2013年08月31日

藤田宜永通読(17)『瞑れ、優しき獣たち』

 藤田宜永の第3作目となる長編小説です。
 前2作は、私立探偵鈴切信吾が主人公でした。
 この作品では、アウトローである犯罪者たちがコルシカ島で繰り広げる、純粋な愛と残酷な犯罪がテーマとなっています。ハードボイルドとして楽しめる、おもしろい作品です。

 本作も、舞台はパリから始まります。場所は賭博場。そこへ、警察が突入。もぐりのカジノへの手入れをめぐり、物語はおもしろい展開となるのです。

 警官を殺したことで、主人公真壁は地下に潜ることになります。そして話はコルシカ島へと移るのです。
 ヤクザとギャングたちの復讐劇のはじまり。
 その底流には、カジノが手入れを受けたことに関して、その密告者を探すことがあります。これは、最後まで続きます。

 血で血を洗う抗争劇を見ながら、復讐の連鎖がおぞましく感じられるようになりました。そして、「やられたら倍返し」の信条のもとに信念を貫く、最近のテレビドラマで人気を博す「半沢直樹」のことに思いが連なりました。小説とドラマとでは性格を異にするとはいえ、根は同じように思えたからです。性善説の下、正義のために闘うのですから。

 私は、復讐劇が高視聴率を取っている今の社会現象と重ね合わせて、何となく不気味さも感じています。主人公の非現実的な活躍を通して、爽快感を共有できます。しかし、それがあくまでもフィクションであることへの自覚が欠落すると、現実の社会を混乱させます。

 虚構を描いた小説は、読者の想像力に俟つところが多いと思います。それが映像によるテレビドラマとなると、知らず知らずのうちに目に飛び込んでくる画像と音声による情報が、積極的な理解を超えて観る者に届くのではないか、と思われます。何となく感じることとなる影響力に、不気味さがあると思うのです。
 小説を読む場合は、読者なりのイマジネーションによって意識的にコントロールできるものがあります。しかし、画像と音声によって刻を追って押しつけてくるテレビドラマでは、人間の理性や理解を飛び越えてくるものがあるように思います。
 もっとも、まだ、うまく説明できませんが……

 さて、小説にもどります。

 後半で、真壁が大事にする加奈子が急に心変わりをして、島を出ようといいます。それから、誘拐合戦へ。
 終盤の結末まで、謎解きとスリリングな展開が最後まで緊張感を途切れさせずに、一気に読ませます。【5】
 
 
※初出:C★NOVELS『瞑れ、優しき獣たち』(中央公論社)
    昭和62年(1987)5月、書き下ろし
posted by genjiito at 22:57| Comment(0) | 藤田宜永通読

2013年08月30日

千家のおじさんの訃報を聞いて

 先ほど、出雲におられた千家のおじさんが亡くなられたと、おばさんからの電話で知りました。
 先週の24日に他界され、27日に葬儀を終えたとのことでした。
 小さい頃から可愛がっていただいていたので、私にも連絡があったのです。

 千家のおじさん、と呼んでいるのは、島根県の斐伊川に懸かる神立橋の近くにある千家村(出雲大社領)に住んでおられたからです。
 小さい頃から、姉とよく千家へ泊まりに行きました。私が住んでいた出雲市古志町から簸川郡斐川町(現在の出雲市斐川町)へは、バスで神立橋を渡って行きました。築地松に囲まれた、大きな家でした。
 その後も、折々に声をかけていただき、何度か奈良にいた我が家にも来てくださいました。

 私が体調を崩していると風の便りで聞くと、肉太の筆文字で長文の手紙をくださいました。気が滅入っていた時などは、勇気づけられたものです。そんな手紙をいただいたことが何度かありました。その細やかな気遣いに、遠くから見守っていただいているという思いで、出雲を見やっては感謝していました。

 おじさんの家の近くには、万九千神社という、延喜式・出雲国風土記等にも出て来る古いお社があります。私は子供の頃、この境内でよく遊んでいました。

 出雲地方では、全国の八百万の神が毎年旧暦10月11日から1週間、出雲大社へ集合して神在祭が執り行われます。
 引きつづいて佐太神社で神在祭があり、最後に万九千神社で宴を開いて、ここから諸国の神社へ神様たちは帰って行かれるのです。
 この万九千神社は、八百万の神々が自分の国へ帰られる時が来たことを告げる「神等去出祭(からさでさい)」が行われた場所です。ここの地名を「神立(かんだち)」というのも、これに由来するそうです。

 古典の授業で「10月」のことは、全国的に「神無月」と教えています。しかし、私は小さい頃から「神在月」と教わってきました。今、出雲以外の地方では、学校の試験などで「神在月」と答えると、それは間違いとされるのでしょうか。

 今から25年前、おじさんが奈良の我が家に来られました。当時から私は、西国三十三所の観音巡礼をしていたのです。すると、おじさんは自分も一緒に連れて行ってくれとのことだったので、数日間ではありましたが10ヵ寺ほどを案内して回りました。

 押し入れから、その時の記念写真を探し出し、この記事を書きながら冥福をお祈りしているところです。
 亡母と娘と息子を連れての、西国三十三所の札所めぐりでした。特に、大阪から兵庫県を巡拝しました。

 千家のおじさんのことを思い出す縁とするために、札所巡りの写真を1枚だけ掲載しておきます。
 これは、兵庫県加西市にある一乗寺での記念写真です。ここは交通の便がよくないので、大変な思いをして行ったお寺です。
 
 
 
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 この一乗寺には、最近では今から3年前に、自分の病気平癒を祈って行っています。参考までに、その時の巡礼記を引いて、おじさんと一緒に行った日の記憶を手繰り寄せたいと思います。
「西国三十三所(8)一乗寺」(2010/10/8)
 この前は時間の都合で3分の1しか回れませんでした。また次に、と約束したままで満願が果たせなかったことが残念です。

 おじさんは私を見ると、「てっちゃん、てっちゃん」と優しく呼びかけてくださいました。
 電話で話をしていても、いつも私の身体のことを心配してくださっていたことを思い出しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 回想追憶

2013年08月29日

3年目の検診結果は問題なしでした

 胃ガンに伴う消化管切除の手術をして、ちょうど明後日で丸3年になります。
 この夏の京大病院における一連の検査を通して、総合的な診断をしていただきました。
 消化管外科の岡部先生は、執刀してくださった主治医です。
 いつも、おだやかな対応をしてくださるので、安心してお話を伺い、相談もできます。
 診察結果としては、術後の経過は良好で、何も問題はないそうです。
 3年間の経過と先日のCT検査からは、転移も新たな悪性腫瘍も見られないので、まずは一安心。
 本当に初期の段階での手術だったので、こうして元気にしていられるのです。
 ただし、術後の5年は定期的に様子を見続けましょう、とのことでした。
 今後とも、これまで通り、無理のない生活を心がけます。
 と言っても、これがなかなか難題ではありますが。
 なお、貧血気味であることは、これまで通りでした。
 ヘモグロビンの量が低いのは、術後のためもあって仕方がないようです。
 今度、このビタミンに関する検査をしておきましょう、とのことでした。
 今飲んでいるメチコバールという薬以外に、たまにビタミン注射をするのもいいようです。
 術後5年以内は何かと不安定な状況にあるので、様子を見ながら対応していただけます。
 とにかく、大事に至ることなく、経過も良好なので安心しました。
posted by genjiito at 22:49| Comment(4) | 健康雑記

2013年08月28日

藤田宜永通読(16)『標的の向こう側』

 場所はパリ。私立探偵である鈴切信吾の登場です。
 早速カルバドスが出てきました。藤田宜永の作品を読むようになってから、私も飲み出したお酒です。
 本作品は、藤田の第2作となる長編小説です。

 早々に、藤田お得意のケンカのシーンがあり、テンポよく話が進みます。バックには、いつものようにポピュラーの曲が流れています。舞台はフランス。しかし、本作品では時々スペインの香りがする展開となっています。

 前作よりも進歩したのは、人物と背景が描写されていることです。これは大きな一歩だと思っています。

 探偵鈴切は、車でパリを走り回るので、いい市内観光に付き合う雰囲気も味わえました。そして、息もつかせぬドラマの中に入り込み、ハラハラドキドキします。これが、藤田の世界です。

 人間の繋がりが次第にわかってくると、複雑な関係の中に潜む意味が解けてきて、さらに引き込まれていきます。
 舞台がフランスからスペインに移ると、俄然おもしろくなりました。お国柄を反映させながら展開していくからでしょう。そして、話も自然に外国らしを醸し出してくるところが、フランスを知り尽くした藤田らしい視点で見えてきます。2度美味しい海外探偵話です。

 後半でスペインへ舞台が移ってからは、相手の腹を探り合う展開となり、スピード感がなくなりました。おもしろさが半減です。

 また、「日本語だろうがインド語だろうが、好きな言葉を使っていいのよ。」(角川文庫、278頁)とか、「インド語」と言っている場面がありました。このように言う作者の意識に興味を持っています。インドをどう理解しているのか、という意味で。
 「アフリカ、インド、南アメリカ、いろいろなところへ行ったよ」と猛獣の話になった時、主人公は「このまま相手に話を合わせていると、アフリカやインドに連れて行かれてしまいそうだ。」と言わせています(351頁)。
 作者が思い描くインドというイメージは、おもしろそうです。ただし、例が少ないので、さらに集めてみます。

 鏤められていた謎が、最後に一気に明かされます。もっと前で撒き散らしておいてくれたら、と思いました。ネタが出し惜しみされたために、後半が急展開になってしまっているのです。また、犯人が母親の存在の大きさと言うか幻影と闘った、とあるのは取って付けたようです。

 さらに、後半でスペイン戦争が背景にある展開には、私にその歴史や地理的な知識がないために、なかなか理解しづらいものがありました。そのせいもあってか、最後の段階で物語に這入り込む状況にならなかったことが、非常に残念です。
 作品の中で、読者へのレクチャーとでも言うべきサービスがあればよかったのに、と思っています。【3】

※初出:カドカワノベルズ『標的の向こう側』(角川書店)
    昭和62年(1987)4月、書き下ろし
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 藤田宜永通読

2013年08月27日

京洛逍遥(287)文学散歩で東福寺と泉涌寺へ

 昨日、立命館大学で「花鳥余情研究会」がありました。テーマは「一条兼良と花鳥余情を考える」で、2つの研究発表と資料展示がありました。

研究発表1 松本大氏(大阪大学大学院)
研究発表2 森田直美氏(国文学研究資料館)
立命館大学 西園寺文庫所蔵資料閲覧

 非常に興味深いものだったので、行く予定をしていました。しかし、突然体調がおかしくなったので、無理をしないようにしました。

 今日は、昨日に続いて文学踏査があり、京都市内の平安文学、一条兼良にかかわる場所を中心に散策するとのことです。体調が復したので、これには参加してきました。

 昨日に続き、爽やかな秋の気配がする好天に恵まれました。

 まず、東福寺です。京洛はいろいろと回りました。しかし、ここに来た記憶がありません。自転車で行くには遠いからでしょうか。

 開山堂の裏手に一条兼良のお墓があるそうです。ただし、入ることはできませんでした。
 
 
 
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 紅葉の名所として名高い通天橋を、私は初めて見ました。
 これは、ぜひ秋にもう一度来たいと思います。
 
 
 
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 この通天橋の袂の庭に、「高松宮宣仁親王殿下 喜久子妃殿下 記念御植樹」という碑があることに気付きました。
 
 
 
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 『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』の編集を通して、高松宮喜久子妃殿下にお付きだった老女小山トミさんが、昭和7年に東大で開催された源氏物語展覧会の写真で、池田亀鑑の後に写っておられることがわかって以来、こうしたものに反応するようになりました。来週は、そのお孫さんにお目にかかるために学習院大学へ行きます。この記念植樹の碑のこともお伝えしたいと思っています。

 東福寺から泉涌寺へと移動する途中、退耕庵がありました。これは、私が若い頃に小野小町のことを調べていて、何度か訪れたことのある場所です。
 門前の石碑に「小野小町遺跡」と刻まれています。しかし、ほとんどの方は特に案内がないのですから、通り過ぎて行かれます。ガイドブックには載っているのでしょうか。日本の文学との関わりで、少しでも多くの方々にこうした場所に親しんでいただきたいものです。その意味からも、この入口に案内がほしいと思いました。
 
 
 
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 少しあやふやな記憶をたどりながら、みなさんにも一緒に入ってもらいました。
 確かに、小野小町に関わる玉章地蔵がありました。
 
 
 
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 小町寺の左手前には、小野小町百歳井戸がありました。40年前の記憶が、少しですが蘇りました。

 泉涌寺へ行く途中で、「夢の浮橋跡」という碑も見ました。
 
 
 
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 これには、

ことはりや
 夢の浮橋
  心して
還らぬ御幸
 しはし止めむ

と刻まれていました。
 横の説明板には、

 夢の浮橋という名は、源氏物語・宇治十帖の「夢の浮橋」の名に因み、この娑婆世界の無常の様が、夢のごとく、はかないものであるという例えからとったと伝えられている。

とあります。
 もちろん、『源氏物語』とは関係はなく、今は暗渠となりこの橋もありません。建設会社の寄贈になるものでした。このような碑もある、ということで紹介しておきます。

 泉涌寺に入ると、左に楊貴妃観音堂がありました。そして境内正面に聳える仏殿の右横に、清少納言の歌碑があったのです。今日、案内していただくまで、まったく知りませんでした。「夜をこめて〜」という『百人一首』に採られている和歌が刻まれていました。平安博物館が働きかけて建てられたものだと思われます。
 
 
 
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 それにしても、入口でいただいたパンフレットにも、この石碑の周りにも、何も説明がありません。
 せめて、ここに清少納言の歌碑があることの案内があってもいいし、またそのようにしていただくように働きかけていく必要性を痛感しました。

