2010年12月31日

京洛逍遥(176)大晦日に初雪の賀茂街道

 目覚めると、中庭がうっすらと雪に覆われて、白くなっていました。
 
 
 

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 全国的に雪のようです。それも、大雪だとか。
 京都に移り住んで4年目を迎えようとする大晦日に、なんと初雪なのです。
 
 降り止む気配がないので、賀茂街道の様子を見に行きました。
 
 
 

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 前が見えないほどに、こんなにたくさんの雪が……
 初夏の葵祭りには、この道をきらびやかな行列が連なります。
 その賑わいが信じられないくらいに、モノトーンの中をシンシンと雪が降っています。
 
 いつも渡る賀茂川の飛び石も雪化粧です。
 
 
 

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 渡る人はもちろんのこと、鴨や鷺たちも見あたりません。
 
 上賀茂神社も北山も、降りしきる雪で霞んでいます。
 
 
 

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 ボタン雪が音もなく降り積もっていきます。
 家に帰ると、中庭の木々に重たそうな雪が覆い被さっていました。
 
 
 

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 今日は夜中まで、ずっと降っています。最高で、20センチは積もったでしょうか。
 雪にスッポリと包まれた家の中で、平成23年という新しい年を迎えることになりました。
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年12月30日

京洛逍遥(175)歳末の錦天満宮と錦市場

 今年もあと1日を残すのみとなりました。
 我が家では恒例の、歳末の錦市場での買い出しです。
 ここに来ると、お節料理のいい食材が何でも揃います。
 奈良にいる時から、大晦日の買い物には、この錦市場によく来ていました。
 ここと、大阪千日前の黒門市場へ行っていました。

 今日は、お昼から少し小雨です。しかし、すぐに上がりました。

 四条河原町から寺町通りに入り、まずは錦天満宮へお詣りです。今年の感謝と新年の無事を祈りました。
 
 
 

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 錦天満宮から寺町通りを望むと、錦市場の狭い通りは買い物客でごった返していました。というよりも、ほとんどが何かあればという、観光半分の人たちのようですが。
 
 
 

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 烏丸通りを目ざして、西向きに歩き出しました。しかし、西から河原町通に向かって来る人の方が多いのです。
 狭い通りなので、押し合いへし合いで、悲鳴が上がっていました。しばらくすると、パッタリと止まります。一歩も進めないままに、後ろから押されて大変です。
 もっとも、この賑わいと活気を身体で感じるのが楽しい、ということもあります。
 
 
 
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 今年も、赤カブを探すのに苦労しました。
 とにかく、錦は食材の宝庫です。明日は、この通りがさらに人で埋まることでしょう。
 いつもと同じ歳末を迎えることができた幸運に、今は感謝しています。
posted by genjiito at 21:23| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年12月29日

【復元】2004年と05年の10大出来事

 昨夜、「2010年の10大出来事」を掲載した後、パソコンのデータを整理していると、かつてプロバイダーのサーバーがクラッシュして無残にも消えてしまったブログの文章が見つかりました。
 5、6年前の自分の足跡を思い浮かべては、一人で懐かしんでいます。そして、何とよく似たことが生起していることか、と感心しています。

 2004年は、父母のために西国三十三所札所巡礼の4周目を始めた時です。今年は、5周目の満願成就を果たしました。この年に上京された伊井春樹先生は、昨年、国文学研究資料館から逸翁美術館に移られました。この年にスタートさせた〈インド日本文学会〉は、第6回の準備を今しています。相変わらず海外の文学情報を収集し、『源氏物語』の古写本の調査をしています。

 2005年は、『源氏物語別本集成 続』の刊行を開始した年です。これについては、今年、中断という苦渋の決断をしました。伊井春樹先生が国文学研究資料館の館長として着任されました。その伊井先生は、今年から逸翁美術館の館長です。中島岳志さんが大佛次郎論壇賞を受賞されました。今年は、小川陽子さんが紫式部学術賞を受賞されました。

 相変わらず、いろんなことにチャレンジしていることに、改めて驚いています。そして、オーバーペースだったことを少し反省する余裕ができました。今夏の病気は、自分を見つめる意味からも、感謝すべきだと思うようになりました。

(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
「私の2004年の10大出来事」(2004年12月31日)


(1)〈特定非営利活動法人 源氏物語の会〉発足
  (大学院生主体のボランティア活動の母体としてNPO組織を結成した)
(2)恩師伊井春樹先生が大阪大学を定年退官後の再就職は東京となる
  (30年前に東京で出会い大阪で教えを受け再度東京で仕事を共にする)
(3)娘の留学保険の個人裁判で東京地裁で敗訴そして東京高裁で和解成立
  (いいかげんな地裁判事とでたらめなM火災保険の弁護士を知り愕然)
(4)突然意識を失った母が84歳で死去
  (母が旧満州引き揚げ時にいた長春を私が訪問したその日に意識不明に)
(5)西国三十三所札所巡礼の4周目を開始する
  (父のため義母のため娘のため、そして母のために観音霊場巡りをする)
(6)インドでの第1回国際日本文学研究集会が大成功
  (在インド日本大使も来て挨拶をしていただき幸先のよいスタートとなる)
(7)『スペイン語圏における日本文学』刊行
  (海外における日本文学に関する翻訳・研究情報の整理をした第2冊目)
(8)海外出張でインド・イギリス・台湾・中国・トルコへ行く
  (秋のスペインでの学会発表は母が危篤のために断念した)
(9)『源氏物語』の書写状態を詳細に調査研究
  (国文研蔵為家本、尊経閣蔵国宝定家本、陽明文庫蔵重要文化財本)
(10)『伊勢物語』に関する研究発表
  (30年ぶりに『源氏物語』以外の文学作品に関する研究発表をする)


 
 
 
「私の2005年の10大出来事」(2005年12月31日)
 

(1)『源氏物語別本集成 続』(全15巻)刊行開始
   (古写本に書かれた30億字を確認する作業開始)
(2)海外の日本文学シリーズ第3弾『海外における平安文学』が好評
   (世界各国で翻訳された文学作品の解題と研究情報をまとめる)
(3)伊井春樹先生が国文学研究資料館の館長として着任
   (過半数代表者の私は先生と労働協約に調印する)
(4)亡父23回忌と亡母初盆を無事に終える
   (内輪だけではあったが温かく両親を偲んだ)
(5)植村源氏絵がハングル訳『源氏物語』の表紙に改変盗用される
   (権利意識の希薄な韓国の出版社に対して理解と話し合いを求める)
(6)ウィーンにおける国際学会での研究発表が大成功
   (EAJSで『源氏物語』をテーマとしたパネル発表)
(7)職場で初代国際交流委員長となる
   (海外の機関や研究者との交流や情報交換の橋渡しとなる仕事)
(8)アハマド先生との『源氏物語』に関する座談会が大盛況
   (エジプト・カイロにおいてアラビア語訳をテーマに)
(9)〈第2回インド日本文学会〉が成功裏に終わる
   (駐インド国日本特命全権大使からこれまでの活動に対し感謝状拝受)
(10)インドでお世話になった中島岳志君が大佛次郎論壇賞を受賞
   (『中村屋のボース』は、とにかくおもしろい本である)


 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
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2010年12月28日

2010年の10大出来事

 押し詰まってきて寒さが厳しい師走です。
 今年も残すところあとわずかとなりました。
 振り返るだけでもたくさんのことが語れます。
 こんな年があってもいいのではないでしょうか。
 また来年はどんな年になるかますます楽しみです。
 
 
1.マイナス34度のモンゴルで『源氏物語』の翻訳者と面談
2.米国ワシントンの議会図書館で古写本『源氏物語』の調査
3.与謝野晶子『新新訳源氏』自筆原稿画像データベース公開
4.インド・ニューデリーで〈第5回インド日本文学会〉開催
5.鎌倉期の古写本『源氏物語』(若菜上残簡)を広島で調査
6.鳥取県の日南町で池田亀鑑と『源氏物語』の講演会を開催
7.『源氏物語別本集成 続』を第七巻で中断することを決断
8.突然胃ガンの告知を受け胃の全摘出手術を受けて療養生活
9.西国三十三所観音巡礼を公共交通だけで四ヶ月かけて満願
10.京都府立図書館蔵の小学校国語教科書823冊の調査終了


 
 

 今年は、7月にガンの告知を受けたために、それ以降の調査研究活動が休止状態となりました。いろいろな方々にご迷惑をおかけしました。しかし手術後は順調に回復し、11月末に国文学研究資料館で開催された国際日本文学研究集会から職場復帰が叶いました。ただし、まだまだ不安を抱えての生活です。2011年は、正月早々にアメリカへ、2月にはインドへの出張があります。体調と様子を見ながらの生活が始まります。これまでと変わらない、ご理解とご協力のほどを、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 回想追憶

2010年12月27日

今年のブログ写真・自選15

今年も、無事に毎日コツコツとブログを書き通しました。
いろいろなことがあった1年です。その中で、なかなか出来がよかった、もしくは貴重な写真だと自分で思っているものを、15枚ほど選んでみました。まさに、自画自賛です。
 
 お正月にモンゴルに行ったときの写真から、月を追って並べます。
 
 
 
(1)「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」
 
 日本人墓地を守ってくださるネルグイさんは、マイナス30度の極寒の中でもこの薄着でした。
 
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(2)「雪の中のゲルを訪問し馬に乗る」
 
 ウランバートルの郊外にあるゲルに行くため、モンゴルの大平原の中を疾走中に、突然虹が現れました。
 
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(3)「インドの日本語日本文学の教育現場で」
 
 ヤムナー川沿いのニューチベタンコロニーの河原は、日本の昭和30年代の風景が広がっています。
 
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(4)「井上家の疎開先としての日南町(3)」
 
 井上靖の『通夜の客』の舞台となった、日南町の「曽根の家」が取り壊される前に撮影された写真です。
 
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(5)「小さな町を揺るがした池田亀鑑の1日」
 
 鳥取県の日南町総合文化センターで開催された講演会は、150人に届こうかという大盛会でした。
 
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(6)「鎌倉期の源氏の写本を読む」
 
 鎌倉末期の源氏物語の古写本「若菜上」(残巻)の巻末に「月明荘」(反町茂雄氏)の印がありました。
 
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(7)「京洛逍遥(137)糺の森の流鏑馬神事」
 
 みごとに射抜かれた「一の的」に神職の方が文言を書いてくだったものを幸運にも入手できました。
 
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(8)「心身雑記(66)今後の我が身についての巻」
 
 定期検診で胃ガンが見つかり、胃を全部を摘出することになった、その部位の図解です。
 
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(9)「術前術後の病院食」
 
 手術後4日目に出た初めてのご飯は、何と鯛でした。胃を全部切除した直後のこれには驚きました。
 
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(10)「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」
 
 学校図書の昭和34年度用「小学六年生」の教科書の表紙は「紫式部」を意識した王朝風な絵です。
 
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(11)「西国三十三所(36)満願の華厳寺」
 
 ガンの告知後に石山寺から始めた西国三十三所巡りは、丸々4ヶ月かかって念願の満願となりました。
 
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(12)「西国三十三所(34)成相寺」
 
 本堂横の木漏れ日の中に石仏たちがズラリと勢揃い。元気になれよ、と今にも聞こえてきそうでした。
 
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(13)「江戸漫歩(27)スカイタワーと佃島」
 
 完成間近の500メートルを超えた東京スカイツリー。鳥たちが飛行船を目指して飛んで行きます。
 
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(14)「図書館でのペットボトル」
 
 寒風の中、新郎新婦の記念撮影に出くわしました。前方の北山をバックにした写真もいいですよ。
 
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2010年12月26日

京洛逍遙(174)都大路を走る全国高校駅伝

 私にとっての本年度最後の研究会が、年も押し詰まった今日、京都の光華女子大学でありました。
 NDK(日本文学データベース研究会)というと、この分野では老舗の研究会です。この研究会については、「25年越しの仲間とのデータベース談義」のご笑覧を。

 日本文学とデータベースのことを語るとき、このNDKに触れないわけにはいかない、といわれるほどのインフラ整備と功績を残した研究会です。そのメンバーが、また新たなことを始めようというのです。乞うご期待、というところで、今は留めておきましょう。

