2013年07月31日

スペイン語訳『源氏物語』の表紙と説明

 過日、早稲田大学で開催された「スペイン語新訳『源氏物語』の話を聴きに早稲田大学へ」(2013年07月23日)の懇親会で親しくお話ができた下野浩史さんから、その後の情報を送っていただきました。

 今回ペルーで刊行される『源氏物語』のスペイン語訳本の表紙見本が届いたとのことです。
 そして、それをもとにして、下野さんがパンフレットをお作りになり、在ペルー日本国大使館などに配布なさっています。

 そのパンフレットを、私にも送ってくださいました。日本でこの翻訳に興味をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。下野さんの了解も得られたので、パンフレットを本ブログで紹介し、この一連の動向を幅広くお知らせすることにします。
 
 
 
130731_spaing
 
 
 

 ペルーでの出版記念会は、日秘外交関係設立140周年記念の一連のイベントとして開催されるそうです。
 また、翻訳者である下野泉氏と、ペルー・カトリカ大学のイバン・ピント先生による講演が、ペルーの首都リマで予定されています。

 私も参加したいところです。しかし、行ったことのない国というのは、非常に遠く感じます。
 可能であれば、何らかの方策を練って、ピント先生に来日していただき、日本での出版記念会が実現しないか、現在思案中です。どなかた、よい知恵をお貸しいただければ幸いです。
posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | ◆国際交流

2013年07月30日

京大病院の未承認医療機器の実験に参加する

 京大病院の眼科で検査を受けました。これは、糖尿病内科から回された検査です。
 視力は昨夏の入院時とほとんど変化がありません。多少左目の視力が落ちているとのことでした。
 また、軽い白内障があるようです。しかし、大した問題ではないようです。

 診察後、よかったら新しい検査に協力してもらえないか、と声をかけられました。
 私は、自分の身体のすべてを、この病院に捧げています。先生方のさまざまな検査や実験に、積極的に協力しています。そんなこれまでのこともあっての、研究協力の要請だと思われます。

 3年前に胃癌の手術をしてもらった時にも、さまざまな情報を提供しました。
 昨夏は、1ヶ月にも及ぶ糖尿病の検査入院をしました。毎日毎日12回以上も血糖値を測定しました。休む間もなく、ひたすら血液を提供しました。それがどれだけ役立っているのか、今の時点では何もわかりません。一握りの情報にしか過ぎないものです。しかし、こうした情報が蓄積されれば、そこからまた何か新しい治療方法が見つかることでしょう。

 特に私は、胃と十二指腸がまったくないのです。食道と残された小腸が、鳩尾の上で直結されています。消化管のない身体での血糖値の推移は、得がたい情報となるはずです。ささやかながらも、少しでもお役にたてれば幸いだと思っています。

 普段取り組んでいる『源氏物語』の本文に関する研究は、非常に意義深いものだと私は思っています。しかし、やはりそれは、自己満足の域を出ないものだと思います。人の命を救ったり、人に何か影響を与えることもほとんど考えられない、あくまでも自分が生きることに向かって完結する、個人的な命題です。

 せっかく生まれてきたのですから、何か人のお役にたちたいものだ、と常日頃から思っていました。

 どう考えても、誰に聞いても、今ここに私が生きていることは考えられないことです。
 しかし、実際に、毎日このブログを書いているのは私自身です。毎夜、こうしてブログを書きながら、今日も書くことがあった喜びを噛みしめています。ありがたいことだと、妻をはじめとする私の周りのみなさまに感謝しています。素直に表現できないので、そんな気持ちは伝わっていないかと思いますが……

 その意味からも、自分の身体を今後の医学分野での調査や研究のために提供することは、些少なりとも世のため人のためになることにつながります。特に、今の私の身体は、消化管がないので、おもしろい人体実験ができると思われます。

 何度も命拾いをしたこともあり、自分で進んで自分の身体を、医学実験に提供しているつもりです。
 また、消化管がないのにどうして今も元気に日々を送ることができているのか、自分でも今もって不思議に思っています。主治医の先生も、いろいろと質問すると、まだわからないことが多くて、と仰います。

 いつ何があってもおかしくない状況の中で、とにかく毎朝スッキリと目が覚めます。そして1日中いろいろな活動をし、夜になると自然に眠くなって休みます。

 その間、1日に5、6回の食事を長時間をかけてします。特に夜は、食事に2時間をかけるので、勉強時間は極端に圧縮されています。
 しかも、仕事のペースダウンを意識的にしているので、多くの方々に迷惑をかけっぱなしです。本当に申し訳ないことです。

 そのおかげというのも変ですが、理由はわかりませんが、今日も元気に生きています。生き続ける限り、牛歩の歩みでも、一つずつ仕事はできるのです。
 数週間後に、私が編集した『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』(新典社)が刊行されます。本当は、昨春の刊行だった本です。しかし、無理を言って延ばしてもらい、やっと来月できあがります。生きてさえいれば、形あるものを作り、残していけます。

 たくさんの仕事を抱えています。それらも、遅々として進みませんが、それでも一歩ずつ前に進むようにしています。気長に見守っていただくことをお願いするしかありません。

 さて、今日の医師からの提案は、「新型高分解能眼底観察装置による眼底イメージングの臨床的有用性に関する検討」というテーマへの協力依頼でした。私は喜んで研究に参加することを即答で伝え、眼科で1つの実験対象にしてもらいました。
 
 
 
130731_setumeibun
 
 
 

 実験に参加するにあたっては、まず、この研究の趣旨に関する説明がありました。どうやら、私は糖尿病による網膜症に関しての参加要請のようです。これを断っても、今後の診察などにはまったく影響がないことを、最初におっしゃいました。相手の心理的な負担を軽くしようとの配慮からのようです。

 今回の臨床研究は、新しい医療機器の有用性を調べるためのものでした。
 あらかじめ、京都大学医学部付属病院の倫理審査委員会において、参加する患者の人権の保護と安全性と科学性に問題がないかを審査し承認されたものだ、とのことです。

 そして、提示されている医療機器では、眼底の視細胞という非常に細かい部分を見ることで、早期診断や病状把握に資する情報が得られることが期待されるものでした。
 この医療機器は、京都大学とキャノンの共同研究だそうです。厚生労働省からはまだ認められていない、未承認医療機器です。

 この実験的な検査によって、私にもたらされる利益は今はないそうです。しかし、将来的に多くの方々によりよい医療が提供できるように、協力してほしいとのことでした。
 そして、もちろん患者である私の費用負担もなければ、謝礼もないと。また、この臨床研究によって新発見があっても、特許権などは患者にはないとのことです。

 こうしたすべての説明を受けてから、同意書を交わしました。

 実際の検査は、レンズの奥の光の点を見るだけでした。
 終了後、画像を見せてくださいました。網膜に、小さなツブツブのような白い点が確認できました。視細胞というものだそうです。
 これが、今後どのように展開していくのか楽しみです。
 私の取るに足りないこの身体の反応から得られる情報が、多くの病気にお役にたつのであれば本望です。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆情報化社会

2013年07月29日

京洛逍遥(282)『都名所図会』の河原町三条界隈

 小雨の中を、中村武生先生がなさっているイベントの〈「都名所図会」をあるく・平安城篇〉に参加しました。
 京都新聞の「まちかど」覧には、いろいろな京都近辺でのイベントを紹介するコーナーがあります。その中の一つに目が留まり、テレビや著書でよくみかける名前であることから、初めてですが参加したのです。

 地下鉄京都市役所前駅改札口で集合し、まずは寺町通りの天性寺へ行きました。
 参加者は9名でした。この企画は自由参加で、これくらいのこぢんまりした歴史探訪ウォーキングがちょうどいいと思いました。

 今回のテーマは「河原町三条界隈の寺社」ということです。
 山本兼一の〈とびきり屋見立て帖〉を楽しみにして読んでいる私は、この三条界隈に反応しました。「とびきり屋」という道具屋を、真之介とゆず夫婦は三条木屋町で営んでいることになっているからです。そこに、新撰組の面々が出入りするのです。もちろん、それは架空の話ですが。

 さて、最初に訪れた天性寺の墓地(本能寺の南側)では、三条通りが秀吉による土地の嵩上げで出来たものである、という証拠を見せてもらいました。確かに、三条通りの北側にある墓地から南を見ると、明らかに高台とでも言えるほどの高さに三条通りがあることが一目瞭然で確認できました。

 また、この境内には石橋が残っていることも、興味ぶかいものでした。
 
 
 
130729_isibasi
 
 
 

 天性寺の前の寺町通りに、かつては中川が流れていたそうです。その中川に架けられていた石橋が、これだということです。
 中川というと、寺町通りを北にまっすぐに上がった廬山寺と梨木神社の前を流れていた川と川筋を同じくしているものです。その中川は、『源氏物語』の第3巻「空蝉」に出てきます。この寺町通りは平安京の東端で京極です。少しこの通りを下がると、藤原定家の京極邸跡があります。

 そこで、梨木神社の前を流れていた中川のことを伺ったところ、それが平安時代にもそうだったかどうかは実証されていない、とのことでした。
 中村先生は江戸時代を中心とした勉強をしておられるので、あまり平安時代には結びつけては話されませんでした。しかし、私はなんでも平安時代に関係づける癖があるので、話を伺いながらいろいろと置き換えて楽しんでいました。

 おそらく、次の写真の石畳と石板の境目あたりを、中川が流れていたと思われます。
 
 
 
130729_nakagawa
 
 
 

 今回手渡してくださった資料には、版本の『都名所図会』が印刷されていました。これは、国際日本文化研究センターのホームページで確認できますので、参考までにアドレスをリンクさせておきます。
 ただし、天性寺に関しての絵はありません。左端の説明文だけです。

「『都名所図会』の天性寺の記事」

 続いて、すぐ南の矢田山金剛寺に行きました。現在は矢田寺と言っています。『都名所図会』の天性寺に続いて説明のあるお寺です。ただし、現在は寺の説明に言及される「送り鐘」と、それが六道珍皇寺の「迎え鐘」と関係することは、『都名所図会』にはありません。また、『都名所図会』にある「夕顔薬師」は、今は何も説明されなくなっています。時代と共に、説明にも変遷があるようです。

 すぐそばの三条通りを鴨川に向かって歩きながら、この道が秀吉によって嵩上げされたことの証拠を、また見せてもらいました。

 京極には、坂はなさそうです。
 
 
 
130729_kyougoku
 
 
 

 しかし、その西側の新京極の「たらたら坂」と呼ばれる場所では、確かに1本東を通る京極にはない坂があります。
 
 
 
130729_sinkyougoku
 
 
 

 また、三条木屋町の池田屋の前から南に通る抜け道も、結構急な坂道となっています。
 
 
 
130729_ikedaya
 
 
 

 この京極から東の鴨川一帯にかけては、ここがかつては河原であったことがよくわかりました。

 高瀬川に架かる「三条小橋の生洲」の場所を確認し、橋の袂の「瑞泉寺(画像の左頁)」へ移りました。ここは、中村先生にとっては思い入れのある場所だそうです。そのことは、長くなるのでまたいつか。

 なお、この瑞泉寺と縁の深い豊臣秀次は、「ひでつぐ」ではなくて「ひでつぎ」と今は読むそうです。ひらがなで書かれた資料が見つかったからだとのことでした。
 また、『都名所図会』のふりがなは間違いが多いとのことでした。よみがなは、いつの時代にも問題があります。固有名詞の読み方は難しいものです。もちろん、何が間違いかは、これまた難しい問題を抱えることですが。

 「『都名所図会』に描かれた三条大橋」は、興味ぶかいことをたくさん教えてくれました。

 三条大橋の左下(三条小橋に近い中央左寄り)に、川に向かって降りる坂があります。これは、馬車などの動物が川を渡って通る車道なのだそうです。橋を動物が通ると事故にも繋がるし傷むので、こうした配慮がなされていたのです。
 この小さな坂は、形を変えて今でもあります。私は、賀茂川から鴨川に沿って自転車で南下して、三条や四条に出る時には、この坂道を自転車を押して木屋町に上がるのです。秀吉の時代に作られた坂だったのです。おもしろいことを知りました。

 また、この三条大橋の擬宝珠には、『都名所図会』にもあるとおり、「天正十八年」と刻まれています。こうして、古いままの擬宝珠が残っているのです。もちろん、この三条の橋は秀吉が架けたもので、それまではここに橋はなかったとのことでした。それ以前は、五条の橋に回って鴨川を渡っていたそうです。
 ということは、もちろん、光源氏も?
 『源氏物語』の第4巻「夕顔」で、鳥辺野への葬送場面を思い起こしました。
 
 
 
130729_gibosi
 
 
 

 さらには、三条大橋の袂に築かれた石垣は、二条城の石垣と言ってもいいほどに立派なものでした。
 
 
 
130729_isigaki
 
 
 

 日頃は、こんな所に目が行っていません。説明を聞くまで知りませんでした。

 この橋のことは、これも長くなるのでまたいつか、ということにしておきます。

 最後は、「檀王法輪寺(画像の右頁)」へ行きました。先の三条大橋の図には、右下に描かれています。

 雨も激しくなり、時間も超過したので、ここで今日は終わりとなりました。

 近世の歴史と地理を専門とされる方の説明を、実際に歩きながら見聞きすると、京洛の歴史地誌がよくわかります。新たな楽しみが増えました。

 折々に、空いた時間に参加したいと思います。
posted by genjiito at 23:01| Comment(2) | ◆京洛逍遥

2013年07月28日

展示期間が延長された「いろは歌」を記した土器

 今出川通大宮東入にある京都市考古資料館は、いつでもブラリと入れる場所です。
 
 
 
130728_koukom
 
 
 

 そして、資料の写真撮影を認めている所なので、写真を仲間に見せたりして情報を共有しやすくなっています。これは非常にいいことで、開かれた資料館として高く評価すべきだと思います。海外の博物館などでも、撮影は自由なところが多くなっています。
 
 
 
130728_satuei
 
 
 

 こんなものが出てきたんだよ、と一人でも多くの方々に写真を見せて語れることは、文化財のありようからも意義深いことです。
 日本の文化財は、光に微妙に反応するものが多いので、フラッシュなどの影響を受けやすいものもあります。しかし、すべてを閉め出すことはないと思います。これは、展示側の問題意識によることになります。学芸員の資格を持っている立場から、いろいろと言いたいことはあります。しかし、それはまたいつか。

 まずは2階で、白河天皇陵で発掘された和琴をしばらく見入ってしまいました。ガラスケースの最下段に横長の姿で展示されています。
 これは、鳥羽殿の儀式で用いられたものと思われ、裏板がないことから壊れたために廃棄されたものだとされています。
 
 
 
130728_wagon
 
 
 

 檜の一枚板に6本の弦を張ることができ、尾部に柏葉形の切り込みの装飾があります。長さ151センチ、幅24センチ、高さ7センチの大きさです。『源氏物語』にも出て来る和琴のことを思いながら、贅沢な時間を独占することができました。どのような音色が響きわたり、どのような奏法で演奏されたのでしょうか。

 1階では、お目当ての「いろは歌」が書かれた土器を見ました。

 平安時代前期の西三条大臣・藤原良相(813〜867)の「西三条第」(百花亭)の跡地から見つかった「ひらがな」が書かれた土器のことは、【1-古典文学】「土器に書かれたひらがなをどう読むか」(2012/11/30)で詳細に記しました。

