2015年04月30日

読書雑記(124)山本兼一『命もいらず名もいらず 上 幕末篇』

 明治維新前後の人々の生き様には、現代とは違う緊張感が感じられます。
 平安時代でもない、昭和・平成時代でもない、明治時代には、日本人が持っている純真な情熱と行動力が、飾ることなくストレートに表出されたと思っています。
 そのような問題意識を抱きながら本作品を読むと、この長大な物語をもっともっと語ってほしかった、と思うようになります。
 山本兼一は、1年前の2014年2月13日に、57歳の若さで亡くなりました。

 『命もいらず名もいらず』は、京都新聞を始めとする各地方新聞に連載されたものです。それに加筆修正して、[上 幕末篇]と[下 明治篇]の2分冊で2010年にNHK出版より単行本として刊行されました。今回は、集英社文庫で読みました。


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 本作品は、次のように始まります。


 とんでもない男である。
 世に正直者や、志の高い人間は多いが、この男ほどまっしぐらな人間はめずらしい。(10頁)


 とにかく器量の大きな、小野鉄太郎高歩(後の山岡鉄舟)の登場です。
 次のくだりでも、そのことが強調され、本作品の太い柱となっています。


「人は、器量に応じた仕事しか為せない。器量に応じた人生しか送ることができない。器量を広げたいと願うなら、目の前のことをとことん命かげでやることだ。人間の真摯さとはそういうことだ。」(64頁)


 鉄太郎の貧乏暮らしと、あるがままに従う妻英子の素直さが、とにかく印象的です。物がないことなど、本当は大したことではないのです。人間の大きさを痛感させられました。それでいて、登場人物たちの目は、確かに日本の行く末を睨んでいます。

 江戸から明治へと、時代のうねりが大きなスケールで描かれていきます。
 若さゆえの情熱と行動力が、淡々とした文章から滲み溢れ出さんばかりに、読者に伝わってきます。抑制された山本兼一の文章と、そこに語られる時代の胎動とのギャップが、物語を確実に明治維新へと導いていきます。
 鉄太郎を通して、幕末当時の激動の歴史が語られていくのです。
 その背景に、大きな変革の波と時間の流れが、絶妙なバランスで映し出されているのです。【4】
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2015年04月29日

古都散策(39)自生の藤の花とお茶のお稽古

 爽やかな空の下、賀茂川の河川敷ではマラソン大会が開催されていました。


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 今日は、今月2回目のお茶のお稽古に、奈良大和の平群に行きました。
 行く機会がなかなかない中で、複数回のお稽古ができるのは久しぶりです。

 来週もお稽古を入れています。
 出来るときに出来ることをする、という持論の実践です。

 奈良は京都よりも、ややひんやりしていました。生駒山の麓だからでしょうか。
 平群を流れる竜田川沿いで、自生の藤の花を至る所で見かけました。


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 いかにも見てください、という雰囲気ではありません。押しつけがましいところがないのです。
 今年も咲いていますよ、というさりげなさが、目にも優しいと思います。

 その点では、先週行った亀戸天満宮の藤棚のみごとさとは、まったく対照的です。

「江戸漫歩(102)亀戸天満宮の藤まつり」(2015年04月26日)

 たたみごも平群の山の、と歌われる自然の中で勝手に咲いている、何気ない風情でありながらも零れるような藤の花もいいものです。


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 今日のお稽古では、まず袱紗の畳み方の指導を受けました。
 そして、茶碗を拭くときに、茶碗を持つ手がどうしても動くのです。
 何度やっても動くので、これは今後とも特に意識する必要があります。
 さらには、いつものように背中が曲がっていること。

 細かい注意点はたくさんあるにしても、一つずつを意識しないでできるようになりたいものです。

 元山上口駅の近くにある住宅地で、小さな山を切り開いた斜面に、色鮮やかな花が咲いていました。


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 この平群の里に住んでいた頃、ここが住宅地になる前は、下の息子とランニングでよく駆け上がった小山だった所です。
 気になったので行って尋ねてみました。
 7年前から、個人の方が花を少しずつ植え始められ、やっとこんなにみごとに咲き誇るようになった、とのことでした。


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 このあたりの方々も、みなさん楽しみにしておられるようです。
 花好きとはいえ、1人でこの規模までは、なかなかできないことです。
 いい目の保養をさせていただきました。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 古都散策

2015年04月28日

光輝く東都から水彩の西都へ

 東京駅で、いつものように新幹線の先頭車輌である1号車に飛び乗ろうとした時です。

 丸の内から皇居方面に目をやると、ビルの中の1部屋ずつを照らす明かりが、光の絵のように見えました。
 発光するタイルを規則的に貼ったモザイク画のようです。
 発車まで、しばらく眺めていました。


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 そういえば、新幹線の鼻をじっくりと見たのも初めてです。
 いつも、慌ただしく列車に駆け込んでいるので、あらためてホームのおもしろさを知りました。


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 見ていると、大勢の人が車輌に吸い込まれて行きます。
 待つ人、乗る人、自動販売機に走る人。
 人の動きは単純です。
 しかし、見ていて飽きません。
 それぞれが、思い思いの目的をもって、これから夜の東海道を移動するのです。

 2時間ほどの車内では、しっかりと仕事ができました。

 京都駅前では、いつもの水芸が始まっていました。


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 蝋燭型の京都タワーと七色の水しぶきは、意外と和の雰囲気を醸し出し調和しています。
 音楽が軽快なクラッシックであることも、旅人の気持ちを明るくします。
 仲のよさそうな2人が立ち止まり、魅入り聞き入っているのを見るのも、これまたいいものです。

 しばらく光と音のショーを見てから、京都タワーの向こうにあるヨドバシカメラの地下へと急ぎました。
 夜10時まで開いているグローバルキッチンで、少し贅沢な食材を手に入れるためです。
 螢の光りが店内に流れる中、私が大好きなクジラの尾羽活けとホタルイカ、そして四つ葉の牛乳にクリームチーズ。
 みんな定番となっている、私のお酒のおつまみです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ブラリと

2015年04月27日

神奈川近代文学館で谷崎潤一郎展を観る

 神奈川近代文学館で、谷崎潤一郎の没後50年を記念した「谷崎潤一郎展 絢爛たる物語世界」(2015年4月4日(土)〜5月24日(日))が開催されています。

 時間の隙間を縫って、先週行ってきました。


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 谷崎潤一郎の単行本などが実際に見られたことは、新鮮な感動でした。
 現在私は、新書版の全集本で谷崎作品を読み、本ブログで「谷崎全集読過」を連載しています。
 刊行された当時の本の装幀などを見ると、やはりその作品の間近に迫った思いがします。

 さらには、さまざまな貴重な情報が得られました。

(1)谷崎潤一郎全集 全26巻刊行


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(2)喜劇 台所太平記 明治座


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 没後50年のイベントを機に可能な限り情報を集めて、谷崎の作品世界を楽しみたいと思います。

 会場でいただいた展観図録(112頁)も、興味深い情報満載でした。


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<寄稿>
端境期の谷崎潤一郎(紀田順一郎)
萌黄の闇の彼方−『蓼食ふ虫』考(辻原 登)
佐藤春夫宛谷崎潤一郎書簡の衝撃(千葉 俊二)
<目次>部門解説(千葉 俊二)
序章 幼少時代/
第一部 物語の迷宮
第二部 〈永遠女性〉の幻影
終章 老いの夢


 表紙の上に置いたピンクのバッジは、図録を購入した時のくじ引きの景品です。
 ぜひ、これも手に入れてください。

 また、会場に置かれていたワークシートは、谷崎に関する興味を掻き立てます。
 参考までに、それを紹介しておきます。
 試しに、各設問にチャレンジしてはいかがでしょうか。


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 会場への入館が遅かったので、足早に見ることとなりました。
 もう一度、再確認の意味でも、ゆっくりと見たいと思っています。

 会場を出ると、港と橋に横浜らしさを感じました。


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 久し振りに元町を散策し、満ち足りた想いで帰途につきました。
posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | 谷崎全集読過

2015年04月26日

江戸漫歩(102)亀戸天満宮の藤まつり

 亀戸天神社へ行ってきました。
 深川の宿舎の前にあるバス停から30分ほどです。
 藤まつりの期間ということで、露店が多く出ていました。


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 藤棚から下がる藤は、紫色といっても微妙に異なる多彩なグラデーションを見せています。


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 背景に聳えるスカイツリーは、天神様の避雷針のように見えます。


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 境内では、天神囃子の奉納が始まりました。
 鳴り物が響き渡ると、あたりに華やかさが加わります。


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 4年前の初夏に、この亀戸に来ています。
「江戸漫歩(40)蕎麦寿司と亀戸天神社」(2011/6/11)
 心字池には、今日も鷺がいました。この前と同じ鷺なのでしょうか。
 その時に写した鷺を、今日の写真の右下に合成してみました。
 比較しやすいように、4年前の鷺さんを左右反転させてあります。
 

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 よく見ると違うような、4年の月日が感じられるような……微妙です。
posted by genjiito at 22:09| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年04月25日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉第3回総会が無事に終了

 本日は早朝より、東京都中央区にある新富区民館で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第3回総会が開催されました。
 会場は、東京駅から次の駅である八丁堀駅からすぐにあります。
 宿舎からは徒歩で27分という近いところです。しかし、連日の疲れが溜まっていたので、電車で行きました。15分で着いたのには、その近さに驚きました。


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 午前9時より1時間は、これまでの本会の活動内容を確認した後、本年1月より取り組み出した「変体仮名混合版」の作業について、自由に意見交換をしました。
 実際に翻字のお手伝いをしてくださっている方々も参加なさっていたので、実体験に基づく貴重な意見を伺うことができました。みなさん、昨秋から翻字に取り組まれたのが初めてだった、という方々ばかりです。

 本会の活動で特筆すべきことは、現今のひらがなに置き換える従来の翻字から「変体仮名混合版」に変更したことです。本年1月に、一大決心をしての変更でした。しかし、変更となっても違和感がない、という報告を受けて安堵しました。

 今までよりも正確な翻字となり、書写されている文字を読み取る楽しみが増した、ということのようです。

 例えば、「阿」という文字は「あ」とはせずに、書かれた変体仮名のままに「阿」と翻字するのです。無理やり現在一般に使われているひらがなに置き換えることなく、書かれたままの文字で翻字をするのですから、確かに翻字にかける労力の負担は軽減されています。頭の中で文字を今使われている文字に置き換える作業をしなくてもいいのです。案ずるよりも産むが易し、ということでしょうか。

 この翻字の方針については、まだ広く知られていません。これまでは、一部の方が、しかも部分的に翻字をなさっていたことに留まっていました。それを、『源氏物語』という膨大な量の写本の翻字でやろう、ということなのです。しかし、近い将来、この「変体仮名混合版」へ移行したことを、大英断として評価してくださることでしょう。現今の翻字表記は、原本に戻れないという大きな問題を抱えているからです。

 ただし、明らかに漢字として表記されている文字にどう対処するかは、依然まだ検討事項として保留したままです。これについては、いろいろと意見をいただきました。もうしばらく、「変体仮名混合版」の翻字の実践をする中で、解決策を模索していきたいと思います。

 その他、多くの有益な意見を頂戴しました。また、本年度取り組む具体的な作業内容についても、詳細な点まで確認しました。

 さらには、本日の総会で一番重要だった「定款の改定」についても、みなさんの了解をいただけました。
 本日の議事録は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページなどを通して、近日中に公開されますので、その時に解説を加えるつもりです。

