2015年07月31日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その17)

 今回の翻字者育成講座は、昨日のブログに書いたように、福島県立盲学校の渡辺先生と古写本の触読に関して面談をした直後の、午後6時半からの開講でした。

 折角の機会なので、あらかじめ講座を運営なさっている部署の了解を得た上で、渡辺先生にも参加していただく段取りを整えていました。受講者のみなさまと一緒に、全盲の方を交えて変体仮名の翻字学習を進めました。

 そんなこともあり、この日は見開き1丁分を頑張って読みました。1字でも多く渡辺先生に確認していただき、触読の感想を聞きたかったからです。

 まず、ナゾリが認められる2カ所についての確認からです。もっとも、目が見えない渡辺先生には、こうしたナゾリの部分の判読には参加してもらえません。ここは晴眼者が役割を担う部分です。

 この2カ所については、下に書かれている文字の判断を保留したい旨を伝えました。写真版を見れば見るほど、次第に自分の認定に疑念が生じたからです。


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 「伊」(14丁裏1行目)の下に「以」があるようです。しかし、どうも下の文字は「以」ではないようにも思われます。

 同じことは、「幾」(14丁裏3行目)の下に「久」が認められます。しかし、じっと見ていると、下の「久」の認定に疑念が残ります。書きさしたようにも見えます。

 これは、原本を再度実見しないと確定できないと思い、そのことを正直にお話しました。
 これまでに、ハーバード大学にある原本は3回確認しています。しかし、ここを丹念に見たのかどうか、今思い出せません。
 次世代への引き継ぎ事項にしておきましょう。

 また、この写本では、「奈」の字体が一定しません。非常に不安定な「奈」なのです。


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 これは、この「蜻蛉」の書写者が「奈」の平仮名を苦手としていたのか、またはこの字で書写の雰囲気を変えようとしていたのか、その理由が今は思い当たりません。ご教示をお願いしたいところです。

 「寸」については、8行目の字体が極端に異なります。これは、行末だったために平たくなったものではありません。
 これも、この書写者の筆癖の一つとして挙げておきます。


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 15丁表の4行目の「し」にミセケチのような2本線が見えます。テキストは白黒なので、これが紙の繊維なのか汚れなのかゴミなのか、判別がつきません。
 この日はカラー画像を持っていなかったので、次回に結果をお知らせすることにして、先に進みました。

 ここは、次のようになっています。


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 紙面のシミが、くっきりと確認できます。
 やはり、カラー画像は、こうした時の確認に必要です。

 次回は、8月20日(木)に15丁裏から読み始めます。
posted by genjiito at 22:26| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年07月30日

古写本『源氏物語』が触読できる全盲の渡辺さんとの一日(1)

 福島県立盲学校高等部の渡辺寛子先生が、科研の触読研究に協力してくださっています。
 先般お送りしたハーバード大学本「須磨」巻の巻頭部を、苦労の末とはいえ読めるようになった、とのことでした。このことは、本ブログの「古写本『源氏物語』の触読【成果の記録】(盲学校の先生の場合)」(2015年07月14日)で報告した通りです。

 そこで早速、直接お会いして話を伺うことにしました。

 今日は、猛暑の中を上京してくださったので、日比谷図書文化館でいろいろな実験にお付き合いいただきました。初対面にもかかわらず、午後2時半から6時までの長時間にわたって、語り、触読し、コーヒーを口にし、意見交換をしました。その後には、スパゲッティを口に運んだりしながら、また立体コピーの活用方法や触読の教育実習システムを作り上げることについて語り合いました。

 私にとっては、つい最近まで信じられなかったことを間近にして、自分のこの目で確認することができました。そして、予想を遥かにこえた、大きな成果を実見することとなりました。
 とにかく、変体仮名で書写された鎌倉時代中期のハーバード大学本を、光をまったく感じられなくなった渡辺先生が読まれるのです。
 こんな日がいつかは、とは思っていました。それが、何と今日だったのです。
 お互いに、得難い有意義な体験の共有と情報交換ができました。

 こんな日が、こんなに早く来ようとは、誰が予想できたでしょうか。
 このことにより、さらなる課題も見えてきました。
 渡辺先生は特別だから、ということで終わらないようにするためにも、より一般化した「変体仮名翻字版」の学習習得プログラムを構築することに向かって進むことにします。

 詳しくは、後日公開する、触読研究のホームページを通して報告しますので、今しばらくお待ちください。

 お話を伺っていて、失明される前から書道をなさっていたことが、古写本『源氏物語』を触読できる大きな力となっていることを痛感しました。
 もちろん、大学時代から古典文学の研究をなさっていたことがそのベースにあることは言うまでもありません。
 いやいや、知的好奇心も忘れてはいけません。

 今日は、たくさんの触読資料を触っていただきました。立体コピーや木刻文字に紙の切り抜き文字などなど、実にさまざまでした。

 立体コピーにしても、さまざまな大きさのものを用意していました。
 結局は、1面10行の枡型本の5行分を、A4版用紙に縦いっぱいに立体コピーしたものが一番いいことがわかりました。


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 木刻文字や切り抜き文字も、さまざまな触読に関する意見を聞くのに、有効な小道具となりました。
 この文字を削り出し、抜き出した科研運用補助員の関口祐未さんの苦労は、目には見えないながらもその効果は絶大でした。触常者の興味とやる気を引き出します。そして何よりも、人を饒舌にする小道具でもあります。


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 「変体仮名」とは異なり、活字のひらがなについても触読してもらいました。


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 これについては、48ポイントの文字が一番触読しやすい、との結論を得ました。

 図書館などのカウンターで、この文字の大きさに拡大した立体コピーを作成すれば、今すぐにでも視覚障害者がひらがなの本文とひらがなのルビを頼りにして、自分の意思で自由に読書ができます。
 誰に遠慮することもなく、自分のペースで、同じところを何度でも読むことができるのです。

 1日も早い実用化に向けて、さらなる研究を展開したいと思っています。

 なお、視覚障害者向けの音声教材を開発実験しておられる先生の情報もいただきました。
 また連絡をして、アドバイスをいただきたいと思います。

 この古写本の触読に関する研究は、まだまだ発展して行きそうです。
 これまでにも増して、さらなるご理解とご協力を、幅広い分野の方々にお願いしているところです。

 それにしても、いいタイミングで渡辺先生と出会えたことに感謝しています。
 これは、先般、札幌で開催された日本盲教育史研究会に参加した折に、指田先生など多くの方々とお話しできたことによる、人と人が結ぶ縁で生まれた成果です。
 みなさま、本当にありがとうございます。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年07月29日

読書雑記(138)西野 喬著『防鴨河使異聞』

 西野 喬著『防鴨河使異聞』(郁朋社、2013.9)を読みました。


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 長保4年(1002年)頃のことです。
 防鴨河使(ぼうがし)である蜂岡清経が、捨て子を悲田院に預けることから始まります。

 大雨で三条堤が切れた場面などは、実況中継のような迫力で氾濫の中を走り回る様が描かれます。
 悲田院が崩落する場面も真に迫っています。また、後の内裏炎上を描く筆も力強さに溢れています。

 京洛に住まう貧しい者や病人、さらには地方から出て来てさ迷う民への視線が、この物語を支えています。今で言うところの弱者への視点が顕著です。
 全編を通して、見捨てられた者たちへの温かい眼差しが印象的です。人を思いやる気持ちが丁寧に描かれています。

 賀茂の河原は、恵まれない人々の生死をかけた生活の場所だったのです。それが、防鴨河使と利害を争う交点となります。
 その成り行きが、為政者側と対立し、迫害を受けるのです。主人公である防鴨河使清経は、その間に立って苦悶し活躍します。

 悲田院の静琳尼は、かつての遵子でした。そして、遵子は左大臣藤原頼忠の娘なのです。
 この女性の設定の中途半端さが、本作の完成度を低くしたように思います。このことは、後半になって顕著に見られます。

 第7章「回想」は、本書の中では内容が宙に浮いてしまっています。防鴨河使に直結せず、唐突に周縁の話が持ち出されたからです。この章を、続く第9、10章へとつなげることで、ドラマチックな展開にしようとします。しかし、話がことさらに説明口調となり、上滑りしてしまっているのです。

 物語の構成に不自然なところがあり、読者への配慮が見られません。後出しじゃんけんとなってしまいました。

 それまでの防鴨河使の話が、京洛を舞台にして生き生きと語られていたので、もったいないと思います。物語が人間の情に流されてしまい、解説口調になりました。尻すぼみの作品に脱してしまったことが惜しまれます。【3】

 なお、賀茂川の流路に関しては、かつて「つけかえ説」というものがありました。
 これは、京都市北区雲ケ畑を源とする川が当初はまっすぐに南下し、京都の中心部を流れる堀川に合流していた、というものです。東から流れる高野川との合流地点は、今の六角堂付近だった、とするのです。
 しかし、それは1980年代までで、それ以降は今のままの流れだったことが地下鉄烏丸線の工事の折に証明されました。(横山卓雄、『平安遷都と「鴨川つけかえ」 - 歴史と自然史の接点』、法政出版、1988.6)

 私は、大学時代にこの賀茂川の流れに興味を持ち、京都の図書館などでさまざまな本を読みあさりました。そして、結論は流路は変更されていない、ということでした。

 本作品では、「賀茂川つけかえ説」によって語られています。2012年に執筆された作品なのに、なぜ学会で否定された旧説によっているのか、その理由は今はわかりません。
 「あとがき」にも、そのことは説明されてはいないのです。

 参考までに、本作で「つけかえ説」による記述となっているところを引いておきます。


・なぜ国を傾けるほどの財力と労力を費やして長大な賀茂堤を作り上げ、京の東端を北から南にほぼ真っ直ぐに流れ下るように賀茂川を押し込めたのか、(59頁)
 
・賀茂川を生まれたままの古の姿に戻してやれ、とお考えのようでした。つまり賀茂川の流路を制限する堤や土手をすべて取り払い、流れが勝手気ままに行きたいところへ行くようにし、防鴨河使などという官衙も消滅させる、(60頁)
 
・もともと賀茂川は京の街中の方まで流れ込んでいたそうでございます。(60頁)
 
・都をこの地に定めるにあたって、中国の長安に模した都造りに固執するあまり、氾濫の猛威を軽視し、流路を東端に堤防で押し込めた。降雨で増水すると賀茂川は元の流路に戻ろうとする。ために平安京では遷都直後から人と川の共生は難しいものとなった。もし防鴨河使達の地道な河川管理がなされなかったら、京の人々の生活は一層困難なものとなったであろう。今日、往時の流れを彷彿させるものは何一見当たらない。今見る堤は高度の土木技術によつて賀茂川のDNAを根こそぎ封じ込めてしまった。このことは賀茂川に限らず、現代人が川とどう関わろうとしているのかの一つの答でもある。(あとがき、309頁)


 本作は2012年度、第13回「歴史浪漫文学賞 創作部門 優秀賞」の受賞作(出版化)です。
posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | 読書雑記

2015年07月28日

読書雑記(137)山本兼一『神変─役小角絵巻』

 山本兼一の作品としては、これまでとは異質な世界が語られます。
 それだけ、新たな世界を構築しようとする意欲をもって取り組んだ作品です。
 この『神変』を刊行したのが2011年7月、山本兼一の急逝が2014年2月なので、このテーマの進展を見られないままになってしまったことが、返す返すも惜しまれます。


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 飛鳥に都があった時代から藤原京へと移る頃の話です。役小角は鵜野(後の持統天皇)の政治をはじめとして、あらゆることに腹が立っていました。その逆もまた真であり、鵜野も役小角が好きではありません。

 鵜野は、柿本人麻呂の歌を好んでいました。文化としての和歌が、作中から実感として伝わってきます。作者は、言葉を大切にする姿勢を見せています。

 役小角は、一言主を越えようとして、吉野の山の精気を取り入れるべく修行に励みます。飛鳥の組織力に対抗するために。
 天地は、すべての人間のものであって、飛鳥の一部の政権のものではない、という信念のもとに、役小角は邁進します。すべて、民草のためであり、ひいては山の民のためです。

 しかし、役小角が修行に出ている間に、葛城山の村が藤原不比等の采配で焼き討ちにあいます。
 作者の筆は、視点を巧みに移しながら、多くの民草の活躍と苦悩を活写します。

 藤原京という新しい国を造ろうとする鵜野と不比等たちの存在が、役小角には認められないのです。力で人間を支配することには従えないのです。権力と法律で人民を縛ることに、最後まで反抗します。

 この新都では、柿本人麻呂と軽皇子(後の文武天皇)が、言の葉が持つ力が多くの人々を動かし、国を造ってきた、と語り合います。その言の葉で国の物語を語り伝えようとも。『古事記』を意識してのことです。

 役小角は、山の民に向かって「神仏にすがるな」と言います。すがっても、何も変わらぬと。変えるのは自分であり、変えられるのは自分だけだとも。

 やがて、蔵王権現が役小角に降臨し、乗り移りました。
 そして、役小角は大極殿の玉座から、鵜野や不比等や軽皇子に命令を下すのです。有り得ない事態が進展していきます。現実味を帯びた、気迫溢れる空想話です。この奇想天外な話が実におもしろいので、つい読み耽ってしまいました。

 ここで軽皇子が、稗田阿礼が語り継いできた国造りの物語を、役小角に向かって語り出します。
 しかし、役小角は作り話だと一笑に付します。このやりとりが秀逸です。新しい山本兼一の筆の冴えが見られます。そして、天皇というものの存在に、真正面から疑問を呈します


「そんな話がまともに信じられるものか。そもそも、なにもない混沌とした泥のごとき世界を、いったいだれが見ていたのだ」
「イザナギの尊とイザナミの尊である」
「世のすべてが混沌としておったというのに、その二人は、どこにおったのか」
 軽皇子は、言葉を詰まらせたが、すぐに口を開いた。
「神であるゆえ、どこにでもおわします。埃ほどに小さくもなり、かたちがなくとも漂っておられるのが神である」
 小角が大声で笑い飛ばした。
「ずいぶん都合のよい神だな。では、天の浮橋とやらは、どこから、どうやってあらわれた」
「それは……」
 軽皇子がくちびるを嘗めている。天の浮橋がどうやってあらわれたかについて、稗田阿札は語ったことがない。それは、そこにあったものだと、鵜野は思っていた。
「どうした。混沌の世界に橋だけがあったのか」
 せせら笑う小角の顔が憎たらしい。
「いや……、神であるゆえに、望めばそこに橋があらわれる」
 そうなのだ。神なのだから、それくらいの力はお持ちであるはずだ。
「ならば、おのころ島も自分の力でつくればよいではないか」
「………」
 軽皇子の眉が曇った。
「どうした。神ならば、望めば、天の浮橋があらわれるのであろう。おのころ島はあらわれぬのか」
「島は…、島は大きいゆえに矛の力を頼られたまでのこと。なんの不思議もありはせぬ」
「ふん。中途半端な神だな」
「なにをほざくか」
 激昂した皇子の声が響いた。
「われらの神々を冒瀆すると許さぬぞ」
 思わず鵜野は、声をあげていた。できれば、小角に飛びかかって首を絞めてやりたいが、いかようにもがいても、からだは動かない。皇子も動けぬまま、顔を苦悶させている。
「おう。鵜野の婆さんも、あいかわらず威勢がよいな。けっこうなことだ」
「なにを白々しいことを。勝手な振る舞いは許しませぬ」
「勝手はそちらだ。この天地の物語をでっち上げ、自分たちのものだなどと言いだす騙りの罪は重い」
「騙りなどではない。これぞ、わが家系に伝わる真実の言の葉である」
「ふん。猿の寝言より始末が悪い。そんなたわごとで、この天地の由来が説明できるものか」
小角の言葉に、軽皇子が顔をひきつらせた。(412〜414頁)


