2015年09月10日

読書雑記(142)【復元】『坂の上の雲』における『源氏物語』(その1)

 現在取り組んでいるテーマと関連する情報が、過去にサーバーがクラッシュした際、僅かに残ったファイルの残骸の中にありました。
 9年以上も前の記事です。しかし、そこに盛り込まれた内容が後日の参考情報となるので、いつでもアクセスできるように復元しておきます。
 今日と明日の2回にわけての復元掲載となります。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年5月31日公開分
 
副題「司馬氏は『源氏物語』に興味がなかった?」
 
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』(文庫8冊)には、明治時代を生きた男たちのロマンが語られています。今の日本においては、人々が非常に恵まれた環境にあるので、若者がこのように自分の国のことを考えたりする必要のない時代だと言えます。しかし百年前には、自分以外のことに一生懸命になれる若者たちがいたのです。その延長上に今があるのですが、その明治という時代が、私には魅力的に思われます。それは、自分が今の満ち足りた時代に疑問をもっているからでしょうか。

 過日、『坂の上の雲』を読んだ後に、それをまとめる機会を逸していたので、今ここに書いておきます。

 『坂の上の雲』という物語は、日露戦争を背景にした壮大なドラマが丁寧に描き出されているのを、ゆったりと、ある時は展開が待ち遠しい思いで読み進めることができました。その中から、数少ないのですが『源氏物語』に関する記述を抜き出しておきます。『源氏物語』を初めて英語に翻訳した末松謙澄という人に関連する箇所については、また後日にします。

 『坂の上の雲』で、末松謙澄に関連して『源氏物語』に触れている一箇所以外では、次の例が唯一のものです。それは、正岡子規が夏目漱石に写生のことを語るくだりです。


 子規の頭は、真之のことから源氏物語へ一転した。須磨保養院にいたころから「源氏」をふたたび読みはじめていた。須磨のころは場所がら須磨明石の巻をよみ、ちかごろはべつな巻をよんでいる。
 「おどろかされるのは、源氏の写生力じゃ。ちかごろ文壇では写実派などととなえだしているが、その写実の上でもいまの小説は源氏にはるかに劣っている」
と、子規はくびすじを赤くしながら言いはじめた。(略)
 読みさして月が出るなり須磨の巻
という句稿を、漱石にみせた。(中略)
 大和路をあるき、法隆寺まできて茶店に憩うたとき、田園に夕のもやがただよっていかにも寂しげであった。
 柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺
という句は、このとき心にうかぶままを句帳にとどめたものである。(2巻198頁)


 司馬氏は、子規が『源氏物語』を読んでいたことに触れて、「須磨」巻に関して言及しています。そして、『源氏物語』の写実性を高く評価しています。ただし、『源氏物語』に関してはこの一例だけです。ということは、司馬氏にとっては、『源氏物語』はあまり興味がなかったということでしょうか。もちろん、この『坂の上の雲』のテーマと『源氏物語』は直結しないので、当たり前といえばそうですが。

 司馬氏のこれ以外の作品での『源氏物語』の言及に気を配れば、その注目度についてわかるかもしれません。それがわかってどうなんだ、といわれればそれまでですが。
 『源氏物語』がどう読まれてきたのか、ということに興味のある私にとっては、これも調べてみたいことの一つではあります。
 また後日、わかったことを備忘録として記すことになるかと思います。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:03| Comment(0) | ◎源氏物語