2011年09月30日

スポーツクラブを退会

 銀座のスポーツクラブを、今月末で退会しました。ここ数ヶ月は、ほとんど行けませんでした。今後も通うことが難しい状況なので、思い切って退会することにしたのです。

 私がスポーツクラブに行くようになったのは、今から20年前に遡ります。
 大阪の高校で教員をしていた私を大学の教員に推薦してくださった伊井春樹先生から、研究は体力が勝負である、というアドバイスをいただきました。そこで、日々スポーツで体力を維持することにしたのです。
 伊井先生ご自身はスイミングで身体を鍛えておられたので、私はそれに加えてジムでのマシンやスタジオのエアロビクスを組み合わせて続けてきました。

 奈良・平群町での8年間は、王寺駅前のスポーツクラブに通っていました。子どもたち3人も、中学に入るまでは、このスポーツクラブで水泳や体操をしていました。送り迎えを兼ねて、通っていたのです。
 パラグライダーで空を飛ぶ楽しみは、このクラブで覚えたものです。

 平成11年(1999)に東京へ単身赴任してからも、身体を動かすことは意識して続けました。
 横浜の金沢文庫駅前にあったスポーツジムには、宿舎への帰りに夜遅く通いました。ミッドナイト会員でした。
 その後、駅の反対側にあったスポーツクラブに移り、そこの閉鎖にともない川崎のクラブに変わりました。この川崎で、スクーバ・ダイビングを覚え、ライセンスを取りました。

 平成19年(2007)に宿舎を現在の深川に移してからは、銀座のスポーツクラブに通うようになりました。この銀座には、4年間通い続けたことになります。

 昨夏の大手術以来、身体の調整方法が微妙に変わってきました。食事との関連から、ウォーキング主体の生活になったことが大きな変化です。

 これからは、自分の身体を自分のペースで日常的に動かすことで、これまで以上に健康管理を続けていきたいと思います。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 健康雑記

2011年09月29日

【復元】紙製回転寿司玩具入手

 糖質制限食の実験とその成果が定着するまで、しばらくお寿司は食べないことにしています。
 これまでにお寿司のことを書いたのに、サーバーがクラッシュしたために読めなくなっている文書がいくつもあります。
 この際、それらをかき集めてみました。
 いろいろとおもしろいものが見つかりました。
 お寿司のネタは尽きません。
 折々に書き出していきたいと思います。
 
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年2月5日公開分
 
 
副題「日本の伝統文化で遊ぶ」
 
 
 昨年の大晦日に、わが家が大贔屓にする回転寿司店「函館市場」で、娘の誕生日プレゼントとともに以下の玩具をもらいました。なかなかのレア物です。
 
 
 
110929_susi1
 
 
 

 手動ではありますが、皿が廻るのです。日本の伝統的な手工芸品とでも言える逸品です。どうぞ、拡大してご覧ください。そして、マウスで前後左右に動かすと(横スクロール対応のマウスをおすすめします)、回転寿司屋へ行きたくなります。暇つぶしに遊べます。
 
 
 
110929_susi2
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:45| Comment(0) | 美味礼賛

2011年09月28日

江戸漫歩(46)糖質制限と築地のすし塚

 晴海通りから築地本願寺角の築地6丁目交差点を東に入ると、中央卸売市場の手前に波除神社があります。築地にはよく来ますが、まだ一度もお参りはしていませんでした。
 
 
 
110925_namiyoke1
 
 
 

 8月から私は糖質制限の食事に切り替えました。我流ではありますが、ご飯や・パン・麺類を食べない食生活をしています。
 今のところ、順調に血糖値のコントロールができています。食後1時間で血糖値が160前後、食後2時間で120前後に落ち着きつつあります。1ヶ月の成果としては、思ったよりもいいと思っています。
 その意味でも、2ヶ月後に予約しているヘモグロビンa1cの測定値が楽しみです。

 スーパーマーケットなどに行くと、食品を手にしてはその成分の表示を見ています。糖質や炭水化物が何グラム含まれているかを確認するのです。
 それにしても、現代人が膨大な糖類を口にしていることには、こうした確認をしていると驚くばかりです。身体がおかしくならない方が不思議です。おいしいと思わせるために、甘い味付けがなされているのでしょうか。隠し味として、粘り気を出すと共にさまざまな糖類が添加されています。実態を知ると、考え込んでしまいます。

 カロリーばかり気にしていて、糖質に気を向けていなかった日々を思い出すと、無意識に糖質を溜め込む食生活をしていたことに対して、言いしれぬ怖さを感じます。特に私は、消化器官の中心となる胃や十二指腸などがないのです。体内に取り込まれた糖質がどのように吸収されているのか、お医者さんも胃を切除したケースのデータが少ないのでよくわからない、とおっしゃいます。それならなおさら、自分で自分を実験台にするしかありません。

 こうした日々の中で私にとっての一大問題は、大好きだったお寿司を食べていないことです。
 毎日のように食べていた回転寿司屋に、先月8月からぱったりと行かなくなりました。
 楽しみを絶つことに迷いはありました。しかし、自分の身体を何とかしたいという思いの方が強く、血糖値をうまくコントロールできるようになってから、お寿司を取り入れた食事を考えることにしています。

 そんな事情があったので、この波除神社にあるという「すし塚」には、ご挨拶に行かなくては、と思っていたところでした。この機会に、しばらくお寿司にご無沙汰していることの報告をしました。

 境内左側には、たくさんの塚や碑が並んでいます。その手前の方にある「玉子塚」と「海老塚」に挟まれて「すし塚」があります。
 
 
 
110925_susizuka1
 
 
 

 これは、昭和47年11月1日に東京都鮨商環境衛生同業組合が建立したものです。

 日本人は律儀です。そして、思いやりの心を忘れません。日本文化と風土が育てたお寿司のネタである魚たちに感謝と慰霊の気持ちを捧げ、お寿司の発展を祈って建てられたものです。碑文は、当時副総理だった三木武夫氏の揮毫になるものです。
 毎年11月1日の全国すしの日には、組合員によって魚霊祭すし塚祭が行われているそうです。

 私も、お寿司が食べられる食生活を1日も早く組み立てて、また回転寿司屋めぐりが出来る日が来るのを楽しみにしています。

 築地の市場の中で食事をしました。ご飯を食べないので、新鮮な刺身の盛り合わせとマグロの串焼き、そして蟹汁にしました。
 
  帰りがけに、店頭で鱧を見かけました。
 
 
 
110925_hamo
 
 
 

 東京では少し気どった店などでしか出会えないと思っていました。
 どこから連れてこられた鱧でしょうか。ぐったりしていました。関西の夏は、日常的に鱧がいます。それでも、築地に来れば鱧に出会えることがわかり、少し安心しました。
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年09月27日

江戸漫歩(45)虹の橋と十返舎一九の墓

 台風一過の週末、自転車で東京湾の内側をブラブラと散策しました。
 いつもは、宿舎の前を走る清澄通りから晴海通りを北に上り、勝鬨橋から築地や銀座に行きます。それを、清澄通りの月島と勝ちどきを直進して、行き止まりの豊海の倉庫群へと走りました。東京湾の開口部になります。

 右の隅田川越しに浜離宮恩賜庭園が見えました。すぐ左が竹芝桟橋です。その向こうに、東京タワーが見えます。
 
 
 
110925_tower
 
 
 

 私たちが結婚式をあげたのが、この東京タワーの真下だったので、36年の時間の流れにあらためて思いを新たにしました。

 さらに南を見やると、東京湾に架かるレインボーブリッジが一本の線として見えました。
 オレンジ色の船の向こうには、フジテレビのシンボルである球体が見えます。
 
 
 
110925_reinbowbridge
 
 
 
 実は、この橋を見るのは初めてです。ゆりかめもに乗ったときや、羽田へ行くモノレールから窓越しに見たことはあります。しかし、こうして間近に見たことはなかったのです。

 帰りに、十返舎一九のお墓を見かけたので、立ち寄りました。
 
 
 
110925_jyuppensya1
 
 
 
110925_jyuppensya2
 
 
 
 墓石に刻まれているという辞世の歌が洒落ています。

此世をば とりやお暇に 線香の
  煙と共に はい左様なら


 平安時代でいえば、『伊勢物語』(第125段、『古今集』861番歌)にある在原業平らしき男の辞世の歌が連想されます。

つひに行く道とはかねて聞きしかど
  昨日今日とは思はざりしを

 しかし、これはそれとは違ったおかしみがあり、江戸らしくて何とも言えずいいと思いました。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年09月26日

在英国・コーツ版「源氏画帖」の記事一覧

 英国ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの「源氏画帖」(粉本)を、了解を得て本年正月より、情報収集のために公開してきました。そしてこの絵については、赤澤真理氏(日本学術振興会特別研究員)のご教示により、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の狩野探幽筆「源氏物語屏風絵」に近似する絵が多く含まれることがわかりました。今後の調査研究の大きな手がかりとなる情報です。

 これまで、折を見てこのコーツ版「源氏画帖」の紹介をしてきました。しかし、本ブログの中に散在する記事となっています。また、紹介・解説文を読み直すと、その内容が統一されていません。そのために、一通りの紹介を終えたので、さらに整理しているところです。
 以下に、関係する記事24本の所在を一覧できるようにして、リンクから辿られるようにしました。
 再度ご確認いただき、ご教示をたまわれれば幸いです。
 
 
 
(1)「在英国・源氏物語画帖に関する情報公開」(2011年1月10日)

※ここでは、以下の粉本(下絵)を紹介しています。
「扉」と「奥書」以外は、各巻共に〈本文〉と〈源氏絵〉が1枚ずつセットになっています。
【「扉」・28「野分」・29「行幸」・30「藤袴」・31「槙柱」・51「浮舟」・53「手習」・54「夢浮橋」・「奥書」】
 なお、ここで公開した情報については、『源氏物語本文の研究』(豊島秀範編、國學院大學文学部日本文学科発行、2011年3月31日、非売品)に「在英源氏物語画帖の絵と詞」と題して、あらためて整理し直したものを収録しています。



(2)「在英源氏画帖に関する続報」(2011年1月28日)

※コーツ版源氏絵に関する追加説明



(3)「在英国・源氏画帖の情報(続1)」(2011年4月26日)

※【32「梅枝」の紹介】



(4)「在英国・源氏画帖の情報(続2)」(2011年4月27日)

※【33「藤裏葉」の紹介】



(5)「在英国・源氏画帖の情報(続3)」(2011年4月27日)

※【34「若菜上」の紹介】



(6)「在英国・源氏画帖の情報(続4)」(2011年5月 1日)

※【35「若菜下」の紹介】



(7)「在英国・源氏画帖の情報(続5)」(2011年5月11日)

※【36「柏木」の紹介】



(8)「在英国・源氏画帖の情報(続6)」(2011年5月12日)

※【37「横笛」の紹介】



(9)「在英国・源氏画帖の情報(続7)」(2011年5月19日)

※【38「鈴虫」の紹介】



(10)「在英国・源氏画帖の情報(続8)」(2011年7月14日)

※【39「夕霧」の紹介】



(11)「在英国・源氏画帖の情報(続9)」(2011年7月15日)

※【40「御法」の紹介】



(12)「在英国・源氏画帖の情報(続10)」(2011年7月17日)

※【41「幻」の紹介】



(13)「在英国・源氏画帖の情報(続11)」(2011年7月19日)

※【42「匂兵部卿宮」の紹介】



(14)「在英国・源氏画帖の情報(続12)」(2011年7月20日)

※【43「紅梅」の紹介】



(15)「在英国・源氏画帖の情報(続13)」(2011年8月 5日)

※【44「竹河」の紹介】



(16)「コーツ先生ご所蔵の源氏画帖は江戸狩野派の粉本」(2011年8月12日)

※コーツ源氏絵が宮内庁三の丸尚蔵館所蔵「源氏物語図屏風」(狩野探幽筆)に近似することを、「竹河」を例にして再確認する。



(17)「銀座探訪(26)狩野画塾跡の説明板」(2011年8月23日日)

※コーツ源氏絵と狩野派に関しての関連情報



(18)「在英国・源氏画帖の情報(続14)」(2011年8月29日)

※【45「橋姫」の紹介】
 この巻から「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風」に言及。本巻は異なるもの。



(19)「在英国・源氏画帖(続15)「椎本」」(2011年8月30日)

※【46「椎本」の紹介】
 「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風」は本巻と近似するもの。



(20)「在英国・源氏画帖(続16)「総角」」(2011年9月 2日)

※【47「総角」の紹介】
 「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風」は本巻と近似するもの。



(21)「在英国・源氏画帖(続17)「早蕨」」(2011年9月16日)

※【48「早蕨」の紹介】
 「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風」は本巻と近似するもの。



(22)「在英国・源氏画帖(続18)「宿木」」(2011年9月18日日)

※【49「宿木」の紹介】
 「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風」は本巻と近似するもの。



(23)「在英国・源氏画帖(続19)「東屋」」(2011年9月22日)

※【50「東屋」の紹介】
 「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風」は本巻と近似するもの。



(24)「在英国・源氏画帖(続20)「蜻蛉」」(2011年9月23日)

※【52「蜻蛉」の紹介】
 「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風」と本巻は異なるもの。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月25日

リトアニア語訳『源氏物語』が届きました

 今月に入ってから、海外で翻訳されている『源氏物語』が多数届いています。

「ポルトガル語訳『源氏物語』が届きました」(2011年9月 4日)

「なんと22種類もある中国語訳『源氏物語』」(2011年9月 7日)

 上記「ポルトガル語訳『源氏物語』が届きました」の記事の中で予告した、リトアニア語訳『源氏物語』が届きました。著者であるダリア・シュバンバリーテ先生が、快く送ってくださったものです。しかも、遅々として進みませんが来春には刊行する予定の『源氏物語【翻訳】事典』のために、解題まで書いてくださいました。

 リトアニアにおける日本文学に関する情報がなかなか入手できない状況でもあり、いただいた解題の要点を以下に記して紹介とします。
 
 
 
110925_ritoaniag
 
 
 
(1)上記写真の左側の本
 
 これは、ダリア・シュバンバリーテ先生がリトアニアのヴィリニュスにある「文化・哲学・芸術研究所」から2006年に出版された『Komparatyvistinė Rytų irVakarų estetika(東洋と西洋の美の比較研究)』と題する論文集です。シリーズ名は、「Estetikos ir meno filosofijos tyrinėjimai III(美学と芸術哲学の考察 第3巻)」とあります。

 その巻末において、『源氏物語』の中から「桐壺」と「帚木」の2巻が抄訳されています。
 そこには、「 SAKMĖ APIE PRINCĄ GENDŽI (「源氏王子についての故事」)」という章があり、「桐壺」巻は「Paulovnijų kiemas (桐の中庭)」とタイトルが付き、「帚木」は「Šluotražio medis (草箒の木) 」とタイトルが付いています。
 日本語からリトアニア語に直訳したものが収録されているのです。

 翻訳にあたっての底本は、新編日本古典文学全集『源氏物語』(小学館、1994)です。
 ダリア・シュバンバリーテ先生[1968-]は、ヴィリニュス大学アジア研究センターの准教授で翻訳者でもあります。
 リトアニア語での翻訳書には、大江健三郎『個人的な体験』(2001)、『老子』(初版は1997、改訂版は2004)などがあります。
 
 
 
