2011年03月31日

京洛逍遥(184)京大病院からの帰りに見た賀茂川の桜

 京都大学病院の主治医による診察を受けました。
 とにかく順調だとのことなので、安堵しました。

 朝食後の不快感や、お腹が張ること、そして体重が増えないことなど、いろいろと気になることはあります。しかし、それらは時とともに解決するそうです。食べ物の入る量が限られていることもあって、そうした状況にあるようです。
 食事の時に一緒にお酒が飲めないのは、それもどうやらそのせいでは、とおっしゃっていました。
 胃がない生活に慣れるのは、もう少し時間が必要だと思われます。

 先生は、まだ手術をして半年なのだからと、気持ちを和らげてくださいました。穏やかに、そして軽くいなしてくださるので、患者としてはありがたい先生です。
 少しずつマイペースで、今後とも焦らずに身体を作っていきたいと思います。
 
 賀茂川沿いを自転車で帰る途中でした。
 今出川通りにかかる賀茂大橋の手前で、枝垂れ桜が、なんと満開になっているのです。早咲きなのでしょう。
 
 
 

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 自宅近くの半木の道は、少しピンク色に変わってきました。
 
 
 

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 蕾がみごとに赤くなって、今にも咲き出しそうな枝がありました。
 このあたりは、私の散策における休憩場所でもあります。
 
 
 

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 賀茂の桜はもうすぐです。
 この川沿いが華やかな桜並木になる日を、今から心待ちにしています。
posted by genjiito at 23:49| Comment(2) | ◆京洛逍遥

2011年03月30日

【復元】モスクワの旅(1)

 先週開催された「伊井春樹先生の古稀をお祝いする会」の2次会で、奥様ともども海外での調査に行ったときの話になりました。
 昨年は何かと国内での仕事に忙殺されたため、先生は一度も海外にはいらっしゃらなかったそうです。めずらしい1年だった、とおっしゃっていました。
 その時の思い出話で、ロシアのことが話題になりました。ブログに書けないことが多く、とにかく珍道中でした。

 あのモスクワ行きの記事も、平成19年3月にブログを発信していたサーバーがクラッシュしたために、今では読めなくなっています。
 何とか当時のファイルを探し出しましたので、せっかく先生が思い出そうとなさっていた旅のことなので、ここに復元しておきます。

 まずは、3回分を一気に復元します。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年8月31日公開分
 
「海外から書き込むための準備です」
 
 副題「出張用のパソコンが Mac ではない為です」
 
 もうすぐ、ロシアへ旅立ちます。
 持参する機器の関係で、マッキントッシュで作成していたブログの更新ができません。そのために、しばらくは発信場所を変更します。

 海外出張には、800グラムの「バイオX505/P」(SONY)を持って行きます。
 最新の、520グラムの「バイオUX50」を持っていくつもりでしたが、拿捕に伴う死亡、市場をマフィアが爆破、飛行機の墜落で170人が死亡、訪問先の寺院炎上と、何かと物騒な状況です。スパイと間違えられないためにも、最先端の精密機器は持ち込まないことにしました。
 最新鋭のSONYのカメラ「α100」も、用意をしていたのですが断念しました。ただし、SONYのICレコーダーは取材等に必要なので、2台を持っていきます。

 今回は、在ロシア日本大使館(モスクワ)、同総領事館(サンクトペテルブルグ)、国際交流基金、昭和女子大学のご理解と協力が得られたために、たくさんの方々とお目にかかれることになりました。皆様方に感謝しつつ、いつも以上に無事を祈っての出発です。

 当初は、モスクワ→サンクトペテルブルグ→英国ケンブリッジの予定でしたが、諸般の事情により、英国は延期しました。

 ロシアのホテルでインターネットがうまく使えたら、ここに記事をアップする予定です。
 はたして、どうなりますか。
 
 
 
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2006年9月1日公開分
 
「雨のモスクワです」
 
 副題「まず初日の夕食はイタリア料理」
 
 モスクワは雨です。
 昨日到着し、雨の中をホテルに入りました。
 『地球の歩き方 ロシア』によると以下のように書かれています。
 

モスクワの玄関口であるシェレメチェヴォ2国際空港。
設備、アクセス、対応、どれをとっても世界の主要国のなかで最低ランクの空港である。(38頁)

 
 とにかく、楽しみにして降りました。入国審査に1人あたり5分前後かかるくらいでした。
 もっとも、カップ麺が延びるほどの時間ですから、待たされている方はイライラしますが。
 入国審査官の方は、一言も質問はしません。ただひたすら、パスポートを眺め、顔写真の頁とビザが貼り付けられている頁をスキャンして、あとは黙々とキーボードのテンキーを打ち続けます。見ていた限りでは、20ストロークは打っていました。モニタに表示されるスピードも遅いようです。

 私も、何も聞かれないままにOKとなりました。

 空港でのことはあらかじめ知っていました。市内までの足は、到着早々に嫌な気分になることもないと思い、ホテルの送迎用の車を手配していました。1万円ほどかかりますが、気持ちよくスタートしたいので。

 とにかく無事にホテルまで到着。
 夕方から、雨の中を散歩しました。思ったよりも賑やかです。首都ですから、そうでしょうが。

 夕食はイタリア料理。
 ロシア料理屋さんと思って入ったら、違っていました。
 日本食屋が二軒ありました。
 
 
 
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 モスクワは、寿司を食べさせる店がたくさん目に付きました。日本の文化を寿司で知ってもらうことはいいことです。

 本屋さんで、三島由紀夫の『豊饒の海』4冊が平積みになっていました。谷崎など、7、8人の作家の小説がロシア語に翻訳されて並んでいました。日本文学は、なかなか人気があるようです。よしもとばななや大江健三郎は見あたりませんでした。
 
 
 
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2006年9月2日公開分
 
「ヒッチハイク感覚で車を捕まえる人たち」
 
 副題「モスクワで移動する足としての交通機関」
 
 モスクワの街中では、道路際で手を差し出して通行中の車を止める人が、朝夕は特にたくさんいます。若者に限らず、年配の人もやっています。最初は、タクシーを止めているのかと思っていたのですが、どうやらそうではないのです。
 車が止まると、運転席を覗き込み、何やら話しかけています。そして、助手席に乗り込んで出発する人や、乗らずに次の車を止めにかかる人もいます。
 
 
 
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 不思議に思って知人に尋ねたところ、かつて日本でもあった、いわゆる白タクなのです。運転手とは、値段の交渉をしていたのです。

 モスクワは物価の高い町です。地下鉄が発達していますが、やはり地上を走る車は便利です。そこで、通りがかりの車を活用して移動する、という目的で、手を上げて車を止めていたのです。大学の先生方も、これを活用して移動しておられます。

 モスクワのガソリン料金は、1リットル120円くらいだそうです。現在の日本では、最近は140円台になっていて、モスクワはまだ安いと見られます。しかし、所得が低いのです(大学の若手の先生方で月に6万円くらいだそうです。通訳や翻訳の仕事をしないと本も買えません)。したがって、ガソリン代は非常に高価なモノとなっています。そのために、運転者もチョッと小遣いかせぎの意味もあって、通行人を乗せてあげるのです。
 好きなときに好きなところへ、しかも迅速に移動したい人と、少しでもガソリン代の足しに小銭をかせぐドライバーの、両者の気持ちが一致してのことだったのです。

 数日見たところでは、比較的旧式の車が、積極的に利用者に反応していたように思います。車はほこりだらけです。これは、インドと変わりません。

 私が歩いていると、横を車が近寄ってきて、スピードを落としながら顔を向けてきます。乗らないか、という誘いなのです。左ハンドルなので、身体を長く延ばして窓から声をかけてきます。
 いくらくらいが相場なのかはわかりませんが、比較的乗せてもらうケースが多いように見受けられました。

 この話をしてくださった先生は、かつて日本の東京で、急いでいたので車道に向けて手をあげても、誰も止まってくれなかったと、楽しそうに懐かしがって話してくださいました。その先生は、トラックが乗せてくれたとか。ただし、運転手がお金は受け取らなかったことを褒めておられました。

 地下鉄にも乗りました。ロシアの地下鉄の駅は、すばらしい建築物となっています。
 
 
 
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 列車には、網棚やつり革がありません。そのせいか、列車の天井が高く見えました。
 駅の構内のエスカレーターは、深く深く潜行しています。恐ろしいほどに深い地底を、地下鉄は走っています。高所恐怖症の私は、このエスカレーターは足がすくみました。どの駅も、とにかく深い地底にあります。
 
 
 
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 東京駅の地下へ降りる以上の、長いエスカレーターです。降り口には、モニターで乗客のようすを監視している人がいました。何かあったら大変なので、監視しているのでしょう。日本ではないことです。

 モスクワのエスカレータは、関西方式の、人が右側に立ちます。海外のエスカレータは、ほとんどこの方式です。東京のように、利用者がエスカレータの左側に立つ国は、今は思いつかないほどに少数です。

 街中には、カラオケスタジオもあります。
 
 
 
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 カラオケは、世界に普及した日本の文化です。

 クレムリンのまん前にあるモスクワ大学の文科系学部がある校舎は、現在は修理が進行中でした。
 
 
 
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 次に訪れる時には、きれいな校舎ができていることでしょう。
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:01| Comment(0) | ◆国際交流

2011年03月29日

与謝野晶子に関する刺激的な2冊

 昨年10月16日に、総合研究大学院大学・文化科学研究科・日本文学研究専攻で神野藤昭夫先生の『与謝野晶子の源氏物語翻訳と自筆原稿』と題する特別講義がありました。
 本来なら私が司会進行役を務めるはずでした。大学院での特別講義を担当していたことにあわせて、神野藤先生に講義をお願いしたのが私だったからです。しかし、ちょうど9月に退院した直後で、病気治療のために自宅静養中だったこともあり、神野藤先生には大変失礼をしたものです。

 その折の授業の内容が、先月ようやく冊子となりました。待ち遠しかったものなので、当日お話を伺えなかった私は、これを一気に読みました。
 
 
 
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 この『与謝野晶子の源氏物語翻訳と自筆原稿』(第22号、2011年2月28日発行、非売品)は、国文学研究資料館の教育支援係が大学院大学の連絡窓口となっていますので、ご入用の方は連絡を取ってみてください。立川にお越しになった時に、直接係から受け取られるのが一番確実だと思われます。また、大学院関係のイベントの時にも、配布しています。

 さて、この神野藤先生の講義録は、非常にわかりやすい口調で話をすすめておられます。また、図版や資料が多いので、納得しながら読み進めることができます。

 その中で、私は次の箇所に注意が向きました。
 これは、近代画像データベースの中の一つとして、私がこの3年間をかけて取り組んできた、与謝野晶子の自筆原稿の画像データベースに関わる発言です。


 国文学研究資料館の宣伝でもあるし、お願いでもあるわけですが、私たちにとってやはり資料館は貴重です。大学共同利用機関であるけれども、大学という枠をこえて、私たち個人一人ひとりが利用できる、この学問領域のネットワークの中核機関であるわけです。晶子の原稿がデータベース化されたのは、私たちには本当にありがたいことです。でもデータベース化されましたというだけではもったいない。あれを何とか研究の軌道に乗せるとおもしろいと思います。まだ、私には人生の持ち時間が少ないので本格的に取り組めない。そこで、あれはおもしろいので、意欲ある方々にやっていただけたいと、今日はその宣伝というか、火をつけに来たようなものであります。(43頁)


 これは、先生から宿題を課せられたようなものです。
 さっそく、検討したいと思います。

 もう1冊は、昨日の古稀をお祝いする会でのお土産として伊井先生からいただいた『与謝野晶子の「源氏物語礼讃歌」』(2011年3月25日発行、思文閣出版)です。
 
 
 
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 この本は、伊井先生が昨年末から2週間という短期間に書き上げられた本です。つい書いてしまった、とおっしゃっていました。とにかく、いつも仕事が速いので驚くばかりです。

 思文閣出版のホームページから、その紹介記事を引きます。


内容
小林一三による与謝野家への物心両面での庇護下、「源氏物語礼讃歌」が詠まれた背景、いつ秋成の短冊屏風を目にしたのか、さらには晶子自身においても、代表作としての認識がどのように醸成されていったのか、逸翁美術館特別展覧会のテーマをより深く追い求めた一書。

目次
第1章 晶子の大阪行き
  晶子の歌行脚
  九州への揮毫の旅

第2章 関西、九州への旅の成果
  過酷な歌行脚
  九枚の懐紙

第3章 歌人仲間河野鉄南
  鉄南との交友
  鉄南から鉄幹へ

第4章 晶子の歌行脚
  天眠の与謝野家への後援
  宝塚少女歌劇
  『泉の壺』の詠作

第5章 『源氏物語講義』の執筆
  天眠の依頼による『源氏物語』の原稿
  関東大震災による悲劇

第6章 鉄幹の欧州遊学
  百首屏風による資金調達
  小林一三への依頼

第7章 鉄幹の悲運と晶子の悲しみ
  鉄幹の衆議院選挙立候補
  帰京後の晶子

第8章 「源氏物語礼賛歌」の短冊
  小林一三のコレクション
  秋成の「詠源氏物語和歌」
  「源氏物語礼讃歌」短冊
  「源氏物語礼讃歌」の広がり


[資料]与謝野晶子「源氏物語礼讃歌」(逸翁美術館蔵)

与謝野晶子略年譜


 折々に伺っていた内容もありますが、逸翁美術館に行かれてからのことは、今から読むのが楽しみです。

 期せずして相次いで刊行された与謝野晶子関係の2冊の本です。
 これからしばし、実り多い読書を楽しむことにします。
posted by genjiito at 00:55| Comment(3) | ◆源氏物語