 今回の展示に関する京都新聞の記事を引きます。


いろは歌、最古の「全文」土器の墨書確認 中京・堀河院跡

 京都市埋蔵文化財研究所は27日、平安京にあった堀河院跡(京都市中京区堀川通御池北東)で1983年に発掘した土器の小皿を再調査した結果、平仮名でほぼ全文がそろっている「いろは歌」の墨書を確認した、と発表した。市埋文研によると、平安時代末期(12世紀末)から鎌倉時代初期(13世紀初め)の土器で、ほぼ全文が残るいろは歌では国内最古。当時の都における仮名の基準史料となる。
 市埋文研によると、小皿は土師(はじ)器と呼ばれる素焼きで、直径9センチ、高さ1・5センチ。いろは歌の47文字のうち、皿の欠けた部分が「く」「え」「て」「ゆ」の4文字分あるが、他はほぼ全文書いてある。皿の右端から順番に書かれている。徐々に余白がなくなり、最後の行「ゑひもせす」は右端の余白に戻って書いてある。
 誰の文字かは不明だが、太めの文字でバランスが悪く、市埋文研は、初心者が手習いのために書いた可能性があるとみている。
 小皿は、現在のANAクラウンプラザホテル京都敷地内で、平安京左京三条二坊九町にあたる堀河院跡の井戸から出土した。
 いろは歌は、10世紀末から11世紀中ごろに成立したとされる。いろは歌が書かれた墨書土器では、三重県明和町の斎宮跡から国内最古となる11世紀末〜12世紀初めの土器の一部が昨年に確認されている。今回の土器はほぼ全文が確認できる史料としては唯一となる。
 墨書土器は29日から7月28日まで市考古資料館(上京区)で公開する。(京都新聞、2013年06月27日)

 
 
 
130728_hiragana
 
 
 
 上の写真の右側は、赤外線スキャナーによる画像です。
 現在は、次のようなかたちで展示されています。
 
 
 
130728_irohadoki1
 
 
 

 この展示は今日7月28日まででした。しかし、この「いろは歌」が人気で、家族連れが多いことから、8月1日まで展示を延期することになったそうです。

 「いろは歌」は親しみがあるためでしょうか。6月29日の展示初日(土)の来館者は146人。翌日の日曜日が160人。通常の週末は100人ほどなので、いつもの1倍半と人気の展示となっているのです。

 土器に書かれ文字の右上にある「ゑ」などは、皿の口の歪んだ部部とはいえ、どう見ても下手です。ひらがなを書き慣れない人の手になるものと思われます。
 今でも、この「ゑ」を書くのが苦手な方や、学生たちの中には書けないという者まで、ひらがなの中でも「ゐ」と共に悩ましい仮名文字となっています。

 この皿が発掘された堀河院は、平安時代前期の藤原基経の邸宅があったところです。平安時代の中期の藤原兼通の頃には、円融天皇がここを最初の里内裏としています。後期には、堀河天皇が里内裏とし、ここで亡くなっています。
 その後には、中宮篤子、令子内親王、久我通具がここに住んでいました。

 この土器により、平安時代末期から鎌倉時代初期(12C末〜13C初)にかけて書かれた「いろは歌」の現存最古のかな文字の実態がわかりました。かなの字母にも興味深いものがあります。

 この「ひらがな」を見ると、日本語の文字について、あらためて見直すことになります。一人でも多くの方が、この9センチほどの1枚の皿をご覧になったらいいと思います。1000年もの長きにわたって伝えられ、今も日常的に使っているかな文字について、この土器から新鮮な気持ちを感じ取るのもいい機会になることでしょう。

 なお、入口右の特別展示コーナーでは、「平安貴族の住まいと暮らし」という展示もなされています。ここに、昨年公開された「西三条第」の跡地から見つかった「ひらがな」が書かれた土器が展示されています。また、斎宮邸の庭園や出土土器なども、興味を惹きます。
 この展示は、今年の12月1日まで開催されています。

 資料館への入館は無料です。月曜日は休館です。
posted by genjiito at 22:26| Comment(0) | 古典文学

2013年07月27日

顔認識の調査と情報管理の難しさ

 今日の京都は、思ったほど暑くはなくて助かりました。
 平安神宮のある岡崎に、京都府立図書館があります。蔵書数が多いので、よく行きます。
 今日は、一日中ここに籠もって調べ物をしていました。というよりも、俳優さんの顔を認識する作業に没頭していました。

 最近、昭和7年と8年の映画と演劇について興味を持って調べています。
 池田亀鑑に関連することで、昭和8年11月に源氏物語劇の上演が中止になった前後のことです。
 その時の打合せの場面かと思われる1枚の写真があります。そこに池田亀鑑が写っているのは確かだとして、その周りを取り囲むようにしている人々の顔の確認をしているのです。
 このことは、「江戸漫歩(66)国立国会図書館で資料を調べる」(2013/7/22)で少し書きました。

 その1枚の写真で、池田亀鑑の横に座っている女性は女優の伊藤智子(いとうとしこ、跡見女学校卒、本名は田村智子)ではないか、という情報をいただき、そのあたりから調べていきました。
 すでに、伊藤智子が出演した映画『禍福』(昭和12年、菊池寛の原作を成瀬巳喜男が監督した恋愛ドラマ)は見ました。伊藤智子は、入江たか子の母親役として出演しています。
 ただし、この映画からは、手元の写真と見比べても、顔が似ているように思われるだけで確証は掴めませんでした。

 今日は、京都府立図書館の視聴覚ライブラリで、伊藤智子が歌人役として出ている映画『妻よ薔薇のやうに』(昭和10年、中野実の『二人妻』を成瀬巳喜男が脚色・監督した愛のドラマ)を見ました。ここで、手元の写真の女性が、伊藤智子であることをほぼ確信しました。
 ただし、写真に写っている男性陣4人が皆目わかりません。俳優関係者でないとしたら、さらに範囲が拡がります。根気しかありません。
 まだまだ、傍証が必要です。これは、今後の課題です。

 帰りに、利用者登録をすることにしました。手続きは簡単でした。ただし、京都府立図書館のインターネットサービスで登録できるパスワード用の文字で、困ってしまいました。

 後でわかったことですが、「小文字の半角英数字6〜8文字」が使えることと、「l(エル)とO(オー)」は使えないことが、その原因でした。大文字も使えないのです。そのことに中々気付かず、相当難儀しました。

 例えばの話、「東京、横浜、小田原、静岡、豊橋、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、広島、福岡、熊本、鹿児島」には、すべて「O」が入っています。つまり、「l(エル)とO(オー)」は意外によく使うようです。

 大文字が使えないのは、パスワードの範囲を狭めているので、この制限はいずれは撤廃されることでしょう。
 利用者のことを思い、混乱を防ぐための配慮なのでしょう。しかし、この親切がかえって混乱を来していると思われます。

 なお、現在私は、193個のパスワードといわれるものを使い分けています。特殊な方法で、折々に確認できるようにしています。ことほどさように、今や多くの人々が、思い出すのも大変な数のパスワードに囲まれていると思われます。
 しかも、銀行などは長期間パスワードが変更されていないので、早く別のものに変更しろと、しつこく言って来ます。大変な時代となりました。
 さらに追い打ちをかけるように、時とともに記憶力が減退するのですから、なおさら困難を強いられます。

 それに加えて、カード社会となり、お店のポイントカードを含めて、膨大なカードを持ち歩いている方が多いようです。私も、常時数十枚のカードを持ち歩いています。もちろん、東京と京都で置き場所を変え、毎週それぞれの滞在先でカードを入れ替えています。これがまた面倒なのです。ポケットも膨らむばかりです。

 パスワードやカードと、たくさんの情報を持ち歩く現代社会は、いつか整理しないとパンクすることでしょう。人間は賢明な動物なので、いずれは解決策を見いだすことでしょう。しかし、今はまだ過渡期なので、しばらくはこのまま個人に負担が強いられていくようです。

 発行する方は気軽に個人に配布しているパスワードとカードも、その発行者側での管理が杜撰であることは、すでに情報の流出問題で常識となっています。最初は特定の用途以外には使わないとしながらも、その裏ではじゃじゃ漏れの個人情報なのです。管理している人がよくわからない管理方法なので、これには打つ手がないとされています。

 便利な情報化社会と言われています。しかし、私が生きている内に、これらの情報が適正に管理され整理されることはないようです。今は、記憶力に頼らないで情報を使い熟すことを心がけ、自分でパンクしたら再発行に頼るしかない、と割り切っています。

 それにしても、おもしろいカード社会に加えてネット社会に生きていることを実感しています。
posted by genjiito at 23:32| Comment(0) | ◆情報化社会

2013年07月26日

読書雑記(74)高田郁『残月 みをつくし料理帖』

 1年半ぶりに、高田郁の文庫書き下ろしによる「みをつくし料理帖」シリーズの第8作が出ました。
 『残月─みをつくし料理帖』(時代小説文庫、ハルキ文庫、2013年6月)で、料理人である澪は健在でした。快調に再スタートです。
 ただし私には、これは作者が物語に一区切りをつけるために時間がかかり、続く物語のメドがついたので、ここで刊行したのではないか、と勝手に邪推しています。
 
 
 
130728_zangetu
 
 
 
■「残月−かのひとの面影膳」
 人の死が多く語られています。時を遡り、思い出させる効果があるようです。
 そんな中で、次の文を読み、あれっと思いました。何かいつもと違うような語り口なのです。

枝分かれした道のひとつを自ら選んだ旅人は、選ばなかった道がどうだったか、思い描いたりはしない。自身が選んだ道の先を信じて、ひたすら歩み続けるしかないのだ。

 その後も、湿っぽい話題が続きます。亡き又次が呼び戻されます。
 とにかく、まずは静かにドラマの幕が上がりました。【3】
 
 
■「彼岸まで−慰め海苔巻」
 行方知れずになっている佐兵衛のことが語られます。これまでにも、小出しにして読者の興味をつないで来た話題です。今の様子が知れるにつれて、母子の情が描かれます。高田郁の世界です。
 やっと、佐兵衛は母に姿を見せます。劇的な場面です。ただし、この辺りから失速したかのように話がぼやけていきます。
 これまでのことがあるので、この中途半端なままがいいとも言えます。しかし、どうも話を作者が進めかねているように感じました。【3】
 
 
■「みくじは吉−麗し鼈甲珠」
 登場人物が少しずつ動き出します。主人公たちを背後で支えていた伊佐三の家族が、長屋を引っ越しします。
澪にまた、引き抜きの話がかかります。
 話の展開に無理が見えます。勝負事を描くのは、作者は得意ではないようです。情に走り、臨場感に欠ける傾向があります。説明が多くなり、文章がくどくなります。
 あさひ太夫との対面も、話を盛り上げなくてはという、作者のサービス精神を感じます。そんなに無理をしなくても、とも思いました。
 文章は、これまでより格段にうまくなっていると思います。ただし、構成がバラバラになっているようです。
 それでも、最後の締め方に、作者の意地が滲んでいます。【3】
 
 
■「寒中の麦−心ゆるす葛湯」
 手探り状態で進められてきた物語も、やっと落ち着きを見せます。じっくりと丁寧に、登場人物たちが描かれていきます。料理もその中にしっくりと収まっています。
 親子が気持ちを伝え、師弟が技量を伝え、それを周りが支える、というテーマがみごとに結実した章となっています。人と人のつながりが、温かく伝わって来ました。そして、みごとな最後の場面へと展開します。
 この巻で、ひとまず〈みをつくし料理帖〉の第1幕が下りた、という思いにさせられました。
 次は、新たな〈みをつくし料理帖〉で、澪の料理人としての心機一転の生きざまが語られることでしょう。
 「特別付録 みをつくし瓦版」と「特別収録 秋麗の客」で、もう満腹です。
 次巻からは、一新された物語展開が期待されます。【5】
 
 
※これまでに書いた〈みをつくし料理帖〉シリーズと高田郁作品に関する雑感を書き並べると、以下のようになります。本作は10本目ということになりました。
 
 
(1)「読書雑記(21)高田郁『八朔の雪 みをつくし料理帖』」(2010/11/25)
 
(2)「読書雑記(22)高田郁『花散らしの雨 みをつくし料理帖』」(2010/11/26)
 
(3)「読書雑記(23)高田郁『想い雲 みをつくし料理帖』」(2010/12/2)
 
(4)「読書雑記(24)高田郁『今朝の春 みをつくし料理帖』」(2010/12/4)
 
(5)「読書雑記(25)高田郁『銀二貫』」(2010/12/5)
 
(6)「読書雑記(26)高田郁『出世花』」(2010/12/6)
 
(7)「読書雑記(33)高田郁『小夜しぐれ みをつくし料理帖』」(2011/4/22)
 
(8)「読書雑記(42)高田郁『心星ひとつ みをつくし料理帖』」(2011/9/9)
 
(9)「読書雑記(48)高田郁『夏天の虹 みをつくし料理帖』」(2012/4/9)
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | 読書雑記

2013年07月25日

東京で『十帖源氏』を読む「紅葉賀」(その5)「花宴」(その1)

 一昨日、新宿であった『十帖源氏』を読む会には、私が早稲田大学の研究会に参加したために、その報告を書けませんでした。
 この東京での輪読会は、畠山大二郎君が取り纏め役です。畠山君から要点をまとめた報告を受け取ったので、当日問題となったことを以下に整理しておきます。

--------------------------------------
 阿部さん担当の「紅葉賀」が今回で終わりました。
 「紅葉賀」の巻末は大幅な削除があり、阿部さんはそれを( )内で補足なさっていました。
 しかし、補足しなくても読めるところはそのままでよいであろう、との意見が出て、( )内は削ることにしました。


 しかし若宮(「冷泉院」)には政治力のある後見人がいません(なぜなら母方の親戚は皇族ばかりで、政治には関らないからです。そこで「桐壺帝」は母親(「藤壺」)をしっかりとした地位につけようとお考えです)。そして、…

しかし若宮(「冷泉院」)には政治力のある後見人がいません。そして、…


といったようにカットしました。
 
 続いて小川さん担当の「花宴」に入りました。
 まず、人物紹介では、漢字表記について問題になりました。
 登場人物紹介に「東宮(春宮)」と記載されていました。
 「東宮」(新編全集では、こちらの表記)とするのか、「春宮」(『十帖源氏』ではこれで統一されています)とするのか。
 結局、新編全集の呼称表記にならうという凡例に従い、「東宮」としました。
 そして、人物紹介のところで「東宮(春宮)」と、『十帖源氏』の表記を示すことにしました。

「花宴」本文に入り、「南殿」(2行目)をどうするか、ということになりました。
 固有名詞ではあるのですが、趙さんから「字面では〈南のところにある建物〉と読めてしまう」とのご意見があり、「紫宸殿という建物」としました。
 その他は、「皇子」→「親王」、「上達部」→「上流貴族」、「詩」→「漢詩」といったところです。

 最後に、65丁・ウ 9行目の、


「光源氏」は人に見つからないように、「藤壺」の部屋のあたりをうかがいます。
「弘徽殿女御」の《細殿》までやって来ると、三つめの戸口が開いていました。


というところ。「弘徽殿」は女御ではなくて建物をさすことや、どうして弘徽殿まで行ったのかを補足したほうがよいだろう(『源氏物語』本文から削除されている箇所です)、との意見が出ました。
 そこで、


「光源氏」は人に見つからないように、「藤壺」が住む建物のあたりをうかがうものの、何も出来ません。
光源氏はあきらめて弘徽殿という建物の《細殿》と呼ばれる廊下までやって来ました。すると、三つめの戸口が開いていました。


としました。

 次回は、66丁オモテの直前からになります。
--------------------------------------

 次回は8月はお休みで、9月3日(火)に、いつもの新宿のレンタルスペースで行います。
posted by genjiito at 22:30| Comment(0) | ◆国際交流

2013年07月24日

いつもイタリアでお世話になる先生と渋谷で暑気払い

 イタリアに行くと必ずお世話になる、ヴェネツィア大学のトリーニ先生とフィレンッェ大学の鷺山先生が、日本に来ておられます。

 2008年にベネチアで、國學院大学の豊島先生の科研で国際研究集会を開催しました。

「ヴェネツィアから(5)国際学会」(2008/9/12)

 その時に参加した者が今夜渋谷に集まり、ご一緒に暑気払いをすることになったのです。

 私は、館長の科研で昨年9月にも、フィレンッェでお2人の先生にお世話になっています。

「心地よい熱気が残った国際研究集会」(2012/9/25)

 さらに、鷺山先生には、昨秋の国文学研究資料館で開催された国際日本文学研究集会でも、講演をしていただいています。

 いろいろと折々にお世話になりっぱなしの先生方です。

 今日は、JR立川駅から新宿経由で山手線の渋谷駅まで急ぎました。1時間以上かかります。
 東急がヒカリエの下に移動したために、渋谷駅は大工事中です。数年後には、見違えるほどの駅になることでしょう。これで、私の学生時代の思い出の場所が、また一つ消えていくのを目の当たりにすることになりました。

