2015年06月30日

京洛逍遥(359)京都ライトハウスと市役所

 賀茂川に架かる出雲路橋から如意ヶ岳を望むと、大文字の送り火を迎える雰囲気が感じられるようになりました。
 今年はどこからこの大文字を見るか、まだ決めていません。


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 振り返って北山方面を見ると、日曜日の雨の影響でしょうか、どんよりと曇っています。


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 千本北大路にある京都ライトハウスを訪問しました。「古写本『源氏物語』の触読研究会」で秋に開催する研究会場の手配や下見と共に、視覚障害をお持ちの方々の触読環境に関する情報収集などの用務のためです。


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 Nさんは出張でいらっしゃいませんでした。しかし、職員の方が懇切丁寧に対応してくださいました。いつも、ありがとうございます。

 必要な手続きを済ませると、そこから京都市役所に回りました。


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 この庁舎の1階東奥(写真右端)にある文化市民局地域自治推進室の市民活動支援担当の方が、NPOに関して、これまた丁寧に対応してくださいます。NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の平成26年度事業報告書は、月末の明日が〆切りです。しかし、ほんの少し早めに、無事に受け取っていただきました。

 肩の荷が下りたところで、この部局に配備されているさまざまなNPO法人の資料の中から、気になっている視覚障害に関わりのある団体の情報を確認しました。科研「挑戦的萌芽研究」と一緒に連携できないか、という視点で閲覧させていただいたのです。

 帰り道、高瀬川沿いを通って賀茂川に出ようとしたところ、橋の名前に目が留まりました。


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 写真左に「たかせ可は」と刻まれています。なぜ「可」だけが変体仮名なのでしょうか。
 右には、「ゑひ須はし」とあります。この「ゑ」は「盈」のようにも見える、紛らわしい崩し字です。「須」はなぜこの変体仮名なのでしょうか。この5文字は、すべてがひらがなの字母と思われる漢字に近い段階の崩し方で書かれています。

 これは、平成2年3月に刻まれた文字です。こうしたひらがなの崩しや変体仮名を、多くの日本人はもうすでに読めなくなっています。その実体を考えると、無闇にこうした古さを強調した文字を市井に氾濫させることに、最近とみに疑問を抱くようになりました。これからの若者たちに対して、無責任なように思えるからです。

 もしこうした文字を公衆の面前で使うのであれば、責任をもってこの文字がれっきとした日本語の文字であったことを、標識なり案内板に記して添えるべきです。こうした変体仮名を提示する場合は、日本の伝統文化の所産であることを、若者たちにわかりやすく伝える義務があると思います。それを怠って、書家がいい気になって見せびらかしてはいけない、と思います。自己満足の押し付けはやめてほしいものです。

 帰りに賀茂川の右岸(西側)の散策路を北上していると、北山がきれいな姿で山並みを見せていました。


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 北大路橋から如意ヶ岳を見ると、沈みゆく日の光を浴びて輝いているところでした。


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 明日6月30日は、夏越祓をするみそぎの日です。今年前半の身体を祓い浄め、後半の清浄を祈念する意味から、京都では和菓子「水無月」を食べます。

 今年の後半も無病息災で暮らせますように、そして研究を始めとするさまざまな挑戦が無事に実を結びますように、と自分に言い聞かせながら、自転車のペダルを踏みしめて家路につきました。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年06月29日

京洛逍遥(358)賀茂川で見かけた絵になる光景

 日南町からの帰りは、いろいろな調査等を予定していたので、京都で途中下車をして中宿りです。
 生山駅を発って岡山駅経由で降り立った京都駅は、日曜日ということもあってか、旅行者で大混雑していました。

 飛び交うことばが中国語だったので、東京と同じような現象が京都でも起きているようです。
 ただし、こちらでは手にする荷物が京土産のようなので、東京のような買い物ツアーとは違うようです。

 東京では時代の最先端を行く街の文化を、京都では千年の時が育んだ伝統的な文化を、共に存分に堪能していただきたいと思います。
 そして、中国にお帰りになったら、ぜひとも日本のすばらしい所を、土産話として語り伝えていただきたいと思います。

 家で少し身体を休めてから、夕方の賀茂川散歩に出かけたところ、北大路橋周辺でめずらしい撮影風景を見かけました。ちょうど、植物園の横でした。


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 北大路橋を1つ上がった北山大橋から上賀茂橋にかけては、川沿いに結婚式関連施設があるので、新婚さんの記念撮影はよくあります。
 また、北大路橋から2つ下ったところの葵橋周辺でも、橋の両側の袂にブライダルサロンがあり、下鴨神社があるため、結婚式を控えた記念撮影によく出くわします。

 上賀茂でも下鴨でも撮影場所に事欠かない賀茂川沿いなので、その中間にある北大路橋周辺では、これまでこうした新婚さんの姿はあまり見かけなかったのです。

 上掲の写真は、賀茂川畔の散策路から見えた、仲むつまじい姿でした。
 せっかくだからと、2人が立っている植物園と併行して通る半木の道の方に、斜面を上がって行きました。


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 これでは、絵にならない構図です。写真はアングルによってさまざまなイメージが伝わるので、その変化もおもしろいものです。

 北大路橋の真下では、これまでに何度か見た、河畔でお茶を点てている方がいらっしゃいました。
 今まで見たのは、学生さんを相手にお茶を点て、篤く語っておられました。
 それが、昨日は着物姿の若い女性だったので、これまでのパターンとは違います。


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 橋の上から見ていたので、どのような成り行きからか、想像するしかありません。
 いつか機会を得て、このご亭主にお話を伺おうと思っています。
 おそらく、楽しいお話が聞けることでしょう。

 賀茂川では、さまざまな方々が、思い思いの目的で、いろいろな事をなさっています。
 一番多いのが音楽の練習です。管楽器、弦楽器、打楽器などなど、いろいろな楽器を手にしておられます。私が知らない、見たこともない楽器の妙なる音色に、しばし足を留めることもあります。
 いずれ、これらも写真に収めて、紹介したいと思っています。
posted by genjiito at 23:18| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年06月28日

標識が設置された井上靖ゆかりの曽根の家

 今朝は、受賞者の滝川さんと一緒に、生山駅に行く途中で、井上靖記念館に立ち寄りました。
 野分の館に上る手前の詩碑で、きれいな紫陽花を見かけました。


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 『通夜の客』の舞台ともなっている、福栄にある井上靖の家族が疎開していた地には、新しく標識が設置されていました。
 この入口は狭いので、標識はありがたい配慮です。


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 文豪 井上靖 ゆかりの地
 「曽 根 の 家 跡 」入口
    (平成26年設置)
  福栄まちづくり協議会

 また、井上靖の家族が疎開で住んだ家である「曽根の家」の跡地には、間取り図が掲示されていました。これも、昨年平成26年に設置されたものです。


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 この曽根の家の間取り図は、どなたの手に成るものか記されていません。
 私が、2010年3月17日と2011年3月12日の2度にわたって、「野分の会」の代表である伊田美和子さんから聞き取った図と、少し異なるようです。

 曽根の家の間取りについては、下記2つのブログに手書きの図を掲載しています。見比べられるように、再掲載します。


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「井上家の疎開先としての日南町(3)」(2010/3/17)
 
 

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「日南町の井上靖(1)」(2011/3/12)

 囲炉裏があった場所や、物置き、馬屋等々、これらは再確認が必要です。

 聴いた話によると、今後はこの地区の家々に、もっと屋号の標識を掲示するそうです。来るたびに、少しずつ訪問者に優しい配慮がなされていくのは、ありがたいことです。

 昨日、役場のそばを車で通った時に、コメリという大きなお店を見かけました。最近できたのだそうです。これまでは、パセオというスーパーマーケットが一軒あっただけでした。

 今日伺うと、コメリの隣に24時間営業のローソンも最近できたとか。
 日南町は、少しずつ便利な町になって行くようです。
posted by genjiito at 23:14| Comment(0) | 井上靖卒読

2015年06月27日

第4回池田亀鑑賞授賞式と講演会

 第4回池田亀鑑賞授賞式と講演会が始まる頃には、午前中の雨は爽やかに晴れ上がっていました。


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 池田亀鑑賞の授賞式の司会進行は、今年も図書館の浅田幸栄さんです。
 まず文学碑を守る会の加藤和輝会長の挨拶で始まりました。


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 加藤会長から、受賞者である滝川さんに賞状と賞金が渡されます。


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 続いて私が、本日ご欠席の伊井春樹会長の代わりとしての挨拶と、選考委員長として選考過程と選定理由などの説明をしました。


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 授賞式の内容がわかりやすいように、私が用意していた原稿を引用します。
 もっとも、手持ち原稿を読みながらの研究発表や講演はしないように、という伊井先生からの指導を徹底して受けているので、この原稿通りにお話はしていません。ほぼこのような内容でした、ということでご理解ください。


挨 拶   伊藤鉄也

 滝川幸司さん。このたびは第4回池田亀鑑賞の受賞、おめでとうございます。

 池田亀鑑賞の選考委員会の伊井春樹会長が、本日は宇和島伊達400年祭 記念文化講演会に出席のためにご欠席です。伊井先生は宇和島のご出身です。

 そこで、選考委員長を務める私が代わりましてご挨拶申し上げます。
 併せて、池田亀鑑賞の選考についても報告いたします。

(1)池田亀鑑賞 設立の意義

 文学研究の基礎を支える資料を整理し、成形し、提供する営為には、多大な時間と労力と根気が必要です。

 そして、こうした作業や仕事にこそ、弛まぬ努力と継続に対する理解と応援が必要です。

 池田亀鑑賞は、日頃の地道な調査研究活動に光を当て、さらなる励みと新たな目標設定を支援するところに意義があると思っています。

 達成したものばかりではなく、進行しつつあるものも含めて、研究環境の整備に貢献した仕事を顕彰したいと思っているところです。

 この「池田亀鑑賞」は、今から5年前、平成22年(2010年)3月13日に日南町で開催された講演会「もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』」が原点です。

 そのイベントが契機となり、日南町と「池田亀鑑文学碑を守る会」が平成23年(2011年)5月2日に「池田亀鑑賞」の設立を実現しました。

 「池田亀鑑賞」は、文学の研究基盤を形成する上で、顕著な功績のあった研究に対して贈るものです。その地道な努力を顕彰し、さらなる成果の進展を期待する意味を込めています。

 来年は、池田亀鑑の生誕120年、没後60年の記念すべき年となります。

 中古古典文学研究などの奨励となり、源氏物語千年のかがやきのような光彩を放つ賞として、今後ともみなさまのお力添えを得まして、末永く継承したいと考えています。

(2)選考対象と選考方法

 「池田亀鑑賞」は、前年度に発表された平安文学に関する学術図書、研究論文、資料整理及び資料紹介に対し、学界に寄与したと評価されるものを選定しています。

 応募作の評価については、選考委員全員があらかじめすべてに目を通し、毎回4つのチェック項目について5段階評価をし、それに各委員が講評(200字)を付けた評価表を提出していただいています。

 その4つの評価項目は、次の通りです。

 @地道な努力の成果
 A研究の基礎を構築
 B研究の発展に寄与
 C成果が顕著な功績

 そして、その資料を参考にしながら、自由討議によって選考を進めていきます。

(3)選考経過と理由

 @3月末日〆切り
 A選考委員会は、本年5月2日(土)午後2時より、伊井春樹先生の逸翁美術館・池田文庫で開催

【選評】
滝川幸司『菅原道真論』(塙書房)

 今回の受賞作『菅原道真論』は、700ページにも及ぶ、平安前期の漢学者・漢詩人の研究です。
 今回の応募作の中では、群を抜く大著でした。
 本書は、『源氏物語』を中心とした平安文学を視野に置く池田亀鑑賞にはやや違和感があるかもしれません。しかし、昨年度の『狭衣物語』の研究がそうであったように、「地道で基礎的な研究」という点では申し分のないものです。
 歴史史料を精緻に読解し考証することから、多くの成果を導き出しているのです。しかも、道真だけでなく、その周辺の人物の伝記をも詳細に考証しています。
 特に、第二篇「道真の交流」は、文学や歴史学に多大な恩恵をもたらす成果となっています。
 全編にわたり力作の論稿が多く、それでいて全体が統一されています。
 努力の成果が、基礎研究と顕著な功績として一書をなしているのです。
 本書は文学研究にとどまらず、歴史学などの他領域にも影響を及ぼす可能性が高いものです。
 著者の今後の展開にも期待したいと思います。
 なお、取り組む研究テーマを異にする者にとって、初見の人名と書名が頻出する論稿を理解する上で、巻末索引(「人名」「研究者名」「官職・官司」「書名・篇名・詩題」)は配慮が行き届いており、理解を助けるものとなったことを申し添えておきます。

 以上、池田亀鑑賞の趣旨に最も合致する著作として、滝川さんの『菅原道真論』を、第4回池田亀鑑賞の受賞作といたしました。

 文学研究の基本となる文献を大切にする研究者として、今後とも注目したいと思います。

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 本日は4時から、第三部として池田亀鑑が生涯の仕事とした『源氏物語』の古写本を読む、ということの体験をみなさまと一緒にしたいと思います。
 この古写本を読むことについては、今後とも継続して、この日南町で行います。これは、私と原豊二先生が担当し、年に複数回実施したいと計画しています。
 今回はその第3回目です。
 今から700年以上も前の鎌倉時代に書き写された『源氏物語』を、一緒に読んでみましょう。そして、日本の文化の奥深さを、ご自分の目と手で実感していただければ幸いです。
 多数のご参加をお待ちしています。

(4)広報活動

 池田亀鑑賞に関する幅広い広報・普及活動の検討と対策を考えています。
 その一環として、今秋広島で開催される中古文学会のフリースペースに、池田亀鑑賞関係の展示とパンフレットの配付を検討しています。



 長々と引用しました。おおよそ、以上のような内容の挨拶をしましたので、記録に留めておきます。

 次に、選考委員の紹介です。


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 池田研二先生は、会場後ろに池田亀鑑の自筆原稿を展示したことに関して、見る際のポイントと簡単な説明をなさいました。


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 妹尾好信先生は、来月19日に米子の今井書店「本の学校」で開催される「文藝学校」講演会の紹介をなさいました。


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 原豊二先生は、私が言及した文学部がなくなって行くことに関連した中国地区の現状と、本日の研究発表者である杉尾瞭子さんの紹介でした。


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 続いて、来賓挨拶として、日南町の増原聡町長から祝辞をいただきました。


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 そして、町議会の村上正広議長。


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 日南町の丸山悟教育長からの祝辞もありました。


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 第1部は、受賞者である滝川幸司さんの記念講演会です。


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 菅原道真の2つの漢詩を例にして、これまでとは異なる解釈により、従来よくわからないままに来た問題を、誰にでもわかりやすく読み解いてくださいました。
 漢字が並ぶ漢詩漢文は、苦手な方が多いと思います。しかし、今日のお話では、「未知」と「断腸」の解釈をみごとに解き明かし、漢詩を読む楽しさを教えていただきました。

 配布された講演資料を見た時には、こんなに難しい内容では参会者のみなさんは頭を悩ませられるのではないか、という主催者側の心配は、まったくの杞憂に終わりました。難しそうな内容をわかりやすく語るという、みごとな講演でした。

 第2部は、ノートルダム清心女子大学の博士前期課程二年生の杉尾瞭子さんの研究発表です。
 タイトルは「池田芙蓉(亀鑑)『馬賊の唄』について」でした。


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 作品を丹念に読み解いての発表でした。
 土井晩翠の「万里長城の歌」の引用の研究は、実証的で説得力のあるものでした。
 続く懐かしの歌となっている「馬賊の歌」は、大正後期に宮崎滔天が作ったものだそうです。それが、断片的に池田亀鑑の小説に引用されているのです。乃木希典の漢詩もそうです。

