2010年01月31日

新聞が廃止になった帰路のANA

 海外から帰りの飛行機での楽しみは、日本の新聞を読むことです。

 搭乗口から機内に身体を入れるが早いか、いつものようにアテンダントの方に、新聞はありますか、と聞きました。ところが、その反応が曖昧なのです。
 朝日新聞はありますか、と聞くと、この飛行機には乗せていない、という返答でした。さらに聞き返すと、新聞はもうありません、と言われるのです。それでは、後で持ってきてもらえませんか、と言って、座席番号を記した半券をみせましたが、新聞はありません、と仰るだけです。

 しかたがないので、諦めて自分の席に向かいました。しかし、どうも不審な対応だったので、さらに奥へ入ったところにいらっしゃったアテンダントの方に、また、朝日新聞はありますか、と聞きました。すると、今月の5日から、機内での新聞の閲覧はエコノミークラス分は廃止になった、とのことでした。ビジネスやファーストクラスでは、このサービスはあるのでしょうか。

 日本を離れ、しばらくニュースに接していないと、帰路の飛行機で読む日本語の新聞は楽しみの1つです。倒産したJALならともかく、ANAも新聞あたりから整理に入ったのでしょうか。
 新聞を用意するくらいのサービスは、今後も続けてもいいのではないでしょうか。

 ANAは、国内線でのドリンクサービスは、お茶と水だけにして、ジュースやコーヒーなどは有料にするそうです。経営危機はわかります。たいへんなのでしょう。しかし、国際線での帰国便の日本語の新聞は、ドリンクとは質がちがうと思います。これまでも、回し読みしていたのですから。

 再考を願いたいと思います。
posted by genjiito at 00:24| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月30日

ワシントンの中の日本

 宿泊先のホテルの近くに、銀座というお店がありました。
 
 
 
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 議会図書館への往復だけで終わったアメリカ滞在だったので、この店の開店時間に行くことができませんでした。
 ウインドーを見る限りでは、日本らしさが感じられるグッズを売っているようです。
 またの機会があれば、どのようなものを日本的なものとして陳列しているのか、日本の見られ方を知るためにも、立ち寄ってみたいと思います。

 結局、今回の旅では、おみやげは何一つ買いませんでした。お菓子なども、まったく買う気にならず、議会図書館のグッズにも触手が動きませんでした。すべてが陳腐に見えたのです。
 1507年に、初めて地図にアメリカと記されたそうです。その地図でもあればよかったのですが、見つけることができませんでした。いつかまた、ということにしておきます。

 帰りのダラス空港でのセキュリティーチエックは、思ったよりも簡単でした。ただし、空港内の表示が少なくて、聞きながらでしか搭乗ゲートへは行けません。首都ということもあるのでしょうか、旅行客を大事にしていないと思いました。自分達の殻に閉じこもったワシントン、というものが見えました。

 最後に一つだけ朗報が。
 搭乗ゲートの近くに、お寿司屋さんがあったのです。
 案内の表示を見て、思いがけないサプライズに嬉しくなりましました。
 
 
 
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 大急ぎで行くと、まだシャッターが降りています。
 
 
 
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 中の人に聞くと、あと30分で開店だとのこと。
 たまたま近くに、サービスの電器コンセントがある休憩所があったので、そこでパソコンを使っていろいろな資料の整理をして、時間を潰しました。

 時間になったので、またお寿司屋さんへと急ぎました。
 カウンターで食べるようです。
 
 
 
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 ここも、食べたいもののリストにチェックを入れて、おじさんに渡します。このメニューの単語には、間違いのスペルはありませんでした。
 ここでも、店の人は中国人でした。
 世界各国で感じることですが、日本人はお寿司を提供する立場から遠離ってしまったようです。日本人が高級な寿司をありがたがっているうちに、こうして日本人ではない人たちが商売にしているのです。
 海外のお寿司の市場は、完全に日本人抜きで成り立っていることを痛感します。本当に、寂しいことです。
 さて、出てきた握りは、酢飯の味と固さといい、味といい、なかなかいいものでした。
 
 
 
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 お寿司が日本の伝統的な食べものであることは、海外ではもう犬の遠吠えに近い状況になってきました。私は、残念に思いますが、それも仕方のないことです。日本人が、高級さに目が眩んだための、当然の帰結だと思います。
 韓国の方が、寿司は韓国のものを日本人がマネをしている、と声高にネット上で叫んでおられることに、もう日本人は反論する勇気をなくしています。
 理不尽にも、海外ではお寿司が韓国の食べ物だとされていくことに、悔しさを感じます。
 しかし、この流れは、もうどうしようもないことなので、一人静かにお寿司を見つけては食べ歩くことにします。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月29日

米国議会図書館での調査

 朝8時半には、厳しいチェックを経て議会図書館に入ります。
 
 
 
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 少し早く着いたので、すぐ前の議事堂の前を散策しました。
 
 
 
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 ギリシャ風の建物です。ただし、私は真ん中の丸い塔のような部分が好きになれません。ここには、四角い構造物を置いてほしいものです。

 お昼を議会図書館の中で食べ、閲覧最終の午後4時45分に調査対象である54冊の『源氏物語』をカウンターに返却する、という8時間15分ビッチリの古典籍調査の3日間です。

 調査に没頭する姿を見て、図書館のNさんが息抜きをさせてくださいました。館内の見物です。ここは、たくさんの方がツアーの一環として訪れるところでもあります。

 図書館の中は、非常に豪華な造りでした。
 
 
 
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 調査にあたっての当初の議会図書館との打ち合わせでは、写本の写真撮影は研究の上で必要な箇所数枚くらいなら、ということでした。ただし、詳細はその時に相談して判断する、ということになっていました。しかし、今回の調査の内容とその意義を理解していただき、54巻全巻の撮影をしても構わない、ということになりました。ありがたいことです。
 早速調査方針と内容を検討し直し、写本に書かれている本文の翻刻を中心にした作業から、原本を写真撮影することにウエイトを置くことに切り替えました。

 いい写真を撮るためには、どうしても撮影用の三脚が必要です。図書館の近くにカメラ屋さんがないかを尋ねると、少し離れたところの店に三脚も置いてあることがわかりました。
 すぐにタクシーを飛ばして市街へ行き、カメラ屋さんで入手し、待たせていたタクシーでとんぼ返りをしました。
 ここで不愉快なことがありました。
 タクシーを降りるときに、メーターの通りに13ドルを渡しました。しかし、運転手さんは17ドルだと言うのです。ここがインドならば、1ルピー(3円)でも不当な請求には断固戦うのですが、いかんせん、今は1枚でも多くの写真撮影がしたいので、時間が貴重なのです。口論をするのも無駄なので、20ドル紙幣を渡しました。すると、おつりを2ドルしか渡してくれません。チップのつもりなのでしょう。腹が立ちました。しかし、とにかく写真撮影が最優先なので、顔も見ずにタクシーを降りました。まったく、人の弱みにつけこんで……。

 撮影は快調に進みました。ただし、三脚の頭に取り付けるアタッチメントをなくしてしまい、3日目の最終日は持参していたマジックテープのベルトでカメラを三脚に固定して使いました。

 3日間で撮影した写真は、今はまだ整理中ですが、5千枚を越しています。
 写本は、鳥の子紙に書写されています。それも、しっかりとした紙で、捲るときにパリパリと音をたてる程です。本の背中を守るためにも見開きでの撮影が難しいと判断し、V字にして片面の半丁ずつを撮影しました。したがって、シャッターを切る回数も2倍となりました。つまり、1万回以上はシャッターを押したことになります。
 今回の調査は、6人で実施しました。手分けして流れ作業のように、チームワークよく進めることができました。
 古写本の撮影に関しては、最後に議会図書館側から提示された書類にサインをして、無事に終了です。

 的確な判断の下、研究者である我々に対する最善の処置を講じてくださった米国議会図書館のアジア部のみなさま、中原さん、伊東さん、PIPHERさん、そしてカタログ部のROGERSONさんには、篤くお礼を申し上げます。また、わざわざご挨拶においでになったアジア部のYOUNG部長の有り難いご理解にも感謝いたします。
 今回の成果は、今年中には報告書として公開できるはずです。

 図書館の司書の方々からは、1人でも多くの方がこちら米国に来て、この本を活用してほしい、とおっしゃっていました。
 この本は、書写された本文はもちろんのこと、写本そのものの形状や現状からわかる、書写された背景にある文化的な事象も、大変おもしろいものを内包しています。その意味では、大変貴重な『源氏物語』の古写本だといえるでしょう。書かれた『源氏物語』を通して、写された時代と環境、そしてその背景をなす文化が垣間見える写本です。

 一人でも多くの方に、この本を手にして、その中身と背景にあるものを調査し、研究してほしいと願っています。
posted by genjiito at 22:10| Comment(0) | ◆国際交流

ワシントンのお寿司(3)

 駅の長〜いエスカレーターを上がったところに、だだっ広いスタンドバーのようなお店があります。
 
 
 
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 その一角が、お寿司のコーナーになっていました。
 細長い注文用紙に、自分がほしい寿司の数を記入します。
 
 
 
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 「Crab Stick(Kani Kama)」から始まり、53種類の注文が出来ます。
 中には怪しいスペルのものが散見します。

 「Flying Fish Roe(Tabiko)」は、「(Tobiko)飛び子」?
 「Smoked Salmon(Sake no kansai)」は、「(Sake no kunsei)鮭の燻製」?
 「Tilapia(izumidia)」は、「(izumidai)イズミ鯛」?
 「Shrimp(Edi)」は、「(Ebi)海老」?

 日本語と日本文化は正しく伝えたいものです。
 注文した握りが出来ると、中国人のお兄さんが握った魚のなまえを叫んで呼んでくれます。
 
 
 
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 しっかり握ってあります。鮮度はいいようです。酢飯は少し固めでしたが、おいしく食べられました。
 ここなら、自由に入ってサッと食べて、すぐに帰れます。
 この地に根付いてほしいと思います。
 ただし、いつでも違うコーナーに変更できるように、簡単な陳列セットでお寿司コーナーが確保されていたことが心配です。お客が来なくなったら、すぐに違うものを出すコーナーになりそうで……。
 その意味では、もっと工夫をしないと、飽きられてしまうでしょう。先行きが不安なお店でした。
posted by genjiito at 21:55| Comment(0) | ◆国際交流

面倒な地下鉄の乗り方

 朝、ホテルの部屋から外を見ると、朝日が昇るところでした。
 
 
 
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 今回は、マイナス14時間の時差なので、自分で体内時計の調整をすることを諦めました。なるようになれ、という考え方です。案の定、眠れない毎日で、夜中の3時には確実に自分の仕事をしていました。睡眠調整を意識的にしないようにしたアメリカ滞在です。短い旅なので、これでいいはずです。

 議会図書館へ行くためには、地下鉄を使いました。地上からは、長いエスカレーターでホーム階まで降ります。
 
 
 
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 ここでの切符の買い方はとても面倒です。合理主義が徹底しているはずのアメリカで、なぜこんな手の込んだ、非合理的なシステムで電車の切符を売るのか、よくわかりませんでした。定期やカードを持っていない観光客には、いやがらせのようなシステムです。
 
 
 
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 1でお金を入れ、2であらかじめ調べておいた目的地までの料金を+と−のボタンを押して決めます。この設定が、日本の合理的なシステムに慣れた者には、なかなか難しいところです。
 自分で、タンブラー型のボタンを使って表示される数字を見ながらアップダウンさせて確定するまでが、ありまにも人間的な操作を求められます。しかし、ここで人間の能力を問われても困ります。こんなところで、職業訓練テストを受けているのではないのですから。どうでもいいので、3のボタンを押して発券します。この3のボタンがない機械があるので、3のボタンを探してあわててキャンセルすることもあります。使い残しの金額は、後で追加して使えます。この点は親切なのですが、とにかくわかりにくいシステムでした。

 また、切符を手に入れても、改札口の読み取り機械の性能があきれる程にお粗末で、何度も読み取りミスのために駅員さんのお世話になりました。どこかに手抜きがあるのでしょう。気にせずにやり過ごしましたが。

 議会図書館とホテルの往復だけで今回の旅が終わってしまいそうなので、帰り道にホワイトハウスへ立ち寄りました。しかし、後で聞くと、ここは違っていたそうです。それでも、それらしいと思ったので写真を載せます。
 
 
 
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 これが、今回の旅の唯一の外出となりました。
posted by genjiito at 21:48| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月28日

ワシントンのお寿司(2)

 昨日はお休みだった「わさび」という回転寿司屋に行きました。
 
 
 
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 内装がなかなか凝っていて、雰囲気もいい感じでした。
 
 
 
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 回転させる装置はベルトコンベアー方式ではなくて、皿を乗せる白くて丸い土台が遊園地のコーヒーカップよろしく回っているのです。その土台に乗っている皿を取るのです。
 
 
 
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 回っているのは、カルフォルニアロールなどの巻物だけです。メニューから握りを注文しました。出てくるお寿司は、ごく普通の握り寿司です。
 お客さんは、現地の若い人たちでした。上品な雰囲気が漂っています。
 ただし、地元の人たちをターゲットにするのなら、もっと工夫をする必要がありそうです。

 昨日の寿司バーは、カウンターの中でタイの人らしきお兄さんが、1つずつ握っていました。この「わさび」では、機械で握ったご飯のネタが乗っていました。ご飯の角が立っているのでわかります。
 店の雰囲気からすると、寿司を握る人がお客さんの目が届くところにいたほうがいいと思いました。

 この次に来たときに、地元の人たちにもっと愛される店になっていることを期待しましょう。
posted by genjiito at 00:24| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月27日

議会図書館での調査開始

 議会図書館での調査に向かう道で、横断歩道に黄色い人形を見かけました。これは、普通ではありません。
 
 
 
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 道行く人に訊くと、オートバイで跳ねられた人が、ここまで飛んで来て亡くなったのだそうです。
 ここから直角に曲がる横断歩道にも、同じような形でも白いものがありました。
 
 
 
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 どなたかが、冥福を祈るためにペイントされたのでしょうか。しかし、そんなことが、こうした公共の場所にできるのでしょうか。その背景を知りたくなりました。どなたか、ご存じの方がおられましたら、教えてください。

 米国議会図書館に入りました。
 空港に出迎えてくださったHさんの案内を得て、入館利用カードを作成してもらいました。2年間有効だそうです。
 館内は、美術館の様相を呈していました。
 
 
 
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 アメリカの議会図書館は、日本で言えば、国会議事堂のそばにある国会図書館にあたります。
 たくさんの書籍を収蔵する、すばらしい施設です。

 充実した『源氏物語』の調査を終えて議会図書館を出ると、ちょうど夕焼けがきれいな刻でした。
 
 
 
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 この図書館の真向かいにある議事堂も、茜色に塗られようとしているところです。
 
 
 
