠乏を食事でどう補うか、ということでしょうか。
 具体的に何か症状があるわけではないのです。しかし、常に検査結果の説明で鉄分が欠乏気味だと言われるので、何か方策はないものかをお聞きしました。

 試しに、鉄分補給のサプリメントを飲んでみることになりました。これは、糖尿病栄養内科の先生からも提案があったことです。しかし、薬を増やすことは、もう少し先に、ということに留めていました。自分の名前に負けていることを認めたくない、という思いもありました。

 何事もやってみようと思う質なので、今回から「フェロ・グラデュメット(硫酸鉄)錠105mg」を、朝食直後に飲む提案を受け入れました。

 また、これまで毎食後に飲んでいたビタミンB12対策の「メチコバール」という薬は飲まなくてもよくなりました。
 私は消化管がないので、経口錠では吸収の効率が悪いのだそうです。腸だけではほんの少ししか取り込めないとのことです。
 そこで、半年ごとにビタミンB12の注射をすることで、吸収効率を良くすることになりました。腕への筋肉注射です。注射によるビタミンB12は肝臓に蓄えられ、少しずつ消費されていくとのことでした。

 逆流性食堂炎の対処として朝食後に飲んでいた「ランブラソゾール」も、先月から飲んでいません。
 薬の機能が上がったのか、それとも病状への対処が良くなったのか、とにかく薬が減ることは大歓迎です。

 インドで生ジュースを飲んだ話をしました。私は、危ないと言われている生ジュースにも、なぜかお腹を壊さないのです。医学的には消化管の有無は関係ないので、原因は不明だそうです。これも、いつか解明したいと思っています。

 そんな雑談も交えながらの診察を受けています。ガンについては転移も再発も心配なく、消化管を切除したことによる食生活のことだけに気をつけていけばいいようです。
 あとは、血糖値の管理です。これも、2週間後にまた検診があります。ヘモグロビン A1cの値は決してよくはないものの、大きな変化はないので、様子見をしているところです。
 
 最終トラックの周回は、病気に関しては無理をしない生活を心がければ問題はない、ということのようです。
posted by genjiito at 21:18| Comment(0) | 健康雑記

2016年02月28日

「第26回京都視覚障害者文化祭典」でお茶をいただく

 明け方7時前に、比叡山と吉田山の間から朝日が昇るのを、賀茂川散歩の途中で見ることができました。


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 出雲路橋の下では、白鷺が朝食をさがしています。


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 下鴨神社の西の鳥居では、その間からちょうど朝日が顔をのぞかせていました。


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 真っ直ぐ境内を突き抜けると、御手洗川には光琳の梅が咲き掛かっています。


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 気持ちのいい朝です。

 お昼前に、京都ライトハウスで開催中の「第26回 京都視覚障害者文化祭典」に行きました。
 いつも情報収集などでお世話になっている方や、ボランティアの方々からお話をうかがいました。
 「京都ライトハウスで体験三昧」(2015年10月25日)で知り合った方や、「京都ライトハウスでの点字百人一首体験会に参加」(2015年11月07日)で同席した方にも会えました。

 こうした催しは、いろいろな方と得難い出会いの場になります。お元気な姿を見かけると安堵します。


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 音楽は、幅広い人が楽しめるものであることを、あらためて実感しました。
 マトリョミンという楽器は手のひらで操作して音が出せるので、目が見えなくても自由に演奏ができるようです。

 女性部が和室で「お茶席」を設けておられました。
 前回この京都ライトハウスでお茶をいただいたことは、「「第25回京都視覚障害者文化祭典」で弱視の方のお点前をいただく」(2015年03月01日)に記した通りです。
 今回も一服いただきました。
 表千家のお点前です。

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 いつも思います。茶杓の扱いと柄杓でお湯を注ぐことは、目が見えないと大変です。
 先生も、そっと介助をなさっています。
 結構なお点前でした。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年02月27日

科研(A)「海外における平安文学」第7回研究会(京都)

 京都駅前のメルパルクで、総合研究大学院大学文化科学研究科の教授会がありました。毎年、秋は東京、春は京都でと、交互に開催されます。

 それが終わってからすぐに、駅前のキャンパスプラザ京都で開催される、伊藤科研(A)の研究会会場に移動しました。

 プログラムは次の通りです。


2015年度 伊藤科研 第7回研究会
 「海外における平安文学」

■内容(発表者の敬称略)
16:30〜16:35
・挨拶(伊藤鉄也)
16:35〜16:40
・2015年度の研究報告
  (淺川槙子)
 科研サイトの運営報告
  (加々良惠子)
16:40〜16:45
・2016年度の研究計画
  (伊藤鉄也)
16:50〜17:05
・「インド報告」
  (伊藤鉄也)
17:05〜17:30
・「ウォッシュバーン訳の問題点」
  (緑川眞知子)
 17:30〜17:45
・「〈国際日本研究〉と日本文学研究
     ―近時の体験と実見から―」
  (荒木浩)
17:45〜18:00
・諸連絡



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 私は、アラハバード大学図書館で見つけた、ウルドゥ語訳『源氏物語』のことを報告しました。

 緑川先生は、昨年夏に米国で刊行されたウォッシュバーン氏の英語新訳『源氏物語』の特徴を論じてくださいました。

 荒木先生は、ご自身で見聞きしてこられた、最新の海外における平安文学研究の実情を報告してくださいました。

 新鮮な視点から見た平安文学の事例の検討や、なかなか得難い海外研究情報を、研究会のメンバーで共有することができました。
 この研究会報告は、科研のホームページである「海外源氏情報」に後日掲載されます。

 この科研ならではの海外情報満載の討議の中に身をおき、居ながらにして贅沢な時間を持つことができました。

 さらに打ち合わせを経て、無事に終わってからの懇親会も、刺激的な話題で盛り上がりました。特に、今秋行く予定のインドの話は、みんなで楽しく語り合いました。

 この科研のメンバーは、各自が研究分野を異にすることもあって、実に話題が豊富です。すばらしい研究仲間が集まり、自由気ままに語ることのできる研究会を開催できることの幸せを、身にしみて感じました。

 参加してくださった先生方には、あらためてお礼もうしあげます。

 この科研も、あと1年となりました。

 これまで同様に温かいご支援をいただく中で、さらなる研究成果につなげていきたいと思います。
posted by genjiito at 01:36| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年02月26日

読書雑記(155)サンジーヴ・スィンハ『日本とインドは最強コンビ』

 インドへの新たな視点を求めて、サンジーヴ・スィンハ著『日本とインドは最強コンビ』(2016.1、講談社+α新書)を、インドへ行く直前に読みました。


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 「まえがき」に書かれた次の言葉が、本書の視点と意図を明確に語っています。

「本書では、日本で暮らし働く、インド人の目から見た日本の素晴らしさと、インドと日本の関係、その親和性について、私の思いを記しました。読み終えたとき、みなさんがみなさんの日本を「再発見」してもらえたら嬉しく思います。」(5?6頁)

 第一章「日本で暮らすインド人の感想」は、典型的な日本礼讃です。非常に表面的で個人的な印象批評なので、薄っぺらく感じました。
 これは、本書が対象としている読者と私の意識の違いでもあります。
 そんな違和感を覚えながらも、メモしておくべき箇所を引用しておきます。

 日本の生活に慣れると、当たり前のように思っていることも、次のようにあらためて指摘されると、なるほどと日常を見直すことになります。

「ナビゲーションのアプリも便利です。行き先を入力すれば、どの電車に乗って、どの駅の何番出口を出て、そこからどんな道順で行けばいいのかを親切にナビゲートしてくれます。
 こうしたことは、インドでは不可能なサービスでしょう。インドにもスマートフォンはありますが、地図にあるとおりに道が作られていないことが多いのです。最新情報も入ってきにくい。だから、ナビどおりに歩くことができないわけです。日本でナビのアプリが役立つのは、計画どおりに街が作られているから。電車の運休情報なども、すぐに知ることができます。」(36頁)

 次のくだりは過大評価だと思います。しかし、そうした面は、今インドから帰ったばかりの目で日本を見ると、確かにあることは事実です。全国至る所でそうだとは言えないにしても。

「現時点でも、目の不自由な人が普通に電車の乗り降りをする光景はよく見かけますし、車椅子でも駅員さんの協力で電車を使うことができる。日本で生まれ育った人には当たり前のことかもしれませんが、インド人の私から見ると「なんて素晴らしいんだろう」と思います。
 社会のシステムにおいて、「体の不自由な人に、いかに不便を感じさせないか」というマインドが共有されているのです。」(39頁)

 第二章「インド進化の裏側」は、インドをネガティブに見すぎているように感じました。インドのよさを、インドの自慢をもっと聞きたくなります。著者は日本に馴染むうちに、日本的な思考に毒されたのかもしれません。

「「国際会議では、日本人に発言させることと、インド人を黙らせることが最も難しい」というジョークもあるほどで、それくらい、インド人は自己主張が激しいのです。」(48頁)

「格差社会ということもあり、「人を見た目で判断するな」ではなく、「人を判断するには見た目から」がインドなのです。」(77頁)

「道路が整備されていないのは仕方がないことで、仕方がなければあきらめてしまうのがインド人なのです。」(83頁)

 第三章「「瞑想の国」ニッポン」は、またまた日本を誉め殺しにしています。余計なお節介だと言いたくなるほどです。インドにたいする自虐的な物言いも気になりました。

「日本のみなさんは、自分が住んでいる社会がいかに恵まれたものであるか、時には思いを馳せてみてもいいのではないでしょうか。」(90頁)

「実際、インド人にはオリンピックで活躍した選手がほとんどいません。人気があるのはクリケットを筆頭に、バドミントン、ビリヤード、射撃など……しかし、あまり激しく体を使うものではありません。
 しかも、人気があるのは個人競技ばかりです。クリケットは団体競技ですが、チームワークや連携は必要ありません。議論好きな国民なので、一致団結するというのが苦手なのかもしれません。」(94頁)

 第四章も、日本礼讃です。スティーブ・ジョブズの例は、的確な譬えです。

「日本はジョブズのようなカリスマに引っ張られなくても、みんなの力でうまくやっていくことができる社会を作り上げたのです。いってみればカリスマがいらない国、ジョブズのようにはなれない大多数の人々にとって生きやすい国……それが日本なのです。」(126頁)

 第五章「インドと日本は最強のコンビ」は、もっと日本の実態に切り込んで語ってほしいと思いました。分析不足です。日本の仏教の理解には首を傾げます。

「仏教といえばインドが発祥の地ですから、インド人が日本のお寺に行きたがるというのは不思議な感じがするかもしれません。しかし、いまのインドの仏教は、多分に政治的な色合いを帯びてしまっているのです。というのも、仏教関係者は自分たちの票をどう使うかを考えていますし、政治家たちは、どの党が仏教関係者の票を獲得するかに腐心しています。つまり、仏教の存在が「利
権」になってしまったのです。
 そう考えると、日本の仏教には宗教としての純粋さが残されているように感じますし、何より自然と一体化しているところが素晴らしい。山のなかにあるお寺も多いですし、変に近代化することなく、昔のままのお寺が残されています。
 この、自然とともにある信仰こそがインドの仏教も見習うべきところで、実際に、インドの仏教関係者が日本のお寺を訪ねて勉強することもあるほどです。
 インド人にとって、仏教は宗教というより哲学として尊敬を集めているところがあります。ただ、そこで失われてしまった部分もある。それが日本に残っており、仏教の大切な部分を守ってくれたという思いが、インドの仏教関係者にはあるのです。」(151頁)

「たとえばインドでは、なんでも「とりあえず」で始めてしまいますし、完壁であるかどうかにはこだわりません。とりあえずなんとかなればいい、と考えるのです。
 材料が少しばかり違っていても構わないし、ちょっとしたミスは気にしない。結果、インドのビジネスには中長期的な持続性が欠けてしまうきらいがあります。インド経済の成長性が落ちてきているのも、そのせいではないかと考えます。
 インドには、「完壁を目指すためのシステム」がない。そしてそれこそが、日本の際立った優秀性なのです。」(159頁)

 私にとって、よくわからない箇所を引用しました。しかし、次の移民に関する指摘には同感します。

「移民をオープンにすると、日本にも貧しい国からたくさんの人たちがやって来ることになるでしょう。まして日本は弱者に優しい国です。アメリカには、成功を夢見る野心的な人、つまり強い人が集まりやすいのですが、日本ではそうならない。むしろ弱い立場の人たちが集まってきやすいといえるでしょう。
 それは彼らのためにはいいのですが、日本の社会や経済を盛り上げるパワーにはならないはずです。そこに、日本の移民政策の難しさがあります。
 マナーなどに関しての意識が高く、その感覚も均一的なのが、日本のいいところです。しかし、外国人がそれに合わせるとは限りません。」(180頁)

 何かと立ち位置の違う著者に反応し過ぎたかもしれません。
 しかし、本書を読んでの素直な感想と、その根拠となる箇所を引用しました。

 インドを新しい視点で見つめ直して行こうと思って読みました。しかし、私にはあまり参考にはなりませんでした。

 今、インドから帰ってきて、やはり本書の論調は今のインドを反映していないと思っています。感覚的なことなので、これ以上は述べません。【1】
posted by genjiito at 00:34| Comment(0) | 読書雑記

2016年02月25日

インド・デリーの点字ブロックなどには要注意

 例えば、目が見えない方をインドのデリーに案内したとします。
 白杖を持って歩く際に、いろいろと日本とは状況が違うことが歴然としています。

 メトロには、点字板や点字ブロックが設置されています。
 カイラーシュコロニー駅に設置されているエレベータには、こんなボタンがありました。
 点字が添えられています。それも、シールが貼られているのではなくて、ボタン自体に加工が施されています。
 公共交通機関での写真撮影が煩いので、ゆっくりとカメラを構えることができず、ピンボケです。

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 これは、2010年10月3日から14日にかけて、インド・デリーで第19回コモンウェルスゲームズが開催されたことによる成果です。開催地決定の基準の中に、障害者に対する対策が必要事項として入っており、その条件を充たすために急遽対処されたものだそうです。

 ただし、街中はデコボコ道で石やレンガがゴロゴロ転がっています。
 段差や障害物も多いので、白杖があっても、よほど慣れていないと一人では歩けません。
 実際に、このカイラーシュコロニー駅の改札を出ると、もう障害物競走の世界が展開します。
 目が見えていても、段差はもとより、サイクルリキシャや呼び込みのお兄さんなどを避けながら歩くことになります。

 国際交流基金ニューデリー日本文化センターの最寄り駅となる、メトロのムールチャンド駅の改札を出ると、こんな点字ブロックがあります。

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 これでは、点字ブロックを信じて歩いて行くと、壁に突き当たり、柱にぶつかります。

 盲学校である「ザ・ブラインド・レリーフ・アソシエーション」の校門に行くまでには、次の点字ブロックを頼りに歩くことになります。
 これでは、道の状態をあらかじめ熟知していないと、とても危なくて歩けません。

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 目の見えない方に対する街中での配慮はもとより、学校などでの教育も、まだまだ障害のある方に対しては指導が行き届いていないようです。

 地方ではどうでしょうか。
 今回、アラハバードへ行きました。
 ほとんど手付かず、というのが実状のようでした。

 悠久の時間が流れている、と言われるインドです。
 インドの人々は、時間はかかっても、着実に1歩1歩進んで行かれます。
 気長に、教育と施設の整備を待つことになりそうです。
posted by genjiito at 00:54| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年02月24日

収穫の多かったインドから帰国の途につく

 クマール君と一緒に盲学校から宿までの帰りは、ナンディ先生を御自宅の近くまでお送りしました。


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 ナンディ先生はクマール君の日本語指導をした先生なのです。オートリキシャの中では、そんなネルー大学時代の話に華が咲いていました。そして、当時の同級生や先輩後輩の話まで。

 WBC(World BudhistCentre)から空港までは、宿の前からタクシーを使いました。クマール君は、空港まで見送ってくれました。

 空港で食事をしようとしたところ、見送りエリアには軽食スタンドしかありません。サンドイッチとチャイを飲みながら、今後のことなどなど、いろいろな話を30分以上もしました。
 お互いに別れづらいところを、思いきって私の方から搭乗口に入りました。

