2013年05月31日

授業(2013-7)翻訳本の確認と情報収集

 科研の報告書である『日本文学研究ジャーナル 第4号』(伊藤鉄也編、2010.3、国文学研究資料館)を基にして、海外における日本文学研究の状況を確認しました。
 この冊子は、「日本文学の国際的共同研究基盤の構築に関する調査研究」と題する基盤研究(A)の成果報告書の最終号です。
 
 
 

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 この冊子には、次の翻訳書の解題を収録しています。
 
 
 
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 受講者の中に『枕草子』の修士論文を執筆している学生がいたので、この中から3種類の『枕草子』の翻訳本について確認しました。

 1冊目の『THE PILLOW BOOK OF SEI SHONAGON』は、アーサー・ウェイリーが1928年に刊行したもので、ペーパーバック版で今も入手が容易です。表紙には、国宝『源氏物語絵巻』「夕霧」の雲居雁の顔をデザインし、『枕草子』の約4分の1を訳出しています。

 2冊目の『THE SKETCH BOOK OF THE LADY SEI SHONAGON』は、小林信子が1930年に翻訳した抄訳です。日記的な章段を中心にして、54項目を立てています。小項目を含めると115項目です。平易な訳文となっています。これは、アーサー・ウェイリーの訳よりも10年も前に刊行される予定でした。しかし、刊行されたのはウェイリー訳が刊行された後でした。

 3冊目の『THE PILLOW BOOK OF SEI SHONAGON』は、アイバン・モリスの英訳で、1967年に刊行されました。表紙は、国宝『源氏物語絵巻』の「鈴虫2」です。185段の抄訳です。

 今回とりあげたのは、英語訳ばかりです。その他に、『枕草子』はイタリア語や中国語など、各種の言語に訳されています。
 これから古典文学研究を志す人は、自分が扱う作品の外国語訳の情報も集め、どのような作品がどのように訳されているかを確認しておくといいでしょう。作品を客観的に見られるようになることは、作品を解釈する上でも貴重な切り口を得ることになるでしょう。
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2013年05月30日

谷崎全集読過(19)「兄弟」「二人の稚児」

■「兄弟」
 王朝物語です。
 冒頭の語り出しをみると、谷崎は『源氏物語』の「宇治十帖」における浮舟のことを熟知しているように思えます。平安京の中で展開する登場人物の動きが、手に取るように描かれています。谷崎の表現力が、早くから熟していたことがわかる作品です。
 兼家をめぐる人間関係が、おもしろく描かれています。特に、兼通が、弟である兼家へ復讐する心中は、見てきたようです。
 また、道長が若い女房をからかう場面で、誰かが次の上の句をつぶやいて冷やかしました。
 「最上川 のぼればくだる いな舟の……」(『谷崎潤一郎全集 第7巻』28頁)
 これは『古今和歌集 巻20 東歌』にある恋の歌で、下の句は「いなにはあらず この月ばかり」です。上の句を示して下の句を類推させる、日本文学における伝統的な表現手法です。ここでは、「嫌ではない」ということを遠回しに言っているのです。谷崎は、読者がこの歌の下の句を当然知っているであろうことを前提に、あえて下の句は記さずに上の句だけを示して、読者に真意を推測させる語り口をとっています。今の読者には、こうした類推による理解が難しくなってしまいました。しかし、谷崎はあくまでも平安物語における常套手段で書いていくスタイルを見せているのです。というよりも、この作品が書かれた大正2年頃には、読者は物語の受容において、こうした表現手法を理解できていた、とも考えられます。現代は日本古典文学の教育が疎かにされているので、このような古典的な作品に出くわすと、伝統的な表現手法がなされている、という説明や注記が必要になってしまうのです。
 こうした谷崎の創作手法は、後に『源氏物語』の現代語訳をする上で、大いに役立ったことでしょう。【3】
 
初出誌︰大正七年二月号「中央公論」
 
 
■「二人の稚児」
 煩悩に満ちた浮世というものに、二人の稚児は興味を示します。幼い頃から比叡山で育った二人は、浮世がどんなところか知りたくなったのです。女人なるものも、経文の世界では「悪魔」だとか「怪獣」だといいます。しかし、4歳まで母の胸に抱かれて、柔らかい乳房をかすかに覚えている年下の稚児は、どうしても母がそのような恐ろしい人間だとは思えないのです。
 日毎に交わす二人の結論は、女人とは美しい幻、美しい虚無だ、ということになりました。
 16歳になった年上の方の稚児は、上人に内緒で山を下ります。悲愴な決心で、女人というものを、煩悩を明らかにすべく下って行ったのです。
 数年後、上人に嘘をついていたと詫びた年下の稚児のもとに、深草で聟になった年上の稚児から手紙が来ます。浮世への誘いです。比叡山を下り、雲母越えをして京洛に入った後の様子が綴られていたのです。浮世は幻ではなく極楽だとする誘惑と、年下の稚児は心中で闘うことになります。女人の本姿も知りたい。不安と興奮のうちに、道心が崩れそうになります。しかし、女人の情より御仏の恵みを、年下の稚児は選ぶことになります。ラストシーンが美しいのです。絵になります。舞台での効果を想定してのものなのでしょう。
 人間のありようの二態が、巧みに描かれています。【5】
 
初出誌︰大正七年四月号「中央公論」
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2013年05月29日

井上靖卒読(166)「フライイング」「加芽子の結婚」

■「フライイング」
 ローマオリンピックの取材をした時を扱った作品です。
 話がどうもまとまっていません。冒頭で、まず次のように語っていることが、その最大の理由かと思われます。
私はB新聞社からその紙面にオリンピックの開会式の記事とマラソンの観戦記の二つを書くという約束でローマに派遣されて来ていたが、もともとスポーツというものにさして関心を持っているわけではなく、約束の仕事だけを果して、あとはゆっくりとローマの古いものでも見て歩こうと、そんなつもりでやって来た旅だった。(『井上靖全集 第六巻』339頁)

 陸上競技100メートルという、瞬間を競うスポーツの話です。そこでのフライイングの有無は、もっと視点を変えると書けたはずです。ランナーの心の中に、井上は入りきれなかったようです。
 この文章の中に、こんな行文があります。気になったので、抜き出しておきます。
「一緒に行ってみませんか。まだ選手村へはいったことはないでしょう」

 ここは、「選手村へ入った」と「選手村へは行った」の2通りの意味がとれます。井上の文章を解析した成果によれば、どちらが本来のものかは判別できるのでしょう。しかし、今わたしはそうした情報を持っていません。「ここではきものをぬいでください。」を思い出しました。井上は、あまりこの手の紛らわしい表現はしない作家だと思っています。また気づいたらメモを残しておきます。【1】
 

 なお、いつも感謝しながら参照している「文庫本限定!井上靖作品館」に、本作に関して次のような相反する意見が寄せられています。興味深いので、引用しておきます。

・おなまえ:SKさん
・日付:2004.08.07
・ちょっと一言: 井上作品の魅力はジャンルによって様々なものがありますが、この「道・ローマの宿」に収められているような現代小説の短編には独特の雰囲気と魅力があり、かなり私は好きです。
 中でも「フライイング」は、初めて読んだ時から強烈な印象を持ちました。当時中学生だった私に、短編小説とはこうあるべき、と思わせた作品です。
 ローマ・オリンピックの取材に来ていた主人公の中年男性は、そのローマで偶然、旧友の高枝と出会います。高枝は、ハーミンという西洋人の夫人を山の事故で亡くしたばかりでした。一方、オリンピックの陸上競技では、好記録を期待されていた100メートル走のハリーが、フライイングを取られるというハプニングが起こります。人間の目には見えないくらいの短い時間のうちに起こることは、誰に本当に認識できるのか。高枝は、そのことで一番苦しんでいるのはハリー自身だと言うのです。ハーミンが山で足を滑らせた時、彼女の不倫を疑っていた高枝の中に「手を出すことを妨げる気持の閃きはなかったか」どうか、彼自身が今でも苦しみ続けているのと同じように。
 スポーツに取材して、これほどまでに人間心理を深く突いた作品が書ける方は、井上靖をおいて他にはいないのではないでしょうか。
 
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・おなまえ:RSさん
・日付:2004/09/04
・書き込みから: 「フライング」を読み返してみました。うーん、私にはSさんのように深くは読めませんでした。なにか「氷壁」に登場する男女関係を想像しました。それとは別に「ハリー」がフライングのことで他の人には想像できない心理的な葛藤を抱いている・・・。
 結果的に私にはよくわかりませんでした。気が向いたらもう一度読んでみたいと思います。

 
 
 
初出誌:新潮
初出号数:1962年9月号
 
新潮文庫:道・ローマの宿
井上靖小説全集18:朱い門・ローマの宿
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「加芽子の結婚」
 結婚を決めた「加芽子」は、自分の名前が正しくは「かめ」であることを知ります。そして、言いしれぬ不安に思い悩みます。どうしても自分の名前に違和感を払拭しきれない、女の心の内を描いている作品です。
 このことは、男側のおばあさんに「かめ」という男勝りの女性がいたことが、流れを変えます。男の方にも、名前にまつわるエピソードがあったのです。その「かめ」さんとは対照的に、加芽子が非常に心優しいことから、先方ではさらに気に入られていることがわかります。
 自分ではどうしようもない名前をめぐる、若い2人の爽やかな結末となっています。
 これで思い出すのは、私が娘に「たんぽぽ」という名前を付けることを主張した時のことです。これには、妻の実家からも反対され、結局は妻に譲りましたが……。
 私の名前も、「鉄」という漢字に悩まされ続けています。みんなそれぞれに、名前にまつわるエピソードはあるようです。こうした名前をめぐる小説を集めたら、おもしろい作品集ができることでしょう。【5】
 
 
初出誌:美しい女性
初出号数:1962年11月号
 
集英社文庫:火の燃える海
井上靖小説全集30:夜の声・欅の木
井上靖全集6:短篇6
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2013年05月28日

『十帖源氏』を読む「紅葉賀」(その3)

 本年3月15日から、『十帖源氏』の第7巻「紅葉賀」を読んでいます。今回は、その第3回目となります。
 場所は、いつもの新宿アルタ横の「ボア」です。今日も、中国から来ている研究生の趙君が参加してくれました。

 何かと忙しい折でもあり、みんなが揃うまではいつもの愉しい雑談です。
 先日放映された「なんでも鑑定団」に出品された、『源氏物語』54巻のセットの話で盛り上がりました。録画画像をもとに我々で本文を読み取ったところ、本文は日本大学が所蔵する三条西本の本文に近似することがわかったのです。室町時代から江戸時代にかけて書写された本なので、当時の流布本の本文が写されていて当然です。珍しい本文が書写されていないかと、楽しみにしてみんなで調べました。正直なところ、あまりにもあたりまえ過ぎる結果で、期待はずれでした。このことは、近日中に報告します。

 さて、今日の現代語訳の確認は3行分しかできませんでした。いろいろと頭を悩ませる問題を考えていたからです。

 まず、和歌の前後は特に省略が多く、話が唐突になりがちです。それを避けるために、日本語を補うこととなります。しかし、今日のところでは、「(四月になって「藤壺」と若宮(冷泉院)が宮殿に戻り、)この若宮(「冷泉院」)が〜」とあり、このカッコ内の補う訳文が長すぎないか、ということを議論しました。あまり補いすぎると、わかりやすくなる一方、現代語訳が冗長になります。ここでは、「(四月になって)この若宮(「冷泉院」)が〜」とすることになりました。むりに言葉を補って話をわかりやすくしないで、意味が通じていればよしとする、という方向で訳すことを確認しました。

 次が一番時間をかけたところです。
 『十帖源氏』の本文は次のようになっています。
源見給て、せんざいの、とこなつさき出たるをおりて

 ここを、担当者はこう訳しました。
「光源氏」は庭の茂みに植えてある、常夏(撫子)の咲いたばかりの花を折って

 これに対して、訳文の「植えてある」「常夏(撫子)」「咲いたばかり」「花をおって」について再検討することになりました。

 まず、「常夏」と「撫子」です。続く和歌の中に「なでしこのはな」と「やまとなでしこ」があるので、海外で翻訳する方の負担を軽減するために、ここで「常夏」は使わずに「撫子」だけにしたほうが、すっきりとした訳ができるのでは、ということです。しかし、「帚木」巻での例をもとにして、「常夏」は「床」が響いていて恋愛感情を込めたことばであり、それと我が子を「撫でて可愛がる」という意味と対比する意味を残しておくべきだ、との考えも出されました。

 これに関連して、私は池田亀鑑の『花を折る』に収録されている「花を折る」という随想のことを持ち出しました(129頁)。これは、ある外国人から『堤中納言物語』の質問を受けた時の話です。その巻頭に置かれている「花桜折る少将」の題名の意味と、それをどう英訳したらいいか、という問いだったのです。亀鑑は、返事に窮してしまった、というのです。亀鑑がその後調べての結論は、「容貌の美しいこと」という意味で使われているのではないか、ということでした。つまり、「花桜折る少将」を英訳する時には、「美男の少将」「美装をこらす少将」「伊達男の少将」の意味で訳したら、ということになります。
 今日、新宿での輪読会では、突然のことでもあり私がその詳細を思い出せず、こんな詳しい説明はできませんでした。今、 帰ってから『花を折る』を読み直して、正確なことを記した次第です。ただし、今回の場合は、あまり参考になりませんが……。

 さて、中国からの客人がいることもあり、中国語訳するならば、ということを聞くと、常夏も撫子もよくわからないとのことでした。青年だからでしょうか。ネットで調べると、中国でいわれる「石竹」がそれだそうです。ヨーロッパではカーネーション、イギリスではピンク等々。まったく同じではないにしても、世界中にあるようです。それだけに、その花の持つイメージが、各国語訳に影響しそうです。
 『枕草子』には「草の花はなでしこ、唐のはさらなり、やまともめでたし」とあるそうです。
 ヤマトナデシコがあるなら、ヤマトトコナツはないのだろうか、サッカーのナデシコ・ジャパンという名前は、海外ではどのようなイメージで受け取られたのだろうか、などなど、話題は尽きません。

 さて、肝心のここでの現代語訳は、次のようになりました。
「光源氏」は庭の茂みで、咲きはじめた常夏の花(撫子の別名)を折って

 そして、今後は動植物の名前は漢字で表記するように心がけよう、という確認をしました。

 今日は、花の名前で盛り上がり、あまり進めませんでした。
 次回は、6月25日(火)の18時半から、いつもの新宿アルタ横のボアです。
 よろしかったら、自由に参加してみてください。そして、いろいろなご意見をいただければ幸いです。
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2013年05月27日

