2011年11月30日

ボルシチを食べ今年一番の大仕事に向かう

 渋谷ロゴスキーのボルシチがレトルトパックで売られていました。
 
 
 
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 地下鉄四条駅地下のコトチカというエリアにある成城石井のお店で見つけました。
 早速、今朝の食事で試してみました。
 ただし、ジャガイモは炭水化物の塊なので、これだけは口にしませんでした。
 
 
 
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 渋谷にあるロシア料理店のロゴスキーは、学生時代に妻とランチを食べに何度か行きました。少し大人の気分が味わえたのです。

 数年前に、伊井春樹先生とも行きました。懐かしいお店です。そこでは、このボルシチとピロシキを食べました。

 今回のレトルト食は、味が薄いように思いました。関西向けだからでしょうか。
 いや、そんなことはないはずです。とすると、裏の説明文にある「仕上げにサワークリームをのせる」と、お店の味に近づくのでしょうか。

 それはともかく、私にとっては炭水化物(糖質)が問題です。栄養成分表によると、1袋に炭水化物は「15.8g」とあります。これなら、ギリギリセーフとしましょう。
 
 
 
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 問題は食後の血糖値がどれくらい上がるか、ということです。
 すべて人体実験と割り切っているので、5分ほど熱湯で暖めてから食べました。
 いつものパターンで、豆腐と納豆とチーズも一緒に食べました。

 食後1時間の血糖値は「151」でした。

 私は血糖値の目標として、次の数値を参考にしています。

空腹時  :110mg未満
食後1時間:180mg未満
食後2時間:140mg未満

 この物差しで見ると、ボルシチは合格です。
 先日のインド料理に加えて、このロシア料理も私の糖質制限食のメニューに追加しましょう。

 食後は賀茂川散歩に出かけました。

 いつもの鷺や鴨たちが、仲良く遊んで(?)います。
 
 
 
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 鷺は、あまり群れないようです。各自が物思いの態で佇んでいます。
 
 
 
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 寒くなったので、鷺や鴨に加えて、ユリカモメも琵琶湖から大挙山越えして来ていました。

 散策路は、ジョギングやウォーキングをする人で賑わい、賀茂川には鳥たちの活気が満ち溢れています。
 川向こうの植物園も、紅葉しています。
 
 
 
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 葵祭の行列で賑わう賀茂街道も、こんなに彩り豊かな姿を見せています。
 
 
 
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 今日はこれから、今年一番の大事な仕事が控えています。
 鳥たちを見ていると気持ちも落ち着いたので、しっかりと気を引き締めて出発です。
posted by genjiito at 22:47| Comment(2) | 美味礼賛

2011年11月29日

お見舞いに天王寺の病院へ通う

 先週から、いま話題の橋下徹を台風の目とする大阪ダブル選挙を挟んで、天王寺通いが続いています。

 天王寺駅前の陸橋は工事中です。
 
 
 
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 私が通った高校は、この近くです。
 息子が日本料理とイタリア料理を学んだ学校も、この天王寺駅前にあります。

 天王寺から西方浄土に向かって真っ直ぐに坂を下った新今宮の先には、私が最初に赴任した高校があります。その少し手前に、妻が勤務していた高校もあります。
 
 
 
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 この天王寺一帯は、家族がいろいろと馴染み親しんだ地域なのです。

 先週は、DV(ドメスティック・バイオレンス)をなくす啓発パフォーマンスの一環として、京都タワーや通天閣が紫色にライトアップされていました。そんなこととはつゆ知らず、あの日は通天閣も京都タワーも間近に見上げたのもかかわらず、何と風変わりな色に染め上げていることと訝しみながら、慌ただしく通り過ぎただけでした。

 今日は、大阪市立大学付属病院の玄関先から、日立の広告塔である通天閣が、紅葉越しにきれいに見えました。この写真を撮っているとき、病院の警備員さんに車が来て危ないからと注意を受けました。ごめんなさい、と言いながらしっかりとシャッターは押したのです。
 
 
 

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 先週、娘が仕事中に体調を崩して緊急入院し、私と同じように腹腔鏡手術を受けたのです。
 ちょうど私は妻と共に京都御池にいたので、大事な仕事を終えるとすぐさま、天王寺にあるこの病院に駆けつけました。
 幸い、婚家先のみなさんの温かい見守りがあったお陰で、娘が手術室に入る時には間に合いました。一年前に私が見送られて手術に向かったように、今回は私が娘をエレベーターまで見送ることになりました。両方の家族みんなで、がんばれよ、と励まして送り出しました。

 それから約2時間、幸い手術も成功裡に終わり、大事には至らず今は順調に回復しています。2週間の入院生活となったのです。

 今日も見舞いに行くと、お土産に東京駅で買って持って行った「ごまたまご」を、受け取るが速いかパクリと一口。これならもう安心です。

 間もなく晩ご飯が運ばれて来ました。
 私が昨夏入院していた時の習性でしょうか、ごく自然に写真を撮ってしまいました。
 
 
 
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 メニューに「関東煮」とあるように、関西では「おでん」のことを「かんとうだき」と言います。さすが、大学病院でも関西流の命名です。

 一日中暇だと言って、秋田の叔母から届いたドライフラワーで、来春の結婚式場で使う飾り物を作っていました。
 
 
 
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 新郎とでも言うべき旦那さんを交えた三人で、個室をいいことに、一緒に晩ご飯を病室でいただきました。
 仲睦まじい、楽しそうな新婚さんたちと共に、手術の話や橋下徹のことなど、勝手気ままな話で愉快な時間を過ごしました。

 娘は父親に似たタイプの男性をよしとして結婚することが多いとか。
 今回の入院騒ぎで、旦那さんとなった彼を見ていると、どことなく私に似ています。

 私が頼まれた書類を念のために2部印刷して持って行くと、彼も同じように念のためにと言って2部印刷して持って来ていたのです。慎重型で念を入れて物事に対処するタイプなのです。
 この、妻や娘とは正反対の性分が、今後の波瀾万丈の日々を平安な日々にしていくのです。
 この異質な組み合わせが、良かれ悪しかれ相補いながら、平穏で均衡がとれた生活を共に創りあげていくことになるようです。
 つい、苦労するけどがんばれよ、と、ご同輩の背中を叩きたくなりました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 健康雑記

2011年11月28日

久々のインド料理でラッシーを飲む

 東京の宿舎のすぐそばにあった中華料理屋さんが、今年の5月にインド・アジアンダイニングに変わりました。いつか行こうと思っている内に、糖質制限食を始めたため、お米やナンを食べない生活の中で行く機会をなくしていました。

 主食を摂らない生活の中で、何となく食生活がワンパターンになったこともあり行ってみました。とにかく、主食となっているご飯やパンやうどんなどを食べないで、おかずを食べればいいのです。

 注文したのは、ほうれん草とパニールのカレー、豚肉と野菜の炒め物、海鮮サラダでした。
 
 
 

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 若いお兄さんが、突き出しだと言って、「パパド」というインドの薄焼き煎餅を持って来てくれました。これは、豆の粉でできた生地にスパイスを練り込んで油で揚げたものです。パリパリと、歯ごたえがよくておいしいものです。

 さらには、ラッシーをサービスだと言って持ってきてくれました。
 ありがとう、とは言ったものの、甘いラッシーだったので飲もうかどうしようか迷いました。しかし、好意を無にしてはいけないと思い、半分ほど飲みました。

 カレーは辛くないレベルを注文したのですが、思ったよりも甘い感じがしました。甘いものが好きな日本人に合わせた味付けなのでしょうか。炒め物もサラダも、甘いと感じました。

 それでも、久しぶりのインド料理を、おいしくいただきました。
 ほうれん草もパニールも、お腹にドッシリと納まりました。満足です。
 ただし、お店の中の雰囲気は、店内のテレビにインド映画が流れていましたが、内装はインドらしい香りは皆無です。これは、工夫が必要です。料理はおいしいので、次はお店の雰囲気造りに気を配ってほしいと思います。

 帰ってから1時間後の血糖値を測ったところ、驚愕の250という高い数値でした。200を超えたのは久しぶりです。
 思うに、これは義理で飲んだラッシーのせいではないでしょうか。
 勇気を出して飲まないという選択もありました。しかし、サービスとしてわざわざ持ってきてくれたのに、飲まないわけにはいかなかったのです。

 食後の隅田川散歩に行ってから、2時間後の血糖値を測ると、今度は104という低い数値になっていました。この大きな変化はよくないのです。グルコーススパイクと言って、数値の大幅な落差が血管内部を傷つけるそうです。
 身体の管理は、本当に難しいものです。
posted by genjiito at 22:37| Comment(2) | 美味礼賛

2011年11月27日

2日目も稔りの多かった国際集会

 「第35回国際日本文学研究集会」も2日目です。
 今日も盛りだくさんの発表でした。その中から、私が特に注目したものを2つだけ、メモとして残しておきます。
 
 
 
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(1)「『落窪物語』の和歌
      ─法華八講との関連から─」園山千里

 園山さんは、ポーランド国立ヤギェウオ大学准教授です。
 園山さんについては、本ブログ「ポーランド語訳『源氏物語』の新情報」(2010年11月20日)と、「ポーランドの源氏物語研究」(2011年2月10日)において、ポーランド語訳『源氏物語』について貴重な情報と本を送っていただいたことを書きました。
 直接現地におられる平安文学の研究者からいただいた情報なので、心強い思いでいます。海外には、日本文学の研究をなさっている方がたくさんおられます。日本文学が世界文学の中の一つとなっていることを実感しています。
 今日の園山さんの発表は、お人柄というべきでしょう、落ち着いて丁寧に語りかけておられました。海外での生活による話し言葉の不自然さもなく、聞き取りやすい研究発表でした。
 内容も、手堅く物語本文に書かれていることを確認しながら、配布資料をうまく使って展開されました。
 言おうとされることは、『落窪物語』は巻三から和歌の役割が大きく変わることを確認し、それによって和歌と散文を意識的に機能させている作品だ、ということだったように思います。
 今回の研究集会のメインテーマが「〈場所〉の記憶─テクストと空間─」だったので、それに合致した、まとまりのある発表でした。
 その後の質疑応答で、『落窪物語』全体における和歌の機能について質問がありました。これに対して、和歌の機能について充分に説明しきれなかったので、これが園山さんにとっての今後の課題と言えそうです。
 発表が終わってから、このことで園山さんと少しお話をしました。問題意識が法華八講にあったこともあり、これからさらに和歌の機能について勉強をして、自分なりの考えを披露できるように頑張ります、と力強く言っておられました。非常に前向きなので、今後の活躍が楽しみです。
 
 
(2)「王朝における歌合の空間
      ─村上朝天徳四年内裏歌合を受とめた後冷泉朝期の歌合─」赤澤真理

 赤澤さんは、日本学術振興会特別研究員で国文学研究資料館特別研究員でもあります。現在は、アメリカのハーバード大学で研究活動を展開している、私も注目している若手研究者です。
 本ブログでは、「源氏絵を寝殿造から見た好著」(2010年3月30日)で、その研究のユニークさを紹介しました。
 また最近では、「コーツ先生ご所蔵の源氏画帖は江戸狩野派の粉本」(2011年8月12日)で報告したように、英国ケンブリッジ大学のコーツ教授ご所蔵の源氏絵について、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の狩野探幽筆とされる源氏物語図屏風がよく似ている、という貴重なご教示をいただきました。
 源氏千年紀の2008年には、国文学研究資料館で開催した特別展『源氏物語 千年のかがやき』の図録作成や資料展示において、細やかな心遣いでお手伝いしていただいたことも忘れられません。
 今日の最後のセッションは、私にとってはお世話になりっぱなしのお二人の発表でもあったのです。