 とにかく、日本の古典文学に興味をもつ人が激減しているとのことです。大学で古典文学を勉強しようと思う若者は、いずれはいなくなるだろう、とも言われています。就職に結びつかず、誰かのために役立つこともない、と言うのが実情のようです。本当に一般教養になりさがった日本の古典文学について、こうした観光地などで少しでも道案内となり、文学や歴史に関連づけて名所旧跡が知られるようになったらいいな、と思っています。
 功利主義のもと、何の役にもたたない古典文学の知識ということで捨て去られることは、日本文化の衰退の機運を一層加速することになります。このことについては、少しでも声をあげたいところです。

 泉涌寺から東大路通りに出る途中で、鳥戸野陵に立ち寄りました。
 
 
 
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 ここは、一条天皇の皇后であった定子の陵です。
 歴代天皇の皇后や内親王の火葬塚ともなっています。

 この地に関しても、泉涌寺から特に案内があるわけでもありません。
 知らないと素通りです。もったいないことです。

 今回の文学散歩に同道して、名勝の地と関連する文学の情報がリンクしていないために、訪れた方々を日本文学の領域に案内できない状況になっていることを、非常に残念に思いました。
 このことについて、今できることを遅ればせながらこれから考えて、一つでも提言していきたいと思います。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年08月26日

葉蓋を使ったお点前のおさらい

 過日、1ヶ月前に亡くなった仲間を偲んでの追悼のお茶会を催しました。その時は、ガラスの水差しが手に入ったこともあり、「蓮の葉蓋」(2013年8月15日)でお茶を点てました。

 素人ながら、なかなかおもしろい趣向になったと思っています。あくまでも、夏の仏事という設定です。しかし、折角ああでもないこうでもないと試行錯誤をしながらやったことでもあり、これを来年まで忘れないように、復習の意味で葉蓋のお稽古をしていただきました。

 梶の葉が一番よさそうです。来年のことも考えて、庭に植えようと思います。
 今日は、里芋の葉を用意していただけました。

 葉の上に水を落とし、水玉がコロコロする状態で、水差しをソロリソロリと運びます。
 この前は、この水玉に手を焼きました。蓮の葉が大きすぎたこともあるようで、動き回る水玉を鎮めるのが大変でした。

 あとは、いつものように運びの薄茶の要領です。
 違うのは、水差しの蓋を取るときでした。
 まず、両手で葉を持ち上げて水玉を建水に捨てます。
 次に葉を二つ折りにし、茎を勝手付きに向けた状態で葉を右、左と折り畳み、そこに茎を差し込んで留めました。
 指先で葉の真ん中に切り込みを入れると、楽に茎が通せました。
 この前は、エイヤッ、ブスリと刺したように思います。見た目にも変だったことでしょう。

 この葉蓋は、建水の中に落とします。ソッと建水に、ではなくて、ポンと投げ入れるように落とした方がスマートでいいようです。

 お点前を終え、建水を持って水屋に下がる時も、これまでと違いました。
 この時点で、すでに水差しには蓋がないのです。そこで、釜の蓋を切ってしめたら、柄杓を蓋置きに引かずに横一文字に持ちます。そして、すぐに蓋置きを取ったら、一膝勝手付きに向いて、そのまま建水を持って帰ることになります。

 イメージとしては一通りのおさらいができたので、来年の夏にまたチャレンジしたいと思います。洗い茶巾とうまく組めば、さらにおもしろいかと思います。ただし、あまりくどくなってもいけないので、また来年の夏の暑さを見ながら考えます。

 今朝は、明け方に寒くて目が覚めました。
 平群の里も、すっかり秋の気配でヒンヤリしていました。
 このまま秋に向かうのでしょうか。最近の天気は予測ができないほど変則なので、これからの寒暖の差が思いやられます。

 今日の午後からは『源氏物語』の注釈書に関する研究会がありました。途中からでも参加するつもりだったのですが、帰りに身体が急に気怠くて重くなったのです。こんな時には無理はせず、明日の部に参加することにして、早めに身体を休めることにしました。
posted by genjiito at 23:09| Comment(0) | 身辺雑記

2013年08月25日

読書雑記(77)中島岳志『「リベラル保守」宣言』

 中島岳志著『「リベラル保守」宣言』(新潮社、2013.6.30)は、日頃は気になりながらも直視していなかった問題を、なるほどと思わせる視点とわかりやすい語り口で教えてもらえた本でした。
 
 
 
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 何を突然「中島岳志?」、と思われる方もいらっしゃるかと思います。
 小谷野敦氏のブログ「猫を償うに猫をもってせよ」では、「笑わせるぜ中島岳志」(2013-08-18)という記事がアップされています。
 そんな最中に、この本を興味深く読んだのです。

 安心してこの本を読めたのは、私が著者を知っているからでもあります。
 中島君と一緒にインドで3ケ月間暮らした日々については、「突然インドへ飛ぶ(第3週 01/20〜01/26)」(2002/01/20)をご参照ください。

 私のインド体験は、すべてが中島君のおかげです。毎日、金魚のウンコのように連れ回ってもらっていたのですから。そして、その生活の中で、彼は真宗大谷派の「ばらばらでいっしょ」という言葉を口にしていました。「みんなでいっしょ」ではなかったので、強烈に印象深く刻まれた言葉でした。
 そのことが、本書を読んで繋がり結び付いたのです。
 そして、読み終わった今、保守思想とは何か、戦後の保守とは何だったのか、ということを思い直すことになっています。好い時に、良いタイミングで、佳い本に出会えました。

 本書は、「リベラル」と「保守」の接合点を探るものです。それは、近い将来しっかりとした理論を書くためのラフスケッチだそうです(「まえがき」より)。中島流「リベラル保守」のスタート地点をなすものです。

 そして、「あとがき」を見て、現実社会を自分の信念よって批判的に語ることの多難さを知らされます。橋下徹批判に関する問題です。
 本書は、当初の出版社からは刊行されなかったからです。メディアに対して持論を貫くこの若者の姿勢に、頼もしさを感じます。引くに引けない中での判断に、著者らしさが窺えます。
 上から目線の物言いですみません。インドで共有した中島君との生活の中で、その折々の言動の柔軟さと確固たる信念を見てきたので、本書を読みながら頼もしく見えたのです。当時、彼は京都大学の大学院生、私は国文学研究資料館の教員だったので、年上ということで許していただきましょう。

 本書を通して、私は、他者への寛容ということがキーワードになっていると思いました。それは、著者がインドでいつも口癖のように言っていた、「バラバラで一緒」ということに収斂されるものだと言えるからです。

 「輿論」と「世論」の問題も、おもしろく読みました(48頁)。日本語の問題として、私も興味があります。

 大衆が熱狂することへの懐疑を、ルーマニアのチャウシェスク大統領の処刑を例にして語る場面(72頁)は、説得力があります。そして、保守思想については、熱狂よりも葛藤に注視しているところに新鮮さを感じました。

 親鸞の思想への傾注を語るくだりも、言わんとすることがよくわかります。ただし、同感するかと問われると、私は今は保留です。違うと思うのではなくて、追いつけないというのが正直な感想です。

 多くの人々が社会に居場所をなくしている現在、保守こそその本領を発揮すべき時だと言います。革新だけでは打開できない社会のシステムを、大阪の橋下徹の発言や秋葉原事件を例にして炙り出していきます。

 著者の、人と他者への眼差しに好感を持っています。その関係性と自己存在の実感を重視するところに、中島流の保守主義があるようです。

 震災のこと、橋下徹のこと、原発のこと、貧困のこと等々。
 本書のこうした話題を読むうちに、中島流の切口から見えてくる話を、もっとたくさん聞きたくなりました。【4】
posted by genjiito at 12:12| Comment(0) | 読書雑記

2013年08月24日

古都散策(36)もちいどのセンター街とシルクロード

 古都奈良の市街を散策するのは久しぶりです。
 毎月のように、下鴨から西大寺に出て、そこから西に向かって生駒経由で平群へと、お茶のお稽古で通っています。しかし、西大寺から東向きに奈良へ出たのは、本当に何年ぶりでしょうか。

 駅前の行基さんは健在でした。
 
 
 
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 行基さんのすぐ横を南北に走るもちいどのセンター街や猿沢池の南に広がるならまち界隈に来たのは、「奈良町物語館での古典舞踊発表会2011」(2011年11月 4日)を観に来た時以来です。

 この辺りは、様子が変わりました。楽しい雑貨屋さんが増えているのです。しかも、奈良がシルクロードの東の終着点だけあって、中近東の物産が目立ちます。狭い狭い露地の奥に大きなガネーシャの写真が掲げてあり、何だろうと思って行ってみると、インドやパキスタンの雑貨屋さんでした。

 私は、ペルシャの雑貨屋さん「メヘラリ・ショップ」で見かけたミーナ皿(銅の七宝焼き)が気に入りました。お店の方にいろいろと話を伺いました。銅にエナメル細工をし、ペルシアンブルーの琺瑯のような器に仕上げたものなのです。

 このならまちでは、和物屋さんがあっても精彩を欠いています。ここでは、いかにも日本的なものは、インパクトがないのです。奈良が京都と対抗するためには、このお土産物屋さんあたりから意識改革することが必要です。
 奈良は、もっと国際色を前面に押し出すべきです。それも、シルクロードをイメージさせるもので!!!

 1988年に、「なら・シルクロード博覧会」がこの奈良市をメイン会場として開催されました。
 飛火野会場では「井上靖・シルクロードの足跡館」がありました。この奈良シルクロード博覧会の総合プロデューサーは、井上靖だったのです。

 それよりも何よりも、当時私は東大阪の高校で教員をしていました。そこで、学年の年間学習テーマをシルクロードとし、国語科の教材もシルクロード関係のものを編集して使いました。英語科や理科や社会科の先生にもお願いをして、授業内容にシルクロードのことを取り入れていただくなど、学年全体が団結して取り組みました。
 
 
 
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 その巻頭にあげてある「まえがき」を引いておきます。


    謎・未知・冒険の夢街道へ

 本書は、盾津高校第一年次の国語で学習する内容の内、教科書に載っていない文章を集めたものです。特に本年の国語科では、東洋と西洋を結ぶ道《シルクロード》を、一年次の授業のメインテーマにして進めていきます。

 紀元前四世紀という昔から、東西をつなぐ文化・文物の交流路であったシルクロードは、全長七千キロメートルに及ぶ長大な道です。中国から西へ西へとローマまでつづくシルクロードは、実は中国から東へも延びていたのです。その東の終着駅が、わが国の奈良という地になるわけです。そして今年の昭和六十三年度は、その奈良で《シルクロード博覧会》が開催されます。この機会に、学習内容をより身近なものにするとともに、幅広い知識を身につけてくれることを希望します。

 シルクロードをテーマにして勉強するということは、国語ばかりではなくて、社会・数学・理科・英語など、関連した分野の学際的な知識や視点が大切になります。総合的な学習をすることになるのです。また、学校行事などでも、授業から展開した取り組みをすることがあります。視野を広く、心を開いて、悠久の時間の流れと現代社会を見つめる中から、新しい自分の未来を探ってみてください。そのためにも、本書を充分に活用して、楽しい学習の中から確かな学力と思考力を養ってください。
 実り多い高校生活を願っています。
  昭和六十三年四月
    大阪府立盾津高等学校国語科
      伊藤鉄也 大橋政勝 関本幸子 塚口芳章 篤田由美


 文化祭でも全学年でシルクロードに取り組みました。奈良時代以来のチーズともいうべき蘇を実際に作ったクラスもありました。数十メートルの横断幕を、県庁内にあったシルクロード博覧会の事務局へ行って借り出してきて、校舎の中庭に差し渡したりしたものです。
 昭和63年なので、まだユルキャラなどはない時代です。

 共同製作のレリーフも作りました。各クラスで図案を考え、48枚の板を一人一人が彫り、組み合わせて彩色レリーフを12クラス分作りあげたのです。
 私が担当したクラスは、沙漠・ラクダ・夕陽をイメージした作品が仕上がりました。
 カラー写真が見当たらないので、卒業記念文集『思い出つみき』から転載します。
 
 
 
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 この時のことは、【3.1-井上靖卒読】「井上靖卒読(101)『敦煌』」(2009/11/17)の後半に、簡単に記しています。

 さて、もちいどのセンター街の一画にある、奈良の町家を生かしたお店で食事をしながら、かつての同僚と十年以上もの久闊を叙すこととなりました。
 生きていれば、いろいろなことがあるものです。
 おいしい和食をいただきながら、中庭の今にも咲きそうな大きな蓮の葉を借景に、思い出話やこれからのことを語り合いました。
 遠慮のいらない、気の置けない仲間は財産です。

 帰りに、手紡ぎの奈良晒で作られたブックカバーをいただきました。麻織物の少しゴワゴワした手触りが夏らしかったのと、ブックバンドのような紐に書物の帙の合わせ目につける爪形の留め具、いわゆるコハゼが気に入ったからです。
 
 
 
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 千利休は、この麻織物を茶巾として用いたとか。そう聞くと、ますます手触りに親しみが涌きます。
posted by genjiito at 22:08| Comment(0) | 古都散策

2013年08月23日

猛暑の中を茶道資料館で一服

 会期末が迫っている茶道資料館の特別展について、紹介がてら記録を残しておきます。

 「裏千家歴代展―14代 無限斎・15代 鵬雲斎・16代 坐忘斎―」(平成25年6月15日(土)〜8月25日(日))が、あと2日で終わります。
 いろいろな体験をし、さまざまな鑑賞を通して、すこしでも茶道の楽しさを体得しようと思っています。その意味からも、茶道資料館の催し物は楽しみにしている1つです。
 
