2009年10月31日

『源氏物語』では「標準本」と言うより「基準本」がいい

昨日10月30日の朝日新聞(朝刊)に、『源氏物語』の「大澤本」に関する記事があります(今日その一部の訂正がありました)。
その記事の中で、アレッと思うことばがありました。「標準本」というものです。
これは、現在一般に読まれている流布本のことをいい、〈いわゆる青表紙本〉のことを言い換えたことばとして使われています。
記事の中のカラー図解した部分では、「標準本では」とする標目の下に「(鎌倉時代前期 藤原定家校訂)」という補記があります。

通行の流布本のことを、マスコミなどが「標準本」と呼ぶのは、これが初めてです。
これまでは、「青表紙本」とか「大島本」とか「定家本」と言っていました。私は、これらについては、あえて〈いわゆる青表紙本〉とか〈活字校訂本〉と言い張ってきました。
今日の記事に端的に表れているように、「青表紙本」ということばを避けようとするのは、『源氏物語』の本文研究の成果の表れと言うべき現象で、歓迎すべきことです。
ただし、みんなで読む本を「標準本」というのはどうでしょうか。

私は、これまで通行の流布本を「基準本」と呼んできました。
『総研大ジャーナル』(2009年3月刊)に掲載された「『源氏物語』研究の新時代」などがそうです。
比較して考える上での拠り所であり、平均的な水準を満たした共通の本及び本文、という意味で「基準本」を使ってきました。「標準」ということばに、私は強い違和感を持つからです。

学生時代に、方言の研究で著名な平山輝男先生は、授業中に日本語について「標準語」ではなくて「共通語」ということばの方がいい、と仰っていました。「標準」ということばには価値判断が入っており、それ以外はよくないもの、という意味合いが引き出されるからだ、とのことでした。確かに「標準語」という言い方は、地方の言葉を低く見下した物言いになりかねません。「標準」には、「お手本」という意味が強く、理想的なものを求める感じがつきまとうことばです。
その意味では、「標準語」よりも「共通語」の方が、みんなの伝達手段としての言語を指す表現だと思います。

さて、みんなが読む『源氏物語』の本文を何と呼べばいいのでしょうか。
「標準本」には、規範的なニュアンスが強すぎます。それ以外を排斥する意味合いが含まれます。
といって、「共通本」では、何となく普通すぎます。

私は共通の『源氏物語』の本文を、「基準本」と呼んできました。
補助金などの申請書類には、4年前から「基準本」ということばを使って作成しています。みんなが読む上での「基準」にする本、という意味です。
これなら、立場によって自分が読む『源氏物語』の本文は何でもいいのです。「大島本」だとか、「陽明本」だとか、「池田本」だと言えばいいのです。そして、あくまでもみんなで共通に読むものとして、「基準本」を何にするかを確認しておけばいいのです。
その意味では、「大島本」を底本にして作成された校訂本文が、昭和から平成にかけての「基準本」だといえるでしょう。

『源氏物語』の本文に対する意識が、昨年から大きく揺れ動き出しました。『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』を20年以上にわたって刊行し続けてきた効果が、こうしてようやく見えだしたのではないかと、私は自分に都合のいいように理解しています。
昨日、「標準本」ということばを目にして、やっと「青表紙本」という理解の一端が崩れだしたことに快哉を叫びました。

さて、次は、「大島本」の校訂本文に続く「池田本」の校訂本文を提供することを、急がなくてはいけません。
『源氏物語』の「基準本」となるような「池田本」の整定です。
責任重大で、ますます忙しくなりそうです。と、本人だけでしょうが決意を新たにしているところです。
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2009年10月30日

音楽の異版・ブルックナーを聴く

久しぶりに、クラッシックを聴きに行きました。
それも、ブルックナーです。
 
 
 
091030brucknerチラシ
 
 
 
指揮者が井上道義氏なので、これは期待できます。
会場となった京都コンサートホールは、自宅から徒歩15分です。
とにかく、60分の大熱演でした。

前から3番目の正面の席だったので、演奏者の表情がよく見えます。弦楽器の弦が切れないかと心配なほどでした。
井上氏の表情も豊かで、壮大ないい曲でした。
京都市交響楽団は、聴く機会が多くなりました。すばらしい楽団です。

私は、ブルックナーのレコードは、ほぼすべてを持っています。CDは一枚も持っていません。最近、どのような演奏がなされ、録音がでているのかは知りません。
なかなか機会がなく、ブルックナーの演奏を直に聴くのは初めてです。

ブルックナーの交響曲は、いくつかの異稿があって、複雑な問題があります。ブルックナー自身の度重なる改訂や補筆に加え、友人たちが善意から変更を加えているからです。
今日聴いた第9番は、ブルックナーの死によって未完に終わったものです。この初演は1903年で、ブルックナーの死後にレーヴェが書き換えたものです。
そのほかに、オーレル版、ハース版、ノヴァーク版などがあります。
今日は、ノヴァーク版でした。
そもそもが、このブルックナーに興味を持ったのは、その楽譜の異版に興味を持ったからです。『源氏物語』の異本と同じ感覚で接しています。
作品は、作者をはじめとして、さまざまな形で手が入り、そして、さまざまな異版が伝えられていくのです。
音楽も、そして文学も。

ブルックナーの曲は長いので、しだいに聴かなくなっていました。
余韻覚めやらぬ中、これからも機会があればブルックナーを聴きたくなりました。
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2009年10月29日

井上靖卒読(99)『楊貴妃伝』

楊貴妃の姉とされる三姉妹の軽薄さが、物語に奥行きを与えています。
楊貴妃の存在意義が、浮き上がる仕掛けになっているのです。

この物語は、高力士が軸になっています。時代の背景を動かしているのは、この宦者である高力士です。
楊貴妃と玄宗皇帝は、演者にすぎないという印象を抱きました。

井上は、群像を描くのが上手い作家だと、この作品でも思いました。
後半の動乱に差し掛かると、それまでのゆったりとした中にも艶やかだった筆遣いが、徐々に勢いを持ちます。人間の心情と行動が活写されます。

やがて、物語は静かに収束していきます。井上らしい、きれいな終わり方です。

月光が、各所で効果的に使われています。これは、意識的に設定したものだと思われます。いくつかの作品でこの傾向が確認できたら、それがどのような場面なのかを検討するつもりです。【5】



初出誌︰婦人公論
連載期間︰ 1963年2月号〜1965年5月号
連載回数︰ 28回


講談社文庫︰楊貴妃伝
井上靖小説全集 28 ︰おろしや国酔夢譚・楊貴妃伝
井上靖全集 15 ︰長篇8



〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2009年10月28日

再録(6)文明の利器と雷の悪戯〈1997.8.8〉

 今から12年前の話です。
 こんな感じでパソコン通信をしていました。
 欠陥商品によく当たる私ですが、雷にも当たられました。
 
 
 
突然の雷でわが家の電話とパソコンが壊れる〈1997.8.8〉
 
 
 昨日の朝のことでした。電子メールを送ろうと思い、いつもの通り、プロバイダーにダイヤル接続を試みました。しかし、何度やってもパソコンがフリーズするのです。昨夜というか午前3時まではパソコン通信ができたので、その後の5時間ほどの間に何らかのトラブルが発生したようです。

 我が家の電話は、ISDNを利用したものです(本ハイテク問はず語り1996.7.19を参照)。パソコン通信にはデジタル1回線を当て、アナログ2回線を普通の電話として使っています。ケーブルが緩んでいないかとか、切り換えスイッチを間違えてはいないかを色々と確認しても、昨夜との変更や異状は見あたりません。

 Macintoshのモデムやプリンタのケーブルは、丸いコネクタに差し込むだけです。何かの拍子に線が引っ張られると簡単に抜けてしまいます。このひ弱なコネクタに、幾度も泣かされました。この点だけに関しては、Macintoshがマイクロソフトに身売りをする前から、Windowsマシンの方が作りは無骨でもしっかりしていて安全でした。今回は、ケーブルが外れていることはありませんでした。

 切り換えスイッチは、Macintosh4台、DOSマシン2台、ポケットPC1台、モニタ2台、プリンタ2台、モデム2台、光通信デジタルカメラ1台を、すべて相互にデータ転送可能にするためのものです。現在、各4方向の切り換えボックス2台、各3方向の切り換えボックス7台、各2方向の切り換えボックス2台の計11台をカチャカチャ回しています。
 
 
 
091028switch1スイッチ・表面
 
 
091028switch2スイッチ・裏面
 
 
 
 子供の部屋へのイーサーネットケーブルも3本ほどが、部屋の外へと延びています。最近は物忘れと注意力が情けない程にひどくなり、切り換えスイッチをよく間違えています。しかし、今日は大丈夫でした。正しく切り替えを合わせていても、通信ができないのです。

 電話は使えるのだろうかと思い、4本の受話器をそれぞれ取り上げると、すべて使用不能になっていました。原因は、外と内との通信の仲立ちをするDSU内蔵のターミナルアダプタ(AtermIT45DSU/PC-IT45D1、NEC)の不調としか考えられません。そして思い至ったのは、明け方のものすごい雷雨です。8月1日に、大阪・富田林にある「PLの大花火大会」で数十万発の豪華な花火を見たばかりです。まさに、それと紛うばかりの壮絶な雷鳴でした。

近所の2軒に電話が使えるかどうかを確認しに行くと、2軒とも

「異常はないですけど。」

とのことでした。

 早速、車で麓のスーパーへ行き、公衆電話から奈良のNECに電話をしました。NTTではないのが、長いパソコンの経歴を思わせませんか。30分以上も話し中を我慢して、ようやく繋がった先方の返事は、

「昨夜はものすごい雷だったので、落雷かなにかの影響でターミナルアダプタが壊れたのでしょう。」

とのこと。出張修理ではいつになるかわからないので、NECの奈良サービスステーションへ持ち込むことにしました。一月半前に、ターミナルアダプタのROMを交換しに来てもらったばかりなので、またまた修理に要する手間と時間が惜しかったのですが、天災がらみではどうしようもありません。とにかく、電話が使えないと不自由なのです。

 係の方の説明によると、落雷によって電源か電話回路が損傷したようです。対策としては、

「雷が鳴ったら、ターミナルボックスの電源を抜いて、さらに電話線をはずすのがいい」

そうです。しかし、実際にはそんなことはできません。何と、カウンターの横には、雷からパソコンを守るという、優れものの電源コンセント用アタッチメントのチラシが、タイミング良く貼ってありました。もっとも、今回のような出来事には、効果のほどは分からないが、とのことでした。今日はこれまでに、数十件の同じ故障の対応をしたそうです。私の後には、NECのシステムイン奈良の方も、私と同じ機械を持ち込まれ、新しい物を受け取っておられました。

 今回は原因が明らかなので部品交換ということなりました。しかし、本当は判断が難しいそうです。それはそうでしょう。天候の激変は、NECのせいではないのですから。それでもすぐに、新しい交換用の本体をいただきました。無料でした。20年ほど前からNECのパソコン機器と付き合い、ここ近年はMacintoshを使っていますが、昔のつっけんどんなNECではなくなったんですね。それにしても、本当に無料でいいのでしょうか。複雑な気持ちです。

 なお、持ち帰ったターミナルアダプタで電話はすぐに使えるようになりました。これで一安心です。しかし、パソコン通信ができるようになるまでには、実に丸一日を要しました。ファイルの入れ替えや、いろいろな設定に手間取るのです。そして、6月下旬から使いだしたPowerBook5300CSも、常時電源を入れっぱなしにしていたせいか、今回のとばっちりを受けたようです。通信用のマシンは、またPPC-8100/80AVに戻すことにします。PowerBook5300CSのCPUには異常はないようなので、電卓代わりには使えそうです。

 私は、パソコンに向かう時間のうちの、八割以上はパソコンの保守管理にエネルギーを割いているように思えます。パソコンを活用した文学研究を継続するに当たっては、時間と出費の膨大なムダがその背景にあることを、今回も痛感しました。それでも、またまたこうしてキーを打っているのですから、本当に懲りないようです。それはそれで、自分を再評価して慰めるしかないように思っています。
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2009年10月27日

再録(5)固定電話の不思議〈1996.7.24〉

 携帯電話が普及する前の話です。
 ほとんどの家が固定電話を契約していました。
 今では、「ISDN」とか「テレホーダイ」という言葉は死語になりました。しかし、パソコンを使った通信の初期には、みんながお世話になったものです。

(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「1年目/1995.9.30?1996.9.30」)
 
 
 
「INSテレホーダイ」の不気味さ〈1996.7.24〉

 ISDN移行へのドタバタ騒ぎもおさまりました。家族で電話を並行利用しながら、快適なコミュニケーションライフを送っています。

 さて、「テレホーダイ」と呼ばれる、NTTの電話番号選択定額サービスを利用する方が多いと思います。夜11時から翌朝8時までは、届け出た電話番号への通話が定額というものです。
 私も、「テレホーダイ1800」(月額1800円)を今春より利用していました。今回のISDN回線への変更に伴い、新たに「INSテレホーダイ・ホーム2400」(月額2400円)を申し込みました。

 普通、市内通話と言っている3分間10円の区域というのは、地図などで見る行政上の区域とは、腰が抜けるほど違っています。
 私の家から自転車で10分もかからない隣の町が市外であるのに、電車や自動車で1時間以上かかる遠い所が市内料金地域であったりします。電話帖などで確認してみてください。世の中、知らないことだらけだった、ということを痛感します。

 インターネットなどでは、繋がったかと思うと相手はイギリスだった、ということが日常の生活になったのですから、通信網の成り立ちは不可解です。奈良県生駒郡にあるわが家のISDN担当の受付窓口は大和高田市のNTTであり、「INSテレホーダイ」に登録したインターネットプロバイダー「まほろば」の最寄り同一市外局番の電話番号は、飛鳥に近い橿原市です。それぞれがどこに位置するのか、あらためて地図で確認したほどです。