2011年03月28日

井上靖卒読・再述(1)「猟銃」

 井上靖の「猟銃」は、2006年12月に「井上靖卒読(1)」として、旧ブログである「たたみこも平群の里から」に掲載しました。
 しかし、2007年3月にレンタルサーバーがクラッシュしたことにより、すべてのデータが消失し、ブログの復元が不可能になりました。そこで、今回読み直すことにより、改めて再述するものです。

 なお、この「猟銃」については、「井上靖『猟銃』の方法を学ぶ」でも拙文を記しています。これも、おついでの折にでもご笑覧いただければ幸いです。


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 自分というもののことを誰かに知ってもらいたい。
 そんな思いから、三杉穣介に託された3通の手紙が展開する恋愛心理の綾が、視点を変えて語られます。非常に興味深い作品です。

 作中詩の中にある「白い河床」が明らかにされていきます。もらった3通の手紙を書き写す、というスタイルで進む小説です。おもしろい語り方です。

 プロローグとしての薔子の手紙は、物語の全体像を見せてくれる、冷静なものとなっています。
 そして、おばのみどりの手紙に移ります。
 妻として慣れ親しんだ口吻が、うまく出ています。ここでは、つんとした冷たい手紙になるように、軽さのある文体をとります。
 熱海のホテルの上から海を見下ろすと、夫と女が歩いて行くところでした。このシーンは、後の作品で和歌山を舞台にして描写されます。井上靖の作品では、何度か繰り返されるシーンとなります。
 紫の薊の花の結城の羽織が、この作品では印象的なものとなっていると言えるでしょう。3人の女性の手紙のいずれにも言及されているものです。

 3つ目の手紙では、13年の歳月を経た末の彩子の決断が、淡々と静かに語られます。三杉が彩子に言ったという「人間は誰も身体の中に一匹ずつ蛇を持っている」ということばが、彩子の罪という意識を表現しています。「業」ということばも使っています。
 「愛する苦しさに堪えかね、愛される倖せを求めた女」ということばが印象的でした。

 3通の手紙を配した形式が、それぞれの視点から一つのテーマに向かうという、うまく素材が生かされています。「私」という詩人の立ち位置も、うまくバランスがとれています。ただし、盛り上がりに欠けています。これが、手紙を用いたこのスタイルの限界なのでしょうか。
 舞台は、伊豆、天城、熱海、夙川、芦屋、明石、三ノ宮、八瀬、天王山と、絵になる場所です。映像に向いた物語だと思います。【4】
 
 
初出誌︰文学界
初出号数︰1949年10月号
 
新潮文庫︰猟銃・闘牛
井上靖小説全集1︰猟銃・闘牛
井上靖全集1︰全詩篇・短編1
 
 
【映画】
題名︰猟銃
制作︰松竹
監督︰五所平之助
封切︰1961年1月
主演︰山本富士子、鰐淵晴子
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 00:12| Comment(0) | 井上靖卒読

2011年03月27日

伊井春樹先生の古稀を祝う会

 京都御所にほど近い京都ブライトンホテルで、伊井春樹先生の古稀をお祝いする会が開催されました。
 先生を知るものはみんな一様に、古稀と先生のイメージが合いません。とにかく、歳を数えると70だから、ということでお祝いのパーティーとなっただけです。
 先生ご自身も、歳のことなどはすっかり忘れて、今も走り回っておられます。

 第一部は、平安装束の着付け鑑賞会でした。
 山科流の福呂一榮さんによる着装です。
 
 
 
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 写真の右端は、文官の束帯姿のモデルとなられた同志社大学の岩坪健先生です。よくお似合いでした。岩坪先生は、伊井先生の教え子の第1号にあたられます。今回の祝う会の実行委員長でもあります。

 第二部は、京都らしい和食の祝宴でした。今日のお祝いに参加したのは約40人でした。先生のご意向により、こぢんまりとしたお祝いの会でした。
 なお、先生に博士論文を提出した者の内の21名で、お祝いの意味を込めて研究論集を刊行しました。
 詳しくは、笠間書院の新刊案内である「伊井春樹編『日本古典文学研究の新展開』」(2011年3月16日)をごらんください。
 私は、「新出『源氏物語(若菜上・残巻)』と本文分別に関する一考察」という一文を寄せています。
 ずらりと並んだ論題を見ただけでも、伊井先生の教え子の幅の広さが実感できます。
 
 
 
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 先生のご挨拶の中で、最近は涙腺が緩くなって、ということが語られました。
 そういえば、教え子の思い出話をお聞ききになりながら、目頭を気にしておられました。いつもは、とにかく歳を感じさせない行動力でお仕事をなさっています。そのような先生がどうなさったんだろう、と気になっていました。これを、古稀になられたしるしとしておきましょう。

 来週末からは、先生が館長をなさっている逸翁美術館で、「与謝野晶子と小林一三」という展覧会が始まります。
 
 
 
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 展示図録によると、第 V 章の「晶子の新出書簡」は伊井先生が担当されたものです。
 昭和11年(2通)と14年(1通)の計3通は、晶子の文学史年表に新たに書き加えられるものとなります。
 
 
 
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 また、与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』(堺市立文化館与謝野晶子文芸館蔵)の中から、「桐壺」巻が展示されます。

 この展覧会については、また報告します。

 相変わらずお忙しい先生です。身体には充分にお気をつけになって、いつまでも刺激的なお仕事で我々に活力を与えて下さることを、これまで以上に楽しみにしたいと思います。
 と言う暇もなく、早速、帰りには今週刊行された新著を手土産にいただきました。
 このことは、明日にでも書くことにします。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 身辺雑記

2011年03月26日

井上靖卒読(120)「星の屑たち」「二分間の郷愁」「黄色い鞄」

 井上靖の作品を折々に読んでいます。

 気長に続けていきます。
 
 
■「星の屑たち」
 神戸三宮の愚連隊の女たちの話は、井上靖の作品でよく語られる題材です。
 本作は、司きよ子を通して、女の二面性が描かれます。小悪魔性とでもいえるでしょうか。
 それに対する江戸光子も、したたかな女です。小学校時代の元恩師を仲にして、諍いが続きます。
 舞子の松林で繰り広げられる2人の女の格闘から、谷崎潤一郎の悪魔主義の初期小説を想起しました。
 井上靖にはめずらしい作風です。【2】


初出誌︰文学界
初出号数︰1950年9月号
 
集英社文庫︰三ノ宮炎上
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2︰短篇2
 
 
■「二分間の郷愁」
 『井上靖全集』で2頁ほどの短編小説です。
 新聞記者を通して、人間と仕事が持つ意味を問う話になっています。
 誰にでもある、自分のスタート時点での師は、いつしか自分が大きくなってもいつまでも師であることが、しんみりと語られています。【2】


初出紙︰新聞協会報
初出日︰1950年10月2日
 
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2︰短篇2
 
 
■「黄色い鞄」
 犯罪捜査で始まります。
 300万円強奪事件が起きます。その舞台は銀座。そして、銃声が印象的です。
 井上靖にはめずらしく、テンポのいい文章で展開します。人物が、場面が、非常に輪郭のはっきりとした絵となって感じられます。【3】
 
 
初出誌︰オール読物
初出号数︰1951年1月号
 
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2︰短篇2
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 23:33| Comment(3) | 井上靖卒読

2011年03月25日

わが父の記(5)名前とお菓子

 私の父の名前は、忠右衛門といいます。
 父は養子で、本名は石川忠右衛門です。
 人をしゃべくりで楽しませていた父は、よくこの名前のことをネタにして、みんなを笑わせていました。
 そんな父が見たら驚喜する品物を見つけました。
 
 
 
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 もし父が生きていたら、これを大量に買い込んで、いろいな人に配り歩いたことでしょう。
 しかも、父は大の甘党でした。カレーに砂糖をかけ、羊羹が大好物でした。

 おまけに、父の川柳句集を見ると、どうやら父の初恋は京都の祇園祭で見かけた人だったようです。

 父は、昭和58(1983)年5月15日に68歳で亡くなりました。
 来る祥月命日には、このキットカットをお供えするつもりです。
posted by genjiito at 00:30| Comment(0) | 回想追憶

2011年03月24日

米国議会図書館蔵『源氏物語』翻刻本文の試験公開開始

 本日、国立国語研究所のウエブサイトより、「米国議会図書館蔵『源氏物語』翻刻本文」が試験公開されました。

米国議会図書館蔵『源氏物語』翻刻本文(2011年3月24日)

 翻刻本文は、首巻「桐壺」から第33巻「藤裏葉」までの、いわゆる第一部といわれる33帖分です。
 各巻の表紙と墨付き第一丁表のカラー画像が確認できます。

 このデータを広く公開し、1人でも多くの方にご覧いただくことによって、翻刻本文がより正確なものになっていけば、と本調査研究のお手伝いをした者の1人として願っています。

 なお、本日公開されたのは「和文サイト」だけです。
 「英文サイト」は3月末までにオープンされる、とのことです。

 また、この翻刻本文を収録した冊子報告書が完成しています。個人的な配布はなされませんので、公的研究機関および大学の図書館等でご確認ください。

 本調査研究の代表者である国立国語研究所の高田智和先生は、地震による計画停電が実施された中にもかかわらず、立川の国文学研究資料館と隣接する国立国語研究所に籠もり、必死に試験公開に向けて尽力なさいました。公開に漕ぎ着けられた精力的なご努力に、改めて「ごくろうさまでした」ということばを贈りたいと思います。
 英語版のこともあり、あと少しです。声援だけですみませんが、どうかよろしくお願いします。

 この米国議会図書館蔵『源氏物語』の調査研究については、本ブログでも現地レポートも含めて、逐一報告を記してきました。
 詳細は、以下の記事をご参照ください。
 ただし、あくまでもブログという個人的な日記によるレポートです。正式な報告ではありませんので、なにかと個人的で冗長な話に終始しています。適当に、お気軽に読み捨てていただけることを願っています。


「議会図書館での調査開始」(2010年1月27日)

「米国議会図書館での調査」(2010年1月29日)

「散らし書き風(?)の和歌」(2010年2月 2日)

「ワシントンを発つ前に」(2011年1月27日)
posted by genjiito at 17:31| Comment(4) | ◆源氏物語

幼馴染みからのお別れの電話

 幼馴染みのひろこちゃんに逢うため、急遽新幹線で1時間半ほど西下しました。

 2日前に、突然思いがけない電話がありました。
 どこでどう調べたのか、私の家のベルを鳴らして来たのです。
 もとより年賀状のやりとりもなく、音信不通が続いていたのです。
 元気がなかったので、気になりました。
 30年ぶりに聞く声に、生きる気力が話すことばから欠落していました。

 今朝、起きてすぐに、逢って一言二言でも話をしよう、と思い、家を出ました。

 ひろこちゃんの住む町へ飛んで行きました。
 駅まで車で迎えに来てくれました。
 車を運転できるのがわかり、安堵しました。
 何を食べる? と聞くので、回転寿司と答え、直行です。
 船で運んでくる回転寿司屋でした。
 
 
 
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 30年の時を隔てて逢ったのに、どうして回転寿司? とは聞いて来ません。
 そんな必要はないのです。話さえできれば、どこでもいいのですから。

 生まれてから小学3年生まで、島根県の出雲市で、本当にすぐ近くでお互いが育ちました。
 従兄弟半の関係ですが、兄妹みたいなものです。同級生ですが。

 私は小学校の途中で、出雲から大阪へ転校しました。
 その後しばらくは、何度か往き来がありました。
 しかし、ここ30年以上は逢う機会がなかったのです。

 のどかな中国山地の奥にある、ひろこちゃんの家に案内されました。
 アルバムを出してくれたので、それを見ながら思い出話が続きます。
 当時の友達の名前が、驚くほど正確に出てきました。
 何十年も忘れていた名前が。不思議です。

 50年以上も前のツーショットがありました。3歳か4歳の頃でしょうか。
 
 
 

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 私は20歳の時に、住み込みの新聞販売店が火事になりました。
 そのため、大阪から東京に持ち込んでいた私物のすべてを消失しました。
 小学・中学・高校のアルバムすらありません。
 私には、想い出の手がかりがないのです。
 幼い頃のスナップ写真も何もかもが、今も手元には1つもありません。
 過去を確認するモノを、私はほとんど持っていないのです。

 懐かしい子供の頃の写真を見ながら、時が遡りました。

 こんな写真も、アルバムに貼ってありました。
 紛れもなく私です。
 
 
 
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 もう生きる気力を失いかけていたひろこちゃんです。
 その声が、帰ろうとする頃には、明るく笑う場面もありました。
 私も、たくさんの思い出を取り戻しました。
 忘れかけていた人と人とが、アミダクジのようにつながります。
 時間が右往左往する話を、真面目にしました。

 私と姉に挟まれて、ひろこちゃんがすましている写真もありました。
 小学校6年生の時、大阪に遊びに来たので、天王寺動物園へ行ったときのものです。
 2つ違いの姉は中学生のようです。
 
 
 
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 ひろこちゃんは最近、頭や胸やお腹やら、何度も何度も手術をしたのです。
 壮絶な闘いに身を置いていたのです。
 初夏から抗ガン剤に終生身を委ねることの怖さも、真顔で語ってくれました。

 帰り際に、何のために生まれてきたのかなー、と呟くのが聞こえました。
 生まれて来なければよかった、とも言うのです。
 私は、今日こんなにたくさん楽しかった話をしたのに? と言うだけに留めておきました。

 ここに来るまでは思いもしなかった、またの機会がある、と確信したからです。
 もう、お別れの電話はして来ないはずです。
 その意思表示の方法は、もう使えないのです。
 また話をしようよ、と言う電話しかできないはずです。
posted by genjiito at 01:02| Comment(0) | 回想追憶

2011年03月23日

フランスで震災支援活動を続ける娘のこと

 フランスのリヨンにいる娘が、日本での震災について募金活動と折り紙による支援に奔走しています。
 現地のようすは、娘のブログ「リヨンBAC+4」をご覧ください。日本での報道にはない動きがわかります。