(2)上記写真の右側の本
 
 こちらは、ダリア・シュバンバリーテ先生が、リトアニアのヴィリニュスにある「ヴィリニュス大学出版会」から2011年に出版なさった、『Intertekstualumas klasikinėje japonų literatūroje(日本古典文学におけるテクスト間相互関連性」)』と題する研究書です。シリーズ名は、「Opera ad Acta Orientalia Vilnensia Annexa (Acta Orientalia Vilnensia)(「ヴィリニュスでの東洋分野における研究成果」)」です。

 この後半の付録に、『源氏物語』の中から「桐壺」「葵」「幻」の3巻が抄訳されています。
 「桐壺」巻は「Paulovnijų kiemas (桐の中庭)」、「葵」巻は「 Piliarožės (立葵)」、「幻」巻は「 Stebukladaris (幻術師)」というタイトルが付いています。この「桐壺」巻の翻訳は、2006年に公開なさったものの改訂版です。
 また、謡曲の「楊貴妃」、「花筐」、「源氏供養」などのリトアニア語訳も収録してあります。
 
 
 お忙しい中にもかかわらずご著書をお送りくださり、さらには詳細な解題も書いて下ったダリア・シュバンバリーテ先生に、心よりお礼申し上げます。
 
 このリトアニア語訳『源氏物語』が手元で確認できたことにより、先般の本ブログ「ポルトガル語訳『源氏物語』が届きました」に掲載した「『源氏物語』の翻訳言語情報(2011.9.4版)」の色づけ部分が確定しました。改めて再掲載し、現時点での確定情報としておきます。
 
 

  『源氏物語』の翻訳言語情報(2011.9.4版)

◆刊行されたもの 31種類

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・オランダ語・オリヤー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミール語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語(出版待ち?)・現代日本語・ハンガリー語・ハングル(韓国)・パンジャビ語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ポルトガル語・マラヤラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

 

◆現在進行中のもの 種類

エスペラント(進行中)・ミャンマー語(進行中)

 

◆中断中のもの 種類

ウクライナ語(中断)

 

◆未確認(あるらしい、というもの) 種類

ヘブライ語

 

◆再挑戦が進むもの 5種類

イタリア語(中断)・英語(未確認)・オランダ語・フィンランド語(宇治十帖)・フランス語

 

■インドのみ 8種類

アッサム語(インド)・ウルドゥー語(インド)・オリヤー語(インド)・タミール語(インド)・テルグ語(インド)・パンジャビ語(インド)・ヒンディー語(インド)・マラヤラム語(インド)
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | ◆国際交流

2011年09月24日

立川での今西科研の研究会

 昨年度から始まった科研費・基盤研究(A)「日本古典籍における【表記情報学】の基盤構築に関する研究」で、今年度2回目の研究会が本日開催されました。
 会場は、少し肌寒くなった立川の国文学研究資料館です。

 この科研は、研究代表者の今西祐一郎館長のもと、10数人のメンバーで【表記情報学】というテーマを掲げて共同研究をすすめているものです。
 今日も5人の外部参加者がありました。若い人たちなので、こうした新しい取り組みの話をいろいろと聞いて、今後に生かしてもらいたいと願っています。

 本日は、今西先生が挨拶がわりとして、「表記情報学の現在」について総論的に最近興味と関心をお持ちの「絵本」と「表記」という問題を話して下さいました。お話の中で、出家をするとカタカナで書く、ということが私には強く印象に残りました。
 
 
 

110924_kakenmeeting
 
 
 

 その後は、予定通り4人の研究発表がありました。
 仲間内の研究会ということもあり、活発な意見交換がなされました。

 写本に書かれた文字や本文を手掛かりとして、【表記情報学】という視点から得るものの多い一日です。やはり、仲間との情報交換は貴重です。即効性のある情報が飛び交うので、話題に付いていくのも大変ですが……
 
 
 まずは、加藤洋介さんからです。

「写本における校合跡−表記・傍記・改行を手がかりに−」

 飯島本「桐壺」をもとにして、「大液芙蓉未央柳」の箇所の「未央柳」のミセケチについて、さまざまな問題提起がなされたました。
 飯島本『源氏物語』は、室町後半の写しだという意見に、私も賛成です。また、この飯島本は、行成本ではなくて、定家本(例えば明融本)に河内本を校合したもの、という見通しを示してくださいました。

 私は最後の質疑応答で、飯島本に書かれている「未央柳」の三文字が本行の中で右にずれているように見える意味について、かねてより疑問に思っていたので質問しました。このことは、これまでにたくさんの意見が示された中でも、ほとんど問題にされてこなかったことです。
 今日も明確な解決は得られませんでした。しかし、このことは大事なことだと思っています。今後とも、写本に書かれた状態を意識しながら考えていきたいと思います。
 
 
 続いて、海野圭介さんです。

「筆跡情報の整理とデータ化についての課題」

 家隆と為家と寂蓮が書いた文字の認定の歴史を踏まえて、その違いをどう見分けるか、というところまで及びました。これを、デジタル化によって筆跡の問題点の整理にまでもっていけないか、というのが本日の眼目です。

 筆致が、固いとか類型的とか流麗と言われても、確かによくわからないものです。デジタル化は望まれることです。しかし、その手間が大変なので、実際にはやってほしいという願望止まりで、現実には結実していません。

 筆の命毛が文字の中に細い線を残す指摘がありました。これはありがたい報告でした。私も、写本を写真や影印で確認していて、このことに直面することがよくあるからです。ナゾリとよく間違うのです。日頃の疑問がスッキリしました。

 また話は、『粉河寺縁起絵巻』の字は、鎌倉時代以前の渾然状態を示しているとされることにも及びました。文字の時代認定は、本当に難しいものです。

 筆跡表記の情報をまとめられないか、という提案は賛成です。しかし、それを誰がとなると、自ずとトーンダウンしてしまうのです。何とかしたいものの一つ、というしかありません。
 
 
休憩を挟んで、神田久義さんの発表です。

「『源氏物語』の表記情報学のデータ構築」

 翻刻データから表記情報としての漢字を抽出するためのツールを考えてくれたのです。
 ワードとエクセルを使ってできることです。しかし、面倒な手順がミスを誘います。
 それを、ウェブ上で実現するツールを開発したということです。
 実際の例を見て、これは使える、と思いました。さっそく、ウェブからみんなに使ってもらえるように手配をしたいと思います。
 とにかく、文学研究のための文字列処理のツールが少なすぎます。こうした若手のチャレンジにより、少しずつでも文学研究の環境がよくなっていくことを願っています。
 
 
 最後は、私の報告です。

「カラー版尾州家河内本の調査報告」

 副題を「書写修正実態について」としました。

 尾州家本で本行本文に手が入っている補正・修正・補訂箇所を見ていくと、当該本が作成された過程がわかる、という報告です。
 これは、カラー版の尾州家河内本が刊行されたことにより、本文の書写実態が容易にわかるようになったからこそ可能になったアプローチです。

 今日は、尾州家本における書写・補訂の特色として以下の点があることを報告しました。
 今回の報告資料は、阿部江美子さんがカラー版をもとにして再確認してくれたデータをもとにしています。

(1)「見」の補正が膨大であること。
 補訂時の一つの方針のもとに実施されている。
 このパターンにおいて、削られた文字が「見」か「み」の推測できる。
(2)〈朱合点〉と〈朱〉のミセケチ記号の統一方針と付箋
(3)「気」と「身」については、どのような書写意識があるか?
(4)濁点の再確認
(5)音読注記の意味
(6)漢字句の傍記を記す上での方針は何か?
 付箋のある箇所の意味は。補訂の過程がわかるか。
 ひらがなの傍記は、書写文字の紛らわしさからのもの。字母に関係する場合は、親本に忠実に書写しようとする現れ。尾州家本に関しては未確認。
(7)補入は、語中には少ない。また、助詞が多い。
 補入記号のない場合の意味は?
(8)ミセケチに〈墨朱〉が多いのは、見えにくさからくるもの。〈墨〉と〈朱〉のどちらが先か。〈朱〉は後の記入?
(9)仮名表記訂正には、さまざまなパターンがある。
 ・書写過程で、すぐに訂正している。これは、訂正に続く文字との関係からわかる。自分の言語感覚で、つい書いてしまった文字を、後で補正する(助動詞や助詞など)。思い込みで生じたケアレスミス?
 とすると、長い字句の訂正はどう理解するか。書写が中断したはずなので。
 ・すぐに訂正しているのは、直近の文字に目移りした場合がよくある。
 ・音便の補正は傾向があるようだ。「く」→「う」
 ・付属語の補正が多い。
 ・「いとをし」→「いとおし」、「をかし」→「おかし」の傾向がある。

 今日のことは、後日まとめて論文の形で報告したいと思っています。

 午後6時を過ぎて、充実した1日が終わりました。
 その後は、立川駅前でみんなで懇親会です。
 私も、最近は少しですがお酒が飲めるようになったので、焼酎を2杯いただきました。蒸留酒は、いくら(?)飲んでも大丈夫だそうです。春先から養命酒で身体を慣らしていた成果です。お医者さんは、リラックスする意味からでしょうか、好きなだけ飲みなさいと言ってくださっています。
 おつまみは、糖質制限をしている関係で、豆腐と野菜を中心にしたものです。今日は、秋刀魚の骨センベイがあったので、これをおいしくいただきました。そして、お刺身も少々。

 気心の知れた仲間と一緒に共同研究をすることは、一人孤独に研究に没頭するのとは違い、豊かで多様な発想に刺激されていいものです。仲間を大事にして行く中で、ますます楽しく有意義な議論を展開できる研究会に育つように、今後とも研究会のお世話と進行役に徹したいと思います。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月23日

在英国・源氏画帖(続20)「蜻蛉」

 ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの源氏絵(粉本)全27巻(54枚)に関する解説も、この巻で最後となります。
 このセットとツレになる前半の全27巻(54枚)セットが、この世界のどこかに存在しているはずです。今回のコーツ源氏絵が英国にあったように、日本とは限らないので今後の情報が楽しみです。

 昨日の「東屋」巻に続く第51巻「浮舟」はすでに紹介しました。
 そして、第53巻「手習」と第54巻「夢浮橋」も、すでに紹介を終えています。
 残ったこの第52巻「蜻蛉」で最終回となります。
 これまでの巻々の解説の所在は、もう少し資料を整理してから、アドレスリストとして掲載する予定です。
 
 
<蜻蛉(本文)>
 
 
 
110923_img_4312_52kagerou1
 
 
 

■左端に小さく「五十二」とあります。「蜻蛉」は第52巻にあたります。
■用紙が下から4分の1の所と、上端の2箇所で継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第6巻の272頁に該当します。
■6行目の下部に「きこゆる」とあるのは、大島本だけが「きく」という独自異文を伝える所です。
■この紙面では、後半を散らし書きにしています。
 
 
  かけろふ
すゝろなるなけきのうちわすれ
てしつるもあやしとおもひよる
人もこそとまきらはしにさしいて
たるわこんをたゝさなからかきなら
               し
給りちのしらへはあやしく
 おりにあふときこゆる
          声なれは
きゝにくゝもあらねと
ひきはて給はぬを
   中/\なりと心いれたる
   人はきえかへりおもふ
(『源氏物語別本集成15巻』5206158〜5206185)
 
 
<蜻蛉(粉本)>
 
 
 
110923_img_4283_52kagerou2
 
 
 

■右上端に「かけろふ」と巻名が墨書きされていたと思われます。「か」「ろ」「ふ」のひらがなの左端がほんの少しだけ、裁たれた紙の端に顔をのぞかせています。
■巻名の左下に、小さく「五十弐」とあります。「蜻蛉」は第52巻にあたります。
■用紙が下から3分の1の所で継がれています。
■左端に綴じ穴の跡が4箇所認められます。
■右下の紙の様子から、虫食い状態の用紙を裏打ちしたことがわかります。
■絵に描かれている場所は、今上帝と明石の中宮の娘である女一宮の住まいです。女一宮が母君のところへ行っていていないので、女房たちは西の渡殿で月見をしながら、くつろいで箏の琴を弾いていました。そこへ薫がやって来ました。女房たちは簾を上げたままです。薫は、女一宮への恋情を気付かれないようにするためにも、差し出された和琴を掻き鳴らします。
■この場面を絵画化した源氏絵は、今のところ私は確認できていません。
■本図は、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風とはまったく異なる図様となっています。
 源氏屏風の当該巻の一部分を引きます(『皇室の至宝2 御物 絵画U』協力︰宮内庁、監修︰徳川義寛・井上靖、毎日新聞社、平成3年5月、図版2左隻6扇3段目)。
■コーツ版源氏絵と三の丸尚蔵館の屏風絵がすべて一致しないことは、今後考えてみたいと思います。
 
 
 
110923_3nomaru52
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月22日

在英国・源氏画帖(続19)「東屋」

 ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの源氏絵(粉本)の解説を続けます。
 先日の「宿木」巻に続く第50巻「東屋」です。
 
 
<東屋(本文)>
 
 
 
110922_img_4310_50azumaya1
 
 
 

■左端に小さく「五十」とあります。「東屋」は第50巻にあたります。
■用紙が真ん中で継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。
■右端に綴じ穴の跡が4カ所認められます。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第6巻の38頁に該当します。
■この紙面には、『源氏物語』の文章を記すにあたっての、散らし書きなどの工夫は見られません。ただ単に、原稿用紙を埋めるようにして、文字を羅列しています。その意図は、今は不明です。
■4行目下から5文字目の「み」は、最後の縦線をなぞっています。これは、「の(字母は「能」)」と間違われないためと思われます。
■5行目の真ん中にある「宮」の左下には、墨の汚れが付いています。左下から筆を突き上げる時に、紙継ぎの高低差に筆先が突っかかったのか、あるいは、この粉本をお手本として詞書を書いている内に、いつしか墨の汚れが付いたのでしょう。つまり、この用紙は、そんなに大事に扱われてこなかったことを示していると思われます。
 
 
   あつまや
おとこ君もこのほとのいかめしく思ふやうなる
ことゝよろつのつみあるましう思ひてそのよも
かへすきそめぬはゝ君御かたのめのといとあさま
しく思ひか/\しきやうなれはとかくみあつかふ
も心つきなけれは宮のきたのかたの御もとに御
ふみたてまつる
(『源氏物語別本集成14巻』501911〜501939)
 
 
<東屋(粉本)>
 
 
 
110922_img_4281_50azumaya2
 
 
 

■右上端に「あつまや」と巻名が墨書きされています。
■巻名のすぐ左下に、小さく「五十」とあります。「東屋」は第50巻にあたります。
■用紙が上から5分の2の所で継がれています。
■左端に綴じ穴の跡が3箇所認められます。
■右下の紙の様子から、虫食い状態の用紙を裏打ちしたことがわかります。
■絵に描かれている場面は、浮舟の母である中将の君が、中の君に浮舟の一時的な避難場所の提供を頼む手紙を書いたところです。詞書の冒頭にあった「おとこ君」とは、当初は浮舟の婿になるはずだった左近少将です。その少将との破談によって居心地が悪く不愉快でもあり、浮舟の異母姉で匂宮の妻となっている中の君の庇護にすがろうというのです。左手前は、浮舟の乳母です。
■この場面を絵画化した源氏絵は、今のところ私は確認できていません。
■本図は、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風とほとんど同じ図様となっています。
 源氏屏風の当該巻の一部分を引きます(『皇室の至宝2 御物 絵画U』協力︰宮内庁、監修︰徳川義寛・井上靖、毎日新聞社、平成3年5月、図版2左隻6扇1段目)。
 
 
 

110922_3nomaru50
 
 
 