井上靖卒読(165)「菊」「故里美し」「色のある闇」

■「菊」
 一人息子の性格破産者ぶりに悩まされていた父親は、息子の心臓が丈夫であることを知るとマラソンの選手にしようとします。しかし、親の期待通りにはいきません。
 息子は結婚すると、優しい人間としての姿を見せるのです。モヤモヤやイライラする人間の心の中が、一気に晴れるところを見せる作品となっています。【4】
 
 
初出誌:週刊朝日別冊
初出号数:1962年1月新年特別号
 
集英社文庫:火の燃える海
井上靖小説全集30:夜の声・欅の木
井上靖全集6:短篇6
 
時代:昭和、戦後?
舞台:日本(詳細不明)
 
 
 
■「故里美し」
 本作品で描かれている伊豆半島は、井上靖の原風景です。
 自分が生まれ育った村を離れてから、また訪れることになった心の高揚感が伝わってきます。新婚者を心中者と勘違いするなど、剽軽な話に仕上がっています。だだし、話のとじめが決まっていません。話が流れてしまっています。【1】
 
 
初出誌:小説新潮
初出号数:1962年2月号
 
講談社文庫:北国の春
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「色のある闇」
 昭和10年の春、28歳の早川は大津の女学校の図画の教師になりました。そこで、有紀子という生徒を知りました。昭和13年に早川は召集兵として名古屋へ行きます。昭和15年に戦地中国大陸から帰ってきた早川は、有紀子に結婚を申し込みます。しかし、うまくいきませんでした。
 女性の判断の複雑さというよりも、不可思議さが語られています。これは、その後の有紀子との顛末でも言えます。
 作者は考えながら書いています。そして、最後まで女性の心の移り変わりを描ききれなかったように、私には思えます。【2】
 
 
初出誌:小説新潮
初出号数:1962年8月号
 
講談社文庫:北国の春
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2013年05月26日

読書雑記(65)津村節子『紅梅』

 吉村昭の妻である津村節子の文章を読むのは初めてです。育子という登場人物が一体誰なのか、手探りで読み進めました。

 妻の仕事や生活を気づかう、吉村のことばが印象的でした。

あなたにも仕事があるのだから……(23頁)
君は君の生活を大切に……(28頁)
お前にはお前の生活があるのだから、(70頁)
毎日来なくてもいいよ(70頁)

 膵臓癌で全摘出後は、インスリンが出にくくなったことで、糖尿病の治療となります。この糖尿病のくだりは、私自身との関係もあり、読むスピードが上がります。毎日4回、私と同じ血糖値測定器を使った測定をする話があります。とても親近感をもって読みました。

 この作品は、私のとって非常に読みにくい文章でした。集中力が沸かないのです。途中で途切れるのです。筆者の吉村昭に対する熱意も、直には伝わってこないのです。

 恐らく筆者は、大変な中にあったことでしょう。そのためもあってか、本書では冷静さを保とうとする筆致が認められます。しかし、そこに私は筆者の覚めた目を感じました。吉村は果たして、こうした妻の対応に本当に満足していたのだろうか、と。

 そんな思いを抱くと、最後まで吉村は優しかったのだ、という思いを強くします。思いやりの吉村が、こうした行間から立ち現れてくるのです。

 舌癌に苦悶する吉村の姿から、その痛みが伝わってきました。ただし、吉村の心の内は、この文章からはうまく読み取れませんでした。人間の心の中を代弁することは、難しいのです。

 吉村の遺書のくだりは、もっと詳細に描いてほしいところでした。
 最後の、自宅に帰ってからのことです。その時にも、吉村は「お前には仕事があるんだから」(163頁)と言います。これに対して、妻は次のように思ったというのです。

本当に、小説を書く女なんて、最低だ、と育子は思った。

 読んでいて、こうした表現とこういったことを書く筆者に、非常に違和感を覚えました。何かズレているような。
 吉村と津村には、どうやら溝があるようです。失礼ながら、そんな感想を最後に持ちました。

 本書の帯には「全身全霊をこめて純文学に昇華させた衝撃作」とあります。
 
 
 

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 しかし、これが純文学で小説だとしたら、女主人公育子の発言や行動には、不用意な点が多すぎます。【1】
 
初出誌:「文學界」2011年5月号
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2013年05月25日

読書雑記(64)佐川芳枝『ゆうれい回転ずし 本日オープン!』

 『ゆうれい回転ずし 本日オープン!』(作・佐川芳枝、絵・やぎたみこ、わくわくライブラリー、講談社、2012年8月)を読みました。この作品は「小学中級から」となっているので、児童文学というジャンルになるのでしょう。
 
 
 

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 日頃はあまり手にして読むことのない分野なので、新鮮な気持ちでおもしろく読みました。ただし、読み手である私に大人の感覚が抜けきれないこともあってか、素直ではない感想を記すことになり恐縮です。
 井上靖が童話を書いています。それとはまったく違う世界が展開し、お話を楽しむことができました。

 さて、エレベータで転落するという事故に遭い、一平君は天界に行きました。エレベータのドアが開いたので乗り込もうとしたら、そこには箱がなかったので地下まで真っ逆さま、というのは、最近もあった事故なので生々しい始まりです。

 天界で一平は悲しくて泣いていました。少し本文を引きます。
 そこに、おしゃかさまが来て、
「おまえはほんとうなら、まだこちらに来るはずではなかった。だから、いずれかならず下界で店を開かせてあげよう。」
と、いってくれたんだ。
 店を出すのが決まったとき、おしゃかさまに、どんなすし屋をやりたいかって聞かれたから、回転ずしにしたいっていった。そうすれば、おとなも子どもも来てくれるし、気楽にたくさんすしを食べてもらえるだろ。(10頁)

 回転ずしのお店を開くことにしたのは、大人も子供も気楽にたくさんたべられる、というのが理由でした。
 天界料理人組合の理解を得て、一平君は下界でお店を出すことになりました。

 さて、下界では、魚屋の潮君がスーパーマーケットの友一君からイジメにあってピンチです。仕返し、仲間外れと、いじめの様子がわかりやすく描かれています。
 そこで、交通事故で天界に行った潮君のおじいちゃんの依頼で、一平君はお店を潮君がいる町で開店します。
 お店では、お皿を運ぶレールはなくて、宙に浮いて回っているのです。ゆうれいが経営する回転ずし屋なのですから、お皿も空中浮遊しているのです。

 やがて、潮君の家族と友一君の家族がこの回転寿司屋に無料招待され、一夜限りの寿司職人である一平君のとりなしで、お互いの誤解が晴れます。
 ここには、本当のことがわかればお互いは理解し合える、ということが語られています。
 このくだりは、もっと丁寧に語ってもよかったように思いました。仲直りの場面が、あまりにも急ぎ足です。

 また、職業に対する差別のことが、和解の場面では触れられないままに進行したことも気になりました。魚の臭いのことが、新鮮さと置き換えられていたのです。ここはもっと言葉がほしいと思いました。

 さらには、母親がクラス発表会を中座したのは、家族のことで病院に行くためだったということが、仲直りの場面では再確認されることなく、フォローもされていません。やはりここでは、家族を大切にするという意識を確認するためにも、これも両家が理解し合う内容の一つにしてほしかったところです。

 もう一点。イジメに対して潮君が【がまん】したことを褒める、という両親の対応には違和感を持ちました。
「(略)でも、大倉さんの、ごかいがとけてよかった。潮、いじわるされても、よくがまんしたわね。えらいわ。」
 お母さんは、ぼくの頭をやさしくなでた。お父さんも、
「負けん気が強いところは、おじいちゃんゆずりかもしれないな……。」
 ふたりにほめられて、
「ぜんぜん、たいしたことないよ。」
 ぼくは、ちょっと強がった。きのうの夜、ろうかで泣いたことは、ないしょだ。(100頁)

 ここでは、自分の身に降りかかっているできごとを、ありのままに語れる家族なり友だちを設定してもよかったように思います。
 後で、友だちみんなが誤解だったと謝ります。イジメの始まりは誤解にあり、誤解が解けたことでイジメがなくなる、というまとめ方はわかりやすいと思います。しかし、「イジメ」の対処を「ガマン」で遣り過ごすのは、問題の解決を読み手に問いかけていません。
 ゆうれいの話にイジメを真っ正面か持ち込んだのですから、正攻法でその問題の解決につながる道筋を語ってほしかったところです。

 あまり注文ばかりでもいけません。
 次の母親と父親の描き分けは、私なりに納得しました。よくある情景だと思われるし、ズバリと、いい指摘がなされていると思います。
「あなたっ、いったい、だれの味方してるのっ。」
 母親が、声をはりあげた。
「味方するとか、しないとかの問題じゃない。ほんとうのことを、聞きたいだけだ。このまま、うやむやにしたら、友一は成長してから、平気で弱い者いじめをする人間になるぞっ。」
「まあ……。」
 父親の、きびしい声に、母親は、だまってしまった。(83頁)

 ただし、男と女の役割分担の再確認を子どもに擦り込むものだと、この手の人物設定を問題視する方もあるでしょう。しかし、現実はこうしたやりとりが一般的にありそうなので、私は的確に両親の性向が描かれていると思います。
 また、この母親像は、次のようなフォローもされています。男女差について、バランス感覚があるようです。
 母親に背中をおされ、友一たちは、なだれこむように、車にのりこんだ。
 父さんも、あわててドアを開けようとしたが、あせってしまって、なかなか開かない。でも、お母さんは落ち着いていて、ドアをさっと開けた。(99頁)

 最後に、「きのうのおすし、おいしかったわねえ。回転ずしなのに、高級なおすし屋さんの味だったわ。」(129頁)とあります。
 著者が寿司屋の女将さんなので、しかたがないとはいえ、「回転ずし」と「高級なすし」の味を比較する意識に、私はどうしても従えません。そもそも、高級とは何なのでしょうか。味ではないはずなので、ここは値段なのでしょう。しかし、いい材料さえ使えば高級なのではなくて、あくまでもおいしいお寿司が食べられることが大事です。
最後の最後で、またまた違和感を抱きました。すなおじゃなくてすみません。【2】
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2013年05月24日

授業(2013-6)海外における研究成果を確認する

 海外で、日本文学に関してどのような研究成果が発表されているのかは、容易に知ることができません。
 そこで、平成15〜17年度に科学研究費補助金による実態調査をし、その一部を冊子体にしてまとめました。
 研究テーマは、「外国語による日本文学研究文献のデータベース化に関する調査研究」(課題番号:15320034、研究代表者:伊藤鉄也)でした。報告書は、『海外における日本文学研究論文 1+2』(伊藤鉄也編、303頁、国文学研究資料館、2006年3月、非売品)と題して発行しました。
 
 
 
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 これは、その前年に『海外における日本文学研究論文1』(2005年2月発行)を発行し、好評だったのでそれを受けてさらに増補して刊行したものです。

 ここで対象とした言語は、韓国語・中国語・ポーランド語・チェコ語・英語・ドイツ語・イタリア語・フランス語・オランダ語などです。併せて、外国語に翻訳された翻訳書・研究書の書誌解題と、研究史を整理するための資料集も刊行しました。

 なお、『海外における日本文学研究論文1』については、その「情報の一部(2,061点)」を閲覧・ダウンロードできるようにもしています。不十分なものです。しかし、こうした海外の情報が皆無に近いので、当座の役にはたつと思います。

 いずれにして、こうした情報は継続的に収集し、整理する必要があります。私が試みたのは、ほんの入口を作りかけたにすぎません。この後を、引き続き調査してくださることを願っています。

 国文学研究資料館では、「国文学論文目録データベース」を公開しています。日本文学に関する調査や研究をする人は、必ず利用するデータベースとなっています。

 ただし、ここには海外の研究成果はほとんど取り込まれていません。まとまって収録されているのは、「モニュメンタ・ニッポニカ」に掲載された論文等、数誌でしょうか。その理由は、「国文学論文目録データベース」が、日本国内で発行された全雑誌および編著書に掲載された論文を収集対象にしているからです。
 つまり、海外で発行された雑誌等に掲載された日本文学関係のものは、対象になっていないのです。そのため、この海外分が大きく欠落しているのです。

 これは、国際化が叫ばれている昨今、早急に取り組むべき今後の大事な課題です。ただし、それを実現するのは大変です。言語の違いや、発表された内容のバラツキに、どのような尺度で対処するか、という問題が横たわっているのです。
 さらには、作成する論文データの背景にある、次のような仕掛けも問題です。

 国文学研究資料館が公開している「国文学論文目録データベース」は、その収録論文一点一点について、その分野を専門的に研究している大学院生たちがまず読み、キーワードを付けます。そしてそれを、専門員といわれる先生方が点検した後に、公開データとしてデータベース化している実態があるのです。
 単なる、論文タイトルやサブタイトルで検索するシステムではないのです。
 そのデータの背後には、内容を読み取った上でのキーワードが付いていることが、意外と知られていません。

 一度、興味のあることばで検索をしてみてください。論文のタイトルや副題に書かれていないのに、たくさんの論文がリストとして提示されます。それは、それらの論文の中に、検索語に関する内容が書かれているのです。みなさんが、検索をしてとにかく驚かれます。それは、こうした一見何の変哲もないと思われている論文データの裏に、地道な作業という知識の集積という背景があるのです。

 今日の授業では、この海外の研究状況の確認の後、現在国文学研究資料館で開催されている展示「和書のさまざま」の資料を見てもらいました。そして、日本の古典籍に関する専門用語とその簡単な解説を通覧しました。
 これは、海外の方々と専門分野に関する話をしたり、文章のやりとりをする時に、共有すべき基本的な用語の情報を確認しておく必要があるためです。これを疎かにしていると、各自が勝手な思い込みと解釈で対峙することとなり、意思の疎通を欠くことになりがちです。

 できることならば、こうした専門用語の外国語訳が確定していたらいいと思います。しかし、残念ながら、まだそのグロッサリーとでも言うべき外国語と対照できる用語集はありません。このことも、国際化のためのインフラ整備として、早急に対処すべき課題です。

 海外における日本文学研究の実態と、海外の方々と研究成果を共有するためには、その研究基盤の整備が不十分であることを認識しておくべきだと思います。
 英語が理解でき、喋られるようになれば、それで国際化に対応できる研究者になれるか、というと、ことはそんなに単純ではありません。
 日本人の側に、基礎的な情報と資料が整理されていないのです。寂しい研究環境という、足下がおぼつかないままに、外国語の習得の重要さを若者に説くだけでは、いざ議論や討議をする中身に入った時に、何も共有する情報がなくて、無意味な世間話が展開するだけに終わります。

 日本文学研究の国際化には、インフラ整備という、日本側での基本的な素地が十分ではないことを、よく知っておくべきだということを強調しました。
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2013年05月23日