 
 
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 このチラシの裏面にある趣旨説明の文章を引いておきます。


本年は裏千家第14代無限斎居士の五十回忌、第15代鵬雲斎大宗匠の卒寿、第16代坐忘斎家元の継承十年という記念すべき年にあたります。
 無限斎居士の五十回忌を大宗匠、家元が揃ってつつがなく営めることは裏千家にとって大変喜ばしいことであります。
茶道資料館では、これを記念して歴代展を開催する運びとなりました。
三代各家元の手造、好み物を中心に、所縁の茶道具をご紹介いたします。


 展示室には、ズラリと掛物や諸道具が並んでいます。
 初心者の私は、それぞれの良さはまだわかりません。
 掛物の中では、鵬雲斎筆「一華開五葉」(平成25年卒寿記念)の書が印象的でした。
 茶碗の中では、無限斎作「手捏ね茶碗 銘福女」(1931年朝鮮京城にて)の形がおもしろいと思いました。
 後はただ、ガラス越しに茶器などを見るだけです。申し訳ないことに、何もそのよさがわかりません。
 こうした機会を重ねるうちに、少しずつ見えてくるものが自分の中で変化すると、掛物や道具を見ることがおもしろくなるのでしょう。
 そんな日が来ることを楽しみにして、折々にものを見て回りたいと思います。

 呈茶席で、茶道資料館の副館長をなさっている筒井紘一先生のお姿をお見かけしました。しかし、お客様とお話し中だったので、お声がけをせずに退席しました。
 機会を得て、また楽しいお話しを伺えたら、と思っています。
posted by genjiito at 22:42| Comment(0) | ブラリと

2013年08月22日

京大病院でCT検査を受ける

 胃癌の切除手術後ちょうど3年が経過したので、胸部と胃部のCT検査を受けました。
 朝食は絶食で、となっていたのに、うっかりコーヒーと牛乳を飲んでしまいました。
 ただし、検査までに3時間以上あったので、すれすれセーフでした。

 まず、血液検査がありました。これは、先日の糖尿病のための血液検査と、ほとんどの項目が同じでした。

 京大病院における私の検査結果や診察・投薬に関する情報は、「特定非営利活動法人 京都地域連携医療推進協議会」が提供する〈まいこネット〉の「Web電子カルテシステム」によって、居ながらにして知ることができます。いつでもどこからでも、インターネットを通して自分のカルテが確認できるので重宝しています。
 
 
 
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 先日の検査結果をパソコンで閲覧して確認したところ、コレステロールに関するものがなくなり、カルシウムや鉄などが追加されています。貧血の鑑別目的でなされる、不飽和鉄結合能を調べる検査もしていただいていたのです。

 私は、18歳の時に十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎になり、胃の3分の2を切除しました。それ以来、貧血気味との指摘をずっと受けています。私の名前には「鉄」が付いているのにもかかわらず、「名は体を表す」という言葉は、私には適さないのです。

 さて、今日は造影剤を用いたCT検査でした。
 軽い副作用が3%もあるとのことです。特に、糖尿病で薬を使用している者は要注意だとか。幸い、私が服用している薬は消化を遅らせるタイプのものだったので、問題はないそうです。それでも、何度も薬の名前を確認されました。

 コンピュータ断層診断を受ける台に上るのは、すでに何度も経験しているので慣れています。
 最初は、身体を目に見えないビームでスライスされるので、不思議な気持ちで受けました。しかし、今はそれにも慣れ、それよりも造影剤を注入された時に、身体が熱っぽくなる感触が不気味に思われます。
 今日も、両手を挙げた指先から熱が発生し、次第に顔に移り、全身に熱っぽさが拡がります。誰にもある反応なので、何も心配はないそうです。
 円筒形の中を1度だけ通って終わりでした。あっと言う間だったので、拍子抜けです。

 検査後に渡された、注意事項を記したプリントに、「蕁麻疹」という文字がありました。
 日頃は見ることのない漢字なので、すぐには読み方が浮かびませんでした。「蕁」という漢字に、反射的に目が釘付けになったのです。そして、知識でそれを「じん」と読みました。
 そうかと思うと、その直前には「ひどい咳」と書いてあります。「酷い」という漢字は使われていません。

 患者が病院から受け取るプリントに印字された漢字や外来語は、今一度確認し、優しい表記を心がけた方がいいように思いました。
 病院では、幅広い世代の人々に印刷物を渡しておられます。日本語文が得意ではない方もいらっしゃると思います。
 命に直結する内容が記されているものも多いだけに、病院内で患者に渡される文書の日本語表記を、国語を専門とする方がどれだけチェックなさっているのか、気になりました。
 いろいろと対策はなされているのでしょう。しかし、対象者が幅広いだけに、全国的な統一が必要だと思いました。

 今日の結果は、来週、消化管外科で主治医の先生から教えていただけます。
 それまでは、極端に生活のリズムを乱さないように、また暫し休息の日々となります。

 7月から8月にかけての夏は、私にとっては身体の総点検をする期間です。
 自動車で言う車検、船舶でのドック入りです。
 この間に、あらゆる部品に緩みや変質がないかをチェックしてもらいます。
 そして、9月からまた活動を再開することになります。
posted by genjiito at 22:43| Comment(0) | 健康雑記

2013年08月21日

井上靖卒読(169)『わが母の記』に関する市民講座に参加して

 井上靖の『わが母の記』が映画化されたのは2012年6月でした。

 この映画のポスターが、鳥取県の日南町にある井上靖記念館「野分の館」に貼ってあったことは、「池田亀鑑の生誕地日南町にまた来ました」(2012/3/9)で紹介しました。

 映画を観たことは、「井上靖原作の映画『わが母の記』」(2012/6/9)に簡単に感想を記しました。

 さらに、原作である『わが母の記』については、「井上靖卒読(33)『わが母の記』」(2008/3/29)に詳しく書きました。

 併せてご参照いだたけると幸いです。

 さて、この『わが母の記』に関して、市民講座でとりあげられるということなので、早速聴講してきました。サブタイトルが〈小説から映画への「翻訳」〉となっていたので、楽しみにして出かけました。

 この映画は、モントリオールで開かれた世界映画祭で審査員特別グランプリを受賞しました(主演・役所広司、監督・原田眞人)。その作品が、小説をどのように「翻訳」して映画化されたのかに興味があり、時間を割いて行って来ました。

 講師の先生は伊豆の伊東出身だとのことでした。ただし、それ以上のご自分の話はありませんでした。こうしたことは、聴衆としては聞きたいものです。

 始まってすぐに、井上靖の紹介をする中で、突然問題が出されました。
 「太宰治と井上靖はどちらが年上でしょうか。」ということと、「中島敦とは、どちらが年上でしょうか。」という質問でした。
 私は、迷いながら、突然の質問なので答えは井上靖だろうと思いました。そのとおり、井上靖が2人より2歳年上でした。これは、井上靖を理解する上では大切なことだと思います。意外と新しい作家だと思われているからです。

 お話しは、新潮の文学アルバムの写真を実物投影機でスクリーンに映して、井上靖と母八重の説明から始まりました。

 配布資料にあった、原作となっている『わが母の記』の「花の下」を、参加者に読んでもらいながら進行しました。

 私がいつもお世話になっている室伏信助先生は、『源氏物語』に関する社会人講座などでは、参加者と一緒に原文をみんなで読みながら進めて行かれます。『源氏物語』の文章を音読することの大切さを説かれるからです。

 しかし、井上靖のこの『わが母の記』を声を出して、しかも参加者個人に依頼するのはどうでしょうか。少し疑問に思いました。突然のことでもあり、うまくは読めないのですから、聞いている参加者も集中力を欠きます。

 『わが母の記』の文章確認しながら、何度も繰り返し出て来ることばに着目すると、作品を理解しやすくなるとのことでした。確かにそうです。
 「似ている」→「同じ」→「かばう」などの言葉が出て来ることは、よくわかりました。しかし、ここでもそれが『わが母の記』の中でどのような位置を占めることばなのかは、ついに言及がありませんでした。

 DVDに収録された映画をスクリーンに映し、原作との違いを説明されました。3箇所の指摘がなされました。(1)俊馬の話、(2)川名ホテルの場面、(3)母が息子の詩を読む場面。

 指摘された箇所の違いはわかりました。ただし、それがどのような意味を持つのか、ということへの言及はありませんでした。これは残念でした。その事が伺いたかったのですから。

 またサブタイトルにあった〈小説から映画への「翻訳」〉という問題に関しては、まったく触れられませんでした。これは肩すかしでした。

 90分間、一言も洩らすまいと真剣に聞きました。しかし、結論がないままに進行していったこと、その内容が散漫で期待外れであったこと、そのせいもあってか途中で眠くなってしまったことは、今回の聴講料の千円に値しない講座だったとも言えるでしょう。

 さまざまな方が、いろいろな興味で参加される社会人講座は、その内容とレベルをどこに設定するかは難しいところだと思います。
 この記事は、門外漢が勝手な感想を記したまでのものです。
 失礼な点は、無責任な素人の印象批評ということでご寛恕のほどを。
 またの機会を楽しみにしたいと思います。
posted by genjiito at 22:56| Comment(0) | 井上靖卒読

2013年08月20日

昭和初年の2人の女優に拘っています

 先日刊行した『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』(新典社)の巻末に、「アルバム・池田亀鑑(昭和七、八年)」として4枚の写真を掲載しました。
 その最後の2枚に関して、そこに写っている2人の女性については、編者としての当て推量で名前を特定しておきました。入江たか子と伊藤智子(としこ)です。しかし、依然として確証が得られないままに、今日も調査を続けています。

 「アルバム・池田亀鑑(昭和七、八年)」の3枚目には、次のような説明を付しています。
 
 
 
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編者は、池田亀鑑が池田芙蓉の名で冒険ロマン『馬賊の唄』を書いたことと、女優入江たか子が昭和7年に「入江ぷろだくしょん」を創立し、その第1作が溝口健二監督『満蒙建国の黎明』だった状況等から、この写真は入江たか子へのインタビューという場面を想定している。(379頁)


 こう言うためには、その前段階で、この写真の女性が確かに入江たか子であることを決定しておく必要があります。
 これまでに、いろいろな資料を探し回り、次の3点の写真に行き着きました。いずれも、昭和7年11月から昭和8年11月までの写真です。
 
 
 
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 写真の左から、その出典は以下の通りです。


『処女作・出世作・代表作 映画花形大写真帖』(『冨士』昭和9年新年号付録、ただし後半落丁)/大阪朝日新聞(昭和7年11月25日7面)/大阪毎日新聞(昭和7年11月25日8面)


 この最初にあげた『冨士』の付録は、「江戸漫歩(66)国立国会図書館で資料を調べる」(2013/7/22)の後半部分で報告した資料です。日本国内では、高知県立図書館にしかないものです。
 それを、近所の図書館に配送していただき、館内閲覧という制約はあるものの実物を見ることができたのです。

 この写真にしても、似ている、とか、似ていない、では堂々巡りです。
 いまだに、確たる証拠を探し続けています。
 
 
 もう1人の伊藤智子についても、まだ決め手に行き当たっていません。

 『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』では、この4枚目の写真に次のような編者のコメントを付しました。
 
 
 
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あくまでも今は推測の域を出ないが、中央の女性は女優の伊藤智子、その右に池田亀鑑、と編者は想定している。(380頁)


 もしこの女性が伊藤智子であったなら、この写真はまさしく源氏物語劇の上演が中止となった昭和8年11月22日前後のスナップ写真ということになります。伊藤智子は夕顔役をするはずでした。この周りの男性陣の名前もわかれば、この弾圧事件の背景がわかる貴重な資料となります。

 昭和10年のベストワン作品となった成瀬巳喜男監督の『妻よ薔薇のやうに』(『日本映画傑作全集』の1巻として収録されたビデオテープ版)を観ました。伊藤智子が、誇り高い歌人役を美事に演じています。
 登場する伊藤智子の表情を、一時停止や巻き戻しを繰り返しながら、丹念に見比べました。その結果、池田亀鑑の左に座る女性と、この映画に出て来る伊藤智子が同一人物である確信を得ました。
 ただし、これもまだ傍証となる資料を探さなくてはいけません。

 そんなこんなで、最近私は昭和初期の情報を、当時の雑誌や新聞をひがな捲りながら、幅広く調査し収集しています。相当増えてきたので、少しずつ整理にかかろうと思っています。

 なお、私が俳優の顔写真を確認するために図書館で利用した資料で、あまり一般的ではないものは以下の通りです。これ以外で参考になる情報がありましたら、ご教示いただけると幸いです。


(1)『芝居と映画 名流花形大写真帖』
  『冨士 新年号 第4巻第1号 付録』
   昭和5年12月3日印刷納本/昭和6年1月1日発行
   大日本雄弁会講談社
   ※坂東簑助/入江たか子
 
(2)『芝居と映画写真大観』
  『講談倶楽部 新年号 第22巻第1号 付録』
   昭和6年12月5日印刷納本/昭和7年1月1日発行
   大日本雄弁会講談社

(3)『俳優大鑑』
   昭和10年10月1日調査/昭和11年1月15日発行
   歌舞伎書房

(4)『俳優名鑑』
   大正13年9月27日印刷/大正13年10月1日発行
   杉岡文楽堂
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 池田亀鑑

2013年08月19日

京大病院の検診でヘモグロビン A1cの改善を確認

 京大病院で糖尿病の検査と診察を受けて来ました。
 この病院へ来ると、いつも寿命が延びる気がします。
 心落ち着くものがあるのは、どうしてでしょうか。

 身体のことを徹底的に調べてもらえるので、いつも安心していられます。
 私の身体の中で何か異変が起きていても、この病院のお医者さんなら何とかしてもらえる、という信頼感が基底にあるのです。
 この安堵感が、気持ちをほぐしてくれるのでしょう。

