2011年05月31日

【復元】インドにもアップル製品が

 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
 インドに関する記事で復元できたものです。
 文中の値段は、平成18年3月時点での米ドル価格です。
 
 
********************** 以下、復元掲載 *************
 
 2006年3月19日公開分
 
 
副題︰「町中のアップルセンターと空港のiPod」
 
 
 初めてインドへ行ったのは、2002年1月でした。3ヶ月間いました。
 その頃、インドにはMacintoshというコンピュータがまったくありませんでした。というより、アップルという会社のことすら、まったく問題になっていませんでした。かろうじて、アップルのイベントがあったので参加しましたが、その説明もレベルの低いものでした。
 私のプライベートホームページである〈へぐり通信〉の中に、「突然インドへ飛ぶ」というコーナーがあります。
 その中に、以下の二つの記事があります。共に、インドにおけるMacintoshの認知度が低いことを述べています。

(1)02/01 電気屋街にMacがない

(2)インドでのマックイベントに参加(02/2/27)
 (おわび︰画像のリンク切れのため鋭意修復中。)

 ところが、今回のインド訪問で、目を瞠るほどの変化がありました。アップルが立派に輝いているのです。まだ高級イメージではありますが、これは徐々に浸透していくことでしょう。

 知的好奇心が旺盛なインドの人たちが、あのビジネス・マシンであるWindowsに満足するはずがありません。クリエイティブ・マシンのMacintoshに、もうすぐ到達するのです。これは楽しみになってきました。
 インド人がMacintoshを使うと、どんなことをするのでしょうか。アメリカから、この1年半で、すでに2万人以上のIT技術者がインドへ帰ってきているそうです。かつては、シリコンバレーに出稼ぎに行っていたインド人が、自分の国で仕事をしようというのです。これからが楽しみです。

 さて、今週のインドにおけるアップル情報です。

 まずは、ニューデリーで若者を初めとする裕福な人たちが集まる、アンサルプラザに出来たアップルセンターです。ここは、ヒンディー語を排して、すべて英語が使われているショッピングセンターです。この一角に、アップルセンターが出来ていたのです。
 外壁に掛けられた大きな広告は、とにかく目立っていました。
 
 
 

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 その店内ものぞいて見ました。ただし、お店はちょうどホーリーの日でもあり、残念ながらお休みでした。外のガラス越しに写真を撮りました。
 
 
 
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 次は、帰りのインディラガンディー空港の免税店でのことです。
 何と、お土産物として、堂々とiPodを売っているのです。これには驚きました。
 こんなに目立っていいのでしょうか。
 
 
 
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 ちなみに、価格は以下の通りでした。

 iPod-video 30GB 314ドル
 iPod nano 2GB  210ドル

 インドを出国する人のための免税店なので、インド向けの刺激にはなりません。しかし、それでもデリーでのこの宣伝効果は大きいといえます。
 インドから、ますます目が離せません。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | ◆情報化社会

2011年05月30日

【復元】バラナシでの爆発騒動

 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
 インドに関する記事で復元できたものがもう少しありますので再開します。
 
 
********************** 以下、復元掲載 *************
 
 2006年3月19日公開分
 
 
副題︰「人間が仲良くすることの難しさ」
 
 
 今回インドへ旅立つ2日前に、ガンジス川で有名なバラナシ(ベナレス、バナラシとも書く)の3ヶ所で爆弾テロがあり、21人が死亡しました。すぐに町が閉鎖されて、インド全土が警戒態勢に置かれている、というニュースが日本で流れました。

 インドには、有名な『マハーバーラタ』という叙事詩があります。そこに、前6世紀から5世紀頃のバラナシのことが出てきます。とてつもなく古い街です。

 今回の行程では、その半ばに、ニューデリーから空路バラナシへ飛び、バラナシ・ヒンドゥー大学へ行くはずでした。これまでに2度ほど行っている大学なので、現地の様子は知っています。しかし、事務の方と相談して無理はしないということで、出発直前に断念して出かけました。

 昨秋デリーで知りあった日本人夫妻に、今回たまたまデリーで会う機会がありました。
 お2人の話では、このテロがあった日に偶然バラナシにいたそうです。しかし、駅でそのような情報を耳にはしたが、何事もなく列車でデリーに帰ってきたとのことでした。
 台風の目の中にいると、意外と置かれている状況が見えないものかもしれません。

 また、テロ後にも、バラナシに行った人もいたそうですが、無事に街に入れたとのこと。
 しかし、デリーの街頭で売られている週刊誌の特集記事などを見ても、現場の写真のものすごさは、予定を変更して正解だったことを確認するものとなりました。

 マスコミの情報では、ヒンドゥーとイスラムの問題が絡んでいるとのこと。宗教に無頓着な私のような日本人の意識に対して、この違いは何なのだろう、と思わせてくれます。
 海外では、無宗教で、とか、ブッディストですとか答えていますが、国際的な視野から見れば深遠なるテーマです。

 人間が仲良くすることの難しさを、このような機会を通して考えさせられます。
 友好を口にするのは簡単ですが、いざ具体的な問題を話題にするとなると、本当に深い溝があるものです。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | ◆国際交流

2011年05月29日

小雨の中での中古文学会

 あいにくの小雨の中、地下鉄護国寺駅から歩いて、中古文学会の会場である日本女子大学へ行きました。
 昨日と今日の2日間は、平安時代の文学を研究する者としては、1年に2度の一大イベントです。
 
 
 

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 入口では、池田亀鑑賞の広報を担当して下さっている新典社の方が、チラシを参会者の先生方に手渡しで配布しておられました。

 日本女子大学は、1901(明治34)年に設立された大学です。110年もの歴史があるのです。後藤祥子先生が学長をなさっていた大学なので、親しみがあります。今日も、先生は会場の一番後ろで優しく進行を見守っておられました。

 会場は、なかなか雰囲気のある建物でした。
 
 
 

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 昨日の土曜日は、シンポジウム「源氏物語と和歌」がありました。3人の方の基調報告を受けて、質疑応答となりました。
 私は、倉田実先生の「「唱和歌」規定の再検討 −「会合の歌」の提言−」を、興味深く聴きました。
 これまでの「唱和歌」は紛らわしいので、「会合の歌」とした方がいい、という提言です。影響の大きい問題提起でもあり、質問も、お三方の基調報告の中では一番多かったようです。私は、倉田先生を支持する立場で聴いていました。これは、今後とも意見の分かれるところでしょう。
 
 
 

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 2日目の今日も、朝から雨でした。台風も九州に接近しています。

 お昼休みに開催された委員会の最後に、池田亀鑑賞のご披露をさせていただきました。
 本来ならば委員長である伊井春樹先生がなさる予定でしたが、急用でご欠席だったため、私が代理でご説明をしました。中古文学会賞の賞金が10万円となっているのに対して、この池田亀鑑賞は20万円ですと申し上げた時は、委員の先生方の笑いを誘ってしまいました。

 研究発表では、小林賢章さんの『枕草子』に関する中で、『源氏物語』での日付変更は午前3時だという指摘が記憶に留まりました。今と平安時代の違いは、日常生活になればなるほど意外とわからないものです。

 今回は、珍しく『源氏物語』に関する発表が少なかったのが印象的でした。
 最後の上原作和さんの発表は、『源氏物語』の大島本の来歴に関するものでした。
 室伏信助先生と並んで聴いていました。資料を推測でつないだ発表だったので、先生も私もよくわからない、という感想を持ちました。もし活字になったら、改めてじっくりと読ませていただくことにしましょう。
posted by genjiito at 21:55| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年05月28日

『源氏物語』の写本に関する小さな報告

 昨日は、国文学研究資料館館長である今西祐一郎先生が主催されている「日本古典籍における【表記情報学】の基盤構築に関する研究」(科研・基盤研究(A))の、本年度第1回研究会がありました。
 ここで私は、小さな報告をしました。三条西本と呼ばれている、『源氏物語』の写本に関することです。
 記録として以下に留めておきます。

 折しも、昨日は中古文学会の図書展観として、宮内庁書陵部で図書の展覧がありました。
 宮内庁書陵部には、三条西本『源氏物語』があます。山岸徳平先生が岩波書店から出された日本古典文学大系の『源氏物語』(全5冊、赤い表紙)では、この本が底本に採用されています。今では、流布本として利用されることはなくなった本です。しかし、研究史的には価値の高い写本です。

 昨日の研究会に参加される先生方の半数近くが、この宮内庁での図書展観に行ってから参集されることもあり、私の報告はこの宮内庁書陵部の三条西本のことを含めての内容にしました。
 タイトルは、「三種類の三条西本における表記のゆれ ー新収・国文研本「桐壺」を例にしてー」というものです。

 考察の対象とした三条西本は次の3本で、いずれも「桐壺」巻を取り上げました。


(1)国文研・三条西本(享禄四年、一五三一年、実隆筆?)
(2)日大・三条西本(享禄四年、一五三一年、公条筆?)
(3)書陵部・三条西本(永正三年頃、一五〇六年頃、実隆校訂?)