明日があると思うと気楽になる

 
これまで、明日は来ない、ということを前提にして生活をして来ました。
18歳の時に突然十二指腸が破れ、無事生き延びた中で身についたものです。
我が身を守るために、自ずとそうして来たのでしょう。
 
しかし最近は、明日がある、と思って日々を過ごすようになりました。
食事も、1時間以上をかけていただいています。
時間がもったいない、とは思わないようになりました。
 
明日が「ある」のと「ない」のでは、身構え方が大きく異なります。
先延ばしは、ずるずるとけじめがなくなりそうで、怖い気もします。
しかし、そこから生まれた余裕は、明日からのエネルギーになるようです。
 
仕事のペースは、我ながら感心するほど、スローテンポになりました。
かつては一気にこなしていたことも、今は小分けにして取り組んでいます。
慌てず騒がず、マイペースを守ることを心掛けています。
 
いろいろな方に迷惑をかけていることでしょう。
しかし、約束した今日はだめでも、明日できれば、それでよしとします。
結果として迷惑を最小限にできた、と考えられるようになりました。
 
昨秋、NPO法人を立ち上げ、今春その設立を実現しました。
若い人たちが、使命に向かって積極的に運営に関わっています。
明日へ、明後日へと引き継がれることの素晴らしさを、日々実感しています。
 
明日に持ち越す甘えた考えに、気が引ける時もあります。
それでも、明日がある、と思うと、気分が楽になります。
若い人たちに託す、ということは、いいものです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 健康雑記

2013年05月22日

江戸漫歩(64)新宿の岐阜屋で鋭気を養う

 これまでに何度か書いた、新宿の思い出横丁にある岐阜屋に行きました。

「江戸漫歩(57)新宿西口ガード脇の岐阜屋で」(2012年10月17日)
 
 
 
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 この私にとって馴染みのお店で、向暑に備えて妻と鋭気を養ってきました。

 ここは、学生時代からよく来る飲み屋さんです。かれこれ40年になります。店の佇まいも雰囲気もまったく変わりません。変わったことと言えば、あの頃おられた白い帽子を被った小さなおぢちゃんの姿が、今はもうないことです。

 今日は、行くと必ずと言っていいほど一人でおられる、笠智衆さんにそっくりのダンディーな方の姿が、入口近くに見えなかったのが残念でした。この次を楽しみにしましょう。ゆったりと、そして穏やかな顔で飲んでおられる姿は、気品すら感じます。千葉からお出でになっていたので、今日はもう少し遅くにいらっしゃるのでしょうか。

 私は、モツ煮、レバいため、餃子、トマトと焼酎のお湯割りをいただきました。いつもよりもサッパリしていたので、私にはピッタリの味付けです。

 お客さんは、会社帰りで一人の方が多いようです。女性は、あまり見かけません。時々、海外の方が大挙してカウンターを占拠しておられます。
 お腹いっぱいになって、それで千円少々です。ここで飲んだ帰りは、少しほろ酔いの千鳥足となり、満ち足りた気分になるのです。

 これも懐古趣味だと言われそうですが、とにかく私にとっては居心地のいいお店なのです。
posted by genjiito at 21:56| Comment(0) | 江戸漫歩

2013年05月21日

『和泉式部日記』に関する研究ノート

 国文学研究資料館の広報誌である『国文研ニューズ No.31 SPRING 2013』(平成25年5月10日発行)に、私の研究ノートとして「『和泉式部日記』の本文異同への新視点 ─傍記混入から見えてくるもの─」が掲載されました。最近興味を持って資料を集め、本文を繰り返し読んで考えていることの一つを提示しています。ここでは、傍記混入の一例に限定し、具体的に画像を挙げて整理をしました。
 
 
 
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 これは、昨秋開催された「第15回国文研フォーラム」(平成24年11月21日)で研究発表した内容を広く知っていただくために、その要点を平易にまとめたものです。
 ただし、お恥ずかしいことに、1文字の誤植があります。それは、後半に4枚の影印画像があるところで、右から2番目の画像の下に付したキャプションで、【応永本(一九丁裏一行目)】とある文字の中の頁数を示す「一丁」は、実は「一丁」の間違いなのです。ここに明記して訂正します。

 当日の内容は、本ブログ「『和泉式部日記』に関する研究発表をしました」(2012年11月21日)で報告した通りです。こちらも、ご参照いただければ幸いです。

 なお、今号の表紙に掲載された『源氏物語』の写本については、背表紙に次の説明がなされています。


表紙絵資料紹介
〔源氏物語〕(当館蔵)
存45巻。〔紫式部〕作。天文16年写。大本45帖。
縦28,2糎×横19,0糎。標色表紙改装。中央上に金銀下絵入りの原題簽を貼り、「はゝき木」「末つむ花」などと巻名を記す。料紙は斐楮混ぜ漉き。列帖装。一部の帖は補写。「@桐壼」「B空蝉」「D若紫」「I賢木」「Q松風」「㊱柏木」「㊴夕霧」「㊷匂宮」「(54)夢の浮橋」の九帖を欠く。補写を除く帖に「天文十六年〈丁/未〉正月二十五日/蒲池近江守鑑盛(花押)/右筆以泉(花押)」との奥書を有する。  (神作研一)


 国文学研究資料館には、数多くの古写本があります。ぜひ、立川まで足を運ばれ、鎌倉時代や室町時代、そして江戸時代の写本を自分の手にとって、じっくりと見てください。
 写し伝えられてきた写本には、それを写した人の息づかいと共に、その背後にある文化などが五感を通して伝わって来ます。
 一般には、現代の研究者によって統一的に整理された、活字の校訂本文だけで読む傾向にあります。しかし、現代版の異文での受容だけではなくて、こうした古写本でその原典の姿を確認する中で、時の流れや人の手を経て今にある古典文学のさまざまな本文を読む、文献学に立脚した受容もあります。いろいろな経緯で伝えられて来ている多種多様な本文を、薄皮を捲るように丁寧に読み解く若い方々が増えることを楽しみにしています。
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | 古典文学

2013年05月20日

ソニーのカメラを修理してでも使い続ける

 愛用のソニーのデジタルカメラ「サイバーショット DSC-WX10」(2011年製)が壊れました。
 レンズのズーム部分である筒が、本体内部に収納されなくなったのです。
 レンズが引っ込まなくなり、背面のパネルに指示される通りに電源を入れ直しても、同じ表示の繰り返しで、まったく撮影はできません。
 
 
 

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 東京銀座のソニービルへ行き、修理のために預けてきました。
 すぐに見積もりに関する連絡があり、こうした場合の修理費用として一律に設定されている11,760円が提示されました。
 ネットで見ると、新品は2万円ほど、中古は5千円から9千円です。なかなか悩ましい修理費用です。
 しかし、とにかく手に馴染み、気に入っているデジタルカメラなので、修理をしてもらうことにしました。

 最近、ニコンから掌にすっぽりと収まる、名刺大のサイバーショットよりもさらに一回り小さなカメラが発売されました。これに触手を伸ばそうとする自分がいることに気づいています。しかし、ニコンの製品としては、別に古写本などの紙の繊維を80倍に拡大して撮影するためのカメラを持っています。ただし、それは操作に違和感があり、使いにくいのです。顕微鏡のように使うためには、接続する機器の関係でニコンしか選択肢がなかったものです。
 デジタルカメラとしては、やはりソニーを使いたいという気持ちを、今もずっと強く持っています。

 掌サイズのデジタルカメラについて、ソニーからこの夏の商戦に向けて投入される機種に、超小型はないことがわかりました。もし仮にソニーから出るにしても、年末のことのようなので、今は修理で済ませ、それまでは時間稼ぎをすることにしたのです。

 カメラを修理に出したのが今月の9日。直ったとの連絡が13日。引き取ったのが17日でした。
 対応は早かったと思います。
 この間、ブログの写真は、iPhone のカメラと、家族が使わなくなっていたカシオのデジタルカメラで撮影していました。葵祭を含めて、それなりの写真にするのに、フォトショップをフルに活用して補正をしたものです。

 修理に関して結局は、本体のほとんどの面積を占めるレンズ部分一式の交換でした。明細書には、「症状・レンズ不良/箇所・光学部/作業内容・レンズクミタテ/状態・不良/処置・交換」となっています。
 修理と言うよりも、レンズ周辺の部品ブロックをごっそりと交換することによる対処です。精密機器の場合には、よくあることです。

 小さくて高性能の商品は、かつてはソニーのお家芸でした。それがソニーの魅力の1つでもあり、これまで私は、デジタルカメラはソニーのサイバーショットばかりを使っています。

 私が初めてインターネット空間にホームページ〈源氏物語電子資料館〉を立ち上げたのは、1995年9月でした。その頃は、フイルム式カメラと共に、アップルの「QuickTake 100」(1994年発売)というデジタルカメラを使い出した時でした。
 そのちょうど一年後に、サイバーショットの初代機である「DSC-F1」が発売され、すぐにそれに飛びつきました。レンズ部分が回転する、ユニークなデザインでした。それ以来、デジタルカメラはずっとソニーなのです。
 もちろん、テレビもビデオ(β タイプ)もビデオカメラもラジオも。パソコンも、ソニーはウインドウズ搭載マシンでしたが、それでも折々にバイオを買いました。持ち運びが便利だったので、もっぱら海外出張に携行しました。普段は、ずっとマッキントッシュです。今は、超薄型のマックブックエアーでほとんどの仕事をこなしています。

 こんな話は、本ブログの「リコール対象商品だったソニーのデジカメ」(2009年7月25日)で詳しく書いています。ご笑覧を。

 そう言えば、娘の結婚相手には、アップルとソニーの製品を愛する男、という条件を付けていました。
 結果としては、携帯電話はアップルの iPhone を、パソコンはソニーのバイオを使っているようなので、一応合格としておきましょう。

 さて、がんばれソニー、と言う時代は終わったそうです。もう、ソニーの役割と使命は終わった、というのが定評です。しかし、これまでソニー派を自認してきた私としては、まだソニーという会社は存続してほしいし、その潜在能力は充分にある会社だと思います。多分に、旧懐の情による判官贔屓だ、と言えますが。

 ソニーがアップルに対抗するには、体力も知力も、もうないと思われます。しかし、ソニーらしさはどこかで発揮して、いかにも、という商品をいつかは開発してほしいと願っています。
 かつてアップルでは、ソニーの商品を使い込むことで、マッキントッシュを開発していたそうです。ソニーとアップルが組むという話も、何度か出たことがあります。しかし、今は完全にソニーは置いてきぼりを食らっています。それでも、やはり私は、ソニーという会社が好きなのです。
 日頃は、アップルの商品ばかりを使います。その中で、デジタルカメラだけは、このソニーに拘っています。

 その意味からも、今回も修理をすることで、私にとって唯一となったソニーのカメラを使い続けることにしました。
posted by genjiito at 22:04| Comment(0) | ◆情報化社会

2013年05月19日

読書雑記(65)筒井紘一『茶道具は語る』

 『茶道具は語る ─記憶に残る茶事を催すコツ─』(筒井紘一、淡交社、2013年3月)を、楽しく読みました。
 
 
 
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 写真が多いので、楽に読み進められます。
 もっとも、茶道を始めたばかりの初心者である私には、お客さまをもてなすための趣向や茶事の極意は、レベルが高すぎてひたすら仰ぎ見る気持ちで展開を追っていきます。分不相応な内容です。しかし、茶道についての視野が広がり、今の自分のレベルなりに得るものが多い本でした。

 終始、著者筒井氏のこだわりが伝わってきます。
 まず、持論である「する茶」のすすめが語られます。女性のための「教える茶」になっている現状に対し、本来のお茶を思い、「する」と「教える」という二つのバランスが程よくとれた状態を理想とされます。そのためにも「教える」に傾き過ぎている傾向に対して、「する」の復活を提唱されているのです。

 このことは、昨日紹介した「読書雑記(64)筒井紘一『新島八重の茶事記』(2013年1月、小学館)」(2013年5月18日)に通底する考え方でもあります。

 さまざまなお茶の実践を語られる中で、私は特に、『源氏物語』で遊ぶ話に興味を持ちました。二番目の章である「源氏物語「匂宮」に遊ぶ」がそれです。本ブログの末尾に、その内容の一部を引用しておきました。
 『源氏物語』に関する茶道具を用いた茶会の演出には、初級レベルの私には眩いほどの世界を垣間見ることとなりました。それでも、こうした遊びに『源氏物語』が関わることに、大いに興味を持ったのです。文化としての知識を共有する中で、一座を作ることのおもしろさが伝わって来ました。
 ただし、これは誰にでもできることではありません。ある特定の、限られた方々にしか実現させられない、一線を画したハイレベルな遊びです。それだけに、そうした世界を覗き見ることの楽しみを楽しめた、とも言えます。

 小林逸翁の話は、伊井春樹先生が逸翁美術館の館長をなさっていることもあり、身近で興味深い例として読みました。「丼茶会」や柿の天麩羅をカボチャと間違えたことなど、おもしろい話です。

 以下、興味を持った箇所を、備忘録として抜き出しておきます。
 

・文化・文政期(一八〇四〜三〇)を経て、天保の時代に入ってきますと、江戸や京・大坂などの富裕町人の子女たちをも含んだ私塾が多数誕生いたします。大坂で私塾を開いた跡見重敬の娘滝野(花蹊・一八四〇〜一九二六)は京都や大坂に開いた塾で、読み書き・算盤のほかに、女子には茶道と生け花、裁縫を教えるなどして、明治八年(一八七五)には東京に跡見学校を設立して、学校における茶道教育を始めます。(9頁)
 
・圓能斎は八重と相談しながら京都市立第一高等女学校(現在の堀川高校)であるとか、京都府立第一高等女学校(現在の鴨沂高校)に茶儀科を設けて女子教育を行うようになりました。それが、現在、女性が茶道人口の九十パーセントを超えるという状況の原点の一つでありました。こうして飛躍的に伸びた茶道人口でありましたが、女子教育が原点にありましたので、「教える茶」が主になってしまい、茶道の本来の姿である「する茶」が後退してしまったところがあります。しかし、「する茶」と「教える茶」は車の両輪であり、一方に比重がかかりすぎると上手く動かなくなってしまいます。現在はどちらかといえば茶道界は「教える茶」に傾きすぎています。だから、これからは、「教える茶」の中に「する茶」が復活するように心がける必要があると思います。(11頁)
 
・茶道とは「日常茶飯事」を基本にしながら精神性と感性を育てる生活文化です。「する茶」が増えれば男性茶人が増えるに違いありません。そして「する」ためには点前作法を挙ぶ必要があり、教える茶人も自ずから増えてくるはずです。(14頁)
 
