2009年11月30日

井上靖卒読(103)「異域の人」「永泰公主の頸飾り」

■「異域の人」

 漢籍を引用しながら、気持ちよく語り進められていきます。文章に力があります。中国大陸を舞台とする、戦の話だからでもありますが。
 主人公は班超です。『漢書』を編集した班固は兄です。異域に功をたてた武人です。
 71歳で洛陽に帰ってきました。胡人と化していたのですが、命をまっとうしました。その後、西域はまた乱れることになります。【3】


初出誌︰群像
初出号数︰1953年7月号

新潮文庫︰楼蘭
角川文庫︰異域の人
角川文庫︰天目山の雲
旺文社文庫︰洪水・異域の人 他八編
講談社文芸文庫︰異域の人・幽鬼
井上靖小説全集 15︰天平の甍・敦煌
井上靖全集 4︰短篇4
 
 
 

■「永泰公主の頸飾り」

 中国の陵墓盗掘の話です。1960年の発見になる墓の、それも少ない情報から、井上靖はこんなにも豊かなイメージを膨らませたのです。
 おもしろい手法が伺われる作品になっています。【3】


初出誌︰オール読物
初出号数︰1964年11月号
※『永泰公主の頚飾り』の表記もある

文春文庫︰崑崙の玉
角川文庫︰天目山の雲
井上靖小説全集 18︰朱い門・ローマの宿
井上靖全集 7︰短篇7・戯曲・童話



〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館 
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 井上靖卒読

2009年11月29日

インドからのお客様を小林茂美先生宅へ

 昨日と今日の週末の2日間、国文学研究資料館で「第33回 国際日本文学研究集会」が開催されました。
 今年のテーマは、「語られる人称・なぞらえる視点」です。
 
 プログラム(PDF)
 
 今回が33回ということからわかるように、日本における国際集会としては老舗となりました。30年以上も前から、国際的な研究者の育成に貢献しています。現在、世界各国で日本文学の研究をしている方々のほとんどが、若いときにこの国文学研究資料館の国際研究集会で研究発表をなさっているのです。

 今回、招待研究者としてお呼びしたインド・ネルー大学のアニタ・カンナ先生は、「今昔物語集︰天竺編を中心に」と題する発表をなさいました。スケールの大きな内容で、いい勉強になりました。
 
 
 
091128anita
 
 
 
 ここ数年は、私が総合司会としての進行役を務めています。各セッションの座長を務められる先生方の多大なご協力を得て、今年も盛会のうちに終えることができました。
 最後に、国際日本文学研究集会の委員長で東京大学のロバート・キャンベル先生が、2日間の総括をなさいました。
 いつもながら要を得た寸評で、改めてみなさん方の発表のポイントが炙り出されました。17人の研究発表と公開講演のすべてを聴いての総括なので、本当にお疲れのことだったと思います。ありがとうございました。

 ちょうど1年後に、また世界各国から多彩な研究者が集まって、意義深い発表と質疑応答がなされることでしょう。
 春先には、来年度の発表者の募集要項が公開されます。
 元気な若手の参加者を求めています。

 研究集会が終わってからすぐに、今春お亡くなりになった小林茂美先生のご自宅のある田無に向かいました。アニタ・カンナ先生を小林先生の奥さまに引き合わせるためです。
 小林先生の遺言の一つに、遺骨をインドのガンジス川に流してくれ、ということがあったのです。
 来年2月にインドで〈第5回 インド日本文学会〉を開催します。その時に小林先生の願いを叶えるべく、その相談をアニタ・カンナ先生を交えてしました。インドのデリーの方々は、遺骨をガンジス川の上流にあるハリドワールという所へ流すのだそうです。いろいろな話を、アニタ・カンナ先生から聞きました。何事にも好奇心が旺盛な奥さまも、大変興味深く聴いておられました。
 自分も私と一緒にインドに行きたい、と奥さまはおっしゃいます。しかし、体力的にも大変なので、ということでひとまずは思い留まっていただきました。

 法的には問題がないようなので、小さな容器に入れて、私が行ったときに流して差し上げようと思います。奥さまは、自分が行けないなら、その容器を包むものを布で作るとおっしゃっていました。どのようなものをお作りになるのか、楽しみにしたいと思います。

 突然、インドからのお客様をお連れしたので、小林先生の奥さまも信じられないお気持ちの中で、あり得ないことが目の前に展開していることに感激しておられました。遺影の横に初夏に刊行した『源氏物語別本集成 続 第6巻』(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編)があり、アニタ・カンナ先生にも見てもらいながら、奥さまが私との40年来の話をしておられました。そして、この第6巻となる本が小林先生に見てもらえなかったことも。

 我々が帰るとき、足がお悪いのに玄関先まで出て見送って下さいました。角を曲がるとき、私の名前を呼ばれるので振り向くと、大きく手を振っておられます。喜んでもらえたことが伝わり、ありがたく思いながら駅に向かいました。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2009年11月28日

心身(45)歯医者さんが急逝

 今春から診てもらっていた近所の歯医者さんが、突然亡くなられました。
 46歳だったそうです。

 先週、予約をしていた日を変更してほしいとの連絡が入りました。
 突然だったので、何事だろうと思っていたのですが、それが院長の急逝に関わることだったのです。

 親子で診察をしておられました。肝心なところは若先生が、それ以外はお父さんがなさっていました。
 医院の入口には、博士号を取得された学位記が掲げられていました。しかし、それも今日は取り外されていました。受付には、患者さんへの急逝に関わるお詫びの文章が掲げられていました。今後は、父親である先生が責任を持って対処すると……。

 診察台は4台ありました。看護婦さんは確か3人いらっしゃったと思います。流行っていました。手際よく、診察台を目まぐるしく移っては、多くの患者さんを診ておられました。大変だなー、と思っていました。丁寧にやさしく語りかけながら、治療にあたっておられました。その声が優しかったことが思い出されます。

 私は、奈良の歯医者に20年以上かかってきました。しかし、東京から通うのも大変なので、今春からこの歯医者さんに変えたのです。
 すぐに、歯肉や骨を削るという、大胆な方針で臨まれました。この10ヶ月の間に、2回の手術を受けました。そして、それがことごとく成功でした。腕に自信がないと、なかなかできることではありません。当の私自身が、その思い切りのよさに驚いていたのですから。
 今、上下に入っている歯は、この先生の作品です。ちょうど、私の上の歯を入れて下さったのが2週間前です。無事に終わってからだったので、その縁に感謝しています。

 今日、お父さんが、これからは私が今後の対処をさせてもらうのでよろしく、との言葉をいただきました。本当に、誠意のある歯医者さんです。
 今後のことでは、医院としてもいろいろとあることでしょう。しかし、私は信頼して通う続けようと思っています。

 突然の死は、人ごとではありません。気を付けてどうなるものでもありません。しかし、常に突然のことを想定して生きている私としては、心して日々を送る上での気持ちを新たにすることとなりました。
posted by genjiito at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康雑記

2009年11月27日

井上靖卒読(102)「漂流」「塔二と弥三」「明妃曲」

■「漂流」
 人間が漂う中で見せる心の動きが、丁寧に描かれています。
 ただし、話は中途半端に終わります。依った資料がそうだったからでしょう。
 漂流中の話がいいので、その後が知りたくなりました。
 婚約者のぬいが、同輩で共に岡部を切った宮部の妻になっていることは、非常に惹き付けられます。しかし、井上靖はそれ以上には筆を進めません。物語展開を打ち切って筆を擱いているのは、何か急いでいるように思えます。
 井上靖は、自分の想像力を使っていません。その後はわからない、という終わり方は、惜しいと思いました。【2】



初出誌︰文学界
初出号数︰1953年11月号
 
 
角川文庫︰異域の人
角川文庫︰天目山の雲
井上靖小説全集 15︰天平の甍・敦煌
井上靖全集 4︰短篇4




■「塔二と弥三」


 運命の悪戯で、蒙古に連れ去られた2人の漁師。時のフビライに謁しても何も感じないのです。
 2人の男は帰国します。しかし、記録には、その後は不明とあるようです。
 歴史の一部に名を残す人間を掬い上げ、その背景を物語化しています。
 ただし、情報不足のために打ち切っています。井上靖の仕事の中の一片として作品化された物語です。【2】



初出誌︰オール読物
初出号数︰1963年11月号



文春文庫︰崑崙の玉
角川文庫︰天目山の雲
井上靖小説全集 16︰蒼き狼・風濤
井上靖全集 6︰短篇6



■「明妃曲」

 最初は、自分の興味の赴くままに語る随想です。それが、徐々に一人語りとなり、やがて王昭君の物語となります。
 よく考えられた構成です。
 王昭君の出生には、月光が関わっていることに、興味を持ちました。


 新資料という創生により、美女伝説に彩りを与えようとしています。井上靖のロマンが、自由に開花しています。
 人の生き様をみごとに描いた作品になっています。【4】





初出誌︰オール読物
初出号数︰1963年2月号


文春文庫︰崑崙の玉
角川文庫︰天目山の雲
講談社文芸文庫︰異域の人・幽鬼
井上靖小説全集 18︰朱い門・ローマの宿
井上靖全集 6︰短篇6





〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 井上靖卒読

2009年11月26日

谷崎全集読過(2)「麒麟」「少年」

■「麒麟」

 美しさに打ち勝とうとする人間の姿を描きます。
 霊公の妻南子は、悪魔として語られます。孔子は、その影響を受けない聖人でした。
 一旦は、徳を好む孔子に傾いた霊公でした。しかし、最後は夫人の好色に帰します。
 この作品は、論語のことばで終わります。私には、この小説の良さがまだよくわかりません。
 聖人が生まれる時に現れるという麒麟は出ませんでした。題名との関係も、よくわからないままです。【2】

初出誌︰明治43年12月号「新思潮」


■「少年」

 可愛い女のような信一が、自分の家では荒くれを縛ったり鼻糞を付けたりしている。人間の二面性を活写します。
 学校ではガキ大将とひ弱な男が、家に帰るとその立場がまったく逆転したイジメの世界に生きています。そこに快感を覚える倒錯の様が描かれていきます。五感による快楽の世界です。男3人による異様な遊びは、子供が持つ好奇心の一端でもあります。
 別の日には、姉も加わり、4人で遊びます。姉を縛ったりしての遊びに興ずるのです。子供の話だけに、おもしろおかしく語られています。しかし、そこには作者の狙いがあるのです。人間の本姓を暴きたいのでしょう。
 いじめられることの快感は、今でもSMプレイとしてあるようです。「拷問」という語が何度も出ます。それが、次第にエスカレートするのです。
 姉も本性を見せ、男たちをイジメにかかるのです。姉は女王様に、男たちは奴隷に化していきます。不思議な雰囲気を持った小説です。
 作中に英単語がでてきます。前半に「ecstasy」が、後半に「Urine」が。この傾向は、この後さらに多くなっていきます。【4】

初出誌︰明治44年6月号「スバル」
posted by genjiito at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 谷崎全集読過

2009年11月25日

時計と時間を考える(3)

 シンポジウムの最終日は、エクスカーションとして、セイコー時計資料館(東京都墨田区東向島3-9-7)へ行きました。
 
 
 
091125seiko
 
 
 
 館員の方の説明が詳しくて、興味深い話をたくさん聞くことができました。
 思い出すままに、メモを記します。

・和時計も掛け時計も、共に名古屋が発祥の地。
 大坂や江戸ではなかったのです。
・尺時計よりも香時計の方が正確。
 粉末にした香を燃やして時間を知る方法の正確さは意外でした。
・文字盤に書かれている子丑寅卯……は、逆回りのものがある。
 これは、針が動くか文字盤が動くかの違いによる。
・指輪型の日時計。
 実用的かどうかは別としてアイデアです。
・明治25年に、精工舎の時計第一号。
・明治32年に精工舎が日本初の目覚まし時計を作った。
・明治42年のオルゴール時計は「君が代」が流れる。
・銀座四丁目の交差点角の和光はセイコーの小売り部門の子会社。
・ムスリム時計はセイコーでは作っていない。
 カシオだけが製造しているようです。

