2015年10月31日

京洛逍遥(380)京都御所一般公開 -2015秋-

 京都御所では、昨日30日より来月3日までの5日間、秋季一般公開が実施されています。
 機会を見つけては足を運び、有職故実人形展示だけは見るようにしています。

 今日は少し肌寒いとはいえ、天気がよかったので多くの方が参観に来ておられました。
 聞こえてくる会話は、日本の文化を知りたい、という思いからのものがほとんどです。
 日本通と思われる方が、日本の文化を熱心に語っておられます。ただし、それが的外れな説明になっていることがしばしば。それでも、聞いていて微笑ましいものがあるので、この一般公開という空間の演出は大歓迎です。

 とにかく、自分の目でじっくりと見ることが、まずは1番大切だと思います。
 見られる時に見る、というのが大事なのです。理解や説明は、後からいつでもいいのです。

 紫宸殿の南庭西側の月華門から見た紫宸殿です。


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 そこから南に回って、建礼門の前の承明門から見た紫宸殿。


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 御所南東の建春門の前には、3日に行なわれる舞楽の準備がなされていました。


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 ちょうどその時、散水車が通りました。砂利道の埃を静めるためなのでしょうか。めずらしい光景なのでパチリ。


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 私が目指す有職故実人形展示が、例年は小御所のところを、今年は清涼殿で行なわれていました。
 内容が、「五節舞姫御前試」だからです。

 設置されている2つの説明文には、次のように書かれていました。


(左側)展示について

 御前試の舞台となるのは、清涼殿東廂と東弘廂です。東廂には天皇の座、皇后の座(同席される場合)があります。天皇の座には殿上の間の御椅子を使用し、皇后の座には大床子に敷物を敷いて平座として使用しました。舞姫は、東弘廂の円座に着座しました。
 儀式では、東弘廂の舞姫の座の三方(南・北・東)を屏風で取り囲み、東廂と東弘廂の間の御簾を下ろしました。
 御前試は、平安時代に年中行事として定着しましたが、南北朝時代には途絶えたとみられ、当時の装束は伝えられていません。展示している舞姫の五節舞姫装束は、今上陛下の大嘗祭で使用されたものです。
※天皇の座と皇后の座の位置のみ御簾を上げ、内部をご覧いただきやすくしています。
 
 
(右側)展示の場面について

 御前試の儀式を、2つの場面に分けて展示しています。
 向かって左から右へ、場面が展開します。

場面1(向かって左三体):対面
 清涼殿に参上した舞姫と舞師が、東弘廂に敷かれた円座に着座し、両陛下と対面している場面です。

場面2(向かって右二体):舞披露
 対面を終えた舞姫が、五節舞を披露している場面です。
〔平安宮内裏の清涼殿は、江戸時代に復元された清涼殿よりも柱間が広かったため、本来は両陛下の前で、四人の舞姫が舞いました。〕



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 中央の説明文は次のように書かれています。


五節舞姫御前試(人形展示)

 五節舞は、11月に行われた年中行事である新嘗祭と、一代一度の大嘗祭の後に豊明節会で披露される舞で、新嘗祭では4名、大嘗祭では5名の舞姫が、大歌と呼ばれる歌にあわせて、檜扇を翳して舞いました。
 御前試は、紫宸殿で行われる豊明節会の本番を前に、天皇や皇后の御前で舞姫達が予行演習をする儀式です。
 展示では、平安時代の儀式書である『江家次第』に基づき、清涼殿で行われていた儀式の様子を、五節舞装束の人形と御所に伝わる調度を用いて再現しています。



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 右端にある説明文は、次の通りです。


紫式部・清少納言と五節舞姫

 平安中期の貴族層や女房達にとって、11月に行われる五節行事(帳台試・御前試・童女御覧・豊明節会)は、最も華やかで待ち遠しい年中行事であったといわれています。
 紫式部の『紫式部日記』には、舞姫が宮中に入る様子や儀式を見た時の感想が記され、顔を隠すことが女性の礼儀とされた当時、殿上人等に囲まれ、煌々と照らされた明かりの中を参入しなければならない舞姫への同情の気持ちが率直に記されています。『源氏物語』にも舞姫に関する叙述があります。清少納言の『枕草子』には、皇后藤原定子が舞姫を遣わした際の様子や、五節行事期間の宮中の様子が生き生きと描かれています。



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 今春も、五節の展示がありました。参考までに、次の記事の中の写真をご覧ください。

 「京洛逍遥(350)京都で『源氏物語』を読んだ後に御所の一般公開へ」(2015年04月04日)

 紫宸殿の東側の宜陽殿には、威儀者・威儀物捧持者の人形展示がありました。


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 例年人形展示がある小御所では、屏風(模写)が見られるようになっています。


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 御常御殿を塀越しに見上げると、紅葉がきれいでした。


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 御内庭は、いつ見てもみごとです。


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 帰りに飛香舎(藤壺)を振り返ると、爽やかな比叡山の姿が望めました。
 この藤壺は、「京洛逍遙(108)御所の秋季特別公開」(2009/11/3)で見ることができました。普段は公開されません。


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 一時、いにしえの時空を遊び楽しんで来ました。

 帰り道、賀茂大橋から川沿いの紅葉が色付いているのを見つけました。
 これから、この賀茂川の散策が目を楽しませてくれます。


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posted by genjiito at 21:51| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年10月30日

放送大学で歴博本「鈴虫」を読む(その1)

 快晴の朝、地下鉄丸の内線の茗荷谷駅前にある放送大学東京文京センターで、専門科目の講座を担当して来ました。

 東京文京センターは、筑波大学東京キャンパス文京校舎との合同庁舎の中にあり、放送大学の受講施設の中でも最大規模の学習センターです。
 次の写真は、帰りに写したものです。


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 正門前のオブジェがかわいいので、この小さな公園からの風景が気に入っています。


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 放送大学は、何よりも受講生のみんさんの意欲と熱気が直に伝わって来る、すばらしい教育環境の中にある学習センターです。

 東京の宿舎では、放送大学のチャンネルが3つ受信できるので、折々に講座を視聴しています。
 日本にこうした施設と教育システムがあることは、もっと多くの方々に知っていただきたいと思います。そして、多くの方が大いに利用し、自分の生涯学習のためにも活用なさったらいいと思います。

 私は昨年度に引き続き、「専門科目:人間と文化」の中で「歴博本源氏物語「鈴虫」を読む」という科目を担当しています。

 この日のために私が用意したテキスト『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』が、書店に注文したのに今日までに届かなかった、という方が何人かいらっしゃいました。
 どうしましょう、と言われても私には名案が浮かばないところを、事務の方がうまくサポートして対処してくださいました。本当にありがとうございました。
 お陰さまで、みなさまの手にテキストが行き渡り、安心して講義が始められました。

 最初に10種類のプリントを配布して、みなさまの反応を見ながら内容を組み立てて進めました。

今日の内容は、以下の通りです。


【概要(シラバス)】
 千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館が所蔵する、重要文化財『源氏物語 鈴虫』を読みます。これは、米国ハーバード大学が所蔵する『源氏物語 須磨・蜻蛉』と兄弟本で、鎌倉時代中期に書写された現存最古の写本の一つです。完成度の高い美術品とも言えるものです。
 今回は、その「鈴虫」を全頁カラー印刷した影印本を使い、平仮名の元となった字母を確認しながら読みます。翻字は、本邦初といえる「変体仮名翻字版」です。これについても詳しく説明します。写本を読む技術と異文についても一緒に考えていきます。

【メッセージ】
 鎌倉時代の人が書写した『源氏物語』の写本である、ということを強く意識して読んでみましょう。現代の読書体験との違いを実感してください。また、長大な異文についても、一緒に考えてみましょう。

【テキスト】
『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)

【テーマ】
◎十月三十日(金)
第1回 二千円札紙幣に描かれた『源氏物語』の絵と本文から見える問題
第2回 米国にある『源氏物語』−ハーバード大学本と米国議会図書館本−
第3回 歴博本「鈴虫」を読む(1)−平仮名と変体仮名のおもしろさ−
第4回 歴博本「鈴虫」を読む(2)−「変体仮名翻字版」の翻字とは−


 午前中は、ひらがなに関する理解と問題意識を広げてもらうことに集中しました。
 これまでのひらがなの歴史と、これからネットワーク社会で展開する変体仮名について、予定していた内容を少し変更してお話しました。

 午後は、鈴虫の本文を変体仮名に注視しながら読みました。
 反応がよかったので、予定した分量以上に進むことができました。

 私がこの写本の筆者について、その人間像を勝手に想像していることも話しました。
 例えば、第1丁オモテ丁末に、「おなし」の「し」が次のように書写されています。


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 このように、「し」という文字で隅をぐるりと囲うような例はめずらしいものです。おそらく、この書写にあたっては檜製の糸罫という道具を使って、行がまっすぐになるように書いていると思われます。四角い空間に糸で縦の境界を作り、その間に文字を写し取っていくのです。

 その左下の枠を特に意識したかのような「し」には、この筆者の拘りがあるように思うのです。
 遊び心を持って、書写を楽しんでいるようです。

 ここに例は挙げませんが、縦長の「し」で字間を調節する場面が散見するのも、そうした意識のあらわれだと思います。

 また、第2丁オモテに「可多み尓・みちひき」とあるところで、「み」を連続して書き、しかもその字形を微妙に変えているところがあります。これなどは、筆写者の自信溢れる書写意識の一端を、意図的なものとして垣間見させるところではないでしょうか。


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 「新」「勢」「徒」「葉」など、画数の多い変体仮名も多用しています。

 私は、こうした点に、この書写者が持つ顕示欲の一部を見たような気がしています。
 と、そんなことを話すと、すかさず「親本通りの字母で書いていないのですか?」という質問を受けました。

 ツレであるハーバード大学本の「須磨」と「蜻蛉」は、親本通りの字母で書写する傾向がありました。字母を親本と違えて書いたときなどには、わざわざ字母を訂正してなぞったりしています。
 しかし、この歴博本「鈴虫」では、そのような兆候は最初を見る限りではうかがえません。

 勝手な想像で恐縮ながら、この写本の書写者は、親本どおりというよりも、自分の美意識が勝った書写態度のように見受けられます。あくまでも、想像の域を出ない、勝手な妄想ですみません。

 その他、いろいろな質問もいただきました。とにかく、みなさん熱心です。
 目が見えないお知り合いをお持ちの方からの相談を受けました。
 私にとっても、充実した大変貴重な時間でもありました。

 次回は、次の内容を用意して臨むことにしています。


◎十一月六日(金)
第5回 古写本はどのようにして書写され、製本され、伝えられて来たのか
第6回 歴博本「鈴虫」を読む(3)−長大な異文を持つ「国冬本」−
第7回 歴博本「鈴虫」を読む(4)−書写者の意識と無意識のミスと−
第8回 古写本を読むことと、市販の活字による校訂本文を読むことの違い
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年10月29日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その22)

 神保町で打ち合わせをしてから、日比谷に向かいました。
 意外に暖かいので、図書館に着いたときには少し汗ばむほどでした。
 これは、体調を崩しやすい、要注意の天候です。

 今日は、国際文字コード規格の話と、昨日のブログに書いたお店の看板のことから始めました。
 あの「ゐど 寿屋」さんは、有名な和装小物屋さんだそうです。何人かの方がご存じでした。
 いずれにしても、「ゐど」を字母にしたがって漢字表記にすると「為止」となり、名字の「居戸」にはもどりません。

 「学術情報交換のための変体仮名セット」に関連して、ユニコードについても話しました。
 書写する文字から入力する文字へと、身辺が変化しつつあります。
 そんな時代を今われわれが生きていることを、身近な仮名文字を例にして、これからのコミュニケーションのツールについて考えました。

 変体仮名という文字については、これから日本における認識が大きく変わっていく時代に突入しようとしています。今、みんなで勉強している変体仮名で書かれた古写本『源氏物語』を読むことは、実は時代の最先端を走っていることになるのです。

 さて、今日はハーバード本「蜻蛉」の18丁ウラから20オモテ2行目までの確認をしました。
 約3頁ほどを見ていて、変体仮名の「者」がさまざまな形で書かれていることが気になりました。
 文字の形が安定していないのです。
 この「者」を、出現順に整理してみました。


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 この「者」を見ていると、19丁のオモテとウラが特にその字形を異にしているように思われます。上掲写真の上段右端から中段のグループです。
 さらに全丁を調べてみないと、これ以上は言えないにしても、どうもこの「者」の字形は、今後とも注目していいように思います。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年10月28日

京洛逍遥(379)苗字と屋号の仮名文字が変体仮名に見える

 京都三条通りにあるイノダコーヒー三条店の西隣り、本店の北に、こんな暖簾と看板を掲げる店があります。


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 暖簾を見かけて、店名と思われる「WI DO SU-YA」と読む店名らしき名称に目が留まりました。
 何のお店だろうか、と。

 その上に掲げられている板額の文字を見ると、その大きさが異なることから、「ゐど」と「寿屋」の2つに分かれることがわかりました。

 入口の左に掲示されている店名表示に「株式会社 居戸」とありました。
 「ゐど」が会社名であることに思い至りました。
 
 それでも何かすっきりしないので、中に入って話をうかがいました。
 社長さんが対応してくださり、すべて解明しました。

 会社名の「居戸」は、社長さんの代々の苗字だそうです。
 ここは、その「居戸」さんが経営なさる「寿屋」という会社なのです。

「ゐど 寿屋」のホームページ

 さらにうかがうと、今の人は「居」が読めないこともあり、父の代にひらがなで「ゐど」にしたそうです。
 それを聞いて、過日「国際文字コード規格」に提案された「学術情報交換用変体仮名セット」の中に、「ゐ」のグループには「井」と「遺」の2つしかないことを思い出しました。
 また、「い」のグループには、「以」「伊」「意」「移」の4つが変体仮名として提案されています。
 つまり、「居」はこれまでにも、これからも、変体仮名としては扱われていないのです。

 「戸」については、提案された変体仮名セットの中では、「土」「度」「東」「登」「砥」「等」の6種類があり、「戸」は今回の提案には入っていません。

 崩し字辞典の中には、「と」の字母として「戸」を採用しているものがあります(近藤出版社など)。

 いずれにしても、この「ゐ」と「ど」は、ひらがなではなくて読み仮名に由来するものなのです。

 私が最初に気になった「寿」と「屋」は、共に変体仮名としての「す」や「や」ではなくて、漢字として用いられた「寿」と「屋」でした。

 このところ、変体仮名についての問題を考えることが多いので、街中で仮名文字に出会うと、その読み方と来歴が気になるようになりました。

 飲食店街を歩くと、至る所に変体仮名が氾濫しているので、仮名文字を追うのに忙しくて、飲んでもいないのに右往左往の千鳥足状態です。
 場末の繁華街でも、まじめに調査研究をしています。
 もし見かけても、声をかけないで通り過ぎてください。
posted by genjiito at 22:20| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年10月27日

江戸漫歩(115)国営昭和記念公園で見かけた初冬の風景

 職場に隣接する国立国語研究所で、変体仮名に関していろいろと教えていただきました。
 こちらの問題意識が明確だと、知らなかったことがどんどん身体に染み込みます。

 興味のあることは、おもしろいほど理解が追いつき、自然と疑問も生まれてくるのです。
 疑問を解決しようとして質問をすると、その説明を聞いてまた理解が深まります。

 反面、興味のないことや実感を伴わないときには、何をしても身に付きません。
 当たり前のことながら、知りたいときに知ろうとするのが、一番効率がいいようです。

 運動をしていて、水がほしいときのことを思い出しました。
 知識や知恵がもらえる仲間がそばにいることの幸せを感じています。

 今、私の興味の中心に、変体仮名に関する問題がドンと居座っています。
 しばらくは、この問題と取り組んでいくつもりです。

 たくさんのことを一気に教えてもらったので、私の頭もヒートアップ。
 少し冷やすためにも、ぶらぶらと初冬の立川を散策しました。

 この記事のタイトルを「江戸漫歩」としています。
 しかし、実際は武蔵野漫歩です。

 陸上自衛隊立川駐屯地の前では、沈む前の陽光を木々がいっぱいに浴びています。
 まだ紅葉には早いようです。


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 昨日の朝は京都にいました。
 北大路橋から北山を望むと、賀茂川沿いの半木の道が少し色付き始めていました。


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 昨日も紹介した、京都府立盲学校の校門前の紅葉はきれいでした。


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 東西の季節の移り変わりを、こうして楽しんでいます。

 国営昭和記念公園を横切っているとき、いろいろな草花や木々を見ました。
 そのいくつかを揚げます。


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 園内の陸橋から職場を望みました。
 いつもは、この反対側である東側を、モノレールやバスで通ります。西側の道が意外に広いことを知り、立ち位置によって見え方があまりにも違うので驚きました。


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posted by genjiito at 21:52| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年10月26日

