2009年12月15日

日南町議の久代氏と思わず握手

 日南町の役場は、立派な木で組み上げられていました。庁舎というに相応しい建物です。
 その広いロビーで、私は町会議員の久代安敏さんを待っていました。

 しばらくしてから、背後で「長らくお待たせしてすみません」という優しい声が耳に届きました。私が振り向くと同時に、思わずお互いに手をしっかりと握りあっていました。
 よく来て下さいました、来ましたよ、いつか来られるだろうと思っていました、早かったでしょ、と。

 初対面です。しかし、相手のことはブログを通してよく知っています。お互いに。日常の思いを、包み隠さず何でもブログに書いているので、何もかもわかった気でいます。
 旧知の仲のように、手を握りながら話し出しました。止まりません。しばらく、立ち話が続きました。

 日南町総合文化センターで足羽さんの案内で松本清張と井上靖の展示を見る前に、町議をしておられる久代さんにお目にかかれないかを聞いてもらいました。しかし、その日から日南町議会12月定例会が始まったとのことで、会議場に入っておられたのです。今日は、一般質問の質問者だとも。
 文化センターを出て足羽さんの車で移動する時に、再度様子を見に行きました。しかし、まだ会議中でした。ロビーには、大きなモニタに会議場が映されていました。質疑が続いていました。
 松本清張の文学碑を見た後、井上靖の文学碑を見に行く途中にも立ち寄りました。しかし、その時も、まだ会議は続いていました。

 池田亀鑑の記念碑を見た後、日南町を後にする際、一応念のために役場へ行ってみました。すると、今、会議が終わったばかりだということでした。
 事務の方に連絡をとってもらうと、部屋におられないとのことです。しばらくしてから、その方が上へ探しに行ってくださいました。
 私は、久代さんが来訪に気づかずにお帰りにならないかと気を揉みながら、出口付近を見張っていました。そんな中で、やっとご本人と出会えたのです。

 久代さんとのことの起こりは、私のブログにコメントを付けてくださったことからです。

 先月の11月4日に、私は「予期せぬ夜の祝祭」という題でブログを書きました。その中で、松本清張の『ゼロの焦点』について触れました。その記事が、本当に偶然ですが、久代さんの目に止まったのです。

 久代さんが下さったコメントは以下のものです。

 たまたま11月3日に池田亀鑑の略歴の碑の除幕式をしたことで、あなたのブログにであいました。わたしの町には井上靖と松本清張と池田亀鑑の文学碑があります。清張さんは生誕100年で町がいろいろ取り組んでいます。

 井上靖は、妻と子どもさんを鳥取県・日南町に疎開させていたことが縁で、松本清張は、父峯太郎の生まれた町ということで、池田亀鑑は、鳥取県日南町神戸上というところで生まれたことで、3氏の碑があります。またよろしかったらお出かけください。



 これに対して、私は以下の返事を認めました。

 コメントをありがとうございます。
 ブログを楽しく拝見しました。

 私が好きな井上靖、松本清張、そして仕事に直結する池田亀鑑と、魅力的な町ですね。

 お訪ねする機会を探してみます。

 池田亀鑑先生の除幕式というのは、どのようなものだったのでしょうか。

 よろしかったら、もっと詳しく教えていただけると幸いです。



 久代さんは、さらに詳しく教えてくださいました。

 わたしの町ではたいへんな過疎と少子化で、1年に25人くらいしか子どもが生まれないのです。で、今春町内6つの小学校が1校に統合したのです。

 池田亀鑑文学碑は、先生が生誕され、ご両親が勤めていられた石見東小学校の校庭の角に、昭和43年に「学才にあらず 閥派にあらず たゞ至誠にあり」の碑が建立されていたのですが、先生の略歴がちょっと粗末なものでした。小学校が統合してもこの文学碑はしっかり保存して継承しようということで、略歴を石に刻んだのです。その除幕式でした。

