2016年01月31日

点字による変体仮名版の翻字は可能か(5/私案の提示)

 渡邊寛子さんからの報告を受けて、「点字による変体仮名版の翻字は可能か(4/from 渡邊)」(2016年01月28日)という記事を書きました。そして、具体的な方策をいろいろと考えました。

 暫定的ではあっても、目が不自由な方が変体仮名を扱う上で便利なものとして、一つの私案をここに提示します。

 これは、渡邊さんが「翻字データをパソコンで聴きながら点訳」しておられるということから、それではそのための基礎データを作成しておけばいいのではないか、と思ったことに端を発するものです。
 いわば、「視覚障害者用変体仮名表記表現一覧」とでも言うべきものです。

 国立国語研究所がウェブサイトに「学術情報交換用変体仮名」として公開されているものは、「約293文字の文字画像(字形)」でした。
 ただし、これには現行のひらがなである「て(天)/な(奈)/み(美)/も(毛)/る(留)」に関しては変体仮名が3パターン採録されています。
 その他、変体仮名である「可/佐/数/春/須/所/多/登/那/尓/年/能/盤/者/飛/本/満/井/衛/乎」等のよく使われるものには、2パターンの字形が採録されています。
 そのため、字母別変体仮名の文字数は次の176文字に整理することができます。

 これを、さらに鎌倉時代の『源氏物語』(ハーバード本「須磨・蜻蛉」と歴博本「鈴虫」)の写本に使われる変体仮名だけにしぼってみると、次の赤文字(57種)が点字で書き分けられればいいのです。


悪/愛//意/移/憂/有/雲//盈/縁/要/隠/佳//嘉/家/我/歟/賀/閑/香/駕/喜//木/祈/起/九/供/倶//求//気//期/許/乍//差/散/斜/沙/事//受/寿/数//聲//楚/蘇/處//當/千/地/智/致//津/都/亭/低/傳/帝/弖/轉/土/度/東//砥/等/南/名/菜//難/丹//児//而/耳/努//子//熱/濃//農//半/婆//破//頗//避/非//布/倍/弊//邊/報/奉/寳//萬/麻//微//身/无//牟/舞//面/馬//茂//夜/屋/耶//余/餘//李/梨/理//離/流//類/連/麗/婁/樓//露/倭//遺/衛/乎/尾/緒/


 この赤字以外の変体仮名については、鎌倉時代の写本の変体仮名を点字で翻字した後に、そこから見えてきた問題点を整理する中で、室町時代や江戸時代の版本にまで及ぼして考えればいいのではないか、と思います。

 なお、通信で用いられる「無線局運用規則第十四条 別表第五号 通話表」(「ちょっと便利帳」http://www.benricho.org/symbol/tuwa.html)に掲載されている文字に関しては、その表現を利用しています(※印を付したもの)。

阿=「阿弥陀のア」
伊=「伊勢のイ」
江=「江戸のエ」
可=「可能のカ」
支=「(思案中)」
具=「道具のグ」
个=「一个のケ」
希=「希有のケ」
遣=「遣唐使のケ」
古=「古文のコ」
故=「故郷のコ」
佐=「佐渡のサ」
四=「四国のシ」※
志=「志願のシ」
新=「新聞のシ」※
寿=「寿司のス」
春=「(思案中)」
須=「須磨のス」
勢=「伊勢のセ」
所=「余所のソ」
堂=「(思案中)」
多=「多少のタ」
遅=「遅刻のチ」
徒=「生徒のト」
登=「登山のト」
那=「那智のナ」
二=「数字のニ」
尓=「爾の異体字」
怒=「鬼怒川のヌ」
年=「年号のネ」
能=「能登のノ」
八=「数字のはち」※
盤=「円盤のハ」
者=「(思案中)」
葉=「葉月のハ」
悲=「悲劇のヒ」
日=「日本のニ」※
飛=「飛行機のヒ」※
婦=「婦人のフ」
遍=「遍照のヘ」
本=「本文のホ」
万=「万年のマ」
満=「満月のマ」
三=「三笠のミ」※
見=「見舞のミ」
無=「無線のム」※
免=「免許のメ」
母=「母屋のモ」
裳=「裳着のモ」
遊=「遊山のユ」
羅=「羅生門のラ」
里=「里程のリ」
累=「累積のル」
路=「路上のロ」
王=「(思案中)」
井=「井戸のヰ」※
越=「越度のヲ」
【以上57文字】

 まだ、点字で表記するための表現を決めかねているものがいくつかあります。
 「(思案中)」としたのがそれです。
 「王」については、「王仁のワ」を考えました。しかし、応神天皇の時代に『論語』や『千字文』を伝えた王仁(和邇吉師)は、目が見えない方々に「王」という文字をイメージする喚起力に欠けるように思われます。これらは、追い追い考えることにします。
 まずは、現時点での私案を提示しておきます。

 現行(明治33年に制定)のひらがなに加えて、この57種類の変体仮名だけで、ハーバード大学本「須磨」「蜻蛉」と歴博本「鈴虫」が読めるのです。もちろん、「給」や「御」などの漢字は読み飛ばしてのことです。

 漢字を読み飛ばしても、意味は伝わるので心配はいりません。
 これについては、音声による支援を考えています。
 「名工大で古写本の音声システムが初稼働して感激」(2015年11月09日)
 いろいろな視点から対処していくことで、一人でも多くの方に『源氏物語』の写本というものとの接点を見つけ出していただけるのでは、と思って取り組んでいるところです。

 お気付きの点などをご教示いただけると幸いです。
posted by genjiito at 23:26| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年01月30日

江戸漫歩(122)東陽町の東京イースト21

 地下鉄東西線の東陽町駅近くに、東京イースト21があります。
 都立深川高校と江東区役所から北へ歩いてすぐのところです。


160130_east21




 東京の宿舎の東側には、豊洲の高層マンション群がずらりと聳え立っています。南側には佃島と月島の高層マンション群が、西側には茅場町と八丁堀のビジネス街が展開しています。
 そんな環境に身を置いている中で、東北方面を見ると、にょっきりとビルが突き出ているので、どんなところか気になっていました。

 木場公園と東京都現代美術館の先にある東京イースト21に立ち寄りました。ここは、オフィス・ホテル・商業施設・イベントスペースで構成される、平成4年にできた複合都市です。21階建ての2つののっぽビルが、東陽町周辺のランドマークとなっています。
 ホテルイースト21東京はオークラホテルの系列で、落ち着いた雰囲気があります。ランチを美味しくいただきました。

 外に出ると、スカイツリーの尖塔が雨上がりの空に烟っていました。


160130_skytree




 この一帯は庶民的な場所です。東京オリンピックを間近に控え、これからますます人が多く集まる地域になることでしょう。
posted by genjiito at 21:46| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年01月29日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その27)

 まずは、鎌倉時代中期に書写された榊原本(国文学研究資料館蔵)について、概略をお話しました。

 続いて、点字によって変体仮名を翻字できるようにできないか、ということを、本ブログ「点字による変体仮名版の翻字は可能か(4/from 渡邊)」(2016年01月28日)を紹介しながら考えました。

 さらに、挑戦的萌芽研究のオンラインジャーナル(創刊号)に掲載予定である、淺川槙子さんの「明治33年式棒引きかなづかいの今」を読みながら、問題点の所在を確認しました。こうした問題は、ずっと引きずったままで今に至っているのです。
 ひらがなを表記してきた歴史は、これからを見据えて再確認しておく時期にあると思っています。

 この日は、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」の24オモテ6行目から25ウラ最終行までの文字を確認しました。これまでで一番多く進んだことになります。

 ここは、比較的問題の少ない箇所で、今の感覚のままで多くのひらがなが読めます。これまで以上に進んだのは、こうしたこともあります。

 その中でも、注目したことを一例だけとりあげましょう。
 まず、写真をご覧ください。


160129_onajimojiretsu




 これは、24オモテの7行目と8行目の行頭部分です。
 ここでは、7行目の上から2文字めから「万いり給へといへ八」と書写されています。
 その右横の8行目の行頭には、「まいり給へといへ八」とあります。
 語頭の「万」と「ま」が違うだけで、あとは書写されている文字の姿形はほとんど同じです。安定した書き振りである、といえます。

 普通は、同じ字母が隣同士に並ぶことを避ける傾向があります。そこで、字母を変えたりします。しかし、ここでは、語頭だけ字母が異なるものの、それ以下はまったく同じなのです。

 おそらく、書写に当たって見ていた親本もそうだったと思われます。この写本の書写者が、親本通りに書写していることがわかる例でもあります。個人の書写癖や個性の表出がない写本となっているのです。淡々と書写していたようです。

 8文字も同じ文字が左右に並ぶことはめったにないので、ここで紹介しておきます。

 なお、この箇所での本文異同について確認しておきます。
 後者の「まいり給へといへは」が書写されていないのは、議会図書館本『源氏物語』と保坂本だけです。ただし、共に「侍従の君よひ出てまいり給へといへは」と17文字がないので、これはちょうど1行分が同じ文字列に目移りして脱落したものだと言えます。諸本に異文はありません。
posted by genjiito at 22:19| Comment(0) | 変体仮名

2016年01月28日

点字による変体仮名版の翻字は可能か(4/from 渡邊)

 福島県立盲学校の渡邊寛子さんから、目が見えない方がどのようにして変体仮名を使いこなしておられるのかがよくわかる、貴重な報告をいただきました。
 これは、今後とも変体仮名を点字で翻字する上で、参考になる情報なので、ここに紹介します。

 なお、渡邊さんからいただいた文章中の用例に、変体仮名の字母を【 】付きで添えていることをお断わりしておきます。


点字の翻字ですが、
今まで私は、いただいた立体コピーはすべて翻字データをパソコンで聴きながら点訳して紙で持ち歩き、一緒に触って確認しておりました。
ですから、変体仮名は当たり前のように、ひらがなの字母の「以」でなければ、
 
  い(いとうのい)【伊】
  い(いどのい)【井】
 
のようにつけていました。
他には、
 
  に(なんじのぞくじ)【尓】
  ま(よろづ)【万】
  ま(まんいんのまん)【満】
  み(数符3)【三】
  は(数符8)【八】
  な(なは)【那】
  し(こころざし)【志】
  し(あたらしい)【新】
  す(ことぶき)【寿】
  す(はる)【春】
 
かさばりますが、それが私にとってわかりやすいので、音声読み上げの音訓を短くしたような、耳慣れたメモを作っております。


 今後とも、変体仮名を点字で表記する上で、この渡邊さんの事例は大いに参考にしたいと思います。
 さらなる検討を進めていきます。
 思いつきで結構です。
 さまざまな立場や角度からのご教示を、よろしくお願いします。
posted by genjiito at 12:32| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年01月27日

京洛逍遥(391)京都のバスの運転手さんもいろいろです

 最近、長距離バスや観光バスなど、大型車の悲惨な事故を見聞きすることが多くなりました。
 東京と京都の往復に、夜行バスをよく使った者の一人として、思い出すとぞっとすることが何度かあります。
 私は、たまたま事故に巻き込まれなかっただけであり、幸運だったのでしょう。

 今は、心身の疲れを考えて、夜行バスの利用は控えています。しかし、あの便利さは捨てがたいものがあります。
 若者たちが利用するのはいいことだ、と思っていました。しかし、それも安全運転がなされてこそのことです。
 バス会社が、法令遵守で安全運行を心がけていかれることを、強く望んでいます。

 先日も、東京駅の八重洲南口には、これから発車しようと待機する長距離バスや夜行バスの列がありました。
 乗り込むのを心待ちにする人々の気持ちの高ぶりが、遠目にも見て取れます。
 その旅人の気持ちを大事にして、バス会社の方は楽しい旅の案内人となっていただけることを願っています。


160124_bus




 街中で、通勤や買い物や観光と、私は乗り合いバスをよく利用します。
 いつごろからだったでしょうか。京都での運転手さんの運転ぶりと車内放送などが気になり出したのです。それ以来、バスを降りる時にその方のネームプレートを見て、その運転手さんの態度をメモするようになっていました。
 これは、非常に不愉快な思いをすることが多かったからでもあります。