 いつものように、診察前の検尿と採血がありました。
 1時間前に検査をすると、ちょうど診察時に結果が出ているようになっています。

 採血の時に、持参した血糖測定器「メディセーフ ミニ」(テルモ製)にも、血液を採取しました。
 食後1時間の数値は134でした。
 さて、病院の計器と自分持ちの機器では、どれくらいの誤差があるのか、診察の時の結果が楽しみです。

 今日は主治医の長嶋先生が休診で、若い山野先生が代診でした。

 まず、血液検査の結果からです。今日の血糖値は147。私の簡易測定器の134は、いわゆる誤差の範囲内だそうです。

 そして、肝心のヘモグロビン A1cの値です。

 1ヶ月前のヘモグロビン A1cについては、「中野のワンコイン検診でヘモグロビン値を測る」(2013/7/2)で報告した通りです。

 今回は6.9でした。予想通りです。
 7.0以下が合併症予防の目標値なので、それはクリアしています。

<2013年6月1日以降の新しい管理基準>
(1)血糖正常化を目指す際の目標 6.0%未満
(2)合併症予防のための目標 7.0%未満
(3)治療強化が困難な際の目標 8.0%未満

 この半年のヘモグロビン A1cの変化は、次のようになっています。


3月 6.6(中野ケアプロ)
4月 6.9(京大病院)
5月 7.2(中野ケアプロ)
6月 7.4(京大病院)
7月 7.1(中野ケアプロ)
8月 6.9(京大病院)


 6月をピークにして、順調に下降しています。
 この2ヶ月間は、毎食前にベイスンという、消化吸収を遅らせる小さな薬を飲んでいました。
 担当医の長嶋先生の指示を守ったのは、今回が初めてだと思います。不真面目な患者です。
 ただし、自分なりの血糖値対策を兼ねた実験をしていて、1日6回食の内、薬を飲んだのは朝昼晩の3回です。その間の3回の間食では、この薬を飲んでいませんでした。

 さらには、主治医の先生が勧めないとおっしゃる、炭水化物を制限した食事をしていました。
 糖質制限と言っても、毎日一食くらいは、少しではありますが、主食としてご飯などの炭水化物を摂っていました。いわゆる、緩い糖質制限食です。

 今日の結果は、自分としてはほぼ予想通りでした。
 昨夏の1ヶ月間の検査入院で、自分の身体の中で血糖値がどのように変化しているのかが、大体実感としてわかるようになりました。日々の食事に糖質制限食を導入して、ちょうど2年目です。
 先般の6月前後は、血糖値をコントロールする調整に失敗した、と思っています。

 明日から次の2ヶ月間は、同じような食事で、1日6回ともに薬を飲んでみようと思います。
 さて、どんな結果がでますか。
 さらに安全圏とされる「6.2」に近づくのか、それとも変化なしか。
 これは、今飲んでいる薬の効果を試すものでもあります。
 また、楽しみが増えました。

 自分の身体を使った実験をしているので、誰に遠慮をすることもありません。
 とは言うものの、主治医の先生の指示に素直に従っていないことには、本当に申し訳ないと思っています。
 また、日々、こんな面倒な私の食事を管理してくれている妻には、とにかく感謝しています。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 健康雑記

2013年08月18日

京洛逍遥(286)『都名所図会』の河原町三条界隈(その2)

 中村武生先生がなさっている歴史散歩〈「都名所図会」をあるく・平安城篇〉に参加したのは、7月下旬が最初でした。
「京洛逍遥(282)『都名所図会』の河原町三条界隈」(2013/7/29)
 その翌週のイベントにも参加したので、思い出しながら過日の記録を残しておきます。

 集合は、地下鉄東西線京都市役所前駅の改札を出たところです。今回は、14名の参加がありました。

 まず、寺町通りから京極通りに入りました。『都名所図会』の「誓願寺」の項に「秀吉公の愛妾松丸殿の墓」があるとされるのは、今はタリーズコーヒーのお店がある所だそうです。
 
 
 
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 狭い小路に入ると、素性不明な鎮守さまがあったりします。昔からのものがひっそりと残っているので、不思議な空間です。
 
 
 
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 旧誓願寺の境内を経巡っていて、狭い路地沿いにあった長仙院で、飛び込みで庭を見せていただくことになりました。
 
 
 
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 お寺の方は、ご丁寧に説明もしてくださいました。安部晴明の木像があったことが記憶に残っています。また、『都名所図会』にある「未開紅」の紅梅が今もここにあるそうで、写真が掲げられていました。同じく『都名所図会』にある一休の書がありました。誓願寺にあったものが、こうして時とともに場所と人を変えて点在して伝えられているのです。

 誓願寺は、新京極の真ん中の賑やかな一角にあります。阿弥陀仏を拝みながら、過日お亡くなりになられた谷口さんの冥福をお祈りしました。
 
 
 
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 和泉式部の墓は、小さな門を入ってすぐ左にある宝篋印塔がそれだと伝えています。言い伝えに過ぎませんが。ここの境内にある説明文には、誤字がいくつか目に付きました。早く直していただきたいものです。
 
 
 
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 『都名所図会』で和泉式部の塔と軒端梅のことを記す誠心院にも行きました。『都名所図会』では「じょうしんいん」とかなを当てていますが、現在のお寺の掲額には「せいしんいん」とあります。固有名詞の読み方は、歴史的な変遷もあり、なかなか面倒な問題を抱えています。
 
 
 
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 虎薬師として知られる西光寺の後は、蛸薬師にも行きました。清帯寺の腹帯地蔵は蛸薬師にあります。
 
 
 
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 蛸薬師の裏に回ると、「宗教情操を壊す マンション建設反対 近隣寺院」という立て看板をいくつも掲げられていました。現実がこうして混在しているのです。
 
 
 
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 最後は錦天満宮でした。時間が超過したこともあり、今日は予定されていた錦市場から六角堂には行かないことになりました。

 いつもは素通りするこの新京極の一帯を、こうして歴史を押さえながら、説明を聞きながら歩くのは楽しいものです。
posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年08月17日

京洛逍遥(285)東山図書館が配布する文学散歩マップ

 京都市東山図書館が、『開館30周年記念 京ひがしやま 文学散歩(2013年版)』(26頁、2013.7)という冊子を配布しています。
 
 
 
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 私が東山図書館へ行って、受付の前に置いてあった冊子をいただいたのは7月末でした。もしなくなっていたり増刷中の場合はお許し下さい。

 この図書館は、清水寺の下を南北に走る東大路通り沿いにあります。ただし、東山区総合庁舎南館の2階にあるので、初めての方は聞きながら行った方がいいと思います。奥まったところで目立たないからです。
 
 
 
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 近くには京都女子大学があり、ちょうど学バスがオープンキャンパスに訪れた人を運んでいました。
 このバスを見るのは初めてなので、楽しそうなバスについカメラを向けてしまいます。
 
 
 
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 冊子の中のレイアウトはこんな感じです。
 
 
 
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 また、真ん中のページには、東山周辺の文学地図が入っていました。
 
 
 
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 この冊子には、東山区の寺社、地名、通りが登場する文学作品74種類が紹介されています。図書館員の方の努力と、利用者の情報提供によって編集され、これで3回目の改訂だそうです。

 近代・現代文学ばかりが取り上げられているので、私が読んだことがあるものは以下の8作品しかありません。意外に少ないことに気付かされました。多分に好みの問題でもあるので、こんなものでしょうか。

高田郁:『銀二貫』
山本兼一:『千両花嫁』『ええもんひとつ』『赤絵そうめん』
松本清張:「顔」
川端康成:『古都』
近松秋江:『黒髪』
藤田宜永:『艶紅』

 これから、何か読むものはないかと探す時に、このリストは役立つことでしょう。

 例えば、藤田宜永の『艶紅』に関する「あらすじ&オススメの一言!」は、次のように記されています。


〈小説〉縁切り寺と呼ばれる安井金毘羅宮。悪縁から逃れようと訪れた雪の日の出会いが、久乃と森高の運命を大きく変えていく…。人で溢れる花見小路、真冬の知恩院、そして祇園祭。因習の街、京都で燃え上がる情念を描く。絵馬で埋め尽くされた安井金毘羅宮の描写がやはり印象的です。


 山本兼一の『千両花嫁』『ええもんひとつ』『赤絵そうめん』(〈とびきり屋見立て帖シリーズ〉)については、次のように紹介されています。


〈時代小説〉時は幕末。駆け落ち夫婦が開いた道具屋は、新撰組や龍馬がお客。「見立て」と「度胸」で幕末の世を渡っていく夫婦の成長を軸に、京商人の心意気を描いた連作短篇集。祇園周辺や、今でも骨董店の多い新門前通りが頻繁に登場します。


 〈とびきり屋見立て帖シリーズ〉の舞台は、やはり三条大橋周辺が中心です。東山地区に関しては、確かに「祇園一力茶屋・新門前通・祇園新橋/五条坂・安井の金毘羅様・三年坂」が出てきます。しかし、それは話のメインとなる場所ではありません。
 こうした取り上げ方に少なからず無理が見えるのは、やはり致し方ないところでしょうか。
 祇園と清水寺が多いことは当然として、作品によって設定や描写が違うところを読み比べるのは、意外におもしろそうです。

 どんな作品にどんな町が出てくるか、という視点で文学作品を読む楽しさは、一味違った読書体験となることでしょう。

 映画やテレビドラマで、京都が頻繁に舞台となります。「京都は殺人事件が多い」、とよく言われます。それは「京都殺人案内」、「科捜研の女」、「京都地検の女」などの印象からでしょう。これは困ったことです。

 京都の各地域別に、悉皆調査による散歩資料を作成してほしいと願っています。
 それを片手に歩くと、京洛を逍遥する楽しみが、また倍加することでしょう。
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年08月16日

京洛逍遥(284)京都五山の送り火 -2013-

 今日は京都五山の送り火です。
 去年は、京大病院から如意ヶ岳の大文字を見ました。「お墓参りと大文字の送り火-2012」(2012/8/16)の後半に、如意ヶ岳に展開する光の饗宴を書いています。

 昨年に較べると、とにかく暑いの一言しかありません。
 そんな中、お昼に銀閣寺門前へ行きました。
 大文字保存会が設置しているテントで護摩木を書き、山上への搬送を託して来ました。
 この護摩木は、今日の午後3時まで受け付けていました。そして、集まった松割木や護摩木を奉仕の方々が背負って如意ヶ岳に上り、火床に並べ、午後8時ちょうどに点火されるのです。

 
 
 
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 銀閣寺道から如意ヶ岳を見上げると、点火の準備が着々と進んでいる様子がわかります。
 ごくろうさまです。
 
 
 
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 今年の送り火は、京大病院からではなく、自宅から少し南にある出雲路橋に行き、さらに南に下った河原から京大裏の大文字の送り火を見ました。

 最初は点として火がチラチラと見えます。
 
 
 
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 これがやがて大きな「大」の字になります。
 
 
 
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 この炎の列の中に、我が家の祈りを託した護摩木が1本あると思うと、「大」の字が薄くなり、そして消えるまで、賀茂の河原を動けません。
 
 
 

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 来年は、どこで見ることになるのでしょうか。今から楽しみです。
posted by genjiito at 23:32| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年08月15日

亡き仲間を偲んで我が家でお茶会

 朝の賀茂川散歩では、いろいろな鷺と出会います。
 楽しそうに集う5羽の鷺を見ていると、日本文学データベース研究会(略称はNDK)で27年間苦楽を共にした5人の仲間との日々が思い起こされます。
 
 
 
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 その内の1人が、先月29日に他界。何をそんなに急いで、と思わざるを得ません。まだまだ一緒にしたい仕事がたくさんありました。
 
 
 
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 春先から病気のことは聞いていました。これまでの経緯は、「27年来の仲間を思い出しながらの追善供養」(2013/8/4)に記した通りです。

 思い出してあげるのが一番の供養である、ということで、今日は2人の仲間が集まってくれました。

 まずは、懐石ではなく、妻手作りの野菜料理で会食です。

 その後、部屋を移ってお茶を点てました。
 お茶室らしく手入れをした部屋には、庭に咲いていた花を妻が素人なりに生けてくれました。
 花が大好きな者が持つ感性が、亡き人への追悼の気持ちと共に、ここには盛り込まれていると思います。
 
 
 
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 また、前回同様に、部屋には「空蝉」のお香を置きました。『源氏物語』の第3巻「空蝉」は、谷口さんに最初にお願いした仕事のためにお渡したデータです。この「空蝉」巻のデータで、『源氏物語別本集成』の版下作成プログラムを開発していただいたのです。世の中の誰一人として、『源氏物語』とコンピュータが結びつくことなど、具体的にイメージすらできなかった時代のことです。
 伊井春樹先生を中心とした我々5人が、日本文学の研究とコンピュータの接点を提案し、新しい研究手法を領導してきたと自負しているのは、こうした先見性を自他共に認め、認めていただいているからです。

 外は今日も40度近い気温なので、亭主役の私は少しでも涼しそうな雰囲気作りをと考え、ガラスの水差しに葉蓋を用いることにしました。葉蓋は、思いつきから実現させたものです。

 事の起こりは昨日のことです。寺町通りの一保堂にお茶を買いにいったところ、近くのアンティークショップでガラスの水差しを見つけました。イランの吹きガラスで、口の直径が15センチほどでしょうか。涼しそうなものです。ただし、蓋がなかったので思案しました。

 別の道具屋さんで蓋の相談をすると、葉蓋にしたら、とのアドバイスをいただきました。
 葉蓋を用いたお手前は、11代家元玄々斎がお考えになったものだとか。表千家ではしない、裏千家だけのお点前であることもわかりました。私はこの時、葉蓋ということばを初めて知りました。