 無事に、本法人も3年目をスタートさせました。
 正会員は16名という、小さな小さな特定非営利活動の法人組織です。しかも、『源氏物語』を専門とする正会員の研究者は5名です。これは、意外に思われているようです。それでも、いい情報を整理・作成・公開さえしていけば、おのずと支援してくださる方は増えていくことでしょう。

 多くの方々のご理解とご支援をいただく中で、よりよい『源氏物語』の翻字本文を作成します。そして、それを次の世代に引き継いでいきたいと思います。
 今後の活動を、あたたかく見守っていただければ幸いです。
posted by genjiito at 22:29| Comment(0) | ◆NPO活動

2015年04月24日

江戸漫歩(101)新宿歌舞伎町のゴジラはどこから見るか

 今、立川の並木道や小路では、花水木が見ごろです。
 桜や紅葉と共に、これもこの時期に目を楽しませてくれます。
 多摩地域の自然は、四季折々に豊かな彩りを見せています。


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 新宿の歌舞伎町に立ち寄った時、最近なにかと話題となっているゴジラを見ました。


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 このゴジラのベストポジションはどこなのでしょうか。
 少なくとも、真下ではないようです。
 次に来た時に、また角度を変えて、一番迫力のある姿を見たいと思っています。

 夕方の新宿というと、自然に思い出横丁の岐阜屋に足が向かいます。


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 いつもの焼酎のお湯割りは、大きなグラスにたっぷりと入って出てきます。
 おかずは、モツ煮、キクラゲと卵の炒め物、レバ炒め、餃子がお勧めです。
 新宿に来ると、学生時代から40年以上経った今も、折々にここに足を留めてしまいます。
 千葉から来ておられた、笠智衆そっくりのハイカラなおじさんは、最近見かけなくなりました。
 お元気でしょうか。
 常連の方からの情報をお待ちしています。
posted by genjiito at 21:58| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年04月23日

江戸漫歩(100)立川で100回を祝う半円形の虹を見る

 江戸漫歩も、今回で100回目となりました。
 私の生活は京都が中心です。そのせいもあって、京洛逍遥はすでに350回を超えています。
 そんな中でも、職場が東京にあるので、ウイークディの時間を見計らっては、江戸も気ままに歩いています。その記事が、やっと3桁になったのです。あと2年は東京にいるので、もう少し歩こうと思っています。京都に引っ込んでしまうと、なかなか東京を歩く機会もないことでしょうから。

 江戸漫歩の初回は、次の記事でした。

「江戸漫歩(1)夜の隅田川を眺めながらの帰宅」(2007/9/20)

 2007年8月に、金沢文庫の宿舎から深川の宿舎に転居しました。深川の宿舎には、かつて伊井春樹先生が住んでおられました。ちょうど私が今いる2階の部屋から見て西横並びの部屋だったようです。

 上記「江戸漫歩(1)」の記事は、深川に来てすぐのものです。銀座四丁目のコナミ・スポーツ・クラブに通っていた頃です。
 年月を繰ると、約8年間で100回の江戸に関する記事を書いたことになります。1ヶ月に1回は江戸のことを取り上げていたのです。意外に多いことに驚いています。

 もっとも、2007年以前の記事の多くを、プロバイダのサーバーがクラッシュしたために、ほとんど消失したままです。江戸のことはもっと書いてきました。しかし、その復元も叶わないままに今に至っているので、いつかはかつて書いて江戸の記事も再現したいものです。

 さて、昨日の夕刻のことです。立川で突然の夕立があった後、帰りがけに半円を描く虹に出会いました。


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 この写真は、職場の南出口にある、南極観測の極地研究所前から東を見上げた時です。
 左端に縦のスリットの建物が少し写っているのが、国文学研究資料館が入っている庁舎です。
 その右横のクリーム色の建物が東京高等裁判所立川支部、真ん中手前が極地研究所の南極北極科学館。そして右下が国立国語研究所です。この研究所の位置から虹が上っていたのです。
 右に移動すると、この虹の左下は、立川市役所にかかっていました。
 こんなにみごとな半円形の虹を見たのは初めてです。

 この虹を見た後は、今西館長科研のプロジェクト研究員を3年間、最終年度の先月末まで精力的にその役割を果たした阿部さんの慰労会を、立川駅の上で持ちました。

 いろいな意味で新しくスタートする新年度となりました。
 本年度も、どうぞよろしくお願いいたします。続きを読む
posted by genjiito at 22:37| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年04月22日

新規科研のホームページができました

 本年4月よりスタートしたばかりの科研「挑戦的萌芽研究」のホームページ「源氏写本の触読研究」が、試験版ながらも産声をあげました。
 まだ生まれたばかりです。
 大切に育てていきたいと思います。


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 今回採択された研究課題名は「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」です。

 冒頭の挨拶文以外は、昨年秋に日本学術振興会へ提出した、審査用の「平成27年度(2015年度)挑戦的萌芽研究 研究計画調書」に記した内容です。

 これからの2年間で、今後の活動内容や研究成果を盛り込み、このサイトを通してさまざまな方々と情報交換をして行く場所にしたいと思います。

 今後とも、ご教示のほどを、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 22:37| Comment(0) | 健康雑記

2015年04月21日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第3回総会開催のご案内

 今週12日(土)に、下記の要領で平成27年度NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の総会を開催いたします。

 今回は、定款の変更に伴う内容(活動の目的・種類・事業に関する第3〜5条)等を審議します。


■開催日時:4月25日(土) 9:00〜12:00
■開催場所:東京都中央区 新富区民館  
・住所: 東京都中央区新富一丁目13番24号 
・TEL:03-3297-4038
・URL: http://chuo7kuminkan.com/about/shintomi.html
■アクセス:
・東京メトロ日比谷線・JR京葉線八丁堀駅下車A3出口 徒歩5分
・中央区コミュニティバス(江戸バス)[北循環]新富区民館30番 0分


 なお、午前9時より1時間は、これまでの本会の活動内容を確認した後、本年より取り組み出した「変体仮名混合版」の作業について、自由に意見交換をする予定です。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉に興味と関心をお持ちの方は、本会の活動内容を知る機会ともなりますので、どうぞお気軽に参加してください。
 その際、資料の用意がありますので、前日までに本ブログのコメント欄を使って、参加の連絡をお願いします。
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◆NPO活動

2015年04月20日

雨風の横断歩道で自転車と接触

 このところ、天気が不安定です。
 寒暖の差が烈しく、雨が割り込んできます。

 今日は二十四節気でいうところの穀雨。
 穀物の成長を助ける春の雨が降る頃です。

 その雨も、夕刻から少し小振りになりました。
 ただし、風だけは強く吹いていた、夕暮れの帰り道でのことです。

 横断歩道で、無理やり直進してきた自転車と接触しました。
 その時の状況は、不思議と再現できるほどに、よく覚えています。

 私は、大きめの透明のビニール傘で風を除けながら渡っていました。
 渡り切ろうとしていたところへ、向かいから猛スピードの自転車が来たのです。

 自転車は、黒っぽい傘を前に翳しながら、雨風を除けながら突き進んできます。
 小雨の中の信号は、ちょうど雨に乱反射しながら点滅しだしたところでした。

 自転車に乗っていた方は、傘に隠れていて顔が見えません。
 黒っぽい服を着た、年配の男性だったように思います。

 私は透明のビニール傘越しに、その自転車が視界に入っていました。
 とっさのことだったので、反射的に右側に身体をかわしたのです。

 よくあることですが、相手も私と同じ方にハンドルを切ろうとされます。
 私が声を上げたので、慌てて直進されました。

 その擦れ違い様に、私の傘と相手の傘が鋭くぶつかったのです。
 自転車の方は、片手ハンドルで左手に傘を持っておられました。

 傘は、お互いの半分ずつがぶつかりました。
 傘が大きく撓り、ぽんと弾かれる感触が、手首に伝わってきました。

 相手の方は、猛スピードで走り去って行かれました。
 急いで横断歩道を渡ろうとする人ごみの中で、すぐに見失いました。

 私の身体は自転車とぶつかることもなく、まわりの人との接触もありませんでした。
 ただし、私の傘の骨が1本、無残にも折れ曲がってしまいました。

 特に怪我もなく、幸いでした。
 被害は、傘の骨だけです。

 自転車に対する社会的なマナーが問われています。
 歩道を自在に走る自転車との接触事故は、後を絶たないようです。

 スマホ片手の自転車走行もよく見かけます。
 自転車が軽車両であることを周知する必要があります。

 車椅子は、道路交通法の規定では「歩行者」として取り扱われることを知りました。
 シルバーカーやシニアカーは歩行補助車であって、軽車両ではないそうです。

 今日は、相手の無茶な突進が見えていたので、何とかかわすことができました。
 しかし、こうしたことは今後とも起こりうることです。

 注意をしていても、避けられないトラブルはあるものです。
 目の見える私がこうだったので、目の見えない方々のことが気になり出しました。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 身辺雑記

2015年04月19日

江戸漫歩(99)三井記念美術館で「茶の湯の名品」を観て

 「お江戸日本橋」に行きました。


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 橋に架かる無粋な高速道路を、2020年の東京オリンピックまでに撤去するかどうかが議論されているそうです。
 「業平橋」という名前が「スカイツリー」という名前と入れ替えられて早々に消えたのは、江戸が平安文化とは無縁だったからです。しかし、「お江戸日本橋」は今の東京と無縁ではありません。さすがの文化人や地域の人々も、この「日本橋」ということばには、守るべき文化を感じ取っておられるようです。
 この頭越しの道路網がどうなるのか、結論を楽しみに待ちたいと思います。

 その交差点で、八重桜を見かけました。


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 三井記念美術館は、日本銀行と三越本店とコレド室町に囲まれた、三井本館の7階にあります。
 今、「三井文庫開設50周年・三井記念美術館開館10周年 記念特別展」が開催中です。「三井の文化と歴史」と銘打って、その前期は「茶の湯の名品」が紹介されています。三井各家に伝わる茶道具が見られるので、行ってきました。

 説明文によると、次のように記されています。


 三井総領家とされる北三井家では初代高利(1622-1694)が表千家と昵懇であり、代々千家流の茶の湯に親しんできたところから、利休居士をはじめ千家歴代ゆかりの茶道具が数多く伝えられています。


 「三井記念美術館のホームページ」には、今回の目玉である展示品の一部として、次の画像が掲載されています。


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 左上の「継色紙」(平安時代・10〜11世紀、室町三井家旧蔵)は、伝小野道風筆とされています。
 ガラスケースの中の説明文には、次のように記されていました。


草仮名に平仮名を交えた散らし書きの自由な書式に魅了される。


 ここに書かれている平安時代の文字(字母)に興味を持ったので、「変体仮名混合版」の方式で翻字してみました。


    なく山
     本とゝ木
       す
 
 
倶累ゝ閑度
 み連盤阿遣
ぬる那つのよを
   あ可須と
      夜


 後ろから2行目の「あ可須と」の「須」について、実は会場でメモをとったときには「徒」と読みました。しかし、今ホームページで写真を確認したところ、これは「須」とすべきです。
 現場で急いで翻字をした時には、必ず後で確認することを忘れてはいけない、ということを痛感しています。