 「INSテレホーダイ」を申し込んだのは、7月10日でした。17日に登録の手続きを終え、私の地域が20日に締め切るので、21日から新しいサービスが利用できる、とのことでした。ところが、21日になっても、何の通知もありません。今春申し込んだ時の「テレホーダイ」の書類の備考欄には「3/21以降の通話から割引」と書かれています。今回は郵送で申し込んだので、そうしたものが手元にないのですが、利用開始日に関する通知が何かあるだろうと、しばらく待っていました。
 不用意にインターネットを使い、後でそれが「INSテレホーダイ」の対象外の利用だったということで、目が飛び出るほどの請求書が届くのが恐ろしかったのです。
 だいいち、「テレホーダイ」が使える時だと思って接続していても、それが本当に契約通りの利用であるかどうかは、利用者にはまったくわからないのです。後でNTTからの明細書を見て初めて、やっぱり間違いではなかった、と安心することになります。こんなあいまいな利用方法は、いずれ利用者の反発を招くことは必定です。問題が表面化すれば、NTTは別途方策を練るのでしょう。当面は、まがりなりにも殿様として安泰なのですから。

 そして24日に、痺れを切らしてNTTに電話をしました。利用開始日および登録した電話番号の確認のためです。しばらくしてから、利用開始の連絡が行っていないのなら再発行します、とのこと。21日から「INSテレホーダイ」は利用できたそうです。

 どうなっていたのか分かりませんが、一つ間違えば高額な電話利用料金を請求されるのですから、こうした連絡はきっちりとしてほしいものです。日常、よく利用する便利な電話ですが、NTTに関してはまったく不気味な存在に思えてなりません。電話は、目に見えない形で利用するコミュニケーションとしての道具なので、利用者に不安感を与えない情報のプロとしての対応を、もっと心がけてもらいたいものです。
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2009年10月26日

再録(4)インターネット導入の頃〈1996.7.19〉

 今から十数年前、自宅でインターネットを使い出したころの話です。
 ISDNという通信技術に関して、いろいろと苦しめられました。
 こんなことがあった、というドタバタ劇の一幕です。
 NTTという会社が、いかにいい加減な体質の会社か、ということが如実にわかる話です。
 こんな会社は信用できないので、我が家の通信環境はKDDI一本に絞っています。

(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「1年目/1995.9.30?1996.9.30」)
 
 
 
ISDN移行へのドタバタ騒ぎ〈1996.7.19〉
 
 7月15日より、わが家の電話がISDN(INSネット64)のデジタル回線となりました。
 変更の第一は、インターネットで情報のやり取りをするスピードを、より早くすることです。
 第二は、わが家の三人の子どもたちも成長し、最近とみに自分たちの情報交換用に電話を活用しだしました。これでは、私の情報収集と発信に影響大となります。危急存亡の秋到来です。
 そこで、電話回線数を増やすのなら、この際、1回線でアナログ2回線分が利用できるISDNにすることにしました。

 1995.1.17
 NTTにISDN利用の問い合わせをしたところ、テレホンアドバイザーの方二名が拙宅に説明に来てくださいました。私の居住区を含めて、今後の調査研究のためもあってのこととか。結局、時期尚早で負担経費が予想外に多かったために断念。

 1996.3.10
 95年末よりISDN導入の費用が従来の半額以下になったのを機に決断。「INSネット64仮申込書兼設備検討依頼書」をNTTに提出。利用開始は7月中旬以降。NTTの都合で4ヶ月待たされることになる。

 1996.7.1
 「INSネット64お申込票」「INSネット64配線フロア図」をNTTに提出。

 1996.7.8
 新電話番号が決まる。

 1996.7.9
 大阪日本橋でDSU内蔵ターミナルアダプタ購入(AtermIT45DSU/PC-IT45D1、NEC、実売価格5.5万円)。NTTとの話の中で、お客さまの方で用意してもらえば、とのことだったので、大急ぎで入手したものです。NTTとしては、局内工事だけで終えたいようでした。

 1996.7.12
 電話番号変更通知の葉書を、知人・親戚・友人に送付。

 1996.7.15
 ※午前9〜10時の局内工事のはずが何の連絡もない上に、9時頃から電話使用不能となりました。アナログもデジタルも使えないので、10時半頃、車で5分ほど走り外の公衆電話からNTTに問い合わせました。あいにくと親しいお隣さんが留守だったからでもあります。暑い中、25分位、公衆電話の受話器を持たされた挙げ句の返答は、作業は午後1?2時になっていた、とのことでした。局内での連絡の不徹底をわびてくださいました。それでは、9時から2時まで電話が使えない状態が続きます。何とか従来の電話だけでも使えるようにしてくれとお願いしましたが、結局は工事完了まで我慢してくれとのことでした。朝から昼までの5時間も電話が止まるのです。何か緊急の連絡でもあってはと、不安になりましたが、どうしようもありません。

 ※携帯電話を持っていないかとか、携帯電話をお貸しするので持参するとの申し出もありましたが、脳波に異常を来す可能性のある危険なものを自分の頭にくっつけて使用するのはご免なので、鄭重にお断りし、残念ながら外部との連絡は諦めました。大阪府と奈良県の境に聳える生駒山麓の小高い丘陵の一番高いところにあるわが家は、高度情報化社会への移行に備えて、しばし孤立することになりました。

 ※1時半頃から、電話局内の工事の方と、どうにか通じた電話で連絡を取りながら、いろいろな点検をしました。4?5回は、スイッチやプラグやコンセントを抜き差しし、さらには新旧の電話番号を変えながら、接続テストに協力しました。しかし、従来のアナログ回線は使えるのですが、新しいISDN回線は使えないのです。当方の機器のスイッチやランプを指示のままに確認したのですが、うまくいきません。
 ※結局、技術者が立ち会わないとだめということで、夕方、大和高田市という遠路はるばる、お二人の方が拙宅まで足を運んで来られました。持参のデジタル電話や携帯電話を駆使して、ようやくISDNが使えるようにしてもらいました。

 ※専門的に言えばいろいろとあるのでしょうが、その内の一つに、ソフト的な設定がありました。それは、アナログポートの設定で、「識別着信」を「しない」にすることです。これがもっと早くにわかっていれば、対応が変わっていたと思います。これは、接続したパソコンから設定できるものです。あらかじめ私は、NECのインターネットのホームページから、今回購入した「AtermIT45DSU」用の「IT45らくらくユーティリティー」というものをダウンロードして用意していました。「AtermIT45DSU」用のMac用のオプションキット(別売)は、今月下旬か八月上旬に発売予定です。あくまでも予定なので、あてにしないで待つしかないようです。Windows用のものは購入した製品に添付されているのですが、Mac用は入手が面倒です。インターネットなどのパソコン通信が不慣れでMacをご利用の方は、くれぐれもご注意ください。また、NTTのホームページからも、ISDN関係の資料はほとんど入手していました。しかし、所詮は素人ですから、知識と資料は急場の間に合わせとして持ち合わせていても、実際に設定する段になると、専門的なノウハウが欠かせません。NTTの方のアドバイスを受けながら、どうにか接続に至りました。電話開通に、丸一日を費やしてしまいました。本当に疲れました。特に、Macユーザーはハンディキャップが多いようです。

 1996.7.16
 次は、今回の主目的であるパソコン通信にISDNを使うことです。これがまた、苦行でした。とにかく、アナログポートもデジタルポートも、これまでのようにアクセスポイントへ電話をしているのかいないのか、わからないのです。繋がらないか、BUSYの連続なのです。

 1996.7.18
 原因がわからなくて、NECの技術コンサルティングに電話をして、長時間にわたって説明を受け、いろいろなテストをしてもらいました。結局、機器も回線も異常なしとのこと。NECには、15年前からいろいろな問い合わせをしてきました。不快な思いをしたことしか記憶にありません。ここ数年は、Macに転向したためにNECの機器を使うことがなく、連絡をとることがありませんでした。しかし、今回ほど親切で明快で好印象をもったNECの方の対応は、とにかく初めてです。田中さん、ありがとうございました。
 それでも、通信ができません。最後に、私が利用しているインタネットプロバイダー「まほろば」に連絡しました。責任者じきじきの懇切丁寧なアドバイスを受け、ようやくISDNを通してのインターネットが利用できるようになりました。「まほろば」の天野さん、ますますのご活躍を期待いたします。いやはや、みなさんに助けられてのパソコン通信です。今回の経緯を振り返ってみると、結果的には私の不注意もいくつかありました。しかし、そうした点を指摘してもらい、適切なアドバイスをしてくださる方に恵まれたことを、感謝しています。これからのネットワーク社会においては、このようなヒューマンインターフェースの部分が、非常に大切なポイントではなかろうか、ということを痛感した次第です。

 ・問題点その1
 電話番号が変更になったため、変更手続きと通知が大変でした。局番も変わったのには驚きました。小学校の連絡網の電話番号は、下4桁の数字だけです。その前の局番が変わると、そこだけフォームが崩れます。ローカルな問題だけではないように思えます。

 ・問題点その2
 まだまだNTTが迅速に手続きと作業をしてくれないようです。

 ・問題点その3
 DSUとかTAといわれる回線接続装置をどのようにして調達するか。

 ・問題点その4
 家族に変更した理由を簡単に説明できるパンフレットがありません。

 ・問題点その5
 不馴れ・知らないことに巻き込まれるので、アドバイスを受けられる人がどうしても必要となります。
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2009年10月25日

再録(3)インターネット以前の奮闘劇〈1997.2.13〉

 今や、どこの国に行っても、無線でインターネットにつながる時代です。
 欧米はあたりまえですが、トルコでも、エジプトでも、ホテルで無線通信ができました。
 しかし、こんな時代になる十数年前には、今から思えば、いろいろと楽しい苦労がありました。
 以下、何かにつけて、チャレンジを繰り返していた頃の話です。

(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「2年目/1996.10.1〜1997.9.30」)


ヨーロッパから日本に通信する方法〈1997.2.13〉

 イタリアからはどうするのでしょう?

 数日後に、友人の娘さん(大学1回生)が海外旅行に出発します。イタリアに2週間いくそうです。
 先日、自由行動でどんなところへ行ったらいいの、と電話で聞いてきました。小さい頃から知っている子なので、〈ローマの休日〉コースや、フィレンツェのペーパーショップ、ミラノのノミの市などの話をしました。

 昨年末に会ったとき、私が小学5年生の息子を連れて来年のクリスマスにイタリアへ行くと言ったら、一緒に行きたいと言っていたはずなのに。おそらく、友人夫婦が昨年末にスペインへ1週間ほど行ったので、親の話を聞いて待ちきれずにイタリアへ行くことにしたのでしょう。自分のやりたい夢を持っていて、専門的な勉強をしたいようなので、きっと実り多い旅をしてくることでしょう。

 さて、海外への旅行が容易になった今、外国からパソコン通信をしたい人も多いことでしょう。参考までに、これまでに私が行なった方法を記しておきます。
 ただし、これは今から2年前の1995年春の話です。インターネットはまだまだの頃でした。
 3年前の1994年の春には、OECDパリ本部でUNIXマシンを操作して、インターネットによるE-メイルを京都大学の知人宛に送ったことがあります。これは、国文学に身を置く立場の者があくまでも個人的にチャレンジしたこととしては、ごく初期の出来事に属するものだと思われます。

 いずれにしろ、2・3年前のヨーロッパで、それも一旅行者が格安ツアーで行ったホテルの電話を使ってのパソコン通信なのです。企業の方が出張でメイルを送られるのとは、条件が違うことをご了承ください。

 今年のクリスマスに、予定通り息子を連れてイタリアへいきます。これまで、イタリアからの通信はすべて失敗に終わっています。最近は、通信環境も変わっていることでしょう。最近イタリアからパソコン通信をなさった方がいらっしゃいましたら、その様子をお教えください。こんな方法では、ということでも結構です。アドバイスをお待ちしています。

 それでは、私の場合の実例をあげましょう。これは、〈第6回 西日本国語国文学データベース研究会(DB-West)〉1995.6.4 於・大阪樟蔭女子大学)で報告したことをもとにして、今回あらたにまとめ直したものです。

 私が海外旅行に行くようになって3回目の1994年冬のことでした。
 旅行に持って行ったパソコンは、購入したばかりの〈オアシスポケット3〉です。これは、大きさが普通の郵便封筒くらいの、本当に軽いワープロです。その年の春には、Macintoshの〈パワーブック 145B〉を持って行き、移動の時に苦労したからです。

 10日間、ロンドンとパリへ、私の娘とその友達(共に小学6年生)を連れての旅行でした。その道中で、海外から日本の友人にメイルを送ることにしました。
 出発の5日前のことです。その方法を教えてもらうために、ニフティサーブのフォーラムに問い合わせをしました。急に思いついたのです。いつもこんな調子で、周辺の方々にご迷惑をかけっぱなしです(思い当たる節のある方々、ごめんなさい)。
 ニフティサーブのフォーラムで聞きたかったのは、ロンドンとパリのホテルから日本のニフティに加入している友人にメイルを送る場合についての、次の2点でした。


  1-まず、どこへ電話をするのか。
  2-〈オアシスポケット3〉はどのように操作するのか。


 他に持って行く物は、〈オアシスポケット3〉のAC電源とモデム(aiwa PV-AF144V5)、そして変圧器はワールドコンバーターβの精密機器専用です(これがまた重いのです)。

 素人考えでは、インターネットを利用するのかと思いました。しかし、当時はまだ私のアカウントはありませんでした。リムネットというプロバイダーと契約したのは、翌1995年の2月です。海外のホテルの電話回線が、通信端末として利用できるのかどうかも、わからない点でした。

 早速、何人かの方からアドバイスをいただき、 NODE とか FCIS の情報をダウンロードしました。プリンターでの打ち出しがA4版で200枚を越えましたが、知りたいことがたくさんあったので、必至に読みました。久々に、新しいものを手にする感動の予感がしたことを覚えています。

 アドバイスをお聞きしたところでの私の方針は、


  1-現地ロンドン・パリにおいて電話を扱っている店で
   電話コンセントのアダプターを入手する。
  2-次善の策として、カプラー使用を考える。
   もっとも、カプラーはこれから購入することになる。
  3-コンピュサーブからニフティに入って日本へメールを送る。