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 一仕事を終え、充実感をもって、ゆったりとした雰囲気の中を地下鉄でホテルまでの帰路につきました。
posted by genjiito at 06:21| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月26日

ワシントンのお寿司(1)

 飛行機は、快調にワシントンへ向かって飛びました。いい天気です。

 
 
 
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 追い風が弱かったとのことで、到着が40分遅れ、13時間の空の旅でした。
 機内の映画は観たいものがなく、「精霊流し」だけを見ました。イマイチの作品でした。
 ワシントンの天気は小雨です。
 日本を早朝に発ち、ワシントンには同日の、しかもさらに朝早くに着くので、体内時計が狂っています。時差はマイナス14時間です。身体が気怠い状態のまま、今日一日の始まりです。

 入国審査は、あっけないほどに簡単でした。
 予め、ネットでESTAというビザ免除プログラムの手続きを終えていたので、そのこともあったからでしょうか。
 両手の人差し指の指紋と顔写真を撮られました。
 質問は、入国目的と滞在日数と職業と薬や植物を持っていないか、ということを、下手なかたことの日本語まじりで訊かれました。気楽な対応でした。
 そして、税関のチエックでも、変な日本語を交えたおどけたお調子者のおじさんが対応してくれました。軽いノリの入国審査でした。
 今から思えば、日本での出国手続きの方が、ボディーチェックにおいても、あまりにも過剰に反応していたように思います。

 到着ロビーを出ると、議会図書館の司書の方がわざわざ出迎えに来てくださっていました。そして、タクシー乗り場までの案内をしてくださいました。
 初めての地に降り立ったときには、道案内があると気分的に大助かりです。ありがとうございました。おまけに、以前、国文学研究資料館の古典籍講習会でお目にかかっていた方でした。あなただったのですか、という調子で早速打ち解けてお話ができました。

 霧雨の中を、タクシーは高速を飛ばしてホテルまで一時間。
 荷物を置いて、お昼ご飯です。街中のレストランを探しました。しかし、なかなか目が街に慣れていないので、お店が決まりません。モンゴルでもそうだったように、最初の食事は、アイリッシュパブにしました。ただし、非常に高い昼食になりました。
 とにかく身体が怠いので、午後は休息にしました。日曜日ということもあり、街のお店も閉まっています。

 夕刻から、地下鉄に乗って、近くの回転寿司屋をめざしました。
 「わさび」という回転寿司屋があることは、事前に調べてあったのです。しかし、日曜日が休業日だったことは、こちらの調査が行き届いていませんでした。
 また明日にでも来ることにして、今は何はともあれお寿司です。ホテルの近くに寿司バーがあったので、迷わずに地下鉄で引き返して来て、ここにしました。
 
 
 
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 お寿司屋さんは、たくさんの人で賑わっていました。
 オバマロールというのがあったので、これに即決です。
 
 
 
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 エビの天麩羅の食感がよくて、大変おいしい出来でした。ただし、これは酢飯ではないので、お寿司ではありません。創作和食、と言えばいいでしょうか。
 このオバマロールの中身は、メニューでわかります。
 
 
 
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 上に乗っている黒い粒は、飛び子というもので、日本ではオレンジ色の数の子のようなものです。何かで黒く色を付けているのでしょうか。
 とにかく、絶妙な食感と味の、もう一度食べたくなる巻物でした。

 このお店のシンボルマークは、こんなものでした。
 
 
 
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 タイ・シェフの店なので、タイ語かと思って訊くと、TIのイニシャルをデザインしたものだとのことです。私の名前の頭文字と同じなので、私もこんなマークを作ってみたくなりました。

 海外の和食も、日本人観光客を意識したものではなく、現地の方々のことを考えている店は、いろいろな工夫があっておもしろいものがあります。日本文化が海外で融合した食事を口にするのは、大変ぜいたくな食事になります。それでいて、ホテルの中のエセ和食と違って、おいしくて安いことが多いものです。現地の脂っこい食事よりも、こうした和食を食べる楽しみを、私はささやかながら楽しんでいます。

 この巻物は、これまでの和食の中でも上位に置きたいと思うほど、気に入ったものとなりました。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月25日

米国と文化について考える

 今回は、スムーズに成田へ行けました。やはり、交通費は少し高くても、乗り換え1回のコースが良いようです。

 成田では、日本国としてアメリカへのご機嫌伺いをすることを反映してか、人間としてあってはならない、屈辱的としか言いようのないボティーチェックの後、空港の一番端の冷遇された何もない待合ロビーで、ANAのワシントン行き飛行機への搭乗を待ちました。
 喫煙室の中に自動販売機しかないロビーです。タバコにアレルギーのある人は、ドリンクすら買えないロビーしか用意できない空港側の対応に、これが日本の現状かという情けない思いをしました。
 乗客への対応が、非常に疎かになっている区域に放置され、飛行機を待たされる状況に置かれました。迷惑の受け身が並ぶ表現にならざるを得ません。

 空港の係官が、私の機内持ち込み用のバッグを勝手に手でこじ開けて、鞄の中を無礼にも掻き回して調べるのです。言語道断の、人権などあってなきがごとしの人間否定の持ち物検査です。
 アメリカには人権など元々ない国なのですから、アメリカの属国と化している日本国としては、アメリカの流儀や論理に今は従わざるを得ない、ということで仕方がないことなのでしょう。しかし、民主主義を目指す国作りをしている日本国の国民の一人として、ここまでアメリカに媚びへつらっていいのか、これは大いに疑問に思います。

 日本は、もともと他人や他国への敬意を表し、相手が不愉快にならないように、露骨な軋轢は避けてきた民族だと思います。しかし、宗主国であるアメリカへの政治的な忠誠は、はしなくもこんな時に見え隠れします。日本人としては、もっと外国に対して毅然とした態度を表明したいものです。これでは、あまりにも情けなさすぎます。日米安保条約や地位協定は、もっとみんなの話題にしたらいいと思っています。せっかく民主党の政権になったのですから、今こそ、この問題をみんなの共有する情報として発信すべきです。結論を云々するのではなくて、その過程でみんなが事実と実情と実態を知ることが大事だと思います。
 ただし、この厳重なボディーチェックは一種のアメリカ向けのパフォーマンスだと割り切れば、それは理解もできます。確かに、テロは未然に防ぐ必要があます。その意味では、なぜテロが今なおなれされているのか、という問題はここでは措きます。

 今、井上靖の『風濤』を読んでいます。高麗国がフビライ・ハーンが取り仕切る元から受ける仕打ちに苦悩する様を、この成田空港で連想しました。宗主国である元の命令で、高麗は日本へ向かわされるのです。反対出来ない状態の国というもののありようが、フッとこの持ち物検査を受けながら、思い出してしまいました。
 アメリカは、日本に原爆を落とし、今なお謝罪をしません。戦争終結のための手段としての正当性を主張するばかりです。その意味では、最近のオバマ大統領の発言は、注目すべきものがあります。これまでの文明国に対する嫉妬がアメリカから薄まることを、気長に期待しましょう。

 私の鞄の中を調べた係官も、いつか自分がしたことの意味を考えることがあるかもしれません。仕事と割り切っていればいいのですが、私を調べた方は、何となく申し訳ないという私情を滲ませておられたように思います。同じ人間として理解ができるので、身体を触られても強い反発はしませんでした。それにしても、これはやってはいけないことが黙認されてなされていました。歴史の一コマとして、記録しておきます。

 機内で、目の前の座席のポケットに入っていた『翼の王国』という雑誌をパラパラと捲っていて、おもしろい記事を見つけて読み耽りました。「中国 賀蘭山の東方金字塔 流砂に消えた王国」(京都大学、池田巧)という特集です。寧夏回族自治区・銀川市の郊外にある巨大な遺跡群を取り上げていたのです。

 西夏という国は1038年に李元昊が打ち立てました。井上靖の『敦煌』で親しんだ話です。
 その首都が、現在の寧夏回族自治区・銀川市にあったのです。しかし、この都も、1227年にチンギス・ハーンによって滅ぼされました。これも、井上靖の『蒼き狼』などでよく知っています。そして、過日、モンゴルでも聞いたことです。

 西夏の王陵を東方金字塔といいます。その形が「金」という漢字に似ていることから、金字型の塔という意味で名付けられました。エジプトのピラミッドとイメージが近いものです。
 エジプトにはナポレオンが発見して有名になった、ロゼッタストーンがありました。現在は大英博物館に展示されている、あれです。そこに書かれた文字ヒエログリフの研究はよく知られています。
 同じように、この西夏にも謎の西夏文字というものがありました。この不思議な文字の解読は、その後すばらしい成果をあげています。私は、ロゼッタストーンよりもこの西夏文字の謎の方が、漢字文化圏に生きる一人として興味があります。

 寧夏博物館に展示されているものに、「迦陵頻伽」(かりょうびんが)があります。なぜか、雑誌のふりがなは「かりょうひんか」となっていました。ルビの大きさが関係しているのでしょうか。
 迦陵頻伽は、仏教において想像上の鳥とされ、雪山に棲むとも、極楽浄土に棲むとも言われています。妙なる鳴き声で法を説くそうです。浄土変相図や天井画などの建築。装飾・華鬘などの工芸品の文様の中に、その美しい姿が確認されます。
 『源氏物語』の「紅葉賀」巻に、「これや、仏の御迦陵頻伽の声ならむ」とあり、光源氏の声が仏の迦陵頻伽の声のようにすばらしい、と書いてあります。仏教を通して、さまざまなことが日本に伝わってきていました。
 この人面鳥身の塑像が、ここ西夏王陵区にだけでですが、見つかっているそうです。30センチほどの大きさだ、とのことです。
 西夏は、日本の文化にも影響を与えていることを知りました。

 さらにこの記事では、西夏文字に関しても、詳しく報告されています。
 西夏文字は、李元昊が独自に創作させた文字で、約6千字あります。『敦煌』でも、仏典を西夏文字に翻訳したり、漢語との対照辞書を作る話が出てきました。実際に『番漢合時掌中珠』という対訳語彙集があるそうです。現在では、ほとんどの文字が解明されているようです。雲台という基壇に刻まれた西夏文字は、まさに「東洋のロゼッタストーン」です。

 消えた西夏文字が、現在は書家によって蘇りつつあるそうです。
 モンゴルでも、かつてのモンゴル文字を再評価する機運にありました。
 文字が持つ意義を、改めて再認識させられました。
 そして、今わたしたちが読み・書きする日本語について、特に変体仮名と書写文字について、思いがけずも、機中で考えてみる機会を持つことになりました。伝統と文化を知り、理解し、継承していくためにも、書写する文字の文化を、後代に引き継いでいけるようにしていきたいと思います。

 今回は、『源氏物語』の古写本の調査でアメリカに行きます。
 和紙に書かれた文字を読み解き、他の本に写されている文字列と比べることで、その背景にある文字を写すという文化の実態を炙り出したいものです。
 その意味では、アメリカにはこうした文化は皆無です。歴史と伝統がない国なので仕方がないと言えばそれまでです。しかし、こうして千年前の〈物語〉が記された写本を、わざわざ日本から調べに来る意味は、文化のないアメリカの方々にも理解してもらいたいところです。
 あなたたちの国にはないでしょう、というのではなくて、こんな文化を持つ国が地球上にあることを、こんな機会に知ってもらいたいと思っています。
 力が強いことを誇るだけではなくて、文化が持つ尊さや意味を誇るのも、大事なことです。そして、それを理解することも、大切なことではないでしょうか。
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月24日

銀座探訪(20)京都御所・仙洞御所・修学院離宮の写真展

 2週間前に、銀座・和光並木館で開催されていた、三好和義写真展「京都の御所と離宮 帝の楽園」を見に行ったことは、すでに「銀座探訪(19)桂離宮の写真展」として書いた通りです。


 この展覧会は、次のような日程で、2箇所で並行して開催されているものです。

 *「桂離宮」和光並木館5階/2010年1月7日〜23日
 *「京都御所・仙洞御所・修学院離宮」和光本館6階/2010年1月14日〜30日
 
 「桂離宮」は終わったばかりですが、まだ「京都御所・仙洞御所・修学院離宮」は月末まで見られます。

 モンゴルから帰り、体調を確認するためにスポーツクラブへ行き、そのついでに、銀座四丁目角の和光本館へ入りました。
 
 
 
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 和光本館は、セーコーの時計で有名な服部時計店のシンボル的なお店です。銀座の写真には欠かせない建物です。この和光の前は、しょっちゅう通っています。地下鉄から上がると、そこがこの本館ですから。しかし、その中に入るのは、今回が初めてです。高級品に縁がなかったものですから。
 
 
 
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 最上階の和光ホールが会場でした。
 50点の写真が会場の壁面を埋めています。
 以下、素人の印象と感想を記します。作者の意図は別として、自分がどう感じたかです。
 その意味では、前回の「桂離宮」の写真を見て、あまり自分の好みではないことを感じました。しかし、どうしてそんな印象が残ったのか。そのことが気になって、この「京都御所・仙洞御所・修学院離宮」を見に来たのです。もっと見たいと思ったのですから、三好さんの写真は魅力があるのでしょう。

 私がこの一連の写真に違和感を持つのはどうしてなのか。そんなことを考えながら、今回の写真をみた感想を記します。あまり好意的な文ではないと思います。好みの問題、ということにしておきます。

 「迎春の北の間」という写真は、二間の小さな部屋のフスマを見てもらいたい、という意図がわかります。しかし、部屋が歪んでいます。私には、デジタル写真を画像編集ソフトのフォトショップを使い、右側を引っ張り、さらに上下に広げたもののように見えました。

 修学院離宮の写真は、紅葉の赤がどぎつく強調された発色の印刷となっていたため、私には不自然な色に見えました。京都の色ではないように感じられるのです。

 ここの写真も、エプソンのインクジェットプリンターを使ってプリントされています。この違和感は、プリンターに起因するものなのでしょうか。

 上御茶屋も、遠近が歪んだものとなっていました。上部を手前に引いた加工がなされているように感じました。

 今回の写真では、天井の空間が歪んでいることが特徴です。天井を、一点から四方に広げようとしている傾向が見えます。

 京都御所の御常御殿上段の間の写真で、御帳台横の原寸大写真は、描線が少しボケ、デジタル特有のドットが見えて、汚い写真になっていました。引き延ばし過ぎたせいでしょうか。

 小御所・上段の間の御茵は、トリミングミスなのでしょうか。左肩上がりにズレていました。きちっと線が決まった写真が多かったので、気になりました。額に入れる際の、マット加工の問題なのでしょうか。意図的なのか、気づかないままなのか、よくわかりません。

