2011年02月28日

エジプト・カイロの最新情報

 国際交流基金カイロ事務所の佐藤さんのブログが再開されました。

 「ムバラクのいないエジプトに戻った」

 佐藤さんは、私が初めてインドへ行った時から、いろいろとお世話になっている方です。当時はニューデリー事務所に、そして今はカイロ事務所におられます。

 先日、カイロ情勢が不安定だったので、様子を伺うメールを送りました。すると、一時的に日本に帰国している、との返事でした。そして昨日、無事にカイロに戻られたようです。

 佐藤さんのブログでは、「当世エジプト結婚事情」がお薦めです。

 精力的に活動される方です。
 ますますのご活躍を、これからも楽しみにしています。
posted by genjiito at 00:27| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月27日

京洛逍遥(181)春を待つ上賀茂

 ポカポカ陽気に誘われるようにして、上賀茂神社へブラブラと散策してきました。
 北山から上に歩いていると、うどんの「ん」がひっくり返っている看板が目に飛び込んできます。
 そして、店先には「そばは亀々 うどんは鶴々」と、楽しい案内板が出ています。
 
 
 

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 食後すぐだったので、今日はパスです。次回は入ってみたいと思います。

 二ノ鳥居のそばの神馬舎には、土日は白馬がいます。春を迎え、馬もほっとしているようです。餌もよく食べていました。
 
 
 
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 二ノ鳥居を入った境内では、まだ工事が続く重文の細殿の前で、新婚のカップルが記念撮影をしておられました。
 
 
 
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 インドでも、2月は結婚式シーズンです。日本でも、これからシーズンを迎えることになります。

 細殿の裏にある、これも重文の橋殿で、梅の蕾を見かけました。
 まだまだ固い蕾です。
 
 
 
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 『百人一首』で有名な「ならの小川」沿いに下ると、ちょうど手作り市をやっていました。
 
 
 
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 小さな出店が約250店も並んでいます。いつもよりも小綺麗になり、雰囲気も明るくなったように思います。若い方々の出店が多くなったせいでしょうか。
 私は、上質の皮のシートを買った後、淹れたてのコーヒーを飲みました。

 たくさんの懐中時計が目を惹きました。しかし、文字盤のデザインで気にいったものがなかったので、今回は見送りました。このところ、懐中時計を探しています。

 帰り道で、旧家の塀越しに白梅がみごとに花開いているのを見かけたので、失礼してパシャリ。
 
 
 
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 賀茂川も、鴨がたくさんいます。
 対岸の半木の道から植物園を見やっていると、一斉に水に飛び込む群れや、親子でよちよちと川に向かう一団など、水面を眺めるだけで一時を楽しめます。
 
 
 
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 我が家の玄関先も、冬から春へと彩りが豊かになっていきます。
 
 
 

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 昨日、京都新聞さんが立派な新聞受けを取り付けて行かれました。緑色が少しきつすぎるようですが……

 春の準備が、少しずつ始まっています。
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2011年02月26日

西国三十三所の朱印軸

 自宅のすぐ前の賀茂川の河川敷が、昨年からの補修できれいになりました。
 
 
 
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 芝生の養生のためにロープが引き回されています。この芝生が育つと、さらにいい散策路になることでしょう。

 もう、防寒コートはいりません。対岸の半木の道の桜並木は、あと一月もすると蕾が出るはずです。今年も、みごとな桜を見せてくれることでしょう。
 この半木の道は桜の名所として全国的に知られるようになり、4月に入るとたくさんの人で賑わいます。春はもうすぐです。

 昨秋、病気平癒を願って巡拝した西国三十三所の朱印軸が、きれいに表装されてようやく届きました。
 新町通りにある芳村芳雲堂に西国三十三所のお軸の表装をお願いしたのは、昨年11月初旬でした。あれから3ヶ月半で、こんなにすばらしい軸にしてくださいました。
 
 
 
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 これまでのものと同じようにと、現物をお見せしてお願いしました。それが、希望したものよりも数段いいものとして完成したのです。さすがは、京の表具屋さんです。
 届けてくださった奥様は、この地に生まれ育った方で、なんと私と同い年でした。インドの話になった時に、このあたりにも昭和30年代には牛がいたとのことです。少し話し込んで行かれましたが、永くこの地でいい仕事をなさるお家です。
 みごとなご詠歌のお軸に仕立てていただきました。ありがとうございます。
posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | 身辺雑記

2011年02月25日

3年で壊れた炊飯器

 昨夏あたりから、京都の自宅で炊くご飯が何となく美味しくないと思うようになりました。
 使っていたのは、2007年に製造された東芝のIH炊飯器です。購入して3年で、早くも不調になったのです。
 
 
 

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 東京の宿舎で使ってる炊飯器は、ナショナル(現パナソニック)の製品です。これは、もう10年も使っています。IH炊飯器としては初期のものだと思います。それでも、今も美味しく炊けています。当時としては、高額商品の部類でした。単身赴任の生活が始まったばかりだったので、少しでもいいものを、と思って買ったものです。

 総体的に、日本の白物家電といわれる家電製品は、丈夫で長持ちすると思います。それなのに、自宅の炊飯器がこんなにも早くダメになったのです。

 何がダメかは、人によって判断が違うはずです。
 我が家の場合、最近は、炊きたてからしてベチャッとしていて水っぽいのです。そして、少し時間が経つと、ご飯が固くなります。保温状態になって数時間もすると、もう完全にパサパサして美味しくありません。
 極端な例が、炊きあがって暫くしてから蓋を開けると、もう釜の周りは固くなり、中心部分はベチャッとしています。これでは、美味しくご飯をいただけません。
 炊き方に問題があるかと思い、水加減や量などをいろいろと工夫しても、相変わらずです。

 我が家は、お米は山形県の農家と契約していて、毎月いいお米を送ってもらっています。同じお米を東京でも炊いているので、ご飯の出来の悪いのはお米のせいではありません。

 おそらく、東芝の炊飯器のセンサーかコンピュータ制御が不調になっているのでしょう。
 それにしても、購入して3年というのは、あまりにも短いように思います。

 欠陥商品によく出くわす私なので、またか、という感覚でいます。しかし、ご飯は毎日炊いて食べるものです。ここが限界と思い、新しい炊飯器を買いました。

 今度は、タイガーの製品です。かまど炊きというタイプです。
 
 
 

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 以前のものもそうですが、実売価格が3万円ほどのものです。
 最近は、7万円とか8万円というものがあり、炊飯器といえどもその多彩な品揃えに驚きます。
 今回は、分厚い土鍋とか遠赤とかのキャッチフレーズの製品です。土鍋式にこだわってみました。
 お店の人の話では、炊飯器は6年か7年は普通に使える商品だとのことでした。
 さて、このタイガーの製品はどうなのでしょうか。数年後が楽しみです。

 購入したばかりのご飯は、「極うま」というモードで炊いてみました。
 お米がしっかりしていて、なかなかのできばえです。
 あとは、いつまでこの道具が当初の機能のままで使えるか、ということです。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 美味礼賛

2011年02月24日

インドで思ったこと

 10年近くインドと関わってきました。そして、今回はその環境の変化に驚いています。近代化が急速に進んでいるためです。

 以下、無責任な立場で、思いつくままに記します。
 一国のことなので、それなりに理由のあることだと思います。しかし、今はこんな思いを持っている、ということです。
 インドに対する幻想とでも言うべきものが、その背景にあることは認めます。変わらないでいてほしいという、旅人のわがままに起因するものかもしれません。新しいインドのイメージが掴めないため、ともいえます。
 しかし、あまりにも急激な変化は、あまりにも不自然です。

 さて、インドの変貌ぶりと言えば、やはりなんと言ってもインディラ・ガンディー国際空港の変わり様です。予想できたとはいえ、世界の主要空港とまったく同じデザインとなりました。インドらしさは、欠片もありません。

 それは徹底していて、空港内ではインドの通貨であるルピーで買い物ができないのです。自国の通貨を捨ててまで、ドルに拘る理由はなんでしょうか。日本の成田や羽田の空港で、円のお金が使えなくなったらどうでしょうか。インドは、完全に自国のアイデンティティーをかなぐり捨てたのです。

 インド国内で使っていた通貨が、旅の最後の空港で使えないのは困ります。手元にドルを持ち歩いているのは、どんな人なのでしょうか。アメリカ人とか商社マンは持っているでしょうが。
 仕方がないので、空港での買い物はクレジットカードを使うしかありません。

 これは、インド人の自殺行為です。賢明なインド人のことなので、その愚は十分に承知なのでしょう。それにしても、愚かな決断としか思えません。というよりも、アメリカ人以外の普通の旅行者を虐めることにしかなりません。

 「アメリカ抜きで考える」とか、「地球のお荷物アメリカ」と揶揄される風潮に真っ向から逆らうかのように、ドルを重視した空港になったのです。これは、インド最大の失策となるはずです。おかげで、インドの通貨であるルピーが、この空港で完全に紙くずとなりました。愚策をなぜ、としか言えません。

 次にインドでの変化は、街中で牛を見なくなったことがあげられます。今回、牛は一頭も見かけませんでした。
見たのは、たくさんの犬、そして一匹の馬、そして結婚式の行列の象です。インドで神聖視される牛は、一頭も見かけませんでした。

 国際社会に適応した街作りをしたい為政者の気持ちはわかります。しかし、インドというお国柄を完全に振り捨てて、それでいいのでしょうか。
 確かに街中に牛がゴロゴロしていると、衛生面をはじめとして、環境のイメージはダウンかもしれません。しかし、そこは対処の仕方ではないでしょうか。牛をすべて郊外に移動させることで、街はすっきりします。しかし、地球上からインドという国が消え、インドらしい国が存在するという状況が作り上げられたことを、非常に寂しく思います。
 そんなに世界標準に右へなれして、それでインドはいいのでしょうか。

 評価すべきは、地下鉄網の整備です
 これは、街を移動するときに、非常に便利になりました。観光客も、これまでのオートリキシャやタクシーに乗るときの値段交渉が不要になり、歓迎すべきことです。一部の駅では、まだ駅員がおつりをごまかそうとしています。しかし、それを一掃することは、時間の問題です。
 歓迎すべき状況にあることはそうとして、CNG(液化天然ガス)を使った、環境に配慮したオートリキシャをはじめとする乗り物が、次第に利用されなくなることの損失が気になります。
 今回、私はオートリキシャは一度だけ利用しました。オートリキシャを使わずに地下鉄で行ける場所にもかかわらず、あえて記念の意味でオートリキシャを使ったのです。
 この、ニューデリーに張り巡らされたオートリキシャによる移動手段は、今後は縮小せざるをえません。すると、パンジャーブ州などからの出稼ぎの人々の多くが、職を失うはずです。
 当然、何か策を用意しておくべきですが、どうなのでしょうか。

 日本が昭和30年代に高度成長社会を目指した失策を、インドが今繰り返しそうなので不安になります。

 日本が20年かかってなしとげたことを、インドは10年もかけずに完遂しようとしています。日本の失敗した点を、何とか反省点として学んでほしいものです。国作りに失敗した国にいる1人として、インドの方にメッセージとして伝えたいと思います。アメリカを見て国作りをすると、後で後悔することを。
 そして、日本の良いところと失敗したところをよく調査研究して、悲劇的なインドにならないようにしてほしいと思います。