 そのような中で、フランスのテレビ取材を受けたとのことです。
 ビデオの後半で、少しですがコメントをしています。緊張してしまって、めちゃくちゃなフランス語だから恥ずかしい、と言っていました。
 すべてフランス語なので、私には何を言っているのかさっぱりわかりませんが。

 イギリスの大学で4年間、国際関係の勉強をしていた時も、ヨーク・セントジョン・カレッジの平和学博士・中村久司先生のお手伝いとして、折り紙などでボランティア活動をしていました。また、ヨーロッパ各地へボランティアの支援活動に出向いていたので、そうした地道な実践経験が今フランスで生きているようです。

 日本のことを少しでも正しく知ってもらおうと、国際理解を求める活動を始めた娘です。
 多分に親ばかとしても、異国の地にあってのさまざまなプレッシャーの中で、できることは何でもしてほしいと声援を送っているところです。

 フランスでも、私のブログを読んでくださっている方がいらっしゃいます。
 よろしかったら、娘の活動に少しでも手を添えていただけると幸いです。
posted by genjiito at 02:34| Comment(0) | ◆国際交流

日南町の池田亀鑑(6)教科書と後藤氏に関する補足情報

 日南町教育委員会の松本さんが、お願いしていた情報を届けてくださいました。
 以下に、追補記事として報告します。

(1)「日南町の池田亀鑑(2)教科書監修に関連して」(2011年3月17日)で、

昭和32年の教科書に、日南町の生徒が書いた「とんぼのはか」という文章が掲載されている

という、当日のフォーラム会場でいただいたご教示を紹介しました。

 その出典は、すでに報告した通りです。

 これに関して、ご教示いただいたのが日南中学校長のA先生だったことと、その作品が日南町宮内在住だったKさんが小学1年生の時に書いた作文であることがわかりました。

 昭和33年度用の小学2年生の教科書『標準 しょうがく こくご 2の下』(池田亀鑑・坪田譲治 監修、教育出版、昭和32年4月30日文部省検定済)に掲載された「とんぼのはか」が、これで日南町の生徒の作文だったことが確認できました。

(2)「日南町の池田亀鑑(4)生誕の家と2人の「とら」さん」(2011年3月19日)で書いた、池田亀鑑と1日違いの生まれだった後藤孝重氏がお亡くなりになったのは、昭和56年9月25日でした。

 以上、2点について、補足します。
 今後とも、新たなことがわかりましたら、この場を借りて報告していきます。
posted by genjiito at 00:06| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年03月22日

京洛逍遥(183)電気の神様・上賀茂神社と半木の道の蕾

 賀茂川散策の途次、氏神さまでもある上賀茂神社に立ち寄りました。
 二ノ鳥居越しには、補修中だった細殿の工事の覆いが取り外されたために、檜皮葺の屋根を見ることができるようになりました。
 
 
 
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 その二ノ鳥居の前の神馬舎の掲示板に、こんなお知らせが貼ってありました。
 
 
 
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 上賀茂神社が電気の神様だったとは、これまで考えてもみませんでした。そう言われてみれば、ご祭神は賀茂別雷大神でした。

 この張り紙に書いてあることは、上賀茂神社のホームページでは次のように記されていました。
 

東北地方太平洋沖地震被災地の皆様へ

この度の東北地方太平洋沖地震により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
当神社におきましても毎朝、一千年以上続きます「日供祭(にっくさい)」において復興祈願祭を斎行し、被災地の一日も早い復興と、被災者の方々の安寧をお祈り致しております。
また当神社御祭神、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)は、「雷」の一字をお持ちの事からも、電気産業の守護神との信仰があります。
福島県の東京電力第一原子力発電所の大変厳しい状況にあたり、当神社では、臨時祭として「放射能洩終息祈願祭」を3月13日(日)午前9時より斎行し、賀茂の大神様のご神徳を乞祈り奉り祈願した御神符を東京電力株式会社にお届け申し上げました。
3月21日(月)午前10時よりは、氏子崇敬者多数参列の下、「東北地方太平洋沖地震復興祈願祭」を斎行いたしました。
賀茂別雷神社

 
 福島原発と地震・津波の被害にあわれたみなさまの速やかな復興をお祈りします。

 近年とみに桜の名所として広く知られるようになった半木の道は、少しずつ色づいてきました。
 
 
 

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 蕾も、濃いピンクになり、あと数日で花開きそうな気配を感じさせています。
 
 
 
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 来週末には賀茂川沿いは明るい春色になり、みんながこの桜から元気をもらえることでしょう。
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年03月21日

『源氏物語』の本文研究の成果物

 國學院大學の豊島秀範先生が推進なさって来た科学研究費補助金・基盤研究(A)「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」(課題番号:19202009)は、この4年間で着実な成果を積み重ねて来ました。そして、今月でひとまずの区切りを迎えることになります。

 その活動の最後は、本ブログの「豊島科研の最終研究会に参加して」(2010年11月16日)において報告した通りです。

 この4年間の各年度における研究成果は、「源氏物語本文の再検討と新提言」(全4冊)という年度報告書にまとめられています。
 それに加えて、研究成果が以下のような一冊の本としてもまとめられました。
 
 
 

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 この『源氏物語本文の研究』(豊島秀範編、國學院大學文学部日本文学科発行、2011年3月31日、非売品)は、以下の論文と資料で構成されています。


T 研究編
 在英源氏物語画帖の絵と詞(伊藤鉄也)
 藤原定家筆「源氏物語」(四半本系原本4帖)の本文資料の再検討(渋谷栄一)
 京都大学本系統『紫明抄』と内閣文庫本系統『紫明抄』(田坂憲二)
 山岸文庫蔵伝明融等筆源氏物語に関する書誌報告書1(上野英子)
 七亳源氏「須磨」巻の頭注「百詠注」について(太田美知子)
 『十帖源氏』試論(菅原郁子)
 米国議会図書館本『源氏物語』の書写形態に関する一試論(神田久義)
 『源氏物語』本文の実態(豊島秀範)
U 資料編
 源氏物語諸本対照語彙表 早蕨巻(中村一夫)


 これらのテーマはこれで終わりではなくて、今後さらに幅広く展開されていくはずです。
 そのいくつかは、国文学研究資料館の今西祐一郎館長が昨年4月からスタートされた、科学研究費補助金・基盤研究(A)「日本古典籍における【表記情報学】の基盤構築に関する研究」に継承されています。この今西科研は、今後5年間にわたって継続するものです。

 こうしたさまざまな取り組みを通して、『源氏物語』の本文研究がますます進展し、若者が興味を持って参加できる研究環境が形成されることを願っています。

 ひとまずは、豊島秀範先生のご苦労が実り多いものであったことを、その連携研究者の1人として協力した者として慶びたいと思います。お疲れ様でした。
 そして、さらなる展開のために進まれることを、楽しみにしています。
 今後私は今西科研の連携研究者として、『源氏物語』の本文研究というテーマの追求に微力を注ぐことで、豊島科研のさらなる発展につなげていきたいと思っています。

 この『源氏物語』の本文に興味をお持ちの方や若手研究者は、ぜひ一緒に遅れに遅れている基礎研究としての本テーマの探求に参加してほしいものです。
 遠慮なく、連絡をください。
 写本を読むことから、翻字されたテキストを活用して諸本の研究をし、さらに作品を解釈するところまでを、一緒に勉強していきましょう。どのようなレベルからでも参加できますので、いつでも連絡をいただければ、と思っています。
posted by genjiito at 00:10| Comment(2) | ◆源氏物語

2011年03月20日

日南町の池田亀鑑(5)亀鑑の両親に関する新資料

 先週12日(土)に開催された日南町でのフォーラムが終わった直後のことでした。
 話し終えた私に、鳥取県立図書館郷土資料課で学芸員をなさっている渡邉仁美さんが、親しく声をかけてくださいました。そして、「郷土出身文学者シリーズ」として現在刊行中である『尾崎放哉』ほか5冊を頂戴しました。
 
 
 
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 今後、池田亀鑑について、小説家としてこのシリーズでとりあげたい、とのことでした。
 ちょうど私が池田亀鑑に関する本をシリーズ化して刊行する計画をすすめていることをご存じで、その『もっと知りたい 池田亀鑑と源氏物語』(全3冊、予定)と内容的に重複することを心配なさっていました。

 その会場では、今後とも情報交換をしていきましょう、ということで別れました。
 そして昨日、渡邉さんから池田亀鑑に関する大変貴重な情報が届きました。池田亀鑑の両親に関する、鳥取県立図書館所蔵の教育雑誌を調査なさった結果を、早速教えてくださったのです。
 これはまさに、地の利を生かしたタイムリーな調査といえます。関西と関東を往復するだけの私には、とてもこのような資料は見つけることも入手することもできません。

 感謝しつつ、了解を得て、以下に公開します。
 これで、池田亀鑑の両親について、不明だった部分が相当明らかになりました。
 渡邉さんから教えていただいた資料を引用しながら、私なりの現時点でのコメントを加えておきます。
 
 
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・『山陰之教育』12号(明治29年5月) 「叙任辞令」欄
   同 上(八等上級俸給与)  同(日野)神戸上訓導 山崎宏文

 

 『鳥取県大百科事典』(新日本海新聞社、1984年)では、池田亀鑑について「山崎弘文の長男。小学校4年生のとき、西伯郡岸本町久古の母の生家の養子となり、池田姓となる。」と書かれています。
 「山崎弘文」という姓と、「母の生家の養子となり、池田姓となる。」について、これまでその典拠を探し求めていました。
 それが、この資料によって、亀鑑の父が山崎姓であったことが証明されました。ただし、亀鑑の父宏文は、鳥取県日野郡八郷村福岡の伊沢貞三郎の次男です。伊沢姓から山崎姓へどのような経緯があってのものなのか、今はまだよくわかりません。
 また、亀鑑は明治二十九年十二月九日に、神戸上の寄留先であった後藤家で生まれています。このことは、昨日の本ブログ「日南町の池田亀鑑(4)生誕の家と2人の「とら」さん」で詳しく書きました。
 亀鑑の父が明治二十九年五月の時点で山崎姓であったことは、一体どういうことなのでしょうか。つまり、山崎宏文が結婚(入夫)によって池田に改姓した時期がわかりません。当時は姓についてこだわらなかったのでしょうか。
 亀鑑の誕生日から逆算すると、少なくとも山崎宏文と池田とらは、明治二十九年二月には実質的な結婚をしていたと思われます。それが、三ヶ月後の五月になっても宏文が山崎姓であることを、今は説明できません。
 同じ時期に妊娠していて、亀鑑よりも1日早く後藤孝重を生んだ後藤とらの家に寄留したことと、何か関係があるのかもしれません。

 
 
・『山陰之教育』72号(明治34年5月) 「叙任辞令」欄
   日野神戸上尋常小学校訓導兼校長 池田宏文
  任鳥取県日野郡神戸上尋常高等小学校訓導
   但尋常本科正教員勤務
  九級下俸給与日野郡神戸上尋常高等小学校訓導 池田宏文


 亀鑑が5歳のときです。ここで父宏文は尋常小学校の訓導から校長となり、高等小学校の訓導になります。そして、山崎姓から池田姓になっています。
 これにより、亀鑑は生まれてから5歳までの間に、ほんの一時期としてでも、池田姓だけでなく山崎姓だった可能性が出てきます。母の池田姓を名乗ったと思われますが、父が山崎姓であった時期を考えると、これは再考すべきことかもしれません。
 また、『鳥取県大百科事典』では、亀鑑について「小学校4年生のとき、西伯郡岸本町久古の母の生家の養子となり、池田姓となる。」と書かれていました。小学校4年生は13歳です。しかし、この亀鑑が5歳の時点で、父宏文は池田姓となっています。
 後藤家での実情がよくわからないので、今後の課題です。

 
 
・『山陰之教育』75号(明治34年8月) 「叙任辞令」欄
   任鳥取県日野郡神戸上尋常高等小学校訓導 池田トラ
    但専科正教員勤務
         同郡神戸上尋常高等小学校訓導 池田トラ
   八級下俸給与
    但当分月俸六圓支給


 宏文が神戸上尋常小学校訓導兼校長となり神戸上尋常高等小学校訓導になってすぐに、妻の池田トラが神戸上尋常高等小学校訓導になりました。
 それまでトラは、農業補習学校教諭や、裁縫・手芸の私塾を開くなどして、とにかく家計を助けていたと思われます。トラの父が潰したお家再興のために、身を粉にして働いた時期なのですから。
 なお、この資料によって、亀鑑の母は「とら」ではなくて「トラ」だったことがわりかました。昨日のブログでの記事も含めて、改めて訂正したいと思います。そして、後藤家では、「とら」さんと「トラ」さんが1日違いで男の子を出産した、ということになります。

 
 
・『山陰之教育』76号(明治34年9月) 「叙任辞令」欄
   同郡(日野郡)神戸上尋常高等小学校訓導池田トラ兼任鳥取県日野郡花口尋常小学校訓導但専科正教員勤務
        (中略)
   同郡(日野郡)神戸上尋常高等小学校訓導兼日野郡花口尋常小学校訓導池田トラ八級下俸給与但当分月俸七圓支給
        (中略)
   日野郡神戸尋常高等小学校訓導池田宏文八級下俸給与


 亀鑑の母であるトラは、花口尋常小学校訓導を兼務します。父宏文の給料も上がりました。

 
 
・『鳥取県教育雑誌』(明治39年8月) 「鳥取県学事関係職員録」欄
     神戸上尋常高等小学校
    訓導兼校長  七ノ下  長尾栄重
    訓導      八ノ下  池田宏文
    同 専科   当分五圓 池田トラ


