2010年10月11日

京洛逍遥(164)誓願寺の策伝忌と奉納落語会

 四条の新京極通リ三条下ルの誓願寺で、安楽庵策伝の報恩法要がありました。
 策伝は落語の祖といわれています。そこで、奉納の落語会もなされるのです。毎年、10月の体育の日に開催されています。
 
 
 
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 誓願寺は、六条通りの東端、新京極商店街のド真ん中にあります。この誓願寺では、和泉式部と清少納言が、ここで極楽往生をしています。このすぐ南の誠心院には、和泉式部が眠っています。

 法要では、たくさんの僧侶により、ナムアミダブの大唱和です。迫力がありました。
 読経しながら撒かれた散華の内の一枚が、私のそばに落ちました。
 
 
 
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 ありがたく頂戴して目の前に置いていたところ、読経が終わったときに隣に座っていた方がスーッとご自分の前に引き寄せ、やがて鞄の中に入れられました。

 まあいいか、と見過ごしたところ、法要のお世話役の方がご本尊の周りに撒かれた散華を集め、参集者に配り始められました。そして、私にもくださいました。ありがたいことです。
 隣の方に何か言って嫌な気分にならなくてよかった、とホッとしました。本当に必要なものは、必要な所にそれなりに収まるのです。

 阿弥陀さんの目の前ということもあり、いっぱしの悟りに近い気分で物事が見え、そして考えている気分になります。無理はしなくてもいい、ということでしょう。何事も、流れにまかせるのもいいものです。

 その後、仏教大学の関山和夫先生の講演です。

 関山先生は、策伝を世に紹介された方です。
 今日は、策伝が落語の祖というのは正確ではない、ということから語り始められました。
 笑話集の『醒睡笑』は、策伝が説教のオチを集大成したものだと。決して軽い人ではない。どっしりした人だ、ということを強調なさっていました。安楽は浄土のこと、浄土に住む人のことだそうです。

 策伝は89歳まで生きたようです。私も、63歳以降も生きていいことになったので、策伝にあやかりたいものです。

 関山先生の本は、今から35年以上も前のこと、私が卒業論文に手を着けていた頃にたくさん読みました。
 今でこそ私は『源氏物語』の本文に興味をもっています。しかし、大学の学部での卒業論文は唱導文芸をテーマにしたものでした。柳田国男や折口信夫の、民俗学と文学との接点をテーマにするもので、東京都福生市の民具や機織りの聞き取り調査や、京都で小野小町や和泉式部の伝説と史跡の調査をしていました。米原の鍋かぶり祭りも、小林茂美先生の指導のもと、泊まり込みで調査をしました。そして、語り物の文芸についても。

 小沢昭一の日本の話芸に関する仕事とともに、関山先生の本からたくさんのことを学びました。
 本日、初めてお姿を拝見し、お声を拝聴しました。あの頃に勉強したことは、ほとんど忘れています。しかし、関山先生がお話になる端々に、当時読んでいた本の断片が引き出される瞬間があり、我ながらおもしろく思って聞いていました。
 
 
 
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 お話を一生懸命に聞いていたために、正面からシャッターを切りづらかったので、講演が終わってお帰りになるところを写しました。失礼をお許しください。

 続いて、鈴木皓道師のお説教です。
 いやいやお坊さんをやっていた頃からの話で始まりました。しかし、本題に入ってもネタが散らばりすぎたように感じました。参会者に、鈴木師がおっしゃりたかったことが伝わったのでしょうか。私には、よくわかりませんでした。

 最後に、奉納落語会。
 本堂はギッシリと善男善女で埋まりました。

 最初は、落語の雰囲気を作るということで、ピーチククラブの京遊亭鈴の助の話です。ウンチの話でした。トイレをカンジョと言ったことを扱った、元気でスピード感のある、楽しい話でした。前座にしては、なかなかの出来で、会場を沸かせていました。

 桂よね吉は岡山から誓願寺に向かっているが、車での移動のために間に合わないとのこと。そこで、東京から来ておられた三遊亭圓王が急遽トップで登場です。
 善光寺と極楽の話。話す内に、だんだん調子が出てきました。テーマの選択がよくて、うまいと思いました。でも、駄洒落が多すぎです。関西では、このノリでは若者は反応しづらいのではないでしょうか。

 さて、桂よね吉は汗を拭き拭きの登場です。
 声がいいと思いました。播州?皿屋敷を熱演。メリハリの利いた話しぶりで、表情もいいのです。特に歯並びが明るくて、笑顔がいいと思いました。若手の人気者だというのがわかります。
 関西の落語を直接聞くのは久しぶりです。また聞きたくなる若手落語家です。

 露の團四郎は、モタモタした話しぶりで失望しました。顔の表情と身振りで誤魔化していました。

 東京からお出での2人目の桂藤兵衛は、トイレと風呂屋の話が下品でした。ことばが硬い上に、女性や人の身体を貶しすぎです。いろいろな人が聞きに来ているのですから、その配慮が必要ではないでしょうか。

 トリの森乃福郎は2代目です。先代は、テレビなどでお馴染みでした。よく間違えられる、とのことです。今日の演目は法然上人を扱った落語で、これは珍しいものだそうです。
 ぼけ役の男のドモリ口調がうまいと思わせる話しぶりです。しかし、全体に熟れていないせいか、話がおもしろくないので、私は退屈でした。

 5時間近く、阿弥陀様の真ん前で、座布団に座って聞いていました。いい時間をいただきました。

 この策伝忌に来るきっかけは、私が入院する前日に群馬から入洛した仲間が差し入れてくれた『しゃべれども しゃべれども』(佐藤多佳子、新潮文庫)を読んだことです。
 
 
 
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 人から本の差し入れをされるのは、服役するか入院のときくらいでしょう。しかも、おそらく自分では一生手にしそうもない本を渡され、それでかえって楽しく読めました。
 この本の作者は東京の人らしく、噺家の落語のような話を題材にして、人の心の中を丹念に描きながら淡々と語っています。これが、関西の人の手にかかったら、ハイテンポで破天荒なストーリーになるところです。そのおっとりとしたところと、歯切れのよい文章が、登場人物の思案に暮れる様を活写しています。
 あっという間の入院生活だったので、この本は病院では半分も読めませんでした。退院後、時間を見ては読み進んだのです。読み終わった頃に、策伝忌の落語会のことを知ったのです。

 本を読み終わったこと、東西の落語を聞けたこと、そして関山先生のお話を伺えたこと、などなど。
 重ね重ねの楽しみをもらえたことを実感できた、非常に充実した1日となりました。
posted by genjiito at 22:08| Comment(0) | ◎京洛逍遥