 写真左下の「志野茶碗・銘卯花墻」は、国宝に指定されている和物茶碗2点の内の一つです。少し形が歪んでいるところを、しっかりと見てきました。
 もう1点の国宝茶碗は、本阿弥光悦の「白楽茶碗・銘不二山」(サンリツ服部美術館蔵)です。これをどこで見たのか、思い出せません。その機会があれば、これもしっかりと見てきます。

 上掲写真右側真ん中の黒い茶碗は、重要文化財に指定されている、長次郎作「黒楽茶碗・銘俊寛」です。
 ガラスケースの説明文によると、利休が薩摩の門人に送った3碗のうち、これだけが送り返されなかったので、鬼界島に流された3人の内で俊寛1人だが島に残されたことに因んで、利休はこの銘を付けたのだそうです。
 命名の背景にある機知に感心しています。
 
 ガラス越しとはいえ、これら以外にも贅沢な道具や書画を拝見できました。
 
 「黒楽口寄香炉」は、長次郎作としては唯一の香炉だそうです。次の説明文が添えてありました。

桃山時代前期には後のように火中に香を焚く習慣はほとんどなかったようで、茶室内に香炉を持ち出して香を焚いている。

 
 「ホトゝギス」という銘が記された利休作の竹茶杓は、中ほどの節が高く盛り上がっているのに目が留まりました。
 
 平安時代の書とされる伝貫之筆「寸松庵色紙」には、初行に「きのとん能り」(紀友則)と書かれています。
 先日、「翻字における「ん」「も」「む」の対処」(2015年04月14日)という記事を書いたばかりだったので、いい確認となりました。

 いいものを拝見すると、それに惹かれて、いろいろと思い出したり、あらためて考えたりするものです。
 東京ではこうした機会が多いので、折々に名品と言われるものを見ることを実践したいと思います。

 帰りがけに、通りの反対側のコレド室町あたりに神社の鳥居をみかけました。


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 ここが工事中だった頃に、「江戸漫歩(78)生まれ変わった日本橋コレド室町」(2014年05月12日)を書いたので、併せてご笑覧ください。

 その完成した姿を見に行ったところ、福徳神社の向こう側ではまだ工事が続いていました。


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 この日本橋は、若者が集まるエリアにしようと、精力的に取り組んでおられるようです。
 若者を惹き付ける街作りはいいことだと思います。
 ただし、若者を集めたい一念で媚を売るのではなくて、ユニバーサルデザインを意識した街にしていただきたいと思います。
 ブラリと歩いて見たところ、あまりその配慮は感じられませんでした。これから、細部に手が入るのでしょう。くれぐれも、若者と女性と観光客だけの街にしないでください。

 帰りに、「主水 日本橋店」で「うなぎがいな丼」をいただきました。そしてそのまま、隣にある島根県のアンテナショップである「にほんばし島根館」で、松江の和菓子「若草」やワカメや野焼きやワインやイチジクのお菓子などを買いました。これらは、生まれ故郷につながる必需品です。

 続いて、その並びにある奈良県のアンテナショップ「奈良まほろば館」にも立ち寄りました。
 飛鳥の酥(チーズ)や鹿のフンなどをいただきました。
 ここも、20年ほど子育てをした所として忘れられない、奈良県を再確認できる場所なのです。

 この日本橋エリアは、私にとっては若者たちとは違う目的が叶う、楽しい街となっています。続きを読む
posted by genjiito at 22:07| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年04月18日

江戸漫歩(98)東京海洋大学と明治丸

 東京の宿舎の真ん前に、清澄通りを挟んで東京海洋大学の越中島キャンパスがあります。
 東京海洋大学と言っても馴染みがないかと思います。これは、東京商船大学と東京水産大学が2004年に統合した、国立大学法人の大学です。その前身は、明治8年設立の三菱商船学校なので、140年の歴史があります。

 正門を入ると、正面に一号館があります。
 昭和7年に完成した一号館は、国の登録文化財に指定されています。


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 正門を入った左には、第一観測台と第二観測台があります。これは明治36年に建設され、東洋一といわれた天体望遠鏡を収納した半円形のドームと八角形の建物が印象的です。これも、登録有形文化財に指定されています。


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 この観測台の後方に見える陸橋を渡ると、高層マンション群に囲まれるようにして、5階建ての東京医科歯科大学越中島宿舎が木立の中にひっそりと佇んでいます。


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 東京海洋大学の正門から右に歩いて月島方面を望む隅田川沿いには、日本最古の鉄船で重要文化財となっている明治丸のみごとな姿が目に飛び込んできます。


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 この英国グラスゴーで建造された船は、明治9年に明治天皇の東北・北海道巡幸に使われたということで、海の記念日(7月20日)の由来となっています。

 ゆったりとした後ろ姿は、今にも動き出しそうです。


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 風を切る船首は、眺めていて飽きません。
 この向こうに、私が住む宿舎が建っています。


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 船内の様子は、後日にします。
posted by genjiito at 21:58| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年04月17日

豊島秀範先輩の奥様の告別式で取手市へ行く

 私にとって未踏の地の一つだった茨城県に行ってきました。
 取手駅前の枝垂れ桜が儚げで印象的でした。


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 関東地方というと、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の1都6県を言うそうです。ここに山梨県が入るとか、入らないとか。
 別の区分けでは、静岡県と長野県も入ることがあるようです。

 関西に長く住んでいる私にとって、埼玉県から秋田県の間の置関係があやふやです。
 それは、妻の出身地が秋田県であり、我々の新婚時代は埼玉県に数年を過ごしていたことと関係します。
 その途中が、地図上ではあいまいなのです。
 妻に聞くと、私の出身地である島根県が、今でも鳥取県と山口県の並びの中で迷うそうです。
 自分の頭の中の白地図は、人それぞれに異なっているようです。

 単身赴任で私が上京した時に神奈川県の宿舎に入ったので、ここは大丈夫です。
 群馬県には、温泉地や山スキーに行った記憶があります。しかし、その位置関係を地図上に示すことはできません。

 そんなこんなの中で、茨城県と栃木県は、私にとっては未踏の地となっていました。

 栃木県は、日光があるので、東京を離れる前に行ってみようと思っています。「日光を見ずして・・・」と言われるのですから。
 また、新しい科研のお手伝いをしていただく方の住まいがある所なので、この栃木県には併せて行く機会がありそうです。

 残る茨城県は、井上靖の小説に出てくる大洗海岸に行きたかったので、ここも来年までには行こうと思っていました。
 その茨城県の南に位置する取手市に、突然の訃報を受けて今日行くことになりました。

 私が学生時代からお世話になっている、國學院大學の豊島秀範先生の奥様が、今週13日にお亡くなりになりました。御夫妻共に、大学の先輩です。
 以前からご様子はうかがっていました。しかし、それがこんなに早いとは思いもしませんでした。

 いろいろと奥様のご様子をお尋ねしたこともあり、豊島先生はつらい思いをしながら話の相手をしてくださったこともあったか思われます。申し訳ないことでした。

 今から40年前になります。京成線沿線にお住まいだった御自宅に、妻と一緒に伺ったことがありました。玄関を入ってすぐに、たくさんの本が積み上げられていたことを記憶しています。国史大系や『群書類従』などだったように思います。その時に、はじめて奥様にお目にかかりました。

 数年前に、豊島先生の科研の研究会が國學院大學で開催された時に、奥様もお出でになりました。それが、お目にかかった2度目でした。以前お宅におじゃましたことと、科研のお手伝いをしていることについて、親しくお話をしました。気さくに声をかけていただき、今後ともよろしくお願いします、とおっしゃってくださいました。
 今、あの時のお姿を思い出しています。

 昨日のお通夜は、日比谷図書文化館で『源氏物語』の写本を読む会があったので、どうしても行けませんでした。今日の告別式には、妻と一緒に駆けつけました。
 葬祭場は、JR常磐線の取手駅からすぐの、水戸街道の利根川沿いにありました。

 細やかな気遣いをなさる豊島先生は、大変だったはずなのに、そうした気配はお見せにならずに振る舞っておられました。喪主としてのご挨拶では声がくぐもっていました。しかし、淡々と奥様の病状を語られるのを拝聴し、私も少しもらい泣きしてしまいました。

 帰りの電車では、雨が車窓を打ち出しました。
 帰ってからニュースを見ると、取手市は豪雨になった、とのことでした。
 この雨により、先生をはじめとしてみなさまのお気持ちは一新されたことでしょう。

 宿舎の入り口では、八重桜がきれいに咲いていました。


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 奥様の御冥福をお祈りいたします。
posted by genjiito at 22:58| Comment(0) | 回想追憶

2015年04月16日

日比谷図書文化館で仮名と漢字について考える

 立川駅から日比谷図書文化館へ直行するには、時間帯によって実にさまざまな経路があります。
 何も考えないで行く時は、中野駅と大手町駅とで乗り換えます。
 もっと早く、安く行くことができる場合は、三鷹駅、吉祥寺駅、下北沢駅、渋谷駅、新宿駅、原宿駅、明治神宮駅、表参道駅、代々木上原駅、四ツ谷駅、等々、スマートフォン任せで最適な組み合わせによる経路を選択することになります。
 霞ヶ関駅で降りてからは、日比谷公園に上がってすぐです。
 あまりにも便利な場所にあるので、毎回経路を変えながら、その日任せの行き方を結構楽しんでいます。

 今日は霞ヶ関駅の構内で、その駅名を目にして、しばし佇んでしまいました。「霞」という漢字に目が留まったのです。

 雨かんむりの下の文字をじっと見ていると、「假」が思い出され、その字が今は「仮」と書いていることに思い至りました。とすると、雨かんむりの下に「反」を書いたらどうなるのか等々、いろいろな可能性に思いが及びました。
 「休暇」の「カ」は「暇」しか使えません。日偏に「反」は認められていません。「蝦夷」や「エビ」も「蝦」を使います。虫偏に「反」もダメだとなっています。
 長生きする意味の「遐齢」もこの「遐」しかありません。さらに、「瑕疵」の「瑕」も、王偏に「反」を使うことはできないのです。

 このことは、佛→仏、拂→払、沸→?、費→?、などの例でも言えることです。
 どのような法則のもとに、こうした漢字が決められているのか、大いに興味のあるところです。

 そんな素朴な疑問を、今日の日比谷図書文化館での『源氏物語』を変体仮名を読む会で投げかけました。
 もちろん、専門家にはそれなりの解答があるのでしょう。しかし、今のところ、専門外の私には説明ができないことなのです。それを素直にお話しました。

 今日は、第3期の初回なので、五十音図の確認からです。
 毎度のことながら、余計な話をするので遅々として進みません。

 2日前に書いた本ブログの記事、「翻字における「ん」「も」「む」の対処」(2015年4月14日)のプリントを使って、「ん」の翻字についても説明しました。

 それ以外にも、次のような話題を投げかけました。(順不同)


・「【ヱ】ビスビール」と「ウ【ヰ】スキー」
・「お」の字母は「於」でいいのか
・「加」をひらがなにしたのは加藤さん?
・糸罫と列帖装の仮綴じ本の姿
・名前の「鉄」のこと
・目が見えない方々と一緒に写本を読むこと
・かな表記の問題点を隠すための漢字奨励政策
・「は」「へ」「を」の問題点
・テレビが発言者の「見れる」を字幕で「見られる」に直すのは事実を報道していないことになる
・ひらがなを一つにした明治33年の決断
・名前にふりがなを振る時に表面化するひらがな表記の矛盾
・翻字から元の写本の表記にもどれないので「変体仮名混合版」にする