 さて、今日の赤澤さんの研究発表も、いつものように鮮やかなものでした。
 歌合という場と空間の実態が、スクリーンに映し出される図や絵によってよく理解できました。歌合は、視覚的な芸術世界として開催されていたことが明らかとなりました。そして、女性が重要な役割を果たす空間が設定され、演出されていたことも。
 さらには、座る位置や場所という着座の序列については身分制度の崩壊も関連していて、歌合という私的な空間であったからこそそのような変化が可能となったようです。まさに、赤澤さんが得意とする寝殿造の空間を、歌合を例にして、これまで誰も言及しなかった研究成果が発表されたのです。
 教わることの多い内容でした。そして、園山さん共々、今回の国際集会のテーマにふさわしいものとなっていました。
 発表内容に聴き入っていたために、スナップ写真を撮り忘れていました。またいつか、ということにしましょう。

 こうした若手の生き生きとした充実した研究発表は、知的興奮と爽やかさが伝わってきて心地よいものです。
 お二人のますますの活躍が楽しみです。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 古典文学

2011年11月26日

国際集会で井上靖の発表を聞いて

 第35回目となる国際日本文学研究集会の本年度のテーマは、「〈場所〉の記憶─テクストと空間─」です。
 初日から、興味深い発表がたくさんありました。

 会場の外では、ポスターセッションとして8人の展示発表がありました。
 
 
 

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 みなさん展示ポスターに工夫して、自分が現在取り組んでいるテーマをわかってもらおうという姿勢が感じられました。これは、プレゼンテーションの腕を上げるのにいい機会となるものなので、これからもたくさんの方の参加を待ちたいと思います。

 以下、研究発表ではなくて、ショートセッションと称するグループでの8人の内から、私が注目したものを一つ紹介します。


「敦煌」に見る井上靖の中国地域像
  ―河西回廊の道標的都市をめぐって
    大連外国語学院(大学)講師
    城西国際大学人文科学研究科博士後期課程
      何 志勇


 これは、井上靖の『敦煌』をとりあげた小研究です。ただし、「小」というよりも今後の展開が大いに楽しみなので、ここに紹介するしだいです。

 発表の内容は、配布資料によると以下のことが眼目となっています。


想像:井上靖が敦煌に行ったことがないということはむしろ小説『敦煌』の誕生を促した。『敦煌』による想像のイメージを大切にしておきいという気持ちが伺える。
知識:『敦煌』を書く際に参考になった史料や文献は実に充実したものである。
 ◆想像と知識があいまって、小説『敦煌』における都市、自然、人物を造形していると言えよう。
研究目的:本稿は戦後社会の文化環境の中で井上靖における知識と想像との関係を考察した上で、知識の仕組み方と想像の意味を突き止めようとするものである。


 実際に口頭発表された内容は、以下の項目に分かれていました。

知識と想像︰学者と小説家との連動」
知識の仕組み方︰開封の市場への一考察」
想像における永劫︰沙漠によって連ねられた河西回廊の都市」

 いずれの項目も、井上靖の小説を理解する上で、大きなテーマとなりそうです。
 その意味では、大上段に構えすぎたのではないでしょうか。

 とにかく、ショートセッションは15分以内でまとめることになっています。そのため、話すスピードも速ければ、その内容も要点を絞ってどんどん進んでいくので、聴く方も話題の展開について行くのが大変でした。
 それでも、資料がしっかりしていたので、言わんとすることは聴衆に伝わったと思います。

 ある意味で、ショートセッションという枠からはみ出した内容なので、質問もしにくいこともあり、持ち時間の後、誰からも挙手はありませんでした。しかし、それは内容がよくなかったからではなくて、内容が多彩で理解が追いつかなかったからにほかなりません。
 ぜひとも、文字にして公表していただきたいと思います。

 井上靖の小説では、『天平の甍』は安藤厚生が、『敦煌』は藤枝晃という研究者が、その背景で『手を貸している」という理解が示されました。そして、井上靖は得られた知識という史実によりながら、自らの想像によって小説という形を成しているのだと。なるほどと思いました。しかし、歴史小説はみなそうなのではないでしょうか。ここは、歴史小説というものの捉え方がポイントとなってきそうです。

 また、「開封」という市場の描写をとりあげ、「州橋夜市」という『東京夢華録』に収録されている文章が参照されているという指摘がなされました。
 そこで井上靖が「汚い服装」とする表現が「州橋夜市」にないことから、この「汚い」という中国への視線は、開封を醜く見せるためのものではないか、と。これも、面白い着眼点ですが論証の難しいところだと思いました。いくつもの用例があがっていたら、もっとわかりやすかったはずです。一例だけで断定するのは危険です。

 同じく『東京夢華録』の「民俗」を引いて、井上靖は自然風景は色鮮やかに描いている、と言われたことも同じです。

 さらには、井上靖は読者のニーズに応えるために、知識と想像で永劫たる詩情を描こうとした、とされました。これも、印象批評に留まることなく論証しようとするならば、もっと多くの手間をかけないと言い切ることはできないと思います。たくさんの場面の分析が手続きとして必要です。

 とにかく、発表時間の関係で説明と論証が飛んでしまっていました。おもしろそうな視点なのに、実感と共感をもって聞けませんでした。指摘のみに終わった、という印象です。

 この発表者が摑んだ視点とテーマは、私には非常に興味があるものです。今後、さらに研究手法を工夫されて、有意義な成果をあげられることを楽しみにしたいと思います。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 井上靖卒読

2011年11月25日

第35回国際日本文学研究集会

 今年も、明日と明後日の2日間(11月26日(土)〜27日(日))にわたり、「第35回国際日本文学研究集会」が開催されます。会場は、昨年と同じく国文学研究資料館2階の大会議室です。
 回を重ね、35回です。日本の国際研究集会では老舗となりました。

 今年のテーマは、「〈場所〉の記憶−テクストと空間−」です。
 文学テクストに刻み込まれた〈場所〉の意味に焦点を当て、日本文学及び日本を舞台とする文学のテクストと空間との関係を考えよう、という国際集会です。

 興味深い研究発表が目白押しです。明日の夕刻には、レセプションもあります。
 チラシとプログラムをご覧になり、興味のある発表および海外の方との情報交換が必要な方も、ぜひ立川まで足をお運びください。
 あわせて好評開催中の特別展示「近衛家陽明文庫 王朝和歌の文化─千年の伝承」もご覧いただければと思います。

 チラシとプログラムは、以下のようになっています。
 
 
チラシをダウンロード
 
 
プログラムをダウンロード
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 古典文学

2011年11月24日

京洛逍遥(205)神々しいまでの朝日

 早朝の賀茂川散歩で、目が眩むばかりの日の出を見ました。

 まず、比叡山の右が赤らみだしました。
 
 
 

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 そして、大文字の送り火で有名な如意ヶ岳が、光背のような日の出に照らしだされたのです。
 
 
 

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 2週間前の本ブログ「京洛逍遥(203)如意ヶ岳の朝焼け」(2011年11月 9日)に書いたときとはまた違う、これもすばらしい早朝の如意ヶ岳を写すことができました。

 また今朝は、光が不思議な散乱を見せてくれました。
 
 
 

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 川下の東山の方を見ると、山並みと雲が、これまた自然の筆で絵を描いていました。
 
 
 

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 散策からの帰り道、色づき出した北山が朝日に照らされている姿が望めました。
 少しくすんで見えますが、これは朝靄のせいかもしれません。
 
 
 

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 平安時代の人も、これと同じ光景を目にしたはずです。
 それが、千年経った今でも、そっくりそのままに、人工的な再現ではなくて実景として見ることができるのです。

 歴史と伝統を背景に持つ京洛の風景のど真ん中にいる自分が、この地球上で不思議な存在に思えてきました。
 現代という時間の流れの中に身をおいているのに、賀茂川の清流を見つめていると、自然と過去へ思いを馳せることができるのです。
 こうした贅沢な時間を持つことができる喜びは、ここにこの空間があるからこそ感じとれるものなのでしょう。
 この時間と場所を、これからも大切にしたいと思います。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年11月23日

京洛逍遥(204)賀茂川に憩う初冬の鷺と鴨

 この1週間は、名古屋、東京、山形、東京とさすらいながら、やっと京の都に帰って来ました。
 夕方の賀茂川を散策すると、あわただしかった日々の疲れが和らぎます。
 東京よりも風がヒンヤリと感じられます。
 北山の色づきはこれからなのでしょうか。
 
 
 
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 上品な顔立ちの鷺が、いつも渡る飛び石のそばで休んでいました。
 
 
 
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 私が近づくと、せっかく物思いに耽っていたのに、とでも言いたげに飛び立ちます。
 
 
 
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 そして、すまし顔で、少し離れたところに降り立ちました
 
 
 
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 やや下流の北大路橋と出雲路橋の間では、おっとりと佇む鷺の周りを、たくさんの鴨たちが泳ぎ回っています。
 
 
 
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 この鷺は、子どもたちを見守るかのように、ジッと鴨たちに目を配っていました。

 鳥たちは今年もここにやって来て、それぞれにいつもの冬を迎えるようです。
posted by genjiito at 22:23| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年11月22日

冬の到来を待つ山形の山々

 明け方、宿の窓から外を見ると、地面がうっすらと白くなっていました。雪だと思いました。しかし霜だったようで、空気は冷たくても風が弱いので心地よい1日となりました。

 展望室から四囲の山々が望めました。いつも持ち歩くソニーのサイバーショットでの撮影なので、遠景は霞んでいますが、本格的な冬を待つ山の雰囲気が摑めました。

 まずは月山。
 
 
 
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 パノラマ写真と比べながら見ても、これしか該当しません。
 間違っていたら案内パネルが……ということにしておきます。

 反対側には蔵王山がみえました。これも、この方角ということで。
 
 
 
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 山形大学には、何年か前に中古文学会が開催された時に来て以来です。
 
 
 
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 K先輩が長くこの大学の教員をしておられます。
 先週、名古屋で開催された中古文学会の委員会でご一緒だったので、それでは明日山形で、という挨拶をしたばかりです。
 先輩の研究室は本の山でした。まさに、立錐の余地もないとはこのことです。
 喫茶室で、山形の様子を詳しく伺いました。

 図書館では、国文学研究資料館の文献調査で東北地域を担当しておられるお2人の先生と、現在の調査の進捗状況やこれからのことを打ち合わせました。調査の現場でしかできない、古典籍を前にしての貴重な情報交換となりました。

 山形大学の図書館では、まだ多くの古典籍が調査を待っています。4人の先生方が、精力的に献身的な調査を続けておられます。しかし、それでもあと数年はかかりそうです。

 上杉家が持っていた書物は膨大で、質の高い本が今は数カ所に分蔵されています。
 米沢にある古典籍も、山形大学図書館の書籍群の仲間だそうです。整理されているとはいえ、今後この詳細な調査も本格的に取り組む必要があります。
 個人蔵となっていて、まだ正確には確認できていない本も多いようです。これは大変な労苦が伴うものです。
 さらには、東北も高い文化圏にあったので、貸本屋が持っていた多くの本が、この地域にも分散しているようです。

 散逸した本が多いとはいえ、それでもたくさんの本がまだまだこの地域周辺には残っているのです。
 手書きの写本の調査は、まず取りかかったということもあり順調に進みました。しかし、近世以降の版本となると、あまりにも多すぎることもあり、手付かずのままの図書館や文庫、そして個人蔵の書籍が眠っているようです。

 国文学研究資料館では、全国の大学等に所属なさっている200名の先生方に調査員をお願いし、それぞれの担当地域における日本の古典籍の実態を調査し、報告していただいています。その成果は「日本古典資料調査データベース」で確認できます。
 先生方が作成されたカードも画像として見られるので、その調査の緻密さが実感していただけると思います。まさに、気の遠くなるような調査が、全国津々浦々に人的なネットワークを張り巡らすことで進展しているのです。
 しかし、若手の調査員が育っていないようです。近代の文献も含めて、手書きや版本として印刷された本を扱うことの楽しさを、一人でも多くのこれから研究を目指す方に味わってもらいたいものです。

 活字文化がデジタル化という衣装を着だしました。そして、電子的な資料に加工されたデータが、メディアを変えて流通することが加速しています。
 そのような中、長い時間をかけて、書き、写し、印刷して伝えられて来た写本や版本の存在を、次の世代に伝えて行くことは意義深いことです。そして、そうした書物を手にとって調査する技術、ノウハウも、速やかに受け渡していく必要があります。