 インドは、短期間に社会を成長させようとしているので、貧富をはじめとする格差が、急速に広がっています。これは、日本とは比べものにならないくらいの、壮大な格差の拡大です。そこに、カーストをベースとする身分社会の仕組みが、人々に重くのしかかります。
 このままでいくと、その格差の是正に、インドは膨大な時間と労力を必要とすることでしょう。

 かわいそうに、としか、今は言いようがありません。
 1日も早く、インドの方々が、その愚かさへの対処に動いてほしいものです。

 妄言多謝。
posted by genjiito at 22:17| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月23日

ネルー大学から空港へ

 もう、インドでの最終日です。JALで帰国の途につきます。

 きれいな朝日を拝んだこともあり、気分も爽やかにネルー大学へ行きました。

 ネルー大学は大きな山ひとつがキャンパスになっています。図書館も、森の中に聳え立っています。
 
 
 

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 ただし、この窓ガラスの多くは割れています。そのため、砂埃が書庫にも舞い込んでいて、本を手にするのにはタオルが必要です。なお、「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009年3月 5日)で、この図書館での奇遇とも言える本との出会いを書いています。ご笑覧を。
 
 
 

 ネルー大学の校舎も、木々の中にあります。私も、この木の下でお釈迦様よろしく学生たちに話をしたことがあります。
 
 
 

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 授業が終わったばかりの3年生の一クラスの学生たちと、一時間ほどでしたが懇談の場を持ちました。
 私は、インドの言葉に翻訳された『源氏物語』のことを、相田先生は辞書の地名の話をされました。
 
 
 

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 学生たちは、目を輝かせて聞いてくれます。ネルー大学は、日本で言えば東京大学に相当する大学なので、学生の学力と能力はインドではトップレベルです。それだけに、知的好奇心が旺盛で、語りかけても反応が早く、質問もよく出ます。一人でも多くの学生に、日本の古典文学に興味を持ってもらいたいと願っています。
 学生たちとのやりとりは、どこの国に行っても楽しい一時となります。

 帰りに、ネルー大学のアニタ・カンナ先生のお宅へ呼ばれました。内科のお医者さんである旦那さんを交えて、ランチタイムを楽しみました。私が胃ガンで手術をしたことをご存知なので、食事中もその話になりました。旦那さんは病気のことをよくご存じで、私が体重が増えなくて悩んでいることに対して、一年もすれば大丈夫だと励ましてくださいました。カルテを見せてくれたら、いつでもアドバイスをするとも。頼りになるお医者さんですが、いかんせんインドにおられるのですから、診察をしてもらうわけにもいきません。インドで病気になったときには、心強い味方が助けてくださると思うだけでも、気持ちが楽になります。

 インディラ・ガンディー国際空港の中は、ショッピングセンターも様変わりです。世界共通の施設になったことは残念ですが、インドの方々には世界に追いついたことで誇りに思っておられる空港です。ここは、慶んでいいのか微妙ですが、今は新装開店をお祝いしましょう。2階の一部では、まだ工事が進んでいました。
 
 
 

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 すでに砂埃で汚れた窓越しではありましたが、夕陽がきれいでした。
 
 
 

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 搭乗口のすぐ横のトイレで、男女の識別が若者の顔だったので興味を持ちました。
 
 
 

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 一人のサリー姿の女性が入って行かれるところでした。
 トイレマークに興味を持つ私です。これは、なかなかいいセンスだと思います。ただし、自分がどちらに入るのか、みなさん一瞬躊躇っておられました。
posted by genjiito at 23:05| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月22日

朝日を拝む

 今朝の日の出は、イスコン寺院の向こうから幻想的に上ってきました。

 私は特定の宗教を信じている者ではありません。しかし、このようにきれいな朝日を見ると、つい手を合わせて祈ってしまいます。

 何を祈るというのではなくて、もろもろの物事がうまくいきますようにと。
 
 
 

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 このインドの地にきてからも、日本における私がらみでのさまざまな問題が出来しました。いろいろな問題の報告も受けました。

 その中でも、学生時代からずっとお世話なっている方が昨年の8月に入院され、私と同じように胃を切除されたことを最近知りました。また、その他にも病気が見つかり、長く入院生活を余儀なくされていました。今、83歳です。
 幸いにも、私がインドに来ると同時に退院されました。一安心ですが、しばらくは床に伏せっておられます。
 1日も早くお見舞いに馳せ参じたいのですが、今はどうしようもありません。

 このインドの地より、ご病気の快癒をお祈りすることにします。
 私も一応まだ病人なので、その効き目はあやしいものです。しかし、インドの神様は必ずや聞き届けてくださることでしょう。
posted by genjiito at 13:14| Comment(0) | ◆国際交流

盛会だった第6回〈インド日本文学会〉

 国際交流基金ニューデリー日本文化センターの中にあるホールで、第6回の〈インド日本文学会〉を開催しました。日本から来た3人への花束贈呈から始まりました。
 これは、インドならではの儀式です。かつては、学会を始める前にプージャというお祈りの儀式がありましたが、それは割愛して進めるようにしています。
 
 
 
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 国際集会は、今西祐一郎・国文学研究資料館館長の基調講演からはじまりました。
 『今昔物語集』を中心にして、漢字・仮名・カタカナの表記に関する問題へと展開しました。
 
 
 
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 ティーブレークを挟んで、相田満先生の研究発表です。テーマは、デジタル地名辞書と文学研究をめぐる問題でした。
 
 
 
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 会場は、40人ほどの聴衆でいっぱいになりました。若い学生さんたちが多いことはいいことです。1人でも多くの若者に、日本文学について知ってほしいと思っていますので。

 そして、私です。日本文学の研究論文のデータベース化とインド情報の収集に関することを話しました。
 
 
 
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 会場からの質問も、いろいろとありました。活発な質疑応答がなされました。
 
 
 
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 ランチタイムの後、アニタ・カンナ先生の『今昔物語集』に関する発表です。
  
 
 
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 続いて、ウニタ・サッチダナンド先生の石川啄木に関する発表です。
 
 
 
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 最後は、質疑応答を兼ねてのパネルディスカッションです。
 文学研究の意義に始まり、インドの研究状況と今後のことなど、さまざまな問題がとりあげられました。国文学研究資料館が日本の古典文学を中心とした研究を守備範囲にしていることから、古典文学についても、多くの意見交換をしました。
 
 
 
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 今回も、実りある発表と質疑が取り交わされ、いい〈インド日本文学会〉となりました。

 ただし、今後の課題も多く確認されました。インドにおける日本文学研究のレベルアップと、若手研究者の育成の限界にも及びました。大切な問題としての難問山積のディスカッションとなりました。今回問題となったことなどの総括を含めて、今後の、次回の学会の取り組みに活かしていきたいと思います。
 この学会を今後どのようにして運営していくかをはじめとして、次につなげる課題が見えてきました。そのことが、最大の収穫だったように思います。
posted by genjiito at 11:13| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月21日

オールドデリー散策と結婚式

 オールド・デリーにあるチャンドニーチョーク通りは、いつ来ても雑沓の中です。日本の江戸時代初期に、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハンが、タージマハールで有名なアーグラーから遷都しました。かつて王が行進した道路が、チャンドニーチョークです。喧噪の中で、夥しい品物が売られています。




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 ちょうど、お店の前で黒っぽい液体をかけた仏頭に、白っぽい石の粉をまぶしている人に出くわしました。これは、お土産物にするのでしょうか。偽物作りとでも言える光景でした。




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 ジャマーマスジットも、久しぶりです。これは、チャンドニーチョークの南側にあり、シャー・ジャハンが作ったインドで一番大きなイスラム教の寺院です。





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この左側のペンシル型の塔に登り、最上階からデリーの街を遠望しました。
 高所恐怖症の私でも、この中は狭くて真っ直ぐに上に登る階段だったので、高さと恐怖を感じることなく上れました。

 オールドデリーを東西に走るチャンドニーチョーク通りの東端にある、赤い煉瓦で人目を惹くラール・キラー(赤い城)に、実は今回初めて入りました。ここは、世界遺産にも指定されています。



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 私は、ニューデリーのほとんどの場所を歩き尽くしたつもりです。しかし、意外とこうした超有名な観光地の中には入っていないものがあります。いつでも案内して入れる、と思っていたからでしょう。

 ラール・キラーの前から、サイクルリキシャがなかなか捉まりません。コンノート・プレイスまで行きたいのに、運転手は行きたがらないのです。また、料金が非常に高めで、そして強気です。しかたがないので、100ルピーも払って行きました。私は、こんなに高くつくオートリキシャに不満です。物価が高騰しているのでしょうか。地下鉄の影響で、客足が遠のき、このような状況になっているのでしょうか。

 コンノートプレイスから南に走る、ジャンパト通りのお土産物屋さん街を散策しました。この地域は、初めてインドに来たときに、この通りにあるホテルにしばらく泊まっていたので、勝手知ったる通りです。
 コンノート・プレイスからは、地下鉄で宿まで帰りました。もう、地下鉄はニューデリーの街中を移動するときに、必要不可欠な脚となっています。

 お寺の夕食は、トゥッパという、チベット地方のスイトンでした。



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 このお寺の食事を作ってくださるバドゥールさんは、料理がうまくていつもレパートリーに富んでいます。また、このお寺がチベットの関係者が運営なさっているので、チベット料理もよく出ます。
 トゥッパは、日本で言うと甲府の名物「ほうとう」とほとんど一緒です。これは、チベットをはじめとして北インドや新疆ウイグル自治区などでも食べているものだそうです。このお寺のトゥッパは、チーズの入った、それでいてあっさりとしたおいしいものでした。

 夜は、近所の公園であった結婚式に行きました。飛び入り参加が自由にできるのです。お酒こそありませんが、食事などが自由です。振る舞いなのです。



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 私は、近所で結婚式があると、いつもコーヒーとアイスクリームをいただきに行きます。公園などでの結婚披露会場では、食事が食べ放題なのです。2月は結婚式が多いので、愉しい夜を体験できます。
 縁もゆかりもない人間ですが、日本から来た一人として、祝福になればと勝手な解釈をして顔をだしています。

 外では、花婿の行列が組まれていました。男だけが盛り上がっています。
 すでにニューデリーの街中からは姿を消した像を先頭に、たくさんの人が行列に参加しています。



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 若者たちは、踊りに熱中です。
 馬車に乗った新郎は、みんなに囲まれています。



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 帰りに、お酒を買いました。インドの「サトリ」という赤ワインです。これは、昨年も呑んだものです。



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posted by genjiito at 21:38| Comment(0) | ◆国際交流

デリーの地下鉄

 世界遺産にもなっているオードデリーの一帯へ散策がてら行きました。この地域に脚を向けるのは久しぶりです。

 宿舎であるお寺の近くに「カイラーシュ・コロニー」という地下鉄の駅ができました。つい数ヶ月前のことです。
 そこで早速、デリー散歩にこの地下鉄を利用しました。




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 トイレの男女の絵柄で、女性がサリー姿となっているのがインドらしいと思いました。