 江戸時代の日本において、時計技術のレベルが高かったことを知りました。
 和時計は、その精度はおくとして、知恵の結晶です。
 こんな冊子があったので買いました。
 
 
 
091125watch
 
 
 
 今のように個人が時計を身につけるようになったのは、本当につい最近のことだったのです。
 時間に関する考え方が、今回のシンポジウムを通して改まりました。

 そして今、時間に追われて生活をしている自分について、見つめ直すようになりました。
 現代社会を生きる上では、自分だけではどうしようもないことに囲まれています。しかし、意識を変えれば、それはまた違った生活も可能になることでしょう。

 時間に追いかけられない生活を送るために、もう少し工夫をしたいと思います。
 まずは、予定をぎっしりと詰めないこと。毎日を予定で埋めて満足しているところがありました。
 そして、何でも引き受けないことでしょうか。断れない質なので、これは固い意志がいります。

 来月からと言わず、明日から実践したいと思います。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2009年11月24日

時計と時間を考える(2)

 シンポジウムの2日目です。
 今日も、ものの見方が違うとこんなに違うのか、ということを知り、楽しくなりました。

 時空間を語るはずの講師の先生が、ご自分の発表時間を勘違いなさっていて、開始時間にまだ東京駅だとの連絡が入りました。立川までは、そこからさらに70分かかります。悠然と会場にお越しになった先生は、時間を超越しておられました。
 時間というモノは、なかなか奥の深いものだということを実感しました。

 身体が持っている時間の感覚、宗教における時間の意味、スポーツの世界での時間の観念などなど、たくさんの時間があります。
 その時間に縛られるようにして生きる現代人について、というよりも私自身について、思いを廻らしながらの1日でした。

 雑談も楽しいものです。
 耳の聴覚について、話題が脱線したときのことです。

 人間の耳は、自然界にある3万ヘルツから4万ヘルツまでの音も聞こえているそうです。ちょうど、レコードの音がこの範囲。海や山で、この音が背景に流れているのでしょう。意識しなくても、あるものとして無視しているだけなのです。
 ところが、今全盛のCDの音は、8千ヘルツ以上は人間には知覚されないものということで、バッサリとカットされているようです。そのため、CDの音楽を聴くと、聞こえない8千ヘルツ以上の周波数の音をも人間が自然界のものとして補おうとするので、かえって疲れてしまうという状況が生まれている、とのことでした。
 また、3万ヘルツ以上で、ホルモン、快感、意欲、学習などに関わるドーパミンという物質が出るとも。
 この領域の音を出す、お祭りで使われる鈴やタンバリンの音には、トランス状態にする働きがあるのです。
 こうした高周波数の音は、耳の限界を超えた世界に連れて行ってくれるものなので、幻覚や妄想にも関係してきそうです。
 快い気持ちや不快な気持ちを引き起こす周波数も、人間が時間の長短を感じる点では関係がありそうです。

 そういえば、小さい頃に「海底人8823(ハヤブサ)」というテレビ番組がありました。
 そこでは、3万サイクル(ヘルツの旧単位)の音波を出す笛を少年が吹くと、8823が現れて助けてくれる、という展開でした。誰にも聞こえない音なのですが、人間には意識されないだけのものだった、ということのようです。

 この記事を書いている時に、そのドラマの主題歌「海底人8823」が見つかりました。ビクター児童合唱団が歌っていたのですね。

誰の耳にも 聞こえない 3万サイクル 音の笛
その笛聞けば 飛んでくる エイッ!
8823 謎の人 8823 海底人
正義の勇者だ ハヤブサだ



 これが、私には歌えるのです。
 昭和35年に放映されているので、私が小学校低学年の頃です。驚きました。小さい頃、よっぽど真剣に見ていたのでしょう。
 私の家にテレビが来たのは、小学5年生の時でした。それまでは、隣や知り合いの家に見せてもらいに行っていた時代です。
 この「海底人8823」も、姉と一緒に、夜分テレビを見せてもらいに行っていた頃の記憶ということになります。

 さて、2日間にわたってのシンポジウムの発表と討議も、日頃とは異なる話題だったせいか、大変楽しい時を共にできました。
 つかれない集会は、久しぶりだったように思います。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2009年11月23日

時計と時間を考える

 時間というモノについて、改めて考えさせられるシンポジウムに参加しました。

 日頃、なにげなく見ている時計や、急かされる時間について、国際的な、そして多方面からの切り口の話を聞きました。
 非常に刺激的でした。

 国によって、宗教によって、時間の捉え方は違います。また、時計というもののありようも、これまた違います。
 その眼で身の回りを見渡すと、おもしろいものです。


 そういえば、関西と関東でも、時間の観念は違うように思います。
 同じ国でも、地域によって違うことも、興味を持ちました。
 日本では、○○時間というものがあります。あれは、全国的に日本では時間を守らなかった証拠なのでしょう。
 いつから、日本人は時間に忠実な行動をよしとするようになったのか、おもしろい問題です。

 文学作品の中に描かれた時間や、街中の時計など、これから注意が向きそうです。

 それにしても、私が腕にしている時計は、と考えてみると、これまた楽しくなります。

 今回のシンポジウムは、3日間にわたって開催されます。
 プログラムは、以下の通りです。
 ものの見方に刺激をもらう、貴重な時間に身を置くことにします。


*************************

平成21年「文化の往還」国際シンポジウム


テーマ:「ユーラシアと日本:時計と時間をめぐる比較文化」



開催時期:平成21年11月23日(月)〜25日(水)
開催場所:国文学研究資料館・大会議室(2階)http://www.nijl.ac.jp/~koen/tizu.htm
使用言語:日本語・英語(同時通訳予定)

開催趣旨:時計の登場と普及によってもたらされた時間をめぐる人間の営みの変容について、時計というモノに即しつつ、比較文化的視点から語り合う。西洋世界の時間が機械時計をともなって西洋の外に広がろうとしたとき、在来の生活と文化はそれにどのように向き合い、応答しようとしてきたのか。文学テクスト・映像芸術・公共空間・身体感覚などの領域を、文化の相互接触がはたらく場としてとらえかえし、近代の時間という問題系を再構築することを目指す。

◆1日目 11月23日(月)

9:00〜10:00
開催趣旨(10分)谷川惠一(国文学研究資料館)
基調講演(50分)フロリアン・クルマス(ドイツ‐日本研究所)※英語にて発表
10:00〜13:00 セッションT「翻訳される“時”」 座長:谷川惠一
発表T-1(40分) 谷川惠一(国文学研究資料館、日本近代文学)
発表T-2(40分) 表世晩(韓国・郡山大学校、日本文学)※予定(ディスカッサント)
発表T-3(40分) 李冬木(佛教大学、中国近代文学)※予定
全体討議(60分)
13:00〜14:00 昼食
14:00〜17:00 セッションU「時計と時間」 座長:小長谷有紀(国立民族学博物館)
発表U-1(40分)西尾哲夫(国立民族学博物館、言語学・アラブ研究)
発表U-2(40分)橋本毅彦(東京大学、科学史・科学哲学)
発表U-3(40分)五十嵐太郎(東北大学、建築学・建築評論)
 全体討議(60分)

◆2日目 11月24日(火)

9:00〜12:00 セッションV「時と身体・生活」 座長:山中由里子(国立民族学博物館)
 発表V-1(40分)小山恵美(京都工芸繊維大学、医用生体工学・環境生理学)
発表V-2(40分)大森康宏(立命館大学、映像人類学)
発表V-3(40分)石井隆憲(東洋大学、スポーツ科学・文化人類学)
全体討議(60分)
12:00〜13:00 昼食
13:00〜15:00 総合討論 座長:谷川惠一
15:30〜17:30 懇親会


◆3日目 11月25日(水)

9:00〜12:00 エクスカーション:セイコー時計資料館(東京都墨田区東向島3-9-7)
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆国際交流

2009年11月22日

京洛逍遙(113)結婚記念に「京都の秋 音楽祭」へ

 京都コンサートホールを会場にして開催されていた「第13回 京都の秋 音楽祭」も、今日が最終日でした。
 平成21年9月13日(日)から11月22日(日)までの2ヶ月以上にわたり、全部で15公演が行われました。

 会期半ばに「京都市交響楽団第529回定期演奏会」を聴きに行った時のことは、過日の「音楽の異版・ブルックナーを聴く」で書きました。井上道義氏の指揮によるブルックナー「交響曲第9番」は印象的でした。

 今日の最終日は、「クロージング・コンサート」と銘打って、音楽祭を締めくくるための6時間にも及ぶマラソンコンサートでした。私は、第5部と第6部を聴きに行きました。

指揮:山下一史
管弦楽:京都市交響楽団
メンデルスゾーン:劇音楽「夏の夜の夢」より 抜粋(序曲・夜想曲・結婚行進曲)
メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 「スコットランド」作品56



 山下氏は、カラヤンのアシスタントを務め、カラヤンが急病になった時にジーンズ姿で代役をこなしたことで話題となった方だそうです。
 とても元気な指揮ぶりでした。

 私も今月で結婚35年目を迎えることとなりました。妻と記念にと思って行ったところ、結婚行進曲が演奏されたのには驚きました。私たちにとって、思いがけない記念曲となりました。

 ドリンク付きのチケットだったので、休憩時間に私は赤ワインを、妻は白ワインをロビーで飲みました。これまた、突然のお祝いの乾杯です。
 加えて、今日は11月22日で「いい夫婦の日」だそうです。偶然が重なっただけの1日ですが、こんな日もあるものです。

 演奏の後のアンコールでは、京都コンサートホールご自慢のパイプオルガンが加わる、というサービスでした。一度聴いたみたかった音色です。しかし、オーケストラの音に紛れるように聞こえ、正面階上で弾く方の動きで鳴っていることがわかる程度でした。少し残念でした。この次を楽しみにします。

 満席の会場の拍手は、この催しの大成功を物語るものだったと思います。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

2009年11月21日

京洛逍遙(112)大徳寺「龍源院」の石庭

 紫野にある大徳寺は、臨済宗のお寺です。たくさんある塔頭の中でも、龍源院は最も古い寺です。
 我が家は、禅宗でも曹洞宗の家ということになっています。偶然ですが、妻の実家も曹洞宗で、歴史に詳しかった義母とは、その奇縁に話が弾んだものでした。
 その入口は、こんな感じです。大徳寺の境内に入ってすぐの塔頭なので、わかりやすいところにあります。
 
 
091121ryougenin1
 
 
 
 禅宗の庭は、観る者が自分なりに感得するものです。
 私は、小さい頃からお茶室に馴染んでいたせいか、禅寺や庭園によく連れて行かれました。その中でも、石庭は気持ちが引き締まるので、好きなところでした。

 龍源院の庭は、こぢんまりとしているので、龍安寺の石庭のように解釈を迫るような圧迫感がありません。

 入ってすぐの庫裡の前にある小さな庭は、日本で一番小さい石庭の「東滴壺」という壺庭だそうです。
 
 
 
091121ryougenin2
 
 
 
 我が家の壺庭は苔の庭です。このように石を配すると、家の雰囲気もガラッと変わりそうです。品が出るように思います。
 しかし、日常の生活の中にあると、これは緊張を強いるので疲れるかもしれません。苔の庭の方が、何となく落ち着けるのではないでしょうか。

 石庭は、自分の日々の世界にあるものではなくて、出向いて行って観、鑑賞する中で自分を見つめる庭のように思います。

 方丈の前の庭は、「一枝坦」(いっしだん)と言います。ここには、「楊貴妃」という山茶花があったそうです。しかし、昭和55年に枯れてしまったのだとか…。惜しいことをしました。
 庭には、蓬莱山と鶴島・亀島が配置されています。
 
 
 
091121ryougenin3
 
 
 