『源氏物語』の触読を志願する青年教員と出会う

 今日は、洛中洛外を東から西へ、北から南へと、バスと徒歩で大移動をする1日となりました。

 自宅からバスで熊野神社前の京大病院、烏丸御池の歯科医院、河原町御池の京都市役所、河原町四条の金融機関等で諸雑務を片付け、その足でまたバスに乗って北上し、千本北大路にある京都府立盲学校へ行きました。


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 京都府立盲学校では、爽やかな青年の熱血先生と、今後の触読実験と触読レポートなどの打ち合わせをしました。鎌倉期の『源氏物語』の写本を読んでみようという、私が次に探し求めていた人がついに見つかったのです。

 その冨田さんとは、先週末の日本盲教育史研究会の懇親会で、岸先生のご紹介で初めて会いました。

 その日の研究会で私が話した、古写本『源氏物語』を触読することが懇親会で話題になると、冨田さんの声のトーンが急上昇しました。開口一番、「僕は今日の変体仮名を読む自信があります!」と宣言されたのです。
 頼もしい、気持ちのいい言挙げでした。

 話を聞くと、視力を失ったのは2歳。生まれてこの方、ずっと点字でコミュニケーションをとってこられたのです。頭の中に、文字の形がほとんど入っていない方との出会いは、私にとっても初めてです。
 さらに嬉しいことに、古典は大嫌いで、『源氏物語』のことは今日まで興味がなかった、ということです。これは、私にとって「逃がしてなるものか」と思わせた逸材です。

 私は、とにかく直接会って話をすることを原則としています。
 これは、学生時代に民俗学の勉強をしていたことと、深く関係すると思われます。民俗や伝承の聞き取り調査などで、いろいろな方からお話をうかがって記録していたのです。足で会いに行って、顔を合わせてお話を聞く、という調査手法が、今に到るまで身に染み付いてつながっているようです。

 冨田さんは、大変忙しい方です。今日は、会議と研修の合間を縫うようにして、貴重な時間を作ってくださいました。
 バスで移動しながら、携帯のメールでやりとりしながら面談に漕ぎ着けたのです。

 今日、私が冨田さんにお願いしたことは、レポートを書いていただけないか、ということの一点です。

 一昨日の私の話に関して、最初にどのような思いで聞き、そこから自分も読めそうだという感触を持たれた時のことは大事だと思います。そして、自分も読んでみようと思われた、そのご自身の気持ちの推移を文字として記述していただけないか、ということをお願いしたのです。

 さらには、その後で懇親会で読めるという気持ちを強くされ、そして今、こうして職場である学校で触読の話をしているところまでの、率直な心の軌跡を記録として残していただくことになりました。

 快諾をいただきました。忙しい中であっても締め切りという期日があったほうがいい、とのことだったので、今週の土曜日までにワードの文書で送っていただくことにしました。
 来週もまたお話ができるので、まずは気楽に分量も気にせずに書いていただきます。

 冨田さんの場合は、すべてがゼロからの出発です。実験台にされることに対して、本人に迷いはないようです。チャレンジしてみたい、という気持ちが勝っているので、結果はともかく、これからの記録は貴重な報告となることでしょう。

 福島と東京の2人の女性に加えて、京都の男性が登場です。
 実は、次に九州の男性も参戦されます。

 私が、現在は2人の女性だけが変体仮名の触読に成功している、とお話したこともあって、岸先生から、もう一人の若者を紹介していただいています。
 話が長くなりますので、その中村さんのことは、また別の機会に記しましょう。

 きりがないので、今日はこのあたりでおきます。
 古写本『源氏物語』の触読研究は、ますますその展開から目が離せなくなっています。

 明日は、変体仮名の国際文字コードの情報が大量に入ってきます。

 このブログも、日々私のところに入る情報がオーバーフローの状態で、整理をして書く暇がなくなっています。
 今後しばらくは、脈絡もなく書き飛ばすことになりそうです。

 自分自身の研究スタイルを、従来の「印刷論文配布型」から、暫定版とはいえこうした「電子情報発信型」に変えたことは、またあらためて書くことにします。
 ネットワークを活用したこの私の研究手法も、今後は新しい研究者のスタイルになっていくことだろう、と思っています。
 こんなことも、また後日に。
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年10月25日

京都ライトハウスで体験三昧

 科研の研究会で一昨日お世話になった京都ライトハウスへ、いろいろな資料と情報をいただくために行ってきました。野々村さんがいらっしゃることを教えていただいていたからです。

 ちょうど今日は「京都ライトハウスまつり2015〜つながる・ひろがる 地域の輪〜」が開催されていました。これは、利用者や地域のみなさんとの交流の場として取り組んでおられるものです。


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 4階から地下1階までの全館を開放しての一大イベントです。
 以下の赤字のコーナーに立ち寄りました。


4F:船岡老人クラブハウス発表会・トモニー紹介コーナー。
3F:どきどき☆お楽しみ抽選会!新設キッズコーナーの紹介
2F:見えないこと体験点字体験、クイックマッサージなど・・・盛りだくさん!点字クラブ、オセロ、囲碁、将棋
1F:寿司・焼きそば・手作りパン・肉まん・チヂミ・フランクフルト・洋菓子・ビール・ジュースなど模擬店いろいろ!
B1F:物品販売、催し物関係、池坊華道会による生け花教室など


 午後からのステージでは、ちょうど大正琴の演奏が始まったところです。日頃の練習の成果が、楽しく伝わってきました。

 お昼は、お寿司をいただきました。


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 パッケージを見ると、私が好きな回転寿司屋「寿しの むさし」のにぎりでした。近くの上堀川店から持って来られたものだと思います。

 2階では、「見えないこと体験」のコーナーがいくつかありました。
 まず、「木のワークショップ」へ入りました。ここは、京都ユニバーサルミュージアム実行委員会が実験展示をしておられたのです。「視覚に障害がある人もそうでない人も共に楽しめる展示とは何か?」という問題意識のもとに、今年のテーマは「木」でした。
 私も学芸員の勉強をして来たことに加え、身体に不自由を感じておられる方々との文化の共有を意識して以来、ユニバーサルミュージアムには興味を深めているところです。


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 テーブルに置かれた、ヒノキ、コウヤマキ、ニレ等、たくさんの板を触り、その木の匂いを嗅ぎました。聞香を思い出しました。
 しかし、あまりにも多くの木があったので、5枚目以降は匂いがごちゃごちゃになってしまいました。
 これは、ただ単に多くの板を並べるだけでなく、もっとテーマを絞った方がよかったのではないでしょうか。ただし、丁寧に説明していただいたので、いろいろなことを知ることができました。

 その隣の部屋では、音の3D体験をしました。


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 アイマスクをして、ヘッドフォンで音を聞きます。見えない状況で日常の音を聞く体験です。
 マッチ箱を振りながら前後左右で音が聞こえました。ただし、マッチ箱の音は、今の若い人と生活実感を共有できるのでしょうか。また、大阪環状線の駅の発車時のメロディーは、非常にわかりにくいものでした。雑音が多すぎるからです。目が見えない方の状態を体験するにしても、これは不適切な音源だと思いました。また、時間が長すぎます。
 顔に風を当ててくださったり、霧吹きで湿り気を体感させるという小技も、あまり気持ちのいいものではありませんでした。この企画は、大いに再検討の必要がありそうです。

 アイマスクをして階段や外を歩く体験は、あまり乗り気がしなかったのでパスしました。

 盲導犬啓発コーナーでは、京都ハーネスの会の方から詳しい説明をうかがいました。
 東京の立川駅北口で、盲導犬の理解を求めながら募金活動をなさっています。通勤時にその前を通りながら、いつも気になっていました。そのこともあり、思いきって部屋の中に入りました。
 初めて知ることばかりで、いい勉強をさせていただきました。
 盲導犬と目が合った時、犬君がすっと横を向き、大きなあくびをしたのです。


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 私は、警戒しなくていい、しかも退屈な存在のようです。
 それでも、服を着ていることや背中に鞄を背負っている意味がわかり、日頃の疑問の一部が解消しました。

 視覚障害者ボランティア連絡会の活動紹介・啓発コーナーでは、点字の打ち方やパソコン点訳などの説明を受けました。少し知っていることでした。しかし、我流でのことだったので、あらためて教えていただくと、いろいろなことがよくわかり、いい勉強になりました。

 池坊のいけばな体験は、行った時にはすでに終わっていました。
 学生時代に少しやっただけなので、いつか機会があれば遊び気分でやってみようと思っています。

 知らなかったことが、こうして少しずつわかっていくと、いろいろな物事が点から線へとつながっていき、楽しくなります。
 体験の意義を、再認識する1日となりました。

 追伸
 木の体験コーナーで真剣に匂いを嗅ぎ分けておられた野々村さん、あらためてお礼の挨拶もせずに失礼しました。次は、点字百人一首のイベントでお会いしましょう。
posted by genjiito at 21:56| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年10月24日

日本盲教育史研究会第4回研究会に関する報告

 会場に着いて早々、日本盲教育史研究会の引田会長、岸先生、指田先生、星野記者などなど、初夏の札幌でお世話になった方々と話をしました。

 抱えている古写本の触読というテーマがインパクトを持っていたこともあり、これまでの経緯をよく覚えてくださっていました。ありがたいことです。

 岸先生のお話では、ひらがなや漢字の学習には非常な困難さが伴うものであり、京都盲唖院が日本で最初に設立された明治10年頃から22年までは、退学者が続出だったそうです。

 それが、日本で点字が使えるようになった明治23年以降は、一気にコミュニケーションの手段として意志の疎通がはかられ、徐々に点字が広がったのです。

 現在推進している古写本に書写されている変体仮名を触読することと、この点字が果たす役割については、今後とも一般の方々に混同されないように気をつける必要があります。

 変体仮名の触読は、明治以前の筆写文字を通して、日本の古典文化への理解をみんなで共有するための手掛かりにしようというものです。点字と変体仮名の双方の機能も役割も異なるので、どちらがいいかというような単一化への理解にならないようにしていきたいと思います。

 さて、今回の研究会の案内文には、次の引田会長の言葉があります。


 日本盲教育史研究会は創立から4年目を迎え、お陰様で会員数170名を超す研究会に成長致しました。
 内容的にも、昨年の研究会で芽生えた異分野との共同研究や、聾史研との研究交流等多彩なものになってきています。
 5月の北海道ミニ研の成功や6月にロンドンの Royal Holloway 大学で開催された研究会 Blind Creations Conference 等国際交流の成果を踏まえ、新たな研究展開を図る予定です。
 日本の盲教育発祥の地での研究会に多くの皆様の参加をお待ちしています。
  日本盲教育史研究会会長
         引田秋生


 今日の引田先生のご挨拶で、この中にある「昨年の研究会で芽生えた異分野との共同研究」として、『源氏物語』の触読研究を例としてあげてくださいました。

 会場には、発表者が発言したことが即座にスクリーンに表示されていました。
 この時には、次のように映し出されていたのです。
 これは、同時通訳と同様にタイプなさる方々は大変でしょうが、参加者にとってはありがたい方式です。


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 札幌でもそうでしたが、会長をはじめとして多くの方々に本研究に期待を寄せていただいていることに感謝し、気持ちが引き締まる思いでいます。

 引き続いて午前の研究会となり、私の発表は2番目でした。


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 あらかじめレジメとして印刷されていた資料は、次のものです。


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 会場に追加資料として配布したパンフレットは、この日のために研究協力者の加々良さんが作成したものです。


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 また、「須磨」巻の巻頭部分の立体コピーを配布したことについては、みなさんから取り組んでいる内容が実感として非常によくわかった、と好評でした。

 午後の講演と研究発表は、後日公開される会からの報告に譲りたいと思います。

 本日の参加者は、70名という大盛会でした。
 プログラムは、以下の通りです。


■日時:2015年10月24日(土曜日)
    9時半から16時半
■挨拶 引田秋生
■公募報告
「戦前期盲学校の設立者・支援者」
    足立洋一郎氏

『源氏物語』を触って読む─700年前の写本に挑戦する─
    伊藤鉄也氏

小西信八が見た欧米の「盲唖教育」
    西野淑子氏

■記念講演
「日本の視覚障害者を支え続けた点字出版と点字図書館」
    全国視覚障害者情報提供施設協会参与 加藤俊和氏

■研究報告
「大阪における明治期盲唖教育史」
    近畿聾史研究グループ 新谷嘉浩氏

「インクルーシブな学校秩序の構築過程に関する社会学的探求―小学校における全盲児の学級参画と支援の組織化を中心に」
    大阪市立大学都市文化研究センター研究員 佐藤貴宣氏

「中村京太郎と普選―昭和3年の『点字大阪毎日』によるアンケート調査を中心に」
    関西学院大学人間福祉研究科研究員 森田昭二氏


 閉会後は、東京から一緒に来た3人を京都駅に送り、私は懇親会場へ直行しました。

 ここでも、引田会長をはじめとして、多くの方々から励ましをいただきました。
 また、2人の若い全盲男性が、『源氏物語』の触読研究に積極的に協力したいという申し出を受けました。
 2人とも文学との縁はなく、また1人の方は2才の時には視力を失った方なので、これまでとはまったく異なる角度から、触読に関する調査研究が可能となりました。

 この研究テーマは、ますます質量共に厚いものになろうとしています。

 折々に報告しますので、今後とも変わらぬご教示などをいただけると幸いです。
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2015年10月23日

皇太子さまとご一緒の新幹線で京都へ

 京都で2つの研究会と1つのイベントが、3日間にわたって開催されます。
 さらに調査もあるため、今週も慌ただしく東西を移動する日々です。

 午前10時に東京駅南口乗り換え口に集まって京都に向かうのは、福島県から1人、栃木県から1人、東京から2人の4人です。そのうちの2人は全盲なので、万全の旅立ちを期して、妻には東京駅を出発するまでの介助役として来てもらいました。

 予定の16番線に上がって列車の到着を待っていたところ、駅員さんがこのホーム入る予定の列車は、今日は18番線から出発すると教えてくださいました。理由を聞くと、しばらく口ごもりながらも、皇太子殿下が乗車なさるためだとのことでした。

 目の不自由な方と一緒なので、無理をして18番線に移動することなく、すぐ向かいの17番線に来る、予定よりも7分後に出発する列車に乗ることにしました。
 ところが、その電車が、実は皇太子殿下がお乗りになる列車だったことが、乗り込む直前にわかりました。
 とにかくガードマンの多さで、それが通常の新幹線のホームではないことがすぐにわかりました。

 こんなことはめったにないことなので、弥次馬根性の塊のような私は、すぐにグリーン車輌の10号車に行き、取り急ぎシャッターを切りました。


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 私たちは3号車に乗っていました。そこにも、警察関係の方がイヤホーンをしたままで座っておられました。
 車内は空いていました。この列車には皇太子殿下が乗車されている、ということが関係しているのかどうかはわかりません。

 座席は4人が向かい合わせにして、いろいろな話をしながら楽しく京都に向かいました。
 食事の時は、すぐそばのシートが空いていたので、そこでお弁当を広げることができました。
 グリーン車なみの贅沢な座席の使い方の旅となりました。

 私のことですから、寸暇を惜しんで実証実験を、新幹線の中でもやってもらいました。
 持参した、現在のひらがなで書いた文を、横書きと縦書きでどの程度読み取れるか、お2人に実際にチャレンジしてもらいました。


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 今回のテスト用の立体コピーは文字が少し小さいことと、縦でも横でもどちらでも一緒であることがわかりました。
 これで、図書館でルビ付きの本などを立体コピーすると、目が見えなくても自分なりに読書をすることが可能となることがわかったのです。

 点字にかわるコミュニケーションのために、ひらがなの触読は新たなツールとなるのです。

 京都駅からは、バスで京都ライトハウスに直行しました。


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 「古写本『源氏物語』の触読研究」の研究会の前に、少し時間があったので、京都府立盲学校に立ち寄り、岸先生から貴重な資料を見せていただき、説明もしてくださいました。
 明日の盲教育史研究会の事務局長の身で、何かと準備にお忙しいところを、ありがたい対応をしてくださいました。


 研究会での内容は、後日ホームページを通して会議記録を掲載しますので、ここでは省略します。


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 研究会や打ち合わせが終わってからは、北大路駅のそばにあるお店で京料理をたべながら、いろいろな話に花が咲きました。

 散会後は、歩いて宿まで案内しました。今宮通りを東に直進し、賀茂川のすぐ手前にある、四季倶楽部賀茂川荘が今日の宿です。
 荷物を一旦部屋に置いてから、夜の賀茂川散歩を楽しみにした。
 賀茂川の川音は、千年前から変わりません。

 賀茂川散歩は、明朝も案内するつもりです。
 私の自宅は、この宿の近くなので、雲一つない中天に浮かぶ月を眺めながら帰りました。
 今日も、充実した一日でした。
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2015年10月22日