 続いて役小角は、宇宙界について語るのです。そのスケールの大きなこと。気持ちがいいほどです。

 やがて、鵜野も軽皇子も、天空の霊の世界で役小角と問答となります。身体は浮遊しているのです。
 そこで、アマテラスと蔵王権現の偉大さが比べられるのです。

 とにかく、第13章は圧巻です。山本兼一の面目躍如といえます。
 この一大スペクタクルは、これまでの山本になかったものでしょう。

 「命令しない」「奪わない」「助け合う」をモットーにして、役小角は国を造ろうとするのでした。
 その想いが現実と乖離していくことを感じながらも、それでも役小角は自分の理想を追い求めて生きるのです。最後まで、律令によって国家を統一することには疑問を持っているのです。
 このテーマのさらなる進展が、大いに期待されるところです。しかし、もう山本の語りを聞くことはできません。【4】
 
 本作は2011年7月に中央公論新社より刊行されました。
 今回は、中公文庫(2014年6月)で読みました。
 巻末に置かれた「解説 もうひとつの国のかたち」(安部龍太郎)は、亡き友への追悼文ともなっています。必読です。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 読書雑記

2015年07月27日

谷崎全集読過(24)『春琴抄』

 大阪の下寺町にある、鵙屋家のお墓の話から始まります。
 この地域は、私が高校時代にテニス部の基礎練習で走り回った一帯です。それだけに、地理的にも環境や雰囲気もイメージが膨らみます。

 春琴のお墓の横には温井佐助検校の墓石があり、この物語を少しでも知っている者にとって、この幕開けはこれから始まる話に胸をわくわくさせることとなります。

 ただし、本作も『盲目物語』同様に、地の文と会話文とが渾然一体となっています。また、句読点も省略されることが多いので、日頃このような、文の切れ目が不明確な文章を読み慣れていない方は、読み進むのに難渋されることでしょう。
 しかし、谷崎一流の問はず語りを実感できる、味のある小説手法だと思います。

 物語は最近筆者の手に入った小冊子『鵙屋春琴伝』を引きながら進みます。

 春琴は、9歳の時に失明します。風眼によるか、ともあり不明です。
 その後は、得意だった舞技を断念し、琴三絃の稽古に励むのです。
 5、6歳のときから手解きは受けていたとはいえ、眼さえ見えたら音曲には行かずに舞をしていた、とも言います。

 春琴の師である春松検校の稽古場は靫にありました。
 この靫にある公園へ、私は高校時代によくテニスをしに行きました。ここも、先の下寺町と同様に、物語を読みながら背景を想像して楽しめました。
 これまでにも何度か書いたように、物語や小説は、その背景を知っていると読みやすいものです。フィクションは事実と異なるとはいえ、やはり親しみを持って読むのも、読書の楽しみの一つだと思っています。

 さて、丁稚佐助(後の温井検校、春琴より4歳上)は、道修町にあった鵙屋から毎日春琴の手を曳いて、稽古に通っていました。
 その佐助は、春琴失明後の13歳の時に鵙屋に奉公に来たのです。
 そして佐助は、「彼女に同化しようとする熱烈な愛情」(213頁下)と生来の才能で、後に検校にまで昇り詰めます。

 本作中には、谷崎の盲人を見る視点が、いろいろと垣間見えます。語られている言葉をありのままに引くことで、確認としておきます。


〔佐助は彼女の笑ふ顔を見るのが厭であつたといふ蓋し盲人が笑ふ時は間が抜けて哀れに見える佐助の感情ではそれが堪へられなかつたのであらう。〕(211頁下段)
 
もと/\我が儘なお嬢様育ちのところへ盲人特有な意地悪さも加はつて片時も佐助に油断する暇を輿へなかつた。(212頁下)
 
觸覺の世界を媒介として觀念の春琴を視詰めることに慣らされた彼は聽覺に依つてその缺陷を充たしたのであらう乎。人は記憶を失はぬ限り故人を夢に見ることが出來るが生きてゐる相手を夢でのみ見てゐた佐助のやうな場合にはいつ死別れたともはつきりした時は指せないかも知れない。(258頁上)


 春琴の妊娠のことでは、2人の性格が鮮明に描出されます。春琴が佐助を見る蔑みの態度や、その虐める姿からも、春琴の特異な性癖がことば巧みに描かれます。ここには、谷崎自身の姿を彷彿とさせるかのように、非常に具体的です。

 鶯や雲雀を愛する春琴も、高雅な趣味に浸る姿として活写されています。

 語り手が自作で述べた持論を紹介するなど、話題を事実らしくする工夫も見られます。


嘗て作者は「私の見た大阪及び大阪人」と題する篇中に大阪人のつましい生活振りを論じ東京人の贅澤には裏も表もないけれども大阪人はいかに派手好きのやうに見えても必ず人の氣の付かぬ所で冗費を節し締括りを附けてゐることを説いたが春琴も道修町の町家の生れであるどうして其の邊にぬかりがあらうや極端に奢侈を好む一面極端に吝嗇で慾張りであつた。(237頁下)


 ここに引かれている「私の見た大阪及び大阪人」は、『谷崎潤一郎全集 第17巻』に収録されているものです。

 佐助が春琴のことを思って盲目になってからは、これまで以上に2人の世話をした鴫澤てる女が物語を補強する役を担います。読者を飽きさせない、物語の構成にも配慮が行き届いています。

 本作は、私がイメージしている谷崎潤一郎らしさが詰め込まれた、完成度の高い作品だと思います。【5】
 
 
初出誌︰『中央公論』昭和8年6月号
『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(昭和33年1月発行、中央公論社)所収
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 谷崎全集読過

2015年07月26日

江戸漫歩(108)牡丹町公園での盆踊り大会

 地下鉄東西線の門前仲町駅一帯は、商店街や沿道に演歌が流れている、深川の面影を残す庶民的な街です。

 その真ん中に位置する牡丹園に隣接する牡丹町公園は、門前仲町、富岡、木場、古石場、越中島に囲まれた古石場親水公園沿いにあります。
 この牡丹町公園で盆踊り大会をしていました。
 太鼓の音に釣られて、自然と足が向きました。


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 予想に反して、公園は大勢の人で賑わっていました。
 下町の住宅街なので、子供が多いのです。踊りの輪にも活気があります。
 町内会の世話役数人が踊っているのではなくて、ご町内みんなで盛り上がっていました。


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 近年、発展の著しい近隣の豊洲、月島地区の高層マンション群とはまた違った、まさに江戸の情緒や風情がある一角となっています。
 先日来た眼科も、この公園のそばにあります。

 このあたり一帯は、8月に向けてこれからますます、神社の夏祭りや盆踊りで賑やかになっていきそうです。

 この近くの薬局でいくつかの医薬品を手に入れると、またすぐに木場へ行く用事ができました。
 のんびりと盆踊りを見て楽しんでいる暇はありません。
 何かと慌ただしい、西へ東へ北へ南へと奔走することになった1日でした。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年07月25日

江戸漫歩(107)乃木坂での講演後に公園で盆踊りを見る

 国文学研究資料館では、歴史的典籍に関する大型プロジェクトが進行しています。
 国際的な共同研究ネットワークの構築へ向けた一大プロジェクト「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」が、平成26年度からスタートしています。

 これは、人文社会学分野では唯一、かつ初めての大型プロジェクトです。
 今年は、10年計画の2年目に当たります。

 今日は、「日本語の歴史的典籍データベースが切り拓く研究の未来」と銘打った公開シンポジウムが、都内の乃木坂にある日本学術会議講堂で開催されました。


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 その内容は、以下の通りです。


公開シンポジウム
「日本語の歴史的典籍データベースが切り拓く研究の未来」

日時 2015年7月25日(土)
会場 日本学術会議講堂(港区)

プログラム
司会 谷川惠一
開会の挨拶 長島弘明
「日本語の歴史的典籍データベースの構想」今西祐一郎
「和算資料が示唆する数学の将来」上野健爾
「文理にまたがる古医書の研究」ミヒェル・ヴォルフガング
「日本古典籍からみた料理文化の展開--料理書から料理本へ」原田信男
「東アジア文献アーカイブスの現状と未来」内田慶市
討議
閉会の挨拶 木部暢子


 本日の講演の内容は、いずれまとめて公開されるので、ここでは少しだけ個人的な感想を記しておきます。

・西洋の数学に対する江戸時代の和算における発想のユニークさと、関孝和の人となりについて興味を覚えました。

・日本の古医書には写本が多いという事実を初めて知りました。また、日本の鍼灸に関する情報をもっと聞きたいと思いました。

・平安から鎌倉時代にかけての料理書について詳しく調べたくなりました。江戸時代の料理本の多さには驚くばかりです。

・私がデータベースに着手したのは1981年です。それから34年経った今、画像処理が向上したこと以外には特段のトピックは少ないようです。

 いずれの講演も、国文学以外の異分野・他分野における興味深い内容で、大いに刺激をいただきました。寒すぎるほどに空調がよく効いた講堂の中だったので、体温と知的興奮とが適度にブレンドされて、心地よいシンポジウムとなりました。

 帰りがけに、浴衣姿の女性を多く見かけました。


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 行き先を見やると、青山公園(次の写真右側の木立の中)に入って行かれます。


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 太鼓と撥の音が賑やかに聞こえるので、公園に寄ってみました。
 これは霞町盆踊り大会で、これから夕刻にかけて、ますます盛り上がりそうな雰囲気でした。


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 全国各地で盆踊り大会が催されることでしょう。
 夏がやって来た、ということを実感しながら帰路につきました。
posted by genjiito at 21:28| Comment(0) | 古典文学

2015年07月24日

ハーバード本「須磨」の紛らわしい翻字の訂正

 『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤鉄也編、新典社、2013年)における紛らわしい文字の翻字例を確認し、併せて訂正しておきます。
 
(その1)
 これまでの翻字を訂正して〈判読〉を付す例(41丁裏4行目、98頁)

 これは、『源氏物語別本集成 続』の文節番号でいうと、123444に当たる所です。
 まず、画像を見てください。


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 これは、前の行が「思」で終わり、それに続いて行頭から書写されている文字列です。

 『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』では、「思はん」と翻字しました。

 この丁の3行前には「思らん」があります。


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 また、この2行後には、「おもふらん」とあります。


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 平仮名の「ら」は、よく紛らわしい姿で書写されています。
 以前、ハーバード本「蜻蛉」における変体仮名の「者」について書きました。参考のために、その記事を引いておきます。

「ハーバード大学本「蜻蛉」巻の紛らわしい「者(は)」」(2015年05月21日)

 さて、本日の記事の最初の例にあげたものは、「はん(者无)」よりも「らん(良无)」の方がいいようです。

 手元の本文データベースで諸本(19本)を確認したところ、宮内庁書陵部蔵三条西家旧蔵本のみに、「思はむ/は$ら」とあります。最初に書いた「は」をミセケチにしてから、それを「ら」と直しているのです。「は」と「ら」が紛らわしかった所であることがわかります。

 このことは、「変体仮名翻字版」を作成している過程で、字母を確定していて気付きました。
 変体仮名の字母に注意して翻字を進めると、置き換えて済ませていた所が、あらためて字母レベルでのチェックをすることになり、より正確な翻字となっていきます。

 今の場合、現在構築中の本文データベースの表記法で正しく示すと、「思らん/ら〈判読〉」となります。「ら」には、いましばらくは〈判読〉を付しておいた方がいいと思います。
 これまで通りの翻字で、ここを「変体仮名翻字版」に置き換えると「思者ん」としてしまうところでした。うっかり素通りしかねない、危ないところでした。
 
 
(その2)
 説明注記の削除(42丁裏2行目、100頁)

 次は、『源氏物語別本集成 続』の文節番号でいうと、123523に当たる所です。

 画像には「五六人」とあります。


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 この「五」と「六」の間に、薄墨で点が打たれているように見えます。
 そこで、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』の翻字では、付加情報として「五ト六ノ間ニ墨デ中黒点アリ」という注記を付しました。

 しかし、ここで中黒点に見えるのは、実は「五」の一部であることが、36丁裏5行目の「五」から再確認できました。


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 二つの「五」をじっと見つめていると、共に同じ「五」であることがわかります。
 したがって、「中黒点」という説明的な傍記は間違いであるために不要となり、この付加情報は削除することになります。
 これなどは、もっと筆の軌跡を目で追っていれば避けられた誤読です。

 現在、これまでに構築した『源氏物語』の本文データベースのすべてを「変体仮名翻字版」に書き換えるために見直しをしています。
 データベースの再構築というのは、とにかく膨大な人手と時間が求められます。
 その過程で、こうしたいろいろな見落としや勘違いが見つかります。

 いつ終わるとも知れぬ、果てしない旅に出ている気持ちです。
 これは、3世代100年はかかるプロジェクトだと自覚しています。
 しかし、100年でメドが建つのか、はなはだ心もとなくなってきました。
 それでも、「変体仮名翻字版」の翻字に積極的に、協力して取り組んでくださる方々は、少しずつ増えています。有り難いことです。NPO法人〈源氏物語電子資料館〉を立ち上げてよかった、と思っています。

 日々、古写本に向かい、数百年前の書写者と対話を楽しんでいます。
 これを好機として、より正確な『源氏物語』の本文データベースを目指して、一歩ずつ前を向いて1文字ずつを見つめて翻字しているところです。

 さらなるお手伝いをしてくださる方々を、心待ちにしています。
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年07月23日

古写本『源氏物語』を触読するための立体コピーの新版作成

 目の不自由な方々が変体仮名で書かれた『源氏物語』を読めるようになれば、と、さまざまな取り組みを試行錯誤しています。

 本日、触読のための新しいパターンの資料をいくつか作成しましたので、アドバイスをいただく意味からも、ここに取り上げて紹介します。

 今回も、立川市中央図書館のハンディーキャップサービス担当の福島さんと早坂さんのご理解とご協力を得て、以下のような試作版を作りました。

(0)立体コピーによる触読資料は、A4版のカプセルペーパー(松本油脂製の浮き出し用紙)で作成することを原則としています。
 資料の大きさをA4に統一することは、資料の保管と閲覧の便宜を最優先させて決めました。

(1)カラー版の試作
 まず、ハーバード大学本『源氏物語』「蜻蛉」巻の14丁裏と15丁表を、カラー版で立体コピーを作成しました。
 この巻のなかでもこの場所を選んだのは、来週7月30日に日比谷図書文化館で開催される翻字者育成講座で、ここから読み進める予定の箇所だからです。他意はありません。


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 写真では、文字の浮き上がり具合が不鮮明です。しかし実際には、文字は浮き上がっています。もっとも、その浮き上がり具合は、以下のものよりも格段に低いものです。

 背景の水が滲みた所のキワの線や、汚れなどは、触読には何ら影響がありませんでした。用紙に塗布された薬品が、敏感に反応しなかったことが幸いしています。ただし、これは原寸で作成しただけのものなので、今後はさらに拡大したものでも実験をすることにします。

 カラーで立体コピーを作成したのは、白黒と違い、色の微妙な差が文字の浮き出し具合に影響しないか、と思ったからです。次回、以下に揚げるようなパターンを、カラーでも作成したいと思います。微妙に文字の浮き具合が異なるようなのです。

