2012年02月29日

重たいキャリーバッグを引きずって雪中行軍

 今朝から東京は大雪でした。
 朝8時半頃に中央線の中野駅に入ってきた東京行きの電車は、屋根に雪が積もっています。
 
 
 

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 そして、立川はさらに大雪です。
 
 
 
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 写真左が裁判所の玄関口。前方左に目指す国文学研究資料館がかすかに見えます。

 明日は京大病院で、一昨年の手術に関する経過観察としての検診があります。そして、引き続き出張にでかけることになっています。そのため、今朝から重たい荷物を運んでいるのです。

 職場までの吹雪く中を、20キロ近い重さがあるキャリーバッグを引きずりながら歩きました。7、8分ほどだったと思います。しかし、転がらないキャリーバッグの底で雪かきをしている状態での前進なので、非常に長い時間に感じられました。
 雪の重さを、久しぶりに右腕が実感しました。途中で腕が笑います。引きずるバッグは、雪のために思うに任せず、左右に迷走します。雪をかき集める格好で歩く自分の姿の異様さを思い、自然と笑ってしまいます。
 知っている人に会わなくて幸いでした。

 1日みっちりの会議が終わった夕刻、新幹線に乗るための帰り道は、やや小雪とみぞれになっていました。しかし、道は凍結しており、轍も雪に覆われています。かえって、来るときよりも湿った重たい雪を、キャリーバッグでまたもやかき集めて歩くことになりました。

 こんな時にバスは来そうもないので、モノレールで一駅だけ立川駅まで乗ることにしました。
 ホームで待っていても、電光掲示板に、雪のために電車が遅れているというテロップが流れているだけです。
 20分ほどホームに佇んでいた頃でしょうか、ようやくマイク放送であり、「電車が凍結した坂道を登れなくて運転開始のメドがたっておりません。」と雑音混じりの中で聞こえました。遅れているのではなくて、モノレールは動いていないのです。しばらくモノレールは動く見込みがないとのことです。しかたがないので、歩いて立川駅へ急ぐことにしました。

 道は凍結しています。所々で溶け出した雪が泥濘となり、足を突っ込むと踝まで埋まりました。靴の中は水浸しです。靴下が足下を冷やします。
 こんな時に限り、今回の出張先で改まった式典があるために、普段よりもいいズボンをはいていたのです。他でもない、お気に入りのバーバリーです。それが泥だらけになり、今朝方このズボンを選んだことを悔いました。

 キャリーバッグを引きずりながら、こんな道を25分ほど進みます。水陸両用車で沼沢地を突き進む感覚の中に包み込まれていました。ただひたすら、黙々と前を向いて歩くしかありません。

 ようやく立川駅にたどり着き、遅れている特別快速に乗り込みました。
 予め取った列車には間に合いそうにありません。電車の中で iPhone を使って、予約を変更しました。
 この予約システムは、かつてのMS−DOSという昔懐かしい世界です。見た目はウインドウズらしい画面展開です。しかし、どう見てもプログラマーの手作業の跡がそこここに見え隠れするのです。JRも開発資金がなかったのでしょう。こんな時代があったなと思いながらも、焦って予約変更の操作を続けました。

 東京駅には、どうにか着きました。しかし、試練はまだ待っていました。
 新幹線の乗り換え改札機にICカードをタッチしたところ、あろうことかお決まりの漫才のネタのように、残高不足でゲートを通過できないのです。見渡しても、チャージのできる機械がありません。有人の入口で精算しようとしたら、お釣りがないので向こうの精算所へ回って支払うように、とのことです。出発時間を変更して取り直した列車の発車まで、あまり時間がありません。

 何かと手間取り、やっとのことでギリギリの時間で乗り込みました。
 シートにうずくまり、ここまでの2時間半を振り返ると、何やら突然の障害物レースを走らされた思いがします。
 目に見える損害は、ドロドロになったズボンと下から3分の1が水浸しになったキャリーバッグです。
 お茶を飲み始めた頃には、関節が少し痛み出しました。後は熟睡です。

 夜の京都は上弦の月が照り、冷たいようでも生温い風が吹いていました。
 数時間前のことが嘘のようです。
 先週は、28度のインドのインディラ・ガンディー空港を夜中に飛び立ち、翌朝成田空港に着くと気温は零度、ということがありました。そのお陰で、今も体調不良です。

 相変わらず、いろいろと思いがけない出来事に遭遇します。しかし、最近ではそれが楽しめるようになりました。
 私も歳とともに少しは成長しているようです。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 身辺雑記

2012年02月28日

インドでのメモ(2002-9)インド語訳『源氏』を知った最初

 過日、偶然に見つかった、10年前のインドでのメモの9回目です。
 
 今回のメモから、私がインドで『源氏物語』がいろいろな言語で翻訳されていることを知ったのは、今からほぼ10年前の2002年10月であることがわかりました。意外と最近のことだったのです。
 以来、私は10点くらいあると思われるインド語訳の『源氏物語』を探し求めました。そして、2009年3月にウルドゥー語訳『源氏物語』を偶然にネルー大学図書館のチャイニーズセクションの一角で見つけたことで、足かけ6年半の間に8種類すべてを探し当てたことになります。
 
 メモという記録装置を、私は最近見直しています。とりあえず書いておく、入力しておく、ということを心がけると、その書かれたものが時間の流れの中でしだいに意味をもちます。もちろん、なんでもないままに捨てられるメモが圧倒的多数です。しかし、いくつかのメモは、書かれなければ忘れ去られる運命にあった意味や情報を保持しているのです。それを再活用する機会が与えられるかどうかは、まさに偶然との駆け引きがあります。
 その意味でも、とにかく書いておくことです。

 今回の10年前のメモのように、書いた時には単なる記録だったものが、今になってみると自分の足跡を照らしてくれる記事として立ち現れてくるものがあるのです。どのメモが、いつ目覚めるか。叩き起こす必要はありません。出番がくれば、自ずと顔を出してくるのです。あるいは、見かけたらその内容に目を通せば、何らかの閃きを与えてくれるものがあるものです。

 そう思うと、何げなく記しているメモが、近い将来キラリと光り輝く日が楽しみになります。

 また、当時(10年前)は、情報入力機器としてソニーのクリエを使っていたことも、このメモを見て思い出しました。小さくて少し分厚い電卓のような大きさで、見かけよりも多機能で重宝しました。今の iPhone の原型とでもいうべき発想で作られたものでした。
 今回の引っ越しで、クリエをはじめとする携帯情報端末はすべて処分しました。パーム機器をはじめとして、大きめの段ボール一杯分はありました。もちろん、大好きなケーブル類や機能拡張品も、別の段ボールに一杯分はありました。今、お別れの記念写真を撮っておくんだった、と思い返しているところです。
 
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■2002年10月27日■
 
◎今回の研究集会で配布された資料の中に、インドで発表された研究文献リストがあった。何げなくそれを見ていると、その中に『源氏物語』を翻訳したものが10点くらいあった。すべてが英語訳からの翻訳であるが、なんと、ヒンディー語・テルグ語・タミル語・マラヤラム語・ウルドゥ語・オリヤ語など、多彩なものである。この多さに驚きを隠せなかった。
 『源氏物語』のインド各言語訳を入手することをKさんに依頼する。インドの学生さんにも、その翻訳のお手伝いをお願いした。インド諸言語訳『源氏物語』が英語訳を通してであっても、それがインドの各語にどのような変容を見せて翻訳されているのかという位相が明らかになるだろう。
 私の力の限界がすぐに来るテーマなので、一緒に調査してくれる人を探そう。
 
 
◎Kさんからもらった『インド通信 第288号』に紫草の話があり、折悪しく会議中ではあったが必死にクリエ(PDA)に入力する。「むらさき草」の説明のために有効な情報である。

※〈インドの植物〉ヘリオト口ピウム ストリゴスム ムラサキ科
「その草は空き地や道端などいたるところにあった。
 その草全体を、オオギヤシの葉といっしょに噛むかわりに香辛料を潰す石板でよくすり潰した。すり潰すうちに赤茶色の汁が出てきた。それをプラスチックのバケツに集め、少し水を加えてその液を綿のスカーフを染めてみた。赤茶色に染まり、それを灰汁で媒染すると、綺麗なレンガ色になった。私たちはその色をうっとりしながらながめた。草の根のよい匂いがする。しかし、その草はだれもが目にしているのに、だれもその名前を知らなかった。花の構造や葉のつき方からムラサキ科のヘリオトロピウム属に属するー年草のハティシュルに似ていることが分る。薬草の本で調ベてみると、碓かにムラサキ科、ヘリオトロピウム属に属す植物でヒンディ−語でチティ・フルと呼ばれる雑草であることが分った。民間療法ではその葉汁を目や歯茎の腫れの治療にもちいるということである。
 さすがに万葉の時代から染色植物として利用されてきたムラサキと同じ科に属する植物だけのことはある。水洗いしても色落ちは少なく、インドの強烈な日光にさらしても退色はなかった。」『インド通信 第288号 2002.10.1』(西岡直樹、P3・絵あり)

 
 
◎国際会議において、ヒンディ語による発表にー区切りごとに日本語訳がついていたのは、前日と比べると大変よい改良点と言える。
 
 
◎ヒンディー語を日本語に通訳している男性は、おそろしく優秀な人である。
 その日本語に多少違和感はあるが、即座にあそこまで訳せるとは、すばらしいことである。
 
 
◎会議全体を通して感じたこと。
 あまりにも日本語によるコミュ二ケ−ションが少なすぎる。文学ネタも少ない。これでは、一部の多言語理解者だけの自己満足の集まりになる。日本語しかできない私のような者が参加してもわかるような日本文学の会議にしないと、この種の海外における日本文学関係の研究集会は、今後の進展は望めないように思った。あくまでも、日本文化ではなくて日本文学を対象にするならば。熱弁を無駄にしないためにも。
 それにしても、インドの人たちはよく喋る。発表の内容には頓着せずに、とにかく自説を開陳する、といった趣がある。
 
 
◎今、議場へ帰ってくると、外のソファでM、S先生が歓談中だった。私もそこに混じって話に加わる。
 場内の議論は白熱している。しかし、インド学においても、常識的なことに終止しているそうだ。
 
 
◎夜のデナーはパーティー。副外務大臣も来ておられる。特に司会進行があるわけではなく、ただ集まっているだけ。
 伊井春樹先生とご一緒だったこともあり、副外務大臣と通訳を交えて二言三言ことばを交わした。伊井先生は流暢な英語で副外務大臣と話しておられた。日本で言う詰め襟の学生服のような服装。育ちのいい紳士という感じがした。
 
 
◎ゲストハウスに帰ってから、M先生の部屋で宴会。K、H、S先生もご一緒。
 私が、今春デリー大学で行った百人一首のことが話題になった。『花のデリーで百人−首』という本を出版することで盛り上がる。S先生は大乗り気。話が大きくなりすぎて、少し困ってしまう。
posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月27日

インドでのメモ(2002-8)国際集会での英語について考える

 過日、偶然に見つかった、10年前のインドでのメモの8回目です。
 
 国際集会では、英語が主流です。世界各国の人々がコミュニケーションの道具として英語を用いる意義は理解できます。しかし、その英語を習得し遅れた私などは、なんとか日本語だけで海外の方々との会話を手探りしているのが実情です。現地の学生さんに、いつも助けてもらうことになります。自立しなくては、と思いつつも頼ってしまいます。
 もっとも、パーティーには学生さんが参加しないことが多いので、気まずい思いで人々の間を泳ぎ回るしかありません。

 若い方々には、ぜひとも英語をマスターしてほしい、と思います。もっとも、世間話ならともかく、日本文学について英語で語り合うのは至難の技でしょう。特に、議論となるとなおさらです。そのような訓練も受けていないはずです。この問題は、根の深いものです。

 その前に、私などは日本文学の専門用語を英語でどう表現するか、というレベルの問題解決をまずは図ることを痛感しています。
 日本文学に関する内容が英語で自由に語れるようになるためのインフラ整備が、喫緊の問題なのです。ということで、できない英会話力を自分でフォローしておきます。
 
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■2002年10月26日■
 
 朝7時にドアをノックする音。紅茶が運ばれてきた。大急ぎで食堂のある隣の建物へ行く。

 食堂は、前日朝のまま掃除が何もされていない。昨日の朝食の食べカスがそのままテーブルやフロアにちらばっている。そして、我々が入った後に、一人の男性がテーブルの上をタオルのようなもので叩いて下に落とすだけである。フロアの足元にゴミが散らかっていくだけであるが、それで終わりである。