ということになりました。

 あまりスマートな対処方法ではないようにも思えますが、出発までに3日しかなかったので、とにかくフル回転で、パソコン通信を活用して情報を仕入れました。

 その結果、音響カプラが必要である、という結論に達しました。

 出発2日前に、大阪日本橋の電気店で、音響カプラを購入。BPS社のXAC-1(\14800/300-14400bps)というものです。当時、音響カプラを探すのは大変でした。大型電気店にしかありません。私は、十数年前に8ビットマシンで音響カプラを使用したことがあります。しかし、それ以来のことなので、出発前日の夜に友人にメイルを送るなどして、使用方法のテストをしました。

 〈オアシスポケット3〉から送出する漢字コードは、「MS漢字」だけが通信に可能であり、「新旧JIS」はすべて文字化けしていました。これが分かったのが出発直前であり、間一髪の旅立ちとなりました。

 さて、ロンドンからは、コンピュサーブ経由でメイルを送りました。私はコンピュサーブの会員ではなく、単なるニフティだけの会員でした。それでも構わないのです。

 泊まったホテルがロンドン市内だったので、アクセスポイントへダイレクトに電話をしました。もっとも、私が入った部屋の電話は外線とうまく繋がらないのです。現地でおちあった甥の部屋の電話は正常だったので、通信は甥の部屋から行ないました。

 以下に、その際の手順を参考までに記しておきます。

音響カプラ(XAC-1)とモデム(aiwaPV-AF144V5)を使い〈オアシスポケット3〉で海外からNIFTYへ通信する手順(ロンドンからコンピュサーブ経由で日本にメイルを送る・コンピュサーブのIDは不要)


1 「オアシスメニュー」から「AutoCom」又は「PF9(通信)」
2 「通信メニュー」から「通信」を選択
3 最下段の「ターミナルモード」を選択
4 アクセスポイントにダイヤルする。
   コンピュサーブ ロンドン=071-490-8881/パリ=47-89-39-40
5 ガーピー音を確認後(ダイヤル前に入力しておく) >> 「ATD」
6 「CONNECT 9600」の表示を確認後 >>>>>>>> リターンキー
7 「HOST NAME?」    >>>>>>>>>> 「NIFTY」
8 「Enter Connection?ID??>」 >>「SVC」
9 「Enter User?ID???>」 >>>>>> 「********」
10 「Enter Password??>」 >>>>>> 「********」
11 NIFTY のメニューから「2.電子メール」>>>> 「2」


 これ以降は、通常のニフティの操作で通信ができます。

 「8ビット、パリティーなし」での接続例のために、「7」で「NIFTY」と入力する前後は画面表示の文字が化けます。しかし、画面表示は気にせずにキーを打つと、「8」からは正常な表示となりす。
 9600bpsで繋がったので、快適に通信ができました。

 なお予想通り、ロンドンの電話コンセントのアダプターを入手するのは時間的にも困難でした。売っている店の所在は分かっていたのですが、一旅行者としては、とてもそのために時間は割けません。ハイドパークで、リスと半日も遊びましたが。

 とにかくロンドンからの通信は、コンピューサーブ経由で可能です。この確認は貴重な体験でした。

 ちなみに、ホテルの明細による電話料金は2.2ポンド(400円弱)。コンピューサーブのロンドンノッドにコネクトするまでに、市内通話が出来るかどうかの実験で、ピザ屋にかかったりして大慌てをしたので、正味300円程で日本に二回の通信が出来たことになります。これは経済的で便利なコミュニケーション手段だと思います。

 次は、パリからです。しかし、残念ながら通信はできませんでした。部屋からパリ市内に電話が出来なかったのです。外線も無理でした。
 翌朝、ホテルのロビーで出会った日本人ガイドの方に尋ねたところ、「このホテルは清算が面倒なので、部屋からは電話が出来ないようになっている。」とのこと。設備と人件費の問題で、省力化されているのだろうと、あきらめました。ところがパリ出発の時に、今回空港とホテルの送迎をしてくれたJTBの人に聞くと、「それは部屋の電話が故障していたのでしょう」とのこと。「一言いってくれれば、交渉して修理してもらったのに。」と言われて、ガクッ。

 自分でフロントに掛け合うだけの語学力がないもので、ついパスしてしまったことが悔やまれます。
 そんなわけで、パリからは通信できませんでした。
 重たい機器を持っていったので悔しい気もしますが、ロンドンからの通信に成功しているので、一応は満足でした。
 パリからのパソコン通信は、1995年春に成功しました。初日はまったくダメだったので、二日目にホテルの技術者に部屋へ来てもらいました。ところが、電話の不具合を説明しているときに、突然コネクトOKとなりました。技術者氏は、結局私のわけのわからない話を聞いただけで、暇な奴だという顔をして帰っていきました。忙しそうに部屋を出ていく彼に、思わずペコリ。原因は不明ですが、とにかく使えればいいのです。

 それにしても、海外のホテルの電話は、故障が多いようです。ロンドンでも甥の部屋の電話が使えたからよかったものの、そうでなかったら、早々に諦めていたところです。

 〈オアシスポケット3〉のような小さなワープロで通信ができるのですから、日本語が半角片仮名しか使えなかったころからのパソコン利用者としては、その進歩の凄さを実感しました。マッキントッシュの「PB 145B」という重たいノートパソコンを担いでヨーロッパを旅した時は、通信のための道具まではとても持って行けませんでした。そのことを思うと、あの苦労は何だったのかと、技術の飛躍的な進展の驚異を痛感させられます。

 さて、問題はイタリアからの通信です。1995年に、ミラノとフィレンツェとローマで試みました。いずれも失敗です。
 ホテルの電話からインフォネットを利用して、ミラノとローマのポイントに接続しました。ポイントには繋がるのですが、すぐに切れるのです。この繰り返しでした。
 チェックアウトの時の電話代の請求を覚悟していたのですが、すべて請求はありませんでした。イタリアらしいではありませんか。
 夜中に怪しげな機器を取り出し、小刻みに数十回も電話をする日本人を、ホテルの人は知るや知らずや。今思い出すと、おかしさがこみあげてきます。
 ホテルの部屋の電話のコードをいじくり回していた男が、スパイ容疑で捕まった、という話があります。私も、怪しげな客の一人に違いはありません。今だから言えますが、実は私もペンチ・ニッパー・ドライバー・ヤスリなどの工具と、少々の電話機用の部品を持参していました。これ、内緒です。もうしません。

 ところで、イタリアから日本に通信をするためには、どうしたらよいのでしょうか。当時の雑誌によると、ちょっと難しいという商社マンのコメントが載っていました。私も、あまり期待せずに行ったので、また今度と思いながら今日まできました。今年のクリスマスには、イタリアだけの旅をするので、そろそろ通信事情を調べる必要があります。ご存じ方がいらっしゃいましたら、お教えください。お願いします。
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆情報化社会

2009年10月24日

再録(2)初期のインターネット事情〈1996.10.7〉

 以下、14年前のインターネットに関する話です。当時は、接続するのに UNIX のコマンドを入力するなどしていました。
 そんな、大昔の話です。

(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「2年目/1996.10.1〜1997.9.30」)
 
 
 
〈リムネット〉の情報管理を不審に思う〈1996.10.7〉
 
 
 〈源氏物語電子資料館〉をインターネット上に最初にオープンしたのは、〈リムネット〉というプロバイダーの東京ドメインからでした。1995年9月30日午前2時のことでした。早いもので、ホームページを持って、すでに1年が経ちました。

 〈リムネット〉には、95年2月15日から2日がかりでオンラインサインアップを完了しました。話し中のために、ひたすら電話しつづけ、ようやく契約にこぎつけました。
 もっとも、その後、うまく接続できず、ニフティーサーブのフォーラムに質問をしながら、契約から94日目にやっとインターネットを体験することができました。その間、数十冊の本と無数の雑誌も購入しました。ニフティーサーブを通してのアドバイスや、本などの設定を参考にしながら、限りない順列組み合わせの試行錯誤を繰り返しました。
 その間の記録は、ファイル2冊に綴じてあります。たくさんの方からアドバイスをいただきました。いつまでたってもHELPばかりなので、いささか呆れながらのメイルをもらうこともありました。私自身は真剣に、いろんな設定にチャレンジしていたのですが。何がどうなってそうなったのかは不明ですが、95年5月21日に日付が変わる直前に、ついにIP接続に成功しました。長い3ヶ月でした。特に、木村数史さんは、根気強く懇切丁寧にお付き合いをしてくださいました。
 それからしばらくは、ネットサーフィンを楽しみながら、自分のホームページの構想を練っていました。

 9月末に〈源氏物語電子資料館〉を開設してから、〈リムネット〉大阪ドメインがオープンし、東京ドメインから引っ越しをしました。しかし、東京ドメインのアカウントは、通知にあった1ヶ月がたっても停止になっておらず、東京も大阪も利用できました。東京と大阪に、同じ更新ファイルを転送していました。

 そうこうするうちに、奈良の〈まほろば〉というプロバイダーが利用できるようになったので、95年12月14日以降は2つのプロバイダーから〈源氏物語電子資料館〉を送信していました。都合、3カ所に更新したデータを送っていたことになります。

 〈まほろば〉がしっかりしているのを確認できたので、96年1月10日に〈リムネット〉へ退会届を出しました。2月に退会手続きが完了した旨の連絡をいただきました。しかし、〈源氏物語電子資料館〉の〈リムネット〉版は、依然として東京も大阪も閲覧できました。
 退会したのにもかかわらず、相変わらずホームページが公開されているのは不思議でした。いつか抹消されるだろうと思っていたのですが、いつまで経っても、私のホームページが削除されないのです。そのうち、〈リムネット〉版の〈源氏物語電子資料館〉を見た人たちからのお便りが届いているのに気付きました。その方々には、〈まほろば〉へ移転したことを伝えました。

 最近、何かの拍子に、〈リムネット〉の〈源氏物語電子資料館〉があった領域へ入ることができたのです。アカウントもパスワードも通るのです。そこで、〈リムネット〉へ以下の内容の確認のメイルを出しました。

1.退会と共にホームページも削除されるものと思っていました。
2.〈リムネット〉経由のメイルが来ます。
3.かつて登録したデータの放置・放任は迷惑です。
4.早急に登録していたデータの削除を要望します。

 これに対して、〈リムネット〉からは以下の返事が来ました。

大変申し訳ございません。至急、伊藤様のアカウントを削除するよう手配致しますので、よろしくお願いいたします。
このたびは大変ご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。



 ところが数日後、試しに大阪ドメインに繋げたところ、私がかつて使っていたパスワードが、まだ使えたことに驚くとともに、私のホームページにまだデータがあることがわかり、またまたびっくりです。
 とにかく私の方で、本年1月以来放置されたままの〈源氏物語電子資料館〉のデータを削除しました。

 それにしても、退会した者が、かつて利用していた自分の階層に出入りでき、しかも放置されたままのデータを自由に削除できることは、まさに驚異でした。
 ちなみに、東京ドメインにアクセスしようとしたところ、これは拒否されました。パスワードのチェックでひっかかり、中へは入れませんでした。これが普通だと思います。

 〈リムネット〉に対しては、信頼できるネットワーク社会を育てていくためにも、今一度私の現状をレポートしていただけないかを、お願いしました。しかし、これに対しては、未だに返事をもらっていません。
 そこで、しかたがないので、一昨日、〈リムネット〉に放置されたままの〈源氏物語電子資料館〉のデータを訂正し、〈まほろば〉の〈源氏物語電子資料館〉へリンクを張ることにしました。
 すでに辞めた組織に勝手に進入し、さらには自分が残していた抜け殻を弄ぶようで、何か気味が悪かったのすが、しかたがありません。

 〈リムネット〉の退会規約の12条には、

会員が退会を希望されるときには、最終の利用月の最終日の40日前までに、事務局へ書面にて退会の旨を届け出ください。この場合、弊社は、退会を受理した利用月の最終日にIDを回収させていただきます。


とあります。
 しかし私の場合は、退会したにもかかわらず半年以上もID番号が使え、ホームページのデータもそのままなのです。おまけに、残留データの改変を、半年以上も経った今でも、自由に行えるのです。このような杜撰な情報管理では、ネット社会が信用できなくなります。

 私の例は特殊なのでしょうか。プロバイダーの単純なる手続きミスにすぎないものなのでしょうか。それとも、個人が責任をもって、退会するときに置いていたデータの掃除をすべきだったのでしょうか。そうしたとしても、〈リムネット〉へは自由に出入りでき、ホームページのファイルも自由に改変できたのです。体の良い無銭飲食ができたことになります。

 いずれにしろ、気持ちが悪いのは事実です。特に、検索ソフトで表示された〈リムネット〉版〈源氏物語電子資料館〉のアドレスへアクセスした人は、それが96年1月で私が手放した死骸だったのです。情報発信者としては、そんな死骸をご覧になった方々に申し訳なく、残念に思っています。
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2009年10月23日

再録(1)電脳で源氏を解析?!〈1998.9.18〉

 私が最初にインターネット上に情報を発信したのは、1995年9月30日でした。当時住んでいた奈良から、東京のプロバイダーのサーバーを通しての発信でした。自分のホームページには〈源氏物語電子資料館〉という名前を付けました。
 そして、最初に流した情報は、以下のものでした。

◎(1)95.8.11 第5回紫式部文学賞は、吉本ばなな氏の「アムリタ」に決まる(朝日新聞95.8.12)

 以来、ネット上に情報を発信し続けています。しかし、通信環境の事情もあり、サーバーがいろいろと移りました。そのため、発信した情報も分散してしまいました。
 自分でも、どこにどんなことを書いたのかわからなくなりましたので、記憶の確かな内に、可能な限り1箇所に集めることにします。

 当時は、今のブログなどはありませんでした。ホームページの中で、日々のつぶやきを「ハイテク問はず語り」として記していました。もちろん、どうでもいいことを書いていたのですが、中には、本当に稀ですが、今でも参考になる記事もあります。
 そんなものを、少しずつ「再録」として拾ってみようと思います。

 ただし、当時はいろいろな制約から、小さな画像を使っていました。見苦しいものが混入していますが、10年以上前の記事ということでお許しください。

 まずは、『源氏物語』に関するものからです。
(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「(3年目/1997.10.1〜1998.9.30)」)