(2)14丁裏のカラー版(122%拡大)
 この拡大比率は、原本の10行がA4版の横幅一杯に入ることを最低条件として設定したものです。
 このカラー版は、背景処理をしてから立体コピーにかけたものです。次の(3)は白黒版なので、それと比べると、カラー版の方が微妙な反応を見せているようです。強弱が滑らかに変化しており、指への感触が柔らかいことがわかります。
 どちらが触常者にとって読みやすいのかは、これから実験を進める中で実証していきたいと思います。


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(3)14丁裏の白黒版(122%拡大)
 これは、上の(2)と比べると、文字がくっきりと浮き上がっています。
 触読しやすいように思われます。しかし、実際に一人でも多くの方に触っていただくことで、最終的な判断をしたいと思います。


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(4)14丁裏の白黒版(150%拡大)の右側5行分(前半)
 上掲(3)をさらに拡大し、上下をA4用紙一杯まで入るようにコピーしたものです。
 文字が大きくなったために、行間も開き、原本の10行分が1枚のA4用紙に入りません。そのために、左右それぞれ5行づつを立体コピーにして作成しました。


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(5)14丁裏の白黒版(150%拡大)の左側5行分(後半)
 上掲(4)に続いて左側となる5行分です。


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 15丁表も、14丁裏と同じように立体コピーを作成しました。しかし、ほとんど同じ形式のものなので、ここでは掲載を省略します。

(6)変体仮名を習得するのに役立つと思われる文字のパターン(字体)を、五十音順に立体文字にして並べてみました。


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 今回、参考資料として使用したのは、『影印本シリーズ 増補改訂 仮名変体集』(伊地知鉄男編、平成25年10月47刷、新典社)です。これは、既刊の40種類以上の変体仮名関連の書籍から、当面の用途に最適だと判断して選定し、そこから採字をしたものです。
 これは、14頁もの分量になっています。これでは資料としての枚数が多すぎます。触常者には、今しばらくはこれで変体仮名のパターンを習熟していただき、反応や意見を参考にして、さらによりよいコンパクトな字体集の作成に向けて展開していきたいと思います。
 ここで、字体集としてどの字母を選ぶかは、鎌倉時代中期に書写されたハーバード大学本によく出てくる文字を基本として、伊藤が独断で選定し構成しています。室町時代や江戸時代の古写本を読むために選んだ仮名文字ではないので、その点をあらかじめご了解いただきたいと思います。

(7)現行のひらがなである「あ」と「お」を、さまざまな大きさで立体文字にしました。
 触常者にとっては、ゴシック体が読みやすいということを伺っていたので、今回は「HG平成丸ゴシックW4」を使用しています。


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 現行の書籍などの印刷物で、ルビが多く付された本を触読することは、2人の全盲の方が実証してくださったので比較的容易であることが判明しました。変体仮名の触読ではなくて、下位レベルでの触読訓練のための情報を得ようとして、この資料を作成しました。
 この2文字はよく似ているので、触読の可否を判断するのに好例だと思います。

 今後は、どの大きさの平仮名活字が触読に最適かを、折々に調査していきたいと思います。
 ただし、これはあくまでも参考資料とするものであり、当面は変体仮名で700年前に書写されたハーバード大学本『源氏物語』を読むことが最優先課題であることに変わりはありません。
 
 今回、立川市中央図書館で作成した触読資料は、来週の30日に日比谷図書文化館で触読実験を行います。その後で、さらに詳しい報告を本ブログに掲載しますので、お楽しみにお待ちください。

 さて、この触読資料が今後ともさらにどのような成果を生むのか、ますます楽しみになりました。

 なお、触読資料作成にあたっては、科研における「挑戦的萌芽研究」の「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」で、科研運用補助員として国文研に来てもらっている関口祐未さんの貢献が大であることを明記しておきます。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年07月22日

アイドリングストップと熱中症を避けること

 東京も京都に劣らず猛烈な熱暑です。
 通勤で降り立つ立川駅からは、少しでも炎天下を歩く距離を短くするために、モノレールを使わずに職場の真ん前の停留所「立川学術プラザ」に停まるバスに乗りました。

 始発となる立川駅前に到着したバスの中で出発を待っていると、エンジンが切られていることに気付きました。車中で7分ほどの発車待ちです。

 日頃は、環境保護として排気ガス削減のためにアイドリングストップを励行していたのは、よく知っています。しかし、これだけ暑いのですから、エンジンをかけてエアコンを作動してもいいと思いました。もしかして、エンジンをかけなくてもエアコンは作動するかもしれませんが。

 車中のみなさんは、扇子や手団扇で少しでも風を感じようと必死の努力をしておられます。
 運転手さんは、じっと発車の時間を待っておられます。

 車内で誰か熱中症にでもなられたら、と、はらはらドキドキです。

 こんな時には、運転手さんに一言だけでも「エアコンを」と言うべきなのでしょうか?

 これだけ暑くてもアイドリングストップを遵守しておられるので、バス会社には、何かそれなりの規則があるのでしょうか?

 それでも、何事もなく目的のバス停に着きました。
 一安心です。
 何とかならないものかと、もやもやした気持ちの車中でした。


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posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 身辺雑記

2015年07月21日

予想外に短命だった日立のLDE電球

 昨夏、自宅の台所の流し台の照明を、これまでの直管型蛍光灯からLED電球に換えました。
 LED電球は消費電力が少ない上に長寿命とのことだったので、長い目で見ると経済的だという判断によるものです。

 しかし先週帰洛して早々に、このLED電球が切れていることに気付きました。
 点かないのではなくて、点いているのか点いていないのか判別し難いのです。
 昼間はわからず、夜になると微かな光が感じられるだけの丸い球になっていたのです。
 踊り終わって消える寸前の線香花火が残す、赤い火の玉よりも暗いのです。

 商品は、日立の「LDA9D−G」で、8.8w(60w相当)でした。

 たまたま、購入した当時の情報が「価格.com」にありました。


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 この電球は、北大路駅上の北大路ビブレの中にある電気店で買ったはずです。
 60wの白熱電球が、百円ショップでも売られているご時世に、LEDタイプで確か2,000円弱でした。
 定年後には終の住み処となる自宅の、その居住環境作りにおける照明を見直す中で、徐々にLEDに換えていた頃でした。

 「価格.com」の情報の下部に、「新製品ニュース」があります。
 これを読む限りでは、このLED電球は当時最新のものだったようです。


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 説明文には「定格寿命は40,000時間」とあります。
 365日×24時間=8,760時間です。
 毎日点けっぱなしでいても、計算上は4年半は持つことになります。

 もっとも我が家は、東京と京都の二重生活を送っているために、この1年間でこの電球を点けた時間は非常に限定されています。

 これまでにも、多くの欠陥商品を手にしていることを、本ブログに書いてきました。
 ほとんどが、自動車であったり、コンピュータに関する、高度・高精細な機器にまつわるものでした。
 それが、ごく一般的な家庭用の電球でも、こんなことがあったのです。

 まだその未来が見えないままに、利点だけが強調されて店頭に並んでいるLED電球です。
 今は、こんなことがありました、という報告に留めておきましょう。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 身辺雑記

2015年07月20日

京洛逍遥(365)颱風一過いつもの賀茂川に

 連休の最終日、夕方の散策に出かけました。
 先週は濁流に任せるままだった賀茂川も、週が明けるとしだいに旧に復して来ました。

 北大路橋の橋脚の下は、ようやく通れるようになりました。
 水没していた中洲が姿を現しました。
 ただし、まだ漂流物が残っています。
 鴨や鳩は、まだ様子見の気配があります。


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 しかし、鷺はいつもの姿を見せています。


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 我が家でトントンと言っている飛び石は、まだ水が多いので対岸に渡ることができません。
 北山は相当の水を抱え込んでいるようです。


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 上空には、夕陽を映した浮雲と飛行機雲が少しずつ移動しています。


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 月を掠めるように通り過ぎる飛行機雲も見えます。


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 これで一気に夏に突入となればいいのですが。
 また颱風がやってくようなので、自然と人間の駆け引きはまだまだ続きそうです。
posted by genjiito at 22:40| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年07月19日

京洛逍遥(364)下鴨神社のみたらし祭 -2015-

 下鴨神社のみたらし祭に行ってきました。今年は、婿殿と娘も一緒です。

 昨年の様子は、以下の記事をご笑覧ください。それ以前の記事にも、中のリンクからたどれます。

「京洛逍遥(333)下鴨神社の御手洗祭 -2014」(2014年07月26日)

 今年は今日が初日で、しかも午前中だったので、比較的楽に入れました。


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 みたらし池に入る前に、靴をビニール袋に入れて、裸足になります。

 この下鴨神社のみたらし祭(御手洗祭)は、京の夏の風物詩となっています。
 1年の折り返し地点であるこの時期に、平安時代から貴族たちは禊をすることによって、罪やけがれを祓って来ました。裸足でみたらし池に入り、膝まで水に浸かってノソノソと歩く「足つけ神事」は、無病息災を祈るものです。


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 最初は、池の水の冷たさに足を引きます。しかし、そこを我慢して歩みを進めると、次第に冷たさに足が麻痺し、みたらしの水の感触が爽快感を呼ぶようになります。

 こうして、自分の身体を祭礼の中に実感を伴って置くことで、古代の禊ぎの風習が今に蘇ります。非常にわかりやすい、実感実証の伝統文化の継承です。
 こうしたことが、千年以上を経た今も伝わっていることに、日本文化の永続性をあらためて見直しました。参加型のこの民俗行事は、誰でも容易に体験でき、しかも爽快感が残るイベントなのです。これが、永く続く秘訣なのでしょう。

 池の中では、入口で渡された蝋燭に火を灯し、火が消えないようにそっと運んでお供えします。


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 その後、みたらし池から上がって足を拭き、靴下と靴を履くと、浄めのお水をいただきます。


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 これで、身も心も生き返り、今年の後半へ向かう鋭気が養われるのです。
 裸足で冷たい水の中を歩き、清らかな水で喉を潤すことで、その清新の感触を味わえるのです。

 下鴨神社から出町柳の桝形商店街に足を向け、おばんざい屋の「出町ろろろ」で4人揃って昼食をいただきました。ここは、なかなか予約がとれないお店です。お薦めのお店ですので、機会があるたびに予約にチャレンジしてみてください。


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posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年07月18日

京洛逍遥(363)濁流の賀茂川と新町通りの珍品

 昨夜は、突然の避難勧告が発令されて驚きました。
 しかし、明け方には雨も上がり、自宅周辺は大事には至りませんでした。

 昨日までの大雨で、賀茂川は濁流が遊歩道ぎりぎりまで流れ下っています。
 出雲路橋から北大路橋越しに北山を望むと、いつもの穏やかな川が不機嫌に流れています。


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 振り返って、葵橋や京大病院がある方を見やると、拡がった川面をもくもくと濁流が下って行くところです。
 平穏な京洛を、不愛想な表情の茶色い水が駆け抜けて行くという、めずらしい雰囲気の賀茂川です。


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 送り火で知られる如意ヶ岳を見ると、一ヶ月後に大文字の火が灯る姿が想像できないほどに、川面の水は怒っているように水を巻き上げていました。


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 そんな中を、賀茂大橋の下では、鷺が小魚をうまく掬い上げて食べていました。
 こんなに濁った水の中から、長い嘴で巧みに小魚を探し出しているすばしこい様子は、日頃のおっとりと佇む姿からは想像できないものです。


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 三条大橋も、その橋の下はまだ水を被っていて通れません。
 橋桁に絡まる木屑を見ると、水嵩が増していたことがわかります。


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 昨日の山鉾巡行は見られなかったので、解体する様子でも見ようかと思い、御池から新町通りを下った一帯に自転車で移動しました。しかし、すでに前祭りの山鉾は片づけられていました。

 通りかかった京都ホテルオークラ新町1888(レストラン&バー)の前には、懐かしい郵便ポストがありました。


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 この前には、説明文があります。


 郵便差出箱一号丸型
昭和二十四年に全国に普及した「郵便差出箱一号丸型」と言う名称の郵便ポストです。
高さ一三五 cm、直径四〇cm、重さ八〇sの鋳鉄製で、昭和六〇年には約十五万個設置されていましたが、現在では保存用に残すのみとなりました。
これはその内の一つで京都で最初に設置されたこの地を記念して、永く文化的に保存するものです。
 郵便差出箱一号丸型保存協会


 この近くで、二宮金次郎を見かけました。こんな所で尊徳さんに、と思わずシャッターを切りました。


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 京洛には、まだまだ楽しい物が街のいたるところにあります。
 折々に取り上げます。
posted by genjiito at 22:38| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年07月17日

京洛逍遥(362)颱風下の山鉾巡行と突然の避難勧告

 今日は、祇園祭のうちでも前祭りの山鉾巡行の日です。
 しかし、西日本は生憎の颱風直撃で大変な状況にあります。

 ニュースによると、山鉾巡行が中止されたのは、最近では阪急電鉄の工事があった昭和37年だそうです。これまでに、悪天候で巡行が中止されたことはないとか。
 それ以前では、第二次大戦や応仁の乱などで山鉾巡行を中止したことはあったようです。
 何とも、例に出される出来事と、その時代感覚のズレが絶妙です。

 今年も、風雨をものともせずに大雨警報の中でも祇園祭は強行されました。
 準備万端、その意義の理解と信念が、このお祭りを後押ししているようです。
 とにかく、積年の高い経験値があるので、その決断は鮮やかです。

 夕刻の新幹線は、東京駅に人が満ち溢れ、当日券の入手は大変です。
 私がいつも乗る自由席では、静岡までは通路にもたくさん並んでおられました。

 京都は、蒸し暑い街です。特に、祇園祭の頃は余計にそう感じます。
 しかし、颱風が過ぎ去った後の雨風がまだ市中に残っていたせいか、京都駅前では少し涼しい風が心地よさを運んでいました。

 雨に打たれながらも屹立する京都タワーが、向かいの京都駅の壁面にその姿をくっきりと映していました。


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 祇園祭といえば鱧です。
 私がガンの告知を受けた2010年7月16日に、妻と錦市場で鱧寿司を食べました。忘れもしないこのことは、本ブログで何度も記したことです。

 今年も、東京では食べられない鱧を、コンチキチンを聞きながら食べることにします。

 と、ここまで書いた時に、突然携帯電話がいつもと違う音を鳴らして、「緊急速報」の画面を表示しました。そこには、「避難勧告」とあり、目を凝らして内容に見入りました。

 京都市左京区の鞍馬・静原・大原・花背地域に対して、23時に避難勧告が出されたのです。


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 我が家は左京区にあるといっても、山手ではなくて賀茂川沿いの下鴨地域にあります。左京区は縦長なので、今回の避難勧告の対象地域ではありません。

 そうこうするうちに、2回目の避難勧告が出ました。
 今度は、左京区の岩倉・上高野・修学院地域です。


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 続いて、左京区の松ヶ崎・市原野・北白川・浄楽・錦林東山地域に避難勧告がでました。

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 それにしても、北山と比叡山側の山手から下の地域には、危険が迫っているようです。
 住民のみなさまの環境に大事が至らないことを祈りながら、とりあえずブログをアップします。
 今夜は、しばらくは避難の準備をして情報の確認に当たることにします。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年07月16日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その16)