 その会に向かう前に、所用のため今出川に出かけました。
 道沿いで、かつて住んでいた奈良・平群町の名産である「平群の小菊」を見かけました。
 何ということはないのですが、何となく嬉しいものです。つい、シャッターを切りました。
 
 
 

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 地下鉄に乗るために烏丸通りへ出たところ、ちょうど全国高校駅伝大会の真っ最中でした。この駅伝は、男子が第61回、女子が第22回と、伝統があり、しかも都大路が舞台となるものです。我が家の近くの北大路通りと紫明通りを通るので、午前中の女子の時は、いつも行く回転寿司屋「むさし」の紫明通りにあるお店がテレビに映った時は、これまた何となく嬉しい気持ちになりました。

 午後は男子です。
 今出川に出かけていたので通りかかったこともあり、地下鉄の今出川駅入口から烏丸通りを見ると、ちょうど選手が通過するところでした。この地点は「5区(3.0km)河原町寺町⇒烏丸紫明」です。
 
 
 
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 その選手の後ろの車列をみると、どうやらこの人が最終走者の中でも最後尾のようです。通過するとすぐに、警察官が信号を操作して元に戻しておられました。
 沿道の声援は、とても温かいものでした。

 地下鉄今出川駅から四条駅に出、そこで阪急に乗り換えました。
 阪急の烏丸駅は、ホームが人で溢れ返っていました。駅伝を応援する人が、ゴール地点に移動するところだったのです。光華女子大学がある西京極駅に降り立って仰天です。ゴール地点が西京極陸上競技場であることに、やっと気付いたのです。道中は資料に眼を通すことに熱中していたので、自分が今行くところがゴールの場所であることに思い至っていなかったのです。

 どうにか駅を出ると、駅の横の西京極陸上競技場は、アンカーがゴールをするたびに沸き返っていました。

 光華女子大学の入口前の交差点に歩いて行くと、これまたちょうどランナーが通過するところでした。そして、何とそれが、今出川で見た最後尾のランナーだったのです。ここは、「7区(5.0km)北野中前⇒西京極」に当たるところです。
 写真の右手に、光華女子大学の建物が写っています。
 
 
 
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 こんな偶然があるものなのですね。
 ここでも、このランナーが通過すると、警察官の方が信号を切り替えておられました。
 なかなか体験できないことに出くわしました。

 研究会が終わると、三条木屋町の豆腐屋さんへ行きました。
 
 
 
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 なかなか雰囲気のいいお店でした。私は食べきれなかったので手伝ってもらいましたが、さっぱりと美味しい料理でした。
 いろいろなことがあった1年でした。その中でも、NDKが復活したことは、嬉しい出来事の一つです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年12月25日

京洛逍遙(173)北野天満宮の「しまい天神」

 菅原道真の誕生日は6月25日、亡くなったのは2月25日でした。そこで、毎月25日は天神さんの縁日となっています。

 師走21日の東寺の「しまい弘法」には行けなかったので、今日25日の「しまい天神」に行きました。寒風の中を、自転車を漕いで上七軒まで一走りです。
 
 
 

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 境内や参道周辺には、千もの店が軒を連ねます。
 古道具、古着、骨董、絵画、そしてお正月のおせちの材料、ファーストフード、花や樹や玩具や当て物などなど。雑多な露天がひしめき合っています。何でもあります。
 
 
 

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 特に、着物が目に付きました。
 
 
 

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 しつけ糸が付いた着物が500円で売られていました。
 呉服屋に育った母が、夜なべをしながら、家計の足しにするために着物を縫っていました。無造作に積まれた着物を見るだけで胸が痛みます。

 自分の国の民族衣装が、このようにして処分されているのです。着る人が少なくなり、また自分で自国の民族衣装が着られなくなったのですから、こうした処分市となるのは致し方ありません。
 そんな実情を見るにつけ、自分で着物を着てお茶や散策に出かける娘は、日本の伝統文化を引き継いでいると考えていいようです。母と姉の影響が大きいのでしょう。我が子が日本の着物文化を受け継いでいることに、親としては一安心です。ただし、男側の着物に対する意識と実情を顧みると、非常に心もとないのですが……

 着物は、ネットでの売買と違い、こうした市では投げ売りです。せめてもの救いは、畳紙に包んで売っているお店がいくつかあったことです。
 着物はすべて手縫いです。それを縫った人の気持ちと共に、着物は次の人に手渡されるべきだと思います。値段の問題ではなくて、日本の文化が継承される場面なのですから。
 
 
 

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 中には、どこから盗んできたのだろう、と思わざるを得ないモノもあります。それだけ、雑多なモノが並んでいます。

 今日の京都の最低気温は0度でした。手袋をしていても、自転車のハンドルを持つ指の先が痺れます。首からのすきま風が冷たいので、つい前屈みで漕ぎます。カゼ予防のマスクが役立ちました。

 結局、何も買いませんでした。それでも、年末の京都らしい賑わいを楽しみました。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年12月24日

クリスマスイブに研究会

 年の瀬も押し詰まり、今日はもうクリスマスイブです。
 そんな日でも、国文学研究資料館では研究会があります。全国各地から研究仲間が集まります。今日は、40人ほどだったでしょうか。
 外国のお祝いごとなどには関係なく、こうしてスケジュールはいっぱいになります。

 今日は、基幹研究「王朝文学の流布と継承」というプロジェクトの研究会です。
 ちょうど1年前に、私はこの会で研究発表をしました。あのときも、1年最後の金曜日でした。
 昨年の私の発表題目は、「『源氏物語』における傍記の本行本文化」でした。昨年から今年にかけては、研究発表をたくさんこなしました。この時の内容を活字にしたのかどうか、今すぐに思い出せません。それほど、仕事をやりっぱなしにしています。年末から年始にかけて、これらの整理をする必要があります。

 さて今日は、室町時代を中心とする能・狂言、幸若舞曲、お伽草子などを研究テーマとなさっている小林健二先生の研究発表です。
 その概要を引用します。
 
 

【発表題目】
 「能《源氏供養》制作の背景 −石山寺に於ける源氏供養の可能性」

【発表要旨】
 能《源氏供養》は、安居院聖覚作の「源氏物語表白」をもとに作られていることが早くから指摘されていたが、伊藤正義氏により表白そのものというよりは物語化された『源氏供養草子』に拠っているとの考察がなされた。
 たしかに能と草子を比べると基本的構造は相似するものの、能が石山寺を舞台とすることや、シテの紫式部が観音の化身であったとする結末など相違点も有する。
 本発表では、能が制作される背景に石山寺における観音と紫式部を一体とする信仰があり、その思想に基づく源氏供養がなされていた可能性について報告したい。

 
 
 私にとっても非常に興味深い内容で、最後までジーッと聴き入っていました。
 小林先生はこの発表のために、昨日は急遽わざわざ石山寺まで図像の確認に行かれたとのことです。それだけで、拝聴する価値は十分にあります。

 いずれ活字にして公表なさるので、ここでは私が興味を持ったところを、自分の備忘録として書き残しておきます。

(1)『源氏供養草子』の諸伝本について
 9種類の伝本を、ABCDの4系統に分けるのが従来の説だそうです。それに対して小林先生は、唱導色が強いD系統(国立歴史民俗博物館蔵本)を〈甲類〉とし、それ以外を物語化されたものとして〈乙類〉とする私見を示されました。と聞きました。
 現在私は、『源氏物語』の本文を〈甲類〉と〈乙類〉の2分別する私案を提示しているところなので、そのネーミングに興味を持ちました。〈甲類〉〈乙類〉という呼び方については、上代特殊仮名遣いのイメージが強いとの意見をいただいています。しかし、今回の小林先生の発表を聞く限りでも、〈甲類〉〈乙類〉でも違和感がないように思いました。『源氏物語』の本文を2分別する名称として、もう少し〈甲類〉〈乙類〉を使ってみようと思います。

(2)「水月観音」の信仰というものを初めて知りました。これは、現代にまで脈々と流れる、物語の中に描かれる月と水に関する描写を支える、日本の伝統文化の因子になっていないか、と勝手に想像を逞しくして聞いていました。多分に、井上靖などの作品を想起してのものです。水上勉の作品なども該当します。そうでなくても、これはこれで、おもしろいヒントをもらいました。

(3)石山寺蔵の「紫式部聖像」は、室町時代に石山寺の源氏の間で行われた法会、礼拝の時に掛けられたもので、源氏供養が行われた具体例と言えないか、という意見は、非常に興味深いものでした。私の意識の中でも、場所とモノとカタリが有機的に結びつきました。刺激的な、新しい知見をいただきました。

 私は、この室町時代の芸能や信仰の分野は不案内です。しかし、今日の発表は、これまで何となくモヤモヤしていたものを払拭するのに十分でした。なぜ石山寺が『源氏物語』と結びついたのかは今は措き、この小林先生の発表の趣旨は私にそのまま入り込みました。
 これを受けて、自分なりに考えてみたいと思うようになりました。

 知的な刺激と興奮をもらったことが、今年のクリスマスイブの収穫です。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ◆源氏物語

2010年12月23日

井上靖卒読(118)『黯い潮』

 昭和24年に起きた下山総裁の行方不明事件から始まります。かつて新聞記者であった井上靖の本領発揮、というところです。ただし、小説ということを意識して、作者は用意周到にモデル探しにならないように配慮しています。

 中学時代の恩師である雨山が、『日本彩色文化史の研究』という日頃の成果を出版したいと、主人公である記者速水のところに持ち込みます。『枕草子』の例など、日本の古代文化と色彩について誘ってくれます。一つのことに打ち込む雨山という男が、活き活きと語られます。井上靖の小説によく出てくるタイプです。

 その雨山の娘の景子に、速水は惹かれていきます。
 波打ち際での二人を描写する中で、裾の砂を払う仕草で景子が着物を着ていることに気づかされました。井上の小説では、女性の服装が着物であることがよくあります。この服装については、女性像を形成する要素にもなるので、時代背景と共に今後とも気を付ける必要があります。
 また、本作でも、ラブシーンは非常に抑制されたものとなっています。これも、井上靖の特長といえるでしょう。

 ここで、一転して下山総裁の死体発見となり、物語は緊張感を増していきます。うまい展開です。ただし、事件の扱いは、あくまでも客観的です。もちろん、井上靖は毎日新聞の記者だったこともあり、自殺説のもとでの展開です。その点では、事実と真実を問題にする姿勢が強調されています。
 なお、松本清張は他殺説です。この下山事件については、たくさんの本が刊行されています。その中では、この『黯い潮』はあくまでも小説として読むことが求められている、と言えるでしょう。これは、井上靖も気遣っています。

 さらには、速水の妻はるみが、歌手と和歌山県の潮岬で心中した話が回想されます。速水にとって、はるみとの結婚生活3年目のことでした。
 社会的な事件と個人的な事件が絡み合いながら物語が進みます。ただし、私には、この二つの流れに景子との恋愛の問題がどのように連環していくのか、最後までよくわからないままでした。
 他殺と自殺に揺れる下山事件が、物語の中心となっています。それと、速水の個人的な問題である16年前の妻の自殺、そして現在進行形の景子への愛情が、接点を持たないままに進むのです。

 妻「はるみ」の死体は上がらず、男だけが見つかります。井上靖の作品では、水死のイメージをもったものとしては初期に属するものです。これが後年の『星と祭』になると、琵琶湖で水死するのは「みはる」という娘になります。そして、本作でも、死体は上がらない方がいい、と潮岬の巡査が言います。『星と祭』でも、琵琶湖の警察官が同じことを言います。このあたりは、作者の中にしまい込まれた場面なのでしょう。

 妻が残したノートに記された「愛する者よ、さようなら」という一語は、結末での速水の決断に決定的な影響を与えます。井上靖は、人間に救いの手を差し伸べることで、決定的な悲劇を回避することが多いようです。これも、その例と言えるでしょう。ただし、私には多分に精神的な世界に引きずられての強引さを感じましたが……