電脳で源氏を解析?!〈1998.9.18〉

 一昨日の朝日新聞に、興味深い記事がありました。まずは、ヘッドラインをあげます。

  源氏のナゾに電脳で“光”
  22巻「玉鬘」書いたのは39巻「夕霧」の後?!
  38万語解析 カギは助動詞

 “光”は“光源氏”をちらつかせているのでしょう。冒頭の要約文によると、一昨日の日本行動計量学会で『源氏物語』の文体をコンピュータで研究しているグループが発表なさる内容の速報のようです。結論としては、「物語は巻の順序で書かれたのではなく、後に挿入されて完成した可能性が高まった」ということです。データ解析にあたっては、古典作品で使用頻度の高い「ず」「たり」など22種類の助動詞の使用率に着目されたものです。助動詞の使われ方が似ているグループを、あらかじめ四分類した巻々で総和を求められたようです。新聞に取り上げられた情報からだけではありますが、簡単に言えば、

  第一部若紫系 -> 第二部 -> 第一部玉鬘系 -> 第三部

ということでしょうか。

 記事末尾の識者のコメントは瀬戸内寂聴さんで、「ごくろうさまでしたね。」の一言でした。

 この問題は、私も大いに興味があります。『源氏物語』は、四百字詰原稿用紙2400枚もの長編物語なので、その文章を解析するのは、まさにコンピュータの出番です。ただし、気を付けなければならないのは、対象とする基礎データがどういう性格のものであるか、ということです。これは、大量の情報を処理する際には、一番大事なことだと思います。

 今回のデータ処理の基礎資料は、『源氏物語大成 校異篇』のはずです。ところが、その翻刻本文には、誤読・誤植以外にも、以下に記すように、いろいろと問題があります。また、『源氏物語大成 索引篇』における各語の品詞の認定は、それを子細に点検すると誰もが驚くことですが、知る人ぞ知るというものです。『源氏物語大成』は、緻密な解析に耐えうるものではありません。今回の研究発表・報告にあたって、この点がどうクリアーされ、データをどのように修訂されているのか、後日くわしく見てみたいと思っています。

 『源氏物語大成』に寄りかかる研究の危うさを、手元の資料を用いて、一二具体的にあげてみましょう。
 
 
 
Osima23_watarijpg23巻「初音」16丁オ
 
 
 
Osima05_naramujpg5巻「若紫」53丁ウ
 
 
 
 上の画像は、近年『源氏物語』の基準本文として定着した、大島本の写本の一部です(『大島本 源氏物語』平成八年五月、角川書店)。この大島本が、『源氏物語大成』の底本です。ただし、その『源氏物語大成』の凡例には「桐壷・夢浮橋ノ二帖ハ大島本ガ補写デアリ、初音ハ大島本ガ別本系統ノ本文デアリ、浮舟ハ大島本ガ之ヲ欠イデヰルカラ、コレラノ諸帖ハ大島本ニ次グベキ地位ヲ有スル池田本ヲ用ヰタ。」(五頁)とあるように、五十四巻中四巻は、別の本文で補われた混成本です。つまり、『源氏物語大成』の本文によるというのは、混成本による研究ということになります。

 上左図「初音」は、本行に「かへり給はすおとゝ」とあり、「り給」の間に朱丸の記号を付して、その右横に「わたり」と朱書しています。さらに、「給は」の間に朱丸があり、「はす」を朱の縦線でミセケチにして、その右横に朱で「ひぬ」と書いています。つまり、この朱で訂正された大島本の文章は、「かへりわたり給ひぬおとゝ」となります。

 『源氏物語大成』の「初音」では、底本が池田本で、大島本は別本に分類されています。その『源氏物語大成』の本文である池田本は、大島本の朱書訂正本文と同じ「かへりわたり給ぬ」です。『源氏物語大成』には、青表紙本の異文として慈鎮本の「かへりわたり給はす」があるだけです。『源氏物語別本集成』をみると、保坂本と東大本が、大島本本行本文と同じものを伝えています。
 これをまとめると、いわゆる青表紙本の中からは、次の三つの本文の内、どれを取るか、ということになります。とくに、大島本本行本文の「す」は打ち消しの助動詞「ず」と思われるので、助動詞をキーワードにして解析する場合には、その検討と集計に影響します。
  1-「かへりわたり給ぬ」池田本・大島本朱書訂正本文
  2-「かへり給はす」大島本本行本文
  3-「かへりわたり給はす」慈鎮本

 さて、『源氏物語』の「初音」のこの部分の本文はどうすべきでしょうか。
 現在流布する活字テキストは、すべて「かへりわたり給ぬ」です。大島本で通して校注を施した岩波の『新大系』も、「初音」の底本は大島本ですが、ここは朱書き訂正本文を採用しています。とにかく、『源氏物語大成』以来、大島本を翻刻するときは、朱書・墨書の訂正された本文を採用することになっているのです。
 では、その訂正はいつ行われたものでしょうか。藤本孝一氏の調査によると、「全帖本文に見える大部分の校訂は永禄七年以降になる。」(「大島本源氏物語の書誌的研究」『大島本 源氏物語 別巻』五九頁、平成九年四月、角川書店)ということです。大島本は文明十三年(一四八一)に飛鳥井雅康が書写したものです。それから八十三年後の永禄七年(一五六四)以降に、その本文に墨や朱で訂正や書き入れが施され始めました。それは、江戸時代全期間まで続きます。つまり、現在の流布本がそうであるように、写本に書き込まれた墨や朱の訂正を取り込みながら大島本『源氏物語』を読むということは、江戸時代に書き込まれた言葉も受容することになるのです。そのような本文を、コンピュータを活用して精密に解析し、そして平安時代の『源氏物語』がどのような順番で書かれたかを、それも助動詞をキーワードにして調べるためには、対象となる資料に対して相当慎重な考察が事前に必要であり、それはまだまだ研究不足、というより、ほとんど行われていないのが実状です。大島本の影印本が一昨年刊行され、ようやくその必要性が感じられ出したというのが現状なのです。

 上右図に移りましょう。これは「若紫」の一部です。
 大島本の本行本文は「する事なむと」です。そして、白黒の画像ではありますが、原本には「なむ」の間に補入記号としての朱の点が打たれ、その右横に朱で「ら」と書かれています。そして、『源氏物語大成』をはじめとして各活字テキストはすべてが「する事ならむと」として本文をたてています。つまり、大島本本行本文の「なむ」という一つの助詞が、現在流布するテキストでは「なら」と「む」という二つの助動詞になっているのです。本文解析の「カギは助動詞」といっても、使用する写本の校訂の仕方によって、その使用数も活用形も異なってきます。なお、陽明本は「いかなるにかと」という、流布本とは異なる文章になっています。

 数量で何かを考える場合に、そのもとになっているデータがどのようなものであったのか、どのように加工され変形させたものであるかを知っておく必要があります。今回、新聞に掲載された研究成果は、その点をクリアーしてのものと思いますが、私はその調査結果よりも、上記の問題点がどのように処置されたデータにもとづいて解析されたかに興味があります。

 いずれにしても、大島本を共通テキストとして利用するにあたっては、越えなければならない関門が陸続としています。

 若い方々の『源氏物語』の本文研究への参加を熱望するところです。
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2009年10月22日

井上靖卒読(98)「天目山の雲」「佐治与九郎覚書」

■「天目山の雲」

 武田方に「高坂氏」が出てきます。
 天理図書館にある『源氏物語』の阿里莫本(江戸時代の書写)が高坂松蔭の一筆本なので、この人の素性が気になっています。この小説に出てくる高坂氏は、勝頼の忠臣です。
 さて小説の方です。
 信玄から勝頼へ。そして滅びの世界へ。登場人物の一人一人に輪郭があります。
 個性が、うまく捉えられています。筆者に描写力があるからでしょう。【3】


初出誌︰別冊文藝春秋
初出号数︰1953年2月32号


角川文庫︰異域の人
角川文庫︰天目山の雲
井上靖小説全集15︰天平の甍・敦煌
井上靖全集3︰短篇3


■「佐治与九郎覚書」

 人間が持つ運命を語ります。
 落ちぶれていく男、将軍の室となり母となっていく女。
 欲ではなく、流れるままにそうなっていく人の運命。
 『淀どの日記』の裏面史ともいえます。
 淡々とした中に、人間が丁寧に描かれています。【4】


初出誌︰小説新潮
初出号数︰1957年5月号


角川文庫︰天目山の雲
旺文社文庫︰真田軍記
ロマンブックス︰楼蘭
井上靖小説全集11︰姨捨・蘆
井上靖全集5︰短篇5
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2009年10月21日

江戸漫歩(15)深夜の八重洲通りをテクテクと

 立川で仕事の打ち合わせに熱中し、つい帰りの電車の時間を忘れてしまいました。

 「国文学論文目録データベース」というものを、国文学研究資料館からネットに公開しています。
 これは、日本文学研究論文の総合目録データベース(大正・昭和・平成)です。日本国内で発表された雑誌紀要単行本(論文集)等に収められた論文に関する情報を掲載していますので、どうぞご利用ください。利用は無料ですし、利用登録も不要です。ここでヒットする論文は、必ず国文学研究資料館にありますので、おいでになれば確実に手にとって読むことができます。もちろん、コピーすることも可能です。

 現在、46万3千件の論文が検索できます。それも、キーワードによるものなので、そのヒット率は驚異です。その秘密は、アルバイトとして来ていただいている大学院生の方々が、自分の研究テーマに近い論文を精読してデータを採取していることにあります。もちろん、作成されたデータシートは、専門家である先生方に点検してもらい、その後、公開されるデータとなります。
 そのため、検索をしてみると思いもよらない論文がヒットしたりして、驚喜することがしばしばあるはずです。研究者のお助けツールです。痒いところを掻いてくれます。そんじょそこらの、単なる論文リストではないのです。
 気の遠くなる作業を経て、1つずつの論文がデータベースとして公開されているのです。こんなに親切な論文データベースは、世界中にこれ1つです。
 このことが他分野の方にはなかなか理解してもらえず、予算が毎年削減されていきます。こんなところにこそ、マンパワーを投入すべきなのです。ダムや道路に資金を投入するのもいいですが、こうした知の宝庫にも同じように資金を回し、若者にやりがいと活力を与えてほしいものです。

 とにかく、「国文学論文目録データベース」は文学語学関係の論文が、キーワードで検索できるのです。その際には、ぜひとも詳細検索で探してください。
 このデータベースのお世話にならずに論文を書く人は、いまでは皆無と言ってもいいでしょう。
 今、「源氏物語」を検索語にしてみたところ、16,945件もの論文がヒットしました。さて、次はどの語で絞り込むか悩むことになります。自分が必要とする論文を、うまく探してください。そして、すばらしい論文を書いてください。

 このデータベースのアクセス数は、とにかく尋常ではありません。毎月、のべ14万件ほどのアクセスがあります。目録型のデータベースは、一人が一度に数十の検索をしたりします。どのアクセスをとってカウントするのか、難しいところがあります。14万件というのは、この「国文学論文目録データベース」の検索画面が見られたのべ回数です。

 現在、私はこのデータベースの担当者となっており、日々さまざまな問題に直面しています。
 一緒に仕事をしている補佐員の方から、いろいろと情報を得ながら、少しでも役立つデータベースを目指しているのです。そのため、話し合いはつい時間を忘れてしまいます。
 研究者のほとんどの方が、それも大学院生はすべてといっていいほどの方が利用されているデータベースです。それだけに、その維持管理から最新のデータへの更新や追加と、気を配ることはたくさんあります。
 多くのアルバイトの方々や、入力したデータの確認をしてくださっている専門員の先生方の協力なしには、このデータベースは存続できません。そして、研究論文は今日も量産されているのです。
 たくさんの方々の意見をもとに、来年に向けて大幅に改良をしたいと思っています。
 利用しておられる方の意見も、これから集める予定です。

 そんなこんなで、立川のお店につい長居をしてしまいました。

 こんな時、通勤時間が長いと損をします。途中までは帰れるのに、それから先の電車がない、ということになります。

 いつもは、中野駅で地下鉄に乗り換えて帰ります。しかし、今日はもう接続の電車がありません。しかたがないので、とにかく東京駅まで出ました。そして、タクシーを、と思ったのですが、iPhoneで調べると、宿舎までの距離は3.8キロとあります。おまけに、道もまっすぐで、1度角を曲がるだけで帰れるのです。そういえば、京都の自宅も、京都駅からまっすぐ北上し、突き当たって曲がるだけで帰れます。偶然とはいえ、妙なところで同じような経路の位置関係のところに住んでいることに気づきました。

 さて、東京駅から八重洲通りをとにかくまっすぐ東南に向かい、宿舎まで歩きだしました。
 手元には、宿舎までを画面でナビケートをしてくれiPhoneがあります。
 そして、iPhoneのスピーカーからは音楽を流し、時には一緒に歌いながら、一人楽しく大都会の夜道を歩きました。

 写真は、八丁堀のあたりから東京駅を見たものです。
 車がほとんど来ないので、車道の真ん中まで出られました。
 写真がブレているのは、多分にお酒のせいです。
 
 
 
091021tokyo
 
 
 
 夜の通りを歩いてみて、意外と道路工事が多いことに気づきました。
 夜の東京も、繁華街を外れると静かです。

 ブラブラあるくこと40分で宿舎に辿り着きました。意外に早かったので驚きです。
 これなら、毎週賀茂川をウォーキングしている感覚で、東京駅から歩いてもいい運動になりそうです。
 銀座のスポーツクラブから歩いて帰っても、ほぼ同じ時間に帰れそうです。
 今度機会があれば、歩いてみようと思います。
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2009年10月20日

井上靖卒読(97)『天平の甍』

 中国の唐・洛陽や長安、そして地方の街が、目に見えるように描かれています。井上靖が大好きな土地なので、知識に留まらない興味が、想像力をかくも掻き立てたようです。

 平群広成が、4年半かけて帰国します。遣唐使の苦難がよく映し出されています。これは、鑑真の度重なる苦闘とともに、集団を描き出す才に長けた井上ならではの筆力です。

 鑑真が来朝の意を語るのが意外に早い設定なので驚きました。そこに偉大さがあるのでしょうが、私としてはもっとその決断までを盛り上げてほしかったところです。

 行動を共にする僧17名の中に、最初は反対した詳彦が入っており、物語の進展の中で興味をもって追いかける人物となっていました。細部にいたるまで、各人物が描写されていて、いつもながら感心します。

