2014年09月30日

カナダからの帰りの機内は気忙しくて

 JALの帰路便も、きれいでゆったりとした機内でした。
 ただし、帰りも糖尿病食をリクエストしていたのに、これでは血糖値が上がるだけのメニューです。


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 糖質制限をしている者には禁断の食事です。これは、カロリー制限食であり、血糖値が上がり下がりする、グルコーススパイクを起こしかねない食事です。

 この食事が運ばれる前に、ドリンクのサービスがあった時でした。
 前の方にビールを渡される時に、手が滑ってビールか何かが飛び散りました。アテンダントの方は、必死になってオシボリを使ってその対処をしておられます。何度もお詫びを言っておられました。

 その時に、真後ろにいた私の膝やバッグもとばっちりを受けました。しかし、アテンダントの方は、前の方の対応ばかりで、私の方はチラッとでもご覧になったのかどうか。何もなかったと思われたようです。

 その後も、前の方にだけは丁重な対応をしておられました。しかし、同じように被害を被った私には、まったく何もありません。自分で汚れは拭き取りました。機内持ち込みのカバンから大量のティッシューを取り出すのに苦労しました。

 その後、客室の責任者の方が、前の方に丁重なお詫びにいらっしゃっていました。その後も、3人のアテンダントの方が、頻繁に入れ替わり立ち替わりご機嫌伺いをしておられます。執拗なまでのご機嫌とりが、飛行機を降りるまで続きました。
 しかし、同じようにとばっちりを受けた私には、何もありません。

 前の方にそのような対応をするなら、私にも何かあっても、という気持ちに、しだいになりました。同じ被害に会っているのに、まったく無視をされるのは、気持ちのいいものではありません。
 私も同じような被害者だ、とことさらに言うのも変だし、意思表示は難しいものです。

 どうでもいいことです。しかし、あまりにも対応に違いがあると、いい気持ちはしません。JALにも、こんなに鈍感なアテンダントの方がいらっしゃるのです。

 また、そのアテンダントの方はその後に、私の横にペーパーナブキンを落とされました。しかし気付かないようなので、拾ってその方に渡しました。しかし、「どうも」とか「ありがとう」の一言も言葉がありません。自分が落としたのではなくて、私が使い終わったものを渡したのだ、と思っておいでのようでした。

 今回のフライトでは、こうしたネタに事欠きません。こんなことも。

 ドリンクをいただいた時、おかきとピーナッツが入った小袋を渡されました。また、食後にはアイスクリームを置いて行かれました。共に、炭水化物の塊です。
 来るときのJAL便の機内では、おかきもアイスクリームも、私だけには配られませんでした。シートに糖尿病食のシールが貼ってあるので、アテンダントの方は私には不要だと気を利かせてくださったのです。

 それが、帰りの便では、シートに糖尿病食のシールが貼ってあるにも関わらず、2つとも置いて行かれました。
 おそらく、炭水化物に関する知識がない方なのでしょう。いちいち不要ですと言うのも面倒なので、置かれたおかきとアイスクリームは、私の視界に入らないように始末をしました。

 日本に近づいて軽食が配られた時、今度は周りの方々にはドリンクが配られたのに、私にだけは何を飲むかも聞かずに通り過ぎて行かれました。日本茶かコーヒーをいただきたかったのに、お願いするタイミングもありませんでした。かといって、わざわざ呼び出しボタンを押して呼びつけるのは躊躇われます。
 全粒粉のパンを使った野菜サンドです。


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 粉っぽいので喉を潤すものがほしいところでした。しかし、何か言うのも対応がトンチンカンだとかえって疲れるので、我慢をして飲み物なしで食べました。このパンは喉につかえます。

 かと思うと、着陸前に、前の席にいらっしゃった方のお子さんが大声でぐずつかれたのです。それまでにも二三度あり、ご両親が後に連れて行ってあやしておられました。
 それが、この時にはその周辺に座っていた乗客のみんなに、何と耳栓を配り出されたのです。
 私は子供をあやしておられる方への気遣いもあり、厭味のように耳栓を受け取るわけにもいかず、けっこうですよ、とお断りしました。
 機内で子供が泣き叫んだときに、このように耳栓を配られた経験ははじめてです。そんなものが用意されていたのですね。
 最近は、新幹線の中で傍若無人に走り回り、泣き叫ぶ子供が増えています。あの対策の方が急を要することだと思います。

 何とも、気持ちを安らかにして休む暇もないほどに、何かと気忙しい思いをした帰路便でした。
 そんなこともあり、映画を観ることで気を紛らわせました。

 映画は、「ゴジラ」、「超高速! 参勤交代」、「女子ーズ」の3本を観ました。

 「ゴジラ」は退屈極まりない駄作でした。この映画は、妻への愛と親子の情愛が前面に出ています。しかし、この映画に期待したのは、それだけのテーマではないように思います。
 本作品では、放射能の恐ろしさは、その背面に退避しています。日本に原爆を落とした国が、あの時の無神経な意識のままの鈍感さで作った映画です。原爆の恐ろしさには無自覚です。その愚かさに、せっかくのゴジラが果たすべき役割が死んでいました。ゴジラからのメッセージも希薄です。渡辺謙はなぜこんな映画に出演したのでしょうか。残念でした。【1】
 
 「超高速! 参勤交代」は、最初のナレーションの語り口が馴れ馴れしくて下品でした。パロディとしてスタートしたかったのでしょう。しかし、私にはそれが耳障りでした。
 作品自体はよく出来ていて、おもしろく観ました。度重なる危機を、知恵と勇気と幸運が手助けをしてくれます。
 知恵の力で難局をみごとに乗り越える、まっ正直人間の本領発揮の物語です。常に前向きで、爽やかでもあります。【5】
 
 「女子ーズ」は、脱力系ながらも楽しめる佳作です。地球の平和のために、5人の女の子のヒーローが怪獣たちと闘います。闘うまでの、怪獣たちとのやりとりは秀逸です。女の子の言い分を理解して、暇そうにダラダラと時間つぶしをする怪獣たちの様子がいいですね。登場人物や怪獣たちの掛け合いが、緩急自在に生き生きと描かれています。
 女の子たちの仕事や興味の話が、少しくどいかと思いました。しかし、傑作映画だと言えるでしょう。もう一度観たい、と思っています。【4】
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | 美味礼賛

2014年09月29日

バンクーバーの空港にて最後のメモを記す

 今回のカナダ・バンクーバーでの国際集会は、当初の目的通り恙なくすべてを終えることができました。
 ブリティッシュ・コロンビア大学のジョシュア・モストウ先生とクリスティーナ・ラフィン先生、そして研究発表をしていただいたシンシナティ大学のゲルガナ・イワノワ先生とカリフォルニア大学ロスアンゼルス校のトークィル・ダシー先生には、篤くお礼申し上げます。
 そして、同行の今西館長をはじめ、諸先生方にもお礼申し上げます。

 お陰さまで、充実した研究集会となりました。この後は、報告書作成のために発表原稿の編集などで、もう少しお付き合いいただくことになります。迅速な対応に感謝しつつ、どうかよろしくお願いします。

 さて、今回の日々の中で、毎日のブログに入れられなかった写真が何枚か手元に残っているので、それをここで整理の意味でアップしておきます。

(1)ラフィン先生の自転車
 市内のバスは自転車も一緒に運んでくれます。
 ラフィン先生は自転車通勤のため、移動の際にはバスの先頭部分にご自分の自転車をセットしておられました。


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 2台しか取り付けられないので、何台かバスをパスすることがあるそうです。

(2)タゴールの胸像
 ブリティッシュ・コロンビア大学のアジアン・センター前の庭には、タゴールの胸像が置かれています。


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 そのいわれを聞き損なったので、いつかわかりましたら報告します。

(3)『あさきゆめみし』の第10巻
 アジアン・センターの入り口横のガラスケースの中に、『あさきゆめみし』の第10巻が陳列されていました。


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 今、この表紙のデザインを思い出せません。帰国後、わかりましたら、これもまた報告します。

(4)大学(UBC)のグッズ
 ブリティッシュ・コロンビア大学・アジアン・センターのグッズを、お土産として頂戴しました。


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 オシャレなので日本へのお土産にと思い、販売しているステューデント・ユニオンへ行きました。
 ところが、土日は売店がお休みだったために、入手することができませんでした。
 これはまたの機会に、ということになりました。

 それでは、これから搭乗して帰国の途につきます。
 御嶽山の噴火のニュースを気に留めながら。
posted by genjiito at 05:48| Comment(0) | ◆情報化社会

2014年09月28日

バンクーバーで豆腐牛丼を食す

 移動中の駅で、駅員さんと盲導犬に挟まれるようにサポートされ、エレベータに向かう方を見かけました。
 足元の黄色い線は、日本でみかける凸型の突起がありません。フラットです。どのような仕組みになっているのか、写真を見ながら、今そのことに気付き興味を持っています。

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 ウォーター・フロント駅前の地域は繁華街ということもあり、お寿司をはじめとして日本食や寿司屋さんが目に付きました。


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 その中でも、おいしそうな丼物屋さんがあったので入りました。


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 中の雰囲気からして、日本人を意識したお店だったので、糖質制限食を作ってもらえないかと聞いてみました。すると、私のリクエストをすべて叶えたものが作ってもらえたのです。これで、15カナダドルです。


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 このお店にとっても、前代未聞の特製豆腐牛丼です。ようするに、もめんの冷ややっこと牛皿とシーフードサラダなのです。エクストラ料金はとられませんでした。
 帰りに少しチップを多めに渡し、というか空き缶に投入し、作ってくれたお兄さんにお礼を言ってから店を出ました。

 私は、チップは極力渡しません。チップが生活費の足しになっている、と言う方がいます。この国は、15パーセントのチップが一般的なようです。しかし、私はそれは甘えを助長することであり、依存体質に手を貸す悪しき観光客に成り下がっていると思います。インドがまさにその典型です。外から来た者がお金をばらまく行為は、その国をやがて疲弊させます。

 生活費に関することなら、経営者との労使交渉で解決すべきです。それを、店側が観光客にたかるのは筋違いです。
 実は、チップが足りないと言って、こちらが出したお金を拒否した中華料理店がありました。アホか、と思いましたが、言ってわかる人たちではないので、あげたくもないチップを軽蔑の気持ちを込めて出しました。

 そのビール会社の名前を冠したお店は、ガイドブックに紹介されている程の人気の中華料理店でした。しかし、強引にむしり取る行為は、観光客の見せかけの善意に擦り寄った、喜捨の強要にしかすぎません。これは、民族性の問題に加えて、甘えの体質にマヒした現象だと思われます。自助努力の履き違えです。

 今回入った「きたの丼」というお店は、レジの横にチップを入れるための空き缶がありました。
 私は帰りがけに、自らの意思で、感謝の気持ちを込めて、目安とされている15パーセントよりも多めのチップを投入しました。
posted by genjiito at 01:01| Comment(0) | ブラリと

2014年09月27日

活発な意見交換がなされたカナダでの国際研究集会

 ブリティッシュ・コロンビア大学は広大な敷地の中にあります。
 シンボルタワーを通りかかると、かわいいリスが出迎えてくれました。

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 「国際研究集会 in Canada ─日本古典文学の可能性と異文化の交響」と題するイベントは、ブリティッシュ・コロンビア大学アジアンセンターで開催されました。

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 わかりやすい研究発表と熱心な討議で、非常に盛り上がった研究集会となりました。

 後日、報告書にして刊行しますので、今は実施記録としてまとめておきます。
 司会進行をしながら発表内容と質疑のメモを取り、その場で簡単な要約をiPhoneに入力していたので、発表者の意を汲まない箇所があることかと思います。ご寛恕のほどをお願いします。

 今回の国際集会は、次の2つの科研(A)が合同で行うものです。


・科学研究費補助金基盤研究(A)「日本古典籍における【表記情報学】の基盤構築に関する研究」
(国文学研究資料館・22242010) 研究代表者 今西裕一郎

・科学研究費補助金基盤研究(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」
(国文学研究資料館・25244012) 研究代表者 伊藤鉄也


 まず、午前の部「翻訳からみた平安文学」は、伊藤の科研(A)による研究発表会です。

 ジョシュア・モストウ先生の開会の挨拶で始まりました。


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 続いて、私が今回の翻訳に関する伊藤科研の趣旨説明をしました。


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 発表内容とその質疑は、以下のとおりです。
 
 
(1)Gergana Ivanova(シンシナティ大学)
  「英訳された『枕草子』が作り出した大衆文化」


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 ウェイリーが翻訳した『枕草子』が、ピーター・グリナウェイの映画『ザ・ピロー・ブック』や歴史小説に与えた影響についての発表でした。
 →江戸時代の枕本や春画の影響についての質問には、多彩で活発な意見が出ました。エロティックな解釈は60年代が中心となっているそうです。これを日本では「もののあはれ」で読むのが伝統だということで落ち着きました。
 
 
(2)緑川眞知子(早稲田大学)
  「小説として読まれた英訳源氏物語」


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 アーサー・ウェイリー訳『源氏物語』の書評の確認とロイヤル・タイラー訳から、『源氏物語』の受容の変化を考察されました。
 →日本語には間接話法がないとの指摘に、補強する意見がいくつも出されました。タイラー訳は、コンマとセミコロンの使い方が巧いとも。ネイティブも自然に思うほどのテクニックが駆使されているようです。
 
 
(3)川内有子(立命館大学 大学院生)
  「1955年のサイデンステッカー訳蜻蛉日記について」


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 1955年のサイデンステッカー訳『蜻蛉日記』の翻訳態度に注目した発表でした。新出資料として小山敦子氏の『蜻蛉日記新釈』も回覧されました。
 →近年『蜻蛉日記』を翻訳されたトロント大学のソンジャ先生がこの集会に参加してくださいました。親しくお話を伺う中で、サイデンステッカーの訳は見なかったとのことでした。古典作品の翻訳を見直す際には、近代・現代文学を翻訳した時の経験も関係するようです。

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(4)ディスカッション(参加者全員)
 ディスカッションは、上記のような意見が活発に交わされました。
 さまざまな立場からの理解が示され、この質疑だけで十分に翻訳研究の魅力が伝わってきました。
 時間が足りない中を、どうにか次の発表につなげることとなりました。


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 続いて午後の部「漢字と仮名の表記情報学」は、今西科研(A)による研究発表会です。
 今西館長から、今西科研の趣旨説明がありました。


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(1) Torquil Duthie(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校)
  「『万葉集』における書記の可能性」


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『万葉集』の書記法の意義と可能性と共に、平安時代の書き言葉としての畿内貴族の現地語の発明について発表されました。
 →戯書はなぞなぞあそびであり、漢字表記は思い出すための符号・記号だったとの意見が出ました。また、記紀歌謡は非常に変わった文字を使うようです。漢字で表記することの多彩な問題点が浮き彫りになりました。
 
 
(2)上野英子(実践女子大学)
  「『伊勢物語の歌絵』を通して見た伊勢物語諸伝本の漢字表記法」


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 『伊勢物語』の歌絵を通して、表記情報学の観点から表記のありようと問題点を発表されました。
 →実践女子大学本は、描かれる人物がおおいことについての質問について。嫁入り本だったので、きれいな女性を描くほうが見栄えがよくなることが考えられる、とのことでした。絵と詞の詳細な調査だったので、さまざまな質疑が交わされました。
 
 
(3)伊藤鉄也(国文学研究資料館)
  「『蜻蛉日記』の表記情報−傍記が本行本文に混入すること−」


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 『蜻蛉日記』において傍記が書写過程で本行に混入する現象を確認することで、異文を読み解くヒントを得ようとする発表でした。
 →「日記」の「記」は「起」ではなくて、やはり「記」ではないかとの異見がありました。また、傍記が混入したのか補入なのかについての疑義も出されました。さらなる用例の検討が必要です。
 
 
(4)海野圭介(国文学研究資料館)
  「漢字,かな,font:江戸時代の表記と書体」


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 書体(フォント)から表記と書籍の内容との相関関係を考察した発表でした。多彩な用例が、問題の幅広さを示していました。
 →実践女子大学の下田歌子の短冊にも、有栖川御流のものと普通の仮名書きのものがあるそうです。今後の調査が楽しみです。また、歌舞伎台本と浄瑠璃台本の書体についてはさらなる調査をすることになりました。
 
 
(5)ディスカッション(参加者全員)
 前半と同じように、さまざまな意見が交わされました。
 若い大学院生からも積極的な質問が出され、活気溢れるやりとりが展開しました。
 後ろの壁掛け時計は、予定の5時をオーバーランしています。これからさらに、白熱の質疑応答が続きました。

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 なお、今西科研の用語である【表記情報学】を英語で何と言えばいいのか、ということで、休憩時間に盛り上がりました。
 今回は、ジョシュア・モストウ先生の提案で「グラマトロジー」を使いました。しかし、トークィル・ダシー先生から、新たに「テキスチュアル・スクリプトロジー」という新語が提示されました。
 これらは、伊藤科研で取り組む「グロッサリー」の問題でもあり、私の方で検討を続けていくことにします。続きを読む
posted by genjiito at 16:10| Comment(0) | 古典文学

2014年09月26日

バンクーバーの中心地であるダウンタウンを歩いて

 朝7時。ブリティッシュ・コロンビア大学のキャンパス内にあるゲストハウスで、爽やかに目覚めました。
 窓の下には、木立の中を研究室に向かわれる先生の姿が見えます。


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 昨夜はどっと倒れ込むように寝ました。
 手元にあるiPhoneが、私の睡眠を見守り、分析してくれています。


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 突き出た青色が深い眠りを、水色が浅い眠り、オレンジ色が覚醒時間を示しています。
 この異国の地での第1夜は、4回も目覚めていたのです。あまりの寒さに、暖房のヒーターを高目の温度設定にしていたことと、持参したユニクロのヒートテックの下着も関係するのでしょうか。時差ボケも加わるかもしれません。

 iPhoneの上部に表示されたウォーキングに関するコメント欄には、称賛の言葉が届いていました。腕に装着している「Jawbone / UP24」という健康管理グッズは、おだてたり褒めたりと、いいタイミングで励ましてくれます。このウェアラブルコンピュータについては、「京洛逍遥(326)三条河原町からバスで帰宅」(2014年07月06日)と、「江戸漫歩(86)背中を意識して国営昭和記念公園を歩く」(2014年09月10日)で報告した通りの、健康が気になる方にお勧めするグッズです。

 お昼ごはんは、バンクーバーの中心地であるダウンタウンのウォーターフロントまで出かけました。
 チャイナタウンにも足を向けました。


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 しかし、あまり人気のない地域だったので引き返し、ギャスタウンで食事をしました。
 ウォーターフロント駅周辺は、観光客で賑わっています。バンクーバー発祥の地であるギャスタウンは、石畳やレンガ造りが19世紀の風情を感じさせる、とのことです。
 