 これは、宿泊施設の空間で昨夜行われたパーティーでもそうである。一日経っても、宿舎の入口付近には、昨夜の食べ散らかしたゴミや、投げ捨てられたペーパーナプキンがそのままになっている。掃除というものに対する考え方の違いに、いろいろと思いを致す瞬間である。
 
・インドでの日本文学研究集会に参加して
 進行がすベて英語でなされているのに失望。国際集会とは言え、日本文学に関するものであるなら、やはり日本語で考え語ってほしいものである。
 これでは、英語文化から見た日本文化に留まる。特に、開会のスピーチで「日本の心」を強調するのであればなおさらだと思った。

 インドで初めてだから、というのであればよいが、これでよいということならばインドにおける日本文学研究は「インド文化と翻訳文化のための研究」にすぎず、文学の域には入ってこない。主催者および会場の反応を見る限りでは、日本文学研究に関する限りは、意外と先は暗いと思われる。これは、私が英語が理解できないことに起因するせいだけではないと確信するものである。

 発表者を見ればよい。日本文学研究者は、伊井先生と浜川先生と川村先生だけであリ、後はすベてインド学者であることが証明している。インド側からの日本文学研究が日本語で発表されることを願うのみであったが、それも絶望であった。
 その点では、アニタ・カンナ先生の発表は、英語でイントロダクションをして、後は日本語というスタイルなのでよかった。ただし、カンナ先生の発表は、「です・ます調」と「である調」が混在しているのが気になった。

 今回の国際会議は、実際のテーマを見る限りでは、文学ではなくて「日本文化社会と国語国文学」である。その発表者と内容の内訳は、以下の通りである。
 
   日本人 インド人  計
文学  4    8   12
言語  8    6   14
社会  4    6   10
 計 16   20   36
 
・インド人のスピーチで延々と30分以上もヒンディー語で喋る人がいた。もう退屈で大変である。後で日本語の通訳がついたが、もう飽きて疲れているので聞く気を失っている。これは国際会議での大きな問題点である。会場に同時通訳の設備がないのならば、せめて、ヒンディー語と日本語を適宜交互にしての発表にしてほしい。英語の発表が続き非常に眠いのに、場内撮影のカメラマンがうろうろするので、気軽に寝るわけにもいかない。
 
・浜川先生の日本語による研究発表に対して、ニタシャさんの英語の通訳は綺麗だった。
 ニタシャさんの修士論文の指導に、客員としてデリー大学にいた時に関わったこともあり、その成長ぶりを頼もしく思う。
 
 
 
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・伊井先生の発表は、非常に流暢な日本語であり、さすが、というものだった。内容も、『源氏物語』の「鈴虫」巻に関するもので、私もうっかり見過ごしていた問題である。目の付け所の違いと、その考察が深く広いことに、あらためて勉強させられた。
 
 
 
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・夕方からは休憩を含めて、神戸女子大学の院生2人と街中へ行く。出口で国際交流基金のSさんと出合う。あいかわらず大忙がしである。近藤房之助のコンサー卜チケットをもらう。
 
・INAマーケッ卜へオートリキシャで行く。お店が立て込んだ一角のサリー屋さんで、院生のPさんとHさんは自力でパンジャビースーツのマフラーを買う。
 
 
 
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 スターフルーツなるものも。ラッシーとチャイをごちそうする。まさにインドの人たちと一緒の空間に入ってのティータイムで、大喜びだった。
 次はアンサルプラザへ。若者たちを見てもらうために。インドの若者達のさまざまな様子を見ればいいと思ったので、あえてINAマーケッ卜から直行した。夜の7時頃になっていたが、たくさんの人でごったがえしていた。サークル状の建物の中央の広場には、たくさんのアベックが寄り添って語らっている。
 さらに歩いてサウスエクステンションへ。バリスタでコーヒーを飲む。店を出ると、そこは梅田や心斎橋だった、と思い紛うような空間である。警官が多いようなので、用心をして9時すぎに帰る。
 オートリキシャに3回も乗ったので、院生は感激していた。昨日はタクシーでの一日だったので、これに乗ってみたかったとのこと。
 
・タ食をたベ忘れていたので、部屋で持参の五目ごはんを食べる。今回の旅行で初めてのα米の出番である。伊井先生の部屋のことが気になるので、ムヒのスプレーを持って行く。虫と蚊に苦労されていていた。バスの壁の中も見せてくださった。WBCに−日も早く移りたそうである。あと2日がまんする、と悲壮な決意であった。
posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月26日

インドでのメモ(2002-7)池に不思議な乳白色の液体が

 過日、偶然に見つかった、10年前のインドでのメモの7回目です。
 
 インドにおける国際集会の前日に、盛大なパーティーがありました。
 ただし、英語も覚束ない私は、日本人の一団に紛れ込んで時間を過ごしました。
 情けないことですが、どうしようもありません。
 伊井春樹先生は流暢な英語で、幅広い方々との懇談を楽しんでおられました。
 国際派としてのレベルの違いを痛感させられました。
 
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■2002年10月25日■
 
 朝6時40分にドアをノックする音。紅茶が運ばれてきた。
 昨日の失礼を挽回すべく、U先生の旦那さんの差配である。
 出発前に、今日の通訳担当の学生がどうなっているのかわからないままに時間が過ぎて行く。結局、シークのG君が付いて来ることになる。

 S先生と一緒に、チャッタープル・マンディルへ行く。S先生はご自分の専門にかかわる調査のため、熱心に動き回っておられた。

 時間がなくなったので、クトゥブ・ミナールには行かずに、妙法寺へN君をピックアップしに行く。
 そこからロータステンプルへ。綺麗な芝生の中にある白い蓮の花の中は、瞑想空間となっていた。
 
 
 

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 地下には図書室があった。
 建物の回りの池は、乳青色だった。入浴剤を入れているのでは、とか、池の底が青く塗られているからだとか、いろいろとその色の美しい原因を話していたら、お兄さんがやってきて、池の鯉に餌をやるように、乳白色の液体を池にまいていた。これで謎が解決。やはりインドは、深読みをさせてくれる。
 
 
 

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 新興宗教寺院のイスコンで食事。バイキング方式だった。パニールがおいしい。
 出口でビデオCDの宗教版をパソコンで見る。これがほしくなり、N君がGK1Mブロックマーケットへ行くのをいいことに、そこで探すことにする。

 一番大きいはずのレコードショップは潰れていた。この春にできたばかりだったのに。中のショップで、1枚だけ見つけた。ただし、ハヌマーンのものだったので不満。もう一軒に行ったが、やはりなし。G君が探してきてくれることになった。

 国際研究集会の最終日を控えた前日の夜から、私はワールド・ブッディスト・センターに泊まるつもりであるというと、伊井先生もそのようにしたいとのこと。先生の話では、ゲストハウスの部屋には壁に虫がたくさんいて気持ちが悪いそうである。いかにも不快そうなので、ご一緒にWBCに移ることにする。

 時間がないので、クトゥブ・ミナールは中止して、デリーハートだけにする。衣類が多い。
 今日は、女性が旦那さんの健康と幸せを祈って絶食をする日だそうである。たくさんの女性たちが街のあちこちで集まり、お祈りをしていた。
 デリー・ハットでは、ベッドカバーになるほどの大きさの布を買った。スプライトを飲んだ後に、ネクタイを2本買う。ちょうどの時間なので、帰路につく。タクシーは8時間契約で借りているものであった。

 一眠りしてから国際研究集会のパーティに参加。結局日本人が固まって日本語ではなすことになった。伊井先生は英語でがんばっておられた。2時間ほどで散会。
 知らない人の中で飲み食いするパーティは、とにかく疲れる。
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月25日

インドでのメモ(2002-6)日本女性が握るインドマグロのお寿司

 過日、偶然に見つかった、10年前のインドでのメモの6回目です。

 今週インドから帰ってきたばかりなので、今回と10年前のことが私の中で交錯します。しかし、共通点があってデリーがあまり変わっていないので、引き続き10年前のインドの記事をそのまま記録としてまとめることで、ここに一つのインドコーナーとしておきます。

 この記事では、インドで生のインドマグロを、それも女性の板前さんにさばいてもらったお刺身とお寿司を食べたことを記しています。これは、記念すべきことです。
 今回も、このGK1のNブロックマーケットへ行きました。しかし、この日本料理のお店はなくなっていました。マグドナルドもスーパーマーケットも見当たりません。女性向けのファッション関連のお店が増えました。嬉しかったのは、アップルのお店が出来ていたことです。この高級住宅地の中のマーケットも、日々進化しているのです。

 さて、以下のように10年前のデリーで、日本を代表するお二人の先生と共に、思いがけない食事に出会えたのです。
 旅をしていると、いろいろなことがあります。
 
 
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■2002年10月24日■
 
 朝7時に各部屋に配達されるはずの紅茶は来なかった。
 8時のダイニングホールも用意がされていないので、みんなで歩いて隣の食堂へ行くことにした。
 途中で、リヤカーに朝念の道具を乗せて来る人たちに出あう。もう一度引き返す。

 デリー大学の大学院生であるAさんが我々の担当だった。PさんがH先生につく。I先生をIICに送る。しかし面会目的の人はリタイアとのことで、今日は我々と行動を共になさることになる。

 国際交流基金ヘ立ち寄る。Sさんは不在だったがF所長はおられた。おみやげを渡す。ジャパンウイークのイベントの話を聞く。

 コンノートプレイスへ向かう。N君ご推薦の両替屋で、伊井先生とI先生が換金。早くていい。日本語の出来るガイドが店にいて、何かと言って来る。札束にホッチキスの針がついたままなので、それをはずしてもらう。

 いつもの海外発送用の荷物を作ってくれるお兄さんの紹介で、その隣の郵便局に行く。日印五十年記念切手が入手できるかどうかを、Aさんに聞いてもらう。別の本局へ行けと言う。本局では、もう一つ別の大きな郵便局へ行けとのこと。またまたタクシーで移動する。2階や1階を往復し、別の建物の郵便博物館へ行くことになる。
 そこで待たされている間に、切手の歴史を見る。単なるパネルの羅列だが、それなりに興味があればおもしろそう。

 しばらくして来た人も、また先ほどの最初に行った2階の1番窓口へ行けという。そこでは、結局は担当者が今日はいないということで、後日となる。記念切手の担当者がいないとどうにもならないという完全分業システムはどうかと思う。

 切手探しにも疲れたので、昼食にする。今春、伊井先生とも行ったアルカホテルの「べガ」へ行く。バジパイ首相も来ると言う店。満腹。甘すぎると、伊井先生は辟易顔。

 メインバザールへ。駅のホームを見てから、混沌の商店街へ。とにかく雑踏である。
 途中の店で、ヒンドゥーの神様を描いた風呂敷のような壁掛けを物色する。私が大を2枚、伊井先生が小を2枚。450ルピーと言うのを380ルピーにして買う。デザインはよくない。

 定宿にしているお寺へ向かう。運転手にはそこで終了とし、先生を中に案内。一橋大学の大学院生がいた。N君を交えて話す。私はメールチェックをする。

 これから伊井先生と、インドのお寿司屋さんへ行くことにする。

 お寺のGさんが、WBCのホームページを作ったという。英語のページで、少し堅苦しいことを指摘。スタッフの顔の見えるものにしたらとアドバイスをする。

 名刺は、今日もできていなかった。私の名刺の原紙に模様が入っていたので、その影が写ったとのことで、どれが文字ではないのかを見てくれ、と言ってきた。日本語の文字が判別できないと言うのは、なかなか大変である。画像として扱っているのである。

 Eさんに電話をして、予定していた彼女の自宅に行けそうにないことを伝える。ご家族と一緒に食事をする予定だったので、残念である。

 GK1のNブロックマーケットの寿司フェスティバルへ行く。
 日本人の女性が握ってくれるお寿司である。もう5年ここに勤めているそうだ。これまで2回ほど来たが、一度も会わなかった。
 マグロのお刺身を注文。マグロのブロックをさばく所をカメラに収める。
 
 
 
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 握りは、松・竹・梅とあった。味噌汁も注文する。
 
 
 
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 松の中身は、イカ・タコ・イクラ・マグロ・サケ・玉子・甘エビ・中トロ・カンピョウ・キユウリのセットで195ルピー。600円もしない。野菜の味噌汁も注文する。お酒はなし。ここも満腹。

 タクシーは70ルピーでスタートしたが、ゲストハウスに着くと何やら言ってきた。聞きもせずにノーと言って入る。インドの現地文献調査では第一人者のI先生が、僕なら追加を払ってしまいそうだが……、と感心しておられた。いやいや、これもN君仕込みのインド生活術の一つなのです。

 ネルー大学のゲストハウスのシャワーは、途中で水になった。早々に寝る。
posted by genjiito at 22:59| Comment(0) | 美味礼賛

