2015年01月31日

読書雑記(117)嶺重慎・広瀬浩二郎編『知のバリアフリー』

 『知のバリアフリー 「障害」で学びを拡げる』(嶺重慎・広瀬浩二郎編/京都大学障害学生支援ルーム協力、京都大学学術出版会、2014.12)を読みました。私が現在抱え込んでいる問題意識に、多方面から知的刺激をもらえる本でした。


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 その問題意識とは、目の不自由な方々と一緒にハーバード大学本『源氏物語』が読めないか、というものです。
 普通の墨字が読めない方が、それも変体仮名など読めるはずがない、というのが一般的な反応です。しかし、私は可能だとの確信を抱いています。精神論ではなくて、具体的な感触としてそう思っています。そのための試行錯誤も始めています。

 今後は、その具体的な成果を少しずつ提示して確認しながら、牛歩のさまであっても、一歩ずつ前に向かって進んで行くつもりです。その意味からも、本書からは多くのヒントをいただきました。

 本書の目次の詳細は、「京都大学学術出版会のホームページ」で確認できます。

 巻頭には、触ってわかる触地図が2種類付されています。琵琶湖周辺の地図が、点図(凹凸の点線や点のパターン)とサーモフォーム(プラスチックシートの真空熱処理成形)によって、触る口絵となっています。次の写真は、サーモフォームの地図から、比叡山・京都駅・平等院の部分を抽出したものです。京都駅と平等院の位置を示す○の下に、点字で「きょーとえき」「びょーどーいん」と書かれています。中央を左右に走る太い波線は東海道新幹線です。


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 平面の高低や凸部のエッジが指に感触として伝わるので、筆で書かれた仮名文字の認識を課題としている私にとって、これを触るとイメージが拡がります。

 本書は、さまざまな方々が「障害」を切り口にして、大学などにおける実情をもとにした「障害学習」について語るものです。その内容は20人の方々の「物の見方や考え方」が、多岐にわたって展開します。聴覚障害に関する部分からは、古写本を触読する際に「音」が果たす役割を考えるヒントをいただきました。

 以下では、私がチェックした箇所を引用することで、これからあれこれ考えるための手控えにしたいと思います。
 多くのヒントが鏤められた本なので、課題にぶつかる度に本書を繙くことになると思います。
 

■「現在の学問体系は、ほとんど障害者の存在を前提にしないところで成り立っています。「障害学習」という新しい視座で学問の再構築を行い、その成果を社会に発信することが、21世紀における大学の役割ではないでしょうか」(嶺重、 ix 頁)

■「視覚障害者にとって日本史はハードルの高い学問分野です。点字使用者が自力で古文書を解読するのは不可能ですし、ボランティアも専門知識がなければ、史料を正確に点訳・音訳できません。古文書については、大学院の先輩に「チューター」という形で音読・パソコン入力していただき、どうにかこうにか論文を読み書きしました。」(広瀬、11頁)

■「皮肉なことに、本来、学生の理解を助ける手段である視聴覚教材を使用することが、障害学生に対する情報伝達をより複雑なものにしています。たとえば、ビデオを使用する場合、聴覚障害学生には、字幕の付与や内容の解説文が必要になります。」(佐野、25頁)

■「私は、「自分の出している音」がわからないことに最も悩みました。生活音の問題です。私の母は健聴者で、聞こえる人の立場から、聞こえない人がどう振る舞う必要があるのかを教えてくれます。そのアドバイスの中に、生活音に気をつけたほうが良い、というものもありました。聞こえない人は自分の出す音に無頓着になりがちだから、知らず知らずのうちに周囲の人に不快な思いをさせている場合もあるかもしれない、と。でも私は自分の出している音がどうしてもわかりません。一人暮らしを始めてしばらくの間は、どんな音が迷惑なのかよくわからず、家事ひとつにもひどく気を遣いました。」(岡森、53頁)

■「iOSやAndroidなどのモバイルOSではVoiceOverやTalkbackといったスクリーンリーダーが標準搭載されるようになりました。とてもすばらしいことです。アプリケーションの開発者がアクセシビリティに配慮して開発を行えば、障害のある人もない人も使えるアプリケーションを開発することができます。また点字携帯端末をスマートフォンに接続することもできます。これにより、点字携帯端末でスマートフォンを操作したり、メールやチャットなどを点字で読んだり書いたりできるようになります。」(石川、91頁)

■「昨日できないことを今日はできるようにしたい。今日わからないことを明日はわかるようになりたい。そういう気持ちをエンパワーするのがアクセシビリティなのです。」(石川、97頁)

■「「みんなと同じにできるように頑張ろう・努力しよう・鍛えよう」と考える前に、「自分なりに楽にできる方法はないか?」と一緒に考えます。「迷惑をかけないように」と考える前に「困ったときは周囲に頼んでみよう」と実際にやってみます。「できるだけ間違わないように」ではなく、合い言葉は「失敗は学ぶチャンス」、周囲も「転ばぬ先の杖を出さないように」だったりします。」(近藤、100頁)

■「ヘレンケラー・ホーンとは、画面をなぞる指の動きを察知して文字情報を得る電話なのでした。上下、左右の指の動きの組み合わせで点字を入力でき、スマホが点字のパターンに合わせて振動することによって、使用者は自分の入力を確認することができます。あっと驚く発想の転換です。」(嶺重、139頁)

■「アナログ的な情報の取り扱い、たとえば、古文書などもその例です。草書などで書かれた手紙などはまず読めません。その内容を知るだけなら、他人に読んで貰ったり、点訳して貰ったりすることで解決できるかも知れませんが、その文字をどう読むかが問われる場合には対応は不可能です。」(尾関、208頁)

■「私は、すべての視覚障害者に、とは言いませんが、希望する者には、漢字・漢文の教育が十分に与えられるよう希望します(高等部の選択科目で十分でしょう)。そのためには、点字で漢字を表現する方法を工夫する必要があります。現在、8点や6点の漢点字と呼ばれるものがありますが、この目的のためには不充分に思われます。」(尾関、211頁)

■「明朝体は、漢字の横線などに細い線が使われており、弱視の方には見えにくいのです。すべての線が同じ太さで、線と線がくっついているところ、離れているところがはっきりわかることが、読みやすいフォントの条件です。」(嶺重、219頁)

■「見常者(見ることに依拠して生活する人)中心の社会で視覚障害者が「健康で文化的」な日々を過ごすためには、苦労と工夫が必要です。苦労を克服(軽減)するのが「障害者史」、工夫を積み重ねるのが「盲人史」という発想になります。
(中略)
「同じ」を追求する進化が障害者史、「違う」にこだわる深化が盲人史につながっています。」(広瀬、234頁)

■「共活のポイントは、複数の基準を持つことです。「盲=目が見えない」は現代日本では否定的にとらえられており、少なからぬ盲学校が「視覚特別支援学校」に名称変更しました。公文書等では「盲人」に代わって「視覚障害者」が使用されています。それでは、「盲=視覚に依拠しないライフスタイル」と定義してみてはどうでしょうか。すると、「盲」のプラスの要素が浮かび上がってきます。」(広瀬、255頁)
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2015年01月30日

「変体仮名混合版」の翻字校正に関する最初の成果報告

 現行平仮名表記による翻字に関して、積年の問題点を解決すべく、一大決心をして「変体仮名混合版」の提唱をして半月が経ちました。

 これに関する本ブログでの記事は、以下の通りです。

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「『源氏物語』を「変体仮名混合版」にする方針で一大決心」(2015年01月15日)

「昨日の「変体仮名混合版」の具体例と確認」(2015年01月16日)

「「変体仮名混合版」を後押しする手厳しくもありがたい批判」(2015年01月17日)

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その1)」(2015年01月18日)

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その2)」(2015年01月19日)

「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その3)」(2015年01月21日)

「作成中の翻字データベースを〈源氏物語翻字文庫〉と総称する」(2015年01月25日)

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 その後、この「変体仮名混合版」については、いろいろなご意見やご教示をいただいています。
 ありがとうございます。

 以下に、新方針による進捗状況を報告し、さらなる展開と課題解決のための現状を記しておきます。

 日比谷図書文化館が開催している「古文書塾てらこや」の特別講座の中で、「【翻字者育成講座】ハーバード大学美術館蔵『源氏物語 蜻蛉』を読む」と銘打って、古写本の翻字のスキルアップを目指す方々と一緒に勉強をしています。

 その受講者の中で、Oさんは積極的に翻字に取り組んでおられます。
 試しにということで、国立歴史民俗博物館所蔵の中山本「末摘花」の複製本により、「変体仮名混合版」の翻字にチャレンジしていただきました。

 これは、中山本に近い本文を持ち、すでに翻字が終わっている尾州家河内本のデータを基にして、そのプリントアウトに中山本の本文を記入して校正する形で進めていただきました。

 年末から年始にかけて、何度かメールのやりとりによる疑問や質問にお答えする中で翻字が進み、一月ほどで以下のような校正結果と、翻字作業中のメモを届けてくださいました。


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 Oさんにとっては初めての翻字であり、なおかつ2週間前に翻字の方針を大々的に変更したにもかかわらず、完璧な校正結果に仕上げてくださいました。

 これまでとは違い、大幅に変体仮名の字母を記入することになったために、大変だったことは想像にかたくありません。実は、現在私も池田本の「変体仮名混合版」を作成中なので、そのご苦労が身にしみて伝わってきます。

 しかし、このようにすばらしい成果を見せていただいたことにより、この一大変更がとんでもないことではなくて、遂行可能だという感触をしっかると得ることができました。

 もちろん、これまでよりも格段に手間暇がかかります。しかし、それ以上に得られるものが大きいので、Oさんのような協力者のお力を借りる中で、1巻でも多く「変体仮名混合版」に移行していく弾みがつきました。

 新しい翻字データベースの構築をすると決意した者に元気をいただいたOさんに、あらためてお礼申し上げます。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年01月29日

井上靖卒読(193)『西域物語』「アフガニスタン紀行」

 『西域物語』を新潮文庫版(昭和53年5月5刷)で読みました。ブックカバーにミヤコ書房(大阪府八尾市山本南)とあるので、東京から大阪に帰り、高校の教員を始めた頃に読んだ本であることがわかります。最初は単行本(昭和44年)で読んでいるので、この作品は今回で3回目になります。

 次の書影は、『西域物語』(昭和44年11月、朝日新聞社)の単行本の箱です。この本は、見開き各ページの上段に写真や図版がふんだんに配置されていて、読むのが楽しい構成となっています。また、巻末には17ページもの「事項・人名・地名解説」(加藤九祚)があり、井上靖の語りを下支えしています。これらがない文庫本は、電車などで手軽に読めてよいとしても、できることなら単行本で読まれることをお勧めします。
 なお、この2作は『朝日選書2西域物語』(昭和49年2月)にも収録されています。
 

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■「西域物語」
 井上靖は、張騫が挑んだ西域の旅を通して、自らの夢を膨らませながら豊かな詩情を語っています。自分が歩いた旅の記を織り交ぜながら、広大な大地と人を描きます。
 玄奘の話もスケールが大きく、読んでいて果てしない世界が目の前に広がっていきます。作者がもっとも行きたかった地域だけに、その思い入れも一入です。
 文献や研究成果をよく読み、よく調べていることがわかります。井上靖の西域小説の背景を辿ることになります。しかも、その西域の地を実際に歩いて語るのです。その足音が聞こえて来るようです。
 アレキサンドロスもチンギス・ハンも、荒野の中にその存在を主張しています。
 出てくる地名の多くが、井上の作品で目にしたものばかりです。あの作品の街はこんな所だったのかと、大いに楽しめました。
 街と街が線でつながり、そこを往き来する人々が活写されます。空間と群像を描くことを得意とする、井上の小説作法が生きています。中でも、サマルカンドを語る作者の思いが、特に印象的でした。【3】
 
 
初出紙︰朝日新聞(日曜版)
連載期間︰1968年10月6日〜1969年3月9日
 
新潮文庫︰西域物語
井上靖小説全集27︰西域物語・幼き日のこと
井上靖全集17︰長篇10
 
 
 
■「アフガニスタン紀行」
 アム・ダリヤ川が、話を牽引します。
 カブール、バーミアン、クンドゥズ、マザリ・シャリフ、バルクと、私にとっては馴染みの地名が出てきます。その各地を自動車で経廻る、シルクロードの旅なのです。
 バーミアンとアム・ダリヤ川の話が印象的でした。【3】
 最後に次の文があります。井上靖の月に関する表現に興味を持っているので、いつもと違う無機質な描写として記録しておきます。

暗い中を、サラン峠を越える。月が出ているが、誰もくるまを停めて、月を仰ごうというものはない。車外にはにぶい白い光が漂い岩山の肌が屏風のように立ちはだかっている。岩の屏風が切れると、霧が流れているのが見える。(244頁)

 
 
初出紙︰讀売新聞(朝刊文化欄)
連載期間︰1971年11月30日〜1971年12月23日(15回)
 
※朝日選書『西域物語』(昭和49年2月)収録
※新潮文庫『西域物語』(昭和52年3月)収録
※西域紀行集『遺跡の旅・シルクロード』(昭和52年9月、新潮社)収録
※新潮文庫『遺跡の旅・シルクロード』(昭和57年12月、新潮社)未収録
※『井上靖エッセイ全集10』(昭和59年2月、学研)収録
※『井上靖全集27 エッセイ5』収録
posted by genjiito at 23:26| Comment(0) | 井上靖卒読