 最後の10分で、大急ぎでハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」の第9丁オモテの最初の一行だけを確認しました。


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 「変体仮名混合版」で示すと、次のようになるところです。


者んへり尓しとて・もとより・ある・人多尓・


 この一行だけを見ても、変体仮名は「者」「尓」「多」の3種類だけなのです。それ以外は、すべて現在使っているひらがなが変形したものばかりです。変体仮名は恐るるに足らず、ということを強調しました。

 終わってから、いつものようにいろいろと質問や確認を受けました。
 この時間が、また楽しいのです。
 『源氏物語』を読み解く楽しさとは別に、700年前の文字を読む楽しさを、今後とも語り伝えていきたいと思います。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年04月15日

科研(基盤研究A)で公開している「海外源氏情報」の現状

 平成25年度秋から取り組んでいる科研(基盤研究A)の「海外における源氏物語研究及び各国語翻訳と日本文化理解の変容に関する調査研究」では、順調に情報の公開をホームページを通して進めています。

 例えば、『源氏物語』の翻訳史に関する情報は【211件】、平安文学の翻訳史に関する情報は【569件】となりました。
 また、論文検索のデータベースは2種類あり、「翻訳 - 源氏物語・平安文学論文」が【384件】、「海外 - 源氏物語・平安文学論文」が【124件】となっています。

 これらは、今後とも随時更新していきます。御自身で執筆なさった論文や翻訳、及びお知り合いの方々の情報がございましたら、遠慮なくお知らせください。現在は、ほとんどがネット上で確認できるものを収集しているものなので、自ずと限界があります。連絡をいただければ、早急に追加していきたいと思います。

 このように調査、収集、整理して公開している情報が多岐にわたり、情報発信母体のどこに何があるのかが、容易に見つけ難くなってきたようです。そこで、現在の状況を「サイトマップ」として整理していただきました。

 本科研のホームページである「海外源氏情報」(http://genjiito.org)のトップページの最下段右端に、小さな「Site MAP」というボタンがあります。これをクリックしていただくと、以下の画面となり、確認したい項目に行けるようになりました。

 情報の大海原に漕ぎ出して、多彩な情報との出会いをお楽しみください。


150415_sitemap


続きを読む
posted by genjiito at 22:40| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年04月14日

翻字における「ん」「も」「む」の対処

 「変体仮名混合版」による翻字を進めています。その中で、「ん」の字母に関する問題について、現時点での説明を記しておきます。
 「ん(无)」と見える仮名文字をどう翻字したらいいのか、ということです。
 これは、初めて翻字をなさった方から、必ず受ける質問でもあります。判断に戸惑う例なのです。

 「む」とすべきか「も」とすべきか、文章の意味を考えながら決めていては、現代人の賢しらでの解釈をしてしまった翻字になります。それを避けながら、判断は次の世代に託すこととして、今は見えるままの形の「ん(无)」としています。

 ハーバード大学本「蜻蛉」では、こんな例が確認できます(3オ4行目)。


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 これを、私は「をんな」と翻字しています。「ん」と見える文字の字母を推測すると、「をむな」でもよさそうです。しかし、今は「ん」としているのです。

 これ以外にも、次のような例があります。

「あ【ん】ない」(4オ6行目)(←あ【む】ない)
「事と【ん】」(8オ1行目)(←事と【も】)
「ね【ん】須」(46ウ3行目)(←ね【む】須)
「ひ【ん】可し」(61ウ8行目)(←ひ【む】可し)

 この中で、「事とん」は「事とも」と翻字すべきなのではないか、と思われるかもしれません。


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 崩し字辞典には、「も」の字母として「ん」が挙げられているからです。
 意味を考えると、可能であれば「事とも」としたいところです。しかし、それを認めると「んめ(梅)」とか「んま(馬)」等の場合に、「もめ」とか「もま」と翻字する可能性が出てきて悩むことになります。現代の中途半端な知識で「も」にすることに躊躇して、書かれたままの「ん」にしておくのです。

 この「无」については、京都女子大学の坂本信道先生が最近の成果を論文の形でまとめておられます。これに関連する問題点の詳細は、次の論文をご覧ください。


「写本における「无」文字消長 ─藤原定家自筆本を中心に─」(今西裕一郎編『日本古典籍における【表記情報学】の基盤構築に関する研究』第U号、2014年2月)


 まだ結論の出ていない問題なので、翻字を進めておられる方には、かえって混乱させることになったらお許しください。今は、とにかくよくわからない問題があるのだ、ということに留めていただき、どんどん前を見て進んでいただければ、と思います。

 翻字をしていると、日本語はまだまだ調べなければいけないことが多いことに直面させられます。わからないことだらけだ、ということから、いろいろな勉強をすることになります。そして、またさらに疑問が湧いてきます。

 こうした疑問点や問題点は、みんなで共有することで、少しでも有益なデータ作成につなげていきたいと思います。今の浅知恵で拙速にならないように、暫定的なものを残しながら翻字を進めているところです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年04月13日

気分転換の外泊と気ままなスイミング

 このところ根を詰めて取り組んでいる仕事が、いつまでやっても終わりそうにありません。
 出口がまったく見えないので、惰性のようにキーボードを叩き、画像を見つめる日々です。
 そうこうしている内にいつかは終わるはずだ、と自分に言い聞かせる、まさに修業中です。

 そんな中で、今夜は近県のホテルに足を留めています。

 久し振りにプールでひと泳ぎしました。20メートルほどのレーンが3つあるプールには、一組の外国の方がいらっしゃるだけでした。それも早々に上がられたので、後は一人でのんびりと水に浸かっていました。

 青く透き通った水の中で手足や首のストレッチをしながら、何年ぶりなのだろう、とあれこれ思いをめぐらします。何往復しても、この前に泳いだ記憶が蘇らないので、違うことを考えることにしました。
 私は泳ぎながら、いろいろと思い出したり考えたりするのが好きなのです。

 部屋に帰ってから、「無料高速インターネット接続手順」と表記されているシートを片手に、持参のパソコンにつなげようとしました。しかし、シートは日英併記なのに画面表示が英語主体です。おまけに手順がよくわからなくなり、フロントに電話をして教えてもらいました。海外ではこんなことはないのに、国内で表示された画面の理解に戸惑うとは……
 ここは日本なのにと、何やら不可思議な気分になりました。

 ここは、海外にもある、よく知られたホテルです。
 これまでに、エジプト・カイロとロシア・モスクワで泊まったことがあります。

 カイロでは、楽しい体験がありました。2005年の10月のことでした。
 このホテルチェーンらしく、博物館に近い立派なところでした。ただし、売り物の無線LANが部屋からは使えず、ロビーにパソコンを持って行ってつなげました。しかも、おそろしく遅い 無線 LAN だったので、画像などを送ることは断念しました。
 今残っている当時の記録は、あまり詳しく再現できないのです。サーバーがクラッシュしたために、いまだに復元できない記事が多いのです。

「【復元】人との出会いの背景にあるもの」(2011/2/3)

 モスクワでも、得難い体験をしました。
 この時は、有線の LAN でした。この時の記事も、断片しか復元できないままです。

「【復元】モスクワの旅(3)」(2011/4/5)

 そんなことが思い起こされ、ここが日本であることにあらためて気付きました。
 そんな中で、 Wi-Fi の無線 LAN に接続できても、あまりにも遅いので辟易しました。横に LAN のコネクタとEther ケーブルがあります。しかし、MacBook Pro をEther に接続するコネクタを日本で持ち歩くことはないので、それを使うことができません。

 ものは試しと、手持ちの iPhone によるテザリングでネットに接続すると、これは快適なのです。
 他のお客さんは、この遅い Wi-Fi の無線 LAN を使っておられるのでしょうか。
 800以上も部屋がある大型ホテルなので、無線が混信しているのでしょうか。

 さて、いつからスイミングと遠ざかっているのか、ということでした。

 こんな時には、日々記しているブログは便利です。日記なので、自分のこれまでの足跡が、いつでも確認できるのです。自分の過去は、知りたくもない、思い出したくもない、という方がいらっしゃるかもしれません。しかし、私は後ろを振り返り、自分を確認しながら前に向かうことがよくあります。

 2011年秋に、それまで長く続けていたスポーツクラブを辞めてからであることが、すぐにわかりました。京大病院で胃ガンの手術を受けて1年後なのです。いろいろと考えた末の、新しい生き方を模索している中でのことだったのです。

「スポーツクラブを退会」(2011/9/30)

 今は、ウォーキングをしています。しかし、こうして泳いでみると、張りつめた日々の中での息抜きと体調管理をしていた頃を思い出しました。しかも、銀座で夜中に泳いでいたので、今とはまた違う、何かと刺激的な日々だったのです。

 ゆったりと泳ぎながら、緊張感まっただ中のあの頃を思い出しながら、あらためて今はまた違う質の高い日々に身を置いていることを実感しました。

 気分転換となった、いい一夜です。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ブラリと

2015年04月12日

東京で京ことば源氏物語の朗読を聴いた後オルシ先生と話す

 過日の「神戸凮月堂で源氏物語の京ことばでの朗読を聴く」(2015年03月29日)に引き続き、今日は東京での公演を聴きに行きました。

 会場は、京王線明大前駅からすぐの「キッド・アイラック・アート・ホール」です。
 全五十四帖連続語りの内、「隔月連続公演 第三十五回 『若菜 上 其の四』」として、昨日と今日の2日間にわたって開催されたものです。


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 主催は「読夢の会」となっています。この会は、読むこと聴くことの楽しさをひろめる会で、収益は点字図書館などへ寄付なさっているそうです。
 会場には、白杖を持った方が数人参加しておられました。
 現在私は、目の不自由な方々と一緒に古写本を読むことに、科研の「挑戦的萌芽研究」で取り組んでいます。その点ではいろいろと接点がありそうなので、その背景については、また機会をあらためてお尋ねしようと思っています。

 今日は、「若菜上」巻のあらすじを山下さんが30分ほどでわかりやすく語られた後、京ことばによる朗読となりました。
 「若菜上」巻の4回目なので、後半の明石の女御が男の子を出産した後、明石入道の入山と消息文の内容、光源氏が紫の上を称揚し、やがてこの巻のハイライトシーンである蹴鞠の遊びで柏木が女三宮を見る場面となります。桜のシーズンを意識した、印象的なイメージが現前する語りでした。

 きれいな京ことばによる朗読を堪能しました。
 先月は関西の神戸だったこともあり、関西弁に馴染んだ方々にとって感情移入しやすかったように見受けられました。
 所変わって今日は東京です。おのずと会場の雰囲気はまったく異なり、40名ほどの方々が興味津々で聴き入っておられました。
 聴衆の違いは、予想外に大きな反応の差異として感じられるものでした。

 ローマ大学のオルシ先生が会場にいらっしゃっていたので、休憩時間に、現在進めている先生のイタリア語訳を日本語に訳し戻した資料をお渡ししました。
 昨日お送りしたメールが、パソコンが不調でまだお読みではなかったようです。

 オルシ先生とお目にかかるのは、2008年にヴェネツィア大学で開催した国際研究集会(2008/9/12)にお越しいただいて講演をしていただいて以来かと思います。

 2011年に国文学研究資料館主催の国際日本文学研究集会のご講演をお願いしたこともありました。ただし、残念ながらご多忙とのことで叶いませんでした。

 その後、以下のように、先生のお仕事を私のブログで紹介してきました。

「オルシ先生のイタリア語訳『源氏物語』を入手」(2012年09月24日)