 方丈の裏には、「竜吟庭」があります。
 こちらは、苔の庭です。私は、この方が落ち着きます。須弥山形式の枯山水の庭園です。
 
 
 
091121ryougenin4
 
 
 
 帰りに、書院から「滹陀(本来は氵)底」(こだてい)を観ました。阿吽(あうん)の石庭といわれ、阿と吽の基礎石は、聚楽第にあったものだとも言われているものです。
 
 
 
091121ryougenin5
 
 
 
 これは、阿の石です。

 龍源院は、身構えなくてもいられる空間です。フラリと入れるところです。
 ただし、紅葉を楽しむところではないので、今度は春に来てみたいと思います。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

2009年11月20日

谷崎全集読過(1)「刺青」

 『谷崎潤一郎全集』(新書版、全30巻、昭和33年発行、中央公論社)を、第1巻から収録されている順番に作品を読み通していきたいと思います。

 まずは、谷崎潤一郎の処女小説「刺青」です。
 発表は戯曲「誕生」の方が先ですが、一般的には「刺青」を処女作としています。

 刺青師清吉の宿願は、美女の肌に己の魂を彫り込むことでした。
 ある夏の夕方、深川の料理屋平清のあたりで、1人の娘を見かけます。その娘の足に惹かれ、やがて麻酔剤を使って眠らせ、針を刺していきます。
 明らかな犯罪です。しかし、谷崎はそこに美しさを求める職人の魂を語ろうとします。
 この文章には、鬼気迫るものがあります。作者の、書きたいことを、みごとに圧縮したものとなっています。

 理屈っぽくて、物語展開には無理が見えます。しかし、その後の一見異常とも言える精神世界を追求して見せる谷崎の、いわばスタートとなる作品です。【3】
 
 
 
■初出誌︰「新思潮」明治43年11月号
 
■映像化(『Wikipedia』参照)
[テレビドラマ](未確認)
 テレビ東京「月曜・女のサスペンス」にて「文豪シリーズ」の一編として放映された。
 谷崎の短編「秘密」とストーリーをドッキングしている。
 監督:松井稔
 脚本:新藤兼人
 キャスト︰夏樹陽子
      乙羽信子
      殿山泰司

[映画](未確認)
(1)刺青
  1966年公開。大映製作。
  監督:増村保造
  脚本:新藤兼人
  キャスト︰お艶=若尾文子
       刺青師清吉=山本学

(2)刺青
  1984年公開。にっかつ製作。現代劇に翻案。
  監督:曽根中生
  脚本:那須真知子
  キャスト︰石原麻美=伊藤咲子
       神崎典子=沢田和美

(3)刺青 SI-SEI
  2005年公開。アートポート製作。現代劇に翻案。
  監督:佐藤寿保
  脚本:夢野史郎
  キャスト︰雨宮美妙=吉井怜

(4)刺青 堕ちた女郎蜘蛛
  2007年公開。アートポート製作。現代劇に翻案。
  監督:瀬々敬久
  脚本:井土紀州
  キャスト︰寺本アサミ=川島令美

(5)刺青 背負う女
  2009年6月6日公開。
  監督:堀江慶
  脚本:山村一間・堀江慶
  キャスト︰佐倉真由美=井上美琴

(6)刺青 匂ひ月のごとく
  2009年6月27日公開。
  監督:三島有紀子
  脚本:国井桂
  キャスト︰藤堂葉月=井村空美
       藤堂陽花=さとう珠緒
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 谷崎全集読過

2009年11月19日

【復元】『坂の上の雲』は小説というよりも物語

 来週から、司馬遼太郎の『坂の上の雲』がドラマとして毎週放映されるそうです。全5回とか。
 書店には、この作品に関連する書籍がたくさん積まれています。
 私は、NHKの大河ドラマかと思っていましたが、どうやらそうではないようです。

 今から3年半前の2006年4月9日に、「小説というよりも物語」と題するブログを公開しました。副題は「『坂の上の雲』の小説手法」でした。
 ただし、その記事はサーバーがクラッシュしたために、今ではもう読めなくなっています。
 過去の記事ですが、私にとっては大事な記録の一つなので、手元の資料をもとにして復元しました。

 仕掛けられたブームの隙間を埋めるものとして、以下に掲載します。
 
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』(全8冊、文春文庫)を読み終わりました。
 昨年末に買った本のはずなので、4ヶ月がかりで読んだことになります。年度末の多忙な時期に、それも海外出張が続いた頃、新幹線の中で読み耽りました。本当におもしろい作品でした。日露戦争前後の、明治という時代の人々の、今は失ったとしか言いようのない心意気を体感しました。
 
 
 
1144514249_1文庫本の表紙
 
 
 
 伊井春樹先生とご一緒に国際会議に出席するために大連へ行ったのは、もう2年も前(2004年)の夏のことです。
 幸運にも、外交特権車で旅順を案内してもらいました。警察の車の先導で、普段は観光客が入れない所へも行きました。日露戦争についてはほとんど知識を持っていなかった私には、今から思えば、本当にもったいない旅でした。伊井先生は愛媛県のご出身だけあって、精力的に調査収集をなさっていました。
 あの頃、私がこの『坂の上の雲』を読んでいたら、と返す返すも悔やまれます。
 『坂の上の雲』の登場人物は、秋山好古・真之兄弟をはじめとして、正岡子規などなど、愛媛の男たちなのです。先生の思い入れも、『坂の上の雲』を読んだ今にして思えば納得です。

 次の写真は、明治38年(1905)に、降伏したロシア軍司令官のステッセルと乃木希典が会見した、旅順の水師営会見所へ行った折に、その中で、お土産用の絵文字を書いてもらっているところです。
 
 
 
1144514249_2水師営会見所で
 
 
 
 『坂の上の雲』は、小説の枠をはみ出した物語です。スーケールの大きな物語です。
 筆者は、「あとがき」で、次のように言います。(文庫版第8巻の「あとがき集」から引きます。)

小説がもっている形式や形態の無定義、非定型ということに安心を置いてこのながい作品を書きはじめた。
 (中略)どれほどの分量のものになるか、いま、予測しにくい。
(309頁、313頁)


 何と、これが本当ならば、大胆な執筆進行ということになります。歴史の中の人間を記述する物語の場合は、綿密な計画に基づく構成よりも、事実に語らせることを大事にするほうがいいのでしょう。文中でも、「これはすでに述べた。」という表現が散見しました。描写が行ったり来たりするのは、こうしたことが理由のようです。

この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい。ひとつは事実に拘束されることが百パーセントにちかいからであり、いまひとつは、この作品の書き手―私のことだ―はどうにも小説にならない主題を選んでしまっている。(330頁)


日露戦争を接点にして当時の日本人というものの能力を考えてみたいというのがこの作品の主題がだ、こういう主題ではやはり小説にはなりにくく、なりにくいままで小説が進行している。(331頁)


 これだけスケールの大きな物語となると、私も含めて、当然、資料収集などでの協力者の腕のよさを忖度します。しかし、そうではないことを、著者自身が次のように語っています。

この作品世界の取材方法についてだが、あれはぜんぶ御自分でお調べになるのですか、と人に問われることがあって、唖然としたことがある。(359頁)


 これに続く文で、著者は自分の書き方を披露していますが、これには頭が下がります。とにかく、膨大な資料を読み解いての文章なので、協力者を想定したくなるのです。

 また、著者は、折を見て原稿に手を入れることによって、よりよいものにしようとする姿勢が顕著です。原稿を訂正する労を厭わないのです。この姿勢には敬服します。

新聞連載であることが、多少は幸いした。連載中に誤りを指摘されることがあれば、本になるときに訂正できたからである。本になってからも、気がついたところは訂正した。全集の形になってからもそれを繰り返した。いずれも軽微な誤りで、その点、安堵していたところ、やがて重大な誤りがあることに気づいた。その訂正を、とりあえずこの月報でしておきたい。(369頁)


 とにかく、読んでよかった本でした。読むのが遅過ぎたことを後悔させる本でした。
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書雑記

2009年11月18日

再録(7)続・雷の悪戯〈1997.8.17〉

 この記事は、今から12年前の話です。
 2009年10月28日にとりあげた、「再録(6)文明の利器と雷の悪戯〈1997.8.8〉」の続編です。
 
 
 
********************** 以下、再録掲載 **********************
 
 
またもや落雷で電話が壊れる〈続編〉(1997.8.17)

 8月14日(木)19時頃のことです。30分前からの大雨と雷で、またもやISDNのターミナルアダプタ(AtermIT45DSU/PC-IT45D1、NEC)が壊れました。一週間前の7日(木)に、完動品と交換してもらったばかりなのにです。今回も、雷が鳴り出してからパソコンは切りましたが、ターミナルアダプタの電源は切りませんでした。どうなるのかを見たかったからでもあります。

 ものすごい雷鳴がするやいなや、モニタとターミナルアダプタの中間あたりから「バチッ」という鋭い音と共に、部屋に閃光が飛びました。すぐ目の前で鮮やかな火花が散ったのです。まさかとは思いながら内心は待っていただけに、あまりに予期した通りの出来事に我が目を疑いました。ターミナルアダプタの5個のランプは、すべて点灯したままです。電話は使えなくなっていました。よくぞ、火事にならなかったものです。恐ろしい光景でした。

 発火地点がモニタの近くだったので、最初はモニタが壊れたと思いました。以前、MAGという会社のモニタが、バチバチと火花を散らして壊れたことがあったからです。すぐにパソコンのスイッチを入れたところ、モニタは2台共に大丈夫だったので、ホッとしました。

 またもや、わが家だけに落雷したようなので、お隣の電話を借りてNTTやNECへ連絡を取ろうとしました。当然のことながら、営業終了のメッセージだけが無機的に流れるのを、耳を澄まして無為に聞くだけでした。明朝まで、電話もインターネットも使えないのです。

 翌日、NECに連絡をし、また壊れた機器を持参することになりました。さらにNTTにも電話で事情を説明したところ、過電流の経路は、電話線とも電灯線とも決めかねるとのことでした。NTTから電話回線のテスト確認をしてもらったところ、わが家の電話は断線になっているそうです。NECでターミナルアダプタをまた新しいものに交換してもらってから、改めてNTTに連絡することにしました。

 NECでは、80分ほど待たされてから、チェック済みの完動品を受け取りました。今回も無料でした。私は助かりますが、本当にこれでいいのでしょうか。待ち時間に、NTTへ今後の相談をしました。落雷があってもよいように、近所と同じ一般のアナログ回線を追加加入したいと申し出ました。それに対してNTTの説明では、ISDNだから雷に弱いということはなく、一般のアナログ回線の電話でも同じだとのこと。この前の7日の時も、デジタルもアナログも共に落雷でたくさん使えなくなったそうです。話の中で、アースをしっかりと取ることを奨められました。面倒なので、アースはしていませんでした。また、携帯電話は落雷に関係なく使えるとのことでした。しかし、携帯電話は、電磁波による身体への悪影響があると思われるので、これまでも私は使うことを極度に避けてきました。これからも、携帯電話が身体に安全であるということが判明するまでは、使わないつもりです。

 帰宅したところ、NTTの人が丁度来てくださったところでした。一緒に部屋へ入ってもらい、ターミナルアダプタの再設置に付き合ってもらいました。電話はすぐに使えました。NTTへ連絡をしてもらい、回線チェックもOKとなりました。先月、わが家のリフォームにともない、電話線を引き直してもらっていました。そこで、工事をしてもらった電話線も確認してもらいました。引き込み線の所の安全装置も異常なしでした。原因は、電気のコンセントから落雷による高圧電流が流れたようです。それにしても、なぜ電話機器だけが壊れ、それも、よりによってわが家だけがこの一週間に二回も落雷を受けたのでしょうか。近所はどこも被害がないのです。電灯線や電話線の配線具合を見てもらったのですが、特に他の家と違うところはないとのことでした。ますます腑に落ちません。NTTの人のいわく、