・『源氏物語』と茶とのかかわりは古く、鎌倉時代末期に始まった闘茶のなかに見ることが出来ます。それは「源氏茶」といわれるものですが、そのもとになったのは聞香の「源氏香」であったと思われます。そのため、競技のしかたは源氏香と同様に五種類の茶を使って産地を当てていく遊びです。(中略)
 当時の茶人たちは『伊勢物語』『源氏物語』『平家物語』などの知識を能楽から吸収したと思われます。その中で『源氏物語』をモチーフにして好み道具を製作した代表的な歴代家元は玄々斎ではなかったでしょうか。好み物の中には「源氏棗」を代表に、樂慶入作の「兎耳水指」などがあります。そして近代になって、「与謝野源氏」や「谷崎源氏」というように現代語訳が出版されるようになると、今回取り上げた「御幸棚」を始め、永樂即全の源氏茶器などが作製されるようになりました。(18頁)
 
・今回は『源氏物語』をテーマにした茶道具の取り合わせを試みることにしました。永樂即全がやきもので行ったように『源氏物語』をテーマにした茶道具の取り合わせは五十四帖のすべてで出来るわけですが、ここでは梅をテーマにして「匂宮」を素材にした道具を取り合わせました。(中略)
 茶会では彼らが六条院へ向かう道中から始めたいと思います。(中略)
 道具の取り合わせは、江戸時代中期に描かれた『源氏物語』の貼交ぜ屏風の中の「匂宮」の掛物を待合に掛け、下に横笛と楽器蒔絵の筒を荘りました。本席の掛物は、認得斎の筆になる二字「梅酔」の横物、花入は宗旦作の尺八銘「鶯笛」を柱に掛け、花は紅白梅。香合は二人の貴族を象徴させた古染付「万歳烏帽子」。無限斎好の御幸棚に、仁清作の箪瓢形の水指を載せてみました。茶碗には関白鷹司政通公手造で「雅の友」銘の赤茶碗と、永樂保全作の呉須赤絵写し「魁」茶碗の二種。薄器は公家好みのものをと考えて、近衛予楽院好の木賊蒔絵中次にして、冷泉為村作の茶杓、歌銘「うへそへし園庭の竹一ふしに千代こもれとて雪のつもれる」を合わせました。最後は、末富製の菓子「舞の袖」で締めくくることにしました。(21〜25頁)
 
・茶会の料理は、正式の折敷に四つ椀がなければ懐石にならないと考えるのではなく、逸翁の丼会のように、鱠仕立の向付を盆に載せて一献目を出し、次に焼物か天麩羅か和え物で二献目を出したら、親子丼か鰻丼などで食事にして前席を終え、席を替えて濃茶・薄茶を頂くという仕方での茶事の普及を図るべきだと考えます。読者諸賢のご主人や周囲の男性たちに茶道を普及していかれてはいかがかと思います。茶道普及の一つの在り方だと思います。たとえ正式でなくても酒と食という日常茶飯が茶事の基本だと知れば、男性は必ず興味を持つはずです。なぜなら、食事が出来て、酒が飲めて、長生き出来る茶が飲めるとなればこれほど有り難いことはないからです。食事をし、酒を飲みながら「雑談」に花を咲かせればよいのです。ただ、茶席の雑談は「数寄雑談」といって、『山上宗二記』のなかで、牡丹花肖柏の歌を引いて次のようにいわれております。それは和歌や連歌で詠んではいけない内容と同じものだというのです。内容は、
  世間之雑談悉無用也、夢庵狂歌ニ云
  我仏隣の宝聟舅天下軍人乃善悪
というものです。宗二が、茶人として心得なければならない十の教えを説いた「茶湯者覚悟十体」に続く「又十体」のなかの一つです。宗教や婿や舅のこと、さらには人の持ち物や善し悪しのことは世間雑談といって話題にしてはいけない内容だというのです。では数寄雑談の基本は何かといえば「花鳥風月」です。花鳥風月を話している限りは人間関係にもひびは入らないし、取り合わせに大切な感性を磨くことが出来るからです。(99〜100頁)
 
・茶を学ぶ方々で趣向の茶会を催そうとする場合は勿論、客人となって出かけられる機会のある方々は、宮中儀礼を少しでも多く知っておかれることをおすすめいたします。(105頁)
 
・私は、現代の茶道界は「教え・学ぶ茶」になってしまっていて「する茶」が忘れられていると思っています。茶道は、「教え・学ぶ茶」と「する茶」の両輪がバランスよく動いて、初めて全うしたことになります。まずは小林逸翁の行った「丼茶会」から始めようではありませんか。(191頁)
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2013年05月18日

読書雑記(64)筒井紘一『新島八重の茶事記』

 『新島八重の茶事記』(筒井紘一、2013年1月、小学館)は、非常に興味深い話が書かれています。茶道を始めたばかりの私は、その歴史を特に注意深く読みました。
 
 
 
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 著者は、八重の人生はNHKが『八重の桜』で取り上げるような、会津戦争の明治維新の激動期ではない、と言います。夫を亡くしてからの40数年間に注目すべきだ、と。
 新島八重は、今や大河ドラマを中心として各方面で話題の人です。ただし、それは京都に出るまでが中心の展開のようです。本書では、京都に出て新島襄と結婚した後、襄の死後に茶道に邁進した八重の姿が描かれています。
 八重は、「今日の茶道のあり方を決定づけた一人」だそうです。茶道界は、明治を境にして、男から女へと移っていった、と著者は言います。


江戸時代までの茶道は九分九厘が男性のものだった。茶会では、客として高貴な女性がいただくことはあったかもしれないが、女性が茶を点てることはほとんどなかっただろう。ところが、いまでは逆転して、八割かそれ以上が女性によって占められている。ではなぜ、女性中心の茶道界になったのか。また、それはいつからなのか。この変化のきっかけのひとつが八重の存在だったのである。(26〜27頁)


 八重が裏千家に入門したのは、夫の死後、50歳になってからです。そして、短期間に道を極めたのでした。
 また、明治維新を機に、理解を失った茶道の復興に対する動きも、本書では活写されています。明治初年の、玄々斎と八重が果たした役割は大きかったのです。
 茶の湯に生きた晩年の八重が浮き彫りにされていきます。茶人である筒井氏の目が行き届いているからこそ語られる、茶人八重の姿が立ち現れてくる話となっています。

 八重が開いたとされる女性とお茶の道は、今、働く女性たちによって新しい役割が期待されているそうです。これからの女性とお茶は、これまでの花嫁修業としての茶道をどのように変質させ、意味づけられていくのでしょうか。興味深い問題であり、これからの動向がますます楽しみです。

 巻末資料の略年表で、明治8年に跡見学園に点茶の科目が設けられた、とあるのが目に飛び込んで来ました。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の運営メンバーには、跡見学園で神野藤昭夫先生の教え子に当たるみなさんが大活躍しているので、これは私にとっても楽しいネタになります。

 「おわりに」で述べられる以下のことばには、今ある問題を鋭く指摘しておられるように感じました。

近代茶道は、圓能斎と八重の邂逅によって花開いたと言っても過言ではない。しかし、男性のものであった茶道が、女子教育の重要な拠点としての「教え学ぶ茶」になった事で、茶道本来の「する茶」がおろそかになったのも事実である。茶道とは、「教え学ぶ茶」と「する茶」の両輪がうまく回っていくことで全うするものである。近代茶道といっても、特に敗戦後の茶道界が「教え学ぶ茶」をしているのは、利休以来の茶道のあり方としては間違った方向へ進んでいるような気がして仕方がない。今後は両輪が一本の軸を中心にしてうまく回っていくことを願ってやまない。なぜなら、それが八重も望んで果たせなかった茶道の源流に戻ることになるからである。(125頁)
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2013年05月17日

授業(2013-5)葵祭と古典文学のことを海外の方に伝える

 受講者と私が共々葵祭に参加していたこともあり、その話から始まりました。
 学生の行動を聞くと、東山から嵯峨野へ、そして北山までに及んでいました。
 しかも、自転車ではなくて歩いての行程と聞いて、その若さに驚嘆しました。

 桐壺(淑景舎)があったとされる場所から大極殿跡へ行くなど、平安時代の内裏の辺りも散策したそうです。
 現地踏査としては、積極的に尋ね歩いたようで、頼もしい限りです。

 現在の京都御所が、今から千年前にも同じ場所にあったかのように勘違いをしている人が多いようです。
 そうした中で、二条城の北側一帯の西陣地区を歩いたことは、頭の中に平安京を思い描く上でも大きな成果です。
 『源氏物語』と『枕草子』を研究対象にしている学生だけに、今回の体験が今後の作品の読解に活かされることでしょう。

 次の機会には、北の船岡山と南の羅城門に立ち、南北のラインをしっかりと見て来ることを勧めました。
 東山の平安神宮から嵯峨の清涼寺までも移動したとのことなので、東西のラインは大丈夫です。

 学生は上賀茂神社で私は下鴨神社に陣取っていたので、お互いに異なる場所で葵祭を見ていたのです。
 それだけに、話をしてもつながりが生まれ、うまく噛み合います。
 そこで、この葵祭を海外の方に説明することを想定して、各人に話をしてもらいました。
 「勅使」ということばは使えません。「斎王代」もむつかしいことばです。
 これらは、今の時代にあった表現で、海外の政治や思想の風土を想定して置き換え、わかりやすく説明することになります。これは実際にやってみると、意外に難しいものです。

 日本の文化を異文化圏の方に伝えるためには、さまざまな表現の工夫が必要です。自国の文化を理解しておくことはもちろんのこと、相手の文化についての理解もないと、うまく言いたいことも伝わらないのです。
 英語さえ流暢に話せたらいいのか、というと、内実が伴わない表現では、なかなか相手には伝わらないのです。そうであるならば、日本語でもいいので、わかりやすい表現で伝えることだと思います。そこまで説明する必要のある方は、日本語の理解力はあるし、ある程度の日本文化に対する知識も持っておられことが多いのです。今はあくまでも、研究を志す方々を対象にしての場合ですが。

 今回の場合は葵祭のことであり、歴史と宗教と風俗と地理などが複合的に綯い交ぜになっています。そこを、うまく整理しながら話を組み立てるのです。特に宗教は、海外方の方の意識が高いので、古代の日本人のものの見方や考え方を取り入れれば、風俗ほど苦労せずに何とか伝わるものです。

 時間の最後に、海外に散在する日本の古典籍をデータベース化した「コーニツキ版 欧州所在日本古書総合目録」の確認をしました。これは、ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ先生が調査された情報を、インターネットを通して国文学研究資料館から公開するお手伝いをしている成果です。特にヨーロッパの場合を例にして、このデータベースを検索し、それと同類の本が日本のどこの大学・図書館・資料館にあるのかを見ました。
 さらには、その資料が国文学研究資料館にマイクロフイルムとして収録されている場合は、その請求番号がわかることまでを。
 居ながらにして現物の写真を見て確認できる過程を、ネットを通して追認してもらいました。もちろん、マイクロフイルムのデジタル公開は、現在も日々鋭意進んでいるところです。今後は、さらに便利な研究環境が提供されることになります。
 ヨーロッパには、版本は数多くあっても、古写本はほとんどありません。しかし、海外の方々との学術交流においては、こうした情報の確認はかかせません。

 今日は、文学作品の舞台を経巡って実感実証することと、写本や版本で伝えられてきている作品の実態を確認する一例を見たことになります。
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | ◆国際交流

2013年05月16日

京洛逍遥(277)初夏の賀茂川で草滑りの子供と鷺と

 賀茂街道沿いの土手の斜面で、保育園の子供たちが段ボールで草滑りをしていました。
 
 
 
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 歓声が沸き上がる中、見ているこちらがハラハラします。しかし、先生は手慣れたもので、一緒に滑ったり、擦りむいた子に絆創膏を渡したりと、名演出家ぶりでした。

 私の頃はゴザを使っていました。小学校の4年生までは出雲にいたので、出雲大社の方へ流れる、ヤマタノオロチがいたという神門川や斐伊川の土手で、天気のいい日には一日中滑って遊んでいました。

 この賀茂街道は、この後は葵祭の路頭儀の行列で賑わいました。賀茂街道の新緑のトンネルは、まさに平安時代もこうであったのでは、と思わせる並木道です。

 賀茂川では、いつものように鷺たちが思い思いのポーズを見せてくれます。
 辺りを窺う鷺、沈思黙考の鷺、ゆったりと歩く鷺、少し寂しそうな鷺、などなど。
 
 
 
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 夏の近いことが、川風と日射しを通して、肌に伝わって来ます。
posted by genjiito at 23:36| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年05月15日

京洛逍遥(276)下鴨神社の葵祭-2013

 昨日来、京洛も30度を超える暑い日となっています。
 今年の葵祭は、何かと忙しかったこともあり、行列を見る時間の余裕がありませんでした。ただ、下鴨神社から上賀茂神社へ出発する直前に下鴨本通りで待機していた、藤の花房で飾られた唐車だけは見られました。
 
 
 
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 狭い沿道は、大変な人混みでした。自転車の私は、この道路を渡るのに苦労し、結局は出町の方まで下ってから、どうにか糺の森に入れました。

 今回も、下鴨神社の禰宜の嵯峨井健さんから、懇切丁寧なお話を伺いました。嵯峨井さんは大学の先輩で、先年学位も取得された学者神官とでも言うべき方です。神仏習合に関してお詳しく、いつもいろいろと教えてくださり、得がたい勉強をさせていただいています。

 今日は、本殿に続く拝殿の廊下で、『鴨社古絵図』をもとに下鴨神社の社殿と仏教施設のことを中心にした話から伺いました。仏教は比叡山に関わる天台宗だそうです。ちなみに、上賀茂神社は真言宗との関わりがあるそうです。
 
 
 
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 この『鴨社古絵図』は、平安時代の社頭の景観がよくわかる、室町時代の書写といわれている資料です。原本は、現在は京都国立博物館の所蔵となっています。江戸時代に書写された絵図は、宮内庁書陵部にあります。
 この古絵図については、難波田徹氏が「京博本(旧鴨脚家蔵)賀茂御祖神社絵図について」(糺の森顕彰会編『鴨社古絵図展図録』下鴨神社社務所、1985年)で詳しく述べておられます。

 私は、この絵図の左上にある、写真でちょうど嵯峨井さんが指さしておられる「賀茂斎院御所」に興味があります。ここは、応仁文明の乱の折に、兵火で焼失したようです。かつては葵祭の時に、斎院が使った御所で、今は大炊殿や葵の庭が復元されている場所です。歌会など、斎院の文学サロンになっていたと思われます。

 お話を伺っていた時、ドラマ平清盛で崇徳院役を演じられた俳優の井浦新さんが横を通られました。今年の広報誌『平成二十五年 葵祭』にエッセイが掲載されていることから、お詣りされたようです。