 宏文は神戸上尋常小学校の校長のままです。

 
・『鳥取県教育雑誌』(明治40年8月) 「鳥取県学事関係職員録」欄
     神戸上尋常高等小学校
    訓導兼校長  本正 七ノ上 宇田清隆
    訓導      尋正 八ノ下 池田宏文
    訓導専科       六圓  池田トラ


 亀鑑は四年生で卒業し、高等科に入っています。
 トラの給料が上がりました。
 「本正」「尋正」の意味がわかりません。「正」は正教員のことでしょうか。

 
 
・『因伯教育』(明治41年8月) 「鳥取県学事関係職員録」欄
     日吉尋常小学校
    訓導兼校長   尋正 七ノ下 池田宏文
    訓導専科         八ノ下
                 当分七圓 池田トラ
    代用教員        三ノ下  宮崎二郎


 明治四十一年六月に、父が日野郡日吉村日吉尋常小学校訓導兼校長として着任したこと(〜大正四年三月まで)に伴い、亀鑑は神戸上尋常高等小学校から日吉尋常小学校(久古村、池田家累代の居住地である岸本町の一地区)に転校し、尋常科六年に編入となります(これは明治四十一年の法規改正により、尋常修業年限が六年、高等科二年となったことに伴う処置)。神戸上尋常高等小学校には、一年少々の在籍でした。
 本籍地は日吉村久古(現在の岸本町久古三一三の一)。
 母トラも、日吉尋常小学校の訓導専科となっています。
 久古の貝田原にあった校舎の中で池田一家の生活が始まります。


posted by genjiito at 02:50| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年03月19日

緑川真知子さん受賞おめでとうございます

 緑川真知子さんが、第12回紫式部学術賞を受賞されました。
 対象となった研究書については、昨秋、以下のような記事を書きました。
 
「緑川真知子著『『源氏物語』英訳についての研究』の重み」(2010年10月29日)
 
 昨春、小川陽子さんが同賞を受賞された時にも、その好著を紹介した後でした。

「小川陽子さん「紫式部学術賞」おめでとう」(2010年3月19日)

 昨年に引き続き、今年も私の眼力は確かだった、ということのようです。
 というよりも、読書感想文的な、論文とは名ばかりの雑文を好まない私は、こうした文献資料を大切にした実証的な研究が高く評価される状況を大歓迎します。思いつきの随想ではなくて、資料による実証的な研究は、手間と時間がかかります。えてして敬して遠ざけられます。しかし、若い方々にこそ実践してほしい研究手法です。
 私の興味の範囲で言えば、『源氏物語』の本文の研究です。これが、手間と時間がかかることもあり、研究が大きく遅れている基礎研究の最たるものです。

 今後とも、こうした着実な手法による研究が評価され、若手の研究者がそれに続くことを期待したいと思います。
posted by genjiito at 02:20| Comment(0) | ◆源氏物語

日南町の池田亀鑑(4)生誕の家と2人の「とら」さん

 池田亀鑑は、明治40年3月に神戸上(かどのかみ)尋常小学校を4年生で卒業します。
 その時点での同級生の名簿(『桜が丘 石見東小学校 創立六十五周年記念誌』石見東小学校同窓会、平成4年3月1日発行)は、先日書いたブログ「日南町の池田亀鑑(1)明治40年の小学卒業名簿」(2011年3月16日)で紹介した通りです。

 この卒業生の中に、後藤孝重がいます。この池田亀鑑の同級生である後藤孝重が、実に深い縁のある人物なのです。
 日南町で教育委員長をなさっている立脇立兌昶さんは、「池田亀鑑先生に学ぶ」(『桜が丘 石見東小学校 閉校記念誌』日南町立石見東小学校同窓会編、平成21年3月1日発行)の中で、小学校時代の池田亀鑑の様子はまったくわからない、と書いておられます(14頁)。

 今回の日南町訪問で、少しずつですがその手がかりが得られました。

 池田亀鑑が通った小学校は、一昨年に閉校となった石見東小学校です。かつて神戸上尋常小学校としてあった場所に、今も校舎は建っています。
 
 
 
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 この学校の校門を上がった校庭の横に、これまでにも何度も紹介した池田亀鑑の碑文が建っています。
 
 
 

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 この小学校から歩いて20分ほどの所に、池田亀鑑が生まれた所があります。この家が、神戸上尋常小学校長として赴任した父宏文の寄留先だった後藤家です。ただし、現在の家屋は当時のものではありません。
 
 
 
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 この家の庭に、「後藤孝重建之」と背面に刻まれた「池田亀鑑誕生地」を示す石柱がしっかりと建っています。
 
 
 
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 石碑が建つ後藤克美さんのお宅で、奥さんの八重さんから池田亀鑑に関する話をたくさん伺うことができました。
 お話によると、克美さんの父である広良さんの父が勇蔵です。
 後藤家は、この地域の資産家でした。今でも勇蔵の蔵書が残っており、なかなかの勉強家です。
 この後藤家では、代々の当主がさまざまな本を写したり版本を読んだりしています。その一端を示す本も拝見しました。
 御成敗式目の写本などは、写した意図がよくわかりません。往来物の版本が何冊かありました。特に、写真にも名前のある数代前の庄太郎さんは、さまざまな本を写したり購入していたようです。
 
 
 
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 その勇蔵の弟である孝重は、明治二十九年十二月八日に生まれています。
 
 
 
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 すでにお気づきの方もいらっしゃることでしょう。実は、池田亀鑑はその翌日の出生なのです。
 つまり、後藤孝重と池田亀鑑とは、相前後してこの後藤家で産声を上げたのです。このことは、日南町でもよく知られていることでした。

 幸いにも、昭和4年6月26日付けの戸籍謄本が、後藤さんのお宅に残されていることがわかりました。それによると、孝重さんの欄は次のようになっています。克美さんと八重さんの了解をいただきましたので、その部分を掲載します。
 
 
 
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父 後藤勇蔵
母   とら

二男  孝重
出生 明治二十九年十二月八日


 孝重は6番目の子供でした。

 母が「とら」という名前であることに、私は驚きました。
 ちょうど翌日生まれた亀鑑の母の名前も「とら」なのです。
 つまり、この後藤家では、2人の「とら」さんが同じ屋根の下で十月十日の臨月を迎えることになっていたのです。偶然なのでしょうが、果たしてそれを事実としていいのか、今もってよくわかりません。

 後藤孝重の母とらの欄は、次のようになっています。
 
 
 
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父 岸 惣助
母 空欄〈朱〉
出生 元治元年二月十日


 元治元年は実際には2月20日に改元されているので、後藤とらは、正確には文久4年2月10日生まれ、ということになります。後藤とらが6番目の子である孝重を生んだのは32歳の時です。たまたま、写真も見つけ出してくださいました。
 
 
 
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 この後藤とらは、岡山県哲多郡片瀬村の岸惣助の五女でした。
 明治13年11月30日に結婚して、この神戸上の後藤家に入籍しています。岡山といっても、この日南町が岡山との分水嶺に近いところにあるために、そんなに遠いところではないそうです。

 後藤とらが孝重を生んだその翌日、池田とらは第1子である亀鑑を24歳で出産しました。2人の「とら」は、8歳違いだったのです。

 八重さんの話では、孝重は奥の納戸で、亀鑑は表の間で生まれたそうです。この後藤家には、8畳の間が8つもあったとのことです。それだけ大きな旧家だったのです。

 この時すでに、この後藤家は11人以上もの人が同居していたことになります。

 今私によくわかっていないことは、なぜ池田家は後藤家に寄宿したのか、ということがあります。
 この両家は、特に血縁はないようです。

 亀鑑の父である宏文が校長として近くの小学校に赴任してきたことと、後藤家が旧家としてたくさんの本を所有するほどの豊かで教養のある家だったことことから、この家が選ばれたのではないか、と想像しています。
 あるいは、小学校から至近の距離であること、家の大きさ、そして何よりも出産が近い妊婦がいる家(?)であること等が、その選定に影響していたことでしょう。

 とにかく、一緒に同じ屋根の下で、1日違いで生まれた孝重と亀鑑です。
 小さいときから後藤とらは、乳母のようにして、教員として忙しく立ち働く池田宏文校長ととら先生の代わりに、亀鑑を育てたことでしょう。この時期は、池田とらの父又次郎が池田家を潰したために、お家再興の想いでとらは奔走していたのです。亀鑑は後藤とらのお乳をもらって育ったのではないか、と、まさに平安時代の乳母のありように思いを致しながら、この亀鑑の幼少期を想像しています。
 まさに、平安時代の乳母の姿が瞼に浮かぶ状況だったのではないでしょうか。さしずめ小学四年生までは、孝重は乳母子として、亀鑑を支えるようにして成長したはずです。光源氏のそばに仕えた惟光や良清などのように。

 孝重が、自分たちが生まれた敷地に「池田亀鑑誕生地」という石柱を建てたのは、2人の生い立ちがそうさせたものだ、と言えるでしょう。2人にとって、ここは想い出の場所なのですから。

 この池田亀鑑が生まれた時の家屋が、実は今も残っていました。それは、この後藤家から歩いて10分もかからない、槙原熊男さんのお宅がそうでした。
 
 
 
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 すでに改修の手が入っていますが、床下や壁面に池田亀鑑が住んでいた当時のままの木材や土壁の姿が残されていました。
 家の大きさは、当時と同じだそうです。
 
 
 
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 槙原家からの帰りに、後藤孝重さんが住んでおられた家の前を通った時です。
 すぐ近くにお住まいの立脇兌昶さんがたまたま玄関の外に出ておられ、せっかくだから後藤孝重さんの息子さんを紹介してあげよう、ということになりました。お言葉に甘えて、後藤さんのご自宅にお邪魔しました。

 お話によると、孝重さんがお亡くなりになったときに、親しかった池田亀鑑からの手紙などすべてを処分した、とのことでした。亀鑑が上京してからも、折々に物のやりとりもあった、とのことでした。しかし、えてして手紙などは一部が人の手にあるなど、散佚して残っていることが多いものです。
 今後ともあきらめずに探し求めていきたいと思います。

 最後になりましたが、日南町教育委員会の松本道博さんと西田 耕一さんには、2日間にわたり私をいろいろなところに案内してくださいました。また、資料も用意してくださいました。本当にお世話になりました。おかげさまで、こんなにたくさんの成果を入手することができました。
 今回は、短時間のうちに、幸運にもたくさんの新しい情報が得られました。
 今後は、こうした情報の断片をジグソーパズルのようにして組み合わせ、池田亀鑑の日南町時代を再構成していきたいと思っています。
 これに懲りず、またの機会にも一緒に謎解きのお手伝いを、どうかよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 01:48| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年03月18日

日南町の池田亀鑑(3)教科書情報の追補

 小学校の国語科教科書に関して、以下の記事のいくつかを補訂することにします。新たにわかったことなどを追補することで、より正確な情報とするためです。

 今回は、学校図書と教育出版のものです。

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」(2010年11月 9日)

■学校図書の昭和28年度用(監修者、志賀直哉・久松潜一・池田亀鑑)に関して

「1年上・下」については、「中」が存在することがわかりました。
ただし、現在京都府立図書館のライブラリーでは欠本になっています。
 
前回の報告では、「2年下」は28年度用としました。
ただし、その奥付は「昭和29年5月10日印刷、5月15日発行」となっています。
 
私が調査をしている京都府立図書館の教科書ライブラリは、京都の教科書センターに集められたものが中心となっています。そのためもあってか、実際に使用されたものではなくて、教科書検定の過程段階にあるものが多いようです。誤植や指導によると思われる修正や変更などを示す正誤表が挟まっていることがあります。この点は、教科書の実態を知る資料として、注意が必要だと思われます。
 
昭和28年度用の「上・下」2冊は、先日まで京都府立図書館から外部の図書館に貸し出されていました。ちょうど戻ったところで、私は再度の調査をしました。
私のブログをご覧になり、また池田亀鑑に興味を持たれたために、この教科書をどこかの図書館を通して貸し出しの申請がなされたと思われます。
一人でも多くの方が、こうした教科書という資料を実際にご覧になることは、情報を公開している私としても歓迎するところです。
よろしければ、このような教科書に関する情報をお寄せいただければ幸いです。

 
 
■学校図書の昭和32年度用と34年度用の教科書の情報を追補

前回公開した私の調査は、平成22年10月から11月までに実施したものでした。その際に欠本だったもので、今回その存在が確認できたものが3冊あります。これにより、学校図書の小学校教科書は、131冊を確認したことになります。
以下に、その教科書の内容に関する私的なメモを記します。

(1)昭和32年度用「小学国語 五年上」(志賀直哉・久松潜一・斎藤清衛・池田亀鑑監修)
 「話すこと書くこと」の単元に、豊臣秀吉が書いた手紙の写真が図版として掲載されています。変体仮名混じりの自筆書簡のため、読むことはむつかしい資料です。翻字は付されていません。
 下巻は欠本のままです。
 
(2)昭和34年度用「わたしたちの国語 五年上」(志賀直哉・久松潜一・吉田精一監修)
 「ぎぼしにきざまれた文字」として、女性の手になる変体仮名交じりの文が図版として掲載されています。これについては、その文の内容が要約して本文で紹介されています。
 前回の教科書で掲載された秀吉の手紙は、この年度になるとシーボルトの自筆手紙(漢字カタカナ交じり文)に差し替えられます。これについてはカタカナ文字の翻字が掲載されています。秀吉の手紙にはなかったものです。
 また、文字の歴史について、「ひらかなのできかた」という項目で、「いろはにほへと」の変体仮名の数段階にわたる文字の変形の例示があります。
 