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 路線図を見ると、立派な地下鉄網ができています。



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 ただし、空港方面などは、昨年完成するはずがまだできていないようです。インドですから、ノンビリしたものです。

 宿舎からオールドデリーのあるチャンドニーチョーク駅まで、18ルピーでした。1ルピーは、日本円換算で2円です。実際には2円を切っていますが、2円という感覚で換算していいようです。
 この同じ経路を、インドの脚であるオートリキシャでは、80ルピーはします。オートリキシャに3人は乗れます。どう考えても、乗り心地や安全面からも、地下鉄がずっと楽です。この地下鉄網がニューデリーに張り巡らされつつあるので、オートリキシャの存在が、非常に微妙になってきました。しかし、なくさないでほしいものです。

 チケットは、プラスチックの丸いコインの形をしています。切符売り場のおじさんは、おつりをきちんとくれません。足りないのです。催促すると、しぶしぶ渡してくれます。自助努力の国なので、こうしたことは国の施設であっても、いたるとこで経験します。これは、まだしばらくは続きそうです。
 言ってみる、やってみる、ダメでもともと、という考え方です。今の場合、おつりを全部渡さない、そのまま乗客が気づかなければラッキー。催促されてからおつりを全額渡せばいい、という態度です。これに慣れるのは、経験を要します。

 空港のような手荷物検査を受けてから、こんな陸橋を渡り、さらに上の陸橋を使って元の改札の上に行くことになります。



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 まだ、ホームに入るまでの導線が間に合わせです。地上のホームに行くのに、今のやりかたでは非常に遠回りです。賢いインド人のことです。いつかは、早い段階でこの駅の作り方の欠点に気づき、雄大な時間の流れの中でよりよい駅にしていくことでしょう。まだ、駅の機能というものがよくわかっていないようです。インドのみなさんの今後の努力が楽しみです。

 列車が入ってきました。この地下鉄は、日本が協力しできたものです。車体は、三菱が協力したものです。
 地下鉄といっても、ほとんどの路線が地上を走っています。




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posted by genjiito at 13:32| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月20日

慎重になったざくろジュース

 食後に、いつものようにジュース屋さんへ行くつもりでした。しかし、今回もお世話になっているお寺のお上人さんが、数日前に飲んだジュースで食あたりをした、と仰います。潜伏期間が2日あったそうです。
私がいつも行く、あのジュース屋さんでのことのようです。

 今すぐにでも、外のジュースを飲みに行きたい気持ちです。あのおじさんが作ってくれるジュースを楽しみにしていたのです。しかし、今回は滞在期間が短いので、ここはじっと我慢することにします。
昨年、胃をすべて切除したこともあり、ここは自重します。

 いつものおじさんは、今日も元気にジュースを作っていました。私に連れて行かれて、このおじさんのジュースを飲んだ人も多いはずです。いまでも、元気にジュースを作っておられます。





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 食あたりとなったのは、このおじさんが作ったジュースではなくて、若い人がつくったものではないか、と思っています。
いや、お上人さんは、別のもので食あたりになられたにちがいありません。

 いずれにしても、今回はとにかく慎重に、ジュースは我慢します。
posted by genjiito at 18:53| Comment(0) | ◆国際交流

インドからの通信に手こずっています

 ニューデリーでの最初の朝です。砂埃のせいでしょうか、どんよりと曇っています。




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 今回は、宿舎にしているお寺のインターネットの調子が悪いのです。
 持参しているマッキントッシュでは、ネットにつながらないのです。
 しかたがないので、宿泊者が共用で使うウインドウズマシンを借りて、昨日はブログを更新しました。
 日頃は小馬鹿にして見向きもしないウインドウズマシンですが、今はこれに頼らざるをえません。

 四苦八苦して、どうにか19日のブログをアップしました。しかし、これは私が下書きで書いていた文章を、間に合わせで取り出してアップしたものです。

 手法としては、マッキントッシュで作成した文章をUSBメモリに保存し、それをお寺のウインドウズマシンに読み込ませ、それをアップしようとしていました。そのときに、私が作った文章が、どうしたわけかすべて消えてしまったのです。本当に、跡形もなくなくなりました。

 ブログを更新する際に、文章にウインドウズマシンの上で、苦労しながら日本語でいろいろと手を入れました。それが消えた後ではどうしようもありません。そこで、マッキントッシュに残っていた下書きを、とにかくウインドウズマシンに転送して何とかブログのアップを果たしました。
 ウインドウズマシンの上では、文字化けをしていました。しかし、どうしようもないので無理矢理転送すると、ブログの確認画面ではちゃんと日本語になっていたので、これでよしとすることにしました。
 しかし、今回アップした文章は、手を入れる前の古いものです。出来の悪い文章をアップせざるを得なかったことを、お詫びします。

 私も、20年以上も前には、MS−DOSのパソコンを使っていました。しかし、ウインドウズに移行した時に、あまりにも酷かったのでマッキントッシュに鞍替えをし、今に至っています。
 ウインドウズマシンは、事務用品として使うのが限度です。マッキントッシュのように、創造的な目的で使う、クリエイティブマシンではないのは、今も変わらないようです。

 パソコン自体に興味のある人は、原始的な機械だけに、自分がマシンをコントロールしているのだという満足感が得られるので、手放せないマシンのようです。コンピュータに命令を出して操作している、という優越感には浸れるマシンです。しかし、民生用のパソコンではありません。ウインドウズは事務機器で、マッキントッシュは知的文具です。

 インドの地にあり、今はメールなどを見るのも大変です。一通を読むだけでも大変なのに、私は毎日800通ほどのメールをチェックする生活をしています。
 さすがに、今回はウインドウズでメールを読む気はないので、すべて読んだことにする設定にして、パスさせてもらっています。
 私への負担軽減のためのご理解を、切にお願いします。
posted by genjiito at 18:48| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月19日

かつてのデリーを懐かしむ気持ち

 インディラ・ガンディー国際空港が、今までとは見違える程きれいになりました。それとともに、世界のどこにでもある何の変哲もない空港となり、インドらしさが消えました。きれいになったことは歓迎します。しかし、かつてのインドらしい、土埃の匂いのする薄暗い空港が懐かしく思えてきます。





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 見栄え良く便利になることは歓迎します。しかし、それと共にそれまでの文化が消滅するのですから、むつかしい問題です。今後は、この建物にインドらしさをいかにして注入するか、ということになります。近代化という時代の流れと、人の香りがするものへの郷愁とは、相容れないものなのでしょうか。近代化は個性(パーソナリティ)の削ぎ落としであってはいけません。

 日本も、かつてはそうだったのです。今のインドは、かつての日本でいう昭和30年代と、国際化を標榜する現代が重ね合わさって進行しています。それも、急激に変化しています。
 共働きにより、家庭が激変しています。家庭料理が外食産業に寄り掛かるようになりました。
 若い女性の服装も、サリーがパンジャビスーツとなり、今はジーンズ全盛です。
 首都ニューデリーの姿は、ここ数年で驚異的な変貌を遂げています。

 こんな変化を、8年にわたりずっと見てきました。一つの国が発展する中で、変わるものと変わらないものを、じっと見つめ続けています。

 飛行機から降りて空港を出ると、とにかくおしゃれな雰囲気に包まれます。人がうじゃうじゃといた、かつての空港の出口の賑わいと活気はありません。
 確かに清潔感に溢れています。しかし、かつてを知っている者には、物足りなさを感じます。インドへ来た、という緊張感がなくなり、気が抜けます。
 ノスタルジーに浸っていてはいけません。しかし、この失望感はしばらく続きそうです。
 その点では、京都はうまく街作りをしていると思います。いにしえと現代が、うまく共存する街なのですから。

 客引きでごった返していたタクシー乗り場も、こんなにすっきりとしました。




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 空港から市内への道も、自動車専用道路が整備されていて、快適に街中に入れます。オートバイや自転車が、車の隙間を縫って行くのは、まだまだ健在です。車間距離と車幅の近さも、絶妙のバランスで保たれています。該当の列の向こうには、満月が浮かんでいます。




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 いつものように宿舎にしているお寺に着きました。夜空には、満月が皎々と姿を見せています。




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 インドは、思ったよりも寒いようです。
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2011年02月18日

大雨の中を成田へ

 海外へ行くときに雨に降られるのは、今回が初めてです。幸いなことに、これまで空港への道中で雨にあったことが、一度もなかったのです。

 たくさんの仕事を抱えている関係で、今日も徹夜となりました。

 明け方には、フランスにいる娘とスカイプでチャットです。英文メールの添削をしてもらったり、解説文を英訳してもらう打ち合わせなど、とにかく休む暇がありません。

 ようやく荷物を持って外に出ると、久しぶりの大雨です。キャリーバックに大きなビニールのカバーをしました。しかし、駅に着くまでに靴もズボンも、そしてバッグもびしょびしょです。

 改札を入って、嫌な予感が。大江戸線に乗るはずが、いつもの東西線のホームに立っていたのです。
 あわてて引き返す始末です。

 出掛けに調べたルートの通り、蔵前で乗り換えです。ところがよくしたもので、乗り換えには一旦地上に出て歩くのです。
 また、雨の中をずぶ濡れになって乗り継ぐしまつ。

 すんなりと成田へは行かせてもらえません。

 成田では、のんびりと昼食をしてから、JALに乗り込むことにします。

 続きは、ニューデリーについてからにしましょう。
posted by genjiito at 10:40| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月17日

江戸漫歩(30)九段坂から富岡八幡・深川不動へ

 花粉に反応したのでしょうか?
 喉の腫れと鼻水に悩まされています。

 先月中旬、アメリカへ行く時には、出発前に急遽、京都の自宅近くの内科で風邪の処方をしてもらいました。

 インド行きを控えた先週、九段坂病院で、帰国後もすっきりしない喉と鼻を診てもらいました。
 原因が、風邪か花粉かわからないので、両睨みの処方をしてもらいました。

 いただいた薬を飲みきっても、まだよくなりません。
 出発を明日に控えた今日、九段にもう一度足を運びました。
 この病院は、丁寧に診てくださいます。私のガンに対して素早い対応で助けてくださったので、心強い病院になりました。

 今日の診察でも、まだ原因が特定されていません。鼻の薬を、効き目がワンランク上のものにしてくださいました。

 明日からは、ホコリの舞うインドです。喉スプレーが手放せません。

 帰りに、宿舎の近くにある富岡八幡宮へお詣りしました。ここには、伊能忠敬の像があります。
 
 
 

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 伊能は、この富岡八幡宮から全国測量に旅立ったのだそうです。それを記念して、この像が建てられました。伊能55歳の時の姿だとあります。私より若いとはとても思えません。ずっと年寄りに見えます。
 それはさておき、私は旅行の前に、よくこの伊能さんに旅の安全を祈ります。御利益のある伊能さんです。今回も……

 この富岡八幡宮の隣の深川不動堂は、長かった工事も終わりすっきりした境内となりました。
 
 
 

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 そして、紅梅と白梅が揃って咲いていました。
 江戸にも春が近いことを教えてくれています。
 
 
 