 たくさんのメモの中から、この半年の間で好感をもった運転手さんのことを整理してみます。
 たまたま出会った運転手さんなので、運転ぶりはその日の気分や体調の影響もあるかと思います。しかし、それは一期一会ということにして、私が乗った区間での30分ほどの車内での印象を記し留めておきます。

 ここで取り上げるのは、京都駅前から出るバスと、府立大学前から出る、河原町通りと下鴨神社を通る205番のバスでのことです。

 まず、何度か同乗して一番感じがよくて好感がもてるのは、駒井和幸さんという若い方です。気持ちがいい運転であり、歯切れのいい車内アナウンスであり、乗降客への心配りが感じられました。今後とも、心地よい乗客サービスをなさることでしょう。この駒井さんが運転なさるバスに乗り合わせることを、いつも楽しみにしています。

 以下、私がいいと思った運転手の方々です。

 藤村和三さんは、乗り降り時に「ありがとう」とおっしゃる言葉遣いが、最低限の節度あるマイクの使用で、爽やかさがいいと思いました。
 芦澤寛繁さんと藤岡卓行さんは、停留所でのアナウンスが手短かで丁寧です。
 奥村嘉和さんと池田崇さんと櫻本暁士さんのアナウンスは、明るくハキハキしていて聞き取りやすく、キビキビしていて好印象でした。
 井本健一さん、平林良基さん、吉田則彦さん、荒木定司さんは、乗降客に対して優しく親切で、丁寧で誠意のある対応をなさっていました。
 
 以上はいずれも、年齢も若い方々なので、悪評高い京都のバスの運転手さんの中では、今後ともイメージアップに貢献されることでしょう。
 
 ついでながら、私が良くないと思う運転手さんも記録として残しておきます。
 
 YSさんは、とんでもない方でした。
 目が不自由な方と一緒に乗った時のことです。私が「京都駅前にいきますか?」と聞くと、「京都駅行きだから行かないわけはないでしょ」と、つっけんどんな対応でした。「行き先表示をよく確認しないで、慌てて乗ったので」というと、話にならんという不機嫌な態度で無視されました。非常に不愉快な思いをさせられました。おそらく、損な人柄の方なのでしょう。

 KKさんは、まだ私の足がステップを踏んでいる状況なのに、強引にドアを閉められたのです。ドアが肩にぶつかり、痛い思いをしました。車内でのマイクは親切だったので、朝から気分が優れなかったのでしょうか。降りる人がいるのに発車し、「降りられるんですか?」と、停留所の先で停めることが2回もありました。発車を急ぎすぎです。乗っていて、心休まることのない運転ぶりでした。

 KIさんは、若くて親切でした。しかし、気怠く小馬鹿にした喋り方で車内アナウンスをされます。観光客の方は一体どうしたのだろう、と思っておられることでしょう。
 この傾向は、年配の運転手さんに多いようです。若い運転手さんにはあまり見受けられない態度なので、記憶に残っています。

 MIさんとSUさんは、マイクの声が不明瞭でほとんど聞き取れません。年配の方に多いのです。

 HIさんは、ドアを開けるとき以外は一言も喋らず乗客に対して不親切です。

 KNさんは、無言で荒っぽい運転なので、乗っていて不安になります。

 SYさんは、車内アナウンスは親切な言葉遣いですが、首が痛くなるほどの荒っぽい運転をする方でした。
 
 運転手さんといっても、いろいろな方がいらっしゃいます。
 特に京都は観光地だけに、楽しくていい思い出を、バスの運転手さんがぶち壊しにしないでほしいと思っています。その意味でも、こうして、あなたが運転しておられる姿は見られていますよ、というプレッシャーをかけるのは、観光都市を守る観点からも必要な市民のチェックだと思っています。

 大多数の運転手さんは、まじめに勤務しておられます。しかし、えてして年配の方に、ふふてぶてしくて傲慢な態度が目に付きます。おそらく、ここでお名前をあげた好感の持てる運転手の方々は、そうした先輩を見て、ああはなりたくないとの思いから、誠心誠意お客さまを思いやる気持ちで運転をしておられるのでしょう。

 みなさんではないにしても、年配の運転手の方は、くれぐれも謙虚な運転を心がけていただきたいと熱望しています。
 若い方は、今のままで、京都を訪れるみなさんが気持ちよく旅を続けられるように、旺盛なサービス精神で迎え入れてあげてください。みなさんは、大切な役割を果たしておられるのですから。
posted by genjiito at 00:07| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年01月26日

点字による変体仮名版の翻字は可能か(3/伊藤 to 中野)

 昨日の本ブログで取り上げた通り、早速、中野さんから返信をいただきました。
 今回この標題に関する問題を検討する上で、まずは前提となる「源氏物語写本を日本語点字に翻字する意義と目的」に関する確認が、中野さんからの文章に記されていました。

 おおよそ、以下のことが中野さんから提示されています。

(1)点字翻字は、墨字で写本を現行の活字に翻字するときにも共通する問題でもある。
(2)写本に書き留められている情報をどれだけ再現するのか。
(3)源氏物語の点字翻字は、どのような研究に、どのような方法で使われることを想定しているのか。
(4)写本の翻字を「自動音声読み上げにより耳で聞いて読む」という利用方法があること。
(5)変体仮名がユニコードに対応したとき、視読以外の方法でデジタルテキストを利用している人々のことをどれだけ想定しているのか。

 自分の問題意識を整理するためにも、上記5項目を順番に、私なりの当座の私見を記しておきます。
 
(1)点字翻字は、墨字で写本を現行の活字に翻字するときにも共通する問題でもある。

 これは、従来のように、書写された文字を現行のひらがなに置き換えた、便宜的で不正確な翻字の場合に顕現することです。
 従来の翻字は、写本に「なつろ」と書かれていても、「なつろ」としてきました。字母である「古」が変体仮名であることから、明治33年に統制された一文字のひらがなの「こ」に置き換えていたのです。この翻字方法は、研究的な視点から言っても、いかに非学問的な対処であり続けていたのかは、あらためて言うまでもありません。
 これに対して、私は元の写本に戻れない翻字は後世に伝えるべきではない、との立場から、「変体仮名翻字版」という翻字方式を昨年正月より提唱しています。その成果が、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)として結実しています。
 今、写本に書写された文字を翻字する際に、現行の50音に配列されたひらがなは、問題なく点字で表記できます。問題は、変体仮名である「古」を点字でどう表記するか、ということです。
 この「古」などの変体仮名を点字で表記する際のルールを、新たに考えるか、代替的な処置を考案する必要に迫られています。

 
(2)写本に書き留められている情報をどれだけ再現するのか。

 これは、上記の問題の根底にあるものです。
 点字によって「変体仮名版」の再現をすることは、資料を正確に翻字することの原点にあたるものです。目が見えない方々にも、基礎資料として正確なものは必要です。これは、研究という視点で資料を考えた時に、目が見える見えないで区別することなく、等しく基本的な資料は整備しておくことが、ものごとの始発点になると思います。
 そのような厳密な資料は必要がない、ということではなく、あくまでも日本の文化の中で培われ、書き写されることで伝承してきた写本を、まずは正確に翻字したいものです。その次に、一般的な用途に向けての、簡略版とでもいえる現行のひらがなによる翻字方針のものがあってもいいでしょう。現在の翻字資料は、あくまでも暫定的なひらがな一文字政策の縛りの中で、禁欲的になされたものなのです。
 まずは、正確な本文の再現を目指す上で必要な、新たな表記文字としての変体仮名を表現できる点字を考えるべきではないか、と思います。それが6点で実現するのか、8点で構成するものとするのかは、今私は判断基準も私案も持っていません。これは、ご教示を受けながら可能性を求めて考えたいと思います。ここに記していることは、当座の意見であることを強調しておきます。
 とにかく、明治33年のひらがな一文字という統制政策の呪縛から、少なくとも翻字という作業では開放されるべきです。いつまでも、不正確な50音のひらがなによる翻字でごまかしていてはいけません。

 
(3)源氏物語の点字翻字は、どのような研究に、どのような方法で使われることを想定しているのか。

 いろいろなケースが想定されます。今思いつく、一例をあげます。
 私は、現在提唱している「変体仮名翻字版」による点字翻字は、今に伝わる『源氏物語』の写本に写されている本文の違いを表記文字レベルで知り、日本人が書写してきた実態と実相を確認して考えながら、平安時代に書かれていたと思われる文章に想いを馳せる手掛かりになれば、と思っています。
 写本の中での変体仮名の使われ方は、まだその実態が解明されていません。「あ」として使っているひらがなについて言えば、今の「あ」の字母「安」と異なる「阿」という変体仮名は、一体どのような場合に使われる傾向があったのか、などなど、多くの未解決の課題を解決することにつながっていくものと予想しています。
 その点では、想像力豊かな方々の文字に対する感覚を啓発する意味からも、「変体仮名翻字版」による翻字は、今後ともより一層、本文研究には必要不可欠なものとなるはずです。その分野に目の不自由な方々が、ぜひとも変体仮名を表記できる点字を駆使して研究に参加してほしいと願っています。

 
(4)写本の翻字を「自動音声読み上げにより耳で聞いて読む」という利用方法があること。

 これは、翻字の校正などの確認作業には、どうしても導入したいものです。そして、さまざまな形で伝わる異本や異文の違いを考える上で、この本文を読み上げることによる聞き分けという行程の導入は、有効な研究手段となることでしょう。見えないことによる聞く力の鋭敏さを、大いに活用していただきたいものです。

 
(5)変体仮名がユニコードに対応したとき、視読以外の方法でデジタルテキストを利用している人々のことをどれだけ想定しているのか。

 ここで中野さんは、次のように具体的な問題を提示されました。

「か」の変体仮名として「加」「可」「閑」「我」「家」などいくつか想定できるとおもいますが、これは自動読み上げのときは「か」なのか、それとも「変体仮名であり、字母は何である」などの情報も付与されるのか、などということが検討されているのでしょうか。

 これについて、今私に腹案はありません。
 おそらく、説明的な仮名文字の説明になるのではないか、と漠然と思っています。
 根拠はありませんが。

 
 以上、中野さんの第1信への、私なりの現在思い描ける限りの回答です。
 こうした遣り取りを続ける中で、少しでも実現性の高い、可能性のある解決策を見つけていきたいと思っています。
posted by genjiito at 00:02| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年01月25日

点字による変体仮名版の翻字は可能か(2/from 中野)

 先週、次の記事を本ブログに掲載しました。

「点字による変体仮名版の翻字は可能か(1/伊藤 to 中野)」(2016年01月21日)

 これは、中野真樹さんの論文「日本語点字による写本翻字作成のための表記論」に触発されて、思いつくままに書いたものです。

 これに対して、中野さんから以下の返信をいただきました。
 このテーマについては、まだほとんど討議や検討がなされていないかと思います。
 中野さんとのやりとりを公開し、問題点の所在とその対処策が明確になれば、得るものの多い意見交換になるのでは、との思いから、今後とも折々に取り上げます。

 この意見交換の場を、科研のホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」に開設したいと思っています。
 しかし、その用意がまだ整っていないので、しばらくはこのブログに連載として掲載します。

 このテーマに関して、さまざまな立場からのご意見などをお寄せいただけると幸いです。
 
----- 以下、中野さんからの返信(1) -----


写本を点字に翻字する際の問題点について的確に整理していただきまして、ありがとうございました。

まずはじめに、確認しておきたいのは、「源氏物語写本を日本語点字に翻字する意義と目的」です。
ここであげられている問題点については、墨字で写本を現行の活字に翻字するときにも一部共通する部分があるのではないでしょうか。
変体仮名をどうするか、ミセケチなどをどのように処理するのか、漢字は現行の字体にするのか、写本にある情報をどれだけ再現するのか。
どの分野・どの研究者にとっても完璧な翻字方法などというものはなく、研究目的や方法によって、必要な情報はかわってくるのではないかとおもいます。
源氏物語の点字翻字は、どのような研究に、どのような方法でつかわれることを想定しているのかを確認することで、「どのような点字翻字を目指すべきか、またそのために解決しなければいけない問題点はなにか」が明確になるのではないかと思います。