2015年01月28日

井上靖卒読(192)「どうぞお先きに!」「くもの巣」

■「どうぞお先きに!」
 戦時中のことです。朝鮮海峡を敦賀に向かう汽船が、月光の中で機雷に触れて沈没します。大混乱の船から救命ボートに乗り移る時に、大学生が「どうぞ、おさきに」と言ったことばをどう受け取るかが、読者に問いかけられています。「美しい」ということばが、本作のキーワードだと思われます。
 最後の文章を引いておきます。

 学生さんは泣きも叫びもしませんでした。たばこに火をつけて、それをくわえ、心もち顔を上げて、星のある夜の空を見上げて静かに立っていました。それは神さまのような美しい立派な姿でした。と、次の瞬間、船は海上に大きい渦巻を残して海の中に姿を消してしまいました。
 この学生さんは中田君という京都大学の学生さんで、夏休みを朝鮮にいた父母のもとで過し、京都へ帰る途中であったことが後でわかりました。(『井上靖全集 第七巻』600頁)

 この童話は、『井上靖全集』に初めて収録されました。また、別に発表されている短編小説「どうぞお先に」とは違う作品です。それは「お先」となっていて「き」がありません。
 その短編については、「井上靖卒読(154)「あした来る人」「その人の名は言えない」「どうぞお先に」」(2013年01月11日)に書いていますので、参照いただければと思います。【3】
 
 
初出誌:きりん
初出号数:1948年9月号
 
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話
 
 
 
■「くもの巣」
 クモの巣を取り払うことをどう考えるか、ということで、小学五年生の光夫君と二年生のよし子さんの意見が食い違います。作者は読者に、めいめい考えてほしいと問いかけます。そして、自分もどちらが正しいのかわからない、とも言います。文末では、「正しい道を歩く」ということに子供を導こうとしています。
 ここで、光夫君が書いた文章は平仮名漢字交じりです。これに対して、よし子さんの文章はカタカナだけで書かれています。昭和23年の学校教育はどうだったのでしょうか。私の母親がカタカナで手紙をくれていたので、女の子の当時の文字遣いに興味を持ちました。
 この作品も、『井上靖全集』に初めて収録されたものです。【3】
 
 
初出誌:きりん
初出号数:1948年11月号
 
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 井上靖卒読

2015年01月27日

死後に私のブログはどうなるか

 今、毎日ブログを書いています。
 このサイトに掲載した記事としては、2007年6月以降、これが2,825本目の投稿です。
 その内容は多岐にわたるものです。

 私がインターネットにホームページを開設したのが1995年9月なので、これまでに公開した記事は5,000本を越えていることでしょう。
 そのうち、2つのサイトがクラッシュしたために、多くのデータが消滅しました。いまだに再建できていない記事が多数あります。消え去った記事の再生は、可能なものは再構築していますが、ほんの微々たるものです。

 もっとも、そんな暇があったらもっと研究をし、活字論文を発表し、印刷媒体としての研究書をまとめて刊行しろ、と言われそうです。
 しかし、私は今、活字による印刷に魅力を感じていません。デジタル版が生き残るとも思ってはいません。それだけに、活字印刷とデジタルの融合した研究発表媒体を模索しているところです。

 その意味では、一研究者として日常の存在証明と共に、日々の研究経過と報告をウェブ上に記すのは、活動と研究の内容が見えやすい、個人研究のアウトプットの媒体としては意義のあるものだと思っています。人間をさらけ出すところにも魅力を感じます。

 研究活動の一端をネットに公開するのは、リアルタイムに誰にでも手にしてもらえる点から、さらなる活用が期待されます。特に若手研究者は、印刷媒体にしがみつかずに、もっとネットによる発信を心がけるといい成果に結びつくと思います。何よりも、自分が育っていくのです。

 印刷物でないと成果として認めてもらえない、従来の学問の世界特有のしがらみは理解しているつもりです。しかし、ネットによる成果の公開には、予想をはるかに越える多くの方からのコメントが得られて有益です。

 そんな中で、ネットに掲載した私案の公開については、研究論文以上に多くの方からのコメントがいただけるのです。さらなる研究の質的向上に有益なことが多いのが現実です。
 これは、私が未熟な原稿を印刷していたからだと言われればそれまでです。しかし、広くネットに公開すると、さまざまな分野の方から、ありがたい意見がいただけることは事実です。これは、自分の研究にとっては貴重なステップとなるものです。意見をいただく中で、また意見を交換する中で、自分が成長していくのです。

 印刷による原稿の公開は、脱稿から配布までの時間的なロスと、読者からの教示の量と速さを考えると、いろいろと問題があります。今、時代はさまざまな発表形態や媒体を選べます。何事にもリスクはあります。そこをどう使い分けるか、ということもあります。

 もっとも、私はほとんど電子テキストでの読書はしません。内容を検索する時に、便利に利用しているだけです。文章を読むのは、やはり印刷物です。この棲み分けが、今後の課題だと思います。

 勝手なことを書きました。読み捨ててください。
 ウェブと書き手について、死との話に戻ります。

 私が日々デジタル化した文章や写真をウェブに流すのは、自分の生存証明と生活環境が死後に再現されることを、ある程度意識してのもです。

 私の死後に、我かく生きたりという存在証明を、未来に向けたデジタル空間に漂流させておくことにもなります。
 死後にも地球上のネットスペースを漂う浮遊感は、自分では体感できないだけに楽しさがあります。

 そんな折、毎月購読しているパソコン情報誌『Mac Fan』の9月号に、興味深い特集記事が掲載されていました。


デジタル時代の「死んだらどうなる?」


 気にしつつも、日々の忙しさに追われていて、つい「いつか」という問題として埋没していました。
 それが、あらためて今この問題を確認しておきたい、と思うようになりました。

 この雑誌の記事には、次のサブタイトルがあります。


今のうちに
考えておくべき
「形のない資産」の
遺し方・消し方


 さらに、次のように特集の趣旨が記されています。


もしも自分が突然この世を去ることになったとき、それまで更新していたブログやSNSはどんな道を辿るのか?
そして、自分のマシンの中にあるデジタル資産は誰かに引き継げるのだろうか?
生前に知っておくべき「形のない資産」の遺し方・消し方を解説していこう。


 この記事は、漠然と気になっていたことを、ズバリと解説するものでした。
 以下、取り上げられている項目を、私の興味のままに整理しておきます。

自分の死後、どのようなデジタルデータが残るのか?
 ここでは、「デジタル遺言サービス」を提供する「ラストメッセージ」の、死後のデータ削除を手助けするものなどが紹介されています。

ブログやSNSのアカウントは本人の死後どうなるのか?
 故人のページは船員のいない船と同じで、放置・消滅・引き継ぎ・墓化・荒らされることになるとか。不特定多数の他人に荒らされ、多くの人に迷惑をかけることは、故人はどうしようもないだけにしのびない事態となります。

第三者が故人のブログやSNSを処理する方法はあるか?
 遺族や友人が、勝手に故人のページに手を入れることはできません。フェイスブックの「追悼アカウント」や、ツイッターの「亡くなられたユーザーに関するご連絡」などの対応が紹介されています。

生前に自分ができることは何か?
 グーグルの「アカウント無効化管理ツール」や、ヤフーの「Yahoo!エンディング」などを例にして説明されています。終活が具体的なイメージで見え出します。

 そのほか、次の見出しにも気になる内容が記されています。

デジタル資産の相続はどこまでできるか?

本人の死後、MacやiPhone内のデータをどうするか

Mac内の特定のデータを封印するには

iPhone内のデータを死後見られたくない場合は?

 いろいろな問題点と対処策がまとめてあります。

 いつかその日が来ることは確かなので、私もこうしたことへの対応の準備を始めたところです。
posted by genjiito at 22:53| Comment(0) | ◆情報化社会

2015年01月26日

江戸漫歩(95)六本木のサントリー美術館へ

 快晴だったので、気分転換に都内を散策しました。
 地下鉄大江戸線で六本木駅を降りると、真上に東京ミッドタウンがあり、そのガレリア3階にサントリー美術館があります。東京ミッドタウンは、2007年に開業したそうです。まだ新しい街です。

 その1階入り口付近に、どんな目的で何のために使うのか不明な椅子がありました。


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 賀茂川の散策路には、背筋を伸ばすためのストレッチ用具としての椅子があります。
 しかし、これは仰向けに寝て背筋を伸ばす道具ではなさそうです。
 ちょっとしたスロープになっているのです。
 子供が歩いて上がるのか、車椅子を押し上げるのか、その用途が想像できません。

 次の写真になると、ますます設置目的がわからなくなります。


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 何だろう何だろうと思いながら、サントリー美術館に入りました。

 サントリー美術館のリーフレットによると、今回の展示の主役である仁阿弥道八は、江戸時代の文化・文政・天保年間の京都において、仁清や乾山の流れを汲む「和風京焼」の名手として知られていたそうです。

 この展覧会は、昨年末から本年3月1日まで、「天才陶工 仁阿弥道八 のびのびと、まじめに」として開催されているものです。

 そのホームページの冒頭に、次のような説明があります。


仁阿弥道八(にんなみどうはち)(1783〜1855)は、京都の陶工・高橋道八家の二代目にあたり、清水五条坂を拠点に活躍した京焼の名工です。茶道具から、食器、置物など彫塑的な作品にいたるまで多くの魅力的な作品を残しました。
仁阿弥道八は、関西では「仁阿弥」と呼ばれ、仁阿弥の茶道具は茶席において現在もなお人気があるといいます。しかし意外にも、仁阿弥道八の作品が展覧会でまとめて公開される機会は決して多くありませんでした。


 今回、180点もの茶道具や懐石の器を見て、その親しみやすい作風を実感しました。

 会場に入ってすぐに目が釘付けになったのは、「色絵狸炉蓋」(江戸時代、19世紀、東京国立博物館)でした。炉にこの剽軽な狸を嵌め込んで置くことで、お茶室が楽しい空間になります。ただし妻は、夜が怖いし、つまずくので要らない、と言っていました。

 これ以外で、今回私がガラスケース越しではなくて、実際に自分の手で触ってみたくなった作品を列記しておきます。

(1)2つの冨岳文黒茶碗(江戸時代、19世紀、高津古文化会館、ボストン美術館)
 2つの茶碗が向かい合うように展示されていました。どちらがいいのか、行ったり来たりして拝見しました。

(2)銹絵竹文水差(岡本豊彦画、江戸時代、19世紀、個人蔵)
 形の優しさがいいと思いました。

(3)色絵人麻呂坐像(桃山窯、江戸時代、19世紀、個人蔵)
 陶器とは思えない、いい姿の人麻呂像です。

(4)色絵天狗於多福盃(三代高橋道八、江戸〜明治時代、19世紀、豊橋市美術博物館(司コレクション))
 天狗とお多福という取り合わせがおもしろい盃です。

(5)色絵丸々透蓋置(九代高橋道八、平成26年(2014)、個人蔵)
 シンプルながら、じっと見ていても飽きない色と形です。

 昼食は、美術館のすぐそばにあった平田牧場匠で、平牧三元豚のロースかつをいただきました。炭水化物を控えめにしている私の食生活では、何年か振りのトンカツです。

 東京ミッドタウンの特設ステージでは、石田純一さんが防犯に関するトークイベントをなさっていました。間近で見ても、お洒落な方でした。

 戸外では、スケートを楽しむ多くの人たちで押し合いへし合いです。
 芋の子を洗う、とはまさにこのことです。


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 この空間は、かつてあった防衛庁本庁が市ヶ谷に移転した後、「都市機能のコラボレーション」という発想のもとに再開発されたそうです。オシャレな街です。近くには国立新美術館や森美術館があり、40を越える大使館があるそうです。文化と国際が交流するエリアです。

 この六本木、赤坂、青山周辺が、今後はどのようにして若者を集めていくのでしょうか。これからの課題として、この街が高齢者との接点を模索しながらどう連携していくのか、興味のあるところです。
 いつまでもこんな調子で、能天気な平和ボケの街でありつづけるはずはないと思われるからです。

 私は、学生時代の後半に、銀座・数寄屋橋にあった有名なステーキハウスでアルバイトをしていました。芸術家や芸能人がよく出入りしていたお店です。
 その店のマスターに、閉店後に何度か六本木・赤坂地区に連れて行っていただきました。その40年以上も前のこの地域が、今は若者が行き交っています。それだけに、できたばかりの今はともかく、この街の今後の変貌が楽しみです。
posted by genjiito at 00:18| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年01月25日

作成中の翻字データベースを〈源氏物語翻字文庫〉と総称する

 これまで、約30年にわたって作成していた〈源氏物語本文データベース〉を、〈源氏物語別本集成〉(略称は「GBS」)という総称で管理していました。これを、本年より「変体仮名混合版」に移行することにしたのを契機に、〈源氏物語翻字文庫〉(略称は「GHB」)という呼び方に改称したいと思います。

 今年に入ってから、『源氏物語別本集成 続』で提示していた凡例の見直しをした結果を、以下の記事にまとめました。

(1)「『源氏物語』を「変体仮名混合版」にする方針で一大決心」(2015年01月15日)

(2)「昨日の「変体仮名混合版」の具体例と確認」(2015年01月16日)

(3)「「変体仮名混合版」を後押しする手厳しくもありがたい批判」(2015年01月17日)

(4)「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その1)」(2015年01月18日)

(5)「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その2)」(2015年01月19日)

(6)「『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その3)」(2015年01月21日)

 今回は、その最後として、凡例の冒頭部分の文言の見直しを提示します。赤字の部分が、今回補訂した箇所です。
 これで、「変体仮名混合版」へ移行するにあたって、作業と利用に関して基本的な方針を確定したことになります。

 今後は、この凡例を補訂しながら、これまでのデータベースを〈源氏物語翻字文庫〉における「変体仮名混合版」として再生することに着手したいと思います。


〈源氏物語翻字文庫〉凡例 (2015.01.25)

