2015年09月30日

『海外平安文学研究ジャーナル 3.0』をパスワードなしで公開

 現在私が研究代表者として取り組んでいる科研の内、科研(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」の研究成果の一部を、『海外平安文学研究ジャーナル 第3号』(全190頁、ISSN番号 2188ー8035)として、本日、下記のサイトより公開しました。

「海外源氏情報」(科研HP)

 トップページの中ほど左にある「NEW」をクリックするか、「研究と成果・報告書」から「ジャーナル」の項目へと進んでください。


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 画面が次に移ったら、「ダウンロード」の中の「3.海外平安文学研究ジャーナル vol.3.0(2015/09/30)」をクリックしてください。


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 次の画面に変わってから、下段にある「Download」というボタンをクリックすると、すぐに『海外平安文学研究ジャーナル 3.0』のダウンロードが始まります。データ容量は約40メガほどありますので、保存媒体の容量にご注意ください。


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 これまで科研の成果として公開していたオンラインジャーナル『海外平安文学研究ジャーナル』の創刊号と第2号では、公的資金による研究成果の公開ということで、パスワード方式をとって来ました。
 しかし、現今の情報公開における自由化の流れに従い、本日公開した第3号からは、今後の調査研究のためとして「第一言語」と「現在の居住地」をお尋ねした後にパスワードを発行していた手続きを省略し、自由にダウンロードしていただけるようにしました。

 追って、創刊号と第2号も、パスワード発行形式から自由にダウンロードできる公開へと切り替えます。これについては、今しばらくお待ちください。

 今回の第3号では、平安文学を中心にした以下の内容を掲載しています。


【第3号 目次】

あいさつ  伊藤 鉄也 p.3
原稿執筆要項     p.4

〔1〕研究会拾遺
・モンゴル語訳『源氏物語』について 伊藤 鉄也 p.11
 (参考資料:各国語訳『源氏物語』翻訳時に省略された場面の一覧)
・『源氏物語』末松英訳初版表紙のバリエーションについて ラリー・ウォーカー p.42
・《コラム》日本でも出版された末松謙澄訳『源氏物語』 淺川 槙子 p.46
・各国語訳『源氏物語』「桐壺」について 淺川 槙子 p.48
・各国語訳「桐壺」(『源氏物語』『十帖源氏』)翻訳データについてのディスカッション報告(第6回研究会) p.77

〔2〕翻訳の現場から
・『十帖源氏』の英訳の感想 ジョン・C・カーン p.87
・『十帖源氏』英訳所感 緑川眞知子 p.89
・『十帖源氏』スペイン語翻訳における文化的レファレンスの取り扱い 猪瀬 博子 p.91
・『十帖源氏』「桐壺」巻のウルドゥー語訳によせて 村上 明香 p.99

〔3〕研究の最前線
・スペインにおける平安文学事情 清水 憲男 p.105
・新刊紹介:朴光華著『源氏物語―韓国語訳注―』(桐壺巻) 厳 教欽 p.109

〔4〕付録
・各国語訳『源氏物語』・『十帖源氏』「桐壺」翻訳データ p.118
・『源氏物語』「桐壺」スペイン語 p.121/イタリア語 p.151
・『十帖源氏』「桐壺」スペイン語 p.163/イタリア語 p.178

執筆者一覧 p.187
編集後記 p.188
研究組織 p.189

 
 
 引き続き、『海外平安文学研究ジャーナル 4.0』の原稿を募集しています。
 詳細は、本日公開した第3号の4頁か、本科研のHPに掲載している「『海外平安文学研究ジャーナル』応募執筆要綱」をご覧ください。

・原稿の締め切り 2016年1月31日
・刊行予定    2016年3月15日
・注意 原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることができます。
posted by genjiito at 18:40| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年09月29日

井上靖卒読(202)『わだつみ』

 長い物語でした。『井上靖全集』の2段組みの本で604頁あります。しかし、それが未完であることもあってか、読み終わって一息つくと、意外に短く思えます。日米の歴史、地理、風俗、文化を背景に、登場人物たちが生き生きと細やかに描かれています。この続きが、ぜひとも読みたくなりました。

 私は、大きな誤解をしていました。この小説は、第二次大戦中の学徒たちの話だろうと思い込んでいたのです。『きけ わだつみのこえ 日本戰歿學生の手記』( 日本戰歿學生手記編集委員會編、東大協同組合出版部、1949年)が先入観としてあっからです。ところが、読んでみるとまったく違っていました。明治から大正にかけての、アメリカ移民に関する話だったのです。

 ドイツ人エドワード・シュネールは、明治2年(1869)に会津の農民20名を率いて北米大陸に集団で移民しました。サクラメントに開拓移民団として「ワカマツ・コロニー」を建設しています。しかし、これはわずか1年で解散という、失敗に終わったのです。

 作者はこの地を訪れ、取材や情報収集した経緯を小説の冒頭に置いています。

 主人公は七尾桑一郎。「桑」は生まれたサンフランシスコ(桑港)から取ったものです。
 明治22年生まれの桑一郎は、1歳半で伊豆の伯父の家で幼少時代を過ごします。

 生みの親に対する疎遠な感情は、作者の生まれ持ったものをそのまま書いているようです。いわば、自分の生まれ育ちを下敷きにしているのです。

 所々で、父親というものを意識する作者の視線が気になりました。何となく疎遠な存在なのは、実の父が意識下にあったからでしょうか。

 京都旅行の話が具体的に語られます。そこは、井上靖の作品に何度も出てくる場所です。
 妙心寺と南禅寺では、花大路祥子との出会いがあります。
 祥子の自宅は、下鴨神社の近くの住宅地のようです。また、桑一郎の共同事業者となるはずの針生友来の京都の実家も、下鴨神社の近くにありました。
 「賀茂神社」が後にも出て来ます。これが上なのか下なのか、そこでは判然としません。井上は、上も下も区別をしていないのです。私がその地元に住んでいるために、そんなことが気になるのでしょうか。

 年末の京都も、丹念に描かれています。八坂神社のおけら詣りなど、自分の体験と重ね合わせて楽しめました。
 左岸の賀茂川越しに見える、低い家並みの美しさを強調しているところも、どのあたりだろう、明治時代に我が家はどんな村の中にあったのだろうか、と気になります。

 自分の活動生活圏が舞台として出てくると、その地域の様子が我がことのように立ち現れます。登場人物も、自分が具体的に想像する空間を動き回り、考え事をするので、ますます作品世界が親身に感じられるようになるのです。不思議なものです。

 後に井上は『星と祭』で観音様を取り上げます。その観音様が本作で詳しく取り上げられています。
 また、奈良では、東大寺と唐招提寺のことが詳しく語られます。作者が新聞記者時代に歩き回った地域です。
 伊豆の話は、若い頃の実話かと思われます。

 日本の伝統文化を抱え込む地域として、京都、奈良、金沢、伊豆等々が舞台となります。これは井上が育った場所であり、生活した所でもあります。井上の思い入れがあるところなので、物語の背景として話の展開によく馴染んでいます。

 前半の背景に、明治40年(1907年)桑一郎19歳の4月に起こったサンフランシスコ大震災があります。桑一郎は、この翌年に渡米します。

 与謝野晶子と大塚楠緒子の反戦歌も紹介されます。明治の戦争に触れるくだりです。
 さまざまな社会情勢が語られる中で、物語は流れるように進んでいきます。

 ゆったりと始まった本作は、夢と愛を追い求める、壮大な青年の物語となっていくのです。
 その中で、桑一郎が人妻になった祥子への想いを断ち切れないことは、最後まで引きずります。
 この物語の中心に席を占める女性の一人です。

 サンフランシスコへ出帆するまでが第一部です。

 サンフランシスコで生後すぐに別れた両親と会います。ただし、その筆致は醒めています。親子の情を削ぎ落とした、人間としての対面という描写に留まります。これは、移民という立場と、幼くして捨てられた身が醸し出す雰囲気でもあります。
 このことは、桑一郎の結婚を期に、円満な関係に移行することで、読者としては救われます。

 アメリカへの「出稼人」と「移民」という表現を巡っての論争は、おもしろい要素がふんだんにあります。中でも、「日本の植民地」ということばは、井上靖らしいと思いました。別天地のことを、井上はよくこう表現するからです。

 本作の最大の功績は、日本を海外からの視点で見ることを描いたことです。
 アメリカから見た日本、という立場で語られるこの小説は、明治期の日本を再評価する上で貴重な提言をふんだんに内包しています。

 大工の六さんとやえの結婚は、写真結婚というものでした。移民と渡航という問題から、直接本人同士が会えないからです。この写真婚については、その後も日米間の問題として取り沙汰されます。

 やえがサンフランシスコに到着してからのてんやわんやの話は、吉本新喜劇を見るようです。結局は、めでたしめでたしです。井上靖の作品の特色の一つでもあります。

 移民たちが日本的な感性を忘れていく過程も、丹念にすくい上げています。
 お正月のお雑煮や、着物の着こなしなどです。
 このことは、桑一郎の結婚を通して、さらに浮き彫りとなります。

 サンフランシスコにいる桑一郎は、日本の中でも自分が育った伊豆の話を聞くと、つい涙ぐみそうになるのでした。作者井上靖は、こうして故郷への郷愁を本作の中に折々に描き込んでいます。

 水道が日本で普及することを例にして、釣瓶井戸などの日本的な庶民の生活や文化が変質していくことを憂える視点も提示しています。
 また、日本の失われ行く文化について語った後、作者の日本に対する感懐が、異国の地からの言葉として綴られていくのです。
 そして、文化の結晶としての日本の物が海外に流出していることを憂えます。

 日本の骨董・古美術品を通して、日本の素晴らしさを語り伝えようとしてもいます。
 美術雑貨商である東地商会は、急速に発展するサンフランシスコにおいて、事業も順調に伸ばして行きます。明治44年、1911年のことです。

 1915年に開催されるサンフランシスコでの万国博覧会の話は、ギラギラ輝くような筆致で語られています。心踊る話は、井上靖が大好きなネタだからでしょう。
 その中で、日系移民のアメリカにおける無力さを、井上はしっかりと書き込んでいます。目は冴えています。

 第二部は、サンフランシスコでの万国博覧会の盛況と、東地商会の活気で幕を閉じます。

 第三部は、桑一郎の郷里伊豆での育ての親である伯母のことと、陶子との結婚の話が中心です。
 その話の間間に、伊豆への郷愁が漂っています。一枚の絵に描かれた場面を思い出すように、井上の人生の懐古とでもいうべき、我が故郷への情愛が滲み出ている語り口です。
 アメリカから見た伊豆は、きれいな薄衣でくるまれています。作者が長く温めていた風景画の中で、物語は展開します。

 アメリカから見ると、今や日本の政府は移民を見捨てたのではないか、とも思われて桑一朗は愕然とします。いわゆる棄民の立場によって自分が置かれていることを自覚し出すのです。

 祥子と行った東寺の講堂のことが、丹念に詳しく語られます。井上が好きな場所のようです。
 次に、南禅寺の料亭に行きます。
 これまでには、祥子と行った場所です。ここでは、陶子と行くのです。
 とにかく、こうした京都の名所は、井上の舞台設定として、その作品によく出てきます。

 その後、東京に戻ってから、小泉陶子と結婚のことで会話を交わします。この陶子が登場してからの場面は、人を温かく見る目が感じられて気に入っています。ごく自然に、人間が相手を知ろうとし、理解して結論を引き出す姿が描き出されているのです。

 伊豆の郷里で旅館専用の釣り橋が出て来ます。私が泊まったことのある旅館の釣り橋のようです。映画『わが母の記』の撮影場所にもなった橋です。さらに、墓地にも行きました。かつて私が墓地を訪れたことを、この小説のくだりからまざまざと思い出すことができました。またまた、現実の思い出が物語を楽しむことを下支えしてくれます。

 陶子との結婚に至る話は、この物語の第三部以降の中心になっていきます。
 陶子を好意的に、印象深く描いています。結婚後にアメリカで桑一郎を支えて、さらなる展開となることが期待できます。また、女性としての魅力がふんだんに醸し出される描き方となっています。素直で純粋な女性として。いつもの井上の作品につながる女性なのです。

 骨董品を海外で大切にされることは、ハーバード本『源氏物語』のことを思い出させました。


「しかし、骨董品というものは、それの価値の判る人の手に移って、大切にされなければ遺りません。日本なら日本の骨董品の価値が判る人が多勢居るかというと、必ずしもそうでもありません。日本の骨董品は年々少くなって行きます。自然に壊れたり、失くなったりして行きます。むしろ外国に渡って、そこで大切にされている方が、日本の骨董品にとってはいいことかも知れませんね」(481頁)


 第三部の終盤は、移民の実体と、日本人とは何か、ということに移っていきます。
 作者は、この小説の核心に突入したいようです。しかし、それがまた拡散します。

 結婚式の直前に亡くなった桑一郎の育ての母である伯母の姿には、作者井上の実際の育ての親ともいうべき祖母への感謝と慰霊の念が込められていると言えるでしょう。

 本作の第三部までのテーマは、郷愁だと思います。
 そこから、ついに書かれなかった第四部を想像してみましょう。

 それは、桑一郎と陶子の両方の両親を日本で暮らせるようにする構想ではなかったか、と思われます。そして、問題の花大路(椎名)祥子との顛末も。
 陶子との板挟みの中で、桑一郎の苦悩の日々が続きます。その結果、祥子から預かった子供のことで陶子との生活が危機を迎え、最後は何とか収まってアメリカで波乱に満ちた生涯を終える、と。

 以上、勝手な想像です。

 この続きである第四部が書かれなかったことにより、読者が自由に物語を紡ぐ楽しみが残されました。
 日米の外交問題や移民のこと、そして日本の文化を再発見する楽しみなど、多くの課題が置き去りにされたまま、作者の手を離れて今に至っているのです。

 『源氏物語』の第54巻「夢浮橋」ではないにしても、この作品はこの中断のままでも立派に自立した小説となっています。井上靖らしからぬ、非常に明快な物語であり、登場人物もくっきりと描かれている、完成度の高い作品です。【5】

〘付記〙
 第三部以降が中断したままとなったことに関して、『井上靖全集』の解題から、『世界』(岩波書店)の昭和50年12月号に掲載された、第三部の最後に添えられた文章を引いておきます。


これで第三部を終ります。アメリカにおける取材その他の関係で、第四部からの執筆を、来年の秋からにしたいと思います。御諒承頂きたいと思います。


 昭和52年12月に、これまでに発表したものを部と章立てを改めて、岩波書店から3冊本として刊行されました。

 
 
