2011年08月31日

京洛逍遥(199)「紫野源水」の茶菓でいただく薄茶

 結婚する娘が明日から別姓となるので、同姓の内にということで最後のお茶会を自宅でしました。
 持って行く荷物の整理に明け暮れる中でもあり、風炉も釜も用意が大変なので盆略手前となりました。

 お茶菓子は、近所の和菓子屋さん「紫野源水」の「涼一滴」です。小豆と胡麻風味の2種類がありました。煎茶茶碗に入った水羊羹で、夏季限定商品です。
 
 
 
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 「源水」という和菓子屋さんが、二条城前の全日空ホテルの東にあります。ここは19世紀初頭創業で、川端康成が愛した銘菓「ときわ木」があるとか。そしてこの「紫野源水」は、「源水」から27年前に暖簾分けして独立したお店だそうです。そんなことには関係なく、近いので何度かいただきに行っています。
 
 
 
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 今日も、「桔梗」などの生菓子にしようと思ったのですが、お店の方に家族でお茶会をするのですが、と話をしたら、この「涼一滴」を勧められました。ご自慢の逸品のようです。

 「紫野源水」というと、『京都紫野 菓匠の殺人』(柏木圭一郎、小学館文庫、2010.9)を思い出しました。この本は、昨年、ちょうど私が無事に手術を終えて退院したころに刊行された、書き下ろしの文庫本です。近所の和菓子屋さん「紫野源水」さんがイメージされる話なので、読んでみようと思って買ったままになっていました。
 昨夏よりお茶のお稽古をはじめたこともあり、いつか読もうと思いながら気にはなっていました。
 今日、「紫野源水」さんの和菓子をいただいたことでもあり、この際、読んでみることにします。紹介はまた後日に。

 さて、家族でのお茶会です。
 娘が点てる薄茶を妻と一緒にいただきました。夜ということもあり、急ごしらえの盆略手前です。
 お茶碗は、お茶の先生が結婚祝いにくださった、おめでたいお抹茶茶碗です。
 
 
 

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 大事なお茶碗なので、古袱紗に乗せていただきました。
 
 
 

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 松竹梅に桜・撫子・菊が青海波を背景にして描かれています。
 
 
 

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 これからも、このような家族でのお茶会を、季節季節に持ちたいものです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年08月30日

在英国・源氏画帖(続15)「椎本」

 ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの源氏絵(粉本)の解説を続けます。
 昨日の「橋姫」巻に続く第46巻「椎本」です。
 
 
<椎本(本文)>
 
 
 
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■左端に「四十六」とあります。「椎本」は第46巻にあたります。
■用紙が下から5分の2の所で継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第5巻の204頁に該当します。
■下部3箇所の虫食い跡を調べると、現状の台紙に貼られる以前の、冊子形態のときと巻子形態のときのありようがわかるはずです。このことは、原本を確認したときに報告しましょう。今は、冊子と巻子の両方の状態で伝えられてきたものであることの確認に留めておきます。
 
 
   しゐかもと
此ころの事とて薪このみひろひてまいる
山人ともありあさりのむろよりすみなと
やうのものたてまつるとてとし比にならひ
侍にける宮つかへのいまとてたえ侍らんか心
ほそさになんときこえたりかならす
冬こもる山風ふせきつへきわたきぬなとつかはし
しをおほしいてゝやり給
(『源氏物語別本集成12巻』463063〜463093)
 
 
<橋姫(粉本)>
 
 
 
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■他の巻にあった巻名及び巻順のメモが、この「椎本」にはありません。
■用紙が上から3分の1の所で継がれています。
■左端に綴じ穴の跡が4カ所認められます。
■絵に描かれている場面は、八の宮亡き後の山荘にいる姫君たちの元に、阿闍梨から例年のこととして炭が届けられたところです。これに対するお礼として、例年の通り綿入れの着物を、女房が使いの者に手渡しています。炭などを届けた使いの者と山人の風貌に、狩野派らしい漢画の影響が顕著に伺えます。屋内には、大君と中の君がいます。
■この場面を絵画化した源氏絵は、この他にも多くあります。
■本図は、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風とほぼ同じ図様となっています。
 源氏屏風の当該巻の一部分を引きます(『皇室の至宝2 御物 絵画U』協力︰宮内庁、監修︰徳川義寛・井上靖、毎日新聞社、平成3年5月、図版2左隻5扇2段目)。

 
 
 
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 参考までに、姫君2人と女房の部分を拡大してみましょう。
 最初にコーツ源氏絵を、次に三の丸尚蔵館の源氏屏風です。
 
 
 
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 人物の位置と表情に留まらず景物の描かれ方に至るまで、非常によく似ていることが確認できると思います。
 コーツ源氏絵の方が、いくぶん女性の顔がふっくらとしており、豊かな線で描かれているといえるでしょうか。
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年08月29日

在英国・源氏画帖の情報(続14)

 ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの源氏絵(粉本)の紹介を続けます。
 「竹河」巻に続く第45巻「橋姫」です。
 
 
<橋姫(本文)>
 
 
 
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■左端に「四十五」とあります。「橋姫」は第45巻にあたります。
■用紙が上から4分の1の所で継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。そのすぐ横の継ぎ目すれすれの所に、綴じ穴の跡が2ヶ所認められます。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第5巻の139頁に該当します。
■最近の説では、「橋姫」のこの場面で琵琶の前にいるのが中の君とされています。そのため、この詞書き全文は中の君のことを語るところとなります。
■ひらがなの表記で、字母である漢字が崩れる前の形で書かれている例が散見します。たとえば、1行目は次のような表記になっています。
「宇知なる人飛とり盤者しらに寿古し」
■「都(つ)」「難(な)」「東(と)」など、文字使いに古い雰囲気を出そうとしているようです。
■左端中央に墨汚れがあります。源氏絵制作現場で用いられていた痕跡と思われます。
 
 
   はし姫
うちなる人ひとりははしらにすこし
居かくれて琵琶を前にをきては
ちをてまさくりにしつゝ居たる
にくもかくれたりつる月のにはかに
いとあかくさしいてたれはあふきな
らてこれしてもつきは招きつへかり
けりとてさしのそきたるかほいみしく
らうたけににほひやかなるへし
(『源氏物語別本集成11巻』451929〜451957)
 
 
<橋姫(粉本)>
 
 
 
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■右上端に「はしひめ」と巻名が墨書きされています。
 前巻「竹河」でも指摘したことですが、コーツ源氏絵の粉本でこの位置に巻名が記されているのは次の6枚です。
 書かれている文字は、本文の手とは異なる人によるものです。
 〈43〉紅梅 〈44〉竹河 〈45〉はしひめ 〈47〉あけまき 〈48〉さわらひ 〈50〉あつまや
 なぜこれらの巻だけなのか、今は不明としておきます。
■巻名のすぐ下に、「四十五」とあります。「橋姫」は第45巻にあたります。
■用紙が下から5分の2の所で継がれています。
■左端に綴じ穴の跡が3カ所認められます。
■絵の場面は、宇治にある八の宮の山荘です。月光の下で薫が姫君たちを覗き見するところで、よく源氏絵に描かれています。
 姉妹と楽器の関係について、旧説では大君の前に琵琶が、中の君の前に箏としてきました。しかし、最近では、琵琶の前には中の君、箏の前には大君とされています。そのため、上掲の詞書きの部分は、中の君のことを語る場面の引用ということになります。
■この場面を絵画化した源氏絵は、この他にもたくさんあります。徳川美術館蔵の国宝源氏物語絵巻がもっとも有名です。動絵巻には詞書きもあります。
■なお、前回、コーツ先生ご所蔵の源氏画帖と宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の源氏屏風の近似性について、その可能性の高いことを指摘しました。しかし、本「橋姫」巻については、まったく異なる図様の絵です。江戸狩野の源氏絵といっても、いろいろとあったので、三の丸尚蔵館の屏風絵とすべてが一致するものではないことが、この例からわかります。
posted by genjiito at 22:59| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年08月28日

京洛逍遥(198)手作り市とお茶のお稽古

 今日の朝食後の賀茂川ウォーキングは、川下の下鴨神社ではなくて、川上の上賀茂神社に足を向けました。

 過日の京都五山の送り火で見た幻想的な舟形は、いつもの穏やかな顔を見せて川を見下ろしています。
 
 
 

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 上賀茂神社の本殿の前に鎮座する片岡社は、改修工事を終えてきれいになっていました。ここは、紫式部と縁の深い神社です。
 この片岡社から本殿を望むと、檜皮葺きの屋根がみごとな線を描いています。
 今にも賀茂の神様が降りて来られるかのような気配を感じさせています。
 
 
 

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 奈良の小川沿いの境内では、ちょうど手作り市をやっていました。
 
 
 

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 ここの手作り市にはよく来ます。今回は、いつもよりも出店も人も多くなっています。境内での市の規模も、ずっと大きく広くなりました。
 上賀茂神社の手作り市は、一段とレベルアップしたように思えます。小さなテーブルに並ぶ品々は、格段にセンスが良くなり、これまでの趣味の品々を処分するという雰囲気はまったく払拭されています。みなさん、この日のための自信作を見てもらおう、という意気込みが感じられました。
 そんな熱気の中で、娘が新居で使えるようなコーヒーカップと茶碗をいただきました。
 
 
 

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 カンガルーの皮で造ったペンカバーもいただきました。これは、手触りのいいペンに変身するものです。

 上賀茂神社の神域からは、ものを考えたり創ったりする上での発想に大いなる刺激をもらえます。知的好奇心をくすぐられる、不思議な空間に変わっているのです。気持ちのいいコミュニティーの場所になりました。次回が、また楽しみです。

 午後からは、奈良の平群に、娘と共にお茶のお稽古に行きました。
 まだまだ残暑がきついので、元山上口の駅からの登りはいい運動になります。先生のお宅に着くと汗だくです。

 今日は、薄茶のお手前の練習を二度やらせていただきました。何度やっても、スムーズには手が動きません。先生の横からの囁きに耳を傾けながら、指示に忠実に動いているつもりです。しかし、なかなか思うようにはいきません。
 考えていてはいけないことは、重々わかっています。自然と動作ができるようになるためには、とにかく繰り返ししかないようです。

 前回は、私が準備段階で茶巾のセットを間違ったためにできなかった茶碗を拭くところは、無事にうまくいきました。
 ただし、返ってきたお茶碗を洗うとき、お湯を入れてすぐに建水に捨てるところを、無意識のうちに茶筅でシャカシャカと洗う動作に入ってしまいます。流れがいまいち摑めていません。

 柄杓の取り方も、まだ手が迷います。
 次のことで頭が一杯になっていると、背筋を伸ばして、と指導が入ります。これは、ウォーキングをしているときにも、妻からいつも指摘されることです。
 背中が曲がっていると、より一層年寄りに見えるとのことです。気をつけているのですが、つい猫背になるのです。お腹を突き出すようにして背筋をピンと伸ばす習慣を心掛けていますが……
 それでも、袱紗の扱いが少しうまくなったと褒めていただきました。

 今日のお菓子は、大徳寺納豆を潰してゼリーに浮かせた、美味しい茶菓でした。大徳寺納豆は塩気がきついので、大徳寺の近所に住んでいるのに、食べる機会があまりありません。
 今日の甘いゼリーとの組み合わせは絶妙でした。何だろうと思いながら食べるのも、なかなか楽しいものです。
 水気のあるお菓子をいただく時に、懐紙の下にあらかじめ小さく折った懐紙を敷くことも覚えました。

 家に帰ってから、妻と息子を相手に盆略手前で復習をしました。横では、娘が厳しくアドバイスをしてくれます。
 なかなかおもしろいお茶のお稽古になって来ました。
 
 
 

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posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年08月27日

千代田図書館の内田嘉吉文庫のこと

 今日8月26日と明日27日(午後1時から90分)の2日間、九段下にある千代田区立図書館で展示関連講演会として「内田嘉吉文庫の魅力とこれから」が開催されました。場所は、千代田区役所1階の区民ホール(展示会場内)です。

 ちょうど千代田図書館へ古書目録の調査に行っていた折でもあり、興味深い内容に惹かれて参加しました。

 この内田文庫は、私が現在調査をしている閉架書庫の同じスペースで、日比谷図書文化館への移転の作業が続けられています。内田文庫の本の背中を見ながら自分の調査をしているので、その内容は気になっていました。
 今日はいい勉強の機会に巡り会うこととなりました。

 まず、菅谷彰氏(千代田区立図書館ジェネラルマネージャー)が、「冒険の内田文庫 新たな旅立ちに向けて」と題して話してくださいました。おおよそ、次のような内容でした。
 
 
 

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・内田嘉吉文庫の基礎
・内田嘉吉文庫の探査
  4年間のジャングル探検
  大正という時代と台湾や満州が見えてくる
・内田嘉吉文庫の特別な魅力
  内田嘉吉は『坂の上の雲』と同年代の人
・10月から日比谷図書文化館に移管されて公開となること