 この研究会のテーマが、「日本古典籍における【表記情報学】」ということなので、三条西家が伝えたこの3種類の写本に写し取られた表記としての漢字の使用傾向について考えてみました。

 まず、「国文研三条西本」「日大三条西本」「書陵部三条西本」は、非常によく似た本文を伝えていることを確認しました。
 その中でも、国文研本と日大本は、漢字表記についても非常に近似する傾向にあります。

 漢字の書写傾向として、より古い写本の面影を残す本を写したものは、相対的に書かれている漢字の分量や字種が少ないようです。このことは、三条西本のグループにも言えることです。
 今回調べた範囲では、各写本に用いられている漢字の分量は、以下のようになっていることが確認できました。
 三条西本の性格を知るために、「湖月抄・陽明本・尾州河内・大島本」についての調査結果を、参考のために添えています。(使用した翻刻データには『源氏物語別本集成』で用いる記号類が含まれているため、実際にはこの数値よりも10ほど低いはずです。)


国文研・三条西本(漢字145種)
日大・三条西本(漢字157種)
書陵部・三条西本(漢字159種)
湖月抄(漢字161種)
陽明本(漢字91種)
尾州河内(漢字109種)
大島本(漢字224種)



 鎌倉時代の写本として評価の高い陽明文庫本は、中でも漢字が少ないことが顕著です。同じく、鎌倉時代の尾州河内本もその傾向が見て取れます。
 それに比べて、室町時代に書写されて江戸時代に手の加わった大島本は、その2倍もの漢字を用いて書写されています。

 具体的な例をあげておきます。
 数字は、次の写本の順番に並んでいます。

【国文研本・日大本・書陵部本・湖月抄・陽明本・尾州河内・大島本】

 まず、諸本で同じように使われる漢字の例として、「心」をあげます。
<心>=64・66・60・50・53・64・58

 ところが、「物」になると、書陵部本、尾州河内本、大島本が、他の本の3倍以上と、特に多く用いられています。
<物>=14・14・30・8・8・3632

 「程」は、書陵部本と大島本が、他の本の数倍も多く用いられています。
<程>=3・7・18・1・0・2・20

 「夢」は、書陵部本と大島本という、比較的新しい写本に用いられています。
<夢>=0・0・1・0・0・0・1

 ただし、「事」は、書陵部本と湖月抄が極端に少ないようです。大島本も、少ないといえるでしょう。
<事>=38・37・76・53・61・19

 漢字の使用される数量から見ると、書陵部本と大島本はよく似た傾向を見せていることがわかります。
 
 まだ、ほんの一端を調べただけですので、今後ともいろいろな例で確認すると、おもしろいことがわかることでしょう。
 三条西本グループの中でも、その書写にあたっての漢字の使われ方に、改めて興味を持ちました。
 時代が新しい写本ほど、漢字が多く用いられる傾向があるようです。
 もっとも、「事」のように逆に減る例もあるので、漢字の字種によって、違いもありそうです。
 そうした意味からも、この書陵部本は、三条西本のグループの中でも大島本の性格を考える上で、資料的価値の高い写本と言えます。

 まだまだ荒っぽい調査です。しかし、こうした積み重ねで、さまざまな『源氏物語』の写本の特徴を洗い出していきたいと思っています。
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年05月27日

池田亀鑑賞プロモーション映像の公開

 一昨昨日、「池田亀鑑賞 設立記念 プロモーション映像」が5月27日(金)に公開される旨のことを、本ブログに書きました。
 本日、お約束通り、池田亀鑑賞のホームページに、プロモーション映像が公開されました。
 
 
 

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 池田亀鑑賞のトップページの下にある、「池田亀鑑賞 設立記念 プロモーション映像 公開中」というバナーをクリックしていただくと、「You Tube」に飛びます。あとはゆっくりとご覧ください。
 
 
 

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 2分半ほどの短編ムービーです。しかし、いい雰囲気の映像と音楽が流れて来ます。
 BGM音楽は、「池田亀鑑賞」のために制作されたものです。
 
 
 

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 私は、電車の中で最初に観ました。
 異次元の光景が目の前に展開するさまは、自分が今いる場所をすっかり忘れさせてくれました。
 いいものができました。1人でも多くの方がご覧になることを願っています。
 
 このプロモーション映像をパソコンやスマートフォンで流しながら、本日刊行された『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第1集』を読み進めていただけたら幸いです。
 
 
 
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posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年05月26日

新刊『もっとも知りたい……』のご案内

 池田亀鑑は、多くの『源氏物語』の写本を整理し、『源氏物語大成』にまとめた研究者として知られています。
 しかし、その人物像や『源氏物語大成』がどのようにして作られたのか、ということは、意外と知られていません。
 また、わからないことも多いのです。

 鳥取県の日南町で、池田亀鑑に関する集会を2度ほど開催したことは、本ブログで詳細に報告したところです。

「小さな町を揺るがした池田亀鑑の1日」(2010年3月13日)

「日南町の池田亀鑑(1)明治40年の小学卒業名簿」(2011年3月16日)

 それが契機となり、さまざまな情報が集まりました。
 それらを、こんな形で一冊の本にまとめたのです。
 表紙は、こんなデザインになりました。
 
 
 
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 この本を刊行した趣旨や内容がわかるように、「はじめに」「目次」「おわりに」「奥付」を、PDF 文書で確認してもらえるようにしました。次のリンクをクリックして、ダウンロードしてご自由にご覧ください。
 
 
 
『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第1集』
(「はじめに」「目次」「おわりに」「奥付」の PDF )をダウンロード

 
 
 
 今回の本では、池田亀鑑の人生の前半に特に注目しています。
 ご子息からお借りした、初公開となる写真も満載です。
 今後はシリーズとして続きますので、楽しみにしてください。
 とにかく、まずは『第1集』ができたことの報告とご案内です。

 明後日の5月28日に刊行されます。ただし、実際には明日のようです。
 出版元である新典社のホームページから、簡単に注文できるようになっています。

『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」 第1集』

 手になさった方からの感想を、心待ちにしています。
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年05月25日

心身雑記(98)久しぶりの体力測定

 久しぶりにスポーツクラブで体力測定をしました。
 7ヶ月半も測定していなかったからです。

 前回は、手術後1ヶ月ほど経った昨年10月でした。
 「心身雑記(90)病院で検査の後は体力作りに励む」(2010年10月 4日)に書いた通りです。
 その時は、体力年齢が18歳と出たので、これまでと何ら変わりがなかったことに安堵したものです。

 今日は、エアロバイクを漕ぐ体力測定だけにしました。
 何となく、自信がなかったのです。これまでずっと続いていた18歳という評価が、今回で崩れそうな予感がしたのです。

 春先から、どうも体調が思わしくないのです。というより、食事がうまくノドを通りません。
 食べたものが、みぞおちのところに留まっていることが多く、胸がつかえる感覚がいつもあります。食べたものが、なかなか腸に降りて行かない、という状況が続いています。そのため、ゆっくりと食事をしています。

 また、食前に養命酒を飲むことで、ゆったりと食べるように気を配っています。お酒はまったく飲めなくなりましたが、20ccほどの、お猪口一杯の養命酒なら大丈夫です。
 また、食後はできるだけ身体を動かし、消化活動が進むように心掛けています。

 そして、食べ始めてから2時間後に、毎回血糖値を測ります。お医者さんからは140以下を目標に、と言われています。しかし、実際には150前後が多いようです。
 このところ、

138−122−192−233−199−124−169−115−99−106−227−157

と推移しています。
 平均すると156です。
 食道から腸までの臓器がすべて無い状況でのものであることを考えると、まあこんなものではないでしょうか。というよりも、よくコントロールできている、と言っていいはずです。

 栄養や血糖値の管理は、先月からは妻が毎日の食事に配慮し、何かと口うるさく言ってくれます。おかげで、安心して生活改善に取り組んでいるところです。デンプン質もタンパク質も、ましてや糖類などとの違いが皆目わからないので、呆れ顔をされながらも何とか理解しようと努めています。
 
 6月に入ってすぐに九段坂病院で検診があるので、それまでは毎日毎日、食後2時間の測定を続けます。この記録をもとにした判定を聴いてから、今後の食事の計画を改めて考えることにしましょう。

 このところ、何かと忙しかったこともあり、身体が一回り以上は小さくなったようです。顔は、確実に小さくなりました。小顔になった、と言えば聞こえはいいのかもしれません。しかし、貧相に見えないように、気をつけています。

 たくさん食べられないこともあり、体重は手術後に逆戻りです。目標の50キロが遠のきました。

 それなのに、今日の体力測定では、いつものように18歳の体力との判定がなされ、非常に優れている、という評価が出ました。多分に、呼吸法を身につけているので、今回もこんなにいい結果が出ただけのこと、と思っています。基礎体力はまだ温存されているようです。
 これまで、身体を動かすことを心掛ける生活をしてきたことが、今の貯金になっているのでしょう。ただし、今後は消費するだけの日々なので、これではいけません。

 とにかく、しばらく運動を怠っていました。
 食事を促進するためにも、また運動を再開することにします。
 食事を美味しく食べるためにも。
posted by genjiito at 22:00| Comment(0) | 健康雑記

2011年05月24日

池田亀鑑賞のホームページ完成

 春先より準備が進んでいた「池田亀鑑賞」が、今月5月2日に設立を実現しました。

 これは、鳥取県日野郡日南町の「池田亀鑑文学碑を守る会」が母体となり、主催するものです。
 そして、その情報交換の窓口となるホームページが本日完成し、明日25日(水)に、広報活動で協力してくださる新典社のサイトから公開が始まります。