(1) 本データベースは、『源氏物語』の本文が諸本間でどのような異同を持つものであるかを、容易に一覧できるようにした「変体仮名混合版」である。平成一四年に完結した『源氏物語別本集成 全一五巻』と、『源氏物語別本集成 続 全一五巻』(内、平成一七年に第七巻まで刊行済)を引き継ぐ形で、諸本の本文が変体仮名においては字母レベルで確認できるようになっている。

(2) 本書の底本に使用した写本は、別本とされている〈陽明文庫本〉である。〈いわゆる青表紙本〉や〈河内本〉とは異なる本文を伝える書写伝本を、現在のところ一応は〈別本〉と呼んでいる。その中でも、陽明文庫蔵の別本(三十九帖)は高い評価がなされており、現存する諸本を対校するにあたっての底本にふさわしいものである。ただし、陽明文庫本には本文の性質を異にする一五帖の写本が含まれている(「紅葉賀」「花宴」「明石」「絵合」「松風」「初音」「藤袴」「若菜上・下」「柏木」「横笛」「匂宮」「紅梅」「竹河」「夢浮橋」)。これらは、〈いわゆる青表紙本〉と呼ばれている本文群である。『源氏物語別本集成』では、陽明文庫本において別本とは言えない巻々には、他の別本を充てることで対処した。たとえば、『源氏物語別本集成 第二巻』で「紅葉賀」と「花宴」の底本に、天理図書館蔵〈麦生本〉を使用したのがそれである。しかし、『源氏物語別本集成 続』では、陽明文庫本のすべての巻を底本として採用した。

(3) 『源氏物語別本集成 続』における本文掲示のレイアウトは、『源氏物語別本集成』と大きく異なっている。『源氏物語別本集成 続』では、底本である陽明文庫本毎半葉に対する本文の諸相を、見開きで確認できるようにした。
 まず、見開き右頁上段右側の二段分の囲み中に、底本陽明文庫本の翻刻本文を掲げる。文節単位の区切りを中黒点(・)で明示したものである。その左側には、同じく二段分の囲みの中に、底本陽明文庫本の校訂本文を掲げた。
 陽明文庫本の校訂本文の提示は、『源氏物語別本集成 続』が初めての試みであった。これは、本文異同を確認するにあたって、あくまでも物語本文の流れを読み取る際の手助けとなるような試案として作成したものである。
 校訂本文の随所に、物語の内容を知る手がかりとなるように、小見出しを付した。校訂本文作成にあたっては、『CD─ROM古典大観 源氏物語』(伊井春樹編、角川書店、平成一一年)に収録されている、大島本の校訂方針を参照した。小見出しは、デジタルテキストのために作成された伊井版の改訂版である。

(4) 校異欄は、見開き右頁三段目から左頁にかけて、上掲の陽明文庫本の翻刻本文に対する諸本の異同のすべてを示した。『源氏物語別本集成』では、底本と同じ本文は、異同を示す校合本以外の本を引き算することによって判明する仕様となっていた。『源氏物語別本集成 続』では、その掲出方法を変更し、底本と同じ本文を有する写本の名称を、底本本文の直下に示し、諸本の異同の様態をより把握しやすくした。

(5) 校異欄において、底本本文に続く「・・・・・・」の後に付した一〇桁の算用数字(010001-000)は、『源氏物語』における当該文節の位置を知るために、目安として当てた通し番号である。『源氏物語別本集成』の時は、六桁の数字であったものを、『源氏物語別本集成 続』から一〇桁に拡張した。
 例えば、「010001-000」における最初の六桁は、『源氏物語別本集成』と同じ意味を持っている。つまり、底本本文を文節毎に区切った時に使用した通し番号(六桁の数字)は、本続編でもそのまま継承している。そして、ハイフォン(-)に続く三桁の数字が、『源氏物語別本集成』における文節認定の変更と、今後予想される異本異文の総合管理のために新たに付加したものである。この一〇桁の番号は、『源氏物語』におけるすべての異本異文までをも文節番号で取り扱える研究環境を提供することを視野に入れて、『源氏物語別本集成 続』から導入したものである。
 これにより、国冬本「鈴虫」における五〇〇文字以上の異文をも、文節番号によって取り扱うことができるようになる。『源氏物語』におけることばの位相が、その文節番号という位置づけによって把握でき、また語句が存在する場所の特定のみならず、諸本との異同を相対化できるようになる。なお、この番号の最初の二桁の数字は、『源氏物語』の巻順を示している。「桐壺」を「01」とし、以下順次連続する番号を当てて、「夢浮橋」が「54」となる。
 長編の巻で文節番号が五桁になる巻に関しては、文節番号の最初の二桁を記号〈A・B・C〉を用いて、次のように表記した。
  「若菜上」一〇二三四番目の文節番号 → 34A234-000
   同   一一二三四番目の文節番号 → 34B234-000

(6) 『源氏物語別本集成』では、書写本に書き込まれたもののうち、振りがな・振り漢字・主語・引歌・説明的注釈などは取りあげず、本文異同に関するものだけを、補足事項として注記していた。ただし、特殊な読みをする語句に読みがなが付されているものなどは、適宜取り上げる場合があった。これを、『源氏物語別本集成 続』では、そのすべてを取り上げて校合した。ただし、天理河内本などにある、鉛筆書きの書き込みなどは一切とらない。

(7) 『源氏物語別本集成 続』より、改丁(頁)箇所を明示することとなった。写本での確認を容易にするためと、書写状態を知るための手がかりの一つを提供するためである。改丁(頁)箇所には、改丁された頁の最初の文字を指して「/あ〈改頁〉」と表記する。丁数は明記しない。

(8) 本書に収載した各諸写本の本文は、とくに断らない限りは、原本に直接あたるか影印刊行物およびマイクロフイルムや紙焼写真によって、複数の担当者が翻刻確認した後に対校したものである。担当者は、「作業担当者一覧」に明記した。

(9) 本書の内容は、情報文具を利用した研究にも対応できるように、データーベースを目指して作成されている。語句検索や各本文の位相が分析研究しやすいように、利用法を考慮して元データは構成してある。本書作成にあたっては、以下の「A」〜「E」の方針をたてて資料の整理・編集をおこなった。

(10) 新たに「変体仮名混合版」を作成するにあたって、漢字表記及び字母表記に関しては次の翻字方針で対処した。
  「見る」などで「見」が意味を有する場合は、「見る/見〈漢字〉」とする。
  「形見/〈漢字〉」「身つから/身〈漢字〉」「見くるし/見〈漢字〉」「世けん/世〈漢字〉」などの場合も、「/〈漢字〉」という付加情報としての識別記号を用いて、漢字であることを明示する。

posted by genjiito at 00:52| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年01月24日

NPO法人GEMの「ニューズレター第2号」ができました

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の「ニューズレター第2号」が発行され、以下のアドレスから公開されています。PDFとしてダウンロードできます。

「〈源氏物語電子資料館〉広報室より」(2015年1月24日 (土))

NPO法人の「ホームページ」からもたどれます。

 「ニューズレター第2号」の内容は、以下の目次の通りです。


(1)代表挨拶
(2)第三回 池田亀鑑賞受賞式
(3)鳥取県日南町で『源氏物語』を読む
(4)池田本プロジェクト始動のこと
(5)京町屋ワックジャパンで『源氏物語』を読む
(6)日比谷図書文化館で『源氏物語』を読む
(7)ハーバード大学本『源氏物語』「蜻蛉」刊行
(8)歴博本『源氏物語』「鈴虫」原本調査終了
(9)ホームページ担当者から


 念のために、多少粗いながも、以下に画像としてもご覧いただけるように公開します。
 画像をクリックすると、さらに精彩な画像で表示されます。
 各ページ下部のノンブルの順番にお読みください。


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 なお、今回のNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページでは、ノートルダム清心女子大学の原豊二先生の『源氏物語』関連情報と、京都での写本を読む会&『十帖源氏』の次回日程も更新情報として掲載されています。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆NPO活動

2015年01月23日

ご高齢の歯医者さんの信条

 いまだ歯と鼻が不調の中で、今度は電子メールが思わしくないのです。
 いずれも持病のようなものなので、それなりの対処をしながら収束するのを待つしかありません。

 そんな中で、あろうことか義歯が欠けました。舌が、欠けて空いた穴のエッジに当たって痛いので、歯医者へ行くことにしました。先週末、京都の烏丸御池の歯科に行ったばかりなのに……今は東京なのです。

 一昨年秋、スペインへ行く直前まで行っていた深川の歯科には、強い不信感を抱いています。治療と処置の仕方に我慢しきれず、紹介書をもらうが早いか、そこから逃げるようにして京大病院で相談し、さらに御池の歯科を紹介してもらいました。

 その深川の歯科に行くまでは、宿舎に近い黒船橋の袂にある医院に行っていました。腕がよくて人気のあった先生でした。しかし、若くして亡くなられたのです。7年前のことです。

 その後、先生のお父さんがすぐに引き継がれました。息子にすべてを譲られたはずが、再度孤軍奮闘の日々に身を置かれることになったのです。

 若先生が亡くなられた後、2年ほどは通っていました。しかし、ご高齢ということもあり、自然に足が遠のき、妻が行っていた深川の方へ行きだしたのです。その次の歯医者さんが私の歯の治療には向かないことは、すぐにわかりました。

 とはいうものの、お医者さんを変えることは、なかなか難しいものです。その決断のタイミングを誤り、ずるずると通うことになり、それがかえって被害を大きくすることになりました。
 そのせいもあってか、喋ったり食べたりする際には何かと不便な思いを、今も日々しています。

 さて、橋の袂の歯医者さんです。
 かつて私が息子さんのお世話になっていた時のことを、このお父さん先生は覚えていてくださいました。5年ぶりに診察を受けたことになります。内容は、欠けた歯の修繕ですが……

 治療をしながら、そして治療後にも、長々とお話をしてくださいました。昭和6年生まれだとのこと。私よりも20歳上で、今は84歳だそうです。とにかく肌艶がよくて、生き生きと話をなさいます。

 得難い貴重な内容の話だったので、30分が長くはありませんでした。
 14年前に奥様を、7年前に一人息子を亡くし、以来一人暮らしが寂しい、とポツリ。
 しかし、次の3つの生活信条を自分に言い聞かせるようになってから、今は日々が楽しいそうです。


(1)ひたすら前を見て生きる。
(2)愚痴を決して言わない。
(3)生かされていることに感謝。


 私も、これを見習います。

 帰りがけに先生は、また時間があったら話をしにおいでなさい、と声をかけてくださいました。
 お医者さまから、こんなお誘いを受けたのは初めてです。
 しかし、気さくで話しやすいし、おもしろい話題をたくさんお持ちのようなので、それではまた、と言ってドアを押しました。
posted by genjiito at 00:19| Comment(0) | 健康雑記

2015年01月22日

【お詫び】メール送信が不調で返信が滞っています。

いつも使っているパソコンのメーラーが不調です。
受信はできても、送信ができません。
今月18日(日)以降にいただいた1,350通ほどのメールに対して、数百通の返信が送信でずに溜まっています。
現在は、 ウェブメールにコピーし直して、一つずつ送信しています。
もしお急ぎで、いまだ返信がない場合は、連絡をいただければ対処いたします。
ご迷惑をおかけしています。
ご理解のほどを、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 08:13| Comment(0) | ◆情報化社会

2015年01月21日

『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その3)

 『源氏物語』の翻字に関して、「変体仮名混合版」を作成していくための凡例の確認と改訂を進めています。
 今回は、『源氏物語別本集成 続』に掲載した凡例の「E 翻刻本文に対する付加情報について」です。
 ほとんどが、書写状態を示す付加情報に関するものなので、「変体仮名混合版」への移行に伴う補訂は@・I・Qの3箇所のみです。
 特にQでは、変体仮名を読み取ってデータ化することに関する新規追加部分です。
 ここでは、「/〈漢字〉」という付加情報を示す記号を新設しています。恣意的な解釈や書写状況に応じた判断の揺れが生じないように、これまでの翻字よりも客観的で学問的な資料となるデータベースを指向するものとなりました。

 本ブログで変体仮名を混在させた翻字本文を作成することを明言したことを受けて、いくつかのご教示いただきました。
 仮名ではなくて漢字本来の意味を持たせた文字への対処について、隅付きパーレン(【 】)などで文字を括るのは明快でした。しかし、データの中でも本行本文に該当する部分に記号類は最小限にしたいので、今回は付加情報として対応することにしました。

 この漢字本来の使い方がなされている箇所については、「変体仮名混合版」を作成する中で、また再検討するかもしれません。今は、とにかく「/〈漢字〉」という記号を用いて付加情報の中に明示する、ということで納めておきます。

 この後は、冒頭の総論部分の補訂をすることで、今回の検討は終わりとなります。


 E 翻刻本文に対する付加情報について

@ 〈傍書〉がある時は、その本文の後に「/=」を付して示す。該当する文節の文頭部のすぐ横にあるもの以外は、当該傍書部の直近の本行本文の一文字をあげて、その箇所がわかるようにした。本行の本文の左側に傍書がある場合は、〈左傍記〉とする。また、傍書の文字がカタカナの場合は、そのまま表記した。『源氏物語別本集成』の時のように、ひらがなに読むのが通例のカタカナ表記の「ハ」「ミ」「ニ」などを、平仮名に読みかえることはしない。