名工大の音声触図学習システムを動画像で紹介

 名古屋工業大学大学院生の森川慧一さん(工学研究科社会工学専攻)が現在開発中の、「音声触図学習システム」の紹介動画が、よりわかりやすいものとなって「YouTube」にアップロードされました。


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 以下の「YouTube」のURL から、実際にこのシステムを使った使用例を動画像として確認できます。

「音声触図学習システムの紹介と使用している様子」

 これは、触図とタッチパネルを使った、音声による学習システムです。

 過日の本ブログ「名工大で触読への想いが実現する予感」(2015年10月09日)で報告したように、このシステムは私が現在進めている「古写本『源氏物語』の触読研究」で有効な、非常に魅力的な触読支援装置となる可能性の高いものです。

 来月には、また名古屋工業大学へ行くことになっています。
 触読研究と音声システム開発とのコラボレーションについて、進展がありしだい、またここで報告します。

 今後の展開を楽しみお待ちください。
posted by genjiito at 21:35| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年10月21日

論文目録データベースと国際集会の案内

 『国文研ニューズ No.41 AUTUMN 2015』(平成27年10月16日発行)がウェブで読めるようになっています。


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 今号には、多年にわたり精力的に論文目録データベースの構築に尽力してくださっている浅田徹氏(お茶の水女子大学・教授)による、「『国文学論文目録データベース』の、あまりよく知られていないこと」(6〜7頁)という文章が掲載されています。

 日本文学関係の研究論文を書く際には、実証的なものであれば、全員がこのデータベースを使っておられるはずです。これまでの研究成果の確認と、最新情報や資料収集でも活用しておられることでしょう。

 『国文学年鑑』(平成17年版、2007.10で終刊 )も含めて、長い年月利用されているこの「国文学論文目録データベース」は、平成 26 年春に装いも新たに公開しました。その経緯などについては、本データベースを担当している者として、「『新・国文学論文目録データベース』について(国文研ニューズ No.34 WINTER 2014)という報告をしました。

 以来、多くの方々に幅広く利用されています。
 しかし、国文研版のデータベースについて、「国立情報学研究所サイニー」や「国立国会図書館サーチ」との違いは、あまり理解されていないようです。

 今回、長年にわたって本データベースの公開に携わっておられる浅田氏の説明を読んでいただくと、その検索結果の的確さの背景がわかり、あらためて驚かれることでしょう。とにかく、人手がかかっているデータベースなのです。
 データベース構築の実際を知ると、この論文検索のさらなる有効な活用を試みたくなるはずです。
 思う存分に、いろいろなキーワードで検索をしてみてください。

 国文学論文目録データベース室では、このたび広報のためのリーフレット(三つ折り)を作成しました。
 これは、今週末に開催される中古文学会(会場:県立広島大学)で配布するために、新たに室内のみんなで検討を重ねて作ったものです。
 中古文学会会場のフリースペースに置いてありますので、ご自由にお持ち帰りください。


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 また、このリーフレットを学生等に配布してくださる方は、本ブログのコメント欄等を利用してお知らせください。送付先と担当者名を教えていただければ、こちらから必要部数を郵送いたします。

 なお、今号には、来月11月14日(土)・15日(日)に国文学研究資料館で開催される、「第39回 国際日本文学研究集会」の案内を兼ねたプログラムも掲載されています。
 立川まで足を運んでいただくと、多彩な研究発表が堪能できる一日となることでしょう。
 私は、第1日目の総合司会をしていますので、終日バタバタと飛び回っています。
 ご用等がおありの方は、2日目にお声掛けいただけると助かります。
posted by genjiito at 22:56| Comment(0) | 古典文学

2015年10月20日

古写本の触読レポート第3弾を公開中

 私が現在取り組んでいる科研「挑戦的萌芽研究」の成果は、「古写本『源氏物語』の触読研究」というホームページから公開しています。

 今回新たに、「触読レポート(3)」(2015年10月16日)を掲載しました。


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 本ブログで取り上げる内容が多岐にわたることから、本件の報告が遅くなりました。

 触読に関するレポートとしては、これまで「触読通信」のコーナーから、渡邊寛子さん(福島県立盲学校高等部国語科教諭)の体験報告と、渡邊さんを取材した関口祐未さん(科研運用補助員)の調査報告を掲載していました。
 次の2つがそれです。

「わかる喜び再び ─古写本『源氏物語』触読体験─」(2015年8月3日)

「触読レポート(1)(2)」(2015年8月26日)

 今回公開した「触読レポート(3)」は、共立女子大学の学生Oさん(文芸学部3年)に関する関口祐未さんの調査報告です。

 Oさんは、大学側の理解と協力が得られる中で、古写本の触読に励んでおられます。
 これからの進展がますます楽しみな、現役の学生さんです。

 渡邊さんとOさんは、今週末に京都で開催される「古写本『源氏物語』の触読研究会」(京都ライトハウス)と「盲教育史研究会」(京都府立盲学校)に、一緒に参加してくださいます。
 23日(金)に東京駅で待ち合わせをして、京都の会場に向かうスケジュールも確認し合っています。

 週明けには、また刺激的な報告ができると思います。
 どうぞ、お楽しみに。
posted by genjiito at 21:34| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年10月19日

井上靖卒読(204)小説全357作品を気ままに評価

 井上靖の小説、戯曲、童話を、9年にわたって折々に読み続けて来ました。
 読み終わるたびに、5段階の評価を勝手に付けて楽しんでいました。

 昨日、エッセィ以外のすべてを読み終えたところで、これまでの気ままな評価を抜き出してみました。

 読後に私が評価点を付けた作品数は、詩篇とエッセィを除く357作品でした。
 その評価の内訳は、次の通りです。

 評価5= 38作品
 評価4= 74作品
 評価3=123作品
 評価2=100作品
 評価1= 22作品

 期せずして、きれいな放物線を描く配分となっています。
 私なりのモノサシが、どうやらあまりブレなかったようです。
 好き勝手に読んだ評価であっても、こうしたバランスとなったことに、自分なりの達成感を手にした思いでいます。

 評価に「5」を付けた作品を列記すると、以下のようになります。
 「5」という評価は、もう一度読んでみようと思わせた作品であり、人に薦めてもいいと思ったものです。

 長編と短編の2つに分けて列記します。

 初期の作品が意外に少ないようです。
 一昨日の講演会で、井上靖の長男である井上修一氏は、初期の作品が好きだと仰っていました。
 また、谷沢永一氏は、初期の関西時代の短編以外は読むべきものはない、と言っておられたそうです。
 評価は、人さまざま、ということでしょうか。

 この「5」という評価を付けた中で、長編と短編でそれぞれから1作品を選び出すとすると、『星と祭』と「通夜の客」でしょうか。

 『星と祭』は、掲載された新聞を私が毎日配達していたことと、十一面観音が大好きだからです。
 「通夜の客」は、ここ数年来通い続けている池田亀鑑が生まれた日南町が舞台だからでしょうか。
 いずれも、親近感を伴う作品であることからの選定であることは否めません。

 作品の評価には、個人的な思い入れが多分にあってもいいと思います。
 文学は、心を満たしてくれる何かがあればいい、と思っていますから。

 井上靖という、一人の多作の作家と出会い、多くの物語から充実感や失望感をもらいました。
 たくさんの生き様を追体験し、いろいろな感情を共有し、全国各地への旅にも連れて行ってもらいました。
 海外では、シルクロードを経て中近東へ行けたことは僥倖でした。

 貴重で得難い体験をさせていただいた井上靖に感謝しています。

 以下の作品を手にし、一読されることをお薦めします。
 

---------- 長編12作品 ------------------

井上靖卒読・再述(11),『風林火山』,5
井上靖卒読(19),『化石』,5
井上靖卒読(24),『淀どの日記』,5
井上靖卒読(47),『波濤』,5
井上靖卒読(68),『花壇』,5
井上靖卒読(92-93),『しろばんば』,5
井上靖卒読(94),『渦』,5
井上靖卒読(99),『楊貴妃伝』,5
井上靖卒読(101),『敦煌』,5
井上靖卒読(109),『崖』,5
井上靖卒読(202),『わだつみ』,5
井上靖卒読(番外・未公開),『星と祭』,5

---------- 短編27作品 ------------------

井上靖卒読・再述(3),「通夜の客」,5
井上靖卒読(37),「川の話」,5
井上靖卒読(62),「氷の下」,5
井上靖卒読(89),「あすなろう」,5
井上靖卒読(91),「鬼の話」,5
井上靖卒読(114),「昔の愛人」,5
井上靖卒読(114),「薄氷」,5
井上靖卒読(125),「ある女の死」,5
井上靖卒読(131),「傍観者」,5
井上靖卒読(136),「あげは蝶」,5
井上靖卒読(137),「断崖」,5
井上靖卒読(142),「その日そんな時刻」,5
井上靖卒読(145),「銹びた海」,5
井上靖卒読(146),「二つの秘密」,5
井上靖卒読(148),「ある日曜日」,5
井上靖卒読(153),「ある交友」,5
井上靖卒読(154),「どうぞお先に」,5
井上靖卒読(162),「ある関係」,5
井上靖卒読(166),「加芽子の結婚」,5
井上靖卒読(170),「犬坊狂乱」,5
井上靖卒読(173),「監視者」,5
井上靖卒読(178),「別れの旅」,5
井上靖卒読(180),「幽鬼」,5
井上靖卒読(182),「聖者」,5
井上靖卒読(182),「風」,5
井上靖卒読(183),「楼蘭」,5
井上靖卒読(187),「ダージリン」,5
--------------------------------------
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2015年10月18日

井上靖卒読(203【最終回】)『幼き日のこと』

 読み進みながら、自分の幼かった日のことを同時に思い出しました。


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 そして、私を育ててくれた両親や周りにいた人のことに想いを馳せ、気持ちが緩んで感傷的になることがしばしばありました。

 井上靖は、自分が生きてきた姿を、小説や随想や詩で、何度も繰り返し語っています。
 その中でも、この『幼き日のこと』は、小学校へあがるまでの様子が克明に語られています。

 あくまでも、本人の個人的な回顧談です。
 しかし、それが思い出語りに終わってはいません。
 これはそのまま小説としても読めます。

 毎日新聞に112回にわたり「長編エッセー」として連載された文章が集まっています。
 連載開始にあたり、井上靖は次の「作者の言葉」(毎日新聞、昭和47年9月5日・夕刊)を残しています。


 人間を人間たらしめる本質的な部分は、五、六歳までの幼時において形成されてしまうということが言われる。私の場合も、いい面も、悪い面も、五、六歳までにでき上がっているように思う。そしてそのあるものを壊すのには一生かかっている。近頃私は年齢のせいか、自分の幼時を振り返ることが多い。すると、そこには今までこれが自分の人生だと思っていたものとはまるで異ったもう一つの人生が置かれているのを発見する。かつて持った遠い、遠いもう一つの人生、純粋で、ゆたかに、繊細で、光も陰もあったもう一つの人生。
 ─それをこれからエッセーの形で書いてみたいと思っている。書けるか、どうか、何しろ遠い昔のことだから。(『井上靖全集』第22巻「解題」461頁)


 『井上靖全集』の解題を担当なさった曾根博義氏は、このことを踏まえて次のように記しておられます。


 昭和48年6月5日、オビに「自伝的長編」と謳って毎日新聞社刊。新潮社版『井上靖小説全集』第27巻(昭和50年5月20日刊)、学習研究社版『井上靖自伝的小説集』第5巻(昭和60年7月25日刊)に収録。
 右に記したように、この作品は当初「長編エッセー」として発表されながら、その後、著者自身によって「小説」として扱われているので、本全集においても長篇小説として扱い、本巻に収めた。(『井上靖全集』第22巻「解題」461頁)


 私が「井上靖卒読(1)「猟銃」」を、旧ブログ「たたみこも平群の里から」に掲載したのは、2006年12月でした。
 以来、井上靖の小説のすべてをあらためて読み直すことにし、折々の雑感を記し留めて来ました。

 約9年の時を経て、この《井上靖卒読》も今回が最終回となりました。

 最後にこの『幼き日のこと』が残ったのは、私の中に逡巡があったからです。
 前回の「井上靖卒読(202)『わだつみ』」(2015年09月29日)が、当初は最終回として残しておいたものでした。
 しかし、上に引いたように、『幼き日のこと』を小説とするかどうかで迷いがあったので、『わだつみ』の感想を書く時には、それを最後とすることに躊躇いがあり、そこで終わりとはしませんでした。
 『井上靖全集』の曾根氏の編集方針を再確認してから、《井上靖卒読》の最終回として『幼き日のこと』を置くことにしたのです。

 実は、まだ一作品が残っています。『星と祭』です。
 しかし、これは《井上靖卒読》を始めることにした始発点となる小説であり、私が一番好きな小説です。
 『星と祭』については、これまでに何度も本ブログに記してきました。
 読書雑記ではなくて、次のような記事の中でも触れています。

「井上靖の奥さまのご逝去」(2008/10/16)

「予期せぬ夜の祝祭」(2009/11/4)

 こんな調子で、これまでに似たような話を多く書き残しています。
 『星と祭』は、もう何十回も読んでいるはずです。
 むしょうに読みたくなる時があるのです。
 その意味からも、『星と祭』は別の形で、個人的な思いを好き勝手に記したいと思っています。

 閑話休題

 前置きはこれくらいにして、『幼き日のこと』を《井上靖卒読》の最終回として書きます。

 井上靖が自己をありのままに語る姿は、一連の作品が虚実のあわいを描いている特徴だと思います。幼かった頃の自分を思い出しながら、随想風に綴っています。巧みさを感じさせない、自然に流れるような展開です。

 おかの婆さんと過ごした伊豆での日々の内、暴風雨の土蔵での話はユーモア交じりで生き生きとしています。
 また、若くして亡くなった叔母のまちについては、井上の感情を抑えた語り口が印象的でした。

 戦争で大陸に渡ったことが何度か引き合いに出されます。
 あまり戦争体験を語ることのない井上なので、その一節を引いておきます。


 この厠から戻って、蒲団の中にもぐり込んだ時の一種独特の思いは、幼時だけのものである。現在もその時の思いは覚えているが、それを再現する術はなさそうだ。僅かに戦時中応召して、大陸に渡り、野戦生活をした時、深夜、小用のために眼覚め、これに似た思いを持ったことがあるが、幼時に経験したような清新さはなかった。(新潮文庫、26頁、昭和51年10月版)
 
 召集を受けて、郷里から出発して行った時も、暁闇を衝いて家を出、村役場の前に集り、村の人々と慌しく落着かぬ挨拶を交した。千人針というものを貰ったのも、暁闇の立ち籠めている中においてである。
 まだたくさんある。大陸の野戦においては、部隊の出動は大抵暁闇を衝いて行われた。私は輜重兵で馬をひいていたので、馬といっしょに歩いた暁の闇は、今になると懐しいものである。兵も、馬も、暁の闇の中を半分眠りながら歩いて行く。河北省の永定河を渡ったのも暁闇の中なら、保定城外を進発して行ったのも暁闇の中である。部隊から一人離れて、後方の病院に移るために石家荘の駅に向ったのも暁闇の中である。
 小説家になってから暁闇との付合いはなくなっている。生活が平凡になっているから徹夜の仕事をして、暁方の闇を窓の向うに感ずることはあるが、暁闇の中に身を置くことはない。
 私は暁闇の立ち籠めている未明の一時刻が好きだ。人間が何ものかに立ち向っているからである。暁闇を衝いてという言葉があるが、人間の精神は確かに未明の闇に立ち向っており、闇を衝いて何事かを行おうとしているのである。
 私は小説の中で度々暁闇を取扱っている。いつも幼時に経験したあらしの夜のことが置かれている。夕暮のことはあまり書かないが、暁闇の方は書く。薄暮に立ち籠めているものより、暁闇の持っているものの方がずっと素晴らしいからである。"未明暁雪"という言葉があるかどうか知らないが、暁闇の中に白いものがちらついている時を、どこかに使おうと思いまだに果さないでいる。(40頁)


 その他、『しろばんば』を書いた背景も何箇所かで触れているので、作者の執筆手法を知ることができます。(「旅情」78頁、80頁、119頁、168頁)
 井上は、巧みにフィクションにすり替えていくので、こうした告白は作品理解に意味を持ちません。しかし、小説作法を見極める際には役立つこともあるでしょう。

 それ以外でも、読み進みながらチェックしたところを、メモとして残しておきます。


・「昭和46年秋にインドのニューデリーで食べたカレーライスを食べた。しかし、おかのお婆さんが作ってくれて土蔵の中で食べたのが本当のカレーライスである。」(「食べもの」98頁)

