2012年07月12日

牛歩のごとき『十帖源氏』の現代語訳

 新宿のアルタ横にある喫茶店のレンタルスペースで、いつもの通り『十帖源氏』の輪読を続けています。
 依然として「夕顔」巻で立ち止まっています。
 今日は「みたけさうじにやあらん」とあるところで足踏みです。光源氏が夕顔の家に宿ったときの話です。

 ここを、『新編日本古典文学全集』(小学館)では「御岳精進にやあらん」という校訂本文をあげて、現代語訳としては「御岳精進でもあろうか」としています。
 このままでは海外の方は困るだろうということで、数年前の最初の訳では「仏教信仰でしょうか」としました。しかし、今回の見直しで、「何かのお祈りでしょうか」とすることになりました。海外の方々のことを思うと、可能な限り専門的なことばを避けて、わかりやすいことばに置き換える必要があるのです。

 この「御岳精進にやあらん」に続けて、『十帖源氏』の本文は次のようになっています。
 「おきなびたる声にて、ぬかづくぞきこゆる。
 ここも、『新編日本古典文学全集』の校訂本文は「ただ翁びたる声に額づくぞ聞こゆる。」という校訂本文をあげて、「ひどく年寄じみた声で、仏前に額ずく声が聞える。」と現代語訳をしています。

 『十帖源氏』は原文を省略することなく、ほぼそのままの文章で語ろうとしています。ダイジェスト化によって変に削られていない点では訳しやすいところです。しかし、「額ずく」はそのままでいいのか判断に迷います。

 我々の最初の訳は、「年寄りのような声を出して、礼拝をしているのが聞こえます。」でした。わかりやすい訳だと言えます。しかし、いろいろな宗教を信じている海外の方を意識すると、「礼拝」とすることに躊躇します。議論を重ねた結果、「年寄りのような声で、お祈りをしている言葉が聞こえます。」となりました。

 これに続く「南無当来導師」は、そのままにしておくしかありません。
 そして、「十五日の月いざよふ程に」とあるところまで進んで来て、またもや「いざよふ」をどう訳すかで止まりました。
 今日はここまでにして、これは次回に、ということになりました。

 こんな調子で、『十帖源氏』の海外向け現代語訳を進めています。
 遅々として進捗しません。しかし、確実に海外用の訳文は形を成し、その訳出する工夫は実を結んでいます。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◎国際交流