 日比谷図書文化館でハーバード大学本『源氏物語』の「蜻蛉」巻を読み進んでいます。
 今日は、一度書いた文字をその上からナゾる場合(重ね書き)を、5例あげます。
 &記号は、ナゾリを意味しています。「A&B」とあれば、まず「A」と書き、その上から「B」と重ね書きしていることを示しています。

(1)「は&と」


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 上掲写真の右行は、「なれと」とある「と」の下に「八」という変体仮名が確認できるものです。
 これは、「なれ八」と書いてしまい、すぐに「八」ではないことに気付いて「と」と重ね書きしたものです。この写本の筆者は、親本と違う文字を書写すると、ほとんどの場合、すぐに気付いて直しています。それだけ、神経を張りつめて書写していることがわかります。そして、小刀などで紙面を削らずに、上からナゾって補正する書写態度が各所で確認できます。
 
(2)「へ&へ」
 上掲写真の左行は、「さへ」と書いた後に、その「へ」が「ん」に見紛う形となったので、「ん」と見えるように書いてしまった「へ」の上から、念を入れて濃く強く「へ」と重ね書きしています。ここも、次の文字を書く前に、すぐに「へ」と強くナゾっています。
 
(3)「こ&心」


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 まず「こ能三」と書き、その「こ」が間違いであることに気付いて、「こ」の上から「心」をナゾっています。ただし、この「心」という文字の墨色が次の文字と比べても極端に濃いことから、少し時間が経ってから気付いて重ね書きしたものです。しかも、ご丁寧に何度もナゾっているようです。この「心」という文字を書いたのは、本書を書写している人と同一人物であることは、次の例の行頭に書かれた「心」という文字との近さからも類推できます。なぜ「こ」と「心」を間違えたのか、今その理由が私にはうまく説明できません。ここでは、親本と同じ文字を書くのだ、という本書の書写者の強い意思を読み取っておきたいと思います。

(4)「い&伊」


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 右側の行末では、「いまいましう」と書いてしまった後に、後の方の「い」を変体仮名の「伊」に訂正する意思が強く伝わってきます。普通は、「いま/\しう」とあるところです。しかし、どうしたわけか、「いまいましう」と書いてしまったのです。親本には、「いま伊ま」とあったと思われます。そのために、踊り字である「/\」を使わずに平仮名を続けて書くことになりました。その際、あまり使い慣れていない変体仮名「伊」が自然に書けなかったために、日常的によく使う文字である「いま」となったように思われます。頭の中で親本の字母が再現できなかったのでしょう。上記(2)の「へ」のように、「い」の上から「い」とナゾってもよさそうなのに、あえて字母の異なる変体仮名で書き直しているのです。親本の文字遣いに起因する訂正文字と考えられます。
 また、墨色が濃くて太字となっていることから、この「伊」も少し時間を置いてから気付いた補正のナゾリだと思います。
 
(5)「く&き」
 上掲写真の左側の行です。
 これは、「なけく」と書くつもりが「く」を書き終わらないうちに「く」ではなくて「き」であることに気付き、「く」の字形が完成する直前に、その「く」と書くのを中断して、その上から「き」を重ね書きしています。ここで、「き」が字母である「幾」に近い漢字体であることは、書写者の心理の綾が読み取れます。ここでは、「起」でもなく「支」でもなく、あくまでも「幾」の文字を用いているのです。字母の違いに対する本書の書写者の高い意識は、各所で確認できます。つまり、ここで親本は、あくまでも「幾」を字母とする「き」だったのです。この写本の筆者は、字母を変更して書写することはめったにないと思われます。もちろん、ケアレスミスはあります。しかし、それは少ないと思ってよさそうです。しかも、自分の書写間違いをごまかそうとする姿勢が希薄です。素直というか、正直な性格の、僧籍にある男性だと私は思っています。伝慈鎮(慈円)とされていることとは別の観点から、この写本に書写されている文字を丹念に追ってきての、現時点での印象にすぎませんが。
 
 このハーバード大学本「蜻蛉」巻には、多くの重ね書きの箇所があります。それらをすべて確認すると、書写者の人柄をはじめとして、書写態度に至るまで、いろいろなことがわかります。このことは、また機会をあらためて記します。

 今日は、ナゾリが集中している1丁半の箇所に限定して、確認してみました。

 日比谷からの帰りには、お客様と一緒に話をしながら帰途につくことになったこともあり、地下鉄沿いに霞ヶ関から国会議事堂前までを歩きました。
 昨日の国会での強行採決に抗議する声が、議事堂を包んでいました。警備関係者も相当動員されていました。しかし、当の国会議事堂は無表情です。この喧騒と静寂が写真にうまく写し込められないのが残念です。


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 700年前の写本を読んだ後だったからでしょうか。
 2015年7月16日という今日の現実に戻るのに、国会議事堂周辺の景色や音声を見たり聞いたりしているうちに、急激に強い力で今にぐいーっと引き寄せられました。このタイムスリップ感は、なかなか説明し難いものです。目に見えない力というものが、この世には存在することを実感しました。奇妙な感覚を味わうことになりました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年07月15日

読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』

『小林一三の知的冒険 宝塚歌劇を生み出した男』(本阿弥書店、平成27年6月)を読みました。



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 小林一三については、ちょうど1年前に、伊井先生の講演会でお話をうかがいました。
「大和桜井で伊井春樹先生の講演を聴く」(2014年07月27日)
 また、折々に直接うかがったこともありました。
 しかし、本書はその時にはまったく出なかった、新出資料を読み解くことにより、一三の文化や文学に関する関心事を掘り下げることで語り進めるものとなっています。

 一三が小学生の頃に書き残したものが紹介されています。その書写は、南北朝や秀吉などから名所風俗まで、文学の延長としての文化趣味にあふれています。

 このことを知り、池田亀鑑が同じ頃に同じように大人びた文章を書き、編集をしていたことを想起しました。
 一三が「隅田ニ桜ヲ見ル記」を12歳頃に書いているように、池田亀鑑は14歳のとき「花見に友を誘う文」(明治43年)を書いています(『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第1集』(伊藤鉄也編、新典社、126頁、2011年)に全文掲載)。
 一三が山梨県で、亀鑑は鳥取県です。地域は離れているのに、少年時代に思いのままに文章を書き、それらを編集していたという点では、まったく同じなのです。明治時代の小学生の意識と教養の高さが知られます。

 さて、本書は新資料である『記事録依小林 甲号』という日記によって、明治21年元旦から10月を明らかにしていきます。
 現存する日記は明治31年元旦からだったので、十年も遡って一三が15歳で上京する時の様子がわかります。また、『逸翁自叙伝』にも漏れている一三の空白の時代が、こうして次第に明らかになっていきます。

 既存の記録との突き合わせからも、興味深い事実を引き出しています。
 一三に迫り、その人間像のみならず内面にも食い込む鋭い洞察は、驚嘆に値します。
 馬車で旅立つ一三に青い毛布を巻くところなどは、井上靖が伊豆を出るときの様子とイメージがだぶりました。祖母に育てられた一三だったのです。

 一三が17歳の明治23年に発表した小説「練絲痕」の分析は、史実と人間を凝視する興味深い調査の結果といえます。

 その他、草稿や粗筋書きや断片的なメモから、伊井先生が得意とされる豊かな想像力で、一三が書こうとしていたと思われる小説作品の世界を再構築していかれます。これは、一緒に読んでいて楽しいくだりです。

 『曾根崎艶話』の大正五年初版本と検閲による削除の話も、興味深いものでした。こうした話は、さらに展開していきそうです。その一部を引いておきます。


もう一点解せないのは、これは記憶によるとしながらも、乳房の表現に「まるで紅梅の蕾だとつぶやいた」とする表現が検閲にひっかかったとする点で、大正五年の初版にはどこにもそのような表現は見いだされないし、まして後に増補した「紅梅の蕾」にも該当する文言は見当たらない。あらためて再版本の「序文」を確かめると、「風俗壊乱として告発され、即席裁判で罰金に付せられて、問題が起りそうになつた」とあり、具体的にどの表現が風俗紊乱とされ、実際に発禁処分があったのか、誰かの告発によって問題が大きくなりそうになったため、罰金の支払いですまされたのか、あいまいなままというほかはない。出版された本を読んだ者が風俗壊乱とどこに告発したのか、各新聞記者はその事件をいち早く聞きつけ、大阪の実業界の方からも「直ちに絶版し玉へ」と忠告されたというので、世間にも広く知られたようだが、具体的な推移は不明である。小林は罰金の支払いをし、後は自主回収ということで、その後の事件は沙汰やみになって一件落着となったのであろうか。もっとも、これは再版するための、小林の虚構による口実かもしれない。
 さらに問題を取り上げると、日記において「再読して見るとその風俗壊乱と目せられた部分は落欠になつてゐるから現在記憶はないが」としており、確かに現存する初版には不穏当な表現は存在しない。ただ、読み直してみると問題の個所は「落欠になつてゐる」というのは、内務省の命による逓信省の発売前の検閲によって告発され、小林は該当部分を削除し、申請し直して出版したのが大正五年の初版というのであろうか。真相は後者あたりだろうが、小林はこれについてあまり多く語ることをしない。記憶によると、問題となったのは二、三行くらいで、乳房を「紅梅の蕾」のようだと表現していたところだったという。ただこれ以上複雑になるため簡略に述べるが、実は「上方是非録」第六十五話「自然主義」で、主人公の「僕」が小田の家を訪れると、古簾を通して目に入るのは座敷の裸の老婦人が腰巻をして肩には濡れ手拭いをした姿、「隣に座ってうつ向いて新聞の小説を読んで居る廿歳余の婦人は、流石に裸体ではない、只だ両肩をぬいで肉付のいゝ桃色の肌と、プクツと高い紅梅の乳房に、恋物語の未来記を召して、束髪の後毛を乱して余念なき横顔が、一寸美しい」とする表現を見いだす。まさに同工異曲といってよく、これなどが後の『曾根崎艶話』に再利用されたのであろう。このような関連から見ても、「上方是非録」は『曾根崎艶話』の習作的な作品で、これを契機にしてより芸妓の姿に焦点を当てた作品に成長したのだろうと思う。(194〜196頁)


 小林一三を、事業家ではなくて創作の面から文化人として浮き彫りにしたところが、本書の特色といえます。

 なお、一三の『源氏物語』受容に関することが一例だけ、次のように語られているので引いておきます。


「繙くや源氏にはさむ薄紅葉」などは、舞子から須磨、明石を訪れ、そのゆかりで読みかけの『源氏物語』の本に薄赤く染まった紅葉を挟んだとすると、小林の古典に親しむ優雅な姿が彷彿としてくる。(129頁)


 宝塚歌劇に関連することは、ほとんど言及がありません。これに関しても、貴重な資料で新たな視点から切り込んでくださることを期待しています。すべて次作でまとめてくださるようです。

 参考までに、本書の目次をあげます。

目次

一 韮崎小学校から成器舎へ
 1 祖母の形見の青い毛布
 2 士族のブリキヤ校長
 3 韮崎学校時代の初恋
 4 成器舎時代の生活費
 5 成器舎からの退塾
 6 成器舎の英語教育

二 東京での新生活
 1 韮崎から東京へ
 2 士族校長の高柳
 3 慶応義塾への入学
 4 塾での生活
 5 鶴鳴会の発足
 6 文士としての登場

三 小説家への夢
 1 十七歳の小説「練絲痕」
 2 文学青年としての活動
 3 銀行で想を練った小説の下書き
 4 さまざまな小説作品へ

四 俳句への傾倒
 1 俳人の家系
 2 コウとの結婚秘話
 3 戯れの俳句
 4 句集『未定稿』と『鶏鳴集』の編纂
 5 心情表現の句作

五 「上方是非録」による大阪文化
 1 三美人の乗客
 2 大阪北浜の「夏亭」
 3 大阪の歴史叙述
 4 大阪風俗の描写
 5 大阪改造計画の夢

六 『曾根崎艶話』の執筆
 1 豆千代の襟替
 2 イ菱大尽と伊予治
 3 梅奴の生き方
 4 芸妓論

七 文化人との交流
 1 現代画鼎会の人々
 2 尾崎紅葉と田山花袋の原稿『笛吹川』
 3 俳人伊藤松宇と三好風人の俳画帖

八 果てなき文化への希求
 1 翻訳小説の試み「五十年の昔を顧みて」
 2 鶏鳴への思い
 3 最後の茶会の夢
 4 演劇映画、そして宝塚歌劇への果てなき夢

あとがき
posted by genjiito at 23:26| Comment(0) | 読書雑記

2015年07月14日

古写本『源氏物語』の触読【成果の記録】(盲学校の先生の場合)

 ちょうど1ヶ月前(6月15日)のことでした。
 日本盲人福祉委員会常務理事の指田忠司先生からご紹介いただいて、盲学校高等部国語科のW先生に触読に関するお願いのメールを送りました。ハーバード大学本『源氏物語』の「須磨」巻の立体コピーを触読する取り組みについてのことです。

 すぐに、以下の返信が来ました。


中途失明の全盲です。
もとは弱視で、大学時代は源氏物語を少々かじりました。
見えていた時は、書道を続けていたので、変体仮名がどう使われているのか、楽しみです。


 早速、「須磨」巻の巻頭部分の立体コピーを送りました。
 原寸、1.5倍拡大、2倍拡大の3種類の大きさのものです。
 この立体コピーについては、「3種類の変体仮名の立体コピーを作る」(2015年06月16日)の記事の写真を参照してください。

 届いた頃を見計らって、連絡しました。
 すぐ(6月18日)に返事が来ました。


今、触っていたところです。
ノーヒントでどのくらいいけるかと、
出だしは
「よのそ」ですか?
須磨なのですね
原文を探したら、
わかったつもりになってしまうので、
もう少し、
自虐的な時間を過ごしたいと思います。


 見えない中で、自分と闘いながら触読のテストをしてくださっていることが伝わる、私にとっては感激するメールでした。
 「自虐的な時間」とおっしゃることばから、まさに手探りの中で古写本『源氏物語』に挑んでおられることに、感謝の念でいっぱいになりました。
 「よの中」を初見で「よのそ」と触読されたことから、漢字の読み取りがいかに難しいことであるかがわかりました。しかし、「須磨」巻は漢字が少ないので、このことは何も問題とはなりません。とにかく、変体仮名をどのように読まれるのか、ということが最大の関心事となるのです。

 それから2週間半後(7月6日)に、私が送った立体コピーが読めたので翻字テキストを添削してほしい、という連絡を受け取りました。ほとんど正確に読み取られたテキストを拝見し、私の到達目標の一つが達成されたことを実感しました。
 読めるはずだ、という期待が現実のものとなり、朗報をうれしく噛み締めました。
 貴重な記録となるので、その時の文面の一部(少し調整)を引きます。


昨日、源氏物語の写本の触読をなんとか
最後までやってみました。
が、よくわからない部分が残っています。

実は、実家の母が、
元高校の書道の教員でありまして、
私も弱視で見えていた時は、
高校・大学と書道部で仮名を書いておりましたが、
だいぶ変体仮名を忘れているので、
母に来てもらい、解読を手伝ってもらいました。

原寸大は触読するには、小さくて、よくわかりません。
二倍のだと、学生時代に自分が書いていた
大きさに近いので筆遣いを追えます。

でも、変体仮名の使い方に癖というか、
このみがあるので、

この写本は
「と(止)」が多いのですね。
私は、「登」の方がきれいなので、「止」は
創作で散らし書きするときは好んで使いませんでした。

「本」とか、「於」など、
指を持ってもらって動かして思い出すものもあり、
15年以上筆を持っていなかったので、
思い出し切れていないというか、
納得しきれていないのですが。