 コーツ源氏絵には庭に木があります。それ対して、三の丸尚蔵館の源氏絵にはないことだけが異なり、その他はすべて同じ構図です。簀の子縁の形や、その下に長四角の構造物があることに始まり、室内の描画も近似しています。
 参考までに、絵の中心をなす、中将の君が手紙を書いた場面を拡大して加工したものを示します。
 まず、コーツ源氏絵です。
 
 
 
110918_coats50part
 
 
 
 次に三の丸尚蔵館の源氏屏風です。
 
 
 
110918_3nomaru50part
 
 
 

 硯を中心として畳が敷かれている角度、中将の君が手紙を確認している姿勢とその手にある手紙と畳の縁の位置関係、左右の几帳の垂れ絹(帷)の折れ曲がり具合、奥の屏風に描かれている板橋と思われる絵などなど、同じ系統の手本(粉本)を用いて描かれていると考えられます。
 この2枚の絵について、三の丸尚蔵館の源氏絵は、コーツ版源氏絵(粉本・模本)に類するものを元にして描き起こされたもの、と考えていい例と言えるでしょう。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月21日

【復元】映像は原作を超えられるか

 昨日書いた、松本清張の『球形の荒野』に関する続きです。
 クラッシュした文書の中から記事を探し出せたので、なんとか復元しました。

 最近刊行されている文庫の表紙は、以下で紹介するものとはまた変更になっているようです。
 ネットに紹介された画像を引いておきます。
 
 
 

110921kyukei3
 
 
 

(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 *************
 
 
 2006 年6 月11 日公開分
 
 
副題「『球形の荒野』は映画化に再挑戦する価値あり」
 
 
 松本清張の『球形の荒野』の内容が気になり、読み直してみました。
 
 
 
110921kyukei1
 
 
 

 読んだ本に書き込まれた私のメモによると、「1983年10月5日読了」と、汚いボールペンの文字が読み取れます。今から23年前に読んだ本なのでした。文春文庫は紙質が悪いので、紙の周りが茶色く変色しています。さらには、古本特有の匂いがします。今回、通勤電車の中で読んだので、時々パラパラと捲って風を入れ、匂いを散らす努力をしながらの通読でした。この本を最初に読んだのは、長女が生まれて間もなくの頃なので、父親が娘のことを想う立場で読んだのでしょう。

 ネットの本屋で、最近の本の表紙が掲載されていました。宣伝を兼ねて、紹介しておきます。もっとも、定価が2倍になっていて驚きました。
 
 
 
110921kyukei2
 
 
 

 この書名は、本書の終盤で、以下のようにあることから来ていると思われます。

 「野上さんにとっては、パリも砂漠も同じことさ。地球上のどこへ行っても、彼には荒野しかない。結局、国籍を失った男だからね。いや、国籍だけじゃない。自分の生命を十七年前に喪失した男だ。彼にとっては、地球そのものが荒野さ」(文春文庫1975年版、下、277頁)

 こうしたことを考えると、表紙のデザインとしては私が持っているもののほうがいいように思います。見知らぬ惑星のクレーターを眺めるという図案が。

 さて、巻末の私のメモには、「時々、井上靖の作品のような気にさせられた。野上の描写、久美子の扱いに関係があるか。」とも記していました。
 松本清張と井上靖の作品については、奈良や京都を舞台にする関係からか、物語の印象が似ていることがままあるように思われます。歴史に対する姿勢に、井上靖には温かさが、松本清張には切り込みの鋭さを感じます。現代文学の専門家ではないので、どのような研究成果があるのかはわかりません。しかし、この印象は、そう外れてはいないと思えるのですが。

 原作を昔に読み、最近DVDで1975年に映画化されたものを見、そして原作を再読した感じでは、原作にスケールの大きさと奥行きを感じました。このテーマでは、映像はとても追いつけないのでは、と……。

 ただし、この原作を推理小説として見ると、完成度は低いようです。例えば、久美子をモデルとしてデッサンをする中で死んでいく画家の笹島恭三は、消化不良のままに浮いています。その画家の庭に雇われ人として忍んで覗き見する野上も、不自然な扱いがされています。
 終盤で、娘のホテルの部屋に無言電話をする父にも、無理があります。野上の背後にうごめく影の組織も、中途半端なままに話が終わります。さらには、野上久美子のフィアンセである新聞記者の添田には、書かれた1960年ごろの社会背景が捨象されています。新聞記者という設定が死んでいます。

 もともとが『オール読み物』への2年間の連載小説なので、執筆中に社会情勢を踏まえてプロットの修正を余儀なくされたことも推測できます。その意味では、この小説は推理小説ではなくて、父娘のドラマとして読むべきでしょう。

 そうすると、映画化にあたっても、その本領が発揮されるはずです。映画は、原作に近づこうとしすぎたのではないでしょうか。もっと思い切って父娘に接近し、政治・思想の背景には割り切りをみせると、すばらしい映像作品となることでしょう。

 エンディングで父と娘が歌う童謡「七ツの子」へのクライマックスは、これこそオーディオ・ビジュアルな手法ならではのものであり、文字による物語では不可能なことです。

 テレビドラマとして松本清張作品がリメイクされた時期がありました。この『球形の荒野』は、1992年にフジテレビ系のドラマで、平幹二朗と若村麻由美が父娘役で出演したようです。どなたか、録画したものをお持ちではないでしょうか。DVDになっていないようなので。

 テレビドラマと映画は、当然ちがいます。映画として再挑戦する監督の出現を待ちたいと思います。そしてその時には、ぜひ我が町の信貴山も舞台に加えてください。
 国宝『信貴山縁起絵巻』では、尼君が弟の命蓮を探し求めて、信濃から奈良の東大寺へ、そして信貴山へと旅をしてめでたく出会います。信州の温泉地ではなくて、信貴山温泉も紹介してください。撮影は、桜と紅葉のころがいいでしょう。
 こう書いている内に、自分で映画が作りたくなりました。

【追記】 もう30年も前のことです。
 瀬戸内晴美の時代小説『幻花』がテレビドラマ化されたときに、「テレビは小説を超えられるか」、という宣伝文句がありました。「ポーラ名作劇場/幻花」テレビ朝日、1977.2.14〜1977.5.23」は、毎回楽しみにして見たものです。主演は、中野良子と沖雅也でした。
 これについては、私はテレビが勝ったと確信しています。主役の中野良子がよかったですね。
 私が新婚時代であったこともあり、子どもの名前に、女の子ならばこの物語の女主人公の「千草」にしようか、などと考えたものでした。第2候補が、西岸良平のマンガから「たんぽぽ」でした。いずれも、妻と義母の反応を見て断念しましたが……
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | 読書雑記

2011年09月20日

【復元】初夏の散策(9)萬葉の白毫寺

 先週、松本清張の『砂の器』がテレビドラマ化されたので、そのことを書きました。

「テレビドラマ『砂の器』を観て」(2011年9月12日)

 その後、松本清張の作品で映像化された、私が大好きな『球形の荒野』のことを思い出しました。
 本ブログに昨年書いた、次の2つがすぐに見つかりました。

「テレビドラマ『球形の荒野』は「後編」に期待」(2010年11月27日)

「テレビドラマ『球形の荒野』(後編)を観て」(2010年11月28日)

 しかし、もっと書いたように思ったのでさらに調べてみると、4年前にレンタルサーバーがクラッシュしたために無くなった文書の残骸の中に、DVDで見たときの記事が見つかりました。
 ただし、清張の作品については前半しか書いていません。

 なんとか復元できたので、以下に掲載します。

 まだ他にも、この作品について書いたものがあったように思うので、さらに調べてみます。
 
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年5月30日公開分
 
副題「花の寺からささやきの小道」
 
 
 映画『球形の荒野』をDVDで見ました。1975年の松竹作品で、監督は貞永方久でした。
 出演は豪華です。まさに、映画全盛時代の作品です。


芦田伸介 (野上顕一郎)
乙羽信子(野上孝子)
島田陽子 (野上久美子)
竹脇無我 (添田彰一)
山形勲 (滝良精)


 映画は、松本清張の原作小説とは違う設定となっています。
 小説では、芦村節子が奈良の唐招提寺で、芳名帳に叔父・野上顕一郎の筆跡を見たことになっています。そして、その筆跡を求めてすぐに飛鳥の橘寺へ、そして安居院(飛鳥寺)へ行き、予想通りそこでまた野上顕一郎の署名と出会います。

 これが映画では、野上顕一郎の娘である野上久美子が、唐招提寺で父らしい筆跡を見つけます。そして久美子は、唐招提寺からすぐに白毫寺へ行って、2つ目の署名を確認することになっています。映画は、人間関係の複雑さを整理し、事件の展開も最小限に留められています。

 20年以上も前に読んだ小説でしたが、映画を見ながら映画化に伴う変更に戸惑いました。唐招提寺がきれいに描写された小説だったので、過日行ったお寺を思い出して映画を観たのです。原作よりも、相当こぢんまりとした作品に仕上がっていました。特に、終戦前後の和平工作に関するところは、映画は消化不良となっています。こうした問題は、映像化が難しいからなのでしょう。内容はともかく、美しい映像は見る価値があります。

 さて、この映画を観て、すぐに白毫寺へ行きたくなりました。原作にない映画の中の白毫寺が、非常に印象的だったからです。
 行ってみて納得しました。映画に出て来た山門を見上げる構図は、まさに絵になるものでした。原作にはない設定ですが、なかなか考えられたロケーションだと思います。
 
 
 

110920_kyuukei1
 
 
 

 白毫寺は、慶雲2年(705)にインドの僧であった法道仙人によって開かれたお寺です。その境内に犬養孝氏による「万葉歌碑」が建てられています。歌碑には
  高円の野辺の秋萩いたずらに 咲きか散るらむ見る人無しに
と刻まれています。この歌は、志貴皇子が亡くなった霊亀元年(715)に笠金村が詠んだ歌だということです。

 白毫寺は眺望の良いところにあり、向かいには生駒連山から葛城山系が雄大に見やられます。この寺は、質朴で大いに気に入りました。

 白毫寺から春日大社まで散策しました。「下の禰宜道」とある道は、かつて「ささやきの小道」と言っていたところです。子どもを連れて、よくここに来たものです。
 飛火野を散策中の鹿も、ちらほらと木の間に見やられます。木洩れ日の中を歩く、すがすがしい小道です。
 
 
 
110920_kyuukei2
 
 
 

 この写真の中央に、キャンバスを立てて絵を描いている人が写っています。春日野の原生林を写生中、とおもいきや、なんと円と四角の抽象画でした。なぜこの景色の中で、この小道でサイケな絵を? この太古の自然の中で沸き起こる感情を、思うがままの色と形で表現したい方なのでしょう。絵と置かれている位置の場違いさに、新鮮な刺激をもらいました。

 春日大社では、神苑の萬葉植物を見たかったのですが、もっといい季節に来ることにし、その横にある「春日荷茶屋」でお昼をたべました。「大和名物膳」といって、萬葉の茶粥と柿の葉寿司と吉野葛などがセットになったものです。天気もよかったので、外の庭で食べました。
 
 
 
110920_kyuukei3
 
 
 

 その庭で食事中に、向こうにいた若い女性が立て膝で会席を食べておられました。写真の片隅にそのスタイルが写っていたので、拡大してみました。一つの文化として興味があります。これも、先ほどの絵描きさんの絵と一緒で、何となく気になった、それでいて印象深い風景です。
 
 
 
110920_kyuukei4
 
 
 

 最近の若者たちは、どのような姿勢が食事をしているのでしょうか。マンションに一人で生活していると、誰の目もないのですから、食事のマナーや作法はどうでもよくなるかもしれません。この女性は、食後にはテーブルの上で長い文章を書いておられました。旅行記なのでしょうか。非常に知的な感じの方だったので、その立て膝での食事スタイルに違和感を覚えました。これも新しい文化の一端なのでしょうが、私の時代は食事時の躾がうるさかったので、つい自分が育った目で人を見てしまいます。


********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 この記事を掲載したら、お読みになった知人からコメントをいただきました。カイロでお世話になった方です。
 私の返事と共に、これも復元しておきます。
 

 こんにちは。
 立膝の女性は在日の方、或いは韓国の方だと思います。
 学生のころ、韓国人とアパートをシェアしたことがありました。彼女はとても礼儀正しい頭のいい女の子でしたが、食べる時、しっかり立膝をしていました。聞いたところ、お国では立膝座りは、日本の正座にあたるのだそうです。
 日本は散歩するのにいい季節でしょうか。カイロは火炎樹の燃えるような花が咲き、暑くなって来ました。地中海地方特有の昼寝と夜更かしの季節到来です。
 では、ご健勝で!
 
 ---------------------------------------------------------------------
 
 お隣の国の文化には思い至りませんでした。
 そういえば、昨年も韓国に2度行きましたが、立て膝スタイルでの食事風景を思い出しました。その可能性が大きいですね。
 その女性の手元の紙には、文字がびっしりと書かれていました。ハングルではなくて、日本語でした。留学生の方でしょうかね。それとも取材?
 私の仕事を手伝ってくれている留学生の方々の中に、韓国からの女性がいらっしゃるので、こんど聞いてみましょう。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 古都散策

2011年09月19日

陽明文庫・名和修先生の講演会メモ

 今日は、10月から国文学研究資料館で始まる特別展示「近衞家陽明文庫 王朝和歌文化一千年の伝承」(会期:平成23年10月8日(土)〜12月4日(日))の事前講演会がありました。
 講師は陽明文庫長の名和修先生です。
 
 
 

110919_youmei
 
 
 

 会場は渋谷にある東京ウィメンズプラザ。定員200名が満員となる聴衆でした。著名な名和先生のお話ということもあり、年齢層の高い方々がお集まりでした。
 こうしたイベントに、もっと若い方々が足を運んでくださると、伝統文化の理解が深まり、次の世代につながるのですが……。先生のいつもの熱演が展開しただけに、この若手が少なかった一点だけが少し心残りでした。

 名和先生には特別展が始まると同時に、国文学研究資料館での連続講演をお願いしています。10月から12月まで全5回で、「近衞家陽明文庫の名宝」「御堂関白記」「歌合」の内容が語られます。
 事前の予約受付は終わりましたので、後日の報告を楽しみにしてください。

 今年の秋は、陽明文庫の名品の話が、東京で名和先生から存分に聞けるのです。

 今日の講演では、陽明文庫と国文学研究資料館の長い付き合いから話が始まりました。

 京都の仁和寺の隣にある陽明文庫には、近衛家伝来の貴重な資料として、国宝8件、重要文化財60件の資料が収蔵されています。陽明文庫には、十数万点の資料があります。従来は数十万点とおっしゃっていたそうです。しかし、公益法人化に伴い改めて数えなおしたので、今後は十数万点と言うことにしたい、とのことでした。

 国文学研究資料館は、全国に散在する約100万点の古典籍の調査をし、必要なものは画像として収集する事業をする目的で設立されました。全国の大学の先生方を中心とする調査員のみなさまの根気強い調査活動により、30数年が経った今、ようやく20万点の資料を調査したところです。まだまだ気の遠くなる年月がかかります。
 そして、昭和50年から今に至るまで、そして今後とも、この陽明文庫の資料も調査研究しています。
 昨年、平成22年度までに、陽明文庫所蔵の資料の内9219点、マイクロフイルムで917リール、写真としてのコマ数で言うと約48万コマが収集され、立川の地下の書庫で大切に管理されています。

 実際に原典を手にして見られなくても、国文学研究資料館にお出でになれば、フィルムで原典に書かれている内容は確認していただけます。気になる資料がありましたら、どうぞ立川にお越しください。マイクロフイルムで見て、さらにどうしても原典で確認が必要でしたら、その次に原典を見るための方策を考えていただければいいかと思います。

