2014年11月18日

読書雑記(112)想い出の中にあった壺井栄『あしたの風』

 この本をずっと探していました。

 「ウィキペディア」に「あしたの風」として壺井栄の小説が紹介されています。


「NHKにおいて1961年5月21日に単発ドラマとして放送。」
「NHK連続テレビ小説の第2作で、1962年4月2日から翌1963年3月30日までに放送された。原作は“家族制度”を追及した作品として知られている。」


 しかし、私が読んだのはこの長靴の話ではなかったように思います。
 読んだ時期は、昭和45年(1970)で、大阪で万国博覧会が開催された年の秋でした。

 新本ではもちろんのこと、古本屋やネットでも見つけられませんでした。
 今回、読み終わってからあらためてネットで探すと、この本について、いろいろと古書や記事が見つかりました。
 探したはずなのに情報を的確に掌握できなかったのは、真剣に探していなかったからでしょうか。それとも、「ウィキペディア」にある内容の記事に惑わされたせいでしょうか。

 それでも、いつか見つかったら読もうと、無意識の内に探していたのでしょう。
 それが、深川図書館で偶然見つけたので、すぐに借りて来ました。
 壺井栄の『あしたの風』(新潮社、昭和33年2月)は、私にとってはなぜか忘れられない本なのです。ただし、私が読んだのは文庫本でした。青色の表紙だったことを鮮明に覚えていたので、ネットで探し当てることができました。


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 この本のカバーには、次の文章が印刷されていたようです。
 今回、あらためてインターネットの情報の便利さを知りました。


「今日をせい一ぱい生きれば、それによって明日生きる道は開ける」
―あしたの風とはそういう意味である。母の恋を遂げさせようと、希望にもえて入学した神戸の高校をやめ、家業を手伝うために小豆島へ船に乗る百合子。素直にのびやかに生きてゆく娘を中心に女のさまざまな愛情の姿をえがき、しみじみと心温まる物語。


 45年ぶりに、いつかもう一度読もうと思っていた本を手にできたのです。こんな思いで本を手にすることは、そうそうありません。得難い経験です。

 この本は、高校卒業後に上京するやいなや十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎で手術をし、大阪の八尾の自宅に帰って静養し、その秋に体調も回復したので再度上京して新聞配達店の2階の住み込みの三畳一間の部屋で読み、涙が止まらなかったものです。
 何がそうさせたのか、そのことが知りたくて読もう読もうと思いながら、いつしか45年が過ぎていたのです。

 次の表題がつけられていて、19の章で構成されています。


花の由来
唐草模様
藤陰
緑の風
昼の朝顔
海辺の道
空のどこかで
一度でよい
昔を今に
蝕める花
細霧
心紅葉
雲のかげ
こだま
渦まき
おぼろ月夜
飛ぶ鳥
白い花赤い花
あしたの風


 汐崎百合子という主人公には、今となってはまったく思い当たるものがありません。
 父が戦死し、優しい母に育てられます。そして、18歳で小豆島から神戸の女学校「藤蔭学院」(現在の神戸松蔭女子学院大学らしい)へ行き、住み込みの小遣いさんとなって家の負担を軽くします。弟は新聞配達のバイトをし出します。
 次第に思い出しました。
 18歳で上京して新聞配達をしながら大学に行かせてもらった自分の境遇と、少しずつオーバーラップし出しました。

 初めて親元を離れた時だったこともあってか、この本に出てくる家族思いの母親に感情移入したのかもしれません。
 それにしても、どうしてこの本をタコ部屋と言われていた新聞販売所の自室で読んだのか、今となってはわかりません。
 昔から、小説を貪るように読んでいた中で、何かの解説書か本の案内書で知ったのでしょうか。

 高校時代には、テニス部の練習が終わった帰りに、近鉄布施駅前にあった(今もある)「ヒバリヤ書店」にいつも立ち寄っていました。当時自分で決めた目標として、文庫本と名のつくものを日本も海外も、そのすべてを読むということがありました。家庭の事情で本を買うことができなかったので、立ち読みでそのすべてを読破しようとしたのです。読む順番は、文庫本の目録で決めていたように思います。その中に、この壺井栄の『あしたの風』があり、上京する時に買って持って行ったのかもしれません。古本だったので、高校の行き帰りに、上本町6丁目にあった天地書房で買ったと思われます。