 つづいて、水谷剛氏(内田嘉吉文庫研究家)が、「内田嘉吉文庫の魅力」と題して話されました。
 
 
 
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 『群書類従』がメインの話とのことでしたが、多岐にわたる内容でした。
 その中で、昭和天皇が皇太子時代に英国を訪問された折、『群書類従』全冊をケンブリッジ大学に寄贈(大正11年)されたのだそうです。その本には、次の写真のように「光栄記念」の印があるのが特徴である、とのことでした。
 
 
 
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 ただし、英国王室へのお土産であり、現在どこに所蔵されているのかは不明だが、温故学会の理事長の話ではケンブリッジ大学にあるようだ、とのことでした。
 講演会が終わってから、水谷氏にその詳細を確認したところ、実はまだ確認がなされておらず、温故学会の理事長からもその確認を求められていることだそうです。
 縁あってケンブリッジ大学の図書館と大学には懇意にしていただいている方が数人いらっしゃいます。
 早速、お話の中にあった「光栄記念」の印がある『群書類従』について、英国ケンブリッジ大学の図書館で日本部長をなさっている小山騰さんに問い合わせをしました。

 するといつものように、すぐに以下の回答をいただきました。結論としては、実際にケンブリッジ大学図書館で現在所蔵している、とのことです。

…… 小山騰さんからのメールの一部 ……

『群書類従』の件ですが、当館(ケンブリッジ大学図書館)で所蔵しております。
桐の箱に入っております。
実は、当館内の日本語コレクションが現在収蔵されている場所ではなく、以前日本語コレクションが置かれていた場所にそのまま残されており、簡単にアクセスすることができない場所にあります。
当館には、昭和天皇、今上天皇が訪問した際の自著(サイン)もあります。

 この件については、早々と解決しました。迅速な対応をしてくださった小山騰さんに感謝いたします。
 
 最後は、臼井良雄氏(元神田雑学大学理事)が、「内田嘉吉」について語られました。展示資料と興味深い本の紹介が中心でした。大正から昭和にかけての、これまではあまり見えなかった部分の歴史が、こうした資料から炙り出されてくる可能性があり、今後の展開が楽しみになります。
 
 
 
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 臼井氏は、この内田嘉吉が残した資料を調べている内に、自分なりに昭和史を書いてみたいと思うようになった、とのことです。これまであまり見ることのなかった資料が満載の文庫なので、歴史に興味と関心のある方は垂涎の宝庫だといえそうです。
 ただし、文学に関係するものはほとんどないようです。残念です。
 しかし、丹念に見ればいろいろと文化・文学に関する貴重な情報も得られそうな、そんなスケールの大きい資料群です。

 今後とも、この内田嘉吉文庫が活用され、有益な情報が公開されることに期待したいと思います。
posted by genjiito at 00:24| Comment(0) | ◆国際交流

2011年08月26日

日南町のガイドブックに紹介された池田亀鑑

 これまでに本ブログにおいて、井上靖・松本清張・池田亀鑑に関連して紹介してきた鳥取県の日南町で、「まるごと日南町完熟ガイドブック」が発刊されました。

 その中で、「町と文豪のゆかり」というページに池田亀鑑が取り上げられています。

 その紙面については、「池田亀鑑賞公式サイト」(2011年8月24日)から読むことができます。

 少しずつではありますが、池田亀鑑とその賞について知ってもらえる機会が増えています。

 地道にコツコツと広報や研究活動が続き、多くの方々に支えていただける中で、今後とも着実に育ってほしいものです。
posted by genjiito at 12:24| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年08月25日

いろいろな「そばぼうろ」を楽しむ(3)

 今日は、納涼食事会と銘打った飲み会が新宿でありました。外で飲むのは久しぶりです。

 体調のことがあり、しばらく外でのお付き合いを控えていました。何かあったら、皆さんに迷惑をかけるので、遠慮をしていたのです。しかし、そろそろ社会復帰をしないと、という思いと、日ごろお世話になっている方たちに感謝の気持ちを伝えたかったので、外での集まりを持つことにしました。

 ところが突然、私の社会復帰のお祝いだということで、最近気になっているボウロをもらいました。
 
 
 
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(10)大阪前田製菓「タマゴボーロ かぼちゃ&ピーマン/にんじん&小松菜」
  本社所在地︰大阪府藤井寺市小山
 
 
 ありがたく感謝していただきました。

 ちょうど、大阪から資料調査で来た人がいたので、その方も交えて、楽しい一時を過ごしました。

 周りから心配されながら、焼酎のお湯割りを3杯飲みました。あまり酔わず、いいお酒でした。場所も、私の生まれ故郷である島根県のお店でした。

 若者と一緒だと、いろいろな話題が次から次へと展開するので、いい刺激を受けます。

 お陰で、食べて飲んで、それで体調を崩すことがなかったので安堵しました。
 これからも、折を見てこうした集まりに積極的に参加しようと思います。

 いろいろと自粛していたことを、これからは体調と様子を見ながら関わって行きたいと思います。

 ボウロのことを書いたので、最近手にした蕎麦ぼうろをアップしておきます。
 
 
 

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(11)本家尾張屋「蕎麦ぼうる」(左)
  本社所在地︰京都市中京区車屋町二条下ル仁王門突抜町
 
(12)井筒八ッ橋本舗「蕎麦ぼうろ」(右)
  本社所在地︰京都市東山区川端通り四条上る常盤町
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | 美味礼賛

2011年08月24日

食事と血糖値の管理に関しての傾向が判明

 このところ、頻繁に血糖値を計測しています。そして、私の体内で起きている、おおよその傾向がわかってきました。

 まず、今の私の食生活で、寝起きの血糖値は110前後です。空腹時の目安を130以下にしているので、これはあまり心配していません

 次に、朝食を食べ始めてから1時間以上経つと、血糖値は300近くにまで上がります。
 そこから30分経った2時間後にになると、200前後に下がります。そして3時間後あたりには、目安の130くらいで安定します。

 とにかく、時間がかかっても、確実に私の血糖値は下がっていくのです。こうした繰り返しを、食前食後に体内で展開しているのです。幸いなことに、下がることは確認できているので、次は高い数値の持続時間をいかに短縮するか、ということになります。そうでないと、高血糖が続くことから、血管に異常が発生し糖尿病は深刻な問題となり、合併症の危険が出てくる、といわれます。

 これまで行なっていた朝晩の食後の散歩は、食事を始めて1時間半以上経ってからスタートしていました。それを、食事を終えてそのままウォーキングを始めると、30分ほど歩いて帰ってくると100以下にまで下がるのです。
 今日などは、食後は250だったのが、散歩から帰って測ると、なんと70だったのです。あまりに下がりすぎなので、少しカロリーを補給したほどです。

 胃のすべてを切除してから、なかなかこの血糖値のコントロールができませんでした。しかし、これで1つの傾向がおぼろげながらでもわかったので、対策が打てそうです。
 私の場合は、食後は可能な限り早い段階で歩き始める、ということが1つの方策だと思われます。

 これは人それぞれの問題であり、自分なりの解決策を自力で考えるしかありません。その意味では、今回わかった傾向からの対処は、今後とも試してみる価値はありそうです。
 他の誰に相談する問題でもないので、いろいろと試行錯誤を続けていくしかありません。しかも、楽しく、面白く。

 お医者さんも、胃をすべて摘出した者の血糖値を管理するデータは、あまりお持ちではないようです。
 ヘモグロビンa1cの値によって、血糖値の推移を見るのが一般的です。これは、2、3ヶ月の血糖値の平均値がわかるとされる物指しです。しかし、多少は不正確でも、自分で毎日計測して自分の身体にあった対処方法を考えるのが、私は現実的だと思っています。私も、ヘモグロビンa1cの値は、2ヶ月に一度病院で調べてもらっています。自宅でできたらいいのですが、そのための機器は簡単に個人で購入できるものではないのです。

 もちろん、毎日の食事の内容や体調、そして食事の時間や間隔も違うので、一概に自己流の血糖値の計測による傾向だけで解決する問題ではありません。しかし、おおよそ私の血糖値がこのような推移をすることがわかったので、食事と体調管理に関して、おおまかな指針が持てたように思います。

 今はこうした傾向があることを前提にして、今後とも自分の身体の変化を見つめていきたいと思います。
 とにかく、少し大股で歩くお散歩を心掛ける毎日にします。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | 健康雑記

2011年08月23日

銀座探訪(26)狩野画塾跡の説明板

 2週間ほど前に、「コーツ先生ご所蔵の源氏画帖は江戸狩野派の粉本」(2011年8月12日)と題する拙文を書きました。

 江戸狩野派に関係する場所として、現在工事中の歌舞伎座の近くに「狩野画塾跡」があったことを思い出したので、自転車を飛ばして行ってきました。

 みゆき通りと昭和通りの角のビルの側壁に、ひっそりと説明版があります。写真の矢印の場所です。気をつけないと見つけられません。
 
 
 

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 この説明版には、次のような文章が記されています。
 
 
 
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  狩野画塾跡
       所在地 中央区銀座五−十三−九〜四付近
 江戸幕府の奥絵師であった狩野四家は、いずれも狩野探
幽(守信)、尚信、安信の三兄弟を祖とし、鍛冶橋・木挽町・
中橋の三家と木挽町の分家浜町と、四家全て区内に拝領屋
敷がありました。
 木挽町狩野家の祖、狩野尚信は寛永七年(一六三〇)に江
戸に召し出され、竹川町(銀座七丁目)に屋敷を拝領して奥
絵師になりました。のち、安永六年(一七七七)六代典信(栄
川)の時に、老中田沼意次の知遇を得て、木挽町の田沼邸の
西南角に当たるこの地に移って、画塾を開きました。
 奥絵師四家のなかでもっとも繁栄した木挽町狩野家は、
諸大名などからの制作画の依頼も多く、門人もまた集まり
ました。門人のほとんどは諸候のお抱え絵師の子弟で、十
四、五歳で入門し、十年以上の修行を要しました。修行を
了えた者は師の名前から一字を与えられて、絵師として一
家を成す資格を持つといわれました。
 この狩野画塾からは、多くの絵師が輩出しましたが、明
治の近代日本画壇に大きな貢献をした狩野芳崖や橋本雅邦
はともに、木挽町狩野最後の雅信(勝川)の門下生です。
   平成九年三月
                  中央区教育委員会


 狩野家には、鍛冶橋、木挽町、中橋、浜町の4家がありました。狩野探幽は鍛冶橋狩野家を興しました。
 この銀座にある「狩野画塾跡」は、4家の中でも一番栄えていた木挽町狩野家の跡地です。
 明治の近代日本画家として大きな足跡を残した狩野芳崖と橋本雅邦は、この木挽町狩野家最後の門下生でした。

 ケンブリッジ大学のコーツ先生がお持ちの『源氏物語画帖』の粉本は、この狩野家の系列に属する下絵である可能性が高いと思われます。とすると、この木挽町狩野家に関係する者が所持しており、この地で源氏絵を制作するときに模本として利用されていことがあったのではないか、と考えても、あながち妄想とも言い切れません。
 俄然、具体的なイメージが浮かぶようになり、楽しくなりました。

 コーツ先生は、今年の3月に慶応大学の招きで来日される予定でした。私も、お目にかかれるのを楽しみにしていました。しかし、東日本大震災が発生したことにより、残念ながら中止となりました。
 この次にコーツ先生が日本にお出でになった折には、ぜひともこの銀座五丁目の「狩野画塾跡」にご案内するつもりです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 銀座探訪

2011年08月22日

何事も加齢ですよと60歳

 手が痺れることで、最初に診てもらった九段坂病院の診察を受けました。
 結論は、加齢によるものと考えられるので、もうしばらくこのまま様子を見て……ということになりました。

 MRlのフィルムを見ながら、特に問題はない、と先生はおっしゃいます。
 それでも、手が痺れるのはどうしたらいいのかと聞くと、もうしばらくこのまま様子を見ましょう、とのことです。
 気休めなのか、前回と同じビタミン剤メチコバールと、ロキソニンという解熱鎮痛消炎剤の対症療法薬をくださいました。

 私のこの症状は、先々週の京大病院でもそうでしたが、加齢によるものとしか考えられないそうです。そう言われると、それで終わりです。

 諸先輩方も、こうして少しずつ身体の違和感に慣れる中で、齢を重ねてこられたのでしょうか。
 まだまだ若い気でいます。しかし、どうもそうではない状況に我が身は追いやられていくようです。認めがたいことです。しかし、この現実は受け入れざるを得ないようです。相変わらず元気であることが、とにかく安心材料です。

 気分一新、おいしいものを食べることにしました。

 九段下から飯田橋に向かって歩きました。ここは、かつて江戸時代に台所町があったあたりです。そして、なによりも、高田郁の「みおつくし料理帖シリーズ」の舞台です。その一角にあった「魚鐵」で、獲れたての生サンマと刺身の定食を食べました。生きのいい魚が、ドーンとお刺身として出てきました。鮮魚のてんこ盛り、とはこのことです。
 
