2014年11月12日

井上靖卒読(190)「生きる」

■「生きる」

 井上靖の最後の短編集とされる『石濤』(平成3年6月、新潮社)の新潮文庫版で「生きる」を読みました。


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 食道が支えることから、井上靖は築地のガンセンターに入院します。そして、食道の切除手術。
 ベッドから見る病院のスタッフや施設のとらえ方がユニークな視点で語られていきます。実況中継の趣もあります。
 入院中の空想は、ヒマラヤにも飛びます。私が好きな『星と祭』の断片も記されています。井上靖にとって、この体験は余程心に刻まれたものとなっていたようです。記録として引いておきます。


 朝であれ、昼であれ、或いは夜であれ、寝台に横たわったまま、眼を瞑ると、いつも決まって、この世ならぬ薄暮の静けさの中に横たわっている自分を感ずる。どこか集落の端れあたりの、堤のような所にでも横たわっているのであろうか。(中略)
 この薄暮の集落と覚しき所への訪問は、私にとっては、他に替るもののない休息。朝であれ、夕であれ、眼を瞑りさえすれば、前にお話したように、そこへ行くことができた。
 入院中には、そこがどこであるか、ついに確めることができなかった、このふしぎな訪問先きが、ヒマラヤ山中の標高三七〇〇メートルの村、ボーテコシ渓谷に落込む大斜面の集落、曾て私たちが世話になった少年シェルパたちの生れ故郷・ナムチェバザールであることに、私が気付いたのは、ほぼ一ヵ月先き、退院してからである。
 私があとにも、先きにも、一度だけ、ヒマラヤ山地に入ったのは、昭和四十六年の秋である。小型機でヒマラヤ山地に入り、集落ルクラで、二十六名の小キャラバンを組んで出発。シェルパの村として有名なナムチェバザール、クムジュンなどの集落を経て、タンボチェ修道院を目指し、そこで同行の山友達たちと、十月の観月の宴を張った。アマダブラム、カンテガの二つの雪山が、月光に輝いた美しさは、今も眼にある。
 このヒマラヤ・トレッキングに於て世話になった少年シェルパたちは、みなナムチェの生れ。私たちは少年たちの顔を立て、彼等の両親に会ってやるために、その標高三七〇〇メートルの、大斜面の石積みの集落に入って行き、その村はずれに幕営した。
 がんセンター病院入院中の私が、何と言っても、疲れていたに違いない手術後の体を運んで行き、言い知れぬ安らぎを貰っていたのは、実に、この標高三七〇〇メートルの、ヒマラヤ山地の集落・ナムチェバザールであったのである。
 余談になるが、十七年前のこのヒマラヤ山地の旅に於て、終始、私に付き添ってくれた少年シェルパのピンジョ君は、今や世界的なヒマラヤ案内人として、一級登山隊の中に入って活躍、有名な存在であるという。このニュースに接したのは最近である。退院後の私を見舞った嬉しいことの一つである。(新潮文庫『石濤』平成6年7月、144〜146頁)


 退院後に『孔子』執筆の仕事を始めます。
 素直に自分と向き合い、自分に語る井上が、この話の中にしっかりといます。
 話は、不義理を重ねる隠遁生活へと移ります。
 最後は、自分の想念の中に遊ぶ姿が語られています。
 自分を抜け出た視点が新鮮です。柵から自由になった井上靖が見られました。【4】
 
 
初出紙:群像
初出号数:1990年1月号
 
新潮文庫:石濤
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | □井上卒読