A 〈補入〉は、「/+」で示す。該当する文節の文頭以外は、挿入される箇所の本行本文の一文字をあげることによって、その次に補入されるものであることを示した。当該字句だけでは意味をなさないが、補入によって一文節が完結するものがある。例えば、「はし/+まと」では、「はし」では意味をなさないが、「まと」を補入することによって「まとはし」と一文節が完成することになる。このような場合は、補入前の姿の語句を無理に前後の文節に付けることはせず、未熟なことばのままではあるが、一文節をなすものとして対校することを原則とする。これとは逆に、「あるとの/る+こ」などでは、補入によって「ある・ことの」と二文節になるが、諸本との対校上の関係で一文節とすることもある。
 「薄雲」の底本陽明文庫本には、長文(二十文節)のカタカナ書きの補入がある。該当部分においては、他の諸本すべてが本行本文として伝えているものであることなどを勘案して、この補入を底本の本行本文に準ずるものとして扱った。ただし、表記については、次のように原本のカタカナ書きのままにした。
  コノ/「コ」カラ補入
  ヲハスメレ/「レ」マデ補入

B 〈ミセケチ〉による修正は「/$」で示し、傍書の要領で表記する。その際、消された文字は「$」の記号の前にあげ、修正された文字はその後に明示した。「まさり/まさ$をも」という例では、「まさり」の「まさ」をミセケチにして、その右横に「をも」と傍記することによって、「をもり」と読ませようとするものである。「/$」とあって、記号の前にミセケチの対象となる文字の指示がないものは、そこに引く該当文節すべての字句がミセケチになっていることを示す。ミセケチをさらにまたミセケチにしたものは、「奉て/$給ひて$」とした。ミセケチによる削除の場合は、修正文字がなかったものとして扱った(「いとまは/と$」)。ミセケチと補入が同時にある時は、補入扱いで傍書をとった。
 同一文節中に複数ある文字の、その片方に関してミセケチなどの注記が必要な場合は、「かきたたる/前た$」のように、「前」「後」を明示して区別した。ただし、同一文字が三つ以上ある場合には、前からいくつめの何という文字であるかを算用数字を添えて示した。
 長文のミセケチは、「以下」という用語を使用して、次のように対処した。
  たまひけるさるかたのありかたきものにはおもひきこえ給て/前ひ以下$えは[坂]
 これは、三文字目の「ひ」以下「給て」までがミセケチとなっており、傍記が「えは」であることを示す。

C 削除された文字については、「なりぬるか/か〈削〉」として示した。塗り潰しや削り取ったものがこれにあたる。

D 紙面の一部がくり抜かれたような穴となり、文字が欠落している場合には、「お△かた人の/△〈破損〉」というようにした。

E 〈重ね書き・なぞり書き〉については、書写者が書きたかったであろう〈なぞった〉文字を判読して校異を示し、注記には「&」の記号を用いた。「まいて/して&いて」という場合は、「して」をなぞって「いて」としているものである。重ね書きは見せけちと違い、既に書いたものを全く消してしまおうという意図があるため、校異上ではこのような処置をとった。なお、下の文字が判読できないものは、「物を/△&を」として、不明な文字を「△」で示した。また、当該文節の中になぞった文字と同じ文字がある場合にはミセケチと同様に、「おもひはなつましかりけりと/る&後り」とした。これは、「ける」と書いた後に「る」を「り」になぞったものである。

F 朱書きの文字には〈朱〉という記号をあてた。朱と墨とが使い分けられている場合には、〈墨〉という符号を該当箇所に適宜添えた。「給へり/給へ$まい〈朱〉」の場合は、ミセケチ記号と傍書が共に朱書きである。「かほ/ほ$〈朱〉け歟」では、「け歟」に〈墨〉という記号は付けない。「さしあたりて/あ$〈墨〉シア〈朱〉」の場合には、「あ」を墨でミセケチにした後に、朱書のカタカナで「シア」と傍記していることを示す。
 また、一文字に墨と朱とがある時は、「たくひなき/たくひ$ひま〈墨朱〉」という形で〈墨朱〉という符号を付けた。

G 注記が複数の時は、「色にも/△&に〈判読〉、も&も、も$〈朱〉」と、読点で区切って示した。その注記内にさらに注記がある時は、「傍」と明示して校異をあげた。「そしりをも/も+え、傍え=へ〈朱〉」とある場合は、補入文字の「え」の右横に「へ」と朱書きの文字が傍記されていることを示す。

H 写本に記入された倒置記号について。○印と引き込み線やレ点などを用いて、字句の転倒を正す符号が付された本文箇所は、「とやまも/記号ニヨリとまやも」と注記した。

I 付箋に異文などの記載がある場合は、「あしき/=かなしき〈付箋〉」として傍記扱いとした。また、付箋の内容から判断してどの文節に関するものかが判明する場合は、当該文節に注記する。付箋の内容が二カ所の傍記に対するものであれば、その片方と思われる文節に対して注記を行う。どこに対する付箋かまったくわからない場合は、その付箋に近い文節に注記する。付箋が紙面の上部あるいは下部にあっても、単に〈付箋〉として貼られている場合はその場所を示す必要はない。

J 異本や異文注記が上部余白部分に記されている場合は、「人や/人$我イ〈上空白部〉」として対処した。

K 傍記だったかと思われるものが本行に書写されている場合は、「/本行書写」として対処した。

L 本行本文に割り注がある場合は、「よ/(割注)常陸守取婿(改行)少将たかへす」として、本文に関わる付加情報として注記した。

M 底本の和歌に関して、一首全体が補入となっている場合は、「いせ人の/コノ歌ハ補入」とした。

N 落丁の該当箇所には、「ナシ/落丁」とした。

O 濁点のある箇所には〈濁〉を付す。また、清音で読む事を示す記号が付いている場合は〈清〉を付す。「あつしく/つ〈清〉」は、「つ」に清音で読む事を示す記号が施されている場合である。

P 同じ文節に複数の注記を付す場合、本行本文への注記の次に傍記に関するものを列記する、という順番で読点によって区切る。
  源内侍のすけ/源$藤、傍藤〈朱合点〉、傍藤=これみつかむすめ也
 ただし、データベースとして検索されることを前提としているので、注記の順番は厳密でなくてもよい。


Q 漢字本来の意味を持って書写されている文字については、付加情報として「/〈漢字〉」という記号を付し、解釈の入らない翻字を目指す。これは、〈源氏物語翻字文庫〉が「変体仮名混合版」に移行することに伴う対処である。
 例えば、身投げの意味で「身越奈个」と書写されている場合は「身越な个/身〈漢字〉」(従来は「身をなけ」)と翻字し、見ることができない意味で「身衣寸」と書かれていれば「身えす」(従来は「みえす」)とする。
 『源氏物語別本集成 続』から「変体仮名混合版」に移行した後のデータでは、変体仮名の字母を漢字で明記することに加えて、漢字本来の使用例には当該漢字に付加情報「/〈漢字〉」という記号で明示することになる。

posted by genjiito at 23:04| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年01月20日

抱え込んでいた疲れが弱い所に出た?

 今、7種類もの薬を飲んでいます。
 消化管と血糖値と副鼻腔に関係する薬です。
 私が一番弱点とするところを、これで治癒しようという対処策です。

 食事に気をつけているので、というよりも妻の配慮があるために、体調としては良好です。しかし、体調を気づかっているようでいて、その実、自覚に欠けるせいもあり、元気ではあっても何かと無理をしていることは明らかな日々に違いありません。

 食事中に突然食べ物が喉を通らなくなったり、寝起きの逆流性食道炎はよくあることです。
 主治医によると、これは消化管を全部摘出したのだから、どうしようもないことなのだそうです。
 それに慣れるしかないようです。

 そんな私の周辺では、インフルエンザに罹った、罹っている、という方が何人かおられます。
 いろいろな病気を患う私であっても、このインフルエンザだけは経験がありません。幸運と言うべきなのでしょう。

 2週間前に、遅ればせながら、念のためにインフルエンザの予防接種を受けました。自分のためというよりも、他人に迷惑をかけないためです。

 その際、鼻がグスグスしていたので、吸引と吸入をし、抗生物質をもらいました。
 ところが、その後に意外な展開が待っていたことは、「江戸漫歩(94)歯の激痛を堪えながら有楽町と明石町へ」(2015年01月11日)に記した通りです。

 先週末に京都に帰ると、すぐに烏丸御池の歯医者さんの所へ行き、東京での顛末を伝えました。

 いろいろと調べてもらった結果、やはり歯はどこも悪いところはないそうです。レントゲンを見ながら、副鼻腔に溜まった液体が今回の原因と思われるとのことでした。すぐに耳鼻咽喉科へ行くことを勧められました。

 近くの医院を紹介できるとのことでした。しかし、京都だとこまめに通院できません。
 先日、インフルエンザの予防接種を受けたのが宿舎に近い佃島にある耳鼻咽喉科だったので、翌日すぐに上京して診てもらいました。

 案の定、副鼻腔炎でした。
 もう27年前のことになります。大阪赤十字病院で副鼻腔の大手術をしました。『データベース・平安朝日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』(同朋舎)は、この入院中に仕上げた仕事です。ベッドの上で、表紙や本のカバーのデザインを考えました。
 私の最初の研究書である『源氏物語受容論序説 −別本・古注釈・折口信夫−』(桜楓社)の索引も、この病院のベッドで作成しました。
 そして、入院中に伊井春樹先生から『源氏物語別本集成(全15巻)』の刊行直前ということもあり、何度か打ち合わせの電話がありました。まだ携帯電話などない時代です。先生からかかってきた電話を、看護婦さんたちの部屋(今で言うナースセンター)で受け、薄暗い廊下で受話器のコードを目一杯に引っぱってお話をした記憶が懐かしく蘇ります。
 あの大手術は、私にとっては充実した日々の中での出来事だったのです。

 毎年、春先になると、風邪に似た症状に見舞われます。内科に行くと、花粉症の季節ということもあり、鼻の対処療法を受けてきました。しかし、どうやらその根源には副鼻腔のトラブルが伏流していたのです。
 何となく、予感はありました。しかし、いつかまた、ということで、本格的な対処は考えないようにしていたところがあります。

 体質的に、身体の不調は大事に大事に抱え込んでいるようです。
 そんなことを繰り返して何十年も来たので、副鼻腔もそろそろ悲鳴を上げはじめたようです。

 今回も大事に至る前に、自分の身体をごまかさない対処をして、しっかりと治したいと思っています。
 これまでも、早め早めの対処で生き延びてきたのですから。
 家族からは、病院大好き人間、と言われています。
 何か身体に変調があると、すぐに病院へ行くからです。
 「病院は私にとってのオアシスです」と言うと、また家族から「いってらっしゃい」と言われそうです。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 健康雑記

2015年01月19日

『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その2)

 昨日の「A〈翻字本文〉に関して」という凡例文の検討では、翻字データを「変体仮名混合版」へ移行するにあたり、従来の文言の補訂を試みたものでした。赤字で示した箇所がその改訂部分となっています。

 それに続く『源氏物語別本集成 続』の凡例は、「B〈校訂本文〉に関して」です。
 これは、これから池田本と尾州家河内本の校訂本文を作成するプロジェクトが始動する時なので、その過程で見直しをしてご教示を乞いたいと思います。

 「C〈校異〉に関して」について、「変体仮名混合版」の作成に着手することに伴う改訂はありません。これまでの本文校合の結果が、写本に書写された文字の実態に則した、さらに詳細な本文校異が確認できるようになります。
 ただし、現今の『源氏物語』に関する翻字データのすべてを「変体仮名混合版」に移行するまでには、膨大な人手と時間が必要です。

 本文異同を校異という形で確認できるのは、本文を扱う上では一番楽しみなアウトプットの部分です。この結果が、『源氏物語』の諸本の位相を考える手だてを与え、本文に関する研究を飛躍的に進展させるものとなります。しかし、残念ながら、この段階に達するまでには、今しばらくお待ちいただくしかありません。

 「D 翻字・対校上の方針について」は、「変体仮名混合版」に移行するにあたって、翻字を進める上での大切な注意事項です。ただし、特にいま改訂するところはありません。
 ここでは、『源氏物語別本集成 続』に収録した凡例の当該項目を、確認の意味で引用しておきます。

 現在、翻字を進めてくださっている方々からの質問は、実はこの対校のためにデータを加工したことに関してのものが一番多いのです。
 このデータベースのために施した翻字上の処置を理解していただくと、翻字するペースが格段に上がることでしょう。
 お役にたてば幸いです。
 

 D 翻字・対校上の方針について

@ 漢字・かなの区別をはじめ、かな遣い・あて字などは、すべて写本通りとした。もとの漢字が通行の文字表記とは異なる場合にも、写本通りに翻刻するように心掛けた。ただし、情報文具を活用した利用を考慮して、補助動詞として用いられた「玉」は「給」に統一するなど、適宜判断して最小限の手を入れた所がある。また、旧字体・異体字は、現行の漢字に改めている。「長恨哥」「萬」「泪」などは、通行の表記である「長恨歌」「万」「涙」として、検索などの便宜を優先した。

A 諸本間の異同は、底本である陽明文庫本の文節単位で対比することを原則とした。複合語については、便宜上二文節、三文節に区切った例もある。原則としては、底本に沿って文節を切っていく。しかし、それによって異文を単語の途中で切ってしまうことのないように配慮した。

B 文節に切るにあたっては、諸本の異同の状態を考慮し、利用上の便宜を優先した場合がある。文脈と異文の状態を勘案しながら、本文を文節に切る作業においては柔軟に対応している。なお、『源氏物語別本集成』から『源氏物語別本集成 続』へと本文データを移行するのに伴い、文節切りの見直しによる変更がある。そのために、通番号としての文節番号が飛ぶことがある。従来の一文節を細かく切り直した場合は、ハイフォン以下の三桁の枝番号を利用している。