 そうした古典籍は、墨の崩し字で書かれています。この文字を読むのが一苦労です。
 ひらがななどは、今よりも多くの字があり、しかもどこで一字が切れるのか微妙です。いわゆる、連綿と言われる続け字です。
 現在は使われていないひらがなを含めて、そうした文字を「変体仮名」と言います。この字に関して、名和先生は若い人に、それも女性に古典籍の話をするとき、「変体仮名」と言わずに「古態仮名」と言っておられるそうです。
 確かに「変体」と発音すると「変態」ととられかねないので、避けたい言い方です。

 また、公家は幕末で170から180あったようだ、とか、藤原道長の日記で国宝に指定されている『御堂関白記』は、現在、世界記憶遺産に登録申請する準備を進めているのだそうです。

 その『御堂関白記』の長保6年あたりの記事をスライドで紹介されました。道長が藤原公任のもとに和歌を贈ったくだりを大写しにされ、道長が和歌を仮名ですらすらと書いていた事実が大事だ、と語られたりしました。もともと自筆本に道長が和歌を書いていた例も示されたのです。

 「この世をば〜」という道長の歌のことにも触れられましたが、面白そうになると、続きは連続講座で、とうまくかわされました。

 十巻本と二十巻本の歌合の話も、非常に興味深い内容になりそうでした。しかし、肝心のところは、これも連続講座でと。
 また、特別展示に3回通っていただくと、陽明文庫の歌合の資料がすべて見てもらえると、しっかりと宣伝もしておられました。

 とにかく今日は、10月に予定されている連続講演のエキスを語ってくださいました。
 後半は、展示予定の和歌懐紙の名品をスライドショーで見せてくださいました。
 独特の柔らかい語り口で、陽明文庫にある古典籍という実物にまつわる話で、会場のみなさんをしっかりと捕らえておられました。

 2時間という短い講演でした。しかし、中身の詰まった、そして国文学研究資料館へ行って展示を見たくなるお話でした。

 講演開始前に、会場入口で名和先生にお目にかかったとき、先生の方から「京都に帰ってたんやないのか」、と声を掛けてくださいました。「先生のお話を伺うために先週から東京におります」とお答えすると、いつもの赤い扇子を広げて私の方を仰ぎながら、「ハハハハッ」と笑っておられました。
 先生のお立場を考えると、とても近づき難い存在です。しかし、こうして気安く話しかけてくださるのです。

 今年もお盆には、京都の我が家に、近衛さんのところにお参りされた帰りに立ち寄ってくださいました。
 「その後、身体の調子はどうや」、「花をきれいに咲かせとるな」と、いつものサングラスにフルフェースのヘルメットで、革ジャンを羽織ってオートバイに跨がりながら玄関先で声をかけてくださいます。

 今日も、お話の合間合間に時間を気にしながら、それでいてサービス精神旺盛な語り口に、そのお人柄が滲み出ていて心和む気持ちになりました。

 このような機会を得て、多くの方が本物を日常的に管理なさっている名和先生の話の中から、日本の伝統文化というものに思いをめぐらされたことだと思います。
 最初に書きましたが、もっとたくさんの若い方々に聞いてほしいとの思いを、改めて強く抱きました。
 今を生きることが大変な時代です。しかし、千年前に想いを馳せてくれる若者たちとの出会いが多くなることを、今後とも楽しみにしたいと思っています。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 古典文学

2011年09月18日

在英国・源氏画帖(続18)「宿木」

 ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの源氏絵(粉本)の解説を続けます。
 一昨日の「早蕨」巻に続く第49巻「宿木」です。
 
 
<宿木(本文)>
 
 
 
110708_img_4309_49yadorigi1
 
 
 
■左端に「四十九」とあります。「宿木」は第49巻にあたります。
■用紙が上から3分の1の所とその少し上、そして下から6分の1の所、都合3箇所で継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。
■右端に綴じ穴の跡が4カ所認められます。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第5巻の378頁に該当します。
■この冒頭部分の「いたつらに日をゝくるたはふれにてこれなむよかるへきとてこはんめしいてゝ御このかたき」の部分は、国宝『源氏物語絵巻』の詞書にほぼ同じ文章が伝わるものです。
■ただし、末尾の「かたき」は諸本(国宝絵詞も含む)では「かたきに」と「に」があります。その意味では厳密に言えば、このコーツ版は独自異文といえます。単純な脱字だとは思いますが……。
 
 
   やとり木
いたつらに日をゝくるたはふれにて
 これなむよかるへきとてこはんめしいてゝ
  御このかたきめしよすいつもかやうに
   けちかくならしまつはしたまふにならひ
    にたれはさにこそはとおもふに
さ    よきのりものはありぬへけれ
 ふら              と
  ひ   かる/\しくはえわたすましき
 た     をなにをかはなとのたまはす
  ま     る御けしきいかゝみゆらむ
   ふ     いとゝ心つかひして
(『源氏物語別本集成13巻』490447〜490482)
 
 
<早蕨(粉本)>
 
 
 
110708_img_4280_49yadorigi2
 
 
 

■他の巻のように、右上端に巻名は記されていません。
■右上端に「四十九」とあります。「宿木」は第49巻にあたります。
■用紙が上から3分の1の所で継がれています。。
■左端に綴じ穴の跡が4箇所認められます。
■絵に描かれている場面は、女二宮が暮らす藤壷とで、帝が薫を召し寄せて共に碁の遊びをしているところです。帝は、碁にこと寄せて薫に女二宮との結婚を勧めるのでした。国宝源氏絵で有名な場面です。ただし、国宝源氏絵では、清涼殿の朝餉の間と思われる所での対局となっています。このコーツ版のほうが、原文に近い絵画化と言えます。
■この場面を絵画化した源氏絵は、いくつか確認できます。
■本図は、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風とほとんど同じ図様となっています。
 源氏屏風の当該巻の一部分を引きます(『皇室の至宝2 御物 絵画U』協力︰宮内庁、監修︰徳川義寛・井上靖、毎日新聞社、平成3年5月、図版2左隻5扇5段目)。
 
 
110918_3nomaru49
 
 
 

 参考までに、絵の中心をなす、帝と薫の碁盤を挟んだ位置関係を確認しておきます。
 まず、コーツ源氏絵です。
 
 
 
110918_coats49part
 
 
 

 次に三の丸尚蔵館の源氏屏風です。
 
 
 
110918_3nomaru49part
 
 
 

 碁盤を挟む二人の位置は、非常によく似ていることが確認できると思います。
 三の丸尚蔵館の源氏絵は、コーツ版源氏絵(粉本・模本)を元にして描き起こされたもの、と考えていい例と言えます。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月17日

心温まる関根賞の授賞式

 今日は、岡嶌偉久子さんの関根賞の贈呈式があったので、お祝いに駆けつけました。
 受賞対象は、昨年5月に刊行された『源氏物語写本の書誌学的研究』(おうふう刊)です。

 日本古典文学の研究の中でも、『源氏物語』という写本の書誌学的な研究がこうして高く評価されたことは、記念すべきことだと思います。

 岡嶌さんは、『源氏物語』という写本のありようとその背景の謎を追いかけておられます。それに対して私は、『源氏物語』のさまざまな写本に書き写された本文の違いを研究対象にしています。
 共に、モノとしての古典籍を対象にしている、その意味からも、今日の岡嶌さんの授賞は、私にもその何万分の一かは余香を拝することができたような気持ちがしています。

 興味をもってもらえることの少ない研究分野です。それが、今回はこんなに華々しく、しかも高く評価されたのです。これまで一緒に研究をして来た仲間の一人として、本当にうれしいことです。

 ご列席の諸先生方の祝辞を伺いながら、このスピーチを若手で文学研究に取り組んでいる人たちに実況中継できないものか、と思っていました。
 岡嶌さんのような、地味ながらも堅実に写本を調査した仕事がこのような形で結実した背景は、今後ともさまざまな機会を得て、若者たちに事細かに伝えていく必要があります。
 本日参加された皆さまのスピーチも、印刷物として多くの方々の手元に届くことを願っています。

 私にも何か一言を、とのことだったので、岡嶌さんが大島本53冊をテーブルに拡げて、書かれた文字と紙の質を見ながらいくつかのグループに仕分けられた時のことと、出不精の岡嶌さんを無理矢理誘って、中古文学会で一緒に研究発表をしたことを、少しだけお話しさせていただきました。

 関根賞運営委員の先生方の温かいまなざしが感じられ、心和む雰囲気の式でした。

 式の中で、ご家族からの祝電が披露されました。
 
 
 

110917_denpou
 
 
 

 そこには、旦那様からのお祝いの歌が記されていました。
 岡嶌さんからは、今日のことは書かないで、と昨日から言われています。しかし、この歌のことは何とか了解を得ましたので、最後に披露させていただきます。

 大和よりみなもと求めあふさかのせきねにあへる今日の喜び
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月16日

在英国・源氏画帖(続17)「早蕨」

 ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの源氏絵(粉本)の解説を続けます。
 過日の「総角」巻に続く第48巻「早蕨」です。
 
 
<早蕨(本文)>
 
 
 
Img_4308_48sawarabi1
 
 
 

■左端に「四十八」とあります。「早蕨」は第48巻にあたります。
■用紙が上から6分の1と下から6分の1の2箇所で継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第5巻の346頁に該当します。
■下部2箇所の虫食い跡を調べると、現状の台紙に貼られる以前の、冊子形態のときと巻子形態のときのありようがわかるはずです。原本を直接確認したときに報告しましょう。
■2行目真ん中の「とやう」は、諸本では「くやう(供養)」となっています。ここに書かれている「と」は、冒頭5文字目の「く」と4行目行頭の「く」と似ていないこともない形をしています。しかし、この文字を「く」と読むには無理があり正確な翻字とはならないので、今は「と」と翻字しておきます。そのためにここには、〈ママ〉を付しておきます。
■2行目末尾から3行目にかけての「はつ(改行)お」は「初穂」のことです。諸本は「はつを」と表記する中で、中京大本だけが「はつお」としています。仮名文字の表記として、注記しておきます。
 
 
  早 蕨
わらひつく/\しおかしきこにいれ
てこれはわらはへの〈ママ〉やうして侍はつ
なりとてたてまつれりてはいとあし
くてうたはわさとかましくひきはな
ちてそかきたる
  君にとてあまたの
     はるを
        つみしかは
    つねをわすれぬ
       はつわらひ
           なり
(『源氏物語別本集成13巻』480094〜480118)
 
 
<早蕨(粉本)>
 
 
 
Img_4279_48sawarabi2
 
 
 

■右上端に「さわらひ」と巻名が墨書きされています。
■巻名のすぐ左に、小さく「四十八」とあります。「早蕨」は第48巻にあたります。
■用紙が上から6分の1と下から6分の1の2箇所で継がれています。これは、詞書きの用紙とほぼ同じ位置にあたります。
■下部2箇所の虫食い跡は、詞書きにあるものとほぼ同じ位置で同じ形です。これは、詞書きと絵がつながった状態で巻かれていた時に虫に食われた跡と思われます。いずれも、原本を調査すれば、かつての形状の詳細が判明するでしょう。
■左端に綴じ穴の跡が、この写真からは1カ所認められます。原本を見ればわかることですが、4箇所あると思われます。
■絵に描かれている場面は、大君死後の宇治の山里での新春です。中の君の元に阿闍梨から年頭の挨拶として、籠に入れて蕨や土筆が届きます。手紙には、和歌も記されていました。
■この場面を絵画化した源氏絵は、数多く残されています。「早蕨」巻初の有名な場面です。
■本図は、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風とほとんど同じ図様となっています。
 源氏屏風の当該巻の一部分を引きます(『皇室の至宝2 御物 絵画U』協力︰宮内庁、監修︰徳川義寛・井上靖、毎日新聞社、平成3年5月、図版2左隻5扇4段目)。
 
 
 

110916_3nomaru48sawarabi
 
 
 
 参考までに、絵の中心をなす、中の君と女房と籠の位置関係を確認しておきます。
 まず、コーツ源氏絵です。
 
 
 
110916_coats48part
 
 
 

 次に三の丸尚蔵館の源氏屏風です。
 
 
 
110916_3nomaru48part
 
 
 

 前巻「総角」などと同じく、人物の位置と表情など、非常によく似ていることが確認できると思います。
 三の丸尚蔵館の源氏絵は、コーツ版源氏絵粉本を元にして描き起こされたもの、と考えて大きく外れないと思います。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月15日

お医者さんが勧める薬物治療に足踏み中

 今日も厳しい日差しの中を、糖尿病外来の診察を受けてきました。

 先週の検査で問題となるヘモグロビンa1cの数値はわかっていたので、私からは先生に特に聞きませんでした。先生から、どのようなことを言われるのかを待ちました。

 ヘモグロビンの数値が7.1なので、特に詳しい話はなさそうでした。
 一般的に、ヘモグロビンa1cは5.8が目標値で、6.5以上だと糖尿病とされています。そうした物差しで見ると、今回の数値では、私は完全に糖尿病患者なのです。

 以前から、血糖値を下げる薬を使う提案を先生から受けています。しかし、私はそれは待ってほしい、とお願いしています。
 私のヘモグロビンa1cの値は、この2年間は次のような状況です。
 
 
 

110916_
 
 
 

 まさに、境界値をうろうろしていたのです。

 しかし、今年の4月に7.3になってからは、完全に糖尿病患者なのです。
 昨年の8月末に胃をすべて切除したことが、この変化にどう影響しているのかが、私にはわかりません。それは、先生も同じようです。症例が少ないからでしょう。指針が見当たらないこともあって、私は自分で血糖値の管理をするので、薬で対処する方法はもう少し待ってほしい、とお願いしているのです。

 先生からは数値の話が出ないので、私の方から、最近の血糖値の測定結果をプリントアウトしたものをお見せし、先生のコメントを待ちました。もちろん、血糖値とヘモグロビンa1cの違いはあるにしても、患者である私個人が日々自分の身体の変化を知ることができるのは、この血糖値をこまめに、根気強く測定するしかないのです。

 上掲の表と共に、次の2つの表も先生にお見せして、アドバイスをもらおうとしました。しかし、手にとって見てはくださいませんでした。一見して、ヘモグロビンa1cの数値だけでもういい、ということなのです。
 しかし、せっかく日々測定した数値を整理したものなので、何か参考になる助言をもらいたかったので、いくつかお尋ねしました。

 まずは、2ヶ月前の7月に診察で先生がおっしゃった、2時間後の測定値についてです。
 
 
 
110916_1
 
 
 

 2時間後の場合は、140から180がすれすれセーフのラインとされています。
 この結果を見ると、1度だけオーバーしていますが、おおむね良しとしていいと思います。

 今回は、このこととヘモグロビンa1cの値が高くなったことが矛盾するので、この数値の違いを教えてもらおうと思っていました。しかし、先生からはその説明が出てこないので、次に1ヶ月前から糖質制限の食事をしだしたことについて、アドバイスをもらおうとしました。

 先生にじっくりと見てお話を伺いたかったのは、次の表です。
 
 
 
110916_2
 
 
 

 これは、主食であるご飯・パン・麺類を極力食べず、糖質を制限した食事にした、先月下旬からの血糖値の推移です。
 これまでは、食後1時間の数値を測っていましたが、私は胃がなくなっているので2時間後の数値も測り、その変化を見ようとしたものです。