 今日はまだ試運転中です。しかし、明日は、東京で開催される会議や学会のために、私が知る限りでも何人かの方が移動なさるようです。そこで、この時点での「池田亀鑑賞」のホームページを取り急ぎご紹介することにしました。
 いわば、公開前日の内覧会、とでもいうべきものでしょうか。

 明25日に新典社より公開されるものが、「池田亀鑑賞」の公式ホームページです。

 突然のことで、「池田亀鑑賞」とは何? と思われることでしょう。
 これは、今日、初めてお披露目となるものです。

 この賞の趣旨や経緯は、今回公開されるホームページ「池田亀鑑賞」の、「池田亀鑑とは」「趣旨・経緯」「募集・選定概要」「授賞式概要」「選考委員紹介」「関連書籍紹介」などの各項目をクリックしてご覧ください。

 「選考委員紹介」をご覧いただくとおわかりのように、選考には5名があたります。
 委員長は、伊井春樹先生です。



 2011年(平成23年1月1日〜平成23年12月31日刊行奥付)の発表分から、同賞選考委員会により1名が選ばれます。
 自薦他薦を問わず、多くの応募がなされることを期待しています。

 「池田亀鑑賞開催記念プロモーションムービー」は、5月27日(金)に公開となります。いま少しお待ちください。
 週末に向けて、広報担当の新典社内で、鋭意作成が進んでいます。そのでき具合については、乞うご期待というところです。
 週末のお楽しみです。
posted by genjiito at 22:29| Comment(0) | 古典文学

2011年05月23日

【復元】いろいろな色を塗りまくる人々

 

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)


********************** 以下、復元掲載 *************
 
 
2006年3月16日公開分
 
 
副題︰ホーリーというお祭り
 
 
 今日は、インドのホーリーというお祭りの日です。
 すでに昨日から、街は色の粉や水が売られていました。
 
 
 
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 宗教的な意義はともかく、人々が色の着いた粉を塗り合ったり、色水を掛け合うのです。最近は、化学薬品で作った色の粉を使わないようにしているとか。洗濯しても落ちないからです。植物性の色素を使うことに戻る傾向は、歓迎すべきことです。人のためにも、自然のためにも。

 誰でも彼でも、顔や服に色を着けるので、見た目は楽しそうですが、やられた方は大変です。赤や緑や黄色などなど、色だらけになった服は捨てることが多いそうです。

 昨日、夕食に招かれたネルー大学の先生のお宅では、お子さんに水鉄砲を買ってあげておられました。子どもたちも、この日のお祭りを楽しみにしていて、みんなで色水の掛け合いに熱中するそうです。

 基本的には、相手の同意を得て塗ったり掛けたりするそうです。しかし、学生たちは酔った勢いも手伝ってか、見境なく掛け合うとか。
 また、子どもたちが水鉄砲遊びをしている所にでも出くわしたら、もうどうなるかわかりません。

 大はしゃぎで春の訪れを楽しむお祭りはいいのですが、街の交通機関はストップするのです。酔った人がたくさん出歩いているので、走っている車も被害にあいます。

 午前10時から午後2時までは、このお祭りがおおっぴらに行われます。外出厳禁の時間帯です。お店も閉まっていることが多いので、食事や買い物も大変です。

 テレビでは、この祭りの賛否が話題になっているようです。しかし実際には、インド特有の歌って踊っての群舞でも、今日は、男女が色の粉や水を掛け合いながら飛んだり跳ねたりのシーンが映し出されていました。若者を煽っているという表現は不適切でしょうが、お祭りの要素が遊びに転じているものを、この目でしっかりと見たいと思います。

 私が閉じ籠もっているネルー大学のゲストハウスの外では、学生たちが「ホーリー」と叫び合い、頭からいろいろな色を被りながら、このキャンパスのある林間を練り歩いています。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:58| Comment(0) | ◆国際交流

2011年05月22日

【復元】チャイを毎日こぼす少年

 

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)


********************** 以下、復元掲載 *************
 
 
2006年3月16日公開分
 
 
副題︰無口で真面目な若者
 
 
 今回の宿舎であるネルー大学のキャンパス内にあるゲストハウスは、ブーゲンビリアが咲き誇る森の中に建っています。
 
 
 

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 孔雀がたくさん散歩をしています。
 
 
 
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 孔雀が木の上に飛ぶのも見ました。インコもリスも、たくさんいます。

 毎朝8時前に、1人の少年がチャイを部屋に届けてくれます。
 部屋をノックし、入るとすぐに応接セットのテーブルの上で、持参のポットからカップにチャイを入れてくれます。
 
 
 
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 しかし、必ずと言っていいほど、毎回毎回チャイをテーブルにこぼすのでです。そして、何か拭くものをくれ、というのです。ポットの注ぎ口もよくないし、その手際も悪いので、どうしようもありません。ティッシュやトイレットペーパーを渡します。しかし、きれいに拭き取って帰らないので、私がまた拭き直します。

 また、10分もしないうちに、その少年は部屋をノックします。飲み終わったカップをくれ、ということです。いつも、入れてもらったチャイをすぐに飲むのではないので、まだ飲んでいないと伝えると、不機嫌そうに帰ります。

 この少年は、この宿舎で働いているのではなくて、近所のお店から来ているようです。一杯3ルピー(8円位)です。これを毎朝部屋に運んでくれること自体が、労働力に見合わないと思います。しかし、真面目に働いているので、何とか協力してあげたいと思うようになります。

 翌日からは、すぐに部屋の前にカップを出すようにしました。
 4日目は、チャイをこぼしませんでした。ジッと見ていたからでしょうか。しかし、5日目から、またチャイを床にこぼします。ニッコリと3ルピー渡すことにしました。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:09| Comment(0) | ◆国際交流

2011年05月21日

京洛逍遥(190)下鴨神社の糺の森に茶店オープン

 賀茂川も初夏です。半袖で散策できるようになりました。カキツバタと鷺が夏の到来を予感させます。
 
 
 

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 と、私が近づいたので驚いたのか、急に鷺が飛び立ちました。みごとな姿を見せながら、対岸の我が家の方へ移動したのです。
 
 
 
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 いやー、申し訳ないことをしました。

 下鴨神社では、境内の御手洗池から輪橋(そりはし)と鳥居を見上げるところに、カキツバタがひっそりと咲いていました。
 
 
 
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 この御手洗池では、毎年7月に「足つけ神事」が執り行われます。
 昨年のことは、「京洛逍遙(152)下鴨神社の御手洗祭の足つけ神事」をご覧ください。

 その記事で、「猿(申)餅」のことを書きました。葵祭では、申の日に小豆の茹で汁で搗いた餅が神前に供されるそうです。その、「はねず色」の餅を、昨年は140年ぶりに復元されたのです。これを食べることで身体を清め、元気の気をいただき、無事息災に過ごせるように、という故事によるものだそうです。江戸時代の『出来斎京土産 巻之五』に、この餅を鳥居の下で売る図があります。製造元宝泉堂の由緒書から引きます。
 
 
 
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 昨年は、試験的に楼門の南西の仮設テントでいただきました。
 それが今日は、御手洗川から奈良の小川沿いに下った南口鳥居の手前に、なんと新しく茶店が出来ており、そこで食べられるようになっていたのです。「さるや」と暖簾に書いてあります。
 ちょうど、半蔀を上げて開店の準備をしておられるところでした。
 
 
 
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 まだ出来たばかりの建物です。
 
 
 
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 正面奥に置かれた洗濯機のような白いものは、羽釜でお湯を沸かすためのものです。400キロの重さがあるそうです。よく見ると、薪や炭ではなくて、電気式になっていました。これで、黒豆茶を淹れてもらうのです。
 「申餅」と「黒豆茶」をいただきました。
 
 
 
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 先週の葵祭の時からこのお店を開店したのだそうです。横では、焙じ茶を作るテストをなさっていました。出来たてのお店です。場所がいいので、知られると多くの参拝客が一休みされることでしょう。

 糺の森の参道を少し南に下ると、左手に泉川が目に飛び込んできます。このあたりは、平安時代のせせらぎの雰囲気が残っています。
 
 
 
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 帰り道、舞殿前で葵祭煎茶献茶祭が行われているのに行きあいました。これは、葵祭りの最後の行事になるものだそうです。今年の葵祭を見ることはできなかったので、これでお祭りに参加したことにします。
 
 
 
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 下鴨神社は、すっかり初夏になっています。今年の夏は、どんな夏になるのでしょうか。
posted by genjiito at 22:38| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年05月20日

【復元】デリーの古本屋で


 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年 3 月16日公開分
 
 
 副題︰「ラフカディオ・ハーンの「日本の神話」」
 
 
 
 デリー大学とネルー大学との情報交換をはじめとする仕事が順調に進んだこともあり、午後には、いつも行くハウス・カズという所の古本屋さんへ行くことにしました。オートリリキシャで10分、30ルピーです。

 ネルー大学の北門前からつかまえたオートリキシャは、運転手が道をまったく知らなかったこともあり、30分以上かけて行き着くことになりました。本当なら10分もかからない所なのに。