初出誌:世界
備考:第一部・1966年1月号より1968年1月号
   第二部・1969年1月号より1971年2月号
   第三部・1972年10月号より1975年12月まで連載
   以降中断−岩波書店より第三部まで刊行
 
井上靖全集18:長篇11
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2015年09月28日

読書雑記(144)片桐洋一『平安文学の本文は動く』

 『平安文学の本文は動く ─写本の書誌学序説─』(片桐洋一、和泉選書178、2015.6、和泉書院)を読みました。本書は、170頁ほどのコンパクトな本です。しかし、私は2度も読み直しをしました。古典が好きな方はもとより、異本と異文の発生について、そして写本と印刷本の違いに興味がある方に、広くお薦めできる本です。


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 とにかく、丁寧に、優しく、わかりやすさをモットーにして語られています。
 出版社の広報誌である『いずみ通信 no.41』(2015-7)に、著者は次の文章を寄せておられます。


拙著『平安文学の本文は動く─写本の書誌学序説─』(本誌47頁)に書いたように、少々の変化はあっても、我々日本人が、およそ千年余もの間、変らない言葉で読める古典を持ち続けていたというのは、まさに奇跡というほかない。この奇跡を子孫に伝えることが、我々の責務であるという気持で、古典を読み解き、古典を教えている自分の人生は、やはりすばらしかった、楽しかったと、あらためて思うのである。


 この、次世代に古典のすばらしさを伝え残したいという思いと、そこに書かれている本文は一様ではない、ということを熱っぽく語っておられるのです。

 本書が一般の読者を意識したものであることは、次の例からもわかります。


 古典文学研究者でも地道に伝本研究をしている人しか興味を感じないようなデータを並べてしまったが、一般の読者でも、俊成の若き日の書写にかかる御家切の本文が、俊成が四十八歳で書写した永暦二年本よりも、七十入歳のときに書写した建久二年本に一致する場合が多いことに気づいていただけると思う。つまり永暦本と建久本の本文の違いは、年とともにデータや解釈が変わって行ったというような違いではなく、その時々において崇徳院御本を採るか、基俊本を採るかという判断によって出来上がったものであることが知られるのである。(92頁)


 本書では、『古今和歌集』や『伊勢物語』を例にして、その写本のありようと、そこに書写されている本文を丹念に見つめます。本文の系統や本文異同はもとより、注記や奥書にも目を配りながら、書写伝流してきた古典文学の実態が炙り出されます。

 書誌学と享受史に対する著者の考察過程が、論文ではなくて物語として記されているのです。
 これを2度目に通読した時には、『源氏物語』の場合に置き換えながら楽しく読み進みました。

 古典籍を愛おしむように語っています。あたかも原典が現前するかのように説明がなされていきます。長年の研究という下地から生まれる、本文が書かれ、そして読まれてきた歴史の解き語りです。
 古典文学の本文が成立する過程を、このように解説されると、一般の方も日本の古典文学が生まれ育った実態が感得できます。

 紹介される例や用語は専門的です。
 また、研究史が筆者の中で消化された上で語られていくので、これまでの成果や到達点が門外漢には見えません。
 しかし、そこは、筆者の語り口に身を委ねていけばいいのです。

 本書の副題にある「写本の書誌学序説」の意図は、みごとに達成された一書だと言えます。

 この本を手にし書名を見ると、何やら堅苦しそうです。しかし、読み進めると古典に親近感を抱くようになる、魅力溢れる一書となっています。
 多くの方に紹介できる、読みやすい、わかりやすい入門書ができたのです。

 特に私は、「V 藤原定家の古典書写」の章は、説明が具体的で丁寧なので、非常にわかりやすいと思いました。

 本書を読み進む中で、私が印をつけた箇所を抜き出しておきます。


・「読者の思い入れによる書き込みが本文かしたのではなかったかと思うのである。(中略)
 そのような書き込みを排除しようとする読者もいたということを示している。」(32頁)
 
・「とにかくわたくしがここで言いたいことは、享受者すなわち読者が、制作者すなわち作者の立場に立って本文を補い、作品世界をさらに拡大深化させようとすることが平安時代にはそれほど珍しいことではなかったということであるが、これも媒体が写本であったということと深くかかわっていると思われるのである。」(47頁)
 
・「『伊勢物語』における章段末尾の書き加えの場合になると、成立階段というべきか享受階段と言うべきか迷うのである。つまり書き加えられた部分をも、その時点において完成した作品の文章と見るか、書き加えられた部分は不純な本文で余分のものであると見るかによって、作品成立の過程と見るか、一つの享受の反映と見るか、判断が異なってくるからである。要するに、写本時代においては、写本における本文の異同を成立段階のものと見るか、享受段階のものと見るかは決定し難いということだが、それでも、前章で述べた冷泉家時雨亭文庫所蔵の唐草装飾本『素性集』の詞書や、元永本『古今集』の詞書に見られる本文異同の場合は、作品の成立の過程というよりもある読者の享受の反映という感じが強いことも確かである。」(48頁)
 
・「結論的に言えば、平安時代には作品が生きていた、生きていたから動いたのであり、動いていたから本文の異同が多かったと考えられるのである。作者が改訂版として新写本を書いても、既に広まっている旧写本を廃棄できない。新写本と旧写本、この両者の本文の違いが異本を作るのであるが、読者の方も、興に乗れば、第二、第三の作者と成り代わって筆を加えてゆくのである。そして、享受による異本が生まれるのである。
 しかし、古典籍が研究対象になって、研究者による本文研究が進んでくると、研究者はその作品の原初的な本文を復原しようとする。そして、それが唯一無二の「原本」であると思い込む。原本は唯一で、それが時代とともに書写されてゆくうちに、誤写や意改が生じ、いわゆる末流の本文になってゆく……というのが、かつての本文研究の基盤にあった認識である。しかし、それでは、前述したような、平安時代や鎌倉時代書写の本が残っている作品ほど本文異同が多いという現象を説明できないのではないか。
 作者自身が改訂本や増訂本を書くと、もはや原本は一つではない。あちらこちらで新しい享受本文ができてしまえば、どうなるのか。現在残っている写本は、まさに氷山の一角である。すぐれた作品であればあるほど、あちらこちらで享受本文が作られるために、異本が多くなるのである。異本異文は文学作品を楽しむ心から生まれた。写本時代の、生きた文学研究・本文研究を目指せば、異本異文の研究の持つ楽しみを追体験する姿勢を深めなければならぬと思うのであるが、如何であろうか。」(56〜57頁)
 
・「定家本などの通行本は、それらの問題歌を削除した、整えられた本文になり切っていたのではないかと思ったのである。」(141頁)
 
・「池田亀鑑博士の『古典の批判的処置に関する研究』に代表される従来の伝本研究、本文研究の方法では及び得ない本文の世界がそこにあると思わざるを得なかった。諸本を比較検討して不純な本文を削除して行くことによって、純粋な原本にたどり着くという池田博士の「本文研究」の方法だけでは永遠に『後撰集』の本文の実態を解明できないのではないかと思われるに到ったのである。」(141〜142頁)


 古典の原本は1つだけではない、という物の見方は、終始一貫しています。
 大いに学ぶべき、心に刻み込んでおくべきことばです。

 最後に、本書の目次をあげます。
 この見出しに目を通すだけで、さまざまな刺激が問題意識を呼び覚ましてくれます。


    T 享受本文の生成
 一、我々は藤原定家校訂本を読んでいる
 二、『更級日記』の場合
 三、文学作品はオーダーメードで一点だけ作られる
 四、草稿本と清書本
 五、既発表の巻を改稿して新しい巻を作る―『うつほ物語』の場合―
 六、後人による補筆
 七、読者の書き込みと書き込み排除
 八、享受本文の成立
 九、成立と享受の連続性
 十、成立段階の本文生成と享受段階の本文生成

    U 研究本文の生成―『古今和歌集』を例として―
 一、伝承から実証へ
 二、写本の中に情報を詰め込む―清輔本の方法―
 三、俊成の『古今和歌集』本文―清輔との違い―
 四、俊成本『古今和歌集』の諸相

    III 藤原定家の古典書写
 一、藤原定家の『古今和歌集』書写
 二、嘉禄二年本『古今和歌集』の擦り消し訂正
 三、初期の定家本『古今和歌集』を見る―建保五年本―
 四、たくさんあった定家手沢本私家集
 五、「村雲切」から『定家本貫之集』へ
 六、伝西行筆『一条摂政御集』をめぐって

まとめ 平安時代における本文の享受と成立
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 読書雑記

2015年09月27日

江戸漫歩(113)深川の富岡八幡宮で聞いた和太鼓

 深川の富岡八幡宮は、日曜日には骨董市をやっています。
 散策を兼ねて、よく物色にでかけます。
 今日は、永代通りを歩いている時から、太鼓の音が地響きのように聞こえてきました。

 参道入口の大鳥居の下で、揃いの法被姿の集団が威勢のいい太鼓を響かせていました。
 「東日本大震災 義援金募金」としての活動のようです。


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 後で知ったことですが、この太鼓集団は深川富岡八幡宮の氏子で結成された「葵太鼓」のみなさんだったのです。
 どおりで、気合いが並大抵のものではありませんでした。

 インドへ行くといつも、ニューデリーにあるブッディストセンターに泊まります。
 そこはチベットの方が運営しておられる日本のお寺なので、毎朝6時に太鼓が鳴り、読経が始まります。
 私と太鼓のつながりは、このインドが唯一です。

 立川や金沢文庫のイベントで、太鼓のパフォーマンスを見たことがあります。
 あれは、たまたま見た、というものでした。

 今日の太鼓は、その迫力に圧されてしばし聴き入る共に、演奏しておられる方はもちろんのこと、その集団の他の方々が演者を見つめる顔つきも魅力的でした。

 参道に並ぶ骨董屋さんを覗き見ながら本殿に進むと、境内では東北物産展をやっていました。


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 東北出身の妻は、支援の気持ちも込めて買い物をしていました。

 帰りがけに元来た参道を戻ると、今度は別のチームの太鼓が鳴っています。
 この音が、先ほどの方々よりも格段に迫力があります。
 太鼓は、身体の芯から揺り動かす活力があります。見るからに力技です。


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 終わると、ほーっと息が漏れます。
 周りの方も、緊張が緩んだところで立ち去って行かれました。
 気持ちのいい余韻が、しばらくは体内に残ったままでした。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年09月26日

江戸漫歩(112)文明と喧騒と隅田川の鷺

 散策の途次、いつものように佃島と月島にほど近いところの本屋さん「書原」に立ち寄りました。
 入口には、地元の情報誌が並んでいます。しかし、中に入ると魅力的で知的な香りに満ちています。

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 ここは、この入口しかない小さな書店です。しかし、その選書がユニークなので、書棚を見ながらブラブラするだけで、豊かな時間が流れていきます。本の品揃えが楽しめるのです。

 とにかく、こんな本があったのかと、つい手にします。お店の方のポリシーなのか、さまざまなジャンルにわたり、鋭い視点で書かれた本が揃っています。それでいて、専門書屋さんではないのです。

 この本屋さんには、大型書店にもネット書店にも負けないだけの、つい足を運んでしまう魅力があります。

 この裏手が隅田川です。


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 川の手前が中央区、向こうが江東区で、私がいる5階建ての宿舎は右手の一際高い木立ちに隠れています。
 ちょうど、越中島水上バスのりばの土手の向こうになります。
 伊井春樹先生がこの宿舎にお住まいだった40数年前は、周りにこんな高層マンションはなかったはずです。

 船が行き交うと、波が岸辺に打ち寄せます。
 大きな水飛沫が上がるので、鷺もそれを楽しんでいるようです。


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 また、若者たちが賑やかにボートで橋の下を通過する時には、鷺も川面をじっと見つめていました。


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 この隅田川の鷺は、賀茂川の鷺と違って、文明と喧騒の中で1人静かに時の流れを楽しんでいるようです。
posted by genjiito at 22:03| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年09月25日

古写本『源氏物語』の翻字に関する凡例の追加(その1)

 ハーバード大学本「須磨」と「蜻蛉」、そして歴博本「鈴虫」の「変体仮名翻字版」を作成しています。その中で導入した、これまでの翻字の方針をさらに改善した事例を紹介します。

 これまでに、「変体仮名翻字版」を作成するための凡例は、暫定版ではあるものの、次の記事で一応の形を提示しました。

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その1)」(2015年01月18日)

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その2)」(2015年01月19日)

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その3)」(2015年01月21日)

 今は、新しい凡例を公開する用意を進めています。
 その前に、これまでと異なる場合の対処を提示して、ご教示をいただきたいと思います。

 「変体仮名翻字版」は、より原本の文字表記を忠実に再現できるように翻字し、精緻な古写本の書誌と本文の研究に資する情報を提供するところに特色があります。

 これまで個人的に思案していた中に、写本の書写状態をどのようにデータベースに記述するか、という問題があります。

 文字で記述するテキストデータベースでは、画像がなくても原本が再現できるものを目指します。そのために、これまでに、次のような付加情報を仕分けして明示する記号を用いてきました


〈/(備考)〉〈ナシ(欠脱)〉〈=(傍書)〉〈+(補入)〉〈±(補入記号なしの補入)〉〈$(ミセケチ)〉〈&(ナゾリ)〉〈△(不明)〉〈「 」(和歌)〉〈合点〉〈濁点〉〈改頁〉〈改行〉〈判読〉〈ママ〉〈朱〉〈墨〉〈墨ヨゴレ〉〈削除〉〈抹消〉〈落丁〉〈破損〉〈付箋〉〈上空白部〉〈割注〉


 今回、「変体仮名翻字版」に全面移行するにあたり、書写状態を再現する上で基本となる〈行末〉や〈丁末〉の様態を、次の識別記号を用いて記述することにしました。
 従来これは、傍記情報として「/=○○」としたり、補入記号である「○」のない補入としていたものを、さらに詳細に識別できるようにしたものです。
 以下にあげる例の末尾の6桁の数字は、『源氏物語別本集成』の文節番号です。
 
* 本行の本文の左側に、本行本文とすべき傍書がある場合は、〈左傍記〉として明示する。
   例 きこしめしける尓こそ八/尓=こ〈左傍記〉(522940)


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 これは、「こそ」が一続きの文字で書写されているため、「こ」は傍記ながらも本行本文として扱ったものです。ただし、「尓」と「そ」の間が空いているのは、どのような理由なのかはわかりません。親本がどのような状態だったのか、他の例を集めて参照しながら、機会をあらためて考えます。
 
* 一行に書ききれなくて行末の左右にはみ出しているものは、〈行末右〉〈行末左〉〈丁末右〉〈丁末左〉という付加情報を付した。ただし、これは一行に納めようとする気持ちが強いため、本行本文として扱う。補入記号なしの補入とはしない。
   例 【申】させ多る二/る=二〈行末右〉(520233)


