2010年11月17日

井上靖卒読(113)『流沙』

 この『流沙』は、井上靖の小説の中でも、ベスト3に入る長さの作品です。
 このことは、「井上靖卒読(109)『崖』」(2010/06/02)で、次のように報告しています。


 井上靖の作品の中で、もっとも長いのは『わだつみ』です。『井上靖全集』で596頁(2段組み)の分量です。ただし、これは未完の作品なので、扱いが異なります。
 完結した作品として一番の長編は『崖』です。『井上靖全集』で534頁あります。64万字弱の分量なので、400字詰原稿用紙で1600枚という大作です。
 3番目に長いのは『流沙』です。『井上靖全集』で515頁なので、『崖』より少し短いというところでしょうか。



 最初に『流沙』を読んだのは、昭和57年の秋から翌春にかけてでした。ちょうど第一子となる娘が生まれる時を跨いで、5ヶ月がかりで読んだものです。その後、もう一度読んだように記憶しています。ただし、それがいつだったのか、今は思い出せません。
 今回は、入院した8月から3ヶ月かかりました。

 この作品については、ベートーベンのソナタ「ハンマークラビーア」を思い出します。最初に読んだ当時は、カセットテープを買ってきて、ピアノの曲を聴きながら読んだものです。今回も iPhone で聞きながらと思いながら、音楽を探し出せないままに終わりました。

 女主人公でピアニストの章子と、夫となった考古学者左門東平は、イスタンブールからテヘランへの新婚旅行に旅立ちます。しかし、章子はその旅行を5日間で打ち切ってでも、パリでのピアノ演奏会に行くと言い出すのです。文春文庫本で88頁目にして、2人の破局が訪れます。

 最初のイスタンブールでは、新婚の左門東平と妻章子の幸せなスタートは繭に喩えられています。

二人は自分たちで自分たちを、白く、やわらかく、匂やかな、優しいもので包もうとし、実際にまた包みつつあった。(上55頁)


 新婚旅行を打ち切ってでもパリのピアノ演奏会に行くと言い出した章子は、どう見てもわがままです。しかし、そこに章子らしさが凝縮されています。また、東平も頑固です。ドイツのボンを足場に、考古学者として生きることを主張します。
 新婚旅行先での諍いが、非常にリアルに、そして丁寧に描かれていきます。

 章子はパリへ帰り、東平はテヘランからバグダッドへ。砂漠を背景に、男と女の心の行き違いが語られます。

 バビロンの遺跡からユーフラテス川に出た東平は、その岸に立ち川面に眼を当てて、「どちらに流れているか判らぬような、どんぼりした流れ」(上154頁)だと思います。この「どんぼりした流れ」とは、どんな流れなのでしょうか。『ジャパンナレッジ』で39種類すべての辞書等を引いてみましたが、見当たりません。いずれ、ということにしておきます。
 なお、「さかとんぶり」(上304頁)ということばも出てきます。これは、奈良・神戸・京都の方言で、とんぼ返りのことです。井上は新聞記者として関西にいたので、そのときに覚えたことばなのでしょう。井上が育った伊豆地方にはないことばのようです。

 月光が落ち、満天に星が降るように散らばっている星蘭干の夜の砂漠でのことです。東平は、10年前に他の男と自殺した恋人の悠子と語らうことになります。
 死者との対話は、『星と祭』をはじめとして、井上靖の作品ではよく出てきます。この悠子は、明るい精霊として登場です。あけすけに語れるのは、心を許した間柄だからでしょう。
 後に、チューリッヒの星空が、そしてシリアの、またナイルの星空が印象的に描かれます。井上靖が得意とする、夜の空を見上げての描写といえるでしょう。

 ナイルでの夜、死者悠子と東平は語ります。悠子は、突然羅刹のように荒げた口調になります。その変化が、非常におもしろいところです。精霊の悠子が、突然悪霊のようになるのです。
 井上靖は『源氏物語』のことを生涯取り上げることはほとんどありませんでしたが、六条御息所を想起させるような、執拗に恨み言を言うのです。迫力があります。

 東平の研究テーマは、「クシャン朝の研究」です。アフガニスタンとインド西北部に栄えた国です。その話題から、イランなどへ行きます。井上靖は、読者をよく遠い旅に連れて行ってくれます。作者自身も、シルクロードの延長としての中近東を経巡っています。その経験が、砂漠を背景にした話を豊かに盛り上げています。サービス精神が旺盛なのです。

 アフガニスタンで、運転手役のボンさんの亡くなった愛人が会話に参加し、指示をしたりします。死者との対話の変形です。ボンさんは、生者と死者の架空の新婚旅行をしているのです。
 その後、ボンさんも新たな妻と波瀾万丈の末、ほほえましい夫婦となります。そして、東平に夫婦についてこう言います。「まず無心になれ」「自己主張はいかん」(下345頁)と。これは、井上靖の哲学の一部でもあるようです。

 章子は旧友のみゆきと、奈良の旅に出ます。今では熱狂的なファンが生まれている興福寺の阿修羅のことが、5頁にわたって描かれます(下34頁)。6本の腕が自由にビアノの鍵盤を叩くことを想い描く章子です。
 興福寺、東大寺、薬師寺と、奈良の仏像や塔を見て回るのです。
 また、章子はみゆきとイタリア旅行もします。ローマ、アッシジ、フィレンツェと、美術の旅をします。
 日本的なものと異国的な情景が、物語の背景にふんだんに現れます。

 章子は、密かに慕うパリの九堂と、手紙の中で会話をします。井上靖が得意な死者とではなくて、生者との自問自答を手紙を借りて語ります。
 そこでは、京都の高山寺の華厳経絵巻を引いて、章子の恋愛観が語られます。パリにいる九堂への手紙という形式で語りかけるのです。これも、新しい井上靖の手法となっています。

 最後になって、東平の親友の佐伯が唸ります(下382頁)。井上靖の作品によく出てくるパターンです。唸る男は、舞台廻しとなる役柄が配されることが多いようです。ここでも、佐伯は2人の相談相手となっています。

 東平と章子との結婚を巡るけじめについては、1年後にインドのダージリンで別れの会見をすることになっていました。しかし、それも2年後となり、ズルズルと時間が経過する中を、章子の方が先に動きます。パキスタンにいる東平の元に飛ぶのです。
 結婚を解消することで逡巡していたはずの2人が、3000年も前のモヘンジョダロの遺跡で再会し、そして、2年半の空白を埋めようとします。

 この作品は、長い長い話の中で、さまざまな愛の形が、異国の地を舞台にして展開します。
 背景が美しい、ゆったりとしたラブストーリーとなっています。ただし、今の若い方には退屈かもしれません。【3】
 
 
 

初出紙︰毎日新聞
連載期間︰1977年11月1日〜1979年4月10日
連載回数︰515回


文春文庫︰流沙
井上靖全集21︰長篇14
posted by genjiito at 07:32| Comment(0) | □井上卒読