 なお、南紀串本へ行く経路など、現在との違いも楽しめます。井上靖の作品には、いろいろな土地が舞台となります。旅が描かれることが多いのです。私は、その道程が今と違うところを、いつも楽しみながら読んでいます。

 話がよく噛み合わないかのような感じを受けながらも、物語としては非常におもしろい小説でした。三つの話の交点が曖昧でしたが、不思議なブレンドがなされた物語です。私にとっては、速水の妻はるみの存在が印象的でした。下山事件の陰に隠れたしまったのが勿体ないように思われます。

 なお、この作品には、過去の事件に関して年数の食い違いがあるようです。
 『井上靖全集 第8巻』では、319頁下段で、はるみが自殺をした年齢を、他の2箇所に合わせて「二十歳」から「二十三歳」に補訂されています。下山事件の描写に気を遣いすぎたためのケアレスミスではないか、と私は思っています。毎日新聞社というものを背負う井上靖にとって、それだけ神経を使った素材とテーマだったと思われます。何か専門家による研究成果があるのかもしれませんが、今は措いておきます。【3】
 
 
 
初出誌︰文藝春秋
連載期間︰1950年7月号〜10月号
連載回数︰4回
 
文春文庫︰黯い潮・霧の道
角川文庫︰黯い潮
井上靖小説全集2︰黒い潮・白い牙
井上靖全集8︰長篇1
 
■映画化情報
映画の題名︰くろい潮
制作︰日活
監督︰山村聡
封切年月︰1954年8月
主演俳優︰山村聡、津島恵子
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2010年12月22日

室伏先生との充実した源氏物語対談

 今日は、神田で室伏信助先生と対談する仕事がありました。
 来春、新典社から池田亀鑑に関する本を刊行する予定なので、その準備を進めているところです。その本に収録するためのインタビューを、本日、神保町にある新典社の一室で行いました。

 長時間にわたり、先生はたくさんの話をしてくださいました。
 お年を感じさせないパワーで、昭和10年代から今に至るまでの『源氏物語』の研究史から人物史を、精力的に語ってくださったのです。
 特に、池田亀鑑が『新講源氏物語』で、「帚木」の巻末から「空蝉」にかけては、一続きの話を「とぞ」と区切って別の巻に切り分けたという指摘に対する室伏先生の評価は、新鮮な気持ちで聞きました。非常に具体的な例をあげて話してくださったので、とてもわかりやすい対談となりました。
 ただし、私の進行が先生任せで力不足だったために、つい長時間になってしまいました。
 ご自由にお話ください、ということで始めました。それが、6時間もの長きにわたってお話しをしてくださいました。おかげで、お話を伺う役目を負っていた私にとっては、本当にいい勉強になりました。
 先生に、お疲れが残らなければ、と思っています。
 
 
 
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 年末の慌ただしい時に、私の我が儘なお願いを聞き届けていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

 室伏先生には、2年前にも大変お世話になりました。そのことは、「ハーバード(3)明け方の電話とメール」に書いていますので、おついでの折にでもご覧ください。

 今日の録音を元にして、文字にしていきます。編集をしてくださる新典社の方には申し訳ありませんが、新鮮なネタが鏤められた6時間でしたので、うまく整理してくださることを願っています。私も、いい対談になるようにまとめますので。

 今日の室伏先生のお話は、おおよそ次のような内容でした。


・池田亀鑑と私を回顧する
  池田先生との接点/仕事の大きさ/もっと評価されるべきだ
・池田亀鑑をどう見るか
  お弟子さんたちのこと/山岸徳平先生への対抗意識
・『源氏物語大成』の再検討
  『校異源氏物語』の発展が継承されていないこと
・大島本のこれまでとこれから
  大島本しか読まれない現状への思い
・全集本と新編全集、大系本と新大系本について
  本文が変わっていくこと/新大系本の苦労話
・『源氏物語』の本文研究について
  翻刻は大事な基礎作業/ただし、その次の読みがもっと大切
・これからの若手研究者へ
  本文を音読してほしい


 これから頑張って仕上げますので、出来上がりをどうぞご期待ください。
 書名は、『もっと知りたい池田亀鑑と「源氏物語」 第1集』になると思います。


 先生とご一緒に水道橋駅まで歩きました。対談中に私が手元で操作していたiPadについて聞かれました。
 先生は、携帯電話はお使いになります。しかし、メールはなさいません。
 新宿までの電車の中で、iPadのスイッチをオンにして、先ほど私が先生のお話を伺いながら検索していた「ジャパンナレッジ」の中の、『新編日本古典文学全集』(小学館)の本文検索例をお見せしました。古典文学全集や大辞典を持ち歩かなくても、それをいつでもどこでも見たり検索できることに興味を示してくださいました。しかも、検索結果としての本文や資料が、手元の文具の中には存在せず、無線の彼方のどこかにあるものを引っ張ってきている、ということに驚いておられました。
 確かに、文学研究のための情報文具は、格段に進歩しています。先生はそこに興味を示され、時代に即応しようとなさっているのがすごいところです。

 先生とは新宿でお別れし、私は小田急の向ヶ丘遊園にある専修大学へ向かいました。6時半から、研究会があるのです。
 そこでの打ち合わせでは、新年早々に行くことになっている、アメリカでの『源氏物語』の写本調査について、同行の仲間といろいろな確認もしました。

 これは、昨年の同じ時期に行った、ワシントンの議会図書館本『源氏物語』の再調査に行く件です。
 昨年の調査については、本ブログの「米国議会図書館での調査」で報告しています。


 その本文を翻刻したことを踏まえて、新たにわかった問題点などを解決するために、直接原本を再度見せていただくことになったのです。

 なお、今回は、その前にハーバード大学にも立ち寄り、「須磨」と「蜻蛉」の2巻の再調査もします。これも、本ブログの「ハーバード(6)古写本『源氏物語』2冊」「ハーバード(5)初日の報告」で報告していますので、興味のある方はご覧ください。

 このハーバードにある鎌倉時代の古写本『源氏物語』については、近いうちにカラー写真で本にして刊行したいと思っています。写真撮影は終わり、出版の許可はいただいているのですが、私が忙しいためになかなか実現しないのです。今回を契機に、とにかく一日も早く完成するように務めます。
 こうして、仕事がドンドン増えていくのです。
 これを何とかコントロールしないと、また病気になる虞があります。気を付けます。

 帰りに、専修大学の生田校舎から新宿を望みました。
 私は、このような夜景が大好きです。
 
 
 

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 小田急で新宿に出ると、駅前のイルミネーションがきれいでした。
 日本らしくないところは、無国籍料理と同じ性格のものだと思えばいいでしょうか。
 
 
 
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 地下鉄の大江戸線で宿舎に帰ろうとしたところ、地下の路地に回転寿司屋があったので、自然と足が向きました。
 
 
 
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 3皿食べました。今の私にしては、体調がいいシルシです。
 帰りのレジで、寿司のガチャポンがあったので200円でコインを買ってつまみを回しました。サーモンが出てきました。
 ガチャポンは、夢のある一瞬を楽しめます。ただし、その中の紙をみると、何と100円と書いてあります。
 
 
 
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 一緒に連れてきた子供へは無料で渡すものらしいので、大人からお金をとることはかまいません。しかし、100円と定価を明示した紙が入っているものを200円で売るのは、詐欺です。回転寿司屋は、楽しさと夢を味わわせてくれるところです。
 こんな低レベルな感覚で商売をする回転寿司屋があると、変に大人が不信感を持ちがちです。即刻、この店はガチャポンの取り扱いを再検討すべきです。
 また、店員の言葉遣いが、外国から来た人の喋り方になっています。これは、何人かいる海外の方の喋り方が、日本人の店員にも感染したのでしょう。名札を見ると、明らかに日本人の名前が書いてあるのに、言葉は中国の方のイントネーションになっているのは、どうも変です。日本語を冒涜する行為です。
 とんでもない回転寿司屋があったものです。いつも健全に育って欲しいと願っているところなので、困ったことです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆源氏物語

2010年12月21日

カラー版『尾州家 河内本 源氏物語』刊行開始

 カラー図版による影印資料『尾州家 河内本 源氏物語 全10巻』の刊行が今月から始まりました。4ヶ月毎の配本予定となっています。
 全10冊で30万円近くする上、分売はされませんので、どのようにして中身を確認するかは、各自それぞれに検討が必要かと思います。

 出版元である八木書店のホームページの「これから出る本」のコーナーから、この本の概要を引いて紹介にかえます。



最新の原本調査により源親行稿本の可能性が指摘される重要写本の全貌をオールカラーで影印!
源氏物語本文研究に新たな画期をなす必備資料!

<内容説明>
原本は名古屋市蓬左文庫所蔵(重要文化財)。

●岡嶌偉久子による厳密な原本調査により、多量にして多様な本文修正・改訂が本文書写と時期を離れないものであること、料紙準備の段階から「河内本」作成が企図されていたことが窺われ、尾州家本が河内本最古写本にとどまらず親行稿本そのものである可能性が指摘されるに至った。源氏物語本文研究深化の状況に鑑み、その要となる重要写本の全貌をカラー版で精緻に影印する。

●尾州家河内本源氏物語について
 鎌倉時代に源光行・親行父子による源氏物語本文の研究・校訂によって作成された河内本(父子ともに河内守であったことに由来)の最古写本として伝わり、54帖が揃った源氏物語の写本としても現存最古の一つである。 本文は厚手の鳥の子料紙、表紙には重厚美麗な装飾料紙を用いた大和綴の大型冊子本で、鎌倉中後期頃書写の41巻と室町前期頃書写の後補13巻より成り、元来は54巻54冊であったものを後に23冊に合綴。「夢浮橋」巻末に金沢(北条)実時の奥書があり、尾張徳川家に伝えられて現在は名古屋市蓬左文庫所蔵。重要文化財に指定されている。
 その本文には句読朱点・振り漢字が施され、全面にわたり多量の削訂・朱墨両様の見せ消ち・補入による本文修正が重ねられて複雑な様相を呈しており、精確な影印版刊行が待たれていた。


 この通称「尾州家河内本」の第1巻が、12月20日刊行分として届きました。待ちに待った本です。
 
 
 

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 直接この本を手にして調査をすることが叶わなかったので、私は展覧会などでガラス越しに見つめて来ました。今回のカラー版により、相当細部まで確認できます。

 販売促進用のパンフレットに掲載された写真は、この河内本を収める蒔絵の箱と梨子地の四段の抽斗、そして大和綴じの大きな本のありようを想像させてくれます。
 
 
 

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 この尾州家河内本に関する詳細は、本ブログの「待望の研究書『源氏物語写本の書誌学的研究』」で紹介している岡嶌偉久子さんの本でご確認ください。


 このパンフレットの写真の中に広げてある写本は、第1巻「桐壺」の巻頭部分です。そして、さらにパンフレットの中を見ると、秋山虔先生と片桐洋一先生の推薦文の下に、この「桐壺」の表紙と巻頭が印刷されています。
 
 
 

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 今回のカラー版がいかに凄いかがわかる一例をあげてみましょう。

 上の写真は「桐壺」の第一丁オモテです。この頁の後ろから3行目、下から7文字目を見てください。「ありけむ」と書いてある場所です。ここを、本来のかなの字母で正確に翻刻すると、「あ里遣む」です。ただし、この写真では、「む」という文字が少し汚れていることがわかります。

 これまでは、昭和9年に刊行された尾州家河内本で確認していました。その本のこの場所の「む」は、こんな感じで印刷されていました。
 
 
 

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 それが、今回の八木書店の本では、こんなに精細な「む」として確認できるのです。
 
 
 

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 これなら、原本にどのように書かれているのかがわかります。つまり、最初に「ん」と書いた後、その「ん」を削って、その上から「む」と書いていることが明瞭に確認できるのです。
 また、昭和9年版には、文字をクッキリと際立たせるために手が入っているのでは、と思わせる箇所も散見しています。この「む」も、不自然な整い方をしているのことがわかります。

 とにかく、写本の中に確認できる修正などの痕跡が、このカラー版では見えるのです。これは、『源氏物語』の本文を正確に翻刻することを仕事としている私にとって、待望の本です。