 よし、それではそれにチャレンジしてみよう、と決め、「練習していた洗い茶巾のお点前」(2013年8月12日)は見送ることにしました。多少、自信が揺らいでいたこともあります。何度もお稽古をしている運びの薄茶のほうが安心です。

 お茶の先生に相談したところ、葉蓋を用いたお手前のアドバイスと励ましをいただき、俄然その気になりました。

 我が家の庭に、斑入りですがツワブキがたくさん生えています。これは使えるかな、ということで用意を始めました。
 ところが実際に試してみると、葉の大きさが微妙に小さくて私にはとても扱えそうもありません。もうすぐ仲間も来ます。先生に相談をする時間もありません。

 たまたま、お隣の玄関先に大きな蓮が咲いていたので、急遽お願いして1枚いただき、葉蓋をツワブキから蓮に変更することにしました。仲間の追悼のお茶を点てるので、蓮もまたふさわしい葉蓋になると思ったのです。

 突然の思いつきとアレンジなので、これでどうなのか、実のところよくはわかりません。とにかく、涼しそうな雰囲気を仲間に見てもらいながらお茶を点てることを大事にしました。

 写真を撮るために、蓮の葉を拡げてみました。
 水滴がきれいに大きな水玉になった時、思わずオーッという声と拍手が聞こえました。
 
 
 
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 本来どうあるべきものなのかは、まだ初心者の私にはわかりません。しかし、偶然が重なってのこととはいえ、これだけ楽しいことが目の前に繰り広げられると、みんな大満足です。

 水差しの蓋を取る時、葉を5センチ角に畳んでから軸を突き刺し、葉が開かないようにしてから建水の中に捨てました。

 まずは、亡き谷口さんにお茶をさしあげました。この前の4月7日に我が家でお茶会をした時、お正客の席に座っておられたので、今日もここを本日の追悼の席としました。
 お盆に載せたお菓子の最中には、「翁」という文字が刻まれています。そんなイメージを持ってお付き合いをして来たので、あえてこのお菓子を選びました。
 
 
 
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 そして、続いてお客さんに点てました。お客さんにと用意したお菓子は、大徳寺納豆を仕組んだゼリーと道明寺粉を使ったゼリーで、どちらかを選んでいただきました。

 暑かったので、少し温めのお湯で点てました。しかし、熱い方がいいとのリクエストもあり、3服目には適温になりました。

 お茶を点てながら、この前のお茶会で話した内容や様子を思い出し、この席にいないことが信じられないと言いながら、明るく語り合うことができました。もし元気にこの席におられたら、腰の調子が悪いと言って寝そべり、「てつっ!」と言いながら「楽しいのう。」と喜んでくださったはずです。返す返すも、あの優しい語り口の言葉が聞けないのが残念なことです。

 お茶と話でお腹が一杯になったこともあり、また隣の部屋に移って、思い出話や日本文学データベース研究会の今後について語り合いました。

 楽しい時間というものは刻を忘れさせるようです。気が付いたらもう6時半を回っていました。
 すぐ近くのバス停まで見送りました。
 何十年という時が凝縮された半日となりました。そして、今後の活動の確認もできました。
 気の置けない仲間というのは、ありがたいものです。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉を舞台にして、また新たな提案をし続けようと思います。
 今後の我々の活動を、どうか楽しみにしていてください。

 明日は、京都五山の送り火です。
 京都が大好きだった谷口さん。
 京都大学で、そして光華女子大学で、本当にいろろいとお世話になりました。
 これまで同様に、我々をずっと見守っていてください。
 ご冥福をお祈りしています。
posted by genjiito at 22:40| Comment(0) | 回想追憶

2013年08月14日

京洛逍遥(283)下鴨の「カフェ・ヴェルディ」が開業10周年

 朝の賀茂川散歩の途中で下鴨神社に立ち寄りました。
 授与所でさまざまなグッズを見ていたら、CDがあるのに気づきました。
「賀茂御祖神社式年遷宮奉祝歌」とあります。
 
 
 
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 1枚300円だったので、早速いただきました。

 これは、下鴨神社に古くから伝わるもので、昭和初期に作られた幻の名曲「賀茂御祖神社式年遷宮奉祝歌」を再生したものでした。弦楽四重奏と合唱用に編曲したものが、昨年6月にお披露目されたのです。
  作詞 矢野裕/作曲 中原都男/編曲 辻 峰拓
 実は、まだこのCDを聞いていません。ネットにもアップされているようなので、探して見てください。

 下鴨神社から我が家への帰り道に、「カフェ・ヴェルディ」に開店一番目の客として入りました。頻繁に来るお店ではありません。しかし、行くならここ、と決めています。私がお薦めできる喫茶店の一つです。
 「カフェ・ヴェルディ」は、この日がちょうど10周年を迎えた記念日だったのです。あらかじめ葉書で、今日が開業記念日だというお知らせをいただいていたので、それならということで立ち寄ったのです。
 
 
 
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 コーヒーはヴェルディブレンドをいただきました。
 トーストは、私のは2切れになっていて、妻のは3切れになっていました。
 これも何げない心遣いのようです。
 
 
 
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 ゆったりとした気分で音楽を聴きながらサラダもいただき、気分を一新して一日をスタートさせました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年08月13日

お盆の法要の後に河内高安へ墓参

 今年も息子が朝早くから来て、仏さんのお膳を作ってくれました。普段はイタリアンの料理人ですが、日本料理の勉強もしているので、手を抜かない本格的なものです。おじいちゃんやおばあちゃんの口に合うように、しっかりと味付けをしたそうです。
 
 
 
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 野菜は、妻の実家の秋田から、今朝届いたばかりの取れたてです。

 姉が孫3人を連れて、お参りに来てくれました。賑やかなお盆となりました。

 養林庵の庵主さんが、今年も元気に来てくださいました。85歳をとっくに超しておられます。
 
 
 
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 読経が終わると、いつものように楽しい話をしてくださいます。我々を子供のように思って、京都の風習などを教えてくださいます。

 私が、30年も使っている廻り灯籠の提灯の部分が破れだしたので、今朝も一生懸命和紙で補修したことを話しました。すると、京都では賑やかな灯籠は出さないそうです。その代わり、野菜で飾るのだとか。
 我が家も、妻の実家も曹洞宗なので、本山は永平寺です。京の禅宗のようすを、こうして少しずつ教えていただいているのです。
 そして、お宅はこれまで通り出しときはったらよろしい。壊れたら処分して、それでおしまいにしはったらええんどすえ。と、何とも融通無碍で、いつも気持ちを楽にしてくださいます。

 床の間に掛かっている西国三十三所の朱印軸を、興味深くご覧になっていました。これをこの家で掛けるのは初めてなので、庵主さんには初見の軸です。ご詠歌が書いてあるので、珍しいと仰っていました。これは、3年前に私が手術後、3ヵ月をかけて一人で回ったものです。スタンプラリーの気分で、西国三十三所はもう5周以上していると思います。

 今年も我が家の木魚は、元気にいい音を響かせていました。これは、両親がずっと守り伝えてきたもので、戦時中は満州を往復したほどの貴重なものです。

 庵主さんを見送ってから、姉とその孫たちは下鴨神社の古本市に行ってから銀閣寺へ、我々はかつて住んでいた河内高安へ墓参に出かけました。

 お墓は、いつ来ても気持ちが改まります。私が結婚したのを機に、両親はお墓を島根県の出雲からこの高安の地に移しました。お陰で、こうして折々に足を運べます。ありがたいことです。
 晴れていたら見える小豆島や四国が、今日は霞んでいてまったく望めません。
 
 
 
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 帰り道は、かつて住んでいた高安の地を散策がてら、高安駅まで歩きました。両親と住んでいた家、新婚生活を過ごした家、通勤の途次に立ち寄ったお店などなど、旧懐の思いを語りながら高安駅に向かいました。
 
 
 
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 途中、平安時代から鎌倉時代にかけて歴代天皇や公家たちが往来した、京都と高野山を結ぶ京街道高野道(東高野街道)を通ります。私が小学校や中学校に通った道でもあります。前方の山が高安山で、その向こうに信貴山があり、さらに奥に大和平群があります。まさに、『伊勢物語』の世界です。
 
 
 
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 晩ご飯は、近鉄高安駅から鶴橋駅まで出て、高架下にある回転寿司屋「海幸」に決まりです。
 いつものように、海鮮サラダをたのみました。左上は、私が大好きな鱧です。東京ではほとんど口に出来ないのが残念です。
 
 
 
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 私は、サラダを出さない回転寿司屋は、近い将来、客足が遠ざかると確信しています。
 回転寿司に限らず、ほとんどの寿司屋でサラダはないかと聞くと、その反応は冷たいものです。しかし、これは自分で首を絞めていることに、早く気付いてほしいものです。これは持論です。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 美味礼賛

2013年08月12日

猛暑の中を大和平群でお茶のお稽古

 全国の各所で40度を超す暑い夏となっています。
 京都は36度、昨日の奈良も、ほぼ同じくらいの暑さの一日でした。
 ペットボトルにお茶を入れて持ち歩いています。

 婿殿が我が家に来て泊まって帰りました。
 朝、私はお茶のお稽古のために奈良に向かいました。
 婿殿は、下鴨神社をお参りしてから帰るとのことで、玄関を出て白河疎水通りのところで左右に分かれました。

 後で聞いたところによると、婿殿は下鴨神社の近くで熱中症かと思われる症状となり、大急ぎで、出がけに妻から渡された冷たいお茶を頭からかけて、とにかく体温を下げることに専念したそうです。
 我が家から下鴨神社までは10分ほどです。そんな短時間に、あっと言う間もなく気分がわるくなったようです。

 そのとっさの判断がよかったようで、無事に生気を取り戻し、帰路に着いたとのことです。
 あの時に冷たいお茶がなかったら、自動販売機でペットボトルを買うまでに倒れていてもおかしくない状況だったそうです。まさにラッキー、というべき出来事だったのです。

 とにかく、無事でよかった、よかった。
 それにしても、熱中症は突然くるようなので、油断は禁物です。
 まさかの場合に頭に掛ける水などは、この熱帯地方と化した今の日本では必需品のようです。

 さて、いつものように大和平群の元山上口駅に着くと、案の定、熱風が顔を撫でて行きました。
 そこから少しずつ坂を登り、次に急勾配を這うようにして上がっていきます。
 それでも、やはり山に挟まれた高台ということもあり、しだいに風とお日様が優しくなります。山は不思議な力を持っています。

 この町に二十数年いました。身体のためには、自然の優しさで健康を守ってくれた町です。
 この町に、月1回とはいえ、足を運ぶのは楽しみです。京都の自宅から2時間半の小旅行を楽しんでいます。

 今日は、もうすぐ我が家で行う予定の、仲間を追悼するお茶会を想定してのお稽古です。
 あらかじめ先生には、そんなイベントをするので、とお願いしてありました。今日は、そのための最低限の知識と作法を、懇切丁寧に教えていただいたのです。
 私のお稽古は、目的のための実践的なお茶となっています。

 洗い茶巾というお点前の稽古をしました。
 茶碗に茶巾を広げて置き、そこに水をタップリと張って、茶筅を乗せてセットした茶碗を、両手で運ぶのです。そして、茶碗の中の茶巾を軽く絞り、建水の上でさらにしっかり絞るなど、いつもとは違う動作をします。
 水をお客様の前で扱うので、目と耳で楽しむことになります。この暑い時には最適のお点前です。

 水差しと茶碗の一つをガラスにしてお稽古をしたので、いつもよりも涼しそうな雰囲気になりました。
 茶碗よりも、水差しをガラスにしたほうが、お客様にずっと見えるものなので、夏らしくていいと思われます。このスタイルを今度のお茶会ではやってみるつもりです。

 いつもと違うやり方が加わったので、多少パニックです。しかし、順番さえ覚えれば、後は仲間内のお茶会なので、話をしながら楽しくやることに専念すればいいでしょう。

 亡くなった人を思い出してあげるのが最高の供養だ、と言われています。お茶を飲みながら、気心の知れた仲間と思い出話をすることで追善供養になれば、それに越したことはありません。

 今日は、とにかくいろいろと質問し、さまざまな場合の対処方法を教えていただきました。
 我が家での追悼のお茶会は、今週15日正午からと決まりました。
 明日から、洗い茶巾のお点前を思い出しながら、少しずつ練習を重ねていく予定です。
posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | 健康雑記

2013年08月11日

京都で『十帖源氏』を読む(第5回)

 京町家のワックジャパン「わくわく館」で、『源氏物語』の写本を読んだ後、少し休憩してから、今度は『十帖源氏』を読みました。
 これまでの4回の集まりは、いつも雨の日でした。誰が雨男か雨女か、といつも話題になっています。今日は雨が降る気配がありません。夕方になるとわからないよ、などと言いながら始まりました。

 ここでは、『十帖源氏』を読むというよりも、海外の方に翻訳をしてもらうための、わかりやすい現代語訳を作成したり確認したりしています。
 今日は、以下のことが話題になりました。

 『十帖源氏』に

むらさきの上より、とのゐ物をくらせ給ふ。

とあるところを、担当者は

〈紫の上〉から夜具が送られてきました。

と訳しました。
 この「夜具」について、海外のいろろいな様子を推察して「寝具」に落ち着きました。

 有名な「須磨にはいとど心づくしの秋風に〜」という場面では、まず「心づくし」について検討しました。
 ここは「哀愁をかきたてる秋風」で早々に決まりました。「哀愁を感じさせる」がわかりやすい訳です。しかし、もう少し状況を伝える意味を込めて「かきたてる」を採用しました。