・「終戦の年のことであるが、私は家族を疎開させておいた中国山脈の尾根の村で、正確に言うと、鳥取県日野郡福栄村というところで、深夜家の入口で、遠くの山の中腹に小さい豆電灯のような火が一列に並んでいるのを見たことがある。それは一、二分の短い間のことで、すぐ消えてしまったが、その灯火の正体は判らなかった。村の人に話すと、狐火だということであった。」(「山火事」140頁)

・「伊豆の私の村では、十一月の中頃から十二月の初めにかけて、神楽がやって来た。その年によって十一月に神楽の囃子が聞えることもあれば、年の瀬の十二月になることもあった。狩野川の下流一帯の村々を次々に廻って来るので、天城の麓の一番奥まったところにある私の村が最後になった。
 いつもやって来る神楽の顔ぶれは決まっていた。函南、韮山の二つの村の人たちで、一組は七、八人で編成されてあった。獅子舞を受持つのが二人、万歳が二人、そのほかに笛、太鼓、三味線の三人、時には曲芸をやるのが一人はいっていることもあった。人数も、その年々によって違って、四、五人の淋しい一団の時もあった。
 神楽の一団は、村の家を一軒、一軒廻った。たくさんお礼を貰える家には、獅子は座敷まではいり込み、庭先で荒れ廻り、背戸の方にまで遠征し、そのあとで万歳や曲芸をやった。お礼の少い家は、その家の前庭で簡単に片付けた。何となく獅子の動きに熱がなかった。
 神楽の一団は、村に一軒ある旅宿屋に泊まった。旅宿屋と言っても、平生は旅館を経営しているようには見えなかった。神楽が来た時だけ旅館になった。どういうものか、渓谷の温泉旅館には泊まらなかった。
 子供たちは、神楽が村の家々を廻っている間は落着かなかった。自分たちもそのあとをついて廻った。神楽の方も、子供たちに取り巻かれていないと調子が出ないらしく、子供たちが学校に行っている間は、遠く離れている一軒家とか、小さい集落とかを廻り、子供たちが学校から解放される頃を見計らって里へ降りて来た。」(「歳暮」145頁〜146頁、池田亀鑑の生誕地である日野郡でも同じ様子だった『花を折る』参照のこと)


 こうして、無事に井上靖が書いた小説をすべて読み終えました。
 折々に、いろいろな本で読んだので、書棚から取っ換え引っ換え、かつて読んだ本を抜き出しては、ブックカバーをかけて持ち歩きながら読み耽りました。

 文庫本や著作集に抄録されていない短編などは、新潮社版の『井上靖全集』(全28巻・別巻1巻)で読みました。
 詩・短編小説・戯曲・童話は、第1巻から第7巻までに収録されています。
 長編小説は、第8巻から22巻までに収録されています。

 小説は読み終わりました。しかし、まだエッセイ・自作解説などが第23巻から第28巻まで、そして別巻に収録されています。
 次は、これらの卒読も果たすべく、少しずつ折々に読み続けるつもりです。

 この『井上靖全集』にかぶせたブックカバーは、10年前にロンドン郊外にあるカムデンタウンの骨董屋で買った大振りのノートの表紙を転用したものでした。
 この革製の表紙が、分厚い『井上靖全集』にぴったりなのです。
 活躍してくれたので、記念撮影をしました。


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 私は、読む本に合わせてブックカバーも楽しんでいます。
 次の写真の中で、7番が上記の大判のブックカバーです。

 「愛用のブックカバー」(2007/9/24)

 これ以外にも、以下のブックカバーを文庫本等につけて、井上靖の作品を読み続けていました。

「愛用のブックカバー(2)」(2008/12/4)

「愛用のブックカバー(3)」(2009/7/18)

 これで一区切り。【3】

 近日中に「井上靖卒読」のエッセイ編をスタートすることになりそうです。
 
 
初出紙:毎日新聞(夕刊)
連載期間:1972年9月11日〜昭和48年1月31日
連載回数:全112回

井上靖小説全集27:西域物語・幼き日のこと
井上靖全集22:長篇15
 
 
〔参照書誌データ〕 井上靖作品館  http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 21:32| Comment(0) | 井上靖卒読

2015年10月17日

井上靖と千利休に関する講演会に参加して

 昨日は、立川市での仕事を終えた夜分に、八王子から真っ直ぐ南下して、神奈川県に隣接する町田市の親戚宅に泊まりました。

 今朝は、町田市から東進して東京を横断し、千葉県松戸市にある聖徳大学言語文化研究所主催の公開講演会に参加しました。
 テーマは「利休の死 ―芸術と政治の対立―」、講演者は、井上靖の長男である井上修一氏(井上靖記念文化財団理事長)でした。


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 内容は、「家庭人の井上靖」「作家としての井上靖」「戦国時代の茶人」「作品『利休の死』」「作品『本覚坊遺文』」について、時間をオーバーしながらも2時間にわたって優しく語ってくださいました。

 まず、井上靖の作品で利休に関するものには何があるか、ということを確認しておきます。


1.『利休の死』 昭和26年04月「オール読み物」4月特別号
2.『千利休』 昭和43年09月12,13日「毎日新聞」夕刊
3.『千利休を書きたい』 昭和47年01月10日「朝日新聞」読書面の「近況」
4.『利休と親鸞』 昭和49年「歴史と人物」(中央公論社)7月号
5.『私の中の日本人─親鸞と利休─』 昭和51年10月「波」10号
6.『去年・今年』 昭和52年元旦「朝日新聞」
7.『枯れかじけて寒き』 昭和52年07月「季刊芸術」1977年夏号
8,『本覚坊遺文』 昭和56年「群像」l,3,5,7,8月号
9,『西行と利休』 昭和56年07月04日「毎日新聞」夕刊
10,『本覚坊あれこれ』 昭和57年07月「波」7月号
11,『「本覚坊遺文」ノート』 昭和57年08号「群像」8月号
12,『利休の人間像』 昭和60年01月「淡交」新年号


 井上修一氏は、最初に「日本文学の専門家ではない。」「利休の専門家ではない。」「お茶の専門家ではない。」ということを断わってから語り出されました。
 ドイツ文学研究者である井上靖の息子から見た父井上靖について、丁寧に語ってくださってのです。

 以下、メモ風に列記します。


・『本覚坊遺文』は『群像』に隔月に発表するという、贅沢でわがままが言えた頃の作品。
 7月号ですでに結論が見えたので、翌8月号に書いて終えたようだ。

・『本覚坊遺文』を書くとき、小松茂美氏が持っていた手紙を見せてもらってから、利休を書く決心をしたようだ。「茶の湯肝要」とあるものは、今は井上靖記念室にある。

・私は父の利休関係の12編すべてを読んだが、最初の『利休の死』が一番おもしろいと思う。

・父の作品は、初期から中期が好きだ。後期は好きではない。
 谷沢永一は、初期の関西時代の短編以外は読むべきものはない、と私と一緒のことを言っている。

・映画化された作品について、
 父の作品には悪人が出てこない。善人ばかり。
 これが、松本清張の映画やドラマのように何度もリメイクされない理由。
 (2013年の市川海老蔵主演の映画「利休にたずねよ」には言及なし)

・父は、テーマとしての利休には、40代で小説を書き始めてから83歳で亡くなる数年前まで、関心を長く持っていた。

・家庭人としての井上靖
 ブランデーのお湯割りが好きだった。
 私は、母親似です。
 執筆時には、立て膝で、着物の腕を捲り上げていた。
 モンブランの万年筆を、愛用。
 河井寛次郎からもらった灰皿や湯飲みを愛用。
 同時進行でいくつもの原稿を書く。
 家に来て編集者が待っていた。
 最盛期は1日に40枚書く期間が10年近くあった。
 母が清書していた。
 お酒で紛らわしていたので、毎朝二日酔い。
 明治40年生まれだが、男尊女卑はなかった。
 頑張っている父を見て、申し訳ないという気持ちで私は勉強をした。
 阪神の吉田義男を知らない。
 山本富士子が、対談で家に来た。
 その対談の最中に、あの人の名前は何だ、と言って出てきた。
 有馬稲子も高峰秀子も、映画に出させてもらったが、名前も顔も覚えてもらえなかった、と言っていた。
 父は、自宅の住所も電話番号も知らない。
 交通機関を知らず、いつもタクシーだった。
 すべて、名刺を持ってタクシーなどに乗っていた。
 家の外のことはほとんど知らなかった。

・作家としての井上靖
 私は父の作品は一部しか読んでいない。
 『井上靖全集』を編集をした曽根博義先生は、父に会っていない。
 文学を通してだけでいい、という考えからだった。
 曽根先生は、井上靖は若い時から死を見続けて来た人だ、と言われる。
 私は30年以上も父と一緒に生活をしてきたが、私はそうは考えにくいと思う。
 宴会などで飲めや歌えやの後は、いつも死のことを考えて書いていた。
 父は、卒論を一晩で書いた。
 忙しくなると、物事に関心が向かなかった。
 仕事をするためには捨てなければいけない、といっていた。

・「利休の死」は、父が大阪時代からずっと温めていたはず。
 「利休の死」は、40代の脂ぎっていた頃の作品。

・関西を舞台にした作品は、20から30台にいたときの話。
 この時期の短編小説がおもしろい。

・父は、利休の死を、芸術家と政治家の対決ととらえていた。

 
 今日の井上修一氏の講演は、父井上靖の話に終始し、利休の死の話は最後に立ち戻って語られただけで、あまり明確ではありませんでした。
 この点は、「父を語る」のか、テーマとして設定された「利休の死を語る」のか、その比重を明確にしていただけたら、もっと聞きやすかったと思いました。
 
 なお、井上修一氏がパソコンで写真などをモニタに提示されていた時のことです。
 Windows システムのレジストレーション(?)に関するアラートが画面中央に頻繁に出て、聴衆側としては話に集中できないことがしばしばありました。これには、講演者の修一氏も困っておられ、途中でそのアラートのウインドウを一々消すのもやめてしまわれました。
 さらに、やがてパソコンがフリーズしたので、毎日新聞の辞令などをモニタへ映写することなどを諦めてしまわれました。

 この不手際は、主催者側の大失態だというべきでしょう。
 講演終了後、質問とは違う写真を取り留めもなく映されました。
 事前に用意しておられたものであり、映しながらお話をしようとされていたようです。
 こうした資料が、詳しい説明のないままに、じっくりと見られなかったことは、大変残念でした。

 最後に司会者がマイクを持たれると、会場には耳を覆うほどの大音響のハウリングが発生しました。
 また、関係者が最初から会場の前をちょろちょろされていて、目障りでした。

 講演会として人を招くおもてなしの心遣いには、大いに欠けるものがありました。
 予約も不要で、しかも無料だったので、気安く出かけられました。
 しかし、その運営にはさらなる検討をなさったほうがいいのでは、と思います。
 話に集中できないことが度重なり、気掛かりなことが多かったので、聴衆としての疲労感が相当残りました。
 折角のイベントなので、快適に参加できるようにしていただけると、講演の内容も楽しいものとして記憶に残ることでしょう。続きを読む
posted by genjiito at 21:38| Comment(0) | 井上靖卒読

2015年10月16日

研究会「表記の文化学」で日本語の表記について考える

 今年も、お正月恒例の箱根駅伝の予選会が話題となりだしました。
 予選会の会場が国営昭和記念公園なので、立川駅構内には参加大学の旗がズラリと並びました。


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 今、日本の若者たちは元気です。
 その熱気が、この各大学の旗からも伝わってきます。
 みんなに元気を配るイベントは、大いにやってほしいと思います。

 さて、今日は国文学研究資料館で開催された、入口敦志先生の共同研究会「表記の文化学 第3回(平成27年度第2回)」に出席しました。


151016_iriguchi




 この研究会は、「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」という大型プロジェクトの一環として行われるもので、日本語の歴史的典籍における表記意識をさぐろうというものです。

 今日の研究発表は、
(1)入口敦志(国文学研究資料館)
   「標記と様式」
(2)一戸渉(慶應義塾大学斯道文庫)
   「和歌の真名書―大嘗会和歌からアララギ派まで―」
の2つでした。

 入口さんは、書籍の様式と表記との関係から、「図と文との関係」と「匡郭の有無」を取り上げ、そこに内在する問題点を示してくださいました。

 ・中国では、絵が先で文が後、日本では文が先で絵が後となっている。
 ・中国は匡郭があり、日本はない。
 ・和文脈か漢文脈かによって、本の体裁や表記が異なっていた。

 いろいろと刺激を受け、今後に発展する興味深い内容でした。

 続いて一戸さんは、非常に大きなテーマを抱えての発表でした。
 「和歌の真名書」ということに、最初は理解が及びませんでした。しかし、例示を解説してもらう中で、次第に問題の所在がわかってきました。
 和歌の書かれ方から見て、漢字で和歌を書いた真意は何か、という点に、私は注目して聞きました。これも、今後の展開が楽しみです。

 この研究会のテーマは、少しずつみんなで考えていくことによって明らかになることが取り上げられます。
 回を重ねることで、ますますおもしろくなることでしょう。

 日本語の表記について、私は今、古写本『源氏物語』を「変体仮名」を交えた翻字を進めているので、この研究会でも成果の一部を発表しようと思っています。「翻字」ということにポイントを絞り、みなさんと問題点を共有し、いろいろと教えていただきたいと思っています。
posted by genjiito at 21:32| Comment(0) | 古典文学

2015年10月15日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その21)

 今日も最初に、たくさんの資料を配付したので、その説明からはじめました。
 「国文研ニューズ」や「国際日本文学研究集会 チラシ」をはじめとして、国文学研究資料館の広報・宣伝やイベントの資料を、今日もいろいろとお渡ししました。

 また今日は、印刷製本を終えて納品されたばかりの『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)を何冊か受け取るため、日比谷図書文化館へ行く途中に水道橋駅経由で新典社へ立ち寄りました。


151001_cover2




 参会のみなさまには、出来立てほやほやの、今にも湯気があがりそうな本を回覧し、見ていただきました。現在読み進めているハーバード本「蜻蛉」とは兄弟本になる本なので、興味深く見ておられました。

 今日は、日常生活の中で、手書きの文字をどれくらい読み、書いているのか、ということから話を始めました。

 私は、毎日たくさんの文字を読み書きしています。しかし、手書きとなると、ほんの少しです。
 今日は、事務に提出した書類に自分の名前を手書きでサインしただけです。
 文字というと、コンピュータに入力したり iPhone に入力して、コミュニケーションに役立てています。手書きは、まったくと言っていいほど、日常生活から遠ざかりました。

 そんな時代に、縦書きのための日本語の文字の筆順を学校で教えたりする手間や時間は、もっと有効活用に使えるのではないでしょうか。そもそも、書き取りとは、今どのような意味を持たせて学校で指導をしているのでしょうか。文字を覚えるための反復練習のために、手で文字を書くのであれば、その筆順の必要性は自ずとかわってくるはずです。

 明治33年にひらがなが一つだけに統制され、今に至っていることの意味も、そのような流れの中でお話ししました。
 「あ」を手書きした時の最後の筆先は、学校で教わった筆順で書くと左下に向かっています。しかし、横書き主流の現代社会において、左下に向かう線の勢いを右上に引き上げるのですから、理に合わない書き方をしているのです。かつてはやった、丸文字(変体少女文字)は、こうした理由も発生原因にあるとされています。
 現代の日本においては、早くきれいに文字を書くことからはおよそ縁遠い手書き文字を書かされています。それが横書きであればなおさらです。

 そうした目で日常生活の中の日本語を、それも文字を、さらにはひらがなを見つめると楽しいですよ、という内容です。
 また、漢語についても触れました。
 日常生活で使う漢語を和語に、というよりも大和ことばに置き換えて表現したら、どのような言語生活になるのかも、明日から実践してみることの楽しさをお話しました。
 漢語も英語と同じように外来語と考えられるので、日本文化から生まれた和語で表現し直す遊びから、あらためて日本の文化が見直されるのではないか、という趣旨での話題です。

 配布した資料を使っての説明では、今読み進めている「蜻蛉」巻の「蜻蛉」とは何か、ということもお話しました。トンボではないのです。一応、「蜉蝣」ということで留めておきました。

 ハーバード本「蜻蛉」の影印本の翻字については、第18丁オモテを確認しました。
 その中で、次の箇所では質問をいただきました。
 それは、私が「ん」の右横に書かれた「む」は、「なん」という表記以外に「なむ」という表記があったことを傍記している、と言ったことからの疑問だったようです。
 異本注記の形で残されている、と説明したことに対する別見解でした。


151015_mukasi




 いつも写本の翻字などでデータベース構築の支援をしていただいているOさんから、この「む」は「ん」との関連ではなくて、次の「かしより」に関係するものであり、補入の意味で書かれ文字「む」ではないか、ということでした。ただし、補入記号はないが、ということです。

 私の手元に詳しい資料がなかったので、詳細な説明ができませんでした。確かにその可能性が高いのでOさんのご意見を認め、詳しくは次回に調べた結果を報告することにしました。