二倍のものにはない部分で、
原寸大では
触ってもよくわからないところが後半にありました。
母にもよくわからない部分が二か所。

解読したものを添付します。
違っているところをご教示ください。


 私からは、現在進めている「変体仮名翻字版」による翻字例をお送りしました。
 加えて、以下の質問をしました(7月9日)。


(1)どのようにして読まれたのか。
(2)読み難かった文字は何か。
(3)どのような立体コピーを用意すればいいのか。
(4)どのような参考資料や情報があればいいのか。
(5)半丁を読まれての感想と今後への要望。


 これに対して、翌日すぐに回答がありました。
 ここにも、その文面の一部(少し調整)を引きます。
 あらためて、本ブログでの紹介に理解を示していただきました。
 ありがとうございます。


以下 質問の回答です。

(1)どのようにして読まれたのか。
まず送られた立体コピーをノーヒントで触りました。
「送りましたメール」をいただく前で、大きさが3種類、4部ずつと知らずに、
一番大きい二倍で触り、
出だしのひらがな「よの」、ところどころの「し」「く」などしかわからず、文脈が
想像できませんでした。どこの巻かも。「いづれの御時」でないことはわかりました。
その後、メールで須磨の冒頭と知り、しばらく触っていても進展がないので、自宅
で息子に参考書から須磨の冒頭を読み上げてもらい、音声パソコンに打ち込みました。
たぶん、大島本系統でしょう。
サピエで点訳データを探したのですが、古文表記の原文が探せませんでした。
パソコンの原文をヒントに触りながら変体仮名を推測し、原文に漢字を当てていきました。
原寸大では全然読めなくて、二倍が学生時代に書いていた仮名の大きさに近いので
筆遣いが想像できました。
それでも二倍の立体コピーは文章が途中で切れるので、意味が通じないところがあ
り、7/5に書道の元教員の母に出てきてもらい、指を動かしてもらって、変体仮名を
思い出すのを手伝ってもらいました。
 
(2)読み難かった文字は何か。
止、志、新、那、本、奈、堂、於、春
「可」で上の点画があるものとないものがある。それが「万」と紛らわしい。
文脈から推測するも不十分。
一度触ればわかるもの 「里、万、須、徒」
 
(3)どのような立体コピーを用意すればいいのか。
二倍サイズで最後まであるとよい。
が、その後、触っていると、つい昨日のことですが、原寸大でも読めてきた!
二倍ではわからなかった最後の行の冒頭の「三」が
原寸大だと「三やこ」とつながって認識できる。触り足りなかったかも。

 ※伊藤注:原寸大の触読については、すぐに次の訂正メールが来ました。

さきほど、学校から送ったメールの中で、勘違いがありました
原寸大で読めた最後の行の冒頭「みやこ」は、
二倍、1,5倍にはない部分でした。
「三」に読めるわけないですね。
「むかしこそ」ですから。

 
(4)どのような参考資料や情報があればいいのか。
・原文データ 音声パソコンで耳ですっきり入るひらがなだけのもの。
   意味を取りたいので。
・翻字データ 今回つけていただいたもの。
・変体仮名の触読できる一覧(立体コピー)
   触り比べて当てはめる楽しさ。
 
(5)半丁を読まれての感想と今後への要望。
久々に知的な刺激で楽しかったです。
原文を味わうことが、点字使用になるとなかなか困難です。
古文点訳は、歴史的仮名遣いで忠実に正しく点訳されているのを探すのが難しいです。
教科書に載っているものはほんのわずかで、進学校がテキストとしているような
参考書の点訳を探してまでは読む余裕がないです。日々の仕事で忙殺されてます。

 
 この回答を見ていると、全盲の方々に古写本『源氏物語』を触読していただく上での、重要なヒントが数多くあることに気付かされます。

 こうした遣り取りを繰り返す中で、よりよい触読のための環境作りを進めたいと思います。

 先週金曜日に、共立女子大学で学部の学生さんに触読していただいたことも、経験の積み重ねとして貴重な体験です。

 いずれも、現在進行形で語れる調査研究であることが、本課題の推進力であり魅力だと言えるでしょう。

 「古写本『源氏物語』の触読研究」は、こうして着実に成果をあげながら、先の見えないトンネルを抜けつつあります。
 多くの方々のアドバイスを受けながら、さらに触読実験を続けていきます。

 現在は、ここに紹介したW先生と直接お目にかかり、触読ができた経緯のさらなる聞き取りと、今後の対処を話すための打ち合わせの日程調整に入っています。
 進展がありましたら、またここに報告いたします。
posted by genjiito at 12:30| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年07月13日

古都散策(40)薬師寺の追善法要茶会で見た娘のお点前

 奈良大和路の西ノ京にある薬師寺で、裏千家淡交会奈良支部が主催する物故者追善法要が開催されました。これは、昨年亡くなられた淡交会の会員の法要を営むものです。

 近鉄特急で京都駅から乗り換えることなく近鉄西ノ京駅に行けます。
 西ノ京駅から東に少し歩くと、すぐに薬師寺の横手の門から境内に入れます。
 塀の崩れ加減といい、木の門といい、少し寂れた雰囲気を漂わせています。


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 しかし、境内に入ると、気持ちのいいほどの解放感に浸れます。

 慈恩殿で、物故者の追善法要が営まれました。
 その右の突き当たりに、本日のお茶席となっているまほろば会館があります。


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 私がこの日、足を延ばして薬師寺まで来たのは、このまほろば会館でのお茶会に出席するためです。この扁額は故高田好胤管主の筆になるものです。


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 待ち合いの正面には、本日のお茶会の会記が掲示されていました。


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 席主が森田宗輝となっています。この森田先生が、私がお茶のお稽古でお世話になっている先生です。
 なかなかお稽古に行かれないので、私は手間のかかる弟子となっています。

 今日は、奈良支部の理事である森田先生が、このお茶会を取り仕切っておられるのです。
 そして、日頃私が一緒にお稽古をしているお弟子さんたちが、みなさんお手伝いとして、お茶を点て、お菓子やお茶を運んだりと、慌ただしく立ち働いておられます。
 まだまだ初心者の私は、お客さんとしてお相伴させていただきました。

 私と妻が入った席では、娘がお茶を点ててくれました。
 大勢のお客様が居並んでおられる中で、娘のお点前を見ました。失敗しないかと、はらはらどきどきです。
 そんな親の心配はよそに、娘はなかなか立派に大役を果たしていました。

 薄緑の着物がよく似合っていました。これは、私の姉が見立てた着物です。まさに、家族親族総出で送り出したようなものです。その着物に着負けすることなく、みやびな立ち居振る舞いを見せてくれました。
 娘のすぐ横におられた席主の森田先生から見ると、いろいろとヘマをしていたことでしょう。しかし、何事も堂々と振る舞うに限るようです。贔屓目に見ても、会席者の視線を釘付け(?)にしていました。親の欲目ですが。

 後で先生の所へお祝いの挨拶に行きました。最後の席が終わったことでもあり、ほっとしておられました。今日一日で400名ものお客様がいらっしゃったそうです。
 もっとも、しばらくお稽古に行っていない私には、時間を見てお稽古にいらっしゃい、としっかりと釘を刺されてしまいました。

 無事にお茶会も終わったので、薬師寺の玄奘三蔵院伽藍にある大唐西域壁画殿で平山郁夫さんの絵を見ようと思いました。これまでにも、何度も見ています。しかし、昨日はあいにく公開されていなかったので、南に一本道を隔てた、白鳳伽藍の方を散策しました。

 奈良に住んでいた時から、子供たちと、そしてお客さんが来るたびにここを訪れました。
 生まれたばかりの長女の世話をしに、妻の実家からおいでになっていた義母は、日本の古代史が大好きでした。そのこともあり、奈良の各地を連日車で案内しました。
 ちょうど当時は高田好胤管主で、父母恩重経を義母と一緒に聞いたときのことは今でも忘れられません。

 この前来たのは、ちょうど2年前だったことを思い出しました。

「奈良西の京を中国からの留学生と歩く」(2013年06月30日)

 東僧坊の前に咲き広がる蓮越しに大講堂を望みました。左上の鮪を戴く金堂の向こうに、西塔の相輪がかすかに見えています。

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 西塔は、昭和56年に復興されたものです。しかし、その優美な姿は白鳳の様式を今に伝える印象的なものとなっています。この裳階を付けた三重塔は、一度見ると忘れられません。

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 この塔の横には、歌碑が二基あります。
 その向かって左側は、佐佐木信綱の歌を刻んでいます。


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      信綱
遊く秋農
 や万との
    国能
 薬師寺
   の
塔△
 うへ△△
一ひら濃雲


 戸外で風雨に晒されてきたために、ところどころ読めなくなっています。

 この歌碑を読みながら振り向くと、金堂の右側にある東塔は今も解体修理の工事中でした。


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 頭を左に振ると、金堂とその左に大講堂が迫ります。
 この大講堂には、天平時代の仏足石と仏足跡歌碑があります。


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 この薬師寺は、いつ来ても気持ちが晴れやかになります。
 唐招提寺にまで回る余裕がなかったので、西ノ京駅に戻りました。

 ちょうど入線してきた急行に乗って、京都駅まで出ました。


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 新幹線に乗る直前に、祇園祭をデザインした缶ビールを見かけたので、お土産にいただきました。


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 今年は何かと忙しくて、祇園祭は見られそうにありません。
 こうした小物で、参加した気分になっておきます。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 古都散策

2015年07月12日

京都でハーバード本「蜻蛉」を読む(第21回)

 共立女子大学で収穫の多い触読の確認をした後は、タクシーを飛ばして東京駅へ急ぎました。
 翌11日(土)に、京都のワックジャパンで『源氏物語』を読む会があるためです。
 仕事帰りの妻とは新幹線のホームで待ち合わせ、車中で晩ご飯となりました。

 京都駅に降り立つと、祇園祭の宣伝がそこここにあります。
 山鉾が立つ場所が、ウインドーケースの中の地図上に示されています。
 今年も観光客で賑わうことでしょう。


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 別のウインドウには、各町内の手ぬぐいが展示されていました。
 今年は、どこの山鉾の粽と手ぬぐいをいただくか、まだ決めていません。
 もし可能であれば、昨年から再興された大船鉾を狙っています。昨年は、行った時にはあまりの人気で売り切れだったからです。


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 JR京都駅の在来線の改札口には、各山鉾の提灯が揚がっていました。


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 京の街は、7月17日の前祭山鉾巡行に向けて、しだいに盛り上がって行きます。

 昨日(土)は、蒸し暑い曇天でした。
 東京よりも風が生暖かくて、肌に纏い付くような空気に包まれています。
 賀茂川沿いにワックジャパンを目指して、自転車で下りました。
 いつものように、鷺は相変わらずのポーズで、この温い風に身を任せています。


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 ワックジャパンでは、ハーバード本「蜻蛉」巻を読み続けています。
 第21回目となる11日は、東京の日比谷図書文化館の講座に参加なさっている方が、暑い中をお出でくださいました。
 また、この日から、同志社大学の2回生の若者も参加してくれたこともあり、賑やかなメンバーで進みました。

 次の写真の左上は、東京のお客様からのお土産「彩果の宝石(日本橋オリジナル)」です。
 いつものように、娘からの差し入は、祇園祭の和菓子でした。

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 上右は北尾の「祇園祭」、左下が二條若狭屋の「麩焼き煎餅・京の祇園祭」、右下が金谷正廣の「香魚」です。「香魚」は、鮎を表現した和菓子で、みなさん一番の関心が集まった逸品となりました。

 さて、勉強会ではまず私が、前日に共立女子大学で触読できる学生さんと出会えた報告をしました。その内容は、昨日の本ブログに記したとおりのお話です。

「古写本『源氏物語』の触読に関する【朗報】(共立女子大学の事例)」(2015年07月11日)

 これまでにも、折々にこの京都の輪読会でも触読の話をしていたので、みなさんも興味深く聴いてくださったようです。

 「蜻蛉」巻については、前回詳しく確認できなかった「侍従などに会ひて〜」の箇所にある他本の61文字もの異文について考えました。
 このことは、前回の記録として書いたブログの記事「京都でハーバード本「蜻蛉」と『十帖源氏』を読む(第20回)」(2015年06月21日)を、さらに詳しく説明しながら確認しました。

 問題の異文を持つ写本には、『源氏物語別本集成』の文節番号「520320」から「520684」までが欠文となっているのです。350文節もの長文なので、内容に大きく関わります。

 この欠文箇所を『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.28 蜻蛉』(伊藤鉄也編、至文堂、2003年)の小見出しで示すと、次のようになります。


「匂宮、訃報を聞き、時方を宇治へ遣わす」
  ※以下、当該写本が欠く内容
「時方、宇治に到着。侍従に会う」
「時方、浮舟急死と聞くも、なお不審」
「侍従、時方に真相をほのめかす」
  ※以下、当該写本が諸本と同じ内容となる
「母君、宇治に到着」


 この欠文は、匂宮の命を受けて時方が宇治に行く下りに該当する部分なのです。
 長文の欠文がありながらも、この時方の宇治行きの部分がなくても、文章はうまくつながっています。
 ここは、『源氏物語』の形成過程が窺われる例になるのではないか、という問題提起に、この日は留めておきました。

 こうした例は、「鈴虫」巻で500文字以上の異文を持つ国冬本の例が思い起こされます。二千円札の裏面には、国宝『源氏物語絵巻』の「鈴虫」巻の本文「十五夜の〜」が引かれています。しかし、その「十五夜の〜」の直前で、国冬本は長大な異文を伝えているのです。
 このことは、『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』(伊藤鉄也著、臨川書店、240頁、2001年)で詳しく述べたことなので、今は省略します。

 平安時代に物語作者によって最初に書かれた本文が、推敲の過程で削除され、物語がさらにそこからあらためて語り続けられる、というパターンを考えてみると、物語が生成して発展する姿がうかがえて興味深い異文のありようとなるのです。

 そうした可能性がある場所である、ということを確認してから、先に進みました。

 ナゾリの部分がいくつか出てきました。それ以外は、特に難しい変体仮名は出て来ませんでした。

 前回で『十帖源氏』は「明石」を終えたことから一時休止となったので、この日は「蜻蛉」巻の勉強で終わりです。

 お客様と新人が参加されていたこともあり、地下鉄今出川駅真上のワールドコーヒー店で、しばらく自由気儘な歓談となりました。

 次は、予定していた8月8日(土)は休会とし、第22回は9月12日(土)の午後1時から3時までとなりました。

 こうした活動に興味と関心がおありの方は、事前に連絡をいただければ資料を用意してお待ちしています。本ブログのコメント欄を利用して、気軽にお知らせください。
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年07月11日

古写本『源氏物語』の触読に関する【朗報】(共立女子大学の事例)

 こんなにも早く、古写本『源氏物語』の触読ができる人と出会えるとは思っても見ませんでした。
 ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」巻の巻頭部分を、初見にもかかわらず、たどたどしくではあっても、目の前で一人の若者が触読する場に身を置き、感動とも感激とも違う不思議な思いに包まれていました。

 目の前で起こっていることは、紛れもない事実であることは明らかです。
 触読できるはずだ、できるに違いない、という自分勝手な思いが、しだいに確信に変わっていく時間は、予想外というべきか、そんなに時間はかかりませんでした。