「オルシ先生のイタリア語訳『源氏物語』の書評」(2012年10月13日)

 後の記事の書評は、フィレンツェ在住の中嶋しのぶさんが訳してくださったものです。

 今日オルシ先生にお渡ししたものは、現在私が科研の基盤研究(A)で取り組んでいる「海外における源氏物語研究及び各国語翻訳と日本文化理解の変容に関する調査研究」の一環として、各国語に翻訳された『源氏物語』を日本語に訳し戻すことで、日本の文化がどのように変容して伝わっいるのかを研究するものです。この資料を見ていただき、今後とも情報交換をしていきたいと思っています。

 オルシ先生のイタリア語訳『源氏物語』を日本語に訳し戻していただいたのは、ヴェネツィア大学大学院を出て、現在はお茶の水女子大学の大学院生であるディオニシオ・イザベラさんによる労作です。
 現時点での資料として「桐壺」巻をご覧いただきました。「若紫」巻も完成しており、現在はこうした訳し戻しによる資料をもとにして、「日本文化の変容」というテーマで研究をスタートさせたいと思っているところです。
 同時に、モッティ訳「桐壺」も日本語に訳し戻してありますので、いろいろな角度から取り組めるように用意を進めているところです。
 この資料は、オルシ先生と意見交換を経てから、整理できしだいに公開する予定です。

 朗読会が終わってからの短い時間ではありましたが、オルシ先生とは今後につながる意義深いお話ができました。
 このような機会を作っていただいた山下智子さんに感謝しています。

 次回の「京ことば源氏物語 若菜下 其の一」は6月6日(土)・7日(日)です。
 本日いただいた、以下のチラシをご覧ください。


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posted by genjiito at 20:33| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年04月11日

江戸漫歩(97)隅田川と大横川の残花

 先週末の賀茂川は枝垂れ桜が咲き誇っていました。


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 あれから一週間。
 江戸の桜は八重がみごとです。
 宿舎の入り口では、その移り変わりが楽しめます。


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 中央大橋のまわりも、しだいに色が赤味を帯びてきました。


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 隅田川を行き交う船も、春の波頭を残しています。


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 大横川では、まだ残花が見られます。


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 これから一気に春です。
posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年04月10日

読書雑記(123)高島俊男著『漢字と日本人』

 現在一般に使われている「ひらがな」の来歴とその字母、及び点字の「かなづかい」について考えるようになってから、明治33年を意識するようになりました。
 この明治33年に、国語政策の上で何があったのかが知りたくて、資料を探していたところ、『漢字と日本人』(高島俊男、文春新書、平成13年10月)という本を教えてもらいました。


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 現在使っているひらがなの「か」(字母は「加」)については、これまでの写本等の出現率からいえば、当然「可」の崩し字であるはずなのです。しかし、どうして「か」になったのか、ということについて、私はこれまでは冗談半分に、加藤さんがこのひらがなの「か」を決めたのではないか、と言ってきました。
 このことについて、本書で「国語調査委員会の委員長は加藤弘之で主事が上田萬年である。」(189頁)という説明に出会い、まんざらあてずっぽうではなかったのではないか、と思ったりしています。

 本書は、癖のある語り口なので、慣れるのに時間がかかりました。例えば、文末が「である。」「している。」「ことだね。」「ください。」「ますね。」「わけだ。」「ようにね。」「けどね。」「でしょう?」等々となっているので、読んでいて落ち着きませんでした。しかし、内容がおもしろく、具体例がわかりやすいので、最後まで読みました。

 以下、適宜個人的にチェックした箇所を抜き出しておきます。
 私はこの分野には疎いので、あくまでも私の興味のおもむくままに引用するものです。


 日本人の思想をあらわす日本語は、ないことはないが(たとえば、いさぎよい、けなげ、はたらきもの、等)、とぼしい。特に知的方面にとぼしい。われわれはそれらのほとんどを、中国人の生活からうまれた語にたよらざるを得ない。(27頁)
 
 「十一月の三日は祝日で、ちょうど日曜日です」
 こんなむずかしい文章を日本人は毎日のように相手にしている。ごらんなさい。「日」という字が四へん出てくる。最初の「日」はカ、二つめの「日」はジツ、三つめはニチ、四つめはビだ。これを日本人は一瞬にして判断し、よみわける。ほとんど神業としか思えないが、日本人はへっちゃらだ。よほど頭のはたらきのはやいのばかりがあつまった、世界でもめずらしい天才人種に相違ない。(44頁)
 
和語に漢語をあてるおろかさ
 よくわたしにこういう質問の手紙をよこす人がある。─「とる」という語には、「取る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「撮る」などがあるが、どうつかいわければよいか、教えてください。あるいは、「はかる」には、「計る」「図る」「量る」「測る」などがあるが、どうつかいわけるのか教えてください。
 わたしはこういう手紙を受けとるたびに、強い不快感をおぼえる。こういう手紙をよこす人に嫌悪を感じる。こういう手紙をよこす人は、かならずおろかな人である。おそらく世のなかには、おなじ「とる」でも漢字によって意味がちがうのだから正しくつかいわけねばならない、などと言って、こういう無知な、おろかな入たちをおどかす人間がいるのだろう。そういう連中こそ、憎むべき、有害な人間である。こういう連中は、たとえばわたしのような知識のある者に対しては、そういうことを言わない。「滋養分をとる」はダメ、「摂る」と書きなさい、などとアホなことを言ってくるやつはいない。ほんとに自分の言っていることに自信があるのなら知識のある者に対してでも言えばよさそうなものだが、言わない。もっぱら自分より知識のない、智慧のあさい者をつかまえておどす。
 「とる」というのは日本語(和語)である。その意味は一つである。日本人が日本語で話をする際に「とる」と言う語は、書く際にもすべて「とる」と書けばよいのである。漢字でかきわけるなどは不要であり、ナンセンスである。「はかる」もおなじ。その他の語ももちろんおなじ。(87頁)
 
 なおまたついでに申しておきます。漢字をよく知っている人は漢字の多い文章を書く、と思っている人があるようだが、それは逆である。漢字の多い文章を書くのは、無知な、無教養な人である。これは、第一に、かなの多い文章を書くと人にバカにされるんじゃなかろうかと不安を感ずるからである。第二に、漢字をいっぱいつかった文章を書くと人が一目おいてくれるんじゃないかというあさはかな虚栄ゆえである。第三に、日本語の本体は漢字で、どんな日本語でもすべて漢字があり漢字で書くのがほんとうだと信じこんでいる無知ゆえである。ボラはどう書くのムジナはどう書くのナメクジはどう書くのと言っているのは、かならずこういう程度のひくい連中である。ワープロが普及してからいよいよこういう何でも漢字を書きたがる手合がふえてきた。(90頁)
 
 英語を日本の国語にすることをとなえた人たちはみな、日常の会話はともかくも、すこし筋道立ったことを話す際、特に文章を書く際には、日本語よりも英語のほうが容易であった人たちである。明治の前半ごろに教育を受けた人たちは、日本語の文章を書く訓練を受けたことはなく、もっぱら西洋人の教師から西洋語の文章を書く訓練をきびしく受けたのであるから、日本語の文章は書けないが、英語やフランス語なら自由に書ける、というのはごくふつうのことであった。その点、昭和の敗戦後に、フランス語を国語にするのがよいと言った志賀直哉などとは選を異にする。なおまた、言うまでもないことだが、明治前半ごろまでの日本語の文章というのは、それを書くのに特別の訓練を要するものであった。こんにちの日本人が書くような、だらだらした口語体の文章というのはまだなかった。文章は、話しことばとは別のものであった。(172頁)
 
 明治の国語政策(音標文字化)を指導したのが上田萬年である。慶応三年生れ、帝国大学和文学科卒、明治二十三年博言学研究のためドイッに留学、同二十七年帰朝、帝国大学博言学科教授。三十一年国語学研究室創設とともに教授。三十三年文部省国語調査委員。ミ十五年同国
語調査委員会委員、同主事。昭和十二年没、七十一歳。(184頁)
 
 国語調査委員会の委員長は加藤弘之で主事が上田萬年である。ほかに委員が十一人と補助委員が五人いる。実質的に委員会をリードしたのは加藤と上田である。加藤は、日本の国語改革のために秀才を一人選んでヨーロッパに派遣し博言学を研究させるよう政府に建議した人で、上田はその選ばれてヨーロッパへ行った秀才である。この両人に次ぐ領導的位置にあったのが大槻文彦と芳賀矢一である。これらは大物だ。対して補助委員は若手の俊秀で、たとえば新村出(当時二十七歳)がはいっており、新村が京都へ行ったあとは山田孝雄がくわわった。(189頁)
 
 わたしも、「假名」はよくないと思う。本来はまさしく「假名」(ほんとうでない字)の意で命名されたのであり、また実際一段価値のひくい文字とされたのであるから「假名」でいたしかたなかったのであるが、これこそが日本の字なのであるから、「假名」(「仮名」と書いてもおなじこと)ではまずい。さりとて新村の言うごとく新名称をつけるのもむずかしいから、わたくしはかならずかなで「かな」と書くことにしている。(236頁)
 
 漢字を制限してはならない。字を制限するのは事実上語を制限することになり、日本語をまずしいものにするから─。制限するのではなく、なるべく使わないようにすべきなのである。たとえば、「止める」というような書きかたはしないほうがよい。これでは「やめる」なのか「とめる」なのかわからない。やめるは「やめる」と、とめるは「とめる」と書くべきである。あるいは、「その方がよい」では「そのほうがよい」のか「そのかたがよい」のかわからない。しかし「中止する」とか「方向」とかの語には「止」「方」の漢字がぜひとも必要なのであるから、これを制限してはならないのである。あるいは「気が付く」とか「友達」とかの書きかたをやめるべきなのである。ここに「付」の字をもちい「達」の字をもちいることに何の意味もない。こうした和語に漢字をもちいる必要はないのである。しかし「交付する」とか「達成する」とかの字音語は漢字で書かねばならない。すなわち「あて字はなるべくさける」というのは、和語にはなるべく漢字をもちいぬようにする、ということである。漢字はなるべく使わぬようにすべきであるが、それは、漢字を制限したり、字音語をかながきしたりすることであってはならぬのである。(238頁)
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2015年04月09日

江戸漫歩(96)多摩地域はみぞれの後に葉桜に

 昨日の多摩地域では、小雪とみぞれに驚かされました。
 手袋を取り出して、寒さ対策が必要でした。
 突然、冬に逆戻りしたのです。

 今日は一転して好天気。
 立川駅北口一帯に拡がる昭和記念公園に沿った道は、桃色が解け出した桜がきれいです。


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 満開の桜はみごとです。
 しかし、桜色を若草色が塗り替える頃合いもいいものです。
 今が、ちょうどその時期です。
 ただただ見惚れる春景色の満開よりも、新緑を心待ちにする葉桜には、すべてがこれからという秘められた活力を感じます。

 春の訪れを告げる、咲き誇った盛りは艶やかです。
 しかし、萌え出づる芽吹きの若々しさが垣間見える木枝に、季節の移ろいへの楽しみと期待が感じられるこのごろも好きです。