(3)昭和34年度用「わたしたちの国語 五年下」(志賀・久松・吉田監修)
 神話的な教材として「天津速駒」という日本アルプスの伝説があります。挿絵は大和時代の装束です。
 また、各地の伝説の例に、青森県・秋田県・福岡県・熊本県・鹿児島県とともに、鳥取県が入っています。
 伝説については、昭和28年の「5年上」(藤村作編)に、秋田県・群馬県・長野県・青森県・徳島県の話が掲載されていました。また、その次の改訂であった昭和32年の「5年上」(池田亀鑑・坪田譲治監修)では、秋田県と愛媛県の伝説と昔話が紹介されていました。昭和34年度版に鳥取県が出てくるのは、昭和31年末に亡くなった池田亀鑑への配慮があったのでは、と思われます。
 なお、この単元の最後の参考では、最後に菅原道真の飛び梅の伝説が詳しく紹介されています。ただし、挿絵はありません。平安的な匂いが強いという程度です。
 
(4)昭和34年度用「わたしたちの国語 六年下」(志賀・久松・吉田監修)
 『佐竹本 三十六歌仙絵』から、山辺赤人の絵と「わかのうらに」の和歌が掲載されています。これには、和歌の変体仮名を通行のひらがなで翻字し、「しほ−しお、たづ−たず」と歴史的仮名遣いへの配慮も見せています。

  
 
 
 
「教科書に見る平安朝・小学校−国語(5)教育出版(その2)」(2010年11月19日)

■教育出版の昭和33年度用(池田亀鑑・坪田譲治監修)に関して

 「標準小学国語 5の下」に収録されている「辞書作りの苦心」には、池田亀鑑の日頃の『源氏物語』の本文研究に対する苦心がことばを代えて吐露されているようです。大槻文彦が40年にわたって辞書作りに関わるのは、池田亀鑑が『源氏物語大成』を作る過程に近いものがあるように思えてなりません。

「容易ではない。」「こういう仕事が、十七年の間続けられ」「自分で作った辞書だから、自分で作り直そう」「朝の七時に起きて、夜の九時にねるまで、十四時間。その中で、食事そのほかに一時間を使うとして、残りの十三時間は、この仕事にかかりきった。何よりも時間がおしいのだ。」「もう少しで「大言海」が発行されようというときに、文彦は、かぜがもとで一生を終わることになった。」「全く辞書にささげた一生であった。」

 まさに、池田亀鑑の人生そのままを語るものとなっています。

 
 
■教育出版の昭和36年度用(坪田譲治監修)に関して

 上記の「辞書作りの苦心」は、その次の改訂版である昭和36年度版の「標準国語 5年上」(坪田譲治監修)にも、ほぼ同じ内容で収録されています。さらにここには、上田万年や松井簡治の『大日本国語辞典』の例をあげ、その序文で芳賀矢一が辞書作りの大変さを述べていることを紹介しています。まさに、池田亀鑑がお世話になった先生方の話です。池田亀鑑の影響による教材といえるでしょう。
 また、この文章には、「学者の仕事はじみである。世の人をおどろかせるようなことはない。上田・松井両氏も、静かな一室で、静かに行なわれたのである。一度その室にはいって、山のような書類を見上げた人は、だれしも、辞書作りがどんなにたいへんな仕事であるかを知ることだろう。しかも、この仕事は、決して学者のひま仕事ではなくて、実は、国家的な大事業であることを知らなくてはならないのだ。」と、まさに『源氏物語大成』そのままの感慨を述べたものとなっています。この文章を、私は池田亀鑑の手になるものを、没後に坪田がそのまま採択したと思っています。
 
 この教科書には、紫式部への言及もあります。「夏休みの読書について」という項目で、「わたしも、紫式部のことを書いた本を読みたいと思います。」という生徒の発言が記されています。この年度の下巻には、『源氏物語』の写本の写真が掲載されています。しかし、前回の改訂版の教科書、池田亀鑑と坪田譲治の二人で監修した教科書では、『源氏物語』という作品への言及がありました。池田亀鑑没後のこの教科書では、その説明は省略されています。坪田譲治の池田亀鑑への配慮がわずかながらも残されている、と言えるでしょう。
 なお、著作者の中に、鳥取市遷喬小学校長の稲村謙一の名前があることも、関係するのかもしれません。
posted by genjiito at 02:01| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年03月17日

日南町の池田亀鑑(2)教科書監修に関連して

 昨日の、私が先週日南町で池田亀鑑に関してお話しした記事の中で、「昭和32年の教科書に、日南町の生徒が書いた「とんぼのはか」という文章が掲載されている」という会場からのご教示があったことを記しました。

 本日、その教材を確認しました。

 教育出版から昭和33年度用の小学2年生の教科書として刊行された『標準 しょうがく こくご 2の下』(池田亀鑑・坪田譲治 監修、昭和32年4月30日文部省検定済)に、「とんぼのはか」が確かに掲載されていました。
 
 
 

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 「とんぼのはか」の冒頭のページは、見開きでカラーです。
 文章の1行目行末の「=」の記号は、分かち書きの中でことばが続くことを意味しているようです。このような記号を使っていたことを、私は知りませんでした。
 
 
 

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 この作文は、日南町(あるいは鳥取県?)の生徒が書いたものだと、先日日南町でご教示を得ました。しかし、この教科書の中には、作者についてどこにも記載がありません。教師用指導書があれば、そこに出典として明示されているはずです。
 どなたか、この作文の作者について、教えていただけませんでしょうか。
 池田亀鑑が監修者となっている教科書なので、鳥取県の生徒の作品を採択したことは容易に想像できます。しかし、その確認をしておく必要があります。

 この教科書の編著者に、稲村謙一氏(鳥取市遷喬小学校長)が選任されています。稲村氏は、この後も教育出版の編著者としてずっと名を連ねます。もし「とんぼのはか」が鳥取県の生徒の作品だとしたら、この稲村氏の関係から採用された、とも考えられます。
 
 
 

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 なお、教育出版の小学校用教科書を通覧していて、とんぼに関する教材が特に昭和30年前後に目につきます。池田亀鑑の恩師である藤村作の教科書から、池田亀鑑が監修者だった頃とその後の時期に一致します。
 偶然なのでしょうが、昭和32年の2年生の教科書の背景に、何かあるのかもしれません。池田亀鑑は、昭和31年12月に亡くなっています。編集途中だったはずなので、昭和35年までは、池田亀鑑の意向が強く反映していると思われます。


4年上(昭和28年、藤村作編)「動物の話を読みましょう」の中に「やんまとんぼ」
4年下(昭和32年、池田・坪田監修)「動物詩集」の中に「とんぼ」
5年下(昭和32年、池田・坪田監修)「学級文集」の中に「やごがとんぼになるまで(田村研一)」
3年上(昭和35年、坪田監修)「秋の歌」の中に「とんぼ」
6年上(昭和35年、坪田監修)「方言と共通語について」の中に次の文章がある。
   「いつか、先生が、秋田では『とんぼ』のことを『あけず』というが、これは古い歴史のあることばだとおっしゃいました。」


 池田亀鑑が監修した教科書については、明日以降に続きます。

 また、池田亀鑑が関わった小学校の教科書については、以下のブログで詳細に報告しています。この記事から、リンクをたどって順次ご参照ください。

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(6)教育出版(その3)」(2010年11月22日)
posted by genjiito at 01:43| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年03月16日

日南町の池田亀鑑(1)明治40年の小学卒業名簿

 先週の12日(土)に、鳥取県と岡山県の県境にある日野郡日南町で、「日南町生涯学習まちづくりフォーラム」が開催されました。
 その第3分科会で、私は「源氏物語で結ばれた池田亀鑑の家族愛」と題して、持ち時間の90分を少しオーバーしましたが、町民のみなさまにお話をしました。地元出身の学者の話、ということで、熱心に聞いて下さいました。

 池田亀鑑の家族が一致団結して、まさに命がけで『源氏物語』の写本を整理する姿をテーマとした内容です。特に、父と母は、息子のために心血を注いで『源氏物語』の写本の翻字に取り組んだのです。その様子を、資料をもとにしてお話ししました。
 この時の内容は、後日文字にする予定です。

 なお、池田亀鑑が監修および関わった小学生用の国語教科書に、鳥取の話が採択されていることを紹介したところ、会場から貴重な情報を教えていただきました。それは、昭和32年の教科書に、日南町の生徒が書いた「とんぼのはか」という文章が掲載されている、とのことでした。
 私は、まだその文章を確認していませんが、忘れないうちにと思い、ここに記しておきます。

 また、神戸上尋常小学校を4年生で卒業した明治40年3月時点での同級生の名簿(『桜が丘 石見東小学校 創立六十五周年記念誌』石見東小学校同窓会、平成4年3月1日発行)を、町民のみなさんにお配りしました。

 
 
 
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 その名簿では明治40年の卒業生として14名の名前が列記されており、そのうち10名が死亡となっています。
 

池田亀鑑(死亡)、小谷覚重(死亡)、福田りきよ(死亡)、山岡尊省(死亡)、槙原儀三郎(死亡)、槙原をすゑ、山根金作(死亡)、瀧田英太郎(死亡)、後藤孝重(死亡)、三浦元一、廣瀬つるよ、田邊つる、小谷儀一(死亡)、福田たま(死亡)

 
 この明治40年前後数年の名簿もお配りして、当時の池田亀鑑に関する情報収集の手がかりにしてもらえないか、とお願いしました。
 こうした資料をお配りすることで、時間をかけて池田亀鑑に関することを調べていきたいと思っています。

 なお、この中の後藤孝重さんについては、池田亀鑑と深い関わりのある方なので、この次に改めて取り上げます。
posted by genjiito at 00:12| Comment(0) | 池田亀鑑

2011年03月15日

井上靖卒読・再述(3)「通夜の客」

 井上靖の「通夜の客」は、2006年12月に「井上靖卒読(3)」として、旧ブログである「たたみこも平群の里から」に掲載しました。
 しかし、2007年3月にレンタルサーバーがクラッシュしたことにより、すべてのデータが消失し、ブログの復元が不可能になりました。そこで、今回読み直す機会があったので、改めて再述するものです。
 もっとも、この作品については、「日南町の井上靖(1)」(2011年3月12日)の最初にリストにして掲げたように、折を見て紹介してきました。
 私にとって、この『通夜の客』は折々に読む短編小説であり、『星と祭』は気がついたら読んでいる長編小説といえるものになっています。
 今回も、日南町から帰路につく車中で「通夜の客」を読みました。以下は、そのメモです。
 
 
 
■「通夜の客」
 主人公である新津礼作の未亡人となった由岐子の描写が興味深いと思いました。美しい36歳となっています。自分の妻と思われる人物を描くときの、作者の心遣いでしょうか。
 「美人の噂の高い」とか「美しい清純な美しさ」とあります。

 物語が始まるやいなや、一体どうしたのだろうか、と思わせる水島きよの通夜の席への闖入。これが、読者を掴んでは離しません。

 プロローグの後、由岐子への手紙と新津への手紙、そしてきよの心境が記されます。

 通夜のときに顔に掛けられていた白布をきよが取ったとき、亡くなった新津は何を言いたかったのか?
 きよが認めた由岐子への手紙の最初と最後に投げ掛けられたこの問いは、後できよなりの答えが出されます。

 作中に、「黒い潮」という語が二例あります。この後の井上靖の作品に展開するキーワードでもあります。

 東京へ行く新津を、村外れの一本杉の台地まで見送ったきよは、野分が吹き荒ぶ中で、行かせまいとして通せんぼをします。すると、新津はやがて元来た道を引き返すのでした。
 この場面は、非常に印象的です。絵になる場面です。そして、この場所らしきところに今、井上靖記念館「野分の館」があります。

 物語の最後で、雷雨の場面となります。その中を、きよが家を引き払って上石見駅へ向かって山道を歩くシーンには、一人の男を心底愛した女の想いが凝縮して描かれています。
 抑制の利いた筆の力を感じる、一度読んだら忘れられなくなる作品です。

 なお、作中の三池亥佐夫の作品とされる、短歌の出典と人物が気になりました。いつか、調べてみたいと思っています。【5】
 
 
 
初出誌︰別冊文藝春秋
初出号数︰1949年12月14号
 
 
角川文庫︰通夜の客
井上靖小説全集1︰猟銃・闘牛
井上靖全集1︰全詩篇・短編1
 
 
 
映画化
題名︰わが愛
制作︰松竹
監督︰五所平之助
封切年月︰1960年1月
主演俳優︰有馬稲子、佐分利信
 
 
〔参照書誌データ〕
井上靖作品館
http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | 井上靖卒読

2011年03月14日

京都と東京を慌ただしく往復した一日

 今朝は、関東地方の交通機関の運行状況を見ながら、東京の同じ宿舎にいる2人の同僚とは電話で情報をもらい、職場とは電話とメールで連絡をとりながら、タイミングを見計らって京都駅から新幹線に乗り込みました。

 出発する間際に、東京で振度4の地震があったので、そのまま新幹線に身を委ねることに躊躇がありました。しかし、仕事のためには、命がけでも行くしかありません。
 それでいて、立川地区は午後から停電だそうです。
 モノレールも午後は止まるとか。
 難行苦行の一日となりそうです。

 名古屋駅を出てしばらくした頃に、新幹線の自動ドアの上にある電光掲示板が目に付きました。
 以下の表示が流れていました。


【JR東日本首都圏・新幹線 運行状況】山手線・京浜東北線(赤羽〜蒲田)・中央快速線(東京〜立川)・常磐快速線(上野〜松戸)・常磐緩行線(綾瀬〜松戸間)・埼京線(大崎〜大宮)・上越・長野新幹線※その他の線区は終日運転を見合わせ


 この電光板は、一度に7文字半だけ表示されるものです。8文字目が順次右から左へと流れるようにして押し出されてくる方式です。

 これを見る限り、「長野新幹線」に続く「※その他の線区は終日運転を見合わせ」とある字句が、その間にコンマも中黒点もスペースもないので、その前の字句とどういう関係になるのか、即座にわかりませんでした。
 肝心の字句が「運行状況」の中に含まれています。運行中と理解していいのか、その後の「※」印の「見合わせ」とどのような関係にあるのか、私には理解できません。

 次に流れた情報は、こうでした。


【JR東海 運転状況】終日運転見合わせ 東海道線(熱海〜函南間)・御殿場線(国府津〜下曽我間)


 さらに、こう続きます。


【JR東海 運転計画】計画停電の影響で、次の線区、時間帯で運転を見合わせます。《東海道線》函南〜三島間 9:20〜13:00頃、沼津〜富士間 15:20〜18:20頃、函南〜富士間 18:20〜19:00頃、 函南〜三島間 19:00〜22:00頃


 これなら、最初に「終日運転見合わせ」とか「時間帯で運転を見合わせます。」とあるので、それ以下の内容の意味がよくわかります。

 通りかかりの車掌さんに聞くと、手持ちの機器を操作して、「中央快速線(東京〜立川)」は運行している、との回答を得ました。

 この電光掲示板の日本語の表示は、結論がわかれば、「※」の前までが運行で、その後が見合わせだったんだ、と何となくわかります。しかし、流れ続ける固有名詞の羅列の長文を読解するには、なかなか大変な労力を強いられる文章だと思います。何が運行中なのかが明記されず、読み手に推測させている文だと思います。
 とにかく、「※」が理解を混乱させています。

 東京には、定刻に着きました。
 ホームに降り立つと、矢継ぎ早の放送が耳に届きました。流れ続ける放送によると、電力会社の計画停電のため、エスカレーターは停止しており、エレベーターを利用してくれ、とのアナウンスです。

あれッ?