 
 

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 お刺身だけでお腹がいっぱいになります。特に、サンマのお刺身が最高でした。
 初めて入ったお店です。どうやら、評判のお店のようです。
 満足して、立川の職場に向かいました。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 健康雑記

2011年08月21日

クレマチスの丘にある井上靖文学館

 JR三島駅からシャトルバスで駿河湾を見下ろす駿河平を登ると、広大な自然公園があります。
 クレマチスの丘は、庭園エリアと美術館エリアの2つに分かれています。今回は、美術館エリアにある井上靖文学館とベルナール・ビュフェ美術館へ行きました。

静岡県駿東郡長泉町スルガ平515-57、クレマチスの丘 井上靖文学館


 井上靖文学館の入口には、和服姿の銅像がすっくと立っています。どう見ても井上靖ではないのです。
 受付で聞くと、この美術館を建てた岡野喜一郎氏だそうです。みなさんから、あの人は井上靖ですか? と聞かれるそうです。入口に立つ人目を引く像なので、よく知らずに来ると勘違いしそうです。建立者には申し訳ないことですが。
 
 
 
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 門を入ると、正面に2階建の白い和風の建物が目に飛び込んできます。
 
 
 
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 左手前には、文学碑があります。1973年11月に建てられたものです。
 その横に、「井上靖 生誕百年植樹(翌檜)」が植えてあります。『あすなろ物語』と関連するものです。
 
 
 
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思うどち
遊び惚けぬ
そのかみの
香貫 我入道
みなとまち
夏は 夏草
冬は 冬濤
    井上靖


 入口の雰囲気が、気取りのないものでいいと思いました。
 
 
 
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 後でわかったことですが、2階にも展示室があり、そこに研究コーナーもあったようです。登り口に気づきませんでした。それとも、閉まっていたのでしょうか。この次には、ぜひともこの研究コーナーを拝見したいと思います。

 受付には、いろいろと記念品が置いてありました。

 『しろばんば』で、おぬいばあさんが洪作に「はい、おめざ」と言って渡す黒玉のニッキ飴が復元されていました。説明文の末尾の「読味つづけ」は誤植だと思われます。
 
 
 
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 もう一つ。これも『しろばんば』に出てくる、黄色いゼリー菓子です。
 
 
 
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 これは、井上靖文学館と豊橋の若松園が協力してできた復元お菓子です。
 お菓子の由緒書きには、こう書かれています。
 
 
 
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 お菓子のケースの中には、このゼリーのいわれを記事にした「中日新聞」のコピーが入っていました(日付がないので現物は未確認ですが)。見出しには、「名作を食べる 切なく懐かしい甘さ」とあります。
 
 
 
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 記事の「メモ」欄に、こんなことが書かれています。


井上靖文学館によると、井上は執筆に際して入念な事前取材を行うことで知られる。作家として名を成してから若松園を訪れたという記録はないが「作中の詳細な記述から、お忍びで通ったかもしれません」という。


 作家の取材活動と作品世界との関係を思うと、「お忍び」ということの実際を知りたくなります。
 また、作品中に描かれたものを復元するという文化も、作品がこうして広く親しまれていく上からも大切にしたいものです。

 この井上靖文学館の受付には、いろいろな本が並んでいました。その中に、書店経由では入手できない本が数冊あったので、今回は5冊ほどいただきました。
 中でも、『わが心の井上靖 いつもでも『星と祭』』(福田美鈴、井上靖文学館、2004年6月)は、非常に興味深いものでした。
 幅広い読者層に支えられた作家であることを実感します。
 
 
 
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 帰ろうした頃、受付のスタッフの方が、時間があったら井上靖のDVDを見ませんか、と親切に声をかけてくださいました。そして、井上靖がテレビで自分のことを語っている録画を見せてくださったのです。
 この方は、妻が、柔道場の写真に見入っていたら、すっと寄って来て説明をしてくださいました。金沢四高時代の柔道場が明治村に移築された際、招かれ挨拶しようとした井上靖は言葉が出てこなかったということでした。壁に掲げられた額に当時の柔道部仲間全員の名前があり、井上靖を除いて全員が戦争で亡くなっていたのです。それも、病気のために井上靖だけが日本に帰国せざるを得なかったときのことだったのです。胸の詰まるお話だった、ということです。

 私が受付の横にあったお菓子や本にばかり興味を示し、妻が展示に夢中になっていたので、妻の方に説明をしたくなられたようです。DVDも、妻に対してのサービスだったのかも知れません。
 スタッフの方の詳しい説明と行き届いた心遣いに感謝します。ありがとうございました。

 ベルナール・ビュフェ美術館を目的にして、このクレマチスの丘に行かれる方の方が多いかも知れません。
 この美術館は、驚くほど多くの作品が展示されており、非常に充実した美術館でした。
 私は、ビュフェのサインの変遷を一大パネルにして掲示していたことに興味を持ちました。
 ドンキホーテの絵は、記憶に残る作品でした。

 このクレマチスの丘には、また来ることになると思います。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 井上靖卒読

2011年08月20日

いろいろな「そばぼうろ」を楽しむ(2)

 先月末に、「いろいろな「そばぼうろ」を楽しむ」(2011年7月31日)で、6種類の蕎麦ボーロのことを書きました

 その後、〈蕎麦〉のボーロに限らず、この種の食べ物をいろいろと見かけたので、取り上げておきます。
 
(7)京絵巻総本舗「麿の茶ぼうろ」
  本社所在地︰京都市上京区下立売千本東入田中町
 
 
 

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 これは、私がよくお土産として買い求める「麿のお気に入り」を作っているところのものです。
 
 
(8)京都菓子工業株式会社「京銘菓 蕎麦ぼうる」
  本社所在地︰京都市上京区下立売千本東入田中町
 
 
 

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 この会社は(7)と同じ住所なので、改めて(7)の包装ラベルを見て確認しました。(7)では、製造者として「京絵巻総本舗」とある下に「京都菓子工業株式会社」と明示されているのです。営業戦略上の理由から、こうした名前の使い分けをしておられるのでしょうか? 「麿の〈蕎麦〉ぼうる」としないのはなぜだろう、と余計なことを思ってしまいました。
 
 
(9)福寿堂秀信「南地ぼうろ」
  本社所在地︰大阪市中央区宗右衛門町
 
 
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 蕎麦ではなくて、バニラ味のぼうろです。

 乳幼児向けの「玉子ボーロ」や「牛乳ボーロ」と「そばボーロ」しか知らなかったので、おもしろくなってきました。
 どうやら、全国各地にご当地ボーロなるものがありそうです。
 お気づきの際にはご一報をお願いします。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 美味礼賛

2011年08月19日

インドからの報告

 一昨年まで日本で勉強していたクマール君が、最近のインドの様子を報告してくれました。
 インドは現在、社会的に反汚職革命が進行中だということです。

 クマール君については、本ブログで4回登場してもらっています。

「クマール君が審査員特別賞を受賞」(2009年3月20日)

 政治社会に関する問題は、さまざまな立場があるので、一個人の意見を紹介するにしても判断の難しいところがあります。私も、今のインドがこれまでとこれからの狭間で、いささか迷走中ではないかと思っています。
 かつての、コンピュータを中心としたIT分野の牽引力だけではどうしようもない状況にあることは明らかです。

 インドの英語力や数学の勉強法などについては、日本でも話題になることが多いようです。これからの世界を考えると無視できない国だからでもあります。
 しかし、日本のマスコミがあまり取り上げないところで、日々変化が起きていることは、毎年行くと実感します。中国と違い、10億の民が民主主義の社会を形成しているのです。そして、日本人が持つ特質とでもいうべき謙虚さを、インドの人々も持っています。それでいて、あまりにも急激な社会変化の中において人への思いやりが追随できず、おのずと心の中に矛盾が顕現します。その顕在化したと思われる事象を、現地の若者がそれをどう見ているのかを知ることは、非常に大切なことだと思います。

 私も、〈インド日本文学会〉の設立に関わり、これまで、インドの多くの方々との情報交換を心掛けて来ました。しかし、しょせんは国際交流基金や大学関係者を中心とした環境からの情報が中心となっています。
 今後とも、すこしでも幅広い視野でインドのことを取り上げたいと思います。

 さて、クマール君が送ってくれた報告は、以下の通りです。
 若くて冷静な判断ができるクマール君のことなので、真剣に問題に対処してのレポートだと思います。若いからこその思い込みもあるかもしれません。特に、後半に出てくるガンジー主義のAnna Hazareyについては、どのような評価をすべき人物なのか、今の私にはわかりません。今後の続報を楽しみにして、まずは第一報を転載します。
 
 
 


革命段階にまで強まるインドの市民社会運動
 
 この2011年8月15日に、インドは独立して64年目の記念日を迎える。インドは世界トップの汚職国であるにも関わらず、たった一人の政治家の汚職疑惑が裁判で判明された事例はなく、もちろんのこと刑務所で懲役にもならなかった。

 逆説的であるが、インド初の総理大臣ネルーの言葉「汚職人を一番近くの電柱で首をくくってやる」が、人々の間で一番人気だったセリフである。もちろんのこと、その言葉はインドの政治家に向けられたものであった。

 インドは世界一の貧困人口を抱えている国とみなされるが、その理由の中で一番大きなのは汚職問題とされている。それでは、汚職問題はなぜ生まれるか、という質問はインドの市民社会運動の中枢を成してきた。

 社会に公正を守るべく民主主義の中で、裁判システムは国の政府・政治から独立したものである。しかし、その裁判は取り調べる機関のレポートで判決を下す。調べる機関などは政府の管轄下にあるので、中立な立場を守れない。そのために、インドにおける64年の歴史の中で、たった一人の政治家の汚職疑惑すら裁判で判明されなかった。
 現在、インドの市民社会運動は、取り調べ機関の中立性をもっとも求めており、裁判と同様に政治の影響なしの取調べ機関の必要性を訴えている。
 
 インドの市民社会運動を率いる人たちの中で、ガンジー主義のAnna Hazareyは重要な人物である。社会貢献のために、インド国会から市民に与えられる最高受賞の第二位のPadam Bhusan と、第三位のPadam shreeが授賞されている。彼はインドのマハラシュトラ州の生まれ育ちで、自分の村を国際的に理想のモデル村にまで発展させたことで知られ始めた。

 社会的貢献は多い。村の女性たちは夫の酒の癖で大変に困った時の市民運動が著しい。もし、ある村の女の人50%以上に酒の店に反対して投票すれば、その酒の店の許可は政府から廃止される、という反酒の法を政府に作ってもらった。それはインドならではの問題に対して、インドならではの市民的解決策であった。
 その他、Right to Information ActもAnnaの尽力で可決・成立された法である。その情報アクセスの法を使って、あらゆる政府機関から正式的に情報がもらえる。

 インドの貧困の裏にある汚職問題を重く問題視しているAnnaは、反汚職運動を率いて、Janlokpal 法案の可決・成立のために42年も戦ってきた。Janlokpal法案のもっとも訴えるところは、通常に公的スキャムを取調べる機関を政府の管轄下から解放して、裁判と同様に中立な機関にすることである。

 今回のインドで行われた、コモンウェルスゲームの大量のスキャンダルと、その事件に対する人たちの憤慨をきっかけに、Annaは4月5日に法案可決成立のためにニュー・デリーで断食を始めた。政府が同意してくれない限り、死ぬまでの断食であった。まさにガンジー主義方法であった。

 インド全国で、Anna応援の声はマスコミのあらゆる方法であげられた。インド政府は動揺し、4月8日にAnnaの法案に同意し、9日にインド大統領の公式紙に書いて公約した。それで、4月9日で断食が終わった。
 しかし、インド独立記念日の8月15日までに法案が議会で可決・成立しないと、16日からまた死ぬまで断食を始める、とAnnaが公言した。その法案を検討すべく政府と市民運動活動家の委員会が組まれた。その委員会で政府は片務的な姿勢を見せ、市民社会の法案は無視された。それで、Annaはもう一回、8月16日から死ぬまで断食をするのである。
 
posted by genjiito at 23:15| Comment(0) | ◆国際交流

2011年08月18日

東京には鱧がない

 京都では祇園祭の7月になると、鱧(ハモ)が日常的にスーパーマーケットなどに並びます。祇園祭の別名が鱧祭といわれるほどです。

 8月にはさらに安くなり、鱧を連日お酒のおつまみにしたりします。
 私は、梅肉や酢味噌で食べるのが好きです。
 我が家では、こんな姿の鱧を買い、片栗粉を着けて湯に通します。
 
 
 
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 先日行った京料理の「えのき」では、おいしい鱧のおすましと湯引きの2種類が出てきたことは、本ブログで紹介した通りです。二品に鱧を食材に使うのですから、榎木さんの料理の背景を覗いた思いがしています。
 
