2010年09月30日

心身雑記(88)手術後の回復情報と「まいこネット」

 久しぶりに京大病院へ行きました。
 
 
 
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 退院後はじめての診察です。
 術後の回復は順調でした。外科的には、ほとんど問題はありません。
 体重が予想よりも減らずに、マイナス4キロ以内に留まっていることについて、執刀してくださった先生も意外そうでした。やはり、40年前に胃の3分の2を切除しているため、今回の残胃の全摘出にも身体が急激な反応を示さなかったということでしょう。

 私が個人的に測定していた、体重と血糖値の数値の変化を、勝手にグラフ化してみました。
 この数値は、すべて私が測定したものです。病院でのものではないことを、お断りしておきます。
 
 
 
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 手術後の血糖値の急落は、摂取エネルギーに関係していると思われます。
 とにかく、食事の量がこれまでの半分近くに減っているのですから。
 最近、血糖値が高くなってきたのは、食事の量と消化吸収される割合が高くなったからだと、素人判断をしています。

 毎日、お腹が痛む時間があります。食後に多いようです。夜、寝ていて突然、という日もあります。
 いずれにしても、当面の問題は食事のことだけです。消化器がなくなったのですから、少しずつ身体を作っていくしかありません。

 今回の入院を契機に、「まいこネット」というものに加入しました。
 これは、病院の自分のカルテをインターネットで確認できるようにするシステムです。
 手続きは、京大病院の中にある、外来棟1階の地域医療連携室に書類を提出してでできました。簡単でした。
 
 
 
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 パンフレットによると、こんな説明が記されています。


京都地域連携医療推進協議会(まいこネット)では、一般の方々の保健・医療・福祉の増進のために、カルテデータ開示サービス、地域の医療機関の間での情報連携サービスを推進しています。

 このサービスを受けるためには、「まいこセンター個人口座」を開設していただく必要があります。(まいこセンター個人口座の開設は無料です。)

 「まいこセンター個人口座」とは、患者様個別の「健康情報口座」です。京都市に設置されたデータセンターで管理されます。まいこセンター個人口座があれば、まいこネット加盟の医療機関で受けた医療の記録は、すべてこの口座に集まります。*1

 まいこセンター個人口座を利用して、連携医療*2や患者様ご自身によるデータ閲覧*3が可能となります。

自分の電子カルテの閲覧
 ご自宅からご自身の電子カルテを見ることができます。

健康日記
 ネットワーク上からご自分のデータを書き込むことができ、それにより病院(医院)での診療に役立てることができます。

病院と診療所の連携促進
 病院と診療所間の連携により、スムーズでより一貫した医療行為が受けられます。

薬局との連携
 薬局と医療機関の連携で、薬の重複投与や飲み合わせの不都合を回避できます。

*1 医療記録の内容については、医療機関ごとのポリシーで異なります。
*2 患者様が連携を許可した医療機関以外からはデータを見ることはできません。
*3 患者様のパソコンで本サイトにアクセスしていただきます。まいこセンター発行の個人IDとパスワードで個人認証を行います。




 実際に加入してから、自宅で自分の今回の治療の履歴を見ると、投薬情報や血液検査などの検査結果がわかります。

 例えば、手術後の情報として、以下のことが記されています。

【注射(実施)】 入院定時 20100831-0164 RP01 フラグミン静注5000単位/5mL 5,000 単位 生理食塩液(20mL) 19 mL 精密持続点滴: 点滴速度 24ml/h : *点滴時間 1時間で 投与経路:末梢ルートメイン1 実施日 : 2010-08-31 タイミンク゛ : 22:10


 私には、ここに記録されている数値の意味は皆目わかりません。
 しかし、こうした情報が、別の病院や薬局で共有できるということは、自分の健康管理に適切な対応をしてもらえる環境の1つが手に入ったことになります。

 まだまだ、京都における試行期間のようです。

 「Gooからだログ」との連携など、今後の可能性は開けていくと思われます。
 個人情報という問題はありますが、これは運用を間違わなければ個人の健康管理に有効に活用できるものだと思います。

 全国各地で、こうした試みはなされていることでしょう。
 私は、京都と東京の病院を利用する立場にあります。
 ぜひとも、広域のネットワークに展開してもらいたいものです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月29日

『源氏物語』を海外の方々へ −『十帖源氏 空蝉』の資料公開−

 『十帖源氏』の翻刻と現代語訳を公開したところ、いろいろな反響があったので安堵しています。
 どうぞ、ご自由に活用してください。

 さて、第3巻「空蝉」ができあがりましたので公開します。

 凡例は、前回の「帚木」に添えた【凡例(補訂版)】を参照してください。


 今回の「空蝉」を担当したのは、國學院大學の学部4年生の竹内佑希さんです。
 短い巻なので、ここに全文を掲載します。

 *なお、〔27・オ〕の現代語訳について、ご指摘を受けたので訳の一部を修正しました(2010年10月1日)。
  ご教示、ありがとうございました。

 
 
 
 
 【 翻刻・現代語訳 】
 
 
 
『十帖源氏』巻一「空蝉」
 
 
  担当 竹内佑希(國學院大學学生)



〔27・オ〕
【翻刻本文】
  空蝉 〔割・並 源十六才 以歌ノ名也〕
源はねられ給はず、小君も涙をこぼしてふしたり。
夜ふかく出給ふ。其後、御せうそこもたえてなし。かく

【現代語訳】
  空蝉 〔前の巻と関係する巻です。〈光源氏〉が十六歳の時の話です。この巻の名前は歌の中の言葉か
らつけられました〕
〈光源氏〉は〈空蝉〉のことを考えて寝ることができず、〈小君〉も泣きながら横になっています。
〈光源氏〉は夜遅くに〈空蝉〉の家から帰りました。その後、〈光源氏〉から手紙が送られてくることもありません。

〔27・ウ〕
【翻刻本文】
ても、えやむまじければ、「さりぬべきおりをみて
たいめんすべくたばかれ」と、の給ふ。おさなごゝろに「いか
ならんおりにか」と、まちゐたるに、きのかみ国に
くだり、女どちのどやかなる、夕やみのたど/\しげ
なるに、我車にゐてたてまつる人、見ぬかたより引
いれて、おろし奉り、ひがしの妻戸にたゝせ奉りて、
我は南のかうしたゝきて入ぬ。ひるより、きのかみが
いもうとのにしの御かた、わたらせ給ひて、碁をうた
せ給ふと、いふ。源はすだれのはざまに入て、西ざま
に見とをし給へば、も屋の中ばしらにそばめる
人や心かくるとめとゞめ給へば、こきあやのひとへ

【現代語訳】
それでも、〈光源氏〉は〈空蝉〉のことを諦めることができないので、〈小君〉に「適当な時を見て、
〈空蝉〉と会えるようにしてください」と、頼みます。〈小君〉は子ども心に「どのような
時に〈光源氏〉と〈空蝉〉を会わせようか」と、じっと機会を待っていると、〈紀伊の守〉が紀の国(領地)に出掛けて、女同士でのんびりとくつろいでいる、夕闇のぼんやりとした頃に、
〈小君〉は自分の車に乗せて連れた人(光源氏)を、誰にも見えない所から車ごと
引き入れて、(光源氏を)車から降ろします。(光源氏を)東側の妻戸に立たせて、
自分は、南側の格子を叩いて部屋に入りました。昼から、〈紀伊の守〉の
妹である軒端の荻が、〈空蝉〉のもとへやってきて、囲碁の相手をして
いると、いうことだそうです。〈光源氏〉が、簾の隙間に入って、西の方向
に部屋の中を見通すと、母屋の中柱によりかかっている
女性が心にとめた人であると注目して見ると、〈空蝉〉は、濃い色の綾織物の夏用の薄い着物を何枚か

〔28・オ〕
【翻刻本文】
がさね、何にかあらん、うへにきて、かしらつきほそ
やかにちいさし。いまひとりはひがしむきにて、残る
ところなくみゆ。しろきうすものゝひとへがさね、
ふたあひのこうちき、くれなゐのこしひきゆへる
きはまでみえたり。つぶ/\とこえて、まみ口つき
あひぎやうつき(ひママ)はなやか也。碁うちはてゝけち
さすわたり、「そこはぢにこそあらめ。此わたりのこうを
こそ」などいへど、「いで此たびはまけにけり。」をよびをかゞ
めて「十、はた、みそ、よそ」などかぞふるさま、いよのゆの
ゆげたもたど/\しかるまじう見ゆ。

【現代語訳】
重ね、何か、その上に着ていて、頭の格好はほっそりとして
小さいです。もう一人は東向きに座っていたので、残る
ところがなく(すべて)見えます。(軒端の荻は)白い夏用の薄い生地の着物を何枚かに、
紫色系統の上着を(着ていますが、その胸元が開いているので)、袴の紐の
あたりまで(素肌が)見えています。ふっくらと肥っていて、目もと口もとが
魅力的で美しいです。(空蝉と軒端の荻が)囲碁を打ち終わって駄目を
詰めるあたり、(空蝉が)「そこの部分は勝負がついているでしょう。こちらの部分の決着こそ(つけるべきです)。」などと言いますが、(軒端の荻が)「さあ、今回は負けてしまいました。」(と言って)小指を曲げて「十、二十、三十、四十」などと(目数を)数える様子は、伊予の湯(道後温泉)の
湯桁をも数えることができそうで、品性に欠けて見えます。

〔28・ウ〕
〈絵1〉 夕暮れ時、〈紀伊の守〉の家で、〈光源氏〉と〈小君〉が、碁を打つ〈空蝉〉と〈軒端の荻〉
を覗き見ている場面。

〔29・オ〕
【翻刻本文】
小君、源のおはせし所へきて、「れいならぬ人侍て、
ちかうもえより侍らず」と、いふ。御かうしはさして、し
づまりぬ。「さらば、入てたばかれ」と、の給ふ。あねの心
たはむ所なくまめだちたれば、いひあはせん
かたなくて、「いかにしていれ奉らん」と、思ふ也。〔割・源詞〕
「いもうともこなたにあるが、我に見せよ」と、のたまふ。
「いかでか、さは侍らん。かうしに几丁そへて侍」と、きこゆ。
人みなねて、火かげほのかなるに、いれ奉る。「いかに
ぞ」と、つゝましけれど、みちびくまゝに帳のかたびら
ひきあげて入給へど、人はみなしづまりたり。女は、几
帳のすきかげ、御けはひしるければ、あさましくて、

【現代語訳】
〈小君〉は、〈光源氏〉のいる所へ来て、「いつもいない人(軒端の荻)がいて、
近くに寄ることができません」と、言います。格子は閉じて、
家は静まりました。「それならば、(先に)入って(私が入れるよう)工夫してくれ」と、〈源氏は〉頼みます。姉(空蝉)の心は曲がることがなく真面目であるので、親しく相談するような
方法もなくて、「どのようにして(光源氏を)部屋に入れようか」と、(小君は)思います。〔源氏の詞〕
(光源氏は)「ここにいる妹も、私に見せなさい」と、言います。
(小君は)「どうして、そのようにできましょう。格子に几帳を添えます」と、答えます。
人々は皆寝て、灯火の光がぼんやりとしている時に、(光源氏を部屋に)入れます。「(今入っても)大丈夫であろうか」と、(光源氏は)気が引けますが、(小君が)案内するとおりに(光源氏は)几帳の布を引き上げて部屋に入りますが、人々は皆寝静まっています。女(空蝉)は、
几帳にすける(光源氏の)姿、気配がはっきりとしているので、驚いて、

〔29・ウ〕
【翻刻本文】
すゞしのひとへをきて、すべり出にけり。源は、たゞ
ひとりふしたるを、心やすくより給へるに、ありし
けはひよりも、もの/\しければ、あやしくやうか
はりて、あさましく心やましけれど、人たがへと見え
むもおこがまし。女〔傍・女=むすめ〕も、めざめてあきれたるけしき
なり。「我ともしらせじ」と、おぼせど、後にかゝる事ぞ
と、おもひめぐらさんも、彼つらき人のためとおぼし
て、「たび/\のかたゝがへに事つけ給し」などいひなし
給ふ。このむすめ、なま心なく、わかやかなるけはひも
あはれにて、なさけ/\しく契りをかせ給て、彼
ぬぎすべしたるうす衣をとりて、出給ぬ。小君を

【現代語訳】
真夏用の着物だけを着て、(寝床から)抜け出しました。源氏は、ただ
一人だけ横になっているので、安心して近寄りますと、以前の
様子よりも、(体つきが)りっぱなので、不審に様子が
変わっていて、(光源氏は)情けなくおもしろくありませんが、人違いをしたと気づかれて
しまうのも情けないことです。女(軒端の荻)〔女と書いてむすめと読みます〕も、目をさまして驚いている様子です。「私とは知らせまい」と、(光源氏は)思いますが、(軒端の荻が)後になって(なぜ)このような事にと、(光源氏と空蝉の関係を)あれこれ考えるであろうことも、あの薄情な人(空蝉)のために(避けよう)と思い、「折々の方違えにかこつけたのです」などとそれらしく言います。
この娘(軒端の荻)は、中途半端に風流ぶる心もなく、若々しい様子も
可愛らしいので、いかにも情愛深く約束を交わして、(光源氏は)あの
(空蝉が)すべらせるように脱いだ薄い生地の衣を手に取って、(部屋から)出ました。(光源氏が)小君を

〔30・オ〕
【翻刻本文】
おこして、戸をあけさせたるに、老たる女のこゑにて
「たそ」と、ゝふ。小君「まろぞ」と、いらふ。月くまなくさし
出て、人かげみえければ、「また、おはする人はたそ」と、
とふ。「民部のおもとなり」と、つねにたけだちのたかく
て、わらはるゝ人あるをいふ也。からうじて小君と車
に乗給て、二条院におはしぬ。〔割・二条院は源の御母の御跡也〕
しばしうちやすみ給へど、ねられ給はず。〔割・源〕
  うつせみの 身をかへてける 木のもとに
  なを人がらの なつかしきかな
と、かき給ふを、小君ふところに入てもたり。「彼
むすめもいかにおもふらん」と、いとおしけれど、御こと