 ここには、古本屋さんが3軒あります。
 その内、昨秋来たときにあった一軒が、薄暗い埃まみれの中で閉店していました。ディア・パークに近い一軒だけが、日曜日にもかかわらず店を開いていました。

 日本の本のことを聞くと、お昼ご飯を食べていた主人は、手近な本の山の底の方から、ラフカディオ・ハーンの「日本の神話」(1905年刊)を出してくれました。
 東京大学で、ハーンが英語で講義をした内容をまとめた本でした。値段を聞くと、1000ルピーだとのこと。ロンドンで出版された初版でした。しかし、巻頭の図版が二枚も切り取られていたので、400ルピーにならないか、と交渉しました。しかし、結局おじさんは安くはしてくれませんでした。知的な雰囲気のある、しかし頑固なおじさんです。

 もっと他にないのかと尋ねると、日本の庭園の本を出してくれました。1935年の刊行で、大きくて図版や写真の多い本でした。荷物の重さを考えて、これもパスしました。

 帰り際に、ハーンの本を安くしてあげよう、と言うのかと少し期待しながら別れの挨拶をしたのですが、チャイを飲みながらそのままニッコリしてくれただけでした。商売気のないおじさんでした。
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
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2011年05月19日

在英国・源氏画帖の情報(続7)

 「横笛」巻に続く「鈴虫」巻です。
 
 
<鈴虫(本文)>
 
 
 
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■左端に「三十八」とあります。「鈴虫」は第38巻にあたります。
■この詞書の本文は、三条西本と一致します。仮名漢字表記から見ると、日大の三条西本よりも、宮内庁書陵部蔵三条西本の本文に近いようです。
■用紙が上下6分の1のところで継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っており、そこに綴じ穴の跡が4カ所あります。
■本文の5行目下から6行目下にかけて、用紙に上からヘラのようなもので強く押された痕跡があります。これは、「梅枝」以降これまでと同じような状態です。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第4巻の382頁に該当します。
 
 
    すゝむし
  心もて草のやとりをいとへとも
    猶すゝ虫のこゑそふりせぬ
なときこえ給てきむの御ことめしてめつ
らしくひきたまふ宮の御すゝひきおこたり
給て御ことに猶心いれたまへり月さしいてゝ
いとはなやかなるほともあはれなるに空
を打なかめて世中さま/\につけてはかなく
うつりかはるありさまもおほしつゝけられ
てれいよりもあはれなるねに
          かきならしたまふ
 
 
<鈴虫(粉本)>
 
 
 
110519_img_4269_38suzumusi2

 
 
 

■右端に「三十八」とあります。「鈴虫」は第38巻にあたります。
■用紙が上から3分の1のところで継がれています。
■左端に綴じ穴の跡が4カ所認められます。
■十五夜の宵に女三宮を訪問した光源氏が、庭の虫の音にかけた歌を女三宮と詠み交わします。この直前にある女三宮の歌は、ここでは省略されています。光源氏は琴を弾いています。奥では若い尼たちが花を供える用意をしている場面です。女三宮の姿は描かれていません。
■この場面を絵画化した源氏絵は、比較的多く残っています。
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2011年05月18日

【復元】春先の蚊に悩まされたデリー

 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年 3 月16日公開分
 
 
 副題︰「液式電子蚊取器購入」
 
 
 
 インドに到着した翌朝、今回宿泊することになっていたゲストハウスで、夜中に多くの蚊に刺されました。それも、何と40カ所以上も……。手首のあたりに、赤い斑点がたくさん確認できるのです。
 急に温かくなり、蚊が出だしたのだそうです。日本では蚊に刺されない体質の私なのに、インドの蚊には好かれたようです。光栄です。痛くも痒くもないのでいいのですが、なかなか消えない赤い斑点が気がかりです。
 早速、ネルー大学の校内にあるショッピングセンターへ、電気蚊取器を買いに行きました。
 
 
 

110518_katoriki
 
 
 

 1セットが25ルピーでした。日本円で80円ほどです。
 効き目は弱いようで、蚊が死んで床に落ちることはありません。しかし、人を刺す気力を失わせる効力はあるようで、その後は、まったく刺されませんでした。蚊を殺さずに、その行動をおとなしくさせるだけの、蚊除けの道具と思われます。リキッド式のものなので、その液体成分がそんな働きをするものなのでしょう。動物の命を大切にするインドならではの、環境に優しい道具だとしておきましょう。
 日本のアースやキンチョールの蚊取器を持って来たら、たちどころにバタバタと蚊が落ちてくることでしょう。これも、文化の違いなのでしょう。

 インドの部屋のことなので、隙間が至る所にあり、蚊も出入り自由です。それでも、一日中、電気蚊取器をつけているせいか、いても1、2匹ていどです。

 かつて、娘と行ったバラナシ(ベナレス)の「ホテル・ド・パリ」は、今思い起こしても、とにかく酷いところでした。
 映画『深い河』の撮影隊が泊まっていた所で有名なホテルです。秋吉久美子やスタッフの集合写真が、色あせたままで飾ってありました。しかし、3年前に行ったそこは廃墟に近く、当然というべきか部屋には蚊が多くて、夜には壁にびっしりの蚊を、ひたすら退治するのに悪戦苦闘し、疲労困憊しました。2月の上旬のころのことでした。

 そんな経験があるので、数匹の蚊など怖くも何ともないのです。しかし、今回の蚊に食われた赤い斑点の痕は、何とも見苦しいものです。日本に帰国するまでに消えることを、ひたすら願うのみです。"
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:59| Comment(0) | ◆国際交流

2011年05月17日

【復元】ウイットに富むJALのお姉さん

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 今から5年前にインドへ行ったときの、JALのアテンダントの方の話です。
 お酒の無料サービスは、JALの国際線の場合は経営難に陥った今でも、エコノミークラスも自由に飲めるようです。
 
 
********************** 以下、復元掲載 *************
 
 2006 年3 月10 日公開分
 
 
 JALに乗ったら、何はさておき赤ワインです。血糖値のためにいいと信じているからです。

 中国の上空を飛んでいた頃だったでしょうか。2本目の赤ワインのキャップが、どうしても空回りするのです。エコノミークラスなので、コルクの栓ではありません。
 アテンダントの方に、
「クルクル回るだけで開けられませんが……」
と言うと、
「私みたいになってますね……」
と、粋なことばを返してくださいました。そして、
「これは確認しましたので……」
と言って、新しいものを持ってきてくださいました。
 なかなか、ことばのセンスがある方のようです。

 インド到着直前の食事は和食でした。箸をつけると、ご飯がカチカチで冷たいのです。冷凍から常温に戻しきらない状態でした。他の席からも苦情が出たのでしょうか。私がご飯を扱いかねていると、あの爽やかなお姉さんが、
「冷たかったですね……失礼しました」
と、声をかけてくださいました。

 このお詫びのことばは二通りに解せます。
(1)今回の料理のメニューがもともと冷たいご飯だった。
(2)食事機材の不調でご飯を温めることができなかった。

 私は、(1)が正解ではないかと思います。そして、
「温かいご飯だったらよかったですね……今度板前さんに言っておきます……」
という意味で、「すみません」という気持ちを伝えられたのだと思います。

 国際線の機内食については、「マズい」と言っておけばそれなりの会話が成り立つようです。それも、エコノミークラスでは。しかし、私はそんなに不満はありません。
 空中という環境で、それも数百人の小さなテーブルに配膳されるのですから、制約の多い食事となります。調理担当者は、いろいろと工夫しておられるのではないでしょうか。それを、地上のレストランと同列にして比較した結果が「マズい」では、料理を作る人の努力が報われませんね。

 食事の「うまい・まずい」は、食する状況や環境が多分に影響します。学校の学生食堂なども、味と評価がずれている代表だと思います。
 インドには回転寿司屋さんがまだありません。それでも、多少高級志向の和食屋さんはあります。そのお店に関しても、「マズい」と言う人と「結構いい」と言う人は半々でしょうか。私は、回転寿司も含めて、日本で食べる時の物指しではなくて、現地での海外なりの工夫に興味があります。そして、その食事が日本人向けか現地の人向けかという、お客さんを誰に想定して作って出しているかということを思うと、国境を越えた食文化のおもしろさが目と口から飛び込んできます。
 現地の人向けの和食屋さんで、なにそれ、という日本らしくないところを見つけるのも楽しいものです。
 その場その場で、海外の和食を楽しんでいます。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:37| Comment(0) | 美味礼賛

2011年05月16日

【復元】映画「ALWAYS(三丁目の夕日)」

 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年 3 月10日公開分
 
 
 副題︰「子どもたちが生き生きしています」
 
 
 インド行きの機内で、映画「ALWAYS(三丁目の夕日)」を観ました。

 1958年の日本を舞台にした物語です。これは、私が7歳の時に当たります。画面の隅々まで、映し出される何もかもが懐かしい映画です。

 オープニングの模型飛行機は、私も一生懸命に作ったものです。
 冒頭の東京タワーの着工時の姿は、時間と共に形をなしていきます。そして、ラストシーンの夕日を浴びた東京タワーの遠景は、とても綺麗でした。
 明日に対して、大人にも子供にも希望があった時代です。