 出典に関しては、いずれもが剽窃だとわかります。もっとも、権利意識の薄い当時にあっては、その時代の考え方でものを見て行く必要もあります。
 時代背景に関して、アジア主義や侵略思想への言及がありました。少年の大陸飛雄の夢を描いたものだというまとめは、今後の課題として、さらなる研究の発展が期待できます。
 こうして若手が臆することなく、各種資料を吟味しながら多視点による調査結果を研究発表することは、今後が頼もしく思えます。

 第3部は、私が担当するもので、「鎌倉時代の『源氏物語』古写本を読み、池田亀鑑を追体験する」という実習講座です。


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 今回は、国立歴史民俗博物館蔵「鈴虫」の巻頭を、みなさんと一緒に、字母に注意しながら読みました。30分という短い時間でした。しかし、みなさん懸命に変体仮名に見入ってくださいました。
 また、古写本『源氏物語』の触読研究というプロジェクトについてもお話し、視覚障害の方々と一緒に『源氏物語』を手や耳を使って読む取り組みについても報告しました。

 最後は、石見まちづくり協議会の吉澤晴美会長より閉会の辞をいただきました。


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 今回の参加者は60名と、いつものように多くの方々が参会してくださいました。

 日南町は、小さな過疎の村だといわれています。しかし、向学心や知的好奇心に溢れる町民のみなさまの熱意は、企画や運営の立場から見ると驚嘆というのが実感です。さすがは、池田亀鑑の生誕の地であり、井上靖の文学館があり、松本清張の文学碑がある町です。

 国として文学の評価が消極的な現在のご時世において、こうした文学研究という専門性の高い内容にも、日南町の多くの方が興味と関心をもって理解をしていこうとなさる風土は、地方創生のエネルギーを秘めているように思えます。高い評価と共に、全国から注目される町となるのも、そう遠くはないことでしょう。

 来年は、池田亀鑑の生誕120年、没後60年、そして池田亀鑑賞の第5回目となります。
 記念になるイベントにしようと、みなさんで楽しく語らいながら、名残惜しい中での閉会となりました。


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 終了後は、恒例となっている池田亀鑑文学碑のある石見東小学校の校庭横へ行き、関係者で記念撮影をしました。


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 ちょうど2日前に、この文学碑の横に非常に珍しい亀の子石が置かれたところでした。


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 この碑の周りは、今後ともますますいい環境に整備されていくことでしょう。
 また来年、この地に来られる日が、今から楽しみです。

 なお、これまた恒例の懇親会が、今回も宿舎となっている「ふるさと日南邑」で行われました。
 会場に帰り着いた頃には、また雨が紫陽花に降り注いでいました。山陰の気候の特徴のようです。


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 この懇親会は、ただ単にお酒を飲む場ではなくて、夢が語られ、思い出が語られ、町民の方々が元気になる話題に満ちています。

 今日も、今では手に入らない池田亀鑑の随筆を集めた『花を折る』の復刊について、計画を実質的に詰めることができました。
 すでに関係者には事前に相談をしておいたこともあり、その概要と役割分担が即決です。

 ・新典社から刊行
 ・本文は現代仮名遣いに改訂
 ・地名、人名、行事、気候、風土などの脚注/浅田幸栄
 ・上記以外の脚注とコラム/原豊二
 ・コラム数本/未定
 ・池田亀鑑の写真選定と説明/池田研二・伊藤鉄也
 ・寄稿/池田研二
 ・寄稿/久代安敏
 ・解題/伊藤鉄也
 ・事項索引/NPO法人〈源氏物語電子資料館〉

 以上は、今日の確認事項です。
 『花を折る』に収録されていない池田亀鑑の随想等は、これから編集に着手することになります。
 今後とも些少の変更があるとしても、来年の6月25日(土)に予定している、第5回池田亀鑑賞の授賞式には間に合うように刊行することになります。
 さまざまな確認事項や不明な点の解明が、いまから大仕事として降りかかることが想定されます。
 しかし、みなさまのご理解とご協力を得て、良い本に仕上げたいと思います。
 関係者のみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 池田亀鑑

2015年06月26日

池田研二先生と共に奈良から鳥取へと移動

 昨夜11時に新宿の都庁前を発ったバスは、天理駅前に予定よりも早い朝5時55分に着きました。


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 駅前で食事をしたりしてのんびりした後、池田研二先生のお供として天理図書館へ行き、研二先生の父池田亀鑑蔵書群(桃園文庫)について、貴重な話を伺いました。

 それとは別に、私が現在の関心事としている、視覚障害者と一緒に古写本『源氏物語』を読む課題に直結する、これまでまったく情報を持っていなかった本の存在を知りました。
 それは、「行儀作法の書」(1875年刊)と、「盲人のための印刷法手引き書」(1820年刊)です。共に浮き出し文字(凸字)による本で、立体的にアルファベットが触れるものです。
 これについては、今日は見かけただけなので、今後さらに調べてみます。この本について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示のほどをお願いします。

 お昼に天理図書館を辞してからは、研二先生と一緒に、大和路快速・新幹線のぞみ・特急やくも等の列車を乗り継いで、池田亀鑑賞の授賞式が行われる鳥取県の日南町に入りました。

 私が事前に時刻表で組んだのが、乗り換えが10分以内という、実に強行なタイムスケジュールでした。そのために、80歳という研二先生には慌ただしい思いをしていただくことになりました。申し訳ありません。その日の明るい内に日南町の宿に入るためには、このルートしかなかったのです。

 列車の中では、長旅の時間を忘れるほどに、ずっと研二先生と喋り詰めでした。
 興味深い貴重なお話をたくさん聴くことができました。得難い収穫の多い一日となりました。


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 目的地である生山駅には、池田亀鑑文学碑を守る会事務局長の久代安敏さんが、いつものように出迎えに来てくださっていました。雨が上がったばかりの中を、毎年お世話になっている「ふるさと日南邑」に身を休めることとなりました。

 部屋からは、これまたいつものように、雲を被った山々が望めます。
 今年も来たな、という思いを胸に、明日の授賞式と講演会と追体験会の準備をすることとなりました。


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 昨年までとは違うことに気付きました。「ふるさと日南邑」の館内に無線LANが敷設されたのです。
 いつもは iPhone のテザリングか、事務所の LAN を借りてインターネットにつなげていました。それが、部屋にいながらにしてネットにつながるのです。これは一大変革であり、快適な滞在地となります。情報化社会への対処はありがたいことです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 池田亀鑑

2015年06月25日

日比谷図書文化館での体験講座の後に夜行バスで奈良へ

 日比谷図書文化館で、第4期となる体験講座が午後6時半からありました。

 古写本『源氏物語』を読んでみたいと思っておられる方が、とにかくたくさんいらっしゃることを実感します。
 これは今後とも続けて行かなくては、という思いを強くしました。

 20時に終わってから少し参加者の方とお話をしました。

 松野元国文学研究資料館館長をご存知の方や、国文学研究資料館の崩し字講座を受講なさっていた方などなど、多彩な方々がお出ででした。

 この講座が「翻字者育成講座」となっていることについて、「育成」の意味をよく聞かれます。
 変体仮名が読めるようになり、さらには『源氏物語』の本文データベースの構築をお手伝いしてくださる方を育成する、という講座の趣旨を説明しています。

 終わるとすぐに、新宿駅へ向かいました。

 新宿から出る夜行バス「新宿−奈良・五條線」に乗るためです。
 明日の朝10時に、奈良県にある天理図書館へ行くことになっています。

 新宿にある京王プラザホテル(都庁側玄関前)から、夜11時の出発です。その乗り場を探して、半時間ほどさ迷いました。以前はすぐにわかったのに、乗り場が変わったのか、表示もなくて大変でした。

 結局は、京王プラザホテルの方に乗り場まで案内していただきました。これでは、初めての者にはわかるはずがないと思います。ここから乗られる方は、お気をつけください。

 歩き疲れた姿を見て、気の毒に思われたのでしょうか。ホテルのロビーで待つように言われました。館内放送が10分前にあるそうです。

 この記事をアップしてから、案内があれば乗り込むことにします。
posted by genjiito at 22:50| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年06月24日

読書雑記(134)高田郁『蓮花の契り』

 〈みおつくし料理帖シリーズ〉全十巻が完結したのは、昨年の8月でした。
 以来、次作を楽しみに待っていました。

「読書雑記(105)高田郁『天の梯 みをつくし料理帖』」(2014年08月24日)

 そしてついに、最新作となる『蓮花の契り 出世花』(ハルキ文庫、2015年6月)が刊行されました。一気に読みました。


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 著者のデビュー作である「出世花」は、平成19年に第2回小説NON短編時代小説賞の奨励賞を受賞しています。それに3作を追加した『出世花』が、平成20年に祥伝社文庫から刊行されました。

「読書雑記(26)高田郁『出世花』」(2010/12/6)

 平成23年には、ハルキ文庫からも刊行されました。これは、祥伝社文庫版に若干の加筆・修正が施された、いわば新版としての刊行でした。どのような箇所に筆が加わったり補訂されたのか、非常に興味があります。しかし、今はそのような本文校合をする暇がないので、またいつか、ということにしておきます。
 本書は、その時に予告されていた続編であり、この三昧聖のテーマとしてはこの第2冊目で完結となります。
 
■「ふたり静」
 遊女の亡骸を丁寧に湯灌する三昧聖のお縁を、今回も丹念に描いています。そして、かっての記憶を取り戻す元女郎の香弥、いや、かつてのてまりが言う言葉が印象的です。

 何もおもいださなければ、きっとずっと今のままでいられただろうに(57頁)

 この話では、二人静の花がその背後に横たわり、感動的な物語を裏支えしています。
 最後は、

ひとりよりもふたりの方が賑やかで良い。草花も、それにひとも(78頁)

ということばが、しんみりとした話を明るくしています。【4】
 
■「青葉風」
 暫しの間とはいえ、実母の元で暮らすことになる正縁(お縁)。実の親子の情が、たっぷりと語られています。その背後に、女将のお染が今後の話をおもしろくする布石となるかのように、何か企むことがありそうにして控えています。
 お茶会で亡くなった遠州屋を巡って、それが毒殺ではないことを、お縁は旧知の同心である新藤と共に謎解きに挑みます。
 次のくだりは、お茶会が作法通りには行われていなかったことを端緒として、ここから謎がしだいに解き明かされて行くこととなります。

「では、遠州屋さんも同席の皆さんも、まだ桜花堂の桜最中しか口にされていなかった、というわけでしょうか?」
 お縁の疑問に、新藤は頭を振って茶碗を示した。
「いや、先に治兵衛の点てた薄茶を飲んでいる、その場に居た全員だ」
 新藤の回答に、お縁は首を傾げる。
 確か、茶の湯では先に菓子を食べて、それから濃茶なり薄茶なりを口にする、と聞いていた。先に甘味を口にしておく方が茶の味わいが引き立つから、と。
 お縁の疑問を察したのだろう、新藤は苦く笑ってみせた。
「茶会とは名ばかりで、作法とは無縁のものだ。治兵衛も最初のうちは師範について茶道を学んでいたそうだが、堅苦しいのを嫌って止めたそうな。要するに気心の知れた者同士が、薄茶と桜最中を楽しむ集い、というわけなのだ」
 昨日は治兵衛も含め全員で薄茶を飲んだあと桜最中に手を出した、と聞いて、お縁は畳に両の手をついて、新藤の方へ身を乗り出した。
「では、そのお茶に毒が入っていた、とは考えられませんか?」
「それはない。昨夜、同じ茶を俺も飲んだが、何ともなかった。それに同席していた者たちが一様に、茶ではなく、桜最中の味の異変を訴えているのだ」
 お縁の仮説をあっさり打ち消して、新藤は茶碗を置いた。(125頁)

 そして、やがてお縁は、今で言えば死体検視官となり、棗の葉を挽いてお茶に入れた時の効果に思い至り、事件の解決へと導きます。
 これまでの情が勝った語りではなく、理が先行する展開に拍手を送りたくなりました。
 本作4編の中では、作者の成熟した筆致と構成が確認できる、一番の仕上がりとなっています。【5】
 
■「夢の浮橋」
 自分を捨てた母のことを思い遣りながらも、思案に暮れるお縁です。親子や夫婦の関係に注視する展開となります。
 いい場面に月影が配されています。

 ひとりきりになった部屋で、お縁はただ呆然と過ごしていた。どのくらいの間、そうしていたか、気付くと月の位置がずれて、室内は暗い。草雲雀の鳴き声に誘われて、縁側へと這って出た。
 月影が射して、庭が明るい─そう思った瞬間、お縁は度し難い孤独を覚えた。(183頁)

 私が今住むお江戸の宿舎の近くには、永代橋があります。それを渡るのに橋銭がいる、とあります(188頁)。説明がないので、よくわかりません。これは、いつか調べておきます。
 これまた富岡八幡が出てきたので、地元話に嬉しくなりました。そして、巻頭に置かれた「本書舞台地図」を見ては、宿舎はここにあるな、と確認しては物語の世界に入って行きました。
 やはり、物語に自分が知っている場所などが出てくると、読み進む気持ちに弾みがつきます。それも、今実際に住んでいる場所となると、弥増しに親近感が想像力を増幅するようです。
 永代橋が崩落する場面と、千を越す亡骸一体一体に心を込めて清めていくお縁の姿の描写には、作者の筆の力に気迫と活力があります。災害が描けるだけの力を蓄えての、みごとな復活を感じました。さらにその筆の力は、母子の情愛の姿を描き尽くします。【5】
 
■「蓮花の契り」
 正真の一言、

ひととして生きる道はひとつではない(254頁)

に尽きる章です。そして、「信念」というものの意味を教えられました。
 本話には、締めくくるための様々な手順が見えていて、それがかえって煩わしさとして残りました。
 また最後の場面で、夕映えに輝く松が現出します。しかし、私はできることならば、ここは月にしてほしかったところです。ないものねだりですが……【3】
 
 本作は、時代小説文庫(ハルキ文庫)のための書き下ろしです。
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2015年06月23日

あわてて眼科で白内障の検査を受ける

 昨日の京大病院での診察の折、私が目の不調について相談すると、白内障の兆候が目に現われているようだ、とのことでした。
 そこで早速、上京後すぐに都内の眼科へ行って診てもらいました。
 結果は、初期の白内障であるものの、今なにかをするほどではない、という診断でした。
 2時間をかけて丁寧に診てくださいました。
 メガネも、少し緩いなりに適切な度が出ているようです。
 目薬などの投薬もなく、肩透かしでした。しかし、これはこれで幸いだったと言えます。

 目に瞳孔を広げる薬を点滴されたせいでしょうか、光が目に飛び込んできて、一日じゅう何もできない日となりました。

 これまでにも、こうしたことがありました。
 そして、いずれも診察の結果は軽いので放置してかまわない、というものでした。

「京大病院の未承認医療機器の実験に参加する」(2013年07月30日)

「人騒がせな集団健診の結果」(2012年11月08日)

「心身(20)緑内障の疑い」(2008/7/26)

 今も、シルクのスクリーンが目の周りにかかっている感じがします。
 あまりすっきりとはしていません。
 緑内障と違って、白内障は加齢と共に、ほとんどの人に見られるものだそうです。
 もうしばらく、様子をみてみようと思います。
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2015年06月22日

京大病院での検診に少し変化があったこと

 2ヶ月置きの診察を受けるために、京大病院へ自転車を飛ばしました。
 昨日の大雨が嘘のように、賀茂川は水嵩を増してはいても少し濁った色を見せるだけで、静かに流れています。

 今週は過密スケジュールが組まれているので、確実に1つ1つをクリアしていくことになります。
 まずは、身体のチェックから。

 南側の正面玄関から診療棟に入ると、ロビーにあったドトールコーヒー店が左から右に移っていました。これまで、テーブルとソファや椅子が置かれていた寛ぎのスペースに、おしゃれなコーヒーショップが姿を現わしていたのです。


