2010年11月08日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書

 この記事は、先日報告した「教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)」(2010年10月31日)を受けて、これから何回かに分けて記すものです。

 出版社別にまとめておきます。また、京都府立図書館で整理された教科書だけを対象としているので、戦前の教科書は今は考えないで記します。

 また、ここで扱う教科書は、昭和26年から昭和60年までの範囲でのコメントであることも、あらかじめご了承ください。

 教科書における教材の採否については、学習指導要領の変化・変遷が影響していると考えられます。ただし、私は国語教育の専門家でもないし、今はその余裕がないので、ここでのコメントではそのことには言及していません。それらは、また後でとりまとめます。

 戦後の小学校国語科教科書のページを捲りながら、自分がどの会社の本を使っていたのか、ずっと気になっていました。

 私は、小学4年生までが島根県出雲市立古志小学校、5年生から6年生7月までが、大阪市立菅原小学校、6年生の9月から大阪府八尾市立南高安小学校と、3つの小学校へ行きました。
 そのこともあってか、教科書のことが完全に記憶から欠落しています。
 正直言って、がっかりしています。今回見た教科書823冊の中に、私が使った教科書が7種類14冊あるはずなのです。それが1冊も思い出せないとは、なんとも本当に情けないことです。

 さて、ここでは、小学校の教科書に、平安朝らしさを伝えるものがどれくらいあるか、ということを見て行きたいと思います。
 その手がかりとして、すべての教材に目を通しましたが、特に小学校の教科書らしく、多用されている挿絵などに注目しました。貴族男女の衣服や、乗り物としての牛車に着目しています。中世の説話や近世などの話に、お姫様が出てきます。しかし、それは適宜ケースバイケースで、私なりに判断しました。

 なお、参考までに、平安時代以前のものとして奈良時代に属する作品も、古代のものとしてメモを記しています。また、インドに関する教材も、チェックしたので備考として記しています。


【中京出版】(12冊)

 昭和36年度用のみ

1年2 一寸法師
2年1 かぐや姫



※古典の中でも、平安朝らしさを感じさせる教材としては、「一寸法師」と「かぐや姫」の2つだけでした。ともに、お姫様の衣装がそうです。1、2年で、昔話として取り上げています。



【大日本図書】(31冊)

 昭和31年度用

1年2 金太郎
2年2 八岐大蛇(古事記)
5年2 古都の秋(京都)
6年1 宣長と真淵(万葉集+古事記)



 昭和36年度用

1年1 一寸法師
1年2 金太郎、浦島太郎
2年2 竹取物語
3年1 羽衣



 昭和40年度用

1年2 金太郎
2年2 竹取物語
3年1 羽衣



※竹取物語も羽衣も、昔話として取り上げています。奈良時代や平安時代を感じさせる教材と、上代の古事記・万葉集については、昭和31年度用だけです。本居宣長の紹介において、『源氏物語』には言及していません。



【二葉図書】(38冊)

 昭和24年度用

ナシ


 昭和31年度用

2年1 かぐや姫
3年2 つりばりをたずねて(古事記)
6年2 万葉集の話と和歌



※大日本図書版と同じように、昭和31年度用には古事記・万葉集が取り上げてあります。


 昭和34年度用

ナシ


 昭和36年度用

3年下 海さち山さち(古事記)



※「海さち山さち」は、昭和31年度用の「つりばりをたずねて」を書き直したものです。



 以上3社の教科書において、日本の古典文学の香りは、低学年に昔話として採択された教材にうかがえます。高学年になると、古事記や万葉集が見られます。ただし、それは昭和31年度用に限られます。このことは、他社の動向も含めて、後で考えましょう。

 それにしても、平安朝らしさは、これらの3社に限っては、あまり感じられません。

 一応、参考のために、学習指導要領の改訂年をあげます。
(1)1947年(昭和22年)
(2)1951年(昭和26年)
(3)1956年(昭和31年)高校のみ改訂
(4)1961年(昭和36年)
(5)1971年(昭和46年)
(6)1980年(昭和55年)悪名高いゆとり教育
(7)1992年(平成4年)
(8)2002年(平成14年)
(9)2011年(平成23年)
 
 
 なお、次回は、【学校図書】の小学校用教科書の内容に見る平安朝の香りです。
 これは、129冊もあり、しかも池田亀鑑が関わった時期があるので、改めてまとめるものです。そして、ここには、古典がさまざまな形で取り上げられます。紫式部が出てきたり、インドの話もあります。監修者によって、こんなに教材が変わってくるものなのか、ということに驚きます。

 こうした教科書について、小学校のものだけに、国語に限定しても、さまざまなエピソードがあるかと思います。
 いろいろとコメントがいただけると、非常におもしろいと思っています。ご協力いただけると助かります。
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ■古典文学