 私が大阪の高校卒業と同時に東京に出て、大田区で新聞配達をしていた頃を思い出しました。
 今はもういない父と母が早速上京して来た折に、住み込んでいたお店の軽自動車「スバル・サンバー」で東京タワーに連れて行きました。私が免許取り立てでした。バックで車を駐車場に入れた時には、両親が感心してくれました。
 そんな記憶が、映画が始まる早々、急に思い出されました。

 氷の塊を上段に入れて冷やす冷蔵庫は、我が家にもありました。
 当てものの「スカ」は、私もよく引いて残念な思いをしました。
 近所の家へ、テレビを見せてもらいに行きました。「事件記者」「ルート66」「サンセット77」「名犬ラッシー」、大相撲・プロレスや橋幸夫の時代劇。次から次へと連想が引き出されます。
 愛読書は『まんが王』でした。

 さて、この映画の原作マンガは、リアルタイムで読みました。今も読み続けています。作者の西岸良平は大好きな作家です。
 娘の名前を付ける時に、『たんぽぽさんの詩』の主人公であるイラストレーターの名前から、私は「たんぽぽ」と命名しました。しかし、妻や親戚から大反対され、私は命名権を放棄した経緯があります。しかし、2人の息子の名前は、ちばてつやの『おれは鉄兵』とジョージ秋山の『はぐれ雲』から付けました。

 さて、マンガの原作では、六ちゃんは男の子でしたが、この映画では青森から集団就職で上京した女の子の「六子(むつこ)」を「ロクちゃん」にしていました。この設定の変更は、映画なので成功したと思います。
 このロクちゃんが、エンディングで青森の実家に帰省します。そのシーンで、青森行きの切符を貰う場面は印象的でした。人間の温かさを存分に感じさせてくれます。

 いくつか、素晴らしい場面を振り返りましょう。

 小学生の一平君のお母さんが、破れたセーターの継ぎ当てをします。私も、子供の頃には継ぎの当たった服を着ていたものです。そこには、お守りというお金が縫い込まれていたのです。それを使って電車で帰ってきた一平君が、お母さんにお釣りを返すシーンは、なかなかのものです。

 サンタクロースも、いい役割をしていました。
 淳之介(私が好きな作家の吉行淳之介らしいネーミング)に万年筆が届けられます。芥川賞を目指す作家の茶川さんからの贈り物です。このサンタクロースは、親も子供も、一つのメルヘンを共有していた、夢のある時代の話になっています。
 我が家でも、子どもたちにこっそりと、クリスマスプレゼントを枕元に置いたものです。

 居酒屋のひろみに、茶川さんがプロポーズの指輪を贈ります。それも、箱だけで目に見えない指輪を着けるシーンが、とても印象深い場面でした。これは、終わりの部分にも引き継がれています。

 この映画は、人と人とが繋がっていた時代を描ききっています。完成度の高い映画だと思います。何よりも、子どもたちが生き生きとしています。

 私は、今回のインド行きの9時間のフライトで、2回も観てしまいました。帰りのフライトでも観ることでしょう。
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:30| Comment(0) | 回想追憶

2011年05月15日

【復元】とにかくおもしろいインドと日本に関する一冊


※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年12月23日公開分
 
 
 『中村屋のボース』(中島岳志、白水社、340頁、2005年)という本をご存知ですか?

 先週の水曜日に、本書が大佛次郎論壇賞を受賞したという新聞記事を見ました。
 週末に奈良へ帰る時、大急ぎで東京駅前の八重洲ブックセンターへ走りました。それまでに何軒かの書店で聞いたのですが、今年の4月に刊行された本でもあり、現品として置いていない店ばかりでした。そうしたこともあったので、八重洲へ行ったのです。

 レファレンスコーナーで聞くと、店員さんはすぐにわかったらしく、売り場へ走って行かれました。しかし、「申し訳ありませんが……」とのこと。売れているようです。嬉しくなりました。

 「1階以外にはないのですか?」と聞くと、これまたすぐに店内の各所に電話をして、「4階に最後の1冊が見つかったのでカウンターに確保してあります!!」とのことでした。
 やはり大型書店へ来た甲斐がありました。手にしたものは、本年8月の第4刷のものでした。
 
 
 

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 中島君が書いた本を小脇に抱え、新幹線に飛び乗りました。そして2時間半、そのおもしろさに引き込まれて、京都へ着くまで夢中で読んだのです。それでも、半分も読めませんでした。がんばって3日で読み終えることができました。

 中島君との出会いは、今から3年前にさかのぼります。
 はじめてインドへ行った時でした。2ヶ月以上も寝食を供にし、いろいろな所へ連れて行ってもらいました。お陰で、インド大好き人間となりました。これまで知らなかったことを、インドでたくさん見、いろいろと聞きました。その時には聞き流していたと思われることが、本書で詳細に語られており、ますます身近な本となりました。中島君からいろいろとレクチャーを受け、また前著『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ、2002)を読んでいたからでもありましょう。

 本書の帯は、受賞直後の本だからでしょうが、2重にかかっています。4月の初版時点での帯の上に、受賞を知らせる帯が巻かれています。その2枚の帯には、共に小熊英二氏のことばが推薦文として次のように記されています。


インドと日本をまたぐ「国際思想史」の研究書であると同時に、数奇な運命を歩んだ人物のヒューマン・ドキュメントとしても読める。これほど興味深い本にはめってに出会えるものではない。


 そうなのです。本書は、そのサブタイトルに「インド独立運動と近代日本のアジア主義」とあるように、インドをめぐる国際思想史の本なのです。一人の男を追いかけた、壮大な歴史と思想が語られています。本来ならば、お堅い話の本なのです。少なくとも、私のまわりで、このような問題に興味を抱く人は皆無です。しかし、そのおもしろさを、中島君に代わって伝えたいのです。

 おもしろい本だと言ってその内容を紹介しても、興味がなければ他人事であり、おもしろくないものです。そこで、ここでは、少しでも「読んでみようかな」と思われた方に、私からお勧めする読み方を記しておきます。

 本書の構成は次のようになっています。


はじめに + 第1章〜第6章 + 終章 + あとがき


 普通は、前から順番に章を追って読みます。しかし、本書に関して私の周辺の方々には、次の順序で読まれることを勧めます。

 (1)「はじめに」(7〜11頁)を読む。
 (2)34枚の写真をながめる。
 (3)終章「近代日本のアジア主義とR・B・ボース」の
    第1節「一九九八年初夏」(327〜330頁)を読む。
 (4)第3章「中村屋のボース」の
    第3節「相馬俊子とのロマンスとインドカリー」(139〜151頁)を読む。
 (5)第6章「「大東亜」戦争とインド国民軍」の
    第4節「無念の死」(320〜324頁)を読む。
 (6)「あとがき」(337〜340頁)を読む。

 合計しても31頁と34枚の写真です。1時間もあればできることです。お勧めはしませんが、書店での立ち読みでも、これだけの分量ならば可能です。

 若い力が伝わってくる本です。
 今年の一大収穫と言えるでしょう。
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:40| Comment(0) | ◆国際交流

2011年05月14日

【復元】腹痛で始まったインド行き

 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年11月17日公開分
 
 
副題「初めて眼下にエベレストを見る」

 
 
 成田からインドのデリーへ飛びました。

 早朝より突然の腹痛に襲われ、いやな予感が……。
 すぐに正露丸を飲んで、気持ちを落ち着けるしかありません。チクチクと刺すように痛むのです。胃を切除している身なので、不安がよぎります。

 今夏以来、ウィーン、カイロ、ソウルと飛び回り、その間に研究費補助金に関する書類を二つも仕上げ、来春までに予定されている五冊の編著書の段取りを決めて手配をし、その他もろもろの業務や原稿を仕上げるなど、まさに自分で言うのも気が退けますが、八面六臂の日々を送っていたので、宜なるかなという気もしました。
 おまけに、東京に居るときは、深夜のスポーツクラブでスイミングをする日々です。このひ弱な身体も、そろそろ無理が利かなくなっている信号かもしれません。しかし、今ここで倒れる訳にはいきません。

 気力を振り絞って、成田まで何とか行きました。一歩でも前に進めば、そこでまた新たな展開が期待できるからです。久々の激痛に、今から思えばおかしいほどに、いろいろな事を考えたものです。

 今回のインドでの仕事は、日本文学に関する情報収集や情報交換はもとより、昨年度に立ち上げた「インド日本文学会」の第2回目の研究集会を無事に開催することにあります。インドにおける今年の日本月間のテーマに合わせて、日本の近代を対象とした国際研究集会を成功させる使命があります。そのため、同僚である近代文学におけるジェンダー問題に詳しいA氏に同行してもらいました。彼女なら、このテーマをうまくまとめてくれるからです。
 もっとも、「近代」という概念の定義が、日本とインドで相違することは要注意です。日本での「近代」と言えば、明治・大正をイメージしますが、インドでは日本でいうところの昭和時代のようなのです。この点は、3日後の研究集会までに対処方法を考えるべきことです。デリーに到着しても、いろいろな情報を各大学から収集しなければなりません。

 さて、機中のことに戻りましょう。

 成田を発って6時間を経過した頃に、エベレスト山(チョモランマ山)が見えるというアナウンスが聞こえました。iPodでの英語の耳慣らしと、映画「電車男」を見終えて「ライムライト」を見ていた時でした。早速、一番後ろの窓から見て、その雄大さに感激してシャッターを押しました。
 