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 これまでドトールがあったエリアは、工事区域となっています。ロビーとなるそうなので、またゆったりとした空間を考えておられるのでしょう。座り心地のよかったソファと椅子を、よろしくお願いします。


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 この病院が大好きな者としては、こうして快適な空間作りへと手が入って行くことは大歓迎です。

 私が入院中にお見舞いに来てくださった方々にもわかりやすいように、入口横に掲示されていたフロアの案内図をあげておきます。


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 積貞棟は、すばらしい病棟でした。ここに入院治療しておられる患者さんには、今でも声をかけたくなります。自分に負けないでください、病気に負けないでください、と。

 さて、自分のことでした。
 今日のヘモグロビンA1cは7.5と、これまでの最高値でした。前回が7.2。体重を50キロ以上を維持するためと、鉄分を摂取することを最優先にした食事をしていたのが原因です。
 この血糖値以外には何も問題はない、とのことです。これだけなのです。単純明快です。
 体重が50キロを切ってもいいので、食事量を少し減らすようにします。毎日6回くらいに分割していたので、4食くらいにしましょう。
 食前の内服薬も、「ベイスン 0.2mg」から「トラゼンタ 5mg」へと変更になりました。これは、1日1錠を朝だけ飲むものです。新たな人体実験をスタートさせます。

 依然として、鉄分が不足しているようです。少し上がっただけなので、もっと摂るようにとの指導を受けました。鉄分を意識して食事をしていたのですが……。
 次回の結果を見て、鉄のサプリを処方するかどうか考えるそうです。
 相変わらず、名前負けしています。

 新たに、対処が必要な病状が見つかりました。これは、早速明日から治療を開始します。
 京大病院の中の他科で診てもらっても、すぐに開業医を紹介されるだけなので、東京で診てもらったほうがいいでしょう、とのことでした。その際、評判でお医者さんを選ぶといいそうです。

 また新たに克服すべき対象が見つかりました。病との戦いは苦になりません。というよりも、ある種の張り合いが出てきます。自分の身体のことなので、何事も気長に付き合うことを心がけます。
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2015年06月21日

京都でハーバード本「蜻蛉」と『十帖源氏』を読む(第20回)

 明け方から雷雨に驚かされました。
 御所の南側にあるワックジャパンへ行く途中で、出町柳にある三角州前の飛び石は、水嵩が上がっていたので渡れません。
 親子が残念そうに、川の流れが急なのを呆然と見つめておられました。お父さん渡ろうよ、という子供の声が聞こえそうです。そうでした。今日は父の日でした。


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 今日は、最初は文学や日本語に関する談義で始まりました。
 文学部はいつまで持ちこたえられるのか、日本語はどうなっていくのか等々、この『源氏物語』を読む会は年代がまちまちの方々の集まりなので、おもしろい話に展開していきます。
 自由に自分の考えが言える場は、大変貴重だと思っています。毎回、このフリーディスカッションを楽しみにしています。

 しゃべり疲れた頃に、娘の差し入れである和菓子でティータイムです。


150621_minazuki




 今日のお菓子は、「おとぎ草子」という、一寸法師や桃太郎などの昔話をテーマにした、かわいい和菓子です。一休餅で知られる吉廼家という、北大路通り沿いの室町西入ルにある京菓子屋さんの作品です。みんなでいただくには、ちょうどいいミニサイズで、楽しくお話をしながら口にできます。

 写真上の直角三角形の小豆が載った餅は、この時期に関西では馴染みの「みなづき」です。昨日の記事で、桝形商店街の入口にある和菓子屋さんの店頭にも、このお菓子の名前が掲げられているのが写真に写っています。

 この「みなづき」は、関西ではスーパーやコンビニでも売っています。しかし、関東ではデパートなどの大きなお店でないと、中々手に入れられません。
 この時期でいうと、この「みなづき」と共に「鱧」も関東では入手が難しいので困っています。

 一息いれてからは、『十帖源氏』の「明石」巻を読みました。この巻は、今日で最後の1丁が終わりました。最後は和歌が続くので、あっという間に終わったのです。

 京都での『十帖源氏』は、「須磨」と「明石」の2巻を読んで来ました。
 東京が「葵」で一旦休止しているので、京都もこの「須磨」「明石」を終えた所で一時休止とします。

 両都のデータの整備と準備ができたら、また再開します。今しばらくの休業です。
 
 『十帖源氏』を読んだ後は、ハーバード大学本「蜻蛉」の写本の確認をしました。
 京都では、今年になってからは一旦巻頭に戻り、「変体仮名翻字版」としての字母の確認を進めています。翻字の方針が変わったからです。

 それに加えて、今日は異文のことが大きな問題となりました。

 次の画像は、ハーバード本「蜻蛉」の3丁裏と4丁表の両端3行分をカットしたものです。
 ここで、朱の傍線を施した部分を見てください。


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 まず、右端の「个し〈改行〉きみよ」とあるところについてです。

 ここは、諸本のすべてが「けしきみ」としています。つまり、ハーバード本の「よ」は単純なミスによる衍字だと説明されるものです。しかし、ことはそんなに単純ではなくて、次のような本文を持つ写本が伝わっているのです。


けしきみけすはひか事もいふならむいとあやし


 この写本に「けしきみ」とあることから、ハーバード本の「けしきみ」の「よ」は、即座に衍字だと簡単に片づけられないのです。

 「よ(与)」と「に(尓)」は、崩し字の字形が酷似するので、ハーバード本の親本の背後には「けすはひか事もいふならむいとあやし」という異文の存在が想定できます。

 ここを、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』(伊藤鉄也編著、新典社、210頁、2014(平成26)年)では、「よ〈ママ〉」としておきました。問題があるので、さらに諸本の翻字を確認してから確定するように、判断を保留したところなのです。

 さらには、「けすはひか事もいふならむいとあやし」という異文は、実はこの後に出てくる、写真左側の朱の傍線を施した部分「けすはひ可事もいふなりと」にも関連します。この文は、先の「けしきみけすはひか事もいふならむいとあやし」という文を伝える写本には見当たらないものだからです。その本では、「あんないせよ」から後しばらく諸本が持つ文章は伝えていないのです。

 次に、写真の真ん中で朱の傍線を引いた箇所に注目してください。
 このハーバード本では「とこ」に続けて「ろなうさ者可しく」と続いています。この「とこ」に関して、諸本では「ところは」と「ろは」があります。
 ここも『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』では「とこ/〈ママ〉」としてあります。

 前記の異本がここを「うつし心なう」としているので、ここでもハーバード本の背後には、今は不伝の本文がありそうです。そのために、ここで「とこ」と中途半端なままの語句が書写されることとなった、と言えるでしょう。単に「ところ」の脱字だとか「ろ」の目移りだけでは済まない箇所なのです。

 さらにもう一点。
 上記写真の後ろから3行目に「しゝうなと尓阿ひて」という文を朱で囲っておきました。ここでも異本には、次のような長文の異文が記されています。


侍従なとにあひてありさまをたにきけとのたまはする御けしきいとしのひうてけるにいとをしうていてたつとてさへあやにくにかきくらしたりかしこには


 これだけ長い文章だと、この鎌倉時代に書写された異本の異文は無視できません。単なる誤写では済まされないからです。

 こうした文章の背後にある別の本の異文のありようは、今はまだ翻字された『源氏物語』の写本が非常に少ないので、比較検討して考察するには基礎資料が少なすぎます。

 『源氏物語』の写本を一冊でも多く翻字すべきことを喫緊の課題として、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が翻字作業を展開しているのは、こうした問題を解決する手だてとしての基礎資料を作成し構築するためです。

 とにかく、翻字された『源氏物語』があまりにも少ないので、ここで取り上げた〈ママ〉とせざるを得なかった箇所や異文についても、これ以上は研究が進められないのが実情です。
 『源氏物語』の本文研究の発展のためにも、「変体仮名翻字版」の作成に、1人でも多くの方のご協力をお願いしているところです。

 もっと「変体仮名翻字版」の翻字作業が進むまで、今はこうした断片的な箇所での本文異同などの問題提起をし続けていくしかありません。
 
 京都のワックジャパンで『源氏物語』を読む会は、次は7月11日(土)の午後1時から3時までです。『十帖源氏』がひとまず終わったので、後半がなくなったために、3時で終わりますのでお気をつけください。

 8月の日程も決まりました。
 8月8日(土)の午後1時から3時までです。
 これも、興味のある方々の参加をお待ちしています。

 自転車で賀茂川を遡っていた帰り道で、急に雨が降り出しました。少し止んだかと思うと大降りです。全身が濡れたついでに、鞍馬口橋の手前から小雨に烟る北山を撮影しました。


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 家に辿り着いた後に、また豪雨となりました。何とも不安定な天気です。今年の夏が思いやられます。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年06月20日

京洛逍遥(357)桝形商店街の七夕飾り

 蒸し暑くなってきた賀茂川では、今年は食べ物が豊富だったせいか、少しふっくらとした鷺が目立つようになりました。


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 若狭から来る鯖街道の終点である出町周辺は、今も賑わいがあります。
 今出川通りから1本北の桝形商店街は、季節季節に楽しい飾りやイベントがあるので、よく買い物がてら行く所です。ただし、シャッターを閉めたお店を見かけるようになったので、少し寂しい気持ちがします。
 観光客の来ない、地元の人々がお買い物をする商店街なので、これ以上の活気は望めないのかも知れません。それでも、これ以上にシャッター通りとなる気配はないので、今後は楽しい仕掛けを見せていただきたいと思っています。

 今日は七夕夜店といって、きらびやかに着飾ったアーケード街が迎えてくれました。


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 この西側の出口には、いつも元気な果物屋さんがあります。


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 このお店の店頭には、背中の曲がった名物おじいちゃんがおられました。しかし、最近は姿を見かけません。お元気でしょうか。
 新鮮で、安くて、おまけをしてもらえるので、時々季節のものをいただきます。
 もっとも、血糖値を気にしている私は、果糖が要注意なので、かつてのようには買えないのです。

 この桝形商店街を出た寺町通りには、何軒か食事ができるお店があります。
 東西に走る今出川通りから寺町通りを北進すると、最初に蕎麦屋さんがあります。店内の雰囲気がよかったので、今日も入ろうかと思いました。しかし、少し歩くと2軒目となる「割烹 里空木」があったので、今日はまだ入ったことのないこのお店にしました。


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 話好きなご主人でした。
 自分で鉋を使って削ったテーブル等でこのお店を開店し、もう16年だとか。私よりも少し年配の方でした。
 観光客が通る場所ではないので、地元や常連の方々がお出でになるようです。1人なので、たくさん来られてもお相手できないし、と割り切っておられます。

 お冷やが美味しかったので尋ねると、お店の下を掘って地下から汲んでいる水だそうです。滑らかな水でした。これで淹れたコーヒーも、まろやかで美味しくいただきました。
 しばし、京都の水談義となりました。

 後で来られた若い女性客に注文を聞かれた時、食後にコーヒーはどうですか、という問いに、そのお客さんは「大丈夫です」と答えられたのです。
 その後ご主人が、この「いりません」ではなくて「大丈夫」と言う若者ことばについて、この表現は何歳くらいを境にして使うようになったのだろうか、などなど、そのお客さんも交えて楽しく盛り上がりました。

 今日は、ご主人が削られたという立派な木のカウンター席で、これまたご主人が考案された蒸し鶏と野菜の料理をいただきました。今度は、奥にあったずっしりと重い木を横たわらせた席でいただくことにしましょう。
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年06月19日

谷崎全集読過(22)『吉野葛』

 作者は少年時代から『太平記』を愛読し、南朝の秘史に興味があったことから、自天王を中心とした歴史物語を書こうと思う、と言います。

 吉野の地が歴史地理案内のように詳細に語られます。その中で、今と昔が渾然となって、行きつ戻りつしながら語られていくのです。日本文化に対する深い理解と共感が滲み出ている、大和美を描こうとする意気込みが伝わる語り物です。

 同行の一高時代の友である津村を通して、大阪人の気質も語られています。関西への興味と関心の現れでしょう。ただし、この津村が好きになった女性の話が中途半端なままに閉じられていることに、物足りなさを感じます。津村の扱いが、この作品では未熟だと思いました。

 記憶にあることとして、盲人の検校のことが出てきます(新書判『谷崎潤一郎全集 第19巻』、24頁下段)。箏曲に関する話も、この作品の雰囲気に溶け込み、いい味付けとなっています。
 その中で、琴の挿し絵が一葉あります(41頁上段)。


150619_koto




 この図がここに挿入されている意図が、私にはわかりませんでした。
 『盲目物語』に三味線の図が添えられていた必然性はよくわかります。「谷崎全集読過(21)『盲目物語』」(2015年02月03日)で取り上げた通りです。
 しかし、ここではどのような必要性があって置かれたのでしょうか。

 葛の葉の子別れなどの話を通して、母恋いの気持ちが語られます。
 これは、谷崎の潜在意識の中にある女性観を示すものだと思われます。

 吉野の山中を語る中では、紙を漉くシーンがみごとに描かれています。
 特に、女性の指先が印象的でした。

 この物語を読み進みながら、話の帰結点がなかなか見えてきません。これは、作者に話をまとめようという気がないからのようです。人間が溶け込んでいく、吉野の山中の雰囲気を描くところに、作者の意図があるように思いました。

 当初の計画であった歴史小説は、形を成さなかったと言って終わります。本作では、物語展開のおもしろさは、最初から追っていなかったことがわかります。

 特におもしろい話が繰り広げられるわけではありません。しかし、余韻として残るイメージが、読後に残像として揺曳します。日本人と日本文化が描き出されているところに、言葉による語り物の到達点が留め置かれたと言えるでしょう【3】
 

初出誌:『中央公論』昭和6年1月号・2月号
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | 谷崎全集読過

2015年06月18日

ブログにアップしていなかった数年前の記事2本

 2010年7月の祇園祭の朝、胃癌の告知を受けました。

 「心身雑記(59)ガンの告知を受けた時の気持ち」(2010/7/17)

 その2日後に、妻と一緒に西国三十三所札所巡りを始めました。

 「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010/7/19)

 8月末日に、消化管の全摘出手術を受けました。

 「心身雑記(73)6時間にわたる自分との闘いへ」(2010/8/31)

 そして退院。

 「心身雑記(86)ワイン片手に2週間ぶりの我が家で」(2010/9/13)

 その後、西国巡りを再開しました。

「西国三十三所(3)清水寺」(2010/9/25)

 そんな中で書いたメモが、偶然に見つかりました。
 本ブログにアップしようと思いながら書いた記事だと思われます。
 しかし、どうしたことか掲載しなかったのです。
 何かと多忙な日々の中で、思いつくままに書いた事を、いつしかすっかり忘れていたのかも知れません。

 記録を見ると、このメモを記した2010年10月12日は、次の記事をアップしていました。

 「西国三十三所(11)総持寺」(2010/10/12)

 総持寺へ行ったその道々に、このメモを記していたのでしょう。

 このまま放置するのももったいないので、また忘れてしまわないうちに、今アップしておきます。

 また、もう1本の記事は、昨秋のもののようです。
 心の重しが取れた安堵感から、気ままに記したものだと思われます。


「スローライフの西国札所巡り」(2010.10.12)

西国札所巡りは、これまでの4巡はすべて自分が車を運転して回りました。

かねてより、自家用車は自然破壊と無意識に人を殺す道具であることへの疑念があったので、京都へ居を移したことを潮に、車を自分では運転しない生活に入りました。

西国札所も、この5巡目は公共交通機関を使っています。
ただし、巡拝の時間は車の二、三倍はかかっています。

スローライフもいいものです。
急ぐことで失うものがあります。
それに気づかせてくれた今回の突然の癌。

まだまだ、スローは私の身には付いていません。
しかし、スローを意識して、それを受け入れながら生活しようとしている自分に、フッと気付くことがあります。
少しずつでも、新しい生活に入っていることを実感しては、よしよしと自分を誉めています。