 いつもはチェックインから搭乗ゲートまでに、何かとトラブルがあります。しかし、今回は不思議なほどに何もなく、スムースに機中におさまりました。
 今回の旅を象徴するような出国です。

 離陸は予定通り20時20分。
 今回のJAL便は、いつもよりゆったりとしていました。
 フライトマップも多機能で、飛行中にいろいろな情報が確認できます。
 今回足を留めたのは、デリーとアラハバード(地図ではアッラハーバード、イラハバードとも言う)の2都市です。


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 上海上空から見下ろすと、こんな光の線画が大地に描かれていました。


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 水平線から朝日がオレンジ色の光の帯を見せています。


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 デリーの朝晩は10度、日中は29度でした。
 成田の朝は、デリーよりも寒い7度でした。
 東京の日中は13度の予報です。
 気温の変化と気持ちの緩みに気をつけて、また飛び回る日々に戻ります。
posted by genjiito at 00:30| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年02月23日

海外における平安文学」研究会(京都開催)のお知らせ

 開催日直前のお知らせとなり恐縮です。
 下記の通り、「海外における平安文学」に関する研究会を開催します。
 これは、私が取り組んでいる科研(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(課題番号:25244012)における研究成果を報告し、意見を交歓する集まりです。
 夏に東京で、春に京都でと、年2回開催して来ました。
 今回で7回目となります。

 本科研の研究分担者、連携研究者、研究協力者12名が集まる小さな研究会です。
 もし今回の発表内容に興味と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、2月25日午後3時までに、本ブログのコメント欄を利用して、参加の意向をお知らせください。
 懇親会のみの参加も歓迎します。
 資料等を東京で準備して京都入りする都合上、早めの連絡をお願いします。
 なお、急な予定変更等があり得ますので、ご所属とお名前及びメールアドレス(あるいは携帯番号)などをお知らせいただくと、ご迷惑をおかけしないですむと思います。
 ご理解とご協力のほどを、よろしくお願いいたします。




 2015年度 伊藤科研
  第7回研究会
海外における平安文学


■日時:2016年2月26日(金)16時30分〜18時

■場所:キャンパスプラザ京都 第2演習室(5階)
(所在地)京都市下京区西洞院通塩小路下る東塩小路町 939
(Tel)075−353−9111
(URL)http://www.consortium.or.jp
(アクセス)京都駅から徒歩5分

■内容(発表者の敬称略)
16:30〜16:35
・挨拶(伊藤鉄也)

16:35〜16:40
・2015年度の研究報告
  (淺川槙子)
 科研サイトの運営報告
  (加々良惠子)

16:40〜16:45
・2016年度の研究計画
  (伊藤鉄也)

〈休憩(5分)〉

16:50〜17:05
・「インド報告」
  (伊藤鉄也)

17:05〜17:30
・「ウォッシュバーン訳の問題点」
  (緑川眞知子)

 17:30〜17:45
・「〈国際日本研究〉と日本文学研究
     ―近時の体験と実見から―」
  (荒木浩)

17:45〜18:00
・諸連絡


※懇親会について
 「酒菜 乗々」
(所在地)京都市下京区西洞院通七条下る東塩小路町607-10
     サンプレ京都ビルB1F
(Tel)050-5799-2164
(URL)http://r.gnavi.co.jp/k935400/
(アクセス)京都駅から徒歩5分
(時間)18時30分〜2時間程度
(会費)一応、5,000円をご用意ください。
posted by genjiito at 19:12| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年02月22日

インドの盲学校で手書き文字についてミッタル先生と議論する

 盲学校へ行こうとしてお寺のロビーに降りると、ちょうど寺沢上人がお着きになったところでした。
 私が「ソーナの温泉に連れて行っていただきました」と挨拶をすると、「そうでしたね、ずいぶん前のことですね」と、相変わらず柔和な笑顔で応えてくださいました。
 お元気で活躍なさっているようです。
 世界の平和を日々実践を通して願っておられる姿を、私は畏敬の念で見上げています。人間の盾となって紛争阻止の行動を起こしておられるお姿は、日本の報道でも紹介されていました。

「【日本の実力】第8部 草の根平和運動B紛争地で平和祈る僧(半沢隆実 共同通信記者)」(2010年8月27日)

 これから私は日本に帰るところです。寺沢上人は明日日本に行かれるそうです。ご一緒できなくて残念です。日本での滞在先をうかがったので、可能であれば日本でもお目にかかりたいと思っています。
 寺沢上人からは、挫けない気持ちを保つ心構えを、ぜひとも伝授していただきたいと願っています。
 慌ただしく外出なさる直前のことながら、一緒に記念撮影に応じてくださいました。
 優しいお気持ちは、上人のお顔に滲み出ています。ありがとうございました。


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 盲学校では、クマール君が待っていてくれました。デリー市内の渋滞に巻き込まれ、私は少し遅れて盲学校に着きました。
 先日お話をうかがったパンディ先生に加えて、仲立ちをしてくださった日本語教育担当のナンディ先生もご一緒です。ナンディ先生は日本人です。クマール君をネルー大学で教えた先生であり、タリク君も教えていたことがわかりました。人と人とのつながりは、不思議な糸で結ばれていることを実感します。

 まず確認したことは、インドでは先天盲の方と後天盲の方の比率です。これは、だいたい半々ではないか、とのことでした。日本では先天盲の方は1割位ではないか、と言われています。つまり、9割方が中途失明であることが、点字習得者は1割だろうといわれる理由でもあります。後天盲の方は、かつて文字が読み書きでき、その文字のイメージがあるので、点字を学習して習得するモチベーションが低いのです。点字が読めたとしても、書くまでには至らないと言われています。
 このインドと日本の先天盲の比率の違いは、今回私が課題として来た問題に大きな影響を与える一つとなりそうな感触を得ました。

 話始めてから、文字の専門家である A.K.ミッタル先生も参加してくださいました。ミッタル先生は最初から目が見えなかった方で、世界盲人連合(World Blind Union)のインド代表という立場の先生です。
 こうして、盲教育を牽引する3人の先生方という、豪華なメンバーで話し合いをすることになりました。(写真は右から、パンディ先生、ナンディ先生、ミッタル先生、私です。)


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 ミッタル先生は、私の説明を聞いてすぐに、それは点字の歴史に逆行するものである、点字ができる前の時代の動きをやろうとしている、と厳しく指摘されました。また、立体コピーについては、本が厚くなるだけなので、実践的ではない、義務教育で使えるだろうか?とも。イメージ全体を理解できるとは思えないからだそうです。
 それでも、中途失明者、後天盲の人には役にたつかもしれない、という理解はいただけました。

 こうした反応には馴れているので、今取り組んでいることは、おっしゃるように100年前の版木に文字を彫ったものの復活ではなくて、最新の技術と機器を活用した道具で、新たにスタートするものであることを説明しました。環境が変わったことを中心にした説明です。

 ミッタル先生から、彫った文字を読むことは失敗だったということを前提にして、点字にまさるものはないという論理が、日本に留まらずインドでも出てきたのには少なからず意外でした。

 この考え方の行き違いについては、私が長々と説明した後で最後には了解していただけました。そのためには、絵や図形の認識の必要性を間に挟むことで、手書きの文字の認識に理解をつなげることを力説したのです。
 日本でも同じ論法で、これまで積み上げてきた点字の功績を否定するものとして理解されることが多いのです。
 そうではなくて、点字で表記できないものや、過去の手書き資料や文書を読むことの意義を強調しました。先天盲の方には文字の姿形がインプットされていないことを前提にした、フォントのイメージを持ってもらう手段を模索していることも伝えました。

 このレベルの話に展開した後、ミッタル先生は4日前に IIT(インド工科大学)で開催されたイメージをテーマとする会議でワークショップをなさった話も、詳細に話してくださいました。目が見えない人に、形をイメージとしてどう活かすかを議論したそうです。
 その流れで、イメージのありかたについても、ミッタル先生とお互いの意見交換をしました。私は、あくまでも、変体仮名のような形をイメージできるようになる教育方法を模索している立場からです。先生は、図形の認識の視点からお話をしてくださいました。この点では、意見は噛み合ったので安心しました。ただし、先生は実践を重視なさるので、簡単な図形を触ることの重要性を強調なさいました。私が言う仮名文字は、先生にとっては複雑すぎるとおっしゃいます。「シェイプ」ということばを頻繁に使って説明してくださいました。この「シェイプ」ということばが、ミッタル先生とお話をする際にはキーワードになるのです。


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 私は、イメージとして図形を認識することについて、あくまでも日本の変体仮名を例にして説明しました。もちろん、地図や彫刻を触る広瀬浩二郎さんの手法も話題にしました。これについては、通訳をしてくださった先生とクマール君の理解に届かないものだったのか、先生の表情からお察しするに、うまく伝わらなかったかもしれません。私の言うことは、サインには使えるだろう、とおっしゃったので、そのように感じました。

 次回、機会があれば、このことについて先生とお話をしたいと思います。きっとわかってくださるという確信は得られましたので。

 その時の私の説明で、例えば、700年前の鎌倉時代に書かれた『源氏物語』の写本を読むためには、点字だけでは対応できないことを伝えようとしました。そこで、変体仮名という手書き文字の図形認識が必要になります。そして、これが現在の日本では可能になっていることを、渡邊さんや尾崎さんとの取り組みを通して、具体例を上げて詳細にお話しました。

 そんなものを目の見えない者が読む必要があるのか、との反論を、ミッタル先生からいただきました。これについては、指で触読する可能性と文化理解の問題である、という観点から説明しました。特に、手書きの文字が読めることは、コミュニケーションの広がりと、書き継がれてきた文字の文化を理解するスタート地点に立つことになります。その、先人によって書き継がれてきたものを触読して継承することは、温故知新の文化理解につながります、と。

 この手書き文字を読む、という展開になったときに、驚くべきインドの事情を知らされました。
 それは今、インドでは、ヒンディー語で使用するテーバナーガリー文字を手で書くことはほとんどない、ということなのです。すべて、印刷された文字である活字として読まれていて、書ける人は少ないそうです。書くとしたら、英語なら、とも。

 日本の書道の例をあげると、わかっていただけました。文字に美を読むからです。文字の美しさを感じることは大切だという点では、お互いに納得しました。しかし、ヒンディー語ではそれは求められていないのでした。
 ただし、ウルドゥー語には、日本で言う書道があるそうです。これは、先日行ったウルドゥー語の祭典の会場で見かけました。あの時は、日本や中国でよく見かける、いろいろな色を使ったグラフィク文字としか見ていなかったからです。ウルドゥー語の新聞がこの装飾的な文字を取り上げていたことと、石版によるリトグラフの話にも発展しました。

 そこから、アルファベットなどの装飾文字としての花文字の話にもなりました。
 ただし、ヒンディー文字に関しては、この文字に美を感じるという説明が通用しない現実を知らされました。
 私が言わんとすることはわかった。納得できた。しかし、今インドでは、手書き文字の読み書きは必要ない社会になっている、地方なら話は別だ、と言われると、私としては絶句するしかない状況に置かれました。衝撃的な内容だったのです。文字を手で書き、さらにそこに美しさを求めるということは、社会的な取り組みも今後ともなされないだろう、とおっしゃいました。

 ヒンディー語の立体コピーも持参していたので、それを触っていただいた時でした。ヒンディー語を触読する意味はない、と断言なさいました。もっとも、古い文献を読む時には役立つかもしれないが、とも。これは、サンスクリット文字のことになります。ヒンディー語で使うテーバナーガリー文字は、音声的な文字です。そのことから、インドでは英語のアルファベットの方が触読の意味はありそうだ、ということになりました。また、触読のテストをしてのデータは集めやすいだろう、とのことです。
 アルファベットのABCを使った立体コピーは用意して来ませんでした。世界的に意味があるのであれば、今秋インドに来る時に持ってくることにしましょう。

 また、日本点字図書館の理事長である田中徹二先生が、今回持参した古写本『源氏物語 須磨』の数文字を、北海道でお目にかかった時に触読なさったことをお話すると、私の説明を聞く姿勢が心なしか変わったように思えました。それは、ミッタル先生が田中先生をご存知だったからです。

 この変体仮名というイメージを、最初から目が見えない私などにどう植え付けようと考えているのか、という質問になりました。これは、理解を示してくださったからこその質問です。私は、今、書写という文字をなぞる練習をする中で可能だと思っていることをお伝えしました。左手で立体コピーを触読し、右手には「ゆび筆」という物をはめて同じ文字を書くことで、イメージとして文字を覚えることができるようになるはずだ、と説明したのです。すると、筆とはどんな物かと聞かれたので、これはパンディ先生とナンディ先生が詳しく説明してくださいました。

 また、名古屋工業大学の森川慧一君が開発したタッチパネルを触って、古写本に書かれている文字を音として聞き、説明も聞けるシステムの話もしました。すると、さらに耳をそばだてて質問が続きました。一通り説明してから、今秋またデリーに来るので、その時に開発したタッチパネルを持参する約束をしました。これはおもしろくなりました。もっと話を聞いてくださることになったのですから。
 とにかく、音でサポートすることに関しては、共通理解を得られることになりました。ヒンディー語では、この音を使った支援は重要だと痛感しました。もっとも、このタッチパネルで文字の説明をする時には、英語でしてくれ、との注文を受けました。これは大変な課題です。

 さらに、ヒンディー語ではコンピュータで文字を読み取ってテキストにするOCR技術は、まだ対応できていない文字があるので課題が残っているそうです。この点も、目が見えない方にとっては問題点として残っているようです。

 とにかく、パンディ先生、ナンディ先生、クマール君に代わる代わる通訳していただいたこともあり、ミッタル先生に私がやっていることとその考え方が、どの程度伝わったのかよくわかりません。
 しかし、日本から目が不自由な方々のことでインドを訪問したことに感謝のことばをいただきました。これまでになかったことだから、と。
 このお礼のことばを聞いて、こちらの考えがおおよそ伝わったことを感じました。
 そして私からは、こちらこそ、ざっくばらんな話ができたことに、感謝の気持ちを伝えました。

 今あの時間を思い出そうとしても、なかなか再構成できません。必死になって対応したからでしょう。しかし、お互いに前向きに理解しあえたことは確かです。

 インドを代表する世界盲人連合(World Blind Union)のメンバーであるミッタル先生と、お話から議論へと展開する機会を得て、この問題ではずぶの素人ながらも現在推進していることをお伝えできたことは幸いでした。突然に設定された話し合いの場だったのですから。
 ミッタル先生にとっても新鮮だったようです。この若造(?)が、と思いながら対応してくださったことでしょう。しかし、今取り組んでいることを具体的に示せる私にとって、怖じ気づくことなく先生に真っ正面から体当たりしたつもりです。インドにとって大きな存在の先生なので、私などが遠慮することはかえって失礼です。知らないことの強み、と言えるかもしれません。

 日本に帰った直後でもあり、通信事情が悪かったインドでは調べる余裕もなかったので、「世界盲人連合」について、「ウィキペディア」で調べてみました。以下のような組織だったのです。まだ記述が始まったばかりのようです。今後、この項目もさらに詳細になっていくことでしょう。関係者のみなさま、この項目の充実も忘れずに進めてください。


世界盲人連合(World Blind Union)は、盲人の権利を守る目的で1984年に国際盲人連盟(International Federation of the Blind)と世界盲人福祉協議会(World Council for Welfare of the Blind)が提唱してサウジアラビアのリヤドでの設立総会で合併して設立された世界盲人運動団体である。4年ごとに役員改選が行われ、理事会が開催される。現在、約170カ国の全国盲人団体が加盟しており、アフリカ、アジア、アジア太平洋、ヨーロッパ、南アメリカ、北アメリカ・カリブ海に地域事務局が置かれている。
運動団体として世界各国で点字を使う盲人の権利を推進している。会議言語として英語の音声と英語の点字を使うこととなっている。
日本からは日本盲人福祉委員会が設立当初から加盟している。


 ミッタル先生に対しては、話の展開の中では、大変失礼なことも申し上げたかと思います。しかし、終始話を真剣に聴き入ってくださっている表情から、すれすれの所で許してくださっていたからこそ、上記のような話の展開になったかと思います。先生が私にくださったご批判は、今後の活動の中で活かしていくつもりです。
 今後ともよきアドバイスを、どうかよろしくお願いいたします。
 今秋、11月にまたお目にかかれたら幸いです。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年02月21日