 「浦波」についても、作品が語る状況を踏まえて、「海風に吹かれる波の音」となりました。

 少しずつ、現代語訳の完成度が上がってきていることが実感できます。

 光源氏が須磨の詫び住まいの折々に、綾錦などに絵を描いていたところにも、多くの時間をかけました。

からのあやなどに、さまざまの絵どもをかきすさび給へり。

 ここでは、中国から留学中の庄さんが、林文月さんの『源氏物語』中国語訳などを詳しく紹介しながら、中国渡来の絹織物や錦織りの違いなどを例にして、貴重な意見を出してくれました。

 シルクロードに思いを馳せながら、さまざまな文物が行き交う背景を語り合う中で、次のような訳になりました。

(〈光源氏〉は、)中国の絹などに色々な絵を気の向くままに書きます。


 そして、それに続く

沖に船どものうたひののしりてこぎゆくなどもきこゆ。

とあるところは、

沖から、船人が大声で歌いながら漕いでいくのが聞こえます。

となりました。「船どもの」を「船人が」としたところが苦心の跡と言えます。

 この作業は、ことばに対する豊かな想像力が試されます。
 また、異文化に対する深い理解が求められます。
 さまざまな国からの留学生の方々が参加してもらえたら、文化の違いが現代語訳に盛り込めて楽しくなると思っています。いろいろな国の方々をご紹介いただけると幸いです。

 次回は、9月21日午後3時から、いつものワックジャパンで行います。
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | ◆国際交流

2013年08月10日

京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第2回)

 猛暑の中、いつものように京都御所南にあるワックジャパン「わくわく館」に集まりました。
 基本的なことは、「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(初回)」(2013年7月13日)で確認した通りです。

 今日は、ハーバード大学本『源氏物語』「蜻蛉」巻の巻頭部分のに書かれた文字を、丁寧に見ていきました。
 第1頁目となる墨付き第1丁オモテに記されている1文字ずつについて、その字母までを丹念に確認しました。

 写本に記されている文字を字母レベルで示すと、次のようになります。


加之己尓者比登/\・遠波勢奴越・毛止免左者
个止可比奈之・毛乃可多里/比&野・免幾三乃/免&飛・人尓・
末礼堂良無・安之多乃・也宇奈礼八・久八
之宇毛・以比遣須/川+川・幾也宇与利・安里之・
川可比乃・返寸・奈利尓之可・於保川可奈之止
天・末多・人・遠己世多里・末多・止利能・久二
无・以堂之多天左世・給部累登・川可比乃・
以不尓・以可尓・幾己恵无・免乃止与利・八之
女天・安八天末止不・事・可幾里・那之・思由留・
可多・久天・堂ゝ・左波幾安衣累遠・可乃・心・志礼留(1オ)」


 2行目の真ん中あたりにある、「ものかたりのひめきみの」という部分には、文字にナゾリがあることがわかります。
 
 
 
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 「ひめ(比免)」と書いた後に、「ひ(比)」の上から「野(の)」という文字をなぞっています。また、それに続く「め(免)」では、その上から「飛(ひ)」となぞっています。つまり、「ものがたりひめ」と書いた後、すぐに助詞の「の」を書き落としたことに気付き、「ひめ(比免)」の上から「のひ(野飛)」とナゾリ、そしてそれに続く「めきみの」と書き進めていたことがわかるのです。

 この写本の筆者は、間違いに気付くとすぐに修正するという、書きながら言葉の確認をする鋭い注意力を持って臨んでいる人のようです。また、上からなぞった文字をみると、この筆者が以後にもよく使う「乃比(のひ)」という字母ではなくて、あまり用いない「野飛」という字母を使っているのです。
 訂正していることを明確にするという、律儀な性格と美意識を持っている人でもあります。

 3行目2文字目の「す」の字母は、「寿」ではなくて「春」としていいようです。この二文字は、とにかく紛らわしいのです。

 4行目の真ん中で、親本には「つゝ」とあったと思われる箇所で、踊り字の「ゝ」を書き漏らしたと思われます。それについては、補入記号の○を付して、「つ(川)」の右下に小さく「つ(川)」と書いています。これも、「つ」の字母である「川」の最後の線を止めるところで、引っかかりを付け加えればいいのに、あえて補入記号を付けて「つ」を補うのです。きっちりした性格の書き手なのでしょう。

 5行目の真ん中の「葉」も、「は」の変体がなとしては特徴的な使われ方です。
 鎌倉時代の写本によく見られる特徴でもあります。

 6行目の下から3文字目の「な(奈)」は不自然な太さと形をしています。これは、ちょうどそのすぐ右横に同じ字母の「な(奈)」があることと関係がありそうです。
 普通は、同じ字母が左右に並ぶことを避ける傾向があります。それを、こうした形で回避しようとしたのかと思われます。ただし、あえて同じ字母で書写しているのは、親本の通りに字母レベルまで一緒にしようとしたかったのではないか、とも思わせます。今後の検討課題です。

 7行目の行頭の「な(奈)」と、8行目の行頭の「いふ(以不)」は、字形がそっくりです。
 
 
 
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 この書き様は、何か意味がありそうです。今、私は解決案をもっていません。最終行である10行目の3文字目の「な(奈)」も、その形が独特です。こうした特徴は、今後とも注意しておきたいと思います。

 今日は、こうした文字の確認と、書写者の性格や人柄にまで言及してみました。
 写本を読むというのは、単に文字を翻字するだけではなくて、書いた人の心の中を推し量りながら見ると、楽しい一時となります。

 次回は、9月21日(土)午後1時から、場所は同じくワックジャパンです。
 参加は自由です。一緒に読んでみたい方は、お気軽にお越しください。ただし、資料の準備がありますので、あらかじめNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページか、このブログのコメント欄を通して連絡をいただけると幸いです。
posted by genjiito at 23:22| Comment(0) | ◆源氏物語

2013年08月09日

谷崎全集読過(20)「嘆きの門」「或る少年の怯れ」

■「嘆きの門」(未完)
 銀座のカフェでウェイターをする菊村は、1人の女に好奇心を持ちます。その女の顔貌や仕草の描写には、フェティシズムに溢れた視線が満ちています。
 女は小悪魔的な少女で、菊村を自在に操るのでした。菊村も、女の言いなりになり、女のことばかりを考えるようになります。
 物語は、幾分推理仕立てになっているので、次の展開が楽しみでした。
 美少年と美少女を引き取って育てる岡田という人物は、理屈が先行しています。しかし、谷崎はこの世界を指向していることは明らかです。谷崎らしさの萌芽と言えます。
 最後の第三節は、話に集中力が見られないので、盛り上がりに欠けます。未完のままであることについては、また考えます。【2】
 
初出誌︰大正七年九月、十月、十一月月号「中央公論」
 
 
■「或る少年の怯れ」
 家族の話です。兄嫁が亡くなってから、急に家が寂しくなります。そんな時、唱歌を歌う文化があったようです。大正八年の作品なので、これも一つの文化資料となります。また、お正月には、『百人一首』もしています。少年が見た感覚の世界が語られています。
 亡くなった姉に関して、夢の中で兄と、殺したのどうのという会話をします。夢が心中を語る場となっているのです。夢の中で姉は、兄に殺されたことをどうしてだまっているのかと責められます。先の姉さんが殺されたことを知りながら、今の姉さんは兄と結婚しているのでは、との疑いからも抜けられません。人間を疑り深く見る芳雄です。
 そして、そうした想念の中で最終を迎えるのでした。生死の境をさまよう様子が、よく描かれています。
 なお、「しつくどく」(149頁)「むきつけ(傍点付)」(153頁)「恐(こは)らしく」(153頁)「恐(こは)らしい」(156頁)などのことばの使われ方が気になりました。【3】
 
大正八年八月作
初出誌︰大正八年九月号「中央公論」
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | 谷崎全集読過

2013年08月08日

藤田宜永通読(15)『野望のラビリンス』

 パリのバーに、日本人の女流画家が登場します。
 おしゃれです。そして、カルバドス。
 このお酒に憧れて、私も一時期飲んでいました。

 私立探偵鈴切の登場の仕方は粋です。最初に依頼を受けた仕事は、一匹の猫を探すことでした。
 背景に、さまざまな音楽が流れます。藤田宜永の特徴でもあります。

 ところが、依頼された仕事は死体で見つかります。猫探しと殺人事件が絡みながら、テンポ良くパリの下町風な場所で話が展開します。小気味いいのです。

 ゲイと娼婦とホモの話を間に挟みながら、異文化体験とでもいう、フランスらしい味と香りがします。

 情景描写は、ほとんどありません。行動と心の中が語られていきます。
 車が物語のスピーディーな展開に加わっています。

 フランスの中の日本文化が紹介されていて、楽しく読めます。日仏文化交流についても、読み進む中で実感させてくれます。

 武器の密輸や二重結婚のことなど、終盤は忙しく展開します。
 最後は、謎解きです。ただし、説明が少しくどいかな、と思いました。

 登場する日本人が、パリに馴染んでいます。日本人でありながらフランス人というスタイルが、藤田宜永らしい小説といえます。
 かつて読んだものを、引っ張り出してきて再読しました。若さがあって、楽しめました。
 藤田宜永のデビュー作品です。【2】
 
 
初出:カドカワノベルズ『野望のラビリンス』
   昭和61年(1986)10月、書き下ろし
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 藤田宜永通読

2013年08月07日

2回目となるイオブログへの「不愉快な広告の排除の訴え」

 私が毎日利用している「ケイ・オプティコム」のこの「イオブログ」では、「いやらしい広告」を、私が書いた記事の末尾に勝手に塗り付けて知らんぷりをしています。
 こうした行為の排除に声をあげて訴えるのは、今回で2回目となります。
 あまりにしつこいので、あらためて私が不愉快な思いをしていることを明記して、確認しておきます。


 本ブログ「鷺水亭より」の末尾に付けられている「いやらしいことばの広告」は、私の意思に反するものであり、プロバイダー業者である「ケイ・オプティコム」によって勝手に付けられているものです。
 私が「いやです」「やめてください」と、卑猥な広告の排除を正式に訴えるのは、これで2回目となります。
 一日も早く、自分がしていることが確信的な不当行為であることに、「イオブログ」の運営主体者が認め謝罪されることを望みます。
             亭主敬白


 とにかく嫌な思いをしながらブログを書き続けています。
 記事を公開しても、またあの「いやらしい広告」が付くのかと思うと、読んでくださる方々に申し訳なく思います。記事の末尾にへばり付いている卑猥な文字列は、今後ともどうか見過ごしてください。「ケイ・オプティコム」という会社が小金稼ぎのためにやっていることで、その会社のネットワークを利用している私には無関係のものです。

 先日、2回目の不快な思いを、以下の文章にして、ユーザーサポートの窓口へ送りました。
 なお、送付文章には画像が添付できませんでした。私が送りたかった画像は、次のものでした。
 
 
 

130805_intarestmach
 
 
 


2013/08/05 19:28:14:

 今年3月18日に、私のブログの末尾に御社からの卑猥で不愉快な広告を勝手に付けないでほしい、とお願いした伊藤鉄也です。

 御社の言われる「行動ターゲティング広告」なるものが、いまだに汚物のごとく毎日塗りつけられています。
 とにかく、御社のお陰で、不愉快極まりない日々を送っています。
 昨日のものは、添付した画像の通りです。

写真(画像が添付できません)

 春先のことは、私のブログで、「〈eo-Net〉のブログに勝手に付けられる不愉快な広告」(2013年5月 8日)という記事で詳細に報告した通りです。

 精神的な苦痛が解除されるまで、とにかく御社から不愉快な思いをさせられていることを訴え続けるしかないようなので、これで2回目となる、窮状を訴える私からの叫びをこうして届けました。
 1日も早く、己が蛮行に気付かれることを願っています。

 サービスを提供する側である御社のモラルが非常に低いことは、まだネット社会が未成熟なので致し方ない問題を孕んでいるようです。しかし、今回のやり口は酷すぎることを、早く気付いてください。

 この30年にわたり、このようなユーザーを軽視したネット社会の構築を目指して、私は啓蒙普及活動をしてきたつもりはありません。卑劣な手法で、ネットワーク社会を低俗なものに貶めないでください。

 不当な嫌がらせと差別を受けている、というこの事実を、諦めることなく声を挙げて積み重ねる中で、こうした困った問題に対して、今後の対処を模索したいと思います。

 私の記事へコメントに「一利用者としてはなかなか打つ手がないのがもどかしい限りです。やはり、諦めずに声を上げていくしかないのでしょうね・・・」というものがありました。

 今回の事例は、その意味ではネットワークの歴史における悪しき事実として、記録に値するものであると考えています。人間の愚かさに端を発するものなので、文化史的な事例となることでしょう。

 とにかく、「卑猥で不愉快なことばによる嫌がらせは辞めてほしい」、という2回目の訴えとします。

 
 この文章を送付して2日後に、「イオブログ」の担当部局から以下の返信が届きました。


2013/08/07 10:43:19:Lekumo ビジネスブログサポートデスクからの回答:

ご連絡いただき、ありがとうございます。
eoblogのご利用におかれまして、ご不快な思いをさせてしまいお詫び申し上げます。

前回ご案内させていただきました内容と重複いたしますが、
お申し出いただきました件につきまして、お客様のご意向に沿えず誠に申し訳ございません。
eoblogにおける広告掲載につきまして、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

また何かございましたらお問合せいただければと存じます。
引き続き、eoblogをよろしくお願いいたします。

 
 「お客様のご意向に沿えず」とあるのは、非常に興味深いことばです。
 この会社のモラルの低さと愚かさと無責任な逃げの手口が露呈しています。
 大事に至れば、慌てて気付いたふりをして対処するつもりなのでしょう。
 「いじめ」「ストーカー」「痴漢」の主体的な行為者に典型的に見られる、愚鈍な感覚です。