スローライフに切り替えて気づいたことの一番は、電車に乗り遅れることがよくあることです。
これまでは、改札口から急ぎ足で電車に乗っていたようです。
ホームに降り立つ直前に、電車が無情にも出て行くのですから、おもしろいはずがありません。
しかし、これも慣れると、あまり気にならなくなります。
まだ悔しさを感ずる時がままあるので、観音様を思い描いては、我が身に修行を自覚させています。


☆体内埋め込みタイマーのリセット
これで新たなタイマーが作動することになります。
時限爆弾は爆発直前に除去されたのです。
手術後45年目の63歳という私の終着駅が、さらに先に伸びたと考えたいと思います。
その先はどれくらいなのかは、今は不明です。
しかし、伸びただけでも、幸いなことだと言えます。
どこまで伸びたのかわからないという不気味さはあります。
しかし、私の気持ちは楽になりました。
ただし、重しは取れた代わりに、前が見えないと言う、新たな不安を抱えるわけです。
もっともこれは、人間誰もが抱える宿命です。
人並の煩悩とでも言いましょうか。
これも、ありがたいことです。

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2015年06月17日

第4回 池田亀鑑賞授賞式・記念講演会(演題変更)

 第4回目となる池田亀鑑賞は、滝川幸司氏の『菅原道真論』(塙書房、2014年10月)に決定しました。

 その授賞式と記念講演会等の詳細がまとまり、「池田亀鑑賞公式サイト」より案内のチラシが公開されました。


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 この授賞式には、毎回多くの方々が参加してくださいます。
 過疎の山村と言われる小さな町に、しかもお堅い国文学の専門的な内容にもかかわらず、熱心に会場にお出でになる方が多いのには、いつも感激しています。
 池田亀鑑の生誕の地だけあって、探求心に富んだ風土があるように思われます。

 昨年の第3回授賞式の様子は、次の記事で詳細に報告しています。

「第3回池田亀鑑賞授賞式」(2014年06月29日)

 恒例となった受賞者の記念講演の後は、今回は若手大学院生の研究発表となります。若手の発表というのは、これまでになかったことです。若者を育てる意味からも、思いきって企画したものです。

 それに続いて、古写本『源氏物語』を変体仮名に注目して読むことで、池田亀鑑の業績を追体験する体験講座もあります。私が担当するもので、今回が3回目となります。テキストは、歴博本『源氏物語 鈴虫』(今秋、新典社より刊行予定)を使います。

 日南町には、岡山と鳥取から行くことができます。
 お気軽に足をお運びください。
 多数の方のご来場をお待ちしています。続きを読む
posted by genjiito at 01:30| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年06月16日

3種類の変体仮名の立体コピーを作る

 立川市中央図書館のご協力をいただき、『源氏物語』「須磨」巻の巻頭部分の立体コピーを作成しました。

 これは、視覚障害者の職業支援や学校教育を担当なさっている先生から、『源氏物語』の立体コピーを読んでみたい、という連絡をいただいたので、その試験版をお送りするためです。

 今回は、先日届いたばかりの、立体コピー用紙「カプセルペーパー」を図書館に持参して作業をしました。お手伝いは、科研運用補助員の関口祐未さんにお願いしました。

 実際に作業に取りかかると、いろいろと新しいことがわかります。
 まず、コピー用紙の違いです。

 立川市中央図書館にあるカプセルペーパーは、数十年前の機器導入当時の相当古い物でした。
 それに引き換え、今回持参した用紙は、今春2月に製作されたものです。

 立体コピーの結果は意外でした。図書館にあった古い用紙の方が、線がくっきりと浮き出ているのです。シャープなのです。
 紙を長時間寝かせたものの方が、浮き上がりの具合が手に馴染んで感触がいいのでしょうか。ウヰスキーのような話です。


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 しかし、これから多くの立体コピーを作成することを考えると、残り少ない熟成物の用紙に頼るわけにはいきません。
 あくまでも、現在入手できる最新のカプセルペーパーを使うことにします。


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 もう一つ、興味深いことがわかりました。
 カプセルペーパーペーパーに最初にコピーする複写機の違いです。

 国文学研究資料館にある富士ゼロックス製のコピー機を使って、カプセルペーパーに前処理をした物を図書館の立体コピー機に通すと、少し太めのボテッとした仕上がりになったのです。

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 立川市中央図書館のリコー製のコピー機でカプセルペーパーに前処理をした物の方が、明らかにきれいに浮き上がっているように見えるのです。

 素人が見よう見まねでやっている実験なので、厳密なものではありません。複写機で前処理したときに映る黒い部分に惑わされていることも考えられます。

 しかし、国文学研究資料館で前もってコピーして持参したものは、やはり図書館の複写機で前処理してから立体コピー機にかけたものとは、その浮き出し具合に違いがあります。
 ダイヤルで熱量と圧力を変えても一緒です。

 結論としては、立川市中央図書館の複写機でカプセルペーパーに前処理をして、それを立体コピー機にかける、という工程が一番安定したサンプルが出来るようです。

 今回は、原寸、1.5倍、2倍の3種類を、圧力8で作りました。


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 これを、盲学校等に送って触読実験をしていただくことにします。

 なお、図書館で機器を操作している時に、間違ってカプセルペーパーの裏面に写本の影印をコピーしたものが、次のようなおもしろい結果を見せてくれました。
 文字が反転して浮き出したのです。


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 まさに、木版の版木に仮名文字を彫った状態となっているのです。
 これはこれで、また活用が考えられそうです。

 なお、先日の「700年前に書かれた『源氏物語』の仮名文字が自宅で浮き出たこと」(2015年06月13日)という記事で、水中ライトで文字が浮き出たことに関して、カプセルペーパーの開発元である松本油脂製薬株式会社第三事業部第三研究部の徳村幸子さんより、次のような励ましのメールをいただきました。


ダイビングのライトで文字を浮き出させることに成功とは面白いですね。
ブログを拝見させていただくと、ハロゲンランプとのこと。
ちょうどライト照射時の熱エネルギーが、黒字部分のカプセルを膨張させる熱量とマッチしたものと思われます。
化学薬品(物質)的には、特に問題はないと考えられます。
ただし、膨張させるだけの熱量が発せられているということになりますので、ライトの取扱(発熱やまぶしさなど)に御注意いただくことを推奨いたします。
簡易的に実験できることはすばらしいことと思います。
取扱に御注意いただきながら、色々と御検討いただけると幸いです。


 また、新典社の岡元学実社長から、以下の情報が届きました。


3Dプリンタを使用し変体仮名の触読サンプルを作る件につき、グラフィックデザイナーによる影印文字のモデリング(3Dソフトを使用し文字を3D化する)及び印刷会社による3Dプリンタ実機での作成が可能です。弊社がどこまで手をつけて良いのかまだ判りかねる状況ですが、一応報告いたします。
また、各種盛り上げ印刷のサンプルを集めておりますが、点字と同様に0.5ミリの高さを出せるものがあるか(通常のUV盛り上げ印刷ですと0.07ミリ程度)を基本に調べております。
実際に触読認識できるのは0.5ミリ以下からどこまでなのか。
お分かりになりますでしょうか。


 最後の「実際に触読認識できるのは0.5ミリ以下からどこまでなのか」という問い合わせについては、これから調べることになります。

 700年前に書写された『源氏物語』を触わって読む、という無謀とも言われている挑戦も、こうして牛歩の歩みながらも、着実に前進しています。
 今後の展開を、どうぞご期待ください。
 そして、触読実験の申し出と、情報提供をよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | 視聴覚障害

2015年06月15日

銀座探訪(29)新装なった銀座伊東屋とあずま稲荷大明神

 文房具が欲しくなったら足を向けている銀座の伊東屋が、まったく新しいお店としてオープンしました。創業が明治37年なので、111年前になります。
 今日はソフトオープンということで、プレスの方の姿がそこかしこに見られました。
 明日からグランドオープンだそうです。


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 これまでとはまったく異なる雰囲気に衣替えしていました。
 思いきったコンセプトで、興味深い品物が並んでいます。
 しかし、私が実際に買おうと思うものは皆無です。

 営業的には日本のみならず海外の富裕層をターゲットにしたいのでしょう。
 それにしても、あまりにも高級志向で、私としては敬遠したくなるお店になってしまったのが残念です。

 銀座へ出かけた時に立ち寄る店が、1つなくなってしまいました。
 渋谷と新宿のお店へ行って、文房具の魅力を楽しむことにします。
 2年前に、大阪駅前にもできたようです。しかし、まだ行ったことがありません。
 
 今日は記念日なので、銀座四丁目の和光から対角にある、石畳の三原小路で食事をしました。
 この銀座地域は、アップルストア裏にあるコナミスポーツクラブの会員だった頃に、運動後の散策で馴染みのところです。
 それよりも、井上靖の小説の舞台としてよく出てくるので、私の散歩エリアでもあります。

 三原小路の入口には、あずま稲荷大明神が鎮座しています。これは戦後に京都伏見稲荷大明神を遷座させたものです。


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 この小路の裏側が、銀座らしくない戦後の雰囲気を残していることは、また後日。

 「銀座八丁神社めぐり」というものがあることを知りました。
 三越や松屋の上にもあるようなので、おもしろそうです。
 観音霊場巡りが趣味の私にとって、スタンプラリーは大好きです。
 これは無視できません。
 機会を得て、折々に経巡ってみたいと思います。
posted by genjiito at 23:15| Comment(0) | 銀座探訪

2015年06月14日

2015年度 第1回「古写本『源氏物語』の触読研究会」

 本年度より新規採択となった科研「挑戦的萌芽研究」の第1回研究会を、皇居のお堀端に聳える千代田区役所10階にある千代田図書館会議スペースで開催しました。


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 ご多忙の折にもかかわらず、9名ものみなさんが集まってくださいました。
 この科研のメンバーは実に多彩な方々なので、今後とも楽しく共同研究が進められそうです。
 今日の研究会は、その期待感を大きく膨らませる機会ともなりました。

 今日のプログラムは以下の通りです。


⑴ 挨拶(伊藤鉄也)
⑵ 自己紹介(参加者全員)
⑶ 科研の趣旨説明(伊藤鉄也)
⑷ 本科研ホームページの説明(関口祐未)
⑸ 2015年度の研究計画(伊藤鉄也)
⑹ 研究発表「明治33年式棒引きかなづかいの今」(淺川槙子)
⑺ 共同討議(用語確認と実験方法など、参加者全員)
⑻ 連絡事項(関口祐未)



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 多くの意見や提言をいただき、収穫の多い集まりでした。
 その詳細は、後日、研究会の活動報告としてホームページでお知らせします。

 近くの中華料理店に場所を移しての懇親会でも、啓発されることばが飛び交う、非常に刺激的な時間をみなさんと共に持つことができました。ありがとうございました。

 あまりにも多くの得難い情報をいただいたので、今ここにまとめる余裕がありません。
 取り急ぎ、3つだけ記しておきます。

(1)私は「視覚障害」ということばに抵抗があり、これまで素直に使えませんでした。「目が不自由な方」などという言い換えた表現で逃げることが多かったのです。しかし、今日のみなさんのお考えを伺い、この「視覚障害」ということばをこれからは躊躇わずに使おう、と思うようになりました。

(2)『源氏物語』の古写本という書写資料を通して、それを読むことによる楽しさやおもしろさを、視覚に障害がある方々と共有することを、これまで以上に意識したいと思います。自分がおもしろくて楽しいと思っていることを、うまく伝えられる方策を探っていきます。

(3)ホームページのサイト名を、「源氏写本の触読研究」としていました。しかし、今後は「古写本『源氏物語』の触読研究」にすることとします。それにともない、本科研の研究会も「古写本『源氏物語』の触読研究会」と呼ぶことにします。

 その他、点字・墨字・かなづかいの問題点などなど、多くの課題は後日ということにします。

 本科研のとりまとめ役を担当してもらっている関口さんが、新しく板に変体仮名を刻んだ成果をみせてくださいました。みんなで触り、いろいろな意見を交換しました。


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 浮き出し文字の検討も、いろいろと課題が山積しています。しかし、とにかく具体例をもとにして、丁寧に確認をしながら一歩ずつ歩んでいきたいと思っています。

 本科研の趣旨と研究計画は以下の通りです。
 今後とも、多くの方々からご理解とご協力がいただけるように、積極的に情報発信をし、成果を共有する中で課題を実現して行きたいと思っています。
 ご支援のほどを、どうぞよろしくお願いいたします。


■課題名 等■
挑戦的萌芽研究/課題番号:15K13257
「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」
研究代表者:伊藤鉄也(国文学研究資料館)
 
■研究の目的■
 現在、視覚障害者(以下、触常者という)の読書活動は受動的である。近年、パソコンの活用により、触常者の読書スタイルが多様化し豊かになった。しかし、点字と音声だけでは、先人が残した文化遺産の受容に限界があり、温故知新の知的刺激を実感し実践することが困難である。そこで、日本の古典文化を体感できる古写本『源氏物語』を素材として、仮名で書かれた紙面を触常者が能動的に読み取れる方策を実践的に調査研究し、実現することを目指すこととした。墨字の中でも平仮名(変体仮名)を媒介として、触常者と視覚に障害がない者(以下、見常者という)とがコミュニケーションをはかる意義を再認識する。触常者と見常者が交流と実践を試行しながら、新たな理念と現実的な方策の獲得に本課題では挑戦するものである。
 
■平成27年度の研究実施計画■
 ハーバード大学本『源氏物語』「須磨」には、『源氏物語』54巻の中でも最多の48首もの和歌が出てくる。その中から触読にふさわしい和歌をいくつか取り上げ、その和歌の前後の本文を古写本から抜き出し、変体仮名を読むための実験素材とする。
 1枚のシートに700年前の変体仮名で書かれた文字列を浮き上がらせ、平仮名だけでも手の感触で識別、認識できるように実験と実習を行う。この触読が可能となれば、目の見える人と目の見えない人の距離は相当縮まることになる。その際、古写本の連綿体の文字はつながっているので、初心者用としては1文字ずつに切れ目を入れたものも試作し、試行錯誤を繰り返す中で実用的な教材作成をめざしたい。1頁に10行、1行に15文字ほどある教材を準備して当たる。1文字の大きさは10ミリ前後である。
 この試作教材で、全国の視覚特別支援学校と盲学校の児童生徒のみなさんに体験学習をお願いし、研究協力者の指導と評価の下で、変体仮名の触読を実現する可能性を探る。併せて、ハーバード大学本『源氏物語』に書写されている文字を、教材化した部分から1文字ずつ切り出して、立体コピーによる『変体仮名触読字典「須磨」編』を作成する準備に着手する。平仮名を中心とした、変体仮名の学習のためである。
 同時進行として、点字による中学生レベルの『点字版古文学習参考書「須磨」編』の編集も進める。仮名文字が触読できるようになれば、次には文字列が構成する古語の理解を深めることが、古文としての『源氏物語』を読解する上では不可欠となる。さらに、古文の理解へとステップアップできるように、その学習環境の整備も常に心がけて対処していきたい。内容は、あくまでも「須磨」巻で教材化した部分を中心とした範囲に留め、平易な解説となるように心がける。この過程で、音声による支援も加味することで、実効性の高い触読学習指導システムを構築したい。
 研究経緯と成果は、ホームページを立ち上げて公開する。
 