日本文化センターへ報告に行き助言をいただく

 今回も無事に、予定していた課題をすべて遂行することができました。
 予想以上の成果があり、慌ただしい日々の中を遠路足を運んで来たかいがありました。

 今週始めの15日に訪問した国際交流基金ニューデリー日本文化センターへ、今回の成果と課題に関して得られた感触などを報告をするために行きました。田中洋二郎さんからは、多忙な会議の合間に貴重な時間を割いていただき、丁寧な対応と今後のための貴重なアドバイスをいただきました。

 田中さんの適切な状況判断と的確な助言には、いつも感謝しています。
 いちいちわざわざ、とお思いのことかと思います。しかし、よくわからない国での文化交流となると、やはり現地の専門家の分析と判断を伺うことは貴重です。得難い方からの話は、次の行動を見極める上での重要な羅針盤ともなるのです。お話を聞いていただき、個人的な感想を含めてお考えをうかがうだけで、それで充分なのです。
 その意味からも、帰国する前にこれまでの報告をするように心がけています。

 今回は、秋11月に「第8回 インド国際日本文学研究集会」を開催するという具体的な活動事例があり、かつ『十帖源氏』のインド語10言語に翻訳するという、規模の大きなプロジェクトを動かす課題がありました。

 また、インドにおける日本文学関連の研究論文を集約して、これからの研究者に基本的な情報提供をする基盤を構築する、というテーマもありました。このインフラの整備なくしては、着実な進展はのぞめないからです。各自が勝手に取り組んでいては、調査手法と成果が共有されず、悠久のインドを彷徨うだけです。

 さらには、目の見えない方々と一緒に日本語を学べる環境作りのお手伝いができないか、という問題もありました。
 これに関しては、日本文化センターが文化的な事業を取り扱っている機関であることから、これはジャイカへ話を持って行った方がいいのではないか、というアドバイスを、別途身近な方から示唆をいただきました。
 そうであれば、田中さんには何とも返答しづらい話題を持ちかけたことになります。
 そのあたりの事業上の棲み分けが、私にはよくわかっていませんでした。
 この件は、盲学校の方々と接する中で、手探りながらも気長に考えていきたいと思っています。

 今回のインドでの最終日には、当初のネルー大学へ行く予定を入れ替えて、盲学校の「ブラインド・レリーフ・アソシエーション」へ行くことになりました。急な予定変更に対処していただいたネルー大学のアニタ・カンナ先生に感謝します。

 日本文化センターからの帰り道、メトロで行き先案内板を撮影しました。


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 インドでは、公共機関などでの撮影は煩いようなので、可能な限り自粛してきました。しかし、この表示は自分の名前にも関わるネタにもなるので、歩きながらシャッターを切りました。ピンボケです。

 電車の先頭車輌の上に表示されている行き先名にも「ITO」とあります。この撮影は勇気がいります。これもいつか果たしたい、私にとっての課題の一つです。
posted by genjiito at 00:04| Comment(0) | ◆国際交流

2016年02月20日

小さな軍用空港を双発プロペラ機で飛び立つ

 ホテルに迎えにきてもらった村上さんと、タクシーでアラハバードの空港に向かいました。
 途中で、延々と続く商店街に目が留まりました。いつか、ここをぶらぶらしたいものです。

 突然タクシーが止まったので外を見ると、道路の脇のスペースでした。トイレ休憩かと思っていると、空港に着いたとのこと。長い塀際なので空港とは思えません。村上さん共々、騙されて別の組織に売り渡されるのでは、との思いが過ぎるほど、場違いな場所に下ろされました。

 刑務所の塀のような所で少し途切れた一角に人がいます。言われて見れば、空港らしいのです。
 狭い入口で、二三人の空港関係者らしき人にチケットとパスポートを見せました。2人共に入ろうとすると、付き添いは入れないとのこと。しかし、そこは百戦錬磨の村上さん。殺し文句を使うのです。私が英語もヒンディーも使えない日本人であることを説明し、
「あなたの国のゲストが困っているのですよ。」
と。
 この一言で、そこのゲートまでだ、との条件で10メートルほど進めます。

 ゲートでは、長い銃を肩から下げた戦闘服の人に、またチケットとパスポートを見せました。そして、またもや付き添いはだめだと。しかし、村上さんは言います。
「このためだけに、はるばる日本から、わざわざ来た教授だ。」
と言って、アラハバード大学の学生証を見せると、もう一人の人と二言三言言葉を交わして、入ってもいいと首を横に振ります。インドでは、首を縦ではなくて横に振るとOK、わかった、なのです。

 やっと、空港の手荷物チェック場所らしい所に来ました。
 そこでも、椅子に腰を少しずらせて座った三人の偉そうな関係者から、根掘り葉掘り問いただされます。しかし、村上さんはそれにも動ずることなく、国のためという気持ちをくすぐる言葉で、チェックインカウンターまでの入場の了解を取り付けることに成功していました。

 こうして、あろうことか、一緒にチェックインカウンターまでたどり着きました。
 村上さんがいなかったら、50メートルの障害物競争が500メートルも走らされるところでした。

 こうした村上さんのような若者が海外で勉学を積み、活躍していることを思うと、日本のこれからの国際交流は大丈夫だと思えて来ます。

 ほぼ定刻に双発プロペラ機で飛び立ち、デリーに降り立ちました。
 機内の振動と乗り心地は、意外といいものでした。
 座席の前にあった雑誌に掲載されていた搭乗機の写真を引用します。


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 インディラ・ガンディ空港からは、メトロで宿まで帰りました。
 稔り多いアラハバードの旅となりました。
 感謝感謝です。
posted by genjiito at 01:51| Comment(0) | ◆国際交流

2016年02月19日

ヒンドゥ教のお祭りマーグ・メーラに行く

 アラハバードは、ガンジス河とヤムナー川が交わる場所にあるヒンドゥ教の聖地で、4大聖地の一つだと言われています。ただし、いずこも同じで、4大聖地と言ってもさまざまな説があって、なかなか難しそうです。

 インドのヒジュラ暦でマーグの月に行われる祭りを「マーグ・メーラ」と言っています。ちょうど今回訪問したこの時期に、敬虔なヒンドゥー教徒たちの祭りが開催されています。森山さんをバラナシへ見送った後、現地人となっている村上さんに案内されるままに行ってみました。やはり、言葉を自由自在に操れる人と一緒だと、安心してどこへでも行けます。

 川の手前の公園は、子どもたちのための遊園地となっていました。


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 この観覧車は、とんでもない速さで回っています。今にも振り落とされそうです。安全対策などあるようには思えません。

 大人のための見せ物小屋がありました。日本にも、かつてはこんな怪しげな小屋があったように思います。差別的な見せ物だということで、今ではなくなっているものです。


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 川への入口には、たくさんの店がありました。


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 そこで見つけたキーホルダーを、娘夫婦のお土産として買いました。


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 2つの川の合流地点をサンガムと言い、その水は魂を浄化する力があるとされているそうです。ガンジス河とヤムナー川が合流するここから地下に流れているというサラスヴァティ川が、天に昇るのがこの地なのです。

 その合流地点の川原には、おびただしいテントが林立しています。


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 川には多くの小舟が漕ぎ出していました。


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 しだいに夕焼けがきれいになってきました。
 サドゥーと言われる修行僧が、この川原に集まった善男善女(?)に物乞いをしています。


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 水着で沐浴をする人もいます。


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 思いきって小舟で川中に出てみることにしました。


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 川中から見る景色は、ことばでの表現を拒むものがあります。
 水鳥はユリカモメのように見えます。
 賀茂川や隅田川の水鳥と同じ顔をしているのです。

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 小さなボートが、鳥たちのための餌を売りに来ました。
 見た目は太めのフライ麺です。

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 一ついただき、川に向かって投げると、夥しい鳥たちが競うようにして集まって来てついばみます。村上さんの話では、日本ではかっぱえびせんを鳥にやったとか。


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 しだいに川原の光が川面に揺らめくようになりました。
 これから沐浴をする人がテントから出てくることでしょう。

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 ガンジス河とヤムナー川の合流地点では、ガンジス河の黄色とヤムナー川の乳白色が混じって、チャイのような色になるそうです。この日は日が暮れ出したこともあり、その色の変化は見ることができませんでした。

 女性が川の合流地点で裸になって飛び込むそうです。今回、それは見ることができませんでした。
 とにかく、大勢の巡礼者が集まって来て、さまざまなパフォーマンスを繰り広げているのです。

 遠藤周作の『深い河』に、この川が合流する地点のことが語られていたように思います。どのように描かれていたのか、いつか確認してみます。

 ホテルに帰ると、2階の少し広めの部屋に替わることになっていました。私を見て、階段を上がれる奴だ、と思ってくれたようです。
 1階の時と大違いで、静かで落ち着く部屋でした。ただし、蚊が3匹いました。電気蚊取りは緩やかすぎて、蚊を追い出す効力しかないようです。宗教心の顕れと、好意的に解釈することにしましょう。
posted by genjiito at 23:26| Comment(0) | ◆国際交流

ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見

 アラハバード大学図書館の書庫で、ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本を、偶然とはいえ司書の方が見つけてくださったのです。

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 あればいいが、との思いで、あてもなくとにかく書庫に入れていただきました。
 書庫内の通路で、村上さんがいつもお世話になっているというレヘマトゥッラー司書が、たまたま前から歩いて来られました。ひょっとして何かご存知ではないかとの思いから、ウルドゥー語訳『源氏物語』の本のことを聞いてもらいました。

 レヘマトゥッラーさんは初めて聞く本の名前だとのことで、何もご存知ではありません。それでも村上さんが食い下がって、ありったけの情報を語り続けると、一つの書棚の列に入られました。そこは、ウルドゥー語に翻訳された外国語のお話のコーナーでした。

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 レヘマトゥッラーさんが、最初に一冊の本の小口に指を掛けて引き出されたものを見て、村上さんが声を上げました。何と、それが探しているウルドゥー語訳『源氏物語』だったのです。レヘマトゥッラーさんも私もびっくりです。


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 偶然とはいえ、一触で『源氏物語』が出てきたのです。
 伊井春樹先生がおっしゃった、本は探し求めている者においでおいでをする、という秘技をまた体験することになりました。

 ネルー大学でウルドゥー語訳『源氏物語』を発見した時のことは、「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009/3/5)に書いた通りです。あの本は、表紙や奥付などがないものでした。また、東京外国語大学にある本も、一部が欠けています。今回みつかった本は、すべて揃っている完本です。刊行された時のままなのです。経年変化だけの、誰かが開いた形跡もない本です。
 またもや、偶然が現実のものとなりました。

 この本の両隣は別の分野の本です。また、背文字は薄くて読み難い上にめくれていて、ウルドゥー語で「げんじものがたり」と書かれた「じ」の終筆部分からしか読めないのです。この書棚の中からこの本と行き当たったのは、まさに奇跡です。

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 この本は、1971年にサヒタヤアカデミーから刊行された8種類の言語の内の一つです。
 アラハバード大学に収蔵された経緯を調べてもらうことにしました。何と言っても、このウルドゥー語訳をしたのは、1971年当時アラハバード大学で学科長をしていたウルドゥー語の文学批評者だったエヘテシャーム・フセイン教授なのです。
 フセイン教授の献本であれば、もう少し資料がありそうです。

 かつてわたしがネルー大学で見つけた時のように、まず図書カードを調べてもらいました。この本の書誌は、まだ書籍化も電子化もされていないからです。

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 目録カードでは、この本の番号に当たるものが飛んでいました。カードがないのです。勝手にカードを引き抜いて持って行かれることが、よくないことながらよくあるそうです。

 そこで次に、この本の図書番号を、受け入れ図書の登録簿と照合して、基本台帳の情報を見てもらうことにしました。こうした点は、帳簿管理としてシステム化されていることに感心しました。
 手前勝手なお願いにもかかわらず、テキパキと調べてくださいます。司書の方々には、ほんとうにお騒がせしました。


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 台帳保管庫にあったノートに記載されていた図書番号から、受け入れ当時のことがわかりました。1971年にサヒタヤアカデミーから刊行されたこのウルドゥー語訳『源氏物語』の受け入れの事情などについて、いくつかのことが判明したのです。

 サヒタヤアカデミーから刊行された翌年の1972年に、アラハバード大学図書館が6ルピー50ペイサで買い上げたものだったのです。これで、今回見つかった本が初版本の完本であることがわかりました。
 ただし、フセイン先生は1972年にお亡くなりになります。このことは、後でも確認します。
 アラハバード大学図書館に収蔵された御自身の翻訳になるこの本を、フセイン先生が実際に手に取られたかどうかは不明です。

 村上さんがこの本を借り出したいと言うと、全館的に図書の電子登録を進めているところなので、まずはこの本の書誌を優先的に電子情報として登録し、その後に貸出手続きができるようにしてあげよう、ということになりました。
 学生の向学心を最大限に尊重して支援する図書館側の計らいには、あらためて感激しました。ありがたいことです。

 さっそくこの本の書誌をコンピュータに優先的に登録してもらえました。図書の登録作業も見ていてもいいし、撮影もいいとのことです。
 ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本が今回初めて見つかり、それをコンピュータに登録した記念に、担当の司書見習いのプリヤーさんが登録するところを記念写真として撮影することになりました。

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 プリヤーさんは、この大学の出身者だそうです。こうしてウルドゥー語訳『源氏物語』がコンピュータにアラハバード大学図書館の蔵書として登録されたことにより、一人でも多くの方がこの本を見ることができるようになったのです。インドの方々が、日本の『源氏物語』に興味をもっていただき、勉強に役立てていただけたら幸いです。ウルドゥー語訳『源氏物語』の研究も、これで進んで行くはずです。とにかく、今は村上さんしかいないのですから。

 プリヤーさんは、司書としてこうした学問的なお手伝いをしていることを自覚なさったようで、共に喜んでくださいました。ますます活躍してほしいと思いました。
 もっとも、まだアラハバード大学の OPACは一般には公開されていません。日本からこの本を検索することはできないのは残念です。

 この大学のキャンパスは、積極的に整備が進められていて、草花が校舎を背景に咲き誇っています。いい環境です。

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 村上さんの指導教授であるノシャバ・シャルダール先生の部屋へ挨拶に行き、今回の成果を報告しました。
 先生は、翻訳者であるエヘテシャーム・フセイン先生に、修士課程1年目に口頭試問を受けたそうです。しかし、『源氏物語』をウルドゥー語訳しておられたことはまったく知らなかった、とのことです。そして、シャルダール先生もサヒタヤアカデミーから刊行されたこの本のことはご存知なくて、村上さんに日本の『源氏物語』のウルドゥー語訳の研究もするといいね、とおっしゃっていました。
 この本が見つかったことで、これから『源氏物語』が研究されることだろう、とおっしゃっていました。

 お茶請けとして出してくださったほうれん草の唐揚げは、パリパリとしてとても美味しくいただきました。

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 学科長のアリ・アフマド・ファトミー先生にも挨拶と報告に行きました。
 ファトミー先生も学生時代にフセイン先生の指導を受けておられました。しかし、文学批評がご専門のフセイン先生が何かを翻訳なさっていたことは知っていたし、論文に翻訳のことが書かれていたように思う、ということです。しかし、それが日本の『源氏物語』だったかどうかはまったくわからないし、資料もお手伝いした人がいたかどうかも不明だそうです。

 次の写真中央右の男性がファトミー学科長、右端の女性がシャルダール先生です。

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 この部屋には、歴代の学科長の写真が掲げられており、フセイン先生の写真もありました。

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 ファトミー先生の席の後ろには、歴代の学科長の名前と在任期間が記されています。

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 第3代がフセイン先生で、在任期間は、1961年から72年までの11年間。フセイン先生は、1972年にお亡くなりになりました。
 第9代と第12代がシャルダール先生、第10代と当第13代がファトミー先生です。

 今回は、フセイン先生が在職中に学生であり、歴代の学科長をそれぞれ2代ずつ務めておられるお2人の先生に、直接お話をうかがいました。しかし、『源氏物語』のウルドゥー語訳に直結することは何も出てきませんでした。