 今、この箇所の諸本を調べたところ、次のような書写状況になっていることがわかりました。
 まさに、「む」は補入とすべきです。また、私の手元にあるデータベースでも、ここは「±む」となっており、補入記号のない「む」としてデータは作られていました。
 私の確認不足でした。


侍るをなん[ハ]・・・・521684
 侍をなん[大平国]
 はへるをなん[尾正]
 侍るをなむ[御]
 給をなん[L]
 侍なむ[陽]
 侍てなん[保千]
 侍をなむ[高]
 侍るを[池]
 侍を[麦阿]
かしより/±む[ハ]・・・・521685
 むかし[大池尾平阿御正L国千]
 昔[麦高]
 んかし[陽]
 むかし/か〈改頁〉[保]


 諸本の様子をよく見ると、「侍るをなん(む)」の「なん(む)」がない写本があったり、陽明文庫本では「んかし」という本文を伝えているのです。
 「むかし」の直前の「なん」の「ん」と、それに続く「むかし」の「む」の本文伝承上の混同が背景にあって、この1文字を写し忘れたという事情もあったかもしれません。

 いずれにしても、写本をあるがままに見ていた私には、その背景が正確には摑みきれていませんでした。今後は、文意と諸本の異同にも、さらに注意をして見ていきたいと思います。

 Oさんの慧眼に感服しました。
 ありがとうございました。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年10月14日

『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』もパスワードなしで公開

 先週、「『海外平安文学研究ジャーナル』の第1・2号もパスワードなしで公開」(2015年10月07日)という報告をしました。

 これで、電子版の『海外平安文学研究ジャーナル』は、これまでに公開した全3冊分を、自由に読んでいただけるように、オープンアクセス化を果たしたことになります。

 科研の成果として、「海外源氏情報」(科研HP)を通してオンライン公開していたものでは、『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』がパスワードを必要とするダウンロード方式として残っていました。

 その発行の経緯などは、本ブログの「『日本古典文学翻訳事典 1〈英語改訂編〉』を発行しました」(2014年04月01日)に記した通りです。

 これについても昨日、無事にオーブンアクセスにして公開することができました。
 以下のサイトからお手元に届きますので、自由に活用していただければ幸いです。

「日本古典文学翻訳事典1<英語改訂編>を再公開(2015年10月)」(2015年10月13日)


140401_bookcover





 パスワード方式の際にお尋ねしていた、「第一言語」と「現在の居住地」に関する情報は、本研究の成果の利用実績として参考にしようと思っていたものです。
 しかし、その質問に応えていただくことがオープン化の妨げになっていることがわかったこともあり、思いきってパスワード方式を中断したしだいです。

 この科研(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」は、多言語を対象としたものです。その情報を必要とされる、また興味を持たれた方の「第一言語」と「現在の居住地」を教えていただくことは、情報の受容実体を知る上で有効なものとなるはずです。この2つは、個人情報には抵触しないものだと思っています。
 ダウンロードの際の必須事項から外しましたが、今後の参考にさせていただきますので、よろしければコメントとして残していただけると幸いです。

 今後は、『日本古典文学翻訳事典U』として、〈英語〉以外の〈諸言語編〉を公開する準備を進めているところです。

 また、『海外平安文学研究ジャーナル』の第4号も、原稿を募集中です。

 多くの方々のご支援をいただく中で、お役に立つ情報の発信を続けていくつもりです。
 今後とも、ご理解とご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 00:15| Comment(0) | 古典文学

2015年10月13日

今日のトラブル2題/「腹痛」と「iPhone」

(1)定期健康診断のバリウム検査で激痛に襲われる

 職場で集団検診がありました。
 いつものように申告をして、いつものように受診しました。
 館外に停めてあったレントゲン車でのことです。

 あの白いバリウムを飲んで、体内の様子を診る検査の時です。
 事前に、指示通りに発泡剤を飲んだところ、すぐに腸が捻れて千切れるかと思う程の激痛が襲ってきました。
 消化器管のない私にとっては、ビールをはじめとして発泡物は苦しくなるので、日頃から避けています。
 しかし、身体の検査ということと、レントゲン車の中の環境に身を置き、つい油断をしました。

 しばらくレントゲン室の一角でうずくまった状態で苦痛に耐えていると、数分後には吐き気とげっぷが治まり、身体が軽くなりました。
 看護士の方が検査を中止しましょうか、と声を掛けてくださいました。
 しかし、体調が戻ったので、回転稼働式の検査台に身体を預けました。
 技師の方も親切で、消化管がないなら食道周辺だけでも視ましょうと、少しずつバリウムを飲むことで検査をしてくださいました。
 台に寝てくるくると転がる動きは避けてくださいました。
 とにかく、意識が遠ざかる直前だったので、一時はどうなることかと恐怖感の中に置かれたのです。
 今は、無事に終わってほっとしています。

 昨日も書いたように、このところ体調が思わしくなかったので、それが引き金になっているかと思われます。
 これに懲りたので、バリウム検査は今後は敬遠して、内視鏡検査のみにします。

 私の次に検査をお待ちだったK先生。
 目の前での突然のハプニングで、ご心配をおかけしました。
 お気遣い、ありがとうございました。

 今朝から絶食だったこともあり、急激に空腹を感じました。
 身体が正常に戻ったようです。
 いつものように、妻の手作り弁当をゆっくりと口にしながら、生き返った気持ちを実感しました。
 
(2)iPhone6プラスが頻繁にフリーズすること

 先月あたりから、昨秋更新して使い出したiPhone 6プラスが、しょっちゅう反応しなくなり出しました。
 画面をタップしても、文字を入力することも、まったく受け付けないのです。
 だいたい、2時間ももたない内に、電源を入れ直してリセットすることとなります。
 文字を入力中に突然画面が凍りつくと、また入力し直しとなるので、がっかりします。
 スマホのアプリは、保存ボタンなどはないものが多いので、パソコンのように頻繁に保存することはできないのです。
 自動保存なり、終了時に保存されているようです。
 これが、突然のフリーズでリセットすることになると、それまでの入力が水の泡となるのです。

 今使っている iPhone は、購入して半年の間に2回の本体交換をした、何と3台目のものです。
 今回のトラブルで本体交換をすると4台目になるのかと諦めつつも、念のために立川のクイックガレージで何か対処方法がないか相談をしました。
 すると、先月から発売されているiPhone 6s のための新システムの初期バグのせいか、iOS の システムを更新したユーザーからのフリーズに関する相談が急増しているそうです。

 いろいろなやり取りの末に、さらにバグを取ったシステムの更新が発表されるのを待つしかない、ということになりました。
 iOSのシステムを入れ替える方策もあるそうです。
 しかし、そんな暇が今はないので、だましだまし、いましばらくはシステムのバージョンアップを待つことにします。

 iPhone 6プラスをお使いで、まだシステムを更新しておられない方は、今しばらくはそのまま様子をみた方がいいようです。

 私は、常に最新のバージョンに魅力を感じるので、すぐにシステムをアップしてしまいます。
 最新の情報文具に関しては、「待つ」ということを心がけるように、これからは心していきたいと思います。
posted by genjiito at 21:04| Comment(0) | 健康雑記

2015年10月12日

江戸漫歩(114)畠山記念館で織部を見て東西の1間を思う

 先週から、体調が思わしくありません。
 独りで京都の自宅にいることに不安を感じ、昨日の午後、急遽上京することにしました。

 帰洛の際には、雪を冠する直前の富士山を見ました。
 先一昨日の写真を再掲します。

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 そして昨日の上京の時は、初冠雪のニュースの直後だったこともあり、楽しみにして左側2列の窓側に席をとりました。といっても、いつも1号車の自由席なので、だいたい思う席に座れます。

 しかし、夕方で曇っていたこともあり、なんとなくそれらしい富士山を見た気にさせる佇まいでした。山頂に雲が薄くかかっているのが惜しまれます。


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 昨日の朝、賀茂川散歩の折に、出雲路橋から比叡山を望みました。


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 そしてその夜には、宿舎に着く手前の陸橋から、お江戸の月島と佃島方面を望みました。


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 この東西の生活空間と環境の違いに、あらためておもしろさを感じています。
 まだしばらくは、好対照の町が見せるこの落差を楽しみます。
 いずれも、日本の文化を代表する表情を伝え持ち、多くの人を抱え込んで発展している都市なのですから。こんな2点間を行き来できる幸いは、なかなか得難いものがあります。

 今日は、連休も最終日です。
 東京は24度と暖かいので、気分転換も兼ねて近場に出かけることにしました。

 機会があれば訪れている畠山記念館で、「古田織部没後400年記念」として「桃山茶陶と「織部好み」」という秋季展が開催されています。のんびりとお茶道具などを見るのには、もってこいの祝日です。

 正門から入ってすぐ左に、「翠庵・名月軒」があります。
 今日は、めずらしく雨戸が開いていて、お茶室内を見ることができました。
 しかし、帰りには雨戸が閉められていたので、写真に撮るチャンスを逸してしまいました。
 内部の写真は、畠山記念館のホームページでご覧ください。


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 そのすぐ左手前には、「沙那庵」があります。
 ここは3畳なので、こぢんまりとしたお茶室です。


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 苑内奥には「毘沙門堂・浄楽亭」がありました。
 ここも行った時には雨戸が開いていたので、中を拝見することができました。しかし、帰りには、これも残念ながら閉められていました。
 10畳の広間です。この建物左側の、毘沙門堂の3帖台目の部屋は、見ることができませんでした。


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 美術館の2階では、織部好みとされる斬新なデザインの茶器を見ることができました。
 重要文化財となっている「伊賀花入 銘 からたち」と「志野水指 銘 古岸」の2点は、その肩書きにつられてじっと見つめました。しかし、私にはそのよさがわかりません。それなりの観方があるのでしょう。しかし、今の私は持ち合わせていないのです。何度も見る機会を持つことで、先人の美意識が感得できるようになるのでしょうか。まだまだ時間がかかりそうです。

 私が気に入ったのは、「古銅花入 杵の折」という、明時代(15〜16世紀)のものでした。ガラスケース越しだったので、照明にもよるかと思いますが、漆黒の深みと形の簡素さがいいと思いました。

 妻は、「伝・俵屋宗達筆 扇面草花図」(江戸時代17世紀)の軸装の布地と、「中峰明本墨跡 跋語」(元時代、13〜14世紀)の文字がいい、と言っていました。
 そう言われてあらためて見ると、なるほど確かに、と納得します。
 判断する基準を持っていないので、こんな調子で2人で気ままにぶらぶらと観ていました。

 2階展示室内の一角には、四畳半の茶室「省庵」があります。
 今日は、籠の花入れに「小菊・藤袴・照葉」が飾られていました。
 「照葉」のことを知らなかったので、今調べてみたところ、きれいに紅葉した枝葉だとあります。
 確かに、葉が朱に染まった小枝でした。

 この茶室「省庵」が思いの他に狭く感じました。昨日まで京間の四畳半にいたので、江戸間との広さの違いに認識をあらためました。

 これも先ほど調べたところ、京間の1間は197cm、江戸間の1間は182cmだとあります。1間で15cm も違うのです。
 京間の6帖は江戸間の8帖ほどだとも書かれています。
 東西の空間認識の違いは、日常のさまざまなところに見られると思われます。
 おそらく、私の身体は、京間サイズでものごとを認識していると思います。
 とすると、昨夜から東京に来て見聞きするものに、どのような違和感を持ちながら生活をするのか、興味深いことです。

 この物の大きさや広さについて気づいたことがあれば、またここに書きましょう。
 これまで、1間の幅の違いについては、日常的にはあまり意識していなかったことなので、今週一週間がまた楽しくなりそうです。
posted by genjiito at 21:54| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年10月11日

点訳された古文の教科書と読み上げソフトを使った確認の必要性

 昨日の本ブログの記事について、仲間の渡邊さんから以下の情報が寄せられました。


現在の高校の古典の教科書では、「仁寿殿」は「じじゅうでん」で点訳されています。
ふりがなも、そのはずです。
「大鏡」の「若き日の道長」肝だめしのところ、第一学習社です。

本文テキストデータを音声パソコンで読みあげすると、「にんじゅでん」(学校の職員室の私のパソコン)だったり、「つとむことぶきどの」(自宅パソコンはこれ)だったり。
音声読み上げソフトの種類・バージョンにもよってまちまちです。

点字使用者が漢字を正しく読み上げてもらうのは、古文、漢文では難しいです。
どれが本当のよみなのか、わからなくならないようにしないと、と思っています。

生徒にも、先生方にも、特に試験問題の点訳をするとき、教科書通りにと、確認してもらうことにしています。

私も源氏物語ゆかりの地めぐり、機会があったらお願いしたいです。
距離感がつかめるというのは、素晴らしいですね。
実際に歩いてわかること、何よりだと思います。


 古文の教科書の本文を、音声読み上げソフトで確認しておく必要がありますね。
 全国の盲学校での教育現場では、どのように対処しておられるのでしょうか。
 目が見える見えないの問題ではなくて、正しく生徒や学生に伝わっているか、ということの確認のためにも、情報を集めてみる必要がありそうです。

 どなたか、情報をお寄せいただけませんか。
 また、調査されたことがおありの方がいらっしゃいましたら、その経緯と結果をお知らせいただけませんでしょうか。

 「仁寿殿」や「紫宸殿」の読み方に留まらず、さらにいろいろな問題点も浮上することでしょう。
 日本の文化を、各自が持つハンディキャップにかかわらず、等質な情報として均一で平等で正しくバトンタッチしていくためにも、この確認は大切なことのように思います。

 また、内裏の中や都大路を歩く事は、身体で古典を読むことにつながります。
 目が見えない方にこそ、この体験を通して、実感的に『源氏物語』を読んでもらえたらと思っていました。
 清涼殿から淑景舎(桐壺)に行くのには、北に105歩いて右に曲がり、まっすぐ90歩行くと着くのです。
 渡邊さんの希望に応えるべく、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉として京都散策の取り組みも考えたいと思います。
 なお、この『源氏物語』ゆかりの地とされた40箇所において、ハンディキャップの方への配慮は皆無です。もちろん、源氏千年紀が終わった今では、見常者である旅人への配慮もなく、ただ設置されているだけの状態です。これも、なんとかしなくてはいけませんね。

 12月5日に、広瀬浩二郎さんのグループのイベント「視覚障害者文化を育てる会(4しょく会)」で宇治を散策しますので、こうした折に私も案内方法やコツを学んで来ます。
 このイベントの詳細は、近日中にこのブログでも案内します。
posted by genjiito at 11:44| Comment(0) | 古典文学

2015年10月10日

京洛逍遥(378)京都で源氏を読む会の源氏散策(第1回目)

 いつもは京町家のワックジャパンで源氏を読んでいる会も、秋らしくなったことでもあり、京都の街中にある『源氏物語』関連の地を散策することにしました。

 今日はその第1回目として、「桐壺」巻に関係する大内裏周辺を歩きました。

 京都市が源氏千年紀の2008年に、『源氏物語』のゆかりの地として40箇所に説明板を設置しました。その内の、1番から16番までを、今日1日で歩きました。
 プランニングと下見は、いつものメンバーである石田さんが担当してくださいました。
 次の地図の赤で示した矢印が、今回の行程です。


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 お昼前に、千本丸太町の交差点角にある「大極殿跡前」の児童公園に集合し、ここをスタート地点としました(市バス「千本丸太町」すぐ横)。

 以下、2008年に私がこのコースを歩いた際の記事のアドレスを、参考までに引きながら記していきます。
 そして、今回掲載する写真は、その時と違っているものや、新たに目に入ったものに限定しています。

「説明板16-大極殿跡」(2008/4/10)

 ここは、何も変わっていません。ただし、歩道の縁石に設置されていた建物群の指標は、今回その6個すべてを確認しました。また、道路に埋め込まれた表示も。その写真を列挙します。

 まず、南北に走る千本通の西側から。


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 この千本丸太町の交差点を東に渡り、大極殿跡がある場所の向かい側を北に向かって進みます。
 それぞれの指標が、千本通を挟んで東西に向かい合っています。


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 少し行ってすぐの小路を右に曲がった突き当たりに「建礼門跡」があります。

「説明板13-建礼門跡」(2008/6/14)

 7年前と何もかわっていません。

 狭い道を北上すると、すぐに下立売通りに出ます。
 ここを左折すると、立て続けに3箇所に説明板があります。

「説明板8-紫宸殿跡」(2008/6/9)

「説明板 6-蔵人町屋跡」(2008/6/5)

 ただし、「6-平安宮内裏蔵人町屋跡」だけは、平日以外はシャッターが降りていて見ることができません。今日は、土曜日だったので、残念ながら見られませんでした。


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「説明板 7-内裏内郭回廊跡」(2008/5/31)