2012年02月24日

帰りの機内での糖尿病食は良好

 帰りのインディラガンディー空港は、昨年もそうであったように夕陽がきれいでした。
 
 
 
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 これは、靄がかかっていたからなのか、排気ガスのなせるものなのか、ここで詮索するのはやめましょう。とにかく、ホッとす光景が目の前に広がっていました。

 昨年インドを発つ時に、インドの空港におけるトイレの男女の識別記号について書きました。
 「ネルー大学から空港へ」(2011年2月23日)
 今回、その絵柄がまた変わっていました。これは、その時代の典型的な美男美女を示しているのでしょうか。これからも変わっていくのか、興味のあるところです。
 
 
 
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 機内食は、往路と同じくお願いしていた糖尿病食を出してもらえました。「DBML」というシールが貼ってあるのは、「ダイアベティック・ミール(diabetic・meal、糖尿病患者のための食事)」の略語です。
 
 
 

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 食事の中身は、チキン、豆とトウモロコシの和え物、瓜、キュウリ、トマト、マンゴ、ブロッコリーです。添えられていたパンとバターには手をつけませんでした。飲み物は、日本茶と赤ワインとコーヒーです。

 今回も、往きと同様に血糖値を測定しました。
 食前は「118」と正常です。
 食後1時間の数値は「164」でした。「180」以下を良しとしているので、これはいい結果だと言えます。

 往きの食事で高血糖だったのは、出てきたもののすべてを食べたためだったと言えます。少なくとも、バナナは止めるべきだったようです。

 その後、成田に着陸する1時間前に朝食が出ました。
 その直前に配られたオレンジジュースを飲んだせいでしょうか、食前の血糖値は「140」と高めでした。
 この糖尿病食には、一般の食事にあるヨーグルトがないのです。
 トマトとキュウリを挟んだサンドイッチは、上下のパンの部分を食べませんでした。これではカロリーが少なすぎるので、我が儘を言ってヨーグルトを追加してもらいました。
 くだものは、パイナップル、マンゴ、スイカと、果糖の高そうなものばかりです。
 
 
 
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 この朝食は果物中心なので、これはこれで格好のデータ収集となります。
 くだものは旬のものを少しなら、と言われています。食前に甘いオレンジジュースも飲んでいたので、これでは果糖の摂りすぎです。
 しかし、予想に反して、食後1時間の数値は「160」でした。意外と上がらなかったのです。
 今回は、やや極端な例となりましたが、貴重なデータでもあります。

 これで、飛行機による長旅でも、糖質制限食に近いものが手にできることがわかりました。
 今回のインドでも、毎日がマサラ料理の日々でした。そして、私は毎日の食事に、チーズと同じで豆腐のような形と食感の「パニール」が入った食事を、常に強く意識して注文していました。これも良かったと思っています。

 行く前は、ナンもライスも食べない糖質制限食が可能かどうか、とにかく心配でした。案ずるよりも産むが易し、ということです。食生活では、何も問題はありませんでした。

 今回の旅で私にとっての大きな収穫の一つとして、食事に関して心配事が払拭できた、ということもあります。
posted by genjiito at 23:41| Comment(0) | 美味礼賛

2012年02月23日

インドの学生さんたちとの懇談

 今回、デリー大学とネルー大学の学生のみなさんと、それぞれ1時間半ほどの懇談をしました。こちら側は、今回インドを訪問している3人です。集まっていたのは、学部学生と大学院生で、それぞれの大学で15人ほどの若者たちと語り合いました。

 とにかく、その日本語のうまさは驚くばかりです。語らいは、すべて日本語です。しかも、相当にレベルの高い内容で……
 
 
 
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 いろいろな話題が次々と展開します。現在の関心事や、勉強のことなど。
 みんなに共通することは、日本語を勉強して日本文学作品がもっと読めるようになりたい、という熱意でした。
 また、日本語と日本文化などを学び、いい日本関連の企業に就職したい思いも、多くの学生さんたちが抱いていました。

 みなさん、熱心に勉強しています。
 現在使っているテキストを見せてもらいました。
 教材としての「浦島太郎」と「源氏物語」は、こんな感じで書き込みをして理解を深めようとしています。
 
 
 
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 『源氏物語』に興味を持っていることに、心強いものを感じました。ロイヤル・タイラー訳『源氏物語』を読んだ後、日本語で読んでいるそうです。
 質問もなかなか鋭いものがありました。私は、問われるままに「方違え」の例をつい説明したりしました。それを、理解してくれるのです。俗信や迷信はインドにもあり、日本と同じものもあるようです。今回聞いた中には、インドでは服は土曜日に買うのだそうです。それとは反対に、車や機械ものなどの金属製品は土曜日には買わないとか。
 ネルー大学のアニタ・カンナ先生とマンジュシュリ・チョウハン先生は、共に國學院大學で『今昔物語集』などを研究して博士号を取得なさいました。指導教授が民俗学の野村純一先生だったこともあり、こうした分野については学生の身近によき先生がいるのです。勉強する中身と方法が、いろいろと見えだした懇談となりました。

 文化的によく似た要素がインドと日本の両国の間にはあるようです。そして、学ぶ環境もしだいに整ってきています。これからの若者たちが、そうした中からどのようなテーマを掬い上げてインドと日本について考えていくのか、本当に楽しみです。

 学生さんたちが勤勉で誠実な姿勢には、その裏側に自信が漲っていることが見え隠れしていることが伝わってきます。伸びる国の人々が持つ、前を見、上を見て生きようとする姿勢なのです。

 目的を見失っていると言われていた日本の若者たちも、東日本大震災などを通して、自分を見つめ直し、新たに生きる目標を設定しだしたようです。目標を持ってものごとに取り組むことは、自分を少しずつ高めていきます。

 インドと日本の若者たちに、心よりエールを送るようになりました。
 私も、いい刺激と勉強をさせてもらいました。
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月22日

ニューデリーに出来た巨大ショッピングモール

 ニューデリーの南西部にクトゥブミナールという世界遺産になっている遺跡があります。ネルー大学は、その近くにあります。

 今回の旅で、この地域に「サケットモール」という一大ショッピングセンターができていることを、国際交流基金のTさんから聞いたことは、私にとっては大きな衝撃であり、かつ収穫でした。

 これまで私は、ニューデリーの南にある「アンサルプラザ」が、近年のインドの発展を象徴する欧米風のショッピングセンターだと思ってきました。インドの言葉を廃して、英語だけで環境を作り、ブランド志向を高めたお店で形成される空間です。
 ニューデリー郊外にあるグルガオンという新興地域一帯のショッピングセンターと、このアンサルプラザは、発展し続けるインドを実際に自分の眼で確認できる、インド人に自己満足感を与える場所でした。
 しかし、今は、さらに大規模な新しい施設ができていることを教えられました。
 日に日に姿を変えるインドです。

 それにしても、Tさんからアンサルプラザはもう古いと言われると、インドの欧米化が急加速していることを痛感させられます。
 そのサケットモールに行ってみました。
 
 
 
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 欧米でいうところのブランド店が、所狭しと店を並べています。日本にも、このような施設はあります。一見なんでもない光景です。しかし、ここがインドであることを忘れさせる空間となっていることが驚きです。
 もっとも、その内装のデザインセンスには、今イチ煌めきを感じません。もう少し練ってほしいところです。あと一歩というところに留まっているのが惜しまれます。
 
 
 
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 薦められたお店で食事をしました。確かに美味しそうです。しかし、私はこのような食事はすぐに飽きてしまいます。何度も食べようとは思いません。糖質制限食を実践しているからではなくて、加工食品の詰め合わせ的な料理だったからです。珍しかったので食べた、というのが正直な感想です。

 また、私はホテルのレストランを好みません。白々しさと恩着せがましさを感じて、しだいに興ざめがするのです。自分の中に、一流と言われるものに対する反発を感じる心が埋め込まれているからかもしれません。

 息子は、シェフを目指す料理人です。
 彼に言わせると、食べる人のことを知り、その人が満足する料理を考えながら作ることに、料理人としての喜びを感じるのだそうです。
 高級食材と評価の高い調味料を使い、そして一流の道具で作り、整った雰囲気の中の客に料理を提供することは、ある程度のレベルでそれなりに美味しいと言われるものは、誰にでもできるのだそうです。
 それよりも、高級食材ではなく、恵まれた調理環境でなくとも、創意工夫で自分の料理を食べもらえるお客さんのために作ることが、自分の使命だと感じるのだそうです。
 これは、若さ故の理想論かもしれません。しかし、そのような心がけで修行を積んでいると、いつかはその思いが結実すると私も思っています。

 そう思うと、ホテルなどの一流と言われるレストランは、提供者側の論理で、私どもの料理はすばらしくて美味しいので賞味してください、ということを押し売りしているように、私には感じられるのです。確かにいい食材で作るので、それなりに美味しいのでしょう。
 しかし、食する人のことは考えず、自分たちの味覚を押しつけてきているように思われてなりません。これは、多分に偏見による考えだと言われそうです。しかし私は、そうした美味の押しつけに嫌悪感を感じてしまうのです。

 有り難がって料理をいただくのもいいでしょう。一流品を口にできる境遇に満足感を抱くのもいいでしょう。しかし、外からの力を受けながら食べる環境に身を置くことに、私は素直になれないのです。
 このことは、これ以上は言っても詮無いことなので、この辺にしておきましょう。

 今後ともインドは、欧米風の一大ショッピングセンターに代表されるような施設を作ることが象徴するように、欧米化をさらに進めることでしょう。そうであるならば、それによって切り捨てられる文化と、これによって新たに生まれる文化の融合が、うまく調和したものに発展することに期待し、これからを楽しみにしたいと思います。
posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | 美味礼賛

2012年02月21日

『十帖源氏』をヒンディー語訳するための提言と教示

 「第7回 インド国際日本文学研究集会」の午後に、「日本の古典をインド諸言語に翻訳する場合の問題点:『源氏物語』の事例報告」(Problems of Translating Japanese Classics in to Indian Languages : A case study of Genjimonogatari)と題して、ヒンディー文学研究者で翻訳家でもある菊池智子さんと私は、翻訳をしてわかった問題点を提示し、会場のみなさんとの共同討議をしました。

 『十帖源氏』のヒンディー語訳は、これから日本文学と向き合うインドの若者との共同作業を目指してのものです。その意義とその成果の意味を確認することは、具体的な事例による有効な動機付けとなるはずです。
 インドにおける今後の日本文学理解の進展において、このような内容は、これからさらに研究が盛んになる時点での活性化につながるものとなることでしょう。

 さて、菊池さんと私からは、以下の5点の問題を提示しました。それぞれに、貴重な意見と解決策をいただきました。
 今回は、事前にさらに多くの事例を用意していました。しかし、時間の制限から、ほんの数例しか意見を求めることができなかったことは残念です。

(1)后たちの位について

 『源氏物語』に出てくる「皇后、中宮、女御、更衣」について、インドにも后の位に序列が存在することがわかりました。少なくとも4人の后の順序を区別できる言葉があるのです。
 これによって、「更衣」を「こうい」とするという、発音による表記で問題点を回避する必要がなくなりました。

 
 
(2)左大臣と右大臣について

 これも、左大臣の位が上であることを訳し分けることができるとのことです。「さだいじん」などと発音で表記して逃げる必要がなくなりました。

 
 
(3)固有名詞の読み方について

 桐壺更衣の住まいである「淑景舎」などの「舎」について、インドでもこれに相当する言葉があるそうです。つまり、「〜しゃ」と発音表記をしなくても、ヒンディー語で表現することができるのです。

 
 
(4)インドの宮廷文化について

 「御簾」や「几帳」について、インドにはそれに相当する言葉がありません。こうした姿を見せないための設えの文化は、イスラム王朝宮廷内には見られるそうですが、ヒンドゥー王朝宮廷内には見られないようです。
 こうした場合の翻訳については、その対処を今後とも検討し続けることになりました。
 いずれにしても、正確な知識を持つインド人の協力が、こうした古い時代の文学の翻訳にはどうしても不可欠です。

 
 
(5)注釈・脚注について

 「楊貴妃」については、日本で通用している「ようきひ」という発音による表記で翻訳を進めていきます。ただし、そのすぐ後にカッコに入れる形で、諸外国での表記である「Yang Guifei」を添えるとよい、ということになました。これは、注の扱いに関連します。
 私は、他の日本文学作品を読む時にも出てくる「楊貴妃」などは、やはり「ようきひ」という日本式の読み方にしておきたいと思います。日本文学では「ようきひ」と読む、ということは、一つの文学の受容上では意味のあることです。諸外国がそうだから、ということで、日本では通用していない読み方を導入することは、読者を他の作品へ誘う時の障碍となりかねません。
 現代語訳の文章を作成するにあたり、最初は翻訳文に注記は付けない、という方針のもとで臨んでいました。しかし、翻訳文にさらなるわかりやすさと、より深い理解を求めるためには、注記はどうしても必要であり、それはその直後にカッコで括って明示するとよい、という改善策が会場から提案されました。
 確かに、翻訳文に注記がないと意味が伝わらないところは、そのようにせざるをえません。これは、方針の変更となります。