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 名物の蒸気時計も、15分毎に汽笛を鳴らしていました。


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 もちろん、しっかりと寿司屋のチェックも怠りません。ただし、回転寿司はなかったので入りませんでした。
 海外では、回転寿司に限ります。しかも、日本人向けではなくて、地元の方々が入る回転寿司屋が一番です。そこにこそ、日本文化が変容した姿があるからです。

 日本人が入る和食の店は、みんな日本での味と比べて「まずい、まずい」と言いことによって自己満足しておられます。しかし、日本の文化がその土地土地でどのように受け入れられているのかを知るのが、私の回転寿司屋巡りの原点です。
 海外で、日本の味の「再現」を望むのは筋違いだと思います。気候風土も環境も、さらには食材も文化も異なるのですから。
 その国のその土地での創意工夫がどのようになされているのか。それを、私は楽しんでいます。


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 ついでに、ブリティッシュ・コロンビア大学の近くの和食屋さんも。


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 さて、ウォーターフロント駅周辺を歩いていて思いました。目の不自由な方にとって、この街はどうだろうかと。
 そういう観点から街を歩くと、石畳やレンガの道ということもあり、点字ブロックはまったくないことに気付きます。道や建物にも段差が多いことも気になりました。

 車椅子の方を見かけました。しかし、その移動は限られた範囲であって、現状のバンクーバーでは大変です。障害者対策はこれから、ということなのでしょうか。日本よりも相当遅れているように思えました。これから、新たな街造りが進むことでしょう。

 もっとも、紙幣には思いやりが見られます。紙製の古いお札には、右上に点字があるものの凹凸が潰れやすいので識別は難しい状態です。しかし、プラスチック製の新札には、左上に点字がはっきりと刻印されていました。


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 午後は、明日も研究発表をしていただくカリフォルニア大学のダシー先生が刊行された『万葉集』に関する、出版記念トークイベントが大学のアジアンセンターでありました。


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 すべて英語であったことに加えて時差ボケもあり、なかなか集中してお話を伺えなかったことは申し訳ないことでした。
 明日は、私が進行役でもあるので、午前と午後のディスカッションで発言をしたいと思います。

 その後は、明日の研究集会の打ち合わせ会をしました。お忙しい中を、会場の手配から集会の準備に至るまで、諸事万端整えて迎えていただいた、ブリティッシュ・コロンビア大学のジョシュア・モスウ先生とクリスティーナ・ラフィン先生には、そのお心遣いの細やかなことに感謝します。ありがとうございます。

 無事に明日の発表者が全員揃いました。明日は、大いに盛り上がる研究集会となることでしょう。

 今日は、リストバンド「UP24」の報告によると、14,602歩も歩いたとのことです。ダウンタウンの散歩が利いています。

 明日のイベントを予祝する意味からも、1人でワインをいただこうと思い立ちました。ワインは手元にあっても、コルクを抜く「栓抜き」が、と思った時、この部屋は調理器具が完備されていることを思い出しました。立派な栓抜きが引き出しの中に鎮座しています。


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 これで、1人だけの乾杯です。
posted by genjiito at 17:26| Comment(0) | ◆情報化社会

2014年09月25日

降り立ったバンクーバーの気温は16度です

 東京駅でOさんと知的財産権の相談をしてから、成田エクスプレスで成田空港の第2ターミナルビル駅へ直行しました。

 チェックイン後の両替では、1カナダドルが105.84円でした。
 現地カナダで支払う国際集会開催費用や運営諸経費と雑費などなど、現金が必要なので、いつもよりも多めに両替をして持参します。
 それ以外に個人的に使う費用は、いつも3万円を現地通貨に両替して行くことにしています。カードが使えるので、昔のように多額の現金を持ち歩くことはすっかりなくなりました。

 今回の飛行機は新型のようです。いつも通りのエコノミークラスなのに、座席が少しゆったりとしていて、目の前のモニタも大きなタッチパネル方式で鮮明です。トイレも、鏡を多用した清潔感が漂う上品な設計となっていました。この機体なら、狭苦しさを感じません。

 今回も、機内食は糖尿病食を事前にリクエストしておきました。
 夕食と朝食は、こんな感じでした。


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 もちろん、私はパンやじゃがいもを食べないので、出されたものの半分も食べられません。これでは糖尿病食ではなくて、カロリーの低いダイエット食です。炭水化物が多すぎます。日本糖尿病学会の旧弊が、こんなところにも生き残っているのです。

 どうせ私が食べない炭水化物がたくさん盛られた糖尿病食を、わざわざ事前にリクエストする意味は、実のところはありません。普通食にして、その中の炭水化物を口にしなければいいのですから。次回からはそうします。

 機内では、「テルマエ・ロマエU」と「WOOD JOB 神去なあなあ日常」の2本の映画を観ました。両方の映画に、北島三郎が歌っていた「与作」の掛け声である「ヘイヘイホー ヘイヘイホー」が出てきました。これは、偶然とはいえ、一体何なのでしょうか。おもしろい現象です。日本的なものを表現する上で、この「与作」は意味を持つようです。

 上記の映画を2本と漫画「将太の寿司」を、座席のモニタで観たこともあり、寝る時間を逸してしまいました。
 機内で、さまざまな漫画がモニタで観られるようになったことを知り、時代の変化を実感しました。
 ということもあり、ぼけーっとしてのカナダ入りです。

 バンクーバーの気温は16度です。肌寒さが伝わって来ます。

 今回の宿泊場所は、国際集会の開催地であるブリティッシュ・コロンビア大学のゲストハウス「West Coast Suites at Walter Gage Residence」です。

 空港からモノレールタイプのトレインを使って街中まで出ました。
 この前にここに来たのは2001年です。伊井春樹先生との2人旅で、あの時もブリティッシュ・コロンビア大学のジョシュア・モスウ先生のお世話になりました。

 13年前は、空港から車で大学に入りました。その後、今から7年前にオリンピックを契機に、空港から市内に今の電車が走るようになったそうです。

 どの国にいっても、電車やバスの切符を買う時は戸惑います。


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 電車はきれいな車体でした。ただし、車内は殺風景です。
 人を荷物として運ぶ、空港によくある仕様の車輌です。


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 大学のゲストハウスの受付の前に、小さなコンビニがありました。水を買おうとしたら、冷蔵ケースの中にお寿司があることに気付きました。
 もう、「お寿司」や「弁当」は世界中で通用します。


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 宿舎は、木々の緑の中に建っています。


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 部屋は、調理機器や鍋釜に食器なども揃った、家族用の滞在型の一室でした。


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 短期間なので、これらを活用する機会はありません。
 街中のホテルとは違う、大学らしい宿泊施設です。
 昨日は機内で一睡もできなかったので、明日のためにもこれから睡眠時間を確保します。
posted by genjiito at 14:38| Comment(0) | ◆国際交流

2014年09月24日

知的財産権について考える

 カナダへ出張するために成田空港へ行く直前に、東京駅で途中下車をして、大事な仕事をしました。

 現在、個人研究として、目の不自由な方々と一緒に、『源氏物語』の古写本を読むことにチャレンジしようとしています。そのことを進めていたら、知的財産の権利の手続きを何とかしておいた方がいいのでは、という示唆をいただいたので、急遽専門家に相談をしました。

 特許事務所のOさんは、奈良に事務所を構えて仕事をなさっています。ちょうど、会議があるために上京なさいました。そこで、東京駅地下街の喫茶店で待ち合わせて、現在抱えている懸案の相談をしたのです。

 すでに私のブログを読んでくださっていたので、問題点は理解しておられました。そうであっても、直接お話をしたことによりお互いの理解が深まり、充実した1時間となりました。

 試行錯誤の結果として開発した技術は、確かに知的財産です。その創意工夫をどのようにして守るか、ということは考えておく必要があります。

 1つのプロジェクトとして、開発側の思う状態を常にコントロールすることは大事です。
 また、開発したものを自由に使ってもらうことも大事です。

 古写本を読むための仕掛けが具体的に動き出したことを契機に、想定されるさまざまな問題を説明し、相談しました。

 これまでに、考えてもみなかった視点で、たくさんのアドバイスをいただきました。そして、対処の方向性も確認することができました。

 専門家に聞くことによって、あやふやだったことが明確になったので、気分も楽になりました。

 さらに前を見て、当初のプランを実現するために、立ち塞がる課題に取り組んで行きます。

 折々に、これまで通り報告をしながら進んでいきます。本ブログをお読みくださっているみなさまの、変わらぬご理解とご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 18:02| Comment(0) | ◆情報化社会

2014年09月23日

藤田宜永通読(21)『モダン東京2 美しき屍』

 『モダン東京2 美しき屍』(2001年12月、小学館文庫)は、探偵・的矢健太郎シリーズの第2集です。


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 書誌に関して、本書巻末の「本書のプロフィール」には、「この作品は一九八九年七月、集英社文庫書き下ろしとして刊行された後、朝日新聞社より一九九六年七月、単行本として刊行されたものです。」とあります。
 しかし、ウィキペディアには、「1988年1月 集英社文庫 / 1996年8月 朝日新聞社 / 【改題】『美しき屍』2001年12月 小学館文庫」とあります。
 刊行年月が異なる点については、後日再確認します。

 的矢健太郎シリーズの第1集は『蒼ざめた街』(1996年7月 朝日新聞社 / 2000年11月 小学館文庫)とされています。ただし、これは『美しき屍』よりも古い時代を描いているために第1集となるだけです。実質的には本作『モダン東京2 美しき屍』が的矢健太郎に関する第1作となります。

 アメリカ帰りの的矢健太郎は、秘密探偵としてシトロエンに乗って昭和初期の東京の街を走り回ります。軽快に幕開けです。

 ただし、昭和初期の雰囲気はいまいちです。話が高輪、白金台あたりから展開していくのはオシャレです。それでいて、銀座や新宿の昭和初期の様子が、取って付けたように粗削りです。テンポのよさにごまかされているのでいいのですが……。

 23の小節に小分けされて全体が構成されています。次々と話が展開するスピード感は、こうした小刻みに幕が上げ下ろしされる仕掛けによるものです。

 殺された倉光の部屋は整然と片づけられていたとして、その本棚には、「小説の類はわずかに改造文庫で出された夏目漱石の本が二、三冊混じっているだけだった。」(73頁)とあります。
 試しに「CiNii」で検索したところ、改造文庫から刊行された夏目漱石の小説は、昭和4年に「坊つちやん」「草枕」「それから」の3冊があることがわかりました。この作品の背景には、昭和4年があるようです。

 また、この時代に日本映画がトーキーではなかったことも書かれています(84頁)。これについても調べてみたところ、昭和6年の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が、日本最初の本格的なトーキー作品だそうです。これで、本作の時代設定が類推できます。
 現在、私は昭和一桁の世相や風俗に興味を持っています。その意味で、昭和初期の東京に関するイメージトレーニングにはなりました。

 後半になるにしたがって、話が凝縮されておもしろくなります。テンポもさらによくなります。しかし、謎解きが中途半端です。

 昭和5、6年という興味深い時代設定と背景に、社会と風俗が活写されています。それだけに、私の想像力を刺激する意味から、可能であればもっと詳しく語ってほしかったところです。それでも、藤田宜永の良さが、至る所に見られる作品となっています。【3】
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 藤田宜永通読

2014年09月22日

カナダのブリティッシュ・コロンビア大学で国際研究集会を開催します

 今週26日(金)に、カナダのバンクーバーで日本古典文学に関する国際研究集会を開催します。
 これは、今西祐一郎・国文学研究資料館館長の科研(A)と、伊藤鉄也の科研(A)が午前と午後に別れて共同開催するものです。

 会場となるブリティッシュ・コロンビア大学と国文学研究資料館は、今春、学術交流協定を締結しました。今回は、締結後最初の学術交流となります。

 今回のプログラムと、研究発表の要旨を以下に掲載します。

 なお、会場となるブリティッシュ・コロンビア大学のサイトからも、今回のイベントの告知がなされています。
 カナダなど海外のお知り合いの方に連絡を回していただけると幸いです。
 
「NIJL workshop conducted in Japanese」
 
 
 今回は、次のポスターを作成しました。
 これは、今西科研の阿部江美子研究員と、伊藤科研の淺川槙子研究員・加々良惠子補佐員がカナダと日本の秋をイメージした作品です。


140922_canadaflier





国際研究集会 in Canada
日本古典文学の可能性と異文化の交響
The Possibilities of Classical Japanese Literature and Cross-Cultural Harmonies
 
■日時:2014年9月26日(金)
    September 26, 2014
 
■会場:ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)
    Room 604, Asian Centre
 
■住所:1871 West Mall V6T 1Z2
 
○午前の部(10:00〜):「翻訳からみた平安文学」
     “Heian Literature as Seen in Translation”

  司会・伊藤鉄也(ITO Tetsuya/国文学研究資料館 教授)
 
開会の挨拶 Opening Remarks
  ジョシュア・モストウ
 (Joshua MOSTOW /ブリティッシュ・コロンビア大学 教授)
 
科研趣旨説明/伊藤鉄也(ITO Tetsuya/国文学研究資料館 教授)
 
ゲルガナ・イワノワ(Gergana IVANOVA/シンシナティ大学 准教授)
  「英訳された『枕草子』が作り出した大衆文化」
  “The Pillow Book in English Translation and Popular Culture ”
 
緑川眞知子(MIDORIKAWA Machiko /早稲田大学 非常勤講師)
  「小説として読まれた英訳源氏物語」
  “Reading Lady Murasaki's 'novel': the reception of Genji monogatari ”
 
川内有子(KAWAUCHI Yuko /立命館大学 大学院生)
  「1955年のサイデンステッカー訳蜻蛉日記について」
  “Concerning the 1955 Seidensticker Translation of Kagero nikki”
 
ディスカッション Discussion
 
 
○午後の部(14:00〜):「漢字と仮名の表記情報学」
     “The Grammatology of Kanji and Kana ”
 
  司会・海野圭介(UNNO Keisuke/国文学研究資料館 准教授)
 
科研趣旨説明 今西裕一郎(IMANISHI Yuichiro /国文学資料館 館長)
 
トークィル・ダシー(Torquil DUTHIE /カリフォルニア大学ロスアンゼルス校 准教授)
  「『万葉集』における書記の可能性」
  “Possibilities of Writing in the Man'yoshu”
 
上野英子(UENO Eiko /実践女子大学 教授)
  「『伊勢物語の歌絵』を通して見た伊勢物語諸伝本の漢字表記法」
  “Chinese Character Usage in Texts of The Ise Stories as seen through Ise monogatari Poem-Pictures ”
 
伊藤鉄也(ITO Tetsuya/国文学研究資料館 教授)
  「『蜻蛉日記』の表記情報−傍記が本行本文に混入すること−」
  “The Grammatology of Kagero nikki-Marginalia Incorporated into the Body of the Text- ”
 
海野圭介(UNNO Keisuke/国文学研究資料館 准教授)
  「漢字,かな,font:江戸時代の表記と書体」
  “Kanji, Kana, Font: Edo-Period Grammatology and Script ”
 
ディスカッション Discussion
 
閉会の挨拶 Closing Remarks
  今西裕一郎(IMANISHI Yuichiro /国文学資料館 館長)
 
 
科学研究費補助金基盤研究(A)「日本古典籍における【表記情報学】の基盤構築に関する研究」
(国文学研究資料館・22242010) 研究代表者 今西裕一郎

科学研究費補助金基盤研究(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」
(国文学研究資料館・25244012) 研究代表者 伊藤鉄也

 
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〈 発表要旨 〉
 
【英訳された『枕草子』が作り出した大衆文化】
The Pillow Book in English Translation and Popular Culture

シンシナティ大学
ゲルガナ・イワノワ / Gergana IVANOVA

 日本では清少納言の『枕草子』は、『源氏物語』としばしば対立させられるが、常に脇役に徹してきた。しかし、日本国外では『枕草子』は非常に注目され、日本文学を代表する作品になり、小説、詩、映画などの幅広い文芸作品のきっかけになっている。これらの脚色は様々あり、日本をオリエンタリズム的観点から描くことから、日本文学・文芸への敬意を表すような扱い方までなされている。
 文学作品の評価は、その作品が国境を越えた場合どのように変わるのか。翻訳は、日本、日本文学、そして日本人のどのようなイメージを作り出すのか。平安文学は翻訳されることによって、何を得て、何を失うのか。本発表では、1928 年に出版されたアーサー・ウェイリーの『枕草子』の英語訳、1996 年に創作されたピーター・グリナウェイの『ザ・ピロー・ブック』という映画、そして2000 年から2012 年までの間に出版された歴史小説に焦点を置き、これらの問いについて考える。ウェイリーの英語訳が英語圏の大衆に対して、『枕草子』がエロチックな作品であり、清少納言が色好みの女性作家だという今に繋がるイメージの基礎を構築したことを明らかにする。
 
 
【小説として読まれた英訳『源氏物語』】
Reading Lady Murasaki's 'novel':the reception of Genji monogatari

早稲田大学
緑川眞知子 / MIDORIKAWA Machiko

 源氏物語には主要な英訳が5種類あるが、世界文学としての地位を確実なものにしたのは、モダニズム文芸運動などを背景として出版されたアーサー・ウェイリー訳の功績が大きかったといえよう。明治時代には源氏物語の英国人日本学者たちによる源氏物語評価は決して高いものではなかった。特にチェンバレンは『日本事物誌』第5版において、源氏物語をこき下ろしているが、最終版(第6版)『日本事物誌』において、その意見を180 度転換している。その理由としては、ウェイリー訳の影響が考えられる。当時の英国において、大きな関心を得たウェイリー訳は、英語圏においては、普通に小説として受け入れられていった。そのような英語圏読者の姿をまずは書評を見ることによって確認してみたい。また、それが新しいタイラー訳の出現で源氏物語受容においてどのような変化がもたらされたのかについても考察をめぐらしてみたい。
 
 
【1955 年のサイデンステッカー訳蜻蛉日記について】
Concerning the 1955 Seidensticker Translation of Kagerô nikki