 そもそもが、サヒタヤアカデミーのプロジェクトは、アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』の第1巻目だけを、インドの8言語で翻訳することでした。ウルドゥー語訳は、サヒタヤアカデミー側からフセイン先生に依頼された、という事情があります。
 日本に対する理解や、『源氏物語』に関する興味や関心がなくても、ウエイリーの英訳をウルドゥー語に翻訳することが、この背景にあることは重要です。
 海外における日本文学について調査するときに、こうしたことは十分に承知して対処すべきことのようです。

 お2人の先生に感謝しつつ、入口近くにあったフセイン先生を顕彰し記念するホールを拝見しました。学生達が授業を待っているところでした。
 (横に書いてあるウルドゥー語については、後日村上さんに訳していただいて追補します。村上さん、よろしくお願いします。)

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 バナラス・ヒンドゥー大学(BHU) の文学部ウルドゥー学科博士課程(Ph.D)で研究中の森山武さんと、アラハバード大学で待ち合わせをしていました。ここに掲載した先生方との写真は、森山さんが撮影してくださったものです。

 街中のコーヒーハウスで、森山さんと積もる話をしました。
 森山さんとは、2009年4月に、私が書いた上記紹介のブログ「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」の記事を読んでコメントをいただいた時から、デリーで国際集会をする折を見ては、お目にかかれないかと連絡をしていました。

 今回、バナラシからわざわざアラハバードまで片道3時間のところを駆けつけてくださったのです。当初は私がバナラシへ行く予定を組んでいました。しかし、日程などの関係で行けなくなったところを、こうして森山さんから足を運んでくださったのです。ありがたいことです。

 このコーヒーハウスは、かつては文人たちが集って談論風発した所だそうです。
 今回の我々の面談場所として、まさに願ってもないコーヒーハウスです。
 そう思って見回すと、それらしいインテリ風の方がちらほらと見かけられます。


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 夕方4時ころまでお話をして、それから森山さんはまたバラナシへととんぼ返りです。短い時間でしたが、楽しいおもしろい話ができたことは幸いでした。私のブログを読んでくださっていることもあり、ごく普通に翻訳本の話などができました。
 また、秋にお目にかかれるようです。楽しみにしています。
 博士論文の1日も早い完成を心待ちにしています。
posted by genjiito at 21:05| Comment(0) | ◆源氏物語

あまりにも煩くてホテルの部屋を変えてもらう

 アラハバードのホテルはいい雰囲気です。
 気に入りました。しかしです。
 昼間の工事は別にしても、夜の11時を過ぎても部屋の外が煩いのです。

 私は一階の奥の部屋でした。ところが、その隣が配膳室だったので、ガチャガチャと食器の音がします。また、ホテルのスタッフの方々の休憩場所もその横だったので、ずっと声が聞こえます。ヒンディ語なのでわからないとはいえ、その抑揚や笑い声が気になり出しました。
 夜中の1時半を過ぎても、人声が煩いのです。
 おまけに、ひっきりなしに電話の呼び出し音が聞こえます。どこかと連絡をとっておられるのでしょうか。

 朝になって朝食をいただくときに、夜中じゅう煩いので部屋を替えてほしい、と頼みました。
 マネージャと相談するので、少し待ってほしいとのことでした。

 午前中からアラハバード大学へ行くことになっていました。
 朝早く村上さんがタクシーで迎えに来てくれたので、部屋の荷物のことをフロントに伝えて出かけました。昨夜、街中の大きなショッピングモールの中にあるスーパーマーケットで、チーズや牛乳を買いました。


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 それが冷蔵庫に入れたままだったので、それも新しい部屋に移してほしいと伝えたのです。



 後で村上さんに聞くと、ホテル側としては私の年齢が64歳だったので、2階の部屋では階段の上り下りが大変かと思い、1階の部屋にしたとのことだったそうです。
 老人扱いされていたのです。
 インド人は、そんなに早く老けるのでしょうか。

 さて、帰ってからどんな部屋に移ることになるのか、大いに楽しみです。
posted by genjiito at 08:45| Comment(0) | ◆国際交流

デリーから夜行寝台列車で雨のアラハバードへ

 しばらくデリーを離れます。
 ちょうど宿を出ようとしていたら、WBC(World BudhistCentre)の玄関前を結婚式の行列が通り掛かりました。白馬に跨がった王子様は、いつみても恰好良い晴れ姿です。お披露目の市街パレードです。


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 鉄道のデリー駅に着くと、夜空に月が顔を覗かせていました。
 これから行くアラハバードでの幸運を、デリーの月が予祝してくれているようです。


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 寝台列車の中は、思ったよりも広くて安心しました。
 たくさんのランクがある中で、良い方のA2という車輌です。
 テレビで見た、ギュウギュウ詰めのイメージが強すぎたので、もっと狭苦しい車内を想像していました。
 村上さんが一緒であることも、気持ちに余裕を与えてくれます。
 寝台列車の寝心地も、問題はありませんでした。
 東京から京都への夜行バスに慣れている私にとって、寝台は楽です。

 快調に列車は走り、アラハバード駅には30分遅れの朝7時に着きました。インドにしては驚異的に正確な時刻に到着です。

 駅前からタクシーでホテルに入りました。
 2階建ての、小ぢんまりとしたいいホテルです。


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 街中の近代的なホテルは、私の好みではありません。
 ヨーロッパの、B&Bのスタイルがいいのです。
 村上さんが下見をしてれていたので、なおさら安心です。
 インターネットは、Wi-Fi がすぐにつながりました。
 ただし、速度はそうとう遅いようです。
 早速、メールのチェックと職場の担当部署への連絡をしました。

 予定したスケジュールは午後からとし、まずはホテルの周辺を散策しました。
 ヒンズー教の聖なる牛が、国際都市を目指すデリーからは郊外に追い出されて久しくなります。
 しかし、このアラハバードでは、街のそこここに牛がいます。
 かつてのデリーを思い出す、懐かしい風景となっています。

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 のどかな中にも、活気を感じさせる地方の街です。

 午後はあいにくの雨でした。
 しかし、傘をさす人はほとんどいません。
 インドにおいて、2回目の雨です。2002年1月に初めてインドに来た翌日、デリー大学に行った時に急に雨が降ってきました。少しいいスーツを着て行ったのに、木々から砂ぼこりが雨と一緒に落ちてきて、その服が黄色のシミだらけになりました。早速クリーニングに出したことを思い出しました。

 雨の中での移動などを考えて、予定は大幅に変更することになりました。
 旅先での無理はしないことです。
 現地に入ると、いろいろと変わります。特に短い期間の滞在では、融通無碍の対応が求められます。日本人の厳格厳密さが邪魔をすることはしばしばです。世の中や物事は何でも「あり」で、そんなことも「あるさ」、という気持ちと姿勢が問われます。どうやら、私はこの精神が、インドへ往き来する内に叩き込まれたようです。どのようにでも対処できるようになりました。

 少し休憩して、これまでのことを整理し、またいろいろなところへ連絡をしました。

 停電が頻発します。ネットが不安定です。ホテルの中で工事をしているようで、壁越しに槌音が響き渡ります。いつもよりも余計な神経と手間をかけながらも、どうにかいくつかの仕事をこなしました。いくつかは職場へメールに添付して送り、いくつかは仲間にこれまたメールで送りました。

 旅先でもやるべきことがたくさんあります。というよりも、やることが多すぎて、優先順位が狂いっぱなしです。私からの連絡をお待ちの方には、本当に申し訳ないことです。

 小雨を避けながら、アラハバードの中心街を散策していた時のことです。シビルラインズという通りで、村上さんが「インディラ・ババン」という電気屋さん街を見つけてくれました。大阪の日本橋、東京の秋葉原とはいかないまでも、たくさんの電気や電子機器のパーツ屋が集まっているビルです。かつてあった、大阪の五階百貨店、秋葉原の電気会館にあたります。


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 ただし、並んでいる品物は、ほとんどが携帯電話に関するものです。パソコンなどはほんの少しです。
 時代の流れなのでしょう。もちろん、アップルのマッキントッシュなどは見かけません。

 外に携帯などの修理屋さんが雑多に密集しているところで、昨日来調子の悪いインド携帯を修理してくれるところを探してもらえました。クマール君が不要になった携帯電話を借してくれたので、それを持ってインドを移動しています。その携帯の電源が入らなくなり、困っていたのです。

 狭いお店のお兄ちゃんが、テスターやハンダごてを器用に使って、ものの10分もしないうちに、元通り使えるようにしてくれました。正式に修理に出したら何日もかかるところを、目の前でさっさとやってのけるのです。まさに、秋葉原や日本橋の路地裏の修理屋さんです。


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 最近は、面倒な修理はせずに、製品を交換することで解決するという、安直なサービスに変質しています。私の iPhone も、今使っているのは不良品を渡されることが度重なり、機種交換を繰り返した3台目です。調子が悪くなってもアップルの対面修理では中を開けて見るわけではなく、本体を交換して終わりです。
 手で直す、という発想が忘れ去られた現代において、この修理するということの復権は大事です。製品が高度な精密部品の組み立てとなり、修理も容易ではないためにそっくり入れ替える、という対処がなされています。しかし、そうではない、手で直すという道も残しておくべきです。そこに、人の出番が出てきます。それができる人は、どこにでもいるのです。そして、仕事が発生します。
 そんなたわいもないことを思いながら、この電気屋さん街を歩きました。
 「インドで、また考えました。」

 とある店先に、布切れがワゴンに積まれていました。


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 布地屋さんで切り落とされた端切れです。
 布地を大量に集めては、好きなものを手作りしている妻のために、ここから何点かいただきました。
 インド綿を中心にして、シルクと混ぜて織ったものも2点ほどあります。


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 私の我がまま勝手なリクエストにもかかわらず、わけがわからないままに走ってくれたオートリキシャは、こんな雄姿です。このリキシャのエンジン音は、まさに緩急自在の音を響かせるドラムのようでした。ヒンディ音楽顔負けの音を撒き散らすリキシャと、独特の風貌のおじさんに、ここで感謝の意を伝えます。ありがとう。


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posted by genjiito at 00:08| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年02月18日

デリーの盲学校で立体コピーに挑戦してもらう

 国際交流基金からオートリキシャを飛ばし、オベロイホテルの近くにある盲学校「ザ・ブラインド・レリーフ・アソシエーション」を訪問しました。

 この学校については、インドに来てから得られた幸運な情報によって、偶然に訪問が実現したものです。

 インドに来る前から、視覚障害者の施設について、知り合いに問い合わせていました。しかし、何も情報が得られないままに来ることとなり、今回は諦めていたことです。

 それが、デリー日本人会の大野さんを紹介していただき、そこから盲学校で日本語ボランティアとして先生をしておられるナンディさんに電話をし、さらにザ・ブラインド・レリーフ・アソシエーションのCEOをなさっているカイラシ・チャンドラ・パンディ先生へと、芋づる式に電話をリレーして面談に漕ぎ着けたのです。まさに、奇跡とでも言うしかない、連係プレーのなせる技だったのです。

 学校の入り口で、白杖を持った生徒さんが下校されるところに出くわしました。


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 狭い舗道なのに、慣れた手つきで白杖を使って歩いて行かれます。ここに敷かれた点字ブロックが理解できない敷設となっていることは、また後日、デリーの障害者対策としてまとめる予定です。

 パンディ先生は、少し遅くなった私と村上さんを、わざわざ外に出て待っていてくださいました。ありがたいことです。
 パンディ先生は1961年から日本大使館に勤務しておられ、その後ここにお出でになった方です。流暢な日本語を話されます。

 グラウンドでは、生徒達がクリケットを楽しんでいました。インドでは、野球ではなくてクリケットが国民的なスポーツなのです。見えないことが信じられないほど、早い球を遠くまで飛ばしていました。


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 柔道着を着た生徒や、競歩のように歩く3人連れなど、みんな寮から出てきて運動をしていました。

 パンディ先生とはあいさつもそこそこに、学校の中を詳しく説明していただきました。まずは、トレーニングセンターの中から。


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 最初の部屋では、コンピュータの習得を目指して、キーボードに向かうみなさんの様子を拝見しました。写真は自由に撮影させていただき、私のブログでも紹介していいとのお許しをいただきました。ブログで紹介する場合など、文字よりも写真の方が理解と共感が得やすいのは確かです。

 入ってすぐのコンピュータの前では、キー入力の基礎を若い先生の指導のもとに必死に覚えようとする少女がいました。


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 一番奥には、消えたモニタの前で、スピーカーの音を頼りにキーを叩く生徒がいます。


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 全盲の彼女にとって、モニタは何の役にもたたず、スピーカーから流れる音声だけが、入力した文字や書かれた文字の確認に必要不可欠な情報源なのです。この、真っ黒いモニタの前に座ってキーを無心に叩いている姿には、いろいろな思いが私の心の中に去来します。

 私が基盤むき出しのコンピュータであるマイコンキット「NEC〈TK-80〉」に触ったのは1980年なので、今から36年前になります。その頃は、モニタはまだなくて、電卓のように数字だけが表示されるセグメントが8個ならんでいるものがありました。コンピュータに入出力した情報を小さな窓で確認するのです。それでも、8個の数字を見ながらの操作でした。
 この目の前の少女は、何も見えない中で、墨字か点字を思い浮かべて文字列をイメージしているのです。瞑想という言葉を思い出しました。

 その手前では、ヒンディー語を入力するために、テーバナーガリー文字を扱っているところでした。複雑な文字の構成を、彼も音を頼りにして考えながらキーを叩いています。


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 後ろのテーブルには、点字ライターが数台あります。


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 これについては、19日に再訪することになっているので、その折にうかがうつもりです。

 録音室も完備していました。


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 学生たちが授業を受けたりする教室は、机の形が日本と違います。


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 一通り案内していただいた後は、パンディ先生のCEO室で、勉強の終わった生徒に来てもらい、立体文字を読む体験をしました。
 みんな、行儀良く挨拶をして入ってきます。躾が徹底しているようです。

 まず、ヒンディー語とひらがなの立体コピー文字にチャレンジしてくれたのは、18歳で高校1年生(10年級)のシュエーブアリー君です。パンディ先生に励まされながら、真剣勝負の触読です。


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 彼は先天盲です。しかし、ほんの少しだけ、夕方には見えていたそうです。母と兄が黒板に書いてくれた文字を見た記憶があるとのこと。
 ヒンディー語の点字で書かれた、ガンディーの「金の鉛筆のかけら」という文章を、目の前でスラスラと読んでくれました。確かに点字は自由自在に読めることがわかります。しかし、ヒンディー文字は学んでいないので、私が持参した立体コピーを触っても、ヒンディー文字の字形はわからないそうです。お父さんが木工細工で文字を作ってくれたので、英語のアルファベットなら自信があるようです。
 木工細工ということばを聞いて、今、科研運用補助員の関口祐未さんが作成中の厚紙凸字のひらがなをとり出して、それを触ってもらいました。


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 この日は、このひらがなについての感想は聞けませんでした。しかし、日本語検定試験のために、ひらがなを音として点字で勉強しているそうです。今後はひらがなの字形を覚えてみることも、日本語学習には効果的なものとなる可能性があります。
 外国語としてのひらがなの字形を習得する方法として、立体コピーや厚紙凸字を活用した研究を、さらに続けていきたいと思います。
 触読による文字認識の可能性が、今回の盲学校訪問で広がったようです。
 また、次回はアルファベットの立体コピーでの実験をしてみましょう。

 シュエーブアリー君は、鎌倉時代に書写されたハーバード本「須磨」の冒頭部分の触読にも果敢にチャレンジしてくれました。


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 今のところ彼は、ひらがなについては音だけでの習得に留まっています。それには、ローマ字を使った勉強のようです。
 この墨で書かれた変体仮名については、その多彩な字形を覚えるところから始まるので、彼にふさわしい教育方法を考えてみたいと思います。

 もう一人、昨夏日本に行ったという、サミエル・カーン君も挑戦してくれました。
 彼は17歳で、全盲ではなくて少しだけ見えるようです。彼も、英語の立体コピーなら読めると言い切りました。昨夏より日本語にも興味を持ち、以来勉強を始めたところです。今回試みたヒンディー語とひらがなの触読は、村上さんが少し介助をしたのですが、まったく読めませんでした。