 先週、福島県立盲学校高等部国語科の先生から、私が送った立体コピーが読めたので翻字テキストを添削してほしい、という連絡を受け取っていました。ほとんど正確に読み取られたテキストを拝見し、私の到達目標の一つが達成されたことを実感しました。
 読めるはずだ、という期待が現実のものとなり、朗報をうれしく噛み締めました。
 直接お目にかかり、触読ができた経緯を聞き取り、今後の対処を話すための打ち合わせの日程調整に、一昨日から始めていたところです。

 それが今は目の前で、古写本『源氏物語』の触読が実証されたのです。その確証が、明らかに確信に変わったのです。
 自分の中で、また一歩前に進んだことが身震いをさせました。

 この私にとって記念すべき舞台は、千代田図書館の近くにある共立女子大学本館の14階でした。


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 この大学の校舎は、以前に一度、『十帖源氏』の輪読会の会場として借りたことがあります。
 今回の学生の指導にあたられた先生は、かつて一緒に大学院で学び、『源氏物語別本集成 全15巻』の翻字のお手伝いもしていただいた、旧知の仲間です。
 不思議な縁があり、私が触読研究に取り組んでいることを聞かれ、連絡をくださったのが発端です。

 今回の触読の現場に立ち会えるまでには、1人の全盲の学生の指導をしてこられたお2人の先生と、メールで何度かやりとりをしていました。
 さらには、昨日は東京芸術大学の先生などの美術分野の専門家も交えて、お互いの取り組みに関する情報交換と今後のことを綿密に打ち合わせた後に、この学生との面談と触読実験に臨んだのです。

 共立女子大学の先生からは、3年前に初めて全盲の学生を受け入れることとなったことから、これまでの指導の内容や経緯を詳細に伺いました。
 しかも、昨年の2年次からは学生が日本の古典文学の勉強を希望したこともあり、変体仮名の触読に取り組まれることになったのです。前代未聞の学習指導に、さまざまな試行錯誤と可能な限りの手を打たれたのです。

 『首書源氏』や『竹取物語絵巻』を教材にして、立体コピー機を最大限に活用した指導に取り組んでおられたことは、学生の希望を叶える上では最良の選択だったと思います。
 このことを知らずに、私は独自の視点と立場で、この学生が触読を始めた同じ昨秋、科研費「挑戦的萌芽研究」に応募し、今春採択されてから本格的に触読研究に取り組んだ矢先のできごとです。

 学生本人の意欲と共立女子大学の先生方の熱意が相俟って、すでに江戸時代の変体仮名はほぼ習得できたと言える状態にありました。この学生が古文が好きだ、というのが学習における一番の原動力となっています。

 大学側が、本人にとって理想に近い環境を作ろうとしておられるのが、お話しを伺っていてひしひしと伝わってきました。

 とにかく、昨日の千代田図書館での午前のみならず、午後も濃密な時間を持つことができました。
 先生方や学生及び講師のみなさまと、このような貴重な時間を共有することができ、すばらしい日となりました。

 学生には、今後とも、いろいろと無理難題を持ちかけることになるはずです。それを心して、諦めないで、粘り強く付き合ってください、とお願いしました。

 全国の盲学校の生徒及び卒業生のみなさんたちをも巻き込みながら、変体仮名を読むことで、触常者と見常者ともども、日本の伝統的な文化の共有を目指すことに加速していきたいと思います。

 とにかく、目が見えないことは、何も障害ではありません。障害や障壁は、触常者と見常者の間に立ち塞がっているだけなのです。その意味では、この学生さんは、この障壁を文化の共有という面から往き来できる、点字ばかりではなくて墨字も触読ができる、2種類の能力を発揮できる存在なのです。文化の橋渡し役もできるのです。

 さらに私からは、点字のすばらしさはそれとして認めながら、それに加えて日本文化としての縦書きの仮名文字を、一日も早く自在に操ってほしいことを、そして、仮名文字で自由に自分の気持ちを伝えられるようになってほしい、との願いを伝えました。この学生は、点字で日記はつけているとのことでした。

 国文学研究資料館には、25万点もの日本の古典籍の画像資料があります。
 変体仮名が読めるようになると、この膨大な資料を解読できる可能性が生まれるのです。
 また、古典籍の資料紹介も、思うがままにできるようになります。

 目が見えるにもかかわらず、国文学研究資料館が所蔵する基礎資料を活用することもなく、活字の市販本で読書感想文を書くことで古典研究をしているつもりになっている研究者が多いことを、私は憂えていることも伝えました。
 研究は、やはり基本的な文献をもとにしてすべきなのです。安易に活字本や校訂本文で誤魔化してはいけないのです。その意味では、自力で変体仮名が読めることは、研究という世界への入口に立ったとも言えます。

 私の以下のブログの記事も読んでほしいと伝えました。

「京都府立盲学校の資料室(その2)」(2014年08月05日)

「視覚障害者が古写本『源氏物語』を書写できるか?」(2014年08月22日)

 これを読むと、書道に挑戦したくなるはずだからです。変体仮名が読めるだけでは、まだ道半ばです。仮名文字が書けることが、コミュニケーションのありがたさと喜びを我が身のこととして実感できるものへと変質していくはずです。

 なお、現行の平仮名は、ほとんど自由に触読できるそうです。彼女は、私が要求するハイ・レベルな〈変体仮名〉〈源氏物語〉〈700年前の写本〉という課題をクリアできるのですから、現代のひらがなが触読できるのは当然でしょう。
 とすると、図書館で立体コピーのサービスが容易に受けられたら、子供向けやジュニア向けの本に留まらず、総ルビ付きの文章であれば自在に触読できることが実現するのです。これは、いますぐにでも実現可能なこととなったのです。

 これは、図書館のサービス業務を豊かにします。図書館の風景も変わります。
 視覚障害者も、自分の意思で、自分のペースで、思うように行きつ戻りつしての読書ができるようになるのです。対面朗読者への気遣いや、点訳ボランティアへの感謝、そして朗読メディアの貸し借りの煩わしさから開放されます。

 こうした展開は、今後ともさらに教育システムと指導方法を含めて、幅広い展開が可能となります。そして、あらためて検討課題として浮上します。

 この詳細は、後日また記します。
 ここに書きたいことは溢れるほどあります。

 今回は、2人共に女性です。それでは、男性ではどうだろうか。
 触読はゆびだけだろうか。また、そこに音声によるガイドやアドバイスを取り入れると、どのように学習が促進されるのか。などなど、あげればきりがありません。

 しかし、今は、二十歳の1人の女性が、ハーバード大学本「須磨」の巻頭部分を触読できた、という朗報を記すことに留めておきます。

  (数日後に、福島県立盲学校の話としてつづく)
posted by genjiito at 21:05| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年07月10日

異分野の仲間から触読のアドバイスを受ける

 1万点にも及ぶ古書販売目録の調査のために、朝から千代田図書館へ行っていました。

 お昼休みに、最上階のレストランから皇居を眺めました。
 連日の雨がやっと上がりました。しかし、晴れたとはいえ、まだ不安定な気候の中にあることには変わりません。


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 千代田図書館が所蔵する目録資料調査に着手して4年目です。しかし、調査に行ける回数が少ないこともあり、まだ4パーセントの冊子を確認しただけに留まります。とにかく、捗りません。

 東京に居られる期間も、あと2年を切りました。図書館の書庫の書棚に眠る膨大な資料群は、誰かに託すしかありません。と言っても、まだ後継者が1人もいません。興味と関心がある方との出会いを、今も待ち望んでいるところです。

 当初より、『源氏物語』の古写本に限定しながらも、その周辺の情報も抜き出して整理しています。
 今日は、『源氏物語』に関しては数点抜き出しました。しかし、目新しい情報ではありません。古書価格の変移がわかるので、メモをしているものです。

 その代わり、私の問題意識が移り変わることが影響してか、視覚障害に関する本の書名が目に留まるようになりました。これまではまったく目にも止まらなかった書名が、急に視野に入ってくるのです。おもしろいものです。

 昭和10年に刊行された、盲目の村長に関する本がありました。インターネットで検索したところ、偶然にもその一部を読むことができました。明治31年から40年までの10年間の体験談から、貴重な情報が得られそうです。早速メモとして抜き出しました。

 この千代田図書館では、休憩時間などに館員の方や別件で調査に来ている仲間との情報交換で、思いがけないヒントやアドバイスがもらえます。
 今日は、触読や朗読に関する有益な情報を、数多くいただくことができました。
 以下、忘れない内に列記しておきます。


・古写本の文字をカラーコピーしたものを立体コピーすると、浮き出し方に高低の変化がつけられるのではないか。

・縦書きの文字であっても、それを横に寝かせた(文字を90度倒した)状態で指を横方向に移動させて触読したらどうなるか。

・文字を触った時に、その文字に対応した音声が流れるシステムを開発した際に、読み上げる声の抑揚に気をつけること。

・平成25年4月1日から「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)」が施行されたことに関連して、今回の私のテーマの後押しとなる支援がないかを調べること。


 現在取り組んでいる課題を、一緒に考えていた時のことです。そして、こうした異分野からの多視点のアドバイスを、自由な発想で意見として言ってもらえる仲間が身近にいることに、感謝しているところです。
 気の置けない仲間というのは、何でも言い合えて、本当にありがたいものです。

 この日の調査は午後3時で打ち切り、千代田図書館から目と鼻の先にある共立女子大学まで、高田郁の『みおつくし料理帖』の舞台である飯田川沿いを歩いて下って行きました。

 (以下、共立女子大学の話につづく)
posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | 古典文学

2015年07月09日

「アメリカに勝ってほしい!」という表現をどう説明するか

 今週の記事、「主語の省略と助詞の変化で反対の解釈が可能となる日本語」(2015年07月06日)に対して、貴重なコメントをいただきました。

 私が提示した文例は、次のものでした。


「アメリカに勝ってほしい!」


 そして、これには次の2つの解釈が可能であることを問題提起しました。


(1)米国の勝利を願う
(2)日本の勝利を願う


 私には、以下のご教示のすべてが、まだ未消化の段階です。しかし、私1人で理解にかかっていてはもったいない濃密な内容なので、ブログを通していただいたコメントということで、3名の方からのご教示を拝受した順番に引用紹介します。

 いずれも、その説明にあたっての切り口が異なるので、いい勉強になります。

 いただいた文言はそのままですので、ご了承の程を願います。
 引き続き、この件に関するコメントをいただけると幸いです。
 
 
【A】
本日(6月7日)のブログ、とても興味を持って拝読いたしました。実は、英語と日本語で生活している関係で、日本語の曖昧さに苦労しています。

事例を挙げ出すと枚挙に暇がないのですが、国会議員・ジャーナリストを含めて曖昧な日本語で「論議」しています。この曖昧さゆえに、メディアの誤報も多いです。それに疑問を持つことなく、国会議員が国際活動を行なった昨年の事例をご紹介いたします。

昨年、元首相や野党幹部を含む日本の国会議員60名が、「陳情書」をノルウェーのノーベル委員会へ提出しました。日本人がノーベル平和賞候補になったので、その候補に授与して欲しいという内容の陳情書です。

陳情書によると、「憲法9条がノーベル委員会によってノーベル平和賞候補に推薦された。その9条に授与して欲しい」です。

実際に行なわれた推薦の実態は、「憲法9条を保持する日本国民(1億2700万人全員だそうですが!)が、誰かによってノーベル平和賞に推薦された」のみです。

日本の新聞や国会議員が大騒ぎする出来事では決してありません。国会議員や大学教授などは、どこの誰でもノーベル平和賞候補に推薦できます。候補には資格は不要です。ナチス・ドイツのヒトラーも、ソビエトのスターリンも、イタリアのファシスト党のムッソリーニもノーベル平和賞候補になっています。

憲法9条は候補にはなれません。推薦は各国の大学教授や国会議員などが行なうのであって、ノーベル委員会ではありません。二重の意味で国会議員は曖昧に状況を把握しているのです。

またこの曖昧さをあたかも利用するかのごとく、「憲法9条にノーベル平和賞を」などのキャンペーンが行われています。同賞は個人または団体に授与されるもので、憲法・憲章・法律などは授与対象にはなりえません。絶対に実現しないスローガンを用いて、国民と世界に日本人グループは訴えているのです。

先生の抱かれました疑問の答えにはまったくなりませんが、日本語と英語の違いをちょっと書いてみました。ご笑覧いただければ幸いです。
 
 
「好きやねん」と「アイ・ラブ・ユー」

「好きやねん」と言われて、「誰が誰を好きやねん?」と問い返す日本人はいないであろう。日本語会話では、「好きやねん」で十分通じるのだ。
「好きやねん」と言う人とそれを聞く人の間柄や、会話の状況から、「好き」と言えば誰が誰を好きと言っているのかが両者の間で明らかなのだ。
日本語では、動詞の主語や目的語を省略しても状況から意味が正確に理解できることが多い。しかし、諸外国の言語では、主語や目的語を省くと意味をなさない動詞が多い。「好き」「愛している」などの動詞のみでは意思が通じない。主語と目的語をつけて、例えば、「アイ・ラブ・ユー」とする。二人だけの間の会話で、誤解の余地がない場合でも主語「アイ」と目的語「ユー」を省くことはない。
ノーベル平和賞騒動は、この日本語の特徴をよく反映した。
「誰が(主語)何を(目的語)どうしたのか(動詞)」が、正確に確認・表現されることなく報道された。その報道を目にした国会議員の中には、報道記事中の主語と目的語のいずれも正確に把握することなく、議員活動に走った。ここに「ファルス」(笑劇)が生まれた。
ノーベル平和賞騒動は、「笑劇」程度で、危険を即もたらすものではない。しかし、国家安全保障や国際平和を論じる際に、日本語の発想や文の構成で論じると無駄を生じたり、時には危険をもたらす。
政治・経済・文化の国際化の進展で、国際社会で相互に影響し合うアクター(行為主体)は、主権国家のみでなく、多種多様な私企業・公企業・国際機構・NGOや、組織形態や内容などの特定が困難な各種グループからテロリスト集団まで、膨大な数に上っている。これらのアクターが「風が吹くと桶屋が儲かる」とは比較にならない複雑さで影響しあっているのが今日の地球社会である。
国際社会における平和を考え論じる場合、これらのアクターの「どれが主語」で「どれが目的語」なのかを明確に見極め、「どうすべきなのか=動詞」を明確に定義しないと、実効性ある帰結をもたらさない。

日本語で主語や目的語を省くことが多くなった理由や歴史は知らない。しかし、万葉集にもそのような事例が多く見られる。和歌の世界ではその後も一貫して見られる。和歌と国際政治とは無関係ではない。言語形態が思惟形態に影響を与える。日本語の特質をしっかりと認識してかからないと危険である。

万葉集巻第二〇・四三二二番  若倭部身麻呂

我妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さえ見えて よに忘られず 

➀ 主語は、「私の妻は」と明確である。

➁ 「激しく恋しがっているらしい」の目的語は省かれているが、「私を」である。(若倭部身麻呂が妻を恋しがっているのも事実であるが。)

➂ 「飲む水に」は、「私が」が省略されている。「私が飲む水に」である。

➃ 「影さえ見えて」は、「私が飲む水の上に妻の影が見える(映っている)」である。

➄ 「どうにも忘れられない」のは、「私は」「妻を」どうしても忘れられないのである。

主語や目的語を完全に省いたり、明確に目的語を明らかにしなくても文意が読む者、聞く者に伝わる日本語とは対照的に、英語やドイツ語やその他の多くの外国語では明確であっても省略はしない。
ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネ(一七九七〜一八五六年)の詩に「宣言」がある。その一部に、話者がノルウェーの森の大きなモミの木を引き抜いてエトナ山の火口で火をつけ、暗い天空に火の筆で一文を描く広大な詩的風景がある。天空に描かれた一文は、次のようだ。

Agnes,ichliebeDich!(アグネス、我は汝を愛する! =私はあなたを愛している!)