 これから先生のことを、先生の著されたものを勉強しようという計画もしています。まぁこんなところです。


池田亀鑑先生略歴

池田亀鑑先生は、明治二十九年十二月九日厳父宏文慈母とらの子として神戸上に生まれる。幾多の困苦と欠乏に耐え、よく努力し鳥取師範を経て東京高等師範に学び東京帝国大学文学部国文科を卒業する。女子学習院、第一高等学校、二松学舎、慶応義塾、早稲田、帝国女子専門学校、東洋等各大学の講師又は助教授。大正大学、東京大学の教授等を歴任し、昭和二十二年には文学博士号を授与される。中世古典文学、特に源氏物語の研究においては斯界の第一人者と称せられ、爾後の指針とされた。著書は源氏物語大成全八巻他多数。毎日学術奨励賞、朝日文化賞等を受賞する。昭和三十一年十二月十九日病を得て東京に没す。行年六十才。その悲報に衝撃を受けた厳父宏文氏も同日逝去される。先生のふるさと神戸上への想いは随筆集「花を折る」等で熱く述べられている。尚文学碑は、昭和四十三年十二月九日建立除幕された。

          池田亀鑑文学碑を守る会



このような略歴を刻みました。



 以下、私のお礼の返信です。

 詳細なご報告、ありがとうございました。

 池田亀鑑先生の顕彰は、すばらしいことだと思います。

 地元のみなさまが、松本清張氏・井上靖氏とともに、池田亀鑑先生のなさったお仕事を理解されることは、大切なことですね。日本の古典文学研究においては、重要な役割をなさった先生ですから。

 特に、『源氏物語』の本文を整理された功績は、偉大なものです。「中世古典文学」とあるのは、正確には「中古古典文学」でしょうか。

 池田亀鑑先生の足跡を確認する作業などは、どなたかなさっているのでしょうか。

 『源氏物語大成』という偉業の背景も、まだ確認されていません。

 今後は、池田亀鑑先生の業績の意義を再確認する研究が、若い人によってなされると思います。

 ますますのご活躍を、楽しみにしています。



 このようなやりとりを経て、この日、感動的ともいえる顔合わせとなったのです。
 日南町へ行く2日前にメールを差し上げていたのですが、一般質問の準備でお忙しい所だったようです。

 この日は、私もまだ池田亀鑑の記念碑などを尋ね歩く予定があったので、早々に駐車場でお別れしました。またの再開を約して。

 その日は米子のホテルで泊まりました。翌朝早々に、久代さんからこんなメールが届きました。

 いつか近いうちに来られるだろうな、と思っていましたが、まさか昨日お会いできるとは思いませんでした。

 とてもうれしかったです。

 米子の井上靖記念館にも行かれたのですね。

 国文学研究資料館のホームページも拝見しました。

 池田亀鑑の碑と私の家は指呼の間です。今後の交流を楽しみにしています。

 ご活躍を祈念しています。とりあえずはお礼まで。



 以下、私の返信です。

 ご丁寧に、ありがとうございます。

 お目にかかることができ、私も安堵しました。

 日南町はいい町ですね。野分の館からの景色が印象的でした。

 あれから、溝口と岸本町にある池田亀鑑の碑を2箇所見ながら米子へ帰りました。

 岸本町の公民館では、池田亀鑑の写真などを拝見しました。

 詳しい話は伺えませんでしたが、たくさんのことを知ることが出来ました。

 感謝感謝の一日となりました。

 今日は、大山町の図書館で町民の方に『源氏物語』のお話をし、私が生まれた出雲市へ向かいます。

 久代さんのおかげで、日南町は思い出深い地となりました。

 再訪の機会を、今から楽しみにしています。

 ますますのご活躍を。



 人と人との出会いの素晴らしさを、温かい思いで噛みしめています。
 自分がやりたいことをする中で、自分の中には何もなくても、ありのままの自分をさらけ出すことで、こうした邂逅があるのです。
 縁というものを、大切に守り育てていきたいという思いを、いまさらながら強くしています。
posted by genjiito at 01:13| Comment(1) | TrackBack(0) | ・ブラリと