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 彼も、これからに期待しましょう。
 今回は、突然のことでもあり、持参した立体コピーではシュエーブアリー君が数字の「2」だけを読みました。これは、世界共通なので当たり前のことです。しかし、触読できた、ということは、これからの展開の可能性を見せてくれた、ということでもあります。

 この盲学校については、『ノーマライゼーション』(2015年4月号)の巻頭に、「チャレンジ 将来を担って点字で日本語も習得」という写真を多用した記事で、詳しく紹介されています。パンディ先生も登場しておられます。
posted by genjiito at 04:47| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年02月17日

国際交流基金で多国語翻訳と国際集会と論文データベースの相談

 国際交流基金ニューデリー日本文化センターで、田中洋二郎さんにかねてより相談を持ちかけていた案件で、時間をかけて話し合いをしました。


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 あらかじめ過去7回分をまとめた『インド国際日本文学研究集会の記録』(2012年3月刊)のPDF版を送っておいたので、これまでのインドにおける文学研究に関する活動の経緯はお互いに了解しての打ち合わせです。
 菊池智子さんと村上明香さんの2人にも同席してもらいました。

 まず、今秋開催する予定の「第8回 インド国際日本文学研究集会」の内容も、今回の打ち合わせでほぼ以下のようにまとまりました。


日時:11月11日(金)・12日(土)
会場:サヒタヤアカデミー + ネルー大学(または国際交流基金ニューデリー日本文化センター)
主催:サヒタヤアカデミー+〈インド日本文学会(伊藤・アニタ・ウニタが2004年に設立)〉
テーマ:(1)『十帖源氏』を多言語訳するための方法と課題
      (予想される問題点/「蝉」をどう訳すかなど)
    (2)私の研究成果
      (デリー大学とネルー大学で修士・博士の学位取得者の報告6人)
    (3)パネルディスカッション(若者向けのテーマ/未定)
後援︰国際交流基金・国文学研究資料館・デリー大学・ネルー大学・NPO法人〈源氏物語電子資料館〉など


 この研究集会の第1テーマは、次の話題と連動します。

 先日、サヒタヤアカデミーに提出した『十帖源氏』のインド語訳の企画申請書を踏まえて、『十帖源氏』の翻訳をお願いする方々や各言語の編集責任者の名前を確認しました。
 同行の菊池さんがヒンディー語を、村上さんがウルドゥー語を担当、などなどです。

 当初は、サヒタヤアカデミーがかつてやったように、インド語8言語の翻訳を考えていました。しかし、いろいろと検討した結果、ベンガル語とマラティ語を加えた10言語でやろう、ということになりました。つまり、以下のインド語10言語で『十帖源氏』の多国語翻訳に着手することの了解が、田中さんからも得られましたので、これで確定とします。


アッサム語・ウルドゥー語・オリヤー語・タミール語・テルグ 語・パンジャビ語・ヒンディー語・ベンガル語・マラティ語・マラヤラム語


 また、タミール語だけは、編集担当者が決まっていませんでした。これについては、田中さんから新たにお願いできそうな先生のお名前の提案をいただきましたので、打診を含めて確認していただくことになりました。

 リストアップした方々をあらためて見て、フレッシュで魅力的な人材のオンパレードになっていることに高い評価をいただきました。着実に、そして確実に実行したいと思います。

 このプロジェクトの成果としての翻訳本は、どのような読者を想定して編集し、どこの出版社から刊行するか、ということでさまざまな意見がでました。
 結果的には、まずはNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のサーバーを活用したデジタルブックスで公開することが1番実現性が高いのではないか、ということで意見が一致しました。出版物に関して、ヒンディー語についてはサヒタヤアカデミーに引き受けてもらえるとして、その他の言語の出版は追々考えていく、ということになりました。

 さらに、視覚障害者が立体コピーを活用して変体仮名が書かれた文字を読むことに関しては、話し合う時間が足りなくなったこともあり、19日(金)に再度の打ち合わせを持つことにしました。

 もう一点、国文学研究資料館がホームページから「日本文学国際共同研究データアーカイブ」として公開している中にある「日本学研究データベース(インド)Bibliography India-Japan Literature」について、さらなるバージョンアップについても、今回相談する予定でした。
 これは、インドの日本文学研究の論文リストを拡充ようというものです。このリストを追補継続する件は、これからインドのみなさま方に協力をお願いしようと思っていることです。現在は、2002年までの情報であり、デリー大学のウニタ・サッチダナンド先生からいただいたデータをもとにして作成したものです。
 しかし、この件についても時間がなくなったので、私がアラハバードから帰ってから、再度面談する19日に話すことになりました。

 新しい所長の宮本薫さんと、少しお話をしました。宮本さんには、以前エジプトのカイロで大変お世話になりました。もう一度この国際交流基金には来るので、その時にお話の続きができることを楽しみにしています。

 相談や打ち合わせすべき案件が多すぎて、多くを積み残したままに後日を約束して一旦帰ることになりました。

 国際交流基金の前からオートリキシャに乗り、村上さんと2人で、オベロイホテルの近くにあるブラインド・レリーフ・アソシエーションを訪問しました。
 これは、デリー日本人会の大野さんから紹介されたナンディ先生がボランティアで日本語を教えておられる盲学校です。


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 今回は、目が見えない生徒さんに対して、持参した立体文字を読む体験をしてもらい、ご教示を得ることになっていたのです。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年02月16日

世界一大きなアクシャルダーム寺院で考えたこと

 ネルー大学でのデモが、マスコミの情報などによると、さらに教職員と学生のストへと展開していることがわかりました。先日来の2回のネルー大学訪問で、その様子が非日常のものであることが、朧気ながらも想像できます。私が昭和44年に、高校3年生の時に体験した学生運動を思い出します。
 「ヒンドゥスタン・タイムス」(2016年2月15日)の1面にも、重大記事として掲載されています。
 右側の記事のタイトルに「JNU」とあるのが、ジャワハルラル・ネルー大学(Jawaharlal Nehru University)の略称です。


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 今日の「ヒンドゥスタン・タイムス」(2月16日)の1面中央には、さらに詳しい現状が報告されています。
 この記事のタイトルにある「DU」はデリー大学(Delhi University)のことです。


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 こんな時に、わざわざ学内に近付くことは避けたいものです。
 デリー大学とネルー大学の卒業生たちから、日本文学に関する多くの貴重な情報をもらっています。それを整理することに、この予定外の時間を当てました。

 早朝よりいろいろな方に電話をし、メールを出し、可能な限りお目にかかって、今回のインド訪問の目的を達成するために手を尽くしています。
 まさに、日本でも海外でも、一年365日24時間態勢での仕事となっています。
 この土日も、フルに情報収集と打ち合わせをしているのですから。

 インターネットは便利です。しかし、いつでもどこでも情報が共有でき、何でも届けることができるので、休息日を確保するのが大変です。自覚の問題だとはいえ、特に順調にミッションが推移しているこんな時には、休む、止める、という勇気が必要です。ただし、それが、今の私にはなかなかできないのが実情です。

 翻訳をお願いする方々への連絡は、思いの他手間がかかります。
 コツコツと、お一人お一人に説明をして進めているところです。

 デリー市内で日本人が多く居住しているといわれる、ディフェンスコロニーの中にある中華レストラン「赤坂」に、お昼ご飯を食べに行きました。この隣のバーには行ったことがあります。
 このお店の名前が、日本料理屋さんを思わせるものであることの理由がわかりました。政治的な流れの中での命名だったのです。観光客を引き付けるためばかりではないという、いろいろと深い意味があってのことだとわかりました。


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 午後は、気分転換も兼ねて、デリー市内からは郊外にある、アクシャルダーム寺院へ行きました。世界一大きな寺院として、ギネスブックに登録されている新興のお寺です。宿の前からオートリキシャに乗り、30分ほどで行ける近場でした。ヤムナー川の対岸へ渡ったのは初めてです。


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 クマール君との待ち合わせは、寺院の入口でした。その入口付近は、とにかく人ヒトひとの、黒山の人だかりです。万に近いという喩えではなくて、実際に1万人以上の人が入場を待っています。

 この寺院では、別の所がテロにあったこともあり、セキュリティが非常に厳しくなされています。携帯電話やカメラなど、電子機器はすべて飛行機並に持ち込み禁止です。それらを預ける場所の列が、ほとんど前が見えないほどです。
 1時間の待ち時間と言われると、1970年に大阪で開催された万国博覧会を知っている者としては、ひたすら並ぶことに抵抗はありません。しかし、牛歩戦術のようにじりじりと前に進む行列に付き合うのは、やはり大変です。

 持ち込み禁止の物を預けた後も、ボディチェックのためにまた並びます。男女別に別れる所に来ると、みなさん一斉に我先にと猛ダッシュとなります。このパワーはどこから来るのでしょうか。

 30分ほどの近場と思ったのが、入場するのにさらに2時間もかかりました。
 早々と携帯もカメラも取り上げられたので、写真はありません。
 何も身に着けないことの自由さと、目の前に見えるものに集中することのよさを、あらためて思い知りました。
 人と連絡したい、連絡があるかもしれない、写真に記録しておきたい、という思いを振り捨てることは、ある種の快感があります。

 寺院の中はすばらしいものでした。特に、大理石の彫刻群が圧巻です。色っぽい姿態の女神が数多く彫られていて、自ずから目を惹きます。

 大勢の子どもたちが親子連れで来ているのは、日曜日であることと、広大な寺院の開放感と、彫刻の美に加えて、無料で入れることもその理由となっていそうです。

 大きなホールのような大食堂で南インド料理をいただきました。

 帰りに、メトロの駅のホームからライトアップされた寺院を撮影しました。


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 明日以降のこともあるので、メトロのトラベルカード買いました。日本のスイカやイコカに類する、チャージをして使うものです。


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 メトロが市内に展開するようになってから、移動が便利になりました。
 サイクルリキシャやオートリキシャで移動していた数年前が、嘘のように一変したのです。
 ただし、それに伴って、リキシャの視点で街を見ることが少なくなり、インドを実感することが希薄になっていくのも事実です。
 私が京都を自転車で移動するように、インドも人力で移動する視点で見て回ることに意義がありそうです。それを放棄してメトロに頼ることに、我ながら逡巡するものが意識の片隅にあります。しかし、便利さに押し切られそうです。

 こうして、生活の中からその地域独特の文化を受け入れる姿勢が変化し、外から眺めるだけの、通りすがりの旅人と化していく自分がいることに気づかされました。

 「私もインドで考えた」と言えそうな、ささやかな発見です。
posted by genjiito at 18:36| Comment(0) | ◆国際交流

2016年02月15日

ネットに依存した社会での珍事とジュース屋のおじさん

 昨日は、ベンガル地方ではサラスバティ(弁天様)を盛大に祝う日でした。
 宿に泊まっておられるコルカタからお出での高校の先生が、奮発して自分で料理を作って振る舞ってくださいました。
 この WBC(World BudhistCentre)は、こうした人と人との交流や情報交換が活発な施設なので、最新情報や地方の様子がよくわかってありがたい宿泊場所です。

 キッチンルームでは、その先生がこの宿の料理人に指示を出して、精力的に料理を作っておられました。そして、おいしい食事ができあがりました。


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 本当にフレンドリーな宿です。

 朝食後すぐに、ネルー大学へ打ち合わせに行きました。
 大学の前では、テレビ中継車をはじめとして、マスコミ関係の車などがたくさん集まっていました。ネルー大学の学生が逮捕されたことに関して、学生が抗議活動をしているとのことでした。
 しかし、この日は無事に正門から入れました。


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 実は、昨日はデリー大学で打ち合わせをする予定を組んでいました。しかし、お目にかかる先生が体調を壊しておられたので、無理をなさらないようにしてご自宅に近いネルー大学のアラベラ・ゲスト・ハウスのコーヒールームでお話しをしました。


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 ここには、当初行く計画をしていたハイデラバード外国語大学のタリク君も来て同席してくれました。タリク君は、ネルー大学からデリー大学へ進み、今回打ち合わせをするウニタ先生のデリー大学での教え子なのです。

 快調に、『十帖源氏』の翻訳をお願いする方々や各言語の編集責任者の名前が決まっていきました。タリク君の同僚や同窓生などが候補にあがりました。
 当初は、サヒタヤアカデミーがかつてやったように、インド語8言語の翻訳を考えていました。しかし、いろいろと検討した結果、ベンガル語とマラティ語を加えた10言語でやろう、ということになりました。
 つまり、以下のインド語10言語で『十帖源氏』の多国語翻訳に着手することになりました。


アッサム語・ウルドゥー語・オリヤー語・タミール語・テルグ 語・パンジャビ語・ヒンディー語・ベンガル語・マラティ語・マラヤラム語


 ただし、タミール語だけは、編集担当者が決まりませんでした。
 これは、今後さらに検討してお願いする方を探したいと思います。

 そして、今秋開催する「第8回 インド国際日本文学研究集会」の内容も固まりました。
 やはり、直接お目にかかってお話をすると、迅速に物事が決まります。やはり、足を運んでの面談は大事です。メールや電話とは違った、人の温もりと感触を確認しながら話をすることは重要なことであることを、今回も痛感しました。物事は、相手と直接会って、顔を見ながら進めていくのが一番確実である、という私の主義主張を実証することにもなりました。

 話をしている最中に、鈴木貞美先生が仕事の合間にお昼ご飯を召し上がりにいらっしゃいました。何と3日間もお昼をご一緒することになりました。こんなこともあるのです。お話を伺えたので、私にとってはラッキーでした。

 打ち合わせが終わってから、タリク君と一緒にウルドゥー語の祭典の会場にタクシーを飛ばしました。
 ここで、珍妙な体験をしました。
 最近、世界各国でインターネットのグーグルのサービスを活用したタクシーの配車システムが広まっています。安心して乗れ、支払いも楽です。乗る時の値段交渉が不要なのですから。

 今回は、タリク君がこのサービスを利用しました。しかし、行った先の「Indira Gandhi National Centre for the Arts」が官庁街にあったため、国会議員や官庁がセキュリティのために妨害電波を出す警備をしていたのです。そのため、タクシーもネットが使えず、インターネットに頼ったシステムでの精算ができないのです。
 会場の周りをぐるぐると回っても、ネットにつながらないので、運転手さんはお手上げです。私の方も、支払いができないままで逃げるわけにもいきません。
 漫画のような本当の話です。
 ウルドゥー語の祭典の会場で村上さんが先に行って待っているので、私だけがタクシーを離れて会場に入りました。やがて、タリク君も精算ができたということでやって来ました。
 IT国家を自認する国で、冗談のようなおもしろい体験をしました。

 会場の中では、今日もサヒタヤアカデミーは何もしていませんでした。何かあったのでしょうか。一昨日置かれていたテーブルも荷物も撤去されていました。


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 別のブースでは、「H」というスペルが抜け落ちていて、それを後で書き足した物に気づきました。発音の関係だそうです。文字を表記するのは、言語によっていろいろな問題を抱えているようです。


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 書店のブースで、気ままに手にしたウルドゥー語の本の挿し絵に、漢字のような図形を見かけました。おもしろいと思ったので、何の本かもわからないままに買いました。


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 宿の前のマーケットに行くと、これまで来るといつも立ち寄っていたジュース屋で、おじさんが今回もその独特の風貌を見せておられました。懐かしさもあって挨拶をすると、私のことをよく覚えておられました。いつも一緒に来ていた中島岳志君のことも。中島君が頼まれていた時計の話もしました。

 インドで生のジュースは自殺行為だと言われます。しかし、このおじさんのジュースは別格です。また、私はこれまでに一度もインドでお腹を壊したことがありません。毎日のようにこのおじさんのジュースを飲んでいたからだ、と思っています。今回も、ミックスを絞っていただきました。後で、いつものように果物をたくさんいただきました。いつもありがとう、と、言葉は通じないので感謝の握手をしました。

 これまでの十数年間に私と一緒にインドへ来た方の多くは、このおじさんのジュースを飲んでもらっています。今も現役でジュースを搾っておられることを思い出していただくためにも、記念写真をごらんください。ジュースの味も変わっていません。


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 また、私が大好きなラム酒の「オールドモンク」も、いつものお店で頼むと、今回はこんないいパッケージになっていました。空港で見かけるデザインのものが、こうしてマーケットにも出回るようになったのです。そして、鉄格子越しに秘めやかな受け渡しをする買い方も、今ではもうなくなりました。クレジットカードが使えるのですから。