 現代の活字による校訂本文に浸って研究がなされている中で、少なくとも古典文学の受容においては、せめて問題となる箇所だけでも原本にどう書かれているか、という確認はしたいものです。これは、近代文学についても言えることでしょう。そして、それができる環境を作ることも大事なことです。

 国文学研究資料館が事業の柱とする、古典籍の悉皆調査と写真による収集活動は、その保存対策と共にもっと評価されてもいいのではないでしょうか。東日本大震災により、どれだけの古典籍が被害にあったのかは、もう少し時間がかかりそうです。これを機会に、物としての日本の古典籍をいかにして守り伝えるか、若い方たちと一緒に考える時間を持ちたいものです。

 帰路、ふと車窓に目をやると、米沢を過ぎたあたりから、錦繍の山々に雪が降ったところでした。
 
 
 
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 墨で書かれた文字を読むおもしろさは、まずは実体験から感得できると思います。そんな機会の多い文化的な環境を整備することも、伝統文化を次世代に手渡すために必要な施策です。

 さて、どうしたものか。
 私などには手に余ることとはいえ、旅の道々で真剣に考える時間を持つことになりました。
posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | 古典文学

2011年11月21日

車窓からチラつく雪を見ながら山形へ

 今夏7月に酒田市へ行って以来の東北行きです。

 昨日、名古屋の蓬左文庫で見た鎌倉時代の古写本『源氏物語』の余韻を温めながら、東京駅に急ぎました。

 ホームには、「こまち」と「はやぶさ」をつなげた、一風変わった姿の車両が止まっていました。
 接続の仕方がおもしろいので、ついシャッターをきりました。
 
 
 

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 松本清張の『点と線』に、東京駅で1日の内に限られた時間、それも4分間だけ向こう側のホームが見通せることを活用した場面がありました。
 この列車のつなぎ方だと、あのトリックはもう単純には使えません。向こう側がずっと丸見えです。

 それはともかく、こうして「こまち」と「はやぶさ」をつなげた車両を「はやて」として運行するのは、なんと一昨日からなのだそうです。たまたま、こんな接続例に出会えたのです。

 私が写真を撮っていると、少しずつ携帯のカメラを構える人が増えて来ました。そして、やがて私は、黄色い線の内側に押しやられるようになりました。
 おいおい、と言いたくなる気持ちを押さえて、その場を離れて山形行きの「つばさ」を待つことにしました。

 私が乗った「つばさ」は、仙台へ行く「MAXやまびこ」を後ろにつないだ列車でした。福島で二手に別れるそうです。
 いつもと違う旅は、いろいろと楽しいものが見えてきます。

 福島を過ぎて米沢の手前あたりから、車窓に白いものがちらつき出しました。よく見ると、あたり一面を雪が覆っているのです。

 ところが、米沢を過ぎると、この雪はなくなりました。月山の影響で、こうした変化が生まれるのだそうです。
 山形駅に降り立つと、空気の冷たさに身震いしました。もっと寒さ対策をしてくるのでした。
 幸い、傘がなくても何とかなる程度の雨です。
 明日は雪にならないことを祈るのみです。
posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | ブラリと

2011年11月20日

蓬左文庫の鎌倉期古写本『源氏物語』

 中古文学会の2日目は快晴となりました。
 昨日は天気が思わしくなかった名古屋も、天気がいいと愛知淑徳大学の門を潜る気分も晴れやかです。
 関係者のみなさまは安堵なさったことでしょう。
 
 
 

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 着いて早々に、研究仲間のY先生から蓬左文庫の展示の話を伺いました。
 鎌倉時代に書写された『源氏物語』の写本が出ていた、とのことです。
 展示リストを拝見したところ、確かにそうです。

 尾州家本『源氏物語』は当然のこととして、以下の2冊の写本の名前に目が止まりました。

2 源氏物語 松風(別本系) 伝越部局筆 松浦家伝来 鎌倉時代 13世紀
5 源氏物語 浮舟(別本系) 伝藤原為家筆 鎌倉時代 13世紀


 これは、私にとっては無視のできない写本なのです。

 《源氏物語千年紀》だった2008年に、国文学研究資料館で立川移転記念を兼ねて『源氏物語』の特別展を開催しました。その時に作成した展示図録『源氏物語 千年のかがやき』(国文学研究資料館編、思文閣出版)の「中山本」の解題を担当した私は、以下のように記しました。

なお、蓬左文庫蔵「松風」は、この中山本「若紫」巻のツレである。また、ハーバード大学蔵「須磨」巻・「蜻蛉」巻は、この中山本「鈴虫」巻のツレであり、鎌倉時代の『源氏物語』の本文を考える上で重要な古写本といえよう。これらの本文異同は『源氏物語別本集成 正・続』で確認できる。(90頁)

 実は、蓬左文庫蔵「松風」は、なかなか実見できなかったので、『源氏物語別本集成 続 第5巻』に収録できませんでした。いつか本文を確認したいと思いながら、なかなか果たせなかった写本です。
 それが今、蓬左文庫で展示されているというのですから、これは一刻も早く自分の目で見なければなりません。
 お昼の休憩時に開催された中古文学会の委員会に出席してすぐに、とるものもとりあえず徳川美術館にタクシーを飛ばしました。
 
 
 
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 実際に原本を、ガラス越しではありますが実見して、蓬左文庫蔵「松風」は、国立歴史民俗博物館蔵「若紫」やハーバード大学蔵「須磨」「蜻蛉」と同じ仲間の本であることを確信しました。鎌倉時代の中期から末期の写本と言っていいと思います。また、本文の内容も、〈いわゆる青表紙本〉や〈河内本〉といわれる類とは違うようです。このことは、後日詳細に調査するつもりです。

 実は、先ほど名古屋から東京の宿舎に着き、明朝早々には新幹線で山形大学に行くことになっています。
 休息する時間もないので、今日、展示会場でのメモを、取り急ぎ以下にそのまま引きます。

 展示されていた写本の翻字は、「松風」だけは開かれていた部分のすべてを、それ以外は、説明プレートにも翻字されていた和歌の部分だけです。

 時間の都合で私が翻字できなかった部分については、ご一緒だった豊島秀範先生もメモをしておられたので、後日あらためて紹介できると思います。
 手直しなどがあれば、山形から帰ってから、ということにします。

 この展覧会は、今月12日から来月12月11日まで開催されています。
 もしこの写本をご覧になった方で以下の翻字の間違いに気づかれましたら、どうぞご指摘いただければと思います。
 写真ではなくて、公開展示されている部分に関する情報の一部の筆記なので、こうして紹介するのに許可は必要ないと考えています。もし問題があるようでしたら、その旨ご教示いただければ幸いです。

 なお、展示品の解説に添えられた翻字に少し誤読がありました。すぐに学芸員の方に連絡をしましたので、近日中に訂正されるはずです。訂正された時点で、この翻字もその旨の注記を削除します。
 以下は、私が読み取ってメモを認めたものであることをお断りしておきます。カッコ内は私個人のメモです。また、この解説文には、「青表紙本系」「河内本系」「別本系」という用語が使われています。これについて、私は不正確で誤解を招く用語なので使わないようにしよう、という提案と、暫定的に〈甲類〉と〈乙類〉という2分別する名称を提唱しています。
 したがって、以下は展示品に添えてある文章をそのまま引用していることをご了承いただきたいと思います。
 
 


伝越部局筆
源氏物語 松風
(別本系)
松浦家伝来
鎌倉時代 13世紀
名古屋市蓬左文庫蔵
「青表紙本」「河内本」どちらの系統にも属さない別本系の本文をもつ端本。河内本成立以前の比較的早い時期に書写され、いわゆる古伝本に属するとされている。同じ別本系の本文をもつ「中山家本 源氏物語 若紫」(文化庁蔵・重文)とは、つれの関係にあり、ともに歌学、歌人の名家烏丸家旧蔵。明治三〇年代に烏丸家の蔵書処分に際し、「若紫」は中山家に、本書は平戸の松浦家に譲られ、大正の末、尾張徳川家に譲渡された。
 
つれ/\なれはかの御かたみの
きむをかきならしたるを
りのいみしうしのひかたけ
れは人はなれたるにうち
とけてすこしひくに松風
はしたなきまてひゝきあ
ひたりあま君ものかなし
けにてよりふし給へるに
をきあかりて(〈改頁〉)
 
  みをかへてひとりかへれる
ふるさとに(2011.11.20現在の解説プレート翻字は「やまさとに」)きゝしにゝたる
松風そふく
(身を変えて一人帰れる山里に
  聞きしに似たる松風ぞふく─解説プレート翻字)
御うた(/う$か)
  ふる里にみしよのとん
おこひわひてさしつるしゑを(/ゑ$と)
たれかわくらん□かやうに物
はかなくてあかしくらすを
とゝ(/△△&とゝ)中/\しつ心なくおほ

※(2折目2〜3枚目あたり)
※(9行本)
 
 
 

伝藤原為家筆
源氏物語 竹河
(別本系)
鎌倉時代 13世紀
名古屋市蓬左文庫蔵
源氏物語五十四帖の内、それぞれに「竹河」「総角」「浮舟」の巻だけとなった端本。どれも別本系の源氏物語と考えられてきたが、近年の研究では、竹河が「河内本系」総角が「青表紙本系」に属するとされる。
「松風」同様、三冊ともに歌学、歌人の名家烏丸家に伝わったもので、後に平戸の松浦家をへて尾張徳川家の蔵書となった。
 
たけかはのはしうちいてしひとふ
しにふかき心のそこはしりきやとか/〈改頁〉
 
※(9行本)
※(国立歴史民俗博物館蔵の中山本「総角」は断簡)
※(「近年の研究」をどなたの論考を指すのか今は手元に資料がないので保留とします。)
 
 
 

源氏物語 総角
(別本系)
鎌倉時代 13世紀
名古屋市蓬左文庫蔵

あけまきになかきちきりをむすひ
こめおなし心(翻字プレートは「こころ」)によりもあはなん(翻字プレートは「む」)

※(10行本左丁6行目)
 
 
 

伝藤原為家筆
源氏物語 浮舟
(別本系)
鎌倉時代 13世紀
名古屋市蓬左文庫蔵

たちはなのこしまのいろはかはら
しをこのうきふねそゆくえしられぬ

※(10行本初行)
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年11月19日

名古屋での中古文学会は雨でした

 降りしきる雨の中を、名古屋で開催された中古文学会に行きました。
 会場は愛知淑徳大学です。地下鉄東山線の星ヶ丘駅からすぐでした。ただし、激しい雨のため、濡れながら会場入りとなりました。

 今回の初日は、畠山大二郎君(國學院大學大学院生)の発表を楽しみにして来ました。

 発表題目は、「『落窪物語』の裁縫 ―「裁つ」ことの意味」でした。
 
 
 
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 染色・裁断・縫製という工程を経てなされる「裁縫」という行為を取り上げたものです。
 畠山君には、これまで3回ほど、直衣装着などの実演を国文学研究資料館でやってもらいました。平安時代の衣装は、彼の学位論文のテーマでもあります。よく調べていることがわかる、まとまりのあるいい発表でした。
 こういう若者がいることは、多彩な研究が展開する意味からも、ますます活躍してくれることを期待したくなります。

 『落窪物語』の落窪の君にとって、裁縫行為の中でも、なぜ「裁つ」行為をさせなかったのか、という課題を、作品の本文を読み込むことで追求していました。従来は、「縫う」ことだけが取り上げられ、「裁つ」ことは注目されてこなかったようです。そこが、彼の今回のユニークな着眼点でした。成功したと言えるでしょう。

 『源氏物語』では、「御法」で紫の上が縫います。ただし、これは異例だとのことです。さらに詳しく聞きたくなる、魅力的なテーマを摑んでいるのです。

 「裁つ」という行為は「縫う」よりも重い行為だと、畠山君は言います。「裁つ」は、着る人や相手を限定し、特定するものなのだと。
 和歌では、懸詞や縁語として比喩的に出てくるので、実際に「裁つ」ことかどうかの判断が難しいようです。