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 ここで、「る」の右横に書き添えられた「二」は、補入記号のない補入とせず、一行に書ききれなかった行末の文字「二」を右横に書いてから次の行に移ったものとしました。
 
* 丁末に、書ききれなかった文字を左端に書き添えた例。
   例 【侍】ら八/ら=八〈丁末左〉(520281)


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 この丁末の「八」は、この丁に親本通りには最終行内に書ききれなかったものです。ただし、次の丁に「八」だけを持ち越すことを避けるために、あえて丁末の左横に書き添えたものです。
 
 非常に複雑な例もあげておきます。
   例 ふく尓て/く$く、傍く&く、そ&尓、尓=て〈行末左〉(521486)


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 これは、まず、「ふく」の「く」をミセケチにした後、「く」をその右に傍記しています。ただし、その傍記の「く」も念を入れてなぞっているのです。どうやら「く」が「て」に見える文字だったために、その上からご丁寧に「く」をなぞったようです。
 次に、「そ」の上から「尓」となぞり、その行に書ききれなかった「て」を「尓」の左横に書き添えたのです。
 
 こうして、〈行末右〉〈行末左〉〈丁末右〉〈丁末左〉を用いて、書写状態を再現できるように明示することにしました。これにより、書写者が行末で次の行へ移行するために注意力が緩む場合や、丁末で次の用紙に移る動作が伴うことから誘発される書写ミスの原因や傾向が、さまざまに推測できるようになりました。ここは、異文が発生しやすい箇所でもあります。

 付加情報を記述するための記号をあまり増やすと、今後の翻字の進捗とデータ作成の手間が妨げられます。それでなくても、『源氏物語』の古写本の翻字が遅れに遅れているのです。データ作成に手間がかかりすぎると、いつまでたってもデータベースの構築が捗りません。
 このあたりは、妥協しながらデータ構築に専念すべきところでしょうか。

 この『源氏物語』の「変体仮名翻字版」によるデータベースは、現在確認できている古写本を翻字して入力するだけでも90年はかかると、私は見ています。
 私がこのデータベースに関われるのは後十年あればいい方なので、さらなる再現性の高い『源氏物語』の本文データベースは、バトンタッチする次の世代にお願いするしかありません。
 現在、この『源氏物語』の本文データベースとしての〈源氏物語翻字文庫〉は、私の手元で管理して追加や更新を重ねています。

 幸いなことに、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉に関わる方々によって、こうしたデータの編集方針の継承が期待できるので、私はそのインフラ整備にさらなる精力を注ぎ込もうと思います。
 今回の凡例の追加も、その一環です。
 そして、少しずつであっても成長しつづける『源氏物語』の本文データベースに育てていく基盤を構築し、次世代に渡すことに専念したいと思っています。

 まずは、翻字という基礎的な部分を手伝ってくださる方の参加を求めています。
 「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉」のこうした活動へのご理解とご協力を、どうかよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 変体仮名

2015年09月24日

色の見え方は人さまざま

 最近、いろいろな方にスマートフォン用のアプリケーションである「色のシミュレータ」(無料)を勧めています。android版もあります。


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 これは、人によって異なる色覚に関するツールです。人が物を見る時には、それぞれに見えている色が違うそうです。確かに、みんなが同じ色に見えていると思う方がおかしいのです。人さまざまなのですから。

 このアプリは、医学博士でメディアデザイン学博士でもある Kazunori Asada 氏によって開発されたものです。

 手近なところにあった、ソニーのテレビのリモコンでシュミレートしてみました。
 4パターンの異なる見え方が確認できます。


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 左上が一般的な色覚によるものであり、その右が1型2色覚、その下が3型2色覚、その左が2型2色覚です。

 それぞれの分類がどのような意味を持つのか、専門的なことは私にはわかりません。
 しかし、人によってはこんなに見え方に違いがあることを知り、折々に色を確認しています。
 違いを知ることが大事だと思います。

 毎日のようにフォトショップ・エレメンツを使っているので、日頃から色には気を配っています。そんな中で、このツールを知ってからは、自分の写真がどのように見られているのかを知ることは、ユニバーサル・デザインの観点からも意義深いことだと思います。

 目の見えない方や、色弱、色覚に問題を抱える方とのお付き合いが増えたこともあり、今後ともこのアプリは自分の意識改革の上でも重要な位置を占めそうです

 これに類するアプリは、まだ他にもたくさんあるようです。
 気に入ったものとの出会いがあれば、また紹介します。
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年09月23日

電子テキストを一括置換した痛恨のミス

 来月下旬に、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子編、新典社)が刊行されます。その最終校正をしていて、痛恨のミスに悔しい思いをしています。

 コンピュータに関わって30年。これまでに多くの方々に「一括置換」の怖さを語ってきました。
 他人へのアドバイスが、今になって禍事として我が身に降りかかってきているのです。
 一括置換の誘惑に負けてしまったのです。

 本年正月より、古写本の翻字は「変体仮名翻字版」に移行する決断をしました。
 そのため、刊行予定だった歴博本「鈴虫」については、従来の翻字ではなくて変体仮名を交えたものにすることにしました。昨年末に入稿した「鈴虫」の版下も、あらためて「変体仮名翻字版」に組み直しをしていただきました。

 すでに、刊行した『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」「蜻蛉」』(新典社、2013・2104年)の翻字も「変体仮名翻字版」に作り替え、今回の歴博本「鈴虫」に付録として収載する作業を突貫工事で進めました。一括置換の悲劇は、このときに起きました。

 手元には、「須磨」と「蜻蛉」の字母を基にした翻字データがありました。そこで、現行のひらがなの字母だけを書き換えれば、それで新たな「変体仮名翻字版」が出来上がります。
 やることといえば、「安」を「あ」に、「以」を「い」に書き換えます。「阿」や「伊」などの変体仮名はそのままにしておけばいいのです。

 そこまではよかったのです。ところが、その作業過程で楽をしようとして、ついうっかり手抜きをし、今にいたるまで膨大な手直し作業が発生するという、悲惨な状態になったのです。
 作業時間を節約するために、やってはいけない一括置換の誘惑に負けて、一気に片づけようとしたのです。

 確認作業で、実際に写本の写真と翻字を比べ合わせし出してから、目を疑うような事態に愕然としました。変換の必要がない多くの文字が、予想外に変換されていたのです。

 写本と翻字をもう一度見直すこととなり、不正確だった翻字などのいくつかが見つかりました。それはよかったことです。字母を確認して見ていくと、おのずと一文字ずつをじっくりと見つめます。
 しかし、それが慰めになるにしても、あまりにも膨大な手数と時間をこの確認と修正作業に費やすこととなり、大失態の対処に翻弄されました。今もそうです。

 手元で更新・管理をしているエクセルによるデータベースの修正と、版下となった元データの修正、そしてゲラに補訂の記入等をするのに、この3ヶ月ほどは、ほぼ毎週のように手を入れていました。

 写本の写真をじっくりと見直し、その確認をしてからゲラに書き込んでいるうちに、つい関連する他のデータの修正にも気が散ったことがしばしばで、ゲラへの書き込みを忘れがちです。
 パソコンを中心として、机の周りに何種類もの資料を広げ、全方位に目を配りながらの神経を磨り減らす日々でした。

 「変体仮名翻字版」では、漢字として使用されている場合には、隅付き括弧(【 】)を使います。「世の中」の場合は、「【世】の【中】」となります。この例の場合には、「よ」を「世」に一括置換してから「世」を「【世】」にしました。ところが、「世」にする必要のないケースもあるのです。結果的には、二重三重のミスとなっていくのです。

 いやはや、このシルバーウィークは、こうしたモグラ叩きとでもいうべき作業の最終チェックに追われていました。
 これを、無為な時間と思わないことにします。これによって、やってはいけない痛恨のミスを自覚し、さらには、新たにいくつもの翻字の間違いや修正個所が見つかったのですから。
 災い転じて福となるように、もう少し詰めを慎重に進めます。

 なお、今回の翻字で、あまりにも煩瑣なことになるために統一できなかったことがあります。それは、小さく書かれた「こ」「と」「二」「尓」です。とにかく、字形が紛らわしいのです。


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 今回は、周辺の書写字形に類似するものから判断して確定したものがあります。

 こうした翻字の問題は、書写された字形をどう読み取るか、ということと、文としての意味を勘案しながら翻字する必要性との、さまざまな要因のせめぎ合いでもあります。
 これをいい経験として、さらに有用な翻字資料となるように、文字を読む感覚を養っていきたいと思います。
posted by genjiito at 22:59| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年09月22日

京洛逍遥(377)正義感に溢れたお年寄りのお節介

 今年のシルバーウィークは、法事と賀茂川散歩と仕事に終始しました。
 私がのんびりと京洛を逍遥できるのは、秋が深まってからとなりそうです。
 そこで、今日は鷺と鴨たちのシルバーウィークの様子からです。


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 仕事が山積していることもあり、早々に新幹線に乗るためにバスで京都駅へ向かう時のことです。
 自宅前で乗ったバスが、「下鴨神社前」を過ぎて「糺ノ森」に近づいた頃でした。

 一人の総白髪の70歳過ぎと思われる男性が、優先シートから今にも降りようと腰を浮かせ気味のアベックに対して、人差し指で「後ろを見ろ」と指図されました。一瞬私は、ここが下鴨神社だと教えておられるのかと思いました。

 しかし、実はそうではなくて、「ここは優先座席だから立て」と言いたいようです。そのお年寄りの睨みつけるような顔を見て、若い2人はちょうど降りようとしておられたこともあり、さっと立たれました。怪訝そうな、不愉快な思いをおし隠した様子で、次の「糺ノ森」のバス停で降りられました。

 2人を優先座席から追い出したからといって、その方は自分が座るわけでもないのです。席はしばらく空いていました。私は、その方と並んで吊革をつかんで立っていました。

 おそらく、正義感に満ち溢れた方なのでしょう。憤慨した面持ちで、一言も喋られませんでした。
 もし私と目でも遭えば、「今どきの若い者は」と呟くか、仰ったことでしょう。

 若者たちは、おそらく大徳寺からバスに乗り、糺ノ森、下鴨神社、河合神社、へと観光で移動中だったのでしょう。楽しそうに2人旅を楽しんでおられた物静かなアベックには、本当に気の毒なことでした。
 京都の旅の印象が、このお年寄りの要らぬお節介によって、悪くならなかったらいいのですが。心配です。

 公共交通機関には、確かに優先座席が設けてあります。しかし、旅の人ならば、気付かないこともあります。旅行中には、体調が悪くなることもあります。

 四角四面にマナーを押し付けず、ケースバイケースの判断があっていいように思います。

 もう15年以上も前のことです。
 1番下の息子が小学校6年生になったとき、イギリス、ドイツ、スイスの旅に連れて行きました。ドイツとスイスはレンタカーで走り回り、楽しい旅を満喫しました。

 シティ・オブ・ロンドンのセントポール大聖堂の前のスーパーマーケットで、私が買ったお酒を息子が嬉しそうにレジに持って行った時のことです。お店の親父さんに、子供がお酒を持ち歩いてはいけないと、手厳しく注意を受けました。

 ウィンブルドンへテニスをしに行く電車の中で、息子が靴を履いたままでシートに足を上げたところ、目の前に座っておられた女性が、それはだめだと優しく言い聞かせてくださいました。

 海外で我が子の躾となり、文化の違いを実感すると共に、ありがたいことだと思いました。

 しかし、今日のお年寄りの注意の仕方は、不快感を露骨に示した意地悪さがありました。それが、正義感から発したものであることがわかるだけに、なおさら、何もこの2人に嫌味たらしくしなくても、という思いが残りました。

 他人に注意をすることは、間違ったことではないのです。しかし、時と場合があるように思いながら、その方と一緒に京都駅までバスに揺られていました。
posted by genjiito at 21:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年09月21日

河内高安へお彼岸の墓参に行く

 春と秋のお彼岸の墓参は、忙しいときには家族に任せるようになっていました。
 今年は、お盆に引き続き、お彼岸にもお参りして来ました。

 行きには、乗り換え駅である鶴橋で、いつものように回転寿司屋へ入りました。
 最近は、身体に力をつけるために、少しご飯を食べるようにしています。
 そうなると、やはり回転寿司しかありません。

 信貴霊園に新しくできた山門は、今夏は何となく不似合いな雰囲気でした。しかし、今日は目が馴染んだせいか、いかにも墓参に来たという感じを抱かせてくれます。


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 その手前にあった六地蔵の横には、手水場の龍と鶴が置かれています。これには、まだ違和感があります。


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 眼下には、北西に六甲山や阪神地域が望めます。


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 南西には、澄み切った日には淡路島越しに四国方面が見えます。
 今日は見えません。


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 高安山を経由して信貴山へ行くためのケーブルカーに、今年は阪神タイガースが元気なのでその姿に勢いが感じられます。


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 もし阪神が優勝でもしようものなら、寅参りのファンでこの信貴山口の駅はごったがえすことでしょう。

 今日は信貴山温泉に立ち寄るつもりでした。しかし、何となく身体が怠いので、またの機会にすることにしました。
posted by genjiito at 21:52| Comment(0) | ブラリと

2015年09月20日

京洛逍遥(376)父母の法事と下鴨茶寮での会食

 父の三十三回忌と母の十三回忌を一緒にして、彼岸の入りの今日、自宅で法要を行いました。
 秋晴れの1日となったことも手伝って、いい法事となりました。

 いつものように、養林庵の庵主さんに来ていただきました。
 94歳というお歳が信じられないほどお元気です。


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 今日の法事には、姉と娘の家族たち11人が集まりました。
 1時間ほど読経をあげていただいた後は、いつものように和気靄々と話が弾みます。
 庵主さんは茶道を永くなさっています。今日集まった者のうち、半数以上が心得のある者だったので、庵主さんとの話も楽しいものでした。

 白川疏水通りまで庵主さんをお見送りしてから、みんなで下鴨神社へブラブラと散策がてら心地よい風を受けて向かいました。
 下鴨神社の境内から参道を抜けた高野川沿いに、みんなが楽しみにしている下鴨茶寮があります。


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 娘たちが下鴨神社で結婚を挙げた時、その披露宴の料理が非常に好評だったことから、法事の会食は下鴨茶寮で、とのリクエストがかねてよりあったのです。
 2階の部屋の眼下には、すぐ先の出町柳で賀茂川と合流する高野川の流れが望めます。


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 2人の子どもの料理も本格的です。


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 記念に、お品書きをあげます。


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 先附の雲丹は絶品でした。


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 八寸の栗白和えが気に入りました。


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 土瓶蒸しと共に出された茶巾はお茶を思い出させ、つい土瓶の縁を拭いてしまいそうです。