 これで、新緑の季節に一気に突入するのか、はたまた荒れる日がまだ潜んでいるのか。
 異常気象といわれて久しい自然の変化に、気象予報士の方も弁解に近い説明に追われているようです。

 近年は季節感が徐々に崩れて、四季がぼやけてきたように思います。
 繊細に移り行く春夏秋冬の変わり目が、地球規模で均一化されるのが惜しまれます。

 自然が大胆に変移していくさまは、ことばによって描写する日本の文学作品においては、物語の背景を彩るものとして読む楽しみの一つでもあったのです。
 このままでは、それが読み取れなくなる時が来るかもしれません。

 季節感が、過去の文化として語られ、解説されるようなことがないように願っています。続きを読む
posted by genjiito at 21:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年04月08日

『十帖源氏 桐壺』の現代語訳を更新しました

 『源氏物語』のダイジェスト版(梗概書)である『十帖源氏』は、江戸時代初期に野々口立圃(1595年〜1669年)が編纂したものです。
 この『十帖源氏』の多言語翻訳を目指して、翻字と現代語訳のプロジェクトを進めて来ました。
 2011年9月に第9巻「葵」までを終え、現在は多言語に翻訳しやすいように、折々に手を加えています。

 海外で翻訳された『源氏物語』は、アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』(全6巻、大正14年〜昭和8年)を用いることが多いようです。その第1巻(「桐壺」〜「葵」)に収録された「葵」巻までを参照しつつ、各国でその国の言語に翻訳していることがほとんどです。
 そのため、本プロジェクトでは、『十帖源氏』の「桐壺」巻から「葵」巻までの現代語訳を多言語に翻訳するための基礎資料を作成し、それを広く提供することを心掛けています。

「『十帖源氏』の翻字と海外向け現代語訳の公開」

 今回、この『十帖源氏』の「桐壺」巻だけを対象にして、実際に多言語に翻訳してもらいました。
 現在伊藤が取り組んでいる科研(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」に対してこの『十帖源氏』の情報を提供し、試験的に活用していただきました。
 多言語翻訳の結果と研究の成果は、別途本年度の科研(A)の報告書に掲載される予定です。

 この多言語翻訳を実施していく過程で、現代語訳の問題点も明らかになりました。
 そのフィードバックを反映させて、今回『十帖源氏』の「桐壺」巻の現代語訳を改訂しました。
 この第1巻「桐壺」を担当したのは、畠山大二郎氏です。

 以下のサイトから、新版のPDFがダウンロードできますので、ご自由にご確認ください。
 そして、ご意見などをお寄せいただけると幸いです。

《新版・十帖源氏「桐壺」Ver.3》

 今後とも、より多くの言語に翻訳される過程で、さらなる改訂をしていくつもりです。
 なにか疑問点がありましたら、いつでもこのコメント欄を利用してお問い合わせ下さい。
 今後とも、ご教示のほどを、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 22:51| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年04月07日

居場所をなくした印刷物としての書籍に代わるもの

 Aさんの著作集(全3巻)が刊行されました。
 ご縁のある方が研究成果を集大成された本なので、出版社からも購入依頼が来ました。しかし、しばらく思案した末に、私はそれを買わないことにしました。お断りしたのは初めてです。

 申し訳ない思いでいます。しかし、大部の本を記念として購入しても、その置き場がないので、すぐに処分のことが出来します。著者に失礼なことをせざるを得なくなることが明白なので、その前にお断りしたしだいです。

 8年前に、20年間住んだ奈良の新興住宅地から京町家へ引っ越しをする時に、大量の本と雑誌を処分しました。
 そして3年前に、賀茂川を隔てた今の家に転居した時にも、奈良からの時以上に本を処分しました。

 トラックの荷台には、いくら詰め込んでもいいということでした。そこで、書棚から取り出して玄関に積み上げられた本を、表題のみならず中身も確認せずに、どんどん荷台に移しました。
 それでも、今の家に移ってすぐに2階の本を1階に下ろし、またまた処分して対処しました。

 木造家屋に本を置くのは、もう限界です。しかも、2年後には東京から京都へと、20年近く東京で使い持っていた荷物を引き上げることになるのです。

 立川の職場と深川の宿舎は、共に鉄筋の構造物なので、本があってもびくともしません。しかし、これらを京都の家に運び込むのは、容量も重さからいっても不可能です。またまた、大量に本を処分せざるを得ません。
 そのためもあって、家のすぐそばに学術研究のための総合資料館が来年には開館する地域に住むことにしたのです。

 私は、物語や小説などの読み物は、印刷された本でしか読みません。活字による印刷本でないと、読んだ気がしないのです。それでいて、これらは、読み終わった後に片っ端から処分することにおいて、何もこだわりがありません。

 問題は、お世話になった先生方や研究仲間の専門書です。これらは、読み返すことが想定されます。
 そこで、確認したり調べる目的で再度目を通す可能性のある本は、資料として電子化するようにし出しました。本の背中から裁断して、スキャナを使ってPDFにするのです。こうしてデジタル化しておくと、パソコンで検索ができるので、本自体は処分しても実害はないのです。一石二鳥です。また、裁断した本は、そのままゴミとして出しても抵抗感がありません。
 
 それにしても、印刷物としての書籍について、あらためて考えてしまいます。
 今のまま、紙に印刷して製本して刊行され続けることでいいのか、と。

 京都の自宅に置く本は、相当厳選されたものになります。それ以外は、図書館やネットを活用して、読んだり利用することになります。

 今、私が書くものは、資料として印刷物にして刊行するもの以外は、可能な限りネットに公開しています。出版社から書籍として刊行するものは、資料集以外は考えていません。つまり、自分が書いた文章を一冊の書物として印刷出版することは、もうまったく考えなくなったのです。

 私に何かがあった時には、これまで書いたもので意味のありそうなものだけを編集して300部ほど印刷し、全国の大学の研究室や図書館や資料館に寄贈してもらえれば十分です。

 こんな考え方になってみると、若い頃にお世話になった出版社や書店に対して、複雑な思いを抱きます。研究書を刊行することは、自分の研究生活においての励みでした。しかし、今は書籍に、そのような意義が認められないのです。

 印刷物としての本が、これからどうなっていくのか、一頃よりも気にならなくなりました。少なくとも、論文を集めた研究書は、姿を消して行くことでしょう。大学や研究所が、盛んにリポジトリとして論文等をアーカイブズとして公開しています。国文学研究資料館でも始まりました。これを受けて、資料集も、デジタル化による供給が加速していくでしょう。

 現在私は、科研の報告書を『海外平安文学研究ジャーナル』という電子ジャーナルとして公開しています。『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』も、印刷物と電子版の両方で公開しました。
 これからは、わざわざ印刷までして刊行する研究成果は、しだいに減っていくことでしょう。
 書籍の置き場に困っている私にとって、これは歓迎すべき流れです。

 印刷物としての本は、図書館で読み・借り・活用する、という姿が、数年後には普通の情景となっていることでしょう。各自が自宅に本を常備する時代は、もう来ないように思われます。それだけに、全国各地の図書館の充実が課題です。

 本を持たないことと、本を読まないことは、まったく別の問題です。
 スマホの普及によって、本を読む機会が少なくなった、と言われているのも的外れです。
 そもそも、書籍の役割と占める位置が変質してきたのです。
 社会における書籍の居場所がなくなったのです。

 それでは、出版社は何をするのか。
 新たな発想による、出版社の社会における役割が求められます。

 書店も、早くから、その役割を終えたと言われています。しかし、ブックオフの様子を見ていると、本を求めている人は多いのです。マンガだけではないのです。
 現に、ブックオフには、多くの人が足を運んでいます。私も、よく立ち寄ります。ここは、今後の本の流通で、一つの役割を果たす施設となりそうな予感がします。

 これからは、これまでのような書籍を生み出す場所と、それを流通させる場所に、確実に変革が生じます。そして、ネット空間に流れる情報のとりまとめと情報の仲介役が、これまでの本の概念を分散させて存在を主張すると思われます。
 個人の好みに応じた新たな情報発信拠点が、居場所の提供と情報を活用する技術の育成を担当します。新たな書斎として機能する場所が、これから構築されていくことでしょう。それは、実際の建物としてであり、また仮想空間に構築されるスペースであることが想定できます。

 そんなことを思いながら、東京にある本のすべてをどうやって処分したらいいのか、明日からの現実問題としての廃棄方法を思案しています。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | ◆情報化社会

2015年04月06日

渋谷版「定家本原本・翻字」が「変体仮名混合版」として再生

 多くの方々が閲覧参照なさっている渋谷栄一氏の「源氏物語の世界」の冒頭部「最新情報」に、以下の告知がなされています。


最新情報:
 第11帖「花散里」と第36帖「柏木」の定家本原本「翻刻資料」(修訂版ver.2-1)を「漢字仮名混じり字母翻字版」に改訂して更新(2015年4月5日)。
 現在、旧本務校(高千穂大学)のホームページ上に作成し、リンクさせていた「翻刻資料」が繋がらなくなってご迷惑をお掛けいたしておりますが、順次「漢字仮名混じり翻字版」としてその修訂版を作成中です。
 なお、この修訂版作成には畏友伊藤鉄也氏(国文学研究資料館教授)のアイデアに依るところ大です。敬意を表します。この版に対するご意見やご感想をお待ちしております。


 これは、「花散里」と「柏木」の定家本原本の翻字に関して、「漢字仮名混じり字母版」として公開する旨の公告です。

■「花散里」漢字仮名混じり字母版

■「柏木」漢字仮名混じり字母版

 今後は、明融臨模本、大島本等の「翻刻資料」も順次「漢字仮名混じり字母版」に改訂していきたい、とのことなので、その完成が待たれます。

 『源氏物語』の写本の正確な翻字については、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動の一つとしても、「変体仮名混合版」の形式に着手し出したところです。
 今後は渋谷氏とも連携して、膨大な『源氏物語』の本文データベースの完成を目指したいと思います。

 なお、この渋谷氏の『源氏物語』の本文に関するデータベースについては、以下の記事で報告したとおり、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉がそのさらなる成長を支援しているものです。
 今回は、その一部がさらに拡充されたことになります。

「渋谷版ウエブサイトのNPO法人〈GEM〉への譲渡契約が成立」(2014年02月19日)

「NPO設立1周年記念公開講演会のご案内」(2014年03月12日)

 また、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページでも、このデータベースを確認していただける窓口を用意しています。

「■渋谷栄一氏より委譲「源氏物語の世界」」

 興味と関心をお持ちの方は、この新しい翻字データベースの構築に参加してみませんか。
 本ブログのコメント欄を利用しての連絡を、お待ちしています。
posted by genjiito at 22:01| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年04月05日

古都散策(38)平群の桜と杉棚を使ったお茶のお稽古

 今日の天気予報も、午後から雨でした。しかし、大降りにはならず、曇天ながらも小雨で収まりました。

 久し振りにお茶のお稽古です。

 大和・平群の桜は、山の中の木々に紛れるようにして咲く姿がいいと思っています。


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 3歳違いの子供たち3人が通った幼稚園には、9年間お世話になりました。
 今も変わらぬ佇まいを見せる園舎と園庭も、お話をうかがえば様変わりしているとのことでした。


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 お茶の先生の家に向かう坂道では、昨夜来の雨に打たれた桜の花が身を寄せ合っていました。
 かつてこの平群の里にいた頃、少しお酒を飲んで帰る時などには、何箇所かに置かれたベンチで休み休み息を整えながら、急な坂道を登ったものです。