立命館大学大学院 博士後期課程
川内有子 / KAWAUCHI Yuko

 『蜻蛉日記』には、現在までに主に4つの英訳が出版されている。本発表でとりあげるのは、1955 年に発表されたEdward G. Seidenticker による翻訳である。この翻訳は、Seidenticker にとって初めての日本文学作品の翻訳であり、『蜻蛉日記』にとっても、全篇が訳されるのはこの1955 年版が初めての機会であった。この翻訳は、1964 年にThe Gossamer Years と題する改訂版が出て以来、あまり読まれなくなった。しかし、Seidenticker の最初期の翻訳態度を知るためには、重要な資料の一つであると考えられる。
 1964 年版の改訂の際、Seidenticker は、誤訳を訂正し本文研究の進展を訳文に反映させ、原文に忠実に直したと説明している。1955 年版と1964 年版を比較してみると、確かに、誤訳を訂正したと思われる例や、1955 年版の発表以後に出版された新しい注釈書に従って改めたと思われる例が見られる。
 今回の発表では、『蜻蛉日記』を英語圏の読者へ分かりやすく紹介しようと目指したSeidenticker の翻訳態度を見ることができる箇所として、1964 年版では原文への忠実さのために改められた意訳部分に注目する。
 
 
【『万葉集』における書記の可能性】
Possibilities of Writing in the Man'yoshu

UCLA(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校)
トークィル・ダシー / Torquil DUTHIE

 『万葉集』の歌の書記法は、大別して二種類がある。一字ずつ表音的に書くいわゆる〈音仮名主体〉と、主に表意的に書きながら、必要上その一部に表音的な書き方を交える、いわゆる〈訓字主体〉である。前者はもともと中国の漢文における発音を示す文字法で、後者は漢文訓読から展開された書記法である。従来、『万葉集』の多彩な書記法は日本語を書き写すための実験的な(または戯書的な)試みとして理解されてきた。しかし、最新の研究によれば、むしろ、『万葉集』の歌における漢字使用を通して、歌という特定のジャンルに限られた、書き言葉としての畿内貴族の現地語が初めて発明されたと思われる。本発表は『万葉集』の書記法の意義と可能性を概要的に説明すると同時に、平安時代の現地語の文学(=仮名文学)との繋がりにも少し触れていく。
 
 
【『伊勢物語の歌絵』を通して見た伊勢物語諸伝本の漢字表記法】
Chinese Character Usage in Texts of The Ise Stories
as seen through Ise monogatari Poem-Pictures

実践女子大学
上野英子 / UENO Eiko

 実践女子大学蔵『伊勢物語の歌絵』は伊勢物語のなかから6 段分の絵と本文を抄出した絵巻です。
 奥書に「居初氏女書画」とあるので、居初氏の娘が絵と詞を書写したことがわかります。石川透氏によれば、17世紀後半に絵師・書家・往来物作家として活躍した居初津奈だとしています(2009 年三弥井書店刊『奈良絵本・絵巻の展開』)。
 今回はこの『伊勢物語の歌絵』を取り上げて、【表記情報学】の観点から分析してみたいと思います。すなわち、膨大な伝本数を誇る伊勢物語ですが、そのなかから〈本文だけの写本群〉20 本、〈絵巻・絵本群〉16 本、〈近世絵入刊本群〉26 本を抽出し、『伊勢物語の歌絵』における漢字表記のありようと比較してみることにしました。それによってこの資料の【表記情報学】からみた位相が判明し、同時に各群における伊勢物語諸伝本の漢字表記の様相も伺うことができるだろうと思われます。
 これまで【表記情報学】では「和文脈系の写本は時代が下るほど漢字表記数が増加する」という特徴が指摘されてきました。それでは伊勢物語写本の場合もこの特徴が指摘できるのか、絵の入った作品の場合はどうなのか、またこれまで【表記情報学】では写本のみを対象としてきましたが、版本の場合はどうなのかといった問題にも迫っていこうと思います。
 
 
【『蜻蛉日記』の表記情報─傍記が本行本文に混入すること─】
The Grammatology of Kagerô nikki
―Marginalia Incorporated into the Body of the Text―

国文学研究資料館
伊藤鉄也 / ITO Tetsuya

 今春、国文学研究資料館蔵の『鵜飼文庫 蜻蛉日記 阿波国文庫本』(国文学研究資料館影印叢書5、勉誠出版、2014.3)が刊行された。これまでは、宮内庁書陵部蔵桂宮本を底本にして『蜻蛉日記』が読まれてきた。『蜻蛉日記』の本文は推測本文に頼るしかない現状の中で、阿波国文庫本はそれに次ぐ重要な写本であった。その本文が鮮明な影印で容易に確認できる研究環境が提供されたことは、『蜻蛉日記』の本文を考える上で意義深いものと言える。
 これまでに私は、『源氏物語』と『和泉式部日記』において、傍記された語句が書写伝流の途上で本行に混入していく実態を確認してきた。傍記が当該語句の前に混入するか後に混入するかという傾向を明らかにすることで、異文が発生する事情の一端が明らかになってきた。
 この、傍記が本行の本文に混入する書写傾向の現象が、『蜻蛉日記』にも確認できる。その傍記混入の実態を踏まえて、これまで推測本文によって読まれてきた『蜻蛉日記』の本文について、あらためて考えてみたい。書写状況を知る手がかりの一つから、『蜻蛉日記』の不可解な異文を読み解くヒントが得られると思うからである。
 
 
【漢字,かな,font:江戸時代の表記と書体】
Kanji, Kana, Font: Edo-Period Grammatology and Script

国文学研究資料館
海野圭介 / UNNO Keisuke

 漢字、ひらがな、カタカナを交ぜ書き表記する日本語の表記方法のなかには、その表記法それ自体が記される書籍の内容と関わりを持つ例が認められる。漢字やカタカナで書かれた書籍は内容も固く、ひらかなで書かれた書籍は、内容的にはやや娯楽に傾く性格を示し、享受層の面では成人男子というよりは婦女子を対象とする傾向があるとされている。こうした表記と書籍の内容との相関関係について、本報告では書体(font)という視点からも考えてみることとしたい。
 中国より伝わった五種の書体(篆書(てんしょ)・隷書(れいしょ)・草書(そうしょ)・行書(ぎょうしょ)・楷書(かいしょ))のうち、前近代の多くの書物や文書に用いられた行書体(ぎょうしょたい)には、多くの固有の書体(font)が考案され、またそれが学習されて伝承されていった。近世日本において一般に普及したのは、「御家流」と呼ばれる書体であり、寺子屋などの庶民教育機関で教授され、小さな村に残された公文書にまで確認されるほど広く浸透した。また、一方で上層階級には、持明院家(じみょういんけ)(流(りゅう))などの入木道(じゅぼくどう)の家が伝える書体が浸透していった。江戸期の日本においては、階層、性別、職業などの執筆者の社会的属性と書物の内容によって様々な書体が行われた。いわば、書体(font)にも身分があったといえる。本報告では、江戸時代の書物の構成要素としての書体の問題につき、具体的資料を挙げつつ、その検討課題の所在について報告を行いたい。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 古典文学

2014年09月21日

日記から近代日本を見る研究会で得た新鮮な刺激

 昨日は、多彩なメンバーによる研究会が開催されました。


名称︰第1回「近代日本の日記文化と自己表象」
日時︰2014年9月20日(土)午後2時〜5時半
会場︰国文学研究資料館・第1会議室(2階)


 初回にもかかわらず、熱気溢れる楽しい勉強会でした。とにかく、参加者各人が明確な問題意識のもとに、興味深いテーマに取り組んでいる若手研究者の集まりです。話題が豊富なので、聞いているだけで飽きません。

 14名のみなさんの自己紹介を聞くだけで、私はもう満腹状態となりました。
 思い出せる限り、自己紹介で知り得た研究テーマを列記してみましょう。
 この中で、私が知っているのは3名だけだったので、まさに初めてお目にかかる方々の集まりに飛び込んだことになります。


・近代日本における読み書きの実践
・関東大震災時の朝鮮人虐殺
・近現代の『源氏物語』の受容史
・日本のタイの交流史
・『朝日ジャーナル』の研究
・戦前の『主婦の友』の家庭料理記事
・明治期の子どもの生活と読書体験
・戦地での学徒兵の読書
・女性の日記から学ぶ
・旧制奈良女子高等師範学校の読書文化
・『家の光』と農民教育装置
・明治大正の少年少女の書記文化
・幕末明治期の函館史
・富永仲基の研究


 これまでに私が取り組んだテーマの中に、池田亀鑑や谷崎潤一郎を通して抱いた『源氏物語』の受容に関する問題意識がもやもやとしていました。特に、昭和一桁の時代背景を知りたいと思っています。この日集まった方々は、精力的に私が知りたいと思っていることを調査研究しておられるのです。これを機会に、教えていただかない手はありません。

 さて、時間をたっぷり取った自己紹介の後は、この会の取りまとめ役である田中祐介さん(国文学研究資料館・機関研究員)の研究報告です。

 この研究会は、田中さんが本年度より3年間の計画で獲得した、科研費研究のプロジェクトによって立ち上げられたものです。その採択課題名は、以下の通りです。


「未活字化の日記資料群からみる近代日本の青年知識層における自己形成の研究」(若手研究B、2014-2016年度)


 日記から近代日本を見よう、ということです。
 第1回の題目は、「手書き日記史料群は研究をいかに補い、掘り下げ、相対化するか ─国際基督教大学アジア文化研究所蔵『近代日本の日記帳コレクション』を中心に」となっていました。

 日記研究を一つの軸に据えつつ、広く近代日本における読み書きの実践について、みんなで掘り下げる機会にしたい、とのことです。

 この研究の背景には、福田秀一先生(国文学研究資料館名誉教授、国際基督教大学元教授)が蒐集された日記コレクションがあります。
 田中さんは福田先生の愛弟子であり、残された5000点以上もの日記関連資料を整理し、目録化を終えたところでした。昨日は、その中から興味深い日記を会場に持参され、丁寧にその概要と意義を語られました。

 私と田中さんとの接点は、福田秀一先生にあります。
 私は、福田先生から、海外における日本文学の翻訳本を託されました。
 そのことは、「【復元】福田秀一先生を偲んで」(2011/4/21)に記した通りです。
 その冒頭で報告した「翻訳事典」(『日本文学研究ジャーナル 全3冊』、2008〜2010年)については、昨年度より私が取り組んでいる科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」の報告書『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』として一通りの整理をしたところです。

「『日本古典文学翻訳事典 1〈英語改訂編〉』を発行しました」(2014年04月01日)

「PDF版『日本古典文学翻訳事典1』がダウンロードできます」(2014年04月16日)

 田中さんは、福田先生から日記を託されたと理解すると、この研究会の位置づけもわかりやすいかと思われます。

 昨日の報告の中では、かねてより田中さんから聞いていた、近衛歩兵第四連隊に属した塚本昌芳さん(95歳)の日記に、以下のように記されていることが再確認できたことが、私にとっては一番の収穫でした。


1944年2月3日
「午前中は各種の典範例を復習し、又、源氏物語の空蝉の項を鑑賞する」


 戦時中に、兵営で『源氏物語』を読んだとのことです。

 これについては、過日の本ブログ「出版法制史研究会の例会に参加して」(2014年07月05日)の冒頭で、冨倉徳次郎のエッセー「陣中に源氏物語を講ずる話」(『北の兵隊』青梧堂、昭和17)を紹介し、日中戦争の際、北満国境警備部隊の兵士が兵舎で『源氏物語』の勉強会をしていたことを簡単に記しました。そのことに連接する話題でもあります。

 戦地で『源氏物語』が読まれていたことは、戦中戦後の日記の調査研究が進めば、さらに有益な資料が見つかることでしょう。

 懇親会や二次会で、秋田・仙台・京都・奈良という地元ネタが通じる方がいらっしゃったので、ローカルな話でも楽しく盛り上がりました。特に京都にお住まいのKさんは、私の自宅にも近い圏内で活躍中なので、今後とも有益な情報交換ができそうです。

 日ごろは若い方々とお話をする機会が少ないので、昨日は怒濤のごとく押し寄せるような刺激をいただきました。
 このような場に身を置くことができ、田中さんとの出会いにも感謝しています。
posted by genjiito at 22:17| Comment(0) | 身辺雑記

2014年09月20日

私にも障害を持つ方のお役にたてることがあったのです

 昨日書いた、霞が関ビルで開催された教授会の会議が始まる前と終わってから、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんとじっくりと話をしました。懸案の、目の不自由な方と一緒に古写本『源氏物語』を読むための方策を煮詰めるためです。

 この時、私はいろいろと広瀬さんに尋ねました。その中で、ひらがなとカタカナでは、どちらが認識しやすいかと聞いたところ、曲線よりも直線のカタカナの方が読めるとのことでした。これは、現在検討している『源氏物語』の古写本がひらがなで書かれているので、今後の大きな検討課題です。

 この日の話し合いで、このテーマで科研に申請することを前向きに検討することにしました。そのためにも、今は2人だけなので、さらに研究協力者を探すことになりました。

 折しも、10月11日(土)に筑波大学の東京キャンパス(茗荷谷)で日本盲教育史研究会が開催されるとのことです。
 ちょうどその日は、中古文学会が京都女子大学を会場として開催されます。東か西かという選択の中でいろいろと考えた結果、今回は日本盲教育史研究会に出ることにしました。
 その会には、視覚障害の関係者がたくさんお出でになるとのことなので、この機会に情報収集をしようと思います。そして、科研申請にあたっての研究協力者を、この研究会で呼びかけることにしました。

 もし、こうしたテーマに興味をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひとも連絡をください。
 一緒に考えていく方を、今は1人でも多く必要としています。

 また、9月27・28日は、大阪の難波で「日本ライトハウス展」が開かれます。あいにく、私はこの時には海外出張中なので参加できません。これも、興味をお持ちの方は行って見られてはいかがでしょうか。

 話し合いも十分にできたので帰ろうとした時に、広瀬さんが手を貸してほしいとのことでした。最初はその意味がよくわかりませんでした。すると、私の肘をさわらせてもらうと、それが誘導になるのでスムーズにエレベーターに乗れ、外に出られるのだということです。

 恥ずかしながら、これまでに全盲の方のサポートをしたことがありません。しかも、私は貧弱な体格で、腕に筋肉もない痩せ細った身体です。申し訳なさと緊張で、ぎこちないエスコートだったことでしょう。

 しかし、廊下を直進し、エレベータホールで左折しようとした時、広瀬さんも私に付いて自然に左に曲がられたのです。どうして左に曲がることがわかったのかと聞くと、私の肘の動きでどちらに移動するのかがわかるのだそうです。その感覚の鋭さに敬服しました。その時に、腕や肘を貸すことで、こちらはごく自然に動けばいいことを始めて知りました。

 ごく普通のことで、不自由な思いをしておられる方々の手助けができることを、この時に始めて知りました。身構えてアシストを、などと考えることはないのです。

 霞が関ビルを出た後は、タクシー乗り場まで案内しました。道々、見えない道を歩く上での心得をたくさん聞きました。わからないことがあると、私はすぐに何でも聞くのです。広瀬さんからは、丁寧に教えてもらえます。階段の上り下りなど、感心するばかりです。

 タクシーで帰るとのことだったので、霞ヶ関三丁目の交差点で車を拾い、乗り込まれるのを確認して別れました。

 生まれて始めての貴重な体験でした。そして、私も目が不自由な方のお手伝いができることを知り、嬉しくなりました。これまで、人のお役に立つことなど、何もしてきませんでした。あらためて、私にも出来ることがあることを知り、大きな自信と勇気をもらうことになりました。
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | 健康雑記

2014年09月19日

江戸漫歩(87)霞ヶ関ビルで開催された総研大の教授会

 総合研究大学院大学(総研大)は、6つの研究科によって構成されています。
 ノーベル物理学賞を受賞なさった小林誠先生は、総研大の高エネルギー加速器科学研究科の前身である高エネルギー物理学研究所に所属しておられました。

 総研大は、立川の庁舎に同居している国立極地研究所(南極の昭和基地)、宇宙科学研究本部(JAXA のロケット)、国立天文台(ハワイのすばる望遠鏡)などなど、理科系が主体の大学院大学です。

 この「総合研究大学院大学」の中に、文化科学研究科という文科系の研究科があり、国文学研究資料館(東京)が基盤機関となっている「日本文学研究専攻」はここに所属しています。
 国立民族学博物館(大阪)、国際日本文化研究センター(京都)、国立歴史民俗博物館(千葉)、メディア教育開発センター(千葉)の4機関も、同じ研究科の仲間です。

 この文化科学研究科の教授会が、地下鉄銀座線の虎ノ門駅の横に聳え立つ霞ヶ関ビル35階でありました。


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 過日、逸翁美術館の伊井春樹館長が文部科学省の会議でお出でになったとき、隣接する文科省が入っているビルでゆっくりとお話をして以来、久し振りに虎ノ門へ行きました。

 この教授会は137名の先生方で構成されており、春は京都で、秋は東京で開催されます。
 本日、この霞が関の会場で、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんと会いました。そして、会議の前後に、目の不自由な方と一緒に古写本『源氏物語』を読むことについて、じっくりと話し合いました。ただし、長くなるので、そのことは明日の記事とします。

 さて、自分が所属する職場の説明に、いつも苦労します。そして、ついつい簡単に、国文学研究資料館にいると答えています。
 しかし、今日の会議の最後にも理事からお願いがあったように、「そうけんだい」という知名度をアップするためにも、執筆したり講演をするときには、総研大の教員であることを忘れずに明示してほしいとのことでした。

 現在、論文の引用数において、総研大は国内の大学の中では15位だそうです。各自がもっと所属を総研大として社会活動をすると、トップテンに入ることになるのでご理解を、とのことでした。
 理科系の発想が、こうした時に実感させられます。文学の世界では、自分の論文が何回引用されたかは、あまり評価の基準にならないからです。

 総研大では、学位としての博士号を取得する学生を対象とするので、一般的にはあまりこの存在を知られていません。対象者が限定されているのです。

 国文学研究資料館を基盤機関とする日本文学研究専攻でも、博士前期課程(従来の修士課程)を終えて博士後期課程(従来の博士課程)で博士論文を執筆し、博士(文学)の学位を3年間で取得するために入学する方を受け入れています。みなさまに馴染みがないのは致し方ないところです。
 そのためもあり、特に総研大を名乗る機会も少ないし、認知度も低いようです。

 日本文学研究専攻では、2014年10月25日(土)に、立川市にある国文学研究資料館で「平成27年度 入試説明会」を開催します。博士(文学)の学位取得を考えておられる方は、ぜひ参加してください。

 最近、私も所属を言うときには、意識して「国文学研究資料館」に加えて「総合研究大学院大学」の教員であることを明示するようにしています。名前の前に長々と漢字の文字列があるのは、こうしたことがあるためです。ご理解をお願いします。
posted by genjiito at 23:34| Comment(0) | 江戸漫歩

2014年09月18日

読書雑記(109)広瀬浩二郎のことば切り抜き帳(1)