【現代語訳】
起こして、戸を開けさせた所に、年老いた女(民部の命婦)の声で、
「誰」と、尋ねます。〈小君〉が「私です」と、答えます。月の光が隙間なく差し
出て、人影が見えたので、(民部の命婦は)「もう一人、そこにいる人は誰ですか」と、
尋ねます。(小君は)「民部のおもとです」と、いつも背が高く
て、笑われる人のことを言いました。(光源氏は)かろうじて〈小君〉と車
に乗って、二条院に帰りました。〔二条院は源氏の母(桐壺の更衣)のいた家である。〕
(光源氏は)少しの間休んでいましたが、寝ることができません。〔源氏の歌〕
  うつせみの 身をかへてける 木のもとに
  なを人がらの なつかしきかな
と、書いた手紙を、〈小君〉は懐に入れて持っています。「あの
娘(軒端の荻)もどのように思うだろうか」と、気の毒に思いますが、お手紙

〔30・ウ〕
【翻刻本文】
づけもなし。うつせみの君も、あさからぬ御けしき
を、「ありしながらのわが身ならば」と、しのびがたければ、
  うつせみの はにをく露の こがくれて
  しのび/\に ぬるゝ袖かな
               〔割・是は伊勢が家の集の歌也〕

【現代語訳】
も送ることはないのでした。〈空蝉〉も、いい加減ではない(光源氏の)様子
を、「昔のままの私の身であったなら」と、想いを押さえきれずに、(このように歌を詠みました)
  うつせみの はにをく露の こがくれて
  しのび/\に ぬるゝ袖かな
〔これは〈伊勢〉の歌集の歌です。〕
posted by genjiito at 01:37| Comment(0) | ◆源氏物語

2010年09月28日

西国三十三所(5)紀三井寺

 太地の朝は、爽やかでした。
 ホテルの真下の生け簀で、イルカの訓練が始まっていました。
 毎朝なさっているのでしょうか。早朝トレーニングとはいえ、本番さながらの美技を見ることができました。
 
 
 
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 朝食を終えて下を臨むと、くじらの博物館のイルカショープールでは、先ほどのイルカたちでしょうか、お客さんの拍手を浴びて演技をしているところでした。
 
 
 
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 偶然でしたが、舞台裏と晴れ舞台の両方を見ることができました。
 一見派手なショーも、弛まぬ日常の努力がその背景にあることを知り、考えさせられるものがありました。

 紀伊勝浦駅の前では、魚市場にマグロが並んでいました。セリが終わったばかりだったのです。
 ビンチョウマグロだそうです。
 
 
 
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 いつもおいしくいただいているマグロたちに感謝です。
 私はこれまで、みんなから回遊魚だと言われてきました。常に泳いでいないといけないのです。止まれない生き方でした。
 今回の病気を境に、時々は休息する生き方を意識しなければいけません。
 そうそう生き方を変えることはできません。案の定、すでにいろいろな人と、いろいろな所に連絡をとり、これまでのように仕事を進めだしています。これは性分なので、どうにも仕方がありません。
 しかし、時々休むことを、これまで以上に意識して、そして実行する勇気を、この療養期間に身につけたいと思います。

 今日は、西国札所の第2番である紀三井寺へ向かいます。
 お昼過ぎに、紀三井寺駅に着きました。
 この寺に電車で来るのは初めてです。下から見上げると、本当に駅のそばにあることがわかります。
 
 
 
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 今日は、電車で来たために、いつもと違う裏門から上ることになりました。
 
 
 
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 お軸の頭にあたるお寺では、菊のご紋の印を捺してもらえます。
 御詠歌は、書いてくださる方によって、さまざまな雰囲気があります。
 
 
 

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ふるさとを
はるばるここに
紀三井寺
花の都も
近くなるらん


 
 
 
 2年前の平成20年に、大千手十一面観音ができたということなので、安置されている新仏殿で拝観しました。
 高さが12メートルもあり、寄木立像としては日本最大だそうです。制作は、京都西山の仏師西山明慶師とのことです。
 
 
 
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 仏殿は3階まで上れ、そこから和歌浦の眺望が絶景でした。
 
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 眼下に、『万葉集』の山部赤人の歌で知られる、和歌浦が臨めます。

若の浦に潮満ち来れば潟を無み
  葦辺をさして鶴鳴き渡る


 
 
 
 玉津島神社にも行きたかったのですが、今はその余裕がありません。
 折しも、この和歌浦一帯は、景観保全を含めた活性化に取り組んでいるところだそうです。
 次にこの地を訪れる頃には、どんな和歌浦になっているのか、楽しみにしたいと思います。
posted by genjiito at 23:41| Comment(0) | ブラリと

2010年09月27日

西国三十三所(4)青岸渡寺

 週末に、本州の南端、和歌山県の那智・勝浦・太地に転地療養にでかけました。
 異常続きだった暑さもすっかりと和らぎ、秋の気配の紀州路でした。

 まずは、紀伊勝浦駅に降り立ちました。
 駅前のロータリーには、佐藤春夫の「さんま、さんま、さんま苦いか塩つぱいか。」で知られる「秋刀魚の歌」の碑がありました。
 
 
 
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 この地は、佐藤家の屋敷があったので、その縁でこうして碑が残されているのです。
 春夫のこの詩の背景には、友人だった谷崎潤一郎の妻千代との「細君譲渡事件」(昭和5年)があります。ただし、今は那智山へ行くのが目的なので、この話はまたの機会にしましょう。

 お参りの途中で、熊野古道のほんの一部を歩きました。
 
 
 
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 鬱蒼とした森を1本の道が続いています。
 厳粛な気持ちになっていたとき、忽然と市女笠にむしの垂衣の壺装束姿をした、艶やかな女性がやってきました。
 
 
 
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 何かの撮影かと思いきや、聞いてみると貸衣装で古道を歩いているのだそうです。『源氏物語』の玉鬘も、長谷寺へお参りするときには、こんな姿だったのでしょうか。今の若い人に対して、これはなかなかいいアイデアだと思いました。京都の街中で舞妓姿で散策をしている、あれの鄙バージョンということです。背景がいいので、きっとその気になって千年前の世界を味わっておられたことでしょう。
 後ろ姿も決まっていました。
 
 
 
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 紅の懸帯がアクセントになっていて、いい雰囲気でした。もっとも、横で介助をしている男性の首に巻かれたタオルが、何とも写真向きではありませんでしたが……

 青岸渡寺の本堂は、いつ来ても熱気があります。
 西国札所第一番という重みも感じられます。
 
 
 
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 この前ここに来たのは、突然に母が意識を失ったため、その回復を願って来たのでした。ちょうど6年前の9月です。
 あのときは、私が中国の旧満州から帰国したばかりでした。
 母が旧満州から日本に引き揚げて来るときにいたと思われる、長春の街中を案内してもらっていたちょうどその時間に、母は意識を失ったのです。

 娘と話をしているうちに、母がよくなるように西国巡りを思い立ち、まずは第一番の那智へ行こうということになりました。
 朝早くに車でスタートし、高野山を抜けて一路南下し、この青岸渡寺に来ました。本堂でこれから巡るためのお軸を買い、こうして4回目の西国巡拝をスタートしたのでした。
 その日の内に車を北に走らせ、夜中じゅう運転をして深夜に、どうにか当時いた奈良の平群の自宅に帰り着きました。
 私も、50そこそこで若かったからこそできたことです。

 今回のお軸には、御詠歌を書いてもらっています。
 
 
 
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 この那智山には5回目ですが、いつ来ても気持ちが落ちつきます。
 それでいて、瀧は雄大な気持ちにしてくれます。不思議な霊地です。
 
 
 
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 今日の泊まりは、隣町のクジラで有名な太地です。
 船で上陸しようと予定していました。しかし、昨日の台風の影響か、波が高いということで、今日は太地のクジラ浜には行かないとのことです。それでも折角なので、船で紀の松島めぐりで、勝浦に戻るコースに乗りました。
 
 
 
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 確かに、船は大揺れでした。それだけ、景色も荒々しくて雄大でした。

 宿から迎えに来てもらい、太地に移動しました。
 夕陽がちょうど沈むころで、きれいな夕焼けを見ることができました。
 
 
 
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 体調がよかったこともあり、炭酸が胃に負担をかけるので当分は控えたら、といわれていたビールを飲んでみました。旅先だからこその、ささやかな冒険です。身体に異変があったら、との思いはほとんどなく、おいしく地ビール「熊野古道麦酒」を飲みました。
 
 
 
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 古代米を使ったビールとのことで、いい香りに口当たりとのどごしが爽快でした。もっとも、お腹を守るために、のどごしが云々と言えるような飲み方はできません。チビリチビリとビールを飲みました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ブラリと

2010年09月26日

何故かくも愚行を誇らしげに

 以下、いささか表現がきついところがあるかもしれません。
 しかし、『源氏物語』の本文に関心がある者の一人として、「後代に伝えるには恥ずべき新写本だ!」という観点から、書写者への非礼を詫びつつも忌憚のない私見を記すことにします。

 あくまでも、『源氏物語』の本文を研究対象とする者、という立場で書きます。
 この奉納写本の書写者に個人的な感情があるのではなくて、書写にあたっての本文の選択に大いなる錯誤があるので、その点を明確にしたいという意図のもとに記すものです。

 この写本は、書道家が芸術作品として書写したものです。それは、手跡のすばらしさといい、紙のみごとさといい、決して私のような書の素人が口を出すべき問題ではありません。
 しかし、肝心の書写の対象となった『源氏物語』の本文が、なんともお粗末すぎます。その『源氏物語』の本文という一点に絞って、以下に述べます。

 結果的には、『源氏物語』の本文に対する無知から来る愚挙になっていることを、論証的に綴ります。
 そして、その解決策として、全冊廃棄か、全文を見せ消ちにされることを、お節介ではありますが、書写者の名誉のためにも提案するものです。
 実際に、数丁を朱の「ヒ」で紙面をビッシリとミセケチにしている『源氏物語』の写本が、国文学研究資料館にあります。

 昨年の下記(1)のブログでは、

最低限、この写本の54帖の各冊に、
  岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし、漢字はなるべく仮名に置き換えた。
という識語を、大きく明記しておくのが、せめてもの誠意ではないでしょうか。



と書きました。

 しかし、今回はそれ以上の対処が必要ではないか、と、実物を見て、そして展示をする平等院の姿勢から思うようになりました。

 朝日新聞に、宇治の平等院に昨春奉納された『源氏物語』の新写本に関する記事が、昨年と今年の2度掲載されました((1)は関東と関西の異版です)。
 ここでは、他紙は未確認なので、朝日新聞に限定しています。

(1)平成21年7月2日(関東) 「源氏物語」平成の写本 平等院に奉納「宝に」(記事の署名は「大上朝美」)
(1’)平成21年8月8日(関西) 源氏五十四帖写本 平等院に奉納(上記(1)とほぼ同文、記事の署名は「大上朝美」)
(2)平成22年8月27日 書・料紙◇平安美コラボ(無記名の記事)

 最初の報道がなされた直後に、私は本ブログの以下の2つの記事で、大いに問題のある書写行為であることを指摘しました。

【1】「新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行」(2009年7月8日)

【2】「学問とは無縁な茶番が再び新聞に」(2009年8月11日)

 これに対して、「やた管ブログ」に、「写本ではない。書作品である。」(2009年07月11日)という記事が公開されました。
 これを私は、私の記事に対する好意的な立場からの意見として読みました。

 そして1年経った先月、くだんの写本が平等院で展示されているという記事(2)が朝日新聞に掲載されました。

 この記事では、それまでの「岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし」が「日本古典文学大系(岩波書店)を参考に」と、書写に当たっての底本に対する言及が「テキスト」から「参考」に変更されています。問題点の所在に、少しは気づかれたようです。

 また、昨年は写本の装丁について関東と関西ともに「粘葉装」となっていました。
 これについて、私は上記のブログで「綴葉装」の間違いではないか、と指摘したことです。今年の記事では触れておられません。
 正解は、「綴葉装」(国文学研究資料館では「列帖装」と呼ぶ)でした。

 昨年、新聞記事を最初に見たとき、素晴らしい紙に、貴重な筆で、実績のある書写者を得て、平成の新写本が完成したことを喜びました。とにかく、『源氏物語』の本文というものに、一人でも多くの方が目を向けてくださるのはいいことだからです。
 ところが、そこに書写された肝心の本文自体が、活字の校訂本文を変体仮名に書き換えるという、とんでもないものだったのです。失望しました。

 この新写本は、古典籍の書写傳流の歴史と流布する本文の改変に関して無知であったことから来る、後世への恥を晒すものとなっています。
 それなのに、愚かな新聞記者が近視眼的な文化芸術礼讃口調で、問題点が見えないままに記事にしたのです。それに、平等院が軽率にも踊らされました。
 見てくれだけに、みんなが目を奪われたのです。書写された中身などそっちのけです。

 紙などの芸術性にばかり目を奪われて、肝心の本来一番問題である『源氏物語』の本文のことが一顧だにされず、活字本が、それも流布する校訂本文が筆によって素晴らしい紙に書き写し直されたのです。

 最初の新聞記事に「大系本」とあったので、新旧どちらなのか興味がありました。
 私は、昨年のブログの文中では、次のように「新大系」だろうと推測していました。今ではテキストとしては問題が多いということで引用されることのない「旧大系」であるはずがない、との思いからでした。

このテキストとは、おそらく大島本を忠実に復元しようとした『新 日本古典文学大系』だと思われます。旧大系本は、宮内庁書陵部蔵の三条西家本が底本です。それよりも、新大系の方がいいと思います。しかし、この活字本を新写本の親本にするとは、あまりにも現代的な無知さに、恥ずかしくなります。


 機会があれば、そのことを確認しようと思っていました。
 しかし、7月の中旬に胃ガンの告知を受け、8月から「右近本」として宇治の平等院で展示されている新写本を拝見しにいくどころではなくなりました。
 退院して身体が少し安定したので、取るものも取り敢えず宇治へ足を運びました。

 薄暗い展示会場で、開かれていた丁の範囲という限定された状況ではありますが、とにかく目を凝らして見つめました。本文を確認したところ、驚くことなかれ、「旧大系本」であることがわかりました。最悪の結果です。
 せめて「新大系」の本文であったら、少しはこじつけでも弁解できる余地がなきにしもあらずでした。
 「旧大系」に印刷された活字の文字を変体仮名に適宜置き換えて、一年かけて書写したというのは、まさに絶句するしかないできごとです。丹念にメモを取りながら、落胆の思いは隠せませんでした。