 今夜は、9人が揃いました。話は尽きません。

 トリーニ先生は、ベネツィアのご自宅で納豆を作っておられます。

 フィレンッェでは、イノシシを食べるのだそうです。
 しかし、ぼたん鍋といわれるような鍋物はないとか。

 毎月給料の額が違い、給料日もだいたい下旬なのだそうです。
 いろいろな調整がなされ、明細を見ても何が何だかわからないようです。

 つまり、何事も非常にアバウトなのです。なんでもありのようです。
 それでいて帳尻があっているから、何も問題はないのだそうです。
 そう言われると、日本はキチンとし過ぎかな、と思ってしまいます。
 お話を聞いていると、国民性と言うのか、お国柄と言うべきか、文化の違いに改めて感心してしまいました。

 異文化圏で暮らす者がお互いの生活を語ると、楽しくておもしろい話が飛び交います。
 すばらしい仲間に恵まれていることを実感しながら、私は焼酎をチビリチビリと口に運んでいました。
posted by genjiito at 23:34| Comment(0) | ◆国際交流

2013年07月23日

スペイン語新訳『源氏物語』の話を聴きに早稲田大学へ

 本年度の国際連携研究集会の打合せを終えるとすぐに、JR立川駅から地下鉄早稲田駅へと急ぎました。
 早稲田駅に着くと、予報で告知されていたとはいえ、突然の大雨に見舞われました。相変わらず天気は不順です。

 今日は、18時半から新宿で『十帖源氏』を読む会がありました。しかし、そちらは若手に任せることとして、私は18時から早稲田大学で開催される〈ワークショップ 『源氏物語』受容の現在〉に参加することにしました。
 
 
 
130723_spainposter
 
 
 

 会場には、70人もの大勢の方々が集まっておられました。予定していた資料が大幅に足りないとのことで、主催者である陣野英則研究室のみなさんは、大急ぎで追加の印刷をなさるほど、とにかく大盛況でした。

 陳野先生の司会で進行していきました。

 本日のメインスピーカーであるアリエルさんは、アルゼンチンの出身です。コロンビア大学から早稲田大学に交換研究員として来日。博士論文の準備中に緑川真知子先生からの助言もあって、『源氏物語』のスペイン語訳に取り組むことになったそうです。

 今回の発表は、スペイン語で進行しました。手元には配布された日本語のプリントがあり、それだけが頼りでした。スペイン語がわからない私などは、内容を理解するのになかなか大変な集まりでした。しかし、端々で交わされる日本語をつなぎ合わせながら、なんとか流れは掴むことができました。

 引き続き、スペイン語訳の朗読となり、お仲間で俳優のアナ・レカルデさんがすばらしい声で披露してくださいました。
 「桐壺」のスペイン語訳は、全文ではなくて3つの場面が朗読されました。
 私には、スペイン語はまったくわかりません。しかし、不思議なことに、今こんな場面なんだろうな、と当たりがつくのです。抑揚が関弘子さんの朗読のように聞こえました。おもしろいものだと、興味深く最後まで聞くことができました。ことばのリズムが、訴えたいことを伝えてくれたようです。朗読に情感が籠もっていたからなのでしょう。

 配付された資料によると、今回のスペイン語訳『源氏物語』では、以下の翻訳の方針で臨んだとのことです。


(1)原文を忠実にスペイン語に翻訳
(2)原文の一文を複数に切らない
(3)朗読にふさわしいスタイルや文体に調整
(4)スペイン語は主語がなくてもいいので、そのまま訳した
(5)スペイン語圏が日本語圏と直接つながるように心掛けた


 コメンテーターとしてご参加の、スペイン語文学がご専門の早稲田大学の清水憲男先生は、スペイン語圏の日本文学に関する豊富な情報を披露してくださいました。特に、1941年のスペイン語訳『源氏物語』の本を取り出して見せてくださったので、その本を探していた私は驚喜しました。
 世界中の31種類の言語で翻訳されている『源氏物語』は、そのほとんどを収集しています。ただし、清水先生が見せてくださった本は、私の手元にないものなので、しっかりと見ました。小さな本でした。
 後で、写真を撮らせていただきました。このブログに掲載しても問題はないとのことなので、お言葉に甘えて紹介させていただきます。
 
 
 
130724_gspainbook
 
 
 

 質疑応答も、短いながらも楽しく展開しました。ただし、スペイン語と日本語が混在しての進行なので、聞く方も大変です。

・過去の助動詞の有無に関しては、これから考えるというおおらかさが受けていました。
・わからない場合はしょうがない、との答えで大爆笑でした。
・翻訳と解釈の問題については、異文化間での言葉の置き換えにつきまとう問題です。

 今回は、「桐壺」巻のみの報告と紹介でした。とにかく、これからが楽しみです。

 ちょうど会が終わった頃に、来月ペルーで刊行されるスペイン語訳『源氏物語』に関係しておられる下野さんが、お忙しい中を仕事帰りにタクシーを飛ばして会場へ駆けつけてくださいました。可能であれば、ということでお誘いしていたのです。ありがたいことです。
 そして、そのまま懇親会へとご一緒しました。実は、下野さんとは初対面なのです。これまでは、メールで何度も情報交換をしていたので、実際にお目にかかれて幸いでした。

 ペルーでスペイン語訳『源氏物語』が刊行されるという情報を持っておられなかったアリエルさんも、下野さんと話ができて感慨深そうでした。ペルーで刊行されるのが待ち遠しいと。
 お互いが、スペイン語訳『源氏物語』を進行させていたことを知らないままに、今日の出会いがあるのですから、人と人との縁は摩訶不思議なものです。

 記念に、アリエルさんとブログに載せる写真を撮ることになりました。ところが、撮影の瞬間にサッと膝を折って私の身長に合わせる配慮をしてもらえたのです。私とは、20センチ以上も身長の差があります。それを、さりげなくこうした心遣いをみせる気持ちが伝わり、本当に嬉しく思いました。
 
 
 
130724_aliel
 
 
 

 懇親会といっても短い時間だったので、翻訳に関して、一つだけアリエルさんに確認したことを記録しておきます。
 『源氏物語』の「桐壺」巻の後半に、「はかなき花紅葉」ということばがあります。これをどうスペイン語に訳し、それを日本語に戻すとどうなるのかを聞きました。
 スペイン語訳では

cada frivail Flor u hoja de otoño

としたそうです。
 そして、それを日本語に訳し戻すと

ささいな花と秋の葉

となるそうです。
 紅葉がスペインにないので、こうするより仕方がないとのことでした。

 現在、『十帖源氏』の多国語翻訳のための現代日本語訳のわかりやすいものを作成中なので、どうしても聞きたいことだったのです。貴重な参考意見を教えていただけました。

 アルゼンチン共和国大使館のジョシエハセガワさんと柏倉さんとも、親しくお話しができました。下野さんが関係しておられるペルー大使館とアルゼンチン大使館の連携に、スペイン語訳『源氏物語』を介して私も少しお役にたてそうです。楽しいイベントをプランニングするお手伝いをしたいと思います。

 また、今年の10月に私は、「スペインにおける日本年」のイベントに招待されたので行きます。そんな話をしていたら、スペイン王立アカデミー客員もなさっている清水先生は、来年の「日本におけるスペイン年」のプロデュースをなさっているのだそうです。呼ばれて行く者と、迎えて盛り上げる方との話も、なかなか楽しいものでした。

 とにかく、アリエルさんと下野さんを引き合わせることができました。
 そもそもの始まりは、「今夏ペルーでスペイン語訳『源氏物語』刊行予定」(2013年6月24日)というブログでした。
 これをお読みになっていた元学習院女子大学長の永井和子先生から、早稲田大学で開催される陳野先生のワークショップに関してその違いを確認されたことから、私が陳野先生に連絡をとり、アリエルさんに確認をしてもらい、ペルーで出版される下野さんに再確認し、そして今日こうして顔合わせが実現したのです。

 本当に、人間のつながりのおもしろさを実感する1日となりました。
 みなさんに丁寧な対応をしていただき、篤くお礼を申し上げます。
 このつながりを大切にして、今後とも情報交換をする中で、さらに楽しいイベントへとつなげていきたいものです。

 最後に陳野先生へ。
 迅速な対応とお心遣いに感謝します。
 ますますのご活躍を。

 そして本日ご参会のみなさま。
 今後とも、よろしくお願いします。
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◆国際交流

2013年07月22日

江戸漫歩(66)国立国会図書館で資料を調べる

 確認したいと思っていた資料を、とにかく何でもある国立国会図書館へ行って調べました。
 国会図書館は、地下鉄の永田町駅から歩いて5分の至便の地にあります。

 前国会図書館長だった長尾真先生には、京都大学にいらっしゃった頃に、電子図書館研究会のメンバーに加えていただいていたので、刺激的な多くのことを教えていただきました。
 研究会の帰り道に、出町柳まで歩き京阪電車で途中までご一緒したこともあります。
 道々、『源氏物語』をデジタル化してデータベース化することについては、いろいろとアドバイスをいただいたことを覚えています。特に、人工知能を導入しての視点は、今でも鮮明にその斬新さが忘れられません。

 ご教示いただいたにもかかわらず、いまだに『源氏物語』のデータベース化は構築途上です。利用できる機器の性能が飛躍的に高まっているので、当時の目標はいとも簡単にクリアできます。しかし、その発想が貧困なせいか、幅広い利用に供するシステムの構築には至っていないのが現状です。
 勉強不足を恥じ入るばかりです。

 さて、昨日が参議院選挙だったこともあり、参議院議員会館の前では、落選した議員に対してマイクで大声で呼びかけている人がいました。議員会館を退居する前に一言いっておこう、ということのようです。

 その近くを通りかかり、今から5年前にこの議員会館に入った時のことを思い出しました。

「政局混迷の中を参議院へ行く」(2008/9/3)

 国会図書館は国会議事堂と並んで建っています。図書館は写真を撮っても単なる四角い庁舎なので、図書館から国会議事堂の方にレンズを向けました。
 
 
 
130722_kokkai
 
 
 

 新館で利用者登録証(登録利用者カード)を作りました。久しぶりのことで、更新手続きもしていなかったので、3年の利用期限が切れていたのです。

 本館のインフォメーションで、昭和初期の雑誌の閲覧について相談をしました。
 お目当ての雑誌は、あらかじめネット検索で所蔵がないことがわかっていたので、他の方法を教えていただきました。また、別の関連する資料も教えてくださったので、デジタル化された雑誌をパソコンで見ることができました。

 ただし、ずらりと並んでいるパソコンを操作し、その画面でページを捲って紙面を閲覧することは、相当の負担が目にかかります。とても長時間はできません。
 パソコンによるデジタル画像の閲覧は、現物を手にしてページを繰ることに較べると、肉体的な苦痛が伴う作業となります。今後とも、こうした流れが加速することでしょう。しかし、実際に本を手にするよりも効率が悪いことは明らかです。

 資料の保護と閲覧の簡便さからいうと、古い資料等をデジタル画像で閲覧することは、システマチックでいい方法だと思います。本を請求して、待って、一々受け渡しをすることがないので、スピーディなやりとりが可能です。
 しかし、歳と共に手や目や肩などなど、何かと身体的な不都合を伴うのです。この点は、今後は何らかの方法で解決すべきでしょう。

 雑誌の付録に関しては、デジタル化されていませんでした。そこで、奥にある人文総合情報室で具体的な事例として相談をしました。
 迅速な対応をしていただき、私が見たい雑誌の付録は、何と高知県の図書館にしかないことがわかりました。

 普通、図書館では雑誌本体は保存しても、付録まで保管することはほとんどないそうです。廃棄されてきたのだとか。最近のものはしりません。しかし、この付録が貴重な情報を盛り込んでいることがよくあるので、処分されてきたことは返す返すも惜しいことです。

 それでも、全国に1館だったとはいえ、その資料を持っている図書館が見つかったことは幸運といえます。これは、住んでいる地域の図書館から取り寄せていただけるそうです。早速、後日手続きをするつもりです。

 その他、いろいろと調べ物をしました。快適な空間が提供されていました。ただし、帰るころには、目の奥が重く沈むような感じと、身体のだるさがつきまといました。

 光の点を長時間ジッと見つめることは、慣れないことなので疲れが溜まります。
 人類がまだ遺伝子の中に組み込んでいない、文化的にも新しい行為だと思います。
 これについては、何かいい方法を見つけたいものです。
posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | ◆情報化社会

2013年07月21日

吉行淳之介濫読(11)「原色の街」

 昭和20年初頭の、ごくありふれた庶民的な日常から、色彩豊かな露地裏の原色の街へと移行します。娼婦の街です。ただし、風俗小説ではありません。
 男は女に、物質感を与えるだけの存在にしか過ぎない、という表現はシャープです。
 「愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ。」(124頁)というのは、吉行の作品ではしばしば見掛ける言葉です。感情を具体的なもので感じる吉行の理会法がうかがえます。
 「烈しく打つかるような音」(130頁)という言葉があります。この語はどのような用いられ方をするものなのか、後で調べてみましょう。
 本作のキーワードは「原形質」だと言えます。
 乾いた筆致で、男と女の心の中を丹念に綴っていきます。その透明感と無機質なところが吉行の特色です。
 さまざまな色彩が光として発せられています。それでいて、その光が拡散しているせいか、私の中では収束しないのです。読んでいて、話に集中できなかったのは、どうしてなのでしょうか。
 この作品は何度か読んでいます。それなのに、いまだに掴み切れないものとなっています。今回は、と思っていても、やはり話が四方八方に飛び散っていくのです。
 今回読み終えて思うことは、作者が文章を大幅に書き替えたことに起因するものではないのか、ということです。自分の理解力の不足は今は措くとして、作者との相性の問題ではなくて、改稿によって、物語の中の光が束にならずに拡がってしまっているのではないか、ということです。
 この作品は、あらためて読む必要がありそうです。【2】
 
 
〔メモ〕
 今回は、『われらの文学14 吉行淳之介』(昭和41年、講談社)で読みました。
 初出誌:『世代 14号』(昭和26年12月)
 昭和27年1月、第26回芥川賞候補作品となる。
 昭和30年の春〜夏に、昭和26年に発表した「原色の街」をもとに書き下ろす。
 昭和31年1月に新潮社より刊行。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 吉行淳之介濫読

2013年07月20日

読書雑記(73)松下幸之助『物の見方 考え方』

 松下幸之助が語りかける本は、予想外におもしろい読み物となっています。
 本書『新装完全復刻版 物の見方 考え方』(実業之日本社、2001.3.16)は、昭和38年(1963)に同社から新書判で刊行されたものの復刻版です。
 
 
 
130706_matusitabook
 
 
 

 もとは、雑誌『実業之日本』に連載として執筆された所感を、あらためてまとめたものです。事業経営の仕方や実務仕事の心得などが満載です。今の私には直結しない話題のように思っていました。ところがどうして、いろいろと思うところに染み込む内容がいくつもあったのです。

 中でも、「私の軍師・加藤大観」の項目にある話が気に入りました(85頁)。
 信頼とは何か、ということを教えられました。人間の縁の不思議さと運命という、自分ではどうしようもないものの存在とどう向き合うか、という問題です。その受け止め方が、一番大事なようです。

 その他の箇所で、特に私がチェックをした箇所を2つだけ摘出しておきます。


人間というものは、肉体的には三十歳が最高である。そのあとはだんだん衰えてくる。一方、知力はどうかというと、僕の考えでは、まず四十歳が最高であると思う。知力というものを統合的にいろいろな分野から考えてみると、体力は三十歳だが、知力は四十歳が一番盛んなときである。四十歳をすぎるとだんだん下ってくるが、それを過ぎてもまだ知力的な仕事をして相当な地位を保ちつづけていけるということは、過去の経験がその知力に加わってくるからである。(17頁)