 紫宸殿の高御座と御帳台の写真は、左側を引っ張りすぎた構図です。かえって貧相に見えます。これは酷い、と思いました。御所で遊びすぎ、という印象が残ります。

 南庭を「だんてい」と仮名が振ってありました。知りませんでした。

 今回も、偶然ですが、三好さんのギャラリートークの時間となりました。この前と同じように、にこやかに解説してくださいました。

 今回の展覧会は、2万枚の写真から、50点ずつを選んで展示しているものだそうです。
 宮内庁からの許可を取るのが大変で、スケジュール調整が難しかったようです。前回と同じことを、今回も強調なさっていました。

 この撮影には、20人のスタッフで現地に行き、2人だけで建物の中に入ったそうです。作品や調度の保存管理の上からの時間制限があり、5分だけしかなかったものもあるそうです。置かれた環境の温度などが変わらないためです。
 学芸員の勉強をしたおかげで、こうしたことの理由と背景がわかり、楽しい現場での話が聞けました。

 ポスターにも使われている紫宸殿は、冬至の日の夕刻に撮影したものです。空の色が不自然なピンクなので、早朝かと思っていました。

 三好さんご本人の解説で、おもしろいことを知りました。それは、私が撮影の対象が歪んでいることが気になっていたことです。
 今回の撮影では、3メートル50センチの距離からワイドレンズを使って撮ったそうです。そのために、写真全体が歪んでみえたのでしょう。画像編集によるものではなかったようです。

 しかし、私はなぜこの歪みを取り入れた写真になさったのか、三好さんのその意図がよくわかりません。実際に人の目に見える形ではなくて、不自然な角度から御所の中を見ることの意味は何でしょうか。
 そこには、撮影者の芸術観があるのでしょう。しかし、私には、不自然な発色と歪みによって伝わるものが、素直に受け付けられなかったことを、この二つの写真展で感じました。

 帰りに、8枚組みのポストカードを買いました。これを今ここで見ると、実際に写真展の会場で感じたこととつながりません。きれいなポストカードなのです。一体、この感じ方の違いは何なのでしょうか。おもしろいことです。

 今回の撮影は、写真集『京都の御所と離宮』(28,000円、朝日新聞社、2009・12)にまとめてあります。会場にも置いてあり、サインをしてもらっている方もおられました。
 また後日、この写真集を改めて見て、今回の印象を振り返りたいと思います。


 会場を出て、隣の御木本真珠店の壁のショーウィンドーケースに、粋な展示がされていました。
 いかにも日本的で、それでいて目を惹き付けられる手法が凝らされています。
 
 
 
100116mikimoto
 
 
 
 しばらく、眺めていました。

  新しき
 としの
  はしめ
    の
  初春の
 けふ
 ふる雪の
   いや
  重け
   吉
    事
 (『万葉集』卷20ー4516)

 『万葉集』の最後を飾る、大伴家持の歌です。
 天平宝字3年(759)の新年、家持42歳でした。

 銀座のど真ん中に、1250年も前の和歌が、変体仮名を凝らしてこんなに新しい感覚の意匠が、街ゆく人の目に飛び込んで来るのです。
 三次元の空間に浮遊する仮名の揺らぎを眺めながら、伝統や文化がそこここに満ちている日本のよさをかみしめる一時となりました。


 妄言多謝
posted by genjiito at 00:33| Comment(0) | 銀座探訪

2010年01月23日

仁川空港のウォーキング大会

 ウランバートルからモンゴル航空で成田まで帰るのに、韓国の仁川空港で給油のための休憩があります。往路と同じように、帰路でも同じことが行われました。すでに往路で書きましたが、愚かとしかいいようのないことがなされます。

 飛行機は、仁川空港の一番端にある131番スポットに、定刻に着きました。そして、そこから成田まで行く乗客が一箇所に集められ、集団の隊列を組んで10分ほど歩かされます。そして、そこで手荷物検査とボディチェックがあります。
 どうせ、また今しがた飛行機から降りた、元の131番スポットに戻るのです。

 素人目には無意味としか思えないこの暇つぶしの歩行運動も、当局にはそれなりの理由があるのでしょう。そうでなければ、こんな人を馬鹿にしたことは、普通の人間はしないはずです。私には、仁川空港の職員の仕事を発生させるためとしか思えませんが……。
 働くことの実感教育と、雇用の意義付けという意味です。

 引き返してくるとちょうど搭乗時間となるように、40分間のウォーキングタイムと持ち物確認が設定されています。

 空港ターミナル遠足の帰路に気づいたのですが、歩き回らされる空港内での道中で、壁などに時計が見あたりませんでした。搭乗口にも、時計がありません。
 手荷物検査で時計を鞄にしまったので、時間の確認ができなかったのです。そのため、壁に掛かった時計を探しながら、このウォーキング大会に参加していたので、時計が設置されていないことが印象的でした。あったはずですが、私には探せませんでした。

 そして、搭乗のときには、またそれまで乗っていた飛行機の搭乗券を見せるのです。それを見て、空港の係員の方が、青色のカラーマーカーでリストに線を引いていくのは、往路と同じです。

 わざわざ面倒なことをしておられる職員の方を、ボーッと見ながら、こうしてその模様をキーボードに入力しています。
 さて、私も仁川に来るときと同じ座席に戻りましょう。
 このMacBook Air のフタを閉じると、あと数時間で成田です。
 たくさんの方々のご理解とお世話になり、ギッシリ詰まったモンゴルの旅でした。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月22日

山岳寺院と宮殿博物館と写本文化

 ウランバートル郊外のボグド山国立公園の中に、山岳寺院があります。
 
 
 
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 氷点下の中を山登りです。
 向かって右がマンジュシュリ寺院で、かつての修道院が今は博物館となっています。
 とにかく寒くて冷え込む中を、おばさんが一階から二階へと、丁寧に説明をしてくれました。
 チベット仏教です。この宗教の話は興味深いものでした。しかし、何と言っても芯まで凍り付く冷たさの中なので、これは夏に来る所であることを痛感しました。

 この寺の左隣りには、廃墟となった寺院があります。
 
 
 
100110geru21
 
 
 
 これは、社会主義時代に壊された寺院の跡です。無残な姿の内部を歩きました。かつては、この山にたくさんの寺院があり、たくさんの僧が生活していたことでしょう。
 
 
 
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 山肌には、至る所に祠があり、その中には絵が描かれています。
 
 
 
100110geru23
 
 
 
 楽しい絵を、いくつか見つけました。大らかさが伝わってくる絵です。

 山の麓には、石で作った人の姿をした楽しい石人が、あたりにポツポツと点在しています。
 暗い歴史をくぐり抜けた山岳寺院には、こうした心和ませるものがあります。厳しさを求めるだけではない宗教的な雰囲気が、そこかしこに見え隠れするのがユニークです。

 ボグドハーン宮殿博物館は、街中にありました。
 第8代の活仏であるボグドハーンの冬の宮殿を、今は博物館にしています。
 
 
 
100110musium
 
 
 
 暖房などない建物を見て回りました。とにかく、身体がシンシンと凍え付くように固まります。じっくりと見たいのですが、身体が建物の中を嫌います。

 「サマープレイス」という絵の中に、牛車やラクダの荷台に幌があり、その中に人の姿が見えました。まさに、日本の牛車です。『源氏物語』の「桐壺」巻に出てくる輦車(てぐるま)に似た乗り物など、文化的に共通するものを見つけました。
 後でお店などでこの写真を探しました。しかし、帰るまでに見つけられませんでした。
 この絵の横には、B.SHARAN/1869-1939/20世紀初め、という説明がありました。

 ウランバートルの街中にあるアンティークショップにも行きました。
 4軒並んでいる中で、2軒にかつての縦書きのモンゴル語で書いた写本を見つけました。
 中身はお店の人にもわからないものでした。
 とにかく、社会主義時代にキリル文字を使うようになり、民主化されてから、また古いモンゴル語を小学教育で教えるようになったそうです。しかし、主要な単語が読める程度に留まっているのです。今の若い人は、この古いモンゴル語が少し読める人がいるそうです。しかし、中年以上の人はまったく読めないようです。お店の人は、みんな読めません。
 お店の人も、とにかく古い写本を集めているだけで、今、売る気はないようです。値段も、一冊2万円近くしていたので、買うのは控えました。
 私が興味をもったのは、文字を写すにあたり、紙にあらかじめ薄く縦に線を引き、その線の上に文字を書いていたことです。また、上部に横に線が引かれており、行頭が揃うようになっています。
 日本でもそうですが、どこでも文字を写すときには、真っ直ぐに行が整うように、こうした工夫がなされているのです。同じ文化を共有していることに、興味が湧いてきました。

 また、自分の国でかつて使っていた文字が読めなくなることは、文化が断絶することになります。日本でも、平安時代の変体がなが読める人は、年々減っています。学校でも、次第に教えなくなりました。例えば、『源氏物語』の古写本が読める人は、ほんの一握りの方々です。もったいないことです。
 同じ事が、モンゴルでも言えるようです。
 この次モンゴルに来ることがあれば、こうした書写の文化を調べてみるとおもしろそうです。
 街中の散策が、いろいろなことを教えてくれました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月21日

モザイク壁画の前に佇んで

 今回のモンゴル行きで、寸暇を惜しんで経巡った場所の一つに、ザイサン・トルゴイがあります。これは、市の中心にあるスフバートル広場から南へ3キロのところにあります。

 まず、黄金の大仏が迎えてくれます。なかなか愛嬌のある顔をした仏さまです。
 
 
 
100109daibutu大仏
 
 
 
 そこから数百段の階段を登ると、モンゴルの独立を象徴する一角があります。
 
 
 
100109torugoi1
 
 
 
 頂上の広場の真ん中に、モンゴルの灯「トルガ」があります。そして、その周りには、60メートルもの円形の壁面に、モンゴルとソ連の友好をモザイク画で表現しています。その絵の中には、日本の日章旗とドイツの旗を踏んでいるものがあります。
 
 
 
100109torugoi2モザイク壁画
 
 
 
 今後のモンゴルと日本の交流を考えるときに、この絵は複雑な思いにさせます。これも、歴史の一コマとして語り伝えられるものなのでしょう。ただし、私にはスッキリしない絵でした。明るい未来を指向する絵なのか、と。

 この小高い丘から見下ろすと、ウランバートルの街の発展する様子が一望できます。
 
 
 
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 こんなに土地があるのに、高層建築がそんなに必要なのだろうか、という思いにさせます。これからのモンゴルを思うとき、これもしばし佇んでしまう光景でした。
posted by genjiito at 23:36| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月20日

在モンゴル日本大使と『源氏物語』

 モンゴルの日本大使館で、城所卓雄大使と今後の文化交流について、親しくお話をすることができました。

 『源氏物語』のモンゴル語訳をなさったジャルガルサイハンさんと一緒に、モンゴル語訳『源氏物語』を最大限に活かした企画について、いろいろと話題が広がりました。

 城所大使はとても温厚な方で、初対面の私にも意見を求められ、申し上げることにもジッと耳を傾けてくださいます。前向きに受け取ってくださるので、頼もしい限りでした。
 広報文化担当の小山勲さんも、理解が早く、見通しの利いた展開で話をまとめてくださいました。

 いつ、どこまで実現するかは今は問題ではなくて、このような話が一緒にできる方がモンゴルの日本大使館にいらっしゃることに、これからの国際文化交流の明るさを感じました。

 インドでも、日本大使や大使館は、敷居の高い所かと思っていました。しかし、実際に伺ってお話をすると、本当に理解のある対応をしてくださいます。日本とその国の人々とのことを、よく考えておられることを知り、頼もしいことだと思っています。

 モンゴルでもこれを機会に、一人でも多くの方々に『源氏物語』のおもしろさを伝えることができるように、日本の各分野の方々の知恵をお借りしたいと思っています。

 厳めしい警備の中、気軽に写真を撮る雰囲気でもなく、今回は写真がありません。
posted by genjiito at 22:50| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月19日

モンゴルの食事と買い物メモより

 先週の金曜日にモンゴルから帰国しました。しかし、書くためのメモがまだまだありますので、しばらくはモンゴルの話を続けます。

 今回の旅は、国立ドラマ劇場の横にある「グランド・ハーン・アイリッシュパブ」の食事から始まりました。モンゴル料理からではなく、イギリス料理からお腹に入れることとなりました。
 まずは胃に、海外に来たという刺激を与えてから、ゆっくりとモンゴル料理を堪能しようということです。

 次に、モンゴル版ファミレスの「ハーン・ボーズ」で、どでかいボーズを食べました。巨大な餃子の中は羊の肉です。美味しかったのですが、翌日の血糖値は大きく跳ね上がっていました。
 今回の旅では、毎日食べたマトンもラムも、血糖値をあげることはありませんでした。このモンゴル名物のボーズが、唯一、私にとっては敬遠すべき料理となりました。油で揚げていたからでしょうか。

 歴史の重みを背負うソ連式のウランバートルホテルでも食事をしました。入口から正面階段を上るところに、豪華さが感じられました。
 しかし、格式と伝統に押しつぶされたのか、その食事は私の口には合いませんでした。味が濃かったからです。
 また、レジの対応がモタモタしていて、ウインドウズマシンを操作するぎこちなさに失望しました。社会主義時代は終わったのですから、もっとお客様優先の接客を心得た社員教育が必要だと思いました。これは、食事以前の問題です。

 いよいよ、待望の和食です。
 サンデーというショッピングセンターの中で和食を食べました。それも、ちゃんこ鍋です。
 
 
 
100110wasyoku2
 
 
 
 このお店には田中さんという方がいらっしゃって、いろいろとモンゴルでの和食事情をリサーチ(?)できました。昨年の秋から、和食の指導で、このウランバートルに来ているとのことでした。
 
 
 
100110wasyoku1
 
 
 
 非常に温厚な方で、日本料理の良さをモンゴルの方々に伝えたくださることが期待できると思いました。
 何よりも、味噌汁がぬるくなかったかと心配して、わざわざ温かくしたものをさらに持ってきて下さったのです。
 ちゃんこ鍋も、鶏ガラのダシがほどよい感じで、美味しくいただきました。
 残念ながら、食材がなくなったとのことで、お寿司は食べられませんでした。
 もちろん、回転寿司はウランバートルにはありません。
 今後に期待しましょう。きっと、遊牧民族であるモンゴル人に受けるはずです。常に移動し、動くものを捕まえていた民族なのですから。変な理屈ですが……。
 田中さん、よろしくお願いします。

 和食を追加します。
 宿泊したホテルの中のレストランに、和食のお店がありました。そこで、きつねソバを食べました。
 ダシは関東風の醤油色をしたものでした。油揚げは、短冊に刻んでありました。これは、刻まないで長方形のままで出した方がいいと思います。やはり、お揚げさんは、絶対に京都のフックラした大判に限ります。

 モンゴル最大のバザールであるナラントール・ザハでは、日用品のみならず、たくさんの食材がありました。今までに食べたことのないものなど、試食を楽しみました。乳製品と野菜の豊富さには驚きました。モンゴルでは野菜欠乏になるというのは、現地の人たちが出入りする市場に足が向けられたら、この問題は解消します。

