2009年12月20日

アンビカさんへ−出雲の阿国レポート

 以下、インドから日本に国費留学生として国文学研究資料館に勉強をしに来ている、アンビカさんへの、私からの出雲レポートです。アンビカさんの近松門左衛門と歌舞伎の研究が、すばらしい成果となって実を結ぶことを願って記します。



 出雲大社から稲佐の浜へ向かってブラブラと歩いて行くと、出雲の阿国に関する遺跡に3つも出会います。

 出雲阿国というと、京都四条にある南座あたりを思い出す方が多いでしょう。しかし、この阿国の出自は、出雲大社の巫女だったようです。

 現在、大社の本殿の修理が進んでいます(昨日の写真参照)。
 江戸時代にも、大社の本殿を修復するために勧進の旅に出たのです。阿国は諸国を経巡り、京都などでは、男装の麗人よろしく、刀を差して踊っていたようです。そこから「傾き者」→「歌舞伎者」と言われるようになったとか。

 阿国は晩年は出雲に帰り、連歌などを楽しんだようです。その跡が「連歌庵」として遺っています。
 
 
 
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 道を隔てた向かい側には、「出雲阿国の墓」があります。これは、阿国の生家である中村家の隣に建てられています。
 平たい石なので、つい見過ごしてしまいそうです。
 
 
 
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 さらに浜へ向かって行くと、「出雲阿国終焉地の碑」があります。78歳の生涯だったようです。
 ここから見晴し台まで歩いて登る途中に、於国塔があります。これは、歌舞伎の名門・名優によって建てられたものです。
 
 
 
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 頂上の見晴し台からは、稲佐の浜と大社の街が開けてきます。絶景です。
 
 
 
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 稲佐の浜に出て、弁天島を間近に臨む浜辺では、親子連れがいました。
 
 
 
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 我が家の子どもたちも、毎週のようにどこかへ連れ出していました。こんな浜辺へ連れて行くと、大はしゃぎで走り回っていたことを思い出して、ついシャッターを切りました。

 来た道を戻ろうとすると、こんな標識が目の前にありました。
 
 
 
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 時間があれば、ここからさらに日御碕まで足を伸ばしたいところです。しかし、もう、バスターミナルから出雲空港へ向かって帰る時間です。
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ■古典文学