2010年11月12日

伊井先生の講演「与謝野晶子の源氏物語礼賛歌」

 今日は早朝より、逸翁美術館館長の伊井春樹先生が「与謝野晶子の源氏物語礼賛歌」と題する講演をなさいました。
 会場は、大極殿跡地のすぐ西にある、京都市生涯学習総合センター(京都アスニー) です。
 いつもなら自転車で行くところです。しかし、明け方から突然の雨のため、タクシーを使いました。

 インターネットでイベントの紹介を見ると、次のように書いてあります。

平成22年度ゴールデン・エイジ・アカデミー
 11月のテーマ
 『古典に親しむ−古典の日記念 京都市平安京創生館 開設1周年−』


 ゴールデン・エイジとあります。至福の時代とか最盛期という意味でしょうか。生涯学習の別表現として、なかなかうまいと思います。聴講者の年齢層が高いことを予想させます。

 先生は登壇なさっての冒頭、今の若い女性の言葉に「よさのっている」というのがあり、それは髪型が整わない意味で、与謝野晶子の『みだれ髪』から来ている、と切り出されました。
 来場者の年齢層が高いだけに、ホーッと感心する反応が、あちらこちらから上がりました。
 会場はギッシリ満員で、600名以上の人で埋まっています。最初から聴衆の心を掴んで始まりました。

 私は、堺市が所蔵されている晶子自筆原稿をデータベース化する仕事のお手伝いをしているところです。先生のお話を伺って勉強をさせていただくために来ました。
 今日は、晶子が『源氏物語』にかけた思いの一端を、「源氏物語礼賛歌」に注目して語られました。

 この「源氏物語礼賛歌」は、昭和13年より刊行された晶子の『新新訳源氏物語』(全6巻)の各巻頭に掲載されています。
 今、『新新訳源氏物語』に関する先生のお話は省略します。ちなみに、谷崎潤一郎の『潤一カ訳源氏物語』が刊行されるのが、翌昭和14年からです。晶子が亡くなったのは、昭和17年です。『源氏物語』の現代語訳が相次ぐ時代のことです。

 配布されたプリントの年譜を使って、晶子が生まれた明治11年から、亡くなる3年前の昭和14年までの足跡を、わかりやすく話されました。

 昨年から先生が就かれた逸翁美術館には、小林一三に宛てた手紙や文書類がたくさんあるそうです。その中に、晶子からのものも、伊井先生は発掘なさっています。新資料のいくつかを紹介しながら、大正6年を中心とした話が展開しました。

 そもそも、与謝野鉄幹と晶子には11人の子供がいました。そのためもあってか、晶子は金銭的なことを書いた手紙が多く確認されています。小林一三のもとにも、そのような手紙がいくつかあるようです。

 本日のお話のポイントは、伊井先生が想定される、大正6年6月から8月の間に晶子が阪急の苦楽園に来たときに小林一三と逢い、そしてその折に「源氏物語短冊屏風」を見たのではないか、ということです。
 その2ヶ月前の4月に、一三は上田秋成筆「源氏物語詠短冊屏風」を購入しています。これは、「小林一三美術品購入帳」に明記されていることです。スライドで、その資料の写真を見せてくださいました。

 この秋成の短冊屏風を見た晶子は、非常に感動したようです。そして、自分も「源氏物語礼賛歌」を作り、大正9年正月に一三に短冊を贈呈しています。秋成のように屏風にしていただければ、と。
 そして、逸翁美術館から見つかった手紙には、「活字にはいたさず候、遺稿をあつめ候せつ」にでも公開してほしい、と記してあります。

 ところが、その3年後の大正9年3月に、これも経済的な支援者だった小林天眠宛の手紙には、九条武子と天眠に、同じような源氏五十四帖を歌った短冊を贈っていることが書かれているのです。
 一三への手紙で、「源氏物語礼賛歌」は活字にはしないので、遺稿集で公開してほしい、と書き送った意味がよくわからなくなります。その後の心境の変化なのでしょうか。
 さらには、その2年後の大正11年1月に、雑誌『明星』に「源氏物語礼賛歌」を掲載しています。
 伊井先生の説明によると、晶子はよほどこの「源氏物語礼賛歌」が気に入ったようだ、とのことでした。また、お金のためもあったのでしょうが、とも。

 一三は、晶子の短冊を屏風にはしませんでした。今でも、逸翁美術館には、短冊のまま包まれて大切に保存されているそうです。写真をスライドで見せてくださいました。
 伊井先生は、他へも「源氏物語礼賛歌」を贈っていることから、一三は屏風にしなかったのかもしれない、ともつぶやいておられました。

 いずれにしても、晶子の「源氏物語礼賛歌」はいくつもあり、しかもその歌が少しずつ違うそうです。
 逸翁美術館には、晶子から一三宛の手紙などの新資料がいくつかあることもあり、今後の調査研究の進展が待ち望まれます。

 90分の講演時間を、盛りだくさんの充実した内容で、いつもの伊井節で堪能させていただきました。
 先生には珍しく、1分だけ超過しての終了でした。ラジオなどでも有名ですが、先生はお話を決められた時間ちょうどに終わられる特技をお持ちです。この1分のオーバーは、ご自身にとっては「惜しかったなー」という思いを残されたのかもしれません。

 先生がお忙しいことは私も承知しており、ご講演中も客席の私の方チラチラと見ておられたので、特にご挨拶をすることもなく会場を後にしました。君がいると喋りにくくて、とおっしゃることがわかっているからでもあります。

 1階の京都市平安京創生館で、企画展として「『源氏物語』の世界(梅枝より)−平安京と香りの文化−」を開催していました。せっかく来たので、これを少し見て帰ることにしました。

 この展示は、京都アスニーのホームページによると、次のように紹介されているものです。


『源氏物語』梅枝の帖に描かれる薫物合の場面を再現し,平安時代に生きる人々の香りとのかかわり方をご覧いただきます。貴族によって花咲いた雅の世界とともに,寝殿造りの住まいや調度も併せてご鑑賞ください。


 ここでの主な展示品は「源氏物語六条院寝殿模型」です。「梅枝」巻の再現場面が見られます。六条院の春の御殿の復元です。東西5間、南北2間(五間四面)の母屋を、1間の廂が廻らされています。

 模型は、実際の4分の1に縮小されています。調度や人形など、非常によくできた模型です。雛遊びの様子に注目しました。また、後ろに数段のステップが置かれていて、そこに昇ると、絵巻の吹き抜け屋台の絵を彷彿させる、寝殿造りを斜め上から鳥瞰することができます。心憎い気配りです。
 この模型は、風俗博物館から借りてこられたものです。一見価値があります。

 後で、主催者の方から京都アスニーの宣伝をよろしく、とのことだったので、少しでも協力する意味からも、ホームページの写真を転載させていただきます。
 
 
 
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 ここへ来るのにはバスを使うことになるので、少し不便です。しかし、来れば平安京の全体と建物の実際が体感できます。一度足を運ぶ価値は十分にあります。

 この展示を見終わって帰ろうとしたとき、ちょうど伊井先生が主催者の方に展示室を案内してもらわれるところに出くわしました。君が客席にいるのでびっくりしたよ、とおっしゃいながら、ちょっと待っていて、とのことです。

 先生が展示の案内と説明を受けられた後、見送りのタクシーまでの間、歩きながら少しお話をしました。
 これから、大阪へ急いで行き、貴重な資料を見せてもらうのだそうです。先生はいつも、飛び回っておられます。
 私も、これから東京に行きます、と伝え、慌ただしく先生をお見送りしました。
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | ◎源氏物語