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 思うように出来ないお茶のお稽古も、丸卓を使って、自分なりに一通りのおさらいはして来ました。しかし、2ヶ月以上も間が空いているので、突然「あれっ」ということになります。
 忘れないために続けている、というのが実状です。
 今年度から、新しい仕事が増えます。ますます、お稽古から遠ざかりそうです。

 今日は、丸卓ではなくて杉棚でのお稽古でした。ただし、ほとんど同じお作法でできるそうなので、安心して教えていただきました。

 事前の準備としては、水指と棗をあらかじめ棚に置いておきます。

 先生の囁きに誘導されながら、それらしくお手前を進めていきました。しかし、棗を中板から杉棚の下段にある水差しの右前に下ろし、茶碗と置き合せる所で、たちまちその手順に戸惑いました。

 丸卓と大きく違う所といえば、水差しの蓋を取る前に、中板を右手親指で向こうに突くことと、水指の蓋を閉めた時に、中板を引いて元の位置に戻すことです。

 棚の手前左上に竹釘があり、そこに柄杓を掛けたり、蓋置をその真下の地板に置くこと、さらには、一通り終えた後、水差しの蓋の上に茶杓を置いたり、その茶杓だけを持って帰ることなどが、今回新しく覚えたことでした。

 私は先生に勝手を言って、自宅にお客さまが来られた時のことを想定したお稽古を中心にして教えていただいています。
 お茶と縁のあるお客さまが我が家にお出でになることはまずないので、お話をしながらお手前ができることを最優先にしているのです。
 道具を持って出たり入ったりすることで話が途切れないように、また、目の前にお茶道具が置かれている様子を見ながらお話ができるような、そんな雰囲気を大切にしたいと思っています。
 そのためには、堅苦しく感じていただくことなく、一緒にお茶をいただきながらお話をするためにも、丸卓や杉棚を使ったお点前が、今は気に入っているのです。

 こんな調子で、お稽古を気長に続けていきたいと思っています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 古都散策

2015年04月04日

京洛逍遥(350)京都で『源氏物語』を読んだ後に御所の一般公開へ

 今日の京都は、午後から雨だという天気予報でした。
 それでも、賀茂川べりでは多くのお花見の人で賑わっていました。

 比叡山をバックに、ソメイヨシノが満開です。


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 大文字の送り火で知られる如意ヶ岳も、賀茂の河原の桜を見下ろしています。


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 今日の『源氏物語』を読む会は、いつものワックジャパンが行楽シーズンのために予約で一杯だったために、その裏手の堺町通りにある「キンシ正宗 堀野記念館」の2階で行いました。


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 階段は、ワックジャパンと同じ造りです。


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 お借りした和室には、投扇興の道具が置いてありました。


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 今日は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の今後の活動の説明をした後、部屋が2時間しかお借りできなかったこともあり、『十帖源氏』の「明石」巻の現代語訳の確認だけをしました。
 ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」巻の「変体仮名混合版」の確認は、次回まで延期です。

 今日の「明石」巻では、明石入道の娘が光源氏からの立派な手紙を受け取り、「はずかしげなるさまに心ちあしとてふしぬ」とあるところをどう訳すか、ということに時間をかけました。
 担当者は「あまりにも立派なので、気分が悪いと言って横になってしまいます。」と訳しました。しかし、「気分が悪い」では「心地悪し」をそのまま訳したものであり、この場の意味としては相応しくないのではないか、ということで、さまざまな訳語を考えました。
 いろいろな訳語を検討した後、「気分が落ち込む」ということにしました。
 また、この場面には桐壺院が出てきます。この『十帖源氏』の現代語訳では、天皇以外に敬語は使わないとしていました。しかし、今日の場面では敬語を使うことになるため、細かな補正をしました。

 今日、娘が差し入れしてくれた和菓子は、京菓子處「鼓月」の「桜花爛漫 花すだれ」と「桜餅」でした。
 共に桜の葉と道明寺粉を使った御菓子で、美味しくいただきました。関西風の桜餅の競演を堪能することができました。


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 次回の集まりは、5月16日(土)の午後1時半から5時までです。いつもの通りワックジャパンで行います。興味のある方は、ご連絡をいただければ、お誘いの連絡を差し上げます。遠慮なくお問い合わせください。

 いつもより早く終わったので、京都御所の一般公開に行ってきました。

 承明門から望んだ左近の桜です。


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 紫宸殿の前の桜は少し散り染めでした。


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 今年の小御所の人形展示は、「萬歳楽」と「五節舞」でした。


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 この展示は、古典文学における有職故実の勉強になるので、毎年楽しみにしています。
 今年の一般公開は、海外からの方々が多かったように思います。
 日本の伝統的な文化を直接目に留めていただくことは、日本とその文化の理解に大いに益のあることだと思います。
 こうした折に、日本の文化の奥深さを実見して帰っていただくと、日本の理解が深まるので国際的な文化理解と共有にいい催しだと思います。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年04月03日

読書雑記(122)水野敬也『夢をかなえるゾウ』

 気になっていた水野敬也氏の『夢をかなえるゾウ』(2007.8飛鳥新社)を読みました。

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これは、現時点ではシリーズ第3冊まで刊行されています。順次ここに取り上げていきます。

 非現実的な話なのに、さもありなんという状況で、のらりくらりとおもしろおかしく進展していきます。関西弁と東京弁のやりとりが、微妙なタイムラグを孕みながら物語を和ませています。

 自分の人生を変えて夢を叶えたい僕と、人の希望を集めるのが趣味のガネーシャのやりとりが、軽妙に語られていきます。ガネーシャは、インド出身で関西弁を話す神様として登場しているのです。

 このガネーシャは、インドの方々を凝縮した性格を持っています。大らかでありながら、日本人と同じように繊細で傷つきやすいのです。感情移入してしまいました。

 ガネーシャは、こんな調子で語ります。


「成功しないための一番重要な要素はな、『人の言うことを聞かない』や。そんなもん、当たり前やろ。成功するような自分に変わりたいと思とって、でも今までずっと変われへんかったっちゅうことは、それはつまり、『自分の考え方にしがみついとる』ちゅうことやんか」(32頁)


 剽軽な語り口の中にも、人間をずばりと射貫いたことを言います。
 私がチェックをした箇所を3つほど。


「もし、あなたが何かを実行に移すのなら、昨日までとは違う何かを今日行うのなら、仮にその方法がまちがっていたとしても、それは偉大な一歩です。」(259頁)
 
「今まで無理やったら、これからも無理や。
 変えるならそれは『今』や。
 『今』何か一歩踏み出さんと。
 自分それ、やらんままに死んでくで。」(268頁)
 
「自分の持ってる隠れた才能の可能性を見出すために、何か世の中に働きかけることがあったとしたら、それは全部『応募』なんや。そして、それこそが自分の人生を変え得る大きな力を持ってんねんで」(295頁)


 本書は、人間の行動規範をわかりやすく、かつおもしろく示してくれています。

 「本書の使い方」に始まり、最後の「本書の使い方 〜最後の課題〜」までの各節末に、[ガネーシャの課題]が示されています。その節でのガネーシャの教えを確認しながら、次へと読み進むことになります。

 その課題とは、次のものです。巻末の「ガネーシャ名言集」の項目を引きます。


(靴をみがく)
(コンビニでお釣りを募金する)
(食事を腹八分におさえる)
(人が欲しがっているものを先取りする)
(会った人を笑わせる)
(トイレ掃除をする)
(まっすぐ帰宅する)
(その日頑張れた自分をホメる)
(一日何かをやめてみる)
(決めたことを続けるための環境を作る)
(毎朝、全身鏡を見て身なりを整える)
(自分が一番得意なことを人に聞く)
(自分が一番苦手なことを人に聞く)
(夢を楽しく想像する)
(運が良いと口に出して言う)
(ただでもらう)
(明日の準備をする)
(身近にいる一番大事な人を喜ばせる)
(誰か一人のいいところを見つけてホメる)
(人の長所を盗む)
(求人情報誌を見る)
(お参りに行く)
(人気店に入り、人気の理由を観察する)
(プレゼントをして驚かせる)
(やらずに後悔していることを今日から始める)
(サービスとして夢を語る)
(人の成功をサポートする)
(応募する)
(毎日、感謝する)


 また、巻末資料の「偉人索引」もおもしろい説明となっています。

 最後の頁には、ガネーシャと僕の会話がイラストとともに掲載されています。


「自分も寄付せんと あかんのちゃうか?」
「は、はあ……」


 そして、最下段に小さな活字で次のように書かれていました。


「ガネーシャの教えにより、本書著者印税の10%は慈善団体に寄付されます。」


 なかなかシャレたオチです。【4】
posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | 読書雑記

2015年04月02日

読書雑記(121)中野真樹著『日本語点字のかなづかいの歴史的研究』

 中野真樹さんの『日本語点字のかなづかいの歴史的研究 日本語文とは漢字かなまじり文のことなのか』(三元社、2015.1)を読みました。


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 これまであまり取り組まれなかった研究テーマということで、目が不自由な方々が読み書きに使っておられる点字の性格について、非常に多くのことを学びました。

 中野さんは、昨日採択の内定を受けた科研で、連携研究者として協力してくださる、得難い若手研究者です。その意味からも、研究分野を異にするとはいえ、真剣に一文字ずつを読み解いていきました。

 著書の献辞には、次のような文言があります。


 本書は明治期に考案されたかな専用文である日本語点字の表記法のうち、とくにかなづかいについて調査をしてまとめた博士論文を書籍化したものです。
 日本語点字は独自の文字体系と文字文化をもつ日本語文字ですが、日本語学の資料としてもちいられることもあまり多くはなく、特に明治大正期のものを資料としてとりあげたものはほとんどないのかと思います。本書は日本語学文字論・表記論の観点から、日本語点字の文字としての特徴や、表記の歴史などを研究したものです。
(中略)
 また、日本語点字は日本語の視読文字である墨字(すみじ)と平行してつかわれている文字です。明治期からの資料の蓄積もあります。「日本語文は漢字かなまじり文でないと“まともな”文章にはならない」などという偏見により、かな専用文である日本語点字を「不完全な文字体系」とみなすようなこころない言葉をきくこともあります。しかし、こころみに点字文の語種の比率や品詞比率などを調査し、墨字文と比較したところそれらの数値はどちらかというとジャンルや時代差、文体に影響され、点字か墨字かという文字種、表記体の違いにはそれほど影響されていないような調査結果が出ています。漢字が日本語文の可読性に及ぼす機能負担については、言われるほど大きなものではないのではないか、という可能性について考えています。今後はこのような点字文の語彙調査や、分かち書きの規則などの研究にも手を広げていきたいと考えております。


 筆者のこのことばは、本書のテーマがこれまでにあまり触れられなかった視点で論ずるところから、本書を読み進む上で大いに参考になりました。
 もちろん、「テキストのデジタル化にともなう情報処理から日本語点字をどう取り扱っていくか」という課題が残されていることも、著者は十分に認識しています。
 今後の調査と研究の成果が楽しみです。

 私は本書を読み終わってから、「あとがき」に目を通していくうちに、著者である中野さんの生のことばを聞いた思いがしました。この「あとがき」を最初に読んでから本論部分を読むと、筆者の問題意識の根源が見えて来て、論点を理解する上で大いに参考になることでしょう。