 本殿前で、嵯峨井さんがご奉仕なさる姿を拝見することができました。
 
 
 
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 嵯峨井さんの祝詞は、初めて拝聴しました。格調高くわかりやすい発声で、周りが清められるのが実感できました。後で聞くと、自分が発声しやすい調子で、しかも即興だとのことでした。確かに祝詞は一回きりのものなので、紙を見ながら決まり切った文言を読み上げる、というものではありません。
 また、特に決められた抑揚があるわけではなく、ただ一本調子で言挙げするのが基本だとか。声明などの独特の調子はないのです。何か流派でもあるのでは、と思っていたので意外でした。日本の神さまは、本当に平明なのです。

 本殿を間近に見るのも初めてです。
 
 
 
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 平成27年4月27日に、第34回目の式年遷宮が行われます。そのため、今年は仮遷宮が3月20日に斎行されました。写真正面は、賀茂玉依媛を祀る東本殿です。この左側には、玉依媛命の父親である賀茂健角身命を祀る西本殿があります。先ほど嵯峨井さんは、この東西本殿の真ん中の空間に向かって、左右の祭神に祝詞をあげられたのです。
 キリスト教のマリアさまの夫といい、この玉依媛命の夫といい、この父親の存在が曖昧であることには、興味深いものがあります。

 東本殿の右側に、白木の殿舎があります。これは、今春、御魂を東本殿から遷された仮本宮で、本殿の3分の1の大きさの柿葺の社殿です。式年遷宮までの2年間は、この下鴨神社では東西の仮本宮でご祭神がお祀りされるのです。私は、伊勢神宮のように隣に別の敷地があって、そこに遷されたとばかり思っていました。意外とすぐ後ろにあり、びっくりしました。

 本殿前に鎮座する狛犬の話も、興味深く伺いました。向かって右が獅子で、左が狛犬です。外からは見えませんが、中にはさらに二組の獅子と狛犬がいるそうです。特に一番奥にあるものは、小さくて可愛いのだそうです。拝見したくても、我々には見ることのできないものです。また、本殿の内部は、御所の清涼殿に似ているとも。このことは、後日にでも確認します。

 インドのネルー大学から京都大学大学院に国費留学生として来ているアルチャナさんも一緒にいたので、嵯峨井さんはインドのことを尋ねておられました。アルチャナさんの話では、インドでは西から東に向かってお祈りするのだそうです。日本の神社では、北に向かってお祈りをします。方角に関して、民族と宗教の間にある違いは、さまざまなことを教えてくれます。
 また、北枕は日本と同じように避けられているとのことです。
 狛犬はインドにはないにしても、ヒンドゥーの神さまの前には、ガネーシャという動物の象や、ハヌマーンという猿などがいます。宗教と動物の取り合わせも、おもしろいことがありそうです。

 帰りがけに、「よる瓮の水」という表示板を見かけました。
 
 
 
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 これは、境内からは何かあることが見えても、この標識に何が書かれているのか、また何なのかがわからないものです。
 「Yahoo!ブログ・三日月の館 2」の「下鴨神社 その4」には、次のような紹介文と写真が掲載されています。

奥に「よる盆(べ)の水」と読める説明板が建っているが、社殿に向いているので通常の参拝者は読めない。

 
 
 
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 私も、特に気に留めていませんでした。しかし、今日初めてよく見ると、何と『源氏物語』に関する説明が記されていたのです。これは、紹介しないわけにはいかないので、以下に翻字しておきます。

よる瓮(べ)の水
「源氏物語」幻の巻、賀茂祭
(葵祭)の日の条に、光源氏の歌とし
て詠まれている御神水。
 さもこそは よるべの水に 水草の
  けふのかざしよ 名さへ忘るる
 歌の意味
いかにも、御神前の「よる瓮の水」
に水草が生えている。御祭の挿頭
の葵の名さえ忘れかけている。
 「よる瓮の水」について
古代から水の神として信仰の厚い
玉依媛命(御本宮東殿の御祭神)の
御神霊が寄せられた御神水。

 ただし、この説明の文章を読み、何か胸騒ぎがしたので、先ほど調べてみました。それは、「さもこそは〜」という歌の第3句「水草の」に関してです。
 手元の『新編日本古典文学全集 源氏物語4』(小学館)では、「水草ゐめ」という本文を示し、「水草が生え」と訳しています(538頁)。さらに私が蓄積している古写本の翻字資料のデータベースを検索しても、「水草の」とする本文は一つもないのです。
 この説明が何によってなされたのか、機会を改めて調べてみたいと思います。

 また、なぜここに『源氏物語』を引いて、この手水の説明をしているか、ということについても疑問を持ちました。すると、上賀茂神社に関して、ネット上に以下の解説があることに行き着きました。


寄辺水(よるべのみず)
楼門の右手前にある片山御子社(片岡社ともいう。祭神玉依媛命)の背後にある片岡の森にあったという。『莵芸泥赴』に「片岡の後に寄辺の水あり。むかし井ありて三世の影を写すゆえ衆人集まりて群をなせり。よりて井を封じて終に埋れて今の世にその所を知る人まれなり」とある。片岡の森は京の都でも有名な森で、『枕草子』にも「森は片岡」とある。また、紫式部も「賀茂に詣でで侍りけるに、人のほととぎす鳴かんと申しけるあけぼの片岡の精おかしく見え侍ければ、ほととぎす声まつほどは片岡のもりのしずくに立ちやぬれまし〞(新古今和歌集)」とこの森の素晴らしさを歌に詠んでいる。(HP「京都歩く不思議事典」より「上賀茂神社の不思議」の項、http://www.eonet.ne.jp/~kyoto-fushigi/sub1.html
 
 
「社の後ろにかつて、「よるべの水」をたたえた甕三個があったというが、天正年間(1573-1593)に地下に埋められたという。」(HP「京都寺社案内」より「上賀茂神社」の項、http://everkyoto.web.fc2.com/report1.html


 とにかく、今はここまでにしておきます。また何かわかれば、報告します。

 帰りに、嵯峨井さんから教えていただいた、平安期の流路とされる小川を見ました。ここは、関白賀茂詣での場所でもあったのでは、とのことでした。
 いろいろと楽しい発見の多い葵祭となりました。
 嵯峨井さん、長時間お話をしていただき、ありがとうございました。
 ますますのご活躍をお祈りしています。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年05月14日

第2回池田亀鑑賞は岡嶌偉久子氏の『林逸抄』に決定

 第2回の池田亀鑑賞は、岡嶌偉久子氏の『林逸抄』に決定しました。
 これは、おうふうから刊行中の「〈源氏物語古注集成〉の第23巻」にあたるものです。
 池田亀鑑賞のホームページに、「受賞作に関する情報」が掲載されています。

 第3回の池田亀鑑賞については、近日中にその募集の概要が発表されます。

 なお、この「池田亀鑑賞の後援」に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉も加えていただきました。

 地道にコツコツとなされた調査や研究の成果が、こうして顕彰されることを、共に慶びたいと思います。
posted by genjiito at 00:03| Comment(0) | 池田亀鑑

2013年05月13日

お茶のお稽古で大和平群へ

 母の日の今日は、一人で自宅の掃除をしました。
 その後、久しぶりに大和平群へお茶のお稽古に行きました。
 カレンダーを見ると、4月は1度も行っていませんでした。

 先週は娘たちが自宅へ来ました。その時、5月より炉から風炉に変わることもあり、半年ぶりに風炉の薄茶の練習を、娘夫婦を相手にしてやりました。
 とにかく、すっかり忘れていました。思い出すのが大変です。
 今朝も、独りで一通り練習をしてから出掛けました。

 自宅から電車を乗り継いでちょうど2時間です。初夏の小旅行です。
 駅前のバス停で、長屋くんと左近くんのキャラクターを見つけました。
 
 
 
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 平群谷には、悲劇の宰相と言われる天武天皇の孫で左大臣だった長屋王と、その妻である吉備内親王のお墓があります。共に長屋王の変に関連して自害しています。
 我が家の3番目の息子は、保育所がこの近くにあったために、この御陵苑で遊びながら育ちました。朝夕の送り迎えは私の仕事でした。
 嶋左近は、石田三成の家臣で、関ヶ原の戦いの折に討ち死にしたとされています。
 平群は、日本武尊が「命のまたけむ人はたたみこも平群の山の熊白檮が葉を髻華にさせその子」(『古事記』歌謡)と歌った地でもあります。もっとも、歴史上の人物はみんなかわいそうな人物ですが。
 なお、「たたみこも」は「平群」の枕詞なので、ご存知の方も多いかと思います。

 元山上駅の前を王寺方面に流れる竜田川も、ここ上流では緑も深くなり、水も澄んでいます。
 
 
 
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 今日は昨日とはうって変わって、汗ばむほどの好天でした。
 京都の自宅では、昨夜と今朝はストーブをつけていました。それが、今日のお昼には、汗をかきながら平群の山道を登ることになったのです。
 
 
 
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 この左手の小山には、私が毎日上り下りした細道が通っています。

 今日のお稽古は、運びの薄茶と卯の花点前です。
 薄茶では、事前に練習をして行ったのに、やはりぎこちないことでした。摺り足での歩き方も、まだまだです。水差しの蓋を取るタイミングは、すっとできました。細かな所作を、もっと丁寧にできるようにしたいと思います。
 練習をして行っても、実際にやると、なかなかスムーズにはいきません。手が空中を泳ぎます。

 卯の花点前は2回目です。
 これは、箱から道具を出して広げ、また仕舞う変化の楽しさがあります。古帛紗の出番があり、おもしろいと思います。ただし、柄杓を使わないので、見た目の派手さはありません。

 先日、姉からもらった風炉釜についても、その手入れの方法を教えていただきました。どうやら、使えるようです。早速、金気を抜くことから始めます。

 お稽古の後は、いつものようにたくさんのことを伺いました。奥の深い世界なので遅々として進みませんが、こうして少しずつですが前に歩んでいます。
posted by genjiito at 00:03| Comment(0) | ブラリと

2013年05月12日

頂戴したコメントに長文の返信(補訂版)

 一昨昨日の本ブログ「〈eo-Net〉のブログに勝手に付けられる不愉快な広告」(2013年5月 8日)に対して、ありがたいコメントをいただきました。
 それに応える形で、私からの雑感をその記事の末尾にあるコメント欄に書きました。
 ただし、つい長文になってしまいましたが……
 今、みんなで考える必要のある問題のように思います。
 感想をお寄せいただけると幸いです。
 
 なお、コメントを投稿した後に、少し手を入れて補訂をしました。
 再読いただければ幸いです。
posted by genjiito at 01:53| Comment(0) | ◆情報化社会

2013年05月11日

京都で『十帖源氏』を読む(第2回)

 少し肌寒い小雨の中、ワックジャパンの町家の2階で『十帖源氏』を読む会がありました。
 今日は、帝塚山大学の清水婦久子先生と同志社大学の岩坪健先生がお出でくださいました。
 それに加えて、中国からの留学生である庄さんも、2種類の中国語訳『源氏物語』を見比べながら、参考となる意見をたくさん出してもらいました。
 ワックジャパンが居心地のいいところでもあり、とにかく、刺激的な意見が飛び交い、楽しい2時間があっと言う間に過ぎました。

 今日は、前回に続き第2回目で、「須磨」巻を読み進めました。
 「里はなれすごくて」という現代語訳で、いろいろな意見がでました。
 担当者は「里からはなれてさびれた様子で」と訳していました。しかし、「里」をどうするかに始まり、「人も住んでいなくて〜」としても後とうまくつながらないことから、結局は「今はさびしくなって」となりました。

 「おもひのつま」というところでは、担当者は「物思いの種」と訳しました。ここは、「悩みの原因」とか「苦労の元」などの候補を経て、中国語訳を参考にして「心の負担」という訳を採用することになりました。
 同じように、「心をくだき」というところも、「心を痛める」という訳を提示されていたところを、「心配する」として、わかりやすい現代語訳に仕上がりました。

 いろいろな分野からの意見や、多彩な立場からのひらめきが、海外の方々のためにこうした現代語訳を作り上げる過程では、非常に大切であることがわかります。
 今後とも、多方面の方々の参加を募りたいとの思いを、あらためて強く持ちました。

 「鏡台」という語句も、おもしろい話題に展開しました。
 確かに、今では鏡台が家庭からなくなりました。我が家でも、母が亡くなったときに鏡台を処分したことを思い出しました。日本の家具から鏡台は消えているのです。現代の家庭では、洗面所やクローゼットの中に鏡はあるものです。
 アーサー・ウェイリーはドレッサーと英訳しているそうです。
 そうであっても、古語としての鏡台はあり、『源氏物語』に何カ所も出てきます。置き換えに窮するものです。ということで、ここはこのまま「鏡台」と訳しておくことになりました。

 「紫の上一め見おこせて泣き給へり」の「一め」は、「ジッと見る」と「チラリと見る」という、二つの理解が可能です。『源氏物語』の原文とは、ダイジェスト化にともなって変わっている表現でもあります。
 ここをどうするか、ということにも時間をかけました。結局、「ひと目見て」に落ち着きました。

 海外の方が、自国のことばに翻訳なさる上で参考になるような現代語訳を、こうして作っています。『源氏物語』は、現在は31種類の言語に翻訳されています。そのことを考え、多くの国々の方々に参考にしていただくための現代日本語訳を、ああでもない、こうでもない、と四苦八苦しながら、よりわかりやすく滑らかで自然な日本語表現をめざしているのです。気長に続けていきたいと思っています。

 次回の京都での『十帖源氏』を読む会は、6月15日(土)午後3時から、今日と同じくワックジャパンでおこないます。場所は、地下鉄烏丸線の丸太町駅から東へすぐのところです。
 参加してみようとお思いの方は、この記事のコメント欄を利用していただくか、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページを通して事務局(npo.gem.info@icloud.com)にメールで連絡をいただければ、折り返し具体的な連絡をさしあげます。
posted by genjiito at 22:00| Comment(0) | ◆源氏物語

2013年05月10日

授業(2013-4)海外における『群書類従』と学際的研究

 昭和天皇が皇太子時代の大正11年に英国を訪問されました。そして、その記念として、大正14年に『群書類従』をケンブリッジ大学に、『21代集』をイートン・カレッジに贈られたのです。
 そのことを報じる朝日新聞の大正14年8月20日の記事(ケンブリッジ大学図書館日本部長小山騰氏よりの情報)をもとにして、日本の古典籍が海を渡ったことを話しました。
 
 
 
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 また、私がアメリカの「バージニア大学のサイトから『群書類従』を公開」していることも説明しました。