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 このマーケットは、少しずつお店も変わっていきます。
 マグドナルドやヘアーサロンができていました。


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 入ることはありません。一応、記録として残しておきます。続きを読む
posted by genjiito at 15:22| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年02月14日

ウルドゥ語の祭典のオープニングイベントに参加

 12日から14日まで開催されている「ウルドゥー語の祭典」「Jashn-e Rekhta」の会場は、Indira Gandhi National Centre for the Arts, Delhiです。

 あらかじめウエブで参加登録をしており、メールで情報はもらっていたので、スムーズに入ることができました。すべて、村上さんのおかげなのですが。


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 本のブースで、コーランをなぞると読み上げてくれるペンを見つけました。「デジタルペン コーラン」というものです。


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 これは、昨夏に本ブログで紹介した「しゃべるペン(音筆)で絵本の中の漢字と遊ぶ」(2015年08月25日)と同じ仕組みのようです。
 ボタンで言語の切り替えができます。ペンはドバイ製で、値段は1万円弱でした。

 サヒタヤアカデミーは何も並べていないので残念でした。
 オープニングの日なので、明日からの本番で展示なさるのでしょう。


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 一緒に行った村上さんが持っていた特別招待券の効果があり、メインイベントの会場では前の方のエリアの良い席に座れました。
 会場の一番後ろから舞台を見ました。用意された椅子は2500です。その周りに多くの方が立って見ておられたので、3000人は集っておられたと思われます。


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 開会にあたってのウルドゥ語のスピーチを聞いていて、まったくわからないながらも、柔らかい音で優しい感じのする言葉だと思いました。ただし、男性の方が滑らかで、女性の発音はややきついと思われる抑揚が気になりました。これは、スピーカーの個性なのでしょうが。

 この日の朗読は、村上さんが『想い出の小路』として日本語訳を出版している原本をもとにしたものです。


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 仲間が日本語に翻訳した原本が舞台で読まれているので、男性と女性が交互に朗読されるのを聞く方も、格別の思いで聴き入りました。


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 登壇の朗読者は、インドでは本格的な女優として有名なシャバーナー・アーズミーさん、男性の詩人がジャーヴェード・アフタルさんです。ジャーヴェードさんが作品の父親役を、シャバーナーさんが娘役をなさっていました。これ以上にない、特別に豪華な配役とのことです。そのせいもあって、こんなに人が集まるのです。

 舞台の右手前には、学問の神様へお祈りする聖なる火が灯されています。
 これは、かつてサヒタヤアカデミーで開催した「第1回 インド国際日本文学研究集会」(2004年10月29日)でも会場に置かれており、私も蝋燭を献灯させていただきました。下の写真右端が当時の在インド日本国大使の榎泰邦氏、その左横にS.B.バルマ博士、そしてその後ろに私、左下がアニタ・カンナ先生です。

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 この日のメインとなる朗読劇は、言葉はわからなくても、その音の流れと強弱がリズミカルで、楽しく聞くことができました。朗読の合間に演奏される音楽も程よいコラボレーションとなっていました。有名な曲が流れると、会場が大いに湧きます。映画音楽は、みなさん良くご存じなのです。


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 交互に二人が語りあい、佳境に入ったのか会場は沸きに沸きました。
 みなさん、話の内容をよくご存じの方が多いようです。笑いあり拍手ありの、言葉と音楽の総合劇です。後半の笑いの渦は一転して静かになりました。
 朗読がこんなに人々の心をつかむことに感動しました。

 終盤に、舞台の上に三日月が顔を出しました。


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 演者のみなさんが総出で並ばれると、観客の人々がどっと前に押し寄せて来られました。


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 女優のシャバーナー・アーズミーさんと村上さんは出版時にやりとりがあり、今回もメールを交換していたそうです。そして、舞台上で2人が大勢の人垣の中で挨拶する場面を撮影することができました。写真右端に、村上さんが刊行した青色の表紙の本が見えます。


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 ジャーヴェードさんの人気は絶大で、日本で言えば吉永小百合に相当するとおっしゃる方もいらっしゃいました。

 この後、村上さんにとって願ってもない僥倖と言える、奇跡的な展開があります。しかし、そのことは今は置いておきましょう。

 6時半に始まったイベントも、9時を過ぎるとお腹も空きました。
 会場には屋台がたくさん出ていました。


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 私はビリヤニとマトンのハンバーグをいただきました。しかし、辛くてほとんど食べることができませんでした。日頃はインドでも香辛料の少ない食事をしているので、こんな時には口にするものがありません。


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 途中で食料を仕入れてから、宿に帰りました。
posted by genjiito at 15:50| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年02月13日

ネルー大学で今回最大の懸案である英文書類を作成する

 今回もお世話になっている WBC(World BudhistCentre,myouhouji)は、何度か紹介したように今も同じ佇まいです。


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 ラウンジの雰囲気も、十年ほど変わっていません。

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 毎朝、このソファでパソコンを使ってメールのチェックやブログを書いていると、お手伝いの子供がチャイを出してくれます。今日も、このチャイを飲みながら書いてアップします。

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 食後すぐに、ネルー大学へタクシーで行きました。
 いつもの正門前に人だかりができていました。学生たち数十人がプラカードを掲げています。その周りを警官隊がとり囲んでいるのです。

 ゲートは警官によって封鎖されています。入れないのです。一緒に来てもらっていた村上さんが、機転を利かせて警察から大学の敷地に入る方法を聞き出してくれました。教職員専用のゲートからです。そこでも止められました。しかし、またもや村上さんの機知により、無事に厳重な関門を突破できました。

 いつものように言語文学科がある建物に行くと、学科長室がいつもと様子が違います。違う科になっていたのです。受付で聞くと、隣の新しい建物に引っ越しをしたとのこと。一年前のことだそうです。うっかりしていました。
 慌ててそちらに行くことにしました。


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 アニタ・カンナ先生はレコーディング中だったため、先生の部屋で待たせていただきました。

 すぐ斜め前にラクシュミ先生の部屋があったので行きました。しかし、閉まっていたので携帯に電話をすると、会議が中止になったとのことで、帰る途中の車の中だったのです。日曜日に会うことになりました。
 現地に入ると、スケジュールはさまざまに刻一刻と変わります。

 カンナ先生が戻ってこられてから、サヒタヤアカデミーに提出する英文の書類の手直しをしました。素案は昨日のサヒタヤアカデミーの所長との面談後に作成してあったので、昨夜はその点検をして確定しました。しかし、いろいろと不具合が見つかったこともあり、今日は最終版の作成をしたのです。努力の甲斐があってか、望み通りの書類が出来上がりました。
 その内容については、後日詳しく紹介することになるかと思います。

 昼食は、私も何度か宿泊したアラバリゲストハウスの隣にあるのラウンジへ行きました。大型テレビには、このネルー大学前での警官と学生の騒動が生中継されていました。私の姿も、この大学に入る前に映ったかもしれません。豆粒みたいな日本人など、誰も気づかないでしょうが。
 まもなく、昨日も昼食をご一緒した鈴木貞美先生も、お泊まりのゲストハウスからお出でになりました。
 先生の翻訳論の自説を、楽しく伺いました。壮大な構想をお持ちなので、非常に参考になります。
 私は、目が見えない方と一緒に古写本『源氏物語』を読むことにチャレンジしていることをお話しました。興味を持って聞いてくださいました。

 午後はアニタ・カンナ先生の録音スタジオを訪問してから一旦宿舎に帰り、それからウルドゥー語の祭典である「 Jashn-e Rekhta」に出かけました。
posted by genjiito at 16:36| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年02月12日

サヒタヤアカデミーで『源氏物語』の翻訳に関する話し合い

 アラハバードからデリーに列車で出てきたばかりの村上さんと、ワールド・ブッディスト・センターのロビーで『源氏物語』のウルドゥー語訳のこと等の相談をしました。異国の地で夢のある話をするのは、気持ちのいいものです。


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 お昼過ぎに、タクシーでアニタ・カンナ先生のお宅に行きました。そこで、菊池さんとも合流。今後のプロジェクトについて、みなさんから多くの示唆に富む意見をうかがうことができました。

 ここでおもしろい場面が見られました。菊池さんと村上さんは、共に福島県の出身であることは知っていました。そこへ、隣町であることに加えて、なんと同じ高校で学んだ先輩と後輩だったのです。
 福島県というと、今私が取り組んでいる触読研究の研究協力者である福島県立盲学校の渡邊寛子さんを思い出しました。すると、渡邊さんが住んでおられる所もお2人にとって隣町だそうです。突然ながら、『源氏物語』をネタにして語り合う福島県人会の様相を呈してきました。私が間にいないと、何も接点のなかった3人です。
 異国の地でまさかこんな展開になるとは。
 本当に人と人とのつながりは、実におもしろいものです。

 昼食時に、国際日本文化研究センターの鈴木貞美先生も、アニタ・カンナ先生のお宅に駆けつけてくださいました。客員教授として今月一ヶ月はネルー大学にお出でだったのです。
 スケールの大きな研究のお話を楽しくうかがい、パワーをいただきました。

 その後、サヒタヤアカデミーへ行きました。


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 サヒタヤアカデミーは、日本式にいえばインド国立文学研究学院ということになります。まさに、国文学研究資料館と同じ性格を持つ組織です。
 このサヒタヤアカデミーのスリーニーヴーサーラオ所長と、親しく意見交換をしました。インド語8言語による『源氏物語』の翻訳に関するプロジェクトへの理解と協力をお願いしたのです。

 2011年にも、当時の所長にこの提案をしました。しかし、進展しないままになっていたのです。今回は、さらに具体的な内容を盛り込んだ提案として、丁寧に説明をしながらお話をしました。
 長期間にわたるスケールの大きな企画でもあり、お互いに検討すべき課題も多くあります。この件では、今年度末までに楽しい報告ができるようになればいいと思っています。

 帰りは、デリーの交通事情を大きく変えたメトロに乗りました。
 インドで最初にメトロが走った時には、ちょうどデリーにいた時でもあったため、早速初乗りに行ったものです。

 それが今、ゲートと乗車券代わりのコインは、こうなっています。


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 市内を走るメトロは、もうデリーを移動するみなさんの足となっています。
 今回乗った時間帯が、仕事帰りの方々とぶつかったこともあり、車内は満員すし詰めの状態でした。

 デリーを走る車の多さはどうしようもなく、市内への車の乗り入れはナンバープレートの奇数や偶数によって制限されています。それでも、排気ガスによる大気汚染は止まらない状況にあるそうです。北京に次ぐ空気の悪さを指摘されています。私が見たところ、言われるほどに大気汚染は感じられませんでした。数値はともかく、車の多さによる渋滞の方が深刻なようです。

 今日お目にかかった鈴木先生も、車の渋滞に巻き込まれてしまい、お昼の時間ギリギリにお越しになりました。発展していく国が抱える問題だとは言え、できることならこんな問題はない方がいい事象であることに代わりはありません。
posted by genjiito at 04:07| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年02月11日

デリーでの第1夜は仕事漬けです

 今回のデリー行きは、JALを使いました。
 機内での映画は、私が観たいものがなかったので、『スティーブ・ジョブズ』だけを観ました。共感することの多い映画でした。

 夢を持っている人とのお付き合いを、もっと大切にしたいと思いました。信念を持ち続けることの大切さが、映画の中のジョブズの生き様から伝わってきます。単なる成功者の物語ではないところが、この映画の見どころです。ただし、娘のリサの扱われ方に中途半端な感じを抱きました。

 観たい映画がなかった分だけ、機内で多くの仕事ができました。
 着陸時のアナウンスによると、デリーの気温は25度だそうです。
 東京よりも10度以上も暖かいのです。
 冬のデリーは日本と同じ気温だと思っていたので、しっかりと防寒対策をして来ました。ユニクロのヒートテックの出番は、予定よりも少なくなりそうです。

 空港内のトイレの絵を見ると、新しいインドを印象付けられます。


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 入国審査の所の壁面にも、インドらしい意匠が凝らされています。


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 空港では、国文学研究資料館に研究生として数年来ていたクマール君が、久しぶりに元気な姿を見せてくれました。身体も大きくなり、逞しい青年になっています。日本には、もう7年も行っていないとのこと。インドで翻訳の仕事をしているのです。才能豊かな若者なので、これからがさらに楽しみです。

 宿舎まではタクシーで一緒に行きました。車中でも話が止まりません。彼も喋りたい、私も喋りたいで、とにかくずっと会話が途切れません。

 ワールド・ブッティスト・センター(WBC)は、前回来た3年前とまったく変わっていません。いや、一つだけ変わりました。それは、インターネットが有線から無線になったのです。これは、一大変革です。

 クマール君と一緒に、簡単な夜食をいただきました。
 ダルのカレーとカリフラワーは、いつ来ても素朴で口当たりのいい食事です。


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 これから数日、こんな薬膳料理の日々です。チベットの方が料理を作っておられるので、身体に優しい味付けです。まったく辛くありません。刺激物が苦手な私には、ぴったりの食事なのです。

 日本とインドとの時差は3時間半です。これは、身体への負担が少ないので、欧米へ行った時とは格段に楽です。
 デリーでの第1夜は、もう少し仕事をしてから寝ることにします。
 今、インド時間で真夜中の23時半、日本では夜明け前の3時です。
posted by genjiito at 03:19| Comment(0) | ◆国際交流

2016年02月10日

160210_成田からインドへ出発する前に

 毎度のことながら、バタバタする中での旅立ちです。
 引き受けていた仕事は、9本の内4本しか仕上げられませんでした。
 関係者のみなさま、少し遅れます。申し訳ありません。

 昨夜は、業務に関する書類4種類に関して記述内容を追加してほしいとの指示が来たために、急遽手直しをして再提出することになりました。
 押印が必要な書類です。しかし、旅立ちの直前でもあり、郵送はもとより、職場に持参する時間がありません。
 職場での書類はいまだに印鑑が必要なものがあるので、こんな時にはどうしようもありません。
 かくなる上は、ということで、宿舎を同じくする同僚の所へ夜分に行って頼み込み、明朝出勤したら手渡ししてもらうことにしました。
 これまでにも、こんなことがありました。感謝、感謝です。

 今回は10日ほどの旅です。しかし、その準備となると、毎回あれやこれやと手間取ります。
 お土産は、お世話になることがわかっている9人分と追加1個を用意しました。
 2月に海外へ行く時には、女性にはお雛祭りに関係するお菓子を、男性には抹茶をまぶした煎餅を持参します。特に、パリパリした煎餅やおかきは海外で喜ばれるので、お目にかかる相手をイメージしてお土産選びをしています。お土産の用意だけでも、けっこう時間がかかるものです。

 今朝は、地下鉄東西線の門前仲町から船橋まで出て、京成船橋から空港第2ビルへと乗り継ぎました。約1時間半、順調な出発 … のはずでした。しかし、そこは私のこと。そうすんなりとはいきません。
 門前仲町のホームに立つと、ちょうどいい具合に西船橋行きが来ました。ホームにいた駅員さんに、この西船橋行きは船橋に留まりますか、と聞きました。すると、留まるとのことだったので、乗り込みました。駅員さんに京成乗り換えで成田空港に行くと言うと、船橋から少し歩くけど、とのことです。

 電車に乗っていて、これはおかしいと気付きました。大急ぎでiPhone を取り出して調べると、船橋はこの電車の終点である西船橋の次の駅なのです。面倒なことになります。すぐ後に来る津田沼行きなら、西船橋の次の船橋に留まります。大急ぎで一旦電車を降りて、後に来る電車に乗り換えました。
 門前仲町のホームでは、駅の整理員ではない方に聞きました。年配の方で、親切に教えてくださったのです。しかし、その方の指示は間違っていたのです。
 あの時、「この次の電車なら、西船橋で乗り換えずに船橋まで行けますよ。」の一言があればよかったのに。
 海外の方がますます増えるのですから、自信たっぷりに間違った案内はしないようにしてほしいと思います。私は、なんとか切り替えて事なきを得ましたが。

 一人旅なので、持ち物は少なめです。ただし、仕事をたくさん抱えているために、資料がいつもより多いのが頭痛の種です。
 成田空港に行くのは、いつも何かがあります。鬼門です。