 大島本の写真版が角川書店から刊行されましたが、あれは白黒写真でした。その後、DVDでカラー版が出ました。これにより、その誌面に施された膨大な本文訂正の痕跡が追認できるようになりました。
 今、同じように、さらなる精細な印刷で尾州家河内本が見られるとは。
 いい時代に居合わせたことを実感しています。

 なお、上記の例に挙げた「ん」を削って「む」にしてあることは、『源氏物語大成』(池田亀鑑、中央公論社)にも『河内本源氏物語校異集成』(加藤洋介、風間書房)にも指摘がありません。また、『源氏物語別本集成』(伊井春樹・伊藤鉃也・小林茂美編、おうふう)でも、主に昭和9年版を使用して作業を行ったので、そこまでの指摘はできませんでした。
 このカラー版によって手元の翻刻本文のデータを再確認し、補訂をすすめることにします。
 正確な尾州家河内本の本文は、再点検が終わるまで、いましばらくお待ちください。

 なお、カラー版尾州家本の今後の刊行予定は、次のようになっています。
 一日も早い完結が待ち遠しい思いでいます。


第1巻 桐壷・帚木・空蝉・夕顔・若紫・末摘花〔平成22年(2010)12月〕
第2巻 紅葉賀・花宴・葵・賢木・花散里・須磨・明石〔平成23年(2011)4月〕
第3巻 澪標・蓬生・関屋・絵合・松風・薄雲〔平成23年(2011)8月〕
第4巻 朝顔・少女・玉鬘・初音・胡蝶・螢・常夏〔平成23年(2011)12月〕
第5巻 篝火・野分・行幸・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉〔平成24年(2012)4月〕
第6巻 若菜上・若菜下〔平成24年(2012)8月〕
第7巻 柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻〔平成24年(2012)12月〕
第8巻 匂宮・紅梅・竹河・橋姫・椎本・総角〔平成25年(2013)4月〕
第9巻 早蕨・宿木・東屋〔平成25年(2013)8月〕
第10巻 浮舟・蜻蛉・手習・夢浮橋〔平成25年(2013)12月〕
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◆源氏物語

2010年12月20日

谷崎全集読過(10)「恋を知る頃」「春の海辺」

 これも、谷崎潤一郎の初期戯曲作品です。いずれも、谷崎が戯曲を書くことに対する自信が満ちあふれています。

■「恋を知る頃」(三幕)
 丁寧なト書きと会話の巧みさによって、読んでいても場面がよくわかります。舞台が鮮やかにイメージできるのです。
 谷崎自身を投影した伸太郎が、生き生きと描かれています。それを取り巻く人々も、 うまく描き分けています。
 やがて、驚愕の結末が訪れます。おきんの存在にスポットライトが当たり、幕となります。
 うまい構成になっています。【4】
 
初出誌︰『中央公論』(大正2年5月号)
 
 
 
■「春の海辺」(三幕)
 話の展開がややモソモソしています。三枝春雄の性格から来る煮え切らなさが、物語展開に関係しています。
 妻梅子の役所は難しいと思いました。どこまでが本当かわからないように、長い台詞が続きます。
 友人の吉川も、演技派が担う役所です。人間の心の裏を見せないようにして、話が進んでいくのです。裏がないのに、さもあるかのように演じるのですから……。
 それだけに、作者のうまさが感じられます。
 最後は、あまりにも優等生的で、やや拍子抜けです。私なら、ここで吉川が梅子にささやいて幕にするところですが……
 この一ひねりがないところに、谷崎の若さというよりも、物足りなさを感じながら読み終えました。これが実際に演じられたら、この点はどうなるのでしょうか。演劇の台本を読むのと、それが上演されたものを観るのと、2つの楽しみが得られる作品と言えましょう。【3】
 
初出誌︰『中央公論』(大正3年4月号)
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 谷崎全集読過

2010年12月19日

フランスから届いた「すし水」

 フランスから一時帰国した娘の土産の中に、こんなものがありました。
 
 
 
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 フランス語はともかく、「すし水」とあります。
 ラベルのデザインも、なかなか洒落ています。

 チラシはこんな感じです。
 
 
 
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 左上に写真がある「UME」は、7個入りで6.9ユーロ(800円弱)です。
 マグロ、サーモン、エビと、海苔で巻かない鉄火(?)が4個入っています。
 トレーの右には、醤油、ワサビ、ショウガが添えられています。
 感じとしては、日本の倍の値段だと思えばいいでしょうか。

 このお店は、「O’Sushi」というウェブサイトをもっています。
 なかなかおもしろくて、結構楽しめるサイトなのでお勧めです。

 さて、肝心の「すし水」です。
 アルミ容器の表示によると、原材料名として次のモノが書かれている、とのことです。


天然水
白ブドウ
昆布
ショウガ
レモン


 天然水をもとにした、ショウガとレモン風味の水、ということになります。
 実際に飲んでみました。その通りです。

 爽やかなレモンの味とハーブの香りがする、口の中がサッパリとする清涼飲料です。炭酸は入っていません。さしずめ日本でなら、これはお茶に当たるモノだと思えばいいでしょうか。
 海外の人は、よくコーラを飲みながら和食を食べたりします。そのことを思えば、この「すし水」の方がショウガが入っている分、ずっと和食に合います。

 お寿司が世界中で食べられるようになりました。さらには、回転寿司屋も世界的に展開しています。そんな中で、ロンドンのピカデリーサーカスの近くでは、10年以上も前から「カルピコ」という爽やかな飲み物を置いています。その流れでこの「すし水」を飲むと、お茶の代わりとしてはいい飲み物です。

 フランスに行ったときには、ぜひとも現地のお寿司を食べながら、この「すし水」の味とのコラボレーションを楽しみたいと思います。
posted by genjiito at 21:41| Comment(0) | ◆国際交流

2010年12月18日

谷崎全集読過(9)「誕生」「象」「信西」

 ここで取り上げる「誕生」「象」「信西」は、谷崎潤一郎が初期に発表した戯曲です。明治43年は、作者が数えで25歳の時です。

■「誕生」(一幕)
 中宮彰子のお産という、めでたい場面です。
 わかりやすい展開で、ト書きも親切です。
 皇子が誕生すると、文章博士が五帝本紀を読むなど、よく当時を調べていることがわかります。『紫式部日記』と『枕草子』を読んで、参考にしているようです。
 明治43年という時代に、このテーマと内容がどう関わるのか、その背景が知りたくなりました。
 ただし、これは前年に「帝国文学」(東京大学)へ投稿したが採択されなかったものです(全集第3巻末の「解説(伊藤整、274頁)」参照)。【2】


初出誌︰『新思潮』(明治43年9月号)
 
 
 
■「象」(一幕)
 この「象」は、「天竺の獣を唐人が連れて来た」とあるように、東南アジアに目が向いています。民衆の会話にも、異文化理解の様が描かれます。華やかな舞台が目に浮かびます。
 新しい時代を求める視線が新鮮に映ります。
 たくさんの人物に語らせることで、祭礼という群衆の熱気がうまく描かれています。【4】


初出誌︰『新思潮』(明治43年10月号)
 
 
 
■「信西」(一幕)
 自分の運命が見えた信西は、生きる気力をなくします。
 信西の心中を、世の動静を、星と月がうまく活用され、信西の口を通して語られます。
 追っ手に召し捕られた時に信西は、「星はまだ光って居るか」と最後のことばを言います。これがいいと思いました。現世を遠く離れた境地にいる信西が、みごとに描かれています。【4】


初出誌︰『スバル』(明治44年1月号)
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 谷崎全集読過

2010年12月17日

図書館でのペットボトル

 3週間ぶりに京都の自宅に帰りました。
 賀茂川沿いに自転車を走らせ、岡崎公園にある京都府立図書館を目指しました。義務教育期間の国語科の教科書を調査することを再開するためです。一月ほど空いてしまいました。

 自宅のそばの賀茂川は、散策路の工事が始まっていました。これは、下流から北上してきた公園整備の一環です。やっと我が家の前まで来たことになります。
 
 
 
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 対岸から我が家の方を見やると、こんな様子です。
 
 
 

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 来春には完成することでしょう。環境整備はありがたいことです。気持ちよくウオーキングができます。

 下鴨神社の近くから、真冬の大文字がきれいに見えました。
 冬鳥も気持ちよさそうに飛び回っています。
 
 
 
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 賀茂川はみんなの憩いの場所です。三条から四条にかけてのアベックの光景は、二条から上って我が家の方にはまったく見られないのです。散策は御池から北に限ります。観光(?)は、御池から南です。

 途中で、新郎新婦の記念撮影に出くわしました。
 
 
 
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 寒そうですが、なかなかいい雰囲気です。
 私なら、前方の北山をバックにして写真を撮ります。冬の北山のグラデーションもいいものです。 
 
 さて、図書館での調査は、今日は中学校の教科書の続きです。これが膨大にあるので、来春までに終わればいいと思って根気強く続けています。

 私が使える範囲内のテーブル一面を使って、分類整理しながら一冊ずつを確認していた時です。右横の席で調べ物をしておられた若い方が、持ち込んでいたペットボトルのお茶を私の右側の、ちょうど数冊積んだ教科書の横に置かれたのです。私が右の方の領域を侵犯して机に資料を並べていたわけではないのです。

 大事な資料を、それも昭和20年代から30年代の教科書を広げていたところだったので、何かあってはと思い、隣の人に「ペットボトルを反対側に置いてもらえませんか」とお願いしました。
 すると、「口は閉めてあります」と憮然とした表情でおっしゃいます。顔色が変わっていました。
 私は、「いま貴重な資料を見ているので。紙に水気は良くないもので……」と丁寧に言いました。すると、また「口は閉めてあります」と不満そうです。
 しかし、ここは出納カウンターのすぐそばで、大型本や新聞や特別な本をみるテーブル席です。そのために、少し広めのテーブルが、司書の方の目の届く場所に設置されているのです。

 私が、「閲覧する机上に飲み物を置いてはいけないと思いますよ」と優しく言うと、不承不承ペットボトルを私の横から反対側に移されました。
 その方は、それでも納得できないのか、腹の虫が収まらないのか、閲覧カウンターの所へ行って、図書館のリーフレットを持って来て、館内で飲み食いをしないでほしい、と書いてある箇所を私に示されます。飲んでないのだからいいじゃないか、と言いたそうです。
 しかし、「本は湿気を嫌いますから」とヤンワリと言うと、「そんなことは知っている」とおっしゃいます。知っているからペットボトルを私の横から反対側に移動したのだ、と顔が言っていました。

 私にしたら、今は50年前の教科書を調べていて、本の紙が酸化していてページの周りの色が茶色になり、めくるときに注意を払っているのです。その本の横にペットボトルを置くなど、非常識です。
 その方は、自分の行為がいけないことであったことに気づかれたようです。「図書館では常識ですよ」と言うと、また「そんなことはわかっている」とふてくされて言われます。しかし、注意されたことが不愉快で素直になれない、というところのようでした。

 見たところ、法令関係の論文をたくさん調べておられるようです。それなりに知的な様子なので、まともに話はできる方のようです。第一印象としては、この近くの大学の法学関係の大学院生で、年明け早々に提出する修士論文を執筆中、という雰囲気がありました。これは、まったく私の勝手な想像です。学部の学生が卒業論文に取り組んでいる姿ではありません。

 外も暗くなり、閉館時間も近づいたので、今日の調査の収穫を別のコーナーでコピーしました。そして、自分の席に戻ると、先ほどのペットボトルが私と彼の間に置かれていました。彼のささやかな抵抗だったようです。
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | 身辺雑記

2010年12月16日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(7)光村図書出版

 光村図書出版が作成した小学校国語科教科書140冊をとりあげます。
 ここでは、平安朝というよりも、古典の香りがする教材を中心として取り上げ、コメントを付けていきます。個人的な興味と関心から、インドに関する情報も取り上げます。
 ただし、あくまでも私は国語教育の専門家ではないので、思いつきを記すことを、あらかじめお断りしておきます。
 
 
 これまでの経緯と報告は、次の記事をご覧ください。

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)」(2010年10月31日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書」(2010年11月 8日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」(2010年11月 9日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(4)教育出版(その1)」(2010年11月11日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(5)教育出版(その2)」(2010年11月19日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(6)教育出版(その3)」(2010年11月22日)