「雷さんに聞くしかないですな。」

 電話は使えるようになったのですが、インターネットが使えません。パソコンからの設定をいろいろと試みている内に、ようやく先程、4日ぶりにパソコン通信ができるようになりました。もっとも、モデムポートが壊れているようで、使えなくなっています。プリンタポートを使って通信をすることになりました。通信ができるようになったのだから、どちらでもいいとはいえ、何かすっきりしません。不可解なことがやけに多い、困った日々です (@_@)

 木曜日になるとゴロ・ピカロドンが私の部屋に遊びに来るようです。一応、念のために「雷ガード」という電気のコンセントに取り付けるパーツを大量に仕入れてきました。魔除けのつもりで、至る所の電気のさし込み口に付けました。この次の木曜日(21日)にもやって来るのでしょうか。かわいげのない「招かれざる客」の来訪を、楽しみにして待つことにしましょう。もし、また来たら、今度は「サンリオ」に相談を持ちかけることにします。
 
 
 
********************** 以下、再録掲載 **********************
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆情報化社会

2009年11月17日

井上靖卒読(101)『敦煌』

 進士の試験の直前に居眠りをして受験できなかった趙行徳は、市で売られていた西夏の女を助けます。そして、お礼に不思議な文字を記した布をもらうことになりました。その文字が読めず、その文字に興味を持ったことから、行徳の新たな人生が展開するのです。

 西夏の漢人部隊に潜り込んだ行徳は、西夏文字がわかる者を探します。しかし、結局は自分が興慶へ西夏文字を学びに行くことになります。
 その興慶では、漢字の使用は禁止されていました。近年作られた西夏自国の文字だけが強要されていたのです。
 文字の持つ力が、物語の大きな推進力となって展開していきます。

 行徳は、1年半かかって、6千字の西夏文字と漢字の対照表を作る仕事に没頭します。西夏文字を作った漢人が亡くなったからです。この対照表は、後に学校のテキストになっています。
 さらには、行徳は経典を西夏語に翻訳することを提案したりします。

 そのような物語展開の中で、王族の女がしていた月光玉の首飾りをめぐる話は、物語をおもしろくしていきます。三人の男の、首飾りをめぐる駆け引きとなっていくのです。
 その女も、行徳が帰ってくるのが遅かったこともあり、自殺するのでした。

 物語の後半になり、西夏軍に攻められ、王城を捨てなければいけない時、避難しようとしない青年僧の次のことばは記憶に残ります。

「自分たちの読んだ経巻の数は知れたものだ。読まないものがいっぱいある。まだ開けてさえ見ない経巻は無数にある。−俺たちは読みたいのだ。」(新潮文庫、192頁)


 その命を惜しまぬ知識欲には、感動を覚えます。

 戦が終わり、大夏ができたのが1038年です。
 日本では、平安時代後期です。藤原公任がまだ生きていて、『更級日記』のできる前です。
 同じ時代とは言っても、このような動乱の中を生き抜く人間を描けたのは、井上靖の筆の力でもあります。

 歴史の中における人間という存在がいかに偉大であるかということと、それにしてもその小ささが、この物語から伝わって来ました。その人間が作り上げた文字というものが伝えるすばらしい活力も、この作品を通して感じることができました。

 この小説は、かつて私が勤務していた高校の授業で取り上げたことがあります。
 ちょうど、奈良でシルクロード博覧会が開催された年でした。1988年4月23日から10月23日まで、奈良公園を舞台にして開催されました。井上靖は、この奈良シルクロード博覧会の総合プロデューサーを務めました。
 勤務校の高校1年生を対象に、いくつかの教科と連携して、シルクロードに関するテーマの元に授業を展開しました。文化祭もそれをテーマとしたものを取り上げました。
 そして、現代国語ではこの『敦煌』の文庫本を全員に購入させ、設定したテーマに関する箇所を全クラスで読み進めました。大きな成果が上がった取り組みだったと思います。
 今回、その時のテキストに使った新潮文庫で読みました。いろいろなメモが残されており、楽しく読み進められました。特に、月光が設定された場面は、改めて興味を持ちました。いつか、このことをまとめられたら、と思っています。【5】


初出誌︰群像
連載期間︰1959年1月号〜5月号
備考︰1960年『毎日芸術大賞』受賞
 
 
新潮文庫︰敦煌
井上靖小説全集15︰天平の甍・敦煌
井上靖全集12︰長篇5
 
 
映画の題名︰敦煌
制作︰東宝
監督︰佐藤純彌
封切年月︰昭和62年3月
主演俳優︰佐藤浩市、西田敏行

 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 井上靖卒読

2009年11月16日

京洛逍遙(111)禅寺の閑臥庵

 賀茂川や北山がピンク色に染まっていました。夕景の京洛も多彩な表情を持っています。
 
 
 
091024kamoyuyake
 
 
 
 川沿いの道をウォーキングした後、出雲路橋から鞍馬口にかけてブラブラしました。
 以前からあったことは知っていましたが、夕刻のライトアップの雰囲気に誘われ、つい気になっていた禅寺に脚を留めました。閑臥庵というお寺です。山門が特徴的な、黄檗宗の禅寺です。
 
 
 
091024kangaan1
 
 
 
091024kangaan2
 
 
 
 お寺のいわれによると、宇治にある隠元さんの萬福寺管長が開山となった、とあります。寺名は、江戸時代の後水尾法皇による命名です。
 祀られている北辰鎮宅霊符神は、陰陽道最高の神だとも。
 陰陽師として知られる安倍晴明開眼にかかる霊符神像を祀ったお寺ということで、知らないことだらけのお寺にお参りしたことになりました。
 陰陽道のシンボルである五芒星(晴明九字)が、石炉や狛犬に刻まれているそうなので、また明るい時に来てみます。
 京洛を逍遙する楽しさが、こうした偶然の出会いの中にあります。

 京懐石の普茶料理がありました。予約が必要なので、また戴きに立ち寄ってみましょう。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

2009年11月15日

源氏文論尚友(3)「『潤一カ新訳 源氏物語』草稿」

 最近、『谷崎潤一郎全集』(全30巻、新書版、昭和32〜34年)を娘にオークションで落札してもらい、無事に入手しました。

 谷崎潤一郎は、私が『源氏物語』に興味を持つきっかけとなった作家です。
 高校生から大学生にかけて、そのすべてを読みました。しかし、今は、そのほとんどを忘れています。
 もう一度読み直そうと思って、電車の中でも読めるようにと、新書版の全集を探していました。

 そんな時、井上靖の「中国行軍日記」が公開され、その中で、昭和13年の二月六日(日)に「蘆刈」を、二月七日(月)に「吉野葛」を読んでいることが記されていました。
 本ブログ「井上靖卒読(100)新発見「中国行軍日記」に見る夫婦愛」で紹介した通りです。

 すぐに娘にメールを出し、オークションでの落札を頼み、間もなく数千円で落札となり、昨日入手しました。
 『谷崎潤一郎全集』の第19巻の付録3(月報)に、井上靖の「「盲目物語」と「蘆刈」」というエッセイが掲載されていました。ただし、この件についての詳細は後日としましょう。
 昨日、國學院大學であった『源氏物語』に関する研究会で一緒だった田坂憲二さんも、この件については一家言あることでしょうから、機会を改めます。

 今は、谷崎潤一郎の旧訳源氏から新訳源氏におけることでした。

 大津直子さんが、『國學院雑誌』(平成21年8月)にすばらしい報告をしています。
 タイトルが長いので、紹介に手間取ります。

 「國學院大學蔵『潤一カ新訳 源氏物語』草稿 山田孝雄書き入れ旧訳本 本文加筆箇所対照表」

 これは、昭和14年に刊行が開始された谷崎の旧訳源氏の実態と舞台裏を知るための、貴重な調査報告となっています。49頁にもわたる、精力的な調査の成果です。
 谷崎の旧訳は、『源氏物語』の原文からは、たくさんの削除がなされています。これは、戦時中という時局の影響が大きいものです。

 この問題に、大津さんは國學院大學に新たに収蔵された『潤一カ新訳 源氏物語』の草稿を精査することにより、新訳で新たに訳された表現や文脈がわかりやすいように、『源氏物語』の原文と対照させて一覧表を作成して公表してくれたのです。

 ここには、新たに加わった玉上琢彌の手が入っています。新訳での加筆箇所は、460箇所だそうです。とくに、玉上琢彌の細やかな書き入れ注は注目されます。しかし、これは錯綜していることを理由に、今回は割愛されています。今後の調査研究が待たれるところです。

 ちょうど、今月11月7日に開催された国文学研究資料館における「平安文学における場面生成研究」プロジェクトでの研究会で、「物語音読論再考」というテーマのもとで討論がなされました。
 その時の基調報告者の一人であった静岡大学の松岡智之さんが、「物語音読論生成の周辺」と題する発表の中で、玉上琢彌の物語音読論は谷崎潤一郎からの影響があったのでは、との内容の報告をされました。
 質疑応答の場で、私は大津直子さんの上記の報告があることを紹介しました。

 私は、読書感想文のような論文形式の研究発表は、敬して遠ざけています。
 この大津さんのような、文献をしっかりと見据えた研究は、それが報告に留まるものであっても、今後とも有益な研究に直結するものなので、これを高く評価しています。
 個人の発想による新鮮な発言も刺激的ですが、こうした地道な調査の報告には、より一層の意義深いものがあります。

 若者は奇を衒わずに、コツコツと調査した成果を、どんどん公表してほしいものです。
 大津さんにも、今後の調査を期待したいと思います。特に、山田孝雄と共に、玉上琢彌の役割の解明も、大切なことですから。

 実は、大津さんは、私の仕事の一部を手伝ってくれたことがあります。
 また、室伏信助先生の國學院大學での授業に私が参加していた時にも、大学院生として講義を受けていた大津さんの手帳には、ビッシリとメモが記されていたことを覚えています。非常に勉強熱心なので、感心しました。

 若い人が勉強している姿は、本当に頼もしい限りです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2009年11月14日

【復元】古都散策(2)唐招提寺

 かつて、「たたみこも平群の里から」と題するブログから、さまざまな情報発信をしていました。しかし、契約していたサーバーがクラッシュし、そのすべてがなくなってしまいました。
 いろいろと多彩な記事があったこともあり、折を見て手元の控えをもとに復元して再掲載します。これも、その一つです。

 この記事は、「初夏の散策(2)唐招提寺」として、2006年5月4日に公開したものです。「鑑真ゆかりの瓊花(けいか)咲く」という副題がついていました。

 過日、落慶法要の日に行った時、入口で受け取った小さな案内記は、3年半前と同じものでした。末尾が少し違うだけのものでした。懐かしい想いで、目を通しました。その理由は、以下に記してある事情によるものです。

********************** 以下、復元掲載 **********************

 唐招提寺といえば、井上靖の『天平の甍』が有名でしょうか。しかし、私がこの寺ですぐに思い至るのは、松本清張の『球形の荒野』です。西の京を訪ねた芦村節子が唐招提寺で、今は亡き叔父の筆跡を芳名帳に見かけたことから、この物語は始まります。国際外交を背景にした異色推理物語です。奈良が、京都が、物語の舞台として巧みに配されています。冒頭の唐招提寺は、特に印象に残っています。この物語を読んでいて、井上靖の作品のような気にさせられた記憶があります。いつもの清張とは違う、古都奈良に対する愛情が感じられた作品に仕上がっていたように思われます。

 さて、この唐招提寺は我が家から車で30分です。今回は、唐招提寺のお向かいにある薬師寺は門前を素通りさせてもらうだけにしました。

 唐招提寺は、平成12年より金堂の大修理に入っています。金堂をスッポリと覆う工事の大屋根は、拝観を躊躇させます。
 
 
 
1146717589_1
 
 
 
 しかし、入口の案内に「瓊花」が咲いているとあったので、入ることにしました。受付で拝観券と一緒にもらった小さな案内記は、写真も何もない、表に伽藍配置図のイラストがあるだけの簡素なものでした。B5版を2つに折ったもので、大半の方は読まずに思い出の品物の1つとなるだけのものでしょう。
 