 
 

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 成田を発ってから7時間になろうとする頃、あと2時間でデリーのインディラガンジー空港に着くという時でした。
 これまでに5回はインドに来ているのですが、一度も見る機会のなかったエベレストです。小窓から覗くと、連山の右から2番目に、他よりも少し高く突き出た山が見えました。大急ぎで写真を撮りました。おそらく、この写真の山がそうだと思います。

 雲の上に突き出た白い山並みを見ながら、その連山の下に想いがおよびました。そこには、人々の生活があるのでしょう。それと切り離されたかのように、山の上の部分だけが、雲の上に顔を覗かせているのです。人間世界を感じさせない山の頂上部分に、しばし見とれていました。人の息づかいのない風景を……。
 もっとも、誰かあのチョモランマの頂上を目指して登っていく人がいないか、と、見えるはずもない人の姿を、しばし求め続けていたのですが。
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | ◆国際交流

2011年05月13日

無用の長物と化している iPad

 巷では、iPad2の話題で盛り上がっているようです。しかし、私はこの iPad には縁がありませんでした。

 iPadは初代を持っています。昨夏、京大病院に入院していたとき、小さい画面の iPhone でのブログの更新が面倒だったために、急遽 iPad を購入しました。病院から出られなかったので、息子の名前で買いました。フルスペックで、8万円ほどしました。ネットが不自由だった病室では、それなりに重宝しました。

 しかし、iPhoneとMacBook Airが手元にあると、iPadはその隙間に位置するものなので、退院した途端にこの iPad は不要になったのです。

 妻と昨秋10月に那智勝浦の青岸渡寺へ行ったときに iPad を持ち出し、カーナビ感覚で地図代わりに使ったただけです。今もそれ以来、電源を入れることもなく、部屋に転がっています。私には使い道がないので、この3月に3G回線の契約を解除し、WiFiモードだけにしています。今は、何か使い道がないか、鋭意情報収集中です。しかし、未だに使い道がないのです。せいぜい、トイレに持ち込んでネットをブラウズすることにでも使うか、という、もったいない板となっています。

 iPad への一番の不満は、カナ入力ができないことです。ローマ字入力か、50音入力しかできないので、私にとっては日本語が自由に使えないのです。このことは、妻も使おうとしない理由となっています。30年近くパソコンを使っている仲間には、カナ入力派が意外と多いものです。

 アップルも、Macintosh を使った生活をする者には本当に中途半端な製品を出したものです。
 iPhoneもMacintoshも使っていない人にとっては、iPadはアップル製品を知ってもらうのにいい機会になる商品だと思います。大いに普及してほしいと思います。ただし、iPhoneと MacBookAir を使う私には、iPad は無用の長物と化してしまいました。

 何か使い道がありそうですが、今は思いつきません。どなたか教えて下さい。
posted by genjiito at 22:13| Comment(0) | ◆情報化社会

2011年05月12日

在英国・源氏画帖の情報(続6)

 「柏木」巻に続く「横笛」巻です。
 
 
<横笛(本文)>
 
 
 
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■左端に「三十七」とあります。「横笛」は第37巻にあたります。
■「ふかき夜の……」という落葉の宮の歌の最後「いひける」で、大島本だけが「ひきける」という独自異文を伝えているところです。この詞書が、大島本の類の本文ではないことがわかります。
■用紙が下から5分の2のところで継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。
■本文の5行目下から7行目下にかけて、用紙に上からヘラのようなもので強く押された痕跡があります。これは、「梅枝」以降これまでと同じような状態です。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第4巻の355頁に該当します。
 
 
   よこ笛
さうふれんをひき給おもひをよひかほなるはかた
はらいたけれとこれはことゝはせ給へくやとてせちに
すのうちをそゝのかしきこえ給へとましてつゝ
ましきさしいらへなれは宮はたゝものをのみ
あはれとおほしつゝけたるに
  ことにいてゝいはぬもいふにまさるとは
   人にはちたるけしきをそみる
ときこえ給にたゝすゑつかたをいさゝかひ
きたまふ
  ふかき夜のあはれはかりはきゝわけとこと
   より外にえやはいひける 
 
 
<横笛(粉本)>
 
 
 
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■右端に「三十七」とあります。「横笛」は第37巻にあたります。
■用紙が下から5分の2のところで継がれています。
■左端に綴じ穴の跡が4カ所認められます。
■落葉の宮が奏する琴の音色に惹かれて、夕霧が「想夫恋」を弾き、和歌の唱和となる場面です。
■この場面を絵画化した源氏絵は、比較的多く残っています。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年05月11日

在英国・源氏画帖の情報(続5)

 「若菜下」巻に続く「柏木」巻です。
  
 
 <柏木(本文)>
 
 
 
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■左端に「三十六」とあります。「柏木」は第36巻にあたります。
■諸本が「おり/\に」とあるところを、ここでは「おり/\」と「に」がありません。これは、三条西本だけがそのような本文を伝えているものです。
■諸本が「されと御すゝりなと」とするとこを、ここでは「されと」がありません。これは、三条西本と国冬本だけが一致します。
■この2点から、この画帖の詞書本文は三条西本によるもの、と言えそうです。
■用紙が上から5分の1、下から5分の1のところで継がれています。
■用紙の右端に継ぎ跡が残っています。
■本文の5行目下から8行目下にかけて、用紙に上からヘラのようなもので強く押された痕跡があります。これは、「梅枝」以降これまでと同じような状態です。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第4巻の292頁に該当します。
 
 
 
   柏 木
御心本上の      御すゝりなと
 つよく        まかなひて
  つしやか       せめきこ
   なるには        ゆれ
   あらね           は
      と     しふ/\にかい給
                   を
はつかしけなる     とりてし
 人の御けしき        のひ
       の         て
おり/\まほならぬ   よひのま
         か    きれに
  いとおそろしう    かしこ
    わひしき        に
     なるへ       まいり
        し        ぬ
 
 
 
<柏木(粉本)>
 
 
 

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■右端に「三十六」とあります。「柏木」は第36巻にあたります。
■紙面上部から3分の1のところに、紙を継ぎ足した跡が認められます。
■小侍従が女三宮に、柏木への返書を強要する場面です。女三宮は光源氏への畏れから、手紙を書こうとしないのでした。
■この場面の絵画化はほとんど確認できません。さらに調査を進めたいと思います。
posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年05月10日

小学国語教科書のごまかし

 本来は『枕草子』の絵を掲載するはずのところで、『源氏物語』の絵に差し替えられている教科書に出くわしました。ここには、編集者の意図的なごまかしがあると思われるので、問題提起としてあえて記しておきます。

 とある公共図書館の入口に、地域の小学校で今年度採択された各教科が並べてありました。自由に手に取れるように置かれています。何気なく手にした国語の教科書を、私はしばし呆然と見つめました。

 『国語 五 銀河』(小学校国語科用、光村図書、平成22年3月16日検定済)は、小学5年生用の国語科の教科書です。
 その中の「言葉」という単元に「声に出して楽しもう」という項目があります。「今も昔も」という大見出しの横に、物語絵が3枚縦に並んでおり、その真ん中の絵は明らかに『源氏絵』です。これは、『源氏物語画帖』(京都国立博物館所蔵、土佐光吉・長次郎筆、桃山時代)から「若紫」が選ばれているのです。有名な、北山において逃げた雀の子を追う若紫と、それを垣間見する光源氏を描いた場面です。
 
 
 
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 教科書では、その扉に続いて、『竹取物語』の冒頭部原文とその現代語訳が見開きで掲載され、次に頁を繰ると右側に『枕草子』の初段「春はあけぼの」、そして左頁に『平家物語』の冒頭「祇園精舎の鐘の声」の段が、ともに現代語訳を下に置いて掲載されています。

 この教科書には、最後に「学習を広げる」という項目があり、そこでは「古典の世界」として『徒然草』から「高名の木登り」が右頁に原文を、左頁に現代語訳を付けて掲載されています。

 小学5年生から古典に親しむようにしようとする、本教科書の編者の意図は伝わってきます。作品の選定も妥当かと思います。しかし、扉にあたる所に掲出してある物語絵の、『源氏物語』の絵はごまかしです。
 教科書に採択された、この後に出てくる本文に合わせるならば、ここは『枕草子絵巻』を引くべきところです。しかし、適当な絵がなかったためか、『源氏物語』の絵を持ってきて平安朝らしさを伝えることにした、ということでしょうか。

 この絵が『源氏物語』のものであり、しかも「若紫」の場面であることは、中学や高校に進学すれば授業で教わるはずなので、いずれわかることです。また、先生もこの説明をしようと思うと悩むはずです。

 なぜ、掲載する『枕草子』の文章とは違う作品の絵でごまかしたのでしょう。『源氏物語』の絵の方が有名だからでしょうか。上段の『竹取物語』の絵はもちろんのこと、下段の『平家物語絵巻 壇の浦』(林原美術館蔵、土佐左助筆、江戸時代)の絵が、この教科書で採択された作品に合致しているだけに、『枕草子』を『源氏物語』の絵に置き換えた意図の不純さに疑問を抱きます。もっとも、正確に言えば、『平家物語』の絵は、冒頭ではなくて壇ノ浦の合戦場面ですが、これはまあよしとしましょう。