C 底本の語句に対応する本文(文節箇所)が対校本文に存在しない時は「ナシ」とした。ただし、底本の文節に諸本の異同を対応させることによって、異文が付属語だけになった場合には、前の文節に含まれるものとして扱い、当該文節は「ナシ」とする。例えば、底本が「かひなく・おこにこそ」とある時、他本で「かひなうをたにこそ・ナシ」としたものなどである。また、底本の二文節以上が異本では一文節になっている場合は、異文を底本の一文節目に含め、二文節目以降は「ナシ」と表記するのを原則とした。例外として、利用上の便宜を考慮して、「み・給・しる」「み・もて・ゆくに」「みな・人々」などのように、複合語を分割した場合もある。

D 底本とまったく異質な異文の対校にあたっては、その異同が生じた最初の文節以降を、一括して直前の文節につなげることを原則とした。底本が「給ふを・ひたり・みきに・くるしう・おもへと・かの」とある時の、他本で「給にかほうちあかめてゐたり・ナシ・ナシ・ナシ・ナシ・ナシ」とある例などの場合である。

E 異本で補入されている形の接頭語や副詞などは、その語が付属することになる文節の最初に置く。底本が「みこも・あはれなる」で、他本が「みこも・いとあはれなる」とある場合の「いと」の扱いなどである。また、異文が複合語となっている場合は、その語の属する文節に含めて扱う。

F 踊り字の記号として、仮名には「ゝ」、漢字には「々」、文字列には「/\」の三種を、それぞれの用途によって使い分けた。「ことゝ」「人々」「こゝろ/\」などである。語頭に踊り字がある場合は、そのすべてに対してカッコを付して読みを開いた(「ゝはには(きはには)」)。語中語尾の踊り字は、開かずにそのままにする。漢字に付いた踊り字で、それがひらがな一語を送るために使用されているものがある。「事ゝ」は、「事と」と読ませようとするものである。「事々」として「ことごと」と読み誤ることのないようにした。

G 「も」と「ん」については、当然「も」と読むべき「ん」でも、表記された字形を優先して書かれているままの文字で対校した。

H 写本の保存状態が悪くて文字が欠損・虫食いとなっていたり、写真版の解像度が低いために肉眼では読み取れないものであっても、文字の一部と文章の流れから類推して読める文字には、〈判読〉と明示して読み取ったものがある。

I 文字の欠損や虫食いにより、判読不明の文字や読みに疑問のある文字は「△」とした。
posted by genjiito at 22:08| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年01月18日

『源氏物語』の翻字本文に関する凡例の改訂(その1)

『源氏物語別本集成 続 第一巻』(平成17年5月、おうふう)に掲載した凡例をもとにして、翻字に関する部分を見直し、再検討しています。これからの規範とする、「変体仮名混合版」の凡例を作り直すためです。
 これまで翻字の規範としていた凡例を改訂するにあたり、本日より何回かに分けて掲載します。

 従来の凡例(平成17年5月版)を、これから順次俎上にあげて検討を加えます。
 折々にご教示をいただきながら、新たな翻字データ作成の目安にしたいと思います。

 まず、『源氏物語別本集成 続』の凡例(第一巻所収、平成17年5月、8〜23頁)のうち、「A〈翻刻本文〉に関して」という箇所からです。
 当時は、「翻刻」と言っていました。この用語は古写本を扱う場合には不適切なので、今は「翻字」と言っています。

 今回手を入れた部分は赤色にしました。


 A〈翻字本文〉に関して

@ 底本である陽明文庫本を精査した結果を、10桁の通番号を付して文節単位で区切って示す。
A 書写様態などに関する付加情報は、該当文節末にスラッシュ(/)を付し、備考として明記する。詳細は、後出の「E 翻刻本文に対する付加情報について」を参照されたい。
B 『源氏物語別本集成』では、傍記は物語本文に関するものに限って校合対象としていた。その後、『源氏物語別本集成 続』では、すべての傍記、傍注を翻字し、校合の対象とした。この方針は、今後とも『源氏物語別本集成 続』を継承する。
C 傍書(=)、ミセケチ($)、ナゾリ(&)、補入(+)などの表示方法は、『源氏物語別本集成』と同じである。ただし、『源氏物語別本集成 続』以降は、補入に関して変更がある。補入と思われる箇所であっても補入記号のない場合には「±」の記号を用い、傍記との違いを識別できるようにした。
D 和歌の表記方法については、原本通りの体裁とする。大方は、二字下げで下の句を改行する形式となる。ただし、巻によっては改行後の字下げがない場合、また、改行もなしに本文に続く場合もある。次世代に引き継ぐ管理用のデータでは、和歌の始発部と末尾にカギカッコ(「 」)を付すことによって、どこからどこまでが和歌の部分かを判別できるようにしている。
E 2015年以降に作成する翻字データにおいては、「変体仮名」は字母となる漢字で表記する。「変体仮名」とは、明治33年に制定された「小学校令施行規則」の第1号表に掲示された48種の字体(「え」「お」は現行のものを当てる)以外のものをさす。


 Cについては、翻字者の解釈が伴うものとなります。この「±」の記号を用いることについては、さらに検討したいと思います。

 Eが増補されたものであり、今回の大きな改訂となる箇所です。
 この改訂に伴う具体的な対処は、次回、「D 翻字・対校上の方針について」で詳しく検討を加えます。
posted by genjiito at 22:09| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年01月17日

「変体仮名混合版」を後押しする手厳しくもありがたい批判

 昨日、「変体仮名混合版」に関する補足説明を記しました。
 このことに関して、今日のワックジャパンでのハーバード大学本『源氏物語』を読む会で、手厳しくも貴重な意見と、問題点をずばりと突いた指摘をいただきました。

 ハーバード大学本「蜻蛉」の1丁ウラの2行目に「身越」とあり、6行目に「身衣寸」とあることについてです。

 今日の指摘は、最初の「身」は身投げのことを言うので「身を」と翻字し、後者の「身」は見ることができる意味なので「み」とするというのであれば、そこには「身」と「見」に関して翻字する者の解釈が入っている、ということなのです。

 前者には漢字としての「身」の意味を読み取り、後者には音としての「み」を充てており、共に解釈が入った翻字となっている、ということです。確かに、後者について、もし写本に「見衣寸」とあれば「見えす」としていたことでしょう。

 これは、そう言われてみれば確かにご都合主義の翻字に他なりません。
 その意味でも「変体仮名混合版」で「身越」「身えす」と翻字することは、恣意的な解釈や状況に応じた判断がないことからも、これまでの翻字よりも客観的で学問的な資料となりうる、ということになります。

 これまで長い間にわたって多くの時間を費やして翻字をやってきた者にとって、一番手痛い指摘であり、ひいては、今回の私の判断を後押ししてくれる批判でもあります。

 このありがたい指摘を受けて、通行の平仮名だけでなくて変体仮名も混在させるという翻字の方針を変更した一大決心が、あらためて揺るぎないものとなりました。

 これで、3日連続の「変体仮名混合版」に関する話題となりました。
 それだけ、私にとっては大きな決断であり、できごとだったのです。
 長い間モヤモヤしていたことが、やつと晴れてきたように思えます。
 得難い研究仲間が身近にいることのありがたさを、痛感しています。
 これ以外についても、さらなるご批判やご意見をお待ちしています。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年01月16日

昨日の「変体仮名混合版」の具体例と確認

 昨日の記事の「変体仮名混合版」について、説明不足だったようなので、もう少し具体的に記します。
 これは、実際に翻字作業をなさっているみなさんとの、情報の共有も兼ねています。

 ハーバード大学本「蜻蛉」の1丁ウラの2行目に字母で示すと「身越」が、6行目には「身衣寸」という文字が書写されています。


150116_mi




 これは、従来の翻字では「身を」「みえす」としていました。それを今後は、「身越」「身えす」にしよう、ということです。

 特に6行目をこれまでのように「みえす」にしていたのでは、写本にどのような仮名が書かれていたのかがわかりません。「み」には、次の4つの可能性が考えられるからです。

(1)「美」
(2)「見」
(3)「三」
(4)「身」

 一般的には、現在の平仮名「み」の字母である「美」と類推されます。しかし、「三」の場合も多く、意味から考えると、ここは「見ることができない」という文意であることから「見」だったかとも思われます。しかし、実際には「見」でも「美」でも「三」でもなくて、「身」なのです。

 つまり、2行目の「身越」は「身投げ」の意味なので漢字のままの表記で問題はありません。
 しかし、6行目の「身」は変体仮名としての「mi」の音を示す「身」なのです。
 そこで、新しい翻字では「身えす」とするのです。漢字表記としての「身」と、変体仮名としての「身」が混在しています。しかし、元の写本に戻れる翻字を心がける主旨からは、「身」が最も適切な翻字となります。

 このようにして、現行の1字に1音しか認めていない明治33年以来の平仮名の使用環境では、翻字から写本に書写されている実際の状況が復元できなかった問題が解消するのです。
 つまり、近現代の用字法に合わせた現行の翻字では、どうしても不正確で矛盾するものに留まっていたのです。
 次の世代に、こうした不正確な翻字を受け渡していいはずがありません。

 こうしたことから、今回、変体仮名として用いられている文字については、その字母で翻字することにしました。
 書写された文字の字母が現行の平仮名と同じ場合には、これまで通りに翻字します。
 そして、現行の平仮名と字母が異なる場合は、当該文字の字母である漢字で翻字することになります。

 その際、例えば「の」という文字が、明らかに字母である漢字の「乃」と明確に書かれていても、これは「乃」とせずに「の」とします。
 無限に変形変化する仮名文字を、どのレベルの崩し方かを見極めて区別するのは、無用の混乱を招き、翻字作業が遅滞する原因となるからです。
 この件に関しては、説明が必要になった折々に、この場で取り上げることにします。
posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年01月15日

『源氏物語』を「変体仮名混合版」にする方針で一大決心

 この30年間、『源氏物語』の古写本に写されている筆文字を、現代人のために翻字してきました。その際、現代の平仮名に置き換えていたので、「多」は「た」に、「尓」は「に」に翻字していました。
 しかし、今日からは、そのやり方では翻字をしない、という決意を固めました。

 昨年末の豊島科研研究会で、私は「ハーバード大学本「須磨・蜻蛉」の字母に関する一考察」と題する発表をしました。そこでは、従来の現行平仮名での翻字では、翻字表記文から元の写本の表記に戻れないことのジレンマを表明しました。そして、「変体仮名交じり字母混交版」というものを提示したのです。これによって、明治33年に小学校令施行規則第1号表に48種の字体で示された、1音1字の原則が生み出す矛盾から、やっと開放されることになったのです。

 ハーバード大学本『源氏物語』「須磨」をもとにした「変体仮名混合版」の具体例は、「豊島科研の源氏本文に関する研究会」(2014年12月13日)を参照願います。

 もちろん、このことは、すでに提案がありました。


田坂憲二「字形表示型データベースの提案−大島本桐壺巻から−」
横井 孝「かな字母による表記情報学の課題」
 (『日本古典籍における【表記情報学】の基盤構築に関する研究V』今西裕一郎編、2014年3月、国文学研究資料館)


 田坂氏のものは、「変体仮名の字母が明らかになる形のデータベース」の提案です。「桐壺」を例にしてのご論は、その必要性も含めて痛いほどにわかります。しかし、『源氏物語』の54巻セットをその形でやるためには、膨大なエネルギーが必要です。理屈では理解できても、それを実際に形にする立場からは、長い逡巡がありました。

 上記の豊島科研研究会での発表は、実際に54巻を見据えてやってみての、私なりの手応えと結果を提示したものです。
 そして今日、ハーバード大学本『源氏物語』の「須磨」と「蜻蛉」に加えて、国立歴史民俗博物館蔵「鈴虫」も、私が言う「変体仮名混合版」を作成し終えました。

 これが実現したのは、あらかじめ字母による翻字ができていたからです。しかし、翻字の最初から「変体仮名混合版」を作るつもりで始めると、手間はかかってもそれ以外に何も問題はありません。
 その作業手順の凡例も、完成しつつあります。

 ということで、今日以降の翻字は、「変体仮名混合版」でいきたいと思います。
 ただし、当面は鎌倉期の写本に限定しての取り組みです。

 私の手元には、35万レコード以上の『源氏物語』の各種写本の翻字データがあります。
 これらをすべて「変体仮名混合版」にすることはできません。最初から写本を見直し、変体仮名の部分を一文字ずつ入力し直していくのですから、とてつもない時間がかかります。
 そのため、今は鎌倉時代の写本に限定して取り組むことにしました。続きは、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉で引き継ぐ中で、長い時間をかけて、そして少しずつ「変体仮名混合版」に入れ替えていただくことにしましょう。
 あと30年もあれば、今手元にあるデータの主なものは、「変体仮名混合版」に移行できるはずです。

 現在、何人もの方々に『源氏物語』の翻字をお手伝いしていただいています。
 それを一度止めていただき、新しい方針である、変体仮名で表記されている文字はその字母でデータ化する方針に転換します。

 しばらくは、作業も整理も管理も混乱することは必至です。しかし、今ならばできる、と決断しました。
 ご理解とご協力をいただいているみなさまには、後日あらためて連絡をいたします。

 これはNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の新しい取り組みとすべく、運営メンバーや会員のみなさまとも、具体的に作業手順と確認のプロセスを再検討することで、さらに質的向上を果たしたデータベースへと姿を変えていきたいと思います。その意味では、これまでの30年間で構築した『源氏物語』の本文データベースから、新たな「変体仮名混合版」のデータベースに進化する転換点となったとも言えます。

 現在、写本を読んでくださる方が激減しています。
 翻字の確認は、ゼロからではなくて、すでに翻字されているデータに校正の要領で朱を入れていく手法で取り組んでいます。手元の資産を活用して、それに手を加えて新たなデータを形成しているのです。決して、何もないところから、写本を見て翻字をするのではないので、ご安心ください。

