2012年08月25日

糖質制限食を意識しない2日目のこと

 昨夜の食事は、ご飯とかき揚げが中心でした。血糖値が気になったので、あらかじめ消化を遅らせるためにベイスンを飲みました。
 結果は、1時間後が225、2時間後が200。豆腐を温めて抹茶をかけた補食の1時間後が152と、これまた予想通りでした。病院での推移とほぼ同じです。自宅に帰ってからも、病院での成果が再現できています。

 今朝は、薬を飲みませんでした。朝は血糖値が安定しているので、薬の有無に左右されないはずです。
 結果はその予想通りで、1時間後が226、2時間後が101でした。良すぎます。というよりも、2時間後が低すぎます。病院の給食を食べ続ける中で、身体の消化吸収能力が高まったのでしょうか。
 妻いわく、これまで1年にもわたって糖質制限食を作って来た癖で、つい炭水化物を摂らないような料理にしてしまう、とのことでした。ご飯も五穀米だったのでなおさらです。病院では、予算のこともあって、五穀米食は月に1回でした。妻は、味付けなどでも無意識に極力糖質のないものにしてしまったそうです。これからは普通で行こう、という話をしました。
 あまりに血糖値が低いので、2時間後の補食では多めに補いました。

 お昼は、近所の中国料理屋さん「白雲」の定食を食べました。今後とも、お世話になることを想定してのことです。
 これまでにも、家族と何度か来ました。その時には、ご飯や炭水化物が含まれているものは妻や息子に食べてもらっていました。この店の料理は、あっさりとした味で、気に入っています。

 今日の定食は、揚げ焼売と芙蓉蟹でした。見たところ、薬がなくても大丈夫だと判断し、飲まずに食べ始めました。ただし、ご飯が多そうだったので、出てきた半分の100グラム見当を食べました。2種類のおかずは、3分の1を妻に渡しました。また、妻が頼んだ八宝菜を、小皿に小分けてもらっていただきました。
 1時間後の血糖値は326と、予想外に高めに出ました。おかずは半分にすればよかったかもしれません。芙蓉蟹の餡かけ部分をいただいたことと、揚げ焼売の衣が意外と多かったせいでしょうか。八宝菜も、とろみがきつかったので、餡かけと共に片栗粉がたくさん使われていたようです。
 さらに2時間後は、171といつものように落ち着いていました。これで一安心です。

 夜は、娘が退院祝いとして持ってきてくれた柿の葉寿司4個と、ゴーヤチャンプルやサラダでした。柿の葉寿司は押し寿司なので、念のためにベイスンを飲みました。
 1時間後の血糖値は296と、予想よりも少し高めでした。関西で多い押し寿司は、ご飯の量が多いことと、握りよりも少し甘い点を見過ごしていました。しかし、ほぼ予想通りです。そして2時間後は195と、しっかりと落ちていました。
 今夜も、温めた豆腐にいつもの福寿園の抹茶をかけたものと、牛乳とナビスコのプレミアムクラッカーを、さきほど補食として食べました。今、1時間後の血糖値を測ったら190でした。調子に乗って、少し赤ワインを飲んだので、こんなものでしょう。

 こうして、糖質制限食に縛られない食事パターンの2日目も、ほぼ想定内の結果で安堵しています。
 何よりも、スーパーマーケットに行っても、いろいろな食材が選べることはストレスがなくていいものです。食べることを控えるものがなくなったことは、とにかく楽しく買い物ができます。この開放感は、実際に体験してみて、身に滲みて感じていることです。また、外食としてお店に入っても、メニューから自由に選べることも、呪縛から解き放たれたことを実感します。
 それよりも何よりも、妻の負担が減ったことが一番の収穫と言えるでしょう。

 これらは、あくまでも胃を切除した者の体験談です。糖質制限食とは無縁の方や、糖質制限食を実践中の方々とは異なる、いわば特殊な状況下での試行錯誤の成果を、中間報告として記しているものとしてお読みいただければ幸いです。

 今日の午後の賀茂川散歩では、昨日とは異なる鷺がいました。ダンスをしている鷺や、飛び立つ優雅な姿を見せる鷺など、賀茂川ウオーキングは飽きることがありません。
 
 
 
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 その後、『古事記』1300年と出雲大社大遷宮を記念して開催中の、特別展覧会「大出雲展」を見るために、京都国立博物館に行きました。
 
 
 
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 どうしても見たかった、重要文化財の『口遊』に「雲太、和二、京三」と書いてある箇所を、実際に確認してきました。これは、平安時代の巨大建築のベスト3のことを言っています。第1位が島根の出雲大社、第2位が奈良の東大寺大仏殿、第3位が京都の平安京大極殿を指しています。
 実際に展示されていたこの『口遊』には、「雲太、和二、京三【謂大屋誦】。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿【在出雲郡】。和二謂大和国東大寺大仏殿【在添上郡】。京三謂大極殿、八省」と書かれていたのです。
 こうして、実際の資料を自分の眼で確認できたことは感激です。

 私は、島根県出雲市古志町の生まれです。小学校4年生までは、出雲市立古志小学校に通っていました。今日の「大出雲展」で展示されていた『出雲国風土記』にも、素戔嗚尊と縁のある古志の郷のことが記されています。図面に記された神門川や斐伊川は、私が子供の頃に遊んだところです。出雲大社の門前では、親戚がヘルン(小泉八雲)の宿として「いなばや旅館」を経営していました。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が執筆活動をしていた部屋である「かの間」に、私は小さい頃、お正月や夏休みになると泊まっていました。
 この出雲を最近訪れたことは、「50年前の自分に会う」(2009年12月19日)に詳しく書いた通りです。

 小学校5年生の時に大阪に出ました。そして、河内王朝の河内八尾に住み、難波宮にほど近い上町台地にある夕陽丘高校に通い、東京の國學院大學で学び、卒業後にまた八尾に帰って大阪市内の高校教員をし、奈良に転居して斑鳩里の隣の平群町で子育てをし、今は京都の下鴨神社の近くに住んでいます。東京の宿舎は、江戸深川にあります。

 偶然とはいえ、私は古代からの都を渡り歩いているのです。今日の出雲の展示物も、1つ1つを感慨深く見て回りました。

 中でも、松江工業高校の生徒が作った出雲大社の本殿の復元模型には圧倒されました。ここだけは写真撮影をしてもいいという配慮も、なかなか気の利いたサプライズです。
 
 
 
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 古代出雲人の技術力のすごさを、目の当たりにすることができました。これを見ただけで、充分に満足しています。
posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | *健康雑記