 以下、いくつか抜き出しておきます。
 まずは、「あとがき」から、左利きの者が文字を書くことに関連した箇所を紹介します。ここからは、カルチャーショックを受けました。


 日本語の墨字漢字・かなは、もともと右手書字につごうのよいつくりになっている。「正しいペンのもちかた」「正しい筆順」「ただしいとめはね」も右手書字者のものであり、それをおしつけてきた国語科書写教育は、左手書字者への教育的配慮をかいている。そのような状況で、左手書字者に、「右手書字者なみ」であることを要求するのは不当であろう。このような観点から、私は論文「左手書字をめぐる問題」をかき、雑誌『社会言語学』へ投稿した。(179頁)
 
 よみやすさ・かきやすさなどといった実用面から飛躍した、「正しい筆順」や「美しい文字」「格式の高い毛筆でかかれた字」に過剰に意味をもたせる文化に拘泥するひとびとがいること、そしてうまれつきの身体の都合を考慮しない文字の社会的な暴力性に興味をいだくようになり、私は文字論に興味をもつようになった。(180頁)


 今まで、こうしたことに気付きませんでした。確かに、さまざまな面で少数者を無視して物事が進行していることへの警鐘は、耳を傾けるべきことだと思います。
 とにかく、点字に関する研究は、これまでになされていなかった分野です。そこへ、意欲的な切り込みを入れた成果として、本書は大いに称賛すべきものとなっています。

 現代仮名遣いと点字仮名遣いの違いから、それぞれの特質が浮かび上がります。
 点字新聞である『点字大阪毎日』と『点字毎日』を調査した結果は、興味深いのがあります。これは、他の年度も含めて現在も発行し続けているものなので、今後とも継続することで貴重な調査となることでしょう。

 文部省の第1期国定教科書であった『尋常小学読本』(明治37年から8年間使用)の仮名遣いの研究などは、これまでまったく手付かずの分野でした。そこへ果敢にも挑んでいく気持ちのよさに、頼もしさも感じました。

 調査対象とする文献に書かれている仮名遣いについては、資料を直接確認しているために論証過程はあまりおもしろくありません。単調になっています。しかし、そこから導き出される結論は説得力を持っています。

 さて、本書の冒頭に立ち返って、私がチェックした箇所を記録として抜き出しておきます。
 まず、「触読」「体表点字」「耳で読む」「視読」など、文字へのアクセス方法に関して。


 点字は、指先をつかってよまれることがおおいが、舌など指以外のからだの部位をつかって触読する場合もある。また、「体表点字」という電波等による信号を体表につたえるよみかたもある。点字でかかれたテキストをよみあげるといったかたちで、墨字とならんで点字を「みみでよむ」利用法もある。点字の凹凸を視読するという方法もある。(9頁)


 点字かなづかいについて、明確な見解がいくつか出されています。以下、引用を続けます。


 今回調査した資料にあらわれる近代日本語点字のかなづかいは、日本語表記史の観点からは、明治33年式棒引きかなづかいとちかい棒引きかなづかいであると位置づけることができる。(118頁)
 
 明治33年式棒引きかなづかいのもう一方の特徴である和語は歴史的かなづかいでかき、字音語については表音的にかくという折衷的な性質については、日本語点字かなづかいの、古文をかきあらわすさいにうけつがれている。(126頁)
 
 二語に分解しにくいかどうかが問題となる連濁の「ぢ」「づ」についても、たとえば「せかいじゅう」か「せかいぢゅう」かについても、「世界中」と漢字で表記すれば悩むこともない。また、「布地」を「ぬのぢ」ではなく「ぬのじ」とかくその根拠は、この事例は連濁ではなく「地」という漢字に「ち」と「じ」という2通りの音をもっているためであるという説明がされるが、これも漢字で「地」とかいてしまえぼよい。このように、「現代仮名遣い」をつかうには、漢字のたすけをうけ、「漢字かなまじり文」でかかれることが前提となっている。いいかえると、「現代仮名遣い」がこのように複雑でむずかしいものでありながらそれが意識されることがすくないのは、漢字かなまじり文を習得してしまえば、そのむずかしさがみえにくくなってしまうためである。(147頁)
 
 国語教育では、学習者が漢字かなまじり文をかくことを目標としており、かな専用文は漢字に習熟するまでの過渡的な表記であるとかんがえられている。そのため、かなづかいの習得と並行して漢字学習がおこなわれる。漢字かな交じり文でかく場合には漢字でおおいかくすことができるかなづかいよりも、習得に膨大な時間を必要とする漢字学習が優先される。ただし、漢字未習語は「ただしく」ひらがなで表記するように求められる。(150頁)
 
 日本点字委員会(1985)は、「改定現代仮名遣い(案)」にたいして、2点の要望をだしている。1点は、助詞「は」「へ」に「わ」「え」の表記の許容を存続すること、もう1点は、オ列長音の本則を「オ列+う」とすることにたいして、「オ列+お」の許容を存続することである。しかしながら、昭和61年内閣告示第1号として公布された「現代仮名遣い」において、まえがきに「7 この仮名遣いは,点字,ローマ字などを用いて国語を書き表す場合のきまりとは必ずしも対応するものではない。」という一文が追加されたのみで、日本点字委員会の要望は反映されてはいないまま、現在にいたっている。点字と墨字の間は互いに翻字される機会もおおくあり、点字使用者と墨字使用者は無関係でいられるわけではない。日本点字委員会からだされた要望について、墨字使用者もむきあう必要があるだろう。(156頁)
 
 日本語点字と墨字は、どちらも日本語を書き表すための文字表記システムであり、並行してつかわれている。また墨字から点字への、そして点字から墨字への翻字がおこなわれる機会もおおくあり、お互いが没交渉でいられるわけではなく、時には対立する場合もあろう。そうであるならばお互いがどちらも同等に尊重されるべきものであり、表記の合理性をめぐっての議論がおこることもあるだろう。その場合は、墨字も点字も同等に、観察され分析される対象であるはずである。しかしながら、墨字漢字かなまじり文「現代仮名遣い」になれているひとびとは、「現代仮名遣い」を基準として、点字かなづかいがどれだけそこから「逸脱」しているかをしりたがり、そしてその「逸脱」の「理由」を説明するようにもとめる。つねに判断をするのは墨字使用者のがわであるとしんじている。もちろん、じぶんのつかいなれているものを基準にしてなにかほかのものを判断するということは、だれにでもおこりうることだろう。問題なのは、そのような墨字使用者が、日本の社会においては多数派であり、現状としては社会全体としての文字・表記のありかたに影響力や決定力をよりおおくもつマジョリティなのである。
 そして、この文字・表記における点字と墨字のマイノリティ/マジョリティのちから関係の不均衡は、日本語学の文字・表記研究分野においても反映されているといえるだろう。(162頁)
 
 1977年に刊行された『国語学研究辞典』には点字の立項がない。その新版と位置づけられる2007年に刊行された『日本語学研究事典』にも同様に、点字の立項がない。また、2011年に刊行された日本語文字論・表記論の概説書である『図解 日本の文字』にも点字にかんする記述はない。
 そして啓蒙的な目的で2007年に刊行された国立国語研究所編刊『新「ことば」シリーズ20 文字と社会』では、「公共サービスの文字」という節であっても公共サービスで長年使用実績のある日本語点字についてはのべられず、墨字のみの記述となっている。(165頁)


 いろいろなことを考えさせられました。
 今後の成果が、さらに楽しみです。

 そんな中で、昨日、連携研究者をお願いしていた科研の内定を受けたことを報告したところ、今日の返信に就職が決まった、とありました。
 群馬県にある関東短期大学に、急遽昨日より赴任したとのことです。
 嬉しい知らせです。
 今日のブログに取り上げる予定だったことを伝えました。
 本記事が、期せずしてお祝いを兼ねるものとなりました。
 新天地でのますますの活躍を祈っています。
posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | 読書雑記

2015年04月01日

速報・科研費「挑戦的萌芽研究」で内定通知をいただく

 新年度がスタートした今日、新規プロジェクトとして申請していた科学研究費補助金による私の研究テーマが採択された、という内定の連絡をいただきました。

 昨年の5月5日に、東京・渋谷の温故学会で「塙保己一検校生誕 第268年記念大会」が開催されました。その記念講演として、私は「英国ケンブリッジ大学と米国バージニア大学の『群書類従』」と題するお話をしました。

「早朝の地震の後、渋谷の温故学会へ」(2014年05月05日)

 その時の懇親会で、目の不自由な方々と一緒に『源氏物語』の写本が読めないか、というかねてよりの問題意識を話題にして以来、その課題解決に取り組んで来ました。

 昨秋、私とは専門を異にする先生方のご理解とご協力を得て、日本学術振興会に「挑戦的萌芽研究」の分野で新たな科研費研究を申請しました。それが、本日、幸運にも内定通知をいただくことになったのです。

 現在私は、科研費研究としては、「基盤研究(A)︰海外における源氏物語研究及び各国語翻訳と日本文化理解の変容に関する調査研究」(課題番号:25244012、平成25年度〜28年度)に取り組んでいます。
 今回採択された「挑戦的萌芽研究」も平成28年度までの2年間なので、この2つの科研費研究は私が定年となる2年後に、共に終了となります。
 その意味では、これが私にとっては最後の公的資金を導入した研究となります。
 「基盤研究(A)」の方は着実に成果をネットに公開しているところなので、共に稔りある研究となるように努力したいと思います。

 今回新規に採択された課題遂行上の条件など、詳細な情報は追って通知が来るそうです。
 早速、以下のテーマとメンバーで、このプロジェクトの計画を推進する準備にとりかかります。


研究種目:「挑戦的萌芽研究」(平成27年〜28年)
分野:社会科学
分科︰教育学
細目︰特別支援教育
細目表キーワード︰視覚障害・聴覚障害・言語障害
細目表以外のキーワード︰古写本・仮名文字
研究課題名:「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」
課題番号︰15K13257
研究経費:4,896,000円(2年間、申請額)
研究組織:伊藤鉄也(研究代表者)・広瀬浩二郎(連携研究者)・大内進(連携研究者)・中野真樹(連携研究者)・高村明良(研究協力者)・岸博実(研究協力者)・間城美砂(研究協力者)・淺川槙子(研究協力者)

 
 なお、この新規プロジェクトの申請書には、次のように「研究目的」を記しました。


 現在、視覚障害者(以下、触常者という)の読書活動は受動的である。近年、パソコンの活用により、触常者の読書スタイルが多様化し豊かになった。しかし、点字と音声だけでは、先人が残した文化遺産の受容に限界があり、温故知新の知的刺激を実感し実践することが困難である。そこで、日本の古典文化を体感できる古写本『源氏物語』を素材として、仮名で書かれた紙面を触常者が能動的に読み取れる方策を実践的に調査研究し、実現することを目指すこととした。墨字の中でも平仮名(変体仮名)を媒介として、触常者と視覚に障害がない者(以下、見常者という)とがコミュニケーションをはかる意義を再認識する。触常者と見常者が交流と実践を試行しながら、新たな理念と現実的な方策の獲得に本課題では挑戦するものである。


 解決すべき課題が山積しており、容易に実現しないと思われる研究テーマです。しかし、刺激的な異分野の仲間と共に、失敗をおそれず挑戦的にテーマへの体当たりを敢行したいと思います。

 今後とも、さまざまな視点からのご教示を、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 23:38| Comment(0) | 古典文学