 確かに思い当たります。
 六十を超した今、私は経験が加味された生活で帳尻を合わせているのか、と思うと楽しくなります。知力の衰えはもはや如何ともしがたいのであれば、過去の経験をもとにして他人様と接していく方途に存在意義を認めましょう。いろいろと貴重とも言える、語り尽くせぬほどの過去は引きずって来て今ここにいるのですから。

 次の言葉は、本書の最後に置かれた「自分の運を伸ばそう」という項目にある一部です。松下幸之助が東北大学に呼ばれ、学生たちを前にして語ったときのものです。
 運命と信念というものを考える上で、大いに参考になる意見だと思います。
 そして、若者たちを勇気づける言葉ともなっています。


 自分は勉強してきたから、こうなったとか、えらい努力をしたから、こうなったのだとか思うと、どこかに無理が生れ、重くるしい感じがする。そこからどうしても誇り以上のものを考えがちになる。野心も生れてくる。そこに失敗の芽生えがあると思う。
 自分のようなものが、こうなったのは、運命のしからしむるところであるが、ただ、自分は死ぬべきときにも死ななかったという強い運を持っているのだから、これをしっかり握って信念にせねばならない、という考え方で私は半生を歩いてきたといえると思う。これはちょっと妙な話になったので、よくおわかりにならないかもしれないが、皆さんはこの私に比べるとみな恵まれた運の持主であると、私はいいたい。私は小学校すらも出ていないような悲運な人間であった。しかし死にかけて死ななんだというところから、自分の心に大きなものが生れた。その強い運命を基礎にして、そこに信念を生み出した。皆さんは私以上に若いときから立派な運を持っている。それで今日最高学府に学んでいる。やがては卒業して立派な社会人として世にたつ偉大な運命の持主であるということを、私はこの際はっきりと自覚してもらいたいと思う。自分はここまで立派にやってきたのだから、これからはさらに自分の運が開けるぞと考えてもらいたい。(237頁)
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | 読書雑記

2013年07月19日

授業(2013-14最終回)グロッサリーを構築する

 日本文学の研究成果を外国語で発表したりする時に、専門用語をどう言えばいいのか、頭を悩ませます。
 そんな時、グロッサリー(用語集や用語解説)があれば便利です。しかし、日本文学研究に関するもので手軽に利用できるものが、まだないのです。

 私もそのことが気になっており、数年前から少しずつ集めています。しかし、個人でできることは知れています。大きなチームを組んで取り組むべきです。何度か、科研費などに補助金の申請をしました。けれども、それは研究とは異なるものになるとの判断がくだされるのか、いまだに採択にいたっていません。
 辞典の編纂に類するものなので、大きな国際的なプロジェクトの中で構築した方が現実的な対処かもしれません。

 これについては、今後ともさらに検討していくつもりです。

 そうした中で、現在手元に集まっている情報の一部を確認しました。
 「日本文学関連語彙の英語表記と説明文」として取り組んでいるものです。
 まだまだ精度の低いものです。もう少しまとまったら報告します。

 また、『越境する言の葉 ─世界と出会う日本文学』(日本比較文学会編、彩流社、2011年6月)の巻末付録となっている「日本文学翻訳年表(1904〜2000年)」を確認しながら、どのような作品がいつ頃翻訳されていたかを追っていきました。

 今年の受講生は1990年、平成2年生まれだそうです。その頃は、古典文学の翻訳は少なくて、近代・現代文学が盛んに翻訳されていた時代です。こうした資料が時代を反映するものともなり、興味深い傾向がうかがえました。
 やはり、古典文学が海外向けに翻訳されている時代は、日本でも古典文学の研究が盛んな時代だと言えそうです。

 現代は、文学研究の中でも、古典文学が衰退している時代だといわれています。そうであれば、海外の方々と一緒に研究を進めていけばいいのかもしれません。そのためにも、古典文学作品の翻訳が積極的になされるように、意識的に問題を取り上げ、コラボレーションを通して実現していけばいいのではないか、と思われます。

 結論などは、早々に見つかるものとも思われません。
 不断の努力の中で、海外の方々の興味のありようを見ていく必要があります。それを意識しながら、若い方々が興味深く取り組んでもらえるような研究環境を整備しておくことが、今できる一番の対処方法だといえるでしょう。
posted by genjiito at 23:04| Comment(0) | ◆国際交流

2013年07月18日

15年目となった職場のウサギの会

 立川の職場では、ウサギ年生まれの仲間で親睦会を持っています。「ウサギの会」と言います。この会がスタートして、もう15年になります。

 私が着任した1999年に、一緒に飲みに行った仲間が、何と3人ともウサギ年だったことから意気投合し、集まりを持つようになりました。しかも、メンバーを募ると、同じ職場に10人以上もいたのです。意外に多かったのです。

 教員と事務方が一緒に酒を酌み交わす機会がなかったので、話が盛り上がるのです。また、同じ干支の一回りである12年の年の差は、不思議と話題が噛み合うのです。

 今日も、立川駅前の無国籍居酒屋で、3時間も話し込みました。職場を共にしているだけなのに、いろいろな話がつながるので、ますますおもしろくなります。
 そして、意外と同郷だったり、同じ学校の先輩後輩だったりします。

 職場で仕事として接している限りは、何も接点がなさそうです。しかし、干支が同じだというだけで、垣根が一気に取り払われます。まさに、事務的な関わりだった事情が一変するのです。

 不思議な縁で職場を共にしただけの、偶然の見知らぬ仲間です。しかし、話をするといろいろな関わりが見つかるものです。会って、話してみないと、気心はわからないものです。

 この、つながりとでもいう接点が見つかると、あとは自然に話が広がります。

 今日も、参加者8人で、予定をオーバーして話し込んでしまいました。
 次は年末に、と言って別れました。
 明日からの職場での人間関係が、また楽しくなってきました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 身辺雑記

2013年07月17日

読書雑記(72)松下幸之助『思うまま』

 松下幸之助の三部作といわれる内の、第3冊目の『思うまま』(PHP研究所、昭和46年)です。
 
 
 
130707_matsusita3
 
 
 

 日頃からの実践活動を通して思うことを、松下幸之助は片側1頁の分量で手短に語っています。
 短文の寄せ集めなので、具体的な話には展開しません。言いっ放しです。そのせいもあってか、話が短すぎて抽象的となり、わかりにくくなっている話が目に付き、気になりました。
 しかし、松下幸之助という不世出の人間のエッセンスは、幅広く採録されています。その意味では、松下幸之助という男の大凡を知ってから読んだ方がいいかもしれません。

 本書には、意外とあたりまえのような話が多いのです。しかし、そのあたりまえのことをあえて言葉にしているところに、その意味するものが世代を超えたところにあることがわかります。

 以下に、わかりやすい話をいくつか抜き出しておきます。
 

(1)
「とらわれない」

 世の中にはやっぱり理外の理というようなものがあるようだ。素直な心になれば、それがしだいにわかってくる。偏見がないからである。
 しかし、一つの流儀や学問にとらわれてしまうと、その範躊からしか物事が見られず、ものの実相がつかめない場合が多い。だから、いくら知識をもっていても、それにとらわれてしまっては、その知識を真に生かすことができにくいであろう。
 知識をもっていて、それにとらわれなければ、それは真に大きな力になると思うのである。(65頁)

 

(2)
「適正な大きさを」

 人間というものは、どちらかというと小よりも大を好むもので、往々にして内容のわりにかたちを大きくしやすい。また大きくすることがよいことだと思いやすい。しかし、それは非常に危険だと思う。
 たとえば商売でも、横丁で経営しているうちはある程度繁盛していたが、表通りに店を構えたとたんにつぶれたというようなことがよくある。やはり自分の実力に応じて適正な大きさを保ちつつ、さらに実力を高めてゆくということが大事であろう。(162頁)

 

(3)
「諸行無常」

 諸行無常という教えがある。今日、一般には"世ははかないものだ"という意に解釈されているようだ。しかし、これを"諸行"とは"万物"、"無常"とは"流転"、つまり万物は常に変わってゆくものであり、そのことはすなわち進歩発展なのだという意味には考えられないだろうか。
 人間の考え方も変われば社会も変わる。政治も国も変わってゆく。これみな進歩。
 つまり、諸行無常とは万物流転、生成発展、言いかえると日に新たであれという教えだと解釈したいと思う。(211頁)

 

(4)
「創造力と知恵と」

 青年には物事を興し、創造してゆく力がある。しかし、そのよし悪しを判別するためには、老人の体験を尊重することが大切であろう。
 青年の逞しい創造力と老人の体験による知恵とが適切に融合されたとき、そこに大きな成果が生まれてくるのではないだろうか。(220頁)


 本書には、前の2書に較べて「妙味」ということばが8例と多用されています。
 今このことばを私は、「えも言われぬおもしろさ」というくらいの意味で理解しています。または、松下が言う「尽きざる興味もわき、喜びも生まれてくる(137頁)」ということを表現するためのことばともなっているようです。

 以下に抜き出しておきます。
 

(1)
 人間のすることに完壁ということはない。それは神ならぬ身の人間にとっては、しょせん無理なことであろう。だから、何事をする場合にも、人一倍熱心にやるというか、全力をあげて行うことは大事だとしても、それによって九〇パーセントほどのことがうまくできれば、まずそれで結構なのだと思う。あと一〇パーセントくらい足りないというところにこそ、人間としての言うに言われぬ妙味があるのではないだろうか。(38頁)
 
(2)
 必要に迫られて事を運ぶというのも、それはそれで妙味のあるやり方であろう。(70頁)
 
(3)
 過ぎ去ってみてはじめてわかるのであって、前もって予知することはできない。そこにまた人生の妙味というものもある。(102頁)
 
(4)
 見方はいろいろあろうけれども、秀吉が天下を取ろうと意識せず、ただひたすらに日々はげんでいたからこそ天下が取れたのであって、最初から意識していたら、天下は取れなかったのではないかとも思う。そんなところに人生の妙味の一つがあるような気もするのだが、どうであろうか。(111頁)
 
(5)
 保険を売るセールスマンの中で、いちばんたくさん契約をとる人と最低の人との間には二十倍からの差があるという。保険というものはいわば各社とも同じ製品である。同じものを売っていてこれだけの差ができるのである。ここに仕事というものの妙味があると思う。(132頁)
 
(6)
 みずからの創意工夫を加え、独自の新しいものを生み出していゆく、そういうところにもまた、経営の妙味、おもしろさというものがあるといえるのではなかろうか。(153頁)
 
(7)
 要はやり方如何である。そこに商売の言い知れぬ妙味というものがあるのではなかろうか。(157頁)
 
(8)
 適度とか適正というと、何となくあいまいなようであるが、また一面まことに妙味あることばだと思う。(227頁)
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 読書雑記

2013年07月16日

相変わらず杜撰で性善説に凭りかかった期日前投票

 以前、「【復元】こんな不在者投票でいいのでしょうか?」(2010/6/23)という一文を書きました。不在者投票では、「なりすまし投票」が可能だ、ということです。

 そして、昨年末にも、期日前投票をしました。その時も、事情はまったく変わっていませんでした。
 「初雪の朝に期日前投票をして上京」(2012/12/11)
 どうやら現在の選挙制度は、政治家にとっては変えてもらっては困る裏事情がありそうです。そうでなければ、こんなにいいかげんな投票システムをいつまでも続けるはずがありません。
 恐らく、国会議員の定数を減らさないのと同じ背景のもとに、政治家の都合によって選挙制度も変えない合意か何かがあるのでしょう。当落の全体に影響が少ないとの判断で、放置されているのでしょうか。
 不純な投票による誤差は無視しても構わない、という統計学上の理論があるのかもしれません。完璧を期すことは不可能なのですから。
 その前に、投票率をあげるという至上命令のため、本人であれ他人であれ、1人でも多くの人が投票することが最優先されている、というのが、実務を担当する各選挙管理委員会の本音なのかも知れません。

 さて、今回の参議院選挙も、今週末の投票日には行けないので、期日前に不在者投票をしました。
 届いていたはがきの裏にある「期日前投票宣誓書」に記入し、それを持って区役所へ行きました。
 
 
 
130716_senkyo
 
 
 

 右側中程に、印鑑は不要だとあります。
 左側の3行目に「本人確認(誕生月日をお聞きします)」とあります。

 さて、実際に行った区役所の受付では、この本人確認があるとされている誕生月日の確認はありません。もちろん、私が投票ハガキを持参した本人であることの証明も求められません。
 係の方と一言も言葉を交わすことはなく、無言のままに、目を合わせることもなく、2枚の紙に日本語(固有名詞)を書いて箱に入れて帰って来ました。投票所に入って3分もすれば、もう外に出ていました。

 係の方は、私が差し出した1枚のハガキの「番号」と「宣誓書」を見るだけで、投票用紙をくださいました。
 私が誰であるかは、今回もまったく確認されることもなく、投票行動は終了しました。
 ハガキさえ差し出せばいいので、「なりすまし」や「代理投票」を見破る関門はありません。
 もし、私が女装して行っていたら、何か訊かれたのでしょうか。そんなことがあれば、それは性差別ということになるのかもしれません。

 とにかく、相変わらず「なりすまし」や「代理投票」には目を瞑る性善説にたった、理想的な選挙でした。
 日本は平和だな、と実感しました。
 しかし、今回も、何か変だな、と思わざるをえませんでした。
posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | 身辺雑記

2013年07月15日

京洛逍遥(281)祇園祭の放下鉾-2013-

 昨日は、一昨日に続いて突然の豪雨が間歇的に襲って来たたために、祇園祭の宵宵宵山には行けませんでした。今日も何やら不穏な天気です。

 朝の散歩では、連日の雨で水嵩が増した賀茂川の水音と川の匂いが、この異常な夏の到来を感じさせてくれました。そんな賀茂川の鷺たちと北山の様子です。
 
 
 
130715_sagi
 
 
 

130715_kitayama
 
 
 

 午後、曇り空の隙を突つくようにして自転車を飛ばし、宵宵山で賑わう御池通りへと向かいました。
 私は、御池通りから下って、室町通りと新町通りの一画が好きです。特に、北観音山と南観音山は、祇園祭に行くと必ず立ち寄ります。
 このあたりでは、多くのお店で、普段は秘蔵の屏風絵や絵画を見せてくださるのです。

 また、私のお目当ては「くろちく」の和装小物を物色することにもあります。
 ただし、今年は何も欲しくなるものがありませんでした。これまでに、ブックカバーやペンケースなど、網代を配した文具をはじめとして、ほとんどを入手したこともあります。ポーチやバッグがありました。しかし、これらは高価です。男物が激減していることもあります。もともとが、女性をターゲットにしたお店です。仕方のないことだと諦めています。

 さて、来年は違うおもしろい店を探すことにしましょう。

 昨年は忙しさがピークだったこともあり、祇園祭に行けませんでした。
 永井和子先生との対談が、7月19日でした。その時の内容は、近刊の『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』(新典社)の巻頭をお楽しみに。
 また、その翌週から1ヶ月間ほど、京都大学病院へ検査入院したので、昨年は本当に慌ただしい夏でした。

 ということで、昨年は妻が浄妙山の厄除粽をいただいて来たものを、玄関の軒下に1年間飾っていました。
 
 
 
130715_jyoumyousan
 
 
 

 今年の飾り粽は放下鉾のものにしました。
 
 
 
130715_houkahoko
 
 
 

130715_timaki
 
 
 

 この鉾の説明は、「京都新聞のサイトの放下鉾」に譲ります。

 「放下」を「ほうか」と読んでいます。ただし、禅の世界では「ほうげ」と読みます。
 このことについては、【6-心身雑記】「大徳寺瑞峰院老師の書「放下着」」(2012/3/8)で書いたとおりです。
 この鉾を「ほうか」と読む理由は、まだ調べていません。

 この放下鉾については、春先に産経新聞が次のように報じていました。


放下鉾の祇園囃子「黄信号」 昨年の巡行トラブルめぐり
2013.4.27 16:57
 祇園祭の放下鉾(ほうかぼこ)保存会(川北昭理事長)は26日、放下鉾祇園囃子(ばやし)保存会(松廣正博理事長)に対し、今年の祇園祭から囃子の演奏を委託しないと通知したと発表した。囃子保存会側は反発しているが、放下鉾で囃子方(かた)が不在となる可能性が生じている。