 前回の記事を読まれた方が、広告が表示されないようにする方法を教えて下さいました。数行のスクリプトを実行させるものでした。
 しかしこの問題は、ユーザー側がシステムに手を付け、策を弄して対処するものではないと思います。あくまでも、「イオブログ」の運営主体者がその愚かさに気付いて撤去すべきものだ、と考えます。
 プロバイダがユーザーが書いた文章へ不当な介入をしている、とのスタンスで、今後とも対処していきたいと思います。
 これは表現の自由への侵害です。基本的人権の侵害行為だと判断しています。
 上記画像をご覧になればおわかりのように、広告は「投稿日 2013年8月4日(日)〜」という私の記事に属する情報の上に潜り込ませてあるのですから。巧妙で卑劣なやり口です。

 なお、アドバイスをくださった方には、以下の返信をしました。

 可能であれば、お作りなったスクリプトを、正々堂々と公開なさることで抗議の一環とされてはいかがでしょうか。
 これは、それぞれの判断なので、私ならそうする、という程度にご理解いただければと思います。
(中略)
 私は、技術でクリアするのではなくて、話し合いで事態の打開を図りたいとの思いを強く持っています。
 結果的に、ケイ・オプティコムが自分たちの誤りに気づき、それを認めれば、その時点で一件落着だと判断します。
 一般的に、和解と言われるものです。


 上から目線と言われそうですが、企業に正しいネットの運営について教えてあげるのも、利用者の役割の1つだと思います。特に、「ケイ・オプティコム」は関西電力系の会社なので、余計に人間の心の痛みを〈気付かせる〉必要があります。

 今後とも、この会社には、「いやです」「やめてください」と言い続けていくつもりです。
 
■追記■
 前回、私のブログに「〈eo-Net〉のブログに勝手に付けられる不愉快な広告」(2013年5月 8日)と題する記事を公開した後、以下の通知を「イオブログ」に送りました。


2013/05/09:

eoblogサポートセンター 御中

 3月18日に「行動ターゲティング広告」に関して問い合わせをした伊藤鉄也です。
 昨日の以下のブログに、この件についての記事をアップしましたので、お知らせいたします。

「〈eo-Net〉のブログに勝手に付けられる不愉快な広告」
http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2013/05/eo-net-1840.html
(2013年5月 8日)

 eoblog を利用しているユーザーとして、この件では毎日嫌な思いをさせられています。これは、不愉快な思いを強いられているユーザーの立場としては「ハラスメント【harassment】」だとの認識のもとに、記録を残しておく意味で認めたものです。
 ただし、今回の記事には「ハラスメント」という文言は控え、「私が持つさまざまな権利を侵害」というソフトな表現に留めました。あくまでも「不愉快な広告を本人の承諾なしに勝手に付けてほしくない」という気持ちを書き記したものです。

 取り急ぎ、報告させていただきます。

 
 これに対する「イオブログ」の担当者からの返信は、以下の定型文でした。
 

2013/05/10 16:42:26:Lekumo ビジネスブログサポートデスクからの回答:

eoblogサポートセンターでございます。
ご連絡いただき、ありがとうございます。
このたびはeoblogのご利用においてご不快な思いをさせてしまっておりますことお詫び申し上げます。

本件につきまして、お客様のご意向に沿えず誠に申し訳ございません。
何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

また何かございましたらお問合せいただければと存じます。
引き続き、eoblogをよろしくお願いいたします。

 
 今回も、この記事を公開してから、その旨を「イオブログ」に連絡します。
 定型文が返ってくるだけでしょうから、この2回目の訴えの報告はここまでとなります。
posted by genjiito at 23:15| Comment(0) | ◆情報化社会

2013年08月06日

読書雑記(76)清原なつの『千利休』

 清原なつの著『千利休』(本の雑誌社、373頁、2004.11)は、ズッシリと手に重みを感じる本です。それでいて、爽やかな装幀の本です。
 
 
 
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 パラパラと頁を捲ると、中はまんがなので、書店ではすぐに置く方が多いことでしょう。陰影のない線画で描かれているので、シンプルな感じの絵です。しかし、中身は結構濃いのです。

 まんがというよりも、文字の多いコミックと思って見たほうがよさそうです。これも1つの表現法なのです。
 広告のスペースを意識したかのような注は、小事典の趣があります。諸書を博捜して調べた努力の結晶、という読後感を持ちました。一生懸命に調べて書いた報告書、という趣の本です。

 利休が生きた時代を、丹念に描いています。注が多くて、説明に目を通すのが大変です。まんがとして読むと、情報量が半端ではないので、どっと疲れることでしょう。

 本編の中では、お茶の精神と茶道具のことが、何度も繰り返し語られます。そのせいもあってか、茶道の背景がよくわかりました。茶道史や日本文化史のいい勉強になりました。

 ただし、気になったことが散見します。改訂版を出されるときには、以下でとりあげる点に手を入れてほしいと思いました。

 光秀が、信長に出す料理の味付けを京風の薄味にし、不興を買ったことがありました。その時、光秀は急遽濃い味にした逸話が本書にも出ています。
 私は、この話を小さい頃から、父に何度も聞かされました。それが、何と3コマだけでの紹介という、実にサラッとし過ぎです(209頁)。あらかじめ知っていないと、この場面は何が何だかわからないことでしょう。この取り上げ方は、もったいないと思いました。あまりにも摘まみ食いした話題の連続で、ネタが流れていくだけです。それがかえって、読者の記憶に残りにくくしているのです。こうした場面が、至るところで見受けられました。

 利休は、慈鎮の「汚さじと思ふ御法の供すれば 世わたるはしとなるぞかなしき」という歌を、いつも口ずさんでいたそうです。この歌について、「茶の湯を生活の糧に使う事は悔しいことだ」と簡単な訳がついています(270頁)。しかし、読む人にこの歌の意味をわかりやすく伝えるためにも、ここはもうすこし親切な説明がほしいところです。
 こうした説明の過多が、随所で気になりました。

 また、利休の和歌に、変体がなの字母のままで「ミ」や「ハ」が使われています(339頁)。そこまでする必要はどこにあるのでしょうか。本書を読む人は、これは何だろう、と思うだけです。しかも、この字母は国語学的な特別な研究には必要であっても、一般的には意味をもたないものです。
 私は、翻字においてこうした「ミ」や「ハ」は使う必要がない、という考えをもっています。助詞の機能を調査研究する方にだけ必要な字母情報なので、それを混在させるのはよくないと思います。
 下手に変体がなに関する知識をひけらかすことは、この種の本には不似合いです。自分がよく勉強したことを見せたいがために、つい字母のままで表記したとしか思えません。

 また、上記の例で、利休の和歌に濁点がありません(339頁)。これも、古典文学への知識を見せておこうという魂胆が透けて見えて白けました。
 他では古文の引用に濁点を使っています(343頁)。それならば、この慈鎮の歌を引く横に、墨で書かれたものを併置するなりしたら、それらしくさまになったことでしょう。

 最後になって、かろうじて話を感動的に締めくくろうとする努力が、読み進んで来た私に伝わって来ました。
 よく勉強して描いた利休の一代記風のまんが物語となっていました。
 しかし、その勉強した舞台裏がチラチラと垣間見えたのが残念でした。

 完成度は低いながらも、下調べの努力は認められる作品です。
 付録に待庵を付けたのは、いいアイデアだったと思います。【2】
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2013年08月05日

井上靖卒読(168)「見合の日」「別れ」「僧伽羅国縁起」

■「見合の日」
 なかなかおもしろいお見合いの場が描かれています。井上靖が得意な、軽さがいいと思います。そして、さらにおもしろい展開となります。エンターテインメントとしての井上の本領発揮です。ほほえましくて、かわいい青年男女が描かれているのです。短い話にもかわらず、読み進むうちに気持ちが和みます。文章のうまさを感じます。【4】
 
 
初出誌:女性明星
初出号数:1963年1月号
 
集英社文庫:火の燃える海
井上靖小説全集 31:四角な船
井上靖全集6:短篇6
 
時代:昭和、戦後?
舞台:東京(銀座、多摩川)
 
 
 
■「別れ」
 5年の付き合いの後、別れようとする2人。しかし、なかなか別れられないのです。そのやりとりが、お互いに別れようとしているだけに、自然と軽妙に進んでいくのです。お互いが、相手と別れるタイミングなり距離を測っているので、その駆け引きも微妙にうまくずらして語られます。自分に無理を強いて、何とか別れようとしているからです。お互いが、どうして終止符を打ったらいいのか、共に喘いでいます。嫌いになって別れるのではないからです。
 結論は、男は戻ってこない、女は追いかけない、ということに落ち着きます。夕映えの九州箱崎で、女の赤く染まる涙を見た男は、本当に別れようと決心するのでした。【4】
 
 
初出誌:週刊女性
初出号数:1963年1月2日号
 
 
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「僧伽羅国縁起」
 南インドの王国での話です。虎に襲われた女が、青白い月光の光の中に立つ姿が、美しく描かれています。女は、虎の妻となり、一男一女をもうけます。しかし、子供に説得されて逃げます。虎は妻子を乞い、探し回ります。生活が苦しい中で、息子は王からの賞金を目当てに、虎刈りを志願します。
 父である虎は、息子を一目見て、旧懐の情から襲うことなく我が身を預けます。息子は、その隙に父である虎を刺し殺すのです。この父と息子の心情の違いをどう見るかは、読む人それぞれにむつかしいところです。
 王は、この息子に、賞と罰の両方を課したのです。そして、妻には罰は与えず、厚遇したのです。その後、息子も娘も、それぞれ遠く隔たった島で子孫を増やして栄えたそうです。
 これは、玄奘三蔵の『大唐西域記』にある話の再録です。人間の生きざまを示すことで、読者に考えさせる話となっています。【3】
 
 
初出誌:心
初出号数:1963年4月号
 
 
新潮文庫:楼蘭
井上靖小説全集18:朱い門・ローマの宿
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2013年08月04日

27年来の仲間を思い出しながらの追善供養

 日本文学データベース研究会(略称はNDK)を立ち上げたのは、今から27年前の昭和62年のことです。
 当時は大阪大学にいらっしゃった伊井春樹先生のもとで、精力的に研究会を開催し、積極的に成果を公開してきました。

 その時以来ずっと一緒に、日本文学にコンピュータを導入した研究を啓蒙推進してきた、心強い仲間の一人であった谷口敏夫(浅茅原竹毘古)さんの訃報を、今日知りました。
 お亡くなりになったのは、7月29日とのことです。
 『源氏物語』の写本を翻字したテキストデータを、自由自在に処理するプログラムを開発していただきました。私たちのわがまま勝手な注文にも、とにかく夢を叶えるべく開発に取り組んでくださいました。

 末期癌と聞いてすぐ、今年の4月には、お正客として下鴨の我が家にお出でいただきました。
「27年も続くパソコン仲間との交流」(2013年4月 7日)
 心を込めて、薄茶をさしあげました。お点前の作法よりも何よりも、リラックスして美味しく召し上がっていただくことを心がけて、お茶を点てました。

 初夏より覚悟はしていました。それ以降、特に連絡もなかったので、そろそろまた我が家でご一緒にお茶でも、と思って準備を進めようとしていた矢先の訃報でした。

 今年4月の上記ブログにも引いたように、2010年8月に、私が癌で入院手術をする直前にも、この仲間が我が家に集まっています。あの時は、賀茂川の西にある北大路の家に住んでいた時でした。手術前の私をリラックスさせてくださいました。

 折々に、節目節目に逢い、食事をしながら楽しい夢を語ってきました。
 奈良に住んでいた時にも、何度か我が家に来ていただきました。

 今、これまでのことが、さまざまに駆け巡っています。
 今、すぐに思い出すのは、次のような表現で私を語っておられたことです。


 昭和62年2月、三人の男が奈良の近鉄西大寺駅ホームに集合した。ホーム番線は不明だがおそらく、京都方面から奈良に向かっての電車が到着する最後部のベンチ辺りであったろう。
 日も暮れた6時すぎだった。
 三人のうち、二人は既に顔見知りで、残りの一人は全く面識がなかった。たがいに接近遭遇する符丁として、二人組は[ THE BASIC ]、一人は[ ASCII ]をそれぞれ、これ見よがしに持っていた、と記録にはある。
 どれほどたがいに気恥ずかしい思いをしていただろうか。二人組の一人は30半ば、京都からの一人は年齢不詳だが互いにいい歳した中年、関西風ではオッサンがガキの読む[ THE BASIC]や[ASCII]を人混みの中でひらひらさせて相手を捜すのだから。免れていたのは、現場に居合わせた20代半ばの長身痩躯紅顔の青年一人であったろう、と記録にはある。
 三人はそのまま申し合わせたように路地奥の赤提灯に歩みを進めた。
 これがNDK(日本文学データベース研究会)の始まりの最も原始引金であった。この時三人がシティーホテルの高級レストランや、高級料亭でなく、西大寺路地裏の「だしまき」(関西では卵をダシでといて卵焼きを作るが、これをダシ巻という)一皿150円の店に集合したのが、その後の道筋を象徴的に現わしている。地方志向、建前よりも質実、軽快。
(中略)
 それにしても西大寺の夜、実際に伊藤さんの関わるプロジェクトや(源氏物語別本大成)、それにまつわるよもやま話は最初奇談じみて聞こえた。伊藤さんの御師匠筋にあたる伊井春樹先生や大学時代の諸先生のこと、パソコン奮戦記(これは伊藤さんの著書名でもある)、どれをとっても雲をつかむような事ばかりであった。
 圧巻は源氏のことだった。新聞記事で伊藤さんの仕事の内容は知ってはいたが、今に伝わる源氏物語に異本が何十種類もあって、それを本当にパソコンPC-9801にデータ登録しているという、事実をじかに知って、ま、目がくらくらした。「この人誇大妄想ちがうやろか」それが私の伊藤さんへの第一印象だった。(「プロムナードのこと」『人文科学データベース研究 創刊号』昭和六十三年、同朋舎出版)