 これを見ると、確かに1時間後の数値は高くなっています。しかし、2時間後の数値は、8月20日までよりも低いところで安定しているように見えます。
 また、食後に散歩をしていることと、お風呂に入ると数値が下がることもわかります。

 こうしたことを先生に伝えると、先生は、医者の立場からは糖質制限をした食事による糖尿病への効果は、医学的にわからないことが多いものなので勧められない、とのことでした。
 また、脳の活動には糖質は絶対必要なので、糖質を制限するのではなくてご飯類も少しは食べる必要がある、ともおっしゃいました。
 糖質制限の食事では、栄養のバランスが崩れるし、脂肪も多くなりすぎるそうです。
 また、お風呂に入れば体力を相当消耗するので、血糖値が下がるのは当たり前です、とも。

 どうやら、医学の世界では異端的な考え方である糖質制限の食事に同調した私への不快感が、こうした無視の背景にあるように感じました。実際、帰ってからネットで見ると、この件では普通の糖尿病専門医は否定的な対応をなさるのが一般的なようです。

 先生からは、あくまでもあなたは糖尿病なのだから、今日から薬を飲むことを考えるべきだと思うがどうですか、と同意を求められます。これまでずっと、薬による治療を足踏みして延ばしていたことが、今日は現実のものとして具体的に今日からの問題として提示されました。しかも、朝だけでも薬をのんでみては、とのことです。

 しかし、それでも私は薬を使いたくない気持ちを伝えると、この次まで様子を見ましょう、ということで診察は終わりになりました。
 帰ろうとして立ったままで伺ったことは、血糖値が高い状態の時間が長いほど、トータルとしてのヘモグロビンa1cの数値が高くなる、ということでした。確かに、食後2時間も血糖値が高いと、いろいろと問題なのでしょう。そのために薬で、食後の血糖値が高くならないようにするようです。

 持参した私の血糖値推移を示す資料をあまり見てもらえなかったので、最近の1時間後の数値は高いが、それからすぐに下降しているように思いますが、ともう一度お尋ねすると、食後60分から80分の数値が130くらいになることを目安にしている、とのことでした。それから言うと、私の場合は高すぎる、ということなのです。
 ほぼ毎日自分の血糖値を計測していることは、かねてより伝えてあったので、こうした具体的な対処方法を今回伺えたことは1つの目安になります。もう少し早く聞いていたら、前回7月の診察以来の食事方法もまた別のものを模索したと思います。

 もう、カロリーコントロールの話ではなくて、ヘモグロビンa1cの値をどうするか、ということのようです。そのために、私はヘモグロビンa1cの値から言うと糖尿病患者であり、薬を使っていくしかない、という結論が、今から思えば昨年の春から先生の方針としてあったということになります。

 これまで私は、患者の立場としては薬を使わずに、自分の身体が持つ力を活用しての対処を考えていました。しかし、先生の方は最初からずっと薬で対処することをおっしゃっていたわけです。この認識のズレが、今日はっきりとわかりました。

 お医者さんの立場というものもあるのだろうと思います。
 とにかく、たくさんの患者さん診察をなさっているので、私のように一つ一つ説明を求める患者は、手間と時間がかかって大変だろうと思います。今日の診察も、私はいろいろとお聞きしたいことがありましたが、先生の方から打ち切られました。まだお聞きしたかったのですが、すぐに次の方が呼ばれました。

 そんな診察だったので、7月以来ずっと続いている手首のしびれについて、聞かずじまいになってしまいました。
 すでに先月の本ブログで書いたように、MRIでは何も問題がないことが明らかになったので、糖尿病との関連を聞くことも、今日の診察での大事なことだと心して来たはずでした。しかし、上記のような展開だったので、手のしびれのことを聞くのは無駄だと諦めて帰ってきました。

 医学界からは異端視されているように見受けられる糖質制限の食事方法は、次の診察がある2ヶ月後まで、この調子で続けていくつもりです。とにかく、やせ形で、かつ胃のない身体で糖尿病にどう向き合って行けばいいのか、症例がないということなら、自分の身体で実験し、確認しながら試行錯誤をするしかありません。

 自分で測定していて、その数値の変化がおもしろいこともあります。糖質制限の食事は、これまでのカロリーコントロールの食生活とは違い、いろいろなものが食べられるので楽しいのです。
 帰ってから、カーボカウントなる対処方法も知りました。糖尿病については、まさに日進月歩で、そのためもあってか民間療法的な提案がたくさんなされています。お医者さんも大変だと思います。これまでのカロリー制限一辺倒から、今後はどうなるのでしょうか。少なくとも、私の身体は通常の糖尿病患者とは状況が異なるので、可能な限り自分で対処方法を見つけるしかありません。その過程での助言を、糖尿病専門医にお願いしたいと思っています。今日は、空振りでしたので、また資料を整えて適切なアドバイスがもらえたら、と思います。

 2ヶ月後の診察に関して、具体的な指示がないままだったので、再度先生に確認をし、日時を設定してもらいました。
 診察の前に血液検査をするという指示も、結局は今日は出ないままで終わりました。血液検査をしないと、次回に診察を受けても意味がないので、早めに行って検査を受けることにします。
 こうしたことは、診察の何時間前に血液検査をしたらいいのか、病院側から患者に説明なり確認があるのがいいと思います。これまではあったことなので、毎回その説明があったほうが助かります。

 お医者さんも忙しいことは承知しています。しかし、今回のような対応は、自分で自分の身体のことを考えて対処するという意欲を削ぐものだと思いました。
 外科ならば、お医者さん任せで好きなように切ったり貼ったりしてもらうしかありません。しかし、内科となると、まだ自分でできることがあるはずです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(5) | 健康雑記

2011年09月14日

江戸漫歩(44)深川も夏から秋へ

 東京は、まだ夏の暑さを引きずっています。日中は汗ばむほどなので、若い人が熱中症にかかっている状況を見るにつけ、体調管理の難しさを教えられます。
 私は、先月から糖質制限の食事に切り替え、ご飯・パン・麺類を食べない生活を送っています。この食生活は、肉などが食べられるので、これまでとは食事が一変しています。
 そして、血糖値もうまくコントロールできているようです。

 明日は、糖尿病外来で診察の予約が入っています。
 さて、お医者さんからはどのようなアドバイスをいただくことになるのか、大いに楽しみにしています。

 深川でのこの夏のスナップを何枚がアップします。
 まずは、メダカから。
 
 
 
110914_medaka1
 
 
 

110914_medaka2
 
 
 

 先月からの住人です。最初は10匹いました。しかし、一と月で5匹になりました。先月は家を空けることが多かったので、新しい環境になじめないままに半分になっていました。
 今いる5匹は、とても元気です。
 マリモもスクスクと成長しているようです。

 ベランダにも、いろいろと花が咲き出しました。
 
 
 
110914_flower1
 
 
 
 
110730_hana2
 
 
 

110914_flower3
 
 
 

 すぐ下の花壇の様子は、また機会を改めて紹介します。

 近くの富岡八幡宮の骨董市は、よく雑誌などで紹介されています。行ってみると、あまり広くない境内に所狭しと古物が並べられています。
 
 
 
110911_kottoichi1
 
 
 

110911_kottoichi2
 
 
 

 京都の東寺や北野天満宮などの市を知っているので、なにやら細々とという印象を持ちます。
 今回は、お茶碗が気になりました。今まで、陶器などには興味がなかったので、これもお茶を習い始めたせいでしょう。

 古そうでいいな、と思うものの値段を聞くと、何と80万円以上もするものがいくつもありました。まだ、どこが良いのかよくわかりません。
 宿舎にはお茶道具が何もないので、練習用に、手頃なお茶碗を3つ買い求めました。そして、飴色の茶杓と茶筅も。

 これで道具は集めたので、本を見ながらお手前の練習をしようと思っています。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年09月13日

『源氏物語』の写本に関する研究会の報告

 蒸し暑さが残る都内、神保町にある専修大学で、国立国語研究所主催の研究発表会がありました。
 これは、「海外に移出した仮名写本の緊急調査(第2期)」という共同研究プロジェクトの調査研究の成果を公開するものです。
 共同研究プロジェクトリーダーである高田智和さんの運用と配慮が行き届いていることもあり、着実に成果があがっています。

 今日のプログラムは、かねてより通知していた通り、以下の三つでした。


(1)高田智和(国立国語研究所)
   「米国議会図書館蔵『源氏物語』翻刻本文(桐壺から藤裏葉まで)の公表」
(2)伊藤鉄也(国文学研究資料館)
   「源氏物語本文研究のためのデータベース」
(3)斎藤達哉(専修大学)
   「仮名写本における文字・表記の諸相―米議会図書館蔵本源氏物語を例として―」


 まず高田さんの報告と発表です。
 昨年と今年の1月に、ワシントンにある議会図書館で『源氏物語』54帖の原本調査をしました。そして、今年の3月に第33帖の「藤裏葉」までの翻刻本文をウェブに公開し、さらに作業を進めていることの報告がありました。
 これは、以下のサイトで確認できます。

「米国議会図書館蔵『源氏物語』翻刻本文」(2011.03.24)

 そして、今日から文字列検索の試験公開が始まったことが公表されました。
 上記サイトのトップページにある「文字列検索」の見出しから入っていけます。

 使い勝手はこれからです。とにかく、このように『源氏物語』の一揃いの写本全巻が検索できることは、これまで『源氏物語』のデータベースに関わってきた者の一人として慶事です。

 この価値は、今後ともさまざまな情報が公開される中で、少しずつ理解されていくことでしょう。まだ、ほとんど方には関係ないと思われます。しかし、『源氏物語』の本文に興味を持った途端に、この意義がジワジワと感じられてくるはずです。

 高田さんを受けて、森安辰さんが、今回公開した翻刻本文をコンピュータを活用して得られた成果を発表されました。プログラム処理による基礎計量の内容で、写本に写し取られた文字数や行数、そして漢字含有率などの分析結果の報告がなされました。

 私は、漢字含有率が1割だったという結果を、新鮮に受け止めました。これまでに、こうした傾向を知らなかったからです。

 今回の発表は、書写された文字を一文字ずつばらしての計量結果です。しかし、『源氏物語』の写本は、意味のある言葉を写し取ったものなので、書写にあたっても単語や文節意識が働いていると思われます。機械的に写し取ったにしても、間違えないように写すためには、書写者がもつ無意識の言語理解能力が反映するはずです。

 そんな視点から、質問をしました。
 単語や文節レベルでの、ある程度の意味を持った言葉における漢字含有率を見たら、またおもしろい結果が得られるように思えたからです。確かに言葉の意味を持ち込むと、言語学の領域が急速に拡大します。言葉の意味という、難しい問題がつきまといます。

 そうであるならば、私が『源氏物語別本集成』で用いている文節に切られた単位で見るとどうでしょうか。各文節の中の漢字含有率は容易にわかります。そこから、また新たな知見が得られるはずです。一文字ごとの傾向と、文節ごとの傾向は、どのような違いを見せるのでしょうか。これは、和歌が書かれた部分についても、そこだけを取り出すことでおもしろい傾向が見えてくるはずです。

 急なことで私も用意をしていなかったので、『源氏物語』の第一部の各巻々における文節数を、続く私の発表の質問の時間に、会場の画面に映し出しました。
 記録ということも含めて、参考までに今日示した数値を以下にあげておきます。
「GBS」とは、『源氏物語別本集成』の略称で、数字は第何巻に収録されているかを示しています。
 最初の例は、第1巻「桐壺」は『源氏物語別本集成』の第1巻に収録されており、この巻は「3022」の文節でできていることを示すものです。

巻名 GBS 文節数
1桐壷 1 3022
2帚木 1 5432
3空蝉 1 1279
4夕顔 1 5536
5若紫 2 5706
6末摘花 2 3564
7紅葉賀 2 3305
8花宴 2 1295
9葵 3 5568
10賢木 3 5760
11花散里 3 424
12須磨 3 5255
13明石 4 4774
14澪標 4 3810
15蓬生 4 2600
16関屋 4 552
17絵合 4 2223
18松風 5 2388
19薄雲 5 3572
20朝顔 5 2353
21少女 5 5946
22玉鬘 6 4640
23初音 6 1628
24胡蝶 6 2451
25蛍 6 2184
26常夏 6 2532
27篝火 6 395
28野分 7 2095
29行幸 7 3153
30藤袴 7 1553
31真木柱 7 4317
32梅枝 7 2159
33藤裏葉 8 2665

 続く私の発表は最後にします。

 3人目として、斎藤達哉さんの発表がありました。
 米国議会図書館本『源氏物語』の文字表記について、誤写された文字や修正例などをあげて、書写時の背景を考えよう、というものでした。
 特に、漢数字の「八」を「は」の異体仮名として用いる傾向があるのは、一行に多くの文字を詰め込んで書写するための結果ではないか、という指摘はおもしろいと思いました。
 質問として確認したことは、ひらがなとしての「八」はさまざまな使用例が他の写本にあることと、例にあげられた箇所が発表者の意図を証拠立てるものではないということでした。おもしろい着眼点なので、さらなる調査が待たれます。

 各巻における文字数の推移も、グラフ化されたことで傾向の違いが見て取れて、いろいろと想像を掻き立ててくれました。これらは、さらに精査を重ねると、意外な真実が見えてくることでしょう。
 資料を前にして、さまざまな試行錯誤を一緒に共有できるので、こうした共同研究会は楽しい時間が過ぎていきます。

 さて、私が発表した内容を、資料をもとにして以下に転記しておきます。
 箇条書きになっているので、通読していただければ、その内容のおおよそはご理解いだけるかと思います。

 リーダーの高田さんからは、大いに夢を語ってほしいとのことだったので、

「はじめに 本文研究の現状」
「本文研究のための校本の作成」
「おわりに 夢語りとしてのこれから」

の3つの小見出しの内、3番目の「夢語りとしてのこれから」が本日の私の一番の眼目でした。

 本文研究は、とにかく根気です。そして、データを次の世代に引き渡すことも重要なことです。そうした問題に対処するために、私なりの提言と見通しを述べたつもりです。
 こうした問題に興味をお持ちの方は、ぜひとも以下にもお目通しいただけると幸いです。
 なお、行頭の□印は、スクリーンに写真や画像を映写した箇所を示しています。
 
 ---------------------------------------------------------------------
 
「源氏物語本文研究のためのデータベース」
                   伊藤鉄也(国文学研究資料館)
 
 
    はじめに 本文研究の現状
 
・『源氏物語』の本文研究は、現実には研究者が非常に少ない。
・『源氏物語』に関する研究成果は、年間500本以上も発表されている。
・現在の『源氏物語』に関する研究の9割9分までが活字校訂本によってなされている。
□『源氏物語』は、『新編日本古典文学全集』(小学館)で読まれ、研究されている。
□その底本(大島本)に書かれている字句のありようには、関心がもたれていない。
□大島本は、江戸時代の人が膨大な手を入れ、傍記傍注補訂の跡がはなはだしい。
・現行流布本は、その補訂を取り込み、現代人にわかる校訂本文となっている。
・この大島本の校訂文本で、一応平安時代の『源氏物語』を読んだことにしている。
・他分野の方から、本文に対してそんなに曖昧なままでいいのか? と驚かれる。
・江戸時代の人がよしとして書き換えた文章であっても、平安時代の物語を目指してなされたものなので、かつての『源氏物語』と大差はない、との判断からそうなっている。しかし、そこにはやはり無理がある。
・一般読者とは別に、研究者は写本に書かれたままの本文を研究対象とすべきである。
・しかし、写本そのものから『源氏物語』を考えることに興味を持つ人は少ない現実。
・地道な作業を伴い、翻刻されている本文が少ないので、成果が一朝一夕に現れない。
・本文研究は、地道な調査研究の積み重ねによって、着実に成果を共有できるはず。
・一体、今我々は何を読まされているのか、と自問すべき状況にある。
・『源氏物語』のあらすじを逐うのには、活字の流布本は確かに便利である。
・しかし、活字の校訂本文から導き出された研究成果の意義には問題も多い。
・校訂本文で隠されたことが、写本の文字列の中から浮かび上がることが多い。
□具体例としての第24巻「胡蝶」の「みるこ」の問題がある。
 『講座 源氏物語研究 第七巻 源氏物語の本文』(おうふう、2008.2)所収
  「転移する不審−本文研究における系統論の再検討−」(中川照将)
・問題によっては、改めて検証すべきことを痛感させられることが多い。
・活字本『源氏物語』による研究成果を再検証することも必要である。
・特に、一字一句に拘ったり、大島本の独自異文とは気づかずに構築された論理。
・それは、現代人が理解できるようにして作られた校訂本文による研究に留まる。
・これからの若い研究者は、活字の流布本で読んだ後、その文章が写本(大島本)ではどう表記されているのか、面倒なことでも一応確認しておく習慣は身につけておいた方がいい。
 