次に、これと関連するのですが、写本の翻字は近年は紙媒体だけではなく、デジタルテキストとしてインターネット上などで公開されることも多くなっております。
この場合、翻字された文字を視読する以外に、「耳で聞いて読む」という利用方法が考えられるかとおもいます。
「自動音声読み上げにより源氏物語本文をよむ」という利用方法をしている人たちを想定する必要があるかとおもいます。
つまり、変体仮名がユニコードに対応されるというときに、視読以外の方法でデジタルテキストを利用している人々のことを、どれだけ想定しているのか。ということがとても気になっていました。
つまり「か」の変体仮名として「加」「可」「閑」「我」「家」などいくつか想定できるとおもいますが、これは自動読み上げのときは「か」なのか、それとも「変体仮名であり、字母は何である」などの情報も付与されるのか、などということが検討されているのでしょうか。
それともユニコードの変体仮名セットは、視読者の利用のみ、想定していればよいのでしょうか。

皆様のご意見をいただければ幸いです。

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〈この意見交換は、明日の「点字による変体仮名版の翻字は可能か(3/伊藤 to 中野)」へ続く〉
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年01月24日

駅のホーム等で点字表示が改善されています

 以前、駅のホーム等の点字表示が、目の不自由な方のことを考えていない点を取り上げました。

 「バリアフリーやユニバーサルデザインから学ぶこと」(2014年11月28日)

 外を歩くたびに、折々に、こうしたバリアフリーのことが気になります。
 気持ちの持ちようで、街を歩いていてもいろいろと感じるものがあります。

 目が見えない方にとって、これは苦労を強いられるだろうな、とか、耳が聞こえないと途方にくれることになるのでは、などなど。

 目が見える者だけで構築されている社会のありようが、視点を変えるとまったく違って見えるようになったのです。
 そこから、手足の不自由な方についても、耳が聞こえない方についても、同じように外出することの困難さに思いを致すことができるようになりました。

 そうした中で、JR有楽町駅のホームに新たに取り付けられた転落防止のためのセーフティーガードには、垂直面ではなく、傾斜した上面に点字表示がなされているのを見かけました。
 しかも、ドアが開く左右の傾斜面に貼られているのです。
 以前、上記ブログで紹介した写真にある左側の垂直面から、大きく進歩しました。


160122_tenjieki1




160122_tenjieki2




 また、昨日はJR平塚駅のトイレの入口で、絶妙な角度で触読できる案内図付きの柱を見かけました。触読する時の手首の角度が考えられているのです。
 しかも、それが置かれているのが、トイレの入口で心憎い場所に建っているのです。いろいろと考えられた結果なのでしょう。


160124_toiletenji




 今、これが私に役立つものではありません。
 しかし、こうした配慮が感じられるものが少しずつ増えていくことは、なぜか理屈なしに嬉しいものです。

 配慮に欠けると思われる、いわゆる不備ばかりを指摘することに心苦しさを感じていました。
 それが、こうして、困っておられる方々に寄り添うようなポジションやデザインの工夫がなされている風潮を感じだすと、いい傾向だなと少しだけでも気持ちが明るくなります。

 これまで以上に気持ちの良い生活環境を作っていくことに、今私は何も協力できていません。しかし、気づいたことをこうしてブログに書くことで、一緒に社会参加し、協力しているような気持ちになっています。

 何もしないで自己満足に過ぎないものだ、と一蹴しないでください。
 いろいろな方へのまなざしが感じ取れるようになっただけでも、自分としては少し成長したな、と思っているところです。
 街には、こんなふうに変化のきざしがありますよ、と書くことが、これも社会参加の一つにつながるものだ、と思えるようになりました。
posted by genjiito at 21:41| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年01月23日

池田研二先生と『桃園文庫展―池田亀鑑の仕事―』を観て

 東海大学湘南キャンパスで開催中の展示会「東海大学蔵桃園文庫目録完成記念 桃園文庫展 ―池田亀鑑の仕事―」に、池田亀鑑博士のご子息である研二先生とご一緒に行ってきました。

 池田研二先生とは、昨年の池田亀鑑賞の授賞式に先だって、奈良の天理図書館へご案内し、そのまま鳥取県の日南町へ同行した時以来です。

 東海大学には、今から30年以上前になるでしょうか。伊井春樹先生と秋沢亙先生(当時はまだ学生だったのでは?)と一緒に、明融本の調査に伺いました。暑い盛りで、おりしも館内が停電となり、薄暗くて暑い中で写本を繰ったことを思い出します。

 今日は、多数の資料を東海大学に提供なさった研二先生とご一緒ということもあり、開催に尽力なさった蟹江秀明先生と村山重治先生の説明を伺いながら、じっくりと展示品を拝見することができました。展示資料の背景や裏話を、ふんだんに聞く機会が得られたのは幸いでした。ありがたいことです。

 展示品の中で、今回私が注目したのは、「源氏物語大成出版 芳賀矢一先生墓前報告祭に於ける祝詞文」(桃47-195)と、[源氏物語歌舞伎座で上演されるいきさつ](原稿[仮題]・桃47-191)です。

 後者は、池田亀鑑博士の随筆集『花を折る』に「源氏劇上演について」として収載されている文章の原稿(草稿の写しか座談会や御自宅での口述筆記?)かと思われます。
 共に、初めて見るものでした。
 現在復刻作業を進めている『花を折る』の参考資料か、もしくは刊行予定の『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』に収載できないかと、検討を始めているところです。

 なお、本展示会は、今月末1月29日(金)まで開催されています。
 よく展示構成が練られた、刺激的な展覧会となっています。
 入口に置かれたパンフレット(17頁)には、桃園文庫の来歴や所蔵品の解説が、簡潔にわかりやすく記されています。
 展示品目録の後には、1頁を使って池田亀鑑賞の紹介もなされています。
 まさに、この1冊で〈池田亀鑑の仕事〉が確認できる編集となっているのです。

 表紙の写真について研二先生のお話では、亀鑑博士は作家のような写り具合なので好きではなかった、とのことでした。
 上記ウェブサイトで、その写真を確認してみてください。
 確かに、文士の雰囲気が漂う1枚です。
posted by genjiito at 21:49| Comment(0) | 池田亀鑑

2016年01月22日

メール滞留のお詫びと再送信のお願い

 昨年末のメールに関するトラブル以来、歳を越しても、いまだ遅ればせながらの返信に追われています。

 もし、私宛にメールを送られた方で何も返信がない方は、遠慮なく再送信や催促をお願いします。

 現在、業務と私事にわたり、何かとメールのやりとりが頻繁になって来ています。

 返信の優先順位が大幅に混乱していますことを、ご理解いただけると幸いです。

 職場がある多摩地域の立川一帯は、まだ雪が多く残っています。
 今日の玄関先の様子を、研究室のベランダから撮影しました。
 来週まで、雪は消えそうにありません。


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 明日からまた天候が不安定になるようです。
 体調管理には、十分にお気をつけください。
posted by genjiito at 18:35| Comment(0) | 身辺雑記

2016年01月21日

点字による変体仮名版の翻字は可能か(1/伊藤 to 中野)

 現在、電子版『触読研究ジャーナル』の創刊号発刊の準備を進めています。
 来月には、科研のホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」に、電子ジャーナルとして公開し、ダウンロードしてもらえるようにします。

 その巻頭を飾る中野真樹さんの論文「日本語点字による写本翻字作成のための表記論」は、いろいろなことを考えさせてもらえる刺激的な内容です。
 ジャーナルの刊行を楽しみにお待ちください。

 そのゲラを拝読しながら、歴博本「鈴虫」を点字で翻字することにチャレンジしたいと思うようになりました。

 現在、私は変体仮名の字母を取り込んだ翻字を進めています。
 昨秋刊行した『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)の翻字を例にして示しましょう。
 次の翻字は、歴博本「鈴虫」の冒頭部分一行目です。


【従来の翻字】
なつころ・はちすの・はな・さかりに・入道
 
【変体仮名版】
なつろ・ちすの・者那・さ可里に・【入道】


 この変体仮名版を点字翻字するとどうなるか、ということを考え出したのです。

 明治33年に一文字に統制された現行のひらがなは、今の点字に対応しているので問題はありません。「ゐ」も「ゑ」も大丈夫です。
 問題となるのは、上記の翻字例で赤字で示した変体仮名を、点字でどう表記するか、ということです。

 日本語点字で写本の翻字本文を、それも変体仮名を交えた翻字本文を作成しようということなので、そこには底知れぬ大きな問題が横たわっていそうです。

 そうです、と言えるのは、まだ私が日本語点字をよく理解していないからです。
 不勉強であることを認めつつ、そうであるからこそ新たな扉が開く、ということもあるかと思い、そこに期待する部分も多分にあります。
 それはともかく、変体仮名の文字セット(約300字弱)がユニコードに対応することがほぼ確実な今、この問題は避けて通れないはずです。

 目の見える方のために作成された墨字の翻字とは異なり、点字の翻字には仮名遣いや文字遣い固有の問題があるはずです。
 それが、原文に忠実な変体仮名を交えたものにするとなると、前例がないだけにさまざまな解決すべき課題が噴出することでしょう。

 今は、変体仮名を2年後のユニコードに対応させることが、喫緊の課題だと思います。そのためには、古写本に書写された文字に忠実な翻字を点字で試みる、という具体的な問題を解決する中で、問題点の洗い直しと、その解決策を考えていくことが急務だと思い、ここにこうして急遽駄文を承知で綴ることにしたのです。

 歴史的仮名遣いと点字仮名遣いについては、古写本に忠実な翻字を目指す点においては、原文通りの表記で問題はありません。
 大きな問題は、変体仮名をどう表記するかということに加えて、踊り字、ミセケチ、補入、ナゾリ、傍記などをどうするか、ということです。つまり、写本の再現性の問題です。
 従来の翻字のように、原本に戻れない翻字では、将来に伝え残せないので意味がありません。この新たな点字翻字では、原本に忠実なものにしたいものです。

 また、「御」「給」「入道」などの漢字をどう扱うか、ということもあります。
 これには、8点式の漢字点と、6点式の6点漢字の導入が考えられます。
 しかし、ただでさえ変体仮名によって文字種が増える上に、そこに点字漢字を加えることは、翻字者や学習者に負担を強いるばかりです。

 これについては、立体コピーによる浮き出し文字で、点字が表現できないところを補うことも可能かもしれません。
 ただし、こうなると写本という対象と、それを翻字する文字や図形と、さらには誰が誰のために、という利活用者の問題が錯綜してきます。

 いずれにしても、こうした問題に興味と関心のある方々と一緒に、解決の手だてを得るための情報交換を始めたいと思います。
 とにかく、変体仮名がユニコードとして国際文字規格に公認される前に、以上の点は解決しておかなければなりません。『源氏物語』の「変体仮名翻字版」でデータベース化を進めている立場から、このことを痛感しているところです。
 意見交換の場を、科研のホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」に開設したいと思います。

 準備が整い次第に本ブログでご案内しますので、自由な意見をお寄せください。
 ああでもない、こうでもない、と言い合っているうちに、解決の糸口が見つかり、妙案が飛び出し、雲を摑むような話が具体化して実現する、という流れを夢想しているところです。

 以上、とりとめもない話ながらも、本記事を今後の「点字翻字変体仮名版」のための「ことあげ」とします。
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年01月20日

インドビザの申請で悪戦苦闘

 インドへ行くためには、あらかじめビザを取得しておく必要があります。

 先週から作成に取り組み、昨日と今日、やっとインドビザセンターに申請書類を持参し、手続きを終えました。
 東京のインドビザセンターは、現在は三田にあります。
 そのビルの入口は目立たないので、うっかりしていると通り過ぎてしまいます。


160119_indiqvisacenter




 これまでは九段下や茗荷谷にあったビザセンターに行って手続きをしていました。

「インドビザの申請に行って」(2012年02月04日)

