2012年12月17日

國學院大学草創期の源氏講義について

 先週末に開催された研究会の席上、國學院大學図書館事務課の堀口裕美子さんから貴重な資料を何点かいただきました。その内、私が気になった次の2つの資料について、さらに詳しい情報をいただきましたので、ここに報告します。

(1)「〔資料紹介〕國學院草創期の講義録」(堀口裕美子、『國學院雑誌』、平成24年3月)

(2)「蘭学者の家に生まれた國學院生─第四期生 青地愛作の資料─」(堀口裕美子、『校史 Vol.22』、学術資産センター、平成24年3月)

 『源氏物語』の受容史に関して、ありとあらゆる情報を集めようとしている関係で、一昨日はいただいた資料をその場ですぐに見入ってしまいました。そして休憩時間に、さらなる確認と情報の精査を、堀口さんにお願いしました。その結果が、次のような情報としてもたらされたのです。
 これは、國學院大學の歴史に詳しい益井邦夫先生を通して届いたものです。参考文献は「百年史」と「國學院雑誌」の復刻版だとのことです。


國學院大學は皇典講究所発足当初から「源氏物語」の講義を「万葉集」と共に本居豊頴(もとおり・とよかい)と落合直文が担当しています。
当初、皇典講究所文学部本科(他に作業部)の「文章」(源氏物語・万葉集)は第四年第四級・第三級、第五年第二級・第一級で行われました。予科第一年第四級・第三級、第二年第二級・第一級は「古今集」等でした。「源氏物語」を重視したのは三矢重松の様で、大正10年8月、「源氏物語全講会」を開講、大正12年7月17日に三矢が亡くなると折口信夫が10月に遺族の意向を受けて継承しましたが、これはしばらくして慶応義塾に移しました。「源氏物語」講義はその後、久松潜一・市古貞次・山岸徳平・三谷栄一・守随憲治・藤懸静也・高崎正秀・臼田甚五郎・金子元臣・池田弥三郎・此島正年・倉林正次・関根正直、その他、多くの方々が担当しています。


 早速、追認の調査をしてくださった堀口さんと益井先生のご教示に感謝します。
 機会があれば、さらに私もこの詳細を調べたいと思います。

 なお、三矢重松から折口信夫に受け継がれた「源氏物語全講会」については、拙著『源氏物語受容論序説―別本・古注釈・折口信夫―』(桜楓社、平成2年、1990年)の「第三章 折口信夫と三矢重松の源氏物語観」で、詳細に資料を整理してまとめています。これらについても、さらに追補したいと思っています。

 また、上記『校史』の中で、益井先生が「国文学者 歌人 金子元臣教授」の中で、金子と『源氏物語』のことについて次のように記しておられます。


大正十三年五月、十年計画の「源氏物語全講」を当初、共立女子職業学校(共立女子大学)で始め、次いで櫻蔭高等女学校(桜陰中学校・高等学校)に会場を移して毎週日曜日、二時間講義を基本に講じ、第一回講義には二百名近い参加を見た。「全講」は昭和八年七月にめでたく終了したが、この間に『定本源氏物語新解』上(大正十四年、明治書院)、中(昭和三年)、下(昭和五年)を刊行、これにて全巻五十四帖を完成させている。(15頁)


 金子元臣所蔵の源氏物語については、『定本源氏物語新解』の解説に触れられていることから、かねてより調査を進めていました。しかし、戦災で焼失したということで、その本の内容はまったくわかっていません。この件でも、さらに詳細なことを調査したいと思います。

 以上の情報に関して、補うべきものをお持ちの方、もしくはご存知のことがありましたら、ご教示のほどをよろしくお願いします。

 特に急ぐわけではありません。しかし、池田亀鑑のことを調べてわかったのですが、大正・昭和のことについては、時間ととにも記憶という情報が日々に消えていくようです。その意味では、語って下さる方がいらっしゃる内にお聞きし、残されている資料を1点でも探し出して解読したいと思っています。

 『源氏物語』の受容史を見ていると、大正から昭和という時代は、非常に興味深いことがたくさんあります。少しずつでも掘り起こして、そのありようを記述していくつもりです。
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◎源氏物語