 地震の時には、エレベーターを使うなと、昨夜からテレビでしつこく言っていたのに、この東京駅ではまったく逆のことを言っています。それも、新幹線に乗る直前に東京で振動4の地震があったことを知っているので、アナウンスが奇異に聞こえます。
 確かに、エスカレーターはロープが張ってあり、止まっています。
 エレベーターへ急ぐ人の群れを尻目に、階段を使って改札に向かいました。

 すぐに、東京駅に着いたことを職場へ知らせました。
 予定の時間までは1時間半あります。幸い、東京と立川間は電車が走っています。電話で、間に合うはずだと伝えました。わかりました、との返答でした。

 立川駅のルミネには、こんな張り紙がしてありました。
 
 
 

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 職場には、無事に予定より15分前に着きました。
 入口には、展示の案内パネルに、張り紙がありました。
 
 
 
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 また、エレベーターにも、計画節電の張り紙がありました。
 
 
 
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 新幹線でとんぼ返りをする前に、宿舎の地震による被害を確認するため、少し寄り道をしました。
 京葉線は運休とのことなので、地下鉄東西線で門前仲町まで行きました。途中、竹橋駅で停車中に、地震が東京地方にあったとのことです。しばらく電車が止まっていた間は、ここで津波に襲われたら終わりだと、観念して座席に座っていました。電車内は、ものすごい混みようです。
 ようやく宿舎にたどり着き、部屋の無事を確認しました。

 部屋の大きなテレビが前のめりに倒れていました。液晶パネルは大丈夫でした。
 書斎の本棚も無事でした。すっくと立っています。しかし、上に乗せていたガラス戸付きの棚が落ち、ガラスが辺り一面に飛び散っていました。本は、たくさん下に散乱しています。
 パソコンの液晶モニタもひっくり返っていました。しかし、それだけです。無傷です。幸いでした。
 部屋はそのままにして、京都へ向かうことにしました。

 京葉線は依然として運休です。東西線の門前仲町駅が、改札制限のために、入場は2時間待ちになっていました。ものすごい人が、改札の前で列を作っていました。
 仕方がないので、大江戸線を使って浜松町経由で東京駅に出ました。

 こうなると、諦めてノンビリ帰るしかありません。
 新幹線で京都の自宅に帰り着いたのは、夜の11時でした。

 関東東北地方で震災に遭われた方々のことを思うと、こんなことは大したことではありません。
 いろいろなことがあった、京都と東京を往復する一日でした。
posted by genjiito at 23:58| Comment(1) | 身辺雑記

2011年03月13日

日南町の井上靖(2)ラクダのこぶの峠道

 井上靖記念館である「野分の館」は、井上靖家が疎開した曽根の家から東へ、JR上石見駅に向かって少し行くとあります。「野分の館」の写真は、昨日掲載しました。
 ここから上石見駅まで、人一人が通れるほどの狭い山道を歩くことになります。現在は、この横に車で往来できる整備された道が、山を削って作られています。

 昨秋から、かつてのラクダのこぶを2つ越える山道を、少しですが砂利などを敷いて手入れしておられます。
 
 
 
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 この道を下って、こぶを1つ越えたところは、こんな景色です。
 写真中央に、上から下ってくる白く雪で覆われた道がそれです。
 
 
 
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 ここから、もう一つラクダのこぶを越えると、県道にでます。そこからさらに2キロ南に歩くと、上石見駅に着きます。
 井上靖は『通夜の客』で、駅から2里と書いています。しかし、実際には1里強です。5、6キロでしょうか。


 現在、この道をさらに整備し、小道への入口に案内板を設置する準備が進められています。次に来たら、案内板があることでしょう。

 このルートを、伊田美和子さんが手書きで書かれたスケッチが、「野分の館」に置いてありました。
 
 
 

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 緑色の道がそれです。「今も残るらくだのこぶの峠道」と書いてあります。
 矢印部分が、今回掲載した写真の場所にあたります。

 毎年、たくさんの方々が、井上靖を慕って来られます。今春にはこの案内板を参考にして、この山道を歩かれたらいいと思います。『通夜の客』で、登場人物が通った道です。というよりも、実際に、井上靖が疎開する家族に会うために、月に一、二回訪れた時に通った道なのです。

 私は、ここに3度来ています。しかし、ともに雪の時だったので、まだ歩いていません。
 次は、雪が消えた頃に来て、この道を歩きたいと思います。
posted by genjiito at 23:22| Comment(0) | 井上靖卒読

2011年03月12日

日南町の井上靖(1)

 日南町の井上靖に関する地を訪れた時の記録は、以下の記事に分散しています。
 自分がいつ、どこで、何を書いたのかが未整理状態なので、ここに改めてリストにしておきます。
 今回の記録も、これらを受けてのものであることを、あらかじめご了解ください。
 
 
「井上靖ゆかりの日南町(2の1)」(2009年12月13日)
 
「井上靖ゆかりの日南町(2の2)」(2009年12月14日)
 
「井上家の疎開先としての日南町(1)」(2010年3月15日)
 
「井上家の疎開先としての日南町(2)」(2010年3月16日)
 
「井上家の疎開先としての日南町(3)」(2010年3月17日)
 
「井上家の疎開先としての日南町(4)」(2010年3月19日)
 
 日南町での井上靖の文学碑を守っておられる「野分の会」の会長をなさっている伊田美和子さんのお宅で、昨年同様に長時間にわたりお話を伺うことができました。たくさんのことをお聞きすることができました。少しだけではありますが、忘れないうちに記しておきます。

 昭和20年6月から12月までの半年間、井上靖の家族はこの村に疎開をしていました。曽根の家と言われている場所です。伊田さんのお宅から歩いて10分もかからないところにあります。

 曽根の家は、コオジヤさんの家の右横の狭い小道を上ります。
 
『通夜の客』にでてくる、小川が、この坂道の右側を流れています。
 
 
 
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 以下に揚げる曽根の家の見取り図は、次の写真の角度から見下ろしたものです。
 
 
 

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 前回、ちょうど昨年の今日ですが、伊田さんにお話を伺った内容は、上記の「井上家の疎開先としての日南町(3)」で詳細に書いた通りです。今回の話を通して、あの曽根の家の間取り図を、さらに正確に補正することができましたので掲載します。
 
 
 

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 「野分の館」にも案内してくださいました。これまでに何度かここを訪れています。しかし、直接設立に関わり、それを守っておられる立場の方は、私の素人の質問にも的確に答えてくださいます。
 
 
 

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 この館は、井上靖と対話ができる、思索の場でもあります。
 日南町と井上靖は、家族の疎開先として受け入れたことと、『通夜の客』という1つの短編小説を通してのつながりしかありません。しかし、それが町民のみなさまの情熱によって、このように温かく守られていることが感じられて、気持ちのいい空間となっています。
 井上靖も妻ふみさんも、何度かこの地を訪れておられます。町民の方々との交流を写真で見ると、戦時中の半年という短期間の疎開が縁ではありますが、その後も変わらぬ人と人との思いやりや労りの気持ちが伝わってきます。
 「野分の館」は、小さくて地味な資料館です。しかし、一人でも多くの方が『通夜の客』を読んで、そしてこの地を訪れて、また『通夜の客』を読みながら帰って行かれたらいいと思います。前回がそうであったように、今回もそうするつもりです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 井上靖卒読

2011年03月11日

日南町の井上靖と池田亀鑑

 縁あって、鳥取県日野郡日南町に足を運ぶのは3度目となります。
 この地は、井上靖・池田亀鑑・松本清張と関わりの深い町です。

 井上靖が『通夜の客』において、「岡山で伯備線に乗換え、あのいかにも高原の駅らしい上石見の小さくて清潔なプラットホームに降り立った時はもう暮方でした。」と語る上石見駅は、今も同じところにあります。
 池田亀鑑も随筆集『花を折る』で、「岡山県を出た伯備線の列車が、高梁川に沿うて北上し、中国山脈をこえて鳥取県にはひつて最初の駅、そこでおりて、また小さな谷川を一里ばかりさかのぼると、三方山にかこまれた小さな部落がある。そこは、わたくしの生涯わすれることのできない、なつかしいふるさとである。」(「私のふるさと」二頁、BK放送、昭和二十五年十二月)と言っています。

 岡山県と鳥取県の県境にある上石見駅は、トンネルを抜けるとすぐの駅です。
 
 
 

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 その上石見駅に近いところに、今夜は宿を取っています。池田亀鑑が生まれた家も、この宿の近くにあります。亀鑑が通った小学校も。

 今日の午後は、井上靖について、昨年おせわになった伊田さんに、さらに詳細なお話を伺うことができました。
 また、井上靖が『通夜の客』で描いた山道を、実際に連れて行ってもらいました。今も、小説に語られた道が残っていることに驚きです。

 その後、池田亀鑑が生まれたお宅に伺い、当時の家がそのまま移築された槙原さんのお宅も拝見しました。

 今は、まだ旅の最中なので、新たに今日知り得たことの詳細は、帰ってからにしましょう。

 明日は、日南町生涯教育総合推進協議会が主催のイベントで、私は池田亀鑑についてお話をすることになっています。

 そのことも含めて、明日改めて報告したいと思います。
posted by genjiito at 22:45| Comment(0) | ブラリと

2011年03月10日

多言語翻訳のための『十帖源氏 若紫』の資料公開

 昨日に引き続き、第5巻目である『十帖源氏 若紫』の翻刻本文と、多言語翻訳を目指して作成している現代語訳を公開します。
 
 これまでに、以下の4巻をアップしています。
 念のために、再度掲載しておきます。どうぞ、ご自由に活用してください。
 
(1)「桐壺」(2010年7月15日)
 
(2)「帚木」+【凡例(補訂版)(2010年8月25日)
 
(3)「空蝉」(2010年9月29日)
 
(4)「夕顔」(2011年3月 9日)
 
 この資料をもとにして、各国語に翻訳してくださる方を募っています。
 
 資料をお読みになればおわかりの通り、いろいろな言語に翻訳されることを想定した現代語訳となっています。
 
 世界各国の多数の方々の参加をお待ちしています。
 
 今回の「若紫」を担当したのは、菅原郁子さんです。
 
 
 (5)「若紫」PDFファイルをダウンロードして、確認してみてください。

 ご意見、ご要望などを、お待ちしています。
 
 なお、凡例は、「帚木」に添えた【凡例(補訂版)】を参照してください。
posted by genjiito at 23:32| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年03月09日

『源氏物語』を海外の方々へ −『十帖源氏 夕顔』の資料公開−

 『十帖源氏 夕顔』の翻刻本文と現代語訳を公開します。
 「空蝉」から半年も空白期間があり、大分間延びしてしまいました。
 それでも、ゆっくりですが進めています。

 これまでに、以下の3巻をアップしています。
 どうぞ、ご自由に活用してください。
 
(1)「桐壺」(2010年7月15日)
 
(2)「帚木」(2010年8月25日)
 
(3)「空蝉」(2010年9月29日)
 

 これは、多言語翻訳を目指して進めているプロジェクトです。
 この資料をもとにして、各国語に翻訳してくださる方を募っています。

 現在、ヒンドゥー語(担当︰菊池智子さん)が進行中です。

 資料をお読みになればおわかりの通り、いろいろな言語に翻訳されることを想定した現代語訳となっています。

 世界各国の多数の方々の参加をお待ちしています。

 今回の「夕顔」を担当したのは、淺川槙子さんです。
 (4)「夕顔」PDFファイルをダウンロードして、確認してみてください。

 なお、凡例は、「帚木」に添えた【凡例(補訂版)】を参照してください。
posted by genjiito at 22:12| Comment(0) | ◆源氏物語

2011年03月08日

井上靖卒読(119)「七人の紳士」「早春の墓参」

■「七人の紳士」
 凶悪犯人である大壺兵太カの父親が誰なのか。その出生の秘密が物語を動かしていきます。
 おのれに思い当たる節のある紳士たちは、それぞれの思念の中で、おのが態度の示し方に思いを巡らします。人間心理の綾を、うまく描き出しています。
 女との過失が、それぞれの男を悩ませていきます。その男たちの思い描く想像力がおもしろいと思いました。
 これは、そのまま一幕の劇になっている、そんな展開を見せています。
 京橋にある某クラブという特定の場所に固定して、そこに出入りする男たちのつぶやきが、めくるめく思いが多様であるところに、そのおもしろさが表現されています。
 そして、消去法によって、問題の人物の特定がなされていきます。繰り返し出てくる、「滑稽」さが滑稽でないように語られているところが、おもしろいところです。【4】
 
