2012年12月30日

井上靖卒読(153)年末年始の短編小説4編

 井上靖が、雑誌と新聞の昭和34年(1959)正月号に掲載した短編作品4編を取り上げました。この昭和34年正月には、5編の短編小説と4編の連載小説を発表しています。その他に、8編の小文を雑誌や新聞に書いています。

 相対的に、井上はお正月になると、特にたくさんの作品を活字にして公開している傾向があるようです。それだけ、年末には原稿の見直しや校正など、多忙を極めたことが推察されます。

 この年は、井上靖52歳。このお正月から、文芸雑誌『群像』に『敦煌』の連載がスタートしています。翌2月には、『氷壁』などの作品で芸術院賞を受賞。旺盛な執筆活動を展開している時期にあたります。
 
■「神かくし」
 井上靖が伊豆湯ヶ島の土蔵で、『しろばんば』に描かれたように、おばあさんと二人で暮らしていた時のことを題材にしています。お正月の三が日がすんだ頃の話が、子供の目を通して点描されています。おしゅんも国さんも、その人となりは詳しくは語られていません。しかし、二人のことは、さらに展開しそうな要素を持っています。おしゅんさんの堕胎事件が、読後に残像として印象づけられます。【2】
 
 
初出誌:オール読物
初出号数:1959年1月号
 
旺文社文庫:滝へ降りる道
井上靖小説全集6:あすなろ物語・緑の仲間
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「ある交友」
 ケチで通して来た弥太は、物が自分の身から離れることに不快感をもつ性癖がありました。おごる、おごられる、ということに関して、いつか自分がおごらなければならないという陥穽をも警戒して、共に避けていたのです。これは、井上に潜在していたものだったのでしょうか。新聞記者時代の話として展開する点も、興味深いものです。かつての自分の日常を切り取ったものなのでしょう。
 そこに出てくる四国の田舎の津山さんのことは、非常に印象的です。人間の持つ魅力というよりも味わいを、この小品は語っています。思いやりでも奉仕の精神でもありません。人間に通底する、情に根ざした温かくて深い理解が、この津山さんを通して浮き彫りにされているのです。何かしてあげたいと思わせる人物を、このような形にして語っているのです。
 なお、井上靖にしては珍しく、「不快感を感じる」とか、「陥穽に陥る」や「言い方で言った」などの表現があります。気になったので、メモとして残しておきます。【5】
 
 
初出誌:サンデー毎日
初出号数:1959年1月1日号
 
集英社文庫:冬の月
井上靖小説全集27:西域物語・幼き日のこと
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「故里の海」
 年末年始を故里で迎える話です。自分の郷里を「くに」と言う妻子のことばに、心地よさを感じるのでした。「おくにはどちらです?」という「くに」は、もし漢字を当てるとすると、「国」ではなくて「郷」の字がふさわしいと思われます。日本ならではのことばづかいと意識が認められます。
 九州のH市の旅館で除夜の鐘を聞き、元旦にはお膳をいただいて初詣に出かけます。いつの世も繰り返される伝統的な光景が語られます。そんな中で、一つの事件とでもいえることが起きます。自分の息子が境内で、結婚前にお見合いをして半年だけ付き合った女性の子供と喧嘩をしたのです。
 お互いに、お正月だけはこの郷里に帰っていたことを知ります。そして、お互いが幸せな家族としてのささやかな接点を持ったことを認め、安堵の中でお正月の静かな海を見つめるのでした。お互いがお互いの伴侶に語る必要もないことです。平安な時間が、この小品の中に流れています。人と人とのふとした交点が、一幅の絵の中に爽やかに描かれています。
 この作品は、『井上靖全集』に初めて収録されたものです。
 なお、非常に有益な情報を提供しておられるネット上の「井上靖作品館」には「こきょうのうみ」との読みで収録されています。しかし、『井上靖全集』では「故里」に「ふるさと」と読み仮名が振られています。【4】
 
 
初出紙:日本経済新聞
初出日:1959年1月1日
 
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「梅林」
 師走の慌ただしい中を、伊豆で売りに出されていた梅林付きの別荘を見に出かけます。そこで聞いた二代の持ち主の興味深い話が語られます。
 一人目は、妻を叱るだけだったのに、その妻が亡くなってからはひたすら妻への愛情に浸る余生を送った男でした。
 二人目は、足の不自由な大人しい男と、何かと賑やかなことの好きな若い妻の話です。ただし、この夫婦にはある出来事があり、この別荘を手放したのです。
 二つ共に興味深い話です。くっきりとした輪郭をもって語られています。井上靖らしい簡潔な表現の中に、人間の奥深くにしまわれた情が読む者の心に届きます。これは、さらに大きく膨らんで、さまざまな作品に活かされていると思われます。その確認は、今後のことにします。
 なお、この作品も『井上靖全集』に初めて収録されたものです。【4】
 
 
初出誌:週刊明星
初出号数:1959年1月11日特大号
 
井上靖全集 6 短篇6
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 23:01| Comment(0) | □井上卒読