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2011年02月16日

【復元】地球のお荷物「アメリカ」

 インドへ行く準備を進めています。
 そんな中で、インドとアメリカを比べた文章がスクラップから見つかったので、整理して復元しました。

 私にとってこの記事は、まだまだ勉強をしてさらに考えなければならない問題です。未熟な文章です。しかし、さらなるステッブアッブのためにも、この段階で復元したものを公開することにしました。
 
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年9月11日公開分
 
副題「9.11の特集を見ながら」
 
 
 今日は、アメリカ・ニューヨークのツインタワービルに飛行機が突っ込んだテロを記念して、テレビや新聞は大いに騒いでいました。記念して、という言い方は、犠牲になった方々に対して失礼かもしれません。しかし、実際の報道はそうでした。犠牲者に対して、そうとしか思えない構成で番組が作られていたように思います。

 この一連のニュースに接するたびに、私は、今から61年前の8月に、日本の広島と長崎に原子爆弾が落とされたことに思いが至ります。

 悪魔の兵器である大量破壊爆弾「げんばく」を日本に落としたのは、紛れもなくアメリカという国でした。
 アメリカ人は、今でも、あれは戦争を終結させるために正しい使い方だったと言います。そして、原爆を落としたのは正しいことであり、間違いではないのだから謝罪もしない、というのがアメリカ人の基本姿勢です。

 私は、この多くのアメリカ人が言う屁理屈は、大きな誤りだと思います。

 大量破壊殺人兵器である原子爆弾は、人間が空から落とさない限りは威力を発揮しません。
 その原子爆弾を、アメリカ人は日本の上空から、それも2発も落としたのです。

 「ピカは人が落とさにゃ落ちて来ん」と言われています。
 そのピカを落とした人たちに対してどう思うか。私は、とにかく嫌いです。
 このことを忘れることなく、今日の「9.11テロ」のニュースは見られませんでした。

 今も、日本人は被害者であるにも関わらず、アメリカ追随の姿勢でモノゴトに対処しています。
 特に、マスコミはその姿勢が顕著であることに、私は違和感を通り越して嫌悪感を持っています。

 インドという国を知るようになり、日本で子供の頃から教えられた「アメリカの自由主義」について、徐々に疑問を持つようになりました。今は、確信に近いものとなっていきつつあります。
 これまでに、4回ほどアメリカに行きました。そして、そのたびに「落ち目のアメリカ」の実態を体感してきたように思います。具体例はまたにしましょう。

 インドの民主主義の魅力を、再評価すべきです。少なくとも、アメリカのように、差別と偏見が根底にある「個人主義」「利己主義」を前提にした「自由勝手気侭主義」とは違います。
 インドには、みんなで幸せになろうとする気持ちが感じられます。まだまだ途上段階ではありますが。このインドには、これからの可能性があります。
 地球上での役目を果たせなかったアメリカとは違います。

 今は、まだ私は勉強不足なので、納得してもらえるような文章が書けません。しかし、この「地球のお荷物アメリカ」という感触は、そう間違ってはいないように思います。これから数十年かけてでも、折を見てこのことに触れていきたいと思います。

 アメリカの「9.11テロ」の被害者たちとは異なった視点で、テレビは映像と情報を垂れ流していました。報道していたニュースを見ながら、いろいろと考える時間をもらいました。
 マスコミはなぜ、アメリカの立場に立って報道し、考えようとするのでしょうか。
 いつまでも人に守ってもらうことにしがみつくことなく、独立した国として地球上に存在する日本という国に住みたいものです。
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
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2011年02月15日

〈第6回 インド日本文学会〉のご案内

 今週末の2月20日(日)に、インド・ニューデリーにある国際交流基金のホールで、〈第6回 インド日本文学会〉が開催されます。
 おさそい合わせの上お越しください、というわけにもいきませんので、以下にこの学会の位置づけと今回の内容を紹介します。

 〈インド日本文学会〉は、2004年に、アニタ・カンナ先生(ネルー大学教授)とウニタ・サッチダナンド先生(デリー大学教授)と私の3人で設立した学会です。毎年、ニューデリーで研究集会を開催しています。

 昨年度の第5回については、こんな様子でした。

 「第5回〈インド日本文学会〉の初日」(2010年2月13日)

 「〈第5回 インド日本文学会〉2日目」(2010年2月14日)

 昨年度は2日にわたって開催しました。しかし、内容の充実と効率的な運営を目指して、今年は1日で組みました。

 先月の外務省人事によると、これまでアジア大洋州局長として北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議の日本側主席代表で日朝実務者協議を担当されていた斎木昭隆氏が、1月11日付けで駐インド大使に任命されました。
 これまでにも、在インド全権日本大使だった榎氏などが〈インド日本文学会〉に出席してくださり、身に余るすばらしいスピーチなどをしてくださいました。
 今回も、訪印を機に斎木大使との面談などをお願いしたのですが、これまでの堂道大使が今週末の20日に離任となり、次期斎木大使については来月上旬頃に赴任予定とのことでした。残念ながら、今回は大使からのスピーチなどをいただけません。

 これまでにも、駐インド日本大使および一等書記官の方には、インドにおける日本文学研究へのご理解ご支援を訴えてきたので、今回もご説明をしたいと思っていたのです。インドにおける日本文学研究のレベルアップと若手研究者の育成・支援は、まだまだ時間と手間がかかります。まさに、緒に就いたばかりという状況です。
 インドとは、気長に根気強くお付き合いしたいと思っています。
 日本の各大学は、地域研究を除いた文学関連では、インドにはあまり興味を示されない現状が認められます。その意味からも、今後の支援体制や研究者育成の認識などについて、今後とも大使館および国際交流基金との自由な懇談ができたら幸いです。

 今回も昨年同様に、国際交流基金ニューデリー事務所の遠藤直所長と保科輝之氏のご理解とご協力をいただき、会場の使用を始めとする諸々のことにご高配をいただいています。
 今年で第6回を迎えるのも、国際交流基金と日本大使館のおかげです。
 始発時にいろいろとご相談をし、理解をしてくださった国際交流基金の佐藤氏は、今はエジプトのカイロ事務所におられます。国際交流基金の前ニューデリー事務所長だった深沢 陽氏は、今はパキスタンの日本大使館におられます。深沢氏にも、たいへんお世話になりました。
 いつものことながら、世界中の方々に助けられながら、こうして〈インド日本文学会〉が続けられていることに感謝しています。

 ささやかながらも〈インド日本文学会〉の活動が契機となり、一人でも多くの日本文学の研究者がインドから育つことを願って、今週末からインドへ行ってきます。

 今回も、いつものお寺に宿泊します。インターネットの回線も確保してありますので、また毎日このブログに報告を記します。さて、どんな旅になりますか。

























    INDO-JAPAN association for literature
AND culture



 



One Day Seminar on Japanese Literature



 



IJALC in collaboration with NIJL



Cordially invites you to



A Seminar on Japanese Literature




第6回 インド日本文学会



 



Date: February, 20, 2011



Time- 10am~5pm



 



Venue: Tagore Hall, Japan
Foundation



5A Lajpat
Nagar IV, Ring Rd, New Delhi



 



Programme



 



10am~10:20AM



Inuaguration



 



 



10:20AM~11AM



                
KeyNOTE ADDRESS



by



Professor Yuichiro Imanishi, Director, NIJL


基調講演

「絵入り今昔物語」

(今西祐一郎 国文学研究資料館・館長)



“Picture & Konjakumonogatari



 



 



11Am~11:30AM



TEA



 



 



11:30AM~1PM



 



研究発表

「デジタル地名辞書活用の可能性」

(相田満 国文学研究資料館・准教授)



Usage of Digital Dictionary for Names by Professor
Mitsuru Aida,NIJL



 



研究発表

「日本学研究データベース 
インド情報の増補

(伊藤鉄也 国文学研究資料館・教授)



Japan
Research Data Base Information on India by Professor Tetsuya Ito, NIJL



 



1PM~2PM



LUNCH



 



 



2pm~3:30



 



「今昔物語の笑いの巻」

(アニタ・カンナ ネルー大学・教授)



Volume of humorous stories in Konjakumonogatari



By



Professor Anita Khanna  JNU



 



「インドにおける石川啄木の研究と翻訳」

(ウニタ・サチダナンド デリー大学・教授)



Research and Translation on Ishikawa Takuboku in India



By



Unita sachidanand, DU



 



 



3:30~4pm



Tea



 



 



4PM~ 5PM



Panel Discussion



 



 



 



Supported by



Japan Foundation



And



National
Institute of Japanese Literature



 







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2011年02月14日

イタリア語訳『源氏物語』完成を祝して

 カ・フォスカリ大学(ベネツィア大学)のカロリーナ・ネグリ先生が、国文学研究資料館に調査のためにいらっしゃっています。
 先週もお出でだったのですが、私との時間がうまく合わず、打合せをするのが今日になりました。

 ネグリ先生とは、2005年の2月にナポリ大学の研究室を訪問したとき以来、いろいろと情報交換をしています。
 『更級日記』のイタリア語訳を出版なさった時には、地図の作成でお手伝いをしました。
 
 
 

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 その後ネグリ先生は、『和泉式部日記』など、たくさんの翻訳もなさっています。
 今回は、『紫式部日記』と『篁物語』の調査研究での来日です。

 2005年の時は、出来上がったばかりの科研の報告書『海外における平安文学』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、2005年2月発行)をキャリーバッグにたくさん詰めて、イタリアの各大学を旅した時でした。350頁もある報告書だったので、重たい本をゴロゴロと引き摺りながらの大学訪問でした。郵送する時間のないままに、刷り上がったばかりの本を、直接手渡ししてお話をしてまわったものです。

 ナポリ大学のそばで、ネグリ先生とご一緒に大きなピザを食べたことを思い出します。
 そのネグリ先生は、昨冬よりナポリ大学からベネツィア大学に移られました。ベネツィアには、日本文学の研究をなさる先生が充実しています。トリニ先生、ルペルティ先生には、いつもお世話になっています。イタリアの日本文学研究が、ますます楽しみになりました。

 さて、ネグリ先生からの情報によると、マリア・テレサ・オルシ先生(元ローマ大学教授)が十年がかりで取り組んでおられた『源氏物語』のイタリア語訳が、ようやく完成したとのことでした。
 これまでにも何度も、オルシ先生から『源氏物語』のイタリア語訳を進めているとのお話を伺っていました。
 ローマ大学で先生の研究室を訪問したときも、優しくたくさんの話をしてくださいました。
 2年半前に、ベネツィアで研究集会を開催したときには、なかなか進まなくて、とのことでした。

「ヴェネツィアから(5)国際学会」(2008年9月12日)

 一時は中断なさっていたのですが、それをようやくやり遂げられたのです。
 おめでとうございます。
 まだ出版までには、いろいろとあることでしょう。しかし、もう一息です。刊行が楽しみです。

 イタリア語訳『源氏物語』は、これまでは英訳『源氏物語』からの重訳しかありませんでした。オルシ先生のイタリア語訳は、日本語の古文からの翻訳です。イタリア語訳としては初めてのものです。

 イタリア語訳『源氏物語』については、下記の記事をご参照ください。
「ヴェネツィアから(7)イタリア本」(2008年9月14日)

 また、日本の古典文学がイタリア語に翻訳されている状況については、下記の記事でふれています。
「イタリア語に訳された日本古典文学」(2009年3月14日)