 
 
 以上、これ以外にもたくさんのご教示をいただきました。
 ヒンディー語のネイティブの先生方や学生さんたちの意見で、このディスカッションは活発に、というよりも白熱した意見の交換がなされました。まさに、異文化間のコミュニケーションが熱気を帯びて展開したのです。これは、予想外に盛り上がりました。
 インドと日本における、お互いの文化を伝えることに対して、自分たちの立場を明確に主張したいという気持ちが、共同討議の中でいい意味で発揮されたのです。

 時間的な制約があったために、限られた言葉しか確認できませんでした。
 こうした検討会は、うまく設定すれば、よりよい翻訳文の作成に直結します。
 『十帖源氏』を多言語翻訳をするにあたって、共同討議の位置づけの重要性を再認識するディスカッションとなりました。

 参加された会場のみなさま、そして活発な議論を展開してくださったみなさま、本当にありがとうございました。
posted by genjiito at 03:16| Comment(0) | ◆源氏物語

2012年02月20日

第7回インド国際日本文学研究集会

 今日は、朝の10時から夜の6時半までの長時間にわたって、「第7回インド国際日本文学研究集会」が開催されました。
 会場は、これまでと同じく、国際交流基金ニューデリー日本文化センターのタゴールホールです。
 
 
 

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 インドの先生がたや学生たちが40人以上も集まり、熱心かつ活発に議論が展開されました。これまでで一番盛り上がった研究集会だったと思います。
 日本から一緒に行った、山田先生の東日本大震災による文書の被害報告と修復の実例は、会場の皆さんが固唾をのんで見入る内容でした。
 神作先生も、インドのみなさんには馴染みのある『百人一首』を例にして、和歌の世界をわかりやすく語られました。みなさん、あらためて日本の和歌というものと、近世という時代の文学的な特色に理解を深められたようです。

 私自身は、基調講演の後、すぐに司会進行役をこなし、すぐに菊池智子さんと一緒に『十帖源氏』のヒンディー語訳に関する提言をしました。今日一日、出ずっぱりでした。終わったばかりで、ホッと一息をついたところです。
 とりあえず、本日のプログラムを掲載して、その内容については機会を改めたいと思います。



第7回インド国際日本文学研究集会
“Seventh Round of Indo-Japan Seminar on Japanese Literature”

主催
ネルー大学

後援
国文学研究資料館
デリー大学
国際交流基金

日時
2012年2月19日(日曜日) 10:00am
会場:国際交流基金ニューデリー日本文化センター

プログラム

テーマ:日本文学研究の現在
Theme: Present State of Research in the field of Japanese Literature
 
開会式
 
 
 

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挨拶: 田中洋二郎,Director, 国際交流基金

研究集会の紹介: アニタ・カンナ,ネルー大学

基調講演:伊藤鉄也,国文学研究資料館
 「『十帖源氏』のヒンディー語訳に関する共同研究の提案」
  “Joint Research proposal for translation of Jūjō Genjimonogatari in Hindi”
 
 
 

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研究発表-I 司会:伊藤鉄也
 
1.「3.11 被災記録資料のレスキュー活動─岩手県釜石市での実践」
  “The corpus of material and data lost in the East Japan Earthquake”
                山田哲好, 国文学研究資料館
 
 
 

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2.「百人一首のちから」
  “The Waka & Haikai poetry of Edo period”
                神作研一, 国文学研究資料館
 
 
 

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3."Literature in FL classroom: Challenges and prospects"
                アニタ・カンナ教授, ネルー大学
 
質疑応答
 
 
 

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研究発表- II
 
1. 「日本の古典をインド諸言語に翻訳する場合の問題点:『源氏物語』の事例研究」
 “Problems of Translating Japanese Classics in to Indian Languages:
  A case study of Genjimonogatari”
                    伊藤鉄也 & 菊池智子
 
 
 

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2.パネルディスカッション
「インドにおいて日本文学への興味をどのように鼓舞するか:日本語学習者に注目して」
 "How to encourage the interest in Japanese Literature in India;
  Especial focus on the learner’s of Japanese"
 Our Panelists:
 Prof. Saroj Kumar Chaudhary , Prof.PA George, Dr.Unita Sachidanand, Dr Shashibala
 
 
 

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 Valedictory Remarks: Prof Chaman Lal,Centre of Indian Languages
 Vote of Thanks by Prof.Manjushree Chauhan,JNU

posted by genjiito at 03:51| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月19日

牛が忽然と目の前から消えてしまったこと

 昨夜食事にでかけたGK1Mブロックマーケットに、アップルのお店がありました。去年はなかったので、アップルの広がりが感じ取れて嬉しくなりました。パソコンはMacintosh、携帯電話はiPhone、携帯ボードはiPadを使う日々を送るアップルユーザーとしては、ホッとする一角です。
 
 
 

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 今朝は、早朝のデリーの住宅地を散歩しました。
 
 
 

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 その時、デリーの街中から郊外に追い出されたはずの聖なる牛が一頭だけいるのを見かけました。
 最近、デリーでめっきり見かけなくなっていたので、道の反対側から大急ぎで、まずは写真を撮りました。
 
 
 

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 そして、正面からも写真を撮ろうと思い、車やオートリキシャやオートバイが往き来する道を横切り、反対側の歩道の車の影に行くと、なんと目指す牛の姿がないのです。ほんの1分ほどのことです。
 そんなに俊敏な動きをするとは思えない牛です。あたりを見回しながら、探しました。しかし、どこにもいません。不思議なことです。神隠しということばを思い出しました。幻影を見たとしか思えません。しかし、撮影した写真を確認しても、ちゃんと牛が写っています。上の写真が証拠です。今思い返しても、信じられないことです。

 もっとも、インドは何でもありの国なので、こんなこともあるのだろうと、変に納得する自分がおかしくなりました。

 不思議なことが世の中にはあるものだと思いながら帰路につくと、小路で祭礼用と思われる牛に出会いました。小父さんが得意そうに牛を止め、ポーズとってくれたので、お言葉に甘えてカメラに収めました。
 
 
 

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 少し行くと、葱を刻む作業場の中に、今度は親子の牛がいました。
 
 
 

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 今日はラッキーな日のようで、3度も、4頭もの牛に出会うことができました。
 住宅地の少し奥まったところには、まだこうして牛が残っているようです。
 昨年は街中で牛を見かけなかったように思うので、気分が明るくなる朝となりました。

 やはり、インドには牛が寝転がっていてほしいと思うのは、日本でいうところの昭和30年から40年代に相当する、近代化以前の面影を見せるインドへの、旧懐の情と幻想求めているからでしょうか。

 デリー大学とネルー大学に向かう時は、車の中からラクダが2頭、大通りを連れ立って荷物を運んでいるところに出くわしました。

 今日は最近見かけなくなったインドの生き物たちに会えて、満ち足りた気分になりました。これでなくてはインドではない、と言うと時代錯誤に陥っていると思われがちです。しかし、やはり心の片隅には、10年前に初めて来た時のインドの光景が、今も折々に蘇ってきます。そして、そのイメージが、近代化という名のもとに完全に消し去られて行くのを目の当たりにすると、ちょっと待ってくれという思いを強くするのです。

 時代の流れです。国際化のためには、空港も中心地も街中も、店頭に並べて売るものも、欧米のようにしなくては、という気持ちはわかります。しかし……、という気持ちが、私の中に起きるのも事実です。

 例えば今日、街角で子供たちが、自転車のタイヤを一本の棒を使って転がしながら駆けていました。私も、小さいときにこうして遊んでいました。たくさんの子どもたちが、仕事の手伝いをしています。裸足で走り回っているのも、私には懐かしくて目頭が熱くなります。感傷的すぎるかもしれません。しかし、それを否定されたくない思いを、どうしようもなくなるのです。
 一つの文化が変質し、なくなっていくことは、時代の変化と進歩を示すものです。しかし、理屈ではわかっても、感情ではわりきれないものはあるものです。

 そんなことを考えさせられる、今回のインドです。
posted by genjiito at 02:27| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月18日

『十帖源氏』をヒンディー語に翻訳する時の問題点

 午前中は、明後日ご一緒に『十帖源氏』をテーマにして研究発表をするデリー在住のヒンディ文学研究者の菊池さんと、話の進め方と内容の確認をしました。

 江戸時代に出来た『十帖源氏』は、平安時代の古語で書かれた『源氏物語』をもとにして、江戸時代の人がわかりやすいようにダイジェストにしたものです。その『十帖源氏』を現代語に訳したものを、今回はヒンディー語に翻訳しようというのです。そのための現代語訳をつくるのには、さまざまな配慮が必要になります。

 例えば、「皇后」「中宮」「女御」「更衣」などのことばについて、インドにはそのように区別をする文化がないのです。それをどう訳し分けるのか。「左大臣」と「右大臣」もそうです。これらは難題です。

 また、日本宮廷文化についても、翻訳したものを読む人たちにどう伝えるのか。説明だらけでもいけません。

 その意味では、注記をどうするか、という問題も浮上します。これも、日本のことをどう説明するかに関わってきます。

 一口に現代語訳を作って、それをもとにして翻訳するといっても、その前にはたくさんの課題が横たわっているのです。

 まずは、どのような問題があるのかを、実践例をもとにして提示しようということになりました。
 これは、実際の発表が終わってから、さらにここでまとめるつもりです。

 インドの宿舎で、京都から来ておられる若い研究者と出会いました。その方の情報により、ほとんど知られていない個人収集の資料館に行くことができました。門や玄関先に何一つ表示がないので、番地だけが頼りです。

 研究仲間ということで入れてもらいました。そこのアーカイブズの中には、19世紀末の日本の写真があるそうです。明治時代の日本の写真は、海外にたくさんあり、それをまとめた本も多数刊行されています。今回は見られなかったので、ここにはどのような写真が収集されているのか、これからが楽しみです。
 今回は突然だったので、次回は予約をして見せていただきたいと思っています。

 旅先では、さまざまな出会いがあります。特に、研究者が集まる場所では、貴重な情報が入手できるとともに、調査に連れて行ってもらえることもあります。

 毎回のように、こうした幸運に恵まれています。海外に来て、ホテルを足場にしていると得られないことが、今回もありました。現地のコミュニティの中に身を置く大切さを、こうして実地で日々学んでいます。
posted by genjiito at 01:49| Comment(0) | ◆源氏物語

2012年02月17日

機内食で糖質制限食

 成田空港でJALのチェックインする時、機内での食事に糖質制限のものはないかを訊ねました。すると、糖尿病食を行き帰り共に出してもらえることになりました。言ってみるものです。これなら、チケットを取るときに、最初から頼んでおくべきでした。

 日々の食事を糖質制限食にしてから初めての海外です。
 さて、どんな食事なのでしょうか。

 搭乗してから席に着くと、すぐにアテンダントの方がカーボンの少ない食事を頼まれていることの確認に来られました。日本の航空会社らしく丁寧な対応です。

 1時間後、他の方よりも早めに食事が運ばれて来ました。
 「LOW CARBOHYDRETE」と書いてあります。
 
 
 

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 食事は、白身魚のムニエル、ほうれん草などの蒸した野菜、野菜サラダ、フルーツはキウイ、オレンジ、パイナップル、味噌汁、緑茶でした。
 日頃食べないフルーツに戸惑いました。しかし、すべていただきました。おまけに、バナナは迷いましたが、これも1年ぶりにいただきました。
 みんな、自分のための人体実験です。
 そして、調子に乗って赤ワインも。
 食後は、コーヒーをいただきました。

 食前の血糖値は127、食後1時間後は272でした。
 食前に高かったのは、数日前からの風邪で、医者からの薬を飲んでいることと、特に喉が痛かったので、ずっと喉のトローチを舐めていたせいだと思われます。
 食後が高いのは、食事を完食したせいだと思います。バナナと赤ワインが余分だったかとも思われます。

さらに2時間後は、206と高い数値でした。あまり下がりません。やはり、調子に乗って食べたせいです。とにかく、実験と割り切って、3時間後に下がっていることを期待しましょう。

 機内では、「はやぶさ」という映画を観ました。日本のロケットで、イトカワという小さな惑星から石を地球に持ち帰る話です。
 次第に盛り上がり、人間の情熱が伝わってくる映画でした。