 2002年から10年間にわたって毎年行っていたインドも、2012年に『インド国際日本文学研究集会の記録』(2012年04月05日)をまとめてから、しばらく足が遠のいていました。
 久しぶりのビザの申請ということもあり、いろいろと戸惑いながら手続きをしました。
 ビザセンターの移転と共に、ウエブサイトも移動しているので、この点も注意が必要でした。

 ビザ申請の経験がある方なら、障害物競争でさまざまなバリアをクリアして走ったことが、まざまざと思い出されるかと思います。今回も、思いがけないところで躓き、三田のビザセンターに2度も通うことになりました。

 先週末には、娘と婿殿が私の申請書類を確認してアドバイスをしてくれました。英語が堪能な家族がいると、こんな時に心強いものがあります。
 しかし、それでも思いがけないフェイントというものがあるのです。

 私にとって障害となったことのうち、特に今回一番悩んだことをいくつか記しておきます。

(1)ウェブサイトにアクセスしてデータを入力し、申請書を作成した後、自分の写真をアップロードしようとしたところ、どうしてもエラー続きで先に進めません。
 ウェブサイトでは、次の「写真の仕様」が示されています。


フォーマット - JPEG
サイズ - 最小10キロバイト、最大1メガバイト
最小寸法 - 350ピクセル(幅)×350ピクセル(高さ)


 いろいろなサイズや容量の写真画像を作成して挑戦しました。しかし、艱難辛苦の末に作成した15パターンの写真のすべてが、ことごとくはねつけられます。
 先週の土曜日から昨日まで、3日にわたって試行錯誤をし、ついに諦めて昨日センターに直接電話をしました。先週も電話を何度かしました。しかし、いずれもつながらないか途中で切られてしまいました。
 結論は、顔写真はアップロードしないで持参してほしい、ということでした。それなら最初にホームページに明記しておいてほしい、などというのは禁句です。全身から力が抜けて、気持ちが萎えてしまいました。徒労とはこのことです。

(2)昨日、無事にネットのフォームに入力を終え、確認をしてからプリントアウトしたものをビザセンターに持参しました。しかし、いくつかの不備を指摘され、書類は再提出となりました。
 なお、このビザ申請のための入力フォームは、PDFによって申請書を作成するアプリケーションとなっています。入力したデータを、再利用できるテキストとして保存することはできません。つまり、印刷が終わった後は、何か修正が必要になると、また最初から入力することになります。
 再入力の繰り返しになったので、すぐに入力すべき文字列をテキストとして作っておき、それをコピー&ペーストしながら申請書類の再作成を繰り返しました。それでも、入力欄を間違えないように、結構気を使いました。
 すべて英語によるやりとりで書類を仕上げるので、なおさら頭はフル回転です。

(3)自分のパスポートの発行場所は、記載面にある奈良県だと思っていました。しかし、実は神奈川県だったのです。そのことは、パスポートの最終頁の行頭に手書きされた数字でわかるのだそうです。
 私のパスポートにメモとしてボールペンで記されたその数字が神奈川県であることは、教えてもらわないと一般には知りようがない情報だと思われます。事情通の方には常識かもしれませんが。
 パスポートの本籍欄には奈良県とあるので、てっきりこれが発行場所だとずっと思っていたのです。
 今のパスポートは、2007年2月に更新したものです。その時までは横浜の宿舎にいて、その年の8月に職場が品川から立川に移転したことに伴い、都内深川の宿舎に転居したのでした。
 確かに言われてみれば、横浜でパスポートの更新をしたのかもしれません。その時の本籍地が奈良県だったので、その奈良県が印字されており、神奈川県という新たな更新情報は、ボールペンで手書きされた番号だけで識別できるようになっていたようです。
 転居した覚えのある方は、印刷面だけでなく、ボールペンで手書きされた文字列から情報を復元できることもあるので、確認されたらいいかと思います。

(4)印刷した申請書の一枚目の最下部に、バーコードが印字されます。それが、私が印刷して提出したものは、印刷範囲からはみ出した部分が少し切れていました。紙面を一杯に使ったプリントになっていたために、プリンターの余白の調整が必要となるのです。
 印字の際に97パーセントにして、少し縮小した設定をして印字することで、この不備だと言われた件はクリアできました。少し縮小してプリントアウトしたものを提出することなど、申請者のコンピュータとプリンタの組み合わせによって変わることがあるようです。これも、事前にはわからないことでした。

 実際にはもっともっと苦労譚があります。しかし、今はこれだけにしておきましょう。

 2日目となった今日は、無事に受け付けてもらえました。上記の点や、その他もろもろの不備を調整して、何度も何度も点検して持参したのです。

 受け付けのカウンターで名前を呼ばれるまでは、どの項目の何がよくないと指摘されるのか、気が気ではありません。ハラハラドキドキの長い時間を、多くの申請者が待っておられらベンチシートに身を沈めてひたすら待ちました。

 受理されたことは、名前を呼んでくださった方が手にしておられる紙の種類でわかります。
 突き返される場合は、昨日がそうだったように、提出した3枚の書類とパスポートが握られているからです。
 今日は、最難関をクリアできました。

 パスポートの返送用となる宅急便のラベルに住所を書き、料金を支払って終了となりました。
 ほっとする間もなく、以下のメールがスマホに届きました。


Your FILE No is ○○○ and Application Status is Your application is accepted and your passport is now with agency. You will get the next update when the application reaches mission.
As on 20-JAN-16

This is an Auto generated mail please dont try to reply


 このあたりは、自動化されているようで、迅速な対応で安心できます。
 申請の煩雑さから疑心暗鬼になっている身としては、このようなメールが届くことはありがたいことです。

 とにかく、こうして無事にビザの申請を終えることができました。

 ネットでの体験談やアドバイスと事例紹介等も、事前に見ていました。しかし、やはり人それぞれに事情があるので、一発で完璧な書類を作成することは難しいことを痛感しています。
 今秋また訪印する予定です。
 今回の経験を生かして、次回は一度で申請手続が終わるようにしたいものです。
posted by genjiito at 22:39| Comment(0) | ◆国際交流

2016年01月19日

インフルエンザの予防接種をして

 遅ればせながら、インフルエンザワクチンの予防接種をしました。
 インフルエンザワクチンの効果については、賛否両論があるようです。
 私はインフルエンザに罹ったことがないので、具体的な症状がイメージできません。
 自他共に認める病院大好き人間の私なのに、これには縁がないのです。

 それはそれとして、私は一昨年からこのワクチンを打つようになりました。
 自分はもとより、人に迷惑をかけないように、ということで接種することにしたのです。

 一昨年は、京都の自宅近くの内科で、昨年と今回は東京の宿舎の近くにある耳鼻咽喉科で、飛び込みのようにして接種していただきました。

 65歳以上の高齢者には、市区町村から費用の補助があるそうです。
 しかし、その一歩手前の私は、残念ながら補助対象外です。
 この何となく微妙な扱いに、線引きの上に立つ身としては、「残念ながら」と言わざるをえません。

 今年は流行が少し遅れているそうです。
 そんなことから様子見をしていた私も、もはやここまでと思いきって医院に行きました。

 昨年度より「3価ワクチン」から「4価ワクチン」へ変更となりました、と言われても、何がどうなったのかはわかりません。
 とにかく「お願いします」と言って、差し出された問診表の質問にボールペンを走らせました。

 接種して気づいたことに、風邪やインフルエンザに注意が向くようになったことがあります。
 医院から帰ると、早速手洗いとうがいをしました。
 よく忘れていた手洗いとうがいを、意識するようになったのです。
 このことだけでも、注射を打ってもらった意義はありそうです。

 年度末の忙しい日々が、しだいに押し寄せて来ています。
 病気に負けず、気力を維持しつつ、目の前の懸案事項にぶつかっていこうと思います。
posted by genjiito at 21:35| Comment(0) | 健康雑記

2016年01月18日

京大病院での検査は鉄分不足だけ

 今朝の東京は雪で大混乱です、というニュースを見ながら、京大病院へバスで出かけました。
 京洛は生ぬるい小雨がぱらつく程度で、傘もささずに雨を肌に感じながらの通院です。

 吉田山の如意ヶ岳には、輪郭がぼやけた「大」の文字が置かれています。
 あの夏の華やかさは、冬の大文字からは微塵も感じられません。


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 いつものように、糖尿病内分泌栄養内科を受診してきました。
 予約がしてあっても、丁寧に診てくださるので、午後までかかります。

 今回は、ヘモグロビン A1cは「7.1」でした。高めです。去年のお正月も同じ値でした。
 年末年始はいろいろなものを食べるので、比較的高くなる時期です。そんな中で、これはよい意味で、1年のサイクルが一定してきていることを示しています。
 私の身体の状況とこれまでの経過を踏まえ、特に変化なしということもあって、このままの食生活でいいそうです。

 一度に一食分が食べられないのであれば、時間をかけてゆっくり食べること。
 糖質制限にあまり神経質にならず、しっかりと身体を造ること。
 先生はいつも、豊かな食生活を心がけたらいい、とおっしゃいます。
 的確なアドバイスを、いろいろといただいてきました。

 血液検査などを通してみる限り、その他についても、栄養状態、癌の兆候、内臓疾患、末梢神経などなど、まったく問題がないそうです。

 昨秋あたりから、右足の中指辺りに違和感があり、それはまだ続いています。しかし、脳神経でも、糖尿病に起因するものではないので、あまり気にすることはないようです。
 当座の対処として、血行をよくする薬をいただきました。これで、しばらく様子をみます。

 毎度のことながら、私の身体で問題なのは一点だけ。
 やはり、鉄分が不足しています。
 レバーやほうれん草を始めとして、あまり好きではない納豆なども、いろいろと気を配って食事をしているのに、なかなか数値があがりません。
 よほど鉄分を消費する生活を、日常的にしているのでしょう。
 本気で、鉄棒をかじることを考えています。

 いつも書くことながら、完全に名前負けしているのです。
 自分の名前を書いた紙を食べたほうが、一番いい処方となりそうです。

 烏丸御池の歯医者にも寄りました。

 新幹線が雪のための遅れを回復した頃合いを見計らって、検査疲れを押しての上京です。
 車内放送の英語は、やはり耳障りな発音で、音量を絞ったものでした。

 宿舎に着くと、車のフロントガラスにまだ今朝降ったと思われる雪が残っていました。


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 花壇の残雪も、一旦融けてから凍結しているようです。


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 明日もまた冷え込むそうです。
 冬なので当然のことながら、暖冬に身体が慣れてしまうと、寒さが生活に影響します。
 環境の変化に順応する身体造りも、これまで以上に心がける必要がありそうです。
posted by genjiito at 21:48| Comment(0) | 健康雑記

2016年01月17日

京洛逍遥(390)四季の和歌碑と光琳の梅の開花

 京都府立図書館を出てから、平安神宮を左折して鴨川に向かって西進すると、冷泉(現在は「れいせん」)通りの桜並木を歩くことになります。
 それを突き当たった川端通り沿いに、鴨川を詠んだ四季の和歌碑があることに気づきました。ちょうど琵琶湖疏水が鴨川に流れ込む場所です。木橋があるそばです。


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(右上) ちはやぶる
   かもの川べの藤波は
    かけてわするゝ
     時のなきかな
        兵衛

(中上)  桜花
   ちりかひかすむ
      春の夜の
   おぼろ月夜の
      かもの川風
         実朝

(左上)  心すむ
     ためしなりけり
    ちはやぶる
     かものかはらの
        秋の夕ぐれ
         後鳥羽院

(左下) 霜うづむ
    かものかはらに
        なく千鳥
     氷にやどる
       月やさむけき
           良経


 いつ、どのような経緯で置かれたのかは、石碑をぐるりと回っただけではわかりませんでした。また、どなたが選歌なさったのかも、今は不明です。後日調べてみます。

 それにしても、設置場所の選択といい、その説明がないことといい、まったく目立たないものとなっていることが惜しまれます。

 今日初めてこの歌碑に気づいたので、とりあえず記しておきます。

 帰りの途次、下鴨神社に立ち寄りました。
 境内を流れる御手洗川に架かる輪橋の前に、光琳の梅があります。
 いつも春先になると、梅の開花を楽しみにして様子を見に来ています。


