2010年11月24日

読書雑記(20)藤本孝一『本を千年つたえる』

 『本を千年つたえる−冷泉家蔵書の文化史−』(藤本孝一、朝日選書、2010.10)は、内容が類推しやすい明快な書名です。
 
 
 
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 本書からは、一人でも多くの人に写本のことをわかってほしい、という願いがひしひしと伝わって来ます。写本がどのようにして伝えられて来たのか、どのようにして書写されて来たのか、ということを、本というモノを通して丁寧に、そして興味深く語っておられます。
 それらが、冷泉家に対する満ち溢れる愛情へとつながっていきます。冷泉家が日本の古典文化に果たした役割が、具体的な事例の中から浮き彫りにされています。

 多分に謎解きめいています。読者が推理に参加できるように、提示される資料と情報は多岐にわたります。ここで提示されている藤本先生の解答以外にも、また別の解があるかもしれません。そのためには、たくさんの原本を見るという、実感実証を強いられます。しかし、それも楽しいことでしょう。

 第二章では、写本に書かれている奥書から類推する楽しさを、教えてもらえます。
 少し気になったのは、人物系図をもっと前に出してほしかったことです。たくさんの人名が出てくるので、えーっとこの人は、と思いながら読んでいると、95頁に人物系図が出て来ます。もっと簡単なものでいいので、為家を中心にして全体を見渡す略系図が第一章の最初にでもあったら、と思いました。

 藤本先生からは、いつもたくさんのことを教えていただいています。
 その際、口癖のようにおっしゃるのは、わからないことは聞いてほしい、ということです。自分にとっては当たり前のことは、聞かれないと説明しないので、後でどうして言ってくれなかったのだ、と言われても困るのだ、ということです。

 先生は、たくさんのことをご存じです。それだけ、豊富な調査体験があるのです。しかし、そのすべてを語るのには、あまりにも多岐にわたり、またこれはみんな知っているだろうとの判断から省略なさることが多いのです。
 そんなことがあるので、先生のお話を伺うときは、いつも時間を忘れて話し込んでしまいます。

 本書を読みながら、そこはもっと語ってください、と言いたくなるところがたくさんありました。
 全体的に、国文学関係者にわかってほしい、という気持ちが随所に見受けられます。ご自身にははっきりと見えているものを、どうしてわかってもらおうか、という苦しみが行間から立ち上ります。
 阿仏尼の行などは、特にそうです。
 お書きになった論文を読めばいいのですが、先生のご専門が歴史学なので、なかなか接する機会がないのです。本書の場合、第2章から第3章にかけて、つながりがわかりにくいと思いました。
 ただし、二条家から冷泉家に古典籍が移っていくさまは、説得力のあるところです。

 藤本先生は、かねてより「写本学」を提唱しておられます。


書写した時代と親本の姿・書写方法、流布の契機や修理時期と回数、これらを総合して、書写されてから現代にいたる伝来過程の歴史を考察する(24頁)


というものです。

 藤本先生が目指される写本学については、若い方々を意識しながら、さらにたくさんのことを語ってもらいたいと思います。

 最後に、誤解を招きそうな文言があるので、非礼を顧みずに記しておきます。
 「おわりに」で、次のように述べておられます。


定家は、たとえば『源氏物語』を例にとると、作者の紫式部からは約二百年のちの人物である。二百年の間に、意味のわからない文章も出てきて、一般の読者には難解になっていた。定家は学者の立場で『源氏物語』の文章について鎌倉時代の現代語訳をおこなった。その成果が「青表紙本」といわれる定家写本である。『源氏物語』各巻の巻末に語彙を注釈した「奥入」を付けるなど、定家の解釈があったからこそ、古代文学の意味を理解することができ、訳されることにより流布し、現代にまで伝えられた。近代においても、与謝野晶子の現代語訳によって『源氏物語』が一般に流布したのと事情が似ている。しかし一方で、巨大な存在である定家の解釈が壁になり、現代の私たちをして『源氏物語』の原本に近づけない一因になっていると、筆者は考えている。(206頁)


 ここで、定家が現代語訳をした、ということと、与謝野晶子の現代語訳の事情とが取り上げられています。ここでの「現代語訳」について、一般の方々は「あれっ」と思われることでしょう。藤本先生の理解による「現代語訳」ということは、さらに説明が必要なところです。直接このことに関して伺ったことがありますが、本文の整定ということを意識しての「現代語訳」というご理解であったかと思います。
 このことは、本書のテーマとは異なるので、話をもどします。

 本書の末尾で、冷泉家時雨亭叢書は現代人に対する古今伝授だとおっしゃいます。まさに、我々に貴重な古典籍が解放され伝授されたことを、本書を通して実感できました。さて、こうした資料をどう活用するかが、次の世代に残されたわけです。それこそ、これからの若手研究者に期待したい、文献による実証的な研究のすすめです。

 活字印刷による校訂本文や資料だけを読んで古典を考えるのではなく、写真版でもいいので原典を伝えようとしている古典籍資料を確認する中で、新しいモノの見方が多く提示されることが待ち望まれます。そのためにも、この冷泉家の古典籍をめぐる本書は、格好の「写本学」の入門書となっています。
posted by genjiito at 22:13| Comment(0) | ■読書雑記