 目の不自由な方と一緒に『源氏物語』の古写本を読む方策を模索する上で、やはり全盲の研究者である広瀬浩二郎さんのことばには、多くのヒントがあると思っています。

 ここでは、『さわっておどろく! 点字・点図がひらく世界』(広瀬浩二郎・嶺重慎、岩波ジュニア新書、2012年5月)から、意識しておくべきことばを抜き出しておきます。
 嶺重さんが執筆なさっている第5章からは、今は引きません。


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 私にはまったく理解の及ばない世界のことでもあり、とにかく抜き出すことで、後で考えるための資料集にしたいと思います。

【障害者と共生社会のありかた】

 共生、つまり障害の有無に関係なく万人がともに生きることをめざすならば、どうしてもマイノリティである障害者はある種の頑張りを強いられることになる。時に共生とは多数派の論理となり、障害は克服すべきマイナスと一方的に決め付けられてしまう。そてして、それを克服できない者は、共生社会から排除されるのである。障害の克服を金科玉条とする共生社会では、いつになっても障害者は「お母さん、生きててよかった」と美談の主役に祭り上げられることになるだろう。(21頁)

※(私注)共生をいいながらも、今の社会には明らかに多数派の論理により区別なり排除がありますね。
 
 
【過渡期の視覚障害教育】

 近年、「インクルーシブ教育」「特別支援教育」という理念の下、障害児教育をめぐる情勢が激変しています。しかし、まだ流動的な部分もあり、「本質は何も変わっていない」というのが僕の個人的な感想です。本書では過渡期を迎えている視覚障害教育の現状や問題点には立ち入らないことにします。(32頁)

※(私注)いつかこの過渡期と言う教育の現状について聞きたいと思っています。
 
 
【古文書が読めないこと】

 僕は少年時代から歴史小説が好きだったので、他の選択肢は考えずに日本史学科を選びました。でも専門の授業が始まって、あらためて全盲には歴史研究が難しいことを痛感しました。最大のハードルは古文書を解読することで、自分では読めないし、周りのボランティアに頼もうとしても無理です。文字どおり八方ふさがりで、遅ればせながらこれはチョイスを誤ったかなと思いました。
 しかし自分が好きで選んだ学科ですから、どうにかしないといけません。いろいろ試行錯誤する中で、聞き取り調査をする方法に方向転換しました。いまだに文献が自由に読めないのはハンディキャップなのですが、全国各地に行って我流で聞き取り調査、フィールドワークをする過程で「さわって楽しむ」ことに目覚めていくわけです。(38頁)

※(私注)古文書を一旦手放した広瀬さんに、今私はひらがな主体の古写本を一緒に読もうと持ちかけています。
 
 
【「人に優しい」ことへの違和感】

 僕は先駆者の尽力に感謝しつつも、当初からなんとなく「人に優しい」というフレーズに違和感を抱いていました。目が見えない僕は、「人に優しい」バリアフリー製品の恩恵に日々浴しています。でも、誰が誰に優しいのかと考えると、どうしても健常者(博物館スタッフ)の障害者(来館者)に対する善意・親切、「してあげる/してもらう」という図式を感じてしまうのです(優しさに反発する僕は、たぶん「誰にも優しくない」人間なのでしょうね)。(40頁)

※(私注)これは辛辣な現代日本社会への批判だと思われます。
 
 
【触覚という情報入手法】

 触覚は量とスピードで劣っていますが、視覚のように受動的な情報入手ではありません。自分の手を動かし、情報を増やしていく。点だった情報を面、そして立体へと広げていく。あたかもパズルを組み立てるようなおもしろさがあるし、逆に難しさもあります。(48頁)

※(私注)古写本を一緒に読みませんかと呼びかけることで、おもしろさと難しさを共有しようと思っています。
 
 
【広瀬流三要素】

 ◎広瀬流「視覚(見る)と触覚(さわる)の三要素」
 look=視線を向けて意図的に見る→手線を意識し、大きくさわる
 watch=注意してものの動きをじっと見る→一点に指先を集中し、細部を小さくさわる
 see=自然に見える、目に入る→皮膚感覚を研ぎ澄まし、全身を手にしてさわる(54頁)

※(私注)これはまさしく、古写本を読む時の心構えとなるように思われます。
 
 
【障害者の呼称】

ここ数年、『障害」の表記に関する種々の議論が繰り返されています。「害」の字が否定的なニュアンスを持つので平仮名にすべきだという「人権」思想に基づき、役所等の文書では「障がい」「しょうがい」を使用するケースが増加しました。しかし、「がい」や「しょうがい」そのものには何もポジティブな意味がありません。そもそも障害とは、社会の多数派が少数派に貼り付けたレッテルです。漢字を仮名に置き換えるだけの事勿れ主義でなく、障害という一方向的な強者の論理を克服することが、二一世紀を生きる僕たちの真の目標であるはずです。
 僕は晴眼者/視覚障害者の陳腐な二分法に対し、「見常者(けんじょうしゃ)=視覚に依拠した生活をする人」「触常者(しょくじょうしゃ)=触覚に依拠した生活をする人」という新しい呼称を提案しています。「さわる文化」は障害の有無を超越する人類共通の財産であり、その復権が今こそ求められているのではないでしょうか。さわって学び、楽しみ、愕く。触文化の探検、すなわち見常者と触常者の自由な交流の場が増えれば、障害という概念は雲散霧消するに違いありません(なお、本書では弱視者や中途失明者を含む「目が見えない人、見えにくい人」の客観的な総称として、「触常者」でなく「視覚障害者」を用いています)。(55〜56頁)

※(私注)「見常者」と「触常者」という呼称は、最近私も意識して使っています。
 
 
【点字の今後】

 医学の進歩により、今後ますます視覚障害者の数は減少するでしょう。また、パソコン等の普及で若い視覚障害者の「点字離れ」が進行し、一方では中途失明者の点字習得の困難さも指摘されています。このような状況下、視覚障害者用の文字である点字の未来はどうなるのか。僕自身は二二世紀にも点字が生き残ることを確信していますが、そのためのキーワードが"点字力"なのです。(70頁)

※(私注)点字と共に、ひらがなを触って読めるようになることと、縦書きの習得を広瀬さんに提案しています。
 
 
【凸文字の触読の難しさ】

 社会の多数派である見常者と円滑に交流・通信するためには、視覚障害者が墨字を使うことが必要なのも確かでしょう。しかし、凸文字は触読に適していませんでした。さらに、凸文字を用いて生徒がメモや手紙を書くことはきわめて困難です。日本では漢字を凸文字にした明治一〇年代の鍼灸・箏曲の教科書が残っていますが、それらを一文字ずつ解読していた生徒の苦労は想像を絶するものがあります。アルファベットにしても仮名・漢字にしても、一般に線による文字は視覚で認識しやすいものです。イメージ(像)として瞬時に文字をとらえることができる視覚に対し、触覚(指先による触読)には点を線、面へと広げていく難しさがあります。直線と曲線が不規則に混在する墨字を習い覚えるためには、専門的なトレーニングが不可欠です。そのような時間と労力を費やす教育実践が、一九世紀の盲学校で行なわれていたことは評価できますが、凸文字による学習効果は点字に比して、はるかに劣っていました。(72頁)

※(私注)広瀬さんを説得するためにも、今、15センチ四方の板に『源氏物語』の変体仮名を彫って触読の実験をしようと思っています。
 
 
【日本は点字投票の最初の国】

 点字大阪毎日の運動などもあって、大正一四(一九二五)年の衆議院議員選挙法(普通選挙法)で点字投票が認められます。日本は点字投票を制度化した世界で最初の国です。(77頁)

※(私注)日本人特有の優しさであり、思いやりの文化が背景にあると思われます。
 
 
【パソコンの意義】

 一九八〇年代後半には、点字で文章を書いていた視覚障害者が、パソコン(点字ワープロ)を用いて墨字文書を作成することが可能となりました。従来の点字・墨字の相互変換には、点字のルールを熟知する見常者のサポートが必須でしたが、現在では点字ユーザーと点字を知らない見常者がEメールで文字情報をやり取りすることが日常化しています。ITが視覚障害者にもたらした恩恵は大きく、パソコンは情報弱者のハンディを補う有力な武器となっているのです。視覚障害者が墨字に直接アクセスする機会が増えたことによって、点字と墨字の表記の「違い」に戸惑いを感じる人が多くなりました。若い視覚障害者の中で読点使用に反対する者はいませんし、墨字との整合性を重んじ、表記法の一部改正を求める意見も出されています。(81頁)

※(私注)まだ未発達の情報文具の活用は、見常者ですら使いこなせていない現状において、まだまだ可能性があります。
 
 
【多文化理解教育】

 近年、多文化理解教育の一環として手話を第二外国語科目とする大学が徐々に増えています。手話と同様に、点字も福祉の枠組みとは一線を画する新しい角度からのアプローチが進むことが望まれます。手話は言語としての明確な位置づけができますが、日本点字は日本語を書き表すための文字体系ですから、厳密な意味での言語ではありません。でも、もともと点字は墨字との「違い」の上に成立したものであることを再認識し、その「違い」を継承する形で多文化理解教育における点字のプレゼシスを高めていかなければならないでしょう(詳しくは本章末の「付録皿」を参照)。(84頁)

※(私注)古写本による墨字の再認識を、私は広瀬さんに提案しているところです。
 
 
【点字の有用性】

 日本だけでなく、「点字離れ」は世界各国の視覚障害者に共通する現象となっています。
 とはいえ、視覚障害者がじっくり読書しようとすれば、自分のペースで能動的に情報を獲得する手段として、今のところ点字に勝るものはありません。また、日常生活における私的なメモなどでも、簡単に書いて、すぐに確認できるという面で、点字は便利です。能動性と簡便性が点字の最大の特徴であり、これは音声情報ではカバーできない触覚文字の長所といえます。紙媒体から電子媒体へのさらなる移行は進むにしても、点字が完全に消滅することはないでしょう。(85頁)

※(私注)ここに、ひらがなの触読ということを加えると、見常者と触常者が文化を共有できるようになる、というのが広瀬さんへの私からの提案趣旨です。
 
 
【マルチモーダル図書とは何か】

 マルチモーダル図書とは、同じ内容の情報に複数の手段でアクセスできる図書のことです。例えば、今回われわれは、同じ内容の本を、@活字版(墨字版、通常の紙印刷の本)、A点字版(点字および点図からなる本)、B音声版(音声を録音し耳で聞く本)、C電子ブック(パソコン上で読む本)の四つの異なる形式で同時製作しました。(125頁)

※(私注)点字版に、ひらがなの浮き出し文字を加えたいと思っています。
 
 
【点字版は著作権の対象外】

 点字版は著作権の対象外なので、たとえ著者の承諾が得られなくても出版できますが、音声版や電子ブックにおいてはその限りではありません。簡単にコピーできるために、本が売れなくなるという理由から、マルチモーダル出版をきらう著者もあると聞いています。しかし、多くの視覚障害者にとって音声版や電子ブックはきわめて有用です。著者が、点字・点図版や音声版の作製にも関われば、著作権の問題は発生しません。(127頁)

※(私注)点字版の有用性をもっと評価することで、ひらがなの浮き出しシートの開発は意義があると思います。
 
 
【鈍角は指先で知覚できない】

 鈍角を指先で知覚するのは難しいのです。次の図は楕円ですね、これも、真円と思いました。このように、手で読むということは、視覚で見るのとは、大きく異なることがよくわかります。(130頁)

※(私注)ひらがなの浮き出し文字を提案している私にとって、この鈍角に認識の困難さが一番のネックとなるように思われます。
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2014年09月17日

読書雑記(108)佐藤隆久著『日米の架け橋』への不信感

 本読書雑記(108)は、いつものように好意的に語っていません。本意ではないままに、十分に語り尽くせなかったことを、まず最初にお断りしておきます。

 それなら、取り上げるな、と言われそうです。しかし、今私が持っている関心の中に入って来た書籍であり、自分の問題意識を整理するのには役立ちました。
 問題の多い内容だったために、かえって自分の問題意識と知識の再確認ができたのです。
 あえて、この時点で刊行された本であり、自分が目を通した本であることを記録として残すことに意義を感じ、こうして取り上げる次第です。

 佐藤隆久氏の『日米の架け橋 ─ヘレン・ケラーと塙保己一を結ぶ人間模様─』(熊本第一ライオンズクラブ、2014.7.16)は、佐藤氏が20年間の調査を経て自費出版されたものです。


140725_keller




 見開きで、左頁が日本語で右頁が英語による、日英対照となっています。

 本書を読みながら、私はヘレン・ケラーと塙保己一とのつながりに興味を持ちました。それと同時に、なぜこのような本が出版されたのかに思いを致して残念に思っています。これは、出版されることでかえって目の不自由な方々への誤解を招く構成であり内容だと思うからです。

 その典型的な部分を、まず引用しておきます。
 以下の記述は、もし再販されるのであれば、最低限ここは削除されたほうがいいと思ったところです。


 この問題はひょんな事から解決した。バカンス中の女子大生たちの会話からであった。曰く「…シーダーポイントのローラーコースターは凄いのよ…」というひと言であった。つまり、「シーダーポイント」は都市の名前ではなく、遊園地の名前であった。ちなみに、わが国では「ジェットコースター」というが、これはローラーコースターの和製英語だそうである。それにしてもわだかまりが残った。何でシーダーポイントを膝の擦り切れたバカンス中の女子大生から習わなくてはいけないんだ? …君たちからだけはライオンズを語られたくない!(171頁)
 
 過日、私は熊本県立盲学校に盲人福祉関係の資料を集めに行った。その折に担当職員に何気なく聞いたのである:「ライオンズクラブってどんな団体かご存知ですか? ライオンズクラブの盲人福祉活動ってご存知ですか?」と。しかし、いずれも否定的な答えを察知した私は愕然として早々に話を切り上げ、盲学校をあとにした。(191頁)


 以下、本書の内容を否定するようなことの列記となるのが本意ではないために、本書の問題点を箇条書きにすることに留めます。


■聾唖教育に関する言及に、はてな、と思う箇所にいくつか出会いました。現在、目の不自由な方々と一緒に日本の古典籍をよむ方策を模索中なので、よけいに敏感に反応したのかもしれません。それにしても、目の不自由な方に対する記述に、違和感を持ちました。あまりにも興味本位からの視点で述べられていると思えるからです。

■ヘレン・ケラーと塙保己一との接点について、伊沢修二、グラハム・ベル、アン・サリバンの説明が、推測を重ねた思いつきの上で空中分解しています。(15頁、137頁、161〜165頁、229頁)

■『群書類従』の版木の彫り方や、小笠原島の記述などに、認識不足と私情が混在しています。多数の書籍をご覧になってまとめられたようです。しかし、資料の学問的な選択に恣意があり、そのまま受け入れがたい箇所が多いことは、本書を読む上でも気をつけたほうがいいと思いました。

■設定したテーマに対する熱意と、そのテーマを解決しようとする研究手法の客観性がアンバランスです。

■幕末から明治にかけての歴史が詳しく語られます。しかし、それはそれとして、これだけのスペースをヘレン・ケラーと塙保己一の話題に割いたら、もっと一書としてのテーマが明確になったことでしょう。私には、調べたことを何でも盛り込む、ページ稼ぎにしか思えませんでした。
 その意味からも、第4章の20頁分はすべて不要です。

■ヘレン・ケラーと塙保己一の同じ写真が、随所に使われています。第4章のヘレン・ケラーの5枚、第5章の塙保己一の5枚の写真は、共にすべて扉に大きく掲載されているので、すべてスペースの無駄です。同じ写真を繰り返して挿入することは、本書の印象が軽くなり薄れます。

■この内容の日本語文を、すべて英語にする意義を感じませんでした。英語併記というのは見かけ倒しであり、潤沢な資金を背景に出版されたと思われることと併せて、私は不信感を抱きました。

■紹介されているエピソードに、出典を明記してもらいたいと思います。また、なぜここでそのエピソードを、と思う箇所が多々ありました。

■クリーブランド大統領の例のように、同じエピソードが重出するのは無駄であり、読む気力を失わせます。

■話題が脈絡もなく飛び飛びに語られています。しかも、枝葉に事細かな説明が付くので、本筋がまったく見通せません。

■2羽のカナリアの写真は、寒々しい思いになります。なぜこんな、目を覆いたくなるような写真を掲載されたのでしょうか。(115頁)

■第10章は、ヘレン・ケラーの生涯となっています。本書の構成がよくわかりません。

■全体を通して、推定と推測と事実認識が混在しているので、戸惑いを感じながら通読することになりました。


 以上、私は著者と一面識もありません。あくまでも、本書を真剣に読んだ者の1人としての感想を記しました。非礼はお詫びします。ただし、上記のように、なぜ? と首を傾げながら読むこととなったために、ストレートに雑感として記しました。
 最後の年表は労作と思います。しかし、これに対しても自分なりに再確認をしてから利用させていただこうと思っています。 妄言多謝
posted by genjiito at 23:09| Comment(0) | 読書雑記

2014年09月16日

震度5の地震にも動じない電車と乗客

 通勤途中に、中央線の駅で大きな地震にあいました。
 ちょうど駅に止まり、ドアが開いた時でした。
 座っていた座席がユサユサと揺れ、やがてガタガタと車輌がきしみ出しました。

 重たい荷物を大量に積み込んだのかと思われるほどに、尋常の揺れではありません。
 すぐに、地震であることに気付きました。
 何が起きたのかわからないままに、このまま車内に留まるべきか、ホームに出るべきか、周りを見渡しました。

 満員ではなかったので、大勢が大混乱に、ということはありません。
 皆さん冷静で、ホームに出たのは私を含めて数人です。
 みなさんは、車内で本を読んだり居眠りをしておられます。
 私は、高架に止まっている車輌が地上に落下するのではないかと思い、その怖さからホームに出たのです。

 ホームでは、屋根や照明器具や看板が大揺れです。
 数分でその揺れは止まりました。
 しかし、揺れに身を任せている時間を長く感じました。

 車内放送では、揺れが止まり次第に発車しますので車内でお待ちください、とのアナウンスを流していました。
 架線が大きく左右上下に揺れているのに、それを見ながら車内に戻るのは勇気が要りました。

 そして、すぐに何事もなかったかのように出発しました。
 この地震についての車内放送を待ちました。
 しかし、何もアナウンスはありません。
 線路の異常を確認しなくてもいいのだろうか、と走る電車に乗りながらも不安になりました。
 急ブレーキをかけて横転、ということのないように祈りました。

 この中央線は、人身事故がよくあります。
 よく止まります。
 それなのに、今日に限っては、揺れがなくなったらすぐに発車です。

 三鷹駅に着いたとき、後から来た特別快速電車に乗り換えました。
 少しでも早く、目的地である立川駅へ行くためです。

 乗り換えた快速電車は、中野駅の直前を走行中に地震にあったはずです。
 そんな電車に乗っているのに、三鷹駅から立川駅に着くまでに、地震に関するアナウンスは何もありませんでした。
 この電車も、何事もなかったかのようにつっ走ります。
 立川駅に降り立っても、駅では何のアナウンスもありません。

 先程の地震は勘違いだったのか?
 夢を見ていたのだろうか? 
 他の乗客が平然としているのはなぜなのか?