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 今年はどうかと思って足を向けると、まだ蕾は堅そうです。
 しかし、輪橋の上にしなだれ掛かる枝に、早くも多くの梅が花開いていました。


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 枝の奥の方が成長は早いようで、よく見ないと咲いているのがわかりません。
 開花はまだだ、と見過ごさずに、後ろに回り込んで見ると、ピンクと黄色の多くの梅花が意外なほどに美しさを競っています。
 多くの蕾も、これから一斉に咲くことでしょう。
 今年は、梅の開花が長く楽しめるかもしれません。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年01月16日

京洛逍遥(389)新幹線と京都市バスでの奇妙な英語のアナウンス

 新幹線「のぞみ」の東京発新大阪行きの車内アナウンスが、どうも異様でした。
 日本語での案内の後の英語のアナウンスが、合成音声の金切り声だったのです。しかも、ボリュームが低かったせいか、聞き取るのも耳を澄まさないといけないほどでした。

 周波数が高すぎるのです。キンキン声で非常に耳障りな、癇に障る音です。これはもう言葉とは言えない、不快な雑音です。
 いつから変わったのでしょうか。年初に乗った時は、こんな不愉快な音ではなかったので、最近のことなのでしょう。

 日本語は普通に聞こえていたので、あるいはこの英語の録音ソースだけが不調だったのでしょうか。

 京都の市バスの中で流れる案内も、不可思議な英語の発音でアナウンスが流れます。カセットテープが伸び切ってワカメ状態のときのように、変なうねりがあります。
 また、そのアクセントも不自然で、イギリスやアメリカの方の発音ではありません。この案内の音声は、どこの国の方が録音されたものなのでしょうか。もちろん、日本に方言があるように、世界各国にその地域独特の訛りがあるものです。これがどこかの国の訛りであれば、どこの国なのか興味があります。

 英語等で仕事をしている娘も、我が家に来るたびに、この驚愕の英語のことを話題にするので、これはごく普通に変なのです。

 もし京都駅から、205番の河原町通りを走るバスに乗られたら、「葵橋西詰め」とか「新葵橋」というときの「葵」の発音を聴いてください。のけ反りますよ。
 海外の方に、京都人の英語の発音はこんなに奇妙なのか、と思われたくないので、一日も早くまともな車内アナウンスにしてほしいものです。笑いもの状態で、すでに何年か経っていますので。

 この妙竹林な英語を流し続けているのは、何か理由がありそうです。そうでないと、あり得ないことだからです。関西人特有の、笑いを取ろうとしたものとも思えません。吉本新喜劇でも、こんなけったいな英語の台詞は使わないはずです。
 いったい、何がこうさせているのでしょうか。

 夕方、賀茂川を散策しました。
 鷺と鴨が仲良く落日を待っています。

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 今日、こんな鳥を見かけました。初めて見る鳥です。


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 ネットで画像検索をしました。しかし、この鳥に似た画像は見つかりませんでした。
 どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示をお願いします。
posted by genjiito at 23:44| Comment(2) | ◆京洛逍遥

2016年01月15日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その26)

 最初に連絡をいつくか。

 日比谷図書文化館の〈特別講座 翻字者育成講座〉の本年第3回目は、来月の2月18日(木)となっています。しかし、私の海外出張と重なったため、一週間先の25日(木)に変更となります。この日だけは、これまでのB教室ではなく、A教室です。お間違いのないようにお気をつけください。

 もう一つ。
 今月23日(土)に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のイベントとして、東海大学で開催中の「桃園文庫展─池田亀鑑の仕事─」にご一緒に行きませんか、というお誘いをしました。

 参考までに、私が編集した『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第1集』(2011年)と『同 第2集』(2013年)を回覧しました。

 このイベントの詳細は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の「ホームページとブログ」でご確認ください。
 参加者は当法人の会員となっています。これを機会にご入会いただけると嬉しく思います。

 さて、日比谷図書文化館の講座では、鎌倉時代の変体仮名だけではなく、近現代の変体仮名も折々に確認しています。

 昨日は、山田美妙の『夏木立』(明治21年)の巻頭部分を見ました。
 『夏木立』の序文である「まへお起」は、さまざまな変体仮名が見られます。3行目に「籠能と里古」とあり、6行目に「志えィくすぴィあ」とあることなどは、注意しておいていいと思います。


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 この序文に続く本文は、次のようになっています。


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 ここで、最初の見出し「籠の俘囚」の「俘囚」に、「とりこ」と振り仮名が振られています。ところが、先の序文では「籠能と里古」となっていました。
 当てられた仮名が違うのです。序文の方の「能」「里」「古」は変体仮名です。

 また、序文と本文の字体(フォント)も違います。序文の方が、格調の高い字体となっているのです。これは、近世以来の伝統のようです。この序文の字体は清朝体だとか。
 この点について私はまだ不勉強なので、ご教示いただけると助かります。

 ハーバード本「蜻蛉」巻は、23オモテから24オモテL5までの3頁分を確認しました。

 ナゾリがある箇所について少しだけ記しておきます。


160115_nazoriomohe




 ここで書写者は、まず「おもへ多万へつゝ」と書いたと思われます。そして、「おもへ」の「へ」が間違っていることに気づき、その「へ」の上から「飛」をなぞったのです。
 「飛」が後で書かれたものであることは、「おもへ多」の「多」と、なぞられた「飛」の線が交錯していることからわかります。

 もし、「おもへ」と書いてすぐに「へ」の上に「飛」をなぞったとすると、続く「多」の起筆部分が「飛」とはぶつからないように書いたはずです。

 あるいは、もう一つの可能性も考えられます。
 「おもへ多万へ」までを書き、間違いに気づいて「へ」の上から「飛」となぞってから、続く「つゝ」を書いたとしてもいいでしょう。
 「飛」となぞったタイミングに関して、もう一つの可能性として提示しておきます。
posted by genjiito at 22:34| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年01月14日

読書雑記(153)船戸与一『事変の夜 満州国演義2』

 第2巻は昭和5年(1930)以降の話です。


160107_funadojihen





 日本をめぐるアジアの動静が、事細かに炙り出されていきます。それが非常に具体的に語られていくので、裏面史として興味深く読めます。

 登場人物がくっきりと描かれており、日本人、中国人、朝鮮人、満州人が、その顔立ちから人柄、そして持っている思想に至るまで、リアルに伝わってきました。

 大陸を舞台にして、国民政府、国民革命軍、日本帝国、関東軍の動向が、昭和6年から7年にかけてドラマチックに、しかも具体的に生き生きと語られます。その筆の逞しさに、つい読みふけってしまいました。

 満州事変を前後にして、歴史解説が主になっています。しばし歴史語りの傍観者となる局面が多くなると、読み進んでいてもふっと気が抜けます。事変の意義を読者に伝えようとするあまり、船戸節が影を潜めます。

 そんな中で、敷島三郎が何度も思い出す、峰岸容造の叫び声が耳から離れません。


「見殺しにするんですか、中尉、このおれを! どういうことなんだ、同じ日本人なのに!」(152頁)


 この第2巻で、このシーンが一番印象的でした。

 ビハリー・ボースの考え方の紹介(298頁)には、興味を持ちました。新宿の中村屋のインド・カリーと共に。

 日本山妙法寺の僧侶5人が襲われる場面(366頁)も、政治的な謀略の一つとして記憶に残りました。

 巻末部で、四郎を訪ねてきた、かつての劇団仲間である戸樫栄一が言うことばが印象的です。戦争の真っただ中の時代における物の見方や考え方を知る上で、ポイントを突くことばだと思います。


「人間の本質は理性でも悟性でもねえ」
「何なんです?」
「獣性だよ」
「え?」
「獣性こそが人間の生き抜く力の源だ。(下略)」(384頁)


 その後、四郎には上海において慰安施設を経営する話が降りかかります。
 戦争と人間のありようが、ドラマチックに展開する中で物語は次巻へと引き継がれていくのです。【4】
posted by genjiito at 22:52| Comment(0) | 読書雑記

2016年01月13日

現在取り組んでいる科研の新年会で確認したこと

 現在取り組んでいる2つの科研では、研究員・補佐員・補助員の3人の方にお手伝いをしていただいています。この3人の英知と努力と根気なくして、あれだけの膨大な情報を集積し、手際よく整理し、迅速に幅広く発信することは叶いません。

 新年を迎え、この仲間4人で、新年会を兼ねて今後の打ち合わせをしました。

 立川駅のレストラン街にある、自然食バイキングのお店が折々に行くところです。これは、外での食事が自由にできない私にとって、非常に使い勝手のいいお店です。食べられる食材の料理を、その時に食べられる分量だけいただけばいいからです。

 今年は、2つの科研が共にラストランとなるので、以下のような課題とその問題点のとりまとめを、みんなで確認しました。
 思いつくままに列記しておきます。


(1)「海外源氏情報」と「古写本の触読研究」は、来年3月に私の定年とともに終了となる。
(2)両科研で収集・構築した情報資源やデータ群は、来年4月以降はNPO法人〈源氏物語電子資料館〉に維持管理してもらう。
(3)公開中の電子ジャーナルやダウンロード可能なデータは、その利活用を積極的に広報する。
(4)今秋、インド・デリーにおいて『源氏物語』の翻訳に関する〈インド国際日本文学研究集会〉を開催する。
(5)『十帖源氏』の多言語翻訳に関して、インド8言語の試行版に着手する。
(6)『源氏物語』の多言語翻訳と翻訳研究史に関する研究成果を、印刷物としてまとめる。
(7)目が不自由な方々の触読環境を整備して、古典文学の領域から情報発信を心がける。
(8)現行の平仮名と変体仮名の触読字典作成のため、文字の説明文を完成させ、公開する中で補訂を加える。
(9)研究者に限らず社会人や学生に、ホームページ及び広報活動を通して、刺激的な情報を発信する。
(10)当面は、『海外平安文学研究ジャーナル第4号』と『触読研究ジャーナル 創刊号』の発行に全力を注ぐ。


 とにかく、これまで通り前を見すえて、ひたすら走っていきます。
 折々に、ご理解とご協力をいただけると幸いです。

 情報発信母体となる科研のホームページは、以下の通り、これまでと変わりません。

「海外源氏情報」(基盤研究A)
 
「古写本『源氏物語』の触読研究」(挑戦的萌芽研究)
 
 多くの方々から、ご意見や情報をお寄せいただけることを、心待ちにしています。
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2016年01月12日

藤田宜永通読(26)『血の弔旗』

 藤田宜永『血の弔旗』(2015年7月、講談社)を読みました。580頁の大作です。


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 藤田の作品は、『鋼鉄の騎士』(1994年)で日本推理作家協会賞と日本冒険小説協会特別賞を受賞した頃が最盛期でした。『樹下の想い』(1997年)(講談社)あたりから恋愛小説に転身し、『求愛』(1998年)で島清恋愛文学賞を、『愛の領分』(2001年)で直木賞を受賞してからの作風は、私の好みではありません。

 特に最近の作品は、最初と終盤はおもしろいのです。しかし、中盤に中弛みがあり、最後にがっかりすることが多くなりました。
 今回も、出だしの事件発生から快調なので、この調子で退屈にならないように、と祈りながら読み進みました。
 読み終えた今、若い頃の筆の力と物語展開の妙が復活し、さらにパワーアップしたように思っています。

 原島勇平は、昭和初年に満州に渡り、関東軍司令部ともつながっていた大陸浪人でした(12頁)。戦後は金融業の資産家となっています。
 主人公根津賢治は、この勇平の運転手で、大金をまんまと強奪したのです。
 勇平の執事である野上宗助は、満州からの引き上げてきた者です。(79頁)
 現在、私は船戸与一の『満州国演義(全9巻)』を読み進めているところなので、この満州を背景に持つ人物の動向に気をつけていました。しかし、本作ではそのことは何も物語展開に関わらないままでした。昭和初期から戦後へと、社会的な背景に絶妙の味付けができるネタが活かされず、もったいないと思っています。