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 向附の鮪の上に乗っている丸い球は、遊び心たっぷりの大根です。


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 甘鯛の鱗がパリパリとしていて、その触感が最高です。


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 私が大好きなイチジクは胡麻クリームと合います。


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 本日、みんなが絶賛したのは、牛フィレの唐揚げです。しかも、オリジナルの粉醤油が味を引き立てます


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 栗ご飯もホクホクとしていました。私はご飯は糖質のことが気になるのでパスし、栗だけをいただきました。


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 果物の触感もソフトで、複雑に口の中で溶けます。


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 抹茶の前に出てきたお菓子の中でも、右端の酥が珍味でした。


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 食後は、庭を拝見しました。


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 そして休憩室では、立礼のお茶道具の後ろの屏風を見せていただきました。


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 参会者のみなさんと糺ノ森でお別れした後、今日お世話になった庵主さんの養林庵へご挨拶に伺いました。相国寺の北西にあります。


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 お疲れでしょうに、気さくに話してくださいました。
 いつまでもお元気でとお声掛けをして辞しました。

 家族親族みんなで回向をし、会食をすることで、両親に対する追善と供養ができたと思います。
 多くの方々や諸々の事に篤く感謝しながら、妻と共に出雲路橋を渡って自宅への帰途につきました。
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年09月19日

井上靖卒読(201)『額田王』

 額田王の話というと、蒲生野で2人の男と1人の女が、歌を仲立ちにして展開する恋愛心理劇かと思われがちです。しかし、この井上靖の『額田王』は1人の女性の一生を描く、雄大な歴史物語として構成されています。
 今回は、かつて通読した新潮文庫(昭和48年、3刷)を取り出して、一気に読み終えました。


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 白い雉が見つかったのが大化6年(650)。それを難波の新宮殿で披露された日に、中大兄皇子の弟である21歳の大海人皇子は、女官たちの中に額田王を見かけます。神事に奉仕して歌を詠むその女性を、大海人皇子は苦手としていました。
 その2人のことが、夢語りのように描かれます。

 遣唐使の派遣や難波から飛鳥への都移りの話の中に、難波宮に残った額田王のことが点綴されます。そして、額田王と大海人皇子との微妙にずれたお互いの想いが、複雑な政治や社会の中で巧みに展開してゆきます。

 額田王は、自分が女であることも、母であることも禁じて生きていました。神の声を聞く女として、その生を貫いたのです。それが、額田王の強いところだ、としています。

 月光の下で中大兄皇子と額田王が会う場面は、大海人皇子のことがその背後に揺曳するだけに、ことのほか美しく語られています。

 熟田津から船団が発航する夜、出陣の儀式は月明の中で行われました。その月光の中で、中大兄皇子が描き出されます。また、有名な歌「熟田津に 船乗りせむと 月待てば」という歌を額田王は月明の海に向かい、中大兄皇子になりかわって歌います。

 額田王は、中大兄皇子を「火」に、大海人皇子を「水」に例えています。さしずめ、『源氏物語』で言えば、匂宮が「火」で薫が「水」でしょうか。

 斉明女帝が亡くなり、大海人皇子と額田王は一緒に九州から飛鳥に戻ります。そして、また共に九州に行くとき、月光の船上で2人は言葉を交わします。2人の男に挟まれながらも、毅然とした額田王が印象的に描かれています。そして、2人の皇子も見事に描きわけられています。
 大海人皇子と一緒の時の額田王の方が、私には心浮き立つ女として描かれているように思われました。

 戦を通して、額田王は歌が持つ命や力を知ります。歌人としての自覚に目覚めていきます。

 飛鳥での観月の宴では、2人の皇子の后妃たちが絶妙なバランスで描き出されます。井上靖は、こうした複数の人間を描くのが得意だと思います。

 その宴席で、大友皇子の次の言葉が記憶に残りました。


女はいつも月に慰められる。月から一つの言葉しか聞かぬ。
男はそういうわけには行かぬ。男は月と話をする(253頁)


 この月下の宴に集うのは、本作品のオールキャストとでもいうべき豪華さです。この場にいた額田王に、嫉妬というものを感じさせているのが、作者の眼力です。

 その後の白村江の戦いの話は、読むものの気持ちを引き付けて展開します。これも、井上靖の得意とする戦語りです。

 近江京に都を遷したとき、琵琶湖について次のようにいいます。


琵琶湖が美しいというのは、その湖畔を旅する旅人たちの言うことであって、いざその湖畔に住みつくということになってみると、誰にもいやに水のぶさぶさしている不気味な拡がりにしか感じられなかった。(343頁)


 ただし、額田王だけはこの近江の新都を美しいと思いました。中大兄皇子が新政を布くのにふさわしい舞台だと思ったというのです。

 私はいつも、『星と祭』という作品が生まれた背景を意識して、井上靖の小説を読みます。この『額田王』が書かれた昭和42年から44年頃には、まだ琵琶湖に対する意識が薄かったように思えます。

 『星と祭』は、昭和46年5月から翌年7月まで、朝日新聞に連載されました。琵琶湖とその周囲に点在する十一面観音に注視する作品です。
 勝手な想像をめぐらすと、『額田王』で近江京のことを書いているうちに、後の『星と祭』の舞台が具体的なイメージで脹らんできたのではないでしょうか。
 また、『額田王』で月光の下での場面が点綴されているのも、『星と祭』における月に対する拘りに引き継がれているようにも思うのです。
 あくまでも無責任な感想に留まりますが……

 そうした中で、「大和の高安山の築城のことが発表になり、そのための徴用が行われた」(346頁)とあります。この後にも、高安山のことが出てきます。この山の裾の高安の地に住んでいた者としては、こうした些細なことにも目が留まります。
 この時代に疎いので、史実を知らない私は、細部までよく調べて書いているな、と感心して読み進みました。

 物語の最後は有名な蒲生野における、額田王を中に置いて天智天皇と後の天武天皇の歌の掛け合いの場面です。お待たせしました、という感じです。
 この場面を『額田王』という作品のどこに置くのかと思っていたら、最後だったのです。
 物語は、あくまでも時系列に展開しています。

 近江を舞台にして、大友皇子と大海人皇子の戦乱が語られます。そして、このあたりから額田王の姿が朧気になります。

 飛鳥浄御原宮で即位した大海人皇子は天武天皇となります。その後の登場人物は、ナレーションで語られるスタイルとなります。よくある、井上靖の語り納めのパターンです。
 このあたりになると、飛鳥に戻った額田王の姿は、ほとんど語られません。資料がないせいでもあります。しかし、井上靖の豊かな想像力で、この最後の額田王の姿を描き出してほしかったとの思いを強く持ちました。

 なお、最後に付された山本健吉氏の解説(昭和47年9月)に、次のような文があります。


これまでの国文学者のような、あまりに安易に彼女を悲恋の女王に仕立ててしまう感傷的解釈から遠く脱け出ている。しかしまた、それゆえにこそ、底の方ではいそう烈しい心で対かい合って立っている二人の貴人の様相を思って、彼女はその怖ろしさに身ぶるいするのである。壬申の乱は、すぐ眼の前に迫っている。
 私はこの歴史小説を解説しようとして、作品を離れて額田女王の肖像に触れることが多かった。それはこの作品を読む読者が、それを知っておいた方がこの作品の世界にはいりやすいと思ったからである。そのことが作者の額田女王に付与した肖像に、いくぶんでも近づく手がかりとなるだろう。そして、歴史の「自然」の上にどのような逸脱─「歴史離れ」を作者は企てたか、その機微を察知することも出来るだろう。(478〜479頁)


 井上靖の作品における「歴史離れ」を考える時、この『額田王』は貴重なヒントを与えてくれそうに思えます。【4】
 
 
初出誌:サンデー毎日
連載期間:1968年1月7日号〜1969年3月9日号
連載回数:62回
 
新潮文庫:額田女王
井上靖小説全集29:額田女王・後白河院
井上靖全集18:長篇11
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
posted by genjiito at 22:24| Comment(0) | 井上靖卒読

2015年09月18日

江戸漫歩(111)赤坂で打ち合わせと会議

 昨日から2日続きで、国会周辺を地下鉄で移動しています。


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 今日は、上掲地図の左下にあるオレンジ色の矢印で示す赤坂駅が起点となりました。
 私は初めてこの赤坂駅に降り立ちました。
 この駅の上にある国際新赤坂ビル東館13階にある「TKP赤坂駅カンファレンスセンター」で、総合研究大学院大学文化科学研究科の教授会があるのです。


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 これには、同じ研究科に所属する国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんも出席なので、会議の前に食事をしながら、今後の予定を中心とした打ち合わせをすることにしました。

 ちょうど目の前に「赤坂サカス」や「赤坂 Biz タワー」があります。歩き回らなくてもいいように、「赤坂 Biz タワー」の地下1階にある「げんまい食道」で食事をしながら話をしました。

 広瀬さんと一緒に歩くときには、この頼りない身体であっても、肘を貸すことで全盲の広瀬さんをエスコートできます。棒切れのような私でも、お役にたつことがあるのです。
 椅子に座って話をしていると、相手が目の見えないことをすっかり忘れて、つい話に夢中になります。

 食後は、教授会の会場となっている、道を隔てた国際新赤坂ビル東館に移動して、その地下にあるスターバックスで話しました。

 広瀬さんと話をしていると、いつも多くのひらめきをもらえます。
 今日も、意外な発見がありました。
 変体仮名の話をしていた時でした。
 「あ(安)」の他の変体仮名として「阿」があり、それが阿倍野や阿佐ヶ谷の「阿」であることは共通理解として共有できました。ところが、私の名前の「伊」も変体仮名の1つだというと、漢字としての「伊」がはっきりしない、とのことです。「藤」ははっきりと認識できるそうです。

 これは意外でした。
 中学1年で失明したので、それ以来生活に関連しない漢字はどんどん忘れていく、というよりも、字形がぼやけていくそうなのです。
 パソコンや携帯電話で文字の読み書きをするようになってからは、特に漢字の形が曖昧になっているということでした。

 「伊」も、人偏だったことはわかるが、旁はどんな字だったかあやふやだ、というのです。
 正直言って、これは衝撃でした。私の名前をメールなどに書き、口にしていても、彼の頭の中にある私の名前は、漢字ではなくてひらがなか単なる音だったのです。

 しかし、そこからまたヒントをもらいました。
 今、目が不自由な方と一緒に古写本を臨書することを考えています。
 左手で立体コピーの変体仮名を触読しながら、右手では指にはめた筆具で紙に書写するのです。

 これは、写本に書かれた変体仮名を学習する一環として取り組もうと思っていることです。しかし、今日の広瀬さんの話から、この筆写は筆文字を体得するためばかりではなくて、忘れゆく文字を思い出し、字形を再確認することにもつながるのです。また、先天盲の方には、まったくしらなかった新たな文字のスタイルを、これを機会として覚えることになるのです。

 私の名前の漢字に端を発した話は、忌憚なく何でも話ができる間だからこそ、こうしたヒントがもらえたのです。
 このことは、さらに考えてみることにします。

 無事に教授会が終わってからは、東京メトロ千代田線の赤坂駅から1駅隣りの国会議事堂前駅で丸の内線に乗り換えます。
 駅の路線案内図を見ると、地下鉄の乗り換えの複雑さがよくわかります。


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 東京駅に出てから新幹線で京都に帰りました。
 東京駅から新幹線に乗ろうとして地下鉄で行くと、どの線も歩く距離が長くて不便です。
 東京の交通機関は迷路です。
 しかも、地下深く網の目のように張り巡らされているので、水害のことを考えると身震いがします。

 南米チリの沖合での地震の影響で、今日は日本にも津波が来ているようです。
 自然災害が頻発する昨今、東京の地中を移動する日々に身を置くのも気が抜けません。
 あと1年半は、慌ただしい中でのこんなハラハラドキドキの生活が続きます。
posted by genjiito at 22:27| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年09月17日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その20)

 終日、小止みなく雨が降る中を、霞ヶ関に向かいました。
 霞が関駅の1つ手前の国会議事堂前駅の上では、デモが盛り上がっている日でした。
 今日は、立川〜荻窪〜霞ヶ関と乗り継ぐ経路です。ワンパターンにならないよう、いろいろな行き方を楽しんでいます。

 さて、今日の日比谷図書文化館で読むハーバード本「蜻蛉」巻は、第16丁ウラから17丁ウラまでの3頁分を読みました。
 これまでにも、変体仮名の「江」と「比」が紛らわしいことは何度か取り上げました。

「ハーバード本「蜻蛉」の「江」と「比」は識別可能か」(2015年05月08日)

 今日は、こんな例が出てきました。


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 この「三給」と「己ゝ呂ん」の「江」は、この文字だけを見ていては「江」とはわかりません。これは、この字形を覚えるしかありません。そして、点いた筆が左に流れようとしていたら「比(ひ)」であり、真っ直ぐに下に降りる場合は「江」となるのです。
 まさに、翻字する上での経験に基づくコツとでも言えるものです。

 今日も、いろいろな雑談を交えて進めました。

・前回の確認をブログの記事をもとにしてしました。
・国勢調査でのネット回答で名前が入力できないことは、前回の人名の話の続きです。
・海外で翻訳されている『源氏物語』の説明は、現在国文学研究資料館で開催中の展示に関するものです。
・インドで変体仮名の『百人一首』を使った授業をしたことと、カルタ取り大会を実施した時の資料と写真も配布しました。


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・くずし字に関する資料を配付して簡単な説明。
・デジタル画像をネットに公開するニュース記事から、国文学研究資料館が大型プロジェクトで推進している重大な役割の話。

 等々、今回も多彩な内容となりました。

 それ以外では、翻字や文字の歴史の背景を説明する資料とともに、いつものように国文学研究資料館の活動を知っていただけるパンフレットも配布して、イベントの宣伝をしました。

 
 最後に、みなさんが自宅で自習できるように整えた資料(17丁裏から22丁表まで)を配布しました。

 盛りだくさんだったので、日比谷図書文化館にお越しのみなさんが私の説明に消化不良となられたのではないかと、今終わってみて懸念しています。

 3ヶ月間、参加なさったみなさま、お疲れさまでした。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年09月16日

京洛逍遥(375)賀茂川で見かけた珍しい光景

 先週末に、賀茂川で見かけた意外な風景を。
 賀茂川の散策路を自転車で下っていたところ、川岸の草叢に2匹の鹿の姿が見えました。
 賀茂川と高野川が合流する地点で、賀茂大橋の少し下流です。