 次世代に引き渡す『源氏物語』の本文データベースの構築と作成に興味と関心のある方は、このブログのコメント欄を活用して連絡をください。折り返し、具体的な作業内容をご説明いたします。
posted by genjiito at 23:58| Comment(2) | ◆源氏物語

2015年01月14日

わが父の記(6)弁当箱で父の歯が折れたこと

 先週から、歯痛に悩まされています。
 頬が垂れ下がるほどに腫れていたので、マスクが手放せませんでした。
 今も、人前では顔を、というよりも頬っぺたをマスクで覆っています。
 風邪のシーズンということもあり、対面していてもあまり違和感はないようです。

 右目がだるくなり、常に頭が重たいので、無理をせずに身体を休めることにしています。

 その歯については、あまりいいことを思い出しません。
 もっとも、歯で楽しいことを思い出すことなど、逆にあるのでしょうか。
 テレビのCMに出てくる、キラキラ輝く歯の方との出会いも、残念ながらありませんでした。

 歯の本来の役割を考えると、生活と密着したものなので、楽しさとは結びつかないのでしょう。

 歯といえば、父の歯のことを思い出します。
 私の不注意が原因で、父は入れ歯になったのです。
 その父が亡くなって、今年の5月で32年になります。

 小学校に入る前のことでした。
 父は大阪の土木現場へ出稼ぎに行き、母が、姉と私を生まれ育った出雲で育ててくれていた頃のことです。
 父は年に2、3度、たくさんのお土産を抱えて、大阪から帰って来ました。

 両親は艱難辛苦の末、命からがら満州から引き揚げてきました。
 『桜子は帰ってきたか』(麗羅)という第1回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞した小説は、私にとっては両親が満州を彷徨った話を思い出す本となっています。
 ただし、父は小説のように満州で殺されたのではなく、シベリアで強制労働をさせられて復員したのですが。

 父のシベリア抑留生活に思いを馳せる話は、ちょうど5年前の「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年1月17日)に記した通りです。

 さて、私が小学校に入る前の、出雲での話でした。
 父が、出雲の小さな市営住宅に帰ってきていた時のことです。
 夕食の時、母からお弁当を出しなさい、と言われました。
 すぐに布のカバンから何気なしに母に渡したはずのアルミ製の弁当箱が、どうしたことか小さな丸い食卓を挟んで私の向かいに座っていた父の歯を直撃したのです。

 今思い返しても、なぜそんなことになったのかわかりません。
 久しぶりに父がいて、嬉しさのあまりに興奮し、私が調子に乗ってふざけながら渡したのかもしれません。

 とにかく、父の前歯が確か2本折れたか割れてしまったのです。

 怒られる、とビクビクしていたのに、父も母もいつものようにニコニコしていたことだけを覚えています。


150114_parents




 あの出来事は何だったのでしょうか。
 いまでも、両親が優しく私を咎める目つきで見たことしか、思い出せないのです。
 怖くも何ともない、それでいて「だめだよ」という、たしなめる目でした。

 以来、父の前歯が入れ歯になりました。
 貧しかった我が家で、入れ歯を作るなど法外な出費となったことに違いありません。
 両親は、その費用の工面に走り回ったことでしょう。
 父の口元を目にするたびに、心の中で「ごめんなさい」とつぶやいていました。

 優しい目で叱る、ということはできるようです。
 すでに両親が共にいない今、あの時の気持ちを聞きたいのですが、……
posted by genjiito at 23:36| Comment(0) | 回想追憶

2015年01月13日

平成26年(2014)を記録した写真集【その4/4】

 昨年、平成26年のブログから、私の記憶に新しい写真を選んでみた【その4】です。
 この第4で終わりです。
 
 これまでのものは、以下のタイトルでアップしています。

【その1】「平成26年(2014)を記録した写真集【その1】」(2014年12月31日)
 
【その2】「平成26年(2014)を記録した写真集【その2】」(2015年01月09日)
 
【その3】「平成26年(2014)を記録した写真集【その3】」(2015年01月10日)
 
 写真の説明は、当該のブログをご覧ください。
 
 
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(26)「江戸漫歩(88)皆既月食から鋭気をもらう」

(2014年10月08日)
 
 深川に着いた頃には、まん丸だった月は欠け始めていました。

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(27)「日本盲教育史研究会に参加して(その2/3)」

(2014年10月12日)
 
 日本盲教育史研究会で広瀬浩二郎さんの講演に飛び入り参加。

141011_my_speach



 
 
(28)「京洛逍遥(339)賀茂川での呈茶と長生堂の和菓子」

(2014年10月18日)
 
 北大路橋のたもとで、何度か紹介している方がお茶を点てておられました。

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(29)「源氏を読む会の中止と区切り目の年へ突入したこと」

(2014年11月08日)
 
 娘たちから贈られた記念の「63」という数字。

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(30)「第38回 国際日本文学研究集会の第1日目」

(2014年11月29日)
 
 
 深川図書館の建物の風格を見せるイチョウの黄葉。

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(31)「第38回 国際日本文学研究集会の第2日目」

(2014年11月30日)
 
 
 国立国語研究所の周りのみごとな紅葉。

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(32)「江戸漫歩(93)六本木・東京タワー・芝公園へ紅葉狩り」

(2014年12月07日)
 
 
 芝公園から東京タワーを見上げると季節感を纏った姿が。

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(33)「日比谷図書文化館でハーバード本を読む(5 最終回)」

(2014年12月11日)
 
 
 日比谷図書文化館はいつも明るくておしゃれです。

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(34)「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」

(2014年12月20日)
 
 視覚障害者と共に古写本を読むための立体コピー。

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(35)「お茶のお稽古の後に視覚障害者のことを想う」

(2014年12月23日)
 
 
 帰りの京都駅前では、ちようどアクアファンタジーが始まっていました。

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posted by genjiito at 22:51| Comment(0) | 回想追憶

2015年01月12日

観音崎灯台で『球形の荒野』を想う

 連休はほとんどの予定が、突然の歯痛のためにふっ飛んでしまいました。
 唯一出かけたのは、三浦半島にある観音崎。
 浦賀駅からバスで行きました。


150112_uraga




 バスで鴨居港を通過する際、車窓から「どんど焼き」という小正月の無病息災を祈る、火祭りの行事をみかけました。


150112_tondo




 私が生まれた出雲地方では「とんどさん」と言っていました。平安時代には宮中で「左義長(三毬杖)」という行事を、正月15日にやっていたとか。調べるとおもしろいことがわかりそうです。

 雲一つない空の下、観音崎の対岸には千葉の浦々が望めて、気持ちのいいところでした。
 東京湾を隔てて房総半島まで、たった7キロしかないそうです。


150112_keisyouhi




 ちょうど、水仙が見ごろでした。


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 レストランも本格的です。観光地と思って入ったのに、うれしい誤算のおいしい料理をいただくことになりました。お店の方も感じのいい方たちだったので、房総半島と太平洋を見ながら気持ちよく食事をしました。


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 その後庭から岸壁を見下ろしながら、松本清張の『球形の荒野』(監督・貞永方久、1975年、松竹)が撮影された場所を想像しました。
 芦田伸介(野上顕一郎)が島田陽子(野上久美子)と一緒に、この観音崎の岩場で「七つの子」を歌うラストシーンが印象的な映画です。
 しかし、この日は上空をトンビの大群が飛び回っていて、不気味さ混じりで身を竦めながら、レストランの庭を歩くことになりました。


150112_tonbi




 私が好きなこの映画『球形の荒野』について書いた過去のブログには、次のものがあります。

「テレビドラマ『球形の荒野』は「後編」に期待」(2010/11/27)

「テレビドラマ『球形の荒野』(後編)を観て」(2010/11/28)

「【復元】初夏の散策(9)萬葉の白毫寺」(2011/9/20)

 少し山登りをして、観音崎灯台に行きました。その道中では、自然の雄大さを感じられる石に圧倒されます。


150112_kigan




 観音崎灯台では、受付の方が親切にな説明をしてくださいました。


150112_toudai




 高所恐怖症の私は、灯台の上へは恐る恐る登り、狭い展望デッキの壁にへばり付いて半周だけして、すぐに降りました。

 目の前の浦賀水道を眺めていると、今日は対岸に東京スカイツリーが見えると、先ほどの受け付けの方が教えてくださいました。しかし、私にはよく確認できませんでした。
 今、写真を拡大して見ると、煙突から煙が上がっている右横に、確かに見えます。


150112_skytree




 ペリーの黒船来航のことや、坂本龍馬がここを通ったとかいう話を思い出しながら、しばし日常を忘れる静かな時間を持つことができました。
posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | ブラリと

2015年01月11日

江戸漫歩(94)歯の激痛を堪えながら有楽町と明石町へ

 歯に痛めつけられています。歯が痛いのは、どうしようもありません。
 打つ手がないままに、来週京都に帰った時、現在かかっている烏丸御池の歯医者さんで診てもらおうと思っていました。

 年末年始は、歯の違和感程度でやり過ごしていました。しかし、5日ほど前から違和感が軽い痛みに変わり、一昨日からその痛みがさらに増してきました。

 宿舎にあった「バッファリン」を飲み、何とか鎮めたと思っていたら、昨夜から激痛に襲われることになりました。

 いつものようにブログをアップした直後に、顔の右半分と頭が痺れ出しました。生憎、「バッファリン」は昨日の分で最後だったようで、この痛みを鎮める薬がありません。

 深夜営業をしている薬局を、妻がネットで検索してくれました。しかし、この宿舎の周りの深川地区では、午後11時以降に開いているドラッグストアが皆無です。これは意外でした。
 日頃は至る所に見かけるドラッグストアです。近所にも、思い出すだけでも8店もあります。しかし、いずれも24時間営業ではないのです。

 東京のど真ん中とでも言える地域にいるのに、不思議なことに夜中に行ける薬屋さんがないのです。
 終夜営業の薬局としては、一番近いのが有楽町駅前のマツモトキヨシでした。

 真夜中に自転車で有楽町に行くのは不安なので、タクシーにしようと思いました。しかし、まだJRの京葉線が走っているので、フラフラする身体と頭を妻に守ってもらいながら、0時10分の東京行きの電車に飛び乗りました。京葉線の東京駅は、限りなく有楽町駅に近いのです。
 宿舎の部屋を出てから15分で、有楽町駅前のマツモトキヨシに辿り着きました。

 こんな時に一番いい「ロキソニン」は、薬剤師のいないこの時間帯には手に入りません。すぐに「バッファリン」をいただき、思いついた昔懐かしい「今治水」もいただきました。もっとも、この今治水は、何の役にもたちませんでしたが。

 目的の薬が手に入ったので、歯の激痛を我慢しながら、東京駅0時33分発の最終電車で帰りました。

 しかし、せっかく手に入れた薬もまったく効果がなく、眠れないままに夜が明けました。
 痛みは治まる気配がありません。妻が、「中央区休日応急歯科診療所」というところを見つけてくれました。午前中の少し痛みが和らいだタイミングを見計らって、ウォーキングがてら行きました。

 この診療所は、昨年の春にNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第2回総会を開催した、東京都中央区明石町区民館のすぐそばでした。聖路加病院がある一帯です。
 聖路加タワーは、宿舎から隅田川越しに見えます。すぐ目と鼻の先にある地区なのです。

【9.1-NPO】「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉第2回総会を終えて」(2014年04月19日)


150111_seiroka




 近くに、こうした歯科の応急診療所があるのは大助かりです。
 東京での歯医者は、いろいろと酷い処置をされた経験があり、もう懲り懲りしているので、行きつけの歯科がないのです。

 京橋からお出での担当医の先生は親切で、手際よく痛みの原因が虫歯によるものではないことを、レントゲン写真を私にも示し、適切な判断で見極めてくださいました。そして、詳しく図示しながら、これは細菌による痛みであり、時間と共に沈静化させる薬を処方してくださいました。

 さらには、私の歯を食いしばる日々について、警鐘を鳴らしてもらいました。実は、先生も歯を噛み締めるタイプで、先日の講演会では、部屋に「歯をはなす」「リラックス」などと書いた張り紙をして、目にするたびに身体の力を抜くようにしているのだそうです。
 私も、寝る時などには、クッション役となるマウスピースを嵌めています。それでもやはり、仕事に熱中したりすると、歯をグッと噛み締めている自分を意識することがしばしばあります。

 先生の話を伺いながら思い出しました。先日の毎日新聞(1月8日夕刊)に、「熾烈接触癖(TCH)」についての特集記事があったのです。

 その記事を紹介します。


歯の接触を少なくするには
ステップ1
側頭筋と咬筋に指を当てて
上下の歯のかみ合わせ、
筋肉や顎の関節に負荷が
かかっていることを認識する

ステップ2
生活空間の10カ所
以上に張り紙をし、
目にするたびに
顔や前身の力を抜く

ステップ3
歯が離れた
状態が定着する。
接触すると違和感を
覚え、反射的に
離すようになる



150111_relax




 今日は、先生から懇切丁寧な説明を受け、激痛の中での不安を解消していただきました。
 ありがとうございます。
 そして、力を抜いた生活を心がけるようにとのご教示を強く意識して、今年も研究を続けて行きたいと思います。

 お腹に何か入れて、すぐに薬を飲むためにも、築地方面に脚を向けました。

 途中で、慶応大学の記念碑を見かけました。


150111_fukuzawa1




 婿殿が大好きな福沢諭吉の言葉が、本型の石に刻まれています。


天ハ人の上尓
人を造ら春゛

人の下尓
人を造ら春゛



150111_fukuzawa2




 私は、この内容よりも、書かれていた変体仮名に反応して写真を撮りました。
 「ハ」「尓」「春゛」などは、変体仮名です。今はこうした文字が読めない文化を形成しています。しかし、私は1日も早く、こうした変体仮名も読めるようになり、かつての日本語を自由に読めるような環境を作る必要性を痛感しています。