 この辺りから、観光客のほとんどいない地域で目立つことを避けた身辺防備に徹するために、写真を控えていますので、悪しからず。

 メルクーリ・ザハは、さまざまな肉、魚、野菜、果物をはじめとして、外国から輸入された食品もたくさんある市場でした。私はここで、チーズやミルクティーやチョコレートをお土産用に買いました。
 ここで買った何種類かのチーズは、シェフを目指す息子が知らないものばかりであることが、帰国後に息子と話をしていてわかりました。息子がバイブルとするチーズの本にも掲載されていないものを、私は買ってきたことになります。息子が知らないチーズを見つけたのですから、なかなかの嗅覚(?)を持っていることになります。

 食べ物ではないのですが、ノミン(旧国営)デパートで、三島由紀夫の『金閣寺』のモンゴル語訳の本と、今モンゴルの若者が聞いているCDを2枚買いました。日本文学をモンゴル語訳した本は、それまでの調査ではなかったものなので、さらに現地を調べると発掘できるのではないでしょうか。日本文学に関する情報が、まだまだ少なすぎると思いました。
 また、「ゴビ・ファクトリー・ストア」で「ゴビ」ブランドのカシミアのマフラーと、「ツァガーン・アルト」というフェルト屋さんで、ラクダの毛糸と羊の毛糸の玉を量り売りで買いました。これらは、妻と娘のためのものです。

 ウランバートル最大のパブ「イフ・モンゴル」のビールは、美味しいものでした。
 ここで夜十時からあったライブでは、迫力のあるロックを聴くことができました。
 
 
 
100113band
 
 
 
 このグループのCDを、しっかりと買ってきました。ほぼ満席の場内は、とにかく盛り上がっていました。モンゴルの若者たちは元気です。

 その他いろいろな店に行きましたが、食事では既に書いたように、郊外のチンギス・ハーンの像がある施設の中の料理が一番美味しかったと思います。

 毎日毎食、羊料理を食べる日々でした。しかし、意外と血糖値は上がりませんでした。
 あらかじめ日本でラム肉料理を食べて、体調の工合を診てから出かけました。予想通りの結果でした。
 ヂンギスカン料理は、意外と人の身体にいいようです。少なくとも、血糖値が気になる私にとっては、牛肉よりも格段に安心して食べられる食事であることがわかりました。
posted by genjiito at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2010年01月18日

モンゴルでの日本語教室に参加

 モンゴルで行われている日本語教育の現場に行きました。
 モンゴル日本センターでも日本語教育は実施されています。しかし、うまく参加することできなかったので、NGO団体の学校にお邪魔しました。
 
 
 
100114nihonngo1
 
 
 
100114nihonngo2
 
 
 
 ここは、「モンゴル国NGO法人 モンゴル日本青年交流支援センター」といいます。
 大急ぎで駆けつけたのですが、日本人の先生の授業は終わっていて、モンゴルのナランツェツェダ先生の授業に参加することができました。
 
 
 
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 ナランツェツェダ先生は、名古屋で1年間実地研修をされ、ここの学校では2年目だそうです。
 流暢で奇麗な日本語で、流れるようにメリハリの利いた授業をなさっていました。

 この時間の学生は初級クラスの4人でした。
 
 
 
100114nihonngo4
 
 
 
 教科書は初級の『みんなの日本語』です。
 日本語能力検定とは別に、2年前からJテストというものが実施されているそうです。
 2級はだいたいみんな合格するとのことです。みんな優秀です。
 授業料は、3ヶ月で2万円前後です。物価からして、相当高額のように思います。しかし、それだけに、勉強するという熱意が伝わりました。
 ここでは朝日新聞の奨学生制度が導入されており、1995年から100人近くがこの制度を利用して日本に勉強をしに行っているそうです。今年度は、12人が朝日奨学生の制度を利用して日本に行っています。この奨学生制度では、日本で新聞配達をしながら勉強をするのです。
 私も、朝日奨学生でした。高校卒業後、浪人のための予備校生活と大学生活を、この制度で東京における学生生活を送りました。懐かしい想いで、これから日本に行く若者を応援したくなりました。

 この学校に、現在は25人が勉強しています。

 上級の学生は、日本語の新聞を読みます。初級は、日常会話と漢字の勉強です。

 写真手前の方は、大学の現職の先生です。昔のモンゴル服の研究をなさっている方です。日本語の漢字の読み書きができるようになりたくて、この学校に通っているとのことでした。日本の松山で1年間勉強したので、『坊ちゃん』が懐かしいと話しておられました。最近、『坂の上の雲』がテレビドラマになったことを教えて差し上げました。

 ナランツェツェダ先生の授業では、日本語の文章を声を出して読み上げることを基本にして、さらにモンゴル語に訳すことをなさっていました。
 例文は、プロポーズの話、旅行の話(荷物を間違えられたこと・レストランで服を汚されたこと・電車でカードを盗まれたこと・500年前の寺や絵や庭のこと)、関西空港の話など、非常に具体的でした。

 日本のお菓子をお土産として渡したら、生徒さんたちの顔が、それまでの緊張気味の表情から、とたんに嬉しい顔に変わりました。その可愛らしさが忘れられません。
 日本の味を、こうした機会に堪能してもらえたら幸いです。
posted by genjiito at 00:23| Comment(2) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2010年01月17日

亡父の代わりに日本人墓地跡へ

  ウランバートル市の中心地から北東に15キロの地に、日本人墓地があります。
 
 
 
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 ここは、第二次世界大戦後の捕虜としての強制労働により、モンゴルの地で無念にも亡くなった日本人の方々を慰霊する所です。
 
 
 
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 ソ連は戦後、満州に駐屯していた日本兵約60万人を、シベリアに抑留しました。
 その中に、私の父もいました。
 私の両親は、戦時中は満州のハイラル、ハルピン、チチハルにいました。
 終戦と共に、父はシベリアへ、母は新京から命からがら日本に引き揚げて来ました。
 私と姉は、戦後、父が復員してから生まれました。

 シベリア抑留者の内、12,318名がモンゴルに送り込まれました。そして、1945年から47年まで、強制労働に従事させられたのです。

 父は、モンゴルへ送られることはありませんでした。しかし、戦友にはいたはずです。
 小さいときから、父から戦争のことやシベリアでの話を聞きました。
 ノモンハン事件(モンゴルではハルハ河戦争)のことは、私にはまったく話しませんでした。しかし、何冊かの本を大事に持っていたことを知っています。ノモンハンが意味するところを、私は今回初めて知りました。
 シベリアでは、寒さの中での仕事が過酷であったことは、いくども聞かされました。
 朝目覚めると、隣の戦友がカチカチになって凍死しているのです。その戦友を埋葬するのが一つの仕事だったとも。
 凍土を1日にいくらも掘れないのです。1日で数センチだったとも言っていました。

 モンゴルでも、極寒の地で835人の方が亡くなられた、ということを聞きました。まともな衣類もなく、寒かったことでしょう。食べ物が合わなかった方も、たくさんいらっしゃったことでしょう。
 私など、現地の方にお願いして、カロリー制限の主旨を伝えて、無理のない食事をしました。また、羊の肉が主食の国なので野菜が不足するということで、野菜のタブレットを持参しました。戦後の日本兵が、そんな贅沢を言えたはずがありません。私は完全防備の服で行きました。しかし、兵隊さんたちは夏用の軍服だったために、呼吸器系の病気に罹ったそうです。
 本当に、無念だったと思います。
 
 
 
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 もし父が生きていたら、きっとこの墓地に来て手を合わせたはずなので、私も意を決して時間の隙間を狙って、父に代わって行くことにしました。
 
 
 
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 円形のプレートには、モンゴル各地にあった収容所が記されています。手前からまっすぐ山側に伸びる線は、日本の方角を指しています。お亡くなりになったみなさんは、さぞかし日本の地を踏みたかったでしょう。

 そしてその回りを、プレートに焼かれた桜の花が取り囲んでいます。この心憎い心遣いに、しばし目頭を押さえるのが精一杯でした。このモンゴルの地から、当時、日本は遠く感じられたことでしょう。
 「ごくろうさまでした。今、日本は平和です。」と、ただ頭を垂れるだけの時間がしばらく流れました。
 
 
 
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 慰霊碑の向こうの壁面に、日本語とモンゴル語で、日本政府の慰霊の言葉が記されています。
 
 
 
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 この横に、資料館がありました。
 中には、観音様が真ん中におられます。
 
 
 
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 その回りには、お亡くなりになった方々の名前など、貴重な資料がたくさん保管してありました。
 少し政治の匂いがしました。しかし、とにかく、お亡くなりになった方々のことを思う気持ちが一番大切です。忘れてはいけないことを、ここはしっかりと再確認させてくれる場所です。
 
 
 
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 外には、昭和41年の墓参団が建てた柱が立っています。
 その四角い柱の各面には、こんなことばが書いてありました。
 「諸士よ、祖国日本は」
 「見事に復興しました」
 「モンゴルに安らかに眠って下さい」
 「昭和四十一年八月二十五日 モンゴル会 長谷川峻書」
 
 
 
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 この墓地は、きれいに掃除してあります。
 ここを守っておられる方が冷え込む夕刻に、この墓地を丁寧に案内してくださいました。
 お名前を、ネルグイさんといいます。日本でいうと、名無しの権兵衛さん、という意味だそうです。
 今マイナス30度なのに、その薄着に度肝を抜かされました。
 
 
 
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 毎日、心を込めて雪かきをしておられるから、ここの道の雪や足下が掃き清められているのです。頭が下がります。いつも8時間はかかるそうです。亡くなられた日本人に対する温かい思いやりが感じられる方でした。
 平和と友好の象徴となる公園にしたいということです。なかなか出来ないことを続けておられる方です。
 父ならするであろうことを、ささやかではありましたが、支援と協力の気持ちから志としてお渡ししました。

 「魂が安らがんために」という奇麗なパンフレット(25頁)をいただきました。
 それを読んでいて、何とその翻訳を、今回モンゴル語訳『源氏物語』の日本語訳をお願いしたツムルハータル・ナルマンダハさんがなさっていることを知りました。そういえば、ナルマンダハさんの立命館大学での研究テーマは、ハルハ河戦争でした。メールでは何度かやりとりをしています。今度、源氏訳のお礼と共に、京都でお目にかかりたいと思います。

 人の出会いというものは、本当に不思議な縁でつながっているものです。
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モンゴル相撲観戦記

 先日、ツゥムルバートルさんに相撲の話を聞いたこともあり、モンゴル相撲を観たいと思っていました。本当に偶然なのですが、ちょうどスケジュールの隙間で観られる相撲のイベントがあるというので、取るものも取りあえず相撲会館に行きました。
 どうしたわけか、黒服の警官がたくさんいたことに驚きました。

 観覧券は、こんなものです。
 
 
 
100113sumo1_2チケット
 
 
 
 ここに書いてある番号は、試合の終了後に抽選があり、当たったら景品がもらえるそうです。羊が一頭もらえた、などということを期待したのですが、時間の都合で最後まで観られませんでした。

 場内は、日本の相撲場所とは大違いです。
 
 
 
100113sumo2_2場内
 
 
 
 ボックス席の楽団の演奏と共に、力士の入場です。みんな、鳥が羽ばたく姿をします。
 
 
 
100113sumo3_2力士入場
 
 
 
 そして、主賓として首相と国会委員会の方が来ておられることがわかりました。会場のものものしい警備は、このためだったのです。
 
 
 
100113sumo4_2主賓挨拶
 
 
 
 続いて、力士を讃える歌です。馬頭琴の音を、初めて聞きました。
 
 
 
100113sumo5_2
 
 
 
 やがて、たくさんの力士が会場に現れ、デール姿の進行役(ザソール)に帽子を預け、あらかじめ決決められた相手との試合が始まりました。
 
 
 
100113sumo6_2
 
 
 
 120人ほどの力士が16組に分かれて、芝生の上で入れ乱れての相撲です。どれを観ていいのか、さっぱりわかりません。こっちを観ているうちに、あちらで勝負が決まるという、せわしなく場内を見回さなければなりません。

 ちょうど、目の前で勝負が決まったので、連続写真を掲載します。
 
 
 
100113sumo7_2
 
 
100113sumo8_2
 
 
100113sumo9_2
 
 
 
 勝った力士は、国旗の回りを鳥のように手を大きく広げてパフォーマンスを見せてくれます。
 
 
 
100113sumo10_2
 
 
 
 掌を地面に付けても負けにはならないので、必然的に取り組み時間は長くなります。そこで、最近はルールが改正され、20分たっても勝負が付かない場合は、四つに組んで再開となったそうです。

 このモンゴル相撲は、おもしろさがわかるまでには、少し観戦経験が必要のようです。
 その意味では、日本の相撲は、ショートしても練り上げられたスポーツになっていると思いました。
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2010年01月16日

チンギス・ハーン像に上る

 2008年に出来たばかりのチンギス・ハーンの巨大な像があるというので、過密スケジュールの合間を縫って出かけました。
 首都ウランバートルから一路東へ車を飛ばして54キロの地にありました。
 途中で、中国から来た列車とすれ違いました。
 
 
 
100113khan1
 
 
 
 これとは反対方向に走る列車なら、それはロシアからのものだそうです。モンゴルが中国とロシアに挟まれている、地理的な、そして政治的な複雑さがわかる列車です。

 東へ走る道は、先日の民家ゲル訪問のときとは違い、車が走る幅には雪が積もっていません。それだけ、高速で走れます。
 
 
 
100113khan2
 
 
 
 小一時間ほど走った頃に、突然、銀色の偉容が目に飛び込んできました。
 
 
 
100113khan3
 
 
 
 像の高さは、約30メートルあるそうです。
 ここは観光施設にする計画のようで、まだ完成していません。この像がある中心部分は博物館の役割を持たされるようです。
 
 
 
100113khan4
 
 
 
 像の馬の頭の部分まで上れました。高所恐怖症の私ですが、ここは見晴らしがいいので、あまり怖くはありませんでした。
 
 
 
100113khan5
 
 
 
 眼下には、すでにいくつかのゲルが作られています。広大な公園が周辺に出来るようです。
 
 
 
100113khan6
 
 
 
 入った門のあたりを見下ろしました。
 
 
 
100113khan7
 
 
 
 この門の形は、完成予想図の設計にあった門の形とはまったく違います。
 これが、暫定的なものなのか、これでいくのか、モンゴルの方の考え方はわかりません。
 手前にあるのが、乗って来た車です。

 2階のテラスで食事をしました。こんな人里離れた地なので、モンゴル料理を注文しても簡単なものだろうと思いました。しかし、実際に運ばれてきた料理は、今回の旅で一番おいしいものでした。いいコックさんを入れているようです。観光大臣の肝いりで作られた施設だけに、まだ建物は建設途中で、この周辺もこれから手が着けられます。
 しかし、食事の味に関しては完成しています。このテラスでの食事は、大いにお勧めできるものです。