 
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 鱧は押し寿司や握り寿司にもなります。
 わたしがよく行く回転寿司「むさし」などでも流れているので、関西では本当に日常生活の中の一般的な魚です。
 いろいろな料理に合う、夏の季節の魚です。寿司や吸い物に留まらず、土瓶蒸し・天ぷら・蒲焼と、多彩に姿を変えて供されています。

 この間は、自宅近くのイタメシ屋さんで、鱧と茄子のパスタをいただきました。
 
 
 
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 今日、東京の宿舎の近くで、熊本産の鱧の天ぷらを看板に掲げる店を見かけました。東京でも、料理屋さんに鱧はあるようです。高級食材ということのようです。

 同じウナギ目の魚の中でも、鰻は東西で調理の仕方が異なるにしても、両地方にあります。しかし、鱧は東国には見あたらないのです。

 回転寿司屋のポン酢が東京に少ないように、鱧も食文化の違いを示す一つのようです。
 西に行けば、まだ鱧が食べられます。来週の帰洛が楽しみです。
posted by genjiito at 22:50| Comment(0) | 美味礼賛

2011年08月17日

京洛逍遥(197)半木の道の光と水

 京都府立植物園の西側の賀茂川沿いに、みごとな桜並木で知られる半木の道があります。

 ここの木々の間に立つ照明は、太陽光を利用したものです。この太陽エネルギー灯は、今から30年も前に京セラが実用化して設置した製品です。
 
 
 

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 京都は、さまざまなものを日本で最初に開発したり実用化して取り入れています。街が古いだけではなくて、何にでもチャレンジする新しもの好きでもあるのです。それが、今でも新旧両方が共存する街を形成している秘訣なのでしょう。
 三条通りなどを歩いていると、そのことがすぐに伝わってきます。
 
 この京都が最初のものを列記しておきます。


映画上映・駅伝・おみくじ・音楽短大・画学校・高校音楽課程・国立国際会議場・コンピュータ専門学校・自習室・時代劇映画・自治体直営オーケストラ・中央卸売市場・チンチン電車・電灯・水力発電所・マネキン・バッテリー・柳池小学校・レントゲン


 今日、桜の根元にこんな石組みを見つけました。
 いつもウォーキングでここを通っているのに、これまで気づきませんでした。
 
 
 
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 近寄ってみると、木に水をやる設備だったのです。
 
 
 
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 帰りには、ちょうど水をやっているところに出会えました。
 
 
 
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 噴水口を石組みで隠すところなど、なかなか心憎いものです。しかも、この半木の道の桜すべてに、このような趣向が凝らされているのです。
 芸の細かさに感心しました。
posted by genjiito at 22:20| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年08月16日

京洛逍遥(196)京都五山の送り火を考える-2011

 早朝から京大病院で診察を受けました。
 先週末に撮影したMRlのフィルムとDVDを持参して、その画像について詳しい説明を聞きました。

 結論としては、頭部も頚部も、特に問題はないとのことでした。ただし、齢を重ねてきたことによる些細な変化はあるが、ということは、またしても付け加えられました。
 このところ、思っている以上に老化現象が指摘されるようになりました。これまでの様々な無理が、こうした検査で顕在化したということでしょう。

 さて、肝心の手が痺れることです。
 先生の今日時点での判断は、職業病としてのパソコン操作に伴う手首の疲労か、糖尿病に関連する末梢神経の障碍ではないか、とのことでした。

 そして、手術後に血糖値の維持管理に変化が生じ、それがカロリーコントロールに影響しているのでは、とのあくまでも推測を語ってくださいました。
 上京してから、九段坂病院の先生にさらに詳しく診てもらうことになりました。

 緊急を要することではなさそうなので、ひとまずは一安心です。

 帰りに、今夜の送り火で一番注目される大文字の如意ケ嶽の様子を見上げました。
 準備は着々と進んでいるようです。
 
 
 

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 今年は、岩手県陸前高田市のマツを京都五山の送り火で使用することで二転三転した問題もあり、マスコミはあえて大騒ぎを演出した京都叩きを展開しています。
 放射性セシウムが検出されたことにより、主催者側には難しい判断を迫られたことは確かです。今回のできごとで、私はこの送り火が「宗教行事」なのか「観光行事」なのか、という点で評価が分かれると思います。そしてマスコミは、取って付けたかのように「宗教行事」の視点を強調して酷評を繰り広げています。

 社会的な問題としては、京都五山の送り火はすでに宗教を離れ、ほぼ観光のためのイベントへと移行していると思われます。確かに地元では、識者や保存会が宗教的な意義を強調しておられます。しかし、京都の主要な観光行事がそうであるように、その宗教的な儀式を含めて考えれば、葵祭や祇園祭と同じように大文字の送り火が「観光行事」と化していることは明らかです。内なる宗教の側面と、外なる観光という側面を、うまく調和させながら長い期間継承されて来た行事です。

 その視点から見れば、放射能の危険性を訴える意見が出てくればそれを無視するわけにもいかず、その計画中止を判断したことは理解できます。ただし、その後、マスコミなどのバッシングに踊らされて、大慌てで再度被災したマツを受け入れようとしたブレ具合は、第三者から批判されてもしかたのないところでしょう。
 観光行事であることを認識して、毅然とした対応をすべきだったと思います。京都人は遊び心に溢れています。新しい物事を取り込みながら、変容の中に変わらないものを伝えてきたと思います。しかし、今回は宗教的に死者を弔うことの意義に引き摺られ、情に流されて迷走したために、批判される対処になったと言えます。
 私の意見としては、今回の被災地のマツは被災地で送り火にすべきであり、鎮魂という意義をあまりにも現実的な問題と直面させすぎたと思っています。

 今回のことは、今後とも京都が観光で生きていく上で、宗教を京都的なイベントにどう包み込んで展開していくのかを問うものとなったように思います。
 一段落してから、もう一度議論をして、意見の違いを確認しておく必要がありそうです。
 計画中止となったことは、被災地への思い入れだけで判断すると、京都はけしからん、となります。しかし、宗教を離れたイベントの部分だけを見る観光客の視点と、京都が取り組む宗教的な行事のこれからのあり方を整理して、主催者側の姿勢を再確認することが、今回の問題の一番大事なポイントのように思います。

 そんなことを想いながら、今回は「大文字」だけではなくて、「妙法」と「舟形」を見るために自転車で出かけました。

 大文字は、相変わらず大勢の人出で河原は埋まっていました。
 
 
 
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 すぐに宝ヶ池方面に向かい、「妙」と「法」を見るために自転車を走らせました。
 ともに低い山に点火されるので、そばまで行くことになります。
 
 
 
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 北山通りは、車の往来も激しいところです。その合間から、「妙」を眺めました。
 大文字のように、見上げる必要はなく、自分の目線で送り火が間近に見られます。
 また、京都市街からは北のはずれなので、人も多くはないのです。

 今年は予定していた「法」を見に行かず、賀茂川に向かい、「舟形」を見ることにしました。
 
 
 
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 ここは、上賀茂神社の近くになります。観光客というよりも、地元の方がたくさん集まっておられるようでした。

 帰る頃には、大文字の火がかすかに火床を残すだけでした。
 帰宅すると案の定、京都を遠回しに批判する特集が放送されていました。そうしたシナリオを書きたくなる気持ちも、理解できなくはありません。しかし、京都五山の送り火の今後を考えさせる意見は、なされたのでしょうか。少なくとも、私が見た朝日系列の番組では、キャスターもコメンテーターも奥歯にものの挟まった言い方で、京都を批判する意見を開陳していました。

 かつて、私が毎朝毎晩配っていた朝日新聞が、最近はブレているように思えます。あまりにも低レベルなステレオタイプに堕している傾向が感じられるので、大いに失望しています。

 そんなこんなで、今年も慌ただしくお盆が終わりました。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年08月15日

法事の後に「えのき」で会席料理

 今年のお盆は賑やかでした。
 昨年できなかった、母の七回忌と父の二十七回忌を、今回まとめてやることにしたからです。
 家族5人と姉夫婦、そして、両親がよく面倒を見ていた従姉妹夫婦の9人が集まりました。
 お寺さんは、いつものように養林庵の庵主さんが来てくださいました。
 法要が終わってから、今日も楽しく話に華が咲きました。

 今回も長男がお膳を作りました。
 その食器の置き方で、お漬け物などを盛る高皿と、煮込みや和え物を入れる平椀の位置が、庵主さんの置き方と当今の置き方が違うのだそうです。
 息子は、特に根拠があるわけではなくて、手引き書を見て並べただけだとのこと。
 庵主さんは、真ん中と向かって左下を入れ替えて見せてくださいました。
 
 
 

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 結局は、どちらでもいいそうです。しかし、来年からは庵主さんの置き方に変えると、息子は言っていました。

 私が昨年からお茶のお稽古を始めたことを覚えておられて、袱紗をくださいました。
 昨年のお盆は、私が手術で入院する直前だったので、あの時も病気の話で盛り上がりました。その時に、私がお茶を習い始めたことをお話ししたので、それを覚えておられたのです。
 80歳を優に超えておられるはずの庵主さんです。恐るべき記憶力です。

 数珠の結び目の話にもなりました。我が家の宗派である曹洞宗は非常にシンプルで、一つの房があるだけです。それが、他の宗派はいくつかの結び目があり、房も2つ3つといろいろです。
 これについても、どちらでもいいのですが、あるのなら自分の宗派のものがいいでしょうね、とのことです。

 知らなかったことが、こんな世間話の中でへーっなるほど、とわかるのは、本当に楽しいことです。

 お寺さんを送った後、みんなで五条大橋の近くにある京料理の「えのき」で、会席料理をいただきました。
 
 
 

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 ご主人の榎木伊太郎さんは、佛教大学の社会人講座では、食物研究史家として講師をなさっています。我が家の家族では、昨年の榎木さんの会席料理に関する講義を3回にわたり、私、妻、長男が拝聴しました。幅広い経験と知識で、楽しく和食の専門的な話をしてくださいました。

「精進料理の思想を学ぶ」(2010年7月31日)

 今日は、その榎さんが直々に作ってくださる会席料理がいただけたのです。作ってくださっている姿を見て、感激しました。
 
 
 

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 コリコリと歯触りのいい瓜でした。
 
 
 

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 丸い芋のようなものが、みんなの話題となりました。食材の説明を聞いて感心しました。
 
 
 

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 鱧とダシが絶妙でした。 
 
 

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 水前寺海苔、ヒラメのエンガワをはじめ、鱧も中トロも煮こごりのような莫大海も絶品でした。水前寺海苔と莫大海をを言い当てたのは息子だけでした。食材がすばらしいので、これは何だろうとみんなで盛り上がっていました。
 
 
 

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 枝豆を皮ごと甘辛く煮たものが珍しい味でした。 
 
 

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 冷たくて美味しい里芋でした。 
 
 

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 細いそうめんの冷たさが、心地よい感触として残りました。 
 
 

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 これまでのものをすべて食べたので、豆と百合根で味をつけた美味しいご飯は、少しだけいただきました。

 

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 プラムを乗せた梅ゼリーです。涼しい気分になりました。
 
 みんなが心配するくらいに、私は出てきた料理をすべていただきました。
 
 

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 榎木さんの手になる美しい中庭です。 
 
 

 帰り際に、榎木さんのお話をみんなで伺いました。暑い中、ずっと見送って下さるおもてなしの細やかさにも恐縮しました。

 その後、京阪清水五条駅からJRと近鉄経由で、家族でお墓がある大阪府八尾市の信貴山口駅まで行きました。
 去年までは車を使って行ったので、電車で行くのは初めてのことです。

 暑い一日。恒例の行事とお食事会と小さな旅を、楽しく無事に終えることができました。
 明日は京都五山の送り火です。
 日本の伝統的な行事の夏に、どっぷりと浸かっています。
posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | 美味礼賛

2011年08月14日

京洛逍遥(195)朝夕元気に散歩しています

 この夏は、朝夕のウォーキングで体調がよくなっています。隅田川と賀茂川を気ままに歩くことは、今後とも根気強く続けるつもりです。

 今朝は、賀茂川の辺で朝食です。散歩の途次、コンビニで買ったコーヒーなどで軽いブレックファーストを川原の木陰下にあるデッキチェアでいただきました。川風が心地よく吹き渡っていました。
 
 
 

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 お盆の準備に明け暮れる一日でした。
 明日は、自宅にお寺さんに来てもらい、父の27回忌と母の7回忌の法事も一緒に行うことになっています。

 慌ただしくしている折、陽明文庫の名和先生が立ち寄って下さいました。
 先生にはいつも気にかけていただき、お盆や年末の頃には近所においでになった帰りに、声をかけてくださいます。「元気にしとるか」と、いつものフルフェイスのヘルメットでオートバイに跨がり、サングラスに厳つい格好でいらっしゃいます。我が家の玄関先の花を見ながら、赤い扇子であおいでいらっしゃる姿は、誰にもこれが名和先生だとは気づかれないことでしょう。
 私のような者にも優しいお心遣いで足を向けて下さることに、有り難いことだと感謝しています。
 今秋は、国文学研究資料館で陽明文庫展があるので、これからますますお世話になります。相変わらずお元気な先生から、いつも元気をいただいています。