【光村図書出版】(140冊)

 昭和29年度用

五年下(この冊のみあり)

 
 
 昭和30年度用

一ねん上 浦島太郎(絵だけ4枚)
二年下 はごろも
五年上 紫式部



※この年度は垣内松三著。
 「光をかかげた人々」という単元に、紫式部、雪舟、伊能忠敬の3人の小伝がある。
 この中から、紫式部に関する文章を引用します。


     二 光をかかげた人々

       (一) 紫式部

 平安時代の中ごろ、男子は、おもに中国の文章、つまり漢字で書かれた漢文を用いるのが、教養を積んだしるしになっていました。それに対して、女子は、ひらがなを用いるのがならわしとなっていました。
 そのころ、そのひらがなを自由自在に使って、長い物語を書いた人がいました。それが、これからお話をする紫式部で、その本は源氏物語というのです。
 源氏物語は、古い文章で、ことばの解釈が必要なうえに、おもに、おとなでなければわからないことが書かれていて、まだわたしたちには読めない物語だそうです。しかし、日本が世界にほこることのできるものの一つだということです。
 この物語を書いた紫式部のほんとうの名まえや、生まれた年ははっきりわからないそうですが、おさないときから、たいへんかしこい人であったということです。
 父は藤原為時といって、かなり名高い学者であり、式部をたいそうかわいがったということです。
 式部は京都に往んでいましたが、父為時が、大臣の言いつけで、地方の投入となって、今の福井県に行くことになり、いっしょについていきました。
 その後、式部は、父のことを気にかけながらも、京都へ帰らなければならなくなりました。
 京都に帰った式部は、しばらくして、藤原宣孝という人のつまになりました。
 幸福が式部をおとずれたのもつかのまでした。女の子がひとり生まれてからまもなく、夫の宣孝がこの世を去ってしまったからです。
 紫式部は、ちのみごをかかえて、ひとりでくらさなければならなくなってしまいました。
 わか竹の生い行く末をいのるかなこの世をうしと思うものから
という歌は、このころの作だろうといわれています。おさないわが子のしょう来をいのらずにはいられない母としての心持が、よくわかるような気がします。
 源氏物語は、このころから書きだしたものだろうといわれています。悲しい生活の中にありながら、この物語のすじを考え、筆をとるのが、ただ一つの、そして大きななぐさめであったのかもしれません。
 紫式部は後に宮中にはいり、一条天皇の皇后、上東門院に仕えました。式部というのは、宮中におけるよび名であります。当時は藤式部といわれていたようですが、源氏物語の中の女主人公である紫の上にちなんで、紫式部とよばれるようになったといわれています。
 式部は、宮中に仕えるようになってからも、おりを見ては、この物語を書き続けていきました。何年かかってできたかわかりませんが、この教科書にしたら三十さつにのぼるような、大きな物語となりました。しかも、その文章の美しく細かなこと、ものを見る目の深いことなどで、日本の文学史上にかがやいているということです。
 ひらがなは、紫式部のような人を得て、いっそうその力を表わし、国語を豊かにしてくれたということができましょう。
 大きくなったら、この物語を読んでみたいと思います。


 この文章は、小学五年生の視線で語られています。最初の方にある、「源氏物語は、古い文章で、ことばの解釈が必要なうえに、おもに、おとなでなければわからないことが書かれていて、まだわたしたちには読めない物語だそうです。しかし、日本が世界にほこることのできるものの一つだということです。」という表現が、私はおもしろいと思いました。教える先生は、どのような説明をしたのでしょうか。
 この単元末尾の「けいこ」という学習欄に、「光をかかげた人々」という題をつけたわけと、どのようにして光をかかげたのかを考えるような質問があります。
 また、本教科書の最後にある「指導者のために」では、この単元での紫式部に関して、次のように書いています。


○紫式部の人、および源氏物語の値うちについて、読み取ったことや感じたことを話し合う。


 ここでの「値うち」についての話し合いも、難しかったことでしょう。

 
 
 昭和34年度用

一ねん下 一寸法師
二年上 はごろも
三年下 海ひこ山ひこ(日本神話)
五年上 ふえ(博雅三位の話)、「わたしたちの文字」(ひらがなや女手)
六年上 いろは歌



※二年上の「はごろも」は絵が変更されている。

 
 
 昭和36年度用

一ねん上 浦島太郎(絵だけ4枚)
一ねん下 一寸法師
二年上 はごろも
三年下 はやとり(日本神話)
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
五年下 本の歴史
六年下 正倉院



※二年上の「はごろも」は、さらに絵が変更されている。
 五年で「ふえ」がなくなる。「本の歴史」では、版本の説明はあっても写本の説明はない。日本の伝統的な写本について、説明がほしいところ。
 六年下の「正倉院」では、古代の文化史の話が少しある。

 
 
 昭和40年度用

一ねん(欠本)
三年下(欠本)
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
五年下(欠本)
六年下 正倉院

 
 
 昭和43年度用

1ねん下 一寸法師
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
六年下 正倉院

 
 
 昭和46年度用

二年下 小さなかみさま(出雲神話)
六年下 今昔物語集(現代語訳)



※この年度の1ねん上から各学年で、別記著作者に作家・井上靖が入る。以降続く。
 六年下の目次に「古典」の語あり。

 
 
 昭和49年度用

二年下 小さなかみさま(出雲神話)
六年下 今昔物語集(現代語訳)

 
 
 昭和52年度用

(平安時代にかんするものは特にない)



※六年下の目次から「古典」の語がなくなる。

 
 
 昭和55年度用

六年下 漢字とかなの由来(ひらがなの字母表)

 
 
 昭和58年度用

一上 浦島太郎(絵3枚)
五年上 映像と言葉(『竹取物語』のことあり)
六年上 短歌(赤人、友紀、実朝)
六年下 漢字とかなの由来(ひらがなの字母表)

 
 
 昭和61年度用

六年上 短歌(古典あり)
六年下 仮名の由来(万葉仮名とひらがなの字母表)



※昭和61年度版の各学年で井上靖が別記著作者から監修人となる。
 一下に「ぼくにげちゃうよ」がある。これは、編者の一人である井上靖好みの話。

 
 
 昭和64年度用

一ねん(欠本)
二年(欠本)
三年(欠本)
四年(欠本)
五年上(欠本)
六年上(欠本)
六年下 仮名の由来(万葉仮名とひらがなの字母表)、心をつなぐ(インドの話)



※六年下の「心をつなぐ」(斎藤次郎)は、インドを旅した話(9頁)。
 ジャイプールの町のこと(写真1枚)。
 この教科書の巻頭には、ジャイプールの風の宮殿と街中の子どもたちのカラー写真2枚を掲載する。

 
 
 平成4年度用

五年(欠本)
六年(欠本)

 
 
 平成8年度用

二上(この冊のみあり)



※井上靖は、この年度版の監修者名からいなくなる。井上靖は平成3(1991)年1月29日に満83歳で死去のため。

 
 
 光村図書出版の教科書で平安時代の雰囲気に関して特徴的なことは、昭和30年度用の五年上で「紫式部」を取り上げていることです。子供にはなかなか難しい言い回しの説明文です。しかし、この時期にこうした情報を与えようという意図は、明確です。しかし、これはその後はまったくなくなります。
 昭和34年版の五年生から、ひらがなが漢字を元とする文字であることを、字母を示すことで説明します。これはその後も引き継がれます。しかし、昭和38年の本の歴史で、写本のことにまで説明が及ばないので、ひらがなの話が小学校では展開しません。
 昭和46年から『今昔物語集』の現代語訳が出てきます。しかし、それもすぐになくなります。そして、日本古典文学の中でも平安時代らしいものは、短歌の一部によって示されるだけとなります。
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2010年12月15日

吉行淳之介濫読(6)「ある脱出」「詩編」

■「ある脱出」
 娼婦弓子の胸に去来する不快感とは何かが語られます。
 自分で自分を作り上げていくことに目が向くようになった時、モノの見方が違ってくるのです。そんな中、ある男と結婚することになります。すると、特定の一人に対する娼婦という場所に置かれたことに、自己嫌悪を感じるようになりました。
 常態の女に憧れながらも、それへの復讐の気持ちを覚える弓子です。鮮やかな脱出をします。
 一人の女の心の変化を、ズームインとアウトを繰り返しながら、巧みに語っています。【2】
 
初出誌
『群像』昭和27年12月号(新人小説特集)

『吉行淳之介初期作品集』の「あとがき」には本作品について、次のように記されています。

私の作品が、名のある文芸雑誌に載った最初のもので、同年下半期の芥川賞候補作品に選ばれた。三十年に「原色の街」という長篇を書いたとき、この作品を部分および材料として使ったため、これまでの私の作品集には収めていない。単行本に入れるのは、今度が最初でまた最後である。(226頁)

 
 
■「詩編」
 冴え渡る月光の下、男の渇いたつぶやきが聞こえます。
 1944年から46年にかけての10編の詩が並んでいます。
 ここに描かれる月光は、カミソリのような切れ味で降り注ぐイメージがあります。
 前が見えない、その中で、作者は心の目で何かを見つめようとし、探しだそうとしています。【2】
 
 『私の文学放浪』(昭和40年春)に所収されたものです。
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2010年12月14日

吉行淳之介濫読(5)「藁婚式」「薔薇販売人」

■「藁婚式」
 感覚に訴える小説です。
 ことばで情景を刻んでいきます。鋭さを感じました。
 ねずみ色の壁に囲まれた部屋が、吉行の小説の雰囲気を作り出します。
 二人の男と女の心象風景が、丁寧に語られていきます。
 私は、どうもこの手のスタイルは苦手です。作者の一人芝居を見ているようなので……。
 空襲が背景にあり、現実との接点を持っています。【2】
 
 本作は、吉行が原稿料をもらった最初の作品です。
 
初出誌
季刊誌『文学会議』昭和23年12月
 
 
■「薔薇販売人」
 石膏色やねずみ色や昆虫が雰囲気を作ります。
 色覚と嗅覚を敏感にさせる小説です。
 空襲が背景に出てきているのが、この時期の吉行の特長です。

 自分のスタイルを作ろうとしているかのように、半ばで作者が顔をだします。
 そして、男と女の心理劇が始まります。駆け引きが巧みです。やがて、恋愛遊戯に近い採点遊びとなっていきます。しかし、最後に意外な行動が、読者の予想を収束させます。
 この、膨らんだものを急激に萎ませるのも、吉行の手法の一つです。【2】
 
初出誌
『真実』、1950(昭和25)年1月1日、新年号
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2010年12月13日

井上靖卒読(117)「流転」

 天保11年のことです。
 市川海老蔵の「勧進帳」が巷の話題になっていました。団十郎が義経、海老蔵が弁慶です。

 人気者の海老蔵は、傲慢なところがありました。その海老蔵に楯突く三味線弾きの新二郎。2人の対立の中で、新二郎に視点を合わせて物語が展開していきます。この新二郎の周りには、お秋とおしのの2人の女性が配されます。

 新二郎は、海老蔵に反発し、詫びを入れることなく歌舞伎の世界を捨て、お秋と舞踊の寄席に出ます。しかし、新たな出発の舞台で火事に見舞われ、一転して驚愕の物語展開となります。
 急テンポで進展する迫力のある描写に、井上靖の若いエネルギーを感じます。

 やがて海老蔵も、深川での豪奢な生活を咎められ、江戸から追放されます。そして10年ぶりに江戸に帰るとき、お秋と出会います。ここで、父親殺しの背景にあったお秋の誤解が解けます。しかし、新二郎の運命はさらなる波乱の中にありました。

 死に行く新二郎の三味線に合わせて、念願の「蓬莱」をお秋は踊ります。火事で中断されたままだった舞踊が、今、両国の隅田川の堤で、海老蔵に見守られながら密やかに舞われます。
 「嘉永三年三月、星の降りそうな夜だった。」と結ばれるのでした。

