2015年10月18日

井上靖卒読(203【最終回】)『幼き日のこと』

 読み進みながら、自分の幼かった日のことを同時に思い出しました。


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 そして、私を育ててくれた両親や周りにいた人のことに想いを馳せ、気持ちが緩んで感傷的になることがしばしばありました。

 井上靖は、自分が生きてきた姿を、小説や随想や詩で、何度も繰り返し語っています。
 その中でも、この『幼き日のこと』は、小学校へあがるまでの様子が克明に語られています。

 あくまでも、本人の個人的な回顧談です。
 しかし、それが思い出語りに終わってはいません。
 これはそのまま小説としても読めます。

 毎日新聞に112回にわたり「長編エッセー」として連載された文章が集まっています。
 連載開始にあたり、井上靖は次の「作者の言葉」(毎日新聞、昭和47年9月5日・夕刊)を残しています。


 人間を人間たらしめる本質的な部分は、五、六歳までの幼時において形成されてしまうということが言われる。私の場合も、いい面も、悪い面も、五、六歳までにでき上がっているように思う。そしてそのあるものを壊すのには一生かかっている。近頃私は年齢のせいか、自分の幼時を振り返ることが多い。すると、そこには今までこれが自分の人生だと思っていたものとはまるで異ったもう一つの人生が置かれているのを発見する。かつて持った遠い、遠いもう一つの人生、純粋で、ゆたかに、繊細で、光も陰もあったもう一つの人生。
 ─それをこれからエッセーの形で書いてみたいと思っている。書けるか、どうか、何しろ遠い昔のことだから。(『井上靖全集』第22巻「解題」461頁)


 『井上靖全集』の解題を担当なさった曾根博義氏は、このことを踏まえて次のように記しておられます。


 昭和48年6月5日、オビに「自伝的長編」と謳って毎日新聞社刊。新潮社版『井上靖小説全集』第27巻(昭和50年5月20日刊)、学習研究社版『井上靖自伝的小説集』第5巻(昭和60年7月25日刊)に収録。
 右に記したように、この作品は当初「長編エッセー」として発表されながら、その後、著者自身によって「小説」として扱われているので、本全集においても長篇小説として扱い、本巻に収めた。(『井上靖全集』第22巻「解題」461頁)


 私が「井上靖卒読(1)「猟銃」」を、旧ブログ「たたみこも平群の里から」に掲載したのは、2006年12月でした。
 以来、井上靖の小説のすべてをあらためて読み直すことにし、折々の雑感を記し留めて来ました。

 約9年の時を経て、この《井上靖卒読》も今回が最終回となりました。

 最後にこの『幼き日のこと』が残ったのは、私の中に逡巡があったからです。
 前回の「井上靖卒読(202)『わだつみ』」(2015年09月29日)が、当初は最終回として残しておいたものでした。
 しかし、上に引いたように、『幼き日のこと』を小説とするかどうかで迷いがあったので、『わだつみ』の感想を書く時には、それを最後とすることに躊躇いがあり、そこで終わりとはしませんでした。
 『井上靖全集』の曾根氏の編集方針を再確認してから、《井上靖卒読》の最終回として『幼き日のこと』を置くことにしたのです。

 実は、まだ一作品が残っています。『星と祭』です。
 しかし、これは《井上靖卒読》を始めることにした始発点となる小説であり、私が一番好きな小説です。
 『星と祭』については、これまでに何度も本ブログに記してきました。
 読書雑記ではなくて、次のような記事の中でも触れています。

「井上靖の奥さまのご逝去」(2008/10/16)

「予期せぬ夜の祝祭」(2009/11/4)

 こんな調子で、これまでに似たような話を多く書き残しています。
 『星と祭』は、もう何十回も読んでいるはずです。
 むしょうに読みたくなる時があるのです。
 その意味からも、『星と祭』は別の形で、個人的な思いを好き勝手に記したいと思っています。

 閑話休題

 前置きはこれくらいにして、『幼き日のこと』を《井上靖卒読》の最終回として書きます。

 井上靖が自己をありのままに語る姿は、一連の作品が虚実のあわいを描いている特徴だと思います。幼かった頃の自分を思い出しながら、随想風に綴っています。巧みさを感じさせない、自然に流れるような展開です。

 おかの婆さんと過ごした伊豆での日々の内、暴風雨の土蔵での話はユーモア交じりで生き生きとしています。
 また、若くして亡くなった叔母のまちについては、井上の感情を抑えた語り口が印象的でした。

 戦争で大陸に渡ったことが何度か引き合いに出されます。
 あまり戦争体験を語ることのない井上なので、その一節を引いておきます。


 この厠から戻って、蒲団の中にもぐり込んだ時の一種独特の思いは、幼時だけのものである。現在もその時の思いは覚えているが、それを再現する術はなさそうだ。僅かに戦時中応召して、大陸に渡り、野戦生活をした時、深夜、小用のために眼覚め、これに似た思いを持ったことがあるが、幼時に経験したような清新さはなかった。(新潮文庫、26頁、昭和51年10月版)
 