 『落窪物語』では、実際の行動として「裁つ」が描写される作品なのです。そして、物語においては、「縫う」よりも「裁つ」が重要だという指摘をして、その論拠を展開してくれました。
 そして、落窪の君が二条邸で「裁つ」行為をすることで、北の方として認められた立場を強固にすることを物語るというのです。地位を不動のものとすることになったのである、と。納得しました。

 なお、男性が裁縫に携わる珍しい姿が『落窪物語』に描かれている、という興味深い指摘もありました。また今後のおもしろい展開が楽しみになりました。

 本日の研究発表は、終始、非常にわかりやすい発表でした。結論も明快です。
 ただし、あまりにもまとまりすぎていて、もっと内容を膨らませてくれても良かったのでは、と思いました。会場のみなさんも、もっと聞きたかったのではないでしょうか。

 質疑応答では、以下のやりとりがありました。

 ◎正妻は縫い物には携わらない、という用例はないか。
  →今のところない。自分の手で縫うことはなかったようだ。

 ◎「裁つ」という言葉に「縫う」という意味も含まれた例はないか。
  →『今昔物語』で、男性に関わってそういうものはある。
    しかし、『落窪物語』では明確に書き分けている。

 3人の先生から質問がありました。いつもと違い、やや歯切れが悪い受け答えでした。上がっていたのでしょうか。
 今回の発表は、しっかりと活字論文にして、次のテーマに取りかかってほしいと思いました。
 着実に成果を残しながら、研究が進んでいるようです。
posted by genjiito at 23:25| Comment(0) | 古典文学

2011年11月18日

名和先生の連続講演「歌合(1)」

 名和修先生の「古典資料の創造と伝承」と題する連続講演の第4回目の報告です。
 今日は、2回予定されている「歌合」の第1回目です。
 
 
 

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 いつものことながら、先生の講演は前置きも楽しみです。

 陽明文庫の資料は、歴史関係のものが大多数を占めています。しかし、調査・閲覧者の4分の3は国文学関係者だそうです。名和先生ご自身も国文学の出身なので、調査者に対する理解がある背景が納得できました。

 さて、歌合というと、萩谷朴先生の『平安朝歌合大成』を抜きには語れません。
 昭和13年の夏のことです。当時東大の学生だった萩谷先生は、京都大学図書館に寄託されていた近衛家の古文書類の中から「類聚歌合」を見つけられました。このことは、当時東大の助教授だった池田亀鑑先生との連名で発表されました。しかしこれはその後、京大と東大で大問題となるのです。
 ただし、今日の名和先生のお話では、その微妙な問題は簡単に触れられただけでした。萩谷先生に京都で直接この問題で話を聞いたということに留めて置かれました。萩谷先生の「勇み足」というニュアンスで語られただけです。

 私は、学生時代に萩谷先生の授業を受けました。ちょうど歌合の科目でした。今思えば、直接いろいろと質問をするんでした。私は和歌に対する問題意識を持っていなかったので、『堤中納言物語』に関してだけでも聞いておくべきでした。

 また、私は「池田亀鑑」という人物について調べているので、萩谷先生が池田先生の『校異源氏物語』の校本作成作業をなさったことや、池田先生の博士論文である「古典の批判的処置に関する研究」の仕事を手伝われたことに関心を持っています。しかし、今日は名和先生が池田先生に直接逢ったことがないというところから、講演では「池田亀鑑」という名前は出ませんでした。このことは、また別の機会にでも伺うつもりです。

 今日のお話は、陽明文庫蔵で国宝となっている「十巻本歌合」の「歌合第六」がお話の中心となりました。
 資料として配布された「十巻本歌合総目録」は、非常に貴重なものです。目録には46回の歌合の記載があります。この資料をもとにして、平安時代の歌合の実態を浮かび上がらせてくださいました。

 陽明文庫にあるのは「巻六」だけですが、巻一、二、三、八、十を伝えるのが前田家です。「前田家には、近衛家もかなわない」とおっしゃった時には、会場が沸きました。

 歌合の巻別の内容の説明は、参会者にわかりやすいように、丁寧に語ってくださいました。
 主催者をランク付けして分けていることも。

 「巻三の所に「以上後冷泉」となっていないので、後冷泉天皇の頃に目録が作られた。」
 「巻八に、「殿」と「家」と分けている。九条流には「殿」を付ける。道長に「故殿」、頼通家のことを「殿」としているので、十巻本の編纂作業は頼通の近くでなされた。」
 「チーフは源経信(帥殿)だった。巻五を書いたのは帥殿だったと思われる。」

 などなど、興味深い指摘が続きました。

 とにかく、陽明文庫にある国宝の写真を見ながら、巻六を追っていきました。
 948年に開催された天暦二年の陽成院での歌合を、詳しく見ていきました。
 当時の歌合やその編纂作業の実態がよくわかるお話でした。

 なお、歌合については、今回の国文学研究資料館の特別展が「陽明文庫における歌合資料の総合的研究」という共同研究の成果を展示するものなので、ぜひとも展示図録を手にしていたただきたいと思います。
 今日の講演会でも、名和先生がこの図録の価値を強調なさっていました。

 いつものように、先生の講演も時間が押し迫ってきました。予定していた半分だが、今日はこの辺で時間通りに終わります、とおっしゃり、前回同様に「ちょうど3分超過や」といって終わりとなりました。
 後でお聞きした話では、このクールダウン(クーリングオフ)の3分間が、聴衆にとってはとても大事なのだそうです。さっと終わってはいけないのだと。余韻を持たせる3分間ということです。納得です。

 講演会が終わってから、先生を慰労しようということで、立川の駅前に出かけました。そして、有志10人弱でご一緒にお酒を飲みながらの懇談となりました。先生は大好きな日本酒を、私は焼酎をいただきました。
 その席で、先生がいつもお持ちの赤い扇子の話になりました。普通男性用は25センチですが、先生の扇子は30センチと特別製なのです。毎年新しいものに替えておられるそうです。
 ネクタイもいつも赤なので、このブログ用に写真を撮らせていただきました。カフスも赤い珊瑚で、偶然ですが背景にも赤い壁紙が写っています。
 
 
 
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 余計なことは書くな、とのことなので、この辺にしておきましょう。

 明日は静岡で講演が。そしてトンボ返りでまた立川にお出でになり、来週月曜日に展示替えをなさいます。
 お年を感じさせないほどに、エネルギッシュに飛び回っておられます。
 
 名和先生ご自身による手作りの展示が見物です。
 時間があれば、何度でも立川の展覧会にお越しください。
 日本文化の精粋を見ていただけます。
posted by genjiito at 23:51| Comment(2) | 古典文学

2011年11月17日

江戸漫歩(50)深川の木々も色づいて

 先週末の富岡八幡宮は、七五三と酉の市と骨董市が一緒になったこともあり、多くの人で賑わいました。
 
 
 

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 この八幡さまと、すぐ隣の深川のお不動さまは、朝晩の散策でよく足を留めるところです。
 世相を反映してか元気がなかった境内も、この日ばかりは老若男女の人出があり活気がありました。七五三の親子連れは、着物姿の子供と一緒に、親たちも、特にお母さん方は着物が多いようでした。

 この日の骨董市は、茶器などもいいものが出ているようです。まだ、私には茶道具のよさはわかりません。しかし、値段がいつもとは違っていました。とても手がでません。

 さらに珍しい物では、「帝国大学新聞」の昭和2年から7年までの束が、埃まみれのままで出ていました。
 先月、「昭和7年の東大源氏物語展の報道記事見つかる」(2011年10月21日)という記事の中で、この「帝国大学新聞」の昭和7年11月21日版を取り上げました。

 目の前にあるのは、紙くずの束のような状態の古新聞です。紐を解いて確認しようと思いましたが、埃がものすごいのです。お店の方も、紙がボロボロになるからと言って紐を解くのを嫌がっておられたので、その場での確認は一応断念しました。
 これは、東大図書館か国会図書館で現物を確認することにします。

 それにしても、探している時に、モノは姿を見せるものなのですね。昔、東大に行っておられた方の家から出てきたものだそうです。偶然にしては、あまりにもタイミングが良すぎます。ちょうど、探している月日の新聞が目の前に出現したのですから。縁というものは、こんなものなのでしょうか。
 一束3万円とのことだったので、見送りました。

 散策路を通って黒船橋へと出ました。
 深川を流れる大横川の川沿いも、しだいに紅葉し出しました。
 
 
 
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 黒船橋の船のりばの向こうには、隅田川にかかる中央大橋の主塔がみえます。これは、フランスのデザイン会社の設計になるもので、日本の兜をイメージしたものだそうです。
 まわりのマンションやビルに遮られていて、ここからの眺めはいただけませんが……
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年11月16日

書物の「奥付」とは何か?

 過日、「ポルトガル語訳『源氏物語』第2巻が届く」(2011年11月 7日)で、

奥付には「O Romance Do Genji Tomo 2」とあります。

と記しました。

 また、その前の記事の「新しいポルトガル語訳『源氏物語』入手」(2011年10月22日)では、

奥付からの推測では、今回届いたこの本は2008年に刊行されたもので、第2版のようです。

と書きました。

 さらには、その前の、「ポルトガル語訳『源氏物語』が届きました」(2011年9月 4日)で、

奥付を見ると、2007年に初版が刊行されているようです。

としています。

 この私が使った「奥付」という言葉について、千代田図書館所蔵の販売目録の調査が機縁でいろいろと教えていただいている中京大学の浅岡邦雄先生から、非常に有益な知見をいただきました。
 浅岡先生は近代出版史がご専門の方です。戦前の内務省における出版検閲に関しては、その分野での第一人者でもあります。
 その先生から今回、私が思いも及ばなかったことを教えていただきましたので、先生のご了解を得て、いただいたご教示の内容を紹介します。

 まず、先生からいただいたお問い合わせは以下のことでした。

 ポルトガル語訳『源氏物語』を入手されたことを拝見しましたが、その中で「奥付」に云々のことが記されている、等の記述がありました。
 当該ポルトガル語訳は、日本の書物と同様、本文末尾に書誌事項が記されている「奥付」が付されているのでしょうか。

 基本的に洋書には「奥付」はありませんが(中国、韓国の書籍には、現在でも「奥付」をもつものがありますが)、ポルトガル語訳本に日本の書籍と同様の「奥付」があるのでしたら、驚きなので、お手元のポルトガル語訳について、お教えいただけましたら幸いです。


 これに対して、私は以下の返信を記しました。

巻頭部、扉の前にある書誌事項などの記載を、私は日本式に「奥付」としています。
正しくは本の後ではないので、ひょっとして何か正確な言い方があるのでしょうか。
紛らわしい表現だったかもしれませんね。
ご教示いただければ幸いです。

 そして、ポルトガル語訳『源氏物語』において私が奥付と称した箇所とその次の扉の頁を、先生に画像でお送りしました。
 
 
 

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 この、私の素朴な返事に、浅岡先生はご丁寧に、詳細なご教示を記してくださいました(後掲)。

 私は古典籍を扱うことが中心なので、この「奥付」について意外と知らなかったことを再確認することとなりました。
 江戸時代のことを研究なさっている先生は、版本の版元などの関連でご存知の方が多いかと思います。しかし、鎌倉時代を中心とする『源氏物語』の写本を取り扱う私にとっては、勉強不足ということもあり非常にありがたいことでした。あらためて、古典籍でよく使う「奥書」について調べることにします。

 私のこのブログは、多くの海外の司書の方々も読んでくださっているようです。国内外の研究者に有益な情報となるかと思いますので、以下に引用するしだいです。

 あくまでも、これはブログという個人的なメディアなので、ある意味で気軽に情報発信の場と考えての紹介です。
 公開を快諾してくださった浅岡先生には、あらためてお礼を申し上げます。
 
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 洋の東西を問わず、書物の部分には様々な名称がつけられていますが、その一端を申し述べます。

〈奥付〉
 現在、日本の書物にほとんどついている奥付ですが、その記載を義務付けた最初は、享保7年秋、南町奉行・大岡越前守忠相が発した「新作書籍出板之儀に付触書」です。
その中に、