 「旧大系」は、私が大学院生だった時代に授業を教わり、陽明文庫への紹介状を書いてくださった山岸徳平先生が校注なさったものです。その頭注と補注は今でもすばらしいと評価されます。しかし、その『源氏物語』の本文は、今では過去に流布した本文として、いわばアーカイブズの対象となっています。
 また、同じ三条西本でも、今では書陵部蔵本よりも日本大学蔵本がよりよいもの、とされています。そんな「旧大系」の本文を、今、なぜ、の思いが強いのです。

 一昨年の源氏千年紀の折、国文学研究資料館で開催した源氏展では、この宮内庁書陵部本をお借りしてきて、古代学協会の「大島本」と並べて展示しました。図録『源氏物語 千年のかがやき』にも、収録しています。

 その展示期間に、立川市の住民の方が『源氏物語』を書写したので見てほしいとおっしゃって、新典社が刊行した影印本を半紙に書写し、きれいな和紙で綴じたものを持参されました。
 そのもとになさった影印本は、宮内庁書陵部蔵三条西本を複製したもので、「旧大系」の底本となったものです。
 この影印本については、私のホームページの【本文関係資料情報】で紹介していますので、ご参照ください。
 これは、新写本といってもいいものでした。その技量は、私にはわかりません。紙も、ごく普通の書道用の半紙でした。しかし、『源氏物語』の本文を写す、という意味から見て、これには何も問題はありません。個人の楽しみとして転写本を作成なさっているのですから。

 問題なのは、今回の宇治に奉納された本のように、あえて自己流で『源氏物語』の本文を芸術家の立場で勝手に改変し、活字組みの本文を参照したとはいえ個人的・気分的に手を入れた異本を作成し、それを写本として残す、という行為です。
 平成の今、『源氏物語』の新たな混成本文が作成されたのです。それも、本文の検討もなしに。参考に見たのが諸写本ではなくて、活字の校訂本文だというのですから、何をかいわんや、ということになるのです。

 これは、日本の古典文化の伝統を破壊する行為です。本文を伝えるという伝統が、まったくの遊戯にされています。恣意的に異本を作成して伝えようとすることは、『源氏物語』の本文研究の視点から言えば、わざわざ本文の伝流を混乱させるだけの愚挙ということになるのです。
 紙や古筆という文字の分野では、貴重な試行なのでしょう。しかし、写される物語本文のことも考えてもらいたいのです。

 今回の場合、書写する『源氏物語』の本文について、相談なさる適当な方がいらっしゃらなかった、ということがその背景にあります。それほど、『源氏物語』の本文については、みなさんの意識が薄いのです。おそらく、古筆を指導なさっていた先生も、『源氏物語』の作品内容や本文のことは、ほとんど専門ではなかったのでよくおわかりにならなかったので、このような結果になったと思われます。紙と文字だけにしか意識がむいていなかったことが、非常に悲しいことだと思われます。

 『源氏物語』の研究者は、それこそたくさんいらっしゃいます。研究も盛んに行われています。毎年、400本以上もの研究論文が執筆されています。しかし、その99.9パーセントは、活字の校訂本文による研究です。『源氏物語』の書写本文のありようを意識してのものは、本当に少ないのが実情です。

 つまり、この平等院に奉納された新写本の本文が、とても信じられないほどのものが写されているということは、『源氏物語』の本文研究に関わる一人として、忸怩たる思いがします。
 とんでもない本文が、このような新聞報道という形でマスコミに取り上げられ、また平等院に展示されて多くの人の目に晒されているのです。そのことに、『源氏物語』の本文を研究対象とする者の一人として、研究の底の浅さを露呈した形で恥ずかしい思いをしています。

 他の『源氏物語』の研究者の方々は、これでいいのでしょうか。
 多くの方には、『源氏物語』の本文のことなど、まったく関係のないことです。写本に何と書いてあれ、活字の校訂本で『源氏物語』が読めたらそれでいいのでしょう。そのテキストの底本が何であれ、当面は関係ないのです。しかし、『源氏物語』の本文研究史の視点からいえば、笑止千万の事態です。

 なお、『源氏物語』の本文研究がいかに遅れているか、ということを巡る問題点などは、本ブログの「源氏研究のリング化を回避するために」(2009年7月26日)で書いていますので、おついでの折にでもご笑覧ください。

 宇治の平等院に併設されているミュージアム鳳翔館で、企画展『書と料紙の世界−源氏物語、千変万化の王朝美−』が開催されていることです。
 これは、以前に私が「新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行」と題して批判した『源氏物語』の新写本を展示するものです。

 平等院のホームページの案内によると、次のように書かれています。

『源氏物語』宇治十帖の舞台、宇治。
物語の終焉にふさわしい風光明媚な宇治には、かつて多くの平安貴族が別荘を営んでいました。平等院の前身は、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる源融の別荘だったと伝えられています。
平成21年6月20日、『源氏物語』ゆかりの平等院に、書家・右近正枝氏より『源氏物語』の写本・全54帖が奉納されました。この写本は、右近氏が古筆への思いと『源氏物語』への熱意を込め、一年の歳月を費やして完成された大作です。作品に使われた料紙は、王朝美術作家・大貫泰子氏が一紙一紙、丹精を尽くし手がけられました。
平安時代随一の才媛・紫式部によって書き上げられた『源氏物語』?。平安人の雅な心は、現代を生きる女流作家へ見事に受け継がれ、右近本『源氏物語』が誕生しました。流麗なる書と華麗なる料紙の競演をお楽しみください。
期間:平成22年8月7日(土)〜10月1日(金) 
※8月20日(金)、9月3日(金)、9月17日(金)に展示入替を行います。



 ここに、「右近本『源氏物語』」ということばがあります。
 実際に会場で配布されていた「展示解説」(A4版、4頁)の文章にも、4ヶ所に「右近本『源氏物語』」とあります。

 新聞記事では、(1)は「平成の写本」、(2)は「源氏物語五十四帖完写本」となっていました。
 それが、今回の平等院の会場では、「右近本」という固有名詞で呼ばれる書写本として、立派に名称が付与されていたのです。写本の認定がなされ、それがこれから一人歩きしていきそうな気配です。

 了悟の『光源氏物語本事』(鎌倉時代、島原松平文庫本と上越市立高田図書館所蔵本)に「宇治宝蔵におさめらるる本」というものがあります。
 ないことを信じますが、近い将来、この「宇治宝蔵本」と、今問題にしている「右近本」の関係を混同し、本文の内容から論じる研究者が出現しないことを願うのみです。

 さて、以下に、今回の展示で確認した新写本の本文について、展示ケース越しではありましたが、視認した範囲でわかったことをまとめておきます。
 今後、とんでもない誤解による本写本の研究や調査がないことを祈りながら、報告するしだいです。

 まず、第1帖「桐壺」です。
 今回見開きで展示されていたのは、巻頭部分でした。有名な部分で、高校時代に古文の時間に暗唱させられた方も多いことでしょう。

 以下、「宇治の新写本」−「旧大系(底本・宮内庁三条西本)」−「新大系(底本・大島本)」の順に例をあげます。

・「やむことな支(き)」−「やむごとなき」−「やんごとなき」
・「〈改行〉はしめより」−「〈改行〉はしめより」−「〈改行ナシ〉はしめより」
・「めさ万(ま)し支(き)者尓(に)」−「めざましき者に」−「めざましき物(ルビ・もの)に」
・「下らふの」−「下臈(らふ)の」−「げらうの」
・「もの心ほそけ」−「もの心ぼそげ」−「物心ぼそげ」
・「ひ支(き)いてつへう」−「ひき出(ルビ・い)でつべう」−「引(ルビ・ひき)出(ルビ・い)でつべく」

 漢字と仮名の使い分けから、「宇治の新写本」は「旧大系」をもとにしたものであって、「新大系」ではないことは明らかです。
 また、活字本が内容から改行して組んでいるところを、新写本も改行しているのは、何とも古典籍の写本としては奇妙です。芸術性とは無縁な、読んでわかるように、『源氏物語』の本文が改行処置によって小見出しに即したグループ分けがなされているのです。

 次は、第6帖「末摘花」です。

・「わ可(か)方に(にミセケチ有)へ」−「わが方(ルビ・かた)へ」−「わが方(ルビ・かた)へ」

 これは、「方に」と書いた後で、「に」が衍字であることに気づき、ミセケチにした例です。
 本文の見直しがなされているようです。

 もう一例、第21帖「少女」から。
 この巻には、「また」と「まして」が小さく傍記されている例も確認できます。
 これは「旧大系」が読点で短く区切っている箇所なので、目が飛んだために脱字となったものではないでしょうか。それを、後に補入記号なしで補っているものです。
 いかにも写本らしくするための技巧なのか、ケアレスミスによるものなのかは、今は不明です。
 ただし、墨色が少し異なるようなので、後に書き加えたもののように見受けられました。

 以上のことから、「宇治の新写本」は「旧大系」をほぼ忠実に仮名漢字を適当に変化させながら書写したものだと言えます。
 残念ながら、書写にあたって用いられたテキストが「新大系」ではなかったことが、今回の展示で確認できました。

 ウエブ版の「産経ニュース(2010.8.6 02:35)が、「藤原定家が編集した写本「大島本」をもとに、市販されている本を参考にして、右近さんが1年がかりで書き上げた。」と書いていました。
 「大島本」ならば「新大系」をもとにしたことになります。しかし、実際には、宮内庁書陵部が所蔵する三条西本を底本にした「旧大系」でした。この産経の記事は、何を根拠とするものなのでしょうか。おそらく、『源氏物語』の活字化された本文なので「大島本」だろう、ということでの記事だったのでしょう。

 きりがないので、もうこのへんにしますが、もう一点だけ。

 「ウィキペディア」に「源氏物語の写本」という項目があり、その中の「写本の作成」の節の「その他」で、この「宇治の新写本」のことが書かれています。

2009年には源氏物語千年紀を記念して1年かけて新たに作られた写本が京都府宇治市の平等院鳳凰堂に奉納されている。この写本の本文は印刷本である岩波書店の日本古典文学大系本をもとに漢字はなるべく仮名に置き換えたものである[20][21]。

[20]^ 賀茂街道から2 折々のよもやま話 新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行
[21]^ 賀茂街道から2 折々のよもやま話 学問とは無縁な茶番が再び新聞に



 ここで注記[20][21]に引かれたのは私のブログの記事です。
 それにしても、このようにして「宇治の新写本」が『源氏物語』の写本として認知され、一人歩きすることを憂えます。

 最初に記したように、何らかの手立てを打つべきではないでしょうか。それが、書写者である右近さんの名誉のためでもある、と思うのですが……
 本日の記事は、決して右近さんの名誉を傷つけるものではないはずです。このような学問的に一顧だにされない本文を後世に残すことの意味を、よく考えるべき時だと思います。
 さらには、『源氏物語』の本文研究が未熟だったがために、このような形で本文が写されたということは、『源氏物語』の研究に携わるものの一人として、恥ずかしい思いをしています。
 一体『源氏物語』の本文研究はどうなっているのだと、我が事のようにふがいなさをも痛感しています。

 『源氏物語』の本文をコツコツと調査し勉強している身には、このような書写という事態があるがままの状態で放置され、一部の方々が芸術や文化的な視点でのみ賛美されている傾向に、私は『源氏物語』の本文研究という立場から異議を唱えたいと思います。
posted by genjiito at 23:55| Comment(2) | ◆源氏物語

2010年09月25日

西国三十三所(3)清水寺

 西国札所巡りも、5巡目は自分のために回ることとなりました。
 リハビリを兼ねて、のんびりと巡拝していきます。

 さて、3つ目に訪れたのは、京都・東山の清水寺です。清水の舞台で有名なので、今でも毎日たくさんの人が訪れます。
 この寺には、洛陽三十三所の集印場所が5カ所もあるので、非常にお得感のあるところです。

 お土産物屋さんで賑わう清水坂を上ると、朱の鮮やかな仁王門が迎えてくれます。
 
 
 
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 有名な清水の舞台から京都駅前の京都タワーを臨みました。
 
 
 
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 お軸の集印は、釈迦堂の近くでもらいます。
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。

松風や 
音羽の滝の 
清水を 
むすぶ心は 
涼しかるらん





 本堂と舞台は、洛陽三十三所の泰産寺から眺めるのが一番です。
 
 
 
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 この清水寺に関して、私はモミジが黄葉する秋が大好きです。
 母と一緒に家族全員で行ったときの美事な黄葉は、今でも瞼に浮かびます。
 日の光が、葉を金色に染めて透過して来る光景は、仏様の天蓋を思わせました。

 昨日から秋らしくなり、しかも突然に肌寒くなるという気候です。
 今年の清水寺のモミジはどうでしょうか。今から楽しみにしています。
posted by genjiito at 01:30| Comment(0) | ブラリと

2010年09月24日

再度のお誘い「源氏物語本文研究の新たな流れ」

 明日25日(土)は、朝から國學院大學において、下記の研究集会が開催されます。

 すでに、本ブログ「『源氏物語』の研究集会へのお誘い」(2010年7月13日)でお知らせした集会が、ついに明日となりました。
 どなたでも入場できますし、参加費もいりません。
 
 
 
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 前回のお誘いでは、


お誘い合わせの上、一人でも多くの方のご参加を、お待ちしています。
この日一日で、『源氏物語』の本文についての〈これまで〉と〈これから〉がわかります。



と書きました。

 ところが、その直後に私の病気が判明し、残念ながら今は療養生活の中にあります。
 上記のポスターにも、最初から私の出番があります。しかし、東京まで行って大役を果たすだけの体力がありません。気力は十分にあるのですが、お腹に力が入らないので、蚊の鳴くような声しか出ないありさまです。
 情けないことですが、みなさまのお心遣いを拝受して、心ならずも私は休ませていただくことになりました。

 特に、私が発表する予定だったことは、中村一夫氏に代読という形で託しました。
 今から何年前になるでしょうか、伊井春樹先生が大阪大学にいらっしゃった頃、当時から取り組んでいた『源氏物語別本集成』のデータをネットワークに公開し、検索して利用してもらう実験をしていました。その時に、データベースの運用を担当していたのが中村氏です。
 今回の国文学研究資料館を舞台とする『源氏物語』の本文データベースの公開について、私以上にその手法を熟知している中村氏が代役として発表してくれるということなので、私は安心して任せることにしました。