 この時からご一緒に、道なき道を雑草を掻き分けながら猛進してきました。無事に『源氏物語別本集成』を刊行し、『CD-ROM 角川古典大観 源氏物語』も作り、さらなる展開を期していたばかりでした。

 今思い返しても残念なのは、『源氏物語別本集成 続』の第8巻以降を見てもらえなかったことと、『データベース〈平安日記・物語〉』が作成途中であったこと、そしてNPO法人〈源氏物語電子資料館〉にさらに深く関わっていただけなかったことです。

 「てつ!」とか「てっつぁん」と、親しく呼びかけてくださった優しい声が、今も耳に残っていて、いつでもその姿を思い浮かべることができます。
 私は、もう少し仕事をさせていただきます。
 これまでと変わらない「てつ!」という声を励みにして、もう少しやり残した仕事をします。

 私が初めて書いた『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(昭和61年)が毎日新聞に取り上げられ、それに対して連絡をいただいたのが最初のご縁でした。お陰で今も、日本文学研究とコンピュータの接点で仕事ができています。

 来週には、『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』が刊行されます。辛口の批評が聞けなくなったことが残念です。
 とにかく、27年前と同じように、私は前に向かって進んでいきます。
 2人で語り合った夢が1つでも2つでも叶うように、見守っていてください。
 
 ご冥福をお祈りします。
 
 実は、谷口さんをお呼びしてお茶会を、という準備を進めていたところでした。
 思い出してあげるのが最高の供養だと言われています。
 近い内に、追善供養のお茶会を、また我が家で開くことを考えています。
 
 以下、谷口さんにご尽力いただいて刊行できた本を列記し、思い出すよすがとします。
 

(1)『資料検索表示ソフトウェア〈プロムナード〉』同朋舎出版、昭和63年

(2)『人文科学データベース研究 創刊号』同朋舎出版、昭和63年6月
    ↓
   『人文科学データベース研究 第6号』同朋舎出版、平成2年11月

(3)『データベース・平安朝 日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』同朋舎出版、昭和63年11月

(4)『源氏物語別本集成 第一巻 桐壷〜夕顔』桜楓社、、平成元年3月
    ↓
   『源氏物語別本集成 第十五巻 蜻蛉〜夢浮橋』おうふう、平成14年10月

(5)『四本対照 和泉式部日記 校異と語彙索引』和泉書院、平成3年5月

(6)『データベース・平安朝 日記文学資料集 第二巻 蜻蛉日記』同朋舎出版、平成3年6月

(7)『CD−ROM 古典大観 源氏物語』角川書店、平成11年11月

(8)『日本文学どっとコム』おうふう、平成14年5月

(9)『源氏物語別本集成 続 第一巻(桐壷〜夕顔)』おうふう、平成17年5月
    ↓
   『源氏物語別本集成 続 第七巻(野分〜梅枝)』おうふう、平成22年7月

(10)『本文研究第一集 - 考証・情報・資料』和泉書院、平成8年1月
    ↓
   『本文研究第六集 - 考証・情報・資料』和泉書院、平成16年5月
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2013年08月03日

読書雑記(75)宮尾登美子『伽羅の香』

 宮尾登美子の『伽羅の香』(中公文庫、昭和59年)を読みました。
 宮尾登美子の作品を読むのは初めてです。
 
 
 
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 どっしりとした、安定感のある文章で綴られています。いかにも作家の文章だという趣が伝わる、しっかりとした文体でした。久しぶりに小説家の文章だと思い、安心して語りに耳を傾けながら読み通しました。
 時代背景と社会が、丹念に描き込まれているので、文化史的な価値も高いものとなっています。

 話は、明治27年に葵が生まれた時から始まります。明治後半の三重県が、そして大正以降の東京の様子が活写されていきます。

 葵は、御家流から分かれた大枝流を継ぐ杉浦秀峯にお香を教わることになりました。
 お香と古典文学のことや、学問を積むことも出てきます。

 葵は二人の話のやりとりを聞いていて、葵がまだ全く判らない組香の話になると、例えば源氏物語をはじめ宇津保物語、更科日記、栄華物語、明月記、宇治拾遺物語、沙石集、太平記に至るまで、古典の名が次々と口に載せられ、それがごく当然のこととして話し合われるのを、まるで見知らぬ世界を眺め入るような面持ちで聞いているのであった。(129頁)

 現在私は、お香と古典文学をテーマにした博士論文執筆中の大学院生と一緒に、香道周辺の勉強をしているところです。そのこともあって、こうして語られるお香の世界に、少しずつ引き込まれて行きました。

 お香の道に入るために、自分の生家の炭屋を忘れ去ろうとする葵の意識に、昭和初年の時代背景が見えてきました。故郷を捨てて東京で生きる決心をした葵が、活き活きと表現されています。それだけに、結末が読む者に感銘を与えるのでしょう。

 新居に移ってから、『源氏物語』の「桐壺」巻の後半の講義を聴きます(159頁)。源氏香についても説明があります(173〜175頁)。ただし、私としては、もっと源氏香のことを語ってほしいところでした。とくに、その種類や由来やおもしろさについて。この組香の内容や具体的なことが、思いのほか平板でした。

 お香の道を用意してくれた貢の死を契機として、その隠し子のことが出てきます。これが、最後まで話を興味深いものにする一つの種となります。さらには、夫が葵の女学校時代の旧友と関係をもっていたことも。

 両親、娘、息子の死。波瀾万丈の人生が、40歳を前にした葵に襲いかかります。1年に7人という、相次ぐ家族の死という不幸の連続の中を、葵は戦中戦後を1人強く生き抜きます。

 香道をめぐって、人間の心の動きが丹念に描かれています。その精緻さは驚くばかりです。人の心の中が、鮮やかに語られて行くのです。芸術的と言えるほどの言語作品に仕上がっています。
 死に行く息子を照らす月光の中で、葵は髪を切ります。このシーンは、美しく、そして迫力がありました。

 養女にも、と思って大切に面倒を見た貢の娘楠子に裏切られます。人を信頼できなくなった葵は病の身にあります。その哀れさ辛さが、しみじみと伝わって来ます。

 最後に葵が独り言として、「こんな偽りに満ちた、体裁だけを繕う人間との付きあいなんてほとほと嫌気がさしました、」(359頁)と言い続けます。あまりにも寂しい結末に至る展開に、もっと明るく元気に語り納めてほしいと願いました。読者としての勝手な思いなのですが。

 幸せ薄い女の物語です。しかし、香道という芸道に一生を捧げた中に、人間としての満ち足りたところがあるのが救いです。そして、静かに晴れやかに終わります。しかし、明るい未来があるわけではないのです。
 こうした物語に慣れていない私は、中途半端な、落ち着かない気持ちのままに本を置くことになりました。【5】
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 読書雑記

2013年08月02日

『もっと知りたい … 第2集』(新典社)が出来ました

 『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』が、今月9日に新典社から刊行されます。
 
 
 
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 新鮮で充実した情報を、と、時間をかけて欲張った編集をしたこともあり、第1集よりも100頁も増えて384頁にもなってしまいました。それだけ、盛りだくさんの内容となっています。


目 次

はじめに (伊藤 鉄也)

■ 対談 ■
前田善子の紅梅文庫と池田亀鑑の桃園文庫 (永井和子・伊藤鉄也)

■ 講演 ■
池田亀鑑賞受賞作選考にあたって (伊井春樹)
本居宣長と 『源氏物語』 (杉田昌彦)
◎ もっと知りたい1 盛会だった第一回池田亀鑑賞の授賞式 ◎ (伊藤鉄也)

■ 論考 ■
『源氏物語に関する展観書目録』 を巡る一考察 (安野一之)
池田亀鑑の見たヤマタノオロチ − 近現代的課題とその克服にむけて − (原豊二)
伝二条為明筆本源氏物語 (岡嶌偉久子)

■ 連載 ■
池田亀鑑の研究史 (第二回 池田亀鑑の卒業論文と 『宮廷女流日記文学』) (小川陽子)
伯耆地方の古典文学 (第一回 八幡神社の源氏物語) (原豊二)
追憶・池田亀鑑 (第二回 『源氏物語大成』 完結まで) (池田研二)
池田亀鑑を追う (第二回 源氏展の背景にある検閲と写真) (伊藤鉄也)
◎ もっと知りたい2 日南町の池田亀鑑と井上靖 ◎ (伊藤鉄也)

■ コラム ■
広島大学図書館所蔵の池田亀鑑旧蔵『古今著聞集』について (妹尾好信)
伯耆町から見た池田亀鑑 − その顕彰事業の紹介 − (原豊二)
亀鑑が反町に依頼した写本群 (伊藤鉄也)
亀鑑の書簡から見える本文研究の背景 (伊藤鉄也)
亀鑑の旧蔵書を活用した研究発表 (伊藤鉄也)
◎ もっと知りたい3 池田亀鑑の生い立ちに関する新事実 ◎ (伊藤鉄也)

■ 資料 ■
復刻 源氏展目録二種
(『源氏物語に関する展観書目録』 昭和七年/『源氏物語展観書解説』 昭和一二年)
アルバム・池田亀鑑 (昭和七、八年) (伊藤鉄也)

おわりに (伊藤鉄也)

執筆者紹介


 巻末に収録した「アルバム・池田亀鑑(昭和七、八年)」では、4枚の写真を掲載しました。
 前半の2枚は、昭和七年に東京大学で開催された〈源氏物語に関する展覧会〉の時の写真です。
 『校本源氏物語』の原稿が完成したのを祝しての展覧会です。
 池田亀鑑が展示ケースの前で、高松宮喜久子妃殿下に説明をしている場面が、鮮明に写っています。
 ただし、ケースの中に展示されている本が何かは、よくわかりません。

 この時のために用意された『源氏物語に関する展観書目録』は、本書の資料編に復刻しました。
 ただし、安野一之氏と私が本書で考察しているように、実際には検閲に関連する問題で配布されなかったはずです。

 そこで注目すべきは、掲載した1枚目の写真で、池田亀鑑の右後ろの女性が胸に抱えておられる白っぽい冊子のようなものです。
 この女性については、老女小山トミ氏であることが、本書の最終校正の段階で奇跡的に判明し、滑り込みで解説文に補足することができました。
 来月には、その小山氏のお孫さんにお目にかかり、直接お話を伺うことになっています。
 このことは、またその時に報告します。

 写真の3枚目と4枚目については、残念ながら、池田亀鑑以外の方々の名前が特定できません。

 3枚目の女性は、個人的には女優の入江たか子ではないか、と思っています。
 この時に池田亀鑑は取材する立場で、溝口健二監督作品の映画『満蒙建国の黎明』に関するインタビューをしているのではないか、と、今は勝手に想像しています。池田亀鑑が池田芙蓉の名で、冒険ロマン小説『馬賊の唄』を書いたことに関係するのでは、と睨んでいますが、果たしていかがでしょうか。

 4枚目の女性は、これも個人的には女優の伊藤智子で、源氏物語の劇が警察当局により中止させられた前後のものではないか、と思っています。

 後の2枚については、何かお気づきのことや、情報をお持ちの方からの連絡を期待して、あえて掲載したものです。2人の女性が俳優であれば、映画好きの方ならすぐにおわかりかと思われます。今も、当時の写真をもとにして、顔認識を進めています。しかし、なかなか思うように確証が得られていません。

 併せて、4枚目の池田亀鑑の周りの男性陣についても、今の私には皆目見当が付きません。
 これについても、公開することにより、ご教示をお願いすることにしたしだいです。

 本書は、池田亀鑑をめぐる、多彩な内容で編集できたと思います。
 お読みいただき、ご意見やご感想をお寄せいただけると幸いです。
posted by genjiito at 23:12| Comment(0) | 池田亀鑑

2013年08月01日

『源氏物語』を海外の方々へ−《新版・十帖源氏「紅葉賀」Ver.2》−

 『十帖源氏』の第7巻「紅葉賀」については、2年前(2011年6月13日)に現代語訳の初版を公開しました。
 
 当初の予定通り第9巻「葵」までを終えた後、もう一度初巻「桐壺」に立ち戻り、現代語訳などの表記や海外の方に向けた表現方法の統一を心がけて見直しを続けています。

 今回、新版として、さらに凡例の見直しによる補訂を加え、表記を統一しました。これまでの巻と同様に、「紅葉賀」巻に関しても本日公開した《新版・十帖源氏「紅葉賀」Ver.2》を最新版とします。
 今回の「紅葉賀」巻を担当したのは、阿部江美子さんです。
 
 主な補訂は以下の4点です。


@登場人物表を最初に掲載した 
A人物を強調する記号である「」を、〈〉に訂正した
B「翻刻本文」を「翻字本文」とした
Cその他、訳文の見直し

 
 
《新版・十帖源氏「紅葉賀」Ver.2》PDF版をダウンロード
 
 
 ご自由にダウンロードしてご覧ください。
 そして、ご教示をいただければ幸いです。
 
 この「多言語翻訳のための『十帖源氏』」は、現在確認されている『源氏物語』の翻訳言語31種類の翻訳を目指して進めている、一大プロジェクトです。
 ここに公開した現代語訳をもとにして、各国語に翻訳してくださる方を募っています。
 このブログのコメント欄を通して連絡をいただければ、折り返しご説明いたします。
 世界各国の多数の方々の参加・連絡をお待ちしています。
posted by genjiito at 22:25| Comment(0) | ◆源氏物語