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 昨年も、京都五山の送り火の日に、3匹の鹿を見かけました。そのことは、「京洛逍遥(361)賀茂川の水鳥たちと珍獣」(2015年07月02日)の記事の最後に、鹿さんたちの写真を掲載しました。

 今年も賀茂川に鹿が出没することは、京都新聞(2015年09月10日)に「仲良シカな? 上京・鴨川河川敷」として掲載されていました。

 奈良公園ではよくみかける鹿も、京都では珍しいはずなのに、近年はよく出没するようです。
 自然環境が変わってきているからでしょうか。

 そんな中、賀茂川でボートを漕いでいる人がいました。
 外国の方です。
 ゴムボートに乗り、カヌーで使う手漕ぎのパドルを器用に操作して流れに乗っておられました。


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 賀茂川で、これは認められているのでしょうか。
 賀茂大橋の後ろには、比叡山が望めます。
 
 「京都府鴨川条例」というものがあります。
 このサイトを見たところ、ボートやカヌーのことは記されていないようです。

 初めて見た光景なので、その行動の意外さに驚きました。
 これが認められたら、賀茂川は大変なことになりますね。

 文化祭のシーズンを迎える季節だからというのではなくて、散策路や河原では、楽器やダンスの練習をしている人が多くなりました。春先と秋口は毎年そうなのです。


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 この川には、さまざまな人々が集うので、いつ通っても飽きません。
posted by genjiito at 00:57| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年09月15日

京都ライトハウスの点字普及イベントの日程変更

 過日の記事「「点字付百人一首〜百星の会」の紹介と活動内容」(2015年09月01日)で、次の案内を記しました。


 10月31日(土)に開催される京都ライトハウスの体験会には、私も参加しようと思っています。
 点字の触読とともに、変体仮名の触読にも興味と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、遠慮なくお声掛けください。


 この京都ライトハウスの点字普及イベントについて、日程が変更になりましたので、お知らせします。

 日時の変更と内容は、以下の通りです。


日時:11月7日(土)13時〜16時30分(受付は12時30分から)
 会場:京都ライトハウス 4階あけぼのホール
 内容:講演「点字で切り開く私の人生〜言葉と文字の壁を越えて」
    講師 ロイ・ビッショジト先生(滋賀県立盲学校教員、日本点字委員会委員)
    点字付百人一首体験会
    講師 点字付百人一首〜百星の会
 申込:10月20日(火)までに情報ステーション(075-462-4579 担当:高木・野々村)までご連絡ください。

 
 このイベントに、日頃はワックジャパンで『源氏物語』を読む会のメンバーも参加することにしました。鎌倉時代の変体仮名を読んでいることと、触読百人一首の話の流れから、この予定に変更することにしたのです。

 みなさんと一緒に、いろいろな切り口から日本の古典文学に親しんでいきたいと思います。
posted by genjiito at 00:53| Comment(0) | 古典文学

2015年09月14日

源氏を読みながらいただく季節の生菓子

 一昨日のワックジャパンでの源氏を読む会では、いつものように娘から季節の和菓子の差し入れがありました。
 秋らしいお菓子です。


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 手前は、両口屋是清の「お月見 ささらがた」です。私はウサギ歳生まれなので、このデザインが気に入りました。

 奥は、福壽堂秀信の生菓子で、左から「梢の九月」「山の秋」「菊のきせ綿」です。

 「菊のきせ綿」については、昨秋の重陽の節句の記事「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第13回)」(2014年09月06日)で、甘春堂本舗のお菓子「着せ綿」を紹介しながら詳しく書きました。

 『紫式部日記』に「九日、菊の綿を、兵部のおもとの持て来て、」とあり、『枕草子』には「九月九日は、暁がたより雨すこし降りて、菊の露もこちたうそぼち、おほひたる綿など、もてはやされたる。」とあることなどを例に引いています。

 お菓子で季節を感じるのもいいものです。目、鼻、舌、喉などなど、身体のいろいろな感覚を総動員して楽しめます。

 今回の両口屋是清は名古屋、福壽堂秀信は大阪と、いつもの京菓子とは違います。あらためて包装紙に書いてある住所をみたせいか、そんな気がするだけですが……

 「蜻蛉」巻の輪読については、昨日の記事に譲ります。

 次回のワックジャパンで『源氏物語』を読む会は、写本を読むのはお休みして、季節もいいので街中を源氏散歩することになりました。
 10月10日(土)午前10時から午後2時の短い時間ですが、かつて大内裏があったあたりを散策する予定です。
 内容は、源氏千年紀だった2008年に京都市内とその周辺に設置された、『源氏物語』に関する説明板(40箇所)をめぐるものとなります。
 このすべてを探訪した記録は、本ブログでは「源氏のゆかり〜」として40本の記事を掲載しています。検索してお読みいただけると幸いです。
 第1回目となる来月10日は、「源氏のゆかり(4)説明板16-大極殿跡」(2008/4/10)からスタートすることになるかと思います。

 プランがまとまりましたら、また案内を記します。

 その次のワックジャパンで源氏を読む会も、写本を読むのではなくて外での勉強会となりました。
 予定では、11月7日(土)に開催される京都ライトハウスの点字普及イベントとしての講演と、「点字百人一首」の体験会に参加しようと思っています。
 これについては、明後日(15日)に詳細を本ブログに書く予定です。
 少しお待ちください。
 
 帰りに、寺町通りの一保堂を少し下ったところにある「紙司」さんへ立ち寄りました。


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 現在、国立歴史民俗博物館所蔵の「鈴虫」巻のことを調べています。
 この鎌倉時代の中期に書写された古写本には、「丁子型押し」がみごとな料紙が使われています。今確認できる現物の感触を知りたかったので、紙を専門に扱っておられるお店に寄ったのです。

 「丁子型押し」とは、丁子を煎じた黄茶色の液体を型の上から蒔いた、高級な染料染めを施した用紙です。その美麗さを実感したいと思っています。
 お店の方とお話をしていると、丁子染めの紙は出してくださいました。しかし、それは紙全体を丁子で染めたものだったので、全体が黄色っぽい紙でした。
 丁子で型押しや染料を蒔いたものについては、週明けに出入りの紙屋さんに聞いて調べてくださることになりました。
 わかりしだいに、また報告します。
posted by genjiito at 01:54| Comment(0) | 古典文学

2015年09月13日

久し振りに大和平群でお茶のお稽古

 大和平群は自然の中にあります。
 四季折々に、奈良時代からの色や形が今に伝わっているところです。
 元山上口駅を降りてすぐの川が竜田川です。


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 紅葉の錦と歌われる龍田川は、もっと下流の三室山に近いところです。
 この平群を縦断する竜田川は、岩と木々と水の景勝地です。
 写真上部に林立する電柱の下を、単線でワンマンカーの近鉄生駒線が走っています。
 左奥が生駒方面、右が王寺方面となります。

 檪原川から、国宝『信貴山縁起絵巻』で知られる信貴山方面を望みました。
 8年前まで住んでいた若葉台は、写真の右手の山中にあります。


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 このあたりは、今も変わらない風景です。
 かつては、右手奥からこの山の中の幅50cm ほどの小道を縫うようにして小走りで下り、駅まで通っていました。

 お茶のお稽古には、なかなか来られません。
 最近は週末にいろいろとイベントが入ることが多くなり、足が遠のいています。
 毎年、2月前後と9月前後は、お稽古に来ることができません。
 最低は、月に1回は来たいのですが、なかなかそうはさせてもらえません。

 今日も、丸卓を使ってのお点前の稽古です。
 この間に3回ほど家でやっています。しかし、やはり我流となっていることが、こうしてお稽古に来るとわかります。

 お点前の流れはわかっているつもりです。
 しかし、実際にやると、あれっ、ということがしばしば起こります。
 今日は特に、柄杓を丸卓の上に飾る時の柄の持ち方で戸惑いました。
 建水に載せる時と勘違いするのです。

 香合の拝見のお稽古を初めてしました。
 覚えることは無限にありそうです。

 そんなこんなで、お稽古の回数を何とかして増やすことが先決問題であることが、こうして久し振りに教えていただくと痛感することです。
 とにかく、気長に続けるしかありません。
posted by genjiito at 22:40| Comment(0) | 身辺雑記

2015年09月12日

京都で「蜻蛉」(第22回)/傍記混入の確証

 ワックジャパンでハーバード本「蜻蛉」を読むのは2ヶ月ぶりです。
 今日も、いろいろと楽しい話が展開しました。

 「蜻蛉」巻においては、変体仮名の「阿」は語頭に使われることが多いようです。
 手元の翻字データで検索したところ、「蜻蛉」巻に「阿」は110例ありました。その内、語頭に使われるのは105例です。
 語頭ではない例は、「しつめ阿へ須」(27ウ)、「しのひ阿万りて」(41オ)、「物阿つ可ひ尓」(44オ)、「おし阿个多る」(60ウ)、「おき阿可りて」(63ウ)の5例だけでした。しかも、これらはいずれも複合語の中に見られるものであり、「阿」が語頭にあるとも言える例です。
 結果的に、「阿」が語中や語尾に使われているものは1例もありませんでした。

 こうした変体仮名の字母の使われ方とその傾向については、今後とも「変体仮名翻字版」のデータが揃っていく中で、折々に確認していきたいと思います。その過程で、写本の親子関係、書写者や書写年代等を知る手掛かりが、着実に得られるようになることでしょう。

 また、本文異同から異文の発生事情が明らかになりました。
 以下の例は、これまでに気づかなかった傍記混入の事例なので、ここに新たな事実の提示として詳しく報告します。

 5丁ウラから6丁オモテにかけて、「人二まれ・お尓ゝ(5ウ)・まれ・」とあるところで、興味深い異文があるのです。次の写真は、見開きの中心(折り目)部分です。


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 手元の資料で、ハーバード本を底本にして14本を校合してみたところ、次のような結果がでました。
 以下、翻字表記は「変体仮名翻字版」がハーバード本以外に用意できないので、従来の翻字様式のもので校合した結果を示します。
 諸本の略号は次の通りです。
 6桁の算用数字は『源氏物語別本集成 第15巻』(伊井・伊藤・小林編、おうふう、2002年)で底本陽明文庫本の本文に付けた文節番号です。

底本【ハーバード本】(ハーバード大学美術館蔵)
 大島本[ 大 ](古代学協会蔵、『源氏物語大成』底本)
 平瀬本[ 平 ](文化庁蔵)
 尾州家河内本[ 尾 ](名古屋市蓬左文庫蔵)
 麦生本[ 麦 ](天理図書館蔵)
 阿里莫本[ 阿 ](天理図書館蔵)
 池田本[ 池 ](天理図書館蔵)
 御物本[ 御 ](東山御文庫蔵)
 正徹本[ 正 ](国文学研究資料館蔵)
 LC本[ L ](米国議会図書館蔵)
 陽明文庫本[ 陽 ](陽明文庫蔵、『源氏物語別本集成』底本)
 保坂本[ 保 ](東京国立博物館蔵)
 高松宮本[ 高 ](国立歴史民俗博物館蔵)
 国冬本[ 国 ](天理図書館蔵)

人にまれ[ハ=大平尾麦阿池御正L国]・・・・520481
 ナシ[保]
 人[陽]
 人にもまれ/も$[高]
おにゝ[ハ=大尾麦阿御正陽保高国]・・・・520482
 おにに[平]
 をにゝ[池]
 鬼にも[L]
まれ/〈改頁〉[ハ]・・・・520483
 まれ[大平尾麦阿池御正L陽高国]
 侍れ[保]
ナシ[ハ=大平尾麦阿池御正L高国]・・・・520484
 かみに[陽]
 ひとに[保]
ナシ[ハ=大平尾麦阿池御正L高国]・・・・520485
 まれ[陽保]

 
 これら14本を整理すると、おおよそ次の2つの本文が伝わって来ていることがわかります。

・ハーバード本「人にまれ・おにゝ・まれ」
  (他の11本も同文)
・保坂本   「をにゝ・侍れひとに・まれ
  (陽明本は「おにゝ・まれ・かみに・まれ」)

 以下、ここでは保坂本の「侍れ」は諸本の「まれ」と等価な本文と見做し、陽明本の「かみに」は「ひとに」と等価な本文として扱うことにします。これは、字句の意味の問題ではなくて、書写されている文字がどのようにして本行に取り込まれるか、ということを考えるものだからです。

 この2種類の本文には、傍記本文が本行に混入したことが想定できます。
 それには、どのような傍記がなされていたかによって、次の2通りのパターンが考えられます。

(1)人にまれ(傍記)
   おにゝまれ(本行)

(2)おにゝまれ(傍記)
   人にまれ(本行)

(1)の例で傍記「人にまれ」が本行に前入すると、ハーバード本等になります。
  「人にまれ・おにゝ・まれ」
(2)の例で傍記「おにゝまれ」が本行に前入すると、保坂本(陽明本)になります。
  「おにゝ・まれ・人に・まれ

 これまでの調査では、私が〈甲類〉と分別している本文群は【傍記後入】となることが多く、〈乙類〉に分別している本文群は【傍記前入】となる場合が多いことがわかっています。
 詳しくは、かつて発表した私の論文、「若紫における異文の発生事情 ―傍記が前後に混入する経緯について―」(『源氏物語の展望 第1輯』、三弥井書店、2007年)に書きました。
 〈甲類〉は傍記が傍注箇所の直後の本行に混入し、〈乙類〉はその傍注箇所の直前に混入する傾向があることを明らかにしたものです。

 それは、「若紫」における傍記の混入傾向であり、あくまでも仮説です。
 今それが「蜻蛉」にも適用できるかどうかは、すべて今後の検討しだいです。ここでは、「若紫」のパターンを適用するとどうなるか、ということを見ておきます。

 「蜻蛉」の本文は、2類4群に分別できます。



┌〈甲類〉┬第一群[大尾平正L]
│    └第二群[麦阿]
└〈乙類〉┬第一群[保陽・高国]
     └第二群[池御]


 ここで、ハーバード本は〈甲類〉に属しているので【傍記後入】タイプとしましょう。すると、上記の傍記パターンで見ると、(2)の「おにゝまれ」が傍記されていた写本の属性を伝えるものであり、その傍記が直後の本行に混入したものだ、ということになります。
 これに対して〈乙類〉は【傍記前入】タイプだとすると、(2)の「おにゝまれ」という傍記が直前の本行に混入したといえます。
 そして、今問題としている保坂本と陽明本は共に〈乙類〉に属しているので、この想定で整合性は取れているいえます。

 つまり、何段階か前の平安時代に近い親本には上記(2)のように書かれていた、ということで異文発生の原因が説明できることになります。
 再確認すると、次のように書写されていた写本から、こうした異文が発生した、ということです。

おにゝまれ(傍記)
人にまれ(本行)