 作中のこととして、夏休みになっても自分の家に帰れない百合子に、自分でも毎日配達の仕事があるので大阪の家に帰れないことがダブったことでしょう。
 何度も、帰りたいなーと、思ったことでした。八尾の高安にいる母から届く温かい手紙が、日々の辛さを慰めてくれました。いつも、手紙にはソッとお小遣いが入っていたものです。もう時効だからいいでしょう。

 いろいろな物が、父に内緒で母から送られて来ました。その点、父はまったく連絡をくれませんでした。父なりに、私の自活を黙って見つめていたようです。新聞販売店が火事で全焼し、着の身着のままで焼け出された時には、父と姉が真っ先に駆け付けてくれました。父が常に私のことを気にしてくれていたことは、折々に感じていました。

 焼け出された後、阿佐ケ谷にあった、父が勤める会社の社員向けの育英寮と東中野の社員寮に入った時は、何かと心配してくれました。非常に事務的に対処していたのは、父なりの思いやりだったようです。

 2年前に、父が遺してくれていた帛紗を見つけ、私に対する細やかな気持ちを感じることができました。

「父が遺していた焼けた帛紗の由緒書」(2012年12月24日)

 そういえば、私が中学生のころでした。父は会社にさまざまな提案をして、その御褒美としていつも私が読みたいという文庫本をもらってきてくれました。
 文庫本の内扉に印が捺してある、新潮文庫でした。
 このことをかつて本ブログに書いたように記憶していました。しかし、見つかりません。このブログも何度かクラッシュしているので、その消えてしまったブログの記事の中にあるのでしょう。いつか再現したいと思います。

 親の気持ちは、子供にはよくわからないものです。しかし、常に気にかけていてもらっていたことをこうした折に知ることは、自分の親を見つめ直すことにも通じていて嬉しいものです。

 さて、今回この本を読んでみて、素直に生きるということを再認識した本だったように思いました。
 そして、家族みんなの思いやりを。さらには、母の包み込むような存在が、行間から滲むように感じられました。上京したての若者には、心揺さぶられる話だったことを確信できました。

 ただし、本作では父親の陰は薄いものでした。作中、父は娘の名付けの理由に、中條(宮本)百合子という「えらい小説家」にちなんでのものだと言っています。日本プロレタリア作家同盟には中條百合子がおり、壺井栄も『戦旗』のかげで貢献していたので、このあたりは背景を調べるとおもしろそうです。

 私が高校2年生の時に東大紛争の安田講堂占拠事件があり、大学入試が中止になる中で、大阪市内であったデモなどに私も参加していました。そのことを題材にした「隆司の場合」という短編小説を学内誌に発表したことは、またいつか書きましょう。
 この壺井栄の作品を読んだのは、その時の学生運動仲間から聞いた話の流れで、これを手にしたものかもしれません。それにしても内容が当時(昭和44年)の社会情勢にそぐわないので、これもよくわかりません。

 貧乏という言葉が何度も出ることにも、無意識に反応したのかもしれません。
 私が大学に行くことは、我が家では考えられないことだったのです。国鉄マンだった伯父は、国鉄に入って給料をもらいながら大学へ行ったらいいと提案し、一時はその方向で私の身の振り方が決まりかけていました。しかし、卒業後に国鉄で働くことに馴染めなかった私は、同じような条件で大学に行かせてもらえる朝日新聞の奨学生を選びました。新聞記者になりたい、という希望があったからです。

 この小説にもあるように、私の母も私の病後の身体のことをいつも心配し、辛かったらいつでも辞めてもいいよ、学校に行くお金は何とかするから、と言ってくれていました。こうしたことが、この作品に感情移入させられた原因の一つだと思われます。

 ただし、この作品の底流をなす母の秘密と心の裡に、当時の私がどれだけ読み及んでいたのかは、大いに疑問です。話の設定と、親子の情愛に感じていただけのように思えます。

 読み直してみて、これは大人が読んでも人情の機微を堪能できることを知りました。もっとも、45年前の想い出探しという目的がなければ、あえて今この本を読まなかったようにも思います。
 最終章をなす「あしたの風」も、なんとなくあいまいな切れ味の鈍い文章のように感じました。昭和30年頃の作品だから、ということなのでしょう。文中に2度ほど出てくる「あしたはあしたの風がふく」ということばとテーマも、今となっては伝わり難い話の流れです。

 いずれにしても、気掛かりだった作品を読み終えて安堵しました。
posted by genjiito at 22:18| Comment(0) | ■読書雑記