■平成28年度の研究実施計画■
 『変体仮名触読字典「須磨」編』の作成と共に、古文の理解を手助けするための学習参考書『点字版古文学習参考書「須磨」編』の完成を目指す。共に、中学生向けの字書と参考書をイメージしている。触常者と見常者とのコミュニケーションにおいて、日本の伝統文化に関して意思の疎通をはかる方策の提示が必要である。その具体的な例示の一つとして、読み書きに用いる文字というツールの相違とその理解について、字書と参考書の編集によって実体を踏まえた配慮をする。この参考資料と参考書によって、文学と歴史の理解を深めることになり、日本の文化の多様性を体験的に実感できる環境作りと構築を推進することになる。
 変体仮名の読解については、前年度に引き続き、体験・実験・実習を継続する。触読する和歌を少しずつ増やすことにより、変体仮名の感触が習得できた時点で、物語の本文部分も理解が及ぶようにしたい。また、1頁に書かれた文字がそれぞれに姿形を変えて書写されていることを、古写本1頁分の大きさである15cm四方のスペース全体を触ることで、書写されている実体を体感することにも挑戦したい。ここから、日本独自の美意識による書写芸術や書道文化への理解へとつなげることもできる。墨継ぎによる文字の濃淡や大小と、同じ読みの仮名であってもあえてその仮名文字の元となる漢字(字母)を変えて書いていることなども、紙面全体の感触から体感できるようにしたい。
 仮名習得のプロセスは丹念に記録として残すことで、触常者が今後とも変体仮名学習の手引きとなるように、実験実証の過程を客観的に記述して整理する。
 研究経緯と成果は、ホームページを通して随時公開していく。
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2015年06月13日

700年前に書かれた『源氏物語』の仮名文字が自宅で浮き出たこと

 立体コピー用のカプセルペーパーに懐中電灯(ダイビング用ライト)を当てることで、『源氏物語』の変体仮名を浮き上がらせることに成功しました。

 これまでは、立川市中央図書館の立体コピー機をお借りして、文字を浮き上がらせていました。

「立川市中央図書館で源氏写本を再度立体コピー」(2015年03月17日)

「立川市中央図書館へ科研採択の挨拶と報告に行く」(2015年05月12日)

 ここで用いるカプセルペーパーという紙のことを知りたくて、製造元へ行ってお話を聞いたことは、次の記事に書いた通りです。

「大阪府八尾市にある会社へ立体コピーの調査に行く」(2015年05月14日)

 その後、いろいろな方々にご高配をいただき発注したカプセルペーパーが、先週やっと手元に届きました。


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 この用紙を使って、早速自分なりに実験をしてみました。

 まず、このカプセルペーパーにハーバード大学本「須磨」の巻頭部分をコピーし、その表や裏からアイロンを近づけてみたり、スチームを噴射してみました。結果は惨憺たるものでした。


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 同じように、ドライヤーで熱風を当ててみても、まったく文字は浮き上がりません。

 そんな時に、先週からロンドン大学東洋アフリカ研究学院(the School of Oriental and African Studies, 通称 SOAS)の仲間とやりとりしていたことが刺激となり、突然閃くものがありました。

 ロンドン大学のSOASでライブラリアンをなさっているKさんとは、私がイギリスに行く時には必ず連絡を取っている方です。ロンドンがイギリスの出入り口でもあり、折々に食事をしたりパブへ連れて行ってもらったりしています。妻と銀婚旅行で立ち寄った時には、娘の留学のアドバイスをもらったりしました。

 そのKさんから、先週ある資料の問い合わせを受けました。
 いろいろな方に、手紙やメールや電話を活用して八方手を尽くしたのですが、生憎ご期待に応えられず、お役に立てなくて……、というメールを送りました。
 ところが、その返信に、こんなことが記されていたのです。


 去年ダイビングに行った先で、イタリア人のインストラクターと話をしましたが、彼は、目の見えない方々にダイビングを教える資格をもつインストラクターなのだそうです。
 英語圏で目が見えない方が手書き文字をどうしているのかということは考えたこともありませんでしたが、調べてみます。


 私がスクーバ・ダイビングのライセンスを取ろうと思ったのは、このKさんの影響を受けてのことでした。ギリシアの海を潜った時の話を聞き、俄然趣味を持ったのです。海外の海を潜ってみようと。
 そして、一緒にアレキサンドリアの海を潜り、クレオパトラの宝石を探そうと、嘘か本当かわからない話で盛り上がりました。

 こんな無邪気なことを、その頃のブログにこう書いています。


 エジプトにあって地中海の花嫁とも呼ばれる港町アレクサンドリアの海に潜り、クレオパトラが着けていたペンダント(何故これなのかは自分でも不明)を、小野小町で有名な秋田県生まれの妻にプレゼントするという願いを叶えたいものです。多分に、苦労をさせ続けている贖罪の気持ちからのことですが……。
 今回のライセンスは18mまでしか潜れません。さらなる精進を重ね、もっと深くまで潜れるライセンスの取得を目指すつもりです。(2007年7月29日「スクーバ・ダイビング(5)」)


 そしてその年に念願叶いライセンスを取り、以来、伊豆や白浜の海を何度か潜りました。
 その後、大病を患って手術をしたために、2010年8月以降は、身体のこともあって1度もダイビングをしていません。

 Kさんとの遣り取りからダイビングのことが懐かしくなり、次の記事を読んでいた時でした。
 啓示のように、ダイビング用の水中ライトのことに思い至ったのです。

「スクーバダイビング2009(2)」(2009/8/19)

 突然思い出したスクーバ・ダイビング用のライトを部屋の片隅から取り出し、カプセルペーパーの変体仮名の上を照射してみました。するとどうでしょう。強烈な強い光と熱を出す海底用の懐中電灯の威力が発揮され、700年前に書写された変体仮名の文字が浮かび上がったのです。大成功です。


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 これなら、3文字前後の連綿であれば、立川市中央図書館のお世話にならなくても、自宅で浮き出し文字のサンプルを作ることが可能です。

 何事も、脳みそを柔らかくして、ダメ元でやってみるものです。

 このライトは、こんな形をしています。


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 この、私が持っているライトは、次のような性能のものです。


「フィッシュアイ FIX LIGHT HG20DX」
カラー:ブラック
ランプ種類:20Wスーパーブライトハロゲンランプ
明るさ:520ルーメン
色温度:3400K、5500K
光量調節:20W〜無段階
連続点灯時間:55〜200分
ランプ寿命:20〜35時間
サイズ:φ62×153mm
耐圧水深:75m
重量:450g


 これは素人判断で取り組み、たまたま成果が見られたということかと思われます。
 松本油脂の第三研究部副主任の徳村さんに教えていただいたことが、こんな形で実験に生かされ、役立ちました。

 今回は思いつきで、カプセルペーパーをこんな使い方で試してみたまでです。しかし、専門的には高度な化学薬品による処理を施した製品を扱っているので、素人だからこそ間違った理解でとんでもないことをしているのかもしれません。今後とも、何か気をつけることがあれば、アドバイスをよろしくお願いします。

 今のところ、有毒なガスは出ていないようです。
 ライトが眩しいので、目を痛めないためにも、長時間は照射できません。

 もし特に問題がないようでしたら、一時的な、局所的な浮き出し文字の作成に、今しばらく使ってみようかと思っています。
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年06月12日

読書雑記(133)指田忠司著『世界の盲偉人 その知られざる生涯と業績』

 『世界の盲偉人 その知られざる生涯と業績』(2012年11月、指田忠司、社会福祉法人桜雲会点字出版部)を読みました。


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 実は、この本は昨夏、日本点字図書館で購入したものです。次の記事の最後で紹介したままでした。

「江戸漫歩(82)高田馬場の「日本点字図書館」へ」(2014年06月20日)

 この本を読み終わろうとしていたところで、先月末に北海道で指田先生と偶然にも昼食をご一緒したのです。縁というものは不思議なものです。
 最後まで読み終わりましたので、あらためてここに紹介いたします。

 本書は、点字ジャーナルに連載された「知られざる盲偉人」に加筆修正したものです。世界中を見渡しての視点で記述されています。非常に幅広い視野から、目が見えない中で偉業を成し遂げられた方々のことが紹介されています。わかりやすい文章なので、読みやすい一書となっています。

 第一部は、学問、文学、音楽、政治などで活躍した視覚障害者30名を取り上げています。、
 第二部は、教育、福祉、文化の向上に尽くした44名が紹介されているので、合計74名が取り上げられたのです。

 ここに紹介されているのは、書名の副題にもあるように「知られざる生涯と業績」に関する人々であり事跡です。知られている、ヘレン・ケラー、アン・サリバン、塙保己一、本居春庭(本居宣長長男)、ルイ・ブライユ(点字発明者)等は出てきません。これが、本書の特色でもあります。

 そのため、人名索引を兼ねて、煩を厭わずに、以下にその目次を挙げることで後日の手掛かりとしておきます。
 なお、本書の『目次」では、ここの人名はゴチック体になっています。しかし、今は手間もかかるし時間もないので、スラッシュ(/)で代用しています。


 ― 目 次 ― 

まえがき(指田忠司)

本書の活用について(依田隆男)

第1部さまざまな仕事で活躍した先人たち
 
 第1章 学問研究の分野で活躍した視覚障害者
  1 英国の数学者/N.ソーンダーソン
  2 失明を乗り越えた天才数学者/L.オイラー
  3 現代数学の開拓者/L.S.ポントリャーギン
  4 点字数学記号の考案者/A.ネメス
  5 米国初の視覚障害原子物理学者/サミュエル・B.バーソン
  6 ドイツの裁判官/H.E.シュルツェ
  7 法学研究と途上国の国家建設に尽力する/H.ショラー
  8 障害者の人権保障に尽くした/J.A.ウォール
  9 米国初の全盲医師/J.ポロティン
  10 歴史学研究と視覚障害者の権利実現のために活動する/F.リード

 第2章 文学の世界で活躍/J.ミルトン
  12 賛美歌の作詞者/ファニー・クロスビー
  13 名作のモデルとなった/M.Aインガルス
  14 オーストラリアの全盲女性作家/M.A.アストン
  15 アジアで才能を開花させた文学者/エロシェンコ
  16 反ユートピア論を展開した/A.L.ハクスレー

 第3章 音楽の世界で活躍した視覚障害者
  17 18世紀英国のオルガン奏者/J・スタンリー
  18 米国の俗謡保存に貢献した/E.デュッセンベリー
  19 天才ピアニスト/ブラインド・ブーン
  20 スペインの代表的作曲家/J.ロドリーゴ
  21 盲目の哲学的音楽家/ムーンドッグ
  22 バッハ演奏の大家/H.ヴァルヒャ
  23 20世紀米国を代表する歌手/レイ・チャールズ
  24 シンガーソングライター/T.ケリー

 第4章 政治分野で活躍した視覚障害者
  25 ロンドン警察の基礎を築いた/J.フィールディング
  26 米国初の全盲連邦議会議員/トマス・D.シャール
  27 米連邦上院議員を務めた/T.P.ゴア
  28 元テネシー州議会議員/J.ブラッドショー
  29 ニューヨーク州知事に就任した/D.パターソン
  30 タイ王国上院議員に選ばれた/M.ブンタン

第2部 視覚障害者の教育・福祉・文化の向上に尽くした先人たち
 
 第1章 視覚障害教育を築いた人々─盲学校の設立と点字・歩行技能の開発訓練
  31 近代盲教育の祖、バランタン・アユイと同時代の盲人たち
  32 パーキンス盲学校初代校長/S.G.ハウ
  33 ハウ博士を支えながら、文学的才能を開花させた/J.W.ハウ
  34 オーバーブルック盲学校の創立者/J.R.フリードランダー
  35 ニューヨーク・ポイントの開発者/W.B.ウエイト
  36 ムーン・タイプの考案者/ウイリアム・ムーン
  37 ドイツ盲教育の先駆者/カール・シュトレール
  38 通信制盲学校を創始した/W.A.ハドレー
  39 白杖歩行の訓練方法を開発した/R.E.フーバー
  40 戦後統合教育の基礎を築いた/G.L.エイベル
  41 アメリ力点字協会の創立者/J.R.アトキンソン
  42 点字触読の普及に貢献した/S.マンゴールド

 第2章 視覚障害者のための福祉団体、当事者団体を築いた人々
  43 RNIBの創立者/トマス・R.アーミテージ.
  44 CNlBの創設と発展の功労者/E.A.ベイカー
  45 AFBの基礎を築いた/R.B.アーウィン
  46 NFB初代会長/J.テンブロック
  47 NFB発展の功労者/K.ジェーニガン
  48 ACB機関誌初代編集長/マリー一・ボアリング
  49 インド障害者運動の父/L.アドヴァニ
  50 オンセの改革に尽力した/A.ヴィンセンテ

 第3章 視覚障害者の文化の向上に尽くした人々
  51 1世紀以上無償で発行しつづけた点字月刊雑誌の創始者/マティルダ・ジーグラー
  52 点字月刊雑誌初代編集長/ウォルター・ホームズ
  53 ナショナル・ブレイル・プレス社を創立した/F.イエラディ
  54 米国の図書館サービスの法制化に尽くした/ルース・S.B.プラット
  55 ラジオとカセットで情報提供を続けた/S.ドーラン
  56 盲導犬普及の父/R.H.ウィトストック
  57 盲界のエジソン/ティム・クランマー
  58 クロスカントリー・スキーの普及に尽力した/R.F.キース

 第4章 視覚障害者の職業自立と人権保障に尽くした人々
  59 視覚障害者雇用に貢献した/J.ランドルフ
  60 視覚障害者の教育と雇用の発展に尽くした/R.レズニック
  61 民間職業リハビリテーション施設を作った/R.クンペ
  62 視覚障害者の職業自立に尽くした/D.K.マクダニエル
  63 フロリダのマザー・テレサ/T.ブレッシング
  64 米国初の盲人外交官/A.ラビー

 第5章 開発途上国の視覚障害者支援に尽くした人々
  65 失明予防に尽くした/ジョン・ウイルソン
  66 視覚障害女性の地位向上に尽くした/S.マクブール
  67 国際協力と視覚障害者の権利保障に尽くした/H.W.スナイダー
  68 WBU元事務局長/ペドロ・スリータ

 第6章 盲ろう者の教育とリハビリテーションの発展に尽くした人々
  69 近代教育を受けた初めての盲ろうあ者/ローラ・D.ブリッジマン
  70 ろう社会で育った盲ろう教育の第1号/J.プレイス
  71 オーストラリアのヘレン・ケラー/アリス・ベタリッジ
  72 盲ろう者のリハビリ訓練を切り拓いた/P.サーモン
  73 盲ろう者の自立に貢献した/R.J.スミスダス
  74 盲ろうのシスオペで活躍する/G.グリフィス
 
あとがき(指田忠司)

参考資料・写真について


 ここには、アメリカ、イギリス、インド、カナダ、スペイン、タイ、ドイツ等々、世界中の人々が、しかも17世紀から今日までと、実にさまざまな事例が取り上げられています。

 この中で私がチェックした箇所を、備忘録として抜き出しておきます。


・ガリレオは、教皇朝による審問の結果、1633年からフィレンツエ郊外に幽閉されていたが、1638年の恩赦でフィレンツェの自宅に戻っていた。ガリレオは幽閉中に失明し、ほぼ全盲の状態だったという。(53頁)
 
・ミルトンの脳裏には、古代ギリシアの盲目詩人、ホメロス(注)とその作品が浮かんでいたとも言われている。(55頁、脚注「ホメロスの存在した証拠はいまでに確認されていない。」)
 
・1970年代半ば、19世紀後半の米中西部を舞台に、貧しい開拓農民一家を描いた物語「大草原の小さな家」(Little house on the Prairie)というテレビドラマが、全米で大ヒットした(注1)。
 このドラマには盲学校で教師を務める「メアリー」が登場するが、これは原作の作者ローラ・インガルス・ワイルダー(1867〜1957)の実の姉、メアリーA.インガルスをモデルにしたものであった(61頁)
(注1)わが国でも、1975年から1982年まで、NHK総合テレビで日本語吹き替え版が毎週放送され、その後も数回にわたって再放送が行われた。
 