西国三十三所(37)大本山永平寺で結願に

 我が家は、曹洞宗の家系ということになっています。大本山は福井県にある永平寺です。
 もっとも、日本の多くの家がそうであるように、宗教的な意識も信仰心も、いたって希薄です。
 そして、偶然なのですが、妻の実家も曹洞宗です。歴史好きの義母とは、禅宗の話で意気投合したものです。

 海外の方と宗教の話をするときには、仏教を信じている、ということにしています。突然のブッティストになるのが、一番無難な答えだからです。
 ただし、私自身に、仏教の信者だという自覚はありません。お寺を巡拝しているときには、それなりにそれらしい気持ちになります。しかし、それは一時的なものであって、日常的に信仰心があるわけではないのです。

 そうであればこそ、こうして西国札所巡りをしていると、日常の自分とは違う世界に身を置いている自分を感じることが、非常に新鮮に思われます。
 心の拠り所を求めて旅をしている、という気持ちは、否定できません。もっとも、そんなに難しいことを考えて歩いているわけではありません。とにかく、スタンプラリーをしているつもりで気持ちを軽くしています。1つでも空欄を埋めよう、という気持ちで歩いてきたのです。

 それに加えて、今回は病後の、手術後のリハビリも兼ねての巡拝です。現世利益を求めての旅そのものです。しかし、それでも、外から見れば、宗教に起因する旅と映ることでしょう。くすぐったい気持ちがするのは、私自身が宗教に馴染みがないせいだからでしょうか。

 と、そんなことを言いながらも、こうして西国札所巡拝の旅の記録を書き続けてきました。
 今日は、それもとじ目となる、結願の永平寺行きです。

 あわら湯のまち駅からえちぜん鉄道で永平寺を目指します。
 駅員さんが懇切丁寧に行き方を教えてくださいました。おまけに、お得な1日フリーキップも。
 このえちぜん鉄道は、非常に気持ちのいい電車です。乗り換えで待合室にいても、駅員さんが優しく声をかけてくださいます。駅舎も、手造りで温かみがありました。
 一輌の電車なのに、運転手さん以外に車掌さんが乗っておられます。しかも、丁寧な案内と、何か困った人を見つけると、さりげなく、そして親切にお世話をなさいます。
 
 
 
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 地域に根差した、思いやりの教育が徹底していることが、乗っているだけでわかります。これは、今後とも地元の人に支持されて運営がつづくことでしょう。いい電車に乗りました。

 永平寺は、いつ来ても身が引き締まる雰囲気があります。
 
 
 
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 今回の西国三十三所の巡拝では、お軸に御詠歌を書いてもらっていました。しかし、どうしたことかスペースがいっぱいになっていて、永平寺の印を書いてもらう場所がありません。受付でそのことを相談しました。
 お二人のお坊さんが対応してくださいました。お軸を広げて見てもらいました。
 結局、もう一つ番外の印を書く空欄がない軸なので、今回は大本山永平寺の印はなしで、このままにしておくことになりました。表装が終わったら、箱書きに永平寺での結願のことを記すつもりです。

 道元さんが、今もいらっしゃるとしてお勤めが続いている承陽殿を拝見しました。
 また、両親を分骨してお祀りしてもらっている祠堂殿にも行きました。
 
 
 
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 奈良県のコーナーに行き、我が家の位牌を探しました。しかし、たくさん重なるようにあってわかりませんでした。それでも、両親には私のことをはじめとして、家族の近況を無言のうちに伝えました。
 わかったよ、と言ってくれたように思います。

 帰り道、乗り換えの福井駅の構内に、回転寿司屋を見つけました。
 これは、素通りするわけにはいきません。
 
 
 
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 ちょうどマグロの解体をしていることろでした。
 
 
 
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 おいしいマグロの中落ちが、軍艦巻きの上に溢れんばかりに盛られて出てきました。
 
 
 
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 私はトロは食べないので、赤身のいいところもいただきました。
 今日から解禁となったカニも、いい出汁が出ていました。
 海に近い回転寿司屋は、こんなものを食べさせてくれるのです。
 気楽にお寿司が食べられるのは、私にとっては至福の刻です。贅沢さを排除した回転寿司は、食事に気を遣う今の私には最適な食べ物です。好きな時に好きなだけ食べて、そしていつやめてもいいのですから。たくさん食べられない私には、理想的な食事の場所となっています。

 旅先で回転寿司屋を見付ける楽しみも、これから続けていくつもりです。
 そして、これまでと同じように、また毎日のようにお寿司を食べる日々が少しずつ始まりました。その意味でも、福井でマグロと出会ったのは、幸先のいい食生活のスタートとなったとも言えるでしょう。
posted by genjiito at 08:02| Comment(0) | ・ブラリと