 3時間後の数値は127でした。
 やっと、元に戻りました。予定より1時間ほど遅れて、安定したのです。

 その後、映画「一命」を観ました。武士の面目とは何かを問いかけてくるものでした。人間を理解する心を大事にしようとするものです。人間が生きていく上ですがるものについて、考えてしまいました。最初の竹光の刀での切腹シーンには、その迫力に釘付けになります。ただし、話が深刻だったため、画面も暗い雰囲気が最後まで続きます。重い映画です。

 体調がすぐれず、疲れたこともあり、お腹が空きました。
 持参していたチーズとアーモンドを食べて、空腹を満たしました。

 しばらくして、軽い晩ご飯が出ました。これも、糖質制限メニューです。
 野菜サラダ、ヨーグルト、フルーツは葡萄と林檎と蜜柑です。
 これは、糖質が少なそうです。
 
 
 

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 この食事の1時間後は155でした。180以下なので、2時間後は測定しませんでした。

 機内食は、こうしてあらかじめリクエストを出しておくと、糖質制限食を食べられます。思ったよりも血糖値は高めにでました。しかし、これも食べ方です。飛行機による長時間の移動も、これでひとまずは安心です。

 インディラガンディー空港が、驚くほど綺麗になっていました。
 
 
 

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 駐車場も、以前のものとは雲泥の差です。この空港には、地下鉄も入っています。
 インドの玄関口は、日に日に新しくなっています。
posted by genjiito at 22:30| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月16日

《新版・十帖源氏「桐壺」Ver2》の公開

 ちょうど2週間前に「《新版・十帖源氏「桐壺」》の公開」(2012年2月 2日)を掲載しました。

 その後、さらに海外の方々が翻訳しやすいような現代語訳を作成しました。これは、「『十帖源氏』を読む会」をとりまとめている畠山大二郎君の労作です。

 頻繁に改訂版を公開すると混乱をきたします。
 しかし、よりわかりやすくて正確な現代語訳を提供するために、折々に改訂版を作成し、公開するつもりです。
 この現代語訳を活用なさる方は、今後ともバージョンにおきをつけください。

 《新版・十帖源氏「桐壺」Ver2》をダウンロード
 

 この『十帖源氏』の「桐壺」巻の現代語訳を改訂したのは、現在ヒンドゥー語訳に取り組んでおられる菊池智子さんからの質問に端を発しています。問い合わせを受け、それを検討している内に、より翻訳しやすい現代語訳に仕上がってきた、という経緯のものです。

 今後とも、より多くの言語に翻訳される過程で、さらなる改訂をしていくつもりです。
 なにか疑問点がありましたら、いつでもこのコメント欄を利用してお問い合わせ下さい。
posted by genjiito at 01:33| Comment(0) | ◆源氏物語

2012年02月15日

妻の手作り糖質制限チョコ

 バレンタインということで、妻が糖質制限チョコを作ってくれました。
 
 
 
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 材料は、森永純ココア、豆乳、無塩バター、ラカント(自然派甘味料)、クルミです。
 これらを、弱火で練って、冷蔵庫で冷やして作ったそうです。
 クルミの食感がよくて、おいしくいただきました。チョコレートは半年ぶりです。

 明朝、成田からインドへ出発します。
 インドでの食事のことをいろいろと話したので、現地ニューデリーでも糖質制限食に近い生活はできそうです。
 まずは、JALの機内食です。
 ご飯やパンやパスタやお蕎麦が出るはずなので、それらを適当に避けながら、おかずを食べることになります。とにかく、炭水化物を可能な限り敬遠すればいいのです。
 しかし、旅先でもあり、あまりスーパー糖質制限食に拘らなくてもいいと思っています。日本と同じようにマイペースで食生活をするつもりです。

 空腹対策として、チーズとナッツをカバンに詰め込みました。
 毎日食べているお豆腐は、持って行くわけにはいきません。ただし、インドでは、パニールというのがあり、乳製品の一種ですが日本の豆腐に近い食感の食べ物です。これが入ったマサラ料理は、これまでも好んで食べてきたので、その点では安心です。

 昨夏より糖質制限食の生活にしたので、この食事パターンでのインド行きは初めてとなります。
 ナンもご飯も小麦粉を練って焼いた薄いパン類も、すべて炭水化物食品です。しかし、現地に入ると、これまで見えていなかった食材が見つかるはずです。それも、今回の楽しみです。

 さて、どのような旅になりますか。
 現地ニューデリーの宿泊先はお寺です。しかし、インターネットは使えるので、これまで通りここに日々の様子を書く予定です。
posted by genjiito at 23:19| Comment(0) | 美味礼賛

2012年02月14日

体重が50キロに戻りました

 一昨年7月に手術をして以来、54キロだった体重が48キロを右往左往していました。46キロ近くまで急降下した時期もありました。また、何度か50キロに手が届きそうにもなりました。しかし、すぐに48キロあたりに落ち着いていたのです。。

 それが、先週あたりから、朝も晩も50キロをキープできているのです。
 考えてみれば、大したことではありません。
 しかし、あまりに軽い我が身と付き合っていると、体重を少なくとも元の54キロあたりにもどしたい思いになります。そこまでいかなくても、50キロというのは悲願でした。それが、どうやら叶ったようです。

 いわれのない自信も、どこかしら意識されるので不思議です。
 わたしにとっては、単なる尺度としての体重ではなくて、日々生活する上での大切な要素の一つとなっていました。
 一喜一憂することなく、これまで通りの生活でいいと思います。急変はよくないのですから。

 体重のことは、1年半ものあいだ、気になっていた事柄でした。
 それにしても、目標値に達した喜びは、どことなく気分を明るくしてくれます。
posted by genjiito at 22:41| Comment(0) | 健康雑記

2012年02月13日

池田亀鑑賞 第1回受賞者の公表

 池田亀鑑賞の第1回受賞者が、ホームページを通して公開されました。

 第1回の受賞作は、杉田昌彦著『宣長の源氏学』(新典社、2011)です。

「【受賞作決定のお知らせ】ページを公開しました!」(2012.2.13)

 選考過程と受賞理由等は、3月10日に日南町で執り行われる授賞式で、伊井春樹委員長より公表されます。

 授賞式には、たくさんの方々がお越しになることを楽しみにしています。
 日南町は、池田亀鑑が生まれた鳥取県の山間の町です。
 島根県、広島県、岡山県と県境を接しています。
 経路は、以下の通りです。

「日南町へのアクセス」

 今回の受賞を、共に慶びたいと思います。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 池田亀鑑

2012年02月12日

自宅の無線LANが不調で庵の生活に危機が

 早朝、ネットワークがつながりません。
 今朝方3時まではつながっていたのに、数時間後につながらなくなっていたのです。
 突然のトラブルには、もう私は慣れっこになっています。
 慌てず騒がず、通信機器の点検をしました。

 新しい家では、光通信によるテレビ・電話・ネットの環境をさらに強化しています。通信関連の機器は、お風呂の天井裏にすべてを設置しています。そして、ネットワークはすべて無線LANでつなげています。
 機器をお風呂の上に置くということでは、湿気が心配でした。しかし、専門業者によると、最近はこうしたタイプの利用者が増えているそうです。お風呂の機密性がよくなったからでしょう。家は昔の造りを継承していても、設備はこうしたハイテク技術を取り込んでいるのです。
 そのお風呂の天板をずらして機器のランプを確認しても、特に異常は見られません。

 契約しているeoネットに電話をして、対処を相談しました。
 電話口で指示を受けながら、さまざまな設定を試みました。しかし、それでもつながりません。
 オペレーターの女性は、ルーターとして使っているアップルのタイムカプセルが問題を起こしているとしか考えられないので、発売元に確認するしかないのでは、とおっしゃいます。現に、光ネットによるIP電話を使って、こうして担当者と話をしているのです。自分の会社の機器は問題ないのだから、ということです。
 しかし、京都にはアップルストアがないし、書類作成に負われる日々の中で、大阪へ出向く時間は毛頭ありません。アップルに宅配便で送るにしても、それでは時間ばかりがかかります。
 とにかく、今、ネットにつなげたいのです。

 一旦eoネットのサポートを打ち切り、いろいろと試してから、再度電話をし、イーサーネットに直づけでインターネットに接続する方法を教えてもらいました。
 担当者は、セキュリティの問題があり、渋々でした。しかし、今は問題点を切り分ける必要があります。リスクは負うことを条件にして、なおかつウイルスが混入してもいいように、日頃は使わないノートパソコンで接続実験をしました。

 電話口での指示通りに、直づけによる通信に関する設定をいろいろと試す内に、無事にインターネットにつながりました。これで、eoから提供されている機器は正常であることが証明されたのです。ということは、ルーターとして使っているアップルのタイムカプセルが問題を引き起こしていることになるのです。

 ルーターの設定をいちいち確認していくのも時間がかかるので、新たに最初から通信の設定をし直すことにしました。部分的な修復よりも、最初から設定をやりなおす方を選択したのです。
 すると、しばらくさまざまな設定をした後、突然ネットにつながったのです。
 原因はよくわかりません。何かパラメーターでも壊れていたのでしょうか。

 とにかく、事なきを得て、いつものようにネットワークにつながったのです。
 つながってみると、それまでの不安と困惑がウソのように思われます。いったい、何に慌てふためいていたのか。これは、直ったから言えることではありますが……。その時には、膨大な時間が湯水のごとく捨てられていくことに、焦燥を掻き立てられていたのです。

 今回の転居まで、eoネットとは100メガタイプの通信で契約していました。しかし今度の家では、さらに早い200メガタイプに変更したのです。確かに、通信における体感速度は向上しています。利用料金もそんなに変わらないので、この選択は正解だったと思います。
 それにしても、突然ネットが使えなくなった理由が、いまだにわかりません。この契約した通信速度の高速化に関係していたのか、いないのか。それはともかく、結果オーライ、ということにしておきます。

 ここ数年は、月曜日から日曜日までの一週間の毎日を、インターネットによる電子メールやその添付文書、ネットワークディスク、さらにはアップルの iCloud やテレビ電話である FaceTime を有効活用する生活をしています。東京と京都を毎週移動しながらも、常にさまざまな方々と連絡を密に取りながら、職場の業務と自分の調査研究に取り組んでいます。裁量労働制というシステムの中にいればこその、いつでもどこでもネットにつながって仕事をする、という生活です。

 もっとも、年がら年中、24時間体制で業務と研究に当たっているので、休むという概念が欠落しているところが問題といえば問題です。
 便利さ故に、気持ちを休めるという点でのリスクを負っているのです。果たして、こうした生活パターンでいいのか、ふと考えてしまうことがあります。

 一昨年夏のガンによる手術以降は、スローライフを標榜してきました。
 また、今回の転宅を機に、庵の生活への意識変革に目覚めたはずです。
 しかし、ネットに依存する今の生活パターンの得失を考えても仕方がない、というように気持ちを切り替えるしかありません。
 とにかく、目の前のウエブやクラウドを最大限に活用した、いわゆる電子化された庵の生活を実践する環境で生きていこう、との思いを新たにしています。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆情報化社会

2012年02月11日

お茶のお稽古で特訓を受ける

 いつもは平群でお稽古をしているお茶を、今日は同じ奈良県内の田原本という町でやりました。
 酒屋さんの2階でした。落ち着いたお茶室になっていて、先生からみっちりと特訓を受けて来ました。
 炉点前はもちろんのこと、それ以外にたくさんのことを教えていただきました。

 今日は、自分自身に課したテーマがあります。それは、5人のお客さまに薄茶を出す、というものです。
 これは、初心者の私には難易度の高いことです。お点前をする時間もかかります。そこで先生は、お茶碗を2つ使って効率よく飲んでいただくやり方を教えてくださいました。

 3人目のときから、2つ目のお茶碗を使い、それからは交互に返されてきたお茶碗で点てる、というものです。
 そして、5人目の方から帰ってきたお茶碗は、勝手付きではなくて、左手で背中越しに茶道口寄りに置き、道具を下げるために柄杓、蓋置、建水を持って勝手口の襖を開けたときに、さっと襖の裏に置く、という技です。

 初心者にはそれなりのお稽古の順番があります。しかし、今は一つの目的のために、とにかく創意工夫でそれらしくお点前をすることに専念したいと思っています。こんな時に、意外とさまざまなことを覚えるようです。そして、何よりも、おもしろいのです。

 お茶は、決まったお作法をひたすら覚える、というのが基本であることは承知しています。しかし、そこは長い年月の間にたくさんの人が楽しんで来たものです。それだけに、柔軟で懐の深いものがあるようです。その一端を先生は、初心者にもかかわらずこうして教えて下さっているのです。ありがたいことです。