 
    本文研究のための校本の作成
 
□諸本の異同を調べる時には、『源氏物語大成』と『源氏物語別本集成』がある。
・『源氏物語大成』の校合は不備が多いので、『源氏物語別本集成』の確認も必要。
□『源氏物語大成』の背景については、拙編『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」』(平成23年)に詳しい。
□『源氏物語別本集成』は、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(昭和61年、桜楓社)での呼びかけで始まった。本文データベースには、すでに昭和55年に着手。
□写本を見ながら、他本の翻字データを校正して、当該本のデータを生成する。
□『源氏物語別本集成』掲載の作業担当・協力者一覧は、人的資源の接点として継承。
□エクセルの表形式で翻刻本文をデータ管理する。
・現在、『源氏物語』54巻は22万レコードのデータベースとして構築されている。
・本データベースは、今も日々更新されて成長している。
□CSV(カンマ区切り)形式で書き出し、ウェブ版「異文校合ツール」で資料作成。
  http://ec2-50-19-131-195.compute-1.amazonaws.com/cgi-bin/sess-1.pl
・作成方法は、伊藤のブログ〈賀茂街道から2〉の「ウェブ版「異文校合ツール」の設置場所アドレス変更」(http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2011/09/post-5212.html)を参照のこと。
 
 
    おわりに 夢語りとしてのこれから
 
・新たな校訂本文の底本は、天理図書館蔵「伝二条為明筆本(池田本)」とする。
・全世界に散在する『源氏物語』の古写本のすべてを翻字してデータベース化する。

 【平成元年から配本を開始した『源氏物語別本集成(全15巻)』は、平成14年に第一期が完結。この間に、総勢80人が376帖の写本を読んだ。各帖を3人が読んで確認したので、約10億字を読んだことになる。
 引き続き、平成17年から第二期にあたる『源氏物語別本集成 続(全15巻)』をスタートさせ、平成22年7月に第7巻を刊行した。ただし、それ以降の刊行が中断している。第8巻以降の巻である、第33巻「藤裏葉」から第54巻「夢浮橋」までの写本の翻字作業が残っている。
 第二期では、第一期の3倍の分量の写本を対象としているため、約30億字を読む計画である。試算では、およそ15億字の確認が今後とも必要になると思われる。】

・今後とも、データベースは、『源氏物語別本集成』の基礎データをもととする。
・『源氏物語』のデータベース化を果たすためには、次世代への継承が必須要件である。
・特定非営利活動法人(NPO法人)を設立する計画を進めている。
  仮称「源氏物語本文情報集成完成会」 、略称:ゲンジインフォ (genji_info)
・これは、『源氏物語』の本文データベースに関連するあらゆる資料及び情報を調査・収集・整理・修正・追補し、次世代に継承することを目的とする会である。
・NPO法人で作成蓄積されたデータは、知的財産として次の世代にバトンタッチ。
・データベース本体はNPO法人のサーバーに置き、法人で管理運用し継承していく。
・データベースの構築と公開は、NPO法人の情報処理担当の研究者が行なう。
・データベースの修補改訂は、当面は伊藤とNPO法人のスタッフが担当する。
・ウエブ上へ公開する情報は、当面は『源氏物語別本集成 続』の形式(版面)にならう。
・利用者には、校合の結果をPDFの形(範囲制限あり)でダウンロード可能とする。
・データベース公開には、『源氏物語別本集成』を刊行した(株)おうふうと協議を要す。
・翻刻担当者等の氏名を、これまで通り『源氏物語別本集成』の要領で公開する。
・公開時に、改訂のバージョンを明示して、随時データベースを更新していく。
・印刷媒体での提供も必要であり、オンデマンド出版を含めて、今後とも検討していく。
・翻刻本文のデータベース化では、全国の大学・研究者と協力しながら展開する。
 
※本発表は、「『源氏物語』の翻刻本文をウェブに公開する方法 ─豊島科研の発展と展開のための具体的な提案─」(豊島秀範科研、第一五回 「源氏物語の本文資料に関する共同研究会」、平成22年6月12日、於國學院大學)の内容を更新したものである。
 また、その発表内容を踏まえて公開した、伊藤のブログ〈賀茂街道から2〉(http://genjiito.blog.eonet.jp/)に投稿した「源氏物語の本文をデータベース化して公開するために」(平成22年6月13日)を補訂して、平成23年版としてまとめたものである。
 
 
 ---------------------------------------------------------------------
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月12日

テレビドラマ『砂の器』を観て

 週末2夜連続のドラマを、楽しみにして観ました。東日本大震災のため、半年間延期になった作品です。
 どうやら、福島県の扱いに関係するための延期だったようです。

 さて、テレビや映画業界は、困ったら松本清張ものを作ります。その流れでいえば、残念ながら昨秋の『球形の荒野』は大失敗でした。
 そのことは、本ブログ、「テレビドラマ『球形の荒野』は「後編」に期待」(2010年11月27日)と「テレビドラマ『球形の荒野』(後編)を観て」(2010年11月28日)で述べました。

 その前編の記事の末尾で、以下のように書きました。


 松本清張が父を捜し求める作品を書いた背景は、鳥取県の日南町に行った時によくわかりました。
「松本清張ゆかりの日南町」(2009年12月11日)
 父のことを知りたくて立ち寄った町に入れてもらえなかった清張の心は、この『球形の荒野』にも形を変えて生きているように思います。


 このことは、清張の家系への疑問の解明が必要だと思います。

 さて、『球形の荒野』のことがあったので、今回の『砂の器』の出来もあまり期待しませんでした。
 しかし、よくできた仕上がりでした。もう一度観る価値があります。

 難を言おうと思えばあります。
 原作には出ない女性記者に扮する中谷美紀は、果たして必要だったのでしょうか?
 男ばかりのドラマでは視聴率はとれません。どうしても女性が必要とされたために、無理やり押し込んだ感が否めません。

 中谷美紀は、今秋10月3日からパルコ劇場で、井上靖が書いた小説『猟銃』の舞台を、一人三役でつとめることになっています。私としては、中谷がどのような役回りになるのか期待していました。
 しかし、残念ながら、演技はともかく、物語の展開の中ではどうでもいい存在に終始していたように思います。と言うよりも、軽めに振る舞う様子が、かえって話の流れを阻害する存在だったと思いました。
 視聴率稼ぎに、中谷美紀はうまく利用された、と私は見ました。

 今回のドラマでも、父親に対する思い入れが前面に出ていました。ラストに近づくにつれて、この傾向は顕著でした。これは、清張の作品の特徴でもあります。清張文学を読むキーワードの1つを、私は「父」だと考えています。それを、このドラマではさらに強調した形でまとめていました。

 清張と父親については、鳥取県の日南町へ行ったときに、初めて気づかされたことです。
 現地で、足羽先生から伺った話については、上記のブログ「松本清張ゆかりの日南町」で書いた通りです。

 松本清張の研究状況を私はまったく知らないので、清張と父親については、すでに常識なのかもしれません。
 しかし、ブログに書いたように、お墓の問題も含めて、私は非常に興味をもっているところです。
 父と息子の関係は、母と息子の場合よりも、言葉にしづらい影を帯びているように思います。そこに清張が拘ったのは、出生に加えて、生い立ちの秘密を抱えながら生きていたからではないでしょうか。

 これまでにも何度か書いたように、私と妻は『砂の器』の舞台を体現しています。私の生まれが出雲、妻の生まれが羽後なのです。しかも、妻の実家は羽後亀田の隣です。結婚するにあたり、私の父と妻の父が、お互いにズーズー弁で会話をし、何とか通じていました。この言葉づかいというよりも雰囲気は、非常によく似ていることを実証してくれました。

 今回のドラマで、島根県側の出雲弁は上品なことばで話されました。対する秋田弁は、妻によると生まれた地の香りがない、とのことでした。
 実際の小説でも、清張は出雲弁について慎重に方言の校正を亀嵩算盤合名会社にお願いするほどでした。この物語は、出雲地方の方に比重がかかっている、ということなのかもしれません。

 『砂の器』は、国立国語研究所が全国の方言を調査していた間の、昭和35年に書かれました。なかなかいいタイミングをつかんだトリックとなっていることに関心させられます。
 折しも、明日私は、国語研究所が主催する研究会で、研究発表をすることになっています。
 合間にでも、2つの方言の問題と、清張の取材姿勢などについて聞いてみようと思っています。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 身辺雑記

2011年09月11日

ご案内−私が関係する2つの研究会

 今年度前半の研究成果が公開される、秋の学会・研究会シーズンとなりました。
 以下、私が研究発表をする研究会の宣伝です。
 お時間のある方は、ぜひお立ち寄り下さい。
 多分に仲間内での研究発表会です。それだけに、外部からの一人でも多くの参加者を歓迎します。
 
 
(1)共同研究プロジェクトリーダー 高田智和(国立国語研究所)
 
 共同研究プロジェクト 研究発表会
 「海外に移出した仮名写本の緊急調査(第2期)」
 
 日時︰平成23年9月13日(火)14:00〜17:00
 場所:専修大学神田校舎(神保町)【神田】キャンパス「ゼミ44教室」
    〒101-8425 東京都千代田区神田神保町3-8
     *水道橋駅(JR)西口より徒歩7分
     *九段下駅(地下鉄/東西線、都営新宿線、半蔵門線)出口5より徒歩3分
     *神保町駅(地下鉄/都営三田線、都営新宿線、半蔵門線)出口A2より徒歩3分
 
 
 プログラム
  高田智和(国立国語研究所)
    「米国議会図書館蔵『源氏物語』翻刻本文(桐壺から藤裏葉まで)の公表」
  伊藤鉄也(国文学研究資料館)
    「源氏物語本文研究のためのデータベース」
  斎藤達哉(専修大学)
    「仮名写本における文字・表記の諸相―米議会図書館蔵本源氏物語を例として―」
 
 
 
(2)研究代表者 今西祐一郎(国文学研究資料館)
 科研費・基盤研究(A)「日本古典籍における【表記情報学】の基盤構築に関する研究」
 
 今西科研 研究会
 「表記情報学の現在」
 
 日時:2011年9月24日(土)午後2時〜6時30分
 場所:国文学研究資料館・第1会議室(2階)
    〒190-0014 東京都立川市緑町10 -3
     *JR立川駅北口2番のりば乗車の場合
      「立川学術プラザ」バス停下車、徒歩0分
       または「裁判所前」バス停下車、徒歩3分
     *JR立川駅北口1番のりば乗車の場合
      「市役所前」バス停下車、徒歩3分
     *立川北駅からモノレール高松駅下車、徒歩約7分
     *JR立川駅から徒歩約25分
 
 
 プログラム
  ご挨拶 今西祐一郎(国文学研究資料館)
  研究発表 加藤洋介(大阪大学)
    「写本における校合跡−表記・傍記・改行を手がかりに−」
  研究発表 海野圭介(国文学研究資料館)
    「筆跡情報の整理とデータ化についての課題」
  研究報告 神田久義(國學院大學大学院生)
    「『源氏物語』の表記情報学のデータ構築」
  調査報告 伊藤鉄也(国文学研究資料館)
    「カラー版尾州家河内本の調査報告」
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月10日

江戸漫歩(43)東京駅近くの公園で盆踊り

 東京の日本橋・八重洲口・有楽町・銀座一帯には、全国のアンテナショップが目白押しです。楽しく全国の物産館巡りでお買い物ツアーができます。

 自転車で、東京駅八重洲口前にある福島県の物産館へ行きました。
 その帰りに、京葉線の東京駅から一つ目の八丁堀駅近くを通りかかったら、児童遊園地でほほえましい盆踊り大会が催されているのに出会いました。幕には「越一ふれあい盆踊り大会」と書いてあります。
 
 
 
110910_bonodori1
 
 
 

 場所は、中央区新川町二丁目にある高橋南東児童遊園地です。猫の額ほどの広さの公園で、20人ほどが浴衣姿で集まっておられます。そして、スピーカーで曲を流し、みなさん楽しそうに踊っておられたのです。
 写真にも写っているように、太鼓を叩いているのは少年です。
 これから、近所の子どもたちが集まってくるのでしょうか。
 左端の交差点の角には交番があり、その前に出店が一軒ありました。ほんとうに小さな盆踊り大会です。

 私の小学・中学校の頃は、場所が河内のど真ん中、『伊勢物語』の「筒井筒」で有名な八尾市高安の里だったので、盆踊りと言えば河内音頭や江州音頭でした。初音屋の河内音頭の一節なら、私も下手ながら歌えます。踊りは、河内音頭のマメカチくらいしかできませんが。
 夏になると姉に連れられて、よく盆踊りに行きました。太鼓とエレキの音を聞くと、ウキウキします。

 今日、私が通りかった時には、荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」が流れていました。こんな曲でも、盆踊りの振り付けで踊れるのですね。意外や意外。しかし、見るからに楽しそうでした。
 
 
 
110910_bonodori2
 
 
 

 この写真の背景となっているビル群は、築地あたりと思われます。全国いたるところで盆踊りがあることでしょう。しかし、ここの盆踊りは、その狭さで言えば日本一の会場ではないでしょうか。そのせいもあってか、楽しさの密度も日本一濃い、和気藹々の雰囲気がありました。

 帰ってから調べると、盆踊りで「ダンシングヒーロー」を踊る動画が、ユーチューブに実にたくさん登録されてしました。乗りがいいのでしょう。日本は本当に楽しい国です。

 すぐそばの中央大橋を渡って宿舎までの帰り道で、晴れ渡った夜空に満月に限りなく近いお月様が照っていました。右がリバーシティー21、左の隅田川には屋形船が通りかかるところでした。
 
 
 
110910_mangetsu
 
 
 

 これから秋祭り真っ盛りとなります。東京のど真ん中でも、こうして盆踊りがなされています。地域が変質した状況の中でも、盆踊りという伝統が守り伝えられています。地域住民みんなのために、そして自分のために。
 日本の文化の多様さを実感しました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年09月09日

読書雑記(42)高田郁『心星ひとつ みをつくし料理帖』

 高田郁の文庫書き下ろしによる「みをつくし料理帖」シリーズの第6作です。
 この『心星ひとつ みをつくし料理帖』(時代小説文庫・ハルキ文庫、2011.8.18)あたりから、物語の流れが大きく変わろうとしていることが明らかに読み取れます。
 
 
 
130728_sinbosi
 
 
 