 一行が登る天台山国清寺へ、私も行ったことがあります。その場面では、リアルに物語に入っている自分がいました。鑑真が引き戻された杭州も、かつて行った時の情景を思い浮かべながら読み進めました。
 井上の小説は、語られる場が丁寧に描かれています。その地を知れば、物語の背景が鮮やかに立ち現れます。

 鑑真が日本に来るまでに、多くの経巻や仏像が海中に没しました。海中を浮遊し、海底へと降下していくさまは、いたたまれない思いで読みました。
 今、それらが引き上げないかと思ったりします。印象的なシーンとなっています。

 鑑真が失明するとき、晋照は和上が自分の名前を呼ぶのを聴きます。別れて2ヶ月たった時でした。
 私も、母が意識を失ったときに、ちょうど母の思い出の地である中国の長春にいたので、こうした不思議なことが理解できます。このようなことはあるのです。科学的な説明はできないでしょうが…。
 詳彦が夢の中に出た時、ちょうど他界する時だったのも、私には納得できます。

 全編を通して、人間が持つ想像を絶する粘り強さの背景には、諦めないということと、人間に対する敬愛の念があることが滲み出ている物語でした。

 鑑真は日本に来てから、河内、竜田、平群、斑鳩の里を通って奈良の都を目指します。
 かつて住んでいた所なので、懐かしさと早く都へ着いてほしいという思いで、心が逸りました。

 なお、鑑真と共に中国を発った4隻の船の内、第一船には清河や仲麻呂が乗っていました。その第一船は、流浪のはてに日本へは辿り着かず唐に舞い戻って漂着します。そして、その背景に、安禄山の乱などがありますが、それはここでは語られません。背後に大きな歴史を抱えながら、物語は淡々と閉じられます。

 ただし、急ぐようにしての終わり方が、ややもったいないと思いました。もうすこし余韻を楽しみたい思いで読み終えました。【4】




初出誌︰中央公論
連載期間︰1957年3月号〜8月号
連載回数︰6回

※1958年『芸術選奨文部大臣賞』受賞


新潮文庫︰天平の甍
旺文社文庫︰天平の甍 他一編
必読名作シリーズ ︰天平の甍
井上靖小説全集 15︰天平の甍・敦煌
井上靖全集 12︰長篇5



■映画化情報
映画の題名︰天平の甍
制作︰東宝
監督︰熊井啓
封切年月︰昭和55年1月
主演俳優︰中村嘉葎雄、田村高広



〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2009年10月19日

京洛逍遙(105)賀茂川の水鳥-2009秋

 賀茂の川風が心地よい秋です。
 川縁で読書をするには格好のベンチがあります。
 水鳥も食欲の秋の到来とばかりに、川面を見つめる目が真剣です。
 
 
 
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 やがて、飛び石を走る人を見つめる水鳥。
 
 
 
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 自分も、飛び石の1つに上がって東山を臨んでいたのですが、どうも街中は興味がないのか落ち着かない様子です。
 
 
 
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 そして、食後の運動とばかりに飛び立ちました。
 
 
 
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 河原のカップルを避けるように、この後は急旋回をして北山に向かって優雅な舞を見せてくれました。
 
 
 
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2009年10月18日

京洛逍遙(104)京友禅体験記

 自転車で小川通りを下っていたら、御池通りを渡ってすぐ南に、京友禅型絵工房という所がありました。
 興味本位で狭い路地を入ると、そこには別空間が開けていました。「丸益西村屋」といい、友禅染めの体験工房があったのです。
 
 
 
091012aizome1工房
 
 
 
 覗いている内に、自分でも染めてみたくなりました。
 説明を聞くと、多色刷りの版画の要領で、用意された型紙に染料を擦りつけて模様を描くのです。

 まずは、何に描くかです。
 ハンカチ、テーブルセンター、扇子、風呂敷、Tシャツ、スカーフ、バッグ、暖簾、日傘、などなど、たくさん素材があります。
 私は、ブックカバーを選びました。
 
 
 
091012aizome3ブックカバー
 
 
 
 型紙は600種類もあるとのことで、好きなものを選べます。
 クリアファイルには、たくさんの型紙が入っていました。
 
 
 
091012aizome2型紙ファイル
 
 
 
 私は、源氏物語というファイルから、2つの型紙を選びました。

 作業台はこんな感じです。
 
 
 
091012aizome4_2作業台
 
 
 
 服を汚さないように、エプロンをして染め付けをします。

 選んだのが麻の素材でした。
 お店の方から、普段は使わないという白色を下地に塗ったらいいとのアドバイスを受け、早速筆に染料を付けて擦りつけ開始です。
 
 
 
091012aizome5源氏姿絵
 
 
 
 5枚の型紙を使い、好きな色で塗っていきます。
 見本の色合いが不自然だったので、自分の好きな色で仕上げました。グラデーションもできました。
 
 
 
091012aizome6牛車へ
 
 
 
 次は、ブックカバーの裏側に当たる面に、牛車を描きます。この図案の型紙は3枚です。
 そして、完成です。
 
 
 
091012aizome7完成
 
 
 
 色付けの見本とは相当違います。自分なりのイメージで描けて満足です。これは楽しい作業です。

 今回、私が使った型紙は、次の2種類8枚でした。
 
 
 
091012aizome8型紙2種
 
 
 
 妻も一緒でした。こんな感じです。
 刷毛の使い方が、出来具合を左右するようです。
 
 
 
091012aizome9
 
 
 
 この時に使った型紙は、女房姿と橋の2種類10枚です。
 
 
 
091012aizome10
 
 
 
 染め付けを終え、家に持ち帰ってアイロンをかけて定着させます。
 
 
 
091012aizome11完成2種
 
 
 
 ブックカバーは、1枚2,200円でした。
 これは貴重な体験です。工房の雰囲気もいいものでした。そして、できあがったものがいいお土産になります。
 1時間ほどの、楽しいお遊びです。
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2009年10月17日

異分野の方に『源氏物語』の写本を語る

 国文学研究資料館は総合研究大学院大学(略称は総研大)に所属しています。
 昨年、総研大の学科の一つである高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠先生が、栄えあるノーベル賞をおとりになったので、少しはこんな大学院があったんだ、と思われたくらいでしたが、今なおほとんど知られていません。
 しかも、大学院の博士後期課程だけの大学で、前期の修士課程を持たないので、なおさら馴染みがないようです。
 しかし、総研大の学生たちはみんな立派な成果を上げて、博士号を取得して卒業しています。
 国文学研究資料館も総研大の一員となって6年で、すでに4人の博士(文学)を生み出しました。私も、そのうちの3人に関わったので、みんなの今後が楽しみです。

 さて、国文学研究資料館が所属するこの大学院大学の中の文化科学研究科が、今年で20周年を迎えました。それを記念して、例年開催されている学術交流フォーラムも、いつもよりも賑やかに行われました。会場は、吹田の万博記念公園の中にあり総研大のメンバーである国立民族学博物館です。

 昨年の12月に、「万博公園の太陽の塔」について書きました。


 1年ぶりにここを訪れました。今日はドンヨリした天気のため、前回よりも顔が曇り気味でした。
 
 
 
091017banpaku1太陽の塔
 
 
 
 そして、後ろ姿を見て、ゴジラを思い出しました。
 
 
 
091017banpaku2ゴジラ?
 
 
 
 前からこんな姿だったのか、思い出せません。

 さて、今回の学術交流フォーラムでは、私にもポスター発表という出番があり、小さな研究発表をしました。
 
 
 
091018posterタイトル
 
 
 
091017banpaku3ポスター発表
 
 
 
 一緒に発表される先生方がマスコミなどでご活躍の面々なので、私が他の方の発表を聞きたかったくらいですが、みんなが同時にパネルの前で話し始める形式なので、聞きに行くわけにもいきません。

 3つのグループに分かれてのイベントで、私は最初のグループとしての発表でした。
 集まってくださった方々に、『源氏物語』の写本で各ページの最後と次のページの最初にかけては、ことばがちょうど文節や単語で切れていることがほとんどであり、単語が泣き別れして書写されていることが少ないことを説明しました。写本を作る人に、どれだけの文節意識や単語意識があったのか、新たな問題になると思われます。

 日頃は、このようなことを調べているのではないのですが、こうして人前で説明するときには、図やグラフを使った方がわかってもらいやすいのです。そのために、今日もこうした説明しやすい内容で臨んだのです。

 このポスターセッションが終わると、今回、民族学博物館でなさっている特別展「自然のこえ 命のかたち」を主催者側の博物館の方が案内してくださいました。
 カナダの先住民がテーマの展示でした。
 今回はじめて、イヌイット語があることを知りました。イヌイット文字の原形は、19世紀の後半に布教をしていた宣教師が、英語の速記文字を参考にして発明したものだそうです。母音が3つで構成される言葉なので、ハワイの言葉に近いように思いました。

 会場の最後のコーナーに、人間の動きに合わせて動物に変身できるという巨大なモニタがありました。
 おもしろそうなので体験しました。

 最初は雛鳥に変身です。
 
 
 
091017banpaku4雛鳥
 
 
 
 次のポーズでは、シロクマが出てきました。
 
 
 
091017banpaku5シロクマ
 
 
 
 その後はクジラです。
 
 
 
091017banpaku6クジラ
 
 
 
 そのクジラも、ダイナミックに消えていきます。
 
 
 
091017banpaku7クジラ退場
 
 
 
 とても楽しい企画でした。
 こんなことが、私の文学の分野ではやれないのです。
 発想の転換をして、知恵を絞ってみます。

 懇親会に出た後の帰り道、ライトアップされた太陽の塔は、昨年と同じ顔を見せてくれました。
 
 
 
091017banpaku8太陽の塔のライトアップ
 
 
 
 いろいろな所へ行き、いろいろな人と会い、いろいろなイベントに参加すると、たくさんの勉強ができます。
 これからも機会を見つけては、どこへでも行き、誰とでも話し、何でも見てこようと思います。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2009年10月16日

北山の秋の草花-2009

 外を歩くと少し汗ばむ陽気です。しかし、朝晩は冷え込みます。
 我が家では、今週からガスストーブを出して、部屋を少し暖めるのに使い出しました。
 隙間だらけの我が家です。夏は中庭の煙突効果もあってか、世に言われるほど家の中は暑苦しくありません。
 しかし、冬は正直言って、寒さが堪えます。そろそろ、寒さ対策の準備です。

 今年の秋の玄関先は、こんな草花で賑わっています。
 
 
 
091014garden2
 
 
 
091014garden1
 
 
 
 自家用車を処分してからは、駐車スペースがこんな花壇と化しました。
 色合いは、イングリッシュガーデン風でしょうか。
 ガーデニングは、何かと手間がかかるようです。肥料や土や砂が結構必要です。草花は種から育てているために、家の裏などにはたくさんの芽が出ています。毎晩、妻はナメクジをとったり、水をやったりと、手をかけているようです。私は何も手伝えないし、育て方もわかりません。

 道行く人に「きれいですね」と言われることが労いなのだそうです。
 奈良の平群にいた時とは比べものにならないほど、とにかく狭いスペースでのガーデニングです。
 それでも、こうして草花が明るく花を咲かせ、いろいろな姿を見せてくれるのを目にすると、源氏絵の片隅に描かれた植物と同じように、これらが雰囲気を作り出していることを実感できます。
posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2009年10月15日

逸翁美術館の茶入

 国文学研究資料館から逸翁美術館へと、華麗なる転身をなさった伊井春樹先生の所へ行ってきました。
 逸翁美術館は、今月から新装開館となり、非常にスッキリとしたデザインとなっていました。
 
 
 
091014ituo逸翁美術館
 
 
 
 入口には、お祝いのお花がたくさんありました。
 先生は、これまで以上にお忙しいご様子でした。
 何組かのお客さんの対応を終えられた頃を見計らって伺いました。しかし、お疲れのところを、丁寧に展示室を案内してくださいました。

 展示室に入ると、あの「絵巻切断」で知られる「佐竹本三十六歌仙切 藤原高光」(重文)が目に飛び込んで来ます。高光は、若々しい顔立ちです。
 切断の時に使われた竹の抽籤筒で作られた花入と籤も、その前に展示されていました。これがあの、と思うと、感激しました。
 私も、パリで見つけた『探幽筆 三十六歌仙』(粉本)を架蔵しているので、歌仙絵には特段の親しみがあります。

 「石山切 伊勢集」や「伊勢物語下絵梵字経」、そして芭蕉の書や蕪村や光琳や乾山の絵など、ぜいたくなものを伊井先生のお話と共に見せてもらいました。

 こうした名品の数々は、「逸翁 雅俗の精華 小林一三コレクション」と題するDVDでも鑑賞できます。
 宝塚の檀れいさんが案内人として、優雅に所蔵品を見せてくれます。
 
 
 
091015_dvdDVD
 
 
 
 伊井先生と小声でお話をしながら展示物を見ていた中で、私は「文琳茶入 逸翁歌銘「ねざめ」明時代」というものに目が留まりました。
 これは、その形からリンゴの異名である文琳と言われる唐物茶入です。「茄子」とともに、形のいいものです。「ねざめ」という銘は、和泉式部の和歌から来ているそうです。

 私がこれに興味を持ったのは、ちょうど今、『名物茶入の物語』(矢野環、淡交社、平成20年12月)という本を読んでいるからです。その本では、「博多文琳」や「吹上文琳」がカラー写真入りで紹介されています。
 
 
 
091015cyaire
 
 
 
 また、高橋箒庵の『大正名器鑑』が逸翁美術館に展示されており、伊井先生のお話では初版ではない、とのことでした。その本のことが、この『名物茶入の物語』に書いてあったので、それを思い出しながら先生のお話を伺いました。

 松平不昧公や片桐石州の名前も、展示物の説明にありました。
 私の生まれは島根県の出雲です。母の実家はお茶の家系で、私も小さいときから母の家の茶室を日常的に見ながら育ちました。父も、よく松江のお茶会に連れて行ってくれました。その時に出るお菓子は、決まって不昧公に縁のある「わかくさ」でした。
 また、片桐石州については、京都に来るまでに住んでいた奈良・生駒の近くにある、大和小泉の慈光院を創立したのが石州であることで知っていました。また、よく慈光院の庭を散策し、お茶席で抹茶をいただいたものです。