  何書物ニよらす、此以後新板之物、作者並びに板元之
  実名、奥書ニ為致可申候事

という項目があります。

 その後、明治時代になり、出版法規がいろいろ作られますが、奥付に関わる条項はなく、明治20年になって、改正「出版条例」中に、出版者、印刷者の住所・氏名を記載することが義務付けられます。ただし、記載する場所はここと、条項に定められなかったため、現在「奥付」といわれる場所でなくてもよかったのです。

 それが、明治26年「出版法」により、本文の末尾、現在、我々が奥付と呼ぶ場所に、発行者、印刷者の住所・氏名、印刷日・発行日の記載が義務付けられました。

 この条項の目的は取締の為です。つまり、検閲で禁止処分がなされると、押収するわけですが、そのためにも発行者、印刷者の住所・氏名が必要であったのです。
ですから、著者名の記載は義務付けられておりません。明治時代の図書には、奥付に著者名のないものが結構あります。一例をあげれば、中江兆民著『一年有半』の奥付には、兆民の名前が記されていません。

 この法律は、昭和20年9月効力を停止され、昭和24年に廃法となりました。ですから現在では、奥付について、法律的な根拠・義務はまったくありませんが、従来の習慣と書誌事項を一覧できる利便性から、日本の書籍のほぼ100%についているということです。

 ただし、例外がひとつあります。それは教科書です。
 「教科書の発行に関する臨時措置法」の第3条に、著者名、発行所名、印刷所名を記載することが義務付けられております。

 日本以外の国の出版物で奥付がついているのは、中国、台湾、韓国のものですが、日本のようにほぼ全部ではなく、洋書のようにタイトルページの裏にあるものもあります。
 中国、韓国の留学生に聞くと、現在では洋書式のほうが多いのではないか、とのことです。なお、中国では、日本の奥付にあたるものを「版権頁」と呼ぶようです。

〈洋書のタイトルページその他〉
 そこで、ポルトガル語訳『源氏物語』ですが、広義のTITLEPAGEでもいいのですが、では狭義のTITLEPAGEはどこかというと、写真の向かって右側のページがそれです。
一般にタイトルページというとここを指します。なお、タイトルページの日本語訳は「標題紙」といいます。

 それでは、左側を何というかですが、VERSO OF THE TITLEPAGE(発音をカタカナで書くのは如何かと思いますが、VERSOは「ヴぁーるそう」の発音に近いようです)。VERSOとは、印刷用語で、裏面、左ページという意味です。ちなみに、その反対のページをRECTO といいます。

 ですから、今回のポ語訳『源氏物語』のように、タイトルページの対向ページにあるものと、タイトルページの裏側に記載するものとがあります。どちらも同じ名称です。
 現在の英米の書物は、タイトルページの裏に記載することが多いようです。

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posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◆国際交流

2011年11月15日

なかなか出会えない糖質制限食と食材

 糖質制限食にしてから、スーパーなどで売られている食品の成分が気になるようになりました。
 ほとんどの食品に、明らかに店頭に並ぶ99%以上の商品に、炭水化物や糖質がたっぷりと含まれています。
 お総菜にしても、砂糖や水飴などをはじめとして、糖類などというあいまいな表現で書いてあるものはいい方です。
 包装裏面の食品成分表や調理素材を見ると、2桁以上の、そしてしばしば3桁の炭水化物や糖質が使用されているのです。
 味付けを甘くすると、おいしいと錯覚することも関係していると思われます。

 糖質制限食を妻に頼っている状況で、さて自分だけで食事をと思うと、とたんに困惑します。
 それではお総菜を買って、と思っても、糖質をたくさん含むものが多いのです。本当に数少ないものを探すことになるので、大変な思いをしています。

 外食では、居酒屋でおつまみとしての一品を頼むと、多量の糖質を摂取しなくてすみます。もっとも、そこでも甘くしたものがよくあるので、これは食べるまではわかりません。

 1人で食事をするのは、当たり外れが多いので、なかなか勇気のいるものです。

 最近のヒットは、大好きなのに足を遠ざけていた回転寿司屋で、ご飯はいりませんと言って食べたことです。
 この前、奈良に行った帰りに、東向商店街の入口の「ととぎん」でのことです。
 
 
 

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 席に座るやいなや、お刺身のセットがあるかを聞いたところ、ないとのことです。そこで、ご飯はいらないので、ネタだけを注文してもいいかと聞くと、それでもいいと。そこで、5種類のネタをカウンター越しに注文したのです。
 丁寧に盛りつけたネタを乗せた皿を5枚、順番に手渡してくださいました。見た目もきれいで、満足でした。

 この調子で、これまた大好きなインド料理で、ご飯とナンを食べないでマサラ料理を食べることを思案しています。タンドリーチキンは私には刺激が強いので、なかなかいいものに出会えていません。思い切って行き、メニューとお店の方との相談をすれば、いつか見つかるだろうと思っています。

 食材を買うときも、困難が立ちふさがります。
 たとえば、小麦粉の代わりに大豆の粉を手に入れようとしても、近所にある8軒のスーパーに行っても、どこにも置いてないのです。これは意外でした。

 そこで、糖質制限の食材をネットで購入するようにしました。
 通販で注文した糖質75%カットの国産大豆粉が、1キログラムで1860円です。
 
 
 
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 普通の小麦粉が400円しないことを思うと、これは明らかに高いと言わざるを得ません。

 糖質制限食材が普及しないのは、糖尿病専門医がカロリー指導に留まっている現状はそれとして、まずは価格にあると思います。しかし、これは砂糖漬けの生活をどう理解し、自分の食生活をどうしていくかに直結します。
 私は、近い将来、糖質制限食材がスーパーの店頭に並ぶ日は近いと思っています。しかも、今の半額以下で。
 これだけ糖尿病予備軍の増大が社会問題化する中で、このまま糖質をたくさん含む食品を店頭に並べることは、日本の医療実態をパンクさせる自殺行為でもあるからです。スーパーマーケットが糖尿病患者を増やす場となってはいけないのです。日本人は賢いので、この砂糖漬けの文化が健康によくないことに、もう薄々は気づいている方が多いはずです。
 私のような胃のない身体でも確実に血糖値が下がったのですから、糖質制限食は多くの方々の悩みを解消する一つとなるはずだからです。

 血糖値を安定させるための薬代やカロリー制限食の食費を考えると、この糖質制限食はなかなか魅力的な存在ではないでしょうか。今は「スゥィーツ」という甘い言葉で女性の歓心を惹く社会ができつつありますが、いずれは「スゥィーツ」を口にした後、お腹にインスリン注射をする時代が逼っているのです。
 デートの別れ際に、こっそりとお腹に注射をする彼女を見るのは、彼氏にとってもつらいものがあるはずです。

 それはともかく、大豆の粉を手にしたことで、私は、天麩羅・唐揚げ・トンカツ・ムニエルが食べられるようになったのです。

 今夜は、3ヶ月ぶりに天麩羅を食べました。温かい天麩羅は、カリカリとしていて、味をかみしめながらおいしくいただきました。ただし、冷めると食感がカサカサして味も少し落ちるようです。天麩羅は温かい内に、ということがわかりました。

 昨日、職場からの帰りに、少しおしゃれなステーキハウスに1人で入り、チキンソテーを食べました。ご飯とデザートは断って、野菜サラダとオニオンスープとチキンソテーのセットです。
 ところが、帰り道で口の中がベトベトしてお腹(?)が突っ張るように痛くなりました。帰って話をすると、油が古かったかラードを使っていたのでは、とのことでした。

 我が家では油はすべて良質のオリーブオイルなので、外食での油ものには要注意です。
 そういえば、この前外で食べた某中華チェーン店のレバニラ炒めと肉野菜炒めも、食後しばらくして下腹部に不快感がしたため、駅のベンチで少しお腹を休ませてから帰宅しました。
 カロリー制限に拘らなくなったので、中華料理も積極的に食べるようになりました。しかし、やはり油に注意をする必要があります。

 最近また、おあげさんを食べるようになりました。
 油を使っていてカロリーが高そうなので自粛していました。しかし、糖質や炭水化物を含まない食事をするようになった今は、おあげさんの復活です。
 
 
 

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 草履くらいの大きさのおあげさんにタマネギなどをのせて焼き、半分ほどをいただきます。

 京都を中心として、関西のおあげさんをよくいただきます。肉厚で、焼くとふっくらとするものが好きです。
 関東にもあるので、いくつか食べました。まだ数が少ないので、あえて紹介するものに出会っていません。ふわふわ感がもっとしたらいいのに、と、おいしい関東のおあげさんを探しています。
 
 以下、参考までに『毎日新聞』(11月14日(月)19時9分配信)から「 <糖尿病>患者が急増…世界で3億人突破 」を紹介します。
 

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 現在の世界の糖尿病患者が3億人を突破したことが14日、国際糖尿病連合(IDF、本部・ブリュッセル)の調査でわかった。国別では初めて中国が1位となるなど、アジアでの患者増が目立つ。30年には5億5200万人に達するという。

 推計によると、11年の患者数は3億6600万人。前回(10年時点)の2億8460万人に比べ約30%増え、患者の急増に歯止めがかかっていないことが浮き彫りになった。

 国別では、2位だった中国が9000万人に達し、インドを抜いて1位になった。日本は6位の1070万人で8位より悪化した。30年時点では、中国(1億2970万人)、インド(1億120万人)、米国(2960万人)が上位を占める。日本は人口減が影響し、10位以内に入っていない。

 地域別では、中国や日本を含む西太平洋地区での増加が顕著で、糖尿病の合併症による死者が11年の同地区の総死者数の15%を占めた。同地区議長の清野(せいの)裕・関西電力病院長は「安価でカロリーの高い食べ物が広がり、途上国で急増している。バランスの良い食事や運動の大切さを伝えることが必要だ」と話す。【永山悦子】
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posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | 美味礼賛

2011年11月14日

藤田宜永通読(12)『夢で逢いましょう』

 この『夢で逢いましょう』(2011年2月14日、小学館)は、572頁もの厚さがあります。
 昭和30年代に流行ったテレビ番組や商品や歌謡曲などをタイトルにした連作です。ノスタルジック・ミステリーとありますが、ミステリーの要素はほとんどありません。
 中身は本の厚さと反比例しています。ただし、この本のカバーデザインは気に入っています。
 
 
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■お笑い三人組
 昭和30年代のテレビ番組などを取り上げて、旧懐の情を発動させることから始まります。
 このネタは、若者にはなかなか伝わらないので、それを作者がどう展開させるかが楽しみです。【2】

■バイタリスとMG5
 バイタリスとMG5の話は、後半になっておもしろくなります。ただし、整髪料の扱いは中途半端なままです。きれいに着地を決めるか、オチのほしいところです。
 最後に、オードリーというオウムのことが語られます。オウム探しとなるのです。【】2

■カミナリ族と缶ピー
 話が少しずつつながってきました。
 頑固一徹な父親が印象的です。藤田の作品では、このタイプの個性的な男がうまく描かれます。文章も、細かい描写ではなくて、粗筋でぐいぐいと引っ張って行くこの感じがいいと思います。
 最後に、突然ですが、オウムのことに話が向きます。この話題が、以降の章をつなげていくのでしょうか。【3】

■長い髪の街頭詩人
 新宿のバーの話で、吉行淳之介のことが紹介されています。ほんの数行ですが、藤田が私と同世代であることがわかるくだりです。
 オウムの話が中心になります。その合間に、これまで通り折々に、懐かしいグループサウンズや俳優などが顔を出します。【3】

■OH!モウレツ
 オールデイズの曲と懐かしいテレビドラマなどの思い出を背景に、軽快に話が展開します。ヤクザの息子の話が面白いと思いました。ただし、それもすぐに別の話に切り替わります。
 今と40年前が行ったり来たりします。【2】

■ゲバゲバ
 還暦を迎えた三郎は、オウムのオードリーを探し続けています。 男と女のドタバタ劇が展開します。それにしても、話に現実味がないところが藤田らしいと思いました。【1】

■悲しき60才
 坂本九や渡辺トモコなど、今では懐かしい名前が出て来ます。もっとも、ネットで当時のことを調べた結果をいかにも思い出したかのように書いているのが、どうも気になりましたが。【2】