 とにかく、モンゴルはスケールの大きな国です。
 ただし、最近は、人間がイライラするようになる傾向にあるということでした。街中は車の渋滞がひどく、クラクションを鳴らす人も多く見かけました。
 草原地帯に行けば違うのかも知れません。しかし、社会が民主化されるとともに、人々は時間に拘束され、人と人との関係が複雑になるので、自然にあるがままにユッタリと生活することからは、しだいに遠離ることになります。

 1990年に社会主義から民主化されて20年になるモンゴル。
 優秀な方が多いだけに、今後のモンゴルはさらなる民主化の流れの中で、ますます混迷の様相が浮き彫りになりそうです。
 夏の観光季節に草原地帯へ観光旅行というのは、旅する者には牧歌的です。しかし、モンゴルにとっては、観光資源の重要な価値と共に、他国の人の出入りで生き様が変わるという意味からは、大きな問題となることでしょう。

 このチンギス・ハーン像は、これからどのような役割を果たすのでしょうか。

 なお、このチンギス・ハーンが見据える先は、自分の生まれた地です。
 そして、その先に日本があります。
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2010年01月15日

読み継がれる日本センターの本たち

 モンゴル日本センター(モンゴル・日本人材開発センター)へ行き、所長の森川秀夫さんからいろいろと興味深いお話を伺いました。
 
 
 
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 このセンターは、2002年に独立行政法人国際協力機構(JICA)とモンゴル国立大学の協力によって建設されたものです。秋篠宮さまや、皇太子さまが記念式典にお出でになっています。

 丁度、国費留学生の試験日だったため、森川さんとの面会までに少し待ち時間があったので、図書室へ行きました。
 その入口に、なんと『源氏物語』を特集した掲示コーナーがあったのです。職員の方も、日本から来た『源氏物語』の研究をしている人に見てもらえて、と、その奇遇に大変喜んでおられました。
 
 
 
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 職員の方による、手作りのパネル展示だそうです。私も、日本の古典文学をこうして文化理解に活用しておられることを知り、嬉しくなりました。

 図書室には、たくさんの利用者がいました。みんな、熱心に勉強しています。

 モンゴル語訳された日本文学作品についてお聞きしたところ、すぐにリストを見せてくださいました。そのすべてを見たいという私のわがままなお願いに、閲覧係の方々は大急ぎで本を掻き集めてくださいました。モンゴル語もロシア語もわからない私のために、コーディネーターの白石さんは、モンゴル語訳の本を大急ぎで集めて閲覧できるように指示を出しておられます。ありがたいことです。

 いただいたリストと目の前の本を対照し、メモを取っていく中で、リストにない本や、所在不明のものがあることがわかりました。せっかくなので、本の情報を整理することにしました。
 拝見したのが未完成のリストのようだったので、以下のように日本センターご所蔵の翻訳本を、私なりに整理してみました。出版社が不明のものは、私がモンゴル語がわからないために、読み仮名を付けられないものです。
 また、私が事前に調査していた本の情報も追加しています。
 これ以外にも、たくさんあることと思います。
 もし、このリストに追加する情報をお持ちの方は、ご教示いただけると現地の方も喜ばれることと思います。

 なお、日本センターの本は、胸が熱くなるほど徹底的に利用されています。その本の修復状態を見ると、もう感激します。背中の痛んだ本などを、ヒモやテープを使って綴じ直し、ビニールカバーなども何度も貼り直してありました。
 
 
 
100112nihoncenter4伊豆の踊子
 
 
100112nihoncenter5最後の将軍
 
 
100112nihoncenter6草原の記
 
 
100112nihoncenter7学問のすゝめ
 
 
 
100112nihoncenter8日本昔話
 
 
 
 日本では、本を粗末に処分しています。古新聞と一緒に、新刊本などが廃品として道端などに出されています。
 また、ブックオフをはじめとする古本業者などは、たくさんの本を回収して廉価で販売しています。
 日本では、本を個人で買う習慣がまだ残っています。図書館の整備がなされていないことと、書店の普及が背景にあります。そして、本の質が落ちていることもあって、読んだらもう読むことがないものとなってしまうのです。
 こうした本は、本当にもったいないと思います。このモンゴルでは、一冊の本が徹底的に読み継がれています。森川所長も、本が欲しい、とおっしゃっていました。日本で捨てられる大量の本が欲しいが、送料や運賃が高いので、送ってもらうこともできないそうです。
 私も、日本の本を海外に送るボランティアを続けていますが、本当に微々たることしかできません。

 ブックオフのような組織で、海外で日本語を勉強している方々に本を届けるシステムはできないものでしょうか。商売としてではなくて、国際文化交流の一環としての支援活動です。国が援助して実現するように、方策を練っておられる方もいらっしゃることでしょう。
 もしよろしければ、このようなことに有効なご教示をいただけると助かります。

 日本センターの書庫の中では、日本の古典文学作品としては、小学館の全集本『万葉集』をみかけました。あとは、現代語によるものがほとんどでした。
 ウロウロしているうちに、朝からの面接を終えられた森川さんが閲覧室にお出でになりました。2階で話を、ということで、お疲れの所にもかかわらず長時間、モンゴルにおける日本語の学習状況などを伺うことができました。日本語教師の藤島さんも、お忙しいところを少し顔を出してくださり、現状を教えてくださいました。

 日本語を学習する人の人口比率は、(1)オースリラリア、(2)韓国、(3)台湾、(4)モンゴルの順だそうです。そして、日本への留学者の数は、人口比でいうとモンゴルが世界一だ、とのことでした。
 モンゴルの国民の内、208人に1人が日本語を学習していることになるのです。驚きです。
 ウランバートルには、30位の日本語学校があるそうです。そして、日本語センターでは、中級以上の方を対象にした日本語講座が開設されています。
 今回の旅の中に、日本語学校の訪問があるので、その時が楽しみになりました。

 日本センターのみなさま、温かくお迎えいただき、本当にありがとうございました。
 利用時間が、火曜日と木曜日は、夜8時までとなっていました。モンゴルの方々のためには、思いやりの対応だと思います。
 たくさんの利用者の方々のためにも、ますますのご活躍をお祈りしています。


モンゴル語訳書籍 刊行年順一覧(平成22年1月12日/伊藤暫定版)


書名・不意の唖
著者・大江健三郎
訳者・?
刊行・1995年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない

書名・最後の将軍
著者・司馬遼太郎
訳者・トゥムルバートル・デレギーン
刊行・1996年
発行・モンゴル・日本親善協会
頁数・207

書名・草原の記
著者・司馬遼太郎
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・1997年
発行・モンゴル・日本文化交流支援協会「アリアンス」
頁数・160

書名・草原の風になりたい −義足で草原を駆ける少年の物語−
著者・村尾靖子
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・1998年
発行・?
頁数・99

書名・伊豆の踊子 −川端康成ノーベル賞受賞者誕生百年記念−
著者・川端康成
訳者・トゥムルバートル・デレギーン
刊行・1999年
発行・モンゴル・日本文化文学センター
頁数・41

書名・裸の王様・パニック
著者・開高健
訳者・? ナランツェツェグ、伸童舎・村野守美
刊行・1999年
発行・?
頁数・?
備考・所在不明

書名・馬の脚
著者・芥川龍之介
訳者・?
刊行・1999年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない

書名・明治という国家
著者・司馬遼太郎
訳者・トゥムルバートル・デレギーン/監訳・鯉渕信一
刊行・2000年
発行・モンゴル・日本文化文学センター
頁数・260

書名・育児書(3歳まで)
著者・イヴカ マサル
訳者・?
刊行・2000年
発行・?
頁数・218

書名・空とぶオートバイ・本田宗一郎物語
著者・那須田稔
訳者・?
刊行・2000年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない

書名・野菊の墓
著者・伊藤左千夫
訳者・?
刊行・2001年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない。「ニッポン・ニュース」新聞連載。

書名・二十一世紀に生きる君たちへ(モンゴル語・日本語対訳)
著者・司馬遼太郎
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・2001年
発行・?
頁数・?
備考・所在不明

書名・ロシアについて
著者・司馬遼太郎
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・2002年
発行・モンゴル・日本文化文学センター
頁数・180

書名・吾輩は猫である
著者・夏目漱石
訳者・トーラ・D
刊行・2002年
発行・?
頁数・?
備考・所在不明

書名・日本昔話
著者・?
訳者・?
刊行・2002年
発行・?
頁数・各20
備考・「一休さん」「一寸法師」「花咲ぢぢい」「浦島太郎」「うさぎとかめ」「フランダースの犬」

書名・詩集
著者・谷川俊太郎
訳者・?
刊行・2003年
発行・?
頁数・104

書名・詩集「知らない所から来た便り」(仮題)
著者・アリマ タカシ
訳者・?
刊行・2003年
発行・?
頁数・82

書名・護持院原の敵討
著者・森鴎外
訳者・?
刊行・2004年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない。「ニッポン・ニュース」新聞連載。

書名・歌声は漣にのって
著者・芹川弥生
訳者・オノン・Ts
刊行・日本語︰光陽出版社/モンゴル語︰?
発行・日本語2004年/モンゴル語2007年
頁数・152
備考・随想、エッセイ

書名・学問のすゝめ
著者・福沢諭吉、小室正紀、西川俊作
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・2004年
発行・?
頁数・163

書名・モンゴル国有用植物図鑑
著者・JICA、小松かつ子、Ch.Sanchir、J.Batkhuu
訳者・?
刊行・2005年
発行・?
頁数・240

書名・金閣寺
著者・三島由紀夫
訳者・?
刊行・2007年
発行・?
頁数・176

書名・武士道
著者・新渡戸稲造
訳者・トゥムルバートル・デレギーン/監訳・鯉渕信一
刊行・2007年
発行・?
頁数・207

書名・かたりくらべ 日本とモンゴルの昔話
著者・不明
訳者・監修︰島村一平
刊行・2007年
発行・NGO21世紀のリーダー
頁数・20
備考・「ひともっこ山」(日本)、「フブスグル湖」(モンゴル)の2篇を収録

書名・『源氏物語』(第1巻)
著者・紫式部
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・2009年
発行・ADMON
頁数・254
備考・ハードカバー

書名・『源氏物語』(第1巻)
著者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
訳者・
刊行・2009年
発行・ADMON
頁数・255
備考・ペーパーバック、表紙絵がハードカバーと異なる。


(以上、未整理のままに、取り急ぎ)
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2010年01月14日

ガンダン寺の開眼観音

 モンゴルに来て、スケジュールがいっぱいで、気の休まる暇がありません。
 しかし、せっかく来たので、寸暇を惜しんでウランバートル市街と郊外に足を伸ばすようにしています。

 早朝から、ガンダン寺に行きました。第5代の活仏であるボグドハーンによって、1838年に建てられた、チベット仏教のお寺です。

 雪に覆われた寺院群を、朝日が照らしていました。
 
 
 
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 お坊さんたちは、雪道を掃き清めています。
 
 
 
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 私は、鳩に「寒いね」と話かけました。鳩は「今日はまだましだよ」と、やはり寒そうな顔で答えてくれている(?)ように見えます。
 
 
 
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 お香と香水をいただきました。
 
 
 
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 香水は飲んでも大丈夫だそうなので、一口に飲みました。
 
 
 
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 お香の灰は、研究室のお香の床に混ぜようと思います。
 五体投地をする板も、マイナス30度の中に横たわったいます。
 
 
 
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 観音堂には、高さ25メートルもの大きな観音像がありました。
 
 
 
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 盲目となった第8代活仏ボグドハーンが、目の快癒を祈願して建てた、開眼観音です。
 
 
 
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 確かに、目が特徴的です。私も、血糖値に注意している身なので、失明しないようにお祈りしてきました。なお、初代の観音さまは、スターリンが壊してソ連に持ち帰ったため、これは2代目の観音さまです。

 帰りに、街中のゲル地域を通りました。近代建築とゲルが共存している都市ウランバートルは、今後はどのような街作りがなされていくのでしょうか。
 
 
 
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 非常に前向きな街だと思いました。今後が楽しみです。
posted by genjiito at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

大相撲解説者トゥムルバートルさん

 トゥムルバートル・デレグさんは、モンゴルでは日本の大相撲解説者として有名な方です。知らない人は、モンゴルにはまずいません。1995年からモンゴル国営テレビ局スポーツ番組を担当されていました。
 モンゴル国立大学言語学部卒業後、1989〜1990年まで東京外国語大学に留学なさっています。
 日本の大相撲初場所が今月の10日(日)からはじまり、大忙しのところにもかかわらず面談に応じてくださいました。それも、相撲放送の直後という慌ただしさの中を、きさくに長時間お話を伺うことができました。

 トゥムルバートルさんの肩書きは、書くのも大変です。

 ・モンゴル・日本文化文学センター(NGO)代表
 ・「ニッポン・ニュース」新聞編集長
 ・モンゴル囲碁協会会長
 ・モンゴル将棋協会会長
 ・モンゴルそろばん協会会長
 ・モンゴル・日本研究協会理事
 ・ラジオ・ウランバートル日本語放送初代エディター兼アナウンサー
 ・モンゴル国立工科大学日本語教師

 著作物もたくさんあります。

 ・「日本語独習書」著作・出版、1991年
 ・川端康成著「伊豆の踊り子」翻訳・出版、1991年
 ・大江健三郎著「不意の唖」翻訳・出版、1995年
 ・司馬遼太郎著「最後の将軍」翻訳・出版、1996年 
 ・芥川龍之介著「馬の脚」翻訳・出版、1999年
 ・那須田稔著「空とぶオートバイ・本田宗一郎物語」翻訳・出版、2000年
 ・司馬遼太郎「明治という国家」翻訳・出版、2000年
 ・伊藤左千夫著「野菊の墓」翻訳・「ニッポン・ニュース」新聞連載、2001年
 ・森鴎外著「護持院原の敵討」翻訳・「ニッポン・ニュース」新聞連載、2004年
 ・「初心者向きの囲碁ルールブック」著作・出版、2004年
 ・「大相撲が好きな貴方に」モンゴル人向きの大相撲紹介本。著作・出版2006年
 ・新渡戸稲造著「武士道」日本語から翻訳・出版、2007年2月

 また、たくさんの受賞があります。

 ・司馬遼太郎著「最後の将軍」のモンゴル語翻訳により、「1996年度モンゴル翻訳同盟賞」受賞(1997年2月)
 ・日本文化紹介の功績を評価し、日本駐在モンゴル大使から感謝状受賞(2000年10月)
 ・モンゴルに大相撲を紹介した功績を評価し、モンゴル日本式相撲協会から「大相撲紹介功績者」賞受賞(2005年5月)
 ・日本文化紹介の功績を評価し、在モンゴル日本大使から表彰状受賞(2009年9月)