 この作品は、ことばが緻密に詰まっています。後にゆったりと語る井上靖も、その初期にはこんなに神経を研ぎ澄まし、計算された語り口で書き綴っていたのです。

 懸賞小説に応募した作品ということもあるのでしょうか。後半の筆が奔り過ぎです。描写が粗くなっています。もっと、丹念に新二郎とお秋を語ってほしいと思いました。内心は新二郎を好いていたおしのも、中途半端なままです。また、海老蔵をもっと憎まれ役で通してもよかったのではないでしょうか。【3】

 この「流転」は、昭和11年4月30日を締め切りとする『サンデー毎日』が募集した懸賞小説に、「時代物」として30歳の井上靖が応募した作品です。選者は、菊池寛、吉川英治、大佛次郎の3名でした。そして、「流転」は「第1回千葉亀雄賞 長篇大衆文芸時代物 第一席入選」を果たしました。
 応募総数が925編だったので、激戦の中での受賞です。

 「流転」は、『流転』(昭和23年10月10日、大阪有文堂刊行)に、短編の「紅荘の悪魔たち」と「霰の街」と一緒に収録されています。また、『流転』(昭和31年4月15日、河出新書)に、「森蘭丸」と併録されています。
 
 
初出誌︰サンデー毎日
連載期間︰1937年1月3日・10日合併号〜2月21日号
連載回数︰全7回
 
井上靖全集8︰長篇1
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2010年12月12日

江戸漫歩(27)スカイタワーと佃島

 東京での週末、のんびりと宿舎のまわりを散策しました。

 隅田川に架かる中央大橋から永代橋を見やると、完成間近の500メートルを超えた東京スカイツリーが見えます。
 ちょうど、飛行船がやって来ました。
 手前を飛んでいた鳥たちが、飛行船を目指して飛んで行くところに出会えました。。
 
 
 
101212_hikosen
 
 
 
 大橋の南側の大川端リバーシティ21から佃島の方に向かうと、突然あたりの様子が一変します。
 レンガの壁が崩れたようなオブジェの様子は、ヨーロッパの雰囲気を漂わせています。
 
 
 

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 このあたりは、超高層マンションが林立しています。
 スーパーマーケットも高級志向です。関西のイカリと思えばいいでしょうか。
 ケースの中には、京都のお漬け物や京都のうどん等が並んでいます。京都もブランド化しています。
 ワインの品揃えが群を抜いているのは、この地域の住民のニーズを満たすためのようです。
 自由が丘のチーズケーキを買いました。

 佃公園から佃島に出ると、これまた日常とは異なる風景が目に飛び込んで来ます。
 大阪とはまた違った水の都の風情です。もちろん、ベネチアとも。
 こんな光景は、さすがの京都にもありません。
 真ん中に突き出ている銭湯の煙突が気に入りました。
 
 
 

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 江戸情緒に新しさが混在しています。非常におもしろい地域となっています。

 過疎化が進む中、旧来の路地に集う家々は、やがては佃島や月島の高層化の中に吸収されるのでしょうか。対岸の豊洲のような島になってほしくない、という想いを持ちながらの散策でした。
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2010年12月11日

井上靖卒読(116)『魔の季節』

 別れた桂伸子のことを怒鳴るためだけに北の果て宗谷岬に来た風見竜一郎は、列車で伊吹三弥子と出会います。雄大な北海道の景色を背景に、この物語が始まります。

 私は、井上靖の小説を読むとき、いつも唸る男を楽しみにしています。
 この作品では、伸子にやり込められて返事に窮した竜一郎が、「うむ」と何度も呻きます(文庫115頁)。三弥子との会話の途中で、「うーん」と唸りたくなったりしています(171頁)。その後、竜一郎は三弥子への気持ちに苦しみながら、「彼女が好きだ」と低く唸るように言います(354頁)。唸る男に注目すると、物語の基本線が見えてきそうです。

 ただし、後半で端役である三平が、伸子から声をかけられ、唸るような「おう」という声を出します(312頁)。その後、伸子が誰かの奥さんになるということを聞いた三平が、「ああ!」と呻き(403頁)、「ああ、やっぱり本当か」と唸ります(409頁)。
 この三平に唸らせたのはどうしてなのでしょうか。いつか考えてみたいと思います。作品の中であまり効果的な唸り声とはなっていようように思うのですが……。

 竜一郎は仕事に失敗しながらも、あくまでも自由人です。そこへ、女優の伸子と大学教授の伊吹卓二、そして専業主婦の三弥子が複雑に絡んで展開します。この人物設定がおもしろいと思います。

 話は北海道から東京、そして富士五湖へと移ります。しかし、その舞台回しとなるのは、有楽町から銀座です。これも、井上作品によくある設定です。
 三弥子が銀座で出かけたとき、こんなことが語られます。

女が自分の身を飾るこまかい品に無関心になった時は、あまり倖せとはいえないようである(151頁)


 そういうものなのでしょうか。井上の観察眼の一つなのでしょう。

 全編を通して、伸子のわがままがうまく描かれています。その勝手な気儘さに振り回される男たちも、おもしろおかしく巧みに描かれています。これは、三弥子の心の揺れ動きを丹念に語る中で、うまく対照的に語られているのです。

 それにしても、井上靖は湖が好きなようです。創作童話に始まり、さまざまな作品で湖が取り上げられています。琵琶湖とは異なるものとして、この富士五湖が背景に置かれているのです。
 そして、この湖に、冬の白い月光が射します。その描写は長くはありません。しかし、それが伸子を語る場面に用いられことに、私は疑問を持ちました。三弥子と月光が相応しい取り合わせだと思えるからです。若い女性と湖と月光という絵になる場面を想定したからでしょうか。もっとも、その描写は作品の中では、それ以上には伸びませんでしたが。

 最後に波乱が、と思わせながら、結局は何事もなかったように物語は静かに収束していきます。井上流の物語の閉じ方です。安心感と共に、人の心の揺れ動きの綾に思いを致しながら、読者は本を置くことになります。【2】
 
 
 
 
初出誌︰サンデー毎日
連載期間︰1954年11月21日号〜1955年7月31日
 
文春文庫︰魔の季節
井上靖小説全集8︰海峡・魔の季節
 
 

【映画化情報】

映画の題名︰魔の季節
制作︰松竹
監督︰ 岩間鶴夫
封切年月︰1956年3月
主演俳優︰淡島干景、山村聡
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2010年12月10日

心身雑記(96)医者からリラックスしなさいと

 7月に胃ガンを速やかに告知してくださった九段坂病院へ行ってきました。
 このところ、体調が思わしくないからです。

 一番厄介なのは、絶えず頭を締め付けるような頭痛です。
 右肩から右目上にかけて、違和感と痛みが一日中あります。物事に集中できません。

 その他、目の奥のだるさ、朝晩の鼻水、喉の違和感と声が出しにくいこと、体重が増えない等々。
 風邪だけとは思えない様子なので、思い切って病院に行くことにしました。
 併せて、命拾いをした手術後の報告も兼ねています。上京する直前の血液検査で、白血球が極端に少なくなっていることもあります。

 地下鉄九段下駅を出ると、皇居田安門のそばの紅葉が朝日を浴びて輝いていました。
 
 
 

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 1時間半ほど待って診察の順番が来ました。血液検査にさらに1時間かかりました。

 結局、体重が増えないことは気にせず、慌てず騒がず無理をしないほうがいい、とのことでした。今が底のようなので、急いで体重を増やさなくても、いずれ増えるからと。焦っても、良いことは何もないですよ、とも。

 頭痛は、最近の緊張感からきたものだそうです。
 ストレスとプレッシャーが原因なので、緊張を緩和する薬で様子を見ましょう、ということでした。

 白血球は、1ヶ月前の血液検査の時が風邪気味だったからで、今日は問題ない数値でした。

 糖尿病の指針となるヘモグロビンA1c の値は、1ヶ月前と同じでした。これも、今はまあいいでしょう、と。

 栄養状態を示す数値も問題ないので、リラックスして暮らすことを心掛けることにします。

 とにかく、これで一安心です。
 先生は、手術がうまくいってよかったですね、と、よろこんでくださいました。
 これだけで、今日の診察を受けた甲斐があったと思いました。
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2010年12月09日

井上靖卒読(115)書誌情報の備忘録

 井上靖の資料を整理していて、いくつか気づいたことをメモとして残しておきます。
 私は井上靖の研究者でもないので、あくまでも愛読者としての視点からの備忘録です。

(1)貴重な情報発信がなされているウエブサイト「井上靖作品館」は、小まめに井上靖に関する情報を収集し整理されています。日々弛まぬ情報更新のたまものです。折々に更新情報を拝見しています。
 ただし、その作品一覧の中で次の2作品の初出発表年月日が『井上靖全集』と一致しません。細かなことですが、念のために報告しておきます。


 ◎作品名︰ 桶狭間
  初出号数︰1952年1月号

  この情報源は『井上靖ノート』(坂入公一、1978年、風書房)のようです。
  『井上靖全集』(第三巻、別巻)では、「昭和二十七年(1952)2月号」です。

 ◎作品名︰ 天目山の雲
  初出号数︰1953年2月32号

  この情報源も『井上靖ノート』(坂入公一、1978年、風書房)のようです。
  『井上靖全集』(第三巻、別巻)では、「昭和二十八年(1953)4月号33号」です。
 
 
(2)『井上靖全集』(別巻)の「井上靖書誌」に、『日本文学全集 60 井上靖集』(筑摩書房、昭和45年11月1日)に関する情報がありません。
 
 
 

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 これに関連すると思われるものとして『井上靖全集』(別巻)には、『現代文学大系60 井上靖集』(昭和38年10月10日、筑摩書房発行、全69巻、第2回配本、四六判、函、カバー、口絵写真 筆跡(「天平の甍」冒頭)、520頁、定価430円)が取り上げてあります。

 私の手元にある『日本文学全集 60 井上靖集』は、全集の種類こそ違え、内容に関してはまったく一致します。同定できないこととしては、定価が印刷されていないことと月報がないことの2点です。

 なお、『井上靖全集』(別巻)の上記『現代文学大系60 井上靖集』の備考には、『筑摩現代文学大系70 井上靖集』(昭和50年7月20日、全97巻、第6回配本、定価1600円)として再刊されたことが記されています。
 この本については、その前の昭和45年にも、昭和38年版と同一内容の新装本として刊行されていたようです。
 
 
(3)『現代日本文学アルバム 第15巻 井上靖』(昭和48年8月1日、学習研究社発行、函、カバー、250頁、定価2300円)の新装版のこと。
 
 
 

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 『井上靖全集』の「井上靖参考文献目録」の「2.解説・月報等」(975頁)に、『現代日本文学アルバム15』(昭和48年8月、学習研究社刊)という簡単な項目があります。
 『井上靖全集』では、こうしたアルバム類の詳細な書誌情報は取り上げていません。
 以下、手元の資料によって備忘録として記しておきます。

 昭和48年版と同じ内容の新装本が『現代日本文学アルバム 第15巻 井上靖』(平成16年3月6日、学習研究社発行、函(ナシ?)、カバー(ナシ?)、252頁、定価ナシ)として刊行されています(上記写真の下段の本)。この本の奥付は「1973年8月1日 初版発行/2004年3月6日 新装版第1刷発行」となっています。
 ここで気づくことは、総頁数が違うことです。平成16年版が2頁多いのです。
 これは、巻末資料の「年譜」で、昭和48年版では「昭和四十八年」までだったところを、平成16年版では「昭和五十四年」までを追補し、さらに、井上靖が死去する平成3年までの主な作品名を、簡単に列記しているのです。

 また、それに続く「註記」で、昭和48年版に初出誌不明として明記されていた【詩「元旦に」「夏の終わり」】の2作品を、平成16年版では削除しています。これは、『井上靖全集』(別巻)では、昭和32年1月と昭和31年11月と特定しています。
 出典が確認できたための補訂だったようです。

 この「年譜」以降に「著作目録」、「主要参考文献」、「その他の主要参考文献」がありますが、いずれも昭和49年以降の情報は追補されていません。頁が増えることを配慮してのものでしょうか。