 今日1日だけでも、たくさんのことを教えていただきました。お稽古以外に、実用的な知識も。

 お茶道具の冬と夏の違い/風炉先屏風の選び方/掛け軸/電熱式炉壇の温度調節/釜の後始末と手入れ/水差しの選び方/棗にお茶を掃く分量/茶巾の扱い方/などなど

 さらには、私の癖である背中が曲がっていること、道具を持つ高さ、お辞儀をした後に頭をピョコンと上げること、右手が遊んでいる、手を振って歩く、等々。胸を張って、ゆったりと、落ち着いて、ということのようです。

 先生と雑談をしていたとき、お茶には道教も流れ込んでいる、という話がありました。陰陽の思想としてのようです。道教は日本には定着しなかったので、それがお茶の中に入っているということは、これまた私の興味を掻き立てます。
 道教は、陰陽道、修験道、風水などと関係があるということは聞いていました。これからのお稽古を通して、そうしたおもしろい一面が垣間見られる瞬間を、大いに楽しみたいと思っています。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 身辺雑記

2012年02月10日

インドでのメモ(2002-5)タクシーの運転手をどこまで信用するか

 先日見つかった、10年前のインドでのメモの5回目です。

 一足先にロンドンからデリー入りしていた私は、今回の国際会議に招待されている先生方を出迎える方法で、これまた頭を悩ませました。自分の身体を移動させるにも、日本との違いを考えていろいろと考えるのです。

 自分が車の運転をすれば、何かと煩わしいことは解消します。しかし、カーチェイスと見紛うばかりのインドでの車の走り方は、とても私にはできません。車間距離が異常に近く、前後左右10センチ以上も空くと、すぐにクラクションをしきりに鳴らして割り込まれます。
 その間を、オートバイが這入り込み、時々人間が車と車の間を擦り抜けていきます。

 バスは使いません。タクシーも、運転手をどこまで信用するか。オートリキシャは、身体を張って移動する乗り物です。
 最近、地下鉄というものが走り出したので、このあたりの疲労感は相当軽減されました。
 
 
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■2002年10月23日■
 
 
 宿舎を出発する前にメールをチェック。
 11時半に、N君とネルー大学へ行く。まずは、大学のゲストハウスへ。今日からは、伊井先生をお迎えして、この大学内の宿泊施設でしばらく生活することになる。非常に簡素で少し薄汚い。今のお寺のほうが格段にいいのでは。

 しばらくすると、学生が呼びに来た。徒歩でキャンパスへ。
 ちょうどT先生が木の下で授業中だった。いかにもインドらしい授業風景。
 私が最初にインドに来たときに大変お世話になったS先生もおられてびっくり。

 しばらく授業に加わり、『源氏物語』のことを聞かれるままに少しお話しして、K先生のところへ行く。
 学科長室に行くと、先生方みなさんが集まっておられた。雑談の後に食事に行く。地域クラブで会食。おいしかった。
 みなさん、ヒンディー語での会話なので、私は一人でヒマ。
 夕方は、N君と近くを散歩してから、Mマーケットへ行く。ゲストハウスに帰っても、今日は食事の予約をしていないので。

 N君は、私と同じスーツケースを買った。私は、鍵を4個と、目覚まし時計を買った。インドの生活にも慣れた証拠か。またまた宿舎であるお寺に帰り、チャイをごちそうになる。
 そこで、伊井先生をお迎えする方法として、以下の選択を思案することになる。

(1)お寺からオートリクシャで空港に行き、伊井先生を出迎える。
  そして、空港でタクシーを拾ってネルー大学に帰る。
  300ルピー+50ルピーかかる。
  もっともこれは、まともに宿舎に帰れない危険性がある。
  かつて、N君が別のところへ連れて行かれた。
  また、着いてからさらに追加を要求されたという。
  さらには、空港のプリペイドタクシーが高くなっている。
  しかも、交渉によって決める方式になっているとのこと。
  これは、疲労がかさむ。
(2)お寺から時間契約でタクシーを雇い、伊井先生を迎え、大学の宿舎にお連れする。
  これは、2、3千ルピーかかる。
(3)このお寺から、一旦ネルー大学のゲストハウスに行く。
  そして、そこからタクシーを雇って迎えに行く。これが一番確実だ。
  しかし、果たして宿舎からそのような手続きができるか。
  料金は500ルピーほどか。
(4)非常に不安要素の多い出迎えは、現地の先生方にお任せして、私はゲストハウスで待つ。
 
 夕食はGKNの「みやこ」で寿司フェスティバルを、と予定していたが、結局いろいろの場合を想定して(3)を選択したために、食事はおあずけ。

 早速、一昨日注文した名刺を取りに行ったが、まだ出来ていない。明朝だと言う。3日もかかっている。前回はその日のうちに出来たのに。インドだから、で納得する。
 先日の、いくら待っても来ないアイスティーと同じく、今回は新たなインドだからという現象に遭遇している。
 記念のジュースはおいしかった。若い子だったが、いい味を出している。
 ラム酒のオールドモンクも、大瓶を無事にゲット。

 リキシャで大学まで行ったら、メインゲートを過ぎるやいなや、運転手が20ルピーの追加を要求する。断る。
 無事にゲストハウスを指示したが、下りるときにまた10ルピーを要求。また、断る。最初の決まりの70ルピーを渡して、何か言っているのを無視して、ゲストハウスのドアを開けて入った。

 S先生に出会ったので、タクシーのことを聞く。手配をしてもらえたので、8時半に空港へ出発。
 到着ロビーで大分待ってから、無事に伊井先生たちと出会えた。ただし、南アジア学会の会長であるI先生が見当たらないので、N君に急遽電話をして人相を聞き出したが、なかせか見つけられなかった。

 伊井先生と私はタクシーで、他の方はU先生の車でネルー大学のゲストハウスへ。S先生から、ここでの生活の仕方を聞いて、みんなで解散。私は伊井先生とこれからの打ち合わせをして、部屋でくつろぐことになった。
posted by genjiito at 22:11| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月09日

インドでのメモ(2002-4)3階しかない書店のエレベータのボタン

 先日見つかった、10年前のインドでのメモの4回目です。

 インドのデリーでは、急速に街の姿や日常生活の環境が変わっていきます。
 そんな一面が、街を歩くと至る所で見かけられます。

 今回の記事は、2002年10月のものです。今では、地下鉄は市民の足の一部となっています。とにかく、安くて早いので、非常に便利なのです。地下鉄と言っても、日本でもそうですが、地上を走る区間が多いように思います。

 私にとって、今のデリーでの地下鉄は、移動には欠かせない交通手段となっています。サイクルリキシャやオートリキシャは、地下鉄から少し離れた所に行くときや、宿泊先の近所への買い物の際に使います。

 お店も、おしゃれになりました。ニューデリーに限っての話ですが、日本やアメリカを追う雰囲気は至る所で感じられます。ただし、その変化のパワーはやや鈍ってきているように思えます。

 いわゆる近代化は、あまり急がなくてもいいのではないでしょうか。
 民主主義と言っても、インドが目指すものとアメリカが達成したものでは、大きく異なります。日本は、アメリカに追随することで作り上げた民主主義でした。しかし、インドの民主主義は、このアメリカや日本が行き着いて行き止まり状態の民主主義とは違う道を歩んでいるように思われます。
 数千年の文化を抱え込んでの変革期なので、自ずとインド流の民主主義とならざるをえません。その違いが、私にはまだ説明できません。しかし、その違いは、今後さらにはっきりと見えてくるはずです。特に、ゆっくりと変わりつつあるインドに、期待したいと思います。
 無理に急ぐと歪みが拡大するので、よくありません。
 
 
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■2002年10月22日■
 
 今日は体がだるい。
 床屋さんで散髪をしようと思ったが、お店が閉まっていた。後ろも前も真横にスパっと切られるそうなので、N君に付いて行ってもらったが、無駄足となる。

 午後、今月下旬からN君が宿泊するシュリ・オーロビンド・アシュラムへ行く。ネルー大学の近く。立派な施設の中に、学校がある。お金というものを、困っている人たちのために使うことにかけては、インドはすばらしい実践とその成果を見せている。

 帰り道で、ボーリング場を見つけた。
 
 
 
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 ハイセンスなケーキ屋さんも。高級住宅地ならではのお店だ。

 少し北上して、グリーン・パーク・マーケットへ行く。グレーター・カイラーシュMよりもゆったりとして買い物ができる。書店はまさにジュンク堂のようになっていて、本を読む椅子とテーブルやソファーがあった。
 ここのエレベータには、1から9までのボタンがあり、おまけにマイナス記号もある。マイナス1が地下一階であることはすぐにわかった。マイナス1以外はエラー表示される。なぜこんなボタンなのか。3階までしかない書店なのに。こうしたところがインドらしいと思うところだ。作ってみたけれど、という設備である。
 しっかりと写真に撮る。
 
 
 
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 今日出来るはずの名刺は、明日の午後とのこと。時間に拘らないお国柄である。

 夕食時のニュースで、地下鉄の列車の試運転を映していた。年末には北部で営業だそうである。
 バスや列車のように、ドアや窓にぶら下がったり、屋根に登ったりする人が続出するはずなので、予想だにしえない事故が多発することだろう。窓ガラスは壊れるし、座席も外れたままで運行するようになる日が近いことも予想される。それにしても、この地下鉄は画期的なことである。

 ネルー大学とデリー大学の先生方や大学院生のみんなに、片っ端から電話をする。その甲斐あってか、ようやく明日以降の予定が決まる。ただし、一人の先生からは連絡がない。
 インドでは、予定はあくまでも予定であって、未定と同じことである、ということを学んできた。カンファレンスの準備で忙しいのだろう。ということにしておく。
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2012年02月08日

インドでのメモ(2002-3)電子音楽を聞く修行者に会う

 先日見つかった、10年前の旅先でのメモの3回目です。
 ソーナ温泉に行った翌日のことです。
 まさにジャングルとでも言うべき、密林の中の修行者に会いに行きました。日本で言えば庵での生活をしている修行者です。実際に行ってみると、確かに人里離れた所に住んでおられました。しかし、その庵は鴨長明の方丈とは似ても似つかないものでした。部屋の中は、電気製品に囲まれていました。しかも、そうした機器を操っての日常生活を自慢そうに語ってくれたのです。いろいろな人がいるものです。
 
 
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■2002年10月21日■
 
 朝6時半頃にソーナ温泉を出発。
 お寺の前でチャイを飲む。

 山を降り、ジャングルといわれる平原の中のアシュラムで修行するサドゥーの庵に行く。
 ハイエナが夜中には出没すると言う。
 
 
 
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 12年間ここで修行をしているという行者の部屋で、昨夜の満月にお備えした乳粥をいただく。仏陀が村の娘スジャータからもらったという、あの乳粥である。
 私はほんの少し食べ、のこりはグルジアの若者に渡した。あまりに甘すぎたからである。

 この修行者は、携帯ラジオを自慢げに見せてくれた。部屋には、テレビやカセットデッキがあり、これでヒンドゥーの音楽をスピーカーで流している。時代の変革を見る思いがした。宗教のありようの変化が見えた。
 
 
 
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 修行者は、歯磨きに使うというニムの木(?)をかじっていたが、私は使ってみることはしなかった。

 帰り道で、壊れかけた塀の上に孔雀を見かけた。写真集の中にいるような錯覚に陥るほどの、映画のワンシーンに身を置いた気分になる。孔雀はたくさんいると聞いていたが、インドで初めて見た。
 
 
 
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 午後は、またN君とコンノートプレイスのエアインディアに、帰国便のリコンファームの手続きに行く。

 「モンスターウエディング」のビデオCDを買う。
 お買い物センターであるエンポリウムの喫茶店で、注文したアイスティーが30分しても来ない。催促すると、やっと作り出す。大分前に、ソフトクリームは持ってきてくれたではないか。長い間待たせて、とは言っていたが、お詫びはない。なんとも、サービスと言う観念の欠如したお国柄である。
 インドの言葉には、日本語でいうところの「ありがとう」と「すみません」はないそうである。

 夕方、インドの国際会議で講演をなさる予定になっている伊井先生に電話をする。
 こちらの気温が、先日メールに書いた25〜30度ではなくて22〜28度であることを報告するために。
 インドへの到着が、24日ではなくて23日であることがわかる。

 グレーター・カイラーシュMで、スーツケースの大きいものを買う。たしかに半値以下である。迷わずに購入した。映画の音楽である「カミクシ・カミ・ガーン」のCDを買う。テープ以外のメディアが必要になったためである。

 おみやげ用にタージマハルの紅茶をたくさん買う。カレー用の香辛料も。マサラのパーウダーも。どこの国でも、スーパーマーケットは便利である。

 今回インドへ来ての実感では、今年の春以来、オートリキシャの値段が、10ルピーほど値上がりしているようである。移動のとき、運転手との値段の交渉に少し手間がかかるようになった。