 オルシ先生の『源氏物語』が起爆剤となり、イタリアにおける日本古典文学の研究が、これからさらに活気づくことでしょう。
 
 
 
 夜も遅くなったので帰宅の途につこうとしたところ、外は横殴りの雪でした。
 雪模様の中、ライトアップされた国文学研究資料館も、なかなか幻想的です。
 
 
 

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posted by genjiito at 22:47| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月13日

【復元】京博の「大絵巻展」へ行く

 昨日、東博(東京国立博物館)のことを書いた後、京博(京都国立博物館)の展覧会の記事のことを思い出しました。
 確かクラッシュした記事の中にあったと思い、雑多なデジタル資料の中を掻き回していると、文章の断片がいくつか見つかりました。それらをつなげて、元の記事を作り上げました。自分史の記録の復元です。

 奈良に住んでいた頃のことなので、5年ほど前の展覧会の話です……
 
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年4月24日 公開分
 
副題「突然の停電の中でも充実した絵を見る」
 
 
 京都七条にある国立博物館で、昨日の土曜日から「大絵巻展」が開催されています。
 日曜日の今日、小雨の中を、車を走らせて見に行きました。

 少し早めに着いたので、三十三間堂で時間潰しをしました。
 ちょうど、EUの方々がお見えになっており、耳にイヤホンをしたガードマンに囲まれた一団と一緒に、諸仏を見ることになりました。

 改めて気付いたのですが、二十八部衆の仏像は、インドと深い関係のある諸仏だったのですね。インドに魅せられてからこのお堂を訪れるのは初めてだったせいか、説明板に、サンスクリットとかインドとかヒンドゥーということばを使って解説されていることに、一々反応している自分に驚きました。

 国宝の中に浸ると、日本の素晴らしさを再認識します。

 1時間ほど、1001体の観音様のオンパレードを見てから、京博へ行きました。
 入館料は1300円だったので、3000円で友の会に入ることにしました。東京・京都・奈良・九州の国立博物館に自由に入れるのです。3回行けば元がとれるのですから、これはいいシステムです。奈良博にはよく行くので、今後とも有効な活用ができます。

 「大絵巻展」は、開催2日目の日曜日ということもあってか、大盛況でした。
 『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『鳥獣戯画』などを、じっくりと見ました。特に『信貴山縁起絵巻』は、我が町、平群町唯一の国宝なので、それこそ丹念に見ました。

 ちょうど、2000円札に採用された『紫式部日記絵巻』を見ていた時に、突然館内が停電となりました。多くの人が携帯電話を取り出して、その小さなモニタの明かりで周りを照らしていました。これは、なかなか綺麗な光の世界を作っていました。
 とにかく、一点でも多くの絵巻を見たい、という雰囲気があったので、みんな何とかして見たい一心で、明かりを求めたのだと思います。真っ暗な中での心細さを、一刻も早く何とかしたいという思いもあったのでしょう。場内に混乱はありませんでした。とにかく、思ってもみない出来事なのですから。
 停電は3分ほどだったでしょうか。明かりがついた時には、みんながホッとして、すぐにまた列を作っての鑑賞が始まりました。何事もなかったかのようにして。

 『源氏物語絵巻』は「蓬生」が陳列されていました。地味な絵柄なので、人々は足早に次の『鳥獣戯画』のコーナーに移動していました。
 『信貴山縁起絵巻』は、今回は朱色の鮮やかさに驚きました。

 『玄奘三蔵絵』では、説明文の中の「沙河」という言葉に目が留まりました。ガンジス川のことかと思ったからです。しかし、これは中国の地名のようです。先日読み終わったばかりの『坂の上の雲』にでてきた、日露戦争における沙河会戦の地でもないようです。
 明治26年に刊行された漢訳『源氏物語』である『紫史』(川合次郎著)に、「恒沙」(ガンジス川)という言葉が記されていることを知ったばかりだったので、「沙河」はガンジス川ではないか、とその場では思いました。「恒沙」は「恒河沙」の略であり、「恒」はガンジス川のガンガーの音写で、「沙」は砂のことであることが、帰ってから調べるとわかりました。
 それはともかく、「沙河」と「恒沙」は、関係ないようです。

 今回の展覧会は、国宝や重要文化財が贅沢に並べられており、いくら時間があってもいい展覧会となっています。

 出口のところで、たくさんの『源氏物語』のグッズを買ってしまいました。

 その後、近くの和菓子屋さん「甘春堂」で、禅風の懐石料理を食べました。安くて雰囲気のいい店でした。
 この店で、明後日お会いして懇談する、ロシア語訳の『源氏物語』を著されたタチヤーナさんのために、和菓子の洲浜を買いました。

 文化の香りに浸った一日でした。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:11| Comment(0) | 古典文学

2011年02月12日

平山郁夫の「大唐西域壁画」

 薬師寺の玄奘三蔵殿で平山郁夫の「大唐西域壁画」が公開されたのは、2001年だったかと思います。
 長さ50メートルにも及ぶ大壁画を、当時は奈良の生駒山麓に住んでいたこともあり、公開早々に見に行きました。平群の自宅からは、矢田丘陵を越えてすぐのところに薬師寺があったので、この「大唐西域壁画」は地元の壁画という感覚があります。

 また、この壁画とは切っても切れない薬師寺の高田好胤管主は、当時薬師寺で「父母恩重経」の法話をなさっていました。それを聞いたこともあり、なおさらこの絵には親しみが湧いています。

 薬師寺に関する私のブログの記事は、そのほとんどがサーバーのクラッシュにより今では読むことが出来なくなっています。いつか、断片から復元したいと思っています。

 さて、薬師寺で見たあの「大唐西域壁画」が、今、上野の東京国立博物館で『仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護』という特別展(2011年1月18日〜3月6日)で見られるのです。早速行って来ました。
 
 
 

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 平山郁夫は、2009年12月に79歳で亡くなりました。あれから1年が過ぎました。平山郁夫を偲んで、その文化遺産保護活動をテーマにしての展覧会です。創作活動と保護活動という二つの面を、展示では十分に感得しながら見ることができました。

 インドから中国を経由して日本に伝わった仏教が、保護すべき仏像や壁画の資料等と共に、平山の絵画と巧みに融合していました。
 学芸員のレベルの高い企画力と展示力を味わうこともできました。
 図録の出来もすばらしいと思います。
 
 
 

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 今回の列品の中では、やはり最後の部屋にゆったりと繰り広げられる大作「大唐西域壁画」が、迫力のあるものでした。薬師寺ではガラス越しで見たこともあり、今回は何の障壁もなく、絵を直に見られたのが一番の収穫です。

 文化財保護の重要性を前面に押し出しての展示は、主催する側としては難しかったことでしょう。しかし、バーミヤンの石仏が破壊される前と後の絵で、その意義はすーっと入ってきました。

 私にとっては、あと1週間後にインドへと旅立つので、目に飛び込む仏像などが新鮮でした。
 また、今回の題材となった地である敦煌や楼蘭などは、井上靖の小説とダブルところが多いので、二重三重に楽しめました。

 平山郁夫と井上靖に案内されながら、仏教伝来の道の旅を満喫しました。
posted by genjiito at 22:23| Comment(0) | ブラリと

2011年02月11日

拙文の偏見に対する批判に納得

 先月のブログで書いた記事「ワシントンを発つ前に」(1月27日)に関して、読者からの手厳しい批判をいただきました。これは、後半の「郵便局で、ウサギのシールを入手しました。」と始まる箇所についてのものです。
 的確な評言なので、以下に紹介します。
 お説ごもっとも、と反省しつつ、今後の自分の発言の戒めにしたいと思います。

 ストレートな批判をいただき、感謝しています。


**************


裏面の説明に不満があります。それは、「Chinese lunar calender」の説明に終始していることです。


 外来語を、その言葉がもたらされた国の名前で呼ぶことはよくあります。
 たとえば、英語で「陶磁器」を「china」、「漆器」を「japan」と呼んだり(どちらも普通名詞)。
 日本でも「ブルガリア(ヨーグルト」)、「ガーナ(チョコレート)」など、代名詞みたいになっているものがあります。ブルガリアと聞いて、国の名前というよりヨーグルトを思い浮かべる日本人の方が多いのでは?
 干支を「Chinese lunar calendar」と英訳していることに、何も問題はないのです。


しかも、このウサギ年は、中国・韓国・ベトナム・チベット・モンゴルの伝統文化だとしています。日本のことには、まったく触れていません。このようなものを見るにつけ、アメリカでは日本の伝統文化が理解できないのだな、ということを痛感します。


 まずアメリカの人にとって、干支は完全に外国文化です。どの国でどのように使われてるかまで周知されてると考えるのが、そもそもおかしいと思います。
 例えば日本で、イスラムのラマダンがどの国でどのように使われてるかを知ってる人が、いったいどれだけいるでしょうか? ラマダンの簡単な説明を切手の裏に書くとして、どの国のどの民族の伝統文化なのかを、きちんと全てのイスラム国を調査して一つの国も洩れがないようにと、時間をかけたりするでしょうか? ネットでラマダンという言葉を調べたり辞書引いたりするくらいではないでしょうか?
 日本が入っていないのは残念ですが、たまたま文章を書いた人が読んだ記事に、日本が書いてなかっただけかもしれません。読み落としただけかもしれないし、スペースの都合かもしれないし、よく読んだら「中国・韓国……など」っていうニュアンスになってるかもしれないのです。
 学校の教科書ならまだしも、切手の裏面の説明文なのです。これで「我が国の伝統文化が理解できない」と言うのはかなり言いすぎだと思います。国際文化交流で一番いけないのは、無知=無理解と考えることではないでしょうか。


 アメリカ人のお一人お一人の意識は高いと思います。しかし、社会や国のレベルにあがっていくと、私が思う人間としての質の部分で、そぎ落とされるものが多くなる仕組みや論理があるように見受けられます。


 社会や国レベルにあがって考える時点で、人間の質の部分(個人レベルでは?)を考えること自体に、矛盾があるように思います。
 日本文化に興味を持つ人もいれば持たない人もいる。日本にだって、例えば中国に興味を持つ人、メキシコに興味を持つ人、ロシアに興味を持つ人、といろいろいるけれど、もちろん持たない人もいる。逆に、世界中の192カ国(国連加盟国)の一つ一つ全ての国の全ての地域の文化に対して、一点の間違いもなく、一人一人の意識も高く、社会や国レベルでも質の高い知識と興味を持つ国がどこにあるでしょうか?
 国際文化理解には、無知や誤解はつきものではないでしょうか。


もちろん、多分に私の偏見からの物言いであることは承知しています。


 国際文化理解に「偏見」は絶対にあってはいけないものです。日本人は残酷だ、という偏見で今までどれだけ嫌な思いしてきたか。それは個人レベルの話であって、嫌な思いしたからと言って、その国を攻撃するのは間違っているし、国際的な話(特にアイデンティティに基づく文化や言語など)を言う時に、良い悪いの評価は極力避けるにしても、偏見に基づかない完全に中立な評価であるかどうかを確認しないといけないと思います。


国際的な文化理解の難しさなのでしょう。そのためにも、細々とでも交流は続けたいものです。いつかは理解し、理解されることを期待しながら。


 まず、無知を攻撃する態度で国際的な文化理解を何千回言っても不可能でしょう。悪化させるだけです。国際文化交流で大事なのは、相手は自分と違うということを受け入れて、自分の常識や尺度で相手を見ないことだと思います。
 電車が遅れて駅員に逆切れされても、銀行で長蛇の列に並んだ挙句に目の前でカウンターを閉じられても、「日本ではありえない、こいつらバカか」ではなくて、「あぁ、ここはこういう国なんだ。日本と違うな」くらいに割り切って考えられるようになって初めて文化理解ではないでしょうか?
 かなり精神的に難しいことではあるけど、「こいつらバカか?」の考え方は思い切って捨てないと、交流し続けることが逆に関係悪化を招くことになりかねません。
 まず、文化なんて多様なものを100%理解するのは自国民でも無理なので、相手にそれを押し付けないことだと思います。相手にとったら(相手が日本文化の達人だったら別として)日本は1/192カ国(国連加盟国)なのですから。
 国際文化理解に関しては、視点を変えると、全ての国にいい点や悪い点があって、短期間のアメリカの滞在でたまたま見つけた日本文化への誤解(書き忘れ?)で、アメリカという国を「文化の理解できないやつ!」と攻撃するのはおかしいと思います!