 歩いてすぐの築地場外市場には、波除神社があります。


150111_namiyoke




 まだ江戸の神社仏閣に初詣をしていなかったので、私の身体にとって一番重要な食事に関することでもあるので、この波除神社で今年1年の無病息災などなど、お願いをしました。

 なお、この波除神社のことは、次の記事で詳しく書いているので、ここでは省略します。

「江戸漫歩(46)糖質制限と築地のすし塚」(2011/9/28)

 築地は、観光客でごったがえしていました。8割方は中国からのお客さんのように見受けられます。

 大通りに面した海鮮丼屋さんは、この前に失望したので、今日は少し中にある清潔なお店で海鮮丼をいただきました。目の前で、板前さんが丁寧にマグロの短冊を切りそろえておられました。

 食後に、いただいたばかりの薬を飲み、またもと来た道を歩いて帰りました。
 勝鬨橋からは東京タワーが、相生橋からは東京スカイツリーが見えました。
 見比べると、見慣れているせいか、東京タワーの方が格好いいように思いました。
 明日はもう1日祝日があります。
 ゆっくりと身体を休めて、ゆっくりとスタートをしたいと思います。
posted by genjiito at 22:27| Comment(0) | 江戸漫歩

2015年01月10日

平成26年(2014)を記録した写真集【その3】

 昨年、平成26年のブログから、私の記憶に新しい写真を選んでみた【その3】です。
 
 これまでのものは、以下のタイトルでアップしています。

【その1】「平成26年(2014)を記録した写真集【その1】」(2014年12月31日)
 
【その2】「平成26年(2014)を記録した写真集【その2】」(2015年01月09日)
 
 写真の説明は、当該のブログをご覧ください。
 
 
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(16)「京洛逍遥(327)ストレス解消の課題を抱えて見る西山の夕焼け」

(2014年07月07日)
 
 茜色の夕日が西加茂に落ちる賀茂川の川面。

140707_yuuhi1



 
 
(17)「京洛逍遥(328)冷房攻めから逃げるように祇園祭へ」

(2014年07月18日)
 
 今年から祇園祭に登場した四条町の大船鉾の組み立て風景。

140718_oofune3



 
 
(18)「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第12回)」

(2014年07月19日)
 
 ワックジャパンの京町家「わくわく館」で古写本『源氏物語』を読む。

140719_wakjapan



 
 
(19)「京都府立盲学校の資料室(その1)」

(2014年08月04日)
 
 明治11年に日本最初の京都盲唖院として開校した時の院長は古河太四郎です。

140804_mougakko2



 
 
(20)「お盆で庵主さんと語らい河内高安へ墓参に」

(2014年08月15日)
 
 今年も養林庵の庵主さんが我が家に来てくださいました。

140815_anjyusan



 
 
(21)「京洛逍遥(335)大雨の後の如意ヶ岳を焦がす大文字」

(2014年08月16日)
 
 大雨の後の如意ヶ岳を焦がす大文字は印象的でした。

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(22)「京洛逍遥(337)下鴨神社の盆踊りと地域の地蔵盆」

(2014年08月23日)
 
 下鴨地域の地蔵盆で子供たちが演芸会をしていました。

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(23)「江戸漫歩(84)秋を迎えに新宿の思い出横丁へ」

(2014年09月04日)
 
 45年も足を運んでいる新宿の思い出横丁へ。

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(24)「日南町でハーバード大学本「須磨」を読む」

(2014年09月13日)
 
 「須磨」は、読みやすい字で書写されています。

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(25)「京洛逍遥(338)性差別・放送禁止用語を使う青蓮院の時代錯誤」

(2014年10月05日)
 
 飛び立つ鴨を間近で初めて撮影しました。

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posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | 回想追憶

2015年01月09日

平成26年(2014)を記録した写真集【その2】

 昨年、平成26年のブログから、私の記憶に新しい写真を選んでみました。
 何回かに分けてとりあげます。
 これは、【その2】です。

 【その1】は、以下の記事として昨年末(大晦日)にアップしています。
  「平成26年(2014)を記録した写真集【その1】」
 
 写真の説明は、当該のブログをご覧ください。
 
 
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(6)「京洛逍遥(308)通院途中に見かけた鷺たち」
(2014年03月14日)
 

 賀茂川縁では、いろいろな鷺たちが春を待ちわびているようです。

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(7)「NPO設立1周年記念公開講演会を終えて」

(2014年03月23日)
 

 副代表理事である畠山大二郎氏の着装実演のモデルとなりました。

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(8)「京洛逍遥(310)京洛の桜はちらほらです」

(2014年03月30日)
 

 ちょうど、かわいい小鳥が一羽やってきて、花と枝の間をチョンチョンと飛び交っていました。

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(9)「『日本古典文学翻訳事典 1〈英語改訂編〉』を発行しました」

(2014年04月01日)
 

 デザインに拘った装幀をご覧ください。

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(10)「京洛逍遥(314)半木の道の早咲きの桜を確認」

(2014年04月05日)
 

 飛び石のトントンを渡り、近くに寄って確認しました。

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(11)「読書雑記(95)伊藤新之介著『ネットが味方になる Webマーケティングの授業』」

(2014年04月10日)
 

 私の処女出版から28年経って、息子の本を手にすることになりました。

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(12)「早朝の地震の後、渋谷の温故学会へ」

(2014年05月05日)
 

 この日を契機として、視覚障害者のみなさんと古写本を一緒に読むことに挑戦するようになりました。

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(13)「京洛逍遥(319)「いずれがあやめかきつばた」」

(2014年05月18日)
 

 「キショウブ」と思われる「菖蒲」のことです。

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(14)「第3回池田亀鑑賞授賞式」

(2014年06月29日)
 

 池田亀鑑賞の第3回受賞者は、立命館大学の須藤圭氏でした。

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(15)「京洛逍遥(326)三条河原町からバスで帰宅」

(2014年07月06日)
 
 「UP24」というウェアラブルコンピュータを装着しての日々。

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posted by genjiito at 22:57| Comment(0) | 回想追憶

2015年01月08日

科研で公開中のファイルのダウンロード方法を簡略化

 現在、「海外源氏情報」(伊藤科研HP)では、次の2種類のファイルをダウンロードできるように公開しています。

 @「海外平安文学研究ジャーナル 創刊号」
 A『日本古典文学翻訳事典1<英語改訂編>』

 「海外源氏情報」のトップページ下部には「翻訳史&論文データベース」のブロックがあり、ここから「@ 電子ジャーナル」や「A 翻訳事典」をダウンロードするページへと、リンクがつながっています。


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 この2種類のファイルは、科研成果の配付物であることを考慮して、パスワード方式のダウンロードによって、自由に読んでいただく形式にしていました。

 しかし、パスワードを申請する段階でメールアドレスを申告していただき、そのメールアドレス宛にパスワードを送付していたために、かえってダウンロード自体を敬遠されていたようです。
 連絡先としてのメールアドレスを記入することへの躊躇いから、ファイル本体の閲覧をパスされている方が多い実情がわかってきました。

 パスワードを、お聞きしたメールアドレスに通知する方法は、自動応答機能となっていました。それにもかかわらず、メールアドレスを申告することに抵抗を感じられた方が多かったように思われます。

 これは、こちらが意図したものとは違う状況であるため、今回、「[こちら]からお願いします。」をクリックすると、以下の2種類のアンケートをお願いするだけですむようにしました。
 @とAを必須とし、Bへの記入は自由です。
 これまでのように、パスワードを、お聞きしたメールアドレスにお送りする方式はとっていません。
 @とAを送信していただいた時点で、すぐに画面にパスワードが表示されます。

@第一言語
A現在の居住地(国名)
Bメッセージ


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 ファイルとパスワード取得の流れを整理すると、以下のようになります。

1 ジャーナルや報告書のページにある[こちら]をクリック。
2 アンケートページが表示される。
 「第一言語」と「居住地」の2つの項目を入力し、「確認する」ボタンをクリック。
  (メッセージ欄は任意)
3 アンケート欄に入力した@とAの内容を確認後、「送信する」ボタンをクリック。
4 ファイルのパスワード(半角7文字)が画面に表示されるので、それをメモする。
5 その下の[こちら]をクリックして元のページにもどる。
6 「ダウンロード」をクリックする。
6 [4]でメモをしたパスワード(半角7文字)を空欄に入力すると、ファイルが画面に表示される。


 どの言語をお使いの方が、どの国から閲覧しようとしておられるのか、という2つの情報は、今後の研究成果を公開する上での参考とさせていただくためのものです。

 みなさまからの要望をお聞きする中で、一人でも多くの方々に活用していただける情報提供となるように、今後とも試行錯誤を繰り返していきたいと思います。
 ご意見と共に、さらなるご教示をいただけると幸いです。
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | ◆情報化社会

2015年01月07日

新年会と山田先生の最終講義

 東京都心を横断している中央線は、今日も遅れて走っていました。
 長距離を移動することの多い私の生活では、列車内で読書や書きものが捗るので、電車の遅れは時間を有意義に使える貴重な空間ともなります。

 今日は、午前中は職場の大会議室で新年会があり、今西祐一郎館長の年頭のご挨拶を伺いました。
 その後、教職員全員が南出口前で記念撮影をして散会となりました。

 午後は、今年度で定年を迎えられる山田哲好先生の最終講義がありました。
 題目は、「最後の文書整理と目録編成−佐渡国加茂郡原黒村(現・佐渡市)鵜飼家文書−」です。

 山田先生は国文学研究資料館では最古参の教員です。4年前には、インドで開催した〈インド国際日本文学研究集会〉で、東日本大震災に関する「3.11 被災記録資料のレスキュー活動 −岩手県釜石市での実践」と題する発表をなさいました。被害に遭った文書類を救出・修復することについて、詳細な報告をしてくださいました。
 デリーで一緒にお寺に泊まり、大学や施設を回ったことなどを思い出しました。

 今日のお話で、現在取り組んでおられる鵜飼家文書の整理に関して、その大仕事の詳細がよくわかりました。
 今回はアーカイブズ学の視野から、膨大な文書を整理されたことが中心となる内容でした。次の機会には、あらためて文学に関する古典籍についてのお話を伺えれば、と思いました。

 山田先生、今後とも変わらぬ温かいご教示を、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 23:15| Comment(0) | 身辺雑記

2015年01月06日

京洛逍遥(345)2016年に開館予定の新総合資料館(仮称)

 2016年のオープンを目指して、京都府立大学と京都コンサートホールの間の広大な敷地に、博物館機能・図書館機能・文書館機能を統合したMLA複合館としての新総合資料館(仮称)の建設工事が進んでいます(次の写真右側、黄色のエリア)。
 工事が進んでいる新総合資料館(仮称)の向こう側に、京都コンサートホールが見えています。


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 写真左側の新しい施設は、「京都府立大学下鴨キャンパス(教養教育共同化施設「稲盛記念会館」)」です。
 この「稲盛記念会館」は、京都府立大学、京都府立医科大学、京都工芸繊維大学の3大学が教養教育共同化を展開する拠点施設として、昨秋、平成26年9月に竣工したものです。

 この敷地からは平安時代前期の建物跡が発見されているので、1000年以上前から都人が住んでいた地域です。ここから我が家まで歩いて10分もかからないので、新総合資料館(仮称)が完成した後は、ここに毎日通うことになるはずです。私の資料庫とでも言える施設となるのです。

 新総合資料館(仮称)の完成までの様子は、「新総合資料館(仮称)整備に向けて」で、定点観測の写真と共に見ることができます。

 平成19年度に策定された「総合資料館基本構想(PDF:73KB)」を見ると、当初は「京都府立京都歴史文化資料館」という名称も一案として上がっているようです。
 現在はどのようになっているのでしょうか。

 工事現場の下鴨中通り沿いの外壁には、6枚の新館パース図が掲示されています。待ち遠しい施設のイメージを勝手に想像して楽しむためにも、そのパース図を参考までに掲載しておきます。

(1)エントランスのイメージ

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(2)北西角からの眺望のイメージ

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(3)下鴨中通り沿いのイメージ

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(4)閲覧室のイメージ

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(5)文学部吹抜部のイメージ

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(6)講堂のイメージ

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 定年まで、あと2年数ヶ月となりました。東京での仕事もやり残しがないように気を配り、京都に帰るための身辺整理も意識するようになっています。
 そして、定年後に京都に帰った暁には、この新総合資料館(仮称)が利用できるようになっているのです。
 奈良から京都に居を移してからは、手持ちの本を次々と処分しています。家の中は身軽にした生活を送りながら、こうした公共施設を有効に活用して、書籍に囲まれる豊かな環境の中で、さらなる研究に邁進したいものです。
 そのためにも、一日も長く元気に生きていくことが必要最低限の条件です。
 健康管理と体力作りには、これまでに増して気をつけることにします。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年01月05日

京洛逍遥(344)京大病院での検査はギリギリセーフ

 年明け早々の診療初めの日ということもあり、京都大学病院は多くの患者さんで大混雑です。
 採血の結果が出るまでに1時間半ほどかかるので、院内にあるいつものワークスペースで一仕事です。
 窓からは、如意ヶ岳の「大」の文字が、雪解けの中に浮かんでいました。


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 今日のヘモグロビン A1cの値は「7.1」でした。昨年のお正月と同じです。この1年間、7前後を彷徨っています。
 年末年始のせいもあるのか、やや高めながらも今の私の体調からは「まあまあ」というところです。宣言した炭水化物の制限も、このところ勝手に少し緩めています。
 体重は、ここ2ヶ月ほどは50キロをキープしています。