 
 
1146717589_2
 
 
 
 しかし、その中に記された文章は、とても味わい深いものでした。

「ここは奈良市五条町。奈良の郊外といった感じだが、都が奈良にあった千二百年前は平城京右京五条二坊に当り、いわば首都の中心街区であった。」

と始まります。格調高くお寺を紹介した後、終わりの方では読む人への心配りが記されています。

「以上は拝観者のみなさんの比較的たやすく目に触れ得るものについて概説した。それも近来の旅行形態に鑑み、当山内での所要時間を一、二時間と見込んでの案内であってみれば、もとより委曲をつくすこともできぬのはけだし止むを得ぬ。」

 なかなかいい文章です。唐招提寺にお越しになった折には、文字だけのペラペラの紙1枚ですが、受付で受け取っても読まずにそのまま、というのではなくて、丁寧にお読みになることをお勧めします。これは、どなたがお書きになったのでしょうか。心の籠った温かい解説がなされていて、感心しました。
 そこで、何事もつい調べたくなる癖が、翌日、電話を取らせました。唐招提寺の寺務所にお電話をして、このリーフレットのことをお尋ねしたところ、すぐに「松本楢重さんですわ。」という答えが返ってきました。「お寺の現状と違うことも書かれていますが……」という電話口の方の言い訳は、この文章のことで何か苦情を言ってきたのか、と勘違いされたのかもしれません。「いい文章なので、どなたがお書きになったものなのか知りたくなりまして……」というと、安心されたのか「ありがとうございます」と言って、少し詳しく話してくださいました。
 松本さんはもうお亡くなりになっているそうです。奈良のことをよく調べておられ、歴史的なものについてよく書いておられたとのことでした。唐招提寺とは特に縁のある方ではないそうです。
 突然の電話にもかかわらず、すぐにこの文章を書いた方の名前を教えてくださるとは、このことがよく質問されるのか、寺内ではよく知られたことなのか、いずれにしても素晴らしいことだと感嘆しきりのできごとでした。

 さて、唐招提寺の入口である南大門を入った正面、修理中の金堂の中でビデオを見た後、境内を散策し、お目当ての瓊花を堪能しました。
 
 
 
1146717589_4
 
 
 
 花の番人らしき方の話では、今年は、花の咲くのが例年よりも遅いのだそうです。貴重なものを見る機会を得たことに感謝しました。

 奥まったところにある鑑真和上御廟の前にも、瓊花が植えてありました。これは、その横の石碑に「中華人民共和国首相 趙紫陽首相閣下手植瓊花」(王+京)とありました。
 
 
 
1146717589_5
 
 
 
 日中友好のための話題として、記憶に留めたいと思いました。

 新宝蔵では、贅沢なまでの国宝や重要文化財を見ました。特に、金堂の屋根にあがっていた2体の鴟尾は圧巻でした。まさに、天平の甍を実感させてくれます。西方にあったものは1200年前の創建当時の奈良時代のもので、東方のものは鎌倉時代のものだそうです。東方の鴟尾には、文章が刻まれていました。その文字が今でも読めることに感動しました。

 唐招提寺を出てすぐの、西の京駅に隣接する「がんこ一徹長屋」にも立ち寄りました。こだわりの職人が作る逸品を手にして見、買うこともできます。しかし、この一角に脚を踏み入れるのに入場料が500円とは、何か勘違いをしておられるように思われます。これでは、人は入口で引き返しますし、入った私もスッキリしません。ただし、敷地内の「墨の資料館」の入館料も含むとのことなので、それならと思いますが、それならいっそのこと別にすべきでしょう。「墨の資料館」で、奈良の伝統的な墨が出来る工程を見られたことは、いい勉強になりました。実演もありましたが、長屋も資料館も、来訪者への思いやりがありません。建物は綺麗なのですが、片づけられていません。説明が不親切です。もったいない施設だと思いました。匠の頑固さはいいのですが、来た人は何となく不満を抱いて帰ることになるのではないでしょうか。
 唐招提寺での充実した時を持ち込んでの感想ではなくて、ごくあたり前に再訪を抱かせる場所となるように工夫し、努力してほしいものです。

 春の連休が長いせいでもあるのでしょうか、この日の人出は非常に少ないように感じられました。
 連休の最初のせいか、交通情報でも渋滞は少ないようでした。四月末日の穏やかな半日となりました。

********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 古都散策

2009年11月13日

古都散策(30)『天平の甍』の文学碑

 唐招提寺の境内の北東奥に、開基である鑑真和上の御廟があります。
 
 
 
091103tousyoudaiji5
 
 
 
 その左横の木立の中に、「天平の甍」と彫られた文学碑があることを、まったく知りませんでした。過日の落慶法要の折に気づきました。
 
 
 
091103tousyoudaiji6
 
 
 
 このどっしりとした石は、生駒石というものだそうです。

 碑があることがわかってみると、それも当然のことだと納得できます。
 次回の「古都散策」で、3年半前にサーバーのクラッシュで消失した「鑑真ゆかりの瓊花(けいか)咲く」を再掲するつもりです。その時にも、唐招提寺は松本清張の『球形の荒野』に引きつけて見ていました。

 さて、その『天平の甍』文学碑は平成8年5月25日に建立されたもので、安藤更生と井上靖の業績を記念する碑となっています。2人に関するものとなっているのは、その碑文によってわかります。

 表面には、井上靖直筆の「天平の甍」と「井上靖」という文字だけです。
 裏面には、遠藤證圓大僧正の揮毫になる、以下の文が刻まれています。



千載の昔 淡海三船元開撰述の

『唐大和上東征傳』あり

早稲田大学教授安藤更正博士

『鑑真和上傳之研究』著す

作家井上靖氏その教示を得て

小説『天平の甍』を世に贈る

大和上の行實巷間に広まるは

両氏の功大なり




 帰りに、「天平香 瓊花」を求めました。「瓊花」については、次回の再掲ブログでその写真を掲載します。
 立川では、折々にお香を焚いています。
 これまでは、法隆寺の「沈香」を焚いていました。
 
 
 
091103tousyoudaiji8
 
 
 
 これからは、この唐招提寺の「瓊花」も楽しむことにします。
 
 
 
091103tousyoudaiji9
 
 
 
 お香を焚く道具の下敷は、米子の井上靖靖記念館の売店で購入したものです。
 期せずして、鑑真と井上靖の対面となりました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 古都散策

2009年11月12日

映画「沈まぬ太陽」

 観て良かった、と思える映画です。
 渡辺謙はもちろんですが、三浦友和の憎まれ役がうまかったと思います。

 我慢して生きる男と、我慢して生きる妻が、気持ちを一つにする場面がありました。
 その男は、娘の婚約の席を蹴って飛び出します。それを追ってきた妻と、お互いが「我慢」して生きて来たことを認め合い、手をつないで家に戻るシーンです。この場面が、一番印象に残りました。自分と重ね合わせて観たせいでしょう。

 この映画を製作するにあたっては、その背後にうずまく政界や航空業界そして組合や遺族交渉などなど、さまざまな生々しい問題があったことでしょう。
 世相を無視しては完成させられないテーマです。しかし、今という厳しい世相が、この映画を後押しする形で完成したとも言えそうです。JALが揉めているドサクサだったからこそ、と言っては失礼でしょうか。

 現実と向き合う物語であり、現実の社会と交錯する映画です。
 このあたりを、映画を観ながら考えてしまいました。

 めずらしく、もう一度観たい映画を観ました。
 ただし、途中休憩の10分を挟んで、3時間半の長編であることから、もう観る機会はないかもしれませんが。
posted by genjiito at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2009年11月11日

井上靖卒読(100)新発見「中国行軍日記」に見る夫婦愛

 井上靖の戦争体験を綴った日記が公開されました。

 『新潮』(2009年12月号)に掲載された「新発見 井上靖 中国行軍日記 昭和十二年八月二十五日−−昭和十三年三月七日 (解説 曾根博義)」を読むと、若き日の井上靖の姿が見えてきます。それも、体調を崩し、弱気で、羊羹を求める姿に、大きな衝撃を受けました。

 「中国行軍日記」という名称は、公開にあたって新たに付けられたものです。
 また、手帳には漢字カタカナの横書きで記されていたものを、ひらがな交じりの縦書きにしての公開です。

 井上靖は、自らの戦争体験を語ることはあまりありませんでした。
 昨年、2008年10月に、妻ふみさんが98歳でお亡くなりになりました。その一周忌を済ませたことを機に、遺品として大切にされていた日記を、今回公開されたのです。
 平成3年に井上靖が亡くなりました。自宅に残された多くの遺品のすべては、その遺志もあって神奈川近代文学館に寄贈されました。しかし、この手帳だけは、ふみさんの手元に留め置かれていたのです。それを家族が見つけ、そして今回の公表となったのです。

 この日記の中で、妻ふみさんに関する記事と、創作活動に関するものを、以下に抄出しておきます。

 1年9ヶ月前に結婚し、1歳の娘のことを思う満30歳の井上靖の、戦地中国で認めた日記なのです。
 つらい外地・中国での暮らしの中で、妻ふみさんは、井上靖が日記を書くという行為の中で、いつも語りかける存在だったようです。柔道で鍛えたはずの体と心を持っていた井上靖でした。しかし、思うようにならない体調不良で不甲斐ない日々の中、語りかけることのできる妻の存在は、井上靖にとっては大きな支えとなっていたのです。

 私は、この手帳に記された日記から、すばらしい夫婦のありようを読み取りました。思いやりに満ちた、心優しい2人の姿が、行間から伝わって来ます。

 この日記は、文学作品として書かれたものではありません。しかし、毎日の出来事や想いが素直に記されているので、結果的には独白の文芸作品になっている、と見てもいいのではないでしょうか。巧まざる井上靖の真のことばで、状況や心情が真摯に綴られているからです。



■昭和12年■

・八月二十五日(木)

ふみから九時頃電話、召集令状。
 ※手帳の冒頭の一節。感情を見せない書きぶりである。

・八月二十九日(日)

母、ふみ、幾世と四人で九時半のかもめで湯ヶ島へ。
 ※伊豆の親戚へ、従軍することの報告の旅。

・八月三十日(月)

母、はま子、達、ふみ、幾世と湯本館へ。
 ※家族で温泉へ。新婚2年目の井上靖夫妻。

・八月三十一日(火)

京都の母、ふみ等、・・・葵沢の見物。
 ※家族で観光見物。家族の温かさの伝わるメモとなっている。

・九月十五日(水)

京都へ電話をかける、ふみでる。米原着汽車の時刻など報せる。
 ※入隊後、名古屋から広島へ移動する途中で家族と会うための連絡をする。ふみはいつも井上靖の身近にいる。この状況は、『星と祭』の中において、琵琶湖で行方不明になった娘の捜索のことで別れた妻に電話をする場面を思い出させる。

・九月十六日(木)

父とふみ、米原より一緒。
 ※米原から京都までの道中を義父と妻が同乗。車中での会話は物語になりそうだ。しかし、井上靖はそれを作品にはしていない。その後、広島から門司を経て釜山へ上陸。

・十月九日(土)

懐中電灯でこれをしたゝめ十時ねむる。仰向けにねても今日は星なし。ふみよ、砂は二寸ぐらい。
 ※盧溝橋の南にある松林店で。歩くのがやっとの状態で。砂が積もっている中を強行軍。孤独になった靖は、見つめ続けるしかなかった足下のことを妻に語りかける。

・十月十四日(木)

どうしてもそれまでは頑張らねばならぬ、あゝふみよ! 伊豆の両親よ、幾世よ!
 ※軍隊の辛さが身に沁みる中で、妻、両親、娘に語りかける。

・十月十七日(日)

あゝ! 満月近い月影をふんで八時バラツクの駅の傍に到着。
 ※外地で月影を踏む。つらい気持ちを状況で記す。

・十月十八日(月)