 ここの石碑の写真を、7年前には掲載するのを忘れていたので、ここで今日の写真で補っておきます。


151010_10kairoato




「説明板14-宜陽殿跡」(2008/6/10)

 この「宜陽殿」の説明文中の中ほどにある「若紫」という巻名は、今は「若菜上」に訂正去れています。古い写真や資料などを使って授業や説明をなさっている方は、お気をつけください。
 参考までに、現在の訂正された説明板の文章を掲載します。


151010_giyouden




 お昼ご飯は、この一帯をぐるっと回ってからここに立ち戻り、「ショップ&カフェ 綾綺殿」でいただきました。

 次は、内裏の東端から少し外にある説明板です。

「説明板1-平安宮内裏跡」(2008/7/11)

 さらにコの字型に回り込んで「建春門跡」へ行きました。

「説明板12-建春門跡」(2008/5/15)

 ここを東西に走る道は、まさに説明板のメインストリートとでも言うべき場所で、目白押しに『源氏物語』の縁の地となっています。

「説明板11-温明殿跡」(2008/5/19)

「説明板10-昭陽舎跡」(2008/5/20)

 そして、この通りはかつてとは様変わりで、ゲストハウスが並ぶ一角となりました。
 「承香殿東対」「承香殿西対」「参の局」「弐の局」「壱の局」「弘徽殿の南邸」と、各ゲストハウスが並んでいます。


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「説明板5-承香殿跡」(2008/5/24)

「説明板3-弘徽殿跡」(2008/5/30)

「説明板4-清涼殿跡」(2008/5/25)

 この「清涼殿跡」から「淑景舎(桐壺)跡」まで、どれくらいの距離があるのか、歩数を数えてみました。

 「清涼殿跡」からすぐ北の「梅壺」まで70歩。

「説明板2-凝華・飛香舎跡」(2008/5/30)

 そして、「梅壺」から北進してすぐの出水通りを右折して「淑景舎(桐壺)跡」までが125歩。
 結局、清涼殿から桐壺までは〈195歩〉でした。
 私は少し歩幅を狭くして歩きました。同行の女性陣とほぼ同じでした。
 今度「桐壺」巻を読む時の参考になります。

 この周辺は、家の取り壊しと立て替えが急ピッチで進んでいました。
 数年後に来ると、この西陣の一角はまた様変わりしていることでしょう。


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 食後、予定よりも早く回ったので、少し北に上がった場所に足を運んで解散となりました。

「説明板15-平安宮大蔵省跡・大宿直跡」(2008/7/28)

 なかなか充実した半日となりました。
 内裏があった頃と較べて、今はまったく雰囲気が異なるとはいえ、その距離感は体感できます。

 今回経巡ってみて、建物の名前の呼び方に注意が向きました。

 「仁寿殿」のことを、綾綺殿の前の説明文には「にんじゅでん」と振り仮名があり、平安宮内裏跡の説明文には「じじゅうでん」と振ってありました。私は「じじゅうでん」と言ってきました。

 また、「宜陽殿」(ぎようでん)と「宣陽門」(せんようもん)も、あらためて聞かれたら迷うところです。

 こうしたことは、他にもたくさんあります。
 「紫宸殿」を私は「ししいでん」と読みます。しかし、一般的には「ししんでん」としています。有職読みとでもいうものなので、どちらかに決することもできないのでしょう。「有職」も「ゆうそく」と「ゆうしょく」と2通りの読みがあります。
 とにかく、どちらかを明記して、別の読みも示す、というのが一番いいと思います。

 ワックジャパンで源氏を読む会は、次回は11月7日(土)に京都ライトハウスで開催される「点字百人一首」に参加します。見学だけですが。
 ハーバード大学本「蜻蛉」を読むのは、12月から、ということになります。
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2015年10月09日

名工大で触読への想いが実現する予感

 名古屋工業大学へ行くために、東京駅で京葉線から新幹線に乗り換える途中のことです。
 エスカレータの手すりが、とにかく酷く汚れているのに出くわしました。


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 「つ」の所で白く光っているのは、撮影時の光線の具合ではなくて、白い紙かサロンパスのようなものがへばり付いていました。透明の幅広の粘着テープで補修されている箇所もあります。
 とにかく、こんな汚い手すりを摑む人などはいません。無神経な駅の施設管理です。

 駅では百年イベントを展開しています。しかし、もっと足元の不衛生で不潔な環境と、駅員の心構えの浄化が先決問題です。海外からお越しの旅人に対して、恥ずかしい思いをしています。

 品川を出て、しばらくしてからでした。

「ただいま、右手に富士山が見えています。雪をいただかない富士山は、われわれ新幹線に乗務する者もめったに見られません。しばし、車窓からお楽しみください。」

という、新幹線の車内放送が耳に届きました。

 早速、ポケットからカメラを取り出して、窓越しに収めました。


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 ちょうど40年前の今ごろ、私の結婚を祝して父が
「錦繍の車窓いっぱい富士の山」
という川柳をよんでくれました。
 今、このお山も、その錦を着る準備をしているのでしょう。

 毎週のように乗る新幹線です。そんな中で、事務的なお知らせとは違う、こんな車内アナウンスもいいものです。
 車掌さんのお人柄でしょうか。

 旧国鉄のままに、サービス精神の欠片もないJRです。こんな頻繁に利用しているのに、ポイントを貯めるとグリーン車に座れるだけという、人を喰った話が唯一のサービスです。未だに親方日の丸の鉄道会社です。
 電車がひっくり返らないのが最大最高のサービスだと、無理やり思うことにして、我慢して新幹線に乗っています。

 愚にもつかない駄弁はこれくらいにしておきましょう。

 名古屋駅から中央線に乗り換えて2つ目の、鶴舞駅のすぐそばに大学はありました。


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 校門で、今日の面談者である、大学院生の森川慧一さんの出迎えを受けました。福島県立盲学校の渡邊さんが仲立ちをしてくださり、何度か来ようと思いながら、なかなか日程が合いませんでした。やっと実現です。


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 写真中央の森川さんは、名古屋工業大学大学院工学研究科社会工学専攻マネジメント分野橋本研究室に所属の学生さんです。今日は、指導教授の橋本芳宏先生はご多忙のご様子で、名刺が託されていました。異分野の先生とはいえ、次の機会を楽しみにしています。

 森川さんの仲間である、写真左の情報解析技術課技術専門職員の石丸宏一さんと、写真右の学部3年生の肌野喜一さんが同席です。私の不躾な質問にも、丁寧に答えていただきました。気楽に話ができて、稔り多い時間となりました。
 この3人は、これからの活躍が楽しみです。

 森川さんが開発された障害者用の機器を見せてもらいました。
 上掲写真の下半分に写っているのがそれです。

 そして、まずは基本的な説明を聞きました。
 「タッチパネルとパソコンを使用した音声触図学習システム」です。
 上掲の写真にあるように、地図を使っての触図学習です。

 ネット等で大凡は理解していたので、単刀直入に私の問題意識との接点を探りました。
 そして、目の前にあるパネルが、すぐに私が探し求めていたものであることがわかりました。

 後は、持参した古写本『源氏物語』の立体コピーを開発中の機器に乗せて、具体的な可能性について話し合いました。


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 今回開発されたシステムは、タッチパネル上に置いたA4判の立体コピーをタップすることで、あらかじめそのポイントに仕組まれた音声が聞こえる、という仕掛けに転用できる可能性が高いものです。

 このシステムを、地図で実演してもらいました。これは、そのまま私が考えている古写本の触読を支援する道具となります。

 上掲の写真で言えば、「須磨」巻の巻頭部の「よの中」の「よ」を指で押すと、
「〈よ〉は現在一般に使われている平仮名で書かれています。与えるという漢字〈与〉が崩れた草書体の文字です。」
と音声で教えてくれたらいいのです。

 次の文字である「の」を触ると、
「〈の〉は、現在一般に使われている平仮名であり、元の漢字の姿を留めた、あまり崩れていない字です。」

 さらに3文字目を触ると、
「〈中〉は漢字なので、読みとばしましょう!!」
としましょうか。

 漢字の触読はパスすることにしています。現在のところでは、漢字の触読は困難だと判断しています。あくまでも、ひらがなの触読を習得するプロセスを調査研究しているところなのです。

 これなら、目の前の森川さんが作り上げたシステムに少し手直しをすれば、いますぐにでも私が求めている古写本の触読システムは実現するはずです。

 地図を元にしたデモを拝見した後に、私から提案したことは以下の通りです。

(1)パネルとパソコンは切り離してほしい。
 目が見えない人にとって、パソコンが付随していると、キーやマウスの操作にじゃまをされて、本来の写本を読む目的に集中できません。また、視覚障害者にキーがたくさん並んだパソコンの操作を求めてはいけない、という基本的なスタンスも守りたいのです。

(2)パネルのUSBケーブルはなくしてほしい。
 これは、じゃまな付属物です。できるだけシンプルな道具がいいと思います。

(3)パネルに切り替えスイッチを付けてほしい。
 このスイッチのオン/オフによって、一文字の説明や一語の説明に切り替えられるのになればいいですね。

(4)パソコンの代わりにiPhoneやiPad などの携帯情報端末を利用する。
 iPhoneやiPad などの携帯端末には、スピーカーやマイクが付いています。これを活用すると、音声による機器のコントロールがしやすくなることでしょう。

(5)パネルからブルートゥースでiPhone と通信することで、容易にネットワークに接続した環境の中で触読ができるようになる。
 常にネットにつながった環境だと、疑問点の解消や、さらなる解説で触読を支援できます。

(6)情報のやりとりのために、携帯端末用のアプリを開発する。
 このアプリの更新により、ハードウェアへの負担を軽減できます。

(7)音読や解説に関するデータはクラウドに置く。
 触読のためのデータをクラウドに置くことで、情報の更新や追加が随時できるようになります。また、利用者のレベルに合わせた情報の提供にもつながります。

(8)液晶のタッチパネルは、今の1点だけを感知するものではなくて、複数の点を感知するものにしてほしい。
 それにより、ダブルタップやトリプルタップのみならず、2本指や3本指での触読が可能となるのです。ドラッグによって、文字を範囲指定して触読することもできるでしょう。
 もっとも、そうするとパネルの価格が2、3倍にもなるそうです。しかし、ここは譲れない所です。

(9)Macintoshでも稼働するシステムにすること。
 Windowsに頼っていては、創造的なものは生まれません。その前に、私が試用できないのです。そうでなければ、Macintoshで作り上げたものを、Windowsに移植すればいいのです。『CD-ROM 角川古典大観 源氏物語』(伊井春樹編、1999年)の構成と検索システムがそうであったように。

 この、私が提案したことが実現すれば、目が見えない人が今から700年も前に筆で書かれた写本を、容易に読むことができる環境が提示できるようになります。また、レベルアップを目指した学習システムも、スムーズに構築できることでしょう。

 この取り組みからの成果は、近日中に姿を見せるはずです。
 次の面談は、1ヶ月後に設定しましたので、ここであらためて森川さんにプレッシャーをかけておきましょう。
 
 とにかく、昨日のブログに書いたように、いろいろなことがおもしろい展開となっています。
 そして私は、人と人との楽しい縁を満喫しています。
 すばらしい若者たちとの出会いに恵まれています。続きを読む
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年10月08日

共立女子大学での触読調査と実験と新展開

 皇居の東側にある共立女子大学へ、竹橋駅から歩いて行きました。
 再来週、触読研究に協力してもらっている全盲の学生さんと一緒に、京都へ行きます。京都開催の「源氏写本の触読研究」の研究会と、翌日の日本盲教育史研究会に参加することに関して、その打ち合わせをしました。
 お互いに非常に楽しみにしている、調査と研究の旅なのです。

 1泊2日の詳細な打ち合わせをした後、今夏の続きとして、『源氏物語』の古写本を触読してもらいました。
 今日は、ハーバード大学本「須磨」巻の冒頭部分である「よの中〜」と、初見(初触?)となる国文学研究資料館蔵本である榊原本「夕顔」巻の巻頭部分の「六条渡りの〜」について、いろいろな話をしながら読んでもらいました。この前とは、文字の大きさも微妙に変えたものを持って行きました。


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 『源氏物語』の本文をいろいろな大きさで立体コピーして持参したので、その感触を尋ねました。
 前回は7月だったので、あれから3ヶ月ほど経っています。
 二十歳という若さだけではなくて、本人も努力家なので、格段の進歩を感じることができました。

 この前は、江戸時代の版本を中心とした勉強をしていて、そのような中で突然鎌倉時代の『源氏物語』の文字を触ってもらったので、本人もいろいろと戸惑いながらの触読だったようです。

 今日は、江戸時代と鎌倉時代の文字の違いが、より一層理解できたようでした。鎌倉時代の文字にも少しずつ慣れてきていることを、私が横でその触読の様子を見ているだけでも実感できました。
 とにかく若いので、その伸び代の大きさを頼もしく思いました。

 そのような中で、文字の大きさはそんなに問題にはならないことがわかりました。
 「文字を覚えてしまえば、小さい文字の方がストレスもなく触って読める。」という本人からのことばは、新たな収穫となりました。

 また、あまり文字が大きいと、なぞる範囲も広く、そして触読する時間も長くなるので、一行を読むうちにそれまでの言葉を忘れてしまう、ということです。さらには、飽きるし、どっと疲れるとも。

 なるほど、と得心しまた。

 つまり、可能であれば、適度にコンパクトな文字を触れるのがいいのです。その適度、というのが難しいので、これは今後の触読実験を繰り返す中で確定したいと思います。しかし、おおよそ文字の大きさはわかりました。文字が大きければいい、ということではないのです。正確に読めること以上に、〈流れるように読める〉、という要素も大切なことなのです。

 列帖装の写本半丁に書写された10行(約16cm ほど)が、A4版にゆったりと浮き出し文字で触読できるような、そんな立体コピーを作成すればいいのです。

 さらに、これは必備のものとして、使い勝手のよい立体コピーによる字書があれば、それを確認しながら自学自習できる、ということもわかりました。

 学生本人は、A3版大の大きな立体文字をまとめた手作り字書を使っています。学校で作っていただいたものでした。しかし、これは大きくて重たくて頁数が多いので、何かと不自由をしているようです。
 小さくてもいいので、編集さえしっかりとしていれば、折々に変体仮名が調べられて重宝する、とのことです。

 このことばを聞いて、早速神保町にある出版社に連絡をし、指導教授の了解を得てから、学生さんと一緒にこの字書の話をしに目指す会社へと出かけました。
 共立女子大学から出版社まで、一緒に歩いて10分もかからないので、この近さもこの話の進展に寄与することとなりました。善は急げを即実践したことになります。

 変体仮名をもとにした、立体文字による新しい字書作りというプロジェクトが、本日スタートすることとなりました。
 これについては、また折々にここにその進捗状況を記します。

 さらに、『百人一首』の変体仮名バージョンに取り組むことも、今日の話の中で理解を得ました。
 これは、昨日、国文学研究資料館に鎌倉時代に書写された『源氏物語』を閲覧しにいらっしゃった書道家のみなさまのお世話をしている中で、その延長上で協力が得られることとなったので、弾みがついた新プロジェクトです。

 ハーバード大学本「須磨」巻の中で使われている文字だけを使って、『百人一首』の恋の歌20首の下の句を、カルタに書いていただくことになったのです。
 平安時代の上代様の文字で書いてくださるとのことです。そのためには、現行のひらがなだけで書いたカルタは初心者用に、変体仮名を交えたものは中級者用に、さらに上級者用としてはレベルの高い変体仮名と散らし書きを交えたものにしていただく予定です。
 下の句七七の内、最初の七文字は少し大きめに書いていただくことも決めました。
 現在使われている点字百人一首には、和歌が点字で貼られています。しかし、今回の変体仮名版の立体文字のカルタには、点字は貼らずに、あくまでも各自が触読して札の配置を決めてカルタ取りをしてもらうのです。

 どこかの早い時点で、1首でもいいので全盲の方に作品を触っていただき、その感想を次のカルタの文字に反映させていくと、よりよい書写作品ができるのではないか、と思っています。
 そこに書かれた文字の形や線の流れが、このカルタの生命となります。

 とにかく目の見えない方々が触られるので、その方々と意見交換をしながら取り組んでいくしかないのです。書家のみなさまの個人の書写作品ではなくて、みんなで作り上げるという趣旨をご理解いただく中で、この変体仮名版の触読カルタを作っていきたいと思っています。

 この変体仮名版『百人一首』ができ次第に、また大方のご意見をいただきながら改良していくこととなります。

 もう一点。
 指に嵌めて使う「ゆび筆」が届きましたので、共立女子大学に持参し、学生さんに実際に指に嵌めてもらいました。感触は上々です。


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 これは、左手で古写本『源氏物語』の立体文字を触読しながら、右手に嵌めた「ゆび筆」で臨書しよう、というものです。
 そして、臨書が終わると、それをさらに立体コピーすることで、自分が書いた文字の正確さが確認できます。書写しながら、写本の変体仮名も確認でき、あらためて字形を意識して仮名文字を覚えることになります。
 自学自習用として、これは楽しく文字を学ぶプログラムに成長させたいと思っています。