 『源氏物語』が好きな私にとって、たとえ小学生のための教科書とはいえ、このようなごまかしはしないでほしい、という思いを強く持っています。ささいなことでも、うそで子供をごまかしてはいけないと思います。事実を教えることに拘ってほしいものです。
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2011年05月09日

江戸漫歩(38)前野原温泉さやの湯処

 神田で一仕事した後、神保町から地下鉄一本で行ける所にある、前野原温泉さやの湯処へ足を延ばしました。ここは、都営地下鉄三田線の志村坂上駅から坂を下りた住宅地の中にあります。駅からはすぐです。意外な所にある温泉です。2005年のオープンというので、新しい温泉です。しかし、気に入りました。
 
 
 
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 古民家を再生した建物だけでなく、苔を敷いた中庭も純和風です。京都とは違う、現代風の作庭です。時をスパッと切り取った趣で、爽やかな印象の庭でした。
 
 
 
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 温泉は14種類もあり、どれも塩味でいいお湯でした。私は、薬草塩蒸風炉というのが気に入りました。これは、ミストサウナ風の蒸し風呂の中で薬草を焚き、その匂いを狭い空間に漂わせるものです。

 ウグイス色の源泉かけ流しの露天風呂も、湯あたりが心配になるほど効き目が充分に伝わる温泉です。いわゆる、濁り湯に類するお湯です。汗が止まらなくなる程に効果覿面でした。

 食事も、セルフサービスですが丁寧に作った料理で、昔風の開放感のある和室でのんびりと食べられました。気を遣わずに食事ができることが、食べることに難儀をしている今の私にとっては何よりです。せいろソバもネギトロ丼も、私好みの味付けでした。

 都内にも、こんなに泉質のいい温泉があるのです。東京近郊の温泉巡りが楽しみになりました。
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2011年05月08日

江戸漫歩(37)清澄公園から芭蕉庵旧跡へ

 好天に恵まれた週末です。
 清澄公園でお弁当を食べました。さまざまな緑色が楽しめる公園です。清澄庭園はこの横にあります。
 
 
 

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 清澄庭園の前には、村田春海のお墓がありました。村田春海は賀茂真淵の門人で江戸中期の国学者です。平春海先生墓と書いた墓石は、この石柱の向かい側の本誓寺にあるそうですが、まだそこまで確認はしていません。村田春海が亡くなったのは、今からちょうど200年前にあたります。
 
 
 
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 村田春海に目がいったのは、私が修士課程の時代に指導教授だった内野吾郎先生が、近世国学を専門にしておられた先生だったからです。内野先生からは、この村田春海のお話をよく聞きました。また、ドイツに留学しておられたこともあり、ドイツ文献学などの話を伺っているうちに、私も文献学に興味を持ち、今に至っているのです。内野先生を偲びながら、この石碑と説明板の前でしばし立ち止まりました。

 食後の散策を兼ねて、清澄の近くにある芭蕉庵を目指しました。
 隅田川沿いに少し上ると、まずは芭蕉稲荷神社がありました。ここは、大正6年の大津波の時に出土した芭蕉遺愛の蛙石を祀っているとか。
 
 
 
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 そのすぐそばに、芭蕉庵史跡展望庭園があります。ここは、芭蕉記念館の分館ともなっています。
 
 
 
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 芭蕉像の向こうに見える清洲橋は、ドイツのケルンにあった大吊り橋がモデルだそうです。関東大震災の後、男性的な永代橋と対をなすように、女性的な橋として設計されたものです。2000年にこの2つの橋は、土木学会の「第一回土木学会選奨土木遺産」に選定されたということなので、広く高い評価を得ている橋です。

 芭蕉記念館は、ここからさらに隅田川を上ったところにあります。
 
 
 
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 私は江戸時代についてはあまりよく知らないので、もう少し勉強してから来たら、さらに展示されているものの意味がわかると思われます。自分への宿題となった記念館でした。

 帰り道に、清澄庭園の南側の橋のたもとにある採荼庵跡も確認しました。
 
 
 
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 この「荼」は「と」と読むことを初めて知りました。「茶」ではないのです。「さいちゃあん」だとばかり思っていました。こんな調子で、気ままに歩きながら知らないことが少しずつわかっていくのも、なかなか楽しいものです。
posted by genjiito at 22:34| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年05月07日

江戸漫歩(36)深大寺温泉

 小雨の中を、深大寺温泉に行きました。京王線の調布駅から送迎バスを利用したため、まったく傘がいりませんでした。
 
 
 

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 温泉は、直前に食べた深大寺ソバのお汁と同じ色でびっくりしました。黒湯というのだそうです。コーヒー色というより、関東のソバやうどんの出汁の色です。いかにも、身体に滋養を染み込ませてくれそうです。いくつかある湯船の、どれもこの黒湯です。

 この温泉は、12年前に湧出したものだそうです。40度なので、ちょうどいい温かさです。
 女湯にしかない「赤銅鈴之介」というお湯に入れないのが残念です。やる気を起こし、免疫性を高める電気風呂だとのことです。いつか機会があることでしょう。楽しみにしています。

 今年のゴールデンウイークは、とにかく身体のダルい日々でした。何とか持たせたものの、仕事をしていても、集中力に欠けていました。ここでしっかりと身体を休めようと、急に思い立って行ったのです。近くて便利なところに、こんな温泉地があったのです。

 関東には、温泉がたくさんあります。少しずつまわってみます。
posted by genjiito at 22:13| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年05月06日

井上靖卒読(123)「楕円形の月」「小さい旋風」「千代の帰郷」

■「楕円形の月」
 軽妙な小品です。会社での昇進や転職の問題という人生における深刻なテーマが、同期生と河豚を食べながら展開します。そして食中毒に。巧みに、洒脱な話へと転じて行きます。医者が語る競馬の話や、芦屋川の河原を医者と歩くまでの会話が、非日常的で力が抜けています。その軽さが、井上靖らしくなくていいと思います。奇妙な月も、この雰囲気を支えています。【2】
 
 
初出誌︰小説公園
初出号数︰1952年3月号
 
角川文庫︰楼門
旺文社文庫︰滝へ降りる道
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3︰短篇3
 
 
 
■「小さい旋風」
 この作品では、人間の心の繊細さを妹夫婦の冷めた関係を通して語っています。気がおかしくなった夫に対する妻である妹の心の中が、丁寧に、しかも客観的に描かれています。不幸な女を通して、その中を迷うことなく生きようとする姿が印象的です。これは、実の妹をモデルとした話だそうです。また、「姨捨」とも関連するようです。
 なお、「満州から流れて来た女でも持っていそうな暗い自堕落なものを感じた」(『井上靖全集』250頁)という表現の原点には、井上靖の戦争体験が反映しているように思えます。自らが行った戦地に対する評価があるのではないでしょうか。妹に対して、「満州の軍人社会のうるさい交際の渦の中に投げ込まれ、いきなり母親にされて仕舞ったことを思うと、可哀そうだと言えば可哀そうであった。」(同)という視点にも、そうした意識が見え隠れしているように思えます。【3】
 
 
初出誌︰文学界
初出号数︰1952年3月号
 
文春文庫︰貧血と花と爆弾
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3︰短篇3
 
 
 
■「千代の帰郷」
 娘のことをとにかく大事に思う婆さんが描かれています。哀れな婆さんです。村のみんなには相手にされなくても、娘の存在が心の支えとなっています。しかし、その娘にも結局は裏切られるのです。何も信用できず、自分だけ生きる婆さんは、とにかく哀れに語られています。しかし、婆さん自身はそれなりに満足して死んで行ったようです。人の心を、老婆に寄り添うようにして描いています。【2】
 
 
初出誌︰小説朝日
初出号数︰1952年4月号
 
集英社文庫︰三ノ宮炎上
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3︰短篇3
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2011年05月05日

井上靖卒読(122)「貧血と花と爆弾」

 一文が長いのが顕著です。詳しく見てはいませんが、これまでにあまりなかったように思います。
 戦後間もない昭和25年。一人の男が、日本最初の民間放送局を立ち上げるドラマです。
 「ううん」と唸る木谷竜太が登場します。物語の回転軸となる人物です。なるほど、と納得した時の唸りです。
 最初に、来訪の意図がよくわからない、菅安二郎が現れます。この男が物語の背後にしっかりと座ります。その場にいない菅について、思いを巡らしながら語られていき、しだいに菅の姿が明らかになります。そして、最後に話を緊張させる存在となります。この間接的な人物を浮かび上がらせることが、この作品ではうまく生かされています。
 大阪弁で語られる「見付けたんねん」(『井上靖全集』3巻176頁)という表現は、読者には伝わりにくいことばです。「見つけてある」という意味で使っているので、ここは「見つけてあるねん」を元にする「見つけたーんねん」なら伝わると思います。
 バイオリニストの演奏権と放送権をめぐる争奪戦は、読者を惹き付けていきます。
 大きな仕事を成し遂げようとする人間の気持ちが、充分に伝わってきます。そして、成功を確信した木谷は、すぐに次の大仕事に立ち向かいます。
 この作品の展開は、芥川賞を受賞した『闘牛』や『黒い蝶』と比べるとおもしろいと思います。いずれも、井上靖が新聞記者をしていた頃の同僚であった小谷正一をモデルとしていることも、重要なポイントとなります。
 この作品の題名には、よくわからないながらも暗い響きがあります。しかし、それに反して内容は、明日に向かってひた走りに走り抜く男の行動力と、その時々の内面を描かれています。前を見つめて突進する姿は、読者に希望と勇気を与える話です。はらはらしながら読み終え、ほっと解放された読後感がいい作品でした。【4】
 