PS。アメリカに文化や歴史がないと、よく日本人は言います。しかし、これこそ正しくないのでは?
 今のポップカルチャーの土台を作ったのはアメリカだし、それに乗って日本のポップカルチャーが世界に広まって相当数の人が日本に興味を持ってくれています。その流れで日本料理屋ができ、日本に旅行する人が増え……。ありがたい話ではないでしょうか。
 歴史は長くなくても、100年後200年後の世界から振り返った時に、国際文化史に重要なものをアメリカは作ってきたのでは?
 歴史の長さで文化の質を絶対的に評価するのも、あまり正しいことではないと思います。歴史の長さで文化に優劣をつけるなら、人類誕生から? アフリカが1位? 中国やエジプトやイラクあたりが最上位? それに南米が続くと……。 日本は結構順位が下がるかもしれません。そもそも文化に優劣をつける考え方ではいけないと思います。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月10日

ポーランドの源氏物語研究

 ポーランド国立ヤギェウォ大学の園山千里さんが、ポーランドにおける『源氏物語』の研究状況などがわかる本を送ってくださいました。

 ポーランド語は、私には手も足も出ないことばです。それでも、こうして一カ所に本が集まっていたら、何か調べたい方には便利だろうとの思いで、可能な限り世界中の『源氏物語』に関する本を集めているところです。

 ポーランドには、今から8年前の2003年に、EAJS(ヨーロッパ日本研究協会)の国際会議に参加したときに行きました。アウシュビッツなどへも足を運びました。
 ワルシャワ大学のメラノピッチ先生に、日本文学に関するお話をうかがいました。先生ご自身は、あのころは日本の上代文学の翻訳をなさっていたので、平安時代の『源氏物語』については、あまり情報は得られませんでした。その後、教え子の方々がたくさん育っておられるようで、『源氏物語』の周辺の文学研究も盛んになってきつつあるようです。

 さて、今回送られた来た3冊の本は、以下のものです。
 私にはその内容が紹介できないので、園山さんが付けてくださった簡単なメモを、了解を得たので引用します。
 
 
 

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■Dziesięć wieków Genji Monogatari w kulturze Japonii (ワルシャワ大学出版、2009年・ワルシャワ)
 『源氏物語』千年紀として2008年にワルシャワ大学で国際会議が開催されました。具体的内容は、409〜411ページに英語の説明があります。3日間にわたる学会発表を論文化した本です。個々の『源氏物語』に関する論文の前に、編者ナブロツカ氏とヴィエスワフ コタンスキ氏によって、『源氏物語』の部分的な翻訳がおこなわれています。巻名は、帚木・夕顔・若紫・紅葉賀・賢木・須磨・絵合・乙女・蛍・篝火。
 
 
 

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■W kręgu tradycji dworu Heian (TRIO出版社、2008年・ワルシャワ)
 2006年〜2007年にワルシャワ大学日本学科の古典文学のゼミ(担当教授・Iwona Kordzińska Nawrocka)に参加していたゼミ生の論文集です。平安時代の文学をテーマにした論文で、『源氏物語』の女性像や物怪、当時の美学(十二単や化粧)、『枕草子』の文についてなど、テーマは多岐にわたっています。私もちょうどワルシャワ大学に留学していたときでしたので、「Peregrynacje w tradycji dworskiej」(平安時代の参詣・参籠)という題目で執筆する機会に恵まれました。
 
 
 

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■Estetyka japońska słowa i obrazy antologia
 Redakcja Krystyna Wilkoszewska
『日本の美学 言葉と絵画 名詩文集』
クリスティナ ヴィルコシェフスカ(編者)
(Universitas出版、2005年・クラクフ)
『古今和歌集』や『平家物語』などの断片の翻訳と解説文。『源氏物語』はイボォナ コルヂィンスカ・ナブロツカ氏によって、帚木・紅葉賀・絵合・乙女・篝火が部分的に翻訳されています。
 
 
 
 まだ、ポーランドでは、『源氏物語』は抄訳に留まっています。
 日本語からの全訳に挑戦される方の登場が待たれます。
posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月09日

与謝野晶子デジタル化の報道資料提供

 2008年の源氏千年紀を契機に、与謝野晶子の自筆原稿の画像データベース化を推進してきました。

 まずは鞍馬寺のご理解のもとに、2008年秋に鞍馬寺ご所蔵の晶子自筆原稿の画像データベース化を果たしました。神野藤昭夫先生との連携とご協力が得られて実現したものです。
 それを受けて、堺市が所蔵なさっている晶子自筆原稿も、無事に公開できました。これは、足立匡敏さんの熱意の成果でもあります。その公開にあたっては、ちょうど昨年の今頃、神野藤先生に堺市でご講演をしていただきました。

 さらに、それに追加する形で貴重な堺市所蔵の資料を公開する準備が整い、昨日8日の午後、堺市から公開に関する報道資料の提供がマスコミを通してなされました。
 次のリンクをクリックすると、報道資料をダウンロードできます。ご自由にご覧ください。


PDF:「堺市報道提供資料」をダウンロード

 画像データベース公開に関するこの間の経緯については、「鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿」「与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影」など、折をみては本ブログで何度も報告したところです。

 堺市の自筆原稿の公開については、堺市文化部文化課の足立匡敏さんの尽力に負うところが大きいものであることを、一緒に仕事を進めてきた者として、ここに記しておきます。非常に地味な仕事なので、表立って評価されることのないことです。それだけに、こうした私的なブログという媒体でその舞台裏を紹介し、内輪からではありますが、その見えざる努力を労ってあげたいと思います。

 今回の報道資料は、「堺市蔵 与謝野晶子 未発表原稿が インターネットで初公開されます」というものです。公開される内容が詳細に記されています。PDFをダウンロードし、手元に置いておかれたらいい、ひじょうにコンパクトな資料となっています。

 そして、関連イベントとして、今週の2月11日に、国文学研究資料館の今西祐一郎館長が記念講演をなさることも報知されています。

 この一連の与謝野晶子自筆原稿の画像データベース化については、鞍馬寺と堺市のご理解とご協力が得られたおかげで、すべてが順調に進みました。また、国文学研究資料館の内部でも、関係者の理解がいただけたおかげで、こうして無事にデータベース化と公開が実現しました。
 正式に書く場所がないので、この場をお借りして関係者のみなさまに、あらためてお礼申し上げます。
 2008年以来、当初から計画的に立案して提起したものではなかっただけに、何かと無理を聞いていただきました。状況を判断しながら推進してきた画像データベース化だったために、柔軟な判断をしてくださった多くの方々に、感謝しています。
 ありがとうございました。そして、ごくろうさまでした。

 この画像データベースがたくさんの方々に利用されることを願っています。
posted by genjiito at 01:32| Comment(0) | ◆情報化社会

2011年02月08日

展覧会「水の記憶」を見て

 越智波留香さんが銀座にほど近い京橋で個展を開いておられます。
 何かと忙しかったのですが、ようやく時間がとれたので行ってきました。
 
 
 

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 ビルの地下にある、こぢんまりとした一室でした。作品は15点。
 上記の案内状にある雰囲気の絵で統一されていました。

 越智さんには、国文学研究資料館でいろいろとお世話になりました。2年前に職場を離れられたのですが、本当によく気の付く方でした。たくさん助けられました。
 ソフトな感じで、それでいてしっかりとした仕事ぶりでした。その印象そのままに、絵にも温かさが滲んでいました。非常に静かな世界に、雨が印象的に描かれています。水の清らかさと激しさが、落ちついた絵の中で活き活きとしています。
 いい絵をみせてもらいました。

 帰りに銀座のスポーツクラブに立ち寄り、一汗かきました。
 今日は、水中エアロをしました。水の中で、太極拳やヨガのポーズを取りながら、音楽に合わせておこなうエクササイズです。
 越智さんが描く水の世界とはまったく異なる状況で、水の抵抗を受けながら身体を動かして来ました。

 そして、帰り道で築地にも立ち寄り、回転寿司を食べました。
 夜の築地ははじめてです。何軒か、お店はやっていました。しかし、活気はありません。
 これまで、あまり築地に行くことはありませんでした。
 この築地は、移転問題を抱えています。移転後は、私がいる宿舎の近くに来ます。
 今のうちに、この銀座の近くの築地に足を運ぼうと思っています。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 健康雑記

2011年02月07日

国文研の展覧会「物語そして歴史」

 国文学研究資料館では、「新収資料展」として、次の展覧会を開催しています。
 
 
 
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「物語そして歴史−平安から中世へ−」
平成23年1月24日(月)〜3月18日(金)
開館時間:午前10時〜午後4時30分
※会期中 日曜日、祝日は休室。
入場無料
展示替え︰2月7日、2月21日、3月7日

 
 
 
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 今回の展示では、何と言っても奈良絵本『うつほ物語』が必見です。

 展示室には、国文研本『うつほ物語絵巻』(巻子5軸、28図)だけではなくて、九州大学附属図書館本(巻子5軸、18図)も一緒に並べてあります。
 共に縦30センチ強で10メートル以上の長さの巻物です。それを、惜しげもなく拡げています。

 内容は、俊蔭巻の本文と絵で構成されています。江戸時代前期の製作だと思われます。
 『うつほ物語』の絵巻は、この2つ以外には、天理図書館と九曜文庫にあるだけです。伝存するものが少ないので、今回その内の2種類の原本が見比べられるのは貴重なことです。

 なお、九州大学附属図書館本は、「日本古典籍画像データベース」として同図書館からインターネットを通して公開されています。
http://mars.lib.kyushu-u.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi

 今回の国文研での展示では、展示室の入口のカウンター上に「書目解題」と共に、『うつほ物語絵巻』の補足資料があります。これを忘れずにお持ち帰りください。
 この補足資料は、カラー写真を用いて、国文研本と九大本の絵を比べています。簡単なものですが、展示を見終わってからご自宅でこの資料をご覧になれば、もう一度原本を見たくなること必定です。
 何度でもお越しいただければ、と思っています。