 鉾保存会によると、発端は昨年7月の山鉾巡行で起きたトラブル。松廣理事長ら一部の囃子方が巡行中に飲酒し「鉾を止めろ」などと大声で怒鳴った上、道中で鉾を降りるなどし、京都市観光協会に苦情が寄せられたという。

 鉾保存会は裁判外での紛争解決を図り昨年10月、京都弁護士会に和解のあっせんを申し立て。今年1月、松廣理事長らが運営に関与しないことなどで、囃子保存会と和解した。

 ところが、松廣理事長側が囃子保存会を無断でNPO法人化したことから、鉾保存会が「和解条項に反する」として、今回の通知に踏み切ったという。

 鉾保存会の川北理事長は記者会見し「囃子方は今後、新しく再組織する。囃子保存会は放下鉾と一切関係がない」と強調。

 一方、囃子保存会の松廣理事長は取材に対し「飲酒は黙認されていた。鉦(かね)の音で声が聞こえず、大声になった」とした上で「青少年に囃子を伝承するためNPOにした。通知は寝耳に水だ」と話している。


 そして、その後は次の京都新聞のような状況になったようです。


放下鉾巡行参加へ 人数を確保 囃子方と対立保存会が新組織
京都新聞 2013年06月22日

 祇園祭の放下鉾保存会(京都市中京区新町通四条上ル)が21日までに、下部組織として新しい囃子(はやし)方組織を設立した。鉾保存会は、一部の囃子方と対立したため、今年の山鉾巡行への参加が危ぶまれていたが、囃子方の人数を確保し、例年通り参加できる見通しとなった。

 鉾保存会によると、太鼓、笛、鉦(かね)を演奏する計20〜25人の囃子方を確保した。昨年の半数程度といい、「鉾保存会の囃子方組織の入会者だけが巡行で鉾に乗って囃子を演奏する」とする。

 ただ、例年、小結棚町にある放下鉾の会所で実施してきた「二階囃子」を今年は中止し、宵山に稚児人形や懸装品を展示する「会所飾り」は非公開、一般拝観者の鉾への搭乗も取りやめることを決めた。町内で二階囃子を実施しないのは、戦時中に中止して以来という。囃子は、7月13〜16日の曳(ひき)初めや宵山では鉾の上で演奏する。

 放下鉾では、昨年の巡行中に保存会役員と一部の囃子方が激しく言い争い、巡行帰路の新町通で囃子方が鉾に乗らず「空」で進んだことから対立。今年になって和解したが、当時の囃子保存会長らが囃子保存会を法人化したことに不信感を抱いた鉾保存会は、4月に囃子保存会に対し「囃子演奏を委託することはない」と通知した。鉾保存会内に新しい囃子方組織を作り、趣旨に賛同する囃子方を募っていた。

 一方、従来の囃子保存会は22日午後7時、中京区のハートピア京都で、12人による公開練習を実施する。「祇園囃子は鉾ごとに曲調や曲目が異なる。放下鉾の伝統のお囃子ができるのは私たちだけだと思っている」としている。

●京都・祇園祭2012年 山鉾巡行 放下鉾(ほうかぼこ)の辻まわし 囃子方がいない。
http://www.youtube.com/watch?v=wpi5J95k15I


 そして、こうした騒動についての情報を簡潔にまとめた記事として、「【祇園祭】2012年に起こった放下鉾の騒動について」(2013年07月13日)がアップされています。
 これも1つの視点でまとめたものとして見ると、いろいろなことが推測できます。

 放下鉾にはこんな背景があるので、さて今年はどうなるのでしょうか。
 明日は東京へ発つために、残念ながら今年の成り行きを見ることができません。
 この顛末は、明日以降のニュースで確認したいと思います。
posted by genjiito at 23:09| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年07月14日

京都で『十帖源氏』を読む(第4回)

 京町家のワックジャパンで『源氏物語』の写本を読んだ後、少しお茶をいただく休憩時間を挟んでから、今度は『十帖源氏』を読みました。読むというよりも、海外の方に翻訳をしてもらうための現代語訳の作成・確認です。

 『十帖源氏』の版本には、次のように印刷されていた箇所の漢字をどう翻字するか、ということです。
 
 
 
130714_fune
 
 
 

 右側の文字を「船に」と翻字するか、「舩に」とするかで、担当者は「舩」としました。舟偏に「ハロ」か、舟偏に「ハム」か、という問題です。確かに、別の箇所では、左側にあるように「松」という字は、木偏に「公」です。
 いろいろと調べていると、「舩」は「船」の異体字だとあるので、ここでは通行の「船」にすることとなりました。

 「さるの時ばかりに」とある箇所では、担当者は「申の刻ぐらいの時間に」としました。時間の表現をどうするかということです。ここは、現在の時間を補って「申の時刻(午後4時前後)に」と訳すことになりました。

 「かや屋ども、芦ふけるらうなど」についても、問題となりました。
 担当者の訳は「萱ぶきの家や芦ぶきの廊など」でした。しかし、「芦」はいいとしても「萱」はわからない国が多いとのことなので、「萱ぶき」を「藁ぶき」にすることにしました。3匹の子豚の家は「藁ぶき」だということから、わかりやすいということでそうなりました。

 「水ふかうやりなし」も、時間をかけました。
 担当者は「遣り水を深く流し」と訳していました。しかし、「遣り水」と「深く」をどうするかで話し合いました。
 「遣り水」に関しては、「小川」で早々に決着しました。
 「深く」が、今と語感がどうも違うのです。流れる水の深さではなく、奥深くなのでしょう。それでも、どうも雰囲気がでないので、結局は「小川を庭の端から端まで流し」としました。

 こんな調子で、現代語訳をさらにわかりやすいものに仕上げていきました。この作業は、ことばに対する豊かな想像力が試されます。また、異文化に対する深い理解が求められます。
 いつも、いろいろな国からの留学生の方々が参加してもらえたら、と思っています。
 多国の方々をご紹介いただけると幸いです。
posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | ◆国際交流

2013年07月13日

『源氏物語』の写本を読む会(初回)

 この世に存在するすべての『源氏物語』の写本を翻字し、それを整理しデータベース化して提供するための準備を始めました。

 その第1弾が、ハーバード大学所蔵の古写本『源氏物語』を読む会です。京都から始動です。
 これに関する案内は、本ブログの「世界中の源氏写本すべてを翻字するプロジェクト始動」(2013年7月 8日)に書いた通りです。

 今日の京都は、お昼過ぎに突然の豪雨となりました。そんな中を、京都御所の南にある町家ワックジャパンに集まりました。今日初めて会う方の参加があったこともあり、今後の方針などの確認から始まりました。

 まず、配布した資料の確認です。


(1)『ハーバード大学蔵 源氏物語 蜻蛉』(伊藤鉄也編、新典社、近刊予定)
 これは、現在刊行のための最終段階にある、組み版の校正打ち出しの冒頭部分です。
 上段に影印画像を、下段にその翻字本文が組まれています。
 この、鎌倉時代中期に書写されたと思われる、現存最古の1つとも言える『源氏物語』を読み進んでいくことで、写本を読む技術と異文のありようと、さらには作品の解釈を参加者と一緒にしようと思います。

(2)『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.28 蜻蛉』(伊藤鉄也編、至文堂、平成15年)
 『源氏物語』を専門とする人たちだけで読み進める輪読会ではないので、各自の解釈を助けるために『鑑賞と基礎知識』シリーズの1冊を参考資料として適宜見ることにします。写本に記されたことばの諸相を丹念に拾いながら、異文にも注意を払って読むことになります。

(3)『源氏物語別本集成』のスタイルで作成した校異資料
 これは、「蜻蛉」巻に関して翻字を終えた、諸写本13本の本文の位相がわかる資料です。
 「蜻蛉」巻の冒頭部分の13種類の本文は、次のような本文異同が見られます。


かしこにはひと/\[ハ]・・・・01-052-00001
 かしこには[陽高]
 かしこには人々[国保大尾平池阿麦御個]
をはせぬを[ハ=保池]・・・・01-052-00002
 おはせぬを[陽国大尾平阿麦御]
 おはせぬを人々[高]
 おはせぬをあやしかりて[個]
もとめさはけとかひなし[ハ=国高保大平御]・・・・01-052-00003-
 もとめさわけと[陽]
 もとめさわけとかひなし[尾]
 もとめさは△とかひなし[池]
 もとめさはけともかひなし[阿麦]
 もとむれとかひなし[個]

 今回は、「ひと/\」、「あやしかりて」、「もとめさはけと」が問題となりました。


 写本の読み方に問題がないことを確認した後、諸本の異同を見ていきました。
 まず、「ひと/\(人々)」ということばに関して、[高]が「おはせぬを」の後にあることです。ここから、「ひと/\(人々)」という語句は「をはせぬを」の右横に傍記として書かれていたものが、書写伝流する過程で本行に混入したもの、という可能性が考えられます。
 傍記が当該語句の前に混入するか、後に混入するかという2パターンによって、こうした語句が倒置したかのような本文異同が確認できるのです。
 また、[個]の「あやしがりて」という語句は、諸本には見られないものです。独自異文なのです。これは、その後に「もとむれど」とあり、諸本が「もとめさはげど」とあることとも関係します。ここでは、「さわげ」という語句がないのです。
 文章としての意味は、大きくは違いません。しかし、文章の趣は大きく異なります。こうした現象は、単なる書写者の誤写や改変ということで片付くものではありません。その意味を、もっと追究する必要があります。
 ただし、今はハーバード本を読もうということがメインなので、この問題は後でまとめて考えることにしたいと思います。

 今日は、冒頭部分だけを少し読みました。
 そして、『源氏物語』の本文について考えていく上での、基本的な問題を確認しました。
 スロースタートと言えるでしょう。しかし、他の写本に記し伝えられている本文にも目を配りながら、さまざまな写本が見せる多彩な物語の内容を炙り出していくことができました。平安時代から鎌倉時代にかけて読まれていた『源氏物語』の姿を、こうして確認していきたいと思います。

 次回は、8月10日(土)午後1時から、今日と同じワックジャパンで開催します。
 興味のおありの方の参加をお待ちしています。
posted by genjiito at 22:50| Comment(0) | ◆源氏物語

2013年07月12日

授業(2013-13)自分の研究課題をプレゼンする

 現在取り組んでいる研究テーマに関して、受講生各自にプレゼンテーションをしてもらいました。
 専門家を相手にするのではなく、いわば専門外の方に向けての、しかもわかりやすいものを要望してありました。海外の研究者にも語る気持ちを持って、臨んでもらいました。持ち時間は20分です。

 まだ、対外的な研究発表は体験していないとのことでした。しかし、よくまとまっていて、私にはわかりやすいものでした。ただし、多彩な聞き手を想定した場合には、いろいろとまだ工夫の余地はあります。

 私からのアドバイスの一部を列記しておきます。

(1)大写しにされたスクリーンの下に記されたキャプションが、文字が小さいのと、さらには語句が多いために、読むのが大変でした。耳では説明が聞こえているので、画面にはキーワードだけでも大丈夫です。
 我々は、光の点が構成する文字を読むことには、まだ慣れていません。光の反射による文字認識を続けてきたので、光による文字を読むのは疲れます。そのためにも、なるべく聴衆がスクリーンの文字を読まなくてもいいような工夫が必要です。

(2)自分の発表のポイントは、何度も繰り返した方がいいと思います。内容の確認ともなって有効です。わかった気にさせることも必要です。

(3)作品本文を引用する場合に、画面にはどのような形で表示するかは大事なことです。読んでもらおうとすると、かえって聞いてもらえなくなります。さっと見てわかるように、本文の提示の仕方を考えることです。図解や図示は効果的です。ただし、あまり引用本文にゴテゴテと傍線や波線に色を取っ替え引っ替えして施すのはマイナスです。

(4)参考となる文学作品を例示する場合、その作品の刊行書籍の表紙を提示すると、イメージに訴えることができていいと思います。その際、グラフィカルな表紙や、海外の翻訳本の表紙などで気分転換を図るのもいいでしょう。今回、アーサー・ウェイリーの英訳本の表紙を大写しにしたのは、印象に残りました。目を画面に引き付けておいて、言いたいことを語って聞いてもらう手法です。

(5)研究史を押さえるときに、研究者の顔写真を使ったり、過去だけでなく、現在活躍中の研究者の紹介は効果的な面があります。その際、研究史などは早い段階で提示した方が、諸説に振り回されずに安心して聞いていられます。

(6)自分の研究の新しさを、多少オーバーでもいいので強調することです。

(7)歴史的な人物の名前が出る場合は、どうしても系図がほしいところです。また、研究テーマに沿った歴史的な時間の流れが見えると、聞いていて今の位置がわかって安心できます。

(8)作品内容の要約は、よく練ってよくわかる簡潔なものを用意しておくべきです。

(9)発表全体の見通しは、発表内容の小見出しを最初と最後に提示すると、聞いている方も頭の整理ができて助かります。

 研究内容については、指導教授から適切なアドバイスがなされているようです。そのこともあり、私からはプレゼンテーションの工夫と効果を中心としたアドバイスに留めました。
 ますますすばらしい研究成果を産み出し、そしてわかりやすい研究発表につなげてもらいたいとの思いを強く持ちました。
 場数が、いろいろなことを教えてくれます。発表の機会は、1回でも多く持つべきでしょう。積極的な問題意識の提示が、さらなる教えを受けることにつながり、そして研究が進捗していくのです。
 秋以降の活躍を楽しみにしています。
posted by genjiito at 23:13| Comment(0) | ◆国際交流

2013年07月11日

読書雑記(71)松下幸之助『続・道をひらく』

 松下幸之助の3部作のうち、第2作目の『続・道をひらく』(PHP研究所、昭和52年)も、読みやすい本でした。
 
 
 
130707_matsusita2
 
 
 

 第1作目の『道をひらく』(PHP研究所、昭和43年)とは一転し、自然の美しさや日本の良さを、思うままに縦横に語っています。日々この日本に生きる感懐、というべきでしょうか。

 四季の中で、一人もの想う人間として、語り手である松下幸之助がいます。純真な人間です。素直な目で自然を見、社会を見つめています。
 静けさの中に、明日へのエネルギーを蓄えている人間として、一人佇んで語って来ます。

 「春雷」という話には、詩人幸之助がいます。
 

「春雷」

 空が暗くなる。風が吹く。枯葉が舞い、土ぼこりが上がる。何となく不安な心で見上げる空に閃光一せん。思わず歩みをとめ、眼を閉じ、耳をふさぐ。
 安心するがいい。春雷なのである。新たな春を告げる大自然のとどろきなのである。この冬の耐えぬいた寒さは、もう一息。もう一息で水ぬるむ暖かさを迎える。その前ぶれなのである。そしてこれが自然の理であると気づいたとき、人びとはおどろきのなかにも、いそいそ
とした思いに立つ。
 ながい人生。いろんな不安がある。いろんなおどろきがある。閃光一せん、眼のくらむ思いにおろおろするときもある。不安とおどろきに足がすくむときもある。
 しかし、安心するがいい。おろおろしなくてもいい。あなたにとらわれの心がないかぎり、あなたが素直な心でいるかぎり、そして自然の理を見失わないかぎり、そのおどろきも不安も、あなたが耐えに耐えぬいた末の新たな春を告げる前ぶれなのである。いそいそとした思いであってよいのである。
 日本の国にも、いま春雷が遠く近くとどろいているのであろうか。(50頁)


 四季の中で、作者は五感を研ぎ澄ませます。目・耳・鼻・口・手などなど。自然の営みと人間の歩みに思いを重ね合わせて、詩情を語っています。
 自分へのつぶやきを、読む者にも届くように語ってくれています。

 以下に、いくつかの文章を引いて、記録としておきます。
 
 
(1)