 いつも通りに駅を出て、いつも通りに職場に向かいました。
 人ごみを掻き分けて歩いていても、地震があった気配は微塵も感じられません。
 不思議なできごとでした。
 それでいて、後でニュースを確認したところ、「関東の震度5弱」「震源は茨城県南部」とのことです。

 さらに、帰りには立川駅を発着する青梅線が、線路に人が立ち入ったとのことで、運転を長時間見合わせているところでした。

 片道2時間弱の通勤には、いろいろなことがあります。
posted by genjiito at 22:39| Comment(0) | 身辺雑記

2014年09月15日

視覚障害者と写本文化を共有する接点を求めて

 目が不自由な方と一緒に古写本を読む環境作りについて、あれこれと思いをめぐらす日々です。

【この課題に関して、情報を公開すると共に、併せて知的財産に関する対処も進めています。関係各位のご教示に感謝します。】

【「障害」は差別的な表現だとして、「障碍」や「障がい」と表記されたりしています。ここでは、問題点のすり替えとならないように注意して「障害」を使います。】

 さて、当面の課題実現のためには、できる限り具体的な事例で考えた方がいいと思い、無謀を承知で、ハーバード大学本『源氏物語』を俎上にあげて検討を進めています。
 そして、この課題に関して少し前が見え出したので、これまでの状況をこの時点で整理しておきます。
 
 昨日交わした、国立民族学博物館の広瀬浩二郎先生とのメールの遣り取りを通して、これまでの懸案である課題と、現在の状況、そして目の前に横たわる問題点を確認しておきます。
 
 2人の意見交換で明らかなことは、ただ1つに絞られます。
 
 私は、視覚障害者である触常者が「ひらがな」を、しかも縦書きを認識できるようになれば、触読の範囲が拡がり、ひいては古写本も読めるようになる、と考えるに至りました。
 あくまでも、見常者の立場からの私見です。

 これに対して触常者の広瀬さんは、私見の困難さを示しながらも、実現する可能性への予感と期待を寄せていただいています。
 先天性の視覚障害者が「ひらがな」を触読することは可能でも、それが実用的なレベルなのかどうかは、はなはだ疑問だと広瀬さんは言われます。線文字から点字へと発展してきた、盲教育の実情があるようです。文字を浮き出しにした初期の教材は、読み取るのに時間がかかりました。試行錯誤が繰り返された結果、点字が発明されたことを踏まえての教示です。
 浮き出し文字は読むのが大変で、触ってわかるためには、膨大なスペースが必要です。それを指先で読み取るには、これまた膨大な時間が必要だ、ということなのです。

 それでも、広瀬さんが次のように言ってくださるのは、この問題を何とかしたいと思っている私には、心強い言葉の力をいただいたことになります。


 視覚障害者の触読環境を考えてくれるのはありがたいことですし、何か新しい取り組みも生まれる予感があります。
 まずは写本の体験会など、できそうな所から始めてみるのがいいと思います。


 この理解は、私の「点字だけに頼っていては、お互いの文字体系が違うので、滑らかなコミュニケーションが取れません。また、古典文学関連の文化も共有できません。」という問いかけを真正面から受け止めておられることを示しています。

 大上段に設定した今回の私の課題は、挑戦してみる価値が十分にあるようです。
 
 
■9月14日 私から広瀬さんへのメール(部分)

 ひらがなを媒介として、見常者と触常者がコミュニケーションを図るべきだと思っています。点字だけに頼っていては、お互いの文字体系が違うので、滑らかなコミュニケーションが取れません。また、古典文学関連の文化も共有できません。

 そこで、すべての文章にひらがなでルビを振ればどうなるか、ということを、みなさんに問いかけました。
 視覚に障害のある触常者の方が、立体コピーや木を削って作成した凹凸の「ひらがな」文を、しかも縦書きも読めるようになれば、見常者と共通の文化を共有できるようになるはずです。
 点字による点訳ボランティアに頼って触常者の読書体験を支えることには、どうしても無理がある、と思っているからです。

 図書館も総ルビの本を揃え、そこに透明シートにひらがなを立体コピーしたものを貼れば、図書館の役割も変わってきます。目の不自由な方々も、図書館で本が読めるようになるのではないでしょうか。
 読み聞かせに留まっていた図書館の機能が、新たな使命を帯びることになります。

 もっとも、この考え方には、触常者の方の縦書きのひらがなが認識できる、という前提があります。
 このことには、私はなんとか可能になる方策があるのでは、と自分では思っています。いかがでしょうか。

 今回行った日南町には、豊富な森林資源があります。今回、日南町のみなさまにお願いしたことは、ハーバード大学本『源氏物語』の巻頭だけでもいいので、1ページ分を木に彫ってもらえないか、ということです。
 1枚の木の板に、800年前の変体仮名で書かれた物語の冒頭を彫って、それを教材にして、ひらがなだけでも手の感触で識別、認識できるようになれば、目の見える人と目の見えない人の距離は相当縮まります。

 その際、古写本の連綿体の文字はつながっているので、1文字ずつに切れ目を入れたものも試作できないか、ということもお願いしてきました。
 1頁に10行あり、1行に15文字ほどあります。1文字の大きさは10ミリ前後です。

 目の見えない方も写本が読める、ということと、図書館に行ってもひらがなさえ認識できれば本が読める、という環境を1日も早くつくるべきだ、と思うようになりました。

 そんなことを、日南町の方々に話したところ、町会議員さんや、林業関係の社長さんなどが早速協力したい、とのことでした。

 木材は潤沢にあるし、加工に特化した技能をお持ちの方がいらっしゃるとのことなのです。
 そこで、私からは、「須磨」巻の第1丁表を、15cm四方の板に、とにかく彫ってみることを提案しました。
 すぐに着手してみる、とのことです。
 先ずは、最初の試作版を手にしてから、次を考えたいと思います。

 とにかく、私なりに動き出しました。

 
 
■9月14日 広瀬さんから私へのメール(部分)

 さて、先生が書いてくださったご意見について。
 民博でもお話したように、視覚障害者が写本の文化に触れることは重要ですし、そこから見常者・触常者の新たなコミュニケーションが始まることにも大いに期待します。
 ある程度トレーニングすれば、先天性の視覚障害者も平仮名を触読することは可能でしょう。
 ただし、その「可能」が実用的なレベルなのかどうかは少々疑問です。
 視覚障害者の文字の歴史は(京都盲学校の岸先生からお聞きかもしれませんが)、線文字から点字へと発展してきました。
 初期の盲教育ではアルファベットや片仮名を浮き出し文字にした教材が使われていました。
 これらの教材は読み取るのに時間がかかるため、試行錯誤が繰り返され、最終的に点字が発明されました。
 浮き出し文字は読むのもたいへんだし、さわってわかるためには、それなりの大きさを確保しなければなりません。
 1冊の本を浮き出し文字で表現すると、膨大なスペースが必要です。
 そして、それを指先で読み取るには、これまた膨大な時間が必要です。
 なかなか難しいところです。

 とはいえ、先生のような研究者が視覚障害者の触読環境を考えてくれるのはありがたいことですし、何か新しい取り組みも生まれる予感があります。
 まずは写本の体験会など、できそうな所から始めてみるのがいいと思います。
 その辺のことは、高村先生(筑波大学附属視覚特別支援学校)を交えてご相談していきましょう。

 
 
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 これまでに本ブログで書いた内容の中から、目が不自由な場合の話を抜き出して見ました。
 今回の古写本を読む試みを補完する情報があるので、参考までに一覧にします。
 
 
「日南町散策と写本を木に彫る相談」(2014年09月14日)
 
「日南町でハーバード大学本「須磨」を読む」(2014年09月13日)
 
「視覚障害者が古写本『源氏物語』を書写できるか?」(2014年08月22日)
 
「京都府立盲学校の資料室(その2)」(2014年08月05日)
 
「京都府立盲学校の資料室(その1)」(2014年08月04日)
 
「京洛逍遥(332)京都芸術センターの中の前田珈琲」(2014年07月24日)
 
「読書雑記(104)中津文彦『塙保己一推理帖 観音参りの女』」(2014年07月16日)
 
「江戸漫歩(82)高田馬場の「日本点字図書館」へ」(2014年06月20日)
 
「京洛逍遥(322)京都ライトハウスにて」(2014年06月12日)
 
「目の不自由な方と写本を読むために(2)」(2014年06月05日)
 
「目の不自由な方と写本を読むために(1)」(2014年06月04日)
 
「早朝の地震の後、渋谷の温故学会へ」(2014年05月05日)
 
「西国三十三所(20)壺阪寺」(2010/10/20)
 
「【復元】縦書き & 横書き」(2010/4/21)
 
「【復元】点字本『源氏物語』(全3冊)」(2009/9/10)
 
「点字本『源氏物語』(その後)」(2009/9/9)
 
「インド人留学生の眼(2)「日本の常識の不思議」」(2008/12/3)
 
「心身(22)身体への不安」(2008/9/1)
posted by genjiito at 21:08| Comment(0) | ◆源氏物語

2014年09月14日

日南町散策と写本を木に彫る相談

 朝は寒さで目を覚ましました。
 山々はもう秋です。


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 いつも宿泊でお世話になっている「ふるさと日南邑」の玄関には、池田亀鑑の文章と写真が掲げられています。


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 これに加えて今回、新たに大きなパネルが、食堂の横に設置されました。


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 これには、池田亀鑑の随筆集『花を折る』から抜き出した、「鳥の雑炊」と「八岐大蛇」が書かれています。亀鑑の令息である研二先生が、一字一字を丁寧に書かれたものです。

 その左には、今年6月に行われた第3回池田亀鑑賞の授賞式後に、関係者一堂が旧石見東小学校に建つ池田亀鑑の記念碑前で撮った写真が配されました。

 左端には、浅川三郎氏の歌、
「たそがれに風にゆられて山百合の
   亀鑑(きかん)と巡る幻想の小径(みち)」
も添えてあります。

 浅川氏は、この「ふるさと日南邑」の指定管理者であり、林業関係の会社の社長をなさっています。日南町のさらなる興隆のために、積極的な支援をしておられるのです。

 このようにして、池田亀鑑の業績を顕彰し、日南町との絆を確認するものが着々と根を下ろしていきます。「ふるさと日南邑」にお越しになることがありましたら、これもぜひ忘れずにご覧ください。

 浅川氏と久代氏を交えて、昨日来提案している、目の不自由な方々と一緒にハーバード本『源氏物語』を読むための相談をしました。
 林業の町である日南町の特質が活かせることから、昨日使った「須磨」巻の第1丁表を15cm四方の板に彫ってみることになりました。そうしたことに特化した技能をお持ちの方がいらっしゃるとのことです。先ずは、最初の試作版を手にしてから、次を考えたいと思います。

 お昼は、120年前の古民家「清水屋」で出雲蕎麦をいただきました。
 囲炉裏には薪がはじけていました。


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 縁側でいただくのも一興です。


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 ただし、注文してから口にできるまで、時間が止まったかのように待たされます。
 これも、また一興。
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | ◆源氏物語

2014年09月13日

日南町でハーバード大学本「須磨」を読む

 鳥取県日野郡日南町で、「鎌倉時代の『源氏物語』古写本を読んで池田亀鑑を追体験してみよう(第2回)」という企画をもちました。
 これは、主催:池田亀鑑文学碑を守る会、後援:NPO法人〈源氏物語電子資料館〉、協力:新典社、で実施されるものです。

 今後とも日南町を舞台として継続する意味からも、町民のみなさま15名に加えて、今回はノートルダム清心女子大学(日本語日本文学科・原豊二ゼミ)の学生さん14名も参加されたことは、非常に意義深いものとなりました。


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 まずは、日南町と文学の関わりをわかってもらうことから。
 井上文学展示室と松本文学展示室を案内していただきました。日南町は、井上靖と松本清張と池田亀鑑に縁の深い町なのです。
 そして、図書館を見学した後、みんなでいっしょに昼食となりました。
 その時に出た割りばしの箸袋に書かれていた文字を、その後の古写本を読む勉強会の枕に使いました。


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 この箸袋には、「御手茂登」と書かれています。まさに、変体仮名で書かれているのです。身近なところに変体仮名が生きていることを、この箸袋から実感してもらえるいい機会となりました。

 第1回の前回は、ハーバード大学本の第52巻「蜻蛉」の巻頭部分を読みました。
 今回は、同じハーバード大学本でも、第12巻「須磨」の巻頭部分を読むことにしました。
 「須磨」は、読みやすい字で書写されています。変体仮名のほとんどが、今と共通する字母で書かれています。「蜻蛉」の時には5行程度しか読めませんでした。しかし、今日は10行すべてを確認しながら読むことができました。


140913_yomu




 また、今回は少し欲張り、学生さんもいらっしゃることを意識して、ハーバード大学本特有の異文があることにも触れました。
 巻頭部分で、現在広く読まれている大島本で「これよりまさること」と書かれている所が、ハーバード大学本では「これよりはしたなきこと」となっているのです。「まさる」と「はしたなき」は、あきらかに異なる語句です。単なる写し間違えではないのです。

 ハーバード大学本「須磨」は、そのように読む楽しみを与えてくれる写本であることを、お話しました。
 こうした異文がハーバード大学本にあることは、これまでまったく指摘されていません。その意味を考えることは、新たな『源氏物語』を読むことにつながります。そのことを、これからという若い方々に訴えました。

 後半の20分は、目の不自由な方と一緒に『源氏物語』の写本を読める環境作りを考えている、ということを話しました。

 ひらがなを媒介として、見常者と触常者がコミュニケーションを図るべきだと思っています。点字だけに頼っていては、お互いの文字体系が違うので、滑らかなコミュニケーションが取れません。すべての文章にひらがなでルビを振り、視覚に障害のある触常者の方々が、立体コピーを活用した凹凸のひらがなが理解できれば、共通の文化を共有できるようになるのです。
 点字による点訳ボランティアに頼って触常者の読書体験を支えることには、どうしても無理があります。

 図書館も総ルビの本を揃え、そこに透明シートにひらがなを立体コピーしたものを貼れば、図書館の役割も変わってきます。目の不自由な方々も、図書館で本が読めるようになるのです。
 読み聞かせに留まっていた図書館の機能が、新たな使命を帯びることになります。
 このことは、今私が必死に取り組んでいることです。

 日南町には、豊富な森林資源があります。今回みなさまにお願いしたことは、ハーバード大学本『源氏物語』の巻頭だけでもいいので、板に彫ってもらえないか、ということです。木にひらがなを彫って、それを教材にして、ひらがなだけでも手の感触で理解できるようになれば、目の見える人と目の見えない人の距離は相当縮まります。

 目の見えない方も写本が読める、ということと、図書館に行ってもひらがなさえ認識できれば本が読める、という環境を1日も早くつくるべきです。

 このことは日南町の何人かの方に理解していただけたこともあり、早速日南町特産の木で変体仮名のカードをつくってもいい、という方が出てきました。言ってみるものです。

 このことについては、今後とも夢のある話として報告できそうです。
 どうぞ、楽しみにしていてください。
 そして、折々に手助けをしてください。
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2014年09月12日

読書雑記(107)沢田ふじ子『短夜の髪 京都市井図絵』

 沢田ふじ子著『短夜の髪 京都市井図絵』(光文社時代小説文庫、2014年4月10日)を読みました。


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 沢田さんの小説を読むのは、古筆家を扱った『これからの松』(朝日新聞に連載後、朝日新聞社、1995年12月刊)以来です。
 京言葉での会話が生き生きとしています。

■「野楽の茶碗」

 京都室町筋にある柊屋という茶道具屋の物語です。
 心地よい京都弁で始まります。この丸みを帯びた、軽快で滑らかな言葉によって交わされる会話の遣り取りが、本作の特徴の一つです。
 野楽の茶碗とは、「茶碗屋」と呼ばれた焼き物師たちが、京都の各地で手捏りの黒楽や赤楽の茶碗を作ったものです。楽は、温度の低い小規模な窯でも出来たので、あちこちの茶会で使われたのだそうです。
 正月初釜を舞台にして、話は展開します。仕覆を取り換えるために預けたはずの野楽の黒茶碗が、何とお茶席に堂々と出て来たのです。茶道具をめぐる興味深い話を背景にして、事件は見事に収まります。道具屋という商人の姿が活写されています。【4】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年1月号
 
 
■「危ない橋」

 室町筋の突抜町にある、茶道具屋「柊屋」の話です。千家三世の宗旦が造った信楽の小壺が話題となります。お寺から仏画が出る事情や、表具と表装、さらには古典籍の伝来の背景についても、よくわかる説明がなされています。
 一万両の値打ちのある巨勢金岡の仏画をめぐる話は、突然幕が下ろされます。次の話へ、ということでしょうか? 【3】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年2月号
 
 
■「短夜の髪」

 話は一転して、御池にある古着問屋「笠松屋」の主である正兵衛と異母姉のお登勢の話になります。威勢のいい女のしゃべくりと大活躍が語られます。
 この笠松屋には、「柊屋」から買った俵屋宗達の「寒山拾得」の屏風がありました。貧しい長屋で育ったお登勢と母の話には、胸が詰まります。情が冷静に書き綴られてています。いい話です。
 最後に出てくる誕生仏は、26両で「柊屋」が引き取ります。しかし、これは次巻で200両で売れるのです。【5】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年5月号
 
 
■「暗がりの音」

 大八車に京野菜を積んで売り歩く朝吉は、大きな夢を持っています。八百屋を町中に持つことでした。
 本話での、印章や落款の話は勉強になります。偽物や贋作についても、興味深く読みました。
 さて、朝吉が盗品故買に加担していることがわかり、おもしろい展開となります。名物手といわれる大井戸茶碗が話題となり、「柊屋」が活躍します。
 話に躍動感があり、見事な話の綴じ目を見せます。【5】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年6月号
 
 
■「世間の篝火」

 平安時代の来迎図や、巨勢金岡筆の聖徳太子の孝養図など、由緒のある名品が話題になります。ただし、最後に筆が急いだ印象が残りました。もっと話を聞きたいと思わせる、そんな話題が提供されています。【3】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年7月号
 