 夕方の散歩で賀茂川から北山を望むと、空気遠近法のお手本のような景色が目の前に展開していました。
 
 
 

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 北上し、上賀茂神社で折り返します。
 白い砂利の参道が、清々しい気持ちにしてくれます。
 
 
 

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 葺き替えられた細殿の檜皮葺の屋根も、気分をリフレッシュしてくれます。
 
 
 

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 お寺と違って神社には、透明感に溢れた静粛さと、神聖感に満ちた明浄さがあります。その神域に身を置くと、自分の気持ちが静寂の中で浄化されることを実感します。
 得がたい空間で心身を洗い清め、また歩いて賀茂川沿いを下って帰りました。
posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年08月13日

京洛逍遥(194)下鴨神社の「納涼古本まつり」2011版

 今日も朝から病院で検査です。
 鴨たちに見送られて、自転車で賀茂川を下ります。
 
 
 
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 今日は、MRlで頸椎を2種類の方法で撮影するものです。先々週に東京の銀座で、そして先週は京大病院で。今日は、京大病院での予約は来春3月までいっぱいとのことなので、病院前の吉川病院でMRIを受けました。これで3度目のMRlです。
 これまで、神経質なまでに気にしていた電磁波の人体への影響など、もうどうでもよくなりました。今は、体調不良を解消することが最優先です。

 大きなドーナッツ状の輪の中に頭から首を突っ込み、大騒音の中で30分。今回は、ヘッドホンも耳栓もなく、柔らかい耳当てが横から添えられるだけでした。部屋に音楽が流れていました。しかし、ほとんど聞こえません。ウツラウツラしかけても、やかましくて寝ることもできません。

 フイルムと画像を収録したDVDを受け取って、酷暑の中を熱中症に気をつけながら帰路につきました。
 帰り道、通りかかった下鴨神社の南に拡がる糺の森で、恒例となった「下鴨納涼古本まつり」の幟を目にし、立ち寄ってみました。

 『方丈記』の鴨長明で知られる河合神社と瀬見の小川に挟まれた長い馬場が、いつもの古書市の会場となっています。
 
 
 
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 緑のドームの下、38店舗が放出する80万冊の古書の海原を、2時間ほどかけて泳ぎ回りました。さまざまな想いが交錯する書籍探訪なので、見終わるとドッと疲れが襲ってきます。
 
 
 
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 『源氏物語』の読み物だけを集めたケースがありました。この試みは、各店舗が協力するともっと楽しくて興味深いコーナーができると思います。
 こんなところでも、『源氏物語』は別格の扱いをされることを見て、おもしろい文化だと思いました。
 
 
 
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 国民文化祭のマスコットキャラクターである「まゆまろ君」がいました。
 
 
 
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 国民文化祭は、略して国文祭と言われています。文化の国体というべきイベントで、三浦朱門が提唱して1986年に第1回が東京で開催されました。
 第2回が熊本県、第3回が兵庫県と毎年各県が持ち回りでバトンタッチしていき、昨年の25回が岡山県、そして今年の第26回が京都府、来年の第27回は徳島県が内定しています。

 今年は10月29日から11月6日までの会期で開催されます。京都は、このイベントを積極的に宣伝しているので、こうした古書市にもキャラクターが登場となるのです。

 電子ブックの時代に突入したと言われています。しかし、こうして古本市に足を踏み込むと、無限に拡がる興味と回顧の世界をさまようことになります。自分だけで完結する想像力の空間を、自由自在に泳ぎ回れるのです。実際に本を手にしてページを繰ると、さまざまな想いが沸き立ちます。のんびりと、こうした極上の時間に身をおける楽しみは、電子ブックが並んでいては味わえないものでしょう。
 形あるものが目の前に立ち現れてくるのは、バーチャルではない、時間の流れと質感を体験できる貴重な空間といえるものです。この感触は、ずっと大事にしたいと思います。

 今後とも、こうした古本市は廃れずに、かえって人が集まるイベントとなっていくように思いました。子供連れの若者たちがたくさん来ていたのは、児童書のコーナーがあったからではなくて、そうした傾向があるので児童書のコーナーが設けられ、そして賑わうようになったと思われます。ボランティアの方による本の読み聞かせもありました。
 老いも若きも、本を仲立ちにして刺激的な雰囲気が、この糺の森の木陰のもとで展開していたのです。

 昨年の古書市の記事を確認したところ、すでにそのときに若い人が多いことを書いていました。この傾向は、歓迎すべき事だといえるでしょう。

「京洛逍遥(155)下鴨神社の「納涼古本まつり」2010版」(2010年8月11日)

 ここは、世界遺産に登録されている下鴨神社の糺の森です。デパートの催し物会場や文化会館のホールではないのです。大自然の下、さまざまな本との出会いが待っているのです。これは、すばらしいことです。京都古書研究会のみなさま。今後とも創意工夫の下、ずっと続けて下さい。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年08月12日

コーツ先生ご所蔵の源氏画帖は江戸狩野派の粉本

 ケンブリッジ大学のコーツ先生がお持ちの源氏絵は、粉本27枚が1冊の画帖としてまとめられたものです。2冊あったと思われる内の後半の1冊、第28巻「野分」以降の粉本がコーツ先生のお手元にあるのです。しかも、源氏絵とともに詞書も一緒にセットとなっていることが、この画帖の貴重なところだと思っています。

 この画帖について最初は、以下のブログで2回に分けて紹介し、情報を募りました。
 初回に、7巻分の詞書と源氏絵を公開しました。

「在英国・源氏物語画帖に関する情報公開」(2011年1月10日)

「在英源氏画帖に関する続報」(2011年1月28日)

 その後、コーツ先生から残りの20巻分の画像をお預かりしたので、「在英国・源氏画帖の情報(続1)」(2011年4月26日)以降、少しずつ詳細な解説を付して紹介しているところです。

 ちょうど「在英国・源氏画帖の情報(続13)」(2011年8月 5日)を掲載した直後に、この粉本が狩野派のものではないか、というご教示を赤澤真理さんからいただきました。
 赤澤さんについては、「源氏絵を寝殿造から見た好著」(2010年3月30日)で紹介しています。
 現在は、日本学術振興会の特別研究員として国文学研究資料館で研究を続けておられます。

 さて、赤澤さんから寄せられたご教示は、私がブログに掲載した源氏絵の粉本について、以下のような貴重なものでした。


桂宮家に伝来し、三の丸尚蔵館所蔵の源氏物語図屏風、狩野探幽筆に図様が似ているように思います。江戸狩野派系の粉本かもしれません。


 そして、ご丁寧にも、次の2冊を参考文献として教えて下さいました。

『絵画でつづる源氏物語−描き継がれた源氏絵の系譜』徳川美術館、2005年
『江戸の美意識−絵画意匠の伝統と展開』宮内庁三の丸尚蔵館、2002年

 早速、三の丸尚蔵館所蔵の源氏物語図屏風(以下、三の丸源氏屏風と略称)を掲載する図録類で確認し、赤澤さんからいただいた指摘がもっともと思われることを確信しました。
 この屏風は、次のようなものです。


源氏物語図屏風 狩野探幽筆 六曲一双
  江戸時代 寛永十九年(一六四二)
  紙本着色 各本紙一六七・六 cm × 三七〇・〇 cm(各隻)


 たとえば、先日公開した第44巻「竹河」の場合、コーツ先生がお持ちの絵は次のものでした。
 
 
 
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 この同じ巻を、三の丸源氏屏風ではこういうふうに描いています(『皇室の至宝2 御物 絵画U』協力︰宮内庁、監修︰徳川義寛・井上靖、毎日新聞社、平成3年5月、図版4)。
 これは、54枚の源氏絵が描かれた屏風の、左隻第四扇下段にあるものです。
 
 
 
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 参考までに、この絵を白黒にするとこうなります。
 
 
 

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 また、この絵を輪郭線だけにすると、こんな感じになります。
 
 
 

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 あらためてコーツ先生ご所蔵の絵と較べると、図様が非常によく似ていることに驚かされます。

 なお、上記図書に掲載されている写真を、このようなブログでその一部を引用する場合にも、研究上の学術的引用として出典を明示すれば転載が認められる、と考えていいのでしょうか。もし許諾が必要であれば、それはどのような形になるのか、ご存知の方からのご教示をお待ちします。引用として問題があれば、大至急この画像をとりさげます。

 さて、この二つの絵を見比べると、いくつか微妙に異なるところが確認できます。

(1)左端の女性の顔の向き
(2)簀子にいる女性の数
(3)桜の木と女童の位置

 これ以外は、ほとんど同じように描かれています。

 (2)が一番大きな違いです。
 コーツ先生の源氏絵は、明らかに清書をするための下絵としての粉本です。
 その絵の簀子には、女性が一人しかいません。しかし、三の丸源氏屏風には、二人の女性が描かれています。物語本文と照らし合わせると、コーツ源氏絵の方が正確なようです。しかし、作品として仕上げるにあたって、さまざまな工夫や手が加えられることは、こうした工房での絵画制作においては常套的だと思われます。下絵とそっくりそのままには描かない、と考える方が自然です。

 狩野探幽は、狩野派という絵師集団の棟梁として、江戸幕府開設当初から御用絵師として活躍していました。この一派は、特に粉本(下絵・画稿・模本・縮図)を、絵画の技量習得から制作段階において重視していました。粉本は、学ぶ上での教本であり、描く時の参考資料だったのです。そして、絵の注文を受けたときに、施主の注文や希望を盛り込むところに、創意と工夫がなされたと思われます。

 少し専門的になりますが、『狩野派障屏画の研究』(武田恒夫、吉川弘文館、2002年2月)から、参考になる記述を引用しておきます。


 後日の制作のために、具備される粉本にも注目する必要がある。粉本という用語は本来草稿を意味するものであったが、一連の小下絵群とは別に、小下絵そのものの模写、或いは完成図の縮写といったケースも無視できない。再建(引用者注︰江戸城本丸西の丸)後に何らかのかたちで木挽町家(引用者注︰狩野尚信に始まる狩野派四家の一つで、木挽町に居を定めた。)以外の家系によつて、写された粉本が、諸機関に所在する。(314頁上段)

 

 諸粉本から種々の絵様を採り上げ、それらを組み合わせたり添削したりすることが、当時の制作にとって、常套手段となっていた。各塾において、より豊富な粉本を収集することは当然の要請となった。粉本は画塾内の絵本方によって保存修理に万全が期されたのみならず、さらにその蓄積にも働かざるを得なくなる。晴川院が自分自身も模写の労を惜しまなかったことはいうまでもないが、門下生らを動員して各地に出張させ、古画名品の模写活動を行なったことは有名である。(314頁下段)

 

寛延元年(一七四八)、栄川典信は朝鮮国王に贈与する「源氏初音、藤、裏葉」屏風一双を描いた際、探幽の図を写している。(315頁上段)

 
 それでは、この「竹河」以外の絵ではどうでしょうか。
 このことについては、もう少し調べてから、日を改めて報告することにします。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年08月11日

病院内で丸一日を過ごす

 早朝、賀茂川沿いに自転車を飛ばして、京大病院へ行きました。
 鴨たちも、急いでどこへ行くのかという顔をして、河原で見送ってくれました。
 
 
 

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 今日は、検査と診察の一日となります。朝食抜きなので、早くもお昼が待ち遠しく思いながら、息が上がらない程度に自転車を漕ぎました。

 まずは、脳神経外科で、手の痺れを診てもらいました。
 脳神経外科は、今日は手術だけの日だったのですが、左手に加えて右手が痛むことを訴えたこともあり、診てもらえることになりました。

 脳との関係はなさそうなので、頚椎を詳細に調べることになりました。お盆明けに東京の九段坂で診てもらう予定でしたが、それを少し早め、ここで首のMRlを撮ることにしました。ただし、京大病院では来年の4月まで予約が埋まってているとのことです。しかし、方法はあるもので、病院のすぐそばの開業医で、今週末に撮影してもらうことになりました。院内で予約が取れないときの方策のようです。

 先週は、東京の九段坂病院にMRIの設備がなかったので、銀座のメディカルセンターまで出向きました。
 今回は、京大病院に機器があっても、予約でいっぱいなので外で機器を持っている病院のお世話になります。
 ともに撮影したフイルムを持参して診断してもらう方式です。互助の精神で、ということでしょう。

 とにかく、少なくとも右手人差し指の痺れを一日も早くとらないと、キーボードで文章を入力するのに支障があります。これは死活問題です。単純に指を酷使したためとは思えないのです。

 続いて、本日のメインである昨夏の胃ガンの手術後の検査です。
 血液検査と、胸部と腹部のCT検査が予定されていました。
 CT検査では、造影剤が腕から注入されました。体がすぐに火照ってきます。突然、お酒を飲んで熱気にあたったときの感覚になります。しかし、特に異常はなかったので、半円形のドームに入ったり出たりする検査は、無事に終了しました。
 副作用の対策として、水分をたくさん取るように注意をうけました。

