2009年06月27日

夜行バスからの投稿(補訂)

  渋谷で研究集会がありました。

 源氏物語の本文についての研究会で、非常に充実した内容でした。
 私は、第26巻「常夏」を例にして、本文が2つに分別できることと、本行本文の横に書かれた傍記が、書写者によって本行に取り込まれることによって異文が発生する事例を報告しました。
 写本によって異なる文章が確認できる時に、傍記の混入を想定すると、意外とその背景が見えてくるのです。
 今後とも、こうした事例を報告していきたいと思います。

 その後の懇親会に、最後までお付き合いするため、急遽、新幹線をキャンセルしました。
 そして、夜行バスがないかを、渋谷駅の中のツーリストで、念のために聞いてみました。すると、なんと、渋谷発の夜行バスがあったのです。新宿か東京しか知りませんでした。
 それも、懇親会場の上の階から発車するということでした。

 ラッキーとは、このことです。こんなによくできたうまい話は、滅多にないことです。

 発車間際まで仲間と喫茶店で楽しく話をして、今バスに乗り込んだところです。

 こうしてブログを投稿できるのも、iPhoneがあるおかげです。
 いつもの時間に、いつものように書いてアップできるのですから、情報文具は便利なものです。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | *身辺雑記

わが母の記(6)未読だった第2信(下)

 未開封のままだった、母からの手紙の中身を翻字します。
 40年ぶりに読んだ亡母からの手紙には、以下のように書かれていました。





鉄ちやん 其の後元気で居ますか 此の所毎日寒くて

大阪は雪が降つたり風もツメタイですよ

少しは仕事の方 馴れて来ましたか 朝が早くて

一人で起きれるやらと心配しています 風引かぬ様

気を付けて カイロでも入れて暖かくして出る事

です 体に十分気を付けて シツカリがんばつて

下さいね 祈つています

家もとう/\電話がついて 鉄ちやんの声も聞き

度ひ時は話せますので 嬉しいですよ

室の方も整理が付きましたか 落ちついた事と思つ

て居ます 電気毛布を買つたそうですが 安い物

で大丈夫ですか 良く注意して使用して下さいね



色々と入用の物が多くなつて行く事でしようが 自分で

キチントかたづけて 人が見ても見ぐるしく無い様に

して置く事ですね 其の人の人がらが知れますからね

お金の方も 心細く無つてる事でしようが 必要な時

には お母さんも少しは手持ちが有りますから 其れに

内職のお金も出来ますから 言つて呉れたらスグ

送つて上げます 何よりも体に十分に気を付け

る事 外に出た時 一日一本はかならず牛乳をノム

事です 其して 生ヤサイを忘れずに自分から食べる

様心掛け 食事に付いてたら残さずに食べて下さい

どんな物を食べてる事やら 又知らせて下さいね

当分は淋しかつたですが 此の頃 仕立物を一生懸命



やり出して 其の間は気がまぎれて居ます 時/\

Iさん所にも 遊びに行く事ですね Nさんは

良い人ですから 此の間はセイター頂いたとの事 又 着

て遊びに行きなさい 喜ばれますから ラヂオも頂い

たとか 鉄ちやんの室も 大分自分の室らしくなつたで

しよう 此れからは又 予備校に入つてシツカリ

勉強にがんばつて下さいね 来年を祈つて居ます

お金の方 四万円は こちらから送金しますからね

入用の時 知らせて下さい 用意していますから

Yが二十日 夜行 大阪立ちますから 其の時に小使

(お金)持つて行きますから 当分のに使つて下さい



給料もらうまで心細いでしようから 残れば預金して

置く事ですね いつでも出せる様に近くで良いで

しよう Yが行けば又話も沢山有る事

でしようから 此の便りが着く頃は行つてる

頃です 家の机の上の箱は チツキで送ります

昨夜(十三日)から Yと二人です 何となく

心淋しい気持ちです 石川屋のMさんが 十五日に

亡くなり お父さんは出雲へ帰つてます 又 Tさん

所 Kさんは大分良くなり 十七日に退院して

出雲大東のTに帰り 来月(四月十二、三日頃)大阪に

Hちやんと一しよに帰つて来られます 今の所 別に

変わつた事も無く こつちは皆元気で居ますから



鉄ちやんも元気に体に呉れ/\も気を付けて

交通事故にはほんとに注意して下さいね

其の中に暖かくなり仕事の方にも馴れて来た

ら 楽しい事も出来て来ますから がんばつて下

さい 又便りしますから 其れ迄 元気に居て下さい

                     母より

左記の所に礼状出すことですね お願ひします

Tにはごちそうになつたお礼

Nへはネクタイ、見送り

のお礼を出して下さい

一 大阪市西淀川区(中略)T様

一 大阪府八尾市(中略)N様






第1信とよく似た内容です。
母は、とにかく私の体を案じていたようです。
私は小学生の頃には、栄養失調でひ弱な子供でした。体育の時間は、いつも見学でした。
小学校の高学年になって、運動をしてもいいようになってからは野球を、中学では卓球を、高校ではテニスをしました。いつも、母は無理をしないようにと、声をかけてくれました。

学校の運動会には、いつもこっそりと見に来ていたことを知っています。
高校の時、私が10キロマラソンを走った時には、長居陸上競技場のトラックのコーナーの端にいた母を、周回しているうちに見つけました。いい所を見せようと頑張り、上位でテープを切ったことも、今となってはいい思い出です。
そのせいもあって、東京で一人で早朝から新聞配達をすることを、母は陰ながら気に掛けてくれていたのです。
いまでも、感謝の気持ちを忘れていません。
照れくさいので、生前は言葉にしては伝えられませんでしたが。

母からは、お小遣いのことが手紙によく書かれていました。
私は、高校卒業後は、予備校の費用も、大学の費用も、すべてを自分で工面しました。
それだけに、両親は私にお小遣いをくれようとしました。姉も、いろいろと気遣いをしてくれました。

成人後、大学院に進学した時には、妻の援助で勉強を続けました。そのことを、両親は妻に申し訳ないと思っていたようです。何かと、生活費やお小遣いを渡そうとしてくれていたことを覚えています。

我が家は貧しく、姉は家の状況を見て大学には行かずに、銀行に就職しました。その後、通信教育で短大を卒業しました。
私も、高校卒業後は家のために働くはずでした。しかし、国鉄に勤めながら大学で勉強してもいいと言われ、それなら自分が興味のある新聞社で働く、朝日奨学生としての生き方を選んだのです。
父は川柳を嗜んでいたので、ものを書くことには理解がありました。
母は、出雲の女学校を出てから、東京の早稲田で奉公生活をしていたので、私が東京へ出ることに理解を示してくれました。母は多分に、東京に行く機会ができることに楽しみを見つけていたようにも思えますが……。早稲田の大学受験の時には、母も一緒に付いてきました。受かろうが落ちようが、関知しないという雰囲気で。結果は不合格でした……。

この未開封だった手紙は、第1信の一週間後に書かれています。それにしても、前便と同じ表現が所々にあります。
とにかく、私に伝えたいことが、母の心の中には、いっぱい溢れていたのでしょう。

40年もしてから読んだことを、今週自宅に帰ったら、仏前に報告しましょう。
いつもニコニコしていて、何でも私がすることは認めてくれ、許してくれていた母なので、今頃この手紙を読んだことも、「いいよ、読んでくれたんだつたら、体に気を付けてね」と言ってくれることでしょう。
両親がいない今、あらためて感謝しています。
posted by genjiito at 03:33| Comment(0) | TrackBack(0) | *回想追憶