 出発ゲートは66番です。空港の一番奥です。遠出のウォーキングをすることになりました。

 慌ただしく飛行機で出かけ、現地では時間と移動に追われる日々を送り、とる物も取り敢えず用事をすませたらとんぼ返りで帰ってくることになるはずです。
 多くの方に会い、面談と打ち合わせの連日となります。
 のんびりとした旅とは、いつになっても無縁です。
posted by genjiito at 11:10| Comment(0) | ◆国際交流

2016年02月09日

〈ひらがな〉と〈変体仮名〉をめぐる試行錯誤

 本ブログで「点字による変体仮名版の翻字は可能か」という連載をしています。

 それと平行して、、「古写本『源氏物語』の触読研究」という科研「挑戦的萌芽研究」のホームページでは、『立体〈ひらがな〉字典』という項目のもとに、具体的な文字の説明文を提示して試行錯誤を続けています。

 この「点字による変体仮名版の翻字」と『立体〈ひらがな〉字典』に関して、それを実際に確認してくださっている渡邊寛子さんからのご意見をもとに、今後の新たな展開を期待してここに取り上げてみました。

 この問題に関して、幅広くご意見をいただけると幸いです。
 
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160209_渡邊「点字による変体仮名版の翻字」について
 
 1月28日で取り上げていただいた私の点字の翻字の例ですが、できるだけ点字のマス数を抑えて本文がわかりにくくならないようにしています。
 点字は表音文字ですので以下、ひらがなで書き表します。


こ(古) こぶんのこ(7マス) ふるい(3マス)
しん(新) しんぶんのしん(9マス) あたらしい(5マス)
し(志) しがんするのし(10マス) こころざし(6マス)
す(寿) じゅみょうのじゅ(9マス) ことぶき(5マス)
す(春) しゅんぶんのしゅん(10マス) はる(2マス)
た(堂) どうどうたるのどう(13マス) どう(3マス)
た(多) たしょうのた(7マス) おおい(3マス)
ら(羅) もうらするのら(9マス) らしょうもん(6マス)
ら(良) りょうこうなのりょう(11マス) よい(2マス)


 それでは以下に「須磨」の冒頭を2パターンで示します。


〈本文〉
よの【中】・いと・わ徒らしく・は新堂な
き・ことの三・ま佐れ八・せ免て・志ら須可
本尓て・あ里へむも・これよ里・八志多那支・
 
@
よの【中】・いと・わつ(せいとのと)らしく・はし(しんぶんのしん)た(どうどうたるのどう)な
き・ことのみ(かんすうじのさん)・まさ(さとうのさ)れば(かんすうじのはち)・せめ(めんきょのめん)て・し(しがんするのし)らず(ひっすかもくのす)か(かのうせいのか)
ほ(ほんばこのほん)に(じごのじ なんじのぞくじ)て・あり(きょうりのり さと)へむも・これより(きょうりのり さと)・は(かんすうじのはちし(しがんするのし)た(たしょうのた)な(なはしのな)き(しじするのし ささえる)・
 
 
A
よの【中】・いと・わつ(せいと)らしく・はし(あたらしい)た(どう)な
き・ことのみ(数符3)・まさ(さとう)れば(数符8)・せめ(めんきょ)て・し(ここ
ろざし)らず(すま)か(かのう)
ほ(ほん)に(なんじ)て・あり(さと)へむも・これより(さと)・は(数符8)し(こころざし)た(おおい)な(なは)き(ささえる)・


 Aで短く触る方が本文のつながりを妨げませんが、私が変体仮名を知っている、漢字の字形を覚えていることに由来します。

 関口さんのご指摘ご提案のように、使用されている変体仮名の一覧をつけた方がよいのかもしれません。必要な情報を選べるように。



 
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160208_渡邊『立体〈ひらがな〉字典』について
 
立体に触りながらなら、わかりやすい表現の数々です。
特にカーブするところ、
「か」「ち」「と」「や」「ら」「を」など
触ればわかる丸みというか、角度ですが、「右へ曲がる」などは音声のみで理解するには形を知っていることが前提になりそうです。
 
 
160208_関口
 
ご教示いただいたカーブするところは、例えば「か」でしたら、
「1画目。左・上の位置から書き始めます。右へ横線、左へななめに下がる長い線。」
としました。
横線から、左へななめに下がる、だけでは、確かにどれぐらいの曲がり方をしているのか漠然としています。
ご指摘の「ち」「や」「ら」のカーブはどう言い表してよいか最後まで悩みました。
カーブは難しいです・・・。
やはり何かの形に例えた言い方のほうがよいのでは、と思っております。
このカーブをうまく表現できたらよいのですが。
角度やカーブの形といった、文字の形の特徴となる部分は、もう少し詳しく、具体的に伝わるように考えたいと思います。
 
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posted by genjiito at 21:49| Comment(0) | 変体仮名

2016年02月08日

点字による変体仮名版の翻字は可能か(8/from 関口)

 1月21日から2月2日までの7回にわたるやりとりを拝読しました。
 点字に関しては初心者ながら、点字によって変体仮名を翻字することは可能なのでは、と感じました。

 変体仮名、つまり漢字を、点字によってどのように再現するかという問題は、1月28日の記事で、渡邊先生が、翻字データをご自身で点訳し、変体仮名のメモを作って実際に活用されている事例が参考になります。

 例えば、単純ですが、変体仮名の情報を、翻字本文のなかに丸括弧でくくるなどして直接組み入れる方法を考えてみました。写本の「なつ古ろ」でしたら、「なつこ(こぶんのこ)ろ」のようになります。あるいは、欄外に注のような形で、「なつころ」の「こ」は「こぶんのこ」である、という情報を添える方法も考えられます。

 現実的かどうかはわかりませんが、翻字本文は易しく読みやすいほうがよいと思いました。

 変体仮名に対応する点字を新たに作ることも一案かと思います。
 しかし、翻字本文が複雑になりますし、研究開発のコストが必要になることなどもこれまでのやりとりのなかで挙がっています。
 まずは、点字の古文を読むのと変わらずに、気軽に翻字本文を読むことができるように工夫をこらすほうがよいのではと思いました。

 しかし、「こ」は「こぶんのこ」という情報も、「古」という漢字を知らなければ「こぶんのこ」を想起することはできません。「古」という漢字をどのように伝えればよいかという問題があります。

 翻字本文とは別に、変体仮名を学ぶための点字資料を用意する必要があると思いました。

 1月31日の記事では、ハーバード本『源氏物語』「須磨」「蜻蛉」と歴博本「鈴虫」の翻字に必要な変体仮名は57種ということでしたので、57種を習得するための点字資料を作成します。加えて、変体仮名の形を詳しく説明する場合には、音声を使えば多くの情報を伝えることができます。翻字本文にあたる前に、点字版・音声版の両方で変体仮名の情報を得ることができれば、翻字本文がさらに読みやすくなるのではないでしょうか。

 音声読み上げによって『源氏物語』本文を読むときは、中野先生の2月1日のご意見で、音のみが読み上げられる場合と、変体仮名の情報が読み上げられる場合を、読み手が時と場合によって自在に選択できるようにするのが一番よいとあります。
 読み手の目的や興味に応じて、情報を選べる、得られる仕組みや環境を整えることも大切だと思いました。
 
(科研運用補助員の関口祐未さんからのメールを、本ブログ用に整形して掲載しました。)
posted by genjiito at 08:38| Comment(0) | 変体仮名

2016年02月07日

『立体〈ひらがな〉字典』を公開しました

 平成27年4月に採択された科研「挑戦的萌芽研究」では、目の不自由な方々と一緒に古写本『源氏物語』が読めないか、というテーマに取り組んでいます。

 関係者のみなさまのお陰で予想以上の成果があがり、科研のホームページ:「古写本『源氏物語』の触読研究」で多くの情報と報告を発信しています。

 今回、その中に『立体〈ひらがな〉字典』という項目を追加しました。

 これは、ひらがなの字形がより明確にイメージできるように、ひらがなの形をことばで説明した『字典』です。

 初めて取り組むものであり、問題も多々散見するかと思われます。
 実際には、手作りの厚紙凸字を触りながら、ひらがなの字形を確認するための説明文です。


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 ただし、上の写真のような触読用の厚紙凸字を、ネットでは体感していただけません。そのため、当座は文字による説明文でどこまでイメージを構築していただけるか、ということに留まるものです。今後は、3Dプリンタの活用など、さまざまな可能性を模索していくつもりです。

 暫定版であっても『立体〈ひらがな〉字典』を広く公開することで、異種他分野や障害をお持ちの方々からのご教示をいただけることを期待しています。
 少しずつ改良の手を加えて、便利な『字典』になるように育てていきたいと思っています。

 今回公開した『立体〈ひらがな〉字典』は、「挑戦的萌芽研究」において科研運用補助員として奮闘している関口祐未さんの試行版です。

 感想なども含めて、ご意見やアドバイスをいただけると幸いです。
posted by genjiito at 12:12| Comment(0) | 変体仮名

2016年02月06日

日比谷図書文化館のみなさまと鎌倉期源氏写本を見る

 日比谷図書文化館で『源氏物語』の翻字の勉強をなさっている方の内の有志9人が、国文学研究資料館所蔵で鎌倉時代に書写された『源氏物語』(榊原本、16冊)を閲覧するためにいらっしゃいました。

 正面玄関前には、まだ先月の雪が少しだけ残っています。


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 閲覧場所は、1階グループ閲覧室を使用しました。
 ちょうど土曜日開館ということもあり、司書の方々をはじめとしてあまりご迷惑をおかけすることなく、じっくりと閲覧していただくことができました。

 みなさま好奇心の旺盛な方々なので、2時間たっぷり熱心に、700年前に書写された『源氏物語』に見入っておられました。

 この榊原本は、影印本『源氏物語 榊原本』(国文学研究資料館編、勉誠出版、平成24年)として刊行されているので、写真版でご覧になれます。
 また、ネットでも詳細な画像が確認できます。
 「榊原本『源氏物語』」
 
 問われるままに、いろいろとお話をし、お答えしていました。
 その中で、特に興味深かったことを記しておきます。

 第4巻「夕顔」の最終見開き丁で、「人」という文字が3行にもわたって大きく書かれていたことです(1016コマ目)。


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 これまでに私が見た大きな文字は、陽明文庫本『源氏物語』(重文)の第3巻「空蝉」のあばれた文字で書写されたものがあります。
 その様子は、『千年のかがやき』(国文学研究資料館編、思文閣出版、平成20年、91頁)の「7 陽明本『源氏物語』」の項目に写真を掲載しましたので、その写真をご覧いただければ一目瞭然です。この写真は、陽明文庫の名和修先生に特にお願いして撮影していただいたものです。2008年に国文学研究資料館で開催した特別展でも、この丁を開いて見ていただきました。

 さて、この榊原本では、「人」という文字だけが、上の写真で見られる通りに大胆なのです。
 3行にもわたる文字を見ていると、書写のための道具としての糸罫には、糸を張らずに用いたものを考えたくなります。
 これまで私は、隣の行にまではみ出した大きな文字については、縦に張られた糸を跨ぐ際に小指で少し押してずらして書いていた、と説明してきました。
 しかし、この榊原本の「人」を見ていると、糸が張られていない、木枠に上下の行を誘導する印だけを刻印したものもあったのではないか、と思えてきます。
 行末がきれいに揃っているので、木枠を使用したことは間違いないと思っています。

 糸罫については、『千年のかがやき』の103頁に写真が掲載されていますので、その形を確認してください。

 この推測も含めて、こうした大きな文字を書写していた実態について、ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示をお願いします。

 写真版の複製本などを見ていては伝わってこない、墨で書かれた文字が持つ迫力が、こうして原本を間近に見ると圧倒されるほど響いてきます。
 原本をご覧になると、写本というものが持つ、時間の流れの奥に潜む書写者の気迫も伝わってきます。
 その意味からも、可能な限り原本を見るようにしていると、翻字をしていても実感を伴って文字が読めてきます。

 こんな700年前もの写本を、実際に手にして読めるのですから、和紙に墨書された写本の魅力は尽きないものがあります。
posted by genjiito at 21:58| Comment(0) | 変体仮名

2016年02月05日

『源氏物語』の翻訳本に関する情報を求めています

 現在、『源氏物語』の各国語訳の整理を進めています。
 私が確認できているのは、次の32言語で翻訳された『源氏物語』です。
 大多数を手元に集めることができました。
 しかし、残念ながらコピーや写真によるものも何種類かあります。


【『源氏物語』が翻訳されている32種類の言語】
アッサム語(印度)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(印度)・英語・オランダ語・オリヤー語(印度)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(印度)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(印度)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャビ語(印度)・ヒンディー語(印度)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤラム語(印度)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語


 こうした諸言語訳『源氏物語』は、「ミニ展示《さまざまな言語に翻訳された『源氏物語』》-2015-」(2015年09月08日)と題して、国文学研究資料館の展示室において公開してきました。

 そこで、これらに関してさらなる情報を求めて、以下の4種類の翻訳本について、この場を借りてご教示を乞うしだいです。
 
(1)「ヘブライ語」による『源氏物語』の翻訳本は、交流基金のデータベース「日本文学翻訳書誌検索」によると、ペンシルバニア州立図書館にあるようです。
 また、オーストラリア国立図書館に寄贈されているとの情報も、かつていただきました。ただし、未確認です。
 この本は、イスラエルのテルアビブにある出版社 Schocken(ショッケン)から 1971年に刊行されています(214頁、サイズ22p)。
 日本のどこかに所蔵されていないでしょうか。
 
(2)インドのオリヤ語訳『源氏物語』が、大英図書館にあることは確認できています。2011年7月に、当時ケンブリッジ大学におられたレベッカ・クレメンツさんにお願いして、本の表紙と首巻「桐壺」だけは現状を確認していただきました。
 これも、日本のどこかで所蔵されていないでしょうか。
 
(3)インドのウルドゥー語訳『源氏物語』については、「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009/3/5)で報告した通りです。ネルー大学にあることは確認しました。東京外国語大学にもあります。しかし、それは一部分を欠いていたように思います。
 日本国内で、東京外国語大学以外で所蔵されていないでしょうか。
 
(4)アラビア語訳『源氏物語』については、「【復元】エジプト・カイロと日本文学との接点を求めて」(2011/2/1)で、アハマド先生を紹介する中で書きました。
 その後、中東のどこかで刊行されているようだ、との情報を得ながら、追跡が不十分なまま今に至っています。
 このアラビア語訳『源氏物語』に関する情報をお持ちの方からの連絡を、お待ちしています。
 
 以上、4種類の『源氏物語』に関して、情報を求めています。
 ご教示のほどを、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 20:54| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年02月04日

読書雑記(154)山本兼一『火天の城』

 あの織田信長が、新たな視座から描き出されました。安土での築城を中核に据えて、山本兼一ならではの、豊かな発想が魅力的な信長像の出現です。

 今回は、文庫本(文春文庫、2007年6月)で読みました。


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 実は、単行本を手にする前に、映画化されたものを先に観たのです。英国ケンブリッジ大学行く飛行機の中でした。
 そして、その主人公を演じた役者の演技が鼻についたので、直木賞の候補にあがり、松本清張賞を取った作品と騒がれていても、この作品名にいい印象を持っていませんでした。

 その後で本を手にしても、映画の場面がじゃまをして、途中で投げ出していたのです。

 それでも、山本兼一は好きな作家だったので、10年も経ったこともあり、気分転換に文庫本で読んでみました。
 直木賞を受賞するほどの作品なので、文章はしっかりしていました。ただし、やはり映画が災いしているのか、読後感に何かすっきりしないものを感じています。

 それはさておき。
 築城に当たり、無理難題を投げかける信長の思いつきを、岡部又右衛門は律義に大工として叶えようとします。反発する息子の成長も見ものです。

 イタリアから来た耶蘇会の神父で宣教師のオルガンティーノが、活き活きと独特の味を出して、当時の日本を外から見た視点で評しています。この冷静さが、本作品に奥行きを与えます。

 大仕事になればなったで、大人数で当たることになります。すると、仕事の妨害を意図した間者も紛れ込むことになりのです。棟梁は、全体の指揮をとりながら、雑事にも気を巡らすのでした。

