2009年12月13日

井上靖ゆかりの日南町(2の1)

 日南町文化総合センターには、松本清張だけでなく、井上靖の資料と展示室もあります。
 図書館における井上靖の著書コーナーは、前回の松本清張の報告の中で紹介した通りです。
 井上靖の展示室は、その入口の左横から、隣の松本清張の展示室の一部が見えています。
 
 
 
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 井上靖の展示室の奥に、書斎を復元したものがあります。東京にあった書斎をよく見て作ったものだそうです。
 
 
 
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 米子の井上靖記念館にあった書斎と、どのような関係なのかはわかりませんが、井上靖らしさの感じられる一室になっています。
 なお、隣の松本清張の展示室の奥にも、清張の応接室を見習った部屋がありました。清張のことば通りに著書をもらってこの応接室に並べるはずだったそうです。しかし、願いは叶わないままになったとのことで、残念そうでした。

 さて、日南町の井上靖の書斎に、米子の記念館にあった椅子とよく似た籐の椅子(上掲写真右下)がありました。これも、何か訳があってのものなのでしょうか。どなたか、教えて下さい。

 部屋の隅に、『通夜の客』に出てくる曽根の家の模型がありました。
 
 
 
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 聞きそびれたのですが、どのような由来や経緯があってのものなのか、これまた、どなかた教えて下さい。

 足羽さんの車で、山深い岡山県との分水嶺に行きました。
 標識にも、「水と緑と文学のふるさと」とあります。
 
 
 
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 ここから鳥取側に少し戻ったところにあるJR上石見駅は、井上靖の『通夜の客』で知られる所です。
 
 
 
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 この小説は、ずっといつまでも記憶に残る作品です。私が一読を勧める一つです。回想形式の手紙が、何度読んでも心に沁みます。主人公の妻に宛てた愛人の手紙は、本当に人間の心を掴んで離さないものとなっています。

 『通夜の客』には、次のように書かれています。

 あの(*注︰主人公新津のお通夜の)翌日夕方の急行で東京を立ち、その翌日の昼、岡山で伯備線に乗換え、あのいかにも高原の駅らしい上石見の小さくて清潔なプラットホームに降り立った時はもう暮方でした。それから二里の山道を、いつかあなたが駱駝の瘤とお呼びになった小さい峠を二つ越えて歩いて、二十何時間目にこの山脈の尾根の小さいF村のわたしたちの家に帰って参りました。

(中略)

 鳥取県も岡山県に近い海抜1200メートルのこの高原の小さな村は、考えてみると、あなたと私とがともかくも一緒に住むことを許された天が下ただ一つの自由な木蔭でした。

(中略)

 明日の夕方、私は思い出多い土地を引き上げ、夜の汽車で上石見を立って、こんどは山陰線廻りで(あなたがいつぞやきれいだと仰った暁方の山陰の海が見たくて)東京へ向かうつもりです。

(中略)

 村を出発するのは午後四時と決めていた。上石見駅八時の伯備線に乗り、伯耆大山で十時二十分の山陰線に乗り換える予定だった。上石見まで二里の山道を歩かねばならないが、女の足でゆっくり歩いて三時間かかったとしても、上石見駅でたっぷり一時間の余裕のある勘定だった。

(中略)

 私は愛した、私は愛したと何ものかにぶつけるように心の中に叫びながら、再び烈しくなった雨の中をよろめきつつ遠い上石見の灯に向かって歩き出したのであった。(『井上靖全集』第1巻557頁〜579頁)

 
 
 

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 この作品に出てくるF村は、実際には井上靖の妻と子どもたちが疎開の地として住んでいたところである神福(旧福栄村)が舞台として活用されています。

 『通夜の客』をもう一度読みたくなりました。しかし、実際にこの舞台となったF村を見てしまうと、話がさらにリアルに読めてしまい、怖い気がするのです。しばらくは読まないことにしましょう。胸が締め付けられるほど完成度の高い小説ですから。

 このF村の入口辺りに、井上靖文学碑の場所を示す標識が立っています。
 
 
 
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(「井上靖ゆかりの日南町(2の1)」につづく)
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | □井上卒読