 
■「誰の徳利」

 酒好きの父を思いやる娘と、賀茂茄子の絵徳利が主役です。しかも、徳利は、織部の本物なのです。人間の心の清らかさが描かれています。意外な展開でいい話です。【5】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年8月号
 
 
※単行本︰光文社刊 2012年10月
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2014年09月11日

朝日新聞の講読を解約する決断

 朝日新聞に目を通し出したのは、私が中学生になってからのように思います。

 高校を卒業するにあたり、大学生活は東京で送ることに決めました。
 しかし、家庭の事情で学費や生活費は自力で工面するのが条件でした。
 そこで、迷うことなく朝日新聞の奨学生になり、東京で新聞配達や集金業務をすることで目的を果たすことにしました。

 高校3年生の冬、大阪の中之島にある朝日新聞社へ行き、朝日奨学生の手続きなどをした時に出されたオレンジジュースは、今でも忘れられません。
 それまで家では、粉末を水で溶かしたジュースしか飲んでいなかったのですから。
 それが、実際に果物のオレンジを搾ったジュースが、分厚いガラスのコップで出てきたのです。
 使い慣れないストローから喉に届くザラザラとドロドロは、私にとっては懐かしい感触です。

 上京して配達を始めてすぐに、十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎で内臓が破裂しました。
 一命を取り留めて、退院後は自宅のある大阪の高安の里でしばらく静養しました。
 ちょうど、千里丘陵で万国博覧会が開催されていた頃です。

 その年の秋に再度上京し、元気に学生生活に戻りました。
 ところが、またまた災難が襲ってきました。

 配達に出る直前の朝3時に、新聞販売店が出火のために全焼したのです。
 煙に咽せながら2階の窓から飛び出したところ、目の前にあった電柱に幸運にもしがみつくこととなり、ズルズルと下まで降りて逃げました。
 その日は、手や足を血だらけにし、小雨の中を裸足で新聞を配ったように記憶しています。

 数日後の成人式では、マラソンにエントリーしていました。
 しかし、満足に着るものもなく、成人式にも出られず、神社の社務所で被災者用の毛布にくるまってじっとしていました。
 両親が作ってくれた背広や、大阪から持ち込んでいた所持品のすべてが焼失しました。
 そのため、20歳までの写真などを始めとして、自分の想い出をたぐり寄せる物は、今に至っても何一つありません。

 そんな中でも、朝日新聞社からは、学生が焼失した書籍は申告通りに買うように、という配慮をしてもらえました。
 そのため、身の回りの物はないのに、本だけはあるという、不思議な生活を送りました。

 そのせいもあってか、こうしてブログでかつてを振り返り、想い出すことは、私の楽しみの一つです。
 20歳までを想い出すことのできる、形あるよすがとなる物がないのですから、自分の想念の中を自由に飛び回れるのです。
 感触という手応えはありません。
 しかし、こうして結構楽しんでいます。

 そんなこんなで、朝日新聞は私にとっては生活と密着した新聞でした。
 自分の過去を振り返ると、どこかに朝日新聞が関係しているように思われるのです。

 三島由紀夫が割腹自殺した時も、私の投書が声の欄で紹介されました。
 初めてマスコミに自分の名前が掲載された、記念すべき出来事でした。

 朝日新聞を配っていた時の連載小説が井上靖の『星と祭』だったことから、以来、井上靖の作品に愛着を抱いています。
 十一面観音めぐりを始めたのも、その頃からでした。

 ところが、私に大きな影響を与えてくれたその朝日新聞も、最近はどうもおかしいところが目に付きます。
 思い入れがある新聞だけに、最近は我慢して読んでいたところもあります。
 しかし、もういいか、と、突き放して見るようになりました。
 自分の青春との決別でもあります。

 これまでに、朝日新聞を褒めたり貶したりしながらブログを書いていました。
 新聞記事に触発されて書いた記事も多々あります。
 朝日新聞との講読契約を解除するのを機会に、これまで朝日新聞に関連して書いてきた記事を抜き出してみました。

 真剣に朝日新聞に抗議をしていたり、問題提起をしていたり、単なる話の切っ掛けにした記事などなど、さまざまです。
 この中から私が今も気に入っている記事は、次の3つでしょうか。
 いずれも長文なので、おついでの折にでもご笑覧いただければ幸いです。
 
「何故かくも愚行を誇らしげに」(2010/9/26)
 
「源氏千年(67)源氏写本発見というエセ新聞報道に異議あり」(2008/10/30)
 
「源氏千年(40)朝日「人脈記」9」(2008/5/2)
 
 
 妄言多謝
 
 
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「江戸漫歩(78)生まれ変わった日本橋コレド室町」(2014年05月12日)
 
「転居(3)「源氏物語余情」1996年1月分・3月分」(2014年05月10日)
 
「漱石の新聞連載小説『心』を本文異同の視点から読む」(2014年04月20日)
 
「読書雑記(94)高田郁『美雪晴れ―みをつくし料理帖』」(2014年02月20日)
 
「尾州家河内本『源氏物語』の新聞記事に掲載されたコメント」(2013年12月24日)
 
「「天声人語」で紹介された島根県のこと」(2013年12月22日)
 
「授業(2013-4)海外における『群書類従』と学際的研究」(2013年05月10日)
 
「父が遺していた焼けた帛紗の由緒書」(2012年12月24日)
 
「従兄弟の喪中を知って思うこと」(2012年12月05日)
 
「キーン先生と伊井先生の対談に陪席して」(2012年06月20日)
 
「ブームとなりつつある糖質制限食」(2012年06月14日)
 
「鴨長明のシンポジウムに参加して」(2012年05月19日)
 
「昭和8年の高松宮妃殿下のお写真」(2011/10/25)
 
「京洛逍遥(196)京都五山の送り火を考える-2011」(2011/8/16)
 
「何を今更「電磁波」と「発がん性」の認定」(2011/6/1)
 
「何故かくも愚行を誇らしげに」(2010/9/26)
 
「本屋で本が見つけられない」(2010/5/26)
 
「心身雑記(51)口臭の原因判明」(2010/3/29)
 
「新聞が廃止になった帰路のANA」(2010/1/31)
 
「『源氏物語』では「標準本」と言うより「基準本」がいい」(2009/10/31)
 
「京洛逍遙(100)府立植物園で『源氏物語』」(2009/8/23)
 
「学問とは無縁な茶番が再び新聞に」(2009/8/11)
 
「新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行」(2009/7/8)
 
「情報源としての京都新聞」(2009/6/12)
 
「コメントの再掲載」(2009/5/3)
 
「『源氏物語』の翻訳状況(2009.3.25版)」(2009/3/26)
 
「浅田次郎の講演会」(2009/3/21)
 
「井上靖卒読(55)『詩集 北国』」(2009/1/5)
 
「日本の五重搭と三重塔」(2008/11/26)
 
「ハーバード(2)朝日新聞を見る」(2008/11/20)
 
「源氏千年(67)源氏写本発見というエセ新聞報道に異議あり」(2008/10/30)
 
「源氏千年(66)朝日のニッポン人脈記が文庫本になる」(2008/10/29)
 
「NHKさん、卑怯ですよ」(2008/10/9)
 
「『源氏物語』の別本とは何?」(2008/8/2)
 
「大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補」(2008/7/21)
 
「源氏千年(51)東西の温度差」(2008/6/30)
 
「源氏千年(50)朝日新聞の文化欄に」(2008/6/24)
 
「源氏絵巻のメガネ拭き」(2008/5/21)
 
「源氏千年(47)音楽で『源氏物語』」(2008/5/18)
 
「源氏千年(42)新聞誤報で「車争図」見られず」(2008/5/7)
 
「源氏千年(40)朝日「人脈記」9」(2008/5/2)
 
「源氏千年(35)朝日の「みだし」への疑問解消!」(2008/4/27)
 
「源氏千年(34)低次元の朝日新聞の記事に溜め息」(2008/4/27)
 
「源氏千年(33)朝日「人脈記」の表題が東西で違う」(2008/4/27)
 
「辻村寿三郎さんの古典人形」(2008/4/26)
 
「源氏千年(27)朝日新聞「人脈記」1」(2008/4/22)
 
「京都大不満の会」(2008/2/10)
 
「源氏千年(4)ドラマ化はいつ」(2008/1/6)
 
「京洛逍遥(22)元旦の新聞に!!」(2008/1/2)
 
「源氏千年(3)【復元】本年元旦の朝日に掲載」(2007/11/15)
 
「今日は22日です。」(2007/10/22)
 
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2014年09月10日

江戸漫歩(86)背中を意識して国営昭和記念公園を歩く

 最近、背中が曲がっていると、よく指摘されるようになりました。
 自分では気をつけているつもりでも、妻や娘から頻繁に指摘されます。
 お茶のお稽古の時にも、毎回先生から背筋を伸ばして、と言われます。
 お爺さんがお茶を点てているように見えるとも。
 これは、お茶室を歩く姿勢にも現れているそうです。

 自分では、胸を張って背筋を伸ばして、お腹に力を入れて歩いたり座ったりしようと気をつけているつもりです。しかし、その効果が外には現れていないことは明らかです。
 街中でショーウィンドウに映る自分の姿を見ると、なるほどと納得します。

 今日も、立川駅から職場まで、背筋を伸ばすことを意識して歩きました。
 昭和天皇実録が公開されたからではなく、最近よく国営昭和記念公園を横切って職場まで歩いています。


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 しかし、昭和天皇記念館や日本庭園へ行こうと思いながらも、通勤時の抜け道として通っているせいか、ゆっくりと園内を歩いたことがありません。

 公園を抜けると、緑に覆われた並木道を一直線に歩きます。


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 特に夏場の暑い時は、この木陰の道を歩いています。
 この並木道の左側に、陸上自衛隊の立川駐屯地があります。

 立川駅から職場までは、普通に歩いて25分なので4000歩弱だろうと思います。いつか、正確な歩数を確認したいと思います。常時、腕にウォーキングを管理するリストバンドをしているのですから。

 私の腕には、ウェアラブルコンピュータである「Jawbone / UP24」を巻いています。これで、歩数や睡眠管理などをしています。今日発表されたアップルのアイ・ウォッチなどは、この「UP24」の機能も搭載するようです。ただし、発売は来春とのことなので、そのお楽しみはしばらくお預けです。

 さて、「UP24」を着けて体調管理をしていても、どの程度背中が丸くなっているのかを知ることは、今のところはできません。しかし、近い内にそれは可能となることでしょう。

 自分への言い訳は、ちゃんと用意しています。歳と共に知識と経験を積んできたので、稲穂よろしく頭を垂れるようになってきたのだ、と。しかし、これはやはり苦しい弁解にしかすぎません。

 ウェアラブルコンピュータも、首筋や腰の状態を検知して、いずれはアドバイスを小まめにしてくれるようになることでしょう。それまでは、自力で対処しなければなりません。

 何かと課題の多い日々です。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2014年09月09日

鳥取・日南町でハーバード大学本「須磨」を読む勉強会のお知らせ

 今週末に、池田亀鑑生誕の地である鳥取県日野郡日南町で、『源氏物語』の古写本を読む勉強会を開催します。


■企画名称:鎌倉時代の『源氏物語』古写本を読んで池田亀鑑を追体験してみよう(第2回)
■講師:伊藤鉄也(NPO法人〈源氏物語電子資料館〉代表理事)
■開催日時:平成26年9月13日(土)午後2時〜3時半
■体験会場:ふるさと日南邑(鳥取県日野郡日南町神戸上)
■主催:池田亀鑑文学碑を守る会
■後援:NPO法人〈源氏物語電子資料館〉
■協力:ノートルダム清心女子大学(日本語日本文学科・原豊二ゼミ)


 これは、本年6月の第3回池田亀鑑賞授賞式の後で、新しい企画として実施した「鎌倉時代の『源氏物語』古写本を読んで池田亀鑑を追体験してみよう」を受けて、第2回目として開催するものです。

 前回の勉強会の案内は、本ブログ 「第3回「池田亀鑑賞」授賞式のお知らせ」(2014年06月18日)の後半で紹介した通りです。

 また、「第3回池田亀鑑賞授賞式」(2014年06月29日)の記事の後半で、その勉強会の様子などを詳細に報告しました。

 前回は、ハーバード大学本の第52巻「蜻蛉」の巻頭部分を読みました。
 今回は、同じハーバード大学本でも、第12巻「須磨」の巻頭部分を読みます。
 ハーバード大学蔵「須磨」巻については、「米国ハーバード大学蔵『源氏物語』の写本」(2013年11月25日)で紹介しましたので、併せてご覧ください。


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 なお、今回のイベントは、日南町及び周辺地域のみなさま方を対象とすると共に、ノートルダム清心女子大学の原豊二先生のゼミ合宿の中で実施するものとなっています。
 どなたでも自由に参加していただけます(無料)。
 ただし、会場や資料の準備の都合がありますので、参加希望者は、開催前日の12日(金)午後5時までに、本ブログのコメント欄を利用して参加の意向をお知らせください。

 この企画は、今後とも継続して実施します。
 第3回については、追ってお知らせいたします。
posted by genjiito at 20:51| Comment(0) | ◆源氏物語

2014年09月08日

京都で『十帖源氏』を読む「明石_その6」

 今回は、いつもの「ワックジャパン」ではなくて、烏丸通りを隔てたちょうど反対側にある「京町家 さいりん館 室町二条」の2階で勉強会を開催しました。
 途中で大雨と雷が鳴り響くという、最近の不安定な天候を象徴するような一日となりました。

 さて、今回はいつも『十帖源氏』の「明石」巻を担当してくださっている川内さんが、英国に出張直前ということもあり欠席です。そこで、代わりに庄婕淳さんが代理で報告者になってくださいました。

 まず、『十帖源氏』に「いぬるついたちの日の夢に」とあるところです。
 担当者の現代語訳は、「先日の一日の日の夢に」となっています。しかし、これではあまりにも逐語訳すぎて、かえって海外の方にはわかりにくいのではないか、ということになりました。
 そこで、いろいろと検討を加えることになりました。

 結果は、「今月一日の夢に」という訳です。
 「今月」ということばを頭につけたのです。
 検討を終えてみるとこれだけです。しかし、その間にみんなで意見を交換したことは、参加者の物語の理解を深めるものとなりました。これは、ぜひとも多くの方が参加され、一緒に考えながら現代語訳を作ることで、より一層『源氏物語』を読むことが楽しくなると思います。(それとなくなく、お誘いです。)

 また、原文が長くてなかなか句点が打てない場所などは、思い切って小刻みに区切りました。そうしないと、海外の方に訳してもらった時に、複雑な構文になってわかりにくいものとなる恐れがあるからです。
 その意味では、今回は短い訳文を作る訓練のような検討がたくさんなされました。

 わかりやすくしたものを列記してみましょう。

「しのびやかに」→「ひそかに」
「おほしまはす」→「思いめぐらして」
「こころみに」→「念のために」


 さらに今回の検討会で一番時間をかけたのは

しづやかにかくろふべきくま侍なんや

という箇所です。

「しずやかに」や「かくろふ」、そして「くま」という語に関して、わかりやすい現代語の組み合わせを考えるうちに、いろいろな案が出されました。
 結果としては次のようになりました。

静かに身を隠せる場所がありますか。


 いつも思います。まさに、みんなで頭の体操をしているのです。
 次回は、ちょうど1ヶ月後の10月4日(土)午後1時から、従来通り「ワックジャパン」の一室をお借りして行います。
 興味をお持ちの方の参加を歓迎します。
 本ブログのコメント欄を通して連絡をいただければ、折り返しの返信でご案内いたします。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆源氏物語

2014年09月07日

平安絵巻の岡崎から信貴山縁起絵巻の平群へ

 岡崎公園の中にある京都府立図書館で借りていた本は、過日東京からネットで延長手続きをしていました。しかし、今月から来月にかけての週末は、すべて予定が詰まっています。直接返却に行けません。自宅近くにある京都府立総合資料館に返却することも出来ないようなので、自転車を飛ばして岡崎へ行きました。

 図書館がある平安神宮周辺は、秋の観光客で大混雑しています。のんびりと旅をしたいなーっと思いながら、しばらくは館内で調べものに没頭しました。

 午後は奈良でお茶のお稽古があるので、京阪三条駅の駐輪場に自転車を置きました。12時間で200円です。

 京阪三条駅から丹波橋駅まで出て、そこから近鉄に乗り換えます。さらに、大和西大寺駅と生駒駅で乗り換ると、目的地である元山上口駅へ行けるのです。

 今日は、茶箱を使った卯の花と、前回同様に運びの薄茶のお稽古をしました。
 卯の花は、かつて一度だけやりました。袱紗を腰に着けないことや、柄杓を使わないことなど、細かなところが違います。その微妙な違いが、中途半端に知っていることと混乱するので、かえって悩ましいことになるのです。
 薄茶は4人分点てました。回数を重ねると、自然と身体に染み込むものがあります。

 お稽古が終わってから、『利休百首』(井口海仙著・綾村坦園書、淡交社、平成23年1月30版)を読みます。今日は、

棗には蓋半月に手をかけて
  茶杓を円く置くとこそしれ (44頁)

でした。

 みんなで唱和します。テキストの変体仮名を目で追いながら読み上げていたところ、最後の「れ」の仮名に目が留まりました。この「れ」の字母は何だったのだろうかと。
 その時はわかりませんでした。しかし、帰ってから調べる前に、一緒にお稽古をしている仲間からすぐに「麗」であることを教えていただけました。感謝です。

 帰ってから、早速『五體字類』(高田竹山、東西書房、昭和51年6月47版)を見ると、次のようにありました。
 写真の右が『利休百首』の「置くとこそしれ(置久止己所志麗)」の部分です。
 左は『五體字類』の「れ」の項目で、「連 俊  麗 行  麗 俊」とあります。「俊」は藤原俊頼、「行」は藤原行成の手であることを示しています。


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 鎌倉から室町にかけての変体仮名は読む機会が多いのに、平安時代の仮名にはあまり親しんでいなかったことに気付かされました。いい刺激です。またまた感謝。

 お稽古帰りには、娘夫婦と生駒駅そばの居酒屋で軽く呑みながら話に華を咲かせました。

 生駒駅の南側からケーブルカーが生駒山・宝山寺まで延びています。その線路脇に、息子2人が生まれた産婦人科があります。20年以上も前の記憶と懐かしさを頼りにして、生駒駅南のぴっくり通りを歩いてみました。しかし、日曜日ということもあってか、ほとんどがシャッターが降りていました。閉店したお店も多いようです。