 とにかく、モンゴルを代表する日本との文化交流のキーマンです。

 お一人で編集発行されている「ニッポンニュース」をいただきました。6千部を発行しているとのことで、その精力的なお仕事ぶりが伝わってきます。
 
 
 
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『武士道』の精神は、これまで以上にこれからのモンゴルの人々に必要な精神的な基盤になる、という話は心に残りました。
 日本とモンゴルの文化交流の大切さと、その背景にある不断の努力に思いを致す面談となりました。
 
 
 
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posted by genjiito at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2010年01月13日

モンゴル語訳『源氏物語』の話

 モンゴル語訳の翻訳者であるジャルガルサイハンさんとの面談では、たくさんの情報がもらえました。2日間にわたり、たくさんのお話ができました。
 
 
 
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 ジャルガルサイハンさんは、モンゴル国大統領府の要職にある方です。
 昨年、『源氏物語』のモンゴル語訳の第1巻を刊行されました。これには、「桐壺」から「末摘花」まで6巻分の翻訳が収録されています。
 今年は第2巻目が刊行されるはずでした。しかし、公務多忙の中での翻訳のお仕事でもあり、少し遅れているようです。

 ジャルガルサイハンさんが『源氏物語』のモンゴル語訳に取り組まれたのは、前エヘバヤル大統領による「世界の傑作撰集50巻」の企画に発しています。
 1998年から大統領府に籍を置き、社会教育部長などをなさっていたジャルガルサイハンに、大統領から『源氏物語』を翻訳するようにという依頼が来たのです。それまでの、福沢諭吉、夏目漱石、司馬遼太郎などの作品をモンゴル語訳していた実績が評価されてのことでした。
 ジャルガルサイハンさんは、日本の東京学芸大学で修士課程を修了しておられます。
 現在は、教育・保険・宗教担当の大統領補佐官として、激務の中におられます。

 日本の古典文学との関わりがなかったこともあり、恩師の鯉渕信一先生(亜細亜大学)に相談され、谷崎潤一郎訳の『源氏物語』をもとにして翻訳することを決断されたのです。
 昭和40年版の10巻本谷崎源氏を鯉渕先生が用意され、奥様がモンゴルに届けに来られたのです。ちょうど今日のように、寒い冬のことだったそうです。

 翻訳にあたっては、与謝野晶子と瀬戸内寂聴の源氏訳も、併せて確認しながらの作業です。
 また、『源氏物語事典』(秋山虔・室伏信助編、角川書店)を参考にしながらの、未知の領域への挑戦が続いています。

 そもそも『源氏物語』のことを初めて知ったのは、司馬遼太郎の「義務について」という一文からでした。アーサー・ウェイリーや紫式部のことに関連して、『源氏物語』に触れたものです。とにかく、難しいものだとの認識があったそうです。しかし、国の企画でもあり、さらには大統領からの指名ということで、栄誉ある仕事として取り組んでおられます。
 モンゴルはアジアにあり、仏教と関わりの深い国なので、日本の『源氏物語』とのつながりが多いことを実感されてくれるそうです。

 2009年に選ばれた、モンゴルで訳された世界文学作品の最高5作品は、次のものでした。

(1)アイルランド「ウイリス」
(2)日本「源氏物語」
(3)フランス語「酔っぱらっている船」
(4)ロシア「詩 ESENIN」
(5)ハンガリーの作品

 ジャルガルサイハンさんの『源氏物語』が、第2番目に選ばれたのです。

 翻訳にあたって、鯉渕先生からは原文が抜けていてもいいと言われているそうです。わかりにくいところは訳さなくてもいい、ということのようです。しかし、今は全部を訳したいと思うようになったそうです。
 和歌の訳については、モンゴル詩の特徴である韻を踏んでいます。
 ジャルガルサイハンさんの訳は、鯉渕先生と奥様に見てもらっておられます。1982年に国立モンゴル大学で日本語の勉強を始め、1985年に客員教授として来られた鯉渕先生に教わったときから、先生とのつながりができたのです。

 しかし、モンゴルで日本の古典文学がわかる方はおられません。

 『源氏物語』を訳していく上で、植物や衣服などについては、日本人との関心の違いから、いつも苦労するとのことでした。

 例えば、「桐」というものについて、ロシア語で「ウナギの〜」とあることから、モンゴル語では「ウナギの腎臓の木」として訳したのだそうです。モンゴルの読者への理解を大切にしての翻訳です。

 モンゴルでは、虫は人の悲しみを伝える時によく使うとか。人の心を表す意味で虫を使うようです。これは、詩においても同じです。
 「桐壺」巻で、桐壺更衣亡き後の靫負命婦の歌で、「鈴虫の声の限りをつくしても〜」や「いとどしく虫の音しげき浅茅生の〜」の和歌の部分に関して、時間を忘れて、しばらく意見交換をしました。

 蓮についても、西の方にあると聞いている程度で、見たことはないそうです。仏教に関連する花なので、ご存知と思っていたので意外でした。
 このようなことが、たくさんあるようです。異文化理解のすれ違い、とも言えそうです。

 また、花について、モンゴルでは、日本のようにさまざまな名前をつけて区別してはいないのです。色で花を区別することが多いので、「菊」は「黄色い花」ということになります。

 「夕顔」は「お月様の花」とするといわれると、その理由がわかりません。すると、夕顔は見たこともないので、辞書で調べると、夕方咲いて明け方に萎むことから、「お月様の花」と言うことにしたのだ、とか。

 ロシア語とモンゴル語の辞典で調べ、その意味を考えることが多いそうです。
 ロシア語を調べ、国際的な名称を調べて訳文に活かすことにしておられるのです。

 翻訳を通してわかる異文化理解は、ざざまな問題に気づかせてくれます。

 最近、第1巻がハードカバーだったので、安価なペーパーバックの軽装本にして刊行されました。
 
 
 
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 中は一緒で、表紙と装丁だけが変わっています。
 一人でも多くの方に読んでもらいたい、との思いから自費出版です。
 1日も早く全10巻が完結することを祈っています。
posted by genjiito at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2010年01月12日

ホテルの部屋からの通信は断念

 月曜日は、早朝からコンピュータエンジニアの方が私の部屋まで来られました。インターネットの接続について、いろいろと試されます。しかし、やはりつながりません。

 私の片言の英語と、フロントで日本語ができる方の通訳を通して、試行錯誤が続きました。
 テスターやルーターなどの機器まで持って来たりなさるのですが、うまくいきません。何度も、携帯電話で会社と連絡を取っておられます。
 結局は断念となり、夕方、もう一度調べてから来るとのことでした。

 今日は大事な仕事があるため、接続実験に立ち会うことができません。
 夕方、ホテル側が責任をもって部屋に入り、接続できるようにするとのことでした。
 そこで、パソコンがパスワードを要求するアクションの設定をすべて無効にしました。また、パスワードも一時的に変更し、作業中にパスワードが要求されないようにしてから、ホテルを出ました。

 たくさんの成果を得てホテルに帰り、パソコンのネット接続を試すと、やはりつながりません。しばらくすると、フロントから電話がありました。接続できなかった、とのお詫びでした。

 そして、地下にビジネスセンターがあるので、そこの利用は有料だが私には無料で使えるようにする、とのことでした。しかし、そこのマシンはウインドウズであることは明らかなので、一番いやな展開になったのです。
 それでも、毎日ブログを公開していることもあり、ここで途切れるのももったいないので、日頃は馬鹿にしているウインドウズでも今は使うしかないと諦めて、ビジネスセンターに行きました。

 小さな部屋に、パソコンとプリンタとコピー機がありました。
 パソコンを起動してネットにつなげようとしても、つながりません。いろいろとやってもだめなので、機器の後ろを確認すると、なんとネットワーク用のケーブルがパソコンまで届いていないことに気づき、改めてつなぎ直しました。
 次に、持参のUSBメモリをコネクタに差しても、これまた認識しません。前面にある2つのコネクタが、共に反応しないのです。
 そこで、背面をみると、もう一つUSBメモリのコネクタがあったので、そこに差すと認識しました。どうやら前面の差し込み口は、接触不良か壊れているのでしょう。背面にもコネクタがあって助かりました。

 ブログ用にあらかじめ書いておいた文書をUSBメモリから読み込むと、今度は何と文字化けです。いろいろと設定を変えたのですが、何をしても直りません。
 しかたがないので、マッキントッシュを使って、文字コードをウインドウズでも読めるはずのものに書き換えて保存し直したもので試しました。それでも、また文字化けします。これでは、ネットにアップできません。

 このビジネスセンターにも見切りをつけ、別のウインドウズマシンを調達して何とかこの日は凌ぎました。ウインドウズマシンならば、私の部屋から接続できるのです。しかし、私はウインドウズを使いたくありません。

 何度も海外でネットにつなげています。それも、マッキントッシュを使ってです。こんなことは初めてです。
 昨年、イタリアのローマでつなげなかったときには、ウイルス対策ソフトが原因だったので、機能しないようにして事なきを得ました。あのときは、フロントの人とハイタッチをして喜んだものです。

 今回は、それでもだめなのです。ウインドウズがつながってマッキントッシュがつながらないとは、ありえないことです。プロキシーやポートのことを訊いたのですが、回答はありませんでした。ホテル側のルーターの設定意外に考えられません。しかし、そんなことを追求している暇はありません。

 今回は、使い慣れたマッキントッシュでネットに接続することは断念せざるをえなくなりました。
 そんなこんなで、ブログのアップは2日遅れ、記事も半分にしての更新です。
 たくさんの成果は、帰国後に別の形で報告します。
posted by genjiito at 23:57| Comment(2) | TrackBack(0) | ◆国際交流

雪の中のゲルを訪問し馬に乗る

 朝早くから、ウランバートルの郊外へ出かけました。
 日曜日ということもあり、車は少なかったので、雪道を80キロで走ります。制限速度なので、高速なみです。
 Hさんの手配で、郊外のゲルに案内してもらえることになったのです。
 実際に生活なさっている方の家(ゲル)に行き、いろいろと勉強させてもらえるとのことです。

 大自然の中、車はひたすら南下します。
 
 
 
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 大平原の中を疾走中に、突然虹が現れました。しかも、太陽を取り巻くように丸い虹でした。この地域でも、虹は久しぶりだそうです。今年は、例年になく寒いとのことです。
 
 
 
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 やがて道なき道を走ります。
 まさに、映画の中にいるようでした。
 
 
 
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 途中で、車が雪につかまり、数人で押したりもしました。
 車2台で出かけた理由の一つがわかりました。
 
 
 
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 草原の中のゲルも、この冬では雪に埋もれた中での生活です。
 途中でいくつか、ゲルで生活をする家の横を通ります。
 
 
 
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 飼われている動物がいたら、近くに人が住んでいる印です。
 
 
 
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 いろいろなゲルで道を訊きながら、ようやく目的のご家族が生活しておられるゲルに辿り着きました。
 
 
 
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 ゲルの横には、ソーラーパネルがあるのには驚きました。
 中に入れてもらうと、電灯があるのです。
 
 
 
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 家族の方が、遠来の客として歓待してくださり、いろいろな食事や飲み物を作ってくださいました。
 
 
 
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 家の中の2本の柱の間が神聖であることなど、生活・習慣・仕来りなどなど、たくさんのことを伺いました。
 まずは、スーティー・ツアイというミルクティーです。冷凍した牛乳を溶かし、そこへ中国茶を入れて煮立てます。
 
 
 
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 左が馬乳酒で、右がミルクティーです。
 
 
 
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 馬乳酒は、アルコール分は3パーセントです。少しすっぱみのあるヨーグルトドリンクのようで、飲みやすいお酒でした。
 これは、夏から秋にかけて飲むもので、冬にはもうないはずです。しかし、偶然ですがこの家には残したものがあり、幸運にも飲ませてもらうことができました。
 馬乳酒とミルクティーを一緒に飲むとお腹を壊す、ということなので、私は馬頭酒だけをいただきました。大変おいしいお酒でした。

 次に、この家特製のボーズ(ギョウザ)を作ってくださいました。
 
 
 
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 昨日、街で食べたものとはまったく違う、少し味の濃いボーズでした。

 ちょうど、家畜の放牧の時間となり、小屋から羊などを放していました。
 
 
 
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 小さい子も、羊を追う手伝いをします。
 この子を、私は最初は男の子だと思っていました。しかし、ゲルの中で食事をしたときでした。中が汗をかくほど暑いので、みんな上着を脱ぎました。そのときの髪型をみて、女の子だったのかと思いました。ところが、聞いてみると男の子なのです。2歳だと。元気で、よくしゃべります。
 男の子は、3歳までは女の子として育てるのだそうです。それは、男の子は弱いので、悪魔を欺すためなのだそうです。

 せっかくなので、モンゴル馬に乗せてもらいました。
 私は、遊園地で木馬に乗っただけで、本当の馬に乗るのは初めてです。
 
 
 
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 ご主人が、馬で走る見本を見せてくださいました。
 
 
 
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 貴重な体験をすることができました。
 いろいろと配慮と気遣いをしてくださったみなさま。
 本当にありがとうございました。

 
 
 ※まだ部屋からインターネットが使えません。慣れないウインドーズマシンを借りて、この記事もアップしています。
  マックとは勝手が違い、いろいろと不備の多い記事となっています。ご寛恕を。
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2010年01月11日

ウランバートルの街を予習する

 まずは両替です。
 市内にあるフラワーセンターの2階に、民間の両替屋さんがあります。そこで、1円=約16トゥグリクの両替をしました。この日のレートは良い方だそうです。結構、財布がお札でかさばります。ただし、モンゴルでは、硬貨がないので楽です。ほとんどのお札に、チンギス・ハーンの肖像が描かれています。

 スフバートル広場に行きました。
 スフバートルとは、30歳で夭逝したモンゴル革命の英雄です。その騎馬像が、広場の中央に建っています。
 
 
 
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 この像の後ろの近代的な建物は、町での目印にはなりますが、あまりにもデザインが欧米の今風で違和感があります。オーストラリアやドバイのものを移築したように見えます。ここにこの建物はどうでしょうか。

 この反対の北側の政府宮殿には、チンギス・ハーンが鎮座しています。新しいものです。威厳のある姿です。
 
 
 
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 そのすぐ横にある民族歴史博物館に入りました。
 モンゴル各地の民族衣装は、楽しく見ることができました。
 社会主義時代と現代の民主化されたモンゴルが、バランスよく展示されています。説明による限りでは、弾圧から民主化への流れが、お互いを傷つけないように配慮されているように感じました。