 また、巻頭の目次の頁表記で、平成16年版は昭和48年版をそのまま引き継いでいるため、「年譜」以降で追補された2頁分が足してありません。そのため、「著作目録……245」、「主要参考文献……247」が正しいものとなります。
 
 
 

 以上、(2)と(3)の本は、ブックオフの棚に105円で並んでいたものです。全集や写真集などの端本は、古本に限ります。
 ネットで本を探して注文するのとは違って、古本屋さんの店頭では、本との出会いの楽しみがあります。
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2010年12月08日

井上靖卒読(114)「昔の愛人」「薄氷」

■「昔の愛人」
 冒頭から、読者の心を掴みます。井上がうまいところです。

 昔、阿佐子が同棲していて、十年前に裏切った男の妻から、突然の手紙が届きます。それには、病床の夫があなたに逢いたがっているので来てもらえないか、というものでした。

 星も月も、この作品では「孤独」を象徴するものとなっています。

 それにしても、阿佐子の夫は、包容力ある頼もしい男です。井上の作品には、よくこのような客観的な立場に立つ男が出てきます。
 鷹揚な夫と、何かと心を砕く妻。感動的な、伊豆の海辺での二人の姿で、この小説は閉じられます。
 この作品も、『井上靖全集』に初めて収録されたものです。もっと読む機会があってもよかった作品だと思います。【5】
 
 
 
初出誌︰婦人倶楽部
初出号数︰1951年9月講和記念号
 
井上靖全集 3︰短篇3
 
 
 
■「薄氷」
 無知愚鈍だという妻とのことを上司に語る夫が、丹念に描かれています。

 平生は自分の意見を言わない妻が、珍しく「なるべくなら明日は家にいてほしいんですけど」と言います。その言葉の意味が、夫は気になります。日記を調べると、明日という日は、妻が子供を堕ろした日だったのです。

 鼾をかいて横で眠る妻を見ながら、妻の心の中を思いやり、愛おしさと共に、妻への不気味さを夫は感じます。自分が知らない妻の心の中を思う夫の心情が、感動的に語られています。【5】
 
 
 
初出誌︰新潮
初出号数︰1952年1月号
 
集英社文庫︰夏花
井上靖小説全集 4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集 3︰短篇3
 
 
 

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2010年12月07日

読書雑記(27)水上勉『湖の琴』

 学生時代に買った文庫本で、読まないままに眠っていた本が見つかりました。
 ちようど最近は、琵琶湖岸の観音さまを巡拝し散策するプランを練っているところなので、興味の赴くままに読みました。
 
 
 
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 水上勉の『湖の琴』は、昭和40年7月23日から翌41年6月8日まで、読売新聞(夕刊)に273回にわたり連載されたものです。
 昭和46年5月から、井上靖の『星と祭』の連載が朝日新聞で開始されています。おそらく『星と祭』を読んで、その関連からこの『湖の琴』に興味をもって購入したものと思われます。この角川文庫の奥付が、「昭和43年10月・初版/昭和46年7月・8版」となっているので、時期的にも符合します。

 さて、『湖の琴』では、湖北の渡岸寺の観音さまが素直な感想で活き活きと語られています。井上靖と比べたらおもしろいと思いました。
 女主人公であるさくの美しさと渡岸寺の観音さまが結び付きます。さくは理想的な女性として描かれていることから、観音さまの生まれ変わりとして語られていきます。

 お盆の行事などが詳しく語られ、日本の伝統的な文化が物語の背景で展開を支えています。
 また、舞台が京都に移ると、我が家の周辺が出てきて嬉しくなりました。大谷大学のそばの上総町は、いつも通るところです。四条通りも馴染みの場所です。
 水上勉は相国寺の塔頭である瑞春院に、小僧として修行をしていました。同志社大学の北側に、今でもあります。
 自分が日常的に通るところや、よく知っている場所が物語の舞台に出てくると、途端に話が立体的に展開するからおもしろいものです。登場人物が、頭の中を自由自在に歩き回るのです。そして、今と比べて楽しんだりもできます。このことは、作品を理解するというよりも、楽しむためにも大切な要素のように思いました。

 物語は後半に急展開します。ラストの余呉湖の月がみごとです。美しい世界が紡ぎ出されています。
 読者に感動を与える作者の筆力を感じました。
 さくと宇吉は、最後には結ばれて幸せを手にすると共に、読者は澄みきった純粋な愛情に浸ることができます。いい小説を読むことができました。
 余呉湖へ行きたくなりました。

 『湖の琴』は、琵琶湖を背景にした美しい物語です。井上靖の『星と祭』は、これを意識しているのではないか、と思われてきました。
 賤ヶ岳を含めて、この湖北地方の歴史と文化に、井上靖はかねてより興味を持ち、ここを舞台にした作品もいくつか書いています。
 琵琶湖の底に眠る少女と十一面観音、それにヒマラヤで満月を観るという話を結合させると、『星と祭』の大枠ができるように思えます。まだ、ほんの思いつきではありますが……【5】

 なお、『湖の琴』は映画化されていました。
 まだ観ていないので無責任に感想を記せば、山岡久乃が鳥居まつ枝役というのが意外です。原作を読んでの印象は、もっと個性的な設定だというイメージでしたので。また、男性陣はもっとひ弱そうなメンバーを連想していました。
 機会を得て、観なくてはいけません。

映画製作年︰1966年
配給︰東映
監督︰田坂具隆
 佐久間良子(栂尾さく)
 中村嘉葎雄(松宮宇吉)
 二代目中村鴈治郎(桐屋紋左衛門)
 山岡久乃(鳥居まつ枝)
 千秋実(百瀬喜太夫)
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2010年12月06日

読書雑記(26)高田郁『出世花』

 本書は、第2回小説NON短編時代小説賞の奨励賞を受賞した「出世花」を土台にして、それに続く3編を書き下ろしの連作として1冊にまとめたものです。
 特異な世界を生きる少女が、純粋に爽やかに成長する姿を描いています。江戸時代という社会の底から見た人間模様が、理と情を巧みに綯い交ぜにした物語として、読者の胸に迫るところが読みどころです。

 なお、主人公が遺体を洗い清める場面を理解する上で、表紙の絵はイメージを膨らませるのに参考になります。これは、京都瑞泉寺副住職の中川学氏が描かれたものだそうです。
 
 
 
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■「出世花」
 江戸時代、1800年頃、青梅街道沿いの落合が舞台となっています。
 人物設定とドラマの盛り上げ方が上手いと思いました。次から次へと、読者を飽きさせることなく話が展開します。特に、少女の心の揺れ動きを描写する筆が活きています。しかも、その少女が屍を洗う湯灌場の仕事をしているという、非日常的な世界が読者を捉えて離しません。これまで知らなかったこと、意外なことの連続の中に女主人公のみならず我々も身を置き、社会の仕組みや人の情の温かさに浸ることとなります。【4】


■「落合蛍」
 「おくりびと」ならぬ女納棺師の話でもあります。女主人公のお縁は、女検死官とでも言えばいいのでしょうか。多彩な役割をこなしていきます。
 この章は、とりたてて大きな展開もなく、抒情的に語られます。夏という季節の中で、自然が、人の心がみごとに描かれます。ジンワリと、お縁の眼を通して、人の世が、人の情が伝わってきます。
 ところが、一転して話が急展開します。それまでの話が伏線となり、驚愕の事態になるのです。そして、お縁は「やくそく」を果たすのです。蛍が印象的です。語りの巧みさに、思わず唸りました。【5】


■「偽り時雨」
 お寺で屍を洗って死者を冥土に送る仕事をするお縁が、時にはお上に協力して死体検死官になったりします。
 お縁が、何日も神田明神の、おみのの家にいるのが不自然に思えます。亡くなるのを待つ5日間になっているので。
 話の展開に少し無理があります。しかし、そこは筆の力で押し進んでいます。
 この作者にしては珍しく、最後の着地も決まっていません。【1】


■「見返り坂暮色」
 子が親を想う情が、後半にタップリと用意されています。人が生きていく背後にある事情というものが明かされます。
 屍を扱う者だからこそ見えるもの、感じるものが、三昧聖としてのお縁を通して伝わってきます。死者をきれいに洗って冥土へ送る立場の者だからこそ、人の情を掬い上げる視線から、深くものが見えてくることが描かれています。【5】
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2010年12月05日

読書雑記(25)高田郁『銀二貫』

 高田郁『銀二貫』(幻冬舎時代小説文庫、2010.8)は、2009年6月に幻冬舎から刊行されたものを文庫化したものです。別シリーズの『みをつくし料理帖』の大阪版と言えます。
 
 
 
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 さすが、高田郁の時代小説、と思わせます。

 この作品は、大阪を舞台として展開します。やわらかい大阪言葉が、話を温かく包みます。関西出身の作家だけあって、ごく自然な言葉遣いです。

 温かい蒸し羊羹ではじまります。
 そして、この羊羹が最後に、感動的に取り上げられます。
 開巻一番、仇討ちの描写が活き活きとしています。会話のテンポがいいのです。快調に読み進めました。

 「商人の矜持」は、気持ちが晴れやかになる、いい話です。誠意の大切さが伝わってきました。

 「約束」は、完成度の高いものです。話の盛り上げ方、人間の情、そして前向きな姿勢など、力強く語られています。
 
 「興起の時」の最後で、半兵衛がこう言います。


「なお、松吉。一里の道は一歩では行かれへん。けんど、一歩一歩、弛まんと歩き続けたら、必ず一里先に辿り着ける。お前はんは、もう歩き出したんや。転んだなら立ち上がったらええ。簡単に諦めたらあかんで。」(312頁)


 何か、私自身への励ましのことばのように聞こえてきました。こんな意味の人生応援歌がありました。一見、浪花節的です。しかし、ここまで読んできて最後のこのことばは、読者をも勇気づけるものとなっています。

 最終章の話の閉じ方もうまいですね。
 盛り上げて、情感タップリに、そして静かに幕を下ろします。
 いい話を聞いた、という読後感を残します。【5】
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2010年12月04日

読書雑記(24)高田郁『今朝の春 みをつくし料理帖』

 本作は、「時代小説文庫」として角川春樹事務所から2010年9月に刊行された、『みをつくし料理帖』シリーズの書き下ろし第4作品です。
 次作が待ち望まれます。
 
 
 
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■「花嫁御寮−ははきぎ飯」
 小松原の正体が判明します。回りくどかったように思えます。しかし、とにかくスッキリとしました。
 このことに話が集中したために、説明口調となり、膨らみがなくなってしまったように思えます。いつもの情味が少ないのが、物足りなさと寂しさを感じさせます。
 人の動きが変わるときの、中休みのような一章になっています。
 帚木というほうき草の実は緑色だとか。今のトンブリをめぐる話は、興味深く読みました。しかし、それまで。
 近づくと見えなくなる、という伝説の帚木のことを、もっと話に活用してほしいと思いました。『源氏物語』にも出てくる帚木なので、日本の伝統文化との絡みで、もっとおもしろくできたのではないでしょうか。【1】


■「友待つ雪−里の白雪」
 12年前の京阪で起こった大水のことを通して、澪と野江という2人の少女の生い立ちが、もの凄いスピードで描かれています。迫力があります。圧倒的な筆力で迫ってくることに、とにかく感心しました。
 澪を取り巻く人たちの、人情味溢れる行動も、読んでいて救われる想いを抱きました。【5】
 
■「寒紅−ひょっとこ温寿司」
 澪の周辺で起こる意外な出来事が語られます。突然の女の出現など、後半に緊張感が走ります。
 伊佐三のお百度参りが、話の展開の中にうまく溶け込んでいないように感じました。若い女も、話に馴染んでいません。話の構成が崩れてしまっているのが惜しまれます。親子の情に流されてしまったからでしょうか。【1】
 

■「今朝の春−寒鰆の昆布締め」
 登場人物の情け深い話で、作者は読者の目先を変えながら、ここまで繋ぎ止めて来ました。
 作者は、今度は料理で真っ向勝負の作品としています。
 料理が前面に出ると、この作者の話は輝きを増します。
 読み手の気持ちを明るくする、完成度の高い話に仕上がっています。【5】
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2010年12月03日

心身雑記(95)女性の敵と言われる私

 どうしたら体重が増えますか ?
 太る方法を教えてください !