■あの時君は若かった
 オウムのオードリー探しがおもしろくなりました。ヤクザっぽい男たちが出て来ると、藤田の話は精彩を放ち出します。
 記憶が行ったり来たりし、人間関係がもつれた後でおもしろく結びついて行くのが楽しめます。標題の曲名は取って付けたものですが、話はうまく仕上がっています。【4】

■ジェットストリーム
 回想される過去に、カビ臭い印象が最後まで残ります。どうもモタモタしていて、筆致が冴えません。
 ジエットストリームには、私もたくさんの思い出があります。それだけに、話の中身と溶け合っていないので、もったいないと思いました。【1】

■夢で逢いましょう
 最後まで盛り上がりがありません。
 中身のない、薄っぺらな作品でした。【1】

 全10話を読み終えました。しかし、全体を通しての印象は「空」です。
 ダラダラと旧懐談が語られただけです。これから藤田は、作家としてどうするのでしょうか。そんな心配をしてしまいました。【1】
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 藤田宜永通読

2011年11月13日

久々に卓球を楽しむ

 宿舎の隣に「深川スポーツセンター(公益財団法人 江東区健康スポーツ公社)」があります。
 いつかは利用しようと思いながら4年が経ちました。
 少し運動不足になりつつあるので、妻と一緒に行きました。

 学生時代に、同級生だった妻と中野で何度か卓球をしました。
 私は中学生時代に卓球の選手だったので、それなりのラリーはできます。
 確か、大阪府八尾市立中学校の卓球大会で、ベスト4に入ったはずです。
 高校ではテニスをしていて、あと一歩で国体を逃がしました。
 大学での体育では、卓球を選択しました。

 妻の実家の秋田には卓球台があったので、帰省すると、いつもみんなで卓球をしたものです。
 しかし、それも30年も前のことです。

 我が家には、30年前のものですが、マイラケットがあります。
 
 
 

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 私はシェークハンド、妻はペンホルダーです。
 今でも、ラケットのデザインは変わっていないようです。
 ラバーは、新しい技術によるいいものが開発されていることでしょう。
 しかし、個人的に楽しむ遊び程度なので、この道具で充分です。

 本当に久しぶりにラケットを持ちました。
 スポーツセンターの3階のフロアには、卓球台が8台並んでいました。大体育室では24台が置けます。
 すでに満員で、ひとつだけ空いているクロスサイドを借りて、ストロークのまねごとから始めました。

 スポーツの面白いところは、ウォーミングアップをしだすと徐々にかつて覚えた感覚を思い出し、知らず知らずの内にそれなりのことができるようになるのです。
 今日も、最初はぎこちないボールのやりとりも、30分もすればサマになってきました。
 ラリーが10回以上も続いたのですから、立派なものです。

 周りに目をやると、みなさん常連さんのようで、小気味よい規則的な音をたててラリーが続き、スマッシュが飛び出し、歓声があがります。
 私よりも年配の方が多いのには驚きました。卓球は、年齢には関係ないのでしょうか。
 先月で銀座のスポーツジムを正式に退会しているので、これはいい運動場所を見つけました。
 小刻みな足腰の運動は、身体によさそうです。ボールを追うので、眼球運動にもなっています。腕を振るので、肩凝りにもよさそうです。
 ただし、遠近両用メガネをして行ったので、ボールを目で追うのが大変でした。こんな時には、遠用メガネなのか近用メガネなのか、今度はいろいろと試したいと思います。

 気分転換と体調管理にいいスポーツを思い出したことになります。
 卓球は、身軽に行って、適度なところでやめることができるので、体調維持にもよさそうです。
 この他にも、マシンジム・エアロビクス・トランポリン・バスケットボール・バレーボール・バドミントン・ソフトテニス・クライミングウォール・柔道・剣道・相撲・太極拳・ランニングコース等々。
 やりたいもの、やったこともないもの、できそうにないもの、等々、贅沢な施設です。

 なにはともあれ、定期的に通い、気長に続けることが一番肝心です。
 週末に東京にいる時には、このスポーツセンターを大いに活用することにします。
posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | 健康雑記

2011年11月12日

吉行淳之介濫読(9)「水族館にて」「驟雨」

■「水族館にて」
 
 登場人物は3人だけです。大学生と若い奥さんと、その夫です。
 感情の変化が、奥さんの腕の腫れとして表れるのです。
 これは、心理劇として舞台にかけるといいと思いました。
 少し理屈っぽいところがあります。しかし、すっきりとわかくやすく、読後に透明感のある世界が表現されています。【3】
 
初出誌 『婦人朝日』昭和31年
 
 
 
■「驟雨」
 
 この作品を読むのは何度目でしょうか。
 引き締まった文章と語られる世界の異質さが気に入っています。
 人を「気に入る」と「愛する」の違いがわかりやすく語られ場面があります。

その女を、彼は気に入っていた。気に入る、ということは愛するとは別のことだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ。それは、自分自身にたいしての顧慮が倍になることである。そこに愛情の鮮烈さもあるだろうが、わずらわしさが倍になることとしてそれから故意に身を避けているうちに、胸のときめくという感情は彼と疎遠なものになって行った。
 だから、思いがけず彼の内に這入りこんできたこの感情は、彼を不安にした。(新潮文庫、180頁)

 こうした彼の感性は、吉行淳之介の作品を読むときの参考になります。
 この作品では、吉行特有の不安感がよく描かれています。作者が出入りする赤線の娼婦の街では、「女の言葉の裏に隠されている心について、考えをめぐらさなくてはならぬ煩わしさがない。」(185頁)と思っています。しかし、それがそうではない女の言葉によって、動揺させられることになるのです。
 終始、男と娼婦が交わすことばがしゃれています。人間の心の中を読み取った上での作品として、よく仕上がっています。閉塞状態の空間から外へ出るときの描写が、吉行のうまさだと感じました。不安な気持ちが取り払われることになる場面です。
 最後までしっかりと読者をとらえて離さない文章が、私には心地よく感じられました。【5】

初出誌 『文学界』昭和29年2月号

※この『驟雨』は、第31回(昭和29年上半期)芥川賞受賞作です。
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | 吉行淳之介濫読

2011年11月11日

名和先生の連続講演「御堂関白記」その2

 名和修先生の「古典資料の創造と伝承」と題する本年度の連続講演の第3回目がありました。
 本日は、「御堂関白記」の2回目で、会場は国文学研究資料館です。

 東京の天気はあいにくの雨という一日でした。それでも、名和先生の講演会は前回に劣らぬ盛会で、会場はほぼ満席となりました。

 「御堂関白記」は藤原道長の日記です。自筆の日記で現存するものとしては、これが最古と言えるでしょう。非常に貴重な歴史資料です。

 今日の話の中で、寛弘八年(1011)の記事がありました。今からちょうど千年前に道長が書いた日記の自筆部分を、先生の説明を聞き、プリントで確認しながら追っていきました。
 会場のみなさんも、資料に目を凝らして、行間にメモを記しておられます。200名近い方々が、真剣に千年前の自筆日記を読んでおられる姿を後ろから見ていると、言いしれぬ感動を覚えました。この空間は何だろうと。

 このような資料を今に伝えて来られた近衛家・陽明文庫はもとより、そこに記された文字を読んで解釈なさる名和先生、それを目と耳でキャッチしながら追認する参会者のみなさんの集中力が、会場に熱気とでもいえるものと一緒に充満していたのです。
 とてつもない文化の受け渡しが進行する場に我が身を置いていたのです。聴講者のみなさんと共に道長の日記の背景にあるものに思いを致しながら、日本という国と人の奥深さを実感することとなりました。

 以下、本日のお話の流れを大掴みで記します。


・「御記抄」の長徳元年をスクリーンに大写し。
・「大殿」の問題について。
  大殿は道長の孫の師実のことである、という阿部秋生説に名和先生は賛同するとのこと。
・「裏書」をめぐる問題提起。
・自筆本とともに、古写本が重要な位置を占めている。
・自筆本と古写本の同じ日の記事を比べると興味深いことがわかる。
  スクリーンに2つを並べて映し出し、一字一句を詳しく解説。
  古写本は息子の頼道が書いたものではないことを確認。
  それは、自分の名前の「道」が欠字になっていることから証明。
・原本である自筆本には、脱字・誤字・読みにくい文字が多い。
  それを古写本では正しく書き直してあるものを例示。
・寛弘元年の自筆本の裏書に見られる和歌について。
  道長が「かな日記」風に、意識的に書きたかったものではないか。
  これは、この時代のかな作品の一つと言える。
・寛仁二年の裏書が一番長い文章。
・裏書は、全部で80ヶ所ある。
・古写本に裏書はない。どこがそうかは推測できるが不可能。
 それだけに、自筆本の裏書のありようがおもしろい。
・寛弘八年六月二日の、一条天皇と三条天皇の記事について。
  2人の心の動きの微妙なところを、どうにもうまく日記に表現できない道長の姿がある。
  道長のもどかしさが、その日記の文字の書きぶりから読みとれる。


 ご自分で資料をスクリーンに映し出しながら、「これ何ですか?」と、関西人特有の自分でボケながら会場を和ませる語り口で、いつものペースで難しい話を噛み砕いて進めていかれました。

 この他、たくさんの興味深い指摘がなされました。

 前回は3分の超過。今日は大急ぎでしたが、同じく3分オーバーでした。
 みなさん、もっと聞きたいのに、という雰囲気の中で終了となりました。
 道長自筆の日記の内容を咀嚼しながら、歴史の裏側を名和先生流の語り口で聞くことができました。
 非常に楽しく意義深い90分でした。
posted by genjiito at 22:58| Comment(0) | 古典文学

2011年11月10日

はらはらドキドキの血糖値

 金曜日は九段坂の下にある千代田図書館で古典籍売立目録の調査、木曜日は九段坂を登り血液検査のために病院へ行く、という月毎のパターンが続いています。
 今日は、坂を登る日です。

 道々の千鳥ヶ淵緑道から田安門を望んでも、紅葉にはまだ何日かかかりそうです。
 
 
 

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 予約していた診察の前に、血液検査を受けました。
 結果が出るまでの1時間は、日頃の食事の成果が楽しみで、待合室のソファーに座っていても、何となく落ち着きません。テストの結果を待つ受験生の気持ちです。

 2ヶ月おきに血液検査を受けています。
 前回の9月は「7.1」でした。糖質制限食を見よう見まねで始めてから、約1ヶ月後の結果でした。下がっているはずだと思い込んでいたので、正直ショックでした。

 その時に先生からは、カロリーコントロールの段階ではなくて、薬の服用を今日から始めてはどうか、と勧められました。このことは、「お医者さんが勧める薬物治療に足踏み中」(2011年9月15日)に書いた通りです。

 前回が予想外に高かったので、それ以降というものは今日の結果が気になり、街中のクリニックへ行き、この間に2回ほど試しに計測をして様子をみたのです。

 クリニックでの個人的なヘモグロビン値の検査では、1ヶ月前には「7.1」から大きく下がり、「6.0」でした。
 実は3日前にも、念のために様子見をしたところ、微増の「6.3」でした。それでも、2ヶ月前の病院の測定値よりも大幅に改善しています。糖質制限食の成果です。

 一般的にヘモグロビンA1cの値は、1〜2ヵ月間の血糖値の平均を示すものです。日本糖尿病学会のガイド(2006〜2007)によると、「5.8%未満」が「優」、「6.5%未満」が「良」とされています。つまり、「6.5%以上」は「不可」というレベルなのです。

 この、現在の医学界で指標とされているヘモグロビン値でいうと、密かに測った私の血糖値は、「良」の領域にあることになります。
 ただし、民間の機器での測定なので、病院での計測とは誤差があるはずです。

 そんな背景があるので、今回の病院での測定値は大いに楽しみなのです。

 採血後1時間で、私の診察の順番が回ってきました。もう、ドキドキです。
 先生が差し出されたプリントを見て驚きました。日頃の努力の成果が出ていたのです。
 なんとなんと、「5.9」なのです。日本糖尿病学会の指針で言えば「優」の直前なのです。