 そんなことを思い出しながら、伊井先生と展示室で楽しい時間を持つことができました。

 最近は、お茶とは無縁の日々です。時々、お茶を習っている娘が、京都の自宅で点ててくれます。
 恥ずかしい茶器しかありませんが、ゆったりとした時間が流れます。

 忘れかけていたお茶を喫する時間の流れを、また身近なものとするいい機会かも知れません。
 毎日あくせくと走り回っています。しかし、時間を止めてくれるお茶も、いいものかもしれません。

 自宅の近くの寺之内には、裏千家の今日庵と表千家の不審菴があります。
 柄にもないことですが、意識してお茶に接することもいいように思います。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ブラリと

2009年10月14日

手製の和風の灯り3点

 元来、工作が大好きです。中学生の頃は、技術家庭科が大好きでした。
 小さい頃から、プラモデルや電子機器などに熱中しました。
 コンピュータもいろいろな組み合わせで仕事をしています。

 作るというよりも、組み合わせて楽しむ、というところでしょうか。

 我が家でも、折を見ては、いろいろなモノを作っています。

 自信作でもある、照明器具の細工を3点ほど。

 何と言うことはない、和紙などを使って、本来あった照明の雰囲気を変えただけです。
 しかし、町家風の我が家には、なかなか馴染んできました。と、自分では思っています。

 まずは、奥の廊下の照明です。狭い廊下の上にあった白熱電球を、おもしろい和紙で包みました。
 
 
 
091014light1
 
 
 
091014light2
 
 
 
 どちらから見ても、同じようです。しかし、それでいて、微妙に雰囲気が違います。

 次は、玄関の上がり口にある、二畳の間の灯りです。
 
 
 
091014light3
 
 
 
 狭い空間に、大きな張りぼての球を吊しました。

 最後は、玄関の上がり框の上です。
 ボール球を麻の網で半円形に覆いました。
 この曲線を描くのに、さまざまな工夫をしました。今は、アクリルのスティック棒でカーブを作っています。
 
 
 
091014light4
 
 
 
 これを、二畳間の方から見ると、こんな感じです。
 
 
 
091014light5
 
 
 
 ガラスの手前に見えるのは、下鴨神社に檜皮を寄進したときにいただいたものです。外のガラスの向こうには、今年の祇園祭でもらった蘇民将来の粽が見えています。

 この3つの照明は、いずれも省エネのボール球を使っています。たしか、18ワットだったと思います。
 付けっぱなしにしていても、電気代は大したことはありません。

 次は、傾いた2階の和室に手を入れて遊ぼうと思っています。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2009年10月13日

夜空に映える宇治の源氏絵巻

 宇治橋の周辺で開催されていた「京都 宇治灯り絵巻」は、夜と光を巧みに演出したすばらしいイベントでした。
 タイトルは「源氏の里に雅なる世界、ふたたび」と、昨年の源氏千年紀をうまく意識させるものです。
 『源氏物語』を観光資源とすることに成功した宇治市ならではの企画といえましょう。

 京阪宇治駅に来ると必ず行くのが、回転寿司「函館市場」です。このチェーン店は、奈良にいたときから各地にある店を食べ歩きました。この宇治橋の袂にある店も、なかなか活気があって好きな所です。
 
 
 
091011uji_hakodate
 
 
 
 まずは、大澤本を特別公開する宇治市源氏物語ミュージアムは欠かせません。
 入口は、宇治上神社からの方が雰囲気はいいのですが、駅に近いということで大通りから入りました。
 源氏絵巻灯籠がお迎えをしてくれました。
 
 
 
091011uji_gm1
 
 
 
 大澤本については、過日書きましたので省略します。
 ただし、展示室の入口と説明のパンフレットに、次の文言があったことが印象的でした。
 大澤本を展示する場所にふさわしいことばだと思いました。


池田亀鑑が青表紙本をより純良な本文と判断して以来、その代表である大島本(古代学協会所蔵)を中心とした本文が広く読まれてきましたが、近年、青表紙本については必ずしも良質ではないとする見方もなされています。昨年、大澤本は国文学界で注目を集める別本が半数以上を占めることで話題となりました。

 (中略)別本研究、いや源氏物語研究がより深まりをみせる、そのための一つの基礎的な作業として本展が受け入れられれば幸いです。


 ミュージアムから、さわらびの道を通って宇治上神社へ出ました。
 世界遺産のこの神社も、ライトアップの準備がなされていました。夜間の拝観があるとのことです。時間の都合で行けませんでしたが。

 宇治川の途中で、こんなコートを羽織ったボランティア・スタッフの方々をたくさん見かけました。
 
 
 
091011uji_cohto
 
 
 
 昨年の源氏千年紀で、ますますスタッフも充実してきたようです。

 宇治川にかかる朝霧橋にも、灯籠がたくさん置いてあります。約400基の源氏絵巻灯籠が、今回は宇治川沿い一帯に置かれているそうです。
 橋と、その向こうの中の島に揚がる巨大な風船は、後で掲載する帰りの夜景と比べてご覧ください。
 
 
 
091011uji_bloon1
 
 
 
091011ujibaloon2
 
 
 
 中の島から塔の島の喜撰橋を渡って、灯籠が並ぶあじろぎの道に沿う宇治川派川では、市民コンサートとして弦楽四重奏が始まっていました。
 ちょうど、観光の屋形船「てらない」が通りかかったところです。
 
 
 
091011uji_gengaku
 
 
 
 日が落ちた頃から、宇治川派川に浮かぶ舞台舟「紫のゆかり」の船上では、六嶋由美子さんの『ひとりものがたり 源氏の縁・宇治』が始まりました。
 左でオカリナを演奏しているのが鈴江先子さんです。
 鈴江さんは、本ブログの2009年5月6日に書いた「源氏千年(84)紫式部千年ライブ」で紹介しました。
 いつ聴いても、透き通ったすばらしい音色です。
 中央が、白拍子舞の井上由理子さん。
 そして右が源氏語りの六嶋さんです。
 
 
 
091011uji_mai0
 
 
 
 なかなかよく出来た台本だったと思います。しかし、この場所での内容としては、少し長すぎたのではないでしょうか。
 現に、私のすぐ横では、大阪のおばちゃんが待ち合わせをしている友達をこの場に案内するため、携帯電話にガンガンがなり立てる声が耳元に飛び込んで来ます。やがてやってきたお友達なるおばちゃんも、とにかく大声で笑ってはしゃべったり、という始末です。
 自由に見られる野外の舞台なので、いろんな人が集まります。それも、お行儀のいい関東ではないのです。
 内容は、宇治十帖をわかりやすく語っています。舞も優美です。ちょうどこの宇治川に浮舟が、と言われると、つい自分が物語の中にいるような錯覚に陥ります。うまいなあ、と思って聴いていました。
 それでも、見ている人が飽きないためにも、もう少しコンパクトにした方がよかったのでは、と思いました。

 この源氏語りが進んでいるうちに、中の島では気球に源氏絵巻が映し出されました。
 なかなか壮観です。
 
 
 
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091011uji_baloon2
 
 
 
091011uji_baloon4
 
 
 
 帰り道、朝霧橋から中の島を振り返りました。
 
 
 
091011uji_baloon5
 
 
 
 橋の袂の宇治十帖のモニュメントからは、こんな背景をなしていました。
 
 
 
091011uji_baloon6
 
 
 
 「京都 宇治灯り絵巻」のイベントは大成功です。
posted by genjiito at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2009年10月12日

校本『源氏物語』に挑む若者たち

 奈良に近い京田辺市に、同志社大学の京田辺キャンパスがあります。ここには、理科系が中心の学部が集まっています。
 京都御所の北側にある今出川キャンパスは、文学部をはじめとする文化系の学部が集まっています。
 今日はこの京田辺にある、文化情報学部へ行きました。ここで、「校本の会」という研究会が立ち上がったということなので、応援する意味で訪問しました。
 私なりの試行錯誤のこれまでを、学生さんたちに直接語り伝えたかったので、「校本の会」のとりまとめをしておられる福田智子先生の研究室に行ったのです。

 学生さんたちは、ほんとうに純粋に『源氏物語』の写本に体当たりをしていました。
 『源氏物語』の本文をコンピュータで処理するプログラムを開発している学生は、話をしているだけで、その熱意が伝わってきました。実際に足を運んできてよかった、という実感を持ちました。
 他の学生さんたちも、素直なのでこれからが本当に楽しみです。
 なまじ『源氏物語』に精通していないことが、かえっていい問題意識と成果をあげているようです。言い方がむつかしいのですが、知らない者の強みとは、このことを言うのでしょう。『源氏物語』の研究者が写本を見向きもせずに、ひたすら活字化された流布本で研究をしてきた70年という停滞した研究史に、今こうした若者が風穴を開けてくれそうです。そのことに期待が持てそうです。これは、本当に嬉しいことです。本来の研究が、文学部ではないところから立ち上がっていくところに、学問のおもしろさを感じます。

 全国に『源氏物語』に興味をもつ学生さんは多いと思います。しかし、みんな活字の流布本を読んで終わりです。大島本を元にして作られた、活字で組まれた『新編日本古典文学全集』(小学館)などを読んで終わりなのです。

 しかし今、流れが変わりつつあります。
 一体今、自分たちは何を読んでいるのだろう、という問いかけがなされる時代になりました。こんな時こそ、活字の校訂本文ではなくて、原点に立ち返って写本に書かれた文字を追いかけるべきです。
 書かれている言葉の意味は、今わからなくてもいいのです。『源氏物語』の作品論などは、まだ先でいいのです。
 とにかく、たくさんの写本が読まれないままに放置されていることを認識し、それを整理し、何を読むべきかを見定め、それから本文の内容を理解すればいいのではないでしょうか。
 その意味でも、まだ『源氏物語』の研究は、本文の整理の段階です。この時期だからこそ、異分野の方々とのコラボレーションで、研究を進めるべきです。文学青年や文学少女の出番は、まだまだのようです。

 『源氏物語』というと、すでに研究はやりつくされていると思われています。しかし、それは活字になった校訂本文による研究の話に留まります。そのことに、早く気づくべきなのです。
 その意味では、情報資源としての『源氏物語』をコンピュータなどを駆使したアプローチをする学生がいることは、私にとっても嬉しいニュースです。
 東京から出かけてでも、ぜひともこうした若者たちに逢いたくなったのは、こうした寂しい『源氏物語』の研究環境を日々目にしているからです。
 期待を裏切らない学生たちに逢えて、今、ホッとしています。

 一緒に話をし、その後は一緒にお酒を飲みながらどうでもいいことなどを語りながら、この若者たちの頼もしさを感じ、今、京都の自宅に帰りました。

 私が『源氏物語』を情報処理の対象としたのは、20代の後半でした。30年も前のことです。
 今日逢った学生さんたちは、20代になったばかりです。
 コンピュータやソフトウェアは、格段の進歩を遂げました。
 そうした道具を容易に手に出来る今の世代の若者たちに、ますます、これからが楽しみに思われます。
 声援を送るしかできない立場になっていますが、それでも出来る限りの応援をしたいと思います。

 とにかく、続けることが大事です。そして、誰もやならいことをしているんだ、ということを自分に言い聞かせ、失敗を恐れずにひたすら前を見て進んでもらいたいものです。

 今回、彼等の姿を直接見たので、また、折を見て話をしに行きたいと思います。
 楽しみが増えました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2009年10月11日

心身(44)行こか戻ろか思案の時

 総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻の入試説明会があり、その司会の仕事を終えるやいなや、立川から渋谷へ直行しました。

 ちょうど同じ時間帯に、科研の研究報告・発表会がありました。しかし、私はこの入試業務が入ったために、個人研究よりも業務優先でもあり、事前に組まれていた研究集会での発表は免除してもらったのです。
 しかし、甘えてばかりもいられないので、夜の部の研究集会の懇親会には、少しの時間でも出席するために、連日の激務の後で疲労困憊ではありましたが身体に鞭打ちました。

 それでも、相当に疲れていたのでしょう。
 立川駅から中央線で中野駅までは覚えています。しかし、中野を出た時、次の新宿で乗り換えだと思いながら、気がついたら終点の東京駅でした。
 電車を降り、エスカレーターを下って新幹線の改札に向かううちに、そうだ、渋谷へ行くんだった、ということを思い出しました。
 そのまま新幹線に乗ろうかと思いましたが、足は自然と元来たホームに向いていました。

 こうした集まりに顔を出すか出さないかは、私の仕事では重要なことです。この一手間を惜しむと失うものが多いことをよく知っているので、こうした集まりに参加することは大事にしています。
 若い頃は、よくわからなかったこともあり、研究集会などが終わると、そのまま懇親会にも出ずに帰ったことがありました。なんとなく、行ってもなー、という時があるものです。その誘惑に負けたことが、数回あります。そのいずれもが、行っておけばよかった、というものなのです。若さ故に、その損失に気づかなかったのです。

 東京駅から新宿へ引き返し、そして山手線に乗り換えて渋谷です。
 まずは、大急ぎで JTB に飛び込み、夜行バスのチケットを頼みました。
 運良く、渋谷発京都行きの、残り一枚というチケットを手にすることができました。

 午後7時には会場に行けました。すると、なんとヴェネツィア大学のトリーニ先生がいらっしゃいました。3月以来の再会を祝しました。万難を排して渋谷に廻ってよかったと思いました。

 楽しい一時を過ごし、散会後はすぐに渋谷発の夜行バスで京都へ向かいました。
 疲れていたのでしょう。iPhone で音楽を聴きながら、意識は目覚めたまま、早朝に京都に着きました。目を閉じ、身体は横たえていましたが、一睡も出来なかったのが堪えています。
 これからすぐに、宇治で開催される『源氏物語』のイベントに行くのです。

 老体に鞭打つことに、慣れてしまったのかも知れません。
 さも当たり前かのように次の行動に移る自分に、ほとほと感心する時があります。
 今回も、それにあたるようです。
posted by genjiito at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康雑記