 今、私が一番悩んでいるのは、いかにして太るか、ということです。
 贅沢だと言われそうですが、体重を増やすことが切実な問題なのです。

 胃を切除する前に比べると、体重が7キロ減りました。
 40年前に胃の3分の2を切除したときは15キロ減ったので、減り具合はまだましだといえます。しかし、あのときは回復も早かったので、順調に体重も元に戻りました。

 私は、小学3年生までは栄養失調でした。いわゆる、虚弱児童だったのです。体育で走ることも、泳ぐときも、いつも見学でした。
 小学4年生から、運動会で走ってもいいことになりました。一等でテープを切ったことを覚えています。そして、野球をやり、ピッチャーをしました。
 中学では卓球を、高校ではテニスをしました。ともに、大阪府の大会では上位に入っていました。

 高校では、1500メートル走が得意でした。長居競技場であった高校の運動会のとき、母は私が走るのが心配だったのか、コッソリと見に来ていたのを知っています。クラブでは、毎日のように10キロは走っていました。テニスは、あと一つ勝てばインターハイに行けたのですが……

 そして、高校を卒業して上京し、大田区で新聞配達を初めて10日後に、十二指腸が破れたのです。十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎でした。朝刊を配り終えた後、朝食が終わってすぐに、住み込みの販売店の自室で意識を失いました。対処が早かったので命拾いをし、半年間は自宅の大阪でブラブラして、秋にはまた上京して新聞を配りながら、川崎の予備校に通いました。
 体重が45キロに落ちたのに、徐々に回復していくのが実感としてわかりました。なんといっても18歳という若さだったので、日増しに体力と気力が充実していくのを感じながらの生活でした。

 それが今回は、西国三十三所の札所巡りでわかったように、体力の回復は順調でした。しかし、体重が思うように増えません。
 よく運動をし、こまめに食べています。プロテインも飲んで、筋肉を増やそうとしています。それでも、体重が増えません。

 ドッシリと太った人を見ると、どうしたらあんな風になれるだろうか、とチラチラ見てしまいます。
 もともとが痩せていたので、外見はそんなに変わっていません。しかし、身体が軽くなっていることは、日々自覚せざるをえません。

 東京の宿舎には体重計がなかったので、先程買ってきました。
 通りがかりに、オシャレなデザインが気に入って、つい買ってしまいました。
 体脂肪なども計測してくれます。
 
 
 

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 初計量は、48.4キロでした。

 手術後3ヶ月以上が経ちました。「たったの」と見るか、「もう」と見るか。
 妻は「たったの」といいます。私は「もう」と思っています。

 体重が50キロ台になったら職場に復帰しよう、と思っていました。しかし、思うように増えません。そこで、見切り発車で先週から上京し、業務をこなしています。意識してスローペースでやっています。この調子なら、これまでのように仕事ができるように思えます。

 館内の廊下や階段を、早足や小走りで移動しています。これは性分なのでしかたがありません。
 それにしても、身体が軽くなっていることを、この移動中に痛感します。
 体重を増やし、太りたいとの願いは、慌てず騒がず日々の努力で、何とかして叶えたいものです。
 食べたら太る、ゴロゴロしていたら太った、という人が羨ましく思えます。あやかりたいものです。
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2010年12月02日

読書雑記(23)高田郁『想い雲 みをつくし料理帖』

 本作は、「時代小説文庫」として角川春樹事務所から2010年3月に刊行された、『みをつくし料理帖』シリーズの書き下ろし第3作品です。

 筆致はますます快調です。
 
 
 
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■「豊年星―『う』尽くし」
 人を信じるということが問われています。
 ドラマチックな展開を見せる後半を、瞬きもせずに読みました。
 どうやら、信じ続けることが、まだ意味を持っているような書きぶりです。人間の情をうまく捉まえた話になっています。【4】

 

■「想い雲―ふっくら鱧の葛叩き」
 小気味よく、リズミカルに話が展開します。食べ物を介して、楽しく読み進められます。ますます、文章に季節感が出てきました。眼を風物に転ずるタイミングも絶妙です。
 鱧の話は、大変参考になりました。鱧が大好きな私は、東京で見かけることがないので、今夏も京都でよく食べました。
 幼馴染みの野江と出会う場面は、まさに映像美というものをコトバで見せてくれます。読者に、希望を与える話で終わります。【4】
 

■「花一輪―ふわり菊花雪」
 噂と濡れ衣で語られるこの章は、読んでいてあまり楽しくありませんでした。手法としてはいいと思います。しかし、これまでの明るさを楽しんでいたので、出来ることなら避けてほしい話題でした。話に、意外性を求めるようになっているのは、シリーズ化のための変化として認めざるをえないと思いますが……
 月をうまく使っています。季節感が伝わってきます。その半面、作者お得意の人の情が伝わりにくくなったようにも感じました。【2】

 
■「初雁―こんがり焼き柿」
 弟の健坊を探し求めるふきが活写されています。そして、それを取り巻く澪たちも、情け深い動きをします。人の気持ちがよく表現されています。
 人が生きる厳しさも、健坊を通して語られます。情に流されてはいけないことを。この健坊をもとの家に戻したことは、この話の一番できているところでしょう。
 作者は、人間をよく見ています。確かな眼が、背景にあることを感じます。【4】
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2010年12月01日

インドからの留学生を預かって

 今日は、総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻の大学院生による、博士論文のための中間研究論文発表会が、国文学研究資料館のセミナー室でありました。
 国文学研究資料館が所属する総合研究大学院大学(略称︰総研大)は、博士後期課程だけの大学院大学です。そのため、博士前期課程(かつての修士課程)がないので、入学するとすぐに博士論文作成という目標が設定され、博士号取得に向かって勉強をすることになるのです。
 そして、毎年この時期に、今年の成果を研究発表という形で公表し、先生方や院生仲間から教示などを受けるのです。

 今日は、6人の院生の発表がありました。ただし、中には国費留学生として来ている学生もいます。
 アンビカ・バスさんは、インドから来ている国費留学生です。研究テーマは、近松門左衛門の浄瑠璃です。
 私が身元引受人という立場で主任指導教員となっています。ただし、私の専門は平安時代の物語文学なので、実質的にはT教授に研究指導をお願いしています。
 毎週のように、一対一で長時間にわたる熱心な指導がなされています。副館長という要職に就いておられるので、ご多忙の中での懇切丁寧な指導には、本当に頭が下がる思いです。励まし、苦言を呈する大きな声が、先生の研究室から聞こえてくることがあります。浄瑠璃を暗記して唸ったりと、アンビカさんは得難い指導をうける幸せの中にいます。
 対する私は、アンビカさんの日常生活や書類などの面倒を見たり、日本語の指導などをしています。

 そのアンビカさんの今日の研究発表は、これまでのポイントを絞りきれないものとは様変わりで、なかなか興味深いテーマでまとめていました。
 
 
 
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 近松門左衛門の作品を読むことだけでなく、インドの演劇の8分類をとりあげ、それと日本の演劇との比較などを展開していたのです。また、観客という視点を導入し、立体的なアプローチに挑んでいました。
 日頃のT教授から受けた指導の成果が、このような形で私に伝わって来たことが、とても嬉しく思われました。

 T教授は、まだ薄明かりが見えだしたところだ、楽観的になってはいけない、と厳しくおっしゃいます。しかし、私には今後が頼もしくなるほどの、それほどの進歩の痕が認められたように思いました。彼女のスタート時の姿を知っているので、なおさら今日の様子に研究というものの入口に立った満足感が見られました。

 アンビカさんとは、5年ほど前に、インドのデリー大学かサヒタヤアカデミーで逢いました。まだ、研究をしてみたい、という程度の学生さんでした。その後、日本の近松研究所で勉強をし、さらに研究を進めるためにインドの国費留学生の試験を受け、トップクラスで合格して、国文学研究資料館で勉強をしたいと言って来日してきました。

 アンビカさんの前には、ネルー大学のスレンドラ・クマール君をインドからの国費留学生として預かっていました。かれも漢字検定1級にチャレンジするなど、意欲的に勉強して帰りました。
 本ブログの以下の中で、彼のことを紹介しています。


「インド人留学生の眼(1)日本人はシャイか?」(2008年11月18日)

「インド人留学生の眼(2)「日本の常識の不思議」」(2008年12月 3日)

「インド人留学生の眼(3)「年末に実家で考えたこと」」(2009年1月26日)


 インドの若者を見ていると、日本でも昭和30、40年代がそうであったように、眼が輝いています。眼がキラキラしているのです。知的好奇心も旺盛です。
 私が、インドからの留学生を積極的に引き受けているのは、こうした眼の輝きを持つ若者たちを、微力ながらも応援してあげたいからです。また、その価値のある若者が、インドにはたくさんいます。

 インドにおける日本文学研究は、まだ人材が少ないのが実情です。これからです。
 そのこともあって、平成16年に〈インド日本文学会〉を設立しました。ネルー大学のアニタ・カンナ先生と、デリー大学のウニタ・サッチダナンド先生と私の3人で立ち上げました。
 在インド日本大使館と国際交流基金が理解をもって支援してくださっています。そのような中で、研究レベルの向上と若手の日本文学研究者の育成に資するための活動を、精力的に展開しているところです。
 今、来春2月に〈第7回 インド日本文学会〉を実施するプランを練っているところです。

 今ここに記している、留学生の受け入れと研究支援も、その一環として私の責務として取り組んでいるものです。

 とにかく、インドはこれからの国です。日本文学研究の中でも古典文学という分野は、インドの文化から見ると共感できる部分が多いために、研究しやすい分野だと思います。問題は、古語という障害です。しかし、これは現在日本にいる若者にとっても、古語が縁遠いことばになっていることは同じです。ただし、日本文化を直接肌で感じられる環境にいることは、大いに有利な点ですが、それが等閑視されているのが残念です。

 そうしたことからも、海外の優秀な若者が日本の古語を読み解くことを楽しみにしている現象は、非常に興味深いことです。海外には、古写本なども読む人がたくさんいるので、日本人もがんばろうよ、と日本に帰ってくるたびに思うことです。
 先週開催された国際日本文学研究集会で、ケンブリッジ大学の大学院生のレベッカ・クレメンツさんが質の高い研究発表したことは、日本の若者へのいい刺激になったと思います。もちろん、彼女は日本の古写本も版本も読めます。日本の若者がサボっているので、おもしろいくらいにドンドン研究を進めていけるのでしょう。
 今後は、我々が適切なアドバイスを伝え、文献資料を駆使した文学研究の王道を邁進してくれることを望みたいと思います。

 そうこうするうちに、日本の若者もこれではいけない、と思って自国の文学と奮闘してくれる時代が訪れるはずです。

 さて、アンビカさんは、最初は近松門左衛門の作品を日本人と同じような手法で調査し、研究しようとしていました。しかし、それではいつまでやっても日本人の研究レベルに追いつくことで精一杯です。

 私は、日本文学を研究しようと志す海外の方々には、日本人と同じようになろうとするのではなくて、自分が産まれた国に自分の体重を乗せ、その立場で日本の文学を考えた方が生産的な成果が出るのでは、と言っています。あくまでも母国を土台にして異国の文学を考えた方が、最初は成果が現れやすいと思います。
 アンビカさんにも、そんな話をしました。
 具体的には、直接指導をなさっているT教授のアドバイスが有効だったようです。今日の研究発表に、そのいい面が見えだしたように思います。

 インドと日本の演劇論を考えていくことは、国境を越えた文学や芸能の理解を深めることになります。
 前途多難であることは承知です。アンビカさんも壁にぶち当たりながら、これまで通りひたすら前へ前へと進んでいって欲しいものです。

 昨年は、よく私の研究室を訪ねてきました。いろいろな話をしました。また、メールも何度ももらいました。しかし、今年に入ってからは、揺れ動き、ふさぎ込みがちだった気持ちも、晴れやかになったようです。
 帰り際に、相談があるとのことで、明後日の午後尋ねてくるそうです。
 自分の力で何とか道を開こうとしているので、出来る限りの手を差し伸べようと思っています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆国際交流