 先生との問診では、食事のことは一言も話題になりませんでした。
 鉄分の値が低く欠乏症であることに、話は終始しました。ビタミンB12と葉酸が不足しているそうです。
 今日の採血の残りの分で、鉄分の精密検査を追加で依頼しましょうと、電話で指示を出してくださいました。鉄分の欠乏は、胃を切ったからでしょう、とも。
 詳しい原因を調べてくださることになりました。

 鉄分の欠乏は、18歳で胃の3分の2と十二指腸を切除したときから、40年以上も変わらずに指摘されてきたことです。私自身は、重大なこととは認識していません。

 肝心の糖尿病の問題は、今後とも食事には十分に注意を払うように、ということのようです。先生から何もこのことで言われなかったので、私はそのように理解しています。
 これからは鉄分欠乏症の対処へと移行することになります。

 私の名前にはしっかりと「鉄」があるのに、なんたることでしょう。

 それはともかく、すぐに妻へメールで報告しました。妻が作ってくれた糖質制限食の威力なのですから。
 間髪を入れず、「やったね」というメールが返って来ました。

 今日の診察では、最後までヘモグロビン値が急落したことの話題は、ことさらに意識してか、先生は避けておられました。前回の9月下旬の診察で、私が糖質制限食を始めたことと、その経過としての食後血糖値の変化を詳細に記録したプリントを持参したので、今回の結果を見て、先生はあえて私の食事内容には関わらない、というスタンスを決められたようなのです。前回も、プリントを手にとって見ようとはなさいませんでしたので……

 今日の空腹時血糖値は「117」なので、糖尿病について医師としては、ほとんど指導的な助言をする必要がなくなっているのです。

 この2ヶ月間の食事はどうしていたのか、とかなんとか、何か聞かれてもいいはずです。しかし、もう先生は糖質制限食の効果をおわかりのようです。
 お立場上、日本糖尿病学会の指針に沿って、従前通りのカロリー計算による指導は、まだ崩せないことは理解できます。しかし、そろそろ、併用した食事指導の導入時期なのではないでしょうか。専門医としては、診療と指導方針の変更は難しいことでしょうが……
 日本糖尿病学会が糖質制限食の意義を認め、そのことを併記するまでは、こうした混乱は仕方のないことだと思っています。

 もはや、糖質制限食は民間療法だとして医師やマスコミが無視するのは、多くの糖尿病患者や予備軍とされる人々にとって、治療方法の選択を狭めることになります。

 今回私は、カロリーコントロールと糖質制限食のことは、あえて何も先生に聞きもしませんでしたし、言いませんでした。穏やかに波風を立てない、紳士的な対応をしたつもりです。

 そういう意味では、先週の『週刊新潮』(11月10日号)の「低糖質ダイエットでちょっとクサいバカになる!?」という糖質制限食批判は、時代錯誤としか言いようがありません。記者の大きな勘違いと、煽られた名誉教授のコメントで記事が成り立っています。糖質制限食については、その症例の蓄積を待つべきです。まだまだわからないことが多いのですから、短絡的に誹謗せずに、いま少し静観すべき状況にあるようです。研究実験の段階なのですから。

 今夏8月から、とにかく妻は糖質制限食の対策で大変だったと思います。今、こうしてその成果が目に見える形で現れたことで、おそらくホッとすると共に、さらなる工夫をしてくれることでしょう。
 直接ありがとうと言うのも照れくさいのですが、正直言って感謝しています。

 今、私にとって気がかりなのは、胃がない体で糖質制限食を続けて行くことです。ヘモグロビン値は確かに予想通りに下がりました。それにともなって、主食を取らないことで思いがけない問題が出来しないか。それが今の関心事です。

 糖質を取らないことで、脳の活動に障害が起きる、という風聞は、今のところ自覚できることはありません。私が、まともな研究ができなくなったら、これがそうか、ということになるのでしょうか。それみたことかと、学会で悪しき事例として報告されるのでしょうか。

 とにかく、胃を全摘出した者の、参考にできる症例が少ないようです。
 自分で人体実験を繰り返すしかありません。
 事例を1つでも提供する意味でも、今後とも折々にこの話題を記していきます。
posted by genjiito at 22:47| Comment(0) | 健康雑記

2011年11月09日

京洛逍遥(203)如意ヶ岳の朝焼け

 賀茂川は、さまざまな顔を時々刻々と見せてくれます。

 早朝、北大路橋を下ったところを散策中、東の空に印象的な朝焼けが突如現れました。
 
 
 

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 川向こうの山は、毎年8月の「大文字の送り火」で有名な如意ヶ岳です。
 この麓に京都大学があります。

 早朝ウォーキングの人や、ブラブラと散策する人がたくさんいます。
 川沿いの道は、明け方から活気に満ち溢れているのです。

 鷺や鴨たちも、活動を始めだしました。

 こうした景色は、平安時代の人たちも同じように眺めたはずです。
 この光景を目に刻むと、古典文学を読むときに、その行間から色彩や空気の肌触りが伝わってくることでしょう。

 昔の人が書いた文章を読む楽しみが、またふえました。
posted by genjiito at 22:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年11月08日

タイトルを「鷺水亭 より」と改名します

 還暦を迎えたことを機に、このブログの標題「賀茂街道から2」を「鷺水亭(ろすいてい)より」と改めます。
 
 
 
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 気分を一新しての旅立ちとなります。
 
 
 

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 3年半ほど前から、さまざまなことを毎日こつこつと書いていました。

 多くの方々のご教示に助けられ、日々の出来事や思うことを、勝手気ままに綴って来ました。
 
 
 
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 今後とも今のスタイルで、個人的な日録を書き留めて行きます。

 引き続き、折々にお読みいただければ幸いです。
 
 
 

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posted by genjiito at 22:38| Comment(0) | 身辺雑記

2011年11月07日

ポルトガル語訳『源氏物語』第2巻が届く

 2週間前に書いた「ポルトガル語訳『源氏物語』の書評と解題」(2011年10月24日)では、第2巻について曖昧なままでした。
 その第2巻が届きましたので、ポルトガル語がわからないなりにでも、推測混じりで以下に補足します。

 第2巻は、ブラジルの書店から宅配便で送ってもらいました。その経緯は煩雑なのでここでは省略します。
 
 
 

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 さて、奥付には「O Romance Do Genji Tomo 2」とあります。
 翻訳者は第1巻と同じ「Carlos Correia Monteiro de Oliveira」とあり、刊行も同じくポルトガルのリスボンで2008年です。
 私の手元に届いた第1巻は再版本だったようですが、この第2巻は初版本だと思われます。

 本書には、第13巻「明石」から第33巻「藤裏葉」までのポルトガル語訳が収録されています。

 第1巻が367頁、この第2巻が425頁なので、この分量でいくと全4巻で完結するシリーズだと思われます。
 私の勝手な推測では、第3巻は『源氏物語』の第34巻「若菜上」から第44巻「竹河」までを、第4巻は第45巻「橋姫」から第54巻「夢浮橋」まで、という配分ではないかと予想しています。

 また、このポルトガル語訳『源氏物語』が何の本を底本として翻訳されているのか、まだわかりません。

 今はまだ情報が少ないので、わかり次第に補足します。
 このポルトガル語訳『源氏物語』についての情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。
posted by genjiito at 22:42| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年11月06日

江戸漫歩(49)豊洲の船カフェと運河クルーズ

 東京湾にはたくさんの運河があります。その中でも豊洲の運河沿いに建つ芝浦工業大学の前にある浮桟橋に、期間限定の「船カフェ」が係留されました。今月の4日から6日まで、そして9、10、16、17日の計7日間だけなので、興味のある方はいかがでしょうか。
 
 
 

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 この船内とデッキでは、コーヒー・ビール・パンが楽しめます。
 店員は、芝浦工大とすぐ近くの東京海洋大学の学生さんたちです。

 船のすぐ目の前では、芝浦工大の大学祭が開催されていました。バザーや模擬店などが出ていました。驚いたことに、ミスコンテストをしていました。女性差別ということで、もう学園祭から消えたものと思っていました。何か理由をつけてやっているのでしょう。いかにも素人という進行ぶりだったので、素通りをしました。

 さて、浮桟橋にある「船カフェ」では、豊洲埠頭を一周する運河クルーズも実施していました。めったにないことなので、乗船してみました。オレンジ色のライフジャケットを首に巻き、薄曇りの豊洲から隅田川を航行しました。
 私が住んでいる東京の宿舎周辺のことは、意外と知りません。地元の運河の様子が、こうして船に乗るとよくわかります。

 有明テニスの森や、かつての木場貯木場のあたりを通過中に、水上スキーを楽しむ人とすれ違いました。なかなか楽しそうです。スクーバ・ダイビングやパラグライダーのおもしろさを知っている私は、この水上スキーもいつかやってみようと思いました。
 
 
 
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 このあたりに、数年後に築地市場が移転してくることになっています。

 目の前にいつも通勤や散歩で渡る相生橋が見えてきました。
 
 
 
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 写真左のマンション群がリバーシティー21と石川島公園です。橋の袂に中の島公園があり、その右側に東京海洋大学があり、その向こうに私が住む宿舎があります。
 津波が来たら真っ先に流されるところにいることを実感しました。地震がくるたびに、びくびくしています。

 ぐるっと豊洲運河を一周して、芝浦工大の浮桟橋に到着です。
 
 
 
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 芝浦工大の中では、白い線をたどって走るロボットカーや、迷路を探すロボットカーなど、いかにも工業大学らしいイベントがありました。タイムレースのコースは、直前まで競技者にはわからないように隠されているのです。
 私も電気が好きで工作が好きなので、こうしたイベントは興味があります。レーシングカーやラジコンカーは、昔から大好きでたくさん作ってきました。今はコンピュータが手軽に応用できるので、こうした考えるカーレースができるのです。もし私が若かったら、きっとこうした競技会に嬉々として参加していたと思います。
 
 
 
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 若者たちの元気な姿を見て、なかなかやるなと頼もしく思いました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年11月05日

第1回「池田亀鑑賞」の応募は12月20日までです

 今春、池田亀鑑賞を設立しました。

 その「設立の趣旨」は、 「池田亀鑑賞」のホームページ の中の 「趣旨・経緯」 に記されています。

 また、「募集の概要」については、同じホームページの 「募集・選定概要」 をご覧ください。

 参考までに「募集・選定概要」の項目を、以下に引用しておきます。
 
 

【募集】
一般公募。あるいは、全国の作家、評論家、出版社、新聞社など推薦人から推薦を受けたもの(平成23年1月1日〜平成23年12月31日刊行奥付および発表分)の中から、同賞選考委員会により選ばれます。

【応募】
刊行物および掲載誌を1部送付してください。
また、タイトル・氏名・住所・電話番号・メールアドレス・所属を明記の上、要旨(800字〜2000字程度)も添えてください。

応募先:
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-44-11
新典社内 池田亀鑑賞事務局
TEL:03-3233-8051  FAX:03-3233-8053

【募集期間】
平成23年12月20日まで《必着》

【選定】
前年に発表された『源氏物語』を中心とする平安文学に関する研究論文や資料整理及び資料紹介に対し、学界に寄与したと評価されるもの1作品を選定します。

【賞】
受賞作は原則として1作品で、賞金(20万円)と朝日新聞鳥取総局より副賞が贈呈されます。
毎年3月に行われる「もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』」の講演会において、授賞式および講演を行なう予定です。

 
 
 応募の締切日である「平成23年12月20日」まで、あと1ヶ月半となりました。
 すでに「池田亀鑑賞事務局」への問い合せもあり、版元への推薦依頼や学会時の広報・宣伝などもなされていますが、ここにあらためて応募のお願いをすることで、幅広い方々に参加を呼びかけたいと思います。

 積極的な応募あるいは推薦を、心待ちにしています。
 
 
 
 なお、来週、11月12日(土)に、鳥取県の岸本公民館で「伯耆町立図書館郷土講演会」(午後1時30分から)が開催されます。
 講師は原豊二氏(米子高等専門学校・准教授)で、「池田亀鑑とその研究人生」と題しての講演があります(入場料・無料)。
 詳細は、岸本図書館(電話0859-68-3617)か、以下のPDFをご参照ください。
 
http://www.houki-town.jp/system/site/upload/live/11278/atc_1319019739.pdf
posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年11月04日