この先が危ぶまれ、ふみと幾世のことを思ひ、悲痛な気持ちになる。(中略)今日も夜に入つてからは満月に近い月影を踏んで歩いた。時々砲声聞ゆ。
 ※体の不調がひどくなり、悲観的になっている。

・十月二十日(水)

満月、久しぶりで月を仰ぐ、北支の月もまた美し。
 ※少し気分がよくなってくる。月がつらさを慰めてくれるかのように。

・十月二十一日(木)

朝の僅かの休みに伊豆と京都へ便り、(中略)内地からの手紙は依然として手に入らぬ。
 ※出した便りには、妻への手紙も含むか? 特に明記はない。この日から手紙のことが見え出す。

・十月二十二日(金)

月おそし、血のようだ。
 ※気管支カタルを煩っている状態で。身辺の異変を書く。

・十月二十三日(土)

歩きながら考へることは家のことばかり。(中略)人間は消耗品なりと、戦争は悲惨の極だ。
 ※少し歩けるようになって。気が滅入っている。

・十月二十四日(日)

豊台以後は全く地獄の生活、この地獄の生活がいつまで続くのか? ふみよ、今度こそは参つた。
 ※弱音の中での行軍が続く。妻に語りかけることで、一時の安息を求める。

・十月二十九日(金)

ふみ、伊豆、丸野へ手紙。他の奴らは略奪に忙しい。
 ※妻への手紙を書いたことへの初めての言及。

・十月三十日(土)

下痢がひどいので部屋に一人残り日記を書く。(中略)夕方ランプをつけ、ふみの手紙をよみ久しぶりで二人の写真をみる。
 ※この手紙と写真は、持参したものか、届いたものか? 十一月五日の記事から推測するに、持参したもののように思われる。

・十一月二日(火)

"羊カン"といふ脚本を考へ乍らねむる。(中略)ふみ、千古、藤井、水谷さわに手紙。(中略)なんだか手紙は保定や石家荘でめちやめちやになつてる由。自分の手紙もきつとその中に入つてるんだろー。手紙の来た奴は元気で、来ない連中は半分やけで・・・
 ※創作に関して初めて言及。井上靖のもとに手紙はまだ届いていなかったのだろう。出した手紙に関しては諦め口調。

・十一月四日(木)

ふみに羊カンその他必要品おくるように手紙だす。夜、ランプの光で伊豆、大谷、文次郎に手紙かく。
 ※この頃、井上は羊羹に執着している。

・十一月五日(金)

郵便隊本部で郵便の受領、まだ選別してないので百通程、伊豆の母と吉田の婦人会班長からの二本。ふみのは下積みになつてゐるのだろー。
 ※ここで初めて手紙を手にすることになる? 妻の手紙を楽しみにするが、この時点では見あたらなかったようだ。

・十一月七日(日)

夕方手紙くる。ふみから十日と二十二日付。丸の君からサンデー毎日。・・・夜、ふみへ手紙。
 ※発信日時を記すことからも、これが初めて手にする妻からの手紙のように思われる。2週間かかって届いたもの。井上靖が戦地から送ったはずの手紙は、まだ届かない時点での妻からの手紙のようだ。すぐに返信を認める。週刊誌を手にし、活字を読み出す。

・十一月十一日(木)

サンデー毎日(十月卅一日号)を全部よむ。久しぶりで活字をよむ。(中略)死ぬも生きるも時の運といふが、時の運ではなくて既に生れるとき定つた運命であろう。そしてふみの運命も、亦幾世の運命も−。
 ※妻からの手紙の内容はどのようなものであったのか。それが、この心境に影響しているように思われる。

・十一月十四日(日)

伊豆の父とふみから手紙、ふみのは十月一日付。
 ※妻ふみは十日置きに手紙を書いていたようだ。この日記を、井上靖が亡くなった後も、ふみが大事に手元に置いていたのは、こうした思い出が詰まった日記だったからだと思われる。

・十一月二十二日(月)

夜、慰問の映画がくる。漫画とロイドの三巻もの、それに輸出もののインチキな京都風景。どれも古いもので、チラチラしてゐるがこゝでみると楽しい。傷病者三百人ほどみんな楽しそーに見てゐる。
 清水と嵐山と円山にお目にかゝる。清水はふみとお父さんと行つたところ、その帰りにホテルの屋上で珈琲をのんだことなどを思ひ出す。あの頃が一番よかつた。

 ※京都の映像を見て、妻のこと等を懐かしむ。名古屋から広島へ移動したときも、ふみと父が米原から同道した。尊敬する義父と最愛の妻のことが、よく日記にでてくる。

・十一月二十八日(日)

どうせ一ヶ月ぐらいは短かくても入院してゐるだろうから、脚本か小説でも書こうかと思ふ。
 ※やっと戦地で、創作意識が芽生える。

・十一月二十九日(月)

午後写真ができてくる。断然四十ぐらいで少佐級だと皆からひやかされる。一枚、京都へ送つてやろうかと思ふ。夜、恋愛談、こうなると戦争ものんびりしたもの。
 ※少し気分が楽になったか。

・十二月一日(水)

ふみと伊豆へ手紙。
 ※ふみへの手紙には、一昨日の写真を同封したことであろう。

・十二月十日(金)

ふみへ手紙を飛行便で出す。明日の飛行機で行くのだろー。
 ※一日も早く届けたいとの想いからか。

・十二月十七日(金)

ふみより手紙、幾世のシヤシン、大変可愛いくなつてゐる。久しぶりの手紙なので楽しい。
 ※1歳の娘の写真を手にする。夫の写真を見ての妻からの配慮であろう。1週間で手紙が往復している。

・十二月二十日(月)

ふみへ手紙をかく。写真を入れてやる。
 ※手紙と写真が行き来する。お互いのことを知りたいという想いが、このやりとりから伺える。

・十二月二十二日(水)

ふみ、千古君より手紙。一緒に来た新聞で・・・
 ※コミュニケーションが活発化する。

・十二月二十六日(日)

改造と中央公論の小説をよむ。
 ※創作への刺激となる。

・十二月二十七日(月)

ふみからの手紙、新聞、写真来る。スペインの子供のように、リボンをつけて口を少しあけて大変あどけない。(中略)新聞で森君、藤田君の"従軍記者の手帳から"をよむ。俺ならもつとすばらしいものを書くんだが−。
 ※妻の心配りが伺える。同封の写真は、自分を忘れて欲しくない想いからのふみの気持ちの表れか。新聞を読んで、職業意識が芽生えている。


■昭和13年■

・一月二日(日)

廿六日付のふみの手紙来る。
 ※年末に書かれた妻からの手紙を新年に読む。

・一月四日(火)

ふみに手紙
 ※早速の返信。この時、雑誌中央公論を依頼したことが、次の記事からわかる。

・一月五日(水)

ふみ、父、文次郎等の手紙飛行便で来る。大谷敏夫から手紙と小包、勉さんからも脚気のクスリ来る。ふみへ昨日中央公論をたのんだがその取り消しの手紙を出す。
 ※雑誌の取り消しは、この日に届いた慰問袋としての小包の中にその雑誌が入っていたからだろう。

・一月七日(金)

ふみより新聞。
 ※妻からの配慮がさまざまな形でなされる。

・一月八日(土)

ふみより賀状の見本。・・・中央公論の小説をよむ。
 ※ふみが今年出した賀状を、確認も含めて届けたのであろう。

・一月九日(日)

中央公論の小説をよむ。
 ※小説を読み、創作意欲を高めたことであろう。

・一月十三日(木)

ふみより送り返された手紙八本よこす。
 ※待望の内地送還が決まった日。

・一月二十日(木)

夜、京都に電話かける。父、母、ふみと話す。明日面会にくる由。久しぶりで幾世にあへるかと思ふと、さすがにうれしい。
 ※四ヶ月ぶりに日本(大阪)に上陸しての感慨。

・一月二十一日(金)

ふみが来る約束だが、やめる様に速達をだす。午後ふみから「昼すぎになる」といふ電報。
 五六回玄関まで向かひにゆく。三時一寸前、文兄さん、ふみ、千代、幾世来る。五カ月目、まる四カ月ぶりの対面だ。幾世の大きくなつたのにはおどろく。よその子供のようだ。ふみは思つた程肥つてゐない。面会室で一時間程話す。話すことは沢山あるんだが結局、何から話していゝかわからず、結局何も話せなかつた。戦地に送つて、送りかへされた小包をふみ持つてくる。入れたものを見せたかつたのだろう。夜あけると羊カンが沢山でてくる。・・・

 ※家族と久しぶりの対面。妻からの手紙では、肥えたと書いてあったのであろうか。羊羹の話は、この日記の中では楽しいネタになっている。

・一月二十五日(火)

ふみから艶つぽい手紙、写真数枚。夜ふみに面会に来てもらうように手紙を出す。
 ※この艶っぽい手紙というものはどんなものだったのか興味が湧く。終生大事にしてこの手帳を見せなかった妻の気持ちが知られる記述である。

・一月二十六日(水)

ふみより天津から来た写真と、小包でパンズ(ママ)原稿用紙等送つてくる。
 ※この写真は、本日記の表紙絵に使われた野戦予備病院で撮影されたものか?

・一月二十七日(木)

ふみが突然面会にくる。お茶、サーデン、アスパラガス等持つてくる。牛乳と五銭のアンパンを御馳走する。一人で来たので、ふみとしては大出来だ。
 今日は演芸でみんながいないので、先日よりは少しゆつくり話す。逢ふとたまらなく可愛いくなる。面会はどうも毒らしい。まだ二カ月ぐらいはおあずけだろう。四時かへる。かへしたくないが、こゝでは仕方なし。夕食は久しぶりでうまい。お茶が何より美味しい。アスパラガスをうんと食つたので、夜、少々腹工合わるし。

 ※一昨日の艶っぽい手紙といい、妻としては珍しく思い切って一人で面会に来たことは、長い間の想いを少しでも埋めたい一心からのことであろう。靖も、妻からの差し入れを、嬉しくて食べ尽くすほどであった。

・一月二十九日(土)

川端康成の雪国をよむ。文芸懇話会の受賞作品だが感心せぬ。
 ※川端の『雪国』を井上靖は評価しない。

・一月三十日(日)

一日、石坂洋次郎の"若い人"を半分よむ。
 ※読書記録の一つ。

・一月三十一日(月)

"若い人"上巻読了。いろいろ考へさせられる。手紙は相手をよろこばせるためにかくもの。ふみも今度の戦でいろいろ苦労したと思ふ。やさしくしてやろうと思ふ。自分を中心に考へることは不可ない。自分が戦争で苦しかつたことばかり考へず、ふみの戦争をも考へるべきであろう。
 ※自分もそうだが、妻も自分と同じように戦争体験をしたのだ、ということに想い至り、深い理解を示している。

・二月二日(水)

京都へ電話。母、ふみ共に感冒で四十度も熱があるといふ。
 ※大阪から名古屋へ転送されることになった日に。親戚からの差し入れが「おすし六箱」。

・二月三日(木)

ふみはふみ、千代ちやんは千代ちやんなのだろー。
 芦屋の姉さんや千代ちやん等と較べて、ふみの暗さを不思議に思ふ。

 ※また前日同様に親戚からの差し入れが「おすし」。さらに、二月十三日(日)と二月十六日(水)と二月二十四日(木)の面会にも「おすし」をもらっている。大阪から名古屋に移動する途中、京都駅で家族が見送り。大喜びの千代ちやんと対照的な様子の妻ふみに戸惑う夫靖。

・二月六日(日)

ふみに手紙。薄ら寒い中を一日散歩。自由が欲しい。夜、谷崎の「蘆刈」。
 ※妻のことを気遣っての手紙か。谷崎潤一郎を読む。

・二月七日(月)