 この小説は、犯人と犯行の手口は最初に語られています。いかに警察から逃げられるか、ということろが読みどころなのです。この点では、最後まで読者を引きつけて語り進めることとなり、最初の心配が杞憂に終わりほっとしました。
 犯罪者の心理が巧みに炙り出されているからです。

 物語展開の背景に、映画、流行歌などの作品名や出来事を配して、最後まで読ませる工夫がなされています。
 映画は『007危機一髪』『ゴールドフィンガー』、歌謡曲は「星のフラメンコ」「バラが咲いた」「柳ケ瀬ブルース」に始まり、『コント55号!裏番組をブッとばせ!!』『昭和残侠伝』『スパイ大作戦』『大脱走』「ルビーの指環」「いとしのエリー」「骨まで愛して」などなど。
 作者と同世代の私にとっては、自分のこれまでを重ね合わせながら、世相とともに楽しく読めました。
 昭和という時代を、うまく掬い取って物語の中に溶け込ませています。風俗史の資料ともなっています。

 そうした中で、日本現代史を研究する大学院生が登場し、話はさらにおもしろい展開となります。

 後半になっても、筆力は衰えません。
 時効が問題になったところで、犯人像が見えてきました。しかし、物語はさらにおもしろさを加速します。
 そして、鮮やかな着地を見せてくれました。

 藤田の作品には、中弛みと最後の失速がありがちです。しかし、本作はこれまでとは格段に違う、完成度の高さを見せています。
 何よりも、主人公をはじめとして、登場する一人一人が生き生きと描かれています。そして、第三章からは特に、人間の醜さ以上に、人間のすばらしさが刻まれていくのです。
 約束破りのどんでん返しがないのも、現実味のある物語展開にも、素直に受け入れられました。
 これまでの藤田宜永とは違う、若き日の藤田の良さをさらに大きくした、人間を見据えた小説家の姿を見ることができました。

 本の帯に次のように書かれています。


戦後70年 ─ 犯罪小説はもう一つの戦後文学になった。
1944年から1981年へ。ある犯罪者が駆け抜けた「昭和」とは。


 終始犯人の視点で語られています。いつ誰が犯罪の背景を暴くのか、手に汗握って読みました。
 ただし、『血の弔旗』という題名は損をしています。これでは、負のイメージが勝ち過ぎるので、書店の本棚から手に取ってもらえないでしょう。このままでは、内容がいいだけに、多くの読者を得られずに終わります。再検討すべきです。
 また、表紙と章の扉絵の犬があまりにも稚拙な絵なので、本作のイメージを壊しています。
 改題され、挿絵がなくなった時に、私は本作を多くの方に薦めたいと思います。【5】

 初出誌︰『小説現代』2012年11月号〜14年1月号
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2016年01月11日

銀座探訪(34)並木通りの夏目漱石と「野の花 司」

 銀座といっても、有楽町駅に近いソニー通りと並木通りとの間で、夏目漱石の新聞連載小説の挿し絵を見かけました。


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 現在、銀座6丁目の並木通りでは、朝日新聞社の銀座朝日ビルが建設中です。その工事現場の囲いに、漱石の姿と新聞連載当時の「三四郎」と「明暗」の挿し絵が描かれているのです。


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 私が朝日奨学生として東京で新聞配達をすることになった昭和45年には、有楽町にあった本社で諸手続きと専売所の所長に面接をしました。
 その有楽町に本社が移転する昭和2年までは、ここに社屋があったのです。

 この囲み塀の絵は、本年6月まで見られるようです。ビルの完成は、来年の秋です。

 漱石は明治40年に東京朝日新聞社に入社しています。同じ頃に、石川啄木もここに勤務していたのです。その記念碑も、この囲いの前にあります。


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 碑には、「京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな 啄木」と短歌が記されていました。

 このあたりでは、多くの建て替え工事が行われています。ちょうど、そんな時期にあたるのでしょう。無粋なトタンやビニール塀だったり金網である現場が多い中で、これはなかなか楽しい計らいです。しばし立ち止まって壁面を眺められるのは大歓迎です。
 この他の工事現場でも、いろいろと面白い囲いの絵があります。折を見て紹介します。

 銀座3丁目にある松屋の裏の「野の花 司」に立ち寄りました。


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 ここは、「野の花」と「茶花」の専門店です。銀座のど真ん中に、こんな山野草のお店があるのですから、この一帯はおもしろいところです。
 2階でお茶と軽食を、と思って行きました。しかし、満席でした。また次の機会としましょう。続きを読む
posted by genjiito at 21:54| Comment(0) | 銀座探訪

2016年01月10日

江戸漫歩(121)谷中の夕やけだんだん

 日暮里駅からぶらぶらと谷中銀座へと足を向けました。
 ここは、夕焼けが絶景のスポットとして知られています。
 しかし、時間帯が早かったので、噂の夕焼けは見られませんでした。

 途中で、「谷中せん遍”以」と書かれた暖簾の変体仮名に気づきました。
 最近、街中の仮名文字を収集するようになったので、これからはこうした文字も取り上げていくつもりです。


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 道から見下ろすと、狭くて短い商店街に、多くの人が集まっています。


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 階段の手前で、ベーゴマの遊びを実演してる方がいらっしゃいました。


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 ベーゴマは、昭和レトロの象徴でもあります。西岸良平の『3丁目の夕日』を思い出します。
 平安時代に京洛で遊ばれたそうなので、起源は古いようです。ただし、私はこのベーゴマでは遊びませんでした。もう少し大きなコマ回しはしました。戦後は、関西ではなくて東京の下町で子どもたちが遊んだのがベーゴマだと思っています。

 階段を下りてすぐのところに「夕やけだんだん」の標識がありました。


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 その標識の手前にあるお寿司屋さんの看板に「魚て津」とあります。変体仮名を見かけると反応する私は、それよりも、その真上に掲げられた看板の方に注目しました。「て」が字母である「天」のイメージを留めていたからです。


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 階段下では餅搗きをやっていて、子どもたちがたくさん集まり、興味深そうに見入っていました。


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 谷中の墓地からは、スカイツリーが見えます。


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 中村正直の墓を見つけました。


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 この説明文の中の「訓盲院の開設など女子教育、障害者教育」という言葉に目が留まったのです。


明治五年(一八七二)新政府に出仕し、大蔵省翻訳御用を務めるかたわら、翌年、家塾同人社を開いた。女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)校長就任、訓盲院の開設など女子教育、障害者教育にも力を注ぎ、東京帝国大学教授・元老院議官・貴族院議員も歴任した。


 今年もいろいろなものを見たり聞いたりして、点を線につなげられるように努めたいと思います。
posted by genjiito at 22:37| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年01月09日

江戸漫歩(120)葛飾柴又の帝釈天題経寺

 10年前になるでしょうか。息子と柴又に行ったのは。
 寅さんの映画は、数本見ただけです。映画館では一本だけで、あとはテレビで放映されたものしか知りません。私は寅さんファンではありません。しかし、寅さんには親近感を持っているので、柴又に立ち寄るとやはり寅さんしか思い浮かびません。

 柴又には、予想外に参拝客が多くて驚きました。根強い人気がある観光スポットになっているようです。


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 駅の改札口を出ると、寅さんの像が迎えてくれます。


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 帝釈天参道は、参拝客で一杯です。
 参拝のためなのか寅さんを想って散策を兼ねた観光なのか、この賑わいには2通りの心情が交錯していておもしろいと思いました。


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 二天門は、映画でお馴染みです。


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 境内を抜けて江戸川へ向かうと、土手には芝桜がぱらぱらと咲いていました。もうこのあたりは春です。


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 江戸川の河川敷から対岸に漕ぎ出している矢切の渡しを、柴又公園の土手から望みました。渡し舟には乗りませんでした。


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 軽い食事を兼ねて、草だんごとおかずを「とらや」さんでいただきました。


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 映画の撮影で使用された階段が残っていました。


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 今度寅さんの映画を見たら、この階段のことを思い出すことでしょう。
 ただし、この「とらや」さんは第1作から第4作までの撮影で使われたそうなので、その後の映画ではどのような階段だったのでしょうか。
 機会があれば、そんな視点で映画の背景となっているお店の造りも楽しみたいと思います。
posted by genjiito at 22:06| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年01月08日

ロシア語訳『源氏物語』に関する土田久美子さんの成果

 研究仲間である土田久美子さんの学位論文が、オンデマンド出版という形態で昨年末に刊行されました。


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『ロシア語訳『源氏物語』の研究 ─<語り>・和歌・もののあはれの観点から─』(関西学院大学出版会、A4判、425頁、2015年12月、\4,860)

 参考までに、外国語による表記もあげておきます。

A study of the Russian translation of The tale of Genji : an analysis in terms of the narrative technique, waka poetry, and the aesthetic concept mono no aware

К вопросу о русском переводе 《Повести о Гэндзи》 : С точки зрения приема повествования, поэтики вака, и эстетического понятия моно но аварэ

 これは、平成19年3月に青山学院大学より授与された学位に関わる学位論文を、関西学院大学出版会から刊行したものです。
 その制作にあたっては、コンテンツワークス(株)との共同作業により、オンデマンド出版方式を採用したものです。したがって、注文に応じてその都度印刷製本して届けられことになります。
 印刷した書籍を出版社も著者も抱えることがないので、非常に効率のいい出版形態です。現在の出版状況を考えると、今後ともお勧めしたい出版形式だといえます。

 土田さんは、青山学院大学大学院を修了後、ロシア国立人文大学(モスクワ)の非常勤講師を経て、現在は青山学院大学と東京工業大学の非常勤講師をし、幅広く研究活動を展開する頼もしい若手研究者です。
 今後のますますの活躍が楽しみです。