インド古典舞踊発表会2011

 昨日はお茶のお稽古の後、奈良駅南にある奈良町物語館で開催された「デバダーラ オディッシー 2011 発表会 スペシャルインド古典音楽ライブ × 東インド古典舞踊」に行きました。
 
 
 
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 インドの舞踊はニューデリーなどで何度も観ていたので、シルクロードの終着地である奈良で観るのは興味深いものがあります。特に、オリッサ州の踊りは何度か現地で観ています。

 今日の踊りは、東インド古典舞踊オディッシーダンサーの仲香織さんと教え子のみなさんでした。音楽は、池田剛さんの笛、上坂朋也さんのタブラです。

 奈良の町家を使った会場でのイベントは、ぎっしり満員となりました。

 第1部は、踊りが2つ。
 (1)「マンガラチャラン」
  踊りにまつわる仲さんの話は、ガネーシャ神の話からでした。
 (2)「バラバティ・バーラビ」
  脚で踏み鳴らす鈴の音が、きれいに揃っていました。
 
 
 
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 幸い、私は中央の最前列に座ることができたので、自由に撮っていいいわれていた写真は、なかなかいいアングルで撮れました。
 後ろにいた子どもたちが、「先生や!」と言っていたので、仲さんの教室に通う生徒たちも来ていたようです。

 この後、気分転換にということで、「眼球運動」「首の運動」「指の運動」をみんなでしました。インドの踊りで特徴的な上半身の動きです。みんなで、このたくさんのムドラという所作をしました。

 第2部は、インドの音楽です。
 太鼓とシタールは多いが、今日のようにバンスリという笛とタブラの演奏はあまりないそうです。
 
 
 
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 ヒンドゥー教ではもっとも人気のあるクリシュナ神は、笛を持っていることでよく知られています。インドの神像や絵画では、青黒い肌をしていて、その横には愛人ラダーが寄り添っています。インドの叙事詩『マハーバーラタ』を読んでいたので、親しみを持っています。さらには、クリシュナが生まれたと言われるマトゥラーという所に、ダージマハルに行き来する時に何度も立ち寄っています。マトゥラーは私の好きなインドの町の一つです。ここは、ヒンドゥー教の7大聖地の一つでもあります。
 そんなクリシュナの話になったので、興味を持って膝を進めました。しかし、クリシュナ神の説明はすぐに詰まって打ち切られました。
 インドの古典芸能は、ヒンドゥー教の神様の話が欠かせないので、ぜひおもしろおかしく語れるように調べておかれたらいいのに、と思いました。非常に残念でした。

 笛の独奏は、田舎っぽい素朴な曲でした。
 タブラとの掛け合いでは、7拍子から16拍子へ、さらにだんだん早くなるものでした。ボレロのような雰囲気を想像していたら、次第に単調になりました。盛り上がりに欠ける気がしましたが、テンポが早くなると楽しく聴けました。

 バックに流れる重低音の電子音が、私には気になりました。低周波の音は、人の心に影響力があるので、宗教的な行事で利用されることが多いと聞いたことがあります。これも、そのトランス効果を考えてのものなのでしょうか。
 低音に気分が悪くなる人もいるそうですから、あまり長く耳にしない方がいいとも聞きました。実際にはどうでしょうか?

 第3部は、またオリッサの踊りです。
 (3)「スタイ」
  インド舞踊特有のポーズの説明から始まりました。
 そして最後に、「シバスタック」というシバ神の踊りと「モクシャ」という解脱の踊りでした。

「シバスタック」は、仲さんの独壇場で、広い空間を活用して、動きの激しい踊りでした。さすが、荒ぶる神シバを飛び跳ねながら躍動的に表現したものでした。
 
 
 
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 「モクシャ」の踊りの後で、「おうむ(あうん)」というマントラを3回みんなで唱えました。これも、会場の参加者を巻き込んでのものでした。
 
 
 
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 オリッサ州の古典舞踊であるオディッシーは、かつて在インド日本大使館のジャパンイヤーのイベントで観ました。オリッサ州はインドの南東にあり、私がデリー大学に客員教授として行っていた時の教え子のP君の出身地です。いいところだから来てくれと誘われています。その後、2度ほど舞踊を観る機会がありました。インドにたくさんある踊りの中でも、パフォーマンス性に優れた踊りだといえるでしょう。

 終演後に仲さんにお尋ねしたところ、ジャパンイヤーの時には仲さんもニューデリーにいたそうです。しかし、在インド日本大使館で踊ったのは小野さんでしょう、とのことでした。
 日本人は、何人もインドでダンサーとして活躍なさっています。仲さんも、その内の一人だったのです。私はインドで、3人の日本人の方のオリッサの踊りを観ていることになるようです。

 仲さんは来月、デリーでまた踊るとおっしゃっていました。
 日本での啓蒙普及活動ともども、益々のご活躍を祈って会場をあとにしました。
posted by genjiito at 22:23| Comment(0) | ◆国際交流

2011年11月03日

大和平群での炉開き

 京都駅経由の近鉄電車で、平群へお茶のお稽古に行きました。
 
 
 
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 早いものでもう11月。囲炉裏の開炉の月で、4月まで炉手前が行われるのです。

ネットを見ていたら、「茶の湯の楽しみ」の「炉開き」の用語解説に、以下の説明文が見つかりました。

「茶人の正月」と呼ばれる。普通、陰暦亥(い)の月の初亥(い)の日(2005年は11月11日)に開くとされる。中国から伝わり、平安時代に宮中行事となった「玄猪(げんちょ)」という儀式に由来するといわれ、陰暦十月上亥の日に餅を食すと万病が避けられるということで、その餅を亥子餅といい、また猪は子をたくさん産むことから子孫繁栄を祝うものとされたので、女房の間でお互いに餅を送りあうことが盛んに行われていた時期もあった。

 このような説明を先生から今日伺いました。しかし、思い出せないことが多いので、この記事で代えさせてもらいます。

 さて興味津々、先生のお宅の炉を覗き込んでみました。
 炉の中に五徳が置かれ、墨の端が赤くなっているのが見えます。畳を四角に切った周りには、炉縁が嵌め込まれていました。釜からは、湯の音がします。

 おめでたい日なので、床の間には「寿 無量」と書かれたお軸が掛けてありました。

 最初に、まん丸なお餅の入ったお善哉をいただきました。先日のお茶事で甘いものを食べても大丈夫だったのでもう安心です。本当に久しぶりです。おいしくいただきました。

 今日は、濃茶とお薄をいただきました。辻利のお茶だそうです。先日のお茶事では一保堂でした。
 ほんの少しですが、味と香りの違いがわかったようなわからないような。何となくわかりだした、ということにしておきましょう……

 先月までの風呂手前と違い、視線から下にある炉に置かれた釜から立ちのぼる湯気が畳とよく似合います。
 チリチリとたぎっていたお湯が、水を差されると瞬間に鳴りをひそめます。この音の変化がおもしろくて、水が差される瞬間を楽しんでいました。

 最近、茶花の本を買いました。
 
 
 
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 今日も、床の間には菊が竹に差してあり、つい見入ってしまいました。
 先ほど、手元の茶花の本を見ると、竹一重切花入というものに似ています。まちがっていたらすみません。
 何か、見えてくるものが、これまでと違ってきたようです。自分自身の中のおもしろい変化を、ささやかながら自分で楽しんでいます。

 帰り道で、平群の秋を眺めました。
 
 
 
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 竜田川はまだ紅葉していません。錦に織りなされるのは、今月末でしょうか。
 
 
 
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 単線の元山上口駅から、奈良駅へ行き、奈良町で開催されるインド舞踊を観に行きました。

 なかなか慌ただしい「文化の日」です。
posted by genjiito at 22:24| Comment(0) | 身辺雑記

2011年11月02日

吉行淳之介濫読(8)「重い体」「夜の病室」

■「重い体」
 
 病院で退屈をまぎらわす話です。
 自殺した山田さんのことを、もっと知りたくなります。
 すべてが、外から見た人間の生きざまとなっています。【2】
 
 初出誌 『別冊文藝春秋』昭和30年
 
 
■「夜の病室」
 
 結核で肺を病んだ男の、入院中のベッドの上での話です。
 24人が一部屋にいる状況を読みながら、昨夏自分が入院していたことを思い出しながら、つい我が事と引き比べていました。
 私が入院したのは、新築数ヶ月の新棟でした。この小説のように、木製のベッドの軋む音や、天井の穴やシミ、ましてや床の釘が踏まれると音をさせることはありませんでした。しかし、ベッドに横たわる患者の気持ちは、今も昔も大きくは変わりません。いろいろと、不安の中にいることに違いはないのですから。
 聴覚だけの世界を語るくだりも、その状況がよく伝わってきます。
 作者と読者の体験が共有されるということが、作品を読んでいく上では少なからず影響することを、この作品で痛感しました。体験を作品の理解度に持ち込むのは、果たしてどうなのか、どのような議論が交わされているのかわかりません。しかし、作者と共有できる体験は、解釈に深く関わることは確かだと思いました。【3】

 初出誌 『新潮』昭和30年
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | 吉行淳之介濫読

2011年11月01日

京洛逍遥(202)京都御所の一般公開─2011秋

 京都御所で「秋季一般公開」が昨日から始まっています。
 今年は、「国民文化祭・京都2011」の開催に合わせて、いつもは5日間のところを7日間に延長して行われています。
 10月31日(月)から11月6日(日)までの7日間です。

 昨年の春の京都御所一般公開については、「京洛逍遥(134)京都御所の一般公開 -2010-」(2010年4月11日)で書きました。

 また、昨秋の一般公開については、「京洛逍遥(171)京都御所一般公開-2010秋」(2010年11月18日)で書きました。

 毎年、展示の一部が変わるので、それを楽しみにして通い続けています。
 今年は新御車寄の前に「五節の舞姫」の内の2体の人形が置かれています。これは、上記昨春の一般公開でも見たものと同じ人形のようでした。
 
 
 
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 承明門の前の説明板に、「紫宸殿」という表題の大きな文字に「ししんでん」と振り仮名がありました。
 
 
 

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 先日の名和先生のご講演に関するブログで、「ししいでん」と我々の世代は教わったことを書いたことを思い出しました。また、上記昨春のブログでもこのことに触れています。
 今年は、この「紫宸殿」の説明文の中で、「南庭」に「だんてい」と振り仮名があることに気づきました。
 「南庭」とは、紫宸殿の南の庭で、その東に左近桜、西に右近橘が植えられていることで知られている庭です。
 これについては、辞書には「なんてい」という読みも並記されています。ここでこうした馴染みの薄くなった「だんてい」という有職読みをあえてあげるのならば、「紫宸殿」には「ししいでん」と仮名を振ってほしいところです。
 つまり、表記を統一するということであれば、「ししいでん・だんてい」か「ししんでん・なんてい」のどちらかにすべきではないでしょうか。

 清涼殿の左側にある「漢竹」を「かわたけ」と読むローマ字表記については、上記昨春と昨秋のブログで書きながら、その後、このことを調べていませんでした。今年も目に付き、思い出しました。また課題としたいと思います。
 
 
 
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 小御所では、雅楽の一つである管弦の人形5体がありました。
 ここに展示される人形は、毎年楽しみにしています。
 
 
 
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 京都御所の一般公開には、たくさんの方々が足を運ばれます。

 二条城周辺を散策するほうが、本来の御所があった地域として肌身に感じられます。今の西陣地域は、『源氏物語』の説明版を探しながら歩くコースとして整備されています。狭い小路を歩く中で、平安時代の御所の雰囲気を感じ取ることになります。

 移転先である賀茂川寄りの同志社大学南側の現在の御所は、多分に江戸時代以降の公家の文化を見ることになります。しかし、平安時代に思いを馳せる時、ここで見たものは実感をもってイメージを脹らませることができます。折々に訪れると、日本の伝統文化の一端が垣間見えて楽しくなります。
posted by genjiito at 23:28| Comment(0) | ◆京洛逍遥