 主治医の先生は最初から、無理はしないで自然に任せ、美味しいものを食べて豊かな食事をしたらいいとおっしゃっていました。今日も、糖質制限食はワンパターになりがちなので、奥さんが困らないように、とのアドバイスをいただきました。要するに、糖質制限食は勧められない、というスタンスです。

 当初は糖質制限食のことで通い出したはずが、しだいに先生の穏やかな語り口に感化されて、今は極端なことはせずに少しはご飯を食べています。
 ただし、食道が詰まって食べるのを中断することがしばしばあるのが難儀です。それと、寝起きの逆流性食道炎が、最近の厄介な課題です。

 そんなこんなの状態なので、人様と一緒に食事をすることは控えています。今朝も腸液の逆流で目が覚めました。今年も会食は、極力遠慮せざるを得ないようです。

 診察後、ウォーキングを兼ねて、京大病院から平安神宮へと足を向けました。


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 途中、みやこめっせの中にあるカフェレストラン「浮舟」で、軽く食事をしました。昨夜から検査のために絶食をしていたので、ゆっくりといただきました。

 「浮舟」の前には、「須磨」巻を題材にして2008年に造られた像と碑文があります。


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 石碑には、光源氏と紫の上の次の歌が刻まれています。


源氏物語が世に出て一千年…
源氏ゆかりの地「京都」へ

身はかくてさすらへぬとも君があたり
 去らぬ鏡の影は離れじ(源氏の君)

   別れても影だにとまるものならば
    鏡を見てもなぐさめてまし(紫の上)
          「源氏物語」須磨より


 レストラン「浮舟」の入口に、なぜ須磨へ旅立つ2人の別れの場面が展開する趣向になったのか、私にはよくわかりません。「石碑の寄贈者のホームページ」に、歌の解釈は記されています。しかし、この歌とこの場所のつながりは読み取れません。

 三条通り北の白川から神宮道の大鳥居が見えました。桜の季節はみごとな川筋です。しかし、冬枯れの木々越しに見える大鳥居もいいものです。


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 明日は上京して、今年からの仕事を始めます。
 ここ数年はペースダウンを心がけざるをえない状況にあり、いろいろな方々にご迷惑をおかけしているところです。
 自らに課された仕事を一つずつ着実にこなして、今年も前に進んで行くつもりです。
 変わらぬご理解とご協力を、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 22:15| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年01月04日

コーツ先生からウェイリー訳『源氏物語』をいただいて

 娘夫婦が昨年末に、英国ケンブリッジに行きました。その時、ケンブリッジ大学のジョン・コーツ先生のお宅を訪問しました。
 コーツ先生と『源氏物語』をめぐってのこれまでの経緯は、以下のブログを参照願います。

「在英国・コーツ版「源氏画帖」の記事一覧」(2011年9月26日)

「コーツ先生を宇治にご案内して」(2012年10月14日)

「コーツ先生のお点前をいただく」(2012年10月15日)

 娘たちが昨日、我が家に年始で来た際、コーツ先生から私へのお土産として託されたものが、次の写真のウェイリー訳『源氏物語』の1冊本(初版)でした。


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 アーサー・ウェイリーは、『源氏物語』の英訳を大正14年から発表しました。8年をかけて刊行した6分冊を、7年後に全1冊として刊行したのが、今回コーツ先生からいただいた合冊本の初版本(1935年刊)です。


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(1)大正14(1925)『The tale of Genji』「桐壺〜葵」
(2)大正15(1926)『The sacred tree』「賢木〜松風」
(3)昭和2(1927)『A Wreath of cloud』「薄雲〜野分」
(4)昭和3(1928)『Blue trousers』「行幸〜幻」
(5)昭和7(1932)『The lady of the boat』「匂宮〜宿木(前半)」
(6)昭和8(1933)『The bridge of dreams』「宿木(後半)〜夢浮橋」
(全)昭和10(1935)『The tale of Genji : a novel in six parts』


 なお、末松謙澄が『源氏物語』(第17巻「絵合」まで)を翻訳したのは、このアーサー・ウェイリーよりも34年も前の明治15(1882)年のことです。
 さらにその後、サイデンステッカーが英訳を刊行したのは、このアーサー・ウェイリーの刊行開始から24年後のことです。

 『源氏物語』が世界各国語に翻訳されている歴史については、以下のサイト(「海外源氏情報」(伊藤科研HP))を参照してください。

「『源氏物語』翻訳史(20141118)」

 さて、今回届けられた本の巻頭には、コーツ先生から私への手書きのメッセージが記されていました。


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 この見開き左側の頁には、ありがたい献辞があります。


For Professor Ito Tetsuya
with very best wishes,
John Coates


 見開き右頁上段には、ゴードン・ハニングトン・ルース(Gordon Hannington Luce、1889年〜1979年)がアーサー・ウェイリーを追悼した詩が書かれています。
 これは、コーツ先生がケンブリッジ大学エマニュエル・カレッジの教授であり、ルースがそのエマニュエル・カレッジで学位を取得していることから、この詩を書いてくださったようです。


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In memoriam Arturi

Genji remains - unfading scented Rose,
Though Murasaki’s gone, and Arthur goes.
The Pillow-book still stabs and cuts and mows.
Though Shonagon has gone, and Arthur goes.
Chu’s Summons to the Soul goes echoing on,
And awaits for broken tryst: but Arthur’s gone
To the great Inner Room, the Yellow Springs,
Where Chuang-tzu, weary, neither drums nor sings.
The Way has still its power. The White Horse
Has leapt life’s dark ravine and vanisht
Gordon Luce
July 1966


 このルースの詩は、ケンブリッジ時代にアーサー・ウェイリーやブルームスベリーの仲間と交友があったことが、その背景にあるようです。このことは、また後日調べてみます。

 この詩については、昨秋コーツ先生の所へ留学しておられた陳 雲蓮さんから、その日本語訳と中国語訳をいただいています。以下にそれを引きます。


オーサーを追憶
源氏は永遠に残ったー色褪せない香りの薔薇のように
紫が去っていった、オーサーも去っていくにもかかわらず
枕草子はまだ(人の心を)突刺し、切り、刈り続ける
少納言が去っていった、オーサーも去っていくにもかかわらず
中宮の魂への呼び掛けは今なお響く
壊れた恋への悲しみも:しかし、オーサーは去っていく
大きな内殿には、黄色い泉
そこで荘子が疲れ果てた。太鼓も打たず、歌も読まず
老子の道はまだパワーが続く。白馬が
人生の闇の谷間を飛び越え、消えていった。
Gordon H. Luce
1966年7月
 
 
悼奥瑟
源氏留下了−像永不褪色的清香的玫瑰
虽然紫氏部走了,奥瑟也要走了
枕草子依然在刺痛,砍杀, 切割人们的心
虽然少纳言走了,奥瑟也要走了
中宫呼唤灵魂的声音依旧在回响
对破碎了的爱情的悲伤也一样: 但是奥瑟走了
广大的内殿里,黄色的泉水
那里庄子已经疲惫不堪。不再敲鼓,不再歌唱
老子的道路还依然有着它的力量。白马
跨越了人生的K暗峡谷,消失了。
Gordon H. Luce
1966年7月


 また、本書の下段には、コーツ先生からの説明が、次のように記されています。


This poem, in Luce is handwriting, was
found in a book which I believed to
have belonged to Luce. Luce studied
at Emmanuel College, Cambridge,
and was a friend of Arthur Waley.
Luce went to teach, and became
the leading scholar on the history
of Burma.

John coates


 この文章は、婿殿が次のように日本語にしてくれました。


ルースが書いたこの詩は、ルースが所有していたと考えられる本で見つけました。
ルースはケンブリッジ大学エマニュエル・カレッジで学び、そしてアーサー・ウェイリーの友人の一人でした。
ルースはビルマの歴史を教え、そして、著名な学者になりました。
  ジョン・コーツ


 2015年の年頭に、思いがけないプレゼントをいただきました。
 しかも、私の手元にある合冊本として一番古いものは、1960年に米国ニューヨークのランダム・ハウス社から刊行された本だったので、何よりの研究資料となります。
 コーツ先生は、日本語はまったく理解できないとおっしゃっていました。
 しかし、私のブログの写真を毎日楽しみにして見てくださっているそうです。
 この場を借りて、あらためてお礼を申し上げます。
 すみません、私が英語でお礼が書けないので、日本語で失礼します。


〈追記(2015/01/05)〉
 陳 雲蓮さんから、日本語訳と中国語訳の補訂版を送っていただきました。
 昨日の訳と入れ替えましたので、この版でご確認をお願いします。
posted by genjiito at 23:03| Comment(0) | ◆源氏物語

2015年01月03日

京洛逍遥(343)下鴨神社でご祈祷の後は我が家で新年のお茶会

 玄関の横に佇むたぬきは、今朝も雪を頭に戴いています。少し雪は緩んできたようです。


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 裏の小枝には、今日もメジロがたくさんやってきて、賑やかなことです。
 

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 娘夫婦が新年の挨拶に来たので、3年前に結婚式を挙げた下鴨神社へ行きました。
 すでに我が家は元旦にお参りをしていたので、今日はご祈祷をしていただき、神服殿でお神楽を拝見しました。


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 元旦には雪を被っていた「光琳の梅」「輪橋」「ヤタガラス大行燈」も、今日は全容を見せています。


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 楼門の前で、身体を温めるために甘酒をみんなでいただきました。


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 我が家に帰ってからは、新春のお茶会です。
 今私がお稽古をしている丸卓を使ってのお点前では、娘と交互に点てました。
 妻と婿殿は、お客様としてのお作法の特訓です。
 今年も賑やかで楽しい、新春のお茶席となりました。


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posted by genjiito at 21:59| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年01月02日

京洛逍遥(342)上賀茂神社に初詣

 家の裏にある柿の木に、朝から多くのメジロが飛び交っていました。


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 比叡山の薄化粧も穏やかに山並みを見せています。


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 元旦の大雪が残る賀茂川を散策しながら、上賀茂神社へ初詣に行きました。
 いつものおじさん鷺が、今年もジッと思索に耽っています。


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 鷺と鴨たちが仲良く遊んでいました。
 1羽の鴨が水中の餌を必死に探しています。


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 多くの鴨やユリカモメの中に、1羽だけ鷺がいます。この鷺が、上空を飛来する鷲を大声で一喝すると、後はのどかな水面となり、水鳥たちの楽天地が生まれました。
 前方の北山に雪が白く残っている所が、五山送り火の時に船形が浮かび上がる西賀茂船山です。

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 上賀茂神社へ行くと、いつも一ノ鳥居前でヨモギの焼き餅を1個いただきます。
 この焼き餅を口に入れて参道を進むのが楽しみなのです。


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 一ノ鳥居を潜ると、雪だるまが向かえてくれました。


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 神馬舎では、今年も神山号が元気に出迎えてくれます。


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 細殿の前の立砂越しに、2頭のヒツジの絵が掲げられていました。

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 楼門は、元旦の雪中に望む下鴨神社と違い、薄曇りの下に建っています。


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 門の脚部には1対の卯杖が飾られています。


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 紫式部ゆかりの片岡社から御手洗川まで歩むと、そこから奈良の小川に架かる舞殿があります。
 その奈良の小川の川岸には、紫式部歌碑建立記念植樹の碑が建っています。
 これは、2008年の源氏物語千年紀を記念してのものです。


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 この碑の向かいに設置された紫式部歌碑の鞍馬石には、まだ少し雪が乗っていました。

ほとゝきす聲
万つ本とは
片岡の杜の
  しつくに
  立ちや
  ぬれま
     し


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 上賀茂神社の馬場の横は、子供たちの雪遊びの場です。
 雪合戦に飽きた子が、雪だるまを崩しにかかっています。


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 のんびりとした、穏やかなお正月の2日目です。
posted by genjiito at 21:11| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2015年01月01日

京洛逍遥(341)未年の元旦は雪降る下鴨神社へ初詣

 今年も初詣は、いつものように氏神さまである下鴨神社へ行きました。
 京都では、58年ぶりに16cmという大雪の元旦です。
 雪が降りしきる中の下鴨神社は初めてです。

 昨年いただいた破魔矢をお返しし、西の鳥居を潜りました。


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 「光琳の梅」「輪橋」「御手洗川」も白一色の中に凍えています。


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 楼門もいつもよりも身を縮めているようです。


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 今年の大絵馬のヒツジが、困った表情を浮かべています。


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 京都造形芸術大学が作製した「ヤタガラス大行燈」が、今年初めて境内に置かれていました。
 白に塗りこめられた境内では、このヤタガラスが今年は一番の主役です。


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 境内を出て楼門を見上げると、善男善女の参詣客を抱え込むように屋根が羽を拡げています。


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 授与所で、昨年と同じミニ破魔矢の置き物と賀茂茄子の土鈴をいただき、床の間に置きました。


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 破魔矢に添えられていた説明文を引いておきます。


当神社の御祭神・玉依媛命が鴨川の上流より流れてきた丹塗矢を拾われ一夜床辺に置いた処 めでたく懐妊され御子神を産まれた こうした由緒にちなみ 丹塗の神矢発祥の地・下鴨神社では家内安全・除災招福・えんむすび・安産・子育・厄除の守護矢として授与するものである


 いつもお正月に花を開く我が家の紅白の梅は、今年は部屋への取り入れが遅れたのでまだ数日かかりそうです。

 平成25年は大雪の元旦となりました。
 これも、幸先の良い、真っ白からのスタートです。
posted by genjiito at 23:29| Comment(0) | ◆京洛逍遥