谷崎の「吉野葛」を読む。「蘆刈」といひ「吉野葛」といひ、さすがに並々ならぬもの。川端康成の「雪国」や石坂の「若い人」などとは読後の感銘がちがふ。併し、現代の作家はこれでは不可ないといふことだけは言へる。お遊さんは如何にも谷崎の好きそーな女。谷崎といふ人はお遊さんと春琴しか書けないかも知れない。
 ※谷崎の力量を高く評価し、川端と石坂には低い評価を与えている。ただし、現代の作家に想いを致し、谷崎の限界にも言及する。

・二月十九日(土)

父、ふみ、井上吉次郎のところへ寒い部屋で手紙をしたためる。
 ※なかなか除隊の命令がでないことに失望する中で。

・二月二十一日(月)

ふみに手紙。他にすることがない。」
 ※除隊させてもらえず生活に嫌気がさす。

・二月二十三日(水)

今夜か明夜の命令で輜重隊に廻されるだろー。輜重隊に行つたら二泊外泊をとつて京都へ行つてこよう。家庭、ふみ、幾世−こゝにゐるとみんな遠い世界のことのようだ。
 ※二月の除隊に期待を抱いている。

・二月二十七日(日)

父、ふみ、野々村さんに手紙。
 ※二十五日の除隊命令はデマだったことを知ることとなって。

・三月二日(水)

ふみより来信、
 ※夫の失意を慰め励ます手紙か。召集解除後に帰郷となるのは、三月十六日。毎日新聞社には四月から復帰する。
posted by genjiito at 00:10| Comment(0) | 井上靖卒読

2009年11月10日

古都散策(29)2年ぶりの正倉院展

 昨秋は、源氏物語展の開催に集中していたために、どこへも行かずじまいでした。
 今回、ようやく時間を見つけて、正倉院展に行くことができました。

 一昨年は、「古都散策(25)正倉院展」として、本ブログに書きました。

 あの頃は、展示のことばかり気になっていたせいか、学芸員の眼で見ていました。
 今年は、研究者の眼で見て回りました。
 今回は、特に写経に関するものが気になりました。

■「続々修正倉院古文書(写経生の作業報告書)」
 
 
 
091109syousouin1
 
 
(正倉院展の図録104頁より・部分)
 
 
 これは、天平14年(742)までの写経事業に関する報告書です。
 経師(書写を担当)・校生(校正を担当)・装O(装丁を担当)は、毎月末に各自が作業報告書を提出していたのです。
 この古文書は、提出された紙を貼り継いで、集計に用いたものです。
 作業従事者と、それを処理する事務担当者の現場が、こうして生々しい資料で見られるのです。しかも、1250年も前のものだけに、すごいことです。それが、我々にも記された文字が読めるのですから、日本の文化は恐ろしいということを実感します。
 
 
■「続々修正倉院古文書(写経生の報酬等に関する規則ほか)」
 
 
 
091109syousouin2
 
 
(正倉院展の図録105頁より・部分)
 
 
 
 天平勝宝3年(751)の記録で、写経所で仕事をする人々の給与計算に関するものです。
 図録の解説から列記します。

・「経師」は、紙40枚に写経をして「布一端」の給与を得る
・「校生」は、初校と再校を500枚ずつで「布一端」の給与を得る
・「装O」は、400枚で「布一端」の給与を得る
・表紙に題を書く「題師」は、100巻で「布一端」の給与を得る

 さらに興味深いのは、「経師」が書写する文字を間違った場合です。
 給与が減額される、という現実があったのです。

・脱行1行につき紙4枚分の減額
・脱字5字または誤字20字で紙1枚分の減額

 校正をする「校生」にも、減給があります。

・脱行を1行見落とす毎に、紙100枚分の減額
・脱字を1字見落とす毎に、紙20枚分の減額
・誤字1字につき、紙5枚分の減額

 ウーン、と唸ってしまいます。
 写経生たちの厳しい現実を、この生の資料は語っています。

 今年の正倉院展も、充実した内容で満足しました。

 なお、奈良公園の中の興福寺でおこなわれていた阿修羅等の拝観は、2年前に見ていることと、待ち時間が2時間以上だったのでパスしました。

 2年前のちょうど今頃、本ブログに「古都散策(26)興福寺の秘仏」として書きました。
 おついでの折にでもどうぞ。
posted by genjiito at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 古都散策

2009年11月09日

国文研の【特別展示・物語の生成と受容】本日より開催

 国文学研究資料館では、「平安文学における場面生成研究プロジェクト」を6年間にわたって実施してきました。ここでは、平安時代に誕生した物語文学を主たる対象として、
(1)物語はどのように作られていくのかという生成の問題
(2)物語はどのように受け継がれていくのかという受容の問題
を研究・討議してきました。

 最終年度となり、これまでの成果を公開する今回の展示では、本研究プロジェクトの研究成果をもとに、体系的に平安時代以降の物語文学及びその関連資料を見ていただけます。
 2週間という、短い期間の展示です。
 ご覧になってのご感想などをいただけると幸いです。
 
 
091107nijl_tenji



■開催期間 平成21年11月9日(月)〜11月23日(月)土曜開室/日曜休室
      ※11月22日(日)、23日(祝)は開催します
■開催時間 午前10時〜午後4時半(入場は4時まで)
■会 場  国文学研究資料館 1階展示室
■入 場  無料(カラー版の解説図録も無料)
■主 催  国文学研究資料館 平安文学における場面生成研究プロジェ ク
 
 
 
091109poster2
 
 
 
091109poster3
posted by genjiito at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 古典文学

2009年11月08日

古都散策(28)唐招提寺の落慶法要

 古都奈良に関しては、2年ぶりの記事となります。
 2年前に居を古都から京洛へ移してから、奈良に行く機会がなかなかなかったのです。
 秋晴れのもと、西の京の風は心地良いものでした。

 先月中旬に「井上靖卒読(97)『天平の甍』」を書きました。

 その物語で最後の舞台となる唐招提寺に、この日、脚を運びました。
 行った日は、折しも金堂の落慶法要の最中でした。
 この平成の大修理は、平成12年から10年間にも及ぶものです。
 奈良にいたときから、唐招提寺には何度も行きました。しかし、金堂はいつも修理の大屋根に覆われていて、あの<天平の甍>はしばらく見られなかったのです。

 平成の大事業が終わったばかりの所へ行けたのも、何かの縁なのでしょう。知らずに脚を向けたら、ちょうど落慶の日だったのですから。
 
 
 
091103tousyoudaiji1
 
 
 
 もちろん、私は招待者ではないので、一般の入口であるテントに並びました。入場のパンフレットが手渡され、そのままどうぞ、と言われました。拝観料はいらなかったのです。

 金堂の回りは、紅白の幔幕で囲まれています。
 その中で、折しも読経と楽の音が聞こえます。
 一般の私たちは、その法要を覗き見ることすらできないので、少し残念でした。
 見上げると、新しい天平の甍が輝いています。
 
 
 
091103tousyoudaiji2
 
 
 
 後で知ったことですが、この日、谷村新司の落慶法要ライブがあったそうです。

 反対側に回ると、鴟尾にきれいな布が巻かれていました。
 
 
 
091103tousyoudaiji4
 
 
 
 新しい息吹を境内の雰囲気から感じ、こちらも気持ちが改まりました。

 新宝蔵も、この日は自由に入れました。
 創建時の奈良時代からずっと、屋根の上には鴟尾がありました。
 西側の奈良時代の鴟尾と、鎌倉時代に造られた東側の鴟尾が、平成の鴟尾と交代で下ろされました。そして、役目を終えた2つの鴟尾は、今この宝蔵に置かれていたのです。

 天平の甍を間近に見ることができました。
 なんとなく来てしまった唐招提寺でした。しかし、なんとなんと、私は鑑真さんから呼ばれたような気持ちのまま、帰路につきました。

 帰りのバス停に佇んでいたら、次の停留所が「都跡小学校」とあり、これまた驚きでした。
 
 
 
091103tousyoudaiji7
 
 
 
 「都跡」という地名は、昨年から話題となっている大澤本の元の所有者の所在地なのですから。『鑑定雑記』に出てくる地名です。
 意外なことに出会い、意外なものを見つける、何とも不思議な日となりました。
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 古都散策

2009年11月07日

江戸漫歩(16)都美術館の冷泉家展

 東京都美術館で「冷泉家 王朝の和歌守展」を観ました。
 
 
 
091107reizei
 
 
 
 事前に『芸術新潮』(11月号)を読んで行ったので、展示の意図がよくわかりました。最近は、展覧会に行っても、眼は学芸員になっています。

 『古来風躰抄』は、著者である藤原俊成の自筆とのことです。ガラス越しでしたが、巻頭の1頁をじっくりと読んでみました。「わ」か「や」のように見えるひらがなは、「り」なのです。この癖がわかれば、あとは楽でした。

 『明月記』も圧巻でした。定家も毎日何らかのメモを、60年にもわたって記していたようです。
 私が毎日記すブログもこれに近いのだと思うと、この『明月記』が身近に感じられます。

 今回の展覧会で、私が一番時間をかけて観たのは、一番最後のコーナーにあった「写本の製作と修理」です。
 写本を製作するための道具としての罫線枠には、ジッと見入ってしまいました。
 木枠に糸が張ってあり、それをガイドラインとして文字を写していったようです。
 これとよく似たものは、昨年、国文学研究資料館で開催した源氏物語展で、宮内庁書陵部ご所蔵の「檜製糸罫」をお借りして展示しました。江戸時代のモノの複製でしたが、写本の製作現場がイメージできる道具でした。その時も、実際にその道具を使って書写した写本も同時に展示したので、なかなか好評でした。
 今回の冷泉家のモノも、同じ機能の書写用の小道具です。
 
 書写しながら、物語の本文を書き換えていったかのように言う人がいます。しかし、きれいに写そうとする気持ちと、書き換えることによって親本とずれていく目の前の紙面に、筆記者は戸惑うだけです。
 みんなが、こうした道具を使わなかったにしても、書写の現場についてはもっといろいろな場合を考えたいものです。その意味でも、こうしたモノは想像力を搔き立ててくれます。
posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸漫歩

2009年11月06日

京洛逍遙(110)紫式部に縁のある大徳寺

 大徳寺に紫式部の碑があることは、昨年の紅葉を散策した記事で触れました。

 京洛逍遥(47)紅葉の京洛


 京洛逍遥(48)大徳寺高桐院の紅葉


 大徳寺の境内には、こんな案内の石碑があります。
 
 
 
091101_daitokusikibu2
 
 
 
 非公開とのことだったので、いつか公開されるのでは、と気長に待つことにしていました。
 ちょうど、大徳寺の鉄鉢料理で知られる泉仙に行ったので、また大慈院のことを聞きました。すると、横の道から入って直接聞いてみては、とのことでした。
 教えられるままに道案内もない塔頭に入っていきました。
 山門を潜ったところに、ご用のある方は鐘を撞いてください、とあったので、失礼して鐘を叩きました。すると、中から女性が出てこられたので、直接、紫式部の碑を拝見できないかとお尋ねすると、何と前方の石碑がそれだとのことでした。
 そして、厚かましくも、側へ行って見てもいいのかということと、写真を撮ってもいいのかを遠慮がちに尋ねると、心やすくどうぞ、とのことでした。
 公開されていないということだったので、とにかく幸運を謝して拝見し、撮影させていただきました。
 
 
 
091101_daitokusikibu3
 
 
 
091101_daitokusikibu4
 
 
 
091101_daitokusikibu6
 
 
 
 ちょうど、泉仙の玄関前が、その向こうに見えます。

 この石碑については、以下のような事情があったようです。
 寛政7年(1795)に、紫野御所田町、現在の島津製作所北側にある紫式部の墓の傍らに、この石碑を建立する予定だったそうです。しかし、事情があって碧玉庵に建立され、さらに明治維新の時に碧玉庵が廃寺になった際、この大慈院にその石碑が移されたものだそうです。

 碑文が読めなかったので、後で資料を探してみます。
 それにしても、なかなか得難い石碑を見ることができました。
 見たい見たいと思っていた一念が、こうして叶えられたのです。
 偶然とはいえ、大慈院さんに感謝いたします。ありがとうございました。