・RNIB 本部は、ロンドンの交通の要衝キングズクロス駅に近いジャド・ストリートに移転したが、トマスの胸像はこの新しい事務所の玄関に移設され、以前と同じくRNIB を訪れる人々を見守っている。(167頁)
 
・1947年、ラルはインド政府文部省に入り、手始めに視覚障害者の教育環境の整備に尽力する。1951年にはスニティ・カマル・チャタリー博士と協力してヒンドゥ語の点字表記の基準を作成し、点字雑誌の発行を始める。
(中略)
 ラルの生涯をみると・視覚障害者としてさまざまな分野で「インド第1号」の栄誉を担ってきたが、ラルのすばらしさは、単に第1号となっただけでなく、その先駆者としての役割を自覚して他の視覚障害者、他の障害者のために働き続けたことにある。ラルには論文や著作も多く、彼の歩んだ人生を概観するだけで、インドにおける障害者運動の歴史が浮き彫りになるのである。その意味で、今後もインド、パキスタン、西アジア地域の障害者運動の発展を後づける上で、ラル・アドヴァニ研究が欠かせないものとなるであろう。(185〜186頁)


 なお、立体文字に関する記述が、以下の3箇所にありました。
 現在取り組んでいることに関連することなので、引いておきます。


・1784年、バランタン・アユイ(Valentin Hauy)は、パリに王立盲青年協会(後の国立パリ盲学校)を設立し、そこで盲人たちに浮き出し文字を使って読み書きを教え始めた。(127頁)
 
・ウイリアムは、こうした状況をみながら研究を重ね、ついに1844年、26歳の頃、独自の読み書き指導の文字の開発に成功する。この文字は、墨字のアルファベットの形を元にして、指で判読し易いよう浮き出させた14種類の記号を用いるもので、英語で使われる26文字のアルファベットは、この記号の一部を回転させて表す方式で、ウイリアム自身が名付けたかどうかはわからないが、「ムーン・コード」(Moon Code)と呼ばれた。筆者は、1987年にロンドンのRNlB(当時の英国盲人援護協会)を訪れた際、この方式を使って印刷された図書を手にしたことがあるが、その時の説明では、「ムーン・タイプ」(Moon Type)と呼ばれていた。
(中略)
 ここで二つの文字を簡単に比較してみると、ムーン・タイプは墨字の形を基本に置いていることから、中途失明者にも読みやすいという利点がある反面、その作成が自力では困難という点で問題がある。これに対してブライユの6点点字は、触読できるまでに時間がかかるが、自分で簡単に書けるという点で、極めて大きな利便性がある。したがって、ブライユ式点字が普及した後でも、ムーン・タイプの読みやすさに引かれて、中途失明者を始めとして、ムーン・タイプで書かれた図書へのニーズは長く続いたのである。(145〜146頁)
 
・米国で視覚障害者用図書の貸し出しサービスが行われるようになったのは、1880年代からで、1832年にマサチューセッツ州ボストンに開かれたパーキンス盲学校の初代校長ハウ博士は、ヨーロッパから持ち帰った浮き出し文字を使った図書を使って教育を行うとともに、その後ボストン・ラインという米国式の浮き出し文字印刷を開発して視覚障害者用図書の製作に努めていた。(201頁)


 本書の編者である指田先生は、積極的に海外にでかけ、精力的に情報を収集しておられます。また、多くの方々とのコミュニケーションを大事にしておられます。

 先日、札幌でのお話をさらに展開できる件で、ありがたいメールをいただきました。
 指田先生との話が進展したら、またここに報告いたします。
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2015年06月11日

井上靖卒読(200)『おろしや国酔夢譚』

 井上靖卒読も、ようやく200回目となりました。
 まだ、あと50回は続きます。
 もうしばらく、お付き合いください。

 記念すべき今回は、『おろしや国酔夢譚』(徳間文庫、1991年12月)です。


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 これは、かつて文春文庫で読みました。2006年8月に、伊井春樹先生と一緒に、モスクワとサンクトペテルブルグへ行ってからすぐに読んだものです。
 ただし、サーバーがクラッシュしたために、この記事は消失したままです。

「大黒屋光太夫のこと ( 5-読書雑記 ) / 06-11-14 20:12
  −井上靖と吉村昭の小説−」

 いつかこの記事がどこかから見つかったら、再現したいと思っています。

 さて、今日も、JR中央線の電車が立川駅の手前で30分以上も止まったままでした。いつものように、人身事故だそうです。
 無意味な時間が延々と流れていきます。なすがままに身を委ねながら、本書を読み終わりました。
 肉体的な苦痛は、お尻が痛いだけでした。腸は、煮えくり返っています。周りは、相変わらずの平和な日本です。
 これしきのことは何でもないと、本作の大黒屋光太夫たちのことを思いながら、身勝手な我が思いを不思議な気持ちで反芻しました。

 本書では、序章がこの小説の時代背景と世界情勢を易しく解説しています。


デンベイ、サニマ、ソウザとゴンザ、それから竹内徳兵衛の一行と、過去四回に亘って、日本漂民たちはロシアの土を踏み、ロシアの古い記録の片隅にその名を記される稀有な運命を持ったが、大黒屋光太夫の一行はそれら先輩漂民のあとを継いで、五回目にロシアにはいって来た漂流日本人たちであった。本章の冒頭に記したように、小説『おろしや国酔夢譚』の主人公たちなのである。(38頁)


 漂流民がロシアにおいて日本語学校の教師とされていく背景を知っておくと、彼らの処遇のされ方とその意味が呑み込めます。まさに、初期の日露交渉史の舞台裏が見えてくるのです。

 光太夫たちは、漂流という想定外の事態に置かれます。自分の先行きがまったく見えない状況で、人はどのような思いをし、どう立ち向かうかが語られていきます。井上靖の冷静な歴史語りの手法で、細部に渡る描写で随行している気分で読み進められます。

 光太夫は、最初の漂着地から日記を書いています。現地人の言葉も、積極的に習得していきました。言葉が生きる上では命綱なのです。
 光太夫は、オホーツクでもヤクーツクでも、イルクーツクでも、ひたすら日々の見聞を記録するのでした。

 シベリアは凍土の地です。作者も、歴史的な背景などを古記録を示しながら、丹念に実感的な描写に気を配っています。その厳しい自然の過酷さが、ことばを通してここに再現されています。

 光太夫は、何度も帰国嘆願書を出します。日本へ返ることは執念なのです。
 ラクスマンは、そのよき理解者でした。

 足を一本失った庄蔵は、ついにロシア正教に帰依しました。生きていくための決断です。

 イルクーツクからモスクワ経由で首都ペテルブルグまで、光太夫は気の遠くなるモスクワ街道の犬ぞりの旅にでます。歴史と文化と人々との出会いは、想像を絶するものです。それを、克明に作者は語ります。

 本作は、異文化交流の中で、生まれも育ちも違う人と人とが、情を交わし助け合う姿を丁寧に描いています。極寒のロシアという舞台も、その壮大さと人の気配りを炙り出しています。

 女帝エカチェリーナ二世に光太夫が拝謁した件は、感動的に描かれています。
 また、光太夫たちの帰国が叶い、イルクーツクでロシアに残る二人との別れの場面は、それまでの艱難辛苦がわかるだけに哀切極まりないものがあります。

 思えば、伊勢白子の浜を出たのは1782年末12月でした。以来、9年9ヶ月の月日が加算されていたのです。

 そんな中、クルクーツクからオホーツク経由で北海道の根室に着いてから、あろうことか小市がなくなりました。3人で一緒に日本に帰り着いた光太夫と磯吉にとって、言葉にできないできごとでした。

 日本に帰ったは帰ったで、手続きなどで無為な時間が費やされます。その後の光太夫たちの動静も、今から見れば気の毒な限りです。幕府の対応がお笑いぐさといか言いようのないものだったからです。
 当人たちも、日本というとんでもないところに来た、と呆れかえったりしています。文明の落差とでもいうのでしょうか。見えなかったものが、異文化に接した目から見ると、滑稽に思えることは、今でもよくあることです。お役人の世界は、昔も今も変わりません。


自分は自分を決して理解しないものにいま囲まれている。そんな気持だった。自分はこの国に生きるためには決して見てはならないものを見て来てしまったのである。アンガラ川を、ネワ川を、アムチトカ島の氷雪を・オホーックの吹雪を、キリル・ラックスマンを、その書斎を、教会を、教会の鐘を、見晴るかす原始林を、あの豪華な王宮を、宝石で飾られた美しく気高い女帝を、─なべて決して見てはならぬものを見て来てしまったのである。光太夫は絶え入りそうな孤独な思いを持って、四人の役人のあとに従い、どこへともなく歩いて行ったのであった。どこへ連れて行かれようが、もう決して自分が理解されぬであろうということだけが確かであった。(362頁)


 読み終わった今、人の一生は何でもありということであり、何が幸せかは一概には言えない、ということです。
 波乱万丈の人生、平安な日々、いずれもその人の受け取り方と価値観に委ねられます。無心に、ただひたすら前を見て生きる、ということに尽きるということなのでしょうか。【4】

 なお、大黒屋光太夫について、本ブログで次のような情報を記しています。
 参考までに記しておきます。

「千代田図書館の古書目録にあった古写本『源氏物語』」(2014年07月25日)
 
 
初出誌:文藝春秋
連載期間:1966年1月号〜1967年12月号、1968年5月号
連載回数:25回
 
文春文庫:おろしや国酔夢譚
徳間文庫:おろしや国酔夢譚
井上靖小説全集28:おろしや国酔夢譚・楊貴妃伝
井上靖全集16:長篇9
 
 
■映画化情報
映画の題名:おろしや国酔夢譚
制作:東宝
監督:佐藤純彌
封切年月:平成4年6月
主演俳優:緒方拳、西田敏行
 
 
■関連するホームページ

「大黒屋光太夫記念館」
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2015年06月10日

井上靖卒読(199)『本覚坊遺文』

 利休はなぜ申し開きをせずに自刃したのか、ということをテーマとする小説です。

 作者の手元に、慶長から元和時代の茶人の手記がある、ということで語り出されます。
 和紙20枚ほどを綴じた冊子が5帖、ぎっしりと細字で埋めてある物だそうです。
 これは、千利休の弟子であった三井寺の本覚坊が書き残した日録で、それを現代風の手記としてまとめた、という体裁をとる物語です。

 師利休の傍らで、31歳の時から茶の湯の裏方を勤めていた本覚坊の語りが展開します。
 師の賜死事件は、本覚坊が40歳の時でした。

 その後、修学院に引きこもった本覚坊は、今、師利休とのことを問はず語りするのです。
 太閤秀吉から京を追放され、淀川を下る船中の利休は何を思っていたのか。本覚坊は、死を賜る運命を見透かしていた、と言います。

 第二章は、慶長8年の話。
 山上宗二が書き残したお茶の奥義書。これは、世に言う秘伝書で、分厚い和綴じの冊子として出てきます。元は巻物だったのを、和紙60枚に写し取って、冊子に仕立てた物でした。表紙には、「山上宗二記」と書かれています。
 岡野江雪斎は、これを利休晩年の弟子である本覚坊に読み解いてもらいたい、と言って齎したのです。

 小田原落城の時に、山上宗二がどうしていたのかが話題になります。
 攻める方の秀吉方に利休はお茶を出し、攻められる方には宗二がお茶を出していたのです。

 本覚坊は、この写本を写し取ります。
 「珠光一紙目録」を3日で書写しました。
 その後、「茶湯者覚悟十体」「茶湯者之伝」「奥書」を一気に書写し終えます。
 巻末の慈鎮の和歌に、宗二の憤懣と感慨を読み取っています。

 利休の死から13年、秀吉の死から5年。本覚坊は写本を横にして、三畳のお茶室で江雪斎に問われるままに、師利休と兄弟子宗二について語り合います。

 本覚坊がお茶を点てながら、今は亡き師と語り合う場面は、井上靖がよく用いる、死者との対話となっています。今と昔を渾然一体と包み込み、亡き人を今の世に呼び戻して語らせる手法です。

 第三章は、今を時めく大宗匠である古田織部の話。
 67歳になった織部に招かれて、59歳の本覚坊はお茶をいただきます。慶長15年のことです。利休が織部たちと最後の別れをしたのが、ちょうど20年前のこの日、2月13日でした。江雪斎は、前年に74歳で亡くなっています。

 利休が削った二本の茶杓は、「なみだ」と「いのち」と銘がつけられていました。赤楽茶碗の「早船」についての逸話も出ます。
 そして、話は死を賜った利休最後の気持ちをめぐる談義となります。
 1年半後、再度織部に招かれます。話は「鷺絵」のこと。そして、自然のままに自刃した話に。

 第四章は元和3年、織田有楽との話。
 織部が、利休と同じように自刃した後です。
 あの山崎の妙喜庵にいたのは利休と宗二、そしてあと一人が誰だったのかに思い至ります。織部だったのだと。
 3人ともに腹を切ったのは、そこに盟約があったのではないか、と本覚坊は思うのです。

 第五章は、元和5年の話。
 太閤の茶会のことを、利休の孫である宗旦に語ります。
 特に、天正12年に大坂城の大広間で催された御壺口切の茶会や、3年後の前代未聞の大茶会のことなどなど。
 やはりと言うべきか、利休が太閤から賜った死についても語ります。
 本覚坊は、太閤の怒りの原因を、利休が朝鮮出兵に何か口走ったことにあるのでは、と推測しているようです。

 終章は、元和7年。
 有楽が亡くなった後、本覚坊は利休とその弟子たちのことを回想します。
 いつしか、利休と太閤のやりとりが現前します。そこで利休は、紹鴎が言う「枯れかじけて寒い心境」に得心したことを語るのです。作者である井上靖は、ここに利休の自刃の背景を読み取ったようです。
 しかし私には、最後までこの意味が理解できないままでした。

 本覚坊は、利休と夢の中の茶室で言葉を交わします。そこに次から次へとお茶に縁のある人々が、4、50人もの方々が回り灯籠のように、たった二畳の妙喜庵に参集します。これは、『星と祭』のラストで、琵琶湖岸に立ち並ぶ観音様のシーンにつながるものです。

 本覚坊の日録を取り上げて、作者井上靖の利休像が提示されています。
 利休が生きた道の延長上に、山上宗二と古田織部がいることが、作者の到達点だと思われます。【4】
 
 
初出誌 : 群像(講談社)
初出号数 : 昭和56年1、3、5、6、7、8月号
 (序)、一章 昭和56年1月特大号(第36巻第1号)
 二章         3月号(第36巻第3号)
 三章         5月特大号(第36巻第5号)
 四章         6月特大号(第36巻第6号)
 五章         7月号(第36巻第7号)
 終章、(践)       8月号(第36巻第8号)
 昭和56年11月20日、講談社刊
 
講談社文庫 : 本覚坊遺文
講談社文芸文庫 : 本覚坊遺文
井上靖全集22 : 長篇15

■映画化情報■
映画の題名 : 千利休
制作 : 東宝
監督 : 熊井啓
封切年月 : 平成元年10月
主演俳優 : 三船敏郎、萬屋錦之助
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」続きを読む
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2015年06月09日

井上靖卒読(198)『城砦』

 大手町のホテルから、この長編小説の幕が開きます。
 人前でのスピーチから始まるのは、後に『星と祭』に引き継がれる井上靖の手法です。

 場所は銀座から郊外へ。その途中で、60歳近くで引退する主人公桂正伸と、26歳で女に振られた藤代了介という若者の愛情論、結婚観、人生論がたたかわされます。15頁にもわたる談義です。理詰めなところは、井上靖の特徴でもあります。
 その中で、「しんねりした言い方」(『井上靖全集』59頁上段)という表現があります。時々井上は、私にわからない言葉を使います。