 すでに、土田さんの以下の論文を、「海外源氏情報」(伊藤科研HP)からダウンロードして読んでいただけるようにしています。

「ロシア語訳『源氏物語』をめぐって ―〈語り〉と和歌の部分の翻訳を中心に」

 また、本ブログでも、「中国とロシアにおける『源氏物語』の翻訳について」(2011/7/26)で紹介しています。

 本書の構成がよくわかるように、目次を引用します。
 

序論
第一章 本論文のテーマと構成
 第一節 研究課題とその意義
 第二節 先行研究、及び本研究の意義
 第三節 考察の視点と論文の構成
第二章 ロシア・ソ連における『源氏物語』研究史─完訳出版に至るまで─
 第一節 アストン『日本文学史』の書評から
 第二節 ロシア日本学の黎明期
 第三節 ニコライ・ヨシフォヴィチ・コンラドについて
  3.1.『源氏物語』翻訳に至るまでの略歴
  3.2.コンラド訳の概要
  3.3.コンラドの『源氏物語』解説
  3.3.1.世界文学的視座からの評価
  3.3.2.形式への関心
 第四節 コンラド以降の『源氏物語』研究
  4.1.ピーヌス著「古代日本文学における人間」(1969年)
  4.2.ボローニナ著『日本の古典長編小説』(1981年)
 第五節 タチアーナ・リヴォヴナ・ソコロワニデリューシナ氏について
  5.1.デリューシナ氏略歴
  5.2.デリューシナ訳『源氏物語』の概要
  5.3.底本について
  5.4.『源氏物語』翻訳のためのロシア語
第一部 ロシア語訳『源氏物語』における〈語り〉の諸問題
第一章 人物呼称
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 『源氏物語』における人物呼称の用法
 第二節 外国人翻訳者たちの人物呼称に対する見解
  2.1.タイラー氏の見解
  2.2.サイデンステッカー氏の反論
  2.3.林文月氏の見解
  2.4.ベンルの見解
  2.5.デリューシナ氏の見解
  2.6.シフェールの見解
  2.7.ロシア人翻訳者とフランス人翻訳者の見解の共通点と差異
 第三節 翻訳例の検討
  3.1.源氏の呼称─「無常」の体現
  3.1.1.原文における源氏の呼称の移り変わり
  3.1.2.デリューシナ訳における源氏の呼称の移り変わり
  3.1.3.源氏の呼称翻訳における問題点
  3.1.4.「ゲンジ」呼称にっいて─視点の移動
  3.2.頭中将、夕霧、柏木、薫の呼称─「不変性」の体現
  3.2.1.「頭中将」の呼称
  3.2.1.1.原文における頭中将の呼称の移り変わり
  3.2.1.2.デリューシナ訳における頭中将の呼称の移り変わり
  3.2.2.夕霧の呼称
  3.2.3.柏木の呼称
  3.2.4.薫の呼称
  3.3.デリューシナ訳の問題点
 第四節 考察のまとめ
第二章 時制の交替
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 『源氏物語』の時制
 第二節 他の外国語訳『源氏物語』の時制をめぐる議論
 第三節 ロシア語訳の検討
  3.1.コンラド訳の場合
  3.2,デリューシナ訳の場合
  3.2.1.吹抜屋台の原理を活かして
  3.2.2.コンラド訳と同様の手法
  3.2.3,垣間見の現在形
  3.2.4.会話・詠歌場面の現在形
  3.2.5。ロシア文学における時制の用法
 第四節 考察のまとめ
第二部 作中和歌の考察
 第一章 リズムの翻訳
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 デリューシナ氏の和歌の翻訳方針
 第二節 他の外国語訳の場合
  2.1.和歌の音節数にそろえられた翻訳
  2.2.和歌の音節数に従わない翻訳
 第三節 ロシア詩のリズム構造
  3.1.音節詩からアクセント主体のリズムへ
  3.2.詩脚の種類
  3.2.1.ヤンブ(ямб弱強格)
  3.2.2.ホレイ(хорей強弱格)
  3.2.3.ダクチリ(дактиль強弱弱格)
  3.2.4.アンフイブラーヒイ(амфибрахий弱強弱格)
  3.2.5.アナペスト(анапест弱弱強格)
 第四節 コンラド訳和歌のリズム構造
  4.1.二種類の実験
  4.2.コンラドの和歌の翻訳方針
 第五節 デリューシナ訳和歌のリズム構造
  5.1.デリューシナ訳和歌の具体例
  5.2.ジュコフスキイ『彼女に』一和歌翻訳のリズムの手本として
  5.3.問題点─翻訳の形式を守るために
 第六節 両訳の検討
第二章 和歌の修辞技法
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 掛詞、縁語とは何か
 第二節 外国人翻訳者の和歌の修辞技法に対する認識
  2.1.翻訳不可能で巧妙な表現として
  2.2.人間と自然の一体化を表現する手段として
 第三節 翻訳例の検討
  3.1.二重の意味のうち一方のみの翻訳
  3.2.両義訳出
  3.3.ロシア語の言葉遊びによる翻訳
  3.3.1.「隠し題」による訳
  3.3.2.類音掛けによる翻訳
  3.3.3.反復掛けによる翻訳
 第四節 考察のまとめ
 補足 言葉遊び以外による修辞技法の翻訳方法
第三部 訳語の問題─「もののあはれ」「あはれ」を中心に─
第一章 ロシア人翻訳者の「もののあはれ」理解
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 「もののあはれ」とは何か
  1.1.「もののあはれ」の語義
  1.2.本居宣長の「もののあはれ」論
  1.3.宣長以降の「もののあはれ」論
 第二節 「もののあはれ」の他の外国語訳
  2.1.英訳の場合
  2.2.フランス語訳の場合
  2.3.ドイツ語訳の場合
  2.4.中国語訳の場合
 第三節 ロシア語訳『源氏物語』の「もののあはれ」紹介
  3.1.コンラドの「もののあはれ」紹介
  3.2.ボローニナ著『日本の古典長編小説』における「もののあはれ」
  3.3.デリューシナ氏の「もののあはれ」紹介
  3.3.1.「モノの哀感をたたえた魅力」として
  3.3.2.本質的な美の概念として
 第四節 「もののあはれ」理解の手掛かりとなった作品
  4.1.1.ジュコフスキイ『表現されえぬもの』
  4.1.2.ジュコフスキイの思想的背景
  4.2.1.フランク『理解不能なるもの』
  4.2.2.フランクの思想的背景
 第五節 考察のまとめ
第二章 「もののあはれ」「あはれ」訳語の検討
 序 本章の問題意識及び構成
 第一節 物語本文における「もののあはれ」の翻訳
  1.1.翻訳例の検討
  1.2.考察のまとめ
 第二節 物語本文における「あはれ」「ものあはれ」の翻訳
  2.1.ロシア語訳・各英訳において頻出する「あはれ」の訳語
  2.1.1.「трогать(感動させる)」─最も多い「あはれ」のロシア語訳
  2.1.2.「печальный(悲しい)」─「あはれ」の第二番目に多いロシア語訳
  2.2.ロシア語訳・各英訳において頻出する「ものあはれ」の訳語
  2.2.1.「печальный(悲しい)」─「ものあはれ」の最も多いロシア語訳
  2.2.2.「тоска(憂い、ふさぎの虫)」として
  2.3.コンラド訳とデリューシナ訳の比較
  2.4.デリューシナ氏の「もののあはれ」理解に基づく翻訳
  2.4.1.「глубокий смысл(深い意味)」として
  2.4.2.「очарование(魅力)」として
  2.4.2.1.用例一覧
  2.4.2.2.ロシア語訳と他の外国語訳に共通する事例
  2.4.2.3.ロシア語訳の特徴と考えられる事例
 第三節 考察のまとめ
結論
引用文献


 参考までに、「BookPark」より公開されている本書の紹介文を引きます。


 本論は、「ロシア文化を背景とするロシア人翻訳者が、『源氏物語』をどのように理解したのか、そしてその『源氏物語』観に基づいてどのような翻訳テクストを生み出したのか」という問題意識に沿って、タチアーナ・リヴォヴナ・ソコロワ=デリューシナ(1946-)による『源氏物語』のロシア語完訳の特徴を明らかにするものである。
 筆者は修士課程在学中の1997年6月から1998年3月までロシアのプーシキン大学、及び博士後期課程在学中の2001年4月から2002年2月までモスクワ大学に留学し、その間にデリューシナ氏と共にロシア語訳『源氏物語』を検討する機会を得た。翻訳者本人の証言を資料として、ロシア人翻訳者が『源氏物語』を読んで何を考え、それがどのように翻訳テクストに反映されたのかを検証する。
 具体的には<語り>、和歌、「もののあはれ」の観点から、原文はもとより英・仏・独・中国語訳とも比較しながら論じる。
 『源氏物語』は語り手が話の内容を語る散文部分と、作中人物が詠む和歌の部分から構成されている。そして本居宣長が提唱して以来、「もののあはれ」は本物語の中心となる美的理念とみなされている。
 筆者が原文とデリューシナ訳を読み比べた結果、やはり特にこの三つの観点に同訳の特徴が表れていると判明した。
 そのため、まず第一部で『源氏物語』の散文部分における<語り>の手法、第二部で和歌のリズムと修辞技法という形式面から考察を加え、そして最後の第三部で物語全体を貫く「もののあはれ」の美的理念の面に焦点を当てる、という順序で三方面からロシア人翻訳者デリューシナ氏の『源氏物語』理解及びそのロシア語訳の特徴を解明する。
 従って、本論は三部構成である。
 本論の第一部では、<語り>の手法に着目する。デリューシナ氏は原文の<語り>の手法をどのように理解し、どのように訳文に移したのかという問題である。デリューシナ氏も翻訳にあたり、これらの手法を特に重視していた。よって第一章で人物呼称、第二章では時制の問題を取り上げ、これらの翻訳方法にもデリューシナ氏の『源氏物語』理解が反映していることを示す。
 第二部では、『源氏物語』の不可欠な要素でありながら翻訳が容易でない和歌に、ロシア人翻訳者がどのように取り組んだのかを検証する。第一章では、まず和歌の31音のリズムが、どのようなロシア語の詩のリズムに移しかえられているのかという問題を扱う。第二章では、和歌の修辞技法に焦点を当てる。デリューシナ氏はこうした手法にも『源氏物語』の重要な特質が表現されていることを読み取っていた。その理解に基づき、修辞技法を含む和歌をどのような方法で翻訳したのかを明らかにする。
 第三部では、「あはれ」、「もののあはれ」の訳語の問題を論じる。「もののあはれ」は『源氏物語』の中心となる美的理念であるだけでなく、翻訳研究にとしても興味深い語彙である。外国語への等価な翻訳が困難であると考えられるからである。まず第一章では、日本における「もののあはれ」認識と照らして、デリューシナ氏が「もののあはれ」の概念をどのように理解しているのかを明らかにする。第二章で、その「もののあはれ」理解を基に『源氏物語』本文で「もののあはれ」、「あはれ」にどのようなロシア語の訳語があてられたのかを検討する。
 最後に結論をまとめる。
 本論により、デリューシナ氏の認識が訳文に反映されたところは、英訳、仏訳、独訳、中国語訳には見られない、あるいは大多数の他の外国語訳には見られない特徴となっていたことが明らかになった。氏の『源氏物語』理解の独自性が、翻訳テクストの独自性を生んだと言える。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年01月07日

総研大日本文学研究専攻特別講義を聴いて

 新春早々、得難い勉強の機会に恵まれました。
 かねてより知りたいと思っていたことを、お2人の先生からわかりやすい話でうかがうことができたのです。

 田中大士先生は、「春日懐紙の書誌学」と題したお話でした。
 「打ち紙」「墨映」「相剥ぎ」などなど、具体的な例をあげての説明だったので、よくわかりました。
 「相剥ぎ」について、田中先生は「あいはぎ」と言っておられました。しかし、私が教えを受けた先生は、「あいへぎ」とおっしゃっていました。どちらでもいいようです。しかし、「あいはぎ」は「おいはぎ」みたいで、品が感じられません。私は、これまで通り「あいへぎ」でいこうと思います。
 「打ち紙」については、次の大高洋司先生の資料にも、絵として紹介されていました。

 大高洋司先生は、「近世職人尽絵詞の注釈を終えて」と題するお話でした。
 大高先生は今年度で定年となられるので、最終講義となるものです。また、私の隣の研究室におられるので、いろいろとお世話になった先生でもあります。
「表具師」の絵に、竹篦(和紙を持ち上げる)、包丁、定規、提げ槌(紙を打つもので、『邦訳日葡辞書』には「一本の長い竹に吊してある槌または杵で、紙を叩くのに使うもの。」とある)が描かれていました。自分が関心のあるものなので、興味深く資料を見つめ、お話をうかがいました。
 この絵詞は、松平定信がプロデューサーとなって製作されたものだそうです。江戸時代の文化人が残したものは、その背後にもおもしろいことがたくさんあるようです。

 お2人の先生が取り組んでおられる研究成果の一端から、自分の問題意識と絡み合うものがいくつも関連をもってつながりました。
 ありがとうございました。
posted by genjiito at 21:33| Comment(0) | 古典文学

2016年01月06日

3泊4日の入院手術から退院した息子

 新年3日に入院し、4日に手術をした息子が、突然今日退院しました。
 もうしばらくは入院して療養するのかと思っていたところ、今日中に退院するという連絡で驚きました。
 とにかく、身体を動かすことを最優先しての病院側の対処のようです。

 そもそもが腰痛と急激な肥満から来たものなので、最初から命に別状はありませんでした。
 退院時の注意事項でも、腰への負担と身体を捻ることをしないように、ということと、バランスの良い食生活を、ということでした。
 リュックは禁物で、引き摺るキャリーではなくて、手で押すタイプのキャリーにした方がいいそうです。また、声をかけられた時に、急に後ろを振り向くのもよくない、とのことです。
 これは、私も参考になるアドバイスでした。

 今回入院していたのは、2年前に開業したばかりの
「参宮橋脊椎外科病院」でした。
 清潔感に溢れ、痛みのある患者さんを癒すことを優先した院内の環境は、好感がもてました。スタッフの方々の対応も、さりげない心地よさを心がけておられるようです。
 病院好きの私としては、ここは人にお勧めできるところの一つと言えます。