 拙著『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』(新典社、2014年)の解説では、傍記混入について詳しく書けなかったので、上記の確証を新たな仮説の一つとして追加し、ここに提示しておきます。

 これまでに私は、『源氏物語』の本文は〈甲類〉と〈乙類〉の2分別できる、ということと、異文が発生する原因に傍記混入という現象があることを、機会を得ては仮説として提示してきました。
 これについては、従来の池田亀鑑が提唱した〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という3系統論は、すでに完全に破綻しています。しかし、一般には今でもこの系統論が便利に重宝がられて使われているのが現状です。一日も早く、この3系統論をリセットして、あらたな本文分別に着手すべき時代となっています。

 私見に対しては、賛同意見も反対意見も、いまだにどなたからもいただいていません。
 今回の傍記混入の例も含めて、この私案についてのご批正をよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年09月11日

読書雑記(143)【復元】『坂の上の雲』ところどころ(その2)

 昨日の続きです。
 現在取り組んでいるテーマと関連する情報で、過去にサーバーがクラッシュした際、僅かに残ったファイルの残骸の中から見つかったものを復元しておきます。
 後日の参考情報となるように、いつでもアクセスできる状態にしての復元です。
 昨日と今日の2回にわけてのアップです。
 ここで、英国・韓国・インド・ポーランドを取り上げているのは、私が行った国の中でも、いろいろと話題にしたいことが多い国だからです。
 文中に2枚の写真を引用しています。これは、その後、『日本文学研究ジャーナル 第1号』(伊井春樹編、国文学研究資料館、145頁、2007年3月)に掲載しました。末松謙澄を紹介する写真として、関係者である玉江彦太郎氏(著書『若き日の末松謙澄-在英通信』海鳥社、1992年1月)及び土居善胤氏より掲載にあたっての了解をいただいたものです。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年6月12日公開分
 
副題「末松謙澄と韓国とインドとポーランド」
 
 『坂の上の雲』を読みながら気になってチェックしたところを、自分のための備忘録として記しておきます。これだけの長編を再読することは、もうないだろうと思われるからです。

◆末松謙澄に関すること
 まず、第3次伊藤博文内閣(明治31(1898)年)の頃のことです。


小村は芝公園にある末松謙澄の私邸に伊藤博文をたずねた。伊藤はこの時期、首相官邸に入るまでのあいだ、この女婿の邸に仮寓していたのである。(2巻279頁)


 末松謙澄は若い頃に、英国へは一等書記官として赴任し、同時にケンブリッジ大学で勉強していました。そして、『源氏物語』の英訳をします。『源氏物語』が初めて外国語に翻訳されたことになります。もちろん、『源氏物語』にあまり興味のなかった司馬氏は、このことには深く立ち入りません。

 この間の経緯については、『破天荒〈明治留学生〉列伝 大英帝国に学んだ人々』(小山騰、選書メチエ、1999年)などが参考になります。時代背景と、日本人の動きが活写されています。
 小山氏は、ケンブリッジ大学へ行くたびに、いつもお世話になる方です。明治期の日本人の動きを、よく調べておられます。お話を伺うたびに、その無限の探求心に学ぶことの多い図書館司書の先達です。

 英国での末松謙澄の様子がわかる写真を紹介しましょう。これは、西日本シティ銀行のホームページ(http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/009/01.html)より引きました。


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 この末松謙澄の写真のキャプションには、次のように記されています。
「英国公使館の庭で(明治11年4月〜12年6月の間)。上野景範公使(前列中央)。富田鉄之助(後の日銀総裁、前列右端)末松謙澄(後列右端)。」


 『坂の上の雲』に戻ります。
 次は、奉天会戦のときのことです。外交官としての末松謙澄が出て来ます。
 引用が長く、たま改行箇所が煩わしいのですが、一応書かれているままに引いておきます。


 日本は、外相小村寿太郎を指揮者としてうごいている正規の外交機関のほかに、元老の伊藤博文の手もとから派遣した陰の舞台演出家ももっていた。
 米国へは金子堅太郎がゆき、英国へは末松謙澄が行っていた。(中略)この金子堅太郎の派遣と活動は成功した。
 ただし、英国へ行った末松謙澄の場合は、成功といえるような結果はえられなかったといっていい。
 末松は、幕末における長州藩の革命史である「防長回天史」の著者として知られている。
 明治型のはばのひろい教養人で、文学博士と法学博士のふたつの学位をもっている。かれは「源氏物語」を英訳してはじめて日本の古典文学を海外に紹介したことでも知られ、さらには新聞記者時代に多くの名文章を書き、つづいて官界に転じ、伊藤博文に見こまれてその娘むこになり、つづいて衆議院に出、のち逓信大臣や内務大臣にも任じたといういわば一筋縄ではとらえがたい生涯をもっているが、外交をやる上での最大の欠点はその容姿が貧相すぎることであった。
 さらにはこの小男が説くところが誇大すぎるという印象を英国の指導層や大衆にあたえた。末松は、
「昇る旭日」
といったほうの日本宣伝をぶってまわった。不幸なことに英国人は日本が「昇る旭日」のごとく成長することを好まなかった。末松はその講演速記を本にして刊行した。無邪気で楽天的な明治男子の文章であり、元来、日本国家が末松が説くほど栄光にみちた過去をもち、またいかに将来への希望にみちた国であろうとも、英国人には関係のないことであった。英国人はかれの無邪気さを冷笑し、ほとんど黙殺した。
 英国担当の末松謙澄は、米国担当の金子堅太郎とはちがい、政府そのものにはたらきかける必要はなかった。(7巻202頁)
 
・末松謙澄が、いかに「源氏物語」からローマ法にいたるまでのひろい教養のもちぬしであったとはいえ、かれが「昇る旭日」式のお国自慢をかかげて英国の社交界を駆けまわったことは、こういう英国人の気分のなかでは滑稽以外の何者でもなかった。(7巻205頁)


 末松謙澄の容貌のことに言及されているので、参考までに、ウエブ上の「行橋市ホームページ」(http://www.city.yukuhashi.fukuoka.jp/areamap/u1/suematsu/top.htm)にあった末松謙澄の写真を紹介します。


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 この記事にある写真などを転載する際の手続きがどうなっているのか、どなたか教えてください。出典明示だけでいいのでしょうか。

 なお、司馬遼太郎氏は、この末松謙澄という男にはあまり魅力を感じなかったようです。紹介程度に留まっているのが、私としては残念です。『坂の上の雲』では重要な人物ではないのかもしれませんが、日露戦争と英国との関係でもう少し触れてもよかったのでは、と思うのですが……。
 今は、テーマがズレるから、ということにしておきましょう。
 
◆日本と韓国について
 これは、司馬氏の『街道をゆく 2 韓のくに紀行』と共に取り上げたいことですが、今は『坂の上の雲』に書かれた範囲でのことばを引くに留めておきます。


・日本人の猿まねについては、最初にはげしく軽蔑したのはヨーロッパでなく、隣国の韓国であった。(後略)(1巻263頁)
 
・ここで数行のべねばはらないが、朝鮮は日本の植民地ではない。(後略)(3巻67頁)

 
◆インドのこと
 司馬氏のインドに対する視点は、再評価すべきもののように思われます。これも、今は引用だけにしておきます。


・筆者は太平洋戦争の開戦へいたる日本の政治的指導層の愚劣さをいささかでもゆるす気になれないのだが、それにしても東京裁判においてインド代表の判事パル氏がいったように、アメリカ人があそこまで日本を締めあげ、窮地においこんでしまえば、武器なき小国といえども起ちあがったであろうといった言葉は、歴史に対するふかい英智と洞察力がこめられているとおもっている。アメリカのこの時期のむごさは(後略)(3巻179頁)

・ヨーロッパの場合、(中略)人間を無能と有能に色濃くわけてその価値をきめるという考え方に馴れていた。そうでない極端な社会の例が、インドであろう。インドとその文明には人間をそのようにして分類するという考え方にが、まったくといっていいほど欠落していた。(4巻185頁)

 
◆ポーランドのこと
 私の身近なところでは、4人のポーランドからの留学生が仕事を手伝ってくれています。日本とポーランドの間には、かつてこのようなつながりがあったことを、恥ずかしながら初めて知ったので、ここに書き留めておきます。


・ポーランドの農民がどんどん徴兵されて豚のように貨車にほうりこまれ、そのままシベリア鉄道で送られつつあるという。
「開戦当初、クロパトキン将軍の指揮刀の下で銃をとらされている兵士の一五パーセントはロシア人じゃない、ポーランド人だ」(中略)「その後、徴兵はどんどん進んで、いまは三〇パーセントまでがポーランド人である」と、いった。
「憎むべきロシアのためにポーランド人が戦場で忠誠をつくさねばならぬというバカなことがあるであろうか。さらにはなんの怨恨もない日本兵をポーランド人が殺さねばならぬ理由も義務もない。あるいはまた、われわれが友愛の対象として感じている日本兵の銃剣によって可憐なポーランド人の若者が殺されている。このようなことがあってよいであろうか。(6巻169頁)


 なお、『坂の上の雲』の詳細なあらすじが、以下のウエブサイトに掲載されています。お急ぎの方は、これを読まれてもいいかもしれません。

http://www9.ocn.ne.jp/~smatsu/J/2miraikousou/report/01sakanoue/01.htm

 私も少し読みましたが、よく内容を拾っているようです。これは、松下産業の社長さんの読書日記とでもいうものです。ここでの「総括」は、いつかじっくりと読もうと思っています。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:52| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年09月10日

読書雑記(142)【復元】『坂の上の雲』における『源氏物語』(その1)

 現在取り組んでいるテーマと関連する情報が、過去にサーバーがクラッシュした際、僅かに残ったファイルの残骸の中にありました。
 9年以上も前の記事です。しかし、そこに盛り込まれた内容が後日の参考情報となるので、いつでもアクセスできるように復元しておきます。
 今日と明日の2回にわけての復元掲載となります。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年5月31日公開分
 
副題「司馬氏は『源氏物語』に興味がなかった?」
 
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』(文庫8冊)には、明治時代を生きた男たちのロマンが語られています。今の日本においては、人々が非常に恵まれた環境にあるので、若者がこのように自分の国のことを考えたりする必要のない時代だと言えます。しかし百年前には、自分以外のことに一生懸命になれる若者たちがいたのです。その延長上に今があるのですが、その明治という時代が、私には魅力的に思われます。それは、自分が今の満ち足りた時代に疑問をもっているからでしょうか。

 過日、『坂の上の雲』を読んだ後に、それをまとめる機会を逸していたので、今ここに書いておきます。

 『坂の上の雲』という物語は、日露戦争を背景にした壮大なドラマが丁寧に描き出されているのを、ゆったりと、ある時は展開が待ち遠しい思いで読み進めることができました。その中から、数少ないのですが『源氏物語』に関する記述を抜き出しておきます。『源氏物語』を初めて英語に翻訳した末松謙澄という人に関連する箇所については、また後日にします。

 『坂の上の雲』で、末松謙澄に関連して『源氏物語』に触れている一箇所以外では、次の例が唯一のものです。それは、正岡子規が夏目漱石に写生のことを語るくだりです。


 子規の頭は、真之のことから源氏物語へ一転した。須磨保養院にいたころから「源氏」をふたたび読みはじめていた。須磨のころは場所がら須磨明石の巻をよみ、ちかごろはべつな巻をよんでいる。
 「おどろかされるのは、源氏の写生力じゃ。ちかごろ文壇では写実派などととなえだしているが、その写実の上でもいまの小説は源氏にはるかに劣っている」
と、子規はくびすじを赤くしながら言いはじめた。(略)
 読みさして月が出るなり須磨の巻
という句稿を、漱石にみせた。(中略)
 大和路をあるき、法隆寺まできて茶店に憩うたとき、田園に夕のもやがただよっていかにも寂しげであった。
 柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺
という句は、このとき心にうかぶままを句帳にとどめたものである。(2巻198頁)


 司馬氏は、子規が『源氏物語』を読んでいたことに触れて、「須磨」巻に関して言及しています。そして、『源氏物語』の写実性を高く評価しています。ただし、『源氏物語』に関してはこの一例だけです。ということは、司馬氏にとっては、『源氏物語』はあまり興味がなかったということでしょうか。もちろん、この『坂の上の雲』のテーマと『源氏物語』は直結しないので、当たり前といえばそうですが。

 司馬氏のこれ以外の作品での『源氏物語』の言及に気を配れば、その注目度についてわかるかもしれません。それがわかってどうなんだ、といわれればそれまでですが。
 『源氏物語』がどう読まれてきたのか、ということに興味のある私にとっては、これも調べてみたいことの一つではあります。
 また後日、わかったことを備忘録として記すことになるかと思います。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
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2015年09月09日

ミニ展示する翻訳本の説明文

 昨日の本ブログで紹介した通り、明日10日から『源氏物語』の翻訳本のミニ展示が始まります。
 各翻訳本には、簡単な説明パネルが置かれています。
 その説明文は、昨年のものに少し手が入っています。
 問い合わせを受けましたので、以下にその説明文を引用します。
 お出でになる前に、一通り目を通していただくと、表紙の絵が語りかけてくれるはずです。

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「特設コーナー」《さまざまな言語に翻訳された『源氏物語』》

 今回の特設コーナーでは、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるような選書をしました。
 各国で『源氏物語』がどのように受容されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。
 【4】・【5】・【6】・【11】は国文学研究資料館蔵、それ以外は個人蔵です。

【『源氏物語』が翻訳されている32種類の言語】
アッサム語(印度)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(印度)・英語・オランダ語・オリヤー語(印度)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(印度)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(印度)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャビ語(印度)・ヒンディー語(印度)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤラム語(印度)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

【今回展示した翻訳本 21種】

【1】アラビア語(エジプト、2004年)
   アハマド・モスタファ・ファトヒ訳
   瀬戸内寂聴訳『源氏物語』の抄訳したアラビア語訳。国際交流基金での出版翻訳事業のひとつ。

【2】イタリア語(2012年)
   マリア・テレサ・オルシ訳
   イタリア語で初の古文からの完訳。表紙と箱は国宝『源氏物語絵巻』「鈴虫」・「関屋」巻を西陣織にした山口伊太郎遺作の『源氏物語錦絵絵巻』「鈴虫」・「関屋」。

【3】クロアチア語(2002年)
   ニキツァ・ペトラク訳
   表紙は国宝『源氏物語絵巻』「鈴虫」巻で、天金装訂が施されている。

【4】スペイン語(2004年)
   フェルナンド・グティエレス訳
   アーサー・ウェーリー訳の重訳。挿絵は、山本春正『絵入源氏』(慶安三年版)の絵である。

【5】スペイン語(2005年)
   ハビエル・ロカ・フェレール訳
   1巻の表紙は宮川春汀『当世風俗通』のうち『さくらがり』(1897年)、2巻は月岡芳年『大日本史略図会』のうち『第八十代 安徳天皇』(1880年)