 『群書類従』は、日本が誇れる知的財産として、もっと評価してもいいと思っています。

 また、与謝野晶子の『源氏物語』と『蜻蛉日記』の自筆原稿の画像を、国文学研究資料館から公開していることと、谷崎潤一郎の『新新訳源氏物語』の自筆原稿が國學院大學に収蔵されていることを確認しました。それを踏まえて、日本古典文学を近代文学からの視点で調査研究する意義を強調しました。いわば、学際的・学融合の研究手法です。
 これには、日本文学作品の海外での翻訳を取り上げるのも、新しい文学研究であることも話しました。

 古典文学の研究は、まだまだ新しいアプローチがあるのです。これからの若い方は、こうした取り組みもしてもらいたいものです。

 午後は、國學院大學の斜め向かいにある塙保己一史料館・温故学会会館へ行きました。
 
 
 
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 入口に、「香席体験『星合香』」の案内がありました。先日来、香道に関する情報がたくさん入ってきていたこともあり、こうしたものが眼に入るとついシャッターを切ってしまいます。
 
 
 
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 この温故学会の詳細は、「塙保己一資料館のホームページ」をごらんください。

 温故学会の斎藤幸一理事長と、いろいろな話をすることができました。たくさんの質問も受けました。今後とも、この貴重な文化遺産を多くの方々に知っていただき、あらためて先人の遺業を評価したいものです。

 会館の中にある版木倉庫にも案内していただきました。2万枚近い版木の棚は圧巻でした。
 ここには、膨大な量の『群書類従』の版木が収蔵されているのです。その版木は、全部で17,244枚あります。両面刻なので34,000枚の分量ということになります。

 塙保己一と『源氏物語』に関しては、温故学会のホームページの中の「源氏物語講義の図」をご覧ください。
 その説明文にあるエピソードを、以下に引用しておきましょう。


ある夏の晩、保己一が『源氏物語』を弟子に講義していたら、風が吹いてきてローソクの灯が消えてしまった。
あわてた弟子たちは、「ちょっと待ってください。灯が消えて本が読めません」と言ったら、保己一は「やれやれ、目明きとは不自由なものじゃな」と笑いながらつぶやいた。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆国際交流

2013年05月09日

〈源氏物語電子資料館〉のHPが〈eoNet〉に理解されなかったこと

 本年2月に京都市より認可を受けたNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページを、その発信元である〈eoNet〉の「eo ホームページ広場」に登録する申請をしました。ところが、審査の結果、広場への掲載は認められない、との回答を受けました。

 誠に残念ながら、「eo ホームページ広場」の運営事務局の方は、非営利活動法人が何かを、正確には理解されていないと思われます。
 すでにこの「eo ホームページ広場」には、次の8つのNPO法人のホームページが掲載されています。

「NPO法人高槻子育て支援ネットワークティピー公式ホームページ」
「NPO法人 西脇市手をつなぐ育成会」
「NPO法人 西脇市手をつなぐ育成会」
「NPOささやま(ささやま福祉タクシー)」
「NPO法人のぞみ 亀岡」
「NPO高島・いまづロウイングクラブ」
「NPO法人ハートネットあすぱらのホームページ」
「NPO法人 地域サポートセンター」

 それにもかかわらず、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉は審査で外されたのです。
 理不尽だと思いながら、〈eoNet〉のみなさんのさらなる学習を期待して、これまでの経緯をまとめておきます。

 この一番の問題点は、ボランティアというものに対する理解が遅れていることだと、私は断言していいと思っています。阪神淡路大震災を機に、日本人のボランティアへの考え方が問題になりました。そして、無償の献身的なものだけをボランティアだとする旧弊は、完全に破綻したはずです。無償はいつまでも続かないからです。その場の自己満足で完結しがちなのです。そうしたことの学習が、今回のやりとりで生きていないことを実感したので、あえてここに経緯を明らかにしておくことにしました。

 昨日の無礼な広告挿入の件に続き、連日の不愉快な話となり、誠に恐縮です。
 これも今後のための記録と割り切って、おもしろくない話ではありますが、この段階でまとめておきます。

 ことの発端は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページが完成し、〈eoNet〉から公開してすぐのことでした。
 〈eoNet〉からのホームページの案内として、「あたなのホームページ、紹介してみませんか?」というコーナーがありました。「eo ホームページ広場」とは、「自分がつくったホームページを紹介するみんなの広場。」ともあります。

 そこで、以下の紹介文とともに「eo ホームページ広場」へ申請しました。


[ タイトル ]
 特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉
[紹介文]
 京都市へ申請したNPO法人〈源氏物語電子資料館〉が、平成25年2月4日をもって設立に至りました。
 本ホームページは、この法人の活動を伝えるものです。
 本法人では、その目的を達成するため、次の事業を行います。
(1)『源氏物語別本集成 続』等の学術出版の支援
(2)『源氏物語』に関する諸情報の整備と公開
(3)『源氏物語』に関する国際文化交流
(4)『源氏物語』に関連する研究支援と資料の翻字・校正及びデータ入力の代行
(5)『源氏物語』の普及のための講演会や懇談会及び勉強会や物品販売等(以上、定款より)
 本法人のNPO活動に対するご理解とご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。
[カテゴリ]
 (1)トップ>>アート・文化・趣味>>
 (2)トップ>>サークル・コミュニティ>>
 (3)トップ>>地域情報>>海外>>


 これに対して、以下の回答が届きました。

日付:2013年3月25日

eoホームページ広場の運営事務局です。

この度はeoホームページ広場への掲載のお申し込みありがとうございました。
eoホームページ広場掲載のルールにもとづき審査した結果、下記の申請内容での掲載はいたしかねます。
また、申請をお断りした理由および掲載の中止の理由は公表しておりません。
あしからずご了承ください。


 これは、まったく意外な回答だったので、次の質問をメールで送りました。


日付:2013年3月25日

担当者 さま

今回の掲載申請に関して、「eoホームページ広場掲載のルールにもとづき審査した結果、下記の申請内容での掲載はいたしかねます。」という連絡をいただき、予想外のことでもあり非常に驚いています。
早速、「ホームページ広場掲載のルール」を熟読しました。
そして、どこが問題となったのか、今わたしにはわかりません。
ホームページをご覧になればおわかりのように、大学の教員や大学院生たちとの連携活動が中心となるNPO活動なので、私には掲載不可となったことへの説明責任があります。今回のホームページに関して、何が御社で問題とされたのかを知りたいと思います。
「申請をお断りした理由および掲載の中止の理由は公表しておりません。」とあるので、回答はいただけないのでしょうか。
しかし、他にもNPO法人のホームページが掲載されていることを考えると、以下のことが関係するのでしょうか。
「審査の時点で、コンテンツ内容が不十分であったり、制作中であると判断されるもの」
これについては、すでに『源氏物語』に関するデータベースの一部を公開し始めており、研究者への情報提供と環境整備を進めているところです。
以上、わたしに理解可能な説明による回答をお待ちしています。


 翌日、送られたその意図がよくわからないのですが、とにかく以下の返信が来ました。


日付:2013年3月26日

ケイ・オプティコムからのご連絡

このたびはメールにてお問い合わせいただき、誠にありがとうございます。
eoサポートダイヤル メール担当 丸本(まるもと)でございます。
お客様のMYホームページを「eoホームページ広場」へ掲載いたしかねる理由につきましては、弊社担当部署にて詳細を確認させていただいた上でご案内きたく存じますので、下記項目をご記入の上、ご返信いただけますでしょうか。

■お客さまID (「C」より始まる登録証記載のID)
【             】
■ご生年月日(生年は西暦でご記載願います。)
【 】
■ご登録電話番号
【             】
■ご契約住所
【             】
■eoメールアドレス
【          】

※ご本人様の確認のためにご協力よろしくお願いいたします。
※件名の【ID:数字】は消さずにご返信ください。

メールをご返信いただき次第、お申し出の情報にてお調べし、再度ご連絡させていただきます。
お手数をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。
今後ともケイ・オプティコムをよろしくお願いいたします。


 これに対して、私からは以下の返事を出しました。


eoサポートダイヤル メール担当 丸本 さま

ご依頼の情報をお送りします。
eoメールはまったく使っていませんので、このGメールに返信をお願いします。

(お客様情報省略)


 2日後に、以下のメールが届きました。


日付:2013年3月28日

このたびはお問い合わせいただき、誠にありがとうございます。
eoホームページ広場 運営事務局 でございます。
お客様のMYホームページにつきまして確認させていただきましたところ、商用目的のサイトと判断し、掲載基準に基づき審査いたしました結果、一部情報が不足しておりましたため、非承認とさせていただきました。
掲載内容やボリュームには特に問題はございません。
お手数ではございますが、掲載ルールと記載内容をご確認の上、再度申請いただけましたら再審査させていただきます。
なお、「eoホームページ広場」は、eo光ネットサービスにおいて、MYホームページをご利用いただいているお客様のサイトを、eoのおすすめとしてご紹介するリンク集的な役割を持ったサイトでございます。
そのため、審査の結果、掲載不許可となったとしても、ホームページ広場へのリンク掲載を不許可としたものであり、ホームページそのものの公開を拒否するものではございません。
あらかじめご了承の上、再申請をご検討いただけますと幸いでございます。
今後ともケイ・オプティコムをよろしくお願いいたします。


 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が商用目的のホームページと認定されたとのことに、その担当者の理解力のなさに驚くとともに、これ以上は相手をしないほうがいいと判断しました。不毛なことが判明したからです。
 ただし、明確にさせておかなければならないことがあるので、その点を以下のように鄭重かつ謙虚に記して返信しました。


eoホームページ広場 運営事務局 御中

返信を拝見しました。
〈源氏物語電子資料館〉のホームページが「商用目的のサイトと判断」され、「審査の結果、掲載不許可」となったとのこと。
「特定非営利活動法人」としての我々の活動が「商用目的」であれば、京都市は認可しなかったはずです。
その意味では、NPO活動の一環としてホームページを活用する上で、今回の御社の判断は非常に興味深い事例になったと受け取りました。
御社が、特定非営利活活動に対する理解を深められることを、今は願うばかりです。
再申請はいたしません。ただし、ホームページはこのまま公開させていただきます。
また、今回の御社の判断は、会員の皆さんと討議の上、NPO法人としての見解を公開させていただきます。
なお、「一部情報が不足」については、もし可能でしたら今後のためにもご教示いただければ幸いです。


 これに対して翌日、以下の何ともピンボケな回答が届きました。
 私が記した日本語文が、どうやら伝わらなかったようです。
 そして担当者の方は、まだ自己矛盾に気づいておられないようです。


日付:2013年3月28日

eoホームページ広場 運営事務局 でございます。
ご返信いただき、お手数をおかけいたしております。
前回ご案内させていただきました通り、eoホームページ広場への掲載が不許可となりました場合でも、ホームページそのものの公開を拒否するものではございません。
そのため、お客様のご都合にあわせてホームページを公開いただけますと幸いでございます。
なお、<商用目的のホームページにおける必要な記載項目例>といたしましては下記の通りでございます。

・代表者または当該表示に責任を有する担当者の氏名
・社名・商号・屋号
・主たる営業所の住所
・確実に連絡可能な電話番号、FAX番号および電子メールアドレス等
・業法に関わる資格(免許等)がある場合はその内容
・販売価格
・商品の支払い時期および方法等

詳細につきましては、下記URL「eoホームページ広場掲載のルール」をご確認願います。
<eoホームページ広場掲載のルール>
 https://cgi.eonet.ne.jp/rule.html
再度申請される際には、お客様のホームページの上記項目の掲載状況についてご確認の上、申請いただきますようお願いいたします。
今後ともケイ・オプティコムをよろしくお願いいたします。


 あまりにも脳天気でひどい返信なので呆れるしかなく、鉾を収めようもないままに、つい以下の返信を認めてしまいました。子供を諭す心境になりました。


eoホームページ広場 運営事務局 御中

わざわざ返信をいただき、ありがとうございました。
ただし、私には御社からいただいた文章の意味が、読み返してもまったく理解不能です。
〈源氏物語電子資料館〉のメンバーに説明する責務を負う者として、些細なことに固執しすぎるかもしれませんが、以下にわからなかった点を確認したいと思います。
論理的でわかりやすい回答をいただければ幸いです。
前便で私が記した問い合わせは以下の1点でした。

>>〈源氏物語電子資料館〉のホームページが「商用目的のサイトと判断」され、「審査の結果、掲載不許可」となったとのこと。
(中略)
>>なお、「一部情報が不足」については、もし可能でしたら今後のためにもご教示いただければ幸いです。

これに対して、今回、以下の回答が返信メールに記されていました。
これは、私の申請に「一部情報が不足」していたことに関する回答として読みました。
もちろん、前回も記したように<eoホームページ広場掲載のルール>は理解した上でのことです。

> なお、<商用目的のホームページにおける必要な記載項目例>と
> いたしましては下記の通りでございます。
>
> ・代表者または当該表示に責任を有する担当者の氏名
> ・社名・商号・屋号
> ・主たる営業所の住所
> ・確実に連絡可能な電話番号、FAX番号および電子メールアドレス等
> ・業法に関わる資格(免許等)がある場合はその内容
> ・販売価格
> ・商品の支払い時期および方法等

この<商用目的のホームページにおける必要な記載項目例>とは、どのような意図で私に示されたものなのでしょうか。
ここにある「必要な」という語句のもつ意味が、私の問い合わせとどう整合性をもつことばなのか、まったくわかりません。
また、その後に列記された7項目が、今回の〈源氏物語電子資料館〉の掲載不可という判断において「一部情報が不足」していること、と読める回答かと思われます。
とすると、〈源氏物語電子資料館〉が御社に許可されるためには、私は京都市から認可を受けた特定非営利活動法人という法人格を放棄せざるを得ません。認可を受けるためには、上記の内容が必要不可欠であるためです。
つまり、特定非営利活動法人は御社の「eoホームページ広場」にはすべてが掲載対象から外れます。
しかし、御社は他の特定非営利活動法人を許可なさっています。
あるいは、特定非営利活動法人というものに対する理解が関係しているのかも知れない、とも思っています。
どうやら、今回いただいた回答には、御社の私からの問い合わせに対する理解の混乱があるように思えます。
つまり、今回の回答は、掲載不可となった説明ではないことになります。
私には、御社の判断基準がわかりません。
なお、繰り返しになりますが、再度の掲載申請はいたしませんので、その件での回答は不要です。
こうした遣り取りは、クレーマーとされる行為に理解されがちなので好みません。
そのため、このメールに対して返信をいただけましたら、余程のことがない限り、それで終わりにしたいと思います。
そして、その時点での情報をもとに、メンバーと今回の御社の対処について、討議したいと思います。
以上の件につき、あらためて回答をいただければ幸いです。