 息子が起業してもうすぐ3年。「LAUGH TECH(ラフテック)」という会社が順調に業績をあげている時だけに、無理な生活の中に身を置いていたのでしょう。
 病院のベッドの枕元には、本が堆く積み上げてありました。日々の経営に加えて、新たな事業展開を考えていたようです。

 退院と共に、本を10冊ほど抱えて、そのまま病院のすぐ裏にある会社に帰って行きました。
 ビルの大きなガラス越しには、事務所で残業している社員の姿が遠目に見えました。
 こんなに病院に近いのなら、いつでも駆け込めるので安心です。
 自立した息子の仕事場を盗み見るようにして、そのまま素通りして代々木駅へ急ぎました。

 帰りに妻と一緒に退院祝いと称して、深川の居酒屋で少し飲みました。続きを読む
posted by genjiito at 21:08| Comment(0) | 健康雑記

2016年01月05日

江戸漫歩(119)見舞いと明治神宮参拝の後は東京駅で夢を語る

 立川では、年始行事としての館長挨拶と、参加者全員の記念撮影がありました。
 新年が始まったことを実感します。

 昨年知り合った大学生のMさんが尋ねて来てくれたので、古写本の翻字のことなどの話をしました。若い方がこうしたことに興味をもってもらえることは、心強い限りです。気長に仲間として一緒に翻字作業などをしていきたいと思います。

 少し早めに館を出て、代々木駅前の病院に入院している息子を見舞いました。
 今日は痛みも軽くなったようです。術後2日目なのに、リハビリで少し歩かされたそうです。身体を動かすことで回復を早める治療であり指導のようです。

 せっかく明治神宮のそばに来ているので、病院からの帰りに初詣を兼ねて神宮にお詣りしました。

 北詰所に建つ一の鳥居からスタートです。


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 ここには、かつて一度来たことがあります。ただし、それがいつで、何があって来たのか、今それがまったく思い出せません。
 初詣参拝者の数で日本一ということもあり、人が多いというイメージで足が遠ざかっていたのかもしれません。

 北参道を歩いて本殿にお詣りします。そこで2つ目の鳥居を潜りました。


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 その少し南にある、日本一大きい鳥居だと言われている二の鳥居(大鳥居)を見上げました。


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 京都や奈良で鳥居を見慣れているせいか、日本一と言われてもそんなに迫るものは感じられませんでした。

 南参道から南詰所を出たところにも、大きな鳥居があります。


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 この鳥居を出ると、すぐに原宿駅があります。
 お正月に加えて夕刻という時間帯にも関係するのか、とにかく若者が多いのに驚きました。原宿に近いということもあるのでしょう。

 原宿駅からは、まっすぐ東京駅に向かいました。
 今夜は、Y氏とKさんと一緒に、今後のデータベースについて打ち合わせることになっていたのです。

 東京駅八重洲口の喫茶店で、実に2時間半の長時間にわたり、実務的な話と夢語りを存分に闘わせることができました。

 最近、夢を語り合う仲間が激減しました。その点では、このお2人とはホラ話に脱することなく、本当に夢のような話が今にも実現させられるレベルで語り合えます。得難い仲間です。その意味でも、Yさんは敬服に値する方です。

 私の定年後は、Yさんの大きな力と知恵をお借りしながら、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉をさらに発展させていきたいと願っています。
 若い方々が研究者として、さらには人間として育っていくことを後押しすると共に、現在構築しているデータベースを次の世代に襷リレーしていくためには、夢が語れないと実現しないと思っています。

 その点からも、今さまざまな夢が語り合える仲間が自分のそばにいることに、あらためて感謝しながらお別れしました。
 直接会って話すことは久しぶりです。何かがまとまった、というわけでもありません。お互いが今考えていることをぶつけ合いわかり合い、今後の展望が拓けたことを確信して別れました。この感触が、実に気持ちのいいものとして、温もりのある手応えとして残りました。

 年始にあたり、幸先のいい時間が持てました。
 Yさん、Kさん、ありがとうございました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年01月04日

京洛逍遥(388)鷺と梅に見送られて息子の入院先へ

 今朝の賀茂川は、靄がかかっていました。


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 水鳥たちは今日が仕事初めなのか、賀茂川に飛来しみんなで遊んでいました。

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 家を出る時には、紅白梅がみごとに咲いていました。年末からの温度管理がうまくいったのです。


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 京都駅からの新幹線は、久し振りにすし詰め状態です。今日は月曜日で仕事初めなので、てっきり昨日がピークかと思っていたのです。この混雑ぶりは意外でした。

 いつも自由席をネットで取ってから出かけます。ホームに上がってしまっていたので、今回は変更できません。5本の「のぞみ」を見送った後に「ひかり」に乗り、通路に立ったままで名古屋駅まで行くことにしました。米原と岐阜羽島で降りる方があれば、との思いは空振りでした。

 名古屋駅で「のぞみ」に乗り換え、通路に立って東京に行くことも考えていたところ、たまたま横に座っていた方が名古屋で立たれたのです。ラッキーとばかりに、座らせていただきました。

 一時は、「こだま」で4時間50分の旅を覚悟しました。しかし、お昼に手術をする息子のことが気になっていたので、立ちん坊でもいいので名古屋から「のぞみ」をも考えていたのです。

 新年早々、小吉の運が舞い込んだようです。息子の手術も、うまくいく予感がしました。

 新幹線でやっと座れたころに、息子から次々と持って来てほしいものの要求が届きだしました。手術は成功のようです。

 東京に着いてからは、宿舎に戻って必要なものを取り集め、慌ただしく明治神宮に面した病院に急ぎました。
 神宮のそばに行きながらも、初詣どころではありません。

 きれいな病院でした。
 病室の窓からは明治神宮の森が見えています。

 手術後すぐだったこともあり、痛い痛いと弱音をはいていました。
 しかし、それも時間とともに癒えていきます。
 とにかく、まずは今晩一晩の辛抱です。
 がんばれ。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年01月03日

大阪上本町でテニス仲間と母校訪問後に飲む

 高校時代のテニス仲間から呼び出しがかかりました。
 仲間の一人が大阪日赤病院に入院したので、お見舞いがてら行って、それから飲もうや、と。

 明日私は上京するので、お正月三ヶ日の最後は気分転換を兼ねて、高校時代を過ごした大阪へ出かけました。
 この仲間とは、機会を見つけては会っています。と言っても、二、三年に一度ですが。

 大阪赤十字病院には、大阪で高校の教員をしていた30代に、手術で1ヵ月ほど入院したことがあります。『データベース・平安朝日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』(同朋舎、1988年)は、この入院中に仕上げた仕事です。娘もここでお世話になりました。満州からシベリヤへと労苦を背負って生き抜き、山一証券で燃え尽きた父は、ここで息を引き取りました。

 その我が家にとっては馴染みの病院が、何と目を疑うほどに様変わりしていました。
 当時あった正門が、こんな風景になっていたのです。


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 近鉄上本町駅からまっすぐに来たはずが、あまりの変貌ぶりに目標を見失い、新しい病院を、ぐるりと一周してしまいました。鶴橋駅からのほうが近かったのです。


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 ICUに年末の11日間も入っていたという仲間は、予想外に元気でした。
 10階の病室から、一緒に通った高校が眼下に見えます。
 看護士さんにお願いして、談話室に歩いて移動する許可がもらえました。
 久しぶりに自分の足で病室からでられたことで、気分が相当楽になったようです。
 自転車に乗っていて、予兆もなく突然気を失ったとのこと。
 よくぞ生きて会えたことです。幸運に感謝するしかありません。

 この上本町の周辺が懐かしいので、かつての母校に立ち寄ることとなりました。
 敷地は同じ所にあります。しかし、校舎は新しくなっていました。
 半円の会館のイメージは残っていました。


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 我が母校は、谷崎潤一郎の『細雪』の冒頭に出てくる学校です。私が谷崎の作品のすべてを読み直しているのは、この『細雪』が原点となっているからです。
 校門の前の道は、50年前と同じです。ただし、道幅は2倍に拡幅されています。奥の狭い道は、当時のままです。


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 中に入ると、卒業生ならということで、おじさんが少し説明をしてくださいました。我々は新制の22期です。今年は、110周年を迎えるそうです。校庭の横に建っている「沿革碑」の歴史を見て、昭和45年に卒業した私が育った時の流れを再確認することになりました。


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 朝から晩までテニスに明け暮れた日々を思い出す校庭は、当時とはその場所も広さも違います。
 運動会は、この街中の校庭ではできないということになり、3年生の時には長居公園の中にある長居陸上競技場で行いました。


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 高校の隣にあった病院も、高校と敷地を交換しただけで、ほぼ同じ場所に建っています。
 私がテニス浸けだった日々、テニスコートの真上にあった病室から、入院中の若い女の子がじっと練習を見ていてくれたことを、今でも鮮明に思い出せます。


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 偶然とはいえいえ、娘はこの病院で生まれました。
 高校といい、病院といい、私にとってここは、思い出の空間なのです。


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 50年ほど前に通った道を当時のテニス仲間と歩きながら、上本町にある行きつけの飲み屋さんに入りました。
 話題は、御多分に洩れず病気の自慢話で盛り上がります。
 私は、父親の川柳句集の題名と同じ「ひとつぶのむぎ」をいただきました。
 おいしいお酒でした。

 今夜の梅は、白梅がきれいに咲いていました。
 お正月三ヶ日に間に合い、紅梅と白梅がこれから競うことになります。
 ただし、私は明朝、息子の手術があるので上京します。
 この梅の競演が見られないのが残念です。


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posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | ブラリと

2016年01月02日

京洛逍遥(387)下鴨神社へお詣りしてからお茶を一服

 お正月2日目は、娘夫婦が年始に来たので、一緒に下鴨神社へ初詣に行きました。
 焚き火の横の楼門前で甘酒をいただきました。

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 光琳の梅は、もう少しで蕾が一斉に開き出すところです。


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 新年のお茶会は、私と娘が入子点でお茶を点てました。
 お茶菓子は、鶴屋長生の「都福梅」と「利休心」です。

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 我が家の紅白梅は、紅梅が数輪ほころび始めています。
 明日、白梅が花開くのが楽しみです。


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posted by genjiito at 20:26| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年01月01日

京洛逍遥(386)元旦の初詣は上賀茂神社 -2016-

 今年もおせちは、妻と息子の合作による味です。
 右の中央に「扇昆布」が、左に「葛素麺 開花宣言」が散らしてあります。


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 食後、息子を正客にして、入子点でお茶を点てました。
 回数を重ねると、少しずつ手が動くようになるのでおもしろくなります。

 例年になく暖かいお正月です。
 昨年は雪の中での初詣でした。

「京洛逍遥(341)未年の元旦は雪降る下鴨神社へ初詣」(2015年01月01日)

 今年は、上賀茂神社から先にお詣りです。


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 神馬の神山号は、今年も元気です。


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 チェーンソーアートのサルは力作です。


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 ならの小川の川岸に建つ歌碑に気が惹かれました。説明板には刻まれた元の文字表記に戻れない、現代式の翻字になっています。これは、明治33年にひらがな一文字に統一された仮名表記によるものなのです。


風そよぐならの小川の夕ぐれは
 みそぎぞ夏のしるしなりける
        (藤原家隆卿)


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 しかし、私は昨年のお正月以来、翻字は変体仮名交じりの表記にすべきであることを提唱しています。この歌碑を「変体仮名翻字版」で表記すると、次のようになります。


  藤原家隆
 風 そ よ ぐ
ならの小川
  夕暮
 三所ぎぞ夏の
  しる
    りける


 早いと来秋には約300文字の変体仮名がユニコードに登録され、コミュニケーションツールとして利用されることになります。
 全国各地の史跡の翻字を、この時代の流れを汲んで、そろそろその準備に入ってもいいのではないでしょうか。

 帰り道、京都コンサートホールと京都府立大学の間に建設中の新総合資料館の新年の姿を、通りから確認しました。この完成が楽しみにです。


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 自宅の紅白梅の蕾は、昨日よりも少し膨らんでいるようです。
 その後ろに、上賀茂神社でいただいた宝船を置いてみました。


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posted by genjiito at 20:17| Comment(0) | ◆京洛逍遥