 夕食は中華料理。満腹。
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月07日

『十帖源氏』を8種類のインド語に翻訳するために

 先週申請したインドのビザを受け取るために、池袋に近い茗荷谷にあるインドビザ申請センターへ行きました。
 とにかく、午後5時から5時半の間しかビザを受け取れないので、何かと面倒です。時間通りに行ったところ、なんと私が取った順番札は「109番」でした。ロビーは若い人で溢れかえっています。

 先日の細かな気配りをなさる女性が、100番から後の方は外でお待ちください、と触れ回っておられました。声を張り上げておられるのですが、それが悲壮感のない、きりっとした口調だったので、お人柄なのだなーと感じ入っていました。

 隣のセブンイレブンでホットコーヒーを買い、それを飲みながら20分ほど待つと順番が回って来ました。記載内容を確認してから、すぐに新宿へ向かいました。今夜は、『十帖源氏』を読む会があるのです。

 新宿アルタの横にある喫茶店に、手頃なミーティングスペースがあります。そこで数年前から、毎月一二回、『十帖源氏』の研究会をやっています。

 再来週、ニューデリーで開催される〈第7回 インド日本文学会〉で、『十帖源氏』をヒンディー語に翻訳することにともなう問題点を、インドの方々と共同討議します。そのイベントのために、これまで公開してきた現代語訳の確認を、まずみんなでしました。

 今回ヒンディー語訳をしてくださるデリー在住の菊池さんから、ヒンディー語訳をするにあたっての疑問点をいただいていました。そこで、その検討から始めました。

 外国語に翻訳してもらいやすい現代語訳を作るのは、日頃は意識していない配慮が必要なので手間がかかります。日本人である菊池さんが迷われるのですから、現代語訳にはさらなる工夫をすべきであることを、集まったみんなで話し合いました。

 菊池さんへの回答のための検討が終わると、これまでの続きである「空蝉」巻の現代語訳の確認をしました。
 すでに、「葵」巻までの現代語訳は本ブログで公開しています。しかし、改めて多言語に翻訳してもらうためには、さらにきめ細やかな配慮が必要なのです。
 例えば、こんなことを議論しました。

 『十帖源氏』の「空蝉」巻に、空蝉の容貌を描写する場面があります。
 『十帖源氏』の原文では、「かしらつきほそやかにちいさし。」とあります。
 これを、この巻の担当者は、「頭の格好はほっそりとして小さいのです。」と現代語訳しました。しかし、これでは外国語に訳しにくいだろう、ということで、「かしらつき」をどう訳すかで白熱しました。いろいろな案が出た末に、「後ろ姿はほっそりとして小柄です。」ということで落ち着きました。意訳になっている、といえばそうです。しかし、より『十帖源氏』の原文にふさわしい現代語訳をめざすと、正確さばかりではいい翻訳にはならないと思われます。その兼ね合いが難しいところです。

 また、空蝉の性格を表現するところで、原文に「あねの心たはむ所なくまめだちたれば、」とあります。ここを、担当者は「姉の(空蝉)の心は曲がることがなく真面目であるので、」と訳しました。しかし、ここでも、「たはむ所なく」の訳が問題となりました。人妻である空蝉は、容易に光源氏になびこうとしないことを言っているのです。いろいろな案が出る内に、「姉の意思が固く真面目であるので、」という訳に収まりました。

 外国語に翻訳されることを前提にしての現代語訳は、本当に神経の疲れる作業の連続です。今は、ヒンディー語訳されることを意識しての現代語訳作りです。しかし、インドだけでも、次の8種類の言語で翻訳してもらうことを考えています。

アッサム語・ウルドゥー語・オリヤー語・タミール語・テルグ語・パンジャビ語・ヒンディー語・マラヤラム語

 そこで、まずはヒンディー語訳です。

 今回の〈第7回 インド日本文学会〉では、『十帖源氏』の「桐壺」巻だけを扱います。しかし、インドのみなさんと共に、『十帖源氏』の現代日本語訳をヒンディー語に訳す上での問題点を現地で討論するだけで、それこそさまざまな収穫が得られるはずです。

 追々、この成果もお知らせしていくつもりです。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | ◆源氏物語

2012年02月06日

インドでのメモ(2002-2)ソーナ温泉へ巡礼

 昨日見つかった、10年前の旅先でのメモの2回目です。
 海外でも、仕事の合間に寸暇を惜しんで動き回っています。
 旅を有意義なものにする秘訣は、知的好奇心を全方位に張り巡らすことだと思っているので、機会があればどこへでも行くのです。
 
 
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■2002年10月20日■
 朝食の時、突然インドの温泉へ行くことになった。グルガオン(デリー郊外)のソーナという温泉地である。場所を日本風に言えば、ハリヤナ州グルガオン県ソーナ町ソーナ温泉。

 世界平和と人々の幸せを祈る巡礼をしておられるT上人に連れられて、同行の修行者であるロシア人、チェチェン人、そしてグルジアの若者たちとともに、車2台に分乗して出発する。

 私とT上人、N君は、Gさんの車に乗る。若者たちはタクシー。
 タクシーの運転手は、この前、デリー大学まで送ってくれた人だった。偶然とはいえ、これも縁である。

 グルガオンは、前回の滞在中に、分譲マンションのフェアで知った新興住宅地域である。車で1時間半。ソーナは、新しい街が出来つつある一帯の奥の丘陵地帯にある。
 バス停からは、狭い道を人と車を縫うようにして進む。凸凹の激しいすごい路地に、たくさんの人と物があふれている。豚が多い。いたるところに、ウロウロシテイル。
 
 
 

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 目的地に着くと、靴を脱いでお寺に入る。観音開きの板と網の2枚の戸がある。
 
 
 
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 N君と一部屋をもらい、そこで休憩。この一室が今夜の寝室にもなる。

 3畳ほどの部屋の中には、木製の縁台のような寝床が2つある。
 
 
 
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 そうとう年季の入った、黒ずんだ光沢を発している。ちょうど一人が寝られる大きさで、畳1枚より少し狭い感じである。僧房ではなくて独房に近い。料金によっては、エアコンつきのトイレつきもあるようだ。150ルピー出せばいいので、500円ほどか。しかし、私たちは30ルピーの部屋だった。100円もしない。もう少し出すと、毛布がつく。ただし、私たちは毛布やシーツを持参していた。

 すぐに温泉に入る。15ルピーで個室の温泉部屋に入る。薄暗い4.5畳ほどの部屋に、少し濁ったお湯がある。衣類は壁にかけ、パンツをはいたままで入る。たくさんの人が入るので、お湯が汚れているのだ。
 
 
 
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 チェチェンの若者兄弟が長時間の素潜りをして見せてくれた。グルジアの若者は、刺青をしていて、ヨガや曼荼羅に凝っている。彼だけが少し英語を理解し、日本にも2ヶ月いたとのこと。ほんの少し、日本語を使う。会話は無理だったが。
 後の若者たちはロシア語だけしか使えないので、コミュニケーションは誰かが間に入らないと困難である。

 少し遅い食事のために、山の上のレストランへ行く。眺望のいいテラスで、タリーやラッシーをいただく。
 
 
 
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 村の家々のかたまりが、廃墟のように見える。しかし、人が狭い路地に見え隠れして歩いているのが確認できると、今見ているのが街の頭上からであることがわかる。それぞれの家に玄関があり、部屋があり、人々が暮らしているのである。
 モロッコの立てこんだ家並みが連想される村である。乾燥地帯の中にある村なので、遠くには剥き出しの地面と木が点在している。山を登ってくるトラックが多い。
 
 
 
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 T上人から、インドは奥が深いので、さまざまな面を見せてくれるのだという話を聞いた。インドには、ありとあらゆるものが詰め込まれているので、その中のどの面を見るかである。複雑な中での多様性の混在と言えようか。合理的に割り切って生活をする私などには、まだまだ理解が行かない点が多い国である。

 夕方、N君と村を散策する。たくさんのお店が軒を連ねている。途中で、粋がったチンピラと遭う。どの社会にも、こんな連中がいるのだ。サングラスをかけて、肩で風を切って歩く風である。
 
 
 
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 町外れのイスラム寺院のマスジットに行くと、土地の人が中を案内してくれた。そして、宗教指導者という人が、いろいろと話をしてくれた。ウルドゥー語だとのことで、N君も苦労していた。若者がときどき通訳してくれた。チャイを出してくれた。友達だと言って、肩を抱いて挨拶をして別れる。
 
 
 
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 典型的な構造をした村だそうである。ヒンドゥーを中心にしてシーク教の人がその外側に住み、町外れに隠れるようにしてイスラムが住む。日常生活は、ともに仲良く暮らしている。ただし、何かあったときだけは、イスラムの人たちが被害をうけることがあるそうである。

 夜8時ごろ、みんなでまた山上のレストランへ行く。こんどは、トマトスープや天婦羅などを食べた。満月である。インドで、満月を見ながら、村を見下ろして食事をする。すごいことである。
 
 
 
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 お寺の部屋は、意外と暑かった。温泉に入ったために、体が暖かくなっていたせいだろうか。天井の扇風機をつけて寝る。
 深夜、大声で叫ぶ人がいる。夜中じゅうヒンディーの神様の話を語る人なのだろうと思っていたら、N君があれは喧嘩をしているのだという。このお寺の一人が、仕事の時間について、ぐたぐたとわめいているそうだ。世俗的なことである。1時過ぎまでうるさかった。
 
 
 
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  明け方の3時過ぎから、たくさんの人たちが入浴に来出したようである。私も4時に下に降りて、1ルピーでチケットを買って、公衆浴場へ入った。
 
 
 

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 すでにお湯は汚れていたが、まだましなほうだった。ちょろちょろと出るお湯を体にかけながら、温泉気分を味わう。上人は、1時間置きにお湯をかけておられたそうだ。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月05日

イギリス経由でインドへ行った時のメモ出現

 ちょうど10年前に書いたメモが見つかりました。
 私がイギリスとインドへ行った時の備忘録です。

 今、必要があって、インド関係の記録の整理をしています。その過程で、さまざまな文書ファイルの中に、書きかけの未整理状態の文書群があったのです。

 どうやら、すでに休止状態のホームページ〈へぐり通信 「新・奮戦記」〉の中にある、「突然インドへ飛ぶ」のために書き置いていたメモのようです。
 このホームページ中の「再度のインド」という項目には、記事がありません。文書を整理しないままの状態で放置しているので、今回見つかった文書メモは、いつか掲載しようと思いながら、多忙な日々の中ですっかり失念していたものだと思われます。

 近日中にインドへ行くので、この際ここにとりまとめて掲載します。

 平成14年は、忙しく飛び回っていた年です。
 このメモは、その年の10月に記しています。
 行程は、日本からインド・ムンバイとデリー経由で英国・ロンドンへ行き、ケンブリッジ大学と大英図書館で仕事をしてから、トンボ返りのようにしてロンドンからデリーに舞い戻っています。そして、伊井春樹先生とデリーで待ち合わせて、国際集会「Indo-Japan Conference on Progress in Literary Exchange between India and Japan」に参加した時のメモなのです。

 未整理のメモのため、再現が困難なところが多々あります。今、あまり思い出せないのです。しかし、こうしてブログに記録を残しておくと、追々その時々のことを思い出し、いつか再現できるかもしれません。
 
 
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■10月19日■

 ロンドンからデリーに到着。荷物がなかなか出てこない。1時間くらい待った。

 N君が空港に出迎えに来てくれていた。感謝。
 行き先は、アシュラムではなくて、なんと、あのお寺のWBCに宿泊しているとのこと。うれしくなる。
 タクシーで400ルピーのチャーターであった。
 街中を走るサイクルリキシャには、相変わらず家族みなんが乗っている。
 自転車を漕ぐお兄さんも大変である。
 
 
 
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 WBCのみんなと再会。楽しい日々の予感がする。

 食後、コンノートプレイスへ。そして、レートの良いいつもの両替所へ。
 新しく出来たおしゃれな喫茶店でコーヒーを飲む。
 グレーター・カイラーシュNのショッピングセンターで、パジャマ用のクルタと半袖シャツを買う。いつもの若者向けブティック「ファブインディア」で。

 サプナシネマの裏のジュース屋へ行く。
 すでに我々が日本から来るという情報が、この小父さんの耳に入っていたようだ。
 この前話したシチズンの時計を持ってきたかと。そういえば、そんなことを身振り手振りで話したような。今度、真剣に考えよう。
 
 
 
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 いつもの酒屋で、またラム酒を買う。大好きな「オールドモンク」。これが、先日のロンドンで、「オールドモンク」というパブになかったから不思議。