 展示されているお琴の弦は10本でした。『源氏物語』をモンゴル語に訳す上で、6絃の和琴や7絃琴、そして13絃の箏などを、どのように訳しわけるのでしょうか。この点を、月曜日からの翻訳者との面談で確認したいと思います。
 キリル文字を導入する前のモンゴル語が、縦書きで左から右に書いていたことを知りました。したがって、写本などは左側を綴じています。
 また、民主化後は、かつての縦書きのモンゴル語も、学校で教えるようになったそうです。ただし、自分で書いたりまではできないとのことでした。
 展示室の一角で、筆で自由に文字が書けるところがありました。
 こんな感じです。チンギス、モンゴル、くに、という文字が書いてあるそうです。
 この字がうまいのかどうか、まったくわかりません。参考までに。
 
 
 
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 衣服などの展示は、これまた『源氏物語』を訳す上ではモンゴルの文化との違いがたくさんあることでしょう。これも、明日、確認したいと思います。

 ガンダン寺へ行ったのですが、冬ということもあり早くに閉まっていました。
 鳩の餌を売る子どもたちが、無理矢理餌を車の中に投げ込んでお金を要求します。追い返すのが大変でした。インドを思い出します。

 その周りのモンゴル特有のゲル地区を散策しました。街中に、丸いテントを張った住居が密集したところです。あまり私生活を覗き見しないように周回しました。

 晩ご飯は、ノミンデパート(旧国営デパート)の前にある、ハーン・ボーズへ行きました。モンゴル料理のファミリーレストランです。
 大きな餃子のようなボーズは、中国のパオズと同じ蒸した餃子です。この店のボーズは大きいので、3つでお腹がいっぱいになります。これと、野菜サラダとモンゴルミルクティを注文しました。

 このお店を出たところの公園の中に、ビートルズのオブジェがありました。
 
 
 
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 最初は、誰か行き倒れの人がいるのかと思いました。通りかかった人を、ドッキリさせるものです。

 今日の外気温は、マイナス25度のようです。
 身体も少し慣れたのか、突き刺すような冷たさはかんじませんでした。
 ただし、眼鏡が曇るのは困ったことです。鼻から口をマフラーで覆っているので、吐く息が眼鏡を曇らせるのです。マフラーの巻き方や呼吸に、工夫してはいます。しかし、すぐに曇って白く凍り付きます。
 曇り止めのスプレーなどは、売っていないようです。

 今日もまだインターネットが、部屋から使えません。
 悪戦苦闘しています。
 なかなかうまく記事をアップできません。数日遅れの更新となっています。悪しからず。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2010年01月10日

初外出で眼鏡が曇りさらに転倒

 朝食の後、フロントで接続のお願いをしたところ、今日は土曜日で技術者が休みだとのことです。
 そして、明日も、日曜日なので、月曜日にならないと接続の手伝いができないそうです。ビジネスセンターがあるので、そこでなら有料で使えるとのことでした。しかし、部屋で使いたいことを伝えたところ、すぐに部屋に誰かを行かせるということでした。
 30分待っても来ないので、フロントに「まだですか」と電話をしたところ、しばらくして女性が来られました。
 片言の英語で何とか窮状を訴えました。しかし、ネットワークのことは私よりもご存知ない方だったので、時間のロスでもあり、諦めることにしました。

 午前中は、ホテルの周辺を散歩しました。
 まず、吐く息でメガネが曇ります。そして、それが凍結するので、メガネの曇りがそのままシルクスクリーンとなり、やがて白い幕が張られるのです。前が微かにしか見えません。これは意外でした。
 曇り止めのスプレーを持ってくるのでした。

 また、膝から太腿が非常に寒さを感じます。足元だけではなく、下半身全体にも、寒さが直撃しているようです。

 ホテルに帰る坂道でのことでした。
 フッと気を抜いたのでしょうか。ものの見事に転んでしまいました。右手で受け身をしたので事なきをえました。しかし、手が沁みるほど冷たい感触が、しばらく間は残っていました。
 これは、外出時に一番注意すべきことのようです。

 この記事も、パソコンを借りての更新です。
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | TrackBack(1) | ◆国際交流

マイナス34度のウランバートルに到着

 チンギス・ハーン国際空港に着いたのは、夜の11時過ぎでした。時差は1時間なので、日本の深夜0時です。
 気温はマイナス34度でした。話に聞いていた、驚異の氷点下の世界です。

 機内から出ると、吐く息がたばこのように白いのです。日本ではないことに、新鮮な思いがしました。日本の稚内(ノサップ岬)と同じ緯度です。
 呼吸が、少し息苦しいようです。これは、寒さばかりではなくて、ウランバートルが海抜1350メートルのせいでしょう。空気が薄い気がします。しばらくの間は、幾分深く呼吸をしていました。
 荷物がなかなか出てきません。ターンテーブルの横で待っているうちに、足がだんだん冷えてきました。靴は、日本から履いて来たスポーツシューズです。ヒートテックの靴下を2枚履いているとはいえ、マイナス34度は足下をジンジン包み込んで来ます。

 昨日から長期調査のためにウランバートル入りしていた国立民族学博物館の大学院生のHさんが、空港に迎えに来てくれていました。真夜中なので、大助かりです。ありがたいことです。これから一週間お世話になる運転者さんも一緒です。心強いことです。
 車を空港玄関のすぐ前に留めているとのことなので、急いで外へでました。
 外気は最初は何ともなかったのですが、次第に肌を刺すようになります。
 空気の冷たさが目の縁に沁みます。メガネのフレームが冷たくなっていくのを実感できます。
 
 
 
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 地面が凍結しているので、気をつけて歩きながら車に乗り込み、一路ホテルへ向かいます。
 一面、白い世界です。

 ホテルのチェックインを終えたのは、深夜の1時を過ぎていました。
 部屋は暖かく、お湯がでたのでホッとしました。部屋には、スチームの暖房機が2つあります。
 
 
 
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 早速インターネットを使おうとしましたが、なかなかつながりません。
 ウインドウズマシンの接続方法を書いた紙は置いてあります。

The instruction for use ADSL internet connection (WINDOWS only)

高速LAN接続マニュアル(ウインドウズ版)


 しかし、マッキントッシュのパソコンに関しては、次のように書いてあります。

Please ask the Hotel concierge if you can't connect to the internet by using Machintosh.

マッキントッシュの場合は接続できない場合がありますので、個別にお問い合わせください。


 いろいろと設定を試行錯誤しました。しかし、どうしてもつながりません。
 
 
 
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 初日の夜も遅いことなので、諦めることにしました。

 なお、昨日と今日の記事は、ウインドウズマシンを借りてアップロードしたものです。
posted by genjiito at 21:55| Comment(2) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2010年01月09日

あえて仕事を作っていた仁川空港

 成田のチェックインカウンターでのことです。

 ソニーの薄型液晶テレビのブラビア40インチを荷物として預ける人がいました。それも3台も。東芝のレグザの32インチを預ける人も。日本のテレビは人気があるのでしょうか。

 私の荷物は13キロでした。キャリーバッグは目一杯に詰まっています。しかし、いつもより軽いのは、防寒衣類が大半だからと思われます。何と言っても、靴があるのですから。

 チェックインを終え、荷物を預けた後は、日本で最後の回転寿司を食べるのが恒例の儀式です。昨夜も一人で儀式をするはずでした。しかし、時間がなかったので、回転寿司ではなくて、テイクアウトのお寿司で我慢しました。
 成田の第1ターミナルには、回転寿司の「海鮮三崎港」があります。
 
 
 
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 私が使うことの多い第2ターミナルに回転寿司がないのは、一体なぜでしょうか。
 毎日お寿司を食べる習慣がある私には、行く先々にあってほしいお店です。しかも、私は回転寿司にこだわっています。

 モンゴル航空の機内に入ってから、はじめて正式なモンゴル語を聞きました。サッパリわかりません。続いて英語がアナウンスされたようですが、いつも聞く英語らしからぬものだったので、定型文だけは覚えている私も、聞き取れませんでした。最後の日本語は、少したどたどしいものでした。しかし、この程度の日本語なら大丈夫です。

 乗ったのはモンゴル航空でした。しかし、韓国の仁川で乗り継ぎとなる便でした。
 仁川の外気温はマイナス5度。滑走路には雪です。
 ここで40分の待ち時間だそうです。
 手荷物を持って機外に出ると、すぐに手荷物検査とボディーチェックがありました。
 先ほどまで機内にいて、今出てきたばかりなのに、とにかく厳重な検査です。
 いままで座席に座っていたのは何だったのか、その意図が皆目わかりません。ここで一旦降りても、給油が終わるとすぐに同じ機体で飛び立つはずなのに……。
 インドのムンバイ経由でイギリスに行ったときには、機内で給油後の再出発を待っていました。それなのに、今日は機内から追い出されたのです。
 おまけに身ぐるみ剥がされ、バッグからはパソコンなどの機器を取り出して、X線の検査です。
 そして、ゲートを通るのですが、これまた感度を最大にしてあるようで、乗客のことごとくがブザーのために身体検査です。異常です。何と、フライトのクルーの方やアテンダントの方々も、軒並みアウトです。みなさん、両手を広げて金属探知機を身体に当てられていました。お気の毒なことです。
 まさに、空港職員に仕事をわざと作っているかのような、不毛なできごとです。とにかく、ヒマでなければ、こんな愚かなことはしないはずです。一番憤慨していたのは、ここまで運行してきた飛行機のスタッフの面々だったのではないでしょうか。

 もっとも、再来週に私はアメリカへ行くので、そこではこれ以上に厳重な警戒がなされることでしょう。年末にテロがあったばかりですから。
 X線による身体の透視をするそうです。それならいっそのこと、バリウム検査や胃カメラ検査もしてほしいものです。そうすれば、人間ドックで検査をする手間が省けます。定期検診のころになると、アメリカへ行けばいいのです。

 さて、成田からたどり着いた機内から降りてボディーチェックを受けてすぐに、再度の搭乗となりました。
 搭乗口では、乗客が乗ってきた搭乗券をチェックされました。それも、乗客名簿を印字した紙に、カラーマーカーで色づけしていくのです。「あ・あ・あ・あ」「い・い・い・い」と言いながら、人名を読み上げてリストから探しては緑色の線を塗っていくのです。
 とにかく、これも仕事をわざわざ作っているとしか思えません。
 まさに、インドでよく見かける状況です。10億人に仕事を分け与えるためには、仕事を極端に細分化しないといけません。韓国も人口が10億に近づいたようです。まだ1億程度の日本では、このような無駄な仕事は考えられないことです。

 改めて、成田から韓国まで乗ってきた同じ機体の同じ席に着きました。
 
 
 
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 すると、まもなく子供が泣き出しました。悲鳴に近い鳴き声は、離陸して安定飛行に入っても続いていました。親御さんも大変ですが、乗客も忍耐を強いられて大変です。もっとも、こればかりは、どうしようもないことですが。

 まもなく、日本時間の深夜零時です。順調に飛行を続けています。
 3時間半の旅です。
posted by genjiito at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2010年01月08日

最悪の経路で成田へ

出発する段になって、大きな防寒靴をキャリーバッグに入れ忘れていることに気づきました。
何回か履いて歩く練習をした靴です。しかし、このままでは、とても入りません。
すでに詰めたものをいくつか諦めて取り出し、なんとかチャックが閉まりました。

ネットで調べてプリントアウトしておいた紙を片手に、予定通り出発です。

ところが、この前に成田へ行くときもそうだったように、今回も愚かなことをしました。

地下鉄の西船橋駅から京成西船駅に乗り換えるときに気づきました。前から人が来ると擦れ違えないほど狭い道を、しかもガタガタ道で、まともにはキャリーバッグを引けないところを歩くのです。それも、なんと7分も。
駅で道を聞いた時に、バカ丁寧に教えてくださったのは、こんなことだったからなのでしょう。用意してあった道案内の地図をくださった訳がわかりました。こんな経路で成田へ行く人は、よほどの事情がある人でしょう。
どうやら、運賃の一番安い順に検索したものを、その経路をよく確認もせずにプリントしたようです。
苦労して駅に着いても、小さな駅のために、一つしかない改札を入ってから、さらに反対側のホームに渡るのです。
運に見放された時によくある、お決まりのパターンです。
私は、一番薦められない経路を選択したのです。

こんな調子の出発となりました。
さて、今回の旅は、どんなことがあるのでしょうか。

まずは、iPhoneからの投稿です。
posted by genjiito at 14:05| Comment(0) | ◆国際交流

2010年01月07日

銀座探訪(19)桂離宮の写真展

 銀座のスポーツクラブで今年の初泳ぎをした帰りに、斜向かいにある和光で、興味深い写真展があったので立ち寄りました。
 
 
 
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 三好和義写真展「京都の御所と離宮 帝の楽園」という展覧会でした。
 
 
 
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 私が写真展に行くのは、本当に珍しいことです。今回は、桂離宮をテーマにしたものだったので、見てみようと思いました。無料だということが決め手ですが……。

 場所は、銀座四丁目の本店(旧服部時計店)ではなくて、2筋北の並木通りと松屋通りの角にある並木館の5階です。
 会場の入口の説明を見て驚きました。なんと、写真はエプソンのインクジェットプリンタで印刷したとのことなのです。そういわれれば、確かにデジタルらしい色合いと、エッジのボケ工合が認められます。

 展示されていたのは50点ほどでしょうか、30分ほどで見終わった頃に、これからギャラリートークをします、とのアナウンスがありました。後で知ったことですが、原則としては土曜日なのですが、平日でも作家在廊日はギャラリートークを開催するとのことでした。
 今日が初日だったこともあるのでしょう。ラッキーでした。

 写真を撮ったご本人の説明を聞きながら見ると、確かにその写真の意図が理解できます。
 語り口が柔らかで、聞きやすい説明でした。苦労話も間近でたくさん聞きました。

 庭石の写真の説明では、苔を覆っていたテグスを消したとのことでした。

 コンピュータのソフトウェアの力を借りて写真を一枚の芸術にするのは、写真の絵画化ではないかと思いました。
 もちろん、フイルム現像でも、いろいろな技巧が可能です。しかし、デジタル写真ではさらに作品にする過程での人工の手が巧みに入ります。その技術は、ファッション誌のモデルの写真を見ればわかります。最近も、ラルフ・ローレンのポスターで、ウエストが頭より細い写真を、それも日本でだけ公開されたことで話題となっています。過剰なデジタル修正です。
 ゴミダメでも、一瞬のうちに宮殿と化します。
 私も、このブログの写真にはフォトショップを使っているのでよくわかるのですが、ソフトウェアでできないことはありません。ただし、私はほとんどありえない加工はしない方針で写真を掲載しています。

 高校時代に写真部にもいたことのある私は、子どもたちの写真は、自分でフイルムを現像し引き伸ばして焼き付けたりしていました。あのたくさんの器具は、奈良から京都への転居の折に、そのすべてを処分しました。
 光と戯れて写真を焼く楽しさは、格別のものがありました。デジカメのない時代に、撮影したその晩に、家族に写真を見せたものです。薬品の調合や、時間を計ったりと、薄暗い中でさまざまな陰影を楽しみました。

