2009年11月06日

京洛逍遙(110)紫式部に縁のある大徳寺

 大徳寺に紫式部の碑があることは、昨年の紅葉を散策した記事で触れました。

 京洛逍遥(47)紅葉の京洛


 京洛逍遥(48)大徳寺高桐院の紅葉


 大徳寺の境内には、こんな案内の石碑があります。
 
 
 
091101_daitokusikibu2
 
 
 
 非公開とのことだったので、いつか公開されるのでは、と気長に待つことにしていました。
 ちょうど、大徳寺の鉄鉢料理で知られる泉仙に行ったので、また大慈院のことを聞きました。すると、横の道から入って直接聞いてみては、とのことでした。
 教えられるままに道案内もない塔頭に入っていきました。
 山門を潜ったところに、ご用のある方は鐘を撞いてください、とあったので、失礼して鐘を叩きました。すると、中から女性が出てこられたので、直接、紫式部の碑を拝見できないかとお尋ねすると、何と前方の石碑がそれだとのことでした。
 そして、厚かましくも、側へ行って見てもいいのかということと、写真を撮ってもいいのかを遠慮がちに尋ねると、心やすくどうぞ、とのことでした。
 公開されていないということだったので、とにかく幸運を謝して拝見し、撮影させていただきました。
 
 
 
091101_daitokusikibu3
 
 
 
091101_daitokusikibu4
 
 
 
091101_daitokusikibu6
 
 
 
 ちょうど、泉仙の玄関前が、その向こうに見えます。

 この石碑については、以下のような事情があったようです。
 寛政7年(1795)に、紫野御所田町、現在の島津製作所北側にある紫式部の墓の傍らに、この石碑を建立する予定だったそうです。しかし、事情があって碧玉庵に建立され、さらに明治維新の時に碧玉庵が廃寺になった際、この大慈院にその石碑が移されたものだそうです。

 碑文が読めなかったので、後で資料を探してみます。
 それにしても、なかなか得難い石碑を見ることができました。
 見たい見たいと思っていた一念が、こうして叶えられたのです。
 偶然とはいえ、大慈院さんに感謝いたします。ありがとうございました。

 さらに、大徳寺の塔頭の中でもよく知られている真珠庵にも、紫式部に関するものがありました。
 この真珠庵も、普段は入れないのですが、秋の特別拝観の時だったこともあり、中に入ることができました。
 本堂と書院の間の狭い廊下の片隅に、確かに「紫式部産湯の井戸」と言われる古井戸がありました。
 そう断定する資料はないかと思われます。しかし、そのように伝えている事実は大切です。
 説明をしてくれた学生さんは、この井戸の水は、今も毎朝汲んで使っている、と言っていました。90センチ四方の何の変哲もない井戸です。しかし、これも貴重なものに違いありません。
 真偽はともかく、産湯の井戸なのですから、紫式部はここで生まれたのでしょう。
 他の資料には、これは和泉式部の産湯の井戸だとも。よくある異説です。
 この真珠庵の井戸は、写真撮影が禁止されていました。
 いくつかのホームページに掲載されていますので、興味のある方はどうぞ。

 また、同じく大徳寺の塔頭の1つである龍源院にも、紫式部に関する言い伝えがあるそうです。
 かつて、ここに楊貴妃という名前の山茶花があったそうです。今は枯れてしまっているそうですが、その根元に紫式部の碑があったというのです。

 大徳寺は、なかなか興味の尽きないお寺です。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎京洛逍遥