 中村氏に手渡したメモの最後に、以下のまとめを付記しました。

■まとめ
 『源氏物語』の流布本は、七十年にわたって「大島本」に依ってきた。これはひとえに、池田亀鑑を信頼してのものであった。しかし、今、その「大島本」の評価が揺らいできている。そこには、『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』の果たした役割も無視できない。
 今後は、「正徹本」を底本とした『源氏物語』の本文データベースを公開することで、『源氏物語』の本文研究の基礎資料としての基盤データベースに育てていきたい。
 なお、「正徹本」を底本とするのは暫定的な処置である。さらに最適な本文を活用できる環境が整備されれば、底本の変更・入れ替えは容易なデータベースの構造となっている。



 今回の研究集会を通して、『源氏物語』の本文研究がいかに遅れているか、そしてそれがいかに大切な基礎研究であるか、というメッセージが伝われば、それだけで開催を企画した一人として大成功だと思います。

 明日は、今後の『源氏物語』の本文研究を活性化させる発表が、午前午後と並んでいます。

 基調講演の(1)は、今西祐一郎先生(国文学研究資料館・館長)の本年度から取り組む科研が目指すところを語ってくださいます。

 基調講演の(2)では、名和修先生(陽明文庫・文庫長)が、陽明文庫本『源氏物語』をはじめとする近衛家伝来の古典籍についてお話してくださいます。
 名和先生の講演は、なかなか聞く機会がないかと思われます。

 この機会に、ぜひ会場にお越しいただき、さらには夕刻からの懇談会にもご参加いただき、歓談の輪に加わっていただけると、さらに意義深い集会になるかと思います。

 何人くらいの方がお出でになるのか、そのことが気になり、私の心臓は今からドキドキしています。
 明日は、ジッとしてはいられないので、どこかへ気分転換に出かけてきます。
 研究集会を運営してくださる豊島秀範先生をはじめとして、たくさんの方々にお任せするしかないのです。
 盛会となることを祈っています。
 どうか、よろしくお願いします。

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タイトル︰源氏物語本文研究の新たな流れ

日時︰2010年9月25日(土)10:00〜17:00
場所︰國學院大學・常磐松ホール

午前の部︰10:00〜12:30

 1 【表記情報学】の構築  司会:中村一夫(国士舘大学)

  開会の辞  伊藤鉄也(国文学研究資料館)

■基調講演1■
  今西 祐一郎(国文学研究資料館・館長)
  【表記情報学】としての源氏物語研究

    正徹本源氏物語のデータベース化 伊藤鉄也(国文学研究資料館)
    花散里諸伝本における文字の使用状況 斎藤達哉(専修大学)

午後の部︰14:00〜17:00

 2 源氏物語の本文研究  司会:上野英子(実践女子大学)

■基調講演2■
  名和 修(陽明文庫・文庫長)
   近衛家の源氏物語

    源氏物語本文の特質 豊島秀範(國學院大學)
    河内方の源氏物語 田坂憲二(群馬県立女子大学)

  閉会の辞  豊島秀範(國學院大學)



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posted by genjiito at 23:23| Comment(0) | ◆源氏物語

2010年09月23日

お彼岸の墓参と信貴山温泉

 今年も、お彼岸は八尾市の高安山麓にあるお墓へお参りしました。

 いつもならレンタカーで家族が一緒に行きます。しかし、お盆の時にみんなで墓参したこともあり、何かと多忙な子どもたちはパス。そこで、妻と2人で電車を乗り継いで行くことにしました。
 私にとって、外出は格好のリハビリとなります。それも一人ではないので、食事や突然の体調不良の場合を考えても、何かと安心です。カバンの中には、お茶とチーズなど、ちょっと口にするものが入っています。
 消化器をなくした身でも、いろいろな場合のことを考えて積極的に身体を動かす行動をするように心掛けているので、この調子だと快復も早まることでしょう。

 地下鉄で四条駅に出て阪急に乗り換え、淡路駅経由で日本橋駅まで行き、次は地下鉄で鶴橋駅へ、そして近鉄で河内山本駅で乗り換えて、ようやく目的地である信貴山口駅に到着です。100分ほどかかりました。車で行くのと、ほぼ同じ時間がかかります。

 鶴橋駅のホームには、昨日と今日の2日間開催されているAPECのために、ゴミ箱が封印されていました。
 
 
 
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 このAPECで通訳や翻訳などの仕事をしている娘は、このところ連日奈良のホテルに缶詰状態で大変です。先日、本ブログで書いた通りです。成功を祈るばかりです。先ほどの電話では、とにかく無事に終わったとか。帰ってきたら、お寿司で労ってやりましょう。

 今日は、朝方は雨でした。しかし、お昼には雲の多い秋空となり、お墓から見る大阪北部は雨に洗われたせいもあってか、空気が澄み切った眺めでした。
 
 
 
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 この写真の手前のお墓一帯は、私が小学6年生から中学生にかけての遊び場だったところです。この景色を見ると、忍者部隊月光ごっこをした懐かしい想い出が蘇ります。

 高校時代に通学で毎日利用した単線の終着駅である信貴山口の駅からは、山上の高安山までケーブルカーが上っています。ここから、信貴山の温泉に入り、奈良側に降りて京都に帰ることにしました。

 今年は寅年ということもあり、寅と縁の深い信貴山はあの手この手の宣伝をしています。ケーブルカーも、こんな感じです。
 
 
 
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 阪神タイガースがもう少し踏ん張ってくれたらいいのですが、今年も息切れのようで残念です。

 ケーブルは、中間地点ですれ違います。このときの光景が、私は大好きです。
 
 
 

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 この信貴山のケーブルはとにかく急斜面を上ります。
 先日行った鞍馬山にも、ケーブルカーがありました。
 それは、参拝者用としてのもので、とてもかわいいものでした。
 
 
 

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 信貴山のケーブルの傾斜角度は、とにかく一度体験すると感激するほどのスリルを伴うものです。おいおい大丈夫かい、と後押ししたくなります。絶壁を上る、というイメージがピッタリです。

 頂上の高安山から信貴山までは、バスが運んでくれます。
 今日は近鉄創業100周年記念ということで、いつもなら240円のところを100円でした。ささやかながら、ラッキーな気分にしてくれます。
 
 
 
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 信貴山は、京都に越すまでにいた奈良県生駒郡平群町にあります。ご町内の温泉ということで、折々に行っていたところです。久しぶりに来ました。
 信貴山観光ホテルの温泉は、宿泊しなくても入れるのです。きれいな温泉です。
 
 
 
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 小雨がぱらつきだしました。
 露天風呂も、木々を眺めながら気持ちを和らげてくれます。
 
 
 

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 少しぬるめなので、のんびりと入っていられます。
 今日は、誰もいなかったので、こうして記念写真を撮りました。

 露天風呂からも見える朱塗りの橋からこの温泉を眺めると、こんな景色になります。
 写真のちょうど中央の木の間隠れに、この露天風呂が見えます。

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 昨日までの暑さとは打って変わって、今日は肌寒い一日でした。
 温泉で身体がホカホカと温まったので、大和の茶粥を少し食べました。

 奈良側に山を下りて帰る場合、かつてはケーブルカーがありました。しかし、今はバスが1時間おきに王寺方面に走っています。生憎ちょうど出た後で、さてどうしようかと思っていたら、たまたま通り掛かったおじさんが、家の車で下の駅まで送ってやろうか、とのことでした。バスを待つのも大変なので、ご好意に甘えて乗せてもらいました。雨が降り出したときでもあり、大助かりでした。

 またまた単線の近鉄電車で生駒駅へ出て、そこから西大寺駅を経由して自宅までの帰路となりました。
 かつて、毎週のように東京への通勤に使った経路です。過去が微妙に交錯する車窓を眺めながら、お腹への栄養補給を小刻みにしながら、電車に揺られてウトウトとしていました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ブラリと

2010年09月22日

京洛逍遥(163)植物園で名月と野外音楽

 今夜、『第18回 名月観賞の夕べ』が、夜の京都府立植物園を開放して開催されました。
 仲秋の名月を観賞しながら、植物園の大芝生地の特設ステージで野外音楽祭です。
 名月と音楽ライブという、粋なイベントです。
 
 
 
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 昨年は10月3日が仲秋の名月だったそうです。今年は9月22日。
 連日猛暑のこの夏も、今日の夕風は涼しさを感じさせるものでした。
 6時半開演に合わせて、ゾクゾクと人が集まってきます。木々の向こうには、比叡山が姿を見せています。

 
 
 
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 進行役はFM京都の福岡千幸さん。
 国民文化祭・京都2011のPR隊長を務める「まゆまろ」も登場しました。
 まずは、国民文化祭・京都2011開催PRとして、京都国文祭メッセージシンガーである和紗(かずさ)さんのライブです。京都出身とのこと。
 
 
 
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 私は初めて知った人なので、興味深く歌声を聞きました。
 ハスキーボイスで声が伸びていない感じで、高い声が苦しそうでした。もっとも、ライトに照らされて、鼻に虫が入ったりで、大変そうでした。会場は、年齢層が高かったこともあり、娘を応援するような反応で、非常に好意的に聞く雰囲気でした。これから人気が出るのでしょうね。そんな印象を持ちました。

 会場は、月が今か今かと、空が気になっていました。
 今日の天気予報は曇り時々雨。雨こそ降らないものの、厚い雲に覆われた夜空です。

 続いて、クロマチックハーモニカ奏者の木谷悦子さん。
 世界大会での優勝歴もある方です。クロマチッカハーモニカというのは、半音階が出るハーモニカだそうです。
 ちょうど歌い出そうとされたとき、一瞬でしたが月が出て、会場が響めきました。

七つの子
夕焼け小焼け
里の秋
なだそうそう
ツナミ
見上げてごらん夜の星を



 周りの年配の方々は、はじめの3曲までは、一緒に歌っておられました。
 私には、アレンジし過ぎのように感じられ、あまり小細工をしないほうが夜空に澄み渡って、この場の雰囲気に合うのに、と思いました。「なだそうそう」あたりからは、年配の方には馴染めなかったのではないでしょうか。
 また、みんなが満月が煌々と照らす夜空を求めているとき、「見上げてごらん夜の星」を情感タップリに演奏されても、何となく違和感を禁じ得ませんでした。
 すみません、いろいろとお考えがあっての選曲なのでしょうが、音楽の素人としてはそんな印象を持ちました。

 最後は、本日のメインである、シンガーソングライターの白井貴子さんです。最近は、環境問題などのイベントにも多数出演なさっているようです。プレミアムアコースティックライブということで、いいステージでした。後半は、月光にも照らされて、雰囲気も最高でした。
 
 
 
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 帰りがけには、観覧温室前の園路で天体望遠鏡を用いての「月の観察会」にも参加しました。こんなに大きな望遠鏡で月を見たのは初めてです。まん丸な写真でお馴染みの月の顔を、間近に見ることができました。

 イベントの半ばで登壇された園長の月見草の話がよかったので、出口に置いてありますとおっしゃっていた月見草を、ジックリと見てから帰りました。
 
 
 
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 ようやく秋の気配が感じられるようになった一夜、気分転換になる時間と空間をもらった気がします。
posted by genjiito at 22:37| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年09月21日

京洛逍遥(162)鞍馬寺とくらま温泉

 手術で負ったお腹の傷を癒すために、鞍馬温泉へ行きました。ここは硫黄温泉で、露天風呂からの景色もいい所です。

 手元にある昭和3年の京都市街図を拡げてみたところ、我が家の近くに市電小山車庫(現在の北大路バスターミナル)という駅があったことがわかりました。そして、そこから賀茂川沿いに北西に向かって鞍馬電気鉄道線が走っています。今でこそ、鞍馬というと出町柳から比叡山に向かって走り、途中から左にカーブして鞍馬へと曲がっていきます。しかし、我が家から見ると、実際にはすぐ真北の山なのです。近いと思うはずです。

 くらま温泉や鞍馬寺については、これまでにも何回か書きました。

「京洛逍遥(16)鞍馬寺」(2007年9月23日)


「源氏のゆかり(5)説明板28-鞍馬寺」(2008年5月3日)


「京洛逍遥(44)くらま温泉」(2008年7月13日)


 鞍馬は、京洛を北から守ってもらっている感じがしています。
 その鞍馬寺は、まず山門が気持ちのいいくらいにドッシリと迎えてくれます。
 
 
 
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 今回は、本殿の前に異様な行列が出来ていました。参拝に来たほとんどの人が、本殿前の丸い石の中にある三角印の上に立ち、丁寧に拝んでから1人ずつが本殿に歩んでいくのです。どこかの誰かが始めたために、後から来た人がみんなそれにならっていたのでしょう。
 私はその長蛇の列を無視して、左側をすり抜けて奥の院の方に向かいました。

 今回は、まだウォーキングの延長としての足慣らしの山歩きなので、義経の背くらべ石までの400メートルの散策に留めました。それでも、上り坂は少し息が切れます。体力が極端に落ちていることを実感します。

 途中、与謝野晶子の書斎「冬柏亭」が移築されていて、今でもその姿を確認できます。
 
 
 
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 その説明板も味のあるものなので、ここに紹介しておきます。
 活字にしてほしくないものです。
 
 
 
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 東京の与謝野家との関連は、以下の記事に書いていますので、これもご参照を。

「江戸漫歩(6)与謝野晶子の住居跡」(2008年5月27日)


 鞍馬寺と与謝野晶子については、その源氏訳自筆原稿に関連して、以下の記事に詳細を述べていますので、参照いただければと思います。

「鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿」(2008年4月28日)


 以下の記事では、この鞍馬寺の晶子自筆原稿を東京に運んだときのことを、後半に少しですが書いています。

「瀑布に打たれ続ける日々」(2008年9月28日)


 それほど、私にとっては晶子自筆原稿は思い出深い研究資料となっています。

 記事の中ではS氏としていますが、これまでにも何度もお世話になり、国文学研究資料館の源氏展図録『源氏物語 千年のかがやき』にもお名前を掲載しましたので、ここでは曾根祥子さんであることを記し、その英断と迅速な対応に敬意を表したいと思います。

 帰途、転法輪堂に立ち寄り、病気の快復をお願いして阿弥陀如来を見上げたときに、その横でお供物をあげておられる方のお姿を見て、瞳を見開いてしまいました。先ほどまで懐かしく思いだしていた曾根さんが、ちょうどお供物を動かしておられるところだったのです。