「フシの自覚」

 この世の中、人の一生いろんなことがあるもので、何にもなくて平穏無事、そんなことはなかなかに望めない。だから時に嘆息も出ようというものだが、けれどもそのいろんなことのつらなりのなかにも、おのずから何らかのフシというものがあるわけで、何がなしにダラダラといろんなことがつづいていくわけでもない。
 ダラダラとつづいているように思うのは、そのつらなりのなかのフシを見すごしているからで、だから心も改まらなければ姿勢も改まらない。
 大事なことは、このフシを見わけ、自覚し、そのフシブシで思いを新たにすることである。
 これがわかり、これができれば、いろんなことがすべてプラスになり進歩の糧となって、次々と起こることをむしろ歓迎するようにもなるであろう。
 フシは自然に与えられる場合もあるし、自分でつくり出していく場合もある。いずれにしても、とらわれない心でものを見、考え、ふるまうことである。むずかしいことかもしれないが、やっぱりこれがいちばん大事なことではなかろうか。(14頁)


 このフシについては、古来日本人は節句というもので具体的に自覚してきたはずです。女の節句といわれるものが、まさにこれです。しかし、季節感などの喪失により、このフシのあるべき意味も忘れられようとしています。気分を切り替える節目としてのフシの復権は、私にもその重要さが自覚できていますので、これは今後とも広く訴える意義のあるものだと思います。
 
 
(2)

「心静かに」

 一犬影に吠ゆれば万犬声に吠ゆ。何かの気配におびえた一匹の犬が、もののけにつかれた如くけたたましくほえたて始めると、その声におびえた犬たちが、次から次へとほえたててゆく。ついには、何のためにほえているのかわけもわからぬままに、ほかの犬がほえているから、だから自分もほえる。
 そんなこんなで、けたたましいほえ声が、意味もなく町々を走り、野山をかけめぐる。月にほえる一犬は一幅の景になるけれど、いたずらに騒々しい万犬の声には、しばし静かにあれとよびかけたくもなる。
 犬だけではない。お互いのこの世の中、手前勝手な声ごえで、何とはなしに騒々しくなってきた。あちらが勝手ならこちらも勝手。勝手と勝手がぶつかり合って、とにもかくにも大きい声。そんなこんなで無用のまさつが起こり、わけのわからぬかっとうで自他ともに傷つく。
 今こそ心静かに、ほんとうに何が起こり、何が大事で、何をなさねばならないのか、自他ともの真の幸せのために、広く高く深く考え合ってみたい。そんな時なのである。(178頁)


 痛烈な社会風刺となっています。吠える、ということにどんな意味があるのか。意味深長な喩えが提示されています。
 
 
(3)

「成功の連続」

 何ごとにおいても、三べんつづけて成功したら、それはまことに危険である。
 人間の弱さというか、うぬぼれというか、安易感というか、つづけて三度も調子よくいったなら、どうしても自己を過信する。自分は大したものだと思うようになる。そして世間を甘く見る。そこから、取返しのつかない過失を生み出してしまうのである。
 だから本当は、三度に一度は失敗した方がいいようである。他人から見て、たとえそれが失敗だと思われなくても、自分で自分を省みて、やり方によってはもっとよい成果があがったはずだったと考えたら、それはやはり一つの失敗である。失敗とみずから感じなくてはならないのである。
 こうして、三度に一度は失敗するが、そこから新たな自己反省を得て二度は成功する。
 それがくりかえされて、次第次第に向上する。それが本当の成功の連続というものではなかろうか。
 お互いに人間の弱さを持っている。その弱さをどう生かしていくかが大事なのである。


 非常に自己抑制の効いた考え方が示されています。しかし、これくらい堅実に自己を見つめていると、確かに着実に前に進んでいくことでしょう。
 手堅く前に進んでいくための心構えとして、耳を傾ける価値のある話です。

 なお、本書に「妙味」は2箇所にありました。メモとして残しておきます。

(1)

「天与の妙味
(前略)
 対立大いに結構。正反対大いに結構。これも一つの自然の理ではないか。対立あればこそのわれであり、正反対あればこその深味である。妙味である。
 だから、排することに心を労するよりも、これをいかに受け入れ、これといかに調和するかに、心を労したい。そこに、さらに新しい天与の妙味が生まれてくる。日々に新たな道がひらけてくる。(21頁)

 
(2)

 (前略)喜べども有頂天にならず、悲しめどもいたずらに絶望せず、こんな心境のもとに、人それぞれに、それぞれのつとめを、素直に謙虚にそして真剣に果たすならば、そこにまた、人生の妙味も味わえでくるのではなかろうか。(137頁)
posted by genjiito at 22:27| Comment(0) | 読書雑記

2013年07月10日

読書雑記(70)松下幸之助『道をひらく』

 松下幸之助が語ったことばを収録した本で、『道をひらく』(昭和43年)、『続・道をひらく』(昭和52年)、『思うまま』(昭和46年)は3部作と言われています。共に、PHP研究所から刊行されています。

 『道をひらく』と『続・道をひらく』は見開きで読み切り、『思うまま』は左右片側ページで一話です。
 電車内や乗り換えの時間が私の読書タイムなので、この本は非常に読みやすいものでした。

 人生の先達からお話しを伺う、というスタイルの内容です。松下幸之助は、特段にレトリックを凝らしたり、もってまわった言い方はしません。ごく普通の、常識的な話が多いように思います。しかし、そんな話の中にも、さすがは神さま扱いをされるだけあって、なるほどと感心しながら読む項目や行間に、しばしば出会います。

 なお、今回は「新装版」としてビニール装で刊行されている、読みやすい大きさでゆったりとした文字組み、そして読み切り型に整形し、さらには時代に合わないと思われる部分は整理された本で読みました。
 このスタイルの本は、私の手に馴染みやすいことと、コンパクトなサイズなので気に入っています。
 この本専用のブックカバーを特別に作り、折々に持ち歩いて読んでいます。

 電子ブックに馴染めない私は、本の手触りやページをめくる感触を楽しんでいます。読み進んでいるペースや、残りの分量が目で見て手で摘まんで体感できる、そんな本の読み方が好きです。途中で付箋を貼ったり、しおりを挟んでパタンと閉じたり、ある時にはソッと閉じる時の感覚を楽しんでいます。

 さて、本書『道をひらく』には、PHP研究所の機関誌『PHP』の裏表紙に連載された121編が再編集して収録されています。
 
 
 
130707_matsusita1
 
 
 

 そんな中から、記録として残しておこうと思ったものを、以下に抜き出しておきます。
 
 
(1)

「志を立てよう」

 志を立てよう。本気になって、真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。
 志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。
 今までのさまざまの道程において、いくたびか志を立て、いくたびか道を見失い、また挫折したこともあったであろう。しかし道がない、道がひらけぬというのは、その志になお弱きものがあったからではなかろうか。つまり、何か事をなしたいというその思いに、いま一つ欠けるところがあったからではなかろうか。(14頁)


 志は、まずは立てるだけで道半ば、という考えに頷きました。それには、年齢は関係ないと。志の挫折は、その弱さが原因だとも。熱意を持てば道がひらける、ということばから、心強さが伝わってきます。
 
 
(2)

「失敗か成功か」

 百の事を行なって、一つだけが成ったとしたら、これははたして失敗か成功か。
 多くの場合、事の成らない九十九に力を落とし、すべてを失敗なりとして、悲観し意欲を失い、再びその事を試みなくなる。こうなれば、まさに失敗である。
 しかし、よく考えれば、百が百とも失敗したのではない。たとえ一つであっても、事が成っているのである。つまり成功しているのである。一つでも成功したかぎりは、他の九十九にも成功の可能性があるということではないか。
 そう考えれば勇気がわく。希望が生まれる。そして、事の成った一つをなおざりにしないで、それを貴重な足がかりとして、自信をもって再び九十九にいどむことができる。
 こうなれば、もはやすべてに成功したも同然。必ずやその思いは達成されるであろう。
 どちらに目を向けるか。一つに希望をもつか、九十九に失望するか。失敗か成功かのわかれめが、こんなところにもある。繁栄への一つの道しるべでもあろう。(124頁)


 成功を見つめることの大切さが説かれています。何かをしたとき、この考え方には勇気がもらえます。
 
 
(3)

「一人の知恵」

(前略)
 わからないことは聞くことである。知らないことはたずねることである。たとえわかっていると思うことでも、もう一度、人にきいてみることである。
 「見ること博ければ迷わず。聴くこと聡ければ惑わず」という古言がある。相手がどんな人であろうと、こちらに謙虚な気持ちがあるならば、思わぬ知恵が与えられる。つまり一人の知恵が二人の知恵になるのである。二人が三人、三人が四人。多ければ多いほどいい。衆知を集めるとは、こんな姿をいうのである。おたがいに、一人の知恵で歩まぬよう心がけたいものである。(139頁)


 独り相撲を戒める気持ちが語られています。聞く、尋ねる、さらにもう一度。そこから「思わぬ知恵」が授けられる、というのです。みんなで考え、みんなで取り組むことの大切さが、よくわかることばです。
 
 
(4)

「おろそかにしない」

 人から何かを命ぜられる。その命ぜられたことをその通りにキチンとやる。そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するかどうか。
 命ぜられた通りにやって、その通りうまくいったのだから、もうそれでよいと考える人。いやたとえ命のままにやったとしても、その結果は一応キチンと報告しなければならない、そうしたら命じた人は安心するだろうと考える人。その何でもない心がけ、ちょっとした心のくばり方のちがいから、両者の間に、信頼感にたいする大きなひらきができてくる。(後略)(160頁)


 結果を報告することの重要さです。それは、相手への思いやりなのです。この心がけが、意外と信頼感に影響していることは、私も何度も経験しました。
 
 
(5)

「体験の上に」

 ここに非常な水泳の名人がいるとする。そしてこの名人から、いかにすれば水泳が上達するかという講義をきくとする。かりに三年間、休まず怠らず、微に人り細にわたって懇切ていねいに講義を受け、水泳の理を教えられ、泳ぎの心がけをきかされる。それでめでたく卒業のゆるしを得たとする。だがはたして、それだけで実際に直ちに泳ぎができるであろうか。
 いかに成績優秀な生徒でも、それだけですぐさま水に放りこまれたらどうなるか。たちまちブクブク疑いなし。講義をきくだけでは泳げないのである。
 やはり実際に、この身体を水につけねばならない。そして涙のこぼれるような不覚の水も飲まねばならない。ときには、死ぬほどの思いもしなければならないであろう。
 そうしてこそ水に浮けるし、泳ぎも身につく。体験の尊さはここにあるわけである。
 教えの手引きは、この体験の上に生かされて、はじめてその光を放つ。単に教えをきくだけで、何事もなしうるような錯覚をつつしみたいと思う。(242頁)


 頭で理解するだけでは、実際には充分ではない、ということを言っています。これも、よくあることながら、しばしば錯覚に陥るものです。「レディネス」という、心の準備、気持ちの準備があるかないかによる習得や習熟の違い、という面はあっても、実際にはよくある勘違いなのです。
 
 
 松下幸之助の文章には、「妙味」ということばがよく出てきます。私は、この使われ方に興味を持っています。
 本書『道をひらく』には、1箇所だけありましたので、最後にこれを引いておきます。その意味については後日考えます。

 

ちがうことをなげくよりも、そのちがうことのなかに無限の妙味を感じたい。無限のゆたかさを感じたい。そして、人それぞれに力をつくし、人それぞれに助け合いたい。(21頁)
posted by genjiito at 22:54| Comment(0) | 読書雑記

2013年07月09日

井上靖卒読(167)「古い文字」「裸の梢」「明るい海」

■「古い文字」
 パリ留学の前後に、新婚早々の妻を呼ぶ大乃岐の話です。パリからスペインへ旅した大乃岐は、子どもがしていた首飾りの石に、古い文字が刻まれているのに気付きました。そして、インダス文字が解読できることになったのです。この若い研究者の興奮が、読者に伝わって来ます。ただし、アッカド文字とインダス文字の2種類が刻まれていることの説明がつかないのです。とにかく、宝を持って移動する男の不安な心の内が、克明に描かれています。人間は、宝物を手にすると、途端に疑い深くなるようです。自分を守るためなのでしょう。結末は劇的です。井上らしいロマンが感じられます。【4】
 
 
初出誌:文学界
初出号数:1962年12月号、続篇1964年6月号
 
文春文庫:崑崙の玉
井上靖小説全集18:朱い門・ローマの宿
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「裸の梢」
 子供の頃の記憶をたよりに、子供の目線で大人を見て語っています。子供と大人が持つ世界の違いが、浮き彫りにされているのです。こなれた表現で、大人と子供の考え方の違いが、よくわかります。月光の設定がうまいと思いました。背景にうまく活かされています。
 この作品を〈2年前に読んでいたこと〉(2011年6月29日)をすっかり忘れていました。そして、『井上靖全集』を手にして読み進むままに、再度読むことになったのです。読み終わっても、そのことに気付かず、メモを見て初めて知りました。我ながら、不思議な気持ちになりました。その時の評価は【1】でした。そんなこととはつゆ知らず、今回の評価を記してから改めて思い返すと、ますます不思議な気持ちになります。作品を読むということは、状況や時の経過によって、こんなにも違うものなのでしょうか。そのことの方に、興味が湧いてきました。【3】
 
 
初出誌:週刊文春
初出号数:1963年1月7日号
 
新潮文庫:少年・あかね雲
井上靖小説全集31:四角な船
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「明るい海」
 子供の目を通して、神戸の港の風景が克明に描かれています。また、おばさんの存在が、何となく不思議に語られています。さまざまな色を鏤めた描写がなされています。眩しいくらいです。また、港を見下ろす視線の角度が感じられます。いろいろと実験をしているような作品です。【2】
 
 
初出誌:文藝春秋
初出号数:1963年1月号
 
集英社文庫:冬の月
井上靖小説全集31:四角な船
井上靖全集6:短篇6
 
時代:昭和、五年頃
舞台:兵庫県(神戸)
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 01:47| Comment(0) | 井上靖卒読

2013年07月08日

世界中の源氏写本すべてを翻字するプロジェクト始動

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が取り組む一番の仕事は、この地球上の、世界中にある『源氏物語』の古写本のすべてを翻字し、データベース化してみなさまに活用してもらえる環境を整え、提供することにあります。

 そのためには、『源氏物語別本集成』を継承した『源氏物語』の本文データベースを構築することです。ただし、その前提として、『源氏物語』の古写本を読んでいただく方々の協力が必要不可欠です。しかし、その協力者である『源氏物語』の古写本が読める方が、現状ではあまりにも少ないのです。

 これからは、『源氏物語』をはじめとする変体がなで書写された古写本を読める方々を、1人でも多く確保する必要があります。その意味から、『源氏物語』の古写本を読む勉強会を、まずは京都で開くことにしました。
 これは、本来なら大学の教育の中で行われてきたものです。しかし、今は教育現場でこうした取り組みが激減しています。そこで、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動の一環として、古写本『源氏物語』を読む会を、京都を皮切りにスタートさせることにしました。
 
 
 
130704_gsyahontirasi
 
 

『源氏物語』の写本を読む会

鎌倉時代の写本で『源氏物語』を読んでみませんか?