 快適な生活のスタートである。お上人さまは長期不在とのことで、お寺にはいらっしゃらなかった。
 
 
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posted by genjiito at 22:09| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月04日

インドビザの申請に行って

 インドへの入国にはビザが必要です。
 昨日のニュースによると、ロシアへの入国を簡略化しようという流れがあるようです。しかし、インドはまだ何かと面倒な手続きを必要としています。自分の国を守る、という感覚が薄い日本にいると、わざわざビザの申請書に記入して数日待つことに、煩わしさを感じます。しかし、これは大切なことだと思います。

 申請書には、父親の名前を書きます。女性の場合は、父と夫の両方の名前を書きます。
 また、父または祖父にパキスタン国籍を持ったことがある人がいますか、という問いもあります。私の場合は「None」となります。
 これらは、文化の違いだと理解して、どんどん空欄を埋めていきます。

 最近私は、ビザの取得を旅行代理店にお願いしていました。手続きの受付時間内に行けないことが多かったからです。
 私のパスポートは奈良で発給されたものなので、代理申請や郵送では少し面倒なところがあります。東京の九段坂病院の隣にあるインド大使館や、大阪のインド領事館へ行ったりしていました。この前は、九段にあるインド大使館へ行きました。
 それが今回調べたら、東京では茗荷谷にある「インドビザ申請センター東京」になっていました。この申請センターは4年前からで、ビザオフィサーは九段の大使館におられるそうです。

 パスポートと写真を持って出かけました。
 
 
 
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 申請センターの中は、若者たちがたくさん手続きをするために来ていました。今もインドは、若者を惹きつける魅力的な国なのです。

 今年の1月16日から、新しい申請書の書式に変更になっていました。
 申請書の裏表にある29項目に個人情報をびっしりと書き、最後に日付とサインをして完成です。

 窓口の前のロビーでは、一人の女性がフライトアテンダントのユニフォームによく似た正装で、困っている申請者に対して懇切丁寧に書き方や質問に答えておられました。申請書はすべて英語で書くので、戸惑っている人が多いのです。

 私も、窓口に出す前に点検をしてもらい、何ヶ所か不備に関するアドバイスをいただきました。
 非常に感じのいい方で、てきぱきと困っている方の手助けをしておられます。こういう方が窓口の前で助けてくださると、おろおろするばかりの若者たちは、本当に助かっています。
 インドへ行く前に、あまり人を頼りにしてはいけないのでしょう。しかし、この心優しいサポートがあると、日本にいるなーということを実感します。

 インドに行く前から途方にくれるのではなくて、呆然とするのはインドに入国してからでも、たっぷりと体験するのです。まずは、出発前の不安は少しでも軽くしておくに限ります。

 この女性は申請センターでどのような立場の方なのかは、私にはわかりません。しかし、本当にありがたい存在でした。
 この女性のお陰で、窓口におられる3人のインド人の方の受付業務の混乱は避けられ、申請者もスムーズに取得までの手続きができるのです。

 私の場合は、申請センターに着いてから終了まで、少し待たされて約40分かかりました。これは、インドに関する手続きとしては驚異的な早さです。
 料金は2,135円でした。しかし、100円玉がなかったのです。窓口ではお釣りがないとのことなので、隣のセブンイレブンでチーズを一個買ってお釣りをもらい、それでやっと支払いを済ませました。
 金額が細かいので、バスにあるような小銭用の両替機があってもいいのでは、と思いました。

 来週の火曜日に取得できます。ただし、受け取りは、午後5時から5時半の間しかだめなのです。この点は、事務的に割り切った対応です。受け取るだけなのでそれでいいのでしょう。しかし、30分間だけではなくて、もう少し時間の幅があってもいいのではないでしょうか。インドの方々は、時間には割と緩いので……と言っては失礼でしょうか。

 ロビーでは、先ほどの女性がずっと申請者の手助けをしておられました。困っている方のお力にという姿勢が、押しつけがましくはなくてすーっと近寄ってのことなので、見ていて自然と頭が下がります。ますますのご活躍を祈り、感謝しながら帰りました。
posted by genjiito at 22:31| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月03日

『十帖源氏』のヒンディー語訳がスタート

 江戸時代に作られた『十帖源氏』の「桐壺」に関して、インドのヒンディー語訳がスタートすることになりました。
 ニューデリー在住でヒンディー語などの研究をなさっている菊池智子さんが、引き受けて下さいました。菊池さんは、翻訳家として、さらには、ブログでも活躍中です。

「インド発・文学日記」

 菊池さんには、毎年ニューデリーで開催している〈インド日本文学会〉でお目にかかっています。これまでにも、本ブログで紹介しました。

「第5回〈インド日本文学会〉の初日」(2010年2月13日)

 以前から、『十帖源氏』のヒンディー語訳をお願いしていました。本日あらためて快諾の報をいただいたのです。

 さて、どのようなことばに菊池さんが苦心なさるのか。
 また、どのような問題点が出てくるのか。

 昨日公開した「桐壺」巻の現代語訳から、ヒンディー語への翻訳に当たって私が興味のある単語を列記してみしょう。
「観音」「更衣」「女御」「袴着」「御簾」

 これらを、菊池さんはどう訳されるのか。
 翻訳がご専門で、日本とインドの異文化交流にも取り組んでおられるので、意外とわかりやすいことばに難なく移し替えられるのかも知れませんが……

 この成果は、今月中旬、2月19日にニューデリーで開催される〈第7回 インド日本文学会〉で発表してもらうことになっています。

 いろいろと、楽しみにしています。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆国際交流

2012年02月02日

《新版・十帖源氏「桐壺」》の公開

 『十帖源氏』の多言語翻訳を目指して、翻字と現代語訳のプロジェクトをボランティア活動の一環として進めています。昨年9月に、第9巻「葵」までを終えました。

 海外で翻訳された『源氏物語』は、アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』(全6巻、大正14年〜昭和8年)が用いられることが多く、その第1巻(「桐壺」〜「葵」)に収録された「葵」巻までを翻訳していることがほとんどです。

 そのため、我々も一旦ここで一区切りとし、最初の「桐壺」巻に立ち戻り、現代語訳などの統一を目的として見直しをしてきました。
 凡例も、その後にわかった問題点などを整理しました。
 見直しが終わったものから、改めて《新版》として公開することにしました。

 この翻字と現代語訳を参考にして、世界各国の言語に『十帖源氏』が翻訳されることを願っています。
 この翻訳にチャレンジしようと思われる方は、どうぞ名乗り出てください。
 我々も、その翻訳のお手伝いをいたしますので、このブログのコメント欄を通して連絡をいただければ幸いです。

 おおよそは、以下のような形式になっています。
 全文は、末尾のアドレスからダウンロードできるようにしています。
 『十帖源氏』は『源氏物語』の簡約です。しかし、これを機会に世界中の方々が『源氏物語』の世界を知っていただけることを楽しみにしています。

 なお、この『十帖源氏』の多言語翻訳プロジェクトは、畠山大二郎君がとりまとめ役となっているものです。
 メンバーも、みんなが『源氏物語』を専門的に研究している若者ばかりではありません。
 この多言語翻訳プロジェクトの現代語訳部分に参加したい方も、本ブログのコメント欄を通して連絡をいただければ、勉強会の情報をお知らせします。だいたい月2回、新宿の喫茶店で7人ほどが集まって、ああでもない、こうでもないと言い合っています。
 
 
 

《凡例》(一部)

『十帖源氏』の凡例     平成24年2月版

◆現代語訳について
・海外の人が理解できるよう、平易な文で訳すことを旨とする。
・公立高校入試を控える中学3年生くらいのレベルで現代語訳を作っていく。
・「です」「ます」体に統一する。
・主語を明確にする。
・できるだけ理解しやすいように言い換える。
・文はできるだけ切る。
・敬語にはこだわらず、忠実でなくともよい。
・敬語は帝につける程度でよい。
・「何とか」といった抽象的な語はさける。
・「方」は、「女性」「男性」「人」などの語に置き換える。
・「もの心細げ」の「もの」は、心細い「感じがする」といったように訳出する。
・訳文は1文が長くならないようにする。1文は50字くらいまでの長さが好ましい。100字以内に収めるようにする。
・「そば」という言葉を用いるときは、平仮名表記。
・和歌は訳さず、句ごとにスペースをおき、表記通りにする。

 (以下、省略)
 
 
 
《「桐壺」》(一部)

『十帖源氏』巻一「桐壺」

〔2・ウ〕
〈絵1〉 八月十五日の夜、石山寺で、紫式部が、『源氏物語』を書きはじめた場面

〔3・オ〕
【翻刻本文】
いづれの御時にか、女御かうゐ、あまたさぶらひ給ける
中に、いとやんごとなきゝはにはあらぬが、すぐれてとき
めき給ふありけり。〔割・いづれの御時とは、醍醐天皇をさしていへり。/時めき給ふとは、「きりつぼの更衣」の事也。〕
  梨壺、照陽舎 桐壺、淑景舎 藤壺、飛香舎
  梅壺、凝花舎 雷鳴壺、襲芳舎
此きりつぼにすみ給ふかうゐを、御てうあひあれば、
きりつぼのみかどゝも申也。あまたの女御かうゐそね
みて、あさゆふの御みやづかへにつけても、心をのみうご
かし、うらみををふつもりにや、あつしく成ゆき、〔割・をもき/病也〕
物心ほそげに、里がちなるを、みかど、いよ/\あはれに

【現代語訳】
   (桐壺)
いつの時代のことでしょうか、女御とか更衣とか、そういったお后が大勢いらした
中に、特に高貴な身分ではなくて、帝にとても愛されて
いらっしゃる女性がいました。〔「いつの時代」とは、〈醍醐天皇〉の時代のことです。
帝に愛されていらっしゃった女性というのは、〈桐壺の更衣〉です。〕
  梨壺は照陽舎、桐壺は淑景舎、藤壺は飛香舎、
  梅壺は凝花舎、雷鳴壺は襲芳舎ともいいます。
この桐壺に住んでいる更衣を愛されたので、
この時の帝のことを〈桐壺の帝〉ともいうのです。大勢の女御や更衣たちはくやしがって、
毎日〈桐壺の更衣〉が帝の近くにいることに、嫉妬をして
ばかりいました。そうやって、他の后たちの恨みをたくさん作った結果でしょうか、体が弱くなっていきました。〔重い病気です〕
心細い感じがして、自宅に帰っていることが多い〈桐壺の更衣〉のことを、帝は、これまで以上にたまらなく

(以下、省略)


 
 
★以下をクリックすると、ファイルをダウンロードできます。
 

《凡例》をダウンロード
 
 
《新版・十帖源氏「桐壺」》をダウンロード
posted by genjiito at 20:22| Comment(0) | ◆源氏物語

2012年02月01日

【復元】釣り銭の錯乱を招いた状況

 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年4月3日公開分
 
副題「自分の引き算にも一瞬の戸惑いが」
 
 
 奈良から新幹線で上京してすぐに、駅前でテイクアウトのお寿司を買いました。
 最近は毎日、さばのお寿司をかならず食べています。今日も、さばの握りが入った600円のパックを買いました。500円玉がほしかったので、1,100円を出して500円玉を一個もらいました。

 お釣りを貰った時に、「ただいま20%引き」という表示に気づきました。これも20%引きですか、と確認すると、アルバイトの女の子は奥に入って聞いている様子です。しばらくすると、もう一人の若い女の子が出て来て、これもその対象だとのこと。そして、1,100円を返金してくれたのです。

 この子は事情が分かっていないと思ったので、600円の20%引きなので、あと120円を返してくれたらいいですよ、と言って、渡された1,100円を返すと、しばらく2人で相談した結果、今度は私の手のひらに220円を渡してくれました。

 正直言って、私も混乱しました。最近何かと忙しくて、フル回転の日々です。疲れているのかな、と思って素早く計算し直したのですが、私の方が正しいとしか思えません。しかし、この子たちに引き算の説明をしてあげる時間も手間ももったいないし、小雨の中を傘がないこともあったので、とにかくくれるというものをそのままもらって立ち去ることにしました。これはこのまま落語のネタになりそうだ、と思いながら……。

 海外では、よく釣り銭を間違えられます。大きなお金を渡すと、たいていダメな時が多いようです。引き算が苦手な人が多いように思います。日本では、釣り銭はしっかりと計算して渡してくれていたように思います。

 今日のやりとりは、そんなに難しい計算が絡むものではないはずです。日本の若い子たちの引き算の能力は、大丈夫でしょうか。私が推測するに、彼女達の意識の中に、私が千円札と一緒に渡した百円玉が残像として残っていたために、こうしたことになったと思われます。

 彼女達が計算した過程を想像すると、しばらくは楽しめそうです。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:14| Comment(0) | 身辺雑記