 すぐにお声をかけると、私を覚えてくださっていて、いつものようにご丁寧な挨拶を返してくださいました。鞍馬寺の晶子自筆原稿を国文学研究資料館から公開することが叶い、それが刺激となって堺市が所有する晶子自筆原稿も公開することが実現したのです。曾根さんも、堺のMさんから連絡をもらっておられ、本当にみなさんに喜んでもらえてよかったと、目を輝かせておっしゃってくださいました。
 その堺市では、晶子訳『蜻蛉日記』の自筆原稿もみつかり、今はその公開のための撮影の準備を進めています。
 このことは、「与謝野晶子の源氏訳自筆原稿「夕顔」等を確認」(2010年7月16日)で報告しました。


 実は、この記事を書いた16日の朝は、東京の九段坂病院からの電話で、私が胃ガンであることの告知を受けので、私にとっては忘れられない日になりましたが……。

 曾根さんとの話は尽きないので、お仕事のお邪魔をしないうちにと早々に辞すことにしました。
 帰り際に、上で人が列をなしているのはどうしたのですか、とお聞きすると、最近テレビで本殿前の空間がパワースポットとして紹介されたので、ああしてたくさんの若者が来てくださるようになりましたんです、と嬉しそうにおっしゃいました。最初に思った、どこの誰かは知らないが、というのは間違いで、テレビの影響だったのです。

 そうなのです、鞍馬は宇宙エネルギーが充ち満ちた尊天さんの世界なのです。私もその活力をもらいに来たのです。お山から、膨大なエネルギーをもらい、そして曾根さんに偶然にもお目にかかり、本当にいい山参りとなりました。

 帰り道に、かつての記事にも書いたように、『源氏物語』の説明板が今も軽く扱われていました。
 
 
 
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 「落石があり危険ですので こちらの参道をお通りください →」

 という表示があるのに気づきました。しかし、『源氏物語』の説明板があるのは、この左端の奥です。
 
 
 
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 これは、何とかしてもらいたいものです。せっかくの説明板が死んでいます。

 さて、くらま温泉の露天風呂です。
 
 
 
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 ここは、晴れても雨でも、とにかく気持ちのいい温泉です。
 身体が軽くなり、またお山のエネルギーももらい、健康的な山歩きの1日となりました。

 なお、本殿にあった冊子「『源氏物語』若紫巻の舞台としての鞍馬寺と与謝野晶子源氏展 −日本の心を求めて−」(鞍馬寺出版部、千円)を買って帰りました。
 
 
 
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 なかなか興味深い内容です。ご覧になっていらっしゃらない方は、ぜひご一読をお勧めします。『源氏物語』と鞍馬寺と与謝野晶子が結び付く、楽しい本に仕上がっています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年09月20日

食事を高カロリーに変える実験

 9月11日に外出を許されたとき、まず足を向けたのは回転寿司屋でした。
 紫明通りの「むさし」で、カウンターの中のお兄さんにはご飯を4分の1でお願いしました。
 
 
 
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 しかし、それでもご飯が多くて、これをさらに半分にして食べました。

 退院後も他の店に行きました。ご飯は4分の1でとお願いしても、実際には半分くらいの大きさで出てきます。4分の1と言われても、握りにくいのでしょう。しかし、ご飯を残したくない気持ちがあるので、根気強く4分の1の大きさを、今後ともお願いしようと思っています。

 錦市場の中のうどん屋さん「冨美家」の店内は、こんな感じでした。
 
 
 
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 壁に貼ってあった受賞のことは、ラミネートでコーティングされていました。
 
 
 
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 私が食べたしっぽくうどんです。
 
 
 
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 お店の入口では、お持ち帰り用のうどんと出汁を売っています。
 
 
 
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 ここは、何度でも来る価値のあるお店です。
 ただし、うどんはついツルリと呑み込んでしまうので、よく噛みながら食べる訓練になりません。しばらくは、自粛しようと思っています。

 退院してからも、折を見ては外食に挑戦しています。ただし、半分も食べられないので、必ず家族と一緒です。最初に、私が注文したものの内の半分を、皿に小分けして渡すのです。そして、自分が食べられるだけの分量を目の前で確認して、やおらゆっくりと丁寧に噛んで食べます。もう、「行」の領域です。
 私に付き合う家族も大変です。しかし、心得たもので、私から受け取るものを考えて、少なめに一品を注文しているようです。
 その点では、回転寿司は私にとっては最高の食事です。お腹の状態を見ながら食べられるのですから。一緒にいく家族も、私から受け取るおかずを考えなくてもいいのです。日本にお寿司があってよかった、と再認識しています。

 これまでと食事の内容を変えています。
 ここ数年は、血糖値をコントロールする必要があったために、食べなかったものがいろいろとあります。しかし、今は積極的に食べるようにしています。
 1日の摂取エネルギーがとにかく少なくなっているので、高カロリーの食事にも手を出しています。

 今日のお昼は、トンカツにチャレンジです。トンカツは、かれこれ3年ぶりです。出てきた半分のトンカツの、しかも衣の大半を外して食べました。久しぶりにおいしいトンカツが食べられました。一緒にいた妻は、これではこっちが太ると言いながら、半分を喜んで食べてくれました。

 夕方からのウォーキングは、上賀茂神社に向かって賀茂川を北上します。最近は、下鴨神社ではなくて、北山に向かって上賀茂方面を歩いています。
 いつもは上賀茂神社のすぐ近くの御園橋で引き返すところを、今日は体調もよかったので、もう一つ北の西賀茂橋まで足を延ばしました。

 我が家から下流は賀茂川沿いの道が整備され、広くてユッタリとしています。それだけ、ランニングやウォーキングのたくさんの人が行き交っています。
 上流の上賀茂方面の道は少し狭いのですが、それだけになかなか趣があります。いかにも川沿いを歩いている気分になるので、この北山を遠望しながらの散策を楽しむようになりました。

 体調がよかった勢いで、晩ご飯に餃子を加えてもらいました。餃子も久しぶりです。ただし、少し調子に乗ったせいか、食後は少しお腹が張り気味です。

 実験と称して、これまで敬遠してきた高カロリー食にチャレンジ中です。手術後に3キロほど体重が減ったので、少しずつ栄養価の高いものを食べ、たくさん運動をして、体力をつけるように心掛けたいと思って実践中です。それにしても、一度に食べられる量が限られているので、間食に工夫するなど、まだまだ試行錯誤の中にいます。
posted by genjiito at 22:56| Comment(0) | 美味礼賛

2010年09月19日

心身雑記(87)入院中のスナップあれこれ

 入院中のブログは、iPhoneで更新していました。
 とにかく小さなパネルを操作して記事を書いていたので、何かと苦労していました。特に写真は、掲載するのが大変だったので、文字だけの発信と割り切っていたのです。

 18日間の入院生活の中で、記事に書いたことを補うものもあるので、手元の写真を記録として掲載します。

 まずは、術後すぐに特別室に運び込まれたときのものから。
 
 
 
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 上から下まで、10本以上のパイプやコードが取り付けられていました。
 左手の点滴針が、一番最後に抜かれました。この時は、本当に身体が自由になったことを実感したものです。

 次は、足をマッサージしてくれていた機器です。
 
 
 
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 血流をよくするために、いわばエコノミークラス症候群にならないようにするために、一日中足を揉んでくれる機械です。間歇的に送られる空気が、足の裏を圧迫して揉んでくれます。
 ただし、パイプがねじ曲がると空気が止まり、警報が鳴ります。真夜中も含めて何度か止まったので、この機械は更なる改良が必要では、と素人なりに思いました。

 個室から4人部屋に移り、退院までの治療を受けた空間はこんな感じでした。
 
 
 
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 後半は、仕事もそれなりにこなしていました。何かと多忙な入院生活でした。

 外来棟の3階にあった図書コーナーです。
 
 
 
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 まだ片隅で仮の閲覧サービスがなされている、という感じでした。これは、今後とも充実していくはずです。そして、どこかに一室が設定されることでしょう。入院患者にとっては、このコーナーは一時の自由な時間が持てる、寛ぎと知的好奇心を満足させる場所になります。

 京大病院の東側にあった、全快地蔵はこんな様子です。
 
 
 
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 本当に慎ましくお祀りされています。建物もみすぼらしいものでした。しかし、何か心優しい場所になっていました。私も、つい退院の日を待ち望み、何度か足を運びました。
 もちろん、病院の説明にはない場所です。難しく言うと、宗教施設ということでしょうか。しかし、このような場所が病院の一角にあることが、いかにも日本らしくて、そのありように興味深く思いました。
 ここは、宗教系の病院ではないのです。厳密には宗教に関することでもあり、公費が投入できないために、物置小屋的な扱いにしてある、という印象を受けました。国立大学の中の医学部付属病院において、このようなお地蔵さんが実際にはどういう扱いになっているのか、何かの機会にお聞きしたいものです。楽しい裏話がたくさんあることでしょう。
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | 健康雑記

術後の治療食(夕食編)

 入院中に京大病院で出された食事の一覧です。
 最後は夕食分です。

 13日(月)は退院のためにありません。
 
 
 
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posted by genjiito at 00:48| Comment(0) | 美味礼賛

術後の治療食(昼食編)

 入院中に京大病院で出された食事の一覧です。
 以下、昼食分を掲載します。

 なお、9月11日(土)と12日(日)は外出のため、そして、13日(月)は退院のためにありません。
 
 
 
100905l9月5日昼


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100907l9月7日昼


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posted by genjiito at 00:30| Comment(0) | 美味礼賛

2010年09月18日

日本食から見える日本文化を学ぶ

 7月から通い出した佛教大学の夏季講座(四条センター)も、今日が最終回(第3回)となりました。
 病気のことがあり、何回出席出来るか予想できませんでした。しかし、結果的には3回とも皆勤となりました。
 これも、何かのご縁があってのことなのでしょう。
 
 
 
100918rejime
 
 
 

 これまでの講義の内容は、以下の2つに書きました。

(1)「精進料理の思想を学ぶ」


(2)「茶事懐石料理の歴史と作法を学ぶ」


 第1回目は娘と、第2回目は妻と、そして第3回目は息子と一緒に聞きました。
 私は病人なので、何かの時の介助としての同伴です。

 さて、最終回は、「日本料理の様式化(その三)−京料理について−」です。

 講師は、これまで同様、榎木伊太郎さん(京料理えのき店主、食物史家)です。
 お話の内容は、次のように掲示されていました。

京料理とは日本料理を母胎として、有識料理・精進料理・茶事の懐石料理などの特徴を随所に取り入れ、京の都の地で育まれ洗練された食事様式の一形態として、近世以降から現在に至るまで、日本料理の精粋とされます。


 配布されたレジメには、次の項目が並んでいます。

■”京料理”の言語の発生について
■日本料理の様式化の原点
■鎌倉新佛教と禅院の精進料理
■包丁家の流派と有職料理
■”真”の茶の湯と式正料理
■草庵茶の湯と懐石料理
■近世における料理様式

 盛りだくさんだったこともあり、後半は簡略に話されました。

 今日も、料理に対する旺盛な好奇心からの豊富な話題は、もっと聞きたいという思いにさせられました。特に今日は最後ということもあってか、脱線が多くて話に付いていくのも大変でした。これがまた楽しかったのですが……

 江戸前料理のことで、アジとウナギの話は、非常におもしろく聞きました。
 また、名古屋のキシメンについて、『斉民要術』という本に見えるとのことでした。元々は四角な切り麺ではなくて、竹の切り口で五百円玉ほどの丸い碁石のようなものを刳り貫いたものだったのだそうです。「棊子」から棊子麺と呼ばれるようになったようです。
 今のキシメンは食べにくいので、この碁石のようなものに変えたら人気がでるのに、ともおっしゃっていました。

 平安時代の「大饗台盤」から「衝重(曲物の三方)銘々膳」「高坏銘々膳」へ、そして鎌倉時代に「精進料理」、室町時代の「式正料理」、そして安土桃山時代にかけて茶道の隆盛で「会席料理」へと、日本料理の様式形態の変遷をきれいにまとめて教えてくださいました。

 榎木さんは、若い頃に永平寺で修行をなさったようで、日本仏教についての蘊蓄がほとばしり出ていました。聞いていて感心しました。

 中でも特に詳しかったのは、御台盤の配膳図の説明でした。
 今でも伊勢神宮で使われているという馬頭盤に、銀と木の箸が並んでいる図です。そこに、両端にスプーンがあるのです。これは、平安中期から銘々膳になり、その時にスプーンがなくなり、箸だけという、世界でも珍しい文化が形成されたのです。

 この日本独特の文化から、器を手に持つということが生まれました。しかし、これは日本以外の国では器を持って食べないというマナーがあるので、海外などで何かと白い目で見られるところです。日本人の食法としては恥ずかしいものではないので、海外の人からの指摘には、あまり卑屈になることはない、とのことでした。

 また、戦後、日本人が日本食の食べ方を教えてこなかったことにも、痛烈な批判を繰り返されました。日本人が日本食の食べ方を教えなかったことの方が、よほど恥ずべき事だと。
 体育と食育のうち、戦後は体育だけが取り上げられたので、小泉政権時代にこのことを指摘されたのだそうです。文化人として、日本食の食法を学ぶことの大切さは、前回もおっしゃっていました。

 確かに、私の家でも、食べるときの躾はうるさくいわれました。しかし、日本食の食べ方は、家では教えてもらえませんでした。もちろん、学校でも。自分の国の食事について、その歴史はもとより、その食べ方とその意義について、何も教えられないままに日本人として国際化を云々することは、本当に赤面するばかりです。日本人が迂闊にも、軽視していたことを、手厳しく指摘されました。海外の方々とお付き合いすることの多い私は、今後とも心しておくべきだと思い至りました。

 私が高校の教員をしていた頃、3年生を受け持った最後には、生徒たちを中之島のホテルのテーブルマナーに連れて行きました。家庭の事情でお金が出せない生徒には私が負担してまで、ナイフとフォークを使った西洋料理のコースを体験させました。社会人になってから役立つマナーだとの信念からでした。しかし今から思えば、日本食のことがまったく念頭になかった自分が、想い出すと恥ずかしくなります。

 有職料理の話で、江戸時代に高家筆頭になった吉良家の話から忠臣蔵に展開したところから、大きく話が脱線しました。そのまま聞いていたかったのですが、時間がなくなってしまいました。

 最後に、箸の文化について語られました。
 日本人は、儀式においても、箸を大切にしている例として、生まれた子供に対する食い初めや、人が亡くなったときにお棺に箸をいれることなどを紹介されました。
 箸については、U字型のピンセットのようなものと、2本の箸が考えられており、榎木さんは2本の箸だったとの説を支持しておられます。