ハーバード大学が所蔵する「蜻蛉」の巻をテキストに、
  物語をたどりながら、くずし字をよむ勉強会です。

■担当者:伊藤鉄也
    (国文学研究資料館・総合研究大学院大学教授)
■テキスト:(1)『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.28 蜻蛉』
       (伊藤鉄也編、至文堂、平成15年)
      (2)『ハーバード大学蔵 源氏物語 蜻蛉』
       (伊藤鉄也編、新典社、近刊予定)
■日時:毎月第2土曜日 午後1時〜2時30分
■場所:WAKジャパン2階
    http://wakjapan.com/ja/about-us/access-map/
■受講料:1回1000円(資料代含む)

参加ご希望の方は、npo.gem.info@icloud.com宛に、
 お名前・Eメールアドレス・電話番号
 をご記入のうえご連絡ください。

主催:特定非営利活動法人〈源氏物語電子資館〉
ウェブサイト:http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/


 その初回は、今週土曜日の13日に、京都で開催します。
 興味と関心のある方は、奮ってご参加をお願いします。

 この勉強会では、ハーバード大学が所蔵する鎌倉時代中期という、『源氏物語』の中でも最も古いと思われる写本をテキストにして進めます。その写本が正確に読めるようになることに加えて、データベース化するにあたっての校正時のちょっとした知識も伝授することになります。

 なお、古写本が読めるようになり、データベース化の校正要領を理解なさった方には、『源氏物語』の翻字をお願いすることになります。それには、無償でのボランティアは極力廃した方針を堅持しています。つまり、些少ではありますが、謝金をお支払いします。または、図書を現物支給することでそれに代えることもしています。

 それに伴い、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動には、謝金をはじめとする幾許かの資金がどうしても必要です。それに関しては、今は賛助会員の方々のご支援と、この活動に理解を示してくださる正会員の方々からの会費が、当面は唯一の活動資金となります。

 会としては、また私個人としても、積極的な会員の勧誘は敢えてしていません。学会の諸先生方にも、直接はお誘いをしていません。
 少しずつ実績を示すことで、幅広い方々の理解をいただく中で支援資金を頂戴するという、気の長い方針で取り組んでいるところです。これは、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の創設の理念が、必ずいつか多くの方々に理解していただける、という信念のもとに設立メンバー各自が温めている思いでもあります。

 1人でも多くの方々のご理解とご支援をいただけることを、心より願っています。
 会員になっていただくことに関しては、「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページの中の支援者募集」を参照して手続きをしていただくことをお願いしています。

 今後とも、温かい見守りを、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 01:39| Comment(0) | ◆NPO活動

2013年07月07日

江戸漫歩(65)アークヒルズで昼食後に桜坂散策

 急に暑くなりました。
 東京の宿舎にはエアコンがないので、暑気払いがてら六本木へ出かけました。
 宿舎から30分ほどで溜池山王駅に行けます。駅からすぐのアーク森ビルに入っている、ANAインターコンチネンタルホテルが目的地です。

 六本木通りに面した坂道に「桜坂」の標識がありました。都内には、坂が多いので、坂巡りも楽しめます。この「桜坂」は福山雅治の歌の坂だったかな、などと妻としゃべりながら、日射しを避けて小走りにホテルに入りました。
 
 
 
130707_ana1
 
 
 

 中に入ると、開放感に溢れた、いかにも涼しそうな空間が目に飛び込んで来ます。
 写真右端のガラスに貼り付いて流る落ちる水が、見た目にも清涼感を盛り上げています。
 
 
 
130707_ana2
 
 
 

 最初は、フランス料理やイタリア料理を考えていました。糖質制限の食事が簡単に食べられるからです。しかし、結局はさっぱりと日本料理となりました。
 入った「雲海」は、七夕とおしゃれな手水が出迎えてくれます。戸外の日本庭園は、四季を考えた植栽となっています。
 
 
 

130707_ana3
 
 
 

 私は月定食を、妻は松花堂弁当をお願いしました。
 私の食事は、口取り、季節の造り4種、煮物、黒毛和牛冷しゃぶサラダ、穴子茶碗蒸し、ご飯、香の物、赤出汁、水菓子(アイスクリーム)、コーヒーでした。
 
 
 
130707_ana4
 
 
 

 ご飯とアイスクリーム以外は、すべて糖質制限食と言ってもいいものです。
 赤出しが濃くて重かったので、申し訳ないのですが残しました。穴子の茶碗蒸しは、お腹が一杯になったこともあり、そのまま妻に渡しました。鱧が入っていたら、無理をしてでもいただいたのですが。甘く漬けて揚げた梅と、デザートのアイスクリームは、糖質が高そうなのでパスして、これも妻に。

 関東では、なかなか鱧がたべられません。祇園祭を控えた関西では、至るところで鱧が手に入ります。しかし関東では、あっても高い上に、身が固くて味が雑です。高級料亭はいざしらず、庶民の夏の食材としての鱧は、この東京では諦めざるを得ません。

 いつものように1時間以上をかけてゆっくりと食べました。。特に外食はお腹が痛くなるので要注意です。初めはいつもよりもスロースタートだったことがよかったのか、最後までほとんどを食べました。

 この贅沢さで5千円以下なので大満足です。もっとも、京都では、ランチは千円を目安に食べ歩いています。東京の中心地で避暑を兼ねての食事なので、今日は特別の贅沢な日なのです。というよりも実は、先月あまりにも忙しかったのでできなかった、妻の誕生日と母の日と父の日をすべて兼ねての、お互いの慰労の食事なのです。さらには、先月、娘夫婦がお祝いにANAのチケットをくれたことも、こんな贅沢ができる背景にあります。子どもたちに感謝をしての食事となりました。

 食後は、アークヒルズ(桜坂〜スペイン坂)周辺を散策しました。
 
 
 
130707_sakurazaka5
 
 
 

 福山雅治の「桜坂」はここだったかな、などと話しながらの日陰を選っての散歩でした。しかし、帰ってから確認したところ、歌の「桜坂」は大田区田園調布本町にある坂だとのこと。勝手に思い込んでの桜坂散策も、結構楽しく喋りながら歩けたので、いい日曜日の午後となりました。

 宿舎に帰ってからしばらくすると、突然に雷が鳴り響き、やがて路面を叩くほどの大雨となりました。15分もするとカラリと上がり、ベランダから庭越しに海洋大学の方を見やると、2本の虹がくっきりと浮かび上がっていました。
 
 
 
130707_niji
 
 
 

 一気に気温が下がり、風も心地よくなってきたので、近所のホームセンターへ壁掛けタイプの扇風機を買いに行きました。昨年まで使っていたものが年数も経っていたので、モーターが火を噴き上げないうちに買い換えることにしたのです。

 今年も、3台の扇風機でこの夏を過ごすことになります。この今の宿舎は、思いの外に隅田川からの風が通ります。恩師である伊井春樹先生も、私の部屋がある隣の階段の同じ並びに、10年間いらっしゃったのです。エアコンをお持ちだったかどうかは、今度また聞いておきます。
 この深川に来て6年。それまでの8年間は、横浜市の金沢文庫にある宿舎でした。そこでも、八景島シーパラダイスの方からの海風が心地よくて、夏には風が通ることもあってエアコンのいらない日々でした。

 そんなこんなの東京暮らしなので、14年目の今も扇風機だけを頼りにした生活をしています。
 最近は、年配者がエアコンを節約するあまりに室内で熱中症になるニュースを見掛けます。これには注意をしながらも、無理のない自然体の夏を、今年も迎えているところです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2013年07月06日

読書雑記(69)本田宗一郎『やりたいことをやれ』

 稲盛和夫氏や松下幸之助氏の本を読むようになった流れの中で、息子の本棚にあった本田宗一郎氏の本も手にして読んでみました。これが、なかなかおもしろいのです。
 本田宗一郎著『やりたいことをやれ』(PHP研究所、2005年9月)は、今だからこそ読めた本だと思います。
 
 
 
130703_hondabook
 
 
 

 苦労を苦労ともせず、やりたいことを楽しくやり通した実業家の話は、本当に痛快感を残してくれます。本書はそうした意味で、日々を楽しいものに読み替えてくれます。いい本との出会いとなりました。

 開巻早々、こんな話で始まります。


まず第一歩を

 人間が進歩するためには、まず第一歩を踏み出すことである。ちゅうちょして立ち止っていては駄目である。なぜなら、そこにどんな障害があろうと、足を踏み込んではじめて知れるからだ。失敗は、その一歩の踏み込みだと思う。前進への足跡だと思う。
 わが国には「サルも木から落ちる」という言葉がある。慢心とか油断へのいましめである。心のゆるみだが、このための失敗には、私は寛容の心を持ち合わさない。なぜかといえば人間に許される失敗は、進歩向上をめざすモーションが生んだものだけに限るのだと思うからだ。しかし、私は猿が新しい木登り技術を学ぶために、ある試みをして落ちるなら、これは尊い経験として奨励したい。(14頁)


 この、まず第一歩の意味あいに、深い共感を覚えました。
 そして、2番目の話は次のように語られるものです。


人は給料でばかり働くのか

 人間、給料でばかり働くと思ったら大間違いですね。やはり、意気に感じるというところがある。たとえていうなら、うちの運動会でボクは赤組に入って綱引きをやった。ボクからすれば、赤が勝とうが白が勝とうが関係ないんですよ、どうせうちの人間同士でやってんだから。ところが、赤の帽子をかぶっただけでね、一生懸命引っぱるでしょう。次の日、腰が痛くてね。あしたの朝まで腰が痛いなんていう仕事したことないですよ、カネじゃね。
 だから私は給料で働いていると思ってる人は気の毒だな。人間、気のもんだといいたい。そういうものが積もり積もって、いろんな問題を解決していくんじゃないかな。(15頁)


 これで勢いがつき、その続きを一気に読み終えました。
 やはり、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉を設立したことがあるからこそ、本田氏の話を我が事のように照射する話として響いてくるのです。

 また、こんな話もありました。
 本田氏には、言葉に対する愛着があります。語ることが好きなのでしょう。


日本語の命

 "手の人"という一面に加えて、私は"言葉人間"としての一面も持っている。子ども時代は家の手伝いとか、村の子どもたちと日が暮れるまで遊びまわったりで、読書やつづり方などそっちのけだったが、十代後半からは、けっこう本も読んだ。雑誌『日本少年』や立川文庫の講談、『枕草子』『徒然草』『方丈記』など、今でもあの頃読んだものは、はっきり覚えている。
 私は、日本語が持っているリズミカルなこころよい語調が好きだ。そして、何世紀にもわたって使いこまれてきた言葉の中に、人間の深い知恵が宿っているところも好きだ。なるほどな、と納得するたびに、言葉の持っている命のようなものを感じるのである。(55頁)


 しかし、どうやら本田氏には、言葉や文学に対する知的好奇心はあるものの、その根底には不信感が根強く横たわっているようです。これは、どこからくるものなのか、興味を持ちました。創業者として、事業を展開する責任者として、その過程で自然と培われた、どうしようもない局面から得られた不信感なのではないでしょうか。


行動は全人格の表現

 人間の意志を一〇〇表現することのできるものは、文学でも言葉でもないと思う。なぜかといえば文字や言葉は、ときには計算された嘘も入る。場合によっては都合の悪い所は訂正もでき、消してしまうこともできる。
 しかし行動となるとそうはいかない。また一個の人格をもつ人間であったら、当然、自分の行動はつねに全人格の表現だという自信を持ち、それによるすべての責任をとるだけの覚悟がなければならない。
 行動というものはそうでなければならないし、そういうものだと思う。
 私は行動を信頼する。行動による話しかけに、私は一〇〇%の表現力を認めている。(203頁)


 また、次のようにも言っていることからも、そのことは確かなようです。


ゴマカシは通用しない

 人間、理屈をつける気になると、相当に無理なことも一見モットモらしい正当づけ、あるいは合理づけができるものである。高等技術を駆使する連中にかかると、権威づけまでやってのける。こうなると、言葉を自由に使いこなせない人間は、手も足も出ない。だから私は、言葉や文字を信用できない。科学や技術の世界なら、そんなゴマカシは通用しない。理論にまちがいがあったり、飛躍があったりすれば、実験がすぐに「それはまちがっている」と指摘してくれる。小さな部品が一つなくても、機械は絶対に動いてくれない。こんなシビアな世界で暮してきたせいか、私は言葉や文章を使う商売の人たちを、どうも百%信じきれないものがある。(226頁)


 さて、本田氏の心の中は、言葉と文学と行動が、どのように混在していたのか、興味深いところです。

 なお、最後の方で、こんなことも語っています。


年寄りのほうが世間知らず

 自分では若いつもりで、飛行機を操縦したりオートバイをすっ飛ばしたり、派手な色柄の服を着て喜んでいるが、私は要するに八十近いジジイである。世界のジジイ経営者同様、このジジイも、おれはだてに年をとっちゃいない、若い者が真似できない体験をしてきているし、いろいろ見てきている。そうした知恵はきっと役立つはず……と思わなくもない。それを認めた上で、私は老人は社会の一線から早く身をひくべきだと考えるのだ。理由は、今の世界というものは年寄りのほうが世間知らずだからだ。昔は若い人を世間知らずといったものだが、現在は逆。急激な世の中の変化に、もはや老人はついていけなくなっている。(253頁)


 これは、歳と共に、世の中の出来事を訳知り顔で解説する年寄りを、実に痛烈に批判するものとなっています。孔子の時代から、「今の若い者は」と言われながら、それでいて世の中は着実に発展を続けてきていることが想い合わせられます。

 私が大阪の高校の教員になった時、お世話になった中林功先生から「同じ職場に10年以上いてはいけない」ときつく言われました。長くいると、後から来た若者がすることが一々気になり、前に向かって進もうとするエネルギーを遮ることを言う羽目になり、邪魔者となりかねない、ということでした。
 その言葉を胸に刻み、3周した9年目に転勤することにしました。確かに、長居をするうちに、後から来た若者の発言を素直に聴けなくなっている自分を発見したのです。それまでに立ち働いてきた自分を庇おうとする、保身のなせる感情だったように思います。

 本書は、こうしたことに始まり、さまざまな自分を見つめ直す契機を与えてくれる本でした。
posted by genjiito at 22:57| Comment(0) | 読書雑記

2013年07月05日

授業(2013-12)翻訳本の解題と海外にある日本の古典籍

 4年前に刊行された科研の報告書『日本文学研究ジャーナル 第3号』(伊井春樹編、国文学研究資料館、2009.3.31)をもとにして、さまざまな文化交流と最前線の情報を確認しました。
 
 
 
130705_jarnal
 
 
 

 この第3号には、「翻訳事典(古代〜中世)」として、次の作品の解題を収録しています。


空海
菅原道真
六歌仙
小野小町
大斎院選子内親王と発心和歌集
和泉式部
竹取物語
大和物語
平中物語
落窪物語
古今和歌集
伊勢物語
武峰少将物語
今昔物語集


 これまでに、『日本文学研究ジャーナル』の第2号と第4号に掲載した日本の古典文学作品に関する翻訳本の解題を確認しています。それに加えて、上記の作品についてその解題を確認しました。

 翻訳本については、まだまだあります。
 今後とも、気付いた本から収集し、それぞれの解題を作成していく必要があります。これには、膨大な手間と時間を必要とするため、多くの若手研究者の参加を得て、コツコツと進めていくことが大切です。次世代へバトンタッチしていく解題作成プロジェクトです。

 次に、国文学研究資料館から公開している各種データベースの中から、ぜひとも活用してほしい次の4点を中心に説明しました。


「国文学論文目録データベース」
「日本古典籍総合目録データベース」
「欧州所在日本古書総合目録データベース」
「北米日本古典籍所蔵機関ディレクトリ」


 これらは、日本の古典文学作品を対象とする研究をする上で、基礎的な情報が得られるものです。
 これを活用することで、しっかりとした土台の上に研究成果を築きあげてほしいと願っています。

 今回で、グロッサリーに関する項目以外の講義は終わりです。

 次回は、受講生各自が、自分の研究テーマをプレゼンテーションしてもらうことになっています。
 海外の人々にも理解できるように、わかりやすいプレゼンを年度当初から課題として提示してありました。
 さて、どのようなプレゼンが展開されるのか、今から楽しみです。
posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | ◆国際交流

2013年07月04日

読書雑記(68)父の日に贈られた『マザーテレサCEO』

 息子が父の日のプレゼントとして、ルーマ・ボース&ルー・ファウスト著『マザーテレサCEO 驚くべきリーダーシップの原則』(近藤邦雄訳、集英社、2012年4月)をくれました。子供から本を贈られるのは嬉しいものです。これまでに、糖尿病の本やボケ防止の本をもらっています。今回は、これまでとは趣を異にした本です。早速読みました。そして、予想外の感想を持つこととなりました。
 この本をくれた息子に、これから話すことのできる楽しい話題を提供してもらったことに、感謝しています。
 
 
 
130620_mother
 
 
 

 本書は、マザー・テレサの経営術や仕事術について書かれたものです。その意味では、一風変わったビジネス書です。あのマザー・テレサの姿と存在を見る目が、私の中で少し変わりました。