 さまざまな成果が期待できるプロジェクトが、今日だけでもいくつか新たに展開し出しました。
 こうしたことに、興味と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、本ブログの今後の記事にご意見をお寄せいただけると幸いです。
posted by genjiito at 21:22| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年10月07日

『海外平安文学研究ジャーナル』の第1・2号もパスワードなしで公開

 現在私が研究代表者として取り組んでいる科研の内、科研(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」の研究成果の一部を、『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)というオンラインジャーナルで公開して来ました。

 現在、第3号まで発行しています。

 先週は、本ブログにおいて、「『海外平安文学研究ジャーナル 3.0』をパスワードなしで公開」(2015年9月30日)と題して紹介した通りです。

 その記事を、「笠間書院から公開されているブログ」(学会・研究・イベント等の情報群)で取り上げていただいたこともあり、多くの方にアクセスしていただきました。

 本ブログ「鷺水亭より」は、毎日400〜500人の方がアクセスして読んでくださっています。先日ジャーナルを再公開した際には、笠間効果のお陰もあって、日ごろの3倍ものアクセスがありました。
 情報を連携して流していただくと、こんなに多くの方に見ていただけるのかと、あらためてネットワークの魅力を実感したしだいです。

 これまでにも、『海外平安文学研究ジャーナル』を自由に読んでいただけるように配慮していました。今後の調査研究のためということで、ごく簡単なアンケートという形式で、「第一言語」と「現在の居住地」をお尋ねした後にパスワードを発行していました。公的資金による研究成果の公開という性格上、それが最低限の協力依頼、という姿勢でした。
 しかし、それに対する抵抗感もあったようで、ダウンロードを躊躇っておられる方から、もっと気楽に、という要望をうかがっていました。
 先日の第3号では、研究成果のオープン化の流れに乗って、閲覧に対してより簡素化を図った対応をしました。

 本日は、第1号と第2号も、このオープンアクセスに対応しました。
 「海外源氏情報」(科研HP)のトップページのサイドメニューにある「NEW」をクリックして、第3号と同様に第1号と第2号を選択するか、「研究と成果・報告書」から「ジャーナル」の項目へと進んでください。
 数クリックで、お手元に『海外平安文学研究ジャーナル』が届きます。

 本誌をご覧になったら、ぜひともご意見をお聞かせください。公費による研究のため、最後に報告書を提出します。いただいたご意見等は、そこに反映させたいと思っています。

 なお引き続き、『海外平安文学研究ジャーナル 4.0』の原稿を募集しています。
 詳細は、今回公開した『海外平安文学研究ジャーナル』の中か、本科研のHPに掲載している「『海外平安文学研究ジャーナル』応募執筆要綱」をご覧ください。

・第4号の原稿の締め切り 2016年1月31日
・刊行予定    2016年3月15日
・注意 原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることができます。
posted by genjiito at 20:17| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年10月06日

藤田宜永通読(24)藤田宜永『探偵・竹花 潜入調査』

 藤田宜永『探偵・竹花 潜入調査』(光文社、2013.10)を読みました。


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 短編4本を収録しています。前半の2編の評価はともかく、最後の「潜入調査」はいいと思いました。

■「ピンク色の霊安室」
 テンポよく、読者を引き付けながら話が展開します。ニューハーフをめぐる、おもしろい話です。
 ただし、犯人が明かされる場面が、それまでの流れのように勢いがありません。また、最後のまとめかたも、いつものように平凡すぎて話が流れてしまっています。この作者の課題です。【2】
 
初出誌:『宝石 ザ ミステリー』(2011年)
 
 
■「タワーは語る」
 盗聴器が話題になる話なので、その展開を興味を持って期待しました。しかし、後半が肩透かしです。失速して着地に失敗したのが残念です。【1】
 
初出誌:『小説宝石 十月号』(2012年)
 
 
■「あの人は誰?」
 人間が持つ過去に拘る中で、さまざまなつながりが解されていきます。軽快な語り口で、久しぶりに軽めの藤田ワールドを味わえました。人の心に踏み込まない、人間関係と人の温かさが、いい雰囲気を醸し出しています。【4】
 
初出誌:『宝石 ザ ミステリー』(2012年)
 
 
■「潜入調査」
 物語の背景に、昭和という時代を回顧するイメージが明滅します。作者が私と同じ歳なので、話題が共有できて2倍楽しめました。
 探偵という職業がうまく描かれています。主人公である竹花は、人の心に潜入するのがうまい探偵です。回想が巧みにちりばめられた、完成度の高い作品に仕上がりました。【4】
 
初出誌:『小説宝石 九月号』(2013年)
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2015年10月05日

昨日の全国盲学校弁論大会の続報

 昨日書いた、「第84回 全国盲学校弁論大会全国大会の優勝者」(2015年10月4日)の続報が入りました。

 渡邊さんから、以下の情報を教えていただきました。
 忘れないうちに、取り急ぎメモとして残しておきます。
 

全国弁論のラジオ放送は、
10月11(日)19時30分〜20時
  NHK第2 視覚障害ナビラジオ
再放送 18日 朝 7時30分〜8時

テレビは、
10月28(水) 20時〜
  NHK教育 上位3名
10月29(木) 同じ時間で 4位以下のハイライト
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年10月04日

第84回 全国盲学校弁論大会全国大会の優勝者

 昨日の毎日新聞に、「全国盲学校弁論大会:47歳、渡辺さんが優勝」という記事が掲載されていました。

 「光り輝くあの月へ」と題して発表された、福島県立盲学校高等部専攻科理療科1年の渡辺健さん(47)が優勝だった、というものです。

http://mainichi.jp/shimen/news/20151003ddm012040044000c.html


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(写真は上記デジタル版からピックアップしています)

 その学校名を見て、すぐに福島県立盲学校の渡邊寛子さんにメールを送りました。
 この優勝者の渡辺健さんは、渡邊さんが教えていらっしゃる方ではないですか? と。
 すぐに返事が来ました。
 高等部の弁論担当は私です、と。

 6月の東北大会を経て、静岡での全国大会で、この大金星です。

 「どうせなら、全国大会を楽しもう!」と「聴衆の感銘度」に訴えることにし、笑いをとる前向きな内容に徹底したそうです。

 「シリアスな、障害と向き合う、どちらかというと不幸自慢になりがちな弁論大会で、笑いをとるのは難しいのですが。」ともありました。

 渡邊さんらしい、みごとなアドバイスが功を奏したようです。

 もっとも、渡辺健さんはアドリブが得意な方だそうです。
 聴衆の心を鷲掴みにしての弁論だったことでしょう。

 その内容は間もなく、点字毎日の紙上に公開されます。
 テレビ放送は、10月28日(水)20時からのNHK教育放送のようです。

 目が不自由な方々を含めて、障害を持つ方に関するニュースは、毎日新聞以外はあまり取り上げません。社会的に影響のあるニュースに留まっているようです。
 この「全国盲学校弁論大会全国大会」のニュースも、昨日の時点では毎日新聞以外のメディアではまったく取り上げていません。想定される読者の興味と関心などなど、その対象が各メディアで異なるからでしょうか。

 点字の新聞は大正11年以来、唯一毎日新聞だけなので仕方がないとしても、他紙はもう少しさまざまな障害を抱える方々の情報を、日常的に流してもいいと思います。
posted by genjiito at 21:10| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年10月03日

再録(23)携帯電話の危険性〈2000.5.4〉

 携帯電話の電磁波について、近年はその性能が向上したことと相俟って、その発する電磁波も低減しているそうです。
 そこで、一昨日の1日より、電車内などでのルールが変更となりました。優先席の近くでは携帯電話の電源を切るように告知されていたポスターやステッカー、そして車内放送が、今後は混雑時のみに、となりました。


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 これは、総務省がペースメーカーへの影響は15cm以上離れていれば大丈夫、と発表したことを受けてのものです。
 第3世代といわれる3G携帯では、3cm 離れているとペースメーカーには影響がないことが実証されたそうです。
 もちろん、車内での通話は、これまで通り自粛を、となっています。

 関西では昨年の夏には、すでに取り組んでいたことです。
 遅ればせながら関東・東北地方でも実施されることになったのです。
 優先座席についても、私が東京に来た1999年には、関西では廃止している私鉄がいくつかありました。席を譲るのは当たり前のことなのですから。
 何事もルール化しないと気が済まないのは、関東の特徴のようです。

 今回のルール改定を勝手にその原因を推察するに、関西と関東での混雑の程度の違いと、関東が100%主義で社会が成り立っているからではないでしょうか。
 私は、関東にいる時には、遠慮がちにメールのチェックやメモを iPhone でしていました。これで、関西と関東が同じレベルになりました。これはいいことです。

 そんな状況の変化があったので、今回は今から16年前の個人的な杞憂とでもいう記事を再録しておきます。
 ここから、社会状況と科学技術の変化が読み取れます。
 

----------------- 以下、再録掲載 ---------------------

〔携帯電話の危険性〈2000.5.4〉〕
 
[副題]ようやく問題視されだした携帯電話の危険性
 
 平成12年5月2日の朝日新聞第一面に、携帯電話からの電磁波が人体に有害かどうかを調査することになった、との記事が掲載されました。

 日頃から脳細胞破壊兵器の一面をもつ携帯電話の危険性が問題とされていないことに異議を唱えていた者としては、これまで見て見ぬ振りをしていて、そしてようやくですか、という感想を持ちました。いまさらという感がしますが、それでも遅すぎることはありません。とにかく、害がないということの証明は難しいのでしょうが、疑わしきは罰せずではなくて、疑わしきは利用を控える姿勢も大事ではないでしょうか。

 携帯電話は、人間の身体への影響という点では、たばことよく似た因果関係を持つものだと思います。吸いすぎ、使いすぎに注意しないと、健康への被害が甚大だということです。
 そのようなものを吸うとか、身につけるかどうかは、もちろん利用者の自由です。しかし、たばこの場合のように、事前に利用者にその危険性を明示して販売されていたか、という点から言えば、携帯電話はその利便性と利用料金のみが強調され、人体への傷害については事前の説明なしに、野放しで頒布されているように思います。

 今、いちおう公共の情報発信機関とされている新聞がこのことを記事にするように関係各機関に働きかけたのは、一体なぜなのでしょうか。私は、携帯電話のメーカーが、電磁波の人体への悪影響に対する弁明の理由がどうにか見つかったので、ひとまず一般人への配慮をしているポーズを示すために、このような記事になるニュースを仕組んだのだろうと思っています。今後予想される訴訟対策とでもいえましょうか。

 郵政省も通産省もメーカーも、とっくにこの携帯電話が併せ持つ危険性については知っていたはずです。行政側は社会的な影響を考えて、景気の好調さを作り出すのに一役買っている携帯電話関連企業の活動を止めない方向で、ここ数年は動いていたはずです。これは、公害・薬害問題における為政者の常套手段です。現実に、街の携帯電話ショップの乱立と、そのカウンターにいる若いパートタイマーやアルバイトの人たちの多さは、曲がりなりにも若者たちの失業状態をカムフラージュでき、また、若い人を中心に携帯電話を持たせることによって、一種のガス抜きが行われているのです。
 今、携帯電話の活況にブレーキをかけると、若者を中心として暴動が起きるとは言わないまでも、大きな反発が起きるのは必死です。突然の不便は、大きな不満を発生させるからです。

 それに加えて、この六月に行われる予定の選挙前ということもあるのでしょう。
 アメリカのクリントンが大統領選挙において、投票日の直前に、電磁波が人体に無害であるとのコメントを発表したことがあったかと思います。当選後すぐに、消極的に、有害という証拠がない、との弁明に変わりました。投票日直前に、電力関係団体の票を取りまとめるための口実に使われたようです。

 今度の新聞記事によると、郵政省の電波環境課は、携帯電話の電磁波による人体への影響について、「現時点で有害という証拠はない」と言っているそうです。どこの国のお役人も同じなのですね。無害とは断言できないので、このようなコメントになるのでしょう。水俣・カドミウム・スモン・エイズなどなど、国が後手後手にまわった施策は枚挙にいとまがないほどです。

 この携帯電話に関する対応も、歴史的にはこの部類に属するものといえましょう。人類は、同じことを繰り返しながら、少しずつ前進していくのです。その前進の過程においては、犠牲は致し方ない、という論理かもしれません。今回は、電磁波の影響が直接生命に影響しないことが多いという点が、問題点を不明確にしています。

 携帯電話を含む電磁波の人体への問題は、疫学的な事例ではあっても、脳腫瘍・白血病・アルツハイマー病に関わるものとされています。この事は早くから指摘されており、私の周りでもそれを知ってか、この危険な要素をもつ携帯電話を持っている人は少ないのです。

 職場でも知人にも、その危険性を説明するのは疲れることなので、私は、という言葉を冠して、怖い道具だと思っていることを伝えています。もっとも、大多数の人は、そんなに恐ろしいものなら、国や会社が市中に出回らせているはずはないと思っておられるようで、「そんなことを言っていたら」とか「それは大変ですね」というクールな反応が多いのです。
 理屈では理解を示したいが、やはり、その便利さには勝てないということなのでしょう。

 実は、私の娘も携帯電話を持ち歩いています。たばこと類似する危険性をよく言い聞かせているのですが、家との連絡などに重宝することもあって、もう離せない存在の道具となってしまっています。
 とにかく、もう手放せない人は、いかにうまくこの脳細胞破壊兵器を平和利用するかだと思います。

 新聞記事によると、今年の9月ごろから聞き取り調査に入る見込みで、因果関係についての最終的な結論がでるのは、今から4年後の平成16年ごろだそうです。なんとも、のんびりした人体実験調査です。ナチスや七三一部隊のような性急な人体実験は問題ですが、多くの人の健康な生活を守るためにも、もう少し真剣に取り組んでもいいのではないでしょうか。

 政権政党が政治資金を貰っている関係か、NTTをはじめとする情報関連企業に遠慮しなければならないことはわかります。テレビなどで、スポンサーとなっている企業に対して反対の姿勢で番組が作れないことに通ずる問題が内在するのでしょう。NHKのスポンサーは政府与党ですし。お金を貰うスタイルの政治の弱点が露呈しているようですが、ここはけじめをつけて、ポーズではなくて、真摯な前向きの姿勢を示してほしいものです。

 私は、情報関連の新製品には、すぐに手を出して、その拙速にいつも反省しています。しかし、この携帯電話に関しては最初から疑問を持っていたので、これだけには手を出しませんでした。

 コンピュータやインターネットを仕事に活用し、情報文具で各種データを処理する日々の中で、この携帯電話は非常に魅力的な小道具です。しかし、やはり自分の体を犠牲にしてまでは、という理由から、導入は検討しながら、実際には使用していません。
 今回の悠長な人体実験調査での結論を見てから、自分の生活に携帯電話を取り入れるかどうかを考えたいと思います。今から4年後なら、人体に悪影響を及ぼさない商品が開発されていることでしょうし。そのメドがメーカー側についたからこそ、このような郵政省の調査が始まることになったと思われます。いわば、企業を守るために実施する、政府の時間稼ぎの調査なのでしょうから。

 それにしても、郵政省や通産省の内部には、本当のことをストレートに語ってくれる人はいないのでしょうか。国家公務員減らしが進む中、あえてそのような愚挙に出るお役人はいないですよね。

 電磁波の人体への悪影響を取り上げ、電磁波がいかに怖いものかを語る警鐘本が書店にあふれた時期がありました。今は、幾分収束したようですが。あたらしもの好きの私は、こうした本を、立ち読みも含めてたくさん読破してきたつもりです。

 電磁波擁護論の本も、少ないながらもあります。そうした電磁波に関する解説本の中から、私は『電磁波白書』(大朏博善、アスキー、平成9年、\2,300、CD―ROM付き)をお勧めします。
 この本は、電磁波擁護論の立場で書かれています。巻末で著者は、「いたずらに恐怖をあおる《電磁波は怖い》論にまどわされることなく、冷静な英知を集結させたいものである。」(245頁)と言っています。

 この本では、事実や資料を客観的に見ようとする姿勢が随所に見られ、好感を持ちました。しかし、私はこれを読んで、逆にその危険性を再認識してしまいました。なかなかよくできた、逆説的な本だと思います。

 海外の研究者へのインタビューを収録したCD―ROMが付録に付いているというのも、おもしろい企画です。
 また、このCD―ROMは、マッキントッシュでもウインドウズでも見られます。分割の憂き目を目前にしたマイクロソフト帝国の僕とならず、きっちりと少数民族のマッキントッシュユーザーにも均等に情報を提供する姿勢も、大きく評価したいと思います。これまで、あまりにもマイクロソフト帝国に媚びを売る企画や企業が多かったし、無意識とはいえ、寄らば大樹の陰よろしく、マイクロソフト仕様に準拠すればことたれりとした無意識の差別者ばかりではなかったことを教えてくれました。
 今後とも、こうしたハイブリッド仕様の情報提供を望むところです。