 釣り好きの桂が行ったのは、私がスクーバ・ダイビングをした伊豆の波勝岬。
 物語の舞台で知っているところが出ると楽しく読み進められます。
 そこで一緒になった姉弟は、藤代が振られた姉たちでした。弟江上淙一朗は音楽家です。その姉透子は、興福寺の阿修羅像に似ているのです。ヒロインの登場です。

 話は、考古学者高津恭一に移ります。桂は、この高津のイラクでの海外調査に資金を提供していたのです。さらには、高津の婚約相手が、坂田由布子であることが後にわかります。ただし、この2人には3年の空白がありました。そして、江上透子と高津との仲も語られます。
 これは、『異国の星』の話に類似するものだと思いました。

 イラクでの月光の話(109頁)は、井上の世界です。異国と月光は、いつかまた確認したいと思っています。135頁では、月光の夜のモヘンジョ・ダロのことが出てきます。

 3年ぶりに帰国した高津は、空港で桂と出会います。
 人間関係が複雑なままに展開していきます。

 「ふいに自分の気持ちを押えることができなくなって行ったのであった。」(148頁下段)の「行った」は「言った」でもいいところです。井上靖の文章には、時たまこうした表現があるので、記し留めておきます。

 高津は、銀座で江上透子と出会います。会話は甘いものでした。しかし、冷めています。直接は逢わないで、遠く離れてお互いが想い合う関係なのです。愛の告白をお互いがしているのに。
 高津は、来春の坂田由布子との結婚式を進めながら、こうして透子と想いを交わしているのです。

 藤代は透子と淙一朗姉弟の3人で東北旅行をします。
 大洗で見た月の話も出てきます(188頁)。
 このあたりは、読者を振り回す意図がありそうです。
 新聞小説なので、作者は考えながら物語を展開させているのでしょう。

 半ばをすぎたあたりから、長崎で江上姉弟が被爆していたことに及びます。
 しかし、作者はこのテーマには深入りしません。この姿勢が、本作のテーマを曖昧にしているように思われます。

 相思相愛の仲にある、高津と透子の今後が楽しみです。高津には、婚約者である坂田由布子がいるのですから。しかし、それも風前の灯です。それにしても、高津は透子が愛を口にしながら拒絶する心が読めないでいます。透子が考えている愛の崇高さが、まだ理解できていないのです。

 このあたりの男女の想いのズレが、井上らしい展開です。由布子との婚約を破棄しても、透子の心にくすぶる問題が解決しないことには、話は進展しないからです。長崎での原爆の被災者であることは、後半にかけて伏流するのです。ただし、真正面からは取り上げられません。
 この思案を背景にして、「中天に白い光りの冬の月」が出ています。(244頁上段)

 藤代了介は背後で透子を支えています。これは、好きだからであり、この後で勘違いからさらに想いを深めることになるのです。

 兄弟で長崎の被爆地を訪ねます。
 桂に言われるまで、高津が婚約していることを透子は知らなかったのです。
 桂は、高津と透子の恋愛の相談役でもあります。
 この3人は、それぞれに恋愛論や結婚観を戦わせます。その中で、透子が言う「自分の血を、わたくし一代で失くしたいんです。─絶滅思想」(284頁上段)というのは、後半の展開を陰で支配しています。
 愛情の延長線上に結婚があるとは、必ずしも言えないというのが、透子の考えです。そこには、長崎での被爆体験から来る、子供を産まないという意志が横たわっているのです。

 春の朧月夜に、透子は高津との別れの手紙を、弟の手を借りて投函します。純粋な人間がたち現れて来ます。
 藤代了介もまた、透子との間で苦しみ悩み、自らの運命を見つめます。
 この3人の想いと行動と決断が、後段での中核となって展開するのです。
 井上靖らしい、息苦しくなる物語の詰め方です。その中心に、逡巡する透子がいます。

 お互いの連絡の手段が、手紙と隣家の電話というのが、人間の心の動きを描く上でいい間合いとなっています。一進一退の展開が、読者をつなぎ留めるのです。
 そして、心の苦しさを死で解決しようとする展開も、これまた井上靖の手法の一つです。

 ただし、最後の金沢行きからは、登場人物の行動と言動が、うまく噛み合っていません。作者の物語展開に対する姿勢が追いついていないように思いました。
 桂は、次のように言います。

「愛が信じられないんなら、愛なしで生きてごらん。世の中が信じられないなら、世の中を信じないで生きてごらん。人間が信じられなかったら、人間を信じないで生きてごらん。生きるということは恐らく、そうしたこととは別ですよ。─この石のように生きてごらん。僕は宗教家でも、哲学者でもないから、こんなことしか言えない」(407頁下段)

 このことばは、作者のまとめのことばとして読みました。しかし、ここには、それまでの物語展開を引き受ける力も大きさも感じられません。物語を閉じるにあたって、作者の苦し紛れの逃げのことばのようにしか読めないのです。

 日比谷音楽堂での演奏シーンと、金沢の海岸の星空が印象的に語られて終わります。
 本作は、2段組みの『井上靖全集』で400頁にもわたる長大な小説です。それでも、作者としては、語り尽くせなかったのではないか、との思いが残っています。
 題名の「城砦」というのも、読み終えた今もしっくりときません。最初は、戦国物かと思っていました。
 最後に、次のように女主人公である江上透子に言わせます。

 透子はさすがに立っているのが辛くて、路傍の石の上に腰を降ろした。透子は四辺を見廻した。そしていま自分は砂に半ば埋もれた城砦の中にでも居るのではないかと思った。そんな荒涼とした風景であった。しかし、城砦の中に居ると言えば、自分はもう長いこと城砦の中に居たと思った。どこへも出ることのできない無人の城砦の中に、自分は弟と二人で神に囚われて住んでいたのだ。(408頁下段)

 長崎での被爆体験をテーマからそっと外した作者は、その配慮がこうしたところに片鱗として見えています。それでもやはり、書名とうまく結びついていないのが惜しまれます。【2】
 
 
 
初出紙:毎日新聞
連載期間:1962年7月11日〜1963年6月30日
連載回数:352回
 
角川文庫:城砦
井上靖小説全集23:城砦
井上靖全集15:長篇8
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
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2015年06月08日

江戸漫歩(105)東京海洋大学の第55回「海王祭」

 東京の宿舎の前には、東京海洋大学越中島キャンパスがあります。
 ここのことは、「江戸漫歩(98)東京海洋大学と明治丸」(2015年04月18日)ですでに記しました。

 この大学は、その前身である私立三菱商船学校の創立から140年の歴史があります。
 今回の大学祭「海王祭」のテーマは、「Full Ahead Eng. 〜140年の航跡〜」となっていて、「全速前進」という意味だそうです。


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 午後からは、さかなクンのトークショーがありました。しかし、時間が合わなかったので、ジャズ部の音楽だけを聴きました。品川キャンパスの学生との合同バンドだそうです。


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 舞台の背景に、明治丸がドンと居座っています。

 素人の学生さんたちの演奏だろうと思っていました。しかし、これが本格的なので、つい椅子に座って聴き入ってしまいました。日頃はジャズを聴くことがないので、爽やかな風の中で軽快な音楽を楽しみました。

 大学の校舎内の研究室をブラブラし、日頃は見かけない物や情報を見ました。
 フリーマーケットは、本当にささやかに小物が並んでいるだけでした。

 永代通りにある富岡八幡宮に向かって散策し、お昼は通り掛かりに見つけた『NAGISA - TEI』に入りました。


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 これが、意外と雰囲気のいいお店で、美味しくいただきました。
 丁寧に作っておられたのです。初夏らしく、窓を開けっぱなしの2階で、シーフードを堪能しました。

 富岡八幡宮では、日曜日なので骨董市をやっていました。しかし、ここはいつもさっと見るだけで、お参りをしたらすぐに帰ります。あまり感じのいい骨董市ではありませんので、お勧めできません。
 梅雨入り前の、さらっとした涼風を肌に感じた一日でした。
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2015年06月07日

京ことばで聴く『源氏物語』(東京・若菜下その1)

 山下智子さんの「京ことば源氏物語 若菜下 其の一」を聴きに、京王線明大前駅からすぐの「キッド・アイラック・アート・ホール」へ、土曜日開催の会に参加しました。
 東京での公演に行くのは、これが2回目です。
 前回のことは、次の記事をご覧ください。

「東京で京ことば源氏物語の朗読を聴いた後オルシ先生と話す」(2015年04月12日)

 今日は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉ならではの「着装」の実演を、山下さんがなさっている「女房かたり」とのコラボレーション企画としてまとめ、あらためて提案することになっているので、プランナーの仲間と一緒にその下見も兼ねて行きました。


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 「若菜上」と同様に「若菜下」も4回に分けて読んで行かれるそうです。

 まずは、会場に掲示された人物系図をレーザーポインタで指し示しながら、この巻のあらすじをわかりやすく語ってくださいます。「若菜下」も長い巻であることに加えて、多くの人物が登場します。それを、30分でみごとに整理して語られたのです。よく勉強しておられるからでしょう。敬服しました。

 休憩を挟んで、中井和子先生の京ことば訳をもとにした朗読です。
 優しい解き語りです。それでいて、さすがは仲代達矢の無名塾で学ばれた俳優としての資質が随所にうかがわれ、メリハリの利いた緩急自在の朗読です。

 後半で、近江の君が双六の賽を振る時、幸い人とされる明石の尼君のことを口にして、いい目がでるように祈る場面があります。


かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ賽はこひける。(古典セレクション版10、48頁)


 そこを情感たっぷりにおもしろおかしく京ことばで朗読されたので、みなさんの笑い声が会場に満ちるほどでした。
 聴き入っていたからこそ、緊張感が緩和した一瞬です。

 最後は、『源氏物語』の原文を一部分だけでしたが朗読されました。柔らかな京らしい調べで、ゆったりと聴くことができました。

 江戸時代の、百年前の京ことばとして、山下さんは演じておられます。千年前ではありません。しかし、これだけで十分に平安京の物語を堪能できます。

 次回の「京ことば源氏物語 若菜下 其の二」は8月8日(土)・9日(日)です。
 本日いただいた、以下のチラシをご覧ください。

 参加の申し込みは、「京ことば源氏物語」のホームページにある「2015年スケジュール」(7月8月分はまだですが)からできます。


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 この日は、日比谷図書文化館で講座を受講なさっている方がお出ででした。終演後、駅前のカフェで少しお話しをしてから帰りました。
 翌日曜日は、これも日比谷図書文化館で受講されている数人の方が、この朗読を聴きにいらっしゃることになっています。
 いろいろな方々が、こうした機会を得て『源氏物語』に親しんでいかれることは、お薦めしている者としても嬉しいことです。
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年06月06日

ハーバード大学本「蜻蛉」巻の「尓・ん・せ・を」

 日比谷図書文化館で、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」巻を字母に注目しながら読んでいます。
 今回は、第12丁表から、仮名の「尓・ん・せ・を」をすべて抜き出して、それぞれの違いを注意深く確認します。

 まずは「尓」を4例あげます。
 いずれも、変体仮名の「尓」が微妙に異なる形で書かれていることがわかる例です。


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 次は、「ん」を4例。これは、その直前の文字とどのようにつながって書かれているかに注目したいところです。
 いずれも、2文字が合わさって書かれているので、文字列が形作ることばを考えないと判別できないものです。右端の「給八ん」は、「給」につづく文字として「八ん」を読み取ることが大切です。


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 次は、「せ」なのか「を」なのか迷う例です。
 左から、【せ】「を」「を」「を」【せ】「を」と読みます。
 2画目の縦棒が、迷いなくまっすぐ下に延びているかどうか、ということを見ておけばいいかと思います。
 もっとも、いつもそうではないので、このあたりはことばとしての古語への理解が求められます。


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 古写本の仮名文字を翻字する際には、1文字だけを見つめていては解決しないものが多いものです。そうした例を、こうして集めてみました。
 文字の流れが作り出す古語の世界を知識として背景に持っていると、翻字する上で助かることが多いようです。
posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年06月05日

江戸漫歩(104)千代田図書館の「図書館コンシェルジュ」

 来週14日(日)に、科研「挑戦的萌芽研究」の第1回研究会を都内で開催します。
 会場がなかなか決まらない中を、千代田区立千代田図書館で企画システムプロデューサーをなさっている幸田さんと、企画チーフの河合さんに手助けしていただき、千代田図書館をお借りすることができました。

 開催日が近づいたこともあり、目が不自由なお2人の先生が戸惑われないように、九段下の改札口から千代田図書館の10階までの経路の確認を含めて、担当者と2人で会場周辺の下見に行ってきました。全国を自由に移動しておられるお2人の先生なので、特に心配はありません。しかし、初めての所にお出でになることでもあり、やはり念には念を入れての確認は必要です。

 実際に、九段下駅の改札口からエレベータ2基を利用して地上に出られることが、今回の実地踏査と河合さんからのアドバイスによって判明しました。
 この駅は、私が通院していた九段坂病院があり、また千代田図書館へ古書目録の調査で何度も来ているので、熟知していると思っていました。しかし、エレベータは意外と見え難い場所に設置されていたので、今回初めてこれが役立つことを知りました。
 この九段下の改札口には、会場までの案内役2人を配置することで了解を得ました。

 千代田図書館のホームページには、NPO法人ことばの道案内が作成なさった、「ことばの道案内(千代田図書館までの道のり)」もあります。地下鉄九段下駅からは、この音声案内も便利です。

 千代田区役所の中にある図書館内は、障害者への配慮は万全です。
 ただし、幸田さんのお話では、通路下に敷設されている特殊素材の道案内を兼ねたシートは、点字ブロックではないので少しわかりづらいかもしれない、とのことでした。特に、曲がり角がそのようです。これは、当日口頭で伝えることにします。

 さらに、当日は日曜日のため、10階にあるコンビニエンスストアはお休みです。ただし、自動販売機は稼働しているそうです。いろいろと確認しておくものです。

 懇親会をする場所でアドバイスをいただこうとしたところ、階下の「図書館コンシェルジュ」があるコーナーに案内してくださいました。
 探している懇親会場の条件などをお伝えすると、しばらくして近くにある最適なお店を紹介してくださいました。

 私は、この図書館コンシェルジュというお仕事のことを、この時までまったく知りませんでした。ホテルでの観光案内は知っていましたが。
 上掲のホームページにも記されているように、千代田図書館の利用や本探しに留まらず、「近隣の新刊書店と古書店の在庫状況を確認」とあるのは、神田神保町に隣接している立地にあるからこその特徴でしょう。その他にも、次のような案内をしてくださるのです。


・区役所や区の関連施設のご案内
・文化施設やレストランなど各種店舗のご紹介
・展覧会やイベントのご紹介
・観光案内やお薦めスポットのご紹介


 いやはや、至れり尽くせりです。
 今回のように、懇親会の場所を探すということは、「レストランなど各種店舗」の紹介に該当するのでしょうか。恐縮しながら探していただきました。それにしても、これは非常にありがたいサービスです。
 確かに、おっしゃるように、この「図書館コンシェルジュ」は千代田区の活性化につながるサービスです。図書館の機能が、ますます利用者のためのサービスとなっていくことは大歓迎です。

 この後、図書館コンシェルジュのお2人に紹介していただいたお店に立ち寄り、正式な予約とメニューなどの確認をしてきました。
 さらに、日比谷図書文化館で隔週開催の〈ハーバード大学本『源氏物語』を読む「翻字者育成講座」〉のために、霞が関に移動しました。この講座は、千代田図書館のみなさまのご理解とご協力で実現したものです。
 感謝しながら、日比谷で『源氏物語』を楽しく読み進んでいます。
posted by genjiito at 22:21| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年06月04日