 この一帯に活気がないので、駅に隣接する「グリーンヒルいこま」へ行きました。
 3階の一番奥にあった「味楽座」でも、通路を隔てた南側の別館に入りました。ここは、なかなかおいしい魚料理を出してくれました。「ウナギの白焼き」と「とんぺい」が気に入りました。

 実は帰ってから、何気なく「味楽座」を調べていてビックリ仰天しました。今日入った「味楽座」の別館は、かつて「寿がきやラーメン」があったところだったのです。あの「寿がきやラーメン」には、子供たち3人を連れてよく来ました。今は「グリーンヒルいこま」を撤退して、西大寺の「奈良ファミリ―」に入っているそうです。これは、いつか家族みんなで行く価値がありそうです。

 私は1人で食事をすると、よくお腹が痛くなるため、誰かに付き合ってもらうことが多くなりました。娘夫婦は、その犠牲者だといえます。しかし、イギリスのことや外国語の話に始まり、目の不自由な方々と写本を読む方策についてまで、いつもながら多彩な話で止まりません。
 自転車を取りに三条駅に戻り、駅前のブックオフに立ち寄ったのは23時少し前でした。11時間も自転車を預けていたことになります。フルに駐輪したことになりました。続きを読む
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ブラリと

2014年09月06日

京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第13回)

 今日の京都で『源氏物語』の古写本を読む会は、「京町家 さいりん館 室町二条」で開催しました。初めて借りる施設は、何かと刺激的です。


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 庭はこんな感じでした。


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 2階の部屋はイスとテーブルなので、10人ほどの勉強会にはちょうどいい場所でした。


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 今年の重陽の節句は10月2日だそうです。そんなこともあり、娘が今日届けてくれた和菓子は、甘春堂本舗の「着せ綿」というお菓子でした。


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 甘春堂本舗のホームページより、このお菓子の説明を引用します。


執筆者: 木ノ下 千栄

◆紫式部と菊の着せ綿
 『源氏物語』で有名な紫式部は、自らの歌集『紫式部集』にこんな歌を詠んでいます。
 「菊の花 若ゆばかりに袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ」
 旧暦の9月9日は、重陽の節句と呼ばれ、平安時代には前日の9月8日に菊の花を真綿でおおって菊の香を移し、その翌日の朝に露に湿ったこの真綿で顔にあてて、若さと健康を保とうとする行事がありました。これを「菊の着せ綿」といいます。
 この日、紫式部は藤原道長の北の方(奥さん)・源倫子から菊の着せ綿を贈られて大変感激したようです。当時綿は大変高価なもの。いくら道長の娘・彰子にお仕えしているといっても、自分には身分不相応と遠慮したのでしょうか。
「(着せ綿の菊の露で身を拭えば、千年も寿命が延びるということですが、)私は若返る程度にちょっと袖を触れさせていただき、千年の寿命は、花の持ち主であられるあなた様にお譲り申しましょう。」とその着せ綿を丁寧にお返ししようとしたとのことです。道長家の栄華、そして紫式部の思慮深さがしのばれる歌ですね。
 着せ綿については『枕草子』『弁内侍日記』などをはじめ、古典文学に多く記されています。今年はあなたも殿上人になったつもりで、着せ綿をしてみてはいかがでしょうか?

◆由来について
 旧暦9月9日は陰陽道の考え方から縁起のよい陽数(奇数)の最大値である9が重なることから、「重陽」と呼ばれます。五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)の中でももっとも重んじられてきました。
 重陽の節句は別名「菊の宴」ともいい、古くから宮中に年中行事の一つとして伝わってきました。菊は翁草、齢草、千代見草とも別名を持っており、古代中国では、菊は仙境に咲いている花とされ、邪気を払い長生きする効能があると信じられていました。その後、日本に渡り、菊の香と露とを綿に含ませ身をぬぐうことで、不老長寿を願う行事として定着したようです。
 宮中の重陽の行事としては、平安前期の宇多天皇のころに始まりましたが、当時は特に細かい決まりはなかったようです。しかし近世に入ると「白菊には黄色の綿を、黄色の菊には赤い綿を、赤い菊には白い綿を覆う」との記述が見られるようになります。また重陽の日に菊の咲かない年は、綿で聞くの花を作ったという記述もあります。この日は観菊の宴が催され、菊の花を酒に浸した菊酒を酌み交わして、人々は延命長寿を祈りました。

◆重陽の神事 烏(からす)相撲
 重陽の日におこなわれる神社の神事として有名なのは、上賀茂神社の烏相撲です。烏相撲は平安時代に始まる、氏子児童による相撲です。上賀茂神社の祭神の祖父である「賀茂建角身命」が神武天皇東征の時、巨大な八咫烏(やたがらす)となって先導を務めたこと、また悪霊退治の信仰行事として相撲が結びついて行われるようになりました。
 当日、本殿で祭典があった後、境内細殿前庭で烏帽子、白針姿の刀祢(とね)が弓矢をもってぴょんぴょんと横跳びをしながら「カーカーカー」「コーコーコー」と烏の鳴き真似をし、小学生10数名が相撲をとります。その鳴き真似のユニークな姿にマスコミもたくさんくる、重陽のちょっとしたイベントであり、児童たちの活躍ぶりをみる、実にほほえましい行事です。
 ところで、平安時代には歴代の斎王が烏相撲をご覧になったと伝えられています。斎王の制度が鎌倉時代に途絶えてしまった後も、毎年斎王の席を用意し、神事は続けられてきました。そして平成3年に葵祭の斎王代がこれをご覧になることになり、800年ぶりに陪覧が実現したということです。 それにしても、9月といっても暑いこの時期、斎王代も正装でじっと動かず、そして扇で顔も仰ぐことも許されずに座っていなければならないなんて、大変ですね。


 今日はまず、この「着せ綿」というお菓子をいただきながら、この説明文を確認することから始まりました。
 お菓子一つを取っても、こうしていろいろなお話ができるのですから、日本の伝統的な文化は本当に楽しいものだと気付かされます。

 『紫式部日記』と『枕草子』にも、この菊の着せ綿の記事があるので、それも確認しました。
 参考までに、以下に引いておきます。


(1)『紫式部日記』(『完訳 日本の古典24』小学館)

 九日、菊の綿を、兵部のおもとの持て来て、「これ、殿の上の、とりわきて。いとよう老いのごひ捨てたまへと、のたまはせつる」とあれば、
  菊の露わかゆばかりに袖ふれて花のあるじに千代はゆづらむ
とて、かへしたてまつらむとするほどに、「あなたに帰り渡らせたまひぬ」とあれば、ようなきにとどめつ。
 
 
(2)『枕草子』(『完訳 日本の古典12』小学館)(三巻本 第7段)

 九月九日は、暁がたより雨すこし降りて、菊の露もこちたうそぼち、おほひたる綿など、もてはやされたる。つとめてはやみにたれど、曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたる、をかし。


 さて、肝心の勉強会は前回予告した通り、ハーバード大学本「蜻蛉」の写本を読むのではなく、『源氏物語』の「蜻蛉」巻のお話の確認をしました。
 変体仮名を読むことに没頭していて、お話の確認が中途半端だったからです。

 『国文学「解釈と鑑賞」別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No. 28 蜻 蛉』(伊藤鉄也編、至文堂、2003・4)を元にして、原文・現代語訳・鑑賞・脚注・コラムなどを参照しながら、物語を追うことで内容を見て行きました。浮舟はもちろん、薫と匂宮、右近と侍従、そして時方などの登場人物の位置づけや性格にまで及びました。

 さらには、現在読んでいる『源氏物語』は紫式部1人が書いた作品ではない、という持論のもとに、この「蜻蛉」巻でも女の筆と男の筆が混在していると思われる場面なども指摘しました。

 簡単に言えば、浮舟という女性の語られ方や、取り巻きの女性の描かれ方が中途半端になっているのは、男の筆が入っているからではないか、ということです。
 反面、男性の心理描写には、女性には描けないような鋭さで語られているのではないか、ということもふれました。
 こうしたことは、その論証が難しいことなので、そのような視点で「蜻蛉」巻を読んでみませんか、という提案でもあります。

 お菓子をいただいた後は、私が喋りすぎたように思われます。
 次回は、女性と男性の心理を、討論形式で展開したいと思っています。
 この会は女性が多いので、楽しい時間になりそうです。
 
 次回は、10月4日(土)の午後1時から、ワックジャパンで行います。
 興味をお持ちの方の参加を歓迎します。
posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | ◆源氏物語

2014年09月05日

江戸漫歩(85)『みおつくし料理帖』の爼橋と千代田図書館

 千代田図書館の書庫の中で、反町茂雄氏や中野三敏先生等から寄贈を受けた古書目録の調査をしています。山を移すかのような作業を、一人で黙々と相変わらず続けています。

 千代田図書館が入っている千代田区役所の横を流れる日本橋川には、宝田橋が架かっています。
 宝田橋越しに区役所から皇居方面を望むと、川には首都高速5号池袋線が覆い被さるように走っているため、圧迫感のある光景となっています。


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 しかし、伸び伸びと屹立する10階建ての区役所ビルは、皇居側からだと、この街の元気さを見せてくれます。

 日本橋川を吹き抜ける風も、めっきり秋らしくなりました。

 宝田橋のすぐ北の靖国通りには、俎橋が架かっています。東側(写真右)の神田神保町と、西側(写真左)の九段下を結ぶ橋です。


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 この爼橋は、先日、全10巻が完結した高田郁の『みをつくし料理帖』の舞台です。女料理人の澪が働いていた料理屋「つる家」は、写真の左奥になります。澪は、この橋に佇んで、楽しい時や辛い時に星や月を仰いでいました。もちろん、小説の世界の話ですが……

 さて、千代田図書館では、膨大な古書目録にどんな『源氏物語』の古写本が掲載されているのか、ということを調査しています。もちろん、『源氏物語』に限らず、その前後の作品や、私が勝手に興味を持ったものも抜き出しています。

 『源氏物語』が、いつどこでどのような形で売りに出されていたのかを追跡する事によって、古写本の伝流経路はもとより、五十四巻がいつどのようにしてバラバラになって今に伝えられているのか、ということがわかります。また、今確認できていない『源氏物語』の古写本も、出品されていたことから、その存在を確認する上での手掛かりともなります。

 今、我々が確認できる以前の『源氏物語』の姿を垣間見ることが、こうした目録類から知ることができるのです。
 『源氏物語』の古写本の伝流史や受容史が、古書を売買した目録から見えてくるのです。
 ただし、その情報を引き出すためには、とてつもない手間と時間が必要です。

 まだ、千代田図書館にある目録類の百分の一も見終えていません。到底、私が生きている内に終わるとは思っていません。
 これも、古写本の翻字と同じように、次の世代に託さざるをえません。NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の仲間に託そうと思っています。引き継ぐ人が見つかるまでは、私が一点でも多く抜き出しておくつもりです。

 今日は、たくさんの情報が集まりました。と言うことは、冊数はこなせなかった、という有り難いような有り難くないような、微妙な満足感を得た1日となりました。

 今日の成果のいくつかを抜き出して、以下に紹介します。
 ちょうど、私が生まれた昭和26年前後の即売会の目録です
 コメントは、さらに調査が進んでからとします。

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■『和洋古書大即売展出品目録』■
 (1949.12.1、会場:日本橋高島屋)

122 蜻蛉日記 宝暦六年刊 合四 800円
123 土左日記 寛永二十年風月宗智刊 書入本 一 600円
408 重要美術品 伊勢物語 鎌倉中期古写 桝形本 一 65,000円
  純白厚目の斐紙、為家風の文字美しく豊か。蓋し伊勢物語の古写本中最も優秀なるもの。
411 重要美術品 源氏物語柏木 伝源三位頼政筆/鎌倉時代古写本 一帖 40,000円
 本文は青表紙本河内本いづれの系統とも異り、文章の差異多し。
412 源氏物語口決 里村紹巴自筆/元亀元年古写本 一巻 6,800円
 紹巴が三条西称名院より口決伝授の秘義を記して、その高弟心前に授けしもの。長巻。
414 源氏物語聞書 本居宣長講 殿村安守自筆筆記、原本 五 1,500円
433 物語拾遺百番歌合 伝冷泉為相筆/鎌倉末期写 一帖 25,000円
 古物語研究の重要資料、此の古写本によつて流布本の缺脱を補ふべし。極めて雅装。
497 光悦本 伊勢物語 慶長十五年刊、古活字版/五色紙、原表紙 上本 二 18,000円
499 清少納言枕草子 寛永中刊、古活字版/十二行本 五 4,500円
500 狭衣物語 元和中刊、古活字版/十二行本、極上本 八 5,500円
 
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■『和洋古書大即売展出品目録』■
 (1950.1、会場:日本橋高島屋)

529 竹取物語 寛永寛文頃写松平忠房侯舊藏 一 5,000円
 所謂島原本の名によりて知られたるもの。竹取の諸傅本中最良の一。
530 重要美術品 伊勢物語 伝藤原為家筆、鎌倉中期写/流布本の最古本 一 65,000円
535 古本宇津保物語 寛文元禄頃古写本 廿一 15,000円
 半紙判大、鳥の子胡蝶装両面書き。流布本と異同多し。
539 落窪物語 永正天文頃古写本/九条家旧蔵本 三 30,000円
 古写本稀れなる落窪としては頭抜けて古く、疑ひもなく最古の傳本。字句に異同多し。大桝形、青色原装、全三冊。
540 落窪物語 上写、諸異本校合本 四 1,800円
541 重要美術品 源氏物語 帚木 伝藤原為家筆、鎌倉/中期写、松浦家旧蔵 一 38,000円
542 源氏物語 さかき 伝西園寺実勝筆/極彩色土佐絵表紙美本 一 3,500円
543 源氏物語 河海抄 文明十三年写、傳兼良筆 一〇 25,000円
 大形極上本。河海抄としては年代明かなる最古本なるべし
544 源氏小鏡 大永五年古写本 一 1,500円
545 紫式部日記 邦高親王本系統、元禄頃写 二 2,500円
546 紫式部日記 南葵文庫本、写真焼付 一 700円
550 異本狭衣物語 足利末期古写 四 18,000円
 平出家舊藏本。本文巻第一は深川本に近く、しかも異る所あり、他巻も流布本と差異甚だ多し。雲形に金泥模様、極めて古雅なる上本
555 とりかへばや物語 文政五年宣長校合本伝写 三 1,500円
556 更級日記 寛永寛文頃古写上本/松平忠房候旧蔵 一1,500円
801 和泉式部物語 絵入 寛文十年刊 一帙 三 1,500円
802 宇津保物語 絵入 延宝刊書入あり 二帙 三〇 2,000円
803 蜻蛉日記 契沖説等詳細書入/宝暦六年刊 八 1,000円
804 勢語臆断 享和刊 斎藤彦麻呂自筆書入 五 850円
 
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■『和洋古書大即売展出品目録』■
 (1951.12、会場:東京古書会館)

145 蜻蛉日記 諸異本校合写本/西荘文庫旧蔵 一 1,800円
586 絵入源氏物語 大本 上本 六〇 3,800円
587 絵入源氏物語 横本 万治三年林和泉掾/板行き 上本 三〇 3,500円
588 をさな源氏 野々口立甫 古雅絵入/寛文元年 五 1,300円
589 源義弁引抄 一華堂切臨 上本 二〇 4,500円
590 源氏物語俗解 絵入 享保十一年刊/題簽付 原装稀本 一七 5,000円
 
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■『古書大即売展出品略目録』■
 (1952.12、会場:東京古書会館)

1 源氏物語抄 古鈔本 一一、一六、一七、三冊缺/脇坂八雲軒旧蔵本 一七 5,000円
2 源氏物語 桝形古写本 箱入 五四 7,500円
3 古写本 伊勢物語 連歌師宗椿筆 箱入 一 2,800円
4 伊勢物語絵図 極彩色 十二枚 帖仕立 一 4,000円
405 天福本 伊勢物語 里村紹巴自筆/永禄五年古写本 一 2,800円
406 奈良絵本 伊勢物語 元和寛永頃古写/極大形本 四 28,000円
408 源氏花鳥餘情 文明四年奥書本/寛文頃写、極上本 一五 5,000円
409 源氏帚木別注 宗祇著、延徳元年古写本 一 2,000円
410 源氏六巻鈔 小島宗忍手写、慶長頃写/大形厚冊 六 7,500円
411 源氏物語湖月抄 中島広足自筆大書入本 六〇 10,000円
 朱藍墨の三筆にて行間に書入れ、更に至る所に附箋して自説を述べ、又先人の説の当否を批判す。流石に見識の窺はゝもの多く、新説の採るべきもの亦多し。
412 源氏ゆかりの要 老鼠堂永機旧蔵写本/梗概書 一 700円
413 狭衣物語 大永天文頃古写本/金襴表紙極上本 四 30,000円
425 明月記 藤原定家自筆原本/嘉禄二年八月 一巻 200,000円
526 狭衣物語 寛永中刊、古活字版/異本校合書入本 四 9,000円
1088 狭衣系図 寛文頃写 金泥模様表紙付 一 1,000円
1089 源氏和秘抄 寛文頃写 胡蝶装 一 1,500円
1090 光源氏物語系図 文亀甲子年奥書本寛文頃/書写セルモノ 五色料紙 一 2,000円
 
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■『新興古書展出品追加目録』■
 (1952.12、会場:東京古書会館)

235 源氏物語 足利末期古写本/帚木 明石 欠 五二 3,800円
236 源氏物語 寛永寛文頃古写本 五四 3,500円
237 源氏物語絵巻葵巻 伝正親町院勾当内侍筆/白描絵入 慶長頃 一巻 10,000円

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 今日の調査対象となったのは、反町氏が出品した古書展の目録でした。そのせいもあり、いい本がたくさんあります。『源氏物語』の周辺に限定しても、とにかく抜き出しに追われるほど、点数が多いのです。詳細な検討は、すべて後日です。
 
 今、疲れた身体を新幹線のシートに埋めて、京都の自宅に向かっているところです。
 後ろの席では、2人の子供が愚図ったり泣き騒いでいます。いつものように自由席に座っているので、これを書き終えたら別の車両に移動します。

 お母さんは口だけで子供を叱っています。子育ては大変だと思います。それは理解できます。それだけに、周りの乗客は不愉快な思いを強いられても、じっと耐えるしかありません。
 これが指定席だったら煉獄です。
 毎週のこととはいえ、この当たり外れは避けられない運としか言いようがありません。
 歳を取った証拠なのでしょうか。子供が泣き叫ぶ声が、疲れた身体と神経に響きます。
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | 江戸漫歩