「アグネス」と呼びかけているから、日本語的に考えると「アグネス、愛している!」)で、十分気持ちが伝わる。しかし、ドイツ語も英語の「アイ・ラブ・ユー」と同様にこのような文の構造になる。

日本語おける省略は、日常会話や詩歌の世界のみではない。
一例は、戦後に建立された「広島平和都市記念碑」(原爆死没者慰霊碑)だ。

安らかに眠って下さい  過ちは  繰返えしませぬから  (慰霊碑の表記通り)

「過ちは繰返しませぬから」の主語は省かれている。誰であろうか。この慰霊碑の英文解説では主語が「私たち」(we)となっている。

それでは、私たちとは具体的には誰を指すのか疑問が浮かぶ。
広島市の説明では、「全世界の人々」「すべての人々」である。
しかし、広島市・広島県・日本や、あるいは世界の誰かが、「繰り返しませぬから」と全世界の人々に代わって誓うことが果たして可能であろうか。
誓約とは、神聖なものであり厳格なものである。一国や誰かが全世界の人々に代わって行なえる性格のものであろうか。

広島市には、「和解の像」というブロンズ像も建っている。

「和解」は誰と誰の和解であろうか。今さら日米の和解の必要性をブロンズ像を建立してまで訴える必要はないであろう。この像は、英国のビジネスマンによって寄贈された。第二次世界大戦で戦った日英間の和解であろうか。まさか、人類と核兵器の和解ではなかろうが。
 
 --------------------------------------
 
【B】
はじめまして。中古文学の文法に興味がある関係で、よく拝読しております。
国文法を少しかじったことがあるのですが、問題の「アメリカに勝ってほしい」の多義は、一つの文に同じ格助詞ニが複数回出ること、それぞれの格助詞ニが意味が異なっていること、によるのではないでしょうか。
「勝つ」は「AガBニ勝つ」という格枠組みをとります。勝者はガ格項Aです。
これが、話者の願望を表すシテホシイと結びつくと「私ガAニBニ勝ってほしい」という格枠組みになります。Vシテホシイは、Vがとるガ格をニ格に変換します。「日本がアメリカを倒す」は「私が日本にアメリカを倒してほしい」になります。
また、Vシテホシイのガ格項は通常、一人称に限られ、頻繁に省略されます。「AニBニ勝ってほしい」がよく見られることになります。条件が揃えば「太郎は日本にアメリカに勝ってほしかったらしいよ」とも言えます。
問題の文では、まず、元のVがニ格項をとる動詞である上にVがとるガ格項がテホシイによってニ格項になり、ニ格項が2つ存在しています。最初のニ格項はVのガ格項で勝者であり願望の向かう先です。後ろのニ格項はVの元々のニ格項で敗者です。それぞれのニ格項の意味が全く異なります。「日本にアメリカに勝ってほしい」の時点で、語順が自由である日本語では、どちらの二格項がどちらの意味を担っているのかが識別できず曖昧になります。
このうち片方が省略され「Xに勝ってほしい」となったのが問題の文です。XがAなのかBなのか、最早分かりません。
一つの文に同じ格助詞が複数出てくることはよくあります。その場合、どちらの格助詞がどちらの意味であるかはよく曖昧になります。また、特にニ格項は多義の幅が広く、行為が向かう場所を表す場合(アメリカに行く)もあれば行為が出発する場所を表す場合(太郎に殴られる)もあり、他にも正反対のものを表すことがあります。
と、このような説明を考えたのですが、いかがでしょうか。
 
 --------------------------------------
 
【C】
僭越ながら・・・
(1)米国の勝利を願う
場合の「に」は、『大辞林』の分類によれば「動作・作用の起こるみなもとを表す」ものです。通常は受身・使役とともに使われます(「母に叱られた」→「叱るのは母」)が、「ほしい」が使われているので使用可能(「勝つのはアメリカ」)です。
(2)日本の勝利を願う
場合は、同様に「に」が「目標・対象などを指定する」意味で使われています。受身・使役でもなく「ほしい」や「もらう」もない場合はこちらの読みしかできません。
 なお、「は」「が」は、ここでは本質的な問題ではありません。
 おそらく以上で正しいかと存じます。
posted by genjiito at 22:11| Comment(0) | 身辺雑記

2015年07月08日

電子版『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル』の原稿募集

 本年度採択された科研「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」では、研究成果の公表や情報を共有する場を確保する意味から、電子ジャーナルを年1回刊行することになりました。

 雑誌名は、『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル』(ISSN番号:2189-597X(仮))としました。

 視覚障害者が古写本などに書写されている変体仮名を触読することに関連する、「論文」「小研究」「研究余滴」「資料紹介」などの積極的な投稿をお待ちしています。

 投稿される前に、「『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル』応募執筆要綱」をご覧いただき、執筆の意向を編集担当者にお知らせください。

 また、発刊後の電子版のイメージは、「『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)(オンラインジャーナル)」と同様の形式となりますので、当該サイトを参照し確認してください。

 「創刊号」の原稿に関しては、今月7月末までに仮の論文タイトル等を教えてください。

 お知り合いの方への伝言も、よろしくお願いいたします。

===

雑誌名:『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル』
      【ISSN番号:2189-597X(仮)】
 
1.論文分量 400字原稿用紙で30枚以上(12,000字以上)
 小研究(20枚以下)
 研究余滴(10枚以下)
 資料紹介(自由)

2.原稿表記 原則として日本語表記・横書き

3.原稿締切 9月末日

4.体裁 A5版の版面を想定したオンライン画面

5.推奨版面・活字11ポイント、27行×34字詰、余白上下左右20ミリ

・フォントは、MS明朝、Times New Roman

・節ごとに小見出しを付す

・注は版面ごとにそれぞれ下部にアンダーラインを引いて付す

・注番号は本文の当該箇所に丸括弧( )付きの数字で示す

・参考文献情報は、以下の情報を盛り込むこと

著者名、論文名/書籍名/コラム名、巻号数、掲載頁、出版社、(掲載誌名/新聞紙名/媒体名)、刊行年(新聞の場合には発行日付)。

海外の書籍の場合には出版地名、Web媒体の場合にはURL。

(参考文献書式の例は後掲)

6.原稿入稿 ワード文書およびエクセルデータをメールに添付して送付

・問い合わせ 送付先アドレス【ito.tetsuya@mac.com】

7.校正 執筆者の校正は初校のみ。

・ただし、公開から1年以内に1度だけ改訂版に差し替え可能

・10月23日(金)までに仮版ができるようにいたします

8.図版・写真など 掲載許可が必要な場合、原則として資料手配、使用料は執筆者の負担。
 図版・写真は、原稿枚数の中に含む

表記・参考文献書式(参考)

・書籍名:『源氏物語』『日本の仮名文字』

・論文、章名:「触読用文字の大きさに関する研究」「第1章 点字の歴史」

・人名:石川倉次、ルイ・ブライユ(Louis Braille)

 
参考書籍書式例

1 書籍

(日本):著者名『書籍名』pページ、校註・訳者名(出版社、刊行年)

『新編 日本古典文学全集21 源氏物語2』p161、阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男 校註・訳(小学館、2000)

伊藤鉄也編『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』p17(新典社、2013)

(海外):著者名, 斜体書籍名, pページ, 校註・訳者名, 出版地, 出版社, 刊行年.

Mario Rossi, Fascino del racconto di Genji, p.172, Roma, Tradizione, 1985.


2 論文

(日本):著者名「論文名:副題」『掲載誌名』(発行号数)、pページ、発表年

伊藤鉄也「海を渡った古写本『源氏物語』の本文:ハーバード大学蔵「須磨」の場合」『日本文学研究ジャーナル』(2)、p113-128、2008

(海外):著者名, “論文名:副題”, 斜体掲載誌名 発行号数, pページ, 発表年.

John Doe, “Codex of the Tale of Genji”, Succession 6, p.75-91, 2002.

※ 書籍からの引用もこれに準ずる


3 新聞

(日本):「記事名」新聞紙名(発刊月日)、発行年

「ルイ・ブライユ生誕200年」○○新聞(1月4日)、2009

(海外):記者名, 記事名, 新聞紙名(発刊月日), 発行年.

Jean Dupont, Vie de braille de Louis, ABC(Juillet 7), 2010.


4 オンライン文献

(日本):著者名「記事名」URL

伊藤鉄也「立体コピーで変体仮名を浮き上がらせる」http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/

(海外):著者名, “記事名”, URL

Jane Doe, “Aiming at universal design”, http://genjiito. sakura.ne.jp/touchread /


5 映像資料

(日本):監督名『タイトル』配給/発売、公開/発売年

アーサー・ペン『奇跡の人』東和、1963

(海外):監督名, 斜体タイトル名, 配給/発売,公開/発売年

Arthur Penn, The Miracle Worker, United Artists Entertainment LLC, 1962

※DVDの場合はタイトルの後に括弧書きで(DVD)、ダウンロード販売の場合は(DD)と併記する(DD=Digital distribution/ダウンロード販売)。

===
posted by genjiito at 22:43| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年07月07日

谷崎全集読過(23)『蘆刈』

 後鳥羽院の離宮があった水無瀬行きから語り起こされます。『増鏡』の文章を引きながら、和歌を踏まえた滑らかな美文で進みます。
 読点が極端に少ない、息の長い文章です。漢字も少なく、大和言葉で綴られていきます。

 「まだをかもとに住んでゐたじぶん」とか、「関西の地理に通じないころは」とあり、大阪に馴染みだした頃の作者が顔を覗かせます。
 また、関西人の特徴も、次第に心得て来ていることがわかります。


見も知らぬ人がかういふ風に馴れ/\しく話しかけるのは東京ではめつたにないことだけれどもちかごろ關西人のこゝろやすだてをあやしまぬばかりかおのれもいつか土地の風俗に化せられてしまつてゐるのでそれは御ていねいなことです、ぜひ聞かせていただきませうと如才なくいふと(163頁)


 歴史風土記の語り口で、阪急沿線の昭和初年当時の様子もわかる、大和絵風の旅の記でもあります。旧跡の記録としても貴重なものです。水無瀬の風景への感懐を、次のように述べています。


ちよつと見たゞけではなんでもないが長く立ち止まつてゐるとあたゝかい慈母のふところに抱かれたやうなやさしい情愛にほだされる。(156頁)


 『源氏物語』への言及もあります。


「あはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ、かの源氏物語にも近き川のあゆ西山より奉れるいしぶしやうのもの御前に調じてとかけるなむすぐれてめでたきぞとよ、」(154頁)
 
「あはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ、只今さやうの料理つかまつりてむや」と仰せられたり、(157頁)
 
「父には大名趣味と申しますか御殿風と申しますかまあさういつたふう好みがござりまして、いきな女よりも品のよい上臈型の人、裲襠を着せて、几帳のかげにでもすわらせて、源氏でも讀ませておいたらば似つかはしいだらうといふやうな人がすきなのでござりましたから藝者では氣に入るはずがないのでござります。」(173頁)


 「耳ざはりのいゝ」(160頁)という表現に出くわしました。この昭和初期における谷崎の日本語の使い方に当惑しています。

 谷崎が手帳に鉛筆でメモを記す様子も垣間見えます。


わたしはあたまの中に一つ二つの腰折がまとまりかけたのでわすれないうちにと思つてふところから手帳を出して月あかりをたよりに鉛筆をはしらせて行つた。(162頁)


 本話の背後に、父の存在がちらつきます。
 谷崎と父について、これから意識して読みたいと思います。
 父とお遊さんとの話は、非常に具体的です。実話が背後にありそうです。その妹のおしずさんについては、叶わぬ恋の形代として親族への情愛の移り香が、『源氏物語』を連想させます。

 このおしずさんが、本作の語り手の母親なのでした。
 おしずさんが、婚礼の晩に、自分は姉であるお遊さんの身代わりであることを口にします。


ある日のことお遊さんは父にむかつて、あなたはお静がきらひですかと尋ねるのでござりました。父がきらひではありませんといひましたらそれならどうぞ貰つてやつて下さいましといつてしきりに妹との縁組みをすすめるのでござりましたが叔母に向つてはもつとはつきりと自分はきやうだいぢゆうであの兒といちばん仲好くしてゐるからどうかあの兒を芹橋さんのやうな人と添はしてやりたい、あゝいふ人を弟に持つたら自分も嬉しいといふことを申したさうにござります。父の決心がきまりましたのはまつたく此のお遊さんの言葉がありましたゝめでござりましてそれから間もなくおしづの輿入れがござりました。左様でござります、でござりますからおしづは私の母、お遊さんは伯母になるわけでござりますけれどもそれがさう簡單ではないのでござります。父はお遊さんの言葉をどういふ意味に取りましたのか分りませぬがおしづは婚禮の晩にわたしは姉さんのこゝろを察してこゝへお嫁に來たのです、だからあなたに身をまかせては姉さんにすまない、わたしは一生涯うはべだけの妻で結構ですから姉さんを仕合はせにして上げて下さいとさういつて泣くのでござりました。(179頁)


 まさに、『源氏物語』の世界です。
 そして、姉を思う妹お遊の献身的な奉仕も、その後の谷崎の作品の核となっていきます。
 また、お遊さんは「田舎源氏」の絵にあるような世界に生きた女性としています(197頁)。

 この不思議な物語をする男も、やがては「いつのまにか月のひかりに溶け入るやうにきえてしまつた。」(198頁)と結ばれます。

 女性うまく描く、谷崎好みの夢幻的な作品に仕上がっています。【3】
 
 
初出誌︰『改造』昭和7年11月号・12月号
『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(昭和33年1月発行、中央公論社)所収
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 谷崎全集読過

2015年07月06日

主語の省略と助詞の変化で反対の解釈が可能となる日本語

 女子サッカーのワールドカップ決勝戦は、早々の大量失点で挽回できないままに終わったことは残念です。
 しかし、昨日の宮間キャプテンのインタビューで、女子サッカーがブームから文化へと移行することを願っているという、次世代を担う若者を意識した発言がありました。決勝戦を控えてのことばとして異例であり、その志の高さに敬服しました。
 今日の決勝は、その意味では、優勝に負けず劣らず貴重な、今後につながる成果となったと思います。

 さて、先日の準決勝の試合では、日本がイギリスに劇的なオウンゴールで勝ちました。
 予想外の結末に、運を引き寄せることについて、その依ってきたるものを思い描いています。
 努力だけでは片づけられない、強い思いの引力が、その原因の1つのように思えます。
 その強い思いをいかに鍛練し、形成し、持続するかが、その背景にあるようです。

 その準決勝でイングランドに勝ったことを伝えるニュースをテレビで見ていた時のことです。
 サッカーファンへの決勝戦に向けてのインタビューにおいて、街角の方のこんな発言が耳に残りました。