 病院の地下のコンビニでドリンクを買うときに、なにげなく目に入った『マンガ 日本の宗祖たちで知る 七大仏教』(桑沢篤夫・多田一夫、集英社、2011.8)を、つい買ってしまいました。
 午後の診察までの2時間の待ち時間の間に、マンガを一気に読み終えました。短時間で、日本の仏教について頭の整理ができました。来週は父母の法事を行うので、少し予習をしたことになります。

 午後は、胃の全摘手術の執刀医で私の主治医でもある岡部先生の診察でした。
 先週の内視鏡検査と、今日の午前中に撮影したCTと血液検査の結果を見ながら、術後の状態は非常に良好で、栄養状態も問題がないとのことです。ということは、食事以外はすべて順調です。

 体重を増やしたいと言うと、間食にカロリーメイトなどで200キロカロリーの補給を考えたら、とのことです。ただし、術後の体重に変化がまったくないので、今の食事でうまくバランスが取れているそうです。
 手術直前の体重が52キロ、手術後が48キロです。胃をすべて取ったので、差し引きの辻褄は合っています。ということなので、特に何かをする必要はないのだが……、とも。
 体重のことを考えてカロリーを余分に取ると、今度は血糖値の管理が崩れるので、その辺は様子を見ながら、ということでした。
 もう体重を増やすことは、考えなくてもいいかな、と思うようになりました。
 小学生時代から虚弱体質だったので、太りたいという願望がずっとあります。
 しかし、今の身体の細さと軽さでもバランスがとれているのであれば、これはこれで良しとしようと思います。体調はいいのですから。

 今すべきことは、手の痺れを解消することと、血糖値を安定させることです。
 常に身体になにがしかの問題を抱え、それを克服しながら日々を送っています。これがかえって、健康維持と管理に気を配ることになり、結果的に日々無事に生きているといえます。病気歓迎とはいきませんが、これと共存して生活することにします。

 帰りに、すぐそばの平安神宮前にある京都府立図書館で調べ物をしました。
 ケンブリッジ大学のコーツ先生から預かっている源氏絵の素性が、少しずつわかってきたのです。
 このことは、明日まとめて報告します。
posted by genjiito at 22:42| Comment(0) | 健康雑記

2011年08月10日

岡嶌偉久子さん関根賞おめでとう

 研究仲間である岡嶌偉久子さんが、これまでの研究成果をまとめた『源氏物語写本の書誌学的研究』(2010年5月、おうふう)で、「第6回(通算18回)関根賞」を受賞されました。
 この猛暑の中、暑さが吹き飛ぶ爽やかなニュースです。

 この本については、すでに本ブログの「待望の研究書『源氏物語写本の書誌学的研究』」(2010年5月29日)で、個人的な感懐を含めていろいろなことを書きました。ご笑覧下さい。
 そして、そこでも記したことですが、この本の「あとがき」はぜひご覧ください。

 公私ともにお世話になっている、大事な仲間の一人だけに、第一報を聞いてから我が事のように慶んでいます。

 公開されている情報によると、関根賞は、平安時代の文学、特に私家集の研究の第一人者として知られた関根慶子・お茶の水女子大学名誉教授の業績を称えるものです。1993年から毎年表彰されている、平安時代の文学・語学を研究した女性研究者を顕彰する文学研究の賞となっています。いったん途絶したのですが、2006年から第2次として復活しました。冒頭に「第6回(通算18回)」としたのは、このことによるものです。

 「紫式部学術賞」を授賞された小川陽子さんのことは、本ブログの「小川陽子さん「紫式部学術賞」おめでとう」(2010年3月19日)で紹介しました。
 また、翌年、同じく「紫式部学術賞」を授賞された緑川真知子さんのことは、本ブログの「緑川真知子さん受賞おめでとうございます」(2011年3月19日)に書きました。

 共に、本ブログで著書を紹介した後の出来事でした。
 そして、今回の岡嶌さんも、昨年、上記のようにそのすばらしい本を紹介したものです。
 私は、このような手堅い仕事が評価される機運を大歓迎します。

 『国文学 解釈と鑑賞』が、来月発売となる2011年10月号をもって休刊となります。創刊より75年間、通巻965号でした。
 もう一つの文学研究雑誌だった學燈社の「国文学」も、すでに2009年7月号で休刊となっています。創刊より54年という歴史がありました。
 二つの文学研究の雑誌が消えることになったのです。

 こうした文学研究低迷というよりも衰退の折、私が関係する分野の文学賞は堅実に成果を掬い上げていると思います。私は、読書感想文のような研究論文は、あまり好みません。ほとんどの平安文学の研究が読書感想文という潮流の中で、小川さん、緑川さん、岡嶌さんのような手堅い研究が、着実に成果をあげ、そしてそれが評価されている傾向を歓迎します。

 小学館が刊行する『新編日本古典文学全集』の活字校訂本文と現代語訳を、それもちょこちょこっと読んで論文らしく装って研究と称して発表される風潮は、私が思っている文学研究とは異なります。やはり私は、原典を出発点とする研究に、若い方々も興味をもってほしいと思っています。一年や二年では成果が見いだせないので、若者の焦る気持ちにはそぐわない研究方法でしょう。しかし、コツコツと調べて考えることは、軽佻浮薄な研究とは一線を画する、大事な手続きであり研究手法としてもっと若者にも認知されるべきです。
 研究を志す若い方々は、日々に少なくなっているようです。その中でも、文献を扱う研究は、さらに敬して遠ざけられています。しかし、時間はかかりますが、成果は着実にあがります。

 今春創設された「池田亀鑑賞」に関わっていることもあり、手堅い研究を今後とも紹介することも続けていきたいと思います。このブログを通して、若い方々に少なからず刺激を与えられたら幸いです。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年08月09日

マック版日本語入力「ATOK2011」で不具合発生

 日本語で少し長い文章を書いていたときでした。
 日本語を入力していて、突然、キートップに書いてある仮名文字の刻印と違う文字が画面に出るようになりました。
 「むろ」と入力すると、画面には「へ_」と表示されます。へ?……
 どうやら、キーボードの右端の文字が思い通りに出ないのです。
 それは、以下のような規則的なものであることがわかりました。
 
「へ」→「゜」
「ー」→「\」
「゜」→「む」
「む」→「へ」
「ろ」→「_」
 
 先日、アップルのiPadがJISのカナ漢字入力に対応しないことに不満を漏らしたので、マックのパソコンのキーボードもカナ漢字入力に反乱しだしたのかと思いました。

 私は、パソコンで日本語を入力するのに、ジャストシステムのATOKを活用しています。
 私のパソコン利用年月は古く、PC-100のために開発されていた「JS-WORD」というワープロ用の「KTIS」に始まります。ジャストシステムが自前で発売した「jX-WORD太郎」の日本語入力システム「ATOKJXW(ATOK3)」は、ワープロの快適さを教えられた商品でした。これが、後に「一太郎」となります。娘が5歳頃のことなので、昭和61年以降のことです。

 あの頃は、さまざまな日本語ワープロが乱立していた時代でした。
 平行して、日本語入力プログラムとしては、1985年にバックスがアスキーと共同開発した「日本語入力フロント・プロセッサ VJE−Σ」をエディタに組み込んで使っていました。この「VJE」が、FEP(フロント・エンド・プロセッサ)と言われるものの最初のようです。

 それまでは、日本語がパソコンで扱えるようになったといっても、JISコード表から16進数を探し出し、カナ漢字1文字に対応するJISコードの数値を一つずつ入力して、漢字やひらがなを画面に表示していました。それが、FEPの登場で、飛躍的に入力の手間が軽減されました。

 管理工学研究所の「松」はプロテクトの問題で物議を醸しました。その「松茸」という日本語入力システムは、非常に変換効率のいいものでした。その他には、エー・アイ・ソフトの「WX」というものも、エディタに組み込んで使いました。勤務先では、富士通の「OASYS」が採用していた「OAK」でも日本語を入力していました。
 こんな大昔のことを書いていると、突然ですがサムシンググッドの「Katana」というものも使ったことを思い出しました。そういえば、NECの「AIかな漢字変換」や、エイセルのワープロ「JWORD3」用の「AJIP1日本語」も使いました。イーストのワープロ「EW」用の「E1」も。きりがありません。

 これらは、私がまだMS−DOSのパソコンを使っていた頃のことで、マッキントッシュを使うようになるずっと前の話です。マックを使うようになってからは、エルゴソフトの「イージーワード」というワープロの日本語入力システムである「EGBRIDGE」などのお世話になりました。
 その意味では、マイクロソフトの「Microsoft IME」は、他人のパソコンを使わざるを得ないとき以外は、まったくといっていいほど使うことがありませんでした。

 アップルのパソコンに付いている「ことえり」も、マック版のATOKを愛用している関係で、ほとんど使いません。
 今、エルゴソフトの「EGBRIDGE」を継承した物書堂の「かわせみ」があります。しかし、まだそれは使ったことがありません。「ATOK」に不満がでたら、「かわせみ」にしようと思っています。

 パソコン歴が30年ともなると、いろいろな小道具を使ってきたことになります。秒針分歩といわれたパソコンの草創期において、その中でも早い段階でMS−DOSを見切り、出来損ないの WINDOWS は無視して、ほとんどの日本語はマッキントッシュ版の「ATOK」で入力してきました。
 その日本語入力システムの「ATOK」が、今日はどうも変なのです。
 早速ジャストシステムに電話をし、対処方法を聞きました。

 電話での説明では、外国語の文字(例えばフレンチやジャーマン等)を一時的に選んだときなどで、元に戻るときにうまく切り替えができなくなることがあるそうです。今回は、そんなことはないのです。
 また、ATOK はキーボードを自動判別しているが、何かのタイミングで出来なくなったときに、キーボードの表示と入力文字がずれることがあるそうです。今回は、このようです。

 解決策は、ATOK の環境設定で、「入力補助」の中にある「キーボード配列」で、「キーボード配列の種類を変更する」の左にあるボックスをチェックし、「JISキーボードの配列」をクリックすれば本来の入力ができるようになる、とのことです。
 電話口で教えられるままにチェックを付けると、うまく元通りにカナ漢字変換ができるようになりました。

 マックユーザーで、かつ日本語をカナ漢字入力で使っている人が、今はどれくらいおられるのか知りません。
 しかし、参考のために、その設定画面を掲載しておきます。
 
 
 

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 パソコンで日本語を入力することの複雑さを、こうしてトラブルに巻き込まれると思い知らされます。
 無事に元のように入力ができるようになり、今はホッとしています。
posted by genjiito at 23:51| Comment(2) | ◆情報化社会

2011年08月08日

真夏のお茶のお稽古

 暑い中を、平群へお茶のお稽古に行きました。
 今日はまず、お茶会を想定して、床の掛物を真のお辞儀で拝見し、花と花入れ、そして香盒を見ることをやってみました。花は芙蓉が竹で編んだ縦長の籠に差してありました。香盒は茄子だったように思います。
 続いて、釜と風呂を拝見します。
 こうして、少しずつ覚えていくことが増えていきます。

 濃茶と薄茶を続けて点てていただく場面だったので、お菓子のいただき方もバリエーションが増えました。濃茶のお菓子は、先生が小豆を練って作られたものでした。三段重ねのお重のようなものに入っていたので、一見お弁当かと思いました。黒文字で懐紙に取り、下の段に重ねて次客に送りました。お菓子は甘さが抑えられていて、美味しくいただきました。
 薄茶の時はカラフルな干菓子でした。

 濃茶は初めていただくものでした。どろりとしていて、薬のようです。喫み口を拭くための小さな茶巾も、こんな時に必要になることを知りました。
 道具のことも、少しずつわかってきます。

 練習は、風呂の薄茶点前です。
 襖の開け閉めから歩き方や袱紗さばき等々、立ち居振る舞いと所作も本格的になると、いろいろと注意をうけます。改めて、丁寧に教えてもらいました。

 背筋が曲がっているので、伸ばすことも意識することになります。頸椎が左手を痺れさせていることもあり、この機会にしっかりと姿勢をよくする習慣もつけることにしましょう。

 お茶のお稽古を通して、たくさんのことを知るようになります。そして、身体の動きも見直すきっかけとなりました。お茶を点てたり飲んだりする以上に、日常生活につながるところで得るものが多いようです。

 たくさん覚えることがあって、お茶をいただき、点てる中でパニックになります。しかし、何度も繰り返すうちに、それ以外のことも多く吸収しようと思っています。

 なかなかお稽古に行く時間がとれません。しかし、機会を見ては、多少の無理をしてでも足を運びたいものです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 身辺雑記

2011年08月07日

源氏屏風と京とれいん

 生涯において1度しかない用事で、大阪中之島にあるリーガロイヤルホテルへ行きました。
 楽しかった会食の後、ロビーのラウンジでみんなでコーヒーを飲んでいると、壁面の源氏屏風が気になりました。数年前にじっくりと見た記憶が蘇ったのです。
 