 
 
初出誌︰文藝春秋
初出号数︰1952年2月号
 
文春文庫︰貧血と花と爆弾
角川文庫︰貧血と花と爆弾
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3︰短篇3
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2011年05月04日

江戸漫歩(35)平和島の骨董市

 朝から快晴の1日でした。大田区の平和島で「平和島 全国古民具骨董まつり」が開催されていたので、モノレールを使って、冷やかしに行ってきました。
 
 
 
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 会場はだだっ広いところで、全国から250もの業者が出店しているそうです。
 京都で言えば、京都大アンティーク市と同じ雰囲気です。しかし、京都は活気があるのに対して、こちらはもの静かに品物を並べている、という印象でした。

 私は、一軒の店で、源氏絵屏風に興味を持ちました。お店の方に、いろいろとお話を聞きました。
 源氏絵が12枚、6曲1双の屏風に仕立てられていました。全体を写真で公開することは控えてほしい、とのことなので、図様に興味のある方のために、ほんの一部分を紹介します。
 
 
 


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 右端の絵は「浮舟」巻で、匂宮と浮舟が船で宇治川を渡る場面です。
 真ん中は「桐壺」巻で、光源氏が高麗の相人に合う場面です。
 左端は、「夕霧」巻で、夕霧が小野の山荘に落葉宮を訪れた場面です。
 こんな感じで、12場面が描かれていました。よくある絵柄でした。しかし、絵は丁寧に描かれていたので、機会があればさらに詳細に確認したいものです。

 この他に、3点ほど源氏絵がありました。しかし新しいもので、色紙型1点の他は、いかにも屏風にしました、というものです。屏風の方が、こうした広い展示会場では人目を引きやすいことは確かです。画帖や絵巻は、見つけるのも大変です。唯一目に入った画帖も、54枚あるとのことですが表紙がなく、絵も稚拙だったので2枚だけ見て離れました。

 予想外に低調な骨董市でした。売る方に熱意が感じられず、買う方もお散歩がてら、という双方に遠慮がある様子です。よそ行きの骨董市というもので、来場者が楽しんでいる、という感じのない会場だったことが残念です。

 東京にもいろいろと骨董市があるようです。これまで、東京には仕事で来ている感覚で歩いていました。これからは、生活者の視点であたりを見わたしたいと思います。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年05月03日

谷崎全集読過(11)「お艶殺し」

 一文が長い、谷崎潤一郎のスタイルとなっています。
 「お艶」を「おつう」読ませていますが、実際には「おつや」という名前です。
 今では使わない表現、「ふくらがせ」「のめのめと」「ぐれはま」「かいくれ」が目に付きました。大正3年当時のことばなのでしょうか。日本語の語誌に疎いので、感じたままをメモとしておきます。
 谷崎らしい視点で、女の心の内が描けていると共に、好いた女にずるずると引き摺られる、気の小さな男がうまく表現されています。
 下弦の月は「不祥な前兆」とあります(47頁)。手近な事典には、説明が見当たりません。とりあえず、メモを残しておきます。
 妖婦とでも言うべきお艶。すなおな新助は、結局は罪を重ねるだけでした。惨めな男の姿だけが印象的な作品です。この作品を書いた時、谷崎は30歳でした。これを書いた半年後に結婚しています。【2】

初出誌︰『中央公論』(大正4年1月、執筆は大正3年12月)
posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | 谷崎全集読過

2011年05月02日

江戸漫歩(34)九段坂病院へ向かう道

 自分で自分の身体を管理することの難しさを痛感しています。

 先週前半は、2日続きで高熱にうなされました。すぐに九段坂病院で診てもらいました。
 先ずはインフルエンザが疑われ、別室に隔離されて検査を受けました。結果はセーフ。別種のウイルスに感染しているとのことでした。ただし、これは3日で軽くなりました。

 先週末の京都での夜中、これまた2夜続きで突き上げるような嘔吐に苦しみました。無いはずの胃が痙攣し、出ないはずの胃液(?)が口からタラタラとこぼれ落ちます。

 昨日の一番列車で上京し、今朝、また九段坂病院で診診てもらうことにしました。

 俎橋あたりから、九段坂を見上げました。
 
 
 
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 地下鉄の出口からの坂道は、緩やかな道が西に向かって通っています。左手に武道館があります。今日も、「●●のチケットを譲って下さい」という紙切れを胸の前に掲げて、女の子が数人立っていました。
 
 
 


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 少し先に行ったところにある案内板の江戸名所図会には、こんな絵がレリーフとして填め込まれています。
 
 
 
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 右下に俎橋が飯田川に架かっています。そして左上へと九段の坂が延びています。
 まさにここは、先日読み終わったばかりの高田郁の時代小説『小夜しぐれ みおつくし料理帖』(ハルキ文庫)の舞台です。その巻頭にあった地図の一部を引用しておきます。
 
 
 
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 この「つる家」が、主人公澪が働くお店なのです。そして、俎橋から九段坂を見上げる夕陽が、折々にきれいに語られています。この坂道は、当時は相当急だったそうです。その後の改修により、今のように緩やかな坂になったと、案内板に書いてありました。
 江戸時代には、京都に負けず劣らず、江戸を遊覧する案内書がたくさん刊行されています。それを見ながら江戸見物をするのも一興です。

 インド大使館の北側の表通りには、インド料理店があります。ここの看板には、「日本で一番インドに近いインドレストラン」と書いてあります。確かに、すぐ横の大使館でインド行きのビザをもらえるのですから、インドと直結しているレストランと言えます。
 
 
 
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 先日は、帰りにここで食事をしました。インド料理は身体をやさしく温めてくれます。しかし、今日はあまり食欲がないので、来ないだろうな、という予感がしました。

 今日はあまり待たないで診察をしてもらえました。
 消化管を中心とした内蔵が弱っているからでしょう、とのことです。無理に食べようとせず、消化のいいものを少しずつ食べるように指導されました。コーヒーは胃を刺激するので暫くは休み、ポカリスエットや温かいお茶や牛乳を勧められました。
 連休中は、ゆっくりと身体を休めるようにした方がいいですよ、とも。
 そして、胃の動きを活発にする薬一種類をもらいました。

 意識的に仕事を半分以下に減らし、日付が変わるまでに寝るようにしています。しかし、それでも身体にはさまざまな負担がかかっているようです。何事も気の持ちようなので、さらなるスローダウンの生活を意識しましょう。

 帰り道、インド料理に気持ちが揺れました。しかし、ここはおとなしく、九段下のそば屋さんにしました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年05月01日

在英国・源氏画帖の情報(続4)

 「若菜上」巻に続く「若菜下」巻です。
 
 
<若菜下(本文)>
 
 
 
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■冒頭に小さな文字で「正月廿かあまり」とあります。これは、この段落が「正月二十日ばかりなれば……」とあったところであることを明示するためのものです。このような補足的な注記は、これまでになかったものです。
■用紙が上から少し下のところで継がれています。
■本文の3行目下から5行目下にかけて、用紙に上からヘラのようなもので強く押された痕跡があります。これは、「梅枝」「藤裏葉」「若菜上」と同じような状態です。
■3行目の「ものゝねとも」は、大島本だけは「物の手とも」とあり、「て」の右横に「ねイ」という異文注記があります。ここからも、本画帖の本文が大島本に類するものとは違うことがあきらかです。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第4巻の189頁に該当します。
 
 

  若菜下
正月廿かあまり
この御まこの君たちのいとうつくしき
とのゐすかたともにてふきあはせたる
ものゝねともまたわかけれとおひさきあ
りていみしくをかしけなり御ことゝも
のしらへともとゝのひはてゝかきあはせ
給へるほといつれとなきなかに琵琶は
すくれて上すめきかみさひたるてつか
ひすみはてゝおもしろくきこゆ

 
 
 
<若菜下(粉本)>
 
 
 
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■右端に「三十五」とあります。「若菜下」は第35巻にあたります。
■紙面上部から半分のところに、紙を継ぎ足した跡が認められます。
■左端に次の紙面の一部が残存しています。これは、貼り次いであった重なり部分が、切断によって残ったものと思われます。
■六条院での女楽の場面です。四人の女性たちの合奏が描かれています。画面中央上に紫の上の和琴、その左に女三宮の琴、そして左端に明石の女御の箏の琴、中央手前に明石の御方の琵琶です。明石の女御は本文に「御琴も押しやりて」とあるように、箏の琴は横に置かれています。ここは、明石の御方の琵琶の音を絶賛するところに当たります。引用本文を記す詞書きとともに、絵も物語に忠実に描かれています。
■この場面の絵画化は、多くの例が確認できる有名な場面です。
posted by genjiito at 23:25| Comment(3) | ◆源氏物語