「アメリカに勝ってほしい!」


 あれっ、と思い、しばし自分の中で想定問答を繰り返しました。
 これには、相反する2つの解釈が可能だと思ったからです。

(1)米国の勝利を願う
(2)日本の勝利を願う

 日本人へのインタビューなので、当然のことながら(2)の意味での発言として放送されたはずです。

 しかし、(1)の意味でアメリカの勝利を期待することと解釈しても、間違いではないと思います。
 主語を「私は」とすると、「私は、アメリカに勝ってほしい!」となり、「米国の勝利を願う」という(1)の意味合いが強くなるからです。もっとも、「私は【日本が】、アメリカに勝ってほしい!」となると、また意味は逆転します。

 これに対して、「日本は」を主語にすると、「日本は、アメリカに勝ってほしい!」ということで、「日本の勝利を願う」(2)となります。上記の例と同様に、「日本が、アメリカに勝ってほしい!」とも言えます。

 素人判断ながらも、助詞の「に」「は」「が」の機能が起因する問題のようにも思われます。ただし、今の私には荷の重い問題で、そのことをうまく説明することはできません。
 主語の問題で片づくのかどうか。助詞についてはどのような説明を専門家はするのだろうか、等々。

 日本語表現では、省略された主語や助詞の使われ方で、こんな違いが生まれるのです。
 文法的には、こうした混乱が生じないような、それなりの説明ができるかもしれません。
 しかし、今私がわかる範囲で思うことは、日本語は曖昧な表現になることもある言語なので、気をつけないといけない、という自明のことに留まります。

 こうした表現について、どなたか、わかりやすい説明をご教示いただけると幸いです。
posted by genjiito at 22:30| Comment(2) | 身辺雑記

2015年07月05日

江戸漫歩(106)「法典の湯」は紀元前百万年の「化石海水」

 千葉県市川市にある、住宅地の中の「法典の湯」に行ってきました。
 千葉県にありますが、一応、江戸漫歩の1つとしておきます。

 例年にまして、湿っぽい日々が続いています。
 しとしとと降るだけでなく、突然の大雨が間欠的に襲うので、天変地異を実感する夏の入りです。
 今年の祇園祭の天候が、今から気づかわれます。

 そのような中で、東京の宿舎には扇風機だけでエアコンがないこともあり、気分転換にもなるかと温泉浴に出かけたのです。

 JR武蔵野線の船橋法典駅から歩いて坂道を下った5分のところに、その温泉はあります。宿舎からは乗り換えなしの8駅目、30分です。通勤に立川まで2時間もかかっている身としては、その近さに拍子抜けしました。


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 この温泉のことは、以前、「江戸漫歩(41)楽天地天然温泉「法典の湯」」(2011/6/25)として書きました。4年ぶりとなります。

 あの時はどのような経路で行ったのか、どうしても思い出せません。乗り換えが面倒だったように思い込んでいました。
 武蔵野線、京葉線、地下鉄東西線に加えて日比谷線と、いろいろな行き方があります。その時は、あるいは西船橋でお買い物をしながら行ったのかもしれません。
 都心の便利な地域にいると、こんな悩ましいこともあるのです。

 ここの一番の売りは、やはり地下1,500メートルから湧き上がる紀元前百万年の「化石海水」で、塩分の強い天然温泉の源泉掛け流しでしょう。泥色の源泉は、温泉に入ったという気になります。
 雨に打たれながらの露天岩風呂もいいものです。
 鉱石を使った岩盤白湯の白濁の湯も、ありがたみを感じます。
 泥色と白色のお湯に交互に入ると、地底のミネラルを身体にたっぷりと吸収した気持ちになります。身体はほくほくとして、汗が滲み出るほどです。

 その後、よもぎのスチームサウナに入ると、「インドの温泉地ソーナ」(2012年02月06日)を思い出しました。

 現在、日本の各地で地震や噴火が起きています。温泉の恵みと裏腹に、火山列島ならではの災害が共存していることも実感させられます。自然との絶妙のバランスが保てるといいのですが……
 今は、人間の勝手な都合ではあっても、そこに狂いが生じているようです。

 一日も早い防災と安全対策が実を結ぶことを祈るのみです。
posted by genjiito at 21:27| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年07月04日

読書雑記(135)葉室麟『山月庵茶会記』

 葉室麟氏の作品を読むのは、これが初めてです。書名に惹かれて手にしました。
 『山月庵茶会記』(2015.4.21、講談社)は、黒島藩シリーズの第3弾とあります。
 前2作を読もうか読むまいか、思案しながらこの読書雑記を書いています。


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 柏木靫負は、表千家の茶人で孤雲と号し、江戸の駿河台に日々庵を構えていました。四代将軍家綱の時代です。その後、豊後に帰ってからは、山月庵を造ります。

 話の展開の中で、靫負の娘である千佳の受け答えが推進力となっています。しかし、これが不自然なオウム返しに近いものなので、文章が冗長となり重たく感じました。

 靫負の妻藤尾の自害をめぐり、話が動き出します。政争に敗れて国を出た靫負は、その国に帰って真実を知ろうとするのです。これが主題です。

 雪の茶会の後で、千佳の父である又兵衛が落とし穴に落ちる下りは秀逸です。生き生きとした場面となっています。この雰囲気と、お茶人としての靫負の描き方がしっくりと馴染んでいません。

 聞香の話では、『源氏物語』の「梅枝」のことが語られます。


 民部は待ちかねたように浮島に声をかけた。浮島が橋と柳の模様が金箔で描かれた蒔絵香合を手にすると、民部はゆっくりと語った。
「香は古には仏に供えるものであったが、京の殿上人が薫物として使うようになられたという。すなわち殿上人は、女人のもとを訪れた後、おのれの余韻としてどのような香りを残すかに腐心されたのだ」
「まことに雅なことでございます」
 波津が讃嘆するように言った。民部はうなずいて、
「それゆえ衣類に香を焚きこめ、室内に香をくゆらせた。『源氏物語』の〈梅枝〉の巻では光源氏が明石君との間に生まれた姫の入内のために薫物をととのえ、さらに紫上や花散里ら女人たちにも香を調合させて香りの良否を競う〈薫物合〉を行うくだりがある」(71頁)


 香りのことが本作の最後にも出てきます。ただし、上記のことが最後に活かされないままに流れているのが惜しまれます。
 その聞香から雛の茶会へと、話はお茶を中にして滑らかに展開していきます。

 さまざまな詩歌が出てきます。人口に膾炙するものばかりです。

 漢詩
「牀前月光を看る……」
「少年老い易く学成り難し……」

 利休の辞世の偈
「提ル我得具足の一太刀……」

さらには数々の和歌。
「春の夜の闇はあやなし……」
「色よりも香こそあはれとおもほゆれ……」
「空蝉の世にも似たるか花桜……」
「巨勢山のつらつら椿つらつらに……」
「郭公鳴きつる方をながむれば……」

 月の場面で『源氏物語』が取り上げられます。少し長くなりますが、その箇所を引いておきます。


 靭負は、『源氏物語』に、朧月夜が出てくるのを知っているか、と千佳に訊ねた。千佳が『源氏物語』は読んでいないと答えると、靭負は光源氏が出会った朧月夜の女について話した。
 あるとき帝が花見の宴を開かれた。宴が終わり、光源氏はほろ酔いでひとり余韻にひたり宮殿を彷徨っていると、そこにひとりの女人が、
 ─朧月夜に似るものぞなき
 と歌いながらやってくる。『新古今和歌集』にある歌だ。

  照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき

 照り輝くでもなく曇り空で見えなくなるのでもない、春の夜の朧月夜に勝る月はない、という歌である。
 靭負はそれ以上、源氏物語の内容にはふれなかったが、光源氏はこの朧月夜の女と一夜の契りをかわす。
 源氏物語に登場する女人のなかでも謎めいて光源氏を翻弄する女なのだ。靭負は話し終えて、気分を変えるように言った。
「せっかくの月だ。今宵は夜もすがら、月見の茶事をいたそうか」
「さようでございますね」
 靭負に言われて、ほっとして千佳は微笑んだ。縁側に立って夜空に目を向けていると、庭の木々も雨で潤い、なまめいた匂いを漂わせている。
 ひとの心は必ずしも自分の思いのままではない。かすかな月の光、木々のざわめき、空気のぬくもりが思わぬところへ心を運ぶこともある。
 心を守るとは、道とも言えぬ隘路へ自ら踏み入らぬようにすることに違いない。たとえ、わずかならず胸に響くものがあったとしても、それはまことの道ではないのだ。そのことはよくわかっていた。
 千佳は自分に言い聞かせつつ、布団をあげて茶事の支度をした。靭負はしばらく黙って月を見上げていたが、ふと、
「月見の茶事が藤尾への手向けとなればよいのだがな」
 とつぶやいた。千佳はせつなさがこみあげてくるのを感じた。靭負のために何もできないことがもどかしい気がした。(161〜163頁)


 せっかくの雅な話題と設定が、ここでも生かされずに話は進んで行きます。

 終盤に至って、突然幕府の隠密の存在が明らかにされます。そして、黒島藩という大きな組織がたち現れます。藩主登場のことは、もう少し早く匂わせておいた方が、読者は失望しないですんだと思いました。

 藤尾の自死をめぐって長々と物語られた靫負の話も、急展開します。
 最後は、息を詰めて一気に読みました。

 しかし、妻に対する思い入れが、あまりにもくどいと思いました。その一点が、この物語を支え、引っ張っています。お茶室という狭い空間に閉じ込められた、こじんまりとまとまった話です。もっと別の語り口はなかったのでしょうか。

 例えば、次のような死者との対話は、井上靖が得意とする手法ながらも、これではあまりにも中途半端です。


「もし、わたしが十六年前にこの心で茶を点てることができたなら、そなたを死なせはしなかったであろう。しかし、わたしはあのとき、至らなかった」
 すまなかった、許してくれ、と靭負は絞り出すような声で言った。女人はさりげなく笑みを含んだ声で答えた。
「何を仰せになります。十六年の間、旦那様は片時もわたくしのことをお忘れになりませんでした。ひとは忘れられなければ、ずっと生きております。わたくしは死んでなどおりません」
「そう言ってくれるのか」
「はい、わたくしは十六年の間、旦那様がお点てになる茶の中に生きておりました。温かく、よき香りに包まれて幸せでございました」(237頁)

 また、女性の描き方に精彩を欠きます。情に流された文脈の中で語られているからではないでしょうか。

 それはさておき、山月庵には、月がよく似合います。
 亡き妻と飲むお茶もいいものです。
 最後はきれいな場面となっています。【4】
 
 
初出誌:『小説現代』2013年2月号、9月号〜2014年4月号
posted by genjiito at 22:28| Comment(0) | 読書雑記

2015年07月03日

銀座探訪(30)中央通り・すずらん通り・ガス灯通り

 かつて、銀座のアップルストアの北隣にあるコナミスポーツクラブで泳いでいたので、この銀座一帯は熟知しているつもりでした。しかし、今は至る所で立て替え工事が進行していて、以前は何のビルだったのか思い出せません。数年後には、この銀座も様変わりすることでしょう。

 今の銀座を忘れないようにと思い、妻と折を見ては探訪しています。
 お互いに何かと多忙な日々なので、仕事帰りに暑気払いのつもりで出かけました。

 学生時代に、数寄屋橋にあった著名なステーキハウスで、2人一緒にアルバイトをしていました。お客さんの前で、包丁さばきのパフォーマンスをすることで知られていたお店です。有名人や芸能人がよく来ました。妻がレジを、私がウェイターを。

 あの頃は、少しだけお店の英会話が私にもできました。その時に、世界各国のワインの名前も覚えました。よく六本木のクラブに、支配人に連れて行ってもらったのも、その頃のことです。摩訶不思議な世界を垣間見ることのできた、懐かしい学生時代です。

 過日は、次の地図の下を東西に通る三原通りにあるお店に行きました。


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 今回は、地下鉄銀座一丁目駅からスタートです。
 中央通りの西端の博品館角でUターンして、1本北の金春通りとすずらん通りを東進し、ガス灯通りを歩きました。

 アップルストアの横には、テレビドラマで一躍有名になった本の老舗「教文館」があります。店頭には、七夕の笹が見えます。


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 その西隣には、あんパンの老舗「木村屋」。この店先にも、七夕に願いを書いた短冊がぶら下がっています。


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 ここで、「ほうれん草のピタパン」と「チーズクリームパン」をいただきました。血糖値を気にしている私です。しかし、時には気分転換も必要だ、という勝手なへ理屈をつけて買いました。


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 中央通りの西端にある博品館の前では、懐かしい金魚の玩具が夏らしく店頭で泳いでいます。銀座のメインストリートには、こんなものも店先にあるのです。


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 そこからUターンして金春通りに入ると、京都の食パンを売っている屋台がありました。


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 寿司好きの私でも入る機会がまったくない「銀座久兵衛」の看板については、この「久」の崩し方に興味を持っていました。漢字の雰囲気がなく、ひらがなの「く」としか見えないからです。やっと、撮影できました。


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 その近くに、「金春湯」という銭湯があります。銀座のお風呂にも、一度は入ってみたいものです。


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 すずらん通りからガス灯通りにかけては、千円ランチを食べによく来るところです。
 今回は、お互いにいろいろとご苦労さま、ということで、これまでに何度来ても満員で入れなかった「YEBISU BAR 銀座二丁目店」で乾杯となりました。
 ここは、以前はライオンだったところです。店名と内装を一新したこともあり、おしゃれで行きやすい店に変身しました。
 鱧の料理がお勧めでした。東京ではあまり見かけないので、最初にお願いしました。一緒に盛られていた大粒の梅干しが、鱧といい相性を見せてくれます。ふっくらとした大振りの鱧です。関西では、梅肉を上品に添えます。梅干しをどんと乗せるのも、絶妙の取り合わせとなることを知りました。付け合わせのコリンキーも、しゃきしゃきしていて美味しくいただきました。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 銀座探訪

2015年07月02日

京洛逍遥(361)賀茂川の水鳥たちと珍獣

 賀茂川にはいろいろな動物が生息しています。
 動物のことは疎いので、見かけた姿を素人写真で取り上げるだけです。

 まずは黒鵜(?)です。最近増えています。


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 鴨たちの姿は何度も紹介しました。


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 日頃はあまり見かけないゴイサギ(?)がいました。


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 侵略的な外来生物であるヌートリアは、まだ出町柳周辺にいます。
 2年前に「京洛逍遥(255)鴨川に生息するヌートリア」(2013年02月12日)という記事を書きました。
 そのヌートリアを、先日見かけました。
 次の写真の左上に茶色の姿が見えます。


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 近くの河畔には、上記ブログで紹介したときとは別の説明文が掲示されています。
 餌を与える人が、今も絶えないからでしょう。大至急、抜本的な対策が必要だと思われます。


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 なお、昨年8月の送り火の日に、賀茂川に鹿が出現していました。
 その後の情報を取り混ぜて、と思いながらそのままになっているので、ここにその姿を紹介します。餌がなくなり、北山から川沿いに下ってきたのでしょう。
 祇園祭の賑わいにつられて、また出没するかもしれません。
 この後、この鹿さんたちがどうしたのかは、特にニュースにはならなかったようなので不明です。


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posted by genjiito at 22:55| Comment(2) | ◆京洛逍遥

2015年07月01日

京洛逍遥(360)最近の賀茂川の鷺たち

 賀茂川散策の折々に、水鳥たちを写真に収めています。
 何枚も溜まってきたので、今日は鷺たちを並べてみました。

 まず、独立独歩の鷺。


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 沈思黙考の鷺。


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 黒鵜と戯れる鷺たち。



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 仲良く遊ぶ鷺。


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 水しぶきの中に跳び出す鷺。


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 仲良くねぐらに帰る鷺たち。



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posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