【6】スペイン語(全2巻、2006年)
   ジョルディ・フィブラ訳
   ロイヤル・タイラー訳の重訳。1巻の表紙はバーク・コレクションのひとつ、土佐光起筆『源氏物語画帖』「花宴」、2巻は「浮舟」。

【7】スペイン語(全2巻、ペルー版、2013年)
   イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン、下野泉 共訳
   スペイン語で初の古文からの直訳。表紙は國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』初音巻」。

【8】スロヴェニア語(全2巻、1968年)
   シルベスター・スカル訳
   ヘルベルト・E・ヘルリチュカのドイツ語訳からの重訳。表紙に浮世絵を使用している。

【9】タミール語(印度、1965年)
   K.アッパドライ訳
   サヒタヤ・アカデミーが企画したうちの1冊。表紙は太陽と金閣寺を背景にした、近世風の男女の絵。

【10】中国語(全3巻、2001年)
   黄锋华訳
   本シリーズは表紙にボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』を使用している。

【11】ドイツ語(1911年)
   ミューラー・バブッシュ・マキシミリアン訳
   末松謙澄の英訳『源氏物語』を重訳したもの。扉絵はフランツ・クリストフ作。

【12】ハンガリー語(2009年)
   ホルバート・ラースロー訳
   エドワード・サイデンスティッカー訳の重訳。ハンガリーでは初の完訳。1巻の表紙はインディアナ大学美術館蔵『源氏物語図屏風』「若紫」、2巻はフリーア美術館蔵の土佐光吉筆『若菜・帚木図屏風』のうち「若菜上」、3巻は京都国立博物館蔵の伝・土佐光元筆『源氏物語図』「蜻蛉」。

【13】韓国語(1999年)
   田溶新 訳
   表紙に、植村佳菜子画・伊藤鉄也所蔵の源氏絵を切り抜いて反転したものを配している。

【14】パンジャビ語(印度、1961年)
   ジャジット・シン・アナンド訳
   サヒタヤ・アカデミーが企画したうちの重訳の1冊。表紙は浮世絵を使用している。

【15】フランス語(1952年)
   キク・ヤマタ(山田菊)訳
   初版は1928年。アーサー・ウェーリー訳を底本としたフランス語では初の翻訳。

【16】ポルトガル語(全2巻、2007年)
   1巻はリヒア・マリェイロ訳、2巻はエリザベート・カーリ・レイア訳
   表紙は立松脩のデザインによるもの。

【17】ポルトガル語(全2巻、2008年)
   カルロス・コレイア・モンテイロ・デ・オリベイラ訳
   1巻の表紙は、月岡芳年『月百姿』のうち『忍岡月 玉淵斎』(1889年)、2巻はハーバード大学美術館蔵の土佐光信筆『源氏物語画帖』「椎本」巻を題材に、どちらもカルロス・セザールがデザインしたものである。

【18】モンゴル語(2009年)
   オチルフー・ジャルガルサイハン訳
   谷崎潤一郎、与謝野晶子、瀬戸内寂聴らの訳を参照した。表紙は石山寺蔵の狩野孝信筆『紫式部図』(部分)である。

【19】タイ語(全13巻、1980年)
   大和和紀訳画『あさきゆめみし』のうち、吹き出しがタイ語に翻訳されたもの。
   同じくタイ語で翻訳されたものでは、美桜せりな『源氏ものがたり』(2007年)もある。

【20】日本語(全6巻、2001年)
   大和和紀 訳画
   講談社漫画文庫の『あさきゆめみし』で、今も多くの読者をつかんでいる。

【21】日本語(全7巻、1987年)
   大和和紀 訳画
   愛蔵版として出版された『あさきゆめみし』で、和装豪華本仕立て。
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2015年09月08日

ミニ展示《さまざまな言語に翻訳された『源氏物語』》-2015-

 現在、国文学研究資料館の展示室では通常展示「書物で見る 日本古典文学史」を開催中です。
 その展示室の特設コーナーで、明後日10日(木)より30日(水)まで、世界各国で刊行された21種類の『源氏物語』の翻訳本を展示します。

 これは、翻訳された中身よりも、表紙の楽しさを味わっていただくのが趣旨の小さな展示です。海外で『源氏物語』がどのようなイメージで受容されているのかを考える視点から、興味深い表紙絵の本を選んでみました。

 展示する本は、昨年10月に展示したものとほぼおなじ書籍です。
 その後も問い合わせがあったこともあり、今年も同じ本を展示することにしました。
 昨年度の展示風景は、以下の国文学研究資料館のサイトから確認できます。

http://www.nijl.ac.jp/pages/event/exhibition/2014/genjimonogatari.html

 展示本の説明などは、昨年の本ブログでの紹介記事を参照願います。

「各国で翻訳された『源氏物語』の表紙絵の展示」(2014年10月03日)

 一昨日の6日に、朴光華先生の新著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』を紹介しました。
 その中で、朴先生が「そんなに簡単に外語語で翻訳され、そして注釈などがつけられる『源氏物語』ではない。」とおっしゃっています。
 『源氏物語』を日本語で現代語訳するのも一生の仕事になるのに、それを多言語で翻訳するのには、その背景には各々の国でのさまざまな事情があります。

 しかし、そうした『源氏物語』という作品自体の問題は忘れ、今回は表紙だけを見つめ、そのデザインの背後に潜む『源氏物語』に対する各国のイメージを読み取っていただければ幸いです。

 なお、韓国で『源氏物語』のハングル訳は3種類が確認できています。
  (1)1975年 柳呈
  (2)1999年 田溶新
  (3)2007年 金蘭周
 この内、(2)の田溶新訳の本の表紙絵は、私が所蔵する教え子の絵を勝手に使い、しかも切り抜いて反転させるという、手の込んだ違法行為がなされたものであることは、上記ブログ「各国で翻訳された『源氏物語』の表紙絵の展示」の〈第3ケース〉【13】の解説文の中で、長文ではありますが詳しく書いた通りです。


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 最近でも、東京オリンピックのエンブレムに関して、デザインの盗用問題が話題となっています。
 デザインが似ている、似ていない、というのは難しい問題です。しかし、私が直面したのは、無断盗用と恣意的な改変でした。

 これなどはほんの一例であり、本のデザインにもそれぞれの事情がその背景にあることを思うと、今回展示した表紙もさまざまなことを語ってくれているはずです。
 ぜひとも、表紙のデザインが語りかけることばに、そっと静かに耳を傾けてみてください。

 前回は、なかなか見られない本が多いということで、遠くからお出でくださった方がいらっしゃいました。
 手にとってご覧いただくことはできませんが、書籍や表紙のデザインを通して、異文化交流をお楽しみいただければ幸いです。
posted by genjiito at 21:37| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年09月07日

井上ひさしの「國語元年」上演中

 過日、本ブログに「読書雑記(140)井上ひさし『國語元年』」(2015年08月21日)をアップしました。

 その直後、毎日新聞(2015年08月25日 東京夕刊)にこの作品が演劇化されて上演される記事が掲載されました。
 毎日バタバタするばかりの日々なので、このことを取り上げることを失念していました。

 すでに公演は始まっています。
 9月1〜23日、東京・新宿の紀伊国屋サザンシアター。
 今後は、兵庫、愛知、宮城、山形を巡演するそうです。

 井上ひさしは、その本のあとがきで、ぜひテレビドラマを観てもらいたいので、制作元であるNHKにハガキでリクエスト攻勢をかけてほしい、と言っていました。

 今回は、演出家の栗山民也による演劇です。
 1986年の初演から手がけ、10年ぶり5演目となるそうです。
 文部官吏の南郷清之輔は、八嶋智人が演じています。

 毎日新聞の記事によると、栗山氏は次のように語っています。


作品の持っている普遍的な題材が、すごく緩んだ今の日本に対して、必ずいろんな起爆剤になるんですよね。井上さんがやりたかったのは、いろんな土地の言葉がぶつかる健康さ、人間がぶつかることのすてきさ。『國語元年』は単純な物語なんですけど、あらゆるオーケストレーションの音が絡み合って、ぶつかり合って豊かなものが生まれてくるんです。
(中略)
井上さんは<むずかしいことをやさしく>と言ってましたが、そこで終わっていなくて<やさしいことをふかく>なんですよね。


 今回の公演は、ぜひとも観たいと思っている演劇の一つです。
posted by genjiito at 22:16| Comment(0) | ◆情報化社会

2015年09月06日

朴光華著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』

 韓国・鮮文大學校の朴光華(Park kwanghwa)先生が、これまで地道に『源氏物語』の注解をなさってきた成果として、『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』(全331頁、図書出版 香紙、2015年8月1日、定価65,000ウォン、ISBN;978-89-94801-96-4(03830))を上梓なさいました。


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 朴先生とは、『源氏物語』の注解を掲載した『文華』を毎号送っていただいた折々に、メールで連絡をとっていました。そして、2010年7月に国文学研究資料館に外来研究員としてお越しになった時に、直接お目にかかりました。この時のことは、「朴光華先生のハングル訳『源氏物語』」(2010/7/5)に詳しく書いた通りです。

 本当に短い期間のご一緒でした。その後も、倦まず弛まず研究を続けられ、こうしてその成果の一部が広く公刊されたのです。

 これまでの朴先生のご苦労は、本書の編集後記に刻まれています。


 後 記
この『源氏物語一韓国語訳注一』(桐壺巻)は、2002年1月1日に「文華」(創刊号)という雑誌を通じて初めて発刊されたものである。当時は『源氏物語韓釈一桐壺一』(日本文学研究会)という題目でこの世に出た。その後、十三年程度経った今日、ようやくこれに相当な注釈を施して発刊することになった。創刊号「文華」の桐壺巻を今になって見ると、あまりにも情けなくて間違ったことも多数ある。その後「文華」という雑誌を十二号(2013年1月1日)まで発刊しながら、多くの試行錯誤を重ねて、今日、このように『源氏物語一韓国語訳注一』(桐壺巻)という書としてまとめることができた。実は、この桐壺巻も2014年6月にあらためて作業を始めて、今年の8月にやっと完成にまで至ったものである。もともとこの桐壺巻は、3月に発刊の予定であったが、進行過程がすんなりいかなくて8月に出るようになった。2002年以来、『源氏物語』の韓国語訳・注釈という多くの試行錯誤、経験などが積み重なった結果、このようにして出来上がった書である。
誰々の『源氏物語』外語語翻訳書等々が言われているが、私は信じてない。また、よく分からない。何をどのようにして翻訳したのかよく分からない。近代文学者の『源氏物語』口語訳をみてそのまま訳したのかどうか、分からない。私としては、この桐壺一巻を翻訳してそして注釈をつけるのに一年程度かかったし、以前の「文華」という雑誌の発刊期間の経験十数年をあわせて辛うじてこぎつけた書である。そんなに簡単に外語語で翻訳され、そして注釈などがつけられる『源氏物語』ではない。むかし、日本留学時節(ママ)ちらっと聞いた話がある。「外国人研究者のうち『源氏物語』についてまともな論文が書ける者はひとりもいない云々」と聞いたことがあるが、それは事実である。以前から、いままでずっと感じてきたことである。留学生時節(ママ)から『源氏物語』に関する論文などを書き続けてきた筆者としても、心に深く感じている事実である。実際に『源氏物語』についてまともな論文一編が書けない。それであろうか、このような韓国語翻訳と注釈がそれより多少やりやすかった作業であったかもしれない。
本書は自費で100部限定として発刊した。今の韓国内の出版事情では、この『源氏物語』五十四巻を発刊するのには、その事情があまりにも不如意であるように見える。また『源氏物語』についての認識もそんなに高くないようにもうかがわれる。この『源氏物語一韓国語訳注一』は前期、後期に分けて発刊する予定で、所要期間は十四年である。まず前期の第1期発刊は、桐壺巻、夕顔巻、若紫巻、須磨巻、明石巻、総角巻、浮舟巻などが順次的で発刊される予定で、各巻ごとに諸先生方の論考が掲載されることになっている。この桐壺巻には伊井春樹先生が「桐壺院の贈罪」という論考をお書き送って下さった。「阪急文化財団理事・館長」という多忙な時にこのような玉稿を送って下さったことに深く感謝を差し上げる。次は夕顔巻で、糸井通浩先生の論考が予定されている。
本書は最初から後世に残すために執筆した。この桐壺巻はSに差し上げる。

                     2015年8月1日 朴 光華


 引用文中の赤字は、私が色付けしたものです。
 とにかく、続刊が待たれます。
 そして、『源氏物語』全巻の注解が進捗することを祈っています。

 本書は、次の構成で成っています。


巻頭写真4枚(著者近影、宮内庁書陵部蔵 桐壺巻頭、尾州家河内本 桐壺巻頭、紫式部の墓、『源氏物語大成』池田亀鑑の藤村作への献辞)
1.序
2.目次
3.凡例
4.桐壺巻の概要と系図
5.桐壺巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注)
6.源氏物語について(ハングル)[1](朴光華)
7.桐壺院の賊罪(伊井春樹)
8.後記(日本語)
9.図録1〜6


 本書の基本となる「日本語本文、韓国語訳、韓国語注」の組み方は、次のようになっています。
 これは、『文華』での組みとほぼ同じ体裁です。


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 この訳注は、以下の研究成果が参照されている労作です。


『日本古典文学全書一』(池田麺鑑。朝日新聞社。昭和41年 第21版)─『全書』
『日本古典文学大系一』(山岸徳平。岩波書店。1989年 第35刷)─『大系』
『源氏物語評釈第一巻』(玉上琢彌。角川書店。平成5年 20版)─『評釈』
『日本古典文学全集一』(阿部秋生、今井源衛、秋山度。小学館。1989年 第25版 昭和45年 初版)─『全集』
『目本古典文学集成一』(石田穣二、清水好子。新潮社。昭和51年)─『集成』
『新日本古典文学大系一』(柳井滋、室伏信助、大朝雄二、鈴木日出男、藤井貞和、今西祐一郎。岩波書店。1993年 第一刷)─『新大系』


 ここで気づくことは、参照した書籍が「第何版」とか「第何刷」であるかを明示されていることです。
 国文学研究資料館にお出での折にも、市販の注釈書は勝手に改訂補訂されるので、それを参照引用する時には、自分がどの版を使用したのかを明確にすべきであることをお話しました。
 それをこのように忠実に実行しておられのを拝見して、先生らしい学問に真摯な姿勢を実感しています。
 私には、記されているハングルはまったく理解できません。しかし、この朴先生のお人柄を反映した、すばらしい訳注となっていることでしょう。