2014年09月04日

江戸漫歩(84)秋を迎えに新宿の思い出横丁へ

 残暑の気配も感じられなくなったので、秋を元気に迎えるために、新宿の思い出横丁へ行きました。学生時代からなので、もう45年も足を運んでいる一角です。


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 新宿で飲むのはいつも岐阜屋です。しかし、今日は気分転換に違う店にしました。

 横丁の真ん中の通路をぶらぶらしていたら、入りやすい所がありました。

 この通りには、狭いカウンター形式の焼き鳥屋さんが多く、しかもお店の方と対話できる所が多いのが特徴です。しかし、1人で来るならまだしも、妻と一緒なのでそれも気詰まりです。
 お店の方が話しかけて来ない、テーブルがいくつか置かれた所があったので、その店に入りました。
 岐阜屋がこの一帯での判断の基準になっているので、その点から見ると小奇麗な店だと言えます。

 あしたばの天麩羅やモツ煮と、今年は高値と言われている秋刀魚の塩焼きをいただきました。
 あしたばはおいしいと思いました。しかし、秋刀魚が600円だったのはどうもいただけません。先日までは400円していた秋刀魚も、今はもう、スーパーでは150円を切っているのですから。
 モツ煮も、味が若い感じがしました。コンニャクも一緒に煮込んだらいいのにな、とも思いました。

 お店の方の対応は親しみやすくて、感じのいいお店でした。
 それでも、岐阜屋に比べると1品ずつが少し高めです。
 さて、後日、もう一度行ってみようと思うかどうかが、私の評価となります。
 再度行った時に、このお店の写真を掲載しましょう。
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | 江戸漫歩

2014年09月03日

読書雑記(107)中津文彦『つるべ心中の怪 塙保己一推理帖』

 中津文彦『つるべ心中の怪 塙保己一推理帖』(光文社、2008.1)を読みました。


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 本作は、同書名で光文社時代小説文庫(2010年10月)としても刊行されています。
 塙保己一推理帖シリーズの第三弾です。ただし、本作がシリーズ最終巻となっています。

 「あとがき」には、次のようにあります。


 ──というわけで、保己一にはこの後もなお波瀾に富んだ生涯が待っているのだが、このシリーズはひとまずこの巻で筆をおきたい。保己一の人物像やその足跡のあらましをより広く知ってもらいたい、という願いはほぼ果たせたと思えるからだ。
 もちろん、この続編を再びお届けする機会はまたやってくるかもしれない。(中略)
       二〇〇八年初春 著者  (322〜323頁)


 本シリーズの全3冊を読むと、塙保己一と『群書類従』をテーマとしては、これ以上は展開させようがないことがわかります。そのせいもあってか、本書の第3話の終わり方は非常に中途半端なものとなっています。なによりも、保己一は推理をしなくなります。
 
 中津文彦の突然の死が齎されたのは2012年4月24日でした。肝不全によるもので70歳でした。
 今、中津氏の病歴がわかりません。この塙保己一推理帖シリーズが突然中断したと思われることと、中津氏の体調のことに何か関係があったのではないかと、個人的には思っています。
 
 
■「第一話 つるべ心中の怪」

 大田南畝が、保己一の跡目を継ぐと思われている金十郎に、次のように諭す場面があります。


「そんな顔をするな。これは、ただの座興や遊びではないのだよ。訝しいと思ったことは、決してそのままに放っておいてはいかんのだ。それが、古文書やさまざまな家記を読み解いていく上でも、最も大事なことだろうが」(49頁)


 『群書類従』の刊行を進める保己一の温古堂における、古典籍に対する心構えがわかることばです。疑問があれば何事も放置しない、という学問的な姿勢が、事件に首を突っ込む保己一の根源にあると言うのです。納得です。
 それに対して、情報が隠される当時の社会的な仕組みが語られていることにも、興味深いものがあります。業界の事情が事件を隠すのです。そこを明らかにする保己一の指示は鮮やかです。【3】
 
 
■「第二話 赤とんぼ北の空」
 江戸の狂歌師として知られた大田南畝の素顔が語られます。これまでにも保己一の推理の相手をしてきた南畝の私的な生活が、詳しくおもしろく描かれています。
 保己一の養子となった金十郎と友の話は、まとまりがよくないので退屈でした。それがガンという病だということで、情に訴える話となります。しかし、保己一の出番はなく、本書のありようが薄れたままで本話は終わります。【1】
 
 
■「第三話 夏の宵、砕け星」
 第二話を受けて、ガンという病に翻弄される友のことが語られます。
 『群書類従』に収録する写本の書写から刊行にまつわる話は、その描写が具体的であるだけに、保己一の苦心がよくわかる逸話となっています。
 やがて、人殺しの後、医学書に火を着けて逃げるという事件が、おもしろく展開します。『本草和名』という貴重な本が、本話の舞台回しとなっています。本をめぐるミステリー仕立てです。
 ただし、推理らしい推理はなく、保己一の出番もありません。すーっと消えるように話が収束します。そのあっけなさに、多くの読者が、これは一体どうしたのだろう、と思うことでしょう。【1】
 
 
 前2作の「塙保己一推理帖」については、以下の記事をご笑覧ください。
 
「読書雑記(104)中津文彦『塙保己一推理帖 観音参りの女』」(2014年07月16日)
 
「読書雑記(106)中津文彦『塙保己一推理帖 枕絵の陥し穴』」(2014年08月29日)続きを読む
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 古典文学

2014年09月02日

転居(9)「源氏物語余情」1996年9月分

 「転居(8)」を受けての、〈旧・源氏物語電子資料館〉の記事「源氏物語余情」の引っ越しです。

 今回は、1996年9月分です。
 今から18年前の『源氏物語』に関する情報を、ここに記録として留めておきます。

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◎(38)96.9.2 〈青森シンポジウム〉が、今月4日(水)〜7日(土)の間、青森公立大学で開催されます。主催は、文部省科学研究費補助金・重点領域研究「人文科学とコンピュータ」総括班です。
 私は、5日(木)の午前の部で「コンピュータで読む源氏物語」を発表します。午後には、小松左京氏の「高度電子情報化時代と人文系学問の総合的見直し」という特別講演があります。
 すでに『東奥日報』(1996.8.22木)に、私の発表内容の紹介が掲載されました。さらに詳しいものを、以下に掲示します。これは、発表用原稿の一部です。

【コンピュータで読む源氏物語 ー今いちばん新しい読み方ー 伊藤鉄也 】
〈ビデオ映像(25分)を使いながら〉
◇自己紹介
 ◇レジメ・資料のProfile参照
 ・『源氏物語』を文学の立場で研究。特に物語の本文を研究対象とする。
 ・『源氏物語』の写本を文字にしてデータベース化している。
 ・まだ読まれていない写本がたくさんある。
 ・あまりに膨大な量のために、コンピュータを使う。
 ・また、文章の違いを分析するために、コンピュータを活用する。
 ・『源氏物語別本集成』は、その基礎作業の資料作成となるもの。
◇本日の内容について
 ◇《映像》原稿用紙に書いた目次
 はじめに/一 パソコン読書の広がり/二 源氏物語との接点
 /三 CDーROMの活用/四 パソコン通信のフォーラム
 /五 インターネットの資料館
 /六 現在開発中の 新版『源氏物語』/おわりに
◇物語を読む環境の変化
  ・紙に書かれた墨の文字を読む
  ◇[提示]影印本『更級日記』(10%縮小のもの )
  ◇《映像》『更級日記』の写本2例
    『更級日記』の例→部屋で読む/燈火の下で→黙読
  ・画面表示される光の文字を読む
    新しい文化のパソコン読書→部屋で読む/燈火の下で(?)→黙読
  ◇《映像》図1・CD-ROM『新潮文庫の100冊』所収『新源氏物語』田辺聖子
    作者解説・作品概要・検索(青海波)
    ・他の作品『雪国』川端康成(注表示)
◇一 パソコン読書の広がり
  ・電子機器を活用した読書は普及するか
    →電子ブックは普及したか(通勤電車中の読書は失敗)
  ・調べる道具としては有効
    →電子ブックは旅行中には重宝する
  ・作品鑑賞の道具としては、ビデオと同じ性格
  ・携帯電話が抱える電磁波の悪影響とパソコンの心身への影響
  ・ものの見方や考え方の新しい手段を獲得したことになる
◇二 源氏物語との接点
  ◇レジメの2頁参照 →〈従来の場〉〈新しい場〉
◇三 CDーROMの活用
  ◇《映像》『源氏物語上・下巻』(総監修/秋山虔・監修/小山利彦)
       →〈六条院探訪〉
◇四 パソコン通信のフォーラム
  ◇《映像》図2・ニフティサーブの〈源氏物語を味わう〉「19薄雲」の例
◇五 インターネットの資料館
  ◇《映像》(図3)〈源氏物語電子資料館〉のホーム画面
  ◇《映像》(図4)〈源氏物語電子資料館〉の構造図
◇六 現在開発中の新版『源氏物語』
  ◇《映像》〈日本古典文学総合事典データベース(NSJDB)〉
   ・図5-1・本文と注釈を表示
   ・図5-2・平安京とその周辺の地図を表示
   ・図5-3・乗り物を調べながら牛車を表示
  ◇《映像》図6-1・プロムナード源氏物語「桐壷」
  ◇《映像》図6-2・民部-光源氏の場合
  ◇《映像》図6-3・文学史地図-紫式部の歌碑
◇おわりに
  『源氏物語』に関するさまざまな情報を集めていきたい。
  ・『源氏物語』を扱った舞台公演
  ・高校での『源氏物語』の授業の内容
  ・『源氏物語』に関わるイベント などなど
 
◎(39)96.9.2 玉上琢弥氏が、8月30日に81歳でお亡くなりになりました。
 源氏物語の研究では、ご著書を通して、たくさんのことを学ばせていただきました。物語音読論という視点は、今も新鮮です。
 個人的には、ある小さな研究会と学会の展示会で、優しいお声を拝聴いたしました。
 また、私が大阪の高校の教員をしていたとき、担任をしていた生徒のお母さんで短大の教員をなさっていた方から、個人懇談にいらっしゃった折の雑談の中で、玉上氏の大著『源氏物語評釈』の一部をお手伝いさせていただいたことがある、という話を伺いました。
 今も『源氏物語評釈』は、『源氏物語』を読む上での基本となる参考書の一つとして利用されています。私は、語釈や評釈の中で、〈いわゆる青表紙本〉以外の河内本や別本の異文について言及しておられる点が、他にないすばらしい所だと思っています。

 『源氏物語評釈』(全12巻・別巻2巻・資料編1巻、1964.10〜1968.6、角川書店)
第一巻(桐壺〜夕顔)/第二巻(若紫〜花散里)/第三巻(須磨〜関屋)/第四巻(絵合〜乙女)/第五巻(玉鬘〜野分)/第六巻(行幸〜藤裏葉)/第七巻(若菜上・下)/第八巻(柏木〜夕霧)/第九巻(御法〜竹河)/第十巻(橋姫〜総角)/第十一巻(早蕨〜東屋)/第十二巻(浮舟〜夢浮橋)/別巻一(源氏物語研究)/別巻二(源氏物語作中人物総覧・源氏物語評釈事項索引・源氏物語評釈挿絵索引・源氏物語評釈引用本文索引)/資料編(紫明抄・河海抄・紫明抄引用書名索引・河海抄引用書名索引)

 
◎(40)96.9.2 『源氏物語』のミュージカルが公演されます。場所は、秋田県本荘市の本荘文化会館で、日時は、本年10月21日(月)18:30開演です。問い合わせは、本荘文化会館となっています。
 出演・配役は次の通りです。
  光源氏◇松村雄基 / 六条御息所◇今陽子 / 葵の上◇石野真子
   / 夕顔◇高樹澪 / 朧月夜◇新田恵利 / 藤壷◇真行寺君枝
  演出・村井秀安 / 製作・株式会社イマジン
 内容は、六条御息所を中心とした女性たちの話で展開していくようです。
 
◎(41)96.9.11 ミュージカル『源氏物語』の続報です。
 今回の公演は、10月9日〜12月10日の全国ツアーとのこと。全国の公演会場の詳細は教えてもらえませんでしたが、関西地区は以下の通りです。
 11/28(木)大阪・吹田メイシアター
 12/3(火)和歌山市民会館
 12/4(水)御坊市民文化会館
 12/5(木)大阪狭山市文化会館
 お問い合わせは、(株)イマジンへ。
 一昨年の公演が好評だったために、今回はその再演だそうです。
 イマジンの許可をいただいた画像を掲載します。
 物語に思いを馳せるのも楽しいと思います。

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◎(42)96.9.11 ミュージカル『源氏物語』の公演日程は、次のようになっています。

10/9(水)浦和市文化センター(埼玉県浦和市)
 /13(日)綾瀬市文化会館(神奈川県綾瀬市)
 /15(火)木曽文化公園文化ホール(長野県木曽郡)
 /16(水)(新潟テルサ)新潟総合テレビ事業部(新潟市)
 /18(金)(古川市民会館)古川市文化振興課(宮城県古川市)
 /19(土)田沢湖町民会館(秋田県仙北郡)
 /21(月)本荘文化会館(秋田県本荘市)
 /24(木)江別市民会館(北海道江別市)
 /26(土)音更町文化センター(北海道河東郡)
 /25(金)旭川市民文化会館(北海道旭川市)
 /29(火)輪島市文化会館(石川県輪島市)
 /30(水)ラビア鹿島(石川県鹿島郡)
 /31(木)金沢市観光会館 石川テレビ事業部(石川県金沢市)
11/1(金)南条文化会館(福井県南条郡)
 /2(土)大和高田市文化会館(奈良県大和高田市)
 /3(日)稲美町立文化会館(兵庫県加古郡)
 /4(月)太子町立文化会館(兵庫県揖保郡)
 /6(水)出雲市民会館(島根県出雲市)
 /8(金)県民文化ホールいわくに(山口県岩国市)
 /10(日)八千代市市民会館(千葉県八千代市)
 /17(日)西都市民会館(宮崎県西都市)
 /19(火)串間市文化会館(宮崎県串間市)
 /21(木)鹿児島県文化センター(鹿児島市)
 /22(金)鹿屋市文化会館(鹿児島県鹿屋市)
 /23(土)種子島こり一な(鹿児島熊毛郡)
 /25(月)山口市民会館(山口市)
 /26(火)(広島アステールプラザ)テレビ広島 事業部(広島市)
 /27(水)(西条市文化会館)愛媛新聞 開発部(愛媛県松山市)
 /28(木)吹田メイシアター(大阪府吹田市)
 /29(金)赤穂市文化会館(兵庫県赤穂市)
12/2(月)(富山県民会館)富山テレビ(富山市)
 /3(火)和歌山市民会館(和歌山市)
 /4(水)御坊市民文化会館(和歌山県御坊市)
 /5(木)大阪狭山市文化会館(大阪狭山市)
 /6(金)東海文化センター(茨城県那珂郡)
 /7(土)伊東市観光会館(静岡県伊東市)
 /9(月)大垣スイトピアセンター(岐阜県大垣市)
 /10(火)(なかのZERO)イマジン(東京都中野区)

 
◎(43)96.9.13 デジタル・ストーリー・ブックとして、CD-ROM『平安魔都からくり綺談 全3巻』(首藤剛志&いのまたむつみ、バンダイビジュアル、1996.10)の第1巻「其ノ一 序之章 火龍は吠えているか!」が、10月25日に発売されます(\5,800)。
 これは、漫画でもアニメでもないコミカル平安絵巻だそうです。
 主人公の竹姫は、発明が大好きな天才少女。紫式部をはじめとして、清少納言・藤原道長・伊周も登場します。藤原源光という人物も出るようですが、これは光源氏をモデルにしたのでしょうか。
 第2巻は「其ノ二 破之章 京都は燃えているか?」、第3巻は「其ノ三 急之章 タイトル未定」となっています。
 平安朝の気分を満喫できる仕上がりになっていることを期待して、楽しみに待ちましょう。

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posted by genjiito at 22:38| Comment(0) | ◆源氏物語

2014年09月01日

今夏の検診の総合評価は「良」です

 他人様から見ればささやかなことであっても、1つのイベントを企画、立案、準備、実施、整理、報告をするのには、膨大な時間と労力と根気と気働きが必要です。

 この夏は、8つのイベントや新規計画のとりまとめに奔走していました。
 まだそのすべての事前調査や段取りが終わったわけではありません。しかし、主要な4つの企画のメドが何とか立ちました。

 そうした中で、この夏に一日だけとはいえ、一息入れることができました。
 疲労回復と気分転換には、街中を離れた温泉療養が一番です。と言っても、遠くの温泉地に行くだけの余裕はないので、近場の亀岡にある湯の花温泉に行ったのです。
 京都の奥座敷といわれる温泉地だけあって、のんびりと静かなところでした。こうした環境に身を置くだけで、蓄積された疲れはほぐれます。


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 亀岡には京都学園大学があります。というよりも、私にとっては、西国三十三所の第21番札所である穴太寺がある地として、何度も訪れたところです。
 
 さて、今年も7月から8月にかけては、私が一番頼りにしている京都大学病院で、さまざまな検査をしていただきました。胃ガンで消化管を全部摘出してから、早いもので4年が経ちました。その4年前の今日は、手術をした翌日にもかかわらず、体中につけられた何本ものパイプを取り外し、歩行訓練をさせられたのです。「心身雑記(75)術後20時間で病棟内を歩き回る」(2010年9月 1日)
 その意味でも、今年は特に念を入れて、身体の隅々までを診ていただいたのです。

 今日は、糖尿病に関する結果が出ました。
 これまでのヘモグロビン A1cの値は、次のような変動をしていました。


1月20日 7.1
4月14日 7.3
7月07日 7.2
9月01日 6.9


 この数値は、国際標準値です。4.6〜6.2が安全圏とされています。私の値は、いつも少し高いものです。消化管がないので、仕方がない、ということもあります。
 それでも、合併症の兆候がまったくなく緩やかな変化なので、主治医の先生もこのまま様子を見ましょう、というスタンスで観察しておられます。

 今私は、体重を増やすことを主眼にした食事をしています。50キロ以上を保つことを目標にしています。
 今日の体重は50.7キロでした。増やしたいのに、なかなか増えない体重です。この夏は50キロを常にキープできました。今日のヘモグロビン A1cの値は「7」を下回っているので、これで今はよしと言えます。

 先週の課題として残されていた、血液検査による腫瘍の兆候についても、特に問題はないとのことでした。

 その代わり、今日は7本分の血液を採取されました。
 ここしばらくは、増血の食事と、いつも不足していると言われる鉄分の補給に気をつけたいと思います。
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | ブラリと