 さらに、大徳寺の塔頭の中でもよく知られている真珠庵にも、紫式部に関するものがありました。
 この真珠庵も、普段は入れないのですが、秋の特別拝観の時だったこともあり、中に入ることができました。
 本堂と書院の間の狭い廊下の片隅に、確かに「紫式部産湯の井戸」と言われる古井戸がありました。
 そう断定する資料はないかと思われます。しかし、そのように伝えている事実は大切です。
 説明をしてくれた学生さんは、この井戸の水は、今も毎朝汲んで使っている、と言っていました。90センチ四方の何の変哲もない井戸です。しかし、これも貴重なものに違いありません。
 真偽はともかく、産湯の井戸なのですから、紫式部はここで生まれたのでしょう。
 他の資料には、これは和泉式部の産湯の井戸だとも。よくある異説です。
 この真珠庵の井戸は、写真撮影が禁止されていました。
 いくつかのホームページに掲載されていますので、興味のある方はどうぞ。

 また、同じく大徳寺の塔頭の1つである龍源院にも、紫式部に関する言い伝えがあるそうです。
 かつて、ここに楊貴妃という名前の山茶花があったそうです。今は枯れてしまっているそうですが、その根元に紫式部の碑があったというのです。

 大徳寺は、なかなか興味の尽きないお寺です。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

2009年11月05日

京洛逍遙(109)今宮神社の骨董市とあぶり餅

 我が家から西に一直線に行くと、今宮神社にぶつかります。
 自転車で10分もかかりません。
 大徳寺の真北にあたります。

 薄曇りの中、骨董市に行きました。
 お店は、20店もなかったと思います。
 
 
 
091101_imamiya1
 
 
 
 こぢんまりした市です。しかし、個性的な店が出ています。
 絵馬堂の下が、何やらあやしげな店の陣地のようです。
 
 
 
091101_imamiya2
 
 
 
 この日は、大正から昭和にかけての絵皿を一枚手に入れました。
 意味不明なモノを手にすると、いろいろとイメージが湧いてきて楽しいものです。

 この今宮神社の参道には、あぶり餅で有名なお店が向かい合っています。
 いつも通りかかりながら、一度も入っていなかったので、この日は入ってみました。

 山門に向かって右が「一和」さんです。
 
 
 
091101_imamiya3
 
 
 
091101_imamiya7
 
 
 
 そして、左が「かざりや」さんです。
 
 
 
091101_imamiya5
 
 
 
 今回は、「かざりや」さんに入りました。
 
 
 
091101_imamiya4
 
 
 
 活気があり、落ちついた雰囲気です。
 あぶり餅の一人前は15本でした。竹串に小さな白餅を炭火で炙ったものが刺さっています。
 
 
 
091101_imamiya6
 
 
 
 これには、白味噌のタレがついています。
 神前にお供えした餅を、一般に配ったものが起源だとか。
 おいしくいただきました。
posted by genjiito at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

2009年11月04日

予期せぬ夜の祝祭

 突然連絡があり、話があると……。
 あまりいいことは考えられません。
 チョッと気の重い話なのでしょう。

 東京駅で6時に待ち合わせは?、との指定です。
 しかし、その時間までに立川からは行けません。
 新宿では、と言うと、アルタの前になりました。

 昨日、松本清張の『ゼロの焦点』を読み終えたばかりです。
 月に10日は東京、20日は金沢の生活をする男の話です。
 似たような私ですが金沢の断崖に立つことはなさそうです。

 てっきり一人かと思ったら、もう一人のツレ。
 あやしげな、それでいてよく知っている男女。
 何事かと、思いをめぐらしながらのネオン街。

 新宿駅からは外れにある、とあるビルの地下に連れて行かれました。
 私には不似合いな、モダンなイタリアン・バーの片隅に座りました。
 まったくこの状況が読めないままに、トマトのお酒を注文しました。

 雑談をしているうちに、こんな言葉を書いたものを渡されました。
 私が大好きな、井上靖の『星と祭』の1節が書かれているのです。
 『星と祭り』の「り」は不要だよ、などとは言えない雰囲気です。
 
 
 
091104birthday1
 
 
091104birthday2
 
 
 
 実は、このフレーズは、私にとっては思い出深いものです。
 伊豆の海辺で星を見ながらプロポーズらしき時の言葉です。
 結婚を意識しての照れながら交わした会話の一部なのです。

 やがて、こんな綺麗なお皿が運ばれてきました。
 チョコで書かれたアルファベットが読めません。
 最初の大文字は何か、しばらく眺めていました。
 
 
 
091104birthday3
 
 
 
 家族以外から誕生日を祝ってもらう。
 これまでになかった出来事なのです。
 記憶にないことが今日起きたのです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(4) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2009年11月03日

京洛逍遙(108)御所の秋季特別公開

 恒例の京都御所の特別公開が始まりました。
 今年も、さりげない工夫が凝られされています。

 まずは、新御車寄の前に飾られた五節舞姫です。
 
 
 
091102gosyo1
 
 
 
 続いて、紫宸殿の東廂の内侍と公卿です。
 
 
 
091102gosyo2
 
 
 
 ちょうど風が強かったせいか、内侍の檜扇が後ろに曲がってしまいました。
 警備員の方々がトランシーバーで調整方を呼んでおられました。

 次は、紫宸殿の西廂で御膳を運ぶ采女2人です。
 
 
 
091102gosyo3
 
 
 
 紫宸殿の裏にある御学問所には、威儀の若人が5人いました。
 
 
 
091102gosyo4
 
 
 
 最後は、今回私が楽しみにしていた飛香舎(藤壺)です。ここは、いつもの公開範囲を拡大し、北側にある殿舎です。
 
 
 
091102gosyo7
 
 
 
 檜皮葺の寝殿造で、平安京の内裏の様式が残っていると言われています。ここの庭に藤が植えてあることから、藤壺と呼ばれる建物です。
 
 
 
091102gosyo5
 
 
 
 格子戸の黒漆が輝いていました。風格を感じました。
 
 
 
091102gosyo6
 
 
 
 出口近くに、二階厨子がありました。
 なかなか実物を見ることがないので撮影しました。
 
 
 
091102gosyo8
 
 
 
 京都御所は、14世紀以降に里内裏として発展したものです。現在の建物は、19世紀に建てられたものです。
 しかし、平安時代の内裏の面影を求める上では、貴重な建造物群です。
 自分のイメージを膨らませるためにも、足繁く通おうと思っています。
posted by genjiito at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

2009年11月02日

京洛逍遙(107)植物園の『源氏物語』草木の実展

 京都府立植物園は、華やかな秋の花々で賑わっています。
 
 
 
091031botanical1菊花
 
 
 
その一角、植物園会館の2階の研修室で、「開館85周年記念・古典の日協賛 草の実・木の実展 〜源氏物語の植物を実で楽しむ!〜」が開催されています。
 
 
 
091031botanical2展示室
 
 
 
 会場には、所狭しと、たくさんの草や木の実が皿に盛られて並んでいます。
 非常に珍しい展示です。そして、非常に貴重なものが目で楽しめます。



091031botanical5実の展示
 
 
 
 例えば、「紫草」のなんと大きなこと。
 
 
 
091031botanical6紫草
 
 
 
 榊の種は、こんなに小さいのです。
 
 
 
091031botanical7賢木
 
 
 
 とにかく、意表を突くものがふんだんに並べられています。

 受付には、こんなパンフレットがありました。
 しかし、もう在庫がないとのことです。
 
 
 
091031botanical3番フレット
 
 
 
091031botanical4四季の草花
 
 
 
 この植物園は、我が家の目の前にあるので、散歩がてらによく立ち寄っています。通っている内に、いつか手にすることができるでしょう。

 我が家も、この『源氏物語』に出てくる植物を、これまでにも植えてきました。改めて、1つずつ植えて、記録を残していきたいと思います。
posted by genjiito at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥

2009年11月01日

京洛逍遙(106)知恩寺で古書と出会う

 百万遍の交差点から東へすぐの所に知恩寺があります。ちょうど、道を挟んで京都大学があります。
 この知恩寺で、秋の古本まつりがありました。
 
 
 
091030furuhon1山門
 
 
 
 大殿で古本供養の法要をしてから開店というのが、おもしろい企画だと思います。そして、チャリティーオークションも。おまけに、阿弥陀堂では特選オークションもあり、趣向を凝らしての古書市です。京都古書研究会は、みやこメッセで大きな古書市をしていました。元気な仲間が集まっているようです。今回は、約20万冊の出品だそうです。

 阿弥陀堂の周りには、全集本が取り巻いていました。
 
 
 
091030furuhon2阿弥陀堂
 
 
 
嵩張る全集本をこのようにして並べるのは、物色する方としては助かります。お堂の周りをこのように使うのもいいものです。

 大殿の前に本の病院というものがありました。そこでは、手作りの製本の実演が行われています。
 世儀義夫さんは、カルチャーセンターなどで製本教室を開いておられる著名な方だそうです。
 
 
 
091030furuhon3実演
 
 
 
 家庭でできる楽しい製本を、洒落や冗談を交えながら、懇切丁寧に実演してくださいました。
 私も製本が大好きで、いろいろと作品があります。裏技など、たくさん見せてもらいました。今後、私家版を作る時などに役立ちます。

 ちょうど実演が終わった頃に、いつも使っているデジタルカメラが、突然ブルブルと震え出しました。
 以前にもその兆候があったのですが、手ぶれ機能が壊れたためのようです。
 一応、シャッターを切ったところ、こんな写真が写っていました。
 
 
 
091030furuhon4ブレ
 
 
 
 この後、とても使い物にならないくらいに大きく震えるので、ひとまずこのカメラを諦めることにしました。
 ソニーのカメラで、小さくて高性能なので愛用していました。数ヶ月前に修理をしたのですが、毎日のようにシャッターを切っているので、酷使に耐えられなくなったのでしょうか。

 この日の収穫は多かったのですが、中でも古典文庫は幸運でした。 
 
 
 
091030furuhon5古典文庫
 
 
 
 手元になかったので、不便でした。これで、安心していつでも内容が確認できます。複数箇所で仕事をしているので、同じものが何セットも必要になるので、こうして格安の時に入手しているのです。
 この本の間には会報が挟んであったので、会員に頒布されていた当時の状況がよくわかります。この伏見天皇本の『源氏物語』は、だいたい2000円くらいで配布されていたようです。
 私は、吉田幸一先生に直接お電話をし、何冊か分けてもらったことがあります。勉強する者への温かい思いやりに、感謝して本をいただきました。研究成果といい、古典文庫を通しての資料提供といい、その姿には敬意の念だけでは納まらない存在の先生でした。今回手にした本も、大切に活用させていただきます。

 これ以外では、『校註国文叢書 源氏物語 下』(池辺義象編、博文館、大正元年十一月三十日)の初版を入手しました。これは、『首書源氏物語』を底本にしたものです。
 特に、その巻末にある『校註国文叢書』の宣伝が、他の版には見あたらなかったのでおもしろいと思いました。
 
 
 
091101hakubung0広告
 
 
 
 今回は上巻(大正元年八月十六日発行)は手に入らなかったのですが、別に持っているものは、上巻が昭和2年に発行された第五十四版、下巻が大正13年に発行された第二十九版です。
 奥付だけでも、初版と二十九版では、こんなに違います。
 
 
 



091101hakubung3下巻初版
 
 
 
091101hakubung2下巻二十九版
 
 
 
 この本は、大正から昭和にかけて、幅広く読まれた『源氏物語』として注目していいと思います。

 探し求めていると、本の方からお出でお出でをする、とよく言われます。
 たしかに、そのような経験は何度もしています。今回も、今手元にあったら、と思っていたものが、古本市の会場を去ろうとしていたときに、何気なく並んでいるのを目にして手にしたものです。
 本との縁を、いつも感じています。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆京洛逍遥