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2015年10月02日

再録(22)プライバシーに関する三話〈1999.11.23〉

 今から16年前の記事ですが、再録データとして残しておきます。

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 第一話の〈神奈川県警の「案内カード」〉については、その後さまざまな問題を引き起こしたものでもあります。

 例えば、今年のことで言えば、「女児誘拐未遂:巡査を容疑で逮捕 交番勤務で目付ける」という記事が「毎日新聞」(2015年02月19日)に掲載されました。
 その記事の一部を引きます。


◇巡回カード悪用か
 A容疑者が女児や父親の名前を事前に知っていたことについて、群馬県警は、職務上知り得た情報を利用した疑いがあるとしている。地域をパトロールする巡査は通常「巡回連絡カード」を使って個人情報を収集しているとみられ、今回もこれを悪用した可能性が考えられる。

 巡回連絡カードは、警察庁が「住民の安全で平穏な生活の確保に役立てる」として地域警察官に住民の情報を収集させている制度。事件・事故が発生したり、迷子を保護したりした緊急時に家族への連絡に役立てると説明し、家族全員の氏名、生年月日、勤務先、学校名などの記入を求めている。

 女児や両親とA容疑者に元々面識はなく、女児と友達(7)は昨年12月、パトロール中のA容疑者を5、6回見かけたと話しているという。この時のA容疑者の挙動について県警は「地域の見守り活動をしているような様子だった」と説明しているが、「かわいい女の子をつけ回していたのでは」と疑う声も住民の間から出ている。隣町の主婦(29)は「そもそも何のために書かされるカードなのかと思っていた。今回もし警察官に悪用されたなら、巡回連絡カード自体、廃止してもらいたい」と憤る。

 渋川署によると、A容疑者が勤務していた吉岡町交番は原則2人体制。監視・管理体制が弱く、個人情報を比較的容易に入手できた可能性もある。過去には長野県警や愛知県警で、交番の連絡票のコピーを悪用したり、駐在所の情報照会用端末を不正操作したりした手口もあった。【尾崎修二】


 この事件の続報(毎日新聞 2015年03月06日)は、次のようになっています。


群馬県警巡査の女児誘拐未遂:巡回カード悪用、24歳巡査追送検

 小学4年の女児(10)を誘拐しようとしたとして未成年者誘拐未遂容疑で逮捕された群馬県警渋川署巡査のA容疑者(24)について、県警は5日、交番勤務で使う巡回連絡カードの個人情報を悪用したとして、県個人情報保護条例違反の疑いで前橋地検に追送検した。

 A容疑者は交番勤務だった今年1月15日、女児の自宅前で待ち伏せ、車に連れ込もうとした疑いで逮捕された。県警によると、昨年12月14日、家族構成や連絡先などを記載する巡回連絡カード「世帯別案内簿」を新規作成するために女児宅を訪問し、女児の名前や顔、父親の名前などを知ったという。【尾崎修二】


 さらにこの事件に関しては、担当記者が丁寧に解説をしておられます(毎日新聞 2015年03月24日)。報道に携わった方としても、誠意ある対応であり、事件のアフターケアになっていると思います。


質問なるほドリ:巡回カード、何のため?=回答・尾崎修二

 ◇警察が迷子保護などに利用 群馬で不祥事、再発防止が必須

 なるほドリ お巡りさんが自宅に来て「巡回(じゅんかい)連絡カードを書いてください」と頼んできたよ。

 記者 交番や駐在所に勤務する警察官は、受け持ち地区の家庭やお店、会社などを訪問して困りごとを聞いたりして、地域の状況を把握します。その際、住民に書いてもらうのが「巡回連絡カード」。家族全員の名前、生年月日、電話番号、勤務先や学校、非常時の連絡先などを記入します。「案内簿」や「連絡表」と呼ぶ都道府県もあります。

 Q 情報を集めてどうするの。

 A 迷子や独り暮らしの病人を保護したり、災害や事故の時に家族や親戚(しんせき)に連絡したりするためと警察は説明しています。実際、東日本大震災で捜索に生かされました。かつては、交番などで道を尋ねる人を、カードの情報をもとに案内していました。

 Q 断りなく他人に情報を教えてほしくないなあ。流出や悪用が心配だ。

 A カードは交番や駐在所で施錠(せじょう)できる場所に保管され、情報を外部に漏(も)らしてはいけないことになっています。しかし群馬県では2月に、男性巡査(24)がカード情報を悪用して小学4年の女の子を誘拐しようとした疑いで逮捕される事件がありました。他県では過去に、警察官がカードのコピーを知人に渡したり、消費者金融業者が警察官から情報を不正入手したりした例がありました。

 Q 記入を断ろうかな。

 A 任意なので、断っても罰則はありません。ただし、警察は「拒否した」という記録を残します。「何かやましいことがあるんじゃないか」と思われる可能性はあります。ちなみに、群馬県警によると、地域の警察官が住民サービスのために実施しているので、データベース化しているところは全国的にないとみられます。

 Q プライバシー保護と警察による安全の維持を両立できないのかな。

 A 最近は、オートロック付きマンションが増えたり核家族化(かくかぞくか)が進んだりして、情報収集が難しくなっているそうです。積極的に地域を回る警察官を表彰して巡回連絡カードの整備を進めている警察もありますが、取り組み方は地方によってまちまちです。群馬の事件により、真面目に働いている多くのお巡りさんが迷惑を受けました。警察組織を挙げて再発防止に取り組み、私たちの信頼を二度と裏切らないでほしいですね。(前橋支局)

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 第2話の「2)年収について」については、今はもうこんなことはアンケートの内容から削除されていることでしょう。しかし、今から16年前にはあったのです。

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 第3話の「クレジットカードの金額変更と署名代行」に関しては、似た事が今でもあります。
 コンビニなどでクレジットカードを使って支払うと、サインも暗証番号も不要なことがあります。
 「いいのかな?」と思いながらも、手間が省けて便利なのでそのままにしています。しかし、よく考えてみれば、これも変なことではあります。
 私が最初にサインなしで買い物をしているシーンを見かけたのは、2000年2月に英国ケンブリッジの街中で、学生たちがクレジットでお買い物をしていた時でした。信頼関係が築かれているので可能なのだろう、と思って見ていました。プリペイドカードではなかったと思います。
 クレジットカードに関しては、利用者がチェックを怠ることが多いので、悲惨な状況が日常茶飯事のことでしょう。それを、ユーザー側が被害と認識するかどうか、というレベルの問題だと、私は思っています。
 変な話ですが……

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 以下の記事の元データは、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報の内、1999年11月23日に公開した文章です。

 この一連の「再録」は、過去に発信した情報を本ブログに取り込み、アーカイブズの一環とするものです。




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〔プライバシーに関する三話〈1999.11.23〉〕

1)神奈川県警の「案内カード」

 今、手元に「案内カード(一般世帯)」という文字が中央上部にタイトルとして書かれた、B5版大のカードがあります。

 卵色で葉書よりも厚い丈夫な紙のカードです。そして、その表題の上の余白に、鉛筆書きで

「巡回にきましたが不在でした このカードに記入のうえ交番までお持ち下さい」

とあります。
 「交番までお持ち下さい」とあるので、お上に対して住民が申告するための用紙のようです。

 記入欄の項目名を、以下に列挙しておきます。


 ・世帯主氏名 ふりがな 性別
 ・店名 業務内容 地区名(町内会、自治会) ※作成年月日 ※整理番号
 ・現住所 電話 ファックス 居住年月日
 ・非常の場合の連絡先 あなたの本籍、親戚、知人など 本籍 親戚・知人 氏名 住所 電話番号
 ・家族または同居人 氏名 ふりがな 続柄 生年月日 職業、勤務先(学生は学校名) 摘要(同居人等の方については、非常の場合の連絡先)
 ・(裏面)要望・連絡事項
 ・(裏面)※連絡実施年月日
 ・(裏面)○※印の欄は、記入の必要はありません。


 そして、表面下部余白には、以下の備考が印刷されています。


 ・◎このカードは、盗難や交通事故などの被害を受けたときとか、訪問する人に家を教えたり、もしお子さんが迷子になったときなど、皆さんに奉仕する資料として交番・駐在所に備え付けておくものです。

 ・◎非常の場合の連絡先は、火災や盗難などが発生した場合に親戚や知人に連絡するためのものです。


 警察というものが信頼されていた時代のカードのようです。今では、ここに記入した内容が警察に悪用されることを懸念して、恐らく記入提出を躊躇するしろものとなっているのではないでしょうか。各項目には、公権力によるプライバシーの侵害が見え隠れしています。

 このカードの右耳部には、次の文章が印刷されています。


 [案内カード作成のお願い]

 私は、この地域を担当している警察官です。
 警察では、受持警察官が皆さんの御家庭を訪問し、御意見等をお伺いするとともに、この案内カードを作成していただいております。
 この案内カードは、万一盗難や災害の被害に遭われたときなどに役立てるものです。御協力をお願いいたします。
 なお、緊急の用件は110番で(耳や口の不自由な方は、ファックスによる専用110番=……番へ)
 それ以外の相談、要望等は、私又は<金沢文庫駅前>(ゴム印)交番・駐在所の勤務員に御相談ください。
 TEL <……>(ゴム印) 内線<412>(ゴム印) ファックス 氏名 <N>(ゴム印)


 私など、70年安保を経験している世代の者には、これが公安関係で利用されたものの残滓であることに想いが至ります。
 裏面の「県警の相談・案内コーナー」という所に、

「○極左110番 045-671-0110」

とあります。共産党員宅の盗聴で有罪となっても、知らぬ存ぜぬで突っぱね続ける神奈川県警には、極左はあっても、極右はないのですよね。

 ここにあげたカードは、交番のどこに、どのようにして保管されているのでしょうか。また、駐在所員がこの情報をどこに持ち出しているかなども、おそらくピストルほどには厳重に管理されていないでしょう。
 今の情報化社会では、この手の情報は、高く売れるでしょうね。とにかく、まがりなりにも本当の警察が管理している情報なのですから。特に神奈川県警の警察官は、最近は不祥事がらみで免職退職者が続出しているので、警官失職失業後は、この資料を活用して、住民情報売買人として生計が保てます。また、脅迫・恐喝にも利用できます。

 こうして集められた各戸の情報管理がどうなっているのか、どなたかリサーチしませんか。

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2)年収について

 手元に、一枚のアンケート葉書があります。

 これは、家庭用の浄水器に添付されているものです。
 差出有効期間は「平成12年7月31日まで」となっています。
 宛先は、「〒108-8506 東京都港区港南 1-6-41 (品川クリスタルスクエア)三菱レイヨン株式会社 アクアライフ事業部 クリンスイ係 行」です。

 表面中段に、こう書かれています。


 「この度は三菱レイヨン商品をお買上げいただき誠にありがとうございます。恐れ入りますがこのご愛用者カードにご記入の上、お送り下さい。今後の製品開発・サービス向上などの貴重な資料とさせていただきます。お送り頂いた方の中から毎月まとめて抽選で粗品を差し上げます。なお発表は発送をもってかえさせていただきます。」


 以下に、表面中段以下にある記入欄の項目を列記します。


 ・ご住所 Tel Fax Email:
 ・お名前(ふりがな) 生年月日 男・女
 ・ご職業
 ・お買上日
 ・ご購入店名 ご購入の場所
 ・家族構成 未婚・既婚 ご一緒に住んでいる家族の人数(  )人
  趣味 ある・なし ある方は内容を(          )
  住居 一戸建持家/一戸建借家/分譲マンション/賃貸マンション/アパート/公団・公社・社宅・その他
  年収 300万以下/300〜500万未満/500〜700万未満/700〜900万未満 900万以上


 家族構成や住居は、製品の性質上どうしても必要だったかもしれません。しかし、年収はどんな意図があるのでしょうか。

 裏面の「ご愛用者カード」の各選択項目には、「いままで浄水器をお使いでしたか。」など、特に差別的な質問はありません。表面の質問の真意を謀りかねます。

 1999年11月21日付けの朝日新聞の「青鉛筆」欄に、個人情報に関する調査結果の紹介があります。
 そこには、「知られたくない情報」のトップとして、男性が「年収」、女性が「日記の中身」だとあります。

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3)クレジットカードの金額変更と署名代行

 パソコン専門店の「ソフマップ 大阪ザウルス館」で、ISDN用のルーターを買いました。今年の10月中旬のことです。これは、それまで我が家で使っていたルーターが壊れたためです。2年ほど使った後のことです。その顛末は、また後日報告します。

 さて、支払いには、JCBカードを使用しました。ところが、帰宅して数時間してから、そのソフマップから電話がありました。明細の請求額を1万円少なく記入してしまったとのことです。
 購入時に、レジで明細を見てサインをしましたが、後から思えば念を入れて確認したのではなく、桁数くらいを見ただけのように思います。手元の控えを見ても、確かに向こうの手違いがあったようなので、そちらで修正の処理をしてほしいと依頼しました。ただし、再度確認のサインが必要だろうから、それはこちらが出向きやすい店でお願いしたいと言っておきました。

 ところが、10月31日にソフマップのSという方から電話がありました。
 それによると、カード会社のJCBの方の内部処理で修正すればいいとのことでした。私がサインをして確認もしないのに金額が訂正されるのはおかしいのでは、と言ったのですが、カードの切り直しではないので、再度、訂正金額にサインをする手続きは必要ないそうです。
 これには不審を感じましたが、担当者も相当困った様子で必死に弁解しておられたので、辛い想いをこれ以上させてはと思い、すべてを任せました。その方の勤務評定が下がり、職を失われてはと思ったからです。向こうも、今度の請求時に金額をよく確認してほしいと言っておられました。

 後になってよく考えてみるに、これはどうしてもおかしいと思います。そんなに簡単にクレジットカードの請求金額が、カード会社の一社員によって変更できるのでしょうか。
 それができるのなら、カード会社は、自由に利用者に水増しした金額を請求できることになります。利用者の方は、いちいち請求金額の当否を確認することは少ないので、これは非常に危険なシステムだと思います。

 皆さん、クレジットカードの請求金額は正確ですか。一部の数字が改変されていませんか。

----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
posted by genjiito at 21:25| Comment(0) | 回想追憶

2015年10月01日

歴博本「鈴虫」をカラー版で「変体仮名翻字版」として刊行

 本日、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』という本の最終校正が無事に終わり、印刷の段階に入りました。
 この本の書誌は、次の通りです。


書名:『国立歴史民俗博物館蔵 『源氏物語』 「鈴虫」』
発行日:2015年10月30日
編著者名:伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子
出版社:新典社
定価:1800円(本体)
頁数:152p(内、カラー48p)
ISBN:978-4-7879-0637-3



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 昨年と一昨年に、鎌倉時代中期に書写された古写本の影印版として、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(新典社、二〇一三年)と『同「蜻蛉」』(同、二〇一四年)を刊行しました。
 今回の歴博本「鈴虫」は、この本のツレと思われる写本であり、国立歴史民俗博物館が所蔵するものです。日本に残った、貴重な古写本なのです。

 特に今回は、この歴博本「鈴虫」巻をカラー版で刊行できました。
 これにより、日本の古典文化を体感できる鎌倉時代の古写本が、影印本として3冊も提供することが叶ったのです。
 所蔵機関と出版社に感謝しています。

 本書では、前著二冊のハーバード本「須磨・蜻蛉」とは異なり、影印の下段に「変体仮名翻字版」で翻字したものを添えました。


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 そして、巻末の資料として、既刊の「須磨」と「蜻蛉」の「変体仮名混合版」も収載しています。

 松尾聡氏が「写本の本文を現行活字に改めて印行して、それを相互比較しつつテキストクリティクをあげつろうなどということは、すでにナンセンスではないか。」(『天理図書館善本叢書 月報38』「新版「校異源氏」夢物語」(三頁、松尾聡、八木書店、一九七八年一月)と指摘されたことを意識しての、本邦初とでも言うべき資料集です。

 過日の記事、「電子テキストを一括置換した痛恨のミス」(2015年09月23日)で告白したように、本来ならば今春にも刊行できたはずなのに、私のミスから今に至ってしまいました

 いろいろな方が待っておられることは知っていました。また、今月末から始まる、放送大学での講座のテキストに指定していたこともあり、急き立てられるようにして本日の下阪に向けて作業をしていました。今月末の中古文学会でも、みなさんに見ていただけます。

 とにかく間に合いました。
 本当に、お待たせしてすみません。
 刊行まで、もうしばらくお待ちください。
posted by genjiito at 20:55| Comment(0) | ◆源氏物語