 そして、最後に『源氏物語絵巻』の「藤裏葉」巻の絵を紹介されました。そこには、銘々膳の衝重が描かれています。穴が4つ空いているのが太政大臣・左右内大臣だけが使えるので、ここは内大臣の夕霧がいることから四方だろう、とのことでした。ただし、他の3人は大臣ではないので、三位以上が使う三方も描かれているのではないのかと、素人の私は思いましたが、どうでしょうか。絵には、2つの穴しか見えないのです。とにかく、二方という衝重はないので、四方か三方であることに違いはないのです。

 講義が終わってから、演壇を降りられる榎木先生に、僭越ながら一つ質問をさせていただきました。それは、『源氏物語絵巻』の中に描かれた四方(三方)に、箸が描かれていないことについてです。先生は、拡大した写真では、手前に2本の箸が描かれていたので、箸で食べていたようですよ、とのことでした。ご丁寧に優しくご説明いただき、ありがとうございました。

 ふとしたことから受講した日本料理に関する講座でした。奇しくも病気が判明し、その後入院し、消化器をなくすという事態の最中に、この3回の講義を受けたことになります。日本料理について、さらなる興味を掻き立てられました。そして、日本料理の奥深さも教えていただきました。

 時あたかも、食事が非常に制限された中にいます。幸いなことに、日本料理は小出しに盛りつけられているので、今の私には最適な食事です。食事の量と共に、カロリーについても安心して食べられます。日本食のありがたさを、日ごとに痛感しているところです。
 今後とも、このような機会を得て、さらなる魅力を知りたくなっています。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 美味礼賛

2010年09月17日

術後の治療食(朝食編)

 入院中に配膳された食事を、朝昼晩と3回に分けて掲載します。
 これは、自分の食事のメニューを考えるときに参考とするためでもあります。
 毎日、この半分以下を食べました。それでも、少し多かったようです。それだけ、胃を切除すると食べられなくなる、ということです。
 
 
 
100905m9月5日朝・五分粥
 
 
 
100906m9月6日朝・全粥
 
 
 
100907m9月7日朝
 
 
 
100908m9月8日朝
 
 
 
100909m9月9日朝
 
 
 
100910m9月10日朝
 
 
 
100911m9月11日朝
 
 
 
100912m9月12日朝
 
 
 
100913m9月13日朝
posted by genjiito at 20:18| Comment(0) | 美味礼賛

2010年09月16日

術前術後の病院食

 日々、食事との闘いです。
 今後のために、今回病院で出された食事を、記録として写真で掲載します。
 この話は「手術前日の慌しさの中で」で書いた通りです。併せてお読みください。

 まずは、手術前日の昼食です。
 これが、私の内臓に収まっているこれまでの消化器官で食べる、本当に最後の平常食となりました。
 それが、何とすき焼きなのです。病院側のサプライズなのでしょうか。感謝して食べました。
 
 
 
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 そして、手術前最後の食事は、具のないものでした。
 
 
 

100830e
 
 
 
 これが、術後しばらくは点滴の日々でした。そして、4日目にようやくご飯が食べられるようになりました。それがなんと、鯛だったのです。まさに、お祝いでした。それにしても、胃を全部切除したのに、こんなに出てきたのには驚きました。
 この日のことは、「ウソのように豪華な朝食」で書きましたので、ご参照を。
 
 
 

100904m
 
 
 
 お昼も、多彩なメニューでした。
 
 
 


100904l
 
 
 
 晩ご飯の肉団子のトマト煮は、とにかくおいしく食べられました。
 
 
 
100904e
 
 
 
 この日一日、たくさんの料理がでました。ホカホカの調理です。しかし、ほとんど食べられません。すぐにお腹が一杯になるのです。

 こうして、食べる社会復帰の訓練が始まったのです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 美味礼賛

2010年09月15日

京洛逍遥(161)賀茂川のリハビリウォーキング開始

 退院して3日が経ちました。
 信じられないくらいのスピードで時間が過ぎ去っていきます。
 3日前を想い出すことがすでに難しいほどに、目まぐるしくさまざまなことが日常として起きています。
 1日というのは、こんなに出来事がたくさんあるものだったのですね。次から次へと、追い立てられるように目の前に展開していきます。これが生きていくことなのだと、改めて生活というものを見つめ直しています。

 とにかく、まだ今は自分の身体を作る時期です。神経をすり減らすことには目を瞑る習慣をつけないと、かえって復帰が遅れてしまいそうです。のんびり、というのは、これまでそれとは無縁に生きてきたので、なかなか難しいテーマです。のんびりと、じーっとすることが何と難しいことか。
 この退屈さとも、仲良くならなければなりません。

 療養生活とは、本当に大変です。自分との闘いです。
 まだ3日目なのに、何とも情けないことです。

 社会復帰へのリハビリは、まずは賀茂川ウォーキングから取り組みます。

 3日前、退院して自宅で身体を休めてから、夕刻より妻と賀茂川ウォーキングに出かけました。せっかくなので、自宅から京大病院まで歩くことにしました。と言うのも、自転車を病院の駐輪場に1台置いたままだったので、それを取りに行くことを口実にしての散策です。帰りのことを考えて、1台だけ自転車を押しながら行きました。
 前方に、京大病院がある地域が見えます。
 
 
 
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 この景色は、これまでは単なる賀茂川の下流でした。しかし、今日からは、私が3週間ほどお世話になった東山の聖護院地域です。つい数時間前まで、前方の病棟のベッドにいたのかと思うと、足も軽くなります。

 病室があった積貞棟を、この角度から初めて見上げました。
 
 
 
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 今朝まで私がいた6階の部屋には、すでに人影があります。つい先ほどまでのことが、すでに過去になっているのが不思議です。

 帰りは、妻と自転車を並べて賀茂川沿いを遡りました。緩い勾配なのですが、橋の下あたりに差し掛かると坂が急になるので、まだ未完成のお腹に響きます。降りて押して、また乗ってを繰り返しながら、のんびりと家路へと向かいました。

 自宅のそばの飛び石では、サギやカモが夕暮れ前なのにまだ遊んでいました。
 
 
 
100914_sagi
 
 
 
 翌日は、下鴨神社の近くの葵橋までウォーキングをしました。

 そして今日は、自宅から上流へと、上賀茂神社へ向かって歩きました。
 上賀茂神社のそばの御園橋あたりから、先日まで病室から毎日眺めていた送り火の舟形が間近に見えました。これにも、改めて感動しました。いろいろなことが、入院生活と結び付きます。
 
 
 
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 上賀茂神社は、変わりなく静かに佇んでいました。
 
 
 
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 時間が遅かったので拝殿まで行けませんでした。2つ目の鳥居のところで、無事退院できたことを報告し、これからのリハビリが順調に行くようにお願いして来ました。

 自宅前の飛び石では、昨日よりも多いカモとサギが夕食中でした。
 
 
 
100915_kamo
 
 
 
 私も、これから食事です。本当に鳥のエサほどの少量しか口にできませんが、根気強く食事の訓練をしていきたいと思います。
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年09月14日

京洛逍遥(160)不可解な運転と対応の京都市バス

お昼ごろのことです。
四条河原町のバス停から、自宅に帰るために乗ったバスの様子がとにかく変でした。
私が異変に気づいたのは、下鴨神社の手前の葵橋あたりからでした。乗客は10人もいませんでした。

バス停に近づくと、50メートル以上も前からエンジン(排気)ブレーキで減速します。歩行者と同じくらいのスピードにガクンと落ち、ローギヤーの低い雑音をさせながらノロノロとバス停に止まります。
最初は、運行時間を調整しているのかと思っていました。しかし、各バス停でそうなのです。

運転手さんが急病ではと思い、座席からミラー越しに顔をみると、前を見て運転しておられます。意識不明に陥り、首をガックリと前に垂れているという様子はありません。また、バス停では、乗り降りできるところに止まっています。運転はそれなりに正確なようです。ただし、車線変更は、どう見てもおっかなびっくりで横スライドをしています。

府立大学前では、こちらがバス停に到着する直前のところで停車し、わざわざ後ろから来たバスを前に行かせ、前のバスの乗客が乗り降りした後に、やおらバスを発車させて府立大学前のバス停に停車します。女子高生たちが4人降りましたが、差し出された通学定期を見る気配もありません。
なぜそのような運転をするのか、いまだに意味不明です。

薬物かアルコールが入っていたのかも知れません。バス停ごとにマイクで何か言っておられましたが、よく聞き取れませんでした。

我が家の近くのバスターミナルに着き、ホッとして降りるときに運転手さんの表情を見ました。顔に異変はなかったように思えました。

降りるとすぐに、ターミナルにある市交通局の窓口へ行き、ことの次第を説明し、あのバスは大至急運行停止にした方がいいのでは、と報せました。

窓口には、二人の男性職員がおられ、奥には男性と女性の職員が一人ずつ事務机に座ってこちらを向いておられます。話を聞きながら、それでは運行何とかへ連絡して無線で急行してもらおうか、とノンビリとおっしゃいます。そう言いながら、一人が動かれるのかと思いきや、二人ともさらに話を聞こうとされます。私が語る話の内容に、興味はあるようです。
窓口の職員の方から聞かれたのは、運転手の名前は見ましたか、ということでした。そして、見ていないでしょうね、と少し小馬鹿にした口調でつぶやかれました。カチンと来たので、その言い方の憎々しさはよく覚えています。

そんなことよりも、今すぐ、そばのターミナルを発車したばかりのバスを止め、運転手の奇怪な行動を確認することが先決でしょう。
私は、とにかく乗客の立場から、異常と思われる事実を伝えました。後は窓口におられた二人の内の一人が、すぐにしかるべきところに連絡をとるべきなのに、と思いました。しかし、それ以上はどうしようもありません。そうこうするうちに、バスも次の停留所へ着くころでしょう。

私は、要らぬお節介をしたことに気づき、それ以上は何も言わずに窓口を離れました。ここが京都市営バスであることを、すっかり忘れていました。乱暴な運転で有名なところです。職員教育がなっていないことでは、市の行政側も頭を悩ましているとかいないとか。
振り返ると、二人の職員の方は、まだカウンターで話をしておられました。
さすがは、悪名高い京都市営バスです。
こんな運転手のご乱行についての苦情は、日常茶飯事なのでしょう。いちいち対応しておられるか、というところのようです。
こんなときには、すぐ上の階にある交番に行って、ことの顛末を知らせたほうがよかったかも知れません。市の交通局は動かなかったようですが、警察なら何かアクションを起こす可能性がありそうだからです。交通事故に直結しかねない事態だったと思われるからです。

とにかく、不穏な動きをする市バスの運転振りでした。
一体あれはなんだったのでしょうか。私の推測では、極度の二日酔いと見ました。

京都の市バスに乗られるときには、身の危険を感じたらサッサと降りるのが、我が身を守る鉄則のようです。
京都の市バスは、当然のことながら、親切な運転手さんもたくさんおられることでしょう。しかし、酷い運転手さんがそれに劣らず多いのも事実です。当たり外れがおおいのが、京都の市バスです。市バスで御神籤占いができるほどです。今日の私は、命拾いの「凶」でした。

秋は観光や学会のシーズンです。
10月の第1週末には、中古文学会が立命館大学であります。市バスを使わないと、立命館大学には行けません。くれぐれも、お気を付けください。

市バスに乗って、これはおかしいと思ったら、勇気を出して降りることです。
これが、京都の旅を楽しくする秘訣の一つのようです。
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年09月13日

心身雑記(86)ワイン片手に2週間ぶりの我が家で

さまざまな幸運の中を、無事に我が家へ帰って来ました。
京大病院の医療スタッフのみなさま、短い期間でしたが、手厚い治療と看護をありがとうございました。

最後の夜は、お腹の調子がよくなくて、少し不安が走りました。3日もお通じがなくて、先日のように夜中に腹痛が起きないかと、ハラハラしました。
お腹の張りも気になり出したので、思い切って下剤を飲むことにしました。
この前が効き過ぎたので、10滴ではなくて8滴を水に溶かして飲みました。
時間は、昨夜の午後7時前です。ところが、横になって夜中まで待っても効果が出ません。深夜3時に看護師さんのところへ相談に行きました。そして、さらに7滴を溶かして飲むことにしました。
ウツラウツラとしていたら、夜明けの6時に効き目があらわれたので、とにかくホッと一息。
しかし、休む間もなく検温の後に退院の荷物の整理、そして最後の朝食と、慌しいことでした。

退院に合わせて、丁寧な栄養指導を受けました。妻と息子も一緒です。
料理人の息子は、チーズや寒天や缶詰めの魚のことなどを確認していました。妻もたくさん質問をしていたのですが、管理栄養士の先生はそれこそ親身になって教えてくださいました。
私は、とにかくお寿司がこの状況下では一番いいものであることが確認できたことで、それだけで安堵しました。
これからの食事によるリハビリは、どうにかやり遂げられる自信をもらえました。

ご指導?にもあった通り、ただいまワインを少し口にしながら、この文を書いています。
きめ細やかなご教示をいただいた先生に、改めて感謝しています。
posted by genjiito at 20:53| Comment(2) | 健康雑記

2010年09月12日

京洛逍遥(159)錦市場の冨美家でうどん

昼前に病院からバスで外出しました。
日射しはきつくても、風が秋らしくなっています。
行き先は、四条の錦市場です。
元禄時代から、そこは京の台所と言われたところ。
今日は、錦小路通り堺町角にある、冨美家でお昼ご飯です。
京都大丸の裏にあたります。

冨美家のうどん、そば、 お好み焼は、京都の良質の銘水と厳選された材料の 「京の味」ということで、なにかと評判のお店です。
一度行ってみたかったのです。昨日より2日間もお腹が張っているので、軟らかいものを求めて来ました。

お店は、ふた昔前の内装です。出雲大社の前のお蕎麦屋さんが、ちょうどこんな感じでした。京の街中らしからぬローカルな雰囲気は、錦市場に並ぶ他のお店の庶民的な印象に溶け込んでいる、と見た方がいいようです。気取りがないのです。

修学旅行生が、何組も来ています。ガイドブックで見たのでしょうか。その安さに惹かれて、ということもありそうです。

「しっぽくうどん」を注文しました。これが540円なので驚きです。
七味唐辛子のかかっていないものを頼みました。ところが、持ってこられたのは、唐辛子が振りかけてあったのです。「あっ」と言うが早いか、すぐに作りなおして来ます、ごめんなさいね、ということで、しばらく待つことになりました。