 「eoホームページ広場」の運営事務局からは、その3日後に返信がありました。
 「金銭のやり取り」と「商用目的」に関して、この事務局の見解には大きな誤解があります。明らかに、無知からくるものと思われます。正しい知識を学ばれたら、今後はこのような回答による対応は補正されるようになることでしょう。上から目線で済みません。それだけ、時限の低い酷い対応を受けた思っています。


日付:2013年4月1日

再度お問い合わせいただき、お手数をおかけいたしております。
eoホームページ広場 運営事務局 でございます。
ご返答が遅くなり、誠に申し訳ございません。
eoホームページ広場では、NPO法人だけでなく、有志のサークルやクラブ活動であっても、金銭のやり取りが
発生するものを広義の意味で、一律、商用目的のサイトとして取り扱い審査いたしております。
お客様のホームページを確認させていただきましたところ、「支援者募集」として入会金などを募集されているため広義の意味で商用目的のサイトと判断させていただきました。
すでにご確認いただいているかと存じますが、eoホームページ広場掲載のルールといたしまして、商用目的と判断されるサイトでは、一定の掲載基準を満たしていない場合、eoホームページ広場への掲載をお断りさせていただくことがございます。
ご参考といたしまして、お客様のホームページに、前回ご案内させていただきました<商用目的のホームページにおける必要な記載項目例>に記載の情報などがない場合、掲載をお断りさせていただくこととなります。
詳細な運用ルールについては非公開となりますため、これ以上のご案内はいたしかねます。恐れ入りますが、何卒ご理解賜りますようお願いいたします。
今後ともケイ・オプティコムをよろしくお願いいたします。


 ご理解を、と言われても、論理的にねじ曲がった論法には、お相手をする意味がないので、もう完全撤退という無難な選択しかありません。
 以下の返信を認めて、幕を引くことにしました。


eoホームページ広場 運営事務局 御中

ご丁寧な回答をありがとうございます。
御社の判断も1つの見識ということになります。
これ以上は不毛なようなので、ここまでといたします。
後日、私の理解を、公開いたします。
取り急ぎの返信です。


 これに対して、運営事務局からは、以下のような、またもや脳天気な返信がありました。


eoホームページ広場 運営事務局 でございます。

このたびはご連絡いただき、誠にありがとうございます。
また何かございましたら、再度お問い合わせいただけますと幸いでございます。
今後ともケイ・オプティコムをよろしくお願いいたします。


 結局、「商用目的」ということを審査時の判断にどう適用するか、ということです。今回の「eoホームページ広場の運営事務局」の判断は大いに疑問があります。それは、「特定非営利活動法人」なり「非営利活動」に対する理解に行き着く問題です。非営利は無償とは違います。これが、ボランティア活動の理解において、誤解を招くのです。そして、この事務局の方は、まったく理解ができていません。

 活動を継続させるためには、無償ではすぐに行き詰まり、立ち行かなくなります。収入がなければ、活動は続けられないのです。このことが、営利と混同されているようです。

 さらに今回の場合は、すでに他のNPO法人が8つも認められている中で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が9つめとして認定されなかったその理由は、決して「商用目的」という観点からのものではないはずです。すべての「NPO法人」は「特定非営利活動法人」として都道府県の行政機関から認定された団体だからです。これは明らかに、運営事務局の勉強不足に起因するものです。
 ただし、すでに早い段階から低次元のやりとりに脱しているので、もうこのあたりが打ち切りの潮時だと判断しました。これ以上発言すると、クレーマーと言われかねませんし。

 いろいろと、そして長々と書き連ねました。
 この「eoホームページ広場の運営事務局」の方とは、非営利とは何か、ボランティアとは何か、というテーマで公開のディスカッションをしてみたいと思います。
 そんなことがもし実現したら、またここに報告します。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆情報化社会

2013年05月08日

〈eo-Net〉のブログに勝手に付けられる不愉快な広告

 今回の記事の要点は、以下の一語に尽きます。


本ブログ「鷺水亭より」は
アップルの iPhone と iPad では
けっして読まないでください
           亭主敬白


 いつも多くの方にお読みいただいている本ブログは、株式会社ケイ・オプティコムのウェブサイトを利用して発信しています。この会社は、関西の文化を活性化させようとする意思があるようなので、応援の意味から契約しています。そんな理由から、自宅のインターネット環境の構築や光テレビと光電話を同じ回線で活用するなど、何かと便利にこの会社を利用し続けています。

 こんな機会なので、私の30年あまりのコンピュータ通信の経緯を振り返っておきます。

 私のパソコン通信は、8ビットパソコンの頃に、コンピュータ同士を音響カプラを使って電話回線で直結して通信をしていたことに始まります。1987年からマスターネット(明治乳業系)、PC−VAN(NEC 系)、リムネット(ラピドシステムズ系)、ASAHIネット(朝日新聞系)、まほろば(アミック系)、近鉄ケーブルネットワーク(近鉄系)、そして現在のケイ・オプティコム(関西電力系)と変転してきました。これは、技術力の目まぐるしい発展と、私が転居したことにともなう流浪の結果です。
 なお、東京では宿舎が一括して契約している関係から、OCN(NTT 系)を使っています。
 また、職場では国立情報学研究所の基幹ネットである学術ネットワークを利用しています。

 さて、ケイ・オプティコムの〈eo-Net〉のことです。

 このサイトをマッキントッシュで利用するにあたっては、画像を挿入する位置が1回で決まらないことなど、何かと手間がかかるので、完成度は低いと思います。完全にウインドウズ仕様なのです。そこまでの技術的なサポートができるスタッフを抱えていない、ということなのでしょう。
 決して満足できる代物ではありません。サービスの点では、電話の対応は親切でわかりやすくて、良心的な会社だと思います。しかし、肝心の提供されているサービスの品質となると、決していいとは言えません。
 そんな視点から、日頃の不満や不便に感じていることの1つを、メモとして残しておきます。

 いつの頃からだったでしょうか。毎日書くブログの末尾に、変な広告が付くようになったのです。
 しだいに、不愉快な思いをする広告が目に付くようになりました。
 事情も経緯も深く考えないままに来ました。しかし、どう考えても変なことです。人の記事に、勝手に汚物を塗りたくるような行為としか思えなくなったのです。

 不愉快さが続いたことから、今年の3月18日の朝、以下のメールをブログの運営主体である〈eo-Net〉に送りました。


日頃から eonet を利用させていただいています。
今朝は、私のブログに対して、非常に不愉快な広告が末尾に付いていました。
これまでにもイヤな思いを屡々していました。
しかし、ただひたすら、ジッと我慢をしてきました。
ただし、今日はもう限界かと思い、こうした文章を認めています。
参考までに、私のブログのアドレスは以下のものです。
「鷺水亭より」http://genjiito.blog.eonet.jp/
今朝、私の記事の末尾に見かけた3つの広告のうち、2つが不倫について、1つが化粧水に関するものでした。
しばらくすると、化粧水の宣伝が毛穴のものに変わりました。
これがケツの穴の宣伝に変わらないうちに、と思い、問い合わせをする次第です。
パソコンでブログを見ると、末尾にこうした広告は出ないようですが、iPhone と iPad には今もずっと表示されています。
私は、eo のネット、テレビ、電話を利用させていただいています。
せめて、eonet の 正会員のブログにはこうしたイヤらしい下卑た宣伝広告は付けない、というモラルは持てないものでしょうか。
無料会員に対しては、こうした下品な宣伝が勝手に付けられても、利用者は納得するかもしれません。
通信業者自体が公序良俗違反すれすれで人の表現行為の中に割り込んで商売をする、という行為に対して、疑問を持ち出しました。
あくまでも、営業収益優先なのでしょうが、ものには限度があるのではないでしょうか。
いかがわしいものを私のブログに付けられ、非常に不快な思いをしています。
とりいそぎ、あまりにも他人さまに対して恥ずかしい仕打ちを受けたので、この事態をお知らせ旁々、対処をお願いしたいと思っています。
今後、こうした卑猥な広告が付かないようにする方法があれば、教えて下さい。


 これに対してその夕刻、eoblogサポートセンターから以下のメールが届きました。


eoblogサポートセンターにお問合せいただきありがとうございます。
また、この度はご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません。

ブログ記事下部に表示されますYahoo!インタレストマッチ広告の内容につきましては、お客様のブログ更新のほか、ページ閲覧、検索などのアクションにより、興味関心との関連性が向上する仕様となっております。
したがいまして、閲覧される端末ごとに表示される広告内容は変わるようになっております。

広告配信の仕組み上、ご不快に思われる広告を完全に除外することは難しい状況でございますが、下記URLにて現在のお客様の「ターゲティング情報」を解除することが可能ですので、お試しいただけないでしょうか。

■行動ターゲティング広告の無効化について
http://btoptout.yahoo.co.jp/optout/preferences.html

適用後は主に記事内容に連動した広告が表示される仕様となっております。
お手数ではございますが、上記をお試しいただき、様子を見ていただければと存じます。

広告掲載によりお客様にはご不快な思いをさせておりますこと、重ねてお詫び申し上げます。

また何かございましたらお問合せいただければと存じます。
引き続き、eoblogをよろしくお願いいたします。


 このアドバイスを受けてすぐに「行動ターゲティング広告の無効化」とやらを試みました。
 そして、以下のメールを送りました。


eoblogサポートセンター 御中

ご指示のあった「行動ターゲティング広告の無効化」を実行しました。
しばらく、様子をみることにします。
それにしても、御社は最初はこうした広告は正会員にはつなかなったと思います。
無料会員との違いを、再考していただければ幸いです。


これに対しては、以下の返信が来ました。


eoblogサポートセンターにお問合せいただきありがとうございます。
このたびの件に関しまして、お手数をおかけし、誠に申し訳ございません。
また、貴重なご意見をいただき誠に恐れ入ります。
いただきましたご意見は担当部署に申し伝え、今後の運営の参考とさせていただきます。
貴重なご意見・ご要望をいただき、ありがとうございました。
また何かございましたらお問合せいただければと存じます。
引き続き、eoblogをよろしくお願いいたします。


 あれから1ヶ月半が経ちました。依然として、私のブログには、招かれざる忌避すべき広告が付きます。
 
 
 

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 私としては、このような汚物を付けられることを望んでいません。
 法的な意味から言って、これは私が持つさまざまな権利を侵害されていると思われます。
 しかし、今それを論う時間も用意もないのです。
 ひたすら我慢の日々を送るしかありません。
 その意味でも、2013年の春に、プロバイダからこんな不愉快な思いをさせられている、ということを記録として残しておきます。プロバイダも、経験を積む内に、こんな非道なことをいつまでも続けるとは思えません。
 こんなに寛容になれるのも、30年近い通信を通しての経験があるからでしょうか。これまでにも、いろいろと酷いことがありました。
 そうしたことは、またいつか忘れないうちに、まとめて記しましょう。
posted by genjiito at 20:49| Comment(3) | ◆情報化社会

2013年05月07日

少し油断した血糖値と体調管理

 昨日の京都は、まさに初夏の暑さでした。河原で食事をしていても、帽子がなかったので、日射病になりそうでした。
 ところが、今日の東京は、風の強さと寒さで震えました。コートがほしい一日でした。
 この極端さに、身体がその適応に困っているのがわかります。

 さて、先月あたりから、体重が50キロを僅かですが超えるようになりました。これは、私にとってはいい兆候です。待望の50キロ台です。
 50キロを境にして、体調も大きな影響を受けます。やはり、日常生活が楽になるのです。
 地下鉄の階段で、吹き上げる風で身体が吹き飛ばされそうになるかならないかは、私の場合は、この50キロが目安です。

 この好転は、少し炭水化物を意識して摂るようにした結果だと思います。
 糖質制限食では、ご飯、パン、麺類を極力避けます。ご飯やパンや麺類などの血糖値を上げる食品を口にする時には、ベイスンという消化を遅らせる薬を飲んでいます。

 ただし、弊害もありました。突然お腹が痛くなるのです。私は2年前に、胃癌で消化管を取り去りました。その、食道と腸をつないでいる鳩尾の辺りが、キリキリと痛み出すと、もう喉から食べ物は入りません。ジッと痛みが去るのを待つしかないのです。

 そのこともあって、妻以外とは外食をしないようにしています。
 それでも、今年に入ってからはよく食べるようになったので、妻からは感心されていました。

 朝と昼とは、ゆっくりと1時間をかけて食べます。夜は、2時間を充てています。食間と寝る前にはお腹が空くので、間食として軽食を30分ほどかけて食べています。

 家族からは、長々とよく食べられるものだと、呆れ顔で見られています。しかし、この方がしっかりと食べられるのです。よく咬むので、身体にはいいはずです。
 お腹が痛くなるのは、必ずと言っていいほど、時間を気にしたり、急いでいる時です。

 私の一日の食事時間は、なんと6時間にもなることに、あらためて気づきました。これも、今の身体を大事に慣らしていると思うと、何となく自分で納得するものです。このペースでいいのだと。時間が無駄だ、とは思わなくなりました。

 今日は、中野駅北口にある、街中の検診所とも言えるケアプロで、毎月測ってもらっているヘモグロビン A1cを調べました。
 結果は、先月の京大病院の時よりも少し上がり、「6.9」から「7.2」になっていました。上がった値は「0.3」ほどなので、ほんの少しです。しかし、これは要注意の境界を超えています。

 最近の江部康二さんのブログ「ドクター江部の糖尿病徒然日記  HbA1c管理基準を改訂へ,日本糖尿病学会」(2013年04月27日)によると、ガイドラインにおいて次のような変更があるそうです。
 これは、第56回日本糖尿病学会年次学術集会(5月16〜18日,熊本市)で報告されるそうです。

<現在のガイドライン>
(1)優 6.2%未満
(2)良 6.2〜6.9%未満
(3)可(不十分) 6.9〜7.4%未満
(4)可(不良) 7.4〜8.4%未満
(5)不可 8.4%以上
 
<2013年6月1日から施行予定の新しい管理基準>
(1)血糖正常化を目指す際の目標 6.0%未満
(2)合併症予防のための目標 7.0%未満
(3)治療強化が困難な際の目標 8.0%未満


 新しい目安からいっても、今日の私の「7」以上はよくありません。何か方策が必要です。

 来月の京大病院での検診までは、また糖質制限食に戻したほうがいいようです。
 少し糖質制限を緩め過ぎたようです。もっとも、体重を増やそうとすると、この矛盾と格闘することになるのです。

 私の血糖値管理においては、この繰り返ししか方途はないのか、これからしばらくは、いろいろと試行錯誤の日々となります。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 健康雑記