2009年10月10日

源氏私見(2)2種類の本文を読む受容形態の提唱

 昨日の「源氏私見(1)写本の傍記混入で異文が発生」に関連して、これまでに提示している私見の確認をします。

 今年の正月に、次の記事を掲載しました。

『源氏物語』の本文は2種類ある」(本ブログ2009年1月15日掲載)


 この『源氏物語』の本文に対する分別案については、まだどなたの支持もありません。学会からの反応もありません。
 これは、私見が無視されているのではなくて、おそらく、確認すべき本文資料が容易に入手できないからではないか、と思っています。
 私見の拠り所となっている『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』の翻刻本文は、あくまでも私とその周辺の仲間が作成したものです。私案の検証をするためには、できればこの翻刻本文ではないものに基づくのが理想です。しかし、なかなかそのような環境に身を置く研究者はおられないのが実情です。

 私案に対する反応が出るまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
 とにかく、どなかたが支持なり不支持なりの意見を示して下さる日が1日も早いことを願っています。

 参考までに、最近公表した私の研究成果を列記します。

(1)「若紫における異文の発生事情 −傍記が前後に混入する経緯について−」
   (『源氏物語の展望 第1輯』森一郎・岩佐美代子・坂本共展編、三弥井書店、2007・3))

(2)「〈河内本群〉を指向した下田歌子の校訂本文 −『源氏物語講義(桐壷)』の検討を通して−」
   (『講座源氏物語研究 第7巻 源氏物語の本文』伊藤鉄也編、おうふう、2008・2))

(3)「海を渡った古写本『源氏物語』の本文 −ハーバード大学蔵「須磨」の場合−」
   (『日本文学研究ジャーナル 第2号』伊井春樹編、国文学研究資料館、2008・3)

(4)「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論 ―「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同―」
   (『源氏物語の新研究』横井孝・久下裕利編、新典社、2008・10)

(5)「海を渡った古写本『源氏物語』の本文 ―ハーバード大学蔵「蜻蛉」の場合―」
   (『日本文学研究ジャーナル 第3号』伊井春樹編、国文学研究資料館、2009・3)

 特に、上記(4)では、次のようにまとめて書きました。


以上で確認したように、少なくとも2種類の物語本文に目を配ることにより、平安朝の『源氏物語』を読むことに近づくことが可能となる。

これは、一本でも多くの古写本を翻刻することを心がけて来た成果からの、新しい読み方の提案となるはずである。

〈平安時代の物語本文の復元〉という夢を追う時代は終わった。

〈2種類の伝流本文を読む受容形態〉が、おぼろげながらも見えて来たのではないか、と思っている。
(八三頁)



 この2種類というのは、具体的には《陽明本と池田本を読む》ということになります。

 私の研究手法では、『源氏物語』の本文の分別は1巻ずつを根気強く進めていくしかありません。
 気の遠くなる作業を伴う研究ですが、コツコツと続けていきたいと思います。
posted by genjiito at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2009年10月09日

源氏私見(1)写本の傍記混入で異文が発生

 昨日あった研究会で、自分の中で問題意識として持っていたことの一端を、研究発表の形で提示しました。
 これから年末まで、5つの研究発表をすることになっているので、自分が混乱しないためにも、備忘録としてここに記しておきます。

 「平安文学における場面生成研究プロジェクト」というものが、国文学研究資料館の中にあります。
 これは、 《物語の生成と受容》 と題して、すでに4冊の報告書を刊行しているものです。

 今回は、第11回目の研究会でした。
 メンバーは、沖縄・京都・静岡などから集まった、新進気鋭の若手研究者が中心となっています。
 折しも、台風が通過した直後でもあり、いつもよりも参加者は少なかったのですが、いいディスカッションができました。

 まずは、私の「傍記混入の実態から見える源氏物語諸本の位相−「初音」「常夏」の場合−」と題する1時間弱の基調報告の後、質疑応答と共同討議をおこないました。

 その内容は、今年度の報告書に掲載されますので後日確認していただくこととして、ここにはその内容の柱だけでも記しておきます。

 まず、「はじめに −これまでの本文研究史と個人研究の成果−」として、「源氏物語本文研究略史」と「個人研究の成果」を印刷したレジメを見てもらいました。
 これは、時間の関係でほとんど説明は割愛しましたが……。

 続いて、以下の項目について、研究成果として報告しました。

  一 大島本「 初音」における異文注記の本行への混入
    [大島本の影印資料をもとにして、大島本が本行に混入させた「一本」は前田家本が校合に用いた一本であることを証明]


091009hatune15

(角川書店刊行のDVDより画像の一部分を引用掲載)
 
 
  二 傍記混入による異文の伝流
    [第26巻「常夏」の諸本を2つの類と群に分別する私案の提示]
     〈甲類〉[国尾御高天平]群
     〈乙類〉[大麦阿池肖日伏穂前]群
          [陽保]群
    (これは、昨秋以来新たに提案している、『源氏物語』の本文2分別私案の1つとなるものです。
     そして、次の特徴が確認できました。

      ■〈甲類〉は、傍記後入のパターンを見せる。
      ■〈乙類〉は、目移りによる脱落後の文を伝える。
      ■陽明本と保坂本は、〈乙類〉の中でも別群である。

     こうして検討する巻を重ねる中で、『源氏物語』の諸本の位相が明らかになっていくはずです。)
 検討に用いた資料は、次の3点でした。

  資料(1) 二分別の典型的な例
  資料(2) 陽明本と保坂本の独自な位相
  資料(3) 三段階の混入

 最後にあげた、傍記が三段階にわかれて混入していくのではないか、という仮説には、次のような例を提示しました。


   [国尾高天平大麦阿池御肖日伏穂前] ナシ[国尾高天平御]  [国尾高天平御]
        (1)ちかきかはの     ーーーーーーーーーー (3)せうようし給に
  ◎あゆ (2) (1) いしふしなとやうの 物をまへにてゝうして まいらす[陽保(麦阿)]
      (2)おまへにててうし[国尾高天平御阿]

 ◎の行が、最初に書かれた物語の本文だったとします。
 ここに、(1)の傍記が記された写本が出現し、それがいつしか本行の中に混入していきます。
 次に、(2)のような傍記が記された写本も出現し、それがいつしか本行に混入します。
 そして、(3)のような傍記がなされた写本が出現します。
 これについては、本行のことばか傍記のことばか、いずれかが取捨選択されて写し伝えられて来たのではないか、と考えてみました。

 こうした過程を経て、いくつかのパターンの異文が発生した、という仮説を提案してみました。
 諸本の本文異同をここにあげるゆとりがないのでわかりにくいと思いますが、おおよそこんな視点から本文の変化を考えてみたわけです。

 ここでは詳しくは書けないので、来年3月に刊行される報告書をご覧ください。

 なお、今回の考察で使用した諸本は、次の18本でした。

     底本 源氏物語(陽明文庫蔵)
   『新源氏物語別本集成』
     大 源氏物語 大島本(古代学協会蔵)
     保 源氏物語 保坂本(文化庁蔵)
     国 源氏物語 国冬本(天理図書館蔵)
     麦 源氏物語 麦生本(天理図書館蔵)
     阿 源氏物語 阿里莫本(天理図書館蔵)
     尾 源氏物語 尾州家河内本(名古屋市蓬左文庫蔵)
     絵 源氏物語絵巻断簡(書芸文化院蔵)
   『源氏物語別本集成 続』
     池 源氏物語 池田本(天理図書館蔵)
     御 源氏物語 御物本(東山御文庫蔵)
     肖 源氏物語 肖柏本(天理図書館蔵)
     日 源氏物語 日大三条西本(日本大学蔵)
     伏 源氏物語 伏見天皇本(古典文庫)
     穂 源氏物語 穂久邇文庫本(穂久邇文庫蔵)
     前 源氏物語 前田本(尊経閣文庫蔵)
     高 源氏物語 高松宮本(国立歴史民俗博物館蔵)
     天 源氏物語 天理河内本(天理図書館蔵)
     平 源氏物語 平瀬本(文化庁蔵)
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2009年10月08日

井上靖卒読(96)「信康自刃」「天正十年元旦」

■「信康自刃」

 勢いの中に感じられる滅びの予感が、物語展開の中からうまく伝わってきます。
 竹千代長じて信康の血に、織田信長に滅ぼされた今川の血が流れているのです。
 築山殿と徳姫との嫁姑のやりとりも、緊張感に溢れています。
 作者の筆の力を感じます。【4】

初出誌︰別冊文藝春秋
初出号数︰1953年8月35号

角川文庫︰異域の人
角川文庫︰天目山の雲
井上靖小説全集11︰姨捨・蘆
井上靖全集4︰短篇4
 
 
 
■「天正十年元旦」

 長編小説の一部、といった印象が残りました。
 勝頼、信長、光秀、秀吉の4人の、元旦の一コマを点描します。
 各人が置かれた心のありようが、時間の流れの中で活写されているのです。
 私が読んだ角川文庫では、光秀の節がちょうど改頁された所から始まっていました。そのため、信長の話との切れ目に気づきませんでした。一行あけて4人の話を展開させるという構成が、書籍の活字の組み方によっては、うまく生きないことになってしまっています。作品が書籍の形を変えて流布する時には、刊行する側が注意すべき点かもしれません。【3】
 
 
 
初出紙︰日本経済新聞
掲載日︰1955年1月1日

角川文庫︰天目山の雲
旺文社文庫︰真田軍記
井上靖小説全集11︰姨捨・蘆
井上靖全集4 ︰短篇4


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2009年10月07日

井上靖卒読(95)「桶狭間」「平蜘蛛の釜」

■「桶狭間」
 外から見た異様な織田信長と、信長自身から見た自分の違いが、うまく描き分けられています。
 静と動の中で、物語が進みます。
 後半の急展開の後、末尾の「駿河殿」が誰を指すのか、私はしばし考えてしまいました。
 作者は、話の流れの中で、少しことばが足りないことに気づかなかったようです。
 最後になって、読者を足踏みさせる作品になってしまいました。

 本作は、『オール読物』の「新鋭お好み五人衆」の1つとして掲載されたものです。その時の題名は、「決戦桶狭間」でした。【2】


初出誌︰オール読物
初出号数︰1952年2月号

角川文庫︰異域の人
角川文庫︰天目山の雲
旺文社文庫︰真田軍記
井上靖小説全集 11︰姨捨・蘆
井上靖全集 3︰短篇3
 
 
 
■「平蜘蛛の釜」
 数年前まで住んでいた奈良県の平群町にある信貴山が出てきました。特に理由はないのですが、舞台として自分に縁の深い場所が出てくるだけで嬉しくなり、親しみを込めて読み進むことができました。
 大和・信貴山に築城した松永久秀の話です。
 作者は、久秀が抱く織田信長に対する憎悪が、その謀反の根源にあるとします。よく理解できる筋立てとなっています。
 井上靖は、この久秀の側から、人のありようを語ります。最後は突き放した書き方になっていますが。
 名器の釜が背景にあります。人間を照らし出すモノとして。井上流の語り方です。【3】



初出誌︰群像
初出号数︰1958年10月号

角川文庫︰天目山の雲
講談社文芸文庫︰異域の人・幽鬼
ロマンブックス︰楼蘭
井上靖小説全集 16︰蒼き狼・風濤
井上靖全集 5︰短篇5




〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
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2009年10月06日

銀座探訪(18)時差ボケ解消に

 これから年末にかけて、繁忙を極める職場の業務以外に、研究発表がまだ3つあり、研究集会などの司会も3回あります。
 中川昭一氏がお亡くなりになったニュースを気にしながら、こうして単身赴任先から家族へのメッセージを送り続けています。

 英国ケンブリッジから帰国した先週来、朝4時に目が覚めます。しかも、ジャストに……。
 英国時間でいうと、午後8時です。

 睡眠不足が続いているので、何とか体を休めようとしますが、もう眠れません。
 いつもの血糖値を測ると、110前後が続いているので、糖尿病に関しては快調です。130以上なら真剣に対策を考えますが、これならしばらく様子を見るか、ということに落ち着きます。
 それでも、そんなに早く朝ご飯を食べるわけにもいかず、出勤時間までボーッとしています。

 2時間弱の通勤電車の中でも、本を読むとすぐに夢の中にいる自分を見つけます。

 一日中、眠たさの中にいます。
 目の奥が重たい感じで、眼球が脳の中に引きずり込まれるような感覚があります。
 自分がすることが、自分でもよくわからないこともあります。困ったことです。

 先ほど、ブログ用に、井上靖の短編小説2編に関する感想を記しました。しかし、アップロードをしないままに、オフラインにし、電源を落としてしまいました。ブラウザの投稿画面に直接入力していたので、保存するかという確認が出なかったのです。
 今度またもう一度、同じような内容の記事を書くことにしましょう。アーア……。

 日々、無駄で無為な時間を意識することが、しばしばあります。自覚しているので、まだよしとしています。

 どこかの時点で、生活のパターンを切り替えなければいけません。

 体を覚醒させるために、昨夜は銀座で泳いでいました。しかし、体が重く、すぐに息が上がります。ほどほどにして、ジェットバスとスチームサウナで体を刺激しました。

 小雨の中、少し夜の銀座をブラブラしました。しかし、傘をさして足下を気にしながらの銀座散歩は、呼び込みのお兄さんやお姉さんの姿と、ビルの片隅で雨に打たれるゴミ箱が目につくだけで、閉じられた世界しか見えません。

 銀座は、少し上体を反らし気味にして歩く街のようです。
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2009年10月05日

展示解説書『幻の写本 大澤本源氏物語』

 2008年は『源氏物語』の千年紀でした。その中のニュースとして、大澤本『源氏物語』に関するものは、多くの人に新鮮な驚きを与えました。その本の伝来がドラマチックであったこと、そして何よりも、その本文が特異な表現を持つことなどで。

 この大澤本の姿が実際に自分の目で確認できる展覧会がスタートしました。
 宇治市源氏物語ミュージアムで、今月1日より来月末までの2ヶ月間、話題の大澤本が展示されます。

 そして、待望の解説書『幻の写本 大澤本源氏物語』も完成しました。
 
 
 
091005ohsawa展示解説書
 
 
 