壁には、ここの出汁が賞をもらったことが、地味ながらも誇らしげにA4の紙にワープロで印字されています。ラミネート加工したペラペラが一枚。
飾らないこのお店らしさを感じます。

冨美家のおだしは、
iTQi(International Taste & Quality Institute)
国際味覚及び品質審査機関が催す
Superior Taste Awards 2009
において二つ星を受賞しました。

ワンコインほどで、世界に評価された出汁が楽しめるのです。それでなくても、今は病院から外出の身です。病院食から、一転して世界の味を……。
この落差こそが、この上ない贅沢なのです。

やがて、アツアツのうどんが来ました。
今朝も先生から食べ過ぎだとの指摘を受けているので、おいしいうどんを半分だけいただきました。

いい味だと思います。ただし、私には出汁が少し甘く感じられました。関西は、薄味でもやや味は甘めです。大阪の箱寿司がそうです。
味が少し濃いようにも感じたのは、お腹を気遣いながらのことに加えて、体調が万全でないからかもしれません。

お腹が一段落したら、また来ましょう。

店先では、持ち帰り用の出汁やうどんを売っていました。
これは、我が家の近くのショッピングセンターでも、他の料亭の京料理やおバンザイと一緒に売っています。あまりにも身近なお店にあるので、買ったことがなかったのです。
明日退院したら、この冨美家のおだしで、療養食をいつか食べてみることにしましょう。
食材が豊富な京都にいればこその、ささやかな楽しみでもあります。
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2010年09月11日

ミニお寿司に舌鼓

今日と明日は、外出をしてもいいという許可が出ました。先生の粋な計らいです。
月曜日に退院となったので、週末の行動も大幅に自由にしてくださいました。
いろいろな配慮がそこかしこにあり、患者にとっては居心地のいい病院です。

お昼前に出かけました。
思ったほど暑くなかったので助かりました。

まずは、iPadのガラス面を保護する透明フイルムと、本体を衝撃から守るシリコンのカバーを買いに行きました。ショッピングセンターに入っていた家電コーナーでも、iPadやiPhoneのグッズやアクセサリーがたくさんぶら下がっています。本体を売っているわけでもないのに、その周辺グッズが売れているようです。
それも、最初に一つ買ったら、機種を変えるまで買い替えることもない小物です。品揃えの豊富さを見て、一連のアップル製品の拡がりを知ることになりました。

お昼は、待ちに待ったチャンス到来とばかりに、一路お寿司屋さんを目指します。紫明通りにある回転寿司屋「むさし」です。

満員の中、一番隅のカウンターに座り、マグロとハマチとホタテを注文しました。ただし、いつもと違うのは、ご飯は3分の1にしてもらったことです。ロウ細工の、見本用のお寿司みたいです。
日本茶を飲みながら、寿司ネタにポン酢をつけて食べます。ネタをめくって、ワサビは取りました。
ショウガも、ゆっくりと噛みました。

術後のお腹にナマモノはどうなのか…、少しだけ迷いました。しかし、お茶、ワサビ、ショウガと、みんな殺菌作用のあるものと一緒に食べるのです。かえって、お腹の殺菌消毒をしていると考えた方がいい、というのが私の結論です。

今日は、2個ずつ、計6個だけにしておきました。いつもの半分の数です。しかも、ご飯はさらに半分以下です。完璧です。
赤出汁も、茶碗蒸しも、お腹に入る分量のことを思って、頼みませんでした。徐々に、ということにしましょう。

意外に早く訪れたお寿司でした。
これまでが、毎日のように口にしていたお寿司なので、3週間も食べないのは久しぶりです。
とにかく、思いがけない大満足の外出となりました。
posted by genjiito at 22:38| Comment(0) | 美味礼賛

2010年09月10日

心身雑記(85)穏やかな一日

京大病院の敷地の東側は、東大路通りが南北に走っています。
その通りに面した出入口のすぐ外に、全快地蔵さんがおられました。侘しい佇まいの屋根の下に、野に捨て置かれていたと思われるお地蔵さんが2体、ひっそりと祀られています。

千羽鶴がたくさん周りに掛けてあったので、私も我が身のことをお祈りしました。
手術が無事に成功したことの感謝と、これからの療養生活も順調でありますように、と。

お腹の調子がいいので、食事の量を少し増やしました。
まず、半分ほど。そして、1時間半後に残りを少し。
配膳されたもののうち、だいたい6〜7割を食べます。これで、今のお腹にはちょうどいいようです。

胃切除後当初に、半分食べて、2時間後に残りの半分を、という食事をしようとしたのは、ややせっかちだったようです。
消化器がなくなった身には、やや多かったようなのです。
先生がおっしゃたように、3分で止めておくんでした。
術後の調子の良さに、ついつい口にしてしまいました。
食欲に引きずられたのです。

とにかく、食べる量とペースが、何となくわかりかけてきました。
気長に、いろいろな食べ物に対応できるよう、試行錯誤を繰り返していきます。
これから2ヶ月で、この感覚を体得したいものです。

今一番の関心事は、お寿司がどのタイミングで食べられるか、ということです。
この病院では、おそらく最後まで、ご飯は全粥のはずです。京大病院ご自慢の「にぎり寿司セット」にありつけないことは必定です。ましてや、患者がお寿司をリクエストする、ということは前代未聞のことでしょうし。
とすると、退院の日の帰り道でしょうか。
でも、そのときは、タクシーのはずなので、三条か紫明の「むさし」に立ち寄るのはむつかしいでしょう。
そのチャンスを窺いながら、虎視眈眈と眼を光らせて、しばしジッと我慢の子でいましょう。

溜まりに溜まった仕事は、ゴロゴロしながらできるものから、やおら手を付け出しました。
その気になって没頭しないように気をつけながら、ユルリユルリとスタートです。
posted by genjiito at 21:19| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月09日

心身雑記(84)秘事口伝を iPad で書く

連日、話が尾籠に至って恐縮しています。
病が消化器だけに、術後の状況を記すと、自ずとそんな話になるのです。ご寛恕のほどを……

いまだに、お腹の張りが気になっています。先生は、腸閉塞ではないので、しばらくしたら落ち着くところに…、とおっしゃいます。
しかし、当人としたら、一日も早くモヤモヤしたお腹をスッキリさせたいところです。

自力で、その解決策を編み出しました。

まず、お腹の張りがキツくなると、顎の下あたり、喉の左右が締め付けられます。そして、口の中に唾液が出て来ます。
これを合図に、館内ウォーキングのスタートです。
ベッドを降りると、北病棟の8階まで階段を渡り歩いて行くのです。すると、帰り道の中央診療棟2階あたりで、確実にトイレに行きたくなります。
これで解決。

他人にはどうでもいいことです。しかし、胃を切った当事者には死活問題です。
これを、京大病院消化管外科の祕事口伝としましょう。
学界発表とまではいきませんが……。
この解決策を見つけ、今は、大発見をした余韻に浸っているところです。

こんな平和な闘病生活の中、新たな人生に船出したことを記念して、iPadを買いました。
iPadは、一昨日の退院騒ぎで、一旦は断念しました。しかし、あと4日はここにいるのです。そこで、ネットにつながる入力デバイスを、少しでも負担にならないものにしたのです。
やはり、iPhoneで日本語を、それも、まとまった文章を入力するのは、そうとう無理があります。今回、2週間続けてブログの更新に使ってみて、このデバイスでの限界を痛感しました。短い文ならいいでしょうが……

本日の記事からが、iPadでの入力によるものです。なかなか快適です。
大きな画面とゆったりとしたキーボードは、入力や操作環境を一気に改善してくれます。
これで、弟分のiPhoneの使い方も、自ずと違ってきます。おもしろくなりました。

初夏からこのiPadが日本でも広がり出しました。しかし、いつもならすぐに手を出すところを、これにはグッと我慢して、次のバージョンを待つことにしました。MacとiPhoneの生活に、このiPadの位置づけがイメージできなかったからです。私にしては、珍しいことでした。

今、iPadを操作しながら、もっと早くこれを使うんだった、と大いに悔んでいます。これは、脳を活性化する情報文具です。自分と情報との関わりに、とてつもない可能性をもたらしてくれそうです。
この病院から新たにスタートしようとしている今、このiPadを手にすることができたのは、よき仲間との出会いに等しいと言えます。

久しぶりに、軽い興奮を覚えています。
posted by genjiito at 21:28| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月08日

心身雑記(83)退院延期これもまた良し

昨夜の消灯時に、看護師さんがお腹を通す薬を持って来られました。2日以上ないのです。お腹が張って、息苦しいときがあります。

薬はユックリ効くものだとのことでした。明日の朝までには、とのことでした。
しかし、意外に早く効いて、深夜2時にはスッキリしました。明け方にもう一度あり、お腹がカラっぽになりました。

それなのに、お腹の周りはまだ張った感じが消えません。
これは、食事に伴うものと言うよりも、手術で切られたことからくるものもあるのでしょう。
これからズッと続く、自分のお腹との闘いが始まっているのです。

傷口はいつか癒えます。
後は、食べ物や飲み物を、どれくらいの量を、どんな早さと間隔でお腹に落とすのか、という訓練と慣れに尽きます。

退院のタイミングについては、先生にお任せしています。この調子では、明日の退院はなさそうです。

一日も早い退院を待ち望む気持ちと、不安のない形で退院したいという気持ちが、ここ数日は揺れ動いています。
そして、どちらでもいいではないか、自宅に帰ってからの養生の方が長い目で見たら時間のかかる忍耐の日々なのだから、と自分に言い聞かせています。

このところ、病院内を歩き回り、体調維持に務めています。
新しいウォーキングルートは、かなり離れたところにある北病棟の8階まで歩いて行くことです。体力が相当落ちているようで、帰ってくると少し息が上がります。
先ほどは、手を大きく振り、少し早めに歩きました。

傍目には、病人らしからぬ変なおじさんが歩き回っている、と思われていることでしょう。
不審な徘徊者と間違えられないように、腕にはバーコード付きの入院患者用のバンドを嵌めています。
その前に、病院の緑のレンタルパジャマを着ているので、この病院から出ない限りは、変質者ではありませんが……
posted by genjiito at 21:08| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月07日

心身雑記(82)お腹が不調で退院が保留に

一昨日からお通じがありません。オナラは出るので、腸は開通しています。しかし、お腹が張っているために、スッキリしません。

順調に回復してきたこの時期に、あろうことか、便秘という伏兵に悩まされています。

昨日の月曜日の朝、息子にiPadを買って来てもらう算段をしました。
来週くらいまで入院が続きそうなので、今のネット接続の苦労を少しでも緩和したかったのです。
iPhoneは、何と言っても画面が小さいので、とにかく疲れます。また、スピードも遅いのです。
病院ではネット環境が提供されていないので、自衛策しか方法がないのです。

電気屋さんへ電話をすると、どこも1ヶ月待ちです。大阪・心斎橋にあるアッブルストアに、在庫があることがわかりました。そこで、息子に行ってもらうことにしたのです。

購入する機種や書類の確認をしていたとき、Y先生がおいでになり、やをら退院についての話をなさいます。
我が耳を疑いました。3日後の木曜日の午前中を提案されたのです。
突然だったので、心なしかうろたえました。思っても見なかった事態です。嬉しさと不安を同時に飲み込みました。複雑です。
とにかく了承しました。
そして、iPadをすぐに断念しました。

午後は、退院というクス玉を尻目に、持ち込んでいた仕事を一つでも多く仕上げることに専念です。

就寝前に、大きなオナラが退院の祝福をしてくれました。本当に順調に来ました。ただ一つ、お通じがないこと以外は。

夜中じゅう、お腹が張っていました。かすかな痛みも伴っています。しだいに痛みが増して行く感じもします。

なかなか寝付かれないまま、明け方、我慢し切れずにコールボタンを押しました。
すぐに看護師さんがおいでになり、予め指示があったのか、痛み止めの薬を出してくださいました。

今朝、先生方が入れ替わり立ち替わり、お腹のようすを見て行かれます。
食事は無理をしないようにと。一転、暗雲が立ちこめます。
退院日の先延ばしが検討されています。

これまでの個室も、空き待ちの方が多いので、安定した私は元の4人部屋に戻りました。ここでの3回目となる、慌ただしい引越しです。

午後には、レントゲン検査が入りました。
夕食のとき顔を出された先生は、明朝に退院日を判断する、とおっしゃいました。また、明日、ベッドの状況も確認してみるとも。

ものごとは、なかなかスムーズにはいかないものです。
posted by genjiito at 20:49| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月06日

心身雑記(81)食べ過ぎでお腹が張る

今朝は、東山から西山にかけて、秋を思わせる雲がドーナッツ状にかかっていました。
爽やかな朝です。

体調良好。ただし、お腹が張っていて、食べ過ぎたときの感じが、昨夜来あります。この違和感で、あまり眠られませんでした。

食事の調整は、まだまだ工夫の余地があります。食べる量を、もっと減らす必要がありそうです。

昨夜は、眠れぬままに、消灯後にあまりあかあかと電灯を付けるのもよくないので、持参していたDVD版『シャレード』を観ました。パリを舞台にした、オードリー・ヘップバーンの映画です。
ハラハラドキドキの中に、コミカルなものが散りばめられていて、何度観ても楽しめます。

6日目の今日から、食事が「胃ソフト」から「胃切」というプログラムに変わりました。五分粥が全粥に昇格です。

食欲は旺盛です。しかし、依然として、お腹が張っています。自ずとブレーキがかかります。

お昼に、腹帯も不要だとのことで、外しました。これで、身体を拘束するものが何もないことになり、気持ちもスッキリします。
外見上は普通のおじさんです。

運動も、中央診療棟の4階まで、階段で昇り降りしました。

途中で、患者用の図書コーナーを見つけました。子供向けの本、病気の本、小説と随筆、という分類がなされていました。
まだまだ本の数は少ないのですが、このコーナーはきっと役に立つエリアになることでしょう。

夕食後の回診で、お腹にガスが溜まっていることの対策が、先生方で話されました。
お腹が張っていることに加えて、押されると少し痛みを感じます。
明日の朝のようすを見てから、この対処をしてくださることになりました。
快調だったので、食べすぎたのがよくなかったようです。

この未完成な消化器とのつきあいは、なかなか難儀な今後が予想されます。
とにかく、みんなに迷惑をかけ過ぎない内に早く復帰を、と思わず、あせらずに取り組んで行くしかありません。
posted by genjiito at 22:42| Comment(0) | 健康雑記