聞香の体験会で裏を読みすぎたこと

 今日は、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻で博士論文を執筆中の武居さんが、国文学研究資料館の大学院生のための部屋で、聞香の体験会を開催してくださいました。
 大学院生として国文研に来ておられますが、武居さんはお香とお茶の先生です。

 これまでにも、武居さんとお香のことは、以下の記事で取り上げています。

「充実していた総研大学院生の研究発表会」(2012年11月29日)

「同志社大学でお香談義」(2013年05月01日)

「茶道資料館で香道具を見たあと筒井先生にお目にかかる」(2013年05月02日)

「京洛逍遥(316)京都における香道関係の調査に同行」(2014年04月25日)

 今日の参加者は、日本人4名、中国人留学生7名の計11名です。
 日本人というのは、大学院の専攻長や主任指導教授に副主任という、武居さんにとってはプレッシャーのかかる存在の教員たちです。

 まずは、ウエルカムの意味で「夏木立」というお香で部屋に迎えていただきました。
 そして我々お香に馴染みのない者のために、「文学と香道」というわかりやすい内容のレクチャーから始まりました。


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 一通りお香に関する勉強をした後、武井さんが香元となり、組香である玉川香をやりました。
 これは、武居さんの学位論文の中心となる『香道蘭之園』(菊岡沾凉、1737年)の巻7にも記されているものです。武居さんは現在、この『香道蘭之園』と共に大枝流芳による伝書群とも格闘中です。

 香炉の準備から始まる所作を、間近に見ることができたのはいい勉強となりました。
 なお、今日は立礼席で、テーブルのスペースに限りがあったため、作法通りの位置に道具を置けないなど、臨機応変な対処がなされたことを申し添えておきます。以下お読みいただくにあたって、ご理解のほどをお願いいたします。


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 試みの後、3炷を聞きました。

 本番である出香からの3炷を、私は次のように聞きました。
 これも厳密には正確ではありませんでしたが、今は出香された順番が問題なので、それはおいておきましょう。

  1 辛い 2 苦い 3 甘い

 ここで、解答用紙である名乗紙に答えを「一 二 三 むつ千鳥」と書こうとして、はたと思い留まりました。それが、あまりにも単純な数字列だったからです。

 この場に集まっているメンバーはみなさん初心者です。ほとんどが初めての体験です。その意味から言えば、分かり易い「一 二 三」という答えになる出香は、いわば一番無難なものです。
 しかし、と思い返したのです。

 武居さんの横に並んでいるのは、初心者だといっても、ここでは指導教授を始めとして武居さんにとってはそれなりの立場と重みのある先生方です。そうであれば、あまりにも易しい解答となっては、かえって先生方を軽く見たように思われないかと、気づかわれるはずです。

 とすると、あまりにも見え透いた単純な解答ではなくて、香元としては少しひねることで、それなりの敬意を表した対応を考えておられるのではないか、とも思われたのです。

 特に、一番目と二番目の香は、後で聞くと「きゃら」と「らこく」という、似た傾向の香りがするものでした。
 そこで、この似た香で混乱させて、後で間違えた先生方への説明をしやすいように仕組んでおられるのではないか、と私は読みました。
 私が名乗紙に書いた答えは「二 一 三 近江萩」です。「一」と「二」をあえて入れ替えたのです。

 正解は、「一 二 三 むつ千鳥」でした。

 後で武居さんに伺うと、混ぜ合わせることで、香元も答えが何かはわからない状態で進んでいくものだ、とのことでした。
 香元が香包みの用意はなさいます。しかし、焚く直前にシャッフルするため、香元であってもどの香がどの順に出るかは、いついかなる場合もわからないそうです。
 つまり、順番を変えるといったような作為は絶対にできないため、私が勝手に推測したことはまったく無意味なことだったのです。たまたま「一 二 三」という解答になった、というだけのことだったのです。

 まったく余計な先読みをしすぎていたのです。もっと素直に、自分が感じたままに名乗紙に「一 二 三」という答えを書くべきでした。浅知恵で裏を読もうとするな、ということなのでしょう。

 その意味でも、今日の聞香はいい勉強になりました。

 今日の「香之記」は、一点を取った中でも上座におられたひろしさんに贈られました。


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 その後の休憩時間には、両口屋是清の「二人静」と涼しい羊羹がお茶菓子として出されました。


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 和三盆糖を使用した「二人静」だけをいただき、その後の質疑討論会は早退して次の予定が組まれていた千代田図書館へ急ぎました。

 以下、その後の九段下の千代田図書館と、日比谷の日比谷図書文化館でのことは、長くなりますので明日にします。
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2015年06月03日

井上靖卒読(197)『忘れ得ぬ芸術家たち』

 井上靖が大阪毎日新聞社で美術記者をしていた時代を中心にして書いた、美術関係のエッセイを集めた『忘れ得ぬ芸術家たち』(昭和61年8月、新潮文庫)を読みました。


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 井上靖の目を通して見た芸術家たちが、飾らぬ言葉で語られています。一人一人が具体的に語られているので、貴重な報告ともなっています。

■「河井寛次郎のこと」
 文中に、「いつでも物を創る人は、物を創る人としての心をはなしてはならないということであった。」(10頁)とあります。この「はなしてはならない」は、「話しては」なのか「離しては」なのか、しばし考えさせられました。井上靖の文章で、このように戸惑うことは稀です。
 この文章からは、河井の姿が浮かび上がってきます。人柄が描けていると思います。(朝日新聞社『河井寛次郎作品集』、原題「河井さんのこと」、『井上靖全集 別巻』所収「井上靖作品年表」に記載なし、『井上靖全集 第25巻』巻末「解題」参照、昭和55年9月)

■「荒井寛方」
 法隆寺金堂の壁画模写の話です。その1人を集中的に取材した話は、荒井の人間を彫り上げています。そして、「形あるものはやがて滅びますよ。」といったことばが、印象に残りました。(『藝術新潮』4-9、昭和28年9月)

■「橋本関雪」
 酒の有無で別人になる関雪像が、みごとに活写されています。憎めない関雪、愛すべき関雪がいます。『ある偽作家の生涯』を思い出すと、楽しくなる話に満ちています。(『藝術新潮』4-6、昭和28年6月)

■「前田青邨のこと」
 井上靖が新聞記者になって2年目。美術記者として最初に見た「大同石仏」の話から始まります。利休の話を小説にしていて、前田氏が利休を描いていないので助かった、というのは本心でしょう。以下、「御水取」のことを語ります。お水取りは前田氏にぴったりの素材だと。そして、その確信は信頼関係にあることにも及びます。(毎日新聞社版「青邨の画集 御水取絵巻」、原題「青邨先生のこと」、昭和50年6月)

■「国枝金三」
 国枝は右腕に疾患があり、左手で絵筆を持った画家でした。彼が紫色を使うことと切り離せないと、井上は見抜いたのです。また、その後に死の予感も。奥様への温かいまなざしがいいと思いました。(『藝術新潮』4-8、昭和28年8月)

■「上村松園」
 自宅で井上を見送る姿が印象的です。ほどほどのよさを、松園の姿に見つけたのです。井上の作品に出てくる女性は、この松園をイメージしているのではないか、と思われる場面が、いくつも思い合わされます。(『藝術新潮』4-10、昭和28年10月)

■「「坂本繁二郎追悼展」を見る」
 最後に記された「ひとを楽しませるために描かなかった氏は、最後に月のはなやぎの中に自ら遊ぶ境地にはいってしまったようである。」(101頁)とある箇所が印象に残りました。(朝日新聞 、3/25夕刊、昭和45年3月)

■「須田国太郎の世界」
 井上靖は、昭和7・8年に、京都大学で須田の西洋美術史の講義を受けたそうです。語り口に、親近感が溢れています。(東京新聞、1/11夕刊、昭和53年1月)

■「岡倉天心」
 井上靖は「茶の本」を学生時代に読んだそうです。この本が天心の著作の中で一番いいと。そして、自分の若き日を振り返る書となっているとも。五浦海岸の旧宅への旅では、四人の老人の話にも主人を思う温かさがあります。(『藝術新潮』4-5、原題「岡倉天心 五浦紀行」、昭和28年5月)

■「岡鹿之助の「帆船」について」
 井上靖の処女作「猟銃」には、岡の影響があるのだと言います。再読の折に、確認してみましょう。(『美術手帳』44、昭和26年6月)

■「「湖畔」の女性」
 小説に登場させたい女性の一人は、この「湖畔」だと。もう一人は、ドガの「少女像」だと言います。あらためて、絵を見ました。まだ、よくわかりません。(NHK婦人学級だより、昭和41年8月)

■「広重の世界」
 広重の風景画の中に、情趣と人間を見いだしています。作家の目です。(みすず書房版「原色版美術ライブラリー118広重」、昭和32年9月)

■「美女と龍」
 『華厳縁起絵巻』の義湘絵に、愛の讃歌を読み取っています。(「絵巻」9、昭和51年11月)

■「安閑天皇の玉碗」
 発掘出土した碗の事実を小説にするにあたり、作者としては自由に想像を駆使できず、不出来な作品になったと言います。「玉碗記」のようには自由に書けなかったようです。(『藝術新潮』4-1、昭和28年1月)

■「白瑠璃碗を見る」
 江上波夫が持ってきた3個のカットグラスが、「玉碗記」に描かれたものと一緒に五個あり、その運命へとロマンが広がります。(毎日新聞、11/19、昭和34年11月)

■「如来形立像」
 唐招提寺の破損仏が、もっとも好きだといいます。中でも「如来形立像」の美しさは、破損していないと。(美術出版社版「日本の彫刻X平安時代」、原題「如来形立像について」、「昭和27年3月)
 
 
※本書は、昭和58年8月に新潮社より刊行されたものを文庫に収録したものです。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 井上靖卒読

2015年06月02日

レターパックの発送間違いを追跡調査で知る

 『源氏物語』の写本を翻字していただいている方に、新たに依頼する資料をレターパックで送りました。送ったはずでした。

 しかし、札幌から帰ってすぐの昨日、その方に送った写本のことで内容確認をメールでしている中で、まだ届いていないことがわかりました。

 レターパックの追跡番号で経過を調べたところ、先週27日に立川から送った資料は、何と29日にNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の事務局がある京都の家に届いていることになっていました。送りたい方には届いていなかったのです。
 何がどうなっているのか、とっさに状況が理解できません。

 考えられることは、「お届け先」と「ご依頼主」の欄を書き間違ったことしかありません。
 札幌出張の直前にあたふたと送ったので、「from」と「to」の宛て先欄を間違ったのでしょう。
 大失態です。


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 大急ぎで、次にお願いしようと思って用意していた資料を、再度レターパックで送りました。今度は大丈夫です。
 先ほど、今度は届いた、という連絡をいただきました。

 いやはや、小まめに連絡をとりあっていたからこそわかったことです。
 早めに対処できて助かりました。
 この次に、京都へ帰ったら、間違って送ってしまったそれを、またお願いしている方に転送します。

 初めてのことなので、こんな勘違いをしたことが信じられません。
 と同時に、加齢と共に注意力も散漫になっていることを自覚すべき時期だと、自分で痛感しています。

 今、多くの方々に支えられて、さまざまな仕事を推進しています。
 みなさん、私を信頼してくださっています。しかし、こんなヘマもするのだ、ということを、自信をもってここに報告します。

 私をあまり信用しないでください、ということではありません。
 みなさん、それぞれの立場で、自分のペースで確実に一歩ずつ進んでください、ということを伝えたいと思って、こうして記しています。

 あまりにも多様な仕事を、今私がこなし過ぎていることも原因の1つです。そのため、きっちりとやっているはずだ、と決めつけずに、折々に順調だけど大丈夫かな、というセルフチェックを忘れないでいただきたいと思っています。

 こんなミスもしています、という、関係者への事務連絡でもあります。
posted by genjiito at 23:29| Comment(0) | ◆NPO活動

2015年06月01日

日本点字図書館創設者・本間一夫生誕の地へ

 日本点字図書館の創設者である本間一夫先生は、今年が生誕100周年ということです。それを記念して、盲教育史研究会のみなさんがオプショナルツアーとして、生誕の地(旧商屋丸一本間家)の増毛町行きを組まれました。

 朝8時に札幌駅北口集合し、貸し切りバスで北上して2時間半。
 朝方は小雨が降っていました。
 増毛は留萌の少し南の港町です。

 30人以上を乗せたバスの車中では、本間先生に関するクイズ大会が企画されていました。


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 マニアックな問題も含めて、全12問に詳しい説明付きです。
 三択だったので、私も参加できました。しかし、半分くらいしか当たりません。
 全問正解者が2人もいらっしゃいました。
 質問者からのヒントや、正解をめぐる解説がおもしろくて、道中はあっと言う間でした。

 クイズが終わってから、本間先生の生涯を描いた漫画の冊子と、その点字版をいただきました。


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 ここに、出題されたクイズの答えとなる情報が満載です。
 これは、今年の3月にできたばかりの、10頁ほどの冊子です。いただいてすぐに、バスの中で拝読しました。日本点字図書館と本間一夫先生のことがわかりやすくまとめてあります。手にする機会があれば、ぜひご一読を。

 増毛町に着くころは、ほぼ雨は上がっていました。
 参加者には年配の方が多かったこともあり、「この雨には増毛効果は期待できないので一応傘を持って降りてください。」と、マイクで車内放送がありました。どっとわきました。
 地名の「増毛」を「ぞうもう」と読む、音声読み上げソフトがあるそうです。
 こんな楽しい話を小耳に挟みながら、増毛の街に入りました。

 ちょうど昨日と今日はお祭り日で、街の中心部は歩行者天国になっていました。
 地酒「國稀」は、本間家が手がけてきたお酒です。


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 本間一夫生家では、大番頭さんから詳しい説明を伺いました。
 廊下を歩くだけで、大きな家であったことがわかります。


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 本間少年が生活していた部屋も復元されています。


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 外を見ると、ちょうどお神輿が通るところでした。


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 私が一番興味を持ったのは、13歳の本間少年が口述した日記です。
 翻字されていないか確認しました。しかし、明確な答えが得られなかったので、後日調べてみます。
 事前に私が調査をしていなかったこともあり、先生方にも尋ねにくかったものですから。


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 昼食を共にしたレストランでは、指田先生とテーブルをご一緒しました。そして、『源氏物語』を触読する実験に協力してくださることになりました。さらには、福島県にいらっしゃる渡辺先生を紹介してくださるとのことです。

 昨日に続き、一気に古写本『源氏物語』の触読にチャレンジしてくださる方が増えました。
 みなさん、お忙しい日々なので、ご無理のないように触読の練習をしていただくことにします。

 帰りのバスも快調に走りました。
 途中で、休憩したところでは、山に雪が残っていました。ただし、この写真の左端なので残念ながら写っていません。


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 定刻に札幌駅に着きました。
 得るものが多かった札幌行でした。
 また、今後につながる出会いも多く、帰ってから連絡を取り合うことになります。
 「挑戦的萌芽研究」は、これからの進展が、ますます楽しみです。

 今回の研修会実施においては、主催者の日本盲教育史研究会はもとより、共催の北海道視覚障害教育史懇談会と、協賛の北海道盲学校退職校長会のみなさまの並々ならぬ情熱に支えられて、すばらしいものとなりました。単なる参加者の一人ではありますが、得難い人とのつながりや貴重な情報を一身に浴びることができ、ぜいたくな札幌行きとなりました。
 みなさんには、大変お世話になりました。
 こんなささやかな個人ブログという片隅からではありますが、篤くお礼を申し上げます。
posted by genjiito at 22:51| Comment(0) | 視聴覚障害