本年1月12日に、88歳での急逝だったそうです。
1度だけ、兵庫県小野市のご自宅に伺いました。
あの風雅なお宅の佇まい、そしてお部屋、お庭は、今も鮮明に覚えています。
お茶を点て、書をなさるのにふさわしいお宅でした。
冨田先生には、大阪明浄女子短期大学文芸科(現・大阪観光大学)で大変お世話になりました。
私が大阪府立高校で国語科の教員をしていた平成3年(1991)3月のことです。
伊井春樹先生の仲立ちを経て、文芸科長だった冨田先生とお目にかかりました。
私が40歳になる年のことです。
阪急梅田の地下街にある、小さな喫茶店の一角でした。
愛知教育大学に転任される井爪康之先生と3人で、今後のお話を伺いました。
研究者としての道を用意してくださったことに感謝しています。
また、新しいことへのチャレンジに、意欲を搔き立ててくださいました。
初見から、豪快な先生であることがわかりました。
気持ちがいいほどに、大きく包み込んでくださる先生でした。
幾度となく叱られました。
しかし、褒めてもくださいました。
お名前の「大同」を「もとあつ」とお読みすることは、ずっと後に知りました。
私が科研費の採択を受けて公費による研究をスタートさせることになった時は、大学で初めてだったこともあり、本当に喜んでくださいました。
私も、着任後すぐに申請した課題だったこともあり、冨田先生に励まされながら『源氏物語』の古写本のデータベース化に取り組みました。
次の2つの科研費研究は、研究者としてはヨチヨチ歩きだった私にとって、冨田先生に研究環境を整えていただきながら取り組んだ、思い入れのある研究です。
※「源氏物語古写本の画像データベース化と別本諸写本の位相に関する研究」(一般研究(C)、1992〜3年)
※「源氏物語古写本における異本間の位相に関する研究」(特定領域研究(A)、1997〜8年)
また、大学へのコンピュータの導入にあたっても、深い理解を示してくださいました。
私が、今も『源氏物語』の本文の整理をコンピュータでやっているのは、この冨田先生の理解が得られたからこそ可能になったことだ、と思っています。
私は、大阪明浄女子短期大学に8年半在職しました。
後半は、大阪大学大学院の博士後期課程にも社会人として在籍し、平成11年(1999)に東京の国文学研究資料館に身を移しました。
先生には、語彙や助詞の研究があります。
「泉州語彙稿」
「続々・係助詞の、いわゆる終助詞的用法について。 : 源氏物語のコソ・ナムを中心に」
「続・係助詞の、いわゆる終助詞的用法について」
「係助詞の、いわゆる終助詞的用法について : 源氏物語のナムを中心に」等々
私が上京してから、冨田先生はいつかいつかと思っていたとおっしゃり、当時は品川にあった国文学研究資料館にお出でになりました。
必要な論文の複写をお手伝いし、夕刻から大井町の居酒屋で遅くまで飲みました。
それ以降は、お目にかからないままに刻が過ぎて行きました。
あの居酒屋での、「あんた、がんばりや」という大きな声が、今も甦ります。
あの慈愛に満ちた眼が、今も忘れられません。
ご冥福を心よりお祈りします。