心身雑記(80)「にぎり寿司セット」はいつ

京大病院の食事は、私に合っています。
まず、味付けがくどくないこと。そして、熱いものと冷たいものが適度な配分で出て来るからです。
配膳盆の上には、アツアツのご飯類と、ヒンヤリしたサラダやデザートが乗っています。

「京大病院広報 第88号」(平成22年4月)に、今年5月にオープンしたこの積貞棟における全国初の食事システムについての記事がありました。

積貞棟の地下一階の新厨房では、「ニュー・クックチル方式」で入院患者の治療食を作っているそうです。
これまでの「クックサーブ方式」では、配膳まで保温機で維持されていたため、温度管理や盛り付け作業に限界があったようです。
それを、「ニュー・クックチル方式」では、加熱調理されたものを3度に急速冷却し、配膳直前に再加熱するのです。

安全と美味しさを追求した結果、「にぎり寿司」が提供できるようになったそうです。
これは、聞き捨てにできません。
写真を見ると、いくら、タコ、エビ、タマゴ、ウナギがあります。これに、海藻サラダ、炊き合わせ、お澄まし、デザートっぽいものがついています。

私がここにいるうちに、このお寿司がでたらいいのですが。
早速明日から情報収集につとめましょう。
posted by genjiito at 16:19| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月05日

心身雑記(79)手足と食事が自由になる

昨夜、栄養補給をしていた点滴の管が、5日ぶりに抜かれました。理想的な回復ペースだそうです。医療スタッフのみなさまに感謝します。

これで、身体に着いていたチューブは、すべてなくなったのです。両手足が解放されました。
後ろに補助輪を着けた自転車の、2つのつっかい棒がなくなった感覚です。
両手を振って歩けます。
階段の上り下りもできます。

早速今朝から、中央診療棟に自立歩行で散策に行きました。
まだ、お腹の皮は突っ張っていますが。

今朝、血液検査に来られたので、また少し貰って測定したところ、112でした。
昨日が135、一昨日が168だったので、点滴をしていると、相当血糖値を上げる結果になっていたことがわかります。
ポカリスエットを飲むなと言われていることを、こうして証明できました。
もっとも、治療に何を優先するか、ということが問題なので、こうして適材適所の対処の後にスーッと下がるのはいいことです。
後は、効率よく栄養をとって体力を回復し、さらには以前のようにカロリーのコントロールを続けて行きたいと思います。

ただし、今回胃をすべて摘出したことにより、食べたものの消化吸収のされ方が変わるはずです。
これまであった、小さいながらも胃らしきものがなくなると、口から入ったものは、食道から腸に直接落ちることになります。これまで私は、胃がほとんとどなくて、インスリンの出もあまりよくなかっために血糖値が高かったようです。
それが、今回消化吸収の過程が変わるとにより、お腹の中でどのような化学変化が起きるのでしょうか。
これは、食事の摂り方に大きく左右されそうです。
食事の内容と、その分量と、時間が関係しそうです。

また、先生に聞いて見ることにします。

今は、出てきた食事の半分を、まず食べます。そして、2時間後に残りの半分を食べると、ちょうどいいようです。ただし、当分は残りの半分はほんの形だけでもいいかもしれません。全体量が多いようなので。

こんな調子で、しばらくは試行錯誤の人体実験の日々となります。
posted by genjiito at 18:44| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月04日

心身雑記(78)ウソのように豪華な朝食

今日の京都も快晴です。

眼下の旅館の前に、修学旅行の団体バスが3台止まっています。制服姿の生徒さんたちが散らばっています。
これから京都観光に出発のようです。

今朝は、童心に帰ったように、朝の5時には目が覚めていました。8時の朝食の配膳が待ち遠しいのです。

7時ころに、毎朝の儀式である体温、血圧、脈拍、酸素濃度、お腹の聴診、そして問診がありました。

お通じは?
まだありません。

そうなのです。これだけが残っています。

8時10分前に、待ちに待った朝食が運ばれて来ました。
一目見て、何かの間違いだろう、と思いました。
器が5つに牛乳が一本。トレー全面に所狭しと並んでいます。
一番大きい蓋を取ったとき、我が目を疑いました。
鯛が3切れ鎮座ましましています。
悪い冗談だろうと思い、私の名前が記された配膳シートを見ました。

「胃ソフト」
※三分粥 200g
※あこう鯛煮付け
※白菜
※玉葱の味噌汁
※おろしピーチ
※牛乳 100

間違いありません。

間違いでした、と言って下げられる前に、とにかく大急ぎで手をつけました。
食べながら、誰か来ないかチラチラと、自然とドアに目が行きます。

何かとソッと助言をくださるO先生が、昨日の回診のとき、テストだから三分の一で止めておくように、とのことでした。
しかし、美味しかったので、4割りほど食べて、楽しみをあとに残しておきました。

昨日いただいた説明書にあった通り、しばらく横になっていたときでした。O先生がようすを見に来られたのです。
残っているのを見て、もうこれくらいにしておきましょう、と。もっと食べられそうですが、と言うと、最初はこれでいいでしょう、と。

また、説明書には横になるようにと書いてあるが、その必要はないとのことでした。
順調です、と言って帰られました。

こんな大病院で、先生直々の手取り足取りの指導は、信頼でき、安心して療養に専念できます。

また、私を担当されているチームの5名の先生方も、こまめに部屋においでになり、声を掛けてくださいます。

胃のすべてをなくしたことがウソであるかのような、居心地のいい環境にしてもらっていることに、感謝しています。
posted by genjiito at 10:27| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月03日

心身雑記(77)逆血・祝砲・伊右衛門

朝6時、爽やかな目覚めです。

南向きの窓からは、左に平安神宮と知恩院が、右手には京都タワーがクッキリと見えます。

モーツアルトを部屋に流して、洗顔、歯磨き、トイレと、いつもの朝です。時間が異様に早いこと以外は……

これが、胃を切って4日目の朝です。
ウソのような本当の話です。

まだ、お祝いのラッパは鳴っていません。

昨日運んで来た荷物を少し片付け、ピンクのスクリーンカーテンを上げ、両膝屈伸とスクワットを始めたときでした。左手の甲にずっと刺さっている点滴のチューブを見てハッとしました。
透明のチューブの中を赤いものが流れています。15センチはあるでしょうか。

大急ぎで呼び出しボタンを押しました。走って来られた看護師さんは、手持ちの注射器の液体を注入して、流れ出ている血液を血管内に押し戻されました。一瞬の、手品のようなできごとです。

逆血と言って、手を上げたりしたときに血管内の圧力のバランスが崩れて、血管から点滴の方に逆流したものでした。
起き抜けの急激な運動には気を付けます。

今朝は採血があったので、ついでにその一部をもらって、私の血糖値測定器に垂らしました。
結果は、168でした。いつもより相当高い値です。
しかし、ここの先生方は当初から慌てず騒がず。あまり興味がなさそうです。
それでも律儀に自分の測定器で測っている自分が、なんともおかしく思えます。

以下、今日までの数値をまとめます。これは、私が勝手に測っているものです。

3日    168 *今日3日目
2日    161 *2日目
1日    171 *手術翌日病院値
31日 136 *手術直前値
28日136  *病院食2日目
27日108 *お昼に入院
26日126
25日129
24日128
23日 137
21日 110
20日135
19日   95
18日108

病院に入ってからは、高いままです。点滴は、結構血糖を高めているようです。

本日、午前10時5分に、めでたくラッパが鳴り響きました。
午後から水が飲めます。
明日から、点滴ではなくて、三分粥になります。
今晩は、シャワーも浴びられます。

まずは、ボルヴィックの水を飲みました。生き返ったことを実感します。
お茶でも、ポカリでもいいそうです。そこで、地下のコンビニへ伊右衛門を買いに行きました。

入院してから、体重は300グラムしか減っていません。
これから、徐々に減って行くのでしょう。
40年前は、最終的には15キロ以上も減りました。
今回は、どうでしょうか。

引き続き、回復に向けて、規則正しい生活を心がけます。
posted by genjiito at 20:37| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月02日

心身雑記(76)病室を移りオナラを待つ

手術後に入った個室は、重篤患者に対応する部屋でした。さまざまな救命救急設備が配された空間です。

週末までここにいるはずでした。しかし、急患が多くなったようで、もう日々回復に向かう私は別の個室に移ることになりました。
それだけ、術後が順調である証です。

病室移動の準備が整うまで、看護師さんと息子の三人で、病棟内の散策に出掛けました。

もう、一人で立て、歩けます。
大丈夫でしょう、という看護師さんのコトバで、息子を付き添いにして、さらにもう一周しました。
その後、さらにもう一周。

午後は、娘と三周。夜は、仕事帰りに立ち寄った妻と一周。

日頃の賀茂川ウォーキングが、病棟ウォーキングとなりました。

身体に付いていた管類は、栄養の点滴以外はすべて外されました。身軽になりました。

残るは、オナラの祝砲を待つのみです。
posted by genjiito at 19:47| Comment(0) | 健康雑記

2010年09月01日

心身雑記(75)術後20時間で病棟内を歩き回る

胃を切って一日も経たないのに、治癒が早くなるとのことで、早々と歩行訓練が始まりました。

そんな無茶な、と思いました。しかし、歩けたのです。

最初は、U字型のサークルに身体を支えながら、おっかなびっくりで挑戦です。

まず、ベッドから下りるのが大変でした。身体がねじれる度に、お腹が悲鳴を上げます。

恐る恐る立ち上がりました。フラつきません。
予定の、個室の出口まで、シッカリと歩けました。
介助の先生が、もう少し先まで歩いてみましょうか、と。

火照ったお腹を庇いながら、廊下を出てから賀茂川が見えるところまで行き、Uターンしてベッドに戻りました。この訓練には、医学生さん二人が見学に来ていました。緊張しました。

昨日の大手術のことを思うと、20時間しか経っていないのに、こうして歩けたことが夢のようです。

午後は、自力で歩きました。
ベッドから一人で下りられました。
U字型のサークルは使わず、点滴を吊るしたT字型のキャスターを押しながら、病棟階を一周しました。
胸を張って、背筋を伸ばしたくても、お腹の痛みで前屈みになります。それでも、一歩一歩歩いていると、それなりに様になっている、と褒めてもらえました。

とにかく嬉しい一日でした。

今日で、酸素マスク、足マッサージ機、心電図機、腹水排出パイプ、いくつかの輸液パイプなどが外されました。
ベッドの周りがスッキリしました。

順調に快方に向かっていることを実感しています。

先ほど、先生が回診に来られました。
お腹を触り、いいですねー、と一言。
枕元のiPhoneを見て、便利ですか? と暗に釘を刺されました。
posted by genjiito at 21:10| Comment(0) | 健康雑記

心身雑記(74)夢に出て来たモネの花畑

日本は、言霊のさきはふ国です。
昨日は触れませんでしたが、一つだけ心配なことがありました。それは、私が機械運に見放されていることです。

普通ではあり得ないことが、私の身の回りではよく起きることは、仲間内では有名です。

手術中に、何もトラブルがなければいいが、と祈るばかりでした。停電が一つ。それよりも何よりも、一番怖いのは地震でした。しかし、それも杞憂に終わり、今は安堵しています。

さて、昨日、手術室に入るところから書きます。

手術台は温めてありました。ホカホカです。裸になり、最初に点滴用の針が打たれます。
そして、両足にマッサージ機が取り付けられました。これは、血栓予防のためのものです。エコノミークラス症候群にならないように、これ以降24時間、土踏まずを空気圧で断続的に刺激してくれます。

点滴が開始されたとき、お医者さんに夢を見るのかどうか聞きました。人によりますね、とのこと。
その会話が終わるが早いか、ストンと意識を失いました。

約6時間、何も覚えていません。
名前を呼ばれて、それが刺激になったのか、ハッと意識が戻りました。何事もなかったかのように、お医者さんと会話ができます。ノドが痛くて、声が出しにくいこと以外は。
すぐに、夢を見たか、思い出そうとしました。
自分でも不思議なことに、目覚める直前まで、丘の花畑にいました。それも、印象派の、モネやルノワールの絵の中です。
思い出そうとすると、次第に具体的なイメージが湧きました。
あたり一面、緑と黄色の緩やかな斜面に、無数の赤い花が咲いています。丘の上には、小さな黒っぽいものが一つか二つ見えます。赤い花と、黄緑の点が、画面に広がっている中に、私はいたのです。何をしていたのかは、思い出せません。
こんな夢は初めてです。絵の中に自分がいたのです。
それも、この絵が好きだということでもありません。

麻酔の先生にこのことを伝えました。そうですか、で終わりました。

病室は個室に移っていました。
しばらくして、家族と姉が入って来ました。

麻酔で呼吸機能も停止するため、ノドから肺の入り口にチューブを通して、人工呼吸がなされていたようです。まったく覚えていませんが。
そのため、ノドが痛くて喋りにくいのです。でも、たくさんのことを喋りたいので、声を枯らせて語っていたのです。

私が手術中にいた丘は、モネの「アルジャントゥイユのひなげし」だそうです。妻が調べてくれました。ルノアールも、よく似た作品を描いているそうです。

なぜ、この絵が夢の中に出てきたのでしょうか。この絵の中の小高い丘の麓に、私は一人でいただけなので、これを夢と言っていいのか。とにかく、不思議です。

妻は、切り取られたコブシ大の胃と腸を前にして、先生から説明を受けました。すべてキレイに取り除くことができたのです。
40年前の残滓を抱えての手術だったので、その過去が問題を引き起こさないか、ある意味で先生にとっても挑戦だったのでしょう。古傷は癒着もなく、方針を変更することなく執り行われました。

40年前に見事な執刀してくださった、大森のM病院の先生とスタッフの皆様にも感謝しています。

夜は、妻が泊り込んでくれました。
お医者さんは付き添わなくても看護師がいるので大丈夫でしょう、とおっしゃいます。しかし、一緒にいてくれました。
看護師さんは一晩中、2時間おきの検温、血圧、傷口の確認などなど、心のこもった看病でした。それでも、チョッとしたことで、妻の手助けが必要でした。

夜中に熱が37度7分に上がり、予想通りとはいえ、痛さも加わっての眠れない夜でした。

それはともかく、無事が一番、皆様に感謝。
posted by genjiito at 18:17| Comment(0) | 健康雑記