 
 
初出誌︰小説新潮
初出号数︰1950年6月号
 
 
集英社文庫︰楼門
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2︰短篇2
 
 

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

■「早春の墓参」
 伊豆修善寺の奥が舞台となります。
 大阪から戦友の墓参に来た岐部。山村の風景が丁寧に描かれています。井上靖が、自分の故郷を思い出しての描写のようです。
 自分の戦争体験を風化させないために書いたかのような小品です。
 「みどり屋」という旅館は、どこがそのモデルなのでしょうか。この温泉に入ってみたくなります。
 この温泉宿のおけいさんに連れられて墓参をする道すがら、戦友の実像を聞きます。意外な話でした。しかし、不思議とかえって親近感を持つのでした。【2】
 
 
 
初出誌︰人間
初出号数︰1950年9月号
 
 
角川文庫︰楼門
角川文庫︰花のある岩場
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2︰短篇2
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2011年03月07日

井上靖卒読・再述(4)「春の嵐」

【付記】昨日3月6日の記事は、このブログのサーバーがおかしくなったようで、投稿したものがメイン画面に表示されませんでした。ご心配をおかけしました。
 右側の「最近の記事」の欄に「京洛逍遥(182)春を待つ下鴨神社」がありますので、これをクリックして当座は読んでください。

 また、デザインの変更ができなくなっていて、どうも変なブログと化しています。

 多くの方にご迷惑をおかけしますが、借り物のサーバーから発信しているものであることをご理解の上、今後ともご愛読のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
…………………………………………………………………………………………………………
 
 井上靖の「春の嵐」は、2006年12月に「井上靖卒読(4)」として、旧ブログである「たたみこも平群の里から」に掲載しました。
 しかし、2007年3月にレンタルサーバーがクラッシュしたことにより、すべてのデータが消失し、ブログの復元が不可能になりました。そこで、今回再度読み直すことにより、再述するものです。
 前回書いたことをまったく思い出せませんし、メモも見つかりませんので、新たに書き直すことにしました。
 
 
 
 相沢美沙子が、終戦時の神戸三宮時代のことを問わず語りすることで展開していきます。
 焼け跡の梅田から難波の描写が、今となっては貴重な記録です。
 物語の舞台は、戦後まもなくということもあり、荒れています。しかし、登場する5人の女たちは輝いています。

 「どうせえへん」(角川文庫、69頁)と言う清子の関西弁は、これでいいのでしょうか。井上靖の作品にでてくる関西弁は、総体に少し違和感があります。これは、確認したらおもしろいと思っています。

 オミツ、清子、けい子、美代子、そして美沙子の5人の女の共同生活が始まってから、戦後の女の生き様が活写されます。終戦後の動乱期に、女5人がそれぞれに逞しく育ちながら生きる様子が、みごとに描かれています。

 男では、左近鉄兵と美沙子の弟である泰三が注目されます。ただし、泰三はもっと丁寧に描いてほしかった人物です。ピストル自殺までの心の動きが、よく伝わってこないからです。これが、この作品では唯一のショッキングな出来事なので、その背景がもっと知りたくなるのです。

 左近鉄兵は、後の井上靖の小説では物語の中心にデンと座ることになる人物です。それが、この作品では未消化です。美沙子の告白の中に、鉄兵の視点からの描写があると、もっと奥行きのある作品になったと思われます。【2】
 
 
 
初出誌︰小説新潮
連載期間︰1952年1月号〜5月号
連載回数︰5回
 
 
角川文庫︰通夜の客
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | 井上靖卒読

2011年03月06日

京洛逍遥(182)春を待つ下鴨神社

 昨秋から始まった、下鴨神社の糺の森における「森の手づくり市」の第2回目が、昨日から開催されています。今回は、土日の2日間です。300軒近いブースが出店していました。

 手製のアクセサリーを中心に、食べ物屋さんもたくさん参加しています。先日の「上賀茂手作り市」(「京洛逍遥(181)春を待つ上賀茂」)が明るい雰囲気になったそれ以上に、この下鴨神社の「森の手づくり市」では若い熱気を感じました。
 
 
 
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 「路上詩人」とあったので、足を止めました。
 
 
 
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 街中やアーケード街などでよく見かけますが、こうして糺の森でみかけると、何を書いてもらえるのか楽しみになります。こうした仕事は、古くからあったように思います。しかし、具体的には思い至りません。コトバを売る仕事ではあります。どのような人が書いてもらおうとするのか、しばらく見ていましたが、誰も来なかったのでその場を離れました。

 「森の音楽会」として、松中啓憲さんのミニライブがありました。
 
 
 
110306_simouta
 
 
 

 森の中で歌うのは、気持ちがよかったことでしょう。きれいな声でした。糺の森にピッタリです。
 森の中での歌声は、スピーカーを通していても、意外と遠くまでは響かないようです。音が木々に吸い込まれていくのでしょうか。

 本殿の前で、これから結婚式場に入るカップルに出会いました。
 
 
 
110306_simosiki1
 
 
 

 この門を入ってすぐ左に、重要文化財の葵生殿(あおいでん)があります。そこが、式場になっているのです。
 
 
 
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 境内では、幾組かの記念撮影にも出くわしました。
 世界遺産の中で、しかも重要文化財の建物で結婚式をするのは、なかなか得難い記念となることでしょう。
 
 
 
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 本殿東側には、みたらし団子の発祥の地となっている御手洗川が流れています。
 昨年のこの川での神事は、「京洛逍遙(152)下鴨神社の御手洗祭の足つけ神事」で詳しく書いた通りです。
 その時に裸足で潜った輪橋(そりはし)の袂には、1本の紅梅の古木があります。
 
 
 
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 この紅梅は、江戸時代に尾形光琳が描いた国宝「紅白梅図二曲屏風」(静岡県熱海市MOA美術館蔵)のモデルといわれています。「光琳の梅」と呼ばれて知られるものです。
 
 
 
110306_simoume2
 
 
 

 「紅白梅図二曲屏風」は光琳晩年の作で、新町通り二条下ル(二条城東)にあった光琳の自宅で描かれたものだそうです。

 帰り道で、彼岸桜(寒桜?)を見かけました。
 桜の向こうには、牛車が見えています。
 
 
 

110306_simosakura
 
 
 

 この下鴨神社は、我が家とは縁の深い神社となっています。

 一昨年の元旦の「源氏千年(82)下鴨神社の源氏絵屏風」

 昨年のお正月2日の「京洛逍遙(118)下鴨茂神社へ初詣」

 記念すべき一の的を得た「京洛逍遥(137)糺の森の流鏑馬神事」

 境内の間近で見た「京洛逍遙(141)葵祭の社頭の儀」等々、毎年折々に訪れているところです。

 今年も上賀茂神社同様に、この下鴨神社へも散策を兼ねて頻繁に来ることになるでしょう。日常生活の延長上にこの神社があることは、我が家にとって幸せなことだと言えます。

 四季折々の賀茂川の様子と共に、またこの神社のことも綴っていくつもりです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年03月05日

高校入試で行書体の文字を問うこと

 昨日(2011/03/04)京都で行われた平成23年度公立高校の入学試験で、毛筆で書かれた行書体の文字を答える問題が出ていることを、今朝の京都新聞で知りました。
 プレゼンテーションにおいて、発表資料に毛筆で書いた文字を使うという想定で、漢字の偏の行書体を問うものです。
 
 
 
H23kyotokokugo
 
 
 

 京都新聞に掲載された「京都公立高校入試問題」を見て、これはいい傾向だと思ったので、過去の入試問題を調べてみました。

 京都新聞のウエブサイトには、「平成12〜23年に実施された京都府と滋賀県の公立高校入試問題と解答」が公開されています。
 滋賀県の平成23年の試験問題はまだ公開されていませんが、過去12年間の国語の試験問題を見ると、平成18年の京都で、次の問題が出ていました。
 プレゼンテーションをするときの文字遣いについて、行書体と楷書体の違いについて問う問題です。
 
 
 
H18kyotokokugo
 
 
 

 また、平成22年の滋賀県の問題には、次のものが出題されていました。
 これも、行書体と楷書体の違いを問うものです。
 
 
 
H22sigakokugo
 
 
 

 平成11年以前についてはわかりませんが、平成18年以降は、3例とはいえ行書体について注意を向ける質問が出されているのです。
 私は、この傾向を歓迎します。

 『源氏物語』の古写本の翻刻・翻字を進めていて、若い学生さんたちが墨で書かれた文字を読むことへの関心が薄いことを、常日頃から残念に思っていました。

 まずは、行書体でいいのです。
 中学生時代に行書体に意識を向けさせ、高校生時代に草書体を学べば、日本古来の手書きの文字に興味を向けざるを得なくなります。変体仮名は、その後で興味を持ってから、自学自習で大丈夫です。割り箸の袋に「御手茂登」と書いてあることに注意が向けばいいのです。「御楚者」と書かれた暖簾も、いつか「御そば」と読めるようになるのですから。

 携帯電話やパソコンのワープロなどによって、活字体の文字に囲まれる現在、筆記体の変形文字に対する柔軟な目は、若いうちに養っておいてほしいものです。

 京都府と滋賀県以外では、どのような状況なのか、今はわかりません。
 何かご存じの方は、ご教示いただけると幸いです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(2) | 身辺雑記

2011年03月04日

キャッシングの返済が大変

 インドの通貨であるルピーは、インド国内でしか入手できません。そこで、旅行者の多くは、インドの街中のATMで、クレジットカードからのキャッシングという方法で、インドのルピーを引き出しています。

 私が宿泊していたところの周りには、6つものATMがあります。どの機械から引き出すか、迷うほどです。

 現地では、簡単に現地通貨が手に入りました。ところが、日本に帰ってから、その返済が大変なのです。

 私は、今日一日を費やして、結局は返済できませんでした。日本円にして約1万円が、丸一日かかってもできなかったのです。

 相手は、三井住友銀行です。そのATMでだめでした。
 窓口へ足を運んで行ってもでもだめでした。ネットでもだめでした。
 銀行からは、それなりの理由を聞きました。しかし、それらはすべてが、銀行側の都合です。

 今日一日、銀行員とオペレーターの方とお付き合いをして出された結論は、私が明日銀行へ行き、手書きで振込用紙に書いて手数料を払って返済をするか、一ヶ月間放置しておき、口座から自動引き落としをされるのを待つか。この2つから選ぶことでした。もちろん、後者の場合は、一ヶ月分のキャッシングの利息が付きます。

 これが、三井住友銀行からの提案です。驚いています。
 借りたお金を返すことが、こんなにも大変なことだとは。

 そういえば、昨年もインドから帰った後の返済で、たくさん電話をさせられて、多大の時間と労力を費やしたことを思い出しました。
 あの時も、振込用紙に手書きで記入し、窓口へ持って行ったように思います。

 私は、一ヶ月間わざわざ放置した後に日割りの利息付きで返済するのではなくて、旅から帰った今、さっと片付けたいのです。

 日頃は、すべてネットで支払いや決済をしています。窓口で書類を書いて、そして並んで、呼ばれるのを待つのは、あまりしたくありません。

 銀行の窓口が、こんなにも人間のあしらいがぞんざいになっているとは、知りませんでした。

 私は、わがままを言っているのでしょうか。
posted by genjiito at 00:05| Comment(0) | ◆情報化社会

2011年03月03日

江戸漫歩(31)江戸から一転平安の作品となった仏像

 薬師寺東京別院で、「たった9日間だけの特別公開」と銘打って、「文化財保護法制定60周年記念 薬師寺の文化財保護展 −新たに確認・修復された寺宝−」という企画展示がありました。これには、「同時公開 平山郁夫画伯奉納散華原画」とも付されています。 
 
 

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 この催しのことは、過日、東京国立博物館で平山郁夫展を見に行った時に、会場の出口でいただいたチラシで知りました。

 別院へ行くために降りた五反田駅前には、今も郵便ポストが2つ仲良く並んでいました。
 
 
 
110302post
 
 
 

 このポストのことは、「江戸漫歩(4)怪しい郵便ポスト」で書いたので、ご笑覧ください。

 駅前からすぐの石畳の坂道は、桜の頃がたのしみな上り坂でした。この坂を登ったところに、別院があります。薬師寺の出張所といえばいいのでしょうか。
 
 
 
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 入ってすぐに、お亡くなりになった高田好胤さんの銅像がありました。
 
 
 
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 好胤さんのお話は、奈良にいた頃に薬師寺が近かったこともあり、よく聴きに行きました。わかりやすい、楽しい語り口でした。父母恩重経の話は、今でも懐かしく思い出します。
 晩年は、勧進を兼ねてテレビなどにもよく出ておられたので、好胤さんをご存じの方も多いことでしょう。
 この銅像は、好胤さんのお姿をよく思い出させてくれるものとなっています。

 まず、お抹茶をいただきました。お菓子は、葛の干菓子(?)で飛天が押し出してあります。
 
 
 
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 着物姿の年配の方が椅子席に運んでくださいます。ていねいなお作法でしたが、抹茶の粉がダマになって、底にいくつか大きな丸い玉となって残っていたのが残念でした。
 表千家だと思われます。年配者が多い催しなので、お茶の嗜みのある方はたくさんお越しになると思います。もう少し気配りをして点てられたら、と無責任な立場ながら思いました。