2013年05月06日

京洛逍遥(275)おだやかな連休の最終日

 今年のゴールデンウィークは、おだやかに過ごしました。
 賀茂の河原も、後半は熱いくらいの天気でした。
 
 
 
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 いつもの鷺や鴨も、のんびりしています。
 
 
 
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 先日から、川の掃除をしておられる方を見かけます。
 川の中州に引っ掛かっているゴミを集めたり、堆積した草や泥を掻き出しておられるのです。
 市から依頼された仕事としてではなくて、自発的にお掃除をなさっているように思われます。
 
 
 
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 最近は、また賀茂川上流の中洲が大きくなり、景観はもとより水の流れが気になっていたところです。
 この男性は、長時間にわたり、精力的に川をきれいにしてくださっているのです。
 これは、相当な力仕事です。
 ありがたいことです。ごくろうさまです。
 あまり熱心に作業をなさっているので、声をかけることも憚られました。
 河原で食事をしていた私と、1、2度でしたが目が合いました。
 頭を下げても、特に返答もなく、淡々と鍬を使って中洲を整備しておられます。

 詳しいことは存じませんが、賀茂川をきれいにしていただき、本当にありがとうございます。
 
 夕方の散策の時には、この中洲がこんなにスッキリと刈り込まれていて、賀茂川も散髪を終えた後の清々しい姿になっていました。
 
 
 

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posted by genjiito at 21:54| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年05月05日

30年ぶりに芦屋の姉の家へ

 久しぶりに姉の自宅を訪問しました。
 姉の家は六甲山系の山腹にあり、芦有ドライブウェイの料金所を入った中にあります。近くに有馬温泉がある、標高500メートルの高地です。

 私が大阪の高校生だった頃、クラスやクラブの遠足で、何度かこの奥池園地に来ました。懐かしい場所です。
 眼下には、瀬戸内海から四国が見渡せます。
 
 
 
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 阪神淡路大震災の時に姉たちは、山の下にある芦屋駅前のマンションに住んでいました。地震でそこが住めなくなり、数ヶ月ほど奈良の我が家に仮住まいをしていました。

 その後、京都住まいを経て、義兄の定年後は、この山の上の家に帰ったのです。

 私が奈良に住んでいた時も、京都に住んでからも、いつも姉夫婦の方が、我が家に来てくれていました。

 最近は義兄と2人だけの生活になったこともあり、30年ぶりに我々が芦屋へ行くことにしたのです。

 この前ここに来たのは、私が結婚後に東京から大阪に戻り、高校の教員をしていた時でした。

 ここは瀬戸内海国立公園の中でも六甲地区にあり、ハイキングに最適な場所です。そこで、高校のテニス部の顧問をしていたこともあり、阪急芦屋川駅まで部員を連れて来て、そこからトレーニングと称して山登りをしたのです。そして、義兄たちのテニスコートで練習をしました。
 夏は涼しいところなので、日帰りの合宿になりました。

 今日は4人で食事をしながら、夜まで話し込みました。庭の山菜を、美味しくいただきました。

 帰りに、もう使わないというお茶の鉄釜をもらいました。
 羽の付いた風呂釜と風炉のセットです。
 長く使っていないとのことで、手入れも何もされていません。しかし、姉が結婚するときに持って来た茶道具一式の1つだということなので、ありがたくスーツケースを借りてそれに入れ、ゴロゴロと引いて京都まで持ち帰りました。
 
 
 
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 風炉の中には、風炉灰が5袋入っていました。
 
 
 

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 ただし、私は炭型電熱器を使うようにしているので、この灰は不要です。これはいったいいつの物なのか、また聞いてから始末のことを考えましょう。

 姉夫婦には、京都の自宅で何度かお茶を出しています。この次に来た時には、この風炉釜でお茶を点てましょう。それまでに、この古びた鉄の釜を手入れして、使えようにしたいと思います。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ブラリと

2013年05月04日

京洛逍遥(274)下鴨神社の斎王代御禊之儀

 昨日開催された下鴨神社での流鏑馬神事には、娘夫婦が参加していました。
 その帰りに我が家に立ち寄ってくれたので、写真と記念の当的を見せてもらいました。
 
 
 
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 先日も紹介したように、「3年前の流鏑馬神事」(2010年5月 3日)の写真と比べると、いくつか違いがあります。

 まず、当たった的が最後に的毎に1ヶ所に集められ、観覧席の入口近くで受け渡しがなされたこと、墨が墨汁になっていること、板が小さくなっていること、などなど。当的授与の方法は、今後とも変化していくものと思われます。

 この流鏑馬神事に関しては、先日の本ブログ「京洛逍遥(272)流鏑馬神事の準備風景」(2013年4月29日)を通して、婿殿には確実に当的を手にするための秘策を伝授しておいたのです。つまり、流鏑馬の会場の写真を直前のブログに掲載して、当的が一番いただきやすい立ち位置の指示をしていたのです。その甲斐あってか、無事に手にできたのです。
 でかした、というところでしょうか。

 さて、葵祭の前に催行される斎王代御禊之儀は、下鴨神社と上賀茂神社で隔年交互に実施されます。今年は、下鴨神社の番です。
 
 
 
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 下鴨神社の斎王代御禊之儀は、今回はじめて見るものでした。上賀茂神社の方ばかり参加していたので、つい見ていたように思い込んでいたのです。

 御手洗池の正面に設置された招待客用テントの正面後ろから拝見し、写真を撮ることにしました。立ちっぱなしだったので、相当足に疲れがきましたが。

 斎王代は御所を出発し、行粧して下鴨神社で隊列を整えて御禊に臨まれます。
 陪従の楽の音に導かれて会場に到着です。
 
 
 

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 祭主の祝詞の後、御手洗池での御禊の儀式となります。
 
 
 

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 ただし、私がいたテントの後ろからでは、斎王代が池に両手をつける場面が見えません。
 池の最前列のいい席には、報道陣がギッシリとカメラを構えていました。
 場所を輪橋のたもとの光琳の梅のところへ移動し、手を天空にいっぱいに伸ばして、ようやくこんな写真を撮ることができました。一番いいタイミングは、人垣で遮られていたのです。
 
 
 


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 1時間ほどの儀式でした。

 会場内では、マイクによる説明がなされました。その中で、位階の「三位」を「さんい」と発音なさっていました。
 有職読みとしては、「さんみ」が相応しい発音です。ただし、最近の現代語としては、「早急」を「そうきゅう」、「発足」を「はっそく」と言うことが今では普通になっています。伝統的な漢字表記の発音を、ほとんどの国会議員や付け焼き刃のアナウンサーやバラエティ番組のコメンテーターのみならず、一般の方々に押し付けるのは、今後とも無理があるかもしれません。

 とは言うものの、この古式ゆかしい祭儀の場では、古来の伝統的な物言いである「さんみ」という言い方を守り伝えてほしい、と思いました。キリスト教に「三位一体」ということばがあるので、なおさらそう思います。

 それはさておき、楼門の外には昨日の流鏑馬で活躍した馬と馬車を見かけました。
 
 
 
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 伺うと、午後からのイベントとして、参道を子どもたちを乗せて楽しんでもらう計画だ、とのことです。
 せっかくの馬車なので、昨日に続いて今日も出番を用意しておられるのです。

 その横には、木馬もありました。昨日の騎手の方が身体を慣らすために使用されたのでしょうか。
 サービス精神旺盛で、今後の葵祭の発展がますます楽しみです。
 
 
 
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posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年05月03日

京洛逍遥(273)上賀茂の競馬競馳の準備風景

 植物園の横の紅枝垂れ桜は、みごとな紅色から新緑に変わっています。
 
 
 
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 半木の道も緑のトンネルになりました。
 
 
 
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 賀茂川散歩も上賀茂神社まで足を伸ばして、明後日5日の競馬の会場となる馬場を見ました。
 この賀茂競馬競馳は、堀河天皇の寛治7年(1093)に始まっているので、今年は920年の記念年だそうです。
 
 
 
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 一昨日の1日には、出走する馬の組み合わせを決める「足汰式」(あしそろえしき)がありました。すでに準備は万端のようです。

 「むち打ちの桜」と「見返りの桐」は、当日の重要なポイントとなる目印です。
 
 
 
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 昨年の様子は、「新聞に写真が載ったこと」(2012年5月 6日)をご笑覧ください。妻たちが新聞に掲載されたこともあり、思い出深い行事となりました。

 境内を流れる御手洗川に架かる樟橋で、神職の方が川を清めておられるところを見かけました。
 
 
 
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 本殿にお詣りしている時にもお目にかかったので、石段を降りられる時に、川に清めの塩を撒かれたのですか、と伺いました。すると、満面の笑みで笑いながら、あれは川の魚たちに餌をあげていたのです、とのことでした。つい私も、一緒に大笑いとなりました。

 楼門で掃き掃除をしておられた若い方に、あの方は、とお聞きすると、宮司さんだとのこと。いやはや、フラリと来ただけなのに宮司さんにお尋ねするなどと、大変失礼いたしました。動物が大好きなのだそうです。

 毎朝、宮司さんは上賀茂神社のすべての社にお詣りになった後、神職の方々全員と祈祷殿に集まってお祈りをすることになっている、とのことでした。
 また、お若い方の話によると、宮司さんのお姿を拝見するだけで、身体が緊張するのだそうです。
 そういえば、本殿での拝礼も、私の横で長い時間をかけておられました。重ね重ね、失礼いたしました。お許しください。

 御手洗川に架かる橋殿の横に立つ「紫式部歌碑建立記念植樹」の周辺は、私の好きな風景です。
 
 
 
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 この場所で、斎王代御禊之儀が執り行われます。下鴨神社と隔年に実施されるので、今年は下鴨神社の番です。2010年のことは、「京洛逍遙(138)上賀茂神社の斎王代」(2010年5月 4日)に詳細に記しましたのでご覧ください。

 歌碑もしだいにこの風景に馴染んできたように思います。
 
 
 
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 ならの小川の傍に建つ奈良社の藤棚も、朝日に輝いていました。
 
 
 
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 帰り道、活動を開始した鷺と鴨がいました。
 
 
 
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 いつも我が家で「とんとん」と言っている飛び石越しにみる植物園も、新緑を深くしています。
 ここが一番桜のみごとなポイントです。また、来年の春が楽しみです。
 
 
 
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 我が家の傍を流れる白川疎水も、初夏を感じさせるようになりました。
 
 
 
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posted by genjiito at 22:38| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2013年05月02日

茶道資料館で香道具を見たあと筒井先生にお目にかかる

 裏千家 今日庵の茶道資料館で開催中の、春季特別展「永青文庫所蔵香道具展」に行きました。これは昨日に続き、大学院生の武居雅子さんとご一緒でした。というよりも、香道と茶道の先生をなさっている武居さんに、初学者である私がご教示いただきながら観た、と言った方が的確です。
 武居さんに詳細な説明をしていただきながら、細川家に伝わる秘蔵の数々を拝見しました。いい勉強の機会となりました。また、茶道と香道の接点についても、認識をあらためる場ともなりました。

 一番記憶に残ったものは、「香木 銘 白菊」のどっしりとした姿です。
 また、十種香と盤物についても、実物を見ることで理解が深まりました。
 何でもかんでも聞きながらの観覧でした。武居さん、ありがとうございました。

 呈茶席で柏餅と薄茶をいただいた後、茶道資料館の副館長をなさっている筒井紘一先生と親しくお話をすることができました。筒井先生は、京都造形芸術大学で武居さんの博士課程前期(修士)の指導教授だった方でもあります。武居さんは、今は総合研究大学院大学の博士課程後期(博士)に進まれ、私が所属する国文学研究資料館の学生です。筒井先生は「私を蹴って貴方の所へ行った」と、笑いながら冗談をおっしゃっていました。
 筒井先生は今日庵文庫の文庫長もなさっており、その幅広い活動と研究の成果であるご著書については、また後日ここに記します。

 現在、香道に関する勉強会を予定しておられるとのことでした。私が『源氏物語』の勉強をしているということから、武居さんと一緒にどうですか、というお誘いを受けました。
 聞くところによると、三条西堯水氏(御家流香道宗家)や山田英夫氏(山田松香木店社長)などがご参加とのことです。香道に留まらず、多くのことが学べそうなので、よろしくお願いします、とありがたく参加したい気持ちをお伝えしました。
 さらには、その内容について検討中とのことだったので、武居さんの博士論文にも直結する大枝流芳について、候補の1つにしていただくことをお願いしました。
 さて、この話はどのように展開していくのでしょうか。大いに楽しみです。

 帰りに、山吹越しに如意ヶ岳の大文字がきれいに見えました。
 
 
 

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 賀茂川には、オレンジのひなげしが菜の花に混じって咲いています。
 
 
 
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 まだ肌寒い日々ではあっても、確実に初夏に向かっていることが、目や耳や鼻を通して実感として身体に伝わってくるようになりました。
posted by genjiito at 22:46| Comment(2) | 古典文学

2013年05月01日

同志社大学でお香談義

 国文学研究資料館が基盤機関となっている総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻に、昨春より香道と文学をテーマとして研究を志す学生さんが入学されました。それ以来、私にも香道に関する興味が湧いてきました。
 お茶のお稽古を始めたことと、聞香で2回も当たった(?)、というのも、そのきっかけと言えるかも知れません。

 大学院生になられた武居雅子さんは、香道と茶道の先生でもあります。その武居さんの研究論文が、「「源氏千種香」の依拠本を探る」と題して、みごとな成果を上げました。

 その流れの中で、同志社大学の矢野環先生ご所蔵の『源氏千種香』が閲覧できることになったのです。

 今日は、同志社大学の岩坪健先生の研究室で、その本を拝見する機会を得ました。当の武居さんはもちろんのこと、私もいい勉強をさせていただきました。

 この本については、「千種香の会」という研究会が作られていて、科研基盤(C)研究「伝統文化形成に関する総合データベースの構築と平安朝文学の伝承と受容に関する研究」の一環として、すでに研究が進められています。その活動の一端を、見せていただき、詳しいお話を伺うことができたのです。

 その詳細は、今後とも武居さんが論文の形で発表していくことになります。
 矢野先生のグループも、活動の成果として今秋には報告書が刊行されるようです。

 岩坪先生の研究室で3時間近く、いつ終わるとも知れないお香に関する談義をしました。

 その後、冷泉家の裏を通って今出川通りに出た時、京都御所の北側からきれいな虹が空に懸かっているのが、目に飛び込んで来ました。みごとな風景でした。
 
 
 
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 虹を見ながら、懇親会場へと向かいました。
 場所は、寺町通りにある「よしくら」でした。
 
 
 
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 おいしい京会席をいただきながら、また3時間以上も、お香を中心とした話に花が咲きました。
 今日は、お香三昧の1日となりました。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 古典文学