 人を使って物を造る背景が、実におもしろく描かれていきます。

 木曽の檜が、一本折れたままで届きました。それには「ひらがな」ばかりで記されたそま頭の消息があります。職人は仮名文字だけを使っていた、と言うことなのでしょう。
 社会と文化が具体的に伝わってきました。


 おやくそくのひのき もうしわけなくもおれ候 おおいわにあたりて おれ候 まことに まことに もうしわけなきしだいにて めんぼくもこれなく かえすがえすも くちおしくはじいるばかりにぞんじ候 じんべえ(211頁)


 間者や乱波が築城を妨害する動きが、物語の展開を一層おもしろくしています。
 安土に壮麗な天守を建てるために、その作事の背景には壮絶は戦いがあったのです。

 終盤の明智謀反に至る信長の背景に、安土の築城という物造りの匠がいたのです。新たな歴史物語の誕生と言えるでしょう。

 ただし、本作の意義はそうであっても、物語を楽しむ読者の立場からは、頁を繰るのがもどかしいほどの感興は、最後まで沸き上がりませんでした。これは、映画のことだけではなくて、意外性と躍動感が足りなかったからではないか、と勝手に思っています。特に、織田信長をもっと鮮明に描いてほしかったのです。本作が、直木賞の候補にあがりながらも受賞できなかったのは、こうしたことがあるからではないでしょうか。【3】

書下ろし(第11回松本清張賞応募作)
単行本︰2004年6月 文藝春秋社
posted by genjiito at 23:05| Comment(0) | 読書雑記

2016年02月03日

「きずなづくり大賞 2015」受賞の関場理華さんと「百星の会」

 「点字付き百人一首〜百星の会」の事務局を運営なさっている関場理華さんから、正月23日に、非常に嬉しい知らせが届きました。

 精力的に続けておられる「点字付き百人一首」の活動が、東京都社会福祉協議会の「きづなづくり大賞 2015」の中でももっとも輝かしい「都知事賞」を受賞した、とのことです。

 関場さんとは、昨夏8月末の暑い日に、京都嵯峨野で初めてお目にかかりました。その時のことは、「京洛逍遥(375)嵯峨野で「点字付百人一首」を楽しんだ後は時雨殿へ」(2015年08月31日)に書いた通りです。

 昨年11月には、東京駅構内の一角で長時間にわたって打ち合わせをしました。それは、12月6日(日)に東京・護国寺の筑波大学附属視覚特別支援学校で開催される「科学へジャンプ! イン東京」というイベントで、「五感を使って感じられる百人一首」というワークショップを関場さんがなさることに協力することになり、その詳細を話し合うものでした。
「五感を使って江戸時代の百人一首カルタにチャレンジ」(2015年11月23日)

 関場さんが書かれた文章「かるたを通したコミュニケーション」が掲載された雑誌の紹介も、「視覚障害をテーマとする3本の記事の紹介」(2015年12月02日)の中でしました。

 そして、筑波大学附属視覚特別支援学校で開催されたイベントの日に、関場さんのお手伝いをさせていただいたことは、「体験型学習会で点字付百人一首のお手伝い」(2015年12月06日)で報告した通りです。

 この3度のお付き合いだけでも、関場さんの誠意と情熱を肌身に感じ取ることができました。ありがたい、嬉しい出会いでした。

 そこへ、今回の受賞です。わが事のように嬉しくてなりません。

 関場さんから受賞の知らせを教えていただき、すぐにネットでその詳細を確認しようとしました。しかし、関場さんの名前が見あたりません。
 「2015 きずなづくり大賞」のホームページを見ても、いつまでたっても昨年の情報のままです。
 主催団体である「東京都社会福祉協議会」のホームページにも、この件での情報はアップされていません。

 公式発表が遅れている中で、関場さんは取る物も取り敢えず、いち早く私に朗報を知らせてくださったのだろうと思いました。そこで、関場さんのお気持ちを、私のフライングで迷惑をかけないようにしようと思いました。主催団体のホームページから正式に発表を待って、その確認をしてからこのブログで取り上げ、関場さんへのお祝いにかえよう、と思い留まったのです。

 ところが、待てど暮らせど、主催団体のホームページから公表がなされません。
 2月になったのを機に、もうどこかに公表されているだろうと思い、それこそ八方手を尽くしてネットを探しました。
 上記の「2015 きずなづくり大賞」のホームページは昨年のままであることは今も変わりません。
 そんな中で、「東京ボランティア・市民活動センター」のニュースの中に、「きずなづくり入選作決定 きずなづくり大賞2015入選作決定」という文字を見つけました。やっと受賞の報告にたどり着けたのです。
 そこには、「きずなづくり大賞2015 入選作が決まりました」とあります。
 この記事を、この10日ほど毎日探していたのです。
 もっとも、そのタイトルの下には、



■東京都知事賞
「点字の向こうに笑顔が見える」関根 理華さん

とあります。
 何と、「関場 理華さん」ではなくて「関根 理華さん」となっているのです。
 名前を間違って公表なさっているのです。いろいろとネットで「関場」さんを検索しても、見つからないはずです。
 この記事のタイムスタンプは、「2016-01-23; TVAC」となっているので、関場さんが私に受賞の知らせを届けてくださった、まさにその日なのです。

 へたに気を回さずに、関場さんから教えていただいてすぐに、本ブログでこの記事を書けばよかったのです。
 実に10日間、毎日探し回っていたことは徒労だったのです。しかし、おめでたいことなので、それはそれ、ということにしましょう。
 なお、上記「2015 きずなづくり大賞」のホームページの「※入賞作品が発表になりました。こちらをご覧ください。(2015年1月29日)」とある項目をクリックしても、これはいまだに「きずなづくり大賞'14 入賞作品」という、昨年の受賞報告に行くだけです。

 「2015 きずなづくり大賞」のホームページを担当なさっている方にお願いです。リンクを今年の授賞作品にたどり着けるようにしていただけませんか。
 よろしくお願いします。続きを読む
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年02月02日

点字による変体仮名版の翻字は可能か(7/to 中野)

 昨日掲載した、中野さんからの点字による翻字に関する意見に関して、私が今思うところを記しておきます。
 
(1)写本の情報をどの程度翻字で再現するのか

 「わざわざ翻字を作成する意味」については、私も真っ正面からは考えていませんでした。
 確かに、「最初から現物やその写真、凸字版を研究に使えばよい」わけですから。
 しかし、写本に書写された文字を読み取り、その意味するところを考えるのは、やはり時間と手間がかかります。しかも、翻字には原本固有の誤写や誤読が存在するので、文字列や字形からいろいろと想像を逞しくするのには、相当のエネルギーが求められます。
 さらには、虫損や落丁や錯簡などなど、写本が抱える状況も翻字に影響を与えます。

 そこで、現行の文字で印字されている翻字資料を横に置いた方が、書かれている内容の判読は格段に正確で早くなります。また、書写状態を考慮することなく、書かれている文字列に集中できます。
 分野を異にする方々も、統一された現行の文字で印字された翻字だと、利用の便が拡大するのも確かです。

 さらには検索に関連して、「検索の利便性のために原文の再現性を犠牲にして、語の表記の統一をめざす翻字の方針もありうるのではないか」という見方は、私が『源氏物語別本集成 全15巻』(伊井・伊藤・小林編、桜楓社・おうふう、1989(平成元)年〜2002(平成14)年)と『源氏物語別本集成 続 全15巻』(同編、おうふう、2005(平成17)年〜第7巻まで刊行)に取り組む中で実施していたことでもあります。デジタル化を意識した本文データベースの構築のためには、検索されることを意識して文字を統一した翻字をせざるをえなかったのです。
 つまり、「原文の再現性と検索の利便性の両立」は、相矛盾するものなので今後とも検討課題です。

 とはいえ、もっとも優先すべきことは、翻字対象とする原本の再現性だと思います。
 しかも、変体仮名がユニコードとして登録されると、電子情報としての文字がこれまでの手書きや印刷物とはまったく異なったものとなります。本文データベースの基礎となる文字データの中でも、特に仮名文字がもつ情報の質と量が一大変革をきたします。上記の矛盾点は、文字を操作するプログラムやコーパスによって、意識することなく自由に双方の文字を扱えるようになります。

 その意味からも、原本に立ち戻れる、変体仮名を交えた翻字の意義が重要になるはずです。
 原本に「阿」と書いてあるのに、現在の翻字方式では「あ」としています。これでは、未来永劫に原本の正しい書写状態や表記に戻れないのです。
 中野さんも書いておられる、「出来る限り原文の再現ができる方法」は、この問題に着手する最初に確認しておくべきことだと思います。

 また、目が不自由な方が写本を触読や聴読によって読むにあたり、変体仮名の字母レベルでの区別がつかなけれは、写本を読みだしてもすぐに中断することになります。
 現在の変体仮名は、明治33年以降は、ほとんど教育の現場では扱われなかったのですから、今後とも目が見える見えないに関わらず、学習する環境を整える必要があります。
 その際に、変体仮名を点字でどう表記・表現すべきかが問題となるはずです。
 今私は、この問題に一日も早く着手して、多くの方々の意見を集約する形で、変体仮名の理解と習得をめざすシステム作りが急務だと思っています。

 
(2)変体仮名を点字で表す場合どのようにするか

 中野さんのおっしゃる、「変体仮名に対応する点字そのものを作成する」ことに関して、「点字2字、もしくは3字を組み合わせて変体仮名であるという情報を付与する」ということが、今一番可能性の高い方策かもしれません。
 ただし、その場合にも、国立国語研究所が提示しておられる「学術情報交換用変体仮名セット」の中でいえば、「か」の変体仮名として以下の11文字が掲載されていることが、大きな問題をもたらします。

「佳・加・可・嘉・家・我・歟・賀・閑・香・駕」



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 鎌倉時代の書写になるハーバード大学本「須磨」「蜻蛉」と歴博本「鈴虫」の三冊だけであれば、「か」は「加」と「可」だけで翻字できます。具体的に言えば、各巻には次のような用例数が確認できています(各巻の数値の多寡は今はおきます)。


   須磨/ 鈴虫/ 蜻蛉= 合計
か= 82/ 10/409= 501
可=303/389/626=1318


 しかし、室町時代から江戸時代へと翻字対象となる写本や版本を広げていくと、上記のような11文字種も出現する「か」などは、その対処が大変になります。
 これは、時間をかけて方策を練る必要がありそうです。

 
(3)変体仮名の音声よみあげについて

 ご提案の「音声情報が付与された写本源氏物語コーパスの作成」については、触読研究の科研で研究協力者としてご協力願っている、国語研の高田智和先生のお力にすがることにしましょう。高田先生は「学術情報交換用変体仮名セット」を策定して提案するメンバーのチーフということでもあり、いろいろと示唆に富むアドバイスをいただけることでしょう。
 高田先生、勝手に頼りにしています。ご寛恕のほどを。
posted by genjiito at 22:08| Comment(0) | 変体仮名

2016年02月01日

点字による変体仮名版の翻字は可能か(6/from 中野)

 私が中野さんに投げかけたこと「点字による変体仮名版の翻字は可能か(3/伊藤 to 中野)」(2016年01月26日)に関して、以下の返信をいただいています。
 一昨日(1月30日)にいただいたものです。

 私の文章に触発されて、また新たに気づいた問題点もあるようです。
 お互いが思いついたままにやりとりしている内容を公開するものです。
 問題点や対処及び解決策などについては、このコラボレーションを通して、折々に整理したいと思います。

 いましばらくのお付き合いを願います。
 また、ご意見やご感想などがありましたら、いつでもお寄せください。
 
----- 以下、中野さんからの返信(No.2─1月30日) -----
 
(1)写本の情報をどの程度翻字で再現するのか

しろうとの考えでお恥ずかしいのですが、この際なので聞いてしまいます。
私は写本がスラスラとは読めないので、翻字文の存在は非常にありがたく感じています。それを作成してくださっている方々には日頃から感謝の気持でいっぱいでした。
他方、写本をすらすらとよめる専門家の先生方にとって、翻字の作成とはご自身の研究上のどのような利点があるのだろう、という素朴な疑問が長年ありました。
翻字の際には、どうしても情報量や情報の質が変化するもので、すべての情報をそのまま再現したい、というのはとてもコストのかかる作業となります。それならば、写本を読める方にとっては、最初から現物やその写真、凸字版を研究に使えばよいのであって、わざわざ翻字を作成する意味とはなんなのだろう、というのは前々から不思議におもっておりました。

しろうと考えとして、翻字の意義としましては、
まず、写本をよめる研究の後継者の育成のためにはやはり、翻字されたなるべく原文に近い活字文が用意されることは必要なのかもしれないと思います。いままで活字ばかり読んできて、大学に入学していきなり写本の写真を渡されて読むように言われたときに、やはり翻字文にずいぶん助けられた覚えがあります。

もう一つは、検索の利便性です。
翻字の際には、索引が作成されることが多く、これが研究の際には非常に助けになりました。
また、近年では電子化された翻字文がインターネット上などで公開されることとなりますが、これによりさらに検索の利便性が向上しました。
ただし、このとき、原文の表記の差異を忠実に再現してしまうと、たとえば表記にゆれのある語を、一括で検索する、などということが難しくなります。翻字ならではの特性を利用しよう、という方針があるときには、検索の利便性のために原文の再現性を犠牲にして、語の表記の統一をめざす翻字の方針もありうるのではないか、と考えました。
そして、原文の再現性と検索の利便性の両立を考えるのであれば、翻字文の作成のみならず、言語情報(語彙・品詞・統語・音声・文字表記情報等)が付与された源氏物語コーパスの作成までを考慮に入れる必要もあるでしょう。

いろいろ書いてしまいましたが、まとめますと、原文にある情報を翻字の際にすべて再現するというのは難しく、どの情報を優先して再現するか、という取捨選択がかならず必要になるかと思います。
そのときに、優先すべき情報とはなにか、という議論が必要になるのではないでしょうか。ただし、その優先順位は、研究者の研究目的や専門によってさまざまであるかと思います。そのなかで、多くの研究者がおおむね合意ができそうな翻字文とはどのような形のものなのか、ということに私は興味があります。専門の研究者の方々のご意見をうかがいたいところです。

ただし、今回の点字翻字の場合は、研究目的は置いておいて、「出来る限り原文の再現ができる方法」を検討しておくことも、必要かと思います。まず、点字で翻字はどこまで可能か、というところも未知数ではありますので。
 
(2)変体仮名を点字で表す場合どのようにするか

変体仮名の点字についてですが、ブログの記事で渡邊寛子氏がお示しのとおり、文字そのもので翻字するというより、注釈のような形で補う、というものが一つ、おおきな方法としてあり得るかとおもいます。
また、変体仮名に対応する点字そのものを作成する、ということも考えられるかもしれません。漢字対応点字を利用することも考えられますが、原文の漢字表記も翻字の際に再現するのであれば、それらとの混在が問題になってきます。
まったく新しく作るのであれば、点字2字、もしくは3字を組み合わせて変体仮名であるという情報を付与する、などが考えられるかもしれません。
たとえば点字で「が」をかきあらわす場合、「濁音符+か」で2字で「が」という1音を表しています。同様に、たとえば「変体仮名符+音生情報+字母情報」のような組み合わせで、あらたに点字で変体仮名を作成することも可能かと思います。ただし、まったく新しいこころみとなりますので、研究開発にコストが必要となるかと思います。
 
(3)変体仮名の音声よみあげについて

自動音声よみあげの問題についてですが、作品の読解の際などには、いちいち変体仮名の情報がよみあげられるよりは、音のみがよみあげられたほうが良い場合もあるでしょう。表記の研究をするばあいには変体仮名の情報がよみあげられる方がのぞましいでしょう。どちらか、ではなく両方を、よみてが時と場合によって自在に選択できるようにするのが、一番よいのではないかとおもいます。
(1)ともかかわりがあるのですが、電子化するさいには、翻字文の作成、というよりは、音声情報が付与された写本源氏物語コーパスの作成を目指すことも、音声よみあげのためには有用かもしれないと考えております。
 
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〈この意見交換は、明日の「点字による変体仮名版の翻字は可能か(7/伊藤 to 中野)」へ続く〉
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 変体仮名