 召集を受けて、郷里から出発して行った時も、暁闇を衝いて家を出、村役場の前に集り、村の人々と慌しく落着かぬ挨拶を交した。千人針というものを貰ったのも、暁闇の立ち籠めている中においてである。
 まだたくさんある。大陸の野戦においては、部隊の出動は大抵暁闇を衝いて行われた。私は輜重兵で馬をひいていたので、馬といっしょに歩いた暁の闇は、今になると懐しいものである。兵も、馬も、暁の闇の中を半分眠りながら歩いて行く。河北省の永定河を渡ったのも暁闇の中なら、保定城外を進発して行ったのも暁闇の中である。部隊から一人離れて、後方の病院に移るために石家荘の駅に向ったのも暁闇の中である。
 小説家になってから暁闇との付合いはなくなっている。生活が平凡になっているから徹夜の仕事をして、暁方の闇を窓の向うに感ずることはあるが、暁闇の中に身を置くことはない。
 私は暁闇の立ち籠めている未明の一時刻が好きだ。人間が何ものかに立ち向っているからである。暁闇を衝いてという言葉があるが、人間の精神は確かに未明の闇に立ち向っており、闇を衝いて何事かを行おうとしているのである。
 私は小説の中で度々暁闇を取扱っている。いつも幼時に経験したあらしの夜のことが置かれている。夕暮のことはあまり書かないが、暁闇の方は書く。薄暮に立ち籠めているものより、暁闇の持っているものの方がずっと素晴らしいからである。"未明暁雪"という言葉があるかどうか知らないが、暁闇の中に白いものがちらついている時を、どこかに使おうと思いまだに果さないでいる。(40頁)


 その他、『しろばんば』を書いた背景も何箇所かで触れているので、作者の執筆手法を知ることができます。(「旅情」78頁、80頁、119頁、168頁)
 井上は、巧みにフィクションにすり替えていくので、こうした告白は作品理解に意味を持ちません。しかし、小説作法を見極める際には役立つこともあるでしょう。

 それ以外でも、読み進みながらチェックしたところを、メモとして残しておきます。


・「昭和46年秋にインドのニューデリーで食べたカレーライスを食べた。しかし、おかのお婆さんが作ってくれて土蔵の中で食べたのが本当のカレーライスである。」(「食べもの」98頁)

・「終戦の年のことであるが、私は家族を疎開させておいた中国山脈の尾根の村で、正確に言うと、鳥取県日野郡福栄村というところで、深夜家の入口で、遠くの山の中腹に小さい豆電灯のような火が一列に並んでいるのを見たことがある。それは一、二分の短い間のことで、すぐ消えてしまったが、その灯火の正体は判らなかった。村の人に話すと、狐火だということであった。」(「山火事」140頁)

・「伊豆の私の村では、十一月の中頃から十二月の初めにかけて、神楽がやって来た。その年によって十一月に神楽の囃子が聞えることもあれば、年の瀬の十二月になることもあった。狩野川の下流一帯の村々を次々に廻って来るので、天城の麓の一番奥まったところにある私の村が最後になった。
 いつもやって来る神楽の顔ぶれは決まっていた。函南、韮山の二つの村の人たちで、一組は七、八人で編成されてあった。獅子舞を受持つのが二人、万歳が二人、そのほかに笛、太鼓、三味線の三人、時には曲芸をやるのが一人はいっていることもあった。人数も、その年々によって違って、四、五人の淋しい一団の時もあった。
 神楽の一団は、村の家を一軒、一軒廻った。たくさんお礼を貰える家には、獅子は座敷まではいり込み、庭先で荒れ廻り、背戸の方にまで遠征し、そのあとで万歳や曲芸をやった。お礼の少い家は、その家の前庭で簡単に片付けた。何となく獅子の動きに熱がなかった。
 神楽の一団は、村に一軒ある旅宿屋に泊まった。旅宿屋と言っても、平生は旅館を経営しているようには見えなかった。神楽が来た時だけ旅館になった。どういうものか、渓谷の温泉旅館には泊まらなかった。
 子供たちは、神楽が村の家々を廻っている間は落着かなかった。自分たちもそのあとをついて廻った。神楽の方も、子供たちに取り巻かれていないと調子が出ないらしく、子供たちが学校に行っている間は、遠く離れている一軒家とか、小さい集落とかを廻り、子供たちが学校から解放される頃を見計らって里へ降りて来た。」(「歳暮」145頁〜146頁、池田亀鑑の生誕地である日野郡でも同じ様子だった『花を折る』参照のこと)


 こうして、無事に井上靖が書いた小説をすべて読み終えました。
 折々に、いろいろな本で読んだので、書棚から取っ換え引っ換え、かつて読んだ本を抜き出しては、ブックカバーをかけて持ち歩きながら読み耽りました。

 文庫本や著作集に抄録されていない短編などは、新潮社版の『井上靖全集』(全28巻・別巻1巻)で読みました。
 詩・短編小説・戯曲・童話は、第1巻から第7巻までに収録されています。
 長編小説は、第8巻から22巻までに収録されています。

 小説は読み終わりました。しかし、まだエッセイ・自作解説などが第23巻から第28巻まで、そして別巻に収録されています。
 次は、これらの卒読も果たすべく、少しずつ折々に読み続けるつもりです。

 この『井上靖全集』にかぶせたブックカバーは、10年前にロンドン郊外にあるカムデンタウンの骨董屋で買った大振りのノートの表紙を転用したものでした。
 この革製の表紙が、分厚い『井上靖全集』にぴったりなのです。
 活躍してくれたので、記念撮影をしました。


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 私は、読む本に合わせてブックカバーも楽しんでいます。
 次の写真の中で、7番が上記の大判のブックカバーです。

 「愛用のブックカバー」(2007/9/24)

 これ以外にも、以下のブックカバーを文庫本等につけて、井上靖の作品を読み続けていました。

「愛用のブックカバー(2)」(2008/12/4)

「愛用のブックカバー(3)」(2009/7/18)

 これで一区切り。【3】

 近日中に「井上靖卒読」のエッセイ編をスタートすることになりそうです。
 
 
初出紙:毎日新聞(夕刊)
連載期間:1972年9月11日〜昭和48年1月31日
連載回数:全112回

井上靖小説全集27:西域物語・幼き日のこと
井上靖全集22:長篇15
 
 
〔参照書誌データ〕 井上靖作品館  http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 21:32| Comment(0) | □井上卒読