 
 
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 特に、右雙に描かれた第5巻「若紫」の絵で、雀の子が逃げたと言って泣いている若紫を垣間見る光源氏の場面があったことは、かすかに記憶していました。
 
 
 
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 この屏風の横には、次の説明文があります。


源氏絵屏風(本間六曲一雙)
この屏風絵は 土佐派の画家によって1750年頃に制作された源氏物語54帖の内12帖を画いたもので金極彩色の華麗な作品である

■右上から下へ順に
桐壺(きりつぼ) 胡蝶(こちょう) 賢木(さかき)
宿木(やどりぎ) 若紫(わかむらさき) 葵(あおい)
初音(はつね) 空蝉(うつせみ) 花散里(はなちるさと)
紅葉賀(もみじのが) 澪標(みおつくし) 絵合(えあわせ)


 絵を見ている内に、少しずつかつての記憶が湧き出てきました。

 2003年3月16日に、「21世紀COEプログラム インターフェイスの人文学 日本文学国際研究集会」と銘打った、大阪大学主催の基調報告とシンポジウムが開催されました。
 この時のテーマは「日本文学 翻訳の可能性」で、その会場が、このリーガロイヤルホテルの隣のグランキューブ大阪(大阪国際会議場)でした。その帰りに、ここで源氏絵の屏風を見ました。

 その次は、2007年3月4日に、「国際日本文学研究集会 国際的相関的共同研究のありかとゆくえ」というイベントを主催しました。この時も、会場はグランキューブ大阪でした。そして、その帰りにも、このリーガロイヤルホテルの源氏屏風を見ました。
 そのことを、今日この絵を見るまで、すっかり忘れていました。

 2007年の春先は大変でした。2月の上旬にイギリスのケンブリッジ大学へ行き、帰ってすぐに、世話人をしている〈インド日本文学会〉をインドのニューデリーで開催し、インドから帰ったその足で大阪での国際集会を切り盛りし、終わるとそのまま関西新空港から中国の杭州へ調査と打合せのために飛び発ちました。
 その間に、職場の仕事や報告書の作成、そして刊行物の編集をこなすという、殺人的な日程の日々でした。グランキューブ大阪でのイベントの最中に、出版社が持ってきたゲラの校正を寸暇を惜しんでしたのも、この時のことです。
 このホテルのロビー壁面のガラスに入っていた源氏屏風のことは、今のいままで、すっかり記憶の彼方にあったのです。

 この時期のブログがあれば、こうしたイベントの詳細がわかります。しかし、ちょうど中国から帰ったすぐの3月中旬に、ブログを発信していたサーバーが突然クラッシュしたのです。信じられない出来事でした。それまでのデータがすべて消失したのですから。

 可能な限り、今も修復して復元しています。しかし、この年の3月のものは、データの断片すら根こそぎ壊滅状態となったために、いまだに復元するメドがたっていません。そのため、この慌ただしかった2ヶ月が、手がかりがないこともあり、どうても思い出せないのです。そして、息つく暇もなかったことでもあり、ほとんど覚えていません。

 今日は、娘の婚約者とそのご両親を交えての会食の日でした。リーガロイヤルホテル地階の「小鯛雀鮨 すし萬」で、ゆったりとお寿司をいただきました。気さくなご家族だったので、和やかな歓談となりました。私も妻も、ほっと一安心です。
 親戚が増えたことにより、これからが益々楽しみになりました。

 その帰りに、梅田から阪急で帰ろうとしたところ、ちょうど土日の一日に4本しかないという「京とれいん」に乗る幸運に巡り合うこととなりました。
 
 
 
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 車体といい、内装といい、すべてが平安時代を思わせる和風です。畳のイ草が、ひときわ目を惹きます。
 
 
 
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 この車両は、とにかく一度乗ってみることをお勧めします。
 とても豊かな気分に浸れます。
 そして、充実した一日となりました。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年08月06日

66年目の原爆の日

 朝から、広島で開催された平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)を中継で見ました。
 広島市長の「平和宣言」と、小学六年生の「平和への誓い」は、東日本大震災を意識したものでした。原爆に向き合う姿勢が具体的で、内容がよくわかる良いものでした。
 ただし、子どもたちがもっと自分の言葉で語ったら、さらに良いものとなったことでしょう。周辺の大人の配慮と苦労があっての結果だとは思います。可能だったら、子供の目線がもっと盛り込まれていたら、という思いがしたのです。ただし、しっかりと前を向いて2人が語っていたので、その後の空疎で政治問題を持ち込んでの原稿を棒読みしていた総理大臣よりも、いっそう頼もしく思いました。

 みなさん、原爆が落とされたことへの言及と悲惨さと戦争反対の意思表明は明確でした。しかし、私がいつも感じる、あの原爆は誰が落としたのか、ということへの言及はありませんでした。被害者の立場に終始し、そこから一足飛びに平和への誓いへと飛躍するものでした。

 原爆を落とした人たちは、今も戦争を止めさせるための正当性を、胸を張って堂々と主張しています。私は、これを許していると、また世界中で大量の人殺しを続けては自分たちの正当性を主張する人たちを、無意味に野放しにするだけだと思うのです。

 そんな民族に、己たちの考えの愚かさを教えることができるのは、日本人しかいません。この平和記念式典は、神聖なものであることはわかります。しかし、私はもっと原爆を落とした人たちに対して強いメッセージを送ってもいいと思います。

 ちょうどこの同じ時に、米国カリフォルニア州サンディエゴでも平和記念式典が行われていたそうです。現在アメリカに住んでいる人たちや地元の市長など約100人ほどが出席したとか。今日の広島には5万人が集まっているので、規模は違います。しかし、小さな集会でもいいので、彼の地での原爆投下に関する平和記念式を継続することで、少しずつ気づいてもらえようにしていくのも、日本流の教え諭す優しさかも知れません。

 広島の平和公園の慰霊碑文が、中継画面に大写しになりました。あの「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」という文言です。

 これについては、その解釈を明確にすべきだと、私は思っています。
 この碑文については、以下のブログで書きました。

「「過ちは繰返しませぬ」とは?」(2010年3月 9日)

 また、次の記事でも書きました。

「ピカは人が落とさにゃ落ちて来ん」(2007年8月 6日)

 この中で紹介している「地球のお荷物アメリカ」(2006.9.11)」は、その後にブログがクラッシュしたために消失しました。そこで、復元したものを「【復元】地球のお荷物「アメリカ」」(2011年2月16日)で再掲載しています。

 また、もう一つ紹介している「「日本人を「畜生」扱いするアメリカ人」(2006.9.13)」は、これまた後にクラッシュしましたが、まだ復元していませんでした。
 以下に、今日復元した文章を、以下に掲載します。
 
 

 【復元】「日本人を「畜生」扱いするアメリカ人」
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 ********************

 2006年9月13日公開分
 
  副題︰昨日、書き忘れたこと
 昨日は、私見があまり過激に受け取られないようにということに気を配って書いていたので、書き忘れていたことがあります。
 それは、アメリカの大統領の冷酷非道な言葉です。以下に引くのは、日本語訳です。
 この原文をご存知の方、ご教示いただければ幸いです。

 トルーマン大統領が長崎と広島に原爆を落としたときの喜びようは、彼が当時のローマ法王ピウス12世に宛てたメッセージに見事なまでに言い表されている。
 「畜生には畜生に応じた懲らしめが必要なのです」
(堀武昭著『「アメリカ抜き」で世界を考える』29頁、2006.1、新潮社)

 そうです。アメリカ人にとって、日本人は「畜生」だったのです。今も、そのように見られているようです。

 「畜生」の日本語の意味を、参考までにあげます。

 (中略)

 また、英語の辞典には、こう記述されていました。

 (中略)

 なお、上記トルーマン大統領のことばは、井上ひさし氏がよく講演会で引かれるのだそうです。
 アメリカ人のすべてがそうではないでしょうが、多くのアメリカ人がそうであるとは言えるでしょう。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
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2011年08月05日

在英国・源氏画帖の情報(続13)

 ケンブリッジ大学のコーツ教授がお持ちの源氏絵(粉本)の紹介を続けます。
 過日の「紅梅」巻に続く第44巻「竹河」です。
 
 
<竹河(本文)>
 
 
 
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■左端に「四十四」とあります。「竹河」は第44巻にあたります。
■用紙が下から3分の1の所で継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。そのすぐ横に綴じ穴の跡が4ヶ所認められます。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第5巻の80頁に該当します。
■巻名が右上に小さくひらがなで書かれています。本文と同筆と思われます。
 このように、行頭に付けるようにして巻名を小さく書く例は、この画帖の中ではこの1枚だけです。
 丁寧には書かれていないので、後に急いで書き足した箇所のようです。
■6行目に「枝」の代わりに「朶」という漢字を用いています。また、後ろから2行目の中ほどで、「ち」の字母が「遅」という変体仮名を選んでいます。この詞章の筆者が、文字表記に特別の思いを込めていることがわかります。
■ここに引かれた物語本文は、240字もの長いものです。しかし、諸本と較べて特に特徴的な本文ではないので、この詞章を作成するにあたって用いられた写本を特定することはできません。江戸時代に流布した、ごく一般的な本文ということです。
 
 

たけかは
 さくらゆへかせに心のさはくかなおもひ
くまなき花とみる/\おほむかたのさいしや
うのきみ
 さくとみてかつはちりぬるはなゝれはまくるを
ふかきうらみともせすときこえたすくれは右の姫君
 風にちる事はよのつね朶なからうつろふ花を
たゝにしもみしこの御かたのたいふのきみ
 心ありていけのみきはにおつるはなあはと成ても
わかゝたによれかちかたのわらはへおりて花のしたに
ありきてちりたるをいとおほくひろひてもて
まいれり
 おほそらの風にちれとんさくらはな
   をのかものとそかきつめてみる

 
 


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■右上端に「竹川(河?)」と巻名が墨書きされています。
 粉本のこの位地に巻名が記されているのは次の6枚です。
 〈43〉紅梅 〈44〉竹河 〈45〉はしひめ 〈47〉あけまき 〈48〉さわらひ 〈50〉あつまや
 なぜこれらの巻だけなのか、今は不明としておきます。
■巻名のすぐ下に、「四十四」とあります。「竹河」は第44巻にあたります。
■用紙の上から5分の2の所で継がれています。
■左端に綴じ穴の跡が4カ所認められます。
■絵は、蔵人少将が、大君と中の君の囲碁を覗き見した場面です。やがて、宰相の中将と大輔の君も加わって、歌の掛け合いとなります。その後、勝った中の君側の女童が、庭に下りて散る桜の花びらを集め、歌を詠みます。桜が盛りと咲く玉鬘邸における、春の時間の流れを1枚の絵にまとめています。
■この場面を絵画化した源氏絵は、この他にもたくさんあります。徳川美術館蔵の国宝源氏物語絵巻がもっとも有名です。部屋に置かれた碁盤と、庭の桜がポイントとなる絵です。
posted by genjiito at 22:25| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年08月04日

「隠れ脳梗塞」だとの診断を受けて

 早朝より、久々に京大病院へ来ました。
 
 
 

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 この病院に来ると、正面玄関から左に建つ癌病棟の積貞棟を、しばしじっと見上げてしまいます。去年の夏のことが想い起こされるのです。ここで命拾いをしました。たくさんの方が、私の再起を支えて下さいました。「かたじけなさに……」と歌ったのは西行でした。あの気持ちになります。

 病院の玄関から右には、再来週の送り火を待つ東山如意ケ岳の「大」が間近に見えます。
 
 

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 昨年は、大文字を病室から見られるはずでした。しかし、入院と手術が延びたために、夢のような(?)送り火を病室から見ることはできませんでした。今年は、病院の先生方をはじめとする多くの方々に感謝しつつ、我が家の前の賀茂の川原から、お盆の火を送ろうと思います。

 今日は、主治医の先生から春に指示をされた、胃カメラの検査を受ける日です。
 もっとも胃をなくしたので、正確には内視鏡の検査というべきでしょう。
 ここは、設備は最先端なのですが、内視鏡は口からカメラを入れるタイプです。もう慣れたとはいえ、やはり緊張します。鼻からの方がいいのに、と個人的には思っています。しかし、これだけの施設で口からに拘っているのは、何かそれなりに理由があるのでしょう。九段坂病院も口からです。予算がなくて、ということではなさそうです。

 そんなことを思っていたら、さっさと進行して、あっという間に終わりました。
 食道と小腸のつなぎ目が、今はどうなっているのかを見るのが楽しみでした。しかし、あまりの手際の良さに、見逃してしまいました。今回は、食道の状況と、このつなぎ目が検査のポイントなのです。
 お医者さんは、きれいにつながっているのが見えましたよ、とおっしゃいました。自分の目で確認できなかったことが残念です。