 『うつほ物語』以外には、『竹取物語』『落窪物語』『伊勢物語』『大和物語』『栄花物語』『大鏡』『とりかへばや物語』『松陰中納言物語』『忍音物語』『枕草子』、そして中世では『平治物語絵巻』などなど、多彩な新収資料も展示しています。

 立川へ、ぜひ足をお運びください。
 立川駅北口から2番のりばのバスに乗り、5分ほどで「立川学術プラザ」に着きます。降りてすぐ目の前が国文学研究資料館です。
posted by genjiito at 22:19| Comment(0) | 古典文学

2011年02月06日

谷崎全集読過(10)「法成寺物語」「恐怖時代」

 谷崎潤一郎の初期戯曲作品の続きです。

■「法成寺物語」(四幕)
 芸術家としての仏師定朝の、苦悩する心中を語ります。
 舞台設定の指示に留まらず、脇役もしっかりと描かれています。これまでに、相当の舞台を見てきたであろうことが、随所に窺えます。
 道長の愛人である四の御方(為光の娘)に恋をした、定朝の高弟である定雲の心の中を通して、人間がそのまま描かれています。四の御方も、人間味溢れる会話を、定雲と交わします。絶世の美女と、卑しくてみすぼらしい男の気持ちが通じる展開がうまい、と思いました。
 その定雲゛か彫った観音勢至菩薩が、夜な夜な南殿を徘徊すると言います。それが、聞く者を惹き付ける展開となります。
 「あの法師こそ光源氏の再来ではおはさぬか」と言われる老法師良円が登場します。定朝が彫る如来のモデルとなります。定雲の菩薩に勝てるか、ということに注意が向きます。
 最後に、皎々と照らす月光が場面の演出をします。急転回で意外な結末は、月の光で浄められています。【5】
 
初出誌︰『中央公論』(大正4年6月号)
 
 
 
■「恐怖時代」(二幕)
 舞台は、江戸深川の下屋敷です。
 ずる賢い人間の、腹の探り合いで展開していきます。一人目の殺人は毒殺です。
 そして第二場へ。ここが出色の出来です。舞台をよく心得た演出となっています。
 ことの心の裏の裏が、どれが本当かわからないほどに、おもしろく語られています。
 脅されて命が危なくなった珍斎が、人間味を丸出しにして媚びたり命乞いをしたりするところが、生々しく語られます。よく人の心を見抜いた筆遣いとなっています。
 第二幕に入ると、『偽紫田舎源氏』の錦絵風の設定で始まります。
 その第二場の最後は、もう見ていられないほどの人殺しの場面の連続です。
 血迷ったような展開です。これは、ひどい筋立てです。谷崎潤一郎らしいとの評価もあることでしょう。しかし、物語をすべて投げ捨てたかのようです。この、突然の捨て鉢としか思えない書きざまに、私はついていけません。
 おそらく、これが谷崎潤一郎という作家を知る、一番の近道なのでしょう。
 それだけに、今後とも読み進む中で、この乱雑さのありようを再考することになりそうです。また、この作品が読者にどのように読まれたのかも、興味深いところです。【2】
 
初出誌︰『中央公論』(大正5年3月号)
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 谷崎全集読過

2011年02月05日

井上靖卒読・再述(5)『その人の名は言えない』

 
 井上靖の長編小説『その人の名は言えない』は、2006年12月に「井上靖卒読(5)」として、旧ブログである「たたみこも平群の里から」に掲載しました。
 しかし、2007年3月にレンタルサーバーがクラッシュしたことにより、すべてのデータが消失し、ブログの復元が不可能になりました。そこで、今回再度読み直すことにより、再述するものです。
 前回書いたことをまったく思い出せませんし、メモも見つかりませんので、新たに書き直すことにしました。
 
 
 井上靖は新聞小説をたくさん書きました。その中でも、これは第一作となるものです。

 冒頭、パーティーの夜、酔った夏子に突然口づけをして去った男は誰なのか?
 おもしろく、軽妙なタッチで始まります。

 舞台は、大阪を中心として、神戸、京都も出てきます。
 そして、南紀への旅は、井上靖の小説によく出てくるパターンです。それは、必ず問題を引き起こす旅となるものでもあります。

 土門と佐伯との間をたゆたう夏子の心情が、南紀の海の黒い潮を見つめる中で語られます。井上は、波打ち際や岩場などの水辺が好きです。心の揺れ動きをそこに表現させたいからでしょう。

 夏子は南紀で佐伯に、「その人の名は言えない」と言います。それでいて、それが誰なのかは、最後まで読者には明かされません。残る、的場なのか、瀬見なのか。あるいは、沢木か。
 この小説の最後でも、夏子は笑いながら沢木に「その人の名は言えませんわ」と言います。それでいて、夏子には幻影としての一人の男の存在が、何となく感じられるのでした。

 井上靖の小説を読むと、私はいつも、唸る男を捜してしまいます。
 まず、新聞記者の瀬見が唸ります。一番若い男として出てくるので、これは意外でした。佐伯が唸る男となるだろう、と思っていたからです。

 瀬見は、修善寺温泉にまで追いかけていき、夏子に求婚します。夏子の周りの男たちは、みんなこの夏子に振り回されています。瀬見が的場と決闘をするのも、夏子の取り合いからです。二人の男の間にいる夏子の心の揺らぎが、興味深く語られます。

 瀬見に私を攫ってくれとか、結婚したいと言う夏子は、どうもいただけません。軽薄な女という印象を読者に与えるからです。あくまでも、わがままと高貴さを貫いてほしいと思いました。

 「着物を解いて、らくになさい」と、的場が夏子の姉である秋子に言う場面があります。そうか、今ここでは着物を着ていたのだ、と思い至ります。
 井上はあまり服装の描写をこまめにしません。ときどき、着物姿だったのだ、ということに気づかされ、物語の背景や人物のイメージの修正を迫られることがあります。

 終盤になって、ようやく佐伯が瀬見の顔を思い出して唸ります。前の瀬見に続いて、これで2カ所目です。唸る男の役割が、まだこの作品では確定していません。

 井上の小説には、時代背景が色濃く反映しています。私は、コミュニケーションの手段としての電話や電報などに注目しています。今の時代との落差に、興味を持つからです。
 とくに男と女の連絡において、電話はおもしろい存在です。


 電報を打っても、果たして七時に、夏子が出てこられるかどうか不明だった。そう思うと、電報を打ったと言うことで、何か安心していられない気持ちになった。
 瀬見は、さらに高槻のアパートに電話を申し込んだ。
 しかし、電話は相当混んでいるので、一時間ぐらいかかるだろう、という交換手からの返事に接すると、瀬見は電話の申し込みを取り消して、そこらをぶらぶらと歩き廻った。そしてやたらに歩き廻った挙げ句の果てに、
「よし、アパートに夏子を訪ねてやろう」と決心した。(文春文庫、242頁)


 私は、大阪での高校時代までは、電報で友達との連絡をとっていました。昭和40年代のことです。
 大学時代も、地方への電話は交換手を通しての呼び出し電話でした。コミュニケーションツールが、非常に限られていました。それだけ、相手と連絡をとることが、今から見るととても不便だった、ということです。
 昭和20〜40年代の小説を読むとき、こうした点を楽しんでいます。

 結婚を決意した夏子は、瀬見の実家へ一緒に行くことになります。
 瀬見の郷里は、岡山県の北西部の山の中となっています。私は、『通夜の客』の舞台ともなった鳥取県の日南町を思い出しました。中国山脈の尾根にある駅に降り立とうとするのです。
 しかし、瀬見は夏子に不安を覚え、目的の駅に着く前に、「伯備線の駅の中で、一番高所にあるという小さい高原の駅」で降りるのです。まさに、日南町の上石見駅のイメージです。駅前から旅館への描写や高原の風景など、『通夜の客』を思い出させます。そして、今の日南町を。
 ただし、星の植民地と言われるような、きれいな星や月が出る夜空は出てきません。

 そして、この作品でも、この高原の駅は主人公たちを暖かく迎えてはいません。井上靖の中にある中国山地の山巓の地は、明るいイメージとは結びつかないのです。

 5ヶ月間にわたる、夏子をめぐる男たちの物語が展開します。
 女主人公の夏子は、結局は男を愛せないままに、形の定まらない男を求めて彷徨っていくのでした。【2】
 
 
 
初出紙︰夕刊新大阪新聞
連載期間︰1950年5月10日〜9月30日
連載回数︰143回
 
文春文庫︰その人の名は言えない
井上靖小説全集1︰猟銃・闘牛
井上靖全集8︰長篇1
 
 
映画の題名︰その人の名は言えない
制作︰東宝
監督︰藤本真澄
封切年月︰1951年1月
主演俳優︰角梨枝子、山村聡
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 井上靖卒読

2011年02月04日

読書雑記(31)【復元】曾野綾子著『アレキサンドリア』雑感

 
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年11月9日公開分
 
副題「翻訳と異本の問題に関連して」
 
 
 曾野綾子の『アレキサンドリア』(文春文庫)を読みました。偶然、カイロから帰国した日に、書店で見かけたので読んだだけですが……

 ヘレニズム時代のアレキサンドリアの話と、現代日本の人間のものの見方や考え方が、非常に分かりやすく、面白く語られています。もっとも、私としては、紀元前2世紀に一人のユダヤ人の青年が、祖父が著した『ベン・シラの知恵』という聖典を、ヘブライ語からギリシャ語に翻訳する上での、さまざまな問題に興味を持ったのです。いわば、聖典の翻訳の問題です。こんなことが語られています。


祖父が「慈しみ」と言ったものも、私は何と訳すべきなのだろうか。(中略)私はそれを「エレオス」という言葉に置き換えたのだ。(中略)これは逸脱なのだろうか。それとも、部分訳でしかないのではないか、と非難されることなのだろうか。こういう場合私は、時々、翻訳の仕事をやめたくなる。(108頁)
 
もし私の生涯が、生きていてよかったというならば、それは祖父の著書を多くの人が読めるようにギリシャ語に訳したということだ。(175頁)

 
 なお、本書の文庫本解説は、石田友雄氏の次の言葉で締め括られています。


異文化を正しく伝える翻訳をするためには、常に二つの言語が持つ文化的、歴史的背景に十分配慮して言葉を選び、ときには説明を付け加えなければならないのである。
 小説『アレキサンドリア』で、曾野綾子さんは、歴史小説の各場面に現代の日本人の様々な生き方を当てはめるという方法で、ベン・シラが語る普遍的な知恵を「翻訳」したのである。現代の日本人とヘレニズム時代のアレキサンドリアのユダヤ人を結ぶ離れ業を、私は「究極の翻訳」と呼びたい。(307頁)


 本書は、24話で構成されています。そして、それぞれが、アレキサンドリアと日本の二話をセットにしたパターンで語られているので、一冊で48の話が楽しめます。曾野氏の語り口は非常に巧みで、上質の物語を堪能しました。
 しかし私には、アレキサンドリアと日本の話の二話の関連性が、今一つわかりませんでした。アレキサンドリアの話を受けて語られる現代日本の短編物語が、どうアレキサンドリアの話とつながるのか、1話もわからないままにページを閉じることとなりました。またの機会に、この関連に意を払って読みたいと思います。