 今回は、初公開の本や仏様が目玉です。
 中でも、聖観音菩薩像は、檜の一木造りです。上掲のポスターの左側の写真がそれです。

 これまでこの仏像は、江戸時代の作になる十一面観音菩薩だとされていました。しかし、修理の過程で、実は平安時代の聖観音が、その頭部を何らかの事情で変更されたものであったことがわかったのです。
 そこで、これを機会にと、もとの聖観音の姿に復元されたものなのです。

 高さ53センチの小さな仏像でした。しかし、その背景に江戸時代の人々の想いや動きが感じられる、印象深い仏様でした。

 もう一つの新発見とされるものは、大般若波羅蜜多経(永恩経)です。
 これは、薬師寺で毎月8日に薬師縁日として講堂で行われる大般若経転読法要で、実際に昭和57年まで使われていたものです。上掲ポスターの中央の写真のものです。

 このお経を調査している過程で、昨年9月に、これが奈良時代のものだったことがわかったのです。しかも、ほとんどの大般若経が版本なのに、これは写本なのです。
 長い間、この奈良時代の写本を、実際の法要でアコーデオンの蛇腹を開くように、派手なパフォーマンスで扇形に開いて転読していたというのです。知らなかったこととは言え、これは驚きです。
 元は、巻物であったようです。それを、江戸時代に折本仕立てしたようです。
 おもしろいことがあるものです。おもしろいことがわかるものです。
 たのしいものを見ることができました。
 こうしたものに出会えるのも、昨夏の手術で命拾いをしたお陰です。

 会場の左側の壁面には、平山郁夫さんが描いた次の散華が展示されていました。


・昭和56年の西塔落慶記念の奉納散華原画(飛天の図、1枚)
・昭和57年の慈恩大師千三百年御記記念の奉納散華原画(三蔵法師・鳳凰・蓮、3枚)
・昭和60年の天武天皇千三百年玉忌記念の奉納散華原画(薬師寺の西塔、3枚)


 この内、西塔落慶記念の奉納散華原画が、木版刷りで印刷して頒布されていました。
 現物を、薬師寺の法要でいただいたように思いますが、この色紙に記された平山さんの散華を、記念にと思いいただいたきました。
 
 
 
110302_sange
 
 
 

 平山さんが描かれる線は、とても優しいので大好きです。
 折々に見られるように、私の部屋の壁に懸かっている額の一つにするつもりです。
posted by genjiito at 02:45| Comment(0) | 江戸漫歩

2011年03月02日

職場のメールアドレスを廃止しました

これまで使っていた私のメールアドレスの内、職場のものである「t.ito☆nijl.ac.jp」を、3月1日で廃止しました。
 (メールアドレスの「@」の代わりに「星(☆)」を入れています)

これにともない、3月2日より国文学研究資料館の「nijl.ac.jp」が付いたアドレスで私宛に送られてくるメールは、まったく読むことができなくなります。
お手数をおかけしますが、お手元のアドレスリストの伊藤分として登録されている「t.ito☆nijl.ac.jp」は削除していただき、今後とも使わないでください。

職場が変わったのでもなく、退職したのでもありません。

私は、主に iPhone と MacBookAir を使って、24時間態勢でメールのチェックをしています。
しかし、3月より国文学研究資料館内のメールを、外部に転送してもらえなくなったのです。
資料館に届く膨大なスパムメールを、そのまま転送するわけにはいかない、というシステム管理者の対応策は理解できます。

私は、館内に届くメールをすべて外に転送してもらっていたので、いつでもどこでもメールの確認ができていたのです。それは、大量のスパムも一緒に外に送ってもらうことでもあったのです。
ただし、Gメールの強力なスパムフィルタのおかげで、きれいに掃除はできていました。

そこで、私の国文研用のメールアドレスを廃止し、館内のメール連絡もGメールで対応できるように変更することにしました。
それにともない、館内各所のメーリングリストなどの書き換えをしてもらっています。
各種委員会等に登録されているので、これが実は大変なのです。

お手数をおかけしますが、私にメールを送っていただく際には、今一度アドレスが「nijl.ac.jp」でないことをご確認ください。
posted by genjiito at 00:03| Comment(0) | ◆情報化社会

2011年03月01日

異文を比較するツールの公開(Ver 1.0)

 『源氏物語』には、いろいろな本文が伝わっています。
 普通は、大島本を元にした活字の校訂本文を書店で購入して、各自が平安時代の文学作品として読んでいます。
 しかし、『源氏物語』には、多くの異文を持つ古写本が伝わっています。たまたま、現在は池田亀鑑がよしとした大島本だけが読まれているだけです。
 ただし、この大島本も、室町時代の写本で、その中には江戸時代に書き込まれた補訂の跡がおびただしく存在します。それらの後の時代の書き込みを取り込んだものを整理して、今は『源氏物語』の原文として読んでいるのです。

 研究という視点から言うと、これでいいはずがありません。『源氏物語』の本文研究は、とにかく遅れています。まずは、伝えられている『源氏物語』の古写本を翻刻することです。そして、その翻刻された本文の違いを見極め、文学研究に役立てる必要があります。
 基礎研究である本文の確認が、実は疎かになっているのです。

 そこで、多くの物語本文の違いがわかりやすく一覧できるツールを、今回開発しました。まずはデモ版として公開します。
 これによって、若手の研究者が『源氏物語』の本文研究の遅滞に気づき、本文を翻刻するという基礎的な分野に参加参入してくれることを期待しています。今回の公開が、その呼び水となれば幸いです。

 ここに公開する小道具は、これまで刊行してきた『源氏物語別本集成 全15巻』と『源氏物語別本集成 続』(第7巻まで)の版下を作成する仕事の延長線上に産まれたものです。

 新たなプログラムを開発するにあたっては、国文学研究資料館の野本忠司先生のお力をお借りしました。記してお礼申し上げます。そして、さらなるバージョンアップをお願いしているところです。

 このプログラムの説明を記します。
 以下の書式のデータをインターネットを介してアップロードすると、瞬時に本文の校合をして、瞬時にお手元のブラウザに表示します。
 ネットにさえつなげていれば、いつでも、どこでも、本文異同の資料が作成でき、確認できます。
 写本にどのように表記されているのかがわかるので、文字表記の調査などに重宝する研究者もいらっしゃることでしょう。

 ご利用はどなたでも可能です。今のところ、利用者の制限はつけていません。ただし、サーバーへの負荷を考慮し、CSVファイルの最大容量は500Kに制限してあります。

 私にとっては夢のようなツールが、ようやく完成しました。
 このツールを有効に活用していくためには、何よりも本文が翻刻されていなければなりません。
 ますます、古典籍の翻字・翻刻の活用範囲が拡がってきました。その意義も、認知されていくことでしょう。

 【使い方】

〈例1〉「桐壺」の3種類の本文を比べる場合

 まず、以下のようなカンマ区切り(CSV)形式のデータを用意します。
 例示したものは、『源氏物語』の第1巻「桐壺」の冒頭部分です。
 陽明本・大島本・尾州本の3本の翻刻本文を、文節単位で区切ったものです。
 エクセルで作成したデータを、CSV形式で書き出すだけで作れます。
 
 
 

通番号,陽明本,大島本,尾州本
010001-000,いつれの,いつれの,いつれの
010002-000,御時にか,御ときにか,御時にか
010003-000,女御,女御,女御
010004-000,かうい,更衣,更衣
010005-000,あまた,あまた,あまた
010006-000,さふらひ,さふらひ,さふらひ
010007-000,給ける,給ひける,たまふ
010008-000,中に,中に,なかに

 
 
 
 次に、インターネットの以下のサイトにアクセスします。
 
http://ec2-50-16-126-156.compute-1.amazonaws.com/cgi-bin/gg.pl
 
 すると、次のようなシンプルな画面が表示されます。
 
 
 

源氏異文校合デモ

源氏CSVファイルを選択してください.

[入力ファイル選択](ボタン)

[送信](ボタン)

 
 
 
 ここで、[入力ファイル選択]のボタンを押し、自分のパソコンにある上記のCSV形式のデータのファイルを選択します。その後、[送信]ボタンを押すと、1秒もしないうちに、次のような結果が表示されます。
 
 
 

陽明本・・・・通番号
 大島本[ 大 ]
 尾州本[ 尾 ]

いつれの・・・・010001-000
御時にか[尾]・・・・010002-000
 御ときにか[大]
女御・・・・010003-000
かうい・・・・010004-000
 更衣[大尾]
あまたさふらひ・・・・010005-000
給ける・・・・010007-000
 給ひける[大]
 たまふ[尾]
中に[大]・・・・010008-000
 なかに[尾]

 
 
 
 それでは、私の手元にある「桐壺」巻の28種類の写本の翻刻データで、諸本の本文がどのように違うのかを見てみましょう。これも、巻頭部分だけです。
 送信するデータは今は省略して、結果を示します。
 28種類もの多くの写本の文字表記が、こんなにすっきりと整理できました。
 それも、瞬きをするヒマもないくらいに早く表示されます。気持ちがいいほどです。
 
 
 

陽明本・・・・通番号
 大島本[ 大 ]
 尾州河内[ 尾 ]
 明融本[ 明 ]
 御物本[ 御 ]
 国冬本[ 国 ]
 麦生本[ 麦 ]
 阿里莫[ 阿 ]
 大正大本[ 大 ]
 絵入源氏[ 絵 ]
 京女大正徹本[ 京 ]
 国文研正徹本[ 国 ]
 天理河内[ 天 ]
 穂久邇文庫[ 穂 ]
 日大三条西本[ 日 ]
 伏見天皇本[ 伏 ]
 肖柏本[ 肖 ]
 池田本[ 池 ]
 保坂本[ 保 ]
 高松宮本[ 高 ]
 前田本[ 前 ]
 九大古活字版[ 九 ]
 湖月抄[ 湖 ]
 首書[ 首 ]
 三条西本(書陵部)[ 三 ]
 仏阿仏(室伏)[ 仏 ]
 慈鎮本(室伏)[ 慈 ]
 麗子本(渡辺)[ 麗 ]

いつれの[大尾明御国麦阿大絵京天日伏肖池保高前九湖首三仏慈麗]・・・・010001-000
 いつれの/つ〈濁点〉[国]
 いつれの/〈朱合点〉[穂]
御時にか[尾明国大絵京国天穂日肖池保高前九湖仏慈麗]・・・・010002-000
 御ときにか[大御麦阿伏首三]
女御[大尾明御国麦阿大絵京国天日伏肖池保高前九湖首三仏慈麗]・・・・010003-000
 女御/〈朱合点〉[穂]
かうい[国仏慈]・・・・010004-000
 更衣[大尾明麦阿大絵京国天日伏肖池保高前九湖首三]
 かうゐ[御]
 更衣/〈朱合点〉[穂]
 御息所[麗]
あまた・・・・010005-000
さふらひ[大尾明御国麦阿大絵京国天穂日伏肖池保高前九湖首三仏慈]・・・・010006-000
 侍ひ[麗]
給ける[明御麦阿大絵京国天日肖池保前九湖首三仏慈]・・・・010007-000
 給ひける[大]
 たまふ[尾高麗]
 給[国]
 たまひける[穂伏]
中に[大御麦阿穂肖九首仏慈]・・・・010008-000
 なかに[尾明国大絵京国天日伏池保高湖三麗]
 なかにも/も$[前]

 
 
 
 実は、このプログラムは、別の利用方法があります。
 たとえば、8人の生徒の6教科の成績の散らばり工合を確認するときをあげます。
 こんなことがあるかどうかは別にして、こんなこともできる、という例として見てください。

 まず、CSV形式のデータを作成します。
 
 
 
教科,相川,青木,赤井,秋田,朝田,足立,阿部,荒本
国語,90,70,80,60,80,70,60,90
古文,80,90,70,90,70,60,50,80
漢文,70,80,60,80,90,50,80,70
英語,60,70,90,70,80,90,70,90
歴史,40,50,50,60,40,50,70,80
数学,50,90,80,60,70,80,60,80

 
 
 
 これを、「源氏異文校合デモ」のプログラムを通して処理をすると、以下の結果が得られます。
 
 
 

相川・・・・教科
 青木[ 青 ]
 赤井[ 赤 ]
 秋田[ 秋 ]
 朝田[ 朝 ]
 足立[ 足 ]
 阿部[ 阿 ]
 荒本[ 荒 ]

90[荒]・・・・国語
 70[青足]
 80[赤朝]
 60[秋阿]
80[荒]・・・・古文
 90[青秋]
 70[赤朝]
 60[足]
 50[阿]
70[荒]・・・・漢文
 80[青秋阿]
 60[赤]
 90[朝]
 50[足]
60・・・・英語
 70[青秋阿]
 90[赤足荒]
 80[朝]
40[朝]・・・・歴史
 50[青赤足]
 60[秋]
 70[阿]
 80[荒]
50・・・・数学
 90[青]
 80[赤足荒]
 60[秋阿]
 70[朝]

 
 
 
 しばらくは遊んでみてください。
 そして、おもしろい活用がありましたら、教えてください。

 現在は、以下のようなわがままを、野本先生にお願いしています。
 
 
 

(1)底本が選択できると便利

底本となる本文をいろいろと変えて、本文の異同の諸相を比べてみたくなります。
そこで、校合できる本文の名前リストが表示され、そこから底本となる1本を選択できるようになると、利用価値は格段に高まります。


(2)底本の名前を、同一本文が明示される所に示すと、わかりやすい資料となる
例えば以下の場合、底本である陽明本が[陽=]として明示されないでしょうか。

おほしいそく[大保尾国三]・・・・320003-000

おほしいそく[陽=大保尾国三]・・・・320003-000

諸本の本文に異同がなければ、次のようになります。

やかて・・・・320012-000

やかて[陽=全]・・・・320012-000

 
 
 
 バージョンアップを果たす度に、このブログに紹介していきます。
 ご意見、ご感想をお待ちしています。
posted by genjiito at 00:43| Comment(2) | ◆源氏物語