 今日は一日中、「みをつくし料理帖」の舞台である九段下にいました。午前中は九段坂病院で診察を、午後は千代田図書館での調査でした。帰りに、地下鉄九段下駅の地上にある俎橋から九段坂周辺の写真を撮りました。
 
 
 

110909_manaitabasi1
 
 
 
110909_manaitabasi2
 
 
 

 澪がお世話になっている「つる家」は、下の写真の端のたもとにある、スターバックスコーヒー店あたりになるはずです。
 物語の舞台を日常的に歩いていると、話に親近感を覚えます。
 京洛を歩いて『源氏物語』のことを思い、九段下を歩いて「みをつくし料理帖」を身近に感じるのも、なかなか楽しいことです。

 宿舎に帰る道すがら、近くの黒船橋から中央大橋を見やると、ちょうど空が夕焼けでした。九段下から澪たちが九段坂の夕焼けを見上げるシーンは、あるいはこんな色なのだろうかと思いながら、思わずシャッターをきりました。
 
 
 
110909_kurofunebasi
 
 
 

■「青葉闇 ―しくじり生麩」
 お江戸では見かけない食材としての生麩について、意外な思いがしました。今でも、生麩は東京では見あたらないのでしょうか。
 そういえば、東京で生麩の田楽はあまり見かけません。私の行動範囲に見あたらない、ということでしょうか。

 「丸みを帯びた優しい月」の下での迎え火のシーンが印象的でした。亡き人を迎えての盂蘭盆会は、いかにも日本的な場面となっています。

 語られないことを、読者は知ろうとします。その塩梅を、作者は小説作法としてうまく用いています。坂村堂の胸の内などがそうです。戸惑いも、味付けになっています。

 本作には、緊張感があります。このシリーズはややマンネリ気味になったのでは、との思いを払拭するほど、文章に力が感じられました。

最後の段落に、こんな件があります。


「子は結局、親の思いを踏みにじるように出来ているのかも知れません。そして親は、たとえそうされても、じっと堪えて揺るがずに居るよりないのでしょう。我が身を振り返れば、若い日、親に対して同じことをしてきたように思います」(74頁)

「ひとは与えられた器より大きくなることは難しい。あなたがつる家の料理人でいる限り、あなたの料理はそこまでだ」(75頁)


 親子の関係や、人の器の大きさについての語りが、読み手の中にドスンと落ちてきます。作者は、どこからこのような言葉を引き出してきたのでしょうか。私には、このフレーズが突然突き出してきたもののように思われ、作者に何があったのだろう、と思いました。

 こうした言葉を持った作者は、これまでより一周りも二周りも大きくなったようです。このフレーズが今後どう展開し、関連していくのか、ますます楽しみです。【4】
 
 
■「天つ瑞風 ―賄い三方よし」
 八月十五夜の丸い月が、澪とふきの今後を暗示します。
 芳の次の言葉が決めゼリフとなります。


「今は丸いあのお月さんも、明日からまた徐々に身を削がれて、晦日には消えてしまう。けど、時が経てば少しずつ身幅を広げて、またあの姿に戻る。ひとの幸せも、似たようなもんやろなあ」(102頁)


 それぞれの胸に、この丸い月が秘められているのです。

 そして半月後。
 澪は、与えられた器であっても自分の手で大きくすればいい、というアドバイスで、心の揺れがとまります。前作への回答が、ここに示されています。

 ご寮さんの考えがまだ未熟で若い、という指摘もなされます。しかし、その内実はここには示されてはいません。言い出しておいて、最後までは語らない手法です。作者が巧くなったと思えるしるしです。

 最後の天神橋を描いた襖絵の場面は、いやが上にも読者のイメージを膨らませてくれます。心憎い演出となっています。【5】
 
 
■「時ならぬ花 ―お手軽割籠」
 十五夜の後、ひしゃげた月が登場人物たちの気持ちを代弁しています。
 町年寄りからの申し入れで、料理に火が使えないことになります。そんな中で、澪は新しい商品を開拓していきます。創意工夫のなせる技です。
 諦めない強さが、じんわりと伝わってきます。

 与えられた状況の中で最善を尽くす姿と、才能をすり減らしている面が、くっきりと浮かび上がります。
 作者は、何か吹っ切れたようです。後半が、特に良くなっています。描写と表現に、力感が溢れ出したことが実感できます。人間の内面が、じわりじわりと染み出すように語られています。【4】
 
 
■「心星ひとつ ―あたり苧環」
 十日夜の優しくきれいな恵みの月が出ています。
 澪へのプロポーズのシーンは、この作品らしくドラマチックに展開します。そして、中天には蛤の形をした月が出ています。
 九段坂を登って帰って行く男を照らす月がいいと思いました。

 しだいに、文章に透明感が出てきたように思います。それは、星を澄みきった夜空に置くことができたからではないでしょうか。

 澪は一大決心をします。しかし、これからまたどんどん話が込み入っていく気配を漂わせて、ひとまず幕となります。【5】

*今回から付された巻末の特別付録「みをつくし瓦版」は、実に楽しい企画です。
 「何故に年二冊?」
 「小説作法について」
 「作中の料理について」
という3つの質問から、作者の創作の舞台裏が見えます。
 物語が立体的に組み上がり、ますますこれからが楽しみになります。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 読書雑記

2011年09月08日

多言語翻訳のための『十帖源氏 葵』

 『十帖源氏』の第9巻目である「葵」巻に関して、これまで同様に翻刻本文と、多言語翻訳用の現代語訳を公開します。
 
 今回の「葵」巻を担当したのは、菅原郁子さんです。
 
 
9)「葵」のPDF文書は、ここをクリックしてダウンロードしてください。

 
 
 海外で各種言語に翻訳された『源氏物語』を見ていると、アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』(全6巻、大正14年〜昭和8年)を使って、自分の国の言語に置き換えた「重訳」が多いことに気づきます。しかも、その第1巻(「桐壺」〜「葵」)に収録された「葵」までを翻訳していることがほとんどです。

 例えば、インドにおける8種類の言語による翻訳は、すべてが「葵」巻までです。これは、サヒタヤ・アカデミー(日本の国文学研究資料館のような組織)がプロジェクトとして取り組んだ成果の1つです。その際、アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』の第1巻(「葵」までを収録)を、各言語の担当者に渡したことによる結果と思われます。

 昭和3年に刊行されたフランス語訳とスウェーデン語訳、そして昭和5年に出たオランダ語訳、昭和17年のイタリア語訳、昭和30年のセルビア語訳などなど、いずれも「葵」巻までを翻訳したものです。つまり、アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』の第1巻をもとにした翻訳であることは明らかです。

 こうした実情を考えると、これまで進めてきた多言語翻訳のための『十帖源氏』の資料作成も、「葵」が終わったこの時点で、ひとまず整理をすべきかと思います。

 新宿アルタ横の喫茶店を活動場所として、毎月1回のペースで集まっているこの研究会は、来月から「葵」巻に続く第10巻「賢木」へと進んでいきます。それと同時に、これまでの資料をまとめる作業にも手を付ける予定です。

 研究会というと、何やら難しい議論をしていると思われがちです。しかし、細々と夜の6時から毎回2時間、10名ほどが千円で各自のドリンクを注文し、各巻の担当者の試訳を見ながら自由に「ああでもない、こうでもない」と、海外の方々が翻訳しやすいような現代語に置き換えています。
 平安時代を専門にする者ばかりではなく、中世・近世・近代の勉強をした人が半数います。日本語を自由に理解できる人を想定した現代語訳を作っているのではありません。そのせいもあってか、毎回、新鮮なものの見方と発見を伴うおもしろさがあります。

 一昨日も、「西の対」をどうしようということになりました。旅館風に「西の離れ」や「西館」や「西棟」とする意見もあった中で、最後は「西の館」に帰着しました。それまでみんなが思いつきを言い合うのが楽しいのです。

 こうした活動に対する、若い方々の積極的な参加を待ち望んでいます。
 興味をお持ちの方は、ぜひ連絡をください。

 これまでに、以下の8巻を公開しています。
 どうぞ、ご自由に活用してください。
 
(1)「桐壺」(2010年7月15日)

(2)「帚木」+【凡例(補訂版)】(2010年8月25日)

(3)「空蝉」(2010年9月29日)

(4)「夕顔」(2011年3月 9日)

(5)「若紫」(2011年3月10日)

(6)「末摘花」(2011年6月12日)

(7)「紅葉賀」(2011年6月13日)

(8)「花宴」(2011年6月14日)


 
 凡例は、「帚木」に添えた【凡例(補訂版)】を参照してください。
 
 『十帖源氏』の影印画像は、次の2つのサイトで公開されています。

国文学研究資料館の「マイクロ/デジタル資料・和古書所蔵目録」 
 
早稲田大学の古典籍総合データベース


 この『十帖源氏』に関する公開資料をもとにして、各国語に翻訳してくださる方も募っています。
 本ブログのコメント欄を使って伊藤までご連絡いただければ、折り返し詳細をお知らせいたします。
 1つの言語に何種類の翻訳があってもいいと思います。翻訳とは、1つではないのですから。
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月07日

なんと22種類もある中国語訳『源氏物語』

 これまでに、中国語訳『源氏物語』は15種類を確認し、収集しています。それらは、来春刊行予定の『源氏物語【翻訳】事典』に、表紙絵とともに解題を収録しています。
 『源氏物語』の外国語訳の中では、一番種類の多いのが中国語訳なのです。

 中国では、さまざまな形で本が流通しています。私も、カラーコピーで作成した、表紙の色が異なる2種類の異版を、中国のとある街の屋台で買いました。ということは、実際には中国語訳『源氏物語』が何種類流通しているのかは、不明と言わざるをえません。神のみぞ知る、ということのようです。

 とにかく、中国には糊とハサミで作成した海賊版が無数にあり、書店経由で入手できるのはそのほんの一部だと考えたらいいようです。実は、書店で購入できる本の中にも、糊とハサミで編集したとしか考えられないものがあります。
 『源氏物語』に関しては、与謝野晶子に始まる現代日本語訳の種類よりも、中国語による翻訳本のほうが多いのは確かです。

 この中国語訳『源氏物語』は、再編集販・改装版も含めて、今でも刊行が続いています。次々と見つかるのです。気が抜けません。
 『源氏物語【翻訳】事典』の2度目の校正を出版社に送り返した後、この3ヶ月間に見つけただけでも、以下の7種類があります。

 中国語訳『源氏物語』は、その数の多さに留まらず質の多様さから、文学に留まらず文化や社会問題という視点からも魅力的な研究テーマとなります。
 若い方々がこうした問題に興味を持ってくださることを期待しています。

 なお、以下に掲示した翻訳本以外にも、次の本が刊行されていることがわかっています。しかし、まだ入手できていません。その方法等、ご教示いただけると幸いです


書名︰源氏物语 上
翻訳︰宋瑞芬
出版︰中国戏剧出版社
刊年︰2006



(1)
書名︰源氏物语(上・中・下)
訳者︰黄锋华
出版︰内蒙古少年儿童出版社、内蒙古文化出版社
刊年︰2001
 
 
110907_chinag3
 
 
 
(2)
書名︰源氏物语(上・中・下)
訳者︰夏元清
出版︰吉林摄影出版社
刊年︰2002
 
 
110907_chinag2
 
 
 
(3)
書名︰源氏物语
翻訳︰唐蓓
出版︰天津人民出版社
刊年︰2008
 
 
110907_chinag1
 
 
 
(4)
書名︰源氏物语(全1冊)
訳者︰姚継中
出版︰鳳凰出版伝媒集団 江蘇人民出版社
刊年︰2010
 
 
110907_chinag03
 
 
 
(5)
書名︰源氏物语(上・下)
訳者︰鄭民欽
出版︰北京燕山出版社
刊年︰2010
 
 
110907_chinag02
 
 
 
(6)
書名︰源氏物语
翻訳︰王烜
出版︰中国华侨出版社
刊年︰2010
 
 
110907_chinag4
 
 
 
(7)
書名︰源氏物语(上・中・下)
訳者︰豊子ト
出版︰人民文学出版社
刊年︰2011
 
 
110907_chinag01
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月06日

ウェブ版「異文校合ツール」の設置場所アドレス変更

 今春、私にとって念願だった「異文校合ツール」を、ネット上に公開しました。

「異文を比較するツールの公開(Ver 1.0)」(2011年3月 1日)

 同僚の野本忠司先生のお力によるものです。

 その時には、以下のアドレスを掲示しました。

http://ec2-50-16-126-156.compute-1.amazonaws.com/cgi-bin/gg.pl

 しかし、その設置場所のアドレスが変わりましたので、ご利用の方は変更をお願いします。
 新しいアドレスは、次の通りです。赤字の部分が変更になっています。

http://ec2-50-19-131-195.compute-1.amazonaws.com/cgi-bin/sess-1.pl

 今回公開した改良版ツール「異文校合ツール v1.1」では、前回の
(1)底本が選択できると便利
(2)底本の名前を、同一本文が明示される所に示す
という私の要望が叶えられています。

 基本的には、前回のものと変わりません。使い方は、上記ブログをご参照ください。
 しかし、画面展開などが少し変わりましたので、スクリーンショットを示して紹介します。

(1)スタート画面
 
 
 

110906_ibun1
 
 
 
(2)データファイル(CSV 形式)を「選択」して「送信」ボタンを押すと、2行目に新たなメッセージが表示され、次のようになります。
 
 
 

110906_ibun2
 
 
 
(3)「次へ」を押すと、校合結果が表示されます。
   底本の再指定ができるようになっています。
 
 
 

110906_ibun3
 
 
 

 今のところ、「アイドル状態が3分以上」続かないと次の作業に移れないので、この点の改良をお願いしています。

 まだまだ、開発途上版です。
 利用者からのご意見を反映させながら、よりよいツールに育てていきたいと思っています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆情報化社会

2011年09月05日

読書雑記(41)柏木圭一郎『京都紫野 菓匠の殺人』

 先日、「京洛逍遥(199)「紫野源水」の茶菓でいただく薄茶」(2011年8月31日)で少し触れた、『京都紫野 菓匠の殺人』(柏木圭一郎、小学館文庫、2010.9)を読み終えました。
 
 
 
110831_book
 
 
 


 非常に単純な内容なので、数時間で読めました。気の抜けるほどサラリとした殺人で、しかも深い推理の必要もなくて読みやすいものでした。ミステリーではなくて、京都のお菓子と京料理の案内をするリーフレットの趣が、この本を読み終えての印象です。観光案内所で手にしたチラシ、というイメージです。

 これは、活字で読むほどのものではなくて、テレビドラマで見て楽しむ、いわばシナリオ作成のためのあらすじと言った方が適切でしょう。ちょっとした旅の道中、時間つぶしにはいい本です。

 さて、「若狭屋源月」という和菓子屋は、大徳寺や北大路の地にあるそうなので、実在の「紫野源水」を思わせながら、少しずらした設定です。

「機音が響いていて、古びたアパートがあって、京都らしい路地ですね。」(18頁)

とあるので、堀川通りより西の西陣あたりに想定されているようです。
 タイトルに「紫野」ともあるので、紫式部の墓がある北大路堀川から西南の地域をイメージすればいいのでしょうか。

 つい、物語の背景に、実在の和菓子屋「源水」から暖簾分けした「紫野源水」を匂わせるのかと思ったのは、思い過ごしで肩すかしでした。菓子職人の世界の師匠関係に、作者はほとんど興味がないようです。