 このような感想を記すだけでは申し訳ないので、東京大学で田村隆先生の指導を受けている留学生の厳教欽君に、本書の紹介文をお願いしました。
 田村先生も厳教欽君本人も了解していただけたので、近日中に本書についてのあらましをお伝えできると思います。
 これは、私の科研で発行している「海外平安文学研究ジャーナル」に掲載することになっています。しかし、それでは少し時間が空きますので、私のブログから先行公開し、読者からの教示や意見などを踏まえて補訂した後に収録する、という手法をとりますので、ご理解とご協力のほどをよろしくお願いいたします。続きを読む
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2015年09月05日

江戸漫歩(110)日比谷公園から東京国際フォーラムへ

 所用があり、一昨日に続いて日比谷公園へ行きました。
 いつもは薄暗くなった夕方から、霞が関駅を上がって行きます。
 今日は、明るい公園に日比谷見附跡から入りました。


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 公園に入ってから帝国劇場の方を振り返ると、水鳥の飾り物が置いてあるのか、その頭部だけが見えました。


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 しかし、頭が少し動いたようだったので、確認のために引き返すと、生きている鷺でした。
 1羽だけで寂しいのか、じっとしています。
 その不動の姿勢が、賀茂川の鷺たちのように沈思黙考ではなくて、観光客を意識したプライドを見せています。


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 いかにも絵はがきのようで、おもしろくないと思っていたら、急に心字池に嘴を突っ込んで餌を捕まえたのです。
 人目を意識したショーを演じているようで、これもやはり興ざめでした。


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 日比谷図書文化館の手前に建つ日比谷公会堂を見上げました。
 55年前の秋に、ここで浅沼稲次郎暗殺事件があったことを思い出します。
 といっても、私がまだ小学生低学年の頃なので、その後のニュース記事で知っているだけですが。
 この日比谷公会堂も、来年から改修工事に入るために、使用できなくなるそうです。


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 公園の中の大噴水の周りでは、「日比谷秋の収穫祭 2015 オクトーバーフェスト」というイベントが行われていました。
 「ベロニカ・レンツ」&「Top 4 plus」という、南ドイツ・バイエルン地方の民俗音楽団のみなさんが、ビールを飲むお客さんたちを盛り上げておられます。


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 一昨日、日比谷図書文化館でのハーバード大学本を読む講座に来た時に賑やかだったのは、これだったのです。
 一昨日から今日までの3日間は、飲んで踊って歌って騒ぐお祭り日なのです。
 ビール好きには堪えられない一時でしょう。
 しかし、発砲性の飲料に弱い私は、残念ながらご一緒できません。

 東京駅に向かって有楽町の手前を歩いていると、丸の内仲通りの木立が涼しそうに続いていました。この一帯は信号機もなくて自由に散策できるので、暑さが去った秋口にはいいところです。


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 東京国際フォーラムの地上広場では、「第14回 TOKYO JAZZ FESTIVL」が多くの人を集めて盛り上がっていました。ちょうど「早稲田大学ニューオリンズ・ジャズクラブ」の演奏に出会えたので、しばらく楽しみました。
 昨日から明日までの3日間、ここはジャズの音が響きます。


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2015年09月04日

江戸漫歩(109)秋の風を感じる並木道

 江戸漫歩というよりも、多摩散策です。
 立川駅周辺では、夏が過ぎ去ったことを実感できます。
 多摩モノレールが頭上を通過するのを見ていると、空も秋を感じさせていることに気づきます。


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 職場までの並木道も照り返しが弱くなり、秋風の感触が心地よいほどです。


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 帰りに、西口で南極観測隊の新しい施設が出来つつあるのに気づきました。
 普段はここから出入りしません。
 何ができるのか楽しみです。


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 陸上自衛隊立川駐屯地を右手に見ながら、昭和記念公園へとぶらぶら気ままに散策です。


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 あの汗だくだった8月が、一気に涼風と入れ替わっていくのがわかります。
 異常気象と言われるこの頃です。
 しかし、このまま秋へと移行してほしいものです。
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2015年09月03日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その19)

 今日は気分転換を兼ねて、立川から日比谷へ行く経路を変えてみました。
 立川から吉祥寺乗り換えで渋谷と赤坂見附を経由して、目的の霞ヶ関へ行ったのです。

 赤坂見附で乗り換えるのは初めてです。銀座線の渋谷から赤坂見附で降りると、無意識に国会議事堂前と書かれた駅名に引かれて階段を上りました。ところが、上がった先は、丸の内線でも反対方向に行くホームでした。またもとに戻ると、なんと先ほど降りた電車の反対側に、霞ヶ関へ行く電車が来たのです。

 まだ、東京の電車は乗りこなせていません。駅の構内にある路線図を探し、それと睨めっこしながらの移動です。

 今日のハーバード本「蜻蛉」を読む講座は、「列帖装」の説明から始めました。
 林望氏の『謹訳源氏物語』と歴博本「柏木」の複製本を回覧し、その装幀が同じであることを見てもらいました。そして、「列帖装」を「綴葉装」とも言うことや、国文学研究資料館では「列帖装」と言っていることの説明をしました


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 この説明には、国文学研究資料館で開催された平成26年度古典籍講習会において配布され、現在はホームページからダウンロードできるようになっている「写本の書誌における諸問題」(落合博志担当)を使いました。
 そこには、次のように記されています。


列帖装(れっちょうそう)
 紙を二枚以上重ねて二つ折りにしたもの(一括り・一折)を複数並べ、糸や紐などで繋ぎ合わせたもの。各括りの折り目の部分に上下二つずつ、計4箇所の穴を開け、糸を順次通して行く綴じ方が一般的であるが、古くは紙縒などで結び綴じにした例もある。紙の両面に書写する関係で、鳥の子や厚手の楮紙など墨が裏映りしにくい料紙を用いるのが普通。年代の判明する最古の遺品は元永3年(1120)書写の元永本『古今和歌集』であるが、それより早く11c初め〜中頃の歌集や真言宗の仏書の例がある。版本にも見られるが、一部の謡本や声明本など特定の種目にほぼ限られる。
 「綴葉装」という呼び方もあるが 「葉」を「綴じる」のは粘葉装・画帖装以外の冊子本に共通の製本法で、特定の装訂の名称としてはふさわしくない。


 今日、一番時間をかけたのは、変体仮名の標準化を目指した追加提案です。
 一昨日(2015年09月01日)『情報管理』(vol.58 no.611)に発表されたばかりの、「変体仮名のこれまでとこれから 情報交換のための標準化」(高田 智和、矢田 勉、斎藤 達哉)を配布し、その趣旨を丁寧に説明しました。

 その著者抄録をあげます。


変体仮名は平仮名の異体字であるが,現代の日常生活ではほとんど用いられていない。しかし,1947年以前には命名に使われ,戸籍など行政実務において変体仮名の文字コード標準化のニーズがある。一方,日本語文字・表記史や日本史学の学術用途においても,変体仮名をコンピューターで扱うニーズがある。そこで,活版印刷やデジタルフォントから集字し,学術情報交換用変体仮名セットを選定した。このセットには,変体仮名の機能的使い分けを表現するため,同字母異体も収録した。行政用途の変体仮名と合わせ,2015年10月にISO/IEC 10646規格への追加提案を予定している。


 専門的な内容なので、わかりやすく説明したつもりです。
 特に、女性の名前を例にして、具体的な話をしました。
 この国際文字コード規格への追加提案は、現在の日本におけるひらがなの現状に強烈なインパクトを与えるものです。ひいては、現在ハーバード大学本「蜻蛉」を日比谷図書文化館で翻字しながら学習していることの意義を、あらためて再認識するものとなります。

 その意味からも、つい説明に力が入ってしまいました。
 前回の講座で確認した、鎌倉時代の古写本を読むために覚えておくべき変体仮名85種の復習をしながら、今回の国際文字コードとして提案されている変体仮名を見ていきました。


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 まずは、この変体仮名を若者たちがモバイルなどで使い出すことでしょう。また、海外の若者たちが、漢字をおもしろく着こなしているように、この変体仮名もおしゃれに身に着けることでしょう。それに引き摺られるようにして、日本の大人たちも遅ればせながら、日本語の文字の多様さとその豊かさを再認識し、明治33年に決められた現在の1字1音のひらがなの貧困さに気付き、変体仮名を使った日本語表記を見直すことになることでしょう。

 さらには、子どもの名前を付ける時に、楽しい命名が展開することも予想されます。
 ひらがなの再認識と変体仮名の復活は、古写本の翻字を仕事としている私にとっては大歓迎です。

 この変体仮名復権の問題は、明治33年以来、ずっとひらがなを軽視してきた日本人に対して、痛烈な一撃を与える変革となるものであることに違いありません。
 とにかく、若者たちの豊かで鋭い感性に期待しましょう。
 初等・中等教育を担当しておられる教育関係者が、この流れに棹さす存在になってほしいものです。

 と書いてすぐに、「棹さす』という言葉遣いがうまく今の日本で伝わるのか不安になりました。
 念のために「デジタル大辞泉」を見ると、次のような解説がありました。


流(なが)れに棹(さお)さす【流れに棹さす】

流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進行する。
誤って、時流・大勢に逆らう意に用いることがある。

[補説]文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、「その発言は流れに棹さすものだ」を、本来の意味とされる「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をする」で使う人が23.4パーセント、本来の意味ではない「傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為をする」で使う人が59.4パーセントと、逆転した結果が出ている。


 補説の後半は、現状が気がかりです。
 私のブログは、毎日多くの方が読んでくださっています。
 しかし、文科系の方が多いので、この「流れに棹さす」は正確に伝わっていると思います。

 変体仮名の問題は、また折々に取り上げます。
 現在私が推進している「変体仮名翻字版」は、この問題と直結するものなのですから。

 今日は、これ以外では、嵯峨野の時雨殿で『百人一首』がチタンパネルに彫られていて、それを目が見えないみなさんが一生懸命指で読もうとしておられた印象的な場面のことや、「蜻蛉」巻の前半を小見出しの文言を追うことで確認しました。

 ハーバード大学本は、16丁表の半丁分を確認しました。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年09月02日

京大病院で2つの科の診察を受ける

 病院が大好きな私にとって、今回も快適に院内での時間を楽しんで来ました。

 消化管外科では、ガンに関してはひとまず安心で、前回の卒業宣言を受けてこれで診療は終了となりました。
 今後をどうするかという相談をした結果、あと2年間は、これまで通りに半年ごとのチェックを受けることにしました。

 新しい主治医の先生の話では、私のケースはガンが完治する典型的な好例だそうです。
 それでも、体質的に油断は禁物なので、しばらくは観察してもらうことになったのです。

 消化管外科の次は、糖尿病・内分泌・栄養内科で隔月の検査と診察を受けました。
 血糖値の推移を見る目安となっているヘモグロビン A1cの値については、次のようになっています。


150831_a1c





 ヘモグロビン A1cが前回から「0.5」も下がって「7.0」になっています。このように大きく下がることは、あまりないそうです。6月22日以降、飲み薬を「ボグリボース(ベイスン)」から「トラゼンタ(リナグリプチン)」に変えたことが、功を奏したようです。
 標準値が「4.6〜6.2」なので、血糖値は高いといえます。しかし、私の場合はいろいろと事情もあり、この調子で様子を見守り続けていくことになりました。

 晩ご飯も、特に糖質を制限することなく、通常通りに食べた方がいいそうです。
 前回から飲むようになった新薬は、血糖値の高値を抑える働きがあるので、低い所に気をつければいいとのことでした。

 上記グラフの黄色い折れ線HGBは、ヘモグロビン濃度が少し改善されたことを示しています。
 これは、鉄分の欠乏を示すもので、標準値が私の年齢では「11.3〜16.3」なので、低い値で安定していることに変わりはありません。

 一応薬は処方されています。これまで通り鉄分を意識した食事を心がけることにします。

 ということで、今回の診察では、いずれも心配するほどの変化ではなく、これまでの調子で生活をすることでいいようです。
 一安心です。
posted by genjiito at 02:15| Comment(0) | 健康雑記

2015年09月01日

「点字付百人一首〜百星の会」の紹介と活動内容

 先週8月29日(土)と30日(日)の2日間にわたり、京都嵯峨野で合宿をなさった「点字付百人一首〜百星の会」の事務局より、会の活動についてわかりやすい説明をメールでお知らせいただきました。
 情報として広く共有するために、紹介を兼ねてその文章を以下に引用します。
 「百星の会」の会員のみなさまのますますの活躍と、会のさらなる発展をお祈りしています。

 今後の「イベントの予定」にある、10月31日(土)に開催される京都ライトハウスの体験会には、私も参加しようと思っています。
 点字の触読とともに、変体仮名の触読にも興味と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、遠慮なくお声掛けください。
 


私達の活動をご紹介させて頂きます。

1.会の成り立ち

私達は、全盲の子育てママからの、
「子どもたちは学校で百人一首のかるた遊びを当たり前に楽しんでいるのに、どうして盲学校では出来なかったのかしら? 何か方法はないものかしら? 」
と問いかけられたことを切っ掛けにして、点訳・音訳者、盲学校教職員、小物制作のプロ、百人一首愛好家等々によって、結成されました。
新宿区社会福祉協議会の全面的な支援を受け、また、これまでの活動の模様は、「点字毎日」にも紹介されております。
視覚障がい者に、かるた遊びを楽しんでもらうため、また、「点字学習ビギナー」が、楽しみながら触読に親しんでもらえるよう、
「使いやすい点字の付いたかるた札」
「オリジナルかるた台」
を試作しております。
ルールには、学校教育現場で20年ほど前から実践されている、「五色百人一首」を導入し、これを立案された先生からの公認を頂いております。
いつか世代を越え、障害を越えて、百人一首を通したコミュニケーションの輪が、広がってゆくことを夢見ながら、活動しております。

2.イベントの予定

高田馬場 かるた会 10月24日(土)
京都ライトハウス 体験会 10月31日 (土)
サイトワールド お披露目会 11月3日(祝)
藤沢点字図書館 体験会 11月8日(日)
高田馬場 新春かるた会 1月16日(土)
※高田馬場の会場は、東京都新宿区社会福祉協議会「視覚障害者交流コーナー」

以上です。
長文を読んでいただきまして、どうもありがとうございました。
今後とも私達の活動に、ぜひ、アドバイスを頂けますよう、よろしくお願い申し上げます。
 
「点字百人一首〜百星の会」
    事務局 関場理華
posted by genjiito at 00:05| Comment(0) | 視聴覚障害