 A4版で63頁の冊子です。中身の濃い冊子です。
 まずは、その目次をあげます。



目次

ごあいさつ

大澤本源氏物語の伝来

 一 小杉※邨(すぎむら、※は「木」へんに「囚」+「皿」)

 二 池田亀鑑の大澤家本調査

 三 大澤本の伝来

 コラム 大澤本源氏物語の魅力 秋山虔

 四 大澤本の鑑定書類

 五 『錦上花』の編集

 コラム 浮舟は宇治橋を渡って行った 後藤 祥子

大澤本源氏物語本文の性格

 一 大澤本の本文と伝称筆者

 二 本文の系統

 三 大澤本の性格

 四 夕霧の中年の悲哀

 コラム 別本幻想 池田和臣

大澤本源氏物語の世界 −資料編−

 【一】小杉※邨(すぎむら、※は「木」へんに「囚」+「皿」)鑑定書

 【二】前田香雪「各筆源氏物語筆者目録」

 【三】大澤本源氏物語本文

 【四】大澤本源氏物語古筆了栄・了仲・前田香雪鑑定書


凡例

◆本書は、平成二十一年十月一日から十一月二十九日までを会期として宇治市源氏物語ミュージアムで開催する同名展覧会の解説書である。

◆コラム以外は、すべて伊井春樹氏(前国文学研究資料館長・逸翁美術館理事)による執筆である。

◆掲載図版のうち、所蔵者を明記しない源氏物語の写本は大澤本である。





 この種の展覧会の図録としては、非常にレベルの高いものとなっています。
 それだけに、非常に面白い話に満ちています。

 大澤本については、本ブログでは、過去に2回取り上げました。

(1)「大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補」(2008年7月21日)


(2)「源氏文論尚友(2)大澤本『源氏物語』の書誌報告」(2009年8月 6日)


 そして、今回が3回目です。

 (2)では、「幻の大澤本源氏物語」(伊井春樹、『百舌鳥国文』第二十号、p15〜31、2009.3)を紹介しました。
 その後、「大沢本源氏物語本文の性格」(伊井春樹、『中古文学』第八十三号、p1〜17、2009.6)でも、視点を変えて紹介されています。

 今回の展覧会に合わせて刊行された展示解説書は、上記2編の研究論文をわかりやすくまとめたものとなっています。解説書が出色なのは、図版が豊富に使われていることです。
 鑑定書のほとんどが写真で確認できます。そして何よりも、写本の巻頭や問題のある箇所などが、24点もカラー写真で掲載されています。いずれは、全巻の写真が公開されることでしょう。その日が一日も早く来ることを願っています。

 今回、伊井春樹先生は、この54巻を次のように分類されました(数字は巻順)。

(1)青表紙本(十五帖)
02帚木、03空蝉、04夕顔、05若紫、06末摘花、07紅葉賀、25蛍、28野分、31真木柱、34若菜上、40御法、41幻、49宿木、50東屋、51浮舟

(2)河内本(一帖)
09葵

(3)別本(三十八帖)
01桐壷、08花宴、10賢木、11花散里、12須磨、13明石、14澪標、15蓬生、16関屋、17絵合、18松風、19薄雲、20朝顔、21少女、22玉鬘、23初音、24胡蝶、26常夏、27篝火、29行幸、30藤袴、32梅枝、33藤裏葉、35若菜下、36柏木、37横笛、38鈴虫、39夕霧、42匂宮、43紅梅、44竹河、45橋姫、46椎本、47総角、48早蕨、52蜻蛉、53手習、54夢浮橋


 私は、『源氏物語』の本文は、これまでの池田亀鑑による3分類(〈いわゆる青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉)ではなくて、〈甲類〉〈乙類〉の2分別すべきだと思っています。その私案から大澤本の本文を詳しく分別した結果は、いつか公表したいと思っています。
 陽明文庫本や保坂本などに匹敵する大澤本の本文は、さらに注目すべきものとなるはずです。
 一日も早く、すべての本文がみんなで共有して研究対象にできる日が来ることを、首を長くして待っています。
 この公開により、『源氏物語』の異文に注目が集まり、若い方々が活字本だけではなく、こうした写本をも活用した研究に着手してくれる日の来ることが待ち遠しく思われます。

 それにしても、楽しみの多い、いい時代が到来したものです。
posted by genjiito at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆源氏物語

2009年10月04日

英訳短歌の冊子あり〼

 先月、9月21日にケンブリッジ大学で実施した日本文学国際研究集会において、中村久司先生が「英訳和歌:和泉式部歌一首の六翻訳例」と題するすばらしい研究発表をしてくださいました。

 その日に合わせて発行された『万葉集』の英訳などが収録され冊子『Ten Thousand Leaves The 1,250th Anniversary of Manyoshu The Oldest Collection of Japanese Poems』(12頁)を、このたび中村先生から50部いただきました。
 日本では手に入らないものなので、非常に貴重な冊子だと思います。
 
 
 
091001nakamura1表紙
 
 
 
091001nakamura2巻頭
 
 
 
 興味と関心をお持ちの方に、無料でさしあげたいと思います。
 ただし、何かと多忙な折でもあり、以下の要領で連絡をくださった方に、先着順にてお渡ししたいと思います。
 もし手元の冊子がなくなりましたら、中村先生に寄贈の追加をお願いするつもりです。
 いずれにしても、本ブログで経過を報告いたします。






・一人 1冊 無料

・日本郵便の「エクスパック500」に「お届け先」を記入したものを、以下にお送りください。

・〒190-0014 東京都立川市緑町10 -3
    国文学研究資料館内 伊藤鉄也 宛
 (10 - 3 Midori-cho,tachikawa-city,Tokyo 190-0014,Japan
  National Institute of Japanese Literature ITO Tetsuya) 
 
・「ご依頼主」覧の「おところ」と「おなまえ」の所に、私の上記住所氏名をあらかじめ記入したものを送っていただくと、冊子を封入してすぐに返送できるため、私としては助かります。







 発送などに関する確認やトラブルや苦情は、できるだけなくしたいと思います。
 失礼のないように心がけますが、ご理解とご協力を、よろしくお願いします。

 なお、中村先生からは、以下の冊子紹介の文章をいただいています。


日本最古の歌集「万葉集」の最終歌が大伴家持によって詠まれてから、今年で1250年になります。また、藤原定家が「近代秀歌」を源実朝に贈って、今年で800年になります。この記念すべき年に、英語圏の人々に万葉集と古典短歌を紹介したいと考え、「日英短歌ソサエティー」はこの小冊子を作成しました。万葉集から36首を取上げて解説を付け、小町・和泉式部・西行・定家・式子内親王の秀歌各一首の英訳も載せています。最後に、古典短歌を学んだ英国人大学生が詠んだ英語短歌5首も加えています。


 中村久司先生は、英国ヨーク・セント・ジョン大学の国際センターで日本プロジェクトオフィサーとして活躍中です。
 英国滞在21年で、ご専門は平和学です。大学では、英文科と美術学科の生徒に、新古今和歌集を中心に和歌を教えておられます。
 2005年に「日英短歌ソサエティー」を創立。現在、会員は21カ国に約200名。
 2008年に、日英交流への貢献で、外務大臣表彰を受賞なさいました。
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2009年10月03日

井上靖卒読(94)『渦』

 子供を持たない34歳の中津伊沙子の空しい思いからスタートします。そして、少年山西光一の世話をします。このことが、この物語の基本線として引かれています。
 宗像りつ子は、「日本離島に於ける伝説の研究」を研究テーマとしています。これがどう展開するのか、楽しみにしていました。しかし、どうしたわけか、このことはまったく語られません。どうしたのでしょうか。用意周到に話を語る井上靖にしては、珍しいことです。

 りつ子は、伊沙子の夫である洪介に好意を持っています。人間関係が少しずつ複雑になり、少しずつ結びついていきます。
 光一少年が、鳥巣と伊沙子の間に入って、その人間関係を観察する役をもちます。しかし、光一は伊沙子を母のように慕うところから、話はおもしろく展開します。

 物語は、銀座から築地を舞台の中心にして進みます。銀座は、いつもの井上靖の背景となっています。

 洪介が将来を賭けて扱う映画の題名は「月の出」というドイツ映画です。そして、洪介がよくないとして酷評するのが「星」という映画です。何か意味があるのか、私にはまだわかりません。

 人間と人間がぶつかり合う場面の盛り上げ方は、井上靖独特のうまさがあります。迫真の演技がことばで語り尽くされます。臨場感があり、秀逸です。
 光一と九平との2度にわたる殴り合いの喧嘩、そして洪介と伊沙子の大口論などなど。戦国物での戦闘シーンも、迫力のある描写でした。複数人のぶつかり合いは、井上が得意とするところのようです。
 洪介と伊沙子のお互いの異性関係をめぐる口論は、非常にリアルです。
 第14章などは、理性と感情がうまく出入りする描写となっています。

 この小説の全編にわたって、男女間の複雑な関わりを見せます。しかし、みな善人です。人のいい男女が登場します。自分に素直なのです。井上らしい小説です。

 そして、意表を突くラストシーンが見所です。【5】

初出紙︰朝日新聞
連載期間︰1959年10月15日〜1960年8月22日
連載回数︰310回


角川文庫︰渦
井上靖小説全集 20︰渦・白い風赤い雲
井上靖全集 13︰長篇6

映画化情報
映画の題名︰渦
制作︰松竹
監督︰番匠義彰
封切年月︰1961年1月
主演俳優︰佐田啓二、岡田茉莉子
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2009年10月02日

国文研の秋の展覧会2つ

 秋は、全国各地でたくさんの展覧会が見られます。
 国文学研究資料館でも、江戸時代と平安時代の展覧会を開催します。
 いずれも、入場は無料です。

 まずは、すでに開催中のものから。
 
 


江戸の長編読みもの

  −読本・実録・人情本−



 
 もう少し詳しくは、国文学研究資料館のホームページの催し物をご覧下さい。
 
 
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091002nijl左が展示室、右が閲覧室
 
 
 
091002tenji展示室
 
 
 


 また、来月は、平安時代のプロジェクト研究の成果が展示されます。

物語と生成と受容
平成21年11月9日(月)〜11月23日(月)


 
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 さらに本年末には、中世の研究成果が展示されます。
 
能楽資料展
平成21年12月7日(月)〜12月25日(金)




 中央線で、立川にどうぞお越し下さい。
 昭和記念公園をまっすぐ北に抜けた所の、国立国語研究所の向こうにあります。

 先月から、極地研究所と統計数理研究所が、国文学研究資料館と同じ庁舎に移転して来られました。
 今日で、ほぼ引っ越しが終わったようです。
 館内は、賑やかになっています。

 正面玄関を入って左側に、上の写真のように、国文学研究資料館の展示室と閲覧室があります。
 入って右側は、次のようになっています。
 
 
 
091002kyokuti1
 
 
 
 極地研と統数研は、同じ入口です。
 突き当たりに、極地研のディスプレイがあります。しばらくの暫定的に置かれていますが。
 まずは、昭和基地の模型が。
 ガラス戸の向こうに、国立国語研究所の建物が見えています。
 その右に、自治大学校があります。植物に隠れていますが。
 
 
 
091002kyokuti2
 
 
 
 そこから正面入口を見ると、こんな風景になっています。
 
 
 
091002kyokuti3
 
 
 
 ペンギンも、なかなか愛嬌があります。
 
 
 
091002kyokuti4
 
 
 
 なぜ、この3つの機関が同じ庁舎なのかはわかりません。
 しかし、これだけ異質な組織が同居すると、これからおもしろいことが見聞きできることでしょう。

 楽しみが増えました。
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2009年10月01日

井上靖卒読(93)『しろばんば(後編)』

 前編は小学3年生の洪作まででした。後編はそれから2年後の小学5年生になっています。
 今度は、『井上靖全集』で通読しました。これは、2段組みで656頁もある分厚い本なので、前編のコンパクトブックとはまったく違う感触の読書体験でした。

 雑木林で洪作が見た男女の抱き合う光景は、他の作品でもモチーフとして使われています。子供が大人になっていく転換点として描かれています。

 総体的に、前編よりも後編は、子供の心の描写に新鮮味がなくなっています。前編の方が、みずみずしい感じがします。これは、設定された年齢に忠実に子供の姿が描かれていることの証明なのかもしれません。

 子供の喧嘩の場面は秀逸です。親の対応もいいのです。喧嘩両成敗。今の過保護社会とは異なる、まさに人間の情が溢れた世界が描かれています。
 これは、2年前の『渦』で光一が喧嘩をする場面と共に、井上の特色とも言える筆の冴えを実感するところです。

 この作品では、一貫して大正期の伊豆を通した、日本の風俗を含めた文化が描き出されています。貴重な民俗資料ともいえます。

 洪作とおばあちゃんが、銀色の月光の中にいるシーンがあります(『井上靖全集』583頁)。絵になっています。
 ここで、洪作はおぬい婆さんを叱ります。立場が逆転していくところです。

 その後には、昼間のように明るい月の中で、庭を歩く洪作がいます。母と婆ちゃんの喧嘩の後です。月光が効果的です。
 月光に照らされて下田街道を下り、浄蓮の瀧へ行く洪作と犬飼先生(626頁)。月光の下の狂人。死を考える男を、月光の中に置きます。
 この作品の後半には、月がたくさん出てきます。
 共同浴場に出る、寒そうな月。
 月光に照らされて坂道を歩きつつ、友達との最後の夜を永遠に忘れないと、洪作は思います。
 湯ヶ島をみんなに見送られ、浜松へ転校する洪作。
 新しい大人の世界へ歩み出す、1人の男の子がここにいます。明るいものが視界に開けていきます。

 後編は前編よりも、ずっと大人向けの文章となっています。
 作者は、意識的だったのでしょうか、大人に向かって語っています。【5】

 なお、『井上靖全集』では、本文に2箇所だけ校訂が施されています。
 460頁の「団子」は、底本となっている『井上靖小説全集』では「饅頭」となっているものです。
 472頁の「誰の口からも」は、同じく「誰からの口からも」となっていたものです。
 井上靖の作品は、印刷の補訂がほとんどないことに感心します。
posted by genjiito at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 井上靖卒読