 消化器官の写真撮影だけで、組織を取られなかったので、手術後の問題は何もないようです。いつも、体内組織の一部を取られた後に、かならず食事の注意がありました。それが今日は、病院を出てから好きなものを食べていいのです。初めてのことです。

 次はすぐに、脳神経外科の受付に直行です。これは予約なしだったので、大分待ってからの診察でした。
 診察してくださったのは、男性の先生でした。そういえば、京大病院で女医さんにはあたっていません。九段坂病院が例外だったのでしょうか。

 先生は、私が銀座で撮影してもらって持参した首回りのMRlのフィルムを見て、直ちに脳梗塞の問題はなさそうだが、念のために頭部のMRlを撮りましょう、ということになりました。

 ちょうど1年前に入院していたので、勝手知ったるとでもいうべき地下の検査室へ行きました。
 相変わらず、ローソンにはたくさんの人がいました。地下通路も、慌ただしい人の行き来があります。病院の活気(?)が満ち溢れています。回顧と共に、新たな病気との格闘が始まりそうな予感がし出しました。

 病院の比較をしてはいけないと思いつつ、つい較べてしまいます。
 銀座でMRlの検査を受けた時は、ヘッドホンをしてクラッシック音楽を聴かされました。
 あれから3日。ここでは、スポンジ状の耳栓をして帽子を被りました。機械音は、銀座とは比べものにならないくらいに静かでした。3日前の銀座のメデイカルセンターのMRlが高速道路の工事としたら、この病院のものは台所の水道管の工事といったところです。この雲泥の差は、何なのでしょうか。待合室にあったパンフレットを見た限りでは、銀座の方が最新鋭のようでしたが……

 先生はモニタに私の頭の中を映し出して、断層を順次表示して見せてくださいました。わかりやすい説明で、よくわかりました。
 過去2ヶ月間において、脳梗塞の兆候は見られないそうです。また、これまでの経過からも、それはなそさうだとのこだったので、ホッと一息です。今のMRlは、最近と過去の脳内変化を、二つに分けて再現してくれるのです。すごい技術です。
 ただし、「隠れ脳梗塞」の兆候が認められるそうです。頭部の所々に、薄くて小さな白い点がいくつも認められます。これが問題なのでそうです。ただし、これは加齢と高齢化に伴うものでもあると。いずれは顕在化するかもしれないが、今は何か治療をする性質のものとはなっていないようです。
 左手が痺れているのは、九段坂の先生の見立ての通り、頸椎の神経が圧迫されているためのようです。
 口の痺れは、脳内を見る限りでは関係なさそうなので、月末に東京で診てもらう予定になっているのであれば、それまではこのままでも大丈夫でしょう、と言われました。

 とにかく、脳梗塞の心配は今は重大なこととして考えなくていいので一安心です。
 それにしても、新たな伏兵が現れました。「隠れ脳梗塞」とは。
 気をつけるものが見つかったことをよいことに、体調管理に気をつけることにします。

 来週にかけて、胃を全摘したことに関する、胸部・腹部のCT検査や、検体検査が組まれています。
 あの大手術から1年が経ち、この夏は身体の総点検に身をさらすことになります。
 もろもろの調子を確認し、微調整をしてから、また秋に向けて寿命を1日でも延ばすべく再出発したいと思います。
posted by genjiito at 20:59| Comment(0) | 健康雑記

2011年08月03日

江戸漫歩(43)佃島の手押しポンプと賀茂川の月

 朝晩こころがけている食後の散策は、三日坊主に終わることなく、順調に続いています。

 今朝は、隅田川の下流に架かる中央大橋のたもとにある、佃島一帯を歩きました。もんじゃ焼きで有名な月島は、すぐ隣に続いています。

 ここ佃島は、摂津国西成郡田蓑島(大阪市西淀川区佃)の漁民が、江戸時代の初期に徳川家康との深い関わりから移り住んだところだそうです。今から400年前のことです。
 その鎮守さんである住吉神社に立ち寄りました。
 
 
 

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 今年の例祭は、今週末の6日に予定されていました。しかし、こんな張り紙がありました。


本年の例祭は3月11日発生の東日本大震災の影響により、宮神輿巡幸は来年に延期になりました。


 その決断をされた真意は、今はわかりません。しかし私には、日本の祭礼の意義が軽視されているように思えます。被災者のことを想いながら、神と共に魂の発動をみんなで盛り上げてほしいものです。
 神霊への言挙げや魂触りを悪いことでもあるかのように自粛するのは、大きな勘違いがあるように思います。お祭りは、遊びでもなければ、バカ騒ぎでもないのです。
 復興支援と称して芸能人を呼んだり集めてのバカ騒ぎこそ、自粛すべきです。報道関係者や番組制作者の思い違いと萎縮ぶりは、目を覆うばかりです。日本の伝統行事や文化理解を背景にして、被災地の方々にみんなで声援を送ることも意義のあることです。
 最近の復興支援という名の下のおもしろおかしく演出されたイベントは、個人技に頼りすぎているように思います。みんなでできることの一つに、全国各地でのお祭りもあると思います。

 さて、この佃島の一角には、一メートルほどの路地を挟んで、向かい合うように民家が立て込んでいたりします。かつての日本の懐かしいたたずまいが見られます。

 そんな中で一軒の玄関先に、こんな手押しポンプを見かけました。
 
 
 

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 私が小さかった頃は、水道がまだ家に来ていなかったので、共同井戸のポンプで水を汲み上げていました。その水を飲み、ご飯を炊いていました。
 冬になると戸外にあるポンプが凍るので、お湯を沸かしたヤカンを左手に持ち、ポンプの上の口から注ぎながら、右手でギコギコと梃子の棒を上下させたものです。
 この佃島で、まだ現役で動いているポンプを見て、飾りとなりつつある懐かしい道具に、誇らしげな持ち主の思いを感じ取りました。
 これもまた、早朝のいい風景として、目に映りました。

 明日は、京大病院で内視鏡による検査です。一仕事終えると、大急ぎで新幹線に乗りました。
 夕刻は、京都の自宅のそばの賀茂川をウォーキングです。
 
 
 
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 北大路橋からは三日月が見えました。
 
 
 

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 隅田川の川縁は、石畳やアスファルトの道です。そして、川に架かっているのは立派な大橋です。
 対する西の賀茂川に沿った散策路は、土と草の道です。そして、川に架かるのは小さな橋と飛び石です。
 東と西の散歩道は、こんなに違うのです。あまりにも対照的なので、お互いの土地柄を味わいながら楽しんで歩けます。

 お盆まで、昨年の手術に伴う検査の日々が続きます。あれから一年。とにかく、何とかここまで大過なくきました。
 充分に身体の隅々までチェックをして、また今後に備えたいと思います。
posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年08月02日

読書雑記(40)永江朗『そうだ、京都に住もう。』

 永江朗『そうだ、京都に住もう。』(京阪神エルマガジン社、2011.7)を読みました。
 セカンドハウスを京都に持ち、一月の三週を東京で、一週を京都で過ごすようになるまでの顛末を、楽しく語っている本です。
 自分で家を建てることに興味のない方でも、きっとおもしろく読み進められることでしょう。
 
 
 

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 話の合間合間に、たくさんのお店が紹介されていて、京都の食べ歩きや、京都のお買い物情報が満載なのです。しかも、選りすぐりの店です。店頭に並ぶ京都本とはひと味違う京都巡りができます。

 寺町三条にある「スマート珈琲店」にはじまり、寺町二条の「グランビエ寺町」まで、65ヶ所のお店が紹介されています。私がまだ行っていないお店がたくさん出てきました。通りかかったら入ってみることにしましょう。
 世に言う観光地は、上御霊神社と晴明神社だけです。

 巻末のリストと地図を見ながら、お話を読み進めました。結構、通の京都の旅を堪能できます。

 和菓子の「とらや」の話に、こんなくだりがあります。


東京の人は[とらや]は東京の菓子屋だと思っている。しかし元々は京都の店。明治維新で天皇が東京に移るとき、[とらや]も一緒についていった。それが赤坂の[とらや]。京都の人に東京土産として[とらや]の羊羹を渡して「うれしいわあ。地元にいても、こんな高級な物はめったにたべられまへん」とイヤミをいわれる、という伝説もある。(107頁)


 実は、これには私も思い当たることがあります。
 東京の知り合いをある方に紹介したときのことです。知り合いは、お土産に「とらや」の羊羹を持参されました。その時は、ストレートに「とらやは京都の店でなー」と笑いながら受け取ってくださいました。

 インタビュー形式のコーナーが3編あります。その中の「ガエまちやの裏側 A設計編 河井敏明さん(建築家・京都大学非常勤講師)で、こんなことが語られています。


Q6 京都で町家が消失して、街中にマンションが増えていく現状に対して、建築家としてどう思われますか?

●現代の町家をつくる
 今の姿を端的に言えば「ひどい」。(中略)
 マンションがいけないことは絶対ないんですよ。博物館的に京町家だけ残ったって仕方ないんです。町家は生活文化の表徴物だから生活がなければ価値がない。マンションだって町家たり得る。町家って要するに民家なんだから。ただそれがなんであんなチープなものなんだと。それにはいろんな問題があって、たとえばマンションをあんなに安く買えるということが問題。要はフリーライダーです。マンションを安い値段で買って、京都というメリットは享受するんだけど、それに対する(都市の価値への貢献という)対価を払わずに、都市の質を下げてしまう。むしろ削り取ってるわけだから、フリーライダーどころじゃないわけですよ。(138頁)


 久しぶりに、一気に読み終える本に出会えました。
 今、一番の推薦書です。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 読書雑記

2011年08月01日

左手首が痺れるので病院へ

 早朝から九段坂病院へ行きました。
 1ヶ月前から、左手首が痺れるのです。特に、人差し指の付け根のあたりがピリピリします。左手の指を曲げると、手の甲が突っ張ります。ずっと違和感があります。

 このところ、ワイシャツのボタンがすんなりととめられないので、思い切って診てもらうことにしました。
 初めての整形外科です。一昨日の本ブログで、「疣」を直してもらったことを書きました。そこで、お医者さんは、他の大半の科が女医さんだったことを記しました。しかし、ここでは青年でした。

 いろいろな質問を受け、簡単な体操みたいなことやゴムのハンマーで腕のあたりを叩かれたりと、細かく様子を探って下さいます。握力計で計測されました。右と左で、10キロも数値が違います。左手は、相当非力な状態です。

 先生が手で私の左指に圧力をかけられると、右手では何でもないのに左手はくにゃりとなります。力を入れて、と言われても、堪えきれないのです。

 すぐに首のレントゲン写真を6枚撮られました。
 それを見ながら、首の骨と骨の間の隙間が狭くなっている箇所を示して、神経が圧迫されている様子を説明して下さいました。多分に加齢によるものと考えられるそうです。しかし、原因を突き止めるためにも、MRIを取りましょう、ということになりました。ただし、この病院にはその設備がないので、外の機関で調べてもらい、その結果を後日持参することになりました。
 帰りに、手の痺れに効果のある錠剤をいただきました。

 都内の各メディカルセンターの一覧から、私が今住んでいる宿舎に一番近い銀座を選びました。すぐに連絡を取ってもらい、これから直行することにしました。有楽町の駅前のソニービルに近い、みゆき通り沿いにあるセンターでした。

 おしゃれなビルの中にある最新の施設で、先生の問診に答えた後、検査が始まりました。
 問診に当たられた先生は、お医者さんとはイメージが結びつきにくい若い女医さんでした。
 大変失礼ながら、本当にお医者さんなのかと思い、カルテを書いておられる手元を見つめてしまいました。何文字か間違われたようで、×印を書いて訂正しておられたので、じっと見るのはやめにしました。
 MRIをとりに来たので、この先生の診察は今は直接には関係しません。念のための問診なのでしょう。
 それにしても、どうやら、女性のお医者さんは想像以上に多いようです。

 からだを横たえて丸い筒の中に頭を突っ込みました。顔は、プロテクターのようなもので覆われています。耳にはクラッシックが流れるヘッドホーンをあてられ、肩の下の周辺で大きな音がしています。

 ロビーにあった説明書では、この機械が最先端の高精細画像で撮影できるものであることを強調していました。
 それにしては、大きな音がするので、音楽などあまり聞こえません。
 15分ほどで終わりました。
 更衣ロッカーで帰る準備をしていると、画像がブレていたので再度撮影したい、とのことです。
 強い磁力線をまた浴びるのかと思うと、あまりいい気がしません。しかし、すみません、申し訳ありません、と平身低頭なので、断るわけにもいきません。放射線と磁力線の違いもよくわからない私なので、とにかく「いいえ、どうも、ごくろうさまです」と言って、また機械に横たわるしかありません。

 機械は最新鋭機であっても、それを扱うのが人間である以上、当然のことながら失敗もあるのでしょう。
 ヘッドホーンから流れるクラッシックを再度聴きながら、大きな音の中に身を委ねました。

 お盆明けに、最終結果を九段下に聴きに行くことになっています。
posted by genjiito at 23:05| Comment(0) | 健康雑記