 今日の三好さんの話では、今回の写真はすべてのパネルを、ご自分の家のプリンタで印刷したそうです。垂れ幕の写真は、出力できる店に持って行って、それも自分で印刷したものだということでした。

 その垂れ幕の写真の説明の時でした。「御輿寄前庭 真の飛石」と「御腰掛前延段」の前で庭石の話しながら、アレッと仰り、前に置いてある解説パネルが、隣のものと逆に置かれているとのことでした。係の人が、大慌てでパネルを置き換える、という一幕もありました。展覧会初日ならではのハプニングです。

 聞き終わっての印象は、宮内庁京都事務所の許可を得て撮影することの苦労と根気の一語に尽きます。
 しかし、それが実現するところに、この三好さんの力があるのでしょう。

 ただし、写真自体については、その発色が私の好みとは違いました。
 京都の自然はこんな色ではありません。
 特に、今日の写真の赤は、貧相で下品な色に見えました。
 余所者が覗き込んだ京都の文化遺産、という印象が最後までつきまとう写真展でした。
 色がどぎつすぎます。そして、画面がシャープ過ぎます。
 別室の暗室の中で見た数枚の写真が、私には安心して見られました。

 三好さんは、世界の楽園を撮影しておられるようです。
 紫禁城や故宮博物院での撮影の苦労話も聞きました。しかし、何やら勉強不足で、歴史的建造物への浅薄な興味本位の視点での取り組みのように思われました。
 実際には、真摯に写真と取り組んでおられると思います。しかし、今日の話しぶりでは、そんな印象が私には残りました。ただ一度の機会からの印象批評なので、失礼の段はご寛恕の程を。

 この展覧会は、次のような日程で見ることができます。
 *「桂離宮」和光並木館5階/2010年1月7日〜23日
 *「京都御所・仙洞御所・修学院離宮」和光本館6階/2010年1月14日〜30日
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀座探訪

2010年01月06日

心身(47)電車で耳障りなポリ袋の音

 一と月前に「車中でのポリ袋の音」という記事を書きました。

 今日も、賑やかな音を出す(今度は)女性と、電車で隣り合わせになりました。

 朝、立川までの電車の中でのことです。それまでは満員だった都心を過ぎてガラガラになった車内で、一つ席を空けたところにいた女性が、バッグの中の化粧品を物色しだしたのです。それも、買ったばかりの物を探しているのか、ポリ袋を掻き回す音が、パリパリと、賑やかなことです。それも、周波数の高い音が耳を直撃するので、本など読んでいられません。しかも、ずっと掻き回しているのです。まさに、忘我の世界に入り込んでいる状況でした。

 海外出張までにやり終えておかなければならないことが多くて、このところ睡眠時間が極端に短いせいもあるからでしょうか。この音が、非常に神経に障るのです。
 耐えきれなかったので、別の車両に移りました。

 すると、今度は移った車両で今度も一つ席をおいた隣の女性が、膝の上のバッグの中に入っていたお菓子の箱を開け、中の銀色のポリ袋からコーンスナックを摘み出して、バリバリと大きな音を出して食べ出しました。
 少し食べては、また袋に手を入れるので、そのたびにアルミ色の袋からメラメラ、グシャグシャと、これまた周波数の高い金属性の音が耳を劈くように響いてきます。

 夜の公園で活用されている、若者撃退音の逆バージョンなのでしょうか。
 若者には何ともない音なのに、年寄りには勘に障るという意味です。
 とにかく、私には気になって仕方のない音です。
 安物のイヤホーンから大量の音が漏れる、あのシャカシャカした不快な音に倍する、私にとっては何とも迷惑この上ない騒音です。当の女性は、何ともないのでしょうか。鈍感な若者だったから、ではすまされないと思うようになりました。

 この音が、人間の神経にどのような影響を与えているのか、科学的な検証をしてほしいものです。
 そして、あんな音を出すポリ袋や包装紙は、社会から根絶してもらいたいと、切に願っています。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康雑記

2010年01月05日

恩師の奥様と池田亀鑑

 昨年五月にお亡くなりになった小林茂美先生のお宅へ、仕事帰りに立ち寄りました。
 奥さまとは、夜の7時から延々3時間半もしゃべりました。とにかく、話が途切れなかったのです。もっとも、8割かたは奥様が話しておられましたが……。……と、私は思っています。
 とにかく、話がおもしろいのです。つい相槌を打つと、またまた話が広がります。
 小林先生の話題になると、お互いに言いたいことがいっぱいあって、止まりません。

 遺影の横に置いてある、昨年7月に刊行した『源氏物語別本集成』の話になったとき、私は急に池田亀鑑のことを思い出しました。いつか、ある宴会での帰り際に、奥様が池田亀鑑の仕事を手伝っていた、ということをチラッとおっしゃったことがあったのです。そのことを思い出したので、改めてこの機会にお聞きすることにしました。

 昭和23年頃の話です。今から60年前です。

 奥様が昭和女子大学の学生時代に、池田亀鑑は講師として『源氏物語』を教えに来ていたそうです。
 好奇心の旺盛な奥様は、いつも一番前で熱心に聞いておられました。今思い起こせば、たくさんの質問をしたものだ、とか。
 そのうちに、下の名前で呼んでもらえるようになり、池田亀鑑のカバン持ちになっていたそうです。
 あるとき、学長を通して、仕事を手伝ってくれる人を探しているとのことで、奥様は名指しで依頼され、その他に5人くらい気の合う仲間を選んで家へ来るように、と言われたのです。学長からは、学校として向けるのだから、友達と行ってシッカリと大先生のお手伝いをして来るように、と言われ、光栄に思って椎名町の池田亀鑑のご自宅に通われたのです。
 ちょうど奥様が二十歳のときです。

 仕事は、『源氏物語』の写本を鉛筆やペンで筆写することでした。虫が食った本や、汚くて匂いのする本もあったようです。だいたいが枡形本(20センチ四方)で、大きな立派な本もあったとか。
 仕事の前に、必ず手を洗わされたそうです。古写本を触ることになるので、本を大切に扱うためです。これは、今でもそうしていることです。
 天井まで堆く本が積み上げられた薄暗い部屋で、池田亀鑑は梯子で上って高いところの本をとっていたそうです。

 筆写する紙は、池田亀鑑が用意することはなく、便箋や原稿用紙を自分で買って行き、ただひたすら写し続ける日々でした。電車賃も弁当代も出なかったので、今のアルバイトとはまったく違う、勤労奉仕に近いものだったのです。
 その仕事の意味はまったく説明がなかったので、何をさせられているのかは皆目わからないままの、とにかく単純作業でした。

 一字も間違うな、ということだったので、書き写したら友達のものと交換し、読み合わせて間違いがないかを確認し合うこともありました。また、文字は声を出して読めとも言われたそうです。
 筆写にあたっては、一行は一行のままに写すことになっていました。末尾に書き残した文字を次の行の頭に書くことは許されなかったのです。本当に、今のコピーマシンの代わりをしておられたのです。
 行間に書かれた注記も、本文を修正したところも、そのまま写したそうです。ただし、字母までの正確さは求められなかったようです。
 ナゾリや抹消されていて読めない文字は、丸印をして「不明」と書いておいたとのことでした。
 朱書きのものは、どうしたのか記憶にないそうです。赤鉛筆はつかわなかったようだが……とも。

 私が推測するに、これは借りてきた本を筆写しておき、『源氏物語』の本文異同を確認する時のための副本作成をする作業だったのではないでしょうか。昭和17年に『校異源氏物語』が、その改訂版である『源氏物語大成』が昭和28年に刊行されています。奥様がこの筆写の仕事を手伝っておられたのは昭和23年なので、ちょうどその中間の年にあたります。

 同じ家の別の場所には、東大の学生さんがたくさん来ていたようです。
 本文の違いを確認するとともに、本文異同の校異の作業は、この東大生たちがやっていたのでしょう。この東大生たちは、写本と共に、奥様たちが筆写された便箋に書いた本文も、資料として手に持っていたそうです。
 とにかく、本を写す作業は女の仕事となっていたのです。

 奥様と話をしていたらキリがないので、今日はこのへんで、ということで打ち切って帰ることにしました。
 池田亀鑑との話は、ほんの40分ほどだったので、次の機会にさらに伺うことにします。一緒に椎名町へ行ったお友達は、もう半分以上いない、とのことでした。1人知っているので、また電話で聞いて思い出しておく、とのことでした。今度は、もっといろいろなことを聞きたいと思います。
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2010年01月04日

初春の白梅(4)

 新年の三が日も明け、早いもので四日になりました。

 いつものように、朝一番の新幹線に乗って上京するために早起きです。
 居間の梅を見やると、なんと紅梅が咲き揃っています。
 白梅も、ほぼ満開です。
 白梅と紅梅に見送られ、気持ちのいい出勤となりました。
 
 
 
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2010年01月03日

京洛逍遙(119)夕焼けに映える新春の賀茂川

 仕事始めのため、明日は上京です。
 あっと言う間の年末年始でした。

 体調を整えることと、寒冷地用の靴に慣れる意味もあって、重装備で賀茂川へのウォーキングに出かけました。
 左岸から右岸へ渡り、植物園前から西山を望んだときでした。ちょうど夕焼けで、空が朱に輝いています。
 新年早々、夕焼け雲が賀茂の川面に映える光景に出くわしました。
 
 
 
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 今年も、明日から予定がびっしりと埋まっています。
 来週から来月にかけて、モンゴル、アメリカ、インドへの出張が続きます。
 その間に、大学院の入試もあります。
 引き受けていた原稿の締め切りも目白押しです。
 しばらく、この賀茂川を歩けそうにありません。
 
 陽明文庫の名和先生が、わざわざ年末に我が家へカレンダーを持ってきてくださいました。
 近衛家第21代の家凞さんが江戸時代に描かれた、花や木が配された恒例のカレンダーです。
 お出でになったのは、ちょうど私が仕事納めのために東京にいる時だったようです。名和先生が我が家の玄関先の花々に声を掛けてくださったと、妻はたいそうご機嫌でした。
 草花が大好きな妻は、このカレンダーが大のお気に入りで、居間の寛ぐところに掛けています。
 
 
 
100103youmeical
 
 
 
 このカレンダーに示されている正月と二月を大過なく過ごして一枚捲れば、総決算の三月と新年度の四月になります。
 まだまだ気が抜けません。
 明日からの助走で、少しずつペースを掴みたいと思います。
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初春の白梅(3)

 新年3日目です。
 白梅の6割方は芽を吹いています。
 紅梅は、3輪ほど花が開きました。

 明日が楽しみです。

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2010年01月02日

京洛逍遙(118)下鴨茂神社へ初詣

 古いお札を収めに、下鴨神社へ行きました。
 
 娘と着物で出かけました。
 昨日と打って変わって、車が非常に少ないと思いました。
 そして、着物姿の参拝客も、昨日の元日とは雲泥の差があります。
 特に、男の着物姿は、探すのが大変です。
 
 
 
 100102simogamo2橋殿から楼門を臨む
 
 
 
 
 下鴨神社の参道脇には、国歌でしられる「さざれ石」があります。
 石が成長するという「生石伝説」は、もう日本で知る人が少なくなりました。
 国歌の歴史的な背景については、政治的な意図に基づく説明は多くの人ができるようです。しかし、和歌としての解釈は、日本人のほとんどできなくなりました。
 
 
 
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 この国歌の「君」と「代」の解釈は、日本人の中ですでにおかしくなっています。天皇と御代をうまく結びつけた説明は、いったいいつからなされるようになったのでしょうか。
 歴史の先生方が中心となって、学校教育の中で推進されたのかもしれません。
 国歌の歴史的・政治的な解釈です。
 そのような時代の流れの中で、国語科の教員は何をしていたのでしょうか。

 かつて、私は高校で全学的に国歌を授業で扱いました。この和歌の解釈を、日本語の歴史をたどりながらやりました。
 たくさんの先生方から、新鮮だったとの評価をいただきました。
 ただし、社会科の先生からは、偏っているとの批判をもらいました。
 しかし、それでは国歌を現代語訳してみてください、というと、天皇が統治する国家の時代を賛美する歌という理解に留まるものがほとんどでした。

 国語教育が大切であることと、国語の先生がもっと自信を持って日本語に対面すべきだと思いました。
 今は余裕がないので、このことは機会を改めて書きます。
 
 下鴨神社の南には、鴨長明で知られる河合神社があります。
 
 
  
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 その境内では、鴨長明が棲んだ方丈を再現しています。
 移動式の簡易住宅の発想が、ここにはあります。
 
 
 
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 下鴨神社に来ても、この河合神社には立ち寄らずに帰られる方が多いようです。
 ここも、ぜひ脚を留めてほしいところです。

 下鴨神社の御手洗川が由来という、みたらし団子を買って帰りました。
 のんびりとしたお正月です。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

初春の白梅(2)

 新年2日目です。
 花開いた白梅は、その数を増しています。

 紅梅は、まだ蕾が固そうです。
 
 
 
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posted by genjiito at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2010年01月01日

京洛逍遙(117)上賀茂神社へ初詣

 家族みんなで、氏神である上賀茂神社へ初詣に行きました。
 みんな着物を着ていたので、賀茂街道から市バスを使いました。

 たくさんの人がお参りに来ています。

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 参道奥の神馬舎では、白馬が参詣客を温かく迎えてくれます。
 目がかわいい馬でした。
 戦時中は満州で獣医をしていた父は、馬は笑うと言っていたことを思い出しました。ただし、この神馬は、あまりにもたくさんの人に愛想を振りまいたせいか、少しお疲れの様子でした。
 
 
 
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 今年は長男が大厄なので、本殿でお祓いをしてもらいました。
 祝詞の奏上の中で、祈祷依頼者の住所氏名を読み上げられたのには驚きました。
 この状況は、京都殺人事件などのドラマで個人情報を知る場面に使えるなぁ、などとつまらないことを考えながら聞いていました。
 
 
 
100101kamo3楼門
 
 
 
 写真の右奥に、紫式部で知られる片岡社があります。

 帰りに、橋殿から御手洗川越しに、紫式部の歌碑が見えます。
 少し奥まったところにあるせいか、これをご存じの方は少ないようです。
 たくさんの人出でも、ここに足を留める人は稀です。
 
 
 
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 夜は、娘に点ててもらったお茶で寛ぎました。
 お菓子は、師走に出雲へ一緒に行った松江の研究仲間がわざわざ東京まで持ってきてくださった、銘菓若草です。
 
 
 
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 穏やかな新年が始まりました。
 とにかく、今年は、バタバタと走り回ることなく、不義理をしてでもユッタリと、ということを心がけたいと思います。
 なかなかの難題です。しかし、この心構えは忘れない1年にしたいものです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

初春の白梅

 あけまして
 おめでとうございます

 新年を迎え、梅も蕾を開き出しました。
 白梅が早く、紅梅は明日になりそうです。
 
 
 
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posted by genjiito at 10:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記