 翻訳は言葉の移し替えだけの問題ではなく、文化の違いを言葉でどう表現するか、というものだと思います。その時代時代にふさわしい翻訳があるはずです。例えば、『冬のソナタ』がそのいい例です。

 昨日まで私がいた韓国の学会で、韓国の方の発言にオヤっと思いました。
 その方は、『冬のソナタ』の韓国語の素晴らしさが、日本人に理解されたことを誇りに思う、という趣旨の発言をされたからです。

 私も『冬のソナタ』に興味があり、日本での簡略版と完全版のビデオ以外に、韓国語版も新宿のコリアタウンで入手しました。そして、オリジナルの韓国語による会話と、日本での翻訳(吹き替えと字幕)との違いに興味を持っているのです。

 韓国語とそれを翻訳した日本語は、相当違うようです。美しい日本語に訳されたからこそ、日本で受け入れられたと考えた方がいいと思っています。韓国語の表現が良かったから受け入れられた、というのとは違うのです。翻訳の質の問題です。

 この点で、韓国語や韓国の素晴らしさを日本人が理解した、と見るのは早計です。韓国のことばを日本のことばに移し替えるという行為が、ここには介在しています。ことばがストレートに伝わっているのではないのです。
 言葉を翻訳する、というプロセスを通したいくつかの段階を経ていることを、ここでは理解しないといけないと思います。
 韓国の方々がよくおっしゃる、日本文化は韓国が教えたものである、という思考法は、もっと慎重であるべきではないでしょうか。

 論点がズレるので、この問題は機会を改めることにしましょう。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | 読書雑記

2011年02月03日

【復元】人との出会いの背景にあるもの

  
 いろいろな所へ行き、いろいろな人に会います。
 そして、その背景にある縁というものに、いつも感心します。
 これまでの道があって今の出会いがあり、これからのお付き合いが続いていくのです。
 日々生きることの不思議さを、日本の外に出たときに強く感じます。
 これは、個と個が接する密度の濃さに関係しているように思われます。
 
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年10月25日公開分
 
副題「初対面のはずなのに縁がある」

 さまざまな人に出会う。たくさんの方々から日本文学に関する情報をもらう。そして、多くの日本文学関係者を紹介してもらう。これまでに何の接点もなかった方々と、日本文学という言葉をキーワードにして、新たな出会いが生まれ、話題を共有するようになる。
 
 
 

110201_caironuiv2カイロ大学で。古典と『井上靖全集』
 
 
 

 今回のカイロ調査でも、たくさんの出会いがありました。それにしても、思います。人とのつながりは縁で結ばれている、ということの不思議さを。思いつくままに、この一週間のことを振り返ります。
 
 
 

110201_cairogizaカイロ市街からピラミッドを望む
 
 
 

・最初にお目にかかった国際交流基金カイロ事務所のS所長は、私の恩師がかつて中国へ派遣された折に、送り出し側におられた方でした。天安門事件のあった時です。
 カイロをはじめとするアラブ社会について詳細なお話を伺いました。今回、たくさんの方々にお会いする上で、この基礎知識は大変役立ちました。そして、Sさんを取り巻くスタッフのみなさんの思いやりに、ただただ敬服します。海外で仕事をする日本人の心優しさは、何ものにも代え難い安心感を与えてくれます。

・アインシャムス大学のY先生は、以前にトルコにいらっしゃった方でした。カイセリ大学のO先生をご存じでした。
 O先生とは、昨冬のトルコ行きの折に、イスタンブールからの飛行機が雪のために2日も飛ばなかったために、結局お目にかかれなかった方です。メールと電話でしか連絡を取れなかったO先生のことなど、エジプトでトルコの話ができました。
 
 
 

110201_ainsyamus1アインシャムス大学
 
 
 

・同じくN先生は、ご出身が私の姉が住んでいる町だったために、コープのお店のことやケーキ屋さんなど、ローカルネタで楽しく盛り上がりました。
 
 
 

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・在カイロの若手考古学者のYさんは、カイロ大学の先にあるギザのピラミッドへ1日を潰して連れて行ってくださいました。さすがに、現在現地を掘っている方だけあって、説明が生き生きしていました。どんな質問にも答えていただけます。
 ピラミッドの前で王が走る図の話の時に、かつて日本人が歩くときは左右の手を足と同時に出していたことや、両手をあげて走っていたことで盛り上がりました。エジプト人は、かつてはどのようにして歩き、走っていたのでしょうか。刻まれ描かれた絵が多いので、すぐにわかるのでしょうが。
 このYさんが、何と私と同じ大学の出身で後輩だったのです。私も学芸員の資格をとるための実習では、登呂の遺跡へ行きました。地元の奈良で貴重な発掘があると、土日の現地説明会に子供を連れて行ったものです。そのせいか、娘は遺跡の瓦の勉強をするようになりました。
 発掘の裏話を、非常に楽しく聞くことができました。ヒエログリフという絵文字や文学の話も、4000年の昔のことながら、いい勉強になりました。
 
 
 

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・インドに十年以上も住んでおられたというOさんにもお目にかかりました。しかし、あわただしい時だったこともあり、あまり長時間お話しできませんでした。次の機会が楽しみです。

・カイロ大学のアハマド先生は、数年前に日本にいらっしゃっていた時に、先生の教え子の留学生の橋渡しもあって、お電話で話をしたことがあった方でした。その時には時間の都合でお目にかかれなかったのですが、今回、長時間にわたり親しくお話を伺うことができました。
 ご一緒に公開の対談(何と百人以上もの聴衆が会場に集まりました)も実現しました。また、教え子のみなさんとの懇談にも同席していただき、学生のみなさんと「イムルウル・カイスの長詩」という、神殿に張り出された歌の一節を、みんなで朗唱してくださいました。荘重な雰囲気で感激しました。
 
 
 

110201_caironuiv1カイロ大学
 
 
 

・アハマド先生との〈文学サロン〉という対談の折に、アラビア語と日本語の同時通訳をしてくださったイハーブ先生も、私の関係者との縁者でした。
 
 
 

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私の古くからの研究仲間である大阪大学の俊英言語学者であるO君が、イハーブ先生の日本留学中の日本語チューターだったとのこと。イハーブ先生は、O君から日本語の手ほどきを受けて、そして今があるのです。
 20年も前に、私のことが新聞に掲載されたことがきっかけで一緒に仕事をすることになったO君が、何とカイロの若手先生の恩師なのです。その先生が、私の下手な日本語をアラビア語に同時通訳してくださったのです。
 何か、不思議な気持ちです。
 
 
 
  
********************** 以上、復元掲載 **********************
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2011年02月02日

【復元】カイロの握り寿司

 
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年10月23日公開分
 
副題「ジャポニカ米がおいしい」
 
 
 ラマダン月の今夜も、戸外は連日の河内音頭でにぎやかです。楽しそうでいいのですが、宗教にこだわらないものにとっては、うるさい、静かな夜がほしい、と思うのが実感です。
 さすがに、深夜の2時ともなると少し静かになりますが、車の騒音は相変わらずです。街の中心地にいるせいもありますが。

 この3日間は、カイロでお持ち帰りの寿司を食しました。
 忙しく時間に追われるスケジュールをこなす中での食事は、何かと難しいものがあります。特に海外では、時間をかけての昼食が多いので、それに取られる時間もそれなりに長くなります。

 第一、レストランに入ると、なかなか食事を持ってきてくれません。その点、回転寿司とテイクアウトのお寿司は、仕事や考え事を、手づかみや頬張りながらできるので、非常に重宝します。

 カイロでも多忙な中を、お寿司が手軽に手に入ったので助かりました。血糖値を気にする生活の私には、安心して食べられます。
 太巻き、サーモン巻き、カッパ巻き、握り寿司を食べました。
 カイロ市内の中心部にある「かに沢」の、本日の一品を紹介しましょう。
 
 
 

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 これは、握り寿司です。これで800円しないので、日本並みの値段です。回転寿司で言えば、6皿分に相当します。もっとも、ご覧の通り、寿司ネタは単調ですが……。

 お米がジャポニカ米で、かつ日本人が作っているそうなので、違和感はありません。気になると言えば、わさびの色がどぎついことでしょうか。味は、日本で食べるものと、そんなに変わりません。
 
 
 

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 私は、ありがたがらせて食べさせる気取った寿司屋が嫌いです。寿司職人からのお仕着せのありがたさも、寿司の値段と美味しさの内だと思う方々には、異論があるでしょうが。
 特に東京では、どうして客が寿司職人にペコペコして卑屈な思いで食べるのでしょう?
 寿司の文化は、今は回転寿司とお持ち帰り寿司に継承されています。お手軽さと気楽さが一番です。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆国際交流

2011年02月01日

【復元】エジプト・カイロと日本文学との接点を求めて

 
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2005年10月19日公開分
 
 
 カイロから日本語でインターネットに接続できました。
 気温は22度から30度の間です。少し涼しい位です。

 国際交流基金カイロ事務所長のSさんは、私の恩師が中国北京の日本学研究センターへ専門家教授として派遣された、あの天安門事件のときに、東京事務所で送り出しの任に当たっておられた方でした。天安門事件のときは、東京で心配していたとのことでした。先生の写真が掲載された職場のパンフレットを手渡したところ、それを見て懐かしがっておられました。

 人のつながりの面白さを、今回も痛感しています。人と人は、つながって支え合ったいるのですね。縁のある人とは、どこかでつながっていて、どこかで出会うのですね。

 今日は早速、カイロ大学のアハマド先生のアラビア語訳本を七冊も入手できました。

『源氏物語』(瀬戸内寂聴抄訳、662頁)・『弁慶物語 日本の中世物語』(111頁)・『つぐみ』(吉本ばなな、218頁)・『光の領分』(津島祐子、103頁)・『蛾』(安岡章太郎、222頁)・『海辺の風景』(安岡章太郎、220頁)・『宿題』(安岡章太郎、101頁)

 
 
 

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 まだ他にもあるようです。

 先生とは、数年前に一度、日本にお越しになっていたときに電話でお話をしたことがあります。非常にきれいな日本語を話される方でした。

 明日は、アインシャムス大学の学生さんたちと日本文学について懇談をした後、アハマド先生とは午後に国際交流基金のカイロ事務所で、日曜日に開催される〈文学サロン〉のための打ち合わせです。
 カイロ大学とアインシャムス大学では、優秀な学生たちを抱えるだけに、確実に、日本語から日本文学へ志向しようとする雰囲気を感じます。

 今、カイロはラマダン月の断食のために、夜になると街はお祭り騒ぎです。今も、ホテルの外の中庭は、深夜にもかかわらず、音楽や歌や太鼓の音で盛り上がっています。
 真夜中に河内音頭か、と勘違いするほどです。

 ラマダン月の1日は、断食の終わる夕方5時過ぎからはじまり、夜明け方まで飲み食いして親戚知人で大騒ぎです。そして、夜明けとともにまた断食が始まります。
 しかし、明日お目にかかる断食中のアハマド先生は、2時過ぎにはヘトヘトになられるそうで、1時から2時までが話のできる限界だろう、ということです。
 なかなか大変な習慣が続いているようです。
 

 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | ◆国際交流