 本田直之氏の前文があったことで、本書にすんなりと入っていけました。
 ところが読み進む内に、著者の語り口は歯切れがよくて勇ましいのに、具体的なことが乏しいために迫力に欠ける文章であることに気付きます。その理由は、翻訳による問題ではなさそうです。

 マザー・テレサの例を引きながら、我々が組織を立ち上げたり維持する上での注意点を、著者ルーマは熱っぽく語り出します。しかし、しだいにそれが、マザー・テレサの行動原理と思惟を推測しつつ、推論の上に提示されているコメントであることに気付かされます。マザーは単に、おしゃべりのための添え物なのです。
 徐々に、最初の熱気が失せ、迫力が伝わってこなくなります。

 私が一番気になったのは、著者であるルーマがマザー・テレサのもとにいた経験を語るところです。
 「神の愛の宣教者会」での経験が、話の流れとうまく噛み合いません。「ボランティア」として働いた期間がどれほどの日時だったのかということすら、最後まで確認できませんでした。
 このことが明確でないこともあり、「私がマザー・テレサと経験したことを追体験していただけます。」(19頁)ということは、本書の内容からは無理なのです。

 次の段落の文章も、本質から逃げて躱す姿勢が顕著です。

 この本はあなたにリーダーシップの原則を授けるものです。あなたが個人として、あるいは仕事で、挑戦を試みる立場にあるのなら、毎日、その原則を生かすことができるでしょう。紹介する原則を自分のものにし、常に応用していけば、あなたの人生も、組織もポジティブに変化していくはずです。しかし、マザー・テレサがどのように「神の愛の宣教者会」を運営してきたのかについて分析することを意図してはいません。分析は別の本の仕事であり、他の著者にお任せします。
 あなたにインスピレーションを与える本であり、リーダーシップの八つの原則についてのシンプルなストーリーがあるだけです。八つの原則こそが、マザー・テレサが設立した「神の愛の宣教者会」を世界的な成功へと導いたものなのです。
 では、マザー・テレサへの旅をお楽しみください。(34頁)


 マザー・テレサと直接共有した時間が貴重だったことは書かれています。しかし、それがどれほどの長さであり、どのような密度だったのかは、ついに記されないままです。人間と人間としての接点に、まったくと言っていいほど具体性がないのです。

 本書には、行動を起こすための3つの要点として、「感情」「ファイナンス」「オペレーション(手順)」が提示されています。しかし残念なことに、本書では2つ目の「ファイナンス」の意味が伝わってくるだけで、それ以外は準備不足のままに刊行されてしまったと思われます。

 また、マザー・テレサの施設でのこととして、著者は次のような驚くべき発言をしています。

 私は間違っていました。そのための準備などまったくできていなかったのです。(中略)自分と同じ世界のなかで多くの人が苦しみながら生きているという事実を受け入れることができなかったのです。(83頁)


 これでは、一体マザー・テレサからどのような本質的な核心を学んだと言うのでしょうか。こんな無責任な話を読まされる読者は、たまったものではありません。

 本書は、自分のビジネスに対する持論を展開するために、マザー・テレサを利用したに過ぎません。マザー・テレサに関する具体的な事例が乏しいのがその証拠です。これでは、マザー・テレサこそいい迷惑です。

 稲盛和夫、本田宗一郎、松下幸之助などの本を読んだ後なので、本書を読み進む内に、これが非常に浅薄なものに思えるのです。
 情報収集に始まり、何かと調査不足であり、構想も練られていません。ましてや、論証過程などは皆無です。経験談は自慢話の域を出ていません。理性に訴える手法ではありません。それが、明快さに欠ける印象をもたらすのです。

 著者は情に流されてしまっています。あまりにも、感情で表現し過ぎです。もっとマザー・テレサの行動なり言葉で、読者に迫った方がよかったと思います。その前に、もっとマザー・テレサを理解してから書くべきでした。
 終盤に、そうした気配は感じられます。しかし、時すでに遅し、という状態です。

 人間の大きさに思い及ばず、自分のレベルに引き込んだために、結果的に内容が矮小化されてしまいました。
 また、共著にしようとしたためか、コラムとして間に挟まれたルーのコメントも練られておらず、思いつきのネタを投げかけるだけで、全体の話の流をぶつ切りにしています。

 息子から贈られた本を真剣に読んだお陰で、一書としては多くの不備を感じながらも、失敗学の例を楽しみ、さらにはマザー・テレサにこれまで以上に興味を持つようになりました。【1】
posted by genjiito at 22:58| Comment(0) | 読書雑記

2013年07月03日

不可解なマックの問題がほぼ解決

 日頃から問題があると思っていた愛用のパソコンの不可解な動きについて、アップルストア銀座のジーニアスバーで相談をしてきました。このマシンに関しては2回目です。
 直接アップルの方と相談ができる窓口があることは、無駄な時間が果てしなく続く状態から脱出できます。時間の節約にもなり、非常に信頼できるサポートだと思います。

 私が現在主に使っているパソコンは、Mac Book Air (13inch,Late 2010,SSDrive 250G,OSX 10.8.4) です。
 パソコンは毎日使う情報文具の1つなので、常に心地良い環境で使いたいものです。

 今日は、次の3点について、事前に予約して行きました。


(1)スリープの解除ができず、電源ボタンの長押しからパソコンを再起動する状況にある。
(2)起動時に必ずエラーメッセージが表示される。
(3)ウインドウズ用にフォーマットしたUSBメモリが、ウインドウズで認識されない。


 まず(1)について。
 これは、これまでに私が手にしたマッキントッシュのほとんどすべてのマシンで起こることです。
 私が使ってきた、使っているマックは、一旦スリープしたら、電源長押しで一旦シャットダウンし、それから再起動するしかありません。これは、もう10年以上も続けていることです。

 この件では、すでに何度もアップルには改善をお願いしていることです。しかし、今回も担当者は聞いたことがないとのことでした。私にとっては毎度のことなので、これをアップルが解決できたら、もっといいマシンになるのに、と思っていることです。

 マックは、スリープさせたら2度と起き上がれない、というのは、私の中では常識です。これは、これまでの数十台のマックで、そのすべてで経験したことです。ただし、仲間のマックではほとんど起きない症状でもあります。
 もっとも、私が手にする機器は欠陥品である確率が高いということは、知人の間ではよく知られています。
 今日も、担当者は、私が作成するデータに何か問題があるようにおっしゃいました。しかし、それにしては、もう十年以上もこのスリープ問題には悩まされています。この間、ソフトウェアもデータタイプもさまざまに変遷しているので、そうしたことは考えられないことは、担当者も理解してくださいました。この問題は、社内の上にもあげられていないことで、あり得ないトラブルとされているようです。しかし、現実にこうして私の元では、ずっと発生していることです。
 これについては、もう諦めているので、担当者が初耳だと言われてすぐに次の相談に移りました。

 第2点は、私の Mac Book Air が起動すると、必ず次のエラーが表示されます。
 
 
 
20130703_111428
 
 
 

 これについては、目の前で起こる現象なので、真剣に解決策を模索していただけました。
 私の Mac Book Air のシステムを詳細に調べ、いろいろなことをして、40分ほど経ったころでしょうか、ついに原因を究明してくださいました。
 パソコンが起動して、ログイン時に読み込まれるアプリケーションの内、「グーグルドライブ」がいたずらをしている可能性が高いとのことです。再度インストールし直すと改善されるのでは、とのことだったので、その通りにすると、起動時に上記のメッセージは出なくなりました。
 根気強くマシンのシステムをチェックしてくださった、その粘り強さには敬服します。

 第3点は、マックのディスクユーティリティでウインドウズ用にフォーマット(MS_DOS FAT32)をしたUSBメモリが、ウインドウズでは認識されないことです。必ず、初期化をしますか?、と聞いてきます。

 持参したものを使い、その場でその現象が現れることは確認してもらえました。そして、さらに20分ほど再フォーマットなどを繰り返した後、その原因が突き止められました。
 それは、最新のマックOSであるマウンテンライオン(OSX 10.8.4)でフォーマットしたものでは、そうした現象は起きない、ということです。つまり、それ以前のバージョンのOSでウインドウズ用にフォーマットした場合に、ウインドウズマシンで認識されない、ということなのです。ということは、こうした不具合を、アップルは隠していたことになります。これについて、担当者はそれ以上のことはおっしゃいませんでした。

 担当者の方も、こんなことがあるとは知らなかった、と驚いておられました。しかし、その先を追究することはしませんでした。不毛な時間が経過するだけで、得るものはないからです。もし、私と同じことで疑問に思っておられる方は、最新のシステムでフォーマットをすると、そうしたことは発生しないようです。
 私の周辺にはウインドウズマシンが皆無なので、このことはまたいつか機会があれば追認したいと思います。

 今回のジーニアスバーの方の熱意によって、マックがスリープしたら手が付けられないこと以外は、ほぼ問題が解決しました。

 担当してくださった辰田さん。ありがとうございました。
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◆情報化社会

2013年07月02日

中野のワンコイン検診でヘモグロビン値を測る

 京都大学病院の糖尿病内科へは、2ヶ月に1回の診察サイクルで通院しています。2ヶ月というのは、指標となっているヘモグロビンA1cの値が、2ヶ月の平均値を示しているものだからです。

 そこで私は、自分の体調と食事管理の意味から、その間の1ヶ月目の分として、中野駅前のワンコイン検診「ケアプロ」でヘモグロビンA1cだけを測っています。

 今日のケアプロでの測定値は、「7.1」でした。
 1ヶ月前の6月3日の京大病院では「7.4」でした。
 この調子なら、来月中旬の京大病気での検査は、安全圏の目標値である「7」以下になりそうです。

<2013年6月1日から施行予定の新しい管理基準>
(1)血糖正常化を目指す際の目標 6.0%未満
(2)合併症予防のための目標 7.0%未満
(3)治療強化が困難な際の目標 8.0%未満


 前回の京大病院での検査結果については、「血糖値が上がった原因はお菓子?」(2013年6月 3日)に書いた通りです。

 体重は50キロを行きつ戻りつなので、私の体重については、どうやらこの辺りが落ち着き先なのかもしれません。

 先月の値が高かったのは、確かにパリパリしたお菓子をコーヒーと一緒に食べていたことが関係しているように思えます。
 最近は、パリパリはしていないチーズや都こんぶを、コーヒーと一緒に口にしています。
 これで満足しているので、結局は何か口にしていればいいということです。口寂しさを紛らわすものであればいいようです。

 前回の診察で、主治医の先生からは、消化吸収を遅らせる薬「ベイスン」は、毎食前に飲むように、と言われていました。

 現在、お昼以外は、炭水化物を極力摂らない食事をしています。薬は毎食前に飲むようにしています。
 これで「0.3」下がったので、現在の自分の身体を使った人体実験は、良好だと言えるでしょう。

 今後は、薬を飲む回数を減らす中で、徐々に薬を口にしない日々を多くすることを目指したいと思っています。

 豊かな食生活を、とおっしゃる先生の指導のもとに、今は薬を併用しながら糖質制限食を取り入れています。
 糖質制限食について、先生は勧められないという立場です。そのことを理解しながらも、私なりに試行錯誤の食生活に取り組んでいるところです。

 昨夏、栄養指導として1ヶ月ほど入院して、さまざまな食事のパターンにチャレンジしました。その結果、日本糖尿病学会が推奨しているカロリーコントロールは、私の血糖値を上げるだけだったように思います。問題は、カロリー制限ではなくて、いかに血糖値を上げない食事を心掛けるか、ということに尽きるようです。そのための糖質制限食と、豊かな食生活との兼ね合いが、私にとっての課題なのです。

 糖尿病学会が示している、わざわざ血糖値を上げるだけの食事をし、上がった血糖値を今度は薬で無理やり下げるのは、どうも承服しがたいのです。
 これは、あくまでも素人判断です。しかし、私の理解で当面は対処していくつもりです。

 最近、特に気になるのは、食事を始めてしばらくすると、急に吐き気がして食べられなくなることがよくあることです。しばらく休むと、また食べられるようになります。
 そのこともあり、みなさんと一緒に外食をすることは、極力控えるようにしています。
 申し訳ないと思いながらも、我が身を守ることと、みなさんに不快感を与えないように、自分なりに気を使って、そう心がけているところです。

 これも、私の手術を執刀して下さった岡部先生によると、私には消化管がないのだから、その自分の身体の反応に馴れるしかない、とのことです。
 こんな自分の身体とは、今後とも気長に付き合っていくことにします。
posted by genjiito at 22:53| Comment(2) | 健康雑記

2013年07月01日

中国の2人と一緒に大和平群でお茶のお稽古

 昨日、午前中は薬師寺と唐招提寺へ行った後、午後は近鉄大和西大寺駅から生駒駅経由で平群に行きました。私のお茶のお稽古に、中国からの留学生2人を連れて行くことになっていたのです。

 衛さんは、裏千家に留学生として来ているので、今回の参加は楽しみにしていました。また、侯さんも、北京外国語大学で茶道を教わっていたので、こちらも余裕を持っての参加です。

 平群谷を登る坂道は、思いの外に急です。2人とも珍しい山里に来たこともあり、道々で写真を撮っていました。
 
 
 
130701_heguri1
 
 
 

 先生のお宅に着いた時には、すでに私の娘がお稽古をしている所でした。
 しばらく、みんなで様子を見ていました。
 侯さんは、先日のワックジャパンでの『十帖源氏』の会で、1度娘と会っています。
 お稽古の場には相応しくないのですが、和やかにいろいろな話をしながら進んでいきました。
 聴けば聞くほど、衛さんの裏千家学園での研修は厳しいようです。しかし、それを撥ね除けるほどのパワーで茶道の修養に励んでいることが、立ち居振る舞いと言葉の端々から窺えます。

 今日のお菓子は、先生お手製のみなづきです。おいしくいただきました。

 私は、7月下旬に予定している我が家でのお茶会を想定しての練習をしました。
 夏らしく、涼しそうな薄茶のお点前をということで、茶碗に水を張り、そこに茶巾を浸して運び出す、という趣向でのお稽古をしました。
 いろいろなパターンがあるようで、それだけでも楽しくなります。
 私のお点前の上達度はともかく、みんなで楽しくお茶をいただく場を演出する、という点では、非常にありがたいお稽古の機会となっています。

 私の後は、衛さんにもお点前をしていただくことになりました。
 ピンと背筋が伸び、それでいて流れるような作法の滑らかさに、じっと見入ってしまいました。

 後で聞くと、みんなに見られていて緊張していたとか。本人曰く、手が震えていたそうです。
 毎朝早く起き、午前中はみっちりと指導を受け、午後は茶道資料館の今日庵文庫で論文執筆の勉強と、充実した毎日を送っているとのことです。限りある時間を、さらに有効に活用して、収穫の多い留学期間にしてほしいものです。

 娘も、身の引き締まるお点前を見て、刺戟を受けたと言っていました。
 こうして、いつもと違うお点前を見るのは、いい勉強になります。

 帰りに、先生から庭の木の葉をいただきました。
 
 
 
130701_kajinoki
 
 
 

 名前を尋ねられたのですが、植物に疎い私にはわかりません。七夕に縁の深いものだそうです。ホオズキかと思いましたが、違っていました。
 宿題にするので、持って帰って挿し芽にしたらいい、とのことでした。

 帰ってから、妻に写真を見せて調べてもらいました。すぐに、「梶の木」だと教えてくれました。
 ネットの「季節の花 300」には、次のように説明されていました。


 古代から、神に捧げる神木として尊ばれた。
 また、昔、七夕祭りに供える「歌」を書くのにも使われた。


 先生が調べなさい、と仰ったことがよくわかりました。冷泉家の「乞巧奠」でも用いられているようです。貴重な知識をいただくことになりました。

 帰りに、娘夫婦と一緒に、西大寺でみんなで食事をしました。
 スペイン料理でした。和気藹々と、話が盛り上がります。
 門限があるとのことなので、少し余韻を残してレストランを後にし、我々3人は、大和西大寺駅から特急で京都まで帰りました。車中でも喋り通しで、30分があっと言う間でした。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◆国際交流