 糖尿病を患って亡くなる源衛門が、冒頭から出てきます。この名前について、私なら「源右衛門」と「右」を入れた表記にするのに、と思いました。
 さらに、こんな会話がありました。

「一般論としてお聞きしますが、何らかの薬品なりを使って、恣意的に糖尿病を悪化させることは可能なのでしょうか」
「それは可能です。何も薬品に頼らなくても、糖尿病によくないと言われている食品を積極的に摂取させれば、必然的に病状は進行します。高血糖、高カロリー食を続ければね」(75頁)
 
「それだけじゃないんです。『あおばな』には血糖値の上昇を抑える効果がある、って農家の方に教わったんです。まさに神さまが導いてくださったんだ、と思いました。少しでもお義父さまの病気が治まれば、と祈るような気持ちで『あおばな』のお茶を買って帰りました。看護師という立場から言えば、進行度から考えて、多くは期待出来ないことも理解していたのですが。藁にもすがる思い、そんな気持ちもお菓子に込めました」(120頁)

 これは、大きな間違いではないとしても、非常に不正確だと思います。しかも、和菓子には砂糖をたくさん使います。作者は、糖尿病とは無縁な生活をなさっているのでしょう。
 「あおばな」は友禅染の下絵用染料にもなります。京都と友禅については一言も出てこなかったので、今後の京都ネタでさらなる活用と展開を期待しましょう。

 また、お菓子の命名について、競い合う形になる2つの名前が『GENGETU』とか『TUKIHITOYO』とあることの評価は、読者によって分かれるところでしょう。
 ローマ字表記において、日本式(訓令式)の「TU」と、ヘボン式の「TSU」のどちらにするか、ということです。
 京都の和菓子に関してのネーミングなので、日本式の「TU」がそれらしいとの作者なりの判断があるのでしょう。しかし、国際都市京都のお菓子で「和スイーッ」というコンセプトを持たせているのであれば、海外の方が発音できる「TSU」の方が日本語音に忠実な表記となります。「TU」と表記したのでは、日本語音の「つ」とは発音してもらえないからです。

 この本を読むときには、ミステリーとしての細かな点は気にしないことです。
 京都へ向かう旅のお供として、新幹線の車中でお弁当を食べながら読み切る本です。
 〈名探偵・星井裕の事件簿〉というシリーズは、次回で第10作目となるそうです。
 手を抜かずに、もっと深く広く取材・調査をして、さらに楽しい情報を提供する作品に仕上げてほしいものです。【1】
posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | 読書雑記

2011年09月04日

ポルトガル語訳『源氏物語』が届きました

 探し続けていたポルトガル語訳『源氏物語』を、やっと入手しました。
 ポーランドから日本に勉強をしに来ていて、私の仕事のお手伝いをしてもらっているKさんの力添えで、面倒な輸入の手続きをしていただきました。
 先月末に東京の宿舎に届いていたようですが、私が娘のことで京都や大阪をバタバタ飛び回っていたために、自分の目で確認することが遅くなりました。
 とにかく、念願の本が届きました。そして、それが意外に分厚いものであることに驚いています。
 この表紙の絵のタッチには、日本人らしさを感じます。間違っていたらすみません。
 
 
 
110902_portogalg1
 
 
 
110902_portogalg2
 
 
 

 この2冊の本は、2009年に刊行されたものです。
 写真の左側が第1巻で、「桐壺」から「藤裏葉」までの『源氏物語』第一部33帖分を収録しています。
 右側の第2巻は、それに続く第二部と第三部にあたる「若菜上」から「夢浮橋」までです。
 第1巻が848頁、第2巻は864頁で、共にその厚さはそれぞれ6センチもあります。

 ポルトガル語訳『源氏物語』が2009年に刊行されていたことは、これまでに情報としては入って来ていませんでした。呆気なく本が届き、本との出会いに縁を感じています。
 日本とポルトガルは、宣教師を通じて古くからお付き合いがあります。そのため、『源氏物語』の翻訳もたくさんあると思っていました。しかし、意外にも見当たらなかったのです。あるらしい、で留まっていたのです。

 2009年のこの本は第2版と思われます。奥付を見ると、2007年に初版が刊行されているようです。このことは、さらに調べてみます。
 裏表紙に、こんな文章が印刷されていました。
 『源氏物語』に関する宣伝文なのでしょうが、ポルトガル語がまったく理解できない私には、まったく理解できません。どなたか、アドバイスをいただけたら幸いです。
 
 
 
110902_portogalg3
 
 
 

 私は、ここに記されている西暦年号に興味があります。

 最初の文章の末尾にある1923年(大正12年)は、アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』が刊行される2年前に当たります。
 それまでの『源氏物語』の外国語訳の歴史をまとめると、1882年(明治15年)に末松謙澄が『源氏物語』の第17巻「絵合」までを英訳したことに始まります。
 その後は末松の英訳が、1883年(明治16)年にフランス語訳(抄訳)に、1911年(明治44年)にドイツ語訳に、1918年(大正7年)にオランダ語に訳されて出ています。いわゆる「重訳」と言われるものです。
 その後、1922年(大正11年)に第10巻「賢木」の一部だけが英訳され、1924年(大正13年)に第3巻「空蝉」のロシア語訳が発表されました。
 そして、1925年(大正14年)に、アーサー・ウェイリーによる「桐壺」巻から「葵」巻までの英訳が刊行されたのです。
 こうした流れの中で、この1923年の引用文は、どのようなものなのでしょうか。

 このポルトガル語訳『源氏物語』の解題などについては、刊行予定(4年前から予告だけで顰蹙をかっている)の『源氏物語【翻訳】事典』に掲載します。もっとも、その執筆をどなたにお願いしていいものやら。これから探します。どなたか、推薦していただけると助かります。

 なお、今日までに、新しい中国語訳『源氏物語』3種類と、リトアニア語訳『源氏物語』の手配を終えています。届き次第に、またこのブログで報告します。

 こんな調子で、次から次へと『源氏物語』の外国語訳の本が見つかるので、『源氏物語【翻訳】事典』の刊行に踏み切れないのです。
 現在、印刷原稿の再校を終えていますので、こうした新情報を盛り込んで、来年春には刊行したいものです。
 早くから原稿をお寄せ下さり、解題を執筆して下さったみなさま、あともう少し時間をください。
 
 ここで、改めて今日現在の『源氏物語』の翻訳状況をまとめておきます。
 これまでに、折々に翻訳状況を報告してきました。前回は、「ハンガリー語訳『源氏物語』の新情報が届く」(2010年7月 3日 )に掲載した「『源氏物語』の翻訳言語情報(2010.7.3版)」でした。これを以下のように修正します。赤字の言語が最新情報です。海外における『源氏物語』に関しては、マスコミ関係の方々も本ブログの情報を活用なさっているようです。引用・紹介なさる際には、お気を付けください。
 
 
『源氏物語』の翻訳言語情報(2011.9.4版)
 
◆刊行されたもの 31種類
アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・オランダ語・オリヤー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミール語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語(出版待ち?)・現代日本語・ハンガリー語・ハングル(韓国)・パンジャビ語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ポルトガル語・マラヤラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語
 
◆現在進行中のもの 種類
エスペラント(進行中)・ミャンマー語(進行中)
 
◆中断中のもの 種類
ウクライナ語(中断)
 
◆未確認(あるらしい、というもの) 種類
ヘブライ語
 
◆再挑戦が進むもの 5種類
イタリア語(中断)・英語(未確認)・オランダ語・フィンランド語(宇治十帖)・フランス語
 
■インドのみ 8種類
アッサム語(インド)・ウルドゥー語(インド)・オリヤー語(インド)・タミール語(インド)・テルグ語(インド)・パンジャビ語(インド)・ヒンディー語(インド)・マラヤラム語(インド)
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◆国際交流

2011年09月03日

いろいろな「そばぼうろ」を楽しむ(4)

 「そばぼうろ」は、気にして見ていると意外に種類が多いので驚かされます。
 最近のものを5点ほど。

(13)伊藤軒「そばぼうろ」
  本社所在地︰京都市伏見区深草東軸町
 
 
 
110831_sobabouro1
 
 
 

 この味が印象的だったのは、ラム酒が入っているせいでした。香ばしい味が楽しめます。
 私のブログをずっと読んでくださっている方からいただいた差し入れです。ありがとうございます。
 
 
(14)鶴屋八幡「せんべい(ぼうる)」
  本社所在地︰大阪市中央区今橋
 
 
 
110831_sobabouro2
 
 
 

 和菓子の鶴屋八幡の製品です。小さい頃から馴染みのある名前で、ここの商品である「鶏卵素麺」は甘すぎるので血糖値を管理する今は食べられませんが、八尾の西武百貨店でよく買いました。「源氏物語」という和三盆の干菓子もあります。この会社は、17世紀の元禄時代に大阪にあった「虎屋大和大掾藤原伊織」を継いで、19世紀初頭の文化3年からあるそうです。
 
 
(15)石田老舗「木の芽入小粒そばぼうろ」
  本社所在地︰京都市伏見区中島外山町
 
 
 
110831_sobabouro3
 
 
 

 生地に乗る山椒がアクセントになっています。
 
 
(16)丸城屋羊羹本舗「丸ぼうろ」
  本社所在地︰佐賀県鹿島市大字高津原
 
 
 
110831_bouro4
 
 
 
 直径8センチもの大きな「ぼうろ」です。島根県の「石州ぼうろ」よりも、さらに大きいものです。いかにも南蛮船が運んできた、という感じのぼうろです。
 
 
(17)こまどり製菓「古里の月」
  本社所在地︰大阪市東住吉区北田辺
 
 
 
110831_bouro5
 
 
 
 いかにも素朴な焼き菓子です。
 
 
 いろいろと食べ比べをしているうちに、蕎麦の有無がわからなくなりました。
 味というよりも、薫りと食感の違いなのでしょう。
 おもしろいので、さらに続けていきたいと思います。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 美味礼賛

2011年09月02日

在英国・源氏画帖(続16)「総角」

 ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの源氏絵(粉本)の解説を続けます。
 作日の「椎本」巻に続く第47巻「総角」です。
 
 
<総角(本文)>
 
 
 
110708_img_4307_47agemaki1
 
 
 

■左端に「四十七」とあります。「総角」は第47巻にあたります。
■用紙がちょうど半分の所で継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第5巻の234頁に該当します。
■詞書きは散らし書き風になっています。
 6行目から下段を読み進め、最終行下の「あはめ給へる」から次は、6行目の上段の「さまの」につなげて読むことになります。
 
   あけまき
ひやうふをやをらをしあけて
             いり給ぬ
    いとむくつけうてなからはかりいり
           たまへるに
                引
さまの    とゝめられて
 いよ/\        いみしう
   おかし          ねたう
     けれは  心うけれは
へたてぬ        へたてなき
    心を          とは
     さらに
  おほし      かゝるをや
    わかねは       いふらむ
    きこえ
     しら      めつらかなる
      せむ
        とそ     わさかなと
          かし     あはめ給へる

(『源氏物語別本集成12巻』470913〜470941)
 
 
<総角(粉本)>
 
 
 
110708_img_4278_47agemaki2
 
 
 

■右上端に「あけまき」と巻名が墨書きされています。
■巻名のすぐ下に、小さく「四十七」とあります。「総角」は第47巻にあたります。
■用紙が上から3分の1の所で継がれています。
■左端に綴じ穴の跡が4カ所認められます。
■描かれているのは、薫が大君のいるところへ屏風を押し(引き)開けて入った場面です。
 大君は、「隔てなきとはかかるをや言ふらむ。めずらかなるわざかな」と、詞書きに書かれている言葉を薫に言います。
 その意味は、「あなたがおっしゃる『隔てなき』というのは、心の隔てではなくて、屏風を押し開けてまでする、こういう無体ななさりようを言うのでしょうか。あってはならないなさりようですこと。」ということです。大君は薫の行動を非難している場面なのです。結局、薫の自制心もあってか、ここでは何も起こりません。
■この場面を絵画化した源氏絵を、私はまだ確認していません。
■本図は、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風とほぼ同じ図様となっています。
 源氏屏風の当該巻の一部分を引きます(『皇室の至宝2 御物 絵画U』協力︰宮内庁、監修︰徳川義寛・井上靖、毎日新聞社、平成3年5月、図版2左隻5扇3段目)。

 
 
 
110831_47agemaki3nomarucolor
 
 
 
110831_47agemaki3nomarumono
 
 
 

 前巻「椎本」と同じように、人物の位置と表情に留まらず景物の描かれ方に至るまで、非常によく似ていることが確認できると思います。

 参考までに、薫と大君が描かれている部分を拡大してみましょう。
 最初にコーツ源氏絵を、次に三の丸尚蔵館の源氏屏風です。
 特にこの「総角」においては、屏風の折り畳み具合はまったく一致します。
 
 
 
Img_4278_47agemaki2part
 
 
 
110831_47agemaki3nomarupart
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年09月01日

京洛逍遥(200)慶事のお香を松栄堂で

 お香と聞くと、すぐ仏事に思いが及びます。これは、線香からの連想でしょうか。
 ところが、慶事にもお香が用いられることを、娘の結婚を契機に知りました。

 2008年は〈源氏物語千年紀〉ということで、さまざまなイベントがありました。また、『源氏物語』をテーマにしたお香も流行しました。
 『源氏物語』の巻々をテーマにした「源氏かおり抄」という松栄堂さんのお香は、「桐壺」巻から「夢浮橋」巻に「雲隠」巻を加えてシリーズ化したものです。今でも、高い評価を得ているお香群です。

 本ブログでも、
「お香と『源氏物語』」(2008年3月7日)

「源氏千年(16)お香と源氏物語」(2008年3月23日)
で、その一端を報告しました。

 京都には、たくさんのお香の老舗があります。中でも、松栄堂さんは全国的にも有名です。

 お香を聞き分ける聞香は、私も実際に体験し、遊び心に満ちた文化として認識を新たにしたものです。

 本ブログの「『源氏物語』のお香と、初めての聞香」(2008年4月18日)では、実際に松栄堂さんで開かれた聞香の会に参加をしたことを書きました。お香を使った楽しい遊びの会でした。

 明日は、娘の荷物を新居に運びます。そして、今回の結婚に際して、新婦が初めて嫁ぎ先を訪問するので、その際に先方のご先祖様への感謝の気持ちを込めて、お土産としてお線香を持参してお供えする習慣が古くからあるそうです。

 婚礼などの慶事に使う進物線香と言われるものは、ネットの情報では朱色の塗り箱に入れて贈るとか。お慶びの色ということで朱色なのでそうです。

 初めて知ったことなので、この慶事のお香のことがどの程度認識が共有されているのかはわかりません。しかし、その意味が理解できたので、それではということで、松栄堂さんに行ってお香の相談をしました。京洛にあまたある薫香のお店の中でも松栄堂さんにしたのは、娘もここで開かれた聞香の会に参加したことがあるので、何かのご縁ということで決めました。
 
 
 

110901_syoueido1
 
 
 

 今日、9月1日に、めでたく入籍を終えたとの一報が入りました。
 なぜ今日? と聞くと、昨年の8月末日に私の大手術があり、9月1日は無事に私が命をつないだ記念すべき日なので、それにあやかって幸先のいいスタートの日にした、とのことでした。結婚式は下鴨神社であげたいとの願いが強く、一年前の予約に今春やっとこぎつけたので来年の3月にとりおこなわれることが決まっています。

 いい出会いに恵まれ、気持ちのいい生活がスタートすることを慶んでいます。
 明日は台